#何年経っても年々好き度増し増し
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「民主党政権のどこがどう悪夢だったのかきちんとした説明を聞いたことがない」という主張は定期的に出現しますね。とはいえさすがに「聞いたことがない」なんてはずはないので、おそらく「自分の気に入る説明ではない」という意味か、「バカに分かるように説明したところで、そもそもバカは聞いてない」パターンのいずれかとは思いますが。 悪夢のような時代を生き抜いてきた者として私が言えるのは、「とにかく、あのような惨劇は二度と繰り返してはならない」ということだけです。あの時代がいかに酷いものであったか、ご存知ない方もぜひこの機会に知って頂きたいので、支持者から叩かれること覚悟で全力で反論していきますね。 個人的に、「悪夢の民主党政権」における大きな問題点は次の3点と考えています。 (1)国家運営能力の欠如により、内政上の失敗を数多く引き起こし、国益を損ない続けた。 (2)拙劣な外交を繰り返し、日米関係をはじめ、周辺諸国からの信頼を大きく毀損した。 (3)総理・閣僚をはじめとする所属議員の度重なる不祥事や、自分たちに都合が悪い情報を隠蔽する体質によって、国民の政治に対する信頼を失い続けた。 では、それぞれどんなことがあったか振り返っていきましょう。はらわたが煮えくり返る覚悟で読み進めてください。 (1)国家運営能力の欠如 ・財源の見込みが甘く、政権交代の際に掲げたマニフェストはほぼ未達成。 ・官僚を敵視して排除し、国家業務の停滞と質低下を招いた。 ・金融政策と財政政策が食い違い、タイミングの悪い増税も重なり、景気や株価は低迷を続けた。 ・歴史的水準まで進んだ円高を放置し、デフレを加速させた。 ・法的根拠がないばかりでなく、仕分人の選定や対象事業選定にも透明性を欠いた「事業仕分け」をデフレ時におこない、必要な公共投資を削減。経済を悪化させたにも関わらず、結果に責任を負わなかった。 ・「コンクリートから人へ」という誤った政策により、災害対策を疎かにしたうえ、地域社会を破壊した。 ・「朝鮮王室儀軌引渡」「尖閣事件の船長釈放」「運用3号通知」「国家公務員採用大幅減」など、閣僚たちが思い付きレベルの意思決定を独断でおこない、結果的に我が国の将来に禍根を残した。 ・法的根拠のない組織を乱立させ、意思決定過程が曖昧になり、指揮命令系統も混乱。 ・法的根拠のない大臣や副大臣を任命したり、個人的な友人を参与に、党職員を内閣官房職員に任命するなど、ルールを無視、公私の別がつかない人事を実施。 ・原発停止、ダム建設中止など、法令根拠や事前協議が必要な決定を手続無視で断行。 (2)外交能力の欠如 ・普天間基地問題が迷走し、沖縄とアメリカの信頼を大きく損なった。 ・来日したオバマ大統領を日本に残したまま、鳩山総理がAPEC首脳会議に出席するためにシンガポールに向かうという非礼行為。 ・尖閣沖漁船衝突事件では、中国側の脅迫や報復に屈して船長を早々に釈放、不起訴に。その後の尖閣諸島国有化でも迷走。 ・領空侵犯が頻発するも、実効的な対策をとらず。 ・韓国に対しては、通貨スワップ協定締結、朝鮮王室儀軌引渡し、慰安婦問題での「知恵を絞っていきたい」発言など、不用意な譲歩を重ねた。 ・韓国の歴代大統領として初めて、竹島へ李明博大統領が上陸。 ・旧ソ連時代を含めて初めて、北方領土へロシア国家元首が上陸。 ・実現に向けた方策が何ら決まっていない状態で、国連気候変動サミットにおいて「CO2の25%削減」を突如国際公約化。 ・実現の見込みも全くないまま、G8の場で、「太陽光パネルを1000万戸に設置する」と突如国際公約をおこなった。 (3)閣僚・所属議員の度重なる不祥事と情報隠蔽体質 ・鳩山総理⇒偽装献金問題、脱税問題、引退撤回、「最低でも県外」「Trust me」「国民の皆様が聞く耳を持たなくなった」 ・菅(直人)総理⇒外国人献金問題、北朝鮮関係団体献金問題、「顔が見たくなければ法案を通せ」 ・野田総理⇒在日韓国人献金問題、脱税企業献金問題、民団選挙協力お礼発言、「大きな音だね」 ・小沢元代表⇒政治資金規正法違反容疑で強制起訴(無罪判決)、献金虚偽記載で公設秘書が逮捕(有罪判決) ・仙谷官房長官⇒尖閣漁船衝突事件、「自衛隊は暴力装置」 ・赤松農水大臣⇒口蹄疫問題、「だから早く殺せって言ってるのに」 ・松本復興担当大臣⇒「知恵を出さないやつは助けない」「書いたらその社は終わりだから」 ・長妻厚労大臣⇒運用3号独断決定、職務停滞 ・蓮舫行政刷新担当大臣⇒事務所費架空計上問題、国会内ファッション雑誌撮影、「2位じゃダメなんでしょうか?」 ・前原外務大臣⇒外国人から政治献金受領 ・川端文科大臣⇒事務所費架空計上問題、キャバクラ費用を政治資金で計上 ・鹿野農水大臣⇒対中不正輸出疑惑、機密漏洩疑惑 ・鉢呂経産大臣⇒「死の街」「放射能をうつす」 ・一川防衛大臣⇒「安全保障に関しては素人」 ・柳田法務大臣⇒「答弁は二つだけ覚えておけばいい」 ・山岡消費者担当大臣⇒マルチ商法業者からの献金問題 ・中井国家公安委員長⇒議員宿舎にホステス連れ込み&カードキー貸与、式典で秋篠宮ご夫妻に「早く座れよ」とヤジ ・小林議員⇒違法献金問題で選対委員長が逮捕、選対幹部が公職選挙法違反で有罪 ・土肥議員⇒竹島領有権放棄を日本側に求める「日韓共同宣言」に署名 ・横峯議員⇒賭けゴルフ、女性暴行、恐喝事件への関与 ・緒方議員⇒「スーパー堤防はスーパー無駄遣い」 ・原発事故対応(SPEEDI、米実測値の非公表、議事録不作成など)、尖閣ビデオ、北朝鮮ミサイル発射への対応、温暖化対策の家計負担、年金改革の財政試算 など、自分たちに都合が悪い情報は隠蔽し、政府への深刻な不信感を招いた。 ・総理-閣僚間で見解の方向性や意見の不一致が常態化。それらも含め、自民党で同様の事態があれば野党のみならずマスコミも総出で吊し上げられる事態となるが、マスコミも概ね民主党に好意的な報道姿勢。 そんなに民主党時代が良かったなら、下野以降何度でも政権を取り戻すチャンスはあったはず。なのにただ一度もそうなっていないということは、それが民意ということです。私もあんな地獄のような時代は二度と御免です。
新田 龍 / X
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年収っていうか年商だけど。原価もそんなにかからないから年収って書いた。 こんなこと匿名でしか書けないけど何年も頑張ってきたからマジで嬉しくて誰かに言いたくて書いた。 特定回避のために用語は全部一般的なワードに置換えて書く。 どんなことしてるか概要 一言で言うと新興宗教の教祖。 信者は400人くらい。 会費はないのでお布施とグッズ販売のみ。 あと信者に健康食品とかを売ってて(合法だぞ)、 それで全部合わせた金額から経費を除いてだいたい3000万。 宗教法人じゃないから半分くらい持っていかれるけどな…… どうやって始めたか 元々宗教とかには全く無縁だった。そりゃ墓参りとクリスマスくらいはやるけど。 街中で新興宗教の勧誘を見るとうわぁ……って思ってた。たぶん普通の感覚だと思う。 やろうと思ったきっかけは、某首相暗殺事件後ニュースでフォーカスされた3000万円の本とか壺とかを見て、これめっちゃ儲かるなって思って興味を持ったこと。 ノウハウを見ようと思ってそこそこ有名な新興宗教に入って、3か月でさっと脱退。 引き抜きはバレたら怖いからしなかった。 街中で地道に声かけて人集めて、初めて信者になってくれたのが勧誘始めてから1ヶ月くらいだった。 SNSも使ったけどあれはダメだな。 やり方が良くなかったのかもしれないけど、SNS経由で定着した人は一人もいない。 その後は信者に勧誘させて、増えて、勧誘させて……��倍々ゲーム。 軌道に乗ったら俺は勧誘とかしないで教祖としてふるまうのに集中した。 集金方法 お布施 基本はこれ。うちは会費がないので、『サービスに対する対価』として払ってもらってる。 オ○ムのイニシエーションってあったけど、あんな感じ。 悩みを聞いてそれっぽいこと言ったり、修行させたり。 金額によってサービスに差がついていて、 安い料金を払うと5人同時のお悩み相談で、高い金払えばサシで相談できる、とか。 ちなみに料金表もある。高いメニューは『時価』(実際は別のワード)って書いてた。 お布施の金額に応じて賞状みたいな紙を配っている。 あとは集会やイベントのたびにその月の布施の額の上位ランカーを発表して皆さん見習いましょう!って言って煽る。 イベント 布施を誘発するために定期的に行���。 うちは仏教オマージュなので、盆と彼岸と正月にイベントを行う。 イベントと言っても大したことはできない。 ホール借りて、ゲスト(呼べる範囲で有名な歌手とかタレント。まあそんなすごい人は呼べない)呼んで楽しませて、 説法してみんなで歌って終わり。上に書いた布施の金額の表彰式もここでやる。 物販 布施の次に稼いでる。 ありがたいグッズを販売する。お守りが多い。大きいのだと仏壇(といっても小さめのやつだけど) 俺はアニメとか好きだからその手のグッズを結構参考にしてて、ランダムで出てくるキーホルダー型お守り(全20種)とか用意したら結構評判良い。 外部のデザイナー(全然宗教関係ない人)に企画をお願いして、 市販のカスタマイズできるグッズ制作サービスを使ってる。 中には俺の写真入りアクリルスタンドとかあって自分でも笑っちゃうんだけど、それを握りしめて祈ってる信者を見ると少し嬉しい。 本もやっと1冊出した。自費出版。ちゃんと俺が書いたよ。調べたけどゴーストライターって結構高いんだな。 健康食品 信者は老人が多いので、売れるかなと思って始めたら結構売れる。 これもパッケージをカスタマイズできるサービスがあるので適当なお茶とかを売ってる。 薬って言っちゃうと捕まるからあくまで健康食品。 宗教っぽいこと言ってごまかすしかない。 気を付けていることは、同じ食品でいかにも宗教なパッケージと穏当なパッケージの2種類を用意すること。 一見宗教っぽくないパッケージは信者が非信者の身内(親戚、知り合い)に配る用にちょうどいい。勧誘にもなる。 大変なこと メンタルへの負担がデカい。信者って基本情緒���安定だからその人達と話してると辛くなる時がたまにある。 ただ超然とした態度を貫いた方が教祖っぽいかなって思ってるから、同調しないことを心がけてる。 教義を考えるのも結構大変。 修行熱心な信者がいて、ある日教義について「ここって矛盾してませんか?」というようなことを言われた時はかなり焦った。 (その場は上手く誤魔化して、その人には教義を考えるチームに入ってもらった) 組織運営も気を遣う。 信者にメンヘラが多いからすぐ喧嘩する。 一応教義で仲良くしなさいって言ってるから露骨な喧嘩はしないけど、仲間外れにしたりする。 多くの場合仲間外れにされた人に原因があるんだけど、そいつが離脱するのも困る。 かといって学校の先生よろしくコラー!って言うのもカッコ悪いから、階級(うちには布施や歴によって決まる階級がある)が一つ上の人間に解決させる。 この辺かな。でもこういう悩みって普通の会社でも同じだよな? 金もらえてるから余裕で頑張れる。 当面の目標は宗教法人になること。税金が重すぎる。 読んでくれてありがとう。あなたの今世と来世に幸せがありますように!
ビジネス宗教作ったら2年で年収3000万いった
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uihy
自室の記録
5年前からルームシェアをしているSと一緒に引越しをしてから、3年が経った。寝室をSが、リビングを私が自室としている。私の部屋の正面には大きな窓があり、左右にもそれぞれ小窓がある。
小窓1
装身具類の置き場所。ピアスを置いている鳥のレモン絞り器は、Fさんから貰ったもの。Fさんはよく動物のものをくれる。犬の形をした栓抜きや、野営をするくまの置物も彼からのプレゼントだった。
カートリッジインクの空き容器には、ヘアピンやネックレスを入れている。私の父は吸引式の万年筆を好んでいて、父から贈られたペンもインク瓶とセットのものが多かった。実家を出て外にいる時間が増えてからは、インクを切らすことが怖く、自然と替えのインクを持ち運べるカートリッジ式の万年筆を使うようになった。それからしばらく経ち、1年前にプログラマを辞めたことを手紙で報告すると、その数日後に「励まし」とボールペンが送られてきた。以降ずっとそのペンを使っているから、手持ちの万年筆はどれもインクを抜いてある。
よく付けるピアスは窓の縁に置いていて、どこかの喫茶店で使われていたらしい伝票入れには、硝子のオーナメントやトライアングルのビーターを差している。
Hのくれたトライアングル本体は、腕時計とブレスレットを失くさないための場所���して機能している。良くない使い方だと罪悪感を覚えてはクロスで磨いている。
小窓2
『陶の家』を見かけたらひとつ買うというのを続けていて、現時点で3軒が建っている。少しずつ街になっていく。家の奥には、ミナペルホネンの好きなQさんにプレゼントしたものと色違いのタイルを置いている。
小窓3
すぐぼろぼろにしてしまう指先のケア用品を置いている。H先輩に貰ったネイルオイルの磨硝子が好きだった。Fさんが動物をくれるように、この人は硝子をよくプレゼントしてくれる。硝子のオーナメントも、ステンドグラスのくまもH先輩から貰っている。
窓を開閉するハンドル(オペレーターハンドルというらしい)に紐をかけて、ケーブルや電源類をまとめている。先日Eから貰った白いカールコードのシールドもここに下げている。黒い服ばかり着ているのに、Eには乳白色のイメージがある。“誤って人間として産まれてしまった天使”だと感じさせる人と知り合うことが何度かあり、Eもその中のひとりだった。
向かって左には仕事用のシャツ、右には外套を何着か掛けている。秋冬用の服ばかりある。
机
ここに越すことが決まってから最初に選んだ家具。プログラマになったばかりの頃、メモリの重要さを机の��さに喩えて教えられた。それで机は広いほど良いものだと認識したのか、気付けば横幅のある机ばかり探していた。天板の色を緑に決めて、部屋の軸に据えた。
職場で割ってしまったマグカップに無線イヤホンや保湿クリームを入れている。シャツを濡らしたまま破片を持つ私を見て、笑ってくれる会社の人たち。これ以上は無いとよく思う。
ヘアクリップ入れにしている、ままごと用のような小さな花瓶も気に入っている。渋谷の蚤の市で友人へのプレゼントを選んでから、度々その人の店でものを買うようになった。銀色のトレイやハート型の赤い缶もその人から買った。
銀色の電源タップは前の部屋から持ってきたもの。あらゆる電子機器の電力をここから供給している。
ギターをくれた友人たちが別の年の誕生日に合同出資してくれたオーディオインターフェースがモ��ターの下にある。未だに1-2と3-4の入力を同時にする方法が分からず、2つずつ付け替えながら使っている。これを貰ってからAudacityで曲を作り始めて、今もそのやり方をしている。会社の先輩には「システムを0と1だけで作ろうとしているみたいなものだよ」と言われたけれど、その頓馬さを含めて自分に馴染むので、Audacityをずっと使っている。キーボードがちょうど上に乗る。
モニターの横にはmicroKORGを置いている。普段は誕生日に贈り物をしないと取り決めているSだけれど、数年前に何かで手を貸した際「この恩は倍にして返します」と言い、その年の誕生日にmicroKORGをプレゼントしてくれた。このシンセサイザが部屋に来てから、自分の生活が向かうことのできる方角が増えたように感じている。大切な楽器。
microKORGには、新しい部屋で出した『野良の花壇』のマグネットを付けている。本来は冷蔵庫のために作られたマグネットだけれど、皆とスタジ���にいる時にあって欲しく、ここに付けている。プリクラで来られなかった友達の似顔絵を描くような感覚。私の黒い冷蔵庫には、ピーター・ドイグの青鬼の絵と油絵の花のマグネットだけがある。
机の下に、PC・トランクケース・スーツケースを置いている。PCはSのお下がりで、MacBookしか使ったことのなかった当時の私は、こんなに大きな箱がPCだなんて、と思っていた。PCの上に付けたアンテナは狐の顔のような形をしている。
トランクケースは大学2年のころ大枚をはたいて手に入れたもの。どこか遠出をする時はこれに荷物を詰めている。畳み終えた洗濯物をSの部屋へ運ぶ時のかごや、ギターを弾く時の足置きとしても使用。頑丈さに安心する。
スーツケースはついこの間、京都に長く滞在するために買った。銀色の次に、灰がかった青が好きだと思う。
ギター・くま・本棚
ギターは高校時代の友人たちが誕生日にくれたもの。19歳になったばかりの頃、当時の交際相手と出掛けた帰り、気が付いたら楽器屋にいた。ギターを2本持ったその人に「どっちがいい」と訊かれ、指差した方を買ってくれた。私にギターを与え、弾き方を教えてくれたことにずっと感謝している。その人と別れてしばらく経ち、誕生祝いに何が欲しいかを訊かれ、ギターを頼んだのだった。友人たちは「あえて白にしてみた」と笑っていた。今思えば、このギターを貰ってから白を自分のものにすることへの抵抗が弱くなった。ギターの届いた日、触っているのが楽しくて大学を休んだのを覚えている。
YAMAHAのアンプは義兄が使っているのを見て購入した。私が真似をしていると知って嬉しそうだった、と姉から教えてもらった。
左端のくまは、元は白だったのだけれど、深い青のシーツで眠るのに付き合わせたせいで黝くなってしまった。Kの小説に「ヤニや涎で汚れてしまったのかしら」と書かれてからは、布で包んでいる。いつかぬいぐるみ病院に連れて行きたい。隣は一度も会ったことのない人が贈ってくれた黒いくまと、高校時代の交際相手が留学先のお土産として連れてきてくれた焦げ茶のくま。誰かとビデオ通話をする時にはよくパペットのくまに代理出席してもらっている。右は、地元や旅先の雑貨屋で見つけて連れてきてしまった(“しまった”という意識がずっとある)小麦と白のくま。グレーのワゴンに小さなギャッペを敷いて、くまたちの場所としている。
低い本棚の上
蓋のない宝箱。小物たちというより、質量のある記憶群という方が実感に近い。
西荻窪にあった喫茶店の閉業を知って沈んでいると、H先輩が「お店で使っていた品物を販売しているみたいです」と教えてくれた。黒い花瓶のあるおかげで、ずっとその店を忘れずにいられる。今はEのくれた竹とんぼや、Aさんのくれた花を入れている。ポストカードをしまっておける箱のついた額縁には、Aの写真を入れている。過去、「__の写真��写真展に出してもいいですか?」と、もう搬入の終わった状態で確認の連絡が来たことがあった。Aがごく稀に見せる、こういった強引さが大好きだった。展示を了承する代わりに譲ってもらったその時の写真たちは、勾配天井の部屋に暮らしていた時に飾っていた。上京してから借りたどの部屋にもAの写真を飾っている。そのほか、江の島で拾った石や、Tさんがライブ終わりに嵌めてくれた指環、Uさんと行った犬吠埼のイルカの置物、書ききれないほどの誰かと紐付いた宝物がある。
声の依頼を受けた際、お礼にといただいた絵。額装までしてくれていた。元々この人の絵が好きだったので大喜びした。一度この絵を裏返さなければいけない時期があったので、また飾ることができて嬉しかった。
高い本棚の上
小さなギターは、Kさんと一緒にRさんの部屋でパーティをした日、中古のおもちゃ屋で買ったもの。Rさんの部屋に戻った後もご機嫌に鳴らしていて、そのあと火事が起きた。カセットコンロの火がテーブルクロスに引火して、火が早送りのように広がっていくのを見た。三人で死ぬ映像がちらついた、次の瞬間には火が消えていて、振り向くと花瓶を持って息を切らしたRさんが立っていた。チューリップを活けていた水での消火。このおもちゃが生き延びた証明になっている。このあいだのアルバムに入れたフィールドレコーディング曲にはその日の日付が付けられていて、火のはじける音やこのおもちゃギターの音が入っていた。volca keysは初めて触ったシンセサイザ。自分ひとりである程度のことができるようになりたくて、リズムマシンとマルチエフェクターを買った。
銀色のバットはひとつ前に住んでいた部屋の近くにあった台所道具の店で買ったもので、前日と翌日のあいだの時間に携帯品を置いておく場所として使っている。
Artekのスツール60を、椅子やベッドサイドテーブルとして使っている。パーティめいたことをする時には、3脚くっつけて大きなテーブルとして使う。雑貨屋でまとめて購入したので、その日で店のポイントカードが1枚分溜まった。そのカードをイッタラのキャンドルホルダーと交換してもらった。
銀色のトレイは、先述の蚤の市で知った店で買ったもの。部屋のポケットとして使っている。
“拯”の字は、精神がどうしようもなく落ちていた今年の始めに、Uさんが「書初めをしよう」と言って筆を持たせてくれたもの。翌月にまた京都を訪れた際に、国際会館のカフェスペースで焼き上がったものを渡してくれた。頭でばかり考えてはすぐに身体と疎通できなくなる私に、四肢のあることを思い出させてくれる友人。
本の上には気休めの紙魚対策として除湿剤と防虫剤を置いている。
小窓4
Fさんからの犬の栓抜きと、Hに貰ったコンクリートの置物、H先輩が分けてくれた犬の箸置き。母の好きなミニチュアを贈る際、色違いのチューリップを自分にもひとつ購入して、端に置いている。自分のために生きた花を買えない反動か、花のモチーフのものを見かけると嬉しくてつい手が伸びる。
キッチン
私の洗面台を兼ねている。私もSも、料理と呼べるような自炊は殆どしないので、調味料や調理器具が少なく、キッチンの収納部にはそれぞれの私物が仕舞われている。
Mさんが引越し祝いに買ってくれたカセットコンロ。パンを焼く時やカフェオレを淹れる時に使う。組み立��る際の動作がロボットアニメのワンシーンを思い出させるので、人前で使う時には「変身!」と言うようにしている。
隣の空き瓶は元々ジンの入っていたもので、誰かに花をいただいた時には一旦ここに活けている。
この部屋に越した時にIがプレゼントしてくれたローズマリーの石鹸の匂いが好きで、貰った分を使い切ってからも自分で買い直している。歯磨き粉はGUM以外だと落ち着かないので旅行先にも持っていく。歯ブラシはKENTのもので、最初に使ったあとの歯の滑らかさに感動して、誰かに共感してほしいあまりSに押し売りをした。それからSも同じものを使っているので、それぞれのストックも合わせると10本近くこの歯ブラシがある。右端はリングホルダー。左手の薬指に環を嵌めるようになってから、指環が好きになった。今は5本の指環を付けている。
食器棚
H先輩のくれたくまを吊るしている。緑の石鹸はMさんのスペイン土産。ここに写っている���鍋も鉄フライパンも、写っていない3本の包丁も2枚のお盆も貰いもの。
ソファ
机の天板に合わせて布を選んだ、三人掛けのソファ。毎日ここで眠っている。Sの部屋にある質の良いベッドよりも、薄いマットレスを敷いたソファの方がよく眠れる。枕に近い小窓のハンドルにエジソンランプを括りつけて、普段はその光で睡眠薬が効くまでを過ごしている。
部屋のすぐ向かいには線路があり、3面の窓から電車の通る音や光が流れる。最終電車の後は、スケートボードの走る音や、酔った誰かの歌が聞こえる。この部屋で生活をしている。
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2024年主催イベント・アンソロ振り返り
#一次創作イベント・合同誌主催や創作者に寄与する活動をしている人が1年を振り返る アドベントカレンダーに参���します。うぉんさんお誘いいただきましてありがとうございます。
初めましての方もいるかもなので簡単に自己紹介。オカワダ���キナです。小説を書いて同人誌を作っています。おもに文学フリマなどの即売会で頒布しています。 小説を書いて本を作るようになったのは2015年くらい。イベントに出るようになったのもそのころ(それまでは演劇をやっていました)。初心者とは言い難いですがベテランってほどでもない…いわゆる爆売れはしてないですが自分としては本当におおぜいの方に作品を手に取ってもらってありがたいな…みたいな感じです。 受賞歴や商業出版の経験はありません。まあなんかこうわたしくらいのものを書く人はおおぜいいて、これといって秀でたものや特別なものはないよなあと思っていますが、でもわたしはわたししかいないからな…!(ものすごいポジティブみたいだけど、これはちょいちょいプリパラアイドルのマインドが顔を出す感じです…) 即売会だと純文学ジャンルで出ていますが、クィア文芸みたいな言い方をしたほうがしっくりくるのかも?と最近は思っています。J庭などボーイズラブのイベントにも出ています。だいたいいつも性の話をしている。
[主催したイベント&アンソロジー]
2月 コピー本交換会@つまずく本屋ホォル 5月 『庄野潤三「五人の男」オマージュアンソロジー 任意の五』主催 7月 任意のリーディングパーティー&五人の男たちブックフェア@犬と街灯 12月 ドキっ♡作者だらけの本屋ナイト@platform3
アンソロジー主催は何度かやっていますが、イベント主催はこのコピー本交換会が初めてでした。すごくドキドキしながらやってみて、でもこういう規模感ならわたしにもやれることがあるのかもと思って、今年はいろいろチャレンジしてみた感じです。といっても小さなスケールで個人的なものなので、誕生日会とか忘年会の幹事をやるみたいな感覚だったかもしれない(どっちもあんまやったことないけど)。 つまずく本屋ホォルさん、犬と街灯さん、platform3さん。いずれも独立系書店さんと協力して開催しました。自分の同人誌を置いていただいているお店で、わたしの活動や作風、ポリシーなどをある程度知ってくださっているので相談がしやすかったです。みなさん本当に親身にきいてくださりありがたかった。
また今年はいろんなアンソロジーにお招きいただきまして、たくさん寄稿させてもらいました。そうすると腰を据えて長編に取り���むのは難しいなあと思って、それならアンソロやろっかな! イベントとかもできるかな! ���たいな感じでした。われながら勢い任せだなあと思うんですが、せっかくいろんな本におじゃまするのでいつもより開いた活動をしたいなあと思ったのもあります。 そういうわけでずっとドタバタしていましたが総じて楽しかったし幸せな時間でした。ほんとはもうちょっと身軽なときにやるものだったかもとは思いつつ、身軽なときというのはなかなかやってこないので、えいやっとやってみてよかったように思います。
以下、それぞれについてとりとめなく振り返ります。ノウハウのようなものを期待する人もあんまりいないと思いますが、個人的なレポートとしてもあまり参考にならないような話ばかりで恐縮です…。 先に結論のようなものを書いておきます。こういうイベントやアンソロジーの主催を通していちばん心に残ったこと、大事なこと、大きく感情が動いた瞬間や怒ったり笑ったりしたことは、本当にわたしの個人的なことで、こういうまとめ記事に書いてもあんまり伝わらないのかもなあと思います。そのとき一緒にいた人にしかわからないことばかりで、こういうところに書いちゃだめだろうなあということもあります。 Twitter(X)が壊れ、文学フリマの規模が大きくなるとともにようすが変わり、場や人の変化を日々実感しています。そういうなか、小規模な場所や自分で作った場所でその場限りの感情があったことが、わたしはとてもうれしいし感慨深かった。そういう「個」に立ち返ることを強く意識した一年でした。
[コピー本交換会]
2/18(土) つまずく本屋ホォルさんにて コピー本を作って物々交換する会。売り買いの場はすでにいっぱいあるからなんかそうじゃないことをしたいなあと思った。 それぞれ5部とか10部とか持ち寄って交換する。当日来られない人は郵送でも受け付ける。競争や選別ではない場所で作ったものをシェアする…これは一からアイデアがあったわけではなく、昨年「陰気なクィアパーティー」というzineの交換イベントに参加して、こういうのいいなーと思って真似してみた感じです。
つまずく本屋ホォルさんの2階(ふだんはコワーキングスペース)を貸切にしました。深澤さん吉田さんが本当に親身になってくださって、事前の打ち合わせでコンセプトの共有がしっかりできたのがありがたかった。わたしのフワフワしたイメージを丁寧に解きほぐしてくださり、方向性が定まった感じです。 13時〜19時までをイベントの時間として、途中で「本作り座談会」というトークイベントっぽいものをやったり、交換したコピー本やわたしのおすすめ同人誌zineなどを読める読書スペース、シルクスクリーンで遊ぶコーナーをやったりしました。またホォルさんの複合機を使わせていただき、その場で出力してコピー本を作れるコーナーも。場所が広いのでいろんなことができて楽しかったな。
思ったよりおおぜいの人が来てくれてうれしかった。わたしとツイッターやインスタでつながっている人、イベントで知り合った人、そういうわけではないけどどこかでイベントを知ってくれた人、ホォルさんについているお客さん、そのお客さんの知り合い…。必ずしも同人誌の活動をしている人とも限らなくて、何か書きたい人や書いたものを読んでほしい人はおおぜいいるんだなあと改めて実感しました。またわたしが小説の活動をしているので小説の人が多いかなーと思っていたのですが、そうでもなかった印象です。 そしてみなさん思ったより長い時間会場に滞在してくださって、13時の開場前からぽつぽつ人が来て座談会スタートの17時にあわせてずっと人が増えていった…という感じでした。会場のホォルさんからも、こういう出入り自由のイベントでみなさんが長い時間過ごしてくれるイベントはめずらしいとのことでした。座談会では人が座りきれないほどで、冷房つけるか?という熱気でびっくりした。正直ぜったいひまになる時間があるだろうなーと思っていたのと、トークはまあ5人くらい集まればいいかな~と思っていたのでうれしい誤算でした。
どなたでもOKにするのってけっこうドキドキしたんですが、意識的にそういう場をやらないと自分が閉じていくなあと思った。即売会でもオンラインのやりとりでも、だいたい決まった人とのつきあいになっていく。それは自然なことだけど、予備知識なくふと出会った何かしらを読んでみる、読んで面白がってみるっていうのは、作品や他者に胸襟を開く訓練でもあるよなあみたいなことも思いました。めちゃめちゃ自戒ですが、自分の思う面白さや好きってけっこう狭い範囲で固まってしま��から、意識的にこういう機会を作るのは大事かもなーと思った。
本作り座談会は、谷脇栗太さん、瀬戸千歳さんをゲストに呼んで装丁とかアンソロの作り方とかの話をしました。ほぼふだんのおしゃべりのノリで完全に無軌道に話し…。まあ出入り自由イベントだからお客さんも好きにしてくれるだろうと思ったんだけど、けっこう最後まできいてくださりびっくりしました。2時間半ほどしゃべってたみたいですね…。 クリタさんくらなさんがほんとにお話じょうずで助かりました。さっき作品や他者に胸襟を開くと書いたけど、そういうことが普段から自然に身についている方々で、ずっとリラックスしてしゃべれました。この装丁がよかった!とかこんな本作りたい!とか、けっこうマニアックな話もできてうれしかった。お客さんからの質問もいろいろ受けました。いっこ申し訳なかったのが、わたしはおおぜいの人の前でお金の話をきかれるのがあんまり得意ではなくてちょっとちょけた回答をしてしまい…。親しい人とクローズドな場でなら話せると思うので、その場でそう言えたらよかったな。
けっこう緊張していましたがほんとに豊かな時間でした。いわゆるスタッフがわたし一人でドタバタだったので、写真とかほぼ撮れずだったのが心残り。。どなたかに記録係をお願いするべきだったなあというのはこのあと毎度思うものの毎度忘れていますね。。
[『庄野潤三「五人の男」オマージュアンソロジー 任意の五』]
5/19 文学フリマ東京で刊行。 庄野潤三の「五人の男」という短編を足がかりに、父性や男性性について問い直すというアンソロジー。わたしは「五人の男」がすごく好きで、これ自分だったらどういうふうに書くかなあ、あの人だったらどんなふうに書くかなあと、最初の思いつきはすごくシンプルだったように思います。 1月終わり〜2月入ったくらいで声をかけ始めました。同タイミングで家父長制アンソロジー『父親の死体を棄てにいく』に参加していたので、なんかこう裏番組的なアンソロがあったらいいかなみたいなみたいな気持ちで始めたんだった気がします。上記コピー本交換会の打ち上げでも声をかけまして、直接会ったときにお願いするのってあんまりよくないよな〜と思いつつ(断りづらいだろうし)、でもなんかすごく楽しい気持ちでいっぱいだったので思わずお誘いしてしまった。
わたしが書いてほしい人にお願いしたアンソロで、今回は公募はなしにしました。コピー本交換会を誰でもOKの場にしたので、こっちはがっつり自分の色を出していこうと思った。イベントをやるのも本を作るのも「広場」みたいな気持ちでいるのかも。このアンソロはそんなに大きな広場じゃないかなあと思った。 いわゆる作家研究とかファンブックではなくて、とはいえ大喜利っぽい感じにもならないような温度感でやりたかったので、また父性や男性性というテーマを含む本だったのでそのあたりの話がしやすそうな方に声をかけたつもりです(実際に作品を作る中で各人と突っ込んだ話をするわけではないんだけど)。 今回はわたしが一方的にファンで作品を読んでいる方や、同人誌の活動はしていない方にもお願いしたのでけっこうドキドキでしたが、みなさん快く引き受けてくださり助かりました。長らく大ファンの晋太郎さんにお願いできたのは自分の中でもちょっとじーんとくる出来事でした。
〆切は5/10。文フリは5/19なので5/15か16くらいに入稿すれば間に合うっしょみたいなスケジューリングで、正直これは無茶なことをやっています…。5月文フリあわせのアンソロってだいたい2月末〜4月末が〆切で、わたしもそこらへんに提出する〆切いっぱいあったので、ちょっと時期をはずそうかな〜みたいな軽い気持ちでした。結果的に入稿したのは5/17で、仕事の昼休みに入稿。 このあたりの感覚はわたしがギリ入稿慣れしているのもあるし、パッと書いてパッと作る同人誌感を大事にしたいというのもあるかも。文学フリマはしっかり作った本が多いし商業誌もたくさん並ぶようになったので、わたしの活動はぐちゃぐちゃのままやっていってもいいんじゃないかと思っており…。 ギリギリにならないと動けない、計��的にものごとをやれない人も同人誌をやっているし、できるよ!というのを見せていきたい気持ちがあります。あとまあこれはわたしに無茶をやれる経験値がついてきたのと、無茶をやれる体力がまだある、そのあたりのバランス的に遊べるのは今だな…!って感じでやっていることでもある。14人中6人が〆切に間に合わなくて本当にヒヤヒヤしたけど同人誌作ってるな〜!という感じでよかった。
ものすごいドタバタで作りましたが、組版や表紙を自分でやった本なので作業自体は迷いなくパッとできました。思っていた以上にクィアやプロテストへの言及を多く含む、なんていうかバキバキの本になってよかった。先に作っておいた表紙はグレーっぽい色味だったんだけど、これはもうちょっと色が入っているほうがいいな…と思ってピンク寄りになった。
[リーディングパーティー]
7/13(日) 犬と街灯さんにて 五人の男アンソロの関連イベント。作品の朗読、好きなところや感想などを話す時間。要するに読書会なんですがアンソロ参加者さんに集まってもらえるのがとってもうれしくて「リーディングパーティー」というちょっとテンション高めのネーミングにしました。 本の販促というよりは、書いたものや読んだものの話をしたい…!作った本を作りっぱなしにしちゃうのがもったいない…!みたいな気持ちからやってみたものです。編集作業中にこれはなにか作品について話す場を作りたいな〜と思って、打ち上げ時に打診したんだった記憶です。 なんていうか、SNSの宣伝の文言でコンセプトや作品の紹介をするだけでは足りない、もっと「読んだ」話をしたいと思ったの。ちょっと話が飛躍してきこえるかもしれないけど、ジェノサイドに抗う、差別に抗う、そういうことへの態度や実践として、作品の細部を見つめる、具体的な小さい話をたくさんやっていく必要があるんじゃないかなあと思っています。個別の話、個の話。
朗読は暴力と破滅の運び手さん、兼町ワニ太さんにお願いしました。運び手さんはおもちゃのピアノと魚��ソーセージを持ってきてくださって…という話は作品を読んでる方にはとっても楽しい…! たくさん笑顔になりました。ワニ太さんは、作品のどこを読みますか?とその場でリクエストにこたえてくださって、タヌキのところとパンダのところをお願いします…!とお願いしました。声に乗せて読んだときの方が切ない手ざわりで感嘆しました。 そしてこの日はKaguya Booksさんの朗読ライブがあって、完全に日時がかぶってしまい…申し訳なかった…。お声かけしたのがこちらのほうが早かったとはいえ運び手さんがリーディングパーティーに出てくださったのはほんとにありがたいことだなあと思いました。井上彼方さんと相談し、途中で中継をつないでコラボっぽいことをしたのが楽しかった。前日京都にお伺いして特典ペーパーの受け渡しをし…というのもおたがいとってもドタバタで、彼方さんが書店さんに納品に行くところに追いついて道端でサッと渡したのがなんかスパイっぽかった。
こういうイベントはわざわざ人間が一箇所に集まらなくてもできるような気はするのですが、集まること、会って話すことに重きをおきたかった。また刊行が文学フリマ東京だったので関西方面でなにかやりたいなあという気持ちがあって犬と街灯さんにお願いしました。書いてくれた方々、文フリで会えなかった人たちに会いに行きたい…!という気持ちもありました。 とはいえ同人誌の読書会ってあんまりない気がするのでけっこう緊張はしていました。お店の広さやコンセプト的におおぜい集客する必要はないんだけど、内輪っぽくはなっちゃうよなあみたいな怖さがあったかも。内輪っぽく”見えちゃう”怖さかな。でもある種の「輪」を作ってそこで自分が楽しく過ごす、リラックスして話すことをもっとやったほうがいいのかなあと思って、いままでだったらあんまりやらなかったことにチャレンジしてみたつもりです。 Twitter(X)はじめSNSのようすは日々変化していきますが、前からそうだったけどより一層殺伐としている、差別やヘイトの文言があふれている。そういうなかで活動することの苦しさがあって、どうやって対抗していこうと悩んでいます。リーディングパーティーちょっと前のヘイトのトレンドでは(いやなトレンドだ…)、AFABノンバイナリーへの罵倒や嘲笑が苛烈になっていて恐怖を感じていました。どうしたらいいのかわかんないですが、自分が好きな人や会いたい人と集まって過ごす時間を作るのは生きのびるために大事なことかなあと思った。
また当日来られなかった方の作品について、前日夜にTwitter(X)のスペースでしゃべりました。ゲストにマツさんをお招きしていろいろ話せてうれしかった。マツさんがアンソロジー各作品の感想をTwitterにあげてくださって、それがすごくうれしくて…。大阪のホテルの部屋から配信したんですが、けっこう壁の薄い部屋だったので隣の部屋のドライヤーの音とか入ってそうでドキドキした。旅行っぽくて楽しくもあったけど。 あとほんとにぜんぜん余談なんですが、このイベントの直前に妹が流産してしまってわたしはかなり気持ちが動揺していて…(もともと妹と甥と旅行する予定だったのが、妊娠がわかってわたし一人になって、出発直前に流産→手術となったの)。直前の告知があまりじょうずにできなかったり、反動で当日やけにテンションが高かったりしたんですが、会いたい人たちに会えて気分転換になったし、かなりなぐさめられたように思います。同人誌にはぜんぜん関係ないことなんだけど自分の体や心は一つだよなあと痛感した。いまはみんな元気です。
イベントにあわせてブックフェアも開催しました。アンソロ参���者の同人誌などを店頭に並べてもらいました。犬と街灯さんがリトルプレスとZINEのお店で、もともと関係者の本がたくさんあったので実現できたことかなあと思います。犬と街灯の谷脇さんとはリモートで打ち合わせだったんですが話が早くて助かりました。 アンソロジーを作るたびに毎回こういうイベントをしているわけではないんですが、せっかく自分がお願いして書いていただいたので、いろんなことしたいなあという気持ちに自然となりました。また何か主催するときはこういうこともやれたらいいなあと思っています。
[ドキっ♡作者だらけの本屋ナイト]
12/1(日) platform3さんにて 文フリ東京抽選落ちしちゃって…という話から、じゃあ文フリ当日の夜になにかやりましょう!とplatform3のTANさんが助けてくださったイベント。裏文フリとか地下文フリみたいな気持ちで始めました。10月末くらいだったかな。 platform3さんは8月に開店した新しい書店さんです。 TANさんとは以前読書会でご一緒して、わたしの作品を読んでくださったり、集まるクィアの会で遊んでいただいたり、コピー本交換会にも来てくださいました。本や作品を通じて親しくなった方と何か一緒にやれるのはとてもうれしい。打ち合わせの中でイベントタイトルに「ナイト」って入れたい…という話をしたら、「ドキっ♡作者だらけの本屋ナイト」というかわいいタイトルをつけてくださいました。告知画像もかわいく仕上げてくださり本当にありがたかった。 作った本を持ち寄って販売するのと、輪になってトーク、弾き語り&朗読ライブ…と盛りだくさんな内容でした。
当初はもうちょっとこじんまりやる予定だったのですがだいぶにぎやかになりました。一年を通じて「会いたい人に会いに行く」を大事にした年だったから、ちょっと欲ばってしまったかもしれない。 こういうの、アンソロにお誘いするときもそうなんだけど、好きな人や会いたい人に声をかけるという言い方をするのってちょっと難しくて、ほかの人は好きじゃないのかというともちろんそんなことはなくて…っていう。今回は書店さんに本を並べつつ夜に集まって話すみたいな場なので、そのあたり楽しんでくれそうな方にお願いしたつもりです。ふだんからやりとりある方とか、告知に反応してくださる方とかはやはり気楽に投げやすいですが、友だちに声をかけるというとまたちょっとちがう感じで…。本は作るけど即売会には出ないポリシーの方とかはあんまり無理にお誘いするの悪いかなあみたいなのもあります。あとplatform3さんがクィア関連の書籍を多く扱っているお店なので、わたしもそのあたりリラックスして話せる場だったのもあり、自分のセクシュアリティを知ってる人や話しても大丈夫そうな人…みたいな気持ちもあったかな。心理的安全性というか。 また今回はわたしとTANさんのダブル幹事みたいなところもあったので、わたしがplatform3さんで出会った本の作家さんやわたしが一方的にファンの作家さんにもお声かけしました。遠藤純一郎さん、C3さんありがとうございます…! 遠藤さんとクリタさん、それぞれウクレレを用いたライブだったこと、C3さんと瀬戸千歳さん���装丁の話をきけたことなど、なかなかない機会でうれしかったな…。このあたりTANさんがじょうずに舵取りしてくださったので、ちょっとめずらしいメンバーになったかなと思います。
本屋ナイトはまだ直近なので振り返るのが難しい。とにかくわたし自身がうれしくて幸せな時間でした。文学フリマのもろもろでタイムラインにいろんな意見が流れてきていて、そういうのに対する自分なりのできることってなんだろうって考えたときに、こういうことじゃないかなあみたいなのをいっこ掴んだというか…。 自分が幸せや喜びを感じるのってどんなときなんだろう、わたしは小説を書いて本にしていて、どうなったらうれしいんだろう。いろいろあるけど一つの答えとして、ああこういうことなのかもなっていうのを感じたので、ゆっくり振り返っていければと思います。
来年のことはまだなんにもわからないのですが、ひとまず個人誌ででかめの新刊をやりたいなあと準備中。5月の文フリ東京の刊行が目標です。アンソロ参加や主催の予定は今のところほぼないので、自分の作品をしっかりやる年になるかな…?
といいつつ去年のいまごろはコピー本交換会やろうかなくらいでほかのものは影も形もない状態だったので、またそのときそのときでいろんなことを元気にやれたらなと思います。コピー本交換会や本屋ナイトのようなことはまたやってみたいな。プラス、すでにある本、作った本を読み合う時間を作れたらうれしいです。
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2024
自然界に存在する4つの力と忘れ去られた1つの結末
あっという間に自分の番になった。前日が終わる頃になってようやく焦り始め、22時くらいからなんだかわからないものをずっと書いていた。日記を書くようになったのは小学生の頃で、世の中や周囲に対する不満だったり、子どもであるが故に受けた些細な理不尽、くだらない遊びや諍いを、たった3行程度書いて先生に提出していた。今となってはその文献は失われてしまった。書いているうちに自分の肉体や思考はどんどん変化していったから、なぜそんなことを書いたのか今となってはわからないし、もちろん再現することもできない。その最後尾が、今書かれている文章になる。今では自分の頭の中にある花瓶のこと、月の裏側は想像することしかできないこと、撃ち尽くされた実弾と薬莢のこと、互いに引かれ合う最も弱い力、忘れ去られた1つの結末、クリスマスを前にしてそんなことを書いている。
自然界には4つの基本的な力が存在しているらしい。自然界で働く力を作用ごとに整理し、素粒子(基本粒子)に働く力として最終的にまとめられた、強い相互作用、弱い相互作用、電磁気力および重力の4つの力がこの世には存在しているという。このうち、電磁気力の大きさを1とすると、強い相互作用は100、弱い相互作用は1/1000ほどである。そして重力は「10の−38乗」という桁違いに弱い力である。この身体をこの地球の表面に繋ぎ止めている重力が、最も弱い力だということが意外に感じられる。重力が斥力を持たず互いに引かれ合う力だから、地球の質量が膨大で結果として強い力となっているから、などと理由はつけられるかもしれないが、詳しいことはわからない。とにかく私は地球に強く引き留められ��いる。
遠くにいる友人や、もう二度と会えない人のことを考えるときには重力のようなものを感じることがある。あるいは、それよりももっと弱い力を感じることがある。10のマイナス何乗かわからないが、量子的な結びつきよりも、自身に差し迫った有限性をもとにして肉体に作用する力が存在している。
納屋を建てる
男は大学を卒業すると、学生時代から付き合っていた女と早くに結婚した。なぜこんなにぼんやりした男に、呆れ返るほど美しい妻がいるのか周囲は不思議思うかもしれない。しかし男にはなんというか優しいところがあり、無駄な行動力があり、時折見せる誠実さのようなものがあり、長い付き合いがある私とすれば自然なことに思われた。
あるとき、夫婦のうちに身を引き裂かれるような悲しい出来事があり、妻は実家に一時的に帰省することになった。時間を持て余し、あまりに多くのものを失った男が考えたのは納屋を建てることだった。DIYが流行っていた時期で、便利な納屋を庭に建てれば妻も喜ぶだろうという優しさもあって、基礎から打つ徹底ぶり(彼の中では近年稀に見るほどの)を発揮し、目標に向かって前進する無駄な行動力をもって遂に納屋は完成した。
しばらくして、自宅に戻った妻が完成した納屋を目の当たりにすると、その納屋が触れてはいけない部分に触れてしまったのか、彼女はその場で崩れ落ちて号泣した。元来の納屋が持ち得ない記念碑的な要素がそこにはあったのかもしれない。女性特有の癇癪は止まらず、ほとんど聞く耳も持たず、「なんでなんの相談もなく納屋を建てたのか?」とクリティカルな質問が投げかけられた。「なぜ納屋を建てたのか?」ということはいくつかの要素の積み重なった複合的なものであり、時間が経てば経つほど「なぜ納屋を建てたのか?」ということは本人にもわからなくなっていった。加えて、男は駆けつけた妻の両親にひどく叱責された。「A君、納屋は立てちゃあ、いけないよ。誰にも相談せずに、納屋を、立てちゃあ、いけないよ。」大事なことだから2回いました。妻に隠れて納屋を建ててはいけません。しかし、「なぜ納屋を建ててはいけないか?」ということもおそらく複合的なもので、問いかけるたびに姿を変え、はっきりとした答えは出なかった。夫婦関係は大きく冷え込んだ。納屋のことは「な」の字も話題に上がらなかった。ピンク色の像を想像しないでください、と言われてなかなかできるものではないが、夫婦はそれを実行した。そして男は無駄な行動力で、そこに納屋があったことも悟られないくらい徹底的に納屋を破壊した。基礎は解体され、地面は均された。最終的には男が時折見せる誠実さによって、夫婦関係は��復されていった。
それから数年が経過し、相談したいことがあって久しぶりに友人へ電話した。妻との諍いが続いており、気のおけない友人の助言を頼りにしたかったのである。ひとしきり事情を説明すると、
「それってつまりさ、納屋を立てちゃあいけなかったってことだよなあ」と彼は警句のように言った。
村上春樹の短編に「納屋を焼く」というものがある。アフリカ帰りのある男が、主人公に対し、納屋を焼いて廻っていることを告白する話である。
つまり僕がここにいて、僕があそこにいる。僕は東京にいて、僕は同時にチェニスにいる。責めるのが僕であり、ゆるすのが僕です。それ以外に何がありますか?
と男は言う。終始不穏な手触りのある小説である。
うろ覚えだが、パントマイムをする女が出てきて「蜜柑剥き」のパントマイムをする。「蜜柑向き」のパントマイムをするコツは
そこに蜜柑があると思いこむんじゃなくて、そこに蜜柑がないことを忘れればいいのよ
と女が言う。最終的にはモラテリティーとは同時存在のことです、ということらしい。今日も世界中で建てられる納屋と焼かれる納屋のことを考えては仕事が手につかなくなった。
電話をした次の日には、たまたま出張で来ていた父と数ヶ月ぶりに会った。合流すると自宅周辺にあるバーにいった。行きつけとまではいかないが、落ち着いて話をしたいときにはよく来ている場所かもしれない。壁一面に大量のウイスキーの瓶が並べられており壮観である。メニューには一杯十万円のウイスキーなんてものもあり、それを見た父は店内に響き渡るほどの感嘆の声をあげていた。酒もまわり、納屋を建てたり、焼いたりする男たちが話題となった。
「俺にはよくわからないけれど、納屋ってもんは何かのメタファーを持ちうるものかね」と私は聞いた。
すると父は「そういえばキリストも納屋で生まれた」とだけ言った。
酒が回っていたことや、自分の予想を超えた解答のくだらなさも相まって久しぶりに心の底から笑った。そうか、そんな時代から納屋なんてものはあったのか、と思って抱えていた複雑な事象や色々なことがどうでも良くなってきた。2024年前に納屋で生まれた男のことを考えた。納屋を建てもせず、焼きもせず、そこで生まれた男の存在を想って、今日はよく寝られると思った。
成長
息子の爪を切っているときに、指がとても太くなったなあと思った。一方で自分の爪に縦の線が増えてきて、何かの病気かと思って調べたら「老化」と書かれていたときには悲しくなった。
最近は「ティッシュってなにでできているの?」とか、「リモコンってなにでできているの?」と手当たり次第に原材料を尋ねるようになり、いわゆる「なぜなぜ期」というものが始まった。日経新聞で読んだ記事(2024年12月10日 なぜなぜ期は思考力向上の好機)では、「なぜなぜ期」子どもの発達面での大きな節目と考えられているらしい。
4歳ごろは、子どもの発達面での大きな節目と考えられており、思考レベルがぐんと上がる時期。特徴的な例として、2つの物事を混同せずに比べたり、結び付けたりして考えるようになる。物事の因果関係にも興味を持つようになる。 この時期になると、自分の考えと他人の考えは同じではないと分かり、他人の気持ちを理解しようとする姿勢が見られる。さらに過去と現在、未来の時間軸を認識できるようになるので、体験していない「未来」があると分かり、自分の未来にも関心が出てくる。 こうした成長は喜ばしい半面、新たな認識が生まれ不安や恐怖を抱くようになる。特に大きいのが「未知への不安」だ。3〜5歳の時期は死に対する理解が進み、死への不安や恐怖を覚え「自分もいつか死ぬのかな。お父さんお母さんも死んでしまうのかな」と思い巡らす子どもも出てくる。
ある日寝る前に、「お父さんのおじいちゃんはいるの?」と聞かれた。おじいちゃんは今から8年前に亡くしており、この世にもういないことを伝える。
「死んじゃうと会えないの?どうなるの?」
「死ぬとそうだなあ、俺にもわからないけれど、死んだ人に会うことはできないよ。死ぬと全く動けなくなる、大切なものが失われる、話したり、食べたり、遊んだりと言うこともできない。石のようなものになるんだよ」
「お父さんは死なないの?」
「お父さんもいつかはきっと死ぬよ」
「そうなんだあ」と言って黙っていたので死の概念はまだ理解できず、息子は寝たものと私は思っていた。ところが次第に鼻水を啜る声が聞こえ、うっすらと涙を浮かべていることに気がつく。やはり怖くなったのだと言う。そうして今この瞬間に、息子は死の恐怖とそのざらりとした手触りを実感したのだ。私はその事実に想いを巡らせることになった。
気を付けたいのが、終始理屈で説明してしまうことだ。子どもが不安や恐怖に根ざした質問をするときは、親に「不安な気持ちを分かってほしい」と思っている。そんなときは「心配しなくても、大丈夫だよ」と、まずは安心させる言葉をかけてあげよう。
とその記事に書いていたことを思い出した。初めて新聞を読んでいて良かったと思った。
「心配しなくても大丈夫だよ。怖くなったら、お寿司とか、好きな人のことを考えるといいよ」
「そうすると多分寝られると思うよ」と言うとしばらく泣いてはいたけれど、いつの間にか寝ていた。なんだか途方もなく大きくなったものだと思った。そして自分自身も忘れ去られた一つの結末を思い出したことで少しばかりの恐怖を感じたのだが、子どもの成長を目の当たりにすると些細なことのように思われた。
終わりに
この文章を書いているうちに、そういえば自宅の納屋の扉が老朽化して、風で飛ばされる事態が発生したことを思い出した。部品を注文しているが年明けになるとのことで、修復には時間がかかるものと見ている。私は納屋を直す男である。
この記事は2024 Advent Calendar 2024の23日目として書かれました。22日目は nagayamaさん、24日目はtomoyayazakiさんです。
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海鳴りの夜に
家から三分程車を走らせると海に辿り着く。
田んぼの真ん中にある高台の一番上が我が家で、坂を下ってはまた上がって国道を越え、砂防林を抜ければ目の前には海原が広がる。
そんな立地もあって海の鳴る音が時折聞こえる。
それは夏の浜辺で聞くような、さざ波程度のささやかな音ではない。
ごーごーと低い音が止めどなくずーっと鳴っていて、それは少しだけ恐怖をも感じる。
今くらいの時期から冬の終わり頃まで週に何日かはこの音を枕に眠りにつく。
海が荒れていたり風が強かったり、天気が崩れそうな時にこんなにも鳴るようで、それは冬やら一年の終わりの気配を感じさせる。
ただ一日一日を積み重ねていたらもう十月が終わりに近づいていた。
仕事でここのところ山奥の耕作放棄された棚田に行っているが、その周りの山々にある木の葉は針葉樹を除いて色が暖色に変わりつつある。
一番好きな季節であり、最も旅したくなる季節だ。
週末も出かけるために不在者投票へ行った。
小選挙区と比例では全く反対の党へ投票してきたが、それくらい今の政治は頼れるものがないように思える。
公約も似たりよったりで、政治や経済に疎い俺ですら実現性が見込めないと感じるものもあったりする。
何かを得るためには何かを犠牲にしなくてはならない。
高齢者を守りながら子育て支援をし、労働者の賃金を上げつつ法人を守る。これが全て実現出来るのならとっくの昔にしているだろう。
もっと現実的な公約でいいのになと俺は思ってしまうが、果たして国民の多くは半分泡沫の夢みたいな公約を望んでいるのだろうか。
色んな問題が山積みだけれど、裏金くらいで見限るのも何だか違う気がする。そんなの半世紀も前から変わらないんだから。
闇バイトで人を殺めて金を稼ぐような人を増やさないためにはどうしたらいいのだろう。
世界大戦が何度もあって、労働基準法が整備されていなかった二十世紀より、今の方が一人一人の命を大切にという時代なはずなのに、数十万で人を殺して金品を盗み挙句に自分は無期懲役か死刑になるなんて倫理観やら死生観が壊れている。
金には苦労したし借金もしたけれど、そんな事を考えた事は一度もないし、現実的ではない誘いなんて目にも止まらなかった。
窮鼠猫を噛むなんて言葉があるが、今じゃ窮者他人を殺るなのか。
今も鳴り続けている荒波の音よりも恐ろしい。
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𝐓𝐡𝐞 𝐍𝐞𝐯𝐞𝐫𝐦𝐢𝐧𝐝𝐬 - 𝐢𝐧𝐭𝐞𝐫𝐯𝐢𝐞𝐰★
2022年にバンドを結成されたカナダを拠点に活動するシューゲイズバンドThe Neverminds。
儚くドリーミーなシューゲイズサウンドは最新EPではよりヘビィでノイジーに厚みを感じるサウンドへと進化し魅力を増している。
『never mind,the summer 』 『nevermind, the winter 』では夏と冬の別々のコンセプトでリリースし、どちらも儚い青春時代の夢をみているような感覚に......
6/8〜日本ツアーをすることが決定!
来日公演が目前に迫ったThe Nevermindsにインタビューを行った。メンバーそれぞれが答えてくれている。
G - Ginny
V- Vincent
R - Ronan
A - Avi
1.いつから音楽を作り始め、どのようにしてバンドは始まりましたか?
G - バンドを始めるまで、自分で音楽を作ったことはありませんでした。 それまでは、ギターを少し弾くことはあっても、音楽はいつも私の趣味でした。そのおかげで、このバンドにいる間に曲作りについて多くのことを学ぶことができたと思います。
V - 中学生の時に自分で曲を作り始めて、高校生の時にGarageBandでプロデュースを始めたんだ。プロデュースを始めると、ベースやピアノ、ドラムなど他の楽器も独学で覚えた。高校ではバンドのためにたくさんの曲をアレンジした。Logic Proを使ったレコーディングや、様々な楽器のパートを書いたりアレンジしたりする方法を知っていたから、これらの経験はすべてネヴァーミーズで役立ったよ。
R - 9���か10歳くらいから自分で曲を書き始めて、徐々にミュージシャンになることを真剣に考えるようになったんだ。
A - 去年の9月にバンドに加入して、みんなと一緒に音楽を作る喜びを感じている。6歳からドラムを叩いていて、人生のほとんどを音楽制作に費やしてきたんだ。
2.メンバーが音楽を始めたきっかけは?
G - 僕の両親は昔から音楽が好きで、僕が小学生の時にギターを習い始めた時、父がギターの弾き方を教えてくれたんだ。中学では学校のロックバンドに入り、文化祭で演奏していました。仲の良い友達とバンドを組んだことが学生時代で一番楽しかったし、その頃からずっとバンドを組んで友達と一緒に音楽を作りたいと思っていたんだと思う。だからnevermindsを始めた。
V - 最初に習った楽器は中学の時のウクレレ。それから独学でギターも弾けるようになって、学校で他の友達とジャムを始めたんだ。クラスメイトが給食のテーブルを囲んで、適当な曲を歌ったりジャムったりして、最終的には高校でバンドを作ったんだ。
R 小さい頃、父親がアコースティックギターを持っていて、時々弾いていた。
A - 生まれたときから音楽に夢中だった。
3.ニューEP『nevermind, the winter』のコンセプト、制作、レコーディングについて教えてください。
G 「"nevermind, the winter. "は、1st EP "nevermind, the summer. "の姉妹作/続編にあたります。
夏のEPではノスタルジックでメランコリックな夏と青春をとらえようとしました。一方、冬のEPでは、孤独、孤立、失恋、もう思い出せない夢から覚める感覚など、重い感情についてより語っています。両EPのコンセプトを思いついた後、歌詞のアイデアが続き、アルバムの意図に合うように書きました。曲を完成させた後、EP全体がうまく流れ、一緒にストーリーを作れるように、トラックリストを編集しました。どの曲も同じ本の異なる章として機能しているので、EPを聴いてくれた人たちが、まるで私たちの物語を読んでいるように感じてくれたら嬉しいです。
V - “nevermind, the summer. "について、夏のEPでは
ギターとベースは、ドラム・トラックにオーディオ・インターフェイスを通して同時に録音し、生ドラムは別々に録音した。ギターとベースのパートは、フェンダーのツイン・リバーブとアンペグのBAを使って、DIとマイクの両方で個別に録音した。今回、ドラムのレコーディングに導入した新しいテクニックは、ルームマイクを使ったことだ。全体的に、よりユニークなトーンやエフェクトを実現するためにマイクの配置を変えてみたり、新しいギター・ペダルをたくさん試してみたりした。
また、"hunt me "のイントロや "dusk "のエンディングで聴ける音を作るために、ギターにバイオリンの弓を使った。ヴォーカルはShure SM7Bを使って録音した。Shure SM7Bは遮音されていない部屋で使うのに適したマイクで、私のタウンハウスのベッドルームですべてを録音したので、私たちにとっては完璧だった。
でも、このEPのレコーディングでは、大音量で長時間録音したため、近隣から騒音の苦情を何度も受けたよ。
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4. 周りのシーンをどう感じていますか?
他のバンドとのつながりはありますか?
V - トロントのバンド・シーンにはとても刺激を受けている。White Rabbit、Poor You、Brotherなど、トロントの様々なインディー・バンドと共演したことがある。これらのバンドは、単に知り合いだからというだけでなく、本物で、個人的で、心に響くような、生々しく素晴らしい音楽を作っているので、大ファンなんだ。彼らのようなバンドは、国際的にもっと注目されるべきだと思う
R- トロントのシューゲイザー・シーンは、かなり小さいとはいえ、今でもかなり素晴らしいと思う。例えば、Luster Dustと一緒にプレイできたことは信じられないことだと思う。
A - 地元トロントのシューゲイザー/オルタナティヴ・ロック・シーンにいるバンドたちに会うのが大好きなんだ。Luster Dustのようなバンドに触発されて、自分たちのライブ・サウンドをもっと頑張ろうと思うようになったよ。
G- トロントのシーンで好きなバンドはもうみんな答えてくれたから、私は別のことを話すと、私たちは最近、"loveless collective "という音楽とアートの集団を作りました。このコレクティブは、トロント内外のシューゲイザー/ドリームポップバンドとつながり、彼らを巻き込んだショーやイベントを企画するために作りました。自分たちの音楽を発表する場を持つことで、シューゲイザー・シーンがもっと活性化する手助けをするのが私の目標です。
5.よく聴く日本のアーティストはいますか?
G - 日本のシューゲイザーバンドが大好きで、揺らぎ、my dead girlfriend、Tokyo Shoegazer、宇宙ネコ子、きのこ帝国、For Tracy Hydeなど。ボーカロイドのシューゲイザーも大好きで、mikgazerは史上最高のシューゲイザー・アルバムだと思います。シューゲイザー・シーン以外では、ヨルシカとEveも大好き。
V - 日本のアーティストで好きなのは、杉山清貴と山下達郎。日本の80年代シティポップ時代の音楽が大好きです。
R -15歳か16歳くらいのときに二藤一花にハマって、今でも時々彼の曲を聴いているんだ。
A-いや、でもツアーが終わったら変わってくれるといいな。
6.来日して楽しみにしていることは?
G- 日本にいる間に大阪と名古屋を訪れる予定です。 旅行したり、街を探索したり、そこの食べ物を楽しんだりするのがとても楽しみです。他のバンドがいろんなライブハウスで演奏するのを見るのも楽しみ。みんなにとって素晴らしい経験になると思います。
7.これからの夢や現在の目標は何ですか?
G - ツアーに出ることは僕らの最大の目標のひとつだったから、キャリアの早い段階でそれが実現できて本当に感謝している。もうひとつの目標は、もっと音楽を作って、シューゲイザー・シーンでもっと多くのアーティストとつながって、ミュージシャンとしてもっとうまくなることだね。
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G - Ginny V - Vincent R - Ronan A - Avi
1. When did you start creating music and how has that led to the neverminds it exists today?
G - I had never really made my own music until right before we started the band. Before that, music was always just a hobby for me even though I played guitar a little bit. I think I'm learning so much about songwriting while being in this band because of that
V - I started writing my own songs in middle school and began producing in high school on GarageBand. When I began producing, I taught myself other instruments such as bass, piano and drums. I would also arrange a bunch of songs for my band in high school. All of these experiences would help me in the neverminds as I knew how to use Logic Pro to record our music as well as write/arrange various instrument parts for our songs.
R - I started writing my own stuff when I was about 9 or 10 and slowly got more and more serious about being a musician.
A - I joined the band last September and have had the pleasure of creating music with everyone. I’ve been playing drums since I was 6 and making music most of my life.
2. How did the members first get into music?
G - My parents always loved music and my dad taught me how to play guitar when I first started learning guitar in elementary school. I joined a school rock band in middle school and played at school festivals. Being in the band with my close friends was the most fun part of my school years and I think since then I always wanted to be in a band and make music together with friends. That’s why I started the neverminds in the first place.
V - The first instrument I learned was the ukulele in middle school. I then taught myself how to play guitar as well and started to jam with my other friends at school. Our classmates would gather around the lunch table and we would sing and jam out to random songs and eventually we created a band in high school.
R - when i was a little kid my dad had an acoustic guitar that he sometimes played and i just wanted to play super bad
A - I’ve been into music since birth.
3. Please tell me about the concept, production and recording of the new EP “nevermind, the winter”?
G - “nevermind, the winter.” is a sister/sequel album to our first ep “nevermind, the summer.” In the summer ep, we tried to capture a nostalgic and melancholic summer and adolescence while the winter ep talks more about heavy emotions - loneliness, isolation, heartbreak and the feeling of waking up from a dream you can’t remember anymore. After coming up with these concepts for both EPs, the ideas for the lyrics followed and were written to fit the intention of the album. After we finished our songs, we carefully curated the tracklist so that the whole EP could flow well and create stories together. Every track works as different chapters of the same book, and I hope people who listen to our EP can feel as though they are reading our story.
V - For “nevermind, the summer.” " guitars and bass were recorded simultaneously straight into an audio interface over a drum track while live drums were recorded separately, however, for the new EP we experimented with more complex recording techniques and overdubbing to have more creative control over our sound. We recorded all guitar and bass parts individually through both DI and microphone using a Fender twin reverb and an Ampeg BA. A new technique we implemented for recording drums this time was using a room mic. Overall, we played around a lot with different mic placements to achieve more unique tones and effects as well as experimented with a lot of new guitar pedals. We also implemented the use of a violin bow on the guitar to create the sound that can be heard in the intro of “haunt me” and the ending of “dusk”. Vocals were recorded using a Shure SM7B which is a good microphone to be used in untreated rooms which was perfect for us since we recorded everything in my townhouse bedroom. However, we got several noise complaints from neighbours during the recording of this EP because of the long hours of recording very loud sounds.
4. how do you feel about the scenes around you? Do you have any connections with other bands?
V - I am very inspired by the band scene in Toronto. We have played with various toronto indie bands such as White Rabbit, Poor You and Brother. These are all bands who I am a big fan of not just because they are our acquaintances but because they make raw and amazing music that feels genuine, personal and heartfelt. I think bands like them need more attention internationally.
R - I think the shoegaze scene in Toronto, even if it’s pretty small, is still pretty great. I think it’s incredible that we’ve gotten to play with Luster Dust, for example.
A - I’ve loved meeting some of the bands in the local Toronto shoegaze/alternative rock scene. Bands such as Luster Dust have really inspired us to work harder on our live sound.
G - Everyone already answered my favourite bands in the Toronto scene so I want to talk about something different. We recently made a music and art collective called ‘loveless collective’. We made this collective to connect with shoegaze/dreampop bands in and out of Toronto and organize shows/events involving them. Our goal is to help the shoegaze scene become more active by having a platform to showcase their music.
5. Are there any Japanese artists you listen to?
G - I love Japanese shoegaze bands, such as Yuragi, my dead girlfriend, Tokyo Shoegazer, Uchuu Nekoko, kinokoteikoku, For Tracy Hyde and so on. I also love Vocaloid shoegaze, I think mikgazer is the best shoegaze album of all time. Apart from shoegaze scene, I also love Yorushika and Eve.
V - Some of my favourite Japanese artists are Kiyotaka Sugiyama and Tatsuro Yamashita. I love music from the 80s city pop era of Japan.
R - when i was about 15 or 16 i got really into ichika nito and i still listen to his stuff from time to time
A - No, but I hope that will change after the tour.
6. What are you looking forward to doing when you come to Japan?
G - We are visiting Osaka and Nagoya while we are there. We are very excited to travel and explore the city, and enjoy the food there. We are also looking forward to watching other bands play at different live houses. I feel like it will be a great experience for all of us.
7. What are your current/dream goals for the upcoming?
G - Going on a tour was one of our biggest goals, so we’re really grateful that we get to that so early in our career. Another goal would be to make more music, connect with more artists in the shoegaze scene and become better as musicians.
The Neverminds
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X @thenvrmindsband←
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母が急にスイッチを買ってそろそろ1年経つ なんかスプラトゥーン3が発売した時、急にスプラトゥーンがやりたくなったらしく、スイッチを購入して諸々の機材を揃え、ゲーム環境を整え始めた 今は実家に母用のゲームするためのスペースがある
もともとスプラトゥーンのアート好きそうだなとは思っていたので、3でいきなりスプラやりたい!とか言い出したときはなんか謎の納得があった といっても母親はJRPGで育っている人間で、FPSやTPS、アクションゲームに関してはめっきりダメ 200時間かけてクリアしたゲームの根本のアクションシステムを把握しきれていないこともザラだったりする スプラトゥーンはガワは子供向けゲームだけど内容はいわゆるオンラインシューティングなので、いやムリそ~ と思っていた
この間、なんの気なしに母親のスイッチを覗き見したら、スプラトゥーンのプレイ時間が1060時間になっていた
え何
私などそもそもゲームを四桁時間プレイしたことがない 四桁時間って相当だ よく考えたらもう長いこと母がスプラトゥーンをしていないところを見てない ずっとずっとスプラトゥーンをしている しかもほとんどサーモンランしかしてない 端的に言って狂っている ゲームはスプラトゥーン以外購入してない 1060時間プレイしたスプラトゥーンだけがあるスイッチ デフォルトのライトテーマの真っ白な背景にスプラトゥーン3のサムネイルだけがあり、なぜか死ぬほどゾッとした
よく考えたら 母はゲームを一度プレイし始めるといつもこういうことになっていた 実績をフルコンプリートするまで私生活の9割がそのゲームに吸い取られる 自分が小学生の時などは家に帰ると母がずーっとキングダムハーツでセフィロスと戦い続けていた 同じコンテンツを長期間楽しむことに全くストレスがない人間というか 侍戦隊シンケンジャーを毎日一周している時などもあった 今になって冷静に振り返るとなんか異常な感じがする
そういう人間がオンラインゲームに触れるとどういうことになるのか それが現状の1060時間になっているのだと思う スプラトゥーンに全クリは存在しないので、自分が全クリだと思うまでやめることがない そして母が、自分自身で全クリを決定したことはない ゲームが全クリの判定を下すまでゲームをやめたことがない人間による、オンラインシューティングへの傾倒 1060時間 母が育児中にMMOとかに沼らなくてよかったと心底思う
いちおう二人でIndie WorldやNintendo Directとかは見ている あ、これ面白そう~!とか言いながら見ている 一緒にやりたいねこれ~みたいな でも結局この人はゲームを買わない スプラトゥーンを全クリしていないから次のゲームを買おうという発想にならない なんならゲームをクリアせずに次のゲームを購入するみたいな人間の感覚があんまり分かっていないらしく、 職場の人間とフレンドになった時、「スプラをやる日もあればどうぶつの森をやる日もあるし今はポケモンをやっている同僚」を全く理解できてなかった 「なんでスプラやろうってフレンド申請してきたのにお前のアイコンはニャオハなんだ? おかしい」とか同僚に文句つけているのを聞いたことがある 別にいいだろSwitchのアイコンがニャオハでも 母のSwitchのアイコンはちゃんとイカちゃんだった スマホにもイカちゃんのシールを貼っている
サーモンランしかやってないのもなんかコワイ なんか気が向いた時はたまにナワバリバトルとかもしているんだけど、自分がたまに母を見かけて声をかけるときはだいたいサーモンランのあの「ドンドコドンドンドンドコドン」みたいなBGMが聞こえるし 画面もオレンジだし いやサーモンランはすごい面白いというのは分かるんだけど PvEをオンラインの見知らぬ他人と1000時間続けるというのは、自分にとって全く見知らぬ世界観すぎてよくわからない
プレイ中は常にサーモンランの配信者の過去配信とかを垂れ流しにしている サーモンランをやりながらサーモンランを見ている え��?
なんならそれがほぼ一人で完結しているというのもなんだか変な感じがする 例えば自分の友人にもそうやってゲームにのめり込む人は結構いるけど 自分のゲームのプレイ時間とかを友人間のネタにしたり、ゲーム画面を通話越しに見せたり、あとはゲームの近況をブログに書き溜めたりしている そのゲームのファンアートを書くとか、Youtubeで配信してみるとか そういう二次的な楽しみを踏まえた上でのゲーム四桁時間プレイは正直まだ理解できる それはもはや ゲーム-自分 のみの1000時間ではなくて、 ゲーム-自分-他者 による1000時間だから そうなると自分自身の他人との関わりが少なければ少ないほどゲームのプレイ時間は伸びていくものだし そうやってゲームで友達を増やしたりもできるだろう Twitterとかやってればね
母は SNSを発信目的では一切やっていないし、スプラトゥーンをやる時は基本的に一人だし 職場では普通に人間関係を築いている たまに職場の友達と焼肉とか行くし、スプラトゥーンが間に挟まるような人間関係が一つもない この人は基本的にゲームと自分の間に何も挟まない 自分はそういうゲームとの関わり方はあんまりしたことがないし というかそういう人間を現代で見ることはなかなかない 周りの友人ですら、続けているゲームは友人間でのコミュニケーションとしての側面を持っている 自分の見える範囲で、母にそれはない オンラインのプレイヤーからちょくちょく来るフレンド申請も全て無視しているし、スプラトゥーン3をプレイする人間としてSNSでもやれば?と勧めたりもしたけど、結局スプラトゥーン3の公式アカウントだけフォローしてROM専になっている 会社の同僚とフレンドになったりもしたけど、前述の理由で結局一緒にプレイしていない(普通の人間はスプラトゥーン以外のゲームもするので)
母がゲーム中にスプラトゥーンのWikiを随時確認できるようにノートパソコンでも買ってやりたいと思っている なんと���うか、なにかに打ち込んでいる人間をサポートしてあげたくなる人の気持ちが今はかなり分かる 1000時間もやっているから、本当にめちゃくちゃ下手くそだった母も今はバクダンやモグラの処理がかなりスムーズになっている 正直、ずっとスピーカーでスプラトゥーン3をやっている母を見るともどかしい気持ちでいっぱいになる かなり高級なヘッドフォンでプレイしてほしい 今のモグラはヘッドフォンなら気づくことができたのに!と、横目で見ている私は常にそういうもどかしさの中で母を見ている
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よしもとかよ 「日々是好日」。vol.144 (2024/10/9 + 10/16)
2024 9th + 16th october
M1 cursis melodias (Natalia Lafourcade)
M2 秋 (Szaloki Agi) M3 butterfly jar (Eddi Reader)
M4 les feuilles (Austine) M5 Eo-lin Nal (Lee-tzsche) M6 Paris, l'apres-midi (Zaz) M7 秋のランデヴー (Francoise Hardy) M8 lune de lait (Les Innocents)
[好日の素…蝶の一生を見守ること、再び。]
すっかり毎年秋の 恒例行事?となりました、 ツマグロヒョウモンの生育観察。 今年は9月下旬に 産卵があり、 収録の当初は17匹だったのですが その後10匹増えました…笑 それでも、やはり 夏が厳しかったことも 影響しているのか、 昨年よりは少ない印象。 何十匹もいると 客観的にはさすがに ぎょっとするかもしれないのですが、 卵から孵化して ずっとお世話していると、 結構平気になってしまっているから 不思議です。 脱皮や蛹化の際には がんばれ…!なんて応援目線に なってしまったり。 昨年は11月に生まれた個体もあって 最期を看取るところまで お世話したのですが、 今年は今のところ 気温は下がってきているけれど まだ彼らが育つ気温としては それほど低くないので、 なんとか寒くなる前に みんな羽化できたらいいなぁと思っています。
* * * * * * * * * * *
[日々是食べたい!… メロンパン]
前々回のまくわうり、前回のゴーヤーに 続き…というわけではありませんが(笑、 ふと思い出したことがあって 今回フィーチャーするの�� 日本の菓子パンの代表格のひとつ、メロンパン。 SNSなどを拝見していると、 海外の方でもお好きだという声があったりします。 さすがにこれは じぶんでつくったことはなく、 市販品から手作りのもの、そして 地域限定のものまで 今まで食べてきているので 身近な存在。 その割に 由来なども所説あって 知らないことも多い、謎の一品です。 メロンパン、の名の通り メロンの果汁や香りが加えてあるものもあれば、 全くその逆で 今の季節ですと 栗や紅茶のメロンパンというものも。 クッキー生地があるもの、ないもの、 クリームがはさんであるもの、ないもの…。 とにかくバリエーションがいろいろで、 不思議なパンだなぁ、と思うわけです。 そして、わたしが初めて食べた メロンパンというのが… 能登の祖父母の家に行ったときに 近くの商店で買った、メロンパン。 これが、クッキー生地なし、 クリームははさんであるけど メロン味ではなく、さらには 丸ではなく紡錘形! でもパッケージには「メロンパン」と。 それがものすごくおいしくて、 でもメロンじゃないよなぁ、と 子供心に思っていて、ずっと謎でして。 そんな経験もあって、 歳月を経てもメロンパンを食べていたのです(笑。 それが、この度! このコーナーでお話しするために 調べていたところ、 紡錘形のメロンパンは主に 関西に存在する、ということが分かりました!!! ごはんの盛り付けに使う 紡錘形の型をメロン型というそうで、 その形のパンだった、と思われます。 編み目のついたメロンパンも もちろん好きですけど、 その紡錘形の、わたしにとっては 幻なのか、とずっと思っていたメロンパン、 関西に出向く機会があったら ぜひとも探して再会したいものです…!
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FF16プレイ雑記 1周目
バルナバスが好きだ、という話を綴りました。
ネタバレを含むので、本文は以下に畳みます。
アルティマニア未読、公式情報も含めて解説の類はまだ追っていないので、「何をいまさら」もしくは「全く的はずれ」と思われるようなことを書いている可能性が高いです。
その他、うろ覚えな部分も理解に至っていない部分も大いに含みます。
と、事前にいろいろ言い訳をはさみつつ。本文はフォトの下のリンクからお進みください。
バルナバスが好きだ。
初登場シーンでの第一印象は、「顔色悪いなこの人、大丈夫なのかな」だった。その後もちょいちょい意味深な登場をするものの、どれにも特に惹かれることはなく、かなり終盤まで「よくわからない気味の悪いやつ」くらいにしか思えなかった。発売前のキャラクター紹介からは主役級インパクトを感じて期待していたのに、実際にはイマイチ薄味な感じじゃないか、とすら思ってた。それが最後の最後で覆され、一気に好きになった。
きっかけはクライヴとの最後のバトル。突然の高笑い、声のトーンやそれまでのテンションとの差から「狂気!」という言葉が脳裏に浮かんで、「こんな一面もあったのか!」という驚きと共に興味を引かれた。陳腐な言葉を敢えて使うなら、ギャップ萌え、なんだろう。薄味に見えていた人物の中身は濃厚な狂気に満ちていた。クライヴと対峙することでその濃厚な狂気は更に密度を増し、遂に溢れ出してきた。これはすごくいいぞ、と思わず身震いするほどに。
高笑いを聞いた瞬間に感じた狂気は、生理的に受け付けないものに近かったかもしれない。でもクライヴに語り聞かせる話の内容から、バルナバスの狂気は決してエゴイズムから来るものではないとも感じて印象が変わっていった。もちろん彼の行動が人類の救済だと思い込んでること自体はとんでもなく独り善がりなのだけど、自分さえ救われれば他はどうなってもいいという類のものではなく、むしろ他人も含めて皆が等しく救われるべきという考えには彼なりの正義があったはずだし、少なくとも救われるべき他人に対する何かしらの愛もあったんじゃないかと思う。そのことがすごく琴線に触れた。誰かのために動いてる。愛がある。それが人類のためなのか母様のためなのかはわからないし、クライヴとは絶対にわかりあえないだろうけど、ただ愛のある人だったかもしれないという可能性に心を動かされた。
教団がらみのサブクエでウォールードを訪れた際、そこで出会った民がアカシアになることを望んでいたことには、心底驚いた。民は、完全に自我を捨て去ることが救いだというバルナバスの教えを信じていた。辛い現世から解放されて無垢な存在になりたいという願いは、結局は現状に対する不満の現れであるはずなのだけど、民はその不満を王にぶつけようとはしていなかった。それが許されないような圧政だったのか、そんな気力も起きないほど暗く絶望的な状況だったのか、その背景はわからない。でももし少しでも王に対する不信があったなら、王の教えに従い信仰を貫くようなことはしなかったはず。そう考えると、バルナバスは民を導く王として十分な信を得ていたということにならないだろうか。実態はどうあれ良き王としての素質をもっていたのならば尚更、アルテマのためだけに動いていたのはもったいなかったんじゃないかと思えた。
もちろん彼の行動の結果としての民の犠牲を考えると、決してバルナバスが良き王であったとは言えない。ただ彼にとっては犠牲ではなく救済であったわけだし、私利私欲を捨てて救済のためだけに動きそれを半ば実現させていたことを考えると、もし彼がもっと違った形の救済を目指していたら類稀なる名君にもなり得ていたのでは、なんて考えずにいられないのだよ。
件の高笑いを見せたバトルシーンで、血が沸いてる、みたいなことを言っていた気がするけれど、バルナバスは生来戦いが好きな質なんじゃないかと思っている。(別の場面ではスレイプニルも、クライヴとの戦いを楽しんでる様子を見せていたけど、あれも主が元々持っていた性質が反映されていたせいなのではないかなと。)楽しくてテンションが上がっちゃうなんて、すごく人間らしいじゃない。自分なりの正義を持っていて、愛があって、それゆえに狂気も孕んでいて、楽しいことには高揚してしまう。このシーンではバルナバスの新たな一面を立て続けに見せつけられた。なんだ、バルナバスも人間だったじゃないか、そう思える一幕だった。それまで感じていた薄味な印象は、バルナバスが既に自我を捨ててアカシアに堕ちていたことによるものだったのだろう。ただ、それでもこの人は人間だったのだと思えた。捨て去ることのできない人間味が残っていた。それを垣間見てどうしようもなく切なくなった。もしその行いが誰かのためのものだったなら、そこに愛があったのなら、そのせいでアカシアになりきれなかったのだとしたら、この人には他に人間として幸せに生きる道もあったんじゃないか。もっと幸せになってもいい人だったんじゃないか。どうせなら幸せになってほしかったな、なんて。
以前別の記事で、「ミュトス」という呼び名は人々の話題に上る立場であることを示しているのでは、と書いた。その点、外大陸からふらっとやってきて圧倒的な強さで灰の大陸を統一し新たな王国まで建ててしまったバルナバスこそ、「ミュトス」の呼び名にふさわしい条件を備えているんじゃないかと考えたことがある。建国から50年経っても歳を取っていないなんてまさに生ける伝説だったはず。更にはアルテマに対する信仰心も厚く、思念の楔も無いに等しいことも加えれば、器として最適な人材だったんじゃないか、と。
彼自身、そんな風に考えたことはなかったんだろうか。自分がイフリートのドミナントでさえあればと悔しく思ったり、クライヴに嫉妬したりしたことはなかっただろうか。もしも召喚獣に関係なくアルテマに器として求められたとしたら、バルナバスは喜んでそれに応えていただろうか。時々そんなことを考えてみたりする。
どちらにしてもバルナバスは悲しい人だ。悲しい運命の中で必死に生きた人なんだ。そう思うにつけてバルナバスに対する愛おしさが湧き上がり、好きにならずにはいられなかった。この気持ちは2周目以降で変わるかもしれない。だから今のこの思いをここに書き残しておこうと思った。
#ffxvi#ff16#final fantasy xvi#final fantasy 16#ファイナルファンタジーxvi#ファイナルファンタジー16#ffxvi spoilers#ff16 spoilers#final fantasy 16 spoilers#final fantasy xvi spoilers#spoilers#ネタバレ#ff16ネタバレ#ffxviネタバレ#barnabas tharmr#バルナバス
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・以下上から読んでいった箇条書きメモなので詳細はhttps://web.pref.hyogo.lg.jp/gikai/iinkai/index/tokubetsu/bunsho/documents/bunsho_questionnaire1011_01.pdf ・芸術に全く興味がないどころか予算削減をしようとしている。してる。 ・そのことについて人事権などを使っているようだが、職員に大した説明なく進んでいる様子で現場の混乱がわかる ・斎藤が井戸前副知事のことが滅茶苦茶嫌いなのはわかるが、態度で表しているのがかなり子供っぽいし、周りもかなり気を遣���ている印象 ・令和3年選挙で職員内で事前運動があり、その後通報されたようだが握りつぶされたとの話はかなり問題なのではないか ・その当時の選挙についての情勢に違和感があり、職員たちの間で相当困惑が広がっている様子が分かる(職員たちは違法性を感じていた様子) ・当時公用車問題で揺れていた兵庫県だが、職員が斎藤を連れて公用車で投票依頼をしに回っていた話がある ・該当職員たちが通常コースではなくトントン拍子に謎の出世をし、さらに職員たちから反感を買っている ・該当職員たちも部下に対して横柄な態度をとるようになっていた ・マニフェスト作成などもその周辺の職員がしている ・井戸前知事の周辺職員はみんな飛ばされた。 ・県庁は、基本人事課が出世できるルートになっている。筆記試験があるが加味されていないのではないかという疑問 ・はばタンPay+のポスターにある写真や、その他ポスターに自らの写真を入れる行為は、次の選挙戦をにらんだあからさまな選挙運動ではないかと職員間で疑問視されていた。 ・商工会議所、商工会にも手は回っており、今回の知事選挙に向けた活動が昨年頭からあったことが指摘されている ・昨年末から選挙戦に向けて新聞やテレビ出演を知事が希望していたのは選挙戦に向けてだろうが、「取材がなければ激怒する」という話は異様ではないか ・贈答品問題。全部ひとりで持ち帰ってしまうらしい。前知事は高額なものは全く受領しなかったので感覚が全く違った模様 ・酒造メーカーが出展したイベントで日本酒を15本以上持ち帰っている。2、30本あったのではとも。持ち帰りすぎ ・突然おにぎりを食べたいと言い、慌てて現場で米を炊かせている。怖い ・特産品のアイアンセット(約20万円)貰ってる。しかし使いにくいので、別モデルをおねだりした様子。その見返りが特別交付税の算定だったのでは?との見立てがある ・片山副知事も貰っている。片山副知事ペラペラ自慢して色んな職員に色んな事喋っている。折田かよ ・事業とは関係ない特定のスポーツウェア等を着てポスター撮影をしているらしい。掘れば出るのでは ・知事室等の前に贈答品が多数陳列されるようになっていた(前知事のときは無かったのだろう) ・自宅に持ち帰るときは目立たないように重さや大きさを気にしている。悪い認識あったのか? ・5万円を超えるものを個人的に無料で受け取っているが、秘書課を通じておねだりさせている。 ・ふるさと納税返礼品をねだって貰っている ・ホールケーキを贈呈行事としてもらった時(個人的ではなく)、井戸知事は職員にもふるまった。斎藤は一人で持って帰った。PRにもつなげてない ・斎藤県政下では「公民連携」のもと個別企業との包括連携協議が急激に増加している ・知事は絶対にお金を出さないので、食事等、知事を迎えた側が出費しなければならない ・職員たちの前で贈与しようとした地元の方を職員たちは止めたが、斎藤は遮って貰っていた ・人参ジュース1箱おねだりして持ち帰り。人参大好きだな。良いことだ。 ・絵画も貰っている。芸術興味ないんじゃなかったの ・貰ったワインの感想が出ない。色々貰いすぎて何貰ったか覚えてない ・知事の行き先と運転日誌の距離が合わない。出張先で何をしているのかは、みんな見ているはず ・土産があったほうがいいという認識が県内下で広がっていたのではないか ・ウィスキー、ロードバイク、ウェア、スーツ、野菜、海産物、椅子、寿司等等。贈答品だけで生活してたのか? ・マスコミの前で贈答品を貰おうとして、マスコミに直接つっこまれ、やめた ・高級な苺が好き。何箱も貰った。可愛いね ・職員たちも困惑しきりでウワサ広がっていた ・革ジャンはねだってももらえなかったらしい ・県議にもビール貰ってるやついねぇか?意識改革は必要 ・政治資金パーティー券についても購入要請など怪しい記述がある。私学関係者にも依頼している。ここまでくると「政治と金の問題」でしかない ・阪神オリックス優勝パレードについては金の流れが明らかにおかしい。まともなやり方で集めるのも大変だっただろう職員の苦労と、聞いていたよりも高額な請求が来たこと、不正な行為による虚無感を覚える記述が続いている。 ・聞いたことを聞いてないと言って怒るのは若いのに記憶力が心配 ・県美術館のメンテナンス休館を知らずに激怒。前年度には公開されているスケジュールを改めて経緯説明させられる。知事本人も館長に直接凸電話 ・知事就任前に決まっていた件を新聞で知り、聞いていないと激怒。いわゆる机バンバンは知事就任から2か月目のこと。 ・知事が来る現場にはサクラで人を呼んでいた。道を間違えると知事が怒るから言うことを聞いてほしい、という現場への要請もあった ・知事の視察は前知事よりもドタキャンが多い。そのときは服部副知事が来る ・お気に入りの女性職員をつけていた?よく分からない記述があるので皆読んでほしい ・出張先に三面鏡と櫛が無いと怒られる。外見をとにかく気にしている。用意された浴衣が気に入らず着たくないと駄々をこねる。10万円の浴衣を調達させる。着付けを地域の方にしてもらう予定が「俺は知事やぞ!そんな素人にさせるな!」と怒鳴り着付けのプロを呼ばせたことも。 ・例えば「空飛ぶ車」や「有機農業」など万博や●●関連の施策には部局に具体的な指示を出す。また指示通りになっていないと激し く怒り知事室へ出入り禁止にして再調整困難となり所管課を困らしていたと聞く。(原文ママ。折田が参加した空飛ぶクルマ事業は知事直轄) ・ペットボトルのお茶を出すと怒る。ペットボトルの水を飲食禁止のところで飲んで、その場に置いていく。 ・事前に決めてオッケーにして万全に準備した案を、直前に気分で変える。こういうことが繰り返されている様子 ・とにかくいろんな地域で激高しており、目撃されている。気分屋で、まるで昭和のバブル世代の頑固おやじみたいな態度をとりまくっている ・周囲は委縮して何も言えなくなっている様子。それが関係者たちにも広がっている。懇意にしている職員たちはパワハラだけではなくセクハラも握りつぶしてもらっている様子 ・政策や防災対策の会議を直前に15分で終わらせてと無茶振りするのが日常茶飯事 ・泉房穂のツイッターバトルを取り締まる条例を探す ・よく忘れ物、失くし物をする(なにこの情報) ・書類が分厚いと怒る ・渋滞に嵌ると怒る ・周辺のものを蹴る ・工事中のコーンを蹴り飛ばす ・SNSはブロックしまくっている ・怒るとタブレットを投げる。ノートPCを投げる。 ・健康診断から自己負担オプション項目をなくす(腫瘍マーカーの検査を7000円程度)どうも知事の命令により県職員だけ通常のオプション検査が受けられない模様 ・エレベーター待てなくて怒るのでエレベーター呼ぶボタンを受付に作った ・ジェラート食べたくて定休日の店を開けさせる
兵庫県職員アンケート調査を読んで気になったところと感想
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あっという間に年末やね。まだなかなか気持ちが追いつかないお友達もきっと沢山おるんちゃうかなあ。今年はあたたかい日がいつもより長く続いたからかもって思うけど、日頃の忙しさというのももちろんあるでしょう。せめて年末年始はみんなもゆっくり過ごせますように。この一年頑張ってない人なんて誰もいないわけですから。そして僕はね、年内最後にひとつやりたいことがありまして。去年から始めた試みなんやけど、一年間の活動をまとめたいんですよ。グループとしてのお仕事も、個人で受けたお仕事も、全て大切なご縁やから。ただtumblrにも画像の枚数制限があるもんで、去年と同じく上半期と下半期に分けて投稿しまっせ!お時間とご興味のある方はぜひお付き合いくださいまし。それではげんきいっぱいにいってみよー!
1月
2024年は我々も20周年に突入!ということで、年が明けた瞬間に発表したのがまさかまさかのサブスク解禁。今でこそサブスクで楽曲が配信されている事務所のグループも多いけ��、実はまだこの時点では珍しい方やったのよ。僕自身もいろんなお友達に紹介しやすくなって、いい時代になったもんやなと思うよね。
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そしてもうひとつサプライズ。THE FIRST TAKE、記念すべき新年一発目に選んでいただきました。こちらも大反響で嬉しかった!ミスさえもいい味になってると思います。みんないい顔してるなあ、素晴らしい家族写真がまた増えた。新年を迎えてからは連日胸を痛めるような出来事が積み重なって、不安や悲しみに心を飲まれそうになる瞬間がきっとあったと思うの。そんな時にこそ僕たちの音楽が少しでもあなたにとっての支えに、心の拠り所になれたなら、それ以上に幸せなことはないって改めて感じたかな。
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1月最後の週は、関ジャニ∞名義でラストになるシングル曲をリリースしまして。こちらのアンスロポスという楽曲、タイトルの意味はギリシャ語で「見上げる人」でございます。この曲を提供してくれたキタニタツヤくんによると、2つの足で立つ動物である僕たちは常に天を仰ぐことができるような肉体の構造になっていて。無限のように思えるその空間に可能性を見出すことがヒトの行動原理なのではないか、という考えからこのタイトルに決まったんやって。とっても良くない?我々も傷ついた誰かの顔を上げる一助になれたら、という祈りを込めて力強く歌っています。音楽は必ずあなたに味方するよ。ぜひ聴いてみて。
2月
2月はなんといってもこれでしょう。改名です。きっとファンの子たちも、そうではない方々も、最初名前を見た瞬間に「ダセー!」と感じたはず。安心して、正しいから。でも今はどうですか?なかなかしっくりきてない?横山くんの案やったんやけど、僕はこれ以上に良い名前なんて無いと思う。グループとしての将来を考えたときに、やっぱり名前は変えたほうがいいんじゃないか。という気持ちも、いやいや世間にどう思われようと、どんなに仕事が無くなろうと、関ジャニ∞を貫くべきなんじゃないか。という気持ちも、全員が抱えていて。この日を迎えるまでに何度も話し合いを重ねながら冗談抜きで二転三転どころか五転六転はしてたけど、今ではきっとこれで良かったんだと思ってます。これが僕たちのターニングポイントだと思えるような活動をこれからも続けていきたいね。今回の試練もみんなで乗り越えて進化を遂げたのだから、もう僕たちは向かうところ敵なしです。
3月
春の芽吹きを感じる頃は、すこしずつ新しい一歩を踏み出してみたくなるよね。ということで「人生の大ピンチ」をテーマに、金スマさんで僕が患った病のことをおはなしさせて頂きました。そして、当時は伏せていたその後の真実も。ここで全てをきちんと打ち明けられたのかなあ。ありがたいことに再現VTRも作ってくださっていたし、だからこそより強烈で衝撃的だったとは思うんです。でも、時間はかかったとしてもちゃんとお伝えできてよかった。当時の僕は本気で事務所を辞めようと考えていたし、考えていたどころではなくほぼ心も決まっていて。迷惑かけたくなかったからっていうのが大きかったけど、仲間たちに本気で頭も下げて。それなのにどうして今ここに残っているかというと、心の底から誰かのために生きたいと強く感じたから。僕がこうして自分の経験を発信することで、同じ悩みを抱えて生きる方の役に立ちたかったの。その決意表明でもあるお仕事でした。ありがたかったな。
4月
稽古を重ねながら待ちに待った4月。主演舞台、「あのよこのよ」の幕開け!殺陣も歌も笑いも涙も、全てを一身に浴びる演劇。最高のものをお届けできて本当に嬉しい限りでございます。僕はやっぱり演劇が好きで、何度でもこの板の上で命を削りたいと思えたよね。芝居の世界は何にでもなれる。命知らずで向こう見ずな浮世絵師の人生、心からたのしかった。劇場まで足を運んでくれたお友達にもありがとう。あのよこのよのおしまいは、あのよこのよのはじまりに。
4月はもういっちょ。うわ!とか思わんといてね。僕たちの妹分、CANDY EIGHTの少女漫画が誕生しましたよ。おふざけ一切なし!ほんまもんのやつ。元々はりぼんで連載されていたんやけど、それがぎゅっとまとまりました。大丈夫?みんなついてこれてる?ゆっくり咀嚼してください。僕も少女漫画デビューを果たしたんやけど、ちょこっとだけ見てほしい。こんなにもイケメンに描いていただいたんです。ただいま絶賛発売中!日常にときめきが欲しい方、おすすめやで。
5月
夢のようなステージ、再び。WE AREコンサート、圧巻やったでしょ。なんといっても事務所所属の14組がどーんと勢揃いしてる訳やからね。そして演出は安心と信頼の松本潤。こんなにも心震えるエンタメが他にありますか。普段はなかなか会えない子たちともわちゃわちゃできて、本当にいい時間やった。まだNetflixでまるっとすべてご覧いただけるみたいやから、年末年始のまったりタイムにぜひいかがでしょう。
6月
6月は我々の冠番組「EIGHT-JAM」が外の世界へ飛び出して、SUPER EIGHTによる音楽好きのためのフェスが開幕!3日間のお祭りですよ。すごない?豪華なアーティストの方々をお招きして毎日スペシャルなコラボレーションもあったり、驚きとときめきが詰め込まれた空間やったと思う。やっぱり音楽は人の心を繋ぐものやなって感じる瞬間がいくつもあった。そしてこのフェスの直前に長いこと伸ばしてた髪をばっさり切ったもんで、1日目がちょうど初お披露目やったのよね。あの、ありがとうございました。黄色い悲鳴。何事!と思って驚いてしまったけど、そういえば切ったんやわって後から理解しました。アイドルとしての醍醐味ですよ。
前半戦のしめくくりに、個人的なこともおはなししていい?さっき髪を切ったって書いたんやけど、実はあれだけ伸ばしていたのにも理由があって。舞台のためというのはもちろんなんやけど、ずっとヘアドネーションに挑戦してみたかったんよ。ようやく目標の長さに辿り着けたので思っきしいきました。綺麗事に感じるかもしれへんけど、僕の命や身体は本気で誰かのためのものやと思っているから。みなさまも興味があればぜひ一度調べてみてくださいな。さて、こちらで上半期のまとめはおしまい。ながーい!活字に触れたい方、引き続き後半戦もよろしくね。
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653:↓名無し:24/09/15(日) 12:53:38 ID:YE.jx.L1 自分の神経がわからん話で完全な自分語りなので苦手な人は読まないようにお願いします。 長文すみません。
小学4年生まで恐ろしく人の心を考えられない子供だった。 遊具5つ程度の小さな公園でいつも遊んでいたんだけどそこに校区外から 知らない女の子が犬を連れて遊びにきた。 シェルティ?という犬かな。当時は見たことのないおしゃれな感じの可愛い犬だったから 触らせて欲しくてその子にまとわりついた。 「触らせてあーげない」と言われてもいいじゃんちょっとくらいと絡んでいたら 女の子がうっかりリードを離してしまい懐っこい犬は道路の反対側の男の子に走って行った。 慌てて女の子が犬の名前を叫んで呼び戻したら賢い犬ですぐ反応して帰ってこようとした。 それが逆にダメで、犬は車にはねられた。 ギャイン!と鳴いたきり横たわって動かない犬を女の子が座り込んで抱えて大泣きしてたのを覚えてる。 当時携帯がなくて誰かの家の電話で親に連絡がいって迎えにきた車で女の子は去って行った。 2時間後くらいに女の子が犬を連れずに戻ってきて私はしつこく女の子に犬がどうなったのか聞いた。 悪意は全くなかったけど思い出してもしつこいくらい聞いた。 女の子は俯いて黙ってたけどたまりかねたように「死んだよ!!!!」と絶叫して走り去って行った。 私は叫ばれたのに驚きつつ(なーんだ、犬死んじゃったのか)と犬がどうなったのか聞けて満足して帰った。
654:↓名無し:24/09/15(日) 12:54:06 ID:YE.jx.L1 続きです。 上記の出来事を、4年生の終わりに担任の先生に放課後呼び出され同クラスの女子たちに 取り囲まれ口々に○○さんのこういうところが嫌いです、ああいうことをされて嫌いだと思いました。 と糾弾会が開かれた時にバーッと思い出した。 アニメとかである新しい能力を手に入れた時に閃光弾みたいなのが脳内で弾けるようなイメージ。 糾弾してる側の女の子たちがみんな泣いてるのを見ながら 犬を亡くした女の子の俯いた顔、苦しそうに歪んだ顔、絶叫、すぐに犬の状態を言わなかったこと そうかあの子は死なせてしまった責任を感じてたんだ、犬を連れてこなければと思ってたんだ 悲しかったんだ辛かったんだ苦しかったんだ、どうなったかなんて軽く聞いちゃいけなかったと初めて理解した。 人生で誰かが何を思うかなんてそんなこと考えたことがなかったから衝撃だった。 恥や恐怖や後悔というような概念をその時にはじめて得たと思う。 涙を流して「ごめんね」と言った。クラスの女の子たちは驚いた顔でこっちをみてた。 泣いたのもごめんねと言ったのも多分入学して初めてだった。 それから自分でいうのもあれだけど人が変わったように静かになり誰かの意見を尊重できるようにもなり 5年生になると段々許してくれる友達が増えて6年生になるといじめは完全になくなった。 全く気づかなかったけど、いじめられてたらしい。 それを先生が咎めてアイツが悪いのにと女の子たちの不満が爆発し、話し合うためのあの放課後だったらしい。 中学生からはおとなしくて聞き上手で優しいよねと言われるまでになった。
655:↓名無し:24/09/15(日) 12:54:22 ID:YE.jx.L1 最後です。 この出来事以来、中・高・就職時、協調性はあるが消極的で自主性が なくリーダーシップが見られないという評価を受ける人生になって少し苦しんだりもした。 A,恥も知らず他人に神経がわからんと言われ嫌われながら、それに気づきもしないで 自分の思うまま好き勝手に生きて傷つくこともなく自分だけハッピーな人生。 B,周囲と問題なく溶け込んでいるがリアルでは自分を出せない、 曝け出すのが怖いと感じているけど嫌われてはないから平穏な人生。 私の人生の場合この2択の可能性があってBの道に進んだのだけど、Aだった場合 今どうなってたんだろうと考えることがある。 連投・長文本当に申し訳ない。 あの時の自分の有り様に気付いた時の衝撃は今も胸にある。
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2024/6/13〜
6月13日 睡眠のお薬を処方されてから、日中神経がピカピカに張り詰めたり目がギラギラになったりできなくなり、忙しさとパニックは変わらないけれど状態に表れなくなってきた。
今の職場的に綱渡りで重要な案件の、その匙加減を自分が握ってしまっていて、日々どんどん追い込まれてしまっている。
心の負担がどうのこうのと考える余裕もなく、電車でただパズルゲームをしてしまう人の気持ちもわかるかも。
昨日久しぶりのフィルムカメラで撮った写真が、何だか悪くはなかったように見えたので嬉しかった。ただ薬を飲んだ後のとてつもなくうとうと状態で確認したからかも。
三越で買った内祝いのお返しを今日は渡しそびれてしまった。
6月14日 昨日の日記が行方不明。でも何を書いたかも忘れてしまっている。本当に日記を書くことを忘れることができた日だったのかもしれない。
今週も、ものすごくあっという間に(心の負債が増える速度と共に!)終わった。私を癒せる猫には会えなかった。
でも今日も劇にゃんこ状態の紫陽花と写真を撮ることができた。これを書いて、おととい現像したフィルムカメラの写真が良かった気がすることを、昨日の日記に書いたような気がしてきた。どこにいってしまったのだろう。(この直後に無事見つけました。)
ほんとうにつかれすぎて定時間際に対応した電話、相手の声が、というわけでなく、ただただ耳に入ってくる音として、うるさいな〜〜としか思えず何も話が入ってこなかった。
6月15日 友人とお茶をして、友人が妹さんへ新居祝いのプレゼントのお買い物をするのについて行って、たくさんお話をして楽しかった。今日は楽しかった。 西武はこの夏から来年まで改装工事をするらしい。
カメラも持って日傘も持ってお買い物もしてしまって、荷物がとても重たいけれど、でも楽しかった。 このままあまり頑張ってお掃除しすぎないで夜まで過ごせるようになれるといいな。
でんぱ組のラストツアーとライブの情報が解禁されて、ツアーは仙台か甲府か高松あたりで参加したいな、と思っている。 行きたい旅行先はなくても、どこかへ出かけたい気持ちはあるので、ライブに行くという目的がある遠出がちょうどいい感じ。 ラストライブの幕張も行けるといいな。 と、出かける道中ででんぱとうへ会員登録した。
銀座グラフィックギャラリーで観た展示が思いがけずとても楽しかった。昔のポスター(大阪万博やオリンピックやNikonなど)のデザインをスタディしたポスターの展示だったのかな。 資生堂ギャラリーは時間がなくて行けなかったので来週にでも行きたい。
それと今更ながらデデデデの映画を観たくなり、まだ前章が放映されてる映画館を調べている。
帰り道にチロルチョコのヌガーがぺちゃんこになって溶けていた。チロルチョコのスタンダードがこれだと信じたくないくらい美味しくなかった記憶(クッキークリームときな粉餅が好きでした)。
昨日買った桃、一つは切ったらあっという間に水になって無くなり、二つ目でなんとか実を保った状態でカットできて、私にはまだ桃は早かったようです。
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もうちょっとだけこのまま
舞原です。最後は同期。新人の時の役者紹介を見たりしながら書きます。みんなあれから1年半経ったけどあの時みんなに対して何を感じてたのかしら。今改めてここで言いたいこと・言えることを書きます。今回も1番好きな役とかセリフを添えて。
今回の同期紹介の厚みは2年半の厚みです。新人のときにも1年の厚みはあるので新人が厚い分こっちが薄かったり、新人が薄い分こっちが厚かったりします。悪しからず。
たぴおか太郎
2年半疲れ様です。なんだかんだずっとちゃうかにいましたね。別に今更言いたいこともないんですよね。私が何かを紹介する必要もないと思います。結構迷惑かけたし結構迷惑かけられましたが、まあお互い様ということで。あなたのおかげてよりちゃうかが楽しいものとなりました。ありがとうございました。これからもよろしくお願いします。
やっぱりこれかな
22新人/OLサンタと幸福論 斎藤
「そんな…嘘おおおおおお!!! 」
岡崎仁美
あなたが書いたら書きましょう。それが私にとって1番良いからです。書いてくれたら絶対書くことだけは約束しますから。
あまりにもお似合いですね。
24秋公/BE YOU AGAIN 寧々
「これでもうおしまいなんだなあ」
水琴冬雪
君は本当に素晴らしいね。ありがとう、コントに出てくれて。実は新人しか座組が一緒じゃないし、一緒と言っていいかも怪しかったから一緒にコント出来て良かった。こんな恥ずかしいセリフをスラスラ喋れるんだもの。ありとあらゆる身内に気持ち悪がられてて楽しかった。心がポンポン跳ねたよ。…あれから1年半ほど経ったけどさ、ベガはもうあの時の話は「過去の話」として消化できているのかな。まあでもベガはもう「前進」は出来ているんだろうなぁ。
これはあくまで最近の話なんだけどさ。私はベガのことを新人の頃は「不憫枠2」って思ってたらしいんだけど、そんなこともないなって思っちゃった。本当になんなんだろうね。不当だなっていうことをする人って結構いるし、ベガからしたら私とかその筆頭なんだろうなとは思うんだけど、その不当にもちゃんとそれなりに理由もあるのかなって思ってしまった。 まあ普通に不憫な時もあるけど。
1年初めにやったエチュードとか覚えてるに決まってるよ。だってあの伝説のBLエチュードが生まれた回なんだから。2年半の間エチュードとかやってたけどあれに勝るものはないと思うなぁ。
(PS)
34期の中でもベガだけちょっと団員紹介の書き方を変えたんだ。特別仕様なんだけど、気づいてくれたかな?気づいてくれたら嬉しいな。
なんだかんだ役者そんなやってないんやね
22外公/ゴミたちの日 32巻
「そこのあなた!...悩みがあるわね」
緒田舞里
まりお。本当にずっとちゃうかにいましたね。私とは正反対。ちゃんとちゃうかのことを好きで、楽しい場所として感じてたのでしょう。いや、むしろ自分でちゃうかを「心地のいい場所」にしたんでしょうね。まりおはそれを成し遂げたんでしょう。本心からまりおのこういうところ凄いなと思います。デカい名前としては新歓隊長とか振付くらいしかないかもしれないですけど、ちゃうかを裏から支え続けてましたね。だからこその今のまりおがあるんでしょう。私には出来ない生き方だからこそ素直に尊敬します。新人の頃の私はまりおのことをどうやら「不憫枠」と呼んでいましたが今のあなたにはそんな面影一つも感じないですね。
最近やっとまりおがちゃんと優しい人間なんだなって思うことがありました。ビアゲの本番前のことです。緊張、というか不安になってた時に「大丈夫、あんなに練習してきたんだからいける」と鼓舞してくれましたね。「いや流石にまりおの方が練習してたやろ」とは思いましたが、「あれ、まりおってこんなこと言ってくれる人間だったっけ」って思って。こういう励ましって一部の人間に対してしかやらないのかなぁとか思ってましたけど意外にも私にもやってくれてびっくりしました。
朝までお話付き合ってくれてありがとうございました。引退し切るまでにあなたのことを知れて良かったです。
あなたはニノでしょう。
24新歓/夢にまで魅せられて 二宮
肆桜逸
新人の頃はどうやらうちらには共通の話題が割と少なかったそうです。でも2年を経て2人で話せることが増えたような気がします。もうドアを擦ることも少なくなってしまい、あれも2年前の公演になってしまいました。どうやら1年の時のマダミスでは女性キャラRPしかしていなかったようですが、最近はもっぱら男性キャラRP、というかスチルRPしか見ていない気がします。まあ何でもいいんですけどね。今後も遊んでいきましょう。稽古場にいるときに「手持無沙汰で困ったからとりあえずスチルに話しかけとこう」いうのが何度かあったのでありがたかったです。
これはほぼスチルにしか伝わらないからここでちょろっと出すんですけど「妄想、サイゼリア」のタイトル名は「奇想、アムネジア」をオマージュしています。ちょっと韻が踏めるでしょう。マダミス何も関係ないんですけどね。
新人は殿堂入りです。なのでこれ。
24外公/タイムマシンの作り方 ���田
「クソが!!!!」
児
やっぱ基本的に本心は知られたくないんですかね。それこそ2年半の厚みと言いますか、関わっている時間自体は結構長くなっているもんだから結構そういうものオープンにしていってるのかなとか思ってたけど、私が勝手に思っているよりかはクローズなのかなぁとか思ったり。まあでも新人くらいの頃よりかはオープンなのかも。知らんけど。
演劇の話をここでするのはもう別に野暮な気もすると言いますか、みんなわかりきってるだろと思うので触れません。演劇外で関わる方が心地いいことの方が多いですし。在りが欲しは良かった。それだけは言っておく。
最後にこんな文句つけるのもおかしな話ですが、あなた新人の時の役者紹介で長く書かれすぎです。長く書いたのは私ですが。あの頃は言いたいことだらけだったのでしょうね。そう考えると対応の仕方上手くなったなって思います。
さすこた
24秋公/BE YOU AGAIN 伊織
「僕は観客、美菜は役者。」
VIVI
去年の秋公以来まじで見てない。元気に史跡巡りしてるのかなぁ。去年の外公バラシ帰りにコンビニで「今日はビール一杯で我慢する」みたいなこと言って缶買ってたのが印象的。九州の人ってやっぱりみんなお酒強いのかなぁ。
らっしー
座長。らっしー以外考えられなくてほぼ押し付けられてるみたいなもんでしたが、完遂してくれてありがとうございます。ごめんな、うちらに座長の資格がなくて。でもこの34期メンバーで上に立てるのはらっしーしかいなかったと思います。バイタリティがかなり高くおよそちゃうか民には似つかわしくないのですが、意外と抜けてるところもあってちゃんとちゃうか民らしい一面もそなえています。バ先で何かと破壊してしまっている模様です。
秋公演期間中結構ご飯食べたりできて楽しかったです。ありがとう。体動かしに行きましょう。
らしこはこれ一択
24オムニ/用もなしでは怖いし 先輩
「せーんぱい」
統括のフォーニャー
失われし統括。ふぉにゃも稽古場被ったのは新人と今回だけでメチャ少なかったけど、今公演で結構関われたのでよし。ちゃうかの人間の凸と凹に対して綺麗に形を変えてはまることのできる稀有な存在。INFPの星ですよね。何がすごいって凸にも凹にも対応できること。なんでもフラットにできるのが本当に強い。ESに書いてたりするんかね。でもなんか急に言葉が強くなることもあるのがちゃんと人間としてのギャルだなぁって感じがします。これ読まれたら普通に「は?何言ってんの」とか言われそうだし。 そういうの全部ひっくるめてフォーニャーのすごいところだったなぁって思います。
やっぱりこれずっと好きだわ。
22オムニ/題目未定
「街並みが!街並みが綺麗だと思うのも結局人間だからであって、乱数を眺めているの大して変わりが無いのです!」
舞原の絞り滓
まほろという名前は04 limited sazabysの「mahoroba」という曲から来ています。折角なので最後に添えました。絞り滓は残留思念体からインスピレーションを受けてます。
これはどっちも大切な思い出。先輩からと後輩からのプレゼント。
23秋公/息を吸う、吐く ケイ
「僕…学校…行こうかな…」
24外公/タイムマシンの使い方 須藤
「だがしかし、それは我々がタイムマシンを諦める理由にはならない」
じゃがりーた三世
レプさん。レプトン今Tumblr見てるんかね?レプさんは2回生以降しっかり思想を表に出すようになったなぁと。脚本通ったのがデカいんですかね?レプトン独自の視点で物事に斬りかかるようになったなぁと思います。それがレプトンの面白さを加速させてると思います。ちゃうかには付かず離れずといったところで、多分目的であった「脚本を書く」ための役者経験をある程度積んでからはあまり見かけることもなくなってしまいましたね。まあ実験も忙しいだろうし。結局気軽に誘えるちゃうか民は作れなかったんですね。
友達の作り方よな。今からそんな気軽に誘える友達って大学でつくるのは難しくないか…?とは思っちゃいますね。やっぱりちゃうかに見いだせませんかね?今更過ぎるか?
んで、新人の頃から言われてますけど34期PVは結局どうなったんですか?撮ったけどあげるんですか?あげないんですか?
書いてたら疑問形ばかりになってしまいました。
レプさんはやっぱ新人でしょ〜
22新人/OLサンタと幸福論 課長
「それにしても、新人ちゃんたちはどこ行ったのかな~。まだ、質問に来てくれないな~。うへへへへ。」
宮濵一颯
ロキ。最近はインスタを使いこなしているようです。留学はどうなんでしょうか。人生観変わるんかね。帰ってきたら留学の話沢山聞かせてください。ロキは感情的に寄り添うということにはあまり向いてなくて、寄り添う前にロキの価値観の中で咀嚼するために質問をしてくることが多いです。人によってはこのロキのことを「ノンデリ」と表現する人もいるでしょう。ある種ウィークポイントですがここがロキのいいところだと思います。感情的な時に理性で抑えてくれる方向に働いてくれることもあるし、逆に強く共感してくれた時は「わかってくれるんだな」というパワーに繋がります。
エンドロ、良かったですね。演劇っていう分野はまさに「選ばれた人と選ばれなかった人」というのが頻繁に見えるものですよね。自分が今まで個人競技ばっかりやっていて「選ばれる」というのにあまり慣れていないからこう感じるだけでしょうか。選ばれなかった側の描写が上手かったのは私も感じました。ロキが書いた役者紹介を見て思ったのですが、ロキはしっかり敬意を払って人に接していると思います。これは演出のときも、演出じゃないときも。こういうところがロキに人がついていく理由なんだろうなぁって思います。まあもうちょっと他の演出に対しても謙虚であってもいいとは思いましたがね。香夜も良かったですね。楽ステコンちゃんのシーンあたり幕裏で泣いてる人いましたけど結構つられそうでしたよ。
アドリブめっちゃ面白かったなぁ。
23秋公/妄想戦争☆クレイジーオンザベッド セールス
「大好きだ!」
アリリ・オルタネイト
今期まじで授業被らなかった。こっから研究室も配属だしうちらの化学科同盟ももう終わりに向かってきているのかもしれない。どうせ研究室被らんし。悲しいね。でもイルルのおかげでかなり私のGPAが回復しました。ほんまにありがとう、今一番実感している。IUPSの人脈に感謝です。2年後期とか3年前期はほとんど毎日顔を合わせていて、色々マウスとか某人のこととかの日常的な話とかが聞けて楽しかったです。やっぱり学科に気楽に話せる人が一人いるかいないかでQOLが激変するので。
イルルこどもシリーズのうちの2人目
22新人/OLサンタと幸福論 娘
「プレゼントが、プレゼントがぁぁぁぁ、うわぁぁぁぁぁ 」
もし人生をやり直せるとしたらどう生きる?と考えた時にもっと違うように生きることも出来るんだろうなぁとか誰しも少しは思うじゃないですか。
ちゃうかで出会った人間と出会えないとなるとそれは少し嫌で、嫌だと思えるくらいにはこの人たちと大学生活の1部を過ごせて良かったなぁと自分でも思えてるんだなって思いました。
劇団ちゃうかちゃわん、ありがとうございました。舞原でした。
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2023年 八景シリーズBest5
あっ、年越しちゃった。年末に片付けようと総集編に手を付けたが、期日迫るものの片付け、コミケが想像以上の盛況、さらに同人誌の通信販売の整備。印刷所が止まって増刷待ちのタイミングで、ようやく着手した。
今年は42作品だが、ここ最近は忙しかったり創作活動の模索を始めて月に1作品がやっとといったところ。正直続けるか悩んでいるが、SNSでの発信や写真選択の自由度を考えると潰すのも惜しかったりします。
さて存続の葛藤はこの辺にして、昨年のランキングを発表します。個人的にインパクトがあったり、反響があり多くのリアクションがあった作品を紹介します。
第5位 No.439
湘南八景 細道通り抜け-京急バス 鎌40 小坪線
(3/11投稿)
電車に飽きた? いえいえそんなことはないです。ただより身近なテーマを追い求めて、バスにも手を付けてみました。
まず最初に選んだ鎌40小坪線は、乗ったことあるバスの中で、インパクトがあった路線だったからです。鎌倉付近は大通りを抜けたらすぐ行き違いが大変そうな道路。さらに一方通行の道路のため、上下線で走行ルートが異なる。一方通行が戻ったと思ったら、また行き違いが大変そうな道路。そんな狭いに狭いを重ねる運転手泣かせの路線に魅力を感じていた。
電車では味わえない魅力、そのおもしろさを記録したいとはじめてみた。
第4位 No.433
浪漫八景 乗った思い出-小田急ロマンスカー LSE
(2/12投稿)
今年から現像ソフトのサブスクをはじめてみた。はじめは方向性が変わるとゴニョゴニョ言っていたが、次第に発色の良さや現像のしやすさに気が付き、今ではなくてはならないほど。
最近も乗って思い出つくりをしているが、��うもここまでインパクトのあるものがつくれないと思ったり。もう少し時期をずらさないと味が出ないのですかね。
そんな現像ソフトで昔の画像をブラッシュアップしてみようと始めたのが、小田急ロマンスカーLSEの写真だった。当時はこの車両の写真で競い合っていたこともあり、オリジナルを求めた画作りを行っていた。伝えたいことはっきりしてなかったが、組み直して、よりわかりやすくしたい。そんな現像だけでなく伝える目的にもブラッシュアップしてみた。
第3位 No.449
葛飾八景 昭和-京成3600形(ファイヤーオレンジ塗装)
(7/29投稿)
2022年後半から京成にお世話になっていた。旧成田空港駅の東成田や京成千葉線と気になるところを訪れたが、未だに撮れていない車両がいた。それが題材となったリバイバルカラーの3600形。この勢いで行こうかと、訪れたのがきっかけだった。
あちこちがいい雰囲気で、どこから撮ろうかと悩んでいた。その中でお気に入りだったのが、高砂から一つ隣のお花茶屋駅だ。今回都区にエリアを限定したが、ほどよく古く、どこか身近な駅に思えた。誰も撮らないけど、そんな発見を伝えられたのではないだろうか。
第2位 No.428
多摩八景 最後-東急8500系8637F
(2/4投稿)
あれだけいた車両が、もう地元を走っていない。電車を待っているときは実感がないけど、こうして写真を見返すとふいに喪失感が漂ってくる。
写真集「東急8500系」メロンブックスなどで好評発売中
そんな8500系の日々を写真集にして発売した。コミケでも評判で見本誌を読んだら大半が即購入、写真撮っている知り合いからは写真チョイスが絶妙と褒めていただいた。
ただ最後の一年を写真集に詰め込むことが難しく、このシリーズのほうがより細かくかつ様々な視点から捉えているかと。中でも「No.428 多摩八景 最後-東急8500系8637F」が印象深い。オタクたちの盛り上がりは写真を撮っている以上避けられず見てきたが、普段使いの人に視点を当ててみるといつもと変わらない光景。そんな非日常が見える裏に眠る日常を題材としたが、あれから1年経つんですね。
第1位 No.450
箱根八景 裏道街道-箱根登山バス K系統旧街道経由
(8/26投稿)
仕事の疲れを癒そうか。そう思ってふと湯治目的に乗ったバスだったが、これが意外とおもしろかった。家に帰ってすぐ調べたら、奥に行けば行くほどおもしろいことがわかり、この箱根を走るバスを題材にした。
箱根登山バスK系統旧街道経由は、箱根駅伝で選手達が走るメインの東海道とは違う。箱根湯本から東海道を分岐する旧道を通るルートで、芦ノ湖辺りで再び東海道と合流する。ただメインルートではないため、車線は途中からバス同士のすれ違いが出来なかったりと運転手泣かせなところだったり。旧街道と言われるだけあって、箱根寄木細工を売りとした宿場町畑宿、今も茶屋として営んでいる甘酒茶屋といった、かつてここを多くの人が行き交って痕跡を通っていく。
変わらない道がここ箱根にある、そんなことを伝えたく作品にした。その日本の文化が伝わったのか、2023年一番のリアクション数を記録した。
いかがでしょうか。忙しいと言い訳したいですが、暇な時間にここに投稿する作品をつくらず遊んでいるので何ともいえませんが。
ただ今後も作品を投稿して、他の人が記録しないような当たり前だけど見たことがない景色。そんなのを提供出来たらなと思っている。
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