#住吉町入船祭り
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今回の報告書で「消滅可能性自治体」とされた自治体は、以下の通り。 【北海道】 函館市、小樽市、釧路市、夕張市、岩見沢市、網走市、留萌市、稚内市、美唄市、芦別市、赤平市、紋別市、士別市、三笠市、根室市、砂川市、歌志内市、深川市、富良野市、登別市、伊達市、北斗市、当別町、新篠津村、松前町、福島町、知内町、木古内町、鹿部町、森町、八雲町、長万部町、江差町、上ノ国町、厚沢部町、乙部町、奥尻町、今金町、せたな町、島牧村、寿都町、黒松内町、京極町、共和町、岩内町、泊村、神恵内村、、積丹町、古平町、余市町、赤井川村、南幌町、奈井江町、上砂川町、由仁町、長沼町、栗山町、月形町、妹背牛町、雨竜町、北竜町、沼田町、当麻町、比布町、愛別町、上川町、上富良野町、和寒町、剣淵町、美深町、音威子府村、幌加内町、増毛町、小平町、苫前町、羽幌町、遠別町、浜頓別町、中頓別町、枝幸町、豊富町、利尻町、美幌町、津別町、清里町、小清水町、訓子府町、佐呂間町、遠軽町、湧別町、滝上町、西興部村、雄武町、大空町、豊浦町、白老町、洞爺湖町、むかわ町、日高町、平取町、浦河町、様似町、えりも町、新ひだか町、士幌町、広尾町、池田町、豊頃町、本別町、浦幌町、釧路町、厚岸町、浜中町、標茶町、弟子屈町、白糠町、羅臼町 【青森県】 青森市、弘前市、八戸市、黒石市、五所川原市、十和田市、むつ市、つがる市、平川市、平内町、今別町、蓬田村、外ヶ浜町、鰺ヶ沢町、深浦町、藤崎町、大鰐町、板柳町、鶴田町、中泊町、野辺地町、七戸町、横浜町、東北町、六ヶ所村、大間町、東通村、風間浦村、佐井村、三戸町、五戸町、田子町、南部町、階上町、新郷村 【岩手県】 宮古市、大船渡市、久慈市、遠野市、一���市、陸前高田市、釜石市、二戸市、八幡平市、奥州市、雫石町、葛巻町、岩手���、西和賀町、平泉町、住田町、大槌町、山田町、岩泉町、田野畑村、普代村、軽米町、野田村、九戸村、洋野町、一戸町 【宮城県】 石巻市、気仙沼市、白石市、角田市、登米市、栗原市、蔵王町、七ヶ宿町、村田町、川崎町、丸森町、松島町、七ヶ浜町、大郷町、色麻町、加美町、涌谷町、女川町、南三陸町 【秋田県】 能代市、横手市、大館市、男鹿市、湯沢市、鹿角市、由利本荘市、潟上市、大仙市、北秋田市、にかほ市、仙北市、小坂町、上小阿仁村、藤里町、三種町、八峰町、五城目町、八郎潟町、井川町、大潟村、美郷町、羽後町、東成瀬村 【山形県】 鶴岡市、酒田市、新庄市、上山市、村山市、長井市、尾花沢市、山辺町、中山町、河北町、西川町、朝日町、大江町、大石田町、金山町、最上町、舟形町、真室川町、大蔵村、鮭川村、戸沢村、高畠町、川西町、小国町、白鷹町、飯豊町、庄内町、遊佐町 【福島県】 会津若松市、白河市、喜多方市、二本松市、田村市、伊達市、桑折町、国見町、川俣町、天栄村、下郷町、檜枝岐村、只見町、南会津町、北塩原村、西会津町、猪苗代町、会津坂下町、三島町、金山町、会津美里町、泉崎村、棚倉町、矢祭町、塙町、鮫川村、石川町、玉川村、平田村、浅川町、古殿町、三春町、小野町 【茨城県】 日立市、常陸太田市、高萩市、北茨城市、潮来市、常陸大宮市、稲敷市、桜川市、行方市、鉾田市、城里町、大子町、美浦村、河内町、八千代町、五霞町、利根町 【栃木県】 日光市、矢板市、那須烏山市、益子町、茂木町、市貝町、塩谷町、那珂川町、 【群馬県】 桐生市、沼田市、渋川市、藤岡市、富岡市、安中市、上野村、神流町、下仁田町、南牧村、甘楽町、中之条町、長野原町、嬬恋村、草津町、東吾妻町、片品村、みなかみ町、玉村町、板倉町 【埼玉県】 行田市、秩父市、越生町、小川町、川島町、吉見町、鳩山町、ときがわ町、横瀬町、皆野町、長瀞町、小鹿野町、東秩父村、神川町、寄居町、松伏町 【千葉県】 銚子市、勝浦市、富津市、八街市、南房総市、匝瑳市、香取市、山武市、いすみ市、栄町、神崎町、多古町、東庄町、九十九里町、芝山町、横芝光町、白子町、長柄町、長南町、大多喜町、御宿町、鋸南町 【東京都】 檜原村、奥多摩町 【神奈川県】 三浦市、中井町、山北町、箱根町、真鶴町、湯河原町 【新潟県】 小千谷市、加茂市、十日町市、村上市、糸魚川市、妙高市、五泉市、阿賀野市、佐渡市、魚沼市、胎内市、田上町、阿賀町、出雲崎町、湯沢町、津南町、関川村、粟島浦村 【富山県】 氷見市、南砺市、上市町、入善町、朝日町 【石川県】 七尾市、輪島市、珠洲市、加賀市、羽咋市、志賀町、宝達志水町、穴水町、能登町、 【福井県】 大野市、勝山市、あわら市、池田町、南越前町、越前町、高浜町、若狭町 【山梨県】 都留市、大月市、韮崎市、上野原市、甲州市、早川町、身延町、南部町、富士川町、道志村、西桂町 【長野県】 大町市、飯山市、小海町、佐久穂町、立科町、長和町、阿南町、阿智村、平谷村、天龍村、上松町、南木曽町、王滝村、大桑村、木曽町、生坂村、筑北村、小谷村、坂城町、高山村、山ノ内町、木島平村、信濃町、小川村、飯綱町、栄村 【岐阜県】 美濃市、瑞浪市、恵那市、山県市、飛騨市、郡上市、下呂市、海津市、養老町、関ケ原町、揖斐川町、池田町、七宗町、八百津町、白川町、東白川村 【静岡県】 熱海市、下田市、伊豆市、御前崎市、牧之原市、東伊豆町、松崎町、西伊豆町、川根本町 【愛知県】 津島市、新城市、南知多町、美浜町、設楽町、東栄町、豊根村 【三重県】 尾鷲市、鳥羽市、熊野市、志摩市、木曽岬町、大台町、度会町、大紀町、南伊勢町、紀北町、御浜町、紀宝町 【滋賀県】 高島市、甲良町 【京都府】 宮津市、京丹後市、井手町、宇治田原町、笠置町、和束町、南山城村、京丹波町、与謝野町 【大阪府】 富田林市、河内長野市、柏原市、門真市、泉南市、阪南市、豊能町、能勢町、岬町、太子町、河南町、千早赤阪村 【兵庫県】 洲本市、西脇市、加西市、養父市、朝来市、宍粟市、多可町、市川町、神河町、上郡町、佐用町、香美町、新温泉町 【奈良県】 大和高田市、五條市、御所市、宇陀市、山添村、安堵町、三宅町、曽爾村、御杖村、高取町、上牧町、河合町、吉野町、大淀町、下市町、黒滝村、野迫川村、十津川村、下北山村、上北山村、川上村、東吉野村 【和歌山県】 海南市、橋本市、有田市、御坊市、田辺市、新宮市、紀の川市、紀美野町、かつらぎ町、九度山町、高野町、湯浅町、広川町、美浜町、由良町、みなべ町、日高川町、白浜町、すさみ町、那智勝浦町、太地町、古座川町、串本町 【鳥取県】 岩美町、若桜町、智頭町、八頭町、大山町、日南町、日野町、江府町 【島根県】 雲南市、奥出雲町、津和野町、隠岐の島町 【岡山県】 玉野市、笠岡市、井原市、高梁市、新見市、備前市、真庭市、美作市、久米南町、吉備中央町 【広島県】 竹原市、府中市、安芸高田市、江田島市、安芸太田町、神石高原町 【山口県】 萩市、長門市、美祢市、周防大島町、上関町、田布施町、平生町、阿武町 【徳島県】 鳴門市、小松島市、吉野川市、阿波市、美馬市、三好市、勝浦町、佐那河内村、神山町、那賀町、牟岐町、美波町、海陽町、上板町、つるぎ町、東みよし町 【香川県】 さぬき市、東かがわ市、土庄町、琴平町 【愛媛県】 宇和島市、八幡浜市、大洲市、四国中央市、西予市、上島町、久万高原町、内子町、伊方町、松野町、鬼北町、愛南町 【高知県】 室戸市、安芸市、須崎市、宿毛市、土佐清水市、四万十市、東洋町、奈半利町、田野町、安田町、北川村、本山町、大豊町、いの町、仁淀川町、中土佐町、佐川町、越知町、檮原町、日高村、津野町、四万十町、大月町、三原村、黒潮町 【福岡県】 嘉麻市、小竹町、鞍手町、東峰村、添田町、川崎町、みやこ町、築上町 【佐賀県】 多久市、玄海町、大町町、白石町、太良町 【長崎県】 平戸市、松浦市、対馬市、壱岐市、五島市、西海市、雲仙市、南島原市、東彼杵町、小値賀町、新上五島町 【熊本県】 水俣市、上天草市、天草市、美里町、和水町、小国町、産山村、高森町、山都町、氷川町、芦北町、津奈木町、多良木町、湯前町、相良村、山江村、球磨村、苓北町 【大分県】 佐伯市、臼杵市、津久見市、竹田市、杵築市、豊後大野市、国東市、姫島村、九重町、玖珠町 【宮崎県】 串間市、えびの市、高原町、国富町、諸塚村、椎葉村、美郷町、高千穂町、日之影町 【鹿児島県】 枕崎市、阿久根市、西之表市、垂水市、曽於市、南九州市、三島村、さつま町、湧水町、錦江町、南大隅町、肝付町、大和村、喜界町、天城町
【全744自治体リスト】「消滅可能性自治体」を一挙公開…北海道から鹿児島まで 出産年代の女性人口が半数以下に 日光市や草津町も |FNNプライムオンライン
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2023年4月2日(日)
三重県紀北町・奥川ファームから隔週に届く定期便、畑無農薬野菜・平飼い有精卵・手打十割蕎麦+地鶏、それに近頃は手作りパンと鯖のぬか漬けが仲間入りした。目に付いたのはアイスプラント、キラキラ輝く不思議な野菜だ。奥川さんのおかげで、普段スーパーではあまり見かけない(当社比)色んな野菜に出会うことができた。今週も安全安心素材をいただいて、兼業主夫の料理の腕が鳴るぜ。奥川さん、いつもありがとうございます。
5時45分起床。
朝食には、解凍しておいた奥川パンを頂く。��身は昆布と梅、なかなか楽しい。
洗濯1回。
奥川ファームから定期便が届く。
まずはブロッコリーを蒸し、ホウレン草を茹でる。
半熟卵をつくり、ポン酢に漬ける。
ツレアイはあちこち買物に走る。
ツレアイには早めのランチ、明星チャルメラ・バリカタ麺、奈良で太鼓の練習に参加するためJR京都駅まで送る。
戻って息子たちのランチ、こちらは明星チャリメラ・しょうゆ。
私は残り物を片付ける。
新しい町会会長がご挨拶に来られ、総会の案内を頂く。
松尾祭・櫟谷社の青年会が寄付集め、今年は神幸祭・還幸祭とも実施される。
地鶏を使って、ストウブで無水鶏ジャガを仕込む。
ツレアイを京都駅まで迎えに行く。
奥川ファームの食材たっぷりの夕飯、ただしトマトだけはスーパーで購入したもの。
録画番組視聴。
汐留〜汐留は江戸東京のフロンティア?〜」 初回放送日: 2023年4月1日
今回の舞台は汐留。高層ビルが建ち並ぶ街の姿はまさに東京のフロンティア。でも実は汐留は江戸時代からずっと最前線?その変遷をタモリさんがブラブラ歩いて解き明かす。
「ブラタモリ#231」で訪れたのは東京・汐留。旅のお題「汐留は江戸東京のフロンティア?」を探る▽汐留という住所はない!?その由来は江戸の町づくりにあり▽川の痕跡を遡ってたどり着いたのは…溜池!溜池と汐留の驚きの関係とは?▽現在の汐留エリアを生んだ江戸時代の埋め立て工事は“しがらみ”だらけ���った?▽京の公家も驚いた!浜離宮庭園の最先端技法とは?▽汐留から世界へ!?かつての汐留起点の線路が空港に直結!
入船亭扇遊 落語「干物箱」
初回放送日: 2023年4月2日
入船亭扇遊さんの落語「干物箱」をお送りします(令和5年2月11日(土)収録)【あらすじ】吉原での遊びが過ぎた若旦那、父親に厳しく監視されて外に出るのもままならない。湯に行くといってようやく表に出ると、若旦那の声色をまねるのがうまい、貸本屋の善公の家を訪ねて、身代わりに二階で寝ていてくれと…
「落語研究会」から、「柳田格之進」春風亭一之輔。
腹ごなしの町内ウォーキング。
片付け、入��、体重は150g増、どうするんだ!
明日は午後に内科受診、朝食はコーヒーのみ、昼食抜いて少しでも体重落とすのだ。
辛うじて3つのリング完成、水分は1,940ml。
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"Kill them with kindness" Wrong. CURSE OF MINATOMO NO YORITOMO
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“kill them with kindness” Wrong. CURSE OF RA 𓀀 𓀁 𓀂 𓀃 𓀄 𓀅 𓀆 𓀇 𓀈 𓀉 𓀊 𓀋 𓀌 𓀍 𓀎 𓀏 𓀐 𓀑 𓀒 𓀓 𓀔 𓀕 𓀖 𓀗 𓀘 𓀙 𓀚 𓀛 𓀜 𓀝 𓀞 𓀟 𓀠 𓀡 𓀢 𓀣 𓀤 𓀥 𓀦 𓀧 𓀨 𓀩 𓀪 𓀫 𓀬 𓀭 𓀮 𓀯 𓀰 𓀱 𓀲 𓀳 𓀴 𓀵 𓀶 𓀷 𓀸 𓀹 𓀺 𓀻 𓀼 𓀽 𓀾 𓀿 𓁀 𓁁 𓁂 𓁃 𓁄 𓁅 𓁆 𓁇 𓁈 𓁉 𓁊 𓁋 𓁌 𓁍 𓁎 𓁏 𓁐 𓁑 𓀄 𓀅 𓀆
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各地句会報
花鳥誌 令和6年6月号
坊城俊樹選
栗林圭魚選 岡田順子選
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令和6年3月2日 零の会 坊城俊樹選 特選句
撞かるるを待つ梵鐘にある余寒 美紀 春灯や蔦の絡まる家傾ぐ 和子 料峭やいつか御籤でありし紙 緋路 自転車の主婦涅槃寺も突つ切つて 瑠璃 春塵は仁王の筋肉のかたち 緋路 冴返る仁王は金の歯で怒る 慶月 鳥帰る空はとほくて累塚 小鳥 春北風や大釣鐘に隠れたし 風頭 春陰の暖簾に純白の屋号 緋路 貴婦人の大車輪のみ春光に 慶月
岡田順子選 特選句
料峭やいつか御籤でありし紙 緋路 下萌る輪廻途中に道草を きみよ 中華屋の春塵赤き椅子逆さ 小鳥 喪の列の消ゆ式台の春障子 昌文 窓飾る家族の数の紙雛 はるか 白杖のリュックに揺るる桃の花 眞理子 学僧は霞に昼の鐘をつく きみよ 春禽のつがひ卵塔あたたむる 千種 上人の絵のその上の春の雲 俊樹 父性めく陽春の木の温もりは きみよ
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年3月2日 色鳥句会 坊城俊樹選 特選句
中空を塞ぐ余寒の廃高炉 かおり 曲水の刻安寧の風美し 朝子 曲水宴美しきあぎとの並びたる たかし 春の闇400Hzの着信音 修二 曲水や配流の無念流れをり 同 バッカスの壁画翳ればアネモネも かおり 中也掌に���片ふりくる春の雪 睦子 野火走る倭建命の影走る 美穂 北窓を開く復興兆す音 朝子 曲水や女人の盃のちと遅れ 久美子 朧の夜幻想一つ二つ三つ 光子 涅槃図の中へ入りたく近道す 美穂 紅をひき三寒四温横切りて かおり
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年3月7日 うづら三日の月花鳥句会 坊城俊樹選 特選句
春日射し昼寝の猫にやはらかに 喜代子 地の息吹すべての芽より放たれん さとみ 卒業生てかる制服光差す 同 雛見れば乙女心もらんまんに 同 啓蟄や老眼鏡に虫眼鏡 都 マネキンに呼び止められし春の窓 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年3月8日 鳥取花鳥会 岡田順子選 特選句
弁財天の目力強きご開帳 宇太郎 介護士の赤鬼追うて追儺かな すみ子 春動く大鍋洗ひ伏せてより 都 咲く椿落ちし椿も「太郎冠者」 美智子 無縁塚天の供へし犬ふぐり 都 閏日や何して遊ぶ春寒し 佐代子 観音の視線の先に吾と梅と 宇太郎 春氷曳く吾を映すのみ 悦子 風海へ菜花すみずみ靡かせて 都 薄氷や踏めばナイフの光持つ 佐代子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年3月9日 枡形句会
語り継ぐ作詞の謂れ春の野辺 百合子 陽子師の墓前満開蕗の薹 教 子 雛祭り白寿の母も祝はれて 百合子 一輪の菫映して句碑閑か 三 無 きめこみ雛偲ばる友を飾りけり 文 英 廃屋に繁るミモザの花明り 多美女 揚げ雲雀寺領に紛れ猫眠る 亜栄子 のんびりと牛横たはる春の野辺 幸風 年尾碑に晴れてまた降る淡き雪 美枝子 雲雀生む高原行けば雲の人 白陶 やはらかな春の野の音辿りゆく 秋尚
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年3月11日 なかみち句会
消えさうな跡をつなぎて蜷の道 秋尚 磴百段尾道水道朝かすみ あき子 閉院の看板掠れ三味線草 美貴 日溜まりの数多の道も蜷のもの ます江 夜霞の一隅までも大灯台 聰 魚屋の釣銭濡れて春の雪 美貴 目をつむりぺんぺん草の音を聞く 廸子 極楽は泥の中なり蜷の道 あき子 蜷の道水面流るる光の輪 三無 崖下の流れやさしくになの道 和魚 鐘声のこころ震はす夕霞 史空
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年3月11日 武生花鳥俳句会 坊城俊樹選 特選句
老犬の矍鑠と追ふ寒鴉 清女 造花にも枯れは来たりぬ春愁ひ 昭子 お水送り達陀炎豪快に みす枝 春一番大手拡げて女子高生 昭子 全身を耳に涅槃の法話聞く みす枝 知らずともよき事知りぬ蜆汁 昭子 春眠の夢逝きし子の影おぼろ 時江 生死未だ仏に供へる桜餅 ただし 亀鳴くや遠くて近き爆撃音 みす枝 肩書を減らし北国の雪に住む 世詩明 鄙の里水滔滔と芋水車 時江 つまづいて梅の香りを逃しけり みす枝 浮御堂にそして巨松に春の雪 昭子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年3月12日 萩花鳥会
鼓草摩文仁の丘の兄の墓 祐子 風神は火の神鳥に野火揚る 健雄 春の空ここは宇宙のど真ん中 俊文 忘れ雪抗ふ漁師海胆を取る ゆかり 忘れ物鞄の中に山笑ふ 吉之 制服の丈短きや卒業生 明子 沈丁花色付く前より香り立つ 美恵子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年3月14日 さくら花鳥会 岡田順子選 特選句
合格の電話の声は春光に みえこ 彼岸会へ母一張羅出してをり あけみ 手作りの雛微笑んで雛祭 実加 啓蟄や亡き友ふえて吾は生きて 令子 うららかや押絵の猫に会釈して 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年3月15日 さきたま花鳥句会
銀翼のきらめく空や木の芽風 月惑 昴座の星を砕きていぬふぐり 八草 古雛の神輿に残る能登の技 裕章 料峭や客船の無き海広し 紀花 杉玉も軒端に馴染む春日影 孝江 亀鳴くや飛鳥の山はみな蕾 ふゆ子 今晩も味噌田楽とまぜご飯 としゑ 雛客の手みやげ酒や国訛 康子 春しぐれ天皇参賀長き列 彩香 春愁や予期せぬ病電子辞書 恵美子 草の芽の小石動かす力あり みのり 浮世絵を抜け出す遊女万愚節 良江
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年3月17日 伊藤柏翠記念館句会 坊城俊樹選 特選句
不器用は不器用なりに針供養 雪 我が町を春一番の素通りす 同 ぬるむてふ色を湛へて水温む 同 言の葉を育み春をふくらます 眞喜栄 雛飾り声なき顔に語りかけ 同 子供らの古墳探訪山笑ふ 同 道祖神肩を寄せ合ふ春の雪 同 雛見つめゐれば脳裏に母の顔 同 潮の香と水仙の香の一漁村 同 友の葬蝋燭揺らす涅槃西風 嘉和 風��棘あれど春日の燦々と みす枝 遠浅の水美しく蜆舟 ただし 雄叫びを似て左義長の始まれり 世詩明
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年3月17日 風月句会 坊城俊樹選 特選句
城山をもみくだくかに春疾風 眞理子 春野歩すダルメシアンの脚線美 亜栄子 蒲公英の丘膨よかに母の塔 斉 石鹸玉母の塔まで追ひかけて 亜栄子 涅槃会や外から一人手を合はせ れい 蓬生の城址や鬨の声遥か 炳子 洗堰磧にとよむ雉の声 幸風 機関車に用心深く初蝶来 幸風 ぽつとりと落ちて華やぐ花椿 れい 春塵を淡く置きたる母の塔 芙佐子 啓蟄の句碑のひらがな揺らめける 要
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年3月18日 花鳥さざれ会 坊城俊樹選 特選句
胸を張り農を継ぐぞと卒業す かづを 四脚門氷雨の中に凜と建つ 和子 僧逝くや枝垂れ��を待たずして 千加江 畦の径青きまたたき犬ふぐり 啓子 雛の間をちらと横切る男の子かな 笑子 九頭竜に朱を透かせゆく桜鱒 同 鰤大根男料理の後始末 清女 古里に古里の香の土筆摘む 泰俊 上を向き涙湛へて卒業歌 同 陽炎や人の集まる船溜り 同 春塵の経蔵深く舞ふ飛天 同 水ぬるむ色ある如く無き如く 雪
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年3月20日 福井花鳥会 坊城俊樹選 特選句
雛納め飲まず喰はずの官女かな 世詩明 啓蟄や始発電車の一人旅 笑子 花ミモザ抱へふくらむ恋衣 同 けたたまし派手な身振りの春の鳥 同 啓蟄の土嗅ぐ犬の背の丸さ 希子 つくしんぼどこに隠れてゐるのやら 和子 麗しき新幹線で春来る 隆司 陽炎へる無人駅舎の降車客 泰俊 陽炎の中より来たる笑顔かな 同 啓蟄の啓蟄の顔穴を出づ 雪 懐かしやぬるみ初めたる水の色 同 蟲はただ蟲とし穴を出づるのみ 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年3月22日 鯖江花鳥句会 坊城俊樹選 特選句
凍つるべき所に凍つる蝶一つ 雪 着膨れて弟母似吾は父似 同 ぬるみ来し水に映れる何やかや 同 都恋ふ紫式部像に東風 同 幽霊の飴買ふ話木兎の夜 同 春灯下術後の傷を見る夜中 洋子 婚約のナースの話院の春 同 春ショール黄色く巻いて退院す 同 花柊恋に桎梏あればこそ 昭子 春雪や深田久弥の百名山 ただし 春彼岸死んで句友に逢へるなら やす香 親の恩山より高し卒業す みす枝 拙を守り愚直に生きて目貼剥ぐ 一涓 児を一人傘に拾ひし春時雨 世詩明
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2024年3月のライブ
なんか告知が追いつかないなあ、と思ってたらライブがたくさんありました。有難いことです。どれも特別で、どれも楽しみなものばかり。場所も共演の方々も豊かすぎる豊かさ。お近くの、いや遠くても気になるものがあればぜひお運びいただき、��の日限りの色々を目撃体験いただけたらです。 3/3(日)京都 アトリエシミズジュエリーワークス 『桃の花ロックフェス 昼の部 とんちピクルスイラスト展 クロージングイベント』 出演:とんちピクルス、ふちがみとふなと open 14:00 start 14:30/満員御礼 出店:徳利と杓文字 京都市伏見区両替町13丁目205 /075-601-1866 京阪丹波橋駅・近鉄丹波橋駅より歩5分 3/9(土)愛媛 今治ホホホ座 「歌の庭」VOL.2 中ムラサトコ ふちがみとふなと open 18:30 start 19:00¥3500/4000(別) 高校生以下無料(ドリンクオーダーはお願い致します) 愛媛県今治市共栄町1丁目3-3 問・ご予約:[email protected] 3/10(日)愛媛 田中戸(たなかど) 「歌の庭」VOL.2 中ムラサトコ ふちがみとふなと open 18:30 start 19:00¥3500(別) ※20名限定(要予約) 高校生以下無料(ドリンクオーダーはお願い致します) 愛媛県松山市住吉2-8-1/090-6280-3750(営業:12:00~夕暮れ、水曜定休+不定休) 問・ご予約:[email protected](佐々木) ①件名=「歌の庭」②本文=お名前、人数、ご連絡先
3/16日(土)京都 拾得 w/澁谷浩次(yumbo) open 17:30 start 19:00/¥2800/3300(別) 京都市上京区大宮通下立売下る菱屋町815/075-841-1691 ご予約:[email protected]
3/19日(火)彦根 山の湯 『山の湯寄席』 w/桂弥太郎、入船亭扇里 start 19:00/¥2500 <出店>なぎ食堂 滋賀県彦根市中央町7-33 3/20日(水・祝)彦根 山の湯 『山の湯寄席』 w/桂弥太郎、入船亭扇里 start 16:00/¥2500 <出店>なぎ食堂 滋賀県彦根市中央町7-33 3/23(土)大阪 ムジカジャポニカ 『ムジカで其々〜ふちふな、良元優作、ボケロウ&野良犬』 open 18:00 start 19:00¥3000/3500(別) 大阪市北区堂山町1-21 モンテビル2F-01号/06-6363-0848 ご予約:こちらより 3/29(金)京都 わからん屋 II 月イチワンマン open 18:00 start 19:00 ¥1000/1200(別) 京都市左京区一乗寺地蔵本町6-1 メイコービルB1F//075-585-4226 ご予約:[email protected] 3/30(土)神戸 ビッグアップル 春のワンマン! open 18:30 start 19:30/¥2000/2500(別) 神戸市中央区山本通3丁目14-14ト-アハイツB-1/078-251-7049 ご予約:[email protected]
3月31日(日)名古屋 名古屋城春まつり NEW! 春の音楽日和(二日目) 於:二の丸広場 start 12:30 end 17:30 13:00海洋天堂 13:55消防ロッカーズ 14:50カタリカタリ 15:45ムルヒ&古賀礼人(ゴリラ祭ーズ) 16:50ふちがみとふなと
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天皇氏族の特徴
天皇氏族―天孫族の来た道 (古代氏族の研究⑬) | 宝賀 寿男
ここでは、天照大神や神武天皇の日本列島内における祖系を遡って探究するとともに、この天皇氏族・天孫族の様々な特徴を探り、それに関係した諸氏についても見ていく。検討すべき問題が多種多様で、それぞれが大きい問題を含むから、本書が紙数の制約のもとにあることを念頭におき、これまで検討してきた結論的なものを整理して、予めある程度示さざるをえない(このことを先ずお断りする)。
わが国天孫族の主な動向
これまで公刊してきた拙著『「神武東征」の原像』や『息長氏』など古代氏族シリーズ)を通じて、天皇氏族の基本的な人物たる神武天皇と一族近親、臣下・関係者について、各々の原像を具体的に示してきた。それらなどを踏まえて、以下に要点を記す。
神武天皇などの初期天皇:神武は、当初に居た北九州の筑前海岸部(天孫降臨伝承にいわゆる「日向」。具体的には筑前の早良・怡土両郡あたり)から、兄・彦五瀬命とともに畿内に東征を試み、紀伊の紀ノ川滞上ルートで大和侵攻に成功して、奈良盆地南部地域あたりを押さえ、大和朝廷の初代の大王(天皇)となった。治世時期は概ね紀元一七五~一九��年の約十九年間とみられる(資料編に掲載の表「古代天皇の治世時期の推定」を参照)。この東征は、邪馬台国本体の東遷ではなく、筑前の支分国の庶子・一族関係者による小勢力の東征活動にすぎない(要は、「神武東征」という事件はあったが、それは「邪馬台国本国の東遷」ではない。当地での前途を悲観した庶子たちによる他地への分岐活動という意味)。
神武に関連して現れる随行・敵対の人々と崇神天皇関係者とを比べれば、それぞれがまったく異なっており、「神武=崇神」という同一人物のはずがない(神武は崇神の五世代ほど前の祖先る)。鏡を象徴とすろ太陽神信仰(この奉祀勢力)の中心が北部九州から畿内に移動したと認めても、それが直ちに邪馬台国東遷だとみるのは論理の飛躍である(筑後川流域と大和盆地の地名の類似も、物部氏東遷の影響のほうが強いか)。
北九州の在地には、神武東征当時はまだ邪馬合国もその怡土支分国もともに残り。その後の一世紀半ほどの期間は、北九州と畿内に各々の王権勢力が列島内に並存した(三世紀中葉頃は、畿内のほうの勢力はまだ小さいから、列島内で二強の王国が並立という構造。規模ではない)
神武の後のいわゆる「闕史八代」の諸天皇は、実在性を否定する根拠に乏しい、。邪馬台国の九州残滓勢力は四世紀中葉頃には滅ぼされたが、これは、最終的には畿内王権・景行天皇の九州巡狩に因る(従って、古田武彦氏の言う「九州王朝説」は成り立たない)。大和王権がほぼ確立した崇神天皇の時代には、日本列島のうち本州主要部を版図としたが、西側は吉備ないし安芸くらいが西限であって、その勢力は北九州にはまだ達していなかった。
神武の父はは、天孫・瓊瓊杵尊の子の彦火火出見尊(山幸彦)で、母は海神族首長の娘・玉依姫である。
『記・紀』に神武の父とされるウガヤフキアエズノ尊(彦波瀲尊)は山幸彦嫡出の長子であって、実際には神武の嫡兄である。その子孫が怡土支分国の王家を継いでいったとみられるが、後裔の系譜や存続の詳細は不明である。
天照大神:高天原を主宰する男性神であり、名を天活玉命(生国魂神)ともいう(論拠は様々に異なるが、山片蟠桃以降、男性神説もかなり多い。天照大神は、卑弥呼ではないし、推古天皇や持統天皇など実在者の反映でもない。後世に造作された架空の人物でもない。本書では詳説しないが、拙著『「神武東征」の原像』『息長氏』等を参照のこと)。天稚彦の親として神代紀に記される「天国玉」や、天照御魂神にも相当する(鈴木真年著の『古事記正義』)。
天照大神は天皇家の遠祖だが、決して抽象神ではなく、神武の四代祖先という具体的な生身の人間である。長子の天忍穂耳尊(天忍骨命)の嫡子が天火明命(この神は物部祖神ではないことに注意)で、この系統が本国・高天原(筑後川の中下流域で、久留米市の高良山麓に本拠)の邪馬台国王を継いでいった(これも後商やその存続の詳細が不明で、大和王権側の記録には残らない。景行天皇の九州巡狩や神功皇后遠征の時の討滅対象のなかにあったものか)。
天火明命の弟が、高天原から筑前の「日向」へ天降り(移遷)��た者で、これが瓊瓊杵尊である。祖先の居住地から支庶の者が分かれて新天地に遷ることを、東北アジアのツングース系の上古伝承では、「天からの降臨」という形で把握する傾向があり、日本列島でもその例にもれない。東北アジアの習俗・伝承を視野に入れない議論だから、こんなことは実際にありえず、後世の造作だと安易な速断をすることになる。東アジアの太陽神は、殷の太陽神俊や高句麗の例のように、全てが男性神であった。なお、記紀のいう「高天原」及び「日向神話、出雲神話」の舞台は、全て北九州にあった。
日本列島への到来者:本書では、以下に具体的に検討を加えるが、天孫族の分派が初めて分かれるのは、天照大神の諸子から始まるという形の分支流の系譜などから見て、天照大神のあまり遠くない祖先が北九州に到来したとみるのが自然であろう。
「倭人」を江南にあった呉の太伯(周王朝ど同族で姫姓)の裔とする伝承は、『魏略』逸文などに見えるが、種族・経路や時期等から見て、その支配層については疑問が大きい。すなわち、上古の「倭人」』の人々の大宗を占める海神族が越人(タイ系種族)と同種族とは認められるとしても、二世紀前半以降に北部九州における倭国連合体の長たる地位についた天皇家の先祖は、これとは系譜・種族が異なる。国の主な住民とその上に立つ支配層とは、朝鮮半島古代の例を見ても、別途考えることが必要である。
弥生時代に日本列島に渡来した主な種族・人々では、江南から(朝鮮半島南部を経て、稲作・青銅技術などの弥生文化をもって渡来した部族と、これにかなり遅れて、東北アジア地方(とくに中国東北部及び朝鮮半島)から渡来して鉄鍛冶技術をもった部族という二系統の部族があった、これら種族と、縄文時代から列島原住の人々(一種族ではないかもしれないが、とりあえず一括して「山祇族」としておく。総じて、クメール系種族)との混合体が「弥生人」とされよう。だから、単一種族として弥生人を捉えてはならない。なお、始皇帝によって東海に派遣され斉国の琅邪郡から船出した徐福が日本列島にある国の祖となったと言う「徐福伝説」は、肥前佐賀や紀州熊野などにあるが、とるにたらない。
天孫族の始祖・スサノヲ神
わが国における天孫族(皇統)の具体的な始祖から検討に入ろう。この始祖神としては、天照大神ではなく、「五十猛神(伊達神、射楯神)」(イタケル、イタテ)があげられる。この神は、『書紀』に言う、たんなる新羅からの渡来神ではない。別名を「渡し神(和多志神)、度津神」と言い、これは外地の韓郷から渡来してきたことに因る。佐渡一宮で式内社の度津神社(新潟県佐渡市羽茂飯岡)は海上交通の守護神として五十猛命を祀るなど、日本各地で同名で祀られる(『神道大辞典』など)。
この神の記事は少ないが、『書紀』第八段(宝剣出現)の一書第四および第五の記事に見える。素戔嗚尊が子の五十猛神を率いて先ず新羅国に天降り、そこから舟を作って出雲に渡ったとあり、また、五十猛神が天降りの際に多くの木種を将来したが、韓地には植えずに、筑紫より始めて列島内に木種を播いたとある。そうすると、韓地からの最初の到来地はむしろ筑紫になるし、渡来航路的にはそのほうが自然である。このように、韓地(朝鮮半島南部)からの渡来が『記・紀』に明確に記されるのは、天日矛(天日槍)より前の時代の神・人では、ほかにいない。五十猛神と妹二神(大屋姫命、抓津姫命。実態は妻神か)が「伊太祁曽三神」として紀伊国名草郡の名神大社で篤く祀られており、奉斉者が紀伊国造よりも紀臣氏(系譜は皇別とされるが、実態は天孫族系)とみられる事情にも留意される。
記紀神話では、その父「スサノヲ」は、高天原にあっては天照大神を困らせる暴れん坊神で、天照大神と争って敗れており、それによる追放後の「出雲」では開拓者的に描かれる。その終焉の地が出雲という伝承もあり、出雲市佐田町須佐の須佐神社(風土記・延喜式に記載)が祀られる。その攝末社に天照社・厳島社・須賀社などがあり、境内に千数百年という老杉や蘇民将来の祭もある。スサノヲの子の大国主神の子、加夜奈留美(女神?)の子孫と称する須佐氏が永年奉斎するが、少なくとも系図の初期段階などには疑問があり、出雲国造一族が祭祀に関与したか(瀧音能���氏が須佐神社周辺の地をスサノオ神の本貫とみるのは疑問で、ここには同神は到来しておらず、子孫と称する家が祀っただけのこと。出雲国造一族が奉斎した神社も当初は熊野神社が主で、杵筑神社(現・出雲大社)でも長い間、祭神がスサノヲであった)。
スサノヲは、その子孫という大国主神を通じて地祇の三輸氏・賀茂氏や住道首などにつながるという系譜を伝える。これが『姓氏録』大神朝臣条や『旧事本紀』地祇本紀などに見える子孫の系譜であり(前者の大神朝臣条では、素佐能雄命の六世孫が大国主と記される)、『古事記』では「いわゆる出雲系」の多数の神々に通じる系譜が紀載される。しかし、五十猛神と大国主神との関係はこれら系譜では不明なままである(五十猛と大国主とは、祖先・子係の関係にない。出雲の大国主神の父は天冬衣命と伝え、その祖系のなかにも五十猛は見えない)。
このため、「スサンヲ」という神には複数の神格(人格)がおるようにみられている。実際には、このような名・通称で呼ばれる者が一族・同系統で複数いたり(部族長の通称的な使用もあるがか)、子孫が祖先の伝承を伴って各地へ移遷、展開したともみられる。朝鮮神話に見える檀君も、スサノヲに擬せられたり、高句麗からの渡来系氏族・八坂造氏が京都祇園(感神院祇園社)で祀る「牛頭天王」も、中国神話で牛首人身神とされる炎帝神農氏(赤帝)や蚩尤(兵主神)という頭に角をもつ武神(戦神)、兵器製造神にも通じる。わが国ではこれら神々の実体がスサノヲ神(ないし大己貴命)に通じるとされることが多い。蚩尤が鉄神とも言われる。
この「スサノヲ」の名は、同一部族(天皇氏族)の根幹系統を通じて、遠い祖先から見える「通称」ではないかと把握される。すなわち、五十猛神自身がスサノヲ(の一人)に相当するとしたほうがよい。五十猛神を祀る式内社は、出雲六社、播磨二社、紀伊二社など全国合計で十五社もあり、これら地域分布からは天孫族系の出雲国造族が主に奉斎したことが窺われる。これに関連して、わが国で兵主神を祀る式内社は、近江国野洲郡及び大和国磯城郡など名神大社三社を含め、合計で十九社もあり、うち但馬七社、因幡二社、近江二社、播磨二社、丹波一社などという地域分布に留意される(この辺に着目すると、但馬出石に落ち着いた天日矛一族が、韓地の新羅あたりから当該兵主神をもたらした可能性も考えられる)。
兵主神社の祭神は、いまは大己貴命、素戔嗚神などとされて、特に前者とされることが多い。これは、本来の祭神で鍛冶神たる八千矛神が、大穴持命に通じる大己貴命と混同され、出雲に兵主神の神社分布が多い事情に因るものか。八千矛神という神は、『書紀』には見えず、『古事記』で高志の沼川比売の求婚譚などに見えて、大国主神の別名として扱われる。同神の子には、「御井神」も見える。御井神は木伺神ともいわれ、多くの樹種をもって天降り���広く大八洲に播種したと伝える五十猛神の縁者というのがふさわしい。滋賀県蒲生郡日野町の八千鉾神社は、大屋彦神(五十猛神のこと)を祭神とする。銅矛・銅戈や銅剣は分布が北九州に多くあり、銅矛の出雲出土はあまり多くないので(最多出土の荒神谷遣跡でも、銅矛十六本に対し、銅剣が三五八本の多数で出土)その意味でも出雲の大国主神が八千矛神とされるのにはしっくりこない。
八千矛神とは、実はイタテ神(伊太弓、伊達、射楯こと五十猛神)のこととみられる(その場合、御井神とは高魂命〔高木神〕のことか)。銅矛・銅戈の出土が肥前唐津辺りに多く、銅剣も含めて銅製武器が北九州に多く出て、これが「銅剣銅矛分布圏」という把握もある。日本列島では、弥生Ⅰ期に朝鮮半島から銅矛が到来し、鉄矛は同Ⅲ期に出現して古墳時代中期以降盛行した(『日本考古学事典』)、とされるから、鉄矛も併せ持って渡来したのが天孫族か。天孫族の広い範囲に入るとみられるのが、新羅からの渡来を伝える天日矛(天日槍)である。唐津市の宇木汲田遺跡からは多数の銅剣・銅矛や多鈕細文鏡などが出土しており、天孫族の足跡を示すものか。
イタテの神は新羅系の韓鍛治の奉祀した神だと窺えると、真弓常忠氏は指摘する(『古代の鉄と神々』)。中国の原型である「兵主神」が額に角を持ち鉄を食べる蚩尤(上記)とされており、わが国で同神にも比定される五十猛神が角凝魂命(「角+鉄塊の意味の凝」)という別名をもつのも肯ける。吉野裕氏は、『風土記』の研究などから、早くに『風士記世界と鉄王神話』(一九七二年刊)や『素尊鉄神論序説』(一九七三年刊)を著し、スサノヲが鉄神だとみた。この鉄神性を同神に認める見解が多い。
端的にいえば、複雑な性格ゆえにスサノヲ神(素戔嗚神)の位置づけが難解であり、たいへん重要なのである。これが、記紀にイザナギ・イザナミニ神の子で、皇祖神たる太陽神・天照大神の「弟」とされたり、大己貴命の祖先とされたりと様々に混同が生じた(実際、記紀で天照大神と争った「戦った」という意味をもつ「スサノヲ」は、大己貴など海神族系の祖という性格では、別神としたほうがよい。現実の出雲と、実体が葦原中国〔筑前海岸部の那珂川波域〕たる記紀神話の「出雲」とを、八世紀段階の記紀の編者たちは混同したことなどに因る。
人皇ノ鼻祖という鈴木真年の指摘
一般には、記紀神話の影響で、スサノヲ神の子ないし子孫(六世孫『姓氏録』ないし七世孫)が大己貴命(大国主神)で、いわゆる「出雲族」(あるいは海神族)の祖神がスサノヲ神と受けとられている。
しかし、大己貴命は海神族の系統の祖神であるが、そうであっても、スサノラヲ神とは男系血筋でのつながりがなく(スサノヲ神後裔の女性を妻の一人としたことは考えられるが)、両神��血統一系というのは原型・実態とは異なる(両神の血縁関係を否定する先学の見解はかなりある。例えば、瀧音能之・藤岡大拙氏など。スサノヲの子に「八千矛神」がおり(五十猛神のことか)、兵主神社で該られるが、これが大己貴命と混同された結果、スサノヲの子ともされたものか)。ともあれ、「出雲神族」という概念は紛らわしく、使用には留意される。
スサノヲによる八俣大蛇(八岐大蛇)の退治の伝承も、竜蛇信仰をもつ種族のトーテム獣を退治したのだから、海神族の祖神であるはずがない。もっとも「八俣大蛇=九頭竜」という見方もあるようである(ギリシャ神話に出る竜迷体の巨大怪物ヒュドラーも九つの首をもつ)。これが、『古事記』では「高志之八俣遠呂智」と表記されるが、「高志」が越すなわち北陸地方とまでは、スサノヲの活動地域から読みとれない。ともあれ、皇威に抗う荒神(荒ぶる水神)の象徴として大蛇がでてくることになる。
この伝承も、同神が居て活動したのが北九州だとしたら、竜蛇信仰をもつ種族・国々(海神族系種族の国、主に奴国か)の退治・平定を意味したのだろう.スサノヲについて、韓地から渡来の鉄器鍛冶集団が信奉する神という説はかなりある。火山の神という見方もあるが、これは火に関わる鍛治神の祖神、竃の神からの転訛の可能性もあろう。
明治期の国学者で系図研究者の鈴木真年は、その著書『日本事物原始』や『古事記正義』で、この神について概ね次のような主旨で記している。
「素戔鳥命トハ人皇ノ鼻祖二坐シテ、二神ノ真名子タリ。故二、天神此葦原中洲ヲ賜テ、国土ツ開闢セシム」(適宜、句読点を付した)と切り出し、高天原から天降って新羅の牛頭方(楽浪郡のうちの地)に至り、伊太氐命(亦名を五十猛命、大屋毘古命、伊太祁曽命、神平多命)・速須勢理比売を生み、その後、太白山(平安北道寧辺の妙香山に比定。平壌の東北方)の下に至り檀木の下に互市(陸上での交易)するなど人事や社会運営を教え、これを国人が追末して檀君という。また神櫛玉命(亦名を櫛御気野神、気津御子神。すなわち、熊野大神)ともいう。
その子の伊太氐命を率いて東海に入り、多くの樹木種ををもって出雲国に着き、須賀の地に宮居したが、伊太氐命は妹と協力して樹木の種を各地に分布した。素戔鳥命の子の天忍穂耳命を、天照大神は子として養って天子の位につけた。」(ここで天忍穂耳命を「子」とするのは、天安川の河原における天照大神との伝承から、スサノヲの実子と考えたものか。ただ、この見方には疑問あり、実際にはスサノヲの子孫となろう。後述)
こうした真年の把握には疑問な点もいくつかあるが、スサノヲ神がわが国の「人皇ノ鼻祖」だという基本は妥当な線だとみられる。天照大神が男神だという性格(夫婿が知られずに子孫を残す女性が古代大族の祖先系図にはまったく現れない事情もある)や忌部氏の上古系図等を参考にして、これら記紀の記事を総合的に考え併せる必要がある。そうすると、韓地から日本列島に渡来してきた、わが国天孫族の始祖(天照大神の更なる違い祖先)こそがスサノヲ神であって、五十猛神とも同神(ないしその父神)だとみるのが適当となる。朝鮮の始祖とされる「檀君」(後述するが、後世の造作神となろう)とほぼ同種の性格をもつ神という程度は認めて良い。
十世紀後葉の北宋に、日本の東大寺の僧・奝然らが雍熙元年(九八四)にやって来て、銅器や『王年代紀』などを献上したが、天御中主を初代とする皇統譜には、第十八代に素戔鳥尊(その前代が伊奘諾尊)、第十九代に天照大神尊、第二四代目に神武天皇の名前が記される(『宋史』日本伝)。平安中期の円融天皇治世のときに存在した『王年代紀』が何に基づくかは不明だが、天照大神の先代に素戔鳥尊があげられることに留意される。
スサノヲがスガの地に居たという上記伝承からか、全国の須賀神社はスサノヲを祭神とする例が多い。同社は、牛頭天王・須佐之男命を祭神とする祇園信仰の神社で、全国に広く存在し、島根県・高知県に特に多い。これら須賀神社の多くは、明治の神仏分離まで「牛頭天王社」「天王社」と称していた。牛頭天王は、播磨の広峯神社などでも祀られるが、同社は天孫族の針間国造の領域にあって、同じく凡河内国造一族が長く奉祀した。
なお、素戔嗚命の実体について、卑弥呼と対立関係にあった「狗奴国王」を考える説もあるが、これは根拠に乏しい想像論である(狗奴国の性格・習俗についての誤解が基礎にある)。また、習俗・祭祀やトーテムが異なる大国主神(海神族系氏族の祖)の父祖でもない。
八幡神の実体
豊前の宇佐八幡��も、祭神たる八幡神の実体が五十猛神だとみられる。応神天皇家や宇佐国造など天孫族の一派の実際の遠祖として、八幡神が考えられる。字佐国造は、高魂尊の裔孫の宇佐都彦(菟狭津彦)を国造初祖とするが、高魂尊の先が五十猛神とみられる。
弘仁五年(八一四)の太政官符や『宇佐託宣集』等に拠ると、字佐郡の小倉山の麓に八つの頭が一つの身体についた奇異な風体をもつ鍛冶翁がおり、金色の鷹となって示現し、その姿を見ようと近づく者の半数が死亡したが、神官(辛島勝乙目とするのが原型か)の祈持に応じて三歳児童の姿で八幡神が出現し、「我は始め辛国に八流の幡となって天降り、日本の神となって一切衆生を度する釈迦菩薩の化身なり」と託宣したという。こうした伝承などから、八幡神はもともと鍛冶神とする見方も古くからある(柳田国男氏ほか)。
後世では八幡大神にも擬せられる応神天皇は、実際の系譜は宇佐国造一族の支流の流れをひく鍛冶部族の息長氏に出ており、遠祖は神武に始まる王統と同じで、高魂命であった。金色の鷹は、金鵄や八咫烏にも通じる天孫族のトーテムである。
素盞嗚神という神は、海神族たる大己貴神(大国主神)の父祖としても伝えるが(記紀ともに見えるが、『古事記』のほうに多く伝える傾向)、その一方、熊野大神として、天孫族系統の物部連や鳥取部によって祖神として広く奉斎された。これら氏族の祖たる天津彦根命(天若日子)やその兄弟神は、素盞嗚神と天照大神との天安河原の誓約の際に息吹きのなかから誕生したと神話に伝える。
こうした両様の複雑な性格をもつ素盞嗚神は、本来は性格ごとに別々の人格神かとも考えるのがよいかもしれない。そのなかでも、最も主なものとしてはわが国天孫族の祖となる(こうした見方は、私の氏族研究の結論的な部分だけを記したので、分かり難いかもしれないが、紙数制約や論旨展開上の見地から、本書ではこのくらいに止める。以上の記述に関連して、本シリーズの『息長氏』『三輪氏」』などをご参照)。
天孫族の祖系と祭祀
現存の天孫族系統の系図では、天照大神より先へ遡る神統譜を記すものは少ないが、『姓氏録』では若干は記事が遺る。それが、角凝魂命を遠祖とする系譜をもつ諸氏(鳥取連・鳥取、委文連・宿祢〔倭文連・宿祢〕、竹原、美努連、税部〔鴨県主一族〕や額田部宿祢〔物部氏同族〕、雄儀連などで、殆どが少彦名神の流れ)である。
角凝魂命を祀る神社は全国で少ないが、鳥取連が奉斎した和泉国日根郡の式内社、波太神社(大阪府阪南市石田に鎮座。もと桑畑村、東鳥取村で、同国神名帳に従五位上波太岐社と記載。府社)の祭神として鳥取連の祖・天湯河板挙が垂仁朝に祖神を創祀したと伝える。波多の地名は肥前国松浦郡にもあり、当地に波多八幡神社(佐賀県唐津市北波多稗田で、宇木汲田遺跡の西南近隣)が鎮座する。「波多」は秦韓・辰韓に通じるものか。
忌部氏の系図(「斉部宿祢本系帳」」や「宮中八神」などを基礎にして、始祖の五十猛神以降の初期段階の歴代を整理、推定してみると、概ね次のようになる(第1図)。ただ、妻神(后神)は難解であり、推定の度合いが大きい。
各々の遠祖神が異なる複数の神名をもつことに留意されるが、天照大神は「斉部宿祢本系帳」では「天庭立命」として表記される(この名に近い「天壁立命」も天背男命の父神で左京神別の宮部造の祖とされるから同神となる)。
この神は、大阪市天王寺区の生国魂神社(東生郡の難波坐生国咲国魂神社)で奉音される神であるこれが、信濃国小県郡では名神大社の生島足島神社(長野県上田市下之郷)でも祀られて、その祭神が大八嶋を統べる「生島神・足島神」とされる。摂津国川辺都(兵庫県尼崎市栗山町)の生島神社では、生島神・足島神、天照大神、須佐男神、八幡大神、伊邪那岐・伊邪那美神をいま祀る(祭神の名に重複がある)。
この生島神・足島神は、天皇の���土支配権の裏付けを企図する祭祀ともみられる八十島祭の主神とされる(この祭は、文献初見が文徳天皇の即位時の嘉祥三年〔八五○〕九月で、鎌倉前期まで廿二回確認されると言うが、由来は上古に溯るのだろう)。『延喜式』神名帳には、宮中八神殿で御巫祭神八座のなかで生産日神・足産日神(『古語拾遺』では生産霊・足産霊)として祀られ、神祇官に坐しては生島巫祭神二座として生島神・足島神があげられる。両名は併せて夫婦神(その場合、足島神のほうは妻神か)とみられ、男神は伊久魂命とも天活玉命ともいわれる。天照大神という名では、『延喜式』神名帳では宮中坐神三六座のなかに見えないし、『姓氏録』にも諸氏族の祖先として見えないことに留意される。なお、天活玉命を祀る神社は少ないが、越中の高瀬神社(富山県南砺市高瀬。同社は五十猛神も合祀)や��岐の大麻神社(寒川郡の大蓑彦神社。香川県善通寺市大麻町)という式内社があげられる。
『書紀』には生申の乱の時(天武天皇元年〔六七二〕七月廿三日条)に生島神が見える。そこでは、高市社に坐す事代主神と牟狭社に坐す生霊神が神憑りして、神日本磐余彦天皇之陵(神武陵で、『書紀』にいう畝傍山東北陵か)に馬と種々の兵器を奉納すれば、両神が天武軍の前後に立って守護すると告げたが、この生霊神が生島神(生国魂神)に当たる。いま畝傍山の東北の裾、橿原市大久保町域(旧洞村)にある神武陵旧跡と伝える地の近隣には、生玉神社が鎮座する。
『古事記』には「天津国玉神」とも表記されるが、これは、天若日子(天稚彦。天照大神の子で別名が天津彦根命、天背男命、天湯河桁命であり、出雲国造や物部氏など鍛冶部族や鳥取部等の祖)が大国主神のもと(葦原中国)に派遣された事件に関連して見える。
その父神が高皇産霊尊であり、上記の宮中八神殿で祀られる高御産日神にあたる。この神のときころに筑後川流域に至って定着したとみられる。この神を天孫降臨の指揮者として皇祖神のはじめに置く見方が学究には多いようだが、上記系図に見るように更に父祖の神々を伝えることに多意される。
「宮中八神」の意義
ここまでに宮中八神にも触れてきたが、『延喜式』神名帳の冒頭に掲げる「宮中八神」には十分留意される。
すなわち、宮中神として大社三十座小社六座があり、そのうちの筆頭に「御巫等祭神八座」並大、月次新嘗とある神々で、①神産日神、②高御産日神、⑤玉積日神(玉積産日神)、④生産日神、⑤足産日神、⑥大宮売神、⑦御食津神、⑧事代主神、の八神があげられる。さらに、「座摩巫祭神五座」並大、月次新嘗として生井神、福井神、綱長井神、波比祇神、阿須波神の五神、「御門巫祭神八座」並大、月次新嘗として、櫛石窓神と豊石窓神が四面門各一座、「生嶋巫祭神二座」並大、月次新嘗として並大の生嶋神、足嶋神の二神があり(ここまでが「神祇宮西院坐御巫等祭神」とされて、合計が二三神)、更に、「宮内省坐神三座」並名神大、月次新嘗として薗神社、韓神社二座、「造酒司生神」大四座、並大、月次新嘗として大宮売神社四座が掲載される。
「宮中八神」の次ぎにあげれる神々は、御門神(八座)を除くと、おそらく八神の異名・異称で重複するものだろう(ただ、座摩巫が祭る五神は、「大宮地を守り坐す霊神」とされるが、その実体は難解・不明。五神はみな始祖神関係の異名かもしれず、「生井、福井、綱長井」で三井・御井、「波比祇、阿須波」が五十猛神に通じるか)。そして、その皇統譜のなかで大祖先神としての位置づけにあった神々ではなかろうか。具体的には、天照大神夫妻を含めそれ以前の三代の夫妻神とみられる。上記の「第1図天孫族の初期段階の系譜」は、こうした見方のうえで推定記載をした。
注意すべきは、最も重要な天照大神にあたる神の名が二つ(玉積産日神、生産日神)あり、対偶を持たない「事代主神」があって、合計で「八神」となっている点である。天孫族系統では、「八」という神聖数をもっていた。
さて、ここの「事代主神」の実体は何だったのだろうか。抽象神としての意味は、「神憑りして神託をくだす神」であり(松前健、佐伯有清などの諸氏)、特定の固有名詞とされる必要はない。ところが、この神は、一般には地祇(国津神)・三輪氏族の祖で、神武天皇の皇后の父神が指される。これは、後代の諸天皇の母系祖神として理解が出来ないわけでもないが、それならば、天照大神の邊遥か後代の神であって、宮中祭祀のバランスを欠く。
そこで、「姓氏録』を見ると、天神としての「天事代主命」(天辞代主命、天辞代主命)が存在したとわかる。この神を祖神とするのが、左京神別の畝尾連、右京神別の伊与部、大和神別の飛鳥直の三氏であり、これら諸氏の系譜を考えると、みな中臣連一族の初期分岐となる(伊与部条には高媚牟須比命の三世孫と記載も、これは疑問)。畝尾連の一族は和泉神別にもあげられ、そこでは「大中臣朝臣同祖。天児屋命之後也」と記載がある。しかも、高市郡明日香村に鎮座の飛鳥坐神社(並名神大)では、事代主神、高皇産霊神、飛鳥神奈備三日女神を祭神とする。すなわち、天事代主命とは中臣氏の大祖神(天孫降臨痔の天児屋根命の父祖神か)の位置づけということになるが、そうすると、天照大神も含め、この神から遡って三世代の夫神の誰かの舅神で、天孫族系統の母系の祖として特掲された可能性があり、この場合には「宮中八神」に所掲の神々の活動年代とも符合するものとなろう(現在の当該飛鳥神社の祭祀では、転訛された影響で、有名な三輪の事代主神と混同されている)。
なお、{宮中八神」のなかに、元は「倭大国魂神」(実体は九州所在の大己貴神)も含まれていたとみる見解(若井敏明氏『「神話」から読み直す古代天皇史』)には反対である。天照大神以前の上古歴代の舅神の位置にはいないからであって、『書紀』崇神天皇大年条の記事には疑問がある。不祭祀のイザナギ・イザナミの諾冊二神も、実体をもつ神ではなかった。
韓国イタテ神の列島渡来
『延喜式』神名帳のはじめに、宮中で祀られる神々が「宮中坐神三十六座」としてあげられる。そのなかに宮内省に坐す神の三座(並名神大)があって、薗神(園神)の社と韓神の社の二座がある。この「韓神」こそ韓(伽耶)から渡来した五十猛神を指す。ちなみに、御巫等祭神の八座にあげる神産日神も大始祖たる五十猛神にあたるとみられ、五十猛神の妻神の御食津神(御膳神)も同八座のなかに見える。この女神は豊受大神でもあり、食物主宰の倉稲魂神(稲荷神)で保食神なのだから、薗神にあたるとみるのが自然である。織物と酒造を司る女神、大宮売神にも当たりそうな可能性もあるが、それを留保しつつ、この関係では別神としておいた(関連して言うと、丹波国多紀郡式内社の大売神社【兵庫県篠山市寺内]は、大宮売神を祀るが、「オーヒルメ」神社と読まれている。大宮売がアメノウズメの別名だとする平田篤胤説や、これに通じる『古語拾遺』の記事は誤りとみられる)。
かつて、黒板勝美博士は、天照大神より前の神々が皇室の祖先として奉斎されていないとの理由で、それらの実在性は認めがたいと考えた。しかし、上記のように現実に別の神名で宮中で永く奉斎されてきた。出雲でも、神産日神も神魂神社の名で、意宇郡六社の一としてあり(松江市大庭町)、出雲国造が長く奉仕した。同社は神火相続の神事で知られる。
「園韓神」には一に大己貴神・少彦名神・大物主神をあてる説もあり、平安京遷都以前に京の地を支配したのが渡来系の秦氏だとして、園神・韓神は元々は秦氏が奉斎した神とみる説(水谷千秋氏)もあるが、ともに論拠薄弱である。
園韓神社は宮中では唯一の名神大社であり、応仁の乱頃までの宮殿の宮内省に鎮座した。この神格・鎮座地からみても、秦氏にふさわしいとはとても言えない。例祭は園韓神祭といわれ、『江家次第』では神部四人が榊・桙・弓・剣を持って神楽を舞ったと見え、『百錬抄』では大治二年(一一二七)の大内裏火災で園韓神の御正体を取り出そうとした折に神宝として剣・桙があったと見える。帝王鎮護の神という役割や、皇祖神の系統からみても、これは始祖神の五十猛神夫妻とするのが妥当であろう。もとからこの地にあって平安遷都に伴い遷座させようとしたら、帝王を護りたいという託宣が韓神からあったとも伝える(本来は鴨県主奉斎か)。
御食津神はオオゲツヒメ(保食神)でもあり、穀物神(稲倉魂命)でもあった。五十猛神は大屋毘古神とも呼ばれ、一緒に植樹につとめた妹・大屋毘売(大屋津姫)は、名前の対応から考えて、「妹」とは実際には「妻」の意であろう。紀州にはこの女神を祀る神社もある(和歌山市字田森に鎮座の大屋都姫神社など)。この妻神は白山信仰の菊理媛命にも通じ、水神の罔象女神であり、多様な神格と名をもつ。八幡大神の妻神たる比売大神でもあって、宇佐八幡宮で祀られる。水神が竜神に通じ、��教での同種の弁財天にも通じる祭祀もある。
筑後国御井郡や豊前国田川郡(豊比咩命神社という名で、いま香春神社に合祀)など各地の「豊比咩神社」の祭神であって(神武天皇の祖母とされる「豊玉姫」ではないし、「神功皇后の妹」のことでもない)、伊勢神宮外宮の豊受大神にあたる。香春の豊比咩神が宇佐の比売大神に相当すると岡谷公二氏も指摘する(上掲書)。豊比咩(豊姫)については、高良神の妻神という見方もあり、この辺の可能性を留保しつつ、比売大神という見方で一応、考えたい。
比売大神については宗像三女神説(宇佐神宮・石清水八幡宮の立場か)もあるが、大分県杵築市の奈多宮では、沖合の市杵島(または厳島)と呼ぶ岩礁に比売大神が降臨したと伝えるから、主祭神八幡神(=五十猛神)の后神で、端的に市杵島姫神と考えたほうがよい(その系譜は不明だが、天照大神の娘のはずはなく、海神族的な色彩があるものの、幹地から共に渡来したか、既に北九州にあった種族の出かは判じがたい)。
この女神は、水神の性格からは淀姫(興止姫神、世田姫)にもあたる。肥前国一宮たる佐嘉郡の與止日女神社(河上社。佐賀市大和町川上)、予賀神社なども含め、肥前中心に二十数社の多くで祀られ、とくに佐賀県の嘉瀬川流域に六社もあって祭祀が集中する。夫神・五十猛神と同様、石神の性格ももつ(脊振山に鎮座の脊振神社は、弁財天社ということで本地垂迹で市杵島姫を祀るが、この神にもあたる〔瀬織津姫や蛇神の宇賀神にもあたる〕。山城国乙訓郡の式内社、与杼神社〔京都市伏見区淀〕でも写る。安芸宮島の上厳島神社〔伊都岐島神社〕や近江の竹生島神社〔浅井郡式内社の都久夫須麻神社〕、相模江ノ島でも、市杵島姫【弁財天】を祀り、竹生島では、併せ宇賀神・浅井姫・龍神も祀る。淀姫が、一に「八幡大神の叔母、神功皇后の妹」とされるのは訛伝)。
唐津市呼子の加部島(別名が姫島)の宮崎鼻に鎮座する田島神社(松浦郡の式内名神大社の田島内神社)は、肥前最古といわれ唯ーの大社とされる。本殿の裏には磐境(祭場)とみられる地があり、立った三個の巨石や二個の平石、太閤祈念石と呼ばれる巨石もある。
加部島は、韓地・大陸への交通を考えると「道主貴(ちぬしのむち)」の鎮座地にふさわしく、市杵島姫を含む宗像三女神が礼られる(神名帳には「一座」と表記)。そうすると、韓地釜山(ないし対馬)辺りから筑前大島・沖ノ島を通る海路が「海北道中」と一般に解されるが(「海北」=は朝鮮半島を指す)、当該経路は、倭韓間の海上交通における当初のメインルート「壱岐・対馬を経由の線」だとみる田中卓博士の見方のほうが正しいものか。宗像大社では、九州本土の宗像市田島の地に辺津宮(総社)として現在、市杵島姫を祀る(『古事記』では、市杵島姫���中津宮、辺津宮鎮座は田寸津比売と記す)。
道主貴は、『書紀』(巻一第六段の一書第三)に「筑紫の水沼君等が祭る神」と見えており、水沼君(水沼県主)は佐賀君(佐喜県主)と同様、火国造同族とみられるから、これら諸氏の祖神でもあろう。『旧事本紀』天皇本紀には景行天皇の皇子のなかに武国表別命をあげ、筑紫水間君の祖と記される(同人は、「円珍俗姓系図」に讃岐の和気公・因岐首の始祖とされ、九州の阿蘇君・火君らの祖とみられる。『書紀』景行段に見える水沼別の始祖・国乳別皇子かその近親にあたる。同書の記事では、「弟の豊戸別皇子。是火国別之始祖世」と続ける)。
水沼君氏一族は、筑後国三潴郡の豪族で、久留米市西南部の大善寺町にある大古墳、御塚(全長約一二〇詩という帆立貝式古墳。中期古墳か)及びその北隣の権現塚(外径が全長約一五〇計かともいう。後期古墳か)の築造者とみられている。東北方近隣の同市高良内町には、これらに先立つ石櫃山古墳(全長が百計超【最大で一一五潮というで、境輪式を出土)もあったが、消滅した。久留米市北野町赤司に鎮座の赤司八幡宮(御井郡惣廟を称)がもと豊比咩神社といわれ、與止比咩命・高良大神や道主貴(三女神)、すなわち宗像三女神が祭神で、祠官家が水沼君氏との伝え(境内碑文)もあるが、領域からやや離れる感もある。
「韓」を冠する五十猛神
延喜式の神名帳には全国各地の官祭に関わる多くの古社があげられるが、そのなかで「韓」が頭につけられる神は五十猛神のみである。多くの樹木の種を持って大八洲に植えたと伝えて、紀伊国をはじめ各地で多く祀られる。わが国では伊達神(射楯神)とか韓国伊太神、伊太祁曽神ともいわれて、延喜式内社の奉斎神としてはかなり多くあり、全国で十五社を数える。
とくに、出雲には最多で合計六社もある。それが意宇郡・出雲郡に集中するが、意宇郡では玉作湯社や揖夜社に付属して鎮座する。これらは出雲国造一族の奉斎に係るものか。そして、これら出雲国内の六社が全て、韓国伊太氐神と記されて、式内社では類例の少ない「韓国(辛国)」が冠として付けられる。当地の曽枳能夜神社境内の韓国伊太氐夫神社(島根県出雲市斐川町神水)揖夜神社境内の韓国伊太氐神社(同県松江市東出雲町揖屋)など、韓国伊太所神社が出雲国の九郡中で意宇郡と出雲郡とに三社ずつ見られる(出雲国意宇郡の条に、①玉作湯神社、②揖夜神社、③佐久多神社に「同社坐韓国伊太氐神社」があり、西側の出雲郡条にあっても、「同社(神)韓国伊太氐神社」としての阿須伎神社、⑤出雲神社、⑯曽枳能夜神社が同様)。
このほかの式内社では、薩摩国曽於郡の韓国宇豆峯神社(鹿児島県霧島市国分上井)も、五十猛神(又の名を韓神曽保里神)を祀る。ここでも、とくに「韓国」を冠した神社の名前になっていることに留意される。これらの事情も、ての神��韓国からの渡来を示唆する(千家俊信『出雲式社考』にほぼ同旨)。出雲の西隣、石見国では現大田市五十猛町に近隣して韓神新羅神社・五十猛神社の両社が鎮座する。
この朝神新羅神社、出雲国出雲郡の韓竈神社(産銅遺跡のなかに鎮座)や安芸国御調郡の賀羅加波神社のほうは、素戔鳴命を屯るというが、五十猛同神か。
五十猛神については、記紀に見えるのは上記の一箇所だけであるが、イタテ神としては、『播磨国風土記』餝磨郡の因達里(姫路市街地の北部)の条に伊太氐之神が見える。因達里の伝承が、神功皇后が韓地征討で渡海する際、先導神としてその御船の上に鎮座したのがこの神である、という内容なのだから、「韓国」を冠しないイタテ神の場合にも韓国との関係がみられると石塚俊氏は指摘する。これが、餝磨郡式内の射楯兵主神社(姫路市本町に鎮座)である。イタテ神が神功皇后の先祖・天日矛にも通じるとしたら、祖神たちの加護を受けてその祖国の韓土に進攻したことになる。関連して、九世紀後半の貞観期当時の対新羅関係の悪化という背景のなかで、日本を新羅から守る目的で韓国伊太氐諸社が建立されたという説(瀧音能之氏)は疑問が大きく、この神の祭礼の由来は更に古かった。
伝承では、イタテ神は韓地の新羅から直接渡海し、日本列島に着いて出役に入り、そこから紀伊に遷ったようにうけとられる。出雲・紀伊には関係社が多くあり、出雲の西隣の石見国安濃郡にも、現・大田市五十猛町に五十猛神社と韓神新羅神社がある。五十猛命の降臨地としては、奥出雲、出雲国仁多郡の鳥上峰(船通山、鳥髪山)という伝承もある。これも、天孫族関係者が高山に天降りするという所伝の一環である。
九州の太宰府付近にも鳥髪山に相当するような山(例えば基山〔後述」」とか砥上岳(遠賀川源流地)がある。一方、対馬、壱岐を経由して九州の有明湾岸に上陸とも伝えるから、多くの関係請社や遺跡などの分布を具体的に見ると、やはり韓地→対馬→筑紫という地理的に自然な経路をとったとみられる。そこで、次ぎに北九州の分布を見てみる。
九州の五十猛神
対馬では、対馬島の北端で河内湾に臨む地に鎮座する岩立神社(岩楯神社ともいう。対馬市上対馬町大字河内)がまずあげられる。素戔嗚尊が韓土よりお帰り(到来か?)の時に、この浦に船を寄せたと伝える。元来、本社は岩楯の地に在って神籠磐境だといい、社殿がなく森の中に磐石があって、これを神位とする。
同名社では、備前国和気郡にも、磐梨別君氏(垂仁天皇後裔と称するが、実際には息長氏の一支流の和気氏)の奉斎とみられる同名の石立神社(現・備前市麻宇那)があり、社殿の下に大磐石があって、岩石崇拝に創まるとされる(『神道大辞典』)。姫大神も祀られ、近隣の北側対岸には祇園神社・磐井神社、稲荷神社や荒神社もある。石立神社の南方の備前市域、日生には高良八幡もあって、その社叢もウバメガシが占める海岸林で知られる。対馬の那祖師神社(対馬市上対馬町豊。島大国魂神社も合祀)など数社も、五十猛神を祭祀する。
大和にも同名社が添上郡式内社であり、「天乃石立神社」と記載される。現社名を天石立神社(戸磐明神)といい、奈良市柳生谷、戸岩山の北麓(奈良市柳生町の岩戸谷)にあって、本殿をもたず、鎮座する巨岩を直接拝する形態をとる。四つの巨石の総体が天石立神社と呼ばれるが、なかでも中心の丸い巨岩(きんちゃく岩と呼ぶ)が日向神社で、これが天照大神を祀り、他の三つは門神(豊磐門戸命、櫛磐門戸命)と天岩戸別命に当てられる。地域的に考えると、同社は磐梨別君同族の山辺県主一族が祭礼に関与したものか。
北九州の五十猛神祭礼では、筑前国御笠郡の筑紫神社(福岡県筑紫野市原田)や同国早良郡の五十猛神社(同県福岡市西区金武)が著名である。前者では、筑前・筑後・肥前の交通要衝に、筑紫の国魂たる筑紫大明神として祀られる。その別名の白日別神は、太陽神にも「日向」になも通じる。早良郡の西職りの怡土・志摩両郡(現・糸島市域)にも、五十猛神を写る神社が多い。王丸の白木神社前原の酒神社、草場や西浦の白木神社などがそれであり、潤神社も含め、その旧名が「白木神社」とするものも多い。これらの白木神社の群や、密集する白木の地名は新羅に因むといい、朝鮮半島由来の遣跡や伝承に彩られる。
肥前では、基山を神体山とする荒穂神社(佐賀県三養基郡基山町宮浦)がある。筑紫神社の後背地にあたる基肄郡の基山山頂には五十猛神が祀られ、玉々石という巨石の磐座や五十猛神伝承による「日本植林発祥之地」という石碑がある。同名社は、基山の別宮として、遠賀川上流域の福岡県嘉麻市牛隈(旧・嘉穂郡)にもあるが、祭神がニニギの尊で、元宮が馬見神社という。
『筑後国風土記』逸文には、荒ぶる「麁猛神」が筑前と筑後の境界に居て、往来の人々の半数を殺すので、筑紫君等の祖・甕依姫を祝にして祀ったと見え、麓の荒穂神社で祀られる。この実体が五十猛神とみられる。この地に朝鮮式山城の基肄城が築かれ、瓊瓊杵命が基山で国見をしたとの社伝もある。アラは伽耶の安羅(慶尚南道の咸安あたり)にも通じるし、「基肄」は紀伊国造の紀直氏や武内宿祢後裔と称した紀臣氏の「キ」にも通じる。杵島郡の稲佐神社・妻山神社(ともに同県杵島郡白石町域)なども、五十猛神やその眷属神の祭祀で知られる。
日本列島に杉などの樹種をもたらしたことで、各地の紀伊神社や杉山神社の祭神とされることも多い。とくに武蔵南部(旧都筑・橘樹両郡や横浜市港北区域)には、五十猛神を祭神とする杉山神社の分布が多い。これは、五十猛神を奉じた人々・部族がこの地域の開拓を進めたことに因るものであろう。
九州に戻って、五島列島、福江島の北部に位置する五島市(前・南松浦郡)岐宿町岐宿に巖立神社(岩立三所大権現)があり、社叢は椎の大木やナタオレの木などの原生林として長崎県文化財に指定される。対馬のイワタテ同名社に通じ、ここでは宗像三女神等を礼るが、本来は市杵島姫を祀るものか。長崎市香焼町の岩立神社では、境内に樹齢推定二百年という古木のエノキ(市指定天然記念物)がある。
岩立神社について言えば、このほか、出雲の東隣の伯耆西部にも同名社があり(祭神はいま大山祇命とされるが、疑問)、大山中腹の鳥取県西伯郡伯耆町岩立に鎮座する。ここでも、樹齢推定二百年、という樅・杉・銀杏の巨樹群が社を深く覆うことで有名で、裏山には「岩滝さん」と呼ばれる古くから信仰の対象とされた巨石があり、周辺に岩立古墳群もある。近隣の金持神社(同県日野郡日野町)や石見の物部神社別天神(島根県大田市川合町)などに祀られるのが、天之常立神である。この神は天地開闢の際に、別天津神五柱の最後に現れた神で、天(高天原)そのものの神格化ともされるから、具体的には五十猛神を指すのかもしれない。国常立神は、国土守護神ともされる。
これら五���猛神と眷属神を祀る神社や関連遺跡は、北九州では天山を含む背振山地の周囲に濃密に点在する。天山は、同山地の西部側、佐賀県のほぼ中央部に位置し、唐津・小城・佐賀・多久の各市に史る。その標高一〇四六㍍は、同山地東部の最高峰、脊振山(標高一〇五五㍍)に次ぐ。
この辺の事情を踏まえ、天孫族の様々な特徴を次ぎに見ていくことにしたい。
鳥トーテミズム
天皇家・天孫族には、鳥トーテミズムや、始祖の卵生伝承らしきものなど、鳥にまつわるものが多くある。古くは「天の鳥船」や「八咫烏の先導」の伝承があり、倭建命の霊魂が白鳥となって飛び去ったという白鳥伝承も代表的であって、その墓の候補のいくつかには「白鳥陵」という命名がある。
河内の古市古墳群にある津堂城山古墳は、前期末頃の巨大古墳で、倭建命の陵墓に擬される。すくなくとも、当時の大王一族関係者の陵墓とみられており、辺十七㍍の方墳状の特殊な施設には、巨大な水鳥形埴輪三体が配されている。この水鳥はおそらく白鳥ではなかろうか。烏型の埴輪は全国的に分布するが、応神天皇陵に比定される誉田山古墳や継体天皇供の可能性が大きい今城塚古墳でも見られ、これらに先行する。古墳の周濠から鳥形木製品が出土した例もあり、天上と地上を結ぶ聖なる動物という意味以上に、こうした鳥トーテミズムが大王一族にあったから祭祀に使われたものだとみられる(鳥形木製品や鳥装シャーマンは弥生時代から見られるが、穀霊信仰の現れとするのは疑問か)。中国の長江中・下流域にあった河姆渡文化期には鳥と太陽が象徴化されるとの指摘もある。
こうした鳥トーテミズムは、同族の息長氏から出た応神王統にあっても同様である。『記・紀』などに見える大雀・隼・雌鳥・鷺などを名にもつ応神・仁徳近親の王族も、鳥トーテミズムの現れであろう。この系統の遠祖、少彦名神は鳥の神様ともいえ、天日鷺翔矢命の名ももつ鳥取部造の祖神でもあった。
応神天皇自体が、宇佐八幡の伝承に、金色の鷹が金色の鳩に変じし、さらに小児となって現れて「誉田天皇広幡八幡麻呂」と名乗ったと伝える(『八幡宇佐宮御託宣集』)きも。この金色の鷹は、菱形池のほとりにいた鍛治翁の化身とされる。応神の前身(若い頃)は、垂仁天皇の皇子・ホムチワケ(品遅別、誉津別)として記紀に登場する(「ワケ」の名からして、垂仁の皇子ではありえないが)。ホムチワケは成人してもものを言わなかったが、空をいく白鳥の声を聞いて初めて話をしたので、山辺の大鶙が命をうけ捕らえたとの伝承がある(記紀に多少差異があるが、捕獲者は少彦名神後裔の鳥取部造の祖)。「大鶙」は鷲鷹類の鳥を表す名(通称)であり、これに対応して『書紀』に見える名の「天湯河板挙」とは、実際には祖神の名であって、少彦名神の親・天若日子(天稚彦)の別名とみられる。
全国各地には白鳥神社が多くあり、日本武尊(倭建命)の伝説に因むとするものが多い。これらは、総じて天孫族諸氏の祭祀にかかるとみられる。福岡県にも白鳥の地名や同名社が多く鎮座する。順不同であげると、朝倉市白鳥・柳川市三橋町白鳥・京都郡みやこ町節丸字白鳥など白鳥の地名や、久留米市荒木町白口、田川市猪国、嘉穂郡嘉穂町馬見、八女市黒木町大淵、八女郡矢部村北矢部などに白鳥神社が鎮座する。大分県にも同名社が多い。久留米市白山町や神埼市神崎町城原にある「白角折神社」(前者の地ではシラトリ、後者ではオシトリと訓む)も関係社とみられ、後者には樹齢千年起という楠の巨木がある。
神武の大和侵入に際しては、八咫烏が道案内し、金色に輝く霊鵄(実体は八咫烏同神で、少彦名神後裔によるトーテム表示)が皇弓の筈(弓の弦をかける所)に止まって、抵抗する長髓彦軍の平定に助力したという伝承もあり、天孫の徵表が天羽羽矢であったとも記される(『書紀』)。天日鷲翔矢命(少彦名神の別名)の后裔には、長白羽神(天白羽鳥命)、天羽槌雄神や鴨族諸氏がいる。鍛冶神たる天目一箇命や少彦名神兄弟の父・天若日子(天津彦根命)は、自ら雉を射抜いた「反し矢」によって殺害されたが、その葬儀に際して、川鴈・雀など多くの鳥が役割を担ったと『書紀』に記される(割註では、本文より多くの鳥の名をあげる)。
これは、『春秋左氏伝』の昭公十七年条に見える山東省南部の夷系の国、郯子国の多くの鳥の名を付ける官名に通じるようであり、松本信広氏は、死者の魂を他界に連れていく鳥の観念と関連すると説く。朝鮮半島南部の弁辰(弁韓)でも、死者を天上に飛揚させるため、大鳥の羽根を用いて死者を送るという風習があった(『三国志』魏書弁辰伝)水上静夫氏も、中国の中原東方には郯子国など鳥トーテムをもつ諸氏族があり、殷族がこれらと一群の種族だとみる(『中国古代王朝消滅の謎』ー九九二年刊)。郯子国(郯国)は山東省郯城県(山東半島の基部の南方)の西南境に位置し、春秋時代に魯の属国であったが、東夷族の祖・帝少昊の後とされ、嬴姓の国とされるから、秦・趙や徐、黄、江、李などの国・君と同族である。山東にあった大国・斉は、もとは秦と同じく嬴姓の蒲姑(薄姑。殷代の侯爵国)の領域といい、少昊自体もその別名の「鷙」が手で鷹鷲をしつ執るという意味だとされる。
白川静氏も、金天少昊氏と山東の郯子とは同じ系列に属するとみる。殷は種族的には夷系に属するとし、殷の王朝的規模は、倭の五王期とあまり異なるものではなく、殷墟に残される十三基の地下王陵は、わが国の仁徳、応神の諸陵にほぼ匹敵し、殷が直接支配した地域も、西日本の全域程度のもので、絶対年代の異なることを除けば、両者の条件はきわめて似ている、と指摘する(『中国の神話』)
殷の始祖の舜には、もと太陽神であったらしい形跡があり、アマテラスの信仰と似ているといえよう、とも言う。
中国では、『春秋左氏伝』より更に古い『逸周書』の「王会編」に、鳥トーテムをもつ異族が見える。周王が成周(いまの洛陽)に壇を築いて万国を会集する状況を記述するなかに、森林が密集する山陵地帯の異族が多く奇鳥喘禽を献じており、鳥トーテミズムをもつ秦の出自がこの方面たあると白川静氏も指摘する(上掲書)。これら西方の庄爽は、黄河上流域山陵部の森林密集地帯(上古代の当時。内蒙古のオルドス地方か)のあたりに居たとみられる。
日本では、天若日子は、子の少彦名神を通じて、鳥取部造の遠祖でもあった。鳥の名をもつ人名(神名)も天孫族系統にかなり見られる。先にあげた天日鷲翔矢命の一族のほか、素戔嗚尊自体が須佐能烏命とも書かれる。出雲国造の遠祖・天夷鳥命(天鳥船命、武日照命)の実体が、鍛冶部族の祖・天目一箇命に通じると、別書(『越と出雲の夜明け』)で述べた。同国造の初祖の名は崇神朝の鵜濡渟命と伝える。国造家の遠祖・櫛八玉命(伊佐我命のことで、天夷鳥命の子)は、鵜となって水に潜り、水底で採取した埴土(赤土)で「天八十毘良迦」(多くの平たい土器)を作り、料理人となって大国主神に供膳したと伝えるが(『古事記』の国讓りの段)、その伝承を思わせる名である(すなわち、「鵜が潜く沼」だ��ら、一種の通称か)。
これと同祖の鍛冶部族・三上祝氏一族でも、鳥鳴海命(三上祝の祖)、速都鳥命(穴門国造の祖)、意富鷲意弥命(師長国造の祖)等の鳥の名の人々が見える。長門の穴門国造の系譜は、「国造本紀」には桜井田部連と同祖と見えるくらいだが、鍛冶神天目一箇命の後裔で天孫族たる近江の三上祝の一族であり、代々が式内の住吉坐荒御魂神社(現住吉神社。山口県下関市一の宮)に奉仕した。その由来は、託宣を行って韓地征討に功績のあった住吉三神の荒魂を、践立が神主となって当地の山田邑に祀つた、と『書紀』神功皇后摂政前紀に見える。同社(長門一の宮)及び近隣の忌宮神社(二の宮)では、特殊神事「スホウテー(数方庭)」があり、竹竿の頭に羽根を挿し鈴をつけた道具を用いる風習がある。
北九州でも、吉野ヶ里貴跡を始め弥生時代の出土品には、杆頭にとりつけられる木製の鳥製品が頻出する。このような竹竿は、朝鮮半島の「鳥杆」(鳥竿。杆頭に木製の鳥をつけて寺院の入口等に立てられ、「ソッテ」などとも呼ほれた)や「蘇塗」(大木に鈴鼓を懸けて鬼神を祭祀った)につながる。鳥杆に似たものが、佐賀県神埼郡千代田町の託田西分遺跡でも出ている。こうしたソッテの習俗は、ウラル・アルタイ族に普過的な信仰である北方的祭天儀礼と位置づけられ、シャーマニズム文化に帰属する(萩原秀三郎氏の「稲と鳥と太陽の道」)。
始祖の卵生神話
高句麗の祖・朱蒙(東明王)は、日の光に感精して生まれた卵から成長し、弓の名手であった鶏卵のような精気が天上から降りてきて女が妊娠し生まれたとも伝える。こうした所伝は早く、「好太王碑文」等にも見えており、始祖鄒牟(朱蒙のこと)は天帝(ないしその太子の)の子で卵を割って出生したとある。東夷の祖神・帝少昊の子(一に子孫)の揮は初めて弓矢を作り、張姓を賜ったと伝えるが、わが国の鳥取部・弓削部・矢作部を管掌した氏(鳥取連・弓削連・矢作連)は天孫族の出で、いずれも遠祖が少彦名神であった。
『魏書』やっ『隋書』等の高句麗伝では、高句麗の高官や使者は冠に「二本の鳥の羽」を挿すと記されており、これも鳥トーテミズムに関係しよう。「東明編」(高麗の李奎報の叙事詩。一一九四年成立)には夫余の祖・解慕漱(へ・モス)が頭に鳥羽冠をかぶり五竜車に乗り、百余人のお供はみな白鵲に乗って天降りしてきたと記される。この解慕漱が河伯の娘・柳花を娶るに際して、河伯との変身合戦で最後に鷹に変じて圧倒したので、ほんとうに天帝の子だと認めたという記事もある。高句麗には烏骨という城(遼寧省鳳城市に残る鳳凰山城で、高句麗最大の山城)、烏拙という大官(十二官位のうち第六)もあり、鬼神・社稷・霊星(農業神)を祀った。
古くは『逸周書』」王会篇に、周王朝第二代の成王が諸侯を招集したとき、高夷が見えており、これが高句麗族の源流だと、『隋書』を編纂した唐代の孔穎達が言い、鵠(白鳥類-のトーテムを祀るとする。「高夷」は遼寧省撫順市周辺に居たともいう。
新羅の国王初代で朴王家の祖・赫居世、金王家の祖・金閼智や昔王家の祖・脱解や、伽耶の金官王家の初祖・首露にあっても、卵生神話や誕生時に鳥にまつわる伝承(金閼智の場合は、その到来を白鶏が告知)がある。
わが国の天皇家には、鳥類にまつわる卵生伝承は端的な形では見られないが、これが天孫降臨の際の真床覆衾に関連するといわれる。この真床覆衾は、殷の王権・即位の儀礼に見られる「綴衣」という先王の用いた衾に通じると白川静氏がいう(『中国の神話』)。殷は東夷系で、玄鳥(燕)の卵を呑んで懐妊した女性の子・契(『荀子』に「契玄王」という表記あり)という者が始祖で、商の地に封じられたという卵生説話をもった。先祖の王亥は鳥形神の字形で表され、その神像は両手で鳥を操り、まさにその頭を食らう、と白川氏が『山海経』やト辞を踏まえて表現する。鳥トーテムの強い色彩があり、王は巫祝としてシャーマニズムが盛んであった。殷の子孫が周王朝の祭儀に客神として参加して降服の儀礼を再演し白鷺の舞を献じたことは同様に記される。
殷の伝承などから、この殷族を貊民族の一分派とかツングース族とみる見解(文崇一や、シロコゴロフの『北方ツングース族の社会構成』)がある。殷の起源は、祭祀・主食(オオムギ)などから考えて、西方からの侵入説(西方系の遊牧民族の一派とみるもの)を水上静夫氏が唱えており、これもおそらく妥当であろう。この場合、西戎は東夷に通じる模様である。
鳥のトーテムとシャーマニズムの関係でいうと、もとの筑前国怡土郡にあたる糸島市有田の上鑵子遺跡では、鳥の羽飾りをつけた鳥装の司祭の絵を刻んだ木板が出ている。これは弥生中期頃からの遺跡とされる(奈良時代の製鉄跡もある)。佐賀県神埼郡吉野ヶ里町大曲の瀬ノ尾遺跡(旧東脊振村域で、吉野ヶ里遺跡の東側の丘陵に位置)からも、羽飾りをつけた烏人とみられる絵を刻んだ弥生期の土器が出土した。吉野ヶ里遺跡の西方近隣、神埼市神埼町竹にある川寄吉原遺跡からも、頭に羽をつけた人物を刻んだ鐸形土製品や銅鏃が出た。韓国のシャーマン(巫師・祈祷師。「シャマン」とも表現される)は、今日でも雉の羽がついた帽子をかぶる。吉備でも、弥生中期頃の新庄尾上遺跡(岡山市北区御津新庄)から出た絵画土器には、鳥に扮した人(嘴とトサカ状の装飾がついた人)が描かれる。烏スタイの9シャーマンには山口博氏も注目するが(『大麻と古代日本の神々』、}、わが国の祭祀担当の忌部氏一族(中央及び阿波・安房に分布)は天日鷲命の後裔であった。
中国・吉林省南東部の集安市は高句麗の旧都だけあって、同市人民政府の庁���前には高句麗の象徴である「三足鳥」(太陽に住むとされ、足が三本あるカラス。林巳奈夫氏は、実は龍山文化から伝統のある大型猛禽のイヌワシだという)の銅像が立つという。その案内板には「太陽鳥(三足鳥)は中国古代の伝説に登場する。高句麗の壁画の三足鳥は高句麗民族と中原民族が同じ太陽鳥を崇拝したことを示す」と書かれていた。現実に高句麗の古墳壁画に太陽の中に描かれた三足鳥が見られる。これは、わが国鴨族の祖・八咫烏にも通じ、三足鳥で描かれる。
イヌワシ(金雕)を現在でもトーテムとすることで知られるのが、中国・新疆ウイグル自治区に西隣する中央アジア・カザフスタンのカザフ族で、古代鳥孫の末后裔という(二〇一五年一月二九日のNHK第一テレビで、イヌワシを扱う少女鷹匠の話が「世界最古のイーグルハンターモンゴル・カザフ族」として放映された)。ウイグル族・タジク族や清朝(満州人)、エヴェンキ族・ホジェン族などのツングース種族も鷹をトーテムとした。鷹が天神テングリの使者であり、女人との間に生んだ男子が最初のシャーマンだと伝える(以上はネットの「百度百科」)。イヌワシをトーテムとする信仰が上古の華北文化に存在したとの指摘もある。四川省広漢市の三星堆遺跡(約三千年前の殷代晩期のものか)から発掘された青銅神樹(扶桑樹、太陽樹)の枝には九羽のイヌワシが止まっており、この鳥が太陽を表すとみられている。
太陽神の祭
鳥トーテミズムは、世界各地で太陽神信仰や鍛冶屋伝承に結びつくことが多い。中国の射日神話では、弓の達人・羿(ゲイ。后羿ともいう)が帝堯の命を受け、人々を苦しめる十個の太陽のうち、一つだけ残し九個の太陽を射落としたが、この射落された太陽の実体が三本足のカラス(火鳥)だつたという。鳥が霊魂を運ぶ太陽の使者だとする中国の神樹思想にも通じる。殷の王族は太陽の末裔だと当時考えられていた。十個の太陽(十日)は、帝俊(帝舜)と妻・義和との子とされる(『山海経』大荒南経)。なお、帝俊の妻・常羲(嫦娥)は天照大神に通じるともみられ、また、后の妻ともいわれ、これが月神ともされる。
わが国の天孫族もこの例に漏れず、鍛冶部族で鳥トーテミズム、太陽神祭祀をもった。皇祖神の天照大神が天岩戸に神隠れしたことで、高天原を含め世界が真っ暗になったという天岩戸神話が有名である。もっとも、こうした「日隠れ神話」は世界中にあり、上記の射日神話にも通じるから、わが国天孫族に限った話ではないが、天皇家が祭祀などで太陽神信仰セをもったことは疑いない。太陽神を祀る朝鮮半島・日本の巫覡に女性の数が多かったこともあり、これが推古・皇極・持統などの女帝出現とあいまって(推古女帝の出現が直接の契機か)、日本では太陽神が後に女性神に転化したが、原型は男性神であった。三浦茂久氏も、天照大神は本来、月神であったとみており、高天原神話に見える天照大神の機織りは月神の特徴だとされる(『古代日本の月信仰と再生思想』二〇〇八年刊)。
天照御魂神こと天照大神に代表される太陽神を、天皇家は伊勢皇太宮などで奉斎し、これに奉仕する日置部も天孫族の流れから多く出た。日置・日置部を名乗る氏には諸流あるが、応神天皇皇子の大山守王の後(『姓氏録』右京皇別)、忌部首の一族(同・未定雑姓和泉の日置部)や土師連の一族(出雲国造袋)などが知られる。
渡来系にも日置があって、高句麗に出自の日置造(左京・右京・大和・摂津の諸蕃)、日置倉人(大和諸蕃)の諸氏が「『姓氏録』に見える。こちら諸氏は高句麗の権臣・淵蓋蘇文(泉蓋蘇文、蓋金、伊梨柯須弥)の族裔であり、高句麗王家と同族の蓋(盖)氏の流れであった(遙かな遠祖は、天孫族と同じか)。この一族は、京都に居住して八坂造氏となり、祇園で牛頭天王ことスサノラヲ神を祭礼した。日本での先祖で、『書紀』斉明二年条に見える高麗の副使の伊利之とは、権臣の泉蓋蘇文の従弟の蓋須のことであった。その子孫には、日置造と八坂造との二大系統があって、後世に永くつながった。八坂造は後に紀朝臣氏と通婚し、紀姓を称した。泉蓋蘇文は高句麗五部のうちの順奴部の出で、父は東部大人、大対慮の宮職にあり、父の職務を承け高句麗軍事の大権を握り、主君栄留王と多数の支持者を殺害し、宝蔵王を擁立して大莫離支(宰相)にもなって、唐と対抗した。
天孫族の一派、鴨族の祖・鴨健角身命(天日鷲命ともいい、実体は少彦名神)は異名が「八咫烏」ともいわれる。その子孫が、神武の大和侵攻を先導した伝承のある八咫烏(先祖と同じ通称)であり、光り輝いて敵の戦意を消失させた金鵄にも化身した「(「金鵄=八咫烏」の平田篤胤等に同意。この「烏」の実態がイヌワシなら、後頭部の羽衣は光沢のある黄色で、英名〔Golden Eagle〕の由来でもある。林巳奈夫氏の著『中国古代の神がみ』では、青銅神樹に止まる「太陽の鳥」は、体つきから見ても、龍山文化から伝統のあるイヌワシだとする)。この八咫烏が、忌部首や日置部の遠祖でもあった。律令時代において、主殿寮に仕える名負五氏のなかに日置・鴨県主があり、日置氏と鴨県主が火を受け持つ類縁の間柄にあった。葛野郡の名神大社、木嶋坐天照御魂神社も鴨氏族の奉斎にかかる。
各地に多く針座する天照御魂神社は、祭神が物部氏祖神(饒速日命)とか天火明命だと受けとられることが多いが、基本的には皆、男神の天照大神のことである(穗積氏の伝えた系図には、天忍穗耳命の父として「天照御魂太神」と記される)。対馬の天道(天童)信仰も特徴的で(日ノ神、殻霊、祖霊の信仰という)、当地には扶余と同様な太陽感精神話も伝えられる。天孫族は渡来の経路として一族や祭祀・習俗を対馬に遺した。「国造本紀」には、津嶋縣直をあげ、始祖の建弥己己命は高魂尊の五世孫で、橿原朝(神武天皇)の頃に置かれたと記される。この官の設置の時期はに早すぎるが、系譜は出雲国造の同族の出であった。
太陽神信仰と鳥トーテミズム・卵生神話が合わされば、霊山信仰・霊鳥伝承や「天帝」の子孫の降臨・天降りやゃ国見の伝承にもつながる。広く伽耶まで含む東北アジア地方諸国の王家や天皇家について、祖先が高山(ないし、その山頂の高い樹)に降臨したという伝承が多い。それ故に、これら各々の国の聖山(新羅の吐含山、百済の北漢山〔高木山〕、金官伽耶の亀旨峰〔金海の亀山洞〕、大伽耶の伽耶山や、日本のクシフル岳(糸島市の高祖山のことで、原田大六などが言う。南九州の日向国ではない〕)として祭礼対象とされる例が多い。匈奴や鮮卑(遼西の朝陽付近の弾汗山)・烏丸、扶余などでも各々が聖山をもち、山上祭天の儀式をした。『三国遺事』には、天帝桓因の子、桓雄は父から三つの天符印(「鏡・剣・鈴」という)を授かり、大勢を率いて太伯山(今の妙香山〔平壌の東北方〕とされる)の頂上の神檀樹の下に天降っており、その教示に基づき人間になることに成功した「熊女」(熊トーテム族の女性と解する李丙燾氏に同意)との間に檀君を生んだ、という神話が見える。新羅の脱解王は、高麗時代にも「東岳神」と言う山神として祀られた。東嶽(東岳)とは、慶州市街地の東方の吐含山のことであり、新羅五嶽のうちに数える同市の最高峰で、日本海を展望できる護国の鎮山として神聖視され、天に祭祀を上げた聖山として知られる。脱解については、日本列島の出身で海路到来と伝えられ、天孫族や天日矛と同族の出とみられる(後述)。
ここまで、天孫族の祖系や祭祀・習俗などを見てきたが、天皇氏族の特徴的なもののうち、主に考古遺物・遺構などに絡まる関係は次の章で見ることにしたい。
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2023年10月のおしらせ
7(土)吉祥寺ZINEフェスティバル
14(土)第一回分倍河原ZINE fes.
22(日)第17回文学館まつり フリーマーケット
28(土)-29(日)KITAKAGAYA FLEA 2023 AUTUMN & ASIA BOOK MARKET
SURIMACCAサミット-いきもの編-
25(水)から「図案とおはなし」展/海老名市立中央図書館にて
10/7(土)吉祥寺ZINEフェスティバル
吉祥寺ZINEフェスティバルに参加します。今回は武蔵野公会堂での開催になります。当日、ホールにてアニメーションの上映会も行われるそうです。ご興味のある方はぜひチェックしてみてください。 吉祥寺ZINEフェスティバル 開催日:10月7日(土) 開催場所:武蔵野公会堂(吉祥寺駅徒歩3分) 開始時間:12時から17時 入場料:100円 現金払い
10/14(土)第一回分倍河原ZINE fes.
初開催!第一回分倍河原ZINE fes.に参加します。告知画像を制作させて頂きました。主催は書肆海と夕焼さん、共催はマルジナリア書店さんで、分倍河原駅を降りて目の前のビルの3階にあるマルジナリア書店さんの向かいのスペースが会場になります。 参加者も募集されているそうです。詳細はこちら。 第一回分倍河原ZINE fes. 開催日:10月14日(土) 開催場所:マルジナリア書店向かい(分倍河原駅徒歩0分) 開始時間:11時から18時 入場無料
10/22(日)第17回文学館まつり フリーマーケット
町田市民文学館ことばらんどにて毎年開催されている文学館まつりのなかで、今年は自費出版の本やZINEを販売するフリーマーケットが行われます!展示室では「生誕100年遠藤周作展 ミライを灯すことば」展、映画上映会や、寄席などのプログラムもあります。 ほかにもこの日、町田では「ゆうゆう版画美術館まつり」「町田時代祭り2023」「生涯学習センターまつり」が同時開催されるとのこと。ぜひ町田へ遊びにいらしてください。
第17回文学館まつり 日時:10月22日(日)10時から16時 会場:町田市民文学館ことばらんど(原町田4-16-17) JR横浜線「町田駅」ターミナル口から徒歩8分 小田急線「町田駅」東口から徒歩12分 入場無料
10/28(土)-29(日) KITAKAGAYA FLEA 2023 AUTUMN & ASIA BOOK MARKET
KITAKAGAYA FLEA 2023 AUTUMN & ASIA BOOK MARKETに参加します!「あいだで考える」シリーズ・戸谷洋志さん著『SNSの哲学』(創元社)でもお世話になった、ambooks 矢萩多聞さんのブースにお邪魔させて頂けることになりました。 MARKET、FOOD、WORK SHOP、BOOK、LIVE、TALKと、もりだくさんの二日間。新刊「貝がら千話⑦」も持って行ける予定です。がんばります。
KITAKAGAYA FLEA 2023 AUTUMN & ASIA BOOK MARKET 日時:28(土) 12時から19時 29(日) 11時から18時30分 会場:CCO クリエイティブセンター大阪 大阪市住之江区北加賀屋4-1-55 名村造船所跡地 入場料:各日 500円(税込)再入場可・飲食物の持ち込み禁止 主催: LLCインセクツ
SURIMACCAサミット-いきもの編-
SURIMACCAサミットとはリソグラフ印刷などでおなじみのJAMさんによる、シルクスクリーンの体験イベントです。今回は「いきもの編」。各地の会場にて、たくさんのいきものイラストからお好きないきものを選び、シルクスクリーンキット・SURIMACCAを使ってトートバッグにハンドプリント体験をすることができます。 SURIMACCAはわたしも普段からTシャツにプリントをする際などに使っています。ブロックみたいなカラフルな枠を好きなサイズに組み立てて、刷り終わったらコンパクトに片づけられるのでとっても便利。わたしは作品62「ねこのはなし」で参加しています。ぜひたくさん刷って頂けたら嬉しいです!
現時点での開催予定は下記のとおりです。 開催期間(第一弾)「紙マーケット」 開催日:2023年10月20日(金)から22日(日) 時 間:10時30分から18時30分(22日は17時まで)予定 場 所:JAM/大阪市北区豊崎6-6-23 「紙マーケット」会場内にワークショップコーナーが登場します。 開催期間(第二弾) 開催日|2024年1月13日(土)から3月31日(日) JAM(大阪)、SURUTOCO(東京)、JAM(台湾)、全国のSURIMACCA+にて開催。 各店舗の日程は、こちらをご覧ください。 また、会場へ出掛けることが難しい方に、2023年10月19日10時から2024年1月18日までオンライン受注受付を行う予定だそうです!詳細わかり次第、追記致します。
10/25(土)から11/12(日) 「図案とおはなし」展 海老名市立中央図書館にて
海老名市立中央図書館にて、図案から生まれたおはなし、そして原画作品を紹介する「図案とおはなし」展を開催します。展示場所は図書館2階の、3階へと続く階段室の一角です。 ぜひたくさんの方に見て頂けたら嬉しいです。
「図案とおはなし」展 開催日:2023年10月25日(水)から11月12日(日) 時 間:午前9時から午後9時まで 場 所:海老名市立中央図書館 神奈川県海老名市めぐみ町7-1 小田急線・相鉄線・JR相模線 海老名駅より徒歩7分
展示期間中の11月5日(日)にはワークショップ『「図案とおはなし」してみよう』を実施します。図案を見て、どんなおはなしが思い浮かぶでしょうか?一緒にたのしい時間を過ごせたら、と思っています。
「図案とおはなし」してみよう 日時:11月5日(日) 16時30分から17時50分頃 場所:海老名市立中央図書館 1F学びのエリア 定員:12名 小学校高学年から お申し込みは10/18(水)から、1F図書館カウンターまたはお電話にて受付いたします。
------------ 11月にも引き続きたくさんのイベント・展示を予定しています。 いまのところの予定は以下の通りです。 お近くの際はぜひぜひお立ち寄りください。
・11/3(金)から23(水)トロールの森 蔵書室ふもと「本から始まる“対話”の世界」 ・11/11(土)文学フリマ東京37 ・11/18(土)-19(日)円頓寺 本のさんぽみち ・11/25(土)から 「貝がら千話7 刊行記念原画展」奈良 蔦屋書店にて
以上、どうぞよろしくお願いいたします。
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2023年6月4日
Karyuさん「@official_NAOKI 凄っ そんなメンバー2人と今やれてる楽しさプライスレス🫂」https://twitter.com/karyu_official/status/1664997542952841221
NAOKIさん「@karyu_official 十何年と時が経って、何か演れたら良いなぁ〜が『今』だ!😁🤘 H.U.Gツアーバッキバキに行こうぜぃ👍👍👍」https://twitter.com/official_NAOKI/status/1665003478832361472
KINGRYOさん「KING RYO キャス配信中 https://t.co/jdEtpSvdi2」https://twitter.com/kingryoworld/status/1665004312161046528
UNCLOCK LOVER 頼田陵介さん「参加してまーす✌️✨」https://twitter.com/yorita_ryosuke/status/1665004429010178048
Drum 篤人さん「ドラムセミナーありがとうございました!with DJミズノ https://t.co/dwR1nijNci」https://twitter.com/atsuto0107/status/1665004444373897217
こもだまり𓃦昭和精吾事務所|ACM:::さん「発表されました✨✨ ソロ名義で歌います。 遅くなったので詳しくは明日… 歌3組とサンドアートの共宴で、 静かに沁み入る夜になりそう。 7/27の夜、渋谷の教会でお待ちしています⛪️ ☞予約受付 (お名前と枚数を記入してください) https://t.co/7MAwSTjTsK https://t.co/c5oOIfqVtV」https://twitter.com/mari_air/status/1665005649921540101
こもだまり𓃦昭和精吾事務所|ACM:::さん「(ハートでも付けなきゃ無惨すぎる) (もう1匹だけは無事でした) 今日はレコーディングでした! こちらも明日報告します! https://t.co/IdQ76t2I4Y」https://twitter.com/mari_air/status/1665007699426414594
猫好きYOU_THE SOUND BEE HD☠️MARY RUE☠️Lemさん「明日は心斎橋SHOVELでTHE SOUND BEE HDだよ‼️久しぶりの大阪やぁん😆嬉しいな✨心斎橋SHOVELで会いましょう‼️ THE SOUND BEE HDは18:45からだよん😁 https://t.co/GzDgmnQf6x」https://twitter.com/YOUsoundbee/status/1665011248898125824
nao 首振りDollsさん「嬉しい夜でした。 JAM5周年おめでとうございます!! 6/3(土) #西永福JAM 「MAX NIGHT」 -NISHIEIFUKU JAM 5TH ANNIVERSARY- #マリアンヌ東雲(from #キノコホテル) #松永天馬と自殺者たち(from #アーバンギャルド) #首振りDolls https://t.co/BYqri8r69D」https://twitter.com/kubihuri_nao/status/1665011418087784448
松永天馬(アーバンギャルド)中野サンプラザワンマン開催&オールタイムベスト発売中さん「松永天馬fromアーバンギャルド マリアンヌ東雲fromキノコホテル 首振りDolls 西永福JAMで何かが起こりました 正解は各々の次のライヴで🪐🍄🎎 https://t.co/KC7eIHU7pP」https://twitter.com/urbangarde/status/1665008432896679937
南菜生さん「のぶや今日はほんまお疲れ」https://twitter.com/PassCode_nao/status/1665004804681392129
マリアンヌ東雲🌹キノコホテル総支配人さん「あらゆるタイプの魅惑的な男性を取り揃えて、お待ちしております✨✨ CLUB 東雲 ㊗️西永福ジャム5周年🍾🍾🍾 久しぶりに見知った顔が沢山見れて、ご機嫌な夜でござんした。 明日があるので深酒せず帰宅🐼 #松永天馬 #アーバンギャルド #マリアンヌ東雲 #キノコホテル #首振りDolls https://t.co/liKaSsLPH6」https://twitter.com/marianne_sama/status/1665015349283278848
タイザーさん「想いの強い特別な日だったのでラストに カラダから身体へ込めて演りました https://t.co/dGt6TKeuSW」https://twitter.com/taizodiac/status/1665018469014700035
おおくぼ けい(アーバンギャルド)さん「今の自殺者たち(松永天馬ソロバンド)すごくバンド感あって楽しいんですよねぇ。演奏以外も含めて。次回も楽しみ。 首振りDollsさんは個人的には意外にも?お初だったんですけど好きです。また会いたい。」https://twitter.com/keiookubo/status/1665016702449614848
lucy+peter=esolagoto / 中村真悟さん「良き1日でしたー! カラオケ大会があったのでL'Arc~en~Cielの「あなた」を唄わせて頂きました。 松下君のコーラス乱入と云う嬉しいサプライズも♬ タッツマン、ふっきー 末永く御幸��に♥♥♥ https://t.co/iQ5kOV2N9f」https://twitter.com/lucy_peter/status/1665023051296063488
ジョニーダイアモンド首振りDollsさん「西永福JAM㊗️5周年! トップバッターを全力で務めさせていただきました 一年ぶりのマリアンヌ様もついにご一緒できた天馬様も最高でした。 さらに数年ぶりに再開できたもとのすけ!感無量! https://t.co/0R3Tw8kup1」https://twitter.com/Tracisixteen/status/1665033421243154432
Motonosuke Higuchiさん「8年ぶりくらいに首振りdollsとの再会!! ジョニーも、ナオも相変わらずかっこよかった!! 最高!!」https://twitter.com/MotonosukeDrums/status/1665034692482199552
Crazy Boy Ryoさん「ネオ東京手刀ドームでNEiN舜さんバーーースデーーー🎂でした!! 雨あがったね!😆みんなよく来たよ、ありがとうだよ😍 NEiNの5人と集ごぅん? オレの左手が逆になったよ、あんれー🤪 さて大阪に旅立ちますロクサミだりゃー!!!! https://t.co/rU2JACLRey」https://twitter.com/Ryo_VaguProject/status/1665016757931634690
舜6/16NEiN吉祥寺さん「自分のじゃなくてもね、人の生誕祭とか行った時におっきいお花とかいろいろ見るんですけど、こういうの出すにもファンの方達は色々連絡取ったりしてお金出しあったりして高額なお花や風船を出してるんですけど、本人はこういうのに対する労力をちゃんとわかってるのかなーって思ったりするわけです。」https://twitter.com/shun_thefuzzbox/status/1665048050144780290
舜6/16NEiN吉祥寺さん「だから、僕のファンの方達にはけっして無理はしてほしくないわけですよ。 気持ちだけでほんと十分なので。 今日も最高に幸せな時間を過ごせましたよ😊✨」https://twitter.com/shun_thefuzzbox/status/1665048673632526336
イッキさん「何度も観たら味わいが出ると思うんですけどね。。。超発表したい!」https://twitter.com/IkkiNakusanai/status/1664955843719118849
魚住 英里奈(official)さん「2023年6月24日(土) 会場 神保町視聴室 w/魚住英里奈 / 飯島はるか / コトナシソ 開場 18:00 開演 18:30 料金 3,000円 (1ドリンク, スナック込) https://t.co/h1SzrfQci4」https://twitter.com/uozumi_chas/status/1665072330018799617
TETSUYA OFFICIALさん「【てっちゃんねる配信スタート】 さぁ、今週も『TETSUYA SATURDAY KING RADIO』公開です。 ↓ https://t.co/RsIDfNukPh Like~an~Angel “1st LIVE”を終えたTETSUYA。 感想メールもたくさん届きました。 お便りは随時募集中です。 #TETSUYA #サタキン #てっちゃんねる」https://twitter.com/TETSUYA_STAFF/status/1664980258364305410
仁-JiN-さん「bastard 手刀ドーム 舜生誕祭おつありでした🎂 楽しかった😆 またやりたいねー! 舜おめでとう㊗️ https://t.co/X9gy0ab5me」https://twitter.com/BadBoyBeach/status/1665037286545711104
UNCLOCK LOVER 頼田陵介さん「帰るのだ✌️ RYOさんとじゅんさん✨ 楽しかった😆 朝までありがとうございました✨✨✨ https://t.co/ilxN9mHDl1」https://twitter.com/yorita_ryosuke/status/1665081047728398336
gibkiy gibkiy gibkiyさん「【LIVE INFO】 東名阪ワンマンツアー開催決定!!!! "avantgarde,barbarian.「反吐」" 6月6日(火) 大阪・寺田町 Fireloop 6月8日(木) 愛知・新栄 HeartLand 6月20日(火) 東京・下北沢 SHELTER https://t.co/mp0xeLv4JF https://t.co/8ulXsCmOz7」https://twitter.com/gibkiy_official/status/1657717426753249281
Ryuichi Kawamura officialさん「good weekend🫶🏻 https://t.co/1Kf1u8GpSI」https://twitter.com/RyuichiKawamur2/status/1665134412487614464
恐さん「https://t.co/Y41NlqWBBW」https://twitter.com/bpmkyou/status/1665136921465737216
Tomoiさん「スタジオで叩いてみました。 ブラス、良いですね。 https://t.co/j0ZpiqHolC」https://twitter.com/C4Tomoi/status/1665142090865467392
猫好きYOU_THE SOUND BEE HD☠️MARY RUE☠️Lemさん「アメブロを投稿しました。 『良い子でお留守番できるかな⁉️』 #アメブロ #猫好き#ねこ https://t.co/DprNWyD5Ez」https://twitter.com/YOUsoundbee/status/1665147618991693826
舜6/16NEiN吉祥寺さん「昨日の余韻もそこそこに、次回NEiNはすぐですよ😊🎸✨ 平日なので健太に代わって弟子ちゅんまがギター弾きます! ■2023/6/16 吉祥寺SHUFFLE 『BEAT OF THE PASSION Vol.18』 ・UNCLOCK LOVER ・Yeti ・NEiN ・Larme Belladonna ・鳳-AGEHA- チケット購入は↓ https://t.co/5CRRDLzhXJ https://t.co/EduOG2oEwJ」https://twitter.com/shun_thefuzzbox/status/1665149803003539458
舜6/16NEiN吉祥寺さん「チケット購入はUNCLOCK LOVERにて一括予約となります。 (人数制限あり) 下記URLよりアクセスして頂き 日程 会場名 御予約者様お名前 枚数 必ずご希望のバンド名 をご入力下さい!」https://twitter.com/shun_thefuzzbox/status/1665149806833205248
小美玉たかしさん「初回特典の超豪華ロゴ入り日本刀ようかん和菓子ナイフ(100本限定)が瞬殺で完パケしましたので…新たなご購入特典として超豪華サイン入りフォト色紙が付きます† 想像を絶する激しいご購入をお願いしますm(_ _)m♪ https://t.co/NVrCxF4J2P」https://twitter.com/TAKASHI_OMITAMA/status/1665157721102905345
横山企画室さん「いよいよファイナルです♪」https://twitter.com/yokodile01/status/1665160551096545281
KINGRYOさん「おはようございます🦁 2023.6.4(日)am10:18 みんな今日もファイトやで〜👍 https://t.co/kh5H30BYk2」https://twitter.com/kingryoworld/status/1665165953389195264
The Brow Beat Officialさん「【LIVE】 The Brow Beat Live Tour 2023 "The Five Senses” 全国7大都市14公演 13公演目 6月3日(土) LINE CUBE SHIBUYA THANKS! LINE CUBE SHIBUYA 初日公演にご来場の皆さま ありがとうございました。 本日、ツアーファイナル 渋谷公演にてお待ちしております。 14公演目 6月4日(日) LINE CUBE… https://t.co/WAq8UoTIB3」https://twitter.com/The_Brow_Beat/status/1665148569530294273
横山企画室さん「@karyu_official 例のアレですね♪」https://twitter.com/yokodile01/status/1665175445405601793
Karyuさん「@yokodile01 アレです 朝からお騒がせします😅」https://twitter.com/karyu_official/status/1665176755735523328
Shintaroさん「https://t.co/rFWJCIQ2O4」https://twitter.com/Shintaro_iod/status/1665182358306435078
H.U.Gさん「H.U.G1stAl『HELIOS』参加ベーシスト 祥平(アルルカン)さんのコメントはこちら https://t.co/AXLaD4jT8q 🎥全曲ダイジェスト https://t.co/WrE6cjI9FM H.U.G TOUR 2023 -LOVE THAT NEVER ENDS- https://t.co/4KnKXJ7a87 発売日&ツアー初日まで あと6⃣日! #HUG #HELIOS #祥平 #アルルカン https://t.co/9il8FdCTAz」https://twitter.com/hug_official89/status/1665191646424883201
Karyuさん「こちら💁」https://twitter.com/karyu_official/status/1665192073832828928
ryoさん「この曲は投下の歌。 された側ではなく、行った側 78年を経ても、晴天に自責 明るき曲にこの歌詞の由縁。」https://twitter.com/ryo_dalli/status/1665193742905778177
TAKEOさん「👀✨」https://twitter.com/takeo_official_/status/1665197083354357763
KING OFFICIALさん「【本日チケ発】 ■22:00〜 7.15 music bar S.O.Ra. [1部]OP14:00 ST14:30 ■22:15〜 7.15 music bar S.O.Ra. [2部]OP17:30 ST18:00 ■22:30〜 7.16 music bar S.O.Ra. [1部]OP14:00 ST14:30 ■22:45〜 7.16 music bar S.O.Ra. [2部]OP17:30 ST18:00 受付 https://t.co/fVrWiN5qRM ※ミリ秒判定 https://t.co/D1BiY1wPcZ」https://twitter.com/KINGOFFICIAL114/status/1665198226318688259
KING OFFICIALさん「【TOMORROW】 2023.6.5(月)渋谷DESEO BadeggBox Presents「BATTLE BOOST」 01 出演:KING/3470.mon/梟/The Benjamin 開場17:30 開演 18:00 ■入場チケット adv¥4,500 door.¥5,000 *1DRINK別途 TICKET PAY チケットNo.001- https://t.co/H5BqaTo8g2 [入場順] 番号順(前売り→当日券) https://t.co/dGq1luT5Pw」https://twitter.com/KINGOFFICIAL114/status/1665198254269800451
猫好きYOU_THE SOUND BEE HD☠️MARY RUE☠️Lemさん「アメブロを投稿しました。 『【お礼ブログ①】2.22の時の差し入れありがとう✨』 #アメブロ #ありがとう#ありがとうございます https://t.co/gzp1uAZbqq」https://twitter.com/YOUsoundbee/status/1665198815953973248
N'sGuitarMaintenanceさん「次回のNEiNのライヴはコチラ!! 昨夜初めてNEiNを観た方や興味を持った方は是非コチラもお願いいたします!! 既に何度も観に来てるよ!と言う方、是非コチラもお願いいたします!!(続く) #NEiN #ナイン #Live #ライヴ #拡散希望 https://t.co/DLbjkVUae3」https://twitter.com/NsGuitar2016/status/1665168024356425729
横山企画室さん「6日前の素敵コメント✨」https://twitter.com/yokodile01/status/1665199924730904582
UNCLOCK LOVER 頼田陵介さん「おはよ✌️ 昨日のアコースティックLive ご来場、配信閲覧して下さいました皆さまありがとうございました✨ セッションも含め一日楽しかった😆✨ 次回はいよいよレコ発‼️ 皆さま何卒よろしくお願い致します✨ セトリ 1.流星 2.新宿ピエロ 3.Spiral 4.Lastly 5.bring it on 6.君がいたから 7.暁 8.手紙 https://t.co/zp1eSfoRlE」https://twitter.com/yorita_ryosuke/status/1665200163185631234
猫好きYOU_THE SOUND BEE HD☠️MARY RUE☠️Lemさん「アメブロを投稿しました。 『【お礼ブログ②】2.24 差し入れ ありがとう✨』 #アメブロ #ありがとう#ありがとうございます https://t.co/PWKqmSUZnL」https://twitter.com/YOUsoundbee/status/1665200780553355265
猫好きYOU_THE SOUND BEE HD☠️MARY RUE☠️Lemさん「アメブロを投稿しました。 『【お礼ブログ③】5.13 松山行けなかったけど。。。』 #アメブロ #ありがとうございます#ありがとう https://t.co/K0u3QTtWCm」https://twitter.com/YOUsoundbee/status/1665203503260893184
猫好きYOU_THE SOUND BEE HD☠️MARY RUE☠️Lemさん「アメブロを投稿しました。 『【お礼ブログ④】5.22 の差し入れ ありがとう①』 #アメブロ #ありがとう#ありがとうございます https://t.co/xK0GDF8ecY」https://twitter.com/YOUsoundbee/status/1665204837355515904
小美玉たかしさん「本日は親しい仲間達で集まって…俺がヤクザの華神組『白鮫』役として出演した映画『BUGSII』の上映会をするので…皆に食べさせようと思って実家の栗と餅米を使って『栗ご飯』作って持って行くのだよ† #季節はずれの栗ご飯 https://t.co/6QXxwiX5WG」https://twitter.com/TAKASHI_OMITAMA/status/1665205354286972928
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『犬王』舞台巡り【山陽道編】
友魚の旅路/平家都落ちルートも巡りたいよね、という記録です。関西在住・北部九州出身なのでこの経路なんてもう数え切れんほど往復しているが視点を変えるだけでこんなにも新鮮な旅ができるってすごいなあと思う。
行った場所:腕塚(腕塚堂・腕塚神社)/草戸千軒町遺跡/厳島神社/花岡八幡宮/壇ノ浦古戦場・赤間神宮ほか
腕塚(兵庫県神戸市・明石市)
腕を埋めて腕塚。一の谷の戦いに破れ西へと落ちゆく途中で非業の死をとげた平忠度の腕を埋めたと伝えられる"腕塚"は神戸市長田区駒ヶ林と明石市天文町の2箇所にある。え どゆことじゃ?と思ったけど知りたいこと全部書いてある論文ありました(大坪舞2008「祭祀される忠度の腕ー伝承を引き寄せる場をめぐってー」『論究日本文学』88)。こちらを参考にすると、そもそも忠度死地は『平家物語』でも史実でも絞り込めない。両地の忠度伝承は、���ヶ林は17世紀後半(腕塚そのものは19世紀)、明石は17世紀初頭(腕塚は17世紀後半)までは遡れそう、とのこと。
駒ヶ林の腕塚は一の谷からちょっと東に位置。地下鉄海岸線駒ヶ林駅が最寄り。長田港に面する民家に囲まれて"腕塚堂"がある。細い路地に入っていくけど看板や標石があるので迷いはしないと思う。ガレージみたいなお堂。北西に忠度胴塚もある(こっちは看板少なくてわかりにくかった。伍魚福さんの隣)。
明石の腕塚は一の谷から西へ10kmほど離れる。山陽電鉄人丸前駅下りてすぐの"腕塚神社"。神社といってもお堂はごく小さい。木製の腕は地元の彫刻家の方が奉納されたもので、これで患部を撫でるとよくなるとか(境内においてあった「腕塚神社縁起」より)。東南に忠度塚と忠度公園もある。駅をはさんで北の丘陵にある人丸神社は柿本人麻呂を祀るが、境内に"盲杖桜"があり目の見えない人とのゆかりが深い。このへんからは明石海峡と行き交う船たちがよく見えます。
当たり前ですが京都とは全然景色が違っている。南が海、北が山。海を眺めていると友魚としてはこのへんまでは始めて来た場所であっても(見えなくても)"知ってる景色"なんだろうし逆に平家の人びとにとっては都を落ちて流浪の身になってしまったことを思い知らされる景色なんだろうなと思う。
どちらの腕塚も、いまも地元の人に愛されているのが伝わってくるたたずまい。腕塚が複数箇所にあるの、後世の人たちが"物語"を求めた結果だと思うのでそんな人間の営みが愛おしくなります。
草戸千軒町遺跡(広島県福山市)
直接の舞台ではないのですが、湯浅監督がふくやま草戸千軒ミュージアム(広島県立博物館)の街並み復元模型に言及されていたので。博物館では中世の人々の生活に関連する出土品を沢山見られる。本編で町の人たちが持ってて印象的な曲物の容器もいっぱい並んでる。
草戸千軒町遺跡は当時の海岸線で芦田川の河口付近にあった中世の港町。友魚と谷一さんも寄ったかな?と思っていたのですが、拠点的な大都市というわけではないようなのと、どうやら14世紀後半は一時的に町が衰退していたようなので寄ってないかもしれません。友魚が魚をほぐしているシーンはまだ広島らしいので(オーコメより。広島を2年もまったり旅していたのはちょっと謎)、このあたりかなと思っていたのですが、お金持ちがの人がいるのは尾道とか鞆とかかな。
遺跡現地は博物館から西南約2kmに位置。調査後に掘削されあとかたもありませんが、法音寺橋に説明板が設置されている。橋を渡って芦田川の右岸には草戸稲荷神社と明王院(常福寺)がある。明王院は本堂が1321年、五重塔が1348年に建てられたものなので、友魚たちが見たかもしれない建物がそのまま残っていることになる。明王院入り口付近の石垣にはひょうたん形の石が組み込まれている箇所があり(現地に説明板あり)、犬王ポイント高いように思います。
厳島神社(広島県廿日市市)
あれに見えるは厳島(ここでお社は映さないの超好き)。斎き島=神様をお祀りする島 として古くから信仰されてきた。1151年に安芸守となった平清盛は厳島神主家の佐伯氏と関係を深め、12世紀後半に海上の社を造営。その後何度か建て替えられているが、主要な建物の配置は基本的には変わっていないらしい。特に印象的な回廊は、現在のものは永禄~慶長年間(1558~1615)の再建。作中の回廊は、1241年に再建され、1537年に焼けたものにあたる。
干潮のタイミングで訪問したので、社殿が建ってるベースとの距離感がわかってよかった。友魚が落ちちゃっても自力で這い上がれそうな深さで安心(海の子なので心配には及ばないんだろうけど)。社殿が海に浮かんでいる姿が見られなかったのがかなり残念だけど、昼に干潮だと夜に満潮になる、という関係が理解できた。
大鳥居は改修中だったので足場が組んであり近くまで行けず。でも社殿の柱にもフジツボいっぱい付いてるのが確認できました。大鳥居も何回か建て替えられていて、現在のものは明治期の再建。1325年に2代目が倒壊してから1371年に3代目が建てられるまで空白期間があるので、友魚訪問時(1360年代後半くらい?)、実際には建ってなかったぽい。
しゃもじって琵琶みたいな形だな~と思いながらお土産見てたのですが、弁財天の琵琶っぽい工芸品としてつくられるようになったんですね。知らなかった。
花岡八幡宮(山口県下松市)
境内に友魚が雨宿りしてた塔(閼伽井坊多宝塔)がある。多宝塔の建てられた時期、立て看板では「室町中期」となっているのですが、ガイドブックやウェブ上で「室町末期」説も見るのでど~いうこっちゃと思っていたのですが、建築様式からみて室町中~後期、解体修理で見つかった木片に永禄3年(1560)の墨書あり、ということのようです(下松市HPより)。また、お宮そのものも創建当初の鎮座地から1489年頃に現在地に動いているらしい。作中で描かれているのは実際よりも少し下った時期の姿になるのかなと思います。
多宝塔の実物は思っていたより小さい印象を受ける。というか、ここに友魚があの感じで座っているのを想像すると、まだだいぶこどもだな...?!と感じました。
旧山陽道に面した丘陵上に位置し、高いところにあるのでめちゃくちゃ石段を登る。現代人にとっては雨宿りにちょっと寄るレベルを越えてるので、参道入り口あたりでお寺の人が友魚に声をかけたのかもとか想像します。
壇ノ浦古戦場・赤間神宮ほか(山口県下関市)
鴨の河原と同様、壇ノ浦も始まりの場所であり終わりの場所。
壇ノ浦古戦場跡は関門大橋の下関側のふもとに「みもすそ川公園」として整備されている。ちょうどこのあたりに友魚の暮らしていた集落があったのかなと想像できる景色。作中では霧に包まれて対岸は描かれていないけど、九州側の門司がかなり近くに見える。この土地も"境界"ですね。
赤間神宮は壇ノ浦古戦場跡から南西1kmに位置。壇ノ浦の戦いで入水した安徳天皇を祀る。江戸時代までは阿弥陀寺で、明治の神仏分離により天皇社赤間宮へ。1940年に赤間神宮に改称。1958年につくられた水天門は「波の下にも都がございます」の竜宮城を地上に造りだす意図でデザインされている。
耳なし芳一の舞台でもあり、境内の片隅に芳一堂あり。宝物館ではいろんな種類の琵琶も見られる。境内に平家蟹の標本も置いてる。
生きてる平家蟹は市立しものせき水族館海響館で見られる。海響館ができるまえの旧下関市立水族館は長府にあったのだけど、敷地内に"鯨館"という鯨形の建物があった。現在は中には入れないけど外観は見られます。小さい頃訪れたことがあって、でっかい鯨!のイメージだったけど今回再訪したら思っていたより小さいな...となりました。場所は関見台公園。下関は近代捕鯨発祥の地とされ、鯨とゆかりが深い。たまたまかもしれませんがモチーフの重なりが面白いです。
旅してこの文章を書くことで、山陽道、というか瀬戸内の海辺が友魚の旅路であり作中作(腕塚、鯨、竜中将)の舞台でもあるという重なりをはっきり認識できたのでよかった。この作品の重層的につくられているところが大好きです。
文献(本文中で言及したものを除く)
小川國治編 2001『長州と萩街道』街道の日本史43 吉川弘文館
県立広島大学宮島学センター2020「宮島 大鳥居のひみつ」
広島県歴史散歩編集委員会編2009『広島県の歴史散歩』山川出版社
ふくやま草戸千軒ミュージアム2020『瀬戸内の交流 まちのにぎわい 人のつながり』
峰岸隆2015『日本の回廊、西洋の回廊』鹿島出版会
山口県歴史散歩編集委員会編2006『山口県の歴史散歩』山川出版社
山口佳巳2008「仁治度厳島神社廻廊の復元的研究」『国立歴史民俗博物館研究報告』第148集
頼祺一編 2006『広島・福山と山陽道』街道の日本史41 吉川弘文館
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【住吉町入船祭り☆大道芸人に遭遇!~ライフエンジン~】 関内ホール前に からくりキングの ヂルシーまことさん コミカル替え歌マジシャンの シューマン ジュークボックスさん 双節棍武芸人 THE・志士丸(ししまる)さんに遭遇!!! #からくりキング #ヂルシーまこと #シューマンジュークボックス #the志士丸 #住吉町入船祭り ぢるしーまことさ�� ブログ: http://ameblo.jp/m-k-t Twitter:@ykhmkt ㈱ライフエンジン https://www.life-engine.biz/ ☆☆☆ 11時~はっと汁が美味しい 食の暴力、居ZACKブースで!! 出血大サービス!!! 10分1000円で円華(まどか)流四柱推命鑑定やっちゃいます!】 https://www.facebook.com/events/221679111645126/?ti=cl #恋愛番長 #モテる男の四柱推命 #食の暴力 #はっと汁 #居ZACK #入船祭り #四柱推命鑑定 #石川円華 *** 5月に書籍を発刊します! 「モテる男の四柱推命」 ㈱ベストブック http://www.bestbookweb.com/ ⬇ HPより 人と上手に付き合いたい、恋愛もしたい、できれば結婚もしたい…… 自分を客観視して、コミュニケーションの達人になる!! これまで女性とのお付き合いや接点すらなかった中年以降の男性や寂しい既婚男性へ、 「円華流四柱推命」の奥義を紹介。いままでの自分を顧みることで恋愛術やコミュニケーション能力を磨く書籍。 「女性の心を確実に掴むには?」 「印象に残るアプローチ法とは」 「気になるあの人の性格って?」 「女性が求めていることがわかる」。 自分の本質を知り自らを改革することで自信をつけ、他者とのコミュニケーションの楽しさを知るきっかけに。 【1章】推命は統計学や行動学、人生哲学の要素がいっぱい 【2章】ポイントを突つけば、その人がモテ or 非モテかが わかる ! 【3章】相性占いなんてナンセンス。生年月日時だけではま ずわからない 【4章】異性との「お付き合い」。実は5つのパターンに 絞られる 【5章】過去の失敗を徹底的に分析すれば、モテ交際へ転換 できる 【6章】実践 ! 自分と相手のエロ度判断で求愛行動力が 積極的になる 【著 者】石川 円華 【予 価】1200円(税別) #デキる男の四柱推命 #オトコの四柱推命 #ベストブック #四柱推命 #エロ四柱推命 #石川円華 #円華流四柱推命 ☆☆☆ #オトコの四柱推命 #恋愛番長 #MADokA ********************************** 【モテる男の四柱推命 著者“恋愛番長” エロ四柱推命鑑定師】 石川円華 60分10000円~ 独自に研究した四柱推命鑑定。 横浜、新百合ヶ丘で鑑定しています。 お申し込みはメッセからお願いいたします。 ≪Facebookページ≫ OWN Road - オウンロード~四柱推命教室と陰陽五行によるセッション~ https://www.facebook.com/ownroad33/ 不定期に「四柱推命と“まどか”」コラム書きます☆ ≪アメブロ≫ 「まろやかにはなのように生きる秘訣」 http://ameblo.jp/sakurakana33 ≪HP≫ http://madokaownroad.wix.com/madoka ≪instagram≫ https://www.instagram.com/madokaishikawa/ ≪Twitter≫ https://twitter.com/sakurakana33 フォローやお友達申請、大歓迎です! (Facebookのお友達、もうすぐ5000人です。 Facebookはフォローでお願いいたします) (住吉町入船通り祭り)
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「消滅可能性」744自治体 人口戦��会議 239自治体が脱却 / 日本農業新聞
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ちょっと学生時代のレポート課題のテキストを載せてみます。
...
アセンブルデザインB II エディトリアルデザ��ン レポート
7P168806-6 唐澤 徹
●企画内容
・タイトル:『詩と建築』
・企画趣旨:建築と詩の連関を考える。建築が詩的である状態とはどのようなものかを考察する。
・企画概要:建築においても存在する詩学の構造を、詩作品の分析などにより一般性をもったかたちで言述する。詩学をその原義である「ポイエーシス」と定義し、人間の制作行為一般の方法論と技術論をその問題とする。ここでは詩と建築との関連の深い音楽の分野も考察の対象とする。
・仮コンテンツ:①詩における建築、②詩的構造についての考察、③建築における詩、の章構成
①
・コンクリート・ポエトリー
Eugen Gomringer、新国誠一、etc.
言葉を重ねて世界を作る詩にあって、コンクリートポエトリーは図(figure)=meaningとなっている。それはスイス派などのグラフィックデザインともつながるのだが、建築で詩を成すことのヒントとなるものがあると考える。
・北園克衛
言葉のオブジェクト性。写真で記録のあるオブジェのシリーズである「プラスティック・ポエム」も彼の詩学であるideo plasiticyも、言葉に物性を感じ取っていたことが読み取れる。
・William Carlos Williams の即物性・簡潔性
・中国の詠物詩
物の観察と形式化についての問題系。言葉が物にどのようにしみこむか、物に言葉がどのようにしみこむかの考察。
・鈴木正美『言葉の建築術—マンデリシュターム研究—』の参照
オシップ・マンデリシュタームは詩を建築になぞらえて詩作していた。
②
・入沢康夫『詩的構造についての覚書』
・北川透『詩的レトリック入門』
・マックス・ベンゼ『情報美学入門』
・リー・ウーファン『余白の芸術』
・Y・トゥイニャーノフ『詩的言語とはなにか』
・ハイデガー『詩人のように人間は住まう』、『建てる・住む・考える』
・レヴィナス『全体性と無限』のなかで家の女性性について書いているところ
etc.etc.を参照しながら詩の構造性についての定義をする。
③
建築における語り得ないもの=詩美 を語る。語り得ないものの前で沈黙するその先にあるのが詩であるから、(語り得ないものを語ろうとするとさらに語り得ないもの=詩美がでてくる。それは線形的には捉えられない。)建築における詩美とはその建築を成り立たせている形式のまわりの付随するコノテーション、レトラクトであることになる(という予想。)概念的近傍。コンクリートや木や金属の素材が、密実な物質の組成でなりたっているということがその近傍系(温度、質感、音の響き)をつくっているように、またはプランニングや構成や寸法の決定が、構成の息や見えや居心地をつくっているように。ひとつの言葉には概念的近傍(概念的レトラクト)があるように、身体にも身体的近傍(身体的レトラクト)があり、両者は写像関係にあるが、言葉と身体のどちらが先かと言えば身体である。しかし言葉などの外在物が身体を訓育することは確か。言葉が認識の構造のきっかけとなっているのは確か。ゆえに、言葉と身体の問題へと遡ることで能く建築の詩について語れるかもしれない。
・コルビュジェ、オーギュスト・ペレ、スカルパetc.諸建築家たちの詩への言及についての考察
・韻律と数
・数比と詩と音楽と建築
・身体的な数=リズムについて
・詩を書く建築家について(ジョン・ヘイダック、立原道造 etc.)
・詩の空間性
●ブックデザイン
・判型:A5判
・頁数:300p
...
レポート
アセンブルデザインⅡA 赤坂喜顕校長
唐澤徹
朽ちた舟を描いた素描。あのリリシズムは何かな、と考えました。それで思い至ったのが、舟とは、境(しきい)への意志であるということです。それはつまり、生成のあわい=波打際=poieisへの意志だと思うのです。また、アーキタイプとしての舟のことも考えました。例えば、飛騨高山は古河町の、まつり会館に滞在したときのこと。古河町の祭りはユネスコに登録されており、その映像を見て、そのなかで、お神輿のシーンがありました。その担がれて人の波に揺れるお神輿を見たとき、ちょうど水面の波に揺れる舟のことを想起しました。古く日本へは舟で来た人々も多かったと思います。故にそのような渡来の舟の経験もお神輿という表現を産んだ素地ともなり得ているのではないかとも可能性として思いました。(そのように、ポイエーシスは人々の経験の血の流れの中に息づいているのだと思います。)また、病院の待合室で人々が並べられた長椅子に 並んで座っている様子を見たときにも舟を想起しました。そして、その病院では人々の眼差しのさきに窓があり、光があるのです。また、ヴェンダースによる『ベルリン・天使の詩( der Himmel uber Berlin )』の最後のシーンにおいて、ホメロスの名を冠された老詩人が「乗船完了」との言葉を発し映画は終わります。また、旧約聖書におけるノアの箱舟なども、元型的な舟の形象があります。また、今年の夏に滞在した高山建築学校において、友人になったご夫婦のお子さんと仲良くなり、その子が水盤に木の板を浮かべ、その上に石を乗せて人に見立て、航海の遊びを始めたのを一緒になって見ていたことがあります。そのことは何か感動的なものがありました。
また、赤坂先生の遍歴に思いを馳せました。卒制の敷地探しの旅において、本州の極北、シルクロードの最果てである津軽を選ばれたということには何か哀愁を感じます。日本海と交わる十三湖。雨の日は山の土の流れ込み色の変わるという。真珠貝の澄んだ色から血のような色まで、両義性をもつ十三湖。先生しか見ていない内面の風景の強度のことを思います。そして、その個人の中に宿る世界の強度が建築家としての強度なのだと思います。true architect はtrue poetであらねばならない。敷地はかつて栄えていた港町が風害により一夜にして廃墟となったところ。地震、雪、嵐、自然の威力の前の人の生の儚さ。その儚さに対する哀しみと慈愛の眼差し、そして<建築>の本懐たる、自然の猛威に対して確固たる生の基盤を打ち立てるという意志。last : 最後の・続く。これは私の常々思うところなのですが、デザインを志ざす者は人の弱さや悲しみに敏感でなければならないと考えます。私は建築デザインを通して世界をもっと優しく美しくしたい。
先生の卒業制作では、自然の生成変化するエネルギーと人間の作る絶対幾何学が主題です。コンセプトシートに記載されていた渦のイメージ。「vortex・渦」とは中心を持つエネルギーの結節点です。例えば銀河も渦を巻きます。それはcosmosであり、建築も一つのコスモスであることは間違いありません。その秩序の求心性を流転しながらしているのが<自然>であり、固定性を持たせて作るのが人間によるものなのだと考えます。
『 last cosmos 』では、純粋幾何学の多層構造・同時表示・通態性が表現されています。そのような事象の重ね合わせとは詩であり、赤坂先生は建築で詩を志向しているのだと感じました。また、それが意識的なのか意識的でないのかに関わらず、何か美しいものを作ろうとする人は、それぞれの独自の言語で<詩>をしようとしている、と思います。
NIAローマ・コンペ
西洋古典建築の語法であるパースペクティブの異化と詩的統合をしていたのだなと感じました。ワイヤーというテンションの構法も、ヨーロッパの荷重の構法とコントラストを生み、異化効果を生んでいると思います。
成田山仏教研究所
イデアルなものと現実の建築物の関係。プログラム的な要請をコンセプトと構成の中に具現することがtrue conceptual architecture. “機能的なプログラムを、概念的な構成により秩序づけること”。その赤坂先生が仕事を取るまでのエピソードがものすごく格好良い。数ある人々がプレゼンして、おこられて帰ってきて皆ができないものを軽々とやってのけた。また、古い施設の中の子どもたちの来る図書館の機能を残していることがとても素晴らしい。新しい建築物の子ども図書室では子ども用に小さなソファをデザインしている。飛騨の古河の図書館を訪れたとき、そこのだれでもトイレに感動したことがあります。そこには、子ども用の小さなおまるがある。建築の女性性とは居を与えることだと思っています。居場所を与えること。座をあつらえること。新しい生命のためにその居場所を準備すること。生命がずっと続くように。(永遠ではなく、ずっと。「ずっと」には慎ましい祈りが込められています。)
R-竹中技術研究所
12mグリッド。カーンも採用していたというスケール。構成要素の接合部に立方体を配し、オブザベートリーな場を設ける。軸=眼差しの意志。直径153mの円が各プログラムを統合する。orchestaration = 統合のマニエラこそが建築術。
テクニカルなもの・マニエラへの態度
・バックマリオンとフロントマリオンを配することによるゆらぎ
・直行グリッドを避ける
・硬直性ではない「表情」や生命感。 村野藤吾先生からの教え
など、幾何学を用いながらゆらぎや多義性を志向している。硬直を避け、可能性を可能性のまま享受するという、吉田五十八建築の「いき」性とも通ずる。
ヴェンチューリ「安易な排除より困難な統合を」
両義性や反立物の統合、詩的多義。
詩とは現実の意味のmulti-meaning, parallel-meaning の言葉への写像である。
では、その言葉が物へと写像されたならば?そのとき建築物は詩と成り至る。
先生のミースへの理解
『柱』ギリシアから連なる古典的なオーダー それを消滅させたかった。しかしできなかった。「イカロスのような生き方、神へもっとも近づいた建築家」
バルセロナ・パヴィリオンにおいて
柱は見えない十字のグリッド。表層に見えて実体。対して、オニキスや乳白ガラスは強い物質性を持つが、それはストラクチェアではなく、記号的表層。バルセロナ〜においては十字柱の中央部のディテールはアールがついている。そこにおいてストラクチュアは実体だけどそう見えない、実体なのだが、表層にしか見えない。実体と表層が入り乱れている。実体と表層の通態的表示。コルビュジェのドミノよりも深くpoetic (=多義的、通態的)
テューゲントハット邸においては、十字柱の中央のディテールは直角。対して、角はアールがついている。それにより、柱は消えてゆく。ここでも十字柱は表層的実体であり、オニキスの壁は実体的表層である。柱は消えてゆくことを志向するが、バルセロナと異なり、その柱には求心性が与えられている。そこでもDaseinとAbwesenheitの、生成と消滅の通態的拮抗が生まれている。現実の多義性と通態性、可能世界の様相を一つの限定された形にするとき、絵画でも、写真でも映画でも、建築物でも、音楽でも、それは詩となる。詩こそが究極のリアリティの写しである。
ファンズワース邸
柱が外に付く。それは、内発の去勢。
ピエンツァ・トスカーナ ルネサンス
ピウス二世が理想都市として設計
逆パースと立体グリッド:床のペイヴのグリッドが立面に立ち上がる
ジュリアーノ・ロマーノの聖堂 均質空間 ガラスで風景に開く 閉じずに風景に開く
ペトラルカが眺望を得るために山に登ったが、ピウス二世ではバルコニーにより風景へ応答する。それ以外はプラトン的な作り方。
軸芯をずらす ゆらぎ
動きを作る テラーニ カサ・デル・ファッショ
柱間において、中と外で軸がずれる。運動、活性化、高等な頭脳を持ってして作られている。
韻律 abba シンメトリーを使いながらズレを重ねる。これはエストニアの作曲家アルヴォ・ペルトにも通じるものがある。
エストベリ ストックホルム市庁舎 軸のゆらぎによる「かるさ」。不安定の美。微妙なリズム、音のズレ。それがゆらぎあるハーモニーを生み出す。タクトゥスとリトゥムス。凍れる音楽。視覚的に音楽的な見えを作る。
アアルト 夏の家
天からの力によりバタフライルーフになっているが、屋根の谷とプランの軸がずれている。リビングの窓と炉との軸がずれている。
桂離宮 日本にも遠近法はあった。逆パース。軸のゆらぎ。
先生はそれらの歴史的読み込みとしてマニエラを発展させていった。
過去の人々がやらなかったことをどうやるか、がテーマだと先生はおっしゃりました。コルビュジェの「私の師は歴史である」との言葉を引用して。
オーディオテクニカHQ
コルビュジェのドミノとシトロエンの統合
軸組空間(=柱空間 そこに壁を自由に入れてゆく) と壁式空間(=両サイドに壁、その間に床を自由に入れてゆく)
コルビュジェはラトゥーレットにおいてドミノとシトロエンの並置をした。しかしここではmixされていない。
オーディオテクニカHQでは、プレキャストの壁は実体に見えて仕上げ。ストラクチュアは内部の柱。柱は表層に見えてストラクチュア(=実体)コールハースは、構法が変わると表層と実体の関係も変わってくると理解している。モビーディックのモチーフ。親クジラ、子クジラ
研究棟と事務棟で床レベルがずれている スキップフロア
コーナーが閉じるのを避けている、サイドコアウォール ブリッジコアは浮いている、
消防の進入口などの要請もデザインとして解いている
ギル 風、光 ルイス・カーン 重くなるのを避けるため、直行グリッドを避けている
開講のプロポーションは高さ1800mmで、これは京都の角屋のものである
知性と教養の豊穣こそが幸福な建築を作るのだと確信しました。
...
レポート
アセンブルデザインⅡA 講師:保坂猛 先生
唐澤徹
光について。
建築家には、それぞれの光についての認識があるように思われます。ルイス・カーンには光と物質の形而上学があり、それは作品をみるとその形而上学が、ある真実を掴んでいるということを思わせます。ピーター・ズントーもエッセイの中で光について書いています。光はその場所の感情に大きな影響を与えます。『オランダの光』という、オランダの光と美術にまつわるDVDを観たことがあります。そこでは、フェルメールやレンブランドの絵画など、その地域で人々により作り出された形が、その土地の光と大いに関係があることが美しくまとめられていました。人と同じように光もその土地に生きていて、人々により呼吸されているのだなということを感じました。そして、人が人に影響を与えるように、光はもっと無辺に人々に影響を与えているのであろうとも思いました。過去に、保坂先生に「先生にとって光とはなんですか」とたずねたら「光とは愛です」とお答えいただきました。そのこたえはとても先生らしく美しく、心に残りました。そのことから、世界の事象は人の言葉ではない何らかのテクストであり、それは人の言葉に翻訳可能なのかもしれない、との直感を得ました。しかもそれは科学の分析的な言語ではなく、詩のような感覚で。
世界モデルについて。
人のつくりだす形は、すべてなんらかの世界認識の表出であると思われます。その点で建築の魅力を決定するのは、設計者の世界への感覚・感受性であるのだと思います。先生の『love house』設計時の創世記と敷地条件に即したドローイングは、最もミニマルな世界モデルであり、<世界>の感覚を感じます。世界モデルとは、形而上的な意味での<構造>のあることであると考えます。
箱庭療法において作成される「箱庭」も作成者の世界モデルであり、世界への認識の投影です。そのようなことから、この世界はつくられてはまたこわされる神さまの箱庭なのではないかな、とも想像したことがあります。
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箱庭
人の世界は神さまの箱庭
砂を あつめ くずし
永遠の者の
時へのたわむれ
神さまには本当に名前がなくて
それでも
それゆえ
皆
知らずのうちに知っている
不在ゆえの遍在を
名のなきゆえの
すべてであることを
世界の
内と外とを照らす
���、
速力。
有限と無限をつなぐもの
言葉、
一つの。
...
レポート
アセンブルデザインⅡB 講師:前田圭介さん
唐澤徹
講義を受けて、前田さんの、自らの生まれ育った土地やそこから派生してゆくインターローカルなあり方に共感しました。ノマディックな無名の都市生活者になることも魅力的ですが、やはり自らの生まれ育った土地や、そこで過去を暮らしてきた人々の記憶に根ざすことは建築家にとり大きな力になります。私は群馬県の渋川市(旧小野上村)出身で、たまに実家に帰ると都心では見られない山々の風景や綺麗な空が印象的です。ジェネリックなアーバニズムにより引き起こされるのは風景の無個性化であると考えているのですが、地方までもがそのような都市の原理により構築されてゆくのは仕方がないのかなとも思いつつも歯がゆいです。最近、実家近所で高架道路の建設が進んでいます。現場作業中に大規模な遺跡が見つかったのですが、記録だけのこして場所の現物はそのまま橋脚の下に埋められていきました。
人々の集合の原理には多くの種類があるべきであると思います。風土が違えば人々の見てきた風景も違うのですし、ゆえに考え方や文化も異なります。ゆえにそれらの微差をひとつの原理で覆うことは暴力でもあり得ます。その問題を考えるには歴史のプロセスのすべてをなぞり、それぞれの良い面、悪い面を考えるべきなのでしょう。その点で「モダニズム・近代」とは熟慮すべきものなのでしょう。モダニズムとは、インターナショナルスタイルとも繋がるように、世界のユニヴァーサルなスタンダードを用意したとも思えます。そのような共通言語を用意したために世界でスムースなコミュニケーションが取れるようになったとも思えます。主要な大学の建築教育は、ほとんどがモダニズムの系譜においてなされてきました。しかし、それは世界のあり方のいくつもの可能性の芽を摘み取っていることになっているように感じられます。
そこには美学や倫理などの建築にとってのアルターエゴが介入しなければいけないのではないかと考えています。しかもそれは、日本的な混交的ハイブリッドなものであって然るべきなのだと思います。さらに個人的には、暮らしのなかで培われた身体の知性が重要なものになるのではないかと考えています。たとえばある地域で了承されるデザインにはその地域に必然的なデザインのフォーム・身振りがあります。それは普遍化できないし、完全に言語化もできない。空間のプレゼンスで示すしかないのでしょう。
空間のプレゼンスに関して、建築の公共性について考えさせられました。『群峰の森』の完成により、前面道路が気持ちの良いジョギングコースになったり、『アトリエ・ビスクドール』では、外庭が完全に閉じず、外部からは緑の足元が見え、かつ内部からは外部の視線は遮り、足元から外部の気配を感じるというように、大々的にコミュニティを謳う設計とは異なる共同性の在り方が感じられました。その点から、それだけ建築物がまわりの環境に影響を与えるということであり、それゆえに建築家には世界をより美しくしうる可能性と、同様にその責任があるのだなと思いました。
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レポート
アセンブルデザインⅡA 講師:奥山信一さん
唐澤徹
<アーキテクチュア>、<建築>の概念について考えさせられた講義でした。ルイス・カーンが「建築作品は<建築>のスピリットへの捧げ物である」と述べるように、それは私たちの日々の健闘によりその円周を広げてゆくものなのでしょう。ArchitectureとはArche(始原、原理)の意味も含まれるゆえ、その起源にひと連なりであることが建築作品のオーセンティシティであるのでしょう。そのことは磯崎新氏も論考を書いており、西洋建築においてはルネサンス期におけるパルテノンの廃墟や日本においてはイセなど。(氏はイセにおいては始原が虚体であると捉えたようですが。)サマーソンが古典主義建築とモダニズムの関連を問うたのもそのような、オーセンティシティの意識からなのでしょう。しかし、私にはそのような意識がノルム・規範となることはすこし怖いことのように思えます。世界とは混交によるハイブリッドです。それは文化的にも技術的にもそうですし、一絡げにひとつの原理でまとめることは到底できることではない。
現在の建築教育の現場のほとんどはモダニズムの流れを汲んでいます。しかし、風土はそのモダニズムをきちんと身体化できているのかどうか疑問です。産業の機械化に端を発するモダニズムは資本主義とあいまり、現代では、資本の増殖に付和雷同する建設のあり方はほとんど都市化と同義になっています。そのような単一の原理が世界を覆うことは先が無いと思えます。わたしはアルヴァ・アアルトに共感を覚えるのですが、そのひとつにローカリティの問題があります。近代建築運動の興ったドイツやフランスと比べれば、ヨーロッパの辺境であった場所で独自にモダニティを変質させ、特別なものを彼が作ったことはとても意義深いものであると思います。地域性の問題に関して、現代ではレム・コールハースは、ルーラルなものまでも都市の論理で構築されていくことに異を唱えています。また、中国のWang Shuは中国の地方の開発を評して、「都市の原理と土地の原理と、これらまったく別の世界が存在している」と述べています。合理性ということばがありますが、その合理性が水の合理性や土の合理性、火の合理性や風の合理性など、自然の合理性に適うとき、初めてひとは世界と軋轢を生まずに生きられるのではないかと思います。わたしは都市化とほぼ同義である資本の増殖に付和雷同する建設のあり方に疑問を抱きます。もちろん経済合理性は無視できません。しかし問題はその論理が何を則・倫理とするかということです。経済とは貨幣の交換により共同性を築くことであると理解しています。それはちょうど生態系のようなものであるとも思います。のようなもの、というより、人類が資源とエネルギーを自然から得ているがゆえに生態系の在り方の一形態なのだろうと思います。ゆえにその則・倫理を自然に求めるのが地球上の生物の一員である人間にとってふさわしいのでしょう。自然の秩序世界でおもしろい点は、単純な要素やルールにより複雑で多様な豊かさがうまれているところです。建築の在り方についての価値観もそのように多様であってもよいのではないかとも思います。それは建築教育の現場にこそあってほしいものに思えます。
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レポート
アセンブルデザインⅡB 講師:田中隆吉さん
唐澤徹
ホテルのホスピタリティについて。
ホテルとは旅が関連する。旅と聞くとボードレールの詩を思い出す。
地図と版画が好きな少年にとって
世界は格好の好奇心の的だ
ランプの光の中では大きく見え
記憶の目には小さく見える
ある朝我らは船出する 頭をほてらせ
心中には憤怒と 苦い欲望を抱きながら
波の脈動にまたがって我らは進む
有限な海の上で無限の思いを揺らめかせつつ
ある者は忌まわしい故郷を捨てることを喜び
ある者は恐ろしい親から逃れることを喜ぶ
またある者は星占いをしながら女の目の前で溺れ
外の者は危険な匂いを立てるキルケを演ずる
豚に変えられてしまわないように みな
空間と光と燃えさかる大気の中に飛び出す
氷にかじられ 太陽に焼かれ
接吻のあとも次第に消える
だが本当の旅人とは旅のために旅する人
心も軽く 風船のように
旅の行き先などとんと無頓着で
わけもなくただいうのだ 進んでいこうと
欲望をむき出しにして 移ろいやすく
不確かだがすさまじい快楽を夢見る
まるで戒律を書き集めるかのように
そんな人間を何と呼んだらいいか 誰も知らない
すさまじい詩である。この詩を最終詩とした『悪の華』は、冒頭の詩で近代人への冷笑的で皮肉な眼差しが向けられている。現代の日常を暮らす私たちが、もしこの『旅』で描かれているような存在だとしたらなんとおそろしいことであろうか。しかしあながち間違いでないことは、ハワイや東南アジアの美しい海がリゾートホテルの客などによるゴミで埋め尽くされている様をみれば理解できる。ちなみに『悪の華』の冒頭の詩はこうである。
読者に
愚行と 過失<あやまち>と 罪過<つみ>と 吝嗇とが
われらが精神を領し 肉体を蝕みて
乞食どもが虱を養うがさまにも似て
われらは心地よき悔恨を肥え太らす
われらが罪過は斥け難く 悔恨は揺らぎ易い
告解により罪の報いは贖われて余りあると慢心し
卑しき涙に一切の穢れを洗い流したものと妄信し
われらは嬉々として汚泥に塗れし道へと舞い戻る
悪の枕辺に現れし者はサタン・トリスメジストス<悪霊の頭たる錬金術神>
魅入られしわれらの精神を緩やかに眠りへと誘う
そしてわれらが意志という名のこの貴き金属さえ
この博識の化学者の手によりことごとく煙と化す
われらを踊らす操りの糸を握る者こそ��悪魔!
忌まわしきもののうちにわれらは魅力を見出して
腐臭漂える暗黒のうちを恐れも知らず横切りては
われらは日ごと地獄の方へと一歩ずつ堕ちてゆく
喩えるなら年老いた娼婦の打ち拉がれし乳房へと
接吻<くちづけ>ては齧りつく貧しき放蕩者にも似て
われらは道すがら人知れず快楽を盗んでは
古びた香橙<オレンジ>を搾るがごとく 力を込め搾り尽くす
われらが頽廃の脳髄のうちに巣食う悪霊の群れは
数知れぬ蛔蟲のごとく 蠢き 歌い 酒宴に興じ
われらが息をつくたび 死は大河のごとく
鈍い嘆きの声とともに肺腑へと流れ落ちる
強姦 毒薬 短刀 放火が
われらが憐れむべき運命というこの陳腐なカンヴァス<画布>を
いまだそれらの愉快なる図柄もて飾りえぬならば
悲しいかな! それはわれらが魂の怯惰のゆえだ
だが ジャッカル<金狼>や豹 牝狼に猿
蠍に禿鷹 また蛇にも似た
われらが悪徳の群れ集う忌まわしき見世物小屋の
啼き 吼え 唸り 這いまわる怪物どものうちに
ひときわ醜悪にして 悪意に充ち 不浄なる者がある!
それは大仰な身振りもせず 大きな声も立てはせぬが
ややもすればこの地上を廃墟と化すやもしれず
欠伸<あくび>のうちにこの世界を呑み尽くすやもしれぬ
それこそが倦怠!ーー眼には心ならぬ涙を泛べ
長き煙管を燻らせながら 断頭台の夢を見る者
ご存知であろう 読者よ この気難しき怪物を
ーー偽善の読者よ ーーわが同胞よ ーーわが兄弟よ!
「ホテルは貧乏人には設計できない」と、ある建築家が言ったと赤坂校長は述べた。それならばわたしはそのような生まれでは無いのでホテルを設計することはできないだろう。
われらを踊らす操りの糸を握る者こそは悪魔!
忌まわしきもののうちにわれらは魅力を見出して
腐臭漂える暗黒のうちを恐れも知らず横切りては
われらは日ごと地獄の方へと一歩ずつ堕ちてゆく
私は世界がさらなる地獄にならないように努力するのみだ。
…とまあ、そのように腐ることもないのだろう。世界の良い側面を見てみる。
飛騨市古川町に滞在した時に宿泊した小さめのホテル(飛騨ともえホテル)は、豪華ではないがあたたかな真心がはしばしに感じられた。その夜は高山建築学校のサマースクールを終えてどろどろに疲れていた。しかも滞在していた古民家を改築した校舎は風呂のシャワーがなく、共同生活ゆえに湯船につかるのも制限されていた。そのうえ日々の制作の肉体労働により体は筋肉痛。そんななかで、いままで日常の生活であたりまえに使っていたシャワーや湯船、そして柔らかなベッドは、なんの変哲も無いものであったが心身にしみいるものがあった。そして、簡素だがとても居心地の良い部屋の大きさで、また、窓からは山々が見え、とても素晴らしいものだった。朝食にも細やかな心配りが感じられた。一人用の小さな座敷に通され、小鉢がたくさんのもので、全体の量も多すぎず少なすぎずちょうどよかった。それと宿の方々も良い距離感で押し付けがましくなく、好感を持った。ツイン6000円くらいの廉価な宿であったが、とても満足して後にした。
ホテルとは旅と関連があり、それゆえに日々を過ごす土地とは別の文化や空気感を味わう貴重な機会を提供する場所である。また、自らと同じく旅で訪れた人々との交流も魅力的なものだろう。飛騨ともえホテル滞在時には、宿泊客とは話すことはなかったが、そこを拠点に古川の町を散策し、和ろうそくの職人さんの話を聞いたり、写真館を訪れて話を聞いてみたりした。古川の町の方々はやわらかでやさしく、なるほど、美しい景色のなかに住まうのならば心まで美しくなるのだな、と感じた。心が美しく澄めば、その人の手により作られる形も自ずと美しくなるだろう。
飛騨の空は澄んだ光で満ちていた。
ピーター・ズントー の、スイスの山の小さなホテルについての記述には人間の優しさを信じたくなるような美しい親密さを感じさせる。そこでは食事を準備するにおいや、空間のなかでのひとびとの親密な会話や、または山の新鮮な空気を感じさせる。
私の生まれは群馬県の渋川市(旧小野上村)であり、温泉地が多くある。四万温泉は穴場の温泉街であり、旅館「たむら」はその土地の古い旅館である。そこには何度か宿泊したことがあるが、岩風呂の温泉が素晴らしい。土地も山間にあり静けさに満ちている。
私の実家のある土地にも小野上温泉という名の温泉があり、また「サンおのがみ」というホテルもある。しかしそのホテルはよくデザインされているとは言い難い。また、小野上温泉の浴場も、渋川市への合併により、無機的な「施設」になってしまった。以前は野趣あふれる岩風呂の作りで、素材感もよく情緒もあった。幼い頃には祖父と毎日のように通っていた。そのような思い出と愛着のあった場所がジェネリックな場所になってしまったのはとても悲しい。それがかつて指摘されていたフラット化してゆく世界であったのだろうが、現在、世界のモメントはギャップや差異の時代になろうとしているように感じられる。差異の認識とは発見のことであり、その需要はなにかを学ぶということである。建築も、そのように、土地土地の文化や風土の微差に敏感であることが求められるだろう。それは旅というもの、つまり差異の只中へ飛び込むことを受け入れるホテル・宿というものにこそおおきく当てはまるだろう。
...
memo:
多摩美の久保田晃宏先生の授業で地球外知性のために何かをせよ、といわれたので詩をつくることにしました。考察です。
......
地球外知性のための詩について
地球外知性のための、詩という有意な構造性をもつまとまり・objectを考えるときに、問題となるのがmediumである。ピクトグラムをミニマルに人工的に設計し、コード変換して文字をつくることや、直接に音や電磁波のコードを用いることが考えられる。または、宇宙にあまねく存在する原子(水素か?)または、、否、情報を担うものとしてのピュリティがなくてはならない。
メディアはそれらを用いるとして、<詩>を成り立てせている条件を考えなくてはいけない。まず、poetryにはRaumがある。独自の時空間が包含されている。それは、poetryとcognitive structureの相互包摂により生じる。メディウムによらず詩を考えるとなると、それは<詩についての詩的発意> = poetry of poetryとなる。poetryから偶発的事象をとりのぞき(それこそがpoetryの生命でもあるのだが。弱い構造、イマージュ、生命、息吹……)そのエッセンスをとりだすと、数学的構造(強い構造、骨格)、しかも、aritmos(数→韻律)とtopos(場→空間)となる。
定義1.
詩=韻律性(rithmus)と空間性(topos)によるピュアなオブジェクト
<ピュアな>にも色々とある。
・アリストテリックな線形的論理 =意味
・散逸系 ref.マラルメ
・多層構造 ref.ボードレール
これらは数・要素同士の関係性(トポロジー、論理学、様相論理学)へと接続するのではないか。———---structure
<ピュアな>という言明は様態(mode)のことであり、今作品では定義1の構造性における主題と変奏となるというわけだ。
modes
詩とはレタス(襞構造)
詩とは髪をすりぬけるシャワーの水(fluidality)
詩とはタオル(envelope)
詩とは仄暗い部屋(topos)
詩とは光の当たるカーテン(多層・重曹・複層)
詩とは抱きしめ合うこと(emotion)
詩とはみつめあうこと(指向性)
結び目(サントーム)
・
・
・
こうして<生のすべてが詩>となるわけだ。(生のすべて=現実の事象の構造性)
それら現実のmode 様態の抽象的記述は音楽のpoeticsへも接続する。音楽の構造とは、人間の聴構造etc.の身体構造により規定された美的構造である。
(美的、とは快原則に響くものであるとする)
(その快原則にも作用機序があり、)
(多くの上部構造が次々に現れてくる)
空間とは視覚、身体の動き、聴覚により定位される(ref.VR)
オルゴール、ピアノシート、パンチカード(コンピューティングにおける)
は今作品のモデルになりそうだ。線形的構造(共時的構造ですら通常の意識様態においては線型性におとしこまなければならない)
<目的>に人類という存在の知的レベルを示す、とするならば、人類による<観察>というアティテュードを詩により示すのがよいだろう。観察と分析と制作(compose,construction)というものは物質的存在��精神的存在という複層的なあり方をするひとをよく表し得ている。レオナルドが自然を観察し、スケッチしたように、自然の物理的構造性を象徴化してサントーム(=結び目)をつくり=詩化、それを作品とする。それは詩において図象と音楽が構造的に重なり合うばしょである。(コンクリートポエトリー的でもある。)
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けど、ここまでかんがえてきてパッと『蝶がとまる詩』ってちょううつくしいのでは、とおもい、それを設計して提出することにします。詩は詩で書いてインク印刷して、そこに紫外線塗料で花のような求心的な絵をかいて、というもの。蝶は人間外知性、ってことで。
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『蝶のとまる詩』
弱くやわらかな花
羽根
はかなきうつくしさは
はかなきうつくしさと結ぼるる
光に透ける花弁の
薄くまとわる微風の層に
透きとおる羽根の
紋様がかさなる
そのひととき
世界は黙して
眼差しをそそぐ
甘やかな密約により
結ばれた
ひとつの結ぼれに
...
アセンブルデザイン1B (講師:東京R不動産 林先生) レポート
7P168806-6 唐澤 徹
この授業では、不動産という今までの私にとり建築設計の前・もしくは後の段階での取引を扱う営みであったものが、積極的な価値の創造を生みうるのだということを気付かされた。それらを特にあげるとすれば、
・価格や投資と賃料などの不動産的視点からデザインの提案をできること
・デザインの価値から不動産の価格を設定できること。
・情報デザインとリフレーミングにより潜在的な顧客を顕在化させること。
・社会問題を経済的なロジックでもって解いて、美しく組み直してゆくこと。
などである。その中でも特に建築的営みと経済の関係について考えるところが多かったので以下に書きたく思う。
実践において経済的な采配を取ることは、人々の生活をニュートラルに設計してゆくことに有効
である。しかし、私はそれはあくまでも手段だ(であってほしい)と考える。人々の暮らしの風景は、その共同体の成員の間のコモンセンスにより決定される。東京の風景が賃料によって決定されるというのはある側面では真実かもしれなく、例えばヨーロッパにおける文化的ナラティヴのような共通の物語を資本主義の中での消費に見出しているきらいがあるという点に尽きるだろう。(もちろんそれだけが共通の物語ではない。)
私たち個人は衰え死んでゆく。しかし人々の共同体はそうではない。ただし、それが私たち一人一人の死の絶対性を理解した上で、かつ私たちの生存の基本的な条件を把握した限りにおいてである。そして、その共同体の新陳代謝を司るのが経済活動である。私は、建築は社会正義として実践されるべきであるという立場をとる。そして、建築物は資産であるゆえに経済性とは切りはなして考えることはできないだろう。しかし、建築には経済性を超え、固有資産性を超えた共同性を獲得してほしいと強く願う。そこには生の詩が必要である。実存の感受・リアリティの濃縮である詩の感覚は、個の死の限界の中での有限の生のかけがえなさと、個の限界を超えた永遠への予感と憧れを呼び起こし、それにより駆動された経済は人々の生活を美しいものにする。要約するならば human wellbeing 幸福 のために建築的営為はなされるべきであろう。
ヴィム・ヴェンダース『ベルリン天使の詩』の中で、ホメロスの名を冠された老詩人は”人々は平和の叙事詩を歌うことを忘れてしまった”と述べる。人類の共通の物語、それは喜びの叙事詩となるものであるはずだ。
そのためにも王道の建築学が求められる。アルヴァ・アアルトは、「建築学とは人間の営みの全てを含んでいる」と述べている。新しいリアリティ、新しい美、人類学的な感受性、など、広範な関心を持ち適切な範囲での美的実践をなしていきたいと思う。
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各地句会報
花鳥誌 令和5年7月号
坊城俊樹選
栗林圭魚選 岡田順子選
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令和5年4月1日 零の会 坊城俊樹選 特選句
一葉の家へ霞の階を きみよ 春昼や質屋の硝子なないろに 小鳥 伊勢屋質店今生の花とほく 光子 菊坂に豆煎る音や花の昼 和子 一葉の質屋は鎖して春の闇 はるか 本郷の亀を鳴かせて露地住ひ 順子 おかめ蕎麦小声で頼み万愚節 いづみ 文士らの騒めきとすれ違ふ春 三郎 一葉を待つ一滴の春の水 光子 物干に如雨露干したり路地の春 和子
岡田順子選 特選句
一葉の家へ霞の階を きみよ 金魚坂狭め遅日の笊洗ふ 千種 菊坂の底ひの春の空小さし 光子 坂の名のみな懐かしき日永かな 要 赤貧の欠片も少し春の土 いづみ 本郷の間借りの部屋の猫の妻 同 質店の中より子規の春の咳 俊樹 止宿者の碑のみ残すや蝶の舞 眞理子 本郷の北窓開く古本屋 きみよ かぎろひの街をはみ出す観覧車 いづみ
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年4月1日 色鳥句会 坊城俊樹選 特選句
花冷の背後より声掛けらるる 美穂 幾年も陽炎追ひて遊びけり 散太郎 濃きほどに影のやうなる菫かな 睦子 化粧水ほどの湿りや春の土 成子 画布を抱き春の時雨を戻りけり かおり 昼月は遠く遠くへ花満開 愛 シャボン玉の吹雪や少女手妻めく 勝利 麗かや砂金三つ四つ指の先 睦子 成り行きの人生かとも半仙戯 朝子 鞦韆の羽ばたかずまた留まらず 睦子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年4月3日 花鳥さざれ会 坊城俊樹選 特選句
花吹雪卍色と云ふが今 雪 花冷に後姿の観世音 同 そぼ降りてひと夜の契り花の雨 笑 観世音御手にこぼるる花の寺 同 お精舎やこの世忘れて糸桜 啓子 逝きし友逢へないままに朦月 同 裏木戸を開ければそこに花吹雪 泰俊 御仏と咲き満つ花の句座に入る 希 愛子忌や墓にたむけの落椿 匠
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年4月5日 立待花鳥俳句会 坊城俊樹選 特選句
縋りつく女心や桃の花 世詩明 肌寒く母の手紙はひらがなぞ 同 啓蟄や鍬突き立てし小百姓 同 日野河原菜花の香る祭りかな ただし 菜の花や石田渡しの蘇る 同 雛祭ちらしずしそへ甘納豆 輝一 ぽつたりと落ちて音なき大椿 清女 花吹雪路面電車の停車駅 同 大拙館椿一輪のみの床 洋子 花の山遠く越前富士を抱く 同 吉野山日は傾きて夕桜 誠
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年4月6日 うづら三日の月 坊城俊樹選 特選句
花の下天をを仰げば独り占め さとみ 春陰やおのが心のうつろひも 都 春耕や眠りたる物掘り起す 同 左手の指輪のくびれ花の冷え 同 園児等のお唄そろはず山笑ふ 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年4月8日 枡形句会 栗林圭魚選 特選句
膝をまだ崩せずにをり桜餅 秋尚 登り来て本丸跡や花は葉に 百合子 葉脈のかをり弾けて桜餅 同 桜餅祖母の遺せし会津塗り ゆう子 売り声も色つややかに桜餅 幸子 木洩日の濡れてゐるやう柿若葉 三無 春愁や集ふふる里母忌日 多美女 伍しゐても古草の彩くすみをり 三無
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年4月10日 武生花鳥俳句会 坊城俊樹選 特選句
心経をとなへ毛虫に火をはなつ 昭子 マンホール蓋の窪みに花の屑 昭子 栄螺売潮の香りを置いてゆく 三四郎 金の蕊光る夕月てふ椿 時江 禅寺の読経流るる花筏 ただし 若者の髭に勢や麦青む みす枝 龍が吐く長命水の春を汲む 三四郎 花吹雪受けんと子等の手足舞ふ みす枝 土器の瓢の町や陽炎へり ただし 海遠く茜空背に鳥帰る 三四郎 紅梅のことほぐやうに枝広げ 時江
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年4月10日 なかみち句会 栗林圭魚選 特選句
片棒を担いでをりぬ四月馬鹿 三無 薬草園とふ門古りて松の花 和魚 だんだんと声ふくらみて四月馬鹿 美貴 四月馬鹿言つて言はれて生きてをり 和魚 松の花表札今も夫の居て 三無 白状は昼過ぎからや四月馬鹿 のりこ 一の鳥居までの大路や松の花 秋尚 松の花昏き玄関応へなく 美貴
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年4月11日 萩花鳥会
京よりの生麸草餅薄茶席 祐 不帰のヘリ御霊をおくる花筏 健雄 ただ一本ミドリヨシノの世界あり 恒雄 堂々と桜見下ろす二層門 俊文 猫に愚痴聞かせて淋し春の宵 ゆかり 杵つきの草餅が好きばあちやん子 美惠子
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令和5年4月13日 鳥取花鳥会 岡田順子選 特選句
便り待つポストをリラの房覆ふ 栄子 畑打つや鍬を担ひし西明り 宇太郎 軒下の汚れし朝や燕来る 都 桜蕊降る藩廟の染まるまで 美智子 桜蕊降るももいろの雨が降る 悦子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年4月16日 伊藤柏翠記念館句会 坊城俊樹選 特選句
何氣なく来て何気なく咲く花に 雪 神御座す杜の新樹に聞く鳥語 かづを 老の踏むひとりの音や落椿 ただし 野辺送り喪服の背に花の蕊 嘉和 夜ざくらのぼんぼり明り水あかり 賢一 喝采の微風を受けて花は葉に 真喜栄 生きる恋はぜる恋ととや猫の妻 世詩明 葉ざくらに隠されてゐる忠魂碑 同 眩しさを残して花は葉となれり かづを
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年4月16日 風月句会 坊城俊樹選 特選句
極大と極小としやぼん玉宙へ 要 穴出でし蟻の列追ふ園児どち 経彦 頰をつく石仏の春愁 貴薫 酸模を噛む少年の今は無く 要 稲毛山廣福密寺百千鳥 同 瑠璃色を散らし胡蝶の羽ばたきぬ 久 春陰の如意輪仏へ女坂 慶月 棕櫚の花年尾の句碑に問ひかくる 幸風 朴の花仏顔して天にあり 三無
栗林圭魚選 特選句
蝌蚪の群突くひとさし指の影 千種 峠道囀り交はす声響き ます江 美術館三角屋根に藤懸かる 久子 こんもりと句碑へ映るも若葉かな 慶月 微かなる香りや雨後の八重桜 貴薫 朝の日に濃淡重ね若楓 秋尚 落ちてなほ紅色失せぬ藪椿 経彦
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年4月19日 さくら花鳥会 岡田順子選 特選句
通勤のバスから見ゆる日々の花 あけみ 花馬酔木白き房揺れ兄の家 令子 亡き鳥をチューリップ添へ送りけり 光子 偲ぶ日の重く出たるや春の月 令子 あの頃の記憶辿って桜散る 美加
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年4月19日 福井花鳥会 坊城俊樹選 特選句
矢車の音きしみ合ふ幟竿 世詩明 風よりも大きく揺れて糸柳 啓子 花万朶この世忘れて花の下 同 あたたかやお守りはねるランドセル 同 甘き香の女ごころや桜餅 千加江 春場所や贔屓の力���背に砂 令子 落椿掃きゐてふつと愛子忌と 清女 春の虹待ちて河口に愛子の忌 笑子 散りそめし花の余韻も愛子の忌 同 城の濠指呼の先には花の渦 和子 花筏哲学の道清めたる 隆司 故郷の深き眠りや花の雨 泰俊 山道の明るさを増す百千鳥 同 ほころびて色つぽくなり紫木蓮 数幸 花桃に出迎へられて左内像 同 瞬きは空の青さよ犬ふぐり 雪
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年4月21日 鯖江花鳥句会 坊城俊樹選 特選句
忠直郷ゆかりの鬱金桜とぞ 雪 椿てふ呪縛の解けて落つ椿 同 春愁や言葉一つを呑み込んで 同 御襁褓取り駈け出す嬰や麦は穂に みす枝 鶯の機嫌良き日や鍬高く 同 ただならぬ人の世よそに蝌蚪の国 一涓 あの角を曲つてみたき春の宵 日登美 春の果次も女に生れたし 世詩明
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年4月21日 さきたま花鳥句会(四月二十一日)
清冽な水は山葵を磨き上げ 月惑 連写して柳絮の舞ふを収めけり 八草 天守閉ぢ黙す鯱鉾朧月 裕章 行き先は行きつく所柳絮飛ぶ 紀花 南無大師遍照金剛春の風 孝江 揚浜に春の虹立つ製塩所 とし江 柳絮飛ぶ二匹の亀の不動なり ふじ穂 筍堀り父編むいじこ背負ひ来て 康子 花吹雪ひと固まりの風の道 恵美子 満天星の花揺らしつつ風過ぎる 彩香 夢叶へ入学の地へ夜行バス 静子 啓蟄やピンポンパンの歌聞こゆ 良江
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令和5年4月23日 月例会 坊城俊樹選 特選句
真榊はあをばの中に立つてをり いづみ 水の上の空のその上鳥の恋 順子 掌の中の春の蚊深き息を吐き 炳子 耳朶を掠めて蝶のうすみどり 緋路 仕上りの緻密なる蒲公英の絮 秋尚 手放して風船空へ落ちてゆく 緋路 春の闇より声掛けて写真館 順子 零戦機日永の昼の星狙ふ ゆう子
岡田順子選 特選句
玉砂利の音来て黒揚羽乱舞 和子 耳朶を掠めて蝶のうすみどり 緋路 仕上りの緻密なる蒲公英の絮 秋尚 風光る誰にも座られぬベンチ 緋路 緋鯉とて水陽炎の中に棲み 俊樹 手放して風船空へ落ちてゆく 緋路 蜂唸る神の園生に丸き井戸 炳子 佐保姫は夜に舞ひしか能舞台 俊樹
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年4月 九州花鳥会 坊城俊樹選 特選句
つかまへし子亀に問へり亀鳴くか 美穂 亀鳴くや拷問石にある哀史 ちぐさ 亀鳴ける賓頭盧尊者撫でをれば 美穂 板の戸に志功の天女花朧 喜和 連子窓に卯の花腐し閉ぢ込めて かおり 大人へのふらここ一つ山の上 光子 ふらここや無心はたまた思ひつめ 同 ふらここや関門海峡見下ろして 同 さくら貝ひとつ拾ひて漕ぎ出しぬ かおり 午後一時直射にぬめる蜥蜴の背 勝利 花冷の全身かたき乳鋲かな 睦子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年3月4日 立待花鳥俳句会 坊城俊樹選 特選句
落城の如く散りたる落椿 世詩明 三人の卒業生以て閉校す 同 双葉より学びし学舎卒業す 同 氏神の木椅子はぬくし梅の花 ただし 鳥帰る戦士の墓は北向きに 同 草引く手こんなですよと節くれて 清女 雛あられ生きとし生くる色やとも 洋子 官女雛一人は薄く口開けて やす香 露天湯肩へ風花ちらちらと 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
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. (^o^)/おはよー(^▽^)ゴザイマース(^_-)-☆. . . 2月27日(日) #先負(辛亥) 旧暦 1/27 月齢 25.9 年始から58日目にあたり、年末まであと307日(閏年では308日)です。 . . 朝は希望に起き⤴️昼は努力に生き💪 夜を感謝に眠ろう😪💤夜が来ない 朝はありませんし、朝が来ない夜 はない💦睡眠は明日を迎える為の ☀️未来へのスタートです🏃♂💦 でお馴染みのRascalでございます😅. . 10週目突入🚀9回目の日曜日デスネ。 2月の最終週で今日明日で2月も終。 口癖になってますが「アットイウ間」w まだ2月ですから🥶☃️❄️🍧⤵️ の当り前ですけど、昨日の日中は 暖かだったデスよね✋バイク運転して ても寒いって感じがしなかった😅 今日は陰陽道ってので云うと様々 過ぎるぐらいにタイトルが付けられて 良い日なのか❔悪い日なのか❔ よく判らない日ですよね✋そんな 日は注意が必要ですがマスクは無駄デスw . 今日一日どなた様も💁お体ご自愛 なさって❤️お過ごし下さいませ🙋 モウ!頑張るしか✋はない! ガンバリマショウ\(^O^)/ ワーイ! ✨本日もご安全に参りましょう✌️ . . ■今日は何の日■. #浅草の大火. 浅草区で大火 1890(明治23)年2月27日(木)、浅草区三軒町から出火し、折からの北西の強風にあおられ寿町、駒形町、黒船町へと延焼し、全焼1,469戸、焼損面積1万2,828坪(4万2,332平方メートル)の大火となった。 この大火では常備されて間もない蒸気ポンプが使用されている。 . かつては明暦の大火と呼ばれる火事が昭和に入る前の東京には立て続けにあり、それが現在の東京を作ったと云っても良い程に一掃されたのかも知れません。 記録では、浅草大火から遡る18年前の1872(明治5)年2月26日(月)に「銀座大火」に始まり、9年後の1881(明治14)年1月26日(水)に「神田大火(両国大火)」、そして9年後に「浅草大火」。 そして、8年後の1898(明治31)年3月23日(水)には「本郷大火」があり、13年後の1911(明治44)年4月9日(日)には、あの有名な吉原炎上の「吉原大火」が起こります。 翌年の1912(明治45)年3月21日(木)には「洲崎の大火」で吉原と同じ州崎遊廓(現在の江東区東陽1丁目付近)から出火し、火の手は西平井町から東平井町一帯、さらに豊住町へと延び明治の大火はこれが最後となる。 . 「火事と喧嘩は江戸の華」と云われる程のキャッチコピーみたいな言葉が存在したとあります。 その教訓をもとに火事に強い東京作りに強化されたのでしょう➹と願いたいですね😅💦 . #先負(センマケ=又は、センプ・センブ・サキマケ、とも言う). 「先負日」の略。 陰陽(おんよう)道で、急用や公事(クジ)に悪いとされる日。 「先ずれば即ち負ける」の意味で、「何事も先に急いではいけない」とされる日です。 午前中はとくに悪く、午後はしだいによくなるという俗信がある。 . #大明日(ダイミョウニチ). この日は、建築・旅行・婚姻・移転などすべてのことに大吉であって、他の凶日と重なっても忌む必要がないともいう。 . #神吉日(カミヨシニチ). この日は神社への参拝や、お墓まいりに行くといい日です。 . #天恩日(テンオンビ). 天の恩恵をすべての人が受ける日。 民間暦でいう吉日の一つ。 . #母倉日(ボソウニチ). 暦で、母が子を育てるように、天が人間をいつくしむという日。 . #大禍日(タイカニチ). 陰陽家のいう悪日の一つ。 この日は万事に大悪日とされるが、特に建築・旅立ち・仏事に凶という。 . #不成就日(フジョウジュビ). 選日の一つである。 何事も成就しない日とされ、結婚・開店・子供の命名・移転・契約・芸事始め・願い事など、事を起こすことが凶とされる。 市販の暦では他にも色々なことが凶となっていて、結局は全てのことが凶ということになる。 . #ノアの方舟感謝祭(#創世記). . #ハンドメイドの日. . #冬の恋人の日. . #新撰組の日. . #PokémonDay(#ポケモンデ��). . #女性雑誌の日. . #ドミニカ共和国独立記念日. . . ■今日のつぶやき■. #人事を尽くして天命を待つ(ジンジヲツクシテテンメイヲマツ). 【意味】 人間の能力でできる限りのことをしたら、あとは焦らずに、その結果は天の意思に任せると云う事。 . . 1956(昭和31)年2月27日(月) #新沼謙治 (#にいぬまけんじ) 【演歌歌手・シンガーソングライター・俳優・タレント】 〔岩手県大船渡市〕 . . (牧野記念庭園) https://www.instagram.com/p/CadRimuhfRanB3L8ZjM4k_NZzQIPS9L31JuO9o0/?utm_medium=tumblr
#先負#浅草の大火#大明日#神吉日#天恩日#母倉日#大禍日#不成就日#ノアの方舟感謝祭#創世記#ハンドメイドの日#冬の恋人の日#新撰組の日#pokémonday#ポケモンデ#女性雑誌の日#ドミニカ共和国独立記念日#人事を尽くして天命を待つ#新沼謙治#にいぬまけんじ
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紀伊半島原付旅行記
早めの夏休みをもらったので、原付で伊勢湾フェリーを渡り紀伊半島を一周しようと思い立った。思い立って二週間後に出発した。紀伊半島とは精神の方面である。
七月二日:浜松から新宮へ
排気量五十CCの原付〈一つ目家鴨〉号はキックスターターを使わないとエンジンが動かなかった。一抹の不安を抱えながら、七時半、原付に跨がった。曇空の下、国道一号線を西に進み、弁天島を回って国道四十二号線、表浜街道伝いに渥美半島を西へ進んだ。
坪井杜国の故地
赤羽根港に付属する道の駅で休んだあと和地交差点から西北に進路を変えて高田交差点で左折、高田西交差点で右折し、右手にある潮音禅寺こと潮音寺を訪れた。境内には柳原白蓮歌碑と山頭火句碑があり、空米売買で尾張徳川家の領地から追放され、渥美半島へ来た坪井杜国の墓碑がある。
杜国墓碑の前に立っていると住職から 「俳句をやっているのですか?」 と声をかけられ、その日に咲き始めたという蓮を見せてもらった。蓮の初日はあまり開かないのだという。血統書付きの大賀蓮の��鉢もあった。住職は黒目高も二千匹に繁殖させたらしい。川を渡って「杜国屋敷跡」の看板のある角を左折すると畑のなかに小さな杜国公園。〈春ながら名古屋にも似ぬ空の色/杜国〉の句碑が建っており、投句箱もあった。
十時を回っていたので急いで西へ向かい、二十分ほどで伊良湖岬のフェリー乗り場に着いた。標識交付証明書がなくても排気量を口頭で伝えただけで発券してくれた。合わせて三千九十円で、十円だけ人の方が高い。十時五十分発、五十五分に及ぶ伊勢湾の航海。波が荒かった。伊勢湾を渡っていると雨に降られた。船内のテレビで天皇の病態が報じられ、平成が来年五月までもたないかもしれない、と思った。鳥羽に着くと雨は止んだ。
嶋田青峰の故地
フェリーを出ると正午になろうとしていた。鳥羽フェリーターミナル二階のレストランで食事をとろうとすると係員のおっちゃんから「ここのレストランはおすすめしない。近くの錦屋がいい」と勧められ、錦屋でてこね寿司と伊勢うどんを食べた。若女将の愛想が良かった。食べているうちに梅雨晴間。志摩半島を縦断し、的矢で渡鹿野島を望もうとしたら、的矢は、ホトトギス同人から除名され新興俳句弾圧事件で逮捕された俳人嶋田青峰の郷里だった。句碑〈日輪は筏にそそぎ牡蠣育つ/嶋田青峰〉も、弟である嶋田的浦の句碑〈海うらら水平線は汽船を引く/嶋田的浦〉も夏草のなかにあった。杜国といい青峰といい不遇な俳人ゆかりの土地ばかり巡った一日だ。志摩半島の浦はどこも簡素で好きになった。尾鷲で小雨に遭い、虹を見た。ひたすら走り、いくつもの浦の潮が戻るのを見ながら走り、十九時に新宮駅近くへ投宿した。
七月三日:新宮から田辺へ
目覚めるとサッカー日本代表が白耳義に惜敗していた。六時半に新宮市の「路地」を見てから霧雨の国道百六十八号を熊野本宮大社まで走った。
山岳信仰とサッカー
観光客がほとんどいない大斎原や本殿を見た。熊野は大学一年生のとき以来だから十年以上ぶりだ。拝殿にサッカーワールドカップ関連の展示があったが、侍ブルーのユニフォームを着たスタッフが取り外していた。熊野の神に勝ったのだから確かに白耳義は赤い悪魔だった。
八時半に給油してから山を下り、新宮市街まで戻ってから那智の滝を見た。数年ぶりに絵馬を書いたり護摩木を焚いたりした。熊野本宮よりも那智の滝を神体とする信仰の方が私にはわかりやすい。
鯨焼肉はレバーの味
十一時には那智を離れ、正午に太地町へ着いた。くじら博物館は千五百円を惜しんで入らなかったけれど鯨恵比須の鯨骨鳥居と燈明崎の山見を見て、道の駅たいじで鯨焼肉定食を食べた。血臭いのでやはり鯨肉は揚げた方がいい。
尻ではなく太腿で乗る
国道四十二号線をひたすら西へ。里野で水泳パンツに着替えたがちょうど日が陰って寒くなり、海水浴はあきらめた。見老津のあたりで和歌山県警の軽パトカーに跡をつけられたので、先に行かせたら、また後ろに回られてスピーカーで停められた。職務質問だ。「浜松市」ナンバーを見なれないから停めたとのこと。浜松から原付で来たと説明すると「どうしてそんな気になったんですか」と訊かれた。「お尻が痛くならないんですか」とも訊かれたので「尻ではなく太腿で乗ると痛くならない」と答えた。ズボンの下は水泳パンツなので、ズボンの中まで調べられたら即逮捕だっただろう。別れ際に夜間に掛けられる光る反射タスキをもらった。それから道の駅ごとに休み、田辺を目指した。
交番へ出頭
十六時過ぎに道の駅椿はなの湯で休んだ。ベンチに座ってのんびりしていると別のベンチに座っていた老爺が「そろそろ行くか」と独り言を言い、軽トラックでどこかへ行った。老爺のベンチが日陰だったので日射を避けるべく私はその日陰のベンチに移動した。するとベンチの上に財布が落ちていた。あの老爺の財布だと思い、私は戻ってくるまで待つことにした。でも戻ってこなかった。道の駅は定休日で閉まっていた。仕方なく私はその財布を持って近くの椿駐在所まで行った。しかし駐在さんはおらず、備え付けの電話を架けると婦警が富田駐在所まで来ていただけるかと言った。住宅街のなかにある富田駐在所へ出頭し拾得物物件預り書一枚で解放された。一日に二回も警察沙汰だ。交番を出て国道四十二号線に出た途端に雨が降り出した。晴れ間をぬって沿岸を北へ進み田辺駅近くの美吉屋旅館へ投宿した。自動扉が開くと禿親父がソファに寝そべって歌謡ショーを観ていた。客かと思ったけれど主人で間違えなかった。夜風が吹いただけで骨組が唸る旅館の「菊」の部屋に泊まった。若旦那から純喫茶桂のご主人が亡くなって看板を下ろしたと聞いた。灯りが点いているのはどきどき奥さんがいるからだとのこと。
七月四日:田辺から大和高田へ
北上するには二通りあった。海岸沿いに国道四十二号線を進む海ルートと高野山を経る山ルートだ。高野山は魅力だが山ルートにはガソリンスタンド問題があった。ただでさえ燃費が四十キロ前半まで落ちているのにガソリンスタンドが少ない山中を百数十キロ走るのはガス欠リスクが高い、それに近畿地方の天気予報は全域で雨なのであえて天候の見えにくい山間部を通ることもなく海ルートに決めた。
台風七号ブラピルーン
フロントに鍵を置いて五時半過ぎに出発した。みなべ町の岩代で、四つのH音のやるせなさが素晴らしい〈家有者笥尓盛飯乎草枕旅尓之有者椎之葉尓盛/有間皇子〉が詠まれたという磐代の結松と畑のなかの寺脇にある歌碑を観た。八時くらいまで台風七号はおとなしかったがトンネルを出て由良町になってから本気を出し、激しく雨が降り出した。それでも走り続けたのでジーパンはもちろん下着までぐっしょり濡れた。なぜ走っていたのかと言うと大阪は午後から曇るという予報に賭けたからだ。和歌山市まで強く雨が降っていた。大阪府に入ると小雨になり時々晴れ間も見えた。雨雲レーダーを見ると高野山はもっと強く降っていたので山ルートにしなくて本当に良かった。岸和田城の横を通り和泉市で冷えた体の血流を回復させてから東へ折れ、富田林から河南、水越トンネルをくぐって大和の葛城に出た。山はやはり雨が降っていた。
菊
葛城一言主神社では二人の男性が階段下の祓戸神社へ参拝してから昇段し、一言主神社の拝殿へ参拝していた。一言さんは地元の信仰を集めているらしい。それと拝殿に参拝する事前準備として拝む祓戸神社というシステムは熊野本宮にもあった。祓戸神社の祭神はいずれも瀬織津姫、近畿地方の格式ある神社の様式だろうか。大和高田のネットカフェで刃牙を読んだあと大和高田駅近くの福の屋旅館の「菊」に泊まった。また菊だ。女将一家の生活スペースと部屋が廊下一つを隔てて隣りあっているので、おばあちゃん家に泊まった感があった。女将は、橿原神宮の神武天皇が奈良県を大災害から守っていると言った。そういう信仰は美しい。
七月五日:大和高田から浜松へ
近鉄大和高田駅のミニストップで食事をとった。ちょうど通学時間帯で女子中生・女子高生が目に入る。それは揚羽よりも速いという女子高生に会いに吉野へ行くからだろう。
三重県南部は雨時々曇りという予報を見て急ぎ八時半には宿を出た。女将から缶珈琲をもらった。桜井を経て九時半過ぎに宇陀の阿騎野へ。吉野とは飛鳥の平地から見上げるような山地のことだった。東の野にけぶりの立つ見える阿騎野は菟田吾城という古代城郭があったらしい。鎌を持った小母さんから「この地は薬草で有名」「元伊勢」と聞いた。
人間のクズが国栖に
吉野川まで南下して国栖の里を眺め十一時前には国栖奏伝習所の横を通り浄見原神社を訪れ記名した。「鯨は人間のクズだ。ちなみにクズは国栖、先住民族の名だ」と言われてからずっと気になっていた土地「国栖」に立てた。
県道十六号で国道百六十六号線に戻り、鷲家八幡神社の桂信子句碑・前登志夫歌碑・宝蔵寺の能村登四郎句碑を見て、高見山を仰いだ。そういえば吉野で女子校生は見なかった。汗に冷えた体で高見山トンネルをくぐった。それから虹の泉のほかは伊勢までひたすらに走った。
近畿地方はあちこちで豪雨らしいが、幸運にも私は雨を数粒受けただけで水泳パンツを履いた意味がなかった。猿田彦神社を参拝し十六時前には鳥羽のフェリー乗り場に着いた。十六時半発のフェリーには間に合ったがガソリンが空になりそうだった。あこや真珠と中国産の淡水真珠の違いを聞いた。
雨の帰浜
フェリーは伊勢湾に出ると波に揺れた。恋路ヶ浜を見下ろしてから国道二百五十九号線を通って豊橋市を目指した。国道二十三号線からは私が「ほぼ原付専用道路」と呼んでいるバイパス横の側道を通り湖西市へ。昼夜食堂港屋本店で浅蜊汁と鯵の開きを食べた。食堂を出ると雨が降り始めた。弁天島を経て国道一号線で帰宅した。四日間の走行距離は九百三十五キロメートルだった。あとヘルメットのシールドが割れていた。
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