#乗り換え候補
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monogusadictionary · 2 years ago
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「3年後に、君はいくらの給料が欲しい?」
会社員時代、私は���用面接のたびにこんな質問を候補者に投げかけていた。するとその大半は「う〜ん」と首をひねって、答えに困ってしまう。この質問に正解はない。年収500万円でも、1000万円でも、1億円でもいい。中には「サーフィンが大好きで、千葉の九十九里の海沿いに住みたい。生活費は手取りで月15万円あれば十分です。その代わり、波がいい日は休ませてください」。そんな交渉を持ちかけるのだってありだ。私が知りたいのは、目の前の候補者がこれからどんな人生を歩みたいと考えていて、そのためにいくら稼ぎたいのかを根拠をもって具体的に考えているかどうか、だ。そして自分がその金額に値するのだと、私を説得してほしいのだ。
ところがほとんどの人は何も答えられない。中には「3000万円欲しいです!」と意気揚々と答えてくれる人もいるが、「何で3000万円なの?」と突っ込んできいてみると、「なんとなく」「それくらい稼いでいれば凄い」など漠然とした答えしか返ってこない。仕事の時間は人生の3分の1を占めるとも言われる。そんな大切な仕事を選択するための場でさえ、みんなどこか投げやりで他人任せだ。
仕事は、幸せに生きるための手段だ。つまりどんな仕事をするかを考える時には、そもそも「自分がどんな人生を生きたいのか」「自分はどこに向かっているのか」を考えなければ始まらない。
私は、会社とは電車のような乗り物みたいなものだと思っている。これまでに6回転職した私にとっては、会社を変わることは電車の乗り換えに近い。目的地を定めたら、そこまでどうやって行くかを考えて乗り物を選ぶだろう? 同じように自分の人生の目的に合わせて、どんな会社で働くかを決め、乗り込んでいく。途中で自分の目的地と会社の行き先がズレてきたなと思ったなら、そこで一度降りてまた別の乗り物に乗ればいいだけだ。
よく「良い会社」とか「人気企業ランキング」という記事を見たりするが、万人にとって良い会社などあり得ない。一人ひとり人生の目的はバラバラだし、どういう進み方をしたいのかも人によって違う。結局のところ「君にとっていい会社」があるかないかの問題だ。
東京に行きたい人もいれば、北海道に行きたい人もいる。とにかく早く目的地に着きたい人もいれば、寝台列車でのんびり進みたい人もいる。中には「今は目的地を決めず、気ままに流されたい」という人もいるだろう。大切なのは、自分が今どこに向かっていて、何を求めているのかを自覚しておくことだ。大阪から東京に行きたい人が、「目の前に来たグリーン車が座り心地良さそうだから」と、博多行きの新幹線に乗り込んでいたら意味が分からない。
ところがこんな意味の分からない選択が、人生という旅においてはよく見受けられるのだから困ったものだ。「人気だから」「プラチナチケットだから」「乗り心地がいい(福利厚生がいい)から」なんて、行き先も確かめずに人気の列車の椅子取りゲームをしている様子には疑問を抱いてしまう。
若いうちから自分の目的地が明確に決まっている人は稀だと思うが、それにしても「海か山か」「東か西か」「暑い場所か寒い場所か」「都会か田舎か」くらいの大まかな目的地の方向性くらいは定めておいてほしいものだ。
どこへ向かうかも考えず、とりあえず世間体や居心地の良さで乗り込む先を決めてしまい後悔している人を私はたくさん知っているからだ。彼らの中には、もはや引き返すこともできずにいつのまにか「会社に乗っかること」が目的となり、会社という乗り物にしがみ続けるしかない日々を送っている人もいる。
「また月曜日がきたよ……」と憂鬱そうに満員電車に乗り込む。
理不尽な転勤も、クビになるから断れず、泣く泣く家族と離れて暮らす。
誰にでもできる単純で退屈な仕事を、ひたすらこなす。
すべてを捧げてきたのに、定年と同時に強制的に降ろされる。
そんな会社の奴隷のような働き方だけは、君にはして欲しくないというのが父としての私の本音である。
「働く」とは本来、とてもエキサイティングで楽しいことだ。ビジネスこそ最強のオンラインゲームでチームスポーツだと言ってもいい。会社に振り回され仕事のために生きてはならない。
幸せに生きるために仕事を味方につけるんだ。
https://twitter.com/tabbata/status/1645577690207096833?s=46&t=XBYGx0NYt69itB5p-cHcLg
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ari0921 · 3 months ago
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「宮崎正弘の国際情勢解題」 
  令和六年(2024年)9月24日(火曜日)弐
  通巻第8426号 
 最大の課題はIMFとの債務削減、返済スケジュールだ
  スリランカ大統領に元マルクスボーイの新人が当選
*************************
 2024年9月22日、スリランカ国民はマルクス主義の政治家を新しい大統領に選んだ。貧富の���の激しい国々では、たとえばブラジルやアルゼンチンのように、民衆の不満を左翼政治家はうまく吸収して権力を握る。ベネズエラもそうだろう。
 スリランカ大統領選挙は初回投票では過半数をこえた候補者はおらず、二位と三位の決戦投票でAKDのニックネームで知られるアヌラ・クマラ・ディサナヤケ(55歳)が新大統領となった。得票は574万票 vs 453万票で二位との差が120万票あった。
このディサナヤケは学生時代にマルクスボーイ、2000年に議員に当選し、農業畑の政策で知られ、2019年にはラジャパクサ大統領に挑んで立候補したが泡沫に終わった。
 
 彼は嘗てのタミル武装勢力JVPの頭目であり、親中派であり、もっと言えば極左だ。マルクス主義者でゲバラ崇拝者が、現職のラニル・ウィクラマシンハ大統領と野党指導者サジット・プレマダサを破ったことになる。
これは親中路線から親インド路線に転換したスリランカ外交を、もう一度、親中路線にスィングさせるゲーム・チェンジでもある。
スリランカは仏教との国というイメージがあるが、主力民族のシンハラ人が仏教、北西部のタミル人はヒンズー教、そして各地にイスラム教という三つ巴で、とくにタミル武装勢力との内戦は20年に及んだ。
治安の安定を訴え、タミル武装勢力をテロリストと呼んで徹底武力弾圧を主導したのがラジャパスカ元大統領だった。ラジャパスカ一族は権力掌握後、中国に傾斜し、IMF以外の二国間援助で多大の援助を得た。その見返りがハンバントラ港の中国への99年間の租借だった。同港は中国の軍港化し、南アジアの安全保障上、インドがもっとも憂慮する事態を招来した。
新大統領は言った。
「私は魔法使いではないけれど、スリランカを立て直し、安定した政府を築き、前進できると信じている」 
衝撃を受けたインドのメディアは「おおっ。マルクス!」と亡霊の復活のように報じた。旧宗主国の英国は「歴史上もっとも左の政治家の出現は衝撃である」(英タイムズ)。「ゲバラを学生時代に崇拝したアウトサイダー」(英インデペンデント)、「大問題はIMFとの返済交渉にある」(フィナンシャルタイムズ、ともに9月23日)。
スリランカは仏教の国だから日本の仏教界とは深い交流で知られるが、北西部はタミル、そしてイスラム勢も強いため勝利の第一声は「シンハラ、タミル、ムスリムの団結」という綺麗事だった。コロンボの町を歩くと道路標識はシンハラ語、タミル語、そして英語表記である。
人口の72%がシンハラ、13%がタミル、9%がムスリムでほかの少数のカソリック教徒もいる。
 ▼なぜ無名の左翼政治家が想定外の当選となったのか?
ディサナヤケ新大統領は、マルクス主義のJVP(ジャナタ・ヴィムクティ・ペレムナ党)を含む国民人民勢力連合(野党の野合)候補者として出馬した。
しかし野党といっても、議会でわずか3議席しかないのだが、選挙中、ディサナヤケは政治の汚職を糾弾し、貧困層を支援する政策を約束し、無名で極左というイメージから、なにか期待できそうと人気を高めていったのである。
第一に経済的困窮に陥没しているスリランカ国民はなにがしらの新風を望んでいた。
前大統領は多額の負債を抱え、事実上の経済崩壊状態から脱却を試みて、回復を懸命に主導したが、緊縮財政政策は有権者の不満を買って17%の得票しかなかった。
第二に政治的混乱ならびに汚職追放は民衆に受ける訴えだった。
ハンバントタ港を中国に事実上とられた危機感はナショナリズムに結びつくが、2020年には汚職一家で中国からの賄賂漬けだったラジャパスカ一族を追放した。暴徒となった民衆は大統領官邸を占拠し、首相官邸を放火した。このため親中ムードは消えていた筈なのである。
 第三はIMFとの交渉というもっとも厄介な政治課題に如何に対処するのか。
ディサナヤケは、IMFの財政目標達成のための減税、250億ドルにも及ぶ債務再編を公約に掲げた。
すべての改革はIMFと協議して実施し、債務返済を確実にすると公約していた。スリランカ経済は暫定的な回復を遂げたものの、安定成長軌道に乗せ、市場を安心させ、債務を返済し、投資家を誘致し、国民の4分の1を貧困から脱却させるためには、スリランカが2027年までIMFのプログラムを遵守しなければならない。だれが大統領になろうが無理な話である。
スリランカ援助のトップはインドではなく日本である。
中国はBRI(一帯一路)関連のプロジェクトへの投資だけ、たしかに巨額だがIMFとは別個の二国間取引となっている。
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delorean · 1 year ago
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プジョーe-208買いました!
実は昨日、40代を共に過ごしてきた13年超のマツダ・デミオから、プジョーのEV「e-208」に乗り換えました。電気自動車にはEVデロリアンを作った2009年から乗り続けていますが、メーカー製はこれが初めて。ディーラーで納車の際、新旧2台並べて記念撮影しました。デミオは主に妻が使っていた愛車で、この赤色とサイズ感が特にお気に入りでした。お別れするのは残念だったけど、ファロイエローのプジョーも乗ってしっくりきたので、これからもカーライフが楽しめそうです。
乗り換えの理由は雨漏りでした。1年前、バックする時に電信柱と軽く衝突。それ以降、雨の日に乗ると後部トランク付近から後部座席の足元まで濡れてしまうようになっていました。そこで半年前から後継車種探しを開始。マンションの充電設備導入も叶ったので、EVを中心に検討しました。
当初から中古狙いで、第一候補は日産リーフの40kWh版。ところが妻の希望は「デミオと同じぐらいのサイズがいい」。こうなると一気に選択肢がなくなります。軽自動車のサクラかeKクロスEVはどう?と聞くと「隣県まで料理を教えに行く時も充電なしで往復したい」。試乗もしたけどしっくり来なかったようです。BYDのドルフィンは、私がフロントデザインに馴染めず。結局、サクラの次にコンパクトなEV「プジョーe-208」案が浮上しました。しかも走行用バッテリーは50kWh積んでるので約300km走るし、普通充電も6kW対応。コンパクトな上にリーフよりスペックが上と理想的です。妻も「楽しめそう♪」と気に入ったようです。
色選びは「日本の風土にメタリックカラーは似合わない気がする」というので、比較的多いパールホワイトは落選。カタログを示しながら「プジョーのロゴマークはライオン。鉤爪の意匠がライトデザインなどに施されてるよ」と説明したら「ライオンなら黄色でしょ?」の一言でファロイエローになりました。あらゆる選択肢を感性で決めて行く過程が、本当にすがすがしかったですw
中古車はネットを駆使し、新年早々、名古屋のディーラーが所���する走行距離20kmの展示車でほぼ決め、契約の準備を始めました。しかし土壇場で、地元・広島のディーラーが同年式・同色の試乗車をほぼ同じ金額で出せる+ルーフウインドゥ付き、という条件を出してくれたので一転、地元で買うことに。価格以上に地元で買える安心感も勝りました。結果として良かったと思っています。さっそくこの日の夜、e-208納車を話題にClubhouseの仲間とワイワイやりました。興味がある方はぜひお聞きください。
さて、このファロイエローなプジョーとどこに行きましょうかね。ちょっとしたお出かけが楽しみです♪もちろんe-208で得たEV体験の情報発信もやりますよ!
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runpenparis · 6 months ago
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るんぺんパリ 【RunPenParis】
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【自己紹介 2024年7月14日追記 3538文字】
三重県伊賀市(旧名:上野市)出身 伊賀市(旧名:上野市)に 1976年(3歳)から 1996年(23歳)6月まで住んでいた 1976年以前の記憶と出生は不明
伊賀市で有名なのが 伊賀流忍者 伊賀牛 松尾芭蕉 俳句 上野城 2004年(平成16年)11月1日に 伊賀市に変わってから 上野市駅が忍者市駅になり 近鉄の電車だったのが伊賀鉄道になり 電車がコスプレになった 駅前には銀河鉄道999のメーテルと哲郎の銅像があり 産業会館がハイトピア伊賀になった 新天地もなんかおしゃれなサビれかたで 「新天地Otonari」となった 街は高校生の頃の面影は薄くなったけど 何となく残っている上野市街は今でも魅力的だ
最近は実家で一人暮らしのおかんの様子を見に よく帰省するようになったけど 若い頃は年一回も帰省しなかった 最近の伊賀でよく立ち寄るのが 「菓匠 桔梗屋織居」と 「HANAMORI COFFEE STAND」と 「岡森書店白鳳店」で 岡森書店は、Kマーホの名で出版した 「トイレの閃き」が背表紙の色が抜けた状態で 25年以上も本棚に置いてくれている これを見ると初心に戻れて まだまた創作していこうとがんばれる
市部という地区だったと思う 依那古第一保育所に5歳から6歳の2年間通った おかんは自分の送り向かいのために 自転車を乗る練習して そのおかんが運転する自転車の後ろに乗って 途中の田んぼに二人で落ちて 泥だらけになった
小学校までは上野市依那具にある 市営の城ケ丘住宅で過ごした この市営住宅はもう40年以上も その雰囲気を変えずに今でも残っている ここは伊賀市の文化遺産にしていいほどの時間が止まった場所だ いまだに汲み取り式の便所の換気の煙突が立ち並んでいる このカオスな感じは小学生の頃の不便な生活を思い出させる あの生活で暮らしたから今があるのは確かだ
小学校の通学路にある 垂園森でよく遊んだ 現在も存在しているが オバケが出そうな森 この森は当時通っていた依那古小学校の校歌の歌詞にも出て来る イメージ的には幽霊が出そうな森だけど 何か不思議な生き物が住んで居そうな森に見えた きつねも出そうだし おばけも幽霊も心霊も もしかするとタイムスリップして 小学生の頃に戻れそうな気もする森だと変な懐かしさを感じる 近くには無人駅の市部駅とにらめっこしている森
中学校から市街の上野城の 城下町で過ごした 当時はカオスな市営城ケ丘住宅から出れる事が本当にうれしかった 小学校までの友達とも飽きてしまっていたので寂しくはなかった 当時から色々な物にすぐに飽きては新しい物が好きだったので そっちのワクワク感で本当にうれしかった そして築20年以上の中古の一軒家で2階建て 自分の部屋がありトイレは汲み取り式だけど洋式で あこがれの上野の街で住める事もあって本当にうれしかった
そして近くの崇廣中学校に通う事に 中学校の3年間は 転校生という立場と 中一で足の骨折 中二で腕の骨折 どちらも遊んでいての骨折2回 中三の高校受験で いい想い出は無い
高校2年生で 小学校の時にサッカーで出会った 旧友とバンドを組んだ その時が一番楽しかった。
1993年 一人暮らしを始める やっと自由になった気がした 2年間ぐらいは金が無くて 通帳の残高は毎月マイナス50万 スレスレ生活
1996年7月から 2003年7月の 7年間は茨城県と千葉県の県境 利根川の近くに住んでいた この界隈を走るタクシー運転手の 態度は本当にムカつくから こっちも態度悪く乗ると 気分の悪さはお互いさまになる 関東平野は景色が無く ここでの生活は落ち着かなかった 食文化も人も気候も水も 肌に合わなかった 特にうどんの汁が濃いだけのシンプルな味は げんなりさせてもらった ただ寺原駅近くの「ふる川」はよく通った とくにカレーめちゃくちゃ美味かった
1997年から パソコンをミドリ電化で38万で購入して 作詞やネットに興味を持つ まどみちお詩集を読みだす 作詞に近い詩を書き始める 「Kマーホ」という名で 詩を書き始める 目標を300篇と決めて 詩を思いついたら メモをつけるようになる 週末は家に引きこもり 一日中、音楽を聴きながら パソコンがあるのに まだワープロで詩を清書していた
1998年から2002年まで 「Kマーホ」の名で 詩に団体に参加したり 詩の賞に応募したり 詩集を自費出版したり この当時参加していた詩の団体には もうドロドロとした 詩を書く人や あまりにも読み解けない詩や 暴力的な人や いい人もいたけど 自分とは全然目指している方向が 違うので2年目ぐらいで辞めた それからは詩の団体に興味は無くなった それから 自費出版した詩集を 全国の小中学校や 全国の図書館へ寄贈して 活動を休止 理由は2000年に結婚してから 集中して詩を書く時間が無くなってきたから 2002年に2つの詩集を出版して 詩の事は全部段ボール箱へ入れた
2003年から2019年まで 育児に重点を置いて生活をする この時期は友達とも連絡を 切っていたので のちに死亡説や宗教説が出ていたらしい
2003年7月から 現在は静岡県在住 もう20年以上住んでいる
2019年 るんぺんパリ【RunPenParis】の名で 詩を書き始める SNSでの詩の発信を始める
るんぺんパリ【RunPenParis】とは フランスはパリの街を ぺんを持って 走るという意味から 【RunPenParis】ができた
1973年8月1日生まれ(もうすぐ51歳) しし座 O型 右利き 詩・詩集・ことばをデザイン アート・写真・小説・ペン画
松尾芭蕉の生家がある伊賀市で 十代までを過ごし 俳句が幼少期から 身近に存在していた
二十代から詩を書き始めて 「Kマーホ」名で活動(1999-2002) 詩集6冊を出版して活動休止
その後 松尾芭蕉の俳句のような シンプルな言葉遊びを 詩で出来ないかと考えていた中で
令和元年(2019)に 「るんぺんパリ【RunPenParis】」の名で 活動を再開
SNSに140文字に 言葉をデザインした詩 「140文字詩」を 毎日投稿する活動を始める
2023年9月に140文字詩が 1200作品に到達した事で 「140文字詩」を全国へ さらに世界へと 俳句のように広く知られる 存在になって欲しい
◆るんぺんパリ【RunPenParis】作品一覧 【2023年】Amazonで販売 2023/12/27第2フォト集「ほちきす それでは あかんで」 2023/12/2 第1フォト集「とめても ええか ほちきすで」 2023/11/23 第16詩集「もあいの ねごとを よみとる」 2023/9/16 第15詩集「さんもじ もしくは よんもじ」 2023/9/9 第14詩集「のこりの あぶらは わるもの」 2023/9/2 第13詩集「あそびも しごとも たいふう」 2023/8/26 第12詩集「かいてきな しつどに おぼれる」
【2022年】Amazonで販売 2022/12/6 第11詩集「やくそくは よなかの おひるに」 2022/11/3 第10詩集「みさんがの ともだちの たまんご」 2022/10/7 第9詩集「くうきと さんその かつさんど」 2022/9/3 第8詩集「さついを こめた いもけんぴ」 2022/8/7 アート作品集「やさいに つめる にくえらび」 2022/2/14 アート作品集「よなかに ひかる かみぶくろ」 2022/1/1 第7詩集「みかんの むくちな きもち」
【2021年】Amazonで販売 2021/9/8 第6詩集「そんな ことばは さよなら」 2021/8/3 第5詩集「あさに おくれた なんて」 2021/6/5 第4詩集「すいかの たねの ちょうこく」 2021/5/31 第3詩集「たんぽぽの たまご ひとつで」
【2020年】Amazonで販売 2020/7/27 第2詩集「こよい こよりの そらから」 2020/3/2 詩小説「すきから あいへ おやすみ」
【2019年】Amazonで販売 2019/7/21 第1 詩集「ところで あした あいてる」
◆Kマーホ 作品一覧(1999-2002) 【2002年】 2002/4/30 第6詩集「眠立体(ねむりったい)」 2002/4/4 第5詩集「コールサック」
【2000年】 2000/7/31 第4詩集「マガサス星人」 2000/1/31 第3詩集「おしりとサドルが あいますか」
【1999年】 1999/8/1 第2詩集「テレビジョン」 1999/5/1 第1詩集「トイレの閃き(ひらめき)」
【受賞】 2001年 詩「眠立体(ねむりったい)」第6回トワイライト文学賞 2000年 詩「永遠の親友」信越郵政局長賞 1999年 詩「トイレの閃き(ひらめき)」第1回万有賞 1998年 作詞「地球のウラハラ」第31回日本作詞大賞新人賞候補ノミネート
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benediktine · 1 year ago
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【チャリを交通の主役に 魅力発信、片山右京の挑戦 疾走チャリノミクス(1)】 - 日本経済新聞 : https://www.nikkei.com/article/DGXZQOFK132ME0T10C21A2000000/ : https://archive.is/XQzTa 2021年3月21日 2:00 (2021年3月22日 2:00更新)
環境に優しく、健康によく、密も避けられる夢の乗り物――。脱炭素や新型コロナウイルス禍で改めて脚光を浴びる自転車。チャリンコと侮るなかれ。IT(情報技術)などの最新テクノロジーを取り込み、自転車経済圏は国内外で広がる。競技から開発、安全対策までそれぞれのフィールドを���速力で走るチャリダー(自転車乗り)を追う。
■《自転車競技の中心にカミカゼ右京》 東京五輪の競技運営責任者に、新設するプロリーグのチェアマン――。いま日本の自転車競技界の中心には、元F1レーサーの片山右京(57)がいる。かつて怖い物知らずの走りから「カミカゼ・ウキョウ」と呼ばれた男だ。
 {{ 図版 1 : 東京五輪の自転車競技スポーツマネジャーも務める片山 }}
「あなたの街へ興奮と感動を届けます」。こんなうたい文句で3月27日にシーズン1年目の幕を開ける自転車ロードレースのプロリーグ、ジャパンサイクルリーグ。新設に汗をかいた一人が片山だ。チェアマンとして組織体制作りやスポンサーの獲得に奔走。メインスポンサーには不動産大手の三菱地所が就いた。「多くの人たちが自転車に関心を持ち、スポーツとして応援しようとしてくれている」
人生最初の挑戦は小学校5年生の時、三重県から神奈川県の自宅まで走破した自転車旅行だったという。いったん遠ざかったが、F1レーサー時代、体力トレーニングで再び自転車に乗るようになった。引退後はその魅力に取りつかれ、数々の市民ロードレースに参加。2012年には自らロードレースチームを立ち上げた。「40代半ばから本格的に始めても、毎年記録が上がったり、200キロメートル以上走れたりする。頑張った分だけ確実に力がつき、生きてるという感覚をもらえる」
■《登山で環境破壊に危機感》
自転車に託すのは競技への思い入れだけではない。F1引退後、自転車とともに登山にのめり込み、キリマンジャロなど世界6大陸の最高峰登頂に成功した。だが、そこで見たのは消えゆく氷河やプラスチックゴミなどの環境破壊だった。
人力でペダルをこいで進む自転車は二酸化炭素(CO2)を一切出さない。脱炭素への意識が世界的に高まるなか、究極のクリーンモビリティとして注目され始めた。片山は「今後30年で公共交通の構造が変わり、自転車はその中心の一つになる。皆が自転車に乗って動き回るようになれば、自動車が入りにくい裏通りの価値も変わる」と訴える。
■《日本の自転車利用、拡大の余地》
特定の移動手段の利用頻度から算出した「交通分担率」をみると、日本の自転車は13%。最も高いのは自動車の48%だが、国土交通省の調査によると、自動車の移動距離は5キロメートル未満がうち43%を占める。同省は「��距離の移動で今後、自動車から自転車へ交通手段がシフトする可能性がある」(道路局)とみている。
 {{ 図版 2 : 日本の交通分担率の内訳 主要国の交通における自転車分担率 }}
■《車椅子に乗る15歳の社長》
「自転車産業はITとの融合でもっともっと成長する」。シェアサイクル事業、チャリチャリを展開するneuet(ニュート、東京・港)の社長、家本賢太郎(39)は、真っ赤な自転車が並ぶ本社内のガレージで力を込める。家本は15歳でネット関連のコンサルティング企業、クララオンライン(同)を立ち上げた異色の経歴を持つ。
 {{ 図版 3 : クララオンラインとニュート社長を兼務する家本(東京・港) }}
脳腫瘍の手術の後遺症で14歳から18歳まで車椅子生活を送った。電車など公共交通機関での移動に大変な不便を感じ、「移動に選択肢があることは幸せと感じるようになった」。特に羨望のまなざしで見たのは、自らの力だけで自由に移動できる自転車だ。
車椅子生活を終えた後、自転車は家本の趣味になる。そしてITを武器にアジアへ事業を拡大した際、中国で目の当たりにしたのはシェアサイクル事業の勃興だ。鍵となっていたのが、あらゆるモノがネットにつながるIoTだ。ITに精通した家本は「これなら自分にもできる」と思い立つ。
■《ITからシェア自転車に》
17年秋には福岡市でシェアサイクル事業を展開しようとしていたメルカリから「一緒にやりませんか」と声がかかり、IoT関連のサポートなど裏方仕事に携わった。そして19年夏、「ここから先は僕にリスクを取らせてほしい」と事業譲渡を持ちかけ、チャリチャリとして再スタート。今は名古屋、東京と事業を広げ、専用駐輪場(ポート)は430カ所、保有台数は2000台に達した。
 {{ 図版 4 : シェアサイクル「チャリチャリ」の専用駐輪場は430カ所に達した }}
チャリチャリはITの塊だ。利用者はまずスマートフォンにアプリをダウンロードし、付近のポートにある自転車を探す。見つけたらサドルの下にあるQRコードをアプリで読み取り、解錠。利用後は近くのポートに駐輪し、施錠する。料金は1分4円で、アプリに登録したクレジットカードに課金される。24時間365日利用できる。
全地球測位システム(GPS)が搭載されているため、万が一ポート以外に放置されても、すぐに見つけ出せる。買い物や通勤などの短距離移動はシェアサイクル、サイクリングなどの遠出は自分の自転車と住み分けが進めば、「日本が長年抱える放置自転車の解決につながる」。
日本のシェアサイクル事業は地方自治体が関わっていることが多いが、チャリチャリは行政から補助金を一切貰っていない。自立には利用率の向上が���須で、昼間人口の多さや人口密度の高さに加え、公共交通機関の乗り換えが不便な場所などを狙ってポートの候補地を探す。「シェアサイクルが日本でちゃんと事業として成り立つことをみんなに見せたい」
■《環境派市長「パリをつくり替える」》
チャリノミクスは国境を越える。「環境保護を進めるため、今すぐパリをつくり変えなければいけない」。市長のアンヌ・イダルゴ(61)は自転車でパリ中心部を疾走する。優先レーンを作るなどして、全ての道で24年までに危険なく自転車を利用できるようにする目標を掲げる。
 {{ 図版 5 : イダルゴ市長は環境保護のため、市民に自転車の利用を呼びかけている(パリ)=ロイター }}
14年に就任したイダルゴは環境派として、セーヌ川沿岸の一部を自動車進入禁止にするなどの政策を取ってきた。コロナ禍で人との接触を避ける動きが強まったのをきっかけに自転車の利用を一層促す。20年には自転車用レーンを60キロメートル分延ばすと表明した。
かつて自動車で混雑していたルーヴル美術館前の有名なリボリ通りはいまや、自転車で混み合うほどの様変わりだ。「大気汚染や騒音が著しく減っている」。イダルゴは胸を張る。
フランス政府も自転車の利用を後押しする。コロナ発生後、自転車の修理費を50ユーロ(約6500円)まで補助すると発表した。一時は数カ月待たないと予約が入らないほど修理業者がにぎわった。市場は爆発的に拡大している。仏テレビLCIによると、20年の仏自転車販売台数は330万台と19年比3割近く増えた。
■《自転車経済、年7%で��長》
今後も世界的に自転車市場の拡大は続きそうだ。英調査会社テクナビオによると、20年の世界の自転車市場は約540億ドル(約5兆9000億円)で、25年まで年平均7%で成長するという。
 {{ 図版 6 : スポーツ自転車が大きく伸びている(1店舗あたりの国内販売台数の前年比) }}
日本国内の20年の自転車市場規模(国内生産と輸入の合計)は約1300億円。最近では特にスポーツ自転車の伸びが大きい。野村証券チーフエコノミストの美和卓(53)は「スポーツ車は単価が高いだけでなく、ヘルメットやライトなどを追加購入しないと走れない。アパレルや付属品など周辺市場の広がりに期待できる」と話す。自身も約15万円でロードバイクを購入し、本体以上のお金をかけてギアやホイールを好みの部品に取り替えた。
 {{ 図版 7 : ロードバイクで通勤をする野村証券チーフエコノミストの美和(東京・千代田) }}
前日のニューヨーク市況のチェックから始まる美和の朝は早い。��東京市の自宅から東京・大手町の職場まではロードバイクで1時間半。夜の喧噪の名残ある新宿の繁華街を抜け、大手町が近づくころには皇居のお堀に反射する荘厳な朝日が見えてくる。6時過ぎに会社近くの駐輪場に愛車を止め、サイクルジャージからジャケットに着替えると、今日も美和の一日が始まる。
=敬称略、つづく
(生田弦己、松本萌、福井環、パリ=白石透冴)
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kennak · 1 year ago
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続出していた基本的な問題ドイツの『ハンデルスブラット』にリークされた内部報告書はクルマの力学と騒音・振動・ハーシュネス(NVH)に関するもので、あるテスト結果が含まれている。サイバートラックのα版の性能を、CAD(コンピューター支援設計)のシミュレーションに基づいた予測や社内の基準と比較したものだ。それらを総合すると、音漏れや騒音があり、ハンドルやブレーキの性能も低いという試作車の状態が見えてくる。「まだα版の車両ですから、目標から遠く離れていても驚きはありません」。自動車業界で40年以上を過ごし、日産自動車の最高執行責任者(COO)やアストンマーティン・ラゴンダのCEOでもあったアンディ・パーマーはそう語るが、報告書の卒直な内容に驚いたという。「これを書いた技術者は厳しい叱責を受けるべきでしょう。普通、こうした報告書は書きませんから」報告書によると、サイバートラックのα版は手作業でシーリングしなければならなかったが、実際の生産モデルでは「シーリングの明確な手順がない部分が複数あった」という。これは雨風を避けるためだけでなく、車内の騒音を抑える意味でも問題となる。報告書のデータは、設計に基づく技術者たちの想定よりもα版の騒音が大幅に大きかったことを示している。テストの結果、車体の21カ所から騒音が漏れている可能性が指摘されたという。テスラ車は過去にも音漏れの問題があった。報告書からは、サイバートラックの奇抜なデザインのせいで、技術者による適切なシーリング作業の試みが複雑化していることがうかがえる。そこには「車体製造や塗装の行程において、これまでもNVH性能を最適化するためのシーリングに苦労してきた。サイバートラックのデザインは新たな課題を突きつけている」と記されている。ハンドルもα版の懸念点のひとつだった。報告書では「中速域での過度な加速や急な動き」「急加速」「構造的な振動」など、複数の問題が指摘されている。トラックには「低速域での操作において横方向の急な動き」が見られ、ステアリングの微調整や車体の横揺れ(ロール)の問題に対処しなくてはならなかった。また、サイバートラックの「ストレイフ」モード(タイヤの角度を変えて横方向に「カニ歩き」できる機能)は「基本的な機能にとどまっていた」という。ブレーキやボディ構造にも「深刻な課題」報告書において最も深刻な問題のひとつとされたものが、ブレーキ性能だった。テスラの技術者は、自動車技術関連の規格を定める国際団体「自動車技術者協会(SAE)インターナショナル」の評価スケールで7点(有望)を目指していたが、α版は4点(不出来)しかとれなかったのである。報告書によると、22年1月時点でサイバートラックのブレーキペダルの圧力パッドは、まだ設計段階にあった。このため、α版には「過度なペダルストロークや不安定な制動」や「摩擦ブレーキ時の過度な縦揺れ」のほか、ステアリング時のブレーキの問題や不安定なパワーブレーキングがあったという。Most Popular地球に寄り添う準衛星「カモオアレワ」が、月の破片だった可能性。その起源がシミュレーションでも見えてきたBy Ramin Skibba今年の「Amazonブラックフライデー」で買うべき商品は? セール攻略の8つの方法と、狙い目の商品62選By Takuya KikuchiUltrahumanのスマートリング「Ring AIR」は“終身サブスクリプション”込みで着け心地がいい:製品レビューBy Simon Hill「ブレーキの性能は深刻に思えます。テスラがそれ以上に踏み込んでいないのは驚きです」と、報告書の内容を精査したパーマーは語っている。ブレーキシステムを含むシャシーは、普通はボディやほかのシステムに先駆けて最初に取り組む部分だ。「すなわち、この段階で試作パーツしかないのは大幅な遅れと言えます」報告書では、自動車の乗り心地やハンドリング性能を評価する車両基礎特性測定試験(K&C試験)の結果についても詳しく説明されている。一般的なK&C試験では車体を固定し、制御された力や変位が車輪に加えられる。こうした試験の結果、「キャンバー」や「トー」などのサスペンションのパラメーター(車輪がまっすぐの状態から内側か外側に曲がる角度を決める値)を得られる。報告書はα版の性能について、「目標値と大きな差異がある」ことを示している。報告書には、解決策の候補と問題点が対比して列挙されているが、なかには示唆に富むものもある。車体前部には「サスペンションの設計を変更しなければ解決できない」問題があったというのだ。また「キャンバーゲインが高する」ことで、タイヤの摩耗や車高によるアライメントの変化などが生じるという問題に対しては、解決策の欄に「恐らくなし」と書かれている。このように、テスラが同カテゴリーのほかのEVに対抗できるトラックを開発するうえで抱えていた問題が、報告書では示されているのだ。自動車のボディがねじれに耐えられる能力を意味する「ねじり剛性」の問題もそうだ。ねじり剛性が小さすぎると、クルマを方向転換させる際にボディが壊れてしまう。大きすぎると曲がりづらくなり、アンダーステアになりやすい。パーマーによると、α版の(ねじり剛性の)性能は目標を大きく外れており、テスラが懸念を抱く可能性がある。「驚くべきなのは、修正がとても困難だという���とです。これは根本的な問題ででしょう。開発においては、かなり正確にシミュレートすることができます。ですから、目標から大幅にずれていることに驚きました」と、パーマーは言う。「これは重大な問題でもあります。この問題を解決すると車体の重量が増し、クルマのデザインが損なわれてしまうからです」外骨格構造ゆえの難しさテスラは08年からEVをつくっている。しかし、トラックの開発においては技術面でまったく別の課題が突きつけられると、専門家は指摘している。フォード(同社の電動ピックアップトラック「F-150 Lightning」は22年4月に生産を開始した)など、ほかのメーカーには数十年の蓄積がある。ゼネラルモーターズ(GM)のブランドであるシボレーやGMC、そして新興EVメーカーでピックアップトラックを手がけるリヴィアンなどのEVトラックメーカーは、すでに市場でサイバートラックを上回っているか、今後は凌駕する可能性が高い。
テスラの「Cybertruck」に設計上の“問題”が続出? 内部資料から見えた新型EVの行く末 | WIRED.jp
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aronespace · 2 years ago
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まちかどAronespace のお知らせ
 4月から1年間、Aロマ/Aセクの人間がここに存在している、という社会運動をやることにしました。
【目的】
 私はAロマAセクの人間で、ひとりで生きていきたい人間です。「ひとりでやりたい」の中には、「ひとりは寂しい」「孤独が辛い」「ひとりで生きるのは不安」��誰かを好きでいる」「誰かを大切にしたい」「実際はひとりでやれない」も含まれています。その上で、「ひとり」とは何か、私を「ひとり」にさせてくれないのは何か、「ひとり」を否定し、困難にさせるものは何か、「やる」とはどういうことか、そういうようなことを考えていこうと思います。
 もう一つの目的は、Aロマ/Aセクの人間が存在している、ということをやることです。Aロマ/Aセクは時に「見えない(恋愛的指向/性的指向)」であるとされます。それは、恋愛感情/性的欲求が他者に向く状態が正常/ノーマルであるとされている社会で私たちが不可視化されているからです。「(見え)ない」から「いない」ってどうして?すでにここにいるのに、どうして我々が可視化させなければならない?なぜここにいるだけ、を許されない?「ない」を抹消されなくてはならない?私たちはこの異性(恋)愛規範、恋愛伴侶規範に支配される社会から(再)発見される存在ではなく、すでにここにいます。そんな社会の中、街の風景の中から私たちの場所を奪い返さなければならない。そういう思いで、基本的に屋外の「見られる」場所でやります。この社会が私たちにとって安全だったことはなく、よってまちかどaronespaceはセーフスペースではありません。この社会の中に私たちが存在することで感じてきた傷や悔しさ、やるせなさを話すことは、それらを個人の話(だけ)ではなくそうさせる社会規範への抵抗になると考えています。「ひとり」をやりたいのにそれが難しく、また不幸(unhappy)と結びつけられる社会から、繋がりを求めない、あくまで個として存在しながら、社会の中に私たちのための場所として「ひとり」を獲得し直す、そういう意図でやっていきたいと思っています。
【活動内容】
 メイン:仙台市内のどこか(基本は屋外、天候・体調によっては屋内)で、私(はねだ)が本を読みます。Aロマ/Aセクに関することを始め、ジェンダー、セクシュアリティ、フェミニズム、婚姻制度、家制度、クィア、(反・脱)恋愛、単身者(と老い)、孤独、ひとりなど、そのとき読みたい本を数冊持参します。ひとり積��解消読書会みたいな感じです。
 また、随時来訪者を募集します。通りがかりに手を振ってくれるだけでも嬉しいし、なんとなく一緒に本を読むのもいいですし、ふらっときて一言交わすだけでも十分です。少しの間おしゃべりできたら楽しいなと思います。が、人と会うこと、喋ることを目的としているわけではなく、コミュニティ作りや仲間作りをするわけではないので、基本的にその場だけの関係です。(私が人間関係を継続させるのがとても苦手なので、毎回その場だけの関係のスタンスでいこうと思います。もちろん何回きていただいてもいいですし、そこからいわゆる緩いつながりが構築できたら嬉しいですが、それを目的とした場ではないので)喋らなきゃ...みたいに全然気負わずにふらっと会って、ふらっとさよならしましょう。
追記:半年やってみて、いらっしゃった方とは本を読むというより話をする関わり方の方が多いというか、そのかたちがほとんどです。もちろん参加の在り方は自由ですが、読書会っぽい空気感ではないんじゃないかなという感覚です。話のテーマも特に設定していないので、話したいことを話すだけでも全然OKです。
 おしゃべりができたら楽しいと思いますが、答弁や教示はしません。また、正義のための議論(※「トランスジェンダー問題」のサブタイトルのようなニュアンス)以外を求める議論もしません。しゃべる内容も特に決めませんが、私は「ひとりでやりたい」をどうやってやるのか、を考えていきたいので、それに沿った話題を話せたらいいなと思います。
【日時・場所・期間】
 日時:基本月1度、日曜日に開催予定です。私の都合で変更や不開催などが起こることもあります。時間も季節や天候等によって変化しますが、今のところ14時以降から2時間ほどを目安としています。いつどのタイミングで来て、いつどのタイミングで帰っても全然オーケーです。
 場所:基本的に、宮城県仙台市内の屋外でやります。現在下見した上で候補にあるのは
・勾当台公園市民広場周辺
・錦町公園周辺
・仙台駅東口周辺
です。都度Tumblrと当ツイッタアカウント(@aronespace)にてお知らせします。なるべく直射日光が当たらないようなところで開催したいので、時間によって場所を移動することがあるかもしれませんが、それもリアルタイムでお知らせします。室内でやる場合はその都度の連絡となります。尚屋外で開催する場合、どうしてもトイレへのアクセスが悪くなってしまうことをご了承ください。
【グランドルール】
・私(羽田)はAスペクトラムへの差別を始め、性的マイノリティ差別、トランスジェンダー差別、ノンバイナリー差別、Aジェンダー差別に反対する立場です。よって、「#まちかどAronespace」ではそれらに対する差別を許容しません。おしゃべりの中でそれらに気づいた場合ストップをかけることがあります。意見交換、意見の批判はオーケーですが、差別につながるような議論、おしゃべりはしません。これらへの差別をする方は、ここに来ないでください。他者の尊厳、あなたの尊厳を毀損する発言や行為は控えてください。この社会が私たちにとって安全ではないと認識していることと、他者の尊厳を傷つけない行動を取ろうとすることは矛盾しません。また、まちかどaronespaceは障害、ルーツ、宗教、それ以外のあらゆる差別にも同様に反対します。
・参加される方の代名詞、呼び方(「さん」「ちゃん」「くん」など)は本人が望むものを使用します。基本的には「さん」呼びをします。もちろん名乗らなくても大丈夫です。
・Aロマ/Aセクのための場所ではありますが、参加される方はAロマ/Aセクでなければならないということはありません。セクシュアリティを問う場ではありませんので、明かしたくないことは話す必要はありません。
・「まちかどAronespace」は原則録画・録音禁止です。参加者を写すことはやめてください。ボムや本などの物品の撮影は可能です。写真を撮る場合は一言お声がけください。また、この場で話したことを、個人が特定できる形で第三者に伝えることはやめてください。
・疾病や障害、それ以外の事情によって参加に何かしら困難がある場合、お手数をおかけしますがどのような対応が必要か教えてください。私(はねだ)がひとりで対応するため、できることに限りがあるかもしれませんが、可能な範囲で参加を阻害しないような方法を取らせていただきます。
・原則マスク着用をお願いします。
・飲食物、本やZINE、フラッグ、プラカードなど持ち込みOKです。
・おしゃべりや仲間作り、コミュニティ作りは目的ではありませんので、無理にコミュニケーションを取る必要もありません。通りすぎる、挨拶する、手を振る、なんとなく本を一緒に読む、おしゃべりするなど、完全に自由です。ご自身のペースに合わせてご参加ください。(固い言い方で繰り返しているので交流を歓迎していないように思われるかもしれませんが、積極的には求めていないだけで交流できたら嬉しいと思いますので、ぜひお気軽にいらしてください🖤)
【第1回・4月開催予定のお知らせ】
【日時】4/16(日)14:30〜16:30
【場所】錦町公園の空いているスペース(最寄り駅:JR仙台駅、地下鉄勾当台公園駅)
【読みたい書籍】*これ以外にも増える可能性は全然あります
・エリザベス・ブレイク「最小の結婚」
・ショーン・フェイ「トランスジェンダー問題」
・三浦しをん「愛なき世界」
・��沢美代子・島田とみ子「ひとり暮らしの戦後史」
 こんな感じで、2023年度の1年間やっていきます。一緒に本を読んだりおしゃべりできたらとても嬉しいですし、何より「ひとりでやる」を考えやっていくゆるい運動として関心を寄せていただけたら幸いです。
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itokawa-noe · 1 year ago
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「叫び」を執筆した経緯について
私の書いたSF掌編「叫び」が、第3回かぐやSFコンテストにて審査員特別賞を受賞しました。
私にとって、かぐやSFコンテストで最終候補に残ること、もしくはKaguya Planetに作品が掲載されることは、ひとつの大きな目標でした。それを上回る結果に驚きつつ、喜びを噛みしめています。
大賞を受賞された暴力と破滅の運び手さん(「マジック・ボール」推し作品でした!)、読者賞を受賞された牧野大寧さん、おめでとうございます。
他の候補作も素晴らしいものばかりで、この10作で最終レースを走れて幸せでした。『新月2』でまたご一緒できることが、光栄で、恐ろしいです。
***
以下の文章は、「叫び」を執筆した経緯について書いたものです。
いったん送り出した作品については、あまりコメントしないよ��にしています。作品の陰から糸川という人間が顔を出したところで、ノイズになることはあっても、プラスに作用することはない、余計なことはしゃべらず黙っとこ、という考えです。
今回、例外的にやってみようかな、という気になったのは、過去の二度のかぐやSFコンテストの際に、最終候補作の著者の幾人かが思考の過程をブログなどで明かしてくださったことを思いだしたからでした。それらの文章に、その向こうに覗く生身の人間のすがたに、技術面においても精神面においても、大いに助けられてきた。その一つひとつをふりかえっていたら、自分もなにか書いておきたくなりました。
長くなりますが、よろしければお付き合いください。
ーーー
・テーマ「未来のスポーツ」への率直な感想:
お題発表を受けての率直な感想は「むり」でした。
スポーツは苦手です。興味も、あるかないかで言えば、ありません。
なんとか書けるかもしれないのは、経験のある水泳、持久走、バスケットボール?
あるいは(ここ数年の自分の関心事項のひとつが「人間以外の生き物との共生」なので)動物が関わる流鏑馬、乗馬、競馬、ドッグレースあたりならば、興味が持てるかもしれない。
そんなところからネタ出しをはじめたのですが、良い案が浮かばず、足踏み状態がつづきました。
ちなみに、オリジナルの競技を作ることについては、考えもしませんでした。4,000字の尺のなかにルール説明から競技シーンまでを収めるのは技術的に不可能だと思ったからです。この難題に果敢に挑んだ作品のひとつ「城南小学校運動会午後の部『マルチバース借り物競走』」の読者賞受賞は、嬉しく、気持ちのよいものでした。
ーーー
・「かぐやSFコンテスト」という場をふまえて:
「私たちは、”世界の人々に読まれる”という前提でSF小説を書いてもらうこと(略)で、日本のSFを更に前進させていきたいと考えています。」
コンテストのステートメントにあったこの言葉を、私は以下のように解釈しました。
「もしも世界中のひとと対話ができるなら、なにについて話したい?」
わくわくする問いかけです。遠くを見ようとすることで視野が広がり、ふだんの自分には書けないものが書けるような気がしてきます。
伝えたい、とか、訴えたい、とかではなくて、意見を交換し、語りに耳を傾けあい、それぞれの日常に戻ってからも考えつづけたい。そんな、私たちみんなにとって大切な話題ってなんだろう?
ただ、これに拘りすぎると、おそらく作品が押しつけがましくなってしまいます。
あまり意識せず、だけどふんわりと頭の片隅に漂わせておく。そのていどに留め、モチーフやテーマを探しつづけました。
ーーー
・はじめに書こうとした話:
デザインド・アスリート(競技をするために遺伝子操作で作り出された強化人間の意。造語)の女子短距離走選手が、事故によって心身に傷を負う。乗馬療法を受けるために訪れた牧場で、彼女は、今は存在しない競馬という競技のために作られた、サラブレッドという種の馬と出会う。役目を失い絶滅危惧種となったサラブレッドと交流するなかで、その姿に自分自身を重ねるようになり……
という話を考えていました。
ざっと書き、捨てました。
これじゃ、馬が人間を描くための道具になっている。
ーーー
・馬を描くなら馬の話を:
人間を描くための道具として、馬を使いたくない。そう思ったのは、私が日頃から人間中心主義を居心地悪く感じているからです。馬を出すならば馬の話を書こう。そう決めて、最初の案はボツにしました。
でも「今は存在しない競馬という競技」という切り口は、悪くないかも。その世界の競馬は、どうしてなくなったのだろう?
答えを探しつつ調べものをしてゆくうちに、徐々に「叫び」の原型が定まってゆきました。
人間を描くための道具として馬を使いたくないと書きましたが、馬を描いたことで人間の話にもなるのは、大いにありです。
結果的にはそういう話が書けたのではないかと思っており、また、感想のなかにもその部分を汲み取ってくださったものをみかけ、ありがたいなあ……と頭を下げました。
ーーー
・馬をどう描くか:
おおまかな形が定まってからも、考えることは尽きませんでした。
もっとも大きく、かつ根本的な悩みは、「馬と人間の関係」や「馬(をはじめとする動物)の倫理」というテーマの難しさでした。
この複雑で繊細な問題を、資料から得た知識しか持たない自分に扱えるだろうか。馬の関わる産業と文化を、覚悟をもったうえで馬とともに生きている人たちを、ただ雑に批判することになってしまわないだろうか。
また、語るため��言葉をもたない相手の声を都合よく捏造して「代弁」するのは、暴力的な行為でもあります。
馬という、おそらく人間とはまったく異なる形をした心をもつ存在を、人間に寄せた形で描くことが、このテーマを扱う上で最適な方法だとも思われない。
にも関わらず書かずにいられなかったのは、改めて資料にあたればあたるほど、前々から気になっていた馬と人間の関係の不均衡性から、いよいよ目を逸らすことができなくなっていったからです。
人間とともに走ることを愛し、競走馬として生きることに幸福を感じる馬も、もちろんいるでしょう。
けれど、かれらの陰ではデビューに至らなかった馬や引退した馬がモノのように処分されている。その数は、日本だけでも年間七千頭と言われています。競走馬として脚光を浴びた馬であっても、レース中や調教中の怪我が原因で安楽死させられるケースは跡を絶ちません。過酷な日々を通じて身体に蓄積してゆく負担の大きさゆえに、寿命も短くなる傾向にある。
この状況を「そういうもの」として見過ごしていいのか?
私には、そうは思えませんでした。
馬と言語によるコミュニケーションをとることが現実的に不可能である以上、その「声」は想像することしかできません。それは代弁と紙一重の危うい行為であり、どこまでいってもエゴの域を越えられない。それでもなお、そういった試みがまったく存在しないよりは、マシなのではないか。少なくとも私自身は、一度作中で扱った問題に対して無関心でいられなくなる。ひとりの人間を変えることができるのであれば、その物語は、書くに値する。
こういった思考のすえ、「叫び」を書くことに決めました。
「叫び」は、馬と人間の対話の、単にひとつの可能性にすぎません。まだまだ、もっともっと、他の可能性も見てみたいです。作品としても、作品の外でも。この掌編がそのための呼び水となるのであれば、本望です。
ーーー
以上が、私が「叫び」を書くに至った経緯です。
「未来のスポーツ」というお題と真っ向から向きあったというよりは、テーマを足がかりに自分の書きたいものを書いた。それが率直な実感です。
このお題がなければ書けなかったものが書けたし、今の自分にできることを全力でやりきった。その点では満足していました。
でも、これじゃ受賞は無理だな、とも思いました。大賞や読者賞にふさわしいのは、もっと正面から未来のスポーツを描いた作品です。
だったら、「最終候補入り」は?
それならば、ひょっとしたら、あり得るかもしれない。
ふたを開けてみるまではわかりませんが、なんとなく、応募作には人間の競技者を主人公とするものが多いのではないかな、という気がしていました。
もしも最終候補に残った作品がぜんぶ人間の話だったら?
それよりも、9人の人間にまじって馬が1頭走ってる眺めのほうが、なんかよくない?
そんな光景が見たくない?
最終候補作が発表される前の数日は、そんなことをぶつぶつ言って、自分を奮い立たせていました。
が、いざ「叫び」が選ばれたと知ると、���ってきたのは驚きでした。
ひとしきり騒いだあとで、じーんとしました。
あれを? 選んでくださったのですか? 未来のスポーツというテーマで? 本当に?
審査員方々の懐の深さに打たれ、清々しい敗北を喫したような、おかしな気分になりました。
それだけで十分に嬉しく、ありがたかったのに。まさか審査員特別賞という賞までいただけるだなんて。
審査員を務められた磯上竜也さん、井上彼方さん、岸谷薄荷さん、佐伯真洋さんは、いずれも作品や活動を通じて一方的に存じ上げている方でした。読み手としてだけではなく、人としても信頼できる方々。優しく誠実であろうとするがゆえの、シビアな目をお持ちの方々。そのようにお見受けしていたため、この4人に作品を読んでもらうのか……と思うと、わくわくするのと同じぐらい、胃が痛くなったものです。
選評を読む際は、緊張しました。
すべて読み終えてから、手紙みたいだ、と思いました。全力で書いた手紙に、全力のお返事をいただいた。そんな感覚です。
尽くしてくださった言葉から、「未来?」と戸惑い「スポーツ?」と疑問符を浮かべつつも、作品の声に耳を澄ませるようにして読んでくださったことが窺い知れ、「叫び」の肩をたたいてやりたくなりました。よかったねえ、こんなに真剣に、大切に読んでもらえて、お前は幸せものだねえ、と。
また、期間中の感想にはレギュレーション違反を避けるために反応できませんでしたが、みつけられたものはすべてスクショを撮り、何度も何度も読み返しています。
審査員のみなさん、読者のみなさん、読んでくださり、感想を言葉にしてくださって、本当にありがとうございました。
受賞はこのうえなく幸せなことです。
が、終わってしまえば、これもまた、ひとつの通過点にすぎません。
『新月』では何を書こうかと、今はそれで頭がいっぱいで、すでに胃がキリキリしはじめています。
ーーー
最後に。
冒頭にも書いたとおり、私にとって、かぐやSFコンテストで最終選考に残ること、もしくはKaguya Planetに作品が掲載されることは、ひとつの大きな目標でした。
Kaguyaにこだわる理由はたくさんあります。
そのうちのひとつが、Kaguyaは物語の力に対して自覚的な人たちが集まる場所だから、です。
SFには未来を引っぱってくる力がある。そのSFのための場を作る人たちと、そこに集う人たちの多くが「誰の足も踏まない」という意識を共有していることに、大きな希望を感じています。
その一員でありつづけられるよう、いっそう精進いたします。間違えることだらけの未熟な人間ですが、これからも見守っていただけますと嬉しいです。
ーーー
〈補足〉
作中にマヌエラという人物が登場します。説明不足で伝わらない部分があったようですが、私は彼女を女性として書きました。(「マヌエラ」は、女性に多くみられる名前だと認識しています)マヌエラとエバは、レズビアンのカップルです。
SFを書く際は、現実の社会にふつうに存在しているのに透明化されがちな人たちを「なんの必然性もなく」登場させるよう心がけています。善良でもなければ悲運を背負わされるわけでもない、ただふつうに生活していてふつうに恋愛をしてふつうに破局したのであろうふつうのカップルとして、二人を描きました。
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tokyomariegold · 2 years ago
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2023/4/1〜
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4月1日 新年度の不安爆発中。 仕事のこと、というより新しい人間関係のことで、まだ始まってもいない、全く未知の星たちとの関係を勝手に予感しては怖がっている。 とりあえず社会ではできないことを無理に頑張っても誰のためにもならないので、無理はしないことを気をつけたい。
そんな最中で長島先生とのレビューをした。 オンラインで10:00から。それまでに昨日はやっぱり目が冴えて頭も落ち着かず、短い睡眠時間にも関わらずレビューまでにシーツの漂白や新しいMacのセッティングをした!えらい!
心が無からの不安で社会に持って行かれていたので、こんな状態でちゃんと先生とお話できるかしら…?と思っていたけれど、伝えたいこと、聞きたいこと、を心残りなくやり取りさせてもらえて、とても幸せな30分間を過ごせた。 「先生って言わないで!」と言われていたのに、最後まで「先生」と呼ばせてもらった気がする。 作家として続けていける人と言ってもらったり、“いて欲しい人”だと言ってもらえて、長島先生から、というより他人からそう言ってもらえて生きてて良かったし、写真を撮って何かしらの作品(?)つくりやインターネットをしていて良かったな〜、と思った。
写真と文章についてのお話をお訊ねできた。 またお家に行かせてもらう約束ができた。(以前、暑中見舞いをポスティングして帰ったことがあって、玄関前で買ったりしないでね!と言ってくれた。)
30歳で消えるはずだったんだから、もうなんでも好きにやってみて傷付いて悲しくて泣いてそれでもまた何か作ったりして生きてみれば良いのかもしれない。 19時以降受け取りの宅急便が来ません。
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4月2日 昨日の書き忘れ。 ・ちーちゃんが写真を送ってくれた。 ・去年、療養期間に窓の外で取り壊されていた戸建てのお家が、気付いたら新築されていた。 ・ラロッシュポゼの日焼け止め下地を買って夏の準備。
今日は曇りで少し埃っぽい春の、薄着と新しい軽いスニーカーで足取りふわふわの身体で、イヴを飲んでいないはずなのに、くるくると忙しない気持ちと頭で、会った友人とこぼれる様に喋った。 頭の回転が軽くて、もっと置く様に考えたい!喋りたい!と思っていた日。
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久しぶりに吉祥寺へ行き、てらおかさんの展示を観た! 久しぶりでも、前回訪れた時からそんなに変化はなくて、私の懐かしみたい吉祥寺はもうずっと昔に消えていたことを改めて実感。近江屋喫茶店はホテルショコラになっていたし、街全体がショッピングモールみたい。
でも井の頭公園とかアーケードの商店街のメンチカツの人の多さを確認して、中央線の無駄に人が多い感じを楽しんできた。吉祥寺へ向かう中央線で、新宿を過ぎ中野あたりで“LOVEずっきゅん”がヘッドホンから流れてきて「iPhone先生…!」となる。
てらおかさんの展示をみて百年で本を眺めて、混んでいるカレー屋さんを何軒か通り過ぎて、結局吉祥寺でやりたいことって何も無いのでカルディと靴下屋に行って、友人との待ち合わせへ向かった。
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離婚するかも、と伝えられていた友人に会うのを少し緊張しながらも、何も慰めモードになっていない自分がいて、何なら「人生どう?」みたいなテンションで待ち合わせへ向かっていた。 展示の候補のギャラリーを観て、西村カメラの店主さんにギャラリーのアドバイスを伺って、ルノアールでお茶をした。
そこまで立派に写真展をしたいわけではなかったけれど、写真に縛られずとも、作品を世の中全ての方を対象に、観て欲しい!と思っているので、ある程度ギャラリー選びをした方が良いと思わせてくれた。
明日からの新年度の不安を少し忘れる時間ができてよかった。帰りの乗り換え駅で、リクルートスーツできれいに決めた女の子が、鬼カロリーデニッシュパンをかじっていた。 明日から多分しばらくは、度々、不安でお手洗いで泣く日々なんだろうな。
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tanakadntt · 2 years ago
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唐澤さんオタオメ〜
シリアス
大人のする未来の話
一 未来の話
「三輪くんは幹部候補じゃないよね」
問われた三輪秀次は何とも言えずに無表情で彼を見返した。
実際、何も言えない。わからない。わかるわけもない。
いや、どうだろう。遠征選抜試験の直前である。
隊員である自分には全容は明かされてはいないが、伺い知ることのできる内容を鑑みるにわかっておかないといけないことのようだ。
ボーダー内での自分の立ち位置、自分の能力、自分の意志をはっきりと認識しておく。
ロジカルにもフィジカルにもメンタルにも厳しい試験だ。三輪���では、古寺の一次試験からの参加が既に決まっている。古寺頑張れ。古寺偉い。お前ならできる。
黙っているのをどう受け取ったか、
「そんなに警戒しないでも」
同じ城戸派だろと唐沢克己はニコリと顔に屈託のない笑みを乗せた。
まだ、誰もいない会議室だ。出張から今朝帰ってきて時間が中途半端に余っちゃってね、早めにきたのだと言う。三輪は会釈をして壁際に立った。
あまり唐沢と話したことはない。苦手ではない。話すことがないだけだ。忙しい人であるし、接点も少ない。この人のおかげでボーダーがまわっていると皆が口を揃えて言う。三輪もそう思う。ボーダーがボーダーたり得る体裁を保っていられるのはこの人の働きによるものだ。
そして、今回の選抜試験の最終的な決定権を持つ一人でもある。A級部隊は正式には戦闘試験からの参加となるが。
この質問は、試験の一環なのだろうかと三輪は考えた。参考程度の。
「上層部の決めることです」
「自信があるんだね」
そう返されて、戸惑う。挑発的とも取れる言葉と裏腹に唐沢からは敵意は感じられない。むしろ、彼は不思議そうに首を傾けた。
「君はここについて知らないことが多いだろうに」
「……」
ボーダーには、旧ボーダー時代に繋がる秘密がある。古参隊員と言われる自分でも触れられない部分だ。
上層部と、さらに昔から在籍する者たちがその秘密を共有している。
その僅かな人間同士は、化かしあい、足を引っ張り合っているのを三輪は知っている。だから、深く知らないほうがいいと思っていた。
あの人たちが仲がいいのか悪いのか、いつも判断に苦しむ。真剣ではあるが、彼らの化かし合いは時として楽しそうにも見えるのだ。
現に目の前の唐沢など生き生きとしている。三輪は唐沢が自分との会話の時間を取りたくてわざと早く来たのだとようやく悟った。
「隊員ですから」
知る必要がないと判断されたら、知らないままでよい。
言外に伝えると、
「殊勝だねえ」
と笑われた。
「期待してるんだよ、頑張ってよ城戸派筆頭」
城戸派閥最大の人物はあなたではないかと言いかけて、三輪は黙った。
「未来の話だよ」
急に唐沢の体が大きくなってその影に入った気がした。
「ねえ、君、幹部候補じゃなかったら何だと思ってる?」
ニ 大人の話
唐沢克己は林藤匠を待っていた。
本部地下の駐車場へ続く廊下である。会議は遅くまでかかった。この時間は歩くものはいない。
「唐沢さん、何か…?」
「長期遠征選抜試験の前にね、ちょっと」
唐沢は話をしませんかと誘った。
駅前のコーヒーショップは酒���も出すから遅くまでやっていて、しかも喫煙席がある。年々、愛煙家は肩身が狭くなる一方だから、貴重な場所だ。唐沢は根付に苦い顔をされながらも本部建物内喫煙を死守している。林藤玉狛支部長は貴重な煙吸いの同士であった。
コーヒーを飲みながら煙草を吸う、という一見器用な真似を
しながら、唐沢は口を開いた。
「今回はお金を遣いますよ」
「ああ、まあねえ」
メディアの前で大々的に打ち出した長期遠征のことである。
のんびりと林藤は煙を吐き出す。
元々、ボーダーはお金を浪費するばかりの組織だ。近界の技術や情報を小出しに売ってもこちら側には役に立たないことも多い。玄界は役に立つことが金になる世界なのだ。
遠征の予算を計上した結果、はじき出された莫大な金額を思い浮かべた。
「でも、唐沢さんなら大丈夫でしょ」
林藤が続けると、私が何もしなくてもお金は入ってきますと唐沢は肩をすくめた。
「遠征とは随分魅力的な言葉らしくてね。
目ぼしいところはみんな我先に出してくれます。乗り遅れたくないんでしょうね」
支援者は国内だけではない。企業だけでもないことを唐沢は告げた。
思いのほか、でかい話になったと林藤は思う。
近界は、もはや得体のしれない異世界ではなく、利益を生み出す可能性を秘めた新天地であった。利権争いはもう始まっている。玄界は役に立つことが金になる世界なのだから。
拉致被害者の救出を掲げた遠征がどのような結果で終わろうとも、一度出来た道は閉じない。近界もこちら側も今までと同じではいられないだろう。トリオン研究も金があれば、さらに進む。
この遠征をきっかけとして、二つの世界は大きく変わっていくはずだ。
「この流れを作ったのが、わずか十五歳の少年とは、」
「随分、三雲を買って頂いているようですが」
林藤は唐沢の言葉を遮った。が、彼は構わず続けた。
「あの年齢であの胆力、気に入っていますよ。いやはや、先が楽しみだ」
唐沢は本当に楽しそうに最後まで言ったあと、不意に話題を変えた。
「遠征試験は幹部候補の人選も兼ねていますけど」
「そうですね」
唐沢は少し声を小さくした。
「僕も卒業の準備かなと思うわけです」
「ご冗談を」
林藤は二本目の煙草に火を点ける。唐沢との密談はたまにある。一方的に彼が誘い、本部側の情報を伝えて終わる。その情報に見合うだけのものを彼が欲しいときだ。
「外務部長のお仕事がさらに忙しくなるのはこれからでしょう」
「だからこそですよ。何事も準備がものを言います」
唐沢の言い分にも一理ある。支部長は気楽でいいと林藤は思ったが、心のうちに留めておいた。
そして唐沢は意外なことを言った。
「今度の遠征試験で見つけられたらと思ってますよ、僕の後継���を」
「後継者ですか」
五年近く前に城戸に請われて来た仕事請負人だ。請け負った仕事が終われば、いつかいなくなるかもしれないと思っていたが、後継者とは。
「唐沢派の誕生ですか?」
揶揄すると、動揺もせずにニコリと笑った。
「とんでもない。ボーダーに拾われて五年、城戸さんの元にいて考えを改めることもあってね、僕なんぞでも若者たちに残せるものがあればと思いまして」
若者たちの将来にね、と唐沢は言う。
若者のためと言いながら、辞めていく隊員の記憶操作をし、三雲を利用しようとする。二枚舌も甚だしい。林藤は本部の、城戸のやり口が嫌いだ。
わずかに眉を寄せて不快感を示した林藤にお構いなしに、唐沢は続けた。
「それで、城戸さんは誰を後継者に考えてるんでしょうね」
「先ほどね、会議前にちょっと三輪くんと話したんです」
話題転換が多い男だ。三輪秀次もまた利用されている子どものひとりだ。あれよあれよと言うに城戸派筆頭などというものに祭り上げられている。
「僕たち、こんなに先のことを考えてるのに今日、三輪くんと話したら、先のことを考えてないって言うんですよ。ただ、高校卒業後はボーダーに専念したいと」
参ったなあ、と煙草を持った手で形のいい眉毛をなぞる。そんな仕草が似合う。唐沢は伊達男だった。
「若者の特権ですよ」
「木ばかり見て森を見ない」
「それも特権です」
恐らく二つの未来があるんです、と唐沢は続ける。
「交流が始まっても、いや始まるからこそ、紛争が多発するのはどこの世界でもそうでしょう」
政治は血を流さない戦争であり、戦争は血を流す政治であると言ったのは誰だったか。
「ポストボーダーの未来の一つは現ボーダーをさらに拡充し、あちら側からの防衛を全世界に広げた機関」
地球防衛隊ですね、と呟く。その言葉はひどく滑稽に聞こえた。
「そして、もうひとつ。現在とまったく違うボーダー。
僕がここに呼ばれたのは、元々、民間組織として独立するためです。
ボーダーが民間組織である必要性を常々考えているんですよ。
国家に所属しない何か。こちら側にもあちら側にも与しない。
それはもう第三勢力と考えてもいいんじゃないですか」
「実は、僕は城戸さんは防衛機関をさっさと誰かに譲って、そちら側に行ってしまいたいんじゃないかと思ってる」
「旧ボーダー、現ボーダー、ポストボーダー」
歌うように唐沢は単語を並べた。
夢のような話だ。林藤は釘を刺しておくことにした。
「後継者を三輪とお考えのようですが、彼は選択外でしょう。未熟ですよ。もっと向いている人材はたくさんいる。幹部の中からさらに選ぶという選択肢が現実的ではないですか?」
「今のところ、城戸さんに一番考え方に近いと周りに認識されているのは三輪くんでしょう。あの通り、素直で真面目な子だ。城戸さんのやり方をそのまま残せる。近界民への敵意が難点でしたが、それも最近は落ち着いてきた���うだ。
なに、若者はいくらでも伸びしろがありますよ。それに、貧乏クジを引��てくれそうな人物を考えていくと…」
「貧乏クジですか」
「貧乏クジでしょう」
唐沢はニコリと笑う。
他をあげるとすると、と続ける。
「唯我くんも候補にあがっていると言う話がありましたが」
「知っています」
林藤は固い声で答えた。
唯我尊がボーダーに入隊するにあたり、検討された事項である。
「ご実家の意向ですね。尊くん自身の適性というより利権の話になる。ここまで話が大きくなると、ボーダーを支えるのが唯我グループだけでは弱い。それに、組織が一企業に下るのは、林藤さん、あなたが許さないでしょう」
「…もう、事実上そうなっているでしょう」
そうおっしゃる? 私の力不足ですね、と営業部長は頭を下げた。
「ね、だから、貧乏クジなんです」
「あなた方はずっと喧嘩をしていらっしゃる」
「……」
誰と、とは聞くまでもない。林藤は否定はしなかった。
「あなたには、迅くんがいる。
それだけでも大きなアドバンテージを持っていらっしゃるのに、まだまだ満足されない。あの可愛らしい殿下のことは別としても、最近では、ヒュースを手に入れた。本部が排除できないように非常に巧妙に。
何より、空閑です。黒トリガーを持っている。最上氏の忘れ形見だ。実動部隊に影響力の大きい忍田さんは必ず空閑の味方になる。
そして、あの近界民が言うことを聞くのは三雲くんだけじゃないですか」
「あなたが三雲を評価するのはそのためですか?」
「普通の子ではできませんよ」
唐沢は悪びれもせずに言った。
「それだけじゃない。
風間くんは三雲くんに好意的だ。太刀川隊の、出水くん、唯我くんの弟子になったのは大きい。雨取くんのことで、東くんとも縁ができた。
鬼怒田さんは技術者だ。自分の能力が存分に振るえる場があれば満足する。そうだ、あなたにはもうひとり近界民がいましたね。根付さんも三雲くんを認めている。もちろん、僕も。
彼には大いに期待してるんですよ」
「大の大人が中学生に何を期待するのです?」
「ポストボーダーですよ」
ねえ、林藤さん。唐沢は肩をすくめた。
「子どもを利用するのはおたがいさまではないですか」
「…一緒にしていただいても困りますね」
「…喧嘩でもないんですよ。主義主張の違いという奴でね」
目指すものが違いすぎるのだ。
「喧嘩ですよ。あなた達は歩みよろうとしない。お互いに優位を競い合っている。林藤さん、また隠し玉を増やしているでしょう」
「何のことでしょう?」
ガロプラとの同盟の件は迅の予知も使って、慎重に行なった。
これは唐沢のブラフだろうと林藤は踏んだ。恐らく、本部で三雲と話して何かあると感じただけだ。
「結局のところ」
あっさり唐沢は引き下がったが、注意深くこちらを伺っている。
「鍵を握るのはあなた方二人の喧嘩の行方だ」
林藤は、腕時計を見た。
「もう、こんな時間だ。唐沢さんは明日も早いでしょう」
唐沢も客の少なくなった店内を見渡した。伝票を持ちながら、立ちあがる。それでも、なお言葉を紡いだ。
「迅くんにはどう視えているんでしょうね」
けれど、僕達にも見えますよね、未来。
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smapwpgas · 2 years ago
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ばーか 滅びろ海底都市!!〜結局家父長制批判できてないじゃん?なんなの?〜
いつか一緒に輝いて
※!注意!※ 以下の文章を読んで”女”が意見を発していることに対して腹を立てた人は真面目に頭と心が心配なのでカウンセリングなどの精神的ケアを受けることをおすすめします。 また、この警告文の意図するところは文字通りのものであり、内容に関して疑問や反論の余地がないと主張するためのものではありません。 文中で使われている「女性蔑視」という言葉は女性や女性性に対して嫌悪感を向けることではなく、女性であるという理由で親によって誰と結婚するのかを決められたり労働で自活することを許されなかったりするような女性の意思と自由を認めない考え方を指します。 いちばん大事なこと:悪いのはキャラではなくシナリオ
頭から結論
「約束の海底都市(カナーン)」(以下海底都市)のここで説明する問題点は大まかに分けて以下の5つ。 1.「カナーンは自由な理想郷だよ」→「カナーンは決して理想的な世界ではなく滅ぶのは必然だった(でも次の世界には希望があるよ)」→「カナーンはやっぱり滅ぶべきではなかった理想郷(次の世界には行かせましぇーんwww)」というガバガバっぷり 2.カナーンが理想郷でないことを示す「一人を犠牲にするシステムの過ち」に気づいたはずのダゴンを責められるところのない被害者扱いしてヨシヨシしたこと 3.そもそもそのヨシヨシそのものも主人公をヨシヨシハーレム接待させるための言い訳だったこと 4.全体的なバランス感覚の欠如のせいでアスタルテの扱いが無意識に女性キャラクターを軽んじるような含みを持っていて、あらゆる性の包括というゲームが掲げるコンセプトが実現できていないと感じさせてしまうこと 5.「『男らしさ』の呪縛」からの脱却をシナリオのテーマに含んでいるはずのゲームで家父長制の価値観を否定せずに終わらせたの���不誠実であること
1-1.「カナーンは自由でいいとこ」という大嘘
冒頭で操作不能時間を無駄に食う演出で説明される自由な愛(笑)の世界というカナーンのイメージに対してその中で繰り広げられている″後継者″問題は「『全員が男性の候補者』が『王の血を引きながらも継承権がない=飾り物のトロフィーである女性(男のように力がなければ父親に認められないと考えている)』を力を誇示して奪い合う競争」というガチガチの家父長制と女性蔑視と異性愛規範のトリプルコンボ。 これ3周年記念イベントですよね? 「女は何を言っても取り合ってもらえない」というのがリアル(かつ時代錯誤)な女性蔑視で辛い。
※「それぞれの性別が限定されてるなんてどこにも書いてないぞ〜」とかいう脳みそ使わずに3秒で出せる事実に対して仮定を持ち出す反論は結構です ※「女が腕力ないのは事実だ〜」という反論も作中では個の資質ではなくどの役割にいるかで力が決まるという描写があるので無駄です
1-2.家父長制はクソ
Q.家父長制ってなーに? A.ググれ
家長が女性で強い権力を持ってるパターンは今のイギリス王室とか見るとわかりやすいんじゃないすかね。 「男は狩りに行き女は家を守る」というジェンダーロールが保持されていても「男が家にいなくていつ死ぬかわからないなら女が家を仕切れば良い」と判断される場合家長は男のみという縛りはないので家父長制は「男という特権がなければ家長の座を獲得できない」という二重の特権になる。
家父長制の問題は男であれば家長としての権力が付随するかのような認識が広がること、というよりも家父長制と男性絶対優位の価値観がそもそも鶏と卵の関係にある。 相対的にその権利を持ちえない女性は軽んじられることになるので家父長制的な価値観を押し付けられるとめっちゃ怒る。 「女は嫁いで子供を産ませる以外使い道がないんだから勉強なんかさせても無駄」みたいなアレ。
1-3.家父長制の毒は他人事ではない
これは別に陰謀論とかではなく家父長制は現代社会の価値観の根底に存在するものとして深く関わっていて、 悪意を込めて要約するとつまるところ全てはチ◯ポの価値の証明ためにあるという考え方なので「男が女を所有し女は男に仕える」という格差付きの異性愛規範とシスジェンダー男女の生殖を伴う結びつきだけが結婚であり、それ以外には価値がないとする価値観として現実に反映されている。 国によっては同性2人の家庭で子を設けたり養子を育てるための法律があるが、男らしさ至上主義としての家父長制が浸透した価値観の下では「男らしさの証明として男が女を征服して″産ませた″子供」だけが肯定されるべきと考えられているのは明らかであり、ここから生まれる血統・血縁主義はまさしく7章で否定したところにも繋がっているので、カナーンのあり方は放サモのシナリオにおいて肯定できるものではない。
2-1.「一人を犠牲にするシステムの過ち」に気づいたはずのダゴンへのヨシヨシおかしくない?
カナーンの滅びは必然的なものだった、アスタルテが苦しんでいたことにようやく気づいたというのが5話ラストでのダゴンの言い分。 つまりこの時点でのダゴンの物語は「作り出した世界は完璧なものではなく、子供を幸せな環境で育てることにも失敗した父親が次世代には次のチャンスがあることを伝えて去っていく」という形で完結している。 ところが6話では謎のカナーン激烈掌返し*が発生して「ダゴンはエデンによって一方的に滅ぼされた被害者なので本人にも作った世界にも欠陥はない。なのでなんの反省もせず生き延びて当然」と話の骨子が丸ごと入れ替わっている。脳みそスポンジか?(悪いのはキャラではなくシナリオ)
*わかりやすいカナーン激烈掌返しの図 https://twitter.com/rokunai/status/1331748214752436224
2-2.ダゴンはなにがダメだった?
自分が創造主である世界を存続させたい、父親役を永遠に続けたいというのは庇護ではなく支配であり、相手に対して自分よりも劣った無力な存在のままであれという傲慢とも言える。 だからこそ秘島ではトリトンが島での学校のロールプレイを離れ、キジムナーは子供の世話を焼く喜びを諦めていた。 スルトもシノも扱いは「これから成長して盛りを迎える子供たちを見送り、次世代のために自らの滅びを受け入れるもの」だった。 ミカイールの理想は「人間が永遠に無知であること」で、コロポックルの理想は「人間が永遠に無垢(幼稚)であること」で、どちらも自分が(ミカイールの場合は神の威光を肩代わりする存在として)父権的な支配者であり続けることと解釈することができる。 だからといって「父親役ぶん投げて俺だけ別世界行きま~す!あっお前らは俺が作った世界で俺が父親として優秀チ○ポだった証拠としてずっとそこにいろよな(笑)」は論外中の論外です(悪いのはキャラではなくシナリオ)
【ちょっとここで聞いてみよう!こうだったら問題ないと思うよのコーナー】
「諸々あってカナーンのシステムが完全に明確に崩壊してトロフィーの役割から自由になったアスタルテが幼馴染として愛着があるバエルと一緒に居ることを選びました」という展開 →(女性蔑視と融合した)異性愛規範を肯定してはいけない=異性愛を描いてはいけない ということではないのでダゴンの娘という役割の下にないことがはっきりと描かれていればむしろハッピーエンドらしさが強まる。というかそもそもバエルのことが人として好きというオチに対してまっっっっっっっっっったく描写がないのでやっぱりシナリオがクソ
「シナリオからバアル以外の候補者を削ぎ落とし『良い父親ではなかったダゴン』と『反発する感情を抑えきれないアスタルテ』の親子間の問題に絞る」 →アメリカのドラマとかアニメでやりがちだけどマジでこういうのにしとけばいいと思うよ あとどうせモテモテハーレム♡やりたかっただけだろ許さねえぞ(後述)
3.主人公ヨシヨシハーレムによるとっ散らかり
秘島探検隊のキャラクターがアスタルテと入れ替わった主人公に求愛する候補者として登場するのはシナリオの構成に対して明らかな蛇足である。 その中身も「役割に従って求愛しちゃう♡でも恋愛感情があるのは全員本当だょ♡」というシンプルなゴミ。 前作で「愛情は経験に基づいて人格に対して向けられたものだから別人が成り代わることはできない」という描写をしておいて(半分は秘島で過ごした経験に基づいた好意であるとしても)代わる代わる求愛されるモテモテ愛されポジションへの成り代わりをやってしまったのは本当にどうかと思う。
4.女キャラ雑に扱ってますよね?
Q.そんな怒らんでもええやん A.ゲイゲーならまだしもLGBT向けは公式が自分から言い出したことやぞ
前述のアスタルテとの入れ替わりによる(入れ替わりによるものというのがすごく重要)主人公モテモテ描写そのものが、アスタルテの苦しみを全て無視してダゴンを可哀想な被害者に書き換えたカナーン激烈掌返しと合わせて「女は楽だよな~可愛ければ男からチヤホヤしてもらえるんだから」というような女性蔑視の肯定の含みを生み出してしまっている。 公式はLGBT向けを名乗ってはいるけどシスゲイ以外のSOGIマイノリティ以前に女性という「異物」に関して結局なんも考えてない感出しちゃいましたね???というのがぶっちゃけ。
アスタロト&アスタルテというキャラクターの場合は特に、キャラクターデザインを担当した志村貴子の漫画「放浪息子」のコンセプト(「女の子になりたい男の子」「男の子になりたい女の子」の2人を中心に二次性徴に伴うジェンダーへの違和感を描く)を意識して作られているのではないかと推測している(公式で明言されていないのであくまで推測)。 それに従って「自分に割り当てられた性別そのものへの違和感と自分に割り当てられた性別に付随する規範への違和感が人(特に10代の子供)の中でグラデーションになること」を描いたのが間違っているわけではなく、むしろ「アスタルテは男になりたかったわけではない(カナーンで王の娘として生まれたことが苦しみの理由であり、役割に縛られない環境に生まれていれば女であっても同じ苦しみを感じることはなかった)」という結論を出すのであれば生きづらい世界をそのまま残すべきではなかったし、世界を残すのであれば世界のあり方を変えたことがわかる描写を入れなければならなかった。
(2/23追記:さらに言えば、以前https://privatter.net/p/4632768で言及した通りに放サモがウテナから影響を受けている可能性を考えると、アスタルテのトロフィーとしての役割と主人公に役割を譲ったアスタルテが自ら競争の候補者になる展開がウテナで描かれた男に所有される「薔薇の花嫁」とその役割から開放するために戦う主人公を想起させるので、もしもこれが意図的に似せたものであるならばその点でも不誠実な形で仕上げられたシナリオだと思う)
5.父親属性キャラでシコりたいがために日和るな
ライフワンダーズの前身である四畳半的生活の作品は現代の日本の平均を反映したホモソーシャルとホモフォーブがガチガチのおじさんがなんの因果かハッテン重点、同時にその時代の中で抑圧された無自覚な非ヘテロや典型的な男らしさに馴染めないと感じている男性キャラも描いてきたところが魅力だと思っている。 だからこそ放サモではこれからの時代に向けた先進性のあるシナリオが読めると思っていたのでどうしてこうなった?という思いが強い。 あとそれっぽいモチーフとして上辺だけ引用するんじゃなく劇場版ウテナ100回見直して「決闘でやり取りされて嬉しい女の子がいるものか」ってセリフの意味をよく考えてほしい。
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real-sail · 5 years ago
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わたしの勇敢なともだち
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わたしには勇敢な友人がいます 小学生の頃から、わたしが誰かに傷つけられたと言って泣けば代わりに相手を怒ってくれるような子で、間違っていることは間違っていると、先生に向かっても、大勢の前でも、きちんと言える人でした
そんな彼女が先日、わたしが今住んでいるロンドンに旅行に来ていて、滞在最終日には一緒に過ごして、ロンドンの街全体を見渡せる名物観覧車・ロンドンアイに乗ってから空港へ向かいました
わたしが空港に同行したのには理由があります 彼女は旅の途中で、復路の便が先の巨大台風の影響で欠航になったというメールを受け取っていたのです、そこで航空会社の対応窓口に電話をかけましたが、恐らく同じ状況の人で問い合わせが殺到したのでしょう、とても繋がる気配がありませんでした そのためこれは直接空港のカウンターに行くしかないと判断し、彼女は英語を話せないので、わたしは一緒に行くことにしたのです
午後4時頃、空港のカウンターに着いたときには窓口に少し列ができていて、わたしたちもそこに並ぶよう促されました 確か先頭から6番目か7番目だったと記憶しています
わたしたちの後にも続々と、同じ状況の人が並び始めました
でも気がついたら、並び始めてから1時間近く経っても、2つしかないデスクには、それぞれわたしたちが到着した時にいた人たちがずっと変わらずに立っていました、つまり列が進んでいなかったのです
漏れ聞こえてきたことには代替便の候補がかなり厳しくて、当日中に出発したいとリスエストをした場合には、2回くらい乗り換えたり、日本の別の都市の空港に着くという話も出てきました
そりゃあ、より良い条件はないのかと尋ねたくなる気持ちもわかります、交渉に時間がかかるわけです
その列にいた人はほとんどが日本への直航便を予約していた人たちなので、乗り換えは厳しいなあ、でも覚悟せねばいけないんだなあという気持ちを抱いていたと思います
列の少し脇には既に交渉を終えた若いヤンキーチームがいて、それにも関わらずマネージャーと軽い口論になっていたため、困難な状況が伺えました
そして並び始めて1時間を過ぎた頃、ひとつのデスクが対応していた3人組のサラリーマンがついにそこを離れました 列の先頭にいたお兄さんが、腰掛けていたスーツケースからよっこいしょと立ち上がり、多くの人も列が少し動くことに希望を持ったそのとき、もうひとつのデスクに詰め寄っていた旅行会社の添乗員4人組が分裂して、お兄さんの前に滑り込むようにして空いたデスクに座る航空会社の職員に交渉を始めました
なんという華麗な割り込み! お兄さんはへなへなとスーツケースに再び腰掛けました、もちろん後に続いていたわたしたちも愕然とします お兄さんの様子を見ていた人たち同士で目があったりして、わたしたちはコミュニケーションを取り始めました わたしは思わずそのお兄さんに、今自分の番だって期待しましたよね、と声をかけました
列が前後した人たち同士で話し始めたら、だんだんと、それぞれの人が小耳に挟んだ会話から得た情報が集まって、添乗員さんたちが団体の席の交渉をするのに、団体をばらさずに乗せる方法を模索していることがわかりました 当日振替はまず無理、できたとしても2回乗り換え、直航便なら2,3日待つしかないと言われているこの状況で、です!
それは交渉に時間がかかるわけだし、ただえさえ無茶な要求をしているのに、たった2つしかないデスクを占領しているなんて、かなりひどいことです はじめはその状況をなんとかイライラせずにやり過ごそうと思って、わたしと友人でユーモアを最大にいかして、さっきのヤンキーはマネージャーの様子を動画に撮っていたから、きっとこの場にいたらこれも写真に収めたよね、ヤンキーここに呼んでこようか、なんて冗談を言っていたのですが、デスクを占拠されて30分ほどたっても状況が変わらないので、だんだんに列の人たちは怒りが湧いてきました これは声を上げたほうがいいのだろうか、という迷いが生じてきます
そして立ち上がったのはわたしの勇敢な友人でした
「わたし、今すごい言いたい、もう言ってくる」
添乗員に占領をやめさせるべく颯爽とデスクに向かう彼女をわたしも追います 彼女は添乗員チームの間に割って入り「すいません」と言いました
「あの、みなさん同じ会社の方ですよね? だったら1つのデスクにまとまってもらえませんか?」
すると添乗員さんチームが口々に、これまでずっと4人で頭を寄せ合って行動していたにも関わらず、自分たちが2つのデスクを使うことがいかに正当であるか主張し始めました
自分たちは別の担当を持っているんだ、同僚の後ろで待っていたんだ、何時から並んでいる、といった言葉です
友人は、待っているのはみなさん一緒です、と言ってから、添乗員には見切りをつけて、航空会社の人に向き直ってこう言いました
「航空会社さんのほうでも、団体と個人は受付を分けて対応するとか、していただけないんですか」
するとデスクでパソコンに向かっていたお兄さんは慌てたように、自分はそういうことはほかの職員がやっていると思っていたからと口籠ります そのときお兄さんは一旦団体をひとつのデスクにまとめようとしたように見えました、自分が向かい合っていた添乗員さんに、今自分がおこなった作業を一度改めて、隣のデスクに移してもいいですか、とまで言いかけたのに、添乗員さんは睨んでそのセリフを最後まで言わせませんでした 
そこでお兄さんは、他の職員に団体と個人を分ける対応をやってくれるように伝えてきます、と立ち上がったものの、でも自分がそれをすると振替の手続きがもっと遅くなるけれどいいですか、と言い出したので、わたしは友人の後ろから「だったらこちらがほかの人に言えばいいんですか」と言いました 頷いた航空会社の人を見て、わたしは列の先頭で待つお兄さんに「荷物見ててください!」と言い残し、その足で友人を伴ってフロアを暇そうに漂っていた同じ会社の職員さんたちに声をかけに行きました
そこにいたのは現地スタッフばかりで英語が必要だったので、わたしが要望を伝えました でもその職員さんたちにできることがないのもすぐわかりました、希望を伝えたら上の人上の人に伝えていくばかり、さらにはわたしたちをただなだめようとする人に突き当たったので、その人と話しても不毛と思い適当に切り上げました
少し諦めた気持ちで列に戻ると、わたしたちの後ろに並んでいた現地在住の日本人マダムが、今ここに航空会社のマネージャーを呼んだ���ら、と言いました 現場でこういうことが起きているのを、マネージャーは把握して整備する責任がある、とマダムは言います、マダムもわたしと同じように、ロンドンを訪れていたご友人の予約便の欠航にあって英語の補助をしようと空港にやってきた方でした
ほどなくやってきたマネージャーは、完全にクレーマーの処理をしにきたという体で、来るなり淀みのない謝罪の言葉の数々を口にし始めました、まるでそれは英会話指南本の謝罪のページのよう そのあまりに不誠実な態度にマダムは怒り心頭、マネージャーの声に被せてでも希望を伝えようとしましたが、マダムが何を言おうとしても言葉を遮って一言も聞かずにただただ大きな声で謝罪を口にするので、マダムはやがて「あんたの話なんて聞きたくない!」とそっぽを向くそぶりを見せました
その様子が見るに堪えず、わたしも思わず口を開いていました
「Excuse me, sir. わたしたちは台風の被害が大きいことなんてよくわかっているし、お宅が欠航したことを責めたいんじゃない、今ここで、お宅の職員が誰も列の進行を気に留めてないことが問題なんです、いいですか、わたしたちの要求はひとつです、団体と個人の窓口を分けてください!」
「団体だって個人の集まりです、わたしたちは個人をないがしろにしません!」
「でもあの団体はひとまとまりに座ろうとしているんですよ! そんなの個人じゃない!」
マネージャーはカウンターは長く待たせることが見込まれていたから、ホームページに「電話を推奨する」と書いているんだと言いました いやいや電話が繋がらないから来たんだよとマダムとわたしが幕したら、わたしの隣にいた現地人の女性が「だったら今ここでかけてみたら良いの?」と訊いたところ、マネージャーは「でも電話窓口は15分前に閉まりました」と返します
その女性が続けて、わたしはホームページで定刻運行という情報を見て来たんだけど、と問えば、あなたが見ているのはコードシェアをしている会社のもので、そこまでうちは管理していないし、うちは正しい情報を出した、とマネージャー 結局女性はカウンターに見切りをつけて、その場で別の航空会社の便を自腹で購入し、それは4日後のものだったそうですが、予約していた便をキャンセルすると言って列を離れました
背後の状況にさすがに恐れをなしたか、気がついたら添乗員チームは再び合体してひとつのデスクにまとまっていました しかしマネージャーはこちらがもはや聞きたくないと言っているのに延々謝罪を怒鳴るため、マダムとわたしとマネージャーの闘いはこのあとも少し続いて、その様子を添乗員チームはせせら笑いながら見ていました
マネージャーが何の利益も残さずにやっと立ち去り、わたしたちが並び始めてから2時間近くたって、ようやく添乗員チームはデスクを離れました 後ろの人たちに一言でも詫びがあれば見直したところですが、こちらをちらちらとうかがいながら、しれっと去って行きました
そのあとの経過はまあまあです、先頭のお兄さんが去り、そのあとにいたご夫婦は一旦提示された案に苦笑いで頭を抱え別の選択肢も検討している様子でした 少しずつ流れるようになった列の中で、マダムとわたしはお互いを労い、お互いのゲストの幸運を祈り合いました
マダムとそのご友人は、我が友に、あなたが初めに声を上げてくれたから、旅行会社は占領をやめて、列が動くようになったと言いました 結局わたしたちは旅行会社が無茶な要求をするのをやめさせることも、航空会社に団体と個人の窓口を分けてもらう希望を叶えたわけでもないので、心から謙遜しましたが、マダムは、こういう勇気のある若い人がいてくれるのは希望だわ、と言ってくれました
そして我が友人の番が来て、担当が英語話者のお兄さんだったのでわたしが通訳しつつ、翌日朝のフライトを得ることができて、彼女のターンはものの5分ほどで終わりました マダムのゲストと場所を入れ替えながら、マダムに彼女が得たフライトの報告をすると、マダムは英国式にグッドラックと言うので、わたしも、そちらもグッドラック、と言って別れました
彼女はのちのち、わたしの「荷物見ててください!」と「そちらもグッドラック」がおもしろかったと言いました 英国生活4年目、わたしもかなりかぶれてきたようです
でもわたしは、添乗員に向かっていった彼女の姿を見て、あの田舎の小さな町にひとつだけある中学校の教室で、おでこにできたにきびをからかわれて泣いていたわたしに「誰がそんなこと言ったの、わたし言ってくるから!」と言い残して彼女が見せた背中を思い出し、友人の変わらなぬまっすぐな勇敢さに感銘を受けました
中学時代に何度も、彼女のそういうまっすぐさにハッとさせられて、わたしは彼女を尊敬して、見習いたいと思っていたは���でした 最近でもたまに彼女がわたしのために立ち向かってくれたシーンを思い出すことはあったけれど、不正を前にした彼女の、媚びも迷いもない真っ直ぐさにじかに触れて、どんな状況でも恐れずに守るべき正義のようなものを、わたしは忘れていたように思いました
無論今のわたしもどちらかといえば媚びないほうの人間ですが、そのルーツはここにあったんだな、ということにも気づきました
この文章はコーヒー屋さんで書いていますが、たった今、隣の女性に、トイレに行く間カバンやパソコンを見ていてください、と頼まれました わたしはあの日空港で、お兄さんに日本語で勢いよくそのセリフを言い残したシーンを思い出しながら、もちろん!と笑顔を返しました
勇敢なともだちに、乾杯 そしてわたしもそんな友達に見合う自分であろう、大事なときに立ち上がれる人間であろうと思いながら、冷めたコーヒーをすするのでした
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ari0921 · 9 months ago
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「宮崎正弘の国際情勢解題」 
令和六年(2024)4月11日(木曜日)
   通巻第8211号  <前日発行>
 中国人移民排斥法(1882年)を連想した
  一方でバイデン大統領はキシダのご機嫌取り
*************************
 米国商務省産業安全局(BIS)の『輸出管理規制』(EAR)改正が為されたのは2022年10月だった。この改正は中国人留学生や研修生に衝撃を与えた。
中国籍エンジニアで米市民権を持ち、グリーンカード保持者であっても、米国の半導体企業での就労を禁止するという内容だったからだ。
 
 相当数の中国籍エンジニアが帰国した。
 ついでフロリダ州のデサンティス知事(予備選でトランプに圧勝され撤退したが、2028年の有力候補)は、州法を改正し、「フロリダ州立大学、ならびに州立のカレッジの職員から中国籍のスタッフを排除し、そうした人々の不動産購入も禁止する」とした。
それ以前にも表立ってはいなかったが、中国人の米国入国審査において、書類不備を理由に送還された学生が70名ほどいた。2021年以後は数百の中国人が入国不許可となった。不法移民とは異なり合法な入国者だったため、駐米中国大使館は、強く抗議してきた。
なんだか移民排斥法を連想する。
1882年に制定された、中国人移民を禁止する法律は「中国人労働者入国禁止法」という。 1860年代に急増��た中国人移民を脅威視したアメリカ人労働者の反発を背景に制定されたもので、米国において最初の移民制限法だ。
1924年には日本人の移民排斥法が成立した。
読売新聞の直近の世論調査は「中国の軍事的脅威を感じる」とした日本人が92%と大きな変化が認められる。同調査のは2022年は81%、23年は86%だったから年ごとに着実に反中国感情が拡がっている。
また日本の防衛力増強に賛成組が71%にのぼった。
 4月10日、国賓待遇でバイデン大統領から招かれたキシダ首相は、さっそくアーリントン墓地へ出向き献花した。ならば次期大統領訪日のおりはかならず靖国神社へ参拝とうながすべきだろう。
 初日のホワイトハウスでは贈り物を交換しあり、日本からは被災地の能登と富山の名産品を土産とした。
バイデンのアメリカが日本の首相をこうまで厚遇するのは、それなりの理由がある。外交の行きつまり、欧州関係での亀裂、図に乗る中国。おそらくアメリカの「唯一の同盟国」となった日本がアメリカに背を向けられては大変だといのうのが彼らの潜在意識にある。
固い同盟の英国? キャメロン外相(元首相)は9日、フロリダ州へ飛んでトランプ前大統領と会ったゾ。
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mxargent · 1 year ago
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"Kill them with kindness" Wrong. CURSE OF MINATOMO NO YORITOMO
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“kill them with kindness” Wrong. CURSE OF RA 𓀀 𓀁 𓀂 𓀃 𓀄 𓀅 𓀆 𓀇 𓀈 𓀉 𓀊 𓀋 𓀌 𓀍 𓀎 𓀏 𓀐 𓀑 𓀒 𓀓 𓀔 𓀕 𓀖 𓀗 𓀘 𓀙 𓀚 𓀛 𓀜 𓀝 𓀞 𓀟 𓀠 𓀡 𓀢 𓀣 𓀤 𓀥 𓀦 𓀧 𓀨 𓀩 𓀪 𓀫 𓀬 𓀭 𓀮 𓀯 𓀰 𓀱 𓀲 𓀳 𓀴 𓀵 𓀶 𓀷 𓀸 𓀹 𓀺 𓀻 𓀼 𓀽 𓀾 𓀿 𓁀 𓁁 𓁂 𓁃 𓁄 𓁅 𓁆 𓁇 𓁈 𓁉 𓁊 𓁋 𓁌 𓁍 𓁎 𓁏 𓁐 𓁑 𓀄 𓀅 𓀆
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otomai-blog · 16 days ago
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新しいFIAT**
1ヶ月前に、FIATくんの修理をしてもらいました。
デュアロジックがおかしくなり、少し前に修理してもらったのですが...(詳しくはこちら↓)
再び同じ症状が出だしたのです...(*_*)
今度はデュアロジック本体の交換を覚悟していました。交換には20-30万ほどかかるので、身構えていたのですが、整備の方が試行錯誤して直してくださいました。本当に感謝しかありません(^人^)
ただ、来年から新境地でのレッスンも控えているし、11年落ちのこちらのクラシックFIATでは少し心配だなぁ...という気持ちになりました。
プラス上のblogにも書きました通り、FIATのガソリン車が日本分が生産終了になりました。
この車の次は新車のFIATと思っていましたので、いいタイミングだと思って、車を買い替える事にしました。
ディーラーに電話
まずはディーラーさんに電話をして、まだ乗りたい車種があるか聞いてみる事に♪
結果は × でしたΣ(゚д゚lll)
買いやすいグレードだった様で、すでに完売でした...。
営業マンと色々お話していて、「1-2年落ちの中古車を探しましょうか?」と言われ、中古車だったら、いつもお世話になっている所で買う方が都合がいいや!という事で、ディーラーさんで買う事はやめて、いつものお店で中古車を探してもらう事にしました。
赤色!!
色々条件をお伝えして、めぼしいものをピックアップして頂きました♪
昨日電話があり、早速車屋さんへ!
車屋さんへ行く前に、赤色のFIATを発見。その直後にもう一度赤色FIATを目撃して、「もしかしたら、赤色かなぁ〜?」なんて母と冗談を言ってました。
車屋さんへ行き、めぼしい車を見せて頂きました。当初、「白を第一候補で!」と言っていたので、白の候補(なかなか良い条件��もの)を見せてもらったのですが、いまいちピンときませんでした。
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他の色も...と見せてもらった中に、この写真の赤色のFIATが目につき、細かく状態をみていると、この子が可愛いなぁ〜と頭から離れなくなってきました。
この後も、何度も別の車を見たのですが、やっぱり赤のこの子がいい!と腹が決まった様なので、この赤色のFIATにする事にしました!
決めるの現実が起こる!
新車というわけにはいきませんでしたが、走行距離の短い車!内装は赤のシート!そして外装も赤色!(今まで白の車ばかりで、赤色の車に乗ってみたかったんです...。) 欲しいと思っていたものが、このタイミングで手に入りそうです( ◠‿◠ )
実は今年の8月くらいに「新しい車に乗って色んな所に出向いて、PortDeBrasやNOSSを広めたい!」という思いから「新しいFIATが欲しい」と心の中で決めていたんです。
そしたら...
今の車の立て続けの修理→今後がちょっと心配→新しい車が必要→なぜかお金が整う
という感じでサラサラと事が進みました。
色が赤色になった経緯も面白いな〜なんて感じています!
色んなミラクルが重なって出会えたこの子と直接ご対面できるのが楽しみです♡
そして、今乗っている子との残りのドライブも存分の楽しもうと思います。最後まで大切に乗ります^ ^
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rikumatsuzawa · 2 months ago
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2024.11.19
日本人の多くは仏教徒だよね。君は仏教徒か?10日間のスリランカでこの質問を何回されただろう。初めのうちは、無宗教だけど仏教の教えとは身近に生きてきた。と答えていたが聞かれれば聞かれるほど、仏教徒というのは何を意味するのだろうかと考えさせられた。
スリランカの第二都市であるKandyでSadunとSamanに出逢った。スリランカに到着してから土着の人ではないという理由だけで毎日数えきれない人たちからお金を乞われたり、ぼったくろうとされた。2人に最初に声をかけられたときは、またか、と思いながら適当にあしらおうとしていたのだが、少し話をしていると純粋に話したかっただけのようだった。結局その日はKandyを半日案内してもらい、宿まで送ってもらった。翌日からはスリランカを訪れるきっかけとなったGeoffrey Bawaが建てたHeritance Kandalamaに行く予定だと話すと、どうやって行くのかと訊かれた。バスだと答えると、Kandalamaまでの道中には見るべきものがいっぱいある、バスだとそういうところに寄れないからトゥクトゥクで送ってあげるよ、君にとってもきっといい経験になる。と言われた。KandyからKandalamaまでは2時間ほど離れている。バスの方が安いからバスで行くと伝えると、いくら払うかは自分で決めていい、その答えがタダならタダでもいいと言われ、うますぎる話に半信半疑ながらもその誘いに乗ることにした。翌朝8時に宿まで迎えに来てくれて、まずはKandyの中心部から20分ほど離れた小さい村にあるSamanの家に行き、彼の家族とセイロンティとともに団欒した。Kandalamaまでの道中、のどかな田畑と熱帯系の植生の景色が続く小さな村に、ぽつんと仏教寺があった。スリランカ全土には小さい寺院が数千と存在し、その寺院がある村々には100-150の家族が住んでるという。そして一家族が1日ごと順番に僧侶たちの食事を用意すると教えてくれた。自分を犠牲にして人々のために全てを捧げた仏陀、つまり僧侶たちへの感謝の行為であり、これはスリランカで2700年以上続く伝統であるらしい。スリランカに来てから、SadunとSamanだけでなく色々な人からカルマという言葉もよく耳にした。良い行動は良いカルマとして自分に返ってくると。そういえば昨日Kandyを案内してくれたのにも関わらず、お金は一切求められなかった。半日私の行きたいところやしたいことに付き合ってもらった上に、彼らの商売道具でもあるトゥクトゥクで移動していたので、宿に着いたときに私の気持ちのお金を渡した。そのときにも、ありがとう。これはgood moneyだ。私たちは本当にカルマを信じていて、Rikuにもgood karmanがきっとあるし、訪れる。と言っていた。私は村人が僧侶たちのために食事をつくるという伝統の話を聞いたときに、仏教というのはどういうものなのかということを深く理解した。それと同時に2人のことを少しでも疑った自分を恥じた。もちろん仏教徒であっても(スリランカでは約70%が仏教徒である)皆が皆良い人とは限らない。スリランカに来てから、押しの強い客引きや、わざと同情を利用した行為に良い気分がしなかったことも何度も起こり、人にもお金にも敏感になっていた。しかしそのとき私は、清らかなさらさらとした心地よい中で生まれた、心が押しつぶされるような気持ちをどこにもやりようがなく、トゥクトゥクの後部座席に座りながら静かに泣いていた。
景色がいいところで停まったり、昼食を共にしたり、約2100年前にDambullaという都市にある巨大な岩山を掘ってつくられた洞窟の中にある寺院を訪れたり、途中トゥクトゥクを運転させてもらったりしながらホテルに到着した。翌日の予定を訊かれ、5世紀に栄えた王国Sigiriyaの遺跡に行くつもりだと伝えると、10時をすぎると暑くなる(マチュピチュのような遺跡で入り口から頂上までは1時間ほどかかる)から早朝に出発した方がいい、よかったら明日も送ってあげるよ。友達の家が近くにあるから私たちはそこに泊まる。その辺りには原始的な生活を���ている小さな村もあって、そこで触れられる体験はRikuもきっと気にいると思う。と言われた。その日彼らとずっと話していて、彼らがどういう人間か理解し、私がどんな人間でどういうものを求めているのかも理解していてくれていたので、今回は迷うことなくお願いした。ホテルで夕食を食べると高いだろうから、また夜迎えにくるから友達の家で一緒に食べないかとも誘われたがGeoffrey Bawa建築を堪能したかったし、連日の移動の疲れと自分の中で消化したいこともあったので、その誘いは断ることにした。
翌日遺跡を訪れた後、Samanの弟の娘が働いているフルーツジュースが美味しいカフェで少し休憩し、人里離れた村へと向かった。トゥクトゥクで行けるところまで行き、そこからは水牛に引かれてジャングルとも森ともつかない景色の中、湿気を含んだ空気が肌にまとわりつくのを感じながらゆられていた。20分ほど進んだ先には、東南アジアの原風景(スリランカは南アジアだがここだけは少し違っていた)という言葉が似合う景色が広がっており、村人たちが長い年月をかけて歩いてつくった轍が続いていた。横には湖、反対側には家が小さく見える。湖岸には村人が手でつくった小舟が数隻あり、そのうちの一つをだしてもらった。風も声もなく、ただ静寂が漂い、平和そのものだった。Sadunがたまに陽が沈んでから友達や家族と飲んだり話したりすると言った瞬間、私はその光景を想像した。今みたいに肌を焼く太陽は姿を隠し、月明かりが湖一面を照らす。もしかしたら夜は虫たちの歌声が聴こえてくるかもしれない。澄んだ静寂は愛する人たちとの会話で掻き消されるが、この平和はそこにあるままだ。これ以上何を求めるのだろうか。水面を覆う蓮の葉で帽子をつくってもらったりもした。昼食をそろそろ食べようかということで湖岸へは私が舟を漕いだ。先ほど遠くに見えていた家に到着すると、まだこの世に生を受けて10ヶ月しか経っていない子どもを腕に抱えながら料理をしている30代ぐらいにみえる夫婦が待っていてくれた。家の柱や壁、台、椅子などは木と土で、屋根はココナッツの葉でつくられていて、窓はない。電気やガスは通っておらず、水も近くの井戸に汲みにいくという。土でできたかまどの前で奥さんが子どもをあやしながら、土鍋で炊いている米の具合を確認していて、旦那さんは裏の庭でとってきたココナッツを割ってウェルカムドリンクをだしてくれた。裏庭で採れた野菜とスパイスでつくった3種類のカレー、ココナッツから抽出した油をつかった湖で釣った魚のフライ、ココナッツの果肉をトマト、スパイス、ライム汁を合わせてすり潰したもの(これが一番美味しかった)、すべて自分たちでつくったもので昼食を振舞ってくれた。お腹いっぱい食べた後には屋根になるココナッツの葉の編み方も教わった。彼らは住処を建てられて、舟の作り方も知っていて、近くでは魚も釣れて、フルーツや野菜の育て方も知っていて、またそれを余すことなく食べて、残った食べられない部分の他のことへの使い道も知っている。もしかしたら”教育”こそ受けていないかもしれないが、彼らは”自然”をよく知っている。
Sadunが言っていた。ここの村では気候が比較的いいので人々は”自然と生きる”伝統文化が残っている。他には酪農や陶磁器、ジュエリーなどその土地の環境に適したそれぞれの伝統が色濃く残っているらしく、お互いの伝統を交換して足りないものを補い合い、支え合いながら伝統を守っている。ここでの生活はシンプルでお金は持ってないが皆、”生きる”ために仕事をして平和に幸せに暮らしているのだと。しかしスリランカでも現代化が急速に進んでおり、今の若者はこの生活を知ることはなく、遠くない未来にはそれらの伝統は消え去るだろうと嘆いていた。Sadunは知識が豊富で、今世界で何が起こっているのか、何が流行りの思想なのかも知っていた。だからこそ彼は、私をここに連れてきたかったのだろう。
これを書いていると2人の顔が見たくなりSadunに電話(Samanは携帯を持っていない)をすると、彼の気持ちのいい笑顔が画面に広がった。内臓が少し悪く、この数日間入院していたと言われ心配したが、今は回復して翌日には退院できると聞いてひとまず安心した。電話中にちょうどSamanがSadunの見舞いにやってきた。本当に仲がいいなとこちらまでほっこりし、最後2人と別れたときのことを思い出した。私が3日間の感謝の気持ちのお金をSadunに渡したとき、Samanに気づかれないようにその3分の1を受け取り、残りをSamanに渡していた。仏教の教えに「自他不ニ」というものがある。Samanが見舞いにやってきたことも、Sadunが自分の取り分を少なくしたことも、彼らが私にしてくれたことも、そのすべてがその教えを体現していた。
私は自分を仏教徒だと思ったことはない。スリランカでの体験をした今、なおさらそう簡単に口にはできない。しかし、今まで以上に仏教の教えとは身近に生きたいと思うようになった。2人に感謝する。
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