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#中野たむの列長過ぎ
bontebok0 · 2 years
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ベルサール高田馬場で行われたスターダム『5★GP2022優勝決定戦超直前大サイン会』でサインもらってきました💕 サイン会の時間が長くなって今までの2倍の選手にサインがもらえるようになりました💖が、ポートレートの価格も2倍になりました💔順番待ち時間も2倍で体がキツい😭推しメンが増えて止まらない😱 #ベルサール高田馬場 #スターダム #STARDOM #優勝決定戦超直前大サイン会 #上谷沙弥 #向後桃 #スターライトキッド #岩谷麻優 #ひめか #舞華 #ジュリア #ウナギサヤカ #なつぽい #中野たむ #ポートレートの価格も2倍 #順番待ち時間も2倍 #体がキツい #推しメンが増えて止まらない #中野たむの列長過ぎ https://www.instagram.com/p/Ci8uIBiPy6M/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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shunya-wisteria · 10 months
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秋旅2023 横川~アプトの道へ
信越線 群馬側の終点 横川からアプトの道を散歩してみた。
関東近辺も紅葉が色づき始め、一度 行ってみたいなと思っていたアプトの道をこの度 散策。何気に群馬県に降り立つのは初めてかもしれない(いつも通過ばかりなので)。
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北陸新幹線(当時は長野新幹線)長野先行開業に合わせて、廃止となった旧信越本線 横川-軽井沢。その線路跡の一部を遊歩道として整備したのが、このアプトの道。 下り線の一部は今も碓氷峠鉄道文化むらの施設として、トロッコやかつての電気機関車が走る一方で、上り側は線路もはがされた歩行者専用。とはいえ錆びた信号機等、鉄道遺構も残っていることもあり、前面展望の列車に乗っている気分がしなくもない。かつて列車を苦しめた難所 碓氷峠の勾配を登っていきます、歩いて登る分にはダラダラ坂なのでそんなに苦ではないね(なお、下りは後述…)
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途中の温泉施設から先は、さらに古い信越線の旧線跡(長野新幹線開業までに使われていたのは新線)に道はつながります。レトロなトンネルを何個もくぐり、一度道をそれて碓井湖の眺望を楽しんだのち、さらに足を進め。。。
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歩き始めて2時間弱、目的地 めがね橋で知られる碓氷第三橋梁。レンガ積みの壮大な橋梁で、ここもかつては信越旧線が通っていたところ。なかなかの高さがあり、眼下に紅葉した山々のグラデーションを楽しめました。いやぁ、美しい!わき道から険しい階段を降り橋を見上げれば、某峠を攻める漫画をもとにしたゲームで見覚えのある光景に。聖地みたいなものなので、スポーツカーでお越しの方もちらほら。なるほど、車で来るのも楽しそうね。
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アプトの道はもう少し続きますが、足腰の疲れがいい感じ(嫌な感じ)にきはじめていたので、ここでUターンします。一転して今度は下り勾配。登るときは特に何も感じなかったダラダラ坂ですが、下ってみると結構 急に感じるものね。踏ん張りをきかせないといけない故に、足が辛い。。。というわけで中間地点くらいの温泉施設 峠の湯でお湯につかり小休止。冷たい峠風を浴びながらの露天風呂は最高でした(ちょっと湯温が低めでしたが、まあその分 長湯できるということでよしとしましょう)。
湯冷めしないよう速足で来た道を戻り横川駅へ。道中、くつろぐお猿さんも。
遅めのお昼に、おぎのやの峠の釜めしをいただいた後、電車に揺られ帰路へ。気持ちよく寝られました。
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hangorin · 1 year
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東京五輪から2年 湾岸はいま
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悪夢のようなTOKYO2020大会から2年が経った。 五輪のために姿を変えられたあの場所は、巨額の資金を費やして建てられた会場は、白いフェンスに閉ざされていた公園は、いま一体どうなっているのか。 湾岸エリアを中心に、フィールドワークを行った。
①築地市場
築地本願寺から場外市場に向かう。日曜日。外国人観光客、親子連れ、カップル。賑わいは築地市場があった頃と変わらないように見えた。どの店にも、昼食を目当てに沢山の人が並んでいる。
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立体駐車場の最上階から市場のあった方を見下ろす。縦横に走るターレ、魚の並ぶケース、積み上げられたトロ箱、林立する仲卸の看板――それらが全て消え去り、でこぼこの、剥き出しのコンクリートだけが灼熱の太陽に焼かれていた。その一部は駐車スペースに。数台の自家用車。物悲しくなるぐらいしょぼい。
駐車場のわきに、築地市場の仲卸とおぼしき店名のプレートを付けたターレが放置されていた。よく見ると、ナンバープレートを外した痕がくっきりと残っている。
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石原元都知事が主導した2016年五輪招致当時、築地市場を潰してメディアセンターを作るという話が出ていた。2020東京大会ではそれが「駐車場」にかわり、市場は2018年10月に東京都によって閉鎖された。選手村から競技場への輸送のために新たに作られた環状2号の全面開通は、五輪閉幕から1年以上も過ぎた2022年12月。五輪招致が、都民の台所を打ち出の小づちのように利権を生み出す空虚な「一等地」に変えてしまった。
築地を舞台にしたある連載漫画の中で、目利き一筋の主人公は何故か移転に何の葛藤もないまま「豊洲で頑張っていこう」と仲間に呼びかけていた。築地市場83年の歴史は、急速に「なかったもの」にされようとしている。
②月島
東京では五輪の前から、競技会場と直接関係のない場所でも各地で再開発が起こっていた。晴海にも程近い、湾岸エリアに位置する月島もまたその1つ。もんじゃストリートで有名なこの町は、一本裏道に入ると古い木造家屋が軒を連ねる下町らしさが残っている。私たちが2017年に訪問した際は、月島1丁目西仲通り地区再開発計画のためにもんじゃストリートの店舗が軒並み閉店していた。
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そして今回訪ねてみると、MID TOWER GRANDなる地上32階、高さ121mの超高層マンションが建ち(2020年10月竣工)、その1階にもんじゃ屋などの店舗が入っていた。 月島ではさらに地上48階、高さ178.00mのタワマンを建てる月島三丁目南地区第一種市街地再開発事業、地上58階、高さ199mのタワマンを建てる月島三丁目北地区第一種市街地再開発事業が控えている。フィールドワークの後で知ったことだが、この月島三丁目再開発計画には反対運動や行政訴訟も起こっているとのこと。長年暮らしてきた人々の息吹が聞こえるような町並みが、大手開発業者によって姿を変えられようとしていることには胸が痛む。
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③晴海選手村
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カンカン照りの選手村跡地。ここはHARUMI FLAGなる高層マンション群として開発され、完成すれば5,632戸12,000人が暮らす街になるという。未だ工事中で通行できるのはメインストリートの車道のみ。焼けつくような暑さの中、誰もいないコンクリートだらけの空間は殺伐とした雰囲気が漂っていた。
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選手村をめぐっては、東京都が適正価格の10分の1という不当な安さで都有地を三井不動産ら11社のデベロッパーに売却したとして住民訴訟が起きている。五輪という祝賀的なイベントが作り出す例外状態によって、公共財産が民間資本に吸い上げられた象徴的な場所だ。
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街の中心に近づくと、左手には、大会中、大量の食材廃棄が問題となった食堂の跡地が、中央区立の小中学校(2024年度開校予定)として整備されていた。
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右手には三井不動産の商業施設「ららテラス」。その1階には「東京五輪を振り返りスポーツの力を発信する施設」として「TEAM JAPAN 2020 VILLAGE」が設置されるらしい。五輪と三井不動産のどこまでも続く蜜月がうかがえる。
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その先では道路を挟んで左右両方の街区で50階建ての2棟の超高層タワーマンションが目下建設中だった。
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選手村を訪れるとき、2018年、建設工事中に2人の労働者が亡くなったことを思わずにはいられない。その街区は、労働者の死という痛ましい現実を塗り固めるようにSUN VILLAGE(太陽の村)という輝かしい名前で分譲されている。 この街区だけではない。この街全体が、五輪によって引き起こされた問題などまるで何もなかったかのように成り立っている。この街ではとても生きていけない、生きた心地がしない。生気を抜かれたようにその場を後にした。
④潮風公園、お台場海浜公園
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ビーチバレーボールの会場設営のため何年もフェンス封鎖されていた潮風公園。わたしたちは初めて公園内に入った。こんなに広かったのか!無観客のくせに、この公園全体を占拠していたなんて、ほんとうに厚かましい。
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東京湾の対岸の埠頭にはコンテナが並んでいる。海をみてみると、うっ!海水は泥沼のような色。しかし、なぜか匂いはせず、潮の匂いさえもしない。ファブリーズでもしているのか?
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わたしたちは、野宿の人たちが寝ていた場所を探して公園内を歩いた(東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織員会による追い出し→https://x.gd/ZJP4d)。木がたくさんあってなかなか住み心地よさそうだと思っていたら、屋根のある排除ベンチにたどり着いた。なんて醜いデザインなのだろう。
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次に「トイレのようなニオイ」と話題になったお台場海浜公園のビーチへ、匂いを確認しに行った。「遊泳禁止」の看板があり、スクリーニングのためと記してあったが、やはり汚染が懸念されているのだろろう。このビーチの海水も濁っていて、潮の匂いさえもしない。怪しい水質だ。
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しかし、暑すぎる。灼熱の日差しの下で、ビーチバレーボールや、トライアスロンをやって、汚い海に飛び込んでいたのか。 知れば知るほど、オリンピック・パラリンピックは地獄だ。
⑤有明
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有明の旧会場エリアへ。グーグルマップで見ると、どうやらこの一帯は「有明オリンピック・パラリンピックパーク」と名付けられたらしい。いまや地に落ちた電通がオリンピックでちゃっかりゲットした、唯一黒字と言われる有明アリーナへ。SNSではステージが見えない席があると不評を買っていたが、「ディズニーオンアイス」をやってるらしく、猛暑の折、駅から会場まで大勢の人だかり。
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有明体操競技場はこの5月に「有明ジメックス」と名を変え、株式会社東京ビックサイトが運営する展示場としてオープンしたらしい。第一印象は「・・・神社?」世界的ウッドショックの最中に木材を山のように使って、10年程度で取り壊される予定とのこと。こんなに立派にする必要あったのか?
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そこからゆりかもめの駅を越えると、フェンスで囲われた草ぼうぼうのワイルドな一角が。有明BMX会場跡地だ。グーグルマップには「有明アーバンスポーツパーク(2024年4月開業)」とあるが、いまのところ影も形もない。スポーツ施設より原っぱ公園の方が需要あるのでは?
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有明テニスの森公園は工事パネルが外されて、開放感に溢れていた。こんな素敵な場所を何年もオリンピックのために囲って、市民を排除してきたかと思うとあらためて腹が立つ。
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真夏の炎天下に火を燃やし続けた聖火台があった夢の大橋にも立ち寄った。観覧車が無くなっていた。東京都はこの夢の大橋を含むシンボルプロムナード公園の一角に、新たに聖火台置き場をつくって飾っている。東京都はいつまでオリパラの亡霊にすがる気か。。
⑥辰巳・東京アクアティクスセンター
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アクアティクスセンター
「威圧」を形にしたような巨大建造物。
建物の周りには木陰がなく、取ってつけたような弱々しい植栽が施されている。
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正面外の、広すぎる階段は、車いす利用者でなくても、大げさすぎてびっくりする。コンクリートが日射で熱い。ゴミ一つ落ちていないのは、人が寄り付かないからだろう。
その下にたたずんで私は、ピラミッド建設のために労働を強いられている人のような気持ちがした。
ここは、公園の一部であった。近くに団地もある。誰でも入って、海からの風を感じながらくつろぎ、出会う場所だったはずだ。
5年前に訪れた時は、工事中で巨大な支柱がそびえたっていた。三内丸山遺跡にインスパイアされたのかと思ったが、出来上がったのは帝国主義の終点のようなしろものだった。
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「お前たちが来るところではない。」という声がどこからか聴こえる気がした。
知ってる。だから入ってみた。静かだ。人っ子一人いない、空調が効いて冷え切っている。だだっ広いロビーの小さな一角に、TOKYO2020オリパラのポスターたちがいまだに展示されていた。
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競争をあおり、序列化し、勝者に過剰な価値を与え、「感動」を動員するスペクタクルがここで続けられるのだ。
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生きていくのに必要な潤いをもたらす公園に、このような醜悪なものが君臨しているのを私は許せない。
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炎天下の湾岸エリアを丸1日かけて回った。TOKYO2020跡地は、廃墟になっていると思いきや、むしろ多くの場所でまだまだ開発が続いていた。開発への飽くなき欲望と「レガシー」への執着、五輪災害は閉幕後も延々と残り続けている。 この日撮影した映像を使って「オリンピックって何?東京からパリ五輪1年前によせて」という動画を作成し、1年後に五輪開幕が迫るパリでの反五輪の闘いに連帯を示すメッセージとした。 From Tokyo To PARIS, NOlympicsAnywhere
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rosysnow · 15 days
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だけど、僕は君と
頑張っても、いくら頑張っても……
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 単に人より頭が悪くて、授業に追いつけないのが邪魔なだけだから、保健室登校にはならなかった。もっと深刻な理由で教室に行けない子がいるから、僕の面倒は見られないと保健の先生は言った。
 生徒たちが帰宅していく放課後、クーラーのかかる職員室に戻り、担任の先生はうつむく僕を心底厄介そうな目で見下ろした。
「学校に来るの、やめるか?」
 匙を投げる言葉を、ついに先生のほうから言われた。僕もそうしたかった。けれど、そんなことをしたら、両親がきっと黙っていない。
 首を横に振ると、先生は息をついて、「じゃあ、勉強をもう少し頑張ってくれないと」と腰に手を当てた。
 頑張ります。そう言うしかなかった。頑張っても、いくら頑張っても、僕は目障りに劣っているだろうけど。
 口を開こうとしたとき、「無理に頑張っても、分からんもんは分からんよなあ」と笑い声がした。思いがけない台詞に僕は顔を上げ、ついでびくんと震えそうに緊張してしまった。
「坂口先生も、言い方がきついんじゃないかな」
 担任の先生にそう言ったのは、僕は口をきいたこともない、でも毎週月曜日の朝礼でそのすがたは見ている、この中学の校長先生だった。担任の先生もすぐ畏まったものの、「しかし、校長」と僕を一瞥する。
「この生徒は、本当に努力が足りなくてですね。やる気が感じられるなら、サポートもできるんですが」
「それは先生も同じに見えるがね」
「は……い?」
「坂口先生のほうも、彼に誠意が足りないようだ。見てくれると思うなら、彼も先生を自然と頼ってくれるはずだよ」
 僕はまばたきをして、校長先生を改めて見た。
 校長先生の話は長いなあ。地面を見て、そんなことしか思ったことがなかった。
 けれど、ぽっちゃりした軆に背広を着た校長先生には、大らかそうな親しみやすさがあった。
「名前は──小橋くんか。よし、小橋くんのことは私が見ようじゃないか」
「い、いやっ、とんでもないです。すみません、校長。小橋のことは、僕がもっと厳しく見るので」
 校長先生は首を横に振り、「そうやって、生徒を追いつめるのはやめなさい」と言った。担任の先生は、そう言われる理由が本当に分からないようだった。
 僕は、分かる。だから校長先生の目を見ると、校長先生はにっこりしてうなずいた。
「小橋くん、明日から校長室の隣の会議室に来なさい。何、校長先生なんてヒマなもんでね、だからよく花壇の世話をしたりしてるんだ。学校で一番仲がいいのは、用務員のおじさんなんだよ」
 校長先生の哄笑に、僕も思わず笑ってしまった。ついで、驚いた。まだ僕は、学校で笑えたのか。息苦しくて、こんな場所ではみんなみたいに笑えないと思っていた。
「うん、そんなふうに笑えるのが一番大事だ。毎日相手はできないかもしれないが、学校に来たら、これからは会議室でゆっくりするといい。勉強は余裕ができたときでいいんだよ」
 担任の先生は何か言いたそうだったけど、校長先生が僕を理解している手前で、なおも責める勇気はないみたいだった。
 中学二年生の二学期、夏休みが明けたばかりの蒸し暑い九月。そうして僕は、教室をドロップアウトし、校長先生認定の会議室登校を始めた。
 朝、登校すると、職員室で会議室の鍵を借り、校長室の隣のドアを開ける。カーテンのない窓からの日射しがまばゆい、広い教室だった。長いつくえに椅子がみっつ並び、そのセットが黒板の前から後方まで整列している。
 その中のひとつの椅子に腰を下ろし、僕は図書室で借りた本を読んだり、自分なりに教科書に目を通したりする。
 静かだった。つっかえる朗読がうざったそうな視線も、先生をいらつかせる不正解への舌打ちもない。僕以外は誰もいなくて、時計の秒針だけが響く。
 言ってくれた通り、時間が空くと校長先生が話相手になってくれた。こんな中学時代で高校に進学できるか不安を打ち明けると、親身になって、通信制高校の資料を持ってきてくれたりもした。鈍くて、勉強ができなくて、いつも大人に恐縮していた僕も、校長先生には自然と懐いていった。
「小橋くんは、人と交流するのは苦手かな」
 十月に入って太陽が緩やかになり、気候が涼しくなってきた頃だった。その日も会議室で本を読んでいると、校長先生が顔を出して、僕の隣の椅子に座ると、そんなことを訊いてきた。
 僕は首をかたむけ、「みんな僕といるといらつくみたいで」と自嘲気味に笑った。
「友達ができたことはないです」
「そうか。小橋くんがよかったらだがね、ここにもうひとり受け入れたい子がいるんだ」
「え」
「その子は、保健室は病室みたいで嫌だと言っていてね。親御さんも、保健室のほうが安心だとその子を説得はしてるんだが」
「何か、事情がある人なんですか?」
「ほとんど、学校に来たことのない子なんだ。生まれつきの病気で、ずっと病院で過ごしてきた子でね」
「はあ……。じゃあ、治って学校に来れるようになったんですか?」
「いや、心臓を移植するしか確実な治療はないそうでね」
 校長先生は少し口ごもり、「小橋くんを信用して話すがね」と前置きした。
「もう、長くないそうだ」
「えっ」
「だから、その前に学校に通ってみたいと言ってるそうなんだよ」
 何度かまばたきをしてから、止まってしまった。
 心臓。長くない。その前。
「小橋くんならがさつなこともしないし、言わないだろうしね。よければ、ここで一緒に過ごしてみてほしいんだ」
「僕、……そんな、ちゃんとできるか分からないです」
「『ちゃんと』?」
「嫌なこと言ったり、したり、しないかもしれないけど。その……何か、意識するというか。し……死ぬ、んですよね。もしかしたら」
「……そうだね。だから、もし小橋くんのプレッシャーになりそうなら、無理は言わないよ。別の教室を考えればいいから」
 このあいだクローゼットから引っ張り出した、防虫剤が名残る学ランを見下ろした。
 迷惑だ、とかえらそうなことは感じなかった。ただ、僕はいつも周りを不愉快にさせる。その人の最後になるかもしれない時間が、僕のせいでいらいらしたものになったら。
 たどたどしくその心配を素直に話すと、校長先生は優しい顔つきになって、「小橋くんじゃなかったら、きっと何も相談もせずに、その子にはほかの教室を用意していたよ」と言った。
「小橋くんは、その子のいい友達になれるように感じるんだ。じゃなければ、長くないなんて話も、本来は勝手にしてはいけないしね」
 そのプライバシーは、本当だと思った。
 校長先生は、今までのどんな大人より僕を見てくれる。僕だって、欲を言えば友達が欲しい。「ほんとに友達になれそうな人ですか」と確認すると、「私はそう思うよ」と校長先生は言ってくれた。「じゃあ」と僕は顔を上げた。
「その人と、一緒にここで過ごしてみたいです」
 校長先生は微笑み、「ありがとう」と何度かうなずいてくれた。言ってから、まだそわそわしたけど、校長先生のことを信じたい。
 大丈夫だ。合わない人を無理にここにつめこむなんて、校長先生ならしない。
 友達になれる。友達ができる。出来損ないの僕に、友達ができる。
 校長先生からその人の親御さんに連絡が行き、その人も僕が会議室にいることは承知し、「そこに行きたい」と言ってくれたらしい。それを校長先生に聞いた翌日の朝、職員室に寄ると会議室の鍵がなかった。
 ちょっと首をかしげてから、例の人が先に来ているのかもしれない、とどきどきしてきた。かばんの持ち手を握り直し、職員室を出ると会議室に向かう。
 校長室のドアをちらりとしてから、会議室の前に立つ。耳を澄ますと、中から話し声がして、緊張がせりあげたものの、ひかえめにドアをノックして扉を滑らせた。
「お、おはようございます」
 どもりながら言って、ぎこちなくならないように目線を上げた。そして、突っ立ってしまった。
 何で、だろう。僕はその生徒は、何の根拠もなく男だと思っていた。けれど、そこにいたのは紺のセーラー服を着た、白皙の長い髪の女の子だった。
 校長先生が椅子に座る彼女のかたわらにいて、「おはよう」と僕に応えてくれる。僕は慌てて頭を下げてから、後ろ手にドアを閉める。
「小橋くん、この子が話していた緑野さんだよ。三年生だから、彼女がひとつ年上だね」
「あ、はい……えっと、初めまして。小橋優司です」
 緑野さんはこちらを見て、人懐っこく微笑むと「初めまして」と意外なほど快活な口調で言った。
「緑野亜由子です。しばらくお邪魔しますね」
「しばらく──あ、そうか。三年生なら、卒業……」
「はは、卒業までいれたらいいんだけど、残念ながら十月のあいだだけなんです。あーあ、どうせなら卒業式にも出たかったなあ」
「卒業式だけには来るのも、学校側はもちろん歓迎するよ」
「ほんとですか? やったあ! それ、おとうさんとおかあさんに言っておいてくださいねっ」
 緑野さんは、校長先生に無邪気に咲う。
 女の子だとは、思わなかった。それに、そんなにあっけらかんとした子だとも思わなかった。ほんとに仲良くできるかな、と不安も感じつつふたりに歩み寄り、やや躊躇ってから、緑野さんの隣の席に座る。
 すると校長先生は、「私はそろそろ朝礼があるから、ふたりで話してみてごらん」と僕の肩を励ますようにとんとんとして、会議室を出ていった。それを見送っていると、「あの校長先生、何かいいね」と緑野さんが言ったので、僕はそちらを向く。
「校長って、学校で一番堅そうなのに」
「僕も、初めて話したときはびっくりしました」
「敬語じゃなくていいよ。私も、優司くんでいい?」
「あ、はい──いや、うん」
「私も亜由子でいいから」
「亜由子、さん」
「そう。ふふ、嬉しいなあ。ここではクラスメイトだよね、私たち」
「そう、なのかな。学年は違うんだよね」
「いいじゃん、会議室の生徒で。あー、嬉しいっ。クラスメイトとか、ほんと初めてだー」
「あ、あの、……亜由子さん」
「うん?」
「僕、そんな、いいクラスメイトじゃないかもしれないけど。その……」
 亜由子さんが僕をじっと見つめる。僕はちょっと頬に微熱を感じつつ、「よろしく」と改めて言った。すると亜由子さんは嬉しそうににっこりして、「よろしくっ」と僕の肩を軽くたたいた。
 それから、僕の会議室の時間は、亜由子さんとの雑談が主になった。亜由子さんは、生まれてから今まで病院の個室にいて、ほとんどひとりで過ごしてきたらしい。でも僕なんかより気さくで、ほがらかに明るかった。
 亜由子さんなら、普通の教室でもなじめるのではないかと思った。僕なんかと過ごすより、そちらのほうがたくさん友達ができるだろうし、卒業式で再会できる人も作れる。
 それをそのまま言うのは卑屈だからひかえたけど、「ここにいたのが、僕なんかでごめんなさい」とつい言ってしまうと、亜由子さんはきょとんとしてから、「優司くんだから、毎日登校してるんだよ」と咲った。
「ほんとは休み休み登校しなさいって言われてるんだけどね。優司くんと話したいから、『大丈夫だよ』ってここに来てるの」
 目をしばたいて亜由子さんを見つめた。亜由子さんはにこっとして、ほっそりした手で僕の肩をぽんとした。
 僕はどんな顔をしたらいいのか分からず、でもすごく嬉しくて、照れながら咲った。亜由子さんと過ごしていると、自然と僕も笑顔が増えていた。
 けれど、僕たちがどんなに打ち解けても、亜由子さんは今月いっぱいで病院に戻らなくてはならない。お見舞いに行ったりしてもいいのだろうか。してもいいなら、僕はまだ亜由子さんと過ごしたい。
 亜由子さんはどうなのだろう。学校に来るのが終わっても、僕に会ってくれるだろうか。訊きたくても、踏みこむことだからなかなか言えなかった。
 もどかしい想いを抱えているうちに、陽光が弱りはじめて気候が肌寒くなり、来週には十一月になる頃になっていた。亜由子さんは今週を区切りに会議室に来なくなる。
 夜のあいだ、音を立てて雨が降っていて、僕は自分の部屋で亜由子さんのことを考えていた。僕は亜由子さんに恋をしてしまったのかもしれない。そう思い当たり、妙に恥ずかしくて、まくらに顔に伏せた。
 亜由子さんが、僕を友達としか見ていないのは確実だ。でも、それでも、亜由子さんの屈託ない笑顔を思い出すと、胸が痛みでほてる。その熱を冷ますように秋雨は降り続け、朝になってようやく晴れ上がった。
 その日、登校すると、亜由子さんと校長先生が窓際に立って話していた。「おはようございます」と僕が言うと、ふたりはこちらを見て、笑顔で挨拶を返してくれる。僕はつくえにかばんを置いて、ふたりのいる窓際に歩み寄った。
 この窓の向こうは、通学路に面した裏庭への細道なのだけど、街路樹からこぼれ落ちた赤や黄色の紅葉がその道を美しく染めていた。「すごい」と思わずつぶやくと「あとで、校長先生が掃除しちゃうんだって」と亜由子さんは言う。
「え、もったいなくないですか」
「ほらっ、先生。優司くんならそう言ってくれると思ったー」
「仕方ないなあ。じゃあ、もうしばらくあのまま飾っておこうか」
「わあい! 優司くん、あとで一緒に、あの道歩いてみようよ」
 そう言った亜由子さんに、僕は笑んでうなずいた。そんな僕たちを校長先生は微笑ましそうに見てくれていたけど、一瞬、哀しそうにしたのに僕は気づいた。
 その陰りで僕も思い出した。亜由子さんがこんなふうにここに来てくれるのも、もう終わってしまうのだ。初めて好きになった女の子なのに、僕は彼女に会えなくなってしまう。
 中休みが終わった三時間目の最中、僕と亜由子さんは会議室に鍵をかけて靴を履き替え、紅葉に染まった細道に向かった。
 校長先生は、ちゃんとそのままにしておいてくれていた。「夕べ雨だったから、濡れちゃってるね」と亜由子さんは水溜まりをまわってから言う。
「乾いた綺麗なのがあれば、拾っていきたかったなー」
 亜由子さんはその場にしゃがみ、水溜まりの水面を覗きこんだ。僕もしゃがんでそうした。
 赤い落ち葉がゆっくり揺蕩っている。
「もったいないね」
「えっ」
「濡れちゃったから、この葉っぱはこの水たまりから出ることはできないでしょ? 乾いた葉っぱみたいに、風でどこかに行けるわけでもない。ここで終わっちゃう、というか。こんなに綺麗なのに」
「……うん」
「うーん、でも、こんなに紅葉して落ちて、葉っぱとしての一生はまっとうしたのかな。また来年、新しい葉が芽生えるには、こうして散っていくのも仕方ないことなんだよね」
 僕は亜由子さんを見た。亜由子さんも僕を見て、その瞳がとても澄んで、穏やかで、凪いでいることに気づいた。
「私も、生まれてきて楽しかった」
「え」
「何にも楽しいことなかったみたいな人生に見えるかもしれないけど、私は幸せだったよ。死ぬことも怖くない」
「亜由子さん……」
「分かってるの。そうとうやばいんだよね、絶対許してくれなかった学校に行かせてくれるんだもん。最期の自由だよ。きっと私、卒業式にも出られない」
「そんな……の、分からな──」
「それでも私は、生まれてきてよかった」
 亜由子さんの瞳を見つめた。茫然と、その瞳の静けさを見つめた。残酷な、恐ろしい瞳だった。死を安らかに受け入れている瞳。
 嫌だ。そんな目は嫌だ。いつもみたいに、いつまでもそうであるように、やんちゃに咲っていてほしい。
 どこにも行けないなんて。ここで終わるなんて。まっとうしたなんて、散っていくなんて、仕方ないなんて。
 そんなことは言わないで。亜由子さんの命が終わってしまうなんて、僕は嫌だ。僕は君ともっと一緒にいたい。
 僕の瞳が必死にそう訴えていたのだろう。亜由子さんは困ったように咲ってから、僕の肩に手を置いた。
「学校に来れなくなるのは、正解かも」
「……え」
「好きな人ができたら、心決めたのにつらくなる」
 僕は目を開く。亜由子さんは、視線が重なる前にすっと立ち上がる。雨の名残も過ぎ去った、青い秋晴れの中にいる亜由子さんを見上げる。
 来週には会えなくなってしまう。もしかしたら、次の春にはいなくなってしまう。だから、僕も好きになったらつらいのに。逆光からそそがれてくるまばゆい笑顔は、僕の心をしっとり染めている。
 初めての恋が、落ち葉のようにはらはらと散っていく。
 だけど、僕は君と、これからも咲っていたい。君を失いたくない。生まれてきてよかった、なんてもう終わるような言葉は、まだ言わないで。僕は君と生きていきたい。今、その命を鮮やかに生きている、君のそばにいたい。
 君はすでに、命が巡った先を見ているのかもしれない。だけど、僕はまだその前に、君の未来が終わってしまうなんて信じたくないんだ。
 FIN
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myonbl · 1 month
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2024年8月20日(火)
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65歳の誕生日を契機として<終活>をスタート、手はじめに取り組んだのがクレジットカードの整理、1枚あれば事足りるはずなのにいつの間にか片手に余るカードを所有していた。携帯電話の料金に有利なものと普段の買い物に便利な2枚に絞ったのだが、この2ヶ月でまた新たに3枚を取得してしまった。すべて、年会費無料かつ何らかのポイントが溜まるとのキャンペーンに乗ってしまったのだ。とは言え、キャンペーンのメリットを享受した後、70歳の誕生日までには元の2枚に戻す予定だ。しかし、カードのデザインに時代の変化が表されているのは興味深いね。
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5時30分起床。
体重は2日前から100g減。
洗濯機回す。
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朝食。
珈琲。
洗濯物干す。
私は在宅勤務、ツレアイは午前中に訪問1件、息子たちはオフ、したがって弁当は無し。
可燃ゴミ、30L*2。
ヤクルトさんから野菜ジュース購入。
8時15分、ツレアイが自転車で出勤する。
クレジットカードの整理、キャンペーンのPontaポイントやセブンイレブンのポイントの獲得日を確認、それが過ぎれば解約予定。
関西私鉄のタッチ決済状況を確認、電車は今年中に実施、京都市交通局は未定。いずれは、Icocaではなくクレジットカードでのタッチ決済に(私も)一元化するつもり。それもあって、どのカードを残すかを検討したのだ。
11時過ぎ、ツレアイ帰宅。
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ランチ、息子たちには炒飯、ツレアイにはパスタ+🍷。
軽く午睡。
セントラルスクエア花屋町店まで買い物、猫砂+カルカン(¥1,973)。
セブンイレブンで高校の同窓会費振り込む、nanacoが使えるのはありがたい、何しろ現金持ってないので。
資料整理、明日からは本格的な執筆を開始しなくては。
夕飯前に、ココに点滴。このところ食事も排泄も順調、声が出にくいのが気に掛かるが少しでも長生きしてほしい。
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早めの夕飯、ツレアイが頑張って奥川ファームの平飼い有精卵を卵焼きにしてくれた。下手な寿司屋より遥かに美味い(当社比)。
録画番組視聴
五能線、津軽鉄道を呑む! 鯵ヶ沢〜川部編 初回放送日:2024年8月15日 俳優・六角精児が「酒」と「鉄道」という偏った視点で旅する▽JR五能線と津軽鉄道で巡る青森▽巨大なねぷた、17mの土偶、300mの木造橋にびっくり▽語り・壇蜜 車内で津軽三味線ライブもある「リゾートしらかみ」を満喫▽木造駅で出迎える巨大土偶「しゃこちゃん」▽五所川原名物、23mのねぷた▽アップルブランデーがリンゴ農家を救う?▽ノドグロ、たけのこ焼き、ナマコ酢…青森の美味を堪能。さらにもう一軒、7年ぶりに再訪する店とは?▽津軽鉄道で列車の通行手形「タブレット/スタフ交換」に遭遇▽青森最古の酒蔵、破産からの復活▽全長300m、青森ヒバで作られた「鶴の舞橋」
第4話「ナイルに死す」/ Death on the Nileシーズン 9, エピソード 4 若く美しい資産家リネット・リッジウェイは親友のジャクリーンから婚約者のサイモンを管理人に雇ってほしいと頼まれる。やがて、リネットはサイモンと結婚 し、二人はハネムーンへと出発した。しかし、行く先々でジャクリーンが待ち受けていた。サイモンは、ナイルクルーズ船に予約を入れ、ここで、ジャクリーン をまこうと計画するが…。
何度観ても見入ってしまう。
片付け、入浴。
ハイボール舐めながら、日誌書く。
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歩数は届かないが、3つのリングはしっかり完成。
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tutai-k · 1 year
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伸びやかに砂浜を歩く
しばらくブログをサボっていた。書こうかな…と思うようなことはいくつもあったのだが、体調があまり良くなかったので書けなかった。 こういうとき、どうにもならない持病を持っているとイライラする。
9/10 仕事が終わってから大阪へ。『銀河英雄伝説』を読み返していて、大阪にある銀英伝のコンセプトバーへ行きたいという気分になり……友達の朝凪空也さんを誘ってバーへ。 繁華街の雑居ビル…! こんなところへいくことは田舎に住んでいたらほぼないので、めちゃくちゃどきどきしながらお邪魔した。 ロイエンタールとミッターマイヤーをイメージしたカクテルを頼んだら、店主さんがロイエンタールとミッターマイヤーの透明なパネルを出してくれて撮影を楽しむ。歌織さんの概念として、ゾンビモルカーを空也さんが連れてきてくれていた。
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9/11 文フリ大阪。いつもより開場が早くなるかも? というメールが流れてきたので早めにOMMビルへ。とはいうものの30分まえだし……とカフェでスコーンとコーヒーを飲んでいたら空也さんが現れる。二人でモーニング(?)をして、開場へいくとびっくりするくらい長蛇の列ができていた。10時入場開始だが、入れたのは10時20分くらいで、さらに開場が早まったので、開場に準備が間に合っていないサークルがたくさんあったように思う。 再録だから出ないかな…と思っていた新刊『いづくにか、遠き道より』をお求めのお客さんが多かった。この本はKindleもよく読まれている。日々詩編集室から出た『ゆけ、この広い広い大通りを』も、文フリの価格帯にしてみれば高い方だと思うが、たくさん手に取ってもらえた。 本は、楽しみにしていた朝凪空也さんの第二歌集「滅びに向かう場所にて」と、出会ったときから出版社で本が出ることを心待ちにしていた詩人の海老名絢さんの『あかるい身体で』が買えたのでとてもうれしかった。 おかさんがちいかわちゃんの「うさぎ」のパックをくれたので、とっておきの日に「うさぎ」になろうと思っている。 帰りに隣接だった八束さんとたこ焼きを食べて帰る。タコご飯がおいしかった。
特筆を要することはこの二日くらいかな。
最近読んだ本で印象深かった本をいくつか。
『銀河英雄伝説』(田中芳樹・らいとすたっふ) 数年前に読んで、めちゃくちゃ面白くて「なんでもっと早く出会わなかったんだ…!」と思いつつ、あれより若かったらこの物語をちゃんと咀嚼できなかっただろうなとも思った。台風で労働を休んだので読み返した。相変わらずロイエンタールとシェーンコップがいとしい。そして、前回読んだときには未読の銀英伝がこの世から消えてしまうのがもったいなくてたいせつにとっておいた外伝も全部読む。 ヤンがユリアンを愛している姿、ロイエンタールがミッターマイヤーを信頼しているその深い情念、キルヒアイスとラインハルトの友情、その全てが、壊れてしまいませんようにと祈ってしまうほどうつくしく、愛おしかった。 そしてやっぱり、政治の問題と言うことをすごく考えたよね。政治的な言動を放棄してわたしたちは生きられない。生きることはそもそも政治的な行動だし、値上げをぼやくのも政治的な行動だし、沈黙も、逆に「楽しい話だけしかしない」のも政治的な行動だと思う。そして戦争を賛美し、戦争をしたがるひとたちほど、実際の前線には立たないと言うこと。わたしは「公文書に効力がある」という地点がすごくつらいですね。
『覇王愛人』(新條まゆ・小学館) 銀英伝8巻の傷に打ちひしがれていた誕生日、勧められて(?)読んだ。くるみちゃん、そんな男はやめとけ! と読者に言わせるいとまも与えず次々と襲いくる黒龍くんの横暴に一生減速しないジェットコースターに乗ってる気分だった。中華料理屋の息子が最後に報われて(?)良かったと思う…。
『滅びに向かう場所にて』(朝凪空也・ウェルウィッチア) 空也さんの短歌は、日常のしんどさや、ふんわりとわたしたちをとりまく理不尽がどんなものかを、目を逸らさずにしっかりと書いているところがすごく魅力的でそれはわたしが「いつのまにか」踏み越えていたり、踏み付けにしていることに気づかずにいた「誰か」の足だったり大切な物だったりすることに気づかせてくれるなといつも思う。生きているって、誰にとっても楽なことではないのに、「わたし」以外の人はなんか楽にうまいこと生きてるな〜と思えちゃうような傲慢さが私にはあるんだけど、誰にだって生きる地獄があり、「そこ」に立たねばわからんよ、見えないまま想像で断じるな、という強さと言えばいいのか。 強さ、と書いたけど、上からではなくて、同じ地平に立って指差して視線をそちらへ向けてくれるような、そういうねばりづよさ。 「無意識に使う両手は無意識に誰かに不便を強いている手だ」という短歌が私はとても好きなんだけど、「なに」という具体的なものを指さず、でも、自分の行動や、「両手が使えること」をはっきりと「どういうものか」を示してくれていたりとか。 こういう眼差しを持ち、それを言語化し、静かに丁寧に、複雑で難解な言葉ではなく音を巧みに使って心にするっと入り込みやすく表現してくれる稀有な表現者/歌集だと思う。 同時代に読めることがとても嬉しい。
『私と夫と夫の彼氏』(綾野綾乃・タタンコミックス) あらためてブログに書きたいと思っているんだけど、とても……とても良かった。ある日夫がゲイだと知ってしまった主人公美咲、夫悠生の浮気相手は実は主人公の過去の教え子周平で……しかも周平は、悠生だけでなく、美咲にも好意を抱いていた……。 この三角関係に対して、美咲は最初、悠生や周平を責めるんだけど、二人と対話や生活をしている内に、「三人で」関係をつくっていこうと同棲を始めることに……。 人間関係と「愛情」の書き方がとてもいい。「愛」というものが衝動的な一方通行ではなく、それまでに培ってきた信頼関係や一緒にしてきた経験を元にしているところに安心感がある。中心になる三人だけでなく、いろいろな「生き方」を選択している登場人物が丁寧に・肯定的に描かれていて、だからこそ衝突するし問題だらけで、ピンチが重なり続けるんだけど、そのつど言葉を重ねて、語られる言葉を聞いて、一緒に生活や行動をして、解決したり、すぐに解決できないことも、大切にしているのがいい。最新刊の9巻までを読んだんだけど、優しさと罪悪感から悠生が自分も周囲もつらい行動をとってしまったり、契機になりそうな出来事があったりと、もうとにかくつづきが早く読みたい……! めちゃくちゃ面白い。ドラマもU-NEXTで見られるようなので、タイミングを見計らって絶対見たい! と思っている。おすすめ。 パンセクシュアル・ポリアモリーという、偏見や好奇心で見られがちな属性について丁寧に書かれているのがすごくいいなと思ったし、わたしはポリアモリー的な感覚を強く持っているので、そして「どう関係を構築していくか」を肯定的に、真摯に物語の中で模索してくれていることがありがたくてうれしい。取りこぼされていないと思うし、物語のなかに居場所があるとも思う。このお話のまえに読んだ『ミモザの告白』という小説でも、悪者のように書かれていたポリアモリーの男子生徒への偏見が、最後に主人公の気づきによって完全な「悪」にされてしまわなかったことにも安心した。もっとこういうお話しが増えればいいな~と思う。
『鋼鉄紅女』(シーラン・ジェイ・ジャオ 早川書房) ���っちもめちゃくちゃおもしろかった! 最近読んだ本の中で『私と夫と夫の彼氏』と双璧として並べたい本! 男女のペアが乗って操るロボット的なもので、未知の存在と戦うSFなんだが、これがもう~~~~~~最高!!! とにかく主人公の武則天がかっこいい……最初のペアの男を殺して「悪夢へようこそ」と告げる場面からもうずっと「アアアアアアアアアアアア!!!!!!! もっと!!!! もっとおねがいしますうううううう」ってなった。 この物語も「男女で一個の安定した関係」という通念に疑問を投げかけてくれるお話しだったし、家父長制につよく異議を唱える芯が通っていたのがすごく良かった! 人生のお守りにしていきたい……。 いろんなひとにすすめたいな~~~。 観た映画 『バービー』 『覇王別姫』
9月一ヶ月分のまとめみたいなブログになったな。 10月~11月がかなり忙しいので、生き延びられるのかどうかがわからない。とにかく頑張って生きようと思う。
次は『若槻菊枝 女の一生 新潟、新宿ノアノアから水俣へ』を読もうと思っている。本が読める時期らしいので、読める内に読んでおきたい。
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exciting-funeke · 1 year
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ドラクエⅧリメイク(メインシナリオ)クリアしました
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キタカミの里を訪れたい衝動を抑え、暇な時間を見つけてひたすら3DS触ってたふねけです。めちゃくちゃ面白かったので完走した感想をレポートの如く連ねています。
※以下全文クソ長感想&ネタバレ注意※
感想を書くに際しまして、wiki等でドラクエ8の情報を漁りある程度の"答え合わせ"は済ませてある状態です。あしからず(本来拾えた筈のアイテム、リメイク前との差異、etc…)
ものすっっっごい個人的なことばかり書いてるので共感とかそんなに無いかもしれません。ご了承ください。
此度のドラクエ8プレイに当たる基本的な方針として
・可能な限りリメイク版追加キャラクターであるゲルダ、モリーの使用を避ける(めっちゃ強いらしいのとなんとなくリメイク前の質感に近づけたかった)
・ヌルゲー化を避ける為過度なレベル上げはしない(道中見かけたメタルは狩ろうかなくらい)
・あまりにも詰まったら普通にwiki見る(方向音痴定期)
というのを気にしてシナリオを進めていました。縛りというかめんどくさいこだわりの域ですね。
どうせ縛るのにモリーを仲間にした理由はもちろんエンディングに居て欲しかったからです。仲間になるという情報をプレイ前に得てしまっていたのもありますが……
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最終的には画像の育成状況で暗黒神を屠ることに成功しました。結構満足してます(上は父上のデータ)
印象的なキャラ
ククール : 彼のビジュアルや性格はDCD版モンスターズバトルロードやヒーローズで断片的に得ていましたが、実際に本編を遊んでみてその味わい深さに気付いたクチです。案外というか結構アツい男。話が上手く、煽りのセンスが無駄に高い。当然本人も好きだが���述のマルチェロとの関係も好き。
マルチェロ : ライバルズではお世話になりました。確かに彼の持つ人格は素晴らしいものとは言えないかもしれませんが、一時とはいえ一般人から法皇にまでのし上がった圧倒的な野心家&努力の人というイメージです。ゴルド崩壊後のククールとのくだりは全人類の心が動く。
てっきりリメイク前からあると思っていた「奈落の祭壇」での共闘シナリオがアホ良かった。時系列的にはゴルド崩壊後すぐ挑めるので復帰早くね?とは思いましたが
リメイク前ではあれ以上は終ぞ埋まらなかったマルチェロ、ククールの歪な兄弟の溝が「奈落の祭壇」の追加によりほんの少しでも埋まったのならそれはとても素晴らしいことなんじゃあないでしょうか。
ミーティア :ウマ娘。普通に善い娘すぎるのでクリア後のシナリオも最低でも主人公とミーティアが結ばれるところ(+地獄の帝王との邂逅)まではやろうと決意しました。あと母親似っていうかもう本人じゃん。
モリー :DCDのモンスターバトルロードのオタクであり残党なので彼を見ているとものすごく懐かしい気持ちになる。YOUのチームに命令を与えるのだッ!!
いちキャラクターという観点から見てもロマンに対して無限にアツい漢であり、年長者としての視点をちゃんと持っていたり、夢を叶えてくれたから今度はボーイの夢を叶える為にどこまでも付いていくと言いなんか暗黒神のとこまで一緒に来てくれるおもしれー男。善い人すぎません?
印象的な敵
オセアーノン : 他の作品の扱いが結構良い割に思ったよりちょい役だったモンスターその1。序盤の海で出会ってボス戦してそれ以降見ることも無かった。思ってたんと違う……
ドン・モグーラ : 他の作品の扱い(ry その2。キミさ、ジョーカー2で闘技場の責任者やってたりドラクエ10で激強アクセのコインボスになってなかった……???ハープ取り返してアジトが売地になってた以降、彼の姿を追うことができない。思ってたんと違う……
バベルボブル : 単純に好きなモンスターでもある。モンスターズシリーズではとりあえずで作りがち。トロデーン城を前にしてエンカウントしたボルがおもむろに目の前で合体し出し、そして完成したコイツにパーティを半壊させられました。(割と色々な作品で強めの扱いされてる合体モンスターをこんな序盤寄りのなんの変哲もないフィールドで出すな)
ドルマゲス : 化け物その1。リメイク前も強かったらしい。方針に過度なレベル上げはしないとしましたが初見時のレベルで彼に勝てるビジョンが一切見えずククールがベホマラーを覚えるレベルまでトロデーン城ではぐメタ狩りしてました。屈辱。そしたら逆に簡単になっちゃった。マジで屈辱。もし次最初からやる日が来たら頑張ってククールのベホマラー習得前に倒してやります。
レティス : 化け物その2。やっぱりリメイク前も強かったらしい。彼女のわしづかみ一撃でゼシカのHPがオレンジに染まったのを見て素で「は?」って言っちゃった。しかもなんか異様に硬いし。バイキルトかけたヤンガスの蒼天魔斬で100くらいしか出なかった気がする。当時間違えて多額のゴールドを抱えて彼女に挑んでしまい、本当に絶対に負けたくなかったのでゲルダのゴールド投げを解禁してしまった。マジで屈辱。
ジャハガロス : リメイク版の刺客。普通に1回全滅した。マルチェロがいなければ即死だった。第二形態は大岩投げで全体に100〜130くらいのダメージ出してくるし、いなづまで合計約400ダメばら撒いてくるし、かみなりパンチで確定麻痺攻撃してくる。しかもAI2回行動。つまり大岩投げ×2を1ターンでしてくることもあるんですよ。ウソでしょ……???
ただ、挑んだ時期が悪いのもあります。この「奈落の祭壇」というダンジョンは必ずしもゴルド崩壊直後の解放された瞬間に挑まなければいけないものではないらしいです。
というかジャハガロス本人より助っ人のマルチェロの恐るべき強さの印象の方が強いです。こういうキャラって仲間になったら弱体化するのが世の常なのに彼は違いました。助っ人キャラの例に漏れずマルチェロはHP、MP共におおよそ無限。いなづまのダメージも運が良ければ吸ってくれるし、グランドクロスで150くらい、メラゾーマでなんと250くらいのダメージを叩き出してくれる正真正銘の化け物です。お前も仲間にならないか……?
暗黒の魔人 : なんか微妙に弱くね?
暗黒神ラプソーン : あんま強くないって風の噂で聞いて正直ナメてかかりました。リメイク前の話だった……インターネットに踊らされるな
全滅回数は4回。一番苦戦しました。なんかリメイク後の今作で超絶強化貰ったらしくて、神々の怒りで運が悪ければ問答無用で1人即死するし、頻繁にいてつくはどう打ってくるし、マダンテ+叩きつけとかいう低耐久絶許確定即死コンボを予備動作無しで放ってくる。普通マダンテ前にはめいそうとかするもんじゃないの!?!?!?
ピオリムかけないと絶対に上取れないし(ポケモンで学んだsの重要性)、エルフの飲み薬やせかいじゅのしずくフル活用だし、マジックバリアを絶やさなければマダンテ+叩きつけをゼシカは無理でもククールはギリギリ耐える事を発見しなければ勝てなかったと思います。最後の戦いに相応しい、文字通りの総力戦でした。ヤンガスには3回くらいメガザルしてもらいました。R.I.P.
色々なお話
ドラクエ8よりも先にドラクエ10をプレイしてしまったふねけにとってのBGMの第一印象としましては、
トラペッタにて
(レ◯ドア(ラッ◯ラン)じゃねーか…!!!)
フィールドにて
(氷の◯界じゃねーか…!!!)
アスカンタにて
(グラ◯ゼドーラ城じゃねーか…!!!)
という感じでした。いや違うんだよ。やったことないゲームの筈なのにどこへ行っても聞いたことのある、ある程度刷り込みが、認識が成されたBGMが流れてくるんだよ……!"こっちが原作"だと頭では理解してても、逃れられないドラクエ10の認識の呪縛が先回りしてくるんだよ……!!しかし まわりこまれてしまった
ほかのゲームで聞いたことがある、つまり他のゲームに多く起用されているということは、それだけドラクエ8のBGMの完成度が高く、愛されている証拠でもありますね。ほんとに聞いたことのないBGMの方が少なかったです。
あとBGMの話でもう一つ、物語の最後を締め括る戦いである暗黒神ラプソーン戦の、あの有名なBGM「おおぞらに戦う」ですが、
生で(生か?)聞けて良かった……!!!自分の打つコマンドで繰り広げられる戦いの背景にあの神BGMが流れてるのホントに感動しますね……
ドラクエのラスボスのBGMって【魔王の恐ろしさ、性質を前面に出すBGM】と、【最終決戦そのものを表しているような、勇者を鼓舞するようなBGM】の大きく二種類に分けられがちで、例えば「悪の化身」、「オルゴ・デミーラ」なんかは前者に、「勇者の挑戦」や「決戦の時」なんかは後者に分類されます。そしてこの「おおぞらに戦う」は正に後者の代表格と言えるでしょう。
ふねけはRPGとかのラスボスのBGMって結構大事な要素だと思っていて、無くてもいいけど(演出の都合とかもあるし)、有れば絶大なチカラを発揮し、物語を鮮やかに彩るモノという認識です。そのカタルシスの質さえ平気で左右してしまうような要素で、もし自分でゲームを作ることになったら、多分ラスボスのBGMには力を入れると思います。それくらいの代物だと思っています。そして、今作の「おおぞらに戦う」はその完成系の一つだと思っています。
それと色々調べてる内に気付いたのですが……そういえば一応メインシナリオをクリアした筈のふねけのふくろにドラクエ8最強のアイテムと名高い『ふしぎなタンバリン』と、なんか高速で移動できるらしい『バウムレンのすず』が無えな、と
あれ、またなんかやっちゃいました?(汗)(涙)
『ふしぎなタンバリン』に関してはレシピを教えてもらえるのがクリア後要素とのこととあるので、情報をある程度断ち気味だったふねけが作ってないのはまあ仕方ないです。ただ、材料自体はレオパルドの時くらいにはもう揃えられるらしいですね。
『バウムレンのすず』は……いや、存在すら知らなかった。というかフィールド移動が徒歩固定なことに何の疑問も抱きませんでした。考えてみれば確かに……最近のドラクエは徒歩以外の何らかのフィールド移動手段を用意されがちですが……(10のドルボード、11のウマ等)
という訳でタンバリンは仕方ないとしても、探索不足で読むべきストーリーの一つを読まず、挙げ句フィールド移動の時間を無駄に引き伸ばしていたみたいです。こんなハズでは……
話は変わるんですけど、モンスターズの方にこの世界では親鳥の、我々を背に乗せ暗黒神と戦ってくれた『神鳥レティス』と、死してなお"神鳥のたましい"に姿を変え一行を支えてくれた、その"子"の成長した姿らしき『レティス』がいますよね。
もしかして、いやもしかしなくても、子供の方の黄色い『レティス』がちゃんと自分の"肉体"を持って存在してるの、めちゃくちゃ涙腺ブッ壊れ案件なのでは………?
さいごに
ここまで読んでいただきありがとうございます。さらに細かい感想とかはもっと無限に湧いてくるんだけどそれこそ無限に等しいので心の中に納めておきます。
履修できて本当に良かったです。背中を押していただき誠にありがとうございました!
クリア後要素につきましては他のゲームとの折り合いを付けながらチマチマ進めていこうと思います。さっきも言いましたが、ミーティアと主人公の結婚を見届けるのと地獄の帝王に謁見するまでは最低でもやりたいと思ってます。
                     
                      不一
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petapeta · 1 year
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Windows HeartBeat #9 (1994年3月) 永久プログラマー  このところ、ハードウェアとソフトウェアが車の両輪のように、うまく歩調を合わせて、進化している。7、8年前、Windowsやページ記述言語のPostScriptに出会った時、どうして、こんな大げさなソフトウェアが必要なのか、疑問を持った。8086や68000など初期の16ビットMPUが全盛の時代に、システムサイズが600KBや1MB近い基本ソフトは、処理速度も遅く、普及するとは思えない代物であった。  4、5年前、WindowsやPostScriptが米国で定着したのを見て、「ソフトウェアの開発には時間がかかる。ハードウェアの急速な進歩を見越して、数年先を先取りしたシステムデザインをしなければならなかったのか」と合点した。  そして現在、開発に時間がかかるはずのシステム・ソフトウェアが、ハードウェアと同じスピードで、どんどん変化している。  新しいソフトウェアが矢継ぎ早に発表される背景には、米国を中心としたコンピュータ・サイエンスに対する基礎研究の充実と、膨大な良質のソフトウェア資産の蓄積、そしていくつかの極への開発の集中が挙げられる。極とは、マイクロソフト、アップル、IBMなどのシステム・ソフトウェア・メーカーである。  システム・ソフトウェアの変化が激しくなると、アプリケーション・ソフトウェアの開発者は、その理解のために、開発時間の多くを割かれることになる。Windowsにしても、開発キットに添付されているサンプル・ソース・プログラムを試し、入門書を読み、プログラマーズ・リファレンス・マニュアルを眺めないと、その「思想」は理解できない。 DOSには、思想など存在しなかったが、Windowsは明らかに思想を持っている。思想に反した使い方やプログラミングを行なうと、Windowsはぎこちない動きをしてしまう。  ソフトウェアの作成工程は、設計、開発、試験の3工程で、工数は各工程でちょうど3等分されると昔からいわれてきたが、Windowsのアプリケーション開発では、その前に「調査」という工程が入る。思想を理解する工程である。Windowsは、グラフィックス、テキスト操作、メモリ管理、フォント操作、デバイスドライバなどで様々な思想を持っている。DOSでは生き字引きが何人もいたが、Windowsのすべてを理解している人は、世界中探しても見つからないであろう。Windowsプログラマーといっても、開発実績を持つ特定分野のことは理解していても、他の分野については素人である。新しいソフトウェアを作る時には、Windowsプログラマーといえども、先ずは調査をして、あれこれ試してみる必要がある。  Windowsだけをとっても、たくさんのソフトウェア技術者が毎日、たいへんな苦労をしながらプログラミングしているのが、日本の現状である。その上、今後、C++を理解し、クラスライブラリの使い方を覚え、OLE2やODBCを使いこなさねばならない。  昨年のComdex/Fallで華々しくデビューしたMicrosoft Office4.0では、アプリケーションが画面上にアイコンとして表示される、新しい試みがなされている。また、Word6.0では、ダイアログ内にメニュー展開用の「タブ」という新しいユーザ・インタフェースが採用された。MDI(複数文書操作)、OLE(オブジェクト結合手順)などの例に見られるように、アプリケーション開発チームが実現させた基本機能を、システム側が取り込むのがマイクロソフトの通例となっている。アイコン表示やタブもその内、OSの機能として組み込まれるのであろう。Windowsの次バージョンであるChicagoで、タイトルバーの文字列表示が左寄せに変わっても、アプリケーションでは何の変更も必要ない。しかし、タブをサポートするためのは、ユーザ・インタフェースの設計からやり直さなければならない。  Excel5.0のような、3Dの立体感のあるダイアログの作成でも、Windows3.1の開発キット(SDK)を使って実現するには、結構苦労した。それが、VisualC++1.5のMFC2.5には、標準ライブラリとして入っているらしい。VC++1.5にはもっと大切なOLE2対応のクラスライブラリや、ODBCの各種ドライバも入っている。Accessエンジンもロイヤリティなしでアプリケーションに組み込んで使えるのである。開発環境も、いつになく速いペースで改善されつつある。  システム・ソフトウェアや開発言語が、急速に進歩する「過渡期」であるため、プログラマーは勉強の連続になってしまう。過渡期といっても、この状態が21世紀まで続く可能性があり、Windowsソフトウェアを開発しようとしても、どこから、何に手を付けて良いやら分からない状況となりつつある。高級なクラスライブラリやオブジェクト指向OS、Visual Basic for Application(VBA)のような1ランク上の開発ツールの出現など、待てば待つほど、充実した開発環境でプログラミングが行えることが目に見えている。 パソコン・ハードウェア本体の「半年で旧型機」と同じサイクルにシステム・ソフトウェアも突入してしまった。東芝の部長さんが言っていた「最高のダイナブックが欲しければ、死ぬ1日前に買いなさい」というブラックジョークが笑えなくなってきた。 最高の開発環境で仕事をしたければ、死ぬ1日前に着手しなさい」ではプログラマーは誰も笑えない。  開発に着手したプロジェクトでは、更に話は複雑である。  A君は優秀なWindowsプログラマーである。彼は、1年半ほど前に、「これからはC++の時代だ」と一念発起して、マイクロソフトC/C++7.0とクラスライブラリMFC1.0を使って、アプリケーションを作り始めた。半分ほどプログラミングした時点でVisualC++1.0が米国で出荷された。その開発環境の良さやMFC2.0の高級な機能に刺激されて、VC++に開発環境を移行した。MFC1.0は、Win16APIにクラスライブラリの皮を被せただけの簡単なものである。彼はこの上に、独自の高級なクラス構築していたのだが、MFC2.0が見事にそれを葬ってくれた。MFC2.0に合わせて、モジュール構造から作り直すのに6ヵ月ほどを費やした。  そして、今、彼はVC++1.5への移行を真剣に考えている。ソフトウェアを出荷できるのは、いくらがんばっても今年の年末。その頃にはExcel5.0やWord6.0の日本語版も出ているに違いない。「OLE2をサポートしないソフトなんて、みんなに見向きもされないのでは?」と心配している。VC++1.5に付属しているMFC2.5のOLE2サポート機能は魅力である。独自に裸のOLE2をサポートするなど、ひとりでプログラミングを行なっている彼にとっては気の遠くなる話だ。マイクロソフトはMFC2.5でOLE2をサポートするために、2万行ものプログラミングを行なっている。これを使わない手はない。  Win32も気になる。半年も待てば、VC++2.0が出荷されて、32ビットで高速に稼働するアプリケーションが作れるであろう。Win32APIは、マイクロソフトが推奨しており、Macへの道も開かれるので、ぜひとも対応したい。このままVisualC++1.0で開発を続けるか、1.5に乗り換えるか、はた又、2.0まで待とうか。とにかく、MFC2.5のOLE2部分は使うことに決めたようである。  Chicago、Cairo、OLE、ODBC、MAPIなどの登場、そしてVisualC++の立て続けのバージョンアップで、「僕のプログラミング・スピードより、OSや言語の変化の方が、速度が速い」と、彼は嘆いている。今年の終わり頃には、オブジェクト指向OSであるCairoが姿を表わすであろう。すると、Win32APIよりも、はるか上位のプログラムインタフェースがクラスライブラリとして提供されることになる。完璧なソフトウェアを目指す、プログラマーの鑑のようなA君は、Cairoへの対応をすぐに検討するであろう。  こうして、プログラマーとしてA級の技術を持つA君は、プログラミングをやり続け、いつになってもソフトウェアが完成しない「永久プログラマー」となるのである。
永久プログラマー
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kennak · 1 year
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「徳洲会」という名前を聞いたことあるだろうか。日本No.1の病院グループである。が、多くの人にとって知名度は高くはないと思うので数字を見るのが1番かもしれない。https://catr.jp/settlements/11ce8/271558直近の業績だが、凄まじい。事業収益: 4,523億円当期純利益: 459億円もし上場していれば数千億円〜兆円クラスの企業体かつ、2位以下の医療法人と収益規模で数倍の差がある圧倒的市場リーダーである。(医療法人なので通常の株式会社とそのまま比較できるわけではないが)徳洲会は��高度経済成長・都市化のひずみによって生まれた病院の数と医療ニーズにギャップのある”医療空白地帯”を中心に拡大してきた。そんな巨大病院グループをたった一代で築き上げた創業者が今回取り上げる「徳田虎雄」だが、とても"強烈"な人物である。「人命救助のためなら、人殺し以外は何でもやれ」徳田虎雄 - Wikipedia医療のためには手段を選んでいられないという考えから赤信号を守らないなど規範意識が薄く 、部下の運転手が赤信号で停止するたびに缶で頭部を殴打するなど 、グループ内では暴君として恐れられた。徳田虎雄 - Wikipedia事実彼の歩みを見ると、時にはお金の力、時には政治の力など清濁併せ呑んで病院グループを拡大してきた連続だった。言葉を選ばず言うと、こんなヤバい人がどのように圧倒的規模の病院グループを作り上げたのか、どういった考えの持ち主なのか興味が湧いた。医療法人とはいえ、この規模の事業体をつくったという意味では傑物な起業家のはずである。 ゴッドドクター 徳田虎雄 (小学館文庫) www.amazon.co.jp 803円 (2023年07月17日 20:46時点 詳しくはこちら) Amazon.co.jpで購入する 目次 初期病院の開業徳洲会の発足医師会との攻防成長の原動力政治への進出難病ALSを患う海外進出とプロジェクトファイナンス徳田王国崩壊と晩年番外編・徳洲会が伸びたマーケットの背景 すべて表示 初期徳洲会の「年中無休・二四時間オープン」という画期的コンセプトの1つや、医療空白地域を中心に拡大してきた原動力となったのは、徳田の幼少期の体験からだった。徳田が小3の頃、三歳の弟が激しい嘔吐と下痢に苦しんでおり、山道を走って医者を探し回ったが、やっと見つけた医者は診てくれず、弟の容態は悪化していった。夜明けに別の医者を呼びにいくが、ようやく到着したのは昼を過ぎた頃で、すでに手遅れとなった弟は亡くなってしまった。こうして医者に診療を拒絶され続けた結果として、弟が死んだという原体験、見殺しにされた怒りが「どんな患者でも診る」方向に徳田を突き動かし、「生命だけは平等だ」という理念を形成した。しかし、清い志だけの人ではない。大学時代に親族の美容院経営に肩入れし、チェーン展開させるなど商売っ気もある上に、のちに徳洲会を拡大するために総理を目指すほど野心的な人間だ。「代議士になれば、もっと病院をつくれる。総理大臣の椅子に座ろう」病院の開業https://www.tokushukai.or.jp/media/newspaper/1115/article-1.php徳田は医師として働きながら、病院を開業するために土地を探して見つけるが、土地と建物、医療機器すべて含めて1億6,000万円が開業にかかることがわかる。銀行に頼ろうにもなかなか貸してくれるところが見つからない。何件も銀行を回って、興味を持ってくれるところが見つかって面談するも、「担保物件と保証人が必要です」と断られてしまう。しかしそこで徳田は考えた。生命保険を自らに掛け、その受取人を銀行にすることで、生命保険を担保にお金を借りようとしたのだ。実際にこう掛け合う。「着工して病院を開くまで一年ぐらいかかります。もしも返済できないとなれば、病院の屋上から頭を下にして飛び降ります」すると銀行はOKと応じた。文字通り”命をかけて”病院開業資金を借りて、1年後に「徳田病院」がオープンした。徳洲会の発足1つ目の病院経営を安定させると、次の病院建設にとりかかる。医療過疎地の大東市に新病院建設の話を持ち込ませたが、市が購入した用地を競争入札で、しかも割高で購入しなくてはならなかった。だが、やらない選択肢はない。徳田は生命保険の掛け金を8億円に引き上げ、さらにお金を借り入れてベッド数200床と、1つ目の病院から3倍規模の病院立ち上げを実行した。こうして病院が増えたところで、医療法人「徳洲会」を発足させる。これを機にコンセプトが固まり、年中無休・二四時間オープン患者さまからの贈り物は一切受け取らない健康保険の三割負担金も困っている人には猶予する生活資金の立替・供与をすると掲げた。いずれも医療界の常識を覆す、画期的な声明だった。また徳田は、早くから「医療と運営の分離」を志向した。医師が診療しながら、薬や医療機器の購入、経理、人事、土地の入手まで管理・実行するのは難しい。全国展開のチェーン病院には、中央集権的な運営部門が必須であると考えた。病院の医療は院長に任せ、自分の手足となって動く運営部門を編成しようと徳田は人材をかき集め組織成長を図っていく。医師会との攻防順調に拡大していた徳洲会は、次の病院を建設するためいくつか土地も確保していたが、それぞれの地元医師会が敵として立ちはだかる。彼らは「徳洲会は儲け主義」と反発する。ある種当然ではある。徳洲会が拡大するのは医療過疎地とはいえ、患者は無限にいるわけではなく、パイの決まってるマーケットを取り合っているからだ。進出阻止をしたい医師会は、市に対して徳洲会の進出を認めるのなら、学校の校医をボイコット、予防接種を拒否する、と圧力をかける。ほかの地域の医師会も、徳洲会が病院建設用地を入手すると、徳洲会のメインバンクである第一勧業銀に取引停止を通告。医師会員の預金を全額引き出し、重圧をかける作戦をとる。しかし、結果は医師会の敗北だった。学校医のボイコットは子どもを人質にとってるように映り逆効果に、そして何よりも病院を欲しがる「民意」の追い風によって病院建設にこぎつけた。成長の原動力ゴッドドクター 徳田虎雄ここまで数年であちこちに病院を立て急成長する徳洲会の要因は、徳田の医療界とかけ離れた経営にあった。第一は、徹底的な「低コスト主義」。同時期に開院した埼玉県の市立病院と比べると違いが明らかだ。市立病院はベッド数300床で、建設費に69.7億円をかけている。それに対して徳洲会の病院は、同じベッド数300床だが、建設費は16.5億円で、ベッド一床あたり4分の1のコストで建てている。そのカラクリを徳田はこう語る。「僕に言わせれば、市民病院は市民のためのものではなくて、働く職員のためということです。デラックスで広々とした院長室、副院長室、総婦長室、外科医長室……これらはことごとく、患者にとっては無縁の設備ですよ。これに比べて、僕たちは患者のために病院をつくるわけですから、副院長室、総婦長室なんてものは、最初からつくってないわけです。理事長室なんてものもありませんよ。僕が病院に行ったら、絶えず会議室にいるわけです。」この低コスト主義は、薬剤や医療機器の仕入れと管理にも適用された。徳田は、製薬会社が個々の医師に接触して薬剤を売り込むのを止めさせて、グループ全体の薬剤の仕入れを一元管理して値を抑えるようにした。というのも、医療機関は国が定めた基準価格より安く薬剤を仕入れ、患者に使った後に基準どおりの価格で保険請求をする形だが、そもそも医薬品の値段が曖昧で、巨額の差益を生んでいたからだ。徳田はこの隠れた収益源である薬剤に目をつけた。各病院の要望を本部がとりまとめ、何が最適の薬かを見極め、一括で仕入れて配分するシステムを作った。メーカーとの価格交渉も、グループを代表して本部が行う。病院が増え、薬の使用量が膨らむと、さらなる値引き交渉が行われ、莫大な差益が生まれるスケールメリットも発生した。第二に「実力主義での人材登用」だ。医療界は閉鎖的で、教授をトップにしたヒエラルキーの元、教授の意向で、配下の医師の勤務先や序列が決まってしまうという、忠誠心が試される構造にあった。そうした構造の中、アメリカで腕を磨いた医師の多くが、帰国後は不遇な扱いを受けていた。ヒエラルキーの医局から飛び出た者は、いくら技術を高めても、忠誠心が低いと見なされて、帰国後もなかなか良いポストを与えられなかったのだ。そこに徳田は目をつけ、「アメリカ帰り」の医師を積極的にスカウトしていった。アメリカで身につけた能力が正当に評価されなかったところに、徳洲会病院の院長というポストが差し出されると、彼らは日本育ちの医師の二倍、三倍働いた。彼らは患者のために働くのは当たり前であり、「年中無休・二四時間診療」と言われても驚かず、アメリカなら当然、と受け入れる。病院を経営の観点から見れば、収益を上げられるかどうかは医師の良し悪しにかかっており、医師の質と量が経営を決定づける。そう考えると、徳洲会の成長基盤は、アメリカ帰りの医師たちがつくったといえる。政治への進出https://www.fnn.jp/articles/-/26017徳田が政治に強い関心を抱いたのは、最初の病院を建てた頃に応援した候補が市長に当選してからで、その時に医療と政治の距離の近さを実感した。政治権力を持てば、医師会という病院進出の抵抗勢力もねじ伏せられる。近い将来、制約がなかった病院の開設にも制限が課せられると予想されている中で、政治力を持てば、病院開設の許認可権を握る行政に強く当たれる。とにかく病院を沢山作るために”政治力”が必要だと思うようになった。そこで衆議院選挙に出馬することになるが、死闘の末2回も落選してしまう。3度目の正直で挑んだ衆議院選挙、対抗候補とお金で票を買収し合う凄まじい戦いになる。金で票を買うのを媒介する統括者は、買収のポイントを知る年配の熟練者で、徳田に「ここで10億打てるかどうかで、勝負が決まる。勝つか、負けるか、あんたが決めろ。諦めるのなら諦めてもいい」と迫った。徳田は、東京本部の部下に連絡し、「やれ。カネを送れ」と命じた。 それから毎日、部下は徳田が出馬している地域宛に現金を一億円、二億円と送った。投票までの一週間でちょうど10億円、選挙期間中を通して30億円のカネが投じられた。この30億円というお金は徳洲会が医療機器を仕入れる時に、関連会社を経由したり、代理店からのキックバックで作った裏金によって賄った。あらゆる手段を尽くした結果、ついに当選し政界に進出する。初当選でまだ政治家として力ないにもかかわらず、周囲への発言から尽きない野心がうかがえる。「でも彼の言い方はですね、2期目は厚生大臣、3期目は総理大臣、4期目は世界大統領だと平気で言うわけですね。」https://www.fnn.jp/articles/-/26017「自由連合」という政党まで立ち上げ、徳洲会の資金力を目当てに政治家も複数人集まり、石原慎太郎の都知事選のスポンサーもする等、精力的に政治活動に勤しんでいく。難病ALSを患うしかし60代になると、難病・ALSが発症し病魔が徳田を襲う。ALSは筋肉を動かすための神経が障害を受け、「手足を動かせ」といった命令が伝わらなくなっていき、筋肉が衰えていく。口も動かせないので会話もできなくなり、最終的には呼吸の筋肉も動かず呼吸不全に陥ってしまう病気だ。一度罹ったら治らない難病である。海外進出とプロジェクトファイナンスそれでも執念で経営を続け、徳田の野望は「世界」に向けられていた。「世界中に二〇〇の病院を建設する。『生命だけは平等だ』の哲学で、人間主義の人道追求型病院経営を世界で展開し、世界平和に貢献したい」と徳田は大きく宣言した。しかし、資金を安定的に調達しなくては、病院を増やすのは難しい。そこで浮上したのが「プロジェクトファイナンス」だった。これは、土地ではなく、特定の事業が生みだすキャッシュフローを返済の原資にした融資であり、長期的な安定収入を見込んだ方法である。その債権を証券化して第三者に売って資金を調達したりもする。 徳洲会は、日本の医療機関ではいち早く、この新しい資金調達を取り入れた。徳洲会の主なキャッシュフローである診療報酬はかなり魅力的で、プロジェクトファイナンスにぴったりだった。なぜなら、金融機関からすると「診療報酬債権」の報酬を支払うのは公的機関であり、焦げつく怖れはない回収確実で安定的な資産と捉えられるからだ。ゆえに極めて格付けの高い債権となる。診療報酬債権の価値に目覚めた徳田は、診療報酬債権を証券に変えて機関投資家に売り、8病院は市場から年間約280億円を調達した。日本の医療界では初めての試みとなった。しかし当時、徳洲会の負債は1,300億円を超えていて、8病院の証券化でも効果は限定的だった。性急な拡大路線で稼働率の低い病院が生まれていたり、徳田の政治活動資金への荒すぎるカネ遣いが原因だった。一度は銀行に経営を乗っ取られたこともあったくらいである。そこでさらなる資金調達を模索していた時、新たに外銀・RBSが度肝を抜く提案をしてきた。徳洲会の医療法人だけでなく、関連会社を合わせた全事業をまるごと証券化し、それを担保に2,000億円を融資するというプランだ。全事業対象の証券化は前代未聞の荒業で、2年後に孫正義もボーダフォンを買収する際にこの手法を使ったことで有名だ。徳田は、ビジネス界よりも早く、事業証券化に注目した。そして一度は合意に至り全事業を証券化しようとするが、様々な制約によって見通しが立たず、つなぎ融資が財務を圧迫する。最終的に徳田は大胆な方針転換を命じ、RBSとは契約解消、他行への借り換えをすることを決定した。この判断は功を奏した。病院の建設も急ピッチで進んでいき徳洲会は絶頂を迎える。徳田王国崩壊と晩年そんな絶頂の中、徳田のALSの症状は進行し、2006年には声を出して会話できないまでになり、文字盤を目で指して意図を伝えていた。その状態でも海外展開を推し進め、事業欲が旺盛だったのが末恐ろしい。https://www.youtube.com/watch?v=CJzc5LH230oただ、体調は悪くなる一方なため、そ���少し前から政治活動は次男・毅に任せ、徳洲会の後継も長男・哲に移行し始めていた。ところが、徳洲会を哲へ継承しようとするのを他のファミリーが阻む。これまで徳田が一族を徳洲会には近づけないようにしていたのに、ALSが進行し身体が不自由になっていくと、一人では生きていけないため、一族は心配して近づくとともに「創業家の利得」にありつこうと徳洲会に踏み込んでくるようになってきた。こうして徳田と徳田の右腕・能宗 vs 徳田ファミリーという構図で火種がくすぶるようになる。そしてついに、徳田が過去立ち上げた政党「自由連合」への徳洲会からの巨額の貸付といった爆弾処理を巡って緊張が一気に高まることに。能宗は返済スキームを考案するが、ファミリーはバックデートで文書を作ったり等に抵抗を感じ、脱税を推進してるとして裏切り者に仕立て上げた。ファミリーは徳田にも「能宗は裏切り者」と迫る。これまで固い絆で結ばれ「大事なことは能宗に聞け」と全幅の信頼を置いていたが、この爆弾をうやむやにしたい徳田は能宗を切ることにし、解雇した。こうなれば能宗も闘うしかない。これまで右腕として握り潰してきた「選挙違反」や「政治とカネ」にまつわる数々の徳洲会の爆弾を世間に知らしめた。結果、能宗にもファミリーにも検察の捜査が入り、両者逮捕に至る泥沼に。この一連の事件で、職員は大量に辞め、徳田一族も能宗も去り、徳田本人も要職から外され、徳田王国は崩壊した。徳洲会そのものも「社会医療法人」の認定が取り消され、解体されるかどうかという瀬戸際に立った。だが、厚労省は取り消さなかった。徳洲会が地域の医療に果たす役割があまりにも大きかったからだ。徳洲会の病院が閉鎖すれば、地域の医療は破綻し、厚労省��も責任が及ぶ。王国は崩壊したが、徳田が立ち上げた現場の医療は残り、徳洲会は徳田ファミリーとは決別し今なお繁栄を続けることができている。番外編・徳洲会が伸びたマーケットの背景ここからは番外編で、徳洲会がなぜ伸びたかだ。ひとことで言えば、高度経済成長による人口動態の急速な変化が生んだ”ひずみ”を解消したことが大きい。当時、一次産業が廃れ、若くて「安い労働力」が商工業の雇用を求めて地方から都市へと急速に人口が移動した。その結果、人口急増地域は医療機関が全然足りず、医療砂漠が生まれる。一方で労働者を送りだした地方は人口が減って高齢が進み、こちらは医師が消えていく。また見通しの甘い都市・国土計画と、自由開業制による病院開設で皆が好き勝手に病院を立てたために、医療過疎や医師偏在が発生した。高度経済成長&国の制度設計の不備で生まれた需給にギャップのある空白地域をターゲットに病院を開設する戦略で、徳洲会は「住民のニーズ」を掲げて埋めていった。そこに徳洲会が成長した歴史的な必然性があった。徳田虎雄の知恵優秀な人材と仕事する「僕は自分より能力のある人間と仕事をする」「医師の場合、学閥、教室閥、年功序列にこだわることなく、実力主義で採用してます。他の病院だと、院長は大学教授の古手の天下りが多いけれど、徳洲会病院の場合は、実力とリーダーシップさえあれば、三十代、四十代の若さで院長になってもらっています」任せる力徳田は「できる」と見込んだ部下には仕事を全面的に任せた。人使いの妙がここにある。田中が猛勉強をして無影灯のメーカーを絞ると、徳田はさらに要求する。 「岸和田は三五〇床や、大型病院で徳洲会の顔になる。医療機器も最新鋭のものをそろえないとだめだ。人工透析センターも稼働させる。血管造影のCAD、バイタルサインモニタ、透析機器……、野崎にないものもぜーんぶ、交渉して決めろ」  徳洲会に入って一年経つかどうかの田中に億単位の商談が委ねられたのだった。ゴッドドクター 徳田虎雄人間ウジ虫論徳田は、使えると見込んだ人間がカネを欲しがればカネを、ポストを求めればポスト、色を欲すれば色、理想を求めるのなら理想を、瞬時に見分けて与えた。人間の欲望を掌握する勘は並外れていた。与えられた側は、自己実現の悦びにひたれる。徳田は自己実現の機会をおびただしく創出した。そうして人心を掌握し、徳洲会を拡大させた。  徳洲会を支える医師の前で、徳田はしばしば「人間ウジ虫論」を説いた。「人間なんてな、ウジ虫みたいにそこらを這いずりまわりながら、何をするかわからん生きものや。てんでんバラバラ、好き勝手をしよる。国会議員なんか見てみい、もっともひどいヤツらや。おれやおまえらもウジ虫。全然、まとまらへん。けどな、ウジ虫みたいな連中を、ガサガサ好きにさせてると、ときどき、すごい仕事をしてくれる。ウジ虫やからできる、でかい仕事がある。そこがおもしろい。徳洲会は、いろんなウジ虫がおってええんや」ゴッドドクター 徳田虎雄徳洲会の朝礼「徳洲会の理念、生命を安心して預けられる病院、健康と生活を守る病院、理念の実行方法、一、年中無休・二四時間オープン 二、入院保証金、総室の室料差額、冷暖房費等一切無料 三、健康保険の三割負担金も困っている人には猶予する 四、生活資金を立て替え・供与する 五、患者からの贈り物は一切受け取らない……」 と、声を張り上げるのに合わせて全職員が一斉に唱和していた。内容は極めて事務的だ。「これで世のなかは動いているのか。こんなに簡単なプロパガンダで職員の意識づけができているとは!」と盛岡は仰天した。 インテリは理屈ばかりこねたがるが、世間はまったく違う回路で動いている。それにしても、もう少し、言葉に潤いというか、大脳に響く装いがあってもよさそうだが、飾りはゼロだ。 徳田は、徹頭徹尾、即物的だった。ゴッドドクター 徳田虎雄正しい情報だけをもってこい徳田の職員に対する口癖は「正しい情報だけを持ってこい。間違った情報で判断を誤れば、時間の無駄だ。おれの一分、一秒は、おまえの一時間よりも尊い」だった。ゴッドドクター 徳田虎雄目標はホラでいい「私のモットーは『有言実行』だ。口にしたことは必ず実行する。公言することでそれを実行せざるを得ないように自分を追い込んでいく。みなさんも命がけの迫力をもってほしい。目標はホラでいい。ホラを吹く。 生半可 なホラではダメだ。大欲は無欲に似たり。大欲で死ぬまで全力投球しよう」敵は己自身ゴッドドクター 徳田虎雄出典:https://www.fnn.jp/articles/-/26017ゴッドドクター 徳田虎雄 
4,500億円の病院グループ - 徳洲会 創業者「病院王・徳田虎雄」|Yuya Murakami / East Ventures
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2015mai24 · 6 months
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【ライヴレポート】MUCC、<鵬翼・極彩>再現ツアー日比谷野音公演に「時の流れ、長い年月を感じながら」
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MUCCが5月6日、日比谷野外大音楽堂にて<MUCC 25th Anniversary TOUR「Timeless」〜鵬翼・極彩〜>のファイナル公演を開催した。過去アルバム『鵬翼』『極彩』再現ツアーの最終公演にして、25周年イヤー締めくくりの公演を12月28日に東京国際フォーラムにて開催することも発表となった同ファイナルのオフィシャルレポートをお届けしたい。
◆MUCC 画像
2022年に結成25年周年を迎えたロックバンドMUCCが、過去のアルバムを再構築したセットリストで廻るツアーを開催中だ。第一弾は2022年10月~12月に行なった<MUCC 25th Anniversary TOUR 「Timeless」~是空・朽木の灯~>で、彼らが2003年に発表した『是空』、さらに2004年に発表した『朽木の灯』をコンセプトにしていた。そして第二弾として行なったのが、2023年3月から始まった<MUCC 25th Anniversary TOUR 「Timeless」~鵬翼・極彩~>である。そのファイナル公演となったのが、5月6日に開催された日比谷野外大音楽堂でのライヴだ。
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この日、関東地方には朝から強風が吹き荒れていたが、野音は公園の木々のおかげか、強風の影響はそれほどでもない。初夏を告げる暑い日差しが降り注ぎ、むしろ風が心地いいぐらいだ。そんな野音にSEとして『極彩』の1曲目「レイブサーカス」が鳴り響いたのは17時35分のこと。トライバルなリズムに合わせ、オーディエンスはハンドクラップしながら期待を高めるばかり。紫色や黄色など様々なスポットライトが点滅し、まさに極彩色となったステージ。そこに主役のMUCCが登場すると、でかい歓声と拍手が湧き上がる。鮮やかな振袖の着物をジャケット代わりに羽織った逹瑯(Vo)は、オーディエンスを煽るようにマイクスタンドを高く上げた。
アルバム『極彩』の流れを汲むように、「極彩」へ突入。興奮を煽りたてるヘヴィサウンドが炸裂し、客席を埋め尽くしたオーディエンスも激しいヘドバンを繰り返し、開演から数分も経たずして一体化。ミヤ(G)とYUKKE(B)は立ち位置を入れ替わりながらプレイし、逹瑯は宣戦布告するように歌をとどろかせていく。
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「いい天気だな、日比谷!」──ミヤの喜びの声から続いたのは「嘆きの鐘」。ヘヴィな面もありながら、レゲエのリズムやフレーズも飛び交うナンバーだ。曲の途中でブレイクして、「いこうか!」と笑顔も見せる逹瑯。また「ガー��ラ」のイントロでは「日比谷、飛べんの? 全員で飛べー!」と焚きつける。とはいえ、ジャンプしながら楽しめるのはイントロ部分ぐらい。なにしろ切ないメロディやメロウな展開も顔を出す曲で、一筋縄ではいかないアレンジが「ガーベラ」の特徴でもある。それでも曲に見事に食らいついていくオーディエンス。バンドとひとつになり、さらに曲とも呼吸をしていく様は、さすが、MUCCの熱心なファンである夢烏(ムッカー/ファンの呼称)たちだ。それに曲そのものも、リリース当時とは違う顔つきを見せている。
アルバム『極彩』をリリースした2006年当時、逹瑯はミヤの書くメロディに応えながら、シンガーとしての殻を破り始めた時期だったと思う。絶望感やネガティビティを背負ってもがいているような唱法が初期だったとしたら、暗闇や密室にいた自身を自ら解放したのが『極彩』に取り組んでいた時期だった。その結果、重苦しさばかりではなく軽やかさなども唱法に備わり、同時に幅広いメロディも積極的に歌い始めていった。そこからさらに約16年経ち、シンガーとして大きく成長した今、逹瑯は当時に思い描いた理想の歌を野音で具現化していく。細部まで気持ちを入れながら、しかし感情過多になりすぎることもなく、言葉のひとつずつがしっかり聴き取れる。早い話、伝わる歌だ。それが曲の新たな顔つきにもなっている。
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「晴れたね。雨の野音も嫌いじゃないけど、やっぱ晴れって気持ちいいね。この自然の光も合わせてMUCCを楽しんでいってください。時の流れ、長い年月を感じながら、最後までよろしく」──逹瑯
逹瑯のそんな言葉をはさんで、曲はライヴ会場限定発売シングルの2曲へ。「想-so-」ではバイオリンとチェロ奏者も加わり、優しく切ない歌とバンドサウンドでオーディエンスを包み込む。しかしライヴはここから急展開。ミヤのエッジの尖ったリフに、逹瑯が気のふれたような狂った歌いっぷりが絡み合いながら「リスキードライヴ」で攻め立てる。その勢いのままコーラスやフェイクでコール&レスポンスも起こし始めた。逹瑯ばかりでなく、メンバー名を叫ばせるコール&レスポンスで楽しむのはYUKKE。さらにミヤもムチャなハイトーンすぎるフェイクでコール&レスポンスを楽しみながら、自分も笑ってしまうミヤ。一体感と熱気と楽しさのカオス状態だ。
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「たくさんの人がMUCCに真剣に向き合ってくれて、そんな人たちに囲まれてとても幸せだと思います」──逹瑯
バンドを代表して逹瑯が感謝しながら曲は「パノラマ」へと続く。青空が徐々に夕刻へと表情を変えていく中で披露されたこのバラードは、自然の美も野音ならではの演出効果となり、スケール感ある曲となってどこまでも響き渡っていく。
ところが美しさにずっと浸らせないのが、『鵬翼』や『極彩』をリリースした時期のMUCCと言うべきか。憎しみと怒りもこもったレゲエテイスト強めの「メディアの銃声」を叩きつけたと思えば、そこから続くのは「25時の憂鬱」。YUKKEのアップライトベースでドゥーミーな香り漂うベースリフに、ミヤがサイケデリックで荒々しいギターを絡ませる。逹瑯は、怪しくけだるい歌を恍惚とした表情も浮かべながら聴かせていく。照明の色使いもひたすらドラッギーだ。美しき夕刻だったはずが、おかしな世界へ精神を誘い込む世界へ変貌。
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こうしてライヴは何度もの急展開を見せながら突き進む。恐らくメンバー自身、このツアーのセットリストを考えるのに相当、頭を悩ませたはず。なぜなら曲それぞれが、あまりにも異なる色を持っているからだ。
特に『極彩』を作った2006年当時のMUCCは、“デビリッシュ・イヤー”と名づけ、国内ツアーはもちろん、フェスや海外ツアーなど、怒涛のライヴ活動を行なっている。その過程で刺激も触発もされただろう。新たな曲につながるヒントを掴むこともあったかもしれない。だがMUCCは、自分たちにしかできないことを常に探し求めた。その結果、自由にわがままに音楽を作り始めたのがその時期だったと思う。そのためアルバムは、ひとつの方向性を持ったものではなく、まるでオムニバスアルバムのように違った色合いの曲たちで構成された。だから付けたタイトルが『極彩』でもある。
リリースしたときは初期からのあまりの変化に驚き、ふるい落とされそうになったファンも少なくなかった。しかし、あれから約16年。MUCCの持つ多彩さや多面ぶりも楽しみながら、それぞれの曲に改めてハマり込むオーディエンスの姿が野音に広がっていた。
ライヴ後半、強烈なスラッシュメタル調の「G.M.C」で激しいヘドバンで狂った直後のことだ。逹瑯も、あまりの曲順に自分でも思わず笑いつつ、「優しい歌」へと続いた。MUCCからの温かさと優しさが広がっていく中、オーディエンスはそれを受け止めるように両手を広げ、左右に揺らし、自分たちもMUCCと共に歌う。客席からの歌声を心地よく浴びながら逹瑯が「オマエらのライヴを聴いてんだよ、俺は」と言うと、さらに歌声は大きくなり、大合唱になって夜空に響いていった。そしてステージにレーザーの流れ星が幾つも流れる中、「流星」で感動的にライヴ本編を締めくくった。
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アンコールでは、12月28日に東京・国際フォーラム ホールAで結成25周年イヤーのグランドファイナル開催も発表。その前には第三弾ツアーも、第四弾ツアーもある。逹瑯の「最後まで一緒に、盛大に駆け抜けようじゃないか!」という言葉に、野音からでっかい歓声も巻き起こる。
アンコールラスト「WORLD」は、イントロからMUCCとオーディエンスの大合唱から始まった。レコーディングでもファンのみんなからコーラスを送ってもらい、1000トラック以上のコーラスで構成したナンバーだ。声出しも解禁になった今、MUCCと共に新たな世界の始まりを誓うように、1000どころか約3000人のファンが歌う。喜びと幸せに満ちた第二弾ツアーのファイナルとなった。
取材・文◎長谷川幸信 撮影◎冨田味我
■<MUCC 25th Anniversary TOUR 「Timeless」~鵬翼・極彩~>2023年5年6日(土)@日比谷野外大音楽堂 SETLIST SE. レイブサーカス
極彩
嘆きの鐘
ガーベラ
月光
心色
耀-yo-
想-so- [w/ 後藤泰観(Vn) 吉田弦(Vc)]
リスキードライブ
パノラマ
メディアの銃声
25時の憂鬱
ホリゾント
最終列車
謡声
G.M.C
優しい歌
流星 encore en1. 雨のオーケストラ [w/ 後藤泰観(Vn) 吉田弦(Vc) キラーズオーケストラ] en2. 蘭鋳 en3. TONIGHT en4. WORLD
2023.05.10 quelle: barks.jp
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me--me--me · 6 months
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ポケモンSV!🌸スグリがいっぱいコレクション編🫐
追記:幾分か読み易く再編集️しました📝🐱
👆おむらぁいすに貰ってた猫ミームミータマ(可愛い)
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👆ダチ達と過ごす美しき日々(ワロタ)
拙者てゃ、けーちゃん、おむのイツメンすこすこ侍。
✻*˸ꕤ*˸*⋆。✻*˸ꕤ*˸*⋆。✻*˸ꕤ*˸*⋆。✻*˸ꕤ*˸*⋆。✻*˸ꕤ*˸*⋆。
おはこんハロチャオ! ᕲ(˳⊙̿͆˳)ᕳ みーくんです( ΦωΦ )
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おいッ‼️みー太郎テメェッ‼️忘れてねぇだろなァ⁉️😡👇
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👆覚えとるよ🐈‍⬛🎶 ホントォ?>😅
上記のような口約束は簡単に責任を作れる呪いの言葉なので迂闊に発しない方が身の為というのが今回の教訓です。ッてもスグリはやっぱり可愛いので久々に記事を書いてくぞ‼️ほぼ三ヶ月近く空けやがってよ‼️
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👆マジでこれといって特に見所が無いミー太郎VSスグリ戦(30秒録画を継ぎ接ぎしてるのでお見苦しくてスマソ)
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さっそく完走した感想なんですけど僕はね、これでもちょっと重めの記事を書こうとしていたんです。藍の円盤がね、まぁ結構ね、重かったじゃないですか。スグリに感情移入が出来るか否かで大分その辺の受け取り方は変わって来るとは思うんですが。人によっては最悪ただの拗らせちゃった子で印象が終わってしまう場合すらある。
だからね一応、本当は真剣にド真面目な記事を書こうとしていたんです。していたんです。(過去形)
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番外編を遊ぶ前までは。(キビキビ)
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番外編はキタカミが舞台として戻って来たのもあって、藍の円盤の補足でスグリ休学までの過程に対して匂わせ程度でも仄暗い話も来るかな?って身構えてたんですよね。とはいえ流石にスグリにスポット当たり過ぎかとも思ったので、あくまでメインはホームウェイ組で三人がスグリに助言してくれたりするのかな?とか。
したらね。唐突にギャグホラーが始まるもんだから温度差でブッ倒れたミー太郎はキタカミの公民館に用意された自室に戻り、畳の上に敷かれた質素であるが清潔な布団に潜り、瞼を閉じて深く深く考えた…
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―…スグリ、俺らって本当に色々あったし…お前の事、俺なりに寄り添って沢山考えてみていたけど…―
畏まった堅苦しい言葉の羅列を並べる段階は、とうの昔に過ぎ去ったもので、そんなちんけな文字よりも今必要なのは前を向く事なのだ。スグリにも。俺にも。
スグリ、俺はさ…―――
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お前が笑って明日を迎えてくれるなら、それで良いよ。
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感動の再会。挨拶がてら猫吸い宜しくスグリ吸い。髪型そのままなんかーい。
番外編はホームウェイ組メインかと思いきや割とガッツリとスグリが関わってて笑ってしまったが、そういや藍の円盤だと闇堕ちスグリとはそれなりに関わっていたものの光堕ちスグリとは一瞬しか絡めてなかったもんな…お前気づいたら失踪(休学)してたもんな…。
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ここの掛け合いザ・少年漫画のようで大変◎‼️心做しかスグリも主人公に頼られて嬉しそうに見える!
前述でギャグホラーとは書いたものの、おばあちゃんのお餅催促のくだりとか要所要所では従来通り怖い演出を踏襲して来るのは流石ゲーフリ。子供泣くぞ。
特にお餅は「ひぐらしのなく頃に」のおはぎのくだりを思い出した平成生まれトレーナーは多かったのではないか。
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tumblrで画像付きの記事を書いた事あるブロガーの皆様なら薄々この詰めッ詰めな画像見て察してらっしゃるかと思うのですが画像転載数がとうに上限の10枚超えてるのでもうこの記事は限界です。そんな…!🐣
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ホームウェイ組に触れれてなかったが、ペパ先は愛が重くて刺さる人には刺さった男だろうなと思うし、ネモちはヒソカネモちのままで実家のような安心感があったのと要所要所で育ちの良さが垣間見れたのがポイント高かったし、私的にMVPだったのはボタちゃんで主人公ん家のオヤツに駆け寄る程はしゃいでたり、礼儀が少々なってない場面でペパ先に窘められたりとメスガキ過ぎて可愛かったのでホームウェイ組で最初に特別講師に呼んだりしてました。ボタちゃんの特殊会話での主人公へのお礼もまた良いんだよな(涙) まあ結局三人とも好きなんだが。
ゼイユは相変わらずおもしれーイイ女だったし番外編だと出番少なかったのが若干寂しかったが碧と藍で露出が多かったのでバランスとっての事かなと自己解釈。
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四天王とか更生スター団とか諸々書きたい事は沢山あるが記事内容がごっちゃになりそうなので割愛‼️
…するが、ブルベリ四天王についてはちょっと書く。僕はおタロとアカマツが特に好きです。おタロはキャラビジュ出た時点でもう好きだったんだが、アカマツ…!真っ直ぐで素直な少年に弱いのだ俺は…!!特にあの空気が最悪の状況下だったから一筋の光みたいに見えていた。
ギスギス四天王時代のカキツバタとスグリに対してのアカマツの 「 そーゆーの! マジで めんどくさいよ!!」 マジで好き。
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あとパルデア四天王の方だけど特別講師のポピーちゃんとの特殊会話可愛すぎない❓マジでオススメ。
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こっからメッチャ自己満なガチ余談&懺悔室✍️
癒しを求めて最近は某美少女ゲーってか所謂ブルアカってかブルーアーカイブにハマりまして、イラストが可愛い〜😻ので勿論キャラの可愛さも要因だが〝エデン条約〟というストーリー(序盤は良くある?美少女ものなんだけど中盤辺りから血を見る展開に…🙀)ととにかく各自BGMが良い‼️戦闘曲ガチで良い‼️(星カビのマルク好きな人はゴズ戦の曲を聴いてみてくれ多分絶対好き) 因みに僕は曲の良さから入った人間。
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因みに嫁。(強い意志)
ンでね。久しぶりに(2年ぶりぐらい?)Xで新規垢動かしてるぐらいには絵の方ちょっと頑張ろうかなと思えてるので暫くブログの更新を休止します🙏
なので本当、そういやこんなブログあったな〜って思い出した時にでも立ち寄ってくれると嬉しいです😽💋💕あ、 イツメンはディスコまた声掛けると思うので不定期的に遊ぼうネ★🤪(なんて身勝手な野郎だ👹🔪)
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ここからが懺悔室。ちょっと恥ずいので敢えて改行無しで読みづらくしてます、すみません🙇‍♂️💧ブルスカ🦋の方に一瞬だけナポ男🍝垢で生息してました。支払い関係の都合で近々会員を抜けてしまう&自分が描くものに思うところがあり現在は更新停止してます。ポイピクにも同じ絵➕気に入らなくて消した絵載っけてますがブルスカにはポイピクのURLすら貼っていなかったと思うので一応、同一人物ですよ〜とだけ。推しを推す皆様に幸あれ!💐とはいえ描かなくなった=もう推してない&動画を見てないという訳でもなく、私生活内で使える時間的に全部は追えないので、どうしても摘み食い的にはなるうえ大昔から基本的に見る専なので陰ながら応援のスタイルにはなりますが、一視聴者は継続中。これは以前大変お世話になった界隈の船長♡🏴‍☠️や、FAは描いてないけど実は推してる界隈(🌈🕒のうづコウやTOP4ほかect)にも言える。実況やVの視聴は学生時代から継続しているものなので、表立ってFA描くことは無くなっても今後もずっと好きだろうなあ。
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ほなばいにゃら〜🌻🐈‍⬛ (2024/03/25)
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ari0921 · 7 months
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「宮崎正弘の国際情勢解題」 
令和六年(2024)2月28日(水曜日)弐
   通巻第8154号
 「借金の罠」を仕掛け、結局は自らも「借金の罠」に嵌まった中国
   BRI(一体一路)は汚職の伏魔殿、不良債権の山となっていた
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「債務の罠」とは中国が展開した海外プロジェクトで、「新興国など債務国が中国から借りたカネの返済ができなくなり、国際機関から有形無形の拘束を受ける状態」を意味する。債務の代償として中国は合法的に権利を取得することになる。たとえばスリランカのハンバントタ港、パキスタンのグアダール港などがそうである。
この「債務の罠」というタームは、インドの地政学者ブラーマ・チェラニーが「中国のBRI(一体一路)プロジェクト外交と搦めて提議したのが最初だった。
債務国は返済計画もずさんで、放漫な財政政策や経済運営など「モラル・ハザード」がおこる。債権国は相手国の過剰債務を梃子として政治武器化し、債務国を経済的支配下に置く戦略が隠されていた。ジブチがその典型だろう。同国は一万人の中国軍基地の造成を認めざるを得なくなった。
 しかし債務国が罠に落ちることもさりながら、あまりに肥大化し、膨張した中国の債権は、債務国に返済能力がないわけだから、事実上の「不良債権」である。むしろ中国自身が逆ブーメランのごとく「債務の罠」に陥没する。この諧謔的な結末を最初に言い出したのは筆者ではないかと思っている。
さて中国の官吏の特徴は文豪の林悟堂が言ったように「賄賂賄賂賄賂賄賂賄賂」である。海外プロジェクトほど、賄賂と汚職が蔓延しているのに誤魔化せる分野はない。政府の交渉人、窓口の役人、融資する銀行、資材企業、労働者斡旋起業、運送会社などなど。海外の実情を当局はすぐに把握できないため、「汚職の伏魔殿」と言われた。
 不良債権の山とは汚職の積み重ねの結果でもある。
 習近平が2013年から開始した「一帯一路(BRI)」ではアジア・アフリカから中南米、南太平洋の島嶼国家にいたるまで、インフラ建設が目白押しになった。どの国の山奥へ行っても中国企業の看板があった。
たとえばパブアニューギニアの国際会議場は中国が建てた。東チモールの山奥でも中国企業の旗、橋梁工事をしていた。「JICAが金を出し、中国企業が請け負う」という定番である。対外宣伝で中国はBRIに1兆ドルを注ぎ込んだとしているが、実質上7000億ドル前後をBRIに投じた。そして大規模な汚職が進行していた。
 ▼汚職腐敗をとりしまれと習近平が大号令をかけたのだが。。。。。。。。
中国の汚職摘発機関(中国共産党中央紀律検査委員会=CCDI)は『BRI汚職』の捜査を開始することになった。
2月25日に公表されたCCDI報告で「BRI構想下のインフラ建設プロジェクトを捜査対象に挙げた」とインド、香港のメディアが報じた。腐敗の防止・対策・摘発に重点が置かれている。
 これまでのCCDIの捜査実績は国内が対象で、「長江公司事件」では当時北京市党委書記で、大規模な汚職事件に密接に関わった陳希同を政治局委員から解任、中央紀委書記だった尉健行が北京市の党委書記を兼任した。陳希同は江沢民最大のライバルだった。
 「遠華密輸事件」ではCCDI副書記だった何勇が陣頭に立って捜査にあたった。主犯はカナダに逃亡したが、十年後に中国に送還された。この間に関係者の多くが不在となって、真相はいまも謎のままである。
 CCDIの歴代書記は、朱徳、董必武、陳雲、喬石ら党の大物が務めてきた。1992年頃から党の序列人事となって、尉健行、呉官正、賀国強らがポストに就いた。
習近平時代には、このポストを政治の武器として活用することが露骨になった。辣腕家の王岐山が登板し、江沢民派、団派という敵対派閥、ライバル派閥の汚職にメスを入れた。これは同時に習近平派が利権を手に入れたことを意味する。
その後、趙楽際は自らも多くの汚職に手を染めていたため辣腕を振るえず、2022年からは李希が中央紀律検査委員会を率いている。
これまで李希CCDI書記は国内の汚職の温床を捜査対象としてきたが、海外プロジェクトが絡むと外国の政治家や国際金融尉官が絡んでくるため、対外的な対応ができる権限をもった新組織が必要となると提議してきた。
そこで、習近平は2024年1月9日に「中国共産党20期中央紀律検査委員会第3回全体会議」を召集し、次を強調した。
「反腐敗闘争は強力な腐敗撲滅キャンペーンを経て、圧倒的な勝利と全面的な強化を得た」。しかしながら「情勢は依然として厳しく複雑である。われわれは反腐敗闘争の新たな状況と動向に対する冷静な認識、腐敗問題が生まれた土壌と条件に対する冷静な認識を持つ必要がある」
 つまり同委員会の改革を示唆したのである。
 ▼汚職捜査の責任者、李希とは何者か?
 さて中央紀律検査委員会書紀は、政治局常務委員で序列七位の李希である。
 この人物は、福建閥でも清華大学閥でもない。ほかの政治局常務委員はなんらかの腐れ縁があって習ファミリーにおける習の子分たちだ。
 ところが、李希は習のミウチではないのに、どうしてこうも大出世が可能となったのか?
 李希は甘粛省生まれ、蘭州市の秘書長になるまで地味な、まるで目立たない地方官吏でしかなかった。
陝西省に飛ばされ延安市書記になった頃、突如、ツキがまわった。
 
李希が陝西省延安市トップの党委書記を務めていた頃に、習近平がやって来たのである。
 共産革命のメッカといわれる延安は毛沢東の「長征」の終着駅。革命の聖地と言われる。実態は毛沢東らは穴蔵に籠もり、共産革命の美名に酔って馳せ参じた女たちをハーレムとしていた。
 その延安のはずれ、梁家河村は、文化大革命のころの「下放運動」で習が15歳から7年間過ごした場所なのである。
洞穴のような横穴式住居に暮らし、農民になり、苦しさに耐えた青春時代を、習近平は懐かしむ。延安市党書記だった李希は「全力を挙げて梁家河村を『模範村』とし、党中央や習近平同志に安心してもらおう」と呼びかけたのだった。
 その後、李はとんとん拍子の出世階段を驀進し、2011年に上海市副秘書長、2014年に遼寧省長、17年に政治局員となって広東省書紀(上海、広東は出世コースのひとつ)、そして2022年にトップセブンにのぼった。
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canty-essay · 8 months
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考えてみる、サバイバル
              
                                  
 今年は元日に突然携帯の地震を知らせるアラームが鳴り出し、ギョッとなった。まもなく、能登で大きな地震があったことを知った。本当にいつどこで地震に遭うのかわからない今日この頃だ。日頃の備えが大事というが、どんな備えをすればいいのだろうか。どうすれば、自分や家族や周りの人の命や財産を守れるのだろうか。
 「サバイバルファミリー」という映画を観た。どういう話かというと、主人公は東京のマンションに住む、中年の夫婦と高校生の息子と娘の一家。お父さんは平凡なサラリーマンで、会社から帰れば、晩酌しながらテレビをみている。息子と娘は親に関心がなく、勝手なものを食べている。お母さんはひとり台所で、実家の鹿児島から送られてきた大きな丸一匹の魚を捌こうと格闘しているけれど、誰も手伝わないし、食べたがらない。
 そんなある日朝、突然電気という電気がみな停まってしまう。電気ばかりでなく、乾電池や車のバッテリーも全く働らかなくなる。お父さんと子どもたちは、文句を言いながらとりあえず会社や学校に向かう。自分のマンションだけでなく、かなり広範囲に停電していることがわかってくる。スマホで検索しようと思っても、画面には何も映らない。お母さんがスーパーに行くと、みな買い出しに来ているが、レジが動かずそろばんで計算するので、長蛇の列となる。
 三日ぐらいは、ロウソクとカセットコンロとレトルト食品で凌いでいるが、水道からの水も出なくなり、会社や学校も休みとなり、多くの人がだんだんと東京脱出を始める。大勢の人が家族を伴って、ガラガラとスーツケースを引いていく。この一家はお父さんがうまく調達したおかげで、一人一台自転車がある。途中の商店では、ペットボトルの水が一本2500円の高値で売りに出されている。この家族も高値承知でありったけを買い占め、旅を始める。お母さんの実家の鹿児島を目指して。途中のお米屋さんでは、水や食べ物を持って行くと、お米一合と交換してくれる。そこにロレックスや高級車の鍵を持って交換に来る人物が現れるが、「そんなもの食えるかい! 」と突き返される。
 「大阪から先の関西では電気が来ているらしい」という噂が飛び交い、今や車の走らない東名高速道路を大勢の人が歩いたり、自転車だったり、中には荷車を引く人も、西に向かう。途中のサービスエリアで野宿。寒い季節ではないのが、まだよかった。寝ている間に、水を一本盗まれて、息子がすぐに追いかけるのだが、盗んだ家族には赤ちゃんがいて、取り返すのをやめる。
 脱出から16日目高速道路を���りて、川で洗濯をする。水が一見きれいだからと飲んだお父さんが下痢をする。強風に煽られて転倒し、自転車やお母さんのメガネが壊れる。次に通りかかったちょっと大きい街の無人のホームセンターを覗くと、食べ物はとうに無いが、キャットフード、精製水( コンタクトレンズに使うもの? )、自転車の修理材料などを手に入れる。火おこししようとしたもできないお父さんを横目で見つつ、おいしくないキャットフードを食べる。
 さらに高速道路を走り続ける。長いトンネルの入り口で報酬と引き換えに、トンネルの案内を買って出る盲目のお婆さんたち。無視してトンネルに入るも、真っ暗な中、停まっている車や障害物に阻まれて進めなくなり、盲目のお婆さんに手引きしてもらう。
 次はいやに元気な家族と遭遇する。彼らは日頃サイクリングしながらキャンプをしているらしく、装備も揃っていて、みなで楽しそうに食事をしている。「食料や水はどうしているんですか」と尋ねると、山の中の岩場の間から湧き出ている水は、周りに苔が生えていればそれは安全な証拠なのでそういう水を汲んだり、地面から直に生えているオオバコのような植物は食べられますよ、セミなどもおいしいですよ、と教えてくれる。
 43日目、やっと大阪に到着。電気は来ていない。通天閣のタワーの入り口には、たくさんのメモ紙が貼ってある。「岡山のおじさんのところに行く。◯◯」などの伝言が。娘がブチ切れて「もう嫌だ! お父さんが大阪に来ればなんとかなるって言ったよね?」「そんなこと俺いったか? 」「ほら、そうやってまたいつもの責任のがれ」「親に向かってなんだ、その口の聞き方は! 」すると息子が「親らしいことしてくれたことあったかよ! 」今度はお母さんが、「いい加減にして! そんなこととっくにわかっているじゃないの、お父さんがそういう人だってこと」ここでお父さんはがっくりとなってしゃがみ込んでしまう。水族館の前で、飼っている魚を調理した炊き出しの列に並ぶも、自分たちの前で終わってしまった。お父さんは調理していた人に、土下座をして「せめてこの子たちだけにでも何か食べ物を」と懇願するが、「無いものは無い」と断られる。
 67日目、食料も水も無くなり、岡山あたりの田舎道をとぼとぼ歩いている。と、一頭の豚が目の前を通り過ぎていく。えっ、となり夢中で追いかける。四人でやっと捕まえてみたものの、どうやってとどめを刺すのと手間取っているところ、後ろから「うちの豚に何をする! 」とお爺さんの怒鳴り声。お爺さんのうちの電気柵が働かなくなり、豚たちが逃げ出したのだった。お爺さんが、持っていたナイフで手早くとどめを刺し、豚を運ぶのを手伝い、そのお爺さんの家に。庭先の井戸水を汲ませてもらい、ごくごく飲む。久しぶりの白いご飯に、卵や野菜のおかずに豚肉の燻製。近所のお婆さんがキャベツや大根を届けてくれる。「あれまあ、お客さん? お孫さんたちが帰っているのかと思った」お爺さんの家族はアメリカにいて、連絡もつかないのだ。
 ご飯の後は、さっきの豚の解体を手伝う。バラバラにした肉に塩をすり込む。一週間ほど熟成させてから燻製にするのだそうだ。逃げた他の豚も、みんなで追いかけ回して捕まえる。井戸水をバケツで汲んでは、お風呂に運び薪でお風呂を沸かす。何十日ぶりのお風呂に入り、夜はお孫さんたちが着る予定だった新しい寝巻きを貸してもらい、これまた久しぶりの布団に横になる。
 毎日薪割りしたり、洗濯をしたり、お爺さんの手伝いをして過ごす。一週間後、豚肉を燻製にしながらお爺さんが語る。「お前さんたちさえよければ、ここにずーっと住んでもいいんじゃぞ。わしも年取って、一人で車も洗濯機も使えない生活では大変でなぁ・・」と誘われるが、この一家は鹿児島にいるお母さんの実家のお父さんの安否も気になっていて、結局お爺さんの申し出を断り、たくさんの食料をもらって、また自転車の旅を続ける。
 そのあともいろいろあって、命の危険にも晒されて、奇跡的に誰かが動かしてくれたSLに拾われて、ようやく108日目に鹿児島のお祖父ちゃんの家にたどり着く。お祖父ちゃんは元気だった! お祖父ちゃんは浜で魚釣りをしていた。それからは村人同士助け合って、魚を捕りに行ったり、畑をしたり、鶏の世話をしたり、お婆さんに機織りを教えてもらったりして、みんなで元気に楽しく一生懸命に暮らし始める。
 それから、2年と126日目の朝、突然村のスピーカーから埴生の宿のメロディーが流れてくる。みんなが驚いて家を出てみると、街灯が次々と点き始めた。すっかり忘れていた電気が戻って��たのだ。そして場面は変わって、東京の一家のマンション。日常を取り戻し、以前の生活に戻る。テレビからは、「世界同時停電の原因は、太陽フレアか彗星の異常接近ではないかと、専門家からは語っている。サイバーテロの疑いはなくなったとのことです・・」停電前はそれぞれ勝手に心もばらばらに生きていた家族だったのが、思いやりのある温かい家族になっていた。
 とまあ、そういう話であったが、いろいろといいヒントがあった。非常時にはアナログが強いこと。キャンプ生活などに慣れておくこと。北杜市に住んでいて、地震などで自分の家が壊れていない限りは、ここにいた方が湧き水もそばにあるし、薪や焚き木を燃やして暖を取ったり煮炊きすることもできる。むしろここは、首都圏からの避難地域となるだろう。今できることといったら、いつでも人を迎えられるように、家の中を整えておくこと、食料や薪を備蓄しておくこと?
 もうひとつ気になるのが、「年長者としての知恵」のようなもの。年長者はパソコンやスマホに弱く、操作方法などは若者に訊かないとわからないことばかり。でももしパソコンやスマホが一切使えない世の中になった時に、どこまで年長者がサバイバルの知恵を出せるだろうか。本当に長く生きた分だけいい知恵があればいいけど。
 さっきの映画の話では、最初はばらばらだった家族の気持ちもだんだんとひとつになり、お互いにかけがいのない家族として心が結ばれる。停電が終わり東京に戻るのだけど、本当に戻る必要はあったのかなぁ。鹿児島にいた二年半は、みなで漁をしたり、畑をしたり、はた織りしたりして、お金も介在せずに生きていたわけだ。これからこの地震や災害の多い日本で生き抜くには、都会を出て地方でコミュニティを作って、いろんな年齢の人が、各々出せる力を合わせて生きていく以外の得策は無いのではないかしら。
 2024年1月
映画「サバイバルファミリー」は、2017年2月に公開された。監督 矢口史靖。
主演 小日向文世、深津絵里、泉澤祐希、葵わかな
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uedah1 · 8 months
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ゴジラー1.0観ましたよ!
ゴジラー1.0を公開当日、ゴジラの日の朝一番にドルビーアトモス上映で見てきた。 チケットも高いし、迷ったけど、迫力もあって、選んで良かった。 最初、ドルビーアトモスの紹介動画が流れたのだけど、特徴を際立たせたその没入感と音の迫力に思わず少し泣いてしまった。 自分のツボが謎すぎる。
予告編だけみて、内容の予想を勝手に立て、Twitterに投稿していた。 7月12日の事だ。
「ゴジラ-1.0勝手予想。運良く特攻を避けていた非戦派の主人公が、葛藤の末、 国産核兵器(京大制作)を積んで、唯一残っていたゼロ戦で、戦災を免れていた京都に現れたゴジラ相手に特攻。 日本人が日本人の手で0の日本を-1.0とする。クレーターと化した京都市内。煙の中から咆哮が…。劇終。」
「ゴジラ-1.0勝手予想2。昭和二十年九月二日。 東京湾で戦艦ミズーリが轟沈。連合国は日本の仕業と判断し、十一月、ダウンフォール作戦が発動される。 九州南部を強襲する連合国、迎え撃つ旧軍、そこへゴジラが現れ戦場は大混乱に陥る。 一方国内は物資欠乏、食料危機も迫るのだった…。」
という風でで、さて以下ではネタバレ込みで予想の適否とその他諸々の感想を書き殴っていく。 本投稿は予約投稿を指定しておき、3か月程度経過した後にポストされるようにする。
予想1、「特攻を避けていた主人公がゴジラを倒す為に特攻を決意、とどめを刺したかに見えたが咆哮が響く」 というのは、大枠で正解してしまったと言えるのではないだろうか。 何となく思っていた通りになってしまったことは、却って寂しい感じもする。 しかし、だからといって単調な駄作という事では決してなかった。
さて私も普通に生きてきたので、日本の大衆的な創作物の文脈にあるものを摂取しながら育った。 ある程度色々と見ると、その文脈の中でも頻出の「お約束」があり、それをを感じると却って醒めてしまうというのはよくある。 そうして私は所謂「所謂アンチ邦画派」になってしまった。世の中にも一定数そういう人がいるようで、 私もそうした人と同じように洋画と比べた時になんだか脚本が観客を舐めてないかとか、カメラワークが稚拙でないかとかをついつい考えてしまう。 今回のゴジラでも同じように、主人公とヒロインの心が通う…と思ったら…からのどっこいやっぱり…という展開にはやはり感じ入るものがある。 加えて、戦闘機の追加装備の件、私なら爆弾の安全装置が二重なんだと筑波の整備兵氏に嘘をつかせる。 ああやって言葉で説明しないと観客は理解できなかろうと思われている所が割に許せないのである。 座席の後ろに箱があり、大写しにしている時点でそれ位は察せるし、きちんとそういう演出をしているじゃないかと思う。 それと、全体的に生きろとか死ぬなとかセリフにあり過ぎてこれにも難を感じる。 私の感覚では、意外とそういう事は口にしないもので、人間危急の時であってももっと目の前の事を語るのではないかと思う。 生きろ、じゃなく逃げろならまだわかるかな。 比較してもしょうながいけど、シン・ゴジラの「幹事長は任せろ」みたいな物言いが「本物」なのではないか?とか思ってしまう。
一方で、昔は、「戦場から逃げてしまった負い目」とか「戦争のトラウマをひきずっている」とか、「それらを吐露して涙を流す」とかの描写も好きではなかった。 しかし、今、私も三十半ばとなり、自分自身も私を取り巻く現実にも大小様々な嫌な事、辛い事が満ちていて、 そうしたものに囚われながら生を重ねており、それがストーリーの軸になること自体についてはおかしく思わないようになってしまった。 むしろそうした描写に居心地の悪さを感じていたこと自体が、自分の怯えをそれと理解できなかったからだという風に考えるようになってきた。
さて、映画とかを見てちょっと醒める瞬間の話に戻して、 じゃあやっぱり「あ~三丁目の夕日かね、もっとシン・ゴジラみたいなら良かったね」と思うかというと全然そんなことはなかった。 ゴジラ自体が恐ろしすぎて、その「お約束」で逆にバランスを取れているんじゃないかと思わされる位だった。 人間がくちゃくちゃにされてしまうシーンは割と直截的であって、ゴジラの剝き出しの敵意と合わさってそれが恐ろしい。 逆にこの雰囲気だけで全編終わってしまったら、ただ後味が悪いだけになったろうと思う。
自分でも先に触れてしまった事だけど、直近の実写ゴジラといえば「シン・ゴジラ」で、あれは、ある種の「正解」になってしまっていると思う。 シンを鑑賞後にゴジラシリーズを振り返ってみると、要所要所にこれまでのゴジラシリーズのモチーフがあり、 例えば胸躍る音楽である所の「宇宙大戦争マーチ」にしたって、実はシン・ゴジラが初めてではないのであった。 にも拘わらず、初めて/久し振りに「ゴジラ」を見た人をああまで虜にするその新規性と作りこみという点が凄いと思う。
庵野作品だから。庵野作品が好きな人の感想ばっかり私が見ているから、とかもあるかも知れないけど。
でもユリイカのシン・ゴジラ特集の寄稿者の真剣味とかもそれはそれはすごい熱量だった。
とまあ、そこと比べられる事が前提でありつつ、 他方「山崎貴のエンタメ」を見に来る人を考慮に入れながら東宝の看板作品を撮るというのはどれ程難しいだろう。 私は、その両方を満足させられるだけのものを感じた。 一方で分かりやす過ぎるほどの分かりやすさを、一方で突き抜けた恐怖を…という感じに。 あれだけ人間を蹂躙できるのだから、浜辺美波ちゃんのところがどっこいも、なしにしようとすればできたと思う。 それを、そうせずに、ハッピーエンドを重ねつつ最後にひと押し崖から突き落とす示唆があるという所で、 私は印象を攪乱され、良いとも悪いとも断言できない深みを覚えたのであった。 正に、「恐れ入り谷の鬼子母神」。
以下、観ながら頭に浮かんでいた事の羅列。順不同。 第二復員省の関西弁のおじさん最高。 東洋バルーンの技術者さん達最高。 浜辺美波ちゃん。 佐々木蔵之介様~。 鐘がなりますきんこんかん♪ ジュラシックパークやん! インデペンデンスデイやん! 電車パクーはファーストゴジラオマージュとしては誰もが喜ぶやつだよねー。 大人の男はタバコを吸うという描写から逃げないのいいね。朝ドラとは違う。 幼い子が出てきちゃうのははずるい。 浜辺美波は、シン・仮面ライダーでも成り行きで一緒に住むことになってしまった魅力的な女の子役だったけど、 まさかゴジラでも同じような役柄になるとは…。彼女の何がおじさん達にそうさせてしまうのだろうか。 にしても「できないよ!」からの「乗せて下さい!」は、あまりに碇シンジ君。 というか逆に、神木隆之介君は既にエヴァで本物の碇シンジ君になっていたか…。
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shredderwastesnow · 8 months
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長々と「ゴーストワールド」考
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私がテリー・ツワイゴフ監督の映画「ゴーストワールド」と出会ったのは、2000年代中盤のことだった。映画館ではなく、ツタヤでDVDを借りて実家のリビングで観た。コロナ禍によってビデオ・DVDレンタル屋としてのツタヤが街から消えた今になって振り返ると、あの日からずいぶん遠くに来てしまったことを実感する。
映画冒頭、アップテンポなジャズが流れ出し、こぶしの利いた男性シンガーの声が重なる。「シャンフェケシャンフゥ」--何語だか分からないが、気分を高揚させる陽気なグルーヴ。しかし、映像はアメリカ郊外の白いマンションで、音楽の古めかしさと不釣り合いな印象を与える。
カメラはマンションの外から窓の中を捉えつつ、右へと移動する。それぞれの窓の向こうにいる住人たちが部屋でくつろいだり食事をしたりといった光景がいくつか展開された後、濃いオレンジの壁紙の部屋が映し出される。部屋の中央で、黒縁眼鏡をかけたぽっちゃりめの女の子が、黒髪のボブを振り乱して踊っている。傍らには昔ながらのレコードプレーヤー。そこから大音量で流れる「シャンフェケシャンフウ」--アメリカにおけるサブカル眼鏡女子の強烈な自己主張は、無機質な郊外の光景へのレジスタンスのようだ。
細かい台詞やキャラクターは忘れてしまっても、このシーンだけは鮮烈に頭に残っている。この映画が何を描こうとしているのか、冒頭を観ただけで分かった。自分の世界を持っている人間の素晴らしさと痛々しさ。そんな存在を愛おしむ監督の眼差し。
2時間弱の物語の中では、高校を卒業したものの進路が決まらない主人公イーニドが迷走に迷走を重ねる。そして、彼女が何かを成し遂げるようなラストも用意されていない。
ありがちなティーンエイジャー文化に埋没する無個性なクラスメイトや郊外の退屈な人々を馬鹿にしている割に自分自身もぱっとしないイーニドの姿は痛々しいが、十代の自分にも確かにそんな一面があったことが思い出され、いたたまれない気持ちになる。それでも、映画を見終えた私の心には温かい余韻が残った。監督が最後までイーニドに寄り添い続けていることが伝わってきたから。
2023年下旬、何の気なしに見ていたX(旧twitter)で、ゴーストワールドのリバイバル上映を知った。絶対に行かなければと思った。あの名作と、映画館で出会い直したい。 上映が始まって約1ヶ月後の2024年1月、再開発によって円山町から宮下に移転したBunkamuraル・シネマの座席で、私はイーニドたちと再開することになった。
改めて観てみると、最初に観た時の感動が蘇ったシーンもあれば、初見では気付かなかった要素が見つかったシーンもあり、希有な鑑賞体験になった。 これ以降、個人的に気になった部分を列挙してみる。
自由という試練
物語の序盤で、主人公イーニドと幼馴染みのレベッカは、揃って高校を卒業する。式が終わると、イーニドとレベッカは会場から走り出て、卒業生が被る伝統の角帽を脱ぎ、校舎に中指を突き立てる。二人とも大学には進学せず就職もしないので、これからは受けたくない授業を受ける必要もなく、大人として自分の道を選ぶことができる。スクールカースト上のポジションに惑わされることもない。
しかし、コーヒーのチェーン店で働きながら親元を離れて暮らすためアパートを探し始めるレベッカとは対照的に、イーニドは将来のビジョンを持てないまま高校の補講に通い、髪を派手な色に染めてみたり、映画館のアルバイトを一日でクビになったりしている。ルームシェアをする約束を果たす気があるのかとレベッカに問い詰められれば「自立、自立って馬鹿みたい」と滅茶苦茶な言葉を返して怒らせ、家に帰ってからベッドで泣く。イーニドは自由を満喫するどころか、自由を持て余しているように見えた。
高校生の頃は、学校の教員たちが決めたルールに従い、与えられたタスクをクリアすることが求められていた。経済的に親に頼っている分、親や家族というしがらみもある。大人の介入を避けられない年代にいるうちは、人生の問題を大人のせいにすることもそれなりに妥当だ。
しかし、高校を卒業してしまえば、もう人生の諸問題を安易に大人のせいにできない。複雑な家庭の事情に悩まされていても、「もう働ける年齢なんだから、お金を貯めて家を出ればいいんじゃない?」と言われてしまう。
自分の進路を選び、やるべきことを見極めて着実に実行することは、何をすべきなのか指示してくる人間に「やりたくない!」と反抗することよりもはるかに難しい。与えられた自由を乗りこなすだけの自分を確立できていないイーニドの戸惑いと迷走は、滑稽でありながらも、既視感があってひりひりする。
シスターフッドの曲がり角
この映画には、イーニドとレベッカのシスターフッド物語という側面もある。十代を同じ街で過ごし、お互いの恋愛事情も知り尽くしている二人が、高校卒業という節目を境に少しずつ噛み合わなくなってゆく過程が切ない。二人とも、相手を大切に思う気持ちを失ったわけでは決してない。それでも、環境の変化が二人の違いを鮮明にし、今まで通りではいられなくなる。
イーニドもレベッカも、世界をシニカルに見ている点は共通している。派手に遊んでいたクラスメイトが交通事故で身体障害を負ってから改心し、卒業式のスピーチで命の尊さを語っていたことに対して「人間そんなに簡単に変われるわけない」と陰で批判したり、卒業パーティーでも弾けたりせずぼそぼそ喋っていたりと、どこかひねくれた態度で生きている。世の中が用意する感情のフォーマットに素直に乗っからない低温な二人の間には、確かな仲間意識が見て取れた。
しかし卒業を契機に、二人の関係はぎくしゃくし始める。 イーニドは仮に卒業できたものの、落第した美術の単位を取得するため補講に出なければならない。スムーズに卒業したレベッカはカフェのチェーン店で働き始め、アルバイトではあるが社会に居場所を得る。卒業したばかりの頃はイーニドと一緒にダイナーに行き、新聞の尋ね人欄に出ていた連絡先にいたずら電話をするといった行動にも付き合っていたレベッカだったが、アルバイトも続かずルームシェアの部屋探しにも消極的なイーニドに徐々に愛想を尽かす。イーニドが中年男性シーモアとの関係を隠していたことが、さらに二人の距離を広げてしまう。
イーニドは古いレコードを集めるのが好きで、一癖あるファッションを身に纏い、多少野暮ったい部分はあるにしても自分の世界を持っている。バイト先でも、上司の指示に違和感を覚えれば分かりやすく態度で示す。表面的にはリベラルな国を装いつつ水面下では依然として差別が行われているアメリカ社会に対しても、批判的な眼差しを向けている。
しかし、それを表現した自分のアート作品が炎上した際、イーニドは作品を批判する人々に対して展示の意義を説明せず、展覧会の会場に姿を見せることすらしなかった。どんなに鋭い感性があっても、表現する者としての責任を全うする姿勢のないイーニドは、アーティストにはなれないだろう。黒縁眼鏡の媚びない「おもしれー女」ではあってもカリスマになる素質はなく、かといってマジョリティ的な価値観への転向もできないイーニドの中途半端さは、何とも残念である。
一方レベッカは、シニカルな部分もありつつ、現実と折り合いを付けて生きてゆけるキャラクターだ。店に来たイーニドに客への不満を漏らしながらも、上司に嫌味を言ってクビになったりすることはない。経済的に自立して実家を出るという目標に向かって、地に足の着いた努力ができる。
そして、レベッカは白人で、イーニドより顔が整っている。二人がパーティーに行くと、男性たちはユダヤ系のイーニドに興味を示さず、レベッカにばかり声を掛ける。 どう考えても、社会で上手くやってゆけるのはレベッカの方なのだ。
卒業を契機に、高校という環境の中ではそれほど目立たなかった二人の差が浮き彫りになる。置いて行かれた気持ちになるイーニドと、現実に向き合う意欲が感じられないイーニドに苛立つレベッカ。どちらが悪いわけでもないのに、高校の時と同じ関係ではいられない。絶交するわけではないけれど、何となく離れてゆく。
人生のフェーズに応じて深く関わる人が変わってゆくのはよくあることだし、どうにもならない。それでも、楽しかった長電話が気まずい時間に変わったり、昔だったら隠さなかったことを隠すようになる二人を見ていると、人生のほろ苦い部分を突きつけられるようで、胸が締めつけられる。
シーモア:大人になりきらないという選択肢
冴えない中年男性シーモアは、この映画におけるヒーローでありアンチヒーローだ。平日は会社員だが、休日は音楽・レコード・アンティークオタクとして自分の世界に耽溺し、友達も似たような同性のオタクばかり。せっかくライブハウスで女性が隣に座っても、音楽の蘊蓄を語って引かれる。そのくせ「運命の出会い」への憧れをこじらせている。自分の世界を持っている人間の素晴らしさと痛々しさを、これでもかと体現しているキャラクターだ。
イーニドとシーモアの出会いは、イーニドのいたずら電話がきっかけだった。新聞の尋ね人欄を読んでいたイーニドは、バスで少し会話をした緑のワンピースの女性にまた会いたいと呼びかける男性の投書を発見し、この気持ち悪いメッセージの発信者を見てやろう��、緑のワンピースの女性を装って電話をかける。会う約束を取り付け、待ち合わせの場所に友達と共に向かうと、呼び出されたシーモアがやって来る。
待ちぼうけを食らうシーモアを陰で笑いものにするイーニドだったが、別の日に街で偶然見かけたシーモアを尾行して、彼がレコードオタクであることを知り興味を持つようになる。シーモアのマンションで開かれたガレージセールで、イーニドはシーモアが売りに出した中古のレコードを買い、会話を交わし、徐々に距離を縮めてゆく。
シーモアが自宅でレコードオタクの集まりを開いた日、イーニドはシーモアの部屋に入る機会を得、彼のコレクションと生き様に驚嘆する。
恐らくイーニドは、シーモアという存在から、アーティストやクリエーターにはなれなくても自分らしさを手放さずに生きられると学んだ。たとえ恋愛のときめきが去ったとしても、シーモアの残像はイーニドの中に残り、社会と折り合いを付けられない彼女の行く先をささやかに照らすのではないだろうか。
(そして、シーモアの姿が、一応仕事や勉学などで社会と折り合いを付けながらも、家庭を持たず読書や映画鑑賞や執筆に明け暮れる独身中年の自分と重なる。その生き様が誰かの未来を照らしたりすることはあるのだろうか。もちろん作家として誰かの人生に言葉で貢献するのが一番の目標ではあるものの、映画を観た後、最低限シーモアになれたらいいなという気持ちになった。初見の時と感情移入するキャラクターが変わるというのは、なかなか新鮮な体験。)
矛盾を抱えたアメリカ社会への言及
最初に観た時はイーニドや一癖あるキャラクターたちが織り成す人間模様にしか目が行かなかったが、二度目の鑑賞では、画面の端々に映り込むアメリカ社会への皮肉もいくつか拾うことができた。
ライブハウスのシーンに、ブルースに影響を受けたと思われる白人のボーイズバンドが登場する。ヴォーカルは「朝から晩までcotton(綿花)を摘む毎日さ」みたいな歌を熱唱する。確かにブルースにありがちな歌詞だ。しかし、綿花を摘む労働をさせられていたのは主に黒人であり、白人は黒人をこき使う側だったはず。労働者の心の拠り所として作られたブルースという文化を、ブルジョワである白人が無神経に簒奪しているという皮肉な現実が、この短い場面にそっと描かれている。
また、イーニドとレベッカが一緒にパーティーに行くとレベッカばかりが男性に声を掛けられる件には既に触れたが、声を掛けてくる男性はほぼ白人だ。アジア系の男性や黒人男性などがレベッカをナンパすることはない。たまたま二人の住む街が白人の多い地域という設定なのかもしれないが、このようなキャスティングが決まった背景には、制度上の人種差別がなくなっても人種によるヒエラルキーが社会に残っているという監督の認識があるのではないかと感じた。
そして、個人商店がチェーン店に取って代わられ、住宅地が画一的なマンションで占められ、街が少しずつ個性を失ってゆく描写もある。レベッカが働くカフェ(ロゴがスターバックス風)やイーニドがバイトをクビになるシネコン内の飲食店は、無個性なチェーン店そのものだ。モノやサービスが画一的になり、雇用や労働のスタ��ルも画一的になり、マニュアル通りに動けない人間が排除される世界へのささやかな批判が、様々なシーンの片隅にそっと隠されている。
この映画は、十代の葛藤を単なる自意識の問題として片付けず、矛盾だらけで個性を受け入れない社会にも責任があると言ってくれていた。改めて、監督や制作者たちのティーンエイジャーに対する温かい眼差しを感じた。
ラストシーンをどう解釈するのか
ネタバレになるので詳細は伏せるが、この映画のラストシーンは比喩的で、どう受け止めるのが正解なのか分からない。イーニドの人生に希望の光が差すことはなく、かといって大きな絶望が訪れることもなく、自分を命がけで守ってくれた人の思い出を胸に強く生きることを誓うみたいな展開にもならない。とにかく、分かりやすいメッセージのある終わり方ではないのだ。
(映画館を出た後にエレベーターで乗り合わせた若いカップルも、やはりラストの解釈が難しいという会話をしていた。)
私自身は、このラストを、イーニドが他力本願な自分から卒業することをようやく決意したという意味に捉えている。
これまでのイーニドは、心細くなれば友人のレベッカやジョシュを呼び出し、映画の中盤以降ではシーモアにも絡んでいた。人生に行き詰まれば、誰かを頼って気を紛らわす。偶発的に何かが起こって道が開けないかな、みたいな感覚で生きているような印象だった。 しかし、物語の終盤で、一時はイーニドにとってヒーローだったシーモアが、突然遠のく。レベッカとも既に疎遠になっているイーニド。そして、不思議なラストシーン。イーニドは、私たちに背中を向けている。
イーニドは、自分を導いてくれるヒーローも、どう生きるべきか教えてくれる天使も、どこにもいないということに気付いたのではないだろうか。 人間は最終的には孤独で、自分の人生は自分で切り拓いてゆくしかない。ラストシーンのイーニドからは、彼女が紆余曲折の果てに辿り着いた人生の真理が滲んでいるように思える。
そして、イーニドの後ろ姿は、スクリーンのこちら側にいる私たちに対しても「自分の人生は自分で切り拓いてゆくしかないよ」と語りかけている気がする。どう生きるべきか、映画に教えて貰おうなんて思うなよ。自分で行動して、傷ついたり恥をかいたりしながら、自力で見つけるんだ。
以上が私なりの解釈だが、違う見方もあるのかもしれない。他の人の批評も検索してみたい。
おわりに
Bunkamuraル・シネマでの「ゴーストワールド」上映は明日で終わる。しかし、各地の名画座での上映はまだ続くようだ。これからも沢山の人がイーニドたちに出会うことを想像すると、自然と笑いがこみ上げる。
イーニドの冴えない青春は、観た人の心に何をもたらすのか。
これを読んで少しでも気になった方は、是非スクリーンで、ラストシーンまで見届けてください。
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4komasusume · 1 year
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好きといえる幸せは絶品である――山本アヒル『うさパン焼いて悪いかよ!』
 パン屋でトレーとトングを持ち陳列されている様々なパンを選ぶのは至福の時間です。定番のパン以外にもキャラクターをあしらったパンやその店オリジナルの変わり種のパンを食べれるのもパン屋での楽しみの一つです。今回はパン屋を舞台にした作品を紹介します。
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うさパン焼いて悪いかよ! 1巻 (まんがタイムKRコミックス)
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山本アヒル(著) 芳文社 (2023-07-27)
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 山本アヒルさんの『うさパン焼いて悪いかよ!』。「悪いかよ」は「ワリいかよ」と読みます。きららキャラットで連載中です。
 主人公は二人。一人目は口より先に手が出るヤンキー女子の八房ちりみ。カワイイものが大好きですがそれを指摘されると挙動不審になったり、動揺したり、暴力を振るったりするちょっとシャイな性格です。
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 ツンデレよりツンギレよりな性格です。可愛いものを認識するストライクゾーンはかなり広く、微妙なキャラクター造形のものにもときめきます。ちょっとしたおだてにも簡単に乗ってしまうチョロイン属性も持ち合わせたヒロインです。あだ名ははハチ。
 もう一人は「うさぎのパン屋さん」というファンシーな店名のパン屋の一人息子である兎野タクマ。無精髭を生やしたもっさりとした雰囲気を持つ少年です。
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 ハチと同じくカワイイものが好きで、自分で作るパンもカワイイものを目指していますが、デザインセンスはいまいち。前に出る性格ではありませんが、ハチと違いカワイイものが好きと公言しています。いささか天然で空気を読まない性格を持っているために、ハチのデリケートな部分に触れてしまい、物理的抗議を受けてしまいます。あだ名はは兎野なのにクマ。
 カワイイものが好きという共通点がありながらこの二人はカワイイものに対するスタンスは真逆です。ハチは中学生時代にカワイイものを身につけることに対してネガティブな言葉を投げつけられます。これが彼女の中でカワイイものを好きということを表に出してはいけないというトラウマになっているのです。カワイイものに興味を持っていることを気づかれてはいけないという気持ちの過剰反応が暴力という形で噴出しているのです。
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 対してクマはハチから「カワイイパンを作って恥ずかしくないのか?」という問いに「恥ずかしいだけで好きなことを出来ないのは勿体無い」と答えます。ミドルティーンの男子がカワイイものを好きであることは、女子以上に茨の道であることが想像できます。にも関わらずクマはこの境地に至っているのいるのです。
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 ちなみにこのシーンでハチがクマのことをオッサン呼ばわりしているのは、まだ学校での出会いの前だからです。クマは店を切り盛りしているタバコの火が小麦粉に引火して(粉塵爆発)お母さんが負傷したために、店の手伝いをしていて休学中なのです。
 さらにかわいいものの表現に対してもハチとクマは対象的です。ハチはカワイイデザインに抜群のセンスを見せます。対してクマは日々努力をしているのですが、どうもパッとしないデザインになってしまいます。カワイイものを作ろうという熱意は二人とも持っているのですが、成果として花を咲かせるハチとイマイチという評価に沈むクマという構図になっています。カワイイものが好きという感情を挟んで対照的なキャラクター性はお互いの欠けている部分を補完し合える関係でもあるのです。
 この補完し合える関係では特に包容力の豊かさをクマが見せてくれます。ハチはその性格と物理的脅威により周りの生徒たちから「8000スコヴィルの赤鬼」と呼ばれ恐れられていました。クマは実際その物理的脅威をその目で見ているのにも関わらず、カワイイものを愛する同士と彼女の抜群のセンスを買って、何度も家業のパン屋で一緒に働こうとアプローチを仕掛けます。多くの人が距離を置く中でごく自然にコミュニケーションをとるクマにハチは気持ちが揺らいでいきます。その気持ちが一気に花開くのが街でヤンキーに絡まれたときです。
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 ヤンキーたちはハチの「カワイイものデザインノート」を見て嘲り倒します。この行為にハチ以上に怒りをあらわにしたのがクマなのです。
 クマのこの行動と言葉にカワイイものが好きという自分を否定され続けていたハチは救われます。自分の好きなものを隠さずさらけ出せる人がいるという幸せを知ることになるのです。このエピソードをもってプロローグが終わり、二人の青春ストーリーが始まるのです。
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 さて、ここまで主人公二人のことを語ってきましたが、「お母さんがタバコの火が小麦粉に引火して負傷した」
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「8000スコヴィルの赤鬼」
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 となかなかのパワーワードが出てきました。この言葉のチョイスに山本アヒルさんのコメディセンスの良さが出ています。
 『うさパン焼いて悪いかよ!』は徹頭徹尾コメディテイストで進んでいきます。先ほどのハチとクマが絆を結ぶエピソードもコメディを織り交ぜながら描かれています。コメディの延長線上にシリアスシーンを展開することで作品の持つカラーを際立たせています。そのカラーはポップです。ハチの物理アタックや飛び散る血潮もコメディとして描かれていますが、作品全体にポップなカラーがあるので凄惨さや悲惨さは感じることがありません。さらにキャラクターをデフォルメ化して情報量を減らしても魅力が損なわれることがないのです。
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コメディ、ストーリー、キャラクター、デザインが高いレベルでバランスが取れている作品です。
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画像出典 芳文社『うさパン焼いて悪いかよ!』1巻 P7,P15,P14,P12,P27,P30,P6,P24,P70 掲載順
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