#七五三前撮り
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timegraph · 1 year ago
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𓇢⁡‪ 753 summer campaign 𓂅꙳
□ 撮影料金[ 和装一着 ]
∟ 土日祝日 6800円(税込)
∟ 平日 4800円(税込)
∟ 洋装追加 3,000 円(税込)
□ 期間
∟ 9 / 30 まで
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ご予約・お問合せは
TEL・LINEにて✉️
兵庫県姫路市飾磨区加茂349-1
photo therapy timegraph
(フォトセラピータイムグラフ)
TEL079-231-5567
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fukudamakoto · 2 years ago
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《《 Works 》》 shootingdate 20221021 @h_dayflowers @h_dayflowers.w H:DAYFLOWESさんのスタジオを撮影させていただきました。 ガレージの2階へと急な階段を登っていくとそこから先は別の空間にワープさせられます。 植物、リース、雑貨、そして造花など 店舗ではないので、お訪ねの際は連絡を入れた上でよろしくお願いします。 #山形 #村山市 #hdayflowers #フクダマコトフォトグラフィー #店舗写真撮影 #撮影のご相談はお気軽にどうぞ #出張撮影 #全国出張します #ロケーション撮影 #商業写真 #人物写真 #ブツ撮り #ウェディングフォト #七五三撮影 #成人式前撮り #家族写真撮影 #なんでもない日の記念写真 #ポートレート撮影 #プロフィール写真撮影 #ヘアメイクさん手配いたします https://www.instagram.com/p/CnGwPWSLTGx/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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kxxx-me · 2 years ago
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オーダー美容師は新規の受付はしてません🙇‍♂️ 出張美容師は新規のお客様大歓迎🥰 12月のご予約はお早めに🤍 前半は埋まってきました🥳 _____________ 【出張カメラマン】【出張美容師】 【オーダー美容師】【子供と遊ぶお仕事】 お問い合わせや質問 お仕事の依頼は 【DM】【 公式LINE】【Twitter】 から受け付けております🤍 利用してくださった方の、 ご紹介での繋がりを1番に、大切にしています🥰 未熟者ですが、 精一杯、一生懸命、常にできる力を100%、 出し切って取り組ませて頂きます🙇‍♂️✨ 「これできるー?」 なんてよく言われるので、 お気軽にきいてください🥰✨ ※オーダー美容師は新規は基本受け付けておりません ※出張美容師は新規も受け付けております かず兄  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ #出張撮影#出張美容師 #オーダー美容師#主婦応援隊 #子育て応援隊#ポートレート撮影 #カップルフォト#マタニティフォト #プロフィール撮影#宣材写真撮影 #七五三撮影#前撮り#結婚式撮影 #ニューボーンフォト#キッズフォト #趣味撮影#習い事撮影#物撮り https://www.instagram.com/p/ClsLEHqv4ecTfh5pA5Bz3KfnesN096f73mVi-s0/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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qunie · 2 years ago
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【七五三撮影_オフショット編】 @kuppography_kohoku 撮影前のメイク&着付の時と、撮影時のオフショットを少し。 * 3歳児の三頭身〜6歳児は五頭身くらいには成長したかな…🫶 * #七五三 #七五三詣 #七歳 #前撮り #753 #kuppography #kobune #hanautatwins (クッポグラフィー 横浜港北スタジオ) https://www.instagram.com/p/Ck-6i0-S0sn/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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stochastique-blog · 6 months ago
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Love you
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いつかのチビチョンダラー。  小さい子供が一生懸命、何かに向き合っている姿は可愛くもあり、感動すら覚えます。  糸満市喜屋武のエイサーでは、子供たちが大人たちに先駆け演舞を披露してくれます。それは見事なもので、そのまま成長し伝統が受け継がれていくんだな、と実感できます。  ただ時代の流れか、残念ながら人手が足りずに中止されることもあり、加えて今年はコロナ騒動があって、喜屋武に限らず各地の旧盆に行われるエイサーは見られるかどうかわかりません。あるとしても集落の人たち限定になるかもしれませんね。  もっともエイサーは見せるためのものではなく、ご先祖様を迎え、お送りするためのものですから、本来の姿に戻るのかもしれないですね。  とはいえ、見ることができたら嬉しいなぁ。  島宙記念寫眞やロケーションフォトなど、いまはまだまだ三密を守り、マスクを着用したままや、できるだけ距離を取っての撮影となることをご理解ください。  撮影のご予約は随時受付中です。希望日前日から半年先まで承っています。島宙記念寫眞に関しては、空いていれば当日14時まで予約可能です。  予約・問い合わせはDM、またはプロフィール下にあるホームページのリンクからどうぞ。  Location : ITOMAN OKINAWA JAPAN   #tokyocameraclub #natgeospace #team_jp_ #lovers_nippon #art_of_japan_ #daily_photo_jpn #bestnatureshot #japantravelphoto #visitokinawa #okinawatrip #startrails #starphotography #starscape #star_hunter_jp #沖縄 #星空フォト #島宙記念寫眞 #星景写真 #満天の星 #天の川 #キッズフォト #ファミリーフォト #カップルフォト #七五三 #沖縄旅行 #女子旅 #前撮り後撮り #沖縄の旅に物語を #Nikon #子どもチョンダラー https://www.instagram.com/p/CC7LCT_DYos/?igshid=558bwxpp0srl
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hachikenyakaiwai · 1 year ago
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【かいわいの時】嘉祥三年(850)九月八日:八十島祭を行う(八十島祭の初見)
難波宮と摂津職が廃止された後にも、難波津において繰り返される宮廷祭祀があった。それは八十島祭と、伊勢斎王の解斎の禊である。いずれも前代からの伝統を引く古い行事であって、 平安時代に入って始められたものではない。 八十島祭は、即位儀礼の一環として挙行される神事で、大嘗祭の翌年に後宮の内侍司の女官が祭使として難波津に下向して生島足島神(大八洲之霊)を祭るものであった。
この神事は五世紀以来の古い即位儀礼の名残で、本来は全国土の国魂を新しい天皇の身体に付着させる呪儀であったらしく、奈良時代には、天皇自身が難波津に赴いて行っていたと推測される(第一巻第四章第四節1参照)。
しかし、史料に残る明らかなものはほとんど平安時代のものである。その初見は『日本文徳天皇実録』にみえる文徳天皇の即位に伴う嘉祥三年(八五〇) 九月のものである。鎌倉時代初めの後堀河天皇の元仁元年 (一二二四)まで行われ、以後廃絶した。この間約四〇〇年近くの間に、史料にみえるものは、二二回を数える。この祭儀は六国史には記載しないのが原則だったようで、その後も『日本三代実録』には記載がない。光孝天皇の場合も、『帝王編年記』に記載されるものである。恐らく記録に残らぬものが多かったに違いない(『新修大阪市史 2』)。
(写真)METで展示されている俵屋宗達「源氏物語関屋澪標図屏風」(ニューヨークビス03/09/2019)=ニューヨーク(撮影・吉田)
御社立ちたまて、所々に逍遥を尽くしたまふ��難波の御祓へ、七瀬によそほしう仕まつる 堀江のわたりを御覧じて 今はた同じ難波なると 御心にも���らで うち誦じたまへるを
御社をご出発になって、あちこちの名所に遊覧なさる。難波のお祓い、七瀬に立派にお勤めになる。堀江のあたりを御覧になって、「今はた同じ難波なる」と、無意識のうちに、ふと朗誦なさったのを(渋谷栄一訳)
住吉詣で偶然に元カノ(明石の上)とニアミスし動揺する源氏(当時29歳)。「今はた同じ難波なる」とは、百人一首にもみえる元良親王(890-943)の歌で、上の句の「わびぬれば今はた同じ難波なる」からとられています。源氏の心中にはもちろん「身をつくしても逢はんとぞ思ふ」という下の句が隠されていることでしょう。さて、かいわいに関係のある箇所といえば、もちろん、「堀江のわたり」。屏風では明石の上の乘る舟が描かれています。
源氏物語の注釈書の一つ『花鳥余情』(一条兼良1472)に「代始に八十嶋祭難波にてあり、典侍の人御衣をもちて参向して解除する事あり これみな難波のはらへの例也」とあり、「七瀬」と「八十島祭」は同じようなものとして扱われています。紫式部の時代の八十島祭は、三条天皇の長和二年(1013)十月、後一条天皇の寛仁元年(1017)十二月が記録に残っています。
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myonbl · 3 months ago
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2024年8月16日(金)
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今日は<五山の送り火>、初めて見たのは高校生の頃だったと思う。友人と来て出雲路橋あたりで凄い人混みを体験した。もちろん、近年はKBS京都(たまにNHK)のライブ映像を楽しむ。今回初めて知ったのは、最後の<鳥居形>だけ炎の色が違うこと、鳥居だけにより朱い色となるように脂分の多い薪を使っているそうだ。あれ、<舟形>だけテロップが入っていない、これは失礼しました。
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5時起床。
日誌書く。
体重は300g増。
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蕎麦の解凍を忘れたので、素麺をいただく。
珈琲。
洗濯。
可燃ゴミ、30L*2。
セントラルスクエア花屋町店まで買い物、猫砂・カルカン(¥3,051)。
資料整理。
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ランチ、ツレアイには伊勢うどん、三男にはサッポロ一番塩ラーメン。
彼女を職場まで送る、今日は午後から。
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ライフ西七条店で買物、玉乃光・カツオのたたき・ナス(¥2,012)。
午睡。
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夕飯は、さんだかんベーコンとナスの炒め煮、カツオのたたき、キュウリのしょうゆ漬け、レタスとトマト、それに奥川ファームの西瓜を付ける。
彼女の方は午後から一人勤務だったとのことで、退勤直前に訪問以来で遅くなった。
KBS京都で送り火のライブを楽しむ。
録画番組視聴、刑事コロンボ。
第27話「逆転の構図」/ Negative Reactionシーズン 1, エピソード 27 カメラマンのポール・ガレスコは、長年自分を押さえつけて��た妻の殺害計画を実行していた。まず、新聞の切抜きで脅迫状を作り、町はずれの空き農家に連れ出して縛りつけ、午後2時に合わせた時計が入るアングルで写真を撮ってから射殺。その後、正しい時間に時計を直すと、スタジオに電話をかけた。
途中で睡魔に襲われてダウン。
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ムーブがほんの少し足りなかった、悔しい。
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kennak · 4 months ago
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2021年9月、北海道苫小牧市の交差点で、白バイと衝突し、警察官を死亡させた罪に問われている大型トラックの運転手の裁判…20日午後、検察は禁錮1年2か月を求刑し、結審しました。判決は、8月29日に言い渡されます。  起訴状などによりますと、砂川市の無職、谷口訓(さとし)被告56歳は、2021年9月13日、苫小牧市柏原の道道の信号機のない丁字路交差点で、運転していた大型トラックで右折しようとした際、反対車線を直進してきた白バイと衝突…白バイに乗っていた男性警察官(当時32歳)を死亡させた過失運転致死の罪に問われています。  この事故をめぐり、検察は、おととし3月、谷口被告を不起訴処分としましたが、検察審査会への申し立てを受けて再捜査した結果、去年5月8日付けで在宅起訴���ていました。  これまでの公判で弁護人、被告側は「時速120キロという高速のバイクの接近を予見し、回避することは不可能、被告に過失はない」と無罪を主張。  これに対し検察は「当時、白バイは警ら中で、赤色灯を点灯させながら118キロで走行していたが、トラックを見つけて88キロまで減速した。トラックは、右折先の反対車線に停止していた車両の内側を進行しようとして安全確認を怠り、事故が起きた」と指摘していました。  その後、北海道警察が事故防止に向けて、白バイに「最高速度は100キロ」とするよう通達していたことも判明。  検察は、白バイの速度118キロについて、警ら中であり、法律上は問題ないとしているものの、通達を20キロも超える速度で走行するほどの緊急性が白バイにあったのかなどは、説明していません。  また、これまでの公判では、事故当時、右から白バイ、左からトラックが走行してくるのが���える位置で一時停止、トラック側の車線に右折で合流しようとしていた男性の証人尋問、谷口被告への被告人質問などが行われ、それぞれ下記のように証言しています。 ■事故現場に乗用車で居合わせた男性の証言 ・白バイの赤色灯は点いていたが、サイレンの音は聞いていない ・ドライブレコーダーでは、トラックがウィンカーを点けてたようだが(自分は)見えなかった ・トラックは、真っ直ぐ行くだろうと思った ・太陽がトラックの背にあり、白バイを照らしていた ・衝突の瞬間は見ておらず「バチャーン」という音で気づいた ・トラック運転手は事故直後「白バイを全く確認できていなかった」と自分に話した ■谷口被告への被告人質問 <弁護人とのやりとり> ・直進の車両を2~3回、確認する中で、遠くに自転車やバイクのような“影”が見えただけ ・あの距離なら曲がれると思って、右折した ・(白バイと認識は?)ありません ・(赤色灯は?)見えません ・(サイレンは?)聞こえません ・事故直後、気が動転していて、警察に「白バイに気づいてなかった」と話した ・帰宅して落ち着いたら、遠くに見えていたことを思い出したので、証言を変えた ・検察からは「見えなかったんだろ?見えた、見えないはどうでもいい」などとまくし立てられたが「最初は見えた」と話した ・事故直後の状況は、はっきりとは覚えていない ・あの日は仕事で、苫小牧市から雨竜町に向かっていた ・週に1回ほど通る道、時速60キロほどで走行し、右折時は40キロほど ・右折先の乗用車が停止線から出ていて、曲がり切れなさそうだと思い、やむなく内回りしたが、不適切だった <検察とのやりとり> ・(影を確認してから、どれくらい?)4~5秒あった ・(影を見てから、ずっと影を見続けた?)ずっと見ていたわけではない ・(影が見えた場所は?)橋があって、カーブがあったところの先 ・(対向車の速度は?)わからない ・(対向車との距離は?)わからない ・(実況見分で、白バイが2回見えた旨の説明した?)覚えていない ・(先に曲がろうとしたのは、なぜ?)影が見えて、あの距離なら曲がれるだろうと思った <裁判長とのやりとり> ・(影のようなものは、どのように確認?)パッと見ではなく、正面を見て ・(ハンドル切る直前の確認は?)記憶がないです…  こうして迎えた20日の公判では、亡くなった白バイ警官の妻も法廷に立ち「事故は、長女の9歳の誕生日の1週間前…夫婦で選んだプレゼントを『パパがくれたカバン』と、今も大切にしています。7歳の次女も七五三のお祝いを『パパが亡くなったことを知られたくない」と、当初は1人で撮るつもりが『やっぱり、4人で撮りたい』と、白バイにまたがるパパの写真と3人で撮りました」などと夫を亡くした後の2人の娘との暮らしについて語りました。  そして、事故の後「夫は警官である前に一人の人間なのに『金目当てで、検察審査会に申し立てた』などの心ないバッシングを受け、世間の注目を必要以上に浴びた。(その一方で)夫に白バイを見せてもらったという子どもが「白バイ隊員を目指しています。なれたら、一番に報告します」と言ってくれた。被告は事故について『覚えていない』と言って、どこか他人事。たった一度だけ謝罪に来ただけで、反省の態度も感じられない。厳正な処罰をお願いします」と涙ながらに訴えました。  このあと検察は「被告の『見えた』という表現は信用できず、安全確認を果たしたとは言えない。過失はある。サイレンを鳴らさないまま、118キロ出していたのは、違反車両に白バイの存在を察知させないためとも言えて、違法性なく、責められることもない。被告は誠実に事故に向き合わず、刑事責任は重い」として、禁錮1年2か月を求刑。  これに対し弁護人は「結果は重大だが、右折車が進行を阻まない義務、制限速度を超えている車を予見することも争いはないが、限界はあって、今回の速度は、通常考えられる速度ではない。今回、サイレンは点いてないし、赤色灯もドラレコでははっきりと確認できない。右折対応には問題あったが、あくまでも交通法規違反にとどまり、道交法違反の刑事罰とは無関係。過失は認められない」として、あらためて無罪を主張しました。  公判は、谷口被告が「今回の事故で亡くなられた被害者の方、遺族の方に申し訳なく思っております。反省しております、以上です」と陳述して結審し、判決は8月29日に言い渡されます。
時速120キロの白バイ警官死亡、右折のトラック運転手に禁錮1年2か月を求刑…無罪主張の運転手側「予見には限界あって、今回の速度は通常考えられる速度ではない」警官の妻も法廷に立ち「警官である前に1人の人間なのにバッシング。被告に反省なく、厳正な処罰を」(HBCニュース北海道) - Yahoo!ニュース
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kou-f · 1 year ago
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日曜は七五三やけど、
土曜(というか明日?)は学校の音楽発表会らしい。
動画で撮らないとね。体育館は寒そうだ。
音楽発表会といえば1~2年前かな?
保育園の音楽発表会の練習をしてる時、
先生がうちの子に指示があまり通ってないのをみて
「あれ?」と思ったらしい。
軽度の場合、「ASD」と「そういう性格」の違いを
見分けるの難しいと思う。
でも先生はうちの子をよく見ててくれて
かなり早い段階で行政の福祉窓口に相談することができた。
ホント保育園の先生には感謝してもしきれないね。
小学校に上がってからは通級の先生や担任の先生のご配慮もあり
今のところ、学校生活も大きなトラブルなく過ごせているらしい。
閑話休題。
発表会では歌と合奏をするけど、
うちの子は鈴担当とのこと。
楽しみだね。
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indigolikeawa · 5 months ago
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2024年6月27日木曜日
病院の待合室にて21
くちずさむ歌はなんだい?思い出すことはなんだい?(3)
 私が道を盛大に間違えたおかげで(せいで、じゃないです)、ビジネスホテルに着いた頃にはもう午後四時過ぎになっていた。中がどうなっているか未だによくわからないエレベーターみたいな立駐に車を突っ込んでチェックインし、荷物を部屋に放り込んで街へと繰り出した。駅の近くにホテルを取ったと思っていたのが、間違えて歓楽街の近くにホテルを取っていたおかげで(せいで、じゃないです)、すぐに良さそうな飲み屋があった。準備中とある。「何時からですか!」「五時!」まだ五時にもなってなかった。何軒か見て回ったが、最初のところが良さそうだったので、歓楽街をぶらぶらしたり、ソープランドのキャッチのおじさまに「どうですか?」と聞かれたのに対して「お疲れ様です!」と返したり(私が)、全ての成人した徳島県民が一度は待ち合わせしたことがあるであろう「アクティ前」の植え込みの階段になっている部分に腰を下ろしたりして時間を潰した。五時になった。「いいですか!」「七時までな!(七時からは予約でいっぱいでよ)」と��うことで無事に居酒屋に入店した。ビールだー!やったー!私がアルコールを口にするのは去年の忘年会/送別会以来のことなのだ。Tくんも私と同じように盛り上がっていたが、この人お昼もラーメン屋で瓶ビール飲んでました。私は忘れていません。ともかく乾杯だ。
 あなたの人生には後悔がありますか?私にはあります。ここのお店で私たちが注文したメニューは、鯖の棒鮨、阿波尾鶏の唐揚げ、馬刺し、そして多量の生ビールだった。ねえ…お料理少ないって。どれもめちゃくちゃおいしかったのに、話に夢中で全然追加注文しないでやんの!ビールばっか飲んで!もっとお料理注文しないと!本当に後悔!いや、私が悪いよ、Tくんは全然悪くない。私がどんどん食べてどんどん注文すべきだったよね。そうしないとTくんも食べづらいよね。徳島の美味しいものをこれでもかと持ってきてもらうべきだった。何のために徳島に来てもらったのか。あのお店また行こう。今度は予約していこう。それは別の誰かと行くか、一人で行くということになるような気がする。ごめんねTくん。Tくんがまた来るって言うんなら止めないけどさ。(お料理の写真も当然撮ってません)
 私たちが夢中になって話していたこと、そんなのはもちろん昔話だった。今年で四十歳になる中学の同級生ふたりが居酒屋で夢中になって話すことなんて絶対に昔話だった。例えば。
「あのさ、僕ら主催ライブをやったよね?あれってさ…高校生になってたっけ?」
「いや、あれは中三の時だよ。あの時ね、なんかみんな煙草吸ってたでしょ?ガイアの前の道でもみんな普通に吸ってたから、近所の人なのか分からないけど、知らないおばさんに『あんたたち中学生でしょ?みんな煙草吸ってるけど、いいと思ってんの?』って言われて、『ああー、私高校行けない可能性出てきたなあ』ってぼんやり不安になったもん」
「あれ中三の時だったんだね。信じられないなあ。今でも夢だったんじゃないかと思うよ」
 そう、私とT君で組んでいたバンドは主催ライブを行った事がある。あれは中三の…あれ?なんとなく春休みにやった記憶があるから、まだ中三になってないのかな?それとも中学卒業と高校入学の間の春休み?まあともかく、バンドメンバーである私とT君ともう一人のドラムを叩いてた子は、まだ全員十四歳か十五歳だった、と思う。会場はclub gaiaというクラブだった。JR沼津駅から徒歩六分(今調べました)、現在はもう閉店してしまったようだが、当時はもちろん営業中で、おそらく昼から夜にかけてはバンドのライブなどをやっていて、深夜帯はパーティーを中心としたクラブ営業をやっていたのではないかと思う。今ですらこんなあやふや��想像しかできないが、当時はそんなことは何ひとつ知らず、ありきたりな憶測すら出来ていなかったはずなのに、よくやったもんである。そもそも我々はこのclub gaia を電話帳で発見した。我々は電話帳を本当によく活用していたバンドだった。練習スタジオ(いわゆるリハスタ)が実はもっと近所にあるのではないか、と思って電話帳で探し、「スタジオなにがし」みたいなのを見つけて「あった!」と思いチャリで行ってみると、「バレエ・スタジオだった!がっかり」ということはザラだった(電話してから行きなよ。電話帳でしょ)。レコ屋を探してみたり、ライブハウスを探してみたり、同級生の自宅の電話番号を探してみたり(本当の話である。当時の我々は電話帳から同級生の家電(いえでん)を探し当てるくらいの能力は備えてしまっていた。携帯なかったしね。いきなり自宅に直電し、「君!ドラムに興味ないか!あるなら我々とバンド活動をしようではないか!」と勧誘したりしていた。今考えると完全にどうかしている)電話帳は情報の宝庫だった。そして電話帳の「ライブハウス/クラブ」の欄に載っていたお店のひとつがclub gaiaだった、と思う。我々捜索隊はそれを電話帳に発見するやいなや、ただちに現場に急行した(電話しなよ。まあ今考えるとビビってたんだと思われる。あと電話する用件がない。建物を見たいだけだから)。gaiaは割と住宅街の中にあり、我々の持つ手がかりは住所しかないため(実際は電話番号も知っているけども)捜索は難航したのだが、日没前に見つけることができた。「おおー、あるんだ」と言ってその日は帰った。中学生は本当に暇である。本日の我々くらい時間が有り余っていた。
 我々のバンドは「パンジー」と言って、もちろん花の名前からとったのであるが、「パンクでノイジー」というとても中学生的な意味もあった。パンジーは後に「ルーラ」という名前になったり、「べとべとさん」という名前になったり、「べとべとさんとぶるぶるちゃん」という名前になったりしたが、ここではパンジーという名義で統一する。パンジーはgaiaで主催ライブをする前に、国道一号線のとある交差点の北東にあったすみや(同じ交差点に「すみや」というグループのお店は三店舗あり、北東にあるのが楽器屋とスタジオ、南東がパソコン館、南西がCD屋だった。ちなみに北西はファミマ)の二階のスペースで開催されていた”Get in Live”(「入れライブ」て)で2回演奏した事があった。その二回のライブを経て、我々はライブハウスなどでも演奏したい!と思ったのだ。普通はブッキングライブに出よう、となりそうなもんなんだが、そういう仕組みは知らなかったのかな。あと沼津にはそういうライブハウスが多分なかった。三島にはゴリラハウス、富士にはアニマルハウスというライブハウスがあって(動物ばっかり。かわいい)、���分ブッキングライブなどもやっていたと思うが、我々は沼津市民だから沼津でライブしよう、レ��ゼン沼津!…と思ったのかな?忘れました。
 中学生で主催ライブを行うなんてもの凄いことのような気がするが、細かいことは全然覚えていない。ここから先は(何ならここまでも)すべてうろ覚えですので、そこんとこよろしくお願いします。我々も含めて多分バンドは四つ出た。パンジーと飲波波波(ヤンパパパと読みます。金岡中のバンド)とあと二つのバンド(名前は失念)。もちろん昼の時間帯。私たちはなぜか最初に出たような気がする。演奏は多分めちゃくちゃ。コピーがメインだけど、オリジナルも演奏したような気がする。演奏が終わって誰かに「お疲れ様です」って言われて、「わあ、ミュージシャンみたい!」って嬉しかった記憶がある(そこ?)。クラブを借りるお金を捻出するために前売りチケットを売ったと思う。チケットはgaiaの人がデフォルトみたいなやつを作ってくれたのか、我々で作ったのか覚えていない。当日券で来る人もいた気がするが、いずれにせよライブの途中から適当になり、最終的にはフリーライブみたいになった。めちゃくちゃお客さん入ってた。そしてほとんどの人が煙草を吸っていた(みんな中坊。高坊もいたのかな?)。ライブはかなり盛り上がっていたと思う。gaia使用料の精算時、あんなに人が入っていたのに、お金が少し足りなかったので、「どうしよう…」となっていたら、対バンの誰かが「なに?足りないの?じゃあちょっと金作ってくるわ」と言って街へ消えていき、金を作って戻ってきた。お金って作れるんですね。全て終わって最後にみんなでフロアを掃除した。めっちゃ吸い殻落ちてた。あんなに大量の吸い殻を見たのは、四十年近く生きてきたがあの時だけである。
 確かに今でもこんな主催ライブをしたのはあんまり信じられない。というか飲んでる時はこんなに細かく話していない。細かく話せば良かった。絶対盛り上がったのに。あとこの文章を書くに当たっても、あの時話しておけば、視点がもうひとつ増える事で正確性を増す事ができたのに。またしても後悔。後悔ばっかり増えている。酒の席の反省なんてしてはいけないのかもしれない。
つづく
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longgoodbye1992 · 1 year ago
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田園の中の喫茶店にて
最近単発のバイトに中々入れず、退屈な日々を過ごしている。
前のようにパチスロに行く気もなくなり、秋が深まる山やら滝やらに行っては数枚の写真を撮って帰る。
普段カフェインを控えているが、温かい珈琲が美味しい季節になったから、前から気になっていたカフェを周り始めた。
今日来たところは木曜から土曜までしか営業していない、海の側から少し山に入った田園地帯の真ん中にある喫茶店だ。
古民家のような外見から中に入ると立派な梁がある。ピアノやギター、コントラバスまであって、音楽イベントをやっていると聞いた。
オリジナルの珈琲を頼む。
客は自分ひとりで、お店の人も一人だった。
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窓際のいい席に座れた。文庫本を開いてたまに外を見るというのを繰り返す。
すると車が店の前に止まり、女性が一人店の中に入ってきた。
予約していた人なのだろうか、店主は女性の顔を見ると豆を挽き始めた。
香ばしい香りが店内に広がる。
読んでいた桜木紫乃の短編小説にいいアクセントをくれる。
七、八分くらいしてそれが出来上がったようで、女性は袋を持って会釈しながら店を出た。
それから五分ほどして、店主が申し訳無さそうに、珈琲カップを持ってきた。
「大変お待たせしました」
「いえいえ」
「エチオピアです」
「ありがとうございます」
もしこれが町中にあるチェーン店のコーヒーショップならクレームを入れる人もいるだろう。
でもここは時がゆっくり進む田んぼの真ん中の喫茶店。早さなんか求めてはいない。
大人の例えをするならば、メイクをしている相手を待っている時間と同じで、完全に相手が美しい状態で出てくるのはどれだけ待ってもいい。
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珈琲を一口飲む。取っ手が無いタイプだから少し指が熱かったがそれもいい。
あっ��りした飲み口だがコクがある。苦味は程々で酸味はあとに少し残るくらい。バランスの良い味で、毎日飲むのにはうってつけの味だった。
小説を読み終えて文章を書く。
聞こえるのは少し前にオーダーした珈琲牛乳を作る音と外にいるカラスの声。
そういえば、と思い出したのは自分の誕生日と一ヶ月違いで大学の同期だった香菜の事。今日がその誕生日だったのをスマートフォンの日付を見て思い出した。二年前くらいに突然泣きながら電話があって以来、たまにやり取りをする。
香菜とは色々あった。大学に入って最初に仲良くなった女の子が香菜で、初めて女の子の部屋に泊まったのも彼女の部屋だ。不思議なものでそんな関係だったにも関わらず、ある時期から互いを嫌うようになって口も聞かなければ目も合わせなくなった。
だから泣きながら電話してきたのは何故なのかわからなかったが、それをすんなり受け止めて泣き止むまで話を聞き続けた自分もどうしてなのかわからない。
とりあえず誕生日メッセージを送っておいた。
珈琲牛乳がテーブルに置かれる。
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昔、母親が作ってくれたような優しい甘さ。
ミルクの膜があってそれをスプーンですくって食べるのが好きだ。
村上春樹の短編を読む。三分で読み終わるくらいあっさりしたものだが、村上春樹の色が確かにそこにあって、純粋にさすがだなと思った。
まだ外でカラスが鳴いている。洗い物をする店主の息遣いと厨房の奥で流れるピアノの音楽が微かに背中越しに聞こえる。
香菜から返信が届く。
お礼と今度公開される映画の監督を務めた事を報告してきた。
おめでとう。さすがだね。と返した。香菜はずっと優秀だった。いや、人に評��されるのが得意だった。作った作品を面白いと思ったことはないが、教員や審査員たちに認められる物を多く作っていた。 
反対に俺は落ちこぼれのような物で、自分主演のハードボイルド作品を作ったり、クドカンもどきの恋愛コメディを書いたりしては、不評を買っていた。
そんな二人が今こうして連絡を取り合ってるのを同期が聞いたら驚くだろう。
そんな事を考えていたら珈琲牛乳が温くなってしまった。
閉店時間も近い。
家に帰りたくない。
ずっとこんな風にどこかの店の片隅で本を読んだり下手な文章を書いたり誰かと話をしていたい。
窓の外の田んぼからは、稲のひこばえが大きく育っている。もう秋も深いというのに元気だ。
店にあるアコースティックギターを弾きたいなと思ったが、恥ずかしいので店主に言えないまま店を去る。
夕飯なのか夜の部の仕込みなのかコンソメスープの香りがした。
家の今夜の晩御飯はヒレカツだ。
今日もまた酒を飲んで睡眠薬を一錠多めに飲んで寝るのだろう。最近上手く眠れない。
明日は面接。
帰りにまた寄ろうかな。
この田園の中の喫茶店に。
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ari0921 · 9 months ago
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「宮崎正弘の国際情勢解題」 
令和六年(2024)2月8日(木曜日)
   通巻第8122号 <前日発行> 
三亜は「中国のハワイ」であるとともに、大海軍基地である。
  不動産バブルはすでに15年前、海南島ではじまっていたのだ
*************************
 十五年前のことである。
初回の海南島訪問はその十年ほど前で、北側の港町=海口のホンダの偽バイク工場取材だった(取材は失敗、その後、ホンダが贋物工場を買収した)。ついでに南端の三亜まで長距離バスで七時間かけて足を伸ばし、戦争中に日本軍が敷設したレーダーサイトや西海岸に開通させていた鉄道(SLがまだ動いていた)。この頃は海南島では観光客誘致に熱心でアライバルヴィザを例外的に発効していた。四半世紀前まで中国旅行には逐一ヴィザが要求された。
 弐回目は海口から三亜へ新幹線が繋がったというので試乗がてら途中のボーアオ(中国版ダボス会議)も取材する予定だった。
さて三亜での驚きはリゾートマンションがにょきにょきと林立していたことだ。飛行機の窓から夢中に撮影したが、あんなに壮大に高層マンションを建てて、購入した人は果たして何人いるのだろうか? 
 三亜は「中国のハワイ」であるとともに、大海軍基地である。町で不動産屋の店先で物件のビラを眺めていたら、店員が飛びだしてきた。なるほど、売れていない証���である。
 三年前から中国の不動産バブルが瓦解し、大手デベロッパーが軒並み債務不履行におちいったことは周知の事実。習近平自身が「マンションは人の住むところだ」と当たり前のことを発言した。多くが投機用に建てられたもので、2024年二月時点で、工事中断物件は数千とも数万ともいわれ、売れ残りを最低に見積もっても1億5000万戸ある。
 恒大集団は1月28日、香港で精算命令がだされた。CEOの許家印が所有した香港の豪邸は競売に付された。ところが、豪華すぎて買い手がいない。
恒大集団幹部たちはごっそり逮捕され、整理精算しようにも、なにから手をつけてよいか分からない。とりあえず二つの子会社を五鉱山国債信託に売却した。 
 海外を含めて資産売却を急ぐ最大手の碧桂園はロンドンに4億5000万ポンド(5億7000万ドル)を投じた開発プロジェクトを売りに出した。世界最大の不動産仲介コンサルティング「ナイト・フランク」社は、碧桂園の子会社「リスランドUK」からエルサホー大団地(62エーカー、952戸)の売却仲介を依頼されていると発表した。
碧桂園はシドニーに保有した物件をすべて手放したほか、広州の高層ビルやフェニックスホテル等五軒を売却した。
 中国オーシャンワイドHD社はサンフランシスコに建てた高層タワーが差し押さえとなったと発表した。まだ「広州富力地産」はロンドンの広大な物件二件を売却した。これらは「氷山の一角で」しかなく、夥しい中国企業が外国の不動産を売却し、また富裕層は手元資金不如意となったため海外物件の売却を急いだ。
中国政府は外貨不足を補えるため、海外物件売却を奨励した。
また工事中断物件を完成させよとして特別融資をおこなうなどモラトリアム政策を適用している。「こうした休載政策は逆効果になる」と米紙ウォールストリートジャーナルが警告してきたが、自由主義市場経済ではない中国では、独自の路線を選択、さらに凄絶な破滅の道を驀進中だ。
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tutai-k · 2 years ago
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旅の記録
12月3日~4日、友人と鎌倉・江ノ島旅行をする。
鎌倉文学館で没後35年特別展、澁澤龍彦・高丘親王航海記の展示があったので、鎌倉へ行こうと計画をしていたところ、友人が声をかけてくれて、ひとり旅でなくなった。
ひとり旅だと、どうしても鳥を探したくなって重いカメラを担いで、ワークマンの服を着て出かけることになる。鳥を撮影するようになってから、文化財を巡るような「旅」とは疎遠になっていた。
旅のルートは、 一日目 北鎌倉・浄智寺(澁澤龍彦の菩提寺)―鎌倉・鶴岡八幡宮/大河ドラマ館/鳩サブレーで有名な豊島屋のカフェ「置石」/クルミッコ/桜貝アクセサリー店/鎌倉文学館 二日目 江ノ島(特にどこという予定は決め��に江ノ島とだけ決めていた)
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・北鎌倉 浄智寺 北鎌倉で待ち合わせをした。そのまま浄智寺へ。地図を見なくても、なんとなく歩いて行けばたどり着けた。 人生で一番通っている寺というのは、どう考えても地元の檀家になっている寺だが、そのつぎがたぶん、東大寺だろう。地元の友人とよく奈良へ行くし、奈良は鳥がたくさんいるので、バードウォッチングを始めてからも何かにつけて出かけている。だがその次は?となるとおそらく浄智寺ではないかと思う。 そんなに通っているのに、じつは一度も澁澤龍彦の墓にたどり着いたことがない。浄智寺は、拝観料が必要な文化財としての寺だけれど、檀家もいて、お墓があるのだ。それはつまり、地元のひとびとの暮らしと地続きの場所で、そこを、ただ澁澤龍彦のファンであるというだけの自分が「墓参りに来ました」と言っていいものか、というのをずっと迷っていて、聞けずにいて、見つけることができなかったのだ。 だが今回、どうしても澁澤に報告したいことができたので、澁澤の墓前に立ちたかった。寺の受付のひとに聞くと、わかりづらい場所にある、と言いながら親切に教えてくれた。いままでたどり着くことのできなかった墓前にたどりついて、いろんな報告をした。 澁澤にしてみれば赤の他人が急に墓にやってきて、あなたのファンです、やっとここまで私の人生がたどり着きました、なんて報告をされても知ったことではないだろうと思ったが、人生の一つの区切りとして訪れることができてよかった。矢川澄子は岩波の校正員時代に、龍子さんは芸術新潮の編集者のときに、澁澤と出会っている。 御朱印をもらって帰るとき、そのふたつ前のページが、以前訪れたときの浄智寺のものだった。文化財から足が遠のいている自分を発見してすこし苦々しく思う。
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・鶴岡八幡宮/大河ドラマ館 カモメが群れになって飛んでいた。七五三の子供がたくさんあるいていて、成人式の前撮りの人たちもいた。 今期の大河ドラマを見ていないのでついていけるかどうか不安だったが、楽しそうにする友人を見ているだけで楽しかった。映像資料やジオラマ、体験コーナーなど、ドラマを見ていない人間でも楽しめた。舞台セットの時代考証の映像がとてもよかった。 ハトがたくさん歩いている。
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・クルミッコ/置石/桜貝のアクセサリー店 前回鎌倉旅行をするときに、地元の友人に「クルミッコ」というお菓子がおいしいと教えてもらった。そのときはお昼過ぎに店舗に立ち寄ったのだが、行列ができていてなかなかお店に入れなかった。「並ぶんだよ~」と言いながらお店にいくと、列ができていない…。もうクルミッコブームは終わったのか? とお店に入ると……クルミッコ、売り切れていた。まだおひるすぎだというのに。 置石へむかう。エクレアサンドとチョコレートパフェをたのむ。紅茶がとても���いしいと友人が教えてくれたのでそれも注文する。紅茶はとてもおいしかった。そして……チョコレートパフェ、800円という金額なのにとても巨大だった。エクレアサンドを食べたあとに食べるサイズではなかった。ふつう、コーンフレークがいるところにおそらくは粉砕されたハトサブレが陣取っていて、それがとてもおいしかった。巨大だったが、おいしかったのでつるっと食べられた。 その後、桜貝のアクセサリー店へ行くまでに、鳩サブレー本店にたちよる。鳩サブレーグッズを買う。ここも行列。宿で食べるおやつに矢口餅を買う。大河ドラマに登場した餅らしい。何も知らずに求肥に釣られて買った。 桜貝のアクセサリー店も長蛇の列だった。列に並んでいるあいだ、「桜貝ってわれわれでも拾えるのかな」「由比ヶ浜にいくから打ち上げられてないかな」などと話をしていたら、前に並んでいた人が、「六時半くらいに行くと拾えますよ」と拾った桜貝の写真を見せてくれる。早起きして桜貝探しをすることを誓い合う。 どれもかわいくて迷いに迷って、桜貝のヘアピンを買う。
・鎌倉文学館 鶴岡八幡宮の門前町を楽しみすぎて、文学館が16:30閉館なのにたどり着いたのは16:00だった。高丘親王航海記の展示を見る。こぢんまりとした展示だったし、見たかったのは創作メモだけだったので、そこだけ重点的にみる。三島の影響を感じる部分などある。 リスが木を歩いていた。鎌倉にはたくさんリスがいると警備員さんに教えてもらう。宿までの道すじでもリスがいて、うんこされる。
二泊目
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・由比ヶ浜 約束通り6時に起きられたので、6時半に由比ヶ浜に到着する。もうサーファーが海にたくさん入っていておどろく。 桜貝を探す。海で貝を探すときは、一点を見ない方がいい。とはいえ、タカラガイを探すことは得意でも、桜貝用の「目」ではない。一つ目を探すのに苦労する。それでも一つ見つけると目が慣れてぽつ、ぽつと見つけられる。メダカラを一つだけみつけるが、擦れていたので拾わずおいてゆく。桜貝に孔をあけるツメタガイも打ち上げられている。 「朝日曇っているから見えないのかなあ」と言っていたら、背後の山のほうから日が昇る。朝日はいつでも海からのぼると思っていたが、そうでもないらしい。
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・江ノ島 江ノ島へ行く前に、クルミッコへもう一度。開店直後にお店に到着したのに、お店のかげまで行列ができていておどろく。ほしかったカンカン入りのクルミッコが買えたので満足する。 江ノ電に載り江ノ島へ。 江ノ島までの道にたくさんお店が並んでいる。家族には「わざわざ江ノ島まで行ってしらすを食べなくても地元で食べればいいじゃないか」と言われながら出かけたのだが、しらすピザは地元にはない。絶対しらすピザをたべたいと言い続ける。 弁天橋から鳥を見る。見たことのない鳥だったのでコンデヂだったが撮影する。帰ってから調べるとカツオドリで、どうして重いからという理由でミラーレス×超望遠を置いてきたのかと後悔する。 江ノ島神社への参道には、貝を売る店がおおくある。夜光貝やナンヨウダカラを見てはほしいほしいと騒ぐ。 江島神社へ到着する。弁財天をまつる神社もある。わたしは弁財天を見つけると必ずお参りするようにしている。弁財天は芸能の神様なので、小説の上達を必ず祈ることにしているのだ。弁財天のお守りももらう。新しい仕事の鞄につけようと思っている。 山頂まではエスカーにのる。エスカー、ケーブルカーのようなものだと思っていたらエスカレーターだった。だからエスカーか……。 参道で行列ができていたタコせんべいのお店が山頂にもある。そこも行列ができていたが、参道ほどではない。生のタコをまるまる一匹、プレスして作るせんべいは、タコをおしつぶすとき、悲鳴が聞こえる。あつあつのを、トンビに狙われながらたべる。 シーキャンドルという展望塔に向かう途中、鳥のような鳥じゃないような鳴き声が聞こえる。近づいていくとリスだった。至近距離でも逃げない。奈良の鹿のように、鎌倉にはリスが多い。クルミッコにリスが描かれていることに納得する。 シーキャンドルにのぼる。眺めがよく、ずっと見ていられそう。富士山がとても近い。わたしたちの住んでいるところでは、富士山は条件のいい冬にしか見られないが、関東では天気がよければそうめずらしくないらしい。 念願のしらすピザをたべる。めちゃくちゃ大きい。鎌倉野菜としらすのピザだった。とにかく大きい。おなかがいっぱいになりながらそれでもおいしいので完食する。はじめてクリームソーダを食べる。おいしかった。窓からは湘南の海だろうか、海と富士山が見える。SUPのひとたちがときどき通り過ぎてゆく。
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電車に乗り、友人と別れる。 先週の横浜行きでは売り切れていた崎陽軒のシウマイ弁当を食べる気満々でいたものの、しらすピザが大きすぎて全然おなかがすいていなかった。崎陽軒のチャーハン弁当(シウマイが2コ入っている)と、真空パックじゃない方のシウマイを買う。新幹線で食べるつもりだったが全然おなかがすかなくて、帰りの近鉄電車で食べた。おいしかった。
コロナ禍に入ってからバードウォッチングをはじめ、神社仏閣をまわったり、博物館へ行ったり、素敵なカフェやお土産を探したり、観光地をぶらぶら歩く旅から遠ざかっていたので、今回の旅ではそれができたことがとてもうれしかった。 いつのまにか、旅=探鳥になっていたけれど、こういう旅を好んでしていたなあ……旅といえば、博物館や美術館を探し、神社仏閣を巡っていたのは、つい二、三年まえのこと。それなのに、なんだかはじめての旅をしたような心地だった。
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kxxx-me · 2 years ago
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オーダー美容師は新規の受付はしてません🙇‍♂️ 出張美容師は新規のお客様大歓迎🥰 12月のご予約はお早めに🤍 _____________ 【出張カメラマン】【出張美容師】 【オーダー美容師】【子供と遊ぶお仕事】 お問い合わせや質問 お仕事の依頼は 【DM】【 公式LINE】【Twitter】 から受け付けております🤍 利用してくださった方の、 ご紹介での繋がりを1番に、大切にしています🥰 未熟者ですが、 精一杯、一生懸命、常にできる力を100%、 出し切って取り組ませて頂きます🙇‍♂️✨ 「これできるー?」 なんてよく言われるので、 お気軽にきいてください🥰✨ ※オーダー美容師は新規は基本受け付けておりません ※出張美容師は新規も受け付けております かず兄  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ #出張撮影#出張美容師 #オーダー美容師#主婦応援隊 #子育て応援隊#ポートレート撮影 #カップルフォト#マタニティフォト #プロフィール撮影#宣材写真撮影 #七五三撮影#前撮り#結婚式撮影 #ニューボーンフォト#キッズフォト #趣味撮影#習い事撮影#物撮り https://www.instagram.com/p/ClYgrngP6ocvJ4yfWTrMsspog97mgRfph6gxlw0/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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qunie · 2 years ago
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【七五三撮影後、洋服編】 👘前撮りのあとは、お洋服に着替えて📸 お時間目一杯使用させていただいて、盛りだくさん撮影。感謝の気持ちでいっぱいです😊🫶 * 1〜6 photo/studio→ @kuppography_kohoku 7〜10 オフショット * 洋服に着替えて、解き放たれたように運動会のお遊戯踊ってました…😆 * #七五三 #七五三詣 #七歳 #前撮り #753 #hanautatwins (クッポグラフィー 横浜港北スタジオ) https://www.instagram.com/p/Ck-5X8dyLRY/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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oka-akina · 2 years ago
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20220108
 8日朝、夫の父が急に亡くなり、急いで夫の実家に駆けつけた。この日は午後から読書会の予定だった。わたしは少し���めに起きて本を復習し、印象に残ったところや話したいことなどをメモにまとめていた。ショーン・フェイ「トランスジェンダー問題」。それから文フリ京都のおしながきを作った。イベント前におしながきを作るのは久しぶりで、ギリギリ入稿の新刊がないとこういう準備もできるなと思った。部屋が寒かったので熱い紅茶を啜っていた。  7時半すぎ、夫が慌てたようすで起き出してきて、「おふくろから電話で、親父がなんか倒れたみたいだから行ってくる」と言った。それわたしも行ったほうがいいかなとたずねたら夫は首を傾げ、「いいよ、だって予定あるだろ…」とぼそぼそ言った。そしてつけくわえるみたいに「なんかおふくろが、お父さん死んじゃってるかもって言って…」と言い、ばたばたと顔を洗い始めた。「なんかおふくろもパニック状態で要領を得ない」、ごほんと少し咳をする。夫は混乱すると咽せる。これはほんとにやばそうだなと思った。ともかく行こうよ、一緒に行くよとわたしは言った。何もなかったら何もなかったねでいいんだからと言ったら、夫もそうだよなと納得した。それでわたしも支度をした。このときはまだわからなくて、わたしは付箋でいっぱいの「トランスジェンダー問題」を一応リュックに入れた。  夫は弟二人に電話し、わたしに言ったのと同じことを言った。上の弟はすぐ電話に出なかった。その間に義母とふたたび電話がつながった。「ともかく今からすぐ行くから」と夫が言う。「お父さん亡くなっちゃったのよ」と義母の声が聞こえてきた。「わかんない、亡くなっちゃってたの」「ゆっくりでいいから気をつけて来て」、そういういくつかの言葉の後半が涙声になっていて、ああほんとに亡くなったのだと思った。おととしに亡くなった美少女さんのことを思い出した。  下着と靴下など、泊まれる支度をし、ちょっと迷ったがMacBookもかばんに入れた。夫の実家はWi-Fiがないので持って行ってもワープロだよなとは思った。お湯を沸かして小さい水筒に紅茶を入れた。こういうときは何を着たらいいのだろうと思った。黒いスキニーパンツにカーキのスウェットを着た。眉毛を描いた。上の弟と電話がつながり、「聞いた、死んじゃったんでしょ」と言った。死んじゃったという語が初めて出てきたと思った。ちょうど名古屋駅にいてすぐのぞみに乗れるから、9時20分に東京駅に着くと弟は言った。  夫は車を飛ばした。メーターがずっと129km、130kmを指していた。晴れていて道は空いていた。車のスピーカーに夫のスマホがBluetoothで接続され、イエモンの「アバンギャルドでいこうよ」が流れた。そのままイエモンを流したまま走り、わたしたちはほとんどしゃべらなかった。  明日は前にいた会社の同期と集まる予定になっていたけどこれはもう欠席だろうなと思った。レンタルルームを借りたポットラックパーティー。わたし以外みんな子ども連れで来るというから、子のいないわたしはやや気の進まない会で、誘われたときからずっと仮病しようかなと思っていた。いや行けない口実をいくつも考えてはいたけども、子がいないから気まずかったんだろうなと思われるのがいやで、やけに気合を入れて準備していた。近所のビストロでチョコレートのテリーヌを予約していたし、爪もマットの黒をきれいに塗った。夫のお父さんが亡くなってという言い方は、誰々が危篤でといったいかにもなずる休みの方便そのままのような言い方だ。
 9時前。夫の実家に着いたら先に伯父が来ていた。義母の兄。五人きょうだいの長男。コロナ禍になってから親戚の集まりをしていなかったので久しぶりに会った。あたりは静かで、家の中も静かだったが、いま警察が来ていて二階で検死していると義母と伯父が言った。家で死ぬと変死扱いになるという何かで読んだ話を思い出した。  なにがなんだか…と義母が言い、まだ二階には上がれないそうで、茶を飲んで待った。夫がやかんを沸かそうとしたがIHの使い方がよくわからないのかうろうろしていた。壁際に伯父の手提げがぽつんと置いてあり、信三郎帆布の手提げだった。  朝起きたらお父さんが動かなくてと義母が言い、まず兄(伯父)に電話をかけたのだと言った。伯父は以前消防隊員だったからだろうと思った。わたしたちはマスクをしたまましゃべった。正月はいつも通りだったし、5日に病院行ったときは今度検査入院しましょうというだけでまさかこんなことになるとは、咳やリウマチはきつそうだったがだからってと義母は言い、おとといは自転車に乗って自分で酒を買いに行ったのだと言った。  何度か警察官の人が二階からおりてきて、本部から臨場が来ますのでとか、午前中のうちに検死の先生が来ますとか説明し、フィクションの中で幾度も見かけた語だなと思った。2時間ドラマや警察小説のようだと思った。そして物盗りの犯行ではないことを証明しますとかお父さんの指先の欠損はこれはいつのものですかとか、いろんな人が五月雨式にいろんなことを尋ねるのでよくわからなかった。警察の人たちは黒いパーカーに黒いワークパンツで、むしろ泥棒のようないでたちだった。  まず兄に電話したんですと義母が言い、それから着替えて119番通報をしたんですと言ったら、それはなぜですかと何度も聞かれた。先に着替えたのはなぜですか。疑うわけではなく形式的なことなのだろうがいろんな人からそういう質問をされ、べつに調書もメモもとらない。あとから来た三人組の人が義父の財布や通帳の場所を尋ね、写真を撮り、その人たちは何か書類を書いていた。お医者さんが到着し、この人は白衣を着ていたのですぐ医者だとわかった。  11時過ぎになって警察の人たちがみんな帰り、やっと義父と対面できた。布団の中で寝ているみたいに見えた。でもすっかり白い顔になっていて、ああ亡くなっているとどう見てもわかった。帰り際に警察の人が死因など話したが、いつも通っている病院ではない初見の先生がみてくれたからこれは持病との関連はわからないものだとのことで、ようするに心臓が止まっていますということしかわからなかった。わからないけども急に亡くなった。こたつに足を入れながら夫が「これは最後まで泣けないかもしれない」とつぶやいた。  伯父が帰ったのと入れ違いに弟たちが来た。途中で合流できたのだと言った。上の弟はものすごくおしゃれなスーツを着ていた。二人はすぐに二階に上がり、父親と対面し、大きな声で泣いた。弟たちが泣いたので義母もやっと泣いた。
 家で亡くなったので死体検案書になるという。さっきのお医者さんのクリニックに取りに行くことになり、お金もそこで払うという。  葬儀をどうしようとなり、祖父母のお墓のある霊園で葬儀ができるようで、夫が電話した。ご遺体は霊安室で預かれますと言われ、そうしますとなったが、1時間ちょっとですぐ来てくれるとのことでかえって慌てた。ドライアイスで寝かせておくこともできますがとは言われたが、兄弟三人と義母で話しあい、お願いすることになった。  弟たちがスーパーでお茶やお弁当やおにぎりを買って来てくれて、わたしは鮭とひじきなどの弁当をもらい、ごはんはせりの混ぜご飯だった。七草の残りだろうと思った。近所の人たちが挨拶に来てくれて、みんな泣いていた。義母もまた泣いた。  そうしていたら霊園の人が来た。二階の部屋から階段を下りて車へ、遺体は布の担架で運ぶことになり、白い布で包んだ。顔が布に包まれるとき弟たちが泣いた。階段を下ろす際、弟たちが手伝った。夫はドアを開けたり物をどかしたりしていた。夫は亡くなった父親の体にまだ触れていない。わたしは少し歯痒く思ったし声もかけてしまったが、夫なりの混乱やきつさがあるのだろうとのみこんだ。車に乗せるときさっきのご近所さんも見守ってくれた。道の奥でどこかの小さい子どもたちが遊んでいるのが小さく見えた。
 みんな霊園に向かうことになり、夫とわたしはクリニックに寄り検案書をもらってから向かうことになった。何かクリアファイルみたいなものあるかと夫が言った。検案書はあちこちに提出するからコピーを取るし、今後こういう書類が増えるだろうと言った。わたしのリュックには松屋のおまけでもらったすみっコぐらしのファイルしかなくて、すみっコぐらしだとふざけてるかなと言った。おれはすみっコぐらしはべつにふざけてないと思うと夫が言った。病院でもらおうよとわたしは言った。5万も払うんだからクリアファイルくらいもらったっていいでしょと言った。死亡確認書ではなくて検案書だから5万円かかる。さっき金額をきいて驚いた。5万円、急に用意できなかったらどうなるんだろう。  クリニックはお休みの日で、わたしたちのために鍵を開けておいてくれたようでスリッパがきれいに揃えてあった。検案書を受け取るとき、これ何かクリアファイルみたいなものに入れてもらってもいいですかと、さも今思いついたみたいに言ってみた。そうしたら快く新しいクリアファイルの束をひとつ開けてくれた。
ーーーーーーー こういう日記はいくらでも書けそうに思います。隙間をみて書き留めていますがどんどん長くなっていく。でもこれでも取りこぼしたことや書きそびれたことがたくさんある。 谷川俊太郎の「父の死」という詩のようだなと思います。「世間知ラズ」収録。だったかな。いま夫の実家なので確かめられない。検索したら、詩の全文と感想を載せているブログに行き合いました。 https://blog.goo.ne.jp/shokeimoji2005/e/59c19002d057011a087ebed81cc3f018
「人が死んで、そのことを悲しんでいるのにおもしろいという感想をもつのは不謹慎かもしれないけれど、おもしろい。興味をそそられる。」「そのおかしさを全部読み終わると、何か、こころが落ち着いている。そうか、そうなんだ。これを全部受け入れるということが、ひとりの死を受け止めることなんだ、とわかる。」ああ本当にそうだなあと思います。
亡くなったのはわたしの親ではなく夫の親だからか、悲しいとか落ち込むといった感じではなく、なんとも冷淡なようですが今のこの状況丸ごとをじっと観察している…という感じです。参加者。亡くなった人の親族という立場に参加している人。夫の実家に来るとわたしはいつもホームステイの子という感じですが、義父の死においてもそういう感じです。 なのでわたしはかなりいつも通りのテンションなんですが、そして相続とか遺産整理の仕事をやっていたので正直イキイキしてしまっているふしもあるくらいなんですが、リプライやDMなどでお声かけてくださった方ありがとうございます。
葬儀は金曜日の予定で、しばらく夫の実家に泊まることになりました。今日の昼、ともかくWi-Fiをどうにかしようよと夫と話しあい、ポケットWi-Fiをレンタルしてきました。Wi-Fiにつながったら不思議なほどほっとしました。Wi-Fiの扇型のマークを見ると元気が出てくる。と書くとなんだかばかみたいですが、ほんとにそうなんだよな…。
日曜日の文フリ京都は参加できそうです。またあとでお知らせを書きますが、おそらく当日朝に新幹線で向かうことになりそうです。すごく無理をして参加するというわけではないですのでご心配なさらず…。葬儀などは終わっている日程で、楽しみにしていたイベントに予定通り出かけた方が気持ち的にいいかなあという感じです。 ただ当初の予定では土曜の夜から2泊するつもりだったのですが、それはさすがに難しいかなという感じ(土曜まで夫の実家にいるので)。日曜の夜は泊まるかな。体力的にラクというのもありますし、一人でバタッと寝る時間があった方がよさそうな気がする。わたしも夫も。 ふだんほぼ意識していないし、わたしの生活や認識はそうではないのですが、それとはべつのところでわたしの立ち位置は「長男の嫁」なんだなあと驚いています。とはいえまだ「驚く」レベルの他人事感ですね。
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