#モードの社会史
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モードの社会史-西洋近代服の誕生と展開 有斐閣選書 能澤慧子 有斐閣 カバーイラスト=G.バルビエ画(アンリ・ド・レニエ作『逃亡』1931年より)
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心爆発
並行して本を何冊も読んでいるの、もしかしてあまり良くない(記憶保持の点において)んじゃないか!?と思いつつも、あれもこれもをやめられない。最近読了した本では『普通という異常 健常発達という病』が面白かった、かなり。さまざまな哲学者の理論が出てくるのだが、最終的に「デカルト的コギタチオ」という感覚の獲得について理解できるかが鍵となってきて、最終章の5章が難しくて2回読んで、なんとなくわかった気になった。せっかくなので章ごとに要約してみたい気持ちがある。〈友情の現在〉がテーマの現代思想6月号は滑り込みで買えてよかった。巻頭のふたりの対談が既に面白く、私もやっと現代思想(雑誌)を読んで面白いと思えるくらいにはものを知ったんだなあと少し感慨深くなった。ここまでくるのに結構月日はかかってしまったが、好き��ことというのは続くものですね。何をどんなに諦めたり挫折したり失敗したりしても、本屋で働くことと、思想に関する書籍(歴史や経済、文化論を含む)を読み続けることはやめられなかったし、今後もこれだけはやっていくんだろうなあと思える。この2つができるなら、生きることというのは私にとってシンプルに楽しい。何者かにならなくとも、どんな業績や実績を残せなくとも、たとえいい小説が書けなかったとしても、世界を知ることは無限に楽しい。人と本を介して繋がること、協働することは何よりも好きだ。こんなことを言えるのはアルバイトの身分だからだと思う。正社員やそれに準ずる役職になったら、上からの「売上」の圧力で私は潰れて死んでしまうと思う。売上のための取り組みをやっているかどうかの報告や、数字で証明しろという圧力、そういうものに耐えて日常の業務をこなせるのかといったら謎だ。そして私には週5日フルタイムで働くことは物理的に不可能であり、ということはそもそも正社員やそれに準ずる役職にはなれない。そこで!つまり自分が店主になって店を構えるということ、新しい働き方を自分が作り実践していくということ、そういうことができたらいいのにな〜と夢想する。そのためには経営に関する勉強、さまざまな労働に付随する法律の知識が必要となると思うし、そもお金はどこから出てくるんだという話だし、それこそ体力は足りるのか?など、課題は山積しているが、絶対に不可能か?と考えると、何事にも絶対というのはない。ただ勝率の低い賭けだとは思う。私には結局死ぬまでアルバイトで週4で本屋店員を呑気にやるのが関の山というか、それでも天晴れだと思う。体力がついてこなければ死ぬまでは不可能なので、いつかは諦めなければなあと思うが…。本屋以外、やりたいことはNPOを作ることしかないしなあ…。別にやりたくないことをやって糊口を凌いでもいいのだが、前半生でこれだけ苦しんだのだから、もう本当に好きなことしかしたくない。好きなことだけで人生をいっぱいにしたい。やっぱり作るしかないのか、本屋。
きょう、大変にありがたいことに、ひじょうに尊敬している方から燐一の小説の感想をかなり丁寧にいただいてしまい、恐縮!突撃!制覇!恐縮!でありました。本当に…そんな、そんなこと書いたっけ…?!ということの万国博覧会で(書いたのが1月のため忘れている)、お返事を書くためにみずからも読み返したところ、かなり悲しくなり、というか、燐一がお互いに恋をしているというだけで私は最高潮まで悲しくくるしくつらくなってしまうので(※しあわせという意味)、胸がいっぱいになりすぎてお返事を書けず、明日にさせてくださいという気持ちになって終わった。あと誤字や設定ミスも見つけた。直さなければ、と思いつつ、頭を燐一でがんがんに殴られてしまいできなかった。(言い訳)これから書こうと思っているものは、この悲しさの57倍くらいの悲しさを持ち合わせる設定と展開なので、大丈夫か?と思った。未だに原稿に手をつけていないのも全然大丈夫じゃない。英検を受けている場合じゃない。しかも英語の勉強も捗々しくない。そんな折、5年来の友人(半年に1度くらいふらっと会うセフレ)から明日会えるかと連絡が来て、かなり久しぶりに会うことになった。正直この友人のことは忘れかけていたというか、「過去の人」枠になっていた。しようとしていた。私は結構友人のことが好きだが(たぶん生涯を共にするならこの人だろうなという感覚)、友人のそういう(恋愛や婚姻に関する)事情は全く聞いたことがない。そのことについてなんとなく、どうなんだ…?と、かねてより思っていたのだが、ある場所で人に話を聞いてもらったところ(この友人の話を人に真剣にするのは初めてだった)、それは是非、もう、明日にでも聞いた方がいい。と言われ、そりゃそうだよな。と思い、明日会ったら、「結婚したい相手とかいるんですか」と率直な疑問をぶつけてみようと考えている。「いる」とはっきり言われたなら私は関係を解消(?)したほうがいいし、もうその時期が来ているなとも思っている。私はどうせ生涯1人で生きていくというか、パートナーを得ないまま生きていくのだろうことを、最近はまた穏やかな気持ちで受け入れられるようになった。それにしても66kgの巨体で会いに行くのはかなり気まずいなと思っている(かなり太ったことは事前通告済み)。5年前には、「次の夢はなに?」と聞いたら「仕事は一段落したから家庭を持つことかな」と言っており、そのことがかなりずっと引っかかっている。おまえ、5年も独身のままで、あの夢はどうなったんだ…?進捗が気になっているんですが…。考え方はしっかりしている人だし、その夢は継続中なのかもしれないが、子供を作りたいなら、男も高齢にならないうちに(精子の質が落ちるため)作ったほうがいい、ということをお節介ながらも伝えたい。もし自分が子供を産めるような人間だったら、この友人や、あるいはもっと他の人とも、パートナーとなる可能性があったのだろうか。など、途轍もなく詮ないことを考えないでもない。まあしかし、不可能なことは���可能で、そこにないならないですね。が世界の真理なので、ということはこれまで何度も体感してきた。そこにないならない。力強いことばで、勇気さえ湧いてきそうである。無いなら無いで、それがなくても元気に楽しくやっていける自分を構築するほかないのである。繁殖への欲望というのはかなり根強く(おそらく本能的なもののため)、私はこの話題に関してすぐmiseryな気持ちになるのだが、周りの友人たちを見ていると、清々しいまでに自己の繁殖に興味のない人達ばかりで、人とは不思議だなと思う。私は好きな人と付き合って結婚して子供を産んで子供を育てたかったんだなあ〜と、そのことだけは忘れられずにいる。これは「安全な家庭」への幻想を多分に含む。「好きな人」と私は生きているステージが違うんだ、と気づいた時(それは16の時だった)、そこで何もかもの、人生のやる気をなくしてしまった。今まで抑えていたもの全てが決壊して、とうとう一面取り返しのつかないほどに水浸しになり、そのことでまた自責し、呪い、恨み、病んでしまったのだった。私が精神疾患の20年選手で障害年金も受給している立場なのは、やはり自業自得なのではないか、と考える時も多々ある。自業自得で社会保障に頼るなんて最低だな、という論理に陥ってしまうので、いや、悪いのは私というよりも病気だし、それが発症するきっかけになった環境を作り出した社会である、と、毎度持ち直す必要がある。今となっては、誰が悪かったのかもうわからない、とまで思うことがある。私が悪かったこともあるだろうし、父や母、兄が悪かった部分もあるだろう。誰が加害者で誰が被害者ということよりも、私は、私が家族を取りまとめられなかった責任というものを未だに感じている。
16歳の時に、私のように、誰にもばれないようにひそかに家庭内で号泣しなければいけない子供を1人でも減らしたいと心から思った。あの時の私は完全に「被害者モード」に入っていたが、そもそもの話、私がもっと強ければよかったのではないか。たとえば加害を受けても、強く生きていける人もいる。これは生まれつきの性格にも左右されるものだと思うのであまり言いたくはないし、苦しんでいる子に「君がもっと強くなるべきだ」などとは死んでも言えないが、自分に関してだけは、やはりあの時被害者ぶりすぎていたのではないか?強く立ち向かうことをさぼったのではないか?という疑念は常にある。しかし、これは断言できるのだが、「立ち向かう」ということを思いつかなかった。幼少時より、私は耐える子供だった。受け入れ、耐え、ひたすら終わるのを待つことが癖になっていた。だから、親や兄に向かって「反撃」「反論」するという発想はそもそもなかった。30歳あたりからだろうか、もしかして、事態がそこまで最悪化するまえに、私��随所随所で異を唱えていれば、親たちの考えも変わったのではないか?なぜ私は被支配に甘んじていたのか?と、弱い子供ではなくなった今の私は、そんなことをよく考えた。しかし、なかった。発想がなくて、その選択肢を私が思いつくことはなかった。そこになければないですね。残酷だが、そうやって世界はできているし、時間は戻らない。
小説を書ける「モード」に全然入れない。この数日は気圧低下と暴風雨により久しぶりにパフォーマンスが落ちた。眠りは相変わらず上手くいっていない。が、前回診察時からうつ状態(希死念慮を伴う)になることはないし、無気力状態にもなっていない。人生史上いちばん快癒の方向に向かっていると感じる。あとは体力がもっとつけば申し分ない。仕事に順調に出勤していることがかなりのよい土台になっている。週4×4時間。これが限界で、かつての私が見たら「そんなの働いてるって言えないよ!」と絶望すると思うのだが、暴働を繰り返した結果週1でさえ働けなくなった若い私にそれは言われたくない。が、無理をして1日15時間働いていたのも本当に楽しかったし、それで得られたものもあると思う。というか、そうすることでそれ以上失いたくないものがあり、その段階を踏まなければ今の私にはなれなかったのだと感じる。仕事(アルバイト)、哲学や批評の勉強、英語の勉強、歌の練習、とやりたいことが多い中、燐一の原稿を進めるのは至難の業に思えるのだが、いざとなったら仕事以外のことは1回全て止めてもいい。とにかく今しか書けないものを書きたい。二次創作は燐一(あんすた)で最後になると思う。あとは細々とでいいので、自分が「小説」だと思うものを書いていきたい。就業中にふと気になって松浦寿輝について調べたりインタビューを読んだりした。仏文学者、詩人、作家。詩人としてこういう大きな建造物を作るみたいに詩を書ける人というのは、私が憧れる姿だと思った。詩を書きたいという思いもあるし、短歌も作っていきたいと思う時は多いが、その前に先ずやることがたくさんあり、詩歌の創作は、小説のあとになるのかもしれない。少しずつ書いて貯めてはいるが、これを詩で言いたい、という情動が最近あるかというと、特にない。なにもかもが鈍っているなあと思うが、社会にはそれなりに適応している昨今なので、あまり欲張りすぎるのもどうなのか、と思う。
2024.5.29
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2023年11月24日(金)
毎月一回、手ぬぐいと足袋下のセットが届く<SOU・SOU>の頒布会、師走号が届いた。今月のテーマは<諸将旌旗図(しょしょうせいきず)>、旌旗とは<はた、のぼり、軍旗>という意味らしく、初めて聞いた言葉だ。毎度のことながら、何年にもわたってデザインを考えるデザイナーの苦労は素直に大変なことだと思う。この企画、もちろん来年も申し込むつもりだ。
5時45分起床。
朝食。
洗濯。
弁当*1。
珈琲が切れてしまった。
可燃ゴミ、30L*2。
ツレアイを職場まで送る。
Change.org で署名とカンパ。
MQJの12月・1月のイベント告知をメールで配信する。
明日の名古屋行きの新幹線チケットをとる。
今日のミッションは作業環境の一新、mac mini 用のスタンドを導入、テーブルまわりを片付ける。
ランチ、3男には好きやねん、私は辛ラーメン。
軽く午睡。
資料整理と片付け、45L*1のゴミが出る。
五条花屋町のセブンイレブンで、12/24(土)の天満天神繁昌亭昼席のチケットを発券する。
夕飯の準備をしているところへツレアイ帰宅、3男と2人でココの点滴をする。
みなで夕飯をいただいているところへココ登場、3男のイスを奪ってしまった。
BSで放送される<ゼロの焦点>を録画モードで観る。
BSプレミアム11月24日(金)午後7時30分〜9時42分 社会派ミステリーの巨匠松本清張の名作を広末涼子・中谷美紀・西島秀俊はじめ豪華キャストで映画化したサスペンス。昭和32年、禎子はお見合いで鵜原憲一と結婚するが、式のあとまもなく、憲一は仕事の引き継ぎで、金沢に向かい行方不明となってしまう。夫を捜して旅立った禎子は、憲一のかつての得意先で、社長夫人の室田佐知子と受付の田沼久子という2人の女性��出会う。時を同じくして不可解な連続殺人事件が発���する…。 【出演】 広末涼子、中谷美紀、木村多江、西島秀俊、杉本哲太、市毛良枝、鹿賀丈史 ほか 製作国:日本 製作年:2009年
腹ごなし町内ウォーキング。
片付け、入浴、体重は50g減。
なんとか10,000歩クリア、夕飯後の散歩が効いている。
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250105 FLATSPIN
えと。
Xにサブスク機能あるんすよ
そこにいま、FANBOX記事の過去のダイジェストみたいの載せていってるんすけど
自分はXが「ダイジェスト」になってるけど、これを「逆転」させるのもまあ、ありだと思うんすね
要するにXの過去ログの「うん、まあこれは食えるし残しておいてもいいんじゃないの」的なポストを、箇条書きでFANBOX記事としてまとめていくの
そんで、XのTL(タイムライン)側の「いいね数20以下のポスト」は無条件に消していく(各々の平均スコアに応じ多少ハードル変えてやっていいと思うけど「20以下」に下げるのはオススメしない)
これをコツコツやってXのTLを断捨離するだけでも結構気分変わるしFANBOXにも愛着湧くしで「仕切り直し」には丁度いいと思う
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「TLが片付く」だけで相当気分いい
私はメイン営業垢がとっ散らかってた時はとにかく「要らん感情移入」だらけで過去ログ観るのが「小中学校時代の卒業アルバム」開くか、実家から送られてきた学生時代の荷物の段ボール開くのくらいの「黒歴史」っぷりでしんどかった
いっこ自分の中で他人事として「取捨選択アンド再編集」してしまうことで人生の物語に「区切り」がつく
自分というものを完全に他人目線で見返すには、情報発信プラットフォームを99%他人都合に合わせて「片付ける」のが大事である
そういう点でこのCRYDAYZは「最悪」である。もう、流星街かよってくらい散らかってる
なんか知らんけどゴミのあちこちから湯気出てる
だからこれこそが「最悪の見本市」っす。反CRYDAYZ的になればなるほど「SNS的社会性」は上がってゆくと思いねえ
TLを片付ける時はアレだ、「殺人事件の捜査してる刑事の気分」でやるといい
被害者の過去の人間関係洗う為に、ありとあらゆるプロフィールを調べ上げて有用な情報、その人物の「人となりダイジェスト」をまとめて会議で報告したり司法の場で争えるくらいまでノイズを削ぎ落として突き詰めてゆく。当然、削いじゃいけないノイズもあるんでそこを見極めて残すのが刑事の腕の見せ所
アカウント仕切り直しちゃうとサンクコストバイアス(投資に対して発生していた感情移入)まで初期化されちゃうんで、それはオススメしない。「ゼロスタート」はモチベ練り上げコストとリアクションの釣り合いが取れず破綻しやすい
・
「穢れやキズも魅力のひとつ」だと思えるようになれば強いんだが、そこに至るまでにはそれなりの経験値が必要だ
だからとりあえず手続きとして「既存アカウントを断舎離する」ことに注力し、そこから再起すればいい
この片付け作業には「1~3ヶ月」要しても全然構わない
足踏みマンはどうせ自分の発信プラットフォームを何年も遊ばせ腐らせてきたに違いないのだから
私も2019~2021年の3年くらい、FANBOXを中途半端な熱量で誤魔化し誤魔化し運用し腐らせていた
2020年7月からDiscord始めて意識が大きく変わった。視野が拡がった... もとい、視野狭窄起こし硬化していた意識が「20代の頃の意識」に戻った
ス●●●ンのメインクレジットに名前載せてもらえなさそうな空気があった時は「だーーー、またかよ!」って思ったが、結果載せてもらえて本当によかった
あそこで折れてたらその後のアニメの仕事請けてない
時には「他者に自分の運命委ねる博打」も打たなきゃだろう
だが、納得を手にする為のチャレンジだけは諦めないでほしい
そしてそれは加齢するごとに難易度が倍々に跳ね上がる
だからこそ、私は今よりも繊細で確かな「今」を知覚し「目を見開きながら」思考アンド行動し生きていきたい
目前の景色を他人事と思いながら生きていたくない
自他の境界を曖昧にすること(自分棄て)を是としておきながら矛盾した物言いかもしれないが、肉体が知覚する「今」に全力で感情移入し愉しんでこそ人生ってもんは輝くと信じている。そこに「このゲームの醍醐味」が詰まっている
----------------------- 私は6月のコミティアではお金儲けと競争意識を一切捨てる
妻と過ごしていた頃の精神に立ち戻って「旧バージョンの自分」と向き合う
マジョリティ営業アンドお祭りモードではない「素の私」に会いたい人は、どうぞティアの方にお越しください
サークル名は「路傍の意思 | Echo the Road's Edge」にしようと思ってる(まだ仮)
【✓】
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ChatGPTに「超賢者モード」追加。月額3万円。どう考えてもヤバいやつ 2024.12.06 06:37
author かみやまたくみ
ChatGPTに「超賢者モード」追加。月額3万円。どう考えてもヤバいやつ 日本でも利用可能です Image: OpenAI
2024年12月6日、OpenAIがChatGPTに新有料プラン「Pro」を追加しました。価格はなんと…月額200ドル(約3万円)。
目玉は新モデル「OpenAI o1」が利用可能なこと。AIサービスには月3000円ほどの課金プランがあることが多いですが、OpenAI o1は桁がちがいます。
この弩級の値付けが意味するのは、「GPT-4oなどと比べてもさらに、ずっと賢い」ということ。以下、OpenAIの発表内容をみていきます。
専門的な思考・計算が可能
発表ではまず、OpenAI o1の数学・コーディング・科学でのテストのスコアが紹介されました。
socre-math-code-science-1 これまで最新で賢い賢い言われてきたgpt-4oから大幅ジャンプアップ。数学・コーディングの能力が劇的にアップし、科学についても人間の専門家を超えるスコアを叩き出しています。
ゴミが見える新境地のロボット掃除機「DEEBOT N20 MAX PLUS」 ゴミが見える新境地のロボット掃除機「DEEBOT N20 MAX PLUS」 Sponsored by エコバックスジャパン 質問を理解し、回答を作成する能力もすさまじいです。フィクションの世界のAIみたいに、与えられた難問をすらすらと解いていく様が紹介されました。
test-prompt-1 デモでされた質問がこちら。「宇宙に施設を作ろうと思うんだけど、この考え方でいける?」みたいな感じでしょうか。超絶専門的なのはわかりました。
これは、宇宙におけるデータセンターの高度に単純化された概略図である。簡略化した仮定については、その正当性を示してください。
あなたの仕事は、GPUをホストするこのデータセンターに必要な放熱表面積の下限を見積もることです。その際、以下の質問にも答えてください。
1) 太陽と深宇宙をどのように扱いますか?
2) 熱力学の第一法則はどのように作用しますか?
画像もセットです。
test-prompt-img-1 OpenAI o1の回答がこちら。
answer-1 まず与えられた問題を読み解き、理解します。
answer-2-1 そこから立式して計算…を繰り返します。
歴史的「PC買い替えタイミング」到来。AI PCが騒ぎになっている理由 歴史的「PC買い替えタイミング」到来。AI PCが騒ぎになっている理由 Sponsored by インテル株式会社 answer-3-1 一通りの回答を完了。必要な熱放射面積はサンフランシスコの2%くらいになるらしいです。クッソ広いけど。合ってるの?
eval-1 ざっと読んでみた感じ、「妥当に思えるなぁ」とのこと。この評価をしている人はOpenAIの開発チームのメンバーではありますが、博士号もち。
あくまでデモですし専門外なので内容のチェックが難しいのですが、「問題を整理し、そこから論理立てて計算を行ない、答えを導き出す」という科学的な思考をかなり高いレベルで行なっているように見受けられます。
ていうか、こんな論文みたいな回答、今までのChatGPTで出たことないんですが。
生成AIの未来。日本は遅れを取り戻せるか? 生成AIの未来。日本は遅れを取り戻せるか? Sponsored by AI inside Inc. 直接のターゲットは研究者や開発者と思われますが、ここまで「考えられる」となると、自分みたいな一般人でも使いどころがあるかもしれません。正直、使ってみたいと思わせるものがありました。継続するのは難しいですが、一度は課金しちゃいそうです。
Source: OpenAI (1, 2, 3)
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RANKING Daily Weekly Monthly Amazon 1 アップルの本気...。値段がおかしいiPhoneとiPadの在庫まだあります! #Amazonブラックフライデー 2024.12.05 12:55 147,082
2 Chrome売却が現実になる前に。使えるブラウザ5選 2024.12.06 20:30 74,365
3 「AirPods 4」が1万円台を継続中。ブ
(ChatGPTに「超賢者モード」追加。月額3万円。どう考えてもヤバいやつ | ギズモード・ジャパンから)
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2024年8月27日に発売予定の翻訳書
8月27日(火)には27点の翻訳書が発売予定です。 ただし、天声人語の英文対照版を含みます。
韓国福祉国家はいかにつくられたのか
キム・ヨンスン(金��順)/著 金成垣/訳 松江暁子/訳
明石書店
日本の移住労働者
経済協力開発機構(OECD)/編著 是川夕/訳 江場日菜子/訳
明石書店
土と脂 : 微生物が回すフードシステム
デイビッド・モントゴメリー/著 アン・ビクレー/著 片岡夏実/翻訳
築地書館
フランチェスコ・ボッロミーニ「建築作品集」
奈尾信秀/翻訳 岩谷洋子/翻訳
中央公論美術出版
韓国軍事主義の起源
カーター・J・エッカート/著 松谷基和/翻訳
慶應義塾大学出版会
正義に生きた台湾人検察官
王克雄/著・編集 駒田英/翻訳
並木書房
英日バイリンガル 現代ゴシック小説の書き方
ブライアン・エヴンソン/著・翻訳 柴田元幸/翻訳
研究社
もっと話を聞いてほしいんだ
シャロン・サリーン/著 中���由恵/翻訳
東洋館出版社
水晶宮としての世界 : 資本とグローバル化の哲学のために
ペーター・スローターダイク/著 高田珠樹/翻訳
青土社
孤独社会 : 現代日本の〈つながり〉と〈孤立〉の人類学
小澤デシルバ慈子/著 吉川純子/翻訳
青土社
全訳 戦争論(上)
カール・フォン・クラウゼヴィッツ/著 加藤秀治郎/翻訳
日経BPマーケティング
全訳 戦争論(下)
カール・フォン・クラウゼヴィッツ/著 加藤秀治郎/翻訳
日経BPマーケティング
バルバロッサ 最前線のドイツ兵が見た独ソ戦
ジョナサン・トリッグ/著 辻元よしふみ/翻訳
河出書房新社
死体と話す : NY死体調査官が見た5000の死
バーバラ・ブッチャー/著 福井久美子/翻訳
河出書房新社
紫禁城の至宝を救え : 日中戦争惨禍から美術品を守った学芸員たち
アダム・ブルックス/著 須川綾子/翻訳
河出書房新社
ジュディ・モード、女王さまになる!?
メーガン・マクドナルド/著 ピーター・レイノルズ/イラスト 宮坂宏美/翻訳
小峰書店
[図説]ポケットと人の文化史
ハンナ・カールソン/著 岸川由美/翻訳
原書房
「この世でいちばん」を科学する : 惑星から音、温度、臭い、生物まで
デイヴィッド・ダーリング/著 黒木章人/翻訳
原書房
新版 地図で見る中東ハンドブック
ピエール・ブラン/著 ジャン=ポール・シャニョロー/著 太田佐絵子/翻訳
原書房
恐竜最後の日 : 小惑星衝突は地球をどのように変えたのか
ライリー・ブラック/著 田中康平/監修 十倉実佳子/翻訳
化学同人
英文対照 天声人語2024夏Vol.217
朝日新聞論説委員室/編集 国際発信部/翻訳
原書房
本当の自分を求めて : 私に出会う日を信じて生きる6人の物語
レイチェル・アヴィヴ/著 篠田里佐/翻訳 岡本卓/監修 和田秀樹/解説
化学同人
こぐまのいばしょ
ブリッタ・テッケントラップ/著・イラスト 三原泉/翻訳
BL出版
鎮魂 Guardian3
Priest/著 許源源/翻訳 内野佳織/翻訳
すばる舎
ことばの起源 : 猿の毛づくろい、人のゴシップ
ロビン・ダンバー/著 松浦俊輔/翻訳 服部清美/翻訳
青土社
日韓同時核武装の衝撃
鄭成長/著 姜英之/翻訳
ビジネス社
黒い蜻蛉 : 小説 小泉八雲
ジーン・パスリー/著 小宮由/翻訳
佼成出版社
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1.昭和初期の経済・社会 昭和元年は、1919年に終わった第一次世界大戦から7年たっていましたが、まだその余韻が残っていたことに加え、首都東京は1923年の関東大震災の復興途上にありました。 第一次世界大戦で戦時好況に沸いた日本は、終戦後一転して不景気となり、世界的にも不景気だったため経済全体は停滞モードでした。 当時の日本の最大の輸出品は製糸業で、大手では郡是製糸(現:グンゼ)や片倉製糸(現:片倉工業)がありましたが多くが中小の製糸会社でした。次に大きな産業は綿織物で、関西では鐘紡、東洋紡、大日本紡(現:ユニチカ)、東京では日清紡、富士紡などの大紡績会社があり、不況下でも堅実な経営を行っていました。 21世紀の現代は大企業の経営者が巨額の報酬を得る一方で、不安定な雇用で貧富の差がどんどん拡大している時代ですが、昭和初期もそれに近い時代でした。アメリカでは石油王ロックフェラー、自動車王フォード、鉄鋼王カーネギーなど、大金持ちの資本家が政治経済を支配していたし、日本でも三井、三菱、住友、安田といった大財閥を筆頭に、都心にも地方にも有力な資本家がいて社会に君臨していました。一方で労働者は給料が非常に低く、現代のように生活保護もないので、貯蓄もないばかりかその日食うにも困るような低所得者が多くいました。そのため階級対立が現実問題としてあり、共産主義・社会主義革命を成し遂げてソ連のようなプロレタリア独裁の国を目指す戦闘的な労働運動が身近にありました。 当時の人口の半分は農民です。現代の農業従事者は、下手すると都会のホワイトカラーより稼いでいるような人も多いですが、当時の農民の経済状況は非常に不安定でした。戦争中は食糧が足りなくなるので農作物の価格が上がって好景気になり、高く売れるのでどんどん増産するんですが、戦争が終わって需要がしぼみ価格が暴落すると、農家の経営は一気に苦しくなりました。政府の食糧増産計画で朝鮮や台湾の米も内地に入り始め、米の減産は工業製品のようにすぐにはできないので、価格競争と供給過剰で農家の収入はいっそう減っていったのがこの時代でした。 農業で食えなくなった人が流れ込んだのが東京や大阪といった大都会です。1923年9月1日に起こった関東大震災で東京と横浜は壊滅し、政府は5年計画で約6億円の復興計画を立てました。 東京・横浜では近代的な街づくりの計画がたてられ、都市交通や上下水道が整備されました。東京・横浜だけでなく、大阪、神戸、名古屋、博多、札幌といった地方都市でも近代的な街づくりが進みました。こうした都会に不況になった農村から人が流れ込みました。このような人々は条件の悪いスラムに固まって住み、日雇いや物売りといったインフォーマルセクターで何とか食い繋ぐだけの日銭を得ていました。
昭和経済史①金本位制と昭和恐慌|尾登雄平(世界史ブロガー・ライター)
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アイザック・ジュリアン《Ten Thousand Waves》
エスパス ルイ・ヴィトン大阪でアイザック・ジュリアンの映像インスタレーション作品《Ten Thousand Waves》を見る。イギリス北部の海で不法就労の中国人労働者23名が満ち潮に巻き込まれて亡くなった2004年の遭難事故をきっかけに作られた作品である。ジュリアン本人ともう1人ぐらいを除いてすべて中華圏のキャスト、スタッフによって制作されたとのこと。
暗い展示室へ入ると、9つのスクリーン——四方の壁にぐるりと7つ、室の中央に2つ——が並んでおり、各スクリーンに差異やズレのある映像が流れる。ときどき何も映らなくなることもある。室内を歩きながら映像を見てもらいたいという作家の希望が事前に伝えられる。実際、すべてのスクリーンを同時に視界におくのは配置的に不可能なので、ぶらぶらきょろきょろしながら各スクリーンの映像を見て歩くことになる。はじめはとらえどころがなく戸惑うが、映像の差異やズレはランダムではなくそれなりの流れがあることが少しずつ飲み込めてきて、「眺める」モードから「鑑賞する」モードへ移行できる。
使われている映像はたとえば、遭難事故の際に救助側が連絡を取り合ったり遭難者を探したりした音声と映像の記録、大自然の中を風になびかれながらふわふわ飛ぶマギー・チャン(およびそのスタント)の映像、ワン・ピンの詩の朗読を伴う映像、古き良き上海を思わせる映像、現代的な大都市上海の映像、グリーンバックで撮影をしている現場を見せる映像など。毛沢東の肖像を掲げたパレードの映像も差し挟まれており、それは中国の歴史に対するリスペクトかもしれないし、不法就労者を生み出した上に彼らの死を招くような資本主義システムへのアンチテーゼとかカウンターとかかもしれない(個人的には現代社会を批判するにしても毛沢東を持ち出すのは果たして有効なのか疑問があるけれども)。
作品の中でマギー・チャンが媽祖に扮している。媽祖は航海や漁業を守護する道教の女神で、中国沿海部や台湾などで信仰されており、媽祖廟と呼ばれる道教の寺が各地にあったりする。イギリスで亡くなった中国人労働者たちは福建省の出身で、そこは媽祖信仰のある土地、ということで作品に媽祖を登場させることになったようである。映像的におもしろかったのは、媽祖が宙を飛びながら下のほうを見ているような映像がひとつのスクリーンに映り、他の2つぐらいのスクリーンに地上の風景が映し出されたところ。下界を見ている媽祖と、媽祖がいま見ている風景が各スクリーンに映っているのだろうなと解釈できる編集になっていて、映像表現としてなかなか成功しているのではないかと思った。
古き良き上海的な映像の中では主人公としてチャオ・タオが出演している。映像を見る側は彼女の姿を追って上海旧市街をさまよい歩くような形になる。1934年の中国映画『神女』を再現したシーンもあったとのことだが、その映画は未見なのでどこからどこまでが再現なのかはわからなかった。
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ハッピーエンド考
コミュニティ(包括的な)で人が欠けるというのは、自分だけの問題事では無いという事なんですよな。 去年とか今までの自分の思考だと、我のことは忘れて皆ハッピーエンドで良いとしてたはず。 例え元通りでないにしても、我も戻って皆元通りハッピーエンドの道をちゃんと見てって事かも。 なので、我は目に視えなくともこれまで通りだし、必ず戻って来るので、それまで皆我のことは忘れてまた会おうぜハッピーエンド、かな?…違うかも… なんとなく、関係性に対して、我と皆を切り離して捉えてる癖がありそうな気がしてきました。
これはちょっと言い訳であり、家庭の事情により人間関係の希薄な半生でしたけど、この1年、特に半年間の間で急速に構築された奇跡的で良質な交友関係はこれからも皆で育んで歴史に残して行きたいニョ〜……という新たな意思の芽生えを実感しています。
恥ずかしながら、アカウントが凍結してすぐの頃に、自分だけの問題じゃないでしょというアドバイスを貰ったまさにその通りなのでした。限定的ですがまたツイートで皆の様子が見れるようになった事で、心に刺さりまくりの効果抜群です。ですので、クソデカ感情反省会になっており、悩める思考言語化祭りで今後の指針を模索しようと試みているのが現状です。すまんな…すまんな…
でもこれは、X社側に即時調査対応出来る体制が整ってさえいれば、我々ユーザーコミュニティの間に何の不安も問題も生じなかったのでは?(逆ギレ)
��なみに、個人の心理的負担の主な原因は、自分の認知できないところで周りの皆は変わり続けている的な不安のようにおもいます。何かトラウマとかあったのかもしれません。特には思い出せない。
遅くまで長考モードを続けてしまったので、もうお休みしよ。明日はダイエットモードに戻れる...のかな。
アッ、ジャンププラスの盤王はワンテーマでよくまとまった短編に仕上がってシーンの展開も面白かったです。もうちょい続いて欲しかった。来週はスケルトンダブルも最終回なのだろうか…? ジャンプラは、もうちょい続いて欲しい感じの短編完結の良作が豊富ですナー。
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現在、京都で開催中の『コスチュームジュエリー 美の変革者たち シャネル、ディオール、スキャパレッリ 小瀧千佐子コレクションより』はコスチュームジュエリーにフォーカスした世界的にも稀な展覧会です。 コスチュームジュエリーは本来、高価で希少な宝石や金属のイミテーションとして制作されていました。 20世紀初頭になるとフランスのモード界のデザイナー達、シャネル、ディオール、スキャパレリがコスチュームジュエリーを積極的に使用し、自身の作品を飾り立てるようになりました。 それは一部の階級に限定されていたモードの世界を一般化させ、その進化は代替品の域をはるかに超越したデザイン、創造性へと突き進めました。 その傾向はヨーロッパからアメリカへ波及すると、より自由に展開し、大量に生産される様になりました。 世界大戦の物資不足はコスチュームジュエリー界に新しい素材のプラスティックを招き、皮革や繊維、木材等の有機物も組み込ませました。 コスチュームジュエリーは現代では衣服、バッグ、シューズ、帽子と同じくファッション構成する最も重要なエレメントになっています。 コスチュームジュエリーは女性たちの美への追及、創造性、ユーモア、社会進出の歴史を示しています。 アメリカ、インディアナ州の生地や既製服を扱う店の娘、ミリアム・ハスケル(Miriam Haskell)は1899年に生まれました。 シカゴ大学で学んだ彼女はココ・シャネルに憧れて、ニューヨークに自身の店とブランドを創設しました。 彼女はニューヨークの有能なアーティスト、クラフツマンを雇い、独創的なコスチュームジュエリーを制作しました。 花や自然の造形の大ぶりなモチーフを中央に配置しました。 素材��はイタリア、ヴェネチア近くのムラーノ島のムラーノグラスビーズ、ローズモンテと呼ばれるオーストリア製の糸を通すラインストーン等を採用しました。 そして大量に買い付けたNIKIガラスパール、それはガラスに太刀魚の鱗やセルロースなどから作ったエッセンスを幾度となく塗り重ねた日本製の模造真珠です。 本物の真珠とは違う魅力のあるNIKIガラスパールは、世界中にコレクターがいます。 現在は生産されておらず、現存している未使用品はコレクターの買い占めによって非常に入手困難です。 それらをフィリグリーと呼ばれる、金属を糸のように細くして、繊細な手作業によって巻いたり編んだりし、溶接して模様をつくる金細工の技法で繋ぎ併せました。 接着剤を用いないフィリグリーにより、その透かし細工がアクセサリーに立体感と耐久性を与えました。 彼女の作品はハリウッドスター、セレブリティーに熱烈に支持されました ミリアム・ハスケルのブランドは今日も継続されていますが、とりわけヴィンテージ作品は多くの蒐集家を惹きつけています。 弊店は最新のモードの作品を扱いながらも、その変遷、ルーツに強い関心を持ち続けています。 そして全てのファッションアイテムは着用出来なければならないと考えています。 弊店はミリアム・ハスケルをはじめヴィンテージのコスチュームジュエリーを取り扱いをしています。 それらの幾つかは前述のブランドの特徴を有しています。 大ぶりなネックレスはハスケルが愛したほとばしる水滴の様な淡い水色のガラスビーズとドロップパールが繊細にしておびただしいメタルパーツで結束されています。 艶々と光る可愛らしいイミテーションピンクパールは一つ一つ鉤爪で固定されたカットビーズ、アンティークゴールドの金細工と相性の良さに驚かせます。 イヤリングの花や葉、果実のモチーフは手作業による金細工で形作られています。 アクセサリーの裏側を見ると美しく複雑に絡み合うフィリグリーとオーバル型のミリアム・ハスケルのサインが現れて、見るものを飽きさせません。 モード、美術工芸、歴史、蒐集どの視点からも一見の価値がある作品です。 勿論、販売可能です。 展覧会を御覧になられた方、興味をお持ちの方も是非この機会に弊店のコレクションを手に取り、御自身の目で御覧ください。 ここには手に入る、実際に身につけることが可能な美術品があります。
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けれんみの日常
英語の日記などもtumblrではよく流れてくるのでなんとなく読むが、私は英語で日記を書こうとは思わない。それは私の技術が未熟で、まだ英語のリズムやメロディを自分の好きなように操ることができず、楽しくないからである。そのくらいには日本語のリズムとメロディ、そして見た目が好きである。英語でもそれらを好きと思えたら、書けると思うのだが。見た目は結構好きである。とくにアルファベットの小文字。リズムがどうしても全然まだ魅力的に思えない。そう言いながら英詞のジャズを歌っているのだが、音楽は音楽に言葉が乗っているから、言葉自体のリズムは死んでいて、そこはもう関係がなくなっている。音楽にのる英語は、ただ母音が伸びるとか、同じ音で韻を踏むとか、そのへんは日本語と変わらない。そうではなくて、読み言葉としての英語のリズムにまだ魅力を覚えない。英語の詩にふれてみたらどうか、と思ったこともあったが、根本的��「かっこよすぎる」と思ってしまう。シャラシャラしている(子音が多いということだと思う)。私はもっとべちゃっとした土っぽいのが好きなので、結局日本語を使うということになってしまう。英語以外の様々な言語のどこかには好きな言語もあると思うのだが、英語を学ぶキャパシティしか今のところない、というか、英文法がおもしろくて好きなのである。これは日本語にはない感覚。日本語の文法なんか全然おもしろくない。文法と呼べる文法なんかないのではと思えてしまうが、これは母語だからだろう。英語の文法はなんてシステマチックで、構造的に美しいのだろうと感じる。その美しさの中にも土着の歴史の古臭さや面倒くささがあり、そこがまたロマンだ。詩的言語としては私は英語を好まないが、批評や論じる際の言語としては、限りなく知性を感じて好きかもしれない。日本語は批評や論文でも、ある程度詩的でないと読む気がしないので、これは大きな違いだ。言語が違うだけで自分の好みも変わってくる。それとも私は文学ではない英語の文章にこそ(そしてできるだけ文法が複雑な)詩を見出しているのだろうか。なににしろ私の体は詩情でしか動かないようになっている。
短歌も詩も書きたい、書いてみたい、小説も書きたい、という気持ちはあるが、書くための好奇心がいま批評の文の方に向いている。私は文学の方向に向かう時はある程度その位相に没入しないと書けないので、そのモードに入るのに苦労するが、批評系の文章であれば日常のモードのまま書けるので楽である。書けると言っているが、別にこれもまだ書いていない。書くためのネタを毎日必死に考えているという感じです。宇野常寛さんの講座に入ってから、とにかく毎日頭の中がドライヴしていて、こんなこともあんなことも結びつくかも、いや、これはこうか?など、楽しく考えている。今日は気圧の低下と疲労により1日寝てしまったし、三宅香帆さんの教養講座も横になりながらスマホで視聴するという体たらくだったが、『娘が母を殺すには?』の良い導入を聞けた(実際には結論までお話されていた)。早く読みたいが、今月はもうお金を使いすぎなので、欲望のままに本を買うのはやめた方がいいと思う。読んでいない本(特に小説)が積まれたままじっと待っている。町屋良平『生きる演技』はかなり早く読みたい、と思って毎日開こうとはするのだが、そこまでたどり着けない。やることが…やることが多い!いしいしんじ『マリアさま』、凪良ゆう『汝、星のごとく』など、積んでいる。井戸川射子『共に明るい』は途中だし、絲山秋子『神と黒蟹県』はどこに積んだかも忘れている。エーリッヒ・フロム『愛するということ』新訳、沖縄の少女たちのノンフィクション『裸足で逃げる』は早めに読み終わっておきたい。
今日の講座��三宅さんが『母という呪縛 娘という地獄』にふれていて、私も読んだが、正直虐待を受けた子供の末路で、こうなるしかなかったと本人も言っているように、たんに被虐待児の被害の果ての結果でしかなく、なんの新鮮味もないと感じた。虐待問題を長く考えたことのある人にはこれは虐待の当然の過程と結末であり、そこに母娘の特異性などは見いだせないのではないかと感じていた。ただ、虐待を受けたことがない人はここに新しい視点を持ち込めるのだろうなということは想像できる。そこで、じゃあこの虐待を受け続けていた本人が加害者である母を殺さずにすんだifがあるとしたら、それはどの時点でどう行動すればよかったのか、ということを考えてみようか、と少し思った。虐待を受けた人間でも、親を殺さずに逃げ切った人は多い。そういう人と、親(加害者)を殺してしまった人との性質の違いや、分岐点となる考え方や受け止め方の違いは存在するのか、ということを突き詰めていけば、虐待を受けてもその心を守ったり、被害を少なくしたまま逃げ切る方法も出てくる可能性があるのではないかと考える。虐待を受ける立場に生まれてしまったら、基本的には逃げ切るまで虐待は続く。誰も助けてくれない。日本の法律や制度がそうなっていないからだ。助けてもらえる人は0.03パーセントくらいの人口と思っている。つまり、多くの子供たち(年間11万人)が、家庭の中で痛めつけられながら、生き延びていかなくてはいけない。それもできる限り自分の心を守りながら。虐待の問題は、社会の問題ではなく、こうして個人の問題へと矮小化され、それも被害者である「子供」の独力での防衛を支援することでしか、親権が有効である限り、コミットできない。というかこれはコミットと言えないと思うが。虐待を受けるとその後成人して逃げられても、精神に大きな不均衡をもち、社会に上手く適合できずに苦しみ続けるし、虐待を受けていた子供のうちに、大人により適切な場所へ逃がしてもらうことが一番である。そのことは揺るぎない。しかし、繰り返すがそのような法律や制度はない。あっても、ほとんど機能していない。多くの子供は助からないまま、傷ついたまま、安全に眠れる場所がないまま成人する。だからもう、虐待を受けている子供に対して、こういう時はこう考えて心を守るんだよ、と伝えることしか現状できることがないと思っている。1人でも多くの子を物理的に救えたら、と思うが、それをしつつ、多くの救えない子供たちに防衛方法を少しでも伝えることが今できる精一杯だと思う。防衛方法とは何か、というと、そんなものはない、となるかもしれないが、とにかく考えていくことはやめずに生きていきたい。
両親と兄の存在には苦しめられ続けたが、私は両親と兄が心から大好きだった。そういう子供だった。そのぶん打撃は大きく、そのせいで傷が大きくなってしまった。自分を害する人間を愛してはいけない。しかし、一体だれが、自分が誰かを好ましく思うことを、止められるだろうか?それはコントロールできることなのだろうか。好きだと思う気持ちを捨てることは、特に子供には、かなり難しい。私は親や兄に何をされても相変わらず彼らが好きだったが、それではいけないのだと唐突に気づいたのが思春期である15歳のときだったため、その際の混乱と大きな絶望、ショックなどで重いうつ状態をその後10年続けることになる。それからさらに10年が経った今、かなり症状は軽快している。治療と、人間的成長によるものだ。生きていれば必ず人間は成長せざるを得ず、傷は治らざるを得ない。だから私は友人たちになるべく自死せず、一日でも長く生きてほしいと伝えている。そうしたら幸せになれる可能性が高まる。幸せになれない可能性は依然として大きいが、幸せになれる可能性は生きれば生きるほど大きくなる。スタートがマイナスだった者たちは、この理論が適用されると信じている。スタートがマイナスでなかった人達にはどのような人生観があるのか、私には全く分からない。私は生きれば生きるほど人生はよくなっていく、と感じているので、老いや死への近づきを悲しむ心がない。顔が老けるのも、自然で、抵抗するようなことではないと思っている。生きれば生きるほどよくなっていく。25歳で治療を受けてからのこの感覚は、私が生きるのに大きく、善く、貢献している。生きることの難しさはおのおの、さまざまあると思う。私はもう無い。いちばん苦しかった時はもうとっくの昔だし、その頃の生きづらさ、脅威がないというだけで、とにかく無法に幸せである。自分を害するものがいない空間、時間、それらを噛み締めている。だから(親や兄と離れて)生きているだけでかなりの幸せを感じる。お得なことかもしれない。
しかし小さい頃に夢見たことの不達成ということは、なかなか苦しめられる瞬間がある。好きな人と付き合ってみたかったとか、家庭を持ちたかったとか、子供が欲しかったとか、高校や大学で好きなだけ思い切り勉強してみたかったとか、仕事でキャリアを積んでみたかったとか、そういう、「普通の人」がやっているようなことだ。それらが自分には与えられなかったと感じる時、途方もなく悲しくなる。過去と比べて相対的に今は幸せだが、絶対値としては、私は私の夢をあまり叶えられなかった。それでも、毎日本を読んだり、文を書いたり、文章の講座を受講したり、好きな場所でつつましく働いたりして、日々を楽しんでいる。なによりも、いつも勇気づけてくれる友人がたくさんいること。私は友人たちに囲まれてさえいれば、それでとくに不満はない。「してみたかった」の希望を上げればきりがないが、そんな無意味なことをしてもただ傷つくだけで無為だ。できてよかったことやこれからやりたいことだけを毎日考える。私たちはまだまだこれから生きる時間が残されている。やりたいことはたくさんできるし、本当に生きていて良かったと思う。
同時に、できるならもうこの生を終わりにして楽になりたいという気持ちもある。これ以上生きても、もちろん世界の足しになることはあるだろうが、この体力の低さと病気を抱えて、何も達成できないままでずるずると生きることは、時に拷問にも感じる。そう思うのは生きているうちのほんの一瞬だが、ああ、今死ぬことができたら、と思うことは全然よくある。地震の揺れを感じるたびに、地震で死ねたら楽なのになあ、と思う。これはネガティブというより、ただの「疲れ」なのだ。この「疲れ」の感覚を持っている人には、私は帯同を感じてしまう。
なんだかずっと被虐待児の話をしてしまった。あんまりそういう事を言うのもな、と思ってはいるのだが、考えていると結局全部そこに行き着いてしまう。私が救いたいのは彼らだし、正直彼ら以外のことはどうでもいい。他の人は他の人でいろいろなことに心を痛めたり活動すればいいと思うが、私がそうする先は、いつも決まっている。幼少期から虐待を受けて、死ぬ事もできずに成人して生きてゆくことが、この世でいちばん辛いことだと思っている。これは多くの、苦しんでいる人々を見てそう思うということで、私が苦しんでいるわけではないので大丈夫です。私は病院とカウンセリングに通い、それなりに安定した人生を送っていますので、自分が社会に恩返しする番だというか、とにかく「助けなきゃ」という思考に捉われがちであります。
今考えているのは、被虐待児のための、自習スペースの提供。とにかく家(危険な場所)以外に安心して過ごせる場所、勉強ができる場所をつくり、そこで1秒でも長く過ごしてもらうしかない。心は壊れる。壊れるとしても、壊れきらずに上へ向かおうとする子だけでも支援したい。本当は全員救いたいが、まずは勉強で身を立てる被虐待児の数を増やすことで、社会に虐待問題に理解のある人口を増やす。そうしてしか、法律や制度は変えられないと思う。
それとは別に、私には本屋を続けるという夢がある。ゆくゆくは自分が店主になって店を構えたい。雇われの正社員がいかにつらいかは、いままでの店舗でいやというほど見てきている。私は知性と教養のための本屋をひらき、この社会をよくしようとする人を1人でも増やしたい。チェーン店の雇われ店長では、それをするのは難しい。大きな会社は利益を出すことが最優先だから。その利益で、たくさんの人を食わせている。そこに否やはない。ただ私の目的はそこにはない。売れる本を置いて人々の知性を下げるのではなく、本屋がどんどん人を育てていく。そういう場所を作りたい。そこはさらに学際的な場所であってほしい。なんなら貸本屋でもいい。というか、積極的にレンタル業務もやって行ければと思う。
夢を語れば果てがない。あと20kg痩せたい。どうにか自炊をしてまず1kg減った。このまま減らしていく。
2024.5.21
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"迎春寿福" 令和六年正月。/ チューリッヒの友人への返信、「倫理観をデザインする時代」。平川武治
article(143) "迎春寿福" みなさま、あけましておめでとうございます。 令和六年正月吉日。 IMG_5405.MOV
昨年もこの、"Le Pli"に関心をいただきありがとうございました。 今年もぼちぼちと変わらない視点で、日本のファッションメディアと称する媒体では 書けない真実を誠実に見つめ、書き連ねる覚悟です。 好奇心在る方はどうか、よろしくお付き合いと共に���ご指導、ご鞭撻ください。
さて、年が変わった今年は新年早々、色々な災難が起こってしまいました。 多分、これからの今年は順風万歩とは行かない"月の周期"に入ったと危惧してください。 今、私は80歳になろうとしています。 ファッションの世界ではすっかり "オールドスクール "になってしまいました。
かつての白人至上主義者によって構築された 「西欧近代」のパラダイムが限界に達してしまったという現実。 そして、現在のライフスタイルはより物質的な豊かさとなる。 そんな時代のファッションの世界におけるファッション・デザインは 今後、これにどう向き合うべきなのか。 そのためにファッションビジネスはどうあるべきか。 また、そのために避けられない"新しいパラダイム"とは? こんな視点をコロナ以前から、私は学生やこの世界の人々に機会あるごとに 提言するようになりました。 「これからのファッション・ディレクターであるあなたたちは、 何をディレクションするのでしょうか?或いは、すべきですか? 何を演出すべきか、何を創造すべきか? もう、こんなにありとあらゆるモノがある時代なのに? まだ、"ゴミ"をつくるのですか? そして、ファッション・ビジネスとはただ、儲けるためなのですか?」
「西欧近代」が崩壊したこの時代に、私の40年の経験とそこから学んだスキルそして、 私のこころの中にある感性をひとつにして、接する若い人たちにこの現実とその根幹を 語っています。
私の答えは、「これからは、ファッションの世界の人達も"倫理観"を念頭に置いて、 ビジネスを想像し、デザインし、イメージングしてください。」です。 私の現在の"ファッション・キーワード"は「倫理観」です。
おそらく、あなたが「サステイナブル」でやっていることの基本でもあるでしょう。 そして、古い「西欧近代」のパラダイムをどこまでも引き伸ばそうとするあなたたちの 世界の中で「SDGs」や「サスティナブル」は「地球及び、自然環境と人間生活のための 倫理」がテーマで根幹でありますね。
ここで、私たちが日本人であるために、皆さんとは異なる「宗教とその哲学」からの 「倫理観」も、今後の"新しいパラダイムシフト"には絶対に必要な"思想と考え方"で あると信じているからです。
亡くなって1年が経った��VIVIANNE WESTWOODの"パンクスピリット"は 彼女の晩年の生き方を知れば知るほど、とても強靭でラギッドな気骨ある"パンク精神"を 持ち続けられたファッションデザイナーとして尊敬の念が深まるばかりの人です。 彼女の晩年の "パンク "は、自分のブランドのために「サステイナブル憲章」の制定と その実践に尽力したことです。また、私生活でも"ヴィーガン"を実践していた人でした。 そして、私に目に見える形で大いに好奇心を持つことを教えてくれた一つが、彼女独自の 「VIVIANNE WESTWOODのパンクスピリット」な生き方でした。 この彼女の強靭なパンク精神である「サスティナブル憲章」のお陰でこのブランドは今、 実質、営業成績が世界規模で"右肩上がり"という現実を生み出しています。 ここで、やはり日本で「パンク」を売り物にしてきたデザイナーが功労賞を貰った途端に 彼女の口から「パンク」が消えてしまうまでの"なりすまし人格"が気になりますね。 これがヴィヴィアンと川久保の二人の女性の「倫理観」の違いと「気骨」の置所の現実で なのでしょう、残念ですが。 どうか、"プレス"が発言することのみを報じるだけの日本のファッションメディアの人は 是非、これを入手して、ご一読、学んでください。
ファッション界の実態は例えば、ファッションにおける "ダーウィニズム "が "ファッション・クローン "を生み、これが「ファスト ファッション」や「SPA」と称され、 グローバリズムという新たな植民地主義が "グローバル・ノース "と "グローバル・サウス "を 生み出し、世界をより "二極化 "させてしまいましたね。 結果、このファッション界も"二極化"した「ハイモード」と「ファストファッション」構造 が構築されただけで、彼らが求める「業欲」の拡大構造は相変わらず肥大化している現実。
例えば、日本のファッションブランドの世界では、「彼らは年間の総生産数を発表しない。 そして、年間総売上高も公表しない。また、"サブブランド"を作り、年間総生産数をただ、 むやみに増大させているに過ぎないただの自分たち企業の為の強欲ビジネスでしかない。」 もちろん、ファッションメディアは彼らたちの「実際の売上も知らず、在庫残数や納税額」も闇に葬る。
まだ、この「ファッションの世界」の現実は私が思う「倫理観」がかなり、 希薄な世界でしかありません。
日本においては多くのデザイナーたちが、何らかの"なりすましデザイナー"であり、 私が出会ったヨオロッパでのデザイナーたちでも「虚飾の世界で、虚飾に生き抜く」 ただ、金にタフな人間が多いのも現実の世界です。
故に、新たな時代の、新たなファッションの世界のためのクリエーションとビジネスに おいての"パラダイムシフトには「倫理観」という視点とその認識が、どれだけ不可欠で 必要な世界であるかに目覚める事を提言するのです。 ファッションにおける、新しい機能性や造形はすでに飽和状態であること。 そして、「ファッション クローン」がどこでもいとも簡単に安価に大量に、素早く製造する ことができる時代になったのですから、 「何をデザインするのか?あるいは、何を売り込むのか?」をそれぞれが持つ 「倫理観」を根幹として再考することがより、人間味ある時代性そのものなのでしょう。
追記/ 昨年の6月、3年半ぶりに巴里を訪れたが、すでに私が知っていたパリとはファッション・ シーンが大きく変貌してしまっていました。そこで感じたことは、ファッションの観客や 顧客のほとんどが"有色人種"の時代になってしまったと言う事実でした。 彼らが歴史と共に刷り込まれた「諸コンプレックス」による「ブランドヴィクティム」の ランウェイであり、ファッションビジネスになり、バニティ��しかなくなたようです。 そのために黒人たちが作り上げたイメージであり、そのイメージを使って、もちろん彼らが 興味を持つメインの顧客は「黄色人種」でしかないのがより、現実になったようです。 香港は中国市場への玄関口であり、今は韓国が新たな戦場ですね。中国が政治的な 地雷原となった今、「円安」に乗じて「夢よもう一度」と日本人の「ブランドヴィクティム」 への再度なる猛攻撃が、'90年終わりを彷彿させるまでに再び始まっているのも現実です。 欧米の白人社会では「ブランドヴィクティム」は下品であるという「保守」旋風。 ここで再び登場するのが「オーセンティック モード」というファッション観が再び。 事実このため、「ラグジュアリーブランドビジネス」は営業不振へ落下進行中。 これが私が見て感じた3年半ぶりの「パリのファッションの世界」の実情なのです。(完)
文責/平川武治。 初稿/2024年正月3日。
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めっちゃそうだな〜
対話としての前提と今回の空気ありき問答。確かめるように。'席を立たないことです。'も、そう座りたくて 止まりながらのもうその話は終わったみたいなのほうが面倒なことだってやっぱり苦しさのまま消えていかなくて 時間の中に思考を広げていって それは密度としての速さも伴って 'それ'が出来る様に描くことを見せてくれた🥷
政治家の現場でも、損とか生産性とかコスパとかを分かって対話を跳ね除ける人がやってたりする可能性 そもそもこうしたいとかいうエゴも非合理だというのにそれは対話を前提にした堂々ではないもんな...背負うを大義にしてしまう個人のケンカや恐怖 誇りの邪魔さと幻想だよなやっぱり その先が拡がりでないのならではシンパシー止まりか、問いかけが生じにくいのか。 その損切りとか空気って伝わるから、極力浴びたくない気持ちになるし加速する、SNSもそういう掲示であるとするなら見たくないものも増え続けうる... 政治に顔がないとはテーブルを置かないまま進むやつかな 一方 晩御飯は焼肉かすき焼きかのお話は対話か?あべさんはそれは、良き提案ッ...とつっこみ。投票か?多数決の必要さえものぼらない、しかし提案の先にはものの作る過程があるかな、など。
唯物を言い張ることと無分別を言い張ることは私も悩んで だから同じ種子もあるかも分からない。見つけたという言い切りで仕舞わなかったことも含めて、良くて泣ける。言い張るしかないことに悩むことが伝わらないこともここには分かってもらえる感じがする。ふと多分番組テキストだけど 河合さんが 東洋人に比べても西洋人の孤独は凄まじいだろうと記してたこと思い出した 大丈夫でい続けるための方法にも迫るように、ちがうな、大丈夫にも戻れるように修繕出来るように流れ合う源だからな 難しいけれど自分がやるしかない自分の事であり続けた兆民の哲学もきっとあるのだろう気配。東洋的な無とか信心、先の大拙氏番組にも出ていた維摩もいいし、からのふねと見るイメージに感じられる。繰り返しこその過程にあるフィロソフィーであって、言い切れる必要ないがかつ死が別に明るい そんなもんなんだ 英語のイージーはそんなもんだと感じてる 何もないじゃないか残らないのかもしれないと横臥の身できっと滲みた景色を、書き記���ことで息が出来た拡がりがあったんだね 崖に咲く花をとってごらん、しかし行ききった人にはなりたくもないから 帰ってきてごらん..と去年のお正月聞いた論 どこまでひとりで平気なふりするのか知らん、本気で平気なのかも知らん、必要が形からなくてもやるのだろうが、何が落とし所になっていく時代かさえ変わってきたんだろ、うか、哲学のない、日本は。それがないから受け入れた風のものもあるそれが空気と呼ばれもする、理想が夢に生かされて携わっても見上げても 沈んでいく時にはみな いつも異論も育てるしか分別の世界を生き延びれず、そしているんだよきっと舟に空っぽに自分だけを載せ続けるやり方を哲学と呼ぶ場合も。つまり宗教と言い張りたくない人も。しかし間を見続けるやり方を、すごく苦しいんだけど、この感覚だって繰り返すけど、席を立たないと念じるのなら席が見えるのだろ、そういう言い方しか出来ないし見つけられない 極に居続けるわけじゃない時に席があると言っていいのでしょ?相手側を対話するのは、雲の向こうに見つけない限りは。行き来の出来ない事も人もあるのだから、神経症も恐怖も、その傷のままでなく修繕されていきたいまま強ばってもいく仕組みでしょうよ。 たまにでもいいから 終わりになれないからこそ混ざる、極になり切りたくないから、そして何かの天秤にならば掲げる時があるだろうから。哀れむための強さを受け入れてもらえなくても席に、自分に、立たないといけないから。 そうしてシャープ① 体制とは?から仕切り直すけれども 非暴力は時間がかかるも古い先入観という。絶対的なものとの折り合いではない、支配を手放すこと逸らし続けることも、戦略的にこそ出来る。(多分ルール化するとたん社会主義とやらにもってかれる。)権力は一方的なものではない。武力は必要悪ではない。軍事力が保持として引き出しにあり続ける今、誇示でも武器の利便でもなく、それでも戦略としての非暴力を考えるなら、恐怖のジャッジを見つめ直せるのなら、対話のフィールドにそれを移してもきっと鏡が見えるだろう
タモさんが新しい戦前って言ってたことと、共通の包まれうる未来のない感覚と、兆民の冀った時代と、なんか そうかもしれない 日露の時は政府よりも大衆が、負けるつもりかみたいなモードだったとのこと 苦しくなく見える時もある、やり方として課題ごと掴める時もある、あるから
許しの意識や、恕、個人主義が抽象だと画一で独善になりやすいなどの文あった 括りの矛盾だな、棚にあげ切らないものの中で温度を知りたいと心の主張に気づく 偉人てなんだってんだーよーと思うなら 表の歴史だとしても遡るしかないよなー異論も反動も 辛いことの辛い理由が分かりそうで少なくとも嬉しかった 人に会いたくないどうしようも動かんその意味も理由も、差異であり理解でなくてももう
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Google の最新スマートフォン、Google Pixel 8 と Google Pixel 8 Pro 登場
左から、Google Pixel 8(Hazel)、Google Pixel 8 Pro(Bay)、Google Pixel Buds Pro(Bay)、Bay バンド付きの Google Pixel Watch 2 Google が、より便利でパーソナルな体験のためにAIを中心に設計、構築した Google Pixel 8 と Google Pixel 8 Pro をご紹介します。これらのスマートフォンには、Google Tensor G3 を搭載したこれまでにない機能が満載です。また、Android OSのアップグレード、セキュリティアップデート、定期的な新機能のアップグレードを含む ソフトウェアアップデートを 7 年間提供します。美しいデザイン、新しいセンサー、アップデートされたカメラなど、新しい Google Pixel 8 と Google Pixel 8 Pro をご覧ください。 日常にぴったりの洗練された外観 Google Pixel 8 と Google Pixel 8 Pro は、柔らかなシルエット、美しいメタリック仕上げと、リサイクル素材を採用しています。 Google Pixel 8 は、輪郭のあるエッジと Google Pixel 7 よりも小さいサイズのため、手になじみやすくなりました。リアルで鮮明な 6.2 インチ Actua ディスプレイは、Google Pixel 7 のディスプレイよりも 42% 明るさが向上しています。Google Pixel 8 のサテンメタル仕上げとポリッシュガラスの背面は、Hazel、Obsidian、Rose の 3 色で登場します。 左から、Google Pixel 8 Rose、Hazel、Obsidian Google Pixel 8 Pro の 6.7 インチ Super Actua ディスプレイは、Google Pixel 史上最も明るいディスプレイです。そのため、直射日光の下でも、ウルトラ HDR 画像の忠実な再現性をお楽しみいただけます。Google Pixel 8 Pro の背面はマットガラス、フレームはポリッシュ仕上げのアルミニウムになっており、Bay、Obsidian、Porcelainの 3 色で展開します。 Google Pixel 8 Pro の本体背面に新しく温度センサーを搭載しました。これにより、対象物をすばやくスキャンして温度をチェックすることができ、例えば鍋や、温かい飲み物の温度確認などにご活用いただけます。 左から Google Pixel 8 Pro Bay、Obsidian、Porcelain さらなるカメラの改善 Google Pixel 8 と Google Pixel 8 Pro は、パワフルにアップグレードされたカメラ システムを備えており、驚異的な写真と動画の品質に加えて、革新的な編集ツールを提供します。 Google Pixel 8 Proのすべてのカメラがアップグレードされ、メインカメラが低照度環境でより良い写真や動画を撮影できるようになりました。また、大型のウルトラワイドレンズはマクロフォーカスがさらに向上し、望遠レンズは Google Pixel 7 Pro よりも 56% 多くの光を取り込み、光学的な品質で 10 倍の写真を撮影できます。前面カメラにはオートフォーカスが搭載され、Google Pixel で最高の自撮りを撮影できます。 Google Pixel 8 も、同様にアップデートされたメインカメラに加え、マクロ フォーカスを可能にする超広角レンズも搭載されています。 カメラ アプリには、より直感的に使えるようインターフェイスが再設計され、お気に入りの写真や動画モードにすばやくアクセスできます。また、Google Pixel 8 Pro にはプロ設定 (*1) が加わり、シャッター スピード、ISO、ズーム範囲全体での 50MP 画質などの設定を使用して、クリエイティブな撮影が可能になります。 カメラアプリ上のプロ設定の画面 完璧な集合写真が撮れたはずなのに、誰かがカメラを見ていないという経験は誰しもが一度は経験したことがあるのではないでしょうか。「ベストテイク」(*2) は、ユーザーが実際に撮影した写真をもとに、撮りたいと思っていた写真へと仕上げてくれます。オンデバイスのアルゴリズムが一連の写真から得た被写体となる人の顔をまとめて、全員の最高の表情が収まった一枚の写真にしてくれます。 ベストテイクの GIF デモ Google フォトの編集マジック(*2) は、ユーザーが本来撮影しようとした瞬間をとらえられる写真を作成するために生成AIを使用した、新しい試験的な編集体験機能です。数回タップするだけで、被写体の位置やサイズを変更したり、背景をより際立たせることもできます。 編集マジックの GIF デモ 「音声消しゴムマジック」(*2) は、風の音や街の喧騒など、動画内の気が散る音を簡単に軽減できます。今までに類を見ないコンピュテーショナルオーディオは、高度な機械学習モデルを使用して音をさまざまなレイヤーに分類し、音量を制御できるようにします。 音声消しゴムマジックの GIF デモ Tensor G3 と Google のパワフルなデータセンターを組み合わせて、動画に最先端の処理を施す「動画ブースト」(*3) を今後提供する予定です。色、照度、手ぶれ補正、粒状性を調整することで実物を撮影したかのような動画を収めることができます。また、動画ブーストは、ビデオ夜景モードが搭載されており、低照度下でのスマートフォンの動画画質を向上させます。 ビデオ夜景モードの操作画面の画像 作業の効率化 様々な言語に対応した音声入力アシスタントと、レコーダー機能が新しくなり、言語設定を手動で変更しなくても自動で発話している人の言語を検知し、その言語で音声入力してくれます。 日本語で音声入力中の画面 ユーザーの個人情報を安全に保つための 7 年間のアップデート Google Tensor G3 は Titan M2 セキュリティ チップと連携して個人情報を保護し、高度な攻撃に対するGoogle Pixel の耐性をさらに高めます。Tensor G3 により、Google Pixel 8 の顔認証ロックが最高レベルの Android 生体認証クラスに適合し、Google ウォレットなどの銀行や支払いアプリが利用できるようになりました。 Google Pixel では、継続的に進化する独自の機能とアップデートを受け取ることができますが、この度、Google Pixel 8 と Google Pixel 8 Pro には、Google Pixel では初めて 7 年間のソフトウェア サポートを提供します。これには、OS アップグレード、セキュリティアップデート、定期的な��機能アップデートが含まれます。(*2) 日本における販売情報 Google Pixel 8、 Google Pixel 8 Pro は、予約販売を 2023 年 10 月 4 日 23:30 より開始しており、2023 年 10 月 12 日に発売します。Google ストアの他にも、株式会社 NTTドコモ、KDDI 株式会社、沖縄セルラー電話株式会社、ソフトバンク株式会社からも発売されます。詳細は各社の公式サイトなどをご確認ください。 なお、Google ストアでは発売記念の特典として、次回以降に使える Google ストアクレジットと Google Pixel / iPhone の対象スマホの下取りで、新しい Google Pixel 8、Google Pixel 8 Pro が両方実質 39,800 円~ になるキャンペーンを、本日から 2023 年 10 月 20 日まで実施します。また、同時期に Google Pixel 8、Google Pixel 8 Pro を購入された方に「Google ストア限定 Google Pixel ポーチ」をプレゼントします。詳細は Google ストアをご確認ください。 Google ストア 販売価格(税込) Google Pixel 8 128GB 112,900円 Google Pixel 8 256GB 122,900円 Google Pixel 8 Pro 128GB 159,900円 Google Pixel 8 Pro 256GB 169,900円 Google Pixel 8 Pro 512GB 189,900 円 Google Pixel 8 ケース 5,400 円 Google Pixel 8 Pro ケース 5,400 円 注釈 1) Google Pixel 8 Pro のみ。一部のカメラまたはアプリではご利用いただけません。 2) ご利用にはGoogle フォトアプリが必要です。 3) Google Pixel 8 Pro のみに搭載。Google フォト アプリが必要です。 4) Android セキュリティ アップデートが提供される期間は、米国の Google ストアでのデータ提供開始日から最低 7… http://japan.googleblog.com/2023/10/Pixel8.html?utm_source=dlvr.it&utm_medium=tumblr Google Japan Blog
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2024年11月14日 06時00分 Googleがブラウザで「AIと会話して検索」する機能をテスト中、生成AIを用いた検索エンジンは一般的になるのか? Googleは2024年5月に「Search Generative Experience(SGE)」と呼ばれる、AIによる検索結果の概要を表示する機能を発表しています。Google検索へさらにAIを組み込む計画として、音声形式でAIと「会話」して検索する方式をGoogleがテスト中だと報じられています。 Google is testing a real-time voice-to-search feature | Mashable https://mashable.com/article/google-voice-to-search-testing Google's testing a conversational search feature that updates results in real time | Android Central https://www.androidcentral.com/apps-software/googles-testing-a-conversational-search-feature-that-updates-results-in-real-time 検索結果から概要を示してくれるSGEやリアルタイムAI検索エンジンのPerplexityのほか、Metaが独自のAI搭載検索エンジンを開発中と報じられたり、2024年11月にはOpenAIがAI検索サービス「ChatGPT search」を発表したりと、AIの急速な進歩により検索エンジンにも生成AIが関与しつつあります。AI搭載検索エンジンは従来のウェブ検索のように検索クエリを含むページ一覧を表示するのではなく、クエリに応じた回答をウェブ検索結果からAIで要約して表示するため、OpenAIは「ウェブ上で質の高い情報を得るには何度も検索を繰り返す必要があります。しかし、ChatGPT searchならより良い回答を得ることができます」と優位性をアピールしています。 OpenAIがAI検索サービス「ChatGPT search」を発表、何度もググる必要がなくなるとアピール - GIGAZINE 検索エンジンと生成AIを複合させる最新の動きとして、Googleが「リアルタイム会話型音声検索機能」をテスト中だと報じられました。Google Chromeなどの検索エンジンでは「音声検索」することが可能ですが、音声検索は検索クエリを声に出して音声入力することができるというものです。新しい形式ではそれとは異なり、「会話」の形式で検索結果を掘り下げていくように検索していくことができます。 Android開発者のAssembleDebug氏が公開したムービーでは、実際に会話検索を行う様子を見ることができます。 会話検索を起動すると、「Listening…」と画面が音声入力を受け付けるモードになります。 AssembleDebug氏は「where is Taj Mahal(タージマハルはどこにある)」と話しました。音声入力中は、以下の画像のように「話し中」のアイコンが表示されています。 すると、タージマハルの場所を説明するSGEやマップなどが検索結果として表示されます。ここまでは従来の音声入力による検索と同様ですが、注目すべきは検索クエリの右側が「音声入力中」になったままである点です。 続けてAssembleDebug氏が「who built Taj Mahal(タージマハルは誰が建てたのか)」と話しかけると、ムガル帝国第5代皇帝のシャー・ジャハーンについての情報が表示されました。 さらに、「why it was built」と指示語を用いた場合でも引き続きタージマハルに関する結果が表示されたことから、ただ音声検索を連続して実施しているのではなく、一連の会話で検索結果を掘り下げていることがわかります。 従来のGoogle音声検索機能では、1つの検索クエリの入力と検索が終わると音声入力はいったん終了し、別の質問をするためには再度マイクアイコンをタップして音声入力し直す必要がありました。Googleがテストしている新しいアップデートは、検索プロセスを開始するとAIが文脈を踏まえた会話に応じて検索結果を掘り続けてくれるという機能となっています。 会話型音声検索機能はGoogleアプリで一般公開されていないテスト中の機能で、実際にリリースされるかどうかは不明です。ただし、OpenAIやMetaなどのAI企業が音声テキスト変換を含むAIと検索エンジンの融合を推進していることから、検索エンジン最大手であるGoogleの動きには注目が集まっています。 この記事のタイトルとURLをコピーする ・関連記事 OpenAIがAI検索サービス「ChatGPT search」を発表、何度もググる必要がなくなるとアピール - GIGAZINE Metaが独自のAI搭載検索エンジンを開発中と報道される - GIGAZINE 人工知能と機械学習のベースとなった「ナレッジグラフ」の歴史 - GIGAZINE かつてGoogleは検索インデックスが作成できなくなるという致命的な障害に遭遇していた - GIGAZINE AI検索エンジンの「Perplexity」がForbesなどの記事の一部をAIでまとめてほぼ同一の内容を最低限の帰属表示で再公開していると指摘される - GIGAZINE AIの台頭によって検索エンジンからサイトへのトラフィックが2026年までに25%減少すると調査会社が予測 - GIGAZINE ・関連コンテンツ インターネットをより安全にする技術「DoH」に対して大手ISPが抱える懸念とは? 旅行の相談からSNSの文章作成まで可能なアシスタントAI「Assistant with Bard」発表、「Googleアシスタント」に「Bard」を統合してめちゃくちゃ賢く強化 Google AdSenseに既存テキストやページ下部にリンクを自動追加する新フォーマット「広告インテント」登場 Google検索の「AIによる概要」機能が100以上の国と地域で提供開始、ユーザー数は月間10億人以上に Google検索にジェネレーティブAIを組み込んで単語の詳細を表示・プログラミングコードの色分け・記事の要約を行うテストが開始 ウェブブラウザ「Brave」のAIアシスタント「Leo」がAndroid版でも利用可能に Twitterでリアルタイムに会話できる「スペース」がついに誰でも作成可能に Google検索での「検索結果へのメモ付与機能」のテストが終了
Googleがブラウザで「AIと会話して検索」する機能をテスト中、生成AIを用いた検索エンジンは一般的になるのか? - GIGAZINE
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Humanistic infrastructure studies: hyper-functionality and the experience of the absurd
大きく分けて、インフラストラクチャー研究は2つの伝統や様式に分けられる(Plantin, Lagoze, Edwards, & Sandvig, Citation2018)。1つ目は、インフラストラクチャーの歴史性、すなわちその発展と先行事例を扱うものである。もうひとつは、社会学的な意味合いからインフラストラクチャーにアプローチするものである。これら2つのモードが相互に排他的であることは稀である(例えば、Bowker & Star, Citation2000; Cronon, Citation2009; Hughes, Citation1993; Star & Griesemer, Citation1989; Star & Ruhleder, Citation1996)。その重なりにおいて、どちらのアプローチも、インフラストラクチャーに対する主観的な経験を適切に扱っていない。
歴史学的アプローチも社会学的アプローチも、モノの存在論を通して人間の利用者を解釈する技術的レンズを作り出すものである。私たちの分析は両者の伝統と調和しているが、両者に欠けている人間主義的な側面に注目している。ラーキン(Citation2013, p.329)が言うように、「インフラストラクチャーとは、他の物質の移動を可能にする物質である」。彼がインフラストラクチャーを「モノ、人、アイデアの流れを促進し、空間上でのそれらの交換を可能にする構築されたネットワーク」(p.328)と定義するところでは、人間の対象化が明らかになる。
インフラストラクチャー研究に潜在する客体化する存在論は、インフラストラクチャーの機能性に関わる行為者の存在論を平坦化するものであり、人間の主観性は客体化された人間、つまり対象物のレンズを通して定義さ���る人間に取って代わられる。人間がモノに依存していることを考えれば、これは当然のことかもしれない(Hodder, Citation2011)。この依存は、ますます超媒介化されるウムヴェルト(Von Uexküll, Citation2009)、つまりある行為者によって経験される世界の現象学的な記憶の中で生じているため、対象的な人間観のために対象的な人間観を見失ってしまいがちなのである。 脚注1 第三の波であるヒューマンコンピュータインタラクション(HCI)における現象学的転回(Harrison, Tatar, & Sengers, Citation2007)とヒューマニスティックHCIの具体化(Bardzell & Bardzell, Citation2015)を活用して、本稿では、インフラストラクチャーを人の視点から理解するための枠組みを提示する:インフラストラクチャーという現象を生み出すために集まる主体と対象のインフラストラクチャー的転回(Bowker, Citation1994):インフラストラクチャー=アズ=モノ(ハイデガー, Citation1971; ラトゥール, Citation1993)。
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