Tumgik
#ボクのレコード好きなレコード
takechas · 2 years
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⁡ 大晦日。 ⁡ 2022年ももう間もなく終わろうとしています ⁡ 、、、って書き始めたら、 ⁡ カウントダウンTVからは 知らない男性グループが歌唱終わりに速攻で ⁡ " ハッピー・ニュー・イヤー! " ⁡ あぁ、、スマホをみていたらいつの間にか2022年が終わっていた。 ⁡ ⁡ 思えばビックリする速度と頻度で色んな事が起こって、都度ビックリしてたら季節に追い抜かれた感覚のまま終わってしまった。 ⁡ スマン、オレ。 ⁡ そして グッバイ、2022年。 ⁡ へロー、2023年。 ⁡ 今年の大晦日は、 いつぶりか思い出せないくらい久しぶりに 実家に戻り後半は2人でホテルで 過ごしました(温泉大した入らなかったけど) ⁡ 今冬がどうなっていくかはわからないけれど 道すがらずっと雪も少なく3月のような景色が続いていく。 ⁡ このまま寒暖差や雪の多さに憂うことも少なく 暖かな雪の日々だったらなぁ。 ⁡ ⁡ 過ごしやすい冬を願うばかり。 ⁡ 今年1年 ガンバレ、オレ。 ⁡ ━━━━━━━━ ⁡ #おうち時間おうちレコ #ボクのレコード好きなレコード #レコードのある暮らし #videotapemusic ⁡ ━━━━━━━━ https://www.instagram.com/p/Cm5Ylezv1G2/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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Boyhood
新しい年になりました。京都住みはじめてもうすぐ4年になります。今年もよろしくお願いします。
先月は10年目で9回目のクリスマスライブ、安藤明子さんと広島の呉からジョンとポールに参加いただいてあたたかく楽しくうれしい時間でした。お越しいただいたたくさんの皆さんありがとうございました。
さて、昨年の春に突然始まることになったサウンドピローというイベントですが、春に突然に布団に潜って音楽聴くように自分の好きな音楽をただかけることをイメージしてタイトルをつけてDJイベントとして始まり、また声をかけていただき、夏には自分の好きな音楽をかけて、本格的に自分で好きなミュージシャンに声をかけてライブしてもらうという形で企画を立ち上げ、秋に3度目を迎え、季節も冬になり4回目を行うことができることとなりました。
今回も自分にとってのサウンドピローな3組のライブを予定しています。
Hello Honuは京都に来てまもなく知り合ったgroupエンペラーめだかという形態で活動していたギターとボーカルの有本秀右さんを中心に結成され、ドラムのカンダケイさん、トランペットのほしこたえさんによるスリーピースバンドです。groupエンペラーめだかは秀右さんが店長を務めるライブハウスnega-posiでお酒を飲んでいてレコードを売っているということを聞いて購入して聴いたのが最初です。酔っ払って家に帰り、レコードに針を落とし、歌を軸にしていろんなサウンドスタイルを展開するそのアルバムを耳にして眠る前の時間に心地よい感覚になりました。ライブも見る機会があったのですが、まもなく解散ということ耳にしました。昨年の春に新たな形態としてHello Honuとして名乗り行われた最初のライブに行きましたが、その時はドラムとの2ピースでしたが、秋頃でしょうかトランペットのほしこたえさんを加えて3ピースとなり今の体制でのライブをコインランドリーでやるというのをチラッと2曲ぐらい見れました。先日ライブ音源を手に入れ聴きましたが、やっぱり軸にしっかりと歌があり、静と動とが混在して浮遊する音像のイメージで眠る時に聴いていて心地よかったです。今度このイベントでライブをフルでちゃんと見れるので楽しみにしています。
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Hello Honu コインランドリーのライブ
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三好真弘さんは出会う前にnega-posiでお酒を飲んでいる時間にまだ発売前のファーストアルバムの音源を流していて初めて耳にして、「三好の音源やで」とか周囲から飛び込む話を耳にして、その時はその歌にハッとしたことをこっそり自分の中にしまい込んで帰りました。その後に実際にライブで歌を聴いて、その言葉や感覚が生活の断片で儚く感じるような光の差す瞬間をいくつも映し出していて、当たり前なのですけれど三好真弘さんの独自のものであるはずなのですが、ドラマや映画の挿入歌のような、そんな風に耳にしてみたいな、あるいはいつかそういう風に耳にすることになったらいいのになと思うそんな歌なのです。ちゃんと音源として発表されたファーストアルバム「ブルーサルビアのにおい」、セカンドアルバム「アイラブユーだったよ」はとてもいいなと思う好きな歌ばかりで、夜に眠りにつく時間に聴いたりしたくなるんですが、夜中に時折ツイッターでふっと新しい歌がアップされているのを見つけて聴いたりする時に、またなんとも言えない瞬間的な出来事をふっと浮かび上がらせられてしてしまうなんてことも幾度かあって、少し厄介な感じでもあるんですが、そんなふうに夜中に耳にする歌が好きなんです。
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三好真弘「アイラブユーだったよ」
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ウイイレヤクザは前に住んでいた埼玉で出会いました。基本引き篭もり体質だった私は、長年行きつけのお店なんてほぼないような生活をしていましたが、埼玉で暮らしていた後半の数年でクークーバードというとても居心地のよい飲み屋さんが行きつけのお店となりました。そのクークーバードを拠点的にライブを始めたのがウイイレヤクザと名乗る青年でした。お店で顔を合わせて、お酒を飲んでいると、ういーっす、マジっすか、みたいな軽い口調で話をして酔っぱらうと寝てしまうような記憶が残っていますけれど、ライブなどで繰り出す音楽スタイルはギターの弾き語りでありつつ、ちょっとヒップホップなテイストがあって、その世界観はどこか冷めた目線でありつつ、何も変えようとするものでもないのだけれど、いろんな感情だって湧き出しているし、確かに生きているということがさらりと語られていき、それに幾度もやられてしまいました。クークーバードは今は居酒屋ちどりというお店になっていますが、ウイイレヤクザはちどりの店長や他にも一緒に飲んでいた方たちがメンバーである虎というバンドのバンドマスターでありベーシストでもあります。実は虎にも声をかけていてライブに来て欲しかったですが、とてもめでたい理由でメンバーの都合がつかずに、今回はウイイレヤクザとしてライブをしに浦和から京都に来てくれます。2017年に「留守電」というアルバムを発表し、最近では円盤の田口さんのレーベルOZdiscから8cmシングル「ビクトルおじさん」を発売、2017年末に田口さんのイベントで大阪のベアーズでライブをしましたが、京都は初となります。
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ウイイレヤクザ「トイザらス」
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チラシは「6才のボクが、大人になるまで。」(原題 Boyhood)という映画のフライヤーの画像見ながら落書きしました。クークーバードで映画のサントラ縛りでDJやらせてもらった時に確かウイイレヤクザにこの映画のCDを貸しっぱなしだったような気がするのです。。。
よかったら是非ふらりと足を運んでください!
「サウンドピローvol.4」
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2020年2月22日 土曜日
出演: Hello Honu
    三好真弘
   ウイイレヤクザ(浦和)
bgm:ねむたい目レコード
場所:Annie's CAFE(京都深草)
時間:18時オープン 19時スタート
チャージ:1500円
よろしくお願いします。
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kenhamazaki · 2 years
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【UTOPIA 2022 LOVERILLIANT BURN!】 - お金と携帯を持たない4日間 - 2022年5月2(月)~5日(木) 岡山県苫田郡鏡野町久田下原771-3 赤壁邸 エントランス / ¥10,000 (チケット作品付き、中学生まで無料、学生&地元の人¥5000) ※普通のイベントではないので主旨とルールをよく理解した上ご参加ください。 (エントランスですが、受付にあまり居ないので赤い人を捕まえて受け付けしてください。 初めて方はパスポートを作るので写真を撮ります。 基本何もないので食糧、生活用品は各自持参してください。あと、なるべくゴミを出さないようにマイ箸、マイコップ、マイ皿持参でよろしくお願いします。 ゴミは各自持って帰ってください。Leave No Trace!) UTOPIAは気が付けば10周年。 10周年を記念して今年は盛大に(といっても自分たちのできる範囲で)花火を上げたいと思います。 テーマはLOVERILLIANT BURN! 今年は火がテーマです。 今年はどんな非日常になるのか楽しみです。 あと前入り&お手伝い大歓迎です。(詳しくは直接連絡ください。) [スケジュール] 5.2(月) 盆踊り 5.3(火) お茶会&カカシバーン&花火 5.4(水) テンプルバーン 5.5(木) 片付け [スローガン] ・Give and give. ・Do what you can, do not worry what you can't. (できることはする。できないことは心配しない。) [主旨] 【社会や経済から人間を開放し、大人でも子供のようにワクワクできる理想郷】 このイベントに観客は一人も居ません。用意されたモノを見に行く…という受け身のイベントでもありません。 UTOPIAでは何をするのも自由。バーニングマンへと続くプレ・イベントとして位置づけ、それぞれが自由に自分を開放し、楽しみ楽しませる空間です。 そこでは全てが肯定され、ヒエラルキー(階級)もありません。 みんなが等しく主役なのです。 観客とパフォーマーといった区別もなく、地元の人から外国人まで、ボーダーレスな交流ができる空間です。 [ルール] ・お金を流通しない。 ・現実社会とは違う、一番理想な格好で居る事。 ・すべて自己責任。 ・自分の出したモノは自分で持ち帰る。 ・撮影、携帯禁止。 [交通手段] ・中国自動車道 院庄インターチェンジ下車 約15分 ・新幹線 姫路駅からレンタカーで約90分 ・新幹線 岡山駅からレンタカーで約90分 ・津山駅からレンタカーで約30分 ・津山駅からタクシーで約4000円 ・津山駅から中鉄北部バス奥津温泉行き石越線 久田(くた)バス停下車 徒歩約30分 (大阪から高速バスで津山駅行きがあります。) [思いついた事] ・DJ、ライブ、パフォーマンス大歓迎です。 ・皆さん好きな仮装をしてください。 ・バーニングマンについて語りましょう。 ・以前に来られた方はUTOPIAパスポートを忘れないようにお願いします。 ・詳しく聞きたい方は直接メッセージください。 [浜崎健コメント] ここ赤壁邸は奥津湖のダム建設で村が沈んでしまった場所です。 偶然ですが祖母の実家も湖に沈んでしまいました。 あと、ボクのお父さんのお墓も近いのでなにか縁を感じます。 ここがUTOPIAの永住の地になるかもしれません。 バーニングマンのようにここがBRCになるのか? みなさん、是非自由に楽しんでください! そしてUTOPIAが、参加してくれた人々にとって年に一度訪れる第二の故郷みたいになれば嬉しく思います。 [備考] ・画像を欲しい人は公認カメラマンが撮影した画像をネットからダウンロードするシステム。SNSに登載する時はあくまで文章だけで伝えるようにしましょう。 ・近くのホームセンター SUPER CENTER PLANT-5 鏡野店 [近くのおすすめスポット] ・奈義町現代美術館 / 岡山県勝田郡奈義町豊沢441 ・つやま自然のふしぎ館 / 岡山県津山市山下98-1 ※ここは絶対オススメです! ・田町文化STORE(レトロなカフェ) & 音虫レコード(DJトビさんのレコード屋) 岡山県津山市田町19 ・Zガンダム 道の駅 久米の里 / 岡山県津山市宮尾563-1 #kenhamazaki #red #redman #utopia #burningman #giveandgive #loverilliantburn #tenthanniversary #fireworks #akakabetei #okayama https://www.instagram.com/p/Cbrg3FQLH-2/?utm_medium=tumblr
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yrkhang · 6 years
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「<あなた>の物語」について
レポートでも感想文でもない何らかの「何か」。
それを何とか形にしたいと思う。少なくとも私はそのように願う。
少なくとも、それは「私自身の物語」であるだろう。 であれば、他でもない「それを私が書くのだ」。それは間違いようのない事実であるだろう。
書けるかどうかは分からない。お読みいただけたら嬉しく思う。
「初めに、神は天地を創造された。 地は混沌であって、闇が深淵の面にあり、神の霊が水の面を動いていた。神は言われた。「光あれ。」こうして、光があった。」
誰もが知るであろう創世記、第一章の冒頭である。
たいして敬虔でもないキリスト教徒である私は思う。
光は、闇と同じものなのではないか、と。
(ある日のメモより)
SMOKE@浅草九劇 2018/10/
*超がいる→書く。 「書くのをやめろ」 コーヒーとレコード・オルゴールは手回し 私のやり方で天才になりたかった N↑照明等/W側↑ピアノ 人並みの暮らしさえできない 鏡の中の鏡像 私の文字を閉じ込めてしまう 僕のことを忘れ去る 君の瞳 もう会えない・見つけられない 痛むの・不安なの・苦しいの 心は裏返し。抜け殻のような ↑今の私とは違う姿 ハクセイ 泣いても濡れない 眠る/ (不明瞭) 僕のものさ ↑そしたら 遠くへ行きたい<夢>←以下丸囲みを<>と記述         ↑あるなら          叶えたいなら棄てるべき時に思い切って捨てる ぬめる目つき 万が一のための「<保険>さ」←以下下線部を「」と記述 サイゴのチケット 最初で最後のチャンス 夢を叶える 姿勢 肩を張る/猫背 人差し指/鏡 超:表情 <冗談だよ>←やさしい お前はじっとしてれば(棒読み) どんなに怖かっただろうか←僕なら耐えられない 旅立ちの最後のチケット 「水、水」目隠し←居ない方に話す あなたはきっとイイ人なんでしょ(少し笑う) オネがあ~い・イタァ~イ 目を合わせた時の表情「分かりませんか」 ありがとう 探る目→忘れてる認識 あなたはこんなことをする人じゃないんだもの <どうして>やさしげ 問いかけ 「あなたの海って何なの」         問題を出す先生 青い終わり 赤い始まり   ↑期待する目とあきらめ さとす様
絶対に凍ったりしないの 全てが凍り付いても海は流れる           →叫び続ける��歌い続ける 笑うみたいに この旨の高鳴りが(不明瞭) 無かったら困るでしょ 怪我をすることも具合悪くなっても 私は生き続けるんだーって。       <才能がない>          表情 語り聞かせる←あなたの事を 愛されたい 分かって貰いたい 語って聞かせる            自分の心 ふくろ いつかその子がもう一度探しに来て  愛しさ・恋しさ くれると信じながら          憎しみ・恨み 思いつめた             叶えたい夢 鏡には入れず 見つめるだけ →私たちは似てる 悲しみを[抱いて/抱えて]いる←以下二段括弧綴じを[/]と記述 出口の見えないこの世界から 煙になって抜け出す あなたが書いたんじゃないの ↑切実 とってもいい詩ね (不明瞭)がどうして気づかなかったんだろう      ←動き 恋とは出会って初めて 恋だとすぐに分かった  イトシイ人             [美しい面影/今度出会えたなら/離さない]        対角・鏡→ 二人だけの誰も知らない物語 ホシゾラみたいにきれいな物語を ↑客席も照らす あなたはボクの愛しい人 こんなことしなくとも逃げたりしない そいつはお前の何なんだ←確認 ダイジョウブかホン←棒読み どうしてあなたがここに居るの<超> 海、どうしてこの人と誘拐なんてしたの
飲む瞬間ため息 もうやめて二人ともコーヒーでも飲まない? コーヒー好きだったでしょ? 初めて会った時変だと思った        ↑どうして変だと思った? 分からない 思い出すんだどんな関係だったか どんな感じだったか おまえ中々サイノウあるな どう呼べばいいんだろう 心を明るくしてくれる 降り注ぐ暖かな春の光 急に涙 消せない ソウシツ ナミダ ゼツボウ 倒れた後の淡々とした動き 今度はコーヒーか ねめつける 苦痛でしかない苦しみのカタマリ 海が以前君にしたように。 否定し目を背け 何処までも広くて深いから底が見えない 真っ暗でどこまでも沈んでゆく             それが海なんだ あなた どうしたいの 疑わしげ いつもそう{彼を}←以下二重線否定を{}と記述           いっしょじゃない もう耐えられない 越えたかった理想郷 違うあなたじゃなきゃいけないの あなたが言う情熱で書きまくった作品がこれなの 愕然と驚き 全部削除しろ 誰も読めやしない それでも描き続けてる 欲しいなら闘うの 今まで逃げてきた⇔<対立> 俺の言葉には響きが無い 逆行してる 俺には才能がない そうよ あなたには才能がない あなたは怖いのよ 歩いていれば転んだり迷ったり 全然違う道に迷い込み 引き返せなくなる それでも いくと決めたならサイゴまでいくの まがいもの 希望を見せて 動と静    それいじょうの絶望になる←超(不明瞭)
取ったメモを数えてみたら全部で87頁あった。これはそのうちの6頁である。意味のない言葉の羅列かも知れない。
意味のない話をしてしまった。意味のある話をしよう。
書き留めたのは、ひとつには時間というものが止まらない中に在って、私がその瞬間に感じ取ったものもまた「言葉」と同様にその瞬間を切り出さなければ別のものになってしまうという危機感からだった。「言葉」が後から後から湧き出てくるように、その源泉たる人の想いもまたとめどがない。その瞬間に感じたことが、次の瞬間には別の何かに変わってしまう。私たちが「言葉」という道具でもって何かを書きとめようと努力する時、そこには常に「書き留めたかった何か」があることは疑いようが無いことであるように思う。
書き留めたかった「何か」が何であったのかは、今となっては分からない。ただそこに「書き留められたもの」が形として残るのみである。
ミュージカル『SMOKE』は、先にも一度書いたように韓国の詩人・李箱について描いた作品である。「極めて難解ながら、優れた作品を世に残した人物」というのは今日の読者の理解であって、記録に残る彼の歩みを辿ればそれは「不理解への抗い」であったことを恐らく誰もが読み取ることだろう。(彼の人生についてあたるのであれば、恐らく纏まった書物としては作品社刊「李箱 作品集成」が参考になると思われる。)
本作は、そんな彼の人生の一瞬を切り取り、作品として再構築したものであるように私には思われた。
まず、僕自身が感じたことから書いてみたい。本作、東京公演におけるそれは、ひどく「客席に近い」公演であった。その距離、最短にして10センチメートル。手を伸ばせば触れる距離に役者たちが居る、そういう舞台であった。
けれども、と僕は思う。間違えば触れるような距離でありながら、それは絶対的に「触れ得ない」作品世界を生きる役者たちを鑑賞するような時間であった。
本作冒頭。斃れたひとりの若者の姿を目にした。彼は履物も履かず、ただ佇んでいた。
本作は極めて難解な作品であると思う。十数公演を観て尚そのように思う。その理由の一つは、その「佇む姿が身近に観得ながら酷く遠い」ということにあった。
本作冒頭。斃れたひとりの若者の姿を目にした。彼は立ち上がり、机に向かい文章を書きはじめる。そんな彼に向けて、SPを通して様々な人が言う。「書くのをやめろ」。ひどく耳に痛かった。そんな言葉を前にして彼は尚も書き続ける。「私は」。「私は」、「私は…。」彼は書き続けた。私は、それを観て人ごとのようには思えなかった。
本作は、ひとつにはミュージカルである。そしてそれは表現として、とても「贅沢な作品」であったと感じている。
何故か。それは、「別世界の物語をまるで目の前のことの如く近視的に観ることが出来る作品」であったから、だと個人的には感じている。
本作冒頭。そこに佇む役者は手を伸ばせば届くような距離にありながら、そうすることは酷く憚られた。「触れられるような距離にありながらそうは出来ない」。それは、例えていうならば芝居というよりはテレビ越しに或るドラマを見ているような感じがした。カメラがズームで寄せるように、その役者の息遣いそのものが目の前に聴こえる。けれどもそれは、目の前であるにもかかわらず、別世界のもののように見えた。
そういう意味で、本作はとても良く出来た「ドラマ」だったのではないかと思う。ある一点までは少なくともそうであった。僕の友人が観劇後に言っていた、「舞台と客席と双方の緊張感が、まるでそこに壁を作っているかのようだった」という表現は、僕自身の本作に対する認識とも相違がなかったと思う。
「ドラマ」。硝子の向こうのドラマ。それはどこまで行っても「他人の物語」に過ぎない。如何にカメラが寄ったところで、それが「ドラマ」である限りにおいて、そのことを「事実」と捉えることが何人に為し得るだろうか。僕は、それはとても難しい事であると思う。
では、「ドラマ」の話をしよう。
本作は、ひとりの人間の物語であった。難解に様々に織り込まれつつも、それは疑いのない一点であるように思う。
本作の「あらすじ」を表現することはとても難しい。本作には「四人」の登場人物がおり、その折々において本作の物語は全く別物であるように思われるからである。
まず、冒頭に表れる「超」の話をしたい。彼は、李箱の中の「越えたい自分」像として置かれた人物であった。
このあたりがダブルキャストの妙で。彼は、「求められ克服した自身」と「求められつつも克服し得なかった自身」との両方を纏った人物であったように思う。その違いは両演者が見事に表してくれた通りである。どんな人間の中にも「こうあるべき」と望む自身の姿があることと思う。李箱にとって、その理想を体現したのがこの本作における「超」であった。
超の想いを想像することはとても難しい。それは、彼が「願われた表象」としての人物であることに帰結する。誰であれ、己の中に描く「理想の人物」の像はあることと思う。李箱の描くそれこそが超という人物の存在根底であった。
けれども、「理想」を願われたとしたとて、それはひとりの「人間」である。それを形に出来ることも在れば、出来ないこともあるだろう。私は本作ダブルキャストの各々の立ち居振る舞いの中にその両者を見たように思っている。
まず、日野さんの演じる超。彼は私の目には常に超然としていた。時には海に対する優しささえ交えながら、だからこそ紅に対しては真っ直ぐな対立姿勢を見せていた。彼の横顔には「越えて尚思う憂い」のようなものが感じられた。それは、「理想を体現した己であるからこそ、このように在らねばならぬ」という彼自身の縛りごとのようにも思われた。
一方で、小暮さん演じる超。これは、対照的に「超えようとして尚越えられない己」を強く感じさせられた。彼の演じる超は、どこか「強く在ろう」としながらもそう在れない自身に対する苛立ちと嘆きのようなものが感じられる超であったように思う。理想を目指しながらもそうは在れなかった自身。であるからこその苦悩と嘆き、苛立ちが彼の超からは感じられた。個人的にはとても身近に感じられた「超」なのかも知れない。
全く別物のように演じられながら、その両者に共通していた「超」の姿は驚くほど共通していた。それは「嘆き」である。
本作のトリックについて少し話をしておくべきだろうか。本作は極めて重奏的であり、その中には演じられる役各々の「何を知っていて何を知らないか」ということが緻密に配置されている。そのような作品のなかで、「よく知っている人物」が超であったということは疑いようが無い。
例えば冒頭。紅を誘拐した後で海と超が言葉を交わすシーン。ここで超はどれだけのことを知っていただろうかと考える。
まず、彼は「紅が三越の令嬢などではない」ということを知っていた。知ったうえで、あれを為したのである。何故か、という問いは彼の最初の歌の中にその答えがあるだろう。「秘密は秘密として知られないように」。紅が三越の令嬢と信じ込んでいる海にとって、その言葉はただ単に端数するだけのものでしかなかった。けれどもそれが「嘘」であることを知っている超にとって、それは全く異なる意味を持つ。「秘密は秘密として」。それは面と向かった海に対する秘密であった。海にとっては単に「向かい合って言葉で確認し合う」シーンが、超にとっては全く異なる意味を持つ。それは「騙す相手であるところの<海>に向けて己の言葉で確認をする」という一場面なのである。このことに気づくだけでも本作を観劇する人はビリビリしびれるような感覚を味わったことだろう。
ちげえ!こんな話をしたいんじゃあない。
本作は、一観客の立場として、痺れるような想いを持ちながら淡々と進む作品であった。
それは、客席と舞台との双方に漲る、「これを見届ける」という緊迫感に支えられた作品であった。
ビリビリと痺れるような気持ちを抱きながら淡々と観劇した。
そこに居たのは、「ただの観客」たる私自身の姿であった。
先に「ある時点までは」と記したと記憶している。
確かに、本作において「ある時点までは」、舞台と客席とは明確に分かたれていたように思う。
それは互いの緊張感によって、「ある時点までは」。それが、何処であったかを僕は記憶しない。
「瞳」。そう言われた瞬間に降り注いだのは、「その舞台を映像のように眺める自身の眼差し」そのものであった。
本作、役者陣は徹底して「その役そのものである」ことに意識を振り向いていたように思う。それは僕自身がよく知るひとりの役者の在り様にもよく表れていた。普通、ライブなどであれば「目が合う」というのは緊張感を伴う何らかの邂逅であるだろう。それはその互いの中に己の姿を見るからだと僕は思う。けれども本作の中において、どれだけ近くで目にしたとしても、それはライブのそれとは異なっていたように僕には感じられた。
「視線がぶつかるのに交わらない」。そのときに僕が感じた印象を丁寧に言葉にすればこのようになる。互いの視線が「交わる」のではなく「ぶつかる」。そういう印象があった。そこに僕が観たのは「役者本人」ではなく、それがそのまま内側に注がれた「役自身」の姿であった。それは「物語の中を生きる人物」の目線であり、従ってそれを鑑賞する僕自身の視線とは「ぶつかる」ことはあっても「交わる」ことはなかったと感じている。
以前から少しではあるけれど感じていた。役者は、「役」足り得ようとすればするほどに、僕らの前からその姿を消してしまう。
何故か。そのようにして臨む役者の姿は、それがその理想に近づけは近づくほど「役者」ではなく「役」自身の姿になるからである。
物語の中を生きる「役」そのものでる役者に対して、物語の外側からそれを観る我々が、視線を交えることが在り得るだろうか。僕は、否であると思う。
今回、本当に間近でそのお芝居を拝見することが出来た。とても嬉しかった。けれどもその視線は決して「交わるもの」ではなかったと感じている。何故ならば、私の見ている相手が「役者」であり、「役者」として「役」足らんとした姿そのものを私が見ていたからである。
互いがそのようにあろうとしたとき、そこに交わる視線はない。何故か。「役」は「役」であるからという他無いであろう。
私自身としては、そういうことを嬉しく思う。視線が交わらない事は「役者が役自身足り得よう」としていることを意味するし、そのようにして臨まれる作品は、よりよい形で作品として私たち観客の中に存在できるだろうなあと思うからである。
けれども、同時に悔しくも思う。
そのようにして役者の手で丁寧に描かれる作品の中に、己の姿は存在しないからである。
先に「ある時点までは」と記したと記憶している。
間違いなく、その「壁」はある時点までは存在していたと僕は思う。
触れたいと願っても手を差し伸べることさえできない。そういう壁があったと思っている。
「ある時点までは」。僕はそれが嬉しかったし幸せでもあったのだろうと思う。
「ある時点までは」。既にこれをお読みの聡明な諸兄は想定している事だろう。本作の中で「ある時点までは」存在していた硝子の壁は、ある時点において粉々になり、一切を失うこととなった。
それがいつだっただろう、と考えるとこれが中々難しくもある。
少なくとも、本作の中には「硝子の壁」があったと僕は感じている。それは間違えようもなく、舞台と客席との間に厳然と存在していた。僕は、それがあったからこそ、あれだけ近い距離でありながら、「安心」してそれを「作品」として観ることが出来たのだ。
「硝子の壁」。それは、役者が「役足り得よう」とする圧力であり、観客がそれを「鑑賞しよう」と務める圧力であったのではないかと僕は思う。そこには明らかな線があった。あの舞台の上の「四角」が構成する平面よりも確かな手触りを以て、明らかに少なくとも僕には、その存在が感じられた。役者と観客とは、分かたれている。
けれども本作終盤において、その壁は失われることになる。あれを「演出」というのか「芝居」と呼ぶべきなのか、僕には分からない。けれども確かにそれは粉々に砕け散ってしまった。
僕にとってそれは、片手に頼りにしていた支えを失うようなことであったように思う。
「瞳」。そう言われた時に、心の底からどきりとした。そういわれた瞬間、確かにそれを観ている自らの視線が存在していることを感じたからだ。
「瞳」。役者が演じる何らかの物語。そこには常に観客の視線があり、瞳がある。
「瞳」。寧ろ、それが無ければその作品は「作品」として存在することさえ難しいのかも知れない。
「瞳」。けれども、そんなことさえ知らず、僕はそれをただ観ていた。
「瞳」。其処に居合わせた、僕は「作品」を観る観客の一人だった。
「瞳」。それは本作の主人公たる李箱の最も恐れるものであったと本作は解く。その瞬間、僕の中にはこのお芝居を観ていた自らの在り様がどうしようもなく省みられた。「瞳」。それは確かに、「作品」に関わる僕自身の姿であった。「瞳」。本作を観劇するにあたって、氏の詩を読んだ。「瞳」。まるで理解が出来なかった。「瞳」。僕は、それを他人事のように受け取った。「瞳」。僕は、まるでテレビのニュースを見るみたいにして、それを「他人事」のように観ていた。「瞳」。そう呼ばれるそれは、僕自身の瞳に他ならなかった。
「他人事」���はなかった。それは、「他の誰か」ではなく、それを観ていた「私自身」の物語だったのである。
「私自身の物語」である本作について、他人の言葉を借りることは不適当であると思う。従って、以降は私自身の感想を綴る。
思ったのは、『true tears』みたいだな、ということであった。それは、仔細に富み「歩くこと」「飛べること/飛べないこと」が語られたことは勿論ながら、その終わりの姿に表れていたように思う。
本作の終わりを、僕は「希望に満ちた」みたいな言葉で表すことができない。それは、僕にとってとても心苦しく「嘘」をつくことに他ならない。
本作の終わり。それは、一人の藝術家が己の人生を受け入れ、その上で「こうしよう」と定める姿として描かれている。とても印象的だったのは、物語のオープニングでは「今の私とは<違う>姿だ」と願われていたそれが、様々な観点から受容されるようにして自らの内に流されてゆく姿だった。それはその各々に対して、時には切なさと愛情をもって、時には怒りと悲しみをもって、「そうよ」という言葉と共に、そこに苦い想いをも確かめながら歩みを進めようとする人間の姿であったように思う。本作の主要人物3名、<海>、<紅>、<超>には、その其々が内包する苦しみも嘆きも哀しみもあった。本作の序盤はそれらを「克服」しようとする物語であったように僕には思われる。
その「克服」は、今の自身とは<違う>姿として描かれていた。海と紅のシーン、穏やかでありながら胸が締め付けられる様だった。それは、何も知らない海を「導こう」とする紅の姿にであり、導かれるままに行く海が確かにそこに辿りつけるならば、それは幸福な事だろうと思われたからである。けれどもそうはならなかった。何故か。彼には既に「彼自身の歩んできた人生」があり、海はそういう自らの歩みに背を向けていたにすぎないからである。過去が本当に「無」く、全てがこれからなのだとしたら、そこに描かれ得るものは多くあることだろう。けれども、現実にはそうではない。そしてその事は他でもない、海へと向けた紅自身の眼差しに明確に表れていた。彼女の苦しみの多くはそういった部分にあったのではないかと想像する。彼女は李箱の中の「いつかたどり着きたい希望」であり、「素朴な願い」であり、それは彼の母であり、姉であり、妻の姿をしていた。けれども同時にそれそのものが彼を追い詰める端緒にもなったのではないかということが本作の中では語られている。本作冒頭で海が紅に噛みつかれるシーンは、李箱の作品中にも描かれている自身の話である。遠い願い。得られない夢。だからこそ遠ざけようとした、それは彼自身にとってのあたたかな気持ちそのものでもあったのかも知れない。
一方の「克服」され得た姿はどうか。これは先にも書いた<超>の在り方の中に表れていたように思う。役者によって異なる姿ではあったが、彼は一面においては「克服して尚救われない想い」に、もう一面においては「克服しようと努力して尚克服し得ない自身」に苦しめられた人物であったように思う。その強さは主に海と向かい合うシーンに表れ、その弱さは主に紅とぶつかり合うシーンに表れていた。痛いほどに響く。彼の「もう限界なんだ」という言葉だけは、その両者に共通した思いであったように思われてならない。
では、その両者に迫られた<海>はどうなのか。
彼は芝居の上で言うならば、本作の中で最も難しい役柄だったのではないかと思う。彼は3人の中で最もモノを知らず、戸惑いながら、震えながらそれを受け止める役割だった。素朴な少年が、その人生の中で得てきた痛みと喜びとに向き合い、ひとりの「自身」になってゆくような役柄だった。
運よく、彼の豹変する場面を見ることが出来た。「信じられない」と疑いながら、けれどそれを「知っている」という感覚が全身を支配してゆく。そうして振り向いた彼の表情がひどく穏やかで、そのことがとても悲しかった。僕はその表情を知っているような気がした。
李箱という人の歩みを改めて辿ってみると、その何処にも救いがない。貧しく生まれて親に捨てられ、細々と生きながら望む生き方は出来ず、求められるまま官吏となり、そこで見出された文才をたよりに作品を記してみれば「狂人のたわごと」と組み伏せられる。彼の作品で今日まで最も評価されている「翼」を記した翌年、失望の内に日本へと渡り、その先でもまた失望を見て世を去る。それが現在に記録される彼の人生である。その何処に救いがあるのだろうかということを、改めて作品を読みながら僕は思う。
けれども、本作の終わりは決してそうではない。
本作の終わりは、「変わること」への否定として描かれている。「才ある人間でありたかった」という望みも、「誰かに愛されて生きたかった」という願いも、「そう生きては来られなかった」という事実を以て、「それは変えられない」という痛みと共にそれを受け入れてゆく彼の姿が、その中では描かれている。残念ながら僕の87頁の中にそのシーンは殆ど記されていない。ただそれを観ることに精一杯で記す余裕がなかったからだ。けれどもそこで描かれていたものがどんなものだったかは分かる。分かるつもりでいる。
本作の終わり。そこには一切の救いがなかった。変わりたかったひとが変わることも、誰かの想いがそこに届くことも無かった。そこに在ったのはただ一面の<くらやみ>である。けれども、そこに彼は<光>を見る。<くらやみ>だからこそ、<光>を観るのである。それは人間にとって、救いでもなんでもない。ただひとつ、これまでの己を受け入れ、その上で「この先自身がそうしてゆく」と定めること。ただそれだけ。ただそれだけの決意がそこにはあった。
眩しかった。眩しくて仕方がなかった。
本作の中の壁は、本作の途中で崩れて消えた。そこに居たのは、<作品を観る私>自身に他ならなかった。この作品に描かれていることが、まるで私自身に向けて言われているように感じられて仕方がなかった。それはひどく痛く、苦しいものでしかなかった。それは私自身のこれまでを舞台という硝子越しに見せつけているように感じられたからだ。けれども硝子はもう無かった。そこにまっすぐに突きつけられたのは、「あなたはどう生きるのか」ということであった。
私に、僕に、それを選び取ることが出来るのだろうかと僕は、私は自らに問う。自らのこれまでをまっすぐに受け入れ、その上で「そうすることしかできないのだから」と歩みを進めることが出来るのか、と自らに問う。僕にはその自信は全くなかった。けれども、この作品に触れて今、「そうするしかないのだろうな」と思わずには居られない。なぜなら、これは他でもない私の、僕自身の物語だと思うからである。
最後に、恐れを捨てて率直な本作の感想を述べておわりにしたい。
声が聴こえた気がした。
「それが私の翼」
そう聴こえた気がした。
僕が大好きな作品の終わりに置かれたその言葉の意味を、僕はこれまで長い事誤解していたのかも知れないと思った。
それは、「眞一郎がそう信じること」なのだと思っていた。
けれど、それは違ったのかも知れない。
「私はまだ飛べないから、歩いてく」
それは、ただ単に彼女自身がそのことを受け入れて、自らそう決めて歩もうとする背中だった。
「凛々しい」。そう思った背中は、そういう背中だった。
そんな単純なことを、10年間も誤解していた。
正直に告白してしまえば、涙が出た。
心が震えるということは、こういう気持ちを言うことで良いのだろうか。
それは僕にもまだ分からない。
ただ、あの時あの瞬間見えた翼に、あの声が重なって聴こえたことだけは、僕にとって疑いようもなく確かな事だったと思う。
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otona77mtb · 4 years
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由実さんが新譜を出したらしく、宣伝を兼ねてなのか最近は頻繁にTVメディアに登場しているらしい。 でもボクはその新譜に興味はひかれない… 歌声や曲はこの頃のほうが好きなんだよ。 #流線形80 #黒ビニール #いわゆる #レコード #ユーミン #松任谷由実 https://www.instagram.com/p/CIlDa4pDDl0/?igshid=1ete229sj2nd8
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sorcjapan · 4 years
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ジャームス・リジィのジャケもクールでサウンドも負けずにクール✨✨  洗練され過ぎててボクには向いてない...と仰るお客様と一緒にこのレコードを聴きながら本日は閉店😉国内盤は音圧高めのような気がします。   今週もご来店ありがとうございました❗️次回店頭営業日は9月16日(水)14~19時☝️よろしくお願い致します🎶   皆さまにはHappy Weekend🌈🌈   https://sorc.theshop.jp/items/28715042   #sorc #レコード #vinyl #records #LP #黑胶唱片 #音乐 #vinyllover #vinyljunkies #vinyladdict #vinylcollector #recordsforsale #vinylforsale #recordstore #recordshop #中古レコード #名古屋 #覚王山 #レコードショップ #レコード好き #レコードが聴ける店 #tomtomclub #JamesRizzi #おしゃっべり魔女 #ジェームスリジィ (SORC 60's-70's Used Records) https://www.instagram.com/p/CFCNk2MJRok/?igshid=1d2wfgp1gdz32
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ryota-yasuda-peco · 5 years
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【告知】Ryota Yasuda Peco 原画展「あなた」
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【Ryota Yasuda Peco 原画展「あなた」開催!】
ボクの大好きなALL YOURSのお店でやります。本当に大好きなんです。昨年夏ごろ出会ってから、いまや週7でALL YOURSの服を着ています。ファンのひとりです。
https://store.allyours.jp
ボクが服というものを大好きになったのもALL YOURSがきっかけです。一着一着からこだわりと情熱が溢れ出ていて、着ると毎日それだけでパワーをもらえます。
ALL YOURSは、すべてのブランド・サービス・形(かたち)が「あなた中心」であることを大切にしており、その想いは、服からも、服が完成する過程からも、ボクらの手元に届く瞬間からも、店舗からも、ALL YOURSのみなさんからも、すべてから感じることができます。
ALL YOURS代表挨拶のWEBページは、ボクの大好きなページです。ぜひみなさんにもご覧いただき、まずはWEBからALL YOURSについて体感してもらいたいです^^
https://allyours.jp/company-profile/#greeting
「つどい、楽しみをつくる場所」とお店のことを定義し、どんどん進化する場を目指していて、いつだって未完成であるそうです。そんなALL YOURSの居場所が、ボクはとても居心地よく大好きです。遊びに行くと毎回つい長居をしてしまいます(笑)
https://allyours.jp/access/#access
ロゴもステキです。『ALL YOURSの姿勢がそうであるように、このロゴもまた「常にあなた(U)が中心」にあってその立ち位置が決まります。ゆえにその位置は、時に世界の中心からズレているようにも見えますが、大切なのは世界の中心でも自分中心でもなく「あなた中心」であること。』と、制作されたグラフィックデザイナーの方がおっしゃっています。
https://allyours.jp/company-profile/#logo
ALL YOURSのみなさん、おひとりおひとり、とても個性的で魅力的で大好きです。ぜひ実際に店舗でお会いしていただきたいですが、ブログにおひとりおひとりの自己紹介の記事が公開されていますので、店舗になかなか行けない方もぜひチェックしてみてください^^
https://allyours.jp/blog/
まだまだALL YOURSについて語りたいことは山ほどありますが、一旦この辺でやめておきます(笑)そんな大好きなALL YOURSの居場所で原画展を開催できることを誇りにおもうとともに幸せな気持ちでいっぱいです。
いま現在ボクは、人生すべてが芸術活動であると考え、この命を「自分の好きなことをやり続ける人があふれる世界をつくること」に集中して日々を生きています。
ボクの好きなことの定義は、「人になんと言われようが、周りから評価されなかったとしても、やっているだけで楽しくて夢中になれること」。いまこの一瞬一瞬を常に好きになれることが大切であると信じ、全身全霊を捧げ、この原画展の準備を進めてまいります。
ご興味ご都合あう方がいらっしゃいましたら、ぜひこの原画展「あなた」にお越しいただき、思う存分にお楽しみくださいますと幸いです^^
では、みなさん、よき人生を。
すべてに、心からの感謝をこめて。
2019年10月22日(火)
Ryota Yasuda Peco
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【開催概要】
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■タイトル|
Ryota Yasuda Peco 原画展「あなた」
■概要|
自らの作品を「模様芸術」と題して活動を続ける芸術家、Ryota Yasuda Pecoの原画展です。タイトルは「あなた」、展示コンセプトは「あなたが、あなたに向き合う瞬間」。
自らの作品にコンセプトはなく鑑賞する人が感じたものがすべてであると考えております。そのため、模様芸術を通じて芽生える「ご自身の感情や思考、こころ・あたま・からだの動きなどのひとつひとつ」をぜひ大切にしていただきたいと願っております。
会場は、“すべてのブランド・サービス・形(かたち)が「あなた中心」であること”を大切にされていらっしゃるALL YOURSのお店です。ボク自身、ALL YOURSの服を週7で着ておりファンのひとり。店舗を「つどい、楽しみをつくる場所」とALL YOURSでは掲げており、居心地がよくボクも大好きな場所です。ぜひお気軽にお越しくださいませ。
人生すべてが芸術活動であると考え、いまこの一瞬一瞬を常に好きになれることが大切であると信じ、「自分の好きなことをやり続ける人があふれる世界をつくりたい」と日々を生きております。
作品にコンセプトはないと述べましたが、そもそもとして、絵を描く過程その一瞬一瞬が常に大好きです。死ぬまで絵を描き続けようと決めています。自分自身に中心を置くことは勇気のいることかもしれません。ただ、その先の景色に想いを馳せながら、「あなたが、あなたに向き合う瞬間」をぜひお楽しみくださいますと幸いです。
2019年10月21日(月)
Ryota Yasuda Peco
■会期|
2019年11月01日(金)〜2019年11月10日(日)
■時間|
ALL YOURS STOREの営業時間に準じます
■会場|
ALL YOURS STORE
(〒154-0001 東京都世田谷区池尻2-15-8 1F)
https://allyours.jp/access/#access
*東急田園都市線 池尻大橋駅東口出口から徒歩5分
■観覧料|
無料
■在廊予定|
11月01日(金)15-21時
11月02日(土)12-20時
11月03日(日)12-20時
11月04日(月・祝)12-20時
11月05日(火)19-21時
11月06日(水)15-21時
11月07日(木)16-21時
11月08日(金)15-21時
11月09日(土)12-20時
11月10日(日)12-20時
<2019年10月30日(水)03:20現在>
※変更がある場合は更新してまいります。
■展示アーティスト|
Ryota Yasuda Peco
芸術家/DJ。2014年に芸術活動開始。0.05mmの細いペンで絵を描き、自らの作品を「模様芸術」と名付ける。各作品にコンセプトはなく鑑賞する人が感じたものがすべてであると考えている。人生すべてが芸術活動であると考え、使命は「自分の好きなことをやり続ける人があふれる世界をつくること」。好きなことの定義は、「人になんと言われようが、周りから評価されなかったとしても、やっているだけで楽しくて夢中になれること」。あだ名は「ペコ」。ちなみに「模様芸術」という言葉はRyota Yasuda Pecoの勝手な造語です。
<主な展示実績(2018年)>
・個展 Ryota Yasuda「?と!」@京島長屋
https://ryota-yasuda-peco.tumblr.com/post/171973017733/
・個展 Ryota Yasuda「?と!」@日本一ハードルの低いレコード屋 block
https://ryota-yasuda-peco.tumblr.com/post/177653943728/
・展示 Ryota Yasuda「?と!」@スターバックスコーヒー 池尻2丁目店
https://ryota-yasuda-peco.tumblr.com/post/179181834733/
<各種情報>
・Facebook
https://www.facebook.com/RyotaYasudaPeco/
・Instagram
https://www.instagram.com/pecoespresso2/
・Twitter
https://twitter.com/RyotaYasudaPeco
・YouTube
https://www.youtube.com/channel/UCZ44zwC0YuXpWo9qIgR1wkQ
・SoundCloud
https://soundcloud.com/user-567658204
・WEB
https://ryota-yasuda-peco.tumblr.com
■その他|
原画の展示ほか、会期中の在廊、ライブペインティング、原画・グッズなどの販売、最終日にはクロージングパーティー開催などを予定しております。詳細が決まり次第、Facebookイベントページに順次ご案内いたしますのでぜひお楽しみに。
・Facebookイベントページ
https://www.facebook.com/events/765694730544536/
■お問い合わせ先|
[email protected] (Ryota Yasuda Peco)
■主催|
Ryota Yasuda Peco
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barplasticmodel · 7 years
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悪魔と11人の子供達 / ブルース・クリエイション(篠原章)
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『悪魔と11人の子供達 』 ブルース・クリエイション (1971年(CD再発盤98年)) 日本コロムビア
はっぴいえんどとの出遭いは1970年にまで遡ります。あれから47年、ほぼ半世紀もの歳月が流れたのに、いまだにはっぴいえんどから足ヌケできていません。「人生ほぼはっぴいえんど」なんて、客観的に見ると、どこかおかしいんじゃないかと思うこともあります。
周りをみわたすと、人生ほぼビートルズとか、ストーンズとか、石原裕次郎とか、市川雷蔵とかいう連中ばかりですが、なんだかんだいっても、これらのアーティストは皆(元)アイドル、またはビッグ・スターですからね。はっぴいえんどはアイドルでもビッグ・スターでもなんでもありません。少々薄汚い、売れなかったジャパニーズ・ロック・バンドでした。
などと書き始めると、ここでもはっぴいえんどについて書くんじゃないか、と思うでしょうが、自他共に認める「はっぴいえんど系」の私も、もうあまり先が長くありません。そこでこのコラムでは、はっぴいえんど系・非はっぴいえんど系を問わず、「記憶のゴミ箱」をあちこちつつきながら、今まであまり触れたことのないアルバムやアーティストについて書き綴っていきます。ちょっとした遺書みたいなものですね。
で、第1回目のアーティストとして選んだのはブルース・クリエイション、取り上げるアルバムは『悪魔と11人の子供達』です。今や知る人ぞ知るバンドになってしまいましたが、1970年代前半の東京では間違いなくNo.1のブリティッシュ系ロック・バンドでした。
1970年代の日本のロック・シーンには3人の天才ロック・ギタリストがいました。東洋のちっぽけな島国に「3人の天才ロック・ギタリスト」とは、神様もずいぶん大サービスしたものですが、うちひとりがこのブルース・クリエイションの竹田和夫だったのです(他の2人は鈴木茂と高中正義)。
彼らのことを知ったのは1970年。ブルース・クリエイションは、『ニューミュージック・マガジン』のライブ情報の常連だったのです。が、観たことはありませんでした。当時は山梨県甲府市に住む中2でしたから、新宿まで2時間弱といえ、両親がライブ通いなど許そうはずがありません。
後に「ナイアガラ音頭」で有名になる布谷文夫が、ボーカリストを務めた第一期ブルース・クリエイションのファースト・アルバム『ブルース・クリエイション』は、1970年時点ですでに出ていたのですが(1969年10月リリース)、当時の日本ロックをめぐる情報環境は劣悪でしたから、このアルバムの存在は知りませんでした。『ブルース・クリエイション』は、だいぶ後になってから聴きましたが、竹田和夫の天才ぶりはよくわかるものの、折角の布谷文夫の声を生かしきれていない、ショボショボのブルース・ロックだと思いました。
1971年8月、両親を説得して、数人の友人たちと第3回全日本フォーク・ジャンボリー【岐阜県椛の湖畔(中津川市)で開催】に出かけました。いわゆる中津川フォーク・ジャンボリーですね。無論お目当てははっぴいえんどですが、2日間にわたって数え切れないほどのアーティストを観ることができました。そのなかにカルメン・マキ&ブルース・クリエイションがいました。ブルース・クリエイションが、「時には母のない子のように」からロック歌手に転身したばかりのカルメン・マキをサポートしていたのです。
1971年のブルース・クリエイションが「黄金時代」で、メンバーは竹田和夫(g)、大沢博美(v)、佐伯正志(b)、樋口昌之(d)。大沢を除くブルクリがカルメン・マキのサポートを始めたのもこの年のことでした。アルバム『カルメン・マキ/ブルース/クリエイション』も1971年9月に出ています。
カルメン・マキ&ブルース・クリエイションはメインステージの出演者でした。迫力はありましたが、マキの声がずいぶんうわずっていたという記憶があります。こちらがジャニス・ジョプリンみたいなパフォーマンスを期待していたせいもあったかもしれませんが、「まだロックに慣れていない」という印象でした(カルメン・マキ&OZの時代になるとその印象は一変します)。ブルース・クリエイション単独のステージも、サブステージで予定されていたと思いますが、見逃したか、それとも同時刻に他のステージにいたのか、まったく憶えていません。
ブルース・クリエイションがナニモノかよくわからないまま、1971年8月にリリースされたセカンド・アルバム『悪魔と11人の子供達』を買いました。当時の甲府のレコード屋で日本のロックものを探すのは至難の業でしたが、偶然にもいつもレコードを漁っていた「飯島楽器」に入荷していたのです(このレコード店も今はもうありません)。甲府には中古盤屋はないし、レンタル屋もまだ存在しない時代ですから、1か月にアルバムを1枚買えるかどうかの小遣いのなかで、まさに「苦渋の決断」。棚に並ぶ英米ロックの新譜を観ないようにしながら、レジでお金を払って自宅に直行しました。
おそるおそる針を落としてぶったまげました。今ならNGタイトルですが、1曲目の「原爆落とし」はまさに英国系轟音。クリーム、ジミヘン、テンイヤーズ・アフター、レッド・ツェッペリンなどといったブリティッシュ・ハード・ロックに夢中になっていた時期でしたから、ジャストフィットです。聴いて間もなかったブラック・サバス『黒い安息日』(1970年)にも通ずるサウンドで、体の芯から打ち震えました。大沢博美の「アイ・ドン・ラブユ〜、エニ〜モア〜」という日本人英語は鼻につきましたが、竹田和夫はギターだけでなくボーカルも実にブルージー、ヘヴィなサウンドと斬新な楽曲構造にしてやられました。キーボードは入っていませんが、ギターをダビングして、ツイン・リード風にやっているところもカッコよかったのです。
ででで、忘れもしない1971年12月9日@山梨県民会館大ホール。ブルース・クリエイションがあのはっぴいえんどと一緒に甲府にやってきたのです。私にとって両巨頭相集う、こんな奇跡があろうものかと八百万の神々に感謝しました。おまけに仲の良かった先輩がたまたまライブの共催者で、私めはなんとローディーに任命されたのであります。ケーブルのつなぎ方さえ知らないのに「任せてください。ご安心を!」と売りこんだのですから、中学生ながら相当なタマだったわけです。
ケーブルやPAの準備やチェックは、結局、鈴木茂と竹田和夫を中心に先輩連がやってくれて、私はただただ感慨に浸りながら見物していただけでしたが、竹田和夫と大滝詠一が談笑するシーンまで目撃し、「えっ、ブルース・クリエイションとはっぴいえんどって仲がいいんだ!」とはしゃいだのを憶えています。「俺の選んだ道は正しかった!」と自慢したくなりました。
ライブの中身はというと…。実は情けないことに何も憶えていないのです。曲目も演奏も。相当舞い上がっていたんでしょうね。二組の「最高峰」がそこにいるだけでボクは幸せでした。「はっぴいえんどとブルース・クリエイションと一緒に日本のロックを創るんだ!」と考えながら、ステージを観ていました。裏方なんぞ手伝わなければ、もっと冷静だったと思います。
余談ですが、この日のライブはU.R.Cの仕切りでした。URCというとアンダーグラウンド・レコード・クラブ、即ちURCレコードを想い起こす人が大半でしょうが、この場合のU.R.C.は「浦和ロックンロールセンター」です。安全バンドや四人囃子のマネジメントなどを引き受けて活動するグループでした。ネットで見たら、まだ健在みたいですね。凄いことです。
翌1972年、東京の高校に進学しました。日吉の学生アパートで一人暮らしです。「お金の続く限りライブもレコードも」と意気込んでいましたが、なんとブルース・クリエイションは上京後まもなく解散してしまったのです。しかし、当時、中学の仲間を集めて結成していたバンドでは「ブルクリ完コピ」に挑み、『悪魔と11人の子供達』収録の「原爆落とし」「悲しみ」「脳天杭打ち」「スーナー・オア・レイター」をほぼ完コピして、学園祭などで披露していました(担当はギターとボーカル)。「原爆落とし」を聴くと、今でも体と指先が熱くなってきます。ホントは、はっぴいえんども完コピしたかったのですが、入っている楽器の種類が多いだけでなく、和声(コード)が難しくて音を取れなかったので断念しました。
ところで、竹田和夫と大滝詠一の「関係」については、興味深いエピソードがいくつかあります。
1969年頃のことですが、大滝は布谷文夫を通じて交流のあったブルース・クリエイションと行動を共にしていました。布谷のアパートで、一晩中レコードを聴きながら布谷、竹田とポップスやロックについて語りあい、朝方3人で早朝ボーリングに出かける、といったような生活を送っていました。ブルース・クリエイションがステージに立つときは大滝も同行して、ときには「500マイル」をエルヴィス・スタイルで歌うこともあったといいますから、今思えばびっくりするような話です。当時すでに大滝と面識があった松本隆は、「ブルース・クリエイションのマネージャーみたいなことをやってる人」「麻雀のときやたら怒鳴る人」という大滝観だったようです。
ある日、布谷のアパートに入り浸っていた大滝が、同じく入り浸っていた竹田に、「俺、こっちの方(B面)が好きだ」といわれ、それまで放っておいたバッファロー・スプリングフィールドのシングル「フォー・ホワット」(B面は「ドゥ・アイ・ハフ・トゥー」)を聴くことになったと伝えられています。大滝はこのときバッファローの良さを初めて理解し、それを細野晴臣に伝えたことではっぴいえんどに誘われます。また、「やっぱりオリジナルを自分でやった方がいいよ」という竹田のアドバイスで、大滝が「初めて音楽に趣味以上のものを見出した」というエピソードも残されています。大滝詠一がはっぴいえんどで活躍し、アーティスト・作曲家として大成するきっかけは竹田和夫によってもたらされていたのです。人と人の縁とは実に異なものです。
今、『悪魔と11人の子供達』を聴くと、「あれれ、このベースライン音がずれてるじゃん」とか「ドラムの音が悪いねえ」とは思いますが、当時の興奮は鮮やかに甦ってきます。と同時に、あの頃の日本ロックのアンダーグラウンドでモニョモニョとした胎動や、なんだか妙に青臭かった東京の空気が愛おしく思えます。
【篠原章(批評.COM主宰・評論家・経済学博士(元大学教授))】 1956年生まれ。音楽分野の主著に、『J-ROCKベスト123』(講談社・1996年)『日本ロック雑誌クロニクル』(太田出版・2004年)、おもな共著書に『日本ロック大系』(白夜書房・1990年)『日本ロック大百科』(宝島社・1992年4月)『はっぴいな日々』(ミュージック・マガジン社・2000年)『大滝詠一スクラップ・ブック』(ミュージック・マガジン社・2015年)など。経済や沖縄問題に関する著作も多い。 ■公式サイト:http://hi-hyou.com ■twitter:@akiran0723 ■Facebook:akira.shinohara1
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innervision-dai · 6 years
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Changes
時間は進む、過去から現在へ。その経過とともに人や街、風景などは姿・形を変える。
「ここも、私たちも、あれからずいぶん変わったなって思いました」-
静かに見つめる観衆に向かい高いステージのその中心に立つ女の子は、そう言った。
youtube
これは渋谷の街が変化を始めた頃、アイドルブームがまだ上り坂にあった夏の日。
渋谷の駅から電車で一本。都内最古の寺・浅草寺を中心に江戸風情が今も残る街、
東京・浅草。その町の中心、浅草六区に伸びた行列に、ボクは並んでいた。
モーニング娘。やAKB48、ももいろクローバーなどアイドルの人気は地方まで広がり、
少し前から、全国各地で過去にない勢いでアイドルが次々と誕生していた。
そんな地方発のアイドルが東京に会す、そのステージを見ようと集まった人たちが・・・
炎天下の中、浅草にできた行列の正体だ。そうなの・・・。
これは、タピオカやBALENCIAGAが放つスタイリッシュさとは掛け離れた話であーる。
でも夏の陽射しの中を並ぶ人の風景は、そのままシーンの熱さを表していたように思う。
ちなみにこの半年前、ボクはそれまで熱を入れていたアイドルグループを離れた・・・
そして東京発のアイドルから、”AM1:27”の夜空で煌めく星のごとく遠く離れた場所から
光を放つ、地方を拠点に活動をするアイドルグループを進んで見るようになっていた。
時は、俗にいう「アイドル戦国時代」。
可愛さ・音楽性・パフォーマンスなど、ハイレベルなアイドルがバブルのように現れ、
ボク自身は、もう1つのグループに絞って応援をする事はないだろう、と思っていた。
時計の短針が上り坂を描き、文字盤の右上を指した午後2時。行列が動き始める。
太陽が照りつける屋外から”おいで夏の境界線”へと手招きされる様にエアコンが効いた
エレベーターに乗り、上がった場所にある会場。そのキャパシティは、最大で250人。
ラインナップされたアイドルは、 東は宮城から西は広島まで 計7組。
全国的に知名度はまだそう高くないグループが大半だったが、フロアは・・・
「王様のブランチ」で紹介された後のおしゃれカフェ並みに、満杯の状態だった。
どのアイドルが好きになるかは人それぞれだと思う、ボクの場合は「曲」を優先する。
そのためイベント中盤に登場したそのグループのルックスの記憶は、この時も今も薄い。
老化に伴う消えゆく記憶で思い出すと、金髪や茶髪、縦巻きパーマ、カラコンなど
北九州か沖縄の成人式クラスの威勢がイイ女の子が集まったグループ。でもね・・・。
そんな彼女たちが披露した1曲は、今も記憶に鮮明に残る強いエモーションがあった。
Boom Boomと鳴る低音にキラキラの上音が乗った今でいうエレクトロハウス調の曲。
あとで知ることになるが、その曲は1ヶ月前に発表されたばかりの新曲だった・・・
そんなMiracleと偶然が、彼女たちとの出会いだった。
2時間近いイベントが終わり、フロアの各所に置かれた出演グループの物販ブース。
彼女たちのブースは 会場上手にあった。長テーブルの後ろに一列に並ぶ、先程まで
ステージに立っていた女の子たち。ただし基本的に、メンバー同士のお喋りに夢中。
そのためボクレベルに影が薄い、下町ロケットか私立恵比寿中学ばりの「ゴースト」など
見えていません。
だから「今日最初にやった曲はどれですか?」と運営さん(※男)に話し長テーブルに並ぶ
3枚のCDから1枚を購入した。そんなトキメキ!と、とまどい?が同居する・・・
映画「ナイトメア・ビフォア・クリスマス」のような、彼女たちとの奇妙な軌跡の始まり。
でもこの日からプレーヤーでその曲を何度も聞き、そしてYouTubeで公開されていた
白バックという、ありふれた 場所で撮影された歌とダンスを鮮やかな色のCGで染めた
まだ再生回数の少ないミュージックビデオを繰り返し見た。そのグループの名前は・・・
「ひろしまMAPLE★S」という。
この時で、結成から「1年7ヶ月」が経っていた。
グループ名の通り、広島県のコンセプトカフェに所属しながら、定期的に実施される
ファンの方の投票により選抜された10人が全国へ行きライブをしていることを知った。
・・・Yahoo!知恵袋に質問をしてネ!
活動の拠点は東京から西へ、約680キロ遠く離れた広島。
そのため東京に来るのは月1度ほど。だから次に見たのは、1ヶ月後の夏の終わりだ。
場所は渋谷から”山手線”で3駅いった、新宿。会場は、最初の浅草よりも広い。
でも、ひろしまMAPLE★Sを目当てに会場に来ていた人の数は10人に満たない。
それでもステージで披露される曲、さらに10人が描くパフォーマンスは魅力的だった。
始発列車はまだ来ない、夜明け前。人がまだ溢れる前の渋谷駅前の交差点と似た・・・
人が行き交うスペースのあるフロアへ、月に一度行くボクの日々は、こうして始まった。
季節は、夏から秋へ。”青空が違う”色を纏い始めたが、ひろしまMAPLE★Sが見せる
ライブは変わらず毎回が楽しかった。オリジナル曲はまだ多くなかったが、
クラブミュージックやポップスがベースにある曲はボクの好みに合うモノが多かった。
毎回曲順を変えるセットリストも、曲やグループの魅力を毎回違った形で見る事ができ
さらにアイドルの好みが異なる多くの人に届けたい、 そして君を振り向かせたい・・・
そんな挑戦や可能性、広島の乙女達のアンビシャスに溢れて映った。
でもCleverに活動していた彼女たちも、東京での集客は中々変化が表れなかった。
当時の、広島での人気をボクは知らない。理由は・・・、「バカ」だから。
でも東京のライブは、”最前列へ”いつも行けた。ライブ後の特典会もメンバーの半数が
暇な時間をつくり、固定のファンの方がいたメンバーでも、5~6人が並ぶほどだった。
それでも、アイドルになり東京というシーンの中心地でもステージに立っている事が・・・
彼女たちにとっては楽しいように見えた。そしてボクは、「それで良い」と思っていた。
売れて欲しいなんて気持ちよりも、ひろしまMAPLE★Sが一生続いて欲しいと思っていた.
グループの真ん中に立つ女の子に、こう言われたことがある・・・。
「特典会で色んなメンバーのところに行って、その結果を報告してください」。
好きだと言うなら否定しない、でも、しょっちゅう来られても困ると受け取れる・・・
”アンビバレント”な言葉。その女の子は、学校に通いながらアイドルをしていた。
金色や茶に髪を染めた女の子が並ぶ中で、黒髪。身長153センチという小さな体で、
メインボーカルを担当していた。そしてボクが、色んなメンバーのところに行った結果・・・
名前を聞かれなかったり、名前を覚えておらずボクの名前を チェキに書かなかった、
「ハチ公物語」くらい悲しい話を聞いて、笑っていた。そんな”エキセントリック”な性格の
女の子だった。
ボクがひろしまMAPLE★Sと出会い6ヶ月、グループ結成から2年目の冬が近づく頃、
変わりゆく街の風景と同様に、彼女たちを取り巻く状況にも変化が見え始めてくる。
イベントで大きな会場に立てるようになるにつれて、月が変わるごとにフロアに人が
徐々にだが増え始めた。さらにライブ後の特典会も、最初はポツポツと増えていた人が
少しずつですが、メンバーの1人1人に短くても列が作られるようになっていった。
ボクが最初に見た時から、ひろしまMAPLE★Sは大きく変わっていない。
キラキラとした音をベースにしたオリジナル曲、それをノンストップで繋ぐライブスタイル。
ダンスの振付けやフォーメーション、メンバーの可愛さや個性ももちろん変わらない。
でも変化を続けていた事がある。それは、立つステージと曲の順番を変えるセットリスト。
特にセットリストは、オリジナル曲が少ないこともあって出し惜しみをしなかった。
さらに地元・広島のファンの方が遠征されるようになり、地元での盛り上がりや楽しさを
東京へ伝えたフロアの変化も、後押ししていたと思う。人が増え楽しそうなフロアは、
新しいファンの方をよぶ。そして見え始めた勢いを後押ししたのは、新たな曲だった。
ステージから見える景色が変わり始めた結成2年目が終わろうとする頃・・・
ひろしまMAPLE★Sは、グループを代表する1つの曲を発表する。
それは前向きな歌詞に、牧歌的だが彼女たちらしいキラキラしたアレンジが加わった、
フューチャーポップ調の曲。ミュージックビデオは奇をてらわず地元である広島を舞台に
ストーリー性のある映像に仕上げた。
一方で、その新曲を収めたシングルCDのカップリングは実験的に・・・
アシッドなクラブミュージックやラウドなロックなどのジャンルへアプローチした曲を収録。
オリジナル曲を増やすと共に、かわいさとクールさ、フロアと一緒になって楽しむ曲と
ステージパフォーマンスを魅せる曲など、曲のバリエーション���広げていった。
ひろしまMAPLE★Sがライブのステージに立つ前に、よく口にしていた言葉がある。
「ファンの人、全員が楽しめるようなライブにしたい」。
夜空に散らばる星を人が線でつなぎ星座という1つの形にしたように、彼女たちもまた
一見すると統一性のないオリジナル曲を、ノンストップという一本の線で繋ぐことで、
暗いステージの上で自分たちがもっとも輝けるライブを作っていった。
ライブはそれまでの、「テラスハウス」のようなキラキラとした楽しい曲をベースに、
その途中に実験的な曲を挟む、「モンスターハウス」のような緩急をつけたものに
変化させていった。軸があるから、可能な変化だったと思う。
その輝きは年が明けると、加速度をあげる。結成から「3年目」、上り坂をあがろう。
欅の木に花が咲いた、春。新曲のリリースから約4ヶ月が経過した頃・・・
彼女たちは様々なパターンを試す中で、鉄板といえる1つのセットリストを作り上げる。
そのセットリストは後に大きなステージでいくども披露されることとなる、これが・・・
”ひろしまMAPLE★Sの世界感”ともいえる、きらきらキラー(©KPP)な曲の並び。
音の鳴り始めから盛り上がるキャッチーなイントロ、そこから楽しいメロディーラインと
重低音のドラムが融合する、キラキラした曲たちを曲間短くノンストップで繋ぎ・・・
ラストは、前年の暮れに発表した新曲でシメる、そんな組み方。
そのセットリストをもって春と秋、ひろしまMAPLE★Sは、地元・広島を飛び出し・・・
大航海時代のエンデバー号のように、初めてのツアーへ旅立った。
1年前はスペースが目立っていたフロア、でもツアーの全会場は多くの人で埋まった。
また夏には、2度目のフェスの舞台にも立った。ロープ・パーテーションで仕切られた
小さなフロアだったけど、 そこから溢れ出るほどの人が ステージ下に集まった。
そして、これまでの楽曲を収録した1stアルバムを発売する。
アルバムには新たに、ファンクやチップチューンなどにアプローチした曲を収録した。
活動に正比例するように数を増すオリジナル曲、そしてセットリストのバリエーション。
それらは、ひろしまMAPLE★Sが少しでも気になった人が、YouTubeを検索すれば
いくつも見る事ができた。たくさんの映像があり、誰でも彼女たちの魅力を手近に知れた。
話は少し前後しますが、ひろしまMAPLE★Sを見始めて1年半が経った、この年の春、
ボクは初めて彼女たちの活動拠点である、広島へ行った。
きっかけは、出会ってから長くステージに立ち続けていたグループをまとめる存在、
リーダーが突如、ライブに出なくなったことだった。Twitterの更新も途絶えていた。
公式では、体調不良と発表されていた。いつかは復帰する、メンバーはいなくならない・・・
そう信じて、見られる可能性が高いとしたら地元であろうと、初めて特急列車に乗った。
でも、広島のステージにも”キミガイナイ”。そして、この日から約1ヶ月後・・・
リーダーだった女の子はグループを後にした。”結局、じゃあね”もボクは”言えな”かった。
だけど・・・。広島には、ボクが遠征をした理由を聞いて笑う、残ったメンバーたちがいた。
そして、遠く離れた広島の街には、東京ではあまり見掛けなかった女性をはじめ
海外の方など、多くのファンの方がいた。
そんな広島や東京をはじめ彼女たちがライブで巡った全国のファンが一同に集まる、
ひろしまMAPLE★S史上最大の挑戦が、結成から3年目の冬に行われた。
それは最大収容人数1000人を超える大きな会場を舞台にした、ワンマン・ライブ。
出会った時は、フロアに人がまばらだったライブハウスのステージから・・・
オリジナル曲が増え、グループを代表する曲ができ、盛り上がるセットリストが完成し、
約4年の時間をかけて、ひろしまMAPLE★Sは広く大きな会場のワンマン・ライブまで
辿り着いた。
持ち時間の短いライブから、長時間に及ぶライブまで、ひろしまMAPLE★Sが
いつも続けてきたノンストップでのライブ。それは、体力的な苦しさを当然ともなう。
でも彼女たちはいつも苦しさを表に出さず、笑顔でステージに立ち続けていた。
それは、グループ史上最大のライブ会場を舞台にしたステージでも変わらなかった。
結果的に、会場を満員の人で埋める事はできなかった。でも、 ”ここから” もっと先へ!
「どこまでだって連れて行ってもらえる」。そう思えるようなアクトだった。
それはたぶん、ファンの方の誰もが思っていたことだと思う。
年が変わり、渋谷駅の南、旧東急東横線のホームの解体工事が終わりに近付いた
結成4年目。ひろしまMAPLE★Sは、グループ名を変えた。
渋谷から、街の顔ともいえる「PARCO」が消えた日のように、地元「広島」の名前を、
グループ名から下ろした。渋谷の街も彼女たちも・・・、変化の時が迫っていた。
時間の経過はボクの気持ちも変化させる、売れて欲しい、そう思うようになっていた。
「Twitterにもっと自撮りをあげれば・・・?」「髪の毛は黒い方が良くない?」。
これは近所の世話焼きおばさんではなく、ボクがメンバーに伝えた言葉だ。でもね・・・
イメージや常識の鎖に繋がれたような、つまらない大人は置いて行けとばかりに、
彼女たちはボクの言うことなど聞きません。そして訪れた夏・・・。
センターに立っていた女の子は髪の毛を思いっ切り、金色に染めた!!TT←TWICE
ボクがひろしまMAPLE★Sと出会って迎えた3度目の夏、前年から上り続けた坂は・・・
それまで出演が叶わないとも言われた、日本最大級のアイドルフェスティバルに
初めての出演という形でも現れた。
そのステージの1つは 、上空にわずかな雲と空しかない、会場の中で最も高い場所・・・
彼女たちは、そのステージから無限に碧く続く空の向こうへと、Echoesを”響”かせた。
ボクが初めて彼女たちと出会った夏のように暑い陽射しが射す、屋外のフロア。
そこには顔に汗と笑顔を浮かべる、全国から集まった ファンの方の姿があった。
4年の時間を掛けて出会い、一緒に歩んできた人たちと来ることができた場所。
その場所が、彼女たちが上り続けた坂の頂きだったのか・・・、ボクには分からない。
グループの軌跡は、ここからさらに2年続く。でもボクが見たのは、この6ヶ月後までだ。
ひろしまMAPLE★Sと10人の女の子それぞれの夢を乗せて、何度も自動車で往復した
広島から東京へ続く、長い道。その道は途中、海に沿って大きなカーブを描く。
そんな道のように、彼女たちも本来歩き続けるはずだった道を逸れる。そして・・・
そこから続いていた道は、上り坂ではなかった。
短い期間に色んなことが、あった。いつも笑っていた女の子たちが、涙をこぼした。
ライブ中に初めてステージの上で苦しそうな表情をするメンバーを、ボクが見たのも、
この年だった。グループの中心に立ち続けていた女の子は一度、こんな事を言っていた。
「辞めたいって言ったことがあるの」。でも、ボクが離れる方が先だった。
彼女たちが歩んだ上り下りのでこぼこ道の中でボクが見たのは、その半分にすぎない。
でもトータルして言える事がある・・・。それは、「楽しいこと」でいっぱいの道だった。
だから過去を思い出し閉じた瞳に映る日々。きっと忘れない。
でも、時間は常に過去から前へ進む。45RPMのレコードのように、時代もまた廻る。
”語るなら未来を…”。
ではーーーーーーーーーーーっ!!六本木・けやき坂の近くにあるテレビ局で録られた
小林星蘭ちゃんのナレーションよろしく、聞いてみましょう!「あいつ今何してる?」。
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「たのしい \(^_^)/」  in 2018年ー!!
顔文字付でビジネススマイルをかますのは、東京を活動拠点にするアイドルユニット、
「ヲルタナティヴ」の鈴屋(すずや)もずくさん。もずくちゃーーーーーーーーーーん!!
で、その隣に写る土地についた、悪霊みたいなのがワイ!
数年前と同じく応援していたグループを離れても、アタシはといいますと”自分の棺”から
謎のウィルスによって”再生する 細胞”でゾンビ化して、アイドルさんたちが望まない
蘇生を繰り返していますの。完全にホラーの世界ね。超恐ぇーよ!
見た人からは”車輪が軋むように”泣き声、そして悲鳴があがる・・・。そんなーーっ!!
小さなお子様には見せられない、”1行だけのエアメール”より長いのに中身がスカスカの
Blog、久々のはじまりDEATH!!
チィーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーッス!!!!!!!
色々な変化もありまして、「おちこんだりもしたけれど、私はげんきです」!(by ジブリ)
それでは、”真っ白なものは汚したくなる”ように、ネットの余白にヲルタナティヴの軌跡を、
ペン習字5級のアタクシが、キーボードを 人差し指で 打つスタイルで書きたいと思います。
2017年、季節は春・・・。
渋谷の街を流れる”渋谷川”から伸びた上り坂の途中にある、ライブスペース
「SOUND MUSEUM VISION」で、 IDOLユニット「ヲルタナティヴ」は 始まった。
ヲルタナティヴというグループ名には、「無限大」と「型にはまらない新しいもの」という、
2つの意味が込められている。活動を始めた時の持ち曲は、全部で5曲。
ポップを始め クラブミュージック、 ロック、ファンクなどの音楽ジャンルにアプローチをした
数は少ないがバラエティに富んだ曲でライブ活動をスタートさせた。
ステージでは、それらの曲をノンストップで繋ぐライブスタイルを最初から続けている・・・
っていう情報をですよー! 5ちゃんねると音楽ナタリーを、読んで知ったのアタスィー。
なぜならひろしまMAPLE★Sと同じく、ヲルタナティヴも活動の途中から見始めたから。
完全に”乗り遅れたバス”状態です。” それでも歩いてる”、ヲルタナティヴが歩む軌跡を
警察犬なみの嗅覚で追跡しながら。
そんなアタクシ以上にヤベー奴に、月曜日の朝に切られたスカートを縫合するように、
ヲルタナティヴの過去から、現在とを繋ぎ合わせましょう。
ヲルタナティヴ結成から1年と5ヶ月が経った、2018年の夏。
解体された 渋谷駅の旧東急東横線跡地に、新たな高層ビルが建とうとする頃、
もずくちゃんは 、再開発が進められる渋谷の街でヲルタナティヴに加入をした。
加入の経緯について もずくちゃんは、 音楽誌「MARQUEE」のインタビューを受けた際、
「(アイドル活動を)辞めた時にまだ未練があったんです。」、と話している。
さらにヲルタナティヴについては、かつて秋葉原で働いていた時に”ご主人様”から
教えてもらったと明かしている。そうなの!
もずくちゃんもかつてコンセプトカフェでお給士をしながらアイドルとして活動をしていた。
髪は黒色、身長は150cm台、あと実は次女。アタシくらい老眼が進みますとですよ・・・
欅坂46と乃木坂46の見分けがつかなければ、ひろしまMAPLE★Sの中心にいた子と
もずくちゃんも、完全に「シンクロニシティ」。「君の名は。」くらいの入れ替わりと錯覚。
たぶん乱視が入ってるのも影響ね♡ \(^o^)/
そんなもずくちゃんが初めてヲルタナティヴとして立ったステージで歌ったソロパートの
歌詞、それは「風が吹いた」。
笑顔を見せなかった欅坂46が初めて笑みを覗かせた曲、「風に吹かれても」と近い。
さらに、もずくちゃんはヲルタナティヴに加入したことで「自分を変えたい」・・・と、
デビュー前に自身のTwitterに投稿している。
これはー!「自分自身を変えたい」とご両親に逆らって、アイドルの道を歩み始めた
欅坂46の長濱ねるさんと、リンク!(※「Love in 九州」のことではありません。)
そして、長濱ねるさんともずくちゃんともに偏差値アーンド顔面偏差値が高いですが・・・
一方で時間の経過とともに、脳みそもお顔も劣化が止まらないのが、アタイッ!
気ぃーー持ち悪ーーーーーーーい!!”キレイになりたい”、高須クリニックで手術して。
結成から1年が経った「ヲルタナティヴ」の変化は、もずくちゃんの加入だけではない。
スタート時は5曲だった持ち曲が、ロックや��ラブミュージックへアプローチした曲を発表し、
その数は13曲まで増えた。EPを1枚リリース、MV1本もYouTubeで新たに公開した。
日々のステージはライブハウスが中心だが、 今年春には初めて4都市を巡るツアー、
そして夏にはワンマン・ライブを開催した。
しかしグループ結成から2度目のワンマン・ライブをターニングポイントに、2018年の夏、
ヲルタナティヴは急きょ、ライブを約1ヶ月の期間、空けることを発表した。
それは変化をするために。再始動するのは”夏色のミュール”から衣替えした秋、10月。
少しの間、ヲルタナティヴの時計は止まる。でもね・・・。
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「リメンバ ミー」 !!
↑はマイクを5本の指で握らず、小指を欅坂46ポーズのように三角の形に折って添える
歌唱スタイルでワールドフェイマス、みんな大好き 三島凛(みしまりん)さん。 凛ちゃん!
グループ結成の年から活動を続ける凛ちゃんの2018年の変化。それは、髪型を・・・
ボブからセミロングに変えましたの、自称「モテヘア」。週刊文春に撮られませんよーに。
そんな凛ちゃんは充電期間に入る直前の9月6日、Twitterにこのような投稿をした。
「セトリとか色々話し合いをしてるのですが、きっと皆が喜んでくれるかなと思います」。
・・・アイ リメンバー!!
凛ちゃんの言葉の意味は 「ファンの人、全員が楽しめるようなライブにしたい」と重なる。
可愛いメンバーがいて、バラエティに富んだ曲があり、その曲をノンストップで繋ぐ
ライブスタイルを続ける、ヲルタナティヴ。あと、アタシの希望はですよー・・・
盛り上がるセットリストが作れれば、”156(イチコロ)”になる人もきっと増えると思うの。
ただ、そのヒントとなるようなモノをヲルタナティヴはきちんと示しているとボクは思う。
それは3月17日、場所は港区白金高輪のスタジオ。
まずはコンプレクストロというジャンルへアプローチをしたアッパーなダンスチューン
「飴色リズム」でライブをスタートさせ、続けて音色は変わるがこれまたアッパーな
EDM調のダンスチューン「今宵夢酔夢想歌」を繋げる、イントロから盛り上がる曲を
繋げるセットリスト。
もう1つは、ラウドなPunkチューン「ジョビ・ジョバのテーマ」から、一転して・・・
静かな立ち上がりのエレクトロハウスの曲「夏の香のパ・ド・ドゥ」を繋ぐもの。こちらは、
同じ曲調ではなく、曲調が真逆の曲を繋ぐものであーる。(©CM「UR」の吉岡里帆さん)
”夏の花は向日葵だけじゃない”ように、曲やライブも見せ方で大きく見え方は変わる。
そしてステージから見えている人だけが、応援をしてくれている人、なんてこともない。
10月のヲルタナティヴ再始動までのカウントダウンが始まった、9月21日・・・
Twitterに「#ヲルタナティヴ」が付けられた、このような投稿がタイムラインを流れた。
「更なるパワーアップが楽しみ夢中で仕方ない!!」。
発信したのはタワーレコード川崎店。さらに凛ちゃんが使っていた言葉をサンプリングし、
「活動再開でみんなも『ハピー』になろう」、と続けた。
ヲルタナティヴの活動期間は、ボクがかつてひろしまMAPLE★Sと出会った時と同じ、
「1年7ヶ月」を迎えようとしていた。ではーーーーー・・・!!
いつかの年、地方で産声をあげ、坂を上って行ったグループのように変化していこう。
川崎出身のJJJくんだって今年を代表する曲「Changes」で、こうラップをしているしー。
「未来 期待はしないが光を感じてんだ」。
そして、「水飛沫を上げて走りぬく 抜け出す この狭い世界」、と!!
では再始動するヲルタナティヴも、大海原を行く船のように水飛沫をあげて進んでいこう。
その出発の場所も「Changes」のヴァースと同じ、「北沢の街頭」!!!!!!!
〇ヲルタナティヴ 002 - woltanative 2nd -
2018年に秋が訪れた、10月20日土曜日。場所は、渋谷駅から電車に乗って4駅・・・
再開発が進む、下北沢。その駅から徒歩で約6分、北沢の街頭に建つライブハウス、
「下北沢ReG」。ここから、ヲルタナティヴは 新たな軌跡を描き始める。
空は、太陽が”青空とMARRY”したような、紺碧の秋晴れ。
時間の経過と共に変わったモノ、それは風景だけではない。
アイドルシーンを取り巻く状況も大きく変化した。それでも会場がオープンする正午前、
会場となる下北沢ReGの前には、秋の陽射しの中、入場を待つ人の列が作られた。
そして時計の針がテッペンで重なった、日テレで「メレンゲの気持ち」の放送が始まる
正午12時。最大で約230人が入る会場は、「東京タワーはどこから見える?」の級に・・・
ヲルタナティヴはどこにいる?と、会場後ろではステージが見えづらい人が出るほど、
「ヒルナンデス」で紹介された後のおしゃれカフェくらい、会場は多くの人で埋まった。
時計の長針がてっぺんを少し過ぎ、上り坂を描くように文字盤の右上を指した頃、
フロアの照明は暗転。”夕陽1/3”ほどの薄明るいライトだけが、ステージを照らす。
そのステージを覆い隠すように貼られたプロジェクタースクリーンがゆっくりと上がり、
PA卓のメーターが動き出す。会場に音楽が鳴り響く・・・
それは、ヲルタナティヴのライブのオープニングでお決まりとなっている曲!
1. 「w421(ウォール)」。欅坂46のライブの幕開けでかかる曲「Overture」と同様の、
EDM調のインストゥルメンタル。そのリズムに合わせて、これまた欅坂46と同じように
フロアではファンの方が手拍子、またPunkのライブ会場のようなOiコールがあがった。
それでは、行こう!!
ヲルタナティヴ in 秋、単独公演「ヲルタナティヴ 002 - woltanative 2nd -」!開幕!!
曲の終盤、青い照明が照らすステージにヲルタナティヴが1人ずつステージに現れる。
その立ち位置は、メインボーカルを担当する小泉明音さんを先頭に描く、三角形。
2列目に神谷さくらさんと柊木ハツミさん、そして3列目に4人が末広がりに並ぶ。
欅坂46は、最初のワンマンライブを前にした時に言っていた・・・
「今持っている私たちの力を全部出し切って最高のライブにしましょう!助け合おうね」
ではヲルタナティヴも助け合って、いま持っている力を全部出そう!
そのスタートは、爽やかなギターの音色が特徴の、疾走感があるポップなナンバー、
2. 「ALMIGHTY†GLIDER」。蔦谷好位置さんらを擁する音楽制作プロダクション、
「agehasprings」がTwitterで「好きなタイプのアニソン系エモチューン」と評した曲。
ヲルタナティヴのために、最初に書かれた曲でもある。でも、その時から・・・
ステージ上の景色は変化した。メンバーが、7人に増えましたの!
では、アタクシの”割れたスマホ”で撮った画像で紹介していきたいと思います。左から・・・
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ひょっこりはん状態で見切れる左端は、ドレッシングを飲む元メイドさん、鈴屋もずくさん!
その隣は、ボクの成仏か世界平和を願って手を合わせるイケてる中学生、神谷さくらさん!
左から3番目は、前歯に 口紅を つける可愛い芸風をもつ高校生、柊木ハツミさん!
そしてセンターは、インスタに天一のこってりラーメンを載せるオンナ、小泉明音さん!
その横は、この前日に自転車泥棒にチャリンコをパクられた、桃川もも子さん!
右から2番目は、SiMと作家・池澤夏樹さんが好きなウェイ系文学女子、三島凛さん!
最後、右端は勉強をしたくないからヲルタナティヴに入った茶髪JK、美里由奈さん!
・・・以上!メンバー7人がもつキュートさを、まったく表現できないメンバー紹介でした。
では、 キュートなヲルタナティヴ と、気味が悪いBlogの間に発生した”不協和音”を
”チューニング”して、大事なライブに戻りましょう。7人で描くネクストチューン!
それは、ヲルタナティヴの初期を代表する、 鉄板で盛り上がるダンスチューン・・・
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3. 「今宵夢酔夢想歌」!!(↑の5:16~。Ver.4人)
”欅って、書けない?”とは真逆、絶対に読めない?この曲は「こよいゆめよいトロイメライ」。
EDMっぽいですが、ボクはプログレッシブハウスにアプローチをした曲だと思っている。
この曲で起きた変化は、メンバーが7人になった事でフォーメーションを描けること。
中でもメンバーが横一列に並ぶフォーメーションは、欅坂46のMV「 二人セゾン 」くらい
美しい。見ているだけでも楽しいのですが、アッパーなイントロではコールが入り、
またサビはマネをしやすい振付けのため、ステージで踊るヲルタナティヴを模範にして
フロアで”Student Dance”!振りコピをして一緒に楽しむことだってできる。
そんなクラブサウンドに繋げるのはPunkにアプローチをした、4.「ジョビ・ジョバのテーマ」。
この曲の変化は、誕生の裏側にある。振付けを初めて、メンバーたちが考えている。
そして、この曲を歌ったところでカーリング日本女子代表でいう所のもぐもぐタイムへ・・・
”大人は信じてくれない”かもしれませんが、ヲルタナティヴは結成時から行ってきた
ノンストップでのショーケースを中断、メンバー紹介のMCを挟む。
それは、先程まで歌い踊っていた新旧のメンバーがステージに横一列に並ぶ、
漢字とひらがなが合わさった、”W-KEYAKIZAKAの詩”の様相。
では行ける所まで”一緒に歩いて行こう”、軌跡もライブも再始動をして!
そのスタートは、三島凛さんのこんな言葉で始まった。「最後まで止まらないよ」!!
2018年、カメラも、ライブも止めるな!では行こう。ヲルタナティヴが得意とする・・・
ノンストップのショーケースが”走り出す瞬間”。
欅共和国2018の開国を知らせる小林由依さんみたいに、ヲルタナティヴも「いくぞー」!
その始まり、 「 ヲルタナティヴ 002 - woltanative 2nd -」の”FIVE CARDS”は、
もずくちゃんが今年の夏、ヲルタナティヴに加入し初めてステージで歌った曲と同じ、
エレクトロニックなロックチューン、5.「Wonder Wander Lander」。
もずくちゃんは夏から秋へ季節の移り変わりと共に芸名を「鈴谷」から「鈴屋」へ変えた。
だが変化は名前だけではない、ステージ上でも見ることができる。
以前までステージでは、クールな表情でパフォーマンスをしていたもずくちゃんですが、
現在は、おキレイな顔に笑顔を浮かべながらフロアへ、”饒舌な眼差し”を送っている。
・・・アタシ以外のファンの皆さんにー!!そんな容赦のない女子の洗礼を浴びた後に
続くのは、ドリーミーなトラックに弾けるリズムが重なる、ダンスミュージック。
Future Bassのキラキラチューン!!! 6. 「らゔ・お〜る【0-0】」。
キタァァァアアアアーーーーーーーー(゚∀゚)ーーーーーーーー!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
個人的には今のヲルタナティヴらしい音色の、ライブの中盤を担う曲だと思っています。
曲はもちろん歌詞・ダンス・メンバーの表情と、見所や聞き所がいっぱい詰まっている。
そして織田奈那さんのキャッチフレーズみたいな「みんなに幸せ届けるラッキー7」は
曲中にメンバーの名前を、ファンの方が逆” 沈黙した恋人よ”状態で超絶コールする、
バンドサウンドと電子音が融合したエレクトリーモ、7.「邂逅と再生のシンギュラリティ」。
その曲の終わりに、曲間短くノンストップで鳴り始めるのは規則的な四つ打ちのドラム、
重なるエレクトロニカの 綺麗なメロディーは、8. 「季節はサチュレイトーン」。
ヲルタナティヴの歌が入るまで、約50秒と長いイントロ。
でもメンバーのシンクロしたダンスと美しいメロディーは、その長さを感じさせない。
そしてサビで見られるのは、ステージとフロアの一体感。コレオグラファーの方が考えた
ダンスとは別に、ファンの方がフロアで始めた事がステージで採用されている。
煽るのはメンバー。サビの1回目は下手に柊木ハツミさん、上手に桃川もも子さん。
そして2回目のサビは下手に三島凛さん、逆サイドの上手を美里由奈さんが担当し、
四つ打ちのリズムに合わせてジャンプをしながら頭上でクラップをする。
その情景はステージとフロアが、”僕たちは付き合っている”以上のマリアージュ。
そしてエレクトロニカの音色がフェードアウトし、変わりに鳴り響く音はノイジーなギター、
9. 「ギヴミーメーデー ~明解に不正解な世界の端っこの真ん中で~」。
ポストグランジにアプローチしたという曲。
見所は、メンバーが次々と立ち位置を入れ替わるBメロのフォーメーションダンス。
そして聞き所は、攻撃的なギターに跳ねるドラムが重なるオチサビ、
さらにアウトロでのメンバーのコーラスとロックサウンドのコンストラストだと思ってます。
曲が終わると、メンバーが立ち位置を大きくChanges。
センターに柊木ハツミさんが立ち、その一歩後ろにメンバー6人が横一列に並ぶ。
それは、今のヲルタナティヴがもつキラーチューン!!いくぞー!
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10.「飴色リズム」! !
エレクトロハウスのサブジャンルである「コンプレクストロ」にアプローチしたとされる、
イントロからアウトロまでの約4分間、隅々までアッパーなクラブトラックの曲。
0:01~のイントロ、まず 柊木ハツミさん がソロでダンス、その後、シンセサイザーの音の
鳴り始めとともに、残りのメンバーが加わるダンスはマジでヤバい。
さらに1:33~のサビへと続く展開ブロックでは、欅坂46「 NO WAR in the future」でも
採用されているパリピの皆さんの大好物、プチャヘンザが振付けに取り入れられている。
高揚感ある曲とステージとフロアが一緒に楽しめるダンス、それは歌詞にあるように
「息ができなくて溺れそう」なほど会場を盛り上げる。
この曲にヲルタナティヴが繋いだのは、欅坂46の曲「太陽は見上げる人を選ばない」と
似たADM曲、11.「かえろうよ」。ADMとは、アコースティック・ダンス・ミュージックのこと。
アコースティックとあるだけに、そのイントロは静か。だが、神谷さくらさんのボーカルを
きっかけに曲はメロディーさらにリズムも、ダンス・ミュージックの盛り上がりに変わる。
そしてサビでは曲名にもなっている「かえろうよ」のフレーズを、メロディーに乗せて、
ステージのヲルタナティヴとフロアにいるファンの方が一緒に歌唱するのが特徴。
会場内に響く「かえろうよ」の歌声、では”手を繋いで帰ろうか”?・・・お医者さんと一緒に。
アタシがお薬の時間だから。しかーし、ヲルタナティヴの持ち曲は今、全部で13曲ある。
One More Time!(←韓国のSUPER JUNIORの曲のことではありません。)
ヲルタナティヴ 単独公演 「 ヲルタナティヴ 002 - woltanative 2nd -」  in 下北沢ReG・・・
ラストは、ヲルタナティヴの1st シングルのリード曲、12. 「夏の香のパ・ド・ドゥ」。
この曲はみんな大好き渡邉理佐さんが歌う、「スズメの歌」と同じエレクトロハウス調。
立ち上がりは静か。小泉明音さんの歌声 と、僅かなエレクトロの主旋律だけが響く。
この曲には、こんな想いが込められている・・・。
「いつか必ず会いに行こう。例え、遠くとおく離れていても。」。
いつかの夏、遠く離れた広島県を拠点とするアイドルグループとボクが出会ったように
2018年の暑い夏に、鈴屋もずくさんとヲルタナティヴは出会った。
そして季節が移ろうとする夏の終り、今度は4人の女の子がヲルタナティヴと出会った。
静かな立ち上がりから始まるこの曲、でもサビでその姿は一変する。
メロディーそしてリズムともに激しく鳴り、ヲルタナティヴの7人が踊るダンスも弾ける。
静かな立ち上がりから盛り上がりへフロアから見えるステージの景色が変わるように、
いつかヲルタナティヴがステージから見渡す景色も大きく変われば良いと思う。
電子音で彩られた”ゼンマイ仕掛けの夢”からの、目覚めを告げるように・・・
ステージに明るい照明がつく。
”夜明けの孤独”ではなく、多くの人に見守れて歩み出したヲルタナティヴの新たな道。
その道は、この日から今日まで約2ヶ月続いている。その間のヲルタナティヴは・・・
ライブの会場は、大きいステージもあれば、小さなステージの時もある。
その下に広がるフロアもまた、人が行き来できるスペースがある時もある。
そしてまた特典会も、メンバー全員に思うように列が作られない時がある。
いつかの日にボクが見た光景と似た景色が、今のヲルタナティヴにも見る事ができる。
でも、その景色はいつか変わるだろうとボクは思う。
曲・ライブスタイル・セットリスト、さらにYouTubeに代表される音楽共有サイトなど・・・
ヲルタナティヴにはまだ”無限大”に”新しいもの”を試せる可能性があると思っているから。
約1ヶ月の間に7人が、歌やダンス、フォーメーションを入れた曲は12曲。でもね・・・。
ヲルタナティヴの現在の持ち曲は13曲、たった1曲だけ披露をしていない曲がある。
その曲のテーマは、「進化と革命」だ。そんな曲や渋谷の街と同じ様にヲルタナティヴも
再び開発しよう。ひろしまMAPLE★Sがいつか歩いたような、上り坂を。
未来の景色の中にたぶんあるであろう、険しいが楽しい、その���に出会うために・・・。
マイクを”握りしめた拳で”、今ある”目の前のガラスを割れ!”。
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2018年も時間は進み、季節は冬。あと少しで、暦は2019年へと変わろうとしています。
渋谷の街で、いつ頃からか始まった工事は現在も続きの2027年の完成を目指している。
街からはかつてのランドマークは姿を消した、でも時間が経てばきっと・・・
またそこにたくさんの人が再び集まる、新しいランドマークがそびえ立つだろう。
ヲルタナティヴは、そんな街で誕生し様々な人と出会い、1年10ヶ月の時間を歩いてきた。
そしてこれからも、先へと伸びる道を歩いて行く。その道に・・・
これまで来た道に刻んだのと同じ足跡を残すか、それとも”ここにない足跡”を残すか、
それは未来にならないと分からない。
だから、最後に1つだけ欅坂46の歌詞を引用してボクの希望を書きたいと思います。
”自分の夢の方に歩けばいい”!!だって、 ”未来は君たちのためにある”から。
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キャー、かわいい!ヲルタナティヴの、センターそしてメインボーカルを担当する・・・
小泉明音さん 。あかりんさんは広島県出身、身長はこの前聞いたら152センチだって。
以前は153センチと言っていたので、時間の経過により1センチ縮んだっぽいです。
あかりんさんはいつかの冬、ステージの上で涙をこぼした。その時から時間を経た
2018年の同じ冬、あかりんさんはヲルタナティヴとして再び大切なステージに立つ。
その場所は国道2”46”から、かつて欅坂46が立った 旧東急東横線のホーム跡地を
右に行った先にある、ライブスペース。その会場を満員にすることが・・・
あかりんさんの2018年、最後の目標だ。
時間の経過とともに 、人や風景などは姿・形を変える。
あかりんさんが、そしてヲルタナティヴがそのステージで笑顔でいられますように!!
”世界中 満たしてく”、「七色のモーション」!きっと もっと ミラクル★エモーション -
ボクがいつか出会った、そんな歌の始まりのように。
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yabunirami · 6 years
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【15thAnniversary】vol 02 日本一のドリフファン
ブーさん。 アタシたちはこの男のことを、そんなふうに呼んでました。 もちろん、ザ・ドリフターズの一員である高木ブーのことです。 アタシがブーさんに接触出来た期間はわずか一年ほどです。しかし伝説のコメディアンと実にフランクに話が出来たことはアタシの人生の中でもトップクラスに大きいことで、しかもアタシが幼少より見続けてきた人なんだからなおさらです。 しかし、何でまた、ブーさんと知り合うことが出来たのか、今考えても不思議なんだけど、そこ辺の経緯を書いていきます。 アタシの大学時代、ドリフターズが主演した映画はキャビアみたいなもので、つまりはあまりにも希少な存在だったのです。 テレビでも放送しないし、名画座の類いで上映されるようなこともない、ましてやメディア化なんて夢の夢、みたいな時代だったんです。 アタシの子供の頃はね、それなりの頻度でテレビでドリフターズ映画が放送されていたのですよ。 別に子供の頃からドリフターズ<マニア>ではなかった(もちろん普通には好きだった)けど、10年ほどでドリフターズ映画は封印されているわけでもなさそうなのに、実に観るのが困難なシリーズになっていたんです。 それを言えばクレージーキャッツ映画も似たようなものだったけど、植木等が「スーダラ伝説」で大復活をして以降、クレージーキャッツ映画を上映する劇場は、当時アタシが住んでいた関西でもチラホラ出てきました。 それにかこつけて、というわけでもないのでしょうが、アタシが大学4回生の時に兵庫県の川西市で「クレージーキャッツ映画3本、ドリフターズ映画2本」というプログラムのオールナイト上映が行われることになったのです。 アタシはドリフ好きの友人とこの上映会に馳せ参じたのですが、これで完全に火がついた。 もっともっと、ドリフターズ映画を観たい! 関西ではこの上映会以降も、相変わらず上映されない状態が続いてたけど、東京ではそうではなかった。 その後、1990年代半ばになって、アタシもいろいろあって関東に移住することになるのですが、その頃ドリフターズ映画の上映にもっとも熱心だったのが、今は亡き中野武蔵野館でした。 中野武蔵野館、中野駅からサンモールに入って、今でいえば銀だこを右に曲がったところにあったと思う。 ここで数度に渡り「ドリフナイト」と称してドリフターズ映画の特集上映をしたことで、アタシの運命も動き出すのです。 何度目かのドリフナイトだったか、アタシとドリフフリークの後輩は、名前は伏せますが「とある」人と知り合いになります。 その人はアタシたちが「わざわざ関西から来たドリフフリーク」ということで良く可愛がってくれて、ある企画に協力してくれないか、と申し出たんです。 「今度、ジ・オフィシャル・クレイジーキャッツのドリフ版を作る計画があるんだけど、手伝ってくれない?」 説明します。 「ジ・オフィシャル・クレイジーキャッツ」はトレヴェル社から発売されていたクレージーキャッツの写真集です。 たしかハナ肇さんが逝去した直後に発売されたはずですが、どこからかき集めたのか、実に貴重な写真が満載で、巻末には膨大な資料がついている。 ずっと後年、「植木等ショー!クレージーTV大全」(洋泉社刊)に関わった時に、「ジ・オフィシャル・クレイジーキャッツ」の資料を作成された方にお会いすることになるのですが、ま、それは別の話。 しかしコレのドリフ版、というのは当時のアタシたちからすれば狂喜乱舞するような企画であり、是が非でも参加させて欲しい、と快諾しました。 ・・・というような話は書いてて虚しい。結局『「ジ・オフィシャル・クレイジーキャッツ」のドリフ版』は企画が頓挫したからで、理由も聞いたけど、いろいろあったんですよ。今となってはあまりにももったいない企画ですよね。 しかしその絡みだったか、オイシイ思いもした。 どういう経緯かは忘れたけど「高木ブーさんが引っ越しするんだけど、手伝わない?」という話になった。 これも二つ返事で引き受けた。高木ブーさんにお会いできるどころの騒ぎじゃない。引っ越しを手伝えるなんて! 引っ越しを手伝う=お宅にお邪魔する、ということであり、一番ビックリしたのはゴミ箱の中に無造作に「ドリフ大爆笑」の台本が捨てられていたことでした。 ま、ブーさんからしたら、用済みのゴミかもしれないけどアタシたちドリフフリークからしたらお宝以外の何物でもないわけです。 結局ジャンケンして負けて、手に入りませんでしたがね。 ブーさんはドリフフリーク垂涎の写真もいっぱい持っていた。とくに当時、ほとんど資料がなかった「ドリフターズですよ!」シリーズのメイン監督だった和田嘉訓の顔を初めて見たのも、ブーさんが持っていたスチール写真でした。 またブーさんは個人的にドリフ映画をテレビでやった時にビデオに撮っておられて、それをお借りしたりもしました。ただこのビデオってのがβで、ダビングするのにエラい手間取りました。今となってはそれも良い思い出ですが。(ところがこの時のビデオが一本も手元にない。どこに行ったんだまったく) あとカラオケにいって「ドリフのズンドコ節」を一緒に歌ったのも懐かしい。もちろんブーさんのパートはご本人に歌ってもらいました。 ブーさんって人はほんと、あのまんまでね。一緒にいてもあんまり緊張しないというか。ホントにところかまわず寝るし。でもそんな人柄だからいろんな話を聞けたわけで。 当時交わした会話をここに書き留めておきます。 ◇ 監督について ドリフ映画の監督といえば渡邉祐介、和田嘉訓、瀬川昌治と3人いるわけですが、ブーさんはドリフファンからあんまり評判のよくない和田嘉訓をわりと買っていました。 まぁ一番合うのは渡邉祐介とも言われてましたが。 ◇ ロケについて 「クレージー(キャッツ)はいろいろ海外ロケに連れて行ってもらってたけど、ボクらはハワイにしか連れて行ってもらえなかった」(「ドリフターズですよ!全員突撃」のことですな) ◇ 若貴 「まだ若貴が子供の頃にね、3人でレコードを吹き込んだことがあるんだよ。でも結局発売されなかった」 聴いてみたかったけど、ブーさんの家にもサンプル盤すらなかった。 まァ、このご時世(ってのも変だけど)、二度と陽の目を見ることはないでしょうな。 ◇ 田村隆 田村隆と言えば、ドリフ全盛期を支えた代表的な放送作家です。1980年代の半ばに「ドリフのクリスマスプレゼント」って番組をやってたんだけど、志村けんと加藤茶がアイドル相手に暴言吐きまくるの。あまりにも酷くて、ついに志村けんが「ごめんなさいねぇ。こういうホンなのよ」とアイドルに謝罪した後、カメラの向こう側に向かって「おいこれ、田村隆のホンじゃねーか!」 そういえば、みたいな感じでアタシが「最近田村隆さん(「ドリフ大爆笑」で)書いてませんね」とブーさんに聞くと「田村さんのホン、すごい面白いんだよね。でも、もうネタ切れなんだよ」と、わりとズバッとおっしゃってました。 ◇ 吉本新喜劇 アタシが「「全員集合」の収録ってほとんど東京だったじゃないですか。大阪にもドリフファンがすごい多いのに」というと、ブーさん「でもねぇ、あっちは吉本新喜劇が強いもん。アレには勝てないよ」 ◇ ダウンタウン 「(1990年代半ば当時の)若手の中で一番なのは、文句なしにダウンタウン。彼ら、テレビではあんなふうに見えるけど、本当はものすごく礼儀正しい。収録でも絶対に見せ場を作ってくれるから安心して任せられる」 ◇ マッチ箱 ブーさんの趣味と言えばクレー射撃とゲームボーイでテトリスってのはわりと有名だけど、実はマッチ箱コレクターで、引っ越しを手伝った際に膨大なコレクションを見せていただきました。 ◇ 志村けん 誰かが(アタシではない)志村けんと石◯陽子とのことを聞くと、ブーさん、ニヤニヤしながら「みんなそう思っているみたいなんだけど、実は違うんだなぁこれが」(1990年代半ばの話です) ◇ 荒井注 「もう一度コミックバンドをやってほしい」と懇願すると「それは荒井さん次第だよ。あの人がいないと形にならない」と。 「志村の演奏力がどうとかじゃないんだよ。荒井さんだって別に上手くはないんだし。でも荒井さんがいるとドリフのスタイルが出来るんだよ」 ◇ いかりや長介と志村けん 「現場の志村?長さんとまったくおんなじだよ」 ◇ 加藤茶 これはややこしい話なんで各自推測してもらいたいんだけど「加トちゃんのおっかさんは偉い人だから、そういうことはなかった」 ちなみにメンバーの呼び方は加藤茶が「加トちゃん」、いかりや長介は「長さん」、仲本工事は「仲本」、志村けんは「志村」、荒井注は「荒井さん」でした。 これらの話は自著に書かれていることもありますが、ほとんど雑談の中からアタシが聞き出したものです。当然オフレコのこともあると思うけど、記録として書かせていただきました。 話の大半は飲み会の時だったけど、中野武蔵野館のドリフナイトの待ち時間の間に、アタシとブーさんがダラけ切って喋っていたことは今でも鮮明に憶えています。(「ハワイにしか連れていってもらえなかった」云々の話はたしかこの時に聞いたと思う) あまりにも自然にダラけていたので、周りにいたドリフフリークたちも、遠巻きに「おい、高木ブーじゃねーか」と囁き合うだけで、誰も近寄ってはきませんでした。 ブーさんは誰よりもドリフターズを愛している人です。だからスチール写真なんかも大量に残してある。まァ、大仰に言えば、日本一のドリフフリークと言えんこともないわけで、しかもブーさんはドリフのメンバーでもある。こんな強いことはない。 あれから長い時間が経ったけど、テレビ越しではない、生のブーさんの声はいつまでも消えません。 ブーさん、まだまだお元気で! (初出 2003年12月21日更新「日本一のドリフファン(2005年に「高木ブーのこと」に改題)」、2017年8月10日・12日更新「ドリフターズとアタシ」他・改稿 2018年5月28日)
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takechas · 2 years
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⁡ さて日曜日までの営業では ⁡ 初レコードのヤングボーイに遅い夏休みを 満喫しようとふらっとタケチャスして頂いた女性の方などのもとへ新たにレコード・プレーヤー共々旅立っていったり、はたまた棚をはじからはじまでみてお買い上げ頂いた方々のおかげで嬉しい4日間でありました。 ⁡ お立ち寄り頂いた皆さま 誠にありがとうございました😊 ⁡ さて、本日月曜日から水曜日まで 実店舗はお休みとなっております。 ⁡ 木曜日からまた今週の営業をスタート 致しますのでちょと待て頂けたら幸いです。 ⁡ / ⁡ アンテナを張ってなんてフレーズ、中々気恥ずかしくてフレーズそのものも、言ってくる方にも何だか気恥ずかしい感じになったりしちゃいますが、こちらはさにあらず。 エレポップ/シンセ・ポップ・クラシックにしてボサノヴァのマスター・ピース「アントニオ・カルロス・ジョビン/イパネマの娘 」のカヴァー。当時3人組だったフランス出身のエレポップ・バンド「アンテナ」のファースト・シングルでクレプスキュールを代表する人気曲の一つ。コレからまたオス���メな愛いヤツご用意致しますので是非アンテナを張って頂いて、、、ハッ🫢 ⁡ \ ⁡ #takechasrecords #タケチャスレコーズ #札幌市中央区 #レコード #sapporo #instavinyl #おうち時間おうちレコ #ボクのレコード好きなレコード #レコードのある暮らし #レコード買取 #Antena #TheBoyFromIpanema #ThegirlFromIpanema #LesDisquesDuCrepuscule #electrobossa #Synthpop #elepop #newwave #neoacoustic (レコード / CD 出張買取・宅配買取 Takechas Records / タケチャス・レコーズ@札幌) https://www.instagram.com/p/CjQaiCjvXDZ/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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kansouaday-blog · 7 years
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YNONIN / bonboya
話をする。とりとめもなければ終着点も考えていない。
最初に出会ったのはファンミーティングだ。当時は其のような呼び名がまだ一般化する前だったので、ただの交流会とかそんな感じだったと思うが。今思うとライブをやる予定だったが上手いこと押さえられなかったレコード会社の意向か何かだったのだろう。ベースが代わって直後だったか?練習量が足らなかったのかもしれない。
自分でも交流は多い方だと思うが、基本的に自分から話しかけに行く方なので、相手から話しかけられて、という交流の始まり(そして、いまも交流が続いている)は、数えるほどしか居ない。
その場で話しかけられ、中々いろんなことを喋ったと思う。流石に細かいことまでは覚えていないが。あの当時は割と周囲の色んな人をライブに連れてっていたのだ、だから好きな同人音楽の話をする先が結構あった。 現場で出会った仲間とその場で交流が始まり、その先も、そして今も交流が続く続いていることの計り知れない僥倖に、当時の自分は気づいていない。
結果的にその交流は今も続き、打ち上げ、ボードゲーム会、音楽の感想を言う会、諸々、諸々お付き合いして頂いた。
こっから先は私の驕りの話になる。
恐らく、恐らくだ。彼は私と出会わなければ、モノを創り作る苦しみを味わうことはなかったのではないか? 長机の外側では感じる必要のなかった、内側の苦しみを知ってしまったのではないか?
最初に知ったのは、見たのはtwitterだったと思う。絵を書いている。 ボクの今までの知り合いで、絵を書いている、書き始めたという人間は今まで誰一人も居なかった。書いていた、とか、アナログでは書ける、とか、そういうのは居たが。大体デジタルへの移行で挫折するか、あるいは絵以外にも才能があってそっちにいったか、だった。 さてどんなもんかなと思って見に行った、完全に上から目線でだ、とんだ鼻につく野郎だ。 いくつか見た。3,4枚見た時に思いは変わった。八雲紫のイラストだったと思う。両手を広げ空を仰いだ彼女を、真上から画角に収めた構図。
この人にはきちんと書きたいものが有るのだと思った。この先のこの人の創作が見たいと思った。
であるがゆえに、私と出会ったのは彼にとっては不幸だったのではないかと。私とかかわらなければ、業界の頂上、ピラミッドの上また上の人間に出会うことはなく、彼の思いの中の設計図を、既存のクオリティで破壊してしまったのではないかと。
完全に私の驕りだった。
彼は何度もコミケに、例大祭に申し込み、何度も落ち、そして宿願を果たし、夏に一冊のコピ本を出し、そしてこの冬に一冊の本を、印刷所に頼んでオフセット刷りした本を完成させる。自らのスペースに置いたのだ。
考えてもみて欲しい。出会った当時作り手ではなかった人間が、自ら思いたち申込みをし落ちても諦めず物語を作り考え生み出し苦しみ具現化させ出来上がったそのものを持ち長机の内側に立つことを。考えたことが有るだろうか?
同じ場所に立って来てくれた、なんていうどうしようもない驕りを自分を恥じたくなる。違う。作品を手にとって読んだ時に確信した。この人は元々お話を書く人だったと。最初から、私に会わなくても、同人というものに出会った時点で、この人は物語を描くひとだったんだと。
人が創作に目覚めて、一つの道程にたどり着くことに。 何かを作る者として。 これほどまで、これほどまでに、嬉しいことが他に有るだろうか。
夏コミのコピ本のときにも思いましたけど、普通にカメラワークが強いんですよね。多分今まで読んでこられてる漫画のコマ割りと見てきた映画のカメラワークが頭に入ってるというか。 台詞がサラッと頭に入ってくるんですよ、風景の抜き方とか、キャラへの寄り引きとか。漫画の台詞がすんなり入ってくるかははカメラワーク次第だと思っているので。コマの作画カロリーの割り振り方とかも寄りでちゃんとカロリー増えるし。マジですごいですよほんと。 蓮子ちゃんモデルのJOYちゃんが出たら多分男性より女性需要の方が多くて少子化爆加速するだろうなと思いました。科学世紀には百合妊娠実用化されてるだろうから大丈夫かな。
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kenhamazaki · 3 years
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【UTOPIA 2021】 - お金と携帯を持たない4日間 - 今年のテーマは "LOVEVOL" 2021年9月18(土)~21日(火) 岡山県苫田郡鏡野町久田下原771-3 赤壁邸 エントランス / ¥5,000 (チケット作品) ※普通のイベントではないので主旨とルールをよく理解した上ご参加ください。 (エントランスですが、受付にあまり居ないので赤い人を捕まえて受け付けしてください。 初めて方はパスポートを作るので写真を撮ります。 あと、基本何���ないので食糧、生活用���は各自持参してください。あと、なるべくゴミを出さないようにマイ箸、マイコップ、マイ皿持参でよろしくお願いします。) コロナで世の中自粛ムードですが、世間に迷惑かけない程度で開催しようと思います。 今年は初日の���にLOVEVOL盆踊りを開催します。 是非、自分なりの法被や浴衣で楽しんでください。 LOVEVOL祭り! あと前入り&お手伝い大歓迎です。(詳しくは直接連絡ください。) [スケジュール] 9.18(土) お茶会&盆踊り 9.19(日) カカシバーン 9.20(月) テンプルバーン 9.21(火) 片付け [スローガン] ・Give and give. ・Do what you can, do not worry what you can't. (できることはする。できないことは心配しない。) [主旨] 【社会や経済から人間を開放し、大人でも子供のようにワクワクできる理想郷】 このイベントに観客は一人も居ません。用意されたモノを見に行く…という受け身のイベントでもありません。 UTOPIAでは何をするのも自由。バーニングマンへと続くプレ・イベントとして位置づけ、それぞれが自由に自分を開放し、楽しみ楽しませる空間です。 そこでは全てが肯定され、ヒエラルキー(階級)もありません。 みんなが等しく主役なのです。 観客とパフォーマーといった区別もなく、地元の人から外国人まで、ボーダーレスな交流ができる空間です。 [ルール] ・お金を流通しない。 ・現実社会とは違う、一番理想な格好で居る事。 ・すべて自己責任。 ・自分の出したモノは自分で持ち帰る。 ・撮影、携帯禁止。 [交通手段] ・中国自動車道 院庄インターチェンジ下車 約15分 ・新幹線 姫路駅からレンタカーで約90分 ・新幹線 岡山駅からレンタカーで約90分 ・津山駅からレンタカーで約30分 ・津山駅からタクシーで約4000円 ・津山駅から中鉄北部バス奥津温泉行き石越線 久田(くた)バス停下車 徒歩約30分 (大阪から高速バスで津山駅行きがあります。) [思いついた事] ・DJ、ライブ、パフォーマンス大歓迎です。 ・皆さん好きな仮装をしてください。 ・バーニングマンについて語りましょう。 ・以前に来られた方はUTOPIAパスポートを忘れないようにお願いします。 ・詳しく聞きたい方は直接メッセージください。 [浜崎健コメント] ここ赤壁邸は奥津湖のダム建設で村が沈んでしまった場所です。 偶然ですが祖母の実家も湖に沈んでしまいました。 あと、ボクのお父さんのお墓も近いのでなにか縁を感じます。 ここがUTOPIAの永住の地になるかもしれません。 バーニングマンのようにここがBRCになるのか? みなさん、是非自由に楽しんでください! そしてUTOPIAが、参加してくれた人々にとって第二の故郷みたいになれば嬉しく思います。 [備考] ・画像を欲しい人は公認カメラマンが撮影した画像をネットからダウンロードするシステム。SNSに登載する時はあくまで文章だけで伝えるようにしましょう。 ・近くのホームセンター SUPER CENTER PLANT-5 鏡野店 [近くのおすすめスポット] ・奈義町現代美術館 / 岡山県勝田郡奈義町豊沢441 ・つやま自然のふしぎ館 / 岡山県津山市山下98-1 ※ここは絶対オススメです! ・田町文化STORE(レトロなカフェ) & 音虫レコード(DJトビさんのレコード屋) 岡山県津山市田町19 ・Zガンダム 道の駅 久米の里 / 岡山県津山市宮尾563-1 #kenhamazaki #red #redman #utopia #burningman #giveandgive #lovevol #akakabetei #okayama https://www.instagram.com/p/CSBYmJen4Yo/?utm_medium=tumblr
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signupnowme · 7 years
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白昼夢と現実と。
※まとまらないし、まとめるつもりもない4/1の雑記。
girls/lust for life。何年も何年もプレーヤーに載っていないレコードのことをふと、何度目かわからないエイプリールフールな今日思い出してしまったかというと、特に、何かを思い出して浸ったりしたからでもないんだけど。
Lust For Lifeのビデオです。
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もちろん、Girlsが2009年にデビューした時には、バカみたいに熱狂した一人です。
大好きなPet Soundsをベッドルームから届けたとかなんとかで。
こういうビデオを見せられると、「ああ、サンフランシスコってなんていい街なの」だとか「輝いてるなー」だとか思わされるんだろうけれど、別に輝いていない日々ではなかったので、単にすごいの来た!という感じでした。
でも、実際に誰かが憧れる青春ドラマみたいな日常を切り取ったら、Lust For Lifeみたいな風景を求めてしまうのかもしれないし、いい大人になって毎日の愚痴をSNSなんかに投稿して誰かにかまってもらいたくなってしまったりしたら、「あの頃は!」みたいな気分に浸ってしまうのかもしれないんだけど。
実際、超輝いてるよ 笑。これ。このポップさで映し出されたらそりゃ、天才登場みたいにSPINもNMEモFADERもROLLING STONEも載せたいよ。
んで、実際にはそんな物語は永遠じゃなくて、彼らにも終わりが来てしまったんだけど、クリストファーが脱退して。詳しくは知らないけれど、周囲が存在を一人歩きさせ始めると、まぁ、ついていけなくなるのは・・・。わかる。
自分たちの世界が誰かの世界になって、勝手に期待されて、そんなの変わるななんて言われても無理だ。
割と多感な時期(笑)に、青森の方でとても才能のある方とその偶然に出会ったメンバーでスリーアウトチェンジとかいう奇跡のようなレコードを出した人たちがいて、おそらく似たような境遇で悶々といていた方々の理想っぽい空気になったんだけど、でも、そういうのも永遠はなくて。
そこから、何か進むには、なんらかのビルドアップ、ギアチェンジ、ちよっとした変身をしなければならないんだけど、それが大人になるってことだとしたら間違いで。少しだけ、目線を変えてみるだとか、多分そんな小さなレベルで構わなくて。
それで、気がついたら、クリストファー。ソロアルバムを3枚も出していたのです。最初は、買った気がする。でも、最近見かけないのも何かあったのだと思う 笑。
で、聴いてみた。2014年にA NEW TESTAMENTっていう作品と、2015年にChrissybaby Foreverという作品の2枚。
ここまでか・・・。とびっくりした。
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天才じゃないか・・・これ・・・。
1960s-1970sの名盤といわれる部分はもちろん、90sから00sの空気感をまとっていて。それでもって、おそらく永遠に普遍的と言われる難しいことは考えないで「良い」と言える楽曲。
インタビューとか読んでいないけれど、喧騒は精算できてるのかな。
いや、できてるよな・・・じゃないとここまで突き抜けられないよな・・・。などと考えながら一聴した瞬間に即注文したレコードを聴きながら思いを馳せたのでした。
とかまとまらない展開になっているのだけど、まとめるつもりもないのでただキーを打ちますけど。
変わること・・・ねぇ。変わらなきゃいけないのか・・・。難しいよね。
「その気持ちもままでいてね!」なんて言われたりもするけれど、言う方は簡単だって思うのですね 笑。関係ないし。
でも、変わらないのもまずい。そのさじ加減がどんなもんんかによるんだけど、少なくとも年相当の振る舞い(外食とか服とか信頼感とか)はできていないと厳しくて・・・。それは世間がどうこうだとか社会的にどうこうだとか関係なく普通だと思っていて・・・。
それで変わりすぎるのもまずくて・・・あまりにも現実主義になってしまって、そこから転げ落ちないようにだけ生きるようになってしまうような。
どちらかに振れ幅をガーッていくのもまずいので、ようは絶妙なバランス感を何かしらで保たねばなりませんのです。
それってなんなんだろうねってたまーに考えたりするのですね。
すごく個人的な話とかになるけれど、病気して死ぬ間際まで行って、人生の何年間をなかったことになっていたりすると、余計にも思ったりするんだけど。
一番何が大切だったのかな・・・。って思い出してみたり考え直したりすると・・・。
同世代の身近な人たち。なんだなぁと思ったのです。
有名な年上の誰かでも、才気あふれる若者でもなく。同世代。
もちろん、そこでぬくぬくと「ボクらの時代」に浸ったら終わるでしょう。
確実にその先はない。もちろんそれが楽でしょう。キラキラしていた時代をパッキングしてその中にいればいいのだから。あとは迷惑かけなきゃ大体はことが進む。
んでも、生産性とか考えたら・・・きつい。別にインスパイアザネクスト万歳!って生きる必要はないんだけど、そこの空気に浸ると、多分しかるべき年齢になった時にしかるべき振る舞いをすることさえできなくなってしまいそうな気がする。
そういう時にふと脇を見たら同じように生きている同世代が目に入ればきっと、自分なりに考えられる気はしていて。
「映画みたいな人生」って、何も17歳とかの特権ではなくて、もちろん時代は若者が作ればいいんだけど、その時できる自分のアップグレードで割とそういう人生は遅れるもんだぁねって気がついてみたりしたのです。
なので、今日も明日も好きな音楽探して、服着て、人に会って、テレビ見て、本読んで、旅に出て、主張してみたりしちゃうのですね。
永遠に変わらないなんてそもそもやばそうだな・・・。だから、それくらいのバランス感で入れたらいいのだねなんてとりとめて生産性のない文字を打ち込んでみました。
ヤングアダルトニューヨークって映画、去年あったんだけど、あれはきつかったんだよな・・・。若い才能と交流してそのライフスタイルを今日しないと自分終わる!って無理して、結局自分の生活に戻るって・・・。大体がそうなんだけど・・・多分そこじゃないってものすごく違和感を感じてしまったんだね。
だったら、1mmでもいいので、今の暮らしのスパイスになれる何か探したいよな。ないものねだりよりもよかった探しでもしてみたり。
別に、少し出遅れても立ち止まっても、全く同じをもう一回手に入れるなんて必要は全然なくて。復旧させるんじゃなくて、復興なのです。再生じゃない。
今の状況に見合ったものを作ればいいの。だから、「どうしてこうなった」で立ち止まってああだこうだしたくはないし、懐かしんでもう一回取り戻そうなんて思ってもいないし、だったら、この先どうすればダサくないか考えていた方がいいのですね。昔の出来事は教訓だけにしておけばいい。ほどほどにね。
一個だけ「懐かしむ」だけはしたくないな。生きている限りは現役。
懐かしんだり懐かしまれたらそれはなんか現役感とは違う違和感を出してしまっているのでそれだけは・・・したくない・・・。
自分のペースで社会に刺激を与えていきたいなと 笑。
気分だけは最新作が最高傑作で。そう思えなくなったら引きこもる。
(考えてみて。Teenage Fanclubだとかが「いやー、バンドワゴネスクは永遠に超えられないけれど、あんなレベルじゃなくて申し訳ないんですが・・・まぁ、作品できたよね」なんて思っているわけないだろうwww 今、自分ができてすごいかも今の自分!って思えていることがクリエイティブな証!!!)
まとまってない!読んでしまったらごめんね 笑。
でも、いいのです。SNS、他人に見せる、見られることばっか気にして、完璧を求めちゃうよりも、とりあえず出しておいて、気がついたらアップグレードすればいいのです。それが気づきと成長。
いいねボタンは自分で押せるくらいの満足感があれば幸せ幸せ。
リレーのアンカーでもないのです。
あ、でも生きていればいいことあるよ!秋に国立博物館で「運慶展」あるし、国立新美術館で安藤忠雄展もあるし、LCD Soundsystemの新譜出るっぽいし、ヨギーニューウェーブスの2nd出るし!フジロックでゴリラズもBonoboも見れるし。もしかしたらもう一回くらい浦和レッズがアジアを制する瞬間に立ちあえるかもしれないし!
カズ、俊輔、上原、武藤敬司の引退試合も見送っていない!
あ、、、でも、新譜よりも中古盤の方が購入比率増えたらマジで注意な!!!
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で、新譜ね。その新譜。買った。買いました。
オーストラリアのプロデューサー、Tornado Wallace の1st!
大体はアフリカンビートのシンセサイザーミュージックなんだけど、SUI ZHEN参加のこんなポストパンクのようでちよっと違うなっていう心身に突き刺さる曲も入っていたりする。天才。はい天才。
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パソコン漬けの娘が心配です
相談者:男性 40歳
 40歳の男性です。中学1年生の長女が、寝る間も惜しんでパソコンに向かっているのが心配です。  娘は近くの公立中学校に通っていますが、帰宅後は夕食をはさみ、今にあるパソコンの前にずっと座っています。  インターネットでアニメの動画を見たり、画面にイラストを描いたり。友達とのチャットやメールも忙しく、呼びかけても、「ああ」とか「うん」とか生返事をするだけ。「いいかげんにしなさい」としかると、途端に機嫌を悪くして自室にこもります。  部活動も生徒会もこなし、今のところ、成績もいい方です。ただ、家族との会話は少ないですし、ほかに何もせずに深夜まで画面に見入っている姿は、異様な感じがします。  パソコンをいじるのが悪いとは思いません。私も中学時代には漫画ばかり読んで親に怒られました。でも、そのほかにもレコードを聴いたり、プラモデルを作ったりと、時間の使い方には多様性があったと思います。もちろん休日は外で遊んだものですが、娘は出不精です。  本屋CDを薦めたりしましたが、反応はさっぱり。姉を見ている小学生の息子もパソコンに興味津々で、予備軍となっています。パソコンの虜になった娘に、それ以外の様々な楽しみ方を伝えるにはどうすればいいのでしょう。
思春期のサイン読めない、あなたが問題!
回答者:社会学者 上野千鶴子
 あなたのお悩みがどうして「お悩み」なのか、ちっとも理解できません。  中学1年生の娘さんが、病気にも不登校にもならず、リストカットも食べ吐きもせず、いじめにもあわずいじめる側にも回らず、部活動も生徒会もこなし、チャットやメールを交わすお友だちにも不自由せず、成績もよく、そのうえ、寝る間も惜しんでうちこむパソコンという対象があり、しかも出会い系サイトにまはるでもなく、アニメやイラストなどの創作活動に意欲を持っているなんて…世の親御さんたちから見たら、うらやましいような自慢の娘さん、でしょう。この娘さんの何がご不満なのですか?  は、はーん。父親のボクを振り向いてくれない? オレのいうことを聞かなくなった? そういうもんです、思春期の娘ってのは。あちらがパパには距離を置きたい、というハッキリしたサインを送っているのだから、そのサインを読めないKYのあなたの方が問題です。  なに、「多様な趣味」ですって? ウェブの世界の拡がりをあなたは知りませんね。あなたの好きだった漫画も音楽もフィギュアも、何もかもウェブ上にあります。それどころかそれ以上の世界への入り口が。つまり本やCD(ローテクですねえ)など自分の好きなものを娘も好きになってくれない、と嘆いているのですね。娘さんに甘えているのはあなたの方です。はっきり言って、ウザイです。だからあなたは嫌われる。  子どもとの関係は成長の段階で変化します。ついていっていないのは親の方。この時期の親の役割は遠巻きに見守ること、そして助けを求めてきたときにしっかりと手を出すこと。その点では、パソコンが居間にあるのはよいことです。刺激を受けた弟さんも後生畏るべし。  パソコンより楽しいことですって? パソコンはいくらはまってもしょせんバーチャルな世界。リアルな世界が楽しくなれば、自然とバランスは取れてきます。娘さんには、リアルな世界からの逃避をバーチャルに求めている傾向は見られませんから、何のご心配もいりません。え、それともうんとリアルにセックスやドラッグにでもはまってくれる方がよかったですか?  「しょせん、オレのムスメ」とわきまえたうえで、それにしちゃあ上出来、と娘さんを見守ってあげてください。
” -
2009年6月6日朝日新聞 土曜版「Be」- 悩みのるつぼ
上野千鶴子最強。
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otona77mtb · 5 years
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なんだかねぇ…こんな時だから? このあいだからユーミン聴いてばかりいるよ。 たぶん彼女のアルバムのなかで一番聴いているのはコレ 「悲しいほどお天気」 レコードならA面最後の曲「丘の上の光」は本当に好きな1曲です キモチがガサガサという音を鳴らしているかのような時に、救われたりするアルバムなのです。 そしてなにより、ボクの甘酸っぱかった10代に別れを告げるタイミングで聴いたこともオオキイデス https://www.instagram.com/p/B9hA6hKjb7H/?igshid=9x2bfiik0n5z
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