「<あなた>の物語」について
レポートでも感想文でもない何らかの「何か」。
それを何とか形にしたいと思う。少なくとも私はそのように願う。
少なくとも、それは「私自身の物語」であるだろう。 であれば、他でもない「それを私が書くのだ」。それは間違いようのない事実であるだろう。
書けるかどうかは分からない。お読みいただけたら嬉しく思う。
「初めに、神は天地を創造された。 地は混沌であって、闇が深淵の面にあり、神の霊が水の面を動いていた。神は言われた。「光あれ。」こうして、光があった。」
誰もが知るであろう創世記、第一章の冒頭である。
たいして敬虔でもないキリスト教徒である私は思う。
光は、闇と同じものなのではないか、と。
(ある日のメモより)
SMOKE@浅草九劇 2018/10/
*超がいる→書く。
「書くのをやめろ」
コーヒーとレコード・オルゴールは手回し
私のやり方で天才になりたかった
N↑照明等/W側↑ピアノ
人並みの暮らしさえできない
鏡の中の鏡像
私の文字を閉じ込めてしまう
僕のことを忘れ去る 君の瞳
もう会えない・見つけられない
痛むの・不安なの・苦しいの
心は裏返し。抜け殻のような
↑今の私とは違う姿
ハクセイ 泣いても濡れない
眠る/
(不明瞭)
僕のものさ
↑そしたら
遠くへ行きたい<夢>←以下丸囲みを<>と記述
↑あるなら
叶えたいなら棄てるべき時に思い切って捨てる
ぬめる目つき
万が一のための「<保険>さ」←以下下線部を「」と記述
サイゴのチケット
最初で最後のチャンス 夢を叶える
姿勢 肩を張る/猫背
人差し指/鏡
超:表情 <冗談だよ>←やさしい
お前はじっとしてれば(棒読み)
どんなに怖かっただろうか←僕なら耐えられない
旅立ちの最後のチケット
「水、水」目隠し←居ない方に話す
あなたはきっとイイ人なんでしょ(少し笑う)
オネがあ~い・イタァ~イ
目を合わせた時の表情「分かりませんか」
ありがとう 探る目→忘れてる認識
あなたはこんなことをする人じゃないんだもの
<どうして>やさしげ 問いかけ
「あなたの海って何なの」
問題を出す先生
青い終わり 赤い始まり
↑期待する目とあきらめ
さとす様
絶対に凍ったりしないの
全てが凍り付いても海は流れる
→叫び続ける��歌い続ける 笑うみたいに
この旨の高鳴りが(不明瞭)
無かったら困るでしょ
怪我をすることも具合悪くなっても
私は生き続けるんだーって。
<才能がない> 表情 語り聞かせる←あなたの事を
愛されたい 分かって貰いたい 語って聞かせる
自分の心 ふくろ
いつかその子がもう一度探しに来て 愛しさ・恋しさ
くれると信じながら 憎しみ・恨み
思いつめた 叶えたい夢 鏡には入れず
見つめるだけ
→私たちは似てる
悲しみを[抱いて/抱えて]いる←以下二段括弧綴じを[/]と記述
出口の見えないこの世界から
煙になって抜け出す
あなたが書いたんじゃないの
↑切実
とってもいい詩ね
(不明瞭)がどうして気づかなかったんだろう
←動き
恋とは出会って初めて
恋だとすぐに分かった イトシイ人
[美しい面影/今度出会えたなら/離さない]
対角・鏡→
二人だけの誰も知らない物語
ホシゾラみたいにきれいな物語を
↑客席も照らす あなたはボクの愛しい人
こんなことしなくとも逃げたりしない
そいつはお前の何なんだ←確認
ダイジョウブかホン←棒読み
どうしてあなたがここに居るの<超>
海、どうしてこの人と誘拐なんてしたの
飲む瞬間ため息
もうやめて二人ともコーヒーでも飲まない?
コーヒー好きだったでしょ?
初めて会った時変だと思った
↑どうして変だと思った?
分からない
思い出すんだどんな関係だったか
どんな感じだったか
おまえ中々サイノウあるな
どう呼べばいいんだろう 心を明るくしてくれる
降り注ぐ暖かな春の光
急に涙 消せない
ソウシツ ナミダ ゼツボウ
倒れた後の淡々とした動き
今度はコーヒーか
ねめつける 苦痛でしかない苦しみのカタマリ
海が以前君にしたように。
否定し目を背け
何処までも広くて深いから底が見えない
真っ暗でどこまでも沈んでゆく
それが海なんだ
あなた どうしたいの 疑わしげ
いつもそう{彼を}←以下二重線否定を{}と記述
いっしょじゃない
もう耐えられない
越えたかった理想郷 違うあなたじゃなきゃいけないの
あなたが言う情熱で書きまくった作品がこれなの
愕然と驚き 全部削除しろ
誰も読めやしない それでも描き続けてる
欲しいなら闘うの
今まで逃げてきた⇔<対立>
俺の言葉には響きが無い
逆行してる 俺には才能がない
そうよ あなたには才能がない
あなたは怖いのよ
歩いていれば転んだり迷ったり
全然違う道に迷い込み 引き返せなくなる
それでも いくと決めたならサイゴまでいくの
まがいもの 希望を見せて
動と静 それいじょうの絶望になる←超(不明瞭)
取ったメモを数えてみたら全部で87頁あった。これはそのうちの6頁である。意味のない言葉の羅列かも知れない。
意味のない話をしてしまった。意味のある話をしよう。
書き留めたのは、ひとつには時間というものが止まらない中に在って、私がその瞬間に感じ取ったものもまた「言葉」と同様にその瞬間を切り出さなければ別のものになってしまうという危機感からだった。「言葉」が後から後から湧き出てくるように、その源泉たる人の想いもまたとめどがない。その瞬間に感じたことが、次の瞬間には別の何かに変わってしまう。私たちが「言葉」という道具でもって何かを書きとめようと努力する時、そこには常に「書き留めたかった何か」があることは疑いようが無いことであるように思う。
書き留めたかった「何か」が何であったのかは、今となっては分からない。ただそこに「書き留められたもの」が形として残るのみである。
ミュージカル『SMOKE』は、先にも一度書いたように韓国の詩人・李箱について描いた作品である。「極めて難解ながら、優れた作品を世に残した人物」というのは今日の読者の理解であって、記録に残る彼の歩みを辿ればそれは「不理解への抗い」であったことを恐らく誰もが読み取ることだろう。(彼の人生についてあたるのであれば、恐らく纏まった書物としては作品社刊「李箱 作品集成」が参考になると思われる。)
本作は、そんな彼の人生の一瞬を切り取り、作品として再構築したものであるように私には思われた。
まず、僕自身が感じたことから書いてみたい。本作、東京公演におけるそれは、ひどく「客席に近い」公演であった。その距離、最短にして10センチメートル。手を伸ばせば触れる距離に役者たちが居る、そういう舞台であった。
けれども、と僕は思う。間違えば触れるような距離でありながら、それは絶対的に「触れ得ない」作品世界を生きる役者たちを鑑賞するような時間であった。
本作冒頭。斃れたひとりの若者の姿を目にした。彼は履物も履かず、ただ佇んでいた。
本作は極めて難解な作品であると思う。十数公演を観て尚そのように思う。その理由の一つは、その「佇む姿が身近に観得ながら酷く遠い」ということにあった。
本作冒頭。斃れたひとりの若者の姿を目にした。彼は立ち上がり、机に向かい文章を書きはじめる。そんな彼に向けて、SPを通して様々な人が言う。「書くのをやめろ」。ひどく耳に痛かった。そんな言葉を前にして彼は尚も書き続ける。「私は」。「私は」、「私は…。」彼は書き続けた。私は、それを観て人ごとのようには思えなかった。
本作は、ひとつにはミュージカルである。そしてそれは表現として、とても「贅沢な作品」であったと感じている。
何故か。それは、「別世界の物語をまるで目の前のことの如く近視的に観ることが出来る作品」であったから、だと個人的には感じている。
本作冒頭。そこに佇む役者は手を伸ばせば届くような距離にありながら、そうすることは酷く憚られた。「触れられるような距離にありながらそうは出来ない」。それは、例えていうならば芝居というよりはテレビ越しに或るドラマを見ているような感じがした。カメラがズームで寄せるように、その役者の息遣いそのものが目の前に聴こえる。けれどもそれは、目の前であるにもかかわらず、別世界のもののように見えた。
そういう意味で、本作はとても良く出来た「ドラマ」だったのではないかと思う。ある一点までは少なくともそうであった。僕の友人が観劇後に言っていた、「舞台と客席と双方の緊張感が、まるでそこに壁を作っているかのようだった」という表現は、僕自身の本作に対する認識とも相違がなかったと思う。
「ドラマ」。硝子の向こうのドラマ。それはどこまで行っても「他人の物語」に過ぎない。如何にカメラが寄ったところで、それが「ドラマ」である限りにおいて、そのことを「事実」と捉えることが何人に為し得るだろうか。僕は、それはとても難しい事であると思う。
では、「ドラマ」の話をしよう。
本作は、ひとりの人間の物語であった。難解に様々に織り込まれつつも、それは疑いのない一点であるように思う。
本作の「あらすじ」を表現することはとても難しい。本作には「四人」の登場人物がおり、その折々において本作の物語は全く別物であるように思われるからである。
まず、冒頭に表れる「超」の話をしたい。彼は、李箱の中の「越えたい自分」像として置かれた人物であった。
このあたりがダブルキャストの妙で。彼は、「求められ克服した自身」と「求められつつも克服し得なかった自身」との両方を纏った人物であったように思う。その違いは両演者が見事に表してくれた通りである。どんな人間の中にも「こうあるべき」と望む自身の姿があることと思う。李箱にとって、その理想を体現したのがこの本作における「超」であった。
超の想いを想像することはとても難しい。それは、彼が「願われた表象」としての人物であることに帰結する。誰であれ、己の中に描く「理想の人物」の像はあることと思う。李箱の描くそれこそが超という人物の存在根底であった。
けれども、「理想」を願われたとしたとて、それはひとりの「人間」である。それを形に出来ることも在れば、出来ないこともあるだろう。私は本作ダブルキャストの各々の立ち居振る舞いの中にその両者を見たように思っている。
まず、日野さんの演じる超。彼は私の目には常に超然としていた。時には海に対する優しささえ交えながら、だからこそ紅に対しては真っ直ぐな対立姿勢を見せていた。彼の横顔には「越えて尚思う憂い」のようなものが感じられた。それは、「理想を体現した己であるからこそ、このように在らねばならぬ」という彼自身の縛りごとのようにも思われた。
一方で、小暮さん演じる超。これは、対照的に「超えようとして尚越えられない己」を強く感じさせられた。彼の演じる超は、どこか「強く在ろう」としながらもそう在れない自身に対する苛立ちと嘆きのようなものが感じられる超であったように思う。理想を目指しながらもそうは在れなかった自身。であるからこその苦悩と嘆き、苛立ちが彼の超からは感じられた。個人的にはとても身近に感じられた「超」なのかも知れない。
全く別物のように演じられながら、その両者に共通していた「超」の姿は驚くほど共通していた。それは「嘆き」である。
本作のトリックについて少し話をしておくべきだろうか。本作は極めて重奏的であり、その中には演じられる役各々の「何を知っていて何を知らないか」ということが緻密に配置されている。そのような作品のなかで、「よく知っている人物」が超であったということは疑いようが無い。
例えば冒頭。紅を誘拐した後で海と超が言葉を交わすシーン。ここで超はどれだけのことを知っていただろうかと考える。
まず、彼は「紅が三越の令嬢などではない」ということを知っていた。知ったうえで、あれを為したのである。何故か、という問いは彼の最初の歌の中にその答えがあるだろう。「秘密は秘密として知られないように」。紅が三越の令嬢と信じ込んでいる海にとって、その言葉はただ単に端数するだけのものでしかなかった。けれどもそれが「嘘」であることを知っている超にとって、それは全く異なる意味を持つ。「秘密は秘密として」。それは面と向かった海に対する秘密であった。海にとっては単に「向かい合って言葉で確認し合う」シーンが、超にとっては全く異なる意味を持つ。それは「騙す相手であるところの<海>に向けて己の言葉で確認をする」という一場面なのである。このことに気づくだけでも本作を観劇する人はビリビリしびれるような感覚を味わったことだろう。
ちげえ!こんな話をしたいんじゃあない。
本作は、一観客の立場として、痺れるような想いを持ちながら淡々と進む作品であった。
それは、客席と舞台との双方に漲る、「これを見届ける」という緊迫感に支えられた作品であった。
ビリビリと痺れるような気持ちを抱きながら淡々と観劇した。
そこに居たのは、「ただの観客」たる私自身の姿であった。
先に「ある時点までは」と記したと記憶している。
確かに、本作において「ある時点までは」、舞台と客席とは明確に分かたれていたように思う。
それは互いの緊張感によって、「ある時点までは」。それが、何処であったかを僕は記憶しない。
「瞳」。そう言われた瞬間に降り注いだのは、「その舞台を映像のように眺める自身の眼差し」そのものであった。
本作、役者陣は徹底して「その役そのものである」ことに意識を振り向いていたように思う。それは僕自身がよく知るひとりの役者の在り様にもよく表れていた。普通、ライブなどであれば「目が合う」というのは緊張感を伴う何らかの邂逅であるだろう。それはその互いの中に己の姿を見るからだと僕は思う。けれども本作の中において、どれだけ近くで目にしたとしても、それはライブのそれとは異なっていたように僕には感じられた。
「視線がぶつかるのに交わらない」。そのときに僕が感じた印象を丁寧に言葉にすればこのようになる。互いの視線が「交わる」のではなく「ぶつかる」。そういう印象があった。そこに僕が観たのは「役者本人」ではなく、それがそのまま内側に注がれた「役自身」の姿であった。それは「物語の中を生きる人物」の目線であり、従ってそれを鑑賞する僕自身の視線とは「ぶつかる」ことはあっても「交わる」ことはなかったと感じている。
以前から少しではあるけれど感じていた。役者は、「役」足り得ようとすればするほどに、僕らの前からその姿を消してしまう。
何故か。そのようにして臨む役者の姿は、それがその理想に近づけは近づくほど「役者」ではなく「役」自身の姿になるからである。
物語の中を生きる「役」そのものでる役者に対して、物語の外側からそれを観る我々が、視線を交えることが在り得るだろうか。僕は、否であると思う。
今回、本当に間近でそのお芝居を拝見することが出来た。とても嬉しかった。けれどもその視線は決して「交わるもの」ではなかったと感じている。何故ならば、私の見ている相手が「役者」であり、「役者」として「役」足らんとした姿そのものを私が見ていたからである。
互いがそのようにあろうとしたとき、そこに交わる視線はない。何故か。「役」は「役」であるからという他無いであろう。
私自身としては、そういうことを嬉しく思う。視線が交わらない事は「役者が役自身足り得よう」としていることを意味するし、そのようにして臨まれる作品は、よりよい形で作品として私たち観客の中に存在できるだろうなあと思うからである。
けれども、同時に悔しくも思う。
そのようにして役者の手で丁寧に描かれる作品の中に、己の姿は存在しないからである。
先に「ある時点までは」と記したと記憶している。
間違いなく、その「壁」はある時点までは存在していたと僕は思う。
触れたいと願っても手を差し伸べることさえできない。そういう壁があったと思っている。
「ある時点までは」。僕はそれが嬉しかったし幸せでもあったのだろうと思う。
「ある時点までは」。既にこれをお読みの聡明な諸兄は想定している事だろう。本作の中で「ある時点までは」存在していた硝子の壁は、ある時点において粉々になり、一切を失うこととなった。
それがいつだっただろう、と考えるとこれが中々難しくもある。
少なくとも、本作の中には「硝子の壁」があったと僕は感じている。それは間違えようもなく、舞台と客席との間に厳然と存在していた。僕は、それがあったからこそ、あれだけ近い距離でありながら、「安心」してそれを「作品」として観ることが出来たのだ。
「硝子の壁」。それは、役者が「役足り得よう」とする圧力であり、観客がそれを「鑑賞しよう」と務める圧力であったのではないかと僕は思う。そこには明らかな線があった。あの舞台の上の「四角」が構成する平面よりも確かな手触りを以て、明らかに少なくとも僕には、その存在が感じられた。役者と観客とは、分かたれている。
けれども本作終盤において、その壁は失われることになる。あれを「演出」というのか「芝居」と呼ぶべきなのか、僕には分からない。けれども確かにそれは粉々に砕け散ってしまった。
僕にとってそれは、片手に頼りにしていた支えを失うようなことであったように思う。
「瞳」。そう言われた時に、心の底からどきりとした。そういわれた瞬間、確かにそれを観ている自らの視線が存在していることを感じたからだ。
「瞳」。役者が演じる何らかの物語。そこには常に観客の視線があり、瞳がある。
「瞳」。寧ろ、それが無ければその作品は「作品」として存在することさえ難しいのかも知れない。
「瞳」。けれども、そんなことさえ知らず、僕はそれをただ観ていた。
「瞳」。其処に居合わせた、僕は「作品」を観る観客の一人だった。
「瞳」。それは本作の主人公たる李箱の最も恐れるものであったと本作は解く。その瞬間、僕の中にはこのお芝居を観ていた自らの在り様がどうしようもなく省みられた。「瞳」。それは確かに、「作品」に関わる僕自身の姿であった。「瞳」。本作を観劇するにあたって、氏の詩を読んだ。「瞳」。まるで理解が出来なかった。「瞳」。僕は、それを他人事のように受け取った。「瞳」。僕は、まるでテレビのニュースを見るみたいにして、それを「他人事」のように観ていた。「瞳」。そう呼ばれるそれは、僕自身の瞳に他ならなかった。
「他人事」���はなかった。それは、「他の誰か」ではなく、それを観ていた「私自身」の物語だったのである。
「私自身の物語」である本作について、他人の言葉を借りることは不適当であると思う。従って、以降は私自身の感想を綴る。
思ったのは、『true tears』みたいだな、ということであった。それは、仔細に富み「歩くこと」「飛べること/飛べないこと」が語られたことは勿論ながら、その終わりの姿に表れていたように思う。
本作の終わりを、僕は「希望に満ちた」みたいな言葉で表すことができない。それは、僕にとってとても心苦しく「嘘」をつくことに他ならない。
本作の終わり。それは、一人の藝術家が己の人生を受け入れ、その上で「こうしよう」と定める姿として描かれている。とても印象的だったのは、物語のオープニングでは「今の私とは<違う>姿だ」と願われていたそれが、様々な観点から受容されるようにして自らの内に流されてゆく姿だった。それはその各々に対して、時には切なさと愛情をもって、時には怒りと悲しみをもって、「そうよ」という言葉と共に、そこに苦い想いをも確かめながら歩みを進めようとする人間の姿であったように思う。本作の主要人物3名、<海>、<紅>、<超>には、その其々が内包する苦しみも嘆きも哀しみもあった。本作の序盤はそれらを「克服」しようとする物語であったように僕には思われる。
その「克服」は、今の自身とは<違う>姿として描かれていた。海と紅のシーン、穏やかでありながら胸が締め付けられる様だった。それは、何も知らない海を「導こう」とする紅の姿にであり、導かれるままに行く海が確かにそこに辿りつけるならば、それは幸福な事だろうと思われたからである。けれどもそうはならなかった。何故か。彼には既に「彼自身の歩んできた人生」があり、海はそういう自らの歩みに背を向けていたにすぎないからである。過去が本当に「無」く、全てがこれからなのだとしたら、そこに描かれ得るものは多くあることだろう。けれども、現実にはそうではない。そしてその事は他でもない、海へと向けた紅自身の眼差しに明確に表れていた。彼女の苦しみの多くはそういった部分にあったのではないかと想像する。彼女は李箱の中の「いつかたどり着きたい希望」であり、「素朴な願い」であり、それは彼の母であり、姉であり、妻の姿をしていた。けれども同時にそれそのものが彼を追い詰める端緒にもなったのではないかということが本作の中では語られている。本作冒頭で海が紅に噛みつかれるシーンは、李箱の作品中にも描かれている自身の話である。遠い願い。得られない夢。だからこそ遠ざけようとした、それは彼自身にとってのあたたかな気持ちそのものでもあったのかも知れない。
一方の「克服」され得た姿はどうか。これは先にも書いた<超>の在り方の中に表れていたように思う。役者によって異なる姿ではあったが、彼は一面においては「克服して尚救われない想い」に、もう一面においては「克服しようと努力して尚克服し得ない自身」に苦しめられた人物であったように思う。その強さは主に海と向かい合うシーンに表れ、その弱さは主に紅とぶつかり合うシーンに表れていた。痛いほどに響く。彼の「もう限界なんだ」という言葉だけは、その両者に共通した思いであったように思われてならない。
では、その両者に迫られた<海>はどうなのか。
彼は芝居の上で言うならば、本作の中で最も難しい役柄だったのではないかと思う。彼は3人の中で最もモノを知らず、戸惑いながら、震えながらそれを受け止める役割だった。素朴な少年が、その人生の中で得てきた痛みと喜びとに向き合い、ひとりの「自身」になってゆくような役柄だった。
運よく、彼の豹変する場面を見ることが出来た。「信じられない」と疑いながら、けれどそれを「知っている」という感覚が全身を支配してゆく。そうして振り向いた彼の表情がひどく穏やかで、そのことがとても悲しかった。僕はその表情を知っているような気がした。
李箱という人の歩みを改めて辿ってみると、その何処にも救いがない。貧しく生まれて親に捨てられ、細々と生きながら望む生き方は出来ず、求められるまま官吏となり、そこで見出された文才をたよりに作品を記してみれば「狂人のたわごと」と組み伏せられる。彼の作品で今日まで最も評価されている「翼」を記した翌年、失望の内に日本へと渡り、その先でもまた失望を見て世を去る。それが現在に記録される彼の人生である。その何処に救いがあるのだろうかということを、改めて作品を読みながら僕は思う。
けれども、本作の終わりは決してそうではない。
本作の終わりは、「変わること」への否定として描かれている。「才ある人間でありたかった」という望みも、「誰かに愛されて生きたかった」という願いも、「そう生きては来られなかった」という事実を以て、「それは変えられない」という痛みと共にそれを受け入れてゆく彼の姿が、その中では描かれている。残念ながら僕の87頁の中にそのシーンは殆ど記されていない。ただそれを観ることに精一杯で記す余裕がなかったからだ。けれどもそこで描かれていたものがどんなものだったかは分かる。分かるつもりでいる。
本作の終わり。そこには一切の救いがなかった。変わりたかったひとが変わることも、誰かの想いがそこに届くことも無かった。そこに在ったのはただ一面の<くらやみ>である。けれども、そこに彼は<光>を見る。<くらやみ>だからこそ、<光>を観るのである。それは人間にとって、救いでもなんでもない。ただひとつ、これまでの己を受け入れ、その上で「この先自身がそうしてゆく」と定めること。ただそれだけ。ただそれだけの決意がそこにはあった。
眩しかった。眩しくて仕方がなかった。
本作の中の壁は、本作の途中で崩れて消えた。そこに居たのは、<作品を観る私>自身に他ならなかった。この作品に描かれていることが、まるで私自身に向けて言われているように感じられて仕方がなかった。それはひどく痛く、苦しいものでしかなかった。それは私自身のこれまでを舞台という硝子越しに見せつけているように感じられたからだ。けれども硝子はもう無かった。そこにまっすぐに突きつけられたのは、「あなたはどう生きるのか」ということであった。
私に、僕に、それを選び取ることが出来るのだろうかと僕は、私は自らに問う。自らのこれまでをまっすぐに受け入れ、その上で「そうすることしかできないのだから」と歩みを進めることが出来るのか、と自らに問う。僕にはその自信は全くなかった。けれども、この作品に触れて今、「そうするしかないのだろうな」と思わずには居られない。なぜなら、これは他でもない私の、僕自身の物語だと思うからである。
最後に、恐れを捨てて率直な本作の感想を述べておわりにしたい。
声が聴こえた気がした。
「それが私の翼」
そう聴こえた気がした。
僕が大好きな作品の終わりに置かれたその言葉の意味を、僕はこれまで長い事誤解していたのかも知れないと思った。
それは、「眞一郎がそう信じること」なのだと思っていた。
けれど、それは違ったのかも知れない。
「私はまだ飛べないから、歩いてく」
それは、ただ単に彼女自身がそのことを受け入れて、自らそう決めて歩もうとする背中だった。
「凛々しい」。そう思った背中は、そういう背中だった。
そんな単純なことを、10年間も誤解していた。
正直に告白してしまえば、涙が出た。
心が震えるということは、こういう気持ちを言うことで良いのだろうか。
それは僕にもまだ分からない。
ただ、あの時あの瞬間見えた翼に、あの声が重なって聴こえたことだけは、僕にとって疑いようもなく確かな事だったと思う。
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時間は進む、過去から現在へ。その経過とともに人や街、風景などは姿・形を変える。
「ここも、私たちも、あれからずいぶん変わったなって思いました」-
静かに見つめる観衆に向かい高いステージのその中心に立つ女の子は、そう言った。
これは渋谷の街が変化を始めた頃、アイドルブームがまだ上り坂にあった夏の日。
渋谷の駅から電車で一本。都内最古の寺・浅草寺を中心に江戸風情が今も残る街、
東京・浅草。その町の中心、浅草六区に伸びた行列に、ボクは並んでいた。
モーニング娘。やAKB48、ももいろクローバーなどアイドルの人気は地方まで広がり、
少し前から、全国各地で過去にない勢いでアイドルが次々と誕生していた。
そんな地方発のアイドルが東京に会す、そのステージを見ようと集まった人たちが・・・
炎天下の中、浅草にできた行列の正体だ。そうなの・・・。
これは、タピオカやBALENCIAGAが放つスタイリッシュさとは掛け離れた話であーる。
でも夏の陽射しの中を並ぶ人の風景は、そのままシーンの熱さを表していたように思う。
ちなみにこの半年前、ボクはそれまで熱を入れていたアイドルグループを離れた・・・
そして東京発のアイドルから、”AM1:27”の夜空で煌めく星のごとく遠く離れた場所から
光を放つ、地方を拠点に活動をするアイドルグループを進んで見るようになっていた。
時は、俗にいう「アイドル戦国時代」。
可愛さ・音楽性・パフォーマンスなど、ハイレベルなアイドルがバブルのように現れ、
ボク自身は、もう1つのグループに絞って応援をする事はないだろう、と思っていた。
時計の短針が上り坂を描き、文字盤の右上を指した午後2時。行列が動き始める。
太陽が照りつける屋外から”おいで夏の境界線”へと手招きされる様にエアコンが効いた
エレベーターに乗り、上がった場所にある会場。そのキャパシティは、最大で250人。
ラインナップされたアイドルは、 東は宮城から西は広島まで 計7組。
全国的に知名度はまだそう高くないグループが大半だったが、フロアは・・・
「王様のブランチ」で紹介された後のおしゃれカフェ並みに、満杯の状態だった。
どのアイドルが好きになるかは人それぞれだと思う、ボクの場合は「曲」を優先する。
そのためイベント中盤に登場したそのグループのルックスの記憶は、この時も今も薄い。
老化に伴う消えゆく記憶で思い出すと、金髪や茶髪、縦巻きパーマ、カラコンなど
北九州か沖縄の成人式クラスの威勢がイイ女の子が集まったグループ。でもね・・・。
そんな彼女たちが披露した1曲は、今も記憶に鮮明に残る強いエモーションがあった。
Boom Boomと鳴る低音にキラキラの上音が乗った今でいうエレクトロハウス調の曲。
あとで知ることになるが、その曲は1ヶ月前に発表されたばかりの新曲だった・・・
そんなMiracleと偶然が、彼女たちとの出会いだった。
2時間近いイベントが終わり、フロアの各所に置かれた出演グループの物販ブース。
彼女たちのブースは 会場上手にあった。長テーブルの後ろに一列に並ぶ、先程まで
ステージに立っていた女の子たち。ただし基本的に、メンバー同士のお喋りに夢中。
そのためボクレベルに影が薄い、下町ロケットか私立恵比寿中学ばりの「ゴースト」など
見えていません。
だから「今日最初にやった曲はどれですか?」と運営さん(※男)に話し長テーブルに並ぶ
3枚のCDから1枚を購入した。そんなトキメキ!と、とまどい?が同居する・・・
映画「ナイトメア・ビフォア・クリスマス」のような、彼女たちとの奇妙な軌跡の始まり。
でもこの日からプレーヤーでその曲を何度も聞き、そしてYouTubeで公開されていた
白バックという、ありふれた 場所で撮影された歌とダンスを鮮やかな色のCGで染めた
まだ再生回数の少ないミュージックビデオを繰り返し見た。そのグループの名前は・・・
「ひろしまMAPLE★S」という。
この時で、結成から「1年7ヶ月」が経っていた。
グループ名の通り、広島県のコンセプトカフェに所属しながら、定期的に実施される
ファンの方の投票により選抜された10人が全国へ行きライブをしていることを知った。
・・・Yahoo!知恵袋に質問をしてネ!
活動の拠点は東京から西へ、約680キロ遠く離れた広島。
そのため東京に来るのは月1度ほど。だから次に見たのは、1ヶ月後の夏の終わりだ。
場所は渋谷から”山手線”で3駅いった、新宿。会場は、最初の浅草よりも広い。
でも、ひろしまMAPLE★Sを目当てに会場に来ていた人の数は10人に満たない。
それでもステージで披露される曲、さらに10人が描くパフォーマンスは魅力的だった。
始発列車はまだ来ない、夜明け前。人がまだ溢れる前の渋谷駅前の交差点と似た・・・
人が行き交うスペースのあるフロアへ、月に一度行くボクの日々は、こうして始まった。
季節は、夏から秋へ。”青空が違う”色を纏い始めたが、ひろしまMAPLE★Sが見せる
ライブは変わらず毎回が楽しかった。オリジナル曲はまだ多くなかったが、
クラブミュージックやポップスがベースにある曲はボクの好みに合うモノが多かった。
毎回曲順を変えるセットリストも、曲やグループの魅力を毎回違った形で見る事ができ
さらにアイドルの好みが異なる多くの人に届けたい、 そして君を振り向かせたい・・・
そんな挑戦や可能性、広島の乙女達のアンビシャスに溢れて映った。
でもCleverに活動していた彼女たちも、東京での集客は中々変化が表れなかった。
当時の、広島での人気をボクは知らない。理由は・・・、「バカ」だから。
でも東京のライブは、”最前列へ”いつも行けた。ライブ後の特典会もメンバーの半数が
暇な時間をつくり、固定のファンの方がいたメンバーでも、5~6人が並ぶほどだった。
それでも、アイドルになり東京というシーンの中心地でもステージに立っている事が・・・
彼女たちにとっては楽しいように見えた。そしてボクは、「それで良い」と思っていた。
売れて欲しいなんて気持ちよりも、ひろしまMAPLE★Sが一生続いて欲しいと思っていた.
グループの真ん中に立つ女の子に、こう言われたことがある・・・。
「特典会で色んなメンバーのところに行って、その結果を報告してください」。
好きだと言うなら否定しない、でも、しょっちゅう来られても困ると受け取れる・・・
”アンビバレント”な言葉。その女の子は、学校に通いながらアイドルをしていた。
金色や茶に髪を染めた女の子が並ぶ中で、黒髪。身長153センチという小さな体で、
メインボーカルを担当していた。そしてボクが、色んなメンバーのところに行った結果・・・
名前を聞かれなかったり、名前を覚えておらずボクの名前を チェキに書かなかった、
「ハチ公物語」くらい悲しい話を聞いて、笑っていた。そんな”エキセントリック”な性格の
女の子だった。
ボクがひろしまMAPLE★Sと出会い6ヶ月、グループ結成から2年目の冬が近づく頃、
変わりゆく街の風景と同様に、彼女たちを取り巻く状況にも変化が見え始めてくる。
イベントで大きな会場に立てるようになるにつれて、月が変わるごとにフロアに人が
徐々にだが増え始めた。さらにライブ後の特典会も、最初はポツポツと増えていた人が
少しずつですが、メンバーの1人1人に短くても列が作られるようになっていった。
ボクが最初に見た時から、ひろしまMAPLE★Sは大きく変わっていない。
キラキラとした音をベースにしたオリジナル曲、それをノンストップで繋ぐライブスタイル。
ダンスの振付けやフォーメーション、メンバーの可愛さや個性ももちろん変わらない。
でも変化を続けていた事がある。それは、立つステージと曲の順番を変えるセットリスト。
特にセットリストは、オリジナル曲が少ないこともあって出し惜しみをしなかった。
さらに地元・広島のファンの方が遠征されるようになり、地元での盛り上がりや楽しさを
東京へ伝えたフロアの変化も、後押ししていたと思う。人が増え楽しそうなフロアは、
新しいファンの方をよぶ。そして見え始めた勢いを後押ししたのは、新たな曲だった。
ステージから見える景色が変わり始めた結成2年目が終わろうとする頃・・・
ひろしまMAPLE★Sは、グループを代表する1つの曲を発表する。
それは前向きな歌詞に、牧歌的だが彼女たちらしいキラキラしたアレンジが加わった、
フューチャーポップ調の曲。ミュージックビデオは奇をてらわず地元である広島を舞台に
ストーリー性のある映像に仕上げた。
一方で、その新曲を収めたシングルCDのカップリングは実験的に・・・
アシッドなクラブミュージックやラウドなロックなどのジャンルへアプローチした曲を収録。
オリジナル曲を増やすと共に、かわいさとクールさ、フロアと一緒になって楽しむ曲と
ステージパフォーマンスを魅せる曲など、曲のバリエーション���広げていった。
ひろしまMAPLE★Sがライブのステージに立つ前に、よく口にしていた言葉がある。
「ファンの人、全員が楽しめるようなライブにしたい」。
夜空に散らばる星を人が線でつなぎ星座という1つの形にしたように、彼女たちもまた
一見すると統一性のないオリジナル曲を、ノンストップという一本の線で繋ぐことで、
暗いステージの上で自分たちがもっとも輝けるライブを作っていった。
ライブはそれまでの、「テラスハウス」のようなキラキラとした楽しい曲をベースに、
その途中に実験的な曲を挟む、「モンスターハウス」のような緩急をつけたものに
変化させていった。軸があるから、可能な変化だったと思う。
その輝きは年が明けると、加速度をあげる。結成から「3年目」、上り坂をあがろう。
欅の木に花が咲いた、春。新曲のリリースから約4ヶ月が経過した頃・・・
彼女たちは様々なパターンを試す中で、鉄板といえる1つのセットリストを作り上げる。
そのセットリストは後に大きなステージでいくども披露されることとなる、これが・・・
”ひろしまMAPLE★Sの世界感”ともいえる、きらきらキラー(©KPP)な曲の並び。
音の鳴り始めから盛り上がるキャッチーなイントロ、そこから楽しいメロディーラインと
重低音のドラムが融合する、キラキラした曲たちを曲間短くノンストップで繋ぎ・・・
ラストは、前年の暮れに発表した新曲でシメる、そんな組み方。
そのセットリストをもって春と秋、ひろしまMAPLE★Sは、地元・広島を飛び出し・・・
大航海時代のエンデバー号のように、初めてのツアーへ旅立った。
1年前はスペースが目立っていたフロア、でもツアーの全会場は多くの人で埋まった。
また夏には、2度目のフェスの舞台にも立った。ロープ・パーテーションで仕切られた
小さなフロアだったけど、 そこから溢れ出るほどの人が ステージ下に集まった。
そして、これまでの楽曲を収録した1stアルバムを発売する。
アルバムには新たに、ファンクやチップチューンなどにアプローチした曲を収録した。
活動に正比例するように数を増すオリジナル曲、そしてセットリストのバリエーション。
それらは、ひろしまMAPLE★Sが少しでも気になった人が、YouTubeを検索すれば
いくつも見る事ができた。たくさんの映像があり、誰でも彼女たちの魅力を手近に知れた。
話は少し前後しますが、ひろしまMAPLE★Sを見始めて1年半が経った、この年の春、
ボクは初めて彼女たちの活動拠点である、広島へ行った。
きっかけは、出会ってから長くステージに立ち続けていたグループをまとめる存在、
リーダーが突如、ライブに出なくなったことだった。Twitterの更新も途絶えていた。
公式では、体調不良と発表されていた。いつかは復帰する、メンバーはいなくならない・・・
そう信じて、見られる可能性が高いとしたら地元であろうと、初めて特急列車に乗った。
でも、広島のステージにも”キミガイナイ”。そして、この日から約1ヶ月後・・・
リーダーだった女の子はグループを後にした。”結局、じゃあね”もボクは”言えな”かった。
だけど・・・。広島には、ボクが遠征をした理由を聞いて笑う、残ったメンバーたちがいた。
そして、遠く離れた広島の街には、東京ではあまり見掛けなかった女性をはじめ
海外の方など、多くのファンの方がいた。
そんな広島や東京をはじめ彼女たちがライブで巡った全国のファンが一同に集まる、
ひろしまMAPLE★S史上最大の挑戦が、結成から3年目の冬に行われた。
それは最大収容人数1000人を超える大きな会場を舞台にした、ワンマン・ライブ。
出会った時は、フロアに人がまばらだったライブハウスのステージから・・・
オリジナル曲が増え、グループを代表する曲ができ、盛り上がるセットリストが完成し、
約4年の時間をかけて、ひろしまMAPLE★Sは広く大きな会場のワンマン・ライブまで
辿り着いた。
持ち時間の短いライブから、長時間に及ぶライブまで、ひろしまMAPLE★Sが
いつも続けてきたノンストップでのライブ。それは、体力的な苦しさを当然ともなう。
でも彼女たちはいつも苦しさを表に出さず、笑顔でステージに立ち続けていた。
それは、グループ史上最大のライブ会場を舞台にしたステージでも変わらなかった。
結果的に、会場を満員の人で埋める事はできなかった。でも、 ”ここから” もっと先へ!
「どこまでだって連れて行ってもらえる」。そう思えるようなアクトだった。
それはたぶん、ファンの方の誰もが思っていたことだと思う。
年が変わり、渋谷駅の南、旧東急東横線のホームの解体工事が終わりに近付いた
結成4年目。ひろしまMAPLE★Sは、グループ名を変えた。
渋谷から、街の顔ともいえる「PARCO」が消えた日のように、地元「広島」の名前を、
グループ名から下ろした。渋谷の街も彼女たちも・・・、変化の時が迫っていた。
時間の経過はボクの気持ちも変化させる、売れて欲しい、そう思うようになっていた。
「Twitterにもっと自撮りをあげれば・・・?」「髪の毛は黒い方が良くない?」。
これは近所の世話焼きおばさんではなく、ボクがメンバーに伝えた言葉だ。でもね・・・
イメージや常識の鎖に繋がれたような、つまらない大人は置いて行けとばかりに、
彼女たちはボクの言うことなど聞きません。そして訪れた夏・・・。
センターに立っていた女の子は髪の毛を思いっ切り、金色に染めた!!TT←TWICE
ボクがひろしまMAPLE★Sと出会って迎えた3度目の夏、前年から上り続けた坂は・・・
それまで出演が叶わないとも言われた、日本最大級のアイドルフェスティバルに
初めての出演という形でも現れた。
そのステージの1つは 、上空にわずかな雲と空しかない、会場の中で最も高い場所・・・
彼女たちは、そのステージから無限に碧く続く空の向こうへと、Echoesを”響”かせた。
ボクが初めて彼女たちと出会った夏のように暑い陽射しが射す、屋外のフロア。
そこには顔に汗と笑顔を浮かべる、全国から集まった ファンの方の姿があった。
4年の時間を掛けて出会い、一緒に歩んできた人たちと来ることができた場所。
その場所が、彼女たちが上り続けた坂の頂きだったのか・・・、ボクには分からない。
グループの軌跡は、ここからさらに2年続く。でもボクが見たのは、この6ヶ月後までだ。
ひろしまMAPLE★Sと10人の女の子それぞれの夢を乗せて、何度も自動車で往復した
広島から東京へ続く、長い道。その道は途中、海に沿って大きなカーブを描く。
そんな道のように、彼女たちも本来歩き続けるはずだった道を逸れる。そして・・・
そこから続いていた道は、上り坂ではなかった。
短い期間に色んなことが、あった。いつも笑っていた女の子たちが、涙をこぼした。
ライブ中に初めてステージの上で苦しそうな表情をするメンバーを、ボクが見たのも、
この年だった。グループの中心に立ち続けていた女の子は一度、こんな事を言っていた。
「辞めたいって言ったことがあるの」。でも、ボクが離れる方が先だった。
彼女たちが歩んだ上り下りのでこぼこ道の中でボクが見たのは、その半分にすぎない。
でもトータルして言える事がある・・・。それは、「楽しいこと」でいっぱいの道だった。
だから過去を思い出し閉じた瞳に映る日々。きっと忘れない。
でも、時間は常に過去から前へ進む。45RPMのレコードのように、時代もまた廻る。
”語るなら未来を…”。
ではーーーーーーーーーーーっ!!六本木・けやき坂の近くにあるテレビ局で録られた
小林星蘭ちゃんのナレーションよろしく、聞いてみましょう!「あいつ今何してる?」。
「たのしい \(^_^)/」 in 2018年ー!!
顔文字付でビジネススマイルをかますのは、東京を活動拠点にするアイドルユニット、
「ヲルタナティヴ」の鈴屋(すずや)もずくさん。もずくちゃーーーーーーーーーーん!!
で、その隣に写る土地についた、悪霊みたいなのがワイ!
数年前と同じく応援していたグループを離れても、アタシはといいますと”自分の棺”から
謎のウィルスによって”再生する 細胞”でゾンビ化して、アイドルさんたちが望まない
蘇生を繰り返していますの。完全にホラーの世界ね。超恐ぇーよ!
見た人からは”車輪が軋むように”泣き声、そして悲鳴があがる・・・。そんなーーっ!!
小さなお子様には見せられない、”1行だけのエアメール”より長いのに中身がスカスカの
Blog、久々のはじまりDEATH!!
チィーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーッス!!!!!!!
色々な変化もありまして、「おちこんだりもしたけれど、私はげんきです」!(by ジブリ)
それでは、”真っ白なものは汚したくなる”ように、ネットの余白にヲルタナティヴの軌跡を、
ペン習字5級のアタクシが、キーボードを 人差し指で 打つスタイルで書きたいと思います。
2017年、季節は春・・・。
渋谷の街を流れる”渋谷川”から伸びた上り坂の途中にある、ライブスペース
「SOUND MUSEUM VISION」で、 IDOLユニット「ヲルタナティヴ」は 始まった。
ヲルタナティヴというグループ名には、「無限大」と「型にはまらない新しいもの」という、
2つの意味が込められている。活動を始めた時の持ち曲は、全部で5曲。
ポップを始め クラブミュージック、 ロック、ファンクなどの音楽ジャンルにアプローチをした
数は少ないがバラエティに富んだ曲でライブ活動をスタートさせた。
ステージでは、それらの曲をノンストップで繋ぐライブスタイルを最初から続けている・・・
っていう情報をですよー! 5ちゃんねると音楽ナタリーを、読んで知ったのアタスィー。
なぜならひろしまMAPLE★Sと同じく、ヲルタナティヴも活動の途中から見始めたから。
完全に”乗り遅れたバス”状態です。” それでも歩いてる”、ヲルタナティヴが歩む軌跡を
警察犬なみの嗅覚で追跡しながら。
そんなアタクシ以上にヤベー奴に、月曜日の朝に切られたスカートを縫合するように、
ヲルタナティヴの過去から、現在とを繋ぎ合わせましょう。
ヲルタナティヴ結成から1年と5ヶ月が経った、2018年の夏。
解体された 渋谷駅の旧東急東横線跡地に、新たな高層ビルが建とうとする頃、
もずくちゃんは 、再開発が進められる渋谷の街でヲルタナティヴに加入をした。
加入の経緯について もずくちゃんは、 音楽誌「MARQUEE」のインタビューを受けた際、
「(アイドル活動を)辞めた時にまだ未練があったんです。」、と話している。
さらにヲルタナティヴについては、かつて秋葉原で働いていた時に”ご主人様”から
教えてもらったと明かしている。そうなの!
もずくちゃんもかつてコンセプトカフェでお給士をしながらアイドルとして活動をしていた。
髪は黒色、身長は150cm台、あと実は次女。アタシくらい老眼が進みますとですよ・・・
欅坂46と乃木坂46の見分けがつかなければ、ひろしまMAPLE★Sの中心にいた子と
もずくちゃんも、完全に「シンクロニシティ」。「君の名は。」くらいの入れ替わりと錯覚。
たぶん乱視が入ってるのも影響ね♡ \(^o^)/
そんなもずくちゃんが初めてヲルタナティヴとして立ったステージで歌ったソロパートの
歌詞、それは「風が吹いた」。
笑顔を見せなかった欅坂46が初めて笑みを覗かせた曲、「風に吹かれても」と近い。
さらに、もずくちゃんはヲルタナティヴに加入したことで「自分を変えたい」・・・と、
デビュー前に自身のTwitterに投稿している。
これはー!「自分自身を変えたい」とご両親に逆らって、アイドルの道を歩み始めた
欅坂46の長濱ねるさんと、リンク!(※「Love in 九州」のことではありません。)
そして、長濱ねるさんともずくちゃんともに偏差値アーンド顔面偏差値が高いですが・・・
一方で時間の経過とともに、脳みそもお顔も劣化が止まらないのが、アタイッ!
気ぃーー持ち悪ーーーーーーーい!!”キレイになりたい”、高須クリニックで手術して。
結成から1年が経った「ヲルタナティヴ」の変化は、もずくちゃんの加入だけではない。
スタート時は5曲だった持ち曲が、ロックや��ラブミュージックへアプローチした曲を発表し、
その数は13曲まで増えた。EPを1枚リリース、MV1本もYouTubeで新たに公開した。
日々のステージはライブハウスが中心だが、 今年春には初めて4都市を巡るツアー、
そして夏にはワンマン・ライブを開催した。
しかしグループ結成から2度目のワンマン・ライブをターニングポイントに、2018年の夏、
ヲルタナティヴは急きょ、ライブを約1ヶ月の期間、空けることを発表した。
それは変化をするために。再始動するのは”夏色のミュール”から衣替えした秋、10月。
少しの間、ヲルタナティヴの時計は止まる。でもね・・・。
「リメンバ ミー」 !!
↑はマイクを5本の指で握らず、小指を欅坂46ポーズのように三角の形に折って添える
歌唱スタイルでワールドフェイマス、みんな大好き 三島凛(みしまりん)さん。 凛ちゃん!
グループ結成の年から活動を続ける凛ちゃんの2018年の変化。それは、髪型を・・・
ボブからセミロングに変えましたの、自称「モテヘア」。週刊文春に撮られませんよーに。
そんな凛ちゃんは充電期間に入る直前の9月6日、Twitterにこのような投稿をした。
「セトリとか色々話し合いをしてるのですが、きっと皆が喜んでくれるかなと思います」。
・・・アイ リメンバー!!
凛ちゃんの言葉の意味は 「ファンの人、全員が楽しめるようなライブにしたい」と重なる。
可愛いメンバーがいて、バラエティに富んだ曲があり、その曲をノンストップで繋ぐ
ライブスタイルを続ける、ヲルタナティヴ。あと、アタシの希望はですよー・・・
盛り上がるセットリストが作れれば、”156(イチコロ)”になる人もきっと増えると思うの。
ただ、そのヒントとなるようなモノをヲルタナティヴはきちんと示しているとボクは思う。
それは3月17日、場所は港区白金高輪のスタジオ。
まずはコンプレクストロというジャンルへアプローチをしたアッパーなダンスチューン
「飴色リズム」でライブをスタートさせ、続けて音色は変わるがこれまたアッパーな
EDM調のダンスチューン「今宵夢酔夢想歌」を繋げる、イントロから盛り上がる曲を
繋げるセットリスト。
もう1つは、ラウドなPunkチューン「ジョビ・ジョバのテーマ」から、一転して・・・
静かな立ち上がりのエレクトロハウスの曲「夏の香のパ・ド・ドゥ」を繋ぐもの。こちらは、
同じ曲調ではなく、曲調が真逆の曲を繋ぐものであーる。(©CM「UR」の吉岡里帆さん)
”夏の花は向日葵だけじゃない”ように、曲やライブも見せ方で大きく見え方は変わる。
そしてステージから見えている人だけが、応援をしてくれている人、なんてこともない。
10月のヲルタナティヴ再始動までのカウントダウンが始まった、9月21日・・・
Twitterに「#ヲルタナティヴ」が付けられた、このような投稿がタイムラインを流れた。
「更なるパワーアップが楽しみ夢中で仕方ない!!」。
発信したのはタワーレコード川崎店。さらに凛ちゃんが使っていた言葉をサンプリングし、
「活動再開でみんなも『ハピー』になろう」、と続けた。
ヲルタナティヴの活動期間は、ボクがかつてひろしまMAPLE★Sと出会った時と同じ、
「1年7ヶ月」を迎えようとしていた。ではーーーーー・・・!!
いつかの年、地方で産声をあげ、坂を上って行ったグループのように変化していこう。
川崎出身のJJJくんだって今年を代表する曲「Changes」で、こうラップをしているしー。
「未来 期待はしないが光を感じてんだ」。
そして、「水飛沫を上げて走りぬく 抜け出す この狭い世界」、と!!
では再始動するヲルタナティヴも、大海原を行く船のように水飛沫をあげて進んでいこう。
その出発の場所も「Changes」のヴァースと同じ、「北沢の街頭」!!!!!!!
〇ヲルタナティヴ 002 - woltanative 2nd -
2018年に秋が訪れた、10月20日土曜日。場所は、渋谷駅から電車に乗って4駅・・・
再開発が進む、下北沢。その駅から徒歩で約6分、北沢の街頭に建つライブハウス、
「下北沢ReG」。ここから、ヲルタナティヴは 新たな軌跡を描き始める。
空は、太陽が”青空とMARRY”したような、紺碧の秋晴れ。
時間の経過と共に変わったモノ、それは風景だけではない。
アイドルシーンを取り巻く状況も大きく変化した。それでも会場がオープンする正午前、
会場となる下北沢ReGの前には、秋の陽射しの中、入場を待つ人の列が作られた。
そして時計の針がテッペンで重なった、日テレで「メレンゲの気持ち」の放送が始まる
正午12時。最大で約230人が入る会場は、「東京タワーはどこから見える?」の級に・・・
ヲルタナティヴはどこにいる?と、会場後ろではステージが見えづらい人が出るほど、
「ヒルナンデス」で紹介された後のおしゃれカフェくらい、会場は多くの人で埋まった。
時計の長針がてっぺんを少し過ぎ、上り坂を描くように文字盤の右上を指した頃、
フロアの照明は暗転。”夕陽1/3”ほどの薄明るいライトだけが、ステージを照らす。
そのステージを覆い隠すように貼られたプロジェクタースクリーンがゆっくりと上がり、
PA卓のメーターが動き出す。会場に音楽が鳴り響く・・・
それは、ヲルタナティヴのライブのオープニングでお決まりとなっている曲!
1. 「w421(ウォール)」。欅坂46のライブの幕開けでかかる曲「Overture」と同様の、
EDM調のインストゥルメンタル。そのリズムに合わせて、これまた欅坂46と同じように
フロアではファンの方が手拍子、またPunkのライブ会場のようなOiコールがあがった。
それでは、行こう!!
ヲルタナティヴ in 秋、単独公演「ヲルタナティヴ 002 - woltanative 2nd -」!開幕!!
曲の終盤、青い照明が照らすステージにヲルタナティヴが1人ずつステージに現れる。
その立ち位置は、メインボーカルを担当する小泉明音さんを先頭に描く、三角形。
2列目に神谷さくらさんと柊木ハツミさん、そして3列目に4人が末広がりに並ぶ。
欅坂46は、最初のワンマンライブを前にした時に言っていた・・・
「今持っている私たちの力を全部出し切って最高のライブにしましょう!助け合おうね」
ではヲルタナティヴも助け合って、いま持っている力を全部出そう!
そのスタートは、爽やかなギターの音色が特徴の、疾走感があるポップなナンバー、
2. 「ALMIGHTY†GLIDER」。蔦谷好位置さんらを擁する音楽制作プロダクション、
「agehasprings」がTwitterで「好きなタイプのアニソン系エモチューン」と評した曲。
ヲルタナティヴのために、最初に書かれた曲でもある。でも、その時から・・・
ステージ上の景色は変化した。メンバーが、7人に増えましたの!
では、アタクシの”割れたスマホ”で撮った画像で紹介していきたいと思います。左から・・・
ひょっこりはん状態で見切れる左端は、ドレッシングを飲む元メイドさん、鈴屋もずくさん!
その隣は、ボクの成仏か世界平和を願って手を合わせるイケてる中学生、神谷さくらさん!
左から3番目は、前歯に 口紅を つける可愛い芸風をもつ高校生、柊木ハツミさん!
そしてセンターは、インスタに天一のこってりラーメンを載せるオンナ、小泉明音さん!
その横は、この前日に自転車泥棒にチャリンコをパクられた、桃川もも子さん!
右から2番目は、SiMと作家・池澤夏樹さんが好きなウェイ系文学女子、三島凛さん!
最後、右端は勉強をしたくないからヲルタナティヴに入った茶髪JK、美里由奈さん!
・・・以上!メンバー7人がもつキュートさを、まったく表現できないメンバー紹介でした。
では、 キュートなヲルタナティヴ と、気味が悪いBlogの間に発生した”不協和音”を
”チューニング”して、大事なライブに戻りましょう。7人で描くネクストチューン!
それは、ヲルタナティヴの初期を代表する、 鉄板で盛り上がるダンスチューン・・・
3. 「今宵夢酔夢想歌」!!(↑の5:16~。Ver.4人)
”欅って、書けない?”とは真逆、絶対に読めない?この曲は「こよいゆめよいトロイメライ」。
EDMっぽいですが、ボクはプログレッシブハウスにアプローチをした曲だと思っている。
この曲で起きた変化は、メンバーが7人になった事でフォーメーションを描けること。
中でもメンバーが横一列に並ぶフォーメーションは、欅坂46のMV「 二人セゾン 」くらい
美しい。見ているだけでも楽しいのですが、アッパーなイントロではコールが入り、
またサビはマネをしやすい振付けのため、ステージで踊るヲルタナティヴを模範にして
フロアで”Student Dance”!振りコピをして一緒に楽しむことだってできる。
そんなクラブサウンドに繋げるのはPunkにアプローチをした、4.「ジョビ・ジョバのテーマ」。
この曲の変化は、誕生の裏側にある。振付けを初めて、メンバーたちが考えている。
そして、この曲を歌ったところでカーリング日本女子代表でいう所のもぐもぐタイムへ・・・
”大人は信じてくれない”かもしれませんが、ヲルタナティヴは結成時から行ってきた
ノンストップでのショーケースを中断、メンバー紹介のMCを挟む。
それは、先程まで歌い踊っていた新旧のメンバーがステージに横一列に並ぶ、
漢字とひらがなが合わさった、”W-KEYAKIZAKAの詩”の様相。
では行ける所まで”一緒に歩いて行こう”、軌跡もライブも再始動をして!
そのスタートは、三島凛さんのこんな言葉で始まった。「最後まで止まらないよ」!!
2018年、カメラも、ライブも止めるな!では行こう。ヲルタナティヴが得意とする・・・
ノンストップのショーケースが”走り出す瞬間”。
欅共和国2018の開国を知らせる小林由依さんみたいに、ヲルタナティヴも「いくぞー」!
その始まり、 「 ヲルタナティヴ 002 - woltanative 2nd -」の”FIVE CARDS”は、
もずくちゃんが今年の夏、ヲルタナティヴに加入し初めてステージで歌った曲と同じ、
エレクトロニックなロックチューン、5.「Wonder Wander Lander」。
もずくちゃんは夏から秋へ季節の移り変わりと共に芸名を「鈴谷」から「鈴屋」へ変えた。
だが変化は名前だけではない、ステージ上でも見ることができる。
以前までステージでは、クールな表情でパフォーマンスをしていたもずくちゃんですが、
現在は、おキレイな顔に笑顔を浮かべながらフロアへ、”饒舌な眼差し”を送っている。
・・・アタシ以外のファンの皆さんにー!!そんな容赦のない女子の洗礼を浴びた後に
続くのは、ドリーミーなトラックに弾けるリズムが重なる、ダンスミュージック。
Future Bassのキラキラチューン!!! 6. 「らゔ・お〜る【0-0】」。
キタァァァアアアアーーーーーーーー(゚∀゚)ーーーーーーーー!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
個人的には今のヲルタナティヴらしい音色の、ライブの中盤を担う曲だと思っています。
曲はもちろん歌詞・ダンス・メンバーの表情と、見所や聞き所がいっぱい詰まっている。
そして織田奈那さんのキャッチフレーズみたいな「みんなに幸せ届けるラッキー7」は
曲中にメンバーの名前を、ファンの方が逆” 沈黙した恋人よ”状態で超絶コールする、
バンドサウンドと電子音が融合したエレクトリーモ、7.「邂逅と再生のシンギュラリティ」。
その曲の終わりに、曲間短くノンストップで鳴り始めるのは規則的な四つ打ちのドラム、
重なるエレクトロニカの 綺麗なメロディーは、8. 「季節はサチュレイトーン」。
ヲルタナティヴの歌が入るまで、約50秒と長いイントロ。
でもメンバーのシンクロしたダンスと美しいメロディーは、その長さを感じさせない。
そしてサビで見られるのは、ステージとフロアの一体感。コレオグラファーの方が考えた
ダンスとは別に、ファンの方がフロアで始めた事がステージで採用されている。
煽るのはメンバー。サビの1回目は下手に柊木ハツミさん、上手に桃川もも子さん。
そして2回目のサビは下手に三島凛さん、逆サイドの上手を美里由奈さんが担当し、
四つ打ちのリズムに合わせてジャンプをしながら頭上でクラップをする。
その情景はステージとフロアが、”僕たちは付き合っている”以上のマリアージュ。
そしてエレクトロニカの音色がフェードアウトし、変わりに鳴り響く音はノイジーなギター、
9. 「ギヴミーメーデー ~明解に不正解な世界の端っこの真ん中で~」。
ポストグランジにアプローチしたという曲。
見所は、メンバーが次々と立ち位置を入れ替わるBメロのフォーメーションダンス。
そして聞き所は、攻撃的なギターに跳ねるドラムが重なるオチサビ、
さらにアウトロでのメンバーのコーラスとロックサウンドのコンストラストだと思ってます。
曲が終わると、メンバーが立ち位置を大きくChanges。
センターに柊木ハツミさんが立ち、その一歩後ろにメンバー6人が横一列に並ぶ。
それは、今のヲルタナティヴがもつキラーチューン!!いくぞー!
10.「飴色リズム」! !
エレクトロハウスのサブジャンルである「コンプレクストロ」にアプローチしたとされる、
イントロからアウトロまでの約4分間、隅々までアッパーなクラブトラックの曲。
0:01~のイントロ、まず 柊木ハツミさん がソロでダンス、その後、シンセサイザーの音の
鳴り始めとともに、残りのメンバーが加わるダンスはマジでヤバい。
さらに1:33~のサビへと続く展開ブロックでは、欅坂46「 NO WAR in the future」でも
採用されているパリピの皆さんの大好物、プチャヘンザが振付けに取り入れられている。
高揚感ある曲とステージとフロアが一緒に楽しめるダンス、それは歌詞にあるように
「息ができなくて溺れそう」なほど会場を盛り上げる。
この曲にヲルタナティヴが繋いだのは、欅坂46の曲「太陽は見上げる人を選ばない」と
似たADM曲、11.「かえろうよ」。ADMとは、アコースティック・ダンス・ミュージックのこと。
アコースティックとあるだけに、そのイントロは静か。だが、神谷さくらさんのボーカルを
きっかけに曲はメロディーさらにリズムも、ダンス・ミュージックの盛り上がりに変わる。
そしてサビでは曲名にもなっている「かえろうよ」のフレーズを、メロディーに乗せて、
ステージのヲルタナティヴとフロアにいるファンの方が一緒に歌唱するのが特徴。
会場内に響く「かえろうよ」の歌声、では”手を繋いで帰ろうか”?・・・お医者さんと一緒に。
アタシがお薬の時間だから。しかーし、ヲルタナティヴの持ち曲は今、全部で13曲ある。
One More Time!(←韓国のSUPER JUNIORの曲のことではありません。)
ヲルタナティヴ 単独公演 「 ヲルタナティヴ 002 - woltanative 2nd -」 in 下北沢ReG・・・
ラストは、ヲルタナティヴの1st シングルのリード曲、12. 「夏の香のパ・ド・ドゥ」。
この曲はみんな大好き渡邉理佐さんが歌う、「スズメの歌」と同じエレクトロハウス調。
立ち上がりは静か。小泉明音さんの歌声 と、僅かなエレクトロの主旋律だけが響く。
この曲には、こんな想いが込められている・・・。
「いつか必ず会いに行こう。例え、遠くとおく離れていても。」。
いつかの夏、遠く離れた広島県を拠点とするアイドルグループとボクが出会ったように
2018年の暑い夏に、鈴屋もずくさんとヲルタナティヴは出会った。
そして季節が移ろうとする夏の終り、今度は4人の女の子がヲルタナティヴと出会った。
静かな立ち上がりから始まるこの曲、でもサビでその姿は一変する。
メロディーそしてリズムともに激しく鳴り、ヲルタナティヴの7人が踊るダンスも弾ける。
静かな立ち上がりから盛り上がりへフロアから見えるステージの景色が変わるように、
いつかヲルタナティヴがステージから見渡す景色も大きく変われば良いと思う。
電子音で彩られた”ゼンマイ仕掛けの夢”からの、目覚めを告げるように・・・
ステージに明るい照明がつく。
”夜明けの孤独”ではなく、多くの人に見守れて歩み出したヲルタナティヴの新たな道。
その道は、この日から今日まで約2ヶ月続いている。その間のヲルタナティヴは・・・
ライブの会場は、大きいステージもあれば、小さなステージの時もある。
その下に広がるフロアもまた、人が行き来できるスペースがある時もある。
そしてまた特典会も、メンバー全員に思うように列が作られない時がある。
いつかの日にボクが見た光景と似た景色が、今のヲルタナティヴにも見る事ができる。
でも、その景色はいつか変わるだろうとボクは思う。
曲・ライブスタイル・セットリスト、さらにYouTubeに代表される音楽共有サイトなど・・・
ヲルタナティヴにはまだ”無限大”に”新しいもの”を試せる可能性があると思っているから。
約1ヶ月の間に7人が、歌やダンス、フォーメーションを入れた曲は12曲。でもね・・・。
ヲルタナティヴの現在の持ち曲は13曲、たった1曲だけ披露をしていない曲がある。
その曲のテーマは、「進化と革命」だ。そんな曲や渋谷の街と同じ様にヲルタナティヴも
再び開発しよう。ひろしまMAPLE★Sがいつか歩いたような、上り坂を。
未来の景色の中にたぶんあるであろう、険しいが楽しい、その���に出会うために・・・。
マイクを”握りしめた拳で”、今ある”目の前のガラスを割れ!”。
2018年も時間は進み、季節は冬。あと少しで、暦は2019年へと変わろうとしています。
渋谷の街で、いつ頃からか始まった工事は現在も続きの2027年の完成を目指している。
街からはかつてのランドマークは姿を消した、でも時間が経てばきっと・・・
またそこにたくさんの人が再び集まる、新しいランドマークがそびえ立つだろう。
ヲルタナティヴは、そんな街で誕生し様々な人と出会い、1年10ヶ月の時間を歩いてきた。
そしてこれからも、先へと伸びる道を歩いて行く。その道に・・・
これまで来た道に刻んだのと同じ足跡を残すか、それとも”ここにない足跡”を残すか、
それは未来にならないと分からない。
だから、最後に1つだけ欅坂46の歌詞を引用してボクの希望を書きたいと思います。
”自分の夢の方に歩けばいい”!!だって、 ”未来は君たちのためにある”から。
キャー、かわいい!ヲルタナティヴの、センターそしてメインボーカルを担当する・・・
小泉明音さん 。あかりんさんは広島県出身、身長はこの前聞いたら152センチだって。
以前は153センチと言っていたので、時間の経過により1センチ縮んだっぽいです。
あかりんさんはいつかの冬、ステージの上で涙をこぼした。その時から時間を経た
2018年の同じ冬、あかりんさんはヲルタナティヴとして再び大切なステージに立つ。
その場所は国道2”46”から、かつて欅坂46が立った 旧東急東横線のホーム跡地を
右に行った先にある、ライブスペース。その会場を満員にすることが・・・
あかりんさんの2018年、最後の目標だ。
時間の経過とともに 、人や風景などは姿・形を変える。
あかりんさんが、そしてヲルタナティヴがそのステージで笑顔でいられますように!!
”世界中 満たしてく”、「七色のモーション」!きっと もっと ミラクル★エモーション -
ボクがいつか出会った、そんな歌の始まりのように。
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