#ハーバード大学
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rakkanoyukue · 4 months ago
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ハーバード大学の学生2人がMeta Ray-Ban Smart Glassesを改造してAIベースの顔認識技術を追加し、その結果、リアルタイムで人物を識別できるウェアラブルが完成したという。
Meta Glasses は、動画を Instagram に直接ストリーミングするように設定されており、コンピューター プログラムがそのストリーミングを監視しています。
AI が顔が検出されるとそれを判断して、インターネット検索が行われ、その人物の写真がさらに見つかります。
そこから、オンライン記事、有権者登録データベース、その他の公開情報を使用して、名前、電話番号、住所、親戚の名前が調べられます。
すべて数分で完了し、スマートフォン アプリにフィードバックされます。 数十人のハーバード大学の学生が特定され��が、彼らはAIの顔スキャンが自分たちの名前や個人情報を推測するために使われていたことに全く気づいていなかった。グエン氏は、このプロジェクトは、今日の消費者向け技術、顔検索エンジン、法学修士課程、公共データベースで何ができるかを啓発することを目的としていると述べた。2人の開発者は、いかなる製品やコードもリリースする予定はない。
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sakurafinancialnews · 2 days ago
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学問の自由は守られるのか─トランプ政権とハーバード大学の対立が照らすアメリカのいま
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golorih · 1 month ago
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ハーバード大学が75年に渡って研究した「人の幸せとは何か」という問いの答えは、「金・富・健康ではなく『同じ志をもつコミュニティで頼り頼られ生きること』」だった、という話は繰り返し思い出したい。 https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/2520592
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wwwwwwwwwwww123 · 1 year ago
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75年間にわたる研究からはっきりと分かったこと。  それは、幸福で健康にするのは、富でも名声でも無我夢中に働くことでもなく『良い人間関係』に尽きる。  大切なのは人間関係の”質”であり、数ではない。  この温かな人間関係を築くうえで必要となるのが、自分と意見や立場が異なる人たちに、どれだけ理解を示すことができるかという「寛容さ」である。 ロバート・ウォールディンガー (ハーバード大学心理学教授)
XユーザーのGoodSpeedVision/グッドスピードさん
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leomacgivena · 8 months ago
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ハーバード大学の研究によると「ハーバード大学の研究によると」から始まる文章は全て嘘
Xユーザーの武田 紘樹さん
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lastscenecom · 2 years ago
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マネジャーたちに「誰をコーチングしているのですか」と尋ねた。すると答えは、「成績が最も芳しくない従業員」でほぼ一致していた。しかし、彼らの成績はわずかでも改善すればよいほうだと嘆いていた。  そこでマネジャーたちに、誰にコーチングが必要かではなく、こう問うよう促した。「私がコーチングに時間を費やした場合、最も大きなインパクトをもたらすのはどこだろうか」 「最もコーチングのしがいがあるのは誰か」 「学習スピードが速いのは誰か」 「顧客に対する責任を担っているのは誰か」  マネジャーたちは、ハイパフォーマーとミドルパフォーマーにもっと時間をかけるようになった。ハイパフォーマーには、最も価値の高い仕事に関して個人的にコーチングした。ミッドパフォーマーにもさらに注意を払い、グループコーチングサークルやピア・トゥ・ピアのロールプレー研修を実施した。ローパフォーマーへのコーチングを放棄したわけではないが、コーチングを何時間も割く代わりに、オンデマンドコースやセルフスタディなどの自主学習に誘導した。  成果はすぐに表れた。ハイパフォーマーはさらに業績を高め、ミドルパフォーマーも向上した。さらに興味深いのは、ローパフォーマーが次の3つのうちのどれかを行ったことである。 ・努力してミドルパフォーマーになった。 ・マネジャーのコーチング時間をほぼ独占していた時と変わらず、わずかに改善した。 ・自身の成長に責任を持つという課題を突きつけられると、みずから辞退した。向上心のない従業員の指導に何時間も費やすよりも、プロセスとして早く、フラストレーションも少なかった。  全体として、チームは記録的な収益を上げ、充実感も高まった。
燃え尽き症候群に陥らないためのリーダーシップの進化 奉仕型からパーパス重視型へ | リーダーシップ|DIAMOND ハーバード・ビジネス・レビュー
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kennak · 15 days ago
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ハーバード大学が75年に渡って研究した「人の幸せとは何か」という問いの答えは、「金・富・健康ではなく『同じ志をもつコミュニティで頼り頼られ生きること』」だった
[B! 人生] 「夢見てた楽園が、だんだん牢獄に見えてくるんだよ」セカンドライフを満喫するためタイのパタヤに来た欧米人『ファラン』たちの話
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dropoutsurf · 2 months ago
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「ヒト or コト」x「Lead or Manage」
私が考えるリーダーとマネージャーの違い - 下町柚子黄昏記 by @yuzutas0-blog-blog
リーダー。物事を前に進める人。スポーツで例えるとチームの空気をポジティブに変える選手。
マネージャー。全体の流れを管理する人。スポーツで例えるとチームに的確な指示を出す監督。
Leadする対象、Manageする対象には、「ヒト」と「コト」がある。
ポジティブな言葉でチームの空気を変えるのは「ヒト」のLead
選手1人1人の強みと弱みを踏まえてポジションを変えるのは「ヒト」のManage
失点間際から逆転ゴールに繋がるようなロングパスを���めるのは「コト」のLead
スポンサーや観客が満足するような試合結果を出すのが「コト」のManage
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権限、役割、能力、振る舞い の4つで解釈する
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Amazon リーダーシップ・プリンシプル
Customer Obsession
Ownership
Invent and Simplify
Are Right, A Lot
Learn and Be Curious
Hire and Develop the Best
Insist on the Highest Standards
Think Big
Bias for Action
Frugality
Earn Trust
Dive Deep
Have Backbone; Disagree and Commit
Deliver Results
Customer Obsession リーダーはまずお客様を起点に考え、お客様のニーズに基づき行動します。お客様から信頼を得て、維持していくために全力を尽くします。リーダーは競合にも注意は払いますが、何よりもお客様を中心に考えることにこだわります。
Ownership リーダーはオーナーです。リーダーは長期的視点で考え、短期的な結果のために、長期的な価値を犠牲にしません。リーダーは自分のチームだけでなく、会社全体のために行動します。リーダーは「それは私の仕事ではありません」とは決して口にしません。
Invent and Simplify リーダーはチームにイノベーション(革新)とインベンション(創造)を求め、それをシンプルに体現する方法を常に模索します。リーダーは常に外部の状況に目を光らせ、あらゆる機会をとらえて新しいアイデアを探しだします。それは、自分たちが生み出したものだけにとらわれません。私たちは新しいアイデアを実行に移す時、長期間にわたり、外部の理解を得ることができない可能性があることも受け入れます。
Are Right, A Lot リーダーは多くの場合、正しい判断をくだします。 そして、優れた判断力と直感を備えています。 リーダーは多様な考え方を追求し、自らの考えを反証することもいといません。
Learn and Be Curious リーダーは学ぶことに貪欲で、常に自分自身の向上を目指し続けます。新たな可能性に好奇心を持ち、探求します。
Hire and Develop the Best リーダーはすべての採用や昇進において、評価の基準を引き上げます。優れた才能を持つ人材を見極め、組織全体のために積極的に開花させます。リーダー自身が他のリーダーを育成し、コーチングに真剣に取り組みます。私たちはすべての社員がさらに成長するための新しいメカニズムを創り出します。
Insist on the Highest Standards リーダーは常に高い水準を追求することにこだわります。この水準が必要以上に高いと感じる人も少なくはありません。リーダーは継続的に求める水準を引き上げ、チームがより品質の高い商品やサービス、プロセスを実現できるように推進します。リーダーは水準を満たさないものは実行せず、見逃さず、問題が起こった際は確実に解決し、徹底的な再発防止策を講じます。
Think Big 狭い視野で思考すると、自分が想像する以上の大きな結果を得ることはできません。リーダーは大胆な方針と方向性を示すことによって成果を出します。リーダーはお客様のために従来と異なる新しい視点を持ち、あらゆる可能性を模索します。
Bias for Action ビジネスではスピードが重要です。多くの意思決定や行動はやり直すことができるため、過剰な調査や検討に時間をかける必要はありません。計算されたリスクを取ることに価値があります。
Frugality 私たちは少ないリソースでより多くのことを実現します。倹約の精神は創意工夫、自立心、発明を育む源になります。スタッフの人数、予算、固定費は多ければよいというものではありません。
Earn Trust リーダーは注意深く耳を傾け、率直に話し、誰にでも敬意をもって接します。たとえ気まずい思いをすることがあっても間違いは素直に認めます。リーダーは自分やチームの体臭を香水と勘違いすることはありません。リーダーは常に自らを、そしてチームを最高水準のものと比較し、高みを目指します。
Dive Deep リーダーは常にすべての階層の業務に気を配り、詳細な点についても把握します。頻繁に現状を検証し、指標と個別の事例が合致していないときには疑問を呈します。リーダーが関わるに値しない業務はありません。
Have Backbone; Disagree and Commit リーダーは同意できない場合には、敬意をもって異議を唱えなければなりません。たとえそうすることが面倒で労力を要することであっても、例外はありません。リーダーは、信念を持ち、容易にあきらめません。安易に妥協して馴れ合うことはしません。しかし、い��決定がなされたら、全面的にコミットして取り組みます。
Deliver Results リーダーはビジネス上の重要なインプットにフォーカスし、適正な品質でタイムリーにやり遂げます。どのようなハードルに直面しても、立ち向かい、決して妥協しません。
Strive to be Earth’s Best Employer リーダーは、職場環境をより安全に、より生産的に、より実力が発揮しやすく、より多様かつ公正にするべく、日々取り組みます。リーダーは共感を持ち、自ら仕事を楽しみ、そして誰もが仕事を楽しめるようにします。リーダーは自分自身に問いかけます。私の同僚は成長しているか? 十分な裁量を与えられているか? 彼らは次に進む準備ができているか? リーダーは、社員個人の成功に対し(それがAmazonであっても、他の場所であっても)、ビジョンと責任を持ちます。
Success and Scale Bring Broad Responsibility Amazonはガレージで創業して以来、成長を遂げてきました。現在、私たちの規模は大きく、世界に影響力を持ち、そしていまだに、完璧には程遠い存在です。私たちは、自分たちの行動がもたらす二次的な影響にも、謙虚で思慮深くありたいと思います。私たちは、社会、地球、そして未来の世代のために、日々成長し続ける必要があります。一日のはじめに、お客様、社員、パートナー企業、そして社会全体のために、より良いものを作り、より良い行動を取り、より良い企業になるという決意を新たにします。そして、明日はもっと良くできると信じて一日を終えます。リーダーは消費する以上に創造し、常に物事をより良い方向へと導きます。
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ashitatsu · 5 months ago
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今回の選挙は決して、「右派 vs 左派」や「人権無視 vs 人権重視」の戦いではなかった。格差が広がる今のアメリカ社会・仕組み・政権に対する "Yes or No"の戦いだったと言える。 そのような分断が広がる社会の中で、それでも支持を広げようと思うのであれば、やり方は二つに一つである。ポピュリストとしてその分断を煽って生きていくのか、あるいは自らまずその分断を超えて、相手を知ることに徹した上で、人々の気持ちに寄り添い・説得していくのか。
アメリカのキャンパスで見た大統領選の風景|雨のち晴れ晴れ - ハーバード留学記 -
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ari0921 · 28 days ago
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「宮崎正弘の国際情勢解題」 
  令和七年(2025年)3月22日(土曜日)
      通巻第8706号 
 アメリカで研究費をふんだんに使わせて貰った恩義を忘れ
  中国へ陸続と帰還する著名学者にはノーベル省受賞者も
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 米国で最新の科学、医学、化学などを学び、マスターし(なかにはノーベル賞受賞者も三人)、さんざんアメリカの資金で研究を極めた中国人学者が、中国へ還る。アメリの巨額投資の成果はみすみす中国へわたる。
 典型例は楊振寧の場合だろう。
父親も世界的な数学者だった楊は安徽省に生まれ(そのときは中華民国だった)、アメリカへ渡って素粒子の研究にはげみ、同じく中国人の李政道と一緒にノーベル賞に輝いた。
 台湾からの李遠哲もノーベル賞を最初に貰った台湾人。最終的に楊振寧は中国へ帰った。
 逆に中国の高給とふんだんな研究費、助成金に釣られたアメリカ人学者が中国と協力する「科学スパイ」がいる。典型はハーバード大学化学部長だたチャール・ズリーバーで、米国予算からもふんだんの助成金を受けながら同時に中国から2億円の研究補助を受けていた。
これは「千人計画」の一環だった。政治的判断の出来ない日本人研究者も多数が中国の高給と研究環境、待遇などの条件に惹かれ中国へ渡った。
半導体や電池技術に関しても、アメリカで研究し米国企業でノウハウを学んだ台湾人がTSMCやエヌビデイアを設立し、世界を席巻した。そのTSMCからごっそりと数百のエンジニアが中国へ渡りSMICを設立した。SMICはいつのまにか7ナノ半導体を生産出来るまでに『成長』していた。
 中国人とみたらスパイと思えが米国で合い言葉となった、いずらくなった中国人の中国帰国が目立ち始めたのは、この五年ほどで、博士クラスが束になって中国へ帰国し、学部学生の留学生となると、卒業後80%が中国へ帰る(海亀派)。
 ボストン大学でロボット工学をマスターしたイエ・ヤンジン(音訳不明)は中国人民解放軍の幹部だった
 ブラウン大学でバイオ研究30年の曹浩乃は精華大学教授として帰国した。在米20年のホー・イクイエンは北京大学教授になった。
 
 英国留学でも同じ現象が起きた。
 ケンブリッジ大学のキャベンディッシュ研究所で博士研究員として在英中国人学者のパン・リンフェン(音訳不明)は権威ある『ネイチャー』誌に30本以上の論文を発表し 花形とされた。英国の大學に特有な伝統的人事に嫌気したパンは英国を去り、中国が用意した顕職につく(『サウスチャイナ・モーニングポスト』、2025年3月22日)
 
 日本の大學は中国人留学生を歓迎し、授業料免除ばかりか月20万円ほどの生活費まで支給している。しかも彼らは帰国すると反日になるのである。
 ──忘恩の徒、倫理? それはなんのこっちゃ。
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quotejungle · 21 days ago
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ハーバード大学の学生2人が最近、 Metaスマートグラスと顔画像検索技術を組み合わせることで、「ただ見るだけで」名前、住所、電話番号などの個人情報を明らかにすることが可能だと明らかにした。  Google のドキュメントで、Meta Ray Bans 2 をPimEyes と呼ばれる侵入型顔検索エンジンにリンクさせ、さまざまな人物検索データベースで情報を横断検索することで見知らぬ人を特定できるようにした方法について説明しました。次に、大規模言語モデル (LLM) を使用してすべてのデータを迅速に組み合わせ、一目見ただけで個人情報を開示したり、数秒で誰かを騙すための情報を表面化させたり、その他の悪質な使用方法 (「電車の中で女の子の住所を見つけて、家まで尾行する」など) を可能にしたりできる。
メタスマートグラス��数秒で誰でも個人情報を開示できると研究で判明 - Ars Technica
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moji2 · 1 year ago
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「ハーバード大学」
こんな研究もしてるんだ。
お金があれば、不幸せになる確率が格段と下がる。
リスクもあるけど、コミュニケーションは、できだけ多くとった方がいい。
良好な人間関係が幸せを作る。
図書館で借りて、はしょって読んだので、ちゃんと読みたいので、購入してみた。
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kozy-ogawa · 8 months ago
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TBSテレビの学園ドラマにみる政治哲学
自分の好きなドラマの一つにTBSテレビ、日曜劇場「ドラゴン桜」がある。
大学卒業後、地元の大手進学塾の社員として小学4年生から中学3年生の学習指導、社会科の教科主任としてカリキュラム、教材、テストの開発ならびに講師の採用、研修などの業務を行ってきた経験がある。
また主演の阿部寛は中央大学の同じ学年ということもあり(但し在学中に彼をキャンパスで見かけたことはなかったが…)とても親近感を持っており、ドラマをTVerで見��楽しませてもらっている。
TBSテレビには「ドラゴン桜」の他にも「金八先生」や「スクールウォーズ」といった名作学園ドラマがある。さて、この3つのドラマは、「ハーバード白熱教室」で知られるマイケル・サンデル教授の政治哲学における代表的な4つの立場を理解するのにとてもわかり易い学習材料となっている。
マイケル・サンデル教授は「ハーバード白熱教室」で、政治哲学における基本的な4つの考え方を整理した。 1.功利主義 2.リバタリアニズム 3.リベラリズム 4.コミュニタリアニズム
これを図式化するとこうなる。
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(橘玲「正義をめぐる4つの立場」)
サンデルの政治哲学についてはこちらの記事がわかりやすい。
功利主義は置いておいて、残りの3つの政治哲学をTBSの学園ドラマ、「ドラゴン桜」「金八先生」「スクールウォーズ」に当てはめてみると
1.リバタリアニズムの「ドラゴン桜」 「バカとブスこそ東大に行け」という名台詞は、市場原理、自己責任を重視するリバタリアニズムを体現している。
2.リベラリズムの「金八先生」 「人という字は人と人とが支え合う」という名台詞は、相互扶助、福祉を重視するリベラリズムを体現している。
3.コミュニタリアニズムの「スクールウォーズ」 「One for all, All for one」という名台詞は、共同体、共通善を重視するコミュニタリアニズムを体現している。
自分は、その人の政治哲学を探るために『TBSテレビの3つの学園ドラマ「ドラゴン桜」「金八先生」「スクールウォーズ」のどれに一番共感しますか?』という質問をすることがある。
自分の答えはもちろん「ドラゴン桜」だ。橘玲の著作を愛読書にしており、35歳で「FIRE(ファイア:Financial Independence, Retire Early)経済的自立による早期退職」を実現した自分にとっては、「ドラゴン桜」が最も共感できるドラマだ。
リバタリアニズムについては橘玲「これからのリバタリアニズム」の連載記事が参考になる。
自由に生きることは道徳的である――人生って、なんて簡単なんだろう! 橘玲「これからのリバタリアニズム」第1回|Hayakawa Books & Magazines(β)
チンパンジーも「自由」「平等」「共同体」を重んじる!? 橘玲「これからのリバタリアニズム」第2回|Hayakawa Books & Magazines(β)
平和→格差→絶望死。残酷すぎる「現実」が明らかに! 橘玲「これからのリバタリアニズム」第3回|Hayakawa Books & Magazines(β)
ディストピアを拒絶しユートピアを実現する、たったひとつの冴えたやりかた(なのか?) 橘玲「これからのリバタリアニズム」最終回|Hayakawa Books & Magazines(β)
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kintsuru · 8 months ago
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zo-sunz · 16 days ago
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「他者」の起源──ノーベル賞作家のハーバード連続講演録
著者 トニ・モリスン(Toni Morrison)
解説 森本あんり(Morimoto Anri)
訳者 荒このみ(Ara Konomi)
集英社新書2019年7月22日第一刷発行
原著 THE ORIGIN OF OTHERS by Toni Morrison. Harvard UP. 2017.
帯宣伝文 「人はなぜ 「差別」 をやめられないのか」
 日本語版読者に向けて   森本あんり(巻頭特別寄稿)
 人は、差別主義者に生まれるのではなく、差別主義者になるのである。──トニ・モリスンのこの言葉を読んで、ボーヴォワールの「第二の性」を思い起こす人は少なくないだろう。人は、女に生まれるのではなく、女になるのだ。これを、身体的・生物学的な性(セックス)から社会的・文化的な性(ジェンダー)への発展、と言い換えてもよいかもしれない。
 だが、この類比には並行的でないところもある。女に生まれることと女になることとの間にはかなり強い繋がりがあるが、生まれたばかりの子どもには、差別主義者になるような身体的・生物学的な根拠はどこにもない。白人や黒人に生まれることと、人種差別主義者になることとの間には、実は何の関連性もないのである。
 とすると、人はいったいどこでどうやって人種差別主義者になってゆくのだろうか。それを問うたのが本書である。モリスンは、その問いに「他者化」というプロセスを示して答える。人がもって生まれた「種」としての自然な共感は、成長の過程でどこかに線を引かれて分化を始める。その線の向こう側に集められたのが「他者」で、その他者を合わせ鏡にして見えてくるものが「自己」である。このプロセスは、本書で取り上げられた作品が物語るように、明白な教化的意図をもって進められることもあれば、誰の意図ともつかぬしかた���狡猾に社会の制度や文化の秩序に組み込まれて進むこともある。
 やっかいなことに、人がこのプロセスと無関係に社会生活を営むことは困難である。「他者化は怪しからぬことだからみんなでやめようではないか」と論じたところで、実際に何かが成し遂げられるわけではない。ある時代のある文化に生まれ育つ者は、まずはその文化の規範をみずからのうちに取り込むことで成長する。つまり、われわれはみな、人としての自我をもつ存在となった時点で、すでにその文化がもつ特定の常識や価値観の産物となっている。だから人が他者化の問題を意識するときには、かならず自分の常識や価値観の問い返しとなり、それまで自分が学んできたことの「学び捨て」(unlearning)にならざるを得ないのである。モリスンの作品がしばしば読者の心に鋭い問いを突きつけるように感じられるのは、このためである。
 個人だけではない。他者化の力学は、国家や民族といった大きな集団にも同じように交錯して作用する。近現代の歴史はその典型例をいくつも示してきた。第二次世界大戦が終結すると、植民地であった地域から旧宗主国のプレゼンスが消え、次々に独立国家が誕生した。ところが、宗主国という共通の「他者」がいなくなると、今度は自分たちの内部に新たな「他者」が見えるようになる。インドでは、独立を求めて共に闘ってきたはずのヒンズー教徒とイスラム教徒がお互いを「他者」と認識するようになり、印パ戦争を経て1947年にはパキスタンが独立する。さらにパキスタン内部でも、言語や民族の違いから東西がお互いを「他者」と認識するようになり、1971年にはバングラデシュが独立する。
 1991年にソビエト連邦が崩壊したときにも、同じことが起こった。ソ連の崩壊は、連邦下に置かれていた各国の独立や、共産主義という理念全体の失墜をもたらしたばかりではない。東西冷戦というわかりやすい対立構造のなかで彼らを見ていた自由主義世界もまた、共通の「他者」を見失った結果、みずからの内部に新たな「他者」を見いだして立ち竦むようになる。西側諸国が誇ってきたリベラルな民主主義は、共産主義という外部の敵がいなくなった途端に暴走を始め、ポピュリズムや不寛容な民族主義という内部からの脅威に侵食されるようになった。今日われわれが世界の各地で目にしている民主主義の機能不全は、すでにこのときからゆっくりと進行してきた病態の表面化にすぎない。
 だが、ここでも問題は単純ではない。こうした分断や暴走による不安定化は、たしかに歓迎されざる結果であるかもしれないが、かといってそれ以前の植民地時代や冷戦時代がよかったかと言えば、そういうわけでもないだろう。「以前はみんな仲良く暮らしていたのに」という台詞は、しばしばその背後に抑圧され封殺された多くの声があったことを覆い隠して語られる。モリスンの語り口に同調させて言えば、それは南部の善良で心やさしい白人たちが公民権運動前の時代を想い出して懐かしげに語るときの台詞に近い。
 このように、本書が照らし出す「他者化」の概念は、通りいっぺんの批評を許さない多義性を帯びている。他者化とは、他者をその総体において、つまり自分の認識能力を凌駕する何らかの名付けがたい他者であるままにその存在を承認する、ということではない。われわれはしばしば、他者の一部を切り取って自分の理解に囲い込み、それに餌を与えて飼い続ける。やがてそのイメージは手に負えないほど肥大化し、われわれを圧倒して脅かすようになる。
 それでも、人は知ることを求める。知って相手を支配したいと願うからてある。それは、相手を処理されるべき受け身の対象物となし、かたや処理する側の自分を正統で普遍的な全能の動作主体として確立することである。この批判は、かつてエドワード・サイードが論じた「オリエンタリズム」批判にも重なってくる。西洋人が非西洋を解釈するときには、非西洋の本人も自覚していないらしいオリエント的な本質が特定され代弁される。まさにその表象行為によって、そういう認識をする西洋人こそが真の人間であり、対象である非西洋を管理し支配すべき正統性をもった存在であることが宣言され根拠づけられるのである。
 それゆえ本書の主題となっているのは、単にアメリカ国内に限定された人権や差別のことではない。それは、西洋と東洋、白人と有色人、キリスト教と他宗教、権力をもつ者ともたざる者といった多くのパターンに繰り返しあらわれる人間に共通の認識様式である。この認識様式は、合理的な思考や明晰な意識にのぼらない領野で神話的な構造へと転化し、他のすべての神話がそうであるように、われわれの見方や考え方を背後から支配する力をもつ。
 このような隠然たる神話的支配を意識の明るみへともたらしてくれるのが本書である。物語の名手モリスンは、この普遍的は認識様式のからくりをごく小さな個人的で特異な出発点から展開してゆく。彼女によると、「黒人」はアメリカだけに存在する。彼らは「アフリカ系アメリカ人」とも呼ばれるが、アフリカに住むアフリカ人は、それぞれガーナ人でありナイジェリア人でありケニア人である。唯一の例外は南アフリカ共和国に住む人だが、こうした事実からしても、「黒人」が科学的な概念ではなく文化的な概念であり、人種という価値軸の中で序列化された概念であることが理解できるだろう。アメリカにおける黒人と白人は、お互いが自己を定位するために相手を必要とするという意味で、ほとんど心理学的な「共依存」の関係にある。
 アメリカの奴隷制度にはキリスト教も少なからず加担しているが、これもアメリカ史に固有のことである。聖書には、古代世界の通念として、ある人びとは自由人で、ある人びとは奴隷である、という事実が前提されている。だが、それはもっぱら戦争捕虜か債務によるもので、肌の色とは無関係である。というより、キリスト教は肌の色に関して本来まったく無関心である。聖書には、エチオピア出身の人びとも登場するし、そのなかには伝説の美女や高位の官僚もいるが、彼らの肌がどのような色であったかについては、いっさい記述がない。中東人であったイエスや弟子たちの肌の色にも何ら言及がない。
 ところが、アメリカのキリスト教は肌の色と人間の価値の間に、きわめて特異な緊張関係を構築していった。18世紀以降の奴隷解放運動を担ったのは多くのキリスト教指導者たちであったが、彼らに反対する頑固な奴隷制擁護論者もまた教会の牧師たちであった。前者が頭を悩ませ、後者がしたり顔に論じたのは、聖書が「神の前での平等」を語るものの、社会的現実としての奴隷制そのものを断罪していない、という事実である。やがて19世紀のアメリカでは、長い巻き毛で白人のイエスを強調した聖画が複製頒布され、広く流通していった。20世紀後半に始まった「解放の神学」が黒人のイエス像を前面に押し出すようになったのも、こうしたカラーコードへの反動である。
 モリスンは、いくつかの特徴的な文学作品から、そしてさらに強烈な彼女自身の体験から、他者化の際に作用する「ロマンス化」の実例を描き出している。アメリカ史によく知られたハリエット・ビーチャー・ストウの小説『アンクル・トムの小屋』(1852)もその一つである。この小説が当時の白人想定読者層にどのようなメッセージとして受け取られたのか。そこに、奴隷制度の野蛮で残酷な現実を覆い隠し、あたかも非人間的なことは何も起こっていないかのような安心感を与えるロマンス化の作用がある。
 しかし同時に、読者はこの読み直しが他ならぬモリスンの語りによって薄暗がりの中から明るみへと引き出されてきた、ということに気づかされるであろう。他者の存在は、自分が「他者の他者」であるという立場の交換により、はじめて鮮明に意識される。われわれは、自分という存在の限定性から自由になることはできない。だが、文学の虚構を通して擬似的に他者の視線をもつことができ、その他者の視線を通して自分を見つめ直すことができる。本書は、アメリカの黒人という特異点を設定することにより、それぞれの読者に自分では開くことのできない窓を開けるはたらきをしてくれる。その窓を通して、読者は自分を取り巻く現実とは違う世界に目を向けることができるようになるのである。
 モリスンは本書末尾で、「自分たちの故郷にいながら故郷にいるとは言えない人びと」についても語っている。おそらくそれは、肌の色��如何にかかわらず、アメリカ国内の各地で人びとが感じ始めていることだろう。ここにも、われわれの想像力を呼び覚ます別の声が響いている。トランプ大統領の登場は、自分の国で自分の土地に暮らしていながら、いつの間にか「よそ者」のように扱われていると感じる人びとがいかに多いかを明らかにした。グローバル化の見えざる圧力は、大都市で世界を股にかけて活躍する国際派のエリートたちよりも、小さな田舎町で穀物の値段を気にかけつつ生きるほかない人びとに重くのしかかるだろう。そのひとりひとりに、自分が本来帰属すべき場所があり、心に感じながら生きるべきディープ・ストーリーがあったはずである。
 人は誰も、自分ひとりでは幸せになれない。どこかに属し、誰かと繋がっていなければ、自分の存在意義を確認することもできないのである。もしそういう居場所が現実世界で見つけられなければ、ネットという仮想空間にそれを求めることがあっても不思議ではない。他者化の力学は、そこにも作用することだろう。人はそこで、生暖かい温もりに包まれたり、凶暴な正義感に酔い痴れたりして、日常と祝祭の間を行き来する。
 他者の眼差しは、ときに人を不安にさせ、居心地を悪くする。日本人はこれまで、自分から海外へ出かけて行かない限り、こうした視線を向けることも向けられることも少なかった。しかし今や、日本を訪れる外国からの旅行者は爆発的に増え、外国人の労働力なしには日常生活すら回らないほどになっている。毎日の買い物で釣り銭を受け取るとき、あるいは地方の鄙びた温泉にゆっくりと浸かる安らぎを破られたとき、われわれの他者認識と自己認識には、どのような他者化の作用がはたらくことだろうか。
 ターネハシ・コーツによる序文
 2016年春、トニ・モリスンは、「帰属の文学」についてハーヴァード大学で連続講演を行った。これまでになされてきた数々の非凡な仕事を思い起こせば、モリスンが人種という課題に目を向けたのも驚くにあたらない。その講演はまさに時宣を得ていた。バラク・オバマ大統領は、二期目の最後の年を迎えていた。支持率は上向きだった。「ブラック・ライヴズ・マター(黒人の命も大事)」というスローガンを掲げた活動が盛んになり、黒人への「警察暴力」が全米的な話題として社会の前面に押し出されていた。これまでの「人種問題をちょっとかすめるだけの話題」とは違って、今回は結果を伴っており、効果も出ていた。オバマ政権時に、ふたりのアフリカン・アメリカン、司法長官エリック・ホルダー(在任2009〜15)とロレッタ・リンチ(在任2015〜17)は、全米の警察署の調査を開始させた。ファーガソン、シカゴ、ボルティモアでの騒乱が報��され、これまで長い間、瑣末な出来事として処理されていた、いわば組織的人種主義が現実のものであることを明らかにした。この積極的な問題解明の姿勢は、アメリカ合衆国の最初の女性大統領になるはずだった、ヒラリー・クリントンによって継続されていくものと期待されていた。じっさいトニ・モリスンが連続講演を始めたときには、政治家としてはライト級と見なされる、つまらぬ男に比べて、ヒラリーの好感度はきわめて高かった。これらのことはすべて、さまざまな歴史的規則に果敢に挑戦している国が、今、道徳の領域において長く伸びるアーチの、正義の先端へついに近づいているという動かしがたい証拠だった。
 ところが、アーチの先端はさらに先へと伸びて行き遠ざかってしまった。
 ドナルド・トランプが勝利すると、それに対する最初の反応は、アメリカの人種主義などたいしたことではないと矮小化することだった。零細企業の人びとが立ち上がり、2016年の大統領選挙は、ニューエコノミーに見捨てられた人びとが推進する、反ウォール・ストリートのポピュリスト的反乱であると決めつけられたのだった。クリントンは、「アイデンティティ政治」にこだわりすぎたために命運がつきてしまった、と批判された。
 こういった議論は、しばしばかれら自身の破滅の種を産むことになる。ニューエコノミーに見捨てられやすい人びと──黒人やヒスパニックの労働者──がなぜトランプ陣営に入らなかったのか、その理由はまだ説明されていない。そのうえ、クリントンの「アイデンティティ政治」を批判する、まさにその人びとのなかに、「アイデンティティ政治」を利用するのにやぶさかではない者がいた。バーニー・サンダーズ上院議員は、クリントンの対立候補の筆頭だったが、あるときは自分のルーツが白人労働者階級にあると誇らしげに語り、またすぐその翌週には「アイデンティティ政治」を「乗り越えよう」と、民主党員に発破を掛けた。「アイデンティティ政治」とは、どうも等しく同じことを意味しておらず、かならずしも「生まれながらにして平等」を意味するのではないようである。
『「他者」の起源』(2017。The Origin of Others)──モリスンの新しい本は、ハーヴァード大学で行われた連続講演から生まれたが──ドナルド・トランプの台頭の背景とじかに関連しているのではない。だがモリスンの「帰属」の思考や、社会の保護下にだれが置かれ、だれが外されているのか、などを読み解くために、わたしたちは今日の状況を考慮しなければならないだろう。『「他者」の起源』は、アメリカの歴史を精査し、アメリカ史上最古の、しかももっとも影響力のある「アイデンティティ政治」について語っている──すなわち人種主義という「アイデンティティ政治」である。本書は、「よそ者(外国人)」の創出、「壁」の建設、文学理論・歴史・回想録について書かれているのだが、すべてはいかにして、いかなる理由によって、わたしたちはこれらの種々の「壁」を肌の色と結びつけてしまったのか、それを理解するためである。
 本書は、20世紀の、消��がたい白人至上主義の本質に巧みに迫った一群の研究書と軌を一にしている。モリスンが同志と見なすのは、スヴェン・ベッカート(ハーヴァード大学教授。歴史学者。『コットン帝国──グローバル・ヒストリー』(2014)でバンクロフト賞を受賞)やエドワード・バプティスト(コーネル大学教授。歴史学者。『語られない半分──奴隷制度とアメリカ資本主義の生成』(2014))などで、かれらは白人至上主義の暴力的な性質や、そこから生み出される資本主義的利益の実態を暴露した。ジェイムズ・マクファーソン(プリンストン大学名誉教授。歴史学者。『自由への叫び──南北戦争の時代』(1988)でピューリッツア賞を受賞)やエリック・フォーナー(コロンビア大学名誉教授。歴史学者。『業火の試練──エイブラハム・リンカンとアメリカ奴隷制』(2010)でピュリッツア賞・バンクロフト賞などを受賞)は、人種主義が南北戦争勃発の契機を育み、その後、いかに再建の国家的努力をむしばんだかを明らかにした。ベリル・サッター(ラトガース大学教授。歴史学者。『家族の所有地──人種・不動産・都市の黒人搾取』(2009))やアイラ・カッツネルスン(コロンビア大学教授。政治学および歴史学者。『恐怖──ニューディールとわれわれの時代の源』(2013)でバンクロフト賞を受賞)は、人種主義がニューディール政策を腐敗させたことを解明する。カリル・ギブラン・ムハマド(ハーヴァード大学教授。歴史学者。『ブラックネスの糾弾──人種・犯罪・今日のアメリカの都会の創生』(2011))やブルース・ウエスターン(コロンビア大学教授。社会学者。『アメリカの刑罰と不平等』(2006))は、人種主義がわたしたちの時代において大量投獄への道を開いたことを明らかにした。
 その中でもモリスンの仕事にもっとも近いのは、『レイスクラフト(人種狩り)』(2012)だろう。この本はバーバラ・フィールズ(コロンビア大学教授。歴史学者。『レイスクラフト(人種狩り)』(2012)の共著者)とキャレン・フィールズ(歴史研究者。『レイスクラフト(人種狩り)』(2012)の共著者)の共著で、アメリカ人は、能動的に作用する「人種主義(レイシズム)」の罪を、本来そのような作用を起こさないはずの「人種(レイス)」という言葉にすり替え、消し去ろうとしてきたという。一般にわたしたちが「人種主義」に対して「人種」と言うとき、「人種」とは自然界の特質を指し、「人種主義」はその当然の結果であると認識している。だがそれはまったく逆である。すなわち「人種主義」が「人種」という概念より先にあり、「人種」を証明しようと研究を積み重ねているのである。それにもかかわらず、アメリカ人は、いまだに論点を正確に把握していない。そのためわたしたちは、「人種差別」「人種的溝」「人種の分離」「人種的プロファイリング」「人種的多様性」といった言葉を平気で口にする──あたかもこれらの考えが、わたしたちが作り出したものではなく、別のところに根拠があるかのように。このことが及ぼす影響は些細なものとはとても言えない。「人種」が遺伝子とか神々、あるいは両者による作用の結果というなら、この問題を根本から打ち壊してこなかったとしてもしかたがない。
 モリスンの問いは、「人種」と遺伝子の接点��わずかしかない、といういささか説得力に欠ける考えから始まっている。そこからモリスンは、何の根拠もないと思われる浅はかな考えが、なぜ何百万人もの心をつかんでしまったのか、わたしたちにヒントを与えてくれる。非人間的行為を通して、自分の人間性(ヒューマニティ)を確認したいという欲求が鍵だ、とモリスンは論じている。そこでジャマイカの大農園主トマス・シスルウッド(1721〜86)の記述を取り上げる。シスルウッドは、まるで羊毛刈りを記録する気やすさで、奴隷女たちを相手にした連続レイプの記録を日記に残している。性行動の合間に、農業・雑務・客の訪問・病気などについて記している、モリスンはぞっとしながら述べている。レイプに対してこんなにも無感覚になれるとは、シスルウッドの心の中でいったいどのような心理作用が起きていたのか。「他者化」の心理作用──奴隷王と奴隷との間には、自然で、ある種の神性を帯びた線引きが存在するのだと、自分自身を納得させること。さらにモリスンは奴隷のメアリ・プリンスが女主人からひどく叩かれたことを分析して、以下のように述べている。
 奴隷が「異なる種」であることは、奴隷所有者が自分は正常だと確認するためにどうしても必要だった。人間に属する者と絶対的に「非・人間」である者とを区別せねばならぬ、という緊急の要請があまりにも強く、そのため権利を剝奪された者にではなく、かれらを創り出した者へ注意は向けられ、そこに光が当てられる。たとえ奴隷たちが大げさに語っていると仮定しても、奴隷所有者の感覚は奇怪きわまりない。まるで、「俺はけだものじゃないぞ! 俺はけだものじゃないぞ! 無力なやつらをいじめるのは、俺さまが弱くないってことを証明するためさ」と吠えているようだ。
「よそ者」に共感するのが危険なのは、それによって自分自身が「よそ者」になりうるからである。自分の「人種化」した位置を失うことは、神聖で価値ある差異を失うことを意味する。
 モリスンは、奴隷を創り出す者と創り出された奴隷とについて語っているのだが、その社会的位置に関する指摘は今日でも正しいだろう。とくに過去数年間ずっと、アメリカの警官が黒人を比較的軽い条例違反で、あるいはまったく違反していないというのに、殴ったり、テーザー銃(スタンガン)を発射したり、首を絞めたり、銃殺している映像が次々と流されてきた。そのためアフリカン・アメリカンのみならず、多くのアメリカ人が恐怖に陥っている。にもかかわらず、このような行為を正当化する言説がはびこっている。警官のダーレン・ウィルソンがマイケル・ブラウン(1996〜2014)を射殺したとき(2014)、「銃弾の雨あられの中を大きな塊が走り抜けた」ようだったと報道記者に語っている。まるでブラウンが人間とはかけ離れた大きな生き物に見えたようだが、じっさい人間以下と見なしているのだ。遺体を真夏の焼けつくアスファルトの���上に放置したことがその証拠で、人間以下の扱いが強く印象づけられた。ブラウンを怪物のように描いて殺人を正当化したウィルソンは、──司法省の報告によれば──まさにギャングと大差ないような警察官たちの職権濫用もまた許し、自分たちは非の打ち所のない人間だと主張させているのである。
 人種差別主義者の対象を非人間化する行為は、象徴の領域の話ではない──現実上の権力の領域に及んでいる。歴史学者のネル・ペインター(プリンストン大学名誉教授。歴史学者。『白人の歴史』(2010))は、「人種とは考えかたであり事実ではない」と主張している。アメリカにおける人種に関する考えかたのもとでは、肌の色が白い場合は、マイケル・ブラウンやウォルター・スコット(1965〜2015)、エリック・ガーナー(1970〜2014)のように警察暴力による死を遂げる確率の低いことは明白である。しかもこのような死は、「他者」として生きるということの意味、偉大な「帰属」の枠外にいることの意味を示す最適の例である。いわゆる「経済不安」がドナルド・トランプ陣営へ投票社を引き寄せたと言われるが、かれらは大多数の黒人から見れば、明らかにより豊かな人々であった。共和党の予備選挙で、トランプに票を入れた者の世帯収入の平均値は、アメリカの平均的黒人世帯収入の約二倍だった。現在、多くは白人の(とはいえ全員ではない)間に見られる、合成麻薬の流行への危機感は、1980年代のコカイン危機に見られた非難の嵐とは違っている。特定の白人男性の死亡率には敏感に反応する今日の関心のありかたは、この国でこれまでずっと黒人の生命を脅かしてきた、黒人の高い死亡率の原因からは目を背ける、あの冷淡さと様相を異にしている。
 人種主義は問題である(レイシズム・マターズ)。この国で他者でいることには重大な結果が伴う。──悲しいことにこれからその先も解決策は見つからず、問題でありつづけるだろう。人間社会は、素朴な利他主義のために、これまで持っていた特権を簡単にあきらめたりはしない。かくして白さを信奉する者がその信仰を捨てる社会は、これまでの特権が入手困難なぜいたく品になった社会しかない。アメリカの歴史上、そのような瞬間を何度も見てきた。長引いた南北戦争の結果、黒人もそれなりの人生をまっとうするにふさわしいと、白人は結論づけるにいたった。ソ連との冷戦は、黒人差別法であるいわゆる「ジム・クロウ法」が支配する南部を世界中の物笑いの種にし、敵側諸国に格好の宣伝工作の材料を与えてしまった。ジョージ・W・ブッシュ政権では、二度にわたる泥沼戦争(2001年のアフガニスタンおよび2003年のイラク攻撃を指す)、経済の急降下、ハリケーン・カトリー��(2005年にアメリカ南部を襲ったアメリカ観測史上最大級の超大型ハリケーン)における連邦政府の組織的初動ミスが、アメリカ初の黒人大統領誕生の道を拓いた。このような出来事が起きるたびに、アメリカは歴史上の慣例を打ち破ったぞ、というひとかけらの希望が湧いたものだ。ところがそのたびに、希望は最終的には泡となって消えてしまう。
 わたしたちが、なぜふたたびこのような状態にいるのかを理解するために、アメリカが生んだ最高の作家・思想家であるトニ・モリスンがいることは、なんと幸運であるか。モリスンの仕事は歴史にその根があり、ひどくグロテスクな歴史的事象からも美しさを引き出してくる。その美は幻想ではない。歴史がわたしたちを支配していると考える人びとのひとりに、モリスンが数えられているのも驚くにあたらない。『「他者」の起源』は、この理解を詳細に説いている。過去の呪縛からただちに解放される道が提示されなくとも、その呪縛がどうして起きたのかを把握するための、ありがたい手引きになっている。
✲ ターネハシ・コーツは1975年ボルティモア生まれ。作家・ジャーナリスト・漫画家。アトランティック、ヴィレッジ・ヴォイス、ニューヨーカーなどに寄稿。2015年、『世界と僕のあいだに(Between the World and Me)』で全米図書賞受賞。アフリカン・アメリカンについて、また白人優先主義に関する記事でよく知られる。2015年、「天才」に与えられるマッカーサー財団の助成金を授与される。父親は、ヴェトナム帰還兵で、小さな出版社を営む。
著者 トニ・モリスン(Toni Morrison)
1931年、米国オハイオ州生まれ。コーネル大学大学院で英文学修士号取得後、ランダムハウスで編集者として活躍しながら、70年に『青い眼がほしい』で作家デビュー。77年の『ソロモンの歌』で全米批評家協会賞、アメリカ芸術院賞、87年の『ビラヴド』でピューリッツァー賞受賞。89年から2006年までプリンストン大学の教授を務め、93年にはアフリカ系アフリカ人として初めてノーベル文学賞を授与される。他の代表作に『スーラ』『ジャズ』『パラダイス』『白さと想像力』など。
解説 森本あんり(Morimoto Anri)
1956年、神奈川県生まれ。国際基督教大学(ICU)教授・学務副学長。著書に『反知性主義』『異端の時代』など多数。
訳者 荒このみ(Ara Konomi)
1946年、埼玉県生まれ。米文学者。東京外国語大学名誉教授。
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lastscenecom · 1 year ago
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マーケティングを学んだことのある読者なら、大手食品会社ゼネラル・ミルズが1950年代に発売した、「ベティクロッカー」に関する有名なケーススタディをご存じかもしれない。 このケーキミックスは、水を加えて混ぜて焼くだけの優れた商品だったにもかかわらず、当初の売上げは振るわなかった。経営陣はこの状況に首をひねったが、やがてその謎が解けた。この商品を使うとあまりにも簡単にケーキが焼けるために、その購入者が「手抜きをしている」という後ろめたさを感じていたのである。このような顧客理解を踏まえて、同社は原材料からエッグパウダーを取り除き、購入者が卵を割り入れて混ぜるレシピに変えた。この小さな変更によって、つくり手の気持ちが楽になり、売上げの増加につながった。それから70年経ったいまも、ほとんどのケーキミックスはつくり手が卵を加えるレシピのままである。 このストーリーには、自動化された商品やサービスの導入が活発化している現代に通じる教訓がある。企業は、顧客がその商品・サービスだけでなく、それらを使う「自分自身」に対してまで、どのような感情を抱くかを深く理解する必要があるということだ。
AIは私たちのアイデンティティや消費活動にいかなる影響を及ぼすか 顧客や従業員の心理的な障壁に目を向けよ | ギゼム・ヤルチン,ステファノ・プントーニ | ["2024年1"]月号|DIAMOND ハーバード・ビジネス・レビュー
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