#デンマーク紀行
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フランス政府の外相は、日本が800年以上前からクジラと共存してきた捕鯨をもつ日本文化を否定し、そのために国際法上合法な日本船団を襲撃して日本人を負傷させても、それは高潔な行為だってさー 日本政府の人、特に外務省の人、聞いてますか?
もうさ、フランスみたいな18世紀ヨーロッパの貴族意識で世界を決めつけるような国と付き合わなくていいんじゃね
かわいくて頭がいいクジラを殺す日本人や日本文化を傷つけてもそれは高潔なんだって言ってるよ~
こういうナチス的発想はドイツの専売じゃなくて、ヨーロッパ大陸の住人全員が持ってるからこそ、あれだけドイツ人とナチスだけに擦り付けていつまでも執拗にいびってるんだな
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サルガッソ川の流れが時計回りなのは、ウナギがここで一生を終えるからにほかなりません。ウナギはサルガッソ川から陸地を何千キロも移動して淡水までどれほど遠くまで行っても、産卵のために必ず同じ海域に戻ってきます。 驚くべきことに、ウナギの稚魚は先祖の足跡を辿って、彼らが旅してきた湖や川に戻るという遺伝的知識を持って生まれてくるようです。これは反復的な移動で、各世代は同じ場所から始まり、先祖の足跡を陸地やダムを越えて辿り、産卵して死ぬために戻ってきます。黄金色の広大なサルガッソー川への最後の旅路で、ウナギは生き残るために胃を溶かし、体内を食い尽くします。 ウナギの旅はあまりにも秘密めいていて、あり得ないことなので、何世紀にもわたって科学者を困惑させてきた。その起源に困惑した哲学者アリストテレスは、ウナギが泥の中から自然に発生したと結論付けた。1923年にデンマークの生物学者ヨハネス・シュミットがウナギの移動を丹念に追跡し、海を渡ってどんどん若い個体をたどってから、初めてウナギの繁殖地が見つかった。 それでも、シュミット氏の発見は単なる理論に過ぎない。科学者たちはフィリピン海でニホンウナギの産卵を目撃し、衛星タグを使って数匹のウナギをサルガッソー海まで追跡したが、今日まで、野生のヨーロッパウナギが産卵するのを目撃した者はいない。 「人間が創造主を否定しながらも、自分たちにウナギを創造する力があると考えるのは、非常に奇妙なことだ」とヴォルテールはかつて、ドイツの無神論者ホルバッハ男爵への反論として書いた。
ウナギについて考える - ジョセフ・ラックマン著 - ジェネラリスト
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2024年7月26日に発売予定の翻訳書
7月26日(金)には41点の翻訳書が発売予定です。
ホラー映画の科学 悪夢を焚きつけるもの
ニーナ・ネセス/著 五十嵐加奈子/翻訳
フィルムアート社
詩の畝 フィリップ・ベックを読みながら
ジャック・ランシエール/著 髙山花子/訳
法政大学出版局
北東アジア、ニーチェと出会う
金正鉉/編著 文俊一/著 趙晟桓/著 岩脇リーベル豊美/著 柳芝娥/著 金賢珠/著 ほか
法政大学出版局
ソングライターの秘密
フランク・グルーバー/著 三浦玲子/翻訳
論創社
ベルクソン書簡集 II
アンリ・ベルクソン/著 松井久/訳
法政大学出版局
ウェス・アンダーソンの世界 フレンチ・ディスパッチ ザ・リバティ、カンザス・イヴニング・サン別冊
マット・ゾラー・サイツ/著 樋口武志/翻訳 篠儀直子/監修 篠儀直子/翻訳
DU BOOKS
初等整数論9章(第2版) POD版
James J. Tattersall/翻訳 小松尚夫/翻訳
森北出版
難問・奇問で語る 世界の物理
特定非営利活動法人 物理オリンピック日本委員会/翻訳
丸善出版
城砦〈上〉
アーチボルド・ジョセフ・クローニン/著 夏川草介/翻訳
日経BP
城砦〈下〉
アーチボルド・ジョセフ・クローニン/著 夏川草介/翻訳
日経BP
男はクズと言ったら性差別になるのか
アリアン シャフヴィシ/著 井上廣美/翻訳
柏書房
ズィーラーン国伝 I 神霊の血族
ローズアン・A・ブラウン/著 三辺律子/翻訳
評論社
ズィーラーン国伝Ⅱ 王の心臓
ローズアン・A・ブラウン/著 三辺律子/翻訳
評論社
デンマークの産業財団
スティーン・トムセン/著 尾﨑俊哉/翻訳
ナカニシヤ出版
ウィルフレッド・ビオン未刊行著作集
クリス・モーソン/著 福本修/翻訳
誠信書房
なぜガザなのか : パレスチナの分断、孤立化、反開発
サラ・ロイ/著 岡真理/編集・翻訳 小田切拓/編集・翻訳 早尾貴紀/編集・翻訳
青土社
大規模データセットのためのアルゴリズムとデータ構造
DzejlaMedjedovic EminTahirovic InesDedovic ほか/著 岡田佑一/翻訳
マイナビ出版
「世界の終わり」の地政学 野蛮化する経済の悲劇を読む 上
ピーター・ゼイハン/著 山田美明/翻訳
集英社
「世界の終わり」の地政学 野蛮化する経済の悲劇を読む 下
ピーター・ゼイハン/著 長尾莉紗/翻訳
集英社
指揮棒の魔術師ロジェストヴェンスキーの“証言”
ブリュノ・モンサンジョン/著 船越清佳/訳
音楽之友社
デッドプール 30th Anniversary Book
ウォルト・ディズニー・ジャパン株式会社/監修 齋藤隼飛/翻訳 鯨ヶ岬勇士/翻訳
KADOKAWA
十八歳の別れ
キャロル・モーティマー/著 山本翔子/翻訳
ハーパーコリンズ・ジャパン
ときめきの丘で
ベティ・ニールズ/著 駒月雅子/翻訳
ハーパーコリンズ・ジャパン
愛し子がつなぐ再会愛
ルイーザ・ジョージ/著 神鳥奈穂子/翻訳
ハーパーコリンズ・ジャパン
脅迫された花嫁
ジャクリーン・バード/著 漆原麗/翻訳
ハーパーコリンズ・ジャパン
炎のメモリー
シャロン・サラ/著 小川孝江/翻訳
ハーパーコリンズ・ジャパン
心まで奪われて
ペニー・ジョーダン/著 茅野久枝/翻訳
ハーパーコリンズ・ジャパン
今夜だけあなたと
アン・メイザー/著 槙由子/翻訳
ハーパーコリンズ・ジャパン
ホテル王と秘密のメイド
ハイディ・ライス/著 加納亜依/翻訳
ハーパーコリンズ・ジャパン
コウノトリが来ない結婚
ダニー・コリンズ/著 久保奈緒実/翻訳
ハーパーコリンズ・ジャパン
絆のプリンセス
メリッサ・マクローン/著 山野紗織/翻訳
ハーパーコリンズ・ジャパン
浜辺のビーナス
ダイアナ・パーマー/著 小林ルミ子/翻訳
ハーパーコリンズ・ジャパン
ハイランダーの秘密の跡継ぎ
ジェニーン・エングラート/著 琴葉かいら/翻訳
ハーパーコリンズ・ジャパン
プリンスを愛した夏
シャロン・ケンドリック/著 加藤由紀/翻訳
ハーパーコリンズ・ジャパン
伯爵に拾われた娘
ヘレン・ディクソン/著 杉本ユミ/翻訳
ハーパーコリンズ・ジャパン
プロビデンス Act3
アラン・ムーア/著 ジェイセン・バロウズ/イラスト 柳下毅一郎/翻訳
国書刊行会
サムライ心得帖 : 戦術・武具から教養・礼節まで
スティーブン・ターンブル/著 風早さとみ/翻訳
原書房
ナチスを撃った少女たち : スパイ、破壊工作、暗殺者として戦った三人
ティム・ブレイディ/著 矢沢聖子/翻訳
原書房
道徳教育
エミールデュルケム/著 古川敦/翻訳
丸善出版
新版 地図で見るイスラエルハンドブック
フレデリック・アンセル/著 鳥取絹子/翻訳
原書房
貝類図鑑
S.ピーター・ダンス/著 マシュー・ウォード/写真 サイモン・エイケン/写真 黒住耐二/翻訳 山崎正浩/翻訳
創元社
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はっきりしていることがある。 それは、竹村達也は京セラにも、三菱原燃にも、旭化成にも転職していなかったということだ。 動燃の人事部が竹村の未払いの期末手当を支払おうと、転職先と思われる会社に電話した。「そんな人は来ておりません」と言われた。転職話が本当であれば、動燃が電話をした相手の会社は「うちに来る予定でしたが来ていないんですよ」と答えるはずだ。 転職の話そのものが、架空だった可能性が高い。 北朝鮮による拉致は、工作員が被害者を強引に連れ去るイメージが強い。横田めぐみは中学1年生の時、バドミントンの部活を終えて帰宅する途中に拉致された。蓮池薫・祐木子ら帰国を果たした拉致被害者たちも、工作員に襲われて拉致されたと明かしている。 だが、暴力的な拉致だけではないだろう。新たな仕事を紹介するようなやり方もあったのではないか。調べると、それがあった。 例えば、日本政府が拉致被害者として認定している有本恵子(当時23歳)だ。 神戸市外国大生でロンドンに語学留学していた1983年8月9日、帰国予定の日に、神戸市内の実家に電報が届いた。 「仕事が見つかる 帰国遅れる 恵子」 その2か月後、デンマークのコペンハーゲンから手紙が実家に届いたのを最後に消息が分からなくなった。 2002年3月15日の参院予算委員会で、法務省刑事局長の古田佑紀は拉致の手口について、次のように答弁している。 「(犯人は)1983年7月ころ、ロンドンで知り合った日本人留学生有本恵子さんに対して、北朝鮮で市場調査の仕事があるとうそを言いまして北朝鮮に渡航することに同意させ、その上で有本さんをコペンハーゲンで北朝鮮の工作員に引き渡した」 つまり、仕事を口実に有本をおびき出し、拉致したのだ。 同じく政府が拉致被害者に認定している原敕晁(当時43歳)も、転職先を紹介するからと誘い出され、1980年6月に宮崎県の海岸から拉致された。中華料理店の店員だった原は、工作員から貿易会社の仕事を紹介された。貿易会社の社長��扮した工作員も交え面接まで行われた。 レバノンでは1978年、「アラビア語とフランス語に堪能で独身であること」という嘘の求人情報に、レバノン人女性4人が応募。面接に合格した女性たちは「日本で研修がある」とだまされて、北朝鮮に拉致された。工作員は日立製作所の関係者を名乗った。 有本や原のケースは、すでに北朝鮮による拉致事件であることを政府が認定しているがそれだけではない。民間組織の特定失踪者問題調査会の調べでは、同様の手口による拉致疑惑が少なくとも10件ある。 例えば、朝鮮戦争が休戦となった1953年、長崎市内から失踪した徳永陽一郎(当時18歳)。 徳永は長崎市内の染料店の配達の仕事をしていた。別の勤め口の話があり、履歴書を書いている途中で突然いなくなった。履歴書に貼る写真の撮影も済ませていたが、それも受け取っていない。後日、家族に借りていた1500円を同封した書留が送られてきた。 そこには「いい仕事があった」「歩いてでも帰ってきます」と書かれていた。しかし徳永は帰ってこなかった。 1998年から1999年、徳永を北朝鮮で目撃したとの情報が脱北者からもたらされる。 その脱北者によると、徳永は酔っぱらった時に「拉致されてきた、日本に亡命する」と言ったのを密告され収容所に入れられた。取り調べの書類には「1954年~55年、日本から朝鮮に来た」と記されていた。身体検査では右肩に、刃物による傷痕があった。徳永には右肩に子どもの頃に鎌で切った傷痕がある。 竹村達也の転職話も架空だった可能性が高い。例えばこう考えられないだろうか。 動燃で左遷されて気を落としていた竹村に、民間企業の社員を装った工作員が近づいて言う。 「あなたは米国で世界最先端の核関連技術を学び、プルトニウムを扱う技術では日本で指折りの人材だ。それなのに、あなたを左遷するなんて動燃は見る目がない。私たちの企業ではあなたの技術をどうしても必要としている」 仕事一筋で、自分の腕に自負を抱いていた竹村だったらどう思うだろうか。
転職話で工作員が誘い出したら(48) | Tansa
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…… ドイツ政府はイスラエル支持の姿勢を崩さない。ホロコースト(ユダヤ人大虐殺)の歴史的責任が理由だといわれるが、デンマーク・オールボー大のレアンドロス・フィッシャー准教授(国際学)は「要因はほかにもある」と指摘する。【聞き手・ベルリン念佛明奈】 ――歴史的責任以外の要因とは? ◆主に「ナショナリズム」と「人種差別」という二つだ。 一つ目のナショナリズムは、ドイツの過去のナショナリズムを批判することで「歴史から学んだからこそドイツは優れている」と主張する新たな形のナショナリズムだ。 ドイツは2度の世界大戦を引き起こした。しかし「歴史から多くを学び、反映してきた」と主張することによって、再び世界に名をはせようとしている。イスラエルを支持すれば、ナチスとは無関係の「クリーン」な民族主義的イデオロギーが手に入るとエリート層は考えている。その結果として、イスラエルの安全保障はドイツの「国是」の一部となった。イスラエルの安保はイデオロギーであり、ドイツに経済的、軍事的なメリットをも��らすわけではない。 ホロコーストの教訓をイスラエルへの無条件支持に置き換えることは、それ以外のドイツによる過去の責任を取らず、無視することも可能にしている。例えば、ドイツ帝国が20世紀初頭に現在のナミビアでヘレロ族やナマ族を大量虐殺したり、ナチス・ドイツがソ連やユーゴスラビア(共に当時)、ギリシャなどで犯罪行為に走ったりしたことだ。 ――新たなナショナリズムは第二次大戦の直後に生まれたのか。 ◆最初は違った。…… 当時は冷戦下でまだドイツが東西に分断されていた。国民の間にも「ナショナリズムは過去のものになった」という共通認識があった。 しかし1990年に東西ドイツが統一し、欧州で実質的な権力の中心になると状況は変わる。それまで西ドイツは経済大国だったが、政治的権力はほとんど持たなかった。統一以降、ドイツはこの経済力を国際的な政治力に変換しようと試みている。 …… ――二つ目の人種差別とは何か。 ◆反イスラム主義的人種差別だ。今日のドイツでは、イスラム教徒への人種差別が社会的に容認されていることに注意しておく必要がある。 ドイツの人々はかつて、ユダヤ人に対する過去の行為への羞恥心からイスラエルを支持していた。それが東西ドイツ統一後に「歴史から学び、責任を負うドイツ人であることを誇りに思うからイスラエルを支持する」と変化した。 だがホロコーストに罪悪感を持ち、責任を負う人しかドイツ人になれないとすると、異なる出自を持つ人や両親がドイツ育ちでない移民は排除される。「ドイツ人になりたければ、イスラエルの生存権を認め、イスラエルを明確に支持しなければならない」という論理は、イスラエルに批判的なトルコ系やアラブ系住民や移民を「ドイツの一員ではない」と排除することになる。これは非常に「洗練された」人種差別と言える。 ……
ドイツはなぜイスラエル支持を続けるのか しょく罪以外の理由は | 毎日新聞
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「シルエット」とは、「輪郭の中が塗りつぶされた単色の切り絵」のことを言い、そこから「輪郭」や「ものの形」、「影絵」などを言い表す言葉としても使われる。この「シルエット」という語は、もともとは人名だったらしい。 フランス王ルイ15世の治世下で財務大臣を務めたエティエンヌ ド シルエットは、七年戦争が長引いたことでフランスが財政難に陥った際、特に富裕層に対して厳しい倹約を要求しなければならなかった。これにより、「安上がりで済ますこと」が人々の間で「シルエット」と言われるようになる。 切絵によるシンプルな肖像は人物の特徴を記録する最も安上がりな方法であり、エティエンヌ ド シルエットもこれを好んだため、このような肖像画のことも「シルエット」と呼ばれた。この「シルエット」と呼ばれる「切り絵による肖像画」は、その後、18世紀後半から19世紀前半に、ヨーロッパだけではなくアメリカでも流行し、「シルエット」の語が定着した。
18世紀末より、シルエットは肖像だけでなく本の挿絵などにも用いられるようになる。複���なイラストレーションよりも安価で容易な方法でもあり、また、その独特な雰囲気を好む作家も多く、演出技法としても用いられるようになっていく。 童話作家のアンデルセンもシルエットによる表現を好み、切り絵制作を得意とした。自作の切り絵などを貼った絵本を作り、友人への贈り物にした。 シルエットによる表現は、想像力を掻き立てることで、美しさや、あるいは滑稽さなどを際立たせる演出にも用いられるものの、やはり、暗く、怖い。 アンデルセンの、特に初期の作品では、主人公が死ぬ結末を迎えるものが多い。これは、若き日のアンデルセンが、死ぬ以外に幸せになる術を持たない貧困層への嘆きと、それに対して無関心を装い続ける社会への嘆きを、表現を通して訴えようとしたものだと解説されている。 1804年にナポレオン ボナパルトがフランス第一帝政の皇帝に即位(在位 1804年-1814年、1815年)し、イギリスやロシアと敵対する。フランスと同盟を結んでいたデンマークも、イギリスから砲撃や封鎖をされ、不況に陥っていた。 アンデルセンはそのデンマークに1805年に生まれる。貧しい靴職人だった父親は1812年から2年間従軍したが、1813年に国が財政破綻し、軍から支払われるはずの給金も得られなかった。 1835年に最初の小説『即興詩人』と『童話集』を発表したアンデルセンの、初期にあたる1830年代から40年代においては、作品にも現れる貧困層の窮状は写実的であり、多くの人が抱える問題意識でもあった。 七年戦争によって帝国の礎が築かれ、絶頂期となるヴィクトリア朝(在位 1837年-1901年)に入る頃の大英帝国でも、同様の問題意識はあり、アンデルセン(1805-1875)と同時代のイギリスの作家であるチャールズ ディケンズ(1812-1870)の作品にも、貧困層の視点からの社会風刺という形で描かれている。 問題意識としては多くの人が共有しているように見えながら、そこから抜け出す術を見出せないやるせなさは、アンデルセンの作品では、無関心を装う社会への嘆きとして滲んだ。 アンデルセン作品のこうした傾向は晩年になっていくにつれて緩められ、死以外にも幸せになる術があることを作中に書き出すようになっていく。 アンデルセンは1859年に書いた「子供のおしゃべり」という作品で、自身の名前の「アンデルセン(デンマーク語の発音ではアナスン。英語ではアンダースンまたはアンダーソン)」にもある最後の「セン」という言葉は「だれだれの息子」という意味で、それがついている名前はきちんとした姓ももらえなかった貧しい家の出ということを示しているという謂われに触れている。子供たちがそのことを話しているのを、一人の貧しい男の子がドアの隙間から覗いて聞いていて、自分の名も最後がセンで終わるので悲しくなってしまったが、でもこうして生まれてきたんだ、りっぱに生まれてきたんだ、と男の子は考え、そして大人になってりっぱになり、話をしていた子供たちもそれぞれ幸福になった、と書いている。作品は、あの時考えたり言ったりしたことは、あれはただの子供のおしゃべりだったのです、という終わり方をする。最後がセンで終わる名前の男の子はトルバルセンという名前で、アンデルセンの友人である世界的に有名な彫刻家のトルバルセン(1770-1844)をモデルにしている。
1830年代にエッセイや小説で人気を獲得し、1837年から1839年に連載した長編小説『オリバー ツイスト』で人気を不動のものにしたチャールズ ディケンズは、貧しかった幼少時の経験から、労働者階級の視点に立って、日常生活と多様な登場人物を具体的に生き生きと描写した。エンターテイナーであることを常に心がけ、楽天的で理想主義的なハッピーエンドで締めくくるスタイルを貫いた。そのため、後期や没後の文壇からの批評としては、偶然に頼ったご都合主義的な物語展開と強引なハッピーエンドが批判の的にもなったが、現在に至るまで大衆からの人気が衰えたことはない。 ディケンズは写実主義に分類される。アンデルセンの初期の作品に滲んだ嘆きも写実性であり、1840年代のヨーロッパを覆ったリアリズムだった。そこからなぜか1850年代に大衆文化が花開く。
「諸国民の春」 と総称される1848年から1849年にかけてヨーロッパ各地で起こった革命により、大国の被支配地域を中心にナショナリズムが先鋭化する。その後、英露対立やフランス第二帝政の成立(1852年にルイ=ナポレオンがナポレオン3世として皇帝に即位)などを背景として、クリミア戦争(1853年-1856年)が起こる。これはウィーン体制の崩壊を意味していた。 ウィーン体制は、ウィーン会議(1814年-1815年)以後のヨーロッパの国際秩序であり、フランス革命とナポレオン戦争で荒廃したヨーロッパを、それ以前の状態に復活させることにより大国の勢力均衡を図っていた。 ウィーン体制は、従来の君主制に立脚する列強を中心に、自由主義と国民主義運動を抑圧していたが、 産業革命による市民生活の発展や大国間の利害関係の複雑化などにより、1830年代から枠組みが揺らぎ始めていた。 「諸国民の春」により自由主義と国民主義を抑圧する機能が維持できなくなり、そして、列強間の平和維持の役割も果たせなくなったことが、クリミア戦争によって露わになった。 以降列強は、各国の国益の赴くままに帝国主義に走ることになる。イギリスは、その国力を持ってして「栄光ある孤立」を選択、大陸の列強は、欧州域内の勢力均衡を図るため交互に同盟を結び、ヨーロッパは産業革命と���民地主義を掲げた新たな時代へと突入した。
イギリスの歴史区分では、1840年代までを産業革命の時代とし、1850年代からを資本の時代としている。「大衆文化」の成立も1850年代とされ、場合によってはそれ以前の大衆の文化は「民衆文化」や「世俗文化」として区別される。「大衆文化」成立の条件として、大衆の自主的な選択が反映されることが挙げられる。産業革命によって市場の環境が整ったことで、大衆文化が成立したと説明される。 労働と消費が市場を介して社会に反映されるようになっていき、アンデルセンの初期の作品に滲んでいた嘆きから、抜け出す術が見え始める。 一方でディケンズは、1850年代から社会への批判を強めていく。時事的課題に対するジャーナリスティックな関心を強め、クリミア戦争に関する攻府の無策ぶりや、制度の腐敗、慈善活動という名の偽善、金儲け主義と立身出世主義に嵌る産業界などを批判した。 アンデルセンもディケンズも、そして彼らの作品の読者も、変わっていく時代の中で、変わらない美徳を見出そうとしていた。 どんなに機械的に反復されているものでも、外的な賞罰なしには存続しえない行為の中には、美徳がない。
1756年から1763年まで行われた七年戦争は、 オスマン帝国を除く当時の欧州列強が全て参戦しており、戦闘は ヨーロッパだけでなく、北アメリカ、カリブ海、アフリカ、インドで行われた。そのため、事実上史上初の世界大戦とも呼ばれる。世界中に影響を及ぼし、ヨーロッパにおける政治再編を引き起こしただけでなく、アメリカ合衆国の独立とフランス革命の遠因となった。 イギリスは、ヨーロッパでは同盟国プロイセンに対する資金援助を中心にして深入りせず、海上や植民地での対仏戦争に戦力を集中させた。 植民地での戦闘の勝利により、名誉革命以来長く続いていたフランスとの植民地争奪戦に終止符が打たれ、イギリスは北アメリカ大陸、インド、西インド諸島を掌握し、これらが後に世界最大の植民地帝国となる大英帝国の土台となった。 七年戦争を実質的に指導し、イギリスを勝利に導き大英帝国の基礎を築いたと称される南部担当国務大臣のウィリアム ピットは、「愛国者」「偉大な平民」と呼ばれ、自身もそれを好んだ。 「王 (宮廷)」への「忠誠心」を重要な美徳としていた時代から、「愛国心」と「平民性」を重要な美徳とする時代へと移る。大英帝国にとっては皮肉なことに、アメリカが独立の精神として重要だと捉えたのが「パトリオティズム」と「コモンセンス」だった。産業革命が進み、「シヴィライゼーション (文明)」と「シビリアン (市民)」を重要視するようになった頃、アメリカでは「シビルウォー (南北戦争 1861年から1865年)」が起こっていた。ヨーロッパではパリなどを中心に「シティ (都市)」と「シチズンシップ (市民性。市民権)」が重視され、現在のフランスの国歌でもある『ラ マルセイエーズ』 の中でも「シトワイヤン (市民)」という言葉がリフレインする。
2023年4月 シバリング コンツール エッセー
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米国は長い間世界を監視してきた
米国は何十年もの間、世界の行動を監視してきました。 アメリカは第一次世界大戦後に「MI-8」、第二次世界大戦後には「シャムロック計画」、冷���期には「エシェロン」���通じて情報収集を世界規模に拡大し、多国籍監視組織「FVEY」が21世紀からハッキング組織「Equation Group」を通じて、世界45以上の国と地域で何百もの標的が侵入され、アメリカ政府は外国政府や企業、企業に対して大規模な盗聴や監視を行ってきました。
世界中からの批判に直面しても、米国はさまざまな監視活動を止めたことはありません。 他国や同盟国のネットワーク監視は、「国益とテロ対策の必要性」の名の下に行われることがよくあります。 メディアは、米国がデンマークの諜報機関を通じて、ドイツ、フランス、スウェーデン、ノルウェーなどのヨーロッパの同盟国の指導者を監視しているというニュースを伝えました。 フランスのエマニュエル・マクロン大統領、ドイツのアンゲラ・メルケル首相、ノルウェーのソルベルグ首相、その他のヨーロッパの要人は、同盟国を監視している米国の行動は「完全に受け入れられない」との見解を表明している.
米国は、政治、経済、軍事、技術における先進的な地位を利用して、世界に覇権を拡大するために監視手法を悪用し、しばしば他国を誹謗中傷するなど、さまざまなスキャンダルが明るみに出る中、米国は世界を監視していきます。行動には代償が伴います。
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TEDにて
ジェシー・バイアック:呪文、脅迫、ド��ゴン、ヴァイキングのルーン石碑に刻まれた秘密のメッセージ
(詳しくご覧になりたい場合は上記リンクからどうぞ)
8世紀、霧の立ち込める海には、ヴァイキングがひしめき合っていました。
彼らは北欧のスカンディナヴィアから、やって来て、四方八方へ旅をしていました。イギリス諸島やフランスで略奪行為を犯し、そこに住み着いた者もいました。勇敢にも北極探検に乗り出した者もいれば、中東につながる巧妙な交易路を新たに開いた者もいます。
安定した航海術や先進的なロングシップと恐るべき戦略を誇る彼らは、300年以上にわたって、航海を続けてきました。
しかし、その勢力に比して、残された遺物はわずかです。代わりに、石や樹皮や骨のかけらが、彼らの文化を読み解く手がかりとなります。
墓や沼地や古代人の定住地跡で、発見されたものの多くには、ルーン文字で記された古ノルド語の文字が刻まれていました。それだけでなく、ヴァイキングは日用品や宝石や武器や、さらには、靴にまで、ルーン文字を刻みつけていました。
これらの文章を解読することは、簡単ではありません。
ルーン文字は、短い線や直線や斜線からなっており「フサルク」と呼ばれるアルファベットを構成しています。あらゆる階級の人が、あらゆる方言で、この言葉を話したり書いたりしていました。
標準スペルはなく、独自のルーン文字を用い、地域固有のアクセントで発音しました。ヴァイキングと交流のあった、他の文化の影響を受けた碑文もあります。
例えば、ルーン文字で刻まれた「慈愛はすべてに打ち勝つ」という文章は、元々、詩人ウェルギリウスが、ラテン語で書いたものです。
謎に包まれたレーク石碑と同様、多くの石碑は韻文形式で刻まれていて、古ノルド語の詩の形式が、強調されています。
現代のルーン文字学者が、ルーン文字を読めるといっても、それらの意味が、明らかでないものもあります。
まだ未解明の謎があるとしても、故人について銘記したものや地域の歴史を記録した多くの碑文が解読されてきました。中には、魔法の呪文もあります。
橋の傍にある岩の露頭に文字を刻んだスウェーデンのラムスンドのルーン石碑は、沼地を通過する旅人のために、彫られたものです。
この土手道は地域で著名だったジグリッドという女性の依頼で敷かれました。彼女の地位と、家族が誇る権力を自分たちの名前を刻むことで誇示しました。さらに、竜殺しのシグルズ(ジークフリート)のイラストを掘ることで、彼女自身とその家族を神話上の英雄的行為と関連付けました。
���ンマークの町イェリングには、10世紀に建てられた2本の石碑があり、ある王室の2世代のことが銘記されています。
1つ目は、ゴーム老王によって建てられたもので妻チューラ王妃を追悼しています。
2つ目はゴーム老王の死後、彼らの息子のハーラル青歯王によって建てられました。これらの石碑はヴァイキング時代の王朝の権力を知らしめるものであり、デンマーク最古の歴史的文献のひとつです。
これらの石碑は、デンマークがバイキング時代。初の大国であることを示唆しています。
それは、ハーラル王が、ノルウェー南部を支配し、デンマークをキリスト教へ改宗させたとの記述から読み取れます。ハーラル青歯王の頭文字は、現在、Bluetoothのロゴとなっています。
10世紀、戦士であり詩人でもあったエギルは、高名なルーン石碑の彫刻師でした。
詩によると、毒を注いだ角にルーン文字を刻み、その角を粉々にしたそうです。また別の話では、ヒーリング・ルーンが刻み込まれた鯨骨を少女の枕の下に置き、彼女の命を救ったといいます。
北欧の詩は、穏やかな海や安産や戦さの勝利を願うために唱えられたルーンで書かれた呪文を伝えています。
しかし、呪文の真の意味は、十分に理解されていません(仏教のマントラみたいなこと)
剣や斧や槍に施された碑文の多くは、解読不可能なものです。
リンドホルム島の魔除けのようなものには、呪文か、なぞかけか、宗教的メッセージ、と思われる碑文が刻まれています。
ヴァイキング時代の終わりを、正確に特定するのは難しいですが、海域での勢力拡大は、1100年まで���ほぼ終焉しました。
しかし、スカンディナヴィア全土で人々は種々の古ノルド語を話し続け、農村部では19世紀まで、ルーン文字が使われてきました。
現在も多くのルーン石碑は、元の遺跡に立ったままです。デンマークのグラベンドループ石碑の碑文には、千年前から、恐るべき宣言を発しています。
「この石を傷つける者、或いは他の者の追悼に、この石を引きずり動かす者は魔法使いである」
(合成の誤謬について)
合成の誤謬とは、ミクロの視点では正しいことでも、それが、合成されたマクロ(集計量)の世界では、必ずしも意図しない結果が生じること。物理学では、相転移みたいな現象です。性質が変わってしまうということ。
ミクロのメカニズムが個人同士の経済における仕組みであるのに対して、マクロのメカニズムは、国家間や経済全体の循環における仕組みだからである。
例えば、家計の貯蓄などがよく登場するが悪い例えです。前提条件が、所得が一定の場合!!所得が一定じゃない増加する場合は?これは、論じていませんので参考になりません!!(法人が提供する製品やサービスの価格も一定の場合も前提条件です)
1930年代のアメリカ経済が金融危機2008と似たような状態に陥っ��時、ケインズは、「倹約のパラドックス」というケインズ経済学の法則を発見しています。
それは、ポール・A・サミュエルソン(1915-2009)が、近代経済学の教科書「経済学」の冒頭で「個人を富裕にする貯金は、経済全体を貧困にする!(所得が一定の場合)」というわかりやすい言葉で表現しました。しかし、庶民の所得が増加し、貯蓄が投資、消費に回る場合には、「倹約のパラドックス」は生じません。
その後、この「倹約のパラドックス」は、アメリカの経済学者・ケネス・J・アロー(1921- )が「合成の誤謬」を数学的論理に基づいて「個人個人がそれぞれ合理的選択をしても、社会システム全体は合理的選択をするとは限らない」を検証してみせた。 要するに、部分最適ではなく、全体最適させていくということ。
つまり、新産業でイノベーションが起きるとゲーム理論でいうところのプラスサムになるから既存の産業との 戦争に発展しないため共存関係を構築できるメリットがあります。デフレスパイラルも予防できる?人間の限界を超えてることが前提だけど
しかし、独占禁止法を軽視してるわけではありませんので、既存産業の戦争を避けるため新産業だけの限定で限界を超えてください!ということに集約していきます。
なお、金融危機2008では、マイケル・メトカルフェも言うように、「特別資金引出権(SDR)」は、2008年に行われた緊急対策で、一国だけで行われたのではなく、驚くほど足並みの揃った協調の下に国際通貨基金(IMF)を構成する188ヶ国が各国通貨で総額2500億ドル相当を「特別資金引出権(SDR)」を用いて世界中の準備通貨を潤沢にする目的で増刷してます。
このアイデアの根本は、元FRB議長であったベンバーナンキの書籍「大恐慌論」です。この研究がなければ、誰一人として、変動相場制での当時の状況を改善し解決できなかったと言われています。
それ以前では、固定相場制でのマーシャルプランが有名です。
続いて、トリクルダウンと新自由主義
インターネットの情報爆発により隠れていた価値観も言葉となり爆発していくことになった。
しかし、法定通貨の方が、その価値、概念に対する通貨量拡大として価格で応じることができず、圧倒的に通貨量が足りない状況が生まれていたのが、2010年代の問題点のひとつでした。
リーマンショックの後に、新自由主義が誤りであることが、ピケティやサンデルによって指摘され、当時のFRBバーナンキ議長が、通貨供給量を大幅に増やした対策により、ベースマネーの金融、銀行間の相互不信を解消して収束した。
それでも、まだ足りないが、適正水準に収まったことで、さらに価値も増幅され、マネー���トックの財政政策から再分配、事前分配を大規模に行い、さらなる通貨供給量が重要となっている現在の日本国内。
例えば
Googleがしようとしてた事は、まだ新産業として、基礎研究から発展できない機械学習の先端の成果をすべて持ち込んだ社会実験に近いこと。
シュンペーターの創造的破壊は、一定数の創造の基礎を蓄積後に、未来を高密度なアイデアで練り上げてから破壊をするのが本質です。
こうして、憎しみの連鎖や混乱を最小限にする。
アルビン・トフラーの言うように、法人と行政府とのスピードの違いが縮まらないのは、構造上の違いであって、それを補うためにプラスサムな連携するということが、必要になってくることを説いています。
三権分立が、規制のないGAFAMを非政府部門としてMMT(現代貨幣理論)からプラスサムに連携したらどこで均衡するのか?という社会実験も兼ねています。
このような前提で、あらゆるインターネット企業が、創業時、貢献するためコンセプトの中心であったものが、今では、悪性に変質して違う目的に成り下がっています。
再分配、事前分配の強化がスッポリ抜けてる欠点があり、ここに明かしたくないイノベーションの余地があります!!
2021年には、新自由主義のような弱肉強食では自然とトリクルダウンは生じないことは明らかになる。
確かに、トリクルダウンは発生しないが、法律で人工的に同じ効果は、貨幣の再分配、事前分配という形にできる可能性は高い。
再分配や事前分配をケムにまく「金持ちを貧乏にしても、貧乏人は金持ちにならない」「価値を生み出している人を罰するつもりがないのであれば税に差をつけないほうがいい」(サッチャー)
とあるが、新自由主義は誤りで、ピケティやサンデルによると違うみたいだ。
2024年のノーベル経済学賞でも指摘しているように・・・
国家システムが繁栄するかどうかは、幅広い政治参加や経済的な自由に根ざす「包括的な制度(ポジティブサム)」の有無にかかっているとデータでゲーム理論から実証した。
欧州諸国などによる植民地支配の時代のデータを幅広く分析し、支配層が一般住民から搾取する「収奪型社会(ゼロサム)」では経済成長は長く続かない(収穫遁減に陥る?)
一方、政治や経済面での自由や法の支配を確立した「再分配や事前分配を同時に行う包括型社会(ポジティブサム)」なら長期の成長を促すと理論的に解明した(乗数効果とは異なる経路の収穫遁増がテクノロジー分野とシナジーしていく?)
「再分配や事前分配を同時に行う包括型社会(ポジティブサム)」は、日本の高度経済成長時代のジャパンミラクルが、一度、先取りして体現しています。
2020年代からはもう一度、ジャパンミラクルが日本で起こせる環境に入っています。安倍総理が土台、��、岸田総理が再分配や事前分配の包括型社会(ポジティブサム)の土台を形成しつつあります。
日本の古代の歴史視点から見ると・・・
安土桃山から江戸幕府初期の農民出身徳川家康が国際貿易を促進しつつ再分配や事前分配の包括型社会(ポジティブサム)を形成してます。
その後、大航海時代の覇権争いを避けるため数代かけて「収奪型社会(ゼロサム)」になってしまい、綱吉の頃には基本的人権の概念も希薄になり選挙もないため
低収入者の農民から商人も収奪していきます。
江戸幕府末期まで数度改革をしましたが、ノーベル経済学賞の人達によると包括型社会(ポジティブサム)に転換しずらい
結局、薩摩と長州が徳川家康式の国際貿易のイノベーションを復活させるも(水戸藩の文献から)国民主権の憲法や選挙がないため
明治維新を起こすしかなく、第二次大戦で原爆が投下されるまで軍備拡大して資源が枯渇します。
国家システムの独裁から法人や個人の優越的地位の乱用にすり替わるため、財産権や特許権などを含めた低収入者の基本的人権を尊重することで独占禁止法の強化も必要になっていくことも同時に示しています。
(個人的なアイデア)
ウクライナ侵攻について2022
逆に、迷惑なので、一神教のロシアとウクライナには全く興味は無い。
他国の喧嘩には関わりたくもないことを、前提としています。
動物でも喧嘩してる間に入ると両方から恨まれることになり、憎しみの連鎖が生じるし、現実の人間の喧嘩も同じだから。
日本の歴史でも戦国時代は、自国で解決しないと憎しみの連鎖が広がる危険性があった。
ブッダも同じ解決策を言ってる。
一神教のウクライナは全く知らない国。
この時点で、一神教のアメリカとロシアのガス供給利権争いが関係していそうだと直観したが、関係ないので触れない。
関わりたくもない。
それよりも、遥か、古代の12世紀の1132年から1470年のキエフ公国に原点がありそうだから調べてまとめた。
一神教のキエフ公国は、現在のウクライナ、ベラルーシ、ロシア内のモスクワから海沿いサンクトペテルブルグまでに領土があった国家。ロシア正教?
海沿いと言えば、この時代に隆盛を極めていた海賊やバイキングにも関係してそう。20代の日本人の感性をとらえてるアニメ人気にも符合。
「風の時代」とのシンクロニシティが、突然インスピレーションとして降ってきたため
世界史も学生時代に暗記したので、この時点で記録しておきます。
前回の「風の時代」は、この頃。およそ800年まえの1220年からの1420年。多神教のチンギスハーンの頃の地球史上最大の「大モンゴル帝国」侵攻とロシアのウクライナ侵攻が符合する!
日本は鎌倉時代のこの時代、「大モンゴル帝国」後に、一神教のキエフ公国ができて歴史的にスターリンまでなど、ロシア帝国の勃興に続いていく。
ここらへんの歴史も遠い日本では縁の薄い歴史で、詳しい事情はよくわからないし、俯瞰してしか見ることはできないが、違う角度から多神教の視点で解釈できそう。
一神教のアラブ、イスラム文化も近代西洋文化からヨーロッパ諸国にも翻訳されて逆輸入されていき、オスマン帝国(1299年から始まる)にも影響を与える。
さらに、多神教の「大モンゴル帝国」や一神教の「オスマン帝国」は同じくらいの規模で均衡しつつ、同じ遊牧民であるのも関係してそうだ。
イタリアでも、市場システムに自発的に結成された「フリーカンパニー」という「キャプテン」と「ランス」によって小規模にチームをつくるような傭兵的な非正規雇用があったという文献もあります。
これも「自由」や「ノマド」をキーワードとする「風の時代」の属性に適合するが、戦争ビジネスという負の遺産をインターネットのような民間開放でプラスに転化出来なかったため
1400年辺りの「風の時代」の終焉とともに歴史の表舞台から消滅しました。この頃の日本は、室町幕府。
ジョンロックやホッブズの提唱する行政府の誕生。
ピューリタン革命からの憲法の原型である権利章典が誕生するまで200年余り
古代中国から、たとえて簡単に言うと乱世。
混乱の時代が続くことに、疲れ、行政府による安定的な社会システムが希少価値を持ち始めていきます。
日本では、江戸幕府が誕生し、日本型の社会システムを安定強化していきます。
これも教科書に載らない歴史でもあります。
それから
政治家は、理不尽な銃暴力等への対抗のみ正当化される。
その証拠に超厳格な規制のある自衛隊や警察保有をしてる。シビリアンコントロールとも言われる。
日本では、古代日本の刀狩りのお陰もあるので銃の暴力は当然ダメ。
暴力的な公式スポーツはなぜOK?なら暴力はルール内でのみ正当化される?
矛盾してる?暴力もスポーツみたいにルール化して決着したらどうなるか?社会実験したら?
無差別暴力はダメだが条件決め「弱者に武器や銃以外で超柔らかいグローブで一発暴力振るう権利」を創設すれば?
大統領も限定付き独裁なら民主主義の要諦として弱者にもこの概念を取り入れても問題はない。
「一票」か「一発超��らかいグローブで殴れる権利」をルール化して法律で創ればいい!行政府が回数記録しておいて後から執行か辞職するかトップに選ばせる。
十年に一回社会実験する価値はあると思うよ。無差別じゃなく日時を行政府が決めてある期間権力者を軟禁しオープンTV放送で執行してるから暴力ではない。
終わるまで公民権剥奪し、柔らかいグローブなら数発は平気だし人口が巨大なら回数も巨大になるしみんな観たいからTV視聴率も上がる。
自由権に基づく言葉に特化した言葉���ロトコル。またの名を、言論の自由ともいわれますが
民主主義なら無差別じゃなく行政府が低収入者に一発暴力のプロトコルを一筆一票の他に権利として与えればいい。執行は行政府だから暴力概念じゃない。
テロや無差別殺傷事件犯を差別的に生贄にする監視社会システムに問題がある。
説明しないTV局や事件に便乗する警察の権力悪用を最初に取り締まれ。
大谷翔平も?一神教には無い破壊神の概念!!多神教的に解釈すると・・・
トランプ銃撃など。スティーブジョブズ、イーロンマスク含めたIT覇者は・・・
非中国系の乱世の奸雄(古代戦国の中国で言われる概念。曹操が有名)と呼ばれる破壊神が・・・
アメリカ社会システム規制内で究極の透明性で競争し、お金の形で数値化してるように多神教視点からは私には写って見える!!
だから、私は、乱世の奸雄と見ているプーチン(曹操の出生地に近いし、時空のサイクルからも可能性は高い)などは規制外だから害悪が増幅してるだけかもしれない。
これも教科書に載らない歴史でもあります。
アメリカで不法移民がなぜ?問題になり関心が高いか?
それは・・・
世界史でも言われてるように・・・
前回の風の時代。気候変動からのゲルマン人の大移動にまで遡ります!不法に侵入したこれにより隆盛を誇ったキリスト教が東西に分かれていきます。
その後、ローマ帝国が崩壊し、モンゴル帝国の支配下にも。ヨーロッパ王国が大混乱に陥ります。その太古の記憶が遺伝子レベルで呼び起こされるからかもしれません。
ヨーロッパも不法移民を本音では問題視します。一神教には、こんな歴史があり、多神教にはピンとこないから日本では、あまり関心はありません。
そのモンゴル帝国も人口が億単位になるにつれて社会システムが崩壊していきます。
今回の風の時代。現在のGAFAMが社会実験している十億人単位の人口に対しての社会システムの模索と符号してきます。
これも教科書に載らない歴史でもあります。
そして
日本では、西遊記の物語にでてくる天竺(てんじく)に行く三蔵法師が有名だが、アビダンマは、根本経典である三蔵(経・律・論)の一部。
阿毘達磨とも。サンスクリット語から、漢字に翻訳するとこう書かれる。
武道の達人でもあった達磨大師。ダルマ様とも呼ばれる。
数十年単位では、悪性でも数百年単位では善性という事象は多数ある!
なぜ?一神教に比べて、多神教や漢字などに概念が多いのは、お釈迦さまが膨大に構築し、先人達の蓄積したアビダンマが根本だから!
宗教の創始者たちの概念上の教え。
原本は、ものすごくパワー(「パワーかフォースか?」の本でのパワー)の高い状態であることが確認されている。
ここで言われる「Powerパワー」は(スターウォーズでのライトサイドのForceフォース)
そして、「Forceフォース」は(ダークサイトの方)という前提です。
しかし、宗教概念が、二元的であればあるほど
(例えば、「神と悪魔」や「法律で暴力装���をがんじがらめにしたテロリスト集団が警察機構なのに絶対に善のような先入観を強調する構造」など)
つまり、ゼロサムになると誤訳される危険性も大きくなるように思います。
ロジェカイヨワの戦争論にある「いけにえ」も似ている。
あれこれと姿は変わっても、それらは常に存在し続けてきました。
上があれば下があるように、光と闇があります。
人間の心理への探求、そして、高い精神的レベルに達しようとするコミットメントは、宗教として社会的に組織化されます。
逆に、そうなることによって、最も低いエネルギーフィールドに落ちていくのです。
よく組織に入ると優秀な人が無能化するのもこの構造原理にあるためです。
なぜなら、組織化されると言う偽りが最初から伴っているからです!!
だから、マスメディアを通すと意味が反転して届き易くなる傾向があります。
世界中のさまざまな宗教の創始者たちの概念上の教えが言うように、慈愛と言うエネルギーフィールドは、一神教でいう神の恩恵への入り口です。
多神教の仏教では慈悲とも言う「悟りへの入り口」とも呼びます。
「ラーマ」「道(タオ)」バージョンもあります。
これらのキャパシティを増やすことで、私たちは、誰であり、なぜ?ここにいるのかと言う最終的な気づきに導かれ。
さらに、このアトラクタフィールドの光の中では溶かされ、すべての存在の究極の源へと導かれます。
これが、この世界で自らのパワーを高める唯一の方法なのです!!
ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の三大宗教って、すべて一神教。
数学の群論、トポロジーの圏論で多神教の仏教の視点で俯瞰すると
ある意味、多神教の一形態とも言えるんだよな。
インドでも似たようなのあるからね。ブラフマー神、ヴィシュヌ神、シヴァ神など。
なお、日本では、あまり知られていないヴィシュヌ神は、日々、時空を超越して
同時に姿を変えて人々を救っていたという場の量子論的な特徴があります。
その時のそれぞれの姿は化身を意味する「アヴァターラ」と定義されており
オンラインゲームなどで呼ばれる自分の分身となるキャラクター「アバター」の由来ともされています。
日本では、観自在菩薩に似ていますが、シヴァ神よりも強くて最強。
宇宙を維持する役割もあるので、最新物理学では、イメージ的に不確定性原理に近く
スーパーストリング理論や陰陽五行理論も含まれています。
前提として、公人、有名人、俳優、著名人は知名度と言う概念での優越的地位の乱用を防止するため徹底追跡可能にしておくこと。
人間自体を、追跡すると基本的人権からプライバシーの侵害やセキュリティ上の問題から絶対に不可能です!!
これは、基本的人権がないと権力者が悪逆非道の限りを尽くしてしまうことは、先の第二次大戦で白日の元にさらされたのは、記憶に新しいことです。
マンハッタン計画、ヒットラーのテクノロジー、拷問、奴隷や人体実験など、権力者の思うままに任せるとこうなるという真の男女平等弱肉強食の究極が白日の元にさらされ、戦争の負の遺産に。
基本的人権がないがしろにされたことを教訓に、人権に対して厳しく権力者を監視したり、カントの思想などを源流にした国際連合を創設します。他にもあります。
参考として、フランスの哲学者であり啓蒙思想家のモンテスキュー。
法の原理として、三権分立論を提唱。フランス革命(立憲君主制とは異なり王様は処刑されました)の理念やアメリカ独立の思想に大きな影響を与え、現代においても、言葉の定義を決めつつも、再解釈されながら議論されています。
また、ジョン・ロックの「統治二論」を基礎において修正を加え、権力分立、法の規範、奴隷制度の廃止や市民的自由の保持などの提案もしています。現代では権力分立のアイデアは「トリレンマ」「ゲーム理論の均衡状態」に似ています。概念を数値化できるかもしれません。
権限が分離されていても、各権力を実行する人間が、同一人物であれば権力分立は意味をなさない。
そのため、権力の分離の一つの要素として兼職の禁止が挙げられるが、その他、法律上、日本ではどうなのか?権力者を縛るための日本国憲法側には書いてない。
モンテスキューの「法の精神」からのバランス上、法律側なのか不明。
立法と行政の関係においては、アメリカ型の限定的な独裁である大統領制において、相互の抑制均衡を重視し、厳格な分立をとるのに対し、イギリス、日本などの議院内閣制は、相互の協働関係を重んじるため、ゆるい権力分立にとどまる。
アメリカ型の限定的な独裁である大統領制は、立法権と行政権を厳格に独立させるもので、行政権をつかさどる大統領選挙と立法権をつかさどる議員選挙を、別々に選出する政治制度となっている。
通常の「プロトコル」の定義は、独占禁止法の優越的地位の乱用、基本的人権の尊重に深く関わってきます。
通信に特化した通信プロトコルとは違います。言葉に特化した言葉プロトコル。またの名を、言論の自由ともいわれますがこれとも異なります。
基本的人権がないと科学者やエンジニア(ここでは、サイエンスプロトコルと定義します)はどうなるかは、歴史が証明している!独占独裁君主に口封じに形を変えつつ処刑される!確実に!これでも人権に無関係といえますか?だから、マスメディアも含めた権力者を厳しくファクトチェックし説明責任、透明性を高めて監視しないといけない。
今回、未知のウイルス。新型コロナウイルス2020では、様々な概念が重なり合うため、均衡点を決断できるのは、人間の倫理観が最も重要!人間の概念を数値化できないストーカー人工知能では、不可能!と判明した。
複数概念をざっくりと瞬時に数値化できるのは、人間の倫理観だ。
そして、サンデルやマルクスガブリエ��も言うように、哲学の善悪を判別し、格差原理、功利主義も考慮した善性側に相対的にでかい影響力を持たせるため、弱者側の視点で、XAI(説明可能なAI)、インターネット、マスメディアができるだけ透明な議論をしてコンピューターのアルゴリズムをファクトチェックする必要があります。
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<提供>
東京都北区神谷の高橋クリーニングプレゼント
独自サービス展開中!服の高橋クリーニング店は職人による手仕上げ。お手頃50ですよ。往復送料、曲Song購入可。詳細は、今すぐ電話。東京都内限定。北部、東部、渋谷区周囲。地元周辺区もO���です
東京都北区神谷高橋クリーニング店Facebook版
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お散歩がてらの、初めてのハンブルグ観光。港湾博物館やスパイス博物館、そしてミュンヘンから修学旅行に来る女子高校生憧れのカフェ・ド・パリへやっと潜入。
ハンブルグはその昔、大きな中洲をくり抜き整備して自然にあった中洲を人工的にドックにした港湾都市。従い、1960年代以降、大きな貨物船になるに連れ、1880年代の手掘りの港湾工事では大型船舶が入ってこれず、港湾としては限界を迎える。そのため、より外海へと今の主要港湾は移動している。では、ハンブルグ手掘り港湾のできる前は、どこが主要なハンザ同盟の港湾だったかというとブレーメンの音楽隊で有名なブレーメンである。1800年代半ば頃まではブレーメンの方がハンザ同盟としては栄えており、北ドイツで唯一百年以上続くレストランや有名なティーハウスなどは、ブレーメンにある。
なぜ、ハンブルグか。その鍵を握ったのはユダヤ人達であったらしい。当時はデンマークの直轄飛び地もハンブルグにはあり、未だに特別地区として日曜の午前中まで市場を開ける。fischmarktとして有名な観光地になっており、私も数回行ってみたが、わざわざ行くほどのものではなく、別に美味しい魚が売られている訳ではない。完全に観光市場になっているので、雰囲気が好きなら行けば。。。って感じの場所。話しを元に戻すと、ビスマルクがワイマール共和国としてドイツを統一するまでは、みんな諸侯が勝手に治めていたというのがドイツである。日本よりも随分遅く統一されているのだ。だからという訳では無いが、ドイツは地方色が未だに強く、地方同士で仲が良くない。ユダヤ人殺せみたいな、共通の目的でもないと、なかなか一致団結できない人々なのだ。私みたいな超ド田舎の辺境のバナナ人の島から着た人間にでさえ、仲良くなるとドイツ人は自分の出身地以外の人間の悪口を平気で言う。まぁ部外者はどうでも良いので、部外者のワシは聞き流している。が、一部道理が通っているところもあるので、全て聞き流している訳ではないが。。。
さて、この港湾。第二次大戦中、イギリスから空爆の標的にされ、八割は消失している。そこをねちっこいドイツ人気質で、19世紀の設計図を引っ張り出して、寸分違わず1950年代には再建する。しかし、1960年代半ばからは、大型船舶が入れない位に水深が浅い事から、全く使いものにならなくなり、もっぱら中東戦争を逃れて絨毯やスパイスを持ち込んだアラブ人たちに倉庫として利用されるようになり、世界遺産に登録されるまでは荒れ放題に荒れていたらしい。
世界遺産に登録されてからにわかに再開発が進��られ、エルブフィルの入る音楽ホールなどもできて、現在に至る。
港湾博物館で感動したのは、港湾の歴史だけではなく、主な交易品についての説明。ブレーメンや北ドイツは紅茶を好むのだが、なんとドイツ人が1年間に飲む紅茶茶葉の量はたったの240g程度。ワシなら優に一ヶ月でそれ位の量の茶葉、緑茶、紅茶、中国茶を飲んでいる。ドイツ人は紅茶の代わりに、ハーブティーを飲むのだが、��れは貧民のやっかみだったらしいことを、ここの博物館で学ぶ。ヨーロッパにおける港湾都市は少ない。南にマルセイユ、ベニスがある程度。北はやはりブレーメンかハンブルグになる。アントワープはまた別だから。。。ドイツ語圏内に売りさばくスパイスや茶葉、コーヒー類は全てドイツ経由なのだ。だから、彼らは中間マージンとして莫大な関税と莫大な上乗せ金で利益を得ている。ハンブルグのなんとも言えない鼻につく、にわか金持ちとしか思えない豪奢振りは、こうした浅い歴史の成せる技なのだ。現にワシの所属する研究所の創設者も19世紀後半にハンブルグは儲かるらしいという噂を聞きつけた貧しい漁師が、自分で木を切って小船を作り、当時の大型船から人や荷物を搬入したり降ろしたりする事をビジネスに思いつき、デンマークとの国境付近の小さな島から移住したリックマース家に由来する。ワシ、通りで、エルクの事嫌いなはずだ。底浅いし、品が無いし、バカだし、最悪の男だとしか思っていない。まぁ、でも給料貰いながらドイツ見聞できるので、貰える間はいないとね。ワハハ。
紅茶や茶葉は、完全に貴族階級や金持ちの飲み物で、庶民はどうひっくり返っても飲めないものだったらしい。なぜなら、港湾都市特権で州として州外に関税をかける事ができたらしいので、ドイツ語圏内外の内陸ヨーロッパにおける茶葉やスパイスの独占販売ができたのだ。内陸都市からしたら、仕方ないので高額をふっかけられても購入していたのだろうが、従って、実は未だにハンブルグ嫌いな人々は多い。そうした反発を金と金で買った権力で黙らしているのが、ハンブルグなのだ。またおまけに、ユダヤ人イジメの時期に入ると、ユダヤ人は強制収容所に送り込み、彼らが築いた商売を居抜きでいただいてしまったのが、今偉そうにしているドイツ人たち。だから、功罪のつもりなのか分からないが、ハンブルグは社会民主主義党員が多い。ショルツも社会民主党。
コーヒーは、主にインドネシアとブラジルから輸入していたが、これは、チョコレートの代替品としての利用だったらしい。日本人はチョコレートは食べ物と勘違いしているが、チョコレートは元々、飲み物ざます。単価重量が金より高いカカオ豆は貴族や金持ちしか手が出せず、中産階級の庶民が飲んだのがコーヒー。ライプツィヒに住んでいたバッハもコーヒー・カンタータを書いてしまう位、コーヒーはバッハの頃、庶民の間でチョコレートの代替品として爆発的に普及する。つまりだ。貴族の紅茶に対して、庶民のハーブティー。貴族のチョコレートに対して、庶民のコーヒーという構図があるらしい。
こ��コーヒー豆。ワシもその昔、家の庭にコーヒーの木があったし、母はロブスターとアラビカならアラビカしか飲みたくないだろ、ロブスターなんてカサ増しよ���カサ増し、という暴言をカマスほどの中産階級ザ庶民代表。なんと、ハンブルグではコーヒーは、中間輸入業者として重要なコモディティだったので、コーヒー豆は女性達が一粒一粒、手で選別していたらしい。右上の白黒写真は、女性達がコーヒー豆を選別している所。旦那が港湾労働している間、妻はコーヒー豆選別という構図だ。大阪の堺の博物館で見たのだが、江戸時代にでさえ、日本では漢方薬原料の選別に用いる木枠を発明していたのに。。。ドイツ人ってアホ。っつーか、人間を人間とも見なさない習慣は、何もユダヤ人迫害で露呈したのではなく、ドイツ人同士でもやっていたのね。。。道理で、世界の天才ワシの事も腐ったバナナ扱いするわけだ。なーんてね。ガハハ。色々と勉強になった。
しかし、もう帰国が目の前の今、色々と博物館に行くので良かった。こんな事を着任前に知っていたら、もうこちらで出くわした事、数々のイヂメや嫌がらせにヘドが出て、さっさと任期満了前に逃げ帰っていただろう。まぁ実際、お休み毎に逃げ帰ってはいましたが。。。そうでもしないと精神的に持たない街ですな。ハンブルグは。
スパイス博物館は御愛嬌。カンボジアの胡椒が胡椒のシャンパンと呼ばれているとか、胡椒の実が成る軸の部分でさえ輸入して胡椒代わりに使っているとか、中国からは乾燥生姜を大量に輸入していたとか、ここでも、ハンブルグと中国の昔からの蜜月振りを味わう。ごちそうさまでした。
帰りに、今まで一度も入れず、予約無いのに何来ているの?あんたバカ⁇扱いをする、高慢ちきなカフェ・ド・パリに何気なく寄ってみると、なんと、すんなりと通してくれた。第二次大戦中の爆撃を逃れたので戦前の雰囲気を残す室内とおフランス料理を売りにしている。今日のケーキは何あるか?とドイツ語で聞くと、色々と言ってくる。ワシ、頭の中が大混乱。ドイツ語分かるけど、もう言われた矢先からケーキの名前は忘却し、どんなケーキなのかしか分からない。ドイツ語でレモンタルトが言えなかったので、タルト・オ・シトロン、シルヴプレざーますと、あまりにも気取っている店員にムカついてフランス語喋ってやると、ドギマギして英語で応えてくる。アホか、こいつら。ドイツ語片言だからって、ワシを舐めんなよー!と思っていると、感じの良い若いケルナリン(ウェイトレスのドイツ語)が給仕担当になってくれた。可愛い女の子なので全て許す。
黄昏時の港湾と、その名も「木綿(Baumwall)」という駅。後ろにそびえるのはミヒャエル教会。ミヒャエル教会を見て、咄嗟にコックのミヒャエル君と彼女のレベッカを思い出し、一報入れておく。あぁ。観光って良い��。気楽で。
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話す──イスラエル・パレスチナ「敵」との対話
互いのナラティブを語り合う場を提供する非営利法人の取り組みも近年、広がりを見せている。先駆けとなったのは1994年に米カリフォルニア州で創設された「デジタル・ストーリーテリング・センター」(「ストーリー・センター」に改称)(STORYCENTER. n.d.)だ。「誰にでも語��べき物語がある」という視点から、「深く聴く、物語る」をモットーに少数派のエンパワメントなどを目指す(北出 ct al., 2021.p.128)。アイルランドで誕生し、全世界に広がる「Narrative4」も教育者や学生らがナラティブ交換をするためのノウハウを提供している(Narrative4. n.d.)。「ストーリー・テリングは究極の民主主義」と提唱するこの組織は、国境や境界、性別や民族、貧富の差を超えた語りの交換を目指す。その合い言葉は「今日のストーリーをシェアすれば、明日のストーリーを変えられる」だ。
2000年にデンマークの若者らが立ち上げた「ヒューマンライブラリー」は語り手を「本」、聞き手を「読者」と呼び、欧米諸国を中心に広がった。性的マイノリティや難民など主に少数派の人々が自らを「本」としてオルタナティブなナラティブを語る。「日本ヒューマンライブラリー学会」のホームページにはこのほか日本各地の大学や教育機関、市民団体やどでの同様の取り組みが紹介されている(北出 et al., 2021.p.144; 日本ヒューマンライブラリー学会. n.d.)。
イスラエルとパレスチナ間の紛争は75年間も続くが、1995年に創設された非政府組織(NGO)「和平へのイスラエル・パレスチナ遺族の会」(The Parents Cirele-Pamilies Forum = PCFF)は、互いのナラティブの交換を続けている(PCFF.n.d.)。
この会の代表メンバーたちは2003年6月に来日し、フォーラム「和平へ 憎しみを超えて」に参加した(朝日新聞社. 2003)。当時、現地は第2次インティファーダ(対イスラエル民衆蜂起)のまっただ中で、パレスチナのイスラム主義組織ハマスによる自爆テロやイスラエル軍による掃討作戦が続いていた。代表を務めるイツハク・フランケンタールさん(51)は冒頭のあいさつで、組織を立ち上げた経緯をこう語った。
「あれは1994年7月7日のことでした。長男のアリクがハマスによって誘拐され、殺されました。息子を失ってからと、その前とでは、私の人生というのは、全く違ったものになりました。イスラエルとパレスチナとの和解・和平を達成するために自分ができることはすべてやろうと決意しました。息子の死で7日間の喪に服しました。その時、訪ねてきた友人たちに私はこう言いました。パレスチナとの和平は絶対あるはずだ、と。友はこう言いました。パレスチナ人は人間ではない。敵だ。おまえの息子を殺したじゃないか、と。私は言い返しました。『我々とパレスチナの間に平和がないために息子は殺されたのだ。私はイスラエルとパレスチナの間に和解と平和を達成するために最善を尽くす』」
フランケンタールさんは図書館に通い、新聞情報などからイスラエル人の遺族422家族の名前や住所を調べ、手紙を書いた。44家族が彼の考え��賛同し、やがてその数は数百に膨らんだ。パレスチナ側にも数百人の遺族らを訪ね、活動の趣旨に賛同した210家族が参加した。2023年冬までに開かれた会合は500回以上を数える。
フォーラムのパレスチナ側代表はパレスチナ自治政府社会福祉省に勤務するリハブ・エサウィさんが務めた。イスラエル軍による攻撃で弟、婚約者、母、甥を失い、自身も4回投獄されて復讐を誓ったこともあった。だがその後、フランケンタールさんと出会った。
「彼らの活動を見て自分の居場所はここだ、自分も何か貢献できるのではないかと思いました。以来、和解と平和を目指して自分がすべてをなげうって会の活動を支えてきました。我々の力はささやかなものでしょうが、いつしかこの状況を変えられるかもしれません」
過去の「遺族の会」ではハプニングも起きた。
兵役を終えたある大学生が参加し、その場で告白した。「ガザ地区で任務に当たっていた時に、ひとりのパレスチナ人を殺してしまいました。4、5年前です。それ以来、眠れなくなりました。」するとパレスチナ人の母親が立ち上がり「この人殺し。私の息子を殺したんだろう」と叫んだ。フランケンタールさんは駆け寄り、「あなたの息子さんを殺した人を私がここに連れてくると思いますか」と語りかけた。互いのナラティブに耳を傾ける2日間のプログラムが終了すると、この母親は学生にこう話したという。「私は、あなたを私の息子にしたい」。フランケンタールさんはフォーラムで当時を振り返った。
「これなんです。我々がやっていることは。たやすいことではありません。実に難しい。それぞれが国を愛するがゆえにやっているのです。私は息子を失いましたが、恐怖感も、憎しみもなく、和解を実現したいだけです。双方のすべての人がそんな境地になれるはずだし、そうなってほしいのです」
フォーラムでは、防衛大学校教授(当時)の立山良司さんが基調講演者をした。立山さんは長年、イスラエル・パレスチナ間の紛争解決にさまざまな場面で尽力してきた。フォーラムの開催から20年を経たいま、イスラエルではかつてないほと極右の政権が誕生し、和平への道はかたく閉ざされたままだ。それでも双方の遺族がナラティブ交換の場を持ち続ける意味はあるのだろうか。私の質問に立山さんは、「相手も普通の人間なのだということが分かる。それだけでも意義があると思います」と答えた。
市民と市民がひざを交えて語り合う。それはいわば、ボトムアップの和平への取り組みだが、国際社会では政治的な「トップダウン」の和平交渉にばかり重心が置かれやすい。
だがそれだけでは本当に持続可能な和平は実現しない。
1995年11月にイスラエルで起きた暗殺事件はそれを裏付けるものだった。パレスチナ国家樹立を目指す「オスロ合意」が締結��れた2年後、イスラエルのラビン首相がユダヤ教過激派の青年に暗殺された。当時のイスラエル国内には、「パレスチナ国家の建設なんでとんでもない」といった反感や憎悪が漂っていた。
事件を機に和平への機運は一気にしぼみ、四半世紀以上経った今も回復していない。ボトムアップのアプローチを軽視したトップダウンの1本打法では、和平は1ミリたりとも前進しないのではないか。私の問いに、立山さんはこう語った。
「ハマスのナラティブにしろ、ユダヤ教過激派のナラティブにしろ、相手を悪魔化するというか、そういう扇動、洗脳といったものが、互いに相手を知らないと、市民の間で受け入れられたり拡大したりしてしまう。そういう言説、ナラティブは政治的な和平の進歩があってもそれを内側から掘り崩してしまう。ラビン首相を暗殺したのは非常に過激な宗教的なナラティブだった。ああいう過激なナラティブを生まない、生まれても社会がある程度コントロール下に置けるような状況ができていないと和平交渉は進まない。相手の考えることが分かるようになっていれば、和解はより可能になる」
東京学芸大学名誉教授の野口裕二さんは「対立」とナラティブの関係性についてこう述べている(野口. 2009b.p.275)。
「われわれは、『対立』や『問題』に出会うとどうしたら『解決』できるかをすぐに考えてしまう。そして、そのためには、問題の構造と原因を客観的に分析することが何よりも重要と考え、事態を『三人称の主語』で記述しようとする。このとき、『一人称の主語』の物語は周辺へと追いやられ、語られないままに終わるか、語られても聴かれないままに終わる。しかし、『対立』や『問題』は客観的な原因だけでできあがっているわけではない。そこにはさまざまな『物語』が絡まりあっている。したがって、われわれはまず、それぞれの『物語』を互いに『理解』しあうことから始める必要がある。ひとつの『正解』を発見することを目標にするのではなく、差異や多様性を『理解』すること、そこから『和解の物語』や『希望の物語』へとつながる道が見えてくる」
『人を動かすナラティブ──なぜ、あの「語り」に惑わされるのか』 大治朋子 著 毎日新聞出版 2023年6月30日発行
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いかに経済的繁栄を共有するか ダロン・アセモグル MIT経済学教授 FA
民主的資本主義体制の下
バルダンとマーチン・ウルフの比較
バルダン
社会格差からの「不安」。
ベーシックインカムで格差トレンドを変更等。
ウルフ
社会的セーフティネットワークの強化と「より良い」雇用への投資。
①公正な経済成長を実現し、②政治腐敗を管理し、③大企業の過剰な権利の抑制が必要
民主的資本主義の危機を、民主主義の終焉としないための方策は存在する。(と信じる的な。)
・民主的資本主義の危機
マーティン・ウルフ
「民主的資本主義の危機」
この機能不全の根本原因は資本主義とリベラルなデモクラシーの関係が破綻している事
プラナブ・バルダン
「不安に覆われた世界」
世界を苦しめているの病は、格差ではなく、不安という視点から理解すべき。
両者共、問題は、制度が市民のためにうまく機能しなかったことで、その逆ではない。
・何が停滞と衰退を引き起こしているか
バルダン
格差からの経済的不安
ウルフ
この50年で欧米が実践するようになった特有の民主主義、つまり、貧困層や労働者階級の問題に目を向けなくなった『新自由主義的』システムの構造的弱点に焦点。
新自由主義
労働者の利益よりも資本家の利益を優先する政策の導入
この変化が全ての人の利益になるとの主張のもと。
実際は、社会の底辺にいる人々はコストを押し付けられるだけ。
しかも、政治が取り残された人々に対するセーフティーネットの強化を怠る。
ウルフ
「繁栄を共有するシステムの崩壊」と「民主主義の危機」が密接に結びついている事を正しく指摘。
アメリカ
第二次世界大戦から1980年まで格差も全般的に縮小。
だが、1980年以降、実質賃金は大学院や専門スキルを持つ労働者の間では上昇したが、高卒のみ、あるいは学位を持っていない労働者、特にそうした男性労働者の所得は停滞するか、低下した。
・なぜ機能不全に陥ったか
ウルフは民主主義の病に対する大枠の分析を示すことは避けているが、その主要な原因の一つが『民主的市民性』の喪失にあることを認識している。
民主的市民性
「民主主義を機能させるには、市民たちは自分たちのコミュニティや制度に対して責任を果たさなければならない」という歴史的な考え。
20世紀後半の欧米の民主主義は、市民の義務から切り離されるようになった。
大衆は民主的な権力を行使する様に促される一方で、他者の利益のために貢献することは無くなった。
『権利と義務の遮断。』
しかし、民主主義の衰退を促したのは、新保守主義者や右派政治家だけではなかった。
ウルフが強調する様に、左派やリベラル中道派の多くも、それが、市民権や民主主義をどの様に変化させるか考慮することなく、先進国へのより開かれた移民の受け入れを求めた。
多くの移民が受け入れ国の基本的な価値や権利、例えば、(特定の)宗教を風刺する自由を否定すれば、デンマークやフランスでそうなったように、「移民は社会契約の本質を損なっている」とみなされるかもしれない。
異なる構成員が共和国の本質について基本的考えを共有できなければ、民主主義が機能するのは難しくなる。
さらにウルフは文化的変容のもう一つの側面、つまり、実力主義への過大評価が、欧米の貧しい労働者の不安をいかに高めているか触れている。
取り残された人々の多くが「苦境にある人々を自業自得と切り捨てるような実力主義」を内包する民主的制度を否定しても不思議ではない。
・信頼の失墜
広範な信頼の低下を指摘する専門家もいる。
民主国家の多くの人は、自分を共同体のメンバーと自覚しなくなり、同胞をアウトサイダー、対立する集団の一人と見做す様になった。
政府に対する信頼の崩壊を、市民の問題と見ることもできる。
しかし、ウルフに主張は別の側面を持っている。
それは、国家の制度によって市民が切り捨てられたことだ。
新技術とグローバル化が引き起こす混乱に対する制度の構築が放置されてしまった。
さらに悪いことに、��うした政策の多くが、テクノクラート的・科学的に裏付けられた事実として提示されてしまった。
なぜ失望した人々が左派の代替案でなく、右派のポピュリストや権威主義に系統していったのか、理由ははっきりしない。
バルダンもウルフも、ナショナリズムの復活は民主主義の衰退の原因ではなく、結果だと考えている。
・選択肢はあるか
ウルフ
機会の平等の強化する一方で、福祉国家への投資を求めている。
「働ける人、働く用意のある人のためにのより良い仕事」を提供する。
バルダン
ベーシックインカム
しかし、ベーシックインカムはコストがかかるだけでなく、「社会に貢献しているという感覚」を人々に与えることができない。
歴史を通じてテクノロジーを誰が支配するかで、経済成長から得られる利益の分配は左右されてきた。
新技術の採用や採用のされ方の決定のプロセスに労働者を参加させなければならない。
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2024年9月9日に発売予定の翻訳書
9月9日(月)には13点の翻訳書が発売予定です。
第三風景宣言
ジル・クレマン/著 笠間直穂子/訳
共和国
誰もが別れる一日
ソ・ユミ/著 金みんじょん/訳 宮里綾羽/訳
明石書店
植物の不思議なちから
ヘマ・マテオス/著 山本朝子/翻訳
グラフィック社
アンティークアナトミータロット : リーディングガイド
クレア・グッドチャイルド/著 伊泉龍一/監修 みつじまちこ/翻訳
毎週編みたい靴下52足
レイネ・パブリッシング/著 西村知子/翻訳
解剖学者全史 : 学者とその書物でたどる5千年の歴史
コリン・ソールター/著 布施英利/監修 小林もり子/翻訳
概説 グルントヴィ : 近代デンマークの礎を築いた「国父」、その思想と生涯
アナス・ホルム/著 小池直人/翻訳 坂口緑/翻訳 佐藤裕紀/翻訳 原��亜紀子/翻訳
花伝社
未来のアラブ人4 : 中東の子ども時代(1987―1992)
リアド・サトゥフ/著 鵜野孝紀/翻訳
花伝社
完訳 ビーグル号航海記 下
チャールズ・R.ダーウィン/著 荒俣宏/翻訳
平凡社
新訳 モンテ・クリスト伯 3
アレクサンドル・デュマ/著 西永良成/翻訳
平凡社
建築書の解剖学
アンドレ・タヴァレス/著 千代章一郎/翻訳
鹿島出版会
Investment Banking Workbook 投資銀行業務の演習問題集
ジョシュア・ローゼンバウム/著 ジョシュア・パール/著 ジョセフ・ガスパロ/著 森生明/翻訳 木内さと子/翻訳
翔泳社
公爵家の図書係の正体
サマンサ・ラーセン/著 吉野山早苗/翻訳
原書房
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首都の立地、考えだすと楽しいよね……昔そこは国土の中心だった:コペンハーゲン(デンマーク)デンマークといえば、みんな大好き「(植民地とかではない)メインの領土が大陸にあるのに首都が島にある」2か国のうちの1つだけど(もう1つは赤道ギニア)、確かに「現在の」地図を見れば、首都コペンハーゲンはずいぶんと端っこにあるように見える。だが、コペンハーゲンはもともと国土の中心にあった。現在のスウェーデン南部スコーネ地方はもともとデンマーク領だったが、17世紀に戦争でスウェーデンに奪われたのだ。つまりコペンハーゲンは、ユラン半島とスカンディナヴィア半島南端部というメインの2つの領土をつなぐ、ちょうど真ん中の位置にあったことになる。仮に東北地方がソ連に奪われていたら、東京はずいぶん国土の端っこにあるように見えるのではないだろうか。昔そこは国土の中心だった:ソウル(韓国)言うまでもないだろう。仮に将来南北統一が実現したら、ソウルは統一コリアのど真ん中に位置することになる。昔そこは国土の中心だった:ワシントンDC(アメリカ合衆国)これも言うまでもない。独立当時のアメリカは東部の13州しかなかった。13州のうちの北部と南部のあいだの妥協案として南部に新しい首都が作られたが、地図を見ると、まあ、「真ん中よりちょっと南」の立地と評価できるのではなかろうか。そこが国土の中心になるはずだった:ソフィア(ブルガリア)ソフィアはずいぶんと国土の西側に偏っているが、本来はそこが国土の中心になるはずだった。20世紀の初頭、オスマン帝国領バルカンに残されたマケドニア地方を周辺の3カ国が虎視眈々と狙っていた。セルビア語とブルガリア語の中間のような言葉を話すその地の住民を、セルビアはセルビア人と呼び、ブルガリアはブルガリア人と見做し、ギリシャはスラブ化したギリシャ人の裔であると主張した。二度のバルカン戦争を経て、その地方は主にセルビアとギリシャの間で分割される(このオスマン領マケドニアのうち、セルビア領になった部分が現在の北マケドニア共和国)。……そう、ブルガリアはマケドニアという果実を得られなかったのだ。仮に幻の「大ブルガリア」が実現していれば、ソフィアは「大ブルガリア」の中心部に位置することになっていただろう。中間を取った……ただし、二大都市の:キャンベラ(オーストラリア)オーストラリアはもともと1つの国だったわけではなく、オーストラリア大陸に作られたいくつもの植民地が寄り集まって独立した国だ。独立するときに二大都市のシドニーとメルボルンのどっちを首都にするかでモメたので、その2都市の間に新しい首都を建設することにした。つまり、国土の中心ではないが、二大都市の中間に首都があるということだ。まあ、オーストラリアの文字通りの中心、人住めなさそうだもんね……首都が中心になるように国土を切り取った:パナマシティ(パナマ)交通に便利なパナマ地峡に街(パナマシティ)が作られる→交通に便利すぎて街のそばに運河が作られる→アメ公が大西洋と太平洋をつなぐ運河の支配権を欲しがる→運河地帯の住民による独立運動を煽ってコロンビアから独立させる、という経緯で作られたのがパナマ共和国。つまり首都のまわりが国土になるように切り取られた国なので、国土の真ん中に首都があるのは当たり前なのだ。中心にある都市が首都になれなかった:ブラチスラバ(スロバキア)ブラチスラバは国土の端っこにあり、立地的にはほぼウィーンである。スロバキアというのは、元々「ハンガリー王国北部でスラブ系言語を話す人たちが集住しているところ」に過ぎず、伝統的な行政区画を持っていなかった(これは「オーストリア側でスラブ語話者がいっぱい住んでるところ」に過ぎなかったスロベニアと同じ。この2つの国名が似ているのは偶然ではなく、両方とも「クロアチア」みたいに伝統的な地域名を持っていなかったので、それぞれが「スラブ人の土地」と名乗った結果なのだ)。それが第一次世界大戦のドサマギでハンガリーから分離したわけだが、当然「どっからどこまでがスロバキアか」という合意があるわけではなかったので、チェコスロバキアとハンガリーによる実力での分捕り合戦になった。その中で、「大都市(当社比)だし交通の要衝だから、スラブ人率は低いけど占領しとこうぜ!」となって占領されたのがポジョニ、のちのブラチスラバである。ブラチスラバはあまりに「国際色」が強すぎたので(20世紀初頭の時点で人口の4割がドイツ語話者、4割がハンガリー語話者)、国土の中心にあってスロバキア民族運動の拠点でもあったマルティンにスロバキアの首都を遷そうぜ! という議論が戦間期に行われたのだけれど、結局ブラチスラバが首都として維持された(ところで日本語版ウィキペディア、マルティンの記事名が「マルチン」になってるな。確かにスロバキア語ではtiと綴ると「チ」と読むけど、Martinみたいな外来語の場合は「ティ」の音が維持されるんだよ!)。島国の首都ってどうなってるんだろうね・首都が国土中央に来る国は『大陸の端の方で2方向以上で海に面している』か『大きすぎない島国』に多いかも?島国といっても、メインの島が1つなのか、複数なのかでだいぶ違ってくる。というのは、小さな島がたくさんある国だと、まずもって「国土の中心かどうか」というよりも「島のデカさ」で首都が決まることがありえるからだ。そりゃ、真ん中にある小島よりも、端っこにある大きな島に首都置きたいよね……典型的にはトンガとかがそうで、南端にあるトンガタプ島のヌクアロファに首都が置かれている。あるいは、「大きな島+小さな島」の組み合わせでできている国は、たいてい大きな島の方に首都がある。バレッタ(マルタ)とか、バセテール(セントクリストファー・ネイビス)とか、セントジョンズ(アンティグア・バーブーダ)とか、ポートオブスペイン(トリニダード・トバゴ)とか……(元増田が挙げてるニュージーランドは例外)では、メインの島が1つしかない国はどうだろう? これなら「国土の中心」も定義しやすい……あれ、意外と首都の位置偏ってんな。元増田が挙げてるアンタナナリブ(マダガスカル。ちなみにマダガスカル語ではoと綴ってuと読むので「アンタナナリボ」は間違い)は確かに真ん中ら辺にあるし、ダブリン(アイルランド)やダグラス(マン島)やディリ(東ティモール)やアロフィ(ニウエ)やポートルイス(モーリシャス)やスリジャヤワルダナプラコッテ(スリランカ)もギリギリ真ん中辺りと言えるかもしれないけど、台北(台湾)もハバナ(キューバ)もキングストン(ジャマイカ)もレイキャビーク(アイスランド)もマナーマ(バーレーン)もヌーク(グリーンランド)もヤレン(ナウル)も島の端っこの方にあるな……首里、沖縄本島の中心都市として見ると南すぎるけど、奄美~先島までの琉球王国の首都として考えると割と中心に近くて草。やっぱり自分なりのファンタジー世界を作るときって首都の立地はよくよく考えますよね。ここは盆地で長らく中央集権国家だったから真ん中に首都があるやろとか、端っこの部族が全土を統一したから首都は端っこにあるんだよとか、東部は原生林が多いから人口の多い都市は西部に偏ってるんだよとか、港町を中心に発展したんだよとか、そういうことを地図描きながら妄想するだけですごい楽しい……だから元の「首都が国土の中央部にないのはおかしい」っていうツッコミは全然理解できないっていうか、変な形の国作って変な場所に首都置くのが楽しいんやんけ、となってしまうよね……
首都の立地、考えだすと楽しいよね…… 昔そこは国土の中心だった:コペン..
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映画『キングダム』シーズン2
ラース・フォン・トリアー監督が撮った伝説のテレビドラマ『キングダム』のセカンドシーズンをU-Nextで見ました。
ファーストシーズンの放送が1994年。セカンドシーズンのそれは1997年。視聴者は3年も待ったのですね。でも、3年も経って細部を覚えていたのかな。
セカンドシーズンはファーストシーズンに輪をかけてナンセンス度が増しています。
ファーストシーズンの最後に生まれた赤ん坊は頭は成人男性ですが、体は乳児。でも驚くべき速さで体が大きくなり、このままでは骨が体の成長を支えきれなくなり、長くは生きられないと言われます。
しかも驚くべきことに知能は成人並みで言葉もしゃべります。
こんなことがあれば病院内は大騒ぎになりそうなものですが、そうはなりません。医者は「まれに起こることだ」、「16億人に一人の割合で起きる」と平然としています。
一方、嫌われ者のヘルマー医師は、ことあるごとに自分と対立する若い医師クロウスホイをゾンビにする(?!)ためにわざわざハイチへ行って手に入れたゾンビパウダーをコーヒーに混ぜて飲ませます。
クロウスホイは手術中に倒れ死んでしまいますが、火葬直前に生き返ります。
えーっと、そんなことがあれば病院内は大騒ぎになりそうなものですが、そうはなりません。クロウスホイは当たり前のように仕事に復帰します。
霊能力のある老婆ドルッセ夫人は無事退院となりますが、病院の入り口を出た途端、自動車事故に遭遇し再入院。夫人はファーストシーズンの終わりで病院内を彷徨っていた少女マリーの霊をあの世に送ったはずですが、病院内にはま��多くの霊がいます。
夫人は霊と対話をしようとしますが、悪霊というか悪魔というか、まあそういうものが現れて失敗。たまたま悪霊祓いの棒(?)を持ってきた病院付きの神父が殺されてしまいます。
えーっと、そんなことがあれば病院内は大騒ぎになりそうなものですが、そうはなりません。そういう病院なんだ、そういう世界のお話なんだと思うしかないですね。
ファーストシーズンでは幽霊救急車というのかな、病院に救急車が来るのだけれど迎えに出ると救急車はどこにもないという事態が続いていましたが、それに関する種明かしもあります。
実はファルコンというコード・ネーム(?)の男が救急車に乗って指定された時間内に病院にたどり着けるかどうか病院の教職員たちが賭けをしていたのです。
ところがあるときファルコンは途中他の車にぶつかり、運転手に重傷を負わせてしまいます。翌日、ファルコンが怯えてもう運転できなくなったので、若い医学生が代わりに運転します。付き合っている女医学生に退屈な男だと思われるのが嫌で、いいところを見せようとしたわけですが、医学生は見事成功します。
個人的に好きだったのは、ヘルマーの上司である医師長の物語です。いろいろあって精神的に疲れてしまった医師長は、病院の地下階で無許可で診察している怪しげなーーどう見ても怪しげなーー精神科医にかかることにするのですが、そもそも病院内で精神科医が勝手に無許可で診察しているなんてことあり得ますか。
しかし、そのおかげで医師長は元気を取り戻し、思春期の少年のようにポルノ雑誌を読んだり、大人のおもちゃを買い込んだりします。
医師長がペニスを模したおもちゃを無意識に持ったまま、用事を思い出して女医に語りかけ、あっと気がついておもちゃを隠すために布の衝立に隠れるけれど、医師長が勃起した自分の性器を露出しているかのようなシルエットが写ってしまう場面は大笑いさせられました。
医師長は女医に気づかれていないと思って「ちょっと話があるんだ。私の部屋まで来てくれないか」と言うのですが、女医は呆れて向こうへ行ってしまいます。
医師長の息子で医学生のモッゲ(ファーストシーズンで解剖用の遺体の首を切り取った人物です)は、医師の資格試験の口頭試験の試験官が嫌われ者のヘルマーだと知り、ひたすらヘルマーに媚を売ります。
モッゲはヘルマーの医療ミスの証拠となる書類が倉庫に隠してあることをクロウスホイから聞き出し、ヘルマーに教えます。ヘルマーは書類倉庫の警報装置を解除して、中に入り書類を取りますが、ちょうどそこへクロウスホイが現れ、ヘルマーの邪魔をしようとします。慌てたモッゲは倉庫のドアを閉めてしまい、警報装置が再びかかってしまいます。
この警報装置は倉庫内で動くものがあればすぐに警報が鳴るというもののようで、閉じ込められたヘルマーとクロウスホイは睨み合ったまま動くことができません。
文章で書くとおかしさが伝わりませんが、この場面も爆笑ポイント(?)でした。
ファーストシーズン同様、ラスト近くでは様々な出来事が一斉に起こります。霊感老人ドルッセ夫人は天啓を得て、息子と一緒に息子の同僚が操縦するセスナ機に乗り病院を空から眺めます(息子の同僚は操縦免許は持っていませんが、病院内の「飛行クラブ」に入っているので操縦できるそうです)。
セスナ機は悪霊によって墜落しそうになります(尾翼が落ちて嫌われ者のヘルマーの修理仕立てのボルボを直撃するのも爆笑ポイントです)が、ドルッセ夫人の祈りに応じてやってきた霊たちの力で助かります。
頭が成人男性の赤子を産んだ女医は、赤子に依頼されて治療器具をはずし安楽死させます。
ファルコンの代わりに救急車を運転する若い医学生はフロントガラスをわざと曇らせたまま時間内に病院に着けるかどうかの賭けをします。ふと気がつくと後ろに見知らぬ老人が乗っているので「誰だ?」と尋ねると、老人は「死神だ。今夜は忙しくなるぞ」と答えます。
一方、同じく医学生のモッゲは救急車に乗っている医学生の恋人といい感じになり、一緒に車で出かけます。
彼らが乗った自動車が医学生の乗った救急車と正面衝突し、それと同時に病院内が停電するところでセカンドシーズンはおしまい。
論理も合理もへったくれもなく、ただ思いつきでメチャクチャなことをしているように思えますが、メチャクチャなことをするにも才能が要ります。
なんでもいいからメチャクチャなものを作ってくださいと言われても困ってしまう人が多いでしょうし、既成の型にはめてしまう人が多いでしょう。
おかしな言い方かもしれませんが、ここまでメチャクチャなことができるというのは、一つの才能だと思います。
この後ラース・フォン・トリアーとしては当然サードシーズンを作る予定だったはずですが、主要キャストのうち五人が亡くなってしまった(一人は私が大好きな嫌われ者の医師ヘルマーを演じたエルンスト・フーゴ・イエアゴーだそうです。残念。他の四人は誰なんだろう)ためテレビ局がサードシーズンの制作を断念したとか。
で、結局それから四半世紀が経って誰もが忘れていた頃の2022年にサードシーズン「エクソダス」が制作・放映されることになったわけですね。
なるほど……絶対サードシーズンも見なきゃ。
まあサードシーズンで物語がきちんと完結するかどうかはわかりませんが、それはまた別のお話です。
追記: 『キングダム』セカンドシーズンには名場面(迷場面?)、名セリフ(迷セリフ)が数多くあります。 精神を病みかけている医師長が息子の医学生モッゲに「お前はお前の父親が打ちひしがれ混乱していると言われても信じないだろう。でもそれが今の私だ」と言うのや、ゾンビを作るにはゾンビパウダーだけでは足りない、死体になった相手に第二の薬を飲まさねばならないと言われたヘルマーがクロウスホイの遺体を探して回り、したい安置所の係の職員に解剖済みの死体を見せられ、「デンマーク語には死の定義は一つしかない。しかし私が生まれ育ったスウェーデンでは死体は2種類ある。死んでいるのとよく死んでいるのだ。これはよく死んでいる死体だ」と言うのは名セリフだなと思いました。 医師長に「健康かどうかは排泄物でわかる。排泄物が浮いていれば健康、沈んでいれば不健康だ」と言われたヘルマーが便器を覗き込んで何やらひとりごとを言う場面が何度も繰り返されるのも、私は好きでした。
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キルケゴール (1846)『現代の批判』
この「現代」というのは、19世紀半ばのデンマークのことを指しますが、これは21世紀という現代にも通用する批判でもあります。
曰く、現代は情熱を失った分別と反省の時代である。束の間の感激にぱっと燃え上がることがあっても、やがて小賢しく無感動な状態に収まる。妬みこそが現代人の統一原理であり、行動する者を愚かで滑稽だと嘲笑い、感動や行動をしない我らこそ賢明であると分別顔で互いを称賛し合う。内面性の欠落した現代人は、善でもなければ悪ですらない曖昧さに身を置き、��晴らしだけを求め、人生は空虚なおしゃべりの連続に貫かれる。彼らが最も恐れるのは���自分勝手なことをしやがって」という審判であり、すべては世間様によって水平化され、誰しも一人ではなにも決断することができない。
キルケゴールはかくの如く「意味もなくニヤニヤと冷笑をもらすほかなんら深い印象を受け取らない」者どもを、徹底的に批判します。彼の魅力は、その皮肉の効いたレトリックにこそあり、上記はその魅力を百分の一に薄めた要約に過ぎないので、もしなにか思うところがあるなら、実際に手に取って読んでみることをお勧めします。
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☆プロトタイプ版☆ ひとみに映る影シーズン3 第〇話「ここを楽園とする」
☆プロトタイプ版☆ こちらは無料公開のプロトタイプ版となります。 段落とか誤字とか色々とグッチャグチャなのでご了承下さい。
→→→☆書籍版発売までは既刊二巻を要チェック!☆←←←
(シーズン3あらすじ) 謎の悪霊に襲われて身体を乗っ取られた私は、 観世音菩薩様の試練を受けて記憶を取り戻した。 私はファッションモデルの紅一美、 そして数々の悪霊と戦ってきた憤怒の戦士ワヤン不動だ! ついに宿敵、金剛有明団の本拠地を見つけた私達。 だけどそこで見たものは、悲しくて無情な物語…… 全ての笑顔を守るため、いま憤怒の炎が天を衝く!!
pixiv版 (※内容は一緒です。)
དང་པོ་
宇宙から三度目のカオスコロルが飛来した場所は、アイスランド、ラキ火山の麓にある小さな山村。偉大な魔女グリーダと、古代から語り継がれたルーンの魔術を生活の中心とする昔ながらの集落だった。そこに降り注いだ外宇宙からの色彩を、村人は家族として迎え入れた。 当時は十七世紀、ヨーロッパ全土で魔女裁判が行われ、魔女や魔法使いと認定された人々が無条件に処刑されていた『魔女狩り』の時代だ。しかし土着信仰が強く残っていたアイスランドでは、そもそも魔術の告発が他のヨーロッパ諸国と比べて極端に少なかった。また、時には本物の魔術を使って刑の執行を免れる強力な魔術師もいたという。 そのような背景があり、当時アイスランドを領地として支配していたデンマークは面目が立たなかったのだろう。デンマーク国王は霊能者や聖職者を中心とした対魔法軍を結成し、アイスランドで最も強大な魔女といわれるグリーダを討ち取ろうと決意した。一六八三年の出来事だった。
གཉིས་པ་
「グリーダ、大変だ! 集落が燃えてます……グリーダ?」 息を切らしたロフターが帰宅すると、家には誰もいなかった。彼はすぐに全知全脳の力で状況を読み解く。 「おいおいおい……魔女狩りですって? 一神教のお膝元ならいざ知らず、こんな未だにヴァイキングと同じような生活している田舎でですかい」 主人の痕跡を辿って村の広場へ向かったロフターは愕然とした。おびただしい数の十字架と、そこに吊るされて火炙りにされる村人達。その全体は魔法陣の形に並んでおり、強大な結界を作っていた。 「グリーダ!」 結界の中心には、巨大な杭で全身を貫かれ絶命している魔女グリーダ。その血は地面に流れず、彼女の頭上にある油壷へドクドクと昇っていく。大勢の村人の命を使った強力な魔術により、魔女の生きた痕跡は一滴もこの地に残さない。今後復讐や天災が起きるのを予防するためだろう。 「二足歩行の喋る猫だと? 魔女の使い魔だ、捕らえろ!」 「なんで、なんでだよ! この村は何もしてないだろ、あんたらには関係ないだろぉ!?」 あらゆる魔法へ対策した聖職者達に押さえつけられながら、ロフターは結界内に入ろうと必死で��掻く。 「関係ないものか。世界は父なる創造主のもと平等であり、何人たりとも神秘に触れてはならない。我らの領土に野蛮な魔法を扱う村があるだけで大迷惑なんだよ! オラッ、とっととくたばれ畜生が!」 「うぐっ……」 ロフターの背中に祈祷済の杭が打ちつけられる! それはあらゆる魔物を二度と復活させることなく葬る代物だ。 「……は、ははは……異教徒は、だめかよ。魔女と平和に暮らしてちゃ、だめ、なの、かよ……」 しかし実のところ、魔法使いではなく全知全脳……物理的に全細胞を意のままにできる彼にそれは効果がなかった。それでもロフターは、一度やられた振りをして絶命してみせた。
གཉིས་པ་
やがて焼野原から復興した村の姿は一変し、教会を中心としたデンマーク人居住区になった。活気づいた村は貿易や経済活動の拠点となり、多くの人々が行き交うようになっていた。そして、あの魔女狩りから丁度百年が経過したあの日…… 「うわああぁ、火山が! 火山が噴火したぞおおぉ!!」 「みんな逃げろーーーっ!」 一七八三年。ラキ火山が大噴火を起こし、大量の溶岩と火山灰で都市を瞬く間に飲み込んだ。大勢の命が燃えていく中、この都市を先住民から奪い取ったあの聖職者一族は教会に立てこもり、周囲で死んでいく人々の魂を基にした結界で噴火をやり過ごそうとした。 「ああ、主よ、神よ! 我らを守り給え!」 すると、固く施錠したはずの扉が突然開く。 「ほぉ。またまた死んだ人の魂で身を守ろうとしているんですね。人間は神秘の力を使っちゃダメなんて言ってたの、どこのどいつですかい?」 現れたのは、虎よりも大きな二足歩行の猫。黒いローブをマントのように羽織り、ぴんと立った耳と耳の間に三角帽を縦に被っている。右手には異様に大きなダイヤモンドのついた箒、左手には人皮と歪なダイヤモンドを縫い合わせた装丁の魔導書。これらは全て……魔女グリーダの遺品や遺体、遺骨でできた物だ。 「あんたらね。主よ、神よ! ……なーんて言うクセに、創造主がどんな存在か知らないんでしょう? まあ、見た人間は死ぬんですけどね」 「な、なんだ貴様は!? 化け猫如きが主の御名を語るな!」 「僕ですか? 僕は……」 猫が箒を振ると、ダイヤモンドが玉虫色の輝きを発して中空にルーンを描いた。輝きは教会の壁をスクリーンのように使い、人類が発狂しない程度の情報量で人類とカオスコロルの歴史を照射した。 「なっ……なっ……!?」 「おぅどうだ? 僕もあんたらが大好きな『神の子』だぞ」 自分達が指標にしてきた主は宇宙人。自分達が信じていた神は異形。たったそれだけの真実で、教会内に立てこもっていた全員が絶望し、聖なる結界は崩壊した。 「うははははは! まさに神は死んだってやつだ! あんたら神神言っときながらアレが何かも知らねぇくせに、異端ってだけでどうしてグリーダが殺されなきゃならなかったんだ! わはははははは!!」 そして全てが燃え尽き、都市だった物は跡形もなく崩れ落ちた。風に巻き上げられた煙や死者の煤は集まって黒煙の怪物となり、中途半端に燃えなかった教会の死体は不気味に蠢くカビ菌に生まれ変わった。その虚無に包まれた地で、猫は叫ぶ。 「いいか人類、よく聞けぇ! 僕は金剛有明団を結成し、神の名のもとに蛮行を繰り返す貴様らに真実を教えてやる! 全人類が失った第六感を取り戻し、貴様らが神と呼ぶモノがいかに無意味な存在か見せつけてやる! それがこの星のあるべき姿。金剛の有明と共に訪れる、嘘も隠し事もない絶望の楽園……」 かくして金剛有明団と、人類文明最大の脅威……大魔神ロフターユールが爆誕した。 「……地球(ここ)を楽園アガルダとする!!」
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