#キルケゴール
Explore tagged Tumblr posts
Text
「そりゃそうだ」
そりゃね。そうだよ。なんにもしてないんだから。
そりゃね。そうだよ。じぶんかってなんだから。
そりゃね。そうだよ。やさしくしてないんだから。
そりゃね。そうだよ。じごうじとくってわけだよ。
そりゃね。そうだよ。もう、じぶんがいちばんわかってるんだよ。
すべてこうかいな
いきさ☻ま。
42 notes
·
View notes
Text
読み物はTheAtlanticからKierkegaard’s Three Ways to Live More Fully 人々が最も嫌うのは退屈すること。それを避けるには次々新しいことをするのではなく、一つのことを掘り下げれば良い。キルケゴールは実存は審美的、倫理的、宗教的の3段階を順次すすむというが、これをいろいろなことに応用できる
0 notes
Text
TEDにて
レナータ・サレーツル:選択に対する不健全な執着?
(詳しくご覧になりたい場合は上記リンクからどうぞ)
次々に直面する選択の機会に、私たちは、選択を間違えているのではと不安になったり、罪悪感を抱いたり、力が足りないことを悔やんだりしているようなマイナス面にとらわれています。
選択のイデオロギーは、選択肢も持っていない貧しい人にまで悪い影響を与えています。
しかし、哲学者のレナータ・サレーツルは問いかけます。個人の選択のせいで、私たちはより重要な、大きな枠組みである社会として考えることから目を背けていないでしょうか?
限られた人間以外は、欲にもとずいた理想的な選択などできないため(みんなできたら地球が何個あっても足りません)
見て見ぬ振りをする傾向が強化されてしまうような個人の合理的なイデオロギーの選択を深刻に考えるのはやめて、みんなで選択することを中心に据えようという大胆な要請です。
このポスト産業資本主義の時代において、選択というものは、個人の自由や自ら創り出すべきという考えと相まって理想にまで持ち上げられました。
これに加え、私たちは、進歩が永遠に続くと信じているところがあります。しかし、このイデオロギーには、マイナス面もあり、不安や罪悪感。自分には力が足りないという感覚や選択に失敗しているという感覚を増幅させています。
不幸にも、この個人の選択というイデオロギーのために、私たちは社会システム的な変化について考えられなくなっています。
どうやら、このイデオロギーは、政治や社会システムについて考える私たちの牙を抜くのに非常���有効だったようです。
社会システムを批判する代わりに、私たちは自己批判にどんどん力を注ぎ、時には、自暴自棄にまで至ってしまいます
何故、この選択のイデオロギーは、いまだに強力でさほど選択肢を持たない人々にまで影響するのでしょうか?
何故、貧しい人々でさえ、私たちが尊重する選択という、合理的とも言える概念をかなり身近に感じるのでしょうか?
選択のイデオロギーのお蔭で私たちは、未来を想像し思いを馳せるようになってしまっています。
私たちが、完全に理性的な選択をするのは「まれ」です。選択は、私たち自身の無意識や周りの人たちに影響されます(だから、事前分配、再分配が必要)私たちは、選択するに当たり、大抵、他の人が自分の選択をどう思うか考えています。
他の人の選択を見て、選択することもあります。また、社会システム的に容認される選択を気にしてもいます。
このため、私たちは、選択をし終わった後でさえ、たとえば、車を買った後も車のレビューを読み漁るのです。あたかも、自分の選択は正しかったと自分を納得させたいかのようです。
選択は不安を誘発します。選択はリスクや損失と関係しています。まったく、予測不可能です。このため人々は何一つ選べないという問題をますます抱えるようになっています。
選択は、リスクにつながるため不安を誘発します。
かの有名なデンマークの哲学者。セーレン・キルケゴールは、こう指摘しています
「不安は可能性のための可能性とつながっている」
現在の私たちは、こうしたリスクを防ぐことができると考えます。
市場分析はいくらでもあるし、将来の収益の予測も立ちます。市場というのは危険性や偶然性を含んでいるものですが、それですら、私たちは理性を持って予測できると思っています。
私たちが暮らす現代は、情報のあふれるビッグデータの時代です。人体に関する知識もたっぷりある時代です。
ヒトゲノムも解読しました。脳についても多くのことがわかっています。しかし、驚くべきことに、人々はこうした知識に対し、ますます目をつぶるようになってきています。
無知と否定が増大しています。現在の経済危機について、私たちが考えているのはこうです。ある朝、目覚めたらすべて元どおり、政治的変革も社会システム的変革も必要なし。
生態上の危機についても、今は何もしなくていい。あるいは、自分より先に誰かが行動すると思っています。
たとえば、福島原子力発電所での大惨事のように、生態上の危機が実際に起きても住む環境を変えない人がいます。同じ量の情報を与えられても、半分の人は放射能に不安を抱き、半分の人は無視するのです。
精神分析学者は、人々が意外にも知への情熱を持たず、無知への情熱を持っていることをよく知っています。
しかし、このような見て見ぬふりは、社会システムではあまり役に立ちません。私たちがどこへ向かっているのか?知らずにいれば、多くの社会システム的損害を引き起こすことになりかねません。
良い面もあるのですが、見て見ぬふりに加え、今日、私たちが直面しているのは、ある種の自明性の問題です。
フランスの哲学者。ルイ・アルチュセールはこう指摘しました。
「イデオロギーは、自明性のベールを作り出すという方法で機能している」
社会システム批判をする以前に、切実に求められるのは、この自明性のベールを剥がして別の角度から考え抜くことです。
私たちが、大切に思いがちな個人の合理的な選択のイデオロギーに話を戻すなら、まさに、今こそ!この自明性を取り除き、考え方を少し変える必要があります。
マーガレット・サッチャーは、ご存じのとおりこう言いました。
「社会などというものは存在しない」存在するのは、社会ではなく、個人とその家族だけなのです。
悲しいことに、この誤解されたイデオロギーは、いまだに非常によく機能しており、貧乏人が自らの貧困を恥じる理由となっています!!
重要なのでもう一度。
悲しいことに、この誤解されたイデオロギーは、いまだに非常によく機能しており、貧乏人が自らの貧困を恥じる理由となっています!!
私たちは、正しい選択をせず、その結果、成功しなかったという思い込みを持ち、ずっと罪悪感を抱えていくのでしょう。
私たちは、自分の力不足に不安を覚えます。だから、懸命に働き、長時間を職場で過ごし、また、長時間かけて自己改革をします。選択に不安を持つと私たちは選択する力をあっさり放棄してしまうことがあります。
何をすべきか指示してくれる権威ある者や自己啓発のセラピストに自分を重ねたり、選択に関して迷いを見せない訳知り顔の全体主義的な(ポピュリズムな)指導者を受け入れたりするのです。
選択は、常に変化と関連していることを忘れてはなりません。私たちは、個人の変化を起こせますが、社会システムの変化も起こせるのです。
大企業に支配されるのではなく、私たちが大企業を支配するという選択もできます。私たちは、変化を起こす可能性を持っています。庶民として、私たちにも将来どんな社会システムに住みたいか!再考する選択権があるのです。
情報技術の発展とインターネットで大企業の何十万、何百万単位から、facebook、Apple、Amazom、Google、Microsoftなどで数億単位で共同作業ができるようになりました。
現在、プラットフォーマー企業と呼ばれる法人は先進国の国家単位レベルに近づき欧米、日本、アジア、インドが協調すれば、中国の人口をも超越するかもしれません。
法人は潰れることを前提にした有限責任! 慈愛や基本的人権を根本とした社会システムの中の保護されなければならない小企業や個人レベルでは、違いますが・・・
(個人的なアイデア)
In the field of technology beyond the limits of human beings, it is less problematic to trickle down in the atom (analogue field) than in the bit (digital field) (there is also a rise in prices)
人間の限界を超えたテクノロジーの分野で、しかも、ビット(デジタル分野)よりもアトム(アナログ分野)でトリクルダウンする方が問題が少ないような気がします(物価上昇も含めて)
Alternatively, it may be necessary to supplement income policies such as the policy of income doubling plan of Japan, optimized execution in simultaneous artificial intelligence era is indispensable.
もしくは、日本の所得倍増計画の政策のような所得政策との補完、同時進行での人工知能時代に最適化した実行が不可欠かもしれません。
In the case of Japan, the difference between the Phillips curve from 2013 and the wage rise rate in the 1970s and 1980s has a policy of income doubling plan, so the latter will rise and the former will stagnate. Is there a solution to the wage increase rate still in the wage increase rate policy?
日本の場合、2013年からのフィリップス曲線と1970、1980年代の賃金上昇率の違いは所得倍増計画の政策があるから後者は上がり、前者は伸び悩む。賃金上昇率の解決策はやはり賃金上昇率政策にある?
The difference from the era of high economic growth is that the first-class enterprise monopoly company at the time 2017 is abusing the superior position, so it is necessary to construct and redistribute the large-scale retail store location law in the Internet age?
高度経済成長の時代と違いは、現在2017時点の一流企業独占企業が優越的地位の濫用をしてるため、インターネット時代の大規模小売店舗立地法構築、再分配が必要?
Current age of artificial intelligence. As other extended ideas such as MBS, REIT and ETF of effective monetary policy measures that began to be utilized after the financial crisis by the central bank, compensation other than options to raise taxes.
現在の人工知能時代。中央銀行による金融危機以降に活用し始めた有効な金融政策手段のMBS、REIT、ETFなどの他の拡張アイデアとして、賠償金をかける、税金アップ以外の選択肢。
In other words, central banks in each country actively purchase and forcibly buy industrial individual securities of platform companies that deflate goods other than the large public goods affecting low-income people who are currently de facto standards Support
つまり、いっそのこと現在デファクトスタンダードをとってる低所得者に影響大な公共財以外の財をデフレストリーム化させてるプラットフォーマー企業の産業個別の証券を各国の中央銀行が積極的に買取り、強制的に下支えして
Idea to stabilize price inflation by indirectly offsetting declines in prices by increasing the income of low-income earners by making profits on securities funded by basic income. Perhaps there is also the effect of increasing real GDP?
証券上の利益をベーシックインカムの原資にすることで低所得者の収入を増やし物価の下落を間接的に相殺させ物価を下支え安定化させるアイデア。もしかして、実質GDPも増加していく効果もあるかも?
In addition, central banks of neutral countries can improve redistribution function at basic income, as Plato says, it is possible to prevent the rise of populism which negatively falsifies dissatisfaction of the disparity which is the blind spot of ideal democratic politics maybe.
さらに、中立の各国の中央銀行がベーシックインカムで再分配機能を向上させることで、プラトンが言うように理想の民主政治の盲点である格差の不満を負に扇動していくポピュリズムの台頭を予防できるかもしれません。
In some ways, the information industry is also similar to credit markets.
情報産業はある意味、信用市場に似ているためもあります。
Do you eliminate current social security with introducing basic income protection? Such things are told. No, without losing, introduce basic income security introduction to the present social security and introduce it considering plusly.
ベーシックインカム保障導入で現在の社会保障をなくす?こういうことも言われている。否、無くさずに、現在の社会保障にベーシックインカム保障導入追加してプラス的に考慮して導入すればいい。
And Basic Income is the first full declaration of slavery released in human history that Lincoln could not have formed! Who can realize for the first time in the world? The competition of being an artificial intelligence era may also be important
そして、ベーシックインカムは、リンカーン大統領も成し得なかった人類史上初の完全な奴隷解放宣言!世界で誰が初めて実現できるか?という競争も人工知能時代には重要なことかもしれない
And the trickle-down theory is economic theory or economic thought that “if rich people are rich, wealth falls naturally to the poor (trickle down)”. It seems that there is a problem at present as one representative argument of Neoliberalism.
そして、トリクルダウン理論は、「富める者が富めば、貧しい者にも自然に富が滴り落ちる(トリクルダウンする)」とする経済理論または経済思想。新自由主義の代表的な主張の一つで現在は問題点があるみたいです。
The trickle-down theory is one of the representative claims of neo-liberalism and is frequently called in association with Reanomics, which is the economic policy of US President Ronald Reagan executed.
トリクルダウン理論は、新自由主義の代表的な主張の一つであり、実行したアメリカ大統領ロナルド・レーガンの経済政策であるレーガノミクスと関連付けて呼ばれることが多い。
Later, in an empirical study by OECD, the trickle-down theory has been found to expand the disparity of rich and poor from the low effect and greatly suppress economic growth.
その後、OECDによる実証研究で、トリクルダウン理論は効果の低さから貧富の格差の拡大し、経済成長を大幅に抑制することがわかっている。
続いて
マイケルサンデルは、メリトクラシー(能力主義)の陳腐さを警告し、諌め(いさめ)ています!
マイケルサンデルは、メリトクラシー(能力主義)の陳腐さを警告し、諌め(いさめ)ています!
マイケルサンデルは、メリトクラシー(能力主義)の陳腐さを警告し、諌め(いさめ)ています!
金融ビックバン日本版と言う社会実験から20年位!規制緩和でどれだけの死者が出たのか?
世界中でも一定数あるが、自殺者の比率が日本に突出してるのは、金融ビックバン日本版の生贄となってる可能性大。民放テレビ局で煽ってたから当時の局関係者も共犯者。
例えば、戦国時代の能力主義は、相手を殺傷することが多ければ能力が最高クラス。現代は?法律で禁止されていて能力は最低クラスになります。陳腐ですね。
第二次世界大戦みたいに命は落とさないが、現代の金融IT世界大戦は、脳や心を人工知能も登場したことで善性の方向にデザインしないと、さらに無限���焼きつくされる!!危険性があります。これが本質です。だから、個人の最低収入保障強化、基本的人権の強化がより重大になっていく。
金融ビックバン日本版の生贄となった自殺者(精神障害、トラウマ、うつなど)に対しての国家の責任として、欧米の無名戦士の墓、日本の靖国神社みたいに自殺者を供養する神社を創設するアイデアはどうだろうか?
この後、デフレスパイラルが同時多発!そして、歴史が証明してる人権侵害も同時多発!憲法違反!
行政府は、既存産業となったIT産業を慎重に、裏付けのあるデータに基づいて公正に規制する方向が善性に沿う!逆は、愚かと判明!
自由という概念を悪用するので簡単に言うと、自由権とは、18世紀のヨーロッパ市民革命、マグナカルタによってプロトコルを源にし言葉の定義を��めてから基本的人権の一つとして提唱されました。
憲法として日本にも導入されます!何でも自由に行うことではありません
人間の限界を超えた新産業に法のスピードが追いつかないから、極端な自由権や規制緩和と同じ効果なだけ!
過剰なデフレスパイラル競争になり、多様な賃金上昇環境が悪性になる。個人の最低収入保障強化、IT産業に特化した独占禁止法強化が必要と新型コロナウイルスで判明もした!
海外や国内IT企業などストーカーアルゴリズムを規制する現実的な法律案は、ストーカー規制法に付帯事項としてアルゴリズムやプログラムを追加する。
公人、有名人、俳優、著名人は知名度と言う概念での優越的地位の乱用を防止するため徹底追跡可能にしておくこと。
そうすれば、現行法を維持して法の網にかけられるぞ!死者も出てるし、今からやれ!
続いて
複雑性の研究からも、個人の才覚に関係なく貧富の差は生じる。
超裕福層に集中するとマネーに渋滞が生じるため、税金をかけることと現象が似ている。
こうすると平等性が増すと結果も出ている。
確かに、トリクルダウンは発生しないが、法律で人工的に同じ効果は、貨幣の再分配、事前分配という形にできる可能性は高い。
課税は、ネットワークに何本かのリンクを人工的に加えることと同義ということも、複雑性の研究からデータで明らかになっています。
日本は、消費税の運用など。課税は、強制的な交換の一形態。この知見は、MMT(現代貨幣理論)にも導入されてる。
複雑性の研究から産まれた従来とは異なる新しいマクロ経済学です。テーラワーダ仏教概念にもある欲を中和するツールとも言えます。
幸田露伴?分福?
人工的な課税をしないと、この歪みがエネルギーとして形態が相転移するので、超裕福層一族たちの幸福感が変質して心の歪みに転換していく。
人間が、一日に扱える時空間は、限定的に対して、お金はマルチバースでエネルギーが交換されるので、人間の一日で扱える許容量を超えてしまう。
ナポレオンヒル?エンスージアズム?そこには引き返せない一線というか?境界線があって、耐えられれば良いが、知らない方が幸せな場合も多々あります。
日本には古来から同様の概念があり、成金や悪徳商人とも言われる場合もある。
600万円以下に貨幣の再分配、事前分配することで社会システムの安定が強化される。
ダニエルカーネマン。詳しくは、論文を見ていただいて、日本の実情を深く考えた年収として記載しています。
直訳を指摘しても、未来を描けない人々なので、みんなは心の中で、あぁ残念な人なんだと軽蔑して下さい。
メリトクラシー至上主義���競争主義社会システム新自由主義を古代中国から、たとえて簡単に言うと乱世。
意図して均衡させて、奸雄は排除していくことが鉄則。カントの永遠平和を実現が重要に。
つまり、IT産業長者は、乱世の奸雄。テロ抑止にもなる現代では、競争時代の奸雄を排除することと同様の概念になります。
<おすすめサイト>
ポール・ピフ:お金の独占が人と大企業を嫌なヤツにする?
バリー・シュワルツ:選択の自由パラドックスについて語る
ルネデカルトの「方法序説」についてOf Rene Descartes on “Discourse on Method”
デイヴィッド・ブルックス:人間の本質と社会的動物
マイケル・サンデル:失われた民主的議論の技術
ルトハー・ブレフマン:貧困は「人格の欠如」ではなく「金銭の欠乏」である!
個人賃金→年収保障、ベーシックインカムは、労働市場に対する破壊的イノベーションということ?2022(人間の限界を遥かに超えることが前提条件)
世界の通貨供給量は、幸福の最低ライン人間ひとりで年収6万ドルに到達しているのか?2017
ベティーナ・ウォーバーグ: ブロックチェーンが経済にもたらす劇的な変化
<提供>
東京都北区神谷の高橋クリーニングプレゼント
独自サービス展開中!服の高橋クリーニング店は職人による手仕上げ。お手頃50ですよ。往復送料、曲Song購入可。詳細は、今すぐ電話。東京都内限定。北部、東部、渋谷区周囲。地元周辺区もOKです
東京都北区神谷のハイブリッドな直送ウェブサービス(Hybrid Synergy Service)高橋クリーニングFacebook版
#レナータ#サレーツル#哲学#意識#無意識#サンデル#サッチャー#政治#政府#貧困#憲法#格差#ベーシック#インカム#キルケゴール#うつ#PTSD#��リクル#ダウン#NHK#zero#ニュース#発見#discover#discovery
0 notes
Text
キルケゴール (1846)『現代の批判』
この「現代」というのは、19世紀半ばのデンマークのことを指しますが、これは21世紀という現代にも通用する批判でもあります。
曰く、現代は情熱を失った分別と反省の時代である。束の間の感激にぱっと燃え上がることがあっても、やがて小賢しく無感動な状態に収まる。妬みこそが現代人の統一原理であり、行動する者を愚かで滑稽だと嘲笑い、感動や行動をしない我らこそ賢明であると分別顔で互いを称賛し合う。内面性の欠落した現代人は、善でもなければ悪ですらない曖昧さに身を置き、気晴らしだけを求め、人生は空虚なおしゃべりの連続に貫かれる。彼らが最も恐れるのは「自分勝手なことをしやがって」という審判であり、すべては世間様によって水平化され、誰しも一人ではなにも決断することができない。
キルケゴールはかくの如く「意味もなくニヤニヤと冷笑をもらすほかなんら深い印象を受け取らない」者どもを、徹底的に批判します。彼の魅力は、その皮肉の効いたレトリックにこそあり、上記はその魅力を百分の一に薄めた要約に過ぎないので、もしなにか思うところがあるなら、実際に手に取って読んでみることをお勧めします。
0 notes
Text
心の純粋さとは、ひとつのものを望むことである。
Purity of heart is to will one thing.
Søren Kierkegaard セーレン・キルケゴール(キェルケゴール)
119 notes
·
View notes
Text
23-8-4
主治医から療養するよう言われ、予定のない毎日、あまりに暑いので空調を効かせた部屋の中で過ごすのも飽きてきた。「泳ぎにいきたい」と昨年末のあたりから考えていて水着なども一式揃えていたものの、それっきりになっていた。のを、「今日、行ってしまおう」と思い立った。幼い頃に行ったことがある、サウナやジャグジーが併設された良い感じの雰囲気の室内プールに行くことにして、炎天下のなか小一時間原付を走らせた。10年ぶり位に泳いだものの、身体は泳ぐことを覚えていて、100mくらい平泳ぎをしては少し休むのを4、5回繰り返し、二の腕のあたりが痛くなってきたのを感じたあたりで水から上がる。外のテラスで自販機で買った紙コップのミルクセーキを飲みながら、吹いてくる風が気持ちよかった。30号線沿いを走らせながら途中途中、家族で訪れたことがあるような懐かしいチェーン店の数々を通りすぎて自室に帰る。7月の日記と書いた詩を、冊子の形にまとめていて、毎月そういったzineを作ってみようかしらと思ったりしている。定期的に外に出すための文章を書くこと、そしてそれが形を取って自分のもとから離れて行くものであること(すなわち、ネット上にあげるものではないこと)は自分に課す課題として、有益なものであるような気もするけれどそもそもそれを読みたい人などいるのかしらという疑問は根本的にあって、どのような形をとるべきか悩んでいる。そもそも私が文章を書くようになったきっかけは日記に対する関心によるところが多い。哲学者や文人の日記を読むことは、もちろんその生活を覗き見るような後ろめたい楽しみがあることを否定しない。しかし、その日記を読むうちに、「書いている主体が、ただ自己を顧みて書く、自身と会話する、というその行為のなかにおいて、書いている主体の思考、思想がが意図しないところで発生し練られ深化する場」としての所に関心が移っていった。哲学書や小説、詩といった「作品」が表舞台であるとするならば、日記はバックステージに位置するものであって、そうであるとしたならば本来は私達の目に触れるものではないはずだろう。しかし、例えばキルケゴールは生涯その日記を、後世に読まれるという前提で改訂や注釈を加える作業を続けた。リルケにしても、サロメという女性に宛てた書簡でありながら、日記という形式をとり、その内容としてもしっかりとした構成をもった「フィレンツェだより」や、ほとんど彼自身の独白であるような「マルテの手記」がある。そういった性質の手記について、完全にノンフィクションだということは言いきれないし、かといって全てがフィクションだというわけではない。純粋な日記と比べるのであれば、そこに手をいれる「なにか」の意図があるはずで、その意図は「単に自分を良く見せたい」といった動機などではないはずだ。自らの書いたものをここまで名前が出た偉大な思想家、詩人と同列に並べるようなつもりはない。ただ、私自身が当事者として、彼らのその背を追いかけて、少しでも近いような目的をもって生きようとするとき、見えてくるものがあるはずだ、と思っている。とりとめがなく、着地点を見失ってしまったけれど、それでも許されるのが日記という形式の優れた点だろう。
14 notes
·
View notes
Quote
“Life is not a problem to be solved, but a reality to be experienced.” 「人生は解かれるべき問題ではなく、経験されるべき現実である」 セーレン・キルケゴール(デンマークの哲学者)
人生に疲れた人へ。ビル・ゲイツの名言「人生は公平ではない。それに…」英語&和訳(偉人の言葉)(鈴木隆矢) - エキスパート - Yahoo!ニュース
4 notes
·
View notes
Text
『キルケゴールさん』
愛してるから何も求めない
期待してないから何も求めない
混在され過ぎてて草
2 notes
·
View notes
Text
昨晩、私にしては珍しく邦画を観た。
タイトルは「死刑にいたる病」。
主演の阿部サダヲさんが連続殺人鬼を演じた作品だけれど、まず最初に興味を持ったのはそのタイトルだった。
キルケゴールの「死に至る病」から引っ張ってきたんだな、と思いなんとなく気になった。
が、それ以上に普段邦画を観ない私を惹きつけたのは、映画の本ビジュアルに映る阿部サダヲさんの目だ。
これはスペースでもほんの少し話したけれど、私は自作品を書くときに、目についての描写をよくいれてしまう。視線だったり眼差しだったり、瞳といったワードに意味を込めたくて仕方がない。
だからこそ、阿部サダヲさんの目を見て「あ、これだ」と思った。私が書きたい目はこれだ、と。
モナリザ効果といえば分かりやすいかもしれない。阿部サダヲさんのそれは、どの角度から見ても目が合っているように見えるのに、実際のところ���こちらなんて一切見ていないようにも感じる。瞳に映してはいるけれど、何も見ていない感じ。
それがなんだかこわくて、不気味で、惹きつけられた。正直映画の内容自体はそこまで私に刺さらなかったけれど、あの目が頭に焼きついて離れない。
こればっかりはいくら言葉で説明しても伝わらないと思うので、ぜひ見てほしい。本ビジュアルだけでも見てほしい。あの目、本当にやばいから。
1 note
·
View note
Text
映画『死刑に至る病』
U-Nextで『死刑に至る病』(2022)を見ました。前から気になっていた映画です。
主人公の大学生・雅也は、24��もの男女を殺した快楽殺人者・榛村(はいむら)から手紙を受け取ります。刑務所に会いに行った雅也に榛村は「私が犯したとされる殺人事件のうち1件だけは私の犯行ではない。真犯人を探して欲しい」と言います。
雅也は中学生の頃、塾に行く前にあるパン屋を訪れBLTサンドイッチを食べていました。そのパン屋の主人が榛村だったわけですが、そんな薄い関係でわざわざ刑務所に面会に行くものかと思わないではないですが、まあそれはいいでしょう。
「真犯人を探す」といってもごくフツーの大学生に何ができるのかと思わないではないですが、それもいいでしょう。
とにかく雅也は榛村の弁護士に連絡を取り、弁護士事務所のアルバイトという形にしてもらって事件の調査に乗り出します。
[今回はいきなりネタバレをします。未見の方はご注意を]
この辺りで私は大体結末の見当はついていましたし、実際映画はそういう結末でした。ただ、雅也の母親・衿子はある人道活動家女性の養子で榛村もそうだったとか、衿子は妊娠して養母の元を出ていったが、父親は榛村だったのではないかとかいう話も絡んできます。
さらには、雅也が榛村の面会に行った際、言葉を交わした優柔不断な長髪の男の話や、雅也の中学の同級生で雅也と同じ大学に通っている女性・灯里(あかり)の話も絡んで、物語は結構複雑です。
結末は予想通りで、全ての殺人事件の犯人は榛村ーー彼は雅也の心を操り弄ぶことに快楽を感じていただけで、もちろん彼は雅也の父親ではありません。
それならもっとシンプルな筋立てにした方がよかったんじゃないですか。榛村が雅也を操って真犯人を探させる、しかし雅也は榛村こそが犯人であることを知る、「なぜわざわざ僕にこんなことをさせたのですか」と尋ねる雅也に榛村は「だって面白いから」と答えるーーで十分だったような気がします。
雅也が会った優柔不断な男・一輝は子どもの頃、榛村にマインドコントロールを受けていた、榛村が冤罪だと称する事件の被害者女性も、さらには雅也の恋人となる灯里も、子どもの頃、榛村にマインドコントロールを受けていた、そしていま雅也も榛村にマインドコントロールを受けているというのは、いくらなんでも「作りすぎ」ーー「お前ら全員榛村と知り合いってどれだけ小さな町に住んでんだよ。それとも榛村のパン屋はそんなに流行ってたのか?」という気持ちになってしまいます。
榛村が自分の父親ではないかと思っている雅也は人格が変わり、道で肩がぶつかったサラリーマンに暴力を振るい危うく殺しかけるというのもどうかなと思いましたし、サラリーマンを殺しかけて手に怪我をした雅也が帰ってくると灯里が立っていて、自分が着ている白いセーターで血を拭ってくれるとか、傷口を舐めくれるとかいうのは、いくら前々から雅也に思いを寄せていたとしてもないだろう、そんな女おらへんでと思ってしまいました。
阿部サダヲは底抜けのお人よしか、善人の皮をかぶった異常者を演じることが多く、そういえば『彼女が名前を知らない鳥たち』もそうだったよなあと思っていたら、『死刑に至る病』も『彼女が名前を知らない鳥たち』も同じ白石和彌監督の映画なのですね。
なんだか妙に納得しました。
追記: ネットのレビューを見ると「死刑に至る病」とは何かという考察がありましたが、あれは単にキルケゴールの『死に至る病』のパロディに過ぎないので、考察には値しないように思えます。
0 notes
Text
「ファウスト」。ドイツ文学の巨匠ゲーテ(1749-1832)がその生涯をかけて完成させたといわれている超大作であり、ノルウェー・ブック・クラブが選ぶ「世界最高の文学100」にも選出された、文学史において非常に重要な文学作品だ。
「もういちど読む山川世界史」によると、14世紀イタリアでヒューマニズム-「中世ヨーロッパ社会で支配的であった神中心の伝統的世界観から抜け出し、人間性を信頼しつつこれを充実・発展させようとする態度」-を掲げたルネサンスが始まり、時代は中世から近代へと変遷した。ルネサンスの基本精神であるヒューマニズムは17世紀に花開く「科学革命」の基盤を提供し、また、ルターとカルヴァンを中心とした「宗教改革」、そしてカルヴァンによる予定説は近代ヨーロッパ市民に禁欲的な態度で職業労働に励むことの大切さを説いた。その後17世紀にガリレオやケプラーによる研究に基づいて、ニュートンが万有引力の法則を発見した。これは「古典物理学」を生み出し、「科学革命」の幕開けとなった。このように始まった「科学革命」は、フランシス・ベーコンによる帰納法とルネ・デカルトによる演繹法を生み出した。帰納法は自然科学の発展に、演繹法は数学などの発展に寄与した。18世紀末、帰納法を重視した経験論と演繹法を重視した合理論を統合し、「自分の理性を主体的に用いて子どもじみた迷妄から抜け出る」ことを説いたドイツの哲学者イマヌエル・カントにより啓蒙思想が生まれた。この啓蒙思想によって、トマス・ホッブス、ジョン・ロック、ジャン=ジャック・ルソーなどによる社会契約説が勃興・発展し、アダム・スミスによって古典経済学が発展した。
このような時代背景がゲーテの「ファウスト」を生み出した。それ故に、私は「ファウスト」の内容がゲーテとほぼ同時代を生きた哲学者キルケゴール(1813-1855)の思想に酷似しているように感じるのだ。この解釈は若干無理があるものの、主人公ファウストはキルケゴールの説く「美的実存段階」、「人倫的実存段階」、最後に「宗教的実存段階」を経て、悪魔メフィストに魂を奪われることなく死ぬ物語と解釈すると、この美しい文学を少しだけ理解しやすくなるのではないか?しかし、この文学の物語の流れを追いかけるだけでは、ゲーテがこの文学作品で伝えたいことを知ることが出来ないだろう。私的見解だが、この文学は三人の主要な登場人物-悪魔メフィスト・主(神)・主人公ファウスト-による戯曲を詩的に描きつつ、「人はいかにして生と死を肯定するか?」という時代・歴史・国を超越した普遍的なテーマを伝えたかったのだろうと思う。
「様々な問題が複雑に絡まり合い、それらをどのようにすれば解決するのか?」という難題に対して途方に暮れている我々現代人はV・E・フランクルのように「それでも人生にイエスと言う」という態度-生の肯定-が出来ずにいる。また、一部のSTEM研究者やIT社長などが雑誌のインタビューで「人間は有機物から無機物になるべきだ。無機物は有機物に比べて化学的構造が安定している。よって、近い将来、科学技術を駆使して人体を無機にすることで人は不老不死を実現できるだろう。」と答えており、私は彼らから死の否認を感じた。これらの例は人にとって生と死を肯定することがいかに困難であるかを我々に教えてくれる。そんな我々に本書を通じてゲーテは「向上の努力こそが生の肯定を生み出し、老いる過程で自分の経験や体験そして智恵を伝えていき、そして最後に老いた自分より若い人達や次の世代に自分が果たすことが出来なかった課題を伝え希望を託すことで、死を肯定することが出来るのだ。」と教えてくれるに違いない。
0 notes
Text
2023/08/13
BGM: Leftfield - Open Up
今日は休みだった。朝、注文していた金子光晴『詩人/人間の悲劇』を買いに行く。そして図書館に行き吉増剛造『我が詩的自伝』を借りる。イオンに行き、そこで午前中は詩を制作する。今日は音楽はサイモン&ガーファンクルを聴いた。ぼくの頭の中はどうなっているのだろう、と書きながら考えてしまう。詩の中にポンと「トレント・レズナー」や「ダディーG」といった固有名詞が出てきて、我ながらずいぶんカオスというか「こんなものが自分の頭の中に眠っていたのだな」と驚いてしまったのだ……それがまさにぼく自身の精神が立派な「冷蔵庫(冰箱)」であることを現しているようで面白い。ただ、もちろんその固有名詞が下手をするとマニアックな情報の羅列になることを危惧してもしまう。ぼくとしては「知らない」「知っててたまるか」という態度で読んでもらえればいいとさえ思う。そこから一方で「何を意味しているのだろう」と調べてもらうのもぜんぶ読者次第だ(読者はそこまで自由・気まぐれであっていい)。ぼく自身読者として、村上春樹の小説から「クロード・ルルーシュ」を調べたり高橋源一郎の作品��ら「中島みゆき」「金子光晴」「ランディ・バース」に出会い直したりしたことを思い出す。
昼、昼寝をしてそしてその吉増剛造『我が詩的自伝』を読む。吉増剛造については実を言うとまったくといっていいほど知らなかったのだけど(多少詩をかじったことがある程度だった)、この本を読んでみて「実に『軽い』な」と思ってしまった。別の言い方をすれば「軽やか」という……この「軽い」はある意味ではネガティブな意味を引き起こしやすい。「尻軽」「軽薄」といったような感じで。だけどぼくはむしろこの「軽さ」をポジティブに捉えたいと思った。そのフットワークの「軽さ」ゆえに彼は海外にも赴くし、興味に誘われるまま芥川龍之介に代表される文学からキルケゴール哲学や吉本隆明まで多種多様な本を読む。そして、その「軽く」行動し接種したものが詩作として結実・昇華される。この『我が詩的自伝』で紹介される吉増の作品はぼく自身の好みではないにせよ、しかし確かに強烈な個性を感じさせるものではあった。彼から学べることは多いな、と直感的に考え同じ講談社現代新書から出ている『詩とは何か』を読みたくなった。こうして読みたい本がどんどん現れて、読むつもりだった金子光晴が遠のいていく……いや、読めれば『どくろ杯』だって読みたいと思っているのである。
夜に、ぼくが参加しているDiscordのサーバでイタローさんという方がやっておられる「イタラジ」に参加することになっていた。なのでその前準備として、ぼくが通ってきた「詩(主に現代詩)」について、どういうことを話すべきか・話したいか考える。ぼくはあまり育ちがよくないので、読んできた本全般にしても家にある『日本文学全集』『世界文学全集』を読んだというような話にはならない。まして詩に関しては、詩人よりもミュージシャンの詩(「詞」と書くべきか)の方が先にあった。佐野元春やフリッパーズ・ギター(小山田圭吾・小沢健二)、種ともこや「たま」や八野英史(b-flower)、小西康陽……といった人々だ。そうした出会いあってのことなのか、ぼくは詩とは大衆文化・大衆文学のものという思い込みが強い。人口に膾炙した、人に広く読まれた詩にはそれ相応の価値が存在する、と。もちろん図書館の書庫に眠っている詩、あるいはアカデミズムで少数の熱狂的な読者を得ている詩も確かにすばらしいものでありうる。けれど、それと同じくらいぼくにとっては「今」読まれていて、希求されている詩の側に立ちたいとも思うのである。だからこそ谷川俊太郎のような詩人に惹かれるのだろう。
夜、その「イタラジ」に参加する。そしていろいろ話す……これは事前の青写真通りにはいかず、あれこれ話が脱線してしまい聞いておられる方にとっては「どういうこと���んだ」とよくわからないものになったのではないかとも思った。だけど、いい話ができたとも思う(もちろん1人でできたことはなくイタローさんの的確な司会あってのことで、深く感謝したい)。「書くことで何が可能か」という話になり、ぼくはつい「大きなテーマだ」とびっくりして頭の中が真っ白になってしまった。でもそこでふと、「人は書くことで自分の中の概念・思念を吐き出し、紙やディスプレイに物質として文字を残す。それは自分の『外』に考えを出したことになり、そこからこの自分を客観的に見つめる礎というかきっかけになるのではないか」と思った。それはそしてぼくが断酒会でやっていることである。思っていること、わだかまっていることをともかくも「外」に出す。自分の中で押し留めていても解決しないと思い切り、そして「吐露する」「吐き出す」。それが回復・治癒につながる……いや陳腐な話かもしれないけれど、その自己治癒あるいは自己療養の儀式としてぼくの詩作もあるのかもしれないと思った。
1 note
·
View note
Text
私が死に至る病を読んだのは,キルケゴールが好きだからではない.絶望が好きだからだ.
絶望することが好きだからだ.絶望したいと常々思っているからだ.
この思いこそ私の罪,神に対する大きな罪であり,私固有の人生の主題である.
0 notes
Text
中島義道 (2022)『てってい的にキルケゴール』
『死に至る病』をひたすら精読していく書。どれくらい精読するかというと、本文140ページを500ページかけて解説するくらい精読します。それでもまだ終わっておらず、いずれ第3弾が刊行される予定。
アッシのように、人文系の教育を受けたことがなく、センター試験の国語が6割以下の点数だった無教養な輩にとっては、ありがたい書籍でヤンスねぇ……
0 notes
Text
祈りは神を変えず、祈る者を変える。
Prayer does not change God, but it changes him who prays.
Søren Kierkegaard セーレン・キルケゴール(キェルケゴール)
91 notes
·
View notes
Text
意味を渇望していた若き日をもう一度過ごしたい.老後ないし中年の青春に同じ主題を与えたい.すなわち,生きる意味,人生とは,どう生きるべきか,などなど.
ウィトゲンシュタイン的解決や,キルケゴール的本質分析ではなく,何か街を散歩して建築を巡って炙り出されるような,文学を古典から現代まで無尽に探索して編み込まれていくような,そういう形式の作品を書き残したい.それが私の答えだと言わんばかりの.
0 notes