#チラシ作成
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とあるホテルの案内の作成。 制作時間 : 2日間
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#「くいしんぼーず5」 丸かじりの巻です♪ 北海道といえばとうもろこし。 今ちょうどシーズンですね。 そして、 札幌にあるケーキ屋さん アンシャルロットさんの 生成りロールとい#000円 お申込みはこぐま座さんにお電話か チラシのQRコードよりお求めいただけます。 <座カトウの絵本作家4人によるサイン会> 8月10日14時〜16時 札幌三省堂書店さまにて <
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私は、高校を卒業してすぐに就職した。生まれ育った静岡県の山奥から、千葉県松戸市へ。 やたらと地方出身者ばかりを集める会社だった。会社名義でアパートを借りてくれ、家賃まで払ってくれる。なんていい会社に入れたのだろう、というのは若さゆえの勘違いだった。 とにかく休日というものがない。シフト上で「休日」とされている日にはタイムカードをうってはいけない。それだけのことだった。 そんな環境でも二年間勤めたのは、単に逃げられなかっただけだ。会社名義でアパートを借りているので、職を失うというのは住居を失うのと同義だった。 食事もろくに摂れなかったため、がりがりに痩せた。食事の時間があるならば、そのぶん寝る時間にあてたかった。となると歯など磨くはずもない。虫歯が痛み、前歯を一本失ったが、それすらどうでもよくなっていた。 関連会社の男性社員から「借金してでも逃げろ」とまで言われ、ようやく逃げたのが二十歳の頃。 振り返れば、その二年間に休日という休日はなく、七百連勤以上を続けていたのだ。 千葉県内に土地勘などなかった。あてもなく新京成線に乗り、新津田沼駅で降りた。新津田沼を目指したわけではない。単に人がたくさん降りたから、つられて降りた。それだけだった。 駅とイトーヨーカドーがくっついているのは驚きだった。そんな場所がこの世にあるとは知らなかった。 そのままイトーヨーカドーへ入った。エスカレーターで上の階へあがると、そこにはゲームセンターがあった。ゲームセンターといっても、小さな子どもをメインターゲットにしたもので、真ん中には大きなトランポリンが設置されていた。 ここで働きたい。そう思ったのは、子どもが好きだとかそんな理由ではなかった。暇そうだったからだ。もう一生懸命働きたくなどない。この二年間で、一生分働いた。そんな気分だった。 求人誌で見つけたのか、インターネットで見つけたのかはいまとなっては記憶が曖昧だが、そこのゲームセンターは求人広告を出していた。アルバイトで、週に三日程度から可。 とはいえ、住所不定の若造を雇ってくれるとも思えない。先に住居を探した。 幸いなことに、新しい住居はすぐに決まった。駅から遠い、築五十年超の木造アパート。壁を叩けばゴキブリが五、六匹出てくるような部屋だったが、ようやく自分の居場所を手に入れた気分だった。 その住所を履歴書に書き、就職の際に両親が買ってくれたスーツに身を包み、伸びたままだった髪は自分でカットした。がりがりの体と失った前歯はどうしようもなかった。 鏡を見て、「まあ、これは雇わないだろうな」と自分でも思うほどだったが、面接ではなんとなく好感触を得た気がした。 そして数日後、採用が決定したと連絡があった。なぜ採用されたのかは知らない。他に応募者がいなかったのかもしれない。 赤いポロシャツに、黒いズボン。センスがいいとは言いがたい制服だったが、不満はなかった。 とにかく来客数が少なく、やることと言えばクレーンゲームの景品の補充だとか、当時流行っていたムシキングとかおしゃれ魔女などのカード補充とか。 あとはトランポリンで遊びたい子が来たら対応をした。たしか五分で百円。十分だったかもしれない。詳細は覚えていないが、百円玉を握りしめた子どもが目をきらきらさせ��がら声をかけてきたのは覚えている。 一度の勤務が四時間程度。それを週に数日。時給はたしか八百円ほど。食っていけるはずもなかったが、しばらくはその生活を続けた。とてももう、まともに働く気力などなかった。 借金がある程度膨らんでから、ようやく他にも仕事を始めた。コンビニ、警備員、チラシのポスティング、宅配便の仕分けなど。非正規雇用ばかりを山ほど抱えて、なんとか借金は返した。 ゲームセンターでのアルバイトは続けるつもりだったが、近いうちに閉店すると耳にした。一時間あたりの売り上げが私の時給を下回っているような有様だったので、遅かれ早かれそうなるだろうとは思っていた。 閉店まで続けようかとも考えたが、そのときに面接を受けた倉庫作業の会社で正社員の誘いがあったので、そのまま辞めてしまった。辞めた後、しばらくは営業をしていたようだったが、たしか一年経たずに閉店してしまった。 私は就職し、転職し、結婚して離婚した。また就職して、転勤して、いまは東京の西のほうで暮らしている。 津田沼まで片道一時間強。あまり気軽には来れなくなってしまった。 あれから約二十年。私はすっかりおじさんになってしまったが、おじさんになれてよかった。いま振り返ると、あの頃の自分はいつ人生を終わりにしてもおかしくはなかった。 あそこで働いたのは一年だったか、二年だったか。もっと長かったかもしれないが、まったく思い出せない。 あのゲームセンターはたぶん、七階のマクドナルドの前にあったはずだが、いくら検索しても情報は出てこない。 まるで幻だったかのように、私自身にも曖昧な記憶しか残っていない。検索しても、トランポリンがあったのは屋上だという情報ばかり。屋上ではなかったのはたしかなのだが。 ともあれ、私がなんとか再起をはかれたのは、あそこで働いた期間があったからだ。変に忙しい職場に入っていたなら、きっと潰れてしまっていた。 しかしまさか、イトーヨーカドー津田沼店自体がなくなってしまうとは。 なんとなく、イトーヨーカドー自体はずっとそこにあってくれるような気がしていたので、いつでも行けると思い込んでいた。 二十代前半の、あの時期の私の中心にはイトーヨーカドー津田沼店があった。書店にもよく寄ったし、四本の親知らずのうち三本はヨーカドー内の歯科で抜いてもらった。 あと、誰も気にしていないようなことだけれど、トイレの洗面台の脇に置かれた小さな花瓶に花が生けてあったのが好きだった。造花かもしれない。ただ、誰かの気遣いがそこにあった。トイレ自体古かったが、きちんと清掃しているのはよくわかった。私とは違い、仕事熱心な人が清掃を担当していたのだろう。もう何年も訪れていないので、最近はどうだったのかは知らない。 テナントが徐々に撤��していったのは伝え聞いていだが、それがなんだか思い出の場所が徐々に衰弱していくようで受け入れられなかった。 さて。ここまで長々と書いてきてどう締めればいいのかわからない。結局、歳ばかり重ねて、あの頃からまったく成長などしていない。 「さようなら、いままでありがとう」 でいいのだろうか。 あと、「寂しい」と「もう大丈夫」を付け加えて文を締めたいと思う。 小山征二郎さんが、イトーヨーカドー津田沼店閉館に寄せたエッセイ
時給800円のゲーセンに救われた… 閉館の商業施設に寄せた思い出
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集落の微妙にはずれた所にカフェがあるのは、店主が儲けていないように見せるための工夫だとのこと。というのも、村社会では村人全員が同じ状況であれば、不平不満は出ないから、みんな助け合って、みんなが幸せ。逆に、一人だけ豊かになると妬み嫉みが生じて不幸になる、という考え方があるらしい。そのため、集落の目立つところにお店を構えると、「あの人だけを儲けさせてはいけない」という心理が働いて、村人はほぼ出入りしないカフェが完成するんだとか(ちなみに客層は「外来:現地=9:1」くらい)。 村の人たちもカフェに行きたくても、見晴らしのいいところにカフェがあると周りの目が気になって入店しづらいから、あえて、ちょっと、分かりづらい場所に店を建てるのがお客様への気遣いポイント。 そして、この話は、あくまでも店内に入店するまでの話であって、店内で村人同士が出会う分には何にも問題はない。むしろ、村の人たちも憩いの場ができる事に関しては、ありがたいらしい。素直ぢゃない、ツンデレである。 なんか謎マナーに似た趣があるけれども、格差を生まないで協力し合うための生活の知恵の名残なのではないかと思う。 そして、自分の生活に当てはめて考えてみると、なんかわかる気がする。上司に食事に連れて行ってもらった時に「遠慮するな」とは言われても、上司より高いものは少し頼みにくい(この気遣いが間違いなのだけれども)。上司が「マグロ丼(980円)」を注文しているのに「海鮮御膳(1,580円)」はアウトな気がする(上司の器を見くびってて失礼なのだけれども)。近い値段帯のものにしつつ、上司��り20円くらい高いものを注文して、平等感と上司の太っ腹感をだそうとしてしまう。 そのため、現地の人が集落で古民家カフェをオープンする際には、わかりづらい場所にお店を建設し��決してチラシなど撒かず、噂で徐々に広がっていくのを待つのが良いのかもしれない。 逆に街中から移住してきた人たちに関しては、集落に人たちも割り切っているらしく、なんとも思わないから、目立つところに店を出しても問題ないとのこと。 「らしい」とか「とのこと」が多い記事になった。 へー、と思いながら拝聴した。 全ての集落にあてはまるわけではないとは思うのだろうけれども、集落で生きるにあたり地域のルールに従ったしきたりが色々あるんだろう。都会の企業で暮らしても、謎マナーはあるし。瓶のラベル上向けたり、ハンコを傾けたりetc... そんなことを考えながら古民家カフェに入るとまた違った趣があるかもしれない。 とはいいつつ、あんまり斜に構えたことしてたら、純粋に楽しめなくなるから、モラルに反したことはせず、その場だけの出会いや会話を楽しんだ方が良いと思った。
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2024年12月13日(金)
終活の一環で、蔵書の整理を続けている。研究室から自宅に少しずつ本を運び、<もったいない本舗>の段ボールに入れて週末に発送する。加えてiMacの梱包も終了、集荷を依頼した。本についてはクロネコヤマトに午前中とお願いしたが、来てくれたのは12時5分。iMacは佐川急便だが、こちらは時間指定が出来ず、やって来たのは15時55分。結局、今日は集荷待ちのために一歩も外へ出られなかった。もちろん、そのために体重が増えたことの言い訳ではないよ、ほんと。
5時30分起床。
洗濯開始。
朝食を頂く。
洗濯物を干す。
珈琲を入れる。
可燃ゴミ、30L*2。
今日は弁当なし。
次男はデイサービスに出かける。
書棚が大分空いてきたので、整理を始める。何しろ、作業場を書斎に戻すためには、書棚のスペースに生活雑貨を片付けな��れば足の踏み場もない。
ランチの準備をしているところへ、クロネコヤマトが集荷に来てくれた。
ランチは昨日コレモで買った特売の鍋焼きうどん、残りもののサツマイモと南瓜の天ぷら、それに玉子を落としていただく。寒いので🍶も少々。
軽く午睡。
彼女は買物やチラシ配送であちこち走り回っている。
書棚整理の続き、辞典類や文房具の置き場所を確保することが出来た。
15時55分、ようやく佐川が集荷に来てくれた。
廊下のスペースが出来たので、段ボール箱を出して本やDVD等を放り込む。
彼女が帰宅、まずは<秋山恵蔵動物クリニック>でココの点滴を補充する。
戻ってから、三男と一緒にココに点滴。
私は夕飯準備。
無水地鶏カレー・サラダ・リンゴ・スパークリングワイン、我々のつまみは賞��期限切れの焼き豆腐を使って麻婆豆腐。
録画番組視聴、刑事コロンボ。
第40話「殺しの序曲」/ The Bye-Bye Sky High I.Q.Murder Caseシーズン 1, エピソード 40 会計事務所を営むオリヴァー・ブラントと共同経営者のバーティは、共に知能指数がトップから2%という天才だけで構成される「シグマ協会」の会員だった。客の金を横領していることをバーティに知られたオリヴァーは、ある晩、協会で行われた会合後の歓談中にバーティを射殺する。
片付け、入浴、体重は350g増。
ハーパーのハイボール舐めながら日誌書く。
今日は家から一歩も出られなかったので、こんな結果もやむなし。
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10月12日(土)open 12-19
連休初日、良いお天気です! 外は気持ちが良いだろうなぁ。 この週末は14日(月・スポーツの日)まで営業いたします。 明日、13日(日)は『かるがものクッカ』のおはなしを書いた かんちくたかこさん、編集の川嶋さんがまた在廊してくださいますので、お話しを聞きに是非お出かけくださいませ🦆🐥
多多さんが嬉しい投稿してくださったので、リポストします! いつもありがとう☺️ 3枚目は、本・中川にある、しまさん @tohto_basketry 制作の鳥の巣ランプシェードです🪺 ご来店の際は是非見上げてみてね。
https://www.instagram.com/p/DBAIG8FzYb8/?img_index=1 ・・・ . . おはようございます。
一週間ありがとうございました。
本日から10/21(月)まで臨時休業いたします。 ご不便をお掛けして申し訳ありません。
10/22(火)より、またよろしくお願いいたします。
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ローソクデモのチラシを本・中川さん @honnakagawa に届けに行った日は『かるがものクッカ』絵本原画展が開催されていて、かんちくさん @kanchikutakako と川嶋さん @kawashima_studio_porcupine ご夫妻に2年ぶりにお会いできました。
かんちくさんがそっと手に乗せてくださった、手作りのフェルト製の等身大のクッカちゃん。 小さくて、愛おしくて。
原画を見ながら、かんちくさんと川嶋さんが解説と読み聞かせをしてくださった、クッカちゃんの出会いと成長の物語。 鴨さんたちの生態の微笑ましさに笑ったり、垣間見える優しさにホロリとしたり。 命の重みと大切さをしみじみと感じました。
10/26(土)にまたお二人と、原画を手がけられた箕輪さん @yoshitaka_minowa も加わって、本・中川さんでトークイベントが開催されるそうです。
完全なる部外者ですけれども、ファンの一人としてお勧めしたいです。 トークイベントも原画展もぜひお出掛けいただけたら。。 (詳細は本・中川さんのアカウントにて🦆)
***
昨日しまさん @tohto_basketry が届けてくださったnestに真綿を入れて、2年前にツバメの巣の下で拾った卵の殻を乗せました。 やっとお家ができて嬉しい。
その後寄ってくださったなつさん @natu.zzz からは、松本城のケヤキの大木で毎年子育てをするフクロウのことを教えてもらった。
線が交わるように出会った、ちいさな命の気配。
#洋裁と愉しみ多多 #洋裁貸しアトリエ #長野県 #松本市 #布屋 #手芸店
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Canva のデザインは数分で作成でき、スキルも必要ありません。資金不足の中小企業、学生、非営利団体、プロのデザイナーを雇う余裕のないその他の組織にとって、Canva は迅速で安価であり、仕事の成果を上げることができます。 Canva を使えばベスト プラクティスに基づいたほぼ同等の優れたデザインを大量に作成できるのに、なぜわざわざ手間をかけるのでしょうか。 Canva の何百万人もの満足したユーザーにとって、それは明らかに価値のあるトレードオフです。 問題は、それがデザインと創造性全体にとって良いことなのかどうかです。料理のマクドナルド化やインテリアのイケア化のように、Canva のテンプレート化アプローチは、視覚的なコミュ���ケーションをよりアクセスしやすく、より一般的な手段へと押し進めています。 これが問題になるのは、個人のクリエイター、小規模ブランド、そしてユニークなビジュアルアイデンティティを開発しようとしている他のすべての人にとってです。Canva で作成されたすべての競合他社が不気味なほど似ている場合、どうすれば目立つことができますか? こうなると、私たちはますます Canva テンプレートに似た世界に直面することになります。Facebook のフィードから地元のコーヒー ショップの掲示板に貼られたチラシまで、ユーザーが作成したビジュアル コンテンツはどこでも、Canva 特有の雰囲気を醸し出す可能性があります。
あらゆるものの Canva 化 | Joan Westenberg 著 | @westenberg | 2024 年 6 月 | Medium
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2024年エントリー受付中(8/8迄延長!)
【パフォーマンスとトートバッグ展の会場が決まりました】
---------------------------- 第13回 せんだい21アンデパンダン展2024 自由と独立を意味する[independants]を冠した無審査の美術展。 エントリー8/4まで受付中 →8月8日木曜日まで延長します。(郵送の方も必着です) 追記/郵送の方は4日投函までOKです。 せんだいアンパン2024エントリーフォーム https://forms.gle/PREymDLxaywwiJ5X9 ---------------------------- 13回目のせんだい21アンデパンダン展は、 ①ターンアナザーラウンド(フォーラス7F)会場に変わって、 新たにぶらんど〜む一番町にある「むかでや画廊」が加わりました。 ②オリジナルトートバッグにアートする 「あっ!トートバッグ展」の開催が決定しました。 ----------------------------
1884年、フランスのパリからはじまった自由と独立を意味する[independants]を冠した無審査の美術展[アンデパンダン展]。表現者にとってかけがえのないその精神は日本、そして仙台にも伝わってきました。かくして21世紀の仙台、無審査で出品される表現は観るものにどんな感動をもたらしてくれるでしょう���本展は仙台のギャラリースペースが協力、連携し、誰にでも等しく開かれた場を設け、新たな時代の表現を目撃しようとする試みです。 あなたの自由な精神に満ちた出品作品に期待します。フランスではアンリ・ルソーが、アメリカではマルセル・デュシャンが、そして仙台では糸井貫二(ダダカン)がアンデパンダン展から登場しています。本展では、ジャンル、趣向、年齢、経歴、主張、価値…あらゆる垣根を越え、誰にでも等しく開かれた表現の場であることが目指されます。 ●展覧会会期:2024年9月25日(水)-10月6日(日)月曜定休 ●パフォーマンス+トートバッグ展 9月29日(日) ●会場: 中本誠司現代美術館(青葉区東勝山) GALLERY ECHIGO(青葉区双葉ヶ丘) SARP 仙台アーティストランプレイス-A(青葉区錦町) ギャラリーチフリグリ(宮城野区五輪) むかでや画廊(青葉区一番町) Gallery TURNAROUND(青葉区大手町) のりっぱ/野外展示(青葉区大手町) 9/29㈰1day 野外パフォーマンス+トートバッグ展 仙台フォーラス駐車場(青葉区一番町) ・営業時間は会場ごとに異なります ・展示会場は実行委員会で決定します 主催:せんだい21アンデパンダン展実行委員会 令和6年度 仙台市青葉区まちづくり活動助成事業 題字協力:糸井貫二(ダダカン) 後援:tbc東北放送・仙台放送・ミヤギテレビ・khb東日本放送・河北新報社
【募集要項】 ●募集作品:平面、立体、映像、屋外展示作品、パフォーマンス ●サイズ規定: ■平面作品(壁面展示)/タテ1m×ヨコ1m以内 ※厚さの目安10cmまで、重量の目安10kg以内 ※宅配便利用の場合は各自でサイズ等を確認してください。 ■立体作品(床置き展示)/タテ1m×ヨコ1m×高さ1m以内、重さ25kgまで ※台座必要時は自身で準備/高さ1m以内 ※転倒しないよう固定するなど安全面にご配慮ください。 ※宅配便利用の場合は各自でサイズ等を確認してください。 ■映像作品(モニターで期間内繰り返し上映)/1作品3分以内 ※作家名とタイトルを作品冒頭に数秒入れてください。 ※電子データをDVDまたはメモリスティック等に収めたものを 郵送または持参(返却希望については応募用紙に記載のこと) ※データ転送サービス利用可(ダウンロード期間は7日以上で) ※動画形式MPEGまたはMP4 ※画像形式JPEGまたはPNG ※上映会場は決まり次第お知らせします ■のりっぱ野外展示作品/縦3m×横3m×高さ2m以内 ※期間中は無人野外展示になります。 雨や強風等に耐えられる作品に限ります。 ※応募時に完成予定図を提出のこと。 ※自身による搬入出であること、 および自身での展示作業が可能な方に限らせていただきます。 ■パフォーマンス/ 1作品20分以内を予定 ●搬入受付予定日:9月23日(月祝)(通知でお知らせします) 直接持込みまたは出品者手配による委託搬入。 ●搬出発送予定日:10月6日(日)15:00〜17:00 ※宅配便の方は着払い伝票を同梱してください。 ●搬入出委託代行特別協力/横山美創 tel.090-1938-2572 (ご希望に添えな��場合もありますのでご了承ください) ●エントリー〆切:8月4日(日)→8/8木曜必着 作品は搬入日までに完成すればOKです! ●エントリー方法:下記のフォームまたは応募用紙を各ギャラリー(むかでやを除く)まで提出してください。 https://forms.gle/PREymDLxaywwiJ5X9 ●出品料:1点3,500円、2点6,000円(送料別途負担) ●出品料は8月4日(日)までに振込またはエントリー時に応募用紙とともに納付してください。 ※出品者都合によるキャンセルでの返金はできませんのでご了承ください。 ※振込の際は必ず本人の名前でお願いいたします。 ●振込先:七十七銀行 芭蕉の辻支店(シチジュウシチギンコウバショウノツジシテン) 普通預金 5766869 名義:仙台21アンデパンダン 代表 関本 欣哉(センダイニジュウイチアンデパンダン ダイヒョウ セキモト キンヤ) ●応募用紙郵送の場合はコチラまで:980-0805 宮城県仙台市青葉区大手町6-22久光ビル1F ターンアラウンド ●その他
※展示会場については実行委員会が決定し、後日「会場決定通知書」で連絡いたします。 ※搬入受付および搬出発送は会場により異なる場合がありますので詳細は「会場決定通知書」でお知らせいたします。 ※委託搬入は自身による手配で費用は作家負担。委託搬出は着払いで��送させていただきます。(梱包材は作家側でご準備ください。搬送中のトラブル等については、その責を負いません。) ※インスタレーション、ハプニング等は実行委員会と相談のうえ決定させていただきます。 ※安全面や腐敗・腐臭など著しく気分を害する物などの問題が予想される作品の判断は実行委員会に委ねられ展示不可の場合もありますのでご了承ください。 ※会場のスケジュール管理等は実行委員会に委ねられますが万一作品が破損した場合には責任を負いかねますのでご了承ください。 ※のりっぱ野外展示については危険ではないもの、雨・風等の天候を考慮した作品であることと、展示期間中および夜間が無人であることを特にご了承・ご留意ください。(第3者用保険加入) ※本展の展示スペースには限りがあるため、エントリー者数が許容範囲に達した時点で受付を打ち切らせていただく場合もありますので、ご了承ください。
●募集チラシ兼ポスター(A2サイズ両面)
チラシを置いて頂ける方はご連絡いただけますと助かります。 特別企画 「あっ!トートバッグ展」
キャンバス地製の「せんだい21アンデパンダン展オリジナルトートバッグ」をアートしてください。アンデパンダン展期間中に臨時会場で一日限定展示いたします。 ●日 時 : 2024年9月29日(日) 時間は未定です ●会 場 : 仙台フォーラス駐車場
※オリジナルトートバッグは最寄りのギャラリー(むかでやを除く)でご購入いただけます(価格2,200円) ※ご購入時にトートバッグ展エントリーシートのご記入をお願いします ※昨年購入された方も参加できます! ※数に限りがありますのでご注意ください ※作成したオリジナルトートバッグの搬入は9月1日~9月18日(月は休み)の期間内にターンアラウンドまで持参または発送してください 遠方の方で参加ご希望の場合は実行委員会までメールにてお知らせください。2200円+送料を頂戴して発送します。
●各お問合�� せんだい21アンデパンダン展実行委員会 tel.fax/022-398-6413(月休・混雑時は出られない場合もあります) mail/info※sendai21-independants.com(※を@に)
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DBH全隠しエンドの条件詳細
デトロイトビカムヒューマンには、特定の条件を満たすとエンドロール中に流れる短いムービーがいくつかある。もう5年弱前のゲームだし既にネット上に攻略はあるが、ムービーが流れる条件を細かく検証してみると案外通説と異なるものがあり、特にカーラのチラシエンドと、コナーの禅庭園エンド��よく知られている条件よりもかなり広い分岐で再生される。おそらく多くの人にとって細かすぎてどうでもいい内容になるが、以下の順番に紹介する。
1.初期化【カーラ】 2.チラシ【カーラ】 3.追放【マーカス】 4.フードトラック【コナー】 5.禅庭園【コナー】 6.カムスキーCEO復帰【その他】 (各エンディングの呼び方は正式なものがあるのか知らないので適当。カムスキーのものは厳密には別枠だけど一応紹介)
1.初期化【カーラ】
メモリをリセットされたカーラは、新たな主人であるズラトコに仕え続けている。アンドロイドの改造に勤むズラトコのもとに食事を運び終えたカーラが、真っ黒な視覚ユニットでまばたきをする。
条件: カーラが『ズラトコ』で初期化されてメモリを復旧できないまま時間切れになる
カーラが条件を満たしてい��ばそれ以外は何でもいい。例えばマーカスが起爆装置を押しても問題ない。
2.チラシ【カーラ】
市民が戻ってきたデトロイトの街を歩くカーラが、横断歩道の真ん中で子供型アンドロイド・YK500のチラシが落ちているのを見つけて立ち止まる。
条件: カーラが『交わる運命』か『リコールセンター』でアリスを見捨て、最終章でマーカスかコナーのどちらかが壇上のシーンまで到達する
これは多くのサイトでマーカスが行進か革命を成功させることが条件と紹介されているが、コナーでもOK。以下、手順。
カーラが『交わる運命』で条件を満たす場合 『交わる運命』開始時点(つまり『夜行列車』終了時点)でアリスが「心を開いていない」状態の場合のみ、「突き放す」を選んだ時にアリスと別れるルートに進むことができる。「突き放す」ことで初めて「心を開いていない」ゾーンに入ってもこのルートは解除されないので注意。ジェリコの���撃が始まったら、アリスを探しに戻らずに自分の身を守ることを選ぶ�� コナーが前の章で廃棄されていて襲撃パートが存在しない分岐では、「心を開いていない」状態で突き放しても別れるルートに進めない仕様になっており、そのままカナダを目指すことになる。もしこの状態でチラシエンドの条件を満たしたいなら、『旅立ち』冒頭のスニーキングに失敗して『リコールセンター』に移行すれば可能。
カーラが『リコールセンター』で条件を満たす場合 囲いの中に入る前に他のアンドロイドが撃たれた際、死体の処理を申し出て、捨てた先で一人トラックに乗る。
マーカスが『行進』で条件を満たす場合 最後の選択時点で世論が「共感」以上の状態で、「歌う」もしくは「ノースにキスする」。
マーカスが『革命』で条件を満たす場合 「攻撃に成功した」のみ。
コナーが『サイバーライフタワー』で条件を満たす場合 ハンクにもう一人のコナーを撃たせて生き残るか、もう一人のコナーに意識を転送して生き残り、アンドロイドを覚醒させる。
どういうことか カーラはアリスを"見捨てる"必要がある(結局、アリスが人間ではないYK500だから愛せなかったのだということを、チラシによって再確認させられるエンディングである)。例えば『リコールセンター』では、アリスのストレスが100%になってこちらに駆け寄ってくるのに対し「介入しない」を選択するとアリス一人が死に、そこでマーカスが第5リコールセンターの解放に間に合うと、カーラが一人で生き残り群衆の中で演説を聞くという分岐に行くことも可能だが、見捨てたわけではないこの分岐はチラシエンドの条件を満たさない。 マーカスとコナーは、どちらか一人でも成功できれば良い。例えばコナーが条件を満たせるなら、ノース革命ルートでも可能。なお、壇上シーンまで辿り着きさえすればよく、それ以外の世論とかウォーレンの声明内容とかいった細かな要素はもちろん、マーカスがコナーに暗殺されたか否か、コナーが自害したか否かすら関係ない。つまり例えば焼身自殺したマーカスや、アンドロイドの覚醒に成功して本社地下で死んだコナーは条件を満たさない。当然ながらダーティボムも起爆してはならない。 カーラがどの分岐で条件を満たしたかと、マーカス・コナーがどの分岐で条件を満たしたかの組み合わせは、どれでも構わない。
意味合い的にはどういうことか マーカス暗殺でもコナー自害でも諦めるでも構わないというのが、どうも機械的に条件設定しているような気もしてどこまで真に受けていいものか悩ましいエンディング。また、マーカス単独で武力革命に勝利した場合や、世論が低い状態の行進でコナーしか成功できなかった分岐では、アンドロイドが知的生命と認められることなく殲滅戦が始まることを���感させるなかなか酷い大統領声明で終わるため、これでカーラが人間に紛れて街を歩ける程度の状態が再び訪れました、というのもかなり真に受けていいものか悩ましい。 とはいえ彼らが壇上シーンまで辿り着いたということは、少なくとも人間の軍を撤退に追いやっているので、一応変異体勝利に分類していいのかもしれない。なお、後述のコナーの禅庭園エンドは人間が勝利した分岐で発生し、絶対にカーラのチラシエンドと両立しないようになっている。
3.追放【マーカス】
ジェリコを去ったマーカスは、かつて一人の時間を過ごした廃墟で街を見下ろす梁に立ち拳を握りしめる。
条件: マーカスが『交わる運命』でジェリコを追放されて戻らない
『自由への行進』終了時点でジェリコからの評価を「不評」にしておくことで、『交わる運命』冒頭で追放される。コナーが『最後の切り札』で廃棄されている場合、追放された時点でマーカス編が終了して条件を満たす。コナーが生存しているとジェリコが襲撃されるので、その際に仲間を救いに戻らず、自分の身を守ることを選択する。
4.フードトラック【コナー】
一人朝日を受けて待つハンクのもとにコナーが現れ、二人は抱擁する。
条件: コナーが『サイバーライフタワー』でハンクを死なせることなくアンドロイドの覚醒を成功させ、壇上でのマーカス暗殺を回避し、且つエンディング時点でハンクとの関係が「友情(FRIEND)」である
『最後の切り札』開始時点でハンクの関係が「緊張」以上で辞職させることなく、『交わる運命』でコナーが変異体になり、『サイバーライフタワー』で息子の名前を正しく答え、ハンクにもう一人のコナーを撃たせてアンドロイドの覚醒に成功する。マーカスは『行進』なら「アンドロイドが一時的な自由を手に入れた」、『革命』なら「攻撃が成功した」。コナーはカムスキーの非常口を使ってサイバーライフからのハッキングを阻止し、マーカス暗殺を回避する。
かなりどうでもいい補足 上記は一般的に知られている条件で、これらに加えてハンクの関係が「友情(FRIEND)」未満だとこのエンディングが流れないことが分かった。未満でエンディングに行くのを実現するには、ハンクを辞職させない可能な最低ラインに調節したうえで、可能な最大回数だけハンクの好感度を下げる会話選択肢��発生するような険悪な分岐をあらかじめ辿っておき、なおかつソフトウェアの異常を十分に蓄積する、という意味もなく繊細なプレイを要するし、多分制作も想定していない気がする。一応、実際にやっている動画をアップした。どうして英語かというと、日本語ローカライズはFRIENDとその下のWARMがまとめて「友情」と訳されていて支障があるから。 ちなみに「相棒」トロフィーもFRIEND未満だと取得できない。このトロフィーの取得条件が"Hank and Connor were friends until the end"なので、WARMはトモダチじゃないのだろう。よって、内部データ見てないので断言はできないがフードトラックエンドと「相棒」トロフィーは好感度を参照してるはず。
5.禅庭園【コナー】
変異体の権利闘争が失敗に終わり、コナーが禅庭園にアクセスする。アマンダは、これから市場が元通りになるであろうこと、国務省がコナーの改良型を大規模登用する予定であることを伝え、無用となり停止を命じられたコナーはアマンダのもとから歩き去る。
条件: 最終章でコナーが『最終任務』に進み、ジェリコのリーダーが最終章開始時点でマーカスの場合はマーカスがいくつかの特定の方法で死ぬ、ノースの場合はコナーがノースを殺す
このエンドの条件は革命マーカスが死んで機械コナーがミッションを完了することだと紹介されているページがたまにあるが、実際は行進でもいい。さらにどちらかというとミッション云々というコナー個人の行動よりも、ラストシーンの大統領声明の内容の方がこのエンドにほぼ対応していると言える。ただし、バグっぽいものもある。順を追って説明。
コナーは『最終任務』なら何でもいい 『交わる運命』で機械を選ぶのでも、変異体になってジェリコで兵士に殺されるのでも、教会でマーカスに殺されるのでも、どれでも問題ない。だからアマンダとの関係が「裏切り」の状態で最後の禅庭園に迎えられる場合もある(差分はないが)。 『最終任務』は、ハンクかアラン隊長に殺されても次の機体が派遣されてマーカス編フローチャートまで関与できることが確定しているので、コナー編フローチャートの結果はどれでもいい。最後の機体さえ死ななければいいので以下の項目で説明する。
マーカスが『革命』で条件を満たす場合 起爆装置を押すことなく死にさえすれば条件を満たす(ただし当然、コナーは相打ちで死んではならない)。コナー自身が手を下さなくとも、収容所攻撃中に数回被弾して死ぬのでも構わないし、サイバーライフストアでノースと二人で自害したり降伏して射殺されたりする、コナーが登場すらしない分岐でも構わない。 ノースが生存している状態で、マーカスが数回被弾して死ぬ場合と、マーカスVSコナーでコナーが勝利する場合(マーカス操作で負けてもコナー操作で勝っても同様)は、コナーが次のリーダーであるノースとサイバーライフストアで対峙する流れになるが、この時にノースを見逃したとしても禅庭園エンドは流れる。つまり「コナーがノースを見逃した」という「ミッション完了」しない結果に辿り着いたとしても、同フローチャート内でマーカスが死んだ結果にも重複して辿り着いているので、そちらで既に条件を満たす判定になっているんじゃないかと思われる。 あとはバグと思しきもので、マーカスが起爆装置を持っている状態でサイバーライフストアに逃げ込み、コナーがマーカスを見逃した上でマーカスが起爆しないことを選ぶと、マーカスは撃たれた場合と同じモーションで頭をうなだれ、最後のニュースでは「リーダーのマーカスが撃たれた」と報道される。この時フローチャートは、「コナーがマーカスを見逃した」「コナーがマーカスを銃殺した」という矛盾する2つの結果に重複して辿り着いた状態になってしまっており、後者が条件を満たすことから禅庭園エンドが発生する。こういう明らかなバグはアップデー���で直されたりすることもあるが、とりあえずPS4ではこうなった。
ノースが『革命』で条件を満たす場合 マーカスが『自由への行進』で死ぬか『交わる運命』でジェリコを去るかして、最終章開始時点で既にノースがリーダーである場合は、サイバーライフストアでノースを「撃つ」のみが条件を満たす。ここで「見逃す」を選べば、上記のようにマーカス死亡の結果と重複することがないからか、禅庭園エンドは回避される。
マーカスが『行進』で条件を満たす場合 最後にバスの前に追い詰められて行動を選ぶ際に時間切れで何もしない、もしくはパーキンスの交渉を受け入れる、の2つが条件を満たす。
意味合い的にどういうことか 端的には、これらの条件を満たすマーカス編の結果は全て最後に大統領が「事態は収束した」と同じ文面を話すものになっており、これはサイバーライフの一方的勝利と言うことができるので、その時にコナーの最後の機体が生存していれば事の顛末をアマンダから聞かせてもらえる、というのがこのエンドだと考えるのが最も実情に近いと思う。例えば、『行進』で世論が「無関心」以下の状態で「歌う」「ノースにキスする」、或いは世論に関係なく「自己犠牲」すると、マーカスは死ぬが世間は動揺して、大統領がアンドロイドの処分を一旦見送るという声明を発表する。このように市民感情が変異体に傾いている分岐は、サイバーライフの一方的勝利とは言えない。よって、最終章時点でコナー個人に与えられているミッションは変異体リーダーの破壊だが、死と引き換えに世論を動かしたマーカスの機体の停止をチェックして「ミッション完了」の演出が表示されたところで、禅庭園エンドには至らない。つまり「ミッション完了」したかどうか自体は条件に直接関係ないと言える。こういう基準のようなので、当然演説中に暗殺しても条件を満たさない。 ただし、バリケード防衛のQTEでマーカスが負けて射殺される分岐は、大統領声明の文面がその他条件を満たす分岐と全く同じ「事態は収束した」であるにもかかわらず、何故か隠しエンドが発生しない(おそらくバグかと思う。マーカスQTE失敗負け分岐は、例えばコナーのアンドロイド覚醒成功分岐と組み合わせると、『行進』なのに『革命』用の報道パートが流れてしまう現象もあり、不具合の多い分岐に見える)。 あとは、上で説明したように『革命』の場合に最終章内でマーカスが何らかの形で死ぬと、最後にコナーがノースを見逃しても隠しエンドになるが、これもちょっと不自然な気がして真に受けていいのかよく分からない。ノースがマーカスを代理する箇所は『交わる運命』以降いくつか存在するが、マーカスの説得でコナーが変異体になったりサイバーライフストアでコナーがマーカスを見逃したりするとアマンダとの関係が「裏切り」に下がるのに対して、ノースの場合はいずれもアマンダの関係が変動しないのが明らかに開発の見落としっぽいので、ノースリーダール���トのスクリプトは若干信用ならない。とはいえ本当にかなり複雑な分岐管理をしているので凄いと思っている。
隠しエンドは以上。 なんとなくコナーのフードトラックは革命の翌朝っぽい、カーラのチラシは数日後っぽい印象を受けたが、この2つを同時に条件満たしてみたらカーラが先に流れた(まあ別に時系列順で流しているとは限らないが)。他に「カーラ初期化・マーカス追放・コナー禅庭園」「カーラチラシ・マーカス追放」の組み合わせは同時に条件満たせるはずなので再生順を調べようと思えば調べられるけど疲れたからやらないかもしれない。 次のカムスキーエンドは、クレジット途中ではなく本編扱いで流れる長めのムービーなのでやや別枠となる。
6.カムスキーCEO復帰【その他】
FBIがジェリコに攻撃を仕掛けたことを機に、変異体の権利闘争は収束へ向かう。一連の事件を受けてサイバーライフのCEOに再任命されたカムスキーは、アンドロイドは生命を真似てみせるだけの従順な機械であることをカメラの前で明言する。
条件: カーラが『ズラトコ』以前の章で死亡するか初期化されたまま終わりを迎え、コナーが『最後の切り札』で停止処分になり、マーカスが『自由への行進』で死ぬか『交わる運命』で追放される
カーラ 『夜のあらし』でトッドに殺されるか、『逃亡』で高速道路横断に失敗して死ぬか、『ズラトコ』でズラトコに殺される、もしくは初期化されてメモリを復旧することに失敗する。(「心を開いていない」アリスを突き放すルートでは、そもそもコナーが廃棄されて襲撃が起こらないとアリスと別れることができないためカムスキーエンドの条件を満たせないので注意)
コナー ジェリコの鍵を持たず、証拠も不足した状態で『最後の切り札』を迎えるか、証拠が足りている場合はパーキンスの陽動や証拠保管室で時間切れになって停止処分を言い渡される。
マーカス 『自由への行進』で死ぬなら、「自分を犠牲にする」か、「攻撃する」で負けて自害するか、自害しないことを選択するものの警官に射殺される、の3つ。自害以外の2つは、ジョンもしくは好感度が「友情」以上のサイモンがいるとマーカスを庇うので死なない。自害はいかなる場合も死ぬ。 もしくは『自由への行進』終了時点でジェリコからの評価が「不評」の場合は、『交わる運命』で追放されることでもカムスキーエンドの条件を満たす。
マーカスが死ぬ形で条件を満たした場合は『最後の切り札』終了後に、追放される形で条件を満たした場合は『交わる運命』終了後に、カムスキーエンドのムービーが始まる。
余談(以降、攻略に有益な情報なし)
カーラとマーカスの隠しエンドについては、さっさと終わってしまった分岐の物足りなさを補うようにオマケを付けといてくれた感じがするが、ズラトコリセットがカーラの隠しエンドにピックアップされているのは面白いと思った。カーラ編自体、初期化されて店頭で目を覚ましたところから始まり、トッドの部屋でチラシを見た事実を「忘れる」ことで旅が成立していた。別にアリスがいいなら一生寒がってくしゃみしてても構わないと思うが(どうかと思うけどそういう人生も多分あるのだ)、それでもカーラはいずれ思い出さなければならず、だからこそ忘却の末路に真っ黒に改造された目で痙攣するようにまばたきするのが核心的な悲劇性を帯びる。
YK500のチラシを見る方のエンドはどう受け取るべきか若干難しい。そもそもアリスがアンドロイドだったというネタはプレイヤーへの「それでも受け入れられるか?」という問いとしての側面のみ強く機能している感があり、カーラがチラシの存在を忘れるまでしてアリスに人間であってほしいと願った動機を読み込むと多少アクロバティック解釈の領域に踏み入らざるを得ない。コナーの機械ルートは、アマンダの好感度が存在するおかげでちゃんと選択する動機がゲームの中に作られていたし脚本もかなり良かった。「アンドロイドを愛せないような気がするカーラ」も調理の仕方によっては多分面白くできたはずだ。愛すべき人間の子供を捏造して生き延びる動機を得た自分自身は人間ではなくアンドロイドで、それは確かに往来が過ぎ去っても横断歩道の真ん中に立ち尽くす程度に切実な実存的危機だ。
マーカスの追放エンドはなんとなく「マーカスくん納得してないからもう一周プレイしてみてね!」と言われているような気がした。このエンドについて何を言ったら���いのか全く分からない。
コナーのフードトラックエンドは、『鳥の巣』冒頭でこのハンバーガー屋が出てきた時の(高速で死んでない場合の)タスク「警部補と和解する」が時間差で達成されたようでロケーションに感慨深さを覚えた。『鳥の巣』でも適当に機嫌を取って警部補の態度を軟化させることはできるしその後も友情を築くことはできるが、どこかで憎しみの話をしなければと彼らがずっと思っていたのであれば、これは和解の抱擁と呼ぶべきだ。
禅庭園エンドは、条件が信用していいのか雑なのかよくわからんチラシエンドに比べて、「サイバーライフが勝利した」と言える分岐で基本的に条件を満たすという結構すっきりした検証結果が得られて良かった。ともかくコナーが徹頭徹尾従順でいたわけではない分岐でも(マーカスが勝手に死んだ分岐などでも)発生するということなので、変異体が敗北すれば必然的に歴史と共に死すほか(ほぼ)なしという点で、よく投げていたあのコインに刻まれた"LIBERTY"の一語は「サイバーライフのアンドロイド」の境遇をよく表していたのではないか。本源的自由(FREEDOM)などなかった。
カムスキーエンドについては前に書いた。
以上。ちなみに隠しエンドが流れるまでの映像ありクレジットはスキップできないので、検証にあたりクレジットの音楽を何十回と聴くはめになった。幻聴が聴こえるので幻聴をレビューする。
映像あり部は全てコナー編のNima Fakhraraの曲になっている。
1. Meet Markus(マーカスと殺し合う時にコナー操作を選んだ場合の曲) 2. What's Your Mission(ジェリコ襲撃が始まる時の曲) 3. Run with Me(高速へ逃げるカーラを追う曲) 4. I Trust You(起爆ミッション代理もしくは吹雪の禅庭園の曲)
というように、1~3に関しては極力他の主人公と絡みがあるシーンの曲がピックアップされている。Run with Meなどはサントラではカーラ編担当のPhilip Sheppard名義で収録されているが、シンセ主体の低音部がコナーパートになっている。 明らかにダニエルの台詞「君を信じる」から取られているI Trust Youは、吹雪のシーンで使うからかどうもリズムの掴みにくいモヤのかかったような印象だが(何拍子なのか全く分からない)、モンバサ的な派手なチェイスシーンでよく使われた曲と対照的に、出だしで下降フレーズを多用するのでどこか落ち着いた強さがある。
映像なし部に入るとマーカス編のJohn Paesanoの曲になる。
5. We Are People(戦闘シーンの曲) 6. Can We Still Trust Our Machines(パラシュートの時の曲) 7. サントラ該当なし、廃棄場の坂を登る時の曲
We Are Peopleはマーカスメインテーマのピアノフレーズが使われていて、『自由への行進』と『行進』バリケード防衛の戦闘シーンで流れる曲であるにもかかわらずゆったりした曲調なのが特徴。特に『自由への行進』で、一瞬マーカスが心ここにあらずといった様子で乱闘を眺める場面でのフレーズの聴かせ方は秀逸だった。
8. Kara Main Theme
カーラ編からは長めのメインテーマ1曲のみ。メインテーマは例の反復フレーズ主体に、途中からピアノパートが入り、最終的にメリーゴーランドシーンのCarouselにあったようなちょっと幼い感じの鉄琴的なやつが入ってとても豪華になる。しかし同時にDark Nightにあったやや耳障りな短く高い電子音が後ろで小さく鳴っていて、常にトッドの家の原風景がそこにある。煌びやかさと不穏さが同居するかなり良いアレンジになっている。
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ハレルヤ
2023/12/28
写真は兄から送られてきた🍊みかんです。良いタイミングで来ました😃✨
さて、
最近は、ほとんどAIで動画ができているであろう投稿をYouTube でみかけます。でも、ちょっと変だけど、視聴回数が多くてみてしまう…
AIで文章を作成、それをAIで音声読み上げして、さらに、AIでその音声に合わせた動画が自動て作成され、投稿されてる。
12月と次のこころゴスペルのチラシの、デザインがAIで作成されてたり、SNSで、上がってたYさんの迫力あるステ���ドグラス風の絵とかもAIですよね。
うまく使えば、便利だけど、ちょっと怖い…でも、主よ、ついていけますように…
AIがアドバイスしてくれたり、対応してくれたり、するんだよね。
そうだ
最近、SNSでの奉仕が与えられました😃
主よ、みこころのものを日々上げれますように。
今日も主に感謝します✨✨
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新人公演35期紹介?
どうも、アサギです。どうやら僕は最近の色々で感情の荒ぶりを抑えれないようです。その勢いのまま素敵な同期達を紹介しようかいとか思ってます、紹介という体をとって褒めるか、本音を書いてます。今回は真面目に書いてみます。コロネさんのセリフを添える役者紹介がすごく好きだったので僕も添えちゃいます。なぜそのセリフが好きなのかは聞いてくれれば教えてくれるかも知れません。
追記 途中から迷走しちゃいました
書き終えた私より
縦縞コリー
純真なピュアっピュアっ少年です。よく通る声を持ち、すごく分かりやすい性格(いい意味で)をしている可愛いやつです。あんまりにも真っ直ぐなもんでついついイジりたくなってしまいますね。彼と接している時は何だか同期というより後輩に接しているように思える時があります。逆に彼はどんな先輩になるのでしょうか…。このままでいて欲しい気持ちと精神的に成長していく彼を見ていたいという気持ちは半々です。幸せになれ。それいけ、衣装チーフ
「これで怪盗コーデはコンプリートだよ…名怪盗くん。」
警部(怪盗とその考え方)
あろハム権左衛門
何だこの芸名選手権全日本一に輝いたとか輝いていないとか。よく僕は彼女をガキンチョとか言っていますが、どうでしょうか?分かりますかね?。精神的にと言うより無邪気に暴れ回るあの感じが幼少期の嵐のようなパワーのように思えるのです。今公演はそんな彼女の母親としての姿を見る度に心の中でガキンチョって言ってごめんなさいと3回唱えてしまうほどに彼女のキリッとした声色と演技がマッチして母のイデアを感じます。
あろハムよ、お前の声帯が欲しい
「食べちゃったんだ、ウサギ」(検閲解除)
母(某人間)
海泥波波美
僕。カスっ!!
「….悪くなかったな」
なおや(息を吸う、吐く)
苔丸
おばあちゃんから小学生。宇宙飛行士から学生気づいたらとんでもないぐらい役の幅が広くなってる、と思ったら裏方では幕、衣装、キャスパ、小道具とかなんか色々作ってる。千手観音の利き手とは言い得て妙である。誰よりもちゃうかが大好きで誰よりもちゃうかのためを思ってる。気づいた時には天地開闢でもしてるかもね。
「はじめ、はじめ、なあ、はじめ」
文(香夜)
冊まいむ
お姉さんって感じの役が似合うと思ってた、思ってたんだ、思ってたんだよ。今回の役いいよね、いいよね?ってなるぐらいに彼女の声と演技が好きです。個人的にはちゃうかで1番演技が好きです。なのに、なのに、、、何でそんなに変な子なんでしょう……、順当に変な子です。彼女とはちゃうかに入る前に別のサークルで2回ほど会っているのですがそんな片鱗はありませんでした、なんならおとなしい子だなぁって思ってすらいました。そんな子に育てた覚えはありません…お母さんは悲しいです。
「怪我なんてどうだっていい!本質はそこじゃない!」
霧島(愛があるかい)
衿君
僕は彼の名付け役です、パパです。ちなみにエレクトリックという単語から由来しております。普段の物静かな雰囲気からの彼の演技のギャップに脳をやられている人も多い事でしょう。今公演のこの役は彼でなければあそこまで良いキャラになってなかったでしょう、最高に面白いですね。彼ともっとお話ししたいのですが僕は彼とする不良ごっこが大好きで、気がついたらやってしまうので残念ながら会話になりません。
「痛いですよ、先生」 (検閲解除)
遠藤(某人間)
ミル鍋
2人はチソキュアの片割れでありセンス抜群宣美チーフの京都人です、今日も元気いっぱい京都からはるばるちゃうかにきております。今回の舞台は彼女と一緒に考えました、なんだあれ?最高じゃん。僕の存在意義が揺らぎますね、最悪の場合は彼女からペンを取り上げることも辞さない覚悟です。演者としては人間を演じている回数より人外を演じている回数の方が圧倒的に多い彼女です、毎回ハマり役なんですよねー。京都人は人外という説、、、あると思います
「そうだね」
辻井(華幻の月)
大福小餅
オムニの仲良し同郷3人組の一員でありながらも地区が違いすぎて同郷の話で盛り上がれない事が多い子です、さみしいたけ。舞台監督を精一杯頑張る姿に負けてられないなとか思ったり思わなかったりています。最初彼女のラップを聞いた時可愛らしいなと思ってたら、いつの間にかめちゃくちゃカッコよくなっていました、どうやらめちゃくちゃ頑張ったらしいです。いつも気づいたら自主練をしている本当に努力の子です。
「���丈夫、きっと全て上手くいく」
魔女(息を吸う、吐く)
中森ダリア
1人わがままファッションガールズモードの人です。なのに、絶妙な所で趣味が合うのが面白い。公演中は彼女の歯に物着せぬ喋り元気づけられましたね、ありがとなす。彼女がいなければ無かったかも知れないあのシーンが僕は大好きです、彼女のラップはセンスが大爆発しております。またいつか違うのもやってみて欲しいなぁー、絶対カッコいいから。僕が好きな彼女のセリフは消えてしまったあのセリフです
「でも、大人だからぁーーーー」(検閲解除)
助手2(某人間)
帝京魂
暇そうだったからちゃうかに誘ってみたら本当に来たやつで唯一の同学部で同年代である意味僕の被害者ですね。一時期は「しゃあないの人」というとても名誉なあだ名で呼ばれていましたが秋公を経て、ちゃんとコンと呼ばれようになった姿に不思議と感動を覚えます、彼のどこか人を惹きつける雰囲気の賜物でしょう。それくれよ。今でもたまに見るシャアハラはどこか微笑ましいです。しゃあないよ、永遠なれ
「しゃあない、ばあちゃんもいろんなとこ顔出しとったし、親父の知り合いもいっぱいきとったんやろ」
一 (香夜)
しょこら
同郷、同じ予備校出身であり、きっとちゃうかに入る前にもすれ違っているであろう僕ら。そんな僕らの運命が交錯したのはちゃうかに入ってからだった
〜〜〜〜[オープニング]〜〜〜〜
とか言うとりますけどもねぇ、そういえば彼も僕が名づけの親です。パパです。役者として他の人とは違う独特のリズムを持つ彼の今回の役はどうでしょうか?……はい、ピッタリですね。逆にこれしかないというぐらいにはハマっているのではないでしょうか?秋公で見せた某M氏とのアドリブは記憶に新しいですが、きっとあのインパクトを超えてきてくれるでしょう。もっともっとはっちゃけて楽しもうぜ!!!
行くぞ!!我らチャレンジn=1年生
「痛いですよ」(検閲済み)
ルロイ修道士(某人間)
黒井白子
今回の公演で否応無しに目を引くこの男ぉぉ!!!白子ぉぉぉ!!。彼も僕が銀杏祭で引っ張ってきたという話もご存知の方も多いでしょう、なんか「えびで鯛を釣るとはこの事かー」とか言う声が聞こえてきそうですが僕はヤドカリです。道化師という役は彼以外に演じる事は出来なかったでしょうね、彼の一挙手一投足がこの劇に彩りを与え、彼の演劇への愛が周りの演技力をメキメキメキシコと育て上げました。しかし、彼のフルパワーはきっとこんなも��ではないのでしょう……。いつか、彼の全身全霊が見える、そんな舞台を作ってみたいです……
「……感謝とか、謝罪とか……伝える前にお母さん行っちゃったんだぞ!?もうすぐ、月に行くんだぞ……」
翔太(華幻の月)
鴨兎春
おばs、いえいえ、2人はチソキュアの片割れにしてハイセンス関西人舞美チーフさんです。今回の読み聞かせの人の雰囲気は普段の彼女とはまた少し違ってて、なんかこうさ、良いよねーって感じ、オーラがあるよね。僕は彼女の反応が大好きで普段よくいじってしまいますが最近は水を得た魚の如く、いや、酒を得た肴の如くカウンターを決めてくるようになってきました、あええ。こんな風に軽口を叩いておりますが役職的には僕のものづくりの��棒でいつも圧巻のチラシや立て看板を作ってくれる彼女のセンスは本当に頼もしいです、絶対に口では言いませんがね。あれ?チソキュア2人で大道具と舞台美術成り立つくね?俺いらなくね?………はい、彼女から筆を取り上げましょう。
「雨が、冷たい、痛い、寒い。もはやこれが現実なのか夢なのかもわからなくなっていた。それが現実だとわかったのは、目の前に大きな光が現れたすぐあとだった」(検閲解除)
読み聞かせの人(某人間)
園堂香莉
超美声、炎の照明ファイターさん。わずか2ヶ月弱前というのに彼女の役者姿が恋しいですが舞台上で彼女の作る照明を見て「この辺で勘弁しといてやろう」とか思ってます。ところで、彼女の作る照明は言わずもがなですが彼女の文章ってらすごく美しいと思いませんか?僕は大好きなんですよ、透明感って言葉を体現してますよね。僕は文章には書く人の知性や人生経験、性格がかなり反映されるものだと常々思っているのですが彼女の文章に宿る透明感は何由来なのでしょうね?興味は尽きません。詩集を出す時は言ってくださいね、20冊買います。
「いいじゃん。猫探ししよっか!」
ゆき(息を吸う、吐く)
まろん
ちゃうかのオペ職人さんです。仕込み期間以外ではふらりと舞美作業に現れ、手伝ってくれます。あんまり喋らない同期と喋れるのはすごく嬉しいので来てくれるとすごく嬉しいです、つまりすごく嬉しいです。そういえば彼女はちゃうかとは違うサークルで楽器を弾いているようですね。いつか頼み込んで幕裏から弾いてもらおうかしら
テキストを入力
化け物映像職人。最初の方はちゃうかで見かける事はあんまり無くて喋れなかったけど最近は仲良くなれたと勝手に思ってる、嬉しい。彼が楽しそうにしてる姿はこっちもこっちでテンション上がります。ちゃうかを楽しんでくれているみたいで本当に嬉しい。彼の作る映像に外れはない。PV待ってます
紫仏瑠唯
どうやら僕とは対極の授業態度の人らしいですね。彼女とはオムニで話した以来、じっくりコトコト会話はできておりません。しかしまぁ、そのオムニでの我々の会話は酷いものでペルソナシリーズにおける至高の作品は何かという議題で戦争を起こしました。危うく日本全土を巻き込む所でした、ふぅ。また、戦おうじゃないか戦友("とも"と呼みます)よ。あ、あと久しぶりに役者する姿も見たいや。待ってます
「ふふっ。それじゃあ、ご飯食べようか。冷めちゃったけど」
真由美(オレンジ)
近未来みーら
同郷にして永遠の相方。僕と彼はびっくりするほど考え方が違うんですよ、なのに相方。だからこそなのかも知れません。なんなら相方って言ってるのは僕だけなのかも知れません。それはともかくとして、彼はどうやら自分に自信が全然無いようです。だから褒めます。多分彼の文才はみんなが褒めてくれると思うのでそれは二億光年先に置いときます。彼と会話をしているとマジで1分に1回の頻度で人を褒めています。僕は人の事をこんなに素直に褒めれる人に出会った事がありません。人の良い所を見つけられるのも、それを素直に口に出せるのも、誰しもがおいそれとはできるような事では無いです、断言します。それをさらっとできるのが何よりもの彼の美徳であり才能です、もっと自信を持って欲しいです。そんな彼だからこんな素敵な劇が作れたのだと思います
「ふざけんなそれだと1本足りねえだろ!!」
B(怖い話でもしよう)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
文章であれ、会話であれ気持ちを言葉にするって難しいですよね。僕は正直かなり苦手です。というのも、書いていて、話していて、3割も伝わってないのだろうと心の中で思ってしまうからです。それをいつも笑って誤魔化してしまいます、なんならそのせいで誤解を生んだり、人を傷つける事もあります。
新人公演、大切な節目の時です。ふざけながらですが柄にも無く、ちゃんと伝える文章を書きました、久しぶりに書きました、精一杯書きました、筆が止まる事がなく書けました。少しでも伝わっていたら幸いです。
35期よ、健やかなれ
センチメンタルジャーニー アサギ
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はじめに 2024年11月17日、兵庫県知事選挙にて、斎藤元彦さんの当選が決まりました。心よりお祝い申し上げます。前代未聞の歴史的な選挙が無事に終わった今、「SNS」という言葉が一人歩きしてしまっているので、今回広報全般を任せていただいていた立場として、まとめを残しておきたいと思います。 この記事が、今後の選挙で候補者を支える関係者の皆さまに、そして広報に関わる全ての方にとって、役に立つものとなることを心から願っています。 「広報」というお仕事の持つ底力、正しい情報を正しく発信し続けることの大変さや重要性について、少しでもご理解が深まるきっかけになれば幸いです。 目次 はじめに スタート 1. プロフィール撮影 2. コピー・メインビジュアルの一新 3. SNSアカウント立ち上げ セキュリティについて 公式アカウントとしての信頼感の担保 ハッシュタグについて 4. ポスター・チラシ・選挙公報・政策スライド 5. SNS運用 すべて表示 スタート 今回の知事選では、新たな広報戦略の策定、中でも、SNSなどのデジタルツールの戦略的な活用が必須でした。 画像 オフィスで「#さいとう元知事がんばれ」を説明中 その時作成した資料を一部公開します。 画像 提案資料(一部) 画像 1. プロフィール撮影 まず、プロフィール写真の撮り直しからスタート。3年前の兵庫県知事選挙の時のイメージは、今の斎藤さんのイメージと異なるため、撮り直しのご提案をしました。大阪にプライベートスタジオをお持ちの信頼できるカメラマンさんと、友人に紹介してもらったヘアメイクさんに急遽ご依頼をしました。 画像 全ての告知物に使われる重要な写真なので全員で念入りにチェック 2. コピー・メインビジュアルの一新 画像 X本人アカウントでのコピー・メインビジュアル一新の投稿 次に、コピー考案とメインビジュアル作成に移りました。 コピーは、以前の「躍動する兵庫」から「兵庫の躍動を止めない!」へ。 カラーは、兵庫県旗の色を意識した「兵庫ブルー」をベースとした斎藤さんオリジナルの「さいとうブルー」に一新しました。斎藤さんの持つ、芯の強さと柔らかさを、グラデーションカラーで演出しています。グラフィックエレメントは、ご本人の出身地である須磨の海をイメージした波を採用しました。右斜め上に向かわせることで、 今回の選挙戦を突破し、斎藤さんの率いる改革が進み、兵庫が躍動していく様子を表しています。また、斎藤さんご自身の「人生」を表してもいます。 画像 提案資料(一部) 画像 メインビジュアルを一新 メインビジュアルの統一を徹底するため「デザインガイドブック」の作成も合わせて行いました。選挙カーや看板を制作してくださる業者に配布し、統一したデザインで素敵に仕上げていただきました。 3. SNSアカウント立ち上げ 当時、世の中は100%の反斎藤ムード。 一方、少数ではあるものの、Xなどで斎藤さんを応援する声がチラホラ出初めておりました。 プロフィール撮影やコピー・メインビジュアルの作成が完了したタイミングで、【公式】さいとう元彦応援アカウントを立ち上げ、ご本人のSNSアカウントとは別に、応援したい人が集えるハブとして運用を開始しました。 画像 公開前のX公式応援アカウントプロフィール セキュリティについて 全てのアカウントで、認証アプリを活用した2段階認証の設定を徹底し、乗っ取りやアカウントバンなどへの対策を行いました。 公式アカウントとしての信頼感の担保 X本人アカウントが、この公式応援アカウントをフォローし、フォロー数を1としたことで、本人公認の公式アカウントであることが明示され、ユーザーが偽アカウントなどと混乱しないような対策を施しました。 ハッシュタグについて 斎藤さんへの世の中の見方を変えていく上で重要だったのが、ハッシュタグ「#さいとう元知事がんばれ」です。 当時、様々なアカウントで多種多様なハッシュタグが使用されており、公式としてタグを一本化して発信することで、応援の流れに方向性を提供する必要があると考えました。また、タグが統一されてポスト数が増えていくことで、アルゴリズムにも有利に働くため、急速な支援の輪の広がりも期待できます。 「#さいとう元彦がんばれ」ではなく、あえて「知事」を入れることで、「さいとうさん=知事」という視覚的な印象づけを狙いました。さらに、「元彦」さんと「元知事」を掛け合わせて、「前知事がんばれ」ではなく「元知事がんばれ」としたのも、こだわったポイントです。 ハッシュタグというシンプルで簡単に見えるワードでも、それをどのように拡散してもらいたいのか、表記揺れなどを最小限にできるか、入力しやすいかなど様々な視点を考慮して設計することが大切です。 2024年10月7日のX公式応援アカウント公開の翌日には、約2万件の投稿に付与されトレンド入りしました。 4. ポスター・チラシ・選挙公報・政策スライド 今回、既存のやり方は通用しないと考えていたため、紙媒体も既存の型にははめず、斎藤さんのことを分かりやすく様々な年代の県民の皆さまに届けるためにはどうしたら良いのか、仕様やサイズの異なるそれぞれの媒体でのベストをデザインチームと日夜追求しました。斎藤さんの今回の選挙におけるブランドイメージを統一すべく、全ての制作物は先述のデザインガイドブックに準拠する形で制作しています。 画像 制作した告知物 中でも最も作成に時間を要したのが、こちらの公約スライドです。ご本人から上がってくる文字のみのワードファイルを読み解き、どのような方でも見やすいデザインを意識したスライドに仕上げるため、2024年10月23日に行われた記者発表のギリギリまで手直しをしていました。 画像 公約スライド(一部) 画像 公約スライド(一部) 公約スライドの全貌はこちらからご覧いただけます。 https://saito-motohiko.jp/wp-content/themes/saito_motohiko_v3/img/saito-motohiko_20241023.pdf 画像 X本人アカウントでの記者発表に関する投稿 当日の発表では、公約スライドをパネルとして印刷していただき、多くの媒体に掲載されました。��挙期間中には事務所の壁にも掲示されており、県民の方に斎藤さんの政策や想いを届けることができました。 政策発表記者会見も1番手で行うことを目指し、全広報活動において、スピード感や小回りの利いた対応を常に心がけ、「先手」を意識しておりました。 5. SNS運用 斎藤陣営が公式として情報を発信していたのは、以下のX本人アカウント、X公式応援アカウント、Instagram本人アカウント、YouTubeです。TiktokやLINEなど他にも様々なSNSがあるため、リソースが潤沢に準備できる陣営であれば、全方位的な運営ができたのかもしれません。ただ、今回は本当に限られたリソース(皆さま本業もお忙しい)での運営でしたので、戦略に基づき最適な媒体を取捨選択しました。私のキャパシティとしても期間中全神経を研ぎ澄ましながら管理・監修できるアカウント数はこの4つが限界でした。 ◉X本人アカウント:元兵庫県知事 さいとう元彦(当時) https://x.com/motohikosaitoH ◉X公式応援アカウント:【公式】さいとう元彦応援アカウント https://twitter.com/saito_ouen ◉Instagram本人アカウント:さいとう 元彦 https://www.instagram.com/motohikosaito_hyogo ◉YouTube:【公式】届け、さいとう元彦の声 https://www.youtube.com/@motohikosaito_hyogo 運用でこだわったポイントは大きく以下です。SNS戦略については、こちらのnoteでは収まりきらないので、また別記事で公開できればと思っています。 ・ブランドイメージの統一 ・ご本人のリアルな姿や人柄が伝わるコンテンツを届けること ・政策を分かりやすいビジュアルや表現で県民に届けること ・各SNSに適したレイアウトや内容に最適化して届けること ・できる限り配信回数を増やして多くの情報を届けること 画像 Instagram本人アカウント投稿 画像 Instagram本人アカウント投稿 画像 X本人アカウントの投稿 画像 X公式応援アカウント 私が監修者として、運用戦略立案、アカウントの立ち上げ、プロフィール作成、コンテンツ企画、文章フォーマット設計、情報選定、校正・推敲フローの確立、ファクトチェック体制の強化、プライバシーへの配慮などを責任を持って行い、信頼できる少数精鋭のチームで協力しながら運用していました。写真および動画の撮影については、現地で対応してくださっているスタッフの方々にお願いすることをベースに、私自身も現場に出て撮影やライブ配信を行うこともありました。 画像 選挙カーの上から臨場感を届けるためのライブ配信中 今回の支援期間中にフォロワー数は以下の通り急増し、注目度の高さを日々感じていました。結果、X公式応援アカウントは、東京都知事選挙で盛り上がりを見せた【公式】石丸伸二 後援会のフォロワー数54,000を超えておりました。 ◉X本人アカウント:元兵庫県知事 さいとう元彦(当時) 約78,000(9月末時点)→約243,000(11月20日時点) ◉X公式応援アカウント:【公式】さいとう元彦応援アカウント 0(10月7日立ち上げ)→約64,000(11月20日時点) ◉Instagram本人アカウント:さいとう 元彦 約6,800(9月末時点)→約36,000(11月20日時点) ◉YouTube:【公式】届け、さいとう元彦の声 0(10月11日立ち上げ)→約48,300(11月20日時点) 2024年11月19日、斎藤さんが第54代兵庫県知事に就任されたと同時に「#さいとう元知事がんばれ」から「#さいとう元彦知事がんばれ」へとハッシュタグをアップデートすることで、この物語は無事に幕を下ろしました。 選挙は広報の総合格闘技!? 実際選挙を終えてみての私の率直な感想は、「選挙は広報の総合格闘技」であるということです。質・量・スピード全てが求められ、食べる暇も寝る暇もない程でした。脳みそを常にフル回転し続けなければならない点が、最もハードでした。ただ、やはり会社を設立してから仲間とともに日々真剣に広報と向き合ってきたこの8年の経験があったからこそ、この大きな試練も乗り越えることができたのかなと思います。 今回、様々なメディアで「広報・SNS戦略」を誰が手掛けているのかについて憶測が飛び交い、「大手広告代理店がやっている」やら「都内のPRコンサルタントが手掛けている」やら本当に都度事実無根の記事が拡散されていることは身内から聞いていながらも、当時、目の前の成果物を仕上げることだけに集中するようにしていました。当選後の日経新聞の記事や大手テレビ局の複数のニュース番組でも、「400人のSNS投稿スタッフがいた」という次なる「デマ」がさも事実かのように流されてしまい、驚きを隠せないと同時に、「私の働きは400人分に見えていたんや!」と少し誇らしくもなりました。そのような仕事を、東京の大手代理店ではなく、兵庫県にある会社が手掛けたということもアピールしておきたいです。 日経新聞の記事: https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUF15D1O0V11C24A1000000/ そして、SNSを通して応援の輪が広がった背景を語るのに外せないのは、やはり、デジタルボランティア皆さまの存在だと思っています。広報の総合格闘技の試合の中で、同じ目的に向かって、皆さまと一緒に闘っているような感覚を持っていました。ありがとうございました。 最後に 今回の知事選は、兵庫県の未来だけでなく、今後の日本、そして政治や選挙のあり方にすら大きな影響を与える重要な選挙であったと考えており、約1か月半、試行錯誤しながら全身全霊で向き合ってきました。従来のマスメディアを通して、県民の皆さまに情報を届けるのではなく、「オンライン(空中戦)」でも「オフライン(地上戦)」、ご本人の口から、兵庫県に対する想いや、これまでの実績、これから取り組まねばならない重要な政策について、愚直にそして必死に直接語り続けたこと、そしてそれが県民の皆さまに届いたことが今回の勝因だったと考えています。決して「SNS戦略」だけが勝因ではないことも強く訴えたいと思います。出口調査で、政策や公約を重視したという回答が最も多かったことからもそれが裏付けられており、お一人お一人がしっかりと情報を吟味して判断し、投票というアクションを起こした結果、この歴史を変える大勝利を生み出しました。 何はともあれ、私自身も本当に一生の記憶に残る素晴らしい経験をさせていただいた1ヶ月半でした。 繰り返しになりますが、この記事が今後の選挙で候補者を支える関係者の皆さまに、そして広報に関わる全ての方にとって、役に立つものとなることを心から願っています。 また、「広報」というお仕事の持つ底力、正しい情報を正しく発信し続けることの大変さや重要性について、少しでもご理解が深まるきっかけになれば幸いです。 最後に、よくご質問を頂きますが、私は政界に進出するつもりは全くありません。また、特定の団体・個人やものを支援する意図もなく、株式会社merchuの社長として社会に貢献できるよう日々全力で走り続けたいと思っています。 結びの言葉として、心からのお祝いを申し上げるとともに大逆転での勝利を掴むことができて本当に良かったと嬉しく思います。 画像 X公式応援アカウントのサムネイル撮影の際。須磨海岸にて。 株式会社merchu 代表取締役 折田 楓(おりた かえで) https://www.instagram.com/kaede.merchu/ https://merchu-inc.com ○ 2021年より兵庫県地方創生戦略委員 ○ 2022年より兵庫県eスポーツ検討会委員 ○ 2023年より兵庫県空飛ぶクルマ会議検討委員 / 西宮市産業振興審議会委員 フランスESSEC大学留学 | 慶応義塾大学卒業 | フランス大手金融機関勤務 | 株式会社merchu創業・代表取締役 外資系金融機関退職後、母とともに婚活サロン“mariagetutu”を立ち上げ、SNSおよびWebを活用し効率的なターゲット層へのアプローチに成功。 これまでの経験から、ブランディングの持つ影響力や重要性を実感し、オンラインブランディングが実現可能な会社、“株式会社merchu”を地元兵庫県で設立。 兵庫県、広島県、山口県、徳島県、高知県、神戸市、藤沢市、倉敷市、広島市、江田島市、由布市、株式会社リクルートや有馬グランドホテルなど、これまでに150以上の行政・企業・団体の広報・PRを手がけている。 最近では、全国紙へのインタビュー記事の掲載や地元テレビ局・ラジオ局の番組への出演、日本各地でのセミナーなど社外での活動にも力を入れている。
兵庫県知事選挙における戦略的広報:「#さいとう元知事がんばれ」を「#さいとう元彦知事がんばれ」に|折田 楓
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私の話
最初は5歳の秋か冬、長袖の季節だった。幼稚園生だった私はおたふく風邪だか水疱瘡だかに罹り、しばらく園を休んでいた。その時期園では、同じ組の子たち同士でなんとなくチームを組んで、ロボットやら指輪やらを工作してそれを下級生向けに販売しよう(もちろん紙でできたおもちゃのお金だ)という、ものづくりやチームメイトと協力する力を伸ばし、お金の使い方や年下の子への振る舞いを学ぼうといった趣旨のイベントがあった。準備期間もそれなりにある季節の一大イベントで、みんな楽しみにしていたように記憶している。そして私はチーム決め直前に園を休み、戻ってきたときには先生によってすでに振り分けられたチームで行動することになっていた。どんなチームに割り当てられているのだろうと不安な思いで登園すると、私は牛乳パックでロボットを作る、「男の子」しかいないチームにひとり放り込まれていた。どんな経緯でそうなったのかはわからないが、最初は���鬱だったのをなんとなく覚えている。自分だけ違うところに混ぜられてしまったのだと感じた。 しかしそこにいるうちに、いつも一緒にいる「女の子」たちといるときとは違う感覚になった。彼女たちといるときとは違った居心地の良さ、安心感。ロボット作りには最後まで楽しさを見出せなかったけれど、その空間は身の置き所としてはこれまで感じたことのない高揚感としっくりくる感じを覚える楽しい場所だった。自分と違うと思っていた属性の中に放り込まれたはずなのに、「自分も『(女の子ではない存在としての)男の子』側なのだ」と感じた。自分に割り当てられている属性は自分のものではないのだと、こんなふうに明瞭に言語化はできなかったけれど、自分に割り当てられてきた属性とその扱われ方に対する違和感を、感覚として初めて理解した初めての経験だった。ひとまずそのときの私は、自分のことを「『女の子っぽい女の子』ではない」のだと理解した。特に仲のいい関係を築いてきたのは「女の子」との方が多かったけれど、チラシで剣を作ったり体育館の大きな積み木で遊んだりするときは「男の子たち」の中にいる方が安心した。人間関係と所属意識の違いが少し明らかになり始めた。その年の七五三、赤い着物を着て髪をセットされた(当時は髪が肩まであった)が、ものすごく居心地が悪くて嫌だったことを覚えているし、親によるとかなりごねて不機嫌だったらしい。
次は10歳、小学4年生の秋。私の地域では毎年4年生が地域の学校で集まって合唱コンクールに出るという行事があった。最初は何とも思わなかったが、単純な子どもだったので練習するたびに課題曲も歌うことも好きになっていくし、本番が待ち遠しかった。 本番が目前に迫ってきたある日、合唱指導担当だった先生から当日の服装についての説明があった。男の子は白い上に黒のズボン、女の子は黒いスカート。それ��聞き、どう表せばいいかわからない不快感が湧き上がってきた。スカートを履きたくない。どうして私はスカートを履く側なのか?どうしたら履かなくて済む?��れだけ楽しみにしていたのに、その日を境に本番が近づくのが嫌でたまらなくなった。親が買ってきたスカートを履いたときの違和感は強烈に残っている。しかし音楽会は例年より少し早めのインフルエンザ流行のため中止になった。その報に泣いている子もいたし、私も残念な気持ちはあったが、それ以上にスカートを履かなくて済んだことに安堵した。まさかそんな理由で中止が嬉しかったなんて言える空気ではなかったので、友達に合わせてがっかりした表情を浮かべていた。またこの頃から身の回りの物へのこだわりが出始めた。最初は親に言われるがままに着ていた「弟へのおさがりでも使えるような服」を自ら選んで着るようになり、「女の子」でひとりだけ青い習字セット、青い裁縫セットを使い、家庭科で作った巾着も白と黒のドラゴンモチーフの布を使っていた。常に短い髪、同年代の平均より常に高い身長、青やグレー、黒のパーカーやトレーナーにジーンズ、手提げ袋に至るまで「女の子」っぽさを排除した見た目の中で、ランドセルだけがずっと浮いていたように思う。入学前親に連れられてランドセルコーナーに行ったとき、漠然と赤は嫌だという思いがあったが、「女の子」用のものは赤やピンク、オレンジしかなく、色ではなく大人っぽい響きの名前が気に入ったという理由と、言葉にならないけれど確かにあった何かを諦めたという思いで、渋めのローズピンクのランドセルを背負っていた。年齢が上がっていくにつれ「女の子らしさ」がなくなっていく見た目の中、ずっとランドセルだけが私の「本当の」所属を周囲に示すもので、これを背負う限り私は何をしようとも「女の子」にカウントされるということを思い知り、「そうじゃないと思うんだけどな」のような微妙な気持ちでいた。どうして自分がそう思うのか、というところまでは考えられなかったけれど、「女の子っぽい」という記号を身に付けることへの拒否感は確固たるものになっていた。
次は中学生。当然制服のスカートが嫌だった。小学校の卒業式のときもスカートは確かに嫌だったけれど、上にはおるグレーのジャケットがかっこよくて気に入っていたため一日だけなら、となんとなく乗り越えたが、これからずっと着なければならない制服は本当に嫌だった。でも登校したらほとんど毎日午前中にジャージに着替えていたし(時間割の関係でそうだった)、運動系の部活をやっていたため下校は毎日ジャージだったので、憂鬱感は徐々にごまかせるようになっていった。 小学校からほとんど持ちあがりの、狭く密接で固定的な人間関係という土壌がある中でのクラスメイトからのまなざしは、嫌でも表面的なもの以外の情報も伝えてくるもので、この頃になってくると自分が周囲からどう見られているかを何となく察するようになっていった。周りは段々と女/男の境界がはっきりしたものになりそれぞれの文化が別のものになっていく中で、「女の子」への所属意識をどうしても持てず、「そうではない」存在に近づこうと「男の子」たちのコミュニケーションをロールモデルとして振舞い方を学習した結果、「女の子」たちからは自分たちのメインストリームからは外れていて色々と変だけれど、一応同じ場所にいる他者として、「男の子」たちからは他の「女の子」と比べると自分たちの文化にどこか(「理解している」ではなく)近いけれど、でも同じ存在ではない他者として、「女の子っぽくない・男の子っぽい女の子」のような、どちらからも微妙に浮いた存在として認識されていたように思う。加えて恋愛の話題に絡んでくる子/そうじゃない子の新たな境界も生まれるようになり、誰が付き合っている、デートに行った、夏休みどうするのように話題になる内容が具体的になり、その話題を中心に人間関係の構図が作られ、恋愛との距離感によってヒエラルキーが生まれるようになり、それに伴い会話のあらゆるところに理解できない目配せや気配り、謎のルールも絡まってくるようになると、恋愛ごとを面倒に感じ、それらの事象に巻き込まれるのが嫌な 「男の子」 たちは、 相変わらず髪が短くてクラスの中で3,4番目に背が高い、見た目が「女の子」的ではない、自分たちと近い「男の子」的なコミュニケーションをとって接してくる、一切恋愛の話をしない私を他の「女の子」ほどは警戒せず(「恋愛的な文脈での楽しさを見出せず・高揚せず」とも言い換えることができる)、「女の子」たちも、 恋愛の話題を振られても求められていたような回答をできなかったことでそのルールを理解していないことを見抜き、普段の様子から関心があるようにも見えなかったであろう私なら男の子のそばに置いていても面倒なことは起こらないだろう(ライバルになったり、噂話をして余計な広がり方をさせたりしないだろうのような)と、どちらにとっても曖昧で便利な側面を持っている存在だったと思う。それによって、「男女」間で起きるであろう揉め事を減らせると考えた(であろう)班を決める係のクラスメイトによって、校外学習や修学旅行といったイレギュラーでトラブルをなるべく起こしたくないイベントでの班編成では、いつも男子の中にひとり放り込まれる役だった(3年間「女子」が奇数のクラスだったため)。班を決めた子から「女子一人でごめんね」と謝られたが、なんて返せばいいかわからなかった。そう扱われることに慣れていたし、そう扱われることが嬉しかった。「女の子」の中に入れられる方が自分との差異やそこにいることの違和感を強く感じさせられるから、 「男の子」たちとともに「あっちが何考えてるかわからない」と振る舞うことで、自分の「女の子ではない」感覚を正当化できる環境の方がずっと楽だった。だからといって自分を「男の子」だとは思えず、「女の子ではない」存在として「男の子になりたい」と素朴に願っていた。
「女の子ではない」という思いは自分の肉体にも向くようになっていった。胸が大きくなるにつれブラジャーをしないと揺れて邪魔だし痛いしで毎日つけていたが、ある日その工程がどうしても嫌になり、素肌にジャージの半袖を着て、その上からいつも通りの制服を着て登校した。いつものように1時間目の授業を終えジャージに着替えたときの、何とも言えない嬉しさと居心地の悪さが混ざった感覚。本来こうあるべきだったという感覚と、いつもより肌にまとわりつく気がするせいでより目立ってしまう気がする身体の丸み。念のため学校にブラを持っていこうなんて微塵も思わなかった(これは決意というよりそこまで考えが至らなかった、着替えの肯定をすっ飛ばした瞬間の満足ですっかり忘れていたという不注意によるものだった)ため、一日中居心地の悪さを引きずって猫背で過ごすことになり、それ以降ブラをつけることは諦めて受け入れた。「女の子じゃない」存在として扱われるためにできる方法を探し、少しでも「男の子」的になろうとそちら側に行動を寄せ、しかしどうしても「男の子」にはなれず、「男の子」のアイデンティティを自分の中に見つけることもできず、「女の子」の記号を与えられているのなら結局私は「女の子っぽくない女の子」なのかな、と思っていた。6年間制服のスカートを履いているなかで、自分のアイデンティティをいったんそうやって理解することにした。そうであるだけでも浮いていたけれど、恋愛の話題に関わらない限り目立つことはなかったので、基本的には地味な子どもとしてどうにかやり過ごすこと��できた。 私が高校まで暮らしていたところは東北の田舎で、そこは非常にシスヘテロ的でバイナリーで、女/男しか存在せず、恋愛、性愛をする人しか存在しないところだった。そんな中で私は「ボーイッシュな女の子」という言葉で済まそうとするにはあまりにも色々な要素が浮いていて、しかしそれはただ私が浮いているパーソナリティである以上の意味を持たなかった。(そして、そこでは障害や家庭環境、それらによっておこる不平等も単に個性でしかなかった。)どんな装いをしようと、どんな振る舞いをしようと、どんな思いで生活していようと、私は「女の子」としてカウントされ、「女の子」というアイデンティティを持ち、その規範に沿って生きていくべき存在でしかなかった。
高校を卒業し地元に比べると圧倒的に都会だった地域で暮らし始め、新たな生活を過ごすなかでAロマンティック、Aセクシュアルと出会い、これまで感じてきたわけのわからなさにセクシュアリティという名前がつくことを初めて知ることができた。 大学生になり自分で服を買うようになると、スカートを選ぶことができるようになった。家ではジャージかジーンズしか履かなかった娘が、帰省してきたときにスカートを履いている姿を見た親がびっくりした表情を浮かべ、「似合うじゃん」と言われて微妙な気持ちになったのを覚えている。相変わらず髪は短かったし、身体への違和感が爆発し、思いつく解消案としていわゆるナベシャツを着るようになったのもこの時期だった。でも、あれだけ嫌だったスカートを履けるようになったことに自分自身も理解が追い付かず、だからと言って「完全に」女の子になることができたとは到底思えず、「女の子」の記号を自分から選ぶ自分自身に戸惑ったこと。重ね着をし身体のラインを見えにくくする装いをしたことで安心すること。電車に乗っていてふと「こいつは女か?男か?」という視線を感じ(中学生頃から「女ではない」と認識される経験を幾度となくしており、胸部を探る目が顔に移動する不躾な視線の動きがどういうものかを体感として知っている)、隣に座ってきたサラリーマンは今私を何者と判断したのだろうと不快感を覚えたこと。同時にその困惑を引き出せたかもしれないことにうっすら喜びを感じたこと。成人式で振袖を着るのがどうしても嫌で、別の予定を入れ地元に帰らなくて済むようにしたこと。この時期に#Metoo、フラワーデモに出会い、そしてフェミニズムに出会うことで、服装や身に付けるものも社会によってジェンダー化されていること、誰でもその規範から自由になれることを知った。セクシュアリティとフェミニズムは不可分であるし、本の中に書かれている社会構造の不平等や差別は私の身に降りかかるものとも似ている部分があったため、やっぱり私は「女」というジェンダーにカテゴライズされる人間なのかと思うようになった。
私が参加したフラワーデモでは、何度かトランスジェンダーの方がマイクを取っていた。またそこで出会った人に紹介されたコミュニティにもトランスジェンダーの方が何人もいて、書籍の中だけでなくリアルな存在として、シスジェンダーではない人は決して遠い存在ではなかった。それだけでなく、当時セクシュアリティに関する情報のほとんどはオンラインで手に入れており(地元を出るまでLGBTという単語にすら触れたことのないような人間が、いきなりどの本を図書館で探せばいいのかわかるわけがなかったし、オフラインでAセクシュアリティに関する情報を探すのはさらに至難の業だった)、本で語られることを吸収することも大事だったけれど、YouTubeやツイッターを見れば本当に性的マイノリティの人間が生きていることを感じられることがあまりにも新鮮で、文字通り生きる希望になった。今はもう更新していないが、noteという媒体では今に続く私にとっても本当に大切な出会いをすることもできた。その人の文章を読むことで、Aセクシュアリティ、そして「男でも女でもない」と説明されることの多い、バイナリーな性別二元論では語ることができないアイデンティティの存在を知った。私が生きてきた、そして今も生きているこの社会がどれほど性別二元論に支配されており、それがどれだけの人を差別し、苦しめ、傷つける構造になっているのかを知り、彼らと連帯しなければならない、伴走者にならなければならないと強く思った。
同時に、性別二元論への馴染めなさは、私自身の体内にもずっと昔から近からず遠からずの距離感で確かに存在していた。フェミニズムを学び、「『自分はフェミニストではないけれど』と言いながらフェミニズム的な発言をする人が多い」と、どちらかといえば批判的な文脈で語られているのを見かけ、確かにそうだよなと思う一方で、自分は完全に「女」を引き受けるのはしっくりこないな、という思いもずっとあって、「フェミニスト」と名乗るまでにかなり時間がかかった(し、正直今も名乗ることに抵抗感というか戸惑いがある。それは私のアイデンティティによるだけでなく、私があまりにもフェミニズムのことを知らなすぎることも大いに関係している)。フェミニズムが指摘する構造的な差別において、私は【「女」が受ける差別】を受ける立場にいたと思う。だけど、私がこれまで自分に感じてきた違和感は「女じゃない」という感覚によるもののはずだった。私なりにではあるがセクシュアリティやジェンダーなどに関することを学んできた中で、これを「女」の多様性の枠で語ることはできるのだろうかと改めて自分に対し疑問を持つようになった。でも、「女じゃない」なら何なのだとか、これまで「女」に馴染んで生活しているじゃないかとか、「女」の枠にいるからこその語られ方をしているじゃないかといった考えを拭えず、もやもやした思いは残るけれど、これまでのように、そういう違和感を一生抱えたうえで私は「女」をやっていくしかないのだと、諦めと不本意な受容が混ざった覚悟を決めた。
その後、感染症流行による人との接触の減少、それに加えて鬱を発症したことで人と会わ(え)ない期間を長く経験して、就職活動が始まった(めちゃくちゃしんどかった)。何もわからなかったので学校のキャリアセンターに1から10まで頼りっぱなしだったのだが、そこで「スーツは黒で、スカートでもパンツでもいいけど今から買うならスカートが無難」というようなことを言われた。そのとき、久しぶりにスカートへの嫌悪感を強く感じた。私服でスカートを着るくらいになっていて嫌悪感はだいぶ薄くなっていたはずなのに。 フェミニズムを学んだことでシンプルに最悪なセクシズムが働いている発言だということを昔より高い解像度で理解し、そのことで怒りを覚えた感覚もあったけれど、 どうしてこんなに、あの頃と同じくらい嫌だと感じるているのか、自分に戸惑った。 スーツを売っている店の前を通ったり配られたチラシを読んだりしてみたけれど、無理だという思いがあまりにも強固で、どうにかしてスカートを履かないでやろうと決めた。就活のためにお金を使いたくなかった(鬱が治りきらないまま就活→実習→試験勉強というルートでバイトに避ける時間が減っていくのがわかっていた)し、なにより黒のスカートに脚を通すたびにおしまいの気持ちになりそうで、規範へのささやかな反骨心と心を守る方法として、 大学の入学式のときに親から譲り受けたグレーのパンツスーツで就活を乗り切った。
現在フルタイムで働いている。いわゆるケアワークと呼ばれる業種だ。職場は「女性」しかおらず、ほとんどが既婚者で、世間話としてされる会話は異性愛規範に塗れていて、「私は異性愛者じゃない!」と心の中で唱えない日はないような環境にいる。そして、新しい利用者と会うたびに新しい関係を作っていく中で「女」として自己紹介したり、「女」と認識され、「女」だから任された仕事をすることが、徐々に違和感としんどさを生むようになった。職場での自分のありかたがわからなくなって、仕事で疲れて帰ってきても夜眠れない泥の中のような日々がまた戻ってくるようになった。眠れないままとにかく横になってスマホを眺めていたある日、ふと思い出した人のブログを読み返したとき、唐突にすとんとおさまる感覚があった。そうやって私は、女ではないというアイデンティティをようやく受け入れ、自分を表す言葉としてAジェンダーと出会った。
本当に急に腑に落ちた。あまりにも呆気ないような、それでも20数年に及ぶ私のアイデンティティの居心地の悪さを理解するための、救いのような受容感だった。私が「男の子」にカウントされようと必死で、もしくは無意識的に渇望しやってきたことは、「女の子」と認識されることが苦痛でその記号を外すために、非常に強固な性別二元論が敷かれた、男と女しかいない社会の中で、「女の子ではない」をやろうとした結果「『そうではない』存在としての『男』」であろうとするしか抵抗の方法が、そして自分自身のアイデンティティとの向き合い方がわからなかったためだった。 このバイナリーな世界では性別欄は二択しか用意されておらず、「女」ではないなら「男」だし、「男」ではないなら「女」だ。必ずどちらかじゃないと存在を認識されず、そんな世界で生きてきたら「どちらでもないなら何なのだ」と、誰よりも私が私自身に問いかけ、二元論を押し付けてきた。そっち(女)じゃないというアイデンティファイしか方法を知らなかったけれど、そっちじゃないなら何なんだという問いかけにはバイナリーを前提とした答えを持たなくてはならず、その世界では私を語る言葉は存在しなかった。社会からやることを要請されてきたのは「女」で、これまで時になんとなく、時に必死に、時に絶望しながらそれをやってきたけれど、物心ついたときからずっとそこにあったここではないという感覚を、やっと信じることができるようになった。「女ではない」「���の『性別』にも当てはまらない」「女を引き受ける」。どうしてこれが同時に成り立つのか、今までこれらをセクシュアリティの問題ではなく個人の問題として引き受けてきた。共存するしかなかったうちに自分に馴染んできた部分も確かにある。シスジェンダーであることを求められ、受容する時間もあったけれど、それでもこれまでの人生すべてをシスジェンダーと理解することはできないし、そうしなくていい。そう思えることで、ずいぶん救われる思いでいる。
書いてきたこれらのことは、他者に対する私の性別に関する証明のためのエピソードではなく、私がどう生きてきたかのごく個人的な話でしかない。このような道筋を辿るのが、Aジェンダーパーソンにとって典型的なのか、特異なのかすらわからない。ただ、性別二元論が私のことを語りづらくさせ、アイデンティティを受容するのを遅れさせ、受容しても尚戸惑わせ、未来の見えなさに仄暗い気持ちにさせ、傷つけてくることはどうしたって否定できない。それだけではなく、今もまだ「私はAジェンダーである」ということが、「私は自分自身の性別を意識したことがない」という、Aジェンダーへの差別的発言になるのではないだろうかと恐れる気持ちがある。アイデンティティを獲得しても、それをまっすぐ祝福できるようになるには正直まだ学び、話を聞き、自分を語るための時間が必要だと思っている。私自身の、私のための話なのに、それを語ろうとすることで差別構造に加担してしまうのではないだろうかと、そしてその言葉は私自身にも向いてしまうのだろうと、ためらいと恐怖を覚えてしまう。この社会に強固すぎる性別二元論が敷かれており、あらゆる社会規範や制度、社会保障にまでそれを前提として設計をされているがために。非シスジェンダーなど存在しないと乱暴な口を開く人々がいるために。
これらは私の話だが、同時に私を取り巻く性別二元論の話でもある。非シスパーソンの尊厳を損ね、存在ごと居場所を奪い、攻撃の対象に仕立て上げ分断させ、そうすることによって大きな顔を保とうとしている、性別二元論の話だ。私にアイデンティティと出会うことを困難にさせ、規範から外れる存在として生きづらくさせ、やっと見つけたと思えても獲得するまでに本来必要だった以上に惑わせ、ようやく手にしてもそれを祝福することを難しくさせ、語ろうとする言葉を口篭らせる、性別二元論の話だ。シスジェンダーをやろうと頑張ってきた長い闘いが終わり、そして今度は非シスジェンダーの存在を許さない社会との闘いが始まる。それも今から始まっているのではなく、ずっとずっと前から傍にあった濁流の中に巻き込まれるような感覚だ。苦しいけれど、私はそこで私と出会った以上逃れることはできないし、したくない。私はこれまでもこれからも、こうのままで生きていく。私自身のことを言葉にするのがまだ難しくても、私が私のアイデンティティを信じられるようになっただけで、それはあの頃の5歳の私を救うことができるし、これからの私自身の希望になる。一度諦めたことがあったけれど、また出会うことができて本当によかった。
私はAジェンダーだ。
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「東京国立近代美術館70周年記念展 重要文化財の秘密」ほか
東京国立近代美術館で「重要文化財の秘密」展を見る。会期末近くに行ったため、東近美ではあまり見たことのない長さの行列ができていた。
作品の並びに脈絡がないように見えてもなんとなくまとまっている感じがするのは、「重文」という通奏低音のためか、キャプションで「ひみつ」が明かされているおかげか。個人的にいちばん印象に残ったのは、高村光雲の「老猿」のサイズ。初めて実物を見たのだが、想像していたよりだいぶ大きく、存在感があった。
「重要文化財の秘密」展は人が多かったため撮影はせず、コレクション展へ移動。重文展よりむしろ楽しめた。
とても好きな絵、太田聴雨「星を見る女性」。可憐な女性たちがかわりばんこに天体望遠鏡を覗いているのであろう情景が良すぎる。吉屋信子の少女小説ふうのセリフをあててみたくなる。
見た順番とは異なるが、屏風いろいろ。屏風は大きくて奥行きもあって見栄えがするだけでなく、よく見ると細部までとても凝っていたりしておもしろい。
岸田劉生の静物画。
高村光太郎の「手」。見る角度によって印象がちょっと変わる。
河口龍夫「関係—質」。
奈良橋一高「ヨーロッパ・静止した時間」より。
青木野枝作品。
高柳恵里「ポケットガーゼ」。見た目もコンセプトもとても気に入った。こういうのがあるからアートはおもしろいのだ、と思う。キャプションを引用する:
“これは、水で濡らしたガーゼを適当な形にした上で乾かしてできた塊にすぎません。けれど、様々な問いを引き起こします。「人為を感じさせない適当さとはどのようにしたら成立するのか?」「これが粘土だったら彫刻として認めやすくなるのか?」「これはどれくらい堅いのか?(後略)”
冨井大裕「ゴールドフィンガー」。なんと全部画鋲である。
最後に小企画「修復の秘密」を見る。展示室を出たところに、所蔵作品の修復のための寄付を募るチラシが貼ってあった。修復には興味もあるし大切な事業なので寄付をするのはやぶさかでないが、この国の場合、国家規模で文化予算を増やさないことにはお話にならない、とも思う。国がしかるべき資金を各機関に提供した上で、活動をより充実させるために各機関が寄付なり何なりを募るのならわかる。しかし現状はそうなっていないように見える。国公立の機関ですら寄付だのクラファンだのでお金を集めて必要経費の足しにしなければならない現状を憂う。
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