#チャーマーズ
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TEDにて
ラッセル・フォスター: なぜ人は眠るのか?
(詳しくご覧になりたい場合は上記リンクからどうぞ)
神経科学者のラッセル・フォスターは、脳の睡眠サイクルを研究しています。彼は「眠りについて、私たちは何を知っているだろう?」と問いかけます。
人生の3分の1を眠りに費やすにもかかわらず、実際、私たちは、あまり知りません。
このトークで、フォスターは、なぜ眠るのかについて、3つのよく知られる理論を紹介し、年齢によって、必要な睡眠時間は異なるといった���信を否定します。
そして、眠りによって精神に関する健康状態を知る新しい方法を提示します。
眠りは時間の無駄なのでしょうか?
違います。眠ることは、私たちの生態上も本当に重要なことです。
神経科学では、なぜそれが重要なのか?解明し始めています。
眠りは、脳内の一つの組織から起こるのではなく、ある程度はネットワークによるもので、脳幹は、前方位に指令を送り、大脳皮質を神経伝達物質で満たし、私たちを起きた状態にします。
つまりは、意識を与えてくれます。
眠りが起こるのは、脳内で様々な相互作用がされた結果で、つまり、眠りが オン・オフされるのはここでの相互作用の結果と言われています。
また、何十もの学説があるいくつかについて言うと、夜に眠ることで創造性が高まる。
脳の情報処理と記憶定着のためでもあります。
お年寄りは、まとめて眠る能力が衰えて、何回にも分けて寝ることになりますが、一晩で、5時間未満です。
交代勤務。これはひどいです。
たぶん、労働人口の20%が交代勤務ですが、体内時計は、夜勤にあわせて、調整されません。明暗サイクルは、皆、同じです。
交代勤務によるマイクロスリープ。
非自発的に眠りに落ちることで、自分ではコントロールできませんので、事故の起こる確率が高まってしまいます。
チェルノブイリでの悲劇やスペースシャトルチャレンジャー号での惨劇もこれです。
迷信の一つに、早寝早起きで、健康で、お金持ち、賢くなるというものがありますが、いろんな意味で間違っています。
早寝早起きでお金持ちになるなんてどこにも証拠はありません。社会経済的地位にも違いはありません。
私の経験上、朝型人間と夜型人間の違いと言えば、朝早く起きる人は、うぬぼれが強いくらいです。
最後に、神経科学の最新研究についてお話しましょう。それは、メンタルヘルスと精神疾患、睡眠障害との関係です。
130年も前からひどい精神疾患には必ず睡眠障害が伴うと分かっています。
これを社会的に取り入れて、もし、眠りと睡眠障害を早期警告シグナルと使えれば、解決の可能性があるということも提案しています。
良い眠りは、集中力や注意力、決断力、創造性、社会性、健康を高めます。
2018年現在では、サピエンスは20万年前からアフリカで進化し、紀元前3万年に集団が形成され、氷河のまだ残るヨーロッパへ進出。紀元前2万年くらいに���アンデルタール人との生存競争に勝ち残ります。
そして、約1万2千年前のギョベクリ・テペの神殿遺跡(トルコ)から古代シュメール人の可能性もあり得るかもしれないので、今後の「T型オベリスク」など発掘作業の進展具合で判明するかもしれません。
メソポタミアのシュメール文明よりも古いことは、年代測定で確認されています。古代エジプトは、約5千年前の紀元前3000年に人類最初の王朝が誕生しています。
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ジェフ・イリフ: よく眠る事が大切なもう一つの理由
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��ンシー ・エトコフ:幸せとは いったい何か!
ルネデカルトの「方法序説」についてOf Rene Descartes on “Discourse on Method”
アントニオ・ダマシオ:意識の理解はどこまで進んだか!
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2024年8月19日
先月からエアコンを効かせて寝るのが続いて、これで8時間睡眠を確保できればなお良いのだけれど、状況が許してくれない。昼寝で補う。
某所より。 「売れてる漫画がすごいのは「興味ない人間が読んでもまあまあ面白い」ことなんだよ 僕ハガレンに思い入れないけど、面白いよって言われて読んでみたら「まぁ普通に面白い」くらいはあるからね
全く興味ない人でもラーメン屋で読んだらまぁある読めるってのがヒット作の条件かもしれん」 話題作なので読んで���るとそれほどでも……という場合はしばしばあるものの、考えてみると、スラスラ読めるだけでも本当は凄いこと。
「(妖精郷の騎士) 原著The Mathematics of Magicが出た1940年時点で「ファンタジー異世界に行って嫁を見つけて現実世界に連れ戻ってくる」という��想があったことに感動。 ベルフィービーのヒロイン性能の高さと終盤の急激なデレっぷりがすごかった。 チャーマーズ博士の「わたしだって、どこかよそに・・・そのう・・・もっと充実した人生を求めるぐらいのわがままは許されてもいいんじゃないかね?」というセリフに、異世界転生者の本音みたいなのが垣間見えていて面白い。」
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原著The Mathematics of Magicが出た1940年時点で「ファンタジー異世界に行って嫁を見つけて現実世界に連れ戻ってくる」という発想があったことに感動。 ベルフィービーのヒロイン性能の高さと終盤の急激なデレっぷりがすごかった。 チャーマーズ博士の「わたしだって、どこかよそに・・・そのう・・・もっと充実した人生を求めるぐらいのわがままは許されてもいいんじゃないかね?」というセリフに、異世界転生者の本音みたいなのが垣間見えていて面白い。
『妖精郷の騎士 37巻』|感想・レビュー - 読書メーター
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2023/12/26
BGM: 井上陽水 - 黄昏のビギン
今日、図書館に行った。たぶんこれが今年図書館で本を借りる最後の機会となるだろう。デイヴィッド・チャーマーズの『リアリティ+』という本を借りる。その後、グループホームに戻りさっそくそのチャーマーズの本を読むつもりだったのだけれど、夕食後グーグー眠ってしまった。なんと、9時間も眠ったのだ! どれだけ疲れていたか推して知るべし。なんにせよ、悔やんだって始まらないのであきらめることにした。
図書館はこの期間、特別サービスということで10冊まで本を貸し出すことになっている。この日記でも書いてきたけれど、たくさん読みたい本がある――たとえばディケンズ、フローベール、ヴァージニア・ウルフ。そして現代の作家たちも。でも、どうしてなんだろう。なんでこんなにたくさん本を読みたいと思うのか……昔はぼくは、世界に関する知識を得たいと思っていたのだった。だから、本を読む必要があるのだ、と。
言い換えれば、ぼくはぼくの王国の中にいたたった1人の人間ということになる。ベッドルームの中の小さな、隔絶した王国の住人だった。従者もおらず、ほかに国民もいない、そんな王国。ぼくがたった1人の大君だった。でも、40になって、ぼくはたった1人の外交官として他人とコミュニケーションを楽しみ始めたのだった。
いま、ぼくはこんなふうに考える。読むことはぼくたちの中で知識を築き上げる方法と受け取る。でも、ぼくたちは同時に他人とコミュニケーションや議論を楽しむ(池澤夏樹が言うように、ぼくたちはそうやって「化学反応で」さまざまな思いを交換する)。だから、ぼくは読書という行為にこう意味・定義を付したい。読むことは、対話することだ。
ところで、今年読んだベスト10の本となるとどんな本になるんだろう。決めようと試みる。ぼくは記録をこまめにつけたり振り返ったりする人間ではありえない(実に、ぼくは日記も読書メーターもめったに読み返さない)。言い換えれば、ぼくは過去の日々の重力から自由とも言える。そして、来年に対して心配することもすまいと決めた。いまを生きる。今日を。何ができるだろう、今日は……まず断酒。そして読書、それから仕事。アホみたいな人生かもしれないけれど、これがぼくのやり方だ。
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綿花:20230803 花が咲かない。 葉が枯れていく。
性質二元論(チャーマーズなど)【心の哲学#4】 https://www.youtube.com/watch?v=YYyirmBcMsE
・2019-2023 町を紡ぐ 空を縒る
https://instagram.com/hibi365_plus1
・tumblrは、archiveのthumbnailが魅力的 https://bit.ly/3LuIdxO ・mastodon https://social.vivaldi.net/@nitsubonome
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立派な人間であるという、それこそがぼくが彼を疑う理由なんだ
── ロジャー・シェリンガム、アントニイ・バークリー『ジャンピング・ジェニー』第九章「ドクター・チャーマーズに対する論拠」(狩野訳)
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「Ti Amo」を生み出す前に、松尾さんの頭の中に浮かんだ曲が3つあったそう。まずスタジオミュージシャン13人で結成された企画バンド・Hi-Glossが1981年にリリースしたシングル「You'll Never Know」。1998年にリリースされた人気コンピレーション「FREE SOUL DREAM」にもセレクトされていたこの曲の“必要以上にびっしょり濡れた”哀愁サウンドは演歌的でグルーヴィなムード歌謡としても捉えられてさすがの審美眼。 そして2曲目が敏いとうとハッピー&ブルーの「星降る街角」(1977年)。懐かしいヒット曲ですが、この曲はメロディではなく日本人好みのラテンのリズム、“夜の世界のイメージ”がヒントになったとのこと。松尾さんによれば、2003年9月に筒美京平さん作曲、松尾さんによる作詞、プロデュースで野口五郎さんのシングル「Sweet Rain」を制作されたときの感覚が心の底にあった、と。勢いに乗ったEXILEのシングルを任せられた時点で、京平さんとすでに一度トライした“ムード歌謡とモダンなリズム解釈の融合”に再び向き合うタイミングを感じたそう。その意味では秀島史香さんが囁��効果的な「Ti Amo」のひと言も、「日本語ではない言葉でサビの前に変化、フックがあるといいです」という筒美京平メソッドに忠実である証と言えます。 3曲目は、エリック・ベネイの「Why You Follow Me」。A Tribe Called Questのアリ・シャヒード・ムハマド、ディアンジェロやThe Rootsのメンバーからも敬愛され協力した伝説的ギタリスト・チャーマーズ“スパンキー”アルフォード、そしてエリック・ベネイの共作曲。ただし、1999年にリリースされたアルバム「A Day in the Life」収録のオリジナルバージョンではなくD-INFLUENCEによるリミックスバージョンからの影響が「Ti Amo」につながっている、と松尾さんは言います。彼が1998年にポニーキャニオンからデビューしたシンガー・嶋野百恵さんのシングル「baby baby, Service」のプロデュースを手がけたとき、イギリスのアシッドジャズシーンで確固たる地位を築いていたD-INFLUENCEにリミックスを依頼していた経験がまずあって。新人のシングルのリミックスにD-INFLUENCEを起用できるというのがいかにも“90年代的”と思えますが、その後D-INFLUENCEが手がけた「Why You Follow Me」のリアレンジを聴いたとき、そのあまりの素晴らしさに「やはり判断は間違えてはいなかった。むしろ少し早かった」と思ったとのこと。 つまり、松尾さんが10年近く重ねてきたプロデュースワークの中で「少し早かった。しかし間違ってはいない」という音楽スタイルを2008年のタイミングで凝縮し、彼曰く「もっとも“松尾潔”色が強い作品として完成した楽曲」が「Ti Amo」だったということがこれらの証言から伝わってきます。
EXILE「Ti Amo」 | 西寺郷太のPOP FOCUS 第21回 - 音楽ナタリー
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『 マルクス・ガブリエル 危機の時代を語る』 丸山 俊一、NHK「欲望の時代の哲学」制作班 著 (NHK出版)
内容以前に、日本語がひどすぎて読むのがつらかった。素人?
1章 コロナ危機と新自由主義の終焉—マルクス・ガブリエル緊急インタビュー
2章 「すべてがショー」というファンタジーを生きる—カート・アンダーセン×マルクス・ガブリエル
3章 人文知なき資本主義は破綻する—クリスチャン・マスビアウ×マルクス・ガブリエル
4章 科学主義的唯物論を乗り越える—デイヴィッド・チャーマーズ×マルクス・ガブリエル
5章 ドイツ哲学を読め!—ダニエル・ケールマン×マルクス・ガブリエル
6章 カラフルで複雑な民主主義へ—張旭東×マルクス・ガブリエル
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かめくんのかいせつ
かめくんのことを考えていると、おかしいようなかなしいような、なつかしいようなはかないような気持ちになってくる。最初に読んだときもそうだったし、あれから十年経った今、読み返してみても、やっぱり同じだった。
『かめくん』は、北野勇作の第��長篇に当たる。とはいっても、第4回日本ファンタジーノベル大賞で優秀賞を受賞したデビュー作『昔、火星のあった場所』(92)と第二作『クラゲの海に浮かぶ舟』(94)からは、じつに六年以上の歳月が流れた、2001年の1月に発表されている。しかしこの作品は第22回日本SF大賞を受賞し、最初の版元であった今は亡き徳間デュアル文庫からは、同年中に前二作が文庫化され、更には『かめくん』の姉妹編というべき第四長篇『ザリガニマン』まで出てしまった(つまり同じ文庫レーベルから年四冊!)のだから、北野にとって2001年は、ほとんど第二のデビューと言ってもいい大当たりの年だったことになる。
個人的な話で恐縮だが、2001年は私にとっては「SF回帰の年」だった。やや記憶が曖昧であるが、おそらくこの年の秋から冬にかけての或る時、私はかめくんと出会い、北野勇作と出会い、ザリガニマンとも出会って、火星もクラゲも知ったのだった。きっかけは何だったのか、たぶん書店で見つけてジャケ買い(?)したのじゃなかったろうか。私は1964年生まれ、八〇年代後半くらいまではけっこう熱心なSF読者だったのだが、三十路前後は仕事(主として映画/音楽ライター)が異常に忙しかったせいもあり読書量が激減、また折からのサイバーパンク~スチームパンク~異世界ファンタジーの盛り上がりにどうしてもついてゆけず(自分はとにかくヒロイックなものが苦手なのだ)、おおよそ九〇年代を通して、ほとんどSFを読まなかった(このブランクはちょうど所謂「SF冬の時代」と時期的に重なっているらしいが、まったくの偶然である)。そんな自分をSFに連れ戻してくれたのは、まちがいなくかめくんと北野勇作であり、そして翌年(2002年)の秋に出た飛浩隆の『グラン・ヴァカンス』であった。その意味で北野氏と飛氏のお二人には大変感謝しているのだが、残念ながらいまだ一面識もない(飛浩隆氏にはメール・インタビューをさせていただいたことはあるが)。私と同様のプロセスでSFというジャンルに戻ってきた人は多いのではないかと思われる。『かめくん』は、登場したタイミングといい、SFというジャンルが「冬の時代」を脱し、新世紀を迎えてふたたび盛り上がってゆくプロセスを切り拓いた大傑作である。
……というような大仰な言い方は、やっぱりちょっと本作には似合わないと思うのだが、ともあれゼロ年代以降のSF、いや、21世紀の日本SFを(そんなつもりが作者��あった筈はないので)はからずも駆動することになった『かめくん』は、では、いかなる点で画期的だったのだろうか? それはやはり、なんといっても第一に、この「かめくん」という主人公(?)の、何とも言えない魅力による。まずネーミングが素晴らしい。カメくんでも亀くんでもかめ君でもなくて、かめくん。このひらがな四文字が醸し出す、じつにのほほんとした味わい。だがしかし、かといってかめくんは、いわゆる癒し系とは違うし、いわゆるオフビートを狙ってるのでもないし、いわゆるおとぼけを決めてみせているわけでもない。デュアル文庫版「かめくんのあとがき」で北野勇作も言っているように、ただ「かめくんはかめくんである」のであり、すなわち「かめくんはかめくんでしかない」。ここには、何かがそれであることによって他の何かを表そうとするような仕組みは存在していない。確かに、かめくんはいわゆる癒し系にもオフビートにもおとぼけにも受け取れるのかもしれないが、それはいうなれば、こちらが勝手にそう思ってみたりしているだけなのだ。つまり「かめくんはかめくんである」ことには、ぜんぜん意味がない。それはかめくん自身にとっても、そうなのだ。かめくんという、ひらがなだけの、KAMEKUNと読ませる中でも最も単純な表記は、そのようなかめくんのよるべのなさを端的に示している。そしてそれは、ほんの少しかなしくもある。
かめくんはカメ型ヒューマノイドである。レプリカメともいう。読み進めていく内に少しずつ明らかになってゆくことだが(そして完全には明らかにされないままでこの物語は終わることになるのだが)、どうやらかめくんには持って生まれた役目があるらしい。いや、以前にはあったらしいし、このあともまた、あるようである。それは「木星戦争」と関係している。「木星戦争」のためのシミュレーションとも関係している。いや、そもそも「木星戦争」自体がシミュレーションであるのかもしれない。よくわからない。
一見、こじんまりとしてのほほんとした舞台の背後に、スケールの大きな、きわめてSF的というべき物語設定と、シリアスで切実なテーマが徐々に透けて見えてくること。どこまでが物語の中の現実で、どこからが虚構とか夢とかシミュレーションとか妄想とか呼ばれるものであるのか、段々とわからなくなってゆくこと。このふたつは、北野勇作のSF作品全編を貫く二大要素だが、『かめくん』によって確立されたと言っていい。
ともあれ、どうやらかめくんは、ある目的のために生まれてきたのであるらしい。その意味では、前言を覆すようだが、「かめくんはかめくんである」ことには、じつは意味というか理由がある。だが、ということはつまり、その「ある目的」が果たされたり、必要がなくなってしまったら、かめくんは存在意義を根こそぎ喪ってしまうということでもある。そのような存在に、もしも考えたり感じたりする能力が備わっていたら、果たして自分というものを、どんな風に捉えるのだろうか。これはアシモフ以来の広義のロボットSFが共通して抱える、いわば古典的な主題である���ロボットのアイデンティティ、機械の「心(内面)」の問題。また、ここにはもうひとつ、より現代的な問題もある。そもそも「機械」に「心」など生成し得るのだろうか。たとえそのように見えたとしても、それは「人間」のそれとは根本的に異なるものでしかありえないのではないか。それはつまり、そもそも「心」とは何なのか、を問うことでもある。認知科学や「心の哲学」において長年にわたり問われてきたこの難問、いわゆる「意識のハード・プロブレム」(D・チャーマーズ)も、『かめくん』では示唆されている(ちなみにチャーマーズの『意識する心』の邦訳が刊行されたのは2001年末のことである)。
この他にも、現代SFのアップデート、そしてそのインフラを成す学問諸分野のさまざまな知見が、これみよがしではない、とてもつつましい形で、しかし縦横かつ大胆に『かめくん』には取り入れられている。それは、この小説が世に出た世紀の変わり目においては、いうなれば二十世紀の成果を駆使しつつ、来るべき二十一世紀の達成を予告するものでもあったろう。もちろん、こんな大仰な言い方も本作には似合わないが、北野勇作のSFが、これは作風やスタイルというよりも、おそらく本人の生来の気質によるものではないかと思うのだが(たぶん彼はかなりの恥ずかしがり屋なのだ)、徹底していかにもな「SFらしさ」に背を向けた、のほほんとした雰囲気を纏いつつ、しかし実のところは、作中でも言及されているクラークやディック、或いは日本なら山田正紀や神林長平、そしてまさに「二十一世紀SF」を牽引するグレッグ・イーガンとも同列に並べられるべき、本格派のSF書きであるということは、この作品が日本SF大賞を受賞しているという事実とは別に、一読たちどころに納得されることだと思われる。
けれども、この記念すべき再刊にあたって、もうひとつ、これは付け加えておかねばならない。『かめくん』は「SF」として大のつく傑作であるだけではなく、それ以前に一編の「小説」として、すこぶる素晴らしい、ということである。そのことを、あれから十年経った今、読み返してみて、あらためて強く感じている。かめくんはかめくんである。かめくんはかめくんでしかない。だが、それと同時に、まちがいなくかめくんは、北野勇作自身でもあり、わたしたちのことでもあるのだ。『かめくん』に描かれている、のほほんとした日常のようで、その実、殺伐としていたり酷薄であったりする世界、安穏としているようでいて、じつはただ生きてゆくだけでも、とても大変だったりしんどかったりする世界は、まちがいなく、われわれが生きる、この世界のことでもある。『かめくん』が少しかなしいのは、「かめくんはかめくんでしかない」ことを、かめくん自身がよくわかっていて、そしてそれを受け入れているからだが、そのかなしみ、そのはかなさは、かめくんだけのものではない。北野勇作の描く世界は、どれもこれも不思議ななつかしさに満ちているが、それはいわゆるレトロ・フューチャー的道具立てによるものというよりも、そこがいつもどこか、今ここ、に似ているからに他ならない。このような感じは、『かめくん』以降の作品群において、着実に、より深められていって、現時点での最新作である、あのすこぶる感動的な『きつねのつき』へと至ることになるだろう。
最後に、本書でかめくんファンになった皆さまは是非とも、もう一冊の最新作である『かめ探偵K』を手に取っていただきたい。この解説が、いかにも大仰であるということが、よくわかる筈である。
(河出文庫『かめくん』解説/『例外小説論』(朝日選書)所収)
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これは人間のニューロンをひとつずつ、ニューロンとまったく同じ働きをする人工ニューロンへと置き換えていくという実験だ。ニューロンの一つひとつの機能は解き明かされているので理論的には可能としつつ、ニューロンがすべて人工物に置き換わったとしても感覚意識体験は残るのではないか、とチャーマーズは考えている。
「20年後までに、人間の意識を機械にアップロードせよ」 東大発スタートアップは「不死」の世界を目指す:菅付雅信連載『動物と機械からはなれて』|WIRED.jp
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TEDにて
ダンデネット:我々の意識について
(詳しくご覧になりたい場合は上記リンクからどうぞ)
哲学者ダンデネットは、我々が自分の意識を理解していないどころか、我々の脳は、しばしば、積極的に我々を騙していると、説得力をもって議論します。
ロドニー・ブルックスが言いましたが、あなたや私、我々が皆それぞれ何かというと、およそ100兆の小さな細胞から出来たロボットだそうです。
それで我々は出来ている可能性があるそうです。他の成分など何もなく、100兆の小さな細胞から出来ているに過ぎません。
意識のある細胞なんて一つもない。
それらの細胞、一つとして、あなたが誰であるかを知らないし、気にもかけません?
どうやって説明できるでしょう?
どうやって、何百もの意識のない小さな細胞をチームや軍隊大隊のようににまとめていると?
結果はこれです。
これを見てください。この中には、色があり、アイデアがあり記憶や歴史もあります。
そして、その意識の内容はすべてニューロンの活発な活動によって達成されます。
どうやって、そんなことが出来るんだ?
多くの人はそれは全く不可能だと思います。
そして、こう思います。「意識を自然主義的に説明することなんて出来やしない」のではないかと!
人間の視覚から入ってくる情報は、連続的な情報として本当に正確にリアルな現象を脳に送っているのか?ということについても論じています。
色彩についても同様に、視覚の高精細度な網膜が、本当に色彩を正確に判別しているか否か?ということについても語っています。
視覚からの情報が、どのように脳に送り届けられているかを、実験で何度も確認されています。
でも、そうなら科学はどのように現象を認識しているのか?
そこで、数学などの数値が登場してきます。だから、物理学など他では方程式やらなんやらの数字が、たくさん出て来てしまうのです。
しかし、そのためにコンピューターグラフィックスなどで計算も出来るようになるし、その計算結果のデータを源にして
人間の計算レベルを遥かに超えるスピードで不眠不休で単純計算し、映像化することも出来るようになります。
量子レベルでは、波動性と粒子性を両方��えていると教科書で学びます。
大自然の膨大なパワーを活用できますが、このフレームワークで、人間を説明することは、現時点ではできないかもしれません。
倫理は、日本では、一神教とは違う多神教の仏教です。
大自然の膨大なパワーを活用できますが、このフレームワークで、人間を説明することは、現時点ではできないかもしれません。
倫理は、日本では、一神教とは違う多神教の仏教です。
ジュリオ・トノーニの意識に関する情報統合理論がある。万物には意識があるとする汎心論という考え方です。
ジュリオ・トノーニの 意識に関する情報統合理論によれば、ネットワークの密度は意識(ここでは、ファイと命名している)と呼ばれる何か?の密度に関連しているということ。
これを数値化して、方程式にしている。
それゆえ、人間の脳内では、膨大な情報統合が行われるため高度なファイがあることになり、かなりの意識が存在します。
マウスにおいては中程度とはいえ、かなりの情報統合が行われるので相当な程度の意識があるといえます。
しかし、虫や微生物や粒子レベルになると、ファイの量は低下します。情報統合の量が低下してもゼロにはなりません。
日本では、「一寸の虫にも五分の魂」という言葉もあります。
トノーニの理論によると意識の程度はまったくのゼロには、ならないのだといいます。
事実上、トノーニは意識に関する基本的法則を提案しています。つまり、高度なファイには高度な意識が宿るのです。
そこには、ただ淡々と善も悪もなくて古来から有る日本の「魂」という概念みたいなことにも似ています。
また、ロジャー・ペンローズとスチュワート・ハメロフの提唱する量子脳理論(波動関数の客観収縮理論)があります。
他には、ブラックホールの特異点定理をスティーブン・ホーキングと共にを証明し、「事象の地平線」の存在を提唱している。
クオリアという言葉も関連していて、「質」を意味するラテン語の qualitas (あるいは qualis) が源流。
この言葉の歴史は古く、4世紀のアウグスティヌスも用いている。長い間忘れられてきたが量子論の登場により、1929年、アメリカ合衆国の哲学者クラレンス・アーヴィング・ルイスが現在の意味とほぼ同じ形でクオリアという言葉を書いている。
太古から高密度なアイデアは、概念の豊富な人間からしか創造されません。
太古から高密度なアイデアは、概念の豊富な人間からしか創造されません。
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エピソード10 Episode10 - 意識のマップと超大質量ブラックホールのエントロピー「デヴィッド・R・ホーキンズ<わたし> 700〜1000「悟り」の領域 - Amazon」
エピソード7意識のマップの数値と人工知能を訓練する計算回数が相似?2023
アニル・セス: 脳が「意識された現実」という幻覚を作り出す?
アイザック・リッズキー:あなたはどんな現実を生み出しているのか?
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ユバル・ノア・ハラーリ:人類の台頭はいかにして起こったか?
ジョン・サール: 意識 ― 私達人間に共通するもの
マチウ・リカール:幸せの習慣
メアリー・ルー・ジェプセン:未来のマシンで脳からイメージを読み出せるか?
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ツーソン会議
アリゾナ州には3回出かけたのにアルバカーキ、サンタフェ、フェニックスの3都市しか行ったことが無かった。ツーソンにはアリゾナ大学 (The University of Arizona) がある。フェニックスにあるアリゾナ州立大学(Arizona State University)と違うのだと知った。
それはさておき、ツーソンのアリゾナ大学 ( The University of Arizona ) の方には意識研究センターがあり、そこでは偶数年に “Toward a Science of Consciousness”という名称の国際会議が開催される。これは通称「ツーソン会議」というらしい。
ちなみに奇数年は、世界のどこかで開催されるので、それも参加してみたいが「その前に勉強しろ、物見遊山で国際会議に来るなよっ!」と言われそうなので、希望を口にしただけということにしたい。
1994年の第1回のツーソン会議でオーストラリアから来た28歳のDavid John Chalmers(D.J. チャーマーズ)が刺激的な研究テーマを発表したのだが、それが「意識のハード・プロブレム」である。誰かがこの第1回のツーソン会議と、その後のドタバタだけを題材にしても、面白い脚本が書けると思ってしまう。。。取材費でないかな。。
チャーマーズの論法は、たぶん、参加した多くの研究者には賛同を得られにくい性質のものだったらしい(その場のことは本当に分かりようもないので、想像でしかないが)。しかし、その結果、たとえ批判的に取り上げるとしても、「じゃあ。あなたはどう考えるのですか?」という問いかけに答えられないと、研究者としてのプライドが許さない類の、つまり問われて当然過ぎる課題をバッと提示したのがチャーマーズのその瞬間の��績だったのではないかと(浅学の)傍観者としては感じてしまう。
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2019.10.26 amason prime さざなみ(45 years) 🖤★
淡々とした映画だったが見応えがあった。 『45年』というタイトルを『さざなみ』と訳したのは実に上手いとと思った。 遠い過去、夫が愛した女性。既に死んでしまった女の存在が妻の心にさざなみをたてる。 これは嫉妬なのか?プライドなのか? 最近、熟年夫婦を描いた作品に頗る弱い私。 決して激しくはないが、妻の襲われている掴み所のない感情に��いほど共感できてしまう。
【公開】 2016年(イギリス)
【脚本・監督】 アンドリュー・ヘイ
【キャスト】 シャーロット・ランプリング、トム・コートネイ、ジェラルディン・ジェームズ、ドリー・ウェルズ、デビッド・シブリー、サム・アレキサンダー、リチャード・カニンガム、ハンナ・チャーマーズ、カミーユ・ウカン、ルーファス・ライト
IMDb https://www.imdb.com/title/tt3544082/?ref_=nv_sr_srsg_0
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2023/09/18
BGM: Flipper's Guitar - Coffeemilk Crazy/コーヒーミルク・クレージー
今日は遅番だった。朝、不安に囚われてしまう。それでグループホームの自分の部屋にいても落ち着かない。話し相手がいないので、それもあってその不安が自分の中で膨らんでしまう。本を読もうとするもそんな状態なのでぜんぜん頭に入らず、Discordでチャットをしようともしたのだけどこんな場合は「書く」ではなく「話す」「語る」ことを求めてしまう。勢い余っていのちの電話にかけようかとも思ったのだけれど、いのちの電話にかけてしまうとほんとうに困っている人がつながらなくなって苦しむことになる……それでどうしようもなかったので早々にグループホームを出て、イオンの開店時間(9時)に行ってしまう。そこで詩を書き、本を読んでいると少しずつ気持ちが落ち着いてくるのを感じて、結局10時くらいになるといつものテンションを取り戻して詩作あるいは読書を続けられたのだった。いっときはLINEで友だちのグループに相談したりもしたのだけれど、それで個別にぼくのところにLINEを送って下さった方もおられてその優しさ・好意が実にありがたく感じられた。ぼくは1人ではないのだ、という事実を噛み締める。こうした孤独を感じた時の対処法をいろいろ考えておく必要があるようだ。
朝の対処法……いま思いつくところでは、やはりDiscordでボイスチャットができればありがたいと思う。日本語か英語かで。不安になるパターンというのは決まっている。つまり遅番の日の朝の空いた時間にいつも不安に囚われてしまうのだ。いろいろ過去に試みたことを思い出した。ネットフリックスのドキュメンタリーを観るとか、今日のようにイオンに早めに行ってそこで本を読んだり書き物をしたりして時間をつぶすとか。clubhouseでルームに入って英語や日本語であれこれ話したこともある。もしくは、それこそ小説や長いエッセイをまた書いてみるのもいいのかもしれないと思った。いや、長編は逆立ちしても(ぼくは根気も集中力もないので)無理なのでいまのような散文詩の延長で書いてみるとか……ただ、問題はそうこうして1人で完結する作業に満足できず「人と話したい」と思ってしまった時の対処法である。それについて、あとになってLINEで他の方から「近所の地活の施設に行ってみるのはどうですか」と薦めてもらったりした。それもいい方法だと思ったので今度困った時(たとえば次の水曜日も遅番で、また朝時間が空くことが予想されるので)試してみたいと思った。散歩をするとか、部屋の中でできるストレッチをするのもよかったのかもしれない。調べる価値はあると思った。
デイヴィッド・チャーマーズ『リアリティ+』の原書を読み進めている。とはいえ、チャーマーズの英語はわかりやすいのだけれどさすがにぼくの英語力ではスラスラ読めるわけがなく、順調に進んだとしても1日に3ページも読めれば御の字なのだった。この分だと年末に至っても200ページも読めていないなんてこともありうるだろう。根気強く読み進める……そこでチャーマーズがクオリティ・オブ・ライフ、つまり生活(人生)の質について語っているのに興味を抱く。とはいえ、難しい話ではなく「どう生きればよりよい人生と言えるか」「より幸せな人生と言えるか」という倫理学的な話だ。ぼく自身、このことでアルコールに溺れていた時「酒抜きの人生は不幸だ」「酒を呑んで何が悪い」と思い込んで生きていた。いま、ぼくは180度(あるいは360度)違う考え方を採っている。自分の生き方として、酒に呑まれた孤独な人生、人を裏切り続ける人生にサヨナラして人との信頼を取り戻し、人に(ある意味では)よりかかりながらどう「共生」していくか、「共に生きて」いくかを考えたいと思い始めている。今日のような孤独に囚われた時、その孤独をどう酒に逃げたりせず紛らわせていくか。
ここ最近、夏目漱石に関心が向かって『吾輩は猫である』や『こころ』を読み返したいと思い始めている。あとは前々から気になっていたハイデガーの『形而上学入門』『ニーチェ』をかじってみたいと思ったり(もちろん、専門的に哲学を学んだ人間ではないので理解できる自信なんて「これっぽっちも」ありません)。そして先に書いたチャーマーズの『リアリティ+』を読んだり。何ら戦略も計画もなく興味の赴くままに読んでいるだけなのだけれど、それをいまこの地点から客観的に眺めてみると結局「この世界とは何か」「この人生とは何か」「どう生きたら幸せと言えるのか」といった根源的な問いを問いたいのかなとも思った。ただ、その一方でぼくの中には日々の些細な出来事そのものをできるだけしっかり楽しみたいという気持ちもある。過去、村上春樹にハマり抽象的なことを考えていた時に日々の移ろい(この時期だと敬老の日が訪れたとか、残暑が相変わらず厳しいとか)に目が向かず、今日が昨日の繰り返しのように感じられて生きるのがつらいとさえ思っていたりして……今は違う。今日は新たな1日であり、ならばつねに訪れるそんな新たな1日を祝福して生きたいな、というのが素朴な実感なのだった。
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これは人間のニューロンをひとつずつ、ニューロンとまったく同じ働きをする人工ニューロンへと置き換えていくという実験だ。ニューロンの一つひとつの機能は解き明かされているので理論的には可能としつつ、ニューロンがすべて人工物に置き換わったとしても感覚意識体験は残るのではないか、とチャーマーズは考えている。その理論を発展させ、ニューロンをコンピューター・シミュレーションに置き換えていく「デジタル・フェーディング・クオリア」を考案することで、コンピューターでも意識をもたせることができるのでは、と渡辺は考える。
「20年後までに、人間の意識を機械にアップロードせよ」 東大発スタートアップは「不死」の世界を目指す:菅付雅信連載『動物と機械からはなれて』|WIRED.jp
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チャーマーズは自然主義二元論が随伴現象説だとは積極的には認めていない。しかし、そうかもしれないと考えているようだ。そして、随伴現象説だったとしても別に困らないと考えている。僕も、この自然主義的二元論が随伴現象説であっても別に困難の理由にはならないと、そしてこの自然主義的二元論が随伴現象説だと考えている。
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