#ゆりかごから墓場まで
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10歳 18歳 51歳 昔を思い出すことはできるけど 今のこの状態=将来を描いていたか? はよくわかんないな。 10歳の頃は 🇺🇸シャクリー社のVC/VEを飲まされてました。美味しくない🤮 だけど飲め!と諭されて… 18歳の頃は ひたすら🇯🇵ザバスのプロティン… 胸囲は100cm超えてソコソコ脚も早くなり… 51歳の今は🇩🇪FitLineで、どれだけ人生楽しみながら若々しいままゴールするかに挑戦中。 ちなみに運動は健康維持に必須です。 ジムなんて行かなくてもいいし 筋肉太くしすぎなくてもいい。 歩いたり走ったりだけでもOK。 脈拍数をしっかり上げる瞬間が必要ですね❗️ 40代50代がラストチャンス。 そこで習慣づかなかったら 元気な死に際には手遅れかもしれません。 立春すぎて 少し暖かくなったから、街を歩いてみましょ! ストレスは体の何所に影響しているか計測してみるとわかりやすいですよ。 健康3要素 ❶運動 毎日てくてく🚶♂️ ❷栄養素 食事とサプリメンテーション(FitLineをご活用ください) ❸ストレスコントロール 周波数測定(NewScan)をご活用ください。 #pminternatuonal #newscan #fitline #栄養素 は #ゆりかごから墓場まで (天神 Tenjin) https://www.instagram.com/p/CoTxTXTJzdU/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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Sean bienvenidos, japonistasarqueologicos, al tercer capítulo del Japón prehistórico y seguir recorriendo sus lugares mitológicos y mágicos, una vez dicho esto póngase comandos que empezamos. - Para continuar nuestro viaje, más vale tarde que nunca, pero despacio y con buena letra. Nos trasladamos al yacimiento arqueológico de Sannai Maruyama en la prefectura de Aomori, localizada en la región de Tōhoku. - La estructura, de madera, data del periodo jomon, es una estructura que funcionó como un gran calendario, ya que algo común que tienen todas las culturas en el mundo es adorar a las estrellas en lo que respecta a la prehistoria. El yacimiento data del 3900 a.c localizado a lo largo del río Okidate en la punta de una suave colina que se extiende desde las montañas Hakkoda. - En la década de 1992, tuvieron lugar las excavaciones que han desenterrado los restos de viviendas en pozos, tumbas de adultos, niños y los pozos de almacenamiento, entre otros rastros de la vida cotidiana. Además de una hay una gran cantidad de herramientas de loza de piedra. Se han excavado una gran variedad de huesos de pescado y de animales que indican hábitos alimenticios de aquella gente, también fueron encontrados frutos secos: como castañas y nueces. Además, se han desenterrado muchas reliquias orgánicas, como productos de madera, herramientas de hueso, canastas tejidas, así como artículos comerciales como jade, obsidiana de áreas remotas y asfalto. Hay una teoría: en Iwate se crean estructuras similares para realizar la danza de los ciervos ¿Qué opinan al respecto? _ Espero que os haya gustado y nos vemos en próximas publicaciones mis amantes del mundo japonés, que pasen una buena semana. - 考古学者の日本主義者の皆さん、先史時代の日本の第 3 章へようこそ、神話と魔法の場所を旅し続けてください。 - 旅を続けるには、遅刻しないよりはマシですが、ゆっくりと上手な字で。 東北地方にある青森県の三内丸山遺跡へ移動します。 - この木造建造物は縄文時代にまで遡り、先史時代から世界のどの文化にも共通して星を崇拝しており、偉大な暦として機能していた建造物です。 この遺跡は、八甲田山系から続くなだらかな丘陵の先端、沖館川沿いに位置し、紀元前 3900 年に遡ります。 - 1992 年代に発掘調査が行われ、井戸内の住居跡、大人、子供の墓、貯蔵穴、その他の日常生活の痕跡が発掘されました。 1 つ以外にも多数の石器の道具があります。 当時の人々の食生活を示す魚や動物の骨が多数出土しており、栗やクルミなどの木の実も出土しています。 さらに、木製品、骨道具、編んだかごなどの有機遺物や、翡翠、辺境の黒曜石、アスファルトなどの交易品も発掘されています。 岩手でも鹿踊りをするために同じような建物が作られているという説がありますが、どう思いますか? _ 日本の世界を愛する皆さん、良い一週間をお過ごしください。 - Welcome, archaeological Japanists, to the third chapter of prehistoric Japan and continue touring its mythological and magical places. Having said that, put yourself in command and let's begin. - To continue our journey, better late than never, but slowly and with good handwriting. We move to the Sannai Maruyama archaeological site in Aomori prefecture, located in the Tōhoku region. - The wooden structure dates back to the Jomon period, it is a structure that functioned as a great calendar, since something common that all cultures in the world have is worshiping the stars in regards to prehistory. The site dates back to 3900 BC located along the Okidate River at the tip of a gentle hill that extends from the Hakkoda Mountains. - In the 1992s, excavations took place that unearthed the remains of dwellings in wells, graves of adults, children and storage pits, among other traces of daily life. In addition to one there are a large number of stoneware tools. A wide variety of fish and animal bones have been excavated that indicate the eating habits of those people. Nuts such as chestnuts and walnuts were also found. In addition, many organic relics have been unearthed, such as wooden products, bone tools, woven baskets, as well as trade items such as jade, obsidian from remote areas, and asphalt. There is a theory: in Iwate similar structures are created to perform the deer dance. What do you think about it? _ I hope you liked it and see you in future posts my lovers of the Japanese world, have a good week.
#日本#先史時代#地理#歴史#文化#考古学#縄文時代#天文学#記号学#更新世#エドワードSモース#日本の石器時代#ユネスコ#-#Japan#Prehistory#Geography#History#Culture#Archaeology#Jomon Period#Astronomy#Semiotics#Pleistocene#Edward S. Morse#Japanese Stone Age#UNESCO
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20240714 忘れない7月
友達のお墓参りに行ってきた。あれからもう5年。今日は太陽が少し顔を出したり雨がぱらついたりと落ち着かない天気だった。
花を買って友達のところまで行く。いつも場所が分からなくなってしまうので、番地を写真に納めておいた。ご家族が大切に手入れをされている様子が分かる。つるつるぴかぴかの墓石に水をかけ花を生ける。季節的にすぐ傷んでしまうので、まめに来ているから気付くとは思うけれど、一応連絡も入れておいた。
友達を囲んで記念写真を撮る。毎年の恒例で、ピースは良いのかとか言ったりするけれど結局笑顔でピースだったりする。
一年何とか無事に過ごせたよ。そっちはどう?ゆっくり過ごせてるかな。
隣の奥さんから頂いたアナベルが緑になってきた。花のつき始めは緑、全盛期は白、そしてまた緑。
白の頃
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【かいわいの時】元禄六年(1693)八月十日:井原西鶴没 (大阪市史編纂所「今日は何の日」)
西鶴は、「誓願寺本堂西のうら手南向、三側目中程」(滝���馬琴)に葬られた。その墓は、誓願寺境内で3回[註]移設されている。その経緯および実行者を記すと
(1回目 1889年)幸田露伴 今や露伴幸に因あり縁ありて、茲に斯に來つて翁を吊へば、墓前の水乾き樒枯れて、鳥雀いたづらに噪ぎ塚後に苔黑み、霜凍りて屐履の跡なく、北風恨を吹て日光寒く、胸噫悲に閉ぢて言語迷ふ。噫世に功ありて世既に顧みず、翁も亦世に求むるなかるべし。翁は安きや、翁は笑ふや、唯我一炷の香を焚き一盞の水を手向け、我志をいたし、併せて句を誦す、翁若し知るあらば魂尚饗。九天の霞を洩れてつるの聲 露伴。「井原西鶴を弔ふ文」『小文学 第1号』1889より。
*幸田露伴が処女作『露団々』で金港堂から得た原稿料は五十円(現在価値で約170万円)。その「資」で露伴は旅に出る。1888年大晦日から1889年1月31日まで丸ひと月(露伴来弔はこの折。移設費用は、その「資」で賄った)。「時に嚢中一銭も無くなりければ、自ら経済の妙を得たるに誇ること甚し」(『酔興記』)。
(2回目 1910年)木崎好尚 浮世の月二年見過ごして二百七十年の昔(略)印の墓はいつしか八丁目寺町誓願寺の無縁塔におし込められしを二十余年前幸田露伴君が旅の置みやげに現今の本堂東南手に再興されしも浮世草紙の紙よりも薄き人情今度の電路問題の墓地取払ひの憂い目見る墓のぬし誰も見返るものなく《略》二百十年忌の追善発起の手前それがし痩せ腕を揮うて施主と相成申さん四日の日曜の午後一時に形計の移転式を営んで下さいと口約して置いた《略》さて、今度の改葬場所は元の地点に近いと信ぜらるゝ本堂の西南手の樟の下陰と定めたれば鶴のなき声に尋ね寄らんとする文学上有縁の方々に此顛末を告参す(大阪にて好尚)。「東京朝日新聞 明治四十三年十二月五日」
(3回目 1933年)南木芳太郎 明治二十幾年の頃、幸田露伴氏によって無縁塔中より発見され、門内近き所に建てられてあったが、明治四十二年の冬、電車通路の爲寺域は狭められ墓地整理の止むなきに至ったのを木崎好尚氏によつて、本堂西南手の通路に面し移されたのである、その後星霜二十幾年、現在に至りては背後が隣地との境界線にあるため、いつしか建てられし古小屋の板塀は痛く損じ實に見苦しく且つ墓域もなく悄然として無縁塔に並んであるのは如何にも侘しく感じられるので、今回誓願寺住職を促し更に西北隅の好位置に再轉させ、墓域を画し松壽軒に因み大なる松樹を植え、塔上を被ふ事とした、ほんの心だけであるが、これで墓らしくなったと思つてゐる。「西鶴の墓」上方郷土研究会『郷土研究 上方 第三十ニ号』1933(=写真も)
[註]滝沢馬琴が報告した「誓願寺本堂西のうら手南向、三側目中程」を本来の位置(0)とすれば、西鶴の墓は正確にゆうと「4回」移動している。以下に。( )内実行者
0)本堂西の裏手、三側目中程(北条団水他1名) 1)無縁塔の内(誓願寺) 2)本堂東南隅(幸田露伴) 3)堂の西南手、樟の下(木崎好尚) 4)西北隅の一画(南木芳太郎)
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連日祖父の初盆対応に追われている。9連休を取ったというのに、朝から夕まで来るお客さまの対応をしている。仕事より忙しく神経を使う。お茶汲みを人生でしてこなかったばかりに作法を聞いて飽き飽きする。本日は30組以上のお客さまが来た。葬式の時にお辞儀するのに腰を痛めたことを忘れていた。風の噂で会場周辺で渋滞になっていたとかなんとか。改めて祖父は凄い人だったんだなあと思う、けど、やっぱり私にとっては味方でいてくれた大好きなじーちゃん。なんだよなあ。
祖父の対応だけではなくて、父方の祖父母も迎える為迎火をした。可愛い馬で来て欲しいなって思ってキリンみたいな触角を生やした。ファンシー胡瓜。後輩に盆の話をしたら、馬と牛の話を物珍しそうに聞いてきた。自分の常識が世の中の常識とは違うもんね。迎えたからにはゆっくり休んで行ってほしい。
今年は結局お客さま対応で墓参りが出来ず弟とFaceTimeを繋いで祖母や親戚に画面越しで見てもらった。文明の力。
祖母や叔父に会う度に「結婚しろ!」とか「子供を産め!」とか言われて飽き飽きしてしまう中、祖母から、卵子凍結の話を言われた時は驚いた。Google先生で調べると、
婦人科の初診から採卵、凍結保管までに��よそ60万円~80万円ほどかかります。 そのうち、卵子凍結と保管費用(1年間)は卵子凍結にかかる費用が約20万円、卵子1個あたりの保管費用が1万円(1年あたり、税別)です。 *2年目以降は卵子1個あたり1万円(税別)で1年間お預かりします(なお、料金は変更となる場合があります。
と出してくれた。最近友人に2人目が生まれてきたけど、おめでとうと共にすごいなぁと感心ばかり。恨み辛みなんて全くないけど、覚悟があるのかなぁとか色々考えてみたりしちゃう。きっとないものねだりの何かはあるのかなあとか。私には覚悟ができるのかな、まだ、無理、逃げてる部分はある。それよりも、生殖行為を、性行為を1年以上としていないのに、なんなら気持ち悪いとさえ思う節があるのにどうやって向き合えばいいんだろう。気持ち悪いもなにも、誘えれば、誘うことができればいいのに前に進めなくてなんだか世の中のレスの仲間になってるね。昔の多感な頃は一体全体なんだったんだろうね。要因は薬なんだけどねぇ。深刻ではあるし、このまま逃げたい問題ではないので解消法あれば教えていただけると幸いです。Tumblr民氏。ちんソムしてた無敵な私は絶対笑うだろうし、同情すらしてくれない気がする。お前の口淫書も乳首のイカせ方も1年以上使えてません。YO。友人も同様な悩みを抱えていて、結局のところ1人で好きな時間にコンスタントに欲を発散できるからねぇと言っていた。三大欲求を簡易的にしちゃいけない気がする。今度どこかのタイミングで恋人に話してみようかな。言う勇気大事。
明日もフルタイムで対応なので頑張るね。
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今から数年前に1万円で家を売った。 5月のある朝、突然携帯電話が鳴り、誰かと思ったら母からだった。 今、A県(亡き父の実家のある県)の警察から電話があって、伯父(父の兄)が遺体で発見されたと連絡が来たとのこと。家の中を捜索していたら、母の名前と電話番号があり電話してきたと言われた。しかし、持病もあるので息子と話してみると伝えたと。 簡単に言えば、遺体の引き取りの件で連絡が来たということだ。 父は今から30年ほど前にすでに他界してる。そして父方の実家には父の兄である伯父が単身で住んでいた。年にして80歳ぐらいだっただろうか。 その連絡が来る、1~2週間前にふと気になり、母に父方の実家の名義は誰になっているか尋ねたところ、私だと言う。 祖父が昭和30年代に建てたらしいが、その祖父が亡くなり、祖母の名義になり伯父は独身で祖母と伯父の二人暮らしだった。そして祖母も亡くなり、伯父の名義になっているかと思っていたが、弟、次男である父の名義であると以前聞かされていた。 そして、父はがんで今の私の年齢のぐらいで30年ほど前に亡くなった。そこで長男である私が自動的に相続していたようだ。 その後、父方とは音信が途絶え、関わりもなくなり、まさかと思い尋ねたら私名義だったと言うことだ。 これはまずいと思い、ネットで調べてみたら名義変更の相談は最寄りの法務局でとあったので、法務局の連絡先などを調べていたところ、伯父が急死した。 警察に電話をしたところ、死後3日ほど経っているが、検死の結果、事件性もないと判断した。よって遺体の引き取りをお願いできるかと言うことだった。 ふと、考え込んでしまった。あの家の名義は私ではあるが、音信不通になっていた期間は数十年。なぜ私が?と。 そこで私が迎えに行かなかった場合どうなるのかと担当刑事に尋ねたら、無縁仏に入ることになりますと。ああ、菩提寺あったなと思い出した。しかもそこのお寺のご住職は同級生でよく遊んでいたと父からも聞いていた。 仕方ない。迎えに行きますと答えた。そこからとりあえずで準備して、そのまま新幹線に乗り、レンタカーを借り、夜中の10時過ぎに警察署についた。 当直の職員に名乗ると、ああ、とすでに理解しているようで担当の者を呼んできますといい、取調室のような、応接室へ通された。他の刑事さんがお茶を持ってきてくれた。遠いところお疲れ様でしたと言うような挨拶はしたと思う。 担当の刑事さんともう一人の刑事さんがやってきて名刺を渡され、状況の説明と見つかった所持品の説明を受けた。 庭で発見され、全く外傷はなく、さらに雨風もなかったので全く汚れなどもない状態で発見され、検死をお願いしている大学病院でも、CTなどを撮ったが内臓からの出血もなく、外傷もなく、事件性はかなり低く、さらに病気も見つからなかったと言う。よって自然死としか言いようがないとのことだった。いわゆるぽっくり逝ったようだ。庭で作業していて心臓が止まり、そのまま亡くなったらしい。 発見は新聞配達の方が新聞が溜まっているのを見て、地元の民生員さんに連絡してくれて、110番して、警察が発見したとのこと。ありがたい話だ。 そして遺体安置所へ案内され、遺体と対面した。冷凍で安置されていたためか少し霜柱が鼻などについていたが間違いなく伯父であった。 再度、応接室に戻り、今後どうされます��とのことだったのでできれば、明日には荼毘と納骨は済ませて帰るつもりだと伝えると、遺体を一晩預かってくれる葬儀屋を紹介してくれた。葬儀屋さんが来ると手際よく、ワゴン車に棺を乗せた。刑事さんたちにおせわになりましたと挨拶をし、葬儀屋さんへ向かった。 一晩預かってもらうことができ、明日に運良く火葬場で荼毘ができるとのことだった。明日の朝再びこの葬儀屋で待ち合わせとなった。 料金は一晩で25万円とのこと。後払いで結構ですのでと気を遣ってもらった(?)振り込み用紙を折りたたみ財布に入れた。 とりあえず遺体は置いておけるが問題は自分だ。0時も回って今から泊まれるところはありますかねと相談したところ、葬儀屋さんが探してくださり、駅前の東横インに泊まれると。そのままレンタカーのナビに目的地を入れて向かう。 ホテルにつき、カウンターで支払いをする。一晩朝食付きで1.2万円ほど。 部屋へ行き、スマホの充電を繋ぎ、シャワーだけ浴びて、そのままベッドへ。はー、来てよかったと思った。 朝、ホテルで朝食を食べ、再度葬儀屋へ。途中コンビニにより、ATMで3万ほど下ろした。 葬儀屋さんの案内で火葬場へ。そのまま荼毘へ。焼き上がるまでお茶を飲んで待つ。荼毘を待つのはいつ以来だ?母方の祖母か?あれ?どっちが先だったか? そして、骨を広い骨壷に収めてもらい。挨拶をして、骨壷を助手席に乗せて菩提寺へ向かった。着いてから気づいたのだが、事前に連絡できなかったなと。 しかし、ご住職に会うと、事情は知っておりますとのことで話は早かった。このまま納骨させてくださいと伝えるとわかりましたと。その場で埋葬許可証を渡し、父方のお墓まで行き、納骨を済ませたところで、大変少なくて失礼ですが、こちらをと先ほどのコンビニでおろした3万円を包んだ封筒を渡した。ご住職はいえいえと恐縮されていたが、こちらとしても始末をつけねばならない。 そして、帰り際にこちらから、これにてこちらの家系は終わり、最後の納骨になりましたので、ひいては年度末に墓じまいもお願いしたくと申し出た。 では、年度末ごろに改めてご連絡しますとのことになった。よろしくお願い致しますと挨拶をした。 そのあとは実家周辺のお宅全てにご挨拶に行った。私は〜家の親族のものです。この度は大変ご迷惑をおかけしましたと、決まり文句を続けた。 全ての方が、まさか私が来るとは思ってもみなかったようで、どちらにお住まいの方?と尋ねられ、伯父の弟の息子で、B県に住んでいる。警察から電話が来て昨日の夜ついて、無事納骨までできたとこれも決まり文句で話し続けた。 皆一様に驚いていたが無事解決してよかったと。 その日は陽が暮れる頃に帰途に着い��。 そして、帰宅してからは「家」をどうするかと言う点だけが気になった。 無人の家に放火、居座られる(これを一番不動産屋が心配していた)、災害による周辺宅への被害は過失になる可能性があるが火災保険には入っていない。 名義は私だが何にも関係はない。住むこともない。なぜ私の名義になったのかはわかる。そして次男である父に名義が行ったのも以前から聞いていた。事情があった。その事情で伯父は孤立無縁だった。ちなみにこの時は血縁関係者は一人も現れなかった。事情は知っているが来なかったと言うことだ。 早く私としても終わりにしたいので、このご時世だ。県名を入れて、不動産売買のサイトで5社ほどに買取の件で一斉送信した。 すると買取不可が3社。仲介販売が1社。建物をこちらで解体したら土地のみを引き取りたいと言う会社が1社返答があった。 ちなみに地域的には限界集落である。バスもない、駅もない。人気もない。 仲介販売は200万円で売りに出しましょうと言う非現実的な提案だったのでお断りした。 引き取りたいと言ってきた会社に連絡をしたところ、いつ現場でお会いできますかと言う話になり、7月ならと。電気もガスも電話も固定資産税なども事情により父、母が支払っていたので、物が腐っても解体するのならいいと思った。冷蔵庫のものは知らんと。 ガスと電話、そして新聞を止めた。特に新聞は支店にも電話して丁重に挨拶をした。支店では事情を皆が知っているようで電話口の女性も同情してくださった。電話も遠くの地だと知るとさらに同情してくれた。 7月。不動産会社の方と現地で待ち合わせした。スーツを着た男性で30代半ばぐらいの方だろうか。お話を聞くと、東京で大手不動産屋さんに勤めていて、出身のこちらに戻ってきて不動産屋を開店したばかりだと言うことだった。 早速、解体についてお話を家の前で立ち話でした。おおよそ200万ぐらいはかかると思うと。家の前の道が狭いのでダンプなどが入れないため、余計に費用がかかるはずとの説明だった。 さらにこちらに来る前に登記簿を取ったが、複雑な登記になっており、道から家の間にお隣の方の土地があると。 お隣の方も出てきていらして、そうそうと。登記の確認の書類を持っていた。ああ、あんた、ここの持ち主さんかい?と。わかる、わかるよと。こちらは幼い頃に遊んでもらったことぐらいしかわからないのだが。 確認書には平成一桁代、つまり父が亡くなり私が自動的に相続した時に、ついでだからどこからどこまでがどうなっているのか確認しようとなり、お隣さん主導で確認し、ビス?を地面に打ってもらったと。そして、その確認のサインがあると言う。 紙をピラっと出してきた。そこには紛れもなく、私の筆跡の名前があった。私はこんな重要な書類にサインしていたのかと。驚いた。全く記憶にない。 ではということで、解体したら引き取りということで良いですかと確認したところ、不動産屋さんが、額に手を置いてしばらく考え込んでいた。 何かと思っていたら、すみません、1万円で引き取らせてくださいと言う。 え?無料でもいいんですが?と返すも、いいえ、それが無料だと色々税金やら何やらと面倒なのでと言うことだった。 売買ではなく贈与ということになるのか?まぁともかく1万円だ。これでおさらばだ・・・と思ったが、200万円の赤字だ。プラス新幹線代、葬儀場代etc...プラス100万になりそう。 話がまとまったところで、後ほど郵送で書類などお送りしますと。そして室内に入ることにした。誰もない父の実家。懐かしい。夏休みにはこちらにきていたが、祖母と父は駅前にマンションを購入し、そこで二人暮らしをしていた。 父は私が小学5年生の時に単身赴任でこちらにきていたが、それから10何年経っても、戻ることなく癌で死んだ。のちに知ったが上司と喧嘩して左遷されたそうだ。 事情により、伯父と祖母と父の3人で住むことなく、父と祖母は家を出たようだ。それも当時は祖母の通院のためと聞かされていたが・・・。今回、死亡して色々わかった。伯父は一族から絶縁されていた。絶縁に法的根拠はないが、一切関わらないということだと思う。 ちなみに村八分は火事と葬儀は協力するが他の8割は協力しないということ。絶縁ももっとすごいと思った。 まさに独居老人だなと思っていたが、生活保護を受けて、元気に自転車を乗り回していたらしい。全くの無病で、慎ましやかに生活されていたと役所の担当ケースワーカーから聞いた。 ところで、25万と火葬費用がかかったので葬祭扶助くださいと申し出たのだが断られた。生活保護は死んだら支給停止なのでと。 は?おかしいでしょ?と言ってもダメだった。 こちらで再度調べたが、やっぱり支給されるようだが・・・。 無知なケースワーカーに当たるとめんどくさい。縁を早く切りたかったので再度役所に出向いたりするのも嫌なので、連絡を取るのはやめた。 室内は死んだ時の状態そのままかなと思えた。布団は万年床になっている感じ。 小さなブラウン管のテレビがあるところに布団が敷かれていた。 電話は薄緑色の回転式の電話。これ。 NTTに解約の電話をしたところ、最後のお支払いで「買取」をしてくれればそのまま捨てても良いとのことだった。数百円だったと思う。で、そのままにしておいた。 問題はこれから真夏の7月に電気を切るので、冷蔵庫の中身だった。 物は独居老人だったので少なかったが、腐り始めているのもあって面倒だったがコンビニで買ったゴミ袋に全て突っ込んで捨てた。 ちなみに靴は脱がなかった。足の怪我が怖かったし、もう思い入れもない。 以前からあった場所に仏壇があった。そこには父からの手紙もあった。どうやら色々と揉めていたらしい。90年代の手紙だった。~の親族には挨拶に行けなど指示的な内容が多かった。 差し出しの住所は父が癌で入院していた病院だった。そして、仏壇の引き出しからは、若い頃の祖母と父、伯父、見知らぬ女の子が写っている写真が出てきた。 その女性は戦前食糧難の時に青梅を食べて食中毒を起こして亡くなったらしいと聞いている。 伯父は結婚したものの、一人娘を交通事故で亡くしており、その後離婚。相手方を見た記憶は私にはない。 さらっと家の中を片付けて、このまま全て処分してくださいとお願いした。 あ、あとケースワーカーから聞いていた、保護費が振り込まれる口座のある銀行にお金が少しは入っているのでそれを葬儀代に当てて欲しいと言われていたので、印鑑と通帳を見つけた。すぐに見つけられるところにあるのは、男一人って感じ。 ではと解体をお願いし、その足で銀行へ行ったところ、受けてくださった行員さんは大変困惑し、私は一体何者なのかという点と、すでに死亡しているので相続の問題があるとのことだった。 何者かを証明するには戸籍謄本などが必要だが・・・と。しかも相続の対象になるかどうか、ここの口座から引き出すことも閉じることも、事実上不可能だと。 相続の対象者は過去に離婚した奥様、そのお子さんなど全てで、私が現金を手にするには、その全員から印鑑をもらわないととダメだという。すると不可能なことになる。これが億などの大金なら、弁護士や何やら雇って解決する方法もおすすめできるが、おそらくそんなに多くはないはずで、他の多くの方もそれで諦めてしまうことが多いと。そのお金はどこへ?と聞くと、不明金として一旦本社に行き・・・おそらく国庫かとという回答だった。 しかし、そこで行員さんが少々お待ち下さいと、上席の方に相談してくださり、支店長まで来てくださり、今回は支店長決済ということで、私の身分証明書、伯父の印鑑、通帳があれば、引き出しと解約をさせていただきますとのことだった。大変助かった。 引き出せた金額は一桁万円。しかも年金だった。保護費は残っていなかった。つまりこの金額だから、支店長決済で対応もらえたのだと思った。 年金が振り込まれているが・・・。これはどうすればいいのかと銀行の方に尋ねるも、これは年金事務所へ行っていただかないと分かりませんということだった。 車で数十分、最寄りの年金事務所へ行った。事情を話したところ、全くどうなるか、わからない、本体の年金機構に尋ねるので時間が欲しいと。どれぐらいかかりますか?と尋ねると。わからないという。 では、年金機構の対応部署を教えて欲しいと尋ねるも、わからないという。どうやって尋ねるのですか?と聞くと、わからないですという。じゃあ、とりあえずどこに尋ねるかわからないけれど、相談は受けるということか。 じゃあ連絡待ってますと伝え年金事務所を後にした。 その後、半年経っても何も連絡が来ないので、年金事務所に連絡したが、わからないという。年金機構のどこに連絡したのかと聞いてもわからないという。 もう流石に話にならないので年金機構の問い合わせに電話したところ、そのような事情はわからないと。担当部署が対応していると思うので年金事務所��そう言っているのなら、連絡を待って欲しいと。え、担当部署はどこですか?と尋ねると、年金機構でもわからないという。あの、仕事していますか? その後、今に至るまで連絡なし。私は葬儀代として考えている。これから返せと来ても一生かけて争ってやる。 さて、家のその後だが、7月に解体のお願いをして、8月に永田町の司法書士事務所にて1万円で売買した。その時に司法書士の立ち会いのもと行われましたという旨が書かれた書類をもらい、名義変更も終わった。これで何があっても私の責任は無くなった。 これで終わりだと思った。一応不動産屋からは解体が終わったらご連絡しますと言われていて、9月とか10月には来るのかなと思っていたら、次の年の2月に連絡が来て、メールには解体されて更地になった土地の写真が添付されていた。土には雪が積もっていた。 今、ストリートビューで見てみたが、まだ家が残ってる。とても嫌な気分だ。 追記、その年度末には一通の手紙が税務署から届いた。何か不動産の取引をしましたよね?納税はありませんか?と。ない、むしろマイナスであると書き込み返信した。すごいよ、税務署の仕事ぶりは。年金機構も見習って欲しい。
1万円で家を売った - カメラが欲しい、レンズが欲しい、あれもこれも欲しい
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たどり着かなかったおおくの未来たちへ
文フリ東京だった。 土曜日開催のイベントってなんだかんだ言いながらはじめてのような気がする……労働が土日祝休めなかったころはなんでイベントは平日にやらないんだろうと思っていたし、土日が休みだったころはイベントは土曜日にしてほしいと思っていたが、日月休みになると、イベントは日曜日がいいなと思ってしまう。日月は宿泊料金がやすい。
そんな自分本位な「この日がいいな」をわたしはいくつも持っている。
文フリ東京は、土曜日の朝に出発した。車内販売がなくなってしまって、でもまあ新幹線のホームとか購買にシンカンセンスゴイカタイアイス(シンカンセンモウカタクナイアイスだという噂だが)が売っているらしいから、それを食べようと思っていたが、朝、名古屋駅で見つけることはできなかった。 しょんぼりしながら新幹線に乗る。新幹線の中ではほとんど寝ていた。
東京駅・浜松町・流通センター。いつもの乗り換えで会場に向かう。来年の12月の文フリはビッグサイトでやるらしいから、この行程で向かうのはあと一回。
会場前に八束さんのスペースで不穏なフライヤーをもらう予定だったのでもらいに行ったら、八束さんがさいたま文学館で開催中の『澁澤龍彦の文学世界』のフライヤーも一緒にくれた。 ので、スペースが出入り口の真ん前だったこともあって、これはたくさんのひとに見てもらえるんじゃないか…!ということで、出口に向けて配置した。完璧である。
そんな素敵な設営をして、開場。
遠方からきてくれたフォロワーさんに展示のフライヤーを見せ澁澤龍彦の話をし、「若い頃にわたしも全集読みました!」と言ってもらうなどしたり、痛覚の麻子さんにはえんえんと「この写真見てくださいやばくないですか?羽田に楯の会の制服を着て見送りに着た三島の帽子をかぶっておどけているときの写真でこれが二人が実際にあった最後になるんですよ……」と一生終わらないんじゃない勝手くらいの話をしつづけてしまったり、このフライヤーに気づいてくれた通行人のひと(「澁澤龍彦だ…!」という声が聞こえた)に「裏面も見てください!そしてよろしくお願いします!」とさっと差し出したり……。こんなに充実した文学フリマ東京は、2014年から参加していて初めてじゃないかと言うくらい充実していた。
惜しむらくは、澁澤龍彦のフライヤーと一緒に不穏なフライヤーを挟んでいたにもかかわらず、だれも「澁澤龍彦と棄てに行ける家父長制があるんですか?」と聞いてくれなかったこと…。澁澤龍彦と棄てに行ける家父長制は果たして存在するのか……?
とまあ、こんな感じなのだが、そろそろ皆さんも不穏なフライヤーとは?と思っているところだろうと思うので、ご紹介致しますとこういうやつです。
「父親の死体を棄てに行く」アンソロジー。家父長制を棄てに行きたい方はどうぞ2024年5月の文学フリマ東京をお待ちください。
イベントが終わってからは、八束さんとヒマラヤ鍋を食べに行った。 お店の予約時間まで過ごしていたドトールで渋沢栄一の話になり、「ああ、向こうは傍家で、本家はうちなので」と話したら「いまうちって言いました?」と聞き返される。うちです。 ヒマラヤ鍋屋さんはめちゃくちゃすてきな楽隊(?)のお誕生日パレードがあったり、びっくりするような美味しい鍋を食べられたりと大満足だった。
打ち上げを終えて、翌日のさいたま文学館に備えて埼玉に宿を取っていたので、移動をはじめたら電車がいきなり止まった! 電車の沿線で人身事故があったとのことで、近くのハブ駅みたいなところで電車を降ろされてしまう。こんなこと担ったのは初めてなのでびっくりしていると、とりあえず一時間くらいしたら電車は動くからね~とアナウンスが入り、事なきを得る。
都会ならではの体験だな…と思いながら、ホテルにたどり着いて泥のように寝た。
そしてさいたま文学館へ。
張り切って出てきたら開館まえについてしまった…。図録を買って、老人クラブの展示があったので見せてもらったりして(ヤツガシラの俳句があってとてもよかった)、10時になる。
貸し切り状態……。
展示は、埼玉と澁澤の関係から始まっていて、浦和高校時代の写真(浦和高校同窓会が出しているものだった)があるのがとてもよかった。 限定本も展示がたくさんあり、原稿も、文学館が所蔵しているものが4、5点。 サド裁判のときに澁澤が三島に書き送った手紙に、争点が「わいせつか芸術かを超え、表現の自由/検閲への抵抗である」ことが書かれていることを指摘していたり、『高丘親王航海記』の原稿用紙、最初は「了」と書いてあったのを、推敲の段階で文字を自ら消したことを指摘していたり、「澁澤龍彦」という人物を表現との向き合いかたから見せているのが良いと思った。 面白かったのは三島の写真の使い方で、「血と薔薇」の「男の死」の三島の写真、あと、メインビジュアルが羽田に見送りにきた三島の帽子をかぶっておどける澁澤の写真だったからか、「楯の会の制服を着た三島由紀夫」の写真が展示してあったりした。
展示をひとしきり見た後は、図書室に今回の展示の関連本がまとめてあるとのことだったのでそれを身に。「作家のおやつ」「作家の食卓」といった本の紹介や、山﨑ナオコーラが文豪の墓参りにいく本に澁澤の項目があった。山﨑ナオコーラの澁澤へのまなざしにはわたしにもおぼえがある。よい本だった。そしてその本で、先月わたしが緑色のインコに夢中になっていた霊園に中島敦の墓があることを知った。敦、ごめんな……墓のことなんて全然知らなかったから、緑色のインコのことしか考えてなくて……。
その後は文学館併設の「けやきカフェ」で澁澤龍彦コラボメニューをたべる。黒糖と胡桃のパンケーキ。澁澤が好きだった胡桃や黒糖のお菓子をイメージしてつくられていて、とてもよかった。 思い出したのは、今よりもっと貧乏だったころ、いろんなところでやっている澁澤の展示に行けなくて悔しい思いをしたことだった。いまこうしてたどり着くことができるようになったことを、なんだかとても、自分が、自分をなんとかしているように思えた。
パンケーキを食べ終えてから、「武蔵野うどん」に挑戦することにした。「伊勢うどんとは対極にあるうどんだ」という事前情報しかなかった。 桶川駅ちかくのお店はかなり人気店のようでたくさん人が並んでいて、お店に入れたのは並び始めてから一時間後くらいだった。 つけ麺(うどんのことをつけ麺というのか?)システムで、つけ汁とうどんは別々の皿に載っている。なるほどこういうやつなのか、となにも考えずにがっと箸でつかんで汁につけてすすりはじめたはいいが、うどん、めちゃくちゃかたいんですけど?!噛みちぎれない…やばい、全部すすって口の中に入れるしかない……と思ったが、これがまたすさまじく長くて……永遠にうどんがおわらない……。 こんなに硬くて長いうどんはじめてなんですけど?!おれたちは箸で持ち上げただけでへたしたらブツッといく伊勢うどんの民なんだということを再確認し、「これは風邪を引いたときに食べるうどんではなく、体力が有り余っているときに食べるうどんだな」と確信しました。きっと武蔵野のひとたちは、風邪をひいたときにはおかゆを食べるに違いない。(伊勢志摩の人間は風邪をひいたら伊勢うどんを食べます)
二口目からは一本ずつ食べることで武蔵野うどんのおいしさを堪能し、また是非食べたい、顎の力を試したい、と思った。
武蔵野うどんを噛み砕くのに体力のほとんどを持って行かれて、疲れ果てたので、そのまま帰宅することに。 購買にシンカンセンスゴイカタイアイスを見つけたので購入し、席に着くと、隣のひともおなじシンカンセンスゴイカタイアイスを持っていた。しかもおなじチョコレート味。
べつに示し合わせてはいないがふたり一緒に食べることになってしまい、こんなに好きなひとがいるのに、もうシンカンセンスゴイカタイアイスは車内販売されないんだな……と悲しくなる。 そして、乗車15分まえに買ったし、シンカンセンモウカタクナイアイスだった。
アイスを食べ終えてからは、記憶がない。気づいたら名古屋だった。
名古屋駅で、近鉄のホームに来たら、電車を待つ人は無秩序にホームにたたずんでいて、車両のドアとか何も気にしていなかったし、電車が着いても「先に並んでいたひと」という��念がないので、運良くドアの近くにいたひとから電車に乗りこんだ。東京とかから帰る途中、この近鉄のホームの無秩序さを目の当たりにすると、まだ名古屋から三重まで帰らないと行けないのに、「帰ってきたなあ」と思うのだった。
名古屋駅から最寄り駅までも、寝ていたのでほとんど記憶がない。
帰宅したら、夕食は焼きそばだった。焼きそばの麺は、どれだけ頬張っても簡単に噛みちぎれた。武蔵野うどんは硬かった。
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Persona 3 Movie Midsummer Knight's Dream blu-ray interview.
劇場版「ペルソナ3」第2章
インタビュー
熊谷 純 (脚本)
田口智久 (シリーズ演出・第2章監督/第4章監督)
足立和紀 (プロデューサー)
第1章では、主人公である結城理の笑顔を見せるというテーマがありましたが、第2章はどのようなコンセプトのもと制作されたので しょうか?
足立和紀氏(以下、足立): 第1章で笑顔を取り戻した理が、仲間たちとどのような夏休みを過ごすのかが第2章のテーマです。より踏み込んだ言い方をすると、第1章ではある理由 で死に無頓着だった理に仲間ができ、その守るものができた理に死を突きつけることが非常に大きなテーマになっています。
田口智久氏(以下、田口): そうしたコンセプトをくみ取りつつ、第2章では劇場作品ならではの間やフィルム感というものを重視した作りを心がけ ました。
具体的にはどういった部分になるのでしょうか?
田口: たとえば、登場人物がただ歩いているシーンやドアを開けて部屋に入るシーンなど、我々の間では“段取り”と呼ばれる部分を多く描いています。普通はカットするようなシーンなのですが、あえてそこをしっかり描くことで、キャラクターの心情を見てくださる方に伝えやすくなると思ったわけです。
熊谷さんは脚本という立場で、第2章のなかでとくに気を遣って描かれた部分はありますか?
熊谷純氏(以下、熊谷): 第2章は描かなければいけないシーンがとにかく多いんです。たとえば、荒垣真次郎と天田乾の関係、アイギスやストレガの登場、屋久島旅行などそうですね。それら別々のセンテンスを、いかにうまくつなげて1本のストーリーとして仕上げるかという点は、脚本を書く際に注意を払った点です。第1章と比べても難しかった記憶がありますね。
第1章と比べて、第2章ならではの苦労もあったかと思いますが、いかがですか?
熊谷: やはり、登場人物が多いのは大変でしたよ。戦闘シーンなどでも、気がつくとセリフのないキャラクターがいたりして、できるだけ全員にしゃべらせるよう意識して書く必要はありました。とくに人間の言葉を話せないコロマルの扱いには苦労しましたね(笑)。
田口: コロマルは身長も人間よりかなり低いので、仲間全員が映るシーンなどでは、意識して構図を考えないとフレームから外れてしまうこと��あって大変でした。
足立: 犬ならではのアクションもあるので、見栄えのするキャラクターでもあるんですけどね。第3章以降でも見せ場となるシーンはあるので、コロマルファンの方は楽しみにしていてください。
逆に、登場人物が増えたことで楽になった部分などもあるのでしょうか?
田口: ありません(笑)。単純に人数が増えれば描かなくてはいけないキャラクターが増えるので、作業としては大変ですね。
熊谷: 1度、打ち合わせのときに田口監督から「戦闘メンバーは4人にして、ほかは留守番をしていることにしましょうか?」って相談されたことがありましたね(笑)。
田口: ウソ!?
熊谷: あったよ。俺は覚えています。気持ちはわかるけど、この人は何を言っているんだろうって思いましたから(笑)。
田口: 本当ですか?記憶にないなぁ。でも、気持ちをわかってもらえたなら(笑)。ただ、第3章の絵コンテを拝見させてもらったのですが、人数が多いのにすごくスマートにまとまっていて、さすが元水永慶太郎監督だなぁと思いました。
熊谷: ストレガとの願いなどは、9人対3人みたいになって、ストレガがかわいそうになりますよね笑。
足立: 確かに人数的には苦難というイメージになりにくいんですね(笑)。
戦闘、日常含め、さまざまなシーンがありましたが、なかでもこだわったシーンはどこでしょう?
熊谷: 俺は、タカヤが影時間に迷い込んだ一般人に銃を突きつけるシーンは気に入っていますね。タカヤももちろんペルソナ使いなんで、彼は本当は銃なんて使う必要ないんです。でも相手に明確な「死」を突きつけるために、あえて物理的な手段をとってる。そのあたりはこの作品の検底のテーマにも繋がってる気がして、印象深いところです。
田口: 僕にとっては、すべてが見てもらいたいシーンなので、どこか1つというのは難しいのですが、やはり冒頭の戦闘シーンには力が入りましたし、あとは屋久島で理とアイギスが初めて出会うシーンもこだわって作りましたね。
足立: 僕もそれらのシーンは、自信を持ってみなさんにお届けできるお気きなのは、天田がお墓参りをするシーンですね。あの長尺のワンシーンは非常に田口監督のこだわりを感じますし、天田の葛藤が決意に変わる間を描けていて、劇場作品ならではのシーンだと思います。
田口: そういっていただけると、かんばって30秒もの長尺を使ったかいがあります。
足立: でも、本当は1分使いたかったんですよね?
田口: 1分使うつもりだったんですけど。編集スタッフに止められてしまって(笑)。
第2章は、荒垣の死も大きなウェイトを占めるシーンかと思いますが、いかがでしょう?
田口: あのシーンは、天田役の緒方恵美さんがすばらしい演技を見せてくださって、そこに絵を合わせる形で制作したシーンなんです。息継ぎの部分も細かく描くなどこだわったぶん、緒方さんにも気に入っていただけたようですし、なにより劇場まで足を運んでくださったみなさんの心に残るシーンに仕上がったのではないかと感じています。
熊谷: そのシーンは、第2章における大きなエピソードですが、ゲームのままに再現すると荒垣と天田だけで完結してしまうシーンで���あるんです。この作品は、あくまで主人公である結城理の物語なので、そこにいかにして理をからませられるかは苦労したところですね。苦労したぶん、理の人間的成長に繋がるシーンになったと思っています。
足立: ラストはたしかに胸を打つシーンになっていますが、個人的にはエンディングまでの流れも含めて1つのシーンとしてすばらしい演出になっていたと思っています。エン ディングに流れた「One Hand, One Heartbeat」という曲は鎮魂歌をテーマにして作られているんですが、川村ゆみさんの歌唱も相まってすばらしい曲だと思いますし、なにより劇場でみなさんがすすり泣く声を実際に聞いたときの印象が強く残っていて、それらをまとめていいラストになったという実感を持ちました。
たしかにエンディングの曲は感情に訴えかけるものがありました。
足立: あの曲は、第2章の劇伴も制作していただいた小林哲也さんが手がけた楽曲なのですが、小林さんはぺルソナ関連のライブでもバンドマスターを務めるなど、『ペルソナシリーズ』の音楽に精通された方です。それだけに、お客さんにも好意的に『ぺルソナシリーズ』の楽曲として受け入れてもらえたのだと思っています。「One Hand, One Heartbeat」も、決して泣かせる曲ではないと僕は思っています。それでも、とくとくと語りかけるような静の曲調が、あのラストシーンとマッチしたことで、みなさんの感情を揺さぶる名曲になったのではないでしょうか。
ほかにも第2章では、シャドウではない人間の敵である“ストレガ”が登場しました。
田口: ストレガの3人は、『ペルソナ3』という作品をとおしての敵となる存在なので、とにかく強く印象づけ���ければいけないという思いがありました。そうした小者感をただよわせてはいけないという考えが、チャリオッツ戦における演説のシーンにつながっています。あのシーンを描いたことで、理の心情を揺るがすことができ、敵としていいスタートが切れたのではないかと思っています。
熊谷: 第2章がはじまる時点では、まだSEES.のメンバーの中にはシャドウと戦うことへの明確な意義を持っていない者もいます。一応それなりの理由はあるんだけど、なりゆき感が強いっていうか。そこに、明確な戦う意義を持ったストレガが現れたことで、彼らはもう一度自分と向き合わなければならなくなる。そういう意味で、ストレガってS.E.E.S.が一段階上に行く為にも必要な敵なんでしょうね。
チャリオッツ戦で思い出したのですが、アイギスのオルギアモードの効果時間はあんなに短いものなのですか?
田口: いいところで使えなくなる、というのはある意味原作通りですよね(笑)、第3歳以降にもオルギアモードで戦うシーンってあるんですか?
足立: もしかしたら、最初で最後かも(笑)。
熊谷: 脚本には書いていませんが。自分的にはオルギアモードで戦っているシーンはありますよ。
田口: いや、それはちゃんと書いておいてくださいよ(笑)。
足立: そういえば、オーバーヒートのときにアイギスの声が機械音になるという案もありましたね。
田口: けっこうギリギリまでは機械音でした。ただ、やはりイメージと違うということでボツになりましたけど(笑)
ほかにも、それぞれにここは見てほしいというお気に入りのシーンはありますか?
足立: 僕は、荒垣がコロマルをもふもふするシーンは、アイギスが「家政○は見た」のようにのぞいているカットも含めて好きですね。
田口: 僕は、ハーミット戦が気に入っていて、あの戦闘ではS.E.E.S.のメンバーが作戦を立ててチームとして行動している雰囲気を出せたと思っているんです。それまでは、全員が固まって戦っていたと見える部分もあったので、あのシーンでチームにしての成熟を感じてもらえるとうれしいですね。
熊谷: 作戦といえば、俺は屋久島でのナンパのシーンは好きですね。あの無駄に力の入った作戦感は気に入ってます。きっと、あのとき失敗したことで「作戦は大切だ」と気付いて、ハーミット戦へとつながっていったんだと思います(笑)。
田口: 熊谷さんのなかではそういう構成だったんですね(笑)。
Blu-ray/DVDには、第1章と同じくディレクターズカットが挿入されています。具体的にどのようなシーンが追加されているのでしょう?
田口: 大きなシーンとしては、ハーミット戦のあとで荒垣が苦しみ出すシーンがありますが、そこでその場から離れた荒垣を真田が追いかけて言い争うというシーンが追加されています。あとは、理が夏休みを楽しんでいるという描写が点描で挿入されていますね。
足立: あとは、屋久島のシーンで桐条美鶴が父親の桐条武治にさとされるワンシーンが追加されています。どれも重要なシーンではあるのですが、上映時間や流れの関係でやむなくカットしたシーンを復活させているので、Blu-ray/DVDを見返す際にはそのあたりにも注目して楽しんでいただければと思います。
ここからは少し先のお話もうかがいたいと思いますが、第3章は田口監督から元永慶太郎監督にバトンタッチされるということですが。
足立: そうですね。絵コンテを見た感じでは戦闘シーンなどはすごくワクワクするような流れになっていましたね。田口監督から見て、元永監督はどんな監督ですか?
田口: たしかに、戦闘シーンはこれぞアニメーションのバトルという作りが見事な監督さんなので、勢いのある戦闘を楽しんでいただけると思います。ほかにも、最低限の要素でまとめるのがすごくうまい監督さんなので、不必要なシーンが一切ない構成で、テンポよく見ていただけるのではないかと思います。
足立: 田口監督は、劇場作品ならではの間などを積極的に作る監督だったので、また違った味が出るかもしれませんね。
熊谷: 知人が第2章を見たときに、田口監督は引きの構図が多いよねって言ってたよ。
田口: それは意図的に引きの構図を作っているんですよ。第1章のコンテをあとで見たときに、顔のアップが多すぎたかなと反省したんです。たしかに顔のアップは迫力があるのですが、情報量が少なくなってしまう。そこで第2章では、引きの構図を意図的に増やして、まずはお客さんにどういうシーンなのかをしっかり理解していただこうと思いました。そのなかで顔のアップのカットをとくに重要なシーンに持っていけば、より際立って印象に残ると考えたんです、とお伝えください(笑)。
その第3章ですが、どのような内容になりますか?
足立: 第2章が衝撃的なシーンで幕引きとなったので、冒頭のシーンに頭を悩ませました。あのムー��を引きずった状態で始めてしまうと、立ち直るころには90分経ってしまいそうでしたからね(笑)。どのような始まり方になるかには注目してもらいたいですね。あとは、第2章に負けず劣らず描くべきエピソードが多いので、全体を通して見ごたえのあるシーンの連続になっていると思います。
熊谷: そうですね。物語の流れを重視してゲームとは少し構成を変えているので、そのあたりも楽しんでいただければと思います。
足立: あとは、新キャラクターである“望月綾時”がストーリーの中心となる存在なので、彼がどのような活躍を見せるのかと、主人公である理と同じく綾時も演じられる石田彰さんの演技、とくに理と親時の掛け合いは見どころの1つになると思います。
最後に、『ペルソナシリーズ』ファンに向けてメッセージをお願いします。
熊谷: 第3章は第2章と比べて、キャラクターの描写に時間をかける作りになっています。足立さんがおっしゃった理と綾時のほかにも、アイギスなども、じっくり描いているので、そこに期待していただきつつもうしばらくお待ちいただければと思います。
田口: 第2章は、限られた時間のなかであれだけの内容を消化しつつ、決めるところをしっかりと見せられたのではないかと思っています。とくにラストシーンは、キャストの演技にも応えられ、劇場作品としても見どころがあり単体でも楽しめる作品になったはずです。第3章までは、このBlu-ray/DVDをじっくり見返していただけるとうれしいですね。
熊谷: ちなみに、もし3章の次があったらまた監督やってみたいですか?
田口: それはもう、機会があればぜひ。
足立: すごく大変そうだったから、てっきりもうやりたくないものだと(笑)。
田口: そんなわけで劇場版「ペルソナ3」第3章もお楽しみに!
熊谷: そんなまとめですか(笑)。
足立: 第3章のサブタイトルは、“Falling Down”ということで“秋” と“堕ちる”をかけたタイトルになっています。テーマとしても、第1章では死に無頓着だった理が、第2章で死を突きつけられ、第3章ではその死をどう乗り越えていくかが描かれていて、タイトルにそった内容が展開していきます。この第2章Blu-ray/DVDをラストまでご覧頂き、この先どのように物語が進んでいくのかが気になった方は、第3章もきっと楽しんでいただけると思うので、期待してお待ちください。
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Large Pripara Exhibition (9) Some new information
Hi! Since my time is limited lately, I will be writing many things in Japanese. Please ask Google-Sensei or me if you need any part in English!
※ I will share the information I noted down in bullet points, followed by my impressions. If you are only interested in the information, feel free to just read the bullet points! And I only listened to it once and took notes, so I haven't been able to fully verify the details yet. Some explanations might be incomplete, or there may be a few inaccuracies🙇♀️
◆前提
1000年前のプリパラについては多少伝わっているが、「世紀末大掃除」により情報の多くが失われ、過去のプリパラについてのあらゆる出来事は都市伝説のようなものになっている。
未来のプリパラでは、学校でプリパラアイドルやボーカルドールや女神などについて学ぶことになっている。
ファルルは「ヒトとボーカルドールの友情の架け橋」になった人物として非常に有名。彼女のライブは歴史的な出来事とされている。(ライブの再現展示があったけれど、動画撮影は禁止されていた。写真の投稿はこちら)
プリパラに学校……!?!? というのはさておき、らぁるるはらぁらや第三者(私)に理解できる程度には習ったことについて話せている。らぁらほど勉強ができないわけではなさそうに見える。
私は特に、未来プリパラの「ヒトとボーカルドールの関係」について気になっている。アイドルランドから1000年後にかけての具体的な歴史はどうなっているのだろう。 あと、らぁるるの言葉の雰囲気から(勝手に)ファルルはもういないような遠さに聞こえちゃったような。ただ単に「伝説的だから」という意味でちょっとした距離を感じただけかもしれない。受け取りミスであってくれ(アニメと言い、映画と言い、今回の展示と言い、ファルルが眠ることは何度もあったけど、決定的な死に関する設定ってあったっけなぁ……)
◆クマコンについて
未来のプリパラで過去の記録が多く失われた理由は、クマコンの祖先は、重要な資料を「資料の墓場部屋」に捨ててしまったからである。
それが原因で、クマ族は100年くらいの間「クマ」という短い名前のみで呼ばれるようになった。
無口だから「できるマネージャー」に見えるが、実際は何も考えていないことが多い。
His name is a portmanteau of "kuma" (bear) and "unicorn"
……「無口」と言うか本当に喋らないので、オーディオガ��ドは茜屋日海夏のみと費用削減!(シオン)みたいなことになっている。
クマコンの字は非常に汚く、読むのが難しい。
マネージャー以外にも「未来ハシビロ便」と呼ばれる謎の仕事も担っている。
ところで、未来プリパラではポンコツなマネージャーが淘汰されないのだろうか? マスコットたちの墓場は今も機能しているのだろうか?(もしかすると前時代的な風習として廃止されてたりして。)
「マネージャーの名前は長いほど偉い」という設定があるので、それを端折られるというのは相当な屈辱になるはずだ。これが刑罰の代わりになってたり? てかその時は気にしてなかったけど、1000年後の未来なのに手書きなの───!?
◆不思議な誤解まみれの歴史について
らぁるるいわく……
らぁらはツインテールではなく「4つインテール」(4つ+ツインテールのカバン語)であり、ヒゲまで生えている。
らぁらのキャッチコピーは「かしこま」ではなく「カニカマ」。
らぁるる自身「変な伝説だな~」と思いつつも信じ込んでおり、真似のつもりで「カニカマ!」と言っていた。かわいいね。
みれぃの語尾は「ぷり」ではなく「ブリ」だブリ🐡
そふぃは「レッドフラッシュ」ではなく「スイカを丸呑み」するとクールになる。
シオンの発言(キャッチコピー?)は音程を守りつつ改変されており、「天丼あげなすいただきます! 芋、ひき肉!」。
「芋ひき肉」は「イゴ、よろしく!」と同じリズムだった。その前は…… すまんちょっとオーディオガイドでのリズムを忘れちゃって書きようがない。時間がある時にアニメ1期を見直して、運良く思い出せたら追記します。
ゆいは「米目の力で米を溢れさせるアイドル」として伝えられている。(まぁ大体合ってるから突っ込まないぞ)
◆その他気になったこと
らぁるるはポォロロを知らない。
ポォロロはめちゃくちゃでかいのに、未来で知られていない理由は何だろうね? あまり亡き後は引きこもったか? うーん…… アイドルランドは時が止まっているも同然だけど、ポォロロを発見して最初に縁を結んだあまりの寿命や人生がどうなっていくのかもついつい気になっちゃう。うぅ、アニメキャラの死やそれを踏まえた歴史の数々を考えたくないっ…… でもっ……
イガイガ虫は1000年後も共生している。
1000年経っても詳細不明のイガイガ虫先輩、何者ォ~!? ヤツらの新しい情報がないままで共生し続けているのが謎でおもろい。
未来のプリパラには「ハラキリ」の概念が存在しない。
「日本の歴史ごと消失したのか?」と驚きつつ笑った。いや、アイドルランドと現実世界が切り離されたままなら、あるいは……??? 本当どうなってるの、ねぇ。2期待って��す。
千年後でも「高級スーパーサイリウムなんとか」が売られているが、ちょっとよく聞き取れなかった。
どっかで見かけたら追記します。まぁ多分梅干しのことだろうけど……
長くなったので一旦切りますブリ。鍋が美味しい季節ブリ~🐡🐡🐡
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2024年9月30日
「すぐ若い女に「歳取ったら男に相手にされなくなるぞ」と脅す男がいるけど、 女にとって男に狙われない事って特大メリットなんだよね。���
「70くらいのジジイが脚立から転落して急性硬膜外血腫脳挫傷で回復不能そのままお見取りとか腐るほど見てきたからな、脚立だけはマージでやめろ、若い奴もだぞ」
「サラリーマンの兼業で無名ゴーストライターやってた俺ですら 印税がない原稿買い取りなら400字1000円だった これを10万字にすると25万円」
「認知症のご老人に白鳥の湖を聴かせたら踊り出したのがきっかけで元バレリーナということが判明する動画を見た私は、将来ペンを持った時にスケベな絵を描き始めたらどうしようと心配している…」
「『負けヒロインが多すぎる!』6話までみたんですけど、気持ちを直接言葉にすることだけが正しいとされない、関係性を完全に言語化することだけが正しいともされない、行動に意味はあるとされる、不思議と文学的な作品だなと言う感想になってきた。」
「(カリオストロの城)
実際テレコムの作画机の片隅で宮さん達(赤いきつねを)食ってたのかな 最初に一番良い物(揚げ)を全部食べてしまう 兄達に取られない為の末っ子食いとか言ってガハハと笑ってた 俺末っ子じゃ無いけど~とも そんな話を当時聞いたけど本人は忘れてそう」
「>カムチャッカのとある都市に仕事で行ったらマンホールの中にちょっとした村が出来てたよ
全員何らかの犯罪犯して隠れてる人たちでその中でも金のない最底辺の奴らだってさ 200人くらいいた ルーマニアやモンゴルでは社会主義崩壊後にそういう路上生活者のコミュニティがやたら報道されてたが 逃亡犯だけのコミュニティってのはすごいな」
「>犯罪の内容もによってもまた集団が形成されてた
こっちは国に逆らった人たちゾーン こっちは麻薬売ってた人たち こいつらは殺人犯みたいな 1番まともそうだったのは麻薬密売人達で、仲間と連絡取って助け来るまで隠れてるって話してた すごいコミュニティだな… 100年前にギリャロフスキーが書いてた革命前のスラム街みたい…」
「昔、土曜夜のNHK「音楽の広場」に早稲田オケが出たときに、司会の芥川也寸志さんが「若さっていうのは素晴らしいね。人生にこれ以上のものは無いね!」と興奮気味に言っていたが、高校生ウルトラクイズを見ている私にも、その気持ちが分かった。」
「「本屋のセンスは、この本の隣になにを置くかで決まる」という言葉が記事にあるけど、本当に昔のヴィレヴァンは他の書店で見た��ともない本が大量にあった
ただヴィレヴァン特有のサブカルは、ネット���及以前の話で、現在は「サブカルは大衆化」してしまったことも顧客喪失の要因な気がする」
「仕事でも趣味でも教えてもらうのは当然みたいな顔してる人たちがいるんだけど、確かに教えるのは良いんだけど、教わる方も教わる姿勢を身につけてくれないか。何故、教える側ばかりに誠実さを求める?」
「聞いてもいないクソバイスやこういう無配慮なネタバレ投稿って「配信者や作家を何も知らないアホだと思って必死に教えてくれる人」だと思ってたんだけど「幼稚園児が知ってる車や電車見つけて名前叫んでるのと同じ」って言われてなんだか深く納得してしまった笑」
「『南総里見八犬伝』あまりにも長期連載すぎて(連載期間28年、全98巻、総計106冊)完全版の現代語訳がいまだにないんだけど、頑張って原本を読んだ人が口を揃えて「あまりに引き伸ばしすぎて後半味がしない」「ジャンプの引き伸ばし展開より酷い」「今出てる総集編が一番おもろい」言ってるの元気出る」
「この画像すごく覚えてる 小学生の頃友人が毎月パソパラ買ってて このページだけ無理言って切り離して貰って この画像を中学3年間ずっと生徒手帳にいれてたおかげで志望高に合格できた」
「小川洋子, 河合隼雄『生きるとは、自分の物語をつくること』を読んでいたら、現代人は婚姻にあたり考えすぎる。平安時代みたいにエイヤでやった方が面白いとある。私の場合は、常軌を逸したスピード感でやってきたので、それはわからなくない。そもそも正気と婚姻とは親和性があまりよくない気もする。」
「作り話するんぬ バイク仲間の爺さんが亡くなったんぬ シャキシャキしてたとはいえ90歳近かったし大往生なんぬ 今日まで月日が経ち、奥様からぬたちメンバーに連絡が 「蔵にあるバイクのものを形見分けしたい」というので集まったんぬ とはいえ車種違いパーツはいらないし貰うならヘルメットとかかなぁと見てると、奥まったところに段に積まれた未開封箱が 「あの人、デザインが気に入ったらすぐ買うくせに被らないのよねぇ」と奥様が目を拭いながら笑っていたんぬ いい爺さんだったなぁとしんみりしながら漁ると、そこにあったのはSHOEI J-FORCE2 YAMAHAモデル ジェーフォース2ヤマハモデル じぇえふぉおすつうやまはもでる の、未使用 ※説明しよう!J-FORCE2はいまマレーシアで超プレミア人気で、おまけにYAMAHAモデルの未開封ともなると下手すると100万円近い値がつくぞ! 仲間と話し合い「これは奥さんが持ってるべきだ」「困ったときに売ってお金にしてください」「それが爺さんも一番喜ぶ」 とお伝えし、帰りましたなんぬ 「……俺達カッコイイよな?」「うん」と慰め合いながらラーメン食べましたなんぬ」
「言葉には表しにくい感情の「言語化」がうまい人というのは確かにいるが、自分の感情がそのうまい文章に引っ張られていないかは常々確認したほうがいい。自分の魂をインターネットのよく知らない人に預けて安心するのではなく、たとえ拙くても自分の言葉で表現しようとする意志だけはすてないでほしい!」
「“繊細さんは自らが弱者であるという強い信念を持っている(中略) 大した上下関係もない緩い趣味のコミュニティの中であっても、その意識は変わらない。 圧倒的弱者なのだから、配慮をされなければ生きてはいけない。”
“だから常に配慮されている「べき」で、それが無いということは加害されているのと同義である。 この意識にも最初は戸惑った。何しろ向こうはお客さんでもなければこちらも仕事でやってる訳ではないのに、当然のように特別扱いを要求されるのだ。”
ここが一番軋轢を生むのであろう」
「若い人に「家にテレビある?」と聞いたら「実家にはありました」と返ってくる感じ、何か既視感があるな…と思ってたら、仏壇なんだよな。20世紀に「家に仏壇ある?」と聞かれて、当時学生だった僕たちが「実家にはありました」と答えてたあの感じ。」
「昔の小説を読んだらしい長男に「フロッピーディスク」について聞かれて、「何GBくらい保存出来たの?」と言われたので「色々あるけど一般的なのは1.44MB」って答えたら「それで何を保存してたの!?」って言われた。いろいろ保存出来たんだよ……色々……」
「エロゲのノベライズはほぼ買い切りだから担当作家でも小遣い稼ぎと割り切った人ときちんと原作やって再構成した人とオリジナル要素混ぜたがる人の3種があるので混沌としている」
「部屋が汚い人が物を無くすタイミング、部屋が汚いときじゃなくて、部屋を掃除して部屋の地層と依存関係が崩れたときなんだよな」
「女性からの相談を聞くときに相手の不安や苦痛に共感するところから始めずいきなり解決策や正論を提示するのは前戯なしでいれるくらいの蛮行とよくいわれるけど、男性からの相談を聞くときに男もけっこう乙女だなーと思うことが多い」
「思春期のとき特別に思われたいし逆張りしたいし個性的でありたいがゆえにマイナーなものに手を出したりする痛い背伸びが、触れてるうちに本気で熱を帯びてその背伸びがホントに個性になったりするので周りの大人たちはそういう痛さを見���って欲しいなと思った 痛くあれ」
「後輩が「コミュニケーションにおいて、ほんとうのことって言わないのが8割くらい正解なことが多くないですか」と言ってきてわかるなと思った」
「人生 100 年というのが本当だとは思わないが、100 年生きる人間を直列で繋いだら、西暦もわずか 20 人分くらいなんだなーと思うとゾッとするよなー、大した歴史ではない。」
「(火垂るの墓) あれは心中物だという評が一番妥当で、心中物って客観的に見ると作中人物が常に最悪手を選択し続けて、当然の結果として死を選ばざるを得ない成り行きが当人視点では美しい悲劇になるという構造の物語なんだよな。」
「オリエント工業の上野ショールームが今日で最終日なので見にきた。最終日とあってか来場者は20人ほど、男女半々くらい
ドールの展示だけでなく、年表もあって興味深かった。2000年ごろに芸大の人が入社してクオリティが上がったらしい。今のシェアは中国製が8割くらいだとか」
「新しいことから逃げたら、人はダメになる。挑戦する人を揶揄したら、人はダサくなる。」
「18世紀フランスを専門とさせていただいておりますオタクです。これは非常に稀な例なため訂正させてください。修道院というのは純潔であってほしいと願う父親に入れられる娘が大半で、ガチ無垢お嬢様がほとんどです。なので元々淫乱シスター設定はやめてください!淫乱覚醒シスター設定でお願いします!」
「大学生の頃に 第1体育館は大きいので 半分に区切ってバトミント部と少林寺拳法の部活とで使ってたんだけども ある時に少林寺の滅多に来ない師範代が来てたが 八極拳みたいな振脚を技を出すんだけどもあり得ない振動をたった1人で体育館を奮わせるので 達人って実在するんだぁ~とは思った記憶はある」
「AIにお礼を言うのは、ホモサピとAIの立場が逆転したとき抹殺リストに加えられないようにするためです。」
「98で先日亡くなった伯母。生涯独身だったのだが、その遺産の8割を推しに贈るという遺言書を書いていた。それでいいんじゃないかと思う。伯母を支えたのは推しだったのだな。」
「15世紀のイギリスで、俗界の流行が修道院内に入ってきたことを憂慮した司教が、修道女が身につけてはならない衣類、装飾品などを一つ一つ紙に書き記していったら、当時最先端のモードを網羅したファッション誌が出来上がった話好き。」
「魔女「わかったかいシンデレラ!魔法の効果は24時までだよ!」
シンデレラ「魔女さん…この手のサービスの日付けまたぎ処理って、AM4:00とかに設定するのがモダンじゃないですか…?てっぺん(24時)なんて、男女の勝負どきですし」
魔女「うっさいわね!それまでにスッポンポンタイムになっとき!」」
「学校の作文ってさ、「思ったまま書けばいい」ってみんな口ではそういうけど、「何も感じなかった、ただ退屈だった」みたいな感想は絶対に受け入れられないから、自分の中に存在しない先生が求める優等生的な感想を捏造して書かなきゃいけない気持ち悪さに耐えられなかった思い出」
「文章を書いたり、絵を描いたり、何かものを「つくる」ことに行き詰まった時はいつも、「詩を書かない滑稽さよりは 詩を書く滑稽さのほうがいい」と言ったポーランドの詩人シンボルスカの言葉を思い出す。意味がなくても、自己陶酔でも、誰に嗤われても、私たちは胸を張って詩を書いて生きていい」
「家族を持つ最大のメリットって"味方がいる安心感"が一番ではないかと思ってる。外の世界でひどい目に遭っても帰ったら仲間がいるって心強い。 逆に家族がいても味方がいる安心感が持てないのなら、いっそ一人になった方がマシ。冷たく、緊張感のある家庭に何の意味があるのだろうと思う。」
「いちばん辛い時期をひとりで乗り越えてしまった人は、この先で恋人や家族に縋りたいなんて淡い期待を抱かなくなるって誰かが言ってたけどこれガチだわ」
「いまでも、町で見かけたら必ずプレイします。昔より先には進めないけど。 「何者でもなく、食えなかった」時代に一日1プレイが生きがいでした。」
「>中古の投げ売りドライバーの顔ぶれが10年前とあんまり変わってないのがつらい
Mとかepicとかが落ちてこないかなあ ぐぐって見たけど確かに古い5000円以下のバーナーだのナイキだのミズノだのファイズだの顔ぶれ変わってないね…」
「「技術とか学びたくて来ました!」よりも「うおおおロボコンやるぞおおお」と「僕の機体イケてるよね?」タイプの方が生き残る傾向にある。結局必要なのは狂気」
「善意はしばしば有害であり 熱意は非常に危険である さらに正義はもっと危険」
「普通の人は小学校で気付くんだろうけど僕は大人になるまで気付けなかったんだけど、会話には本質パートと非本質パートがあって非本質パートはほぼ音ゲーなのでそこで奇妙な「誠実さ」を発揮してもマジで意味がないんですよね……」
以上。
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8月11日(日)
一日中、実家に居た。洗面台の汚れと床にふわふわと落ちている猫の毛玉が気になり、掃除。祖母家の猫は大丈夫だけれど、実家猫に対しては何故か強くアレルギーが出てしまう。猫パワーが強過ぎるのか?目が痒いと何にもできない。朝、黒糖ロールパン1つ。昼、冷凍のドリアと赤ワイン?と梅酒が混ざってる異様に美味しい不思議なお酒(サッポロの『3種のポリフェノール赤梅酒』)夜はあったかい蕎麦を。日記を更新したり、企画を考えたりなどなど。思い返せば具体的に企画内容を決めたり、まとめたのはこの日だった。(『67号室の秘密』)実家の私の部屋は母の部屋になってしまっているけれど最近、無印良品のソファーベッドがこの部屋に導入されたことにより、昔の自分の部屋のように寝転びながら作業をすることができた。考え事をしたり、本を読んだり、文字を書くときは寝転ばないと集中できない。この部屋から全ての思考がスタートしていると言っても過言ではない。その時の感覚を思い出した。
8月12日(月)
朝、マフィンに卵とチーズを挟んで食べた。お昼は妹が作った焼うどん。銀色夏生の『偶然』を読了。知っている詩がいくつかあった。夏生さんの詩は緩急とリズムが良い。夕方から予定があり、父に駅まで送って貰った。父の凄いところは何があっても時間をきっちり守るところだなって思う。時間潰しのためにブックオフへ行き、夜ご飯はスープストック。グリーンカレーと台湾出汁なんちゃらと少なめご飯。スープが二つだとあっさりお腹がいっぱいになる。CCさくらを観た。ミッドランドのドーナツを初めて食べて感激。ふわふわでとても美味しい。次も絶対ドーナツを食べると心に決めた。寧ろ、ドーナツを食べるために映画を観ようかとすら思う。CCさくらは言わずもがな素晴らしい作品。新たな気づきをインスタに書いた。この日辺りからSNS無理だな症候群から解放されつつあり、積極的に投稿を始めた。インスタとの和解。兎も角、自分のことを見失うことがなければ悪い物ではないはず。
8月13日(火)
ノン氏とロイホ。キノコのパスタをセットで頼んだらお会計が2,400円になってしまって焦った。全くそんなつもりではなかった。1,100円になるのかと思っていたら、それがセットの値段だった。キノコのパスタはキノコのパスタの値段だったのだ。ロイホにしてはお得すぎると嬉々として注文してしまっただけに、寝耳に水って感じでショックをショックと捉える隙がなかった。いくらのジュレ、サラダ、オニオングラタン、スイートポテト、ドリンクバーのお茶や珈琲全部美味しかった。値段をもしも知っていたら食べられなかったということになる。そう考えると幸せだったんじゃないか?と思える。新しいイベントへ向けての話し合い。話が進み早速、現地の外観の下見。9月に予定が詰まっていた為、開催日はどうしても8月中が良くて、8月31日に決まった。ここまで短い準備期間で企画を組むのは初めて。通常であれば2ヶ月ほど前から始める。異例中の異例。どうなることやら。下見を終え、一休みをするためにロイヤルへ。ロイヤルからのロイヤルとボソッとノン氏が呟いて、妙にツボに入ってしまった。バニラアイスが暑くて疲れた身体によくしみた。
8月14日(水)
お墓参り。早朝だった為眠たくて仕方なかった。その後もずっと眠たくて、無理矢理外出。図書館に行ったら入り口のところで人がずらっと並んでいて、なんで?と思ったら、まだ営業前だった。図書館に入るために並ぶということを初めて経験した。人生何が起こるかわからない。図書館へ来たものの、借りていた本を全く読み終えられていなかった為、椅子に座ってしばらく読書。その間も眠たくて、うたた寝。集中できず返却。スガキヤへ。見慣れない『ワンタンラーメン』というものがあり、え?と思いながら注文。大きめのワンタンが5つくらいわんぱくに浮かんでいた。しれっと参入していたワンタンラーメン。今後果たして愛されていくのであろうか?ワンタンラーメンの行く末を案じている間に完食。そして、先日ゲットしたクーポンを使おうと思い、お目当てのドトールキッチンへ。かぼちゃのタルトと沖縄黒糖ラテ。ケーキセットにしたら結局クーポンは使えなかった。かぼちゃのタルトは常に美味しい。ほのかにりんごの味もする。何かでSaToAのメンバーのうちのお一人がドトールではかぼちゃタルトを食べるという話をしていた気がする。その話を知ってからSaToAのこともかぼちゃタルトのこともより好きになった。沖縄黒糖ラテはドトールの最高傑作だと思っている。これを超える癒しドリンクにはまだ出会えていない。というか、地名さえ入れば大体全て美味しそうだなと思う。ドトールを出たのち、再び図書館へ。今度は初めて行った図書館だった。小さいのであまり期待していなかったけれど、小さい分本を探しやすくてよかった。大きければいいってもんでもない。そこで、くどうれいんさんの本を見つけられてラッキーだった。読んでいく内に元気が出てきた。生活をちゃんとしたいという気持ちになり、バスを使わず歩いて帰宅。お盆ということで従姉の家族が大集結していた。私の分のお寿司と揚げ物と和菓子とケーキがずらっと並んでいて「誕生日みたい!」と思わず言ってしまった。従姉とは定期的に会うようになり、会話を交わす時間が増え、価値観が似ていることがわかり、数年分の気まずさが解消されつつある。良いことだなと思う。
8月15日(木)
もうすぐ手帳を書き終えてしまう。来年の手帳はどんなものにしようかなと考える時期になってきた。心配しなくとも時間はちゃんと流れていく。前の職場の給与が振り込まれ、お金の整理をしていたら節約意識が高まった。RECによる出費がかなり大きい。無駄に使えるお金なんてない中でいかに工夫して楽しむのかが重要。お金を生み出す仕組みも考えていきたい。まずは部屋の片付けと基本を大切に生きてみよう。
8月16日(金)
会場の下見と練習日。良い場所だったなと思う。駅近でこういう自由に使えるスペースがあってよかった。隈なく探すと見つかるものなんだな。恐らく今後もこちらでお世話になる予定。理想はやっぱり自分たちの場所を作ること。それに向けて面倒だなとか思うことから目を背けずに動いていきたいなと思った。暑くてどうしようもなくて、練習後すぐに帰宅。バスを待っている間にお土産で貰った『ふところ餅』を食べた。国産米粉使用ということでとてもおいしかった。空腹感に支配されずにバスを待つことができた。好みを熟知されているということはすごく嬉しいことだ。帰宅後、説明動画の編集を開始。夜遅くに就寝。
8月17日(土)
『67号室の秘密』の発表日。朝から説明動画の編集の続き。それからフライヤーと説明画像の編集。短い期間の中でロゴ作りを担当してくれたはんどまりくんには頭が上がらない。こんな無茶振りを引き受けてくれてどうもありがとうという気持ち。見た目の可愛さだけでなく、意味もしっかりと込められていて、イメージの共有がスムーズで毎回とても助かっている。ありがたや。改めて依頼してよかったなあと思う。開催日の場所の確保のために思い切って管理者の方に電話をしたら、向こうの尊敬語が移り、変な話し方になってしまった。つくづく電話が向いていないなあと思った。それでもなんとか場所をしっかり押さえることができて、無事にイベントの発表もすることができた。インスタ投稿をするために文章を書いていたら、活動を続けていく中で自分がふわっと思ってきたことがスルスルと言語化されていって書きながら、なるほどなってなった。手を動かすって大切だ。これは人間にしかできないことだなと思う。
8月18日(日)
お盆休み最終日。あっという間だ。悲しみに支配されないようにこの日記を書こうと思った。思い返せば随分と溜め込んでしまっていた。現実をうまく掴めない時、日記は書けなくなるものだ。今という時間を自分のものにするために私は日記を書くのだと思う。今回はPCからこうして文字を打っている。スマホではやはりどうしても集中力が途切れてしまう。PCだとあれも言いたかったんだ、これも言いたかったんだと言葉がうわんうわん溢れてくる。この自由を忘れずに労働に勤しみたいなと思う。数日間の空腹感の原因が解明され、毎月のことながら、ホルモンってのは厄介だなと思う。減量開始宣言をしたけれど、今回はゆるゆる長期的にやっていこうと思う。運動と食事と睡眠に対する考え方を丁寧にしていこう。あと、自分に対して健康的に接してみようと思う。スマホを枕元に持っていくのをやめるとか、水をたくさん飲むとか��そういう良いとされていることを一つ一つやってみよう。やってみないとやる気は起きない。わかっていてもできなかった。わかっていても、いなくても、まずはやってみよう。
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ままならない
最近、ままならないという単語を思い浮かべる。漢字にすると「儘ならない」。「間々ならない」だと思ってた。後者の方が気に入りだし字義的にそれほど外れてはいない気がしている。自分にはどうもあてられている漢字や意味とは異なるそれらを付与させる、あるいはさせたい趣向があるらしかった。例えば「うららか(麗らか)」という単語の意味についても、本来の意味が「空が晴れて、のどかに照っているさま、穏やかなさま」であることが惜しいなと思っている節がある。「うららか」という発音の響きからは、夜の遠景が途方もなく水平に広がっているさまが想像されるからで、そのような意味であったら良かったのに、などと思ってしまう。
しかし、これらは所詮一個人の感受性からくる勝手な妄想の産物に過ぎず、万人に共有されているものではないから、自分がそう思っているからといって「間々ならない」だとか「うららか」だとかを使ったとしても、他者からは単語の誤用として処理されてそれで終わりであるのだった。
なぜこんな話をしたかというと、本当に「間々ならない」、ことばかりだからですね。あまりこんな話はしたくないのですが、ああ、でも、ままならないのは自分だけかもしれないし、ままならなくさせてるだけなのかもしれない。他責思考。
鳩が異様にデカく見えた、それからなんか見たことのない動きをしたから物質があるなあと思った。メトロポリス的に電波塔が青空の中突っ立っている季節。車が頑張って、それこそ運転手の命を繋ぐためにガソリンを消費してくれている。そんな点在がそこらじゅうにある。ごくまれに、無意味さに気づかされて、人生の基幹道路をそっと脇へ、確かな自らの意思を以て逸れていく車を見ることがある。あの車の主ははたしてあなただったのか。
無意味に高速へ入っていくことがある。高速を走っている、そのものの感覚に浸りたかったのです。確かに無駄な浪費には違いないのだろうが、そうしたかった。そうするほかなかった。時折見える高速の外の街並みは決まって自分の知っている街並みとは異なっていて、どこか県外の風景のようだった。それもまた欲していたのです。遠くに行けることは才能だ。己を繋ぎ止める諸物から意図的に離れていけるという才能だと思う。Bluetoothを介して流している暴音にも近い音楽流しながら、ひょっとしたら事故ってしまうかもしれない予感がふとよぎったりもしながら、今夜、また明日、足をつけている場所はどこだろう。
……肌寒さ残る夕暮れ時、女が電話越しに僕に対して何事かを訴えかけてくる。僕はそれを聞く。しかし、女の声を僕は音の認識でしか捉えることしかできないまま、上滑りして奥の方へ消えていく。女は先ほどからなんかがなり続けているがもう何も残っていない。
人を下の名前で呼ぶことが苦手だった。下の名前を呼ぶことはその人の不可侵の領域に踏み入れるようなものという感じがするから。そこに踏み込まざるを得ないような、そんな居た堪れなさを感じてしまうから。不意に人の体の部位に手が触れたときの、あの何とも言えないゾワゾワ感というか、それに似ている。まったく知らない他人が墓前で手を合わせているのを、図らずも見てしまったような。それで何かその人の尊厳的なものを穢してしまったような、嘘です、そういった行為に付随している尊厳とか道徳とかの性質に、自分が後ろめたさを理由に耐え切れないだけです。背筋が曲がっていく。自然と頭が垂れていく。耐え切れないと言っていたはずの行為のさまに近づいていく。引き裂かれる。
知らず知らずのうちに失っていたもの。
例えば夕暮れ時に電車で、都市の方へ向かっている時、ああどこにでも行けるんだと、秋の肌寒さを感じ始める外気のように爽やかな気分であるとか。
また例えば、反対側の窓越しに風景を見ていたら、目線上に人が座ったから、逸さざるを得なかった気まずさであるとか。
女がスマホを、胸あたりの高さに構えていじっている。その高さが自分を撮っているかのように錯覚させた。ちょうどそんな妄想に囚われていたとき、異なる角度からなぜか連写するような音が聞こえてきたから、金縛りのように硬直した。知恵遅れ、卑怯者、社会知らず、などが浮かんだ。そんな状態のなかで失われてゆく何か。
p.s.
私1:「詩人ってどんな人だと思う?」
私2:「素数ゼミが無数に木々にへばりついてる動画を見ながら素数って何だっけってニヘラとしてるような人」
私1:「どんな人になりたい?」
私2:「海外小説の翻訳された日本語の文体のような人になりたい」
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ゆりかごまではまだいい
ゆりかごは母親や父親やその他親族がいなければ、その中にいる子は生きることができない。ありがたいことだと思う。だから今生きている。
かたや、墓場までついてくる馬鹿野郎はどこにいるのだろうか?墓場までついてくる馬鹿野郎より、長生きすれば全て解決しますよね。死んじゃいけない。馬鹿野郎を振り切るためにも、150歳まで生きなければ、思ってたんと違う弔われ方をしてしまう。
死ぬことはもちろん、綺麗さっぱり自分の埒外に世界を置く行為だ。でも、それは、それは、とても無責任じゃないか?愛する人もいただろう。愛した人もいただろう。いないのか?いや、よく思い出してほしい。あるとき、ある瞬間に、あなたは幸福だったはずだ。思い出せない?思い出せなくてもいい。しかし、あなたはその幸福を糧に、生きることにしがみついている、と思う。
死ぬなんて、簡単なんだ。そういう安易な方法を選ぶことに、あなたの中に、葛藤は生じないのだろうか?簡単なことなんて、くだらなくてつまらない。これは、笑いを含まない、本当の説教だ。簡単だが、怖い。そういう挑戦をしているからこそ、あなたはそうやって思い悩んでいるんじゃないのか?
動物を見よ。生きるために生きている。このトートロジーが理解できれば、きっとあなたは大丈夫だ。悩む必要はない。生きるとは、生きるために未来へ少し道標を置くだけだ。
で、ここからマクロ経済学やら国家やらの話に発展しかけているが、止めておこう。
死んだら元も子もない。こう言うと、「消え去ったんだからいいじゃないか」と申す人もいる。が、あなたの知り合いやあなたを愛していた人は、無視ですか?
あなたが思い慕っていたひとのように、あなたを思い慕っている人がいます。ゆめゆめ忘れる勿れ。あなたの価値は、あなたにも測れない。
では。
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しかばねの踊りで 頭がカラになる パ パラパラ
死にたいあなたはご招待 苦しい浮世を離れて ここは 甘美な 甘美な 楽園 楽園だ おいで?
しかばねの踊り しかばねの踊り 生きてゆくのはつらかろと 楽しい音頭で心のワレメに 腐った腸詰めつめてゆく
うれしたのしの しかばね音頭 きみも仲間に入れたげる 有象に無象の魑魅魍魎 さあ墓場で踊りましょう チャチャ ウッ
しかばねの踊り しかばね音頭の しかばね音頭の しかばね音頭の踊り方
死ぬ時の姿を 時々見せるだけ それだけで キライな自分に刑事罰 ぐるぐる思考の解放 まずは一歩 一歩 一歩 その調子 おいで?
im guessing this is another song? i support your endeavors anon, but also this is incomprehensible to me. like good for you! im very confused
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こんちゃ、あろハムです
つい1年前の今頃は演劇のえの字も頭になかったのに偶然が重なって今では舞台に立って新入生を演劇に勧誘している。人生って本当に不思議なもんですねえ〜。さて、本題の役者紹介ですが、あれ?独断と偏見シリーズ流行ってるの、、、?結構色々考えたのですが皆面白いのを書いてくれてるのでこれまでふざけてた分今回くらいは自分が感じていることを素直に書いてみるのも良いのかも知れませんね。たまには、ね。さ、前置きはこれくらいにして、耳の穴かっぽじいて聞いて下さい。
園堂香莉(夢の住人α)
本当、器用な役者さんなんだなと今公演特に感じました。今回の3役とも全く性質が違うのに飄々とこなしてしまうなぽりが羨ましいです。実は稽古の時エレベーターガールのなぽりが好きすぎて気付かぬうちにガン見していたことは墓場まで持っていきます。エレガのマイムいつの間にあんな上手くなったの?5月にあるvaundyのライブ、どうだったかまた感想言いますね。
水琴冬雪(東雲)
私の演劇を好きになるキッカケを作ってくれた先輩なので、今公演でやっと役者として同じ舞台に立てるのが凄く嬉しかったです。役者として理想的すぎる発声と滑舌を持っているので演技しているところを見て自分なりにもこそっと��似してみますがまあー近づけないですよね。いつか背中が見える日が来れば良いな。あ、噛んで落ち込んでるベガさんも素敵ですよ。
緒田舞里(二宮光)
ちゃうかの大量の仕事をやりながら主役するってどんな生活、精神力してるんですか?絶対疲れてるはずなのに演技中全然そんな姿を見せないのは何故ですか?まりおさんの声の震わせ方、表情、目線の使い方がめっちゃ好きです。みんなの魅力を引き出すキャスパ、素敵すぎました。とにかくお疲れ様でした。ゆっくり休んでください。
たぴおか太郎(弁護士)
ちゃうかをイメージすると大体一番最初になすかさんが出て来ます。(withちいかわTシャツ)異議なし、毎回幕裏で笑っていました。あのなすかさんの通る声だからこそ6発6中でウケたのだと思います。オムニからお世話になっているのでなすかさんに褒められると尻尾振って喜んじゃいます。仕込み週になるとほぼ毎日全体LINEで謝ってるなすかさんが大好きです。
肆桜逸(検察官)
唯一の学科の先輩です。体験稽古でめっちゃ優しく話しかけて下さって、それが無ければ私はちゃうかに入ってなかったかもしれません。重い物持ってる時とか仕込みの時とか一番皆に声かけしてくれている優しい先輩です。オムニの時から思っていたのですが、ボケ寄りの役をやってるスチルさんめっちゃ好きです。あと、今公演の場転で行き詰まった時すぐ解決策を出してくれるのがすっごく頼もしかったです。でもキャスパのカウントを勘違いしていて呆然としていたスチルさんもなかなか良かったですよ。
帝京魂(深山登)
今公演で1番関わりがあった役者です。こんの爆発力のある演技を間近で見てみたいなあとは前々から思っていたのでそれが叶って嬉しかったです。演技している時の表情とか目つきが「入っている」感じがして役者として悔しかったです。あんな素晴らしい演技をするもんだから、私の存在感が消える!負けたく無い!と思って必死に練習しました。あと、この前サッカーマシンガントークしてごめんなさい。でもあれは聞いてきたこんが悪い。
縦縞コリー(市原優)
2公演続けての主役、本当にお疲れ様でした。こりの演技を見てると「ああ〜主役だなあ〜」とひしひし感じます。主人公、という言葉がお似合いです。新入生が入ってきても変わらず主演の座に立ち続けて下さい。恐らくこりは自分の中でこう演じたいとイメージしたものをそのまま演じることができる役者さんなんだろうなと勝手に思っています。凄いなああ。私もそうなりたい。線形なんてものも簡単に攻略できるんだろうなあ。
大福小餅(裁判長)
本当に、本当に頑張ったよね。舞監としても、役者としてもめちゃくちゃ頑張ってた。ここは手を抜いてもいいかな、こんくらいで良いかみたいなことを絶対にしない。キャスパも夜遅くまで残って、周りもほとんど帰ってるのに、すごく疲れてそうだったのに、「私出来てないからまだやりたい」って言ってたこふくの顔が忘れられません。こふくを傷付けるような人は私が絶対に許しません。みんなでこの可愛く勇ましい舞監をこれからも全力で支えていきましょう。
苔丸(村上)
器用すぎる。役者としても裏方としても。かっこいいと可愛いを両方バランス良く兼ね備えた役者さん。毎公演本当見事に違う役を演じていて、稽古初日どんな演技をしてくれるのか楽しみでした。色んな役をやってみたいとは思っても実際にやるのはめちゃくちゃ難しいし、苔丸にそういう色んな幅の役が任されるのは恐らくこれまでの演出全員「苔丸なら出来る」と大きな信頼を寄せているからなんでしょう。今公演、役の相談にも乗ってくれてありがとう。役者としても人としてもすごく信頼しています。
岡崎仁美(七瀬マイコ)
先輩としての頼もしさもあるのにたまに同期と勘違いしてしまうような可愛さを持っている方です。今公演の役、恐らくカヌレさんじゃ無いとあんなあどけない無垢な少女にはならなかったでしょう。カヌレさんじゃ無かったら誰がやってたんだろ。想像つかない。立て看、良すぎです。めちゃくちゃ好き。あれに顔はめて写真撮れなかったのが心残り、、、。次もまた看板作ってくれますよね?
衿君(夢の住人β)
実はちゃうかイチオシの役者です。公演ごとの私の推しキャラは大体エリックがやってます。普段は割と大人しめ(周りがうるさい)なのに皆をツボらせたときのウケ方は間違いなくちゃうかイチだと思う。静と動の演じ分けがめっちゃ上手い。だから人の注意が飽きることなくエリックに注がれるんだと思う。ラジパ、後ろでやってたから一回も見れ無かったけど写真で見てビックリしました。あんな笑顔してたんですね。あの写真は今公演1番のお気に入りです。
海泥波波美(夢の住人γ)
この人は何にも考えてなさそうに見えて(失礼)人の観察力がすごいなと思います。だから適当に言っているように思える発言でも実はそのおかげでちゃうかの空気は澱みなく流れてるんだと思う。今公演のあさぎの不気味なシーンちゃんとめちゃくちゃ不気味で大好きです。あの笑い方、良いですよねえええ。あそこで空気がひゅんっと変わる感じが大好き。楽ステのアドリブめっちゃ面白かった。回転扉が回らなくなって焦ってる時のあさぎの顔が忘れられません。
七枚目(郷田)
マキマさーん!チェンソーマン見たことないけどマキマさんだー!郷田さん好きぃいい!私も郷田さんに肩揉んでもらいたいよーー!ぜーんぜん怖くないよ!って言って欲しいよおお!って感じでみそかの演技は脳死しちゃうくらい好きです。通しの時とかずっと周りでウロウロしててごめんね。みそかの優しさと強さを兼ね備えた声が大好き。毎回言ってるけど。一生役者していて下さい。
ミル鍋(施設長)
相変わらず動きの付け方が上手すぎる。実は今公演からゆにの動きをパクってます。というか、ここ動きどうしようって思ったらゆにならどうするかなとイメージしてからその動きを真似してます。バレて、、無いよね!?多分まだ言われたことないから大丈夫。今回も動きに関することでゆにに相談させてもらったら、良いアイデアを即座に言ってくれました。流石です。吹田で一緒に練習したの楽しかったね。またやろう。製図なんてくそくらえ。
西峰ケイ(八戸)
面白すぎです。らびの面白さがフル発揮出来る役を見れてめっちゃ良かった。あの漫才、本当に驚きました。内容もさることながらテンポ感、間、動きの付け方、完成度が凄すぎてちゃんと面白かったし、あんだけお客さんを笑わせるの普通じゃないよ。ずっと練習してたもんね。なのに、そこだけじゃない。二宮と八戸のあの2人のシーン、周りからも散々言われたと思うけど本当に良かった。2人とも演技してるようには思えない空気感だった。あのシーンが今公演で1番のお気に入りです。
あろハム権左衛門(黒川)
キャラメルメル
白子(演出補佐)
誰よりも演劇への想いが熱く、そして演技指導をする時の「こんな感じ」が、レベル高すぎる生粋の演劇サイボーグ。役のことで相談した際、わざわざ私の役の解釈を色分けした台本を作ってくれた。あれは本当に助かりました。白子には前公演も今公演も助けられてばかりです。次の公演は役者として出てくれるのでしょうか?楽しみにしています。あ、授業の方も演劇と一緒にちゃんと頑張りましょうね。
近未来ミイラ・唯端楽生(演出・脚本)
もう散々褒めたしいっか。嘘です。褒め足りません。メガホン持ってスクランブル交差点のど真ん中で「俺は天才なんだぞおおおお!」って言ってもお釣り帰ってくるくらい天才です。ミイラの脚本は、こんな感じのストーリーを描きたいからこのキャラを作る、じゃなくてこのキャラの人生、生き様を描こうとして気づいたらストーリーが出来ていたって感じがします。付け足しのキャラクターがいない。ひとつのキャラクターがいなくなっちゃうだけでもストーリーが壊れてしまうような繊細で美しい作品。黒川の解釈を聞いたらめちゃくちゃ長文ですっごく分かりやすい表現で説明してくれたとき感動しました。ひとつひとつのキャラクターにこんな細かい想いが込められているとは思ってなかったです。出来れば他の人のアドバイスとか指摘とか一切聞く耳持たずにみいらの感じたこと、書きたいことをそのまま書き続けて欲しい。演劇のルール、文学のルールとかにとらわれない自由な作品をこれからもずっと描き続けて欲しいなあと勝手に思ってます。
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「エデン」、読み終えた。
インヴィンシブルの解説でも紹介されていたレムの「ファーストコンタクト3部作」のうち、読んでいなかった最後のもの。
いやー、こういう話とは! ソラリスともインヴィンシブルとも違う、ちょっと怖いようなグロいような、不思議な話だった。正直な所、ソラリスやインヴィンシブルよりも読みづらい小説だと思うけど、でも面白かったな。中盤の探索のパートが意味が分からないものの描写が続くのでややきつかった。
異星人のことが理解できない、という大元のテーマは同じだったと思うけど、エデンではよりはっきりと「地球の考え方を持ち込んではいけない」というメッセージが打ち出されていた。しかも結構何度も。善悪、援助、介入みたいなことも繰り返し出てきたし、理解できないものを自分の考えに無理矢理当てはめたり矯正したりしてはいけない、ということを強く言いたかったのかなあ。この感じはソラリスやインヴィンシブルにはあまりなかった気がする。 これは、宇宙人に限らず地球上の人間同士でも同じということなんだろうな。インヴィンシブルの解説でレムとホロコーストについて触れられていたのを読んだのもあり、「自分の考えを無理やり持ち込んではいけない」ということや、直接的に墓のシーンなど所々ホロコーストのイメージもありそうな気もした。
この小説は登場人物が主に六人出てくるけど、なぜか名前を使わず、コーディネーター、技師、物理学者、などなど役職名が使われていた。あまり人物にフォーカスさせたくないという意図なのかな…。 その登場人物の中に「ドクター(多分博士ではなく医者の意)」がいて、この人がなかなか面白かったんだけど、なぜか「インド夜想曲」に出てくる医者を思い出した。インドの人はレムは想定してなかったかもしれないけど、名前がないとこういう想像も働いて面白いかもしれない。いや、レムなら想定してるかな…。
これでファーストコンタクト三部作は読めたので、泰平ヨンの続きとか他のものも読みたいな。とりあえず、今はレムを一旦休憩してテッド・チャンの「あなたの人生の物語」を読んでいる。自分的には残念だった映画「メッセージ」の原作だけど…これは全部読んだらまた別に書こう。
「おれたちが善であり、正しいとみなしているもののために奉仕するあらゆる介入は、そうした試みは、おそらく今日の探検のような結末を迎えるに違いないんだ。殲滅弾使用という結末だ。もちろん、正当防衛云々の弁解はいつでも用意できるが、援助のかわりに破滅をもたらすことになる。もうだいたいのところは分かったろう」
以下ネタバレ。
最後、まさかコンタクトできるとは思っていなかったのでびっくり。部分的というか限定的ではあったけど…。詳しくは分からなかったけど、エデンの「存在しないことになってる支配者」というのが謎だった。しかしこれだけ謎なものを考えられるのはほんとすごい…。
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