#ほうれん草のお浸し
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2024.5.20
◯メニュー
豚の角煮と煮じゃがと煮玉ねぎ
ほうれん草のお浸し
ごはん
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いままで重ねきてきた罪がドミノみたいにすれすれに並んでいるのをずっと遠くから眺めているような気持ちだった。心の奥底でぴんと糸を張る緊張感がいつもわたしを誤らせる。(愚かだ あなたは暑いときに読み間違う)という長谷川白紙の歌詞をおもいだしながら暗くなる空を見つめていると、なんかもうカサブタを無理やり剥がされていくみたいな感じがして傷だった。(ごめんなさい神さま)(ごめんなさい)わたしは夏が大好きだけど大嫌いで、永遠に続くかのように全てが眩しくて美しい若さにいつまでも浸っていたいけれど、一方では早く年老いて静かに暮らしたいと思っている。相反する思いをつねに抱えながらその境目で絡まる糸を解こうと精一杯もがいている。あなたがことが好きで、憎くて、でもほんとうは心底愛していた。今この瞬間も街のどこかで一枚のフィルムが現像され、誰かの想い出に色が与えられている。豊洲、ビル群に沈んでいく冷たい夕陽、騒音とウミネコの細い足、まつ毛の上を滑り落ちる光に涙を堪える。ああ、世界はあまりに美しすぎる。ほんとうに。今日もわたしは身を削り働いている誰かに、得体の知れない神経信号に、大いなる存在に生かされている。自分の思うとおりに瞳や手足が動くという事実がたまに恐ろしくてたまらない。夜な夜な寝付けずそんなくだらないおぼつかない事象について考えを巡らせていた。ねえ?ほんとうの幸せってもしかしたら心地よく哀しいものなのかもしれない。目の前で光ってゆらゆ���笑う運命に諦めたように微笑み返す。これはけして悲しい日記ではない。溢れてくる感情は山ほどあるのにそれに名前をつけたら終止符が勝手に打たれてしまうような気がして、気が付いたら大量の屍を背負っていた。屍はなんかちがう、色を落とした季節とか、風化した手紙、音を失った楽器とか、そういう表現のほうが正しい気がする。悲しいサンタクロース、みんなに優しさを振りまくけどほんとうはそれと同じようにだれかにただ慰めてほしかっただけだった。わたしはきっとまた思い返す。何度でも思い出す。あなたのくれた思い出ではなく、あなたが好きだったことを思い出す。人々が言葉を手放していくのには理由があって、それは「妥協」でもなくて「幸せになったから」でもなくて、ただ目の前にそのすべてを体現している美しい命のかがやきがあるからなのではないかと思ってしまうほど、あなたをまっすぐ好きだった。どんな小説の文言も重厚なメロディもがらんどうに感じてしまうほど、無鉄砲であぶなっかしい、まっさらなその素直さにいつも心を揺さぶられていた。あなたは不器用でいつも失敗して後悔ばかりしていたけれど、その全てが愛おしくて、わたしはあなたの最後の過ちでありたかった。思うままに泣いたり怒ったり笑ったりするあなたが、最後、涙を堪えていたのをいまでもはっきり覚えている。家族を愛するあなたの一番の理解者として選ばれたかったし、ずっとあなたがとらえる季節のいろどりや機微に憧れていた。ガラスのように脆いのか強いのか、繊細で傷付きやすいのか誰かを傷つけてしまうほど危ういのか分からないあなたの感性はいつだって万華鏡のように姿形を変えど、この世の全ての美しいものを映していた。あなたの変わっていく音楽の趣味、言葉選びと服装に自分の痕跡が垣間見えるたびにわたしは浮かれて、もっとあなたのことを好きになっていった。間違ったっていい、後悔したっていい、運命を踏み間違えた結果としてあなたが誰かに拒絶される理由になるなら、そんな世界は壊れてしまえばいい。精一杯、がむしゃらに生きていい。だれにも許されなくても愛されなくてもあなたはあなたであっていい。ただ諦めければそれでいい。これは誰かに宛てたものではない。これまでの歴史、そしてこれからの日々について考える。谷川俊太郎の詩を思い出した。あの空のあの青に手をひたしたい。まだ会ったことのないすべての人と会ってみたい���してみたい。明日と明後日が一度に来るといい。ぼくはもどかしい。地平線のかなたへと歩き続けたい。そのくせじっとしていたい。この草の上でじっとしていたい。声にならない叫びとなってこみ上げる。
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2024.11.18 今日の晩ごはん
チキンのトマト煮、さつまいものサラダ、ほうれん草のお浸し、和風オニオンスープ
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ほっけの塩焼、ほうれん草お浸し、みそ汁、梅じゃこごはん
Dinner on Jun.29th,2024
Salt-Grilled Atka Mackerel.
Boiled Spinach.
Miso Soup.
Plum and whitebait on Rice.
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禾乃登
「最近、〇〇さんはお米どうしてるの?)」と言う話題が上がる。その部分に関して、私は世間とは切り離されているからわからない。と、言っても自分が、自分の家族がお米を作っているから、困っていないっていうのが実情。ぶっちゃけ、去年できた新米?駒井?もう全然残ってるし、まぁ売っていないっていうのが大きいんだと思うんだけどね。タイトルの通り暦の上では秋になった。お米も収穫されて、だんだん解消されていくであろう。8月頭でも、なんだか7月より過ごしやすいかなぁって思ったけど、さっきニュースを見ていたら、観測120年の中で1番暑かった?らしい。平年より1.7度位高かったらしい。そりゃそうだよね、滝のような汗をいつも書くから、多汗症になってしまったんじゃないかってちょっとだけ不安に思った。まぁ今日も、9月になってから初めての平日で、外に出たら、8月よりも過ごしやすく、風も吹いていて、いつもより少し早く外に出たから、良い始まりかなぁって思ったんだけど、そんなこともなく目の前の踏切で、運転見合わせになってしまい、遅れてしまうかと思った。
9月になると、世間でも秋の話題がたくさん出てくる。月見バーガーに、お芋のフラペチーノ、栗ご飯、1杯秋を感じる。雑貨屋さんでは、金木犀の香りが漂っていて、なんだか寂しくなった。秋はなんだか寂しい。冬の方がもっと寂しいかもしれないけど、の秋の容器がなんとなくだけど、寂しさを思い出す。
先月末に、一足早く芸術の秋を女神と楽しんだ。ろくろの体験をした。台風と被ってしまうと予報が出ていたので、雨の中やらなきゃいけないのかなあってちょっと嫌だったけど、結局台風はノロノロ運転だったし、私たちがろくろ回している間、移動時間と雨は降らず、家にそれぞれ戻ってから雨が降り出したので、なんやかんやよかった。東京に戻ってきてから会う��女は変わらず、美しく可憐で聡明で、私の憧れの人だった。夢のために学校に帰りたいた。彼女は、優秀な成績を残しているようで、短期留学をしようかなぁと目標を立てていて、かっこいいと思った。彼女がいるおかげで、私は頑張れるんだ。陶芸の話に戻り、私は小皿と小鉢、彼女は小皿を2枚作った。夕薬を塗ってくれるみたいで、3ヶ月程度で出来上がり家に届くらしい。私は小鉢にほうれん草を入れたいと思ったので、黄色山吹色をえらんだ。とても楽しみである。
その彼女とはまた明日会う。彼女のためにこっちに戻ってきたのは過言でない位ほんと。
芸術の秋には他にもあって、この前バブーシカを編み終わったので、今はクラッチバックを編んでいる。大きめのカバンを編むのは初めてなので、まだできないかなぁって思いながら作ってるんだけど、徐々に出来上がっている姿に愛情が湧く。早くできるといいなぁ。
今月には海外旅行が待っている。海外に住む友人に、会う約束をした。恋人にも了承得た。語録年の付き合いになるのかなあ。彼女に会うのはすごく楽しみ。ゲーム友達がこんなに続くと思わなかった。楽しむためにも、なぜか最近忙しい仕事を頑張ろうと思っている。
恋人が、お土産にういろうを買ってきてくれた。そのこと自体が嬉しくて、幸せに浸っていたら、案の定恋人は賞味期限当日にあれよ。あれよと忘れた。ういろうを持ってきた。私は白色のういろうが好き。そんな恋人と今日の帰り、たまたま同じタイミングになって一緒に帰った。電車の中で席が開くと、自分の席を確保していたのに、今までは。だけど、今日は珍しく私に席を譲ってくれた。感心感心。そんな彼に昨晩は絵本を読んだ読み聞かせかな。3本の金、髪の毛のお話と何か後気がする忘れちゃった。一応、写真日記を続けていて、昨日のスーパー行く前にエントランスに出た時、虹がかかっていた。思わず同じ居住区の同期に連絡を入れたけど、どうやらいなかったらしい。ハッピーを共有できる相手がいるといいね。そんなもんかなぁ。今日も言葉で文章を書いてみました。今日はとっても眠いので、添削せずそのまま載せ���す。余裕が出たら修正しときます。終わり
そういえば、学会に恩師いた
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春風~よもぎMIX~
ってなんか、いい。今日一日の最後に聴いていた曲をタイトルにする日記を14~18歳あたりのわたしはよく熱心に書いていた。それ、今読み返すととても伝わってくるものがあり、今回はその頃の自分の真似をしてみたってワケ。かれこれ、13年くらいは日記と共にある人生を歩んでいる。アナログだったり、デジタルだったり。手書きでないと果てしなく長く書けてしまい、余計なことまで書いてしまい、色々アウトで丸々一気に消してしまったりして、記録が残っていない。それはすごく勿体ないことをしているなあって思う。先日、珍しくTumblrからメールが届き、2年目を迎えたことを知った。そんなに月日が経っていたのかという感慨深さより、11月に始めていたのかという驚きの方が勝っている。あと、最近驚いたことといったら、”小春日和”は秋に使う言葉だということ。これは過去にも驚いた記憶がうっすらとある。なのに、再び驚いた。では、シャッフルでくるりのこの曲が流れてきたとしてもスキップしなくて良いということなんじゃないかって思った。よもぎMIXは今日初めて聴いた気がする。幼き頃、家族でキャンプをした際に虫除け対策でよもぎを焚き火のように燃やす体験をしてから、よもぎというものが好きで、もしも自分に子供ができたりなんかしたらよもぎと名付けようとまで考えるほどわたしからしたらよもぎは魅力に満ちている。あと、松平まんじゅうの草餅(よもぎの団子)が堪らなく好きなのである。結論、よもぎは香りも味���語感も色も良いのだ。わたしも自分の曲に~よもぎMIX~って付けたいという衝動に駆られながら帰宅。今日から仕事が少なくて4連休ということになった。だから、こんなにだらだらと日記を書けるのだ。暇って大事。暇こそ人生の醍醐味と言えよう。自分の好きなことだけをしていいよって自分に言い聞かせ、外に出た。駅まで30分黙々と歩いた。轟音を響かせながら飛行機がハートを描く瞬間を見た。平日なのに街はお祭り騒ぎ。どうやらブルーインパルスだったよう。期限を過ぎてしまっていた本たちを何事もなかったかのようにどすどす返却ポストへ吸い込ませ、分厚い本が読みたくて分厚い本を借りた。日本というより海外の気分でJ.K.ローリングの”カジュアルベイカンシー”を。既に10頁ほど読み進めたのだけど、ワクワクが止まらない。なんてたって、ファンタジー界の巨匠である���らね。その後、無印でフラフラと思う存分時間を過ごした。よりよい生活を考えることは楽しい。部屋に置いてみたいものが沢山あり、見ているだけで夢が広がる。お目当ての不揃いレッドシダーブロックとひのきの香りのハンドクリームをゲット。どちらも木であり、良い点は香りである。レッドシダーブロックは洋服箪笥に入れたり、枕元に置いたりしてみるつもり。消臭効果があり、紙やすりで削ると香りが戻るとのこと。紙やすりなんて家にないよと憤慨しそうになったがよく見たらなんと、ご親切に紙やすり付きである。ひのきの香りのハンドクリームなんて、生まれて初めて買った。嬉しくて仕方がない。好みの香り過ぎる。まるで、ひのき風呂に浸かっているような気分を味わえるのだ。”湯船の中で黄昏る”と名付けているからには買わないという選択肢はないだろう。好きなことや物や過ごし方ってなんだっけ?となる瞬間が人生に訪れてしまうことは悲しい。わたしは言葉にすることで好きを深掘りできるタイプだから書かない時期が続くと、好きを見失う。そうならない為にもこんな感じでこれからも書いていこうと思った。
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ちょろぎ
このイモムシ、あるいはドリルビットのような物体はチョロギという植物の塊茎だ。関東以北では、おせち料理の食材として使われるらしいが、そもそもおせちに縁のない生活をしてきた私にとって、食べたことはもちろん、その存在すらこれまで知らなんだ。もう結構な齢だけどね(笑)。
このユニークな形状は栽培欲求をかき立てるのに充分��った。ただ世間ではそれほど特殊な物ではなく、フリマサイトから容易に入手できた。
入手したのが晩秋だった為、冬越しさせてやらなくてはならない。売り主に相談したところ、寒さにかなり強いので軽く土を被せておく程度で良いらしい。畝の一角を使っても良いのだろうけど、まあ初めての栽培だし、念のためバケットに入れて土を被せ、玄関の内側に置いた。
1つも痛むことなく冬越しした塊茎をポットに播種したのが3月の初旬。順調に発芽・生育して、一か月後の4月初旬には畝に定植した。上の写真はさらに一か月後の5月初旬の状況。
同じ畝の6月中旬の状況。定植後草取りすらしていないが、畝全体に広がり繁茂している。花穂も立ち始めた。
葉の形状はバジルに、花の形状は青ジソに似る。いずれもチョロギと同じシソ科だ。花の蜜を吸いに蜂や蝶などいろいろな虫が訪れるが、葉に食害された形跡は見当たらない。
秋になり葉��色が変わり始めた頃、試しに株元を少し掘ってみたが、まだとても収穫出来るような大きさではなかったので、上の写真のように完全に茎葉が枯れ果てるのを待ってから収穫することに(12月下旬)。
茎同様、根も細めなのだけど、がっしりと広がっているせいで引き抜くのは容易ではない。なのでショベルを使って掘り起こしながら収穫していく。
とりあえず根付きのまま集めて、そのあと塊茎を分離していく。かなりチマチマした作業だ。
「チョロギ独特のくびれに泥が残るのでブラシで丁寧に洗い落とす。。。」なんて記事を見かけビビっていたが、バケツに水と一緒に入れてグルグル掻き回したら、意外にもそれだけで充分綺麗になった。このあたりは育てる土質に依るかも知れない。粘土質が強いところだと泥落ちしにくいかも。
鍋で5~6分茹で、一部を晩酌のつまみに。味付けは軽く振った塩だけだが。。。見た目の奇抜さとは裏腹に素朴で淡白な味だ。うっすらと甘みも感じる。この茹で時間においてはホクホクとした仕上がりになったが、食感はキクイモのそれによく似ている。
残りは自家製の梅漬けの副生成物である梅酢に浸し漬け込む。数日後に食べてみたが、梅酢の味がしっかり浸みて良い感じになっていた。ただ漬ける場合にはもう少し茹で時間を短くしてカリカリ感を残した方がより適しているかも知れない。
実際にチョロギを育てて食べてみた総合的考察としては、クセのない味と食感は歓迎できるところだが、長い栽培期間と面積当たりの収量、そして収穫作業の手間などは他の作物と比較すると著しく効率が悪い。自給自足生活においては自分が食べる量を確保することが最重要なので、その観点からはこれを大がかりに育てていくことは得策では無いだろう。ジャガイモなら同じ期間で2度収穫出来るし、キクイモならもっと大きな固まりがゴロゴロと簡単に収穫出来るからね。
とは言え目立った害虫もなく、強健で手が掛からないメリットもあるから、他の野菜には適さない場所を使って育てることができるなら逆に合理的かも知れない。あるいはプランターで育てれば土ごとひっくり返して収穫できて作業がラクになるかも。いずれにしてもメインで栽培するような野菜ではなく、食生活に多様性を持たせる為に隅っちょで少量だけ育てるというのが無難なところかと思う(ビジネスでやるなら別だけどね)。
#田舎#田舎暮らし#里山#自然#自給自足#自給農#移住#チョロギ#丁呂木#草石蚕#塊茎#栽培#植物#野菜#根菜類#収穫#調理#ユニーク#countryside#rural life#nature#self sufficiency#agriculture#cultivation#farm#farming#chinese artichoke#plant#harvest#cooking
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わぁ、お久しぶりですね…更新してなさ過ぎてびっくりしたわ。
あけましておめでとうございます。私は元気です。環境を変えたくてnoteに行ってみたり別垢つくったりしてたけど戻ってきちゃった。 最近、というか去年?か、ほぼ1年更新していなかったので綴りたいことは山ほどあれど、まずは私の愚痴でも聞いてください。一応衝動的に下書きに入れていたもの、やっと明るいところに出られるね。
時は半年ほど遡り、 酒浸りの夏休みも終わってつまらない日常が戻ってきた頃、会社で年上の後輩(女)に陰口を叩かれるなどした。もともと年下なのに可愛くねーなって思われているんだろうなとひしひし感じていたから予想通りなのだけれど。女出して働いているとか色目使ってるとか、いかにもそこらへんの馬鹿が思いつきそうな陳腐なやつ。なのにそれを信じて、それほど綺麗じゃない癖にとか既婚者の自覚がないとか罵る馬鹿も一定数発生して(これがまた全員女性、女の敵は女)、ただ男性社員と仕事のこと話しているだけなのにお局に怒られ、最終的に男性が関わっている仕事を降ろされたりした。一瞬何が起こったか分からなかったけれど、理解してから腹が立って身体が震えて涙が出そうになった。まぁ認めたくないけどほとんどイジメですね。(そういえば東京出てきてすぐのときも、女上司に嫌われて人事評価下げられたことあったな…ここまでくると私にも一定の非があるのだろうな、知らんけど) こんな馬鹿ばっかりいる会社なんて辞めてやろうかなと思って一時期転職サイトに張り付いていた時期もあったけど、私だけ人生振り回されるのもなんか癪だから取り敢えずステイして今まで来た。だけどやっぱり馬鹿ばっかだなって毎日再確認してそれがストレスで、また転職したくなってきた←今ココ。 最近でこそ慣れてその女とは極力会話せず面の皮分厚くして目の前闊歩しているけれど、最初は何事もなかったようにニコニコして大人の対応を続けていたらそれがストレスで煙草と酒の量が増えた。更に平日だけ朝起きられなくなって吐き気がし始めた頃には、これはいかんぞ何か別のことを考えられることをしようと、29歳にして近所のスナックでバイトし始める(夫公認・会社非公認)という突拍子もな��行動に出た。数年前に片足突っ込んでいたから久々に働いたらまぁ楽しくて!そんな迷走も功を奏したのか、無事にここまで生きてこられましたとさ。あとお金、金銭的余裕は強い。(ちなみに今も在籍はしている。さすがに一時期詰め込みすぎて疲れてしまって、ここ1ヶ月は休憩中)
夫がついに30歳になったり、妹のお腹の中に小さな命が宿ったりと、実は色濃い1年だったのだけれど、上記の人間関係疲労が勝ってしまったそんな年でした。 勢いで詰め込んだこれを、もしぜんぶ読んでくれた方がいたらありがとう。また顔出します、じゃね。
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240616
朝、パーンと、大きな音がして、目覚める。 公園で運動会があるらしい。 昨日、散歩しているときにテントが設置されているのをみた。 ここまで日記を書いて、朝ごはんに本を買いに行こう、と思い立つ。 彼を起こして、少し歩いてパン屋へいく。 豆がたっぷり入ったパンが食べたかった。
植物の植え替え用の土がほしくてホームセンターへいく。 スーパーでソフトクリームを買う。 コーヒーの豆の販売をしているお店の、コーヒーとバニラのミックスのソフトクリーム。 ソフトクリームラリーのスタンプ2個目。
夜、10年後もこのままだったら、どうしよう、という不安に襲われる。 このまま生活の安定しないまま。
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240617
朝、口が重い。 歯の食いしばりが悪化している。
つくった本を買ってくださっている方がいることを知る。 自分の手で作ったものが誰かの手にあるということがたまらなく嬉しい。 こういうことをずっと続けていたい、と思う。 続けられるようでありたい。
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240618
ずっと起きていながら、ねていたように思う。 身体がばきばきとする。 江國香織『つめたいよるに』をひさしぶりに読む。 さみしいとかせつないとか、明らかに書��れているわけではないのに、感じられる。 知らない体験なのに、この���覚はわたしのどこかにあって、知っていると思う。
ほとんどずっと、本をつくって、絵を描いていた。 時間が足りない。
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240619
朝、よく晴れている。 昨日も晴れていた。 東京は昨日、大雨だったらしい。やっぱり北海道って遠い。
テレビをつけていたら、カビ取り名人が掃除をしていて、それに触発された彼が掃除を始めた。 ホースでベランダを水浸しにしていた。車もびしょ濡れ。 水が流れるのは気持ちがいい。 窓を水が濡らしているのを内側から眺めるのがすき。 いつか家の外に水道栓があるところに住みたいね。 今はないから、風呂場からリビングを通って窓から外にホースを出している。 青いヘビみたい。 新しくパジャマを買った。ガーゼが気に入った。
今日の晩ごはんはお米とキャベツの味噌汁の予定だったけれど、スーパーでおいしそうなパンをみてしまったから、ほうれん草のミルクスープになってしまった。 食パン2斤。あんなに大きい。 抱きかかえると、安心。 食べると水分量がたっぷりもっちりで、ほんとうにおいしかった。 薄く切ってさっくり焼いて食べるのがよい気がしている。
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10月4日、2024年
久しぶり日記を書きたいと思った。それはなぜなのかと言われると色々な理由があるが、結局は自分を肯定できる何かが欲しいからなんだと思う。
俺は今酔っ払っている。酔っ払っていない日なんてないのだけれども、30歳を超え体調に不具合を感じるようになり、尿酸値は順調に7を超え、γ-GTPは3年連続Bを記録してるというのに俺は酒を飲むのをやめない。それは何故なのかと自問するまでもなく、結論はわかっていた。
幸福の閾値を下げたい。そう初めて考えたのは20とかそこらの北海道滝川市という場所に住み始めた頃だった。人間、いつだって隣の芝は朝露に濡れて青々と輝いている。社会生活を送る上で他人との関わりはどうしても避けられない。友人、家族、同僚、後輩、上司。自分がどんなに自分のことを幸せだと思っていても、他人との比較なんてしょうもないと心から念じていても、他人と関わる以上どうやったって自分と誰かを比較してしまうことは避けられない。他人が自分よりも幸福なんだという事実はなくても自分の中にあるなんらかのバイアスで自分以上に幸福な他人像を作り上げて、事実とはかけ離れているかもしれない他人という偶像に憧れ、労り、嫉妬して、自分自身したくもない感情の坩堝に囚われて結果自分自身を不幸にしようとする。お前らがそう思うかどうかは置いておいて、俺は少なくともそうだったしきっと今もそうだ。
若くて聡かったころの俺がはその真理に気がついて、他人との関わりの中での何かを幸福の指標とするのをやめようともがいていた。そんな中で、一つの結論として辿り着いたのが中毒物質だった。
朝起きて、トーストを焼く。湯を沸かし、温かい珈琲を淹れる。昨晩から切らしているニコチンの成分を指先の細胞までもがジリジリと欲していることを肌と脳で感じなか��らも、まだ我慢を続ける。
トーストを腹に入れ、胃袋の準備を整えてから、淹れた珈琲を口に含む。ステンレスの台所にマグカップを置く。すべての準備が整ってから、マルボロの箱から一本のタバコを取り出して、火をつける。深く息を吸い込む。できる限りゆっくりと煙を吐く。
それまでの苦痛、不快感でしかなかった煙草を吸いたいという衝動がふた息で浄化される。その瞬間だけおれは他人や社会とは全く関係のない幸福感に浸れる。
それは俺の俺の中だけの俺が俺で完結する幸福の一つの構図だった。
これらの行為は要するに馬鹿になるってことだ。本当はしなくてはいけないあれこれや、関わらなくてはいけないあれこれが生きる上で無限に存在しているというのに、それらを意識しなくてもいいような肉体にまで自分をあえて追い込んで、それらを意識の範疇から留めなくて良いような快楽に浸る。それは人によって煙草だったり、筋トレだったり、酒だったり、セックスだったり、宗教だったり、あるいは仕事だったりとさまざまだろうけれど、要するに人間はどこかで全てを切り離せるほど馬鹿になりたいという構図を持ち合わせた生き物なんだろうということはわかっていた。
そんな俺が酒を飲む理由なんてその馬鹿になりたいという理由でしかなくて、結果俺は馬鹿になったあげく身体を壊してゆっくりと朽ち果てて行くんだろうなという考えすらも酒飲み前ではどうでもよくなるほどまいにち飲んでいる。
物事を俯瞰できることは幸福なんかではなく、俯瞰すれば俯瞰するほど自身のしょうもなさが黒く浮き彫りになって水面に現れる。お前も俺も酔っ払っていないつもりかもしれないが絶対に何かに酔っ払って生きている。どんなに取り繕ったって俺は酔っ払っているこも、馬鹿になること、それで損をすることや得をすることも関係なく酒とともに生きていくしかないことを俺の魂は肯定している。
事実とか社会とか、複合的で一面的なものに付き合っている暇はもうない。俺は24時間きちんと酔っ払って生きていきたい。
ほんとはこんな日記じゃくてこの半年で起こった事実をたくさん書きたかったはずなんだけれども、今は酔っ払って幸せなバカになつまてるからなんもできない。
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2023.1.11
◯メニュー
ブロッコリーと豚肉のオイスター炒め
ほうれん草と椎茸のお浸し
ごはん
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無題
平穏よりも胸のときめきをいちばんにしたら世界のぶあつい皮膚が一枚めくれたかのようになにもかもが歌い踊りかがやきはじめたのをいまでも覚えている。わたしは親が厳しくて外泊できないけれど、そのあいだに同級生の子たちはうつくしい島の海に反射する満月をみて、だれかと夜通しぴたりとからだをあわせて内緒話をするような、今にもぷつりと切れそうな糸のように細くて鋭い若さを世界の夢に浸らせている。感性を野放しにして、こどものころの感動をひとつずつ取り戻す時間がわたしにも必要だった。けれど思いどおりにいかないこともある、それも定めとおもって歯をぎゅっとくいしばる。わたしには必要だった。路上、白い廊下みたいに澄んだ朝霧をかんじる時間。薄いトップス。ズレた口紅。酔った勢いで入れ墨を彫ってしまう危うさ、煙ったクラブでなにもかんがえずに踊って、好きな男と寝て一限目をサボるとか、夜の街頭を走り抜け、くだらないことに時間とお金を費やすこと。「それだけじゃない、夜に遊ばなくても昼に釣りをしたりサッカーしたりそういう遊び方だってあるだろう。そっちのほうが幾分もまともだ」 おとうさんは夜遅くに帰ってきたわたしを叱りつけ、そう言った。わたしはけしてワルにあこがれているのではなくて、ただただ綺麗なものに飽きただけだった。わたしにとって祈りや信仰はさいしょから型があってそれに当て嵌めてハイ完成みたいなかわいいお菓子作りのようなものじゃなかった。自らを成り立たせるピースを集めた上でそれを食い尽くすくらいの覚悟や貪欲さがあなたにはある?わたしにはそれが足りなかった。昔も今も自分でうつくしい歌をつくれない。うつくしいものがたりをかけない。うつくしい絵を描けない。世の中にはフォロワーが万桁いる女子高生がいて、今、何千もの美術展が開催されていて、明日、いつかオリンピックに出るであろう少年がはじめてスケボーに乗るかもしれない。わたしには何もできないかもしれないけれど、彼らの生き様はわたしをわたしたらしめる微かなエッセンスとしてわたしに溶け込む。それを祈りという言葉で表象してはだめ?これからのことをかんがえると、ずっとどきどきする。目の前の光景が、訪れたことのない地の光が、風が、わたしを、わたしのからだを必要としてる気がする。世界中に張り巡らされた血管がわたしの心臓部にも繋がっているような心地。死ぬ5秒前ってどんな感覚なのかしらないけど、築き上げた塔が崩れてゆく感じなのかな、雪景色のような。
無題
朝起きたら腕に友達の噛み跡と身に覚えのない痣が3つくらいあった。耐え難い疲労がからだのあちこちにひっついて、入れ墨と化している。活字の海を、本をその背に背負えたらよかったのに、今のわたしを崖っぷちに引き止めているのはうつくしい言葉でもなくて、泥に塗れた重いカルマ。イヤホンの先から垂れ流れる音楽すらも風のように軽やかで自由なものではなくて、ねばねばした気持ちわるくてかなしいものに聴こえた。夏と、そのあつさと、その底知れぬ闇に街ゆくものすべてがこころのずっと奥の方で平伏している。昼過ぎにスクランブル交差点前の巨大スクリーンが薄青い空を泳いでいるようにみえたこと、街ゆく人の肌色が、シャボン玉のようにその熱を吸収して発光していたこと、ぜんぶなんか夢みたいにふわふわしているかんじがした。もうすぐでなつやすみなのに、大学入ってからそれまでもずーっと夏休みのような感じだったからあまりどきどきしない。みずみずしくずっと光っていたい。わたしもいつかデカい人間になりたい、いつかいつかいつかという文句ばかりが増えてゆくのを横目でみて、ぜんぶカサブタを剥がすように振り解いて拭ってくれる奇跡みたいな命、日々、音をどうしても期待してしまう。どうすればいいんだろーしにてーと思いながらまたあしたも友人と夜ご飯をたべにいく約束した。それでまた家に帰って、朝起きて虚無感に苛まされて、の繰り返しを大量の課題で中和する。薄暗い中でたべるごはんとか朝早起きして化粧をすることじゃない、今はなにもない海とか草原でなにも繕わずにその自然のデカさとか愛を仰向けになって享受するのがいちばんただしいきがする。たすけてと呼ぶには大袈裟すぎるし。わたしはわたしのことをぜったい見放さない、それだけで充分いっぱいすてきでしあわせで救いだということを今じゃなくてもいい何年もかけて真実にしていく、揺るがない愛に変えていきたい。
end
泣き出しそうに張り詰めた空気に鼻を啜る。世界の彩度が落ちて、ぶあつい服を着た街ゆく人たちが皆んなちっちゃな怪獣みたいにみえる。肌寒い。外はずっと灰色、モスグリーン、レモンみたいな匂い。大きな木が揺れて、木の葉の上に横たわっていた雨の滴が霧のように3秒間くらい降った。最近は毎日毎日やることが多くて、それをこなしているあいだに1日が終わる。3日連続で化粧を落とさずに寝てしまった。多くの人が電車にのっているときに外の景色に目をやらないのと同じ感覚で、わたしも生活の外側にひろがる微かな動きに鈍くなった。ずっと特別でありたかった、1番愛されたかった、そういった思春期的な熱望とどんどん疎遠になっていく自分に日々焦ったり安堵したりしている。だけど同時に、わたしの中をまだ生きている17歳のわたしがその面影をときどき覗かせる。期待させる。突拍子もなく走ったり、ゲラゲラ笑ったりする。些細なことで泣いたり、理不尽な世界に怒っている。良くも悪くも変わっていくのなら、これからの自分に期待をしたい。アルバイト先では後輩が6人くらい��きて、みんなわたしよりも仕事ができる。わたしはもともと注意をされると衝動的に泣いてしまうところがあったし、シンプルに忘れっぽかった。あまりにも器用に仕事ができないので、ある日店長とそのことについて話し合ったら意識の問題と言われた。その1、人からのアドバイスに劣っている自分を見出してはだめ。その2、素直に人からの意見を受けとる。その3、自分のためでなくだれかのために働く。この3つを約束した。夜の繁華街で50歳の男性に飲みにいきませんかと声をかけられたり、あした授業にどんな服でいくかを考えながら化粧品を見に薬局に寄り道したり、腕に点々とのこる虫刺され痕をみて、それを残した蚊のことを考える。あした、図書館で借りた本の返却期限。わたしもちっちゃな怪獣になって寒さをまるごと食べてしまいたい、寒い日の、霞んだ光やクリアな淋しさ、果実のようにぎゅうぎゅうに酸っぱい気持ちを。
slow burning
大学一年生というよりも、高校四年生というような振る舞いをしているなあ、と自分のことを客観視する。新宿の横断歩道橋から行き交う人々を眺める。つい最近まで、委員会の同期の仲の良さにムラができていて、グループとかカーストとかそういう言葉が浮上してきてしまうほど揉めそうになっていた。それでも、それぞ��が居心地の良い場所にしようと歩み寄っている。こういう、諦めによる愛想ではなくて心からの気持ちに胸を打たれる。明大前の飲み屋で酔っ払って「俺みんなのこと愛してるよ」と照れ笑いする先輩に、わたしたちみんな、キモいねーなんて言って茶化した。そのあと夜の大学で騒いでいたら警備員に注意された。机の下に10円玉を落としたのを拾わないで帰る。いつまでも赦されていたい、わたし、山猫のような女の子でいたかった。すぐ隣、肌すれすれにだれかの温もりを感じて弱さを誤魔化すのではなくて弱さを共鳴しあっていたい。「東京の人は生き急いでいる」なんて言葉があるけれど、わたしは美しい光景がそこに広がっていれば必ず立ち止まる人でありたい。仕事に遅れそう、とか、終電が、とかじゃない、好きな人たちのためだけに忙しくありたい。恋人は待ち合わせをするとき、「どこでおちあう?」と聞くのだけど、高2の頃、初めて会う日、それを「(恋に)落ち合う」と勝手に解釈して死ぬほどどきどきしたのを思い出した。それからわたしも「どこで落ちあう?」と聞くようにしている。ドア窓の形に切り取られた青い影が電車のフロアに映って、がたんごとんという音に沿ってフィルム映画みたいに小刻みにうごいていた。池袋で新疆料理をたべて、お腹を下す。スペイン語の中間試験。木曜日、ほんとうは1限に英語の授業があったんだけど、財布を忘れたいせいで交通費が若干足りなくて新宿駅から乗り換え先の電車に乗れなかった。その旨をインスタのストーリーに載せたら、一度しか喋った事ない同じクラスの男の子から「抜け出していくわ、」とだけ連絡が来て、本当にきてくれた。クラスで唯一金髪で、派手で、いつも高そうな服を着ている。ピーナッツをぼりぼり食べながら、ダーツをする。わたしが2回勝って、可哀想だったからあとの1回は負けてあげた。それからは何も無かったかのように授業では一言も喋らない。お互い、目を合わせないふりをしているような、ふしぎな距離感を保つ。渋谷で5分1000円の手相占いをしたら、鎖みたいにいくつもの線が絡まっていますね、と言われた。意外と気にしいなんじゃないですか?「そうですね」と答える。駄菓子屋で1000円使い切ったほうが幸せになれそうだとおもった。電車の隣の線路にカラスが一羽いた。こんなに近くでみるのははじめてだ、と思って、じーっとみつめた。黒なのに黒じゃなくて、光を受けて渋いグリーンや紫っぽくみえる羽毛に目を見張る。なんか、空はどこまでも真っ青なのに光の細部だけ色があたたかい夕方前みたい。ふわっとなにかに気付いて、じーっとそれを見つめて、そこになにかが“視える”とぜんぶ途端にスローモーションになって、焦燥感や虚しさがたちあがってくる瞬間がある。からっぽなのにぎゅうぎゅうな感じ。AirPodsをケースにしまう音が体感的に5秒間くらい耳に残ったり、自分の息遣いにどきどきしたり、すれ違う男子高校生の会話声や、鳥が羽をはためかせる様子がクリアに輪郭が保ったまま空中を転がる。ガムを買って噛みながら、心のもやもやしたなにかを同時に小さく噛み砕いてゆく。光の洪水。家に帰ってパスタをたべたあと、お風呂で下の毛をつるつるにする。夕方終わりにお風呂に入るの、とても好きだなあと思う。コンタクトレンズを外さないまま、化粧も落とさずベッドへダイブする。瞼の裏に東京タワーの赤がたましいの塊みたいにまあるく光っている、はやく何もかも諦められる年齢になりたいと思う。
無題
なんかまじでわたしが疲弊していて悲観しているのか、世界が残酷なのかわからなくなってきた。脳科学の講義を受講したあと、テキトーに混雑した休日の街をあるいていたら皆んなの脳みそが透けて浮きでてきそうで気持ち悪くなった。地球4周分の神経線維。そう、どでかい爆弾が街ゆく人々の頭蓋骨に葬られている。ニューロンが軸索を介してつながってゆく、放出と受容を繰り返してみんな手を繋ぎあってゆく。セール中でバイトの雰囲気がぴりぴりしていて、みんな資本主義の豚みたいに働いていた。うつくしくない��おもったし、私も美しくなかった。結いた髪に、ぴたっとあげられた前髪。なにを思っているのかを書くのがずっと怖かった。もしかしたら私の感じているこの欲望はとても汚らわしいもので、それゆえにだれかを傷つけてしまうかもしれない。でも、言葉にしなければすぐにわすれてしまう感情に名前をあげなくなって、水をあげなくなって、そうしたら、じぶんの脳みその溝をうめていたみずみずしい苔までもがすっかり枯れきってしまって虚構を連ねるようになった。空洞に哀しみの音だけが響き渡る。友達はいるけど、私はその友達の1番になれない。恋人みたいな人はいるけど、私はその恋人の1番にはなれない。1番っていうのはほんとうの意味での1番、2番とか3番とかがいない1番。圧倒的な2人の世界の中でのフェアで高貴な1番。有名になりたかった。文章でも外見でも写真でもなんでもいい、だれにも敵わない羽根で世界を羽ばたいてみたかった。わたしを選ばないで、そこらへんのそれっぽくかわいい女の子を選ぶかっこいい男の子たちを信じられないでいる。外国に行ったらモテるよ^_^と投げかけられた言葉について何回も考えるけど、考えるたびにかなしくなる。でもね、神様はいるとおもうの。木漏れ日の首筋に、砂丘のしずけさに、広大な空の一枚下に、その温もりと永遠が芽吹いているのをしっている。そのたびに、わたしはこの世界に愛されていて、まだ19歳で、まだ何にでもなれて、そして世界を(気持ちがあふれてしまいそうなくらい)等身大で愛しているドラゴンみたいにかわいい女の子だとまじないを唱えるようにして心を強く保つ。アスファルトに散った桜が朽ちて、吐瀉物のようにグロテスクにぬるい光を浴びている。走り抜ける!だれかの憎悪の中に、疑念の中に、見下しの中に憧憬の眼差しを覚えながら。東京で灯される光の数だけ、アフリカの広原でつややかな花が咲けばいいのに。光の重さの分だけ、銃弾が軽くなればいいのに。帰り道、ひさしぶりにパンを買って帰った。
日記
弟がiPadのタッチペンを無くしたらしくて、それを聞いた母がすぐにAmazonで検索して新しいのを買った。こういうとき、ほんとうになんか小さなことだけれど、すごく心が愛にみちる。
大学の新校舎の建物のにおいが400人もの人が集まった大教室の縁をすべっていく。扉を開けた瞬間、目と目と目がわたしの顔を捉える。湿気漂うフロアにだれかがペンを落とす音、先生のマイクが吐息までもを拾って湿った熱を加速させる。「儚いって聞いて何を思い浮かべますか?蝶?蛍?蝉?トンボ?」 教授がそう聞くと、みんなのえらぶ選択肢がちょうど均等に分かれる。講義が終わるといつもすぐに帰るイケてる男の子が蛍を選んでいて、なおさらかっこよく見��た。わたし、インスタのフォロワーが490人いるんだけど、その人数って今見てるこの人たちよりももっともっと多いのかと思うとなんか心強いような息苦しいような、不思議な気持ちになるなーとぼんやり思った。君たちはぶっちゃけ勝ち組です、という先生がキモかった。海外の大学院に行きたい。わたしはもっともっと色々な人を知るべきだし、美しい景色にであうべきだし、貪欲に学ぶべきだとおもうから。聡明になって、お金を稼いで、将来だいすきなひとたちにたらふくご飯をたべさせてあげたい。お母さんとお父さんが育ててくれた、守ってくれたこの心の真ん中にそびえる愛情のかたまりを誰かに分け与えていきたい。でも、そうとも思うけど、逆にそれをこなごなにさせてくれる危険性や若さゆえの解放にも目が眩んでしまうの。「今しかできない」ってとてもずるい言葉だなあ。
19さい
19歳とかいちばん呪われていた1年だった。まだハタチじゃないけど、もうそうさせて、と思うくらいに、1年のあいだに10年分くらいの幸せと不幸せがぎゅうぎゅう詰めに、どっちがどっちかわからなくなるくらいに入り乱れててくるしくてさみしくて悲しかった。くるしかった。わたしと同じ純度で、等しく、あいしてほしい。あいされたい。
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2024.9.4 今日の晩ごはん
肉じゃがカレー、よだれ茄子、ほうれん草のお浸し
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なるようにしかならないの風
連日、スターバックスでタスクをこなした。こなしたと言っても、何も進んでいない。こなしているという現在進行形のポーズで、「やらなければ」の不安を紛らわしたかった、というのが正確なところだった。果たして成功だったのかは、その実感がないため、分からない。でも、「停滞状態ではなかった」、のだから、まずそれに対して褒賞的気分に浸ってよいとしなければならない。今の自分には、そういった、少数の倍率を乗算した分だけちまちま加算していくような自己への労りが必要なのだと思っている。「自己の最後の救済者は結局自己」、という趣旨の呟きを気まぐれにしたことがあったが、気まぐれに呟いたにしては実は確かかもしれないとますます思える。
焦燥感が常にある。いっそ殺してくれと思うこともある。煙草も酒もやってないからそれだけで許してくれ、と思うことがある。でも変に救われているような継続が断片的にあって、これらがあるから生きている、生かされているようなものだと思う。
ここ昨今の自身の乱高下や為すことの低品質さを鑑みて、いつか短歌の下の句で使おうと案じていた文言をこのタイトルで消費することにした。俺は何ならできるんや。サードプレイス、という概念を知ったは良いけど、俺のサードプレイスは何処なんや、と。笑えよ。笑えばきっと何か起こるさ。笑いながら、ありがとう、と、言えるだけであなたは素晴らしい。素晴らしい世界。急に泣けてきた。泣いてもいいじゃないか。ほら、笑えよ。
実地、あってこその素材、経験、あってこその知識、とはよく言ったもので。教養というのはそういうものか、と何かで読んだ。経験至上主義も知識至上主義も、まああるだろう。どちらに傾ぐかは勝手だが、自分に関して言えはどちらでもなかった、と言うよりかは「無かった」。有り無し、という意味での無。そんな奴が立つことのできる土地は、あるのだろうか。「土地���という単語はしばしば、主に精神的領域での話において隠喩で使用される。それ以外に「人がその場にいる」ことを的確に、かつ端的に表せる単語がないからだと思っている。あなたはどう思う?私?私は疲れたよ。嘘かもしれんけど。嘘ついたら針千本飲まされて死ぬからな。死ぬとまでは言ってないか。死んだことないから分からんが。死んだことなどないのに死についての言説があるのは、なぜだろう。それこそ実地、あってこその素材、経験、あってこその知識、なんじゃなかったのか。死というテーマにおいては、少なくとも生きる人たちは知識という土地でしか死を語ることはできない。経験の土地は、ホラ、あの世ですからね。(生が死を内包している云々については無視するものとする)そうしたら、ホラ、あなたも私も、同じ土地に立っているってわけだな。そのことが妙な連帯感か生の実感、とかいうやつになってハッピーになれるといいね。疲れてんのか?
全てのことにおいて言うは易し、なのはまあそうでして。全てとはなんだ。帰納的にも演繹的にも考えられないので「全て」、とか言って、逃げる。
オーケー。逃げることを、そういう意思(自己尊厳的に意思、なんて取り繕ってるけど)を、実際にはそうしない程度の按配で、承認してあげることが必要だ。他の誰に否定されようとも(それが事実であることを諦めながら受け入れればなおオーケーだが)、少なくともあなた自身は。それが難しいのではあるが。そうできるのは、諦めの土地と、感情の土地を反復できている間だ、と感じます。まず人なりの、あなたなりの、諦めの土地を持つことが必要なのではないのでしょうか。ただその諦めは、真の諦めではない。諦め以外の、人間を人間たらしめるあらゆる感情の土地との、反復の可能性を加味した諦め、というある種都合の良すぎる代物です。そんな代物などあろうはずはないので、仮構してみる。そして、都合良く、仮構した諦めの土地に立っては、その土地から感情の土地に戻って、また、諦めの土地へ行く。そんな反復自体を仮構する。
オーケー、分かってくれなくてもいいし俺ももう分かんないんだけど、俺とあなたとお前とアンタとアイツは誰もかれも何かにおいて愚かだし、愚かだからこそ諦めの土地を仮構し、感情の土地との反復ができる力を備えているんだと思うし、そうすることでやがて、何かとてつもない沃野へと導かれてゆくんじゃないか。その可能性に賭けてみたいと思うんだよ。
「ずっと思えているか?」
「思うんだよ」
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1123-1129
1123 宇都宮の正嗣の餃子。フライパンをあたためてサラダ油とごま油を多めに引く。大さじ1ずつくらい。凍ったままの餃子を並べる。5人前の箱だと26センチのフライパンにぎっしり丸く並べられる(正嗣の餃子は小さいのでふたりで食べるなら5人前でちょうどいい)。そこに熱湯をまわしかけ、餃子が半分浸かるくらいにして強火で焼く。ふたをして5,6分。作り方の紙には「絶対に途中で弱火にしないでください」と書いてあって、絶対にって言われるの面白いなと思う。他人に絶対を求めることも求められることもそうそうない。水気が飛んで焼き目がついたらできあがり。 皮がパリッとしていて、具は野菜が多め。生姜がきいている。いたってシンプルなのになんでこんなに美味しいんだろう。冗談抜きに世界で一番美味しい餃子だと思っている。前に「水ギョーザとの交接」という小説を書いたのでいろんな人が餃子を食べに連れて行ってくれるんだけど、申し訳ないけどどこの餃子よりも正嗣の餃子が美味しい。本当に一番美味しい。 あとこの冷凍のは、家で焼いてもちゃんと美味しいのがすごいと思う。わたしの焼き方が上手いとかでもなく、紙に書いてあるとおりにやるだけでたぶん誰が焼いてもこうなる。ほかの冷凍餃子だと皮が破けたり焦げついたりけっこう失敗するんだけど、正嗣のは毎回パリッと焼ける。 正嗣のお店には「餃子専門店なのでライスやビールはありません」と書いてあってひたすら餃子だけを食べるストロングスタイルの店なんだけど、FCの駒生店のみライスがある。ので、宇都宮に住んでいたころはよく駒生店に行っていた。
1124 どうにも調子がよくない。きのうは同人誌の通販で本を入れまちがえて送ってしまったようで、一冊入ってませんでしたよとメールが届いた。ああついにやってしまったと思った。あわてて追加で送ったけどいつもできていることができなかった自分がショックで、きのうはそれを日記に書けなかった(それで餃子のことを書いた気がする)。 こういうメール送るのしぬほどめんどくさいよな…ほんとに申し訳ない。やっぱ疲れてんのかな。そしてついにやってしまったと思ったけど、もしかしたらこれまでもまちがえたことはあったのかもしれなくて、でもしぬほどめんどくさくて言い出せなかった人もいたかもしれないよな…と詮無いことも考えた。 えもとLINEで通話した。わたしのようすが明らかにおかしいのだろう、ちょっと休んだ方がいいよと言ってくれた。同時に「でも休んだ方がいいって言われるとなんかムッとすることはあるよね…」とも言ってくれたので、だめなときの気持ちがわかる人は優しいよな…と思った。だめなときほど焦ってしまう。送ってくれたナポリの男たちの動画を見た。
ここには書かない方がいいような気もするんだけど、まあこれは日記なので書くんだけど、ZINEフェス長野、noteの告知には出展者30人程度を予定って書いてあるんだけど開催前々日で集まっているのは10人(10組)っぽい。これって10人だけなんですかと軽い感じで出展者用のLINEグループでたずねてみたら、2日経って主催さんから「そうなんです…」と返事が返ってきた。こじんまりしてるのはそれはそれでいいと思うんだけど、お客さんから入場料300円とることになっているイベントで出展者10組だとちょっときびしくねえか…と思った。今からでも入場料無料にできたらいいんだけど。 わたしはこういうときすごく疑り深くなってしまうし性格がとても意地悪なので、もしかしたら主催さんも損切りを始めてるのかなーとか思ってしまった。ZINEフェスのtwitterアカウント、来年の吉祥寺回に関するリツイートはしてるけど長野はスルーしてるし。えーっどうしよう。遠出したい、ともかく電車に長く乗って遠くに移動したい…という気持ちで申し込んだから本をたくさん売ろうとは思ってないんだけど、やっぱり��ラハラはする。 とりあえずペーパーを作る。だいたいおすすめみたいな本を一日一冊並べた読書カレンダー。そして文フリで使った優人さんのポスターをスチレンボードに貼ってみたらいい感じのパネルになった。これを文フリでやれって感じ。やることが2週間遅い。長野に持って行こうかなと思って作ったけど初めて行く場所でこれは目立ちすぎるし荷物になるよな…。
1125 明日ほんとに長野行くのかよ〜と思いつつゴルフの練習。ゴルフは小説の活動とあんまり関係なくやっている。こういうルーティンみたいなものがあるのはちょっといいかもなと思う。ゴルフ自体は、男!女!というスポーツでけっこうきついけど。 土曜だけどパートナーは在宅仕事で、仕事の前に肉を食べて元気を出したい…と言いお昼はブロンコビリーへ。いや食後ぜったい眠くなって仕事やらないだろ〜。と言ってみて、あっ完全にフリをやっちゃったなと思った。家に帰るなりちょっと食休みと言って布団に潜ってしまった。わたしは午後出かける用事があって、帰ってきたら同じ姿勢のまま寝てるパターンだな…と思ったし言った。言っちゃったから本当にそれをなぞっちゃいそう。フリとボケみたいな。悪いことしたなと思った。
渋谷ハチ公前のデモに参加。ガザの犠牲者の名前が読み上げられていく。一人一つ赤い涙を描いていく。名前はぜんぜん読み終わらない。名前と一緒に年齢も読み上げられる。ゼロ歳の名前が続き胸が苦しくなる。肌寒い日だった。通りすがりの人も参加しているように見えた。描くというアクションによって参加しやすい空気があったように思う。 小さな男の子が「Free Free Palestine!」と声を上げ、近くにいた大人たちもあとに続いてコールになった。男の子の(たぶん)お父さんは隣にいて横断幕を持っていた。自分が叫ぶと大人も叫ぶから男の子はちょっと楽しそうで、和やかな、けれども力強い時間だったと思う。デモのハッシュタグを検索したら西川火尖さんと冬野くじさん(きさめさん)の名前が見えて、自分が(一方的にでも)知っている作家の名前が見えるとなんだかほっとするなと思った。なのでデモのようすをツイートした。このあいだとぜんぜんちがう気持ちになっている。
渋谷◯◯書店の棚の補充。『顔たち、犬たち』など持って行った。久しぶりにのぞいたら思ったより本が売れていてわかりやすくうれしい気持ちになった。これもこないだと言ってることがちがうと思う。自分は現金だと思う。 明日のコピー本とペーパーの印刷でキンコーズへ。キンコーズのコピー機ってなんか難しいというか意地悪というか、いつもうまく扱えない。まあでもできたものはなかなかよかった。
帰ってきたらパートナーはやっぱり昼寝していて、いやでもやらなきゃだよな〜とかなんとか唸ってなんとか起きた。自分を見ているようだと思った。わたしも在宅のときってだいたいこう。 遅めの夕飯。トマトとじゃがいもとツナのパスタを作った。にんにくと玉ねぎのみじんぎりを炒め、じゃがいもとツナとホールトマトを入れて煮る。ほうれん草もちょっと入れた。かなりじょうずにできて自分で自分にびっくりした。なんか疲れていたので明日の準備も夕食の後片付けもせず寝た。
1126 ZINEフェス長野。暗いうちに家を出た。といっても朝6時の電車なのでぜんぜん始発とかではない。朝が来るのが遅くなった。空気がきんと冷えている。冬だなと思う。夜勤明けっぽい人やこれから仕事に向かう感じの人、朝まで飲んでいたっぽい人、大きなスーツケースを引いた人…。案外駅は人が多くて、みんな冬っぽい格好をしていた。遠出の気持ちが高まってワクワクした。優人さんのデカパネルは結局持って来た。ものすごく雑に梱包したけど、一回使ったポスターだからまあいいかと思った。でかいけど軽いし。リュック、トートバッグ、パネル。さほど本は持っていかないので身軽に荷造りできた。 電車で寝ていたらすっかり明るくなっていて、立川からあずさに乗り換え。寝てたからだと思うけどあまりに寒くてタイツを買った。あずさのトイレで履いた。 寒くてやけに腹も減っていた。ツナおにぎりと焼きそばパンとスコーンを買って食べた。あったかいミルクティーとコーヒーも。食べすぎだと思ったけどほんとに寒かったのでしょうがない。スコーン、かりっとしてふわっとしていてすごくおいしかった。駅のポップアップみたいなところでパッと買ったけどちゃんとお店の名前見ておけばよかったな…。津島佑子『笑いオオカミ』を読みながらうとうとした。松本に着いたのは10時前。息が白くて驚いた。山が近くて眺めのいい街。
イベントとか旅行とか楽しいことがたくさんあった日の日記ってうまく書けない。たぶんぜんぶ書こうとしちゃうからだと思う。結論からいうとすごくいい一日で、いいイベントだった。出展者は結局10組。それゆえの親密さがありのびのびしたイベントだった。 自分としては旅先の気安さもあったと思う。知っている人が誰もいない、初めて行く街の初めて参加するイベント。いつもより自由にふるまえた気がする。まったく知らない人、その場限りの人しかいない場所はあまり気をつかわない。リラックスして自分を開示できた気がする(とするとふだん自分が何をストレスに思っているのかがわかってくるな…)。 お客さんはけっこう来ていたように思うし、思ったより本も手に取ってもらえた。何よりお客さんとも参加者さんともたくさん会話ができてうれしかった。これ伝わるかわかんないんだけど、交流をしたい(人間関係をやりたい)わけではないんだけど、人と話はしたいんだよな…。 きのうまでの不安はどこへやら、じゃないな。この「開催前のもろもろに不安な要素がある」と「行ってみたら気さくでいいイベントだった」は表裏一体なんだなと思った。意外とか挽回とかではなくてこの雰囲気はこうでなくては出てこない。これについては別途イベントレポ的にまとめたいつもり。
どういうイベントになるか不安だったので、ネットプリントで印刷した「END WAR NOW」のプラカードを机に貼ることにした。あずさの中でふと思いついて、何かネプリないかなーとツイッターを検索した(戦争じゃなくて虐殺だと思うけど「STOP GENOCIDE」はネプリの期限が切れていた)。水色、ピンク、黄色。パンセクシャルフラッグのカラーだなと思った。 イベントの案内に政治的なことはだめって書いてあって、は?という気持ちがありつつ参加している。は?と思うならやめときゃいいんだけどなんだろう…。ダメって言われたら帰ったろと思って貼った。なんか試し行動みたいだ。 新しくてきれいな会場で、大きな窓から日が差し込んで明るかった。空も山もきれいで、ああ遠くに来たなあと思った。机は5台ずつ向かい合わせに置かれていて、机半分という話だったけど一人一台になった。奥行き60センチのでかい机。当然持ってきた布は大きさが足りないんだけどのびのび使えてよかった。いつになくちゃんと設営できた気がする。優人さんのデカパネルを机の前に立てかける。こういうのは文フリではできない。蹴飛ばされそうだし「スペースからはみでる」に抵触すると思う。自由にふるまえている。 そう、自由にふるまえている。リラックスしている。プラカードを貼って、新刊のでかいパネルを置いて、いつもはイベントに置かないコピー本『小説を書くquuerのzine』も机に並べた。「陰気なクィアパーティー」用に作った、通販はしたくないコピー本。いろんな人ともう一回初めましてからやり直したいみたいな気持ちってあるよな…と思う。
主催さんいわく、想定より規模が小さくなってしまったので入場料は無料にし、事前決済の人には返金したとのこと。そして今日参加している人は吉祥寺のシェアカフェを一日無料で使ってOKにしますとのことで、えっラッキーと思ってしまった。ほんとにわたしは現金なのだと思う。 イベントは11時から16時まで。全部のブースをまわっていろいろ話をし、全部のブースで買い物した。べつに義理とかではなくて、人の話を聞くのって面白いから、気になるものがなにかしらいっこはあるものだと思う(こういうとき思想的に苦手だな、無理だなと思うものはもちろんあって、それはそっと避ける)。 ただこういう場で小説って難しいかもなーとは思った。これは何ですか、どういうものを作っているんですか、あなたは誰ですかみたいな自分のことを話す場だと、フィクションの世界にチューニングを合わせるのはしばしば難しい。気になるものがぜったいいっこはある、にはなりにくい面がある。まあぶらっと来たお客さんにとってはそうでもないかも。長くなりそうなのであとはイベントの記事で書きます。
1127 尻が痛い。きのう帰りの新幹線、『笑いオオカミ』の真似をしてデッキの床に座ってみたのがきっとよくなかった。冷たい床だった。たぶんまた痔が破裂するだろうなと思う。最近イベント終わるたびにこうだと思う。 『笑いオオカミ』を読んでいたら、自分はこう見えてけっこう大食いでカレーを12皿おかわりしたことがあったとしゃべるシーンがあって、ZINEフェスで買った日記の本に「かきあげが美味しすぎてごはんを5杯もおかわりした」というくだりがあり、どっちがどっちだっけと一瞬混ざった。 長い小説は当然ひと息では読みきれないので何日もかけてちょっとずつ読み進める。その間に読んだほかの文章や生活の中で見聞きしたものと混ざってどこからどこまでが小説だったかわかんなくなる。それがけっこう好きだし醍醐味だと思う。 どこからどこまでが小説だったかわかんなくなるというのは小説そのものにちゃんと集中していないようでうしろめたさはあるんだけど、なんというか、わたしは人格全部で小説をやっていたいんだよな…と思う。物語に振り回されてうわの空で仕事したり、夢中で読んで寝落ちたり、べつのことをしているときにふっと思い出したり、目の前の景色と小説の情景が混ざり合ったり。みたいなの。なので書評とか感想とかがあんまり上手じゃない。そして、上手な感想とそれを述べる人がちょっと怖く思えてしまうことさえある(これはやつあたりかもしれない)。
1128 痔が痛いし生理も来た。イベントが終わると本当に毎度こう。ヨロヨロしていてなにも進まなかった。とても眠かった。労働のメールを書いていたら簡単な言葉なのにパッと出てこなくて自分で自分にがっかりした。本当におまえは小説を書いているのか、文章ぜんぜん書けないじゃんと思う。元気なときは、いやべつに文章うまくなくても小説は書けるでしょ(どのように書いても小説にはなるでしょ)と思うのに。
1129 引き続きいろいろ痛い。なんも進まない。『不思議の国の少女たち』を読んでいる。 異世界へ行って帰ってきた子どもたちの集まる寄宿学校の話。死者の国から帰ってきたナンシーが寄宿舎に入るところからはじまり、異世界から「帰ってきたくなかった」子たちが集まっている学校。 まだ読み始めたばかりで、ヤングアダルトはチューニングを合わせるのが難しいなと思う。でも急にカチッとはまる瞬間がある。 「王は敵だったけど、人生ではじめて俺をまともに見た大人だったよ」、これは妖精界から帰ってきたケイドのせりふで、あっいいなと思った。どうやらケイドはトランスジェンダーの男の子のよう。 そしてナンシーのルームメイトのスミが「あたしがオナニーしたらいや?」とあっけらかんとたずねるところでめっちゃいいな!と思った。夜遅くにルームメイトが自慰をしてもいいか。見たくはないからそんなこと言わないでくれとナンシーは困惑し、まあそれはそうなんだけど、なんていうのかな…女の子の生活に自慰があると書かれていることにほっとした。「女の子だと扱われる子の生活」にそれがありますと書かれているのがうれしい。 子どものころ長期休みにホームステイとかサマースクーリングとかよく案内が来ていたけど、それをやってみたいかどうか考えるより先に、あるいは費用の捻出のような実際的なハードル以前に、長い期間他人の家に泊まったらそういうのどうするんだろうと思っていた。だから自分には無理だと思っていた。すごくばかみたいだけどほんとに。そしてあるとき友だちが「ホームステイって生理とか気をつかいそうだよね〜」と言い、わたしはそれに強く同意した。自慰の話をする代わりに生理の話をした。
日記、毎日更新するとバラバラうるさいかなと思って1週間分まとめてみたけど、これはこれで長いな…。
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小鉢御膳。 昨日色々作り置きしておいたお惣菜を小鉢に盛り付けてワンプレートに。 ・トマトとキノコの煮浸し ・ブロッコリーと蓮根とベーコンの温サラダ ・人参とポンカンのマリネ ・揚げ茄子と椎茸の胡麻味噌和え ・切干大根とほうれん草とツナの胡麻和え ・豆腐ときのこの味噌汁 ・白米おにぎり ・わかさぎの佃煮と漬物 ・デザートに苺 でした! いろんなものをちょっとずつ食べるの幸せ〜。 #おちごはんlover #rox_captures #フーディーテーブル #ellegroumet #東京カメラ部 #私のおいしい写真 #おうちカフェ #beautifulcuisines #wp_deli_japan #team_jp_ #wp_deli_style #daily_photo_jpn #ig_japan #ごはん記録 #今日のごはん #小鉢 #小鉢料理 #小鉢御膳 #ワンプレートごはん #おぼんでごはん #和食 #おにぎり #うつわ好き #器 #野菜料理 #惣菜 #japanesefood #健康食 #ヘルシーメニュー https://www.instagram.com/p/CpKk1MlP4sy/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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