#はやぶさ23号
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青森出張です。 青森駅へ降り立つとEast i-Dがお出迎え♪ #はやぶさ23号 #eastid #青森出張 #青森 https://www.instagram.com/p/Co9wKw-PMTx/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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RaMu(らむ、1997年7月31日 - )は、日本のグラビアアイドル、タレント、YouTuber。埼玉県出身。マグニファイエンタテインメント所属。
生年月日 1997年7月31日
現年齢 26歳
出身地 埼玉県
血液型 A型
瞳の色 黒
���髪の色 黒
身長 / 体重 148 cm / 37 kg
BMI 16.9
スリーサイズ 90 - 56 - 80 cm
カップサイズ H
靴のサイズ 23cm
1997年7月31日、埼玉県に生まれる。本名・蘭夢(らむ)。漫画『うる星やつら』のヒロイン・ラムとは���関係。「らむ」という名前を持つことにより、アニソンを歌ってみろなどといじられることもあるが、ラムのことは嫌いではない。
2004年4月1日、小学校入学。5年から6年にかけて女子野球をやっていた。キャプテンを務め、ピッチャー以外の全ポジションの守備をこなした。
2010年4月1日、中学校入学。3年間ソフトボール部に所属。セカンド、ショート、サード、ライト、センター、レフトを守り、背番号は3番だった。岡村拓磨によると、小柄であるがハキハキとした体育会系である。
2013年4月1日、埼玉県立松伏高等学校入学。在学中の2014年からVineおよびmixchannelに、「RaMu」のアカウントで体を張った芸の映像を投稿する。フォロワー数は10万人に達し、女子中高生の間で「RaMu教の教祖」と呼ばれるようになる。軽音楽部に所属(ドラムを担当。
2015年、海へ行った時に撮った水着姿をSNSにアップしたことがきっかけで話題になり、グラビア界へ進出。
2015年8月9日から2016年6月18日までアイドルグループKissBeeの研究生ユニット、「KissBeeZero」のメンバーとして活動。研究生のリーダーを務めていたが、本人曰く「団体行動が苦手だった」ことを理由に、脱退している。
2016年、第5回プロが選ぶアイドルDVD賞で新人賞受賞。3月、週刊ヤングジャンプで水着グラビアデビュー。11月23日よりLINE LIVE配信を開始。
2017年、週刊プレイボーイ編集部が選ぶ「2017年新人グラドル次世代ボイン番付」で「東の横綱」に選ばれる。
2017年1月にVineサービスが終了したため、同年3月4日よりYouTubeに動画配信の場を移動。12月12日、1年1か月間休まず続けたLINE LIVE配信を一旦休止した。
2017年、天木じゅん・和地つかさとともに『さんぽけ〜三国志大戦ぽけっと〜』(セガ��インタラクティブ、2017年4月20日配信)の応援隊『さんぽけ Girls★』に選ばれ、宣伝イベントなどに出演。
2017年6月19日、『ヤマダパズル たぷたん』にフクロモモンガのキャラクターが登場。自身が飼っているフクロモモンガのビビをモチーフとして自らデザイン。
2018年1月1日、DMM LIVEcommuneにて配信再開。3月17日、漫画作品『終末のハーレム』に関連する撮影会に出演。
2018年4月1日、Twitterで「実は20歳(当時の公称年齢)ではなく22歳」とつぶやいた。その日のうちにパスポートの画像を公開し、20歳であることを証明した(エイプリルフール)。
2020年10月、コスプレイヤーの火将ロシエルと��人でバンド「pretty noob」(プリティヌーブ)を結成。同年12月、「東京コミコン2020」でデビュー。RaMuがギター担当、ロシエルがDJ担当。ボーカルはいない。
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『イブニング・ウィング』が蒲田・川崎・横浜停車になる…つまり現状は「品川で満席にならなくなった」ってことなのか
そーいや2022年だかのダイヤでは減便されてたもんなあ
ていうか今時刻表見たら京急の夕方快特って品川~横浜22分もかかってんのか…40年前の特急(最高速度105km/h時代)と変わらんのね
同区間を東海道本線なら同じ時間帯でも18分で走る。そして快特より速い東海道の普通列車が快特より高い頻度(7・8分ごと)で走ってる。それなら京急じゃなくてJR選ぶよなあ…
空港線改良してから京浜間がおざなりになってるな~と漠然と思ってたけど、昔みたいに京浜間でJRとバチバチ火花散らす時代じゃないんだろうね
ただ、日中の品川~横浜17分はC-ATSの制限下では頑張っている方だと思うよ。頑張っているってだけで2000形が15分で走ってた頃に比��りゃあやっぱ遅くなってるんだけど
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ラオックスグループ 東京23区に火葬場は9カ所ある。7カ所が民営で、そのうち6カ所を運営するのが「東京博善」だ。安倍晋三元首相が荼毘に付されたのも東京博善の「桐ケ谷斎場」だった。皇族と縁の深い「落合」や「代々幡」なども管轄する東京博善が、今夏から、中国系企業に様変わり。葬儀業界は不測の事態に見舞われることとなった。 *** 東京博善が運営する火葬場は需要には事欠かず、売上高は年間93億円超。純資産355億円という超リッチ企業である。親会社は、印刷事業が中核の「広済堂HD(ホールディングス)」だ。 2019年7月、広済堂大株主の「エイチ・アイ・エス」澤田秀雄会長が所有株を手放した。売り先は中国人実業家、羅怡文(らいぶん)氏率いるラオックスグループの「グローバルワーカー派遣」なる人材派遣会社だった。以降も買い増しを続けたグローバルワーカー派遣は筆頭株主に。共同保有者の「R&LHD」と併せれば、羅氏の保有する広済堂株は25%超に達した。 今年1月には、広済堂が羅氏関連の投資会社に第三者割当増資を実施。その結果、羅氏は40%超の広済堂株を押さえ、必然的に東京博善も勢力下に収めたのである。 締め出し 23区内に拠点を持つ葬儀業者によると、 「これまで、火葬場を利用するには、まず葬儀業者に依頼しなければなりませんでした。東京博善は葬儀事業に手を出さず、業者との間で棲み分けができていた。ところが、今年7月から、東京博善でも葬儀が執り行えるようになりました。広済堂が大手葬儀社の“燦HD”と手を組み“グランセレモ東京”という合弁会社を設立したからです」 同時に、東京博善は葬儀業者向けに「ウェブサイト掲載ガイドラインについて」なるものを示した。葬儀業者は、東京博善の斎場をウェブでの宣伝に用いることを禁じられたという。 「違反を続けると締め出しを食らうとのことでしたので、やむなくガイドラインに従った。その結果、月3000万円前後だった東京博善での売上が一気にゼロに落ち込みました」 葬儀業者は青息吐息の経営状況に追いやられる一方で、東京博善が荒稼ぎを加速させるのは間違いない。 「週刊新潮」2022年10月13日号「MONEY」欄の有料版では、東京博善が運営する火葬場の歴史や広済堂株をめぐる争い、葬儀業界の現状を詳報する。東京博善は「ご喪家ファーストの観点から、混乱を招くような広告はあってはならない」との判断でガイドラインを示したと主張している。
東京23区内の「火葬場」独占企業が中国資本傘下に 「葬儀業者」は締め出されて青息吐息(全文) | デイリー新潮
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新入荷品より、阿部眞士・汲み出し。
久しぶりに阿部さんからもいろいろと届いています。阿部さんには、次月号の民藝誌「古染付」特集でも文章をご寄稿いただいています。明代末期に景徳鎮の民窯にて生み出された古染付の楽しさを、実作者としての立場から語っていただいています。僕は阿部さんの絵付けはもちろん好きですが、やはりうっすらと青白い磁肌と柔らかくもすっとした立ち姿がうつくしい、無地の器がより好みです。
ちなみに本日19日は、豊永盛人展の初日・22日の予約締切日です。23日以降は予約不要ですが、店内込み合う際は入店制限をいたします。よろしくお願いいたします。
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「もしトラ」でなく「ほんトラ」に備えよ
櫻井よしこ
本当にトランプ氏が戻ってくる。
去年9月末に米軍の統合参謀本部議長を退いたマーク・ミリー氏の長時間インタビューを、雑誌『アトランティック』(2023年11月号)で読んだ。元陸上幕僚長の岩田清文氏の強い勧めによる。
トランプ、バイデン両氏に仕えたミリー氏は少なからぬ米軍人がそうであるように日本との関連も深い。父親は硫黄島とサイパンで日本軍と戦った。熾烈な戦いだった。80代になり、パーキンソン病を患った父は、苛烈な戦いの記憶に悩まされることがある。「ジャップが来た。逃げろ、早く逃げろ」と叫ぶ。その度にミリー氏は「大丈夫だ。我々は勝ったんだ。今、僕たちはカナダとの国境に近い東部にいる」と語りかけて、父親を落ち着かせるそうだ。
ミリー氏は15年に陸軍参謀総長に、19年9月にトランプ政権の統合参謀本部議長に就任、21年1月の政権交代までトランプ政権の下で1年4か月をすごし、その後、バイデン政権でも同じ地位にとどまった。退官が23年9月末だったことはすでに述べた。
一方、トランプ氏は20年11月の大統領選挙でバイデン氏に敗北したが、その結果を受け入れず、勝利は盗まれたのだと、今でも主張する。敗北当時、どうしても大統領職にとどまりたかったトランプ氏は熱烈な支援者たちに呼びかけて米国議会に乱入させるなどして、この3年余り、一連の事案で係争中だ。
ミリー氏の回想は日本にとって幾重にも教訓となる。現状を見れば、トランプ氏の再選を前提にしてわが国の外交・安全保障政策を準備しなければならないのは明らかだ。
��更ではあるが、トランプ氏の大統領としての資質に、当時の側近の多くが疑問を抱いたことに、まずアトランティック誌は焦点を当てている。たとえば、17年~18年に大統領首席補佐官としてトランプ氏に仕えたジョン・ケリー氏と、トランプ政権の最初の国防長官、ジェームス・マティス氏の秘かなる相互誓約である。両氏は「大統領を監督できない状況を作らないために、どんな時も2人同時に国を離れることのないようにする」と誓約し合った。
つまり、大統領が突然、軍を好きに動かせないように見張っておく必要を感じていたというのだ。
「クレイジーなことはしない」
米国では20年5月に黒人のジョージ・フロイド氏が警官に首を圧迫されて死亡、そのあとBLM(黒人の命も大切だ)運動が全米に広がった。その年の11月にはトランプ氏の再選をかけた選挙が行われる。トランプ氏の周りにはBLMに代表される極端な左翼運動に強い敵意を抱く人々が少なくなかった。彼らは「BLM運動の左翼活動家が米国を燃やし尽くします」というような極論をトランプ氏に吹き込んだという。そうした見方に影響されたトランプ氏が自らの求心力を高めるために危機を創出する、
たとえば他国への攻撃に踏み切りかねないという懸念が浮上した。そのひとつがイラン攻撃の議論だ。
大統領選挙前にトランプ政権の下でアメリカの国論をひとつにまとめる一手として、核兵器製造作業をやめないイランを攻撃すべきだという声があった。一方で大規模な先制攻撃は正当化されないというミリー氏らに代表される反対論も強く、ホワイトハウスは二分されていた。
もうひとつが中国だ。当時、「中国はトランプ氏が武力攻撃をかけてくると信じている」とのインテリジェンス情報を、米国側が入手した。そこでミリー氏は大統領選挙投票日直前の20年10月30日、人民解放軍(PLA)の李作成・連合参謀部参謀長に電話をした。
ミリー氏はこう言ったそうだ。我々は5年来の知り合いだ。米国政府は安定しており、全てはコントロールされている。もし、我々が攻撃する場合、私が事前に貴方に通報する。万が一、米中間に物理的攻撃(kinetic action)が起きても、歴史が示すように必ず、再建されるだろう、と。
ミリー氏は21年1月8日、中国に2度目の電話をかけている。1月6日にトランプ氏の熱烈な支持者らが米国議事堂に乱入したその2日後だ。民主主義だから色々あるが、米国は大丈夫だと伝えたとされている。いずれの電話も国防長官、国務省、C���Aなどの了承を得て、会話は彼らも聞いている中で進行した。
21年1月の議会乱入の後、ナンシー・ペロシ下院議長がミリー氏に電話をかけた。ペロシ氏は「トランプは狂っている。貴方もそのことは分かっているでしょう。米国の核はきちんと保管されているか」と尋ねたそうだ。トランプ氏への評価に関して、ミリー氏はペロシ氏に同意し、「核を含む軍事力について、110%、違法なこと、クレイジーなことはしないと約束する」と語った。
核の使用を単独で決定
この会話の直後、彼は核のオペレーションに関係する軍幹部全員を緊急招集した。氏は核攻撃がなされる場合の正規の手続きを改めて皆に徹底させたうえで、少しでも通常とは異なる異常事態が発生した場合、自身を含む全員が情報を共有しておかなければならない、と言い渡した。
大統領は核の使用を単独で決定できるが、実際の発射は実は一人ではできない。大統領���核攻撃を決断すると、その決定は国防長官に伝えられる。国防長官は戦略軍司令官に伝え、そこから基地の司令官に伝えられる。最後に、スイッチを押す兵士たちに命令が届く。
こうしてみると、統合参謀本部議長のミリー氏は右の指揮命令系統には入っていないことが分かる。それでもミリー氏は通常の状況を外れた事態が起きたら、全員がその情報を共有しなければならないと、核に関する部署の全員に言い渡した。危機感はそれほど強かったということだ。
ここまで読んだ読者の皆さんは、この雑誌アトランティックの記事はかなり強い反トランプの視点で書かれていることに気づくだろう。トランプ氏が再選されると、まるですぐに核が使用されかねないような印象を与えるかもしれない。そうはならないと私は思う。それでも今、私たちの地球社会が核の脅威に満ちていることへの懸念は強く持っている。
プーチン氏はウクライナでの核使用を14年のクリミア半島奪取のときから準備していた。氏自身がそのことを公表済みだ。北朝鮮は日本と韓国に対して核とミサイルを準備している。中国は台湾占領のために、台湾での核の使用も念頭に入れている。台湾有事は必ず日本有事に重なる。日本は中国の多層的ミサイル・核攻撃の標的であることを忘れてはならない。
ウクライナ侵略戦争の行方を他人事と考えてはならないように、核の被害を受けた日本だから核廃絶を声高に提唱するだけでよい、と思ってはならない。まず、世界で核・軍事力が実際にどのように使われようとしているか、現実を見て考えることがとても大事だ。
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31/12/2022
もうすぐ2022年も終わります。
今年の大きな出来事としては諸事情で退職を余儀なくされましたが、渡航制限の緩和もあり3年ぶりに海外渡航ができました。 また、ずっと行きたかった念願のチュニジアを13日間という長丁場で訪問でき、帰国した今でも連絡を取り合ってくれるチュニジア人とも知り合えました。
そして、もうひとつの出来事はこのtumblrを始めた年でもあります。「��いね」のリアクションやフォロー、ありがとうございます。楽しく更新しています。
来年はどんな年になるのか分かりませんが、2023年も引き続き宜しくお願いします🤗
2022年12月31日 23:16
写真はチュニジアにあるChott el Djerid(塩湖)の夕焼けです。一面ピンク色の景色でとても幻想的で綺麗でした。その背景にある船はTitanic号になります笑
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2024年8月23日(金)
先日クレジットカードの話題を取り上げたばかりだが、今日は新しいETCカードが届いた。有効期限5年が近づいた結果だが、早速<ETCマイレージ>の登録情報を更新する。これは高速道路の料金10円毎に1ポイントが溜まり、5000ポイントになると通行料金に還元されるというもの。私など通勤に(短距離とは言え)高速を利用するので、このサービスの恩恵は計り知れない。普段車を運転する機会が少ない方も、車にETCが搭載されていれば、是非登録を!
5時45分起床。
体重は、2日前から600g減。
洗濯機回す。
朝食。
洗濯物干す。
珈琲淹れる。
可燃ゴミ、30L*2。
今日は長男の誕生日、お祝いを振込みメールを送る。
ツレアイは休み、私は在宅勤務。
彼女はチラシをチェックして、あちこち買物に走る。
私は原稿は休んで、あれこれ資料整理。
ランチ、パスタをゆがきガーリックオイルをたっぷりとかけてバジルをトッピング。いやぁ、美味い��
三男には素麺を用意する。
録画番組視聴、落語研究会から「らくだ」五街道雲助。
名探偵ポワロから
第2話「ひらいたトランプ」/ Cards on the Tableシーズン 10, エピソード 2 ポワロは資産家シェイタナからパーティーの招待を受ける。そこには女流推理作家であるアリアドネ・オリバーも招待されていた。客は8人。食事の後、2組に 分かれて、コントラクト・ブリッジを始めるが、ホストのシェイタナは、ゲームに参加せず、第2組の部屋でブランデーを飲み続けていた。その後、心臓をナイ フで一突きにされたシェイタナの遺体が発見される。
午睡。
イオンモール五条へ、無印良品で箸を購入する(¥980)。
セントラルスクエア花屋町店で猫砂購入(レシートは?)。
酢タマネギ仕込む。
AppleからWatch用のバンドが届く。過日付け替えたばかりだが、何しろ酷暑のせいで連日汗まみれ、交代で使うことにしよう。
早めの夕飯、豚しゃぶ・ナスの甘辛煮・カツオのたたき・ツバスの刺身・レタスとトマト。
録画番組視聴、刑事コロンボ。
第29話「歌声の消えた海」/ Troubled Watersシーズン 1, エピソード 29 ロサンゼルス港。豪華客船シーパレス号は、メキシコに向けて出航しようとしていた。シーパレスには、大手中古車ディーラーの社長ダンジガー夫妻と、懸賞でこの旅を当てたコロンボ夫妻も乗船していた。ダンジガーは、歌手のロザンナと愛人関係にあり、それを夫人に話す、と彼女から脅迫されていた。
片付け、入浴。
ハイボール舐めながら日誌書く。
こんな暑い日は無理することはないが、とりあえず3つのリング完成は良しとしよう。
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23-8-4
主治医から療養するよう言われ、予定のない毎日、あまりに暑いので空調を効かせた部屋の中で過ごすのも飽きてきた。「泳ぎにいきたい」と昨年末のあたりから考えていて水着なども一式揃えていたものの、それっきりになっていた。のを、「今日、行ってしまおう」と思い立った。幼い頃に行ったことがある、サウナやジャグジーが併設された良い感じの雰囲気の室内プールに行くことにして、炎天下のなか小一時間原付を走らせた。10年ぶり位に泳いだものの、身体は泳ぐことを覚えていて、100mくらい平泳ぎをしては少し休むのを4、5回繰り返し、二の腕のあたりが痛くなってきたのを感じたあたりで水から上がる。外のテラスで自販機で買った紙コップのミルクセーキを飲みながら、吹いてくる風が気持ちよかった。30号線沿いを走らせながら途中途中、家族で訪れたことがあるような��かしいチェーン店の数々を通りすぎて自室に帰る。7月の日記と書いた詩を、冊子の形にまとめていて、毎月そういったzineを作ってみようかしらと思ったりしている。定期的に外に出すための文章を書くこと、そしてそれが形を取って自分のもとから離れて行くものであること(すなわち、ネット上にあげるものではないこと)は自分に課す課題として、有益なものであるような気もするけれどそもそもそれを読みたい人などいるのかしらという疑問は根本的にあって、どのような形をとるべきか悩んでいる。そもそも私が文章を書く���うになったきっかけは日記に対する関心によるところが多い。哲学者や文人の日記を読むことは、もちろんその生活を覗き見るような後ろめたい楽しみがあることを否定しない。しかし、その日記を読むうちに、「書いている主体が、ただ自己を顧みて書く、自身と会話する、というその行為のなかにおいて、書いている主体の思考、思想がが意図しないところで発生し練られ深化する場」としての所に関心が移っていった。哲学書や小説、詩といった「作品」が表舞台であるとするならば、日記はバックステージに位置するものであって、そうであるとしたならば本来は私達の目に触れるものではないはずだろう。しかし、例えばキルケゴールは生涯その日記を、後世に読まれるという前提で改訂や注釈を加える作業を続けた。リルケにしても、サロメという女性に宛てた書簡でありながら、日記という形式をとり、その内容としてもしっかりとした構成をもった「フィレンツェだより」や、ほとんど彼自身の独白であるような「マルテの手記」がある。そういった性質の手記について、完全にノンフィクションだということは言いきれないし、かといって全てがフィクションだというわけではない。純粋な日記と比べるのであれば、そこに手をいれる「なにか」の意図があるはずで、その意図は「単に自分を良く見せたい」といった動機などではないはずだ。自らの書いたものをここまで名前が出た偉大な思想家、詩人と同列に並べるようなつもりはない。ただ、私自身が当事者として、彼らのその背を追いかけて、少しでも近いような目的をもって生きようとするとき、見えてくるものがあるはずだ、と思っている。とりとめがなく、着地点を見失ってしまったけれど、それでも許されるのが日記という形式の優れた点だろう。
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ROAD TO Käärijä-フィンランド旅レポ-①
Tumblrの投稿が久しぶりになってしまって申し訳なしです。 以前こちらにも書きましたが、先日ついに!Käärijäのライブを見るために、フィンランドに行ってきました!! 一言で総括すれば、1€170円↑の地獄のような状況の中でも、がんばって行ってきて大正解でした…! と、いうことで、今後カーリヤに会いにフィンランドへ行くジャパニーズファンが増えること、また行きたい方のための参考になることを願って、旅レポ+ライブレポをこちらにつづっていきたいと思います。 フィンランド旅情報、けっこう少なくて私自身色々調べるのに苦労したので、今後行かれる皆様の参考になれば幸いです!
■出発準備編
1. カーリヤに会いたい!どのライブを見よう? 今回私が参戦したのは、7/5のAllas Sea Pool(ヘルシンキ)でのワンマン野外ライブと、7/7のRuisrock(トゥルク)という夏フェスでのステージの2つでした。 今回は、会場がヘルシンキとトゥルクという、フィンランド行ったことない私でも場所と名前のわかる街だったこと、またJoker OutやBlind Channelといった他の推しアーティストも同じ日程で出演することから、この2つのライブを選んだのでした。 また、詳細はライブレポのほうで書きますが、ワンマンとフェス、それぞれ違う雰囲気を楽しめたことがとてもよかったので、ぜひ皆様スケジュールが合えば、どちらも体験されることをお勧めします! なので検討にあたっては ・ワンマンライブとフェスを見れる日程であること ・初フィンランドの方(特に個人での海外旅行に慣れてない方)は、会場となる街が行きやすいこと を重視するとよいかと思います。 そして今回はどっちも野外でのライブだったのですが、雨に濡れるのはちょっと…という方は、室内でのライブ(ライブハウスやバー、クルーズ船など)があればそちらに行かれることをお勧めします。 ただし天気のよいフィンランドの夏は最高に爽やかでしたので、万が一雨でも楽しめる!という方は、野外のほうがいいかも。
2. いざフィンランドへ!航空券を買おう! まぁこれは皆さん私のブログを参考にせずともご自分で調べられることかと思うのですが、ご参考までに。 日本からフィンランドは羽田・成田・セントレア・関空からフィンエア―の直行便が飛んでいます。 今回の私のフライトスケジュールは 7/4 23:05 成田発→7/5 5:55 ヘルシンキ着 7/8 18:30 ヘルシンキ発→7/9 13:50羽田発 の便でした。どちらも絶妙にいい時間で、ほとんど時差ぼけを感じることなく過ごせたのがよかった! 私は北海道在住なので、23:05であれば余裕をもって成田に到着できるのも魅力でした。関東の方であれば、お仕事帰りにもちょうどいい便ですね。 日本発着のフィンエアーは、JALとの共同運航便です。私はJALのHPからチケットを買いましたが、フィンエアーのホームページも日本語ページがちゃんとあるので、どちらから買ってもいいかなと思います。 ちなみにフィンエア―は事前の座席指定にお金がかかりますが、東京からだと約12~13時間の長時間フライトになりますし、エコノミーはかなり席が狭かったので、足元広い席やプレミアムエコノミー、通路側や窓側などなど、お金はかかってもお好みで事前に指定しておくのをお勧めします。 なお座席指定はフィンエア―のサイトからのみです。JALのサイトで購入しても、予約番号を入力すればフィンエア―のサイトから座席指定ができますのでご安心ください◎ 3. ホテルはどこがいいのか? これはもう実際泊ってみないと当たり外れがわかりませんが… とりあえず、初めての地での個人旅行だったので、私は安心をお金で買いたくてHIS/JTB経由でホテルを探しました(結果JTBから予約)。でも特にその辺は気にしない・慣れてるという方は、安さ重視で別のサイトからでもいいし、ホテルのサイトから直接予約のほうがいいです(特に円安の今は…)。 ①ヘルシンキのホテル ヘルシンキ中心部であれば、かなり細かくメトロやトラム、バスが走っているので、どのホテルでもわりとどれかの駅には近い感じでした。また観光するにも、ヘルシンキは見どころがコンパクトにまとまっている街だったので、あまり場所は気にしなくていいかも…? 今回私が利用したのは、Scandic Hakaniemiというホテル。
ハカニエミマーケットという、観光地でも有名なマーケットのすぐそばで、メトロ・トラム・バスどの停留所もすぐ目の前。たいへん便利な場所でした。 飛行機が早朝の到着だったのでアーリーチェックインをしたく、身銭を切って1泊分多く予約+念のためホテルに直接メールで朝からチェックインしたい旨を連絡しておきました。 ②トゥルクのホテル 本当はホテルは1か所がよかったのですが、Ruisrockは夜中までやってるフェスだったので、ヘルシンキまでは戻れなかろうとトゥルクの街中のホテルを予約。Original Sokos Hotel Wiklundというホテルをとりました。
���とで詳しく書きますが、トゥルク市内からフェス会場への行き来の詳細がわからないまま、Sokosデパートと直結してるようなとこだし町の中心部っぽい、たぶん夜中に帰ってきてもそれなりに明るくそうだなという安全上の理由でこのホテルを選んだのですが、これがたまたま大正解!このホテルのすぐ近くが、フェス会場と往来するシャトルバスの乗降場でした。
①②どちらも朝食付きで1泊2万ちょいというかなりの高値でしたが、どちらもとても快適な部屋だったし交通の便もよかったので結果よしとしよう…笑 ユースホステルやもっと安いとこでも全然生きていける!という方は、もっと安いホテルいっぱいあると思いますので探してみてください。 なおRuisrockに行きたい方は、かなりはやくからホテルを探さないと、はやいうちからトゥルクのホテルがほぼ埋まってしまいますので要注意!
4. フィンランド旅の持ち物は? ①衣類は寒暖で調節可能なものを 私が行った期間は昼間でも気温が20℃いかず、夜は海風がけっこう強くて肌寒いくらいだったので、寒がりの方はウィンドブレーカーやパーカーなど、羽織れるものを持っていくことをお勧めします。 あと天気のよい日は、フィンランドと言えど(?)日差しがかなりきついです!帽子・日焼け止め・サングラスがあるとよいかも。 ②機内持ち込みグッズ フィンエア―の機内はあまり寒くありませんでした。でもさすがに半そで一枚とかだとジャパニーズ的には寒いと思いますので、もともとついてるブランケットにプラスでもう1枚ストールなどor厚手のカーディガンがあるとよさそうです。 また、12時間超えの長距離フライトになりますので、ぐっすり寝たいという方、ノイズキャンセリングイヤホンめちゃくちゃおすすめです! 私が持って行ったのはこれ⇩
個人的には、ノイキャンイヤホンつけて頭からブランケットをかぶっちゃえば、アイ��スクや乾燥対策マスクも必要なく、顔回りすっきりした状態で爆睡できました。 あとネックピローも、私はもともと座席についてるヘッドレストの両耳を立てることで首を固定したら特に必要感じませんでしたが、小柄な方はヘッドレストの位置が合わないかもなので、持っていくとよいと思います。 ③虫よけ Ruisrockの会場は島なのですが、シャトルバス乗降場から会場までは森の中の小道を歩きました。またほかにも野外で森の中のようなライブ会場に行く方は、虫よけスプレーがあるとよいです。これのおかげなのか、そもそもあんまり虫いなかったのかはよくかわかりませんが、普段蚊によくさされる私もまったく虫にさされませんでした。 ちなみに私が持って行った虫よけはこれ⇩
Ruisrockでは入り口で手荷物検査があり、スプレーものなのでこれは何か聞かれたのですが、缶(ガス?)タイプではなくミストタイプなので、バグスプレーです!と説明したら持ち込みOKでした(一緒に行ったお友達によればガスタイプは没収されたようです)。 ④モバイルバッテリー 向こうのライブは、スマホでの撮影オールオッケーです。特に長時間にわたるフェスでは、ついつい推しの写真や動画をとりまくって電池切れ…なんてこともありますし、暑いとそれだけで電池消費します���で、モバイルバッテリーは最低1つ(余裕があれば2つ)持っていくことをお勧めします。フェス会場には充電ブースありましたが、すごく混んでました。
⑤レジャーシート 結局使わなかったのですが、とにかくカーリヤのライブは、いい位置で見ようと思うとかなりの時間並びます!そしてRuisrockも会場内に椅子はありますが、人が多いので座れないことも… そんなとき、レジャーシートがあると足がパンパンにならずに助かります。
⑥ライブ会場にもっていくバッグ これ、悩みました。一応クローク的なところはありましたが、貴重品ならずとも荷物を自分の手元から離すのは心配、でもあまり大きな荷物はもっていきたくないし…と考えた結果、こちらのちょうどいいボディバッグを見つけたので購入しました⇩
サイズが大きめで、ペットボトルも入るし、レジャーシートや、小さくたためるものなら上着も入るくらいの大容量ですが、そこまでかさばることなくすっきり持ち運べてセキュリティ面も安心。 やはりライブ会場では斜め掛けショルダーかこのようなボディバッグを持って行って、両手があいてたほうがいいです!リュックもいいのですが、後ろの人にぶつかってしまうため結局前に抱えることになるので、あまりおすすめしません。 あとカーリヤはグッズもTシャツなどいろいろありましたので、購入される方はエコバッグ的なものを持っていくと荷物が増えても安心ですね!
⑦ごはん フィン飯が合わずお腹こわしたら大変、と思って、アルファ米とお味噌汁(乾燥のやつ)を2食分持っていきましたが、結果それを食べたのはフィン飯が合わなかったからではなく���疲れて外に買いに行く元気がなかったから(&時間がなかったから)という理由でした。笑 正直なことを言うとあまり北欧にごはんのおいしいイメージはなく、そこまで��待せずに行ったのですが、どこで食べても思ったよりおいしく、また水も軟水でとてもきれい、水道水がふつうに飲めたので、おそらく油があわなかったと思われるフライドポテトを摂取したとき以外はおなかもこわさず、大変満足できました。 なので、おなかが弱い方やものすごいグルメの方、またはスケジュールきつきつで外に行く余裕のない方・滞在長くて現地メシ飽きそうという方以外は、日本から食料持っていかなくても大丈夫じゃないかなーと思います。 ただし、ご飯代はめちゃくちゃ高いです。もともと高いうえに円安の影響もあり、軽いランチだけでも噂どおり3000円↑という感じでした。なので、味がどうこうとかより節約したい、という方は、食料は持って行った方がよさそうです。 あとカップ麺やアルファ米など持っていく方は、ホテルの部屋にポットがあるかの確認をお忘れなく!(私は持っていきませんでしたが、折り畳みのポットやキャンプ用の湯沸かしコイルなども売ってるので、なくてもなんとかなるとは思いますが。)
⑧その他 お友達と行く、カメラやiPadなど電子機器が多い、という方は、海外用タコ足を持っていくとよさそうです。また、フィンランドのコンセントはタイプCとなりますので、変換プラグもお忘れなく! あとホテルのお風呂はほとんどユニットバスだと思いますが、ホテル用のスリッパを布のやつじゃなくクロックスにすると、多少シャワーがはみ出て洗面所の床が濡れようが、スリッパべちゃべちゃで悲しい状態にならないのでおすすめです。
以上、準備編だけで長々と書いてしまいましたが、何かの参考になれば!
→続き:レポ②
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最新ライブ情報
明後日はいよいよ〜!!✨
5月19日(日)銀座ミーヤカフェ🌿
上野まなPresents「The Green〜Aroma × Songs〜Vol.4」 Open 11:30 / Start 12:00 チケット前売り¥3,500 当日¥4,000(+1Drink) 配信¥2,800 出演:前田有加里 / 大森真理子 / 上野まな ��グリーンをテーマにした精油の香りで空間を演出🌿💕
※入場順は11:15よりシャッフル整理券を配布。 サポート:ギター渡辺淳
アルバムリリースに向けての3枚目のシングル『3』発売!💿🎉 合わせてニューグッズも発売になります🍌
▶︎ご予約はこちら ▶︎配信チケット↓
まだ全体でお席空きあります♡ どうぞよろしくお願いします🥳!!
5月26日(日)東京音実劇場
「SENA Yokohama mint hallワンマン企画Vol.1」 開場18:00 / 開演18:30 チケット前売 ¥3,500 当日 ¥4,000(+別途1Drink) 配信 ¥2,500円+システム利用料 出演:SENA / 上野まな / 伊藤さくら
※会場10分前にシャッフル整理券(シャッフル)配布。 サポート:ギター渡辺淳
SENAちゃんのワンマンライブに向けて、精一杯応援の気持ちをお届けしたいと思います❤️ご予約増えますように‥🥺🙏
▶︎ご予約はこちら ▶︎配信チケット↓
6月8日(土)川崎銀座街商店街
出演時間は前日までにSNSにてお知らせ!
ザ・箱の対バンライブ!こういうの久しぶりな気がしてます❤️🔥
6月9日(日)東京音実劇場
tender music fruits~優しい音の実~ 開場12:00/開演12:15 *11:50ご入場整理券(シャッフル)配布 前売3,500円 当日4,000円(+1D500円) 出演:茜音 愛 / 上野まな / SpeakFondly / そよなほまれ 演奏:ピアノ瀬田創太 配信チケット2,500円↓
6月15日(土)埼玉・フリーライブ予定
名阪ツアーが決定!大阪と名古屋の2DAYS🧡
6月22日(土)LIVE&BAR 真心場
名阪ツアー!『昼下がりの彩り』大阪編 開場12:00 開演12:30 出演:上野まな / ヒサ絵 / 前田有加里 / 清野あやね 【前売】3,500円(+1ドリンク) 【配信】2,500円(2週間アーカイブ付) 入場順:会場15分前にシャッフル整理券配布。
▶︎ご予約はこちら 久しぶりの大阪だぁーー❤️(๑˃̵ᴗ˂̵)و ▶︎配信チケットは準備中
6月23日(日)名古屋 YOROZU-BAR
名阪ツアー!『昼下がりの彩り』名古屋編 開場12:00 / 開演13:00 出演:上野まな / ヒサ絵 / 前田有加里 / 清野あやね 【前売】3,500円(+2ドリンク) 【配信】1,500円(1カメ・2週間アーカイブ付) 入場順:予約(チケット)番号順の入場。 (アクセス:地下鉄東山線 栄駅 12番出口 徒歩4分)
▶︎ご予約はこちら(後日予約番号をメールでお知らせします📩) ▶︎配信チケットは準備中
3ヶ月ぶりの名古屋です!2DAYSぜひ来てね🥹❤️
7月7日(日)東京音実劇場
「ひろはっぴーとゆかいな仲間たち特別編〜ワンマン応援してくれたら嬉しみの舞〜です企画!」 開場17:30 / 開演18:00 チケット前売 ¥3,500 当日 ¥4,000(+別途1Drink) 配信 ¥2,500円+システム利用料(後日お知らせ!) 出演:野崎万葉 / 上野まな / 前田有加里 ※入場順は17:20〜整理券(シャッフル)配布。
はぴちゃんこと、野崎万葉ちゃんの9/8(日)横浜mint hallでのバースデーワンマンに向けての応援企画です🎵精一杯応援できるようにお届けします💛
▶︎ご予約はこちら ▶︎配信チケット↓
7月14日(日)東京ゲストハウス王子 ミュージックラウンジ
上野まな×潮崎ひろの『ヒーリングメイトvol.14』 Open 11:30・Start 12:15 前売り¥3,500 当日¥4,000(+オーダー¥1,000 )※配信なし 出演:Candy Tree(上野まなvo, 瀬田創太pf, 寺尾陽介bs) / 潮崎ひろの
※入場順はチケット&予約番号順となります。
▶︎ご予約はこちら(後日予約番号のお知らせメールします📩)
初会場!バースデーワンマンぶりのCandy Treeでの出演🎵 限定されたメニューになってしまうのですがお料理もお楽しみいただけます😍(1ドリンク500円、フードも500円〜。🍕)
7月20日(土)埼玉・フリーライブ(仮)
7月21日(日)川崎銀座街商店街
出演時間は前日までにSNSにてお知らせ!
7月27日(土)銀座ミーヤカフェ
☆Miiya Cafe 22nd Anniversary☆上野まな × Miiya Cafe Presents Vol.2『夢の旅の途中』 OPEN 18:00 / START 18:30 前売¥3,500 当日¥4,000(+1Drink) 配信¥2,800 出演:上野まな / 伊藤さくら / 小野亜里沙
みーやさんと22周年アニバーサリー企画を行わせていただくことになりました🎉初めての組み合わせでワクワク3マン❤️🔥
サポートは初めてのギター福岡丈明さんとお贈りいたします🎵(ギター渡辺淳さんの後輩さん!)
▶︎ご予約はこちら
8月4日(日)イオン海老名
Mana's Recommend Vol.5 フリーライブ 【時間・出演】 12:30〜前田有加里 13:05〜林ももこ 13:40〜美元智衣 14:15〜上野まな 各30分ステージ・観覧無料 天候による中止あり
8月31日(土)都内・昼
11月10日(日)板橋ファイト!
ひいらぎ繭×上野まな2マンライブ♪~Energy and healing~ Open 12:00 / Start 12:30 出演:ひいらぎ繭 / 上野まな チケット前売り¥3,500 当日¥4,000 配信 ¥2,500 ※入場順は11:50〜シャッフル整理券配布。 サポート:ギター高田慶二🎸 ◎4/28の振替公演として決まりました🎵
また更新していきます!!よろしくお願いします♡
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久しぶりのひとり旅は網走へ。
昨年秋に、運良く北海道の往復航空券を当て、札幌に住む幼馴染に会いにいくプランに加えて、こういうチャンスがないと行かなさそうな場所を探した結果、最果ての網走にしてみた。
札幌駅から1日2本しか出ていないオホーツク号に乗り5時間以上。途中停車する駅には雪が降り積もり、人はおらず、このままどこに行ってしまうのか……と不安になる。孤独な旅では、家から持参した本と、セイコーマートで買ったとよとみの飲むヨーグルトだけが支え。(この旅で1番気に入った)
ようやく網走に到着したのは23時過ぎで、もちろんほとんど人はいないし暗い。駅名の「あばしり」の縦書きひらがな表記が余計に恐怖心を煽る。
ちなみに表記が縦書きなのは、刑務所から出所した人がまっすぐ歩んでいってほしいという想いかららしい。なるほど。
駅を出てホテルまで徒歩10分ほどなはずなのに、人も車も街灯もなく、整備されていない雪道と大荷物、寒さでどんどん減っていくスマホの充電という不安コンボすぎて、人生でトップに入る不安を味わった。もうどこにでもひとりで行けると思う。
次の日は流氷クルーズに乗る予定が、流氷エリアに行けないとのことで普通のクルーズに。残念だけどまた網走に来る理由ができたということで解決した。船に乗って海を進んでいくのは本当に気持ちがいい。
船から降りて、道の駅名物の網走ちゃんぽんを食べる。これが寒さで冷え切った体に沁み渡り、あっという間に完食。魚介とちょっと濃いめの味付けのスープはいくらでも飲めてしまいそうだった。もう一回食べるにはハードルが高いけど、思い出すだけでお腹が鳴る。
そして今回の旅のメイン、網走監獄��。
ゴールデンカムイも見ておらず、この敷地内に重要文化財が含まれていることも知らなかったが、とにかく見応えがある。入り口から入り、マップに従いのんびり歩いて回ると2時間以上。
北海道の発展のために、屯田兵や開拓使だけでなく、実は囚人たちが重要な労働力として、過酷な状況で働かされていたということ、そのなかで看守も含め、多くの命が亡くなったこと。善悪は別として、事実として知っておくべきことだなと思う。
当時の様子を忠実に再現した施設内は、正直夢に見るのではと思うような怖い箇所もあるが、網走まできた甲斐があった。
夜は地元の居酒屋で鯨の刺身や鯨の竜田揚げ、エゾシカのたたきを食べて大満足。旅先ではなるべくその土地のものを食べたい。好き嫌いがなくなって本当に良かったと感じる瞬間である。
ありきたりな表現だけど、この広い世界で人間は本当にちっぽけだ。日常で出会うマイナスな人やつらい出来事なんか本当にどうでもいい。こんな自然の中でに放り込まれたら人間は無力。網走にたった2日くらいしかいなかったけど、かなり心が広くなった気がする。
そしてひとり旅は自己肯定感を高める1番簡単なものだと思う。仕事でいえば、企画立案から予算立て、タスクを洗い出して、進行管理をする。クライアントからの評価もある。ひとり旅は自分の好きなようにスケジュール管理すればいいし、自分が満足できればそれで大成功な案件だ。
編集の仕事をして3年ほど経ち、旅って媒体の編集に似てるななんて思った。旅が好きだから編集の仕事も好きだし天職に感じる。
今年はたくさん旅をしようと心に決め、東京へ帰ってきた。
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君が辛いことから逃げたかった日を、君が見ないふりをしたかったことに向き合わされた日を、そういう日に縋るように聴いていた曲を、全部抱えていたいと思った
結婚式では何を流そうか?この前、クリープハイプの「一生に一度愛してるよ」を流したって話を読んで、いいなって思ったの。電気グルーヴの「虹」をかけたって話も読んだから、聴いてみたよ。君もいつかこうやってはじめてこの曲を聴いたんだね。このまま授業を受けて課題を出してゼミの発表をして期末課題を終わらせて8月になってまた歳をとって君と花火を見て1年記念日を迎えてその次には君がまた歳をとって
あと1ヶ月もないうちに20歳を卒業する、いろいろ先のことを考えるとヘトヘトになるから、目の前のことを少しずつやっていく。まずは来週のゼミの発表レジュメをつくろうかな、主専攻じゃないしフレンドリーで厳しくない先生だから楽しんでしっかりやってる。いちばん好きな太宰の燈籠をやるんだ〜〜。あと期限はまだ先だから焦ってはないけど証明写真撮りに行かないと。色々既に疲れたけどエントリーシートの基盤を作れたから少し気が楽。ちょっとずつ改編すればいい。それが終わったらなんとなくで期末レポートの準備がしたい。最近脳内が煩雑で疲れるのは部屋の掃除ができてないからかなーとか理由にしてる。理由にすることって大事、だってそれが片付けば本当に解決したように思えるから。真実かどうかは神様しか知らないし。自分が本当だって思えればそれで十分。ポストカードも栞も飾りたいものいっぱいある、キラキラした思い出を並べていく。
1人、授業にずっと来てない子がいる。LINEをしたけどずっと既読がつかない。共通の友人にもLINEをしてもらったけどダメだった。心配だから学校に相談したけどもうこれ以上できることがない。暑いから、気をつ��ていて欲しいなと思う。
朝の電車、知らない男の人の汗の匂いがする。見てくる男の人の視線が怖くなくなったことにもすこしだけ整形の価値を感じる、女の人は今でも怖い。最近ずっと頭がスッキリしないから1人でカラオケに行った。歌は好きだけどカラオケは上手くない、てことは下手ってことかなー、歌上手くなりたいね、下手ではないと思うんだけどなー。先日解散したBISHの曲と出会った頃に彼氏が送ってくれたプレイリストから何曲かと彼氏の好きな曲。30分延長して思い出のいわゆる邦ロックを歌ってみる、アボカドとか幻とか。ボーイフレンド、スローモーション、君という花、踊り子、プロミスザスター、23号室を出ると上擦った「新時代」が聴こえてきた。自動精算機の使い方が分からない老夫婦を背の高い男子高校生が助けていてちょっと嬉しい。精算が終わったはずの精算機がピーピーなっていると思ったらお釣りがそのままだった。おばあさんに忘れてますよって声をかけた。748円あれば夫婦の1食分になるよ。(2023-07-04)
証明写真撮った。朝起きたとき久しぶりによく寝た感じがした。好きだった子に軽く失望したことがずっと刺さってる。嫌いとかじゃない、失望してる。嫌いな訳じゃないからなかったことにしようと思ったけどできないし、別にしてあげなくてもいいって思ってる。こっちに信じさせてた信念を忘れたみたいな顔してみんなを困らせてたから。時が経てば私が忘れるだろうけど。正直あんまり会いたくないしどうやって話したらいいのか分からない、でもあなたがしたことだからね。(2023-07-05)
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「キノコ雲の子」と呼ばれた高校生がいた。 原爆のキノコ雲に誇りを持つべきでしょうか――。早稲田大4年の古賀野々華さん(23)は5年前、留学先の米ワシントン州リッチランドの高校で、そう疑問を投げかけた。核産業で発展した町での勇気ある行動は、広島市で6歳の時に被爆した後東利治さん(85)の背中を押した。思い出すだけでつらく、向き合うことを避けてきた記憶の扉を開け、体験を語ることを決意した。 ■キノコ雲の校章に疑問 リッチランド高校に留学中の古賀さん。校舎にはキノコ雲の校章が大きく掲げられている(古賀さん提供) 「キノコ雲の校章を誇りに思う」「こんなにユニークな校章は他にはない」 米リッチランド高校。2019年5月、校内向けに配信された3分40秒の動画番組「AtomicTV」で、米国人の生徒が原爆のキノコ雲をかたどった校章を口々に称賛する中、古賀さんが口を開いた。 「原爆で亡くなった人は、町で生活していた一般の人だった。多くの人を無差別に殺した原爆を、私は誇りに思うことはできません」 リッチランドは、核施設で働く労働者や家族のために建設された。第2次世界大戦中に原爆を開発した「マンハッタン計画」の拠点で、長崎に投下された原爆の原料プルトニウムを製造したその施設は、1987年まで操業していた。 ■核産業で栄えた誇り リッチランド高校の校章。原爆のキノコ雲をシンボルにしている(古賀さん提供) 古賀さんが福岡県大牟田市の私立高校から留学したのは2018年8月。最初はリッチランドがどういう場所か知らず、校章を気に留めることもなかった。 半年ほどが過ぎた頃、男性教諭から校章の由来を教えられ、涙があふれた。 「原爆投下で戦争が終わって今がある」。周りの生徒は核産業で発展した町の誇りを当たり前のように口にした。2019年6月の帰国を前に、動画への出演が決まり、校章をテーマに話すと決めた。誇りを否定するつもりはない。ただ、被爆地で起きたことを知ってほしかった。 <日本人留学生、リッチランド高校のキノコ雲ロゴについて語る>。出演後すぐにワシントン州の地元紙で紹介され、ニュースは日本でも報道された。 ■40年続いた悪夢 被爆体験を語る後東さん(左)。古賀さんもその様子を見守った(7月14日、広島市中区で) 被爆者の後東さんはニュースを知って衝撃を受けた。「米国のど真ん中で原爆を批判するこの子はすごく勇気がある。自分も何か話さんといけんのんじゃないか」 1945年8月6日、天満国民学校(現・広島市立天満小)の1年生だった後東さんは、登校して間もなく学校の廊下で被爆した。窓ガラスが黄色く光り、轟音と同時に木造2階建ての校舎の下敷きになった。 何とかはい出し、避難時に見た光景が忘れられない。 あおむけで川を流れる無数の遺体、「助けてください」という叫び声。そして、やけどで頭皮の右半分がずり落ちたまま歩いている人の姿――。自宅を目指したが、がれきの上をはだしで歩くので痛くて前に進まない。様子を見かねたある男性がおぶって神社まで避難してくれた。その夜は神社で一人過ごした。 それから毎夜、目をつむると脳裏に惨状が浮かぶ。46歳頃まで続いた。思い出すことも、体験を口にすることも嫌だった。 ■返事が来ない 後東さんと古賀さんが交わした手紙 古賀さんの勇気に心が動いた後東さんは2019年8月、古賀さんに手紙を出した。<その勇気に私も背中を押され、被爆証言を始めようと決意しました> しかし、返事は、待てど暮らせど来なかった。「原爆にこれ以上深入りしたくはないんじゃろう」。大きく膨らんだはずの決意がしぼんでいった。 古賀さんには、後東さんのほかにも手紙やメッセージがいくつも届いていた。原爆に特別な関心があるわけではなかった。日本人として素朴な疑問を口にしただけだ。反響に戸惑い、手紙は返事を書かないまま自分の部屋にしまった。 以前から興味のあった福祉を学ぶため、2020年4月、早稲田大社会科学部に進んだ。上京時、後東さんからの手紙も持っていった。「いつか話を聞きたいという気持ちがあったのかな」 コロナ禍での大学生活。児童養護施設のボランティアに応募しても受け入れてもらえない。経験を積めず、人とも会えない。やる気がなくなっていった。 2022年2月、ロシアによるウクライナ侵略が起きた。テレビで流れる戦車や爆撃の映像に衝撃を受けた。ロシアのプーチン大統領は核兵器の使用をちらつかせている。「私にできることは何だろう」。後東さんの手紙を思い出した。 ■動き出した2人の時間 古賀さんが制作したドキュメンタリー「あのプラタナスの木のように」の一場面。左が後東さん <戦争や核、平和について自分にできる事はないかと考える日々が続いておりました。被爆の話をお聞きする事が今の私にできる事だと思いました>。2022年5月、後東さんに返事が届いた。手紙を出してから3年がたっていた。 後東さんは驚きと同時にうれしさがこみ上げた。手紙の最後に書かれていた携帯番号にすぐに電話をかけた。「またまた勇気をもらいました」 翌6月、広島で初めて顔を合わせた。古賀さんの手にはハンディーカメラ。後東さんの初めての証言を記録し、ドキュメンタリーを制作したいと思った。 まず向かったのは、原爆ドームそばのお寺。被爆死した近所のお兄ちゃんの墓に手を合わせる姿を撮影した。被爆した小学校の校庭にはプラタナスの木がある。被爆で幹が空洞になりながらも緑の葉を生い茂らせる木の前で後東さんは語った。「人間もたくましく生きていかにゃあいけんなあ」 4日間密着した映像は、約15分間の作品にまとめた。タイトルは「あのプラタナスの木のように」。古賀さんには後東さんの姿がプラタナスと重なって見えた。 ■核兵器の町を再訪 核施設から放出された放射性降下物で被曝したと語るトム・ベイリーさん。約1年後に死去した(2022年12月、古賀さん撮影) 2022年10月、古賀さんは3年ぶりにリッチランドを訪れた。 後東さんの被爆証言を聞いて、「原爆投下は絶対悪だ」と強く思った。でも、世界を見渡すと多くの核兵器があるのはなぜなのか。答えを求め、大学を休学して海を渡った。 2か月かけて住民約20人に核兵器に対する考えを聞いた。肯定的な意見が相次ぐ中、一人だけ反対する人がいた。当時70歳代後半のトム・ベイリーさん。施設から放出された放射性降下物で被曝し、甲状腺がんを患っていると語った。 「私は最後のヒバクシャではない」。核開発が続く限り犠牲者が出るとの訴えが、重く響いた。ベイリーさんは今年1月に他界した。 ■人生初、英語の勉強に挑戦 田中さん(右から2人目)に通訳してもらい、留学生と交流する後東さん(中央)(広島市中区で) 後東さんも動き出した。町内会の慰霊祭や区民センターなど、機会を見つけては、どこへでも行って自らの被爆体験を語る。「今さら証言してどうなるという気持ちもなきにしもあらずだが、それを振り切ってやろうと思いよる」。昨秋には自身の証言活動に「ひろしま平和塾 きのこ雲」と名前を付けた。 昨冬に知り合った広島大4年の田中美月さん(22)に通訳を頼み、留学生に話をする機会も増えた。今年に入って毎週3時間、人生で初めての英語の勉強を始めた。 ■2年ぶりの再会 世代を超えて交流を深める後東さん(左)と古賀さん。それぞれの目線で原爆と向き合っている(7月14日、広島市中区で)=東直哉撮影 7月14日、古賀さんが後東さんの初証言を追ったドキュメンタリーの英訳付き版が完成したのに合わせた上映会で、2人は広島で2年ぶりに再会した。会わない間もLINEで近況を報告し合っていた。 「負けんように、証言しようと思っていた」。後東さんが古賀さんと出会ってからの心境を明かすと、古賀さんは「被爆証言が多くの国に伝わってほしい」。2人の思いは呼応し合う。 後東さんはさらに証言に力を入れ、古賀さんは大学卒業後に渡米し、米国での核被害の研究に挑戦したいと考えている。 核兵器が使われない未来へ。1本の動画をきっかけに生まれた世代を超えた交流は、その一歩だ。 ※この記事は読売新聞とYahoo!ニュースによる共同連携企画です。
「キノコ雲の子」、原爆投下の米国で疑問投げかけ 長年口閉ざす被爆者に勇気 #戦争の記憶(読売新聞オンライン) - Yahoo!ニュース
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今日は店は休みです。久しぶりに奈良に来ています。本籍を奈良に置く身としては、故郷へ戻る嬉しさです。仕事があるとはいえ、合間に興福寺で八部衆の御顔でも拝めるとなおなお嬉しいところですが。
そういえば、本日2023年12月12日はちょうど小津生誕120年、没後60年。小津で奈良、といえば『麦秋』の最後、ふっと差し込まれる麦畑の中をゆく嫁入り風景のシーンですが、あれ、どこなんでしょうか。後ろに耳成山のような山が見えるので、橿原のどこかかな。
ついでの話。このごろ書きものの仕事が多くて、頼まれもの以外の文章なぞつらつら書いている場合ではないのですが、小津についてふと気になってしまったことがあり、書いておかないと本来の仕事ができなさそうなので、合間合間に記していた雑文をここに置いておきます。長いですし、結論はないし、ほとんどの方が興味のない内容��と思いますが…。
ちょっとした調べものがあって雑誌『みすず』2001年12月号を読んでいたら、木村伊兵衛が小津安二郎を撮影した写真と文章「上海で小津安二郎氏をうつす」が掲載されていた。時期は1938年1月なので第二次上海事変の翌年。小津は1937年9月に出征して中国に渡り、事変の直後12月から上海にいたようで、その時に偶然木村と出会っている(その後小津は南京・漢口と転戦する)。写っている小津が携えているカメラは、木村の稿に続いて掲載されている田中眞澄氏の文章「ライカという”近代”」によればライカA型。小津関係の文章を読むと、小津は「ご愛用のライカ」をいつも手にしていたと多くの人が書いているので(同文によると山中貞雄はコンタックスだったらしい)さもありなんと思うのだけれど、田中氏の文章を読んでいくなかで、ちょっとしたことが気になるようになった。
小津は1942年から軍の依頼で記録映画撮影のためにシンガポールに滞在し、ただまあ映画製作などできる状況でもないため、自国内では上映が禁止されていたアメリカ映画をひたすら見続け、敗戦を当地で迎えている。そしてそのまま捕虜となり、抑留生活を終え1946年1月に帰国する際に小津はライカを手放しており、「彼が再びライカを所有するのは一九五四年のことである」とある。買った件の典拠はどこにあるんだっけ、と思いつつ近所の図書館に置いてある『全日記 小津安二郎』を紐解くと、なるほど1954年3月22日の項に、
> 「出京 サンにてライカを買ふ 135.000 アメリカン フアマシー 明治屋(燻製)によつて帰る」
とある。と、ここで急に話は脇道に逸れるのだが、ちなみに隣のページ、同年4月8日の項には、
> 「駒場の東大教養学部 民芸館 青山の花屋 それから 車にて銀座に出て なごやかに夕餐を喫す 野田夫妻と江原氏同道」
と日本民藝館に行った旨の記載がある。他にも、1951年11月10日に
> 「宿酔 森昌子さん達と 陶哉 たくみに寄って大船に帰る」
や、1955年5月17日には
> 「駅にて野田氏と待合せ 上野松坂屋の民芸展にゆく」
とも。ほか、パッと目を通しただけでも1952年4月8日、同年6月15日、1953年2月9日、1961年2月2日に銀座たくみに行った記載があるし、志賀直哉や里見弴についての言及は多すぎるので略す。こういうものを読むとつくづく民藝誌において特集「小津と工藝」を組みたいなと思う。白樺派との関係や小津の映画における「巧藝品考撰」について取り上げる特集。『秋日和』で原節子の後ろにかかっている暖簾は芹沢銈介だろうか、『秋刀魚の味』で中村伸郎の後ろに置かれたやちむん?はたくみで求めたものなのだろうか、やちむんであれば誰の仕事だろうか。佐田啓二と吉田輝雄がとんかつ屋で食事をするシーンには確かに芹沢カレンダーが掛かってるな、などといつも気になるので。松竹から写真借りるといくらぐらいかかるかな…。
それはさておき。この時購入したライカが、前掲日記の1961年3月23日の項に「夕方会社帰りの秀行くる ライカ借(貸)してやる」とある通り、のちに小津の甥が譲り受け、現在は茅野駅前「小津安二郎・野田高梧コーナー」に寄贈展示されているライカIIIfとズマリット5cmF1.5なのだろう。と、ここまで長々と記して、まだ前提です。
そこでふと思い出したのが厚田雄春・蓮實重彦著『小津安二郎物語』(筑摩書房・リュミエール叢書)の冒頭。ここには小津が『東京物語』と『早春』のロケハンをしている写真が2葉掲載されているのだけれど、どちらにおいても小津はバルナック型のカメラを携え、光学ファインダーをのぞいたりしている。沈胴レンズにフードをつけている様子から、あれはライカなんだろう、レンズは厚田雄春が『父ありき』において75mmを一場面で使った以外はすべて50mmだったと言っているぐらいだから同径のエルマーやズマール、ズミタールとかかな、などとうっかり思い過ごしていた。むろん『早春』については、製作年やロケハンの写真に記載されている「1955.7.20」という日付からするとまったく問題はない。しかし『東京物語』は1953年製作公開だから「再びライカを所有した」1954年では間に合わない。そう気がついて見直すと、小津が構えているカメラは、ライカIII型に似ているがファインダーの位置が違うし、そもそも1954年にあわせて手に入れたと思しきズマリットは沈胴レンズではない。
妙なことに気がついてしまったと思いつつも、ひとまずは日記記載の「サン」を手始めに調べてみようとしたが、何の会社かわからない。名取洋之助が企画編集した「週刊サンニュース」と関係はあるのだろうか。対外宣伝誌の専門家であり、銀座に店を構える森岡さんに聞いたらわかるだろうか。いずれにせよ1949年以降の小津の日記に「サン」が登場するのは、「1951年1月17日・3月21日・4月24日・11月10日、1952年4月17日、1953年6月16日、1954年3月22日(前述のライカを買った日)・10月14日、1955年4月6日、1960年7月14日、1961年2月2日(”たくみ サンに寄って三越”)」。1953年6月16日は、ちょうど『東京物語』ロケの最中だったことが気に掛かる。ほか、関係しそうな記載としては1953年3月30日に「アサヒカメラ座談会」、1954年11月5日の「シュミットに寄ってから」(当時ライカの総代理店だったシュミット商会か)、1955年2月15日「昼寝をしてゐると小尾がくる ニッコールの85m(ママ)のレンズを頼む 四万五千円を預ける」、同年3月11日「小尾に会ひ105mmのレンズを見る」、同年6月27日「小尾から電話ライカピッド(ママ。入手したライカがIIIfであれば、ライカビット SYOOMか)を頼む」ぐらいか。この「小尾」という人は何者なんだろう。
次に小津が構えているカメラの形状から何かわからないかと思い、あらためて細部を見れば、写っているカメラは戦後キヤノンが作っていたコピーライカであることがわかる。決め手はファインダーの位置。同時期の国産コピーライカであるニッカやレオタックスはライカそっくりに作っているのだが、キヤノンは誠実と言っていいのか「打倒ライカとコンタックス」の心意気の現れか、多少スタイルが違う。なお、小津が用いている機種については、この時期のレンジファインダー機は輸出用に作っていたせいか勢いがあり、すぐ新型が出るうえに、外観がどれも似すぎていて小さな写真では区別がつかない。時期を考えれば、1946年発売のSIIから1952年のIVSbの間のいずれかで、III型以降のように見受けられる。レンズもやはり形状から判断するとズマールに似ているので、1949年発売開始のキヤノン Serenar 50mmF1.9か。そう気づいて改めて調べると、「カメラ毎日」1954年6月号に掲載されている座談会「カラーは天どん 白黒はお茶漬の味」ではカメラの話がもっぱらで、その時に手にしているのはキヤノンである。このキヤノンのカメラとレンズ、そして外付けのファインダー、この時期どういう経緯で小津は使っていたのだろう。いずれにせよ、1953年の『早春』はともかく、なぜ1955年に「ご愛用のライカ」ではなく、キヤノンを用いているのか。
ついでに言うと、小津が鏡の前でカメラを向けて撮っているセルフポートレートに用いているカメラはコンタックス。日記をざっと読んだ限りではわからないけれど、これもいつ手に入れたのだろう。レンズはゾナーの5cmF1.5。明るいレンズがお好みと見える。こちらは姪が譲り受けたとのことで、今は先のライカと同じく茅野駅前にある。
長々と書いてきましたが、つまりはこれらが今回生じた疑問です。小津に詳しい人、どうか教えてください。
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「宮崎正弘の国際情勢解題」
令和六年(2024年)8月26(月曜日)
通巻第8382号 <前日発行>
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プーチンの沈黙は不気味。ゼレンスキーは「これはゲームチェンジだ」
ウクライナの侵攻という語彙をもちいず、「挑発行為だ」としている
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2024年8月6日早朝、ロシア領内にウクライナが侵攻した。このウクライナ軍の奇襲攻撃は二次世界大戦以来初の外国軍のロシア侵入だった。クルスク地区18万住民��うち、13万3000人が避難した。
厳密に言えば「地域紛争。限定戦争」の範囲から正式な「戦争」の段階に歩を進めたことになり、プーチンのいう「特別軍事作戦」の範疇を超えた。欧米もゼレンスキーの暴走を非難せずに、沈黙し続ける。
プーチンの沈黙は不気味である。
依然としてウクライナの侵攻という語彙をもちいず、「挑発行為だ」としている。この間にプーチンは13年ぶりにチェチェンを訪問し、カディロフと会見したくらいで、外交的にはオルバン、ルカシェンコ、李強、モディ等の来訪を承けたが、記者会見でもクルスク侵攻を語らず、避難民にはとりあえずひとり1万ルーブルを保障し、また捕虜となった住民115名をウクライナからの115名と「捕虜交換」した。
ゼレンスキーは「これはゲームチェンジだ」と言った。プーチンを「赤の広場にいる病んだ老人」とも比喩した。
意表を突かれた欧米はたじろいだ。ロシア領には戦線を広げないというのが欧米とウクライナの約束であり、その前提で武器供与を継続してきた。ウクライナがロシア領土を侵せば、戦争はエスカレートし、NATOが巻き込まれるから、下手をすれば第三次世界大戦につながりかねない。
「間違いなくゲームチェンジの一部だ。しかしEUはゲームの主体ではないにもかかわらず将来の欧州の地政学の運命を決めるものだ」(ジョセフボリスEU外交委員会幹部。元スペイン外相)
ゼレンスキーは前後してウクライナ領内のロシア正教会の教会すべての閉鎖を命じた。宗教はロシアならびに旧東欧諸国に於いて極めつきに重要な問題である。
「歴史は神と直接に結ばれている」(ランケ)
ウクライナではカソリックは勢力を伸ばし、信者の獲得に余念がなく、そのうえゼレンスキーはユダヤ教からバイデンの侵攻するカソリックへ改宗した。改宗はユダヤ人にとっては明らかな裏切りである。
ロシア領内に攻め込まれても、まだ反撃も出来ないプーチンは顔に泥を塗られた格好だが、いかなる反撃を想定しているのか。
「ウクライナは寒い冬を覚悟しなければなるまい」とドイツのエネルギー相が警告し、EUエネルギー委員会のカドリシムソンンは「ウクライナ電力は昨年の半分しか確保できず生存できるかの問題となる」と警告した。ゼレンスキー自身もウクライナ国内の80%の発電施設は破壊されたと認めている。
一方でウクライナ軍はロシアの石油備蓄基地を爆撃し、8月18日から24日まで燃え続けた。
思い出す人物が居る。
サンクトペテルブルクにあるエフゲニー・プリゴジンの墓。8月23日は、プリゴジンの「暗殺」から一周年。墓地は花束に埋め尽くされた。そのニケ月までにプリゴジン率いる「ワグナー軍団」はクレムリンへ進軍し、クーデターを試みた。プリゴジは「プーチンのシェフ(料理人)」とも呼ばれ、レストランやケータリング事業でプーチンの外国賓客をもてなし権力の側近に食い込んだ。
ウクライナ侵攻において、ワグネルの部隊はバフムートの戦いなどに参加。プリコジンは2023年5月には、弾薬補給の不足に不満を漏らし、セルゲイ・ショイグ国防大臣とロシア連邦軍のワレリー・ゲラシモフ参謀総長を公然と非難した。
23年6月23日にはロシア連邦政府に叛旗を翻し、首都モスクワへ進軍を開始した。プーチンはこれを「反逆」「裏切り」と非難。25日には、隣国ベラルーシの大統領アレクサンドル・ルカシェンコの仲介で矛を収めた。
2023年8月23日、モスクワ北西部のトヴェリ州で墜落したビジネスジェットの乗客名簿にプリゴジンの名前があり、乗客乗員10人は全員死亡が確認された。
プリゴジン氏の頻繁な暴言の主な標的の一人であったセルゲイ・ショイグ元国防相は安全保障理事会に異動となった。汚職捜査で数人の高官が逮捕され、起訴された。ロシアの新国防長官アンドレイ・ベロウソフはテクノクラートであり、数字分析は得意だが、プーチン大統領に政治的、軍事的脅威を与えるほどの経歴とカリスマ性に欠ける。
軍上層部の移動による作戦立案の立ち遅れか、いやプーチンは計算できているのだろう。もし大規模に反撃すればNATOを刺激し、戦争は次の段階へ間違いなく進む。ロシアもNATOも、率直に言って、そうした事態にはそなえていないのだ。
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