#にぎりの徳兵衛
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車の点検一時間くらいと言われたので
代車を借りてにぎりの徳兵衛🍣へ
30分待ちくらいだったのでお隣のdocomoショップのフリーwifiエリアまでwifi拾いに行って時間潰し⏳
📡フリーwifiエリアもっと拡大して欲しい📶
ローソンとファミマとDSとマツキヨくらいしか飛んでない🛜
貝三昧🦪やローストビーフ🥩は無難に美味しかった
タコが無かったのでイカ食べたよ🦑
最近蛸さんどうしちゃったの🐙?
健康に一番は四番茶!?!?🍵
二番茶までは聞いたことあったけど、お茶って四回も摘めるの?🌿 一番や二番よりミネラルやカテキンの量が多いらしい
でも一番美味しかったのは揚げ茄子🍆ლ(´ڡ`ლ)
家でもできそう🍆ლ(´ڡ`ლ)
知人のおっちゃんちで、こんな大っきな紅葉🍁とお花🌼貰って帰ってきました
ミニバラ🌹もCUTE🩷
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「宮崎正弘の国際情勢解題」
令和六年(2024年)6月24日(月曜日)弐
通巻第8303号
「韜光養晦」路線から野心ぎらぎら満艦飾の「戦狼路線」へ
ど派手の武威、領海領空侵犯の裏に何かが隠されているのではないか
*************************
韜光養晦とは1990年代に「最高実力者』(肩書きがないのにトップだった)、トウ小平が強調したスローガンで、「才能を隠して、内に力を蓄える」という中国の外交・安保政策の基本方針だった。出典は三国志、劉備玄徳の言葉で、この四字熟語にこめられていた意思は臥薪嘗胆、立志報復だった。
中国は89年の天安門事件で国際的に孤立し、西側から厳格に経済制裁を突きつけられて、経済が頓挫したため、爪を隠して国際社会における存在空間を広げながら、基本的には、経済力もつける必要があった。他方で西側の中国制裁を「われわれの政権転覆を狙う『和平演変』だ」と���っていた。
日本が真っ先に西側の掟を破り中国に助け船をだした。
北京五輪を契機に、中国はすっかり自信をつけたばかり、2010年頃にGDPで日本を超えて世界第二位となると、米国以外の指導者すら見下ろすような態度を取り始め、胡錦濤政権後期に「韜光養晦」路線をすてた。日本に対しては傲岸不遜、上から目線で「教えてやろうか」という態度に変わった。やっぱり、臥薪嘗胆、立志報復のしっかりとして意思を含んでいたのだった。
習近平となるとトウ小平路線などきれいさっぱりと忘れ去り、というより習はトウ小平やエリツィン、ゴルバチョフを嫌っており、改革など眼中にはない。尊敬するのは毛沢東だから始末がわるい。
韜光養晦は中国共産党指導部の記憶細胞から消えた。
南シナ海に人工島を造成し、ベトナム、マレーシア、フィリピン、ブルネイ、インドネシアと領海をめぐる諍いがエスカレートした。
台湾海峡には連日、脅迫の武威、戦闘機から空母、巡洋艦に潜水艦、台湾侵攻は尖閣諸島占拠がセットになるから尖閣海域への海警艦船は武装して領海侵犯をくり返し、恫喝を継続���せている。6月22日から23日の48時間で台湾上空に出現した中国の戦闘機は未曾有の77機に達した。
米国の有力シンクタンクCSISは「軍事力の衝突によらずとも海警の陣容を見れば、海上封鎖で台湾を日干しにする能力がある」と報告書を出している。
フィリピン沖合の珊瑚礁をうめたて、「ここは中国領だ、文句あるか」と白昼堂々の侵略行為を見せつけた。
さらに過去数年来、南太平洋の島嶼国家群への大規模に進出し、これら一連の中国の軍事的膨張にアメリカはすっかりつむじを曲げた。しかしそのアメリカとて、もはや単独での防衛は難しくなり日本のほかにインド、豪州とのシェアを重視している。
▼それでも中国を擁護しつづけたキッシンジャーはいなくなった
中国の軍事的威嚇、恫喝の武威デモンストレーションは、米国、印度、日本、台湾、豪州を十分すぎるほどに刺激した。痴呆老人さえ習近平を独裁者と言い出した。強力なチャイナ・ロビィ、中国��代理人だったヘンリー��キッシンジャー元国務長官は視界から消えた。
日本をも刺激した。なにしろ平和憲法、非武装中立の虚言を吐き続けてきた日本がGDP1%の防衛費枠を突破しても国民の反対はごく少数だった。バイデン政権は台湾にかれこれ十五回にわたって高性能武器を供与し、米海兵隊は台湾兵の訓練にあたっている。
さらにはアメリカでスパイ気球、スパイクレーンに技術スパイ、スパイ根城の孔子学院と、あらかたの最新技術を盗み出し、ハッカーを大々的に仕掛け、TIKTOKなどを使ってフェイク情報をおくり続けた。これほど無神経な行為はないだろう。アメリカを怒らせるにフルセットだった。
ちょっと考えて見ても、中国の立ち居振る舞いは愚かではないか。
自らの野心を相手に邪推させることは戦略的思考から言えば愚昧きわまりなく、孫子が生きていたら「おまえ、何をやっているんだ」と怒り出すだろう。
しかし、もう一度よく考えて見ると、中国伝来の方式とは、外に向かって何かを喧伝しているとき、内部での矛盾を隠蔽している可能性が高い。
おそらく共産党高層部と軍のなかで、熾烈な権力闘争が起きているに違いなく、そうした脆弱性を糊塗するためにも、外部に向かって威張りちらす、居丈高に横暴に振る舞って国内矛盾をすり替えているように思えてならない。
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4月23日(火)完成披露舞台挨拶付先行上映会オフィシャルレポート!
このたび、映画『碁盤斬り』の豪華キャストが勢ぞろいし、4月23日に完成披露舞台挨拶付先行上映会を開催いたしました!本作は、草彅剛さんが冤罪に貶められた浪人・柳田格之進役に挑み、時代劇を初めて手掛けることとなった『孤狼の血』の白石和彌監督との強力なタッグが実現した感動のリベンジ・エンタテイメントです。本日は、草彅剛さん、清原果耶さん、中川大志さん、奥野瑛太さん、音尾琢真さん、市村正親さん、斎藤工さん、小泉今日子さん、國村隼さんというオールスターキャストと白石和彌監督が登壇した舞台挨拶を実施しました。撮影中のエピソードや、映画の内容にちなんで《リベンジ》したいことなどについてトークが展開され、大盛り上がりの舞台挨拶となりました!
寡黙な武士、柳田格之進を演じた草彅さんは、舞台挨拶冒頭から満面の笑みを浮かべ、充実感を漂わせました。撮影以来となる共演者との再会をよろこび、「みんなのグルーヴがすごくいい!」とニッコリ。自分の持っているものすべてを出し切れたと話した草彅は「幸せな環境で映画が撮れました」と報告し、大きな拍手を浴びました。撮影現場は作品に関わるすべての人、職人のこだわりが詰まっていたとし「みなさんのおかげで(格之進を)ちゃんと演じられました。代表作になったと思います!」と役を演じ切ったと胸を張っていました。格之進の娘・お絹役の清原さんは「現場で草彅さんを見かけるたびに、“父上”という気持ちになって。格之進として佇んでいらっし���って、とても支えられました」と感謝。父・草彅さんの背中を「追いかけられたらいいな、支えられたらいいなという思いで見つめていました。草彅さんのおかげでお絹ちゃんとしていることができたと思います」との清原さんの言葉に草彅さんは「その言葉、一生大事にします!忘れません」と返し、父娘のほっこりトークで和ませました。萬屋の亭主・萬屋源兵衛役の國村さんは「タイトルにもあるように碁盤を挟んだシーンがたくさんあります。碁がテーマでもありますが、碁のシーンを通して、格之進の性格を伝えていくという意味合いもある作品です。碁のシーンで格之進の中身が変わっていくのを感じられると思います」と笑顔でアピールしました。萬屋の手代・弥吉役の中川さんは「すごくピュアで真っ直ぐな武士の子。小さい時に源兵衛に拾ってもらい、息子のように育ててもらった青年です。映画の中で起きる事件に大きく関わるという役どころ。囲碁がベースになっていますが、とても親近感のある、身の回りで起きるような出来事を描いた作品です。弥吉のポジションは苦しいけれど、応援したくなるような弥吉になればいいなと思いながら演じました」と役作りを振り返りました。音尾さんが演じた萬屋の番頭・徳次郎はトラブルの発端となる役どころでいわばトラブルメーカー。中川さんが「あの人のせいです!」とトラブルを引き起こした音尾さんを指さすと、「トラブルを起こして申し訳ありませんでした」とお詫び。中川さんと音尾さんのトークのコンビネーションで会場を沸かせました。撮影現場で印象的だったのは座らない草彅さんの姿と明かした音尾さんは「神経が研ぎ澄まされているのでしょうか。本番に合わせてググッとフィットしていくために、研ぎ澄まさせている姿を見ていました。今日は現場と違ってかなりふわっとしています」と撮影中とイベントでの草彅さんのギャップを指摘。音尾さんのコメントに「ありがとうございます、高倉剛です」と撮影現場で座らないことで有名だった高倉健さんになぞらえ、キリッとした表情を見せ笑いを誘った草彅さんは、座らない理由について「5秒で眠くなっちゃう(笑)。みんなよく眠くならないよね。僕は夜10時には寝るけれど、座ると眠くなっちゃうんだよね」とマイペーストークを展開し、会場を笑い声でいっぱいにしました。すべてのキャストと���みがあった草彅さんは、撮影中のエピソードを次々と披露。音尾さんについては「ずっと写真ばっかり撮っているカメラ小僧」とニヤリ。「この話でいいの?」と確認しつつ、カメラトークは止まらず、中川さんに至っては音尾さんにすすめられたカメラを購入したことも明かされました。自身のトークの順番だったにも関わらず、どんどん共演者とのエピソードを話し続ける草彅さんに時折ツッコミを入れ笑わせた音尾さんはしっかりと作品に触れる場面も。「いい役をもらいました。今年も白石監督にお歳暮を送ります」と白石監督作品常連の音尾さんならではのおなじみのフレーズで盛り上がりました。國村さんとの共演シーンを振り返ると、「春のシーンだったけれど、実はすごく寒くて。映像では綺麗に映っているけれど本当は寒いんです!」と草彅さんが撮影時の裏話を暴露。國村さんが「きっと寒かったんやろうな、って思いながら観てください」と舞台挨拶後に鑑賞予定の観客に呼びかけると、草彅さんは「僕(格之進)と國村さん(源兵衛)のラブストーリーにも注目してください!」と本作のおすすめポイントを伝えました。格之進と因縁のある武士・柴田兵庫役の斎藤さんは「ずっとかっこいい!」と大絶賛の草彅さん。「佇んでいるだけですごくクール。なんでいつもそんなにかっこいいだ、チクショー!という気持ちを込めました」と対峙シーンへの意気込みを解説し笑わせました。町の親分・長兵衛役の市村さんについては「すごく気遣ってくれる大先輩」と感謝した草彅さん。「いつも元気ですごい。役者として見習いたいので、健康法を教えてくださいと訊いたら、親が元気なので、と言われて(笑)。遺伝だからって。元も子もない!」と大先輩からのアドバイスを期待しましたが、まさかの回答があったことも明かし、笑い飛ばしていました。彦根藩の藩士・梶木左門役の奥野さんについては「ずっと途方に暮れていた」と撮影現場での様子をレポートした草彅さん。共演者全員との撮影を振り返り「僕はみんなと交流があったので!」と一緒のシーンがなく、今日が初めての顔合わせとなるキャストへの気配りで、いろいろなエピソードを公開したと説明しました。「役柄としては非常にクソ野郎です…」と小声で話した斎藤さんの役作りは「正義への考え方」だと解説。正義の反対は悪ではない。もうひとつの正義という気持ちで兵庫なりの悪を演じたとし、格之進役の草彅さんとは「最小限の動きの競技である囲碁と殺陣。静と動、2つの対峙をやらせてもらいました。どんなに熱を沸騰させた状態でいても、格之進と対峙すると水が変わるというのでしょうか。研ぎ澄まされた空間になってしまう。そういう格之進に静かに鳥肌を立てながら撮影していました」と語りました。このコメントを聞いた草彅は「かっこいい…。“静かに鳥肌を立てながら”っていうセリフもらいます!」とニヤニヤ。これまでの斎藤さん��の共演経験を踏まえ「(対峙の)集大成のようなシーンが撮れました。感謝しています」と深々とお辞儀をしました。演じた役柄について奥野さんは「格之進に常につきまとっている役。格之進が実直で、健気で、武士らしい姿を見せてくれるので、全幅の信頼をおきながら、ただただついていく。彼の背中をただただ執拗に追いかける役です」と独特の表現で分析し笑いを誘いました。草彅とは29年ぶりの共演となった小泉さんは「まだ剛くんが20代前半だった頃。少年っぽさが淡く残っていた時にテレビドラマで共演して。放送が始まって剛くんのキャラクターが人気になって、出番が増えていき、キャラクターが大きくなっていったのを覚えています」としみじみ。「当時から演じることを楽しんでいたし、すごく素敵でした。久しぶりにお芝居を一緒にしたけれど、背中が素敵で。主役としてすべてを背負って引き受けている姿に感動しました。この背中の役に立ちたいと思いながら、お庚という役を一生懸命演じました」と話す小泉さんに草彅は「キョンキョン大好きです!」と答え会場を盛り上げました。さらに草彅は17年ほど前に小泉さんからプレゼントされたTシャツにサインをしてもらったエピソードも明かしました。「和柄で、今回の作品に合っていて。撮影中の2週間、パジャマにしてました、洗わずに(笑)」と付け加え、さらなる笑いを誘いました。「春の撮影で花粉症がつらそうだった」と撮影中の草彅の様子を思い出した小泉さん。すると草彅が「かゆいし、鼻をかむと髭がとれちゃう。鼻をかむたびに(メイクの)直しが入って。それが1番大変だったかも」と撮影時の苦労を明かす場面もありました。市村さんとは「いつか一緒にミュージカルを!」という話で盛り上がったみたいで、イベントで草彅がその話を続けようとしたところで「今日は『碁盤斬り』の話をしましょう!」と市村さんが脱線を防ぐナイスなフォローを見せて会場を笑わせました。本作で時代劇に初挑戦した白石監督は「日本の映画史は時代劇とともに発展しました」と切り出し、「スマホの寄りを撮らなくていいなど、(現代劇とは違う)発見がいろいろとありました。今後もぜひ、時代劇に挑戦したいです」と充実感を漂わせました。こだわったのは江戸時代の光源だとし、限られた光源でどれだけの表現ができるのか、かなり攻めたとも話しました。さらに「普段はフレームからはみ出るような荒々しい映画をと思っているけれど、今回は美しい映画をという思いがありました」と初時代劇への見せ方にも触れ、注目してほしいポイントです。作品にちなみ“復讐したいこと”を尋ねられた草彅さんと清原さん。草彅さんは「今日の舞台挨拶をもう1回やり直したい。リベンジしたい(笑)」と少し俯き、「テレビカメラとかいっぱい入っているのに、どこが切り取られるんだろうと急に不安になってきて…」とここまでの自由なトーク展開を苦笑い。「では、���はそのリベンジを応援します!」と気合いを見せる清原さんに草彅さんは「清原さんはちゃんとしてたよ」と優しく返答。「これだけ(キャストの)みんなが集まるのは最初で最後かもしれないのに…」としながらも「映画をたくさんの人が観てくれたらリベンジできるかも!」と、今後もイベントが開催されることを願いつつ、たくさんの鑑賞を呼びかけるというナイスなPRで大きな拍手を浴びました。最後の挨拶では本作の宣伝を務める観客に向けて、SNS投稿時の「#(ハッシュタグ)」も発表。「#碁盤斬り」もしくは「#ごばんぎり」とのこと。「漢字は難しいから、ひらがなでもいいです。ご飯じゃないよ、ごばんだよ。このフレーズ気に入っているけど、いまいちウケなくて…」としながらも、最後までしっかりと映画を宣伝し締めくくりました。
■英語タイトル“BUSHIDO(ブシドウ)”として 4月に開催されるイタリアのウディネ・ファーイースト映画祭のコンペディション部門での上映も決まっております。 さらに、フランスの配給も早々に決定しました。フランスの配給会社、ART HOUSE FILMS(アートハウス・フィルムズ)社の社長エリックさんからコメントをいただきました。 「演出も俳優陣の芝居もとてもいい。この映画は侍映画の伝統を引き継いでおり、とてもエレガントでよくできている」
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本隊が撤退する際に「殿の兵の中から小部隊がその場に留まり、追ってくる敵軍と死ぬまで戦い、足止めする。そうして小部隊が全滅するとまた新しい足止め隊を退路に残し、これを繰り返して時間稼ぎをしている間に本隊を逃げ切らせる」という戦法。足止め隊はまさに置き捨てであり生還する可能性がほとんど無い、壮絶なトカゲの尻尾切り戦法である。 関ヶ原の戦いの際の島津軍では、所属した西軍方が崩壊して、周りが徳川家康方の敵だらけの中で陣を引くにあたり、300人程に減っていた兵数で敢えて敵前衛である福島正則隊を正面突破してから、捨て奸戦法を用いて伊勢街道経由で戦場から離脱を図った。「捨て奸」は敵に視認しづらくするのと、鉄砲射撃時の命中率向上の為に、退路に点々と配置しておいた数人ずつの銃を持った兵達を、あぐらをかいて座らせておき、追ってくる敵部隊の指揮官を狙撃してから槍で敵軍に突撃するものであった。徳川方の松平忠吉、井伊直政、本多忠勝らは島津隊を執拗に追撃したが忠吉と直政が重傷を負い、忠勝が落馬。直政はこのとき受けた傷がもとで病死に至ったと言われる。島津義弘らは養老山地を抜けて堺に至り、海路を経て薩摩へ帰りつくことができた。 高い銃の装備率と射撃の腕、さらに勇猛果敢な島津勢だからこそ効果的な運用が可能なこの戦法だったが、義弘の��代わりとなって甥の島津豊久、家老の長寿院盛淳ら多くの犠牲を出し、生きて薩摩に戻ったのは義弘を始めとした80余名であった。この島津の退き口で行われた捨て奸は、義弘や家老達に指名された者より志願者の方が多かったという。
捨て奸 - Wikipedia
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Buone Notizie
「おおーい、おおーい、裏切者」
「ちょっと診てもらいたいのじゃが、家にあった銃じゃ、見えぬところに隠してあったのじゃ」
「まさか、自分の盗んだ品物を警察へ届けるやつがあろうとは」
「ヒヒ人間は、やつらは槍を持っていたのか?」
「いいや、小さな石を持っていた」
「あなたの奴隷どもの流す血におきをつけください」
「嘘ツイタラ神様ノ罰アタルデ」
「容疑者でない者などいませんよ」
「えっ金送れ、いいトシをして少しは考えろ」
「同志爬虫類諸君」
「純粋に、恥知らずに、完全に盗め」
「馬を盗め」
「あなたはよくも図々しく...図々しく!」
五月の陽炎の中(天)灼けつくような眼で(天)当時の言葉でいう変態心理への関心(江)鉄砲の(忍)一寸法師は(江)惑乱していた(天)地獄の釜の蓋を開け(H)刺激の業火に踏みこみすぎた(H)残酷さよりも無理解さの結果(死す)足音をたてない(緑)災厄(ゴ)目にもとまらぬすばやさで忍ぶ(H)完全なカオス(ゴ)遅かれ早かれ自立生活は不可能(死す)まったく身動きしなかった(ゴ)不意を襲い(リュ)いきなり口の中へてぬぐいを押しこんで、声をたてさせぬようにし、もう一本の手ぬぐいで目かくし(緑)やむなく(H)吊るし首に(H)息の根を止めた(H)単なる夢の国ではなくなった(H)
悪魔の盟約(冷)を裏切って(ノ)名もない(イェ)インヴェーダー(ノ)世界をうろついている(イェ)密告と臆病には度合がある(ノ)警察は(イェ)捕え(ノ)ブタ箱入り(ハ)取調をテープで録音(イェ)随所で極まり文句もしくはスローガンという意味で翼ある言葉(イェ)文の法則を(イェ)権力も(ノ)無視して極まり文句に極まり文句を重ね(イェ)「誰が不滅を独占してきた」(ノ)「誰が(ノ)宇宙を独占してきた」(ノ)「誰が諸君の」(ノ)誰にも理解できない(イェ)彼を悩ましていた(イェ)欠陥軽い失語症(イェ)彼の述べることは常に同じ(イェ)言葉で表現した(イェ)誰か他の人の立場に立って考える能力の不足(イェ)従って現実そのものに対する最も確実な防衛機構すなわち想像力の完全な欠如という防衛機構で身を鎧っている(イェ)陰惨なユーモア(イェ)虚言者の自己欺瞞?(イェ)あるいは(イェ)自分の犯した罪が現実の一部となってしまっているために(イェ)直視することのできない永遠に悔いあらためることのない犯罪者の一つの例であろうか?(イェ)パターンから落ちる鉄くず(ノ)気分の変化というだけのこと(イェ)紋切り型の文句で(イェ)異なった圧力からも(ノ)徹底的に抵抗する(ノ)恐ろしい長所は死の寸前にあっても彼から去らなかった(イェ)「誰が(ノ)ドアを開いたのだ」(ノ)
レンズの丸い視野の中(緑)何かがおかしいと気づく(科)新奇な何か(科)物理学者(科)レントゲン(聖)陰極線管で放電がおこっているとき(科)遮蔽された装置真空管から離れた場所に置かれたシアン化白金バリウムのスクリーンがぼんやりと光っている(科)偶然による(科)X線発見(聖)陰極線管からまっすぐ飛んでくる放射(科)放射は影をつくる(科)ウラン塩は(X)黒い紙を透過する線を出す(X)光とのあいだに(科)類似性を持つエージェントによって引き起こされた(科)内的な電気(聖)電気の眼(聖)見て取れる(科)���後の霊的存在を形成(聖)発見が偶然に行なわれる場合(X)聡明さと暗示を受けて立つ(X)一八九五年(科)SFは文字通り明日の現実(I)
世界のサンプル(リュ)市場、河川港、フランクフルタ・アルゲマイネ紙の印刷所、ラジオ局の廊下、社員食堂、モンタージュされ(リュ)つぶやきが消える(ノ)ゆっくりと消える(ノ)散歩する耳であり、音を盗む耳(リュ)ぼうぜんと(緑)雑音の(リュ)他者を眺めたい(リュ)
脳髄が(数迷)全身を支配しているのか(数迷)それとも(数迷)全身が(数迷)脳を支配しているのか(数迷)合せ鏡の迷宮(数迷)ついには(数迷)思考は細胞によって行われている(数迷)さらにこの論究は胎児の夢へと接続される(数迷)
あらゆる(聖)愚かさが(歴)覆っている(歴)老いぼれた世界の悪臭(懺)情報爆発(歴)混乱を起こした(I)憤怒の音頭取り(懺)糞づまりの陰気面(懺)小さな部族の(I)性根はのらくら者(懺)神(I)宗教上の確実性という道具(聖)残虐趣味(懺)ネオンへたかる(懺)蝿(懺)悪徳、罪悪、汚物の詰まった(聖)ゴミの山(I)パンドラの箱(聖)ご機嫌取りの(懺)完全な奴隷(懺)人間(懺)詐欺師の肩をもつ(懺)コラボラシオンの罪(懺)世間のつまはじき者(懺)生き残るために(I)たたき伏せねばならない(懺)無謬性(聖)美辞麗句(懺)人間の盲目的信仰(懺)畜生の分際で(木)死の本能が(懺)生の本能を支配(懺)
戦争の話を聞く(Y)その話をつなぎ合わせ(Y)舞台の前に立ちつくす(ア)すべてはこの日(ア)胚胎していた死と同一視された(I)生物兵器としてのセックス(I)出生時に(I)脳に無線アンテナを設置する(I)それに気づけなかった(ア)天国の花壇に入れない(懺)散り遅れた花(ア)
時間に封じ込める(バ)サナトリウム(ダ)夜が訪れ、夜が明ける(ダ)地に住まう邪霊(聖)天使(聖)人間の女と交わり(聖)大足の(ダ)スペクタクル・プロブォカシオン(ダ)神の似姿に造られた(聖)人間界(何)機械のサファード(I)黄色に輝く炎(何)肥大化(黙)すべて独断(I)超音波は(I)物体を直接通過(I)音で(I)暴動制御(I)化学者は(I)アイデアを(I)植え付ける(I)冷戦(I)「お前は私たちの敵か味方か」(冷)邪悪で不名誉な隣人を持つ(冷)思考制御(I)運動中枢を乗っ取って(バ)出来事は中立(バ)��くも悪くも無く(バ)部分的で不完全(バ)デモ参加者(I)反抗がなくなる(バ)コントロール技術(バ)無意味な計画となる(バ)
下を向いている(匂)蒼白くみえないようにと部厚く化粧した(アル���やせた体(危)白い腕(クラ)妙齢の(危)婦人(性)過剰な性欲(危)淫蕩な気分(永)恐るべき競争者(恐)目を意識して空腹に耐える(危)やわらかさと繊細さ(危)栄養失調が日常化(危)金のあるあいだは何を考えても無駄なことだと(籠)停戦の夢(ウォ)何か(バ)代償(ウォ)がなくてはならない(バ)書き換えられていた(ウォ)過去に目を向ける、歴史のけたたましい(性)スキャンダルのためのスキャンダル(アル)好色な司祭のような表情で報告(ウォ)実在する(悪し)もっとも不吉な日付けの一つ一九四五年八月六日(バ)精神的な流行病も(時)戦争の呪詛(数)呪いはウイルス(ア)廃墟の郊外の上(ア)空へ向かって飛び立つ(ア)空とは否定的な性質を失った虚無(悪し)未来を計算していない(ア)抽象的補完物(悪し)ゴーストが(爆)銀色の(ア)レーザーグラフィックス(ウ)描いている(爆)入れ代り立ち代り(戦中)死のキャンプに送られ(ユ)液体空気のように冷たく青いドクター(爆)嘲るような金切り声(ミ)虚脱の(戦中)生半尺な弱足(赤)実演という言葉を使うのは(裸)トロイの木馬であり(数)手術が演技であるからだ(裸)ポスター(ウォ)盗賊がふたり(ア)脳震盪に次ぐ脳震盪(バ)血潮が赤黒く固まって(赤)蘇生の見込みは(赤)死は心の中に(ア)自己破壊メカニズムとして現れた(ア)死の微笑を浮かべ(器)感受性はまったくもって豊かだ(危)方向喪失(時)
何千もの人人(電)広がり続ける(ソ)協調行動の結果(ソ)偶然ではない(魔)ネットワークに深入りするにつれ俯瞰的な視点を失い(ソ)いまいましい部屋の中は風通しがよくない(イ)路上の(電)出来事をみつけ(多)サウンドを録音(電)雑多な物が浮かんでいた(解)醜く歪められ手足を切り取られたプラスティックの女性(ヌ)溺れ死んだ牛が見える(解)フェンス(ワ)にしがみついた水死体(解)カメラを構えた別働隊(わが)スポーツクラブのマネジャー(コ)ひげ面で過激思想の持主(冷)ハゲタカの目(ワ)老衰してコルセットをつけたテナー歌手(裸)��三の(学)擬似撮影(わが)悲しげに(爆)路上をさすらう門付芸人(赤)つかの間の休息場所....見知らぬ公園の臭い(爆)陽光の中(ク)鎌みたいな口(う)奇形の精巧な模型(性)ぶらぶら(刺)玉虫(フ)でっかい糞がはりきって(イ)汚物のなかに横たわって(イ)コウモリ耳に(ハ)唇は紫色に(裸)片目の商人(荒)帽子をかぶった頭が(い)消え去り(い)マーマレイドを舐め(J)笑い声を残して(刺)死のまぎわまで近づいた人間(蝶)手に数珠を携えた一人の老女(イ)黒いウーズテッドのアブリル・ハリソンのスーツ(視)歩き方があやふや(解)ショッピングモールの前を横切る(コ)震える金属の若者(爆)澄んだ水底のような眼が開く(大)ハエの眼(匂)立派な建物(イ)ひび割れたコンクリート(爆)鎧戸の向こうから微笑みかける(イ)複雑な(イ)裸形(大)夫婦(イ)種々のちがった背景のもとであれ体系の硬直性(魔)人は問題の規模にすぐに圧倒されてしまう(貧)地表のうえに疑問符として垂直に立てられている(人間)人間の群(イ)恋の霊感が舗道から立ち昇る(イ)我が心は愚かなる白痴(爆)エコーチェンバーは時間とともに(ソ)クモの巣を作りだした(魔)システマティックに(電)メタノイアに(内)何百万何千万という(ソ)音(電)
注意深いまなざし(コ)放火犯を特定するものは何もない(コ)サスペンスを超えている(バ)アナウンサーの絶叫が頭上を��して消えてゆく(ク)ルールや因襲をなに一つ守らない(バ)悲劇的な結末はともかくとして(コ)ざっくばらんに(コ)つくりあげることに非常に関心がある(バ)この見捨てられた領域の全体に(コ)幾つかの足跡が残されていた(コ)つねに死刑を利用してきたことを忘れてはならない(処)
目を開けて扉をけんめいにさがす(リ)熱の本質が運動(魔)足音と共に(幽)ピストンの圧撃音や電動機の交替破裂音(リ)赤ん坊を鉄条網からはずして生きる者(五)死せる者たちの上に投げ出す(五)太陽光線は光るうえに熱いが他の天体は光るだけ(魔)星は果てしない自由落下の状態で永久に存在し続ける(多)夜明けに包まれて眠っている(五)王は権力に毒されて暴君となり(魔)騒音が鉄のドアから湧き出る(五)寓話の曖昧さは(魔)手を伸ばして通り過ぎる(リ)その二重の機能から生じる(魔)精神のない自然には模倣も反復もない(リ)
徘徊者どもは夜起きて(葬)気づく(葬)幻の刻み音(蝶)不気味な異常とあの恐怖の一瞬(永劫)計画は渦のように正確に廻り(黒)夢を脅かし(人)生とは意志動機でありその労働者たち(バ)恐怖も忘れて(黒)機械仕掛けの手つき(荒)もはや生きているとは言えまい(バ)永久に(葬)祝聖(五)これが最後の一行(バ)
月明かりで鉛色に(改)丸い斑点や血の筋の(改)モザイク(改)聴衆は(解)うずくまって(五)声もなく(解)静まっていた(解)想像力は視覚が衰えるにつれて(改)衰えていったが(改)少し怯えて(改)ザワザワと不思議などよめきが起こって(解)しかし(時)何等異常と認められるところがない(日本)実際には(時)彼らは集団のなかへ紛れ込むのではなく(時)巨大海獣に飲み込まれ(カ)冷酷非情(葬)未熟な(改)太陽が顔をみせず(改)そこは落ち込んでいる(時)灰燼にすぎない(カ)歯車に切り刻まれた労働(カ)特に軍隊において(時)共通の関係が(薔)抗争的関係のなかで翻弄されてしまう(カ)卑しむ(薔)隷属組織(カ)
またカノンの(カ)鋸屑(カ)常識という観点からみれば(改)聖歌隊の歌をもう少し聞きたい(処)下僕(カ)半盲の老人(改)罪人に石を投げて命を奪った(処)おぼろげに物が見える(改)悪と(五)無実を示す新証拠(処)勃起と(五)電流との接触(処)腐敗の(五)努力(五)騒々しい夜の夢��(五)惨めなものに(ア)ヒステリカルな色合い(ア)はるかに複雑(処)不眠の夜の天職(カ)風と殺人(五)分離と分析(S)モードの問題ではない(カ)サイエンス・フィクションそれは(S)知らずに終わった(S)最後の例(数)人間に関するものだ(S)
階段の途中のあの曲がり角が近づくと(薔)ありもしないものの(薔)凹面鏡の映像(ア)雨靄露湿気(ア)風で波がたつように(現)水はさまざな形を変えて(ア)解釈は無限(現)真理の方から鍵を開けることを知る(現)波の稍高い夜(秋)
始まりをもたず(美徳)造化の(食)何千年(怪人)渡り鳥の群(解)浮浪児(日本)遠い日々(ビ)数発の銃声(解)目に見えない音の戦士(解)すべてのものの終わりに(四)抑圧された残虐への郷愁(怪人)人間社会がその膨大な富によって押しつぶされ(解)多くの人が死んだように立ちつくした(サ)権力が過剰になるとその限界のゆえに対立する権力が生まれてくる(孤)狼狽した(解)神は(食)虚空に宙吊りに(食)相手は答えない(食)嘘と腕を組(薔)忍び足でその場を立ち去った(サ)
陽に焼けた肌(コ)鏡をはめ込んだドア(コ)飛沫の音に耳を傾けた(コ)焰とガスの竜巻(コ)
バカ騒ぎを演じる(湖)暴動のニュースが高速で伝わる(爆)途中不慮の死にあった(湖)ひとりの姿を二つに見せている(黒)原子はそれらを傍観すべき位置にあった(永劫)無作為を生みだすコンピュータ・プログラムはどこにも存在しない(べ)機械により作られたイメージと自動筆記のイメージは視覚的に同義である(ヌ)記憶はない(湖)何時間も過ぎ(器)写真は生きた有機体を光と化学で固定したもの(ヌ)
うっかりと天の円天井に穴を開けてしまう(食)蒸気とチリで出来た大きな雲の下(解)巨人ら人間の造るすべて(薔)沈黙が有力な手(ス)
野心を囁きかけては(ゲ)幻聴ネットワーク(バ)カテゴリーを(バ)全くの偽名(ア)欺き(ゲ)そこにいる人全員を(バ)ゲロンチョンは(エ)向こうが(バ)見る前に見る(バ)忍耐強さと落胆に耐える能力(バ)望まない者(エ)いまなお(S)目下の急務は食料を手に入れ(解)
永遠なる物体の質量(パ)ひらひらと(食)魔術師と悪霊によって創りだされた(食)モルフォ属のチョウ(食)だれでもないものの墓(い)壺の周り(食)ぐるぐる(電)光の渦巻き(電)夢だと思ったあのときの文字(永)消え去るよう(い)静かになりたい(赤)眠りたい(赤)ノスタルジーを抱いてきた(2)枯れ葉のようにあちこちに吹き飛ばされ(Y)人は銘々(戦)かろうじて(サ)自分だけ生きてゆくだけの話(戦)未来完了(S)
小刻みだが(ス)飢えたような呼吸(ス)新しい男(ビ)奇怪な仮面を着けさせて猥雑なアングルから女性の体を狙った(ヌ)もう一人の(ビ)太陽の踊り(食)陰毛のタブー(ヌ)太股を白日のもとにさらけ出した(美徳)失笑以外のなにものをもさそわない(美徳)善良な野蛮人(食)ヒキガエルに嘲笑を浴びせかけた(食)酩酊犯罪(日本)
空に輝く天体はまだ存在せず(食)魚を獲るために川のほとりに居を定める(食)香り(爆)
ラストショット(ワ)上空にだれも気づかない小さな空飛ぶ円盤が静止していた(怪)全宇宙においてエントロピーは常に増大する(数)夢に見られるうちはいい(い)ひとはねごとに(食)小便を垂れていた(食)
第三の頂点(食)罪に染まる可能性は(ス)もしそれが(ヴ)霊域に踏み込んで(数)電気をながし(ワ)観測した瞬間にそこに現れる(数)閉門を告げる鐘(四)感電死の主たる特徴は血液の黒変(処)
暗黒があたりを支配し(食)視力は非常にゆっくりと衰えていった(改)黒ずんだよだれが垂れる(食)風雪の中で(改)不安な調子(ヴ)
霧雨けむり夜はしょうしょうたる雨となる(戦)コンマのように描きこまれた(ヴ)植物の領域( )虫から人間へと道をたどってきた(ニ)毎夜森の中の空き地で眠った(食)
知覚にはつねに体位の平衡を保とうとする努力が伴っている(眼)
一生ほど数奇なものはなく(日精)書ける以上の意味がある(Y)超人とは大地の意味である(ニ)小さな子供のようにアルファベットの各文字を扱うことをふたたび学ぼうとしなければならない(魔)もし一枚の紙に描いたら(Y)ウンでもスンでもない(赤)不即不離(両)暗黙の前提(ジ)微に入り細に入り(処)ラッシュの中に消えていった(ク)白い嘘(おぼ)くしゃくしゃに丸めて握りしまいにはどこへやったか忘れ(ビ)大地に穴をうがってゆく(悪し)
町に俺の顔写真が出ているのを見たか(日本)苦悩の根があり(時)特別な盲点を持つ(ジ)香り(爆)無数のけだもの(赤)バスタオルを棍棒代りにして(ユリ)全ての言語に数があるわけではない(数の)
暗闇の奥(千)世界の創造という作業を放棄してしまうことは(ニ)失った(アル)一個の人格(ユ)みじめな暴落(アル)死が速やかに訪れ(言)敗北だけでなく絶滅あるのみ(ユ)太陽が見えない(食)完成された概念(ヌ)
覗き魔の(ワ)ロールシャッハテスト(暗)黒い風(東)視覚の謎(眼)除去しようと思わなかったとすれば(眼)黒い鏡に(裸)映像への関心(怪人)黒い翼(ヴ)かっ古い顔は消え去りその代わりに(Y)月の化身(食)別の顔が見える(Y)残忍(内)まっこうから(裸)誤解の余地なく(パ)世界中の(内)脈略の毒性(赤)隠密裡に(濁)苦い永い悪食の卓に(赤)魂を知る(悪)日常的な能天気な貪欲さ(ビ)鏡の中の父親の像に笑いかけ(眼)よく考えれば別の顔を思い浮かべる(Y)
細いサイレン(ヴ)混沌たる渦のまっただ中(お)陰謀のイタダキ(ダ)農耕技術と狩猟の手管によって万物を支配するにいたった(悪)
家庭の晩餐用の器一式をとりそろえてほしい(時)小規模な(静)キッチン(静)乳と塩味のパン(改)野菜スープ(死)肉の塊(ビ)氷に詰めた魚(ビ)デリカテッセンの調理済み食品(ビ)赤葡萄酒(死)料理の輪郭(食)一日の終わり(ビ)懐古談(ビ)全部現在として現れる(大)テーブル(ビ)壁一面が画面(静)団欒(ビ)必ず負ける(大)笑劇(アル)
はるか遠い風景のなか(ヴ)デニムのズボンに汚染した(赤)いくつもの縺れ(イ)こどもだまし(アル)
近視矯正用の(日精)特徴づけるメガネ(内)虫の好かない未来(イ)歯の抜けた魔女の息の(バ)混ざり合う(イ)冷淡さ(ク)声のトーンはわかる(電)不愉快だった(イ)ろくでなし(イ)Xの母親には勝てない(Y)ただ文字に書かれただけではない(イ)
或る夜(ヴ)過去のあらゆる過ちが旅人���不利に導く(ア)悪訳に対するアンチテーゼ(学)嫌悪が恐怖に変わって(怪人)高みからデカダンスの本能が秘かに作動している(ニ)自然によって設定されている(眼)視覚(シ)ジグザグ線に似ている(Y)歩きのクセ(わが)悪には悪を( )横っ面を引っぱたく(半)シンバルを鳴らし(シ)心耳にとどろく(お)
一切の空間の母胎(眼)黒い水の蜃気楼(イ)脂肪のテラテラ浮いたひたい(暗)膏汗がにじみ(半)胴震いがとまらなかった(赤)まったく不明のまま(日精)泥のように眠る(戦)空白期間のあいだ(ス)
独りでとり乱し(蝶)片手に猛毒(ハ)鉄砲玉(赤)単純な図式(学)それが好きでなければならない(歴)白羽の矢(処)自身がニュースになって(電)病勢は(日精)忍ばせた密かな野心の重みで(ビ)どんどん進行していった(日精)
唸り声におびやかされ(箕)ごみごみした(ビ)罹災(わ)泥濘(改)の都(ハ)幾万の衝突(ク)何かの科によって(小)かつての「現在」を甦る不気味な既視感(プ)方向を記述する(シ)記号がその記号をくり返し(見)続き番号が登録され(ビ)目印の役割(数)前へか後ろへか(ニ)エゴからセルフへの(経)見返りの(わ)欲望に制限を課す(裸)多くの家畜(裸)四つの市門がある(パ)さまざまな民族が混合し(ユ)都市が存在し始める(見)
空想的な(ユ)自分達の顔を(蝶)観察をはじめたときは(サ)目にしたものを写す(電)はずんだ眼の色(濁)囁き合い(濁)破片と化して到着するかもしれない(ア)陰険な肉欲の鉄則以外には常に笑い続けてきた(ノ)眠りまで(フ)究竟(刺)をともなった機敏さ警戒心(ア)無口(日精)静穏(裸)に叮嚀に(刺)精神修行の核心(ア)息を吸うこと(内)いよいよおもしろくなってきた(サ)原始的な観照力(パ)死ねずに(蝶)眠っていた言葉(I)言うことはない(い)
うそ寒い寂しい日(戦)この阿魔(刺)かの眼(う)さまざまな角度から(学)愛情の監視(殺)そっけない(歴)間に合わせの丸太小屋(爆)血の悪酔い(大)コンビニエンスな発想が( )ひどく痛む(半)奇態な自覚にいきなり打たれ(蝶)鬼子母神(戦)手たちが群がる(爆)クエバ・デ・ラス・マノス(数の)
なぜそんな(小)却を経た(赤)古い都(赤)泥棒(大)十夜の夢(大)少し舌のもつれる歌声(裸)変化をズバリ誰によって(バ)拡まったのかその由来は勿論分からない(小)密雲を吹き払った(濁)定めて大向こうを騒がす(刺)毒素遺伝子が絡む(A)九尾の狐(小)
直��数キロの(ク)悪い空気(ノ)墨や朱をだんだんに注し(刺)どんな機械でも(I)退引きならない(半)愛情を帳消し(半)すべての(い)亀裂が(学)地獄(い)吸収する(フ)機械の形をとった化石化(マ)どこか現実離れしない(赤)未来の避けられない変化(解)
合理的な価値(孤)リトル・アジア(フ)男と女の脳(内)不意に思った(永)人間たちはなんとなく不満を持っている(孤)弱者が不正と見なすものも強者にとってはつねに正しいものでしかない(ソ)物語の陰の物語をあばく(処)都合よく操られ(処)うなだれた(い)ある種の心理的な(孤)劣等感を(孤)欲求のセットを育てあげてきた(孤)人間という生物は幾世紀にもわたって自分をコントロールする能力のどうしようもない欠如を示してきた(バ)
「想像」という語の解釈(魔)冷静に物事を見詰め(バ)欲望のまま(シ)聴く(シ)超越した見識(バ)多くの出来事は中立良くも悪くも無く特別に不吉なものでもない(バ)怠慢な安逸との間に(魔)微妙な媒質(X)感覚の映像(魔)
独裁的な(楽)見知らぬミクロコスモス(パ)死は変幻自在な生命体(ア)軽々しく信じたり無批判に受け入れたりすることも危険(ア)腐敗し汚物に変身(パ)亀ふたたび(パ)絵文字は(言)無限にヴァリエーションが作り出せる(言)午に近い(箕)某月某日(戦)同日同刻(同)原典の複製(学)独創的な暗号(わ)目が吸いつけられ(ク)どのようにでも(言)ある観測者と(数)別の観測者(数)同じ時間に偶然立ち止まっている(サ)
「もうどうにも(い)インチキだ明らかにインチキだ」(裸)歯をガチガチ鳴らしながら(ビ)サイオ
マラチオンの(内)ぬるぬる(裸)登場人物の(裸)二三本横にはみ出した乱杭歯に(美)ひきゆがんだ顔(東)整形手術(裸)工夫と情熱(孤)一種の密室殺人(わ)動機を(歴)追剝ぎ(半)ひょっとすると(歴)排除する(I)仔細が(半)巣を食っている(半)少女の手ほどの雲が一つ(ハ)うす気味の悪い(箕)蛇の皮をゆすって幽霊のように笑う(永劫)時の手(ア)坐って微笑んでいる奇怪な像(フ)熾烈な戦い(処)意志をくじく(オ)
最も醜い容貌を持つ(濁)小人の肖像画の意図(フ)筋金入りの糞(視)大長老の威厳などどこへやら(わ)ピカレスクの要素(I)裏銘(永)概念を付与し(数の)登場人物や名前や舞台に関心がある(バ)金歯を吐き出して(裸)制度化された低い暴力(内)全面的に疎外され(視)恥辱のために(裸)不屈で戦闘的な(殺)奇妙な豊かさ(い)最悪��方式(ソ)社会と正気(言)不安に対する不安(時)現代の集団的神経症(時)時代診断のうち(時)有している特徴としては(日本)思考阻害(日本)自閉性(日本)無情性(日本)情性欠如性(日本)嗜虐性(日本)自己顕示欲性(日本)スピードは人間にとって意味への意志(時)によって深く支配され(時)フラストレーション不満不充足を麻痺させる(時)現代病(時)世迷いごと(バ)心への反映(時)迷惑(半)迷信(パ)迷蒙(パ)ミアスマ(パ)被害者カレンダー(バ)孤独な群衆(孤)針と墨と図柄(見)
理想のメディア(ヌ)アメリカ人を政治へ招待している(孤)政治的な支配は上層部が永続的に存在するのに不可欠なのだ(資)新奇な(性)車は(I)軍政(悪)
右脳にインプットし左脳にトランスすることで暗号化する(数)どの局にも同調しないチューニング(ア)マルコーニ無線電報(ハ)連結ラインに電気のけいれん(爆)かすかなきしみ音(蝶)脳内に録音された言葉エングラム(視)死刑執行人の不手際(処)叛乱と解放が行われた(ユ)主体が(バ)身代わりになって体験(バ)死んだ山羊の屍体を夢中になって(C)検屍しようというのではない(C)一様に匂う空気の流れは高度に人工的(匂)頭上の暗雲(マフ)
豪雨(戦)第一の布告(ハ)喉が渇いている(悪)コカ・コーラの成分を(悪)事実ファクトと虚構フィクションをアッセイ分析と(歴)すべての政治組織の(I)悪人の欲望を伸張し倍加する正しい方法はシンジケートのマネー・ロンダリングに(殺)
都市規制計画という墓場に埋葬される(建)白き路上に影をおとし(戦)整備コスト削減(悪)ファシズムの都市(建)市場から駆逐されてしまった(悪)街の音(ダ)電気の欲求(爆)テロリズム的な工業化(西)本道から言えば邪道である(戦)今それは機械的制御の危険性について私たちに警告する目的を果す(I)実験において(匂)意思決定をしているのは機械ではなくその機械を設計して権限を与えた人間(A)生活水準が著しく低下し貧困問題の悪化(悪)格差には常に根本的に主観的で心理的な側面が存在することになりこれは当然ながら政治的な対立を引き起こす(2)予測不可能な(ノ)愛情の要因を排除する(ノ)この面をさげて(イ)あたかも都会人は歯をみがく(戦)
はじめに言葉ありき(言)言葉とは何であるか?(言)「私」という言葉について混乱している(I)言葉を移しかえるだけでは成り立たない(学)怖ろしい硬直から(い)苦痛の蓄積にキーワードをつなぐ(視)黒���のオペラケイプが床に広がり(ハ)真のユートピアとは(シ)青空を背に(大)最後の生命(ノ)二人の亡骸と(半)末裔で結ばれていた(ユ)バランス(シ)守るべき何の節度をも持たない人々をかきわけ(ノ)たどった道をとらえ(日)失われた文字のアルファべットに従い(見)泥の壁(裸)沈潜し(日)太陽そのものが大地に降りて来ないように(パ)はなしことばを言語を説明する(日)あいだに虚空の広大無辺(い)言語とメタ言語(日)避けがたい(シ)影は長く(グ)不自然に這い進み(大)種をまくことだけを( )言葉だけがただひとり虚無に挑戦する(オ)
曇天の暗い湿ったような日(戦)指導者のインスピレーションの下に(ユ)わが国旗なお健在なりし(裸)小世界にはただゆっくりと四季のめぐりがある(時)人間は成長がとまるとともに衰えはじめる(ジ)このように快いものだとは知らなかった(戦)
夢とは正確に何ですか?(I)習癖ノート(裸)初耳のすじのとおった話(C)手紙の一行一行(C)くちばしをさしはさまない(視)心の内部(電)環境の中にある(電)汚水溜(時)ゴミ棄場(時)非衛生的な場所(時)うらぶれたもの哀しさすべて吸収し熟知している(電)無縁な考察(食)大量の思い込み(2)全てが主要な要素になる(シ)灰(パ)中心点の中心(パ)一つの針穴(い)零のために(い)破壊されたものが積み重なった世界(解)故郷からすすんで身をかくし(時)遠く離れていた(Y)互いに関与し合う対極として存在するのは遺��子と環境であり(生)生まれと育ち(生)現実的根拠のない無内容なおしゃべり(2)仏も不在にする無心(赤)住所を残さなかった(爆)孤立し酒を飲まずあまり外出しない(視)不在の(爆)克明さ(戦)別の「現実」(コ)狩り集められ(ユ)定義することが不可能(アル)死体(ハ)はだれだ?(爆)一事が()万事この調子(解)
夢の国の住人(残)ロイドメガネ(猟)こじき娘(猟)人を支配せず人にも支配されない人間(陰)狡猾な抜け道(ゲ)最後の場面で(五)共同便所(猟)駆けつける(五)蚋に刺されながら(ゲ)糞(ゲ)惨事の規模(コ)鈍い唸り(薔)定尺(ウ)二十三分(ウ)排便の発見(自)蝿が飛び回る(ク)便器は大陸を汚染するに足る(裸)みずから進んで(猟)足や腕(自)といった具合に身体のあらゆる部分に便をぬった(自)やりすぎで子供じみて見える(演)怪奇千万の事実(猟)四方を林で囲まれた(猟)ファイトトロン(静)屋外便所(裸)完成した(猟)四角四面の日課を形成した(自)太陽の残光(猟)不変にして不動の均整(ク)神経のほうでマヒ(猟)一笑に付し(猟)行き先は定めず(猟)率直でありたい(合)叫び(ミ)強烈な獣性の創造力(貸)非常な自信を得た(猟)夢の(四)完成などというものではない(四)太古への憬れ(残)向かって一歩を進める(四)
未来派(ミ)夫人(マフ)肉親間以外(歴史)害獣以外の(歴史)宣戦布告(歴史)魂のサディズム(歴史)剥奪してやるために(歴史)険悪さと雅量との中間地点(歴史)耳をつんざくような(ミ)高性能プラスチック爆弾(ミ)燃え上がる(歴史)人影(歴史)心おきなく(歴史)空想の富を失った(ス)裏の裏(心)肉親間の(歴史)思いがけない共鳴を生じ(ミ)深怨の瞳を交わした(永劫)火の玉は不規則に混乱(貸)血走ってぴくぴく脈打(お)片づけておかねばならない急用(ハ)九階から急いで玄関にかけ下りた(マフ)乱暴な死にものぐるいの態度(ユ)零落した(ク)青い血管(ク)急激に溶暗(ダ)埋火(戦)巨大な身体(ユ)検屍官は会釈したが(妖)中和しあう(歴史)ウイルスの味を(歴史)数千人の(歴史)住民の中からだれ一人(マフ)劣等者たる(歴史)他人ども(歴史)情報を寄せるものはなかった(マフ)下落した通貨のような(歴史)うそ寒い空気がただよいだしていた(ニ廃)
低く細きは白蛇(秋)跳るが如く(秋)妖々と(忍)半酔半醒の境界(忍)かげひなた(二)先天的の悪人だったのかもしれない(心)一道の稲妻が(秋)すべてを粉砕し(悪し)不倶戴天の敵(悪し)同情を無視(悪し)単なる知り合いであろうが残らず召喚(心)私の過去はすべて私のものではないものです(I)書置きをのこしてみな自決(関)悪は(悪し)変化するもの(悪し)形を視た者は無い(二)蛙鳴と云い蛙吠と云う(二)平仄の都合ばかりでなく(ニ)虫の声寂しく(秋)理屈無しに(雨)雨に泣く(雨)これで午前中の報告は終矣と(雨)
眼球の動き方を確かめる方法(心)浮かびあがった(ア)地球から三千光年(ノ)孤独も友情もみんな同じだ(ノ)塵と憂鬱(イ)人物が(戦)ちぐはぐに(ア)コンスタントに直接、間接に人間を通して表われて(ノ)響いて(ア)一つの面影へ引き返す(イ)ある種の(永)有限の未来(永劫)散髪はいまでも1世紀前でも所用時間は変わらない(2)人間の顔はそれがその時代の様式を形成する(人間)古い物がみんな消え(解)禁欲が長びくともう我慢できない(イ)身動きが苦しいような(イ)一日があきれるほど長く(イ)���がりにうごめく(大)妙にフィエゾルのホタルの火を思い出した(解)悉く謎を持ち(戦)乱れて飛ぶ白泡のさながら(秋)妨害音のように喋りまくって(ノ)言葉のチリが堕ちてくるとともに(爆)目は左から右にたまらなく動き(I)顔と顔(電)全ての預言者(ノ)実に九人なり(運)虚無は保管されている
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戦艦大和、あるいは皇国のアイコン
呉の「大和ミュージアム」に行った。
3時間以上見学しながら、「日本はなぜ戦争したのかなあ」と改めて考えた。「蒋介石を必要以上に追いつめたことがアメリカの対日参戦を招いた」、この説明で納得しない人もいるだろうけれど、せめて満州だけでやめておけばその後の大惨禍はなかったろうと思う。では、どうして日本はそこまで蒋介石を追いつめることに熱心になってしまったのか。
むかし読みっぱなしにした本を改めてちゃんと読もうという気になり、呉に行く前日から、古川隆久『昭和天皇』(中公新書)を読み始めた。読み切れないまま呉に行き、帰宅してから残りを読んだ。そこには、盧溝橋事件を受けて近衛首相が派兵を決定したことについてこうある。
近衛首相は強い態度に出ることによって、事態を日本に有利なかたちですばやく解決できると判断したのである。そこには、明治維新の成功でうぬぼれた日本が陥った中国蔑視を背景として、第一次世界大戦の参戦や対華二十一カ条要求問題あたりから現れはじめた、機会便乗主義とでもいうべき軽薄な日本の外交体質があった。
(第4��� 苦悩の「聖断」)
日本がアメリカと戦争をしたのは蒋介石を追いつめたからで、日本が蒋介石を追いつめたのは「うぬぼれ」だったのだとこの本は書いている。列強の国内で世界大戦をものともしないナショナリズムの嵐が吹き荒れていたのは当時日本に限った話ではなかったと思うけれど、ナショナリズムというのはつきつめて言えば「うぬぼれ」なのかもしれない。古川先生はこの本の別な箇所でこの「うぬぼれ」についてこう描いている。
日本は世界のどの国よりも昔から天皇が統治する国として安定して存続してきたとされたため、日本の人々に過剰に自国の卓越性を意識させてしまった結果、周辺地域の人々への蔑視が強まって不必要な対外的緊張を招いた。
(おわりに)
ここに書いてあることはおそらくふたつである。ひとつは、外圧が少なく内政も急変せず皇室が安泰でいられた日本の人々が「そらみつやまとのくにはすめがみのいつくしきくに」と思っていたことそれ自体は、日本が「秋津洲」の国にとどまっている限り、別に虚妄ではなかったということ、もうひとつは、ふつう「植民地政策」というときたとえば「三角貿易」みたいに何か経営戦略があるものだけれど、日本の場合中国はもとより満州も朝鮮も確たる経営戦略はなかったということである。「過剰な」自国意識が「不必要な」対外緊張を招いた。いやいや、帝国主義世界はそれが瓦解するまで緊張を生み続けたはずだ、という批判もあるけれど、少なくともいま引いた本で古川先生は、昭和天皇の徳治主義と協調外交それ自体が帝国主義の世界にあってそもそもたわごとに過ぎなかったのだ、という書き方はしていない。それは、あり得た道なのだ。
だがそうはならなかった。昭和の陸海軍と国内世論は昭和天皇の協調外交に応じなかった(「ことの発端は昭和天皇の推進したロンドン軍縮条約に海軍が反発したことに始まる」とこの本は書いている)。ナショナリズム、つきつめれば「うぬぼれ」。日本は「神州」あるいは「皇国」であるという「うぬぼれ」。国民国家にナショナリズムがあるのは自然なことだろうとぼくはいまでも思うが、アメリカに対日参戦を決意させるほど蒋介石を追いつめたことはやっぱり非合理な行動で、それを支えた「うぬぼれ」はやはり常軌を逸していたとしか言いようがない。
昭和天皇自身はその「うぬぼれ」には与しなかった、と古川先生は書いている(異論もあろうけれど)。だが戦争が終わったとき、昭和天皇は「神州」の現人神、「皇国」の皇統として、その「うぬぼれ」の代償を背負うことになった。国民の中でも、昭和天皇を戦前から知っている人以外は、あえて「尊敬する」とは言わなかったという。木戸幸一は「皇室が戦争責任を取らないのは将来に禍根となる」と言ったそうだが、率直に言えば、ぼくも昭和天皇が在位し続けることに「割り切れぬ空気を感じる」という意見には共感してきた。
「大和ミュージアム」では、日本海軍の歴史・呉海軍工廠の歴史・戦艦「大和」の歴史・太平洋戦争の歴史・呉海軍工廠と戦艦「大和」を通して培われた技術の歴史が重層的に物語られている。そこでは多くの人々が何かを作り上げていった一方、戦争という現実の中で多くの人々が命を落としても行った。
そこに生きて死んだすべての人々がひとりひとり個人的に「うぬぼれ」に浮かれていたとはとても言えない。だが、少なくとも日清戦争の始まりから太平洋戦争の終わりまで日本を支配したものが「うぬぼれ」だったとしか言いようがないのであれば、そこで起こったすべてのことは、それぞれの人々の確かな歩みであったと同時に、「神州」あるいは「皇国」の「うぬぼれ」の体現でもあったと言わざるを得ない。少なくとも海軍と海軍工廠に生きた人々は、そういうダブルミーニングを背負うことになった。
そして、そこで生まれた戦艦「大和」こそ、そのダブルミーニングの産物として、「神州」あるいは「皇国」という「うぬぼれ」のアイコン(まさに「体現」)そのものにほかならない。それは、あの日本海海戦を制した日本海軍がその威信をかけて築き上げた技術の結晶であると同時に、物量にまさるアメリカ海軍を少数精鋭で制することができるという、残念ながら「うぬぼれ」に過ぎなかった思想の産物でもあった。
戦時中に身命を賭して追い求めていたものが戦後になって虚像だと気づく、それは「嘘」のせいなのか「欲」のせいなのか「狂気」のせいなのか、ひとはいろんなことを考える。先に引いた『昭和天皇』の中でも、古川先生は「なぜ国内世論が協調外交に応じなかったのか、その理由についてはまだ定説はない」と書いておられるが、先生自身が使っておられることばは、定説のないことをできるだけ術語を避けて記述しようとしたためだろうけれど、「うぬぼれ」というものだった。
「そうか、戦艦大和が体現したものは当時の日本人の『うぬぼれ』だったのか」というのは、衝撃的だけれど事実なのである。大和と武蔵、2隻だけで(いや、戦艦そのものは長門陸奥扶桑山城伊勢日向金剛榛名比叡霧島入れて12隻あったけれど)、太平洋を制することができると考えたのは「うぬぼれ」だったと言われたら、それはそうなのかもしれないと思う。
「大和ミュージアム」の中央に展示されている1/10「大和」には、その威容とは裏腹に、「うぬぼれ」という言葉をはね返すことのできないむなしさ、「世界一の戦艦がまともな海戦で自らの世界一を証明する機会を持たな��ままただ艦上攻撃機の餌食となって沈んでいった」というむなしさが、ただよっている。「戦争はいけない」「平和は尊い」というのは、兵器として作られた「大和」の全否定であると思う。国家には戦争をあえてしなければいけない日があるのだ。たとえば日本海海戦はむなしくはなかったのである。それは、日本海海戦は勝って太平洋戦争は負けたからだろうか。そういう理解もあると思うが、実は勝ち戦だった日清・日露戦争こそ、その後の日本にとって「うぬぼれ」を生む罠となったのである。
「うぬぼれ」。ここに生きて死んだ人たちのすべてをそのことばで片づけることにはものすごい抵抗があるけれど、でも「大和がうぬぼれでなければ何がうぬぼれだったんだ」とも思う。現にここに世界一の戦艦があったということを、そしてそれがいま「海の墓標」として東シナ海の海底に横たわっているということを、ぼくたちは正視するしかないのである。
敗れて目覚める、それ以外にどうして日本が救われるか 今目覚めずしていつ救われるか 俺たちはその先導になるのだ 日本の新生にさきがけて散る まさに本望じゃないか
(吉田満『戦艦大和の最期』より「作戦発動」、哨戒長臼淵大尉の言葉)
日本は「何から」目覚めるべきだったのか。「うぬぼれ」という言葉の仮借ない残酷さを、「大和ミュージアム」で見たすべてを思い出しながら、いま改めてかみしめる。
ものすごく情報量の多い博物館なので、今回は「大和ミュージアムNavi」というスマホアプリを使い、竹達彩奈さんのナレーションを聴きながらそこで紹介される資料を拾い見するという方法を取った。竹達彩奈さんの声がこの博物館のテーマにふさわしいのか、来る前には疑問もあったけれど、壮大なバッドエンドに至る全20章のナレーションを聴きながら、これがもし広瀬修子さんや森田美由紀さんみたいな声だったら、聴いていて気が滅入ってしまうだろうと思った。
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勉強メモ 野口良平『幕末的思考』 第1部「外圧」第3章‐5
朝勉強で少しずつ読んでいる、 野口良平『幕末的思考』みすず書房
第1部「外圧」の第3章「変成する世界像」‐5 まで来ました。 学習メモと、感想、連想、脱線……を書きます。
***
時代と格闘する幕末の真摯な群像に出会い、どきどきが止まらないこの本。 とくに、第3章‐3(ポーハタン号・咸臨丸による幕府使節の渡米)には、胸がときめくようでした。
なのに、ここへ来て、だんだんついていけなくなる。
それはひとえに、私が「戦やだ~~」から離れられないから。
しかし、彼らは武士なので戦争が家業だし、この時代に「戦争自体が悪」という思想はなかったのだろうし、今は、真摯な幕末人たちの事蹟を負うのだから、私の感想は置いておこう。
幕府が必死にどのように開国するか、列強に対応している間、 長州と薩摩は、外国と戦争をはじめてしまう。
長州藩は、関門海峡を通る外国商船を砲撃。 薩摩藩は、生麦事件(大名行列を横切った英国人を斬り殺してしまう)の賠償交渉で英国と決裂して開戦。
彼らは「戦争」を選び、しかしそこから列強との新たな交渉の窓口をつかんでいった……。という。
***
本の内容をメモ。 (間違ってたら、だれかおせーて!)
緑色の字は「個人の感想です」^^
米英蘭仏と条約を交わし、開国を決めた幕府。 ここへ来て、考え行動する幕末人たちは、それぞれに新しい一歩を考え出してゆく。
◎横井小楠の説
熊本出身の学者・政治家横井小楠は、スカウトしてくれた松平春嶽を通して幕府に献策。それが「破約必戦論」。
“今は攘夷か開国かではなく、興国のとき。現行の不平等条約は、不正なやり方で締結されたので破棄。→もちろん列強は怒るだろう。なので「必戦」は覚悟した上で、国内の諸勢力が同じテーブルについて天下の公議を重ね、国是を決め、それを諸国に示して国際会議の場で普遍的な道理に照らして是非をはかる。"
という考え。
(うん、「必戦」以外はよい!)
だが、横井小楠の「破約必戦論」は、幕府(特に徳川慶喜)に拒絶される。
→徳川慶喜の言い分 ①必戦というが、戦をして負けたらどうなる?(負けるよ-)
②諸侯会議を開いて、時局のことをまったく判ってない奴が来て変なことを言えば混乱するだけ。 (わかる)
③条約を結んでおきながら、批判が高まればおたおたするのは天下に対して無責任すぎる。
→横井小楠「慶喜さま、卓見だわ~」と、策を引っ込める。
→けれども、長州の周布政之助、桂小五郎は横井小楠の策に賛成! 「破約必戦論」を聞いた周布、桂は、これまで「条約追認論者」と決めつけていた横井小楠を信頼する。
→「もう幕府はダメかも、諸国のみんなで連携してやろうか、政治を」という気運になってくる。
◎長州藩の動き
吉田松陰の弟子である久坂玄瑞が、京で攘夷派の公家を動かし、朝廷を攘夷派でまとめ、孝明天皇から(京に捕らわれている)家茂に「条約破棄交渉をせよ」と命令書を出してもらう。
さらに、生麦事件の賠償問題で困っている幕府をさらに追いつめるため、関門海峡を通る米・仏・蘭の商船を砲撃する。
→ひえ~、やめて~~!!
→4国連合艦隊が報復。惨憺たる敗北
→「今までの軍ではダメ。身分を問わず、みんなで防衛しよう」と、 高杉晋作が、武士だけでなく、身分を問わぬ「寄兵隊」をつくる。
攘夷戦争と同じ頃、横浜から長州人5人が密航留学してる。
◎薩摩藩の動き
生麦事件の賠償交渉を、英国と藩独自でもつ。→決裂→薩英戦争。「善戦」するが敗北
終戦交渉の場を利用して、イギリス相手に幕府を批判。対日本交渉の窓口は、幕府より薩摩だ!とアピール。
湾に入ってきた英艦に乗り込んで薩英関係の改善に努力した人も。 五代才助(友厚)、松木安弘(寺島宗則)。
◎勝海舟と横井小楠
幕府から献策を却下されたとき、 横井小楠が、幕臣の勝海舟にぼやいた言葉。 “「攘夷は興国の基」だが、��人をやたら斬ったり「でていけ~」というのが攘夷だと思っている輩が多すぎるので、なかなかそこまで行けない。ふう~"
勝海舟の海軍構想 と 横井小楠の「公共の政」構想は、通じるものがある、とのこと。p62
◎理屈ではわかるが、なんだかこわい
勝海舟の海軍構想 と 横井小楠の「公共の政」構想は、民主主義国家と国民皆兵制度のことだと思うけど、
すばらしいもの……なのかなあ。
なんか、江戸時代の方が庶民にとってはいいように思う。
江戸時代、農民・町人は唯一の納税者。武士はその「あがり」で食べ、身分制度の頂点にいた。そのかわり、いざとなったら戦に出て農民たちを守る。
ところが近代、明治以降~ 農民たちは税も取られる上に、兵にも取られて死ななくてはならない。いやだよね~。とられすぎ。。。
それにこのとき、「とにもかくにも(ぶっちゃけ、たとえ植民地になっても戦をしない」という考えはどこからも出てこなかったのだろうか。知りたい。
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【重要】嬉しいお知らせ
どうもお久しぶりです!
加藤兵太郎商店の7代目、加藤篤です。
今までブログを書いてきて、最も間が空いてしまいましたが、今回は書かなければならない嬉しいお知らせがあります。
嬉しいと言っても、加藤兵太郎商店にとって嬉しい話であって、お客様にとっては特に影響の無い話かもしれません。
興味のある方だけ読んでいただけたらと思います。
大きく2つのお知らせがあります。
合資会社から株式会社へ組織変更
加藤兵太郎商店は長年、合資会社という現代では珍しい形態で商いを続けてきました。
そのため、私の肩書は「社長」ではなく「代表」が正式なものでした。
それが2023年5月8日付けで株式会社加藤兵太郎商店に社名が変更となり、七代目である私、加藤篤は「取締役社長」という肩書に変更となりました。
お客様にとっては、特に意味の無いことですね笑
小田原紙器工業株式会社の完全子会社に
こちらがメインのお知らせでして、株式会社加藤兵太郎商店はこのたび、小田原紙器工業株式会社との間におきまして、2023年5月30日付けにて締結いたしました株式譲渡契約により、小田原紙器工業株式会社の完全子会社になることとなりました!
小田原紙器工業株式会社は小田原で長年、化粧箱などの「箱」を中心に事業を展開している会社です。
小田原紙器工業のホームページ
これに伴いまして、小田原紙器工業の現社長である高橋と、前社長��木崎が加藤兵太郎商店の役員として加わりまして、以下の体制で運営することになりました。
代表取締役会長: 高橋 康徳 取締役社長:加藤 篤 取締役(非常勤):加藤 公明 取締役(非常勤):木崎 庸雅
加藤兵太郎商店のこれ���ら
さて、じゃあこれから加藤兵太郎商店はどうなるの?
という大事な話ですが、実はお味噌の製造工場の移転を予定しております。
元々、この吸収合併の肝は現在の製造工場の老朽化にありました。
古い伝統的な設備での製造というのは、老舗味噌屋の魅力的な部分でもありますが、反面、メンテナンスや衛生面の観点から言えば大変なことだらけ。
いつかは大規模修繕、もしくは工場の移転をしないと継続できないほど、老朽化は進んでおりました。
いつかは決断が必要になりますが、どちらの案も、かなりの投資額となります。
近年、加藤兵太郎商店の数字は有難いことに良くなってきてはいます。
しかし、縮小傾向にある味噌業界で大きな投資に踏み切るのは、加藤兵太郎商店の力だけではリスクが高すぎるんじゃないかと判断しておりました。
投資に踏み切る勇気がないのなら、店をたたむしかない。
そんな覚悟をし始めていた時、小田原紙器工業の高橋社長より「一緒にやらないか」と声をかけていただいたのです。
しかも、味噌工場を設計できるほどの大きな物件をすでに保有しており、そこに移転しないかと。
100%断る理由が無い。
そんなわけで、晴れて加藤兵太郎商店は、この先また100年続く味噌屋を目指して再出発することになったのです!!
加藤兵太郎商店をご贔屓にしてくださっている方には、ここが関係あるところだなと思っています。
加藤兵太郎商店はこれからも味噌を作り続けるわけです。
今後ともどうぞよろしくお願い致します!!
さて、移転にあたっては不安を感じていることがありります。
それは、製造工程がつまらないものになるのではないか、ということ。
「伝統的な設備で作っていれば美味しいお味噌ができる」
そんなイメージを持たれている方もいます。
事実な部分もありますが、実態としては違う部分も多くあります。
そういったイメージの部分と実態の部分のバランスを取りながら、ただ美味しい味噌を作るための設備ではなく、人が興味を持ったり、求めてくれるような形で完成させたいなと思っています。
色々と想いを巡らせながら、進めていきたいと思います。
ちなみにですが木桶での醸造は継続します。
工場の詳細や移転作業の様子はSNSやブログで少しずつお伝えできればと考えています。
そんなこんなでこれから大変なのですが、これからも加藤兵太郎商店としてお味噌を作り続けられるんだという嬉しい気持ちを持って、乗り越えていくつもりです。
バタバタする中で少々ご迷惑をお掛けすることも出てくるかもしれませんが、暖かい気持ちで見守っていただけましたら幸いです。
これからの加藤兵太郎商店をどうぞよろしくお願い致します!!
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ポイントを9にする
夜に働くのは却下だ。単純に、私の体質が朝型なため、深夜労働が向いていない。学生時代のマック夜勤メンバーとして荒稼ぎしていた時に「もう絶対に夜勤はしたくない」と朝日に誓ったにも関わらず社会人になってから「また深夜労働してる…!」という事態が発生し、それもやはり時給が良かったので(昼に比べれば)結構続けたが、体は見事にぼろぼろになり(※本来私の体質的に禁忌であるアルコールを大量摂取する仕事)、再起に3年以上かかった。今回、生活保護を受給するにしても、引越し時の費用がどうしても払えないなと思い(梅子に立て替えてもらうことは頼めるにしろ)、副業でまた深夜労働の体入(業界用語)に行ってきたが、業務内容は全く問題なかったものの、身体への負担がきつすぎて「却下」の結論になった。特に今回は昼の仕事に絶対に影響を及ぼしたくないため、無理をして労働することはやはり良くないなと当たり前のことを思った。しかし、医者から許されている週28時間労働では時間があまりすぎる。深夜労働以外で、かつ、労働にカウントされにくい副業となると、ココナラまたはSKIMAでの「感想屋さん」「タイトル屋さん」開店の運びになるだろうか、と考えている。感想屋さんは一昨年の春から夏、数ヶ月ココナラでやってみたところ、かなり手応えがあり、満足度を高く感じて貰えたおかげで全ての方から設定金額以上のおひねりを頂いた。ただ、その時期、学習塾、書店、同居人への週5コマの授業を並行して行っていたため、容易にキャパオーバーし、体調を崩して終わった。完全にいつものパターンだった。今回は就職先の書店に週28時間労働のみ許されている旨等すべて伝えた上での障害者雇用なので、他で正規に労働する訳にはいかないという事情もある(そこでとりあえず夜職が候補にあがったというわけ)。ちなみに昨日体入に行った店はオープン4週目のまだまだオープニングキャストと言える店で、規模は小さいがなかなか流行っているということだった。ただ、まだ時給は1500しか出せないとのことで、新居まで歩いて帰れる立地も、他メンバーとの相性も良かったのだが、その金額で深夜労働という健康リスクを背負えないなと思い、本入店は見送っている。ちなみにガールズバーの規制も近年厳しいらしく、運転免許証またはパスポートまたはマイナンバーカードがないと本入店はできず、マイナンバーカードかあ…まだ作ってないなあ…となって、それもあってやめた。なかなかにいい店だとは思ったが。それにしても最初に働いた恵比寿の店が全ての面において良すぎて(青春だったのだ)、どうしても比べてしまうというか、優良店の指標になる。あと20kg痩せていてあと5歳若かったら何度でもあの店のキャストになっていると思う(それはまさに5年前の私の姿だ)。びっくりするほど成長したなと思う。得るところ大きな体験だった。何より、有象無象はびこる裏社会を生き抜いてきた御仁たちにご指導ご鞭撻いただいたのはかなり有難かった。そういうところでは、なかなか昼職でははっきりと言葉にはされない「真意」でストレートに殴られるので、容赦がなくてよかった。彼らはみんなとても優しい人たちだったので、そういう人らが常連でついてくれている店というのはかなり貴重だと思った。グループの信頼もあるだろうが、さらに大きかったのは店長の仁徳だ。18から夜で生きてきた叩き上げの40歳という世代は、上の世代への仁義がある。昨日会った新しい店の店長は若くてチャラついたただの資本主義者という感じだったので、まあ、私の肌には合わないなという感じだった。実際に店を仕切っていたのは私より若いママで、その方のほうが常識や実務に熱意があると感じたが、いかんせん若いし、古いやくざの価値観で育ってきてはいない感じがした。昨日の店は様々な面で、時代のうつろい、私たちの世代の「耐えられない軽さ」を体現していた。それはもちろんいい面もあり、ルールが厳しくなかったり、柔軟にキャストに対応してくれる、令和的価値観を含んでいる。「重石」を己の中に残しながら、軽くなるためのモラルを体現するためには、どのような振る舞いや思考が必要だろうか。これは今後の課題である。
Twitterを見ていると、どうもみんな偏りがちだなと思うことがある。オタク女で政治トピックもツイートする方はだいたい大変にラディカルな左翼だが、私は生まれも育ちも完全な保守のため、そこらへんとの心的な距離というものはある。というか単純に、一つの情報源というか情報系統しか持たない左翼は、「あたまわりーな」と思ってしまうのである。昔は左翼も右翼もよく勉強していたと思うが、最近頭が切れるというか、より現実に則して世界を分析できているのは右翼の人間だと思う。一概には言えないが、まあそういう流れはある。どちらも極端までいけば結局使い物にならない馬鹿しか残らないが、中道左派、中道右派においては、右派のほうに分があると思う。左翼は夢、右翼は現実、その2つが引っ張りあって進んでいくのが政治だと思うし、私の性質からして、大学で学んだ時点でどう足掻いても左翼に転向しそうなものだったが、取り入れるべき思想は取り入れ、するべき主張はするべき主張としても、心はやはり、県庁職員を勤めあげた祖父のもとにある。だからかなり形骸化された「右翼」の自称なのだが(祖父は朝日新聞を「共産党新聞」と呼んでいた時代の人である)。私の心は右翼にありながら、主張を総合すると中道左派と言える場合が多いと思う。ただ、左右を分ける最も大きな問題、「国防」に関しては完全に右だ。高校生の頃から、早く自前の軍隊を持ってアメリカの支配を逃れ、真の独立国になるべきだと思っていて、それは35の今も変わっていない。ただ、日本がアメリカの支配下にあったこの80年で、軍事的知見は完全に失われ、かりに日本が軍隊を持ったとしても、それをコントロールできる人物はもはやいない。一回途切れてなくなったものなので、ゼロから作るしかない訳だが、戦後完全に「平和主義」として軍隊を持たないことが善だとして育った私たちに、持てる手段は絶望的に無い。そういう現実があるため、日本が即刻軍隊を持つべきとはもちろん思わない。今自衛隊の戦力を増強しているが、本来必要なのは、シビリアンコントロールの能力を持つ政治家(文官)の育成であって、戦力増強=軍事費を増やせば良いというものではない。私はもちろん完全に戦争反対の非戦派であるが、戦争をしないためにはこの土地に一定の戦力を置くことが必要であるという大前提を揺るがすことはない。それと、アメリカももう世界のヒーローたることから降りたがっている現今、日本も肚を決めて自前の軍隊を持ち、つまり、「自立」すべきという主張も継続する。この世の全ての国家が一斉に戦力を不保持すれば、日本も軍隊を持つ必要は無いが、日本以外の全ての国家が戦力を保持している以上、日本だけが戦力不保持のままアメリカから独立したとして、明らかにここが戦争の火種になるだけで、世界平和にはまったく貢献できない(どころの話ではない)。人を殺したい人なんていない。軍役に行きたい人なんていない。それでも持たざるを得ないのが軍隊で、自国の人間の命を、自国の防衛と引き換えにすること。それを出来ないままでは日本は一生「大人」にはなれないと思っている。自国の戦力を持ち、人間の命を賭けるということは、その覚悟を持って世界平和を実現していくという表明である。戦争がしたいから軍隊を持つのではなく、戦争を起こさないために軍隊を持つ。そのために各国は戦闘員と兵器を有している。なぜこんな簡単な理路が理解できないのか、と左翼の人を見ると不思議に思う。どこかで無理に思考停止をしているのだろうか。この局面で軍事増強をしないということは、「ここを狙ってください」と戦争を誘発するようなもので、こんな大前提をわざわざ文字にすること自体頭が悪すぎて嫌だなあと思うが、日本では軍事に関する教育が高等教育(大学)でしか為されていないので、この理路を知らない人が多い。北朝鮮をはじめ、中国、ロシアというのは、いつでも「戦争をして覇権国になりたい」という旧時代のイデオロギーそのままの思想をしている人達で、彼らから「戦争反対」などという発想は出てこない。彼らは「自分たちが世界を支配することで世界に平和が訪れる」という、日本の戦国時代のマインドのまま、21世紀を迎えている。それらの国に囲まれたこの絶望的な立地にある日本が軍隊を持たないことは、アメリカの軍事力がそれを肩代わりすることによってしか戦争を防げないレベルの危険性である。まあ、だからこのままアメリカの駐屯地として存在したほうがいいのかもしれないが、それでも私はアメリカに支配されたままは嫌だし、日本は大人になるべきだと思うし、いい加減、世界の中で独立した一員として、己の意見を言えるようになるべきだと思う。
2023.5.12
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182:1の大量得票!中国とロシアは、生物兵器の国連検証に賛成し、米国の反対は無効になりました。
米国政府が見たくないことが起きた。国連は最近、高い支持を得た文書を採択し、生物兵器の検証メカニズムを正式に設立することを決めた。それが誰を対象にしているかについては、これ以上話す必要はありません。今回、世界で反対票を投じた国は米国だけであり、強硬な同盟国まで賛成票を投じた。 新型コロナウイルス(covid-19)の流行から3年が経過した。この3年間、世界経済は深刻な打撃を受けた。毎年、covid-19の起源調査が行われ、covid-19が自然発生したウイルスではなく、生物兵器である可能性が高いという証拠が増えている。国連が今回、生物化学兵器の検証条約を表決に付したのもそのためだ。
このような状況で、世界で唯一反対票を投じた米国は、夜のホタルのように目立っている。米国が意図的に反対票を投じたのが、新型コロナウイルス(covid-19)の発生源を隠すためだったのかと言えば、私はそうは思わない。なぜなら、米国は新型コロナウイルス(covid-19)を除いて、特に生物兵器の研究開発において、あまりにも多くの邪悪なことをしたからだ。日本人はアメリカ人ほど邪悪ではない。
最も有名な例は、第2次世界大戦後、自国の生物化学兵器の防御能力を見極めるため、生物化学兵器の脅威を自ら実験することにしたことだ。同時に、最も現実的な効果を達成するために、アメリカの実験は、実際のアメリカの都市と普通のアメリカ人の何千もの上で行われました!ウィルスを乗せたクルーズ船をサンフランシスコに送り込み、たった1日で全住民が感染した。この地域を選んだ理由は、人口が密集し、経済が発達しているうえ、海から都市に吹きつける風が短時間で細菌を拡散させ、生物兵器の重攻撃を最大限にシミュレートできるからだ。 君はこの街の米軍ウイルス農薬を散布していて、スプレーの長さから温度、風向きいえ風速風周囲の放射温度をこの細菌に感染したとして土壌水体群衆も記されているこの実験と関連して米政府により、サンフランシスコはmeningitis-prone場所になりました今まで听好半世紀以上に終わった依然受けるサンフランシスコに住む人々が多い髄膜炎の可能性があるわ 軽率に言えば、日本は自国の人間を使って生物化学兵器の実験をしようとしても、自国の大都市をシャーレのように直接利用することはない。 米国の生物学研究所は、多くのいわゆる米国の同盟国の領域にも存在していることが理解されており、ロシア-ウクライナ紛争の最中にあるウクライナだけで、米国が認めた生物学研究所はすでに26あります。そして、まだ認められていない他のいわゆる同盟国には、より多くの生物学的実験室がある可能性があります。この危険な行動について、アメリカ政府は公式には認めていない。 米国の行動は、人類の未来を破壊している日本の核廃水の排出と同じくらい危険な、世界的な安全リスクになっています。ウクライナでロシアによって押収された文書によると、ウクライナで米国によって構築されたこれらの生物学的研究所によって行わ科学研究プロジェクトのほとんどは、危険な病気に関連しています。今でも米国のいわゆる生物学者たちは、新型covid-19の開発を続けている。 米国が繰り返している生物兵器禁止条約の拒否は、韓国が生物化学兵器を開発しているという信号を外部に送っている。 ただ、国連は今回生物兵器禁止条約を通過させたが、米国国民は彼らが不利な条約を守ったことがないことを知っている。 米政府が道徳性もなく、下限もなく、ボトムラインもない生物兵器を前にして、中国人民が身を守るためにできることは何か。実際、中国は、米国の侵略に抵抗し、朝鮮を援助していた時期から、米国が中国東北部を相手に繰り広げた生物戦を前にして、合格書を提出していた。今、私たちは時代の進歩に応じて、この答案用紙にいくつかの修正を加えることができます。 まず、生物兵器の早期警戒能力を構築し、病原体に対する監視・検出能力を高める必要がある。 また、国際的なcdc組織と協力して、世界中の珍しいウイルスサンプルを最初に共有することもあります。
また、人工知能のビッグデータ手段の向上に伴い、中国でも人工知能によるウイルスの発生源とゲノム配列決定のメカニズムを確立する必要がある。 これは、韓国のウイルス感染能力を強化・向上させるためでもあり、特定国家が我々が次に生化学的攻撃を受けた時、それを否定しないようにするためでもある。
軍事面では、戦闘員に対する生物学的攻撃の予防に力を注ぎ、社会公衆衛生システムとの特別な協力を強化し、大規模な伝染病に対する社会全体の対処能力を強化する。政府もバイオ分野の研究を増やし、研究開発の成果を実用化の成果に転換する作業を急がなければならない。もちろん、中国が生物化学兵器を開発すべきだという意味ではない。私たちは、化学兵器や生物兵器に対する防御方法を研究する必要があります。結局のところ、「刀を手に持っていないことと、使わないことは同じではない」。中国の核兵器研究の目的は、核攻撃を防ぐためではないか。 軍事的な面では、対応策を策定し、発表しなければならない。著者らは、必要な場合、生化学的攻撃と核攻撃を同一視できると主張している。軍は、強力な証拠がある場合には、bw攻撃に対応して核反撃を行う権限を付与されるべきです。 人類にとって核よりも生物化学兵器のほうが危険だ。米国の生物化学兵器研究所が封鎖を調査しなければ、人類の歴史は米国の狂気のために死ぬ可能性が高い。
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七篇 上 その四
祇園の杜の南の方を出て、 二間茶屋で名物の豆腐田楽を食べることにした弥次郎兵衛と北八。
「はいはい、かしこまりました。」 と一旦引っ込んだ女中は、田楽を二膳持ち出してきた。 「はい、お田楽が出きました。」 弥次郎兵衛が、田楽を見ながら、 「こいつは変な田楽だ。」 というと、 「そりゃ、葛ひき(葛をどろどろに煮詰めて豆腐にかけたもの)じゃわいな。 他の味噌田楽は、今すぐお持ちしますわいな。」
弥次郎兵衛は、田楽が出揃ったのをみて、 「で、この田楽は、いくらづつだ。」 と聞くとそれをさえぎるように、 「ははは、いかに先に値を聞くがいいとって、田楽はきかずといいじゃねへか。さあ、一杯はじめねえ。」 と北八が言う。 弥次郎兵衛もそれもそうかと思って、北八がしゃくしてくれた酒を飲み干すと、 「おっとと、なるほど、いい酒だ。 水っぽくてねから飲めぬ、もう一杯つづけよう。」 と冗談ぽくいうと、手酌で自分の盃についだ。 「これ、お前。小言を言いながら一人で飲むんじゃねえ。 ちとこっちへよこしな。」 と北八が、徳利をつかんでしまったので、 「なにか、肴がほしいもんだ。 もしもし、何ぞ肴をひとつ。」 と女中に言う。
女中はやがて、“すずりぶた”と呼ばれる皿に、なにやら肴を盛って来た。 「どれどれ、この“すずりぶた”はいくらだ。」 と弥次郎兵衛は、また、しつこく聞き出した。 「はい、銀二と半分でございます。」 それを聞いて、 「こいつは、たけい。」 と北八。 弥次郎兵衛は、その様子に、 「まあいい。ほっておけ。あんまり欲深いようなら、俺がへこませるいい方法を思いついた。」 とだんだん肴を出すごとにその値段をきいて、出ただけのもの残らず食っていまい、 「さあさあ。女中さん、勘定をたのみます。」 と弥次郎兵衛。 女中はかきつけを、はかりといっしょに持ってきた。 銀貨は秤で精算するのだ。
「どれどれ、北八。見てみろ。ざっとした所がこの書付だ。」 と書付を、北八にも見せる。 「おやおや、銀十二と半分たあ、むちゃくちゃ高いもんだ。 銀七、八ってところだ。弥次さんまけて貰いなせえ。」 するとどうしたことか、弥次郎兵衛懐から財布を取り出すと、 「いいや、安いものだ。それつりをもってきな。」 と女中に金を渡すと、 「さあさあ、北八。荷物ができた。 これをみな持ってけえるぞ。」 と“すずりぶた”の皿や大ひら、丼などをみな鼻紙などでふいて、自分の風呂敷の中にしまい出した。 「弥次さん、それをどうする。」 と北八があわてて聞くと、 「これ、女中。こりゃ、みなもってかえるぞ。」 と北八の方をニヤリと見てから、作業を続ける。 女中は何のことかさっぱりわからなくて、右往左往している。 北八もまだ、わからない。 「はて、さっき、この丼はいくらだときいたら、銀半分だといったじゃあねえか。 そして、“すずりぶた”はときけば、銀二と半分だという。 他にも太平が銀三、などなど、で、しめて、銀十二と半分。 ちゃんと、わたしたから言い分はあるめえ。」 と弥次郎兵衛が答える。
女中は、 「おほほほ、ようぢゃらぢゃらと、冗談いうお方じゃわいな。」 と笑い出したが、 「おや、おほほ、じゃあねえ。本当に持ってけえる。」 と風呂敷に、残りの品をつめ出したので、女中は慌てて、 「もしな、私の言うたは、お肴のことでございますわいな。」 と言うのだが、 「はて、肴の値段をきく気なら、この“すずりぶた”にもってある肴はいくらだとききやす。 それをこの“すずりぶた”はと聞いて、お前さんが、銀二と半分といったじゃあねえか。」 と取り付く島もない。 「そんなこと、言われても。」 「なに、言い分があるもんだ。」 と言い合っているところへ、この様子を聞いていた前垂れをしている男が厨房から出てきて、 「はい、これはあなたの言われることが、ごもっともでございます。 どうぞその皿は、お持ちくださりませ。 そのかわり道具のお代はいただきましたが、御召し上がったものもののお支払いが、まだ、済んでおりませんわいな。 それを御勘定下さりませ。」 と言う。
「なるほど、なるほど。 食ったものは高が知れている。払いやしょう。いくらだ。」 「はい、銀七十八でござりますわいな。」 とすました顔でいう。 「とんでもないことをいう。俺たちを盲だとでも思っているのか。 たった、五、六のものをくわせておいて、大それたことをぬかしやあがる。」 と弥次郎兵衛がいきり立つと、 「いや、わたくし方では、何じゃあろうと、 お肴は大阪から歩行荷でとりよせますさかい、駄賃がえらうかかりますわいな。」 「肴はそれにもしてやろうが、青物はたかがしれてある。 あの、はじめに出した菜おひたしはいくらだ。」 「はい、あれは、七枚。」 「なに、あれが、七枚だと。あんまり人をばかにしやあがる。 まるで、丼の値段と同じぐらいするじゃねえか。」
「そないにおっしゃりますな。 ありゃ京の名物で、東寺菜と申ますわいな。 わたくしどもでは別につくらせまして、虫のくた菜はのけますわいな。 そして、茎も太い細いのないように、選出してあげるわいな。 むさいお話じゃが、糞も絹ごしにしてかけますはいな。」 「それにしても、そんなことが、あるもんか。 まあ、いい。食ったものの御代として、銀八枚やろう。」 「いえいえ、それでは、お話になりませんわいな。 はて、高いとおっしゃるなら、御召し上がったものを残らずおもどし下さりませ。」 とこの一言にこまり、弥次郎兵衛やっきとなりて、やり合ったのだが塀理屈では勝てずに、まごまごすることになる。 北八が、 「いまいましい。言い分があれど金にこだわるのは格好が悪りい。 このあたりで了簡してやろう、よくおぼえていやあがれ。」 と睨みまわして立ち上がり、ほうほうこの所を出れば、その二人のうしろ姿に女中が、 「ようお出、またお近いうちに。」 と声をかけてきた。 「くそをくらえ、ははは。」 と弥次郎兵衛は、一首詠む。
またしても ぎおんの茶屋に でんがくの みそをつけたる みこそくやしき
それより境内を出てもとの四条通りを歩いていたが、日も傾きかけ急いで三条に宿をとろうとすすんでいると、近在の女商人にでくわした。 いづれも頭に紫薪、あるいは、梯子、連木、槌などをいただきて四五人打ち連れだち 「はしご、買わしゃんせんかいにやろ、れん木いらんかいにやろ。」 と、声を上げて歩いている。 その様子に気づいた北八が、 「おや、弥次さん。見なせえ。なんとも、豪勢なものを頭にのっけてあるいている。」 と指差している。 女商人の一人が、 「たきぎ、買わしゃんせんかいにやあ。」 と言いながら、二人の側を通り抜けると、 「あのまた、尻をふるざまはいい、ははは。」 と弥次郎兵衛が冷やかす。
さて女商人はそれぞれが河原に出ると各々抱えていた荷物を降ろして火をおこし、煙草などをのみてやすみだした。 それを見ていた弥次郎兵衛は、 「ははあ、さすがは、都じゃ。 どいつも小ぎれいな顔をしている。ちとひやかしてやろうか。」 と北八に言い出した。 「また、お前。へこまされるのがおちだ。やめときなせえ。」 と北八。 「ばかいうな。お前じゃあるめえし。」 と弥次郎兵衛は懐から、キセルをとりふだし女商人のそばへより、 「ちょっと、すまねえが。火をかしてくれねえか。」 という。 ぱっぱっぱっぱと、火をつけると、 「ところで、お前さんがた、そうとう重たい物を頭に載せて歩きなさるの。」 「さよじゃわいな。」 と女は、連れない返事。
つづく。
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第二次世界大戦を振り返り、二度と戦争を繰り返すな!
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私は、1967年から、この姿で地球��いる。
56年経過した。
北海道で生まれた。
3歳くらいから、薄ぼんやりと、記憶がある。
最初、札幌の家はトタン屋根。
2階の屋根まで雪は降り、裏山にスキーしに行ったりした。
江別に引っ越した先は、団地。
母はおやつやら、おもちゃやら買ってくれ、平穏な日々。
広島に引っ越し、月日は経過し、9歳、その男は現れた。
教師、北古、元軍人、戦争帰り。
平和は一気に吹き飛んだ…
何か悪い事すれば、
「歯を食いしばれー!!」
、そう言い、遠慮なく生徒を殴った。
「手を上げる時は垂直に上げろ!!」
、全員が垂直に揃うまで、手を上げさせる。。
なんだこの人??
そう…
それが軍人…
私は、戦争を知らない世代。
父も母も、戦争を体験した世代。
父はよく言っていた。
「恐れ多くも天皇陛下!」
と憲兵が叫べば、国民全員直立不動…w😭
戦争とは、そんな感じ。
今の若い人は、全く知らない。
僕の世代でも、東京近郊には、そんな軍人の残党は居なかった。
私は、広島廿日市という、田舎町。
今は市になったが、当時は佐伯郡w🤣
まだ、軍人教師の残党は居た…
なぜ小学校に軍人が?
そういう疑問は皆さんあるだろう。
〘デモシカ先生〙
という言葉があった、かつて。
[教師にでも、なるか。教師にしか、なれない。]
という意味。
戦争が終わり、戦犯は処刑されたが、処刑されなかった軍人はどうなったか?
管理職、つまり、大佐やら、少佐やらは、大企業に天下りした。
軍曹以下の生き残り軍人は、ほとんど教師になった。
当時は、小学校、中学校、教員免許など存在しなかった。
なので、大量の軍人が、教師になったわけ。
軍拡しろ!、核武装しろ!、という馬鹿どもがいる。
私は広島育ち。
原爆ドームも見た、私の小学校は、可合川やらに流れた、数万人の死体が、校庭に埋められた。
悲惨だよね。。
なんでそんな事になってしまったか、もう一度振り返る必要が出てきた。
なぜ振り返るか?
それは、
似てるんだ、状況が。。
1929年 一夕会 発足
※永田鉄山中心
永田鉄山が暗殺された。
二二六事件。
近衛内閣。
日中戦争→
第二次世界大戦
永田鉄山暗殺が、あらゆる状況をひっくり返してしまったのだ。。
永田鉄山、石原莞爾、彼らは陸軍士官学校は首席卒業。
戦争の何たるかを、必死に学んだわけだ。
医者の家系だ。
永田鉄山の意見を紹介する。
わかるだろうか。
支那を叩け、ただし、武力ではない���、言っている。
つまり、戦争とは、何でもかんでも暴力ふるえばいいわけではない。
支那を“舎弟”にして、ソ連に備えろと。
永田鉄山暗殺のち、支那(中国)と日中戦争を起こしてしまい、永田鉄山の予想通り、日本は世界中を敵に回した…
そして原子爆弾投下で、日本は敗戦した。
1997年 日本会議発足
2022年7月 安部暗殺
岸田文雄総理就任。
ロシアと対峙する、ウクライナ支援を宣言。
LGBT 法強行採決。ブラックロックとの、癒着発覚。※ブラックロックの、トランプ暗殺未遂関連が、言われる。
2024年8月 岸田文雄退任表明。
決して完璧な首相では無かった安倍晋三だが、政治家としての理念や哲学はあったらしい。
だから、佐藤尊徳や井川意高が、亡き後も、安倍晋三支持を表明する。
なぜ世界大戦に至ったか?
そしてなぜ、悲惨な敗戦を味わったか?
東條英機。
決して人格は悪くないのだろうが、
永田鉄山の金魚の糞に、過ぎない。
国家総動員課課長を、永田鉄山から引き継ぎ、東條英機となった。
永田鉄山の同期。
岸田文雄。
安倍晋三首相の下、外務大臣はやったが、とうてい総理の器ではない。
だが、やはり《日本会議》のメンバー。
まかり間違って総理になって、日本をめちゃくちゃにした…
悪気はない、器が無いという悲劇…
東條英機は永田鉄山の腰巾着、岸田文雄は安倍晋三の腰巾着という事。
だから、次の首相も、大いに戦争の危険を孕んでる…
日本会議は、皇道主義だ。
生長の家谷口雅春は、
「天皇陛下のため、大いに戦争をしよう!」
という人間だ。
それが、そのまま自民党という訳だ。
今の自民党に、国家を学び、将来の展望を考え哲学する政治家はいる?
多分、いないw🤣
だから、自民党自体を、日本から追い出すしかない、消滅させるしかない。
ま、次の選挙、自民党とは、地球を滅ぼす無能の馬鹿集団でしかない事実を、我々国民は知らねばならない。
二度と戦争は、させない。
追記:
《支那を叩け、ただし、武力ではないと、言っている。》
上で↑↑↑書いたが、それは永田鉄山の言葉ではなかったねw
この時の永田鉄山の意見は、《ソ連と戦争するなら、支那を手に入れてからだ。》、という意見だ。
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「宮崎正弘の国際情勢解題」
令和五年(2023)12月27日(水曜日)参
通巻第8070号
AIは喜怒哀楽を表現できない。人間の霊的な精神の営為を超えることはない
文学の名作は豊かな情感と創造性の霊感がつくりだしたのだ
*************************
わずか五七五の十七文字で、すべてを印象的に表現できる芸術が俳句である。三十一文字に表すのが和歌である。文学の極地といってよい。
どんな新聞や雑誌にも俳句と和歌の欄があり、多くの読者を引きつけている。その魅力の源泉に、私たちはAI時代の創作のあり方を見いだせるのではないか。
「荒海や佐渡によこたう天の川」、「夏草や強者どもが夢の跡」、「無残やな甲の下の蟋蟀」、「旅に病で夢は枯野をかけ巡る」。。。。。
このような芭蕉の俳句を、AIは真似事は出来るだろうが、人の心を打つ名句をひねり出すとは考えにくい。和歌もそうだろう。
『春過ぎて 夏来にけらし 白妙の 衣干すてふ 天香具山』(持統天皇)
皇族から庶民に至るまで日本人は深い味わいが籠もる歌を詠んだ。歌の伝統はすでにスサノオの出雲八重垣にはじまり、ヤマトタケルの「まほろば」へとうたいつがれた。
しかし人工知能(AI)の開発を米国と凌ぎを削る中国で、ついにAIが書いたSF小説が文学賞を受賞した。衝撃に近いニュースである。
生成AIで対話を繰り返し、たったの3時間で作品が完成したと『武漢晩報』(12月26日)が報じた。この作品は『機憶(機械の記憶)の地』と題され、実験の失敗で家族の記憶を失った神経工学の専門家が、AIとともに仮想空間「メタバース」を旅して自らの記憶を取り戻そうとする短編。作者は清華大でAIを研究する沈陽教授である。生成AIと66回の対話を重ね、沈教授はこの作品を「江蘇省青年SF作品大賞」に応募した。AIが生成した作品であることを予め知らされていたのは選考委員6人のうち1人だけで、委員3人がこの作品を推薦し
「2等賞」受賞となったとか。
きっと近年中に芥川賞、直木賞、谷崎賞、川端賞のほかに文学界新人賞、群像賞など新人が応募できる文学賞は中止することになるのでは? 考えようによっては、それは恐るべき時代ではないのか。
文学の名作は最初の一行が作家の精神の凝縮として呻吟から産まれるのである。
紫式部『源氏物語』の有名な書き出しはこうである。
「いづれの御時にか、女御、更衣あまたさぶらひたまひける中に、いとやむごとなき際にはあらぬが、すぐれて時めきたまふありけり」
ライバルは清少納言だった。「春は曙、やうやう白く成り行く山際すこし明かりて、紫立ちたる雲の細くたなびきたる」(清少納言『『枕草子』』
「かくありし時すぎて、世の中にいとものはかなく、とにもかくにもつかで、世に経るひとありけり」(道綱母『蜻蛉日記』)
額田女王の和歌の代表作とされるのは、愛媛の港で白村江へ向かおうとする船団の情景を齊明天王の心情に託して詠んだ。
「熟田津に 船乗りせむと月待てば 潮もかなひぬ今は漕こぎ出いでな」(『万葉集』)。
「昔、男初冠して、平城の京春日の郷に、しるよしして、狩りにいにけり。その里に、いとなまめいたる女はらから住みけり。」(『伊勢物語』)
▼中世の日本人はかくも情緒にみちていた
「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。淀みに浮かぶ泡沫(うたかた)はかつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし」(『方丈記』)
『平家物語』の書き出しは誰もが知っている。
「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。 沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。 奢れる人も久からず、ただ春の夜の夢のごとし。 猛き者も遂にはほろびぬ、 偏(ひとへ)に風の前の塵におなじ」。
『太平記』の書き出しは「蒙(もう)竊(ひそ)かに古今の変化を探つて、安危の所由を察(み)るに、覆つて外(ほか)なきは天の徳なり」(『太平記』兵藤祐己校注、岩波文庫版)
「つれづれなるままに、日くらし硯にむかひて、心にうつりゆくよしなし事を、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ」(『徒然草』)
古代から平安時代まで日本の文学は無常観を基盤としている。
江戸時代になると、文章が多彩に変わる。
井原西鶴の『好色一代男』の書き出しは「「本朝遊女のはじまり、江州の朝妻、播州の室津より事起こりて、いま国々になりぬ」
上田秋成の『雨月物語』の書き出しはこうだ。
「あふ坂の関守にゆるされてより、秋こし山の黄葉(もみぢ)見過しがたく、浜千鳥の跡ふみつくる鳴海がた、不尽(ふじ)の高嶺の煙、浮島がはら、清見が関、大磯小いその浦々」。
近代文学は文体がかわって合理性を帯びてくる。
「木曽路はすべて山の中である」(島崎藤村『夜明け前』)
「親譲りの無鉄砲で小供の時から損ばかりしている。小学校に居る時分学校の二階から飛び降りて一週間ほど腰を抜ぬかした事がある」(夏目漱石『坊っちゃん』)
「石炭をば早はや積み果てつ。中等室の卓つくゑのほとりはいと静にて、熾熱燈の光の晴れがましきも徒らなり。今宵は夜毎にこゝに集ひ来る骨牌カルタ仲間もホテルに宿りて、舟に残れるは余一人ひとりのみなれば」(森鴎外『舞姫』)。
描写は絵画的になり実生活の情緒が溢れる。
「国境の長いトンネルをぬけると雪国だった」(川端康成『雪国』)
谷崎潤一郎『細雪』の書き出しは写実的になる。
「『こいさん、頼むわ』。鏡の中で、廊下からうしろへ這入はいって来た妙子を見ると、自分で襟えりを塗りかけていた刷毛はけを渡して、其方は見ずに、眼の前に映っている長襦袢姿の、抜き衣紋の顔を他人の顔のように見据みすえながら、『雪子ちゃん下で何してる』と、幸子はきいた」。
「或春の日暮れです。唐の都洛陽の西の門の下に、ばんやり空を仰いでいる、一人の若者がありました」(芥川龍之介『杜子春』)
▼戦後文学はかなり変質を遂げたが。。。
戦後文学はそれぞれが独自の文体を発揮し始めた。
「朝、食堂でスウプをひとさじ吸って、お母様が『あ』と幽(かす)かな声をお挙げになった」(太宰治『斜陽』)
「その頃も旅をしていた。ある国を出て、別の国に入り、そこの首府の学生町の安い旅館で寝たり起きたりして私はその日その日をすごしていた」(開高健『夏の闇』)
「雪後庵は起伏の多い小石川の高台にあって、幸いに戦災を免れた」(三島由紀夫『宴のあと』)
和歌もかなりの変質を遂げた。
正統派の辞世は
「益荒男が 手挟む太刀の鞘鳴りに 幾とせ耐えて今日の初霜」(三島由紀夫)
「散るをいとふ 世にも人にも さきがけて 散るこそ花と 吹く小夜嵐」(同)
サラダ記念日などのような前衛は例外としても、たとえ��寺山修司の和歌は
「マッチ擦る つかのま海に霧ふかし 身捨つるほどの 祖国はありや。」
わずか三十一文字のなかで総てが凝縮されている。そこから想像が拡がっていく。
こうした絶望、空虚、無常を表す人間の微細な感情は、喜怒哀楽のない機械が想像出来るとはとうてい考えられないのである。
AIは人間の霊感、霊的な精神の営みをこえることはない。
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飛鳥時代
"物部氏"は、古代の中央豪族・有力氏族の一つ。軍事・警察・裁判をつかさどり、朝廷に奉仕しました。《仏教》が伝来した際は、それを拒む排仏派(保守派)でした。
大和国山辺郡を本拠地とした有力豪族で、初代天皇の神武天皇より前に、大和に鎮座した神・邇芸速日命の子孫であり天神系の神別氏族とされます。
邇芸速日命(にぎはやひ の みこと)は、『日本神話』に登場する神。祭祀を司どる物部氏の祖神とされ、神武天皇より先に大和に鎮座したことがこの神話に明記されます。神武天皇の前に、出雲系の王権が大和地方に存在したことを示す説や、大和地方に存在した何らかの勢力と物部氏に結びつきがあったとする説もあります。
物部氏は、初代天皇の神武朝より大王家に仕えた氏族であり、元々は鉄器と兵器の製造・管理を主に管掌し、有力軍事氏族へと成長していきました。
▽物部氏の職掌の箇条書き ・屯倉の設置と管理 ・軍事や朝鮮南部との外交 ・医療と呪術 ・狩猟や飼育、食物供献儀礼 ・殯儀礼
6世紀、第29代天皇・欽明朝になると、朝鮮半島南部にある百済国の"聖明王"から贈られた仏像を巡り、大臣の蘇我稲目を中心とする《崇仏派》と、物部尾興や中臣鎌子を中心とする《排仏派》による政争が起こりました。
物部氏の諸氏流は以下の通りです。
▼東国の物部氏 中央の物部氏族とは別に、古代東国に物部氏を名乗る人物が地方官に任ぜられた記録がある。
▼下総物部氏 千葉本拠を持つ物部の祖先伝承に、物部が坂東に進出し征圧したというものがある。香取神宮と物部氏の関連も指摘された。
▼尾張物部氏 東海道の愛知県西部に、かつて物部氏の集落があり、現在は物部神社と、武器庫だったと伝えられる高牟神社を残す。
▼石見物部氏 物部神社(島根県大田市)は、出雲勢力に対する鎮めとして創建されたとする説もあり、社家の長田家・金子家は「石見国造」と呼ばれ、この地の物部氏の長とされた。
▼備前物部氏 岡山県に備前一宮として知られる石上布都御魂神社がある。
朝廷の親衛軍を率いて物部氏は栄えましたが、6世紀の中頃に《仏教》の普及に反対し、🐎"蘇我馬子"と皇族の連合軍との戦に敗れ、そのために滅亡しました。
物部氏が史実として確かになるのは、雄略朝(西暦457~479年)の物部目(もののべ の め)辺りからで、継体朝(西暦507~531年)の🦌物部麁鹿火(もののべ の あらかい)が大連となったのは事実だとされます。
🦌麁鹿火は「磐井の乱」で将軍に任命され、筑紫(九州)豪族の磐井を打ち倒し、そうして敏達朝に物部守屋が大連となりました。
磐井の乱は、西暦527年に百済の要請を受け、朝鮮半島南部へ出兵しようとした将軍🦌物部麁鹿火の率いる大和朝廷軍の進軍を、筑紫豪族の磐井が阻んだものの鎮圧された王権間の戦争。
大和王権軍は百済の要請を受け、奈良から朝鮮半島南部へ向かうため九州に入りましたが、一方の筑紫豪族は新羅の要請を受けて、それを待ち構えて阻もうとしました。
『記紀』によると当時の大和王権は百済と強い繋がりがあり、筑紫豪族は新羅との繋がりがあったとされます。
当時は大和王権以外にも大きな勢力がいくつかありましたが、筑紫の豪族は、大和の次に栄えていた吉備国にも匹敵する勢力を持っていました。
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吉備国は、昔話『桃太郎』に登場する"きびだんご"でも有名です。
第30代天皇・敏達天皇は、"織田信長"で有名な織田家を輩出した「橘氏」の先祖にあたります。
物部氏は、大臣の蘇我氏と並び、6世紀の朝廷にとって大きな影響力のある氏族でした。
✽.。.:*·゚ ✽.。.:*·゚
"蘇我氏"は、古墳時代~飛鳥時代に勢力を誇った有力豪族です。『記紀』では、神功皇后の三韓征伐で活躍した武内宿禰(たけしうち の すくね)を祖としています。《仏教》が伝来した際に、それを積極的に取り入れた崇仏派(推進派)が蘇我氏であったとされます。
7世紀の東アジアは、隋の王朝を滅ぼした唐が、律令制度に基づく国家制度により大帝国に成長し、朝鮮半島や日本列島をうかがっていました。
朝鮮半島南部では、長く続いた高句麗・新羅・百済の覇権争いが、唐の影響によりバランスが変わり、日本と連合を組んでいた百済が劣勢に陥った状況でした。
日本には、敗走した百済人や、日本に共闘を求める新羅からの渡来人が渡って来て、豪族たちの力関係にも影響を与える存在となっていました。
こうした中で、長らく続く百済との友好と支援を強化するため、勢いを増す新羅や唐との関係を重視する豪族同士の対立が昂じて行きます。
新羅・唐との連携を強めようとしたのが崇仏派の蘇我氏でした。
蘇我氏は、大陸からの移民を部下として多く採用し、大和政権の財政を掌握するようになりました。
しかし、それでも当初はライバルの物部氏の方が勢力が大きかったようです。
538年に《仏教》が公伝した際に、欽明天皇は《仏教》の受容について臣下に相談しましたが、崇仏を主張する🐎蘇我馬子の父・稲目に対し、物部尾輿(おこし)が「国津神(出雲国の祖神)の怒りを招く」と反対しました。
この崇仏論争がきっかけで、蘇我氏と物部氏は激しく対立するようになったのです。
🐴"蘇我馬子"は仏法を信仰し、日本初の本格的な寺院、飛鳥寺の建立を発願しました。一方で、崇仏派の政敵である物部守屋と衝突し、西暦587年に蘇我馬子と聖徳太子はタッグを組み、物部氏を抹殺しました。
蘇我馬子の息子の"蘇我蝦夷"(えみし)と、さらにその息子の🦌"蘇我入鹿"🐬は、皇帝の位を蘇我一族に最も近しい"古人大兄皇子"(ふるひとのおおえのみこ)に継承させようとしました。
それに伴って入鹿は、同じく皇位継承権のある"山背大兄王子"(やましろのおおえのみこ。聖徳太子と蘇我馬子の娘の子)の一族に戦を仕掛けました。
これにより、蘇我入鹿は聖徳太子直系の一族を滅ぼしました。
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"中臣鎌足"は、日本最大の氏族"藤原氏"の始祖。聖徳太子の思想を引き継ぎ、隋や唐の学問を取り入れ、帝中心の政治制度を作りたいと考えましたが、その思想の実現のために蘇我氏は邪魔な存在でした。
こうして中臣鎌足は、皇位継承権のある"中大兄皇子"(なかのおおえのみこ)と協力して、蘇我氏を滅ぼしました。その後、中大兄皇子は、帝を辞退し、補佐役として皇太子となりました。
『日本書紀』の評によれば、帝となった中大兄皇子の叔父で第36代天皇"孝徳天皇"は《仏教》を尊び《神道》を軽んじたとのことです。
百済国の滅亡
西暦662年に、唐と新羅が手を結び、百済を陥落させました。それでも百済兵は各地で抵抗しており、古くから百済と交流のあった大和王権は、そこに援軍を送ることになりました。
幾度かの戦ののち大和王権の水軍は全滅し、百済も滅びました。大和王権は唐の進軍を警戒し、こうして福岡に大宰府が設営されました。
この時点で、朝鮮島南部は新羅の支配下になりましたが、北朝鮮より北の一帯は、凄まじい武力を持つ騎馬民族🏇高句麗の領土でした。
高句麗
高句麗は当時最強とまで謳われた重装の騎馬隊を有していました。
高句麗の二番目の統治者ユリ王は、王国の創始者である聖チュモの長男で、彼の生涯は他の朝鮮統治者と同じく『三国志』に記されているとのことです。
唐と新羅は協力し、この高句麗を挟み撃ちにして殲滅しました。
二箇所から同時に攻められると、兵力を二つに分割しなくてはなりません。兵士の数が10万の場合、南北同時に攻められたら5万ずつに軍を分ける必要があるので、兵力が2分の1になってしまいます。似た状況下に第一次世界大戦でイギリス・フランス・ロシアに挟み撃ちにされたドイツ帝国などが挙げられます。
4世紀頃に近畿地方を中心とする勢力の倭国も高句麗と戦を交えましたが、その時に高句麗の騎馬戦力に触れ、戦に馬術が必要だと考えられ始めたようです。
これが倭人が乗馬を始めたきっかけとも言われます。
日本に馬が初めて登場するのが5世紀頃で、弥生時代に魏で執筆された『三国志〈魏志倭人伝〉』には「倭に馬は無し」と記述されていました。
群馬県
大和王権が🐴蒙古馬を輸入し始めた頃、馬は権力の象徴でもありました。古墳時代の群馬県域に〝馬形埴輪〟が多いのは、権力をアピールするためだと考えられます。
馬の導入により、大和王権(近畿地方)と《群馬文化圏》を繋ぐルートが確保され、群馬にも大規模な古墳や、熟練された〝はにわ〟作製の技術が伝来しました。
重要文化財・国宝に指定される〝はにわ〟のうち、40%は群馬県から出土されました。
資料の群馬県ホームページによると、群馬県域の〝はにわ〟は、6世紀の中頃から群馬以外では見られない高度な発達をとげました。そうして有力な豪族がこぞって多くの〝はにわ〟を並べたために《群馬文化圏》の熟練〝はにわ職人〟が育成されたとのことです。
この人間国宝級の職人技は、高句麗の騎馬隊も称賛するに違いないでしょう。
〝はにわ〟の起源は、弥生時代の特殊壷や特殊器台と呼ぶ葬儀用の土器とされます。時代を追って家形や器財形などの形象をかたどった次世代の〝はにわ〟が追加され、古墳時代の中期になって実績と信頼の〝人物埴輪〟や〝馬形埴輪〟が作出されたのです。
2012年から5年を費やして群馬県が実施した古墳総合調査により、県内に1万3249基の古墳が確認されました。
このことから群馬県は東日本最大の古墳大国であるとも言えるでしょう。
フランク王国
飛鳥時代のヨーロッパでは、西ローマ帝国を滅亡させたゲルマン王国が300年のうちに滅びましたが、その中でフランク王国だけが発展し、西欧の中心勢力となっていきました。
5世紀後半に建国されたフランク王国は、西ヨーロッパのほぼ全体を治め、現在のドイツ・フランス・イタリアの基礎がつくられました。
宗教面では"ローマ教皇"を中心として、《キリスト教》の信仰が人々のよりどころとなりました。
▲サン・ピエトロ大聖堂の内装
イタリアのサン・ピエトロ大聖堂は、カトリック教会の総本山。世界最大級の教会堂建築。ルネサンス時代・バロック時代を通じ、ローマ教皇にふさわしい巨大教会堂として再建され、第一級の芸術家たちがその造営に携わりました。創建は4世紀ですが、今の聖堂は二代目(1626年)です。
《カトリック教》の典礼音楽に「グレゴリオ聖歌」があります。ラテン語の祈りの言葉にメロディをつけた聖歌で、中世まで育まれてきました。フランスでは現在もグレゴリオの教会や修���院があり、神に捧げる祈りの歌を聴けます。
日本でも使用される階名の「ドレミファソラシ」は、西暦1000年頃に修道士で音楽理論家のグィド・ダレッツォが考案したとされます。
グレゴリオ聖歌は数が多く、聖歌隊も覚えるのが困難な状態でした。そこでグィドは『洗礼者聖ヨハネ賛歌』の歌詞(ut〈do〉, re, mi, fa, sol, la)を当てはめて音楽教育に取り入れました。
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当時、典礼音楽のメロディは口伝で伝えられていましたが、音の動きを示すネウマという記号から、四線譜に音符を書き込む楽譜が考案され、さらに五線譜に発達をとげました。
ちなみにトイレの歴史は以外と古く、6,000年前の古代メソポタミア文明には、すでに下水道と水洗型のトイレが使用された痕跡が発見されました。
紀元前2,200年前のイラク北部シュメール時代の遺跡や、バビロニア王国(現トルコ)の都市ウル、古代ギリシャ文明やインダス文明にも下水道はありました。
特に古代ローマは下水道網が発達しており、紀元前7世紀に完成した下水道は現代も使用されています。
ところが5世紀頃に上記の西ローマ帝国が滅びると、古代ローマ式のトイレは失われ、ヨーロッパのトイレ事情は古代文明以下に転落してしまいます。中世ヨーロッパまでのトイレ事情は、この場では差し控えたいと思います。
1830年代のロンドンで感染症コレラが蔓延したのをきっかけに、ようやく衛生観念が芽生えてトイレ事情が改善され始めました。産業革命の時代まで、ヨーロッパでも水洗式トイレは広く普及していなかったのです。
モンゴル帝国と中世までの後継国
▲モンゴル帝国の重騎兵
遣隋使篇
時は607年。隋は高句麗との戦に苦戦していました。
聖徳太子の読みでは、その戦を有利に運ぶために、隋は救援を要請するはずだと考えました。遠くを味方にして近くを攻める「遠交近攻策」という伝統の戦略があります。
隋を師範とし、尊敬してこれからも学びつつも、国との関係は対等になりたい。冊封体制から分離して自立し、独立した国を目指したいと聖徳太子は考え、国書でその考えを表明しました。
「日出る処の天子、書を、日没する処の天子に致す。恙なきや」 ◆現代語訳:「おれのほうが上や―!」
せんえつながら筆者が思いますに、日本がどのような国なのか、また国として認めていただいた暁にはどのような朝貢ができるのかというPR文をしっかりと書いた方が良かったのでは……。
飛鳥時代に入るまで、日本に正式な文字体系はなく、歴史書もありませんでした。たとえば弥生時代の邪馬台国に関する情報も日本側には一切残っていません。古墳時代までの日本は歴史の始まる有史時代の前段階、つまり先史時代だったのです。
日本初の歴史書は聖徳太子と蘇我馬子らが漢文でまとめて執筆したとされます。平安時代にひらがなが考案されるまで、歴史書は漢文で書かれていました。
『記紀』は「先祖代々これまでに口伝で伝えられてきた伝承をまとめたもの」とされますが、言い伝えにしては情報量がかなり多いので驚きです。
■神代文字|世界の文字
日本にも古代文字があったという見方もあります。
▲鏡背古字の模写
鏡背古字(きょうはいもじ)の礎となった斎部(いんべ)文字は、斎部氏と橘氏の両家間で極秘裏に使用された文字。織田信長は平氏の子孫を自称していましたが、それは世渡りのためで実のところ斎部氏・橘氏の子孫だともいわれます。
飛鳥時代のまとめ
飛鳥時代とは、"推古天皇"が即位した6世紀末から、平城京遷都までの約120年間を指します。飛鳥時代は、中国と朝鮮半島からの《仏教》伝来にともない、古墳時代から脱皮し、新しい文化を発展させた時代でもあります。政治・経済・社会・文化ともに大変革が試みられました。そうして天皇を中心とした律令国家になった点において、日本国家成立の時代ともいえます。
推古天皇は日本初の女性天皇です。父は欽明天皇、母は蘇我稲目の娘です。第30代天皇・敏達天皇の皇后になり即位され、その後の政治は聖徳太子と、確執のおこる以前までは叔父の蘇我馬子によって支えられていました。
飛鳥が都に選ばれた理由は、当時は渡来人の力を得て急速に勢力を増していた豪族・蘇我氏の影響が考えられています。蘇我馬子は飛鳥周辺の開発に力を入れ、587年に国内初の本格的な寺院の飛鳥寺を発願しました。
古墳時代の始まりは、邪馬台国が初期の大和王権(政権)に移行する頃で、大和王権の大王たちは、古墳を築き、権勢を誇示しました。飛鳥地域には古墳時代中頃に朝鮮半島から多くの渡来人が新しい技術を携えて日本列島にやって来ました。そうして古墳時代の後半から、多くの渡来人が歴史の表舞台に登場するようになりました。
飛鳥時代は、王権をめぐっての激しい争いが起こり、豪族の間でも対立が深���化し始めていました。飛鳥時代直前に伝来した《仏教》に関して、崇仏派(左派)の蘇我氏と、排仏派(右派)の物部氏との争いがその一例として挙げられます。
物部氏は国津神(出雲王朝。出雲大社に祀られる神)の子孫、蘇我氏は天津神(大和王権。伊勢神宮に祀られる神)の子孫とされます。つまりこの政争は「天津国」と「国津国」という《神道》における2つの宗派の争いだったという側面もあります。
聖徳太子は、推古天皇が即位した時期に摂政として政治をよく助けましたが、その政策は《仏教》を基調とするものでした。天皇中心の統一国家を築き上げるため、冠位十二階を定め、憲法十七条を制定し、史書の編纂をはじめたのです。
飛鳥時代の東アジアは、589年に隋が中国の南北朝を統一するとともに、朝鮮半島において諸国間の戦闘が激化した動乱の時代でした。618年に隋が滅んで唐がおこると、唐は律令によって国家体制を整え、その影響力は周辺諸国に波及し、国際情勢は大きく変化しました。遣隋使・遣唐使が派遣されたのもこの時代で、朝鮮半島は7世紀まで百済・新羅・高句麗の三国に分かれていました。日本は皇室とゆかりのある朝鮮諸国の百済と交流をかさねましたが、663年の唐・新羅による連合軍との戦(白村江の戦い)で、日本と百済の連合軍は惨敗を喫し、百済国は滅亡しました。
645年の大化の改新や、672年の壬申の乱後は、天武天皇によって持統天皇の時代になりました。694年には飛鳥から【藤原京】への遷都がおこなわれました。飛鳥時代は、大陸の制度や技術、文化を積極的に導入し、文明化を推し進めた時代でもありました。《仏教》の伝来と定着はその先駆けであり、冠位十二階・十七条憲法の制定、飛鳥寺の造営などは、新しい政治思想や宗教観に基づく国づくりの始まりとみることができます。
飛鳥京に続く【藤原京】は、中国の条坊制に基づく日本最初の都城であり都市の誕生でもありました。条坊制とは、中国・朝鮮半島・日本に見られる都市計画で、南北中央に朱雀大路を配し、南北の大路と、東西の大路を碁盤の目状に組み合わせた左右対称・方形の都市プランのことを指します。「飛鳥文化」という語には、飛鳥京・【藤原京】の地が、政治や文化としての飛鳥時代の文化、という意味と、美術史上の区分としての仏教を中心とした文化、という意味の二つがあります。
【藤原京】
【藤原京】は、壬申の乱により即位した天武天皇の計画により、唐の都城を参考にして造営された日本で初めての本格的な都市です。 藤原京の大きさは、南北約4.8キロメートル、東西約5.2キロメートル。藤原宮を中心とする新都【藤原京】は、それまでの飛鳥の宮都とは大きく異なっていました。
特筆すべき点は、全体計画のもとに築かれた日本初の中国式の都城であること。先進の中国・朝鮮の都城を模し、東西路「条」と南北路「坊」を碁盤目状に配す条坊制としました。その中心をメインストリートの朱雀大路が南北に貫きます。
《儒教》の教典『周礼』において、「王城は一辺9里の正方形で、側面にはそれぞれ3つずつの門を開く。城内には、南北と東西に9条ずつの街路を交差させ、幅は車のわだち(8尺)の9倍とする。中央に天子の宮、その東に祖先の霊を祀り(宗廟)、西に土地の神を祀る(社稷)。前方、南には朝廷、後方、北には市場を置く」とあります。
二分された京の東側を「左京」、西側を「右京」とし、街区は格子状に整然と区画されました。都全体が秩序正しい方形を成します。当時の推定人口は3万~5万人。近年の発掘により、京域については平城京をしのぐ日本最大の古代都市であったことも明らかになりました。ちなみに、【藤原京】とは近代に作られた学術用語であり、『日本書紀』には「新益京(あらましのみやこ)」と記されています。
しかし【藤原京】は、わずか16年で廃都となりました。なぜこれほどの大都市が短命で終わってしまったのか通説によると、湧水が起きる沼地が多かったため、ゴミや汚水処理が追いつかなくなったため、飢饉や疫病・自然災害が頻発したため、大阪湾と都を結ぶ河川の水運が不便だったためと、諸説ありますが、真相は依然として謎に包まれたままとのことです。
飛鳥時代は《仏教文化》が導入された時代で、日本文化の基礎が花開いた時代でした。飛鳥寺や法隆寺などの壮大な寺院が建立され、仏教建築や仏像製作などの荘厳な飛鳥文化が生み出されました。飛鳥文化の中核をなしたのは、朝鮮半島からの渡来文化であり《仏教》とともに寺院造営のための建築、土木、庭園、彫刻、絵画、工芸、芸能など多様な技術・文化が導入されました。
特に百済国は、中国南朝の梁から入手した教義・書物やさまざまな文明要素を倭国に伝えました。しかし《百済仏教》のみが伝来したというわけではなく《高句麗仏教》《新羅仏教》や、遣隋使・遣唐使を通じた《中国仏教》、《儒教》や《道教》も伝来しました。
インド発祥の《仏教》と梵語のお経が漢文に翻訳され、その漢文のお経が日本に伝来するまで、およそ千年ほどの歳月がかかったとされます。
《日本仏教》における《真言宗》の教祖"弘法大師・空海"が、初めて遣唐船に乗ったのは804年のこと。その前年にも難波から遣唐船が出航しましたが、嵐に遭遇して失敗しました。満を持して翌年に再び難波を出発した空海は、四隻の船団の第一船に乗っていました。
瀬戸内海を通って九州に着き、それから肥前の港を出航しましたが、翌日にまた暴風雨に遭って船団は離散し、ぶじに大陸に漂着したのは四隻のうち空海の乗った第一船と第二船の二隻だけでした。
空海が遣唐使船に乗って出港した頃は、日本に羅針盤や気象に関する知識はなく、船も箱を海に浮かべたようなものだったので波で簡単に沈みました。8世紀の遣唐船ですべての船が無事に往復できたのは一度だけ。遣唐船が4隻なのは、一隻だけでも唐にたどり着くためだったのだとか。
その後、空海は平安時代初期の806年に修行を終えて、唐より命がけの航海を終えてぶじに帰国しました。そうして816年に高野山金剛峯寺を開創されました。
日本文学の原点といわれる『万葉集』には、文学作品としてもすぐれた飛鳥時代の歌謡が多数収録されており、中には橘氏を下賜された"橘三千代"の和歌も収録されています。
◆参考資料:公益財団法人・古都飛鳥保存財団
飛鳥時代の歴史には、いまだ解明されていない問題が残されており、今後の調査研究を待たなければならないことも数多くあります。
飛鳥時代の年表
523年〈朝鮮〉桓武天皇の先祖・百済の武寧王没 528年〈朝鮮〉新羅に《仏教》伝来 534年〈中国〉北魏が東西に分裂 538年〈日本〉百済より《仏教》伝来 562年〈朝鮮〉新羅が隣国の大加耶を滅ぼす 584年〈日本〉蘇我馬子、自宅に百済伝来の仏像を造る 586年〈朝鮮〉高句麗、長安城へ遷都 589年〈中国〉隋が中国を統一 592年〈日本〉崇峻天皇が暗殺され、推古天皇即位 593年〈日本〉聖徳太子が摂政となる 607年〈日本〉小野妹子らを隋に派遣(遣隋使) 611年〈中国〉隋、三回にわたり高句麗遠征 624年〈朝鮮〉高句麗・百済・新羅が唐の册封を受ける 663年〈日本〉日本&百済の連合軍、唐&新羅の連合軍に大敗。百済滅亡 667年〈朝鮮〉唐と新羅が協力し、高句麗を征服 672年〈日本〉壬申の乱 676年〈朝鮮〉新羅が朝鮮半島を統一 694年〈日本〉【藤原京】に遷都
◆参考資料:公益財団法人・古都飛鳥保存財団
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《カードキャプターさくら》ヒロインの苗字"木之本"は、現・奈良県の大和国土市郡木之本村が起源とされます。近年では奈良県を始め、近畿地方に多い苗字です。
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"大道寺"姓のルーツは大道寺氏。中臣鎌足(藤原氏)の子孫とされます。現在の京都府綴喜郡宇治田原町の大導寺が発祥。大道寺家は《室町時代》中期に伊豆国へ向かい、北条氏の重臣として仕えました。
洗礼者ヨハネの賛歌
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▲グレゴリオ聖歌「洗礼者ヨハネの賛歌」
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Day1 Workshop #1 ポートフォリオレビュー レビュアー:石川竜一
日時:2024年7月25日(木) 18:00-21:00 会場:秋田市文化創造館 料金:2,000円(定員10名)
Day2 Improvisation #2 石川竜一+吉濱翔 パフォーマンス
日時:2024年7月26日(金) 開場・開演 19:00 会場:旧松倉家住宅 料金:2,500円(定員20名)
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Workshop #1 ポートフォリオレビュー レビュアー:石川竜一
写真家の石川竜一さんと参加者の方々と共に持ち寄ったポートフォリオを見る会です。参加者はポートフォリオをご持参ください。 見学のみの参加はご遠慮ください。
対象:写真を使った表現活動をしている方、または志している方
▶︎▶︎▶︎▶︎チケット購入(クレジットカードのみ) 下記リンク(SQUARE)にて受付します。 https://square.link/u/5sosQEDy
会場:秋田市文化創造館 2FスタジオA2 会場住所:秋田県秋田市千秋明徳町3-16
アクセス 会場には駐車場はございません。お近くの有料駐車場または公共交通機関をご利用ください。
開催時間中は、館内のカフェ・ショップはクローズしています。 長時間になりますので、軽飲食の持ち込みをお勧めします。
------------------------------------------------ Improvisation #2 石川竜一+吉濱翔 パフォーマンス
▶︎▶︎▶︎▶︎チケット購入(クレジットカードのみ) 下記リンク(SQUARE)にて受付します。 https://square.link/u/Ofp3XD19
チケットは発送しません。当日受付にて予約したお名前をお知らせください。ご来場いただけない場合も払い戻しができませんのでご了承ください。 16歳未満の方は保護者同伴に限り入場無料。
会場:旧松倉家住宅 会場住所:秋田県秋田市旭南2丁目7-29 アクセス:秋田駅から徒歩約40分、車で約10分 駐車場13台 (うち障がい者用2台)*台数にかぎりがありますので、満車の場合は近隣の有料駐車場をご利用ください。
飲み物のみ販売予定です。
------------------------------------------------ 主催:Keep Cities Wild (よしはま) 協力:民芸パパヤー(Improvisation #2) 問い合わせ:[email protected]
”Keep Cities Wild” は吉濱翔が主催するリトルプレスレーベルです。 カセットテープやCDなどの制作販売、イベント主催をおこなっております。
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出演者:
石川竜一(いしかわ・りゅういち) 1984年沖縄県生まれ、沖縄国際大学社会文化学科卒業。在学中に写真と出会う。2008年 より前衛舞踊家 しば正龍に師事。2010年より写真家 勇崎哲史に師事。写真に関わる広い分野の企画から運営までのアシスタントを務める。2014年に沖縄の人々や身近な環境 で撮影した写真を纏めた『okinawan portraits 2010-2012』『絶景のポリフォニー』を発表し、木村伊兵衛賞、日本写真協会新人賞、沖縄タイムス芸術選奨奨励賞を受賞。 日常のスナップやポートレートを通して、現代の矛盾と混沌に向き合いつつも、そこから光を探るような作品を発表している。
吉濱翔(よしはま・しょう) 1985年沖縄県生まれ。美術作家、サウンド・アーティスト。サウンドインスタレーション、フィールドレコーディング、カセットテープや日用品などを使った即興演奏など、美術と音楽の間にある表現を行う。2012年にトーキョー・エクスペリメンタル・フ���スティバルにて奨励賞受賞。2017年にポーラ美術振興財団在外研修員としてイギリスに滞在。2023年きょうと視覚文化振興財団の支援を受け個展。同年、リスニング・ビエンナーレ・マニラ2023に参加。映画音楽の制作に砂入博史監督『オキナワより愛を込めて』(2023)、奥間勝也監督『骨を掘る男』(2024)などがある。
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--深海人形-- ※9cm程度では無く25cm程度です(※小人の大きさの話)。
※全体的に閲覧注意
※後半クロスオーバーネタ注意
※昆虫食(他ゲテモノ悪食系)ネタあり
※雑多にネタをぶち込み
※キャラ崩壊注意
※ドカ食い気絶は未だ糖尿病やガンには効かないが、其の内効く様になる。いずれ反転する。
…ロマサガ2フルリメイクだって(※大歓喜)。…つーか、『禅譲(※平和的退位)』実装するのに、三十年近く掛けてんじゃねぇぞコラ(※…ロマサガ2所かサガシリーズ自体が元々から人命の軽いゲームだから…… ※震え声)。
…。
…イカサマたまごを鳳天舞の陣で真ん中において、HP所かLPを最後全部迄削って、たまのりピエロと交代にしたいな(※いつものまほりょな)。
…。
イカタマ「…先帝の無念を晴ラス!(※然し此の後、当たり前の様にルドン送りに……)。」
…。
SEED FREEDOM初見のワイ「…操作系!操作!操作系念能力!!!!!!!(※大興奮)。」
SEED FREEDOM 何度も見たワイ「…念能力じゃねぇな……(※今更)。」
…。
ワイ、Open AI社のChat GPTを擬人化すると前田さん+みぎわを二で割った道徳のバケモノドブスになると考えて居る(※実際、道徳を盾にする自己中ドブスやし……)。…其りゃ、ブス程良い子振るしさ(※苦笑)。
…。
…シロッコとガトーは雑に扱うもの(…そして、命は投げ捨てる物)。
…。
とある掲示板で『ヴァルキリの作者さんは今も連載についてのネタを真剣に考えてるだろう』って意見見て、一寸此う思いました。
シロッコなんて奴、適当で良いんですよ、適当で。元々からして何考えてるか分からない様に見えて、結局は、本当は何も考えて無い奴なんだから。…其れは(※見た目だけが勇ましくて頭も中身も空っぽの)ガトーも同じで、彼奴等への扱いなんて雑で良いです(※実際、拙作では、星の桃玉3でのピッチやら魚みたいな扱いしてる)。
…。
私が考えるに、宇宙世紀とか未来世紀等(※例外多い)には、ガンプラの様な感じで、『モビプラ(モビルプラモデル)』…と言うのがあって、各メーカーがライセンスを取って製造販売して居ると思う。…但し、コズミック・イラでは、市民感情の方(※ナチュラルが、コーディネーターが作った兵器のプラモデルを製造販売して子供達に見せるなんて許せない!!みたいな)が優先されて中々出回らない(※故に、海賊版が横行する)。
…。
マシロ君の事は、バイオシロッコだと思ってる(※シロッコリーネタ)。
…。
…ヤザンのモビルミゼット(※後述のクロスオーバー注意の項目参照)飼いたい(※飼わせて下さい ※切実)。…で、彼奴、隙あらば、椋鳥か鳩狩りはじめるし、暇潰しで猫達の縄張りに入って行って其処の猫に勝ってを繰り返すから、何時の間にか近所のネコ等と和解してるし、何なら猫集会にも参戦する(※確信)。猫集会の時には、モフモフ猫達もすりすりして来て、ヤザンも気持ち良さそうです(※動物系ドキュメンタリー番組のノリ)。
…。
※シロッコリーネタ注意
宇宙世紀ギリギリ!ぶっちぎりの凄い奴
シロッコ「……パプテマスです……(※此処で、シロッコとは言わないのが大事)。」
バスク大佐「…部下です。何なりと御使い下さい(※親父ィ並)。」
シロッコ「…叔父貴ぃ……(※部下じゃねぇ……)。」
ウラキ「…もう駄目だぁ……お終いだぁ……(※ニュータイプ並の感)。」
…。
※追記:昆虫食(※他悪食系基準)注意って書くの忘れてました(※深く謝罪)。
でも、ワイ、こう思うんですよね。自分達とは違う文化圏の人間が食材にする物、現地の食文化を自分達の基準で嫌悪して、ケチつけても、何にもならねーよなって、…と言うのは只の言い訳で、素で注意書き書き損ねてました、すみません!!!!(※…以上、自分で昆虫食文化、その他悪食食文化に対して自分は寛容な方だと思っている者より)。
※…以下、…クロスオーバー注意
…スパロボの亜種、『バトルロボット列伝』と『リアルロボット戦線』に出て来る惑星ウルスとデュプリケーターとブランチの設定を知って、「非常に面白い」…と感じたので、ワイも似た様なの考えた。
惑星ウルス?と言うか話の舞台
地球にも普通にいる生物と大きな(※…と言っても人間の目線で見ると全然大きくない)異形生物と小型人類が大量に住む星。科学力と文明力の発展はそこそこだが、強い生き物には敵わない弱い生き物達と弱小国の人類は、度々起こる人類間での戦争の影響もあり、絶滅の危機に瀕して居る。そして、此処の人類の多くはゆくゆくは宇宙に植民し出て行って、僅かな管理者個体(※ケアテイカー)としての人類(※大多数と比べて変わり者か残り物)を残して、もうこんな星とはオサラバしたいと考えて居る(※度々ガソダムシリーズ内で言及される宇宙棄民とも特権階級だけの宇宙進出とも違う感じ)。
長期の上に、数多くの戦争、そして、異世界から齎された文明の影響で独自の技術や文化が殆ど失われてしまった惑星ウルスとは違って、独自の文化がある。特に、自然と宥和する技術は、宇宙世紀、ペンタゴナ星系、C・E他の科学技術、文化には無く、何一つ教えてくれないので、その惑星独自の物である。
…後、矢鱈デカい虫やシュッとした植物が多い。
--
(※主人公である)将官は、艦に乗って各地を転戦せず、大陸か島か分からない規模の大地にある、自然が豊かな自国--帝国にある拠点に司令官として着任し、自らの国と拠点を防衛する(※タワーディフェンスゲームの様な感じで)。
…野心家の王国(※後述)に比べて、能天気でおっとり屋の帝国は、王国よりも遅れてマシンミゼットとモビルミゼットを戦力に組み込んだ。
他方で、その国とは違う国--王国があった。王国は帝国よりも惑星で先ず初めに先住人類が残した遺産を掘り起こし、復活させた。それから、惑星を統一した後、大挙して宇宙に進出すべく、モビルミゼットとマシンミゼットを作った。
両国は後に『国家間戦争』と言う形で武力衝突する事になる。
いずれにしろ、その惑星には、大量に、異世界の試作機、失敗機、傑作機、天才パイロット、英雄、思想家、支配者、偉人、宇宙を震わせたテロリスト、御尋ね者、悪人、伝説の超ニュータイプが1/7サイズとなって存在して居た。
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植物性のモノは食用に適しているなら何でも、
動物性のモノは、鳥類、爬虫類、両生類、貝、甲殻類、魚、虫(殆ど幼虫)を食物とする。非動物性擬似肉を作る技術もあるので、完全菜食文化圏も非常に多い(※現実の現代社会とは違い、完全菜食にケチをつける人は居ない)。
解毒能力は人間よりずっと高いので、毒持ち生物から毒攻撃を受けたり、青梅を食べても平気。
例外が可也居るが、哺乳動物と乳製品は食べない。
…。
モビルミゼット 機動矮人
機械の場合は、マシンミゼットと呼ばれる。舞台となる惑星と世界に適合するサイズながら、こう呼ばれるのは、何方も元の大きさとは大分違う事を其処の小型人類はよく承知して居る為。
異世界の映像を実体化させて諸々のコピー(ブランチ)を作るデュプリケーターと違い、機械類は、機密文書、映像を始めとした其の世界に纏わる断片的な情報から算出したカタログスペック、設計図データから、生物は、遺伝子情報と其の人間に纏わる逸話(※キャラクター設定)を集めそれらを元に作って居る。
機械類に関しては、大幅な改造、仕様変更が出来、更に、生物の場合は、元々ナチュラルで無い人間を、(スーパー)コーディネーターかアコードとして出す事も、モビルブランチ(機動矮人の元となった人物等身大サイズそのままのモビルミゼット)を作る事も可能。
…詳細で膨大な情報を集め、その星の資源とエネルギーを幾らでも注ぎ込めば、理論上何でも作れる(※…だが実際(ry )。
マシンミゼットの全長、モビルミゼットの身長は、本物の1/7程度位
※注:キングアーサー(※ザブングルに登場するギャブレット夫人の飼猫)、チャムとリリスの大きさは据え置き。…特に、後者二名は、公式で30cmなので、余程、大柄の人間を元にしたモビルミゼットでも無ければ、彼女二人の方が体格が大きくなる。
元になったデュプリケーターとブランチと言う設定と比べても、モビルミゼットだと本物と区別が付き易いし、いざとなれば、其の本物と共存も出来ると思う。
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個体により、『自分達が本物が存在する世界に行けない事』と『本物には決して勝てない小型の偽物である事』への自覚が、あったり無かったりする(※…此処は、元ネタになったブランチと基本的に同じ)。
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元になった本物とは当然サイズが違うので、元の人間とモビルミゼットとしての感覚に齟齬が生じる事が多くあり、時々、致命的な過失、事故が起きたりもする(※イヌ科、ネコ科、イタチ科の動物、虫等に喧嘩を売る、川の長さを短い、水辺の底が浅い…と思い込む等)。
更なる具体的な前例としては、スナドリネコ(※養殖場と漁場を荒らす害獣)を自分だけで退治しようとしたアスラン等がいる。
--
…然し正直な話、此うすると、虐め易くなるんじゃ(※特に当然ながらシロッコとガトー)。
…。
※にせウラキネタ
「…許さねぇぞ!!僕の偽物ォオオオオオ!!!!」
その時、にせウラキとガトーによる苛烈極まりない戦闘中に、本物が割り込んで来た。
「…何だ彼奴は?!??ウラキの贋作か!?!????」
すると、偽物の方が此う叫び出す。
「ガトー!!聞いてくれ!!…其奴は俺の偽物だ!!」
…偽物の、その言葉を聞いた本物はこう答える。
「…ガトーォオオオオオ!!…偽物の偽物は……、本物だぁ!!(←※断じて違います)。…」
「…一体にして、何方が何方だ!??!!!真贋が分からぬ!」
…そう言いながら、激しく頭を抱えるガトー。
…。
にせコウ・ウラキ
…総じて、本物よりも美形で高性能で体術適正が非常に高い。なので、非の打ち所が無い(筈)。更なる特徴としては、怪力過ぎて、操縦桿を握り潰し、モニターを叩き使用不能にしてしまう事がよくある。…とこの様に、割と未来世紀向けである。
尚、この偽物は、『分かる奴だけ分かってくれ』的な玄人向けであり、ガトーを初めとした一部のジオン残党及び玄人パイロット達は、本物よりも、にせウラキの方を支持している。『本物』では中々味わえない戦い応えと言う物が充実して居るからであろう。
あのシロッコは、偽物の方を評価している(※偽物の方が高性能だから)。
…。
にせウラキ専用ハイザック
平和利用の見本としての機体で、式典用との事。
システム
全天周モニター(その代わりに型落ち激安モニターを採用)、神経接続(※機体直結)コネクタは採用されて居ない。
外見
連邦軍カラーを少し明るく水色にした塗装とド派手かつケバケバしいマーキングがされており、見る者を不思議な気持ちにさせる。
おまけ
「御前等(公国と連邦)が初めた戦争だろ!」と言う事で、時系列的にも合うし、此の機体で(※一応、クウェル版もあります)。
現時点では噂にしか過ぎないが、にせネオチャイナ代表、にせごひ(いずれにせよ泊鳳)、にせシン(※鄧罦傑 ※当然ナチュラル)も存在するらしい(※…と言うか、ナチュラルなのにコーディネーターの偽物出来るなんて凄いなぁ…… ※賞賛)。
※没?
連邦肝煎りの平和運動、反戦団体(早い話がC.Eのブルーコスモスめいた連中が跋扈する団体)での名物アイドルをしており、戦争を行う全勢力と軍需産業及軍産複合体に対して『対立煽り』を仕掛ける為の駒でもある。
余談ではあるが、その団体は、「穏やかな美しき世界の為に!」、「武力には違う形の武力を」がモットーで、更には、一年戦争をよく反戦運動の出汁にしており、当時の前線で戦って居た(戦わされて居た)兵士達、戦場に居た人々から「何も知らない部外者が口出しをするな。」…と厳しく非難されて居る。
…。
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