#お菓子作り初心��
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wagashi-sweets · 2 years ago
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2023.3.30 過去レッスン ◎季節を楽しむ練りきりレッスン 今月最後のレッスンは 桜満開レッスン ぽかぽかいいお天気で開催できました♡ 本日をもって これまでお店をお借りしていた 「とらのにうりや」さんでのレッスンが終了しました 2年弱、オーナーさんや従業員の皆さまにはほんとにお世話になりました お教室を始めたばかりの頃からたくさんの方に来て貰えたのは、こんなに立地のいい場所を快く貸していただけたおかげです 感謝してもしきれない そしてレッスンでもプライベートでも思い出たくさんの場所なので正直さみしいなぁ、、、 オーナーさんがひと休憩したらまた楽しい憩いの場を���いてくれることに期待♡ 4月からは新しい場所で変わらず楽しくレッスンをして行きたいと思います 新しいレッスン場所は 千種駅3番出口から徒歩6分ほど こちらもお店をお借りしてのレッスンとなります 4月の季節を楽しむ練りきりレッスン 開催予定日 4/16,4/30 ❁⃘*.゚-----------------------❁⃘*.゚ 名古屋お菓子教室 U rond~ゆーろんど~ 千種駅から徒歩6分 詳細やブログはトップページから ご予約・お問い合わせはLINE🆔813equzi よりお気軽に ❁⃘*.゚-----------------------❁⃘*. #練りきり #JSA練りきりアート認定講師講座#jsa練りきりアート講師#名古屋練りきり#名古屋練りきり教室#名古屋お菓子教室#Japanesesweets#名古屋市中区#お菓子作り初心者#和菓子好きな人と繋がりたい#おうちカフェ#おうちスイーツ #桜 #鶴舞公園 https://www.instagram.com/p/CqaKNVsy8pJ/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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daruma1004 · 7 months ago
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みんな知らない「実は略語」の言葉をまとめました。詳しくは...
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食パン:主食用パン
食パンの語源に関しては複数ありどれが正しいかわかりませんが、有力な説を2つ紹介します。1つは、「主食用パン」の略。パンが日本に入って来た当時はイースト菌などもなく、比較的小さな菓子パンだけが作られていました。それからパンが大きく膨らむようになり���米の代わりになり得るようになったため、「主食用」と名付けられました。もう1つは、消しパンではない「食べられるパン」の略。昔は美術のデッサンなどでパンを消しゴム代わりに使用していたためです。
ブログ:ウェブログ
ウェブサイトの一種で日記形式のもの。英単語でも”blog”がありますが、もともとは”Web”と記録を意味する”log”が合わさった言葉である”web log”の略です。
軍手:軍用手袋
元々軍隊用の手袋として使われていたためです。日露戦争の際に、寒冷地を戦場とする兵士に支給するために考案されたものです。その後、荷物運搬や土いじりなど日常生活で使われるようになりました。
演歌:演説歌
元々は自由民権運動の政治運動家(壮士)たちが演説の代わりに歌った壮士節が始まりとされます。1930年代にジャズやクラシックが大衆歌に組み込まれていき、歌詞も政治とは関係のない叙情詩的なものに変わっていきました。
教科書:教科用図書
主に小・中・高および特別支援学校などで学ぶ時に配布される中心的な教材のことで、「教科用図書」の略です。教科書と教材の違いは、文部科学大臣の検定に合格したものが教科書と呼ばれます。
チュー��イ:焼酎ハイボール
焼酎とハイボールを組み合わせた「焼酎ハイボール」の略語。焼酎やウォッカなど無色で香りのない酒類をベースに、炭酸で割ったものを一般的に指しますが、炭酸ではなくウーロン茶で割ったウーロンハイもチューハイの一種です。
ジャガイモ:ジャガタライモ
ジャガイモはそもそも南米原産の食材であり、日本には16世紀末にインドネシアのジャカルタからオランダ人により伝えられました。そのため当時は「ジャガタライモ」と呼ばれていましたが、後に略されていきました。ちなみに日本では中国語由来の馬鈴薯とも呼ばれます。
ワイシャツ:ホワイトシャツ
主に男性が背広の下に着るシャツのことですが、元々は和製英語である「ホワイトシャツ」の略。よく「Yシャツ」と記載されることがありますが、これは完全に当て字です。一方で、「Tシャツ」はアルファベットのTの字に似ているためこう呼ばれるようになりました。
割勘:割前勘定
友人との飲み会などでよくある割勘は「割前勘定」の略。割前とは分割してそれぞれに割り当てることを意味する言葉です。江戸時代後期の戯作者で浮世絵師���して有名な山東京伝が発案されたと言われており、当時は「京伝勘定」と言われていたそうです。ちなみに世界的に見ると割勘の文化は少数派で、男性や年上が払うのが一般的のようです。
カラオケ:空オーケストラ
歌のないオーケストラの意味で、「空(から)オーケストラ」から「カラオケ」と略されました。カラオケは日本で1960年後半に誕生したとされ、その後世界に広がっていきました。そのため英語でも”karaoke”と書きます。ちなみに中国語では「卡拉OK」と突然アルファベットが出てくる不思議です。
バス:オムニバス
ラテン語で「すべての人のために」という意味の「オムニバス」が語源で、フランスの乗合馬車の発着所の雑貨屋の看板に書かれていたことに由来します。そこから多くの人が利用する乗合自動車をオムニバスと呼ぶようになり、その後略されました。
リストラ:リストラクチャリング
英語で「再建」を意味する”restructuring”から略されたものです。リストラと聞くと人員削減をイメージしますが、本来の意味は事業構造を再構築することです。その中の一環として、人員削減が起こります。
リモコン:リモートコントロール
英語で「遠隔操作」を意味する”remote control”から略されたものです。TVなどに向かってリモコンから赤外線をデジタル信号で送ることでチャンネルや音量などを操作することができます。
ソフトクリーム:ソフト・サーブ・アイスクリーム
海外では「柔らかいクリーム?」となり伝わらない和製英語です。英語では” soft serve icecream”であり、ソフトクリームサーバーの製造などを行っている日世の創業者・田中穰治が日本でソフトクリームを広めるのにわかりやすくするために省略したとされています。
ペペロンチーノ:アーリオ・オーリオ・ペペロンチーノ
唐辛子をオリーブ油で炒めたパスタ料理。正式名称は「アーリオ・オーリオ・ペペロンチーノ」と言います。イタリア語で「アーリオ」は「ニンニク」、「オーリオ」は「オリーブオイル」、「ペペロンチーノ」は「唐辛子」を意味しています。
経済:経世済民
中国の晋朝について書かれた歴史書である『晋書』に書かれた「経世済民」を略した言葉です。現在の政治と同じような意味で昔から使われていました。明治以降、”economy”の訳語として頻繁に使われるようになったようです。
首相:首席宰相
首席はトップを意味し、宰相は辞書で調べると「古く中国で、天子を補佐して大政を総理する官。総理大臣。首相。」と載っています。首相の言葉の中に首相が含まれている二重表現のような言葉です。ただ「首相」は日本国憲法に記載された言葉ではなく、報道などで使われる内閣総理大臣の通称です。
切手:切符手形
お金を払って得た権利の証明となる紙片のことを古くから「切手」と呼んでいました。日本の近代郵便制度の創始者である前島密が、“郵便物に貼って支払済を表す印紙”に「切手」という言葉をそのまま当てたそうです。
出世:出世間
元々は仏教語で、仏陀が衆生を救うためにこの世に出現することを指す言葉で、「出+世間」でした。そこから略され、日本では僧侶が高い位に上ることを意味するようになり、世間一般でも役職が上がることなどを指す言葉となりました。
断トツ:断然トップ
2位以下を大きく引き離すことを指す言葉ですが、元は「ずば抜けて」の意味を持つ「断然」と首位を表す英語の”top”が合わさった言葉の略。そのため「断トツの1位」という表現は二重表現になります。
押忍:おはようございます
朝の挨拶である「おはようございます」から「おっす」と短くなり、さらに「おす」へと略されました。そこから「自我を押さえて我慢する」という意味を込めて「押忍」という漢字が当てられました。
デマ:デマゴギー
大衆を扇動するための政治的な宣伝を意味するドイツ語の「デマゴギー」を略したものです。元の意味の通り、政治的な意味合いを持つ言葉でしたが、昭和になってから、単純に「嘘」や「根拠のない噂」の意味で使われるようになりました。
おなら:お鳴らし
屁を「鳴らす」の名詞である「鳴らし」に「お」をつけて婉曲に表現した言葉で、そこから一文字略されました。元々の言い方の方が上品な感じがあって良いですよね。というのも、一般庶民は昔から「屁」と言っていましたが、宮中に仕える女房たちは隠語として用いていたためです。
電車:電動客車
電動客車をより細かく表現すると、「電動機付き客車」または「電動機付き貨車」となります。電車は架線あるいは軌道から得る電気を動力源として走行しています。
電卓:電子式卓上計算機
計算機という本来役割を表す意味の言葉が略されています。1963年に世界初の電卓が登場し、1964年に現在のシャープから日本初の電卓が発売されました。当時の価格は53万5千円と車を買えるほどの値段でした。今では100均で売られているものもあるのに驚きですね。
ボールペン:ボールポイントペン
英語で”ball-point pen”と言い、これを略した言葉です。ボールという単語が使われている理由は、ボールペンの構造上、先端に小さな回転玉(ボール)があるためです。
インフラ:インフラストラクチャー
英語で「下部構造」や「基盤」を意味する”infrastructure”から略されたものです。電気・ガス・水道・電話・道路・線路・学校や病院などの公共施設など、私たちの生活に欠かせないものを指す言葉となっています。
シネコン:シネマコンプレックス
「コンプレックス”complex”」が「複合の」を表す英単語で、同一ビル内に複数のスクリーンを備えた複合型映画館のことを表します。国内の代表的なものとしては、TOHOシネマズ、イオンエンターテイメント、MOVIX、ユナイテッド・シネマなどがあります。
シャーペン:エバー・レディー・シャープペンシル
シャーペンが「シャープペンシル」の略ということを知っている方は多いと思いますが、実はこれも略語。1838年にアメリカで「エバーシャープ」という筆記具が登場し、その後1915年に現シャープの創設者である早川徳次氏が国内初となるものを考案し、「エバー・レディー・シャープペンシル」という商品名をつけヒットさせました。
ピアノ:クラヴィチェンバロ・コル・ピアノ・エ・フォルテ
イタリア語で「小さい音と大きい音を出せるチェンバロ」という意味です。いつの間にか「小さい音」を表すピアノだけに略され、楽器を表す名詞となりました。元のピアノの意味は今でも音の強弱を表す「メッゾピアノ」や「ピアニッシモ」と合わせて音楽記号として使われていますね。
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kaoriof · 4 months ago
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無題
平穏よりも胸のときめきをいちばんにしたら世界のぶあつい皮膚が一枚めくれたかのようになにもかもが歌い踊りかがやきはじめたのをいまでも覚えている。わたしは親が厳しくて外泊できないけれど、そのあいだに同級生の子たちはうつくしい島の海に反射する満月をみて、だれかと夜通しぴたりとからだをあわせて内緒話をするような、今にもぷつりと切れそうな糸のように細くて鋭い若さを世界の夢に浸らせている。感性を野放しにして、こどものころの感動をひとつずつ取り戻す時間がわたしにも必要だった。けれど思いどおりにいかないこともある、それも定めとおもって歯をぎゅっとくいしばる。わたしには必要だった。路上、白い廊下みたいに澄んだ朝霧をかんじる時間。薄いトップス。ズレた口紅。酔った勢いで入れ墨を彫ってしまう危うさ、煙ったクラブでなにもかんがえずに踊って、好きな男と寝て一限目をサボるとか、夜の街頭を走り抜け、くだらないことに時間とお金を費やすこと。「それだけじゃない、夜に遊ばなくても昼に釣りをしたりサッカーしたりそういう遊び方だってあるだろう。そっちのほうが幾分もまともだ」 おとうさんは夜遅くに帰ってきたわたしを叱りつけ、そう言った。わたしはけしてワルにあこがれているのではなくて、ただただ綺麗なものに飽きただけだった。わたしにとって祈りや信仰はさいしょから型があってそれに当て嵌めてハイ完成みたいなかわいいお菓子作りのようなものじゃなかった。自らを成り立たせるピースを集めた上でそれを食い尽くすくらいの覚悟や貪欲さがあなたにはある?わたしにはそれが足りなかった。昔も今も自分でうつくしい歌をつくれない。うつくしいものがたりをかけない。うつくしい絵を描けない。世の中にはフォロワーが万桁いる女子高生がいて、今、何千もの美術���が開催されていて、明日、いつかオリンピックに出るであろう少年がはじめてスケボーに乗るかもしれない。わたしには何もできないかもしれないけれど、彼らの生き様はわたしをわたしたらしめる微かなエッセンスとしてわたしに溶け込む。それを祈りという言葉で表象してはだめ?これからのことをかんがえると、ずっとどきどきする。目の前の光景が、訪れたことのない地の光が、風が、わたしを、わたしのからだを必要としてる気がする。世界中に張り巡らされた血管がわたしの心臓部にも繋がっているような心地。死ぬ5秒前ってどんな感覚なのかしらないけど、築き上げた塔が崩れてゆく感じなのかな、雪景色のような。
無題
朝起きたら腕に友達の噛み跡と身に覚えのない痣が3つくらいあった。耐え難い疲労がからだのあちこちにひっついて、入れ墨と化している。活字の海を、本をその背に背負えたらよかったのに、今のわたしを崖っぷちに引き止めているのはうつくしい言葉でもなくて、泥に塗れた重いカルマ。イヤホンの先から垂れ流れる音楽すらも風のように軽やかで自由なものではなくて、ねばねばした気持ちわるくてかなしいものに聴こえた。夏と、そのあつさと、その底知れぬ闇に街ゆくものすべてがこころのずっと奥の方で平伏している。昼過ぎにスクランブル交差点前の巨大スクリーンが薄青い空を泳いでいるようにみえたこと、街ゆく人の肌色が、シャボン玉のようにその熱を吸収して発光していたこと、ぜんぶなんか夢みたいにふわふわしているかんじがした。もうすぐでなつやすみなのに、大学入ってからそれまでもずーっと夏休みのような感じだったからあまりどきどきしない。みずみずしくずっと光っていたい。わたしもいつかデカい人間になりたい、いつかいつかいつかという文句ばかりが増えてゆくのを横目でみて、ぜんぶカサブタを剥がすように振り解いて拭ってくれる奇跡みたいな命、日々、音をどうしても期待してしまう。どうすればいいんだろーしにてーと思いながらまたあしたも友人と夜ご飯をたべにいく約束した。それでまた家に帰って、朝起きて虚無感に苛まされて、の繰り返しを大量の課題で中和する。薄暗い中でたべるごはんとか朝早起きして化粧をすることじゃない、今はなにもない海とか草原でなにも繕わずにその自然のデカさとか愛を仰向けになって享受するのがいちばんただしいきがする。たすけてと呼ぶには大袈裟すぎるし。わたしはわたしのことをぜったい見放さない、それだけで充分いっぱいすてきでしあわせで救いだということを今じゃなくてもいい何年もかけて真実にしていく、���るがない愛に変えていきたい。
end
泣き出しそうに張り詰めた空気に鼻を啜る。世界の彩度が落ちて、ぶあつい服を着た街ゆく人たちが皆んなちっちゃな怪獣みたいにみえる。肌寒い。外はずっと灰色、モスグリーン、レモンみたいな匂い。大きな木が揺れて、木の葉の上に横たわっていた雨の滴が霧のように3秒間くらい降った。最近は毎日毎日やることが多くて、それをこなしているあいだに1日が終わる。3日連続で化粧を落とさずに寝てしまった。多くの人が電車にのっているときに外の景色に目をやらないのと同じ感覚で、わたしも生活の外側にひろがる微かな動きに鈍くなった。ずっと特別でありたかった、1番愛されたかった、そういった思春期的な熱望とどんどん疎遠になっていく自分に日々焦ったり安堵したりしている。だけど同時に、わたしの中をまだ生きている17歳のわたしがその面影をときどき覗かせる。期待させる。突拍子もなく走ったり、ゲラゲラ笑ったりする。些細なことで泣いたり、理不尽な世界に怒っている。良くも悪くも変わっていくのなら、これからの自分に期待をしたい。アルバイト先では後輩が6人くらいできて、みんなわたしよりも仕事ができる。わたしはもともと注意をされると衝動的に泣いてしまうところがあったし、シンプルに忘れっぽかった。あまりにも器用に仕事ができないので、ある日店長とそのことについて話し合ったら意識の問題と言われた。その1、人からのアドバイスに劣っている自分を見出してはだめ。その2、素直に人からの意見を受けとる。その3、自分のためでなくだれかのために働く。この3つを約束した。夜の繁華街で50歳の男性に飲みにいきませんかと声をかけられたり、あした授業にどんな服でいくかを考えながら化粧品を見に薬局に寄り道したり、腕に点々とのこる虫刺され痕をみて、それを残した蚊のことを考える。あした、図書館で借りた本の返却期限。わたしもちっちゃな怪獣になって寒さをまるごと食べてしまいたい、寒い日の、霞んだ光やクリアな淋しさ、果実のようにぎゅうぎゅうに酸っぱい気持ちを。
slow burning
大学一年生というよりも、高校四年生というような振る舞いをしているなあ、と自分のことを客観視する。新宿の横断歩道橋から行き交う人々を眺める。つい最近まで、委員会の同期の仲の良さにムラができていて、グループとかカーストとかそういう言葉が浮上してきてしまうほど揉めそうになっていた。それでも、それぞれが居心地の良い場所にしようと歩み寄っている。こういう、諦めによる愛想ではなくて心からの気持ちに���を打たれる。明大前の飲み屋で酔っ払って「俺みんなのこと愛してるよ」と照れ笑いする先輩に、わたしたちみんな、キモいねーなんて言って茶化した。そのあと夜の大学で騒いでいたら警備員に注意された。机の下に10円玉を落としたのを拾わないで帰る。いつまでも赦されていたい、わたし、山猫のような女の子でいたかった。すぐ隣、肌すれすれにだれかの温もりを感じて弱さを誤魔化すのではなくて弱さを共鳴しあっていたい。「東京の人は生き急いでいる」なんて言葉があるけれど、わたしは美しい光景がそこに広がっていれば必ず立ち止まる人でありたい。仕事に遅れそう、とか、終電が、とかじゃない、好きな人たちのためだけに忙しくありたい。恋人は待ち合わせをするとき、「どこでおちあう?」と聞くのだけど、高2の頃、初めて会う日、それを「(恋に)落ち合う」と勝手に解釈して死ぬほどどきどきしたのを思い出した。それからわたしも「どこで落ちあう?」と聞くようにしている。ドア窓の形に切り取られた青い影が電車のフロアに映って、がたんごとんという音に沿ってフィルム映画みたいに小刻みにうごいていた。池袋で新疆料理をたべて、お腹を下す。スペイン語の中間試験。木曜日、ほんとうは1限に英語の授業があったんだけど、財布を忘れたいせいで交通費が若干足りなくて新宿駅から乗り換え先の電車に乗れなかった。その旨をインスタのストーリーに載せたら、一度しか喋った事ない同じクラスの男の子から「抜け出していくわ、」とだけ連絡が来て、本当にきてくれた。クラスで唯一金髪で、派手で、いつも高そうな服を着ている。ピーナッツをぼりぼり食べながら、ダーツをする。わたしが2回勝って、可哀想だったからあとの1回は負けてあげた。それからは何も無かったかのように授業では一言も喋らない。お互い、目を合わせないふりをしているような、ふしぎな距離感を保つ。渋谷で5分1000円の手相占いをしたら、鎖みたいにいくつもの線が絡まっていますね、と言われた。意外と気にしいなんじゃないですか?「そうですね」と答える。駄菓子屋で1000円使い切ったほうが幸せになれそうだとおもった。電車の隣の線路にカラスが一羽いた。こんなに近くでみるのははじめてだ、と思って、じーっとみつめた。黒なのに黒じゃなくて、光を受けて渋いグリーンや紫っぽくみえる羽毛に目を見張る。なんか、空はどこまでも真っ青なのに光の細部だけ色があたたかい夕方前みたい。ふわっとなにかに気付いて、じーっとそれを見つめて、そこになにかが“視える”とぜんぶ途端にスローモーションになって、焦燥感や虚しさがたちあがってくる瞬間が���る。からっぽなのにぎゅうぎゅうな感じ。AirPodsをケースにしまう音が体感的に5秒間くらい耳に残ったり、自分の息遣いにどきどきしたり、すれ違う男子高校生の会話声や、鳥が羽をはためかせる様子がクリアに輪郭が保ったまま空中を転がる。ガムを買って噛みながら、心のもやもやしたなにかを同時に小さく噛み砕いてゆく。光の洪水。家に帰ってパスタをたべたあと、お風呂で下の毛をつるつるにする。夕方終わりにお風呂に入るの、とても好きだなあと思う。コンタクトレンズを外さないまま、化粧も落とさずベッドへダイブする。瞼の裏に東京タワーの赤がたましいの塊みたいにまあるく光っている、はやく何もかも諦められる年齢になりたいと思う。
無題
なんかまじでわたしが疲弊していて悲観しているのか、世界が残酷なのかわからなくなってきた。脳科学の講義を受講したあと、テキトーに混雑した休日の街をあるいていたら皆んなの脳みそが透けて浮きでてきそうで気持ち悪くなった。地球4周分の神経線維。そう、どでかい爆弾が街ゆく人々の頭蓋骨に葬られている。ニューロンが軸索を介してつながってゆく、放出と受容を繰り返してみんな手を繋ぎあってゆく。セール中でバイトの雰囲気がぴりぴりしていて、みんな資本主義の豚みたいに働いていた。うつくしくないとおもったし、私も美しくなかった。結いた髪に、ぴたっとあげられた前髪。なにを思っているのかを書くのがずっと怖かった。もしかしたら私の感じているこの欲望はとても汚らわしいもので、それゆえにだれかを傷つけてしまうかもしれない。でも、言葉にしなければすぐにわすれてしまう感情に名前をあげなくなって、水をあげなくなって、そうしたら、じぶんの脳みその溝をうめていたみずみずしい苔までもがすっかり枯れきってしまって虚構を連ねるようになった。空洞に哀しみの音だけが響き渡る。友達はいるけど、私はその友達の1番になれない。恋人みたいな人はいるけど、私はその恋人の1番にはなれない。1番っていうのはほんとうの意味での1番、2番とか3番とかがいない1番。圧倒的な2人の世界の中でのフェアで高貴な1番。有名になりたかった。文章でも外見でも写真でもなんでもいい、だれにも敵わない羽根で世界を羽ばたいてみたかった。わたしを選ばないで、そこらへんのそれっぽくかわいい女の子を選ぶかっこいい男の子たちを信じられないでいる。外国に行ったらモテるよ^_^と投げかけられた言葉について何回も考えるけど、考えるたびにかなしくなる。でもね、神様はいるとおもうの。木漏れ日の首筋に、砂丘のしずけさに、広大な空の一枚下に、その温もりと永遠が芽吹���ているのをしっている。そのたびに、わたしはこの世界に愛されていて、まだ19歳で、まだ何にでもなれて、そして世界を(気持ちがあふれてしまいそうなくらい)等身大で愛しているドラゴンみたいにかわいい女の子だとまじないを唱えるようにして心を強く保つ。アスファルトに散った桜が朽ちて、吐瀉物のようにグロテスクにぬるい光を浴びている。走り抜ける!だれかの憎悪の中に、疑念の中に、見下しの中に憧憬の眼差しを覚えながら。東京で灯される光の数だけ、アフリカの広原でつややかな花が咲けばいいのに。光の重さの分だけ、銃弾が軽くなればいいのに。帰り道、ひさしぶりにパンを買って帰った。
日記
弟がiPadのタッチペンを無くしたらしくて、それを聞いた母がすぐにAmazonで検索して新しいのを買った。こういうとき、ほんとうになんか小さなことだけれど、すごく心が愛にみちる。
大学の新校舎の建物のにおいが400人もの人が集まった大教室の縁をすべっていく。扉を開けた瞬間、目と目と目がわたしの顔を捉える。湿気漂うフロアにだれかがペンを落とす音、先生のマイクが吐息までもを拾って湿った熱を加速させる。「儚いって聞いて何を思い浮かべますか?蝶?蛍?蝉?トンボ?」 教授がそう聞くと、みんなのえらぶ選択肢がちょうど均等に分かれる。講義が終わるといつもすぐに帰るイケてる男の子が蛍を選んでいて、なおさらかっこよく見えた。わたし、インスタのフォロワーが490人いるんだけど、その人数って今見てるこの人たちよりももっともっと多いのかと思うとなんか心強いような息苦しいような、不思議な気持ちになるなーとぼんやり思った。君たちはぶっちゃけ勝ち組です、という先生がキモかった。海外の大学院に行きたい。わたしはもっともっと色々な人を知るべきだし、美しい景色にであうべきだし、貪欲に学ぶべきだとおもうから。聡明になって、お金を稼いで、将来だいすきなひとたちにたらふくご飯をたべさせてあげたい。お母さんとお父さんが育ててくれた、守ってくれたこの心の真ん中にそびえる愛情のかたまりを誰かに分け与えていきたい。でも、そうとも思うけど、逆にそれをこなごなにさせてくれる危険性や若さゆえの解放にも目が眩んでしまうの。「今しかできない」ってとてもずるい言葉だなあ。
19さい
19歳とかいちばん呪われていた1年だった。まだハタチじゃないけど、もうそうさせて、と思うくらいに、1年のあいだに10年分くらいの幸せと不幸せがぎゅうぎゅう詰めに、どっちがど��ちかわからなくなるくらいに入り乱れててくるしくてさみしくて悲しかった。くるしかった。わたしと同じ純度で、等しく、あいしてほしい。あいされたい。
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よしもとかよ 「日々是好日」。vol.144 (2024/10/9 + 10/16)
2024   9th + 16th october  
M1 cursis melodias (Natalia Lafourcade)
  M2 秋 (Szaloki Agi)     M3 butterfly jar (Eddi Reader)
  M4 les feuilles (Austine)     M5 Eo-lin Nal (Lee-tzsche)     M6 Paris, l'apres-midi (Zaz)     M7 秋のランデヴー (Francoise Hardy)       M8 lune de lait (Les Innocents)      
[好日の素…蝶の一生を見守ること、再び。]   
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すっかり毎年秋の 恒例行事?となりました、 ツマグロヒョウモンの生育観察。   今年は9月下旬に 産卵があり、 収録の当初は17匹だったのですが その後10匹増えました…笑   それでも、やはり 夏が厳しかったことも 影響しているのか、 昨年よりは少ない印象。   何十匹もいると 客観的にはさすがに ぎょっとするかもしれないのですが、 卵から孵化して ずっとお世話していると、 結構平気になってしまっているから 不思議です。 脱皮や蛹化の際には がんばれ…!なんて応援目線に なってしまったり。   昨年は11月に生まれた個体もあって 最期を看取るところまで お世話したのですが、 今年は今のところ 気温は下がってきているけれど まだ彼らが育つ気温としては それほど低くないので、 なんとか寒くなる前に みんな羽化できたらいいなぁと思っています。    
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[日々是食べたい!… メロンパン]  
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  前々回のまくわうり、前回のゴーヤーに 続き…というわけではありませんが(笑、 ふと思い出したことがあって 今回フィーチャーするのは 日本の菓子パンの代表格のひとつ、メロンパン。 SNSなどを拝見していると、 海外の方でもお好きだという声があったりします。   さすがにこれは じぶんでつくったことはなく、 市販品から手作りのもの、そして 地域限定のものまで 今まで食べてきているので 身近な存在。   その割に 由来なども所説あって 知らないことも多い、謎の一品です。   メロンパン、の名の通り メロンの果汁や香りが加えてあるものもあれば、 全くその逆で 今の季節ですと 栗や紅茶のメロンパンというものも。 クッキー生地があるもの、ないもの、 クリームがはさんであるもの、ないもの…。 とにかくバリエーションがいろいろで、 不思議なパンだなぁ、と思うわけです。   そして、わたしが初めて食べた メロンパンというのが… 能登の祖父母の家に行ったときに 近くの商店で買った、メロンパン。 これが、クッキー生地なし、 クリームははさんであるけど メロン味ではなく、さらには 丸ではなく紡錘形! でもパッケージには「メロンパン」と。   それがものすごくおいしくて、 でもメロンじゃないよなぁ、と 子供心に思っていて、ずっと謎でして。 そんな経験もあって、 歳月を経てもメロンパンを食べていたのです(笑。   それが、この度! このコーナーでお話しするために 調べていたところ、 紡錘形のメロンパンは主に 関西に存在する、ということが分かりました!!!   ごはんの盛り付けに使う 紡錘形の型をメロン型というそうで、 その形のパンだった、と思われます。   編み目のついたメロンパンも もちろん好きですけど、 その紡錘形の、わたしにとっては 幻なのか、とずっと思っていたメロンパン、 関西に出向く機会があったら ぜひとも探して再会したいものです…!
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harawata44 · 7 days ago
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缶詰の生みの親はまさかのナポレオン⁉開発のいきさつは? - Peachy - ライブドアニュース
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以下引用
地球と太陽、誕生のひみつ。地球はいつ、どうやってできたのか? 地球上で起きていること、どれだけ知っている? この地球で当たり前に感じていることでも、うまく説明できないことがありますよね。例えば、「青い空が夕暮れに赤く染まるのはなぜ?」「台風が日本列島めがけてやってくる理由は?」 そんな地球に生きる私たちが知っておくべき「理系雑学」をご紹介します。太陽系を含む地球の歴史をはじめ、地球上で成立した大自然や気候、動植物、資源など、地球をめぐる大疑問にスッキリ回答!あらためて考えると、私たちはこの地球にまつわるさまざまなことを、じつはほとんど知らないのかもしれないかもしれません。 ※本記事は雑学総研著の書籍『人類なら知っておきたい 地球の雑学』から一部抜粋・編集しました。
■ナポレオンが缶詰の生みの親だった!? そのいきさつとは!
保存がきいて手軽に食べられる缶詰は、台所で、アウトドアで、そして防災食としても心強い存在。この缶詰の生みの親がフランスの皇帝ナポレオンだなんて信じがたいが、聞けば納得できるいきさつがある。 まだ若い下士官だったナポレオンは、軍用食として長期保存できる食糧の必要をひしひしと感じていた。その頃の軍用食は、乾燥させるか塩や酢に漬けたものくらいしかなく、味が悪いのはまだしも腐敗していることもよくあった。 これでは将兵の士気も上がらないと、ナポレオンは政府に働きかけると、高額の懸賞金をつけて公募することになった。 食品業者で菓子職人のニコラ・アペールは、この公募を知るとさまざまな食品を使って試作を繰り返した。そして、調理した食品を瓶に詰め、軽くコルク栓をして沸騰させ、空気を抜いてからしっかり栓を締めて密封すると、長く保存できることを発見したのである。 見事に懸賞金を得たアペールがその原理を本にすると、たちまちヨーロッパ各地で翻訳されて評判となった。だから缶詰は、もともとは瓶詰めだったわけだ。 その後、イギリスでよ��携帯に便利���軽くて丈夫な缶詰が発明され、世界中に普及していった。ところが、肝心の「缶切り」が発明されたのは、それから50年ほど経ってからのこと。それまでは、缶詰を開けるたびにノミとハンマーを持ち出さなくてはならず、兵士たちも銃剣やナイフでこじ開けたりしていた。 日本で初めて缶詰がつくられたのは1871年のことで、中身はオイルサーディン、つまりイワシの油漬け。早くもその6年後には、北海道で缶詰工場が稼働を始めている。 著=雑学総研/『人類なら知っておきたい 地球の雑学』
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marcomarumaru · 16 days ago
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dinlukeの小説
season3の後のディンさんとルークです。
「Adelphi」
 時々無性に人肌が恋しくなる時がある。そういう時は理解ある友人のところまで出向くか、そこそこ規模の大きな繁華街を持つ惑星に足を運び一晩の相手を探す。でもそう言うことをしている余裕がない時もある。むしろそう言う瞬間の方が多い。
 燃料補給のために訪れたアデルファイ基地で、ふと人肌が恋しくなった。
 この衝動は何か月も音沙汰がなく静かにしているかと思えば、猛烈な勢いで僕を突き動かす時もある。今回の衝動はいつも以上に強烈だった。基地には沢山のパイロットや戦闘員や基地スタッフがいる。彼らの多くが僕が何者かを知っているから、もし人肌を求めて声を掛ければ、そのほとんどが断りはしないだろうが、でもどうにも気が乗らなかった。僕はもう現役のパイロットではないが、幸か不幸かそこそこ名の知れた元軍人で彼らとは力関係が不均衡だ。話しかけるだけで相手を断れない状況に追い込む可能性があったし、何より新共和国軍の軍人に手を出せばあっという間に噂が広まりかねない。それは僕だけでなく、身内、特に元老院で議員として活躍する妹に悪い影響を与えてしまうかもしれない。
 挨拶をしてくる軍人たちを横目に、僕はXウィングまで足早に基地を横切っていた。この星系に人の出入りが多い大型都市のある惑星はないか頭の中でぐるぐる考えていると、不意に呼びかけられた。
「スカイウォーカー」
 振り返ればマンダロリアンのディン・ジャリンがこちらへ歩いてくるのが見えた。彼は一人だった。
「やあ、マンダロリアン、久しぶり」正直そわそわと落ち着かなかったが、彼の前ではどうにか衝動を抑えていつものようにジェダイらしく振舞った。「こんなところで再会するなんて思いもしなかった。ここで何を?」
「仕事だ。もう終わったが」
「へえ、新共和国の仕事をしているのか。いつから軍に?」
「……あー、軍には所属していない。ただ協力してる」
 もし僕がここの責任者なら聞き捨てならない言葉だ。ここは民間人がうろつき回っていい場所じゃないし、新共和国の防衛軍が民間人に協力を要請するのはかなり��しいことだ。モン・モスマ政権のもと軍縮が進む中、軍における規則や権限はかなり厳粛なものとなったはずだ。だが僕はもう軍人ではないし、何よりも急いでいた。
「そうか。お勤め御苦労」
「あんたはどうしてここに?」
「燃料補給のために寄ったんだ。元軍人だから、燃料代を割引してもらえる」ちょっとケチ臭いだろうか。でも事実だ。それに組織の後ろ盾なく一人で生きていくには節約が必要だ。ああ、どうでもいいことを考えるのを止められない。「ところで、グローグーは元気にやってるかい?」
「ああ、有り余るほど元気だ。仕事の間だけ友人に預けてるが、定期的に友人から彼の様子が報告されてくる。ホロ写真を見るか?」
 マンダロリアンはリストバンドを操作して青白いホロ動画を再生させた。きっと見せたかったのだろう。それはグローグーがキッチンかどこかの高いところに置いているお菓子の缶をフォースで引き寄せようとする動画だった。周囲のものまで薙ぎ倒しつつ、彼は目当ての缶を掴んで嬉しそうに笑っている。
「彼は時々言う事を聞かなくて、おまけにフォースで動き回れる範囲が広まったし、ものを引き寄せたり壊したりして、家と俺の感情を滅茶苦茶にするが、それでも可愛いし日々成長しているのを感じる」
「……大丈夫?」
 表情は見えないが、疲れた声音からこのマンダロリアンがかなり子育てに参っているように感じた。もしかすると今回の仕事は稼ぐためと言うだけでなく、気分転換のために受けたという面もあるのかもしれない。
「俺は大丈夫だ。でももう少し彼が落ち着いてくれたら、もっと大丈夫になれる」
「あの子は瞑想とかは……」
 彼はいささか食い気味に首を横に振った。
「フォースの制御は……」
「気の赴くままに使ってる。遣り過ぎてる時もあるように思う。でも他人を傷付けたりはしていない」
「もちろん分かってるよ。彼はそんな子じゃない。でも、我慢する術を教えないと。心を平静に保つ方法も。瞑想は気持ちの整理に繋がるし、定期的にするといいよ。やり方は知ってるかい?」
 マンダロリアンは僅かに肩を落とした。
 なんだか無性に哀れに思えた。「……良かったら、教えようか?」
「本当に?そうしてくれたら助かる」彼の手が僕の肩にポンと触れた。
 たったそれだけのことだが、何かのスイッチが入るような音を耳の奥で聞いた気がした。
 ディンの出現で大人しくしていた衝動が唐突に舞い戻ってくる。この目の前の男。このマンダロリアンならいいんじゃないか。いや、何を考えてる。彼の子どもを教え導く立場を相手は求めているんだぞ。もちろん良くない。
「それでいつからにする?今から一緒に来てくれるか?」
「……すまないが。今は都合が悪いかな」
「何か差し迫ったジェダイに関する用事か?」
「あー、差し迫ってはいるけど……その……」
「俺��よければ手を貸す。あんたの力になりたい」
「手を貸してくれるのは嬉しいけど、君には少し難しいかも……」
「そんなことない。なんでも言ってくれ」
 真正面から驚くほど近い距離で相手が自分を見つめている。顔は見えない。でもその距離のせいで、初めてこのマンダロリアンの匂いを感じた。オイルと鉄、衣類用の洗剤、それから微かに汗の匂い。
「じゃあ、私とセックスしてくれる?」
 彼はまるでホロの静止ボタンを押したように固まった。
 こちらも微動だに出来なくなった。口に出すつもりはなかった。何日も前からずっとシたいという単純な欲求が僕の中で渦巻いていて、それをどうにか無視してきた。しかしとうとう、今日こそは誰かと繋がらないと気が収まらなくなっていた。優しく、あるいは激しく抱かれたくて仕方がなかった。ベッドの上では英雄だとかジェダイだとか、重要人物として扱われることはなく、ただ一人の男として誰かと欲を育み、高め合い、そして吐き出したかった。でもそれを求めるのはこの彼じゃない。
「すまない」僕は慌てて彼に謝った。
 しかし相手はまだ固まっている。不審に思って、バイザーの前で指をパチパチと鳴らすと、ようやくディンは反応して軽く首を振った。
「さっきは血迷った。忘れてくれると助かるよ」
 なんとか肩を竦めて誤魔化した。だが彼は誤魔化しなど一切無視して僕に頷いてみせた。
「わかった」
「え?」
「セックスしよう」
 爽やかな風が窓から吹き込み、僕の髪を撫でる感触で目が覚めた。淡い光が窓から差し込み、緩やかな風が薄い色のカーテンを揺らしている。ぼんやりとした視界が、瞬きすることで少しずつ輪郭を得ていく。眠りの世界から現実に引き戻されていく、時に耐えがたい瞬間だというのに、柔らかなクッションやマット、温かい毛布があまりにも心地よくて、しかもまるでフォースが祝福を与えてくれているような優しい感覚が体中を取り囲んでいて、滅多とない最高の目覚めを経験した。
 僕は寝返りを打ち、自然と満足気な溜息が漏れるのを止められなかった。手足や口や尻や股がほんの少し怠いけれど、それはこの清々しい気持ちを邪魔するほどではなかった。
「目が覚めたか」
「うぉ!」
 まさか誰かがいるとは思っておらず、つい驚いて変な声が出た。飛び起きて声がする方へ振り返れば、全身ベスカーアーマーを身に纏った男がベッドサイドの椅子に腰掛けているのが視界に入った。
「……おはよう」
 つい「なんでいるんだ?」なんて最低な疑問が口から飛び出しそうになったが、どうにか気持ちを切り替えて、無難な朝の挨拶をすることが出来た。
 ディンは「おはよう」と聞いたこともないほど優しい声で返事をした。
「あー、私は寝過ごしたかな?」
「いや。そうでもない。ただ俺がずっと起きてただけだ」
「��うして?」
「あんたを見張る必要があった」
 一瞬肝が冷えかけた。なんせ僕はジェダイだ。疲れていたとはいえ、他人の気配を感じながら呑気にも寝扱けていたなんて修業が足りない。そもそも危険だ。
「あんたに何かするつもりはないし、何もしていない」ディンは慌てて説明した。「ただ、俺は顔を晒せない。だからもしあんたが先に起きて俺の顔を見てしまうと困るから、ずっと起きている必要があった」
「そんなことしないよ。昨夜も顔は見なかっただろ?」
「ああ……あんたは俺のために目隠しをしてくれた」
 ディンはそっと僕からの視線を避け俯いた。顔は見えないが、彼が恥ずかしがっているのがわかる。意外にこのマンダロリアンは表情が豊かだ。彼は僕が彼に配慮したことを喜んでいるようだった。もっとも、ディンには悪いが、目隠しがあろうがなかろうが僕には大きな違いはなかった。確かに直接的に顔を見ることは出来ないかもしれないが、フォースを通せば相手の存在や動きや時には考えさえも読むことが出来る。昨夜も目隠し越しでさえ、ディンの感情がよく分かった。
「昨夜は……最高だった」
 熱に浮かされたような相手の口調に、少しばかり居心地の悪さを感じる。
「俺たちはまるで一つの生き物みたいで、肉体という隔たりが存在していないみたいに混ざり合っていた。あんなに息の合った行為は初めてだ。何度も絶頂したのも初めてだ」
「それは良かった」ディン・ジャリンは案外明け透けな性格のようだ。あまりに素直に昨夜のセックスを喜ぶ姿に、こっちが気恥ずかしくなってしまう。
「全くの裸になって誰かと抱き合うのはあんなに気持ちが良いなんて知らなかった」
「そうか」
「何もかもが初めての体験だった」
「君のいい思い出になれたようでよかった」なんだか落ち着かない。
 僕は周囲をざっと一瞥した。ベッドはぐちゃぐちゃだし、水差しが倒れているし、部屋中に服が散らばって妙に雑然としている。床に落ちていた自分の下着や服をフォースで引き寄せる。それだけでディンはどこか尊敬のまなざしで僕を見る。やめてくれ。ただのセックスだ。
「俺たちが最後の絶頂を迎えた時のこと覚えているか?周りの物が浮いたんだ。椅子も小物も、ベッドまで浮いていた。超自然的な空間で、俺たちは浮かびながら、深く繋がっていた。あの浮遊感は、なんと言ったらいいか……とにかく、本当に、凄まじかった」
「わかった」最悪だ。あまり良く覚えていないが、フォースをコントロールできずに浮かんでしまったようだ。「わかったからもういいよ」
「ジェダイは皆そうなのか?それともあんたが特別なのか?」
 僕はもう答えなかった。熱心に昨夜の感想を語る彼の姿から、今さらながらこのマンダロリアンにセックスを申し出るんじゃなかったと後悔した。どこかの街で適当な男を引っ掛ければよかった。例えリスクがあろうとも、僕はそうすべきだった。
 ブーツを履き、ベルトを締め、ライトセーバーを腰に下げて、それからローブを掴む。少し皺が出来ている。
「出るか?」
 いつの間にかディン��僕の傍まで来ていた。僕は頷くことも返事をすることもなく、部屋のドアを開けた。背後のマンダロリアンに出るよう促すと、彼は大人しく従った。
 僕らは昨夜アデルファイ基地から三〇分ほどスピーダーで移動した先にある寂れた宿で部屋を借りた。既に夜遅かったが、幸いに殆どの部屋が空き室になっていて、パーキングスペースにも二、三台スピーダーバイクが停まっているぐらいで、人影はほぼなかった。それは僕にとって非常に都合が良かった。アデルファイは軍関係者が多いから、僕は時々人目を引いてしまいがちだ。しかし昨夜は誰にも邪魔されず夜を過ごせたおかげで、いささか羽目を外しすぎたようだ。
 部屋の管理は全てオートになっており、ドアを閉めると直ぐに利用時間から割り出した宿泊料を請求された。ディンが払おうとしたので、彼を押しとどめて先に会計を済ませた。部屋を離れると直ぐに清掃ドロイドが飛んでくる。「ご利用ありがとうございます、またのお越しお待ちしております」なんて言われてまた居た堪れない気持ちになった。
 直ぐにでもXウィングに飛び乗ってこの場を離れたかったが、生憎と船は基地の中に置いてきた。ファイターは目立つし、何よりも詮索好きの相棒に邪魔されたくなかった。R2-D2は最後まで渋っていたから、戻ればきっと小言をぶつけられるだろう。
 来た時と同じように配車サービスを頼むしかない。ふとディンに振り返ると、彼もそれがいいと思っているようで、頷いて見せた。
「今度は俺が払う」
 断るのも妙だったから、大人しくその申し出を受けた。
 基地の前では直ぐに有人タクシーを拾えたが、ここは辺鄙な場所だからか、なかなか頼んだスピーダーがやってこなかった。ドロイドによる配車なら数も多く昼夜問わず活動しているので到着が早いのに、ディンはどうしてかそれを良しとしなかった。彼曰く見知らぬドロイドは信頼できないらしい。人間の方が頼りにならないし、信用もできないとは思うのだが、金を出すのは彼だ。彼のしたいようにすればいい。
 スピーダーを待つ間、段々お腹が減ってきた。ディンはどう思っているのか、何も言わずただ道端に立ち、どこまでも続く道路の先を見つめている。僕はパーキングエリアの端にある自動販売機でショートブレッド型の栄養食やゼラチン・チューブ、水などを購入した。割高だがないよりましだ。
「マンダロリアン」
 話しかけると彼が振りかえる。栄養チューブを投げてやると、彼は難なく掴んだ。
「お腹空いてるだろ。何か食べたほうがいい」
 彼はジッと僕を見つめている。おそらく人に見られていると食べられないのだろう。
「このタイプならヘルメットを取らずに食べられるかと思ったけど、やっぱり私は君に背を向けた方がいいかな?」
「……ディン・ジャリン」
「なに?」
「俺の名前だ」
 彼のバイザーにこの��系の黄色い太陽が当たってキラキラ輝いている。中身は見えない。でも彼が僕を見つめているのは、やはり手に取るように良く分かる。
「昨日は何度も呼んでくれた」
「……そうだったね」
 僕は真顔になるのを止められなかった。代わりに、手の内の栄養食に気が向いてるふりをして、彼の視線を避けた。包装を剥がしオレンジ色の固形物をほんの少し口に含む。甘いような塩っ辛いような、微妙な味付けだ。
「俺と寝たことを後悔しているのか?」
 一瞬ドキッとした。「まさか。後悔なんてしてないよ」
「でもさっきから、あんたは緊張してる」
「そんなことないさ」
「俺の視線を避けているし、昨夜のことを話題にすると気まずそうにしてる」
「……」
 僕はマスター・ヨーダやオビ=ワン・ベン・ケノービに散々指摘されて以来、ここ数年は努力して平静を装ってきたが、昔から感情を隠すのは下手だ。特にこのマンダロリアンには時々うまく対処できなくなる。自ら禁じたはずが彼の熱意に負けて結局アカデミーの場所を教えてしまったり、昨夜のようにプライベートな部分をついつい晒したり、何故か自分を制御できなくなる。これは良くない兆候だ。
「昨日あんたにヘルメットを取るように提案された時、俺は少し警戒した」
 ディンはぼそぼそと続けた。
「でも、あんたは無防備になるかもしれないのに進んで目隠しをしてくれた。こんな風に気を遣われたことは今までなかった」
「そうなのか?」
「セックスなんてお互いの局部さえ晒していればこと足りる。入れたり出したり、擦ったり、握ったり。そう言うことをするだけなら態々ヘルメットを取る必要はないだろ」
「確かに」
「今まで俺に顔を晒せと言ってきた連中は俺を辱めるために強引にヘルメットを取ろうとした。そうなるとセックスどころじゃなくなる。相手を倒すか、場合によっては殺さなきゃいけない」
 物騒だなとは思ったが、言わずにおいた。アソーカから彼は厳格な宗派のマンダロリアンだと聞いていた。今の時代マンダロリアンはただでさえ数が少ないが、彼の派閥はその中でも少数派らしい。それにマンダロリアンはジェダイと同じように、無理解で攻撃的な態度を向けられがちだ。彼の苦労が僕にも少しは分かる。
「正直に言うが、あんたが最後まで目隠しを取らなかったことも、俺が見ている傍で安心して寝ていたことも、とても嬉しかった」
 彼は僕の顔を覗き込んだ。銀色のベスカーに眉を寄せた自分の顔が写っていて、そのせいか妙に落ち着かない気分になった。
「あんたを一族に紹介したい」
「……は?」
「俺たちのアーマラーに会ってほしい」
「〝甲冑師〟?」
「彼女は俺のこのアーマーやグローグーの鎖帷子を作った鍛冶職人だ。そして俺の指導者であり相談役でもある。俺たちの一族にとって欠かせない存在だ」
「なぜ私がその人に会う必要が?」
「彼女にあんたとの関係を見極めてもらいたい」ディンはスッと背筋を伸ばし、姿勢を正した。
 僕はそんな彼を見つめ、彼が手に持っている栄養チューブのけばけばしい包装が彼の重々しい雰囲気と全くそぐわないなんて、どうでもいいことを���えていた。
「一晩中、椅子に座って考えていた。俺たちが昨日アデルファイ基地で再会し、そして体を重ねたことには意味があるんじゃないかと」
「あー……それはどうかなぁ……」
「あんたは俺を選んだ。そして俺もあんたを選んだ。俺たちの間には絆があり、今後もその繋がりがどう発展していくか見守っていくべきだと思う。その為にはアーマラーから、ジェダイとマンダロリアンの性的関係は掟に反しないのか確認してもらう必要がある」
 色々と理解しがたいことが次から次へと出てくる。
「そこまでする必要あるかな?私達がこれからも関係を続けるかはわからないだろ?」
「なぜ?」
「昨日のは成り行き上そうなっただけのように私は思う」
「……」
「もちろん最高だった。それに久しぶりに泥のように眠れたことには感謝している」
 ここ数日忙しくて色んなものが溜まっていた。だからこのマンダロリアンに無防備な姿を晒してしまったのかもしれない。それ以外に寝扱けてしまった理由が思いつかない。
「でも、今後はどうかな。はっきり言って一度寝ただけの相手を一族に紹介するのは時期尚早だと思うよ」
 ディンは僅かに斜め上を見上げて、首を傾げ、それから僕へ視線を戻した。
「じゃあ、後何度かセックスすれば、一緒にマンダロアに来てくれるか?」
 一瞬思考が止まった。ディンは変なことは言っていない。ただ僕の遠回しの辞退に気付いていないだけだ。今のは僕の言い方が悪かった。
 どうしたものかと考えを巡らせていると、丁度その時、道路の向こうにスピーダーの影が見えた。それは遠くからクラクションを鳴らしている。ディンはもう既に僕に顔を向けていない。道の端に立って、運転手に向かい軽く手を振っている。旧式の車体はガタガタと騒がしい音を立てて僕らの前に停まった。
「ルーク、行こう」ディンはさっさと後部座席に乗った。律義に僕が座りやすいよう、場所を空けている。
 僕に振り返り待っている彼を見て、不覚にも動揺してしまった。
 彼は〝何度かセックスをすれば〟と言った。そしておそらく僕らは今日を境に、今後も何度か体を繋げることになるだろう。どういう結果が待っているかは別として、少なくとも彼はその気だ。いや、彼だけじゃない、断るべきとは分かっていても僕は悪くないかもしれないと悩んでいる。
 ディンが僕を最高と評したように、僕も昨日の彼を最高だと思っていた。悔しいが、僕らの体の相性は抜群だ。
 止めたほうが良い。彼は元教え子の保護者で、僕らはまだお互いをよく知らないし、僕はジェダイで彼はマンダロリアンだ。生き方が全く違う。おまけに彼は直ぐにでも一族を紹介しようとする男なんだぞ。面倒なことになるのは目に見えているだろ。
「はぁ……ダンクファリック」小声で悪態を吐き、僕は殆どやけくそな気持ちで彼の隣に飛び乗った。
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chaukachawan · 1 month ago
Text
【世代交代】カーナビに「ドラックストアのある交差点を左」って言われた際、目の前にドラッグストアが3店舗見えていた私が、それでもサッポロポテトを選ぶ理由.zip
(PS:下の方にビアゲの役者紹介があります)
 西南図書館24周年、おめでとうございます。私は「『いきのこり⚫︎ぼくら』にのせて懐かしいものを紹介しているだけのYouTube shorts 撲滅委員会」で会計をしている、近未来ミイラです。最近こういう動画を目にする機会減ってきたでしょう?あれ、私たちのおかげなんですよ。感謝してくださいね。そして皆さんはくれぐれも過去に囚われて、旅行先にLと書かれたコンタクトレンズだけを持ってくるような真似はしないように気をつけてください。この世にはRも必要です。私は本気です。やってやんよ。
さて、仕事の引き継ぎと通信速度ははやい方がいいだなんて言いますが、ちゃうかで引き継ぐべきものは仕事だけではありません。解散の挨拶、ケミの折り方、大集会室に見回りが来るのが20:00頃と22:00頃だという研究結果。まぁ色々ありますが、中でも私が引き継がねばならないと考えているのが、かの有名な天照大神の自宅に併設されたクラブハウスでDJをした経験があるという、NASUKA A.K.A. たぴおか太郎 さんによるtumblerなのです。
私は、たぴおかDJアゲ太郎が引退する前に、何とかしてこれを継ぎたい。習うより慣れよ。私は早速たぴおか太郎になりきることにしたのでした。
しかし、桃色サンゴへの道はそう容易いものではないということくらい容易く想像できます。このままでは私がなすかさんの文体の全体を会得するより前に、先輩が引退してしまいます。
先輩の稽古日誌を観察していたら、とりあえずちゃんと稽古日誌としての役目は果たしていたので、一旦そのパートやります。でも稽古してないのでただの日誌です。
⭐️間接照明って名前ダサくないか?稽古日誌
コンクリートと殴り合い(敗北)
タンバリンに鉛筆で落書き(怒られた)
海���の小道具の精度に脱帽(すごい)
はらぺこあおむしを逆から読む(退化)
たなからバター餅(略してたなばた)
ピコ太郎の再燃(アツい)
おせち料理を意地でも漢字で書く(御節)
蚊が何故かまだ猛威をふるっている(許せん)
⭐️直接照明とは言わないのにね〜〜〜
ここまで書いて私は思ったわけです。いやたぴおか太郎難しすぎんか???
もう諦めようかな……。
???「君には失望したよ……」
はっ!?その声はっ!?!?
???「どうも、愛称として後ろに『ぴ』をつけられることもある、秋公演の舞台上でも大活躍した、あのお菓子です」
ま、まさかお前はっ!!!イモケン!?!?
Tumblr media
いや犬けんぴかよ!!!!!
犬ケンってもうこれ犬×2じゃねぇか。
犬「難しいということだけを理由に書かないというのは、それはただ諦めていることに等しごほっ!おっ」
あ、犬ケンピが喉に刺さってる
開いている記事のセキュリティ証明書に問題があります。
エラー吐いちゃったよ。まず犬ケンピ吐かないと。
この記事の閲覧を続けますか?
      はい わからない いいえ
 多分そう部分的にそう 多分違うそうでもない
いや選択肢アキネイター!!!
犬「なんか、もうネタ切れ感あるし、やめるわ」
あぁ飽きネイターだった。
……ということで、
【結論】たぴおか太郎はたぴおか太郎にしかできない
ところで、本当に何も用がないのにtumblerを荒らすのもマズイと思ったので、この場をお借りしてビアゲの役者紹介をします。やってたことはしおりと同じです。この人を主役にするなら、こんなタイトルこんな劇。
以下本チラ掲載順。兼役の2人は省略しています。ごめんね。
東愛莉
『東博士の自由研究所』
使い捨てカイロをたくさん繋げて、使い捨てホットカーペットにしたり。香水を鍋で茹でて香湯にしたり。裏起毛の服をひっくり返して着て表起毛にしたり。東博士の自由研究は、今日も失敗続き。意味のないように思えるその研究内容に、周りは呆れて、中にはバカにする者も。しかし東博士は、そんなことお構いなしに、日々楽しそうに研究を続けているのである。そんな研究所にやってきた一人の青年。どうやら人生がつまらないらしい。そんな彼を見た東博士はこう言う。「ちょうどよかった!今ね、ちゃんこ鍋を作っている蓋の上でトントン相撲をする研究をしたかったけど、人手が足りなかったの。ちょっと手伝ってよ!」
辛い過去がありつつも、今をとにかく楽しく生きると決めた東博士から、元気をもらうことができる公演になると思います。
大良ルナ
『心外、しかし純愛。』
「運命は、自分で掴みに行くものよ。」占い師のその言葉を鵜呑みにした少女は、自らの手で運命の人を掴みに行くことにした。しかし、容姿を見て選り好んでしまうと、それは運命でもなんでもない。そこで彼女は思いついた。人気の多い公園で目を瞑り、手を広げながらふらふらと歩き、一番最初にぶつかった人を抱きしめよう。その人を運命の人にしよう。早速実践。視界が真っ暗になってから2分ほど経った時、ドンと胸元を突く感覚。これはと思って抱きしめようとすると、それは思っていたよりも小さかった。胸元から聞こえる声。「くるっぽー。」いや鳩じゃん。これじゃ運命の鳩じゃん。人外は流石になぁ……。いやでも、このクリっとした瞳に綺麗な毛並み。正直、割とアリ。
鳩とのハートフルラブコメです。私にはハッとする衝撃の展開が広がるピジョンが見えています。
『教室における感慨と、その二面性についての考察』
7月某日。俺のクラスに転校生がやってきた。15人。もともと3人しかいなかった俺のクラスに、転校生がやってきた。15人。なんでも、近くの村にあった高校のすぐ近くで土砂崩れが起きて、校舎が倒壊したらしい。15人はそこから一番近いところにあった、船で30分の小さな島にあるこの高校に通う羽目になったそうだ。かわいそうに。転校生15人は、その慣れない環境に緊張……するはずもなかった。昨日までの穏やかな生活が嘘のように、喧騒に包まれた教室。俺の教室を、俺の居場所を、返してくれないか……?
教室では静かであるべきか、にぎやかであるべきか。それともにぎやかな教室を静かに眺めているべきか。
うみつき
『髪と縁』
またフラれた。これで何回目なんだろう。付き合ってみるたびに、「なんか思ってたのと違うわ」って言われる。いやいや、思ってたのと違うところを受け入れられるのが「好き」ってもんじゃないの?いや、愚痴なんか言っててもしょうがないけどさ。私は失恋した時、必ず髪を切ると決めている。他人の。普段は別の仕事をしているけど、フラれた次の日は実家の美容院の手伝いをする。別にこの仕事が好きってわけじゃないけど。自分以外の誰かのためにハサミを持つのが、なんか落ち着くというか。
その日店にやってきたのは、私をフった男だった。殺してやろうかな、これで。
統括のフォーニャー
『liebrary』
「はい。どうされましたか?看板?あぁいえ、これであってますよ。この図書館に置いてある本は、全部嘘なんです。この世界で生まれたすべての嘘が、ここに集められるんです。ですから、あなたがついた嘘もあれば、あなたがつかれた嘘もありますよ。あ、面白いですか。それはそれは、ありがとうございます。はい。またぜひどうぞ」そうして客を見送った女は、ついさっき新しく生まれた本を手に取る。「そっか、面白くないか」
嘘が分かるということは、本当が分かるということ。そこに計り知れぬ苦悩があるということは、嘘じゃない。
緒田舞里
『0で割るということ』
よっ。元気?こっちは元気だよ。ちゃんとご飯も食べてるし。大丈夫。……仕事?あぁ、うん。楽しいよ、ちゃんと。あぁ、ほら、最近さ、ちょうどクリスマスに向けての準備とか始まっててさ、この時期って夜にパフォーマンスの練習入ったりするじゃん?それがちょっと大変ってだけ。でも、私ってそういうの好き、だしさ。多分。あ、ごめんね、こっちばっかり話して。そっちはどう?……なんてね。
二宮はそう独り言を呟きながら、右側に供えた花のバランスを整えた。
『ニッポンのこれから審議会』
説明しよう!ニッポンのこれから審議会とは、ニッポンのこれからについて審議する会のことである!発足後初の会議となる今回の議題は、「ニッポンにとって不要なモノ」 つまりはニッポンが削るべき要素を洗いざらい洗い出すということになる!年賀状?節分??お盆???ニッポンには今や企業が儲かることしか考えていないような形骸化した文化が山ほどあるではないか!いつまでこんなの残してるんだ!消せ!!しかし、そんな議論の流れに静かに異議を唱える男がいた……。
だんだんとアツくなっていくぶらんの演技にご注目ください。
岡崎仁美
『カヌレ』
おかしい。利用客が減少の一途を辿る小さな駅構内にある、小さなケーキ屋さん。今まで��ろんなケーキを売っていたのに。今ではショーケースの中は、一面濃い茶色。カヌレしか売っていないじゃないか。奇妙な品揃えを覗いていたら、店の奥から出てきた女性店員に話しかけられた。「こんにちは!カヌレはいかがですか!?」
コイツはカヌレしか食わない。コイツはカヌレしか売らない。利用客が減り、カヌレが増える。これは一体何を意味しているのか。新感覚カヌレホラー公演。逃げろ。
雨々単元気
『にじいろアジト』
大阪の南の北の方。そのさびれた倉庫では、夜な夜な5人の学生が身を寄せ合っていた。各々の事情により、学校に通うことを諦めている彼らには、共通する一つの目的があった。「この世には、やけに綺麗な虹ってもんがあるらしい。それが見たい。」
セカイ系のお話にしたいです。彼らが虹を見たことが無いのは、彼らが昼間に外に出ないからではなく、地球外生命体が地球を黒い幕で覆い隠して、宇宙から隠蔽しようとしているからなんですね。まさに黒幕。まぁ確かに地球ってずいぶん異質な惑星ですし、宇宙にとっては無い方が都合がいいのかも知れません。ちなみにこの公演の愛称は「ニジアジ」。
舞原の絞り滓
『大器晩声』
ある公園で開催された大声大会。その喧騒に怒り、近所に住むおじさんが怒鳴り込んで来た。……いやコイツが優勝じゃんか。(『大声大会』) 「あの、すみません。キッズメニューの裏の間違い探しってなくなったんですか?」「はい。その代わりといってはなんですが、この店の中には、既に10個の間違いがございます」(『間違いなく間違い』) 訪問販売で契約したタイムマシンがパチモンだった。「夕仏マシン」だった。時間は夕方限定、場所は仏や大仏の目の前にしかいけないらしい。……じゃあ、修学旅行のあの日を、もう一度だけ。(『驚麗』)
などなど、全7編のショートストーリーからなるオムニバス公演。そのうちいくつかは、まほろさんに演出してもらいたいです。
じゃがりーた三世
『何点かお伝えしたいことがございます』
ある山奥の宿泊施設で、人が死んだ。死体の様子から見るに、他殺であることは間違いなさそうだ。この施設から人が出入りした形跡も無いため、ここにいる6人のうちの誰かが、コイツを殺した。「とりあえず電話で警察を呼ばないか!?」そう言い出した男に対して、周りは呼びかけた。「忘れたのかお前!この施設では、携帯電話などの音や光の出る機器類は、必ず電源から切らないといけないじゃないか!」……じゃあ、このカメラで証拠の写真を、いや、許可のない撮影録音は禁止か。……もうこんなところにいられるか!俺は抜けさせてもらうぞ!え?途中休憩はございません?そんなことしらねぇよ!俺は出ていくからな!?……係の者がいないから、出られない。
前説で語られたルールが、全て適応されている空間で起こる推理合戦。ところで、上演時間は60分ということは、それってつまり……
オーム
『非常に新車』
とある交差点で車両同士の接触事故が起きた。畜生、この後マスコミに向けたプレゼンがあるってのに、どうしてこんなときに……。
仕方なく車の外へ出ると、相手の運転手は私の顔を見るなりこう言った。「あれ、ZESSANの岩本社長ですよね!?え、すご!私ずっとZESSANのクルマのファンなんですよ!今日もほら、先日発売されたばっかりのやつ乗ってるんです!すごいっすよねこれ、自動運転機能も充実してて!ハンドルから手離してても余裕で運転できてましたもん、さっきまで」
絶対にバレてはいけない事故。どうにかマルク収めなければ。
テキストを入力
『いまどうしてる?』
背が高いその男は、公園のど真ん中にある、さらに背の高い街頭の下に立っている。その公園にやってくる人は皆、紙にデカデカと自分の近況を書き、背の高い男に渡していく。男はその紙を体のいたるところに貼り付けて、ただずっとその場に立ち続ける。公園には、ただ人が書いた紙を見にくるだけの人もいれば、紙越しに喧嘩をしている人もいる。背の高い男はそれを見て、何を思うのか。
キャスパ曲というか、エンディング曲には、ゲスの極み乙女の「灰になるまで」を使いたいです。(ツイ)廃ではないです。
縦縞コリー
『優しすぎた男』
理不尽に呑まれ、後悔に苛まれ、そんな優しさが誉。しかし彼は優しすぎた。完成間近のレポートのデータを友人に消されても怒れないし、飲み会の参加費を1人だけ二重に請求されていることに気がついても指摘できない。いや、それは優しさというか、弱さなのではないか……?
キャスパには、トリプルファイヤーというバンドの「次やったら殴る」という曲を使います。舞台上でふにゃふにゃしたこりちゃんを観ましょう。
大福小餅
『a hole new world』
ざく。ざく。まだ掘った方がいいかな。ざく。ざく。もうちょっと深い方がいいかな。ざく。ざく。ま、こんなもんか。よし。……あれ、これ私が穴の中入っちゃったら、誰が私を埋めるんだ?あ、ちょうどいいところに人が。すみませーん、私を埋めてくれませんか?
埋まりたい人と通りすがりの人の二人芝居。普段あんまりネガティブなことを言っているイメージがないこふくが、ものすごくブルーな気持ちの役をやっているのを観たい。
叶イブ
『世迷言病』
「こんにちは」「あ゛ぁ゛!?こんにちは!!」「えっと、今日はどこが悪く��いらしたんですか?」「見りゃ分かるだろ!!口だよ!!」「……口?何か口内炎みたいなできものがありますか?それとも痛みが」「ちげぇよバカ医者がよ!!そのまんまの意味だっつーの!!先週末くらいから口が悪くなってんの!!」
「よまいごとやまい」と読みます。高圧的なキャラ、似合う気がします。病が完治した後とのギャップがメロい。多分。
はぜちかきつ
『喫茶・愛のペガサス』
「本格中華やめました」 亡き父親が経営していた喫茶店をいやいや継ぐことになった男は、とりあえず中華料理の販売を停止した。どうせなら店の名前も自分好みに変えたかったけど、常連の客からの反対の声も大きく、仕方なくこのままにしている。そもそも駅から少し離れていて、人が多くないような街の喫茶店なので、お客さんのイリはまばら。まぁ、ワンオペでも全然回るし、むしろ空きの時間で趣味の小説を書けているくらいだから、これはこれでいい生き方なのかもしれない。……その日、見慣れない客がやってきた。オーバーサイズの服を着た、ショートカットの女の子。
優しくて大きい(器が、という意味)ハゼは、喫茶店オーナーとか似合いそうです。
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sakayahn · 6 months ago
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たまごやき
 大好きなあなたのことを考えながら、卵焼きを焼いている。
 そんな詩めいた言葉を口に含みながら、よく溶いた卵をフライパンへ注いだら、弱火に熱した鉄のうえで薄い黄色がふくふく泡立った。洋食屋のシェフだった祖父直伝の卵焼きのレシピの内容は、たまごと醤油と砂糖、あと塩だけ。あせったらすぐ焦げてしまうので、深呼吸しながら巻いてゆく。出来上がった卵焼きの完成度で自分の気分が分かるのはまた別の話。
 そうやって、わたしは今、もうこの世にいない大好きなあなたのことを考えながら、卵焼きを焼いている。
 だって、卵焼きを焼くと、あなたの耳のうしろへ鼻を寄せたときと同じ匂いがするから。
 あなたはわたしのお誕生日の次の日におうちへ来てくれた。茶色くて、骨が太くて、レッドアンドホワイト、オス、と札がついていた。お店で抱っこしたときはあんなに大人しかったのに、うちにくると暴れん坊になった。ラッキーって名前をつけようとしたら、父親が「こいつはそんな感じじゃない」と言って、すぐに〈チャチャ〉という名前になった。本当に声が大きかったよね。すっごいうるさかったよ。横に住んでるビーグルの男の子と、窓越しによく会話してたよね。散歩がすっごく好きだったよね。行けない日は網戸越しに外を見てたよね。バイクもトラックも本気で追いかけたよね。獣医さんの処方した薬は嫌いだったよね。そうそう、話は戻るけど、あなたをお会計(ペットショップ)してるとき、この子は心臓が弱いから生きられても12年ですって言われたんだよ。わたしは10歳だったから、説明を受ける両親の後ろで指を折って22歳まで数えてみたな。実感湧かなかったな。小さくてかわいいリボンを首に��けて、ケーキを持ち帰るときとそっくりの段ボールに入って、空気穴から鼻を出してるあなたを見ながら、約12年のカウントダウンが始まりました。懐かしいね。
 大好きだよって何度抱きしめただろうね。
 私が悲しかった夜。外の空気を吸いたくて、でも門限が厳しかったからひとりでは出られなくて、「散歩連れて行ってくる」って口実で抱っこしたら、眠そうだったのに一緒に歩いてくれたよね。絶対前を歩いてくれたよね。でもそれはただ、自動販売機のひかりに吸い寄せられていたからだって知ってるよ。歩くたびに背中の毛が羽根みたいにふわふわゆれて、あれ、今思えば癖っ毛だったのかな。いろんなところでいたずらしてたし、オムライスのたまごをつまみ食いしたこともあったよね。勝手にテーブルに登ってティッシュを散らかしてたよね。私がリコーダーの練習をしてたら、エーデルワイスに合わせて遠吠えし出したのにはびっくりしたな。あれ今ネットに流せば話題になるんじゃないかな。いろんな携帯を経由してるからもう画質がびがびだけどね。
 梨が好きだったよね。おじいちゃんの焼いたパンが好きだったよね。大きい毛布が好きだったよね。こたつも好きだったよね。ひとりっ子でわがまま放題だったあなたに、弟ができたのはその頃でしたね。黒いチワワのちくわ。妹命名です。手の先だけが茶色くて、ちくわをはめているみたいだったかららしいよ。最初は喧嘩してたけど、ちくわがあまりにもどこ吹く風だから、あなたは早々に諦めていましたね。いいコンビだったよ。お留守番も悲しくなくなったよね。いきなり部屋の電気をつけたら、ふたりでまぶし、って顔してたよね。血は繋がってないのに面白いくらい似てたよ。そしてそのまた次の年、コーギーのまめが来て。まめとは……相性あまり良くなかったよね。おんなじ毛の色してるくせにね。たまに、未知の生命体と交信するみたいに見つめ合ってたね。かわいかったよ。なんだかんだ一緒に寝たりしてたよね。リビングに毛玉がみっつ落ちてる光景、好きだったな。
 あだ名たぶん10個くらいあるよ。思い出せないけど。チャチャはチャっくんになって、テレビでもののけ姫が流れた次の日、ヤックルにちなんで、チャックルになったよね。どうせなんて呼んでも振り向くんでしょあなたはね。
 変なところ鋭かったよね。動物的勘っていうやつなのかな。
 家出しようとしたら、静かに目で行くなって言ってくれたよね。
 部活の大会で負けて、頭に顔を押しつけて泣いて、あたまびっしょびしょにしちゃってごめんね。
 受験勉強で夜更かししてじゅうぶんに寝かせてあげられなくてごめんね。
 うるさいって言ってごめんね。でもそれはほんとにうるさかったからこれでおあいこです。
 私が大学生になって、あなたの心臓がいよいよ悪くなって。大好きなおじいちゃんの食パンに包まれた薬を飲んでたよね。たまにぺって吐き出して怒られてたよね。たまに発作を起こしてたよね。つらかったよね。何もできなくてごめんね。
 夜寝る前に、こっそりあなたの頭に鼻を寄せて、おやすみ、大好きだよ、って言うようになったのはその頃です。そして、卵焼きの匂いがすると知ったのもそれがきっかけです。ごめんね。でもね、朝起きて、あなたが死んでいたら後悔すると思って。自分勝手でごめんね。嫌だったよ���。いや生きてるわ、って思ってたよねきっと。でもさ、そんなことでわたしのこと嫌いになったりしないよね。警戒心の強いあなたがわたしのお腹でぐーすか寝るくらいだもん。家族だもんね。
 わたしがあなたを最後に見たのは、冷蔵庫の前に伏せをしている姿でした。いつも通りでした。この夜が山場だって両親から言われて、覚悟はしてたの。でもどこかで、大丈夫だろうって思ってたのも本当だよ。だってあなた信じられないくらい骨が太いんだもん。叩いたら太鼓みたいな音するんだもん。チワワのくせに8kgもあったんだもん。あっ、体重測るのはわたしの役目だったよね。わたしがあなたを抱いて体重計に乗って、表示された数字から48を引いたら、あなたの命の重さが分かりました。……そんな重くなかったって? ちゃんと重かったよ。そしてね、すっごいあったかかったよ。
 朝。ベッドで寝ていたら、父親が入ってきて。目が覚めたのが先か、父が口を開いたのが先か覚えていないけど、そこで全部を悟りました。父親がわたしに声をかけるときは、決まって大事な話があるときだから。
 チャっくんが死んだわ。
 一言一句たがわず覚えています。
 ベッドから出て、階段を降りて、リビングの柵を跨いで。この柵はね、あなたが脱走するから苦肉の策で設置したやつね。それを跨いで。
 頭の横に母、足元に父、おなかのよこに妹。そして心臓の前にわたし。ちくわとまめはどこにいたかな。ごめん二人とも、その瞬間だけは見えてなかったかも。許してね。
 死んでたね。
 涙が出なくて。だって悲しくなくて。強がりとか薄情じゃなくて、分かってたから。半分だけあなたが死ぬって分かってたから。そっか、死んじゃったかって、あなたの目の前にいるくせにそんなことを思ったわたしのこと怒ってる? ……怒ってなさそうだ���。この世の終わりのように泣く母に相槌を打って。初めて見る父親の泣き顔にびっくりして。妹は泣いてなかったったかな。
 あまりにも悲しくなくて、普通にお化粧をして、遊ぶ約束をしていた友だちとそのまま遊びに行って、パスタを割り勘して、電車に乗って帰って、恋人に迎えにきてもらって。こうやって文字にしてみたらすごく最低なやつだね。実際そうだよ。母親は不満そうでした。その反応が普通だよ。
 だって、悲しくなかったの。当たり前だったから。あなたが生きていようが死んでいようが、わたしがあなたを好きなことに変わりはないし、今まで生きてきた時間は消えないし、思い出もなくならないから。そしてね、あなたが死んでからいまこの瞬間まで、あなたが死んだことを悲しんで涙を流したことはありません。懐かしくて泣いたことはあるけどね。
 それは、あなたがぜんぶを連れ去ってしまったからです。
 ビルでも建てられそうな隆々とした骨の中で、弱かった心臓を守っていたあなたは、いつだって気丈で跳ねっ返りが強くて。わたしが煌々と電気をつけて勉強するから寝不足だっただろうに、ごはんももりもり食べて。発作のときもどこか豪快で、心配になるような弱りかたはしなくて。ああ思い出した、肉球を怪我してるのに海に入って、血が出てるのに何にも言わなかったよね。気づかなくてごめんね。染みたよね。そんなふうにあなたはずっとまっすぐで。散歩のときはリードを引っ張って。あげく、もうすぐ死にます、なんて診断されて帰ってきて。
 好きだったよ。
 大好きだったよ。
 いや、大好きだよ、今も。
 火葬場に行くあなたを、最後にちくわと触りました。まめは連れて行かないでって吠えていました。うまくできた話だよね。泣かせるね。
 遺骨になったあなたは、わたしが部活のカメラで撮ったぶさいくな写真を遺影に採用されて、いつもお仏壇はものでいっぱいです。最初はみんなさめざめとお菓子を備えてたけど、今では半分投げやりです。チャっくんにあげとくか〜って軽い感じです。
 たまに夢で会いますね。
 最初は良かったんだけど、いつしか、夢の中でさえ、なんであなたが生きてるんだろうって思うようになりました。たぶん、わたしにとって、あなたがこの世にいないことが普通になったから。
 わたしは、あなたがいないことを悲観的に捉えたことはありません。会いたいなとは思うけど、悲しんで泣いたりはしません。たぶん、これからも。
 一月生まれなのに桜が似合うあなたに。
 みんなに撫でられすぎてあたまだけ癖っ毛が落ち着いていたあなたに。
 悪知恵ばっかり働くあなたに。
 ちょっとしゃくれてるあなたに。
 しっぽが長いあなたに。
 お風呂が大好きなあなたに。
 10歳で亡くなったあなたに。
 わたしの誕生日プレゼントとしておうちに来てくれたあなたと、その運命に。
 耳の後ろが卵焼きなあなたに。
 会いたいなと思いながら、さっき、卵焼きをお弁当に入れました。
 気が向いたら会いに来てね。今日でもいいよ。そろそろのぼせそうだからお風呂あがるね。明日もお仕事だから早く寝るね。
 おやすみ、大好きだよ!
 ……あれ、なんか伏線回収みたいになった? 職業病かな。うふふ。そうだといいな。
 でも本当におやすみ。大好きだよ。
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ignitiongallery · 2 months ago
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『マユミスグリ』展 狩野岳朗  ×  くどうれいん
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画家と作家。
思い立って、ふたりで歩き、たくさん話した。その初夏の吟行スケッチ。
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会期:2024年11月21日(木)~12月16日(月)
場所:twililight(東京都世田谷区太子堂 4-28-10 鈴木ビル3F・屋上/三軒茶屋駅徒歩5分)
時間:12:00-21:00 (火曜・第1, 第3水曜 休)
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狩野岳朗+くどうれいん「サイン会」
2024年11月30日(土)13:00~16:00
短歌・文:くどうれいん、絵:狩野岳朗による展示限定のZINE「マユミスグリ」のサイン会を開催します。
 *展示初日からtwililightでZINE「マユミスグリ」をご購入の方に、サイン会の整理券をお渡しします。券をご持参の上、当日お越し下さい。
 *サイン会の整理券は数に限りがあります。定員に達しましたら、配布を終了いたします。
 *店内でお並び頂けるのは最大5名さままでです。整理券順にサインをしていきますので、慌てず、安心してお越しいただき、店内でお過ごしください。
 *一緒にくどうれいんさんの本を買ってくれた方にはサインをします(合わせて3冊まで)。
「マユミスグリ」お菓子 / 山フーズ
サイン会当日は山フーズによる「マユミスグリ」をイメージしたお菓子も販売いたします。
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tokyomariegold · 2 months ago
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2024/5/17
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5月17日 イヤホンは充電されることなく、もう片耳も充電が尽きて終わってしまった。都庁へ向かいながらamazonで同じものを買って今日は久しぶりにヘッドホンで出かけている。
今日の都庁は外国人観光客と遠足の保育園児がたくさんいた。
またへとへとになって、でも今日はそのあと通院の予定だったのでお疲れ様でした、と1人反省会をしながらお昼時で人が行き交う新宿を歩いた。 今日もナチュラルローソンでコバトンを確認。 (写真を見比べたら昨日と全く変わってなかった。)
診察の時間まで時間があったので、銀座七丁目書店に行ったり、週末会う予定のある方へ渡すお菓子や、先日誕生日だった友人へ渡したかったマークスアンドウェブのスースーするボディジェルを買った。 自分用にもジェルとボディシートを購入。 道中で現代アートのギャラリーが新しくできているのを見つけて入ってみたり、こうゆう誰かを思った買い物やふと何かに気がつける余裕のある感じで街を歩いていたい、いつまでも。
でも出張の荷物が重くて重くて、きっとロキソニンを飲んでいなかったら耐えられなかったと思う。
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今までずっと診察してくれていた主治医の診察は、今日が最後だった。 また仕事の予定で診察予約を変更しないといけなかったところ、何とか今日の時間を作れたので、最後に会うことができてよかった、と思ってしまった。 そしてまたもう一生会うことはないんだろうな、と思って「ありがとうございました」と挨拶をした。 診察の中で、今の仕事や生活の状況が、かつてなくよろしくないこと、心も体も引き裂かれそうであること、上司から理解や配慮はあまり得られていないこと等を話し、実際につらいの半分、でもなんでこんな甘えてしまうのか!!のつらさ半分で、今日もたくさん泣いてしまった。 「なんだかずっとつらそうで、もう少し楽になるといいな、と思いながら何もできませんでした」と、「こんな状態で引き継いだら次の先生に怒られてしまうな〜」と言われた。 「◯◯さん(私の苗字)、いつも何か言いたそうで、でもその一歩手前で、うっ、と堪えている感じがあったので、もっと我々を頼っていいんですよ。せっかく受診しているのだから」と言ってもくれた。 私は、話しても、頼るような素振りを見せても、私が何も救われることがないし結局は何もしてはくれないと相手を勝手にがっかりしてしまう、と思って、そんな感じだったのだと思う。 でもありがたいな、と、また泣いてしまった。
診察の後の採血で、初めの若い担当の方が失敗してしまい(とっても痛かった!!)謝られながらベテランぽい方にもうひと針打たれて、なんかへとへと。 今日は血が止まりづらかった。
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runpenparis · 2 months ago
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るんぺんパリ【RunPenParis】
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自己紹介 2024年11月4日追記 6116文字】 三重県伊賀市(旧名:上野市)出身 伊賀市(旧名:上野市)に 1976年(3歳)から 1996年(23歳)6月まで住んでいた 1976年以前の記憶と出生は不明 津市にある施設にいたと聞いた覚えがある 三重県亀山市に二つか三つ年上のお兄さんいるらしいが あった事は一度もない 30代の頃に一度だけ電話で話をした 父方に引き取られたお兄さんに 母親の事を聞いた 母親は別の人と再婚し離婚して 娘さんと一緒に暮らしているらしい 父親は再婚して自分と同じぐらい娘さんがいるらしい お兄さんはおじいさんの事を尊敬していて 中国語を勉強してるらしい あとは色々と聞いたけど 覚えているのはそれぐらいの内容で もう二度と話す事はないだろうと その時に思ったけど お兄さんの顔がどんな顔なのかは 見てみたい気持ちは少しある
伊賀市でそこそこ有名なのが 伊賀流忍者で忍者屋敷は今も昔も変わらない内容で 営業している それは去年に末っ子を連れていったから確認済 外観はただの古い家だけど 中に入ると意外と見応えはある 観光施設って感じ 伊賀牛は金谷のすき焼きが有名で 森辻が新しい様相なってから焼肉を食べた 個人的には伊藤の牛丼が好きだ 油が多い感じのお肉だから 100gも食べれば満足感がある 上野天神祭の鬼行列も有名かな ひょろつき鬼が子供の頃は本気で怖かった 銀座通りが歩行者天国になり 的屋がならぶ 高校生の頃はリング焼きが100円ぐらいで 何個も買って食べた 今年は10月18・19・20(金土日) 19(土)は久しぶりに一人で一日中お祭りを楽しむ予定だったけど 昼前から雨が降ってきて鬼行列は中止 午前中は親戚を3件回って、おみやげを渡した 午後に実家によって車を駐車して 歩いて上野天神祭へと向かった いつも泊まる「伊賀上野シティホテル」は1泊10000円以上も高い 16800円だった。この日は駐車場も使えなかった 夜の19時から同級生のお店「クワトロNo.4」に初めていった 30年ぶりにちゃんと会ったガキさんは すぐに気がついてくれた 居心地がよかったので閉店の1時までカクテルを8杯ぐらい呑んだかな 意外と安くて8200円だった 次の20(日)は上野天神祭に参加している同級生のオデに会って 鬼行列の準備風景を写真に撮って 上野天神さんの近く紅梅屋でおみやげを結構買って 桔梗屋で上生菓子とお茶を飲んで 静岡へ帰った 松尾芭蕉は俳句で有名で伊賀出身で 小学生の頃はがっつりと俳句を作らされる 俳句はいやいや作らされたので 俳句番組は見ない 俳聖殿の中には過去の優秀な俳句が収められていたかな 普段はこれといって何もないけど 俳聖殿のたたずまいは何か「The Haiku」という感じ 上野城のお堀の高さ日本2位? 一時期は日本1位説もあった 中学生の頃は上野城で体育の授業があったり クロスカントリーレースで走らされたり 高校生のデートも上野城が定番だったのか それらしき男女がイチャついていた 夜のライトアップは不気味なお城に見えた 一応、桜の名所なのかな 高校生の頃に一つ年下の子とつきあっていた頃は よく上野城をさんぽした 帰りはその子の家の近くまで送っていった この子はとても純粋な子で 自分にはもったいない子だった 半年もつきあっていないが 今でも純粋で幸せになっているかなと思い出す事もある もう向こうは忘れているだろうけど 伊賀の街には銀座通りとか丸の内とか 東京で聞くような名称が多く使われている 地元のうわさでは東京が伊賀の真似をして 街を作ったとの話がよく出てくるから 誰か本気でテレビとかで調べてほしい気もする いまだに東京が伊賀のマネをした説を 親戚がまじめな顔でいいだす時があるから 本当に真実が知りたいけど 自分が調べるほど��興味がない 2004年(平成16年)11月1日に 伊賀市に変わってから 上野市駅が忍者市駅になり 近鉄の電車だったのが伊賀鉄道になり 電車がコスプレになった 駅前には銀河鉄道999のメーテルと哲郎の銅像があり 産業会館がハイトピア伊賀になった 産業会館だった時にマルキンのパン屋が近くにあった そこのシナモンパンが子供の頃から大好きで 今はもう手に入らない もう一度、あのシナモンパンが食べてみたい あと小さなパチンコ店「マルト」があった 「フルーツパンチ」という機種で勝った覚えがある あと「麻雀物語」もあったかな 「海物語」という機種が記憶の最終機かな 上野で住んでいた時期に一日で20万近く負けて それからパチンコは完全に辞めた じつはその後もたまにしたが 本当に気晴らし程度で その内にきっぱりとやめた スロットが主流になったら なおさら興味すらなくなった 新天地もなんかおしゃれなサビれかたで 「新天地Otonari」となった 街は高校生の頃の面影は薄くなったけど 何となく残っている上野市街は今でも魅力的だ 新天地には映画館もあった気がする 当時は賑やかな商店街だった 当時からあった「喫茶店フランセ」は今もある 大きな化粧品店は更地になっていた 高校の時の知り合いが「クワトロNo.4」という バーを経営しているが、まだ入った事はない いつか行ってみたい気持ちはある ただダーツバーらしく 常連っぽい人たちのたまり場っぽいイメージで 気楽入れなさそうな雰囲気はある 一度だけ朝方にお店の扉までいったけど バーの扉って感じで雰囲気はあった 最近は実家で一人暮らしのおかんの様子を見に よく帰省するようになったけど 若い頃は年一回も帰省しなかった 最近の伊賀でよく立ち寄るのが 「菓匠 桔梗屋織居」と 「HANAMORI COFFEE STAND」と 「岡森書店白鳳店」で 岡森書店は、Kマーホの名で出版した 「トイレの閃き」が背表紙の色が抜けた状態で 25年以上も本棚に置いてくれている これを見ると初心に戻れて まだまた創作していこうとがんばれる この岡森書店の店長さんは従姉の同級生で 小学校の先輩の同級生でもあり この店長の妹さんは自分と同年代で それにしても伊賀は狭いなと感じる
市部という地区だったと思う 近くに市部駅という無人駅がありその近くの 依那古第一保育所に5歳から6歳の2年間通った おかんは自分の送り向かいのために 自転車を乗る練習して そのおかんが運転する自転車の後ろに乗って 途中の田んぼに二人で落ちて 泥だらけになった おかんは去年の年末まで 81歳でまだ自転車に乗って 小田町の坂を下っていたらしい いまは親戚から危ないからと 召し上げられた 小学校6年卒業までは上野市依那具にある 市営の城ケ丘住宅で過ごした この市営住宅はもう40年以上も その雰囲気を変えずに今でも残っている ここは伊賀市の文化遺産にしていいほどの時間が止まった場所だ いまだに汲み取り式の便所の換気の煙突が立ち並んでいる このカオスな感じは小学生の頃の不便な生活を思い出させる あの生活で暮らしたから今があるのは確かだ 小学校の通学路にある 垂園森でよく遊んだ 現在も存在しているが オバケが出そうな森 この森は当時通っていた依那古小学校の校歌の歌詞にも出て来る イメージ的には幽霊が出そうな森だけど 何か不思議な生き物が住んで居そうな森に見えた きつねも出そうだし おばけも幽霊も心霊も もしかするとタイムスリップして 小学生の頃に戻れそうな気もする森だと変な懐かしさを感じる 近くには無人駅の市部駅とにらめっこしている森 中学校から市街の上野城の 城下町で過ごした 当時はカオスな市営城ケ丘住宅から出れる事が本当にうれしかった 小学校までの友達とも飽きてしまっていたので寂しくはなかった 当時から色々な物にすぐに飽きては新しい物が好きだったので そっちのワクワク感で本当にうれしかった そして築20年以上の中古の一軒家で2階建て 自分の部屋がありトイレは汲み取り式だけど洋式で あこがれの上野の街で住める事もあって本当にうれしかった
そして近くの崇廣中学校に通う事に 中学校の3年間は 転校生という立場と 中一で足の骨折 バスケ部の試合で名張の体育館で遊んでいて 二階から飛び降りたら右足のかかとがにヒビが入った その夏にはバスケ部をクビになり陶芸部に入った 中二で腕の骨折 どちらも遊んでいての骨折2回 中三の高校受験で いい想い出は無い
高校2年生で 小学校の時にサッカーで出会った 旧友とバンドを組んだ RCサクセションのコピーで 「雨上がりの夜空に」「トランジスタラジオ」 「ベイベー逃げるんだ」「サマーツアー」 「サントワマミー」「いけないルージュマジック」 「いいことばかりはありゃしない」 「どかどかうるさいR&Rバンド」 旧友が作ったオリジナル曲「ガレージの上のR&Rバンド」 一番のモテ期だった気がする ただバンドをやっている自分を見て 好意を寄せられても違うなと思った バンドをしていない時はただのバイトに明け暮れた 高校生だったから バンドマン目線のそういう女子には興味がなかったから 冷たい感じだったかも 本当にこの時期がこれまでで一番楽しかった。 高校生の頃はたくさん恋をしたが 自分が不器用だったので自分が好きだった人からは つきあえてもすぐにフラれた 人を好きになることに迷走し始めて 最終的に好きになる事はやめて なんとなくという感情で奥手に過ごしていった そのせいか、他校の女子からゲイだとウワサされる事もあった なぜそうなるか不思議だったけど 当時は楽しければなんでもよかった
1993年 一人暮らしを始める やっと自由になった気がした 2年間ぐらいは金が無くて 通帳の残高は毎月マイナス50万 カツカツ生活 家賃と車のローンがきつかった 1996年7月から 2003年7月の 7年間は茨城県と千葉県の県境 利根川の近くに住んでいた この界隈を走るタクシー運転手の 態度は本当にムカつくから こっちも態度悪く乗ると 気分の悪さはお互いさまになる 関東平野は景色が無く ここでの生活は落ち着かなかった 食文化も人も気候も水も 肌に合わなかった 特にうどんの汁が濃いだけのシンプルな味は げんなりさせてもらった ただ寺原駅近くの「ふる川」はよく通った とくにカレーめちゃくちゃ美味かった この「ふる川」は今もやっている 当時はお店の小学生の女の子が手伝っていた 夫婦だけでやって��て 週3回ぐらい夕飯でお世話になった 「さば定食」もよく食べた気がする
1997年から パソコンをミドリ電化で38万で購入して 作詞やネットに興味を持つ まどみちお詩集を読みだす 作詞に近い詩を書き始める 「Kマーホ」という名で 詩を書き始める 目標を300篇と決めて 詩を思いついたら メモをつけるようになる 週末は家に引きこもり 一日中、音楽を聴きながら パソコンがあるのに まだワープロで詩を清書していた
1998年から2002年まで 「Kマーホ」の名で 詩に団体に参加したり 詩の賞に応募したり 詩集を自費出版したり この当時参加していた詩の団体には もうドロドロとした 詩を書く人や あまりにも読み解けない詩や 暴力的な人や いい人もいたけど 自分とは全然目指している方向が 違うので2年目ぐらいで辞めた それからは詩の団体に興味は無くなった それから 自費出版した詩集を 全国の小中学校や 全国の図書館へ寄贈して 活動を休止 理由は2000年に結婚してから 集中して詩を書く時間が無くなってきたから 2002年に2つの詩集を出版して 詩の事は全部段ボール箱へ入れた
2003年から2019年まで 育児に重点を置いて生活をする この時期は友達とも連絡を 切っていたので のちに死亡説や宗教説が出ていたらしい 2003年7月から 現在は静岡県在住 もう20年以上住んでいる
2019年 るんぺんパリ【RunPenParis】の名で 詩を書き始める SNSでの詩の発信を始める るんぺんパリ【RunPenParis】とは フランスはパリの街を ぺんを持って 走るという意味から 【RunPenParis】ができた 1973年8月1日生まれ(もう51歳) しし座 O型 右利き 詩・詩集・ことばをデザイン アート・写真・小説・ペン画 松尾芭蕉の生家がある伊賀市で 十代までを過ごし 俳句が幼少期から 身近に存在していた 二十代から詩を書き始めて 「Kマーホ」名で活動(1999-2002) 詩集6冊を出版して活動休止
その後 松尾芭蕉の俳句のような シンプルな言葉遊びを 詩で出来ないかと考えていた中で 令和元年(2019)に 「るんぺんパリ【RunPenParis】」の名で 活動を再開 SNSに140文字に 言葉をデザインした詩 「140文字詩」を 毎日投稿する活動を始める 2023年9月に140文字詩が 1200作品に到達した事で 「140文字詩」を全国へ さらに世界へと 俳句のように広く知られる 存在になって欲しい ◆るんぺんパリ【RunPenParis】作品一覧 【2023年】Amazonで販売 2023/12/27第2フォト集「ほちきす それでは あかんで」 2023/12/2 第1フォト集「とめても ええか ほちきすで」 2023/11/23 第16詩集「もあいの ねごとを よみとる」 2023/9/16 第15詩集「さんもじ もしくは よんもじ」 2023/9/9 第14詩集「のこりの あぶらは わるもの」 2023/9/2 第13詩集「あそびも しごとも たいふう」 2023/8/26 第12詩集「かいてきな しつどに おぼれる」 【2022年】Amazonで販売 2022/12/6 第11詩集「やくそくは よなかの おひるに」 2022/11/3 第10詩集「みさんがの ともだちの たまんご」 2022/10/7 第9詩集「くうきと さんその かつさんど」 2022/9/3 第8詩集「さついを こめた いもけんぴ」 2022/8/7 アート作品集「やさいに つめる にくえらび」 2022/2/14 アート作品集「よなかに ひかる かみぶくろ」 2022/1/1 第7詩集「みかんの むくちな きもち」 【2021年】Amazonで販売 2021/9/8 第6詩集「そんな ことばは さよなら」 2021/8/3 第5詩集「あさに おくれた なんて」 2021/6/5 第4詩集「すいかの たねの ちょうこく」 2021/5/31 第3詩集「たんぽぽの たまご ひとつで」 【2020年】Amazonで販売 2020/7/27 第2詩集「こよい こよりの そらから」 2020/3/2 詩小説「すきから あいへ おやすみ」 【2019年】Amazonで販売 2019/7/21 第1 詩集「ところで あした あいてる」 ◆Kマーホ 作品一覧(1999-2002) 【2002年】 2002/4/30 第6詩集「眠立体(ねむりったい)」 2002/4/4 第5詩集「コールサック」 【2000年】 2000/7/31 第4詩集「マガサス星人」 2000/1/31 第3詩集「おしりとサドルが あいますか」 【1999年】 1999/8/1 第2詩集「テレビジョン」 1999/5/1 第1詩集「トイレの閃き(ひらめき)」 【受賞】 2001年 詩「眠立体(ねむりったい)」第6回トワイライト文学賞 2000年 詩「永遠の親友」信越郵政局長賞 1999年 詩「トイレの閃き(ひらめき)」第1回万有賞 1998年 作詞「地球のウラハラ」第31回日本作詞大賞新人賞候補ノミネート
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wagashi-sweets · 2 years ago
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randomaccessselfstorage · 1 year ago
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「ファースト・カウ」、観た。今年最初の映画館だった。 あまりうまくまとめられてないけど、ひとまず。ややネタバレだけど、あんまりネタバレ関係ない映画だと思う。
観終わった直後はそんなにかなあというか、自分が分かってないことがたくさんあるのかなと思っていたけど、いくつか感想や解説などを読んで��た感じ、そこまで深読みする感じでもなさそうで、観たまんまでいいのかなというところで落ち着いた。そうじゃない可能性もあるけど。
まず驚いたのは、アスペクト比が4:3。なぜ今更4:3だったんだろう…。昔の西部劇が4:3だったとかなのかな…? 4:3だと構図が必然的にかなり変わってくるので、全体的に新鮮な感じはあった。森の風景とかカヌーのカットなんかは横長の方が合うのに、なぜわざわざ…。風景よりも人物を(特に主役の二人を)大きく写したかったのだろうか。(冒頭、すごく横長なものが出てくるのに4:3でびっくりした)
そしてその映像はもちろん、音楽や環境音もすごくよかった。フクロウの鳴き声はKRZを思い出したなあ。映像は若干暗すぎて見えづらいなと思ったところもあったけど、これは意図的なものかな。ろうそくの明かりや、星明かりしかない暗闇の表現だったと思う。
後から調べたらこのファースト・カウの舞台の1820年はまだ西部開拓時代の前だったようで、舞台のオレゴン州もまだアメリカの州ではなく「オレゴン・カントリー」というアメリカ、イギリス、フランス、ロシア、スペインが自分のものだと言い合っていた地域だったらしい。いわゆる西部劇とは舞台設定からして違っていたということなのかな。こういう歴史は全然知らなかった…。
ほとんど西部劇は観ていないのだけど、ジム・ジャームッシュが好きで、「デッドマン」はすごく好きな映画。で、このファースト・カウとはストーリーその他諸々が全然違うんだけど、冒頭にウィリアム・ブレイクの詩が引用されていて、なぜかずっとデッドマンを思い出していた。なので、途中で出てきたインディアンがデッドマンの「ノーバディ」役の人にすごく似てるなあと思ったけど、さすがに勘違いだろうと思っていたら、なんと本当にノーバディ役のゲイリー・ファーマーでかなりびっくり。ジム・ジャームッシュもこのファースト・カウを褒めていたようで、意外とつながりがあったのかも。
デッドマンとの話はここに出てた。
あらすじや映画の紹介では男の友情、みたいなことが結構書かれていたけど、なんとなく自分的にはそれは違うかもかなという気がした。もちろん二人の間に友情はあったと思うし、もしかしたらそれ以上の感情もあったのかなという雰囲気はあったけど、クッキーはとにかく美味しいパンやお菓子が作りたかっただけなのかも…という気がした。クッキーの過去はあまり詳しく語られることはないけど、ボストンでまあまあ有名なパン職人に師事してたというような話もあったし、なんというか職人ぽい感じがした。牛乳を盗むことには抵抗がありそうな感じだったけど、結局盗みをやるのはお金を儲けるより美味しいドーナッツを作りたかっただけなのかなあ、とか。ぜんぜん違う映画だけど、宮崎駿の「風立ちぬ」の主人公に少し似ているかもと思った。
対してルーは中国でも嫌われ者だった(?)みたいな話があったり「ここではまだ歴史が始まってなくて、自分たちのほうが歴史より先に着いた」というようなセリフもあったりで、とにかくなにかしらでアメリカンドリームをやるぞ!という野心に満ちていた気がした。クッキーのドーナッツを売ろうというのもルーが言い出してるし、「すぐに飽きられるから今が稼ぎ時だ」というようなセリフにも現れていた気がする。結局二人は根本では違う人間だったのかなあという気もする。それが悪いということでは全然ないと思うけど。「アメリカに生まれたアメリカ人とアメリカ以外から来た移民」というのもあるのかな。
いわゆる西部劇にありそうなヒーロー性とかかっこよさ、マッチョな男性性みたいなのがとことん排除されている感じが今っぽいのかなと思った。この辺は去年見たバービーのケンにもつながるかもしれない。そういえばこの映画はほとんど女性が出てこなかったな…。男らしさ、女らしさってなんなんだろう。
ラストはシンプルでよかったなと思うと同時に、冒頭のあのシーンは必要だったのだろうか…という気もした。でも、あのシーンで「オチが重要な映画じゃないよ」という宣言をしたかったのかな。
ちょっと静かで地味すぎる感じもあったけど、映像や音がよかったし、色々考えたし、デッドマンとのつながりもありそうで、いい映画だったな。でもやっぱり自分は古い人間なのでデッドマンの方が好き。
※追記 ちょっとリスホチキスも思い出した。リスホチキスも書いておこうと思って書いてないな…。
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kennak · 5 months ago
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伯父夫妻の息子である従兄弟とは、特に仲が良いという訳では無かったが親類が集まった時には 話したりする程度には交流があった。兄は自分より歳が近かったからもう少し付き合いはあったらしい。 従兄弟は中堅以上の私大を卒業後、ある市役所の職員になった。 安定した公務員になれた事を伯父夫妻はよく自慢していた。 しかし運の悪い事に配属された部署の上司が所謂ブラック上司だったらしく 従兄弟はかなりキツいパワハラ・セクハラ・モラハラを受け続けたらしく、精神を病み退職した。 一度だけ兄・父と一緒に様子を見に行った事はあるが、どちらかと言えば生真面目でしっかりした性格だった筈の従兄弟が ここまで生気がなく虚ろな表情を浮かべる人間になってしまったのかと、正直ぞっとしたのを覚えている。 後で聞く所によると、鬱病・適応障害の診断が出ていた様だった。 退職してからの従兄弟は、伯父夫妻曰く「引きこもり」。 しかし実際の所は、週1~2程度は単発バイトをしたり在宅で出来る仕事で少額を稼ぎつつ(伯父夫妻に冷蔵庫の使用禁止を言い渡され、 貯金から小さい冷蔵庫を買って部屋に置いていたらしい)働いていた時の貯金を削りながら生活していたそうだ。 また、たまに学生時代の同級生や、ネットのオフ会等には顔を出していたらしく、完全な引きこもりでは無かった。 だが生憎と伯父夫妻は共に「うつ病なんて甘え」「心の風邪とか言うんなら寝てたら治るんじゃないの?」「怠けている、努力が足りない」 という、年代を考えても心の病や現代社会の挫折にはまるで理解の無い類の人達だった。 父もその点を心配して会った時には色々言ってはいたそうだが、まるで響かず聞く耳を持たない様子だったとか。 また母も伯父妻とはたまに会う程度には交流があったものの、ウチの子はまだ働かず家でサボってばかりで困る…といった 愚痴をよく聞かされていたそうだ。 私も知っている人ではあるので多少は心配していたが、正直「引きこもりの従兄弟(と聞かされていた)」と どう向き合って接して良いか分からず、付き合いが疎遠になった事もあり、特に口を出したり また従兄弟自身と交流を積極的に持とうとした事は無かった。今ではそれを後悔している。 従兄弟が30歳近くになった頃、母が伯父妻経由で「◯◯君(従兄弟)は社会復帰に向けて色々頑張っている」と聞いた。 何でも、今まで従兄弟の引きこもりに困りつつも特に相談らしい相談をしてこなかった伯父夫妻がようやく重い腰を上げ 知人から紹介されたというニート・引きこもりの支援団体に相談し、その団体の人達の協力で適切な支援の元、社会復帰に向けて動いているという。 従兄弟の状況が改善に向かっている(らしい)と知った時は、素直に驚きと喜びがあった。 本格的に社会復帰に成功したら一度顔を出しに行こうかと両親や兄とも話していたが、既に親元を離れ就職し それぞれの生活があったので、実現する事は無かった。 それから一年程して、遂に従兄弟が引きこもりを脱���、伯父家を離れ別の場所で支援団体の人達から紹介された 住み込みの仕事をしながら社会復帰に向かっていると母経由で聞いた。 今どき住み込みの仕事、という点に引っかかりを覚えたが、支援団体がやっているのであれば 引きこもり用の簡単な仕事(作業所の様なイメージ)をやらせているのだろうと解釈した。 当時はまだ、支援団体全般に「あまりお金にならない、人の役に立つ仕事をしている人達なのだろう」というイメージを抱いていた。 人間の善性を素直に信じていたといえる。 それから数ヶ月後、仕事中に実家の母からいきなり連絡がきた。 一体何事かと思ったら、「◯◯君の事で警察から連絡がきた!」と言う。 最初は詐欺?かと思ったけど、父が警察と対応しており、話を聞く限りは本物だという。 警察は従兄弟の身元引受人として連絡をしてきたと。 何故両親に…と思ったが、父はとりあえず従兄弟を迎えに警察に行った。 落ち着いたらまた連絡するから、と母に言われその時は終わった。 翌日、母から連絡があった。従兄弟の身元引受人となり、とりあえず父が自宅(実家)に連れ帰り、話を聞く事にした。 久々に会う従兄弟は以前顔を見た時より随分やつれており、精神的にもかなり不安定に見えたという。 結論から言えば、伯父妻から母が聞いていたという話は殆ど嘘だった。 伯父夫妻が知人から紹介された支援団体に相談に行ったのは本当だが、「適切な支援」なんてのは真っ赤な嘘だった。 従兄弟によると、実際は無理矢理部屋に入って来て威圧されたり怒鳴られながらの長時間の「コミュニケーション」。 それがストレスでバイトを増やして家にいない様にしたら態度が反抗的と見なされ、余計に対応は悪化するばかり。 また、数万円を渡され家を追い出され、当然お金が尽きて路上生活を余儀なくされたり(最終的には警察に保護されて家に戻されたという) 共同生活体験と称して、タコ部屋みたいな所に住まわされ重労働をさせられ、食事もまともに貰えない奴隷の様な「合宿」をさせられたという。 ますます精神状態が悪化した従兄弟は、余計に部屋に引きこもり両親との会話を拒絶する様になり(それまでは最低限の両親との会話はあったらしい) 家から逃げ出そう、しかしお金も無く(僅かな蓄えは従兄弟が「合宿」中にいつの間にか伯父管理になっていたとか…)派遣のバイトすらも 精神状態の悪化で難しくなり、どうにもならなくなった挙げ句に、最終的には生活保護を受給して生活しろと 支援団体の人間の「支援」の元、半ば無理矢理手続きをされ、家から離れた家で「自立」させられる事になったという。 最初は信じられなかった。が、母の「◯◯君が嘘を言っているとも思えない」とも言われた。 話している時の様子や怯えが尋常じゃないと。 また、従兄弟が引きこもりを脱したと聞いた際、(従兄弟と)一緒にお祝いの食事でも、と伯父妻に母が言った時に 結構強めに断れられた事もあり、何故だろうと内心疑問には思っていたそうだ。 生活保護を受けて住まわされたアパートは、従兄弟曰く「野宿生活していた方がまだマシだった」という地獄の環境だったという。 文字通りタコ部屋みたいな狭い部屋に数人の人間と共に押し込まれ(元ホームレス、明らかに認知症の気がある老人、 知的障害がありそうな中年男性、明らかに薬物等をやっていたかの様な形相の中年男性、という面子だったそうだ) 生活保護費は受給者証と共に取り上げられ、ボロボロのアパートには明らかに見合わない家賃や生活管理費用、 高額な食事代(1日2、3000円程取られ、レトルトのカレーやご飯、安い菓子パンにペットボトル1本、といった内容だったという)を 差し引いた金額を渡され、手元に残る自由なお金は残り僅か。 それすらも色々な名目で「罰金」を取られ更に減らされたり、同室の人間に盗まれたり、 それで少しでも不満を言うと支援団体の人間に暴力を振るわれ、更に罰金や食事を減らされたりするという、まさに地獄の様な環境だった。 話を聞いた両親は「刑務所の方がマシなぐらいの酷い生活」だと思ったという。 仲良くしようとも思えない不潔で異常な性質の人達との不潔で不便な共同生活、従兄弟はその中では比較的まともだった為、 最初は何とか生活を改善しようとしたが、それすらも生活を管理する支援団体の目についたらしく、些細な事で怒鳴られ暴力を振るわれ 罰金の名目で金を取られ食事すら満足に取れない日々に、さすがに耐えられなくなったので、手持ちの小銭をかき集め、遂に脱走を決意したらしい。 しかし、このまま自宅に帰っても、支援団体の言われるがままだった両親の元に戻った所でまた連れ返されるだけだと思い どうしたものかと考えた挙げ句、何度か行った事があり、最寄り駅や何となくの住所も分かり、そして何よりも「話をちゃんと聞いて、助けれくれそうな」 親類…つまりウチの両親(従兄弟からすれば叔父夫妻)の事を思い出し、向かう事にしたと。 しかし途中で交通費は無くなって数駅手前で下車。 そこからは歩いて叔父宅(実家)まで向かっていた所、不審者として通報を受けた警察に捕まり、事情聴取の際に 身元引受人として叔父(父)を指定したという。両親に連絡したらまた地獄に戻される!と思い、必死にお願いしたそうだ。 で、警察から叔父(父)に連絡がきて、今に至る…と。 正直、驚いたし怒りも湧いた。 嘘をついた伯父夫妻にもだが、怪しい支援団体にも腹が立った。 何でそんなおかしな、ヤクザや反社みたいな人間がやっている様な団体を頼ってしまったのだと。 話を聞いた両親は、伯父に連絡はしたものの、話を聞いてしまった以上しばらくは返せない、支援団体とは手を切って欲しいと言った所 伯父には激怒され、もう金を支払っているのだから(具体的な金額は知らないが、10万20万じゃきかないと思う)それは困る。 アイツには自立して貰わなければいけない、これ以上面倒なんて見きれないから全部(支援団体の)言う通りにしなければならない、と まるで聞き耳を持たない強行的な態度だったそうだ。 母にも伯父妻から連絡が来たが、同様の態度で全く悪びれた様子も無く、「これでは治るものも治らない」と母は思ったそうだ。 週末に実家に足を運んだ。同様に実家に来た兄と共に、両親と今後の事を話し合った。 伯父にも既に父が連絡をしていたが、結果的に嘘を吐いていた事をロクに謝罪しないばかりか あちら(団体)は勝手に脱走した事を非常に怒っている、早く返さなと信頼関係が無くなる、勝手な事をするな! といった事を繰り返すばかりで、話にならなかったらしい。 家族で話し合い、従兄弟から聞いた話があまりに酷かったのもあり、団体の元に返すのは難しいよね、という話になった。 もちろん伯父家の所にも。彼らが引きこもりやうつ病に理解がある人間で無い事は完全に分かったし、おかしな支援団体に というかぶっちゃけ反社かヤクザみたいな団体の所には返せないという事になった(HPを見る限りはちゃんとした団体に見えたけど)。 やはり、従兄弟が嘘を吐いて逃げようとしているとは思えなかったし、兄が以前聞いた事があるという「貧困ビジネス」の話と 一致する所が多くあり、伯父達は騙されたり付け込まれてしまったんじゃないかと。 伯父は元々思い込みが激しく一度決めたらこう!だと動かない性格だと父も言っていたので、今の状態では家にも ましてや団体が用意したというタコ部屋みたいな所にも戻せないと。 じゃあこれから従兄弟の処遇をどうしたら、という話になった。 従兄弟自身は、お金は後で必ず返す��らしばらく漫画喫茶で寝泊まりする、といったのだが 両親はそれでは不便も多いだろうと、当面の間は従兄弟を家に寝泊まりさせる事になった。 これには私・兄も反対しなかった。この決断は後に正解でもあり不正解でもあった事を痛感させられた。 受給者証も取り上げられていたので、最寄りの福祉事務所等にも両親は相談に行っていた様なのだが、 これが仇となったのか、従兄弟が実家で暮らす様になって半月も経たない内に、団体のメンバーという人間が実家に乗り込んできた。 団体メンバーは初手から弁護士と主に来襲し、あなた達の行為は何ら解決にもならない、また従兄弟の意に反し(本当に言った) 従兄弟を家に軟禁する行為(これも本当に言った)は誘拐罪に当たると。 とりあえず従兄弟さんを引き取らせろ、それからは弁護士を通して話し合ってくれ、といって強引に連れ帰ろうとしたので、 文字通り押し問答になったという。団体職員を名乗った人間も弁護士も、外見は普通で口調も乱暴では無かったものの 言ってる事やってる事は完全にヤ◯ザかチンピラのそれだったと。どう考えてもまともな輩では無いと、両親は言っていた。 それは、その対応で疲弊した両親の代わりにこちら側の弁護士同席で対応した私・兄も同意見だった。 しかし調べる限り団体の人達に反社の陰は無く、公的な機関や他の支援団体などとも関わりがある様な「ちゃんとした」団体であり 表面上は「まともな人達」「弱者支援をしている正しい人達」だった為、それだけに人を人とも思わない様な彼ら・彼女らの言動が余計不気味に思えた。 団体側の意見は、自分達のやっている事は全て正しく(従兄弟の様な)弱者を助ける為にやっている事であり、 そんな我々を信用せずに悪質な団体だと思い込むあなた達はどう考えてもまともじゃない、おかしいとまで言われた。 あまりにも「自分達が正しくあなた達(一家)が異常である」という様な事を言うので、逆に自分達の常識がおかしいんじゃないかとすら疑った。 団体とは揉めに揉めて、弁護士も挟み何とか受給者証の返却には応じてくれたものの、管理名目で取り上げられていた 従兄弟の私物の大半は返って来ず(従兄弟も「もうあの人達とは一切関わりたく無い」と泣き寝入り)、これでやっと終わるかと思いきや 今度は私達がターゲットとなり、謎の嫌がらせが始まった。 どこで調べたのか、父の勤務先や母の仕事先に「(父は)長年不正を働いている」「立場を利用して便宜を図っているらしい」 「(母は)職場から少額の横領を繰り返している」「顧客として利用したが(母に)悪口を言われた」等の 嫌がらせ電話がどこからともなくかかってきた。もちろん根も葉も無い事実で、完全に嫌がらせだった。 さすがに皆が真に受けた訳では無いだろうが、嫌がらせをされる様なトラブルを抱えた人間と積極的に関わりたがる人間はいない。 父は定年後も嘱託職員として務める予定だったが、変な噂が立って居辛くなったと、定年まで数ヶ月を残して早期退職。 母も神経を病んでしまい、長年勤めていた仕事を辞める羽目になってしまった。 当時勤務していた職場にも、嫌がらせ電話やメールがきた。 内容を確認した上司によると「(私が)職務上の立場を利用して不正を働いている」「意図的に顧客の情報を漏らしている」 という旨の密告の電話・メールがあったという。当然強く否定した。そんな事をする訳が無いと。 しかし、信用を大事にする業種・職務・職場だった事もあり、結局私はそれまでの業務を取り上げられ、畑違いの別部署に異動が決定した。 その頃にはどこで漏れたか噂も出回っていた様で、疑念半分、でも皆大人だから直接口に出して疑いはしない、でも強く疑われているという空気は感じる。 そんな空気圧に耐えられなくなり、あっという間に神経を病んで仕事を続けられなくなってしまった。 兄の方にも嫌がらせの電話やメールはきていたらしい。 しかし、ITの特定派遣の正社員というやや特殊な仕事、「正社員だけど派遣、派遣だけど自社(と呼ばれる会社)には所属しているので正社員」という立場だった事もあり 「(自社の業務に)関わった事も無い、そもそも開発業務なんて殆どやっていないだろうに、どうやって業務の秘密事項を漏らすんですか?」 「退職しても良いけど、今の派遣先にはチームとして来ているので、TLの自分が辞めたら契約切られますよ?」と強めに主張して、仕事を辞める事にはならなかったらしい。 しかし後になってから兄は「嫌がらせされているという事実や、(自社の上層部に)変な目で見られる様になったのは辛かった」と零していた。 全て、従兄弟を追い詰めた、あの支援団体と揉めた後に起こった事だった。 当然支援団体を疑ったが、明確な証拠も無く、団体に直接問い合わせもしたが、無視か 「そんな事は知らない」「変な事を言いふらす様なら名誉毀損で訴える」と居直られた。 警察にも相談したが、そもそも犯人が誰だか分からないし、私達が主張する例の団体が犯人という証拠や根拠も無い、 よって捜査をするのは難しいし、噂を真に受けて被害を被ったのであればともかく、最終的には「自分で仕事を辞めたんでしょ?」と、 それを「被害」と認定するのは難しいとも言われた。 「不満があるのであればお互い話し合って…」と、被害届けすら受け付けて貰えなかった。 弁護士にも相談したが、仮に嫌がらせの電話が事実でも犯人を特定し団体の関与を認定する事すら難しいと言われ、徒労に終わった。 私達一家は、謎の嫌がらせ犯人に多大な被害を受けながらも、泣き寝入りするしか無���った。 結果的に、従兄弟を助けた事で私達一家の生活は滅茶苦茶になった。 伯父と揉めに揉めて絶縁状態になった事もあり、また地元にも変な噂が出回ってしまった事もあり、両親は長年住み慣れた土地を追われる様に離れ 慣れない土地で慣れない仕事をする生活を送る羽目になった。 定年後は、父は嘱託職員でゆるく働きながら、二人でゆったりとした老後を過ごしたいと言っていたが、 今は慣れない土地で慣れない仕事に追われ、二人とも年齢以上に老けて見えるのが悲しい。 自分は仕事を続けられなくなり、適応障害と診断され、当時交際していた相手とも関係が破綻してしまった。 今は何とか別の会社に再就職したものの、人生プランはかなり狂ってしまったし、今の仕事で嫌な事があったり 年収を計算する度に「前の会社にいたらこんな事には…」と思ってしまう。この後悔は一生消えないだろう。
引きこもりの従兄弟を助けたら生活が崩壊した
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lock128 · 11 months ago
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二月十五日(木曜日)朝八時過ぎに起きるはずが、二度寝をして九時六分に起きてしまう。本来家を出る時間は九時十分。間に合わない、終わった、最終日なのに、と思った。急いで顔だけ洗って髪をセットし、化粧道具と空の水筒を持って家を出た。電車が遅延しているから遅延証明書をもらえ���化粧をしている時間が作れるのでは、と思ったが、ちょうどいい時間に電車が来ていつものように出勤してしまった。打刻だけしてからトイレに駆け込んで急いで身なりを整えてフロアに戻ると、みんながわたしの顔を見ていた。どうやら引き継ぎの朝礼で部長がわたしの退職について触れていたらしい。本人はトイレに駆け込んだので、あれ?いないな?と朝礼中に探していたとのこと。最後の最後にこんなバタバタ、恥ずかしい、挨拶を回避できたのは良かったが。朝からすれ違うひとに 「さみしいよ、ほんとうに辞めちゃうの〜」 とか 「ぜんぜん話せなかったけど、」 とか 「推しだったのに……」 とか 「実は入社したときから気になっていて……」 といった声をかけてもらった。コールアンドレスポンスのように、すべてに 「ありがとうございます」 と返していた。この職場でそんなふうに思っているひとたちがいたなんて、といただいた矢継ぎ早の挨拶を噛み締める。昼休憩は一番信頼できるひとと最後の食堂。初めてちゃんと話したのもこの食堂だったな、と懐かしい気持ちになった。休憩後もお菓子をばら撒き、眠気に勝てずまた眠り、頭痛を抱え、挨拶をしていたらあっという間に退勤の時間になった。マニュアル等を返さねばならないのでひたすら自分のファイルから資料を抜く、抜く、抜く。入館証がないと退館できないシステムらしく(退館自体は可能だがなんか色々あるらしい)、お姉さんを待たせて一緒にエントランスまで着いてきてもらう。もっと事前に返却物の準備をしておけよ、と自分で呆れてしまった。相変わらずのバタバタ感。さいごに職場から見える東京タワーの写真を撮って、心の中でまた挨拶をする。春のようなあたたかい日に、わたしは一年間在籍していた職場を去った。
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moderndays · 3 months ago
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Recommended Books 【京都・Kyoto】
&Premium特別編集 まだまだ知らない京都、街歩きガイド。 (MAGAZINE HOUSE MOOK) 雑誌 – 2024/8/6
マガジンハウス (編集)
雑誌「&Premium」発、人気の京都ガイド第5弾! 混雑する観光地から離れて、暮らす人だからこそ薦めたい15のエリアと8つのテーマ、全316軒を紹介します。 ■大和まこの京都さんぽ部 暮らすように歩く、京の街
【紹介エリア・テーマ】 静かに過ごす時間/七条通/四条南/御所南再訪/自分みやげ/叡電/現地系中華/老舗の味/賀茂川/河原町松原/栗の菓子/鹿ヶ谷通/アペロの時間/二条城南/東大路通/冷泉通/吉田&聖護院/壬生/整える/北野天満宮界隈/栗の菓子2/御所西再訪/京丹後
女人京都 ペーパーバック – 2022/9/28
酒井 順子 (著)
京都に通い続けるエッセイスト・酒井順子による、全く新しい視点から切り取った京都エッセイ&ガイド。 女性の生き方、古典、旅、文学など幅広く執筆活動を行う著者が、小野小町、紫式部、清少納言、日野富子、淀君、大田垣蓮月、上村松園など歴史上の女性たち43人の足跡をたどる旅に出た。
「京都の中でも、京都らしさを最も濃厚に抱いている存在は、名所旧跡でも食べ物でもなく、京都の『人』なのではないかと私は思います。(中略)京都の都会人の中には、今も、平安以来続く都会人らしさのしずくが、滴り続けているのです。」(「はじめに」より)
京都に暮らした女性たちの生き様を知ることは、現代の京都の人々、そして京都の街を知ること。 この本を片手に歩いてみると、平安時代の遺構がそのまま残っているところもあれば、貴族の屋敷が今は児童公園になっていたりすることにも気づく。京都の通りを上ル下ルし、西へ東へと歩き回り、時代を行ったり来たりして、新たな旅の提案を教えてくれる。 この本を読むと京都の歴史や文学がぐっと身近になること間違いなし。
京都散策に便利な地図付きです。
お茶の味 京都寺町 一保堂茶舖 (新潮文庫) 文庫 – 2020/5/28
渡辺 都 (著)
ゆったりと流れる時間、その時々で変化する風味、茶葉が持つ本来の美味しさ──お湯を沸かし、急須で淹れてこそ感じられるお茶の味わいがあります。江戸時代半ばから京都に店を構える老舗茶舗「一保堂」に嫁いで知った、代々が受け継ぎ伝えてきた知恵と経験、家族のこと、お店のいまと未来、出会いと発見に満ちた京都生活。お茶とともにある豊かな暮らしを綴った、心あたたまるエッセイ。
京都、パリ ―この美しくもイケズな街 単行本 – 2018/9/27
鹿島 茂 (著), 井上 章一 (著)
◎26万部『京都ぎらい』の井上章一氏、フランス文学界の重鎮である鹿島茂氏が、知られざる京都とパリの「表と裏の顔」を語り尽くす。たとえば、 ・日本には「怨霊」がいるが、フランスにはいない ・日本のお茶屋とパリの娼館は、管理システムが似ている ・パリの娼館は、スパイの温床だった ・日仏では、女性のどこに魅力を感じるか ・洛中の人にとっての「京都」はどこ? ・パリの人にとっての「パリ」はどこ? ・パリと京都の「汚れ」に対する意識の違い など、知っているようで知らなかった「京都とパリ」の秘密がわかる。
京都のおねだん (講談社現代新書 2419) 新書 – 2017/3/15
大野 裕之 (著)
お地蔵さんの貸出料は3000円、発売第一号の抹茶パフェは1080円、では舞妓さんとのお茶屋遊びは? 京都では値段が前もって知らされないことも多く、往々にして不思議な「おねだん」設定に出くわす。京都を京都たらしめているゆえんともいえる、京都の 「おねだん」。それを知ることは、京都人の思考や人生観を知ることにつながるはず。京都歴二十余年、サントリー学芸賞受賞の気鋭の研究者が解読する、京都の秘密。
なぜこれがこんな高いのか、あんな安いのか、なんで無料なのか、そもそもあんなものになんでおねだんがつくのか―― 大学進学以来、京都住まい二十余年。往々にしてそんな局面に出くわした著者が、そんな「京都のおねだん」の秘密に迫る。 そもそも「おねだん」の表示がされていない料理屋さ���、おねだん「上限なし」という貸しビデオ屋、お地蔵さんに生ずる「借用料」。 そして究極の謎、花街遊びにはいくらかかる?
京都人が何にどれだけ支払うのかという価値基準は、もしかしたら京都を京都たらしめているゆえんかもしれない。 京都の「おねだん」を知ることは、京都人の思考や人生観を知ることにつながるはず。 2015年サントリー学芸賞芸術・文学部門を受賞、気鋭のチャップリン研究者にして「京都人見習い」を自称する著者による、初エッセイ。
京都 ものがたりの道 単行本 – 2016/10/28
彬子女王 (著)
「京都という街は、タイムカプセルのようだ」と著者は言う。オフィス街の真ん中に聖徳太子創建と伝えられるお寺があったり、京都きっての繁華街に、坂本龍馬と中岡慎太郎が暗殺された地の石碑がひっそりと立っていたり。そこには人々の日常があり、みなが変わりない暮らしを続けている。そんな石碑になど目を留めない人もたくさんいるはずだ。 それでも著者は、そんな場所に出会う度に、タイムカプセルを開けたような気持ちになるのだという。幕末の争乱期の京都へ、平安遷都する以前の京都へ、近代化が急速に進んだ明治・大正時代の京都へ……。さまざまな時代の“時"のカケラが、街のそこかしこに埋まっている。この場所で徳川慶喜は何を思ったのだろう。平家全盛のころの六波羅は、どんな景色だったのだろう。安倍晴明はここで何を見たのだろう。その“時"のカケラは、一瞬の時間旅行へと誘ってくれる。 日本美術研究者として活動する著者が、京都の通り界隈にまつわる逸話から、神社仏閣の歴史、地元の人々の季節折々の暮らし、街歩きでの目のつけどころや楽しみどころ、京都人の気質までを生活者の視点から紹介する。さらに、自身のご家族のこと、京都府警と側衛の方たちとのやり取りなどの日常生活の一端を、親しみやすい文体でつづる。6年以上、著者が京都に暮らす中で感じ、経験した京都の魅力が存分に語られており、「京都」という街の奥深さと、「京都」の楽しみ方を知る手がかりとなる。 新聞連載の24作品に、書き下ろし3作品を加えて刊行。京都の街歩きに役立つ「ちょっと寄り道」情報や地図も掲載。
京都はんなり暮し〈新装版〉 (徳間文庫) 文庫 – 2015/9/4
澤田瞳子 (著)
京都の和菓子と一口で言っても、お餅屋・お菓子屋の違い、ご存知ですか? 京都生まれ京都育ち、気鋭の歴史時代作家がこっそり教える京都の姿。『枕草子』『平家物語』などの著名な書や、『鈴鹿家記』『古今名物御前菓子秘伝抄』などの貴重な資料を繙き、過去から現代における京都の奥深さを教えます。誰もが知る名所や祭事の他、地元に馴染む商店に根付く歴史は読んで愉しく、ためになる!
京の花街「輪違屋」物語 (PHP新書 477) 新書 – 2007/8/11
高橋 利樹 (著)
京都・島原といえば、かつて興隆をきわめた、日本でいちばん古い廓(ルビ:くるわ)。幕末の時代、新選組が闊歩したことでも有名である。その地でたった一軒、現在でも営業を続けるお茶屋が、輪違屋(ルビ:わちがいや)である。芸・教養・容姿のすべてにおいて極上の妓女(ルビ:ぎじよ)、太夫(ルビ:たゆう)を抱え、室町の公家文化に始まる三百年の伝統を脈々と受け継いできた。 古色なたたずまいを残す輪違屋の暖簾をくぐれば、古(ルビ:いにしえ)の美しい女たちの息づかいが聞こえてくる。太夫のくりひろげる絢爛な宴は、多くの客人たちを魅了し続けている。 本書では、輪違屋十代目当主が、幼き日々の思い出、太夫の歴史と文化、お座敷の話、跡継ぎとしての日常と想いを、京ことばを交えてつづる。あでやかでみやびな粋と艶の世界----これまでは語られることのなかった古都の姿が、ここにある。
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