Tumgik
#あっちこっち丁稚
fa-cat · 9 months
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坂田利夫さん、NGK最後の出番後の貴重メッセージ アホを貫き「がんば~れよ~」
「アホの坂田」の愛称で親しまれたコメディアンの坂田利夫さんが、29日に老衰のため大阪市内で亡くなった。30日、吉本興業が公表した。82歳だった。2022年4月には、なんばグランド花月(NGK)で催された同社の創業110周年特別公演「伝説の一日」に出演し、同年7月30日にYES THEATERで開催された「さざなみ寄席」に出演したのが最後の舞台となった。
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diarytheroomoffuji · 4 months
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道徳心と言うのか
常識と言うのか
tumblr繋がりである方が、ご近所さんの事を語られていて、とても共感させて頂いた・・・
私の所では、日本では考えられないような事が極ふつ~にあります。殆どが日本人的には考えられない事です。マイナスの方(苦笑)
その理由は多国籍社会が一因ですけど、そもそも北米社会の常識って日本の一般的な常識とは全く違います。日本で紹介されるこちらの華やかな事って何処の事?って感じですよ(笑)以前も日記に記しましたが、その辺に疲れて日本へ戻る方々も多々います。
ゴミのポイ捨て。これって日本人の私達は幼稚園や学校でも教わりますし、社会人でなくても子供の頃から常識だったりします。毎度言いますけど、最近の日本社会は全く知りません。私が言ってる日本社会は30年前で止まっていますから、ズレていたら申し訳ないです。
私の家のお隣さん、一方はもう20年以上前から暮らしているヨーロッパ系のご家族で、いつもお庭も綺麗にしていますし、私も色々な事を教わっております。
そしてもう一方のお隣さんは、以前はおばあちゃんと息子さんの2人暮らし(30年程)でしたが数年前に南アジアのカレー系の若い女性の投資家が買いました。・・が、彼女、お庭の掃除とか殆どしません(苦笑)。これは、差別ではありませんが、一般的に彼らの国民性で、庭の芝をコンクリートに敷き替えてしまう方々もいるくらいです。場所によっては、それを禁止している条例もあります。街の景観が崩れるので・・・(こちらの住宅地、家の前や後ろにに芝があります)
その投資家が突然その家を貸し出しましたが、引っ越してきたのは中近東系(たぶん)の家族でしたが、彼らはオーナーよりも更に家の事を殆どしませんし(レンタル物件あるある)、ゴミの問題も多々(苦笑)
私は、我慢に我慢を重ねていましたが、うちの敷地にもゴミは散らかってるし、その家の幼い子供達がうちのフロントヤードまで遊びに来ていたりと。一般的な日本の住宅事情より恵まれているので、フロントヤードもかなり広いので子供達が遊ぶ事はよくあります。しかしこれは別の問題で、その子達はゴミもポイ捨てします。子供達には怒れませんし、ある時子供達の親に話をしようと隣の家に行ったのですが全く英語が通じなく、彼らの原語もどこの国なのか??でした。
そんな事が何度か続いたのですが、ある朝彼らのゴミ箱をアライグマがひっくり返し、我が家の庭に散乱(ヒぃ~!)。私は、英語で手紙を書いてカナダの一般的なルールを彼らに伝えました。きっと彼らの仲間の誰かに英語が分かる人がいると思い。普通なら怒っても良いのですが、私も移民でこれまでにカナダの人達に色々教わってきましたから、本当に丁寧に接しました。
そんな事があってから数ヵ月経ちましたが、今まではこちらが挨拶しても殆どリアクションがなかったお隣さん(大人)も、手を上げて「ハロー」と言うようになりました。
このような問題で近所で抗争があることもありますし、警察が来ることもあります。これは良い例なのかもしれません。でも常識の違い、道徳心の違いってのは本当に大変です。まして同じ日本人同士なら尚更大変だと思います。
私の国では移民を大量に受け入れますけど、そのような常識をまず入国時にキッチリと彼らに教えて頂きたい。差別がどうこうと以前より騒ぐ世の中になりましたけど、差別が起きる原因もあり、政府機関が現場に丸投げしているから余計に問題が起きると思っています。
因みにこちらの幼稚園や小学校等では、子供達に教室や廊下の掃除の教育はありません。私がこちらに来て驚いた事の一つでした。ガッカリ・・・
自然環境を守る事も重要ですが、自分達が生活する所、しかも教育の場でそのような重要な事が行われていません。なので私は自分の子供達には掃除やゴミの話を常にしてきました。
世の中って難しいよね
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kennak · 10 months
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9月21日午前6時に父が亡くなった。 老健からの退所が決まり、週末のみ自宅で過ごすことが決定してからの 我が家はまさに上を下への大騒ぎだった。 家の中までの導線を確保した上で車椅子が通るよう道を整備し、 父が使っていた寝室に入るサイズの介護ベッドを調達して 高齢の母の負担が極力減るようにヘルパーの力を頼りながらの受け入れ生活だったが あれほどの労力をかけて準備したにも関わらず、わずか2ヶ月ほどでピリオドを打った。 コロナ感染からの重症化で一時は命も危ぶまれた父は、奇跡的に回復するも 肺炎により嚥下機能が著しく低下していたため誤嚥性肺炎を繰り返しては再入院し、 「急変した際の延命治療はどうしますか」とその都度医師に聞かれた。 そして3度目の再発で入院し、同じように「どうしますか」と問われた時、 半ば慣れっこになっていた私たちは「回復の希望があるならできるだけのことはやってほしいが 機械の力を借りて心臓を動かすだけの措置なら不要」と回答した。 そしてその翌日、まるで私たちの会話を盗み聞きしていたかのように父は逝った。 今年もケムコ様より東京ゲームショウにお誘いいただいていたのだが 父の容体が安定していないことからギリギリまで返事を待っていただいていた。 (快く待ってくださったケムコ様には本当に感謝しかない。ありがとうございます。) 最初から断ることも考えたが、遠出すれば気分転換になるかもという現実逃避的な思考もあり 引き延ばすだけ引き延ばした挙句に父が選んだ旅立ちの日は9月21日、東京ゲームショウの開幕初日だった。 父についてのエピソードで一番古い記憶を辿ると、幼稚園のクリスマス会になるだろうか。 園児のところにサンタがやってきて菓子を配る恒例の会で私も楽しみにしていたのだが 当日やってきたのはサンタのコスプレをした父で、特に素性を隠すでもなく 大声で私の名前を呼びながら「おおしのびん、今年はワシがサンタじゃ」と菓子を手渡した。 私は幼稚園の年少組にして「サンタは親が演っている」ことを知ってしまったのである。 生粋の目立ちたがりで役職のつくポジションが大好きだった父を見て育ったせいか 私は人一倍自分を表に出すことを避けるようになり、今もこうしてハンドルネームでブログを書いている。 母から「お父さんのようになってはダメよ」と言われて育った私は、 言ってみれば父を反面教師にして出来上がった集合体のようなもので、何から何まで合わない。 合わないのに、成長するにつれて父に似た部分が体のあちこちに、思考の節々に現れては嫌悪した。 今にして思えば、父のようになりたくない、は、父のように何事にもオープンで大らかには生きられない 内向的な自分の劣等感が生んだ、羨望からくる逆恨みだったのかもしれない。 そのことを受け入れ、父の中に幾らかの可愛らしさを見出してからの親子関係は 世間で言うところの仲の良い親子には届いていなかったかもしれないが、そう悪くもなかったと思う。 3度目の入院の知らせは突然だった。 デイサービスから「微熱があり酸素量も少ないため念のため病院に連れていきます」と連絡があり またかと思いながら病院に駆けつけた。 前々回、前回と同じようにしばらく入院して、回復すればまた退院するのだろうとぼんやり考えていたので 入院手続きのために膨大な枚数の用紙に記入しなければならないことの方が気が重かった。 翌朝面会に行くと、父は痰を吸入してもらって楽になったのか静かに眠っていた。 夜中も1、2時間おきに吸入をしていたと聞き、頭の下がる思いがする。 とてもではないが、このケアを自宅ではできなかったろう。 父は私のことはわかっていたようで「会いにきたよ、わかる?」と聞けば小さく頷いていた。 「元気になって、また家に帰ろうな」と声をかけるとまた小さく頷いていて 「この様子なら大丈夫だろう」と少し安堵した。 しかし、翌朝の医師の説明では、心臓の機能が大分弱っているので 肺炎が治るよりも先に心臓が持たないかもしれないと告げられた。 そして、冒頭に書いたように「無理な延命治療は本人も辛かろうし不要。 楽になるための治療なら全力でお願いします」と回答して帰宅した。 その日の深夜、病院から容体がおかしいと電話があり、孫たちも連れて慌てて深夜の病院に 大勢で押しかけると、別室に移動した室内で父はスヤスヤと眠っていた。 「みなさんが到着される直前に急に安定し始めて」とナースは申し訳なさそうに笑ったが 「人騒がせなじいじだ」と悪態をつきながらも皆笑顔だった。 その翌日、またしても深夜に病院から電話があり、同じように大勢で深夜の病院に向かった。 酸素がなかなか上がってこないと昨夜より病室内の空気に緊張感があったが 当の本人は傍目には穏やかに眠っているように見えた。 「こんなことがこれから毎晩続くのかしら」と母が疲労困憊の様子で口にするのを聞きながら 昨日医師に「まぁ、こんな感じで心臓がゆっくり止まってしまうほうが本人は楽だと思いますよ。 本当に眠るように、何も苦しまずに済むので。」と言われたことを思い出していた。 ほどなくして心電図を表示している機械から危険を知らせるアラーム音が鳴り、慌ただしくナースが入ってきた。 「まだいったらだめだよ」「起きてじいじ」「起きないと怒るよ」と孫たちがそれぞれ父に声をかけ 「家に帰ろうよ」と姉が語りかけた後に、それまで黙って見守っていた母が父の手を取って話し始めた。 「じいじ、ねえじいじ、本当に好き放題に生きたわね。 突然商売をすると言い始めて、30年間も私にその店を手伝わせている間に 他所で女を作ったり、こっそり家のお金に手をつけたり。 その人を連れてゴルフに旅行にと遊びまわり、飲み歩いてね。 子育てなんて全部私に任せっきりで、ほとんどしなかったでしょ。 でもねじいじ、私はそれでも、あなたにまだ居て欲しい」 父の左手を両手で包み込み、まるで駄々っ子を宥めるように話しかける母の言葉を聞きながら 「おいおい、こんな男にだけはなるなと刷り込み続けて今更それはないだろう」と思ったりもしたが その言葉を聞いて、つくづく夫婦のことは夫婦にしかわからないのだと思い知らされた。 そして母が話し終えるのを待っていたかのように、9月21日午前6時に父の心臓は動きを止めた。 息を引き取る直前まで、話しかければ反応していたし、ゆっくりと腕を持ち上げたりピースサインも出せていて 「ぎゅっと握ってごらん」と言えば握り返していた父の時間は、本当に呆気なく止まったのだった。 けたたましい機械音さえなければ寝落ちを疑うほど穏やかな最期だった。 入退院を繰り返したとはいえ、何週間も昏睡状態が続いたわけでもなく、 在宅介護開始から2ヶ月、再入院から僅か2日で逝った父は ピンピンコロリとまではいかなくとも、ほどほどコロリぐらいの称号は与えても良い気がする。 面倒を見ていた親族の誰も介護疲れに陥らせず 別れを惜しむ気持ちを十分に残した上で旅立ったことは、家庭を振り返らず仕事に恋に奔放に生きた父が 珍しく見せた父親らしい気遣いと言っていいかもしれない。 週末は自宅で皆に介護されながら、コロナ感染の入院直前に食べるはずだった念願の鰻もちゃんと食し 早朝にも関わらず親族8人が見守る中で逝けたのだから、幸せだったろう。 亡くなる前日の朝、家族がいる手前では気恥ずかしさが勝ってしまい、正直な気持ちを話せないと思った私は ひとりで病院に面会に行き、眠っている父に向かって幼い頃から反抗的な態度を取ってきたことを詫びた。 「できの悪い息子でごめんな」と耳元で話していると、父が一瞬、私の手を握り返してきた、気がした。 あの時間がなければ、私の後悔はもっとずっと大きかったと思う。 テレビで何度も見かけた「9月21日午前6時21分、お亡くなりになりました」という医師の言葉を聞き終えて外に出ると もう空は明るくなり始めており、電話1本で飛んできた葬儀屋と話をしているうちにすっかり陽は昇った。 秋晴れの爽やかな朝だった。 悲しみに浸る暇もなく、数々の段取りが始まった。 実を言うと、2年ぐらい前から「親が亡くなった時にするべきこと」という ハウツーのページをブックマークしていて、折に触れて読み返すのを癖づけていた。 10年以上前の別れでは狼狽してしまい、何もかも人任せにしてしまった反省から いざという時にあたふたせず、冷静に適切な行動とれるための予習をしていたのだ。 親族と親しい方々への連絡、役所への届け出、葬儀の手配など まるで流れ作業のように進んでいって、翌日には通夜、翌々日の葬儀がすんなり決まった。 通夜の翌日、親族の集まった部屋に入ると、皆が見守る中で父が風呂に入れられていた。 旅立ちの前に全身を綺麗にするオプションサービスで、母が頼んでいたらしい。 髪も丁寧に洗い、顔もパック&化粧までしてほとんど韓流スターのようなフルコース。 一部始終を近くで見ていた姉が「私がやって欲しいぐらいのサービスだったわ」と感心していた通り 仕上がった父はこざっぱりして生気を取り戻したように見えた。 昼時になり孫たちが腹が減ったと言うのでGoogleMapで調べてみると 田舎のため近くにはコンビニぐらいしか引き当たらない。 「仕方ないから適当におにぎりでも買ってこようか」と義兄は言ったのだが 騒がしく葬るのが我が家のスタイルだからと、私の提案でデリバリーを頼むことにした。 幸い、配達圏内にカレー屋とピザ屋が引き当たったため Uberと出前館に一軒ずつ注文を出し、数十分後には親族控室はカレーとピザの匂いで充満した。 父の想い出話を肴にワイワイと盛り上がり、「こんなに騒がしい親族の控室はないんじゃないか」と 誰かが口にするほど賑やかな昼食になった。 年を取ってもジャンクフードが大好きだった父は、すぐ横で羨ましく見ていたに違いない。 皆で盛り上がっているところに葬儀屋が入ってきて、一枚の紙を置いていった。 折り鶴の形をした形状記憶用紙で、皆で一言ずつ別れの言葉を書いてお棺に入れるのだという。 「お疲れ様でした」「あちらでは偉そうな振る舞いをしないように」(←私)など各自が書き込み、 最後に全員のメッセージを読んでいると、看護学生をしている姪が書いたと思しき一文が目に留まった。 「きちんと面倒をみてあげられなくてごめんなさい。立派な看護師になってみせます。」 淡々と皆の様子を俯瞰で眺めてきた私は、その一文を読んで初めて涙腺が緩んだ。 父親としては赤点だったが、祖父としては孫達に慕われる良きじいじだったのだ。 父の顔の広さもあって、葬儀場には置き場所に困���ほどの花が届き、弔問客で溢れ返った。 コロナ禍ではとても実現できなかったであろうし、やはり父はツイている。 「いよいよお別れの時です。 生前お付き合いのあった方は、どうか前に出てきてお顔を見て差し上げてください。 仏様は亡くなっても私達に多くのことを教えてくださいます。 命の儚さ、尊さ、多くの教えを私達の心に遺して旅立たれるのです。」 お棺を閉じる前のお坊さんの言葉に誘われるように棺の前に立ち、眠っている父の顔を覗き込んでみた。 次々と収められる花に囲まれた父は、加工アプリで装飾し過ぎた写真のようなビジュアルで少しだけ滑稽だった。 そしてその姿を見てフフッと少し笑った後に、訳もわからず涙が流れた。 時間にしてほんの1分ぐらいだったと思うが、どこかの栓が抜けたようにドバドバと流れて自分でも驚いた。 「最後ぐらい泣いてくれ」と、父が私の涙腺(栓)を抜きにきたのかも知れない。 こんな機会でもなければ会うことの無かったであろう、数十年振りの知人や親戚と再会し 様々な思い出話をしていると、この時間も父の置き土産なのだと感じる。 簡略化の進む現代風の葬り方にも良い点はあるが、昔ながらの葬式も、その煩わしさも込みでなかなか良い。 親族用にチャーターした火葬場までの送迎バスに乗り込む際、 片手で骨壷を持ち、片手でスマホを持って自撮りをした。父とのツーショットである。 山の中腹にある火葬場は薄曇りで少し肌寒かったが、待ち時間中はやはり四方山話で盛り上がった。 火葬を終え、小さな骨壷に収まった父と帰宅してから 四十九日までの予定を親族で確認し、それぞれが日常に戻っていった。 数日して何気なくiPhoneの写真フォルダを見ていると、入院時に父と撮った写真が出てきた。 亡くなった9月21日は金曜日、その写真は2日前の19日だったので 写真の上にはまだ『水曜日』と表示されている。 iPhoneの写真は1週間以内なら曜日で表記され、1週間以上が経つと○月○日の表記に変わる。 水曜日という表示に、まだ数日前まで父はこの世にいたのだと気づかされた。 老健に長く入っていたし、それほど頻繁に会っていたわけでもないのに 「もういない」ことが日毎に実感となって、音もなく雪が降り積もるように静かに寂しさが募っていく。 あっという間に四十九日を迎え、近しい親族だけで法要を済ませた。 葬儀の時と同じお坊さんがやってきて、最後にまたひとつ話をしていった。 「四十九日が経ちましたね。 毎日元気にお過ごしでしょうか。 今日はひとつ、時間と命について皆さんに考えていただきたいと思います。 私たちは皆、等しく流れる時間の中で生きています。 亡くなった方の時間はそこで止まり、しかし私達の時間は動き続けます。 時間の止まった方との距離は日々遠くなり、日常で思い出す機会が減ってきたり 悲しみが薄れたりしますが、そんな時こそ、生きていることを自覚していただいたいのです。 今日この場で皆さんと過ごした時間が二度と戻らないのと同じように 時間は先にしか流れないと自覚しながら、1日1日を大切に過ごして下さい。」 私にとって父が良い父でなかったように、父にとって私も良い息子ではなかったろう。 生きているうちにもう少し何とか出来たかもと思わないでもないが、全ては後の祭り。 是枝裕和監督の映画「歩いても歩いても」に出てくる 『人生はいつも、ちょっとだけ間に合わない。』を、まんまと私も体験してしまった。 先人からの教訓を受け取っていたのに、実践を怠って同じ後悔をして その気持ちをこうして文章に残し、誰かが悔いを残さないようにと祈る。 そうやって、人は生きていくのだ。
四十九日 - 忍之閻魔帳
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emeraldecheveria · 3 months
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月の光と海うさぎ【4】
新しい家
 新居がある隣町は、田園が広がるのどかな風景の町だった。
 父が運転する車の助手席に母、後部座席に私と美夜がいる。私は父の後ろで、美夜は母の後ろで、それぞれ窓に顔を貼りつけてその景色を見つめた。引っ越しトラックが私たちの車に後続している。
「あの家だぞ」と父が言って、私も美夜も急いでフロントガラスを向いた。ざあっと稲穂が続く中に、晴れた空と同じ水色の家があった。
 胸がどきどきしてくる。まるでルルが喜んで跳ねているみたいに。実際、心の中にあの陰気な雨は降っていなかった。出窓を見つけたように、私の胸にはさわやかな風が抜けて、爽快なほどだった。
 だって、やっとあの学校を解放されたのだ。みんなからのいじめ、先生たちの嫌味、静くんの視線からも逃げおおせた。このすがすがしい光景の町で、ようやく自由を手に入れた!
 どんどん近づくほど、新居がびっくりするほど大きな家だと気づいた。一階が車庫になって、その上に二階建ての家があって、実質三階建てだ。遠くから見えた通り壁は水色で、屋根は青、窓枠は白、コントラストがまるで大空と海原と白雲みたい。周りの稲穂の音も、本物の海みたいだった。
 ああ、そうか。海なら心配ない。私の中のルルが海うさぎなら、この家は帰ってきた場所になる。だからきっと、ルルにも友達ができる。私にも友達ができる。ここが私の居場所になるんだ。
 新居の前に到着して、大人たちが荷物を抱えていそがしく動きまわる中、私と美夜は家の中を駆けまわって探検した。
 いくつもある部屋。木目の階段。大きなベランダ。ぴかぴかのお風呂。トイレだって真っ白だ。
 何より嬉しいのは、三階に自分だけの部屋があることだった。今までは美夜と同じ部屋だったから、一気に自分が立派になったような感じがした。私も美夜も「すごい」「すごい」ばかり言うので、母の反対を押し切ってこの家を建てることにした父は、すっかり上機嫌だった。
「自分の荷物は自分でほどきなさいね」
 新築の匂いがする自分の部屋で、南向きの窓を開けていると、私の名前が書かれた段ボールが続々と運ばれてきた。私の荷物がすべて部屋につめこまれると、顔を出した母がそう言った。「うん」と私が段ボールに駆け寄り、さっそくガムテープを剥がそうとしたとき、「よかったね」と不意に母が言った。
「えっ?」
「これで、いじめられることもなくなったから」
 私は母を見た。母は目は合わせず、そそくさと隣の美夜の部屋に行ってしまった。私は手の中のガムテープを視線を落とし、気にしてくれてたんだ、と思った。
 ざざあっと潮騒のような音と共に、涼しい秋の風が舞いこんでくる。そのそよ風がするりと私の長い黒髪を揺らし、深く呼吸すると、白い天井を見上げて自分は救われたのだと思った。
 本当にそう思った。段ボールを荷ほどきしたり、住所変更の手続きをしたり、数日、学校に行かなかったあいだは。
 そのまま、学校なんて私の生活から消えてしまえばよかったのだ。でも、心が解放感で清らかになって、学校への警戒心さえ流れてしまっていた。というか、何の根拠もなく新しい学校ではうまくいくと思っていた。
 新しい中学校には、転入前に母と挨拶に行った。小さな中学校で、学年ごとにクラスはふたつしかないらしい。私は一年二組だと告げられた。田舎なので、特に高齢化で子供が町から減っている。そのため、学校の生徒数も少ないらしく、「でもそのぶんアットホームなんでね」と校長先生はにっこりした。私はその言葉を信じて、ここなら大丈夫そうだと改めて安心した。
 アットホーム。確かにそうだったかもしれない。物は言いようだ。
 私は分かっていなかった。町にひとつしかない幼稚園、小学校、そして中学校に、エスカレーター式でもないのに一緒に進学してきた子たち。それはひとつの家族であるように、とても密接な関係を作っていた。そのぶん、ホーム外のよそ者に対しては──その危険性を、私はまだ知らなかった。
 転校初日、私は黒板の前で丁寧に教室に向かって挨拶したし、できる限りの笑顔だって頑張れたと思う。転校生に奇妙なムードがあるのは、前の学校を去るとき、女の子たちが泣いたことで分かっている。きっとこちらの学校でも、あの空気に押されて誰か私に話しかけてくれるはずだ。
 そわそわしていると一時間目が終わり、休み時間になった。ちゃんと答えられるかな。言い間違えたりしませんように。そんな心配をしていると、十分間の休み時間はあっという間に過ぎた。
 あれ、と顔をあげて、ふと私は、教室でひとりだけ「違う」ことに気がついた。その違和感が、微妙な被膜を作っていることも。
 二時間目が終わっても、私に近づいてくる子はいなかった。無視されているわけではないようだ。みんなのほうも違和感を感じ取っている。そして、どうしたらいいのか分からないというふうに遠巻きに私を見る。
 目が合ったら慌ててそらされるので、私から話しかける勇気も持てなかった。だいたい、こちらからみんなに言えることなんて、朝の挨拶で言ってしまった。だから、今度はそれに対してみんなが好奇心を持って尋ねてくれないと、私は誰に何を言えばいいのか分からない。
「え、えーと……み、光谷さん?」
 味わうゆとりもなかった給食のあと、昼休みになって、ようやくそんな女の子の声がかかってきた。自分の席で、つくえに伏せって寝たふりすらできずに固まっていた私は、はたと振り返る。
 天然パーマっぽい長い髪なのに、どこかおどおどした雰囲気のせいで地味な女の子が、私のかたわらに立っていた。彼女が笑うと、乱杭歯が覗いて、私はぎこちない表情になって「はい」とだけ答えた。
「あ、あの、校内を、あ、案内……させてもらって、いい、かな?」
 私はまばたきをして、確かにそれはしてもらわないと困るな、と思った。「お願いします」とうなずくと、「う、うん。じゃ、行こう」と彼女は教室のドアをしめした。
 私は席を立ち、彼女についていく。くすくすという笑い声が聞こえた気がした。けれど、ちらと振り返っても、そんなふうに嗤っている人はいっけん見当たらなかった。
 彼女は金子さんというらしい。並んで廊下を歩いてい��と、「お前、ドーモが感染るぞ」と揶揄ってきた男の子がいた。
 どうも? 別にそんな挨拶はされなかったけど。そう思って私は首を傾げたものの、やたらと「ドーモじゃん」「うわ、ドーモ」と言われている金子さんが、どうやらこの学校で“生け贄”の立場にあることは察した。
 それでも、一生懸命に話しかけてくれるから、私も緊張しつつ金子さんの質問に答えた。前に通っていた学校のこと。おろしたばかりのここの制服のこと。質問されることにただ答えていた。頭が素早くまわっていなくても、おかしなことも悪いことも言わなかったと思う。
 なのに、広くない校内をまわって教室に戻ると、金子さんはすっと私を離れて、教室にいた女子グループに私の返答を報告しはじめた。ときどき笑い声が聞こえて、私は急に冷たい手に心臓をつかまれたように、ひやりと不安を覚えた。
 あとで分かってくることだけど、金子さんは吃音があって、「どもる」から「ドーモ」と呼ばれているらしい。察知の通り、やはりみんなにいじめられていた。そして、私の情報を流して、いじめっこのグループの仲間になろうとしていたみたいだった。
 ちなみに、こちらのほうが田舎町のせいか、勉強の進みが遅かった。前の学校でどこまで進んでいたか訊いてきた数学の先生は、「みんな分からないことは光谷に訊くといいぞ」とかとんでもないことを言った。
 学校の勉強は進んでいても、私はそれに追いつけていなかった生徒だ。その先生は何を調子に乗っているのか、授業中に問題を答える挙手がないと、集中的に私を当てて「光谷なら分かるよな?」と黒板に呼んだ。
 しかし、当然ながら私はまったく分からない。いくら当てられても、決まって答えられない。脳が張りつめて吐き気がして、「分かりません」の声さえ出なかった。
「あいつ、頭悪いんじゃねえの」
 そんなささやきは一気にクラスに伝染した。あっという間に、私は頭の悪い無口な子だとうわさを立てられた。
 ちなみに、金子さんは私の情報を使ってもいじめっこグループに昇格はできなかった。それでも、いちいち私に話しかけてきて、それを女の子たちに報告することはやめなかった。教室で失笑が聞こえてくると、私はびくりとすくみそうになった。
 教室になじめることがないまま、長く厳しい冬に入った。二学期が終わる直前、その日も私は心の中にもやもやしたものを抱えながら帰宅した。
 空は灰色で、すぐにでもあたりは暗くなりそうだ。収穫まで豊かだった田園は、今は耕耘されて土が剥き出しだった。周りに何もないぶん、吹き抜ける風音がすごい。
 家に入る前にポストを覗いた。新聞の下に藍色の封筒がある。手紙かな、と手に取ってみると、私宛てだった。誰だろう、と裏返して差出人を確認し、目を開く。
『山田静司』
 静……くん? え、何で。ここの住所は教えずに引っ越したのに。
 とっさに、私を見つめていた静くんの目がよみがえる。じわりと気分が悪くなった。何だろう、いまさら。何も言わずに引っ越したんだから、いい加減つきまとうなって意味だって察してよ。
 びゅうっと寒風が長い髪と紺のスカートを巻き上げ、刺すような冷えこみで我に返る。気味が悪いと思いつつ、一応、静くんの手紙はポケットに入れた。インクのにおいが濃い新聞も腕に抱え、暖房と石油ストーブで暖まった家に入る。
 今夜の夕食が決まらないのか、母はキッチンにまだ立たず、リビングのソファでレシピ本を見ていた。「ただいま」と声をかけると、こちらに顔を向けた母は「おかえり」と返す。
 私は新聞を座卓に置き、「美夜は?」とリビングだけでなく見渡せるダイニングにも目を向ける。
「友達の家に遊びに行ったわよ」
 友達。……そっか。そうだよね。できるよね、友達。
 母は私のそんな内心を読んだのかどうか、本を膝に置いた。
「希夜は友達できたの?」
「え……、あ、話す……人は、いるよ」
 その人は、私の発言を全部、クラスを牛耳るグループに報告しているけど。
「そうなの。いつでもここに連れてきなさいね」
 気まずくて黙ってうなずき、「宿題しなきゃ」とその場を離れた。冷たい爪先で階段をのぼり、自分の部屋に入ると、ほっとしたぶんだけ憂鬱が押し寄せる。
 何なの。母も分かっているくせに。どうせ私に友達なんかいない。なのに、何で美夜と較べるみたいに訊いてくるの。
 ため息をついて、板張りのドアにもたれる。寒いな、と思ってもストーブまでの数歩さえだるい。
 そういえば、とポケットに手を突っ込んで、くしゃっと触れた手紙を取り出した。ぼんやりした目つきで、不器用な文字による自分の名前を見つめる。
 捨てようかな。あるいは、ポストに返そうか。そうも思ったものの、小さく息をついて封を切った。淡い水色にグレーの罫線が引かれただけのシンプルな便箋に、あんまり綺麗じゃない字が並んでいる。
『希夜ちゃんへ
 いきなり手紙なんて書いてごめんなさい。
 住所は野中さんにききました。
 僕にも教えてほしかったけど、急な転校だったみたいなので、仕方ないですね。
 そっちでは元気に過ごしていますか?
 希夜ちゃんが、今までみたいな思いをしてないといいなと思います。
 僕は相変わらずですが、大丈夫です。
 希夜ちゃんに言われた通り、何をされても強くなりたい。
 でも、希夜ちゃんがそばにいないのは、我慢できないくらい寂しいです。
 もしこっちに来ることがあったら教えてください。
 会いたいです。
 静司』
 私は眉をゆがめると、便箋をたたんで封筒にしまった。
 何だろう。何でそう思うのか分からないけど、喉の奥に水疱ができたような不愉快がせりあげてきた。
 何というか、……気持ち悪い。野中さんも、ただで静くんに住所を教えたわけではないだろう。そこまでして、私の住所を調べて、手紙なんて──気持ち悪い。
 手紙は、ゴミ箱にこそやらなかったものの、本棚の使っていない引き出しに投げこんだ。返事を書く気はなかった。また手紙は来るかもしれない。だが私が無視していれば、いくら静くんでも、いつかあきらめて一方的な手紙なんてやめるはずだ。普通に考えて、気が引けてくるだろう。私が好きなら、迷惑はかけないでほしい。
 ようやくストーブをつけて、冷え切っている部屋を暖めた。制服のままでストーブの前に座り、熱で赤く灯る光を見つめる。冷たくこわばる頬が、その光に染まって溶けていく。
 私は教室で、みんな──金子さん以外には、遠くから眺められているだけだ。何をされているというわけではない。確かに友達はいない。しかしべつだんいじめもない。なのに、こんなにも胸がもやもやして、学校に行くことが息苦しい。
 同じ種類のものを感じるのだ。教室にいると、前の学校でけして溶けこめなかった自分ばかり思い出す。深い深い水中で、一滴の油になってしまったみたいだ。
 石を投げつけられないか、教科書を破られていないか、そんな心配ばかりしてしまう。誰も私に近づいたりしない。こんなの自意識過剰だ。はちきれそうな不安を、そう思って抑えようとしても、カマイタチのような鉤爪が腫瘍をつぶし、恐怖が膿のようにどろりとあふれる。
 まもなく、冬休みになった。雪が降り積もる中で年を越し、三学期が始まった。相変わらずだった。私は勉強ができなくて、そのことを男子はバカにして嗤い、金子さんは私にあれこれ訊いて、報告された女子グループはくすくすと嗤う。
 そんな毎日に、私はまた、朝起きてふとんから出るという習慣がつらくなっていった。母が再びいらいらしはじめているのは分かったけど、朝の通学路をとぼとぼ歩いていると、心が締めつけられてルルの軆が強直するのも感じるのだ。
 こんなのダメ。私の心に棲むこの子を怖がらせてはいけない。この子が「つらい」と感じたら、私の精神はまた暗く冷たく沈んでいく。
 二年生になったら、クラス替えがある。そうしたら、何か変わるのかな。でも、それって状況が好転するの? あるいは悪化するの? この学校の人はみんな家族だ。そして私はよそ者だ。それは揺るぎなく、変わることはない。
 この狭い中学校において、私は招かれざる客なのだ。きっと二年生になったって一緒だ。身内で和気あいあいとしていたい一家は、居座る私に白い目を向け、とっとと去って消えろと訴えてくるに違いない。
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【前話へ/次話へ】
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m12gatsu · 1 year
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無題
茶色い髪の少女に道端で声をかけられて、M駅はどっちですか? ときかれた。心細そうな、稚い顔の、唇の下に水銀の一滴みたいなピアスが光っていた。俺はそのやけに丁寧な口調を尚のこと訝しんでイヤフォンも外さずに、つとめて鷹揚にM駅の方向を指差して示した。愛想の悪さと誠実さがこの場合は両立するだろうと信じて、そのように振る舞った。しかしその方向は俺の帰路でもあったので、しぜん少女は俺の後ろをついてくる格好になった。M駅はJRと地下鉄で入り口の異なるということに思い至って、俺は振り返って、何線に乗るんですか? とイヤフォン外しながら尋ねた。改めて見ると少女は手ぶらで、太ももの露わな短いデニムを穿いていた。坂上から冷たい風が吹き下ろしてくる夕暮れだった。少女は少し思案するような顔でしばらく沈黙した後、S駅に行きたいんです、といって、S谷からここまで歩いてきて、S駅に友達の家が云々、などと要領の得ないことを追い立てられるように口走った。家出だろうか、と俺は直感した。俺はどうやら少女に警戒心の無いらしいことにちょっと気を良くして、そうなんだ、とタメ口をきくなどした。己の内に萌しつつある男性性を一方では苦々しくも思って、駅までは無言のまま歩き、交通費とかあるんだろうか、とか余計に気を揉みながら、駅の一つ手前の交差点で、あとはもうここを真っ直ぐ行って左、とだけ伝えて、ありがとうございますとまた慇懃にいった彼女の、しかし振り返りもせずに去っていく後ろ姿を横目で見送った。
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kkagneta2 · 1 year
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まだここ見てる人いるんかな?
別に続きを書いている訳ではなく、久しぶりに詩帆ちゃんのことを思い出してたら降ってきたネタを書き留めました。
いまいち時間が取れなくて書けなくてすみません。でもたまにこうやって吐き出さないと精神衛生上良くないので(全然まとまってないけど)打ってたりはします。
まぁ何にせよ見てくれている人が居れば幸いです。
実は詩帆は知っていた。
事は今から10年も昔の話だ。当時4歳だった彼女にとって幼稚園は小さなものだった。昔から歳を同じくする子たちとは頭1つ2つ飛び抜けて大きかった彼女は、幼稚園入学当初からすでに机の上に立っているような背の高さであった。
「まぁ、大きいですね~」
なんて送り迎えのお母さん方には言われたけれども、自分の子供の大きさに絶対の自信を持つ保護者からは、なんだか羨望というか嫉妬、―――女の子なのに息子を胸の下に完璧に置いてしまうような彼女を、まぁ謂わば目の敵にするような表情で言われた時は流石に申し訳無いような気持ちになりはした。
私だけどうしてこんなに大きくなったんだろう。
よく分からない彼女は部屋の隅で他の子を見ながらこんなことを思ったものである。
そんな彼女に母親は見かねて光昭の母親に助けを求めた。
「光昭くんって今身長何センチ? 140センチ? ちょうどいいんだけど、ちょっと頼みたいことが…」
母親の作戦はこうであった。同学年の子よりも頭1つ2つ大きいなら、それと同じくらいの背の子を、―――例えそれが5歳上の子でも、―――紹介して詩帆と遊ばせればいいのではないかと。
互いに歳を知らせずに遊ばせれば、お互いに4歳の、―――光昭にとっては酷だが、―――子として接するのではないかと。
「光昭、今日はお母さんたち大事な話があるからあっちの子と遊びなさい。これを持って行って」
と女の子が好きそうなぬいぐるみを渡された彼は、よろしくねと言う詩帆の母の後ろに居るあどけない女の子を見て、ああ、この子と遊べばいいのか、はいはい、と思ったそうな。
さて、彼女の部屋へと行った彼であったが、なぜか距離感を詰めて接してくる詩帆に心臓をバクバクと言わせていた。それは彼女が、もはや誰とも似つかないとびっきりの美少女だったということもあるが、それ以上に彼はまだ他人を好きになったことが無いことが関係しているのである。おそらくこれが彼にとって初めての恋であったろう。そんな彼女に、もう互いの体温すら感じられるほどの距離で話しかけられるのである。
「うん、うん…」
完璧にリードする予定だった彼であったが、出鼻を挫かれて向こうの女の子に、―――しかも5歳も下の女の子に主導権を握られ、そして自分は恋心を抱きつつある。
―――これで、小学3年生の男の子が喋れようか。
だが、詩帆はそんな彼にお構いなしに接して行く。
「ねぇねぇ、これ、わたしのたからものなんだよ」
と、小物入れにはぴったりな、綺麗な装丁の箱を開けて綺麗な石を取り出して、嬉しそうな顔をしながら光昭と一緒に眺める詩帆。
彼女は滅多にこういう顔をしないのである。
それもそうなのである。彼女にとっては初めての自分と目線を同じくする相手なのである。
「いーでしょー。これはね、あめじすとといってね…」
と言って、石の名前と蘊蓄を手の上にそれを載せて喋る詩帆。彼も石は多少なりとも知っている。
「ああ、これはね…」
と負けじと詩帆に応戦する。
しかしまぁ、光昭はドキドキしっぱなしであった。それは詩帆の一挙手一投足が、どういうわけか彼にはたまらない宝物のように思えたからであった。
彼にはもはや彼女が髪をかき分ける仕草すら魅力的に見えたのである。
だが光昭はある違和感に引っかかりつつあった。隣に居るのは詩帆という名の美少女。背はだいたい自分と同じくらいだし、喋り方も、知識量もだいたい自分と同じくらい。だがどうして? この違和感は一体何なんだろう?
そう思って光昭は現状を確認しつつ詩帆の全身を下から頭のてっぺんまでも見、今この部屋を包んでいる空気、………いや、甘いいい匂いなんだけど、それと大事なものがあるはずの机の上を見て、やっぱり違和感がする…
この子、行動はやたら幼いし、やたら舌っ足らずだし、ランドセルは部屋には見当たらないし、机の上にはノートも教科書もない。
そう思ったとき、光昭はガーンとうなじら辺を岩で殴られるような感覚に襲われた。えっ、いや、そんなことは、………
いや、まさかな、………
―――詩帆は、小学生じゃない?………
そうは思ったが、息のかかる位置に居る詩帆、見たこともない綺麗な顔かたちの詩帆、いつまでも聞いていたくなるような声の詩帆、なんだかいい匂いもしてきて、頭がクラクラと揺れるような感覚に、
そんな状態が5時間は続いたろう。もう何を話したのか
そして最後に、
「みつあきくんせがたかいねAー、せいくらべしよっ」
と詩帆が提案してきた。そしてガバっと抱きついてきた。
光昭は驚いて現状を把握するのに手一杯であったが、詩帆の方は自分の頭の上から光昭の方へ手をスライドさせて背を測っている。
「うーん、よくわからないな~………」
何度もそうやっていたが、やっぱり分からないらしい。
そこで光昭は気づいた。詩帆の顔が、目が、各パーツが、自分よりも少し高いことに………
うっ、と思ったけれども、彼は彼女に勧められるがまま壁に掛けられている簡単な160センチまでのメジャーへと足を運んだ。
なぜなら小学生かも怪しい女の子に負けるはずがないから。
まずは光昭が先の簡単なメジャーに背を当てた。………1センチでも4月から伸びていますように!!
………
詩帆が光昭の身長を読み上げる………
「141せんち! すごーい!! おおきーい! 
 ―――こんどはわたしのばんね!」
と、光昭は先程まで自分が背筋を合わせていた場所に、詩帆の背中が当たるのを確認した。
そして彼女の身長を読み上げた。
と同時に得体の知れない恐怖が頭の中で爆発した。
―――自分より背が高い。
光昭の手はもうガタガタと揺れていた。
「どうしたのー? てがすごくふるえてるよ?」
「あ、ああ、ごめん。えっとね………ちょっと、待ってね………」
もう光昭は涙目で詩帆の顔すら見えなかった。
「えっとね、………1、…144センチ…」
喉の奥から絞り出すかのように彼は言った。
負けた………
「んふふー、みつあきくんよりたかーい!」
膝を崩しそうになる彼を他所に、詩帆は嬉しそうに手を広げてジャンプをした。
光昭の記憶は残念ながらここで途切れているが、その後糸が切れたように項垂れる彼に詩帆はなんとか彼を立たせて、反応の薄い彼を相手に
ちょっと悪いことをしてしまったと反省しているが、自分と同じくらいの背の男の子と遊べたのだから今となってはいい思い出である。
それが5つも上のお兄さんだったとは知らなかったけれども…
そして今、すっかりと小さくなった光昭と、膝を曲げに曲げて肩の高さを揃えつつ、それでもこっちの威圧感か遠慮しているのかどうか知らないが、微妙に距離のある彼に引っ付いて手の上にあるもう豆粒大の石を見る。
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myonbl · 3 months
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2024年6月24日(月)
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私の職場(私立女子大学)では、今日から前期授業が11週目に入る。そして、今週は後期履修登録期間だ。私の担当科目は3教科6クラス、うち1つは集中講義だから月曜日と水曜日に各2クラス、木曜日に1クラスということになり、前期よりずいぶんと負担が減って楽になるのだ。とは言え、木曜日1限の「共生社会と人権」は私にとっては唯一の講義科目、もっとも専門性を発揮出来る科目ではあるが受講者は例年少ない。果たして今年はどうなるだろうか・・・。
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4時45分起床。
日誌書く。
シャワー。
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朝食前と風呂上がりのの血圧測定、先週のレポートはこの通り。
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朝食。
珈琲。
洗濯物干す。
弁当*2。
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一人で出勤する。
今日から後期履修登録開始、担当科目のうち「インターンシップ」は<大学コンソーシアム大阪>のプログラムのみが単位認定される。シラバスには記載してあるが読んでないものが多い、念のために学生たちにメール配信する。すると、担当窓口のキャリアセンターからすぐに返信、今年は該当者がいないとのこと。いいプログラムなのに、ちょっと残念。
<スタディスキルズ>の、今週の授業計画を作る。
<情報機器の操作Ⅰ>の、今週の課題を予習する。
月曜日3限・4限は<情報機器の操作Ⅰ(看護学科)>、先週のWordの課題を振り返った後、今日からはExcelを学ぶ。一番大事なのは操作画面をちゃんと理解しておくこと、アクティブセル・名前ボックス・数式バー・タブ・リボン、これらをないがしろにしていると何処をどのように操作すれば良いのかわからなくなる。今日の課題は短かったので、早めに終了することができた。
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帰路の燃費、久しぶりにいい数字が出て嬉しい。
ツレアイは午前中に訪問2件、いったん帰宅してから午後はMQJのテディベア作りの日、私が夕飯準備中に帰宅した。
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息子たちには銀鮭のムニエルと塩サバ、私たちは昨日の残りのアジフライ。
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枝雀大全の行き先不明のディスクたち、どうしても聞きたいので少しずつ補充することにした。今夜届いたのは第十四集、「蔵丁稚」「いらちの愛宕詣り」、「蔵丁稚」の出来が今ひとつなので、今度は米朝のCDを聴く。1974年4月の京都府立会館での録音、私が入学した年だ。
風呂を待っている間に、今夜もダウンしてしまった。
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このところ3つのリングの未完成状態が続いている。授業が終わるまでは無理しないでおこう。
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kurano · 5 months
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※ 桜島署・2F会議室にて
桜島署署長「本日、集まって貰ったのは、他でもない。ファミリー温泉SPA『ぼっけもんの湯』を巡る問題に関してである。すでに全国紙でも報じられることとなり、本県の名誉を大いに汚す事態となっておる。警察庁からも、警察庁特別重大事案の指定を受け、早急に解決を図らねばならん! 県知事も、本県がまるで異常性癖者の男しかいないかのような誤解を全国に拡散することになり、非常によろしくないとお怒りである。風紀の乱れはこれ治安の乱れ! どげんかせんといかん。
 本日は特別に、県警本部長、及び県警本部管理官殿のご出���を頂戴し、急ぎ捜査の段取りを詰めることとなった」
捜査1係長「遺憾ながら地域住民の口が硬く、内部の様子が全く不明であります。よって内偵捜査は、捜査官自身の決死の偵察行動を持ってしか達成出来るものではありません。問題は、このような危険な任務に、誰を派遣すべきかであります」
県警本部長「もし差し支えなければ、自分が行きましょう。私は、全くのよそ者であり、訛りの無い共通語をしゃべる。その輪の中に入っても、武者修行に来たよそ者という扱いで通るでしょう」
署長「無茶をいわんで下さい! われわれの役割は、中央から来た本部長殿に大過無く過ごして戴き、無傷で東京の本庁にお帰り戴くことです。万一のことでもあれば、県警幹部全員、文字通りハラキリしてお詫びする羽目になる。自分が参りましょう!」
係長「え? しかし署長、定年を目前にそんな危険な任務に就かなくとも……」
署長「私はもう後は引退するだけの身の上だ。それに、ああいう世界のことは全く知らんわけでもない……」
係長「それは初耳です!」
署長「私は、郡部の出身でな、そりゃあ、田舎じゃ、いろいろとまだあったよ。稚児として、人には言えん、トラウマを抱えるような出来事を経験させられたことも事実じゃ。あの時、自分が発したギャー! という悲鳴が、まだ耳の奥にこびりついておるorz……。それに、いざ何かあっても、私は柔道の有段者だ。不逞な輩など、投げ飛ばしてやるわい!」
係長「いやぁ、しかし浴場では全員すっ裸。投げ飛ばすにも掴む襟もありません。自分が行きます!」
管理官「その前に係長、れいの件だが、確認してくれた?」
係長「はい、裏ルートと言いますか、あちこち聞き込みしました。内偵捜査は、囮捜査の要素も持ちます。それなりに、特殊客層にアピールできる人材であるべきです。機動隊に福留巡査部長という小隊長が一人おります。大学時代、ラグビーをやっていたとかで、ガタイよろしく、県警本部の女子職員の間では、それはもう見たこともない立派なものを持っていると、もっぱらの噂であります」
署長「君、見たの?」
係長「いえ。自分は知りません。ただ、県警内、イケメンはあらかた食っているという噂のお局様に聞き込みした所、そりゃもう、まるで杭打ちするかのような激しいプレイだったとかで――」
署長「な、なんちな!(>_<)。く、杭打ちプレイだと!(絶叫する署長)……。そんなもん、FANZAでしか見たこと無いぞ!」
係長「あんな化け物、もう一生巡り会えないわぁ……、とうっとりしておりました」
 一同、ざわめく。
署長「管理官! その福留君とやらは、ノンケなのですか?」
管理官「人事に確認したが、一応、チューリング・テストはパスしたとのことだ。最上級の、最も厳しいレベルのテストを二度もクリアしたとか。ただ、あのテストも、他所では精確に出るが、本県の被験者に関しては、なぜか感度が鈍いという話もあって、信用できるかどうかはいまいち解らん」
署長「係長、囮捜査として、使えると思うか?」
係長「はい。恐らく、前にも後ろにも、行列が出来るかと存じます」
署長「解った。では、護衛として、私が付こう。そんな危険な場所に、将来ある大学出の隊員を単独で送り込むわけにはいかんからな。いざという時は、私が盾となり、この故郷の治安のために殉じよう!」
係長「とんでもない! そういうことでしたら、捜査の指揮を執る自分が入ります」
管理官「いやいや、私が行くよ。本職、どうせ暇だから……」
 睨み合いが続き、会議室を包む重苦しい気配。
本部長「少し、話は変わりますが、先日、大島紬のへことかいう珍しいものをお中元として貰ったのですが、これは褌のことを言うのですか? 兵児帯でググったら、女性ものの着物の帯しか出て来ないのですが?」
署長「や、それは方言あるあるで、ネットにはそういう情報はほとんどありません。褌の転義が『へこ』であります。われわれの親の世代は皆『へこ』と呼んでおりました」
県警本部長「しかし、『へこ』の本来の意味は……」
署長「いや! 本部長。そこまでです。よそ者の貴方が、その複雑なミームを知る必要はありません」
 と上座の本部長を睨み付ける桜島署長。
「これは、とんだご無礼をした! しかし、なんでしたら、自分がそのヘコを締めて、巡査部長のさらに囮役として参加しますが? こう見えても学生時代は、ひ弱な東大生として二丁目ではブイブイ言わせておりました」
班長「末席より意見具申あり! 発言してよろしいですか?」
署長「良いぞ。何だ?」
班長「はい。手数は多いに超したことはありません。ここはひとつ、全員で入場し、サポートに就くということでいかがでしょうか?」
係長「あッ、それグッドアイディアかもね! いかがですか? 署長」
署長「そうだね。それで良いですかな? 管理官」
管理官「良いだろう。私は、基本とするグンゼの白ブリーフだけど、署長の勝負パンツは?」
署長「はい。自分は、カルバンクラインの、本来は女性用らしいのですが、ちょっとローライズなおパンツをば」
県警本部長「ほほう!……、やはり本場の皆様は気構えが違いますなぁ。いろいろ勉強になります!」
班長「あのう、ローションとか持参した方がよろしいでありましょうか?」
署長「そうだね。石鹸で事足りるけれど、切れ痔とかあると浸みるから。素人さんは、ちょっと濃い目のローションが良いと思うよ」
班長「楽しみであります! 諸先輩方の捜査テクニック、しかと学ばせて戴きます!」
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kinemekoudon · 2 years
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【10話】 尿検査を拒否してみたら警察に恫喝されたときのレポ 【大麻取り締まられレポ】
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検事調べが終わって留置場に戻ると、時刻は17時30分になっていた。8時30分頃に出発しているので、実質9時間の労働である。たった5分、検事と会話するだけの労働に9時間。
当然、付き添いの留置官2人と運転手の警官も同じ労働時間なので、かなり無駄な費用がかかっている。そもそも、警官に支払われる給料や、僕を拘留するための費用などは全て税金で賄われているので、僕を逮捕しなければ相当な額の税金が無駄にならずに済んだわけである。
夕食の時間は17時なので、他の収容者は食事を済ませていたが、僕は特別に30分遅れで食事を摂ることになった。例によって質素な内容ではあるが、心身ともに疲弊していたので、夢中になって税金賄い飯をたいらげた。ところで、高カロリーの労働を終えたというのに、いつもと同じ量の弁当で、おかわりもできないというのは不親切だと思う。
夕食を食べ終わり、直角の硬い椅子に座らされ続けたせいでガチガチに凝り固まった腰を手で揉みほぐしていると、留置官から弁護士が来たので面会室に行くようにと指示されたので、ペンと便せんを持って面会室へ行く。
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↑収容者に貸し出されるペンはこのように改造されている。
面会室に入るなり、弁護士は早速、「今日の地検はどうでした?」などと聞いてくるので、僕は「5分程度で終わりましたが、これと言って核心的な質問もされませんでしたし、黙秘しますと言っても、そうですかと言うだけであっさり終わりました」と応える。
弁護士は「まあ最初の検事調べは捜査資料も少ないですから、これからですね」とだけ感想を言うと、「検事はどんな人でしたか?」と聞いてきたので、僕が「黙秘しますと言ったら、豹変したように怒った顔をしていて、おっかなかったです」と応えると、弁護士は「違法な取り調べを避けるための常套手段ですね。録画はせず録音だけしているので、検事の態度や表情までは記録されませんから」と言う。
僕はその言葉に納得し、「検事って公明正大ぶって狡猾ですね」などと言うと、弁護士は半笑いで「検察は警察の上司にあたる役職だから、警察より、よくも悪くも賢いと思ってもらわないと」などと言ってヘラヘラしていた。
そうして弁護士との面会が終わり、自分の居室に戻ると、すぐに留置官から「5番、取調べ」とだけ言われ、再び鉄格子の外に出される。
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留置場から出て、警察署の3階にある刑事部の取調室に連れて行かれると、若い刑事が「任意ですけど、尿検査のために尿の提出に同意してもらえますか?」と聞いてきたので、僕は(仮に大麻の陽性反応が出たとしても、大麻の使用は合法だから問題はない)と思っていたが、刑事が任意だと言うので、「任意なら断ります」と一応言っておく。
すると若い刑事は、僕が尿の提出を拒否する理由をしつこく問いただしてくるが、僕が「任意だからです」とだけ言って頑なに拒否し続けるので、若い刑事はこれでは埒が明かないという顔で一度取調室を出ていくと、いかつめの見てくれの男刑事4人を連れて戻ってくる。
そのうちの1人は、ガサのときにいたオラついた刑事で、ソイツが「やましいことなかったら、尿の提出拒否する必要ないでしょ?」などと詰めてくるが、僕は「やましいことなくても、知らない人に自分の尿を渡したくないので嫌です」と言うと、隣のインテリヤクザ風の刑事が「ほんとは大麻やってたから同意したくないんだろォ?」と声を荒らげて詰めてくる。
僕が「違いますけど、そうだとしても任意なので断る権利はあるはずです」などと応えると、オラつき刑事は瞳孔を開かせた目で「てめえ大麻やってたんだろぉ? ナメてんじゃねえぞ?」とすごんでくる。
僕は現代でも恫喝をしてくる刑事がいるのかと驚きつつも、あくまで毅然とした態度で「あ、恫喝ですか?」と尋ねる。オラつき刑事は一瞬動揺した様子で「恫喝じゃねえだろう」と言いながら、いかにも動揺を隠すように過剰に笑うと、僕の口調を真似ながら「「恫喝ですか?」って言えば、こっちがおとなしくなると思ってる?」などと煽ってくる。
僕はかなり癪に障ったが、なるべく毅然とした感じを保ちながら「いや、てめえとかナメてんじゃねえぞなんて言葉遣いは恫喝に値するでしょ。とりあえずあなたの名前教えてもらえますか?」と喧嘩腰口調で聞く。
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オラつき刑事は「教えません。なんで教えないといけないんですか?」などと挑発的にわざと丁寧語で言ってくるので、僕は「恫喝してきた刑事を把握しておきたいので、教えてください」と応える。
オラつ��刑事は「嫌です。教える必要がないので教えません」などとしたり顔で言ってくるので、僕も挑発的に「恫喝してなかったら、名前くらい教えても問題ないと思いますけど。やましいことがあるから教えないんじゃないですか?」と先の刑事の言葉を引用して言う。
オラつき刑事は目を開いて口角を下げた挑発的な表情で「ちがいます。教える必要がないので教えません」などと繰り返し幼稚な返答をしてくるので、僕は「名前を教えてくれないなら、こっちも尿を提出しません」などと言って応戦する。
すると、埒があかないと判断したらしいインテリヤクザ風刑事が「任意で提出しないと、礼状とって強制採尿になるんだよ。尿道にカテーテル挿して採取することになるから、任意の段階で提出しといた方がいいんじゃないかな」とさっきとは違い、こちらに同情するような口調で言ってくるので、僕は少しビビって「本当ですか? 確実に強制採尿になりますか?」と尋ねる。
その刑事は「うん。まあ確実とはいえないけど、薬物事犯では尿は重要な証拠になるからね」などともっともなことを言うので、僕はそもそも尿を提出しても問題ないと思っていたし、尿道カテーテルはとても痛そうで屈辱的に思えたので、「じゃあ任意提出します」と素直に応じた。
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※あとで弁護士に確認したところ、やはり強制採尿になるそうです。ちなみに、逮捕状が出ていない状況で、任意で尿の提出を求められた場合、身体捜査令状が出るまで尿の提出に応じない方が賢明です。
インテリヤクザ風刑事は「うん。じゃあ、採尿してるところを確認しないといけないから、一緒にトイレ行ってもらえるかな?」などと言うので、刑事5人と一緒にトイレに向かう。
トイレに向かう間、僕は「尿は提出しますけど、恫喝されたのは事実なので、あなたの名前教えてもらえますか?」としつこくオラつき刑事に尋ねていたが、オラつき刑事は厄介そうに「だから教えられないんだって」とか「そういう決まりなんだよ」などと言って頑なに教えてくれなかった。
トイレでは、僕が立ち小便器の前で紙コップの中に放尿するのを、刑事たちが監視していた。尿を提出すると、刑事たちは去って行き、再び若い刑事だけになり、今度は「押収したパイプを鑑定に出すんですが、鑑定にあたってバラす可能性があるので、パイプの所有権放棄に応じてもらえますか?」と尋ねてくる。
僕は「尿みたいに、任意で拒否しても強制的に放棄させてくるんですか?」と尋ねると、若い刑事は申し訳なさそうに、「そう…ですね」と言う。僕は疲弊していて、早く自分の居室に戻りたかったので、仕方なく所有権放棄に応じた。
しかし、あとで弁護士に尋ねると、所有権放棄に関しては本当に任意であった。押収された物は起訴されなかった場合、返却(還付)されるのだが、当然、所有権放棄に応じると不起訴でも返却されることはない。2000円くらいのパイプだったので別にいいのだけど、なんか悔しく思う。
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つづく
この物語はフィクションです。また、あらゆる薬物犯罪の防止・軽減を目的としています( ΦωΦ )
#フィクション#エッセイ#大麻#大麻取り締まられレポ
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uedah1 · 8 months
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ゴジラー1.0観ましたよ!
ゴジラー1.0を公開当日、ゴジラの日の朝一番にドルビーアトモス上映で見てきた。 チケットも高いし、迷ったけど、迫力もあって、選んで良かった。 最初、ドルビーアトモスの紹介動画が流れたのだけど、特徴を際立たせたその没入感と音の迫力に思わず少し泣いてしまった。 自分のツボが謎すぎる。
予告編だけみて、内容の予想を勝手に立て、Twitterに投稿していた。 7月12日の事だ。
「ゴジラ-1.0勝手予想。運良く特攻を避けていた非戦派の主人公が、葛藤の末、 国産核兵器(京大制作)を積んで、唯一残っていたゼロ戦で、戦災を免れていた京都に現れたゴジラ相手に特攻。 日本人が日本人の手で0の日本を-1.0とする。クレーターと化した京都市内。煙の中から咆哮が…。劇終。」
「ゴジラ-1.0勝手予想2。昭和二十年九月二日。 東京湾で戦艦ミズーリが轟沈。連合国は日本の仕業と判断し、十一月、ダウンフォール作戦が発動される。 九州南部を強襲する連合国、迎え撃つ旧軍、そこへゴジラが現れ戦場は大混乱に陥る。 一方国内は物資欠乏、食料危機も迫るのだった…。」
という風でで、さて以下ではネタバレ込みで予想の適否とその他諸々の感想を書き殴っていく。 本投稿は予約投稿を指定しておき、3か月程度経過した後にポストされるようにする。
予想1、「特攻を避けていた主人公がゴジラを倒す為に特攻を決意、とどめを刺したかに見えたが咆哮が響く」 というのは、大枠で正解してしまったと言えるのではないだろうか。 何となく思っていた通りになってしまったことは、却って寂しい感じもする。 しかし、だからといって単調な駄作という事では決してなかった。
さて私も普通に生きてきたので、日本の大衆的な創作物の文脈にあるものを摂取しながら育った。 ある程度色々と見ると、その文脈の中でも頻出の「お約束」があり、それをを感じると却って醒めてしまうというのはよくある。 そうして私は所謂「所謂アンチ邦画派」になってしまった。世の中にも一定数そういう人がいるようで、 私もそうした人と同じように洋画と比べた時になんだか脚本が観客を舐めてないかとか、カメラワークが稚拙でないかとかをついつい考えてしまう。 今回のゴジラでも同じように、主人公とヒロインの心が通���…と思ったら…からのどっこいやっぱり…という展開にはやはり感じ入るものがある。 加えて、戦闘機の追加装備の件、私なら爆弾の安全装置が二重なんだと筑波の整備兵氏に嘘をつかせる。 ああやって言葉で説明しないと観客は理解できなかろうと思われている所が割に許せないのである。 座席の後ろに箱があり、大写しにしている時点でそれ位は察せるし、きちんとそういう演出をしているじゃないかと思う。 それと、全体的に生きろとか死ぬなとかセリフにあり過ぎてこれにも難を感じる。 私の感覚では、意外とそういう事は口にしないもので、人間危急の時であってももっと目の前の事を語るのではないかと思う。 生きろ、じゃなく逃げろならまだわかるかな。 比較してもしょうながいけど、シン・ゴジラの「幹事長は任せろ」みたいな物言いが「本物」なのではないか?とか思ってしまう。
一方で、昔は、「戦場から逃げてしまった負い目」とか「戦争のトラウマをひきずっている」とか、「それらを吐露して涙を流す」とかの描写も好きではなかった。 しかし、今、私も三十半ばとなり、自分自身も私を取り巻く現実にも大小様々な嫌な事、辛い事が満ちていて、 そうしたものに囚われながら生を重ねており、それがストーリーの軸になること自体についてはおかしく思わないようになってしまった。 むしろそうした描写に居心地の悪さを感じていたこと自体が、自分の怯えをそれと理解できなかったからだという風に考えるようになってきた。
さて、映画とかを見てちょっと醒める瞬間の話に戻して、 じゃあやっぱり「あ~三丁目の夕日かね、もっとシン・ゴジラみたいなら良かったね」と思うかというと全然そんなことはなかった。 ゴジラ自体が恐ろしすぎて、その「お約束」で逆にバランスを取れているんじゃないかと思わされる位だった。 人間がくちゃくちゃにされてしまうシーンは割と直截的であって、ゴジラの剝き出しの敵意と合わさってそれが恐ろしい。 逆にこの雰囲気だけで全編終わってしまったら、ただ後味が悪いだけになったろうと思う。
自分でも先に触れてしまった事だけど、直近の実写ゴジラといえば「シン・ゴジラ」で、あれは、ある種の「正解」になってしまっていると思う。 シンを鑑賞後にゴジラシリーズを振り返ってみると、要所要所にこれまでのゴジラシリーズのモチーフがあり、 例えば胸躍る音楽である所の「宇宙大戦争マーチ」にしたって、実はシン・ゴジラが初めてではないのであった。 にも拘わらず、初めて/久し振りに「ゴジラ」を見た人をああまで虜にするその新規性と作りこみという点が凄いと思う。
庵野作品だから。庵野作品が好きな人の感想ばっかり私が見ているから、とかもあるかも知れないけど。
でもユリイカのシン・ゴジラ特集の寄稿者の真剣味とかもそれはそれはすごい熱量だった。
とまあ、そこと比べられる事が前提でありつつ、 他方「山崎貴のエンタメ」を見に来る人を考慮に入れながら東宝の看板作品を撮るというのはどれ程難しいだろう。 私は、その両方を満足させられるだけのものを感じた。 一方で分かりやす過ぎるほどの分かりやすさを、一方で突き抜けた恐怖を…という感じに。 あれだけ人間を蹂躙できるのだから、浜辺美波ちゃんのところがどっこいも、なしにしようとすればできたと思う。 それを、そうせずに、ハッピーエンドを重ねつつ最後にひと押し崖から突き落とす示唆があるという所で、 私は印象を攪乱され、良いとも悪いとも断言できない深みを覚えたのであった。 正に、「恐れ入り谷の鬼子母神」。
以下、観ながら頭に浮かんでいた事の羅列。順不同。 第二復員省の関西弁のおじさん最高。 東洋バルーンの技術者さん達最高。 浜辺美波ちゃん。 佐々木蔵之介様~。 ���がなりますきんこんかん♪ ジュラシックパークやん! インデペンデンスデイやん! 電車パクーはファーストゴジラオマージュとしては誰もが喜ぶやつだよねー。 大人の男はタバコを吸うという描写から逃げないのいいね。朝ドラとは違う。 幼い子が出てきちゃうのははずるい。 浜辺美波は、シン・仮面ライダーでも成り行きで一緒に住むことになってしまった魅力的な女の子役だったけど、 まさかゴジラでも同じような役柄になるとは…。彼女の何がおじさん達にそうさせてしまうのだろうか。 にしても「できないよ!」からの「乗せて下さい!」は、あまりに碇シンジ君。 というか逆に、神木隆之介君は既にエヴァで本物の碇シンジ君になっていたか…。
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20kitan · 9 months
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CoC「片鱗」HO殺人鬼 ※シナリオの重大なネタバレが含まれます
セリフ集
「かうかう」 「ぶ」 「うー、あ゛」 「カッコー、カッコー、カッコー」 「くじら、ヤギ、キツツキ」 「ここが地獄だ!ここで跳べ!」 「宙吊り、宙吊り、宙吊りで、かわいそうで、おれが埋め合わせしてあげたいと思うんだよ」 「あの家には行かれない」 「ううー」 「いい子、いい子」 「『行き過ぎろ、影』」 「おまえはもう十分耐えた。あれはただの育ちすぎたコウモリだ。やつらが自ら蒔いた種をおれが刈りとってやる」 「それに比べてどうだ? おまえときたら盗人の淫売……おまえの薄汚い血が薄まったおかげで衿迦や兄は出来がいい」 「邪悪! 老いぼれの古コウモリめ! 報いを受けろ!」 「でもおれは、どこにも行くところがないし、他にやることもないんだ」 「今日はいいことあった?」
◆身上調査書
姓名:ビスコ/房 必思可(ファン ビスコ) 愛称:ビスコ 年齢:23歳 性別:男 血液型:B型 誕生日:6月28日 星座:かに座 身長:198cm 体重:84kg 髪色:オレンジっぽい赤毛 瞳の色:茶色 視力:左右1.0 きき腕:右 声の質:ザラザラした掠れ声 icv山寺宏一 手術経験や虫歯、病気:なし 身体の傷、アザ、刺青:なし その他の身体的特徴(鼻や目の形、姿勢、乳房、足、ホクロなど):手足が長くて猫背 ゴツゴツしている 手が細長い セックス体験、恋愛、結婚観:なし 性愛感情がかなり薄い 尊敬する人:なし 恨んでる人:もういない 出身:衿迦から生まれた/中国籍を取得 職業:肉屋 将来の夢:まだない 恐怖:衿迦を守れないこと 癖:目を細める 舌を出す 酒癖:酒の味が苦手なので飲まない 特に酔っても顔に出ない
*交流向け 一人称:おれ 二人称:おまえ、あいつ 呼び方:下の名前呼び捨て 敬称をつけない
*概要
 蛇之目衿迦の同級生と家族3人の命を奪った殺人鬼。道徳規範を持たぬ怪物。正体は蛇之目衿迦が作り出した狂気の別人格であり、アーティファクトの力を得て肉体を持つ独立した存在となった。
*性格
 おおよそ人間が持ち得る道徳規範や社会的モラルを持たない破綻した思考回路の持ち主であり、目的を達成するために法律や禁忌を破ることにはじめから躊躇いのない人物。自身の写し身である衿迦を守ることに関しては普通では考えられないほどに献身的になるが、それ以外の人間や事象に関しては関心がかなり薄い。  感情表現は幼稚で素直だが、起伏は通常激しくはない。極端なほど口下手で、ほとんどのコミュニケーションを単語や短い反復によって行い、自分の考えを自発的に話すことは稀。意味のない喃語を交えて話し、関わる必要がないと思えば完全に相手をシャットダウンし、ひとことも喋らないということも平気でする。  これらはビスコ自身に「社会に混じって生活する」という能力が根こそぎ欠けていることに由来し、目の前で起きたことや他人の事情や感情を受け取って呼応することもなければ、常識的にこうしなければならないという基本的概念を持たず、相手に分��りやすく伝えるための工程をすっ飛ばすことで発生する。理解できていないわけではなく理解させる気がないといったほうが正しい。  このため知能行動に支障があると判じられることが多く、実際の知能テストをまともに受けることも不可能なためそのように分類されるが、実を言うと知能より性質の問題。今後社会生活をこなしていく上で変化する可能性はある。  大人しくぼうっとして反応が鈍い。何を考えているかわからない冷血で爬虫類っぽい性格である。衿迦に対してはどこまでも優しく、辛抱強いあたたかみのある部分が発露される。刺激しなければ無害な置物のようなもの。
*人間関係
 社会に馴染める人格の持ち主ではないため、衿迦と房芳と職場の店主くらいとしか基本的には会話をしない。初対面の人間からは不気味がられ、それらを払拭する努力もしないため遠巻きにされることが常である。一応必要があると思えば肯定、否定、疑問くらいは口にすることもあるようだ。
*家族関係、幼少期体験
 なし
*能力
 前述のとおり実は知能に問題はなく、高校卒業程度の学力知識は持っているものと思われる。計算問題などは難なくこなし、少々難解な文章も理解して読むことができる。問題はテストなどをまともに受けるために机に留まらせておくのが難しく、ビスコが意味を理解できないものには取り合わないため、数値的な判断は難しい。  現在は肉屋での食肉加工作業を行っているが、動物を解体するのに精神的に動揺することも落ち込むこともなく、生まれが生まれのために刃物の扱いに長けていることからなかなか向いており、慢性的に人手不足な職種のため重宝されている。特に楽しいと思ったことはないが、現在の仕事に不満はないようだ。  何時から何時までという括りでの仕事が難しいため、衿迦が出かけるときに一緒に出かけ、作業が終わったら帰るという出来高制を許可してもらっている。
*肉屋のポパイ
 牧場から一頭ずつ牛や豚、鳥を買い付けるため新鮮で安いお肉を売っている精肉店。店内作業がきついため職人が居付かず育たないことが目下の悩みだったが、重労働をあまり高くはない給料でやってくれるビスコが店員になり助かっているらしい。現在は店長(精肉作業と接客)、ビスコ(精肉作業専門)、バイト(接客と配達)の3人で運営している小さな町の肉屋。コロッケがおいしい。  ビスコはほとんど店長としか会話をしないが、特段ビスコの奇妙な人柄を気にしていないようだ。
*好きなもの 食べ物:チョコレート菓子、グラタン、コロッケ、ハンバーグ ケチャップとマヨネーズの味が好き 飲み物:カルピスなど乳酸菌飲料、ホットミルク 季節:夏 色:海の色、衿迦の目の色 香り:牛乳石鹸のにおい 書籍:銀河鉄道の夜 動物:あんまり出会ったことがない ファッション:丈が長い服 落ち着く 場所:海 愛用:肉切り包丁 趣味:クレーンゲーム 写真を見る 
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kasumime · 2 years
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祖父の葬儀へ。近親者のみの小さな式だったけれど、初めて顔を合わせるような老夫婦ばかりで、父や母が仲介人になって丁寧に挨拶をして回った。幼い頃によく遊んでいた2つ上の姉のような親戚の女の子の祖母はすっかり背中が丸くなって小さくなってしまっていた。叔父が喪主となって、雨が降り気温も都心よりぐっと冷え込んだ空気の中で焼香をし、火葬場へ行き、会食を経て父と共に祖父の骨を拾った。僧侶のお経を聴きながら、祖父が生前朝晩欠かさず行っていた勤行とその背中を重ね合わせて、もう仏壇の前で正座する姿を見られないことを惜しんだ。立てられた遺影の中の祖父は棺の中で冷たくなった姿と違い柔らかな笑みを浮かべていて、それがほんの2〜3年前に撮影したものであることを聞いて驚き、同時に、自分に自信がないばかりに会わない選択肢をした幼稚さを悔いた。会食時には(飲酒に対して否定的な)父が意外にもノンアルコールビールを指さして飲むか?と尋ねてきたので、飲む、と答えたらじゃあ少しもらうよ、ああこれは美味いね、と言っているのを聞きながら、配膳された懐石弁当を肴に一本半空けて、心做しか少し酩酊した。父と母が席を立った時に疎遠になっていた兄と久しぶりにまともな会話をした、仕事は何してるかとか、高円寺に住んでるんだけどとにかく芸人が多いとか、いきつけの飲み屋に女優の誰々が来たとか。僧侶が「��良く健康に過ごすことが供養になる」と言っていたので、もしかしたら兄はそれを意識して話しかけてくれたのかもしれないし、祖父が孫である私たちに遺してくれた財産だったかもしれない。97年生きた祖父の棺には、言葉で人の心を震わせることの尊さを教えてくれてありがとう、と書いたメッセージカードを顔の横に添えた。父は歩く速度こそ未だに私より早いけど昔より身長が縮んで、アルマーニのコートも体型が足らず大きく見えていた。兄とは青梅線の車内で別れ、私も一度実家に戻り荷物をまとめて帰宅。俳句の話をする機会こそ持たなかったけれど、句会の名誉会員の名を背負ったその大きな背中は世界で最も尊敬する大好きな存在だった。さようなら、また会う日まで。
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ari0921 · 1 year
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「宮崎正弘の国際情勢解題」 
令和五年(2023)4月11日(火曜日)
  通巻第7702号 <前日発行>
 鴻海精密工業が高雄にふたつの大工場建設
  郭台銘、2024台湾総統選立候補声明直後に派手な式典
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 高雄市長(鎮其邁)、副市長列席の下、鴻海精密工業(フォックスコム)からは系列「鴻海科技集団」会長の劉楊偉がひな壇に立って、高雄にふたつの大工場を建設する壮麗な着工式が行われた。
日本円換算で1000億円を投じ、EVならびに電池工場を建設、およそ2000名の雇用を見込む。中国大陸での新工場はアメリカの圧力を前にして鴻海精密工業としては、台湾に建てた方が得策と判断したのだろう。
 大工業都市となった高雄市は新設の工業団地がある。そのうちの一つ、和発産業団地ではEV電池を生産し、橋闘科学園ではEV自動車仕様のバスを年間500台製造する。2025年に生産開始を見込むとした。
 台湾メディアはこうした前向きの投資プロジェクトを大きく報じているが、主役はなんと入っても鴻海CEO郭台銘である。郭は正式に2024年台湾総統選への立候補を表明したからである。
かれの両親は山西省出身だから、外省人二世である。英語名はテリー・ゴウ(Terry Gou)。シャープ買収で日本でも名を馳せ、『フォーブス』長者番付で台湾一の富豪となった。
1974年「鴻海プラスチック企業有限公司」を設立、当時台湾の産業を支えたプラスチック製品の製造・加工を始め、創業��は白黒テレビのつまみを作る街工場だった。
「鴻海」の由来は「鴻飛千里、海納百川」(鴻(おおとり)は千里を飛び、海はすべての川を納める)。初心からスケールは大きかったのだ。
以後、躍進を続けた。85年には米国へ進出、88年には中国に富士康(フォックスコン)を立ち上げて100万人を雇用した。映画のモデルにもなった。
 ▲鴻海高雄のCEOには日本人が就く
2023年2月1日、日本電産CEOだった関潤氏が鴻海EVのCEOとして赴任と電撃的に発表された。関は日産のナンバー3のCOO(最高執行責任者)として、カルロス・ゴーンが食い逃げた後の日産立て直しに尽力していた。
或る日突然、永守重信に説得され日本電産に電撃移籍した経緯がある。
しかし業績不振を理由に22年九月に日本電産を突如解任され、永守重信会長とは袂を分かっていた。
鴻海精密工業は、日本電産の売り上げの13倍もある。
嘗て『台湾の松下幸之助』と言われたのは台湾プラスチックの王永慶で小さな材木商の丁稚小僧から世界的企業に育てた(筆者は三十年ほど前に王とインタビューのため台北の台湾プラスチック本社ビルを訪ねたことがある。王が伝法な日本語を喋るのには驚いた)。
郭台銘もおなじく立志伝中の人物だが、放言癖とぎらぎらした野心はトランプとそっくりだという人もいる。そういえば孫正義、馬雲と並んでトランプが出席したSBGの鍬入れ式でも郭台銘が並んだ。
王永慶が不在となった後、台湾財界を率いるのはTSMC(台湾積体電路製造股fen
限公司)の創設者、張忠謀と、この郭台銘である。知名度は世界的にも抜群。
この国民的人気によって国民党予備選で党首席の朱立倫と新北市市長の候友宜を飛び越える可能性はなきにしもあらず。政治的閉塞感をうち破る勢いに台湾の庶民が期待するからだろう。
むろん、与党・民進党関係者は郭台銘が北京寄りの政治姿勢であることを警戒している。また国民党は党内秩序が乱されることを懸念し、郭台銘の電撃参入には迷惑顔だ。
ましてや次期総統選挙前哨戦の段階で、第三党「台湾民衆党」の何文哲(元台北市長)も正式に立候補を声明している。混線となると、『台湾のトランプ』が誕生する可能性はゼロとは言えなくなった。現時点では国民党予備選に勝ったわけでもないから泡沫でしかないけれども、高杉晋作が言ったように「時の勢いには勝てない」のである。
 4月9日に行われた日本の地方統一選挙が最適の見本、奈良県知事が格好の材料を提供してくれる。自民分裂で票が割れ、場違いな候補に勝利をさらわれた。二位と三位の票を足すと当選者より多いのである。したがって台湾総統選挙、何文哲が出馬すれば国民党候補が漁夫の利を得ることは明らかである。
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kennak · 2 months
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これまでのあらすじ BBCのジャニーズ性被害報道に端を発する一連の騒動を受け入れられない一部ジャニオタが ジャニーさんは性加害などしていない。自称被害者達は嘘つき ジャニーズ事務所をデマで追い込んだのは既に事務所を退所した元SMAPのマネージャーとタッキー 彼らと繋がっているのが日本財団。J-POPを衰退させてK-POPで日本人を洗脳しようとしている といった陰謀論に染まっている。 SUPER EIGHT(元 関ジャニ∞)メンバー村上信五とNPO法人チャリティーサンタとの新企画が発足 https://x.com/charitysanta14/status/1801464733033500992 寄付をして貧困家庭の子供にケーキを届けるシェアケーキという仕組み。 この仕組み自体は前からあったもだが、この仕組みに推し活の概念を加えた「推し寄付プロジェクト #ケーキのWA」という企画が立ち上がる。 この企画のプロジェクトリーダーにSUPER EIGHTの村上信五が就任した。 陰謀論ジャニオタによる言いがかり 暇空に感化されてNPO法人=悪という認識になったジャニオタによる言いがかりポストが投稿される。 URL貼りすぎると投稿できないので投稿元URLは割愛するけど、↑に貼ってあるNPO法人チャリティーサンタのポストについてるリプライ・引用RPだけでも酷いので見てみてほしい。 ジャニーズ潰しをした #日本財団 #フローレンス の関わる事業なので、一応ご注意を フローレンスの代表 #駒崎弘樹 は、#ベビーライフ事件 という赤ちゃんの人身売買と言われる事件にも関わってるし、アサヒがジャニーズのCM降ろされた時に祝ってた人です これ、福田絡みかなー チャリティーサンタの代表の清輔夏輝って、お隣の国系の顔だし、清輔って120人しかいない名字なんだよねー そもそもNPO挟むとか今までのジャニーズじゃーありえないし、NPOなんて反日左翼だらけだし、ジャニオタのおサイフ狙われてる? (補足:「「福田」とは旧ジャニーズ事務所タレントの移籍先であるSTART ENTERTAINMENTの福田社長のこと。ジャニーズ陰謀論では、新事務所の社長もジャニーズ乗っ取り犯の一員であり敵とされている) まさか推しの名前を冠した寄付プロジェクトに対して「寄付するな」と言う日が来るとは思わなかった ヒナのケーキのWAプロジェクト、絶対に絶対に寄付しないで ジャニーズを潰した奴ら、エイトの名前を奪った奴らに資金を渡さないで コレってまんま韓国🇰🇷の推し活文化じゃん #ケーキのWA の元締めであるNPO法人 #チャリティーサンタ は昨年既に「推し名義」での寄付を受けてましたww 怪しい、怪しすぎる🥶 NPO法人チャリティーサンタによる説明 リプや引用RPにつけられた陰謀論一つ一つに対してNPO法人チャリティーサンタが説明ポストを投稿する。 https://x.com/charitysanta14/status/1801802083001372870 NPO法人チャリティーサンタに群がるジャニオタ達 NPO法人チャリティーサンタによる説明ポストで陰謀論ジャニオタの魂に火がつき、リプライや引用RPに言いがかりや愛国ポストが並ぶ。 こちらも投稿規制のため投稿元URLは割愛するけど、同じく↑のNPO法人チャリティーサンタによる説明ポストに酷いリプライ・引用RPがついてるから見てほしい。 ケーキを1回ポッキリ恵んだところでなんなの? 推し関係なくないですか? 仲介してぼったくりしてるだけでは? 推し活って、推しの活動に貢献できるから推し活なんですよ。 推しに1円も入らない社会貢献なのであれば、日本では流行らないですよ。あちらの国🇰🇷のやり方を持ってくるのはおやめください。 丁寧なご説明ありがとうございます🙇‍♀️ ただ、そちら支援してる日本財団という団体はジャニー喜多川氏が亡くなった直後に会長である笹川陽平氏自らブログにてジャニーズバッシングをしてるような方です ご丁寧にありがとうございます。 ただ今回の件に関しては、日本財団やフローレンスに対する不信感だけではなく、センイルケーキという韓国の文化に影響されてることや寄付が推し活の一環であるかのようなテーマに疑問があって炎上しているように感じます。 てか新しい地図とかTOBEとやれば? 日本財団、とっても仲良しですよね? (補足:陰謀論ジャニオタの中では元SMAPメンバーで構成された新しい地図とタッキーが立ち上げたTOBEもジャニーズ潰しに関わった敵ということになっている) 村上信五からのコメントを聞いても活動にケチをつけるジャニオタ達 陰謀論を唱えるジャニオタの声は大きく、村上信五からもファンクラブ限定のラジオを通してコメントがあった。 そのコメントを受けても陰謀論を振り回して活動を否定するオタク達。 こちらも投稿規制で投稿元URLは割愛。 「ケーキのWA」について村声屋で村上信五本人から説明があったけど誤解なんかしてない。この取り組みを続けたいのはわかった。ただNPOと言う法人のシステムが納得できるものでないし、日本財団から援助受けてるのでなおさら関わりたくない。#村声屋 #村上信五 #ケーキのWA #日本財団 昨夜、少しだけ村に書き込み 翌日に返事くるせっかちさん 村声屋から聞こえる自担の固い声 無理をしないではなく、賛同はしないと、決めてます 誤解ではなく相手を見極めて欲しいのですが… J社SU社は、自社で支援してた事が凄い事柄だったんだと改めて…本当に悔しいな 村声屋、正直で村上くんらしくて少し安心した。信頼できるスタッフさんと慎重に進めて、なにを指摘されているかの詳細まで正確に知ってほしい。NPO側は他責で幼稚な印象だから、なにかあって責任だけ負わされないよう。ヒナちゃんのめざすことは、ここと組まなければできないわけじゃないでしょ。 聞いてきた!ヒナちゃんごめんね。 でもそういう所に寄付するぐらいなら 直接エイトのCD買ったりグッズ買ったりそっちに使いたいと思います... #村声屋 今は陰謀論ジャニオタの中で村上は味方なので、 「村上くんの志は素晴らしいけど悪い組織に利用されてしまった」 というスタンスだけど、ここまで彼らの中で陰謀論が確かなものならば 「村上が洗脳されて”あちら側”になった!敵!」 と手の平を返してもおかしくない。恐ろしい。
ジャニオタが陰謀論に染まりすぎて推しの活動すら否定し始めている
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tamanine · 1 year
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街とその不確かな壁/君たちはどう生きるか/ジブリ・春樹・1984
最初のジブリの記憶は『魔女の宅急便』(1989年)だ。母がカセットテープにダビングした『魔女の宅急便』のサントラを幼稚園の先生に貸していたから、幼稚園の頃に見たのだ。
まだ座席指定の無い映画館に家族で並び、私は映画館の座席で親に渡されたベーコン入りのパンを食べていた。4・5歳の頃の記憶だ。
その夜、私は夢の中で魔女の宅急便をもう一度見た。私は親に、夢でもう一度映画を見たと伝えた。
『おもひでぽろぽろ』(1991年)も映画館で見たが、あまりよく分からなかった。『紅の豚』(1992年)も映画館で見た。帰りにポルコ・ロッソのぬいぐるみを買ってもらい、縫い付けられたプラスチックのサングラスの後ろにビーズで縫い付けられた黒い目があることを確認した。
『平成狸合戦ぽんぽこ』(1994年)『耳をすませば』(1995年)までは両親と一緒に見たと思う。
父はアニメに近い業界にいたため、エンドロール内に何人かの知人がいたようだった。アニメーターの試験を一度受けたそうだが、他人の絵を描き続けることは気が進まなかったらしい。
家のブラウン管の大きなテレビの台の中にはテレビ放送を録画したVHSテープが並び、ジジやトトロの絵とタイトルを父が書いていた。テレビ放送用にカットされたラピュタやナウシカを私は見ていて、大人になってから初めて見たシーンがいくつかあった。
“家族で映画を見る”という行事はジブリと共にあった。ジブリ映画の評価は今から見て賛否両論いくらでもあればいいと思うが、批評も何も無い子ども時代に、母がとても好きだった魔女の宅急便や、戦争は嫌いだが戦闘機が好きな父と紅の豚を見られたことは幸福な年代だったのだと思う。
評価が何も確定していない映画をぽんと見て、よく分からなかったり面白かったりする。
親は『おもひでぽろぽろ』を気に入り、子どもにはよく分からない。父からは昔の友だちが熱に浮かされたように「パクさんは本当に凄いんだよ」と言い続けていたと聞かされた。
大人になった私は『ゲド戦記』(2006年)を見て「面白い映画に必要なものが欠けているこの作品を見ることにより今までに見たジブリ映画のありがたみが分かった」とぐったりし、『崖の上のポニョ』(2008年)を新宿バルト9で見て、全然楽しめず、新宿三丁目のフレッシュネスバーガーで「神は死せり!」と叫んでビールを飲んだ。
2020年には『アーヤと魔女』の予告編に驚愕し、『モンスターズ・インク』(初代、2001
年)からずっと寝てたのか!?と罵倒した(見ていない)。
私が持っていたジブリという会社への尊敬は過去のものになり、多彩な才能を抱えていたにもかかわらず明らかにつまらないものばかり作る血縁にしか後任を託せない状況にも嫌悪感を抱いた。
期待値は限りなく低く、『君たちはどう生きるか』を見ようかどうか迷っている、とこぼしたら「見て文句も言えるからじゃあまあ一緒に行く?」という流れになり、見た。
あまりにも期待値が低かったため、文句を言いたくなるような作品ではなかった。私は2023年、もっともっとつまらない映画を何本も劇場で見ている。つまらない映画を劇場で見ると、もう2度と見なくて良いという利点がある。
『君たちはどう生きるか』の序盤、空襲・火災・戦火で街が焼ける場面、画面が歪で、不安で、安定感がなく、私はホッとしていた。綺麗に取り繕う気のない、表現としての画面だった。
複数の場面に対してセルフ・パロディーであるというテキストを読んでいたが、私にはあれらはオブセッションに見えた。小説家でも芸術家でも脚本家でも、何を見ても何度も同じことを書いているな、という作家に私は好感を持っている。少なくとも、いつも結局テーマが同じであることは減点の理由にはならない。
『君たちはどう生きるか』になっても高畑勲の作品に比べればどうにも女性の人格が表面的で、天才はこんなにもご自身の性別をも超えて何もかもわかり物語に落とし込めるのかと感激した『かぐや姫の物語』(2013年)に比べてしまうと胸の打たれかたが違うのだけれども、でも私は取り憑かれたテーマがある作家のことが、いつも好きだ。
スティーブン・スピルバーグは『フェイブルマンズ』(2022年)でもう大人として若い頃の母親を見つめ直せていたように思うが(フェイブルマンズで取り憑かれていたのは別のものだ)、
宮崎駿は小さい頃に一方的に見つめていた母に取り憑かれ、母の内面には踏み込めないまま、少年・子どものまま母を見つめ続け、自分が老年の大人として若い母親を見つめ直す気は無い。
そして、母親の方を少女にして映画の中に登場させる。しかも「産んでよかった」という台詞を創作する。
貴方は大人なのにずっと子どものままで母親に相対したいのですか、と思いはするものの、子どものままの視線で母を見つめ続けたいのなら、それがあのように強烈ならば、それがオブセッションなら全くかまわないことだと思う。
最初に屋敷に出てきた7人のおばあちゃんがあまりにも妖怪じみているので驚いたが、あれは向こうの世界とこっちの世界の境界にいるかた達という理解で置いておいてあげよう。
それにしてもアオサギが全く可愛くもかっこよくも無いことに最後まで驚いていた。頭から流れる血液も、赤いジャムも気持ちが悪い。途中途中、激烈に気色が悪い。世界や生き物は気持ちが悪く、性能の良い飛行機みたいに美しくは無い。カエル、内臓、粘膜、血液、食物もグロテスクだ。嫌悪ではない、全部生々しい。生々しく、激烈だ。その生々しさを必要としたことに胸をうたれた。
塔の中のインコについて、愚かな大衆だとかジブリはもう人が多すぎてしまったんだとか商業主義的な人間の表現だというテキストも読んだのだけど、私はあのインコたちがとても好きだった。
インコたちは自分達で料理をして、野蛮で、楽しそうだった。終盤、緑豊かな場所にワッセワッセと歩いていくインコさんが、「楽園ですかねぇ」「ご先祖さまがいますねぇ」と言ったようなことを言うシーンが面白く、可愛らしく、インコたちの賑やかな生活(時に他者に攻撃的であっても)を想像した。
私は水辺の近くをよく散歩していて、大きな渡り鳥が飛来してまた消えていくのをじっと見つめている。鳥たちがある日増えて、いなくなる。国を越えて飛んで行き、地球のどこかには居続けているのがいつも不思議だ。
映画の中で、鳥やカエルはあのように生々しく、実体をつかんでアニメーションに残すことができるのに、全てを生々しく捉える気が無い対象が残っている。どうしてもそれを残すことが寄す処なら、それはそのままでかまわない。
小説では、村上春樹の『街とその不確かな壁』を読んだ。
私の父は村上春樹と同い年で高校卒業後に東京へ出てきたので、『ノルウェイの森』で書かれている、まだ西新宿が原っぱだった頃を知っている。その話を友人にしたところ、『西新宿が原っぱだったというのは春樹のマジックリアリズムかと思っていた』と言っていた。
私が村上春樹を読み始めたのは及川光博が「僕はダンス・ダンス・ダンスの五反田君を演じられると思うんだけど」と書いていたの読んだのがきっかけだ(曖昧だけれども、1999年くらいか?)。
『風の歌を聴け』は家にあったので、そのまま『1973年のピンボール』『羊をめぐる冒険』『ダンス・ダンス・ダンス』を読み、その後短編集をあるだけと、『ノルウェイの森』『世界の終わりとハートボイルドワンダーランド』を読み、『ねじまき鳥クロニクル』は途中途中覚えていないが一応読み、『スプートニクの恋人』(1999年)を高校の図書館で読んだがあまり面白くないと感じた。
最近ではイ・チャンドン監督の映画『バーニング』(2018年)が素晴らしかったし、濱口竜介監督の『ドライブ・マイ・カー』(2021年)も面白かった。
『ドライブ・マイ・カー』の原作(短編集『女のいない男たち』収録)は映画を見た後に読んだが、反吐が出るほどつまらなく、気持ちが悪い短編だった。
イ・チャンドン監督も、濱口竜介監督も、「今見たらその女性の描写、気持ち悪いよ」を意識的に使っていたのだろう。『バーニング』は『蛍・納屋を焼く・その他の短編』時期の初期春樹、『ドライブ・マイ・カー』はタイトルこそドライブ・マイ・カーだけれども、ホテルの前の高槻の佇み方はダンス・ダンス・ダンスの五反田君であろう(港区に住む役者である)。
村上春樹のことは定期的にニュースになるのでその度に考えているのだけど、2023年に、フェミニズムのことをある程度分かった上で過去作を読むのはかなり厳しい気もしている。
次から次にセックスをしているし、主人公はガツガツしていない風なのに何故かモテているし、コール・ガールを呼びまくっている。
『ダンス・ダンス・ダンス』に出てくるユキは13歳の女の子で、ユキの外見・体型に関する記述はそこまで気持ち悪くはないのだが、『騎士団長殺し』に出てきた未成年の女性に対する描写はとても気持ちが悪かった(はず。売ってしまったので正確ではないのだが、あまりに気持ちが悪くて両書を比較をした)。
いくら今「この人は世界的巨匠」と扱われていても、作品を読んで気持ち悪いと思えばもう読む価値のない作家であるので、まだ読んだことがない人に読むべきとは全く思わない。
けれども、20年前に読んだ村上春樹は面白かったし、『ダンス・ダンス・ダンス』に書かれる母娘の話に私は救われたのだと思う。
最近友人に会い、「村上春樹は読んだことないんだけど、どうなの?」と聞かれたので、「春樹の物語は色々な本で同じモチーフが多い。主人公がいて、どこかへ行って、帰ってくる。戻ってきた世界は同じようでいて少し変わっている。私たちが現実だと思っている世界は世界の一部分に過ぎず、どこかでみみずくんが暴れているかもしれないし、やみくろが狙っているかもしれないし、誰かが井戸の底に落ちたかもしれない。だけど主人公は行って、戻ってくる。どこかで何かが起こっていても、行って戻ってくる。一部の人は行ったっきり、帰ってこられない。」
「この世では 何でも起こりうる 何でも起こりうるんだわ きっと どんな ひどいことも どんな うつくしいことも」は岡崎京子の『pink』(1989年)のモノローグだけれども、何でも起こりうる、現実はこのまま永遠に続きそうだけれども、ある日小さなズレが生じ、この世では何でも起こりうるんだわ、という小説を次々に読みながら大人になったことを、私は愛している。日常を暮らしていると現実の全てに理由があるかのように錯覚してしまうけれども、「何でも起こりうる」世界には、本当はあまり理由がない。何か理由があると錯覚し過ぎてしまうと、公正世界仮説に囚われて、善悪の判断を間違ってしまう。
「主人公が、行って、帰ってくる」形は数えきれないほどの小説・映画の構造なので特徴とも呼べないところだけれども、『君たちはどう生きるか』もそうだし、『ダンス・ダンス・ダンス』も、『世界の終わりとハードボイルドワンダーランド』も、昔読んだ『はてしない物語』だって勿論そうだし、『オズの魔法使い』もそうで、『君の名は。』もそうだったような気がする。
『はてしない物語』の書き方はわかりやすい。
「絶対にファンタージエンにいけない人間もいる。」コレアンダー氏はいった。「いけるけれども、そのまま向こうにいきっきりになってしまう人間もいる。それから、ファンタージエンにいって、またもどってくるものもいくらかいるんだな、きみのようにね。そして、そういう人たちが、両方の世界を健やかにするんだ。」
『街とその不確かな壁』は春樹の長編も最後かもしれないしな、と思って読み始めたが、半分を超えるまで全然面白くなく、半分を超えてもちょっと面白いけどどう終わるんだろうこれ、の気持ちだけで何とか読み終わった。
17歳の少年のファーストキスの相手の音信が突然途絶えようと、『世界の終わりとハードボイルドワンダーランド』の世界の終わり側の話をもう一度読まされようと、どうしてそれを45歳までひっぱり続けるのか、読んでいて全然情熱を感じなかった。
イエロー・サブマリンのパーカを着た少年が何のメタファーなのかは勿論書かれていないが、春樹は昔に還りたいんだろうか?何故か「あちらの世界」から物語がこちらに、鳥に運ばれてきたみたいにするすると現れ世界を覗けたあの頃に?活発な兎が息を吹き返すように?
宮崎駿のオブセッションや視線は今も跳ね回っており、村上春樹の滾りは、もう私にはよくわからないものになった。
私は昔『ダンス・ダンス・ダンス』を何ヶ月もずっと読み続け、どのシーンにどんな形の雲がぽつんと浮かんでいるかも記憶していた。欲しいものだけ欲しがればいいし、くだらないものに対してどんなことを友だちと言い合いビールを飲めば良いかを知った。
岡崎京子に「幸福を恐れないこと」を教えてもらったみたいに。
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manganjiiji · 1 year
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すずかぜひそやかに
「始まりのファンタジア」というfineの曲のなかの「終わっていくときさえも」という部分がすごく好きだ。始まりの歌だけどこの歌はずっと終わりに向かって歌っていて、希望に満ち満ちた終わり(死)をひたすら希求している。それがとても心地いいなと思う。私たちが生きるというのは死に向かうことだけれど、死に向かえば向かうほど希望が湧いてくるような歌。終わりに向かって華々しく楽しむことを歌っている歌に弱い。Paradise Live(μ's)とか。朗読者の最後のほうのワンシーンで、「絶対にありえない過去の幸せ」を主人公が垣間見ることがあって、それは絶対にありえないんだけど、そういう幸せがもしあったとして、これから終わりに向かっていく時にそれを思うのはとてもいい事だと思った。それでも、実現しなかった幸福の甘美すぎる悲しさに当時は号泣したけれど。そのシーンだけが好きだったなと思う。刑務所に彼女を迎えに行くところかな。あの小説で重要なのはそこだと思う。他の部分に対して好きだとか嫌いだとか言っている人を見ると全然趣味が合わないなと思う。重要なのはそこじゃないよ。あと悲しみよこんにちはも、父娘の関係(かなしい愛情)が重要なのであって、その他のストーリーなんて舞台装置だよ、と思っているので、そのあたりになんらかを感じている人(主に貶している人)にはまじで何を読んでんだ?というかなりつまらない気持ちになる。ストーリーにしか目がいっていない人が世の中には多すぎると思って嫌な気持ちになることが多々ある。ストーリーなんかどうでもいいだろ。もちろん個人の感想ですので、エンタメ畑の方はあまりお気になさらぬようお願い申し上げます。素晴らしいものなんだろうなということはわかっているし、小さい頃は夢中にもなった。でも今は、それよりも人の感情や性質や関係が変化する時に現れる機微のほうに心が寄ってしまっている。そういうところを感じ取れない人が、いわゆる文学作品を読んで「エンタメとして糞。胸糞悪い」みたいなことを言っていると、いや、感じ取るべきはそこじゃないだろ…と思う。そういう人は違う星の人間なので仕方ないと思う。というか、物語からマイナスのものばかり掘り起こそうとする人がそもそも合わないと思う。人間に対して希望ばかり持っていて、愛を持っているはずだと確信しているから、自分はそういう読みになってしまう。これは生まれつきの違いなので仕方がないことだ。環境要因ではないと思う。生まれつき利他的な人間と、利己的な人間というのはいて、後者のほうが圧倒的多数だしそれが「正しい」とされている。物語の読み方も、前者の感覚で読んでも殆どの人には共感されない。何を言っているのか分からないと言われる。男女差別よりも性的マイノリティ差別よりも障害者差別よりも、この利他的性質を持つ人間へのまったく無邪気に行われる迫害のほうが私は世界に表面化されていない分、深刻だと思っている。利己的な性質を持つ「ふつうの」人間が「あらゆる差別」に反対しているのを多く見かけるが、あなたは自分の意識のどの程度まで目や耳をこらしていて、自分のなかの差別感情とそれによる言動に自覚的なのか?と問いたくなる。差別というのは行動の上でのことではない。そんな生ぬるい反差別、私はまったく反対だ。「心の中で人を差別する自由」があって、しかし行動にそれを出さなければセーフ、というのは、何を馬鹿なこと言ってるんだ?と思う。そんなの当たり前にみんなやってる事だろ。社会で生きていく上でみんなやっていること。それが出来ていない人が異常なのであって、わざわざ反差別とか言う必要はなく、そういう異常者を個別に叩いていればいいと思う。多くの善人に対して失礼だとさえ思う。そういう人は「内心の差別」を許しているのなら、わざわざ反差別と書かなくてよろしい。反差別と書くなら、「心の中でも差別するの禁止、すべての人間に対して平等に尊厳を尊重すること」くらいのことを言ってほしい。個人に対する好き嫌いをしているうちは差別者です。私はそう思うのでとても「あらゆる差別に反対」とは言えない。私には許すことのできない人間がこの世に3人いて、そのうちの一人のことは死んでほしいくらい憎んでいるから。そのうちの二人が男なので、男が嫌いで男性を差別する。もちろんそれで行動を変えることは無いが、内心ではものすごく差別している。私は差別主義者だと思うので、「自分のことを差別主義者だと思っていない」人のことはいつも疑いのまなざしで見ている。私よりも人を差別していない(内心でも)なら、どうぞ「あらゆる差別」に反対すればいいと思う。あらゆると言うからには、範囲も深度もすべて、という意味だと思う。内心でも差別しないし、相手の属性で行動を変えることを絶対にしないでほしい。そんなことがこの世界でできるのならやってみせてほしい。
そもそも差別ってなんなんだろう。個別の相手に対して好き嫌いを感じることとは違うと思う。何かしらの特性を持つ人たちを一纏めにして「決めつけて蔑むこと」ということでいいのだろうか。でもそれでいったら別に同性婚に反対している人が差別主義者とは言えないと思う。たとえ同性愛者に生まれても、私的には同性愛だとしても、公的には異性婚をして子供を作り、国の納税者を減らすなという考えなわけでしょ?「同性愛者が嫌いだから」反対している人なんてそんなにいないと思う。同性愛なんて好きにしろ、ただ子供は作れ。そう言ってる人達は別に差別主義者ではないと思う。そうではなくて、もっと別の問題としてそれは糾弾されるべきだと思う。子供を作りたくないし異性とセックスしたくないのにそれを国に強要されるという問題。ともに家庭を築いていきたい人との公的なパートナー関係が社会に承認されないという問題。同性婚反対を即差別と断じるのは、私にはあまりに幼稚に見える。差別感情がそこにはなく、ただ子供を作ってほしいから異性婚しろと言っている人達の異常さ、差別より以前の、他人の尊厳をそもそもなんとも思っていないその考え方にこそ反対するべきで、「差別だ!」と言って糾弾するのは違うと思う。別にそれは差別じゃなくて、もっと前段階の、社会集団維持のためという動物的思考しか持てない人間に対してわれわれはどう抗していくべきかという話だと思う。それから、社会集団維持を諦めるのなら、当然現今の「若い世代の貧困」については受け入れなければ辻褄が合わない。私たちがこんなに苦しいのは政権のせいではなく、単に私たちの世代が上の世代より少ないからである。そしてこれは今後もずっと続く構図で、下の世代に行けば行くほど、人口分布がまともになるまでずっと続く地獄である。「子供は産みたくない」「貧困から脱したい」は両立しない。どちらかを取るならどちらかを諦めるべきだと思う。反差別をかかげている人間が子供を産み育てることもせず、政権を叩いているだけなのが本当に気に食わない。タダ乗りしてるくせに要求だけは一丁前だなと思う。私はそもそも障害者で人間1人分の納税もしていないし子供も産めないので、なにかを政府に要求する権利はないだろうなと思う。言いたいことは、やるべきことをやってから言えよと思う。同性婚に賛成するのはいいと思うけど、自分が子供2人作ってから言え。と思う。それもできないなら責任取れないこと言うんじゃねえよ。と思う。私は同性婚の法制化に賛成だが、その分の補填(子供を作る)ができないので、あまり大っぴらには言わない。そのくらいの分別はある。みんな自分の権利ばっかり主張して、全体の利益というか、他の人が困ることを全然考えていない。利己的な性質を持つ人間がこの世の98%くらいを占めているから当然なのである。それが、この社会というもので、それが正しい。ただ私が馴染めないだけで。
2023.7.1
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