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Matz Essay Volume 2 / 2003〜2007
オープンソースデベロッパーまつもとゆきひろが歩んできた道を知る
Ruby開発者として知られるまつもとゆきひろの雑誌への寄稿を再編集したものです。Rubyプログラミングにとどまらず、オープンソースデベロッパー、ハッカーとして歩んできた道を知ることができるでしょう。
まつもとゆきひろ 著 定価:3,740円(本体:3,400円) 発売日:2024年11月26日 形態:B5変形判(312ページ) ISBN:978-4-04-893118-2
※ 本書の内容はこちらに公開しています。
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サポート/追加情報
Volume 2は、『Linux magazine』(アスキー)、『UNIX USER』『オープンソースマガジン』(SBクリエイティブ)、『Linuxソフトウェアアンテナ』(技術評論社)へ2003年から2007年にかけて発表した記事で構成されています。
◆著者プロフィール まつもとゆきひろ
プログラミング言語Rubyの創始者。Rubyアソシエーション理事長。ほかネットワーク応用通信研究所フェロー、OSS Vision社CTOなど肩書多数。鳥取県出身、島根県在住。2009年から島根県松江市名誉市民。妻1人、子4人、犬猫1匹ずつ。東京嫌い、温泉好き。
◆目次 第31章 探訪Ruby: Rubyの国へようこそ 第32章 探訪Ruby: テスト第一主義 第33章 探訪Ruby: Wiki Wiki 第34章 探訪Ruby: Blogの世界 第35章 探訪Ruby: アスペクト指向 第36章 探訪Ruby: RubyとEmacs 第37章 探訪Ruby: Instiki 第38章 探訪Ruby: テンプレート 第39章 探訪Ruby: DBM 第40章 探訪Ruby: tDiary 第41章 探訪Ruby: Webアプリケーションの基礎 第42章 探訪Ruby: Webアプリケーションの基礎(その2) 第43章 探訪Ruby: Webアプリケーションフレームワーク 第44章 探訪Ruby: マークアップ・マークダウン 第45章 探訪Ruby: ダイコン 第46章 探訪Ruby: 最終回・ネタのタネ 第47章 まつもと ゆきひろのハッカーズライフ: ハッカーとの遭遇 第48章 まつもと ゆきひろのハッカーズライフ: キーボードへのこだわり 第49章 まつもと ゆきひろのハッカーズライフ: ハッカーと仕事 第50章 まつもと ゆきひろのハッカーズライフ: Emacs 対 vi 第51章 オープンソース開発って何だろう 第52章 まつもと ゆきひろのハッカーズライフ: ハッカー環境問題 第53章 まつもと ゆきひろのハッカーズライフ: 言語の重要性 第54章 まつもと ゆきひろのハッカーズライフ: 言語の重要性 その2 第55章 まつもと ゆきひろのハッカーズライフ: ハッカーとオープンソース 第56章 まつもと ゆきひろのハッカーズライフ: 測定狂時代 第57章 まつもと ゆきひろのハッカーズライフ: ソースを読もう 第58章 まつもと ゆきひろのハッカーズライフ: Let's Talk Lisp 第59章 まつもと ゆきひろのハッカーズライフ: スケーラビリティ 第60章 まつもと ゆきひろのハッカーズライフ: オープンソースライセンス 第61章 まつもと ゆきひろのハッカーズライフ: Get Thing Done 第62章 まつもと ゆきひろのハッカーズライフ: 若人への手紙 第63章 まつもと ゆきひろのハッカーズライフ: オープンソースのマーケティング 第64章 まつもと ゆきひろのハッカーズライフ: キャズム 第65章 まつもと ゆきひろのハッカーズライフ: 言語の壁 第66章 まつもと ゆきひろのハッカーズライフ: ハッカーの生産性 第67章 まつもと ゆきひろのハッカーズライフ: 理系・文系 第68章 まつもと ゆきひろのハッカーズライフ: 美しいコード 第69章 まつもと ゆきひろのハッカーズライフ: オープンソースよ、永遠に
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TEDにて
ダン・ブリックリン:表計算ソフト誕生の話
(詳しくご覧になりたい場合は上記リンクからどうぞ)
ダン・ブリックリンは、あなたが日常的に使っているであろうMicrosoft ExcelやGoogle Sheetsのお祖父さんにあたる世界初の表計算ソフトVisiCalcを共同開発し、世界を永久に変えました。
ソフトウェア技術者であり、コンピューター界の伝説である彼が語る、最初にした仕事や空想や宿題が絡み合って画期的な発明へと繋がった話に耳を傾けましょう。
Excelのような表計算ソフトを使ったことのある人はどれくらいいますか?大勢ですね。では、フィラデルフィアで小さな印刷業を営んでいた私の父のように会社の簿記を手計算でやっているという人は?ずっと少ない。
それは何百年もの間。ずっと行われていた方法です。1978年の初めに私はやがてVisiCalcとなるもののアイデアに取り組み始めました。翌年それは、新製品だったApple II パーソナル・コンピューター用に売り出されました。
その後の6年の間に 大きな変化があったことは誰もがVisiCalcを知っておりたぶん使ってもいると。ウォールストリート・ジャーナル紙が社説で想定していたことを見ても分かるでしょ���。
スティーブ・ジョブズは、1990年のインタビューで言っています「表計算ソフトが PC業界を牽引した」「VisiCalcは、他の何よりもAppleの成功に貢献した」
彼は、より個人的なコメントとしてこうも言っています「もし、VisiCalcが他のコンピューター向けに書かれていたならあなたが今インタビューしている相手は違っていたはずだ」
VisiCalcは、会社でパソコンが使われるようになるきっかけになったのです。それはどうやって生まれたのか?それは何だったのか?どのようにして私はそれを作ることになったのか?
私がプログラミングを学び始めたのは、1966年15歳の���でこの写真を撮った2ヶ月後のことです。当時はコンピューターに触れられる高校生なんてそういませんでしたが、私は幸運とものすごい根気強さのお陰で地元のコンピューターの利用時間を手にできました。
ウッドストックのぬかるみで寝た後、MITに進学しバイトでMulticsプロジェクトの仕事をしました。Multicsは対話的タイムシェアリングシステムの草分けでした。
LinuxとかUnixというのを聞いたことがあるかもしれませんが、あれはMulticsから生まれたものです。私はMulticsのためのインタプリタ言語に取り組みました。端末の前に座って計算を行うコンピューターが専門でない人たちが使うものです。
MITを卒業するとDECに就職しました。DECでは電子化組版という新しい分野のソフトウェアを開発し、新聞社が記者の使うタイプライターをコンピューターに置き換える手助けをしました。ソフトウェアができたらカンザスシティ・スター紙のような現場に赴いてユーザーのトレーニングをし、フィードバックを集めました。
この時の実体験は、MITの研究室で見てきたのとは随分違っていました。その後、私はDEC初のワープロソフト開発でプロジェクトリーダーになりました。また新分野です。
組版の時と同様、重要だったのはコンピューターに詳しくない人たちが自然に効率良く使えるユーザーインタフェースを作ることでした。DECの後、マイクロプロセッサを使ったファストフード業界向けの電子キャッシュレジスターを作る小さな会社で働きました。
でも、私はMulticsプロジェクトで出会った友人のボブ・フランクストンと一緒に会社を始めたいとずっと思っていたので大学に戻りビジネスについて学べるだけ学ぶことにし、1977年秋にハーバード・ビジネス・スクールのMBAコースに入りました。
そこの学生で私のようにプログラミングの経験がある者はごくわずかでした。卒業アルバムには最前列に座っている私の写真があります。
ハーバードでは、ケーススタディを使って学びました。毎回3つくらいの事例を検討します。それぞれの事例は特定のビジネス状況に関する何十ページかの記述からなっています。それにはよく別紙が付いていてその想定状況に関する資料やデータがありました。
それぞれが何かしら違っていました。これは私のやった宿題です。筋が通るように構成された数字や記述が並んでいます。沢山の計算が必要で私たちはいつも電卓を手元に置いていました。これが私の使っていた電卓です。ハロウィーンの時も電卓を身に付けたものです。
授業のはじめに先生が誰かに事例の説明をさせます。学生は状況を説明してデータを読み上げ、先生がそれを教室の前にある何枚もの電���式黒板に書き取ります。それからみんなで議論します。すごく苛立たしかったのは宿題をすっかり済ませ、翌日授業に出ると計算間違いがあって自分の出した数字が全然駄目だと気付いたときです。
そうなると授業であまり発言できなくなりますが、評価は授業への貢献度でなされるのです。他の87人の学生達とその教室にいて私はよく夢想していました。
当時のプログラマーの多くは、メインフレームで在庫システムや給与システムや請求支払いシステムなんかを開発していましたが、私には対話的ワープロソフトやオンデマンドの個人向けソフトの開発経験がありました。そのためプリンタ出力やパンチカードというインタフェースではなく「魔法の黒板」を夢想していました。
数字を消して新しい値を書くと他の数字が自動的に再計算されるという数字のためのワープロみたいなものです。私がイメージしていたのは底がマウスのようになっている電卓と戦闘機みたいなヘッド・アップ・ディスプレーがあって数字をタイプし、まるで囲んで合計ボタンを押すと交渉しているその場で答えが得られるというものです。
その夢をどうにか現実にしたいと思いました。
父は私にプロトタイピングというのを教えてくれました。冊子を印刷するときページ上の配置を決めるために使う実寸大のひな形を見せてもらったことがあります。顧客からフィードバックを得るのにそれを使いOKが出たら印刷にかけるんです。作ろうとしているものを単純化した実際に動くものを作ることで主要な問題点が浮かび上がり、そのような問題への解決策をずっと少ない費用で見つけられます。
それでプロトタイプを作ってみることにしました。
ハーバード大のタイムシェアリングシステムに接続された端末に行って取り組み始めました。私がまず直面した問題の1つは式の中の変数をどう表現するかということでした。どういうことか説明しましょう。考えていたのはこうです。どこか指定して言葉を書き別のところに数字を入れさらに別の数字を入れます。
答えを出す場所を指定してから最初の数字を指し、マイナスを押し2番目の数字を指すと結果が現れます。問題は、式をどう表すか?ということです。何が入るのかコンピューターに分かるものにする必要があります。そして、画面のどこが参照されているのか式を見れば分かるようにする必要があります。
はじめの案はプログラマー的なやり方で最初にどこかを指定したとき、識別名をユーザーに付けさせるというものです。これは面倒くさすぎるということがすぐに分かりました。コンピューターが自動的に名前を付けて保持しておくようにする必要があります。
では、作られた順番で名前を付けたらと考えました。変数1、変数2という具合に。しかし、変数が何個もあるとどこにどれがあるのか覚えられなくなってしまいます。それなら、変数をどこにでも置けるようにする代わりに碁盤目上に制限したらどうかと考えました。
マス目を指定したとき、その行と��を名前にすることができます。地図みたいに上にABC、横に123と書いておけば、式の中に B7とあったとき、画面上のどこを指すのか一目瞭然です。式を自分で書く場合もどうすればいいかすぐわかります。ユーザーを碁盤目上に制限することで私の問題は解決しました。
同時に一続きのマス目を指定できるといった新しい可能性も開けました。それでいて、この制限はきついものではなくユーザーは好きな値や式をどのマス目にでも入れることができます。そして、これは40年後の今もそのまま使われている方法です。
友人のボブと私はこの製品を一緒に作ることにしました。そのプログラムがどう振る舞うべきか見極めるため、私はさらに取り組みました。ドキュメントとなるものとして説明シートを書きましたが、それはまた作っているユーザーインタフェースが普通の人に対し簡潔明瞭に説明できるものにする上でも役立ちました。
ボブはマサチューセッツ州アーリントンに借りたアパートの屋根裏で作業していました。これがその屋根裏部屋です。ボブがMITのMulticsシステムの利用時間を購入してこのような端末を使ってプログラムを書きました。それから電話回線と音響カプラを使い借用したApple II にテスト版をダウンロードしてテストを行います。
テストの一環として「ペプシチャレンジ」の宿題を使いました。印刷機能はまだできてなかったので全部手で書き写す必要がありました。保存機能はまだできてなかったので、プログラムがクラッシュするたびに式をすべて入力し直さなければなりませんでした。
翌る日。授業で私は手を挙げて指されると事例の解説をしました。5年の予測をしあらゆる種類のシナリオを考察しました。この事例でAの評価をもらいましたVisiCalcはすでに役立っていたのです。
先生に「いったいどうやったの?」と聞かれましたが、我々の極秘プログラムのことを明かしたくはなかったので。
「これにこれを加えて、これを掛けてこれを引きました」と言うと
「比を使わなかったのはどうして?」と聞くので
「比なんか正確じゃありませんよ!」と答えましたが、実際は割り算がまだできるようになってなかったんです。
そうこうするうちにVisiCalcはお披露目できるまで出来上がりました。マーケティングに使える説明シートのサンプルを父が刷ってくれました。
1979年6月に発売元がVisiCalcの告知をしました。ニューヨークで行われた巨大なナショナル・コンピューター・カンファレンスの小さなブースでのことです。ニューヨークタイムズ紙がこのカンファレンスについてユーモラスな記事を書いています。
「機械が宗教儀式に 見えることを行う信者たちが集まる中、コロシアムの画家たちが殿堂に付け加える黄色地に黒で大きく書かれた「VISICALC」の文字をVISICALCを賛美せよ!」 (おおっ) ニューヨークタイムズ曰く「VISICALCを賛美せよ」
その後、2年くらいは大手のビジネス誌が電子表計算ソフトに言及することはありません���した。ほとんどの人はまだ理解していなかったのです。理解した人もいましたが1979年10月にVisiCalcが発売されました。こんなパッケージに入っていて Apple IIの上でこんな感じに動作しました。
その後のことは皆の知る通りです。
まだまだ話し足りないことがありますが、それはまたの機会にしましょう。ただ1つだけハーバードが記憶してくれていることについてこれが例の教室です。そこで起きたことを記念するプレートが飾られています。
同時にこれが伝えているのは、皆さんもまた自分独自の事情や能力や要求を生かし、プロトタイプを作って重要な問題を見つけて取り組みそれを通して世界を変えるようにということです。
ありがとうございました
こういう新産業でイノベーションが起きるとゲーム理論でいうところのプラスサムになるから既存の産業との
戦争に発展しないため共存関係を構築できるメリットがあります。デフレスパイラルも予防できる?人間の限界を超えてることが前提だけど
しかし、独占禁止法を軽視してるわけではありませんので、既存産業の戦争を避けるため新産業だけの限定で限界を超えてください!
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ダウンサイジングがやってきた、そしてFreeBSDの記
入社したころはメインフレームの専用端末を利用していたが、時代は加速的に進んでいっていた時代。 部署にはWindows3.1のPCが置かれるようになり、やがてWindows95へ。 メインフレームの運用コストを削減するためにダウンサイジングが叫ばれ始めていた。 標準でTCP/IPが使えたWindows95に端末ソフトを導入して接続することで、専用端末は消えていった。 そして、WindowsServerが導入されサーバー・クライアント型での試用が行われていく。 部署の中ではVisualCを使った開発を行う課もあり、いまだにCOBOLで開発している自分が妙に遅れてきているのではという焦りも感じていた。
一方で、Unixによるシステム開発を行う課もあり、部署内にUnixマシンも置かれるようになってきていた。 同期の中にUnixで別のメンバーとメッセージを送りあって楽しんでい���者がいた。 ネットワークを介して色々なコマンドが使えるUnixにとても興味を持ったものだった。
自分の席にはWindows95の端末が置かれたが、使うのはメインフレームに接続するクライアントソフト。 端末は変わってもやることは変わらない。 モヤモヤした気持ちの中で、書店にいったときに一冊の本に目が留まった。 「FreeBSD」の本である。 CD付きの本を購入し、会社のPCの540MBほどのHDDのパーティションを分割しインストールしてみた。 見事に動いたときはとても嬉しかったものである。 それからは業務の合間にFreeBSDに切り替えてコマンドを叩いては操作を覚えていった。
そうそう、FreeBSDとは別にLinuxの存在も知っていたのだが、FreeBSDの書籍の方がそのときは多かったと思う。 そんな単純な理由でFreeBSDをインストールしてみたのだ。 このUnix系コマンドを覚えることは、実は後々活きてくるのであるが、当時はLinuxが本流になるとは考えていなかった。 先を展望するのは本当に難しい~。。。💦
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確かにシリコンバレーじゃなきゃダメな理由はなくなったと思うが、時系列的に意外な点がいくつかあった。
彼がシリコンバレーに引っ越した時は19歳で、「会社を設立することについて何��知らず」、そして「企業を構築するためのツールの多くは、現在ほど整備されていなかった」という。
「何も知らず」はしょうがなくても、起業環境については意外。Wikipediaには2004年に大学内でFacebookを立ち上げたとある。
私はパソコン通信(笑)で小銭を稼ぐようになったのが1995年で「CD-ROM元年」とか言われていた頃(笑)。ちなみにパソコンを持ったのは「マルティメディア元年」と呼ばれた1994年。
2001年には株式会社を設立したが、簡単で拍子抜けしたくらい。まだ資本金1,000万円以上、3人の取締役と監査役が必要だったのでその点は今の方がお手軽。
当時はドットコ��バブル崩壊後のハイテク業界の低迷の中で、ベンチャーキャピタルを見つけることはおろか、フェイスブックを立ち上げるために必要なサーバやデータセンターを手に入れることも困難だったという。彼はこれらすべての問題の解決策を見つけるためにシリコンバレーに来なければならず、「それは本当に不可能に思えた」と言う。
これもかなり意外。
私は最初にサーバーのスペースを借りたのは1996年。確かに当時はまだショボかったが、Unixサーバーをデーターセンター(横浜)にまるごとハウジングしたのは1999年。この頃には選択肢は少なくてもそれなりの環境が手に入っていた。
/* 資料中の「KByte/秒」と「Kbit/秒」を間違えている会社もあり(すなわち8倍または1/8ズレる)、業界全体に素人臭は漂っていたが、それでも皆やる気があった。 */
当時はPerlでコードを書きテキストファイルを読み書きしていたが、2000年にはPHP/MySQLに移行し、ハウジングした自前パソコンサーバーで1日に10億クエリ超をさばいていた(東京)。
個々のレベルの低さや精度の低さに呆れることは日常茶飯事だったが、全くもって「環境が整っていない」状態じゃなかった。日本は。
2004年にもなると“全て”が揃っていた。私の作業場とデータセンターとの間に1Gbps専用線を引いていたが、月80万円ほど支払っていた。通信料金には難ありだった(世界共通だろう)。
同2004年、同じマンション内にある自宅とオフィスと親の住まいを光ケーブルで接続し(SC/LCコネクタ付きのHPのスイッチは60万円くらいしていた)、IP電話を自宅とオフィスのどちらでも取れるようにした。お金はかかっても「やりたい放題」というくらい環境が整っていた。
/* ちなみにマンション購入時は世間ではまだADSLが主流だったが、新築マンションにはようやく100Mbpsの宅内LANが標準でついているという時代だった。私は既に工事が始まっている(2001年)現住まいの売主と施工会社に「将来に向けて光ケーブル用の空配管を設置すべき」(同時に宅内はカテゴリ6ケーブルに)と提案し、即座に受け入れられた。そのおかげで、24芯の光を宅内まで何本も引き込むことができ、宅内LANも1Gbps通信に難なく対応し今もなお色褪せてない。当時既にマンション業界にも「ものわかりの良い人達」がいたということだ。 */
という具合に、東京が進んでいたのか、アメリカ北東部が遅れていたのか。
私は理系出身ではないが(文系でもないが)、ザッカーバーグは計算機科学専攻とある。独壇場だっただろうと思うんだがそうではなかったということか。
考えられるのは、オタクでコミュニケーション能力が低く(笑)、いろんな手続きが困難に感じられただけかもしれない。
確かに何をするにもイチイチ人と会う必要があり、メールよりも電話、電話よりも直接会ってという人がほとんどで手間がかかる時代だった。
その点シリコンバレーはオタクだらけで仕事しやすかったというならナルホドと思うし、今では世界中オタクの方がスタンダードになってきているので、彼らにとっての“居心地”としてはシリコンバレーじゃなくても良いということかもしれない。
「単一文化ではない会社を作ることには多くの利点がある」と彼は言い、「シリコンバレーはテクノロジーオンリーの街であるため、人々の考え方に多様性がない」と付け加えた。
もっともだと思うが、世界中の99.8%の人にとってはまだシリコンバレーでも十分というかメッカだろう。
スタートアップ期と違い、大きな組織を率いるようになるとより多様性の理解を必要とする。マネージメントに限らずロゴのデザイン1つとってもそうだし、世界中の法律や文化、宗教の知識を持ってないと、投稿の削除・フィルタリング1つが大問題になったりする。
だから現在の彼の地位をもってして「テクノロジーオンリーのシリコンバレーは選ばない」ということだと読み解けるが、成功するまでは十分過ぎる舞台であることにかわりない。
成功するまではということは圧倒的大多数の人が成功しない事を考えると、彼の来世(笑)の話だと思って聞くくらいがちょうどいいんじゃなかろうか。
成功者とは場所を選ばない。どこからでも生まれ、どこででも育つ。
と私は思う。
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世界中で広く使用されるオブジェクト指向プログラミング言語Java。日本におけるこの言語の普及に、とても重要な役割を果たしたのが鈴木雄介さんです。鈴木さんは20年以上前からJavaに触れ、プログラミングだけではなく執筆・講演などの活動も精力的に行ってきました。 また、2007年に設立された日本Javaユーザグループ(Japan Java User Group:JJUG)に当初から在籍し、2012年4月から2019年3月までは会長を、2019年4月からJJUG CCC運営委員長を務めています。 なぜ鈴木さんはJavaに大きな魅力を感じているのでしょうか。そして、さまざまな普及活動を続ける過程で見えてきたものとは。Javaとともに歩んだ20年をふり返っていただきました。 *…取材はリモートにて実施しました。 Javaをテキストエディタで書くのが当たり前だった時代 ──鈴木さんはいつごろJavaと出会われたのでしょうか? 最初に触れたのは2000年くらいで、社会人として働き始めてから数年が経ったころでした。業務でECサイトの開発が決まり、プログラミング言語としてJavaを使う方針になりました。当時はLinux上で動くWebサービスを開発するならば、Javaは主流でしたから順当な選択だったと思います。 ──2000年ごろにJavaが主流だったのは、どのような要因からですか? それ以前は、エンタープライズ向けのシステムはサーバがUNIX機やホストコンピューター、クライアントがWindows OSのネイティブアプリケーションが主流でした。 しかし、インターネットが普及して世の中でブラウザを利用したウェブアプリケーションが広まると、企業内システムでも利用されるようになっていきます。そこで一気に普及したのがLinux+Javaという組み合わせでした。 Javaはエンタープライズの用途に耐えうる静的型付言語であり、言語のライセンスも無料。優れたサーブレットコンテナであるApache Tomcatも無料で使えたことが大きく、Linux+Javaという構成のシステムが多くの企業で使われるようになったんです。 私が2000年ごろに初めてJavaのコーディングをした当時は、IDE(Integrated Development Environment:統合開発環境)を使いたければ商用製品を購入するしかなくて。商用製品を用いないならば、ソースコードをテキストエディタで書いて、javacコマンドでコンパイルするのが当たり前の時代でした。 ──若い方々にはIDEを使わないJavaコーディングは想像もつかないかもしれません。 Eclipse IDEの登場が2001年で、急速に普及したのは2002年くらいからでした。それ以前は、Javaをテキストエディタで書くのもそんなに珍しくはなかったんですよ。 リモート取材中の鈴木さん 何かの技術を褒めるために、別の技術を貶めてはいけない ──鈴木さんは2000年代前半から、ブログや雑誌の寄稿でJavaの記事を書かれていたそうですね。 記事執筆を始めるきっかけになったのは、2004年に仕事でベトナム出張に行ったことです。当時のベトナムはドイモイ政策*による急激な経済成長をしており、伸び盛りの時期。IT関係の仕事に従事するのがお金持ちになる近道でもあったため、優秀な若手がどんどんエンジニアになっていました。そんな政策の渦中なので人々がみんな元気なんですよね。 *…1986年のベトナム共産党第6回党大会で提起されたスローガンで、主に経済、社会思想面において新方向への転換を目指す政策。 出張先でベトナムのエンジニアと交流して、一緒に働いたり遊んだりするなかで、彼らの熱気に影響を受けたんですよ。すごいエネルギーだなと思いました。日本に戻ってきてから「自分も何か世の中にためにできることはないか」と考えて、情報発信のためにブログを書こうと思ったんです。 前提として、先ほど話題にしたECサイト構築のプロジェクトでは、Apache TomcatやJavaVMの内部的な挙動などを、メーカーやベンダーなどに頼らず自分たちで調査していました。その後も、私は余暇の時間などでOSSのコードを読んで、どんなつくりになっているかをよく調べていたんです。 JavaフレームワークであるStrutsのコードを読んで参考にしながら、より拡張性に優れた自前のフレームワークをつくったりもしましたね。そのためJava関連の知識はかなり豊富になっており、自分の学んできたことをテーマに記事を執筆していました。 そんなある日『JavaWorld*』という雑誌の編集者からメールを頂いたんですよ。「O/Rマッピングが主流になってきていますので、この特徴の紹介やオープンソースソフトウェア(以下、OSS)製品の比較をしたいと考えています。鈴木さんにぜひ記事を書いていただけないでしょうか」という趣旨のものでした。びっくりですよね。しかも20ページも書いてほしいという話でした。 *…2001年12月号から2007年2月号まで、約5年にわたり発刊されたJavaの専門誌。 「いや、私は雑誌に寄稿したことなんてないから、無理ですよ」と返したら「ブログを拝見させて頂いています。文章力があるのはわかっているので大丈夫です」という、よくわからない説得をされました(笑)。さすがに自分ひとりで書くのは不安が大きかったので、知り合いのエンジニアと一緒に書くことにしましたけどね。ありがたいことに、執筆した記事を編集者が褒めてくれて、定期的にさまざまな記事を『JavaWorld』に寄稿させていただくようになりました。 寄稿を続けるうちに、イベントに呼ばれたりして、Javaの開発元であったSun Microsystemsの人にも会うようになります。その際に「今後、大きなイベントが開催されるので、登壇者の公募があるから応募してみたら」と言われました。それが2005年11月に開催されたJavaOne Tokyo 2005というイベントです。そこで知り合い3人と一緒に登壇したのが、初登壇になりました。 ──執筆や登壇などの活動を通じて身についた考え方はあるでしょうか? 私の中で印象に残っているのは、2006年に開催されたDeveloper Summit 2006で、初めて単独の登壇者として呼んでいただいたときのことです。登壇では、ある技術と別の技術を比較するような形で、ソフトウェアアーキテクチャについての解説をしました。 登壇前に、あるメディア関係者に私のつくった資料をレビューしてもらったんですよ。すると「この資料はすごく良いけれど、○○○という技術を貶めて書く必要はないんじゃない? 特定の技術は何かの目的を達成するためにつくられるものだから、必ず向き・不向きがある。比較するのは構わないけれど、こっちが良くてこっちがダメだみたいな書き方は良くないよ」と言っていただきました。 私は今でもその方にすごく感謝していますし、現在の仕事にもこの考え方は活きています。すべての技術には生まれた理由がある。ある技術が特定の問題を解決するのに向いていないことを非難すべきではないという考え方が、そのとき身につきました。 ある技術が大好きな人は、すべてをその技術で解決したくなってしまうんですよ。金槌を持つと人間はなんでも釘に見えてきて、解決できないことでもその道具で解決したくなってしまいます。ですが、その技術が向く領域と向かない領域は何なのかを、技術者は冷静に考えなければいけません。 日本Javaユーザグループの停滞と再生を経験して ──鈴木さんは日本Javaユーザグループの創立初期からのメンバーでもあります。どのような経緯でグループは設立に至ったのでしょうか? 時代背景からお話しすると、2005年から2011年くらいまではJavaの停滞期でした。当時、Sun Microsystemsは経営難に陥っており、その影響でJavaの開発もかなり滞っていたんです。 2006年にリリースされたJava SE 6では目立った新機能の追加がありませんでした。さらに、次のJava SE7が登場したのは2011年。Java SE6がリリースされてからJava SE7が出るまで5年もかかっているんです。 こういった事情もあり、日本でもJavaの勢いがだいぶ弱まっていました。このままではいけない。コミュニティをつくってJavaをもう一度日本で盛り上げようと始まったのが日本Javaユーザグループでした。 日本Javaユーザグループ設立記念講演会の様子。撮影は櫻庭祐一さん。 ──グループ設立の背景には、Java関係者の熱い思いがあったのですね。 とはいえ、日本Javaユーザグループの活動自体も徐々に停滞期を迎えていきました。頑張って盛り上げようとしていたものの、前述の理由からJavaの進化が止まっていたため、レガシー感が否めなくなっていたんです。世の中のエンジニアたちがJavaに寄せる関心も薄れていました。ユーザーグループのイベントにもあまり人が来ない状態になっていましたね。 ──そんな大変な状況のなか、2012年4月から鈴木さんは会長に就任されます。 「鈴木さんが会長になって組織として若返りを行い、もう一度Javaコミュニティを盛り上げ直したら?」というお声をさまざまな人々から頂いたんです。初代会長である丸山不二夫さんは当時すでに還暦を超えられていて、一方の私はその頃30台でした。Javaコミュニティの現状をなんとか変えたいと思っていましたし、いい機会だなと考えて、2012年に私が会長に就任しました。 会長になってからは、イベント運営の方法を抜本的に変えていきました。当時の日本Javaユーザグループは、イベントの直前にバタバタと知り合いに声をかけて、登壇者が集まらなければ開催をスキップするといった牧歌的な運営がなされていたんです。しかし、きちんと毎月開催して、かつ質の高いイベントになるように方針を徹底していきました。 さらに、日本最大のJavaコミュニティイベントであるJJUG CCCは年2回やっていましたが、コンテンツを公募するようにして、コミュニティ内での流行を取り入れるようにしました。正直、大規模イベントを年に2回も実施するのはかなり大変なんですけど(笑)。それでも、コミュニティを盛り上げたい一心で改善を続けていったんです。 コミュニティの幹事メンバーも大幅に変えていきました。私が会長に就任したばかりの頃は、グループの幹事のなかには、活動にあまり積極的に参加されない方も混じっていました。ですが、実績が1年間ない方にはご退任いただき、よりモチベーションや情報感度の高い若手のメンバーを幹事として積極的に起用していったんです。 ──大幅な改善を進めたのですね。 「どんな企業をイベントのスポンサーにするか」も変えていきました。かつては、イベントのスポンサーはJavaの関連技術を“売っている企業”が主でした。しかし、そういった企業は基本的に自分たちが��売したい技術の話をしますから、なかなか参加者にとって面白いセッションにはなりません。セールストークを聞きたい人はいないですからね。 そこで、Javaを“使っている企業”をスポンサーにし、所属するエンジニアがJavaを活用してどんなに素晴らしい仕事をしているのかを発信してもらう方針に変えました。エンジニアは、魅力的なエンジニアに惹かれますから。 その結果、イベントの参加者やスポンサーの数も、右肩上がりに増えていきました。もちろんコミュニティの成長には、2010年にOracleによりSun Microsystemsが買収されてから、Javaの改善が円滑に行われるようになったことも影響していると思いますけどね。 鈴木さん作成のJJUG CCC 2016 Spring基調講演資料「JJUG運営の戦略と戦術」より抜粋。 ──Javaの停滞期を経験された時代に、他の言語に主軸を移すのではなく、Javaを信じ続けられたのはなぜでしょうか? 確かにJava本体は停滞期だったのですが、Java関連のコミュニティやOSSは進化を続けていたので、不安は全くなかったです。むしろ、この時代は本家の動きが悪かったからこそ、さまざまな方が行動を起こし、Javaに関連する次のスタンダードをつくろうと尽力されていました。 これは読者の方々に伝えたいことなのですが、技術の使い方や特徴といった表面的な情報だけではなく、技術のつくり手やコミュニティの動きを追っておくと、その技術の動向がよくわかります。 ──技術の“生態系”を学ばなければいけないのですね。 そうですね。必ずしも、優れた技術が長く使える技術になるわけではありません。特に注意が必要なのは、単一の企業が特定技術のつくり手になっているようなケースです。「○○社がメンテナンスしているから大丈夫だろう」という考え方をしない方がいいですね。 企業がOSSを出すのにはさまざまな理由があります。「広く使ってもらいたいから公開する」という場合もあれば、「社内で保守するのが辛いからOSSにする」「流行に乗り遅れないようにとりあえず出す」「コミュニティの反応を確認したい」という場合も。コミュニティの意思が反映されず、その企業の意思決定によって急にOSSの方向転換が行われたり、更新されずに放置されたりというパターンも多いです。 Javaを学べば世界の技術トレンドがわかる ──エンジニアがJavaを学ぶ意義について教えてください。 Javaの素晴らしさはJVM(Java仮想マシン)の性能の良さやエコシステムの豊かさにあると思います。エコシステムとはJavaを取り巻く環境やコミュニティといった意味で、これまでさまざまな企業や人々がJavaに対して貢献してきました。OSSの世界におけるものごとの考え方やコミュニティ運営における方法論は、Javaが歩んできたカルチャーが色濃く影響していると私は考えています。 現在も、多くの企業や人々がJavaの進化を支えています。たとえば、JDK 15の開発には錚々(そうそう)たる企業が参加しています。エンジニアなら誰しも憧れるような有名企業がJavaのエコシステムに関わっているんです。 <JDK 15の開発に参加している企業> Oracle、Red Hat、SAP、ARM、Tencent、NTT Data、Amazon、IBM、 Intel、Alibaba、Loongson、Huawei、BellSoft、Ampere Computing、 Google、JetBrains、Azul、DataDog、Microsoft、他多数。 日本ではJavaがレガシーというイメージが強いですが、実は世界的に見れば全くレガシーではありません。Javaの進化を見れば、世界のIT企業各社が何を目指しているかがわかります。このエコシステムの素晴らしさを、もっと多くの方々に知っていただけると嬉しいですね。 ──Javaという言語の偉大さを感じます。では最後に、鈴木さんがキャリアのなかでJavaと携わった意義について教えてください。 キャリアの大半で得られたこと、特にコミュニティで得られた経験のほとんどはJavaが関係しているので、自分とJavaとは切っても切り離せないですね。現在の私はITアーキテクトとしての仕事が主でコードを日常的に書くということはしませんが、今でもJavaのことを勉強するとITの世界の未来がわかります。 先ほどの話にもあったように世界中のトップエンジニアたちがJavaに携わっているわけですから、Javaのリリースロードマップを見れば世界的なITのトレンドがわかる。こんなにわかりやすいものはないですよね。 取材・執筆:中薗昴
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Furanpool torrent upper discussion 2004(瀧田佐登子と話した内容)
高1(15才)のNetscapeの時にMozillaのサイトで名前を見かけてcelo-play-syncでアクセスしたためにMozilla Japan代表理事のGCの瀧田佐登子が私のアカウントに来たため、その後いろいろ話して積み上げていったシステムエンジニアリングに関する理論。
バイナリ手法、設定的な作業もアプリケーションで行う、サブディスプレイ操作もアプリケーションで行う
デスクトップ環境によるアーキテクチャの隠蔽化、cuishort方のシンボリックリンクをデスクトップ環境として配置する
JavaとCocoa-Java、Javaはパワフルさがない、Cocoa-JavaのCocoa APIをJavaから使える意義
Windows・Apple・Linux・Mozillaの趣旨、瀧田「Appleってそういう企業だったんだ」
Quartz、Quartz-fresh、バッファを溜めて描画する、Javaの教本のバックグラウンド描画、Webページをレンダリングしていっぺんに表示する
両「カラム表示欲しいですね。」プルダウンカラムブラウザ(カラムは無理)瀧田は実際にLinuxで開発し利用、瀧田「使いやすい」
GIMP for Mac OS Xコンパイルインストール(MacPorts)、GIMP for Windows
OpenOffice、実際に自分はインストールしている、もともとはMS Officeで十分であるとドグマで思いかなり後になるまでインストールせず
helperとGCの推測、オカルト的な現象、声と話している内容までブログには書けない
話しているレベルと全く違ったあまりに初級のことをブログ(takekaze@human_being)に書いていたこと
X11.appとGIMP、瀧田「AppleがX11を出しているわけはないと思うんですけど」
芸術の高度な実装、Quark、芸術の実装の意義を知らなかった瀧田からのドグマと変態の疑惑指摘(後に芸術は隠喩であることが明らかになる)、私「芸術には何かしらの啓発や哲学が有ると思うんですけど」
紙の文書のメリット、即時的な可搬性、目が疲れないように長文読書用、デジタルはマシン前の場合、HTMLとPDF、手軽に個人でも発信できるのはWebだけの強み
PDFのメリット、MS Wordでは編集性があるためダメ、固定することがかえって有用、電子文書として��形態のメリット、印刷前形態、ページ的文書、スキャナ文書
Mozilla on Solarisは書籍で見たスクリーンショット、Mozilla on Win95
Linuxで設定ファイルを書くことと、GUI、バイナリで装備する手法、行削除機能、Cocoaのトリプルクリックで行選択
XUL.FrameworkのそれぞれのOSへの環境統合及び独立、コマンドキー、瀧田はLinuxのやり方から移植すれば良いと思っていた、Web API
XUL言語の利便性、CSSやHTMLをどこで学んだか、keysheriなので「サーバーは建てないほうが良い」
アニメに関する話、新選組!、武蔵MUSASHI
グローバリゼーションの是非、自分の中のドグマ、H哲がAXISであること
humarize使いの問題点、明晰な思考ができないこと、瀧田佐登子もhumarize使い
BIOSを調べられた時の話、自走式のsherinarが居るとわかっていたため、現実の厳しさを教えようとしていると思った、善にしか絶対に従わない属性
ブログは瀧田自身もexciteで建て、この記事の情報を書いたため炎上しまくったらしい
iPodについて、PDA化、「音楽聴けるってのは良いですね」
「Apple製品については対価を払うだけの価値があると思った」「自由でないのは良くないが」
Mozilla VSの設計思想について、CUIの設計思想とGUIの実利性、CUIで開発してGUIで利用する、利用してもらう
クラウドをAppleがやらない理由、ローカルにシステムがないと独立したシステムにならない、ユーザーの権利を守れない
Carbon(下位互換)の話、セキュリティーの観点からWebブラウザとシステムは最新でないといけないが、アプリケーションは下位互換が可能
Mac OS 9も買ってClassic環境も動かしてみた、かなりバギーだった
毒について、湿潤液増進剤
自身が瀧田佐登子であること、Mozilla Japanのトップであること、私はMozillaのボランティアさんの女性くらいかと思った
cuishort法、実体のバイナリは長い名前でも良い、シンボリックリンクを短い名前にする
コマンドのtype-d化、先にコンテンツファイルを指定して編集コマンドを後から指定する
viよりGUIのテキストエディタを使おう、viとかをCUIで装備すると煩雑になるから
テキストブラウザなんて使えるんですか? 瀧田「かなり使いにくい」
Inside Mozilla Japanとライブブックマーク、瀧田「そんな機能がありましたか。」
ThunderbirdのRSSリーダー機能、cococのようなRSS常時リーダー
TxtMiruなどのテキストビューワー、青空文庫、オンライン読書
ヒラギノフォントの美しさ、ATOK for 私Win/瀧田Mac、egbridge、確定文字列が再変換できる
Unicodeのメリット、一つのページで複数言語扱える、思われてい���のとは逆に異体字が扱えるなど日本語の表現力も高い
瀧田「危険なサイトは開く時点でダメだが」「全然怪しいサイトとか開かない人だな」
コンパイルとかやってみたいのですが、瀧田はLinuxユーザーなのでコンパイルは常態的
PowerBookを買ってFinal Cutで動画編集、「人間の大人は高いマシンを買うものなので」、Adobe Creative Suiteも購入
Dockのメリット、アクセスしやすいインターフェイス、脇の空白の意義、アイコンウィジェットとしてのアクセスしやすい大きさ、Dockのゴミ箱の意義
Mac OS Xを実際に店舗で視てみた所感、とにかくデザインが綺麗で描画汚れが全く無い
Aquaテーマの美しさと実際にバグが少なく堅牢なOSだった、瀧田「Aquaの美しさは明らかQuartzに依るものですよ」
瀧田「Mac OS XがあればLinuxなんて要らないんじゃないかと思った」とさえ言っている
CUIは大量の出力を表示するとき、開発効率を必要とする時に使い、それ以外はGUIの方が良い
空のインターフェイスは弄りながら説明書無しでも使え(「この子説明書全然読まない」)、宇宙は学ぶ必要がある、空でCUIならコマンド文字を提示できれば良い
データベースというものはもっと使われるべきものだろう、Accumulife
『墜落』シリーズ、『墜落か生還か』
『はじめてのMac OS X 10.2』、『Mac OS Xパーフェクトマスター』、『Aquaの進化論』、rootアカウントとMac OS Xの管理者権限、システム破壊を防ぐためrootはデフォルトではOff
Quartz ExtremeとGPUによる最適化のメリット、並列処理、マルチメディアの意義、私「リッチなメディアの方がメリットが多いと思うんですけど」
Mac OS Xにもオープンソースのモジュールが多く含まれていること、NeXTSTEPについて、Rhapsodyは私はよく知らなかったが瀧田は調べていた、私「Mac OS XもUNIXですよ。」
GUIの洗練は重要、使いやすいGUIはCUIより若干使いやすい、初心者には特にGUIのほうが良い
ターミナルの色はMatrixが良い、Mac OS XのターミナルはLinuxより使いやすい、ファイルドロップも使える機能、Windowsのコマンドプロンプトはダメ
レジストリは大抵の場合は良くない、クリーンに利用できるようであるべき、環境変数もレジストリに当たるか
ディスクイメージでのアプリケーション配布とボリュームのアンマウントの使いやすさ
アプリケーションバンドルとインストーラーの独立とパッケージマネージャのスマートさ、管理体制がOSに依って違うので、独立したやり方も漸次的には優れたやり方にはなり得る
Xcodeは無料で提供されている、瀧田はこれを最初は疑った、開発は誰でもすることだから
グローバルメニューバーの意義、画面上部に固定だから使いやすい、ウィンドウではなくアプリケーションに対応しているため正しい、GIMPメニューの問題
C言語の汎用性、高水��言語や専用言語も必要、そちらの方が構造化しやすい
私は子供の頃C++教本のコメント法だけ習得
Firefoxの拡張機能機構の意味、カスタマイズ性と軽量さを実現する
XULプラットフォームとFirefoxとThunderbirdの分立の手法、Mozillaが排除された訳(重量級過ぎたから)
Mozilla with X11.app on Mac OS X
Geckoの文字化けは宣言を読んで可読かでテキストエンコーディングは判別できる、瀧田佐登子が実際にバグ投稿、私は保存せず、これ以降文字化け一切なし
Javaとオブジェクト指向への志向、私:オブジェクトでプログラムを構造化して管理できるのがかっこ良いと思ったから、継承の意義、瀧田「C言語を学んだほうが良い」
アガサ・クリスティーの名探偵ポワロとマープル、「芸術的で面白いから視ているんですけど、現実の裏を見極めたいし」、作風について瀧田「ちょっとオタクですねー。」私「(即答)ちょっとオタクですねー。」
『映像の世紀』、『世紀を越えて』、最初は政治・社会属性であったことを疑った
瀧田:アーティストに転向しようかとさえ思ったが、私がMozillaが必要な組織であると言ったので、残った
私がhumarize使いで手順の常識を知らないことは瀧田にとっては自明だった
Thunderbirdは古いRSSフィードは自動削除して欲しかった、瀧田はRSSを知らなかった
XML-XSLT-HTMLの手法、こちらのほうが構造化したページを生成しやすい、『はじめてのXML』ホームページ
Ajaxの手法、ページは常にPushも使って動的に最新に更新されるべき
WebObjects API、ポップアップ・ブロックもWebObjects APIを使って動作させれば良い
Mac OS Xでページに関するシートが出るならタブの下が良いだろう
Webアプリケーションはアプリケーション的に装備されるべき、Remote XULを使ったウィジェット・インターフェイスで
シングルショートカットキー:シングルキー操作だけでWebナビゲ��ションが可能だと良いよな
Firefoxのダウンロードマネージャは使いやすかった、Mozillaはダイアログだったが、Firefoxはまとめて扱えた、通知機能も良かった
Webページは印刷するときは専用のテンプレートで整形して印刷用のレイアウトで印刷するほうが良い
sand-boxの話もとりあえずしたらしい、何を話したかは不明
キャッシュでプライバシーが漏れる可能性逸話、私「マルチユーザOSであれば問題ないんじゃね?」
テーブルレイアウトのほうがブロックレイアウトより正しい話、積み木は良くない
Mac OS XならバンドルでWebページを保存しよう、マッシュアップして一つのファイルにするか
リンクをクリック時にはIEのように効果音を鳴らしたほうが良い
GIMP for Windowsのメニューが切り離せるのは良いから、Mac OS Xでも装備できね?
物語が最も強力な感動を引き起こせるものだ、後のSituation Solid話
ブログというメディアの優越性と適合性、自分の志向性を活��せる、掲示板などとは違う
低レベルな名前は低レベルなシステムのレイヤーで使って、一般ユーザーレベルでは有意的な名前を使う、つまりシステムレベルレイヤーごとに命名記法は違う
ターミナルでファイルを指定するのは面倒なので、GUIファイルブラウザからのロケーション・ペーストを組み合わせたほうが良い
瀧田佐登子は原理主義者では無い、Linux文化からの人なのに理に適った論理を提示すれば理解して同意するきちんと善を信じている人
Mozilla Composerが有ればホームページビルダーやHTMLタグエディタなんて要らない、瀧田はWebObjectsも使用、Mozilla Composerは半角スペースが入るなどのバグあり
「Mozillaコードベースは元はNetscapeですよね?もともとはプロプライエタリなソフトウェアだったんですか?」、Linuxとは全く違う系統、瀧田談「意外に思った」
Macの「閉じられている」メリットと瀧田「開かれている方が良いですよ」
安全なサイトデータベースを使えば面倒なフィルタリング登録は要らない
doclibrary方式、意趣的なカテゴリで分類したりせずに、年月だけでフォルダ分けしてファイルを分類する
正しくは形態では分けて年月が渡る場合は重複して保持はしないほうが良いしiApplicationと同じ扱いになる、私は正しくはは実行せずに元のdoclibrary方式を継続
もともとコウモリ問題があるからそういった整理方式のほうが良くなる、カテゴリで分けると複数に所属しどこに所属するのかがわからない、ライブラリ管理ソフトではインスタンスを独立して保持して複数のアルバムに登録できる
ライブラリ管理ソフトがあれば項目の名前はいくらでも自由に有意的に付けられる、ファイル名における制約がない、ならライブラリ管理ソフトを全てのメディア用に作れば良い
Tab Exposéの発案、Firefoxのタブもウィンドウ内でExposé出来れば良いと思った、瀧田はパッチも投稿したらしいが受け入れられず
ウイルスに感染した場合はLiquidは問題ありであるという見解は、私もなんとなく持ってはいたが、特に瀧田が言っていた
私はチャットはネヲタのような気がして嫌っていたが、当然瀧田は有用性はわかっていた、未来のインターネットコミュニケーションの姿で優れている、ちょっと試してみたいとは私も思っていた
瀧田「すべてのプログラムはバイナリにジャムられるべきなんですよ」、私「ソースコードでは構造化すべきですよね」
瀧田とChatzillaでチャットもしたらしい、声の話とチャット内容が合致していたため面白がりながらも怖かったためそれ以上は私から切り上げで
瀧田はMac OS Xのテーマデザインがファンシーであると発言、私は無機質でインテリア的だと感じていた、瀧田も自身の感性を切りにしてみて私の感覚も分かった、瀧田はhumarize使いであり、Linuxのテーマデザインに慣れていた
私はMac OS Xのテーマデザインは実用性を考えてデザインされているだろうと伝えた、話のあと瀧田も納得していた
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TEDにて
スティーブン ジョンソン:良いアイデアはどこで生まれる?
(詳しくご覧になりたい場合は上記リンクからどうぞ)
「ひらめいた!」と感じる瞬間に、アイデアが「ポンッ」と生まれる!と思われがちですが、歴史はまた別の事実を示している。とスティーブンジョンソンは紹介しています。
脳の中では、ニューロンの発火現象が生じていますが、アイデアが生まれる瞬間を表現する言葉は豊富にあります。「閃光が走る」「脳天を打つ」「神が舞い降りる」「ひらめいた!」「光が灯る」などがありますね。
見て分かるように、全ての概念が大げさに誇張されていますし、いずれの概念もアイデアは単独で存在し、素晴らしい光を受けた瞬間に浮かび上がることを前提にしています。
そして、ロンドンのコーヒー店に見られる「アイデアの飛び交う流動的ネットワーク」の話から、進化論のチャールズダーウィンにまつわる長期にわたるゆっくりと熟成された後に、アイデアが出てくる予感の話など。
Googleで採用されているアイデア創出活用の話、GPS誕生の話もあります。オープンソース化の素晴らしさも!さらには、人や物が相互に連携してオープンなアイデアが素早く広まるようになった今の世の中についても語っています。
1970年代、パソコンを再発明したスティーブジョブズが、ゼロックス社のパロアルト研究所でアランケイ提唱の動作するAlto(暫定Dynabook)を見学し、そのアイデアを大いに取り入れてLisa続く、Apple社のMacintoshを再発明した。
これとともに、当時は最先端であった有名なベル研究所をいう所もあり、ここの名前はあの電話の発明者グラハム・ベルに由来するといわれていて、当時のAT&T社とも関連が深い。
その他には、トランジスタ、レーザー、現在のIT技術の基礎的な情報理論、UNIXオペレーティング、システム、C言語などを、当時の天才達が開発しています。
ベル研究所は、現在も存在していて、ルーセント・テクノロジーズもアルカテルと合併して、アルカテル・ルーセントとなり、ベル研究所はその子会社となっています。
これは、オープンイノベーションという体系の持つ素晴らしく、思いがけない。創発的で予測不可能な力について学べる良い事例なのです。正しく構築すれば、構築者すら予期しなかった全く新しい方向に導いてくれるのです。
そして、クロード・シャノンは、アメリカの電気工学者、数学者。基礎的な情報理論の考案者。情報理論の父とも呼ばれている。情報、通信、暗号、データ圧縮、符号化など
今日の情報社会に必須の分野の先駆的研究を残している。アラン・チューリングやフォン・ノイマンに匹敵するくらいのコンピューター技術の基礎を構築している。
1948年。ベル研究所在勤中に論文「通信の数学的理論」を発表、それまで概念だった「情報」について定量的に扱えるように定義し、情報理論という新たな数学的理論を創始した。
「ビット」という単位もここから始まっている。
もう一つ、重要な概念が構築されている。それは、「ザイリンガーの原理」というもので「1つの基本系は、1ビットの情報を視覚化できる(伝える)」というものだ。
これによって、量子性、ランダム性、絡み合いも数値化して説明可能になる。不確定性原理も説明できるようになっていく。そして、世界に関して受け渡しできる情報の最少量は1ビットである。
我々、人間の認識は、1ビットに満たない量の情報を想像することはできないので、我々が理解できる最も単純な物理的存在は、正確に1ビットで記述される
(それ以外は、カオスの海に落ちてしまうので、視覚化は不可能である。つまり、確率的になるのであります)
古典理論の「場」を量子化する際の計算で、さまざまな振幅内に無限大が現れるといったように無意味な結果が現れることを、あえて���カオスの海」と呼んで表現しています。
ザイリンガーは、この分割不可能な存在を基本系と呼んでいる。これは、電子のような単純で構造を持たない粒子とは違う。
と言うのも、最も基本的な粒子でさえエネルギーや運動方向や位置といった外的属性。そして、電荷や質量やストレンジネスといった内的属性を持っており、それらが粒子を複合的なものにしているからです。
また、情報逓減の法則は、エントロピー第二法則によく似ていることから、つまり、情報は、エネルギーと性質が似ていると言うことです。
<Add idea追加アイデア>
Actually, I just do not realize that artificial wormhole realizes the movement of mind with high density information and mass like a virtual, quantum theory artificial black hole via cable via the closed time space of the Internet You may be there. (Hawking radiation of quantum theory scale?)
実は気がついていないだけで、人工ワームホールがインターネットという閉鎖的な時空間をケーブル経由して仮想的で量子論的な人工ブラックホールのような高密度な情報と質量で精神の移動を実現しているかもしれませんね。(量子論スケールのホーキング放射?)
Wormhole is said to be Einstein - Rosenbridge, one of possible structures as topological geometry on spacetime structure.
ワームホールとは、アインシュタイン - ローゼンブリッジと言われていて、時空構造上のトポロジー幾何学��して考えうる構造の一つ。
It is considered as a general image that it is a tunnel-like loophole in a space area directly connecting from one spatio temporal point to another distant point, but nobody has experimented, so talk about the hypothesis area.
時空のある一点から別の離れた一点へと直結する空間領域でトンネルのような抜け道であると一般的なイメージとして考えられているが、誰も実験していないので仮説の域の話。
Although there are many talks to advance the story on the premise that it connects, it is impossible to realize whether it is possible to freely control and maintain the connection to each spot in an open space-time space at the present time. Actually human beings can not pass (because human beings black out due to the impact of sound speed)
つながることを前提として物語を進める話が多いが、開放的な時空間上で、各地点へのつながりを自在にコントロールしたり維持できるかどうかも現時点では実現不可能。実際に人間も通過できない(音速の衝撃くらいで人間はブラックアウトしてしまうため)
続いて
バイデン大統領は2021年。
財務長官にイエレン就任した際の経済対策の一環
「世界が相互に結びついたことのもう一つの結果が30年に及ぶ法人税率の引き下げ競争だった」
というマクロ経済学の結果を明示した前提で各国の多年の法人税引き下げ競争を終わらせ、20カ国・地域(G20)で協力して共通の最低税率を設ける国際的な取り組み
法人税に世界的な「最低税率」を設定することで合意するよう調整していると言います。
実現が遠い世界的なデジタル課税よりも現行法の範囲での現実的な提案をしたかもしれない!
2018年くらいから、GAFAMなどに対して、再分配に関するベーシックインカムや国民皆給付金。中央銀行のデジタル貨幣。
新型コロナウイルスのパンデミックで日本ではクリーニング師を含めたエッセンシャルサービスの重要性が再認識される。
GAFAMなどが基盤にしているストーカーアルゴリズムが問題になる。
規制を強化する方向に進んでます。
日本国憲法尊守を前提で、こんなアイデアはどうだろうか?
幸福がポイント。
ベーシックインカムは、現在の社会保障にプラスしていくことを前提条件として考慮しています!
もう一度。
ベーシックインカムは、現在の社会保障にプラスしていくことを前提条件として考慮しています!
さらに、中央銀行のデジタル通貨で光熱費料金もある程度、補助金という形で個人単位を補助し、実質的に料金を下げて欲しい。
電気やガス事業は、国防と密接で独占せざるを得ないから競争して、むやみにインフラ崩壊させるよりもデジタル通貨でベーシックインカム形式の光熱費補助にも特化して欲しい
「合成の誤謬を最小限に抑えること前提」
毎月国民一律皆給付ベーシックインカムは最優先だが、財源がない場合に備えて、特化オプションをそろえて柔軟に機動的に実行できる環境も重要です
「合成の誤謬を最小限に抑えること前提」
光熱費は毎月の消費なので貯金に回りづらいから庶民の生活下支えになる。しかし、競争しすぎてもデフレスパイラル競争になるから、光熱費領域は慎重に設計することが肝要。
内閣府の「マイナンバー制度の定義」は「マイナンバーは社会保障、税、災害対策の3分野で複数の機関に存在する個人の情報が同一人の情報であることを確認するために活用されます」
基本的人権侵害にあたるため、他分野へむやみに拡大するのは危険です。
そして
国家システムが、アイデアを創造する国民の個人最低年収保障を保護しないと長期的には安全保障にも関わってきます。
国家システムが、アイデアを創造する国民の個人最低年収保障を保護しないと長期的には安全保障にも関わってきます。
国家システムが、アイデアを創造する国民の個人最低年収保障を保護しないと長期的には安全保障にも関わってきます。
太古から高密度なアイデアは、概念の豊富な人間からしか創造されません。
まず中央値で年収600万円以上の高収入である国民が必ずしも優れたアイデアを創造できることはなく、少数なので統計的に、たいていロクなアイデアは出てきません。
インターネットのある人工知能時代では、多数である低収入である方が、優れたアイデアを創造する確率は高く、日本国内で成功したアイデアは、マイケルサンデルの言うように、その人の実力ではなく、たまたま運が良かっただけなので、その分野のトップ10法人に独自の高額税金をかけていく。
長期的に莫大な収益を挙げたIT法人を公益法人レベルの収益に段階的に収斂させていき、同時に、低収入にも再分配していくシステムをIT法人に構築させる義務を罰則も含めた法律で負わせる。
簡単に言うと、ベーシックインカムが理想形です。
IT法人も含めた、その分野のトップ10法人に独自にかけた高額税金をベーシックインカムの財源にします。
個人法人の高額資産家のみへ税金をかける裕福税も有力な候補です(トマピケティの言う「戦争の破壊行為時期の資産価値下落」と同等の税金をシステマティックにかけること)
アイデアの独占が回避されれば、最速でアイデアも実現できてアイデア所有権の争いも最小限に抑えられて全体的にプラスサムになるかもしれない。
ベーシックインカムの財源にすることが目的なので、クリエイティブコモンズやオープンソースの概念とは少し違います。
コピー商品対策のアイデア
特許制度や著作権とバランスからコピーしても、本人が国家に管理された公開データベースに登録すれば法律違反を免除。
例えば、6人まで免除にして、早く登録した個人法人から順番に認め、一人一つコピー商品可能の権利しか与えない再分配のための法律を創設。
低収入の個人法人は、権利を10個まで保有可能にもする。GAFAMの教訓から高額年収になればなるほど保有個数を減少させて最終的には一つに収斂。
法律違反の罰金はベーシックインカムの財源にする。こちらもベーシックインカムの財源にすることが目的。
日本国内に限定した話を前提にしてます。今回は、外国のことは考えていません。
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蒼白球日誌0064_20191201
日期 Date
世界協調時間2019年(中華民國108年,令和1年)12月1日 / Unix 紀元 18231 日 / 星期日 / 蒼白球紀元第64日
December 01, 2019 (UTC) / 18231 days since Unix Epoch / Sunday / Globus Pallidus Record day 64
年齡 Age
33 years 7 months 8 days old / 2 years 1 months 19 days after acquiring ROC Surgical Pathology Licence
33 歲 7 個月 8 天 / 成為病理專科醫師 2 年 1 個月 19 天
本文 Content
今天是2019年冬天的開始,由於這會是個對於中華民國很重要的冬天,編號0064本來應��要當作序言一樣寫些什麼話才對。不過想一想又覺得,將要發生的重要事件,之後��會寫在日誌裡面了,不如把篇幅拿來當作重要名詞彙整,方便這個冬天的日誌引用比較實際。
所以內容請見註釋。
注釋 Comment
[1] 蒼白球日誌(Records on the Globus Pallidus),全銜「蒼白無味的中產階級日記」,為一個中產階級出身的人寫的廢文。之所以簡寫為蒼白球,是因為在取facebook姓名的時候,需要一個三個字的中文名字,正苦惱要怎麼縮短成三個字時,突然想到有一個掌管動作調節的腦部區域叫做蒼白球(Globus Pallidus),覺得很酷,就決定用他命名facebook帳號。最後因為覺得蒼白球這個腦區實在太炫了,連日誌標題也改成蒼白球了。目前蒼白球本人在中華民國所轄台灣島上擔任病理醫師。
[2] 新臺幣,是中華民國現行的法定貨幣,於1949年6月15日起發行流通,當時定位為限定臺灣使用的區域貨幣,目前則在整個中華民國有效統治區域(臺澎金馬)均可流通使用。原始發行機構為臺灣銀行,2000年起由中華民國中央銀行收回負責。基本單位為圓(簡作元)。在這個時間的台中市物價,一個正餐餐盒的價格約為60-80元新台幣,麥當勞大麥克套餐為122元新台幣,960毫升(milliliter)容量的市售麥茶價格為20元新台幣,一個痔瘡病理診斷價格約900元新台幣左右。
[3] 大麥克指數(英語:Big Mac index)是一個非正式的經濟指數,在假定購買力平價理論成立的前提下,用以測量兩種貨幣的匯率理論上是否合理。這種測量方法,以各國麥當勞餐廳的大麥克漢堡價格,相對於該國貨幣匯率,作為比較的基準。這個指數在1986年由《經濟學人》雜誌推出,每年出版一次,該指數在英語國家裡衍生了漢堡經濟(Burgernomics)一詞。
[4] 蒼氏係數(Globus Pallidus Index),為我自創衡量醫療服務價位的指標,方式為痔瘡病理診斷價碼除以大麥克指數,在2019年冬季蒼氏係數約為7-8。
[5] 電腦(亦稱電子計算機)是利用數位電子技術,根據一系列指令指示並且自動執行任意算術或邏輯操作序列的裝置。通用電腦因有能遵循被稱為「程式」的一般操作集的能力而使得它們能夠執行極其廣泛的任務。電腦可以用作各種工業和消費裝置的控制系統,例如說你現在看到的這個文字,就是使用電腦輸入,而非手寫的。筆者的字很醜,有電腦很棒。
[6] 網際網路(英語:Internet)是指21世紀之初網路與網路之間所串連成的龐大網路。這些網路以一些標準的網路協定相連,連接全世界幾十億個裝置,形成邏輯上的單一巨大國際網絡。
[7] 網站是指在網際網路上,根據一定的規則,使用HTML等工具製作的用於展示特定內容的相關網頁的集合。簡單地說,網站是一種通訊工具,就像布告欄一樣,人們可以通過網站來發布自己想要公開的資訊,或網站來提供相關的網路服務。
[8] 行動電話,又稱「手提式電話機」或「手提電話」,簡稱「手機」,是可以在較大範圍內使用的可攜式電話,與固定電話(座機)相對。1990年代中期以前價格昂貴,只有極少部分經濟實力較佳的人才買得起,而且體積龐大,因此又有大哥大的俗稱。1990年代後期大幅降價,如今已成為現代人日常不可或缺的電子用品之一。目前的行動電話可以執行相當多電腦的功能。
[9] 病理(Pathology),為研究疾病機制的學問,包含很多領域,不過本日誌說的「病理」指的是醫院病理科的大宗業務--外科病理,也就是針對人類身上取下的人體組織做診斷的工作。在這個工作中,最重要的資源是將人體組織蠟化以長期保存的「蠟塊」,以及由蠟塊所切下、染色,並承載於玻璃片上,藉以在顯微鏡下判讀的「玻片」。因此,醫學中心的蠟塊室與玻片室,不僅是人體知識的大圖書館,更是有醫病爭議時的法律證據來源,為醫學中心重地中的重地,需嚴密管理。玻片室與蠟塊室的管理員通常必須有非常非常嚴密的人格特質。
[10] 病理醫師(Pathologist),執行上述外科病理業務,藉由以眼睛觀察實體人體組織進行診斷的醫師,一般不進行看診與理學檢查工作,僅觀察檢體。由於微觀證據在病理工作上的重要性,因此顯微鏡與承載薄片組織的玻璃片(簡稱玻片)在病理醫師的工作中佔有非常重要的地位。
[11] 顯微鏡,一種光學儀器,可以放大影像以觀察人眼不可見的微小物體。
[12] 機器學習(Machine Learning),指的是一種可以藉由資料統計修正自身演算法,以使演算法更加吻合現實世界的程式,他的行為很類似人類的嘗試-錯誤學習。目前許多研究者正在研究如何利用機器學習的方式,使程式能模仿病理醫師看片診斷的方式,我就是其中之一。
[13] 簡報,就一個題目向聽眾陳述內容、傳達訊息或觀點的過程。這一過程中所展示的圖片、文字說明也可叫簡報。因常常使用投影機放大畫面,因此又稱為投影片。
[14] Git,為分散式版本控制系統,一開始的用途是用來管理Linux作業系統核心,不過因為非常好用,所以後來就擴散到整個軟體(即電腦程式)界。Git可以把檔案的狀態作為更新歷史記錄保存起來。因此可以把編輯過的檔案復原到以前的狀態,也可以顯示編輯過內容的差異。
[15] 社群媒體(social media)是人們用來創作、分享、交流意見、觀點及經驗的虛擬社區和網絡平台。社群媒體和一般的社會大眾媒體最顯著的不同是,讓用戶享有更多的選擇權利和編輯能力,自行集結成某種閱聽社群。2019年最常見的社群媒體為Facebook、Twitter,以及Plurk(噗浪)。
[16] 維基百科(英語:Wikipedia)是網路百科全書計畫,特點是自由內容、自由編輯。目前是全球網路上最大且最受大眾歡迎的參考工具書,名列全球十大最受歡迎的網站。本日誌相當多的內容剽竊自維基百科。
[17] 一中商圈(亦稱一中街商圈、台中一中商圈、台中一中街商圈)是位於臺中市北區的大型商圈,範圍以台中第一名校,也就是台中第一高級中學為核心,原本是一般學生商圈,近年已發展成大型的綜合商圈。
[18] 非洲鼓,指Djembe,又稱金貝鼓,由皮革鼓皮覆蓋高腳杯狀的木箱所組成,起源於公元1200年左右的西非,但是在他前七百年的歷史僅見於非洲,公元1950年左右才從非洲傳到歐洲及全世界。因方便攜帶而風行於21世紀的台灣。
附錄 Appendix
無。
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[笔记]六年 Linux 之旅帶來了什麼
它們(按字母排序)分別是:
ArchLinux
Debian
FreeBSD
Fedora
Gentoo
KDE Neon
Ubuntu Kylin
我只打算講講這些我曾經作為桌面操作系統長期使用的發行版,而不包含我在服務器上使用的那些發行版,如:RHEL、CentOS 等。這個表單裡有一個不合群的傢伙 – FreeBSD,它並不是一個 Linux 發行版,而是類 Unix。我之所以想寫寫它的原因將會在後文中講述。
注意:本文內容較長,如果你時間有限,可以直接翻至文章末尾,我會有一個形如總結的片段。
一切的開始 – 初識 Linux
頗有些奇怪的是,我對第一次接觸與使用 Linux 記憶猶新。我第一次安裝使用的 Linux 版是一個大家耳熟的中國本土化發行版 – deepin,可能是它當時給我帶來的驚艷感覺讓我至今仍然記憶深刻。彼時,我是一名普通的高中生,當時主要的開發工作是使用 C 進行一些機器人硬件編程。一次偶然的機會,我看到了 deepin 的宣傳文稿並下載了 deepin 2013進行了安裝體驗。那時我的設備性能現在看來是十分孱弱的:
奔騰平台標壓 U
4GB RAM
忘記具體規格的 HDD 一塊
集成顯卡
顯而易見,由於彼時DDE 剛剛誕生不久,優化和響應只能稱的上合格(更大可能是我的設備過於孱弱,但其實也能體現當時家庭計算機的性能表現了),所以長期的使用體驗可以說是有些糟糕了。儘管當時那種新穎的感覺和 deepin 別緻的設計確實吸引到了我,但是在短暫的使用之後,我選擇卸載了它,裝回了 Windows 7。但是我並沒有離 Linux 遠去,我在deepin 短暫的半月/一月使用時間第一次了解到了兩點:
原來並不是所有的操作系統都是閉源收費的(沒錯就是說你,Windows)。
原來桌面環境並不是死板前篇一律的,也是可以花里胡哨的。
儘管我之後並沒有再使用過 deepin,但仍然感謝它將我帶入了 Linux 的世界中。題外話:deepin 現在已經十分不錯,會是中文用戶不錯的一個選擇。
初入大學校門 – 開始學習與使用 Linux
在初識 Linux 之後,由於高考的緣故我並沒用太多使用電腦的機會,也就沒有再有後話。直到升入大學後的第一門課– C 語言程序設計(這是我本科成績最好的一門課,出道即巔峰),由於當時我已經從事了兩年的C 語言的淺顯開發, C 語言課堂對我唯一的吸引就是聽老師吹水(逃)。在任課老師開課不久的一次傳教中,我悄無聲息的用上了 Emacs,頗有些病態的學了 LaTex (當時需要提交的所有文檔都是 doc)。那麼面臨的一個問題是如何獲取到最好的 Emacs 和 LaTex 體驗,答案自然不用多說自然是在 GNU/Linux 中使用它哥倆。
當時我並不是一個富有經驗的用戶,我選擇了使用 Ubuntu Kylin 16.04 LTS – 另一個中國本土 Linux 發行版(這其實也是學校內一部分老師的選擇,我不確定自己是否受此影響)。通過名字顯而易見的 Ubuntu Kylin 是一個 Ubuntu Base 的發行版,提供一些默認更適合中文的設置。我在上面安裝了 Emacs 與 texlive-base,那段時間真是一段不錯的體驗。當時我的設備性能依舊孱弱,它是一台 DELL Chromebook11:
賽揚平台低壓 U
4GB RAM
16GB SSD
集成顯卡
這台機器給我帶來的收穫很大,我通過它與 Ubuntu Kylin 學會了 Linux C/C++ 工具鏈的使用,開始了 Emacs 人生。而機器本身無法拓展的極小存儲和 Ubuntu Kylin 提供的大量默認中文軟件(像 WPS Office 一類)讓我廢了不少功夫之後學會瞭如何管理 Linux,規劃自己的存儲,不得不說我認為這是誤打誤撞的一個不錯開始。
由於安裝的是一個Long-term support 版本,借力於Ubuntu/Debian 豐富的倉庫軟件,Ubuntu Kylin 在我的機器上表現相當不錯,我認為它是電腦淺使用者和中文Linux 初學者的一個不錯的選擇,軟件豐富而不失穩定,又有合適的中文本土化。之後我在父母使用的一台陳舊的電腦上安裝了 Ubuntu Kylin 16.04 LTS ,至今看起來仍然工作的不錯。
我使用 Ubuntu Kylin 也有所收穫,我學會瞭如何管理和配置 Debian 系的系統,了解了一些開源社區的文化,開始使用 git,學會了 shell 編程和 python。我在 Ubuntu Kylin 上寫出自己的第一個腳本和爬蟲。我對 Ubuntu Kylin 評價是: Linux 中文用戶起始的一個優秀選擇,它可以在性能一般的機器上良好的工作,附帶有 Ubuntu 軟件倉庫大量的軟件可供選擇。你可以選擇使用 deb 包去安裝一些不被官方倉庫收錄的軟件。
新想法的實踐 – 策略激進的 Linux 選擇
在快一年的 Ubuntu Kylin 使用之後,我面臨一個問題,Ubuntu Kylin LTS 這類追求軟件穩定的發行版不能滿足我的一些需求,我想嘗試最新的一些軟件和最新的內核特性。幾個作為代表的需求就是Emacs 25(當時官方倉庫只有v24.3,而我還不會手動編譯) 以及BBR TCP 擁塞控制算法(這是在Kernel v4.9 + 提供的,當時我也並不會替換內核)。這時我需要一個更新策略更為激進的 Linux 發行版,又了解到 Linus 日常使用 Fedora ,於是風風火火的安裝了 Fedora 24 。 Fedora 是一個更新頻率更高(半年一次 release)的發行版,你能預期到的新特性都能在 Fedora 上得到體驗。並且Fedora 是為數不多提供多個桌面環境(DE)默認配置支持的發行版,並不像KUbuntu 、 LUbuntu 等那樣會把你搞到頭暈,你可以在Fedora skin 找尋到所有Fedora 社區維護的不同DE的安裝鏡像。
這時,我從Unity 桌面轉向了使用KDE,至今我仍認為KDE5 是最為成熟華麗的桌面環境,奇怪的是國內用KDE 的人並不多,大家好像普遍認為不夠易用(我完全不知道哪裡不易用)。 Fedora 使用 rpm 包管理軟件,使用 dnf 處理依賴, dnf 可能是第三好用的軟件包管理引擎,他使用第二好用的 zypper 的後端 libslov 提升了依賴計算效率。如果你使用過yum 你就會發現 Fedora 作為一個 Redhat 的發行版居然挺好用的,這其中自然有 dnf 的功勞。有一點很好玩,dnf 與某網游同名,那時在宿舍裡每天總是有兩個人打著 dnf 。
儘管 Fedora 已經滿足了我的要求,也讓我知道了為什麼是最易於安裝的(這話 Linus 說的),但我使用過的 Fedora 最終版本號還是停留在了 Fedora25 。這其中的原因有點尷尬,當時我在學習 Scheme ,我使用 guile 作為 REPL ,我偷懶使用了倉庫裡的 guile ,在鍵入形如 sudo dnf install guile 之後, dnf 自動安裝了 guile1.8 ,在我想使用guile 2.0 替換時詭異的是依賴鏈斷了, dnf 甚至提示我要卸載掉 kernel ,於是我放棄了使用 guile 作為 REPL 轉而使用 chez。就像壓死駱駝的最後一根草,擊潰我持續使用Fedora 打算的最後一擊發生在更新Fedora26 時,這事實上是大多數週期更新發行版的一個普遍問題,當我system-upgrade 時,我有接近5000 個包需要重新安裝。儘管 Fedora運行在我的一台性能還可以的新設備上,這仍然讓我覺得浪費時間。我的設備配置大概是這樣:
i7-6700HQ
16GB RAM
0.5 TB SSD + 0.5TB HDD
有點好玩的一點是,現在看來我之後在別的發行版上好像浪費的時間遠遠多一些。我在Fedora 上學會了裁剪編譯內核,同時日常使用 rpm 也大大幫助到了我管理當時手頭的幾台服務器。目前的我認為, Fedora 實至名歸是 Linux 內核學習者邁出第一步的最好選擇,當然也是 RHEL/CentOS 管理員個人電腦的不二選擇。
在這之後,由於參與了一些CTF 比賽,我需要安裝大量的安全審計工具,我選擇了KaliLinux ,這是一個設計理念對普通用戶而言略有畸形的發行版,由於只用了幾個月,所以我只是簡單的提一嘴,不會推薦它作為日常使用的選擇。
前文我提到 Fedora 是比較激進的,可能會有不少的 ArchLinux 用戶嗤之以鼻。事實上,在 Kali Linux 之後,我十分艷羨 AUR 裡的大量用戶軟件,也開始長期使用 ArchLinux 作為開發系統。 ArchLinux 可能確確實實是社區思想最為激進和包容的。 AUR 裡充滿了各種你想像不到的軟件,由於沒有協議的限制,你甚至能看到大量的私有軟件。 AUR 使用 git管理用戶腳本,這代表每一個 AUR package 的維護者可以極為簡單的長期維護。
當你在網上搜索關於 ArchLinux 的評價時,你會發現幾乎是所有人都會詬病它的安裝過於復雜。由於 ArchLinux 的哲學,你在安裝時需要自己完全手動控制所有的事,包括:網絡、語言、軟件源、Xorg、驅動等等,它除了文檔及一些輔助腳本外並不會給你圖形化支持。事實上,我認為大部分人誇大了ArchLinux 的安裝難度,我第一次安裝ArchLinux 用了15分鐘,甚至比一些提供圖形工具引導安裝的發行版還要快點,我認為除非遇到一些奇怪的問題否則照著文檔step by step 就萬事大吉了。
使用 ArchLinux 你注定會養成遇事查看文檔的好習慣,因為它的 wiki 文檔真的是無出其右。通常情況下,你遇到的所有問題都能在 wiki 裡找到解決方案。在 ArchLinux 中,你也可以選擇任何你喜歡的桌面環境,不論它是 KDE 還是 DDE,甚至是 WM 都有著極好的文檔。所有的軟件都提供兩種安裝方式:二進制包和源碼包。你可以根據自己的設備性能來選擇你想要的方式。總的來看, ArchLinux 是最為寬鬆的,且擁有質量較高的社區、文檔和用戶,如果單從這三方面來看 ArchLinux 就是最好的,唯一能與它掰手腕的就是 Gentoo了。
ArchLinux 讓我明了了完整 Linux 的結構,它以高可定制性聞名。如果你是一個��意折騰新鮮事物及刺激感的 x64 入門(存疑,我是這樣認為的)用戶,那麼 ArchLinux 絕對是你的最好選擇。至於為什麼說是 x64 呢, ArchLinux 對別的架構並沒有官方支持,而且幾年前已經完全移除 32 位安裝鏡像,所以安裝一個 i686 的 ArchLinux 是有些困難的。我遺忘說明的一點是 ArchLinux 是一個完全滾動發行版,一次安裝,終身最新。
編譯,編譯,編譯 – 構建性能最佳的 Linux
在 2018 年,我購入了幾本 Unix 的書,對 Unix 產生了莫大興趣。什麼叫做血統純正(戰術後仰)?對於 Unix 的歷史和分支,限於篇幅我無法細講,這其中的故事大概可以單獨拿出來寫一篇很長的文章了。我選擇了 FreeBSD,這是一個 UC Berkeley 維護的類 Unix ,其實血統並不純正,不能大言不慚的稱之為 Unix。但其實也是沒有辦法的事,事實上,當你不付出金錢代價,你無法體驗到正兒八經的 Unix 。 FreeBSD 已經是一個很純淨的類Unix 了,只是沒有通過 SUS 認證(沒人交錢)。這也是在本文中拿來和 GNU/Linux 一起講述的原因,對於 Unix 、類 Unix 、 Linux 其實沒有錙銖必較的必要。
我使用 FreeBSD 的時間其實是十分短暫的,和我使用 deepin 的時間伯仲之間。一開始我是為了體驗 Unix 哲學和 TECO 才安裝了 FreeBSD ,後來我發現 FreeBSD Ports 竟然如此的好用,有一瞬是想長期使用 FreeBSD 的,最後促使我離開 FreeBSD 的原因 Ports 也是其中之一。當你也嘗試使用FreeBSD 時,你會發現它確實有一股古董的腐朽的味道了,儘管它的設計仍然是現代的,作為中文用戶許多軟件的FreeBSD 支持並不好或者說壓根不支持,你會在編譯時遇到各種問題。作為一個嚐鮮的用戶,其實並沒有太大的動力去解決抑或是移植,這也是軟件生態對操作系統的影響的體現。促使我快速放棄 FreeBSD 的原因還有Ports 的編譯速度,它好用歸好用,但是我第一次編譯 KDE 足足花去了 8 個小時。這兩點就好比讓你去當一隻瘸腿行進的烏龜,尤其是我還是一隻沒什麼經驗的烏龜。最終我快速放棄了 FreeBSD ,儘管它好用與穩定。
當你開始追尋定制追尋性能是,你無法不去嘗試的一個發行就是Gentoo – 它擁有世界上第一好的包管理器、世界上最好的不亞於ArchLinux 的社區wiki 文檔以及沒有替代品的USE Flag。當我第一次安裝使用 Gentoo 是痛苦與震驚的,痛苦的是它的安裝確實有些困難,當你第一次接觸 USE 標記時,也一定會困惑於它。 Gentoo 利用 USE 標記、 Portage 和slot 完美的做到了依賴計算、編譯控制和多版本軟件共存,你會發現當你使用 Gentoo 一切都是那樣的和諧。 Gentoo 同樣提供類似 AUR 一樣的倉庫 – overlay,數量及質量上比AUR 只高不低。而且 Gentoo 的團隊是更加穩定負責的,所有官方倉庫的包都經過嚴格驗證,質量普遍很高。
既然 Gentoo 是這樣的厲害,是不是大家都 Gentoo 完事了?事實上我對 Gentoo 一直都是難以割捨的,但是僅次於 LFS 的安裝配置難度以及大量的編譯時間已經可以把大部分人拒之門外了。由於追求最完美的性能,所有的軟件你都必須編譯完成安裝,無法通過二進制包的方式來安裝,更新也是如此。好玩的一點是,我每次更新 Gentoo 時都能看完兩部電影,我認為長期使用 Gentoo ,找尋電影資源也是一個難點。
對於 Gentoo 我還有一個小提示:由於可以限制安裝軟件的協議,你可以利用這一點構建一個真正的自由操作系統。
返璞歸真 – 最適合我的 Linux
後來,我發現我對發行版的大致需求就是較新的 KDE 、滾動更新和軟件資源豐富一些。一開始我以為 openSUSE Tumbleweed 就是我的最好選擇了,後來我所維護的服務器都變成了Ubuntu Server 和 Debian 9 ,索性我也不想使用 rpm 系的發行版作為桌面了。當時正值KDE Neon 大火,我也去嘗試了一下。 Neon 在國內好像用的人不多,同樣是 Ubuntu Base大家好像更願意選擇 KUbuntu (當然現在 KUbuntu 已經成為歷史了), Neon 是 KDE 社區維護的一個滾動發行版。我對它無法作出太多的評價,因為它沒有缺點。
現在我正在使用 Debian sid ,這已經持續了一段時間。它的表現無可指點,十分優秀。儘管沒有 ArchLinux/Gentoo 那般崢嶸。我認為 Debian sid 就是我日常使用的最佳選擇,它穩定而易用。
本文的最後,我大概總結下我所使用過的發行版有哪些特點和我認為它們更適用的用戶群體,希望能夠幫助到他人。
對於中文入門用戶,我認為 Ubuntu Kylin 是很好的選擇。它在大多數型號的機器上表現的很好,在最近幾年桌面環境更迭為 UKUI 之後,交互體驗也在漸漸貼近 Windows,比較適合Windows 遷往 Linux 的用戶遷移。
對於 KDE 用戶,我認為 KDE Neon 和 ArchLinux 是唯二選擇,你可以在這兩個發行版上體驗到最新的 KDE ,只不過 Neon 上的是由 KDE 社區驅動。
對於期待深入 Linux 的用戶,我認為 Fedora 和 ArchLinux 是不錯的選擇。你可以在這兩個發行版上體驗許多實驗特性,而它們的軟件資源本身就十分豐富。 Fedora 的唯一劣勢可能就是中文社區的活躍度無法與後者相比。
對於想要或已經成為專業用戶的人,我認為 Gentoo 和 ArchLinux 是不錯的選擇。它們都可以為你提供靈活的選擇和配置。
對於想要構建高性能服務器的用戶,我推薦 Gentoo 。我的這個看法可能是錯的, Gentoo可以控制適合設備本身情況的編譯參數,而官方也維護這一個安全加固版本,據說以前豆瓣的服務器也是使用 Gentoo。
對於作為桌面日常使用的用戶,我推薦 Debian。它的任何分支都挺適合長期使用的,不論是 stable、testing、unstable 分支,都能很好的工作。
.(tagsToTranslate)Linux(t)(筆記)六年 Linux 之旅帶來了什麼(t)kknews.xyz
from [笔记]六年 Linux 之旅帶來了什麼 via KKNEWS
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收購紅帽「將會改變整個雲端市場格局。」
10月底,IBM宣布以高出市價63%的340億美元(約1兆台幣),收購全球最大開源(open source)軟體公司紅帽(Red Hat),這是IBM創立107年以來最大併購案,也是資訊科技(IT)史上金額第三高併購案。一時引發好奇,到底紅帽是什麼公司,竟有這麼高的價值?
其實紅帽創辦人是25年前一位失業、背負房貸的「魯蛇」(loser,指失敗者)。1976年畢業於加拿大多倫多大學歷史系的鮑伯.楊(Bob Young),在校成績總吊車尾,自知難找工作,就在學校附近開了一家出租打字機店。
創辦人曾失業淪卡奴
隨著個人電腦普及,他在1984年轉做出租電腦。原本生意蒸蒸日上,但1989年經濟衰退使他財務困難,不得已只好用2000萬美元把公司賣給Greyvest Capital,留任首席執行長,並擁有約400萬美元的股票。金門翻譯社
誰知才短短不到幾個月,Greyvest Capital就陷入財務危機,股價崩跌,鮑伯手中股票瞬間變成壁紙。更��的是,Greyvest Capital無力支付薪水,將他解雇。
「我是有三個孩子的失業男人,身上背著房貸,擁有的財產比15年前大學畢業時更少,」1993年,賦閒在家的鮑伯發現市面上甲骨文、微軟、IBM等大廠均不願開放原始碼給客戶,從中嗅到商機。於是,他在家裡賣起Linux和Unix(均是開放原始碼)作業系統軟體。
後來,他認識同樣販售開源軟體的美國工程師馬克.尤恩(Marc Ewing),著手收購尤恩事業,把新公司取名為「紅帽」,並搬到美國北卡金門翻譯社羅萊納州(North Carolina)。鮑伯擔任執行長,而自卡內基美隆大學(Carnegie Mellon University)電腦工程系畢業的尤恩則負責開發新品。
只是創業維艱,很快就面臨資金困窘。情急之下,他們只要收到銀行寄來推銷信用卡的郵件,就馬上把申請表格填好回傳,銀行很快就寄來金門翻譯社一張5000美元額度的新卡。「我認為這是很有趣的理財方式,」鮑伯說。
但他的卡債很快就累積到5萬美元,這在1994年是筆大數目,就連太太也對他開玩笑說,「準備去坐牢吧!」
1995年,鮑伯發表「紅帽Linux 2.0」開放原始金門翻譯社碼軟體,網路下載免費,盒裝版本每盒29.95美元,供網路頻寬不足的用戶使用,結果大受歡迎,公司邁入高速成長期。1999年8月11日,紅帽在紐約證交所上市,首日股價就狂漲272%,融資額排史上第八。
上市後三個月,想在其他領域繼續創業的鮑伯辭職,由原總經理馬修.西利克(Matthew Szulik)接任紅帽執行長。
面臨網路時代來臨,西利克調整商業模式。2002年,紅帽盒裝版或網路版的Linux一律免費,改以技術支援收費。金門翻譯社
開啟「混合雲」新戰場
「開源不是一家公司,也不是一個產品,」紅帽亞洲區成長與新興市場副總裁暨總經理黃育榮接受《遠見》專訪時解釋,在開源世金���翻譯社界裡,全球約有數百萬工程師修改開放原始碼軟體,紅帽把這些四散的技術集合測試後,組成企業可用的商用軟體,提供諮詢、服務,市場上其他競爭者均無此商業模式。
這個策略顯然奏效。自2003年,紅帽營收連續成長,至今從未衰退。
2007年,西利克因家庭因素離開紅帽,接任的是原達美航空(Delta Air Lines)營運長吉姆.懷特赫斯特(Jim Whitehurst)。不少人看金門翻譯社到他的背景,便馬上質疑:他適合帶領這家全世界最賺錢的開源軟體公司嗎?
但黃育榮觀察,懷特赫斯特非但沒有抗拒開源文化,反而帶來更多破壞式創新,鼓勵以下犯上、衝撞陳規。
例如,不少紅帽人最引以為傲的「備忘錄清單」(Memo List)制度,就是不分資歷、職位,每個員工都可以把感興趣的話題和全金門翻譯社公司分享,包括新品研發、科技新知、公司戰略方向,幾乎無所不談。很多獨領風騷的決策,就在這制度裡誕生。
去年,當業界仍把重心放在公有雲(public cloud),這種由廠商建立提供給大眾使用,並依照使用量計費的雲時,紅帽疾呼要金門翻譯社把重心放在混合雲(hybrid cloud),結合兩種以上雲端運算架構,讓資料與應用程式擁有更多使用彈性。
就是這個新戰略吸引了IBM的興趣。IBM早已發展雲端,但成長速度始終比不上亞馬遜、微軟,看到混合雲的商機金門翻譯社,因此併購紅帽。IBM執行長吉妮.羅梅緹(Ginni Rometty)強調,收購紅帽「將會改變整個雲端市場格局。」
IBM股價險跌 效益待觀察
只是收購訊息至今已經一個月,IBM與紅金門翻譯社帽的股價卻是兩樣情。紅帽股價大漲45%,每一股173美元,已超過IBM。而IBM股價至11月19日仍小跌約4%,117.2美元。
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【blog】DTPソフトに花束を 5
今回はその後の、つまりアタシが会社を辞めてフリーになって以降の話です。 ここまで使ってたDTP用ソフトは全てMac用です。これは印刷業界の機械がMac用に最適化されていたからで、いやもっといえばWindowsでデータを作成することはほとんど考慮すらされていませんでした。 というかAdobeのソフトも途中まではMac用しか出ていない。アタシが某広告代理店にいた頃はPhotoshopもIllustratorもWindows用はあったけど、それは仕事で使う人間にはほとんど関係のない話だったんです。 だからMac以外で、つまりはWindowsでDTP作業をする、なんて考えたこともなかった。フォントの形式も違うし、プラグインもほぼ使えない。そして何より印刷所が対応していない。 この頃のWindows用Adobeソフトを使ったことがある方ならおわかりと思いますが、何だか変な仕様でね、Photoshopなんかウインドウの中にウインドウがある、みたいな、はっきりいえば相当使いづらい仕様だったんです。 遊びならともかく仕事でWindowsなんて、という気分だったのは間違いありません。 ところが少しずつですが流れが変わります。もう、WindowsでもDTPをやってもいいんでない?というふうになってきた。 まずPhotoshopなりIllustratorなり、バージョンさえ合っていればMacとWindows両対応の印刷所が増えていきました。そしてフォントも対応しだした。もちろんそれらを購入しなければいけないとはいえ、一から構築するのであればMacでもWindowsでもどっちでもいい、に近くなってきたんです。 そして決定打となったのはMacOSのモデルチェンジです。 これまでMacMacと言ってますが、ここでいうMacとはOS9までのものを指します。この頃のMacOSは不安定も不安定だったけど、それをいえばWindowsもたいがいだったので言いっこなし。ま、不安定なのが当たり前の時代とお考えください。 アタシが使っていたPhotoshopもIllustratorもOS9で動くものだった。だからUNIXベースのOS Xに切り替わっても販売店にお願いしてOS9が動く仕様のものを会社で購入していたわけです。そうでないとまともにAdobeソフトが動かないから。Classic環境も完璧ではなかったし。 しかしいよいよ最新MacではOS9をブートさせてくれなくなった。ということはもうOS Xに切り替えるしかない。だけれども印刷所のOS XとWindowsの対応状況は似たり寄ったり。つまりこれで(使いやすさ使いづらさといった慣れの部分を除けば)MacとWindowsがほぼ同等になったと。 そして完全に当時の環境に終止符を打ったのが、アタシが会社を辞めた次の年、Appleはかねてから噂されていた「PowerPCからの撤退とIntelアーキテクチャの採用」を発表します。 Intelのx86系プロセッサに変更されれば、いくら無理をしたところでPhotoshop5.5もIllustrator8.0も動かない。もうこれでMacにこだわる理由が何もなくなってしまったわけです。 皮肉なことにWindows10で今でもPhotoshop5.5もIllustrator8.0も動きます。 だから、ま、どっちでもいいのなら、とアタシもしばらくはWindowsでDTPをやっていた。たしかに使いづらいんだけど、慣れるしかないや、と。 完全にMacに復帰したのは2010年です。 この年久々にMac(ポリカーボネートのMacBook)を購入し、あらたにAdobe Creative Suiteを購入しました。 Adobe Creative Suiteは現在は廃止されて月額制のAdobe Creative Cloudに移行しましたが、何故PhotoshopやIllustratorを単体で買わなかったかというと、どうしてもInDesignを使う必要があったから。 ある人から「InDesignが使えるなら仕事があるんだけど、出来る?」と聞かれてね、咄嗟に大丈夫です!と答えてしまった。本当はInDesignなんてまったく触ったことがなかったのに。 ま、言ってもAdobeなんだから習得も簡単だろ、とタカを括っていたのですが、結構苦労したわ。出来るといった手前、必死のパッチで覚えなきゃしょうがないわけで、ホント、アホみたいに勉強した。 おかげさんで、何とかその仕事はこなせました。 よくよく考えてみれば、PhotoshopにしろIllustratorにしろすべていきなり「実戦に投入」されたので、勉強とかしたことがなかった。もちろんごく簡単なレクチャーは受けたけど、あとはソフトを触りながら覚えた。つまり完全な我流です。 我流だからまったく使ったことがない機能もいっぱいあって、そこいらは専門学校やなんやで覚えた人にまるで敵わない。しかし「こういう原稿をどういう作り方でやれば素早く出来るのか」については、何しろ我流なので誰も真似が出来ないし、早かった。 そして40歳を超えて初めて勉強してソフトの使い方を覚えた。でも結局は自分で勉強したんだからこれも我流っちゃ我流です。 そういや音楽をやってた時だって我流だったし、つまりは生まれてこのかた、誰かからキチンと教えてもらって仕事を習得したことが一度もないのです。 そんなんだから意外と基本的なことがわかってなかったりするんだけど、その代わり実戦には強い。検定なんか受けてもロクな点数は取れないだろうけど、本番では結果が出せる。 そういう人間なんだよ。子供の頃からまともに勉強なんかしたことがなくて、今やれることはすべて我流で、そして実戦で覚えていったんだから、もう今更変えられない。 でもそんな感じでも何とかやってこれたのは、やっぱりAdobeのソフトが本当に使いやすかったからだと思う。もちろんAdobe以外のメーカーのDTP関連のソフトもね。 だから、すべての、すべてといっても当時発売されていたものだけど、DTPソフトに花束を贈呈させていただきます。
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ソフトウェア工学 「第 1 章 ソフトウェアとは」のまとめ https://ift.tt/2Jr0D0P
これは
1. 現代社会を動かすソフトウェア — 1. 社会のインフラとソフトウェア — 2.ソフトウェアの語源
2. ソフトウェアの特徴 — 1. ソフトとソフトウェア — 2. あらゆる分野が対象 — 3. ハードウェ���のソフト化
3. ソフトウェアの種類 — 1. 情報システムと組み込みシステム — 2. 汎用性品と注文製品 — 3. システム・ソフトウェアとアプリケーション — 4. オープンソース・ソフトウェア — 5. サービス思考とクラウド・コンピューティング
4. 誰がどう作るか — 1. 情報産業 — 2. ソフトウェア技術者 — 3. ソフトウェアの生産体制 — 4. 人間的側面
以上
これは
放送大学大学院文化科学研究科の「ソフトウェア工学」という授業で使われる「ソフトウェア工学」という教材書籍を自分なりにまとめたものです.
放送大学 授業科目案内 ソフトウェア工学(’13)
第 1 章では, ソフトウェアってそもそもなんなのか, ソフトウェアの歴史や, 様々なソフトウェアの特徴について, 幾つかの例をあげつつ説明されていて, SaaS やクラウド・コンピューティングなどについても書かれていました.
尚, 本まとめについては, 以下の Github リポジトリで管理しており, 加筆修正はリポジトリのみ行います.
software_engineering - 放送大学大学院文化科学研究科 / ソフトウェア工学 inokappa/software_engineering - GitHub
github.com
1. 現代社会を動かすソフトウェア
1. 社会のインフラとソフトウェア
現代社会のインフラストラクチャー
道路, 鉄道, 上下水道, 電力網, 通信網等
これらのインフラを構成するシステムはソフトウェアが支えている
インフラを利用する産業
金融, 流通, 通信・放送, 製造業等多岐にわたる
これらの産業の根幹に情報システム, 制御システムが動いており, その中心で動いているのがソフトウェア
身の回りのソフトウェア
自動車 (数十から百個の半導体チップ)
携帯電話
エアコンや冷蔵庫
2. ソフトウェアの語源
ハードウェアという言葉
古くから利用されている
ナイフ等の金物や兵器
ソフトウェアがコンピュータを動かすものとして最初に使われた用例
米国数学月報 1958/1 プリンストン大学統計学専門教授の J.W. Tukey
コンピュータの計算回路や記憶素子等をハードウェアと呼び, それを操作する抽象的な指令列をソフトウェアと呼ぶことにしたっぽい
コンピューターとは無関係なソフトウェア
1850 年
「チャールズ・ディケンズ・ウィークリー」という雑誌の短編小説の一節
腐るもの全てを「ソフトウェア」として表現されている
ニューヨーク・タイムズ
1961 年に登場している
日本の新聞
1969 年 4 月 12 日の朝日新聞
ソフトウェア (利用技術)
利用技術 = コンピューターを利用する技術
2. ソフトウェアの特徴
1. ソフトとソフトウェア
ソフトウェアよりも「ソフト」という言葉が幅をきかせている
映像「ソフト」
音楽「ソフト」
ソフトウェアは目に見えない為, 人間はその存在を意識しない
物理的な制約が無い
「腐る」こともなく, 錆びることも摩耗することも無い
「腐る」ことはあるような気がする
物理的な制約が無い
本質的に自由であるが, 巨大化し複雑化する
抽象的なものである
ムーアの法則
インテルの創業者 Gordon Moore が 1965 年に提言
半導体の集積度の上昇について, 向こう 10 年は集積度が毎年 2 倍に増大し, その後, 1 年半で 2 倍に達する
ソフトウェアが大きくなろうが, 重くなろうが, ハードウェアの進歩がそれを吸収してしまう
ソフトウェア開発上の制約は, それを設計し開発, 保守する人間の能力の限界…
2. あらゆる分野が対象
ソフトウェアはあらゆる産業で使われ, あらゆる製品の中で組み込まれている
業界間の交流は無く, 一般性のあるソフトウェア工学技術という視点をあまり意識せずに, 作られてきた傾向がある
銀行のオンラインシステム, 自動車のエンジン制御ソフトウェア, ゲームソフト, ソフトウェアとしては見かけは変わらない
3. ハードウェアのソフト化
従来ハードウェアとして作られていたものが, ソフトウェアで実現されるようになってきている
電話 (ダイヤルからプッシュ), テレビのチャンネル (レバーからリモコンボタン)
機械的な部分がデジタル信号による制御に切り替わっている
ファームウェア
ハードウェアを制御する為に機器に組み込まれたソフトウェア
ROM に書き込まれていて簡単に書き換えることが出来ない
最近は, フラッシュメモリを使うことにより, 出荷後の変更も可能
3. ソフトウェアの種類
1. 情報システムと組み込みシステム
情報システム
企業, 政府機関, サービス機関が外部に情報サービスを提供システム
内部の情報管理, 意思決定支援に用いる
データ処理, 事務処理, ビジネス・アプリケーション
エンタープライズシステム
最近では Web を用いたアプリケーションとして作られている
組み込みシステム
自動車, 家電製品, 計測制御機器等に搭載されている
その他のシステム
鉄鋼プラント, 原子力プラント, 重化学工業プラント等を動かす制御システム
ゲームソフトウェア
2. 汎用性品と注文製品
パッケージ・ソフトウェア (シュリンクラップ)
パッケージの箱を包装する樹脂のラップ
「ラップを破ることで使用許諾の条項を承認したと見なす」という売り方
COTS (Commercial Off The Shelf)
古くなってきている
オンライン販売
主流となってきている
SaaS
製品としてのソフトウェアを購入することなしに, そのサービスのみをインターネットを介して利用する
クラウド・コンピューティング
注文製品
使用する企業・組織から外部の業者に発注され生産される
日本のソフトウェア産業の売上に占める比率は, 受託開発によるものがパッケージ販売に比べて圧倒的に高い (85%)
パッケージ・ソフトウェアの多くが海外製品
オペレーティング・システム
オフィスソフト
ERP (ドイツの SAP が大きなシェア)
CAD
3. システム・ソフトウェアとアプリケーション
ソフトウェアの分類としては, システム・ソフトウェアとアプリケーション・ソフトウェアという分け方もある
システム・ソフトウェア = オペレーティング・システム (OS) とほぼ同じで, コンピュータを動かす為の基本となる汎用ソフトウェア
アプリケーション・ソフトウェア = 個別の適応分野に応じて作られている (数は圧倒的に多い)
ミドルウェア = OS とアプリケーションの中間に位置しており, アプリケーションが OS の機能を使うのを媒介する
データベース管理システム
トランザクション監視システム
メッセージ通信基盤
OS とミドルウェアを合わせてシステム・ソフトウェアと呼ぶことが多い
4. オープンソース・ソフトウェア
ソースプログラムを一般に公開しているもの
Linus Torvalds によって開発が始められた OS の Linux
Apache や Eclipse, Firebird 等
オープンソースはソフトウェアの形態というよりも, ソフトウェアを開発するプロジェクトのスタイルを指している
��特定の個人が自由に参加出来る
使うだけのユーザー, バグ報告をするユーザー, プログラムの修正, 追加を行う人々
オープンソース・ソフトウェアの最大の長所
多数の目によってプログラムを監視し, 欠陥を修正していくというプロセスを取ることによる信頼性の向上
5. サービス思考とクラウド・コンピューティング
ソフトウェアをパッケージとして販売するより, サービスとして提供するという方向への変化進行している
サービス指向アーキテクチャ (SOA: Service Oriented Architecture)
サービス提供 (ビジネスプロセスを構成するサービス単位をネットワーク上に公開する)
ホテル予約
レンタカーのサービスシステム
サービス連携 (提供されたサービス単位を相互に連携させてビジネスシステムを構築するもの)
Web サービスとして旅行手配システムを作る場合, 航空券予約, ホテル, レンタカー等の既存サービスを組み合わせる
サービスとしてのソフトウェア (SaaS: Software as a Service)
ソフトウェアの機能のうち, ユーザーが必要とするものだけをインターネットを介してサービスとして提供するビジネス形態
Salesforce.com
利用側から見ると自社固有のシステムを保有したように見えるようにする
システムを動かす為の計算機資源をユーザーが保有する必要がない
クラウド・コンピューティング
2006 年 8 月, Google CEO の Eric Schmidt がサンノゼで提言したとされている
雲 (インターネット) の向こうにあるコンピュータを利用する
ユーザーは自分でコンピュータやソフトウェアを保有せず, 利用に応じて料金を払う
SaaS とクラウドの違い
単にソフトウェアだけが提供されているものではない
インフラプラットフォームを提供している
グーグルやアマゾンのような大企業による寡占化されてきている
4. 誰がどう作るか
1. 情報産業
日本のソフトウェア産業の年間売上高は約 20 兆円 !!! (ソフトウェア業, 情報処理・提供サービス業約 18,000 事業者)
ソフトウェア業, 情報処理・提供サービス業以外の業者でも多様な組織でソフトウェアが作られている
2. ソフトウェア技術者
プログラマ (設計仕様を与えられてコードを書く作業に従事する人)
分析や設計をする技術者 (ソフトウェア技術者) と区別する傾向がある
ソフトウェア技術者の総数は, 2009 年時点で 128 万人という推計がある
ソフトウェア技術者に要求される知識と能力
アメリカでは SWEBOK (Software Engineering Body of Knowledge) というソフトウェア工学の知識体系が作られている
日本では J07 が 2008 年 3 月に公表されている
経産省が行う国家試験
基本情報技術者, 応用情報技術者, システムアーキテクト等の 12 区分
IT スキル標準 (IT Skill Standard: ITSS)
3. ソフトウェアの生産体制
ハッカーと呼ばれる天才的なプログラマが一人, または少人数のグループで開発
Unix
WWW (World Wide Web)
google
Emacs
表計算ソフト
Visicalc
Dan Bricklin と Bob Frankston が 1979 年に作った
Excel に踏襲されている
ソフトウェア工場
ウォータフォール
要求仕様, 設計仕様, テストケース等の文書形式を定型化して開発される
ソフトウェア技術者が一つ, 一つのソフトウェアを開発するプロセスは, 工業製品の設計作業に相当する
4. 人間的側面
ソフトウェア開発上の制約 = 人間の能力
ソフトウェア開発の自動化はある程度進んできている
とは言え, 属人化する面が大きく, 知識集約的且つ労働集約的
労働集約的 = 「労働集約型とは、生産要素に占める資本の割合が低く、人間の労働力に頼る割合が大きい産業のこと」(こちらより引用)
ソフトウェア開発に関する重要な要素
ソフトウェアを使うのは人間
要求を人から抽出して要求仕様にまとめることが最初に行うべきこと
人と人の間の利害が対立することもあるので, それらの調整や社会的な観点からの判断
ヒューマン・インターフェースの設計
汎用製品の開発でも, 利用者の使いやすさは重要な要素
ヒューマン・インターフェースの設計は製品の優劣に大きな影響を与える
人間の認知的な側面への考慮がソフトウェア開発に占める比重が高い
以上
まとめでした.
人間的側面, やっぱり最後は人なんだなあと今の時点では思っております…
元記事はこちら
「ソフトウェア工学 「第 1 章 ソフトウェアとは」のまとめ」
April 25, 2018 at 04:00PM
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