#2024流年運勢
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2024流年運勢分析: 紫微斗數流年四化之武曲化科 | 甲辰年 | 2024流年運勢 | 2024流年|武曲化科
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#2024運勢 #甲辰 #流年運勢 #龍年運勢 #武曲 #命宮在辰 #丁年生 #子時 #巳時 #亥時 #對峙祿 #拆馬忌 #巨門化忌 #疾厄宮 ILucky986愛幸運紫微
早上看到網友提問,武曲星坐命在辰,丁年生,“待業一年是否2024會找到工作?”一年做了120個流年運勢的命盤,看了太多,已經忘了自己當時錄的內容。早上重新看了內容。
這個命盤的人有對峙祿(奴僕宮有太陰祿,福德宮化天同祿到兄弟宮),這是一個對峙祿。
這個命盤的人想法上會想要在工作環境能夠輕鬆享福(天同祿)的跟朋友上司大眾(奴僕太陰祿)互動賺錢。
但是福德宮化廉貞忌入財帛宮,想要享福,對錢又會很執著放不下。那些能輕鬆享福的工作,薪水待遇上面會讓他不滿意。
疾厄宮坐巨門忌自祿,說話少或說話太直接難聽(巨門忌),但自己覺得沒關係,不在意,自我感覺良好(自化祿)。心情不好,悶葫蘆,或是講話難聽刺耳。有時心情好又會愛說話。自己��何如此,自己也很難說清楚。
https://youtu.be/490iXAOErs8?feature=shared
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29/06/2024
去年の秋の伊勢海老lunch以来の訪問になった阿久根市のCafe Soaproot🍴 オーナーも私たちの顔を覚えていてく��てありがたい限りです🙏
この日は数日前から取れ始めたアジフライのlunchをいただきました😋
約30~40分運転して川内駅で弟と合流👀 この週末、里帰りしてくれることになり、川内駅で弟と合流、再会もそこそこに「いつもの」場所に移動です笑
名もなき小さなケーキ店🐰
先週からメロンフェアを開催していて、前回断念していたメロンタルト(左)とメロン・ヴェリーヌ(右)をめでたく購入♡
弟はというと…
ティラミス・リュクスに興味があったそうで、こちらをいただいていました。弟曰く、食べやすくて美味しかったそうです。
2年前の夏、居酒屋の間借り時代の頃に一度訪問しているので、びっくりしていました。
最後はさつま町に。
母が弟にマンゴーを食べさせたい🔥❕ と言い出し、急遽、当日の朝に私が徳丸屋さんに電話して、昨日から販売開始になったさつま町産のマンゴータルトを取り置きしてもらいました🥭 因みに弟はマンゴーは食べれるけれど、好物という程ではないそうです💧
今年もマンゴーの季節になりました✨
こちらも数日前から販売が始まったJar sweetsシリーズのマンゴープリン🥭 この日は散々食べて、夕食を食べるのに一苦労でした笑
✂✂✂✂
知り合いのマンゴー農家の方のおススメで、去年まで訪問していたご夫婦で経営しているケーキ屋さん。 東京でも有名から店舗のオーナーシェフの片腕だった人が跡継ぎのために九州に帰ってきて経営しているので味は間違いなく美味しいです。 農家の方の紹介ということで当初は良くしてもらっていましたが、タイミングが合わずに去年の夏、久しぶりに訪問してみたら、店頭に立っている奥様の何様状態に唖然。 *後でG●●gle様の口コミ笑を読んだら、人によって接客態度が違うみたいで、私以外にも同様の意見が多数あってびっくり。
私は「お客様が神様です」なんていう発想は微塵もありませんし、むしろ迷惑な発想だと思っています。 店も客も対等であるべきと思っています。 ただ、あのお店の、あの接客に対して、私たちのお金は落としたくない…。 なので、今年は行っていないし、行こうとう気持ちにもなりません。
そして美味しいというのは個人の主観が入るので、私にとっては味が濃すぎる、砂糖が多いなどでも、そういった味を好む人もいるわけで。 接客が良かったら私は行かなくても、そういった味を好む人達には紹介しています。
人によってはやんわりでも注意する人がいるけれど、他人の私が言ったところで相手にどう響くのは分からないので、黙って引く、そして行かない手法をとるのが私。 人間関係もこんな感じで引いていったりしています。 省エネな人間関係の保ち方をしています。
最後は私の愚痴みたいになってしまいました🙏💦
#備忘録#photography#reminder#japan#kyushu#kagoshima#美味しさは正義です#スイーツには夢がないとダメ#sweets#akune#lunch#Cafe Soaproot#🐟#satsumasendai#名もなき小さなケーキ店#namonaki_okashiya#satsuma#徳丸屋#tokumaruya
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「宮崎正弘の国際情勢解題」
令和六年(2024年)10月21日(月曜日)
通巻第8469号
華やかな観光地にも闇の伏魔殿、マネロンの根城がある
世界の大富豪が集結し、逆に西側先進国や中露から資金は流失した
*************************
ドバイが何故マネロンとギャング、大富豪からテロ集団の拠点となったのか?
世界一の高層ビルや豪華リゾート、七つ星のホテル、世界の大富豪達の別荘が海を埋め立てた景勝地に並ぶ。
この富に目がくらんで世界各地から新興企業や妖しげなビジネスマンがあつまり、加えて犯罪集団のマネロン基地、中国の地下銀行など何でも御座れ。日本でもドバイからメッセージを発信して、あろうことか、参議院議員に当選し、一度も登院しなかった男はドバイを根城にしていた。
英紙『タイムズ』は「コカイン・インク──英国の麻薬取引の決済金がドバイで純金に変わる仕組み」という特集を組んだ。
英国の犯罪集団もドバイと深く関わっている事実を明らかにしたのだ。UAE(アラブ首長連邦)の中心ドバイ��「現金運び屋」と渾名された闇のシンジケートが形成され、英国の麻薬や詐欺、犯罪組織の拠点となっていた。
密輸される金の中継地でもある。表の顔は国際都市、チャイナタウンもあれば、広大な売り場面積の紀伊國屋書店もある。日本語書籍は片隅で、諸外国語のベストセラ-、英訳された日本の漫画も売っている。
ドバイ当局は無策ではない。
「マネーロンダリング・テロ資金供与・違法組織資金供与対策委員会」(NAMLCFTC)はインターポールなど国際警察と緊密に協力し犯罪集団の摘発に努力している。
英国の違法薬物取引は100億ポンド(132億米ドル)規模と見積もられ、2016年から2022年の6年間に67億ポンド(88億9000万ドル)がマネロンされた。その洗浄された「きれいな資金」は英国に環流し、不動産に投資され、そのうち15億ポンド(19億9000万ドル)は汚職や正体不明のロシア人と関係していると前述英国紙が報じた。
UAEは毎年、世界の金の20~30%を取引している。UAE の金市場は宝飾品だけではなく、金地金や金貨の需要が高い。
英国における拠点はバーバーだった。「パンデミック以降、繁華街のあちこちで理髪店の開店ラッシュが見られました。こうした店の多くは、何千ポンドもの機器を持っているのに、客がいません」と捜査関係者が語る。
英国の犯罪集団は毎年1,500億ポンド(1,990億米ドル)を資金洗浄しており、米国に次いで世界第2位の「マネロン経済」となっている。
英国で増え続ける麻薬、大量の不法移民の乱入に納税者が悲鳴を上げる。この構造はアメリカと同じである。英国は歴史的に移民に寛大で、「合法移民」はナイジェリア、インド、パキスタン、香港など旧植民地や、英国と関わりが深いイラン、アフガニスタン、エチオピア、エリトリアなど。不法移民は多彩で、昨今はルワンダからの難民が目立つ。
▼不法移民の潜入ルートが代わった
「主にフランスから小型船舶で不法に入国する移民の急増によって起きている。英国の社会問題(となった)。小型船舶による不法入国は2020年に約8500人だったが、21年は約2万8500人、22年には約4万5700人に増えた。新型コロナ禍での入国規制で、英��海峡トンネルをトラックで移動することが困難になり、小型船舶で不法入国が行われるようになったことが背景にある」(『ジェトロ海外報告』、24年5月2日)。
英国は移民に寛容だったうえ、彼らにも福祉政策が適応された。そのうえ不法滞在でも職を得やすいとされたが、欧州連合(EU)離脱後、経済が低迷し、不法入国者の収容に多額の公費が投入された。国民保健は、2024年7月時点で762 万件の待機リスト、約430万人の子供たちが貧困生活を送っているとされる。
英国納税者の歳入から年間140億ポンド(185億7000万米ドル)を割いて不法移民を養っていることになる。(因みに日本への不法移民(日本は『不法残留者』という)の五傑はベトナムが15,806人、タイ:11,494人、韓国:10,869人、中国:6,881人、フィリピン:5,069人、インドネシア:4,537人ほか)。
あまつさえ治安が悪化し、国民の不法移民への警戒と不満が拡がった。凶悪犯罪が急増し国民生活の安寧が覆った。この深刻な問題は英国ばかりか米国、独・仏などEU諸国に共通である。
ドバイに話を戻すと、世界一の富裕層を引き寄せる国であり、2024年末までに過去最高の6,700人の億万長者の流入が予想されている。対照的に英国は2028年までに億万長者の凡そ17パーセントを失うだろうと予測される。
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たどり着かなかったおおくの未来たちへ
文フリ東京だった。 土曜日開催のイベントってなんだかんだ言いながらはじめてのような気がする……労働が土日祝休めなかったころはなんでイベントは平日にやらないんだろうと思っていたし、土日が休みだったころはイベントは土曜日にしてほしいと思っていたが、日月休みになると、イベントは日曜日がいいなと思ってしまう。日月は宿泊料金がやすい。
そんな自分本位な「この日がいいな」をわたしはいくつも持っている。
文フリ東京は、土曜日の朝に出発した。車内販売がなくなってしまって、でもまあ新幹線のホームとか購買にシンカンセンスゴイカタイアイス(シンカンセンモウカタクナイアイスだという噂だが)が売っているらしいから、それを食べようと思っていたが、朝、名古屋駅で見つけることはできなかった。 しょんぼりしながら新幹線に乗る。新幹線の中ではほとんど寝ていた。
東京駅・浜松町・流通センター。いつもの乗り換えで会場に向かう。来年の12月の文フリはビッグサイトでやるらしいから、この行程で向かうのはあと一回。
会場前に八束さんのスペースで不穏なフライヤーをもらう予定だったのでもらいに行ったら、八束さんがさいたま文学館で開催中の『澁澤龍彦の文学世界』のフライヤーも一緒にくれた。 ので、スペースが出入り口の真ん前だったこともあって、これはたくさんのひとに見てもらえるんじゃないか…���ということで、出口に向けて配置した。完璧である。
そんな素敵な設営をして、開場。
遠方からきてくれたフォロワーさんに展示のフライヤーを見せ澁澤龍彦の話をし、「若い頃にわたしも全集読みました!」と言ってもらうなどしたり、痛覚の麻子さんにはえんえんと「この写真見てくださいやばくないですか?羽田に楯の会の制服を着て見送りに着た三島の帽子をかぶっておどけているときの写真でこれが二人が実際にあった最後になるんですよ……」と一生終わらないんじゃない勝手くらいの話をしつづけてしまったり、このフライヤーに気づいてくれた通行人のひと(「澁澤龍彦だ…!」という声が聞こえた)に「裏面も見てください!そしてよろしくお願いします!」とさっと差し出したり……。こんなに充実した文学フリマ東京は、2014年から参加していて初めてじゃないかと言うくらい充実していた。
惜しむらくは、澁澤龍彦のフライヤーと一緒に不穏なフライヤーを挟んでいたにもかかわらず、だれも「澁澤龍彦と棄てに行ける家父長制があるんですか?」と聞いてくれなかったこと…。澁澤龍彦と棄てに行ける家父長制は果たして��在するのか……?
とまあ、こんな感じなのだが、そろそろ皆さんも不穏なフライヤーとは?と思っているところだろうと思うので、ご紹介致しますとこういうやつです。
「父親の死体を棄てに行く」アンソロジー。家父長制を棄てに行きたい方はどうぞ2024年5月の文学フリマ東京をお待ちください。
イベントが終わってからは、八束さんとヒマラヤ鍋を食べに行った。 お店の予約時間まで過ごしていたドトールで渋沢栄一の話になり、「ああ、向こうは傍家で、本家はうちなので」と話したら「いまうちって言いました?」と聞き返される。うちです。 ヒマラヤ鍋屋さんはめちゃくちゃすてきな楽隊(?)のお誕生日パレードがあったり、びっくりするような美味しい鍋を食べられたりと大満足だった。
打ち上げを終えて、翌日のさいたま文学館に備えて埼玉に宿を取っていたので、移動をはじめたら電車がいきなり止まった! 電車の沿線で人身事故があったとのことで、近くのハ��駅みたいなところで電車を降ろされてしまう。こんなこと担ったのは初めてなのでびっくりしていると、とりあえず一時間くらいしたら電車は動くからね~とアナウンスが入り、事なきを得る。
都会ならではの体験だな…と思いながら、ホテルにたどり着いて泥のように寝た。
そしてさいたま文学館へ。
張り切って出てきたら開館まえについてしまった…。図録を買って、老人クラブの展示があったので見せてもらったりして(ヤツガシラの俳句があってとてもよかった)、10時になる。
貸し切り状態……。
展示は、埼玉と澁澤の関係から始まっていて、浦和高校時代の写真(浦和高校同窓会が出しているものだった)があるのがとてもよかった。 限定本も展示がたくさんあり、原稿も、文学館が所蔵しているものが4、5点。 サド裁判のときに澁澤が三島に書き送った手紙に、争点が「わいせつか芸術かを超え、表現の自由/検閲への抵抗である」ことが書かれていることを指摘していたり、『高丘親王航海記』の原稿用紙、最初は「了」と書いてあったのを、推敲の段階で文字を自ら消したことを指摘していたり、「澁澤龍彦」という人物を表現との向き合いかたから見せているのが良いと思った。 面白かったのは三島の写真の使い方で、「血と薔薇」の「男の死」の三島の写真、あと、メインビジュアルが羽田に見送りにきた三島の帽子をかぶっておどける澁澤の写真だったからか、「楯の会の制服を着た三島由紀夫」の写真が展示してあったりした。
展示をひとしきり見た後は、図書室に今回の展示の関連本がまとめてあるとのことだったのでそれを身に。「作家のお��つ」「作家の食卓」といった本の紹介や、山﨑ナオコーラが文豪の墓参りにいく本に澁澤の項目があった。山﨑ナオコーラの澁澤へのまなざしにはわたしにもおぼえがある。よい本だった。そしてその本で、先月わたしが緑色のインコに夢中になっていた霊園に中島敦の墓があることを知った。敦、ごめんな……墓のことなんて全然知らなかったから、緑色のインコのことしか考えてなくて……。
その後は文学館併設の「けやきカフェ」で澁澤龍彦コラボメニューをたべる。黒糖と胡桃のパンケーキ。澁澤が好きだった胡桃や黒糖のお菓子をイメージしてつくられていて、とてもよかった。 思い出したのは、今よりもっと貧乏だったころ、いろんなところでやっている澁澤の展示に行けなくて悔しい思いをしたことだった。いまこうしてたどり着くことができるようになったことを、なんだかとても、自分が、自分をなんとかしているように思えた。
パンケーキを食べ終えてから、「武蔵野うどん」に挑戦することにした。「���勢うどんとは対極にあるうどんだ」という事前情報しかなかった。 桶川駅ちかくのお店はかなり人気店のようでたくさん人が並んでいて、お店に入れたのは並び始めてから一時間後くらいだった。 つけ麺(うどんのことをつけ麺というのか?)システムで、つけ汁とうどんは別々の皿に載っている。なるほどこういうやつなのか、となにも考えずにがっと箸でつかんで汁につけてすすりはじめたはいいが、うどん、めちゃくちゃかたいんですけど?!噛みちぎれない…やばい、全部すすって口の中に入れるしかない……と思ったが、これがまたすさまじく長くて……永遠にうどんがおわらない……。 こんなに硬くて長いうどんはじめてなんですけど?!おれたちは箸で持ち上げただけでへたしたらブツッといく伊勢うどんの民なんだということを再確認し、「これは風邪を引いたときに食べるうどんではなく、体力が有り余っているときに食べるうどんだな」と確信しました。きっと武蔵野のひとたちは、風邪をひいたときにはおかゆを食べるに違いない。(伊勢志摩の人間は風邪をひいたら伊勢うどんを食べます)
二口目からは一本ずつ食べることで武蔵野うどんのおいしさを堪能し、また是非食べたい、顎の力を試したい、と思った。
武蔵野うどんを噛み砕くのに体力のほとんどを持って行かれて、疲れ果てたので、そのまま帰宅することに。 購買にシンカンセンスゴイカタイアイスを見つけたので購入し、席に着くと、隣のひともおなじシンカンセンスゴイカタイアイスを持っていた。しかもおなじチョコレート味。
べつに示し合わせてはいないがふたり一緒に食べることになってしまい、こんなに好きなひとがいるのに、もうシンカンセンスゴイカタイアイスは車内販売されないんだな……と悲しくなる。 そして、乗車15分まえに買ったし、シンカンセンモウカタクナイアイスだった。
アイスを食べ終えてからは、記憶がない。気づいたら名古屋だった。
名古屋駅で、近鉄のホームに来たら、電車を待つ人は無秩序にホームにたたずんでいて、車両のドアとか何も気にしていなかったし、電車が着いても「先に並んでいたひと」という概念がないので、運良くドアの近くにいたひとから電車に乗りこんだ。東京とかから帰る途中、この近鉄のホームの無秩序さを目の当たりにすると、まだ名古屋から三重まで帰らないと行けないのに、「帰ってきたなあ」と思うのだった。
名古屋駅から最寄り駅までも、寝ていたのでほとんど記憶がない。
帰宅したら、夕食は焼きそばだった。焼きそばの麺は、どれだけ頬張っても簡単に噛みちぎれた。武蔵野うどんは硬かった。
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Quote
1987年5月3日午後8時15分ごろ、朝日新聞阪神支局に、全身黒ずくめの男が散弾銃を構えて押し入った。 男は小尻知博記者(享年29)と犬飼兵衛(ひょうえ)記者(当時42)に対し、散弾銃を発射。小尻記者が殺害され、犬飼記者は重傷を負った。 ここから露見した一連の事件は、犯行声明に「赤報隊一同」と記されていたことから「赤報隊事件」と呼ばれ、世間を震撼させた。しかも、事件は未解決のまま、2002年に時効を迎えている。 「赤報隊事件には、統一教会の関連団体『国際勝共連合(以下、勝共連合)』を含め、信者が関係している可能性があると思っています。末端の信者の暴発がなかった、とは言い切れません」 そう証言するのは、大江益夫氏だ。現在75歳の大江氏は���1992年に統一教会(現・世界平和統一家庭連合)の広報担当になり、翌年から1999年までの7年間、広報部長の要職を務めてきた人物だ。 その間に、桜田淳��氏の合同結婚式参加などがあり、大江氏は教団の “激動期” を目撃してきた。60年近く旧統一教会員として過ごし、教団の深部を知り尽くしている。 そんな大江氏を朝日新聞元記者で「襲撃事件取材班キャップ」だったジャーナリストの樋田毅氏は熱心に取材してきた。そこで、旧統一教会による事件への関与の可能性をめぐるさまざまな情報を得たという。2018年に『記者襲撃 赤報隊事件30年目の真実』(岩波書店)も出版している樋田氏が、こう話す。 「事件前に、勝共連合の名前で『アカサタンを殺すことだけが生きがい』と書かれた脅迫状が、朝日新聞社に届いていました。信者たちにとって、“サタン” は排除すべき存在。 “サタン” が文鮮明教祖(当時)の身に危害を加えるかもしれないと考えれば、朝日は抹殺すべき存在になっていたかもしれません」 2023年2月の衆議院予算委員会で、日本共産党の宮本岳志議員も「朝日ジャーナル」編集長だった筑紫哲也氏のコラムを引用する形で、この脅迫状の存在を取り上げ、当時の谷公一国家公安委員長に対して、赤報隊事件の再捜査を求めていた。事件後も兵庫県警が統一教会、勝共連合を捜査していた。 そして、大江氏もこう話す。 「統一教会には、かつてのオウム真理教のような敵対者を『ポア(殺害)する』という発想はありません。しかし、共産勢力と戦う勝共連合の “武闘派” となると、話は別です。侵略者に対しては武器を持って戦うという軍人精神的な発想があったと思います」 樋田氏はこれらの取材をまとめ、『旧統一教会 大江益夫・元広報部長懺悔録』(光文社新書)を8月20日に上梓する。 そこであらためて、本誌は大江氏を取材した――。 事件当時、すでに教団の幹部として、日韓トンネルの建設を推進する関連団体「国際ハイウェイ建設事業団(当時)」の事務局長だった大江氏は、「赤報隊事件」の犯人像について、こう話す。 「単独犯ではなく、グループだったと思います。ヒットマン以外に逃走を助ける人物、声明文を書く人物、依頼者などがいたはず。犯行を指揮した人物は、教団関係者だった可能性が高いかもしれません。 いずれにしても、犯行に関わった人物は、全員が共同正犯。罪はみな同じだと私は思っています」(以下、断わりのない発言は大江氏のもの) 朝日新聞阪神支局に押し入ったのは、全身黒ずくめのヒットマン1人だった。大江氏は “実行犯” についてふたつの可能性を感じているという。 「赤報隊事件は用意周到に準備され、犯人が見せた腰だめの撃ち方、銃身を短く切った散弾銃の使用など、プロの犯行と��られていました。 ひとつは “ヤクザ組織” が絡んでいる可能性です。当時の教団側の関係者に “闇社会” との関わりがまったくなかったとは言い切れません。また、あの残虐な事件は、そういった人間でないとできないと、思うところもあるからです。 しかし、勝共連合のなかにも “武闘派” は存在していました。これが、もうひとつの可能性です。もともとは、旧ソ連が日本に攻めてきた場合、先頭に立つのは自衛隊ですが、その後方支援という位置づけで生まれました。勝共連合が民間防衛を担うという発想でした。 この組織に属する信者たちは、実際に軍事訓練をおこなっていたのです。私自身も、何度も陸上自衛隊に体験入隊しました。ふだんから、山中で散弾銃の訓練もやっていました。こうした信者が400人ほどおり、元自衛官や元警察官もいたのです。そうした “武闘派” の信者が実行犯だったのではないかという推測も可能だと思います」 じつは今回、大江氏が『懺悔録』を世に出すという情報が、旧統一教会内に事前に広がった。教団は出版を踏みとどまらせようと、大江氏に対して執拗に圧力をかけてきた。 「京都の山里にある私の自宅に、教団の人間が突然来るのです。これまでに十数人来ました。彼らが何を危惧しているのかといえば、やはり『赤報隊』に関する記述でした。 安倍(晋三)元首相の銃撃事件があり、2023年には宗教法人法に基づき、政府が教団に対する解散命令を裁判所に請求する事態になっています。ここにきて『赤報隊事件と統一教会が関係がある』と言われたら、教団は潰れてしまうということでしょう。 でも、私は『断定的な言い方はしていない』と言って追い返しました。自宅に押しかけてきたなかには、かつての私の部下たちもいました」 そんななか、なぜ大江氏はあえて赤報隊について語る決意をしたのか。『懺悔録』でも記したように、こういう思いがあるという。 「信者の可能性がある犯人がこの世、あるいはあの世で、のうのうと生きていることが許せないのです。犯人が口をつぐんでいるのであれば、私が犯人の代わりに、小尻さんとご遺族に謝罪しなければならない。そう考えたのです。絶対に謝罪が必要です。そうでなければ、私はあの世で亡くなった小尻さんの霊と会うことができない」 だが、大江氏は赤報隊事件について語るためだけに、樋田氏の取材に応じたわけではなかった。長年、旧統一教会内部で抱いていた教団運営への違和感があったのだ。 そして、それをすべて樋田氏に打ち明けようと思ったきっかけがある。 「樋田さんと “川口君” の五十回忌の法要でばったり会ったんです。そこで、私は『これは腹を割って話さないといけないな』と思いました」 大江氏が口にする “川口君” とは、1972年、革マル派のリンチを受けて殺害された早稲田大学生・川口大三郎さん(享年20)だ。当時、���大で旧統一教会系の学生団体「原理研究会」に所属していた大江氏は、革マル派と対峙していた。 そのため、大江氏は川口さんの死を悼み、2021年秋におこなわれた五十回忌まで供養を続けてきた。 そして、五十回忌法要には、川口さんの事件に関するノンフィクション『彼は早稲田で死んだ 大学構内リンチ殺人事件の永遠』(文藝春秋)を出版した樋田氏も出席していた。 その後の交流を通じて、「最後の懺悔」を受け止めてくれるのは樋田氏しかいないと思うようになったという。 大江氏は「かつての統一教会は、こんな教団ではありませんでした。私たちは、なぜ韓国の教団本部に巨額の送金をするようになり、霊感商法といわれるような悪質な行為をおこなうようになったのか」と、次のように話す。 「私は1966年、17歳のときに統一教会に入信しました。教団には『開拓伝道』という布教活動があります。学生時代には、自分で廃品回収をしてお金を作り、屋根裏部屋のような部屋を借りる。そこを足場にし、廃品回収をしながら伝道活動をおこないました。非常に清貧な暮らしでした。自分が行く教会の教会長さんを中心にして、統一教会は家庭的な教団でした」 その教団の性質が大きく変わったのは、今から49年前の1975年のことだったという。 「それまでは伝道活動が中心でしたが、1975年から経済活動が始まります。統一教会は韓国でできた教団です。伊藤博文が初代韓国統監に就任した1905年から、日本による韓国の植民地支配が始まったと統一教会はとらえています。 それが終わる1945年までの40年間について “贖罪” しなければならない。統一教会には『40年の蕩減(とうげん)復帰』という教えがあります。なので、日本の信者は韓国の本部に40年にわたって送金を続けるとして、経済活動に励むことになった。そのスタートが、1975年だったんです。 そうすると、経済活動が強化されるなかで、霊感商法が始まりました。『先祖の霊や祟りを取り除くには、霊力のある高額な壺などが必要だ』という考え方は、キリスト教にはありません。『先祖の怨(おん)を解くための献金』についても同様です。しかも、韓国への送金は40年間を過ぎた現在も続いていて、日本の信者を苦しめています。 これは『40年の蕩減復帰』の教えから外れていて、約束違反ではないか。やりすぎなんですよ。全財産を捧げるような献金をさせてはいけません。教団も受け取るべきじゃないんです」 韓国の教団本部への高額の送金が、日本の教団の性格を歪め、さまざまな問題を引き起こしてきた。 「今、教団には解散命令が出されようとしています。それを回避するには過去に遡って、高額献金を反省し、被害者に補償する必要があります。自分の家族が路頭に迷うような献金を求めるのは、公序良俗に反しています。日本の教団は、多額の送金を求め続けてきた韓国の本部から独立する必要があります。それが、解散命令を免れる唯一の道です。 なぜ、こんな単純な��とがわからないのでしょうか。私は、これまでもこうした問題提起を教団内でしてきましたが、“危険分子” とみなされ、意見は通らなかった。でも、教団は間違っていたのだから、反省しなければいけないのです。力不足かもしれませんが、私自身も霊感商法を後押しする側にいた問題を含めて、懺悔したいと思います」 現在、旧統一教会への解散命令請求が東京地裁で審理されているが、大江氏は末端の “純粋な信者” たちに向けて、こう提言する。 「統一教会は全国に300の教会があります。しかし、解散命令が実施されると教会施設のほとんどはなくなり、礼拝をする場所がなくなる。これは信者にとっては大変なことです。私は、家庭が教会になればいいと思っているのです。 建物がなくても、毎日礼拝する場を家庭に作ろうということです。このままだと、絶望する信者が増えていくだけです。私は、2024年6月で教団を退会しました。それでも、家に礼拝の場があります。私は退会後も、礼拝を欠かしていません」 本誌に対する大江氏の告白は2時間に及んだ。彼が長く過ごしてきた教団が、この言葉を聞いて、悔い改めることはあるのか。
「赤報隊事件」旧統一教会・元広報部長が明かす “散弾銃訓練”と “武闘派”…教団からは「懺悔本」出版への圧力も(SmartFLASH) - Yahoo!ニュース
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ラジコン備忘録 2024/9/14
Miniz-Cup 2024 Hokkaido Day.1
さてやってまいりました。レース当日編。まずは1日目。
今回の大会会場は旭川。去年は札幌だったので久しぶりの旭川開催。僕にとって旭川会場は5年ぶり。
8時には旭川に着きたいので、5時起き・5時半出発です。
忙しい2日間が始まるのは目に見えているのでパッと高速で旭川に向かいます。うーん、早朝PAで見る愛車はカッコイイ。一応、ラジコンイベントの駐車場ではジロジロと実車を見られることがあるので綺麗にしておきました。排気量の余裕とフルバケの効果もあってか、移動の疲労感が少なくて相変わらず良い車です。
7時半に旭川に着いて朝食。会場の駐車場がまだ空いていなかったので、近所のマックに。同じような考えの仲間と遭遇して奢ってもらいました。朝マックなんて超久しぶり。
今回の会場は、旭川市市民活動交流センター CoCoDe(ココデ)。 昔の廃倉庫を活用したイベントスペースらしいです。レンガがおしゃれですね。 開場1時間前ですが、いくつか荷物で順番取りをしていますね...。
旭川、めっちゃ寒いです。家を出るときは半袖でも余裕でしたが、現地は無理。さすがに1枚羽織りました。この時点で16度くらいだったかな。寒いので路温が心配。
9時開場、エントリー受付です。初めての会場では無いので、記憶が少しずつ蘇ってきます。トイレの���置だけはハッキリと覚えている不思議。
今回の北海道大会、見る限りエントリーが少なめ。代表権狙いの人には良い状況ですね。
1日目に参加するオープンクラスの参加者は11名。かなり速いモーターを使うので難易度が高くて、上級者しか参加しないカテゴリー。参加人数も少ないカテですがそれにしても少なめ。とはいえ、本州からの遠征組も2名参加。ホームで負けるわけにはいかないので、ボコボコにしてやる勢いです。
この会場はピットスペースは2階に配置。吹き抜けになっているので、ピットからレースの様子がよく見えます。吹き抜けになっているような会場は全国見てもここだけなので、珍しいですね。 上からライン取り、車の挙動がよく見えます。
操縦台の上からコースを見渡した図。2階から見るのと大して変わらないですね。操縦席とコースの距離もあるので、操縦位置による有利不利も無さげ。
1日目のピット。いつも机上をゴチャゴチャさせてるのに比べれば大分スッキリ。気になる事といえば、ここの会場暗すぎる。タイヤ交換の作業をするにしてもかなり暗いです。棚にLEDをつけていますが、追加でデスクライト的なものを持ってこないと細かい作業は厳しい。コース自体も、吹き抜け構造なので2階からの照明が遠くてイマイチ。まぁ、こればっかりは仕方ない。暗いという意味でいえばみんなイコールコンディションですからね。
練習走行。まずはいつもホームコースで走ってるセッティングに少し曲がりを足したマシンで走行。
...なんだこれ。聞いてはいたけどここまでグリップ低いか?って路面に驚きつつ策を練ります。
いつものセットじゃ全く話にならないですね。テールスライドしまくり。カウンター当てないとまともに走れません。
最近のラジコンは便利なもので、横Gをジャイロセンサーで検知すると自動でカウンターを当てたり、スロットルを絞る機能があります。仕方なくそれを最大限活用する作戦に移行。
初日エントリーのオープンクラスは約2秒で40km/hに到達するといわれる最速モーターを搭載したカテゴリー。この小ささで40km/hというとかなり速い部類ですね。正直、操作はかなり難しいです。
そんなピーキーなマシンを操作しやすくするために、スロットルジャイロを30%ON。普段は0~5%なのでどれだけグリップが低いのか...。
モーターも100%のパワーを出しても扱い切れないので、出力上限を95%に設定。これで立ち上がりがマイルドになります。パワーを出し切らない方が速い、珍しい路面です。ピーキーなモーターをキッチリ扱えてなくて、下位カテゴリーのマシンより遅い始末。
そしてタイヤも変更。リアタイヤがグリップしなかったときの想定をしておいて助かりました。リアのタイヤコンパウンドを30°→20°に変更。これでリアグリップを確保・空転させないでトラクションをかける作戦です。
とはいえ、そんなに根詰めて悩んでも仕方ないのでスイーツ休憩。一息入れてから予選で勝負に出ます。大会当日は糖分の補給を積極的に行うようにしています。その方が脳の働きが良くなりそうなので...。
予選1回目。スタート時の混戦に巻き込まれてグダグダ。総合8番手で終了。マシンは悪くないようですが、レースの運び方が悪かった。他車との接触が2回はありました。ですが、次の予選2回目は前列スタートと考えるとたぶんイケる予感というか確信です。
予選2回目。スタートダッシュと1コーナーのアプローチが決まって2番手以降をブッチギリ。誰も前に出させることなく好調な走りで1番手フィニッシュ。ベストラップもきちんと出ています。
結局予選2回目が最速タイムになり、予選1番手が確定。マシン・腕前ともにイマイチ本調子ではないような感じもしますが、悪くはないようです。みんなこの路面に苦戦しているということですね。
北海道大会での予選1番手は5年ぶり。ポールポジションはやはり��れしいものです。
昨年は全国大会の権利を貰っているので、朝の段階で各選手に僕の走りをジロジロと見られているのは感じていました。そんなプレッシャーに負けずに走れて良かった。決勝も気楽に頑張ります。
グリップは少しずつ上がっていますが未だに低いまま。それでも、予選のままのマシンセッティングで何とかなる予感。決勝は変えずにこのまま勝負します。曲がらなくなってきたら、走行中にプロポで微調整をかける練習はしていました。
決勝はカーゼッケン1番に変更。やはり、予選1番手というのは特別で良いですね。
決勝Aメイン8���レース。
ポールポジションからスタートを決め、2周目くらいまで維持。だけどセットがなかなか合ってこず、3番手まで順位を一時落とします。しかし、ここからが僕の意地の見せどころ。瞬時にプロポ設定をいくつか調整し、前方選手のミスを見逃さずオーバーテイク。3番手まで落ちたのは一瞬で、30秒ほどで1番手に復帰。
僕の指先といえば、かなり忙しいです。グリップが低すぎて、いまだにアイスバーンを走っているような感覚。ブレーキをガツンと入れてキッチリ減速しつつも、スロットルは徐々に煽ってまさにドリフトしているような感覚。この走らせ方、かなりリアタイヤを消耗することは分かっていますが、こうでもしないとトップは死守できません。
その後2位の選手からの追い上げを感じますが、途中で追い上げは諦めたみたいです。表彰台圏内なのに、無理に追い上げて自爆する方が怖いですからね。つまらないですが、頭のいい作戦です。こちらとしても走りやすい。そのままタイム差を広げて2番手とは6秒差でゴール。ポールトゥウィン。完全勝利です。
リアタイヤは柔らかいコンパウンドを選択しているのでレース後半の 消耗が心配でした。ラスト2分でタレてきている感触はありましたが、誤魔化せる範囲で助かった。最近のラジコンの電子制御、本当にすごいです。疑似的なトラクションコントロールとABSでタイヤ消耗は助けられました。
今回の大会は路面グリップが終始低すぎて、スロットルワークが上手か下手かで勝負が分かれていた気がします。ワークスドライバー級のプロはステアリングよりもスロットル操作を重視すると言いますが、まさにそんな感じ。
表彰式。色んなカテゴリーがありますが、最速カテゴリーで優勝ということは、この会場の中で一番速いということなので嬉しいですね。
表彰状をもらいました。社会人になって表彰される機会というのはなかなか無いので嬉しいものですね。1位となればなおさら。
ここまでくるのに色んな人のアドバイス・協力がありました。本当に感謝。なかなか恩を返しきれないです。
1日目が終わると、2日目に向けて東横インにチェックイン。全国大会の時に東横インに5泊したので、この際東横インのポイントを集めます。ちなみにキャリーバッグの中身は全てラジコン関係。着替え類はリュックで収まりました。
旭川くらいなら日帰りでも行ける距離ではありますが、翌日に向けて寝不足は避けたいのと、燃費計算をして宿泊した方が断然安かったのでホテル泊。
その後は直ぐに旭川の街に繰り出します。僕の記憶の中の旭川の街って、栄えてはいるけど古臭いビルが立ち並んでいるイメージでした。久しぶりに旭川を歩いてみると随分と近代化していますね。オシャレなビル・お店がたくさんあります。今度、きちんと旭川で呑みたいですね。
さて、北海道大会参加者の懇親会です。参加は30名くらい。ビアガーデンスタイルの鉄板BBQ。これで5,500円か~...と思いつつも陽気に飲み食いしてしまうのは相変わらず。初日1位の男なので、各方面にモテまくりです。大規模な飲み会で主役を張れるというのは、酒呑みにとっては随分と気持ちいいです。
飲み会が楽しく終わり2次会に消えた人々もいるみたいですが、僕は偉いのでホテルに戻ります。翌日のことを考えたら、呑みすぎは絶対にNGですし。一人でしっぽりやりながら、次の日の準備。電池関係がメインですね。
1日目の走りを動画で確認しておきますが、我ながら良い走り。 次の日もこんな感じで走れれば良いんですが、今さら考えても仕方ないのでホテル晩酌を満喫。24時には就寝。
2日目編につづく...。
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2024/3/4〜
3月4日 バレンタインのモロゾフのミッフィーを渡した方から、お返しに…、と可愛い栗のお菓子をいただく。その方には以前、ベンガルスパイスの紅茶を一つあげたことがあって、そのハーブティーのシリーズの、アップルシナモンを買ったことを報告してくれた。
昨日買って、開封した袋のままラップになんとなく包んだ油揚げが、今日もまだ使えるか不安で、インターネットで調べても大丈夫そうだけど不安で、よくしてもらっている職員さんに訊いてみると「3日くらいは全然平気!冷凍すればもっと大丈夫よ!」と教えてくれた。 昨日は油揚げと見切り品のレタスで作ったお味噌汁がとてもよかったので、できるだけ続けたい気持ち。 レンジで味噌汁を作った話をしたら「息子が4月から一人暮らしをするかもしれないから、いいこと聞けた!」と言ってくださった。 高校を卒業できないかも?というエピソードを聞いていた息子さんだったので、卒業はできたのかな?と思った。
今日はロキソニンを飲まなかった。 でも代償としてずっと頭や首や肩や腰や、身体中が痺れて痛かった。
3月5日 都庁の展望台は火曜日がお休み。 また、新幹線で大阪へ行ける時間を費やしながら都庁から職場へ戻り、そしてまた明日都庁へ行くことになってしまった!
明日は元々出張の予定があって、終わったあとの時間は坂本龍一の展示でも行こうかな��思った矢先。 でも今は何も楽しめない感じの無の心なのでちょうど良かったかも。
ポッドキャストを聴くのに思ったよりはまってしまい、いろんな番組を探すのも楽しい。
amazonセールも楽天スーパーセールもあやかりたくても何も欲しくない(届いた時のことを考えると面倒になってしまう)。 でも今朝、鏡につけているライトの灯りがつかなくなってしまい、以前と同じものをamazonで注文した。
出張先から職場へ戻ると、リュックにつけていた毛(黒カビ)が落ちてしまった。 書類を運ぶように持っていた手提げにつけていた、てらおかさんの犬のピンバッジも取れていることに気がついた。悲しい。
雨だったと出張の荷物が重かったので一旦家にもどってからスーパーへ。いつも買いたいものたちが今日は少しお安めだったり、レンジでゆで卵を作る機械が届いたので生卵を買ってみたりして、セルフレジでお会計をしようとしたところ、iPhoneもお財布もおいてきてしまっていることに気がつく。 店員さんに事情を説明して、iPhoneを取りに戻り、またスーパーへ戻っている。
3月6日 昨晩は、連続して出張のために自分のデスクでしておくべきことを忘れていたこと、それがちょっと怒られ気味案件だったことを思い出し、ただただ怒られ対策メールの文面をずっと考えたりしながら怒られたくない!という気持ちで過ごしていた。
そのせいかとても頭が冴えてしまい、でも夜の一食目の食事がなかなか進まず、22時からたぶん日付が変わる頃までかけて食事をしてしまった。
ゆで卵のお稲荷さんをレンジで作りたかったけれど、半分に切った油揚げは卵1個分がはみ出てしまう大きさで、油揚げと卵の他人丼の具みたいなのを作ってしまった。でも美味しかった。
今日はいつもの東京出張からと都庁へ移動。 思いがけず2日連続でナチュラルローソンのコバトンに会って、昨日は陳列していなかったグルテンフリーのドーナツを買って食べてみた!散々ミスドの話をした日々で、流石にドーナツ本体を食べてみたくはなっていたので丁度よい感じで食べることができた。
新宿三丁目から西口まで地下を歩きながら、伊勢丹や紀伊國屋や丸井によって、平日でも伊勢丹の人気店は長蛇の列ができていて、丸井はとっても閑散としていて、紀伊國屋の地下に大将がいるカウンターのお寿司屋さんは誰も居なかった。前を通りかかったら、嘘みたいに「へいらっしゃい!」と声をかけられた。
都庁で数十分で用事を終えて、ニコンサロンで若山さんの写真展を鑑賞。 都庁もニコンサロンもおじさんばかりだった。
どんなに忙しくても、もうすでに無の心の年度末を迎えてしまっているけれど、人生するべく大阪に行くんだよ!と新幹線のチケットを取った。
3月7日 久しぶりにまともに職場に出勤した気がして、出張は移動するのがお仕事だということを実感。溜めていたお仕事を少しずつ動かしてあっという間に1日が終わってしまった。
朝、向かいのデスクの方から「コーヒー飲みますか。新しいドリップ買ったので良かったら」と声をかけていただく。コーヒーもお酒も飲めないしタバコも吸わないし、嗜好品がない人生、何が楽しいんだろう、と思ってしまう。「胃が痛くなってしまうんです…」とお断りさせてもらう。
本当、最近は何を楽しみに生きているのかわからなくて、嫌なことや辛いことを予防することに精一杯だったり、それでもそんな良くないことが起きてしまいそうな予感に怖くなり、焦って祈ることしかできない日々。
ポッドキャストを聴く日々を始めて、chelmicoの番組とゆっきゅんが出ているY2Kの番組などを聴いている。chelmicoの2人の感じがハッピーでとても良い!と思っていたら、あのちゃんの番組の直近の回にゲスト出演していることに気がつき、嬉しくなってすぐ観てしまった。そして番組の中でレイチェルさんが怒ることについての本を紹介していて、怒られ案件の日々に嬉しい紹介だった。
駅まで歩く帰り道にあった、しあわせのポキ丼の店が潰れていた。
3月8日 朝起きて窓の外が思ったよりずっと雪で「雪じゃん!」と声が出てしまった。それで写真を撮って、思わずカメラを持って出かけてしまった。 今年は寒さが長引いている気がする。
去年の今頃は白い花が咲く中で三脚を立てて自撮りをした気がして、その花を確かめに行ったらまだ咲いていなかった。
金曜日なのでとても掃除をしたいけれど、もうへとへと過ぎて今日こそは何もできないかもしれない。 何もできなかったらそれはそれで、何かを克服できた新しい気持ちになれそうで、そっちへ転んでもよいかな、と思ったりしている。
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2024年3月5日
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昭和50年代 広島市写真展(広島テレビ)
昭和50年代と現在の広島を比較し、変遷をたどる写真展が、きょうから広島市内で始まりました。
カープが初優勝した1975年。山陽新幹線の岡山・博多間が開業し、「カープの優勝は新幹線のおかげ」とも語られました。
旧日本銀行広島支店では、広島市が大きく発展した昭和50年代の街並��と現在を比較する写真、およそ170枚を展示しています。
会場には1981年に撮影された巨大な空中写真も展示。訪れた人たちは現在のマツダスタジアムの近くにあった貨物駅などを見ながらかつての景色を懐かしんでいました。
「ほとんど見たことがある写真団塊の世代ですからちょうど」
写真展は、今月10日まで開かれています。
減少する街の書店、国が本格的支援へ…読書イベント・カフェギャラリーなど個性的な取り組み後押し(読売新聞)
全国で減少する街の書店について、経済産業省が大臣直属の「書店振興プロジェクトチーム」を5日設置し、初の本格的支援に乗り出す。書店は本や雑誌を売ることを通し、地域文化を振興する重要拠点と位置づける。読書イベントやカフェギャラリーの運営など、個性ある取り組みを後押しする方策を検討する。
経産省によると、プロジェクトチームは映画や音楽、文芸などを扱うコンテンツ産業課に事務局を置く。キャッシュレス決済の推進や中小企業支援を担当する部署も参加し、部局横断型で事業内容の議論や調査を進める。
今後、経産省の担当者らと書店や出版関係者による車座ヒアリングの開催を予定。非効率な出版流通の改善や店舗運営におけるデジタル技術活用の必要性など課題を把握する。店主が一冊ずつ良書を選んで入荷し、店のサイトやSNS上で紹介する個人書店や、カフェや文具店を併設し魅力的な読書空間を作る書店チェーンなど優れた事例を共有し、支援策の参考にする。
街の書店は、インターネットの普及による紙の出版物の不振やネット書店の伸長により苦境が続く。日本出版インフラセンターによると、2013年に全国1万5602店あった書店の総店舗数は、22年に1万1495店に減った。
一般財団法人・出版文化産業振興財団(東京)の調査によると、全国の市区町村のうち、地域に書店が一つもない無書店自治体はおよそ4分の1にのぼる。本や雑誌を直接手に取って購入できない人が増える深刻な状況となっている。
本と出会う機会喪失に深刻な危機感
経済産業省が大臣直属の「書店振興プロジェクトチーム」を設置する背景には、街の書店が減り、多くの人がリアルな空間で未知の本と出会う機会を失っていることへの深刻な危機感がある。全国の自治体のうち約4分の1はすでに書店がなく、実際に地域による文化格差は生まれている。
世界経済のグローバル化が進む中、経産省は、映画や音楽をはじめコンテンツ産業の振興を掲げる。「経済が成熟する中で、自国のサービスや商品が海外で勝ち抜くには、文化による新たな付加価値をつけることが必要」と語る。だが文化の基盤である活字や本に人々が広く触れる環境がなければ、新たな魅力的な発想は生まれないだろう。
韓国では、日本の文化庁やスポーツ庁などにあたる文化体育観光省管轄の「韓国出版文化産業振興院」が中核になって支援事業を担当。独立系書店と呼ばれる中小の書店が活気づく。
東京都文京区で街の書店「往来堂書店」を営む笈入(おいり)建志さん(53)は、「雑誌が売れた頃は、お客が定期的に街の書店を訪れる習慣があった。今は2000年頃に比べ、お客は7~8割になった感覚だ」と語る。人々が本を買いに店に立ち寄るきっかけを作るため、トークイベントや読書会などを開く工夫をしている。
各地の書店には、優れた選書眼や読書イベントの経験を持つ書店員たちがいる。まずは、現場から優れた事例を集め、何ができるのか国や民間の垣根を越えて知恵を絞りた��。(文化部 小杉千尋)
西川立一(ラディック代表/流通ジャーナリスト/マーケティングプランナー)
見解 街の書店の苦境は、稼ぎ頭だった週刊誌などの雑誌の衰退や漫画の電子本の台頭も要因で、それに店主の高齢化による廃業や後継者不足で店舗数の減少が加速化した。
一方で、若い人を中心に特色ある書店の出店も盛んになりつつあり、紀伊国屋書店をはじめとする大手は堅調で、大型のショッピングモールには書店が必ずと言ってある。
経産省の「書店振興プロジェクトチーム」の設置は、遅まきながらの感もあるが支援は必要だ。ただ、官主導での取り組みだけではなく、地域の人たちがどれだけ書店を必要としているか、そのため主体的に何ができ、何をするのかが求められている。
中井彰人(株式会社nakaja lab 代表取締役/流通アナリスト)
見解 生き残って頑張っている街の書店は、イベントやSNS発信によって文化の灯を消さぬよう努力をしている。しかし、書籍小売業が苦しいのは、本が売れなくなったことに加えて、本がある程度売れたとしても、粗利率が低く抑えられているため(2割強)、収益の確保が難しく、持続するのが困難なことにある。この解決策を見つけたのが、ヴィレッジヴァンガードである。今は店舗を広げすぎて業績が苦しい状態ではあるが、かつて、ヴィレヴァンは、総売上の6割以上を雑貨で構成することで、読んでもらいたい本の売場(売上の3割弱)を維持することに成功した(2002年時点のデータ)。この時の同社の雑貨粗利率36%、本は21%であり、これで事業としての持続可能性を構成していたのである。書店支援は単に予算を流し込むのではなく、書店が事業として収益確保するため、商材やサービス及び、自立的ビジネスモデル開拓の支援に、重点を置いてほしい。
「書店」10年間で764社が倒産や廃業で消えた(東京商工リサーチ 3月10日)
「書店」倒産、休廃業・解散、新設法人 社数推移(1-12月)
書店運営会社(以下、書店)の市場退出が止まらない。2014年以降、書店は倒産・休廃業が新設法人を上回る状態が続き、10年間で764社が市場から退出した。店舗数の減少も続いている。経済産業省は3月5日、「書店振興プロジェクトチーム」を立ち上げ、支援意向を示すが、ネット書店や電子書籍に押された書店の減少に歯止めがかかっていない。
書店の倒産 ピークは太洋社破産の2016年
書店の倒産(負債1,000万円以上)は、2014年から2023年の10年間で140社に及ぶ。
ピークの2016年は25社発生した。2016年は、出版取次の(株)太洋社(千代田区)が自主廃業の方針から一転して3月に破産を申請した。連鎖する形で同月30日までに18社の書店が、次々と倒産や廃業に追い込まれた。書店の経営環境が厳しさを増し、書籍を卸す取次店の業績悪化も深刻な時期だった。
その後、書店の倒産は一進一退が続き、コロナ禍では資金繰り支援や巣ごもり需要などを背景に、倒産は減少に転じた。2021年、2022年の倒産は各5社と小康状態にあったが、支援縮小や特需が一巡した2023年は一気に13社と2.6倍に急増した。
書店の休廃業・解散が高止まり
倒産以外で事業を停止した休廃業・解散も分析した。太洋社が破産した2016年の休廃業・解散は63社(前年比28.5%増)と急増。その後も増勢をたどり、2018年は78社、2019年は77社と高水準が続いた。
コロナ禍では倒産と同様、休廃業・解散も減少したが、60社前後で高止まり状態にある。
倒産と休廃業・解散の合計は、ピークの2019年に101社に達した。コロナ禍では減少したが、2023年は67社に微増し、過去10年間で764社が市場から退出している。
書店は8年連続で純減
一方、書店の新設法人は、2013年が81社だった。2013年の倒産と休廃業・解散の合計は75社で、書店は6社の純増だった。
ところが、新設数の減少から2014年は8社の純減に転じ、2019年は56社まで純減が拡大した。コロナ禍の2022年も21社の純減で、2014年から8年連続で純減が続いている。
電子書籍が浸透し、書店の存在が揺らいでいる。店舗で目当ての本を探す楽しみや、知らない本との出会いも、書店の減少で失われつつある。書店の復活には“待ちの営業”から客足を向かせる創意工夫への転換と同時に、国や出版社の継続的な支援が必要だ。
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2024年3月3日 8時03分 中東イエメンの暫定政権は2日、反政府勢力フーシ派が攻撃した貨物船が沈没したと発表しました。地元メディアなどによりますと、沈没した船は、先月、紅海近くで攻撃された船で、フーシ派が紅海周辺で船舶への攻撃を続けるなか、フーシ派の攻撃で船が沈没するのは初めてだということです。 イエメンの反政府勢力、フーシ派は去年11月以降、イスラエルと戦闘を続けるイスラム組織ハマスとの連帯を掲げ、紅海周辺で船舶への攻撃を繰り返していて、船舶がう回を余儀なくされるなど世界の物流に大きな影響を及ぼしています。 こうした中、イエメンの暫定政権は2日「フーシ派に攻撃されたベリーズ船籍の船舶が沈没した」と発表しました。 現地メディアなどによりますと、沈没したのは先月、紅海につながるアデン湾でフーシ派によるミサイル攻撃を受けたベリーズ船籍の貨物船で、フーシ派の攻撃を受けた船舶が沈没するのは今回が初めてだということです。 貨物船は肥料を積んでいたということで攻撃後、すべての乗組員は避難していましたが、攻撃の影響で貨物船からは油が流出していて、イエメンの暫定政権はフーシ派の攻撃が深刻な環境汚染につながっていると非難しています。 フーシ派をめぐってはアメリカ軍とイギリス軍がことし1月以降、拠点を攻撃していますが、フーシ派による船舶への攻撃は収まっていない状況で、世界的な物流への影響が長期化することも懸念されます。 あわせて読みたい スエズ運河ルートを回避!フーシ派の船舶攻撃 世界の物流混乱 イスラム組織ハマスとの連帯を掲げるイエメンの反政府勢力フーシ派による紅海とその周辺での船舶攻撃。多くの船舶がアフリカの喜望峰を回るルートへのう回を余儀なくされ、日本を含む世界の物流や経済に影響が及び始めています。
フーシ派が攻撃した貨物船が沈没 乗組員は避難 船から油が流出 | NHK | イスラエル・パレスチナ
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#陀羅星介紹 #紫微斗數 #命理 #horoscope #astrology
#ilucky986愛幸運紫微斗數命理
有許多網友或客戶都會問同樣相同的問題,不論是本命宮和流年命宮的差異或是今年陀羅/地空地劫在我的流年哪個宮位會影響我什麼地方?
https://youtu.be/PYsyht5TbFM?feature=shared
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考えてみる、サバイバル
今年は元日に突然携帯の地震を知らせるアラームが鳴り出し、ギョッとなった。まもなく、能登で大きな地震があったことを知った。本当にいつどこで地震に遭うのかわからない今日この頃だ。日頃の備えが大事というが、どんな備えをすればいいのだろうか。どうすれば、自分や家族や周りの人の命や財産を守れるのだろうか。
「サバイバルファミリー」という映画を観た。どういう話かというと、主人公は東京のマンションに住む、中年の夫婦と高校生の息子と娘の一家。お父さんは平凡なサラリーマンで、会社から帰れば、晩酌しながらテレビをみている。息子と娘は親に関心がなく、勝手なものを食べている。お母さんはひとり台所で、実家の鹿児島から送られてきた大きな丸一匹の魚を捌こうと格闘しているけれど、誰も手伝わないし、食べたがらない。
そんなある日朝、突然電気という電気がみな停まってしまう。電気ばかりでなく、乾電池や車のバッテリーも全く働らかなくなる。お父さんと子どもたちは、文句を言いながらとりあえず会社や学校に向かう。自分のマンションだけでなく、かなり広範囲に停電していることがわかってくる。スマホで検索しようと思っても、画面には何も映らない。お母さんがスーパーに行くと、みな買い出しに来ているが、��ジが動かずそろばんで計算するので、長蛇の列となる。
三日ぐらいは、ロウソクとカセットコンロとレトルト食品で凌いでいるが、水道からの水も出なくなり、会社や学校も休みとなり、多くの人がだんだんと東京脱出を始める。大勢の人が家族を伴って、ガラガラとスーツケースを引いていく。この一家はお父さんがうまく調達したおかげで、一人一台自転車がある。途中の商店では、ペットボトルの水が一本2500円の高値で売りに出されている。この家族も高値承知でありったけを買い占め、旅を始める。お母さんの実家の鹿児島を目指して。途中のお米屋さんでは、水や食べ物を持って行くと、お米一合と交換してくれる。そこにロレックスや高級車の鍵を持って交換に来る人物が現れるが、「そんなもの食えるかい! 」と突き返される。
「大阪から先の関西では電気が来ているらしい」という噂が飛び交い、今や車の走らない東名高速道路を大勢の人が歩いたり、自転車だったり、中には荷車を引く人も、西に向かう。途中のサービスエリアで野宿。寒い季節ではないのが、まだよかった。寝ている間に、水を一本盗まれて、息子がすぐに追いかけるのだが、盗んだ家族には赤ちゃんがいて、取り返すのをやめる。
脱出から16日目高速道路を降りて、川で洗濯をする。水が一見きれいだからと飲んだお父さんが下痢をする。強風に煽られて転倒し、自転車やお母さんのメガネが壊れる。次に通りかかったちょっと大きい街の無人のホームセンターを覗くと、食べ物はとうに無いが、キャットフード、精製水( コンタクトレンズに使うもの? )、自転車の修理材料などを手に入れる。火おこししようとしたもできないお父さんを横目で見つつ、おいしくないキャットフードを食べる。
さらに高速道路を走り続ける。長いトンネルの入り口で報酬と引き換えに、トンネルの案内を買って出る盲目のお婆さんたち。無視してトンネルに入るも、真っ暗な中、停まっている車や障害物に阻まれて進めなくなり、盲目のお婆さんに手引きしてもらう。
次はいやに元気な家族と遭遇する。彼らは日頃サイクリングしながらキャンプをしているらしく、装備も揃っていて、みなで楽しそうに食事をしている。「���料や水はどうしているんですか」と尋ねると、山の中の岩場の間から湧き出ている水は、周りに苔が生えていればそれは安全な証拠なのでそういう水を汲んだり、地面から直に生えているオオバコのような植物は食べられますよ、セミなどもおいしいですよ、と教えてくれる。
43日目、やっと大阪に到着。電気は来ていない。通天閣のタワーの入り口には、たくさんのメモ紙が貼ってある。「岡山のおじさんのところに行く。◯◯」などの伝言が。娘がブチ切れて「もう嫌だ! お父さんが大阪に来ればなんとかなるって言ったよね?」「そんなこと俺いったか? 」「ほら、そうやってまたいつもの責任のがれ」「親に向かってなんだ、その口の聞き方は! 」すると息子が「親らしいことしてくれたことあったかよ! 」今度はお母さんが、「いい加減にして! そんなこととっくにわかっているじゃないの、お父さんがそういう人だってこと」ここでお父さんはがっくりとなってしゃがみ込んでしまう。水族館の前で、飼っている魚を調理した炊き出しの列に並ぶも、自分たちの前で終わってしまった。お父さんは調理していた人に、土下座をして「せめてこの子たちだけにでも何か食べ物を」と懇願するが、「無いものは無い」と断られる。
67日目、食料も水も無くなり、岡山あたりの田舎道をとぼとぼ歩いている。と、一頭の豚が目の前を通り過ぎていく。えっ、となり夢中で追いかける。四人でやっと捕まえてみたものの、どうやってとどめを刺すのと手間取っているところ、後ろから「うちの豚に何をする! 」とお爺さんの怒鳴り声。お爺さんのうちの電気柵が働かなくなり、豚たちが逃げ出したのだった。お爺さんが、持っていたナイフで手早くとどめを刺し、豚を運ぶのを手伝い、そのお爺さんの家に。庭先の井戸水を汲ませてもらい、ごくごく飲む。久しぶりの白いご飯に、卵や野菜のおかずに豚肉の燻製。近所のお婆さんがキャベツや大根を届けてくれる。「あれまあ、お客さん? お孫さんたちが帰っているのかと思った」お爺さんの家族はアメリカにいて、連絡もつかないのだ。
ご飯の後は、さっきの豚の解体を手伝う。バラバラにした肉に塩をすり込む。一週間ほど熟成させてから燻製にするのだそうだ。逃げた他の豚も、みんなで追いかけ回して捕まえる。井戸水をバケツで汲んでは、お風呂に運び薪でお風呂を沸かす。何十日ぶりのお風呂に入り、夜はお孫さんたちが着る予定だった新しい寝巻きを貸してもらい、これまた久しぶりの布団に横になる。
毎日薪割りしたり、洗濯をしたり、お爺さんの手伝いをして過ごす。一週間後、豚肉を燻製にしながらお爺さんが語る。「お前さんたちさえよければ、ここにずーっと住んでもいいんじゃぞ。わしも年取って、一人で車も洗濯機も使えない生活では大変でなぁ・・」と誘われるが、この一家は鹿児島にいるお母さんの実家のお父さんの安否も気になっていて、結局お爺さんの申し出を断り、たくさんの食料をもらって、また自転車の旅を続ける。
そのあともいろいろあって、命の危険にも晒されて、奇跡的に誰かが動かしてくれたSLに拾われて、ようやく108日目に鹿児島のお祖父ちゃんの家にたどり着く。お祖父ちゃんは元気だった! お祖父ちゃんは浜で魚釣りをしていた。それからは村人同士助け合って、魚を捕りに行ったり、畑をしたり、鶏の世話をしたり、お婆さんに機織りを教えてもらったりして、みんなで元気に楽しく一生懸命に暮らし始める。
それから、2年と126日目の朝、突然村のスピーカーから埴生の宿のメロディーが流れてくる。みんなが驚いて家を出てみると、街灯が次々と点き始めた。すっかり忘れていた電気が戻ってきたのだ。そして場面は変わって、東京の一家のマンション。日常を取り戻し、以前の生活に戻る。テレビからは、「世界同時停電の原因は、太陽フレアか彗星の異常接近ではないかと、専門家からは語っている。サイバーテロの疑いはなくなったとのことです・・」停電前はそれぞれ勝手に心もばらばらに生きていた家族だったのが、思いやりのある温かい家族になっていた。
とまあ、そういう話であったが、いろいろといいヒントがあった。非常時にはアナログが強いこと。キャンプ生活などに慣れておくこと。北杜市に住んでいて、地震などで自分の家が壊れていない限りは、ここにいた方が湧き水もそばにあるし、薪や焚き木を燃やして暖を取ったり煮炊きすることもできる。むしろここは、首都圏からの避難地域となるだろう。今できることといったら、いつでも人を迎えられるように、家の中を整えておくこと、食料や薪を備蓄しておくこと?
もうひとつ気になるのが、「年長者としての知恵」のようなもの。年長者はパソコンやスマホに弱く、操作方法などは若者に訊かないとわからないことばかり。でももしパソコンやスマホが一切使えない世の中になった時に、どこまで年長者がサバイバルの知恵を出せるだろうか。本当に長く生きた分だけいい知恵があればいいけど。
さっきの映画の話では、最初はばらばらだった家族の気持ちもだんだんとひとつになり、お互いにかけがいのない家族として心が結ばれる。停電が終わり東京に戻るのだけど、本当に戻る必要はあったのかなぁ。鹿児島にいた二年半は、みなで漁をしたり、畑をしたり、はた織りしたりして、お金も介在せずに生きていたわけだ。これからこの地震や災害の多い日本で生き抜くには、都会を出て地方でコミュニティを作って、いろんな年齢の人が、各々出せる力を合わせて生きていく以外の得策は無いのではないかしら。
2024年1月
映画「サバイバルファミリー」は、2017年2月に公開された。監督 矢口史靖。
主演 小日向文世、深津絵里、泉澤祐希、葵わかな
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2023反五輪重大ニュース!
毎年、年末に段ボールで制作しているその年の反五輪重大ニュース。今年は年明けから1か月以上も過ぎてしまいましたが、ブログで発表したいと思います。
1 札幌30年34年不招致決定!
札幌の人たちの大勝利!札幌市長のしつこい招致活動に対して、とことん冷水を浴びせつづけました。
札幌市とJOCは10月11日、2030年招致を断念し2034年招致に照準を合わせると会見。しかし、その2日後の13日、IOCは2030年と2034年の開催都市を同時決定する方針を発表。11月29日のIOC理事会で、2030年大会の候補地を仏・アルプス地方に、2034年大会の候補地を米・ソルトレークシ��ィに一本化することを決定した。また、2038年大会についてはスイスと「優先的対話」を進めるという。
札幌不招致が確定したことは喜ばしいが、他の立候補都市でも五輪による破壊が起こることは目に見えている。既にフレンチ・アルプスでは「Non aux J.O dans les Alpes(アルプスでのオリンピックに反対)」というグループが立ち上がり、反対活動を活発化させている。彼らのスローガンは「Ni ici, ni ailleurs !(ここでもNO!どこでもNO!)」で、私たちが掲げてきたNOlympicsAnywhere(オリンピックはどこにも要らない)と共通する。
2 東京オリンピック、嘘とワイロの記録更新中!
2022年に発覚した東京五輪汚職事件では、元組織委員会理事・高橋治之はじめAOKI、KADOKAWA、ADK、サンアロー、大広の社長や重役ら15人が受託収賄や贈賄の罪で逮捕・起訴。2023年には15人中11人が執行猶予付きの有罪判決を受けた。しかし、高橋治之は2024年1月31日の公判で「賄賂ではなくビジネス」と主張。まだまだ記録は伸びそうな気配である。
一方、2023年2月には組織委員会が発注した各競技のテスト大会や本大会における総額437億円の事業を対象に談合が行われていたことが発覚。電通グループ、博報堂、東急エージェンシー、セレスポ、フジクリエイティブコーポレーション、セイムトゥーの6社と、組織委員会大会運営局元次長森泰夫ら7人が起訴された。12月12日には森泰夫に懲役2年、執行猶予4年の有罪判決が出されている。
3 2013年招致時、官房機密費でIOCに高額贈答品疑惑。石川県知事・馳浩。
2013年当時、自民党の「招致推進本部」本部長であり、現・石川県知事の馳浩が、東京大会招致活動の中で「官房機密費使って、IOC委員全員105名に、選手時代の写真をまとめたアルバム、一冊20万円を送った」と11月17日の講演会で語った。のちに説明なく撤回(事実だから、黙らされた)。
本人のブログ(2013年4月1日) https://ameblo.jp/hase-hiroshi/entry-11503851369.html
4 明治公園国賠一審不当判決、控訴審へ
2016年、新国立競技場建設のために明治公園の野宿者を強制執行により暴力的に排除した不当性を問う明治公園オリンピック追い出しを許さない国家賠償請求訴訟。2月28日、ついに第一審判決が下された。しかし「原告野宿当事者2名の訴えを棄却・4団体の訴えは却下」の不当判決!許せない!闘いは東京高裁・控訴審へ!高裁では、不当な強制執行の様子を終始記録していた白いヘルメットの集団が誰なのか、その動画を誰が所持しているのか、明らかにするよう指示が出た。闘いはこれからだ。
5 10月31日、新・明治公園開園
2016年1月27日、新国立競技場建設のために廃園になった明治公園が、2023年10月31日、かつて都営霞ヶ丘アパートのあった場所にリニューアルオープンした。公園内にはカフェやレストラン、アウトドアショップなどの商業施設が立ち並び、およそ公共の公園とは呼び難い様相。公園や木々を破壊し、野宿者を排除し���都営住宅住民を立ち退かせた歴史を覆い隠すように、公園の各所に「希望の広場」「インクルーシブ広場」「誇りの杜」などと名付けられていた。
さらに、日本テレビ「鉄腕DASH」という番組で、元社長による性暴力問題が取りざたされてきたジャニーズ事務所のタレントたちによって明治公園の「100年続く森づくりのお手伝い」なる企画が進行。都営霞ヶ丘アパートがあった場所を「50年間コンクリートだった」と蔑む発言などに非難が湧きおこった。
6 東京の公教育、オリパラ教育が「学校2020レガシー」として継続中。
ある都立学校では、2020大会前と比べて、外部講師招聘など外部のオリパラ関係者等との交流は少なくなり、校内の教員向け研修も大会前はオリパラ教育が主要テーマだったが、大会終了後は学習指導や進路指導など通常の内容に戻った。しかし、「総合的な探求の時間」では「パラスポーツ」のボッチャなど「障害者」スポーツが依然として主要な取組内容であり、校内ボッチャ大会や区主催など外部との試合参加など、かなりの比重を占めている。
また、冬季オリパラ招致を進めてきた札幌市は、2016年に2020大会を主な目標としてオリパラ教育を推進、冬季大会招致と歩を一にするように実施校は増え続け、昨年度の実施校は100校近くにのぼっている。札幌市は一旦はオリパラ招致撤退を表明したが、今後、学校でのオリパラ教育がどのようになっていくのか、注目していく必要がある。
招致レース参加が現実味を帯びる可能性のある2042年には、現在小学校高学年の子どもはアラサーとなる。
都教委サイト(都立/市町村区別で各校の2020レガシーの内容の一覧ファイルも) https://www.kyoiku.metro.tokyo.lg.jp/school/content/2020legacy.html
札幌市のオリパラ教育
7 パリでも汚職、立ち退き、過剰警備、自然破壊
パリでも2024年夏季五輪開催が迫っており、東京大会と同様の問題が次々と起こっている。
パリでも組織委本部やスポーツ代理店が汚職の疑いで捜索。このスポーツ代理店が、2016~21年の間、電通子会社だったこともわかった。電通汚職はパリにまで!
3月にはパリ五輪に向け人工知能(AI)を搭載した監視カメラの街頭での設置を認める法案が議会を通過。AIによる大規模監視カメラの導入が法的に認められることに。また、フランス軍15,000人、数万人の警察官と民間警備員を投入した大規模警備体制が敷かれることが明らかになった。
ホームレスの人々に対する立ち退き、セーヌ川沿いの古書店に対する立ち退き、学生たちに対する立ち退きも起こっている。
また、パリ五輪のサーフィン会場はなんとパリから1万5000キロも離れたタヒチ。地元住民の反対にも関わらず競技判定用タワーが建設され、サンゴが破壊されているという。
汚職、立ち退き、過剰警備、自然破壊、オリンピックは世界中で同じ災厄をもたらし続けている!廃止だ廃止!
8 パリ、フレンチアルプスで活発化する抗議行動
2024年夏季五輪が迫るパリ、2030年冬季五輪の最優先候補都市とされてしまったフレンチ・アルプスでは、2023年、活発な抗議行動が取り組まれてきた。
12月2日にはフランス全土で2024年夏季五輪と2030年冬季五輪の両方に反対する抗議が行われた。
9 2026年冬季五輪開催都市ミラノ、コルティナ・ダンペッツォでも反対運動。ボブスレートラック建設阻止?
2026年冬季五輪開催予定都市、ミラノ、コルティナ・ダンペッツォでも五輪反対運動が活発化している。8月には、ボブスレートラック建設のために自然破壊が行われることに対して抗議行動が取り組まれた。樹齢数十年のカラマツ、モミ、マツの木300本以上が伐採されるという。
しかし、コルティナでのボブスレートラック建設にはIOCが建設費の問題などで難色を示しており、国外での競技実施の可能性があるとのこと。
10 続くガザ虐殺。「平和の祭典」の欺瞞。
イスラエルのガザ攻撃を止められない中、国連総会で、パリ大会中の「休戦の呼びかけ」が決議された。「平和に貢献するオリパラ」を演出するだけの茶番は、真の解決への努力をバカにしているかのようだ。
<番外編>
・オリンピックは終っても、まだまだ続くメガイベント
2030年・34年札幌五輪招致は阻止されたが、日本国内だけでも今後数多くのメガイベントが予定されている。メガイベントの際は、五輪のとき同様、公費の無駄遣い、汚職や談合、立ち退き、監視強化、自然破壊、ナショナリズムの称揚など様々な問題が起こる。
・2025年4~10日 大阪・関西万博(大阪)
→署名活動など反対の声が湧きおこっている。https://www.tokyo-np.co.jp/article/289081
・2025年8~9月 世界陸上(東京)
・2025年11月 デフリンピック(東京)
・2026年9~10月 アジア競技大会(名古屋)
・2027年3月~9日 横浜国際園芸博覧会(神奈川)
→計画の見直しを求める署名が呼びかけられている。https://chng.it/gBgrBwzLGX
※このほかにIOCが2026年オリンピックeスポーツ競技大会の開発を発表し、日本に開催を打診しているとの報あり。https://t.co/zRMtA6INWw
・世界中で続くオリンピック災害 2036年夏季五輪
現在、夏季五輪は2024年パリ(仏)、2028年LA(米)、2032年ブリズベン(豪)が開催予定都市として決定しており、反対運動も取り組まれている(ブリズベンは未確認)。そして、東京の惨状を目の当たりにした私たちにはとても信じがたいことだが、2036年夏季五輪招致を目指す国々も既に多々ある。一日も早い五輪廃絶を実現するためにも、各都市の人々と連帯しともに反対の声を挙げていきたい。
招致活動を表明した国
・エジプト
・ポーランド
・トルコ
・インドネシア
・インド
関心を寄せている国
・ドイツ
・カタール
・中国
・韓国
・イギリス(ロンドン)
※メキシコは招致を目指していたが断念。 https://www.tokyo-np.co.jp/article/303267
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長々と「ゴーストワールド」考
私がテリー・ツワイゴフ監督の映画「ゴーストワールド」と出会ったのは、2000年代中盤のことだった。映画館ではなく、ツタヤでDVDを借りて実家のリビングで観た。コロナ禍によってビデオ・DVDレンタル屋としてのツタヤが街から消えた今になって振り返ると、あの日からずいぶん遠くに来てしまったことを実感する。
映画冒頭、アップテンポなジャズが流れ出し、こぶしの利いた男性シンガーの声が重なる。「シャンフェケシャンフゥ」--何語だか分からないが、気分を高揚させる陽気なグルーヴ。しかし、映像はアメリカ郊外の白いマンションで、音楽の古めかしさと不釣り合いな印象を与える。
カメラはマンションの外から窓の中を捉えつつ、右へと移動する。それぞれの窓の向こうにいる住人たちが部屋でくつろいだり食事をしたりといった光景がいくつか展開された後、濃いオレンジの壁紙の部屋が映し出される。部屋の中央で、黒縁眼鏡をかけたぽっちゃりめの女の子が、黒髪のボブを振り乱して踊っている。傍らには昔ながらのレコードプレーヤー。そこから大音量で流れる「シャンフェケシャンフウ」--アメリカにおけるサブカル眼鏡女子の強烈な自己主張は、無機質な郊外の光景へのレジスタンスのようだ。
細かい台詞やキャラクターは忘れてしまっても、このシーンだけは鮮烈に頭に残っている。この映画が何を描こうとしているのか、冒頭を観ただけで分かった。自分の世界を持っている人間の素晴らしさと痛々しさ。そんな存在を愛おしむ監督の眼差し。
2時間弱の物語の中では、高校を卒業したものの進路が決まらない主人公イーニドが迷走に迷走を重ねる。そして、彼女が何かを成し遂げるようなラストも用意されていない。
ありがちなティーンエイジャー文化に埋没する無個性なクラスメイトや郊外の退屈な人々を馬鹿にしている割に自分自身もぱっとしないイーニドの姿は痛々しいが、十代の自分にも確かにそんな一面があったことが思い出され、いたたまれない気持ちになる。それでも、映画を見終えた私の心には温かい余韻が残った。監督が最後までイーニドに寄り添い続けていることが伝わってきたから。
2023年下旬、何の気なしに見ていたX(旧twitter)で、ゴーストワールドのリバイバル上映を知った。絶対に行かなければと思った。あの名作と、映画館で出会い直したい。 上映が始まって約1ヶ月後の2024年1月、再開発によって円山町から宮下に移転したBunkamuraル・シネマの座席で、私はイーニドたちと再開することになった。
改めて観てみると、最初に観た時の感動が蘇ったシーンもあれば、初見では気付かなかった要素が見つかったシーンもあり、希有な鑑賞体験になった。 これ以降、個人的に気になった部分を列挙してみる。
自由という試���
物語の序盤で、主人公イーニドと幼馴染みのレベッカは、揃って高校を卒業する。式が終わると、イーニドとレベッカは会場から走り出て、卒業生が被る伝統の角帽を脱ぎ、校舎に中指を突き立てる。二人とも大学には進学せず就職もしないので、これからは受けたくない授業を受ける必要もなく、大人として自分の道を選ぶことができる。スクールカースト上のポジションに惑わされることもない。
しかし、コーヒーのチェーン店で働きながら親元を離れて暮らすためアパートを探し始めるレベッカとは対照的に、イーニドは将来のビジョンを持てないまま高校の補講に通い、髪を派手な色に染めてみたり、映画館のアルバイトを一日でクビになったりしている。ルームシェアをする約束を果たす気があるのかとレベッカに問い詰められれば「自立、自立って馬鹿みたい」と滅茶苦茶な言葉を返して怒らせ、家に帰ってからベッドで泣く。イーニドは自由を満喫するどころか、自由を持て余しているように見えた。
高校生の頃は、学校の教員たちが決めたルールに従い、与えられたタスクをクリアすることが求められていた。経済的に親に頼っている分、親や家族というしがらみもある。大人の介入を避けられない年代にいるうちは、人生の問題を大人のせいにすることもそれなりに妥当だ。
しかし、高校を卒業してしまえば、もう人生の諸問題を安易に大人のせいにできない。複雑な家庭の事情に悩まされていても、「もう働ける年齢なんだから、お金を貯めて家を出ればいいんじゃない?」と言われてしまう。
自分の進路を選び、やるべきことを見極めて着実に実行することは、何をすべきなのか指示してくる人間に「やりたくない!」と反抗することよりもはるかに難しい。与えられた自由を乗りこなすだけの自分を確立できていないイーニドの戸惑いと迷走は、滑稽でありながらも、既視感があってひりひりする。
シスターフッドの曲がり角
この映画には、イーニドとレベッカのシスターフッド物語という側面もある。十代を同じ街で過ごし、お互いの恋愛事情も知り尽くしている二人が、高校卒業という節目を境に少しずつ噛み合わなくなってゆく過程が切ない。二人とも、相手を大切に思う気持ちを失ったわけでは決してない。それでも、環境の変化が二人の違いを鮮明にし、今まで通りではいられなくなる。
イーニドもレベッカも、世界をシニカルに見ている点は共通している。派手に遊んでいたクラスメイトが交通事故で身体障害を負ってから改心し、卒業式のスピーチで命の尊さを語っていたことに対して「人間そんなに簡単に変われるわけない」と陰で批判したり、卒業パーティーでも弾けたりせずぼそぼそ喋っていたりと、どこかひねくれた態度で生きている。世の中が用意する感情のフォーマットに素直に乗っからない低温な二人の間には、確かな仲間意識が見て取れた。
しかし卒業を契機に、二人の関係はぎくしゃくし始める。 イーニドは仮に卒業できたものの、落第した美術の単位を取得するため補講に出なければならない。スムーズに卒業したレベッカはカフェのチェーン店で働き始め、アルバイトではあるが社会に居場所を得る。卒業したばかりの頃はイーニドと一緒にダイナーに行き、新聞の尋ね人欄に出ていた連絡先にいたずら電話をするといった行動にも付き合っていたレベッカだったが、アルバイトも続かずルームシェアの部屋探しにも消極的なイーニドに徐々に愛想を尽かす。イーニドが中年男性シーモアとの関係を隠していたことが、さらに二人の距離を広げてしまう。
イーニドは古いレコードを集めるのが好きで、一癖あるファッションを身に纏い、多少野暮ったい部分はあるにしても自分の世界を持っている。バイト先でも、上司の指示に違和感を覚えれば分かりやすく態度で示す。表面的にはリベラルな国を装いつつ水面下では依然として差別が行われているアメリカ社会に対しても、批判的な眼差しを向けている。
しかし、それを表現した自分のアート作品が炎上した際、イーニドは作品を批判する人々に対して展示の意義を説明せず、展覧会の会場に姿を見せることすらしなかった。どんなに鋭い感性があっても、表現する者としての責任を全うする姿勢のないイーニドは、アーティストにはなれないだろう。黒縁眼鏡の媚びない「おもしれー女」ではあってもカリスマになる素質はなく、かといってマジョリティ的な価値観への転向もできないイーニドの中途半端さは、何とも残念である。
一方レベッカは、シニカルな部分もありつつ、現実と折り合いを付けて生きてゆけるキャラクターだ。店に来たイーニドに客への不満を漏らしながらも、上司に嫌味を言ってクビになったりすることはない。経済的に自立して実家を出るという目標に向かって、地に足の着いた努力ができる。
そして、レベッカは白人で、イーニドより顔が整っている。二人がパーティーに行くと、男性たちはユダヤ系のイーニドに興味を示さず、レベッカにばかり声を掛ける。 どう考えても、社会で上手くやってゆけるのはレベッカの方なのだ。
卒業を契機に、高校という環境の中ではそれほど目立たなかった二人の差が浮き彫りになる。置いて行かれた気持ちになるイーニドと、現実に向き合う意欲が感じられないイーニドに苛立つレベッカ。どちらが悪いわけでもないのに、高校の時と同じ関係ではいられない。絶交するわけではないけれど、何となく離れてゆく。
人生のフェーズに応じて深く関わる人が変わってゆくのはよくあることだし、どうにもならない。それでも、楽しかった長電話が気まずい時間に変わったり、昔だったら隠さなかったことを隠すようになる二人を見ていると、人生のほろ苦い部分を突きつけられるようで、胸が締めつけられる。
シーモア:大人になりきらないという選択肢
冴えない中年男性シーモアは、この映画におけるヒーローでありアンチヒーローだ。平日は会社員だが、休日は音楽・レコード・アンティークオタクとして自分の世界に耽溺し、友達も似たような同性のオタクばかり。せっかくライブハウスで女性が隣に座っても、音楽の蘊蓄を語って引かれる。そのくせ「運命の出会い」への憧れをこじらせている。自分の世界を持っている人間の素晴らしさと痛々しさを、これでもかと体現しているキャラクターだ。
イーニドとシーモアの出会いは、イーニドのいたずら電話がきっかけだった。新聞の尋ね人欄を読んでいたイーニドは、バスで少し会話をした緑のワンピースの女性にまた会いたいと呼びかける男性の投書を発見し、この気持ち悪いメッセージの発信者を見てやろうと、緑のワンピースの女性を装って電話をかける。会う約束を取り付け、待ち合わせの場所に友達と共に向かうと、呼び出されたシーモアがやって来る。
待ちぼうけを食らうシーモアを陰で笑いものにするイーニドだったが、別の日に街で偶然見かけたシーモアを尾行して、彼がレコードオタクであることを知り興味を持つようになる。シーモアのマンションで開かれたガレージセールで、イーニドはシーモアが売りに出した中古のレコードを買い、会話を交わし、徐々に距離を縮めてゆく。
シーモアが自宅でレコードオタクの集まりを開いた日、イーニドはシーモアの部屋に入る機会を得、彼のコレクションと生き様に驚嘆する。
恐らくイーニドは、シーモアという存在から、アーティストやクリエーターにはなれなくても自分らしさを手放さずに生きられると学んだ。たとえ恋愛のときめきが去ったとしても、シーモアの残像はイーニドの中に残り、社会と折り合いを付けられない彼女の行く先をささやかに照らすのではないだろうか。
(そして、シーモアの姿が、一応仕事や勉学などで社会と折り合いを付けながらも、家庭を持たず読書や映画鑑賞や執筆に明け暮れる独身中年の自分と重なる。その生き様が誰かの未来を照らしたりすることはあるのだろうか。もちろん作家として誰かの人生に言葉で貢献するのが一番の目標ではあるものの、映画を観た後、最低限シーモアになれたらいいなという気持ちになった。初見の時と感情移入するキャラクターが変わるというのは、なかなか新鮮な体験。)
矛盾を抱えたアメリカ社会への言及
最初に観た時はイーニドや一癖あるキャラクターたちが織り成す人間模様にしか目が行かなかったが、二度目の鑑賞では、画面の端々に映り込むアメリカ社会への皮肉もいくつか拾うことができた。
ライブハウスのシーンに、ブルースに影響を受けたと思われる白人のボーイズバンドが登場する。ヴォーカルは「朝から晩までcotton(綿花)を摘む毎日さ」みたいな歌を熱唱する。確かにブルースにありがちな歌詞だ。しかし、綿花を摘む労働をさせられていたのは主に黒人であり、白人は黒人をこき使う側だったはず。労働者の心の拠り所として作られたブルースという文化を、ブルジョワである白人が無神経に簒奪しているという皮肉な現実が、この短い場面にそっと描かれている。
���た、イーニドとレベッカが一緒にパーティーに行くとレベッカばかりが男性に声を掛けられる件には既に触れたが、声を掛けてくる男性はほぼ白人だ。アジア系の男性や黒人男性などがレベッカをナンパすることはない。たまたま二人の住む街が白人の多い地域という設定なのかもしれないが、このようなキャスティングが決まった背景には、制度上の人種差別がなくなっても人種によるヒエラルキーが社会に残っているという監督の認識があるのではないかと感じた。
そして、個人商店がチェーン店に取って代わられ、住宅地が画一的なマンションで占められ、街が少しずつ個性を失ってゆく描写もある。レベッカが働くカフェ(ロゴがスターバックス風)やイーニドがバイトをクビになるシネコン内の飲食店は、無個性なチェーン店そのものだ。モノやサービスが画一的になり、雇用や労働のスタイルも画一的になり、マニュアル通りに動けない人間が排除される世界へのささやかな批判が、様々なシーンの片隅にそっと隠されている。
この映画は、十代の葛藤を単なる自意識の問題として片付けず、矛盾だらけで個性を受け入れない社会にも責任があると言ってくれていた。改めて、監督や制作者たちのティーンエイジャーに対する温かい眼差しを感じた。
ラストシーンをどう解釈するのか
ネタバレになるので詳細は伏せるが、この映画のラストシーンは比喩的で、どう受け止めるのが正解なのか分からない。イーニドの人生に希望の光が差すことはなく、かといって大きな絶望が訪れることもなく、自分を命がけで守ってくれた人の思い出を胸に強く生きることを誓うみたいな展開にもならない。とにかく、分かりやすいメッセージのある終わり方ではないのだ。
(映画館を出た後にエレベーターで乗り合わせた若いカップルも、やはりラストの解釈が難しいという会話をしていた。)
私自身は、このラストを、イーニドが他力本願な自分から卒業することをようやく決意したという意味に捉えている。
これまでのイーニドは、心細くなれば友人のレベッカやジョシュを呼び出し、映画の中盤以降ではシーモアにも絡んでいた。人生に行き詰まれば、誰かを頼って気を紛らわす。偶発的に何かが起こって道が開けないかな、みたいな感覚で生きているような印象だった。 しかし、物語の終盤で、一時はイーニドにとってヒーローだったシーモアが、突然遠のく。レベッカとも既に疎遠になっているイーニド。そして、不思議なラストシーン。イーニドは、私たちに背中を向けている。
イーニドは、自分を導いてくれるヒーローも、どう生きるべきか教えてくれる天使も、どこにもいないということに気付いたのではないだろうか。 人間は最終的には孤独で、自分の人生は自分で切り拓いてゆくしかない。ラストシーンのイーニドからは、彼女が紆余曲折の果てに辿り着いた人生の真理が滲んでいるように思える。
そして、イーニドの後ろ姿は、スクリーンのこちら側にいる私たちに対しても「自分の人生は自分で切り拓いてゆくしかないよ」と語りかけている気がする。どう生きるべきか、映画に教えて貰おうなんて思うなよ。自分で行動して、傷ついたり恥をかいたりしながら、自力で見つけるんだ。
以上が私なりの解釈だが、違う見方もあるのかもしれない。他の人の批評も検索してみたい。
おわりに
Bunkamuraル・シネマでの「ゴーストワールド」上映は明日で終わる。しかし、各地の名画座での上映はまだ続くようだ。これからも沢山の人がイーニドたちに出会うことを想像すると、自然と笑いがこみ上げる。
イーニドの冴えない青春は、観た人の心に何をもたらすのか。
これを読んで少しでも気になった方は、是非スクリーンで、ラストシーンまで見届けてください。
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JR九州の子会社「JR九州高速船」(福岡市博多区)が日韓を結ぶ高速船「クイーンビートル(QB)」の浸水を隠して運航を続けた問題で、福岡海上保安部は17日、船舶安全法違反(臨時検査不受検航行)と海上運送法違反(安全管理規定違反)の容疑で同社と船内の2カ所を家宅捜索した。 海保によると、捜索の容疑は、JR九州高速船が2024年2月にQBの浸水を確認しながら臨時検査を受けず約3カ月にわたって運航を継続し、国土交通相に届け出た安全管理規定にも反して業務をした、としている。 JR九州高速船は5月に初めて浸水を認識したように装い、国交省九州運輸局に報告した。だが、国交省が8月に実施した抜き打ち監査で隠蔽(いんぺい)が発覚。浸水を感知しないよう警報センサーをずらしたり、航海日誌に「異常なし」とうその記載をしたりしていたことも明らかになり、JR九州高速船の前社長の指示だったとした。QBは8月13日から運休している。 こうした問題を受けて国交省は9月、JR九州高速船に対して海上運送法に基づく行政処分の安全確保命令と安全統括管理者・運航管理者の解任命令を出した。JR九州高速船は、別の浸水トラブルの後に必要な検査を受けていなかったとして23年6月にも安全確保命令を受けており、国交省は今月末までに再発防止策を報告するよう求めている。 海保は「証拠隠滅の恐れがあり、捜査に支障を来す恐れがある」と強制捜査の理由を説明。この日は午前9時過ぎから3時間ほど、十数人の捜査員が会社と船内に分かれて捜索し、押収した資料を入れたとみられる段ボール箱などを運び出した。今後、押収資料を分析し、隠蔽工作の全容解明を進めるとみられる。臨時検査不受検航行の罰則は1年以下の懲役もしくは50万円以下の罰金。安全管理規定違反の罰則は100万円以下の罰金。 JR九州の広報担当者は「海上保安部の捜査に真摯(しんし)に対応します」とコメントした。 ◇「海保の厳しい姿勢、警鐘に」 強制捜査について、第3管区海上保安本部の元本部長で日本水難救済会の遠山純司理事長は「会社が浸水をどう認識し、組織ぐるみで隠蔽していたのか、誰が指示していたのかといった一連の流れの裏付けが取れるかがポイントになる」と指摘。「北海道・知床半島沖での観光船沈没事故を受け、管理者側の責任が厳しく問われる流れになっている。海保が厳しい姿勢を示すことが警鐘を鳴らすことにもつながる」と話��た。【栗栖由喜、下原知広、長岡健太郎、森永亨】
JR九州高速船を家宅捜索 浸水隠し運航した疑い 福岡海保(毎日新聞) - Yahoo!ニュース
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2024/11/12 7:00:22現在のニュース
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