#2004年6月25日
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(Xユーザーの上田桃夏 Uthm Momokaさん: 「#20歳 になりました!!✨ たくさんの支えのおかげで ここまで成長することができました。 これからもアーティスト目指して 全力で駆け抜けていきたいと思います‼ 20歳の上田桃夏もよろしくお願いします‼🍑 今日は名古屋でバースデーワンマンライブ❤️🔥❤️🔥 よろしくお願いします‼ https://t.co/aCFa8XCffR」 / Xから)
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埼玉県北本市立北本中学校1年の女子生徒が2005年に自殺し、背後にいじめがあったと指摘された事件。 経過 女子生徒は埼玉県北本市立小学校6年だった2004年から、同級生から「キモイ」「うざい」「死ね」などと悪口をいわれるなどのいじめを受けていた。当時の担任教諭が加害児童を指導したものの、加害者は逆恨みし、加害児童2人からトイレに連れ込まれて「便器に顔を突っ込め」と言われるなど、いじめは深刻化した。 生徒は小学校卒業後の2005年、北本市立北本中学校に進学した。しかし中学校進学後もいじめが続いた。悪口や無視、靴を隠されるなどがあったとされる。 生徒は2005年10月11日、自宅近くのマンションから飛び降り自殺した。「生きるのに疲れました。本当にごめんなさい。死んだのはクラスの一部に、勉強に、テストのせいかも。楽しいこともあるけどつらい。いやな事は何億倍もあるから」などと記されたメモを残していた。 家族はメモを受けて、いじめではないかと学校に相談した。しかし学校側は当初、いじめの調査をせず、生徒が自殺した事実関係についてもうやむやにしようとしたとされる。 家族が北本市の市長宛に陳情をおこなったことを知って初めて、市教委と学校が動いた。しかし調査内容は「学校に来るのは楽しいですか」「何か心配なことはありますか」などと、自殺した生徒に関係するいじめの事実関係というよりも、同級生の生徒自身のことを問う内容となっていたと指摘されている。 生徒の自殺後、「いなくなってせいせいした」と話す生徒がいたと指摘された。また生徒の机に「see you,the end」と落書きがされていたという。 訴訟 生徒の両親は2007年2月、北本市と国を相手取り、約7700万円の損害賠償を求める訴訟を東京地裁に提訴した。国の責任については「成果主義の導入や不登校政策などの文部科学省の施策により、いじめ自殺や隠蔽を助長した」と指摘した。いじめ問題で政府の施策を問い、国を被告にした国賠訴訟は初めてだとされる。 東京地裁は2012年7月9日、「不愉快に感じることはあったと思われるが、一方的・継続的でなく、いじめではない」「遺書の内容から自殺を決意した原因を特定するのは困難」などとして、両親の請求を棄却した。 両親は東京高裁に控訴した。控訴審では、同級生がいじめの状況について証言したという。 東京高裁では和解を勧告したが、まとまらなかった。東京高裁は2013年4月25日、「友人関係の一時的な悪化はあったかもしれないが、いじめはなかった」と判断し、両親の請求を棄却した。 両親は最高裁に上告したが、最高裁では2014年9月25日付で上告を棄却した。
埼玉県北本市立北本中学校いじめ自殺事件 - きょういくブログ
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るんぺんパリ【RunPenParis】
自己紹介 2024年11月4日追記 6116文字】 三重県伊賀市(旧名:上野市)出身 伊賀市(旧名:上野市)に 1976年(3歳)から 1996年(23歳)6月まで住んでいた 1976年以前の記憶と出生は不明 津市にある施設にいたと聞いた覚えがある 三重県亀山市に二つか三つ年上のお兄さんいるらしいが あった事は一度もない 30代の頃に一度だけ電話で話をした 父方に引き取られたお兄さんに 母親の事を聞いた 母親は別の人と再婚し離婚して 娘さんと一緒に暮らしているらしい 父親は再婚して自分と同じぐらい娘さんがいるらしい お兄さんはおじいさんの事を尊敬していて 中国語を勉強してるらしい あとは色々と聞いたけど 覚えているのはそれぐらいの内容で もう二度と話す事はないだろうと その時に思ったけど お兄さんの顔がどんな顔なのかは 見てみたい気持ちは少しある
伊賀市でそこそこ有名なのが 伊賀流忍者で忍者屋敷は今も昔も変わらない内容で 営業している それは去年に末っ子を連れていったから確認済 外観はただの古い家だけど 中に入ると意外と見応えはある 観光施設って感じ 伊賀牛は金谷のすき焼きが有名で 森辻が新しい様相なってから焼肉を食べた 個人的には伊藤の牛丼が好きだ 油が多い感じのお肉だから 100gも食べれば満足感がある 上野天神祭の鬼行列も有名��な ひょろつき鬼が子供の頃は本気で怖かった 銀座��りが歩行者天国になり 的屋がならぶ 高校生の頃はリング焼きが100円ぐらいで 何個も買って食べた 今年は10月18・19・20(金土日) 19(土)は久しぶりに一人で一日中お祭りを楽しむ予定だったけど 昼前から雨が降ってきて鬼行列は中止 午前中は親戚を3件回って、おみやげを渡した 午後に実家によって車を駐車して 歩いて上野天神祭へと向かった いつも泊まる「伊賀上野シティホテル」は1泊10000円以上も高い 16800円だった。この日は駐車場も使えなかった 夜の19時から同級生のお店「クワトロNo.4」に初めていった 30年ぶりにちゃんと会ったガキさんは すぐに気がついてくれた 居心地がよかったので閉店の1時までカクテルを8杯ぐらい呑んだかな 意外と安くて8200円だった 次の20(日)は上野天神祭に参加している同級生のオデに会って 鬼行列の準備風景を写真に撮って 上野天神さんの近く紅梅屋でおみやげを結構買って 桔梗屋で上生菓子とお茶を飲んで 静岡へ帰った 松尾芭蕉は俳句で有名で伊賀出身で 小学生の頃はがっつりと俳句を作らされる 俳句はいやいや作らされたので 俳句番組は見ない 俳聖殿の中には過去の優秀な俳句が収められていたかな 普段はこれといって何もないけど 俳聖殿のたたずまいは何か「The Haiku」という感じ 上野城のお堀の高さ日本2位? 一時期は日本1位説もあった 中学生の頃は上野城で体育の授業があったり クロスカントリーレースで走らされたり 高校生のデートも上野城が定番だったのか それらしき男女がイチャついていた 夜のライトアップは不気味なお城に見えた 一応、桜の名所なのかな 高校生の頃に一つ年下の子とつきあっていた頃は よく上野城をさんぽした 帰りはその子の家の近くまで送っていった この子はとても純粋な子で 自分にはもったいない子だった 半年もつきあっていないが 今でも純粋で幸せになっているかなと思い出す事もある もう向こうは忘れているだろうけど 伊賀の街には銀座通りとか丸の内とか 東京で聞くような名称が多く使われている 地元のうわさでは東京が伊賀の真似をして 街を作ったとの話がよく出てくるから 誰か本気でテレビとかで調べてほしい気もする いまだに東京が伊賀のマネをした説を 親戚がまじめ��顔でいいだす時があるから 本当に真実が知りたいけど 自分が調べるほどは興味がない 2004年(平成16年)11月1日に 伊賀市に変わってから 上野市駅が忍者市駅になり 近鉄の電車だったのが伊賀鉄道になり 電車がコスプレになった 駅前には銀河鉄道999のメーテルと哲郎の銅像があり 産業会館がハイトピア伊賀になった 産業会館だった時にマルキンのパン屋が近くにあった そこのシナモンパンが子供の頃から大好きで 今はもう手に入らない もう一度、あのシナモンパンが食べてみたい あと小さなパチンコ店「マルト」があった 「フルーツパンチ」という機種で勝った覚えがある あと「麻雀物語」もあったかな 「海物語」という機種が記憶の最終機かな 上野で住んでいた時期に一日で20万近く負けて それからパチンコは完全に辞めた じつはその後もたまにしたが 本当に気晴らし程度で その内にきっぱりとやめた スロットが主流になったら なおさら興味すらなくなった 新天地もなんかおしゃれなサビれかたで 「新天地Otonari」となった 街は高校生の頃の面影は薄くなったけど 何となく残っている上野市街は今でも魅力的だ 新天地には映画館もあった気がする 当時は賑やかな商店街だった 当時からあった「喫茶店フランセ」は今もある 大きな化粧品店は更地になっていた 高校の時の知り合いが「クワトロNo.4」という バーを経営しているが、まだ入った事はない いつか行ってみたい気持ちはある ただダーツバーらしく 常連っぽい人たちのたまり場っぽいイメージで 気楽入れなさそうな雰囲気はある 一度だけ朝方にお店の扉までいったけど バーの扉って感じで雰囲気はあった 最近は実家で一人暮らしのおかんの様子を見に よく帰省するようになったけど 若い頃は年一回も帰省しなかった 最近の伊賀でよく立ち寄るのが 「菓匠 桔梗屋織居」と 「HANAMORI COFFEE STAND」と 「岡森書店白鳳店」で 岡森書店は、Kマーホの名で出版した 「トイレの閃き」が背表紙の色が抜けた状態で 25年以上も本棚に置いてくれている これを見ると初心に戻れて まだまた創作していこうとがんばれる この岡森書店の店長さんは従姉の同級生で 小学校の先輩の同級生でもあり この店長の妹さんは自分と同年代で それにしても伊賀は狭いなと感じる
市部という地区だったと思う 近くに市部駅という無人駅がありその近くの 依那古第一保育所に5歳から6歳の2年間通った おかんは自分の送り向かいのために 自転車を乗る練習して そのおかんが運転する自転車の後ろに乗って 途中の田ん��に二人で落ちて 泥だらけになった おかんは去年の年末まで 81歳でまだ自転車に乗って 小田町の坂を下っていたらしい いまは親戚から危ないからと 召し上げられた 小学校6年卒業までは上野市依那具にある 市営の城ケ丘住宅で過ごした この市営住宅はもう40年以上も その雰囲気を変えずに今でも残っている ここは伊賀市の文化遺産にしていいほどの時間が止まった場所だ いまだに汲み取り式の便所の換気の煙突が立ち並んでいる このカオスな感じは小学生の頃の不便な生活を思い出させる あの生活で暮らしたから今があるのは確かだ 小学校の通学路にある 垂園森でよく遊んだ 現在も存在しているが オバケが出そうな森 この森は当時通っていた依那古小学校の校歌の歌詞にも出て来る イメージ的には幽霊が出そうな森だけど 何か不思議な生き物が住んで居そうな森に見えた きつねも出そうだし おばけも幽霊も心霊も もしかするとタイムスリップして 小学生の頃に戻れそうな気もする森だと変な懐かしさを感じる 近くには無人駅の市部駅とにらめっこしている森 中学校から市街の上野城の 城下町で過ごした 当時はカオスな市営城ケ丘住宅から出れる事が本当にうれしかった 小学校までの友達とも飽きてしまっていたので寂しくはなかった 当時から色々な物にすぐに飽きては新しい物が好きだったので そっちのワクワク感で本当にうれしかった そして築20年以上の中古の一軒家で2階建て 自分の部屋がありトイレは汲み取り式だけど洋式で あこがれの上野の街で住める事もあって本当にうれしかった
そして近くの崇廣中学校に通う事に 中学校の3年間は 転校生という立場と 中一で足の骨折 バスケ部の試合で名張の体育館で遊んでいて 二階から飛び降りたら右足のかかとがにヒビが入った その夏にはバスケ部をクビになり陶芸部に入った 中二で腕の骨折 どちらも遊んでいての骨折2回 中三の高校受験で いい想い出は無い
高校2年生で 小学校の時にサッカーで出会った 旧友とバンドを組んだ RCサクセションのコピーで 「雨上がりの夜空に」「トランジスタラジオ」 「ベイベー逃げるんだ」「サマーツアー」 「サントワマミー」「いけないルージュマジック」 「いいことばかりはありゃしない」 「どかどかうるさいR&Rバンド」 旧友が作ったオリジナル曲「ガレージの上のR&Rバンド」 一番のモテ期だった気がする ただバンドをやっている自分を見て 好意を寄せられても違うなと思った バンドをしていない時はただのバイトに明け暮れた 高校生だったから バンドマン目線のそういう女子には興味がなかったから 冷たい感じだったかも 本当にこの時期がこれまでで一番楽しかった。 高校生の頃はたくさん���をしたが 自分が不器用だったので自分が好きだった人からは つきあえてもすぐにフラれた 人を好きになることに迷走し始めて 最終的に好きになる事はやめて なんとなくという感情で奥手に過ごしていった そのせいか、他校の女子からゲイだとウワサされる事もあった なぜそうなるか不思議だったけど 当時は楽しければなんでもよかった
1993年 一人暮らしを始める やっと自由になった気がした 2年間ぐらいは金が無くて 通帳の残高は毎月マイナス50万 カツカツ生活 家賃と車のローンがきつかった 1996年7月から 2003年7月の 7年間は茨城県と千葉県の県境 利根川の近くに住んでいた この界隈を走るタクシー運転手の 態度は本当にムカつくから こっちも態度悪く乗ると 気分の悪さはお互いさまになる 関東平野は景色が無く ここでの生活は落ち着かなかった 食文化も人も気候も水も 肌に合わなかった 特にうどんの汁が濃いだけのシンプルな味は げんなりさせてもらった ただ寺原駅近くの「ふる川」はよく通った とくにカレーめちゃくちゃ美味かった この「ふる川」は今もやっている 当時はお店の小学生の女の子が手伝っていた 夫婦だけでやっていて 週3回ぐらい夕飯でお世話になった 「さば定食」もよく食べた気がする
1997年から パソコンをミドリ電化で38万で購入して 作詞やネットに興味を持つ まどみちお詩集を読みだす 作詞に近い詩を書き始める 「Kマーホ」という名で 詩を書き始める 目標を300篇と決めて 詩を思いついたら メモをつけるようになる 週末は家に引きこもり 一日中、音楽を聴きながら パソコンがあるのに まだワープロで詩を清書していた
1998年から2002年まで 「Kマーホ」の名で 詩に団体に参加したり 詩の賞に応募したり 詩集を自費出版したり この当時参加していた詩の団体には もうドロドロとした 詩を書く人や あまりにも読み解けない詩や 暴力的な人や いい人もいたけど 自分とは全然目指している方向が 違うので2年目ぐらいで辞めた それからは詩の団体に興味は無くなった それから 自費出版した詩集を 全国の小中学校や 全国の図書館へ寄贈して 活動を休止 理由は2000年に結婚してから 集中して詩を書く時間が無くなってきたから 2002年に2つの詩集を出版して 詩の事は全部段ボール箱へ入れた
2003年から2019年まで 育児に重点を置いて生活をする この���期は友達とも連絡を 切っていたので のちに死亡説や宗教説が出ていたらしい 2003年7月から 現在は静岡県在住 もう20年以上住んでいる
2019年 るんぺんパリ【RunPenParis】の名で 詩を書き始める SNSでの詩の発信を始める るんぺんパリ【RunPenParis】とは フランスはパリの街�� ぺんを持って 走るという意味から 【RunPenParis】ができた 1973年8月1日生まれ(もう51歳) しし座 O型 右利き 詩・詩集・ことばをデザイン アート・写真・小説・ペン画 松尾芭蕉の生家がある伊賀市で 十代までを過ごし 俳句が幼少期から 身近に存在していた 二十代から詩を書き始めて 「Kマーホ」名で活動(1999-2002) 詩集6冊を出版して活動休止
その後 松尾芭蕉の俳句のような シンプルな言葉遊びを 詩で出来ないかと考えていた中で 令和元年(2019)に 「るんぺんパリ【RunPenParis】」の名で 活動を再開 SNSに140文字に 言葉をデザインした詩 「140文字詩」を 毎日投稿する活動を始める 2023年9月に140文字詩が 1200作品に到達した事で 「140文字詩」を全国へ さらに世界へと 俳句のように広く知られる 存在になって欲しい ◆るんぺんパリ【RunPenParis】作品一覧 【2023年】Amazonで販売 2023/12/27第2フォト集「ほちきす それでは あかんで」 2023/12/2 第1フォト集「とめても ええか ほちきすで」 2023/11/23 第16詩集「もあいの ねごとを よみとる」 2023/9/16 第15詩集「さんもじ もしくは よんもじ」 2023/9/9 第14詩集「のこりの あぶらは わるもの」 2023/9/2 第13詩集「あそびも しごとも たいふう」 2023/8/26 第12詩集「かいてきな しつどに おぼれる」 【2022年】Amazonで販売 2022/12/6 第11詩集「やくそくは よなかの おひるに」 2022/11/3 第10詩集「みさんがの ともだちの たまんご」 2022/10/7 第9詩集「くうきと さんその かつさんど」 2022/9/3 第8詩集「さついを こめた いもけんぴ」 2022/8/7 アート作品集「やさいに つめる にくえらび」 2022/2/14 アート作品集「よなかに ひかる かみぶくろ」 2022/1/1 第7詩集「みかんの むくちな きもち」 【2021年】Amazonで販売 2021/9/8 第6詩集「そんな ことばは さよなら」 2021/8/3 第5詩集「あさに おくれた なんて」 2021/6/5 第4詩集「すいかの たねの ちょうこく」 2021/5/31 第3詩集「たんぽぽの たまご ひとつで」 【2020年】Amazonで販売 2020/7/27 第2詩集「こよい こよりの そらから」 2020/3/2 詩小説「すきから あいへ おやすみ」 【2019年】Amazonで販売 2019/7/21 第1 詩集「ところで あした あいてる」 ◆Kマーホ 作品一覧(1999-2002) 【2002年】 2002/4/30 第6詩集「眠立体(ねむりったい)」 2002/4/4 第5詩集「コールサック」 【2000年】 2000/7/31 第4詩集「マガサス星人」 2000/1/31 第3詩集「おしりとサドルが あいますか」 【1999年】 1999/8/1 第2詩集「テレビジョン」 1999/5/1 第1詩集「トイレの閃き(ひらめき)」 【受賞】 2001年 詩「眠立体(ねむりったい)」第6回トワイライト文学賞 2000年 詩「永遠の親友」信越郵政局長賞 1999年 詩「トイレの閃き(ひらめき)」第1回万有賞 1998年 作詞「地球のウラハラ」第31回日本作詞大賞新人賞候補ノミネート
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【ライヴレポート】MUCC、<鵬翼・極彩>再現ツアー日比谷野音公演に「時の流れ、長い年月を感じながら」
MUCCが5月6日、日比谷野外大音楽堂にて<MUCC 25th Anniversary TOUR「Timeless」〜鵬翼・極彩〜>のファイナル公演を開催した。過去アルバム『鵬翼』『極彩』再現ツアーの最終公演にして、25周年イヤー締めくくりの公演を12月28日に東京国際フォーラムにて開催することも発表となった同ファイナルのオフィシャルレポートをお届けしたい。
◆MUCC 画像
2022年に結成25年周年を迎えたロックバンドMUCCが、過去のアルバムを再構築したセットリストで廻るツアーを開催中だ。第一弾は2022年10月~12月に行なった<MUCC 25th Anniversary TOUR 「Timeless」~是空・朽木の灯~>で、彼らが2003年に発表した『是空』、さらに2004年に発表した『朽木の灯』をコンセプトにしていた。そして第二弾として行なったのが、2023年3月から始まった<MUCC 25th Anniversary TOUR 「Timeless」~鵬翼・極彩~>である。そのファイナル公演となったのが、5月6日に開催された日比谷野外大音楽堂でのライヴだ。
この日、関東地方には朝から強風が吹き荒れていたが、野音は公園の木々のおかげ��、強風の影響はそれほどでもない。初夏を告げる暑い日差しが降り注ぎ、むしろ風が心地いいぐらいだ。そんな野音にSEとして『極彩』の1曲目「レイブサーカス」が鳴り響いたのは17時35分のこと。トライバルなリズムに合わせ、オーディエンスはハンドクラップしながら期待を高めるばかり。紫色や黄色など様々なスポットライトが点滅し、まさに極彩色となったステージ。そこに主役のMUCCが登場すると、でかい歓声と拍手が湧き上がる。鮮やかな振袖の着物をジャケット代わりに羽織った逹瑯(Vo)は、オーディエンスを煽るようにマイクスタンドを高く上げた。
アルバム『極彩』の流れを汲むように、「極彩」へ突入。興奮を煽りたてるヘヴィサウンドが炸裂し、客席を埋め尽くしたオーディエンスも激しいヘドバンを繰り返し、開演から数分も経たずして一体化。ミヤ(G)とYUKKE(B)は立ち位置を入れ替わりながらプレイし、逹瑯は宣戦布告するように歌をとどろかせていく。
「いい天気だな、日比谷!」──ミヤの喜びの声から続いたのは「嘆きの鐘」。ヘヴィな面もありながら、レゲエのリズムやフレーズも飛び交うナンバーだ。曲の途中でブレイクして、「いこうか!」と笑顔も見せる逹瑯。また「ガーベラ」のイントロでは「日比谷、飛べんの? 全員で飛べー!」と焚きつける。とはいえ、ジャンプしながら楽しめるのはイントロ部分ぐらい。なにしろ切ないメロディやメロウな展開も顔を出す曲で、一筋縄ではいかないアレンジが「ガーベラ」の特徴でもある。それでも曲に見事に食らいついていくオーディエンス。バンドとひとつになり、さらに曲とも呼吸をしていく様は、さすが、MUCCの熱心なファンである夢烏(ムッカー/ファンの呼称)たちだ。それに曲そのものも、リリース当時とは違う顔つきを見せている。
アルバム『極彩』をリリースした2006年当時、逹瑯はミヤの書くメロディに応えながら、シンガーとしての殻を破り始めた時期だったと思う。絶望感やネガティビティを背負ってもがいているような唱法が初期だったとしたら、暗闇や密室にいた自身を自ら解放したのが『極彩』に取り組んでいた時期だった。その結果、重苦しさばかりではなく軽やかさなども唱法に備わり、同時に幅広いメロディも積極的に歌い始めていった。そこからさらに約16年経ち、シンガーとして大きく成長した今、逹瑯は当時に思い描いた理想の歌を野音で具現化していく。細部まで気持ちを入れながら、しかし感情過多になりすぎることもなく、言葉のひとつずつがしっかり聴き取れる。早い話、伝わる歌だ。それが曲の新たな顔つきにもなっている。
「晴れたね。雨の野音も嫌いじゃないけど、やっぱ晴れって気持ちいいね。この自然の光も合わせてMUCCを楽しんでいってください。時の流れ、長い年月を感じながら、最後までよろしく」──逹瑯
逹瑯のそんな言葉をはさんで、曲はライヴ会場限定発売シングルの2曲へ。「想-so-」ではバイオリンとチェロ奏者も加わり、優しく切ない歌とバンドサウンドでオーディエンスを包み込む。しかしライヴはここから急展開。ミヤのエッジの尖ったリフに、逹瑯が気のふれたような狂った歌いっぷりが絡み合いながら「リスキードライヴ」で攻め立てる。その勢いのままコーラスやフェイクでコール&レスポンスも起こし始めた。逹瑯ばかりでなく、メンバー名を叫ばせるコール&レスポンスで楽しむのはYUKKE。さらにミヤもムチャなハイトーンすぎるフェイクでコール&レスポンスを楽しみながら、自分も笑ってしまうミヤ。一体感と熱気と楽しさのカオス状態だ。
「たくさんの人がMUCCに真剣に向き合ってくれて、そんな人たちに囲まれてとても幸せだと思います」──逹瑯
バンドを代表して逹瑯が感謝しながら曲は「パノラマ」へと続く。青空が徐々に夕刻へと表情を変えていく中で披露されたこのバラードは、自然の美も野音ならではの演出効果となり、スケール感ある曲となってどこまでも響き渡っていく。
ところが美しさにずっと浸らせないのが、『鵬翼』や『極彩』をリリースした時期のMUCCと言うべきか。憎しみと怒りもこもったレゲエテイスト強めの「メディアの銃声」を叩きつけたと思えば、そこから続くのは「25時の憂鬱」。YUKKEのアップ���イトベースでドゥーミーな香り漂うベースリフに、ミヤがサイケデリックで荒々しいギターを絡ませる。逹瑯は、怪しくけだるい歌を恍惚とした表情も浮かべながら聴かせていく。照明の色使いもひたすらドラッギーだ。美しき夕刻だったはずが、おかしな世界へ精神を誘い込む世界へ変貌。
こうしてライヴは何度もの急展開を見せながら突き進む。恐らくメンバー自身、このツアーのセットリストを考えるのに相当、頭を悩ませたはず。なぜなら曲それぞれが、あまりにも異なる色を持っているからだ。
特に『極彩』を作った2006年当時のMUCCは、“デビリッシュ・イヤー”と名づけ、国内ツアーはもちろん、フェスや海外ツアーなど、怒涛のライヴ活動を行なっている。その過程で刺激も触発もされただろう。新たな曲につながるヒントを掴むこともあったかもしれない。だがMUCCは、自分たちにしかできないことを常に探し求めた。その結果、自由にわがままに音楽を作り始めたのがその時期だったと思う。そのためアルバムは、ひとつの方向性を持ったものではなく、まるでオムニバスアルバムのように違った色合いの曲たちで構成された。だから付けたタイトルが『極彩』でもある。
リリースしたときは初期からのあまりの変化に驚き、ふるい落とされそうになったファンも少なくなかった。しかし、あれから約16年。MUCCの持つ多彩さや多面ぶりも楽しみながら、それぞれの曲に改めてハマり込むオーディエンスの姿が野音に広がっていた。
ライヴ後半、強烈なスラッシュメタル調の「G.M.C」で激しいヘドバンで狂った直後のことだ。逹瑯も、あまりの曲順に自分でも思わず笑いつつ、「優しい歌」へと続いた。MUCCからの温かさと優しさが広がっていく中、オーディエンスはそれを受け止めるように両手を広げ、左��に揺らし、自分たちもMUCCと共に歌う。客席からの歌声を心地よく浴びながら逹瑯が「オマエらのライヴを聴いてんだよ、俺は」と言うと、さらに歌声は大きくなり、大合唱になって夜空に響いていった。そしてステージにレーザーの流れ星が幾つも流れる中、「流星」で感動的にライヴ本編を締めくくった。
アンコールでは、12月28日に東京・国際フォーラム ホールAで結成25周年イヤーのグランドファイナル開催も発表。その前には第三弾ツアーも、第四弾ツアーもある。逹瑯の「最後まで一緒に、盛大に駆け抜けようじゃないか!」という言葉に、野音からでっかい歓声も巻き起こる。
アンコールラスト「WORLD」は、イントロからMUCCとオーディエンスの大合唱から始まった。レコーディングでもファンのみんなからコーラスを送ってもらい、1000トラック以上のコーラスで構成したナンバーだ。声出しも解禁になった今、MUCCと共に新たな世界の始まりを誓うように、1000どころか約3000人のファンが歌う。喜びと幸せに満ちた第二弾ツアーのファイナルとなった。
取材・文◎長谷川幸信 撮影◎冨田味我
■<MUCC 25th Anniversary TOUR 「Timeless」~鵬翼・極彩~>2023年5年6日(土)@日比谷野外大音楽堂 SETLIST SE. レイブサーカス
極彩
嘆きの鐘
ガーベラ
月光
心色
耀-yo-
想-so- [w/ 後藤泰観(Vn) 吉田弦(Vc)]
リスキードライブ
パノラマ
メディアの銃声
25時の憂鬱
ホリゾント
最終列車
謡声
G.M.C
優しい歌
流星 encore en1. 雨のオーケストラ [w/ 後藤泰観(Vn) 吉田弦(Vc) キラーズオーケストラ] en2. 蘭鋳 en3. TONIGHT en4. WORLD
2023.05.10 quelle: barks.jp
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「貧困」貧困化が進む日本。これからどうなる?あなたはどうする?/第68回大人のためのSDGs超基礎講座(2025年3月4日)
「貧困」貧困化が進む日本。これからどうなる?あなたはどうする?/第68回大人のためのSDGs超基礎講座(2025年3月4日) チケット https://kanglo-sdgs250304.peatix.com/view https://www.facebook.com/events/1160348599085391
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2015年9月25日、国連総会にてSDGsが採択され、あれからすでに10年が経とうとしています。人類は、21世紀に積み残してしまった地球全体の危機的課題の解決に向けてどれ程前進できたのでしょうか?SDGsは、人類史上初の世界規模における共通目標として始まりました。期限は2030年です。この時までに、人類がこの目標の達成に向けて、どの程度実践できたかによって今後の地球の未来が決定付けられます。もし、うまくいかなければ、地球の未来は確実に悪化の道に向かいます(と多くの科学者が訴えています)。私たち大人は、運よく80年そこそこの人生を得た中の、その一部の期間、危機を体験するだけに留まれますが、これから生まれてくる子供たちにとってはどうでしょうか。
「こんなに辛く厳しい環境ならば、生まれて来なかった方が良かった」 「2020年頃に生きていた大人たちが、何もしなかったことによって、地球がこのようになってしまった」 「責任は誰にあるのか?」と叫ぶことでしょう。
今の大人たちが、今の世の中の現実を受け継ぎ、作り上げてきたという自覚と責任を持ってしたならば、現在のこの地球の有り様に対し、「俺は知らん」「私には関係ない」「もう何もどうすることもできない」と放置をすることが、どれほどまでに罪深きことであるのか。そうした”反省”も込めて、自戒の念を込めて、このSDGs超基礎講座を開催することにしました。2018年頃より、日本においても、小中学、高校、大学にて、SDGsに関する科目や、学科が次々と作られ、基礎的な知識のみならず、自ら課題解決に向けて実践を続ける子供たちが急増しています。その子供たちから、SDGsのことについて尋ねられて、もはや知っているふりや、否定をすることは出来ません。子供たちは、大人たちの振る舞いや言動を見ています。「このあなたたちが作り上げてきた課題ばかりの社会を、どうしていくつもりなのか」と。もう、もはや恥ずかしくて知らんぷりをすることなど、到底出来ません。必要のないプライドを振りかざして、SDGsを否定するのは止めにしませんか?ご一緒にSDGsの真の在り様、そして、これから一人の人間として、何をするべきなのか、ご一緒に考えていきませんか?
(自戒の念を込めて) 藤井啓人
■日程:2025年3月4日(火)20時~22時 〔他開催日程〕※毎月1回~2030年まで継続予定 2025/4/1 , 5/6 , 6/3 , 7/1... ※毎回第1火曜20時~を予定 ※変更日程あり
■形式:オンライン(Zoom)
■内容: ・毎回、Today’s themeの内容は、その時の情勢によって変わります。テーマの投げかけを行いますが、教える講座ではなりません。 ※どの回から参加をしても大丈夫な仕立てにしております。 ※SDGsの超基礎情報から最新情報、実践的な事例などを取り扱います。 ※参加者と緩やかにつながり、共助、協働できるコミュニティを少しずつ作っていきます。
■参加費:チケット制 https://kanglo-sdgs250304.peatix.com/view ・1回分チケット:1000円 ・5回分チケット:3500円(1回あたり700円) ・10回分チケット:5000円(1回あたり500円) ※小中高大学、大学院生は無料(無料のチケットでの登録をお願いします) ※チケットは、連続して使う必要はありません。ご都合に合わせて無理なく、ご参加下さい。 ※既に未使用のチケットをお持ちの場合は、主催者に参加の旨、一言お知らせください。
■参加対象: ・どなたもご参加頂けます(SDGs超初級者、初級者向け) ※小中高大学、大学院生も大歓迎 ※大切な家族、お友達、会社の同僚の皆さんもお誘い合わせの上、ご参加ください。
■申し込み方法: ・Peatixよりお申込みを頂くと、ZoomURLが発行されます。 https://kanglo-sdgs250304.peatix.com/view ※できるだけ毎回参加してみてください。やがて、自分自身の中に、何か軸のようなものが出来、判断をする時のモノサシを持てたような実感が生まれてくるでしょう。
■企画・運営・ファシリテイタ:藤井啓人(ふじいひろと): ●茨城県東海村出身。高卒後、上京し新聞配達をしながら予備校に通い筑波大学に入学。4年間、体育会硬式野球部に所属し選手と2軍監督を経験。1992年に㈱リクルート入社。12年間、組織・人事コンサルティング事業に従事し、約2000社の企業の変革に携わる。社内表彰制度で全国MVP・部門MVPの受賞計8回。 ●2004年に独立し、事業再生コンサルティングのマネジメントリコンストラクション社を設立。2010年5月カングロ㈱ 代表取締役に就任。独自のサステナビリティ・イノベーティブ・コンサルティング事業開始。 ●米国で「今最も羨望の注目を浴びる企業」とされるオンライン・リテーラーのザッポス社のハピネス経営、「社員をサーフィンに行かせよう」「レスポンシブルカンパニー」の題材となっているアウトドア用品メーカーの米パタゴニア社を研究し続け、これまで約1000社3000名のビジネスパーソンにセミナーや勉強会等でその真髄を伝えてきた。 ●2012~2016年には西アフリカのナイジェリア連邦共和国にて合弁会社を設立し、水問題、エネルギー問題、食糧問題、環境問題を日本のテクノロジーで解決するソーシャル事業も行う。 ●2013年以降、システムD研究会、自転車事故防止委員会、セブメディの会を設立、「懐かしい未来プロジェクト(HOOPS!)」「サステナ塾」を開始し、持続可能な地域社会の実現のために人間本来の役割を思い出すためのあらゆる「体験」の場と機会を提供している。 ●2024年10月1日にカングロ㈱代表取締役を退任。日本社会事業大学、茨城県農業大学校営農塾入学。農福連携×アート事業の為のNPO法人設立(どんぐりヴィレッジ・ケアファーム)準備中。 ●自転車のある生活をこよなく愛し、年間約1万kmを走破する。これまでの趣味はゴミ拾い、ウルトラマラソンランナー、トライアスリート。
※【ダイジェスト版動画】講座特別映像をご視聴頂けます:
「食」の真実~あなたは、生きるために食べる?食べるために生きる?/第67回(2025年2月4日) 準備中
2025~その「転換点」を直視し備えよ/第66回(2025年1月7日) 準備中
オーガニック・ポータル~あなたには「魂」がありますか?/第65回(2024年12月3日) https://youtu.be/LXil99Y3QS4
ガザ危機~世界には、本当に平和が訪れるのか?/第63回(2024年10月1日) https://youtu.be/0dO7yGGaHpM
��メリカ大統領選のゆくえ~世界は本当に変わるのか?/第62回(2024年9月3日) https://youtu.be/exIiXly4xNM
ノーモア・ヒロシマ・ナガサキ~人類は、核兵器を捨てることが出来るのか?/第61回(2024年8月6日) https://youtu.be/DhYhJplXjdM
シンギュラリティの真実~人工知能革命の先に起こること/第60回Aniv.(2024年7月2日) https://youtu.be/BmaZb6xL5-Q
人間のゾンビ化を止めろ!人間という種の退化が始まっている/第59回(2024年6月4日) https://youtu.be/LaYpV4TiNO8
自然災害の激甚化がもたらすもの~人類は生き残れるのか?/第58回(2024年5月7日) https://youtu.be/bLZOiSM-7EI
サステナビリティ3.0~企業の外部化されたコストを内部化する/第57回(2024年4月2日) https://youtu.be/l-uH0EsX6B4
世界の福祉の実態/第56回(2024年3月5日) https://youtu.be/FOsEj6EdWQI
世界の農業の実態/第55回(2024年2月6日) https://youtu.be/v-R9SJaRk2w
地球のケアテイカーになろう/第54回(2024年1月9日) https://youtu.be/vACtwR96iIg
グレートリセットとは何か?/第53回(2023年12月5日) https://youtu.be/x-CW0tPLtzE
戦争が無くならない本当の理由/第52回(2023年11月7日) https://youtu.be/ISZKjSPep0k
変質化した異常火災について/第51回(2023年10月10日) https://youtu.be/OLS2ds5pwic
2030年に起こることを想像してみよう/第50回Anv.(2023年9月12日) https://youtu.be/ODgY-z-vY0I
SDGsのスーパー事例を集めてみた!/第49回(2023年8月1日) https://youtu.be/pbLHzt08_hU
SDGsはもう終わったのか?SDGsの本当の目的を探る/第48回(2023年7月4日) https://youtu.be/lXrA8KV88zY
Wind(風)について考える~風の神秘/第47回(2023年6月13日) https://youtu.be/QtDcfxztkWE
Fire(火)について考える~火の神秘/第46回(2023年5月2日) https://youtu.be/owWgezVx46g
Soil(土)ついて考える~土壌の神秘/第45回(2023年4月4日) https://youtu.be/f3IQ7Y7CVo8
Water(水)について考える「第4の水の相」の神秘/第44回(2023年3月7日) https://youtu.be/VBB9A5qC-7c
宇宙開発の真実/なぜ今、加速化する宇宙開発?/第43回(2023年2月7日) https://youtu.be/LaOkFIBHW98
超メタバース社会を検証する~私たちは異次元を受け入れるのか/第42回(2023年1月17日) https://youtu.be/9SD6WBMxKfE
COP27を検証する~もう私たちは間に合わないのか/第41回(2022年12月13日) https://youtu.be/R_ceFx0TbOw
総貧困化社会~私は大丈夫の妄信/第40回Aniv.(2022年11月1日) https://youtu.be/7Y0gZwjylak
大災害が来る~何を心得、何を備えるべきか?/第39回(2022年10月4日) https://youtu.be/NsEv0mQfvQs
核兵器~人類は、また使うのか?/第38回(2022年9月6日) https://youtu.be/TtxvRAm7m3g
超脱炭素社会の到来~本当の目的とは何なのか/第37回(2022年8月9日) https://youtu.be/FPKsy4HS7u8
超食糧危機に備えよ~食糧危機キャンペーンの真実/第36回(2022年7月12日) https://youtu.be/LO4iQL9YcfA
人と人との関係を考える~人と人が支え合い生きていくこととは/第35回(2022年6月14日) https://youtu.be/OyxWiEGPGfw
働き甲斐とは何かを考える~人は何故にはたらくのか/第34回(2022年5月10日) https://youtu.be/emPiTtkimPA
本当の健康を考える~人は何故に生きるのか/第33回(2022年4月12日) https://youtu.be/B_h6wRitTbY
生命活動の源であるエネルギーのことを考える/第32回(2022年3月8日)https://youtu.be/A4CxeazfnxE
地球の空気の奇跡を知る~あなたが知らない空気の話/第31回(2022年2月8日) https://youtu.be/LtJIbXfR_I0
フルバージョン動画はこちらで視聴頂けます。大人のためのSDGs超基礎講座・全アーカイブ動画集(有料コンテンツ) https://vimeo.com/ondemand/kanglosdgs
■企画・運営:SDGs超実践者委員会(SSPC)、カングロ株式会社 https://www.kanglo.co.jp/ 協力:サステナ塾/システムD研究会/イノベーションサロンZ/ショック・コヒーレント・イノベーション・クラブ/フィロアーツ研究会/懐かしい未来へ・どんぐりヴィレッジプロジェクト https://for-good.net/project/1001029
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参考書籍
目次は こちら
参照書籍一覧
このWEBサイトで使用した資料は下記の書籍です。略称を独自に決めました。この略称は、他に通用する略称ではありません。本文との関係で、見やすいように略称を頭に記しました。
1.『朝鮮の歴史』―先史から現代まで―:田中俊明氏編、株式会社昭和堂発行、2008年4月初版第一印刷、2011年4月初版第3印刷
2.『韓国の中学校歴史教科書』:世界の教科書シリーズ13、(中学校国定国史)、三橋広夫訳、株式会社明石書店、2005年8月31日初版第1刷発行
3.『韓国の歴史教科書』:世界の教科書シリーズ39、高等学校韓国史、検定版、イム・ヘンマン氏、キム・サンギュ氏、パク・ポミ氏、パク・チュンヒョン氏、チョン・ヘンニョル氏、イ・インソク氏著、三橋広夫氏・三橋尚子氏訳、株式会社明石書店発行、2013年12月25日初版第1刷発行、2017年8月25日初版第3刷発行
4.『朝鮮史1』:世界歴史大系・李成市氏・宮嶋博史氏・糟谷憲一氏編、先史▶朝鮮王朝、株式会社山川出版社発行、2017年10月10日1版1刷印刷、2017年10月10日1版1刷発行、
5.『神話から歴史へ』―神話時代 夏王朝―、宮本一夫氏著、中国の歴史01、株式会社講談社発行、2005年3月15日第1刷発行
6.『三国遺事』完訳、一念著・金思燁訳、朝日新聞社、昭和五一年四月二〇日第一刷発行
7.『韓国の小学校歴史教科書』:初等学校国定社会・社会���探求、世界の教科書シリーズ17、三橋広夫訳、株式会社明石書店発行、2007年10月10日初版第1刷発行
8.『大漢和辞典』:諸橋轍次氏著、株式会社大修館書店発行、昭和三十五年五月二十五日初版発行、昭和四十三年縮写版第一刷発行、昭和四十六年五月一日縮写版第三刷発行
9.『朝鮮の歴史・新版』:朝鮮史研究会編、株式会社三省堂発行、1995年2月15日第1刷発行、2004年6月10日第9刷発行
10.『簡明中国歴史地図集』中国地理叢書:国社会科学院主辨、譚其驤氏主編、中国地図出版社出版、1985年2月《中国地理叢書》出版説明は編集委員会が行い、前言は1990年8月17日付けで譚其驤氏によってなされている。発行日は不明。ここでは日本で使われている漢字で表記しましたが、実際の書籍は中国で使われている簡体字です。
11.『ファーストエンペラーの遺産』秦漢帝国:中国の歴史03、鶴間和幸氏著、株式会社講談社発行、2004年11月10日第一刷発行
12.『倭国伝』中国正史に描かれた日本。講談社学術文庫2010:藤堂明保氏・竹田晃氏・影山輝国氏全訳注、株式会社講談社発行、2010年9月13日第1刷発行、2010年11月12日第3刷発行
13.『三国史記1』東洋文庫372:金富軾氏著・井上秀雄訳注、株式会社平凡社発行、1980年2月29日初版第1刷発行、1985年6月1日初版第2刷発行
14.『三国史記2』東洋文庫425、金富軾氏著・井上秀雄訳注、株式会社平凡社発行、1983年9月19日初版第1刷発行、1999年5月20日初版第7刷発行
15.『DNAでたどる日本人10万年の旅』多様なヒト・言語・文化はどこからきたのか?:崎谷満氏著、株式会社昭和堂発行、2008年1月20日初版第1刷発行、2015年10月20日初版第11刷発行
16.『朝鮮紀行』講談社学術文庫1340.―英国婦人の見た李朝末期―:イザベラ・バード氏著・時岡敬子氏訳、株式会社講談社発行、1998年8月10日第1刷発行、2005年1月20日第11刷発行
17.『人口から読む日本の歴史』:鬼頭宏氏著、株式会社講談社発行、2000年5月10日第1刷発行、2013年2月12日第29刷発行
18.『概説韓国考古学』韓国考古学会編、武末純一氏監訳、庄田慎矢氏・山本孝文氏訳、㈱同成社、2013年10月3日発行、2015年5月25日第2刷
19.『朝鮮儒教の二千年』講談社学術文庫2097:姜在彦(Kang Jae-Eun)氏著、株式会社講談社発行、2012年2月9日第1刷発行
20.『高麗史』:國書刊行會代表・市島謙吉氏編輯兼発行『高麗史』「第一」(國書刊行會)明治41年11月30日発行。非売品
21.『本当に悲惨な朝鮮史』「高麗史節要」を読み解く:麻生川静男氏著、株式会社KADOKAWA発行、2017年4月10日発行
22.『世界史の中の蒙古襲来』モンゴルから見た高麗と日本:宮脇淳子氏著、株式会社扶桑社発行、2019年6月30日初版第一刷発行
23.『朝鮮事情』東洋文庫367:フランス人のCharles Dallet氏著『Historie de L’Eglise de Coree.』、金容権による日本語訳、株式会社平凡社、1979年12月20日初版第1刷発行、1987年1月20日初版第3刷発行
24.韓国がタブーにする『日韓併合の真実』:崔基鎬氏著、株式会社ビジネス社発行、2014年1月1日第1刷発行、2014年2月11日第3刷発行勝利を
25.『THE NEW KOREA』朝鮮が劇的に豊かになった時代:アレン・アイルランド(ALLENE IRELAND,F.R.G.S.,)氏著、桜の花出版編集部編、桜の花出版㈱発行、㈱星雲社発売、2013年8月14日初版 第1すり発行、2018年10月15日第4版第2すり発行
26.『悲劇の朝鮮』―スウエーデン人���ャーナリストが目撃した李朝最期の真実―:アーソン・グレブスト著、・河在龍・高演義訳、株式会社白帝社発行、1989年9月1日初版印刷、1989年9月5日初版発売
27.世界歴史大系『朝鮮史2』―近現代―:李成市氏・宮崎博史氏・糟谷憲一氏編、株式会社山川出版社発行、2017年10月10日1版1刷印刷、2017年10月20日1版1刷発行
28.『朝鮮現代史』:糟谷憲一氏・並木真人氏・林雄介氏著、株式会社山川出版社発行、2016年7月20日1版1刷印刷、2016年7月30日1版1刷発行
29.『総督府年報1941』:『朝鮮総督府施政年報 昭和14年度』(国立国会図書館デジタルコレクション)
30.『総督府年報1923』:『朝鮮総督府施政年報 大正12年度』(国立国会図書館デジタルコレクション)
31.『朝鮮の悲劇』東洋文庫222:イギリス人のFrederick Arther McKenzie著、 “The Tragedy of Korea”、渡部学訳、株式会社平凡社発行、1972年12月18日初版第1刷発行、2008年1月18日初版第13刷発行
32.『歴史を偽造する韓国』韓国併合と搾取された日本:中川八洋氏著、株式会社徳間書店発行、第1刷―2002年4月30日
33.『ひと目でわかる「日韓併合」時代の真実』:水間政憲氏著、株式会社PHP研究所発行、2013年2月13日第1版第1刷発行、2019年10月24日第1版第7刷発行
34.『反日種族主義』日韓危機の根源:李栄薫氏編著、株式会社文藝春秋発行、2019年11月15日第1刷発行
35.『日本統治時代を肯定的に理解する』韓国の一知識人の回想:朴贊雄氏著、株式会社草思社発行、2010年9月1日第1刷発行、2010年10月1日第3刷発行
36.『大韓民国の物語』韓国の「国史」教科書を書き換えよ:李栄薫著・永島広紀訳、株式会社文芸春秋発行、2009年3月1日発行
37.『日韓併合小史』岩波新書(青版)587:山辺健太郎氏著、株式会社岩波新書発行、1966年2月21日第1刷発行、2010年9月17日第30刷発行
38.『日本統治下の朝鮮』統計と実証研究は何をかたるか。中公新書2482:木村光彦氏著、中央公論新社発行、2018年4月25日初版、2018年7月5日3版
39.『三星の成長と日本』:2016年3月。李 恵美(Hyemi LEE)氏
(筑波大学大学院人文社会科学研究科 博士後期課程)執筆の2016 Journal of International and Advanced Japanese Studies Vol. 8, Marchに掲載されたレポート『サムスングループの形成と成長における日本からの影響』―1938年から1987年までの期間を対象に―
40.韓国人が書いた『韓国で行われている「反日教育」の実態』:崔碩栄氏著、株式会社彩図社発行、弊政26年12月22日第1刷
41.シリーズ日本人の誇り10『朝鮮総督府官吏最後の証言』:桜の花出版編集部による西川清氏へのロングインタビューの記録、桜の花出版編集部編、桜の花出版株式会社出版、2014年8月15日初版第1刷発行、2014年9月18日初版第2刷発行
42.『日本の朝鮮統治を検証する』1910-1945:ジョージ・アキタ氏、ブランドン・パーマー氏著、塩谷紘訳、株式会社草思社発行、2013年8月28日第1刷発行、2013年11月7日第6刷発行
43.『日韓併合を生きた15人の証言』―「よき関係」のあったことをなぜ語らないのか―:呉善花著、桜の花出版株式会社発行、2015年7月27日初版第1刷発行、発売元株式会社星雲社
44.『完訳三国史記上㊤』:金富軾著・金思燁訳、株式会社六興出版発行、昭和55年12月10日初版発行
45.『日本旧石器時代の起源と系譜』:安蒜政雄著、 株式会社雄山閣発行、2017年3月31日初版発行
46.『日本人の起源』DNA,古地理・古環境からさぐる―石器時代人が縄文人、弥生人そして現代人になった―:山崎茂幸氏著、株式会社幻冬舎発行、2016年12月27日発行
47.『DNA人類進化学』岩波科学ライブラリー52:宝来聡氏著、株式会社岩波書店発行、1997年7月22日第1刷発行
48.『日本列島人の歴史』: 斎藤成也氏著、岩波ジュニア新書812、株式会社岩波書店発行、2015年8月28日第1刷発行、2016年4月5日第2刷発行
49.『日本人はどこから来たのか』:海部陽介氏著、株式会社文芸春秋、2016年2月10日第1刷発行、2016年7月5日第5刷発行
50.『DNAでわかった日本人のルーツ』遺伝子で解明!縄文人が日本人の祖先だ!別冊宝島2403号:斎藤成也氏監修、株式会社宝島社発行、2016年12月29日
51.『縄文は何時から』―地球環境の変動と縄文文化―:歴博フォーラム、小林謙一氏・工藤雄一郎氏、国立歴史民俗博物館編、株式会社新泉社発行、2011年2月15日第1版第1刷発行、2012年12月10日増補版第1刷発行
52.『人類と気候の10万年史』過去に何がおきたのか、これから何が起こるのか:中川 毅氏著、株式会社講談社発行、2017年2月20日第1刷発行
53.『日本海の成立』改定版:西村三郎氏著、築地書館株式会社、1974年11月20日初版発行、1980年8月1日改定第2刷発行
54.フリー百科事典Wikipedia「細胞」
55.フリー百科事典Wikipedia「ミトコンドリアDNA」
56.フリー百科事典Wikipedia「更新世」
57.『日本歴史・第1巻』岩波講座・🔹原始・古代1:編集委員は大津透氏・桜井栄治氏・藤井譲治氏・吉田裕氏・李成市氏の各、氏、株式会社岩波書店発行、2013年11月19日第1刷発行
58.『ひと目でわかる日韓併合時代の真実』:水間政憲氏著株式会社PHP研究所発行、2013年2月13日第1版第1刷発行、2019年10月24日第1版第7刷発行
59.『図説朝鮮戦争』ふくろうの本:田中恒夫著、河出書房新社発行、発行者…小野寺優、2011年4月20日初版印刷、2011年4月30日初版発行
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2024年11月20日
原爆を見つめた2人の学長 広島大学で企画展「長田新と飯島宗一」(毎日新聞)
広島大の前身・広島文理科大で学長だった長田(おさだ)新(あらた)氏(1887~1961年)と、広島大第4代学長の飯島宗一氏(1922~2004年)。同郷で同窓、同じ大学の学長を務め、原爆がもたらした被害に熱心に向き合った2人の足跡を紹介する展示「信州から来た2人の学長、原爆を見つめる 長田新と飯島宗一」が、広島大医学部医学資料館(広島市南区)で開かれている。
「広島大学創立75+75周年記念事業」の一環。広島大は1949年創立で、最も古い前身校の白島学校が設立された1874年から数えると、2024年は150年の節目となる。前半の75年の学長を代表して長田氏、後半の75年では飯島氏を取り上げた。
2人とも長野県出身で、諏訪中学(現諏訪清陵高)の卒業生。その生涯を県民性や母校からひもとくと共に、広島との出会いや原爆との関わりを示すパネルや書籍などを展示している。
広島に原爆が投下された1945年8月6日、広島文理科大の教授だった教育学者の長田氏は自宅で被爆。同年12月から学長に就任し、大学の復興に努めた。その後、長田氏は広島で原爆を体験した子ども1175人の作文を集めて編集し、51年に手記集「原爆の子 広島の少年少女のうったえ」を出版した。105人分を収録し、序文で84人の作文を部分的に紹介している。
出版翌年の52年、作文を書いた子どもたちは「原爆の子友の会」を結成し、彼らをねぎらう集会も開かれた。展示では、当時作文を寄せた1人の早志(はやし)百合子さん(88)がその時の写真を提供し、教室に集まった子どもたちが長田氏から本を手渡されている様子や、集合写真などが並ぶ。
病理学者だった飯島氏は、米軍が接収していた被爆直後の解剖資料を返還させるなどした。69年に46歳の若さで広島大学長に就き、東広島市へのキャンパス移転など大学改革を主導。72年に発足した「広島大学原爆死没者慰霊行事委員会」の委員長を務め、74年8月には原爆死没者を追悼する碑を建立した。
被爆30年の75年には、大学の被爆状況や被爆、被災した学生・職員らの記録「生死の火 広島大学原爆被災誌」を刊行。飯島氏が広島大原爆放射線医科学研究所(原医研)に寄贈したものを今回展示している。飯島氏は母校の名古屋大の学長も務めた。
展示を企画した原医研の久保田明子助教は「広島出身ではない2人が大学人として、広島の大学がどうあるべきか考え、原爆のことに尽力した。その功績と併せ、信州についても知ってもらえたらうれしい」と話している。
入場無料。12月25日まで、平日午前10時~午後4時。土日祝日休館。【根本佳奈】
「無人餃子」閉店ラッシュの中、なぜスーパーの冷凍餃子は“復権”できたのか(ITmedia ビジネスオンライン)
「盛者必衰の理をあらわす」とは、まさしくこのことだ。コロナ禍で日本全国に急増した「餃子無人販売店」の閉店ラッシュが続いている。
それを象徴するのが、このカテゴリーを代表する「餃子の雪松」だ。2019年7月に無人店舗で冷凍餃子の販売をスタート。群馬県みなかみ町にある老舗中華食堂「雪松」の人気の味を再現した餃子は、「冷凍とは思えないおいしさ」との評判だった。
その結果、コロナ禍真っ只中の2022年には、全国400カ所以上への出店を実現。また、「2023年内に1000カ所を目指す」という経営陣の声も注目を集めた。
『マネー現代』が2024年6月に公式Webサイトで店舗数を数えたところによると、374店舗だったという。ところが11月17日時点で、同じく公式Webサイトでカウントしたら219店舗。2年前から半分ほどの規模にまで縮小してしまったのである。
実際、ネットやSNSではさまざまな地域で「近所の雪松がなくなってしまった」など閉店を惜しむ声が多く寄せられている。
さて、このような話を聞くと、「高級食パンと同じで最初は珍しいから飛びつくけれど結局、たくさん似たような店ができて飽きられちゃうんだよなあ」という感想を抱く人も多いだろう。
確かにそのような面もあるだろうが、個人的にはここまで苦戦を強いられているのは、「ライバル」に足を引っ張られていることも大きいと思っている。つまり、「無人餃子」ブームで客を奪われていた「スーパーで売っている冷凍餃子」が復権してきたのだ。
冷凍餃子の売り上げはパッとしない?
冷凍餃子最大手の味の素冷凍食品(以下:味の素、東京都中央区)の調べでは、2010年4月から2021年3月にかけて、市販用冷凍餃子売り上げ(金額ベース)は約2倍に伸長している。もともと冷凍餃子というものを世に出した味の素は大きなシェアを握っており、「大阪王将」で知られるイートアンドフーズ(東京都品川区)とともにツートップとして市場をけん引している。
ただ、伸長はしているが、ずっと順調に成長しているわけではない。2016~18年の3年は横ばいで、以下のような記事が出るように、王者・味の素もパッとしなかった。
『味の素、「冷凍ギョーザ」の販売が冴えないワケ』(東洋経済オンライン 2019年2月15日)
背景にはいろいろあるが、味の素が2012年に開発した「水なし・油なし」という調理方法が競合品でも当たり前になったことで、「似たような冷凍餃子」ばかりになってしまったことも大きい。
2018年7月には味の素のライバル、イートアンドフーズ運営の「大阪王将」が「水なし・油なし・フタなし」という画期的な冷凍餃子を世に送り出したことで市場は再び成長していくが、3年間の「隙」をつく形で新たなプレーヤーが参入してくる。「餃子無人販売店」だ。
コロナ禍で「無人餃子」が勢力を拡大、しかし……
火付け役の「餃子の雪松」も2018年9月に1号店を誕生させると、その味のクオリティーもさることながら、24時間いつでも購入できる便利さからじわじわとファンを増やし、それがコロナ禍のステイホームで大ブレーク。つまり、スーパーの冷凍餃子の成長が踊り場になった隙をついて、「無人餃子」が勢力を拡大していった、という構図だ。
それがここにきて「無人餃子」があからさまな苦境に陥っている。そのタイミングで、食品業界紙に以下のような記事が出るほど冷凍餃子が好調ならば、「客が奪われている」と見るべきではないか。
『【速報】味の素冷凍食品、「ギョーザ」復権し出足好調』(日本食糧新聞 2024年7月9日)
なぜここにきてスーパーの冷凍餃子は「復権」できたのか。一つは、最大手で業界をけん引している味の素が「顧客の声に真摯に向き合う」という普通の企業なら腰が引けてしまうことに乗り出したことが大きい。
スーパーの冷凍餃子をよくつくっている人なら分かると思うが、「水なし・油なし」さらに「フタなし」などと掲げている商品で説明書き通りにやっても、うまく焼けないことがある。焼きむらができ、底はパリっと焼け��も上のほうがまだ凍っていたり、逆に火加減やフライパンによっては焦げ付いて、餃子の皮が取れてしまうなんてこともある。
このようなややネガティブな声、ストレートにいえば「文句」というものに対して普通、食品メーカーはあまりまともに取り合わない。調理環境など個々の事情が影響している場合もあるので、1つ1つ取り合ったらキリがないからだ。だから、「調理方法をもう一度よくご確認のうえ調理してください」などと当たり障りのない対応をしてお茶を濁すのが常だ。
味の素の戦略
しかし、味の素はこの「文句」に真正面から向き合った。「こちらでは何度やってもうまく焼けるのに、焼けない消費者がいることは、こちらが想定していない状況があるはずだ」ということで、冷凍餃子がうまく焼けなかったフライパンの提供をSNSで呼びかけたのである。
これが反響を呼び、なんと全国から3520個も届けられた。しかも、驚くのはここからだ。味の素はそれらを全て検証し、その結果を専用サイトに掲載したのである。
それからほどなくしてリニューアルした冷凍餃子がよく売れたことは言うまでもない。メーカーへの「文句」に対して、ここまで真摯に向き合って改良した餃子を食べてみたいと思うのは、消費者として自然な感情だ。
ちなみに、味の素がやったのは「マネジメント」で知られるピーター・ファーディナンド・ドラッカー(Peter Ferdinand Drucker)氏が言うところの「フィードバック」というものだ。
ドラッカーは、組織外からの情報を得て学習する「フィードバック」が機能している組織のマーケティングは、「セールスや宣伝をしなくても自然にモノが売れていく」状態になると説いた。味の素はドラッカー理論に基づいてマーケティングを成功に導いたのだ。
このように冷凍餃子市場をけん引する最大手が「顧客の声に真摯に向き合う」という範を示したことで、他のプレーヤーも刺激を受けたのか、「冷凍餃子の顧客満足度向上」に力を入れてきたことも大きい。
マルハニチロが14年ぶりにカムバック
分かりやすいのは、14年ぶりに冷凍餃子市場にカムバックしてきたマルハニチロ(東京都江東区)だ。
2024年7月に発売した「赤坂璃宮の餃子」は、その名の通り高級中華・赤坂離宮監修のもとで素材にこだわった高級餃子が「水なし・油なし」で手軽に調理できるというのが売りだ。
また、大阪の中華料理店から餃子の製造・販売メーカーとなった「餃子計画」が2024年9月から発売している「創業の味 生餃子 12個」も分かりやすい。
一般的なスーパーの冷凍餃子というのは、餡を皮で包んだ後に���してから冷凍する。しかし、この商品の場合は餡を皮で包んだ「生」のまま急速冷凍している。このような製法をすることで、具材の旨みや香りが抜けないという。
確かに、料理をする人は分かるだろうが、炒め物でも蒸し物でも、一度加熱したものを温め直すと味や香りが若干落ちる。そこで、熱を入れるのは最小限のほうがいいという発想である。
このような形で、各社がスーパーの冷凍餃子の質や顧客満足度を競い合うように上げていけば当然、市場は盛り上がる。そうなると、「これまで無人販売店で売っている餃子がおいしいと思って買ってたけど、スーパーで売っている冷凍餃子コーナーも充実していいじゃん」という感じで、客がスーパーの冷凍餃子売り場に戻ってくるというワケだ。
「閉店ラッシュ」の要因は他にも
もちろん、「閉店ラッシュ」の要因はそれだけではない。コロナ禍で「24時間無人で餃子が買えるなんて面白い」と注目を集めた「強み」の部分が、近年の餃子ブームで「近場にある有名な店に行けば、どこでも冷凍餃子が買える」という状況になって、かすんでしまったこともある。
冷凍餃子は参入障壁が低い。イオンやライフといったスーパーのPB(プライベートブランド)はもちろん、大手コンビニ3社、無印良品などもオリジナル冷凍餃子を販売している。
極端な言い方をすれば「やる気さえあれば誰でも参入できる」ジャンルだ。実際、UFOやネッシーなどダイナミックなスクープが一面に踊ることで知られる『東京スポーツ』も、少し前に「東スポ餃子」という冷凍餃子の販売に乗り出している。
この動きは2024年に入ってからさらに加速しており、これまで冷凍餃子に無縁だったプレーヤーが「オリジナル冷凍餃子」の販売に乗り出している。
その代表が、ドラッグストア大手のウエルシア薬局(東京都千代田区)だ。同社初の冷凍食品として「黒豚をちゃんと感じる幸せの肉餃子」を2024年4月に発売。2023年に「ドラックストアにあったらうれしい食品」に関するアンケートを行ったところ、冷凍おかず、特に冷凍餃子を求める声が最多だったため、開発をスタートしたという。
百貨店なども参入
「閉店ラッシュ」に苦しむ百貨店も参入している。
広島県内で展開する老舗百貨店「福屋」(広島市)は、同じく広島県内で「広島カープ餃子」などを製造している井辻食産(広島県安芸高田市)とコラボして、消費者と一緒にアイデアを出し合いながら、広島県産の食材を用いた「カラダにやさしい餃子」を開発した。これを「広島新名物 餃子としあわせ」とネーミングして、オンラインショップや百貨店で2024年3月から販売している。
「町おこし」の世界でも冷凍餃子はアツい。草津温泉のある群馬県の草津観光公社では2024年7月、嬬恋高原キャベツなどの厳選食材をふんだんに使った「草津温泉餃子」を発売した。全国にある「道の駅」でも、オリジナルの冷凍餃子を販売している。
このような「どこでも誰でもオリジナル冷凍餃子」という社会状況になってしまうと、いくら群馬県の名店「雪松」の味を忠実に再現しても、無人店舗で24時間購入できたとしても、「馬群に沈む」ことになってしまうのは致し方ないのではないか。
これはスーパーの冷凍餃子にも同じことが言える。今は好調かもしれないが、ちょっとでも景気の良いところには「オレにも甘い汁を吸わせろ」と言わんばかりに新規参入が殺到して、すぐにレッドオーシャンになる、というのが最近の日本のパターンだ。
つまり近い将来、ビールメーカーが作ったこだわりの冷凍餃子とか、有名シェフが監修した冷凍餃子なんてのが、スーパーの冷凍食品に並んで、壮絶なシェアの奪い合いが始まるのだ。
実際、この原稿を書いているとき、近くの「肉汁餃子のダンダダン」でランチをしたら、「鳥羽周作シェフ監修 究極の餃子定食」を展開していた。
もはや「国民食」というほど普及した餃子カテゴリーの中で、「おいしい」を訴求するのは当たり前だ。それ以外に、どうやって競合と異なる独自のカラーや強みを打ち出し、消費者の支持を得ていくのかは大きなテーマだ。
熾烈な生き残り争いに突入した冷凍餃子プレーヤーたちの次の一手に注目したい。
中井彰人(株式会社nakaja lab 代表取締役/流通アナリスト)見解 日本冷凍食品協会のR6年「冷凍食品の利用状況実態調査」によれば、冷凍食品を利用する機会が増えた理由のアンケート結果では、2024年と2020年の回答の変化が示されている。そこでは「おいしいと思う商品が増えたから」、「野菜など生鮮品の価格が上がったから」という回答が増えていて、中でも価格が上がったという答えが2倍以上に増えている。これでみると、おいしさとコスパが相対的に良くなったことで、スーパーで冷凍食品を選ぶ人が���えたことが背景にあることが伺える。多くの消費者にとって、食品の買物で価格上昇が最大の問題であり、賢く選択していくためには、冷凍食品のコスパがはずせなくなってきているということと解釈出来る。ただ、冷凍食品全体の需要が増えていても、無人餃子はコロナ禍における選択であり、制約がなくなり、かつ、スーパーなどでの選択肢が増えている中では、減少するのはやむを得ないのだろう。
西川立一(ラディック代表/流通ジャーナリスト/マーケティングプランナー)補足 餃子の無人販売店や自販機は、物珍しさで消費者が飛びつき、媒体がこぞって取り上げSNSなどで拡散しブームとなったが、出店戦略やマーケティングを駆使した事業展開ではなかったことから、ブームが沈静化すれば淘汰されるのは当然の結果。
それに対して冷凍のスーパーの販路においては、有力メーカーの商品開発力とマーケティングにより巨大な定番市場を形成している。
その一方で、こだわりやプレミア��のアイテムの商品開発も行われ、それぞれ棲み分けがなされ、市場は活性化している。
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聶鑫
百度百科:
她长相出众,当红时拍戏出车祸致高位截瘫,34岁时“含冤离世”19.3万 1'14"
聂鑫
送花
中国内地女演员
聂鑫(1980年10月1日—2014年6月30日),出生于中国山西省,中国内地女演员。
在聂鑫的处女作《水果姑娘》里,她是青春靓丽活泼可爱的“椰子”姑娘[24]。2004年,聂鑫凭借在《蓝狐》中饰演女主角刘丹走红[1][2][3]。2005年,聂鑫主演了影片《鹰笛天缘》,在其中出任女一号,饰演一个藏族姑娘[20]。2007年,聂鑫签约宁浩工作室,成为其旗下唯一女艺人,并和黄渤合作拍摄短片《奇迹世界》,入围香港国际电影节[4]。2007年,在董志强执导《天大地大》中饰演了女主角“秋儿” [25]。2009年,其出演的电影《鹰笛天缘》在第四届摩纳哥电影节一举拿下最佳评委会大奖。2009年,聂鑫、朱雨辰、霍思燕主演青春励志剧《爱要有你才完美》,该剧是聂鑫首度挑战反一号[26]。2010年3月,聂鑫主演于正古装片《欢喜婆婆俏媳妇》,饰秀兰[21]。2011年,继《延安爱情》后聂鑫再度与曹保平导演合作,拍摄都市情感剧《浪漫向左婚姻往右》,该剧中聂鑫饰演一位白衣天使,与徐帆一同“奋斗”在医院,成为一对白衣姐妹花。同年6月,聂鑫、朱雨辰、马苏主演都市青春偶像剧《双核时代》[22]。2012年,聂鑫首次出演婚姻题材电视剧《浪漫向左,婚姻往右》,剧中饰演乔娜受到广泛关注[28][23]。
2013年1月,聂鑫在福建拍摄电视剧《永不褪色的家园》,拍摄中遭遇车祸,脊椎严重受损,颈二三椎体骨折脱位,四肢高位截瘫,一度有生命危险。经过抢救后情况好转,保住生命。曾有消息称有机会康复,但她最终被病痛夺去了生命[27]。
2014年6月30日,聂鑫抢救无效去世,年仅34岁[5
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民主党副总统候选人沃尔兹是何许人也
民主党的副总统候选人定下来了,是明尼苏达州州长沃尔兹。为什么哈里斯会选他作为竞选搭档呢?我先简单介绍一下沃尔兹的背景。
我以前说过,共和党的副总统候选人万斯虽��标榜自己是乡巴佬出身,其实不是。他祖上是乡巴佬,但他出身于城市的工人阶级家庭,只不过把自己打扮成为乡巴佬谋福利的斗士。而沃尔兹是地道的乡巴佬,出生在内布拉斯加农村。他长大的那个小镇只有几百口人,高中整个年段才25个人,有12个是他的堂亲或者表亲,按他的说法,这让他找女朋友很困难。他爸爸是学校的管理人员,妈妈是家庭妇女。那一带地广人稀,有大片的玉米地。他家也有玉米地,放假要干农活。他高中毕业后,他爸就得癌症去世了,所以他还去外州工厂打过工。后来又回到内布拉斯加,在当地的州立大学读书。1989年大学毕业后他曾经去中国佛山一中当了一年外教,所以他跟中国的渊源很深。
他从中国回来后在内布拉斯加一个高中当教师,在学校认识了沃尔兹夫人。沃尔兹夫人是明尼苏达人,也出生于教师世家,爸爸是体育老师,妈妈是学区的官员,沃尔兹夫人大学毕业后也去当老师,在内布拉斯加的高中当英语教师。沃尔兹是世界地理教师。两个人认识后很快在1994年结婚。1996年,沃尔兹夫人想回明尼苏达,两人就一起在明尼苏达的小城市曼卡托的高中找到了工作。沃尔兹夫人继续教英语,沃尔兹教社会研究和地理,同时还担任学校本来很烂的橄榄球队教练,曾两次带领校队获得州冠军。
2004年,小布什竞选连任,去曼卡托发表竞选演说拉票。沃尔兹觉得这是让学生见一下总统的机会,就带了一批学生去听小布什演讲。过安检时,保安发现一个学生的钱包上贴了支持民主党总统候选人凯利的贴纸,认为他们这拨人是凯利的人,不让他们进。沃尔兹气坏了,第二天就报名去帮助凯利竞选。2004年年底,他决定竞选当地的众议员。
那个选区是整个明尼苏达州最保守的,历来都是共和党当众议员。当时的共和党众议员要竞选连任,沃尔兹作为民主党的候选人跟他竞争。没有人给他捐款,认为他肯定赢不了。他就靠以前教的学生当志愿者帮他拉票。他凭借自己的口才在辩论时表现非常出色,居然大比分赢了,获得百分之六十几的选票。之后他又连续当了6届12年众议员。最后一次竞选连任是在2016年,那时候川普崛起了,在沃尔兹的选区比希拉里��出了十几个点,但沃尔兹依然竞选连任险胜,只比共和党的候选人多出了一点点。到2018年再竞选就有可能赢不了,所以他在2017年宣布不再竞选连任,而去竞选州长。2018年的选举,民主党丢掉了那个选区,被共和党拿过去了,而沃尔兹成功当上了明尼苏达州州长。2022年不仅他竞选连任成功,而且民主党把州两院也都占了,于是很容易地推行了民主党的进步政策,并且很受欢迎。目前他在明尼苏达州的赞成率高达50%以上,这对于一个第二任州长来说是非常高的赞成率。
接下来我就讲一讲沃尔兹跟中国的渊源。他在1989年大学毕业时,哈佛大学有一个项目派人去中国当外教,沃尔兹申请加入了这个项目。“六四事件”发生后,本来要去中国当外教的一些美国人不敢去了,但沃尔兹还是决定去。他说,这时候需要去中国向学生们表示支持,所以还是去佛山一中教了一年英语和美国历史。那时的中国还非常落后,一般的人没有空调,学校为了照顾外教,专门在他的宿舍装了空调,整��学校也就他有空调。但他说,如果把空调开起来,整个大楼的灯都会暗下来,所以他就不敢开,再湿热也只好忍着。冬天则很湿冷,上课要穿棉衣、戴手套。他在中国时,学校给了他一辆自行车,被偷了,学校又给了他一辆。他总体上对中国,特别是中国学生印象很好。等到他要回美国,很多人都送他礼物,多得没法都带回美国。
在中国当外教期间,他还特地去了一趟北京看天安门广场。那时候中国还没有高铁,他坐了40小时火车才到北京。1994年6月4日,他结婚了。选择这一天结婚跟“六四”有关,他妻子说,这样他会永远记住他们的结婚纪念日。他和妻子去中国度蜜月,同时组织学生一起到中国旅游。由于学生人数是奇数,所以他们在宾馆没法住一起,度蜜月期间只好跟妻子分开住。后来,他和妻子基本上每个暑假都会组织学生去中国旅游。1999年,他妻子干脆注册了一家公司,专门组织学生去中国旅游,到2003年才停了。
沃尔兹当众议员、州长期间也多次去中国,总共去过30多次。他认为既要关注中国人权问题,也要在经济上跟中国搞好合作。在当众议员期间,众议院只要有纪念“六四”的活动,他都会参加,说不能忘了“六四”。他觉得很可悲的是,很多中国学生因为信息遭到屏蔽,已经不知道有“六四”这回事了。所以沃尔兹可以说是中国人民真正的好朋友。他对中国人的印象很好。他接受采访时曾经说过,中国如果有合适的领导,那么能够取得的成就是没有止境的,因为中国人善良、慷慨、能干。
为什么哈里斯会选他当竞选搭档呢?我以前说过,选副总统候选人一般是出于两方面的考虑。一种考虑是拿下一个关键的摇摆州。之所以很多人支持比沃尔兹呼声更高的宾州州长夏皮罗和亚利桑那州参议员凯利当民主党副总统候选人,就是出于这种考虑。明尼苏达州不是摇摆州,是蓝州,民主党肯定会赢,所以选沃尔兹当竞选搭档不是为了拿下某个州。
另一种考虑是,竞选搭档跟总统候选人形成某种互补,有助于扩大选民基础,能够多拉一些票。不一定是为了赢某一个州,而是更广范围的拉票。这一点沃尔兹倒是可以跟哈里斯构成一定的互补。哈里斯是加州人,加州人竞选总统很不利。其他州,特别是比较保守的摇摆州的人会认为加州属于所谓的精英,高高在上。他们对加州人有一种偏见,觉得你们太激进了,我们跟不上,不敢选你。沃尔兹是明尼苏达人,在内布拉斯加出生,内布拉斯加和明尼苏达在美国的地理划分上都属于中西部,那是美国的腹地,而加州属于西海岸发达地区。在美国人看来,中西部的人属于比较中规中矩的、典型的美国人。而且中西部的人还有一个特点,也可能是一种偏见:美国人心目中认为中西部的人都比较和蔼可亲,所谓的“中西部友善”,特别是明尼苏达的人更是以友善著称。而沃尔兹的特征就是很典型的中西部人,一副很善良的大叔的形象,很接地气,跟哈里斯形成了很鲜明的对比。哈里斯是一副咄咄逼人的样子,因为她是职业检察官出身;而沃尔兹完全相反,长期当中学老师、橄榄球队教练,还从军在国民卫队当了24年士兵,非常接地气。
其次,出于党内团结的考虑。民主党在推出总统候选人时空前团结,让哈里斯当总统候选人没有异议,也没有人跟她竞争。谁当副总统候选人反而竞争非常激烈,打得不可开交。不同派别的人争议很大,都想推出自己看中的候选人。夏皮罗和凯利属于民主党的温和派,所以进步派对他们很不满。夏皮罗是犹太人,很支持以色列,民主党进步派、年轻人、穆斯林对他意见更大。工会的人反对凯利,而工会是民主党一个很重要的基本盘。如果选择这两个人就会有很大的争议,会导致民主党不团结。对于沃尔兹反而没有争议,即使是支持夏皮罗和凯利的人,他们的第二选择也都是沃尔兹。沃尔兹是一个人见人爱的中西部老好人的形象。他在明尼苏达实行的那些政策是进步派的政策,进步派支持他,把他当成进步派的英雄。而他的形象又很接地气,温和派也能够接受他。他以前其实属于民主党的温和派,在众议院当了12年众议员,跟两党议员的关系都很好。他参与联署的法案有一半是共和党提出来的。民主党不同派别的人都能接受他,所以选他也可以说是出于团结的考虑。
第三,沃尔兹的口才极好,口若悬河。他讲话就是很典型的高中教师、橄榄球队教练的风格,通俗易懂,富有煽动性,风趣、接地气,很受欢迎。他以前讲话从来没有讲稿,都是即兴发言,讲到哪算哪,脱口而出,出口成章。他从政那么多年居然从来都没有用过提词器,也不知道怎么用。他被选中当副总统候选人后,哈里斯团队的人还要教他怎样使用提词器。他第一次作为副总统候选人的亮相演讲极其成功,非常受欢迎,可以说比哈里斯的演讲还要受欢迎,一下子人气非常旺。
还有一点,哈里斯认为自己应该会赢,所以在选副总统候选人时考虑的并不只是选一个竞选搭档,还考虑选一个管理搭档。不只是赢了选举就算了,还考虑到赢了之后一起管理国家,这就需要一个从政经验很丰富的人。在所有人选当中,沃尔兹的从政经验最丰富。当过12年众议员,又当了5、6年州长,而且当众议员的时候跟两党的关系都很好,这些对于副总统来说都是很重要的。总统一个很重要的职责是推出法案,就需要副总统成为一个很重要的、跟国会沟通的人。以前奥巴马找拜登当副总统也是出于这个考虑,因为拜登当了多年的参议员,跟国会的关系非常好。
我以前说过,副总统候选人对于大选的影响没那么大,选对了候选人能够加分,但也未必能加多少,一旦选错就会变成一个包袱,反而很糟糕。就像共和党选的万斯,现在就成了笑柄,一个很大的包袱,想甩都甩不掉,对大选很不利。选沃尔兹当民主党的副总统候选人比较保险。他已经干了那么多年的众议员和州长,如果有什么历史黑料,早就被挖出来了。共和党挖出来的关于沃尔兹的所谓“黑料”,以前他竞选州长时都被挖出来过。第一个“黑料”是他在1995年在内布拉斯加当高中教师时,曾因醉驾、超速被警察逮捕过。他自己觉得很丢脸,不配当老师,向校长辞职,但是校长将他挽留下来。从那之后,他就再也不喝酒了,滴酒不沾,甚至连咖啡都不喝。这种30年前已经彻底改正过的错事,不能算什么黑料。
第二是关于他从军的事。他当过24年国民卫队的炮兵,共和党攻击他从来没有上过战场,而且在知道要被派往伊拉克时就赶快退伍,当了逃兵。这种攻击也没有道理。他当的是国民卫队士兵,而国民卫队是预备役,主要的任务就是训练和救灾,这些他都干过。去攻击一个国民卫队成员没上过战场,把很多国民卫队的人都得罪了。沃尔兹退役也不是当逃兵。他在2004年年底决定竞选众议员,2005年2月正式填报了申请竞选众议员的材料。又过了一个月,媒体才报道说明尼苏达州的国民卫队有可能要派去伊拉克。他是那年5月份退伍的,国民卫队7月份才正式通知说有可能要把明尼苏达的国民卫队派去伊拉克,9月才开始征召国民卫队成员进行培训。所以在知道要把国民卫队派到伊拉克去之前,沃尔兹已经申请竞选众议员,跟战友们说过准��退伍竞选众议员,并不是怕去伊拉克上战场当逃兵退伍。从沃尔兹当了这么多年国民卫队的炮兵就可以看出,他并不是贪生怕死之徒。他17岁参军加入国民卫队,干满20年后,2000年退伍。退伍之后,2001年发生了“911 事件”,他又主动申请入伍参与反恐。他也的确被派到意大利去协助反恐,在意大利待了几个月。
共和党攻击沃尔兹的还有一条。他在当州长期间发生了乔治·弗洛伊德事件,明尼苏达很多地方,特别是明尼阿波利斯出现了骚乱,沃尔兹州长派出国民卫队去镇压骚乱。共和党指责他出兵太晚,等到骚乱已经很严重了才不得不出兵,说他在纵容暴徒。不过,现在公布了一段川普总统跟沃尔兹州长当时的电话录音,川普在电话里表扬沃尔兹,说你在处理骚乱这事情上干得很好,是一个很杰出的人。连共和党的“伟大领袖”都表扬沃尔兹这事干得不错,再去攻击他,很难让人接受。
共和党攻击沃尔兹的还有一点,说他当州长期间实行了一系列进步派政策,可见他是一个极左分子。他推行的那些进步派政策,比如让所有公立学校的中小学生都有免费午餐可吃、在法律上定下了妇女有堕胎权、让大麻合法化、公司员工请病假不能扣工资等等,在当地都很受欢迎、很得人心。这些本来就是哈里斯的政治主张,是哈里斯上台准备实行的,所以不怕攻击。
现在哈里斯势头很好,选情对她越来越有利,全国性的民意调查平均已经超出川普两个点。希拉里当年民意调查的最后结果是领先川普三个点,投票结果领先两个点,但还是输了,因为选举人票数不够。拜登最后的民意调查结果是领先川普7个点,投票结果领先4个点,赢了。如果哈里斯要赢的话,至少应该介于他们两个人之间,民意调查结果应领先5个点。所以现在还不能说哈里斯已经赢定了,虽然她很有信心。美国现在两极分化很厉害,选战会非常激烈,不会一面倒,最后还会争夺得非常厉害。
2024.08.07录制
2024.08.29整理
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相沢 友子(あいざわ ともこ、1971年5月10日 - )は、日本の脚本家。脚本家以前はシンガーソングライター、女優として活動していた。血液型はB型。東京都出身。 略歴・人物 高等学校在学中より文化放送でコンサート・リポーターを務め、詞を書いていたところソニーミュージックのスタッフに歌うことを勧められ、1991年3月、19歳の時にシングル「Discolor days」にて歌手デビュー[1][2]。その後、ホリプロ所属の女優としても活動しながら、4枚のアルバムを発表している。シンガーソングライターであり、加藤いづみとも親交が深く、アルバムにも楽曲を提供している。 デビューから長らく歌手兼女優であったが、ソニーとホリプロとの契約を解消し、フリーとなる。フリー直後に、ホリプロ時代のマネージャーに「小説を書き、賞を狙ってみては?」と勧められ、1999年に第15回太宰治賞の最終候補作に小説『COVER』がノミネートされた[2]。当時、相沢は「その当時は藁にもすがる思いでした。音楽の道がうまくいかなくて、事務所との契約が切れて、本当に一時期何もしてない時期があって。私はほぼ歌詞しか書いていなかったので、やれることといったら書くことだなと思って、小説『COVER』を書いた」と述懐している[2]。その結果をもって、前述のマネージャーの紹介で共同テレビジョンの小椋久雄に脚本執筆の指導を受け[1]、2000年に『世にも奇妙な物語』で「記憶リセット」で脚本家デビューした[2]。 2003年にアメリカ合衆国で発生した大停電を題材とするドキュメンタリー『ニューヨーク大停電の夜に』(NHKハイビジョン、構成・源孝志)で語りを務める[3]。その後、同事件をエピソードとして、2005年に源孝志と共同で映画『大停電の夜に』の脚本を手がけた[4]。 2009年に放映された『重力ピエロ』の脚本を手がけたきっかけについて、相沢がパーソナリティーを務めていたラジオ番組の常連リスナーで、伊坂幸太郎の担当編集者から、「素晴らしいからぜひ読んでほしい」と小説を送付され、即座に相沢が映像化を申し入れたとしている[5][注 1]。相沢によれば、「物語の肌触りは軽やか。けれど、世の中的な常識に人が流れされて生きていることへのロック魂が隠されていることに共感した」という[6]。伊坂は映像化に積極的でなかったが許諾し、最大の魅力を損なうことなく小説のコンテクストをそのまま映像に置換しようと努めたという[5]。なお、『読売新聞』の福永聖二は、「異論もあるだろうが、伊坂作品の精神を尊重しつつ、より自然な流れを作った」と評している[7]。 2013年に放送された『ビブリア古書堂の事件手帖』について相沢は、「ていねいに話を積み上げてファンタジックに作っていきたい」とし、古書業界の用語を各所に挿入するなどして、作品の世界観を伝えようとしたという[8]。また、剛力彩芽がキャスティングされたことについて、「たしかに栞子とは外見のイメージが違いますが、剛力さんは黙ってじっとしているとミステリアスなムードを持っている」とし、「彼女の“静”の部分を出すと新鮮なものになると確信できたので、栞子を剛力さんのイメージに近づけるのではなく、剛力さんが物語に寄り添っていけるような脚本を心がけ」たと述べている[8]。 2015年に放送された『私の青おに』について相沢は、「人の温かさが伝わるストーリー。高畠町の持っている風景の力強さを伝えたい」としている[9]。なお、主演で辻村莉子役を演じた村川絵梨は、「脚本を読んだ時から、すごく自分と重なる部分があって。そういう意味ではとても自然に莉子という役に向き合うことができました」と述べている[10]。 リアルサウンドのインタビューによれば、相沢はト書きに「私はうるさいぐらいに、『ここで相手を見る』とか、『ここで顔を上げる』とか、目の動きまで書く」とし、「あとは現場で好きにしていただいて構わないですけど、私のイメージはできる限り伝えよう」と演出に一任しているという[2]。また、以心伝心と言えるほど、互いに分かりあう役者や監督・演出家と仕事ができると嬉しいとし、『恋ノチカラ』で主演を務めた深津絵里に関して「天才的な役者さんですけど、びっくりするぐらい汲み取って返してくれて。自分の想像を超えてくるお芝居を役者さんがしてくれることもたくさんあります。お互いに響き合って、奇跡的に合致したときは感動しますね」と述べている[2]。 アーティストの友人に、加藤いづみや相馬裕子などがいる。 主な脚本作品 テレビドラマ 1999年 DG TV DI:GA「UNIVERSE」「SNOW KISS」「Love Things」 2000年 世にも奇妙な物語 春の特別編「記憶リセット」[11] 悪いこと「盗む」 やまとなでしこ[注 2][12] 2001年 17年目のパパへ[13] ココだけの話「不機嫌なめざめ」 私を旅館に連れてって[注 3][14] 江國香織クリスマス・ドラマスペシャル「温かなお皿」[注 4] 2002年 世にも奇妙な物語 秋の特別編「昨日の君は別の君 明日の私は別の私」[15] LOVE & PEACE(DVD)「君がいるだけで特別な街、特別な場所」「Thanks」 恋ノチカラ[5][16] 2003年 天国のダイスケへ〜箱根駅伝が結んだ絆〜[17] いつもふたりで[16] エ・アロール[18] 2004年 めだか[19] 2007年 秋の特別編「48%の恋」[20] 2008年 鹿男あをによし[5] 2010年 ギルティ 悪魔と契約した女[注 5][21] 2012年 鍵のかかった部屋[注 6][22] 2013年 ビブリア古書堂の事件手帖[注 7][8] 女と男の熱帯[23] 2014年 鍵のかかった部屋 SP[24] 失恋ショコラティエ[注 8][注 9][25] 2015年 紅雲町珈琲屋こよみ[26] 私の青おに[9] 2017年 人は見た目が100パーセント[27] 龍馬 最後の30日[28] 龍馬 最後の遺言 2019年 トレース〜科捜研の男〜[29] 2022年 ミステリと言う勿れ[30] 2023年 セクシー田中さん[注 10][30] 映画 2000年 世にも奇妙な物語 映画の特別編「結婚シミュレーター」[31] 2005年 大停電の夜に[注 4][4][32] 2009年 重力ピエロ[5][6] 2010年 東京島[33] 2011年 プリンセス トヨトミ[23] 2015年 脳内ポイズンベリー[34] 2017年 本能寺ホテル[35] 2021年 さんかく窓の外側は夜[36] 2023年 ミステリと言う勿れ[37] 配信ドラマ 僕だけが17歳の世界で(2020年、AbemaTV)[38] 金魚妻(2022年、Netflix)[注 8][39] ラジオドラマ LOVE = Platinum 恋愛パズル(2010年)[33]
相沢友子 - Wikipedia
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るんぺんパリ 【RunPenParis】
【自己紹介 2024年8月3日追記 4335文字】 三重県伊賀市(旧名:上野市)出身 伊賀市(旧名:上野市)に 1976年(3歳)から 1996年(23歳)6月まで住んでいた 1976年以前の記憶と出生は不明 津市にある施設にいたと聞いた覚えがある お兄さんいるらしいがあった事は一度もない 30代の頃に一度だけ電話で話をした
伊賀市でそこそこ有名なのが 伊賀流忍者で忍者屋敷は今も昔も変わらない内容で 営業している 伊賀牛は金谷のすき焼きが有名で 森辻が新しい様相なってから焼肉を食べた 個人的には伊藤の牛丼が好きだ 上野天神祭の鬼行列も有名かな ひょろつき鬼が子供の頃は本気で怖かった 銀座通りが歩行者天国になり 的屋がならぶ 高校生の頃はリング焼きが100円ぐらいで 何個も買って食べた 松尾芭蕉は俳句で有名で伊賀出身で 小学生の頃はがっつりと俳句を作らされる 俳句はいやいや作らされたので 俳句番組は見ない 俳聖殿の中には過去の優秀な俳句が収められていたかな 上野城のお堀の高さ日本2位? 中学生の頃は上野城で体育の授業があったり クロスカントリーレースで走らされたり 高校生のデートも上野城が定番だったのか それらしき男女がイチャついていた 夜のライトアップは不気味なお城に見えた 一応、桜の名所なのかな 伊賀の街には銀座通りとか丸の内とか 東京で聞くような名称が多く使われている 地元のうわさでは東京が伊賀の真似をして 街を作ったとの話がよく出てくるから 誰か本気でテレビとかで調べてほしい気もする 2004年(平成16年)11月1日に 伊賀市に変わってから 上野市駅が忍者市駅になり 近鉄の電車だったのが伊賀鉄道になり 電車がコスプレになった 駅前には銀河鉄道999のメーテルと哲郎の銅像があり 産業会館がハイトピア伊賀になった 産業会館だった時にマルキンのパン屋が近くにあった そこのシナモンパンが子供の頃から大好きで 今はもう手に入らない もう一度、あのシナモンパンが食べてみたい 新天地もなんかおしゃれなサビれかたで 「新天地Otonari」となった 街は高校生の頃の面影は薄くなったけど 何となく残っている上野市街は今でも魅力的だ 最近は実家で一人暮らしのおかんの様子を見に よく帰省するようになったけど 若い頃は年一回も帰省しなかった 最近の伊賀でよく立ち寄るのが 「菓匠 桔梗屋織居」と 「HANAMORI COFFEE STAND」と 「岡森書店白鳳店」で 岡森書店は、Kマーホの名で出版した 「トイレの閃き」が背表紙の色が抜けた状態で 25年以上も本棚に置いてくれている これを見ると初心に戻れて まだまた創作していこうとがんばれる
市部という地区だったと思う 依那古第一保育所に5歳から6歳の2年間通った おかんは自分の送り向かいのために 自転車を乗る練習して そのおかんが運転する自転車の後ろに乗って 途中の田んぼに二人で落ちて 泥だらけになった 小学校までは上野市依那具にある 市営の城ケ丘住宅で過ごした この市営住宅はもう40年以上も その雰囲気を変えずに今でも残っている ここは伊賀市の文化遺産にしていいほどの時間が止まった場所だ いまだに汲み取り式の便所の換気の煙突が立ち並んでいる このカオスな感じは小学生の頃の不便な生活を思い出させる あの生活で暮らしたから今があるのは確かだ 小学校の通学路にある 垂園森でよく遊んだ 現在も存在しているが オバケが出そうな森 この森は当時通っていた依那古小学校の校歌の歌詞にも出て来る イメージ的には幽霊が出そうな森だけど 何か不思議な生き物が住んで居そうな森に見えた きつねも出そうだし おばけも幽霊も心霊も もしかするとタイムスリップして 小学生の頃に戻れそうな気もする森だと変な懐かしさを感じる 近くには無人駅の市部駅とにらめっこしている森 中学校から市街の上野城の 城下町で過ごした 当時はカオスな市営城ケ丘住宅から出れる事が本当にうれしかった 小学校までの友達とも飽きてしまっていたので寂しくはなかった 当時から色々な物にすぐに飽きては新しい物が好きだったので そっちのワクワク感で本当にうれしかった そして築20年以上の中古の一軒家で2階建て 自分の部屋がありトイレは汲み取り式だけど洋式で あこがれの上野の街で住める事もあって本当にうれしかった
そして近くの崇廣中学校に通う事に 中学校の3年間は 転校生という立場と 中一で足の骨折 中二で腕の骨折 どちらも遊んでいての骨折2回 中三の高校受験で いい想い出は無い
高校2年生で 小学校の時にサッカーで出会った 旧友とバンドを組んだ RCサクセションのコピーで 「雨上がりの夜空に」「トランジスタラジオ」 「ベイベー逃げるんだ」「サマーツアー」 「サントワマミー」「いけないルージュマジック」 「いいことばかりはありゃしない」 旧友が作ったオリジナル曲「ガレージの上のR&Rバンド」 一番のモテ期だった気がする ただバンドをやっている自分を見て 好意を寄せられても違うなと思った バンドをしていない時はただのバイトに明け暮れた 高校生だったから だからそういう人には興味がなかったから 冷たい感じだったかも 本当にこの時期がこれまでで一番楽しかった。
1993年 一人暮らしを始める やっと自由になった気がした 2年間ぐらいは金が無くて 通帳の残高は毎月マイナス50万 カツカツ生活 1996年7月から 2003年7月の 7年間は茨城県と千葉県の県境 利根川の近くに住んでいた この界隈を走るタクシー運転手の 態度は本当にムカつくから こっちも態度悪く乗ると 気分の悪さはお互いさまになる 関東平野は景色が無く ここでの生活は落ち着かなかった 食文化も人も気候も水も 肌に合わなかった 特にうどんの汁が濃いだけのシンプルな味は げんなりさせてもらった ただ寺原駅近くの「ふる川」はよく通った とくにカレーめちゃくちゃ美味かった
1997年から パソコンをミドリ電化で38万で購入して 作詞やネットに興味を持つ まどみちお詩集を読みだす 作詞に近い詩を書き始める 「Kマーホ」という名で 詩を書き始める 目標を300篇と決めて 詩を思いついたら メモをつけるようになる 週末は家に引きこもり 一日中、音楽を聴きながら パソコンがあるのに まだワープロで詩を清書していた
1998年から2002年まで 「Kマーホ」の名で 詩に団体に参加したり 詩の賞に応募したり 詩集を自費出版したり この当時参加していた詩の団体には もうドロドロとした 詩を書く人や あまりにも読み解けない詩や 暴力的な人や いい人もいたけど 自分とは全然目指している方向が 違うので2年目ぐらいで辞めた それからは詩の団体に興味は無くなった それから 自費出版した詩集を 全国の小中学校や 全国の図書館へ寄贈して 活動を休止 理由は2000年に結婚してから 集中して詩を書く時間が無くなってきたから 2002年に2つの詩集を出版して 詩の事は全部段ボール箱へ入れた
2003年から2019年まで 育児に重点を置いて生活をする この時期は友達とも連絡を 切っていたので のちに死亡説や宗教説が出ていたらしい 2003年7月から 現在は静岡県在住 もう20年以上住んでいる
2019年 るんぺんパリ【RunPenParis】の名で 詩を書き始める SNSでの詩の発信を始める るんぺんパリ【RunPenParis】とは フランスはパリの街を ぺんを持って 走るという意味から 【RunPenParis】ができた 1973年8月1日生まれ(もう51歳) しし座 O型 右利き 詩・詩集・ことばをデザイン アート・写真・小説・ペン画 松尾芭蕉の生家がある伊賀市で 十代までを過ごし 俳句が幼少期から 身近に存在していた 二十代から詩を書き始めて 「Kマーホ」名で活動(1999-2002) 詩集6冊を出版して活動休止
その後 松尾芭蕉の俳句のような シンプルな言葉遊びを 詩で出来ないかと考えていた中で 令和元年(2019)に 「るんぺんパリ【RunPenParis】」の名で 活動を再開 SNSに140文字に 言葉をデザインした詩 「140文字詩」を 毎日投稿する活動を始める 2023年9月に140文字詩が 1200作品に到達した事で 「140文字詩」を全国へ さらに世界へと 俳句のように広く知られる 存在になって欲しい ◆るんぺんパリ【RunPenParis】作品一覧 【2023年】Amazonで販売 2023/12/27第2フォト集「ほちきす それでは あかんで」 2023/12/2 第1フォト集「とめても ええか ほちきすで」 2023/11/23 第16詩集「もあいの ねごとを よみとる」 2023/9/16 第15詩集「さんもじ もしくは よんもじ」 2023/9/9 第14詩集「のこりの あぶらは わるもの」 2023/9/2 第13詩集「あそびも しごとも たいふう」 2023/8/26 第12詩集「かいてきな しつどに おぼれる」 【2022年】Amazonで販売 2022/12/6 第11詩集「やくそくは よなかの おひるに」 2022/11/3 第10詩集「みさんがの ともだちの たまんご」 2022/10/7 第9詩集「くうきと さんその かつさんど」 2022/9/3 第8詩集「さついを こめた いもけんぴ」 2022/8/7 アート作品集「やさいに つめる にくえらび」 2022/2/14 アート作品集「よなかに ひかる かみぶくろ」 2022/1/1 第7詩集「みかんの むくちな きもち」 【2021年】Amazonで販売 2021/9/8 第6詩集「そんな ことばは さよなら」 2021/8/3 第5詩集「あさに おくれた なんて」 2021/6/5 第4詩集「すいかの たねの ちょうこく」 2021/5/31 第3詩集「たんぽぽの たまご ひとつで」 【2020年】Amazonで販売 2020/7/27 第2詩集「こよい こよりの そらから」 2020/3/2 詩小説「すきから あいへ おやすみ」 【2019年】Amazonで販売 2019/7/21 第1 詩集「ところで あした あいてる」 ◆Kマーホ 作品一覧(1999-2002) 【2002年】 2002/4/30 第6詩集「眠立体(ねむりったい)」 2002/4/4 第5詩集「コールサック」 【2000年】 2000/7/31 第4詩集「マガサス星人」 2000/1/31 第3詩集「おしりとサドルが あいますか」 【1999年】 1999/8/1 第2詩集「テレビジョン」 1999/5/1 第1詩集「トイレの閃き(ひらめき)」 【受賞】 2001年 詩「眠立体(ねむりったい)」第6回トワイライト文学賞 2000年 詩「永遠の親友」信越郵政局長賞 1999年 詩「トイレの閃き(ひらめき)」第1回万有賞 1998年 作詞「地球のウラハラ」第31回日本作詞大賞新人賞候補ノミネート
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「食」の真実~あなたは、生きるために食べる?食べるために生きる?/第67回大人のためのSDGs超基礎講座(2025年2月4日)
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「食」の真実~あなたは、生きるために食べる?食べるために生きる?/第67回大人のためのSDGs超基礎講座(2025年2月4日) チケット https://kanglo-sdgs250204.peatix.com/view https://www.facebook.com/events/573812365482954
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2015年9月25日、国連総会にてSDGsが採択され、あれからすでに9年が経ちました。人類は、21世紀に積み残してしまった地球全体の危機的課題の解決に向けてどれ程前進できたのでしょうか?SDGsは、人類史上初の世界規模における共通目標として始まりました。期限は2030年です。この時までに、人類がこの目標の達成に向けて、どの程度実践できたかによって今後の地球の未来が決定付けられます。もし、うまくいかなければ、地球の未来は確実に悪化の道に向かいます(と多くの科学者が訴えています)。私たち大人は、運よく80年そこそこの人生を得た中の、その一部の期間、危機を体験するだけに留まれますが、これから生まれてくる子供たちにとってはどうでしょうか。
「こんなに辛く厳しい環境ならば、生まれて来なかった方が良かった」 「2020年頃に生きていた大人たちが、何もしなかったことによって、地球がこのようになってしまった」 「責任は誰にあるのか?」と叫ぶことでしょう。
今の大人たちが、今の世の中の現実を受け継ぎ、作り上げてきたという自覚と責任を持ってしたならば、現在のこの地球の有り様に対し、「俺は知らん」「私には関係ない」「もう何もどうすることもできない」と放置をすることが、どれほどまでに罪深きことであるのか。そうした”反省”も込めて、自戒の念を込めて、このSDGs超基礎講座を開催することにしました。2018年頃より、日本においても、小中学、高校、大学にて、SDGsに関する科目や、学科が次々と作られ、基礎的な知識のみならず、自ら課題解決に向けて実践を続ける子供たちが急増しています。その子供たちから、SDGsのことについて尋ねられて、もはや知っているふりや、否定をすることは出来ません。子供たちは、大人たちの振る舞いや言動を見ています。「このあなたたちが作り上げてきた課題ばかりの社会を、どうしていくつもりなのか」と。もう、もはや恥ずかしくて知らんぷりをすることなど、到底出来ません。必要のないプライドを振りかざして、SDGsを否定するのは止めにしませんか?ご一緒にSDGsの真の在り様、そして、これから一人の人間として、何をするべきなのか、ご一緒に考えていきませんか?
(自戒の念を込めて) 藤井啓人
■日程:2025年2月4日(火)20時~22時 〔他開催日程〕※毎月1回~2030年まで継続予定 2025/3/4 , 4/1 , 5/6 , 6/3 , 7/1... ※毎回第1火曜20時~を予定 ※変更日程あり
■形式:オンライン(Zoom)
■内容: ・毎回、Today’s themeの内容は、その時の情勢によって変わります。テーマの投げかけを行いますが、教える講座ではなりません。 ※どの回から参加をしても大丈夫な仕立てにしております。 ※SDGsの超基礎情報から最新情報、実践的な事例などを取り扱います。 ※参加者と緩やかにつながり、共助、協働できるコミュニティを少しずつ作っていきます。
■参加費:チケット制 https://kanglo-sdgs250204.peatix.com/view ・1回分チケット:1000円 ・5回分チケット:3500円(1回あたり700円) ・10回分チケット:5000円(1回あたり500円) ※小中高大学、大学院生は無料(無料のチケットでの登録をお願いします) ※チケットは、連続して使う必要はありません。ご都合に合わせて無理なく、ご参加下さい。 ※既に未使用のチケットをお持ちの場合は、主催者に参加の旨、一言お知らせください。
■参加対象: ・どなたもご参加頂けます(SDGs超初級者、初級者向け) ※小中高大学、大学院生も大歓迎 ※大切な家族、お友達、会社の同僚の皆さんもお誘い合わせの上、ご参加ください。
■申し込み方法: ・Peatixよりお申込みを頂くと、ZoomURLが発行されます。 https://kanglo-sdgs250204.peatix.com/view ※できるだけ毎回参加してみてください。やがて、自分自身の中に、何か軸のようなものが出来、判断をする時のモノサシを持てたような実感が生まれてくるでしょう。
■企画・運営・ファシリテイタ:藤井啓人(ふじいひろと): ●茨城県東海村出身。高卒後、上京し新聞配達をしながら予備校に通い筑波大学に入学。4年間、体育会硬式野球部に所属し選手と2軍監督を経験。1992年に㈱リクルート入社。12年間、組織・人事コンサルティング事業に従事し、約2000社の企業の変革に携わる。社内表彰制度で全国MVP・部門MVPの受賞計8回。 ●2004年に独立し、事業再生コンサルティングのマネジメントリコンストラクション社を設立。2010年5月カングロ㈱ 代表取締役に就任。独自のサステナビリティ・イノベーティブ・コンサルティング事業開始。 ●米国で「今最も羨望の注目を浴びる企業」とされるオンライン・リテーラーのザッポス社のハピネス経営、「社員をサーフィンに行かせよう」「レスポンシブルカンパニー」の題材となっているアウトドア用品メーカーの米パタゴニア社を研究し続け、これまで約1000社3000名のビジネスパーソンにセミナーや勉強会等でその真髄を伝えてきた。 ●2012~2016年には西アフリカのナイジェリア連邦共和国にて合弁会社を設立し、水問題、エネルギー問題、食糧問題、環境問題を日本のテクノロジーで解決するソーシャル事業も行う。 ●2013年以降、システムD研究会、自転車事故防止委員会、セブメディの会を設立、「懐かしい未来プロジェクト(HOOPS!)」「サステナ塾」を開始し、持続可能な地域社会の実現のために人間本来の役割を思い出すためのあらゆる「体験」の場と機会を提供している。 ●2024年10月1日にカングロ㈱代表取締役を退任。日本社会事業大学、茨城県農業大学校営農塾入学。農福連携×アート事業の為のNPO法人設立(どんぐりヴィレッジ・ケアファーム)準備中。 ●自転車のある生活をこよなく愛し、年間約1万kmを走破する。これまでの趣味はゴミ拾い、ウルトラマラソンランナー、トライアスリート。
※【ダイジェスト版動画】講座特別映像をご視聴頂けます: 2025~その「転換点」を直視し備えよ/第66回 準備中
オーガニック・ポータル~あなたには「魂」がありますか?/第65回(2024年12月3日) https://youtu.be/LXil99Y3QS4
ガザ危機~世界には、本当に平和が訪れるのか?/第63回(2024年10月1日) https://youtu.be/0dO7yGGaHpM
アメリカ大統領選のゆくえ~世界は本当に変わるのか?/第62回(2024年9月3日) https://youtu.be/exIiXly4xNM
ノーモア・ヒロシマ・ナガサキ~人類は、核兵器を捨てることが出来るのか?/第61回(2024年8月6日) https://youtu.be/DhYhJplXjdM
シンギュラリティの真実~人工知能革命の先に起こること/第60回Aniv.(2024年7月2日) https://youtu.be/BmaZb6xL5-Q
人間のゾンビ化を止めろ!人間という種の退化が始まっている/第59回(2024年6月4日) https://youtu.be/LaYpV4TiNO8
自然災害の激甚化がもたらすもの~人類は生き残れるのか?/第58回(2024年5月7日) https://youtu.be/bLZOiSM-7EI
サステナビリティ3.0~企業の外部化されたコストを内部化する/第57回(2024年4月2日) https://youtu.be/l-uH0EsX6B4
世界の福祉の実態/第56回(2024年3月5日) https://youtu.be/FOsEj6EdWQI
世界の農業の実態/第55回(2024年2月6日) https://youtu.be/v-R9SJaRk2w
地球のケアテイカーになろう/第54回(2024年1月9日) https://youtu.be/vACtwR96iIg
グレートリセットとは何か?/第53回(2023年12月5日) https://youtu.be/x-CW0tPLtzE
戦争が無くならない本当の理由/第52回(2023年11月7日) https://youtu.be/ISZKjSPep0k
変質化した異常火災について/第51回(2023年10月10日) https://youtu.be/OLS2ds5pwic
2030年に起こることを想像してみよう/第50回Anv.(2023年9月12日) https://youtu.be/ODgY-z-vY0I
SDGsのスーパー事例を集めてみた!/第49回(2023年8月1日) https://youtu.be/pbLHzt08_hU
SDGsはもう終わったのか?SDGsの本当の目的を探る/第48回(2023年7月4日) https://youtu.be/lXrA8KV88zY
Wind(風)について考える~風の神秘/第47回(2023年6月13日) https://youtu.be/QtDcfxztkWE
Fire(火)について考える~火の神秘/第46回(2023年5月2日) https://youtu.be/owWgezVx46g
Soil(土)ついて考える~土壌の神秘/第45回(2023年4月4日) https://youtu.be/f3IQ7Y7CVo8
Water(水)について考える「第4の水の相」の神秘/第44回(2023年3月7日) https://youtu.be/VBB9A5qC-7c
宇宙開発の真実/なぜ今、加速化する宇宙開発?/第43回(2023年2月7日) https://youtu.be/LaOkFIBHW98
超メタバース社会を検証する~私たちは異次元を受け入れるのか/第42回(2023年1月17日) https://youtu.be/9SD6WBMxKfE
COP27を検証する~もう私たちは間に合わないのか/第41回(2022年12月13日) https://youtu.be/R_ceFx0TbOw
総貧困化社会~私は大丈夫の妄信/第40回Aniv.(2022年11月1日) https://youtu.be/7Y0gZwjylak
大災害が来る~何を心得、何を備えるべきか?/第39回(2022年10月4日) https://youtu.be/NsEv0mQfvQs
核兵器~人類は、また使うのか?/第38回(2022年9月6日) https://youtu.be/TtxvRAm7m3g
超脱炭素社会の到来~本当の目的とは何なのか/第37回(2022年8月9日) https://youtu.be/FPKsy4HS7u8
超食糧危機に備えよ~食糧危機キャンペーンの真実/第36回(2022年7月12日) https://youtu.be/LO4iQL9YcfA
人と人との関係を考える~人と人が支え合い生きていくこととは/第35回(2022年6月14日) https://youtu.be/OyxWiEGPGfw
働き甲斐とは何かを考える~人は何故にはたらくのか/第34回(2022年5月10日) https://youtu.be/emPiTtkimPA
本当の健康を考える~人は何故に生きるのか/第33回(2022年4月12日) https://youtu.be/B_h6wRitTbY
生命活動の源であるエネルギーのことを考える/第32回(2022年3月8日)https://youtu.be/A4CxeazfnxE
地球の空気の奇跡を知る~あなたが知らない空気の話/第31回(2022年2月8日) https://youtu.be/LtJIbXfR_I0
フルバージョン動画はこちらで視聴頂けます。大人のためのSDGs超基礎講座・全アーカイブ動画集(有料コンテンツ) https://vimeo.com/ondemand/kanglosdgs
■企画・運営:SDGs超実践者委員会(SSPC)、カングロ株式会社 https://www.kanglo.co.jp/ 協力:サステナ塾/システムD研究会/イノベーションサロンZ/ショック・コヒーレント・イノベーション・クラブ/フィロアーツ研究会/懐かしい未来へ・どんぐりヴィレッジプロジェクト https://for-good.net/project/1001029
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張友驊
H:張友驊電視名嘴,多年前在師大路水準書局,曾有一面之緣,那時我正在找書,看他進門,問老闆書到的情形。我一看原來是「張友驊」,風度翩翩,那時政論節目常見出席。如今因跌倒於2024年10月11日過世,享壽71歲。2024年10月30日)日在台北二殯舉辦告別式
。順祝一路好走!20241031W4
網路報導
資深媒體人、電視名嘴張友驊因跌倒送醫,搶救8天無效,於2024年10月11日過世,享壽71歲。今(2024年10月30日)日在台北二殯舉辦告別式,遺照選用他穿招牌米色西裝,露出微笑,相當和藹。今早先行舉辦家祭,由於張友驊和遺孀陳美秀膝下無子女,今由侄子侄女送他最後一程。
維基百科:
張友驊(1955年1月3日—2024年10月11日),台灣新聞工作者、時事評論員,時常評論軍事議題。
簡介
出生資訊: 1954 年 12 月 10 日,溪湖鎮
逝世: 2024 年 10 月 11 日,臺北臺北醫學大學附設醫院
學歷: 中國文化大學
職業: 新聞工作者、時事評論員
維基百科
張友驊
台湾时事评论员
張友驊(1955年1月3日—2024年10月11日)[2],台灣新聞工作者、時事評論員,時常評論軍事議題。
生平
張友驊生於彰化縣溪湖鎮,籍貫浙江。畢業於臺灣省立彰化高級中學、中國文化大學史學系。他自述就讀大學期間曾因不滿教授給分,帶扁鑽恐嚇教授要求加分[3]。
早年曾任自立報系經濟研究室兼軍事記者、《首都早報》軍事記者,亦曾在陳水扁競選台北市議員時擔任助選員[4]。
《首都早報》停刊後,張友驊獲張瑞猛邀請進入張榮發基金會國家政策研究中心從事國防專題研究。1987年任職自立報系軍事記者時,首先在台報導三七事件;1991年遭到國防部以「妨害軍機治罪條例」向法院提起控訴,1991年11月被判刑一年七個月,緩刑三年。[5]
於2004年1月與吳中純共同主持超視《政治秘密檔案》[6],因在政論節目中爆料揭露陳水扁司法案件,由阿扁謀士轉為反扁人士,有些媒體將他與邱毅稱為「揭弊雙雄」、「爆料天王」。2011年3月10日,張友驊曾爆料,差點落入中共間諜的桃色陷阱幸好即時脫身。[7]
2013年8月,因主持中天新聞《新聞龍捲風》節目,連續一個月報導洪仲丘案而被旺中集團加薪,更因月接50場通告、進帳25萬元。[8]
2024年10月3日18時35分,在台北市信義區滑倒撞到頭,送醫搶救時已無心跳呼吸,救護人員實施心肺復甦術及自動體外去顫器急救後即恢復心跳,其被緊急送往台北醫學大學附設醫院搶救。[9][10]10月11日上午8時逝世,享壽69歲。[2]10月12日,張友驊的妻子陳美秀對媒體澄清,張友驊並無心臟疾病,死亡證明上顯示「無法明示原因的心跳停止」,強調跌倒與腦部撞擊並非致死原因,請外界勿再揣測。[11]陳美秀表示,張友驊這一生圓滿,對家庭、工作、社會都無遺憾,尤其是他對書籍的熱愛貫穿一生,家中收藏五萬多冊書籍,是他一生成就的重要來源。[12]2024年10月30日上午9點,舉行告別儀式。
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ジニ係数は社会における所得分配の不平等さを示す指標で、0に近いほど格差が少ない状態となります。格差はすなわち社会の不満となり、ジニ係数40%以上は社会騒乱の警戒ライン、60%以上は危険ラインとされます。ジニ係数が低い国家では、税と社会保障による所得の再分配が進んでいる傾向がみられます。日本のジニ係数は、情報源では37.6%(2008年)となっていましたが、厚労省の発表にもとづき更新しております。なお、ウィキペディアに2011年の日本のジニ係数が50%を超えている(中国並み!)との記述があります(2015年3月7日現在)が、これは所得の再分配前のジニ係数であり、再分配後のジニ係数は現在のところ30%台で推移しています。 日本の収入不平等指数は、37.9%で、世界ランキングの順位は73位です。 ランキングの1位はレソトの63.2%、2位は南アフリカの63.1%、3位はボツワナの63.0%です。ランキングの最下位はスウェーデンの23.0%です。 このランキングは米CIAのワールドファクトブックにもとづいており、国ごとに調査年が異なる場合があります。情報源で出典が明らかな場合は、「国または地域」の欄に記載しています。また、アメリカ、イギリス、フランス、オランダ、デンマーク、ノルウェー、オーストラリアなどの海外領土は、本土とは別の集計になっていることがあります。 このランキングには、ランキングマップがあります。偏差値にしたがって地図上の地域を色分けすることで、ひと目で収入不平等指数(ジニ係数)の状況が分かるようになっています。 収入不平等指数(ジニ係数)ランキング 順位国または地域収入不平等指数(ジニ係数) 偏差値評価 【情報源と計算式】収入不平等指数(ジニ係数):2013年 ワールドファクトブック(CIA) 1レソト(1995年) 63.2% 75.0E 2南アフリカ(2005年) 63.1% 74.9E 3ボツワナ(1993年) 63.0% 74.8E 4シエラレオネ(1989年) 62.9% 74.7E 5中央アフリカ共和国(1993年) 61.3% 73.0E 6ナミビア(2010年) 59.7% 71.3E 7ハイチ(2001年) 59.2% 70.8E 8ホンジュラス(2007年) 57.7% 69.2D 9ザンビア(2010年) 57.5% 69.0D 10コロンビア(2010年) 55.9% 67.3D 11グアテマラ(2007年) 55.1% 66.5D 12香港(2011年) 53.7% 65.0D 13パラグアイ(2009年) 53.2% 64.5D 14チリ(2009年) 52.1% 63.3D 15パナマ(2010年) 51.9% 63.1D 15ブラジル(2012年) 51.9% 63.1D 17パプアニューギニア(1996年) 50.9% 62.1D 18スワジランド(2001年) 50.4% 61.5D 19コスタリカ(2009年) 50.3% 61.4D 20ガンビア(1998年) 50.2% 61.3D 21ジンバブエ(2006年) 50.1% 61.2D 22スリランカ(2010年) 49.0% 60.1D 23エクアドル(2013年) 48.5% 59.5C 24メキシコ(2008年) 48.3% 59.3C 25ペルー(2010年) 48.1% 59.1C 26マダガスカル(2001年) 47.5% 58.5C 27中国(2013年) 47.3% 58.3C 28ドミニカ共和国(2010年) 47.2% 58.2C 29ボリビア(2011年) 47.0% 57.9C 30エルサルバドル(2007年) 46.9% 57.8C 31ルワンダ(2000年) 46.8% 57.7C 32シンガポール(2013年) 46.3% 57.2C 33マレーシア(2009年) 46.2% 57.1C 34グルジア(2011年) 46.0% 56.9C 34南スーダン(2010年) 46.0% 56.9C 36アルゼンチン(2009年) 45.8% 56.7C 37モザンビーク(2008年) 45.6% 56.5C 38ジャマイカ(2004年) 45.5% 56.4C 39ブルガリア(2007年) 45.3% 56.2C 39ウルグアイ(2010年) 45.3% 56.2C 41アメリカ(2007年) 45.0% 55.8C 42フィリピン(2009年) 44.8% 55.6C 43ガイアナ(2007年) 44.6% 55.4C 43カメルーン(2001年) 44.6% 55.4C 45イラン(2006年) 44.5% 55.3C 46ウガンダ(2009年) 44.3% 55.1C 47ナイジェリア(2003年) 43.7% 54.5C 48ケニア(2008年) 42.5% 53.2C 49ブルンジ(1998年) 42.4% 53.1C 50ロシア(2012年) 42.0% 52.7C 51コートジボワール(2008年) 41.5% 52.2C 52セネガル(2001年) 41.3% 51.9C 53モロッコ(2007年) 40.9% 51.5C 53ジブチ(2002年) 40.9% 51.5C 55トルクメニスタン(1998年) 40.8% 51.4C 56ニカラグア(2010年) 40.5% 51.1C 57トルコ(2010年) 40.2% 50.8C 58マリ(2001年) 40.1% 50.7C 59チュニジア(2005年) 40.0% 50.6C 60ヨルダン(2007年) 39.7% 50.3C 61ブルキナファソ(2007年) 39.5% 50.0C 世界平均 39.5% - 50.0- 62ガーナ(2005年) 39.4% 49.9B 62タイ(2010年) 39.4% 49.9B 62ギニア(2007年) 39.4% 49.9B 65マケドニア(2011年) 39.2% 49.7B 66ベネズエラ・ボリバル共和国(2011年) 39.0% 49.5B 66モーリシャス(2006年) 39.0% 49.5B 66マラウイ(2004年) 39.0% 49.5B 66モーリタニア(2000年) 39.0% 49.5B 70ブータン 38.7% 49.2B 71ポルトガル(2007年) 38.5% 49.0B 72セルビア(2013年) 38.0% 48.5B 73日本(2011年) 37.9% 48.4B 74カンボジア(2008年) 37.9% 48.4B 75イエメン(2005年) 37.7% 48.1B 76ベトナム(2008年) 37.6% 48.0B
世界・収入不平等指数(ジニ係数)ランキング - 世界ランキング
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るんぺんパリ 【RunPenParis】
【自己紹介 2024年7月14日追記 3538文字】
三重県伊賀市(旧名:上野市)出身 伊賀市(旧名:上野市)に 1976年(3歳)から 1996年(23歳)6月まで住んでいた 1976年以前の記憶と出生は不明
伊賀市で有名なのが 伊賀流忍者 伊賀牛 松尾芭蕉 俳句 上野城 2004年(平成16年)11月1日に 伊賀市に変わってから 上野市駅が忍者市駅になり 近鉄の電車だったのが伊賀鉄道になり 電車がコスプレになった 駅前には銀河鉄道999のメーテルと哲郎の銅像があり 産業会館がハイトピア伊賀になった 新天地もなんかおしゃれなサビれかたで 「新天地Otonari」となった 街は高校生の頃の面影は薄くなったけど 何となく残っている上野市街は今でも魅力的だ
最近は実家で一人暮らしのおかんの様子を見に よく帰省するようになったけど 若い頃は年一回も帰省しなかった 最近の伊賀でよく立ち寄るのが 「菓匠 桔梗屋織居」と 「HANAMORI COFFEE STAND」と 「岡森書店白鳳店」で 岡森書店は、Kマーホの名で出版した 「トイレの閃き」が背表紙の色が抜けた状態で 25年以上も本棚に置いてくれている これを見ると初心に戻れて まだまた創作していこうとがんばれる
市部という地区だったと思う 依那古第一保育所に5歳から6歳の2年間通った おかんは自分の送り向かいのために 自転車を乗る練習して そのおかんが運転する自転車の後ろに乗って 途中の田んぼに二人で落ちて 泥だらけになった
小学校までは上野市依那具にある 市営の城ケ丘住宅で過ごした この市営住宅はもう40年以上も その雰囲気を変えずに今でも残っている ここは伊賀市の文化遺産にしていいほどの時間が止まった場所だ いまだに汲み取り式の便所の換気の煙突が立ち並んでいる このカオスな感じは小学生の頃の不便な生活を思い出させる あの生活で暮らしたから今があるのは確かだ
小学校の通学路にある 垂園森でよく遊んだ 現在も存在しているが オバケが出そうな森 この森は当時通っていた依那古小学校の校歌の歌詞にも出て来る イメージ的には幽霊が出そうな森だけど 何か不思議な生き物が住んで居そうな森に見えた きつねも出そうだし おばけも幽霊も心霊も もしかするとタイムスリップして 小学生の頃に戻れそうな気もする森だと変な懐かしさを感じる 近くには無人駅の市部駅とにらめっこしている森
中学校から市街の上野城の 城下町で過ごした 当時はカオスな市営城ケ丘住宅から出れる事が本当にうれしかった 小学校までの友達とも飽きてしまっていたので寂しくはなかった 当時から色々な物にすぐに飽きては新しい物が好きだったので そっちのワクワク感で本当にうれしかった そして築20年以上の中古の一軒家で2階建て 自分の部屋がありトイレは汲み取り式だけど洋式で あこがれの上野の街で住める事もあって本当にうれしかった
そして近くの崇廣中学校に通う事に 中学校の3年間は 転校生という立場と 中一で足の骨折 中二で腕の骨折 どちらも遊んでいての骨折2回 中三の高校受験で いい想い出は無い
高校2年生で 小学校の時にサッカーで出会った 旧友とバンドを組んだ その時が一番楽しかった。
1993年 一人暮らしを始める やっと自由になった気がした 2年間ぐらいは金が無くて 通帳の残高は毎月マイナス50万 スレスレ生活
1996年7月から 2003年7月の 7年間は茨城県と千葉県の県境 利根川の近くに住んでいた この界隈を走るタクシー運転手の 態度は本当にムカつくから こっちも態度悪く乗ると 気分の悪さはお互いさまになる 関東平野は景色が無く ここでの生活は落ち着かなかった 食文化も人も気候も水も 肌に合わなかった 特にうどんの汁が濃いだけのシンプルな味は げんなりさせてもらった ただ寺原駅近くの「ふる川」はよく通った とくにカレーめちゃくちゃ美味かった
1997年から パソコンをミドリ電化で38万で購入して 作詞やネットに興味を持つ まどみちお詩集を読みだす 作詞に近い詩を書き始める 「Kマーホ」という名で 詩を書き始める 目標を300篇と決めて 詩を思いついたら メモをつけるようになる 週末は家に引きこもり 一日中、音楽を聴きながら パソコンがあるのに まだワープロで詩を清書していた
1998年から2002年まで 「Kマーホ」の名で 詩に団体に参加したり 詩の賞に応募したり 詩集を自費出版したり この当時参加していた詩の団体には もうドロドロとした 詩を書く人や あまりにも読み解けない詩や 暴力的な人や いい人もいたけど 自分とは全然目指している方向が 違うので2年目ぐらいで辞めた それからは詩の団体に興味は無くなった それから 自費出版した詩集を 全国の小中学校や 全国の図書館へ寄贈して 活動を休止 理由は2000年に結婚してから 集中して詩を書く時間が無くなってきたから 2002年に2つの詩集を出版して 詩の事は全部段ボール箱へ入れた
2003年から2019年まで 育児に重点を置いて生活をする この時期は友達とも連絡を 切っていたので のちに死亡説や宗教説が出ていたらしい
2003年7月から 現在は静岡県在住 もう20年以上住んでいる
2019年 るんぺんパリ【RunPenParis】の名で 詩を書き始める SNSでの詩の発信を始める
るんぺんパリ【RunPenParis】とは フランスはパリの街を ぺんを持って 走るという意味から 【RunPenParis】ができた
1973年8月1日生まれ(もうすぐ51歳) しし座 O型 右利き 詩・詩集・ことばをデザイン アート・写真・小説・ペン画
松尾芭蕉の生家がある伊賀市で 十代までを過ごし 俳句が幼少期から 身近に存在していた
二十代から詩を書き始めて 「Kマーホ」名で活動(1999-2002) 詩集6冊を出版して活動休止
その後 松尾芭蕉の俳句のような シンプルな言葉遊びを 詩で出来ないかと考えていた中で
令和元年(2019)に 「るんぺんパリ【RunPenParis】」の名で 活動を再開
SNSに140文字に 言葉をデザインした詩 「140文字詩」を 毎日投稿する活動を始める
2023年9月に140文字��が 1200作品に到達した事で 「140文字詩」を全国へ さらに世界へと 俳句のように広く知られる 存在になって欲しい
◆るんぺんパリ【RunPenParis】作品一覧 【2023年】Amazonで販売 2023/12/27第2フォト集「ほちきす それでは あかんで」 2023/12/2 第1フォト集「とめても ええか ほちきすで」 2023/11/23 第16詩集「もあいの ねごとを よみとる」 2023/9/16 第15詩集「さんもじ もしくは よんもじ」 2023/9/9 第14詩集「のこりの あぶらは わるもの」 2023/9/2 第13詩集「あそびも しごとも たいふう」 2023/8/26 第12詩集「かいてきな しつどに おぼれる」
【2022年】Amazonで販売 2022/12/6 第11詩集「やくそくは よなかの おひるに」 2022/11/3 第10詩集「みさんがの ともだちの たまんご」 2022/10/7 第9詩集「くうきと さんその かつさんど」 2022/9/3 第8詩集「さついを こめた いもけんぴ」 2022/8/7 アート作品集「やさいに つめる にくえらび」 2022/2/14 アート作品集「よなかに ひかる かみぶくろ」 2022/1/1 第7詩集「みかんの むくちな きもち」
【2021年】Amazonで販売 2021/9/8 第6詩集「そんな ことばは さよなら」 2021/8/3 第5詩集「あさに おくれた なんて」 2021/6/5 第4詩集「すいかの たねの ちょうこく」 2021/5/31 第3詩集「たんぽぽの たまご ひとつで」
【2020年】Amazonで販売 2020/7/27 第2詩集「こよい こよりの そらから」 2020/3/2 詩小説「すきから あいへ おやすみ」
【2019年】Amazonで販売 2019/7/21 第1 詩集「ところで あした あいてる」
◆Kマーホ 作品一覧(1999-2002) 【2002年】 2002/4/30 第6詩集「眠立体(ねむりったい)」 2002/4/4 第5詩集「コールサック」
【2000年】 2000/7/31 第4詩集「マガサス星人」 2000/1/31 第3詩集「おしりとサドルが あいますか」
【1999年】 1999/8/1 第2詩集「テレビジョン」 1999/5/1 第1詩集「トイレの閃き(ひらめき)」
【受賞】 2001年 詩「眠立体(ねむりったい)」第6回トワイライト文学賞 2000年 詩「永遠の親友」信越郵政局長賞 1999年 詩「トイレの閃き(ひらめき)」第1回万有賞 1998年 作詞「地球のウラハラ」第31回日本作詞大賞新人賞候補ノミネート
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2025~その「転換点」を直視し備えよ/第66回大人のためのSDGs超基礎講座(2025年1月7日)
2025~その「転換点」を直視し備えよ/第66回大人のためのSDGs超基礎講座(2025年1月7日) チケット https://kanglo-sdgs250107.peatix.com/view https://www.facebook.com/events/9598219096872727
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2015年9月25日、国連総会にてSDGsが採択され、あれからすでに9年が経ちました。人類は、21世紀に積み残してしまった地球全体の危機的課題の解決に向けてどれ程前進できたのでしょうか?SDGsは、人類史上初の世界規模における共通目標として始まりました。期限は2030年です。この時までに、人類がこの目標の達成に向けて、どの程度実践できたかによって今後の地球の未来が決定付けられます。もし、うまくいかなければ、地球の未来は確実に悪化の道に向かいます(と多くの科学者が訴えています)。私たち大人は、運よく80年そこそこの人生を得た中の、その一部の期間、危機を体験するだけに留まれますが、これから生まれてくる子供たちにとってはどうでしょうか。
「こんなに辛く厳しい環境ならば、生まれて来なかった方が良かった」 「2020年頃に生きていた大人たちが、何もしなかったことによって、地球がこのようになってしまった」 「責任は誰にあるのか?」と叫ぶことでしょう。
今の大人たちが、今の世の中の現実を受け継ぎ、作り上げてきたという自覚と責任を持ってしたならば、現在のこの地球の有り様に対し、「俺は知らん」「私には関係ない」「もう何もどうすることもできない」と放置をすることが、どれほどまでに罪深きことであるのか。そうした”反省”も込めて、自戒の念を込めて、このSDGs超基礎講座を開催することにしました。2018年頃より、日本においても、小中学、高校、大学にて、SDGsに関する科目や、学科が次々と作られ、基礎的な知識のみならず、自ら課題解決に向けて実践を続ける子供たちが急増しています。その子供たちから、SDGsのことについて尋ねられて、もはや知っているふりや、否定をすることは出来ません。子供たちは、大人たちの振る舞いや言動を見ています。「このあなたたちが作り上げてきた課題ばかりの社会を、どうしていくつもりなのか」と。もう、もはや恥ずかしくて知らんぷりをすることなど、到底出来ません。必要のないプライドを振りかざして、SDGsを否定するのは止めにしませんか?ご一緒にSDGsの真の在り様、そして、これから一人の人間として、何をするべきなのか、ご一緒に考えていきませんか?
(自戒の念を込めて) 藤井啓人
■日程:2025年1月7日(火)20時~22時 〔他開催日程〕※毎月1回~2030年まで継続予定 2025/2/4 , 3/4 , 4/1… ※毎回第1火曜20時~を予定 ※変更日程あり
■形式:オンライン(Zoom)
■内容: ・毎回、Today’s themeの内容は、その時の情勢によって変わります。テーマの投げかけを行いますが、教える講座ではなりません。 ※どの回から参加をしても大丈夫な仕立てにしております。 ※SDGsの超基礎情報から最新情報、実践的な事例などを取り扱います。 ※参加者と緩やかにつながり、共助、協働できるコミュニティを少しずつ作っていきます。
■参加費:チケット制 https://kanglo-sdgs250107.peatix.com/view ・1回分チケット:1000円 ・5回分チケット:3500円(1回あたり700円) ・10回分チケット:5000円(1回あたり500円) ※小中高大学、大学院生は無料(無料のチケットでの登録をお願いします) ※チケットは、連続して使う必要はありません。ご都合に合わせて無理なく、ご参加下さい。 ※既に未使用のチケットをお持ちの場合は、主催者に参加の旨、一言お知らせください。
■参加対象: ・どなたもご参加頂けます(SDGs超初級者、初級者向け) ※小中高大学、大学院生も大歓迎 ※大切な家族、お友達、会社の同僚の皆さんもお誘い合わせの上、ご参加ください。
■申し込み方法: ・Peatixよりお申込みを頂くと、ZoomURLが発行されます。 https://kanglo-sdgs250107.peatix.com/view ※できるだけ毎回参加してみてください。やがて、自分自身の中に、何か軸のようなものが出来、判断をする時のモノサシを持てたような実感が生まれてくるでしょう。
■企画・運営・ファシリテイタ:藤井啓人(ふじいひろと): ●茨城県東海村出身。高卒後、上京し新聞配達をしながら予備校に通い筑波大学に入学。4年間、体育会硬式野球部に所属し選手と2軍監督を経験。1992年に㈱リクルート入社。12年間、組織・人事コンサルティング事業に従事し、約2000社の企業の変革に携わる。社内表彰制度で全国MVP・部門MVPの受賞計8回。 ●2004年に独立し、事業再生コンサルティングのマネジメントリコンストラクション社を設立。2010年5月カングロ㈱ 代表取締役に就任。独自のサステナビリティ・イノベーティブ・コンサルティング事業開始。 ●米国で「今最も羨望の注目を浴びる企業」とされるオンライン・リテーラーのザッポス社のハピネス経営、「社員をサーフィンに行かせよう」「レスポンシブルカンパニー」の題材となっているアウトドア用品メーカーの米パタゴニア社を研究し続け、これまで約1000社3000名のビジネスパーソンにセミナーや勉強会等でその真髄を伝えてきた。 ●2012~2016年には西アフリカのナイジェリア連邦共和国にて合弁会社を設立し、水問題、エネルギー問題、食糧問題、環境問題を日本のテクノロジーで解決するソーシャル事業も行う。 ●2013年以降、システムD研究会、自転車事故防止委員会、セブメディの会を設立、「懐かしい未来プロジェクト(HOOPS!)」「サステナ塾」を開始し、持続可能な地域社会の実現のために人間本来の役割を思い出すためのあらゆる「体験」の場と機会を提供している。 ●2024年10月1日にカングロ㈱代表取締役を退任。日本社会事業大学、茨城県農業大学校営農塾入学。農福連携×アート事業の為のNPO法人設立(どんぐりヴィレッジ・ケアファーム)準備中。 ●自転車のある生活をこよなく愛し、年間約1万kmを走破する。これまでの趣味はゴミ拾い、ウルトラマラソンランナー、トライアスリート。
※【ダイジェスト版動画】講座特別映像をご視聴頂けます: オーガニック・ポータル~あなたには「魂」がありますか?/第65回(2024年12月3日) https://youtu.be/LXil99Y3QS4
ガザ危機~世界には、本当に平和が訪れるのか?/第63回(2024年10月1日) https://youtu.be/0dO7yGGaHpM
アメリカ大統領選のゆくえ~世界は本当に変わるのか?/第62回(2024年9月3日) https://youtu.be/exIiXly4xNM
ノーモア・ヒロシマ・ナガサキ~人類は、核兵器を捨てることが出来るのか?/第61回(2024年8月6日) https://youtu.be/DhYhJplXjdM
シンギュラリティの真実~人工知能革命の先に起こること/第60回Aniv.(2024年7月2日) https://youtu.be/BmaZb6xL5-Q
人間のゾンビ化を止めろ!人間という種の退化が始まっている/第59回(2024年6月4日) https://youtu.be/LaYpV4TiNO8
自然災害の激甚化がもたらすもの~人類は生き残れるのか?/第58回(2024年5月7日) https://youtu.be/bLZOiSM-7EI
サステナビリティ3.0~企業の外部化されたコストを内部化する/第57回(2024年4月2日) https://youtu.be/l-uH0EsX6B4
世界の福祉の実態/第56回(2024年3月5日) https://youtu.be/FOsEj6EdWQI
世界の農業の実態/第55回(2024年2月6日) https://youtu.be/v-R9SJaRk2w
地球のケアテイカーになろう/第54回(2024年1月9日) https://youtu.be/vACtwR96iIg
グレートリセットとは何か?/第53回(2023年12月5日) https://youtu.be/x-CW0tPLtzE
戦争が無くならない本当の理由/第52回(2023年11月7日) https://youtu.be/ISZKjSPep0k
変質化した異常火災について/第51回(2023年10月10日) https://youtu.be/OLS2ds5pwic
2030年に起こることを想像してみよう/第50回Anv.(2023年9月12日) https://youtu.be/ODgY-z-vY0I
SDGsのスーパー事例を集めてみた!/第49回(2023年8月1日) https://youtu.be/pbLHzt08_hU
SDGsはもう終わったのか?SDGsの本当の目的を探る/第48回(2023年7月4日) https://youtu.be/lXrA8KV88zY
Wind(風)について考える~風の神秘/第47回(2023年6月13日) https://youtu.be/QtDcfxztkWE
Fire(火)について考える~火の神秘/第46回(2023年5月2日) https://youtu.be/owWgezVx46g
Soil(土)ついて考える~土壌の神秘/第45回(2023年4月4日) https://youtu.be/f3IQ7Y7CVo8
Water(水)について考える「第4の水の相」の神秘/第44回(2023年3月7日) https://youtu.be/VBB9A5qC-7c
宇宙開発の真実/なぜ今、加速化する宇宙開発?/第43回(2023年2月7日) https://youtu.be/LaOkFIBHW98
超メタバース社会を検証する~私たちは異次元を受け入れるのか/第42回(2023年1月17日) https://youtu.be/9SD6WBMxKfE
COP27を検証する~もう私たちは間に合わないのか/第41回(2022年12月13日) https://youtu.be/R_ceFx0TbOw
総貧困化社会~私は大丈夫の妄信/第40回Aniv.(2022年11月1日) https://youtu.be/7Y0gZwjylak
大災害が来る~何を心得、何を備えるべきか?/第39回(2022年10月4日) https://youtu.be/NsEv0mQfvQs
核兵器~人類は、また使うのか?/第38回(2022年9月6日) https://youtu.be/TtxvRAm7m3g
超脱炭素社会の到来~本当の目的とは何なのか/第37回(2022年8月9日) https://youtu.be/FPKsy4HS7u8
超食糧危機に備えよ~食糧危機キャンペーンの真実/第36回(2022年7月12日) https://youtu.be/LO4iQL9YcfA
人と人との関係を考える~人と人が支え合い生きていくこととは/第35回(2022年6月14日) https://youtu.be/OyxWiEGPGfw
働き甲斐とは何かを考える~人は何故にはたらくのか/第34回(2022年5月10日) https://youtu.be/emPiTtkimPA
本当の健康を考える~人は何故に生きるのか/第33回(2022年4月12日) https://youtu.be/B_h6wRitTbY
生命活動の源であるエネルギーのことを考える/第32回(2022年3月8日)https://youtu.be/A4CxeazfnxE
地球の空気の奇跡を知る~あなたが知らない空気の話/第31回(2022年2月8日) https://youtu.be/LtJIbXfR_I0
フルバージョン動画はこちらで視聴頂けます。大人のためのSDGs超基礎講座・全アーカイブ動画集(有料コンテンツ) https://vimeo.com/ondemand/kanglosdgs
■企画・運営:SDGs超実践者委員会(SSPC)、カングロ株式会社 https://www.kanglo.co.jp/ 協力:サステナ塾/システムD研究会/イノベーションサロンZ/ショック・コヒーレント・イノベーション・クラブ/フィロアーツ研究会/懐かしい未来へ・どんぐりヴィレッジプロジェクト https://for-good.net/project/1001029
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