#黒テント
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Plastic Tree '黒テント' Photo booklet, 2002
#my scan#plastic tree#黒テント#kuro tent#竜太朗#ryutaro arimura#tadashi hasegawa#takashi oshodani#akira nakayama#2002#soft visual#misshitsu kei#visual kei#vkei#vk#jrock#vhs#photobook#portraits
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北アルプスの黒部五郎岳登山⑤
黒部五郎岳から、太郎平小屋までは途中からガスってその後大雨に!
雷まで鳴って小屋の軒下に避難。
1時間ほどでピークは過ぎたので、テント場に移動。
無事に目的地まで辿り着くことができて良かった。
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2023年3月20日 #本日の黒板つぶやき #camp #kobe #outdoor #キャンプ #テント #小川テント #ピレウス #ヴィッセル神戸 #エリス #忖度 #ヴィッセル神戸vs横浜FC (Cranks Outdoors) https://www.instagram.com/p/Cp_bR4JvmER/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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不思議な話 七人の頭 ! 私がまだ学生の頃のお話です、私の兄が名古屋の某大学の山岳部に所属していました。 初冬の御嶽山で、冬山合宿が始まりました。学業の都合でまず三人がテントを担いで出発しました。最初は順調でし��が、次第に天気が崩れてきて吹雪になりました、そして一人の部員が行方不明となりました。大騒ぎとなりました、名古屋の各大学の山岳部が捜索隊を派遣して大捜索が始まります。しかし御嶽山は山麓が広大で、なかなか発見できません。厳冬期が近くなり、一旦捜索は打ち切り、春を待って再開する事に決まりました。遭難した部員は兄の1つ先輩で、下宿も隣の部屋同士で大親友だったそうです。(私も兄の下宿で一度会いました、大柄でやさしそうな方でした) 休みの間でも春に向けて捜索計画をバタバタしていた兄の元に、先輩のお母さんから連絡が入ります。心痛をみかねた知り合いが霊能者を紹介するので会ってみないかとい��事になり、つきましては学校で仲良かった兄にも同席して欲しいと。半信半疑で大学ノートを片手に、現場に行ったそうです。いざ行ってみると、見た目は全く普通の主婦のオバサンが出てきたそうです、兄は騙されるもんか!と身構えたそうですが、最初の一言で本物だ! と確信したようです。それは「7つの頭がみえます、そのうち1つは黒い、残念ながら息子さんは亡くなっています」だったそうです。兄曰く、発生当時の新聞等報道には、三人パーティーの一人が遭難としか書かれてなく、実際は七人パーティーの先発隊として三人先に登った事は山岳部の部員しか知り得ない事だからです。そこからはあふれる涙涙でグシャグシャになり、先輩が母親にあやまっている言葉をただ聞いていたそうです。しばらくして山岳部の話になって、山で酒飲んてみんなで歌っていた、卑猥な替え歌の数々を二人で泣きながら合唱したそうです。(ここで又確信) この時は、どこに居るのか本人にも分からなくて捜索の手がかりにはなりません。 年が明けて、そろそろ捜索再開の前にもお会いして、何処に居るのか聞いたところ、今度は具体的に「からだが半分冷めたい、片方の目は水の中、片方は森が見えてる」との答え。そして見つかりますか?と聞くと、殿下(兄のあだ名)お前が俺を見つけるよ。と 春になって、捜索開始で兄たちの捜索隊は目星をつけた沢筋中心に探しました、何日か経って小さな滝をザイルで降りた所で発見。丸い岩に引っかかって裸で半分水に浸かっていたそうです(現場写真を見せてくれました)。合掌
それまで霊能者の類は、まったく信じていませんでしたが。この時以来、人は死んでも何らかの念は残っていて、しばらくは共鳴できる人には解るのではないかと想うようになりました。 墓参りや、事故の報道にも手を合わせる様になりました。
オマケ話 先輩との会合の合間に兄が聞いたそうです、先輩僕は結婚できますか? と。 曰く、「大丈夫だよ、可愛い嫁さんもらって幸せになるよ」とニコニコ顔で話します。 先輩は優しい人なんです、兄はまだ独身です。
メメントモリ
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昨日とえらい違いや>(゚Д゚ ミっ )っ∋
2024年5月、中セ池(八尾市)iPhone11
どうも、こんにちは。5月12日(日)は、中セ池に行ってきました。予報では雨がパラつくらしいので、釣行は雨に強い釣り場になるのですが、howellsさんは屋根付桟橋があってテントを展開しなければ11尺まで振れる(らしい)寺口釣池へ。僕は、屋根下は8尺一択になるが良い魚が釣れる中セ池に行った次第。中セ池に着いたら事務所前に車を停められたのだが、ガラガラで僕が4人目でした。なんでも、昨日土曜日は例会が二つあって釣客が多かったのだとか。常連さんは例会参加で土曜日に集中したのかもね。先客3人は西中桟橋に2人、西土手に1人で、人気の北土手、南土手の長竿枡は誰もいない。天気保ちそうやし雨が降るまでは露天の釣席に行こうかな〜と思ったが、「やめとけ」とばかりに雲がかかって雨がパラパラ。なので、前回良い釣りが出来た西土手の北詰に入りました。
2024年5月、中セ池(八尾市)iPhone11
料金2500円に対して、月間賞の配当の金券2000円と大助40cm以上の赤札500円があるので実質無料で釣りができるのですが、なんか「ただ(無料)」というのも悪い気がして金券1000円と赤札500円を使って1000円だけ払いました。中セ池の屋根は9尺だと当たるので、今日の竹竿は「心道」の総高野竹の8尺。浮子は、虎の子の浮子が屋根に当たって壊れることを考慮して、ヤフオクで安く買えた「花瑞樹」の「パイプトップ底S」です。で、使用感ですが、思いの外良かった。エサ落ち7目出しでエサを付けて3目出しスタート。ペレットが剥がれるとジワジワとトップが上がってくるので魚信が見やすかった。昨日使った旧「希粋」の1号よりオモリも喰うので浮力もあるんかな。
2024年5月、中セ池(八尾市)iPhone11
よっしゃ!1投目でキタ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━ !!!!!
2024年5月、中セ池(八尾市)iPhone11
掻いてましたわ…(^▽^;)
背鰭に。鮎の友釣りじゃあるまいし。魚信は「消し込み」やったからなあ。
2024年5月、中セ池(八尾市)iPhone11
周りもあまり釣れてないし、まさか昨日の二の舞ってことは…。でも、浮子が動いているので凝視していると「ツン」と節魚信。マブナでボウズ脱出〜!顔が怖いけどw。
2024年5月、中セ池(八尾市)iPhone11
竿枕になんか付いてると思ったらてんとう虫でこっちに歩いてきたのでパチリと。
2024年5月、中セ池(八尾市)iPhone11
両目が開きましたと。なんか今日はマブナばっかりやな。
2024年5月、中セ池(八尾市)iPhone11
お隣の常連さんが小鮒につきまとわれてボヤいてはるのだが、僕にもw。タナゴ釣りって考えたら良いサイズや。
ところで、今日の釣席は「吹き溜まり」っていうか、水面にアクが溜まって汚い。テグスや浮子のトップがみるみる黒ずんでくる…浮子も洗剤で洗わなあきませんね。次回はヤフオクで買った安い浮子で。
2024年5月、中セ池(八尾市)iPhone11
���いつが10枚目やったかな。ボチボチ釣れて午前中で「つ抜け」達成。お昼ごはんは隣のコンビニで明太子幕内弁当を買ってきて食べました。釣池の隣にコンビニがあるのはいいね。マクドも欲しいw。
2024年5月、中セ池(八尾市)iPhone11
午後は、スロースタート。午前中は釣れてなかったお隣さんが立て続けに3枚釣ってはったが、僕はなかなか釣れない。しかし、やがて釣れだして良いサイズも釣れました。ハリスメーターで雑に測ったら36cmぐらいあったので検寸に持ち込むと…スタッフのO田さんが押さえて測るというスイートな検寸で35cm大助認定。黄札ゲット!
2024年5月、中セ池(八尾市)iPhone11
中セ池は、午後2時頃にドリンクサービスがあるんだが(無い日もあるw)今日はお客が少なかったせいか(遅出の��を含めて7人)スタミナドリンクでした。これはちょっと嬉しい。
2024年5月、中セ池(八尾市)iPhone11
最後の1投で釣れた「上がりベラ」。午後の12枚目でした。営業終了の午後5時までまだ時間があるけど、今日はジムニーの車検持ち込みでスズキディーラーに行くので、午後3時半ごろ終了としました。
2024年5月、中セ池(八尾市)iPhone11
ということで、5月12日はフナ22枚でした。黄札(50円)1枚。「吹き溜まり」の釣席だったので水面の汚れには参ったけど、両うどん床釣りを堪能しました。
では、また。
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服部吉次さん(俳優・音楽家/78歳) 今年3月に英公共放送BBCが報じたジャニーズ事務所の創業者・故ジャニー喜多川氏の性加害問題のドキュメンタリーを契機に、元ジャニーズJrでシンガー・ソングライターとして活動するカウアン・オカモト氏(27)が実名でジャニー氏を告発するなど、その衝撃は日本中に広がっている。今回、俳優で音楽家の服部吉次氏が小学生の時に受けたジャニー氏からの性被害を告白する。吉次氏は「別れのブルース」「東京ブギウギ」「銀座カンカン娘」などの和製ポップスで知られる国民栄誉賞受賞作曲家・服部良一の次男。長兄は作曲家の故・服部克久だ。(独占インタビュー前後編の前編です) ◇ ◇ ◇ ──なぜ、今過去の性被害を公表する気になったのでしょうか。 「ひとつは、カウアン・オカモト氏ら実名で告発した方たちに対する敬意です。ジャニーの悪行にはかつて(2000年代に)司法の明確な裁きが下ったんです。にもかかわらず、それから30年経った今に至るも、主要なメディアはジャニーズ事務所の数々の非道の兆候を明確に指摘することをためらい、忖度し、温存する側に回ってしまった。 なぜか。この国ではむきだしの怒りを相手にぶつけることを避けてしまう。人々はこの世の歪みに気づかないふりをする。でも、少しずつではあるけれども、勇気ある告発は増え続け、海外からの声も追い風になり『おかしい』という声は大きくなってきた。それだけに行動する人に対するバッシングも大きくなる。今回こそ、真正面からその圧力と向き合おう、この機会を失うと、もう二度と発言の機会は失われてしまうかもしれない。そんなやむにやまれない思いで、今回の告白に踏み切りました」 ■父の米国巡業の縁で姉弟が服部家に ──被害にあったのはいつ頃でしょうか。 「まず、ジャニーと私の父・良一の出会いから話します。1950年に、父が歌手の笠置シヅ子さんと『ブギ海を渡る』を持ってアメリカ巡業ツアーをしたのです。8月11日にハワイ公演、9月1日から3日間はロサンゼルス公演でした。会場は高野山ホールという高野山真言宗の直営ホールで、当時の高野山真言宗米国別院の第3代主監が喜多川諦道氏。ジャニー喜多川の父です。 諦道氏は『ボーイスカウト第379隊』の結成に尽力したり、プロ野球球団『ゴールドスター』のマネジャーも務めていたという多芸多才な方だと、今回ネットで知りました。ロスの日系社会で声望が高かったそうです。息子のジャニーは当時19歳。姉のメリーと共にコンサート会場を駆け回り、大人顔負けの接待役を発揮し、父や笠置さん、服部富子(叔母で『満州娘』の大ヒットで知られる歌手)、スタッフたちのマスコット的存在だったそうです」 ──服部家とはその縁で? 「同じ年の6月に勃発した朝鮮戦争で、ジャニーはアメリカ国民として徴兵され、従軍するのですが、ある日、突然、彼が新宿区若松町の家にカーキ色の軍服姿で現れました。パパ(良一)と叔母は、それを見るなり『ヒーボー(ジャニー氏の本名・擴からこう呼んでいた)! ウワー、大きくなって』と歓声をあげて出迎えました。 それから、何回か若松町に遊びに来ました。今でも忘れられない光景があります。玄関にうずくまり、軍靴をゆっくりと編み上げている彼の姿です。家族はそれを囲んで一言も言わずじっと見つめていました。それから彼は立ち上がり、私たちに別れの挨拶をするでなく、『あー、行きたくないなー』と一言。 今思うと、2世差別の残る戦場へ向かう彼の姿を中国戦線での慰問経験をもつパパと叔母は、どんな思いで見ていたのだろうと思います。ジャニーは朝鮮戦争から帰還し、その翌年日本に戻り、除隊後には米大使館軍事顧問団に勤務したといいます。それで再び、服部家に出入りするようになったのです」 ──どんな印象でしたか? 「ジャニーはワシントンハイツ(代々木にあった進駐軍宿舎)に住んでいて、時々、お土産をもって服部家を訪ねてくるんです。ハーシーのチョコレートやハンバーガー、フライドポテト、アイスクリームなど。PX(基地内の売店)で手に入れたものでしょう。当時の日本は皆貧しいですからね、ハーシーのチョコなんて高根の花でした。うちは比較的裕福とはいっても、進駐軍の物資の豊かさは別世界です。 ある時、冷蔵庫が運ばれてきたのでびっくりしました。父が彼に頼んで買ったものでしょうけど、当時は氷を置いて冷やす簡易冷蔵庫しかない時代です。冷蔵庫・洗濯機・テレビが三種の神器と呼ばれて主婦が憧れたのは1960年代の初めですからね」 ──ジャニー氏の性癖を知ったのはいつですか? 「私は当時8歳。小学2年生ですから、チョコレートやお菓子を山のように持ってきてくれて、一緒に遊んでくれるヒーボー(ジャニー氏)は優しいお兄さんですし、大好きでした。ある日、いつものようにふらりとやってきて、確か“キャナスター”というトランプゲームなどで遊んでくれたヒーボーが、『もう遅くなったから今日は泊まっていこうかな』と言うんです。母も、『そうね、どうぞ泊まっていって』と言う。 ヒーボーが『どこに寝ればいいかな?』と聞くと、『よっちゃんの部屋がいいんじゃない』と母。『よっちゃん』というのは私の愛称です。 それでヒーボーが私の部屋に泊ま���ことになりました。2階が子供部屋で4部屋あるうちの2つは兄と私、1つは姉3人が寝るようになっていて、一つは布団部屋みたいになっていたと思います。 パジャマに着替えた私が布団に入ると、彼が『肩揉んであげる』と言うんです。私も子供のくせに肩こり性なので、言う通りうつぶせになると、ヒーボーの手が虫みたいに体中をはいまわるので『なんか変だな』と思ったけど、私にとっては優しいお兄さんですからね。 そのうち、下半身をまさぐってきて、パンツをめくって股間のあたりに手を入れてくるんです。指でさすられているうちに生温かいものに包まれたと思った瞬間、今まで知らない突き抜けるような快感があって。それが初めての射精でした。何がなんだかわからず、びっくりしていると、今度は肛門をいじり始め、舌がはい回ってくる。そのうち舌とは違う硬いものが入ってくる感触がするけど、さすがに痛いので身をひねったら、諦めたようで、指で自分を慰めている。それを見て怖いというよりも、8歳だから何がなんだかわからない状態です」 ■姉からは「汚らわしい」と言われ… ──母親には話さなかった? 「その翌朝、起きたらすでにヒーボーの姿はない。何も知らない姉が笑顔で『どうだった? 昨夜は大好きなお兄ちゃんと一緒に寝て楽しかった?』と聞くので、『うん、ヒーボーは僕の体を揉んでくれるんだけど、だんだん、手がパンツの中に入ってきて、おちんちん触るんだよ。おちんちんって汚いよね。ぼく、なんだか気持ち悪くて……』と言ったら、姉が、『やめなさいよ、そんな話。汚らわしい』とすごい剣幕で言う。 姉がそんなに怒るのは昨夜のことはやっぱりいけないことだったんだと思って……母親に話すことはできないし、まして普段からあまり会話が少ない父親に話すなんて無理。そこで思考停止しちゃったんです。 ジャニーがしたことがオーラルセックスだというのは大人になってわかるんですが、変なことをされたという気持ちとそれを自分が受け入れた後ろめたさが子ども心にも複雑な心理状態になるんですね。 アイスやチョコをくれて、性的な快感を味わわせるということで、こちらに後ろめたさを持たせ、その一方で加害者としてその快楽を使った口封じをしているわけです。性に関する問題は『支配と奉仕』の二重構造があるのだと思います。でも、それで終わったわけではなかったんです」(後編につづく) ▽服部吉次(はっとり・よしつぐ) 本名・服部良次。1944年生まれ。父は作曲家・服部良一。劇団黒テントの創立メンバー。「翼を燃やす天使たちの舞踏」「上海バンスキング」「阿部定の犬」ほか多数の舞台に出演。妻は女優の石井くに子。次男はハンブルク・バレエ団で東洋人初のソ��ストで、バンクーバー五輪の開会式に出演したバレエダンサー・服部有吉。兄は作曲家・服部克久。甥は作曲家・服部隆之。隆之の娘はバイオリニストの服部百音。 (取材・文=山田勝仁)
(2ページ目)国民栄誉賞作曲家の次男がジャニー喜多川氏からの性被害を告白 「8歳の時に自宅部屋で…」|日刊ゲンダイDIGITAL
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✴︎ イベント告知 ✨📢 『 Locals 』 ビーチクリーン&スワップミート ~モノを大切にしたい~ アウトドア用品や古着、雑貨などキャンプしながら売ってみませんか? ◆日時 4/22(土)・4/23(日) open 10:00~16:00 (悪天候の場合は中止の可能性あり) ------------------------------ キャンパーによるスワップミートに加え、SDGsを意識したショップによるグッズ販売、ジビエカレーやアウトドアギアの販売、LIVE、海洋ゴミを蘇らせるワークショップ、tent-mark designs商品の展示、ビーチクリーン宝探し等楽しいイベント盛り沢山の2日間!! ------------------------------ 当日はキャンプをされない一般のかたも無料でキャンプ場に入れますのでお気軽に遊びに来て下さい🌟 ------------------------------ 【参加予定のショップリスト】 Wild-1 (テントの展示、小物の販売) SOUTHERN WORKS (アウトドアグッズ等の販売) がんこ本舗 (洗剤等の販売) Stella (ペットフード等の販売) カレー探偵たける (ジビエカレーの販売) おやつ日和。 (ドリンク&スイーツの販売) @oyatubiyori LOHAS LIFE (トレーラーハウスの展示等) イドベタ (ワークショップ&販売等) @idobeta2022 Taishilou (ライブ 22日 17:00より) @taishilou 大炎魂 (スワップミート参加) ------------------------------ イベント出店者・出演者の詳細は @team_locals_keya でも発信されますので是非チェックしてみてください😚 芥屋の黒磯海岸すぐ横で心地よい波音と海風に癒されながら一面芝生の広いフィールドで楽しんでいってください🌟 皆様のお越しをお待ちしております! #イベント告知 #キャンプイベント #芥屋 #黒磯海岸 #ビーチクリーン #地域貢献 #z世代 #ライブもあるよ #楽しみ #お待ちしております #スワップミート #リユース #リサイクル (芥屋) https://www.instagram.com/p/Cp7azB4pIAi/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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10月3日はドイツ統一記念日で全国的に休日。天気は時折雨で空はどんよりと白く。ハンブルグの秋っていう感じ。オーラフ・シュルツ首相はハンブルグ出身なので、今年はハンブルグがホストらしい。私は丸の内に住んでいるようなものなので、私の通りは数日前から全面封鎖され警官が所々立ち、各州から来た展示テントが通りを埋め尽くしている。コロナ罹患数が増えてきているようだし、私はお利口さんにお家でのんびり。
ロンドンからの飛行機で仲良くなったオッサンオススメのドイツパン、Sanssouciを、オッサンオススメの店で買う。まぁ不味くは無いが、オッサン曰く、Sanssouciってフランス語で憂いなしっていう意味なんだけど、変な添加物入れていませんって言うことでドイツ語じゃなくて、その店ではフランス語を使っているんだと。まぁ不味くは無いが、美味くもない。ワシはドイツ人が誇りに思うとるらしい美味いドイツパンを食うてみたいのじゃが、もう一年もここにおるのに、SwedenのUppsalaで帰国前に朝早起きして焼き立てのパンをスーツケースにツメツメして持ち帰ったほどの感動的美味いパンに、まだ出会っていない。南ドイツに行かないとダメかしら。ドイツよりも北欧パンの方が美味いですわよ。
イザベル姉さんは、グズグズ文句を言いながら、色々とケーキ焼いてくれたり、御飯を一緒に作ろうと誘ってくれたり、映画に連れて行ってくれたりする。ワシは幸せ者で、ワシを可愛がりたい奴は、何故か知らないが、全世界にうすーくひろーく、散らばっているようである。イザベルさんは、その内の一人。ワシを構いたくて仕方が無いらしい。この休日のランチは、イザベルが独創的創作意欲に満ちた時に焼いてくれた再現不可能なケーキを大量に頂戴したので、それを食す。
ドイツではイースト入りの生地をケーキに使う事が多いのだが、少しパン生地を固くしたような生地をケーキの底とフチにして一度焼き、その中に、ブルボンバニラのクワークと砂糖、りんごのスライス、角切りアーモンド、干しぶどうを沢山入れたフィリングを入れて、再度焼いたケーキ。甘さ控えめで、バターやクリームが入っておらず、さっぱりとしていて美味しい。クワークは日本では見かけないが、ギリシアヨーグルトみたいな舌触りのボテッとしたサワークリームになる前のクリームがヨーグルトになった食べ物だと思えば良い。スエーデンでは、ヨーグルト感覚で、朝ご飯に森のベリージャムと食べる。ワシはウプサラ大学に客員研究員で滞在した夏、全体液がクワークと森のベリージャムになるかと錯覚する位に、これを毎朝食べ尽くした。ぶはは。
ワシはその昔、北欧辺りで小鳥だったとしか思えない位にラズベリー、ブルーベリー、グースベリーなど、イチゴ以外のベリーが大好物。しかし、同時に、その昔、小リスだったと確信している位に、ピーナッツ以外のナッツ類も大好き。栗もナッツですけんの。イチゴもピーナッツも、食べるけど、実はそこまで好きじゃない。イチゴはベリーのフリした草だし、ピーナッツだってナッツのフリした草だろと思う。ワシは木が好きじゃ。
コックのミヒャエル君が、スダチをゲットしたと写真(上の手はミヒャエルの手)を送ってくれたので、一個だけ置いておいてもらう。お取り置きスダチは、こちらのスモークサーモンの冷凍を解凍して、その内、食べようと思う。本当は焼き魚が欲しいが、こちらは北海で取れるギトギト脂身の魚を燻製にしても、まだ脂だらけなので、脂落としと臭い消しに使おうと思う。
昼では無く、夜遅くに思い立って散歩。市庁舎前は統一記念日の準備で凄い。どこも立ち入り禁止である。そんな中、イザベルに日本で撮影したPeaceful DaysというWim Wenders監督の作品を見に行こうと誘われる。ハンブルグでは、今週は映画祭も同時開催されている。今年、役所広司がカンヌ映画祭で主演男優賞を取った作品で、日本では12月に公開予定。少しお先に見て参りました。超巨大スクリーンの映画館は満席。時折、笑い声が出て、日本を、東京を、ドイツ人達が楽しんでいる事を嬉しく思った。この映画は、台詞はほとんど無いが、台詞がある場面は全て日本語で、ドイツ語字幕。日本に帰りたくなる。あまりにもドデカイスクリーンで東京が実物大位で、没入感しかなく、東京が好きでも無いのに、懐かしくなった。
私から見ると、大概不潔なドイツ人でさえ、フランス人を見るともっと不潔に感じるらしく、大量にトコジラミが発生しとるパリには行くなと言われておる。でも、自分達は民度高めだからフランスより清潔ぶっているドイツも、日本の清潔さには恐れ入るらしい。っつーか、ワシはチミ達の不潔さに恐れ入っとるわい。。。と普通に思う。映画では、役所広司は、東京都の公営トイレ掃除夫として登場するので、Totoのトイレとトイレコンペに使われた建物を見る事ができる。
映画は監督と一緒に見て、監督の対談もあった。ブエナ・ビスタ・ソシオ・クラブのファンなら、Wim Wendersはブエナ・ビスタの監督でもあるので、ドキュメンタリーと映画の境目を狙う監督だと御存知かしら。監督曰く、16日間しか撮影期間は無く、おまけに当初は、日本で行われた公共トイレ建物の最終選考コンペに残った建造物のプロモーションビデオのようなものを撮って欲しいという依頼だったらしい。トイレを見て、建造物を見て回ったが、それよりも、トイレの美しさに感動し、汚くなる場所を毎日毎日、美しく掃除をしてくれる人々が日本にはいるんだなぁって思って、物語的なものにする事を思いついたらしい。日々の生活の中で、身の回りを常に身綺麗に清潔に保つという美意識に、そしてそれは一度でも気を抜くと、あっという間にベルリンみたいに汚物の一部と化すというはずなのに。。。汚い場所こそ美しく保つ心意気に、日本の民度の高さを見出したらしい。そんな監督は、アメリカ人の好きな黒澤明よりも、小津安二郎が好きで、小津安二郎のように、静かな、淡々とした日常を、心静かに受け止めて生きる人々の生き方を、いつか描いてみたいと若い頃から思っとったらしい。実現できたのは、78歳。ワシの愚父と同い年である。
Wenders監督の演出で、役所広司主演のトイレ掃除夫は、実は運転手付きの金持ちの家の出自である事が推察できる場面がある。これには、Wenders監督の観察眼にビビった。今の日本は平成の下剋上後の令和の下剋上を体験しているので、昭和の下剋上、平成の下剋上でも更に下層だった奴らが、今を謳歌されておる。クソのハシにも引っかからない輩が、やれ白百合だの、慶應だのと、キャピキャピ行きやがって、お笑い種である。表面的にぶりっ子ぶってりゃぁそれでえーんかい?とツッコミを入れる事すら無駄に思えるバカばかりが、やれ東大だ、京大だとしがみ���いて、実に下らない。ワシはWenders監督の眼差しに勇気付けられた。見る人は見ている。見ている人の中には分かっている人もいる。だから大丈夫。ワシはワシらしく、憂う事なく、楽しく笑っとこ。見る人が見たら、ワシの存在に気づくじゃろ。
イザベルに感謝。パン好きのオッサン、ヘンドリックに感謝。そしてヴィムこと、ヴェンダース監督に、日本を心哀しく、誇らしく思わせてくれた事に感謝。日本は、もう、だんだんと古き良き実直で、もの静かで、ひたむきで、優しい人々が片隅に追いやられ、本当の日本に会うのは、日本人でさえ難しくなりつつある。そんな中、日本の消えつつある姿を、映像に残してくれた事に感謝。映画では影がキーワードだったが、幻のようになっている日本を、浮かび上がらせようとしてくれたのだろう。日本人ではなく、ドイツ人の方が、真髄を捉える事に成功しているのだとしたら、私も、Auslander、異邦人だからこそ、捉えているドイツの真髄が見えているのかもしれない。
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Plastic Tree - 黒テント
AEBR-1004
2002
#my scan#plastic tree#黒テント#kuro tent#2002#soft visual#misshitsu kei#visual kei#vkei#vk#jrock#vhs#live#the photo booklet is getting its own post
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2023/5/8〜
5月8日 連休明けの大雨なんてだめ! 寒さで体の力がするすると抜け落ちてしまう。
いつも甘えさせてくれる、尊敬すべき友人のお誕生日だった。 明日は、おととい奈良で会った友人のお誕生日らしい。 もっと早く2人の誕生日に気付いていたかった。 奈良で何かプレゼントにお土産を��っていたかったし、なかなか遠方��会えないのに直接会ってお祝いをしていたかった…!
この連休に金沢の実家に帰省されてた方から、かわむらの甘納豆をいただく。なんて!素晴らしいお土産!「県民しか知らないお土産です」と言って渡してくれて「知ってます…!」と受け取った。
育休中だった上司が復帰していて、奥さんの入院中の病院食(良い旅館の夕ご飯みたい)と、アメリカで出産したお姉さんの入院中の病院食(3種類の液体と赤いゼリー)の写真を見せてくれた。 アメリカでは出産は病気ではないので、とりあえず栄養さえ取れればなんでも良い、という感じらしい。
連休明けで割と人見知りして過ごした一日だった。
5月9日 やることがたくさんあって充実しているのに、泣きたくなる瞬間が多くて、それは明らかに新しい職場の環境が、新しい上司についていきたいけどもう無理かも、な気持ちがそうさせている。 誘われ笑いをする元気はなくなっていて、元気だな〜モードになっている。
頑張りたいけど頑張れなくて帰り道も泣いていた。 頑張りたいのは仕事ではなくて、今の新しい上司に嫌われたく無い、変に思われたく無い、というベクトルの頑張りたい、だから。それが誰も求めてない虚しいことだってわかっているから惨めな気持ちになって泣いている。
大学時代の後輩の一人も昨日お誕生日だったらしく、とっても頼もしく嬉しくなる投稿をInstagramで見つける。思わずメッセージ送り、スクリーンショットを撮ってひとまず今日の待ち受けにしてみた。 そう言えば最近、日記に個人名を書くようになった。
お昼休みにクリーニングに出した仕事着を受け取りに行っ��。 今回限りの利用になるだろうクリーニング屋さんは、洋服を持ち込む時にサイコロを振って出た目でポイントがつく。 洋服を受け取る時に棒のくじ引きをしてポイントが加算される。 今日はカウンター内に穴の空いた看板が立っていて、ボールが穴を通れば割引キャンペーンが追加。 たくさん勝手の異なるキャンペーンがあるのに受付の方は淡々とこなしていた。
午後はずっと立ちっぱなし動きっぱなしでそれもあって悲しくてへとへと。 そしてなんと明日は東京出張で、こんなことってある?と絶望している! 残り二つの奈良土産のどら焼きをあげたい相手なんていなくて、もう日持ちもあまりしないので、明日会えるかもしれない友人に脈絡なく渡しちゃおうかと思う。
目黒区庁舎の見学ツアーの抽選は、どうやら外れてしまっていたみたい。
5月10日 やっぱり私のお部屋のバルコニーでなくとも、どこか近くで毎朝鳩が鳴いている。つらい。
少しだけ遅く起きて出張。 出張先の何も無い駅から現場までの道に、屋上にバラ園があるような少し鬱蒼とした雰囲気の豪邸がある。剪定した何かの木の枝先にアルミホイルを巻き付けてあるのを見ながら、いつも写真を撮りたいな〜と思いながら通り過ぎる。
午前中でお仕事を終えて、午後はお休みを取っていた。 こんなに気持ちがだめになっているとは思っていなかったけれど、先週の私、大正解! この出張先の近くの高校で国語の先生をしている高校の同級生と4年ぶりに会った。 何も無い町なので国道沿いのデニーズで待ち合わせをした。 彼女は4年前から同じ高校の定時制で異動なく先生をしていて、4年前に会った時は、配属されたばかりの定時制の高校の環境にとてもショックを受けていたように見えていた。今日はとてもはつらつとして、やっぱり仕事が生活のほとんどで趣味のようだ、と言っていて、少し安心。 定時制の生活は、朝ごはんを食べて、お昼過ぎに出勤して、学校の給食で夕ご飯を食べて、4時間授業をして、日付が変わる頃に帰宅するとのこと。 今日のデニーズではおやつにメロンパフェを食べていた。 お互いにそこまで変わったことはなく、1時間ほどの再開だったけれど、満足な時間を過ごせた。
またこんな感じで会おうね、と別れ、元気が残っていたので、というか元気になってしまったのでダムタイプのリベンジをした! 東京駅ひとが少ない…!と思ってしまう。
アーティゾン美術館は平日なのにかなり混雑していた。 ダムタイプの展示も会期末だからか平日だけれど人が多かったので、今日行くことができて良かった。 さっきまで日差しの元で何かが解体されている現場に立っていたのに、東京の綺麗な美術館で環境音と光が演出される暗い涼しい部屋にいることが嬉しすぎる。展示会場で彷徨ってふらふらして贅沢な時間だと思ってしまった。 アーティゾン美術館は学生さんは無料らしく羨ましい。これを贅沢とか思わずに、ふ〜んなるほどわからんね、みたいに体験していたいよね。
奈良のお土産のどらやきをやっと渡しきれて良かった。 早めに帰宅して、今日は療養に努めます。
5月11日 日差しに当たり過ぎたからか昨晩はおかしな食欲で食べ過ぎてしまい、気持ち悪い夜明けに緊急地震速報が重なって最悪な朝だった。 川向こうとこちら側の防災無線が入り混じって物騒な雰囲気の中、鳥が喚いていて、Twitterでちーちゃんが呟いているのを見つけて少し安心する。 昨日、ちーちゃんのホームページを見つけて、とっても良くて、ちーちゃんが今写真をやっていて辛く無いといいな、写真の活動��続けて、これからも写真を見せて欲しいな、と思ったところだった。
それから少し眠って、変な夢を見て疲れて、明日は通院予定で体重を計らなくてはいけないのに食べすぎたことをくよくよしながら家を出た。 食べ過ぎておけば入院しないで済むのに、それでも体重が増えていることを体感して悲しくなってしまう。
地震の恐怖から誰かと連絡をとっていたくなり、昨日出張先で不意に見つけた藤本壮介の東京アパートメントのこと、もうすぐ産休に入る友人に出産前に遊びたいこと、平日休みに銀行に行かないといけないこと、ホームページが素敵だったこと、など、方々のお友達にメッセージを送ってしまう。とても、とても怖かった。
朝の地震の恐怖のストレスと、昨日の出張と、いろんな疲れが溜まっていてとても身体がもたなかったので、昨晩食べ過ぎていたけれどコンビニでわたぱちのチョコレートを買って少しだけ食べた。
驚くほど気力が回復してなんだか元気っぽく過ごせてしまった。今はただ明日の通院がどちらに転んでも恐怖でしかなくてもやもやしている。
5月12日 職場の方と話していて、不意な流れで自分の身体のことと病気のことをカミングアウトしてみた。 母よりも若いお母さんの職員さんでいつも素敵な方で、更年期の話の流れから、私は7,8年ほど月経がなく、食事に少し不安がある中で、今日の午後は通院のため半休をとっている話をしてみた。 「かわいくて何でもそつなくこなせる優秀なお嬢さんでも、そう見えても、色々抱えちゃうことってあるんだね」と言ってくれた。
病院の近くにヴィーガン焼き菓子とコーヒーのお店があると知り、通院の前に寄ってみる。京都弁?のなまりのある可愛い店員さんに「髪サラサラですね〜」と言ってもらう。 キャロットケーキを食べたかったけれど、持ち歩きが難しいとのことで、オーツクッキーと抹茶のマフィンを買ってみた。
大学病院の敷地に入ると明日が文化祭なのか、お松の準備で賑わっていた。みんなでテントを立てたり委員会の人がハッピを着ていたり、なんか楽しそうで通院前の憂鬱が少しだけ落ち着く。
体重は微増。入院は凌げて、次回以降も落としたら入院という制限付きで活動許可をもらう。 なんだこれ。 先生から仕事以外の活動や趣味はあるか?と訊かれたので、写真のことや展示をしようとしていることをお話しした。もしかしたらこの病気と写真作品制作が紐づいているのかも、ということも伝えてみた。 先生もそれを感じていたようで「ちょっとなんと言って良いかわからないな…」と困っていた。
最近食べ過ぎていたのもあって、それでも意外と増えていなかった体重に少し安心して、また今日から色々気にしながらご飯を食べていきます。
夏の予定をさらに詰めようと大阪のホテルも予約。
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2023年3月15日 #本日の黒板つぶやき #camp #kobe #outdoor #キャンプ #神戸 #アウトドア #テラノバ #terranova #ソーラーフォトン2 #テント #ガンダム #gundam #ララァ #ララァスン #ララァスン専用モビルアーマー #エルメス #シャアアズナブル (Cranks Outdoors) https://www.instagram.com/p/CpzNUWjvsWo/?igshid=NGJjMDIxMWI=
#本日の黒板つぶやき#camp#kobe#outdoor#キャンプ#神戸#アウトドア#テラノバ#terranova#ソーラーフォトン2#テント#ガンダム#gundam#ララァ#ララァスン#ララァスン専用モビルアーマー#エルメス#シャアアズナブル#ヴィッセル神戸
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2024.12.26-28 鋸岳
メンバー:わたるん、kwt(記)
1日目 (前夜発)伊那市駅〜(タクシー)〜9:20戸台ゲート〜17:30角兵衛沢2500m地点
2日目 7:00角兵衛沢2500m地点〜8:10角兵衛沢のコル〜9:05鋸岳(第一高点)〜11:00鹿窓〜12:50大ギャップ〜15:00中ノ川乗越〜熊穴沢下降〜20:30角兵衛沢出会い
3日目 9:00角兵衛沢出会い〜12:30戸台ゲート〜(タクシー)〜伊那市駅
計画では鋸岳から甲斐駒ヶ岳に縦走して黒戸尾根を下山だったが、雪・風厳しく予備日も取っていないので甲斐駒は諦めて戸台に下山した。 1日目 戸台川を上流に向かって歩き角兵衛沢出合いを目指す。出合いには大きなケルンが積まれていたが、何故か「角兵衛沢はここではない」と素通りして熊穴沢出合いまで行ってしまう。引き返して先ほどのケルンの周辺を観察すると「角兵衛沢」の看板があった。
5.10aくらいの渡渉。オンサイト!
角兵衛沢出合。立派な看板があるよ
大岩でテントを張ろうと考えていたが、これまたどこが大岩かわからず通り過ぎてしまい、標高2500mくらいのなんとかテントが張れるところで行動を終えた。この数年、年末の南アルプスに入っているが、だいたい1700mくらいから雪が出てくるのだが今回は2000mを越えてもほとんど雪がなかった。それでも2500m地点では薄っすら積もっていて水が作れるので一安心。
角兵衛沢の標高2500mくらい。1日目終了 2日目 4時起床。辛ラーメンで朝食。コルを目指してアイゼンとピッケルで歩きはじめる。予報通り天気が悪い。出発時点で甲斐駒は諦めて今日中に戸台の河原まで降りようということで出発した。コルにはすぐに着くだろうと思っていたが思いのほか遠い。
1日目のテン場。ここにストックを忘れてきてしまった
コルまでが遠い
第一高点(鋸岳)に着くも相変わらず天気は良くない。晴れていれば甲斐駒、北岳まで見通せるようだが、ガスで見通しはなし。
もう少しで第一高点
第一高点に到着。ガスで見通しは無し
鎖の垂れた小ギャップを懸垂1回で下降。そこから鎖の垂れた岩場を1ピッチ登り返す。2ピッチ目をトラバースすると不意に鹿窓が現れた。懸垂以外でロープを出したのはこの2ピッチのみ。鹿窓をくぐるか上を越えるか。わたるんが上を偵察に行くが「悪そう」と言って戻ってきた。鹿窓は雪で埋まっていないのでくぐれる状態だったので懸垂で降りた。そこから登り返すのだが、これがワンポイント微妙な難しさの岩場。いま思うとロープを出すべきだったが、灌木がない岩場だったのでカムがないとビレイ点も作れないしプロテクションも取れない。今回はカムは持っていかなかったので、ここを登るのは避けた方が良かったのかもしれない。そもそも岩を観察するとプロテクションが取れそうなクラックは見当たらなかったし。このワンポイントを除けば困難なところはなかったが、雪が降り続き風も強まってきた。
小ギャップの懸垂下降。ぶっとい鎖が垂れ下がっている
小ギャップの登り返し。ロープを出した
鹿穴。懸垂で降りた
第三高点への登り返し。どこが第三高点かわからなかったが…
わたるさんがうろうろ探し回って大ギャップへ下降する懸垂支点を見つけた。ギャップ下から風が強烈に吹き上げてくる。懸垂のロープが舞い上がるほど。わたるんが苦労して大ギャップの底に降り立つ。わたるんはこのあたりから新調したアイゼンが外れて大変そうだった。大ギャップの底から雪の詰まったルンゼを少し降る。第二高点への登り返しは、一見登りやすそうな岩場があり惑わされるが冷静に見るとそこそこ傾斜があるうえ、カムを持っていないのでプロテクションが取れないので却下。少しトラバースすると樹林帯が現れたのでそこを登りかえした。ところどころ腰くらいのラッセル。
大ギャップの底からルンゼをさらに降る
雪がついて微妙な悪さのトラバース
第二高点へ樹林帯を登り返す。膝、ところにより腰のラッセル
稜線に出るも第二高点がどこかわからないまま「中の川越へ」の看板が現れた。てっきりここが「中ノ川乗越」だと思い込みここから下降したが、実はしばらく下ったところが本当の「中ノ川乗越」だった。稜線に出たところから中ノ川乗越あたりは現在位置が特定できずスマホGPSを使って確認した。ここから熊穴沢を河原まで一気に降るのだが、ガラガラガレガレの岩に雪が乗っていて超絶歩きずらい。ハイキングマップのコースタイムで3時間のところ6時間もかかってしまった。ようやく河原に降り立ってテントを張った。
どこが第二高点かわからぬまま「中の川越へ」の看板が現れた
ヘッデン下山。河原までここからさらに2時間かかった
3日目 今日は河原を歩いて帰るだけ。途中、入山してくるパーティーとたくさんすれ違った。渡渉ポイントを見逃しあわや靴を脱いで渡渉か、といった状況に追い込まれたが、わたるんが枯れ木を探してきてそれを足掛かりに渡渉した。
河原に張ったテント。今日は河原を歩いて帰るだけ
河原にはうっすら雪が積もっている。初日は雪はなかった。奥に見えるのは甲斐駒ヶ岳(たぶん)
最後の渡渉。自然物を利用したクリエイティブな渡渉
甲斐駒ヶ岳には届かなかったが、コンディションが悪いなか二人で力を合わせて登山ができたので充実した山行だった。
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STILL
DECEMBER 9-10th
地下鉄に乗って図書館を目指す。思えば初めてのことだ。今日はもう本当に霧が濃くて別にわざわざ出かけなくても良いような天候なのだけれど、わたくしはなかなかにテンションが高い朝なので、何はともあれ出かける気分。
地下鉄は結構混んでいて、人間観察が楽しい。そうか、自転車だとこんなに人が密集している環境に身を置く瞬間がほとんどないんだなという事に気がついた。あちらからもこちらからもラテンを語源とした言語が聞こえてきて、その向こうに中国語が聞こえる。と思えばすぐここではリール?携帯電話の画面からの音が大きい。一車両に一人はそういう人を置いておく暗黙のルールでもあるのだろうか?今日も椅子で横になっている男がいる。半袖半ズボンの色白の青年の白黒ストライプのハイソックスが可愛い。彼のスマホの画面が1歳児でも目を見張るほどあっぱれなまでにバキバキに割れている。目の前のグレーヘアーが素敵なおばさまが空を見つめて微笑んでいる。こちらの頬まで緩みそうになって、目を逸らしたけれど、思考が“何か楽しいこと考えているんだろうな~”と働きはじめちゃったのでもう一度様子を見たら、微笑みはもっと大きくなって、クスッとしてから、あ、いけないいけない、と律していらっしゃった。仲の良さそうなイタリア語を話している女の子たちの爪の色、メガネのフレーム。迷彩柄のコートが似合うブロンドのお姉さん。今乗り込んできた黒人さんのニット帽に縫われている「supreme new york」のフォントはアメリカドラマ『ユーフォリア』と同じフォントだ。あ、42nd st 着いた。
なんかもう知覚のフィルターが解像度を上げすぎている!!!全部目に止まって、思考に辿り着く。
いけないいけない、余計なこと書いている場合じゃないのです。
12月9日、NY生活で限りなく数少ない夕食の予定。平日は仕事がなぁ~と思ったけれど、食事の相手は私のボスとは15年来の仲だそうなので、ご愛嬌。久しぶりに昼間に仕事した。
昼間は雨が降っていて、止んでくれないとアクセスが悪いな~と思っていたけれど無事に止んだので自転車でいくことができた。ハーレムのカフェに行くことはあったけど、ハーレムにあるレストランは初めて!レストランがある通りを通ったのも初めてで、やっぱり、ハーレムは怖い、という定説が今ひとつピンとこない。NYに来てからずっと同じことを思っていて、ここが怖い場所、という内情はまだまだ私には理解が及ばない見えづらいものがあるのかもしれない、と。ホームレスの方も、ハーレムよりもむしろレキシントン通りの方がたくさんいる。
いかんいかん、また余計な話に文字数を費やしてしまった。
スパニッシュタパスのお店で待ち合わせ。奥様初めまして!
楽しかったなぁ。お二人はもうそれはそれは美食家たちなので、ともかくレストランのおすすめが尽きない。経てきたたくさんの旅の話し、テント泊が嫌なので土の上で寝袋で寝る話し、星空のこと。食前酒でVermouthを嗜む楽しさ~!数えたら3時間半が経っていた。
ぜひまた帰る前に、食事かハイキングに行きましょうという明るい別れの言葉を交わしてみんなでレストランを出た。
今日は異様にあたたくて、夜になっても冷え込みきらず心地良い。 「今日は暖かくて気持ちの良い夜だねぇ」と私。 「ほんとだよ。でも明日は冷えるねきっと」とジムさん。 奥さんがちょこんと毛糸の帽子をかぶって素敵。 「自転車はどこに停めたの?」ジムさん。 「自転車できたの!?」奥さん。 「そうなんだよ、自転車買って乗り回しているんだよ」ジムさん。 「あの辺に停め…」私。 あれ?ない。自転車がない。なんかこう、1秒くらいで、直感がスコーン!と理解した、盗られた、と。でも思考が追いついていなくて、「あれ?ここに停めたはずなんだけど、盗られたっぽい」と言う。みんな結構ワインが染みている脳みそで、「本当に?」「オーノー」「あぁこれ私の鍵だ」これでもかと言うほど見事にワイヤーの鍵がすこやかに切断されて息の根絶えました、という様子で落ちていた。 「まぁでもたったの80バックスだったから」と私。 「still…」と悲しそうなスーザン。 「覚悟はしてたんだよね、いつも店から出てくる時は、まだあるかなってビクビクしてた」 ジムさんが私の無惨な鍵の残骸を拾っていた。「本当にこれがそう?」って。 いやもういい加減私のです、拭いようのない現実ここに爆誕。あたりはとても静かな暗闇だったので、爆誕というふざけた言葉はあまり似つかわしくはないかも。
不思議なくらい、残念な気持ちが少なくて、まぁまぁまぁ、という感じ。あまりにも幸福なムードだったから、自転車が盗まれたという事実を持ってしても、STILL!全然気にならないくらい幸福度が満腹だったのかもしれない。
むしろ二人がオーノー、ってずっと言っててなんかごめんな気分。
「でもちょうど先日計算してたんです、もうすでに、地下鉄を使い続けていたら80ドル超えてたなって」というとスーザンが私の言いかけていた、元は取った、を汲み取って「元は取れたのね~、still…」と悲しそう。
「どこで買ったの?」「Craigslist」アハハハハ
「でもなんだか、本当に今夜が幸福で、だからあんまり残念じゃない」私がもう一度言ったらジムさん、「もう君は本当のニューヨーカーだね!」って。それならそれで嬉しいー!
とりあえずタクシーで帰って、タクシーデビュー!こんな形でイエローキャブデビュー!
翌朝目が覚めて、割と酔っ払ってたんだなとシラフになった実感があった。
とはいえ、自転車を盗まれてしまった、という事実については相変わらずあんまり悲しさや悔しさとかが湧いてこない。なかなか仏なマインドなり。
で、かすみさんから届いたおすすめのクリスマスソングアルバムをかけて、チーズトーストを焼いてコーヒーを淹れ、なんとなくカレーを作りはじめながら、一体どうしてこんなにも悲しさや悔しさが湧いてこないのかについて精神分析を愉しんだ。
これはひょっとして自己防衛反応?ショックを直視していない?んんー全然そんなんじゃなさそうなのよねぇ。
そもそも安かったから。それは間違いない。
あとは昨晩も言ったけど、やっぱりあまりにも楽しい時間を過ごしたところなので、ちょっとの残念なことはあんまり気にならないタイミング。
あとあと、もうあっという間に来週から西海岸に行くので、自転車を倉庫に持っていくつもりだったけど、その面倒が省けたというのもある。1月の残りの20日間については、また考えましょう🚲
ヒマラヤ日記について和己ちゃんから愛溢るる感想文が朝起きたら届いていて、正直そちらが嬉しすぎて自転車盗難被害にかまっていられないというのもある。
そして、ここ数週間自分の中で燻っていた大きな問いが、ジムさんご夫妻という素敵な二人を前にして解決したというか吹っ飛んだので、心のモヤモヤが晴れてとにかく気分が良いから、というのも関係しているなぁ。
ただ一つだけ、とても悲しいことがあって。
それはお世話になったあの自転車にお別れが言えなかったこと。これは昨夜の帰りのタクシーでも感じたし、玉ねぎを炒めながら(!一つ絶対書いておきたかったこと思い出した)もこれだけは悲しいなぁと、じわじわじわじわ悲しみがさざなみを立てている。
別れはいつも突然、みたいな格言あるっけねー。
映画や本が好きで、いろんな感情を見聞きしたつもりでいた。 でも何回繰り返しそう思っても、やっぱり実体験には到底及ばないという思いをまた何百回か目に感じている。お別れの言えなかった別れ、というどこにも放つことの出来ない悲しみについて。
自転車だったからまだこうしてへっちゃらに今日を楽しんでいるけれど、交通事故死はやっぱり計り知れないなぁ、と思考が流れながらマッシュルームを追加した。
さて、玉ねぎなのですが。 NYで買う玉ねぎを切った時の目の痛さはものすごく強烈なのです。NY到着翌日から心底感じているのが、こちらの玉ねぎは日本の玉ねぎよりも涙がすごい出る!今朝、そういえばいつも感じているこのことについてどこにも書いていないなと思ったのでした、精神分析の合間を縫って。
そういう事になりまして、地下鉄に乗って、人間観察が楽しくて、グランドセントラルステーションで感嘆のため息をつきながら人々を見下ろし、何度来ても良い場所だなぁとひとりごちて、そろそろ滑走ばかりしていたタイミングは終わって、地に足つけて過ごすのが良い時期かもね、と信号待ちをして、いつも停める図書館の裏門の前の通りの自転車停めに自分の(だった)自転車が停まっていないという事実を目視しながらふと、なんとなく図書館に直行するのではなくてブライアントパークのクリスマスマーケットをもう何度目かわからないけどまた通ろうかなと寄り道をして、初めて店に入った。これまでは自��車をひいていたから通過するだけでお店には入らなかった、買い物の気分にもならなかったし。そしたらすごく好きなお店に出会っちゃって、音楽と本と食材以外に初めてNYで買い物をした。いつ会えるのか未定中の未定だけどあかりさんにお土産も買った。New York Diaryをこうも楽しませてくれているのは本当にあかりさんのおかげなので。
さてと。
別れは突然にやってくる、という感触がとても強い今のうちに、やるべきことやっておかないと!という気分に漲っている、そんな感じの12月10日(火)昼過ぎでございます。
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と、ここまで書いて、投稿しようとしたら図書館のWi-Fiの調子が悪かったので帰宅したらで良いや、と帰路に着く。
正面玄関をいつものように通り過ぎようとして、はたと気がつく。もう自転車を停めてある裏の出入り口に行く必要は無いんだ、と。そうして初めて正面玄関から出た。人が多くて退出のセキュリティに並んだ。裏口では並んだことがなかった。
いつか、とのんびりリストにしている物事を、いつまでもそのままにしないようにしようというモードに入ったので、とりあえず有名と言われているロックフェラーのクリスマスツリーを見て帰ろうと思った。ロックフェラーはいつも自転車で通っている道から一本ずれているので(マンハッタンはほぼ全ての道が一方通行。自転車も車道に合わせて上りか下りで通りが決まる)、行ったことがなかった。
5th Aveは狂ったように混んでいた。そしてたどり着いたクリスマスツリーのセンスの心惹かれ無さにおったまげた。えええー!となった。配色の投入具合間違えていないだろうか???まぁセンスなんてのは人それぞれの価値観だから、きっと私がズレているのでしょう。びっくりしたわぁ、通り抜けるのも一苦労なほどの混雑の向こうにあったカラフルすぎるツリー。
あっけないほど一瞬で寄り道が終わったので、もう少し散歩をする事にした。通りはずっとアップルシナモンの香りがした。歩くのはとてつもなく楽しいという事に気がついた。そのまま5th Aveを上っていると大きな教会があってふらりと入る(St. Thomas Church)。重厚な扉の向こうに、感動的な静けさがあった。ホッとした。通りがどれほどの騒音なのか改めて気がついた。
自転車は車よりも運転に神経を使う。段差が怖いし、信号は守らないし。基本的に運転で視野が集中している。だから、大きい店の看板には気がつくけれど、アパートの入り口の中のロビーの様子までは見えない。ショーウィンドウの様子も、教会の張り紙も、通り過ぎていくだけでしっかり見てはいない。ここにBarbourがあるんだ〜と思って通過するけど、徒歩だとシーズンものの様子まで感じ取れる。ひと月の間、自転車で滑走し続けた挙句の果てに、今度はディテールを目にする楽しさを知った。いつもNYCの景色だなぁ~と走りながら思っていた地下から上がってくる湯煙を、心ゆくまで撮影する。気に入ったシーンを全部撮る。自転車だと、わざわざ止まるほど気に入った時しか撮影はしない。歩くことを底が抜けるほど楽しんでいたら、真っ暗になって、50ストリート全部歩いた。近所にドーナツ屋さんがあることを、もう20回は通ったであろう通りで初めて知った。自転車ではドーナツ屋さんの反対側しか走ったことがなかったのと、店の看板が目立たないので見逃していた。喜び勇んでドーナツを買って帰った。
ソルトレイクシティから帰ってきていたサティアが鴨鍋を作っていた。信じられないわ、色々。鴨鍋って。しかもアメリカで。なにこのいと素晴らしき出汁の香り。春菊なんて買えるんだ!ここはNYだった!自転車を盗まれたという報告をする隙がなくて、鴨鍋の経緯を聞いた。
崇とは、今日なに食べよっか、という話をしてから買い出しに行く。サティアとは完璧なシェアメイトの距離感で、食事はそれぞれ。作っている時にそこにいたら、ちょっと食べてみる?っていう流れが生じる。(私は基本肉を家で食べないのだけれど、サティアはむしろ肉がメイン。週3ステーキライフ)かかかか鴨、、、。好きすぎるけどここで鴨が大好きと言うと くれ!って言ってるみたいだから言わなかった。そしたら出来たからちょっと味見してみてってくれた。途方もなく美味しくておったまげた。無類の鴨好きだと告白したら なんでそれ先に言わないの!って鴨追加でくれた笑
ちょっと鴨鍋が美味しすぎて作り置きカレーを食べるの時間置いたしドーナツ食べるタイミングは先延ばしになった。
ところでチャリ盗まれたって言ったら、「俺だったら相当凹むなー」と言っているのを聞いて、そうか、凹む、という感情とも無縁だなぁと思った。歩きながら、ところで怒りも全然無いんだよなと実感していた。昔自分のロードバイクが盗まれた時は、盗んだ奴に対する怒りがあった。でも今回は全然湧かない。なんかNYってそういうところっていう受け入れ態勢がある、自分の中に。むしろ好奇心が湧いていて、あれ盗んだ人どうしたいんだろう?って気になっている。今もこの街のどこかにあの自転車があるんだなぁ~という感覚が面白い。できれば誰か楽しく乗ってくれる人の元へ辿り着いたら良いなぁ、そんな感じで、12月10日の夜には、もうすっかり別れを受け入れた次第であります。薄情だなぁと思いながら、今はもう街を歩くことの楽しさにかまけている。
とか言って、写真見直してたら切なくなってきた。
バイバイ、サイズが全然合っていなかったアンティークのラレーさん。本当にたくさんのところに連れて行ってもらいました。
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事件現場にかけつけたり、たまたま居合わせたりして事件を解決するのではなく、市民探偵の多くはインターネットで公開された情報を集め、フォーラムで議論をしながら事件解決への糸口を探す。やっていることは地味な行為の積み重ねだが、解決にあたって重要な役割を果たすことも多い。確かに彼らも市民探偵なのだ。その執念の凄まじさは、おそらく多くの読者の想像を超えたものだ。たとえばテネシー州の元工場労働者トッド・マシューズは、両目を失い腐敗した状態で大きなバッグに入れて放置されていたことから「テント・ガール」と呼ばれていた身元不明の女性を、11年にもわたって調査して、最終的にはついに彼女の身元を発見してみせた。連続殺人鬼の正体を暴き出すことに熱中するあまり郡保安官事務所に侵入し書類を盗み見した二人組もいれば、何千時間もかけて身元不明の犠牲者の顔と行方不明者リストを突き合わせる人もいる。掲示板での議論が白熱し関係ない人間を犯人と名指ししてしまい、その家族も含めて追い詰めてしまったひどいケースも存在する。というわけで本書『未解決殺人クラブ』は、そうした市民探偵たちの活躍(光もあれば、闇もある)を描き出した一冊だ。市民探偵をやるにあたっての注意点に触れている箇所もあるので、本書を読むと自分でもトライしてみたくなるだろう。 サイバー探偵のパイオニア 様々な市民探偵の姿が紹介されていくが、(本書の中で)代表的な例といえるのは、身元不明の犠牲者の身元を明らかにする作業だ。先に挙げた「テント・ガール」を追うトッドも、そうした作業を行う一人。テンド・ガールが発見されたのは1968年のことだ。トッドはその事件を20年近く後の1987年になってから死体の目撃者であった彼女の父親から聞いて、彼女の身元を判明させる作業にのめりこむことになる。しかし先に11年かかったと書いたように、その道のりは簡単なものではない。検視報告書など、手に入るデータはすべて精査した。何度も何度も現場に足を運び、警察署や新聞社に行き、住民、記者、警察官に取材を重ね、時には葬儀社にまで行くこともあったという。結婚に暗雲がたちこめるほどそうした執念の調査を何年も続けた後、1997年にはダイアルアップ接続のインターネット回線をしいて、Yahoo検索で行方不明者の情報を何十時間も検索し続けた。最終的にインターネットの検索作業が実るのは1998年のこと。テントガールの特徴と一致する女性の行方不明情報を入手し、その情報の発信者とコンタクトをとって警察を動かし、DNA鑑定にまでこぎつけたのだ。彼の11年にもおよぶ執念の調査はついに答えにたどりつき、彼はサイバー探偵のパイオニアとして一躍有名人となる。物語はそこで終わらず、アメリカ政府は彼を全米行方不明者・身元不明者システム(略してネイムアス)の設立者兼共同運営者として2007年に雇用し、その後も多くの身元確認に関わってきた。 Web探偵 トッドは特異点のような個人だったが、インターネット時代がくるに従ってWebの集合知を使ったWeb探偵たちも現れることになる。たとえば、犯罪関連フォーラム『Websleuths.com』では、20万人もの登録会員がオンライン上で未解決事件や行方不明事件の解決に取り組んでいる。人数が人数なのでおそらくほとんどの職業がここでは網羅されているはずだが、具体的には看護師、医師、外科医、定年退職した警察官、心理学者、インクの専門家など、専門的知識を持った人たちが揃っている。世の中には多くの未解決事件があるので、こうした犯罪関連フォーラムでは事件ごとにスレッドが立って議論が起こる。たとえばある少女が自宅の地下室で死体で発見された事件(ジョンベネ事件)では、死体の発見前に両親にたいして身代金を要求する長い手紙が届いていた。死んでるのに身代金要求の手紙が届く? それも死体が地下室に? かなり不思議な事件だが、Websleuthsでは、筆跡鑑定のエキスパートにしてサイトのメンバーであるティナ・ウォンに身代金要求の手紙の筆跡鑑定を依頼し、その筆跡が死んだ娘の母親の筆跡と一致(280箇所も)することを突き止めている。ようするに、母親が娘を誤って殺してしまって、それを隠すために他殺を装った、と推測されている。とはいえ、現在のWebsleuthsの所有者兼管理者は、犯罪を解決するのは法執行機関の役割であり、Websleuthsでやるのは、各メンバーがその専門性を使って証拠をまとめて、捜査官や未解決事件の解決に役に立つ情報を警察に提供するまでだと語る。噂話は禁止、名前は書き込まない、侮辱行為なし、事実を追い求めるというルールを徹底し、新しい管理者(現在10人しかいない)メンバーを入れるにあたっては徹底的な確認作業を行って、書き込みをモデレートしているという。 市民探偵の負の側面 「徹底的な確認作業を行って、書き込みをモデレートする」ということは、それをしないと市民探偵の集まりは時にマズい事態を引き起こすことを意味している。たとえば容易に想像できるだろうが、誰が容疑者なのかを議論するスレッドで、「◯◯が怪しい」と誰かが書き込んで、大勢が同調したとする。正義に乗っかった人々はその◯◯が犯人だと決めつけ、ネットで突撃し、場合によっては住居にまで押し寄せるだろう。実際、そうした市民探偵の暴走といえる事例もいくつも起こってきた。その好例が、2013年のボストンマラソンのテロ事件で起こった魔女狩りだ。事件直後に犯人を見つけようとインターネットの市民探偵たちが動き始めたが、特に人が集まったのがソーシャルニュースサイトのRedditだった。「ボストン爆弾犯を探せ」のスレッドには数千人が参加し、現地の大量の写真が投稿された。素人の分析屋がそうした写真を漁りながら、レースに集中していないかのように見える人物をマークし、彼らが何か別のものに気を引かれていたのではないかと邪推した。中でも、重い物がはいっていそうなショルダーバッグを持った男、黒いバックパックを背負っていた男の二人が怪しいとされ、それがニューヨーク・ポスト紙にまで掲載されてしまった。この二人は何の関係もない無実の人間だったが、インターネット上では彼らが犯人だと決めつけた人々による悪意に満ちた脅迫が撒き散らされ続けた。そのすぐ後、ボストン爆弾犯の容疑者として強く疑われる二人の画像がFBIによって公開されたが、今度はその片方と似ているとしてスニール・トリパティという人物の名前が挙げられ、これまたまったく無関係だったが次なる標的として血祭りにあげられてしまった。本人だけでなく家族への誹謗中傷も次々と行われそれに踊らされたテレビクルーも自宅に押しかけた。結局それが致命的な大誤報であることはすぐに明らかとなるのだが、これは多数の経験不足で慎重さもないインターネット探偵らがもたらす負の側面をよく現している。結局スニール・トリパティはもともとうつ病を患い1ヶ月前から行方不明になっていた人物で、最終的には川で死体で発見されている(おそらく自殺。ただし、時間的にネットの狂騒を苦にしての自殺ではなさそうであった)。
何千時間も使って未解決事件を解決しようと奮闘する人々──『未解決殺人クラブ~市民探偵たちの執念と正義の実録集』 - 基本読書
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四 教師から、どんなことでもする女性へ 私は徐々に教師から、避難生活に全力をそそぐ母親にかわりました。私の日々は朝にパンを準備し、水を用意し、料理のために火をおこし、皿を洗い、洗濯をし、空爆や悲惨なニュースを聞くたびこどもたちの恐怖をやわらげることでいっぱいでした。その間ずっと、じぶんの街が破壊されたというニュースを追いかけていましたが、家族についてのあたらしい情報は入ってきませんでした。避難した隣人の家のテレビ画面で、ガザ全体が燃えている光景を見ながら、こどもたちが眠るための空想の物語を話しました。 冬がくると、厳しい状況は、さらに悪化しました。冷たい水で洗濯をはじめ、手がひび割れました。シャワーを浴びるために、火でお湯を沸かしました。ちかくで爆撃があり、粉々に砕けて窓ガラスのない部屋に住んでいました。冬の夜は、冷たい床に敷いたマットレスの上で眠り、恐怖の中で、すこしでも暖かさと安心感がえられるようにと、こどもたちを抱きしめていました。テントや間にあわせの避難所にいるのではない幸運に感謝しました。 さらに事態を複雑にしたのは、感染症が蔓延しはじめたこと、私も医師や看護師になり、感染しないように、診療所を避けなければならなかったことです。虐殺が長引くにつれて、私はじぶんのこどもや他の避難民のこどもたちに、学校で学べなかったことを教えるという本来の職業にもどることにしました。 五 私に残されたもの ガザが歴史的建造物を失うと、多くの他の女性たちと同様に、自己という意識を失いました。耐えてきた恐怖が、身体、健康、精神の健全さに、目に見える形で影響をおよぼしました。妹が亡くなった夜、私の黒い髪は、ほぼ一夜にして白髪になり、徐々に抜けはじめました。北部に住む友人たちは、水不足とシラミ対策の、最後の手段として、長い髪を切らねばなりませんでした。 栄養失調と過酷な生活に疲れ果て、避難先のひび割れた鏡で、自分を見る時間はほとんどありませんでした。もう自分の服とは思えない服を着て、慣れない生活を送っていました。自分をケアする贅沢をする時間は、ありませんでした。背中の痛み、生理不順、絶え間ない不眠症、家族と私の死という、あらゆる可能性への恐怖について、言葉で説明するつもりはありません。泣くのは夕方まで待ち、悲しみに暮れるのは自分だけだと思っていたら、近くの避難所からくぐもったすすり泣きが聴こえてきました。私は考えました。一人の妹の殉教にたいする悲しみは、家族全員の死とくらべてどうなのだろう。愛するひとの殉教が、確実な状態で失うほうが辛いでしょうか、それとも、愛するひとが、跡形もなく消えてしまうという不確実性に耐えることのほうが、辛いのでしょうか。 朝、私は涙を拭い、生き残るための厳しい現実にもどりました。 六 小さな地獄 何ヶ月もが経過し、ラファへの侵攻がはじまりました。その瞬間まで、私は占領軍が定義した三角形、つまりテント――刑務所、墓の外――でなんとか生きてきました。 けれど、もう、そこから逃れることはできなくなりました。 私たちはテントを購入することを余儀なくされました。それは無料のはずでしたが、結局七〇〇ドル相当を支払ってしまいました。広告はノルウェー製のテントだと主張していましたが、設営してみると、ノルウェー政府はドイツの援助に頼ってテントを調達していたことがわかりました。それから、テントの上にぶら下がっているドイツ国旗は、私が火を灯したり、苛立ちで叫んだり、生活がますます困難になっていくたび、私たちを嘲笑っているかのようでした。 夏の間、テントは小さな地獄で、日中の暑さは堪えがたいものでした。私たちは塩水しかつかえなくなり、そのせいで、すべてが台無しになりました。入浴や洗濯で、剥がれた体の皮膚、塩まみれになった食器や衣服。すべてが塩辛く、きれいな衣服さえ、すり切れたように見えました。 ガスが不足していたため、料理やお湯を沸かすために、火をおこなくてはなりませんでした。夏の午後に海辺で火おしをしたことがあるひとなら、困難な仕事だとわかるでしょう。しかし私たちは、食事のために毎日それをしました。毎日、熱で指が焼け、燃える木の匂いでむせ、煙で目が潤みました。食器は黒いほこりで被われ、あ���かいも掃除もたいへんでした。食べものに砂がふきこむのがあたりまえになって、私たちは、毎日の抑圧を飲みこむように、砂を噛んで、飲みこみました。 夜になると、テントは凍えるような地獄になり、こどもたちは、病気になるような冷たい風にさらされ、朝になると太陽が照りつけて、汗びっしょりになりました。 それから……? 毎日が、昨日や明日のようにくりかえされる。つぎはなんだろう? 仮想的な交渉のニュースや、遠い夢の話を聞き、それを完全に信じることも、完全に否定することもない。私にとって、夜寝るまえのハエとの停戦より大切な停戦はなく、朝は新鮮な水をタンクに調達することより大切な取引はありません。 ランプのうす暗いひかりの下で、眠っているこどもたちの顔を見つめ、なぜ、世界はいぜんとして、大量虐殺を終わらせるのをためらっているのか、疑問に思う。ガザのこどもたちの手足や、生きた肉体が引き裂かれるのを目撃したあとで。世界はこの子たちに、なにを求めるのだろう。病になったこどもが、病院に置き去りにされ、飢えと恐怖で死んでゆくのを見たあと。未熟児が、まるでもっとも屈強なものたちであるかのように包囲されるのを見たあと。胎児が容赦なく、母親の子宮のなかでころされたあと。世界は、こどもたちに何を求めるのだろう。 七 つぎは…… 一瞬、テントの生活に負けそうになりました。ある日、野菜を買いに市場に行くと、その光景に圧倒されました。すさまじい人混みで、まわりのすベてが陰鬱な、灰いろに感じられました。そのとき、ひとりの女性をみつけたのです。私とおなじように、顔に日焼けした女性で、彼女もテントに避難しているとわかりました。彼女は、ジャスミンの苗を、愛するこどものように抱きかかえ、テントに持ち帰って、入り口に植えました。 希望が私の心を満たし、孤独をおしかえし、突然、私は、テントの厳しさに立ちむかう決心をしました。 毎朝、ハエがいても、清潔で新鮮なパンをこねはじめました。服を洗って太陽の下に干し、清潔さを誇りにしました。心のなかに苦しみを抱えたままでも、愛情をこめて、食事をつくりました。こどもに基本的な生活の技術を教え、すべての質問に答えました。世界中のすべての女性とおなじように、薪でインスタントコーヒーを淹れて、テントの前の海辺で飲みました。もう、気にしませんでした。私は知っています、いつか、いつの日か、このすべてが過ぎ去ると。 ガザは残る。私たちは残る。そして私は残る。
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沼津にある遊び・運動・キャンピング施設「INN THE PARK」で
クラフト・マーケットイベント『Slow inn the park』が
初開催されます。
11月29日(金)~12月1日(日)の3日間。
金曜日は17:00~22:00までのナイトマーケット!
本館サロンとギャラリーで展示、
フードは野外ダイニングで。
ゆったりした大人な空間を創ってお待ちしています。
仕事、家事、学校などなど終わってから、
(終わってなくてもたまには全部ほったらかして休もう)
リラックスしに来て下さい。
そして土曜・日曜日は出展者が大幅に増えて
本館前に広がる芝生広場での開催。
ワークショップ・古道具など含む多彩なマーケットになります。
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我々NWNLは金曜日から3日間参加します。
初日金曜日の夜は本館サロンで
新色ネイビーのコーデュロイと黒ウールを並べます。
ナイトマーケット限定で通常やらないZINEの販売や
企画を考えていますが、現在2人で協議中なため未定。
土日は定番アイテムを増やしつつも
少しシンプルなテントになる予定です。
あれもこれもと言うよりは、
ゆっくり気持ちを解放・開放しながらお試し下さい。
楽しもうぜい!
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『Slow inn the park』
PLACE:静岡県沼津市足高220-4 「INN THE PARK 沼津」
DATE:2024/11/29-12/1
OPEN:17:00-22:00(fri)/10:00-15:00(sat,sun)
主催:ARTS&CRAFT 静岡手創り市
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