#鶏そばかぐら屋
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240629
朝、AM5:00くらいに1度起きて、ねて、AM6:45に起きた。 ずっとカラスが鳴いているのが聞こえていた。
いっぱいいっぱいになっていた。
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240630
朝、目の奥の緊張が痛い。 ついいろいろと考えてしまうけれど、とりあえず朝ごはんを食べよう、と思う。 昨日食べられなかった蒸し鶏とレタス。
パン屋の食パンがおいしい。水分量が多くて、トースターで焼くと、トースターのちいさな窓が曇る。口に含むと、これが小麦、と思う。豊かさがある。 明日は早起き。22時にはねた。
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240701
早起きをして、まだ肌寒い空の下、自転車をこぐ。 そこまで緊張はしていない。アルバイト。 初めて店内に立っていた。初めはみんなできないから、と何度も言ってくれて、自分のペースで頑張ろうと思えた。 ここの人たちはみんな、ここで働く人たちはやさしい、と言う。 じゃがいもの皮をたくさん剥いた。ポテトサラダになるらしい。
お昼ごはんを食べて、15時くらいかと思ったらまだ13時で得した気分。 香川を旅行した時に買ったしょうゆ豆がおいしかった。
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240702
朝、窓の外がグラデーション��なっている。 もう少し季節が進んだら、朝焼けの中、自転車をこぐことになるだろう。 アルバイト。 ほんとうにいい人ばかりの職場だ。続けられそう。自分に合った場所をみつけられるようになった、と思った。
この間、うっすらと火傷してしまったところの皮膚がほろほろと剥けた。
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240703
朝、身体がかたく、重たい。 うまくねむれなかった感覚。 早起きの生活は慣れてしまえば気持ちがいいと思う。
散歩する。 レターパックがほしかった。ついでに公園で本を読む。『センスの哲学』。 公園の真ん中にはなだらかな山がふたつ並んでいて、そのふもとを少年たちが歩いている。サッカーボールを持っている。近づいたり、離れたり、距離感、と思った。 今日は曇りで、辺りはすこし霞んでいて、カメラを持ってくればよかった。 いつもカメラを忘れて、後悔している。
夜、ねる前にねてしまった。
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飯塚駅前のラーメン屋さん(3)
昔懐かしい筑豊の味(あくまで私見)
しょうゆ・みそ … 前は480円だった。(10年位前かも)
小さい頃の記憶に残るのは後藤寺駅前の「ホームラン」(店名)のチャンポンです。とんこつではありません。今でも地域によって残る薄味の鶏ガラ出汁ですが、ノスタルジックな思い出として忘れられません。(実際の味は覚えてないです。鶏ガラだったのかどうかもわかりません。)
店内は調理場に近い方からカウンター席 … 座った後はすぐ出入り口。(ガラスサッシの引き戸)
味はみそ、しょうゆ、和風の3種類。
調理場は意外に幅がある … 建物が細長い三角形みたいです。
テーブル席もあり … 外から見るより意外に空間があるのに驚き。
テーブルに置かれたセットがおしゃれに感じた。
↓テーブル席から調理場方向
ここでの和風味が思い出の「ホームラン」の味に近いのでしょうが、醤油ラーメンと半チャーハンを頼みました。
醤油ラーメンはちょっと甘めかな?(九州醤油?)
列車撮影などでまた行く機会があれば、次は和風チャンポンを試してみたいです。
YouTube(12分)
2024.7.27 ~ 列車旅につづく
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2024年11月9日(土)
三重県紀北町・奥川ファームから隔週に届く定期便、平飼い有精卵・畑無農薬野菜・地鶏・手打十割蕎麦・手作りパン・お餅・しめ鯖・・・、をを、嬉しいことに無農薬放置栽培の元気レモンが入っている。紀北町は旧・紀伊長島町と海山町が合併した地域、奥川ファームは山手にあるが、紀伊長島港には地先の多様な魚が揚がる、いわば農業と漁業の地域連携セット。日本の破滅的な食糧政策は世界の笑いもの、せめて自分の食糧は生産者と消費者の連携で確保したい。奥川さん、いつもありがとうございます。
5時起床。
日誌書く。
今朝も朝食は中華そば。
洗濯物を干す。
珈琲をいれる。
8時10分、奥川定期便が届く。
糠床メンテナンス、キュウリとニンジンを漬ける。
タマネギをスライス、十分空気にあててからサバ缶と和える。
セントラルスクエア花屋町店まで買い物、ココの療養食、生パスタ。
彼女は午後からキルト/ワークショップ、早めのランチは生パスタと昨日購入した無印食品のパスタソースを利用。息子2人にも、順番に用意する。私は冷蔵庫掃除。
テレビでは、NHKのスケートを流しっぱなし。
軽く午睡。
コレモ七条店へ買い物、20%引きの豚ロースを購入、今夜はしゃぶしゃぶだ。
<honto>でお気に入りシリーズの新刊購入、Webで読書。
彼女が帰宅、すぐにココに点滴。
豚しゃぶは黒ごまペーストと手作りポン酢でいただく。
録画番組視聴、刑事コロンボ。
第52話「完全犯罪の誤算」/ Agenda for Murderシーズン 1, エピソード 52 弁護士オスカー・フィンチは、大物政治家マッキー上院議員のブレーンであり、いずれは司法長官の座につくと噂されていた。ある日、フィンチに悪徳商売のため起訴されかかっているステイプリンから電話がある。25年前、ステイプリンはフィンチを助けた過去があり、それを理由に助けを求めてきたのだ。
片付け、入浴、体重は350減。
日誌書く。
なかなかいい数字だ。
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P3 Club Book Shinjiro Aragaki short story scan and transcription.
料理天国、食べたら地獄
······ったく、 何で俺がこんなこと······」
「す、すいません荒垣先輩······っくしゅん!う~げほげほっ」
「ゆ、ゆかりちゃん、大丈夫?」
ここは、寮のゆかりの私室。ピンクのパジャマにカーディガンを羽織り、つらそうに咳き込むゆかりの背を、優しく風花がさすっている。体調不良を押してタルタロスに出撃し、ゆかりはすっかり風邪をこじらせていた。そんなゆかりのベッドの横には、同じく心配そうにたたずむ美鶴と、やや所在なげに立つ荒垣の姿があった。そして荒垣の手には、彼が言った “こんなこと” の成果である、温かそうな料理がトレイに乗って湯気を立てていた。どうやら、ゆかりを心配する美鶴に頼まれ、病人食の定番となる粥を作っきてくれたらしい。
「荒垣先輩って、優しいですよね」
「んな······っ!?ま、まあ、ただの気まぐれだ。気にすんな。さっさと食っちまえ」
風花の素直な言葉に、荒垣はそれだけ言ってぶっきらぼうにトレイを差し出す。
「 うう、ありがとうございます。はふ······」
ゆかりが、一見普通の粥に見えるその料理をスプーンですくい、ぱくりと口に入れた。
「どうだ?岳羽?」
熱くないか、ちゃんと飲み込めるかと、美鶴が母親のように心配げに声をかけるが、その目の前でゆかりの表情がみるみる蕩けた。
「ぅ美味しい~っ!何これ、どうやって作ったんですか? 信じらんないー!」
先ほどまでの苦しそうな様子はどこへやら、あっという間に元気を取り戻したゆかりが、凄い勢いで手と口を動かし、器の中身はさほど間を置かずに空になってしまっていた。
「どうやってつーか、ま······適当だな。普通の粥じゃ栄養が足りねえかと思って、中華風のミルク粥にしてみた」
あっさりと荒垣は言うが、じつはけっこう手間がかかったもの。ニンニク、生姜、ネギのみじん切りをゴマ油でじっくり炒め、米と具---拍子木に切ったニンジンと大根を投入して鶏ガラスープを注ぎ入れる。あとはフタをし、沸騰したら吹きこぼれないよう弱火でことこと30~40分。米が十分柔らかくなったところで、牛乳を入れて塩で味をととのえ、できあがったものがこちらにございます、という感じ。体の免疫力を高める、炭水化物や蛋白質、ビタミンA・B・Cに β カロチンを含む、まさに完璧なる病人食なのだ。
以前から、荒垣の料理はプロ並だと真田あたりが言っていたが、その現物を実際に口にしたゆかりは、想像以上の感動を味わっていた。ゆかりは素直に、その賞賛を口にする。
「適当なんてとんでもない!荒垣先輩、もう最高ですよ!尊敬します!」
「バカ野郎······なに恥ずかしいことを······」
「なーに謙遜してるんですか?食事は人間の基本ですよ。大切なことです。それをしっかりできる荒垣先輩は立派です!もう、他の男連中にも見習わせたいぐらいですよ。人として、料理のひとつもできなきゃ駄目だって、ね」
興奮気味で止まらないゆかりの演説に、そこで突然ストップがかかった。
「ちょーっと待ったぁ!」
「!?じゅ、順平?それに皆も?」
ゆかりの部屋の入り口に、順平を先頭にして寮生の面々、すなわちこの部屋にいなかった全員が集まっていた。順平の足元からはコロマルまでが顔を出している。
「何ごとよ、いったい?」
「いや、あんまりいい匂いなんでな、つい······」
正直に真田が言いかけるが、それを体ごと遮って順平がびしっと指を突きつける。
「ゆかりッチ······貴様はオレを怒らせた!」
「は、はぁ?」
「料理ができなきゃ人として駄目?料理がお上手な岳羽サマは、オレたちが人間じゃないとおっしゃるわけだよな?」
「い、いや、別にそこまでは······。そ、それに順平がまともに料理できないのは事実じゃん」
と、そこで順平は、ちっちっと指を横に振る。
「料理が “できない” と “やらない” は違うんだぜ、ゆかりッチ。それに、オレだけじゃねえぞ、お前が傷吻つけたのはな······」
くくっと、芝居の気まんまんで順平が涙をこらえるように両目を手で押さえた。その言葉に、ゆかりが周囲をあらためて見ると。 「あ」
ベッドの脇で美鶴と風花が、顔を伏せてどんよりと暗い空気をまとっていた。
「い、いや、あの。私······別にそういうつもりじゃ······せ、先輩?風花?」
「ゆえにっ!!」
ぐわっと伏せていた顔を上げ、順平は大いに 盛り上がって高らかに宣言した。
「貴様に料理勝負を挑むっ!!」
「はぁ?」
かくて、第一回巌戸台分寮クッキング王決定戦の開催が決定したのであった (どどーん)
「という訳で、本日の司会はわたくし、アイギスがお送りするであります。いかがでしょう、解説の天 田さん」
「······みなさん、ヒマですね」
「なるほど。では、審査委員長の荒垣さん」
「······ったく、 何で俺がこんなこと······」
順平が宣言した翌々日。ゆかりがすっかり体調を取り戻し、ちょうど日曜ということもあって、ついに料理対決が開催される運びとなった。おそらく仲間内でもっとも鋭敏な味覚を持つであろう荒垣を審査委員長とし、味覚がないアイギスは司会を勤めることになっている。天田も参加をうながされていたが、「なんで僕が料理なんか······小学生に何を期待してるんです?」と一蹴し、解説者の席についている。そして、残る全員が参加者兼審査員というわけだ。
当初、美鶴と風花は徹底的に拒否の構えを見せていたのだが、「お祭りみたいなもんだし」とか、「何ごとも経験だし」とかいう順平の甘言で徐々に態度を軟化させ、ついには「······にイイとこ見せるチャンスなんだけどなー」という、とある個人名を出しての決定的なひと言で、料理対決に参加するよう洗脳、もとい説得されてしまったのであった。
「では、いよいよ競技を開始するであります。最初はゆかりさんからお願いします」
「オッケー!見てなさいよ、順平!」
意気揚々とゆかりが持ってきた料理、それは本人の自信を裏切らない見事なできばえ。見た目からして美味しそうな、幕の内弁当である。卵焼き、焼き魚、かまぼこといった幕の内弁当定番のおかずに加え、小さなハンバーグやチーズチキンカツなど洋風のおかずも入っている。もちろんご飯は俵型に成型され、上にはパラパラと黒ゴマが振りかけられている。
「うん、なかなかやるじゃねえか」
卵焼きをひと口かじった荒垣の評価に、ゆかりがガッツポーズを決め、それに続いて他のメンバ ーも横から次々に箸を伸ばす。
「焼き魚は西京味噌漬けか······いい仕事だ」
「うわあ、このかまぼこの切り方、凝ってる」
「もう、優勝は岳羽で確定か?」
立て続けに上がる賞賛の声に、ちょっと照れたような誇らしいような顔でゆかりが言う。
「あ、でもね。今回は意外なライバルがいたっつーか······私も食べてみたいんだよね、 彼の」
そのゆかりの視線の先にいるのは、自己主張が足りない気味の現場リーダーの姿。だが、前髪で隠され半分しか見えない顔に、常にはない自信がかすかに滲んでいるような気もする。
「では、続いてお願いしましょう」
アイギスに促され、2番手の料理が運ばれる。
「おお······!」
それは、ちょっとしたレストランで出してもおかしくないアサリとトマトのパスタ、ボンゴレ・ロッソであった。さっそく審査委員長の荒垣が、フォーク一本で器用にパスタを巻きつけて、ぱくりと口に入れる。
「ちょっとパスタが柔らかいが、合格点だな」
「どれどれオレにも······おおっ、美味ぇ!」
「アサリとトマトって合うのねー」
意外といえば意外だが、幼い頃に両親を亡くしてひとり暮らし歴も長い彼は、料理の腕は決して悪くないのである。ただ、あっさりした性格ゆえか、パスタや丼ものなど簡単に作れるものに限られるというのが弱点といえなくもない。
「で、次は誰だ?」
連続して出される美味い料理に、最初は苦い顔をしていた荒垣も、上機嫌になってきたようだ。やはり、楽しい食事は人を和ませる。もしかすると順平は単に、荒垣と他のメンバーとの間の距離を、少しでも縮めようとして料理対決を企画したのかもしれない。もし、そうだとしたら、その意図は十分に果た��れつつあった。
だが。
そんな楽しい雰囲気は、あまり続かなかった。
「······なんだこりゃ?」
「え、えーっと、ラーメンっす」
「カップ麺じゃねえか」
荒垣の前にあるのは、お湯を入れて3分でできるカップ麺だった。ちなみにシーフード味。
「い、いやカップなんすけど!ちゃーんとオレなりの工夫があってですね。荒垣先輩のミルク粥にヒントを得て、牛乳で作ってますっ!」
荒垣がうげっという顔をする。残りの連中も、一様に嫌そうな顔を浮かべている。 「え?え?みんな何だよ?いや、マジ美味い
んだって!」
「たとえ美味くても······料理じゃねえだろ」
「順平さん、失格であります」
どこに置いていたか、アイギスが横にあった鐘をカーンと1回鳴らす。
「いいっ!?そ、そんなぁ······」
がっくりと肩を落とす順平。ただひとり、そのカップ麺をひと口すすった現場リーダーが、うんまあ不味くないよ、といった感じで順平の肩をぽんぽんと叩いていた。
「では、続いて美鶴さん、お願いします」
事態は、破滅に向かって加速していた。
「鴨肉のコンフェ、フォアグラとトリュフ添えだ。素材はすべてフランスから空輸させた」
胸を張って、 豪華な銀の皿を突き出す美鶴の顔には、しかしだらだらと汗が流れていた。皿の上の料理を凝視しつつ、荒垣が尋ねる。
「······鴨は、どれだ?」
「こ、これに決��ってるだろう」
「この黒いのは?」
「と、トリュフだ」
「こっちの黒いのは?」
「フォアグラ······だと思う」
「んじゃ、こっちの黒いのは?」
「ええと······付け合せのポロ葱、か?」
聞かれても困る。
下を向いていた荒垣は、凶悪な光を目に宿らせつつ、美鶴に向かってぽつりと言った。
「全部、炭じゃねえか」
「ま、まあ多少火加減を間違えたかもしれないが、素材はいいんだ。食ってないと······」
「食えるかぁ!次だ次!」
世界の終わりのような顔をする美鶴を尻目に、アイギスが鳴らす鐘がかーんと響いた。
「俺は料理などあまりやったことがないからな。変なものを出すのも申し訳ないから、シンジの料理を真似させてもらうことにした」
続く真田の料理は、白濁したスープのようなものだった。どうやら、 荒垣が一昨日作ったミルク粥を参考に作ったらしい。
「順平も、どうせシンジの料理を参考にするならこうするべきだったな。まあ、俺も多少は自己流にアレンジさせてもらっているが」
既に勝ち誇った様子の真田に、荒垣も苦笑しつつ答える。
「くくっ、アキの料理か······そう簡単に俺の味が盗めるもんかよ」
「食べてみなければわからんだろ?」
「わかったわかった。じゃ、いただくぜ」
スプーンで粥をすくい、軽く冷ましてから口へと運ぶ。そして、刹那の間を置いて。
ぶぴゅる。
変な音と同時に、荒垣の鼻と口から白濁液が吹き出した。
「な、な、な、なんだこりゃあっ!!」
「牛乳よりも高蛋白で低カロリーなプロテイン粥だが······筋肉にはいいぞ?」
「食えるかあああああっ!!」
「最後に風花さん、どうぞ」
鐘を鳴らしつつ、 アイギスが淡々と言った。
---それから、5分後。この世のものとは思えない絶叫が、月光館学園巌戸台分寮から響き渡った。付近の住民の通報で、パトカーや救急車が出動したが、とくに事件性はないとのことで早々に引き上げたらしい。ただ、目撃者の証言によると、捜査員や救急救命士たちは一様に、口や腹を押さえていまにも嘔吐しそうな表情を浮かべていたとか。その日、どんな恐ろしいことがあったのか、口を開くものはいない。
「いいかお前らっ!料理の命は火加減!それと塩加減だ!いいな、順平!」
「う、ういっすっ!」
「あと常識だが、プロテインは料理に入れるなよ!わかったか、アキっ!!」
「あ、ああ、わかった」
「つか、山岸!なんでそこでタバスコとか入れるんだ!色を基準にして調味料足すんじゃねえ!味見しろ味見っ!」
「は、はいっ!」
料理対決の翌日。寮のキッチンでは突発料理教室が行なわれていた。こいつらの料理の腕を放置していたら、いずれ人死にが出る。事実、俺は死にかけたという荒垣の命令で、順平、真田、美鶴、風花に対し、マンツーマンで料理を教えることになったのだ。
「······ったく、何で俺がこんなこと······」
そうボヤきつつも、手取り足取り指導する荒垣の頑張りもあり、徐々に全員の料理は “食えなくはない” レベルへと上がっているようだ。
「おら、待て美鶴。焦げそうになったら、一度フライパンを火から降ろして······そうそう。落ち着いてやりゃあ大丈夫だ」
「りょ、了解した」
そんな荒垣の様子を横目で見て、風花はくすりと笑って言った。
「やっぱり、荒垣先輩って優しいですよね?」
その言葉が届いたかどうか定かではないが、荒垣は黙々と料理指導を続けていく。ただ、その横顔には、かすかに笑みが浮かんでいるような気がする。やがて、料理のいい匂いを嗅ぎつけてか、ゆかりたちが同じく笑顔でキッチンへと歩いてくるのが見えた。やはり、楽しい食事は人を和ませる。どうやら、今日の夕食も楽しいものになりそうだった。
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2024年9月6日金曜日
病院の待合室にて26
九月の水
朝/晴れ/パン/トラ/ミケ/CIAOちゅ〜る/身支度/ストレッチ/日焼け止め/お母さん/ミケ/お見送り/ちょっとひとりぼっち/軽自動車/高松空港/売店/山田屋のうどん/喫茶店/鶏のみぞれ唐揚げ定食/保安検査場/飛行機/飛行機から空港へのバス/羽田空港/東京モノレール/浜松町駅/大門駅/大江戸線/麻布十番駅/警察/迷子/護送車/ビジネスホテル/チェックイン/ズボンに汚れ/着替える/麻布十番駅/南北線/四ツ谷駅/中央線/よかったら座りますか?/大丈夫です/三鷹駅/折りたたみ傘/ビル/スペース/新千円札/友達/エル・デスペラードのTシャツ/烏龍茶/歌/ギター/ジャガー/コントラバス/ドラム/12弦ギター/鍵盤/本気/unrest/歌/ジャズマスター/フルート/EB/クラリネット/バスーン/ドラム/ソプラノサックス/鍵盤/二十年/DNA/アンサンブル/成立/ちょっとひとりぼっち/雨/三鷹駅/中央線/NHK-FM/アーマッド・ジャマル/四ツ谷駅/南北線/麻布十番駅/雷雨/消防車/ゴッサム・シティ/ローソン/ビジネスホテル/ネバネバそば/サラダ/シャワー/YouTuber/LGBTQ+/寛容/不寛容/差別/チャット欄/睡眠導入剤/ベッド/川岸が語る/九月の水/人生の約束/心の喜び/
朝/晴れ/納豆巻/サラダ/ストレッチ/身支度/麻布十番駅/南北線/四ツ谷駅/中央線/吉祥寺駅/友達/中華料理屋/味付き卵/春巻/豆苗炒め/青島ビール/ジャスミンティーみたいな味の烏龍茶/夏になると茄子を読む/吉祥寺って自転車乗ってると/パンケーキ/コーヒー/禁物/外/クィアたち/ボーイズ・テクスチャー/完成するまでの過程/短歌/フェスセット/Arcaかわいい/高速移動/免許/北海道とかにある標識とか何もない真っ直ぐな道/事故った時にヘラヘラしないこと/Aka/透明ドロップ/be master of life/300部/版元の人/権利関係をややこしくする人/探偵/トぶ人/仕事中に飲酒する人/仕事中に大麻吸う人(CBD的な合法的なやつかも)/吉祥寺駅/井の頭線/ミーのカー/どんなものでも君にかないやしない/渋谷駅/工事/利権/消費者に皺寄せ/日本すぎる/ログアウト・ボーナス/仕事辞めたひと前来て?/失恋したひと前来て?/プライベート・スーパースター/曲先?詞先?/浮いてる/代引/慣れろ、おちょくれ、踏み外せ/本屋/バッジ/生きる演技/ノット・ライク・ディス/翻訳/あなたがたに話す私はモンスター/講演/抗議/連帯/波打ちぎわのものを探しに/鍵/商品と私物のあわい/細かく話を聞いたら全然私物/アイスコーヒー/オレンジジュース/親切人間論/これってデザイン誰/祖父江慎/クッ…/元ネタ?/アイドルの部屋/アイドルヲタの部屋/天才/ヴァレリー 芸術と身体の哲学/引用/装置/どもる体/本屋の人しか開けられない下の棚/いいんですか?/……/本に写真がない/なくてもみんな分かるから/じゃがたらも?/ジョン・ケージ 著作選/ケージ - 通路 - デュシャン/誰もわかってくれない/でしょうね/ケージとキノコの写真/ケージかわいい/面白い人の誤解は面白い/つまんない人の誤解はつまんない/ナボコフ読んで蝶大丈夫になった/チェス・プロブレムはわからない/詰将棋も/どうぶつの森/気のせい/料理本を戦わせる/これがフリー素材の/鳴き声以外食べれる/ベケットは読まれていない(ゴドー以外)/お会計/ポッドキャスト/配送できますけど?/絶対お願いしたいんですけど/これも買っていいですか?/生きる演技/お支払い方法とか聞いた?/ベトナム料理屋/フォー/生春巻き/ロータスティー/今日はパクチーありません/どうして?/台風で/ショック療法���Over Drive/YUMEGIWA LAST BOY/ラズベリーB面説/後輩を集めて読書会/カラオケとか行かないと思った/どうして?/私が行かないから/犬いっぱい/月曜日お店休みかと思ったー/最近は開けてるんですよ/月曜日お店休みかと思ったー/あー最近は開けてるんですよ/谷/ビル/しゃぶったチンポの長さの合計フィート数vsエンパイア・ステート・ビル/警察近くて便利だったのに移転した/店が?/警察が/喫煙所/男根ロゴス中心主義/六本木駅/ちょっとひとりぼっち/六本木一丁目駅/南北線/麻布十番駅/ローソン/ビジネスホテル/シャワー/一番搾りロング缶/一番搾りロング缶/一番搾りロング缶/スーパーサンクス11800円/思いの丈をぶつける/ベッド/四時頃/睡眠導入剤/川岸が語る/九月の水/人生の約束/心の喜び/
(2日目の写真これだけ…)
朝/曇り/身支度/納豆巻/サラダ/チェックアウト/麻布十番駅/大江戸線/大門駅/浜松町駅/東京モノレール/各停/羽田空港/かけそば/ミニ天丼/東京ばな奈/ANA BAGGAGE DROP/あらゆる場所にアルコールが……/アカシアあるんや/展望デッキ/コーヒー/読書/保安検査場/空港から飛行機までのバス/三十分以上の待機/書類の不備により飛行機にご案内できません/飛行機から空港までのバス/ご案内の準備が整いました!/空港から飛行機までのバス/飛行機/予定より一時間ほど遅れての出発となりまして誠に…/高松空港/予定より二十分くらい早く着いたので結果四十分の遅延/荷物受け取りレーン/軽自動車/家/トラ/CIAOちゅ〜る/お茶漬/真鰯の焼いたん/揚げ出し豆腐/シャワー/睡眠導入剤/ベッド/川岸が語る/九月の水/人生の約束/心の喜び/
何もかも/記憶しておくことは/不可能だけれど/歌にしておけば/歌うたびに/思い出せるのかも/しれない/最後に一曲/��詞作曲/アントニオ・カルロス・ジョビン/歌/エリス・へジーナ/三月の水/
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#00005:
この間の日曜日。
午後14時ごろ、2週間前に受けていた性病検査の結果を、彼氏と一緒に取りに行った。
結果は、すべて陰性。彼氏も同じだった。
その後は、おやつなど、食料品を買いにスーパーに寄ってから彼の部屋に戻った。
おやつを食べたりくつろいだりした後、眠くなってきたから布団に入った(眠くなることを踏んで、彼氏が自分のために、帰宅後すぐ布団の準備を整えてくれていた)。しばらくすると、(自分を寝かしつける、という名目で)彼氏も隣に潜り込んできた。すると、彼氏のほうもだんだんと、眠りにおちていった。
⋆⋆⋆
1時間半後。思っていたよりも早く目が覚めた。すると彼氏のほうも起きて、しばらくしてから一緒に夕飯の準備が始まった。
この日は、鶏むね肉・なす・ピーマンを味噌ベースのたれと炒めたものを作った。今回は、彼氏が野菜のカットと味付け関連の作業をやって、それ以外は自分が担当。彼氏曰く、彼がひとり��作った料理よりも、自分と一緒に作った料理のほうがおいしいらしい。単純に、自分のほうが丁寧に食材を炒めるから......というところもあるようだけど、それだけじゃない、作った人の気持ちがあらわれている......ということを彼はよく話している。不思議だけど確かに、自分も、彼と一緒に作った料理はおいしいと思う。それにしても、彼の、おいしいものを食べたときの悶絶具合はやばい。料理のおいしさを噛みしめていまにもとろけそうな、「おいしぃ......🫠😖🥹」と言わんばかりの顔をしている。そういうときは大体、顔が少し赤くなっていて、かわいい。興奮が頂点に達すると、その顔のまま「いやぁ......作ってくれてありがとうございます!!」と、握手をしてくる。彼は、これまでアプリ経由で出会った人の中で一番(といっても、余裕で片手で数えられる程度の人数だけど)、反応が分かりやすいというか、クールに努めようとしても、気持ちが溢れ出てしまっている感じがする。自分はそれがすごい好きだし、ぜひ、これからもそのままでいってください......という感じだ。
そうそう、この日は、21時からYUKIのニューアルバム『SLITS』のリリース記念スタジオライブ配信の再公開があった。それを観たりしながら、食後は再びくつろぎタイムに。そんなこんなで、お風呂に入ったのは23時過ぎになってしまった。
彼氏と出会ってから1か月半、一緒にお風呂場に入ったとしてもシャワーで済ませてしまうことがほとんどだった。けれど今回は、ふたりで賃貸の狭い湯船にぎゅうぎゅうになりながらお湯に浸かった。こうしてバスタイムを過ごしたのは、初めて彼の家に泊まった時以来のような気がする。あのときは、のぼせそうになってもそのまま一緒に浸かっていて、お風呂から出たあとはふたりしてぐったりしてしまったような......笑。この日も、すぐに身体があつくなってしまった(さすがにのぼせる前に湯船から出たけど...)。お風呂から出たあとは髪を乾かしたりお茶を飲んだり、涼んだりしながら、またまただら~っと過ごした。
⋆⋆⋆
そうしてる間に、1時。ここから、イチャイチャタイムに突入。検査の結果がわかり、これで満を持してがっつりセックスができる...! というような感じで、彼氏の夢である「好きな人と"合体"(※彼の表現)すること」を、実行に移した。自分はほとんどセックスの経験がないから、自分がタチだかウケだか分からない状態だった(タチウケの意味が分からない人はググって)。そんな自分に対し、彼氏はこの1か月半の間に自分のタチ的要素を嗅ぎ取り、ここでも当たり前のように自分がタチをすることになった。これが自分のタチデビュー......と言いたいところだけど、実は1週間前にフライングで挿入していて......(自分は3か月くらいセックスをしてないし、彼氏は1年くらいご無沙汰だということで、検査結果は出ていないけれど大丈夫だろう......ということでヤる流れになった。勝手がつかめなくて射精することはできなかったけど、彼はとても気持ちよさそうに、うれしそうにしていた。結果を待たずしてヤるのは、ほかの人にはおすすめできないことだけど......ヤるとしたら、双方の同意のもと、それなりの覚悟を持ってヤる必要があると思う)。だから、2回目のタチだった。この時点で、自分の経験の割合は
タチ:ウケ=2:1
になったわけだから、言うなればタチ寄りリバ(意味が分からない人はググってその②)......ということになるのかもしれない。自分はそれほどアナルセックスに対する執着はないし(少なくとも忌避感はない)、タチウケのこだわりもあまりないような気がするから、たぶんリバなんだろう。挿入中、彼に抱きついていると、ただでさえおねむな時間帯なのに、余計におやすみモードになってしまって......腰を動かしたいのに上手く動かなくて、結局今回も射精には至らなかった。このとき彼は「(また)勝手に自分だけ盛り上がっちゃった」と案じていたけど、実際のところ、彼の体温が心地良くて、自分は眠気を誘われてしまった......というだけだった。自分は完全に睡眠モードに入ろうとしていたから、この温度差を心配する彼を慰めたりはできなかったけど......。
そんな具合で、眠気に呑まれそうになりながら再度身体を洗い、就寝。
⋆⋆⋆
月曜(22日)、朝8時ごろ。彼と自分は同じくらいに目覚めて、しばらくイチャイチャしていた。その流れで、また、「合体」することに。(自分から希望した。なんだか、今度は射精できそうな感じがしたから......。)
合体中は......やっぱり、彼はものすごく「僕は...僕は、これを渇望していました」と言わんばかりの瞳の輝きを持って、幸せそうな顔をしながら悶絶していた。挿れただけでこの顔になるんだから、本当に、彼はこれを望んでいたんだろうな、と思う。そして、腰を動かしてみる。最初は、彼の負担にならないように......ということばかり考えていたけれど、自分が気持ちいいと思えるようにヤることを考え始めたら、割とすぐ、気持ちいいポイントが見つかった。そして、しばらく腰を動かしていくと、やっぱり......自分の予感は間違っておらず、イケそうな感触がしてきた。そうして、間にキスを挟んだりしつつ、さらに腰を動かして......やっぱり、なんか、気持ちいい。そして.........射精。
自分は、静かに、じわじわと......うれしかった。彼氏のほうはというと......もう、とろけまくっている様子だった。自分はそれを見て、もっとうれしくなった。彼からは、「変かもしれないけど......結婚して!って感じ😣」と言われてしまった。
そうして���ャワーを浴びた後、鏡に写った自分の顔は、心なしかさわやかで、凛としていた気がした。
⋆⋆⋆
この日はバイトがあった。ということで、(少々慌ただしかったものの)自分は彼に準備してもらった朝食を食べてから、一旦自宅へ帰り、バイトへ向かう支度をした。彼の住むアパートの門を出ると、まさに真夏!という感じの強い日差し、鬱��しい空気に包まれて......それからは汗をダラダラと流しながら帰宅したはずなのに、しばらくずっと、自分の背中に軽やかな羽根がついたみたいな、すぐにでも飛び立てるような感覚が身体から離れなかった。
ここから、自分たちはどうなっていくんだろう。
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[2024_07_24]
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0721
昨日は財布とスマホを忘れて労働に出かけてしまった。気づいたのは電車の中で、あちゃーとは思ったけどまあでもパスモ(クレカと一体型のやつ)があるからべつに平気だなと思ってすぐあきらめた。待ち合わせの予定とかもなかったし。こういうときに限って何か緊急の連絡が…とはちょっと思ったけど、一月に義父が亡くなったばかりだからしばらくそういうことはあるまいと思った。またそういうことがあるかもとはあんまり考えない。こういうのって性格なのかな。誰からも何も来ないに千円と頭の中で賭けた。 つまりわたしは労働に遅刻しないよう、わざわざ引き返さなくたって平気だと自分に言い聞かせているのだろうかとちょっと思った。そんなに遅刻をおそれているのか。ちょっとくらい遅刻したって気にしない感じの方がいいのになと思う。自分も周囲も。わたしは電車とか待ち合わせとか映画の上映開始時間とか、いつもいろんなことがギリギリで、ギリギリまで仕度ができないタイプなんだから大手を振って遅刻しちゃえばいいのに毎度バタバタ走って大汗をかいている。悪あがき。一生こうやって走っているんだろうかとときどき恥ずかしくなる。
さっき電車に乗り込むとき、ホームと電車のすきまに靴を落としてしまった人がいた。すきまにかかとを引っかけて転んでしまったようで、一瞬迷ったけどわたしも電車を降り、大丈夫ですかと声をかけた。このときはまだ自分が財布とスマホを忘れてきたことに気づいていないのが、なんか昔話の正直者っぽいムーブだな……。人助けってほどのことでもないけど、うっかり者で正直者のなんとか太郎的な。 でもそんなんではないな、昔話の無償の正直さではないな。自分も乗りたい電車に遅れそうでしょっちゅう走っているタイプだから味方したくなったってだけかもしれない。自分ももうずっと前、学生時代、靴をホームのすきまに落としたことがあって、東中野の駅で足を踏み外して体ごと落っこちかけたのを近くにいた人がすぐ引っ張り上げてくれた。そのときは演劇のフライヤーを業者に届けに行く用事でかなり重たい紙袋を持っていた。よく引っ張ってもらえたなと思った。そういう善意の循環……みたいなことを考えるとなんかちょっと気味が悪いような気もする。これはわたしがひねくれているだけかも。 転んだ人は声をかけられてかえって恥ずかしいかもしれないと思って、駅員さんが来るまでなんとなく近くで見守り、駅員さんはすぐ来たので車輌ひとつぶんくらい離れたところに移動した。そして、電車一本くらい見送ったっていいや、多少遅刻してもいいやという判断をした自分に酔っていないか?みたいなことも思った。多少の遅刻は気にならない自分をやりたかったんではないか。なんだか心臓がばくばくし、さっきその人が転んで尻もちをついたとき、プリキュアみたいな絵面と一瞬重なった。スカートが広がった感じと手に握ったままのハンディ扇風機がなんか魔法少女みたいだなと思った。それがうしろめたくて声をかけたのかもしれない……とかも考えた。 なので財布もスマホも忘れてきたと気づいたときちょっとほっとした気持ちもあった。慣れない善意のようなことをしたからそれと釣り合いがとれているような気がした。バチが当たるの逆みたいな。
そういうことを考えていたら電車はすぐ着いて、財布もスマホも持っていないのに水筒と読みかけの本は持って会社に出かけるのなんか優雅だな…と思った。あとタオルと日傘と飴。リュックの中で水筒の氷がカラカラ鳴って、このごろ水筒には冷たいお茶を入れているから、歩くたび遠足の子どもみたいな音がする。 読みかけの本はレアード・ハント『インディアナ、インディアナ』。柴田元幸訳。柴田元幸だから読んでみるというのは武豊が乗るから買っておくみたいな感じ? わかんない。インディアナ〜は難解な小説ではないと思うんだけど、ゆっくり読まないとすぐなんだかよくわからなくなる小説。もうあと少しで読み終わるんだけど、読み落としているところがたくさんある気がして行きつ戻りつ読んでいて、今はもっかい最初からゆっくり読み直している。 「ヴァージルの死ぬ間際にノアはもう緑の印は見つかったかとヴァージルに訊いて見つかったならどこにあるのか教えてくれと頼んだがヴァージルは長いあいだノアの顔を見てそれから眠りに落ちそれから目ざめてノアの顔を見てそれからまた眠りに落ちた。」だいたいこういう感じ。辛抱強く話を聞くみたいな小説で、いつかこういうの書きたいな、書けたらなあと思う。このそれからが3回続くの、自分だと書くのに勇気がいると思うし、書いたとしても書いたぞってあざとさが出てしまう気がする。
お昼は会社の横に来ていたフードトラックでタコスを食べた。パスモで支払えた。白いタコスには鶏肉、ピンクの生地には牛肉の赤ワイン煮込み、黒っぽい生地にはサボテン?を何か和えたやつ。三個入り。キウイのサルサが辛くて美味しかった。スマホを持っていたらぜったい写真を撮っていたなと思った。 並んでいるとき、トラックに据えた鉄板の火が消えてしまったようで店の人が五分くらい格闘していた。しばらくチャッカマンをカチカチやっていたけどたぶんチャッカマンも燃料切れのようで、ぜんぜん火がつかない。ライターでやろうとしてなかなかうまくいかず、昼休みの五分くらいってけっこう長く感じるしかなり人も並んでいたんだけど、その人はまるで焦らず黙々とやっていたのですごいなーと思った。焦りが顔に出ないタイプなだけかもしれないけど。べつに誰にも謝らず、普通��注文を受け普通にタコスを包んでとやっていて、そうだよなあと思った。
労働を終えまっすぐ帰宅したらスマホにはやはり誰からも連絡は来ていなくて、千円勝ったと思った。千円くらい何か食べようと思った。わざわざ夜出かけるのめんどくさいなとは思ったけど、金曜の夜でほんとは寄り道したかったのだから出かけたい気持ちが勝った。 ぶらっと出てみたらいつもより涼しくて、どこまでも散歩できそうな気持ちのいい晩だった。ぶらぶら歩き、なんとなく電車に乗っていた。夜だから上り電車は空いていて、定期圏内の、でもあまり降りる用事がない駅のちょっと歩いたところにある中華料理屋というか定食屋というか、カツカレーが美味しいらしいので前から行ってみたかった。ふだんぜんぜん用事のない、買い物に行くような街でもない、誰も知り合いもいない駅。ここでわたしが何か交通事故とかにあって死んじゃったりしたら、なんであんなところにいたんだろうと家族は不思議に思うんだろうな……とあまり行かない場所に出かけるたび思う。 駅を降りたら書店があったので覗いてみた。雑誌と漫画と学参の棚が大きい、ちょっと広めの店舗の懐かしい感じの書店。気になっている本のリストを頭に浮かべながら物色し、目当てのいくつかは置いていないようだったけど、そういえばしゃしゃさんの本が今日発売日じゃなかったっけと思って探した。『蒼き太陽の詩』。1,2巻は棚に差してあったけど今日発売の3巻はなかった。レジに持って行って、これの3巻もありますかと尋ねたら奥から出してきてくれた。ラスト一冊でしたと教えてくれた。あっ善意と思った。カツカレーを食べながら読んだ。 『蒼き太陽の詩』は、アラビアンファンタジーというのかな、双子の王子が国王の座をめぐって殺し合う……というワクワクハラハラする物語。砂漠の王国が舞台の大長編で、読みやすくてぐいぐい進んだ。『インディアナ、インディアナ』を読んでいたから余計にそう思うのかも。壮麗な織物みたいな物語で、読んでいるとキャラクターたちの声が聞こえてくるし人や周りの風景が目に浮かぶ。生き生きとしている。これアニメになったらいいなーと思った。赤将軍のユングヴィはファイルーズあいさんがいいな……。
カツカレーの店は、客はわたしだけで、店のおじいさんは座敷でテレビを見ていた。テーブルにハイボールのコップとつまみがいくつか並んでいて、わたしが来たのでおじいさんはちょっと慌てたようすで、でもにこやかに注文をとってくれた。すっかりすり減った畳が赤くなっていて、ちょっと緊張した。あまりきれいでない状態に緊張するのもあるし、よそものが入ってきてすみませんみたいな緊張感もある。テーブルはきれいに拭かれていた。揚げたてのカツが大きくて、油と肉汁がジュワッと溢れてきてすごく美味しかった。カレーは濃くて、柔らかくほぐれた牛肉もけっこう大きいしたくさん入っていた。たしかにうまい。���つがつ食べるうちにだんだん体のこわばりがほどけた。 テレビの音がものすごく大きくて閉口したけど、カツを揚げ終えたおじいさんが汗をぬぐいながら夢中で見ているのがなんかよかった。『チコちゃんに叱られる』というやつ?初めて見た。音が大きいから見てしまう。ボーッと生きてるんじゃねえよってこれかと思った。Vtuberっぽい。おじいさんが何度もはははと笑った。どうしてゴルフボールの表面にでこぼこがあるのかというのをとても真剣に見ているので、ひととおり解説が終わるのを待って会計を頼んだ。
家に帰ったら板垣さんがツイッターでスペースをやっていたので、洗い物や洗濯物などを片付けながら聞いた。どうやら同じ大学出身だったことがわかって思わず話しかけてしまった。一日いろいろカラフルでなんか気持ちが興奮していたのか、やけにたくさんしゃべってしまって、恥ず��しくなって寝た。文フリの話とか小説の話。 千葉雅也『エレクトリック』、わたしは父親がエロいのがいいと思った。と言ったんだけど、なんていうの、エロいって言い方はちょっとちがう気もするんだけどエロく書くことのすごさがあってそれをそう受け取りたいというか……。これは『サバービアの憂鬱』で読んだんだったかな、「男性は会社(仕事)に嫁ぐ」というのを思い出したの。大場正明『サバービアの憂鬱 「郊外」の誕生とその爆発的発展の過程』。うろおぼえだからちょっとちがうかもだけど、男性が会社(仕事)に対して「嫁」になってしまう、みたいな。父親の人妻的な感じ。そういうエロさ。舞台の宇都宮も郊外(サバービア)だなと思った。そしてそういう小説の、文章自体がヘテロでない感じがあって、すごくよかった。多くの小説の文章が意識的にも無意識的にも備えている、当然の「調べ」みたいなものがあんまりない文章だと思った。
『エレクトリック』の前後で読んでいた、数年前の文藝賞の作品が、なんかこうすごくどヘテロだったのもあってそう思ったんだと思う。ヘテロが悪いわけではもちろんないけどよくもわるくもどヘテロ、ザ・調べという感じで、この作品のどこらへんがわたしは苦手だったのかを語ろうとすると、そこに糸口があるみたいな話。 なんていうの、村上春樹に文句言ってる場合じゃないくらい若い作家の新しい作品がめちゃめちゃ古いジェンダー観で、読んでいて作品の面白さとかすごさはわかるような気はしたんだけど、でもこれをよしとするんだなあ、帯に誰々氏が激賞と書いてあるけどそうなんだ?!みたいな驚きは、やはりあった。ジェンダー観もそうだし、地方や精神障害者への偏見を強化するような感じもあって気になった。「壮大な作品」「圧倒的な熱量」「知識と想像力を駆使し」と帯に書かれていたけど、わたしは読んでいて小ささや狭さの方が目についた。 いやわざとそう書いている、いかにもなステレオタイプ���やることに意味がある作品なんだろうとは思った。仕掛けというか。でも意味があるんですよと書くずるさというか……。ステレオタイプをなぞり続けたい、そのようにして書けるものに作家は意味を見出したいし、どうしても興味がある。それってフェチではあるよなあと思うんだけど、ステレオタイプをフェチと指摘されることってあんまりない気がする。 偏見の強化によって生まれる痛み、それを感じない場所に作家は立っていて、痛みを感じる人のこともあまり見えない。いや見えてはいるかもしんないけど、自分の書くこの作品とはさほど関係ないと思っている? それは別の作家、何かそれにふさわしい属性を持った作家がやることであって自分の作品では関係ない。おそらくは無自覚な特権があり、特権って言うと反発したくなると思うけど……みたいなことを思って、うーーんとなった。やつあたりかもしんないけど。作品名出さずに書いてるからなんのこっちゃって感じだと思うけど。 まあ小説ってそんなに読まれないんだろうなと思った。読む人そんなにいないから、これのここってどうなのみたいな話題にのぼることってあんまりない。漫画とはそこがちがう。あとまあわたしが純文学、文芸誌とその賞にそれなりに夢をもっている(もっちゃっている)ふしはあるな…。
そしてこの作品の直後にC・パム・ジャン『その丘が黄金ならば』を読んであーーーこういうのが好きだ〜〜と思って、なんかそういう不満のようなものはふっとんだ。大きい。大きい小説。こういうのがいい。小さい小説がだめなわけではぜんぜんないけど、大きい話を書こうとしたものが狭苦しく感じられるのはやはりつらい。あと長さもよかった。四六版で384ページ。父親が亡くなり子どもたちが埋葬の旅に出る…という筋書きで、本のけっこう前半で埋葬は済んじゃう。その後が長いのがよかった。純文学系の賞はちょっと短いのかもしれない。「自分の書くこの作品とはさほど関係ない」と書いたけど、まあだって短いもんなー。読む人にも書く人にも。この長さの話はもうちょっと掘り下げたい。日記に書きたいことっていろいろあるな。長くなったのでまた今度。
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ようやく寒くなり冬らしい空になってきた。先週までは上着もいらないくらい暖かかったので天気大ジョーブかい?って気にしていたのに…。そろそろダウンの登場か。今年も経たねぇ……。というわけで今日は一日クローゼットの整理をしていた。ここ数年は滅多に服を買わなくなった。
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大学生の頃は今よりファッションに対するアンテナがビンビンに張っていて、特に古着に興味津々だった。自分のイメージを映画や書物から写真を撮りpinterestに保存しては似た服を探し歩いていた。例えば画家のデュギー・フィールズが被っていた歪曲なベレー帽とカウボーイワッペンが付いたブルゾンの着こなし、ダン・アンド・カンパニーのボウラー帽子の合わせ方など、主にアンティークな雑誌やポスターから頭に仕入れて、古着屋でそれっぽいものを探してはバイト代を注ぎ込んでいた。下北、原宿、高円寺へ行けば大体の理想が叶う。
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でも年齢を重ねる内に服がほしいというよりも着こなしがしたいと思うようになった。自分なりの服装哲学がないままにお金やエネルギーを注ぐのは馬鹿らしい。自分の肌に合った布を選び、着心地の良い服装をする。それっぽいものを探して着ることよりも自分の生き方に合った服装をすることの方が大事な気がした。仕事着もできれば私服にしたいが、スウェットで他企業に乗り込むわけにはいかない。893じゃないんだから。ビジネス着とはいえ、できるだけ自分の雰囲気、感触に合ったものにしたい。
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クローゼットの中はほとんど学生時代に買った服ばかり。どうにか組み替えて着続けている。30越えたら服装もグレードアップさせたいな、とか思ってた時期はあるけど、趣味嗜好があの頃と変わらないから一生これやな…というモード。いいものはいい、ということは分かっているから手放す必要がない。学生時代、一生懸命アルバイトをして手に入れた91年製のAIR MAX90、バブアーのブルゾンはもちろん、傷み知らずのスティーブンアランのワークコートなど…。それぞれに思い出がいっこ乗っかってるから手放しづらいというのもある。だからアウターやトップスに関しては出来るだけ今あるもので、着こなしを変えていきたいと思う。春夏秋冬と自分の体質(冷え性とか)、行き先などに合わせて組み合わせを考える。この時間が結構楽しい。もうあかんかなぁって思ってた「NISHIMOTO IS THE MOUTH」のえぐ重たいスウェットの使い途とかサーマルが大好きなこととか何通りもの発見があった。
↑昨年ご縁があって購入したkitai condiment さんのコーデュロイパンツ。また履ける時期がきた。嬉しい。後ろっ側バックルで絞るという発想、天才。こなれ感がかわいい。
ブランドはあまり分からないけど、季節や肌に合った布選びがしたいなと思う。
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最近またまたフラカンがキテる。Creepy Nutsのラジオ聴き直していて、2020年のどっかの回で、Rさんが「深夜高速」の歌詞にグサっときたって言ってた話にめちゃめちゃ共感した。私もふとラジオから流れてきた「生きててよかった」にジワッときた一人。同じ番組聴いとったんちゃうか…。
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最近James Herseyというアーティストを知ってずっと聴いてる。私の映画アカウン��に頻繁に「いいね!」をつけてくれた縁(一方的な)でCD買いました。
最新アルバム『Let It Shine』は全体的に明るい曲調で、正直聴いたことあるメロディやなぁと思っていたのけど、陰のある歌詞にグッときた。この感じでダークな世界なんだ…!という驚き。作家性に惹かれました。James HerseyからMaël & Jonas、JEREMIASなどのジャーマン系インディーバンドを知りました。嬉しい発見。
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ここ数日、誠光社の堀部さんに借りっぱなしさせてもらってる『ガロ』をまたまたまたまた読み直してる。
やっぱり「昔は良かったなぁ」じゃないけどもこの思いつきと情熱だけで独自路線を貫いてる感じ、懐古モードに入ってアァーいいなぁってなる。矛盾を孕んだ世界を自ら選択して抑制されてんだから、やりたいことやったもん勝ちなんだと目の当たりにさせられると普通にショックを受けるわけです。いろいろばかばかしくなってくる。ハイ!放棄!ができればいいけど。人間は人間らしく生きるべきだなぁと実感。数ヶ月間のすさんだ気持ちを昇華できたのは沼田元気さんの「憩」の被写体とヒップvsスクエアの文、しりあがり寿せんせーの漫画のおかげかな。
沼田さんのヒップとスクエアの概念、そうなんだよなぁと共感得られすぎて辛くなりつつもあり、ほんのわずかに希望を持たせてくれた。常にもやもやしてること、考えてるけど吐き出せないことをハッキリ言葉にしてくれてありがとうございます。
あと個人的に面白かったのは『男の座談会』。松井良彦、中原昌也、根本敬という特殊なアーティスツによるクレイジー(猥雑)な映画談義。想像力たくましく一気に読みました。事細かに書くのは控えたいが、舞台挨拶の後に上裸の女性が自分のオートバイに股がって悩み相談、から「ブス」までのエピソードの破壊力…完全に危ない人なんだけど、それがもう治安の悪さを物語ってる。『豚鶏心中』観てファン層のヤバさ(いい意味で)に共感してみたい、とか謎の好奇心に冒される。
とにかく早く返さなきゃ。
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【11月14日(火): ばんごはん】
・夜行バスで帰還。さっぶ!
・正直疲れてたので午前中は激眠、午後何とか動き出す。
・近所の八百屋さんでうっかりお野菜買い込みそうになったけど、アカンアカン、またすぐ家空けるんやった。
・とにかく寒いのでトマトなべ。白菜たまねぎ舞茸お豆腐鶏トマトジュース塩麹塩おしょゆオレガノあたり合わせてクツクツ、シュレディッドチーズ散らして庭のバジル(まだ元気😳
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day. 3
今日も朝から蚤の市2箇所ハシゴ。時期ズラしたので日本人バイヤーさん殆ど居なかったかも。
パリで仕入れた大量荷物を抱えてベルギーに移動。階段しかないパリ地下鉄·····荷物多い時はバス移動の方が楽かも!
↓
ブリュッセルのアパートにチェックインしてから、あと20分で閉まるスーパーに駆け込んで2日分の食料をダーっと買い込み、豚肉とパプリカを味噌炒めにして晩御飯。
そして今日も疲労限界でバタンキュー。
day. 4
朝4:30起き。やや治安の悪い地域だけど静まり返った朝焼けの街並みは素朴で良い。
電車に揺られて遠くの蚤の市へ。今日も天気に恵まれてノンストップで動き回り、帰路についた途端に大雨!
神様〜〜ありがとう
晩御飯食べた途端、体の電池が切れて22時にバタンキュー。
day.5
前半線が一段落。ぐっすり眠って、朝イチで近所のガラクタ市に。
「なんか掘り出し物あればラッキー」的な緩い感じだけど、このニュアンスって、蚤の市巡りが趣味だった頃の時代思い出して楽しいんです。
アパートに戻ってひたすら梱包作業·····移動までに発送完了するだろうか??
近所のアラブ系パン屋で買った、鶏肉とナッツを味付けした具材入りサクサクパイ?みたいなんが美味しい。
夜ご飯は、肉焼いて(甘味噌ソース)、たっぷりサラダとセミドライトマト。スーパーで見つけたマンゴー乗っけフレッシュチーズも。
部屋飯だと好きなもんを激安で食べれるからオススメです。
(ベルギーの外食は高い&イマイチ)
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娘が昨日は泊まって行って今日は昼から勤務だというので、家人と一緒に出掛けて昼飯も食ってこようということに。
久しぶりにハンバーガーなんぞを食う。
ちょいちょい見かけるハンバーガーチェーンである。
ぼくは「スパイシーハラペーニョ」と「ミニサラダ」のセット、家人は「シュリンプ・ポ・ボーイ」と「フライドポテト」である。
飲み物については、ぼくの場合ハンバーガーにはコーラという決め事があるので迷わずコーラにする。
ウマミを謳うだけあって、玉ねぎなんかのロースト具合や肉汁の溢れ具合が半端ない。
値段は一瞬ギョッとするが、まあ一度くらいは試してみる価値はある。
でもなァ。
俺ァマックでいいかな...。
都内をぐるっとドライブして帰宅。
そんなに腹も減ってないので晩飯はうどんにしようということに。
しかし、そこは名古屋人なので「味噌煮込みうどん」にする。
東京でも味噌煮込みうどんは食えるが、今まで食ったどの店も「甘すぎる」のだ。
たしかに味噌煮込みうどんは甘味もあるが、ぼくは赤味噌特有の渋みがとても好きなのだ。
食べ慣れないと、ちょっと「うっ」となるのかも知れないが、名古屋といえば甘辛というステロタイプなイメージが先行しているのかも知れない。
なのでウチで作る時はだしをしっかり効かせ、砂糖やみりんの類いは入れない。
さらにぼくはにんにくとコチュジャンを加える。
たまごの横でとぐろを巻いているのがコチュジャンである。
具には「かしわ」と「ネギ」「椎茸」「にんじん」「油揚げ」などなど。
名古屋のあたりは鶏肉を「かしわ」といっていた。
さすがに最近では言わないかも知れないが、ぼくの育った商店街では「かしわ屋さん」なんて言い方していた店があったりもした。
なん��も「かしわ」というのはブロイラー以前の日本固有の種類らしく、かつては全国的に食されていたらしいが、やがて関東では「軍鶏」が中心になっていき「かしわ」は西日本、九州、中部の一部に残る形になっていったらしい。
ほう。
今日は曇りで肌寒かったので味噌煮込みうどんはありがたい。
ごちそうさん。
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パリパリチキンステーキ。鶏油をこれでもかと吸い上げてとろとろになった付け合わせの茄子が美味すぎる。
好きなブランドの24ss展示会のため渋谷に行った。とりあえずTシャツだけオーダーしてあとどうするか悩み中。そのままあたりを徘徊し、始めて入る古着屋でシルクの爆きゃわ柄シャツを買った。ダンサーっぽい服装が好きで普段もそれを意識したコーデなんだけど店員さんにダンサーさんですか?って聞かれたので""完成""したのかも。気になってたスニーカーの現物みたら死ぬほど好みで最高だったけどマイサイズだけ全色在庫切れで泣いた。帰るため表参道まで歩いてイヤホン付けようとしたらケースの中が空っぽで脳味噌フル回転。そういえば渋谷パルコのポステレガントでニット試着したときにイヤホン外したわ。1.5kmあるけど取りに戻るしかない。パルコに向かう途中でさっき買った柄シャツもないことに気づきさらに思考が加速。ラフォーレでスニーカー試着したときに置いたままだわ。ラフォーレに戻る。そのまま置かれていたので無事回収。競歩でパルコへ。サービスカウンターに飛び込んだらちょうどポステレガントのスタッフさんが届けてくれた直後ですぐ回収できた。ありがとう……。結果実害はなかったけど2kmくらい余計に歩いたし自分がアホすぎて悲しくなる一日だった。
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父親、昔はもっとカッコよくて、聡明で、服のセンスも良くて、熱心なキリスト教徒で、周りのマダムからは素敵なお父さんねと褒められていて、当時はそうは思わなかったけれど自慢の父だった。白、黒、グレー、とにかく何着もスーツを揃えて、鏡の前でこれじゃないこれでもないと言って時間をかけて外出の支度をするような人で、口笛を吹きながら仕事用の鞄に薬や歯ブラシや書類を詰め込んで、朝は時間がないからと蕎麦をかっ込んで分刻みで家を出るまでの準備をひとつひとつ丁寧に進めるような人。週末には熱心に兄妹3人の勉強を見て、たまに母に代わってピアノ教室の送り迎えをして、多忙だから授業参観にはあまり顔を見せなかったけれど、偶然同級生と出くわした時には百発百中でカッコいいお父さんだねと惚れられていた。兄が170cmを超えた時にもう俺よりデカくなったね、と言っていたけど、今は年々縮んで160そこそこになってしまった。朝昼晩の食前にはいつも家族で祈りを捧げて、日曜の昼には教会から帰る道すがらに寄った近所の肉屋で揚げた鶏肉を買ってフォークでほぐし、夜にはレーズンとクリームチーズを和えたデザートを拵えてワインを微量だけ召した。今、ここまで書いたことのほとんどはもうできないと思う。それくらいに老け込んでしまった。父のことは嫌悪していて、幾度となく覚えが悪いからと引っ叩かれ、食事の席を締め出され、何度か経験した精神の病も庇わずに非難して、裏と表を巧妙に使い分ける人で、そこが心底憎む主要因だった。今、父を愛しているかと問われたらわからないけれど、小さくなった背中、もうお世辞にもカッコいいねとは言えない(それでも胸ポケットにスカーフを差し込むセンスは健在だけど)姿を見ると、あの頃の父は輝いていたと思う。自慢の父だった。もう厳しく叱ることもなくなった。気迫がなくなったと言えばいいのか、いつもこちらを心配するばかりになった。父が死んだら私は大いに悲しむと思う、父に育てられなかったら、今こんなにも自己を貫く独裁的な大人にはならなかった。私は自分のパーソナリティがそれで良かったと思う。
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2024年10月29日(火)
夜中にAppleから新製品の発表がある、とのニュースが流れていたが、もちろんその頃私は高鼾、朝起きて確認すると<M4チップを搭載したiMac>が登場したのだ。色々とコピーが私を誘惑するが、<アップグレードするなら今が最高のタイミング>などと言わないでくれよ。売りの<Apple Intelligence>は当面米国でしか利用出来ず、日本は来春となる。その頃にアップグレード・・・、まずはApple貯金を頑張ろう!
5時起床。
日誌書く。
朝のルーティンが始まる。
洗濯機を回し、朝食を頂き、珈琲をいれる。
洗濯物を干す。
今日は弁当なし。
ヤクルトさんから野菜ジュースを購入する。
酢タマネギ仕込む。
9時20分、ツレアイ(訪問看護師)が自転車で出勤、今日は1軒のみ。
月曜日の<情報機器の操作Ⅱ(看護学科)>の欠席者に、課題を出す。
夕飯用に、無水地鶏カレーを仕込む。
海老芋を煮る。
AppleのOSアップデート、macOS15.1、iOS18.1、watchOS11.1。
MLB中継、大谷派脱臼を庇いながらも出場、ドジャース3連勝。
彼女が帰宅する。
ランチ、息子たちはサッポロ一番、私たちは冷蔵庫掃除。
彼女のMacBookAir, iPhone, Apple Watch のOSアップデート。
西村歯科の予約は16時30分、西大路七条から13系統で四条烏丸、雨が降っているので四条通の地下をウォーキング。
まずは主治医のチェック、右上奥の歯が歯茎が後退して根っ子の部分が大分露出、そのためばい菌が溜まりやすくなっていて、歯磨きにも苦労している。積極的に残す意味は無いとのことで抜歯決定、麻酔を掛けてまずは金属部分を切断し、それから抜歯するというプロセス。痛みはないが、作業の音と振動が恐ろしい。3日分の化膿止めと痛み止めを処方していただき、明日の16時30分に再度チェック。もちろん、3日間の禁酒を言い渡された!
帰路の13系統を西大路花屋町で下車、セントラルスクエアでココの療養食を購入してから帰宅。
彼女がほぼ用意してくれていたので、すぐに夕飯セッティング。
息子たちはスパークリングワイン、彼女は赤ワイン、私は炭酸水。
テレビで日本シリーズの中継、昼間のワールドシリーズを見た目には迫力に欠ける。
彼女が片付けている間に、今日は先に入浴、体重は2日で250g減。
着替えて日誌を書く。
歯磨きして、早めに寝よう。
天気も悪いしこんなものかな。
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2024年6月27日木曜日
病院の待合室にて21
くちずさむ歌はなんだい?思い出すことはなんだい?(3)
私が道を盛大に間違えたおかげで(せいで、じゃないです)、ビジネスホテルに着いた頃にはもう午後四時過ぎになっていた。中がどうなっているか未だによくわからないエレベーターみたいな立駐に車を突っ込んでチェックインし、荷物を部屋に放り込んで街へと繰り出した。駅の近くにホテルを取ったと思っていたのが、間違えて歓楽街の近くにホテルを取っていたおかげで(せいで、じゃないです)、すぐに良さそうな飲み屋があった。準備中とある。「何時からですか!」「五時!」まだ五時にもなってなかった。何軒か見て回ったが、最初のところが良さそうだったので、歓楽街をぶらぶらしたり、ソープランドのキャッチのおじさまに「どうですか?」と聞かれたのに対して「お疲れ様です!」と返したり(私が)、全ての成人した徳島県民が一度は待ち合わせしたことがあるであろう「アクティ前」の植え込みの階段になっている部分に腰を下ろしたりして時間を潰した。五時になった。「いいですか!」「七時までな!(七時からは予約でいっぱいでよ)」ということで無事に居酒屋に入店した。ビールだー!やったー!私がアルコールを口にするのは去年の忘年会/送別会以来のことなのだ。Tくんも私と同じように盛り上がっていたが、この人お昼もラーメン屋で瓶ビール飲んでました。私は忘れていません。ともかく乾杯だ。
あなたの人生には後悔がありますか?私にはあります。ここのお店で私たちが注文したメニューは、鯖の棒鮨、阿波尾鶏の唐揚げ、馬刺し、そして多量の生ビールだった。ねえ…お料理少ないって。どれもめちゃくちゃおいしかったのに、話に夢中で全然追加注文しないでやんの!ビールばっか飲んで!もっとお料理注文しないと!本当に後悔!いや、私が悪いよ、Tくんは全然悪くない。私がどんどん食べてどんどん注文すべきだったよね。そうしないとTくんも食べづらいよね。徳島の美味しいものをこれでもかと持ってきてもらうべきだった。何のために徳島に来てもらったのか。あのお店また行こう。今度は予約していこう。それは別の誰かと行くか、一人で行くということになるような気がする。ごめんねTくん。Tくんがまた来るって言うんなら止めないけどさ。(お料理の写真も当然撮ってません)
私たちが夢中になって話していたこと、そんなのはもちろん昔話だった。今年で四十歳になる中学の同級生ふたりが居酒屋で夢中になって話すことなんて絶対に昔話だった。例えば。
「あのさ、僕ら主催ライブをやったよね?あれってさ…高校生になってたっけ?」
「いや、あれは中三の時だよ。あの時ね、なんかみんな煙草吸ってたでしょ?ガイアの前の道でもみんな普通に吸ってたから、近所の人なのか分からないけど、知らないおばさんに『あんたたち中学生でしょ?みんな煙草吸ってるけど、いいと思ってんの?』って言われて、『ああー、私高校行けない可能性出てきたなあ』ってぼんやり不安になったもん」
「あれ中三の時だったんだね。信じられないなあ。今でも夢だったんじゃないかと思うよ」
そう、私とT君で組んでいたバンドは主催ライブを行った事がある。あれは中三の…あれ?なんとなく春休みにやった記憶があるから、まだ中三になってないのかな?それとも中学卒業と高校入学の間の春休み?まあともかく、バンドメンバーである私とT君ともう一人のドラムを叩いてた子は、まだ全員十四歳か十五歳だった、と思う。会場はclub gaiaというクラブだった。JR沼津駅から徒歩六分(今調べました)、現在はもう閉店してしまったようだが、当時はもちろん営業中で、おそらく昼から夜にかけてはバンドのライブなどをやっていて、深夜帯はパーティーを中心としたクラブ営業をやっていたのではないかと思う。今ですらこんなあやふやな想像しかできないが、当時はそんなことは何ひとつ知らず、ありきたりな憶測すら出来ていなかったはずなのに、よくやったもんである。そもそも我々はこのclub gaia を電話帳で発見した。我々は電話帳を本当によく活用していたバンドだった。練習スタジオ(いわゆるリハスタ)が実はもっと近所にあるのではないか、と思って電話帳で探し、「スタジオなにがし」みたいなのを見つけて「あった!」と思いチャリで行ってみると、「バレエ・スタジオだった!がっかり」ということはザラだった(電話してから行きなよ。電話帳でしょ)。レコ屋を探してみたり、ライブハウ��を探してみたり、同級生の自宅の電話番号を探してみたり(本当の話である。当時の我々は電話帳から同級生の家電(いえでん)を探し当てるくらいの能力は備えてしまっていた。携帯なかったしね。いきなり自宅に直電し、「君!ドラムに興味ないか!あるなら我々とバンド活動をしようではないか!」と勧誘したりしていた。今考えると完全にどうかしている)電話帳は情報の宝庫だった。そして電話帳の「ライブハウス/クラブ」の欄に載っていたお店のひとつがclub gaiaだった、と思う。我々捜索隊はそれを電話帳に発見するやいなや、ただちに現場に急行した(電話しなよ。まあ今考えるとビビってたんだと思われる。あと電話する用件がない。建物を見たいだけだから)。gaiaは割と住宅街の中にあり、我々の持つ手がかりは住所しかないため(実際は電話番号も知っているけども)捜索は難航したのだが、日没前に見つけることができた。「おおー、あるんだ」と言ってその日は帰った。中学生は本当に暇である。本日の我々くらい時間が有り余っていた。
我々のバンドは「パンジー」と言って、もちろん花の名前からとったのであるが、「パンクでノイジー」というとても中学生的な意味もあった。パンジーは後に「ルーラ」という名前になったり、「べとべとさん」という名前になったり、「べとべとさんとぶるぶるちゃん」という名前になったりしたが、ここではパンジーという名義で統一する。パンジーはgaiaで主催ライブをする前に、国道一号線のとある交差点の北東にあったすみや(同じ交差点に「すみや」というグループのお店は三店舗あり、北東にあるのが楽器屋とスタジオ、南東がパソコン館、南西がCD屋だった。ちなみに北西はファミマ)の二階のスペースで開催されていた”Get in Live”(「入れライブ」て)で2回演奏した事があった。その二回のライブを経て、我々はライブハウスなどでも演奏したい!と思ったのだ。普通はブッキングライブに出よう、となりそうなもんなんだが、そういう仕組みは知らなかったのかな。あと沼津にはそういうライブハウスが多分なかった。三島にはゴリラハウス、富士にはアニマルハウスというライブハウスがあって(動物ばっかり。かわいい)、多分ブッキングライブなどもやっていたと思うが、我々は沼津市民だから沼津でライブしよう、レペゼン沼津!…と思ったのかな?忘れました。
中学生で主催ライブを行うなんてもの凄いことのような気がするが、細かいことは全然覚えていない。ここから先は(何ならここまでも)すべてうろ覚えですので、そこんとこよろしくお願いします。我々も含めて多分バンドは四つ出た。パンジーと飲波波波(ヤンパパパと読みます。金岡中のバンド)とあと二つのバンド(名前は失念)。もちろん昼の時間帯。私たちはなぜか最初に出たような気がする。演奏は多分めちゃくちゃ。コピーがメインだけど、オリジナルも演奏したような気がする。演奏が終わって誰かに「お疲れ様です」って言われて、「わあ、ミュージシャンみたい!」って嬉しかった記憶がある(そこ?)。クラブを借りるお金を捻出するために前売りチケットを売ったと思う。チケットはgaiaの人がデフォルトみたいなやつを作ってくれたのか、我々で作ったのか覚えていない。当日券で来る人もいた気がするが、いずれにせよライブの途中から適当になり、最終的にはフリーライブみたいになった。めちゃくちゃお客さん入ってた。そしてほとんどの人が煙草を吸っていた(みんな中坊。高坊もいたのかな?)。ライブはかなり盛り上がっていたと思う。gaia使用料の精算時、あんなに人が入っていたのに、お金が少し足りなかったので、「どうしよう…」となっていたら、対バンの誰かが「なに?足りないの?じゃあちょっと金作ってくるわ」と言って街へ消えていき、金を作って戻ってきた。お金って作れるんですね。全て終わって最後にみんなでフロアを掃除した。めっちゃ吸い殻落ちてた。あんなに大量の吸い殻を見たのは、四十年近く生きてきたがあの時だけである。
確かに今でもこんな主催ライブをしたのはあんまり信じられない。というか飲んでる時はこんなに細かく話していない。細かく話せば良かった。絶対盛り上がったのに。あとこの文章を書くに当たっても、あの時話しておけば、視点がもうひとつ増える事で正確性を増す事ができたのに。またしても後悔。後悔ばっかり増えている。酒の席の反省なんてしてはいけないのかもしれない。
つづく
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山間僻地五、六歳の頃のF爺F坊やは、山奥の寒村に住んでいました。村には、当時の秋田県では普通のことでしたが、電気も水道もありませんでした。F坊やは、そこで生まれたのではありません。その村は、貧しいよそ者一家の一時的な滞在地でした。山奥ですから、魚は干物か佃煮か塩漬けの物しか無く、肉屋なんてどこにもありませんでした。鶏や兎を飼ってはいましたが、自分の家の田畑が無いため食料は生き延びるのにぎりぎりの量しか手に入りませんでした。敗戦から数年後、一家の財政状態の最も厳しい時期だったようです。食べ物の好き嫌いなど言っていられませんでした。「ご飯と味噌汁と沢庵漬けと炒めたキャベツ」があれば「御馳走」のうちだったのです。人参は、嫌いでしたが、「空腹が少しは収まる」と考えて、無理に呑み込んでいました。草を刈って来て兎の餌にするのと蝗(いなご)や蟋蟀(こおろぎ)を生きたまま捕まえて来ては鶏(にわとり)の餌にするのが日課でした。鶏が大喜びでついばむのを眺め、一羽一羽に「明日も卵を産んでちょうだいね」と口に出して頼むのが習慣になっていました。卵かけご飯が「大」の字の付く御馳走だったのです。F坊やの日課がもう一つありました。灯油ランプの火屋(ほや)の内側を磨いて煤(すす)を取り除く仕事です。幼児の小さな手と細い腕でないと、火屋には入らないのです。大人になってから、アフリカなどで夜毎にテントを張る長旅をしていて電気も水道も無い生活が苦にならなかったのは、この時期の生活体験が身に着いているお蔭です。お米が配給だった時代です。この村に住んでいた頃「満ち足りるまでご飯を食べた」記憶がありません。お櫃(ひつ)が空(から)になり食卓を片付ける頃になっても、空腹は収まりませんでした。白湯を呑んで胃袋を満たして、仮初めの充足感を得るのです。親には「お腹を壊すから食べちゃいけない」と言われていましたが、裏山に行って食べられそうな野生の木の実や草の実や芋を探しては口に入れていました。野葡萄(のぶどう)や茱萸(ぐみ)の実は、幼児の舌には酸っぱくてほろ苦く渋いものなのでしたが、五臓六腑に沁み渡るような美味と感じていました。きっと、ビタミンCやミネラルなど、足りない栄養分を補ってくれたのでしょう。木の実の汁で唇や歯がいろいろな色に染まりますから、必ずバレて叱られるものでした。母は、あれから何十年経っても、キャベツ(*)を刻む度(たび)に、こう言うのが常でした。「○○村に住んでいた頃は、キャベツ(**)をこうやって炒めると素晴らしい御馳走に見えたのよね。あの乏しい食生活で、よくもまあ子供が育ったものだわ」(*)(**) 追記 2020年8月16日母が口にした元の言葉は「玉菜(たまな)」です。日本中を覆うカタカナかぶれ・西洋かぶれの波に呑まれて殆ど消えてしまった言葉ですが、残念なことです。「玉菜」は、同音異義語が無く、発音も漢字も簡単で一度見たら忘れない言葉です。復活させるべきだとF爺は確信しています。賛同なさる方が多数出現するでしょうか。 フランスに移住1968年にF爺が到着した頃のフランスの平均的な食生活は、当時の日本とは比べ物にならないほど豊かでした。キャンパスの学生食堂でさえ、ステーキなどは「普通の物」だったのです。親しくなった学生に誘われるままに自宅を訪問してご両親とも話をし、夕食に招待していただくときなど、学生食堂とは二ランクも三ランクも違う料理が出るのに感激しました。その際に殆ど必ず、事前に「何か食べられない物はありますか」と訊かれました。「ありません」と答えると、不思議そうな顔をされました。誰しも食べ物の好みはあるもので一つか二つぐらいは食べられない物のあるのが当たり前、という認識のようでした。それでも、幼児の頃からずうっと「食べ物の好き嫌いは、いけないこと」と教え込まれていたF爺は、日本での長年の習慣を引き摺って、嫌いな物でも我慢して食べ続けました。ところが、ある日、我慢の限界が来て、人参を一切れ口にした途端に気分が悪くなり、トイレに駆け込んで胃袋の中身を全部吐いてしまうということがあったのです。「嫌いなものを無理に食べると顔に出てしまうから却って失礼に当たる」こと、そして吐いてしまうのは、その場にいる人全員に不快な思いをさせるから、非常に失礼なことなのだと、ようやく、分かりました。価値観の転換です。「食べ物が極度に不足している場では正当なこと」が「食べ物が恒常的に有り余っている所では不当なこと」であり得るのです。この時から、人参を無理に食べるのはきっぱりやめました。
野葡萄と茱萸(ぐみ)の味 - F爺・小島剛一のブログ
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