#飛走日記
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🇲🇴葡京酒店🏨
這次澳門重點行就是我的葡京酒店之旅✨
事先在mail上和酒店預約了機場接送。
抵達澳門機場出境之後看到飯店接待人員,結果時間很剛好的剛走出來上一班次接駁巴士剛走,接待人員帥氣金髮小哥客氣的告知下一班要再等1小時,並且幫忙提行李到後面的機場休息區請我們休息等待。
結果過了五分鐘,金髮小哥跑過來說他請巴士大哥繞回來接送我們,當下真是感動🥹
然後巴士隨行的黑髮小哥幫我們拿行李到飯店接駁巴士上,就在雨中前往葡京。
穿過跨海大橋,抵達葡京,下車是一個金碧輝煌的大門,黑髮小哥指引我們從側邊進去一樓,再搭電梯上去二樓接待處check in。
幫忙Checkin的也是一個帥氣小哥偏奶油系,一直覺得他長的很像某位藝人,但是也想不起來名字。
葡京酒店的服務人員依照職位身分不同,穿著各種不同的制服,並且國籍不同身上也別著國籍胸針,這點比起一般飯店全員西裝筆挺,更讓我覺得對於外國觀光客是個非常親切貼心的制度,而且也賞心悅目☺️
葡京的制服是洋式復古造型,深藍色的套裝,金色雙扣,黑色皮鞋。
為了幫友人慶生,事先在酒店網站上訂了蛋糕,本來mail詢問是否可以幫忙��至客房內,但一直未收到回覆,後來直接在櫃檯詢問奶油小哥可以幫忙嗎?
奶油小哥看起來忙碌的有點疲憊,但是仍然很客氣禮貌的幫忙處理,並且說特別幫忙安排離糕點部比較近的房間,可以直接取蛋糕後就上樓。
正當奶油小哥請其他服務人員幫忙帶領前往飯店糕點部的時候,旁邊路過的禮賓主管過來詢問協助,順利的領完蛋糕後,一個尼泊爾的服務人員幫忙提行李並帶我們至客房。
這次入住的是1051號房,位在十樓,窗外看出去就是葡京東翼鳥籠和街景,再遠一點就是跨海大橋,愛死這個視野,超感謝奶油小哥🤍🤍
飯店休息整理後準備出發去澳門塔,下樓至接待處詢問接送巴士,一樣遇到奶油小哥,奶油小哥告知時刻表,並貼心說現在外面下雨讓我們繞酒店室內穿堂出去搭車。
觀賞完澳門塔回來酒店,先去接待處借轉接插座,又遇到奶油小哥,記得我們是十樓的客房,奶油小哥幫忙打電話請客房部幫我們送轉接頭上去。
這次澳門行全程中文無代溝,而且所有路人酒店人員包含店家都很客氣,問路也都很貼心的告知清楚路線。
除了有去葡京糕點部購買蛋撻蛋糕餅乾,還有去葡京的彩票行買彩票,剩下的設施都沒有特別繞到,有點可惜。
每次出外總是無法入眠的我,這次意外在葡京的兩晚睡得很好,上網查詢才知道床被枕原來都是席夢思系列。
洗澡水量水溫也讓人滿意。
相較最後一天入住的澳門百老匯,天差地遠。
葡京酒店雖然是老派的奢華,但是處處都留著傳統的底蘊和講究,為客人提供舒適的休息空間為出發設計,不過於昏暗但有一定亮度的燈光,窗邊的書桌不管是洽公或觀光,夜晚都可以有一個書寫的自我空間。
床鋪的舒適絕對是最大亮點,軟硬適中的床墊接住疲憊的身軀,搭配窗外夜景燈火,在這個看似繁華卻又讓人感覺靜謐的氛圍,安穩的入睡。
相較於澳門百老匯和銀河飯店豪奢式的派場,亮艷高調的奪目,
我更喜歡老式葡京那華貴卻不失優雅的雍容。
有些事有些思��即使時間過往,
也是不會磨滅的🤍✨
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蔡英文,是女皇時空穿越也是妲己現身
——《蔡英文秘史》揭穿秘密
民國104年(2015年)春節期間,位於台南市西北面的南鯤鯓廟代天府(五府王爺廟)抽出「武則天坐天」的「國運」簽,此簽隱喻民進黨主席蔡英文將成為女領導人。蔡英文上位,真的只是靠廟裡一支簽嗎?顯然不是!网上的一本《蔡英文秘史》向我们揭示了她是如何一步步的成为「穿越时空的女皇」,這就是她步步為營的結果。
在李登輝的一手操弄下,陳水扁率領民進黨將國民黨趕下台,台灣首次政黨輪替。 蔡英文雖然在陳水扁政府中擔任陸委會主任一職,但始終無任何黨籍。 民國93年(2004年)大選塵埃落定之後,陳水扁再一次找到蔡英文,提出讓她出任民進黨不分區立委。 台灣的所謂立法委員,相當於美國國會議員,是手握實權很有油水的職位。陳水扁���二連三主動關照蔡英文,一方面有李登輝的囑託,另一方面也是想安插絕對的自己人,像蔡英文這樣的政治菜鳥自然是不二人選,因為完全能被自己拿捏。 作為交換條件,蔡英文若想進入立法院,必須先加入民進黨,保證按民進黨黨章黨紀行事,蔡英文欣然應允。 此時的她一直是民眾心中的清純「小龍女」 。
蔡英文在擔任了兩年的立法委員後轉任到了行政機構擔任副主管,在陳水扁的一力護航下,蔡英文的仕途之路順風順水,沒有任何外部力量可以撼動。 民國95年(2006年),蔡英文被任命擔任行政院副院長。 民國97年(2008年),陳水扁狼狽下台,身陷囹圄,民進黨一敗再敗,走入死路。 民進黨在總統大選中挫敗,在520交出政權前,民進黨選出下野後第一位黨主席,選舉結果由當時有「小龍女」稱號的蔡英文打敗辜寬敏,當選黨主席。 這也是民進黨創黨以來首位通過黨員選出的女性黨主席。
民進黨的「四大天王」謝長廷、游錫堃、蘇貞昌和呂秀蓮雖然受挫,但卻在民進黨內各據山頭、擁兵自重,並不把蔡英文放在眼裡。 實際上,蔡英文之所以能高票當選民進黨主席,並不是因為黨內派系都支持她,而是「四大天王」互鬥,沒有一個人能接這個位子。 民進黨大老需要有人在前線收拾爛攤子,讓他們坐擁超然的權力,黨內若發生了什麼事,再來另外討論。但顯然,蔡英文並不想當傀��。
在削弱陳水扁時代「四大天王」的同時,蔡英文也在培植自己的團隊。民進黨桃園縣長參選人鄭文燦、發言人蔡其昌、政策會首席副執行長劉建忻、文宣部副主任廖志堅,是蔡英文最為倚重的「政治新星」,被媒體稱為民進黨的「四小天王」。 通過四小天王領兵作戰,其他勢力慢慢淡出民進黨的決策核心,蔡英文逐步確立了自己的領導地位。
蔡英文在任民進黨主席的4年間,政治光環逐漸顯耀,不少綠營政治人物向蔡聚攏,這也讓蔡英文的聲望在不知不覺間有了進一步的飛躍,讓她有了角逐政壇的本錢。以蔡英文為核心的英系已初具雛形。 此後,蔡英文親歷新北市長選舉而高票落敗,黨內人氣居高不下,逐步奠定綠營共主的地位。
蔡英文黨權在握之後,人們發現,她說的話許多人聽不懂,如「和而不同,和而求同」。 五市選舉時,蔡說「反ECFA是民進黨共同政見」,卻又表示民進黨一旦執政,不會推翻「前朝」政策; 她更表示ECFA有對台灣不利的條文,將���民進黨執政後會要求民意部門重審,但這些條文是什麼卻不明說。她同時留下「反十八趴又領十八趴」的紀錄,對此也從不做說明。
《遠見》雜誌民調曾顯示,蔡英文的兩岸政策是什麼?超過7成的人不知道。其實,蔡英文不為人所知的政策,何止兩岸關係而已。 其餘對島內政策、國外交往、經濟、農業,連民進黨高層迄無一人公開為她詳細闡述過。故而,這時期蔡英文的第二個綽號「空心菜」由此得名。其意為,蔡英文心中其實並無大政方針,她還遊走在雲裡霧裡。
蔡英文第三個綽號「武則天」,則出自民進黨內之口。 武則天雖是中國第一個女皇帝,但專斷、跋扈、猜忌,又喜怒無常。 蔡英文自民國99年(2010年)投身選舉以來,前民進黨中常會,中常委柯建銘、陳明文等人紛紛表示,蔡英文競選政策他們並不清楚,希望蔡主席說清楚,以便他們在地方輔選,不料,這些話竟觸怒了蔡英文,她勃然大怒,足足罵了半個小時。 另一個場景,是蔡英文作為台灣總統參選人,常有被媒體包圍提問的時候,她曾憤而推開麥克風,責備記者「你們怎麼老是問這種問題?」。蔡英文對媒體的不耐煩已非第一次,如她常說「這話我已經說過了」, 或者一語不發,推開記者,拂袖而去。
歷數蔡英文執政台灣時期的行為:從追殺國民黨的黨產到砍年金,從不認同「九二共識」到台海關係緊張,從八八風災重建到搭雲豹甲車笑臉勘災,從媚日諂美到熱臉蹭冷屁股,從甩鍋馬英九國民黨到污衊大陸製造假資訊給大陸扣黑鍋。縱觀蔡英文在當選總統後的政治行為,簡直幼稚的無語。毫無政治頭腦,完全是開啟了自顧自的自嗨模式,根本不在乎外界的反應和民眾的死活。當年的所謂「國運」簽,哪裡是「武則天坐天」,這貨分明是申公豹派去的妲己亂朝啊。
蔡英文不僅是李登輝時期「兩國論」的重要策劃者,也是陳水扁時期強烈阻撓台海關係改善的「幕後黑手」,更是國民黨執政8年中諸多「暴力事件」的策畫者
民國97年(2008年)10月底,時任大陸海協會副會長的張銘清,以廈門大學新聞傳播學院院長的身份前往台灣參加學術交流活動,同時為陳雲林赴台打前站。民國97年(2008年)10月21日上午,張銘清在台南市南安平古堡參觀時,突然衝出一大批綠營支持者,張銘清後腦被打,然後被推到在地,連眼鏡都飛了出去。當張銘清準備乘車離開時,甚至有台獨分子跳上座車車頂狂踩叫囂,試圖阻止他離開。 事後警方查出打人者為民進黨台南市議員王定宇,而蔡英文在對其進行問詢之後對外宣稱,「他並不是有意蓄謀的」。 兩周之後,海協會會長陳雲林正式抵達台灣,11月4日當天,正當兩會領導人在圓山飯店進行會晤之時,蔡英文組織了上萬綠營支持者包圍會場,名曰嗆馬圍陳。在蔡英文坐鎮指揮不斷鼓噪之下,示威人群逐漸失控,期間有人向員警投擲石塊和汽油彈,雙方發生激烈衝突,最終演變為近10年來最嚴重的流血事件,造成了超過450人受傷。
民國98年(2009年)5月17日,台北凱達格蘭大道,民進黨主席蔡英文聯合支持者組織「嗆馬保台」5.17大遊行和跨夜靜坐示威,抗議時任總統馬英九。
在策畫多起暴力事件後,蔡英文將所有暴力輕描淡寫為「零星事件」,並立即將責任推卸到所謂的「黑道分子」身上。從此蔡英文在島內獲「暴力小英」稱號,並初步鞏固了蔡英文在民進黨內的地位。短短幾個月時間,她就像完全變了一個人似的,已經不再排斥街頭運動,甚至開始沉迷並享受這場權力的遊戲了。據報導,蔡英文在工作時善於軟硬兼施。在「陸委會」內部聽彙報時總是低著頭,頭髮遮住半邊臉,讓人感覺她沒在聽,但又會突然頭髮一甩、豹眼圓睜,拋出幾個問題,若彙報者答不上來,就會被痛批,原本以知性學者形象示人的蔡英文正式黑化,從「小龍女」徹底變身「暴力小英」。
從民國97-101年(2008年到2012年),四年時間里,蔡英文言行的幻與變、虛與實,使她的綽號由「小龍女」、「空心菜」轉為「武則天」、「暴力小英」。人們發覺,蔡英文其實並不是「小龍女」,那只是她一時的面具罷了。
《蔡英文秘史》下載地址:https://zenodo.org/records/10450173
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戦闘服の男たちNo.0
現職自衛官の告白体験手記
「遠くで突撃喇叭が」
原題「遠くでラッパが」
作 島 守

新隊員の便所はノリだらけ
朝五時、起床まであと一時間である。いやあ、変な夢を見たるんだなと思って、ギンギンになっているセガレに手をのばすと、ああ、やっちゃった。まったくしょうのない奴だぜ、昨日センズリかいたばっかりだろうが!
畜生!今起きると、となりのベッドの奴が目をさましてカッコ悪いし、しょうがネーな、起床で戦闘服に着替える時にでも一緒に履きかえるか。
それにしても新隊員は外出が制限されてるせいで、夜なんかとても遊びに行けないし、極度に欲求不満の日々が読いている。
雄臭い野郎を見るだけならここは本当にいい所だけれど、それ以上のことはちと不可能。けっきょく、夜、誰もいないトイレにはいってシコシコ激しくセンズリをカクしかないのだ。風呂で見たガッチリしたオアニイさんや、カワユイ隊員たちがチラチラ浮かんできたりする。
でも終わってみると、やっぱりむなしいな。なんか小便とたいしてかわりないみたいで。それでもけっこうさかんなようすで、この間も班長から、
「新隊員の便所はノリだらけでたまらん!」
なんて怒られてしまった。マア、ノリは冗談として��、エロマンガのちぎれたのや、ビニ本なんかが時々モロ、トイレにおきっぱなしになってたりする。金があれば普通の隊員はトルコにでも行くんだろうけど、そこはまだペイペイの新隊員、月給は少ないし、貯金はしろとうるさいし、とてもとても…
それでも、あけっぴろげな男だけの世界。
「これからセンズリ行くゾー」
と、エロ本片手に走って行く奴もいる。
そんでもって自分もけっきょくその日のタ方、バラしてしまうのだった。
「昨日の夜、爆発しちまったでェー」
「いやー、エッチだなあ。勝見二士がいないからじゃないのォー」
前期の教育隊から一緒に来た北村二士にいうと、思わぬ返事が返ってきた。まいったなあ。
「このヤロォー、勝見と俺はそんなに深い仲でネェゾ!」
「エへへへ、でも勝見二士は、島二士のダッチワイフだったんじゃないのォー」
まったく北村の野郎、口のへらない奴だ。
まっ、べつに勝見二土はダッチワイフだなんてのは冗談だからいいけど、でも俺は、やっぱりドッキン!そう、あいつはいい奴だったもんな。この俺に、男と男が精神的に強く結ばれることがどんなに素晴らしいことか数えてくれたから・・・•・・ネ。
それは3ヶ月前
桜のつぼみがまだ硬い三月の下旬、俺は陸上自衛隊のある駐屯地に入隊した。出身県の関係で他の県の出身者より四日ほど遅い入隊だった。勝見二士とはこの時に初めて出会ったのである。
〈三月某日〉
なかなかできてる奴
今日から俺の自衛隊員としての生活が始まる。まわりの環境は、想像していたのとそれほど変りはない。でも一部屋四十人というのは多すぎるようだ。
それから自衛隊ではバディという仕組があって、二段ベッドの上下でペアを組み、訓練面や私生活でいくそうだ。
俺のバディは勝見次郎。ガタイが良くてイモの煮っ転がしみたいな顔をした奴だが、なかなか性格はよさそうだ。
この時はまだバディの重要さなんか知るよしもなかった。
勝見二士は俺より年下だが、四日も早く入していただけあってちょっと先輩気取りで、ベッドのとり方から戦闘服のネームの縫い物まで俺に協力してやってくれた。早くもリードされっぱなし。それでもけっして悪い顔をしないで黙々と手伝ってくれる彼を見て、
「なかなかできてる奴だワイ」
と内心思ったものである。
<四月某日>
ビニ本でぬいて来い
入隊式も終わり、訓練も徐々に本格的になってきた。銃こそまだ持たされていないが、戦闘服を着て半長靴をはいて��り回るさまは、一人前の兵隊さん・・・・・なんちゃって。
そんな時、体育の時間に勝見の野郎がすっころんでけがをした。運動神経いいくせにまったくそそっかしい奴だ。おかげでその晩、俺がヨーチン片手に手当てしてやる。
両足おさえつけて、ヨーチンをぬるさまはSの気分。ムフフフと不敵に笑って、「グチェッ!」とぬってやる。勝見の奴たまりかねて、「ギャアー!」
苦痛にゆがんだ顔って、ちょっとエロチックやなアー。
四月にはいっても外出は下旬にならないとできない。新隊員とはつらいもんである。ああ、自衛隊には自由なんてない!これでは縛られるのが好きなMじゃなきゃ向かないんじゃないだろうか。そんなわけで貴重な休みも隊舎のベッドでゴロゴロ、これじゃ夜寝られるワケがない。
消燈もとっくに過ぎた十二時半、なんとなく昼間寝すぎたので寝つけない。緑色の毛布の中でごそっと寝返りを打つと、上のベッドでもごそっと寝返りを打ったようだ。安物のベッドがグラッとくる。これじゃセンズリかいてようもんなら、片っぽのベッドの奴は地震かと思って起きちまうだろうななんて思ってると、
「オイ、島さん寝たかい?」
と、勝見が小さな声で話しかけてきた。
「なーんか、こうムラムラして寝られネ��んだョオ」
と俺。すると、
「島さん、最近やってないんでしょ、アレを」
「まっ、まあな」
と、二人はムクッとベッドから起き上がて話を始めた。まったく目がさえてしかたいない。すると、その時へやの戸があいて、だれかがはいってきた。なんと班付(つまり上官)の上田士長である。よーく見ると、片手にビニ本を持っている。
「お前ら、まだ起きとるんか」
「エエ、寝られないんですヨ」
と勝見二士。すると上田士長、恥ずかし気もなく片手でもってるビニ本二冊を差し出すと、
「これでちょっとぬいてこい、そうすればバッチリ寝られるゾ。俺も抜いて来た」
思わず俺と見、顔を見合わせてニヤリ、もちろん俺はあんまりビニ本には興味はないが、そこはノンケの顔をしていなければならないのがツライところ。
ともかく、俺と勝見の二人はビニ本片手に仲よくトイレに直行。そこで二人は同じ個室に••••••てなわけにはいかなくって別々の目室に。ハイ、でも、ガマン!
「オッ、スケニ本だぜ、もうビンピンだァ」
「タマンネニナー。でもあんまりおっきな声だすなァ、不寝番がびっくりして飛んでくるゾォー」
なんてことを話しながら、お互いに実況中継をし合う。洋式トイレなのですわってカケるのでらくなのだ。となりの個室からのすっとんきょうな声がとだえた。奴も本気になってきたようだ。こっちがたまんなくなるようなあえぎ声が聞こえてくる。思わず俺の手の動きも早くなる……。
すると、突然奴の声、
「ウッ!ウッーウ」
畜生、俺より早く終わりやがったな。
奴の家は海辺の町で漁師をやっている。中学、高校と、よくアルバイトを兼ねて家の手伝いをしたそうだ。そのためか潮で鍛えられた体は浅黒く、区隊で誰にもまけないくらいの逞しさを持っている。そんな奴から海の話を聞くのが俺も好きで、いろいろと聞いたものだった。サザエの採り方なんか、実に詳しく話をしてくれたもんだった。
<5月某日>
好きになったのかな?
知らないというのは恐ろしい。いつものように勝見二土から海の話を聞いていた俺は、なにげなく聞いてしまった。
「じゃ、なんで家の仕事を継がなかったんだい?」
「親父が許してくれなかったんだよ」
「どーして?」
「・・・・・・兄貴が海で死んだからさ••・・生きてれば二十七歳さ。よく晴れてベタなぎの海にもぐったきり、サザエ採りにネ、兄貴、上がってこなかった」
淡々と話し続ける奴は、やっぱりいつもと違っていた。
「やっぱり親は親なんだな。二人も海で死なせたくはないんだろうな。いくら俺がねばってもだめだった。今の俺なんて、丘に上がったカッパさ・・・・・・・」
と、彼は言う。いやいや、丘に上がったカッパなんてとんでもない。奴の体力は区隊のトップをいつも争っている。俺だって気力じや負けないつもりだが、やっぱり体力検定だとかではっきり数字に出されると、どうも一歩も二歩もゆずってしまう。
「漁仲間の人から最近よく言われるんだ、兄貴に似てるって」
彼はこう最後に明るく付け加えた。なんか、この話を聞いているうちに、自分が奴に引かれていることに気がついてきた。なんとなく奴のことを、俺は他の班員とは違う目で見ているということに・・・・・・。
俺、奴のこと好きになったのかな?
まだ五月の下旬だというのに、真夏のような暑さが続く。そんな太陽の下での戦闘訓練は、まだ自衛官として一人前の体力を持ち合わせてない俺たちには、とてもキツイ。
たかが4.3kgの小銃が自分の体じゅうの汗を吸いまくる。気がつくと小銃から滴がしたたるほどに汗でぬれている。
地面だってこんな間近に見つめることなんてあったろうか。地にふせた俺の目の前にあるのは、青々とした草が高々と繁っている姿と、小さな虫たちの世界だった。
一瞬、自分が虫けらになったような気がする。ふと隣を見ると、3メートルほど離れて奴がこっちを見てニヤリとした。埃にまみれた顔から白い歯がチラリとのぞく。ほんの数秒の間の静けさが何時間にも感じる。

すると突然、頭上で班長の大声が響く!
「目標、前方の敵!」
「突撃!前へ!」
銃をかまえると全力で走りだす。核の時代にこんなことが役に立つのだろうか、もうバカになるしかないな。班長の号令が頭の中を素通りして直接手足に伝ってゆく。俺も奴も、そして愛すべき仲間たちも、死ぬ時はみんな一緒・・・・・なんだろうな。
<六月某日>
レイプごっこ
3ヶ月の前期教育も大詰めをむかえてきた。今月の末には、俺も奴もバラバラになって全国の部隊のどこかの駐屯地に配属されることになるだろう。なんか、そう思うと、とてもせつない。でも、俺と奴は違う道をたどらなければならない。希望も適性も違うから。だからあと数週間、思いっきり悔いのないようにガンバッテいく。それが今の俺たちには一番なの
だ。
営内近は1班12名前後いる。学校の教室の約2倍ほどの大きさの部屋に、実に40人の隊員が詰め込まれ、2段ベッドで毎日の訓練生活を送っている。もちろん性格もさまざまであるが、そんな隊員たちが40人も一つの部屋にいる姿は、なんとも壮観で異様でもある。しかも全員、スポーツ刈りか坊頭で、体格もこの六月ごろになると個人差こそあれ、すっかり逞しくなってくる。
その中にはやっぱり俺以外にも、男が好きな奴がいるらしい。時々どっかからか、〇〇二土と二士が二人でトイレにはいって行くのを見たなんて話を耳にすることがある。
うまいことやってるなあなんて思うけど、やっぱり毎日寝起きしている仲間の前ではなかなか、そんなことできるワケがない。それでも���く俺たち二人は皆の前で冗談を飛ばし合う。
「オッ、いいケツしてんなあー、たまんねえぜ!」
「バーカ、今夜はもう予約ズミダヨ」
「ベッドあんまりゆらしてこわすなヨ。下で俺が寝られネェからヨ」
「じゃペーパー貸してやっから、センズリでもかいてきな!」
なんてやり合ってると、周りの仲間も悪乗りしてきて、なにがなんだかわからないうちにレイプごっこ(つまり解剖というやつ)が始まったりする。どんなバカ力の持ち主でも二十人ぐらいにせめられたんじゃ手も足もでない。アッというまにスッポンポン。一回やられるとくせになるみたいで、次の獲物をさかす。でも気がつくと、一番必死でやってるのは俺みたい。
<六月中旬某日>
こみ上げてくるような話
今日から前期教育で最初で最後の野営(泊まりがけの野外訓練)が始まった。
午前中に寝泊まりするテントを設営する。
午後からは小銃手用の掩体(一種の個人用の隠れ穴…ここに隠れて首と銃だけ出して、敵を狙う)を掘った。
1グループ6人で3時間ほどで仕上げなければいけない。
もっぱら俺は現場監督のように地面に穴を掘る設計図を引く。そして奴は、パワーショベルのようなバカカで他の仲間四人とともに穴を掘る。もちろんきっかり時間内に仕上がった。
野営で俺たちが使うテントは、二人用の小さなもので、朝起きてみると足が外に出ていた、なんてことがしょっちゅうある。もちろん奴、勝見二士と一緒である。
一日めの夜は夜間訓練もあり、ビールも一本入ったので、二人はろくに話しもしないで寝てしまった。
二日の夜、目が冴えて眠れない。久しぶりに奴と俺はいろんな話しをした。酔うと滑舌になる勝見。入隊する前の事や、これからのこと、もちろん女の話しだって出てくる。俺は当然聞き手に回るわけだが、それでも奴は初体験の話や、彼女にふられてしまったことを、こっちが感心するほど克明に話してくれた。
なんかこみ上げてくるようなものも感じるけれど、それは明日の厳しい訓練にとかして流してしまおう。
三日めは、昼間の行軍が災いして床についたら、またまた、あっという間に寝てしまった。それでも就寝前、点呼に来る班長が、
「お前ら、あんまりいちゃつくなよ!」
「いやーあ、昨日なんて島さんが寝かしてくれないんスよ。まいったなあ」
なーんて冗談も飛ばしてくれて、言葉の中だけど、楽しませてくれた。
<前期教育終了7日前>
愛すべきパワーショベル
今日は最後の体育だ。項目はなんと苦手の障害走。外見に似合わず(?)体力のちと足りない俺には恐怖の時間である。だが、今回はなんと二人でペアになってやれというのである。当然勝見二土と組む��とになる。よし、やるぞ!
隊長の合図でスタートし、戦闘服姿で障害物を切りぬけていく。高さニメートルの垂直の壁あり、幅一・五メートルの溝あり、まったくとんでもないコースだ。やっぱり勝見の奴は早い。確実に障害をこなしてゆく。時々日に焼けた顔でこっちをふり向く。そうだ、奴がいるから今俺は、三カ月間ここまできたんだ、汗と埃は今、大きなエネルギーと変わって俺たちに吸い込まれてゆく。奴が好きだ、そう、心の中で叫んでやる、
「好きだ」と。
ふと気がつくと、目の前にロープが下がっていた。最後の難関のロープ登りである。畜生!俺が最も苦手とするやつだ。それでも登らなければならない。一段階一段階と手足を使って登るのだが、なかなか上へ進まない。
畜生!もうだめだ、あと五十センチでロープのフックに手が届くに・・。すると、そ畜生!もうだめだ、あと五十センチでロープのフックに手が届くのに…。
すると、その時である。足をなにか、すごい力で下か���さ押れた。グーッと上に上がる。フ、フックに手が届いた。やったあ!思わず下を見る。そう、俺の足の下には勝見のこぶしがあった。奴は満身の力で、俺を下から押し上げてくれたのである。
この野郎!お前はやっぱりパワーショベルなんだなあ。
<前期教育終了6日前>
自衛隊部隊はラッパの音と共に、毎朝8時に国旗掲揚、夕方5時に国旗降納がある。
俺の前に整列している奴の後ろ姿の敬礼を見るのもあと数回しかない。教育終了後に別の部隊に進む事に決まったからだ。
日に焼けたうなじを目に対み込んでおこうと思う。毎日、一緒に行く食事も別れが近いせいか会話が少なくなったような気がする。
そろそろ身辺の整理を始める。ダンボールに荷物をつめる時、背中に後ろで見ている奴の視線がやけに気になる。
<前期教育終了4日前>
パンツの隙間から半立ちのものが…
教育打ち上げの研修旅行で、ある山奥の温泉に行った。
やはり百名近い短髪の青年集団というのは一般の人々に奇異に見えるようで、必ず「お仕事は何ですか」なんて聞かれる。もちろん醜態をさらす飲み会に制服なんて着ていくワケがないから、わからないのは無理もない。
「皆さんお若いですネ。今年入社したのですか?」
「ハアー、そうです」
「いい体している人ばかりですけど、どんな仕事ですか」
「まあー(モゴモゴモゴ)」
「ガードマンかなんかですか?」
「似たようなもんですネ」
と、けっこうおもしろがって遠回しに話をするんだけど、後ろから当然、
「島二土!」
なんて階級で呼ばれるもんだから、わけ知りの人にはバレちゃう。そしてその夜ー。
バカ騒ぎのうちに飲み会も終わり、各班ごとにひっそりと部屋に集まって二次会が始まる。ビールの本数が増えるに従って、歌が出る。かわるがわる歌う員の歌声をバックにして、俺も奴も仲間たちも、この三カ月間の訓練をいろいろ思い出していた。苦しかったことしか浮かんでこない。
でも、俺たちはその中で同期愛ということを学んだ。
いつのまにかみんな寝てしまっていた。もう外は白みかかっている。
突然、俺の寝ている毛布に奴が割り込んできた。肌がふれ合う。奴の匂いがする。すぐいびきかく。でも、なんとなく手が出せない。チラリと下を見る。パンツのすき間から、奴の半立ちしたものが見える。そういえば、いつか俺も言われたっけなあ。
「島さん、立ったチンポぐらいしまって寝てろよナ。思わずさわりたくなるだろが!」
奴が不寝番をやっていた時見られてしまったようだ。まったく助平な奴だと思った。でも俺のほうが助平だったりして。
「俺、眠ってる時って何されてもわかんねえんだよなあ」
と奴がカマをかけてくる。
「バーカ、もうやっちゃったヨ。でも1万円のダッチワイフのほうが気持ちよかったぜ」
と俺。してやられたというような奴の顔。
そんなこと思い出しながらいいチャンスの中、俺も寝てしまった。
<前期教育終了日>
再会をめざして頑張ろう
とうとう、今日という日が来てしまった。
俺も奴も違う部隊へ行ってしまう。場所も離れているので、顔も見られなくなるかもしれない。両手で握手をして別れた。
遠くでいラッパが鳴っている。戻は出なかったが、心で泣いてしまった。ありがとう、リスの目をしたパワーショベル、勝見次郎よ。日に洗けて埃にまみれながら走り続けた道を、ふり返りながら前を行く。奴だから、今日まで.....。
そして今…
新隊員後期教育が始まって1ヶ月半。前期教育から一緒に教育を受けている北村二士が手紙を見せてくれた。勝見二士と同じ部隊に行った高田二士からだった。
<あ、そうそう、この間の手紙に島さんが夢精したって書いてあったネ。あの文、勝見二士に見せたら、「まいったなあー」って口ではいってたけど、ニヤニヤしてたぜ。島さんに会いたいって伝えといてくれとのこと>
俺も奴に会いたい。こんど会うのはいつのことだろうか。
「士、別れて三日を経たるは刮目して待つべし」
お互い、目をみはる再会をめざして頑張ろうじゃないか。人は出合いと別れを通じて成長するのだから。
そして後日談…2024年
題名「遠くで突撃喇叭が」は第二書房が付けた題名。
原題は「遠くでラッパが」である。今どき戦闘訓練で突撃喇叭なぞ吹かない。この時代の薔薇族には戦記物を書ける文字通り百戦錬磨の先輩がたくさんいたから仕方ないが、俺の指したラッパの音は毎日部隊で鳴らされる国旗掲揚、国旗降納のラッパである。
勝見二士(仮称)は俺が見込んだとおり自衛隊員募集パンフレットの表紙を飾った。
残念ながら2任期(4年)で退職。
再会は果たせなかかった…親父の後を継いで海に出たそうだ。
新隊員当時の写真。小説に出てくる面々。
その他の隊員と再会したのは地下鉄サリン事件。不幸な事件であったが、それぞれが一線で任務についていた頼もしさを感じた。
もちろん俺も新隊員の教育をする先任陸曹になった。
その後俺も2等陸曹で依願退職。約15年の自衛隊生活を終了。鳶職となり予備自衛官で約10年、1曹まで務めた。
2024年現在、自衛隊に残った同期たちは全て定年退官している。
俺を薔薇族、さぶに引っ張ってくれた木村べん氏も他界された。
読んでもらって分かる通り、肉体関係は無くとも男同士の愛情はある事への感動を自衛隊で得ることができた。
職務上死の覚悟を要求される世界。
その感動をセックス描写のない小説でも構わないからと木村べん氏に書いてみないかと言われて作ったのがこの作品。
べん氏に銃を持つ手ではイラストは描けなくなると言われて、好きなメ��画も共同で作品表紙等で書かせていただいた。もちろん最初で最後。ben &tetsuは勉&(鳶)徹って言うこと。
文中漢数字が多いのは縦書きの影響。

「遠くで突撃喇叭が」掲載誌表紙
もう一つ参考にしてさせていただいた本。
1974年芥川賞受賞作品「草のつるぎ」
実はエロ度こちらの方が数段上。戦闘訓練の打ち上げで全員でセンズリこくシーンがある。実話だからノーカットなんだろう。
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栗浜陽三 (文・写真) 『九十九里浜』 より 雑誌MLMW (ムルム) No.5 (1978年5月号) 掲載記事
栗浜陽三 九十九里浜(写真)
栗浜陽三 九十九里浜(文・写真)
[上のページの画像から自動文字起こしをして、誤判読に気付いた所は修正したけど、誤判読が残っているかも知れない]
九十九里浜・しなやかな風景 写真と文 栗浜陽三
九十九里浜が、何県にあるかを知らない人でも、その名の持つ雰囲気に、何か特別のイ メージをお持ちであろうと思う。太平洋に面した、その茫漠たる長い長い浜の風物は、浜というものが持つ様々の要素を凝縮させて、 我々の期待感や夢を満たしてくれるかのように思える。しかし残念ながら今では九十九里浜の魅力の殆どは、過去のものとなってしま った。一体、十数年前の、あの素朴で夢のよ うに美しかった九十九里浜は何処に行ってしまったのか。この僅か数年の間に、都会人の荒々しい神経で浜は汚され、美しい砂の起伏は姿を消し、近代化の手は浜に沿って長々とハイウエイを引いてしまった。九十九里浜にとって、全く無意味としか思えないこのハイウエイプランを耳にした時、私は自分の心の中の大切な部分を引きさかれる思いがしたが、土地の政治家というある人は、それは芸術的
↑栗浜陽三 九十九里浜(文)
栗浜陽三 九十九里浜(写真)
栗浜陽三 九十九里浜(写真)
栗浜陽三 九十九里浜(写真)
栗浜陽三 九十九里浜(写真)
栗浜陽三 九十九里浜(文・写真)
[上のページの画像から自動文字起こしをして、誤判読に気付いた所は修正したけど、誤判読が残っているかも知れない]
しなやかな風景●九十九里浜
・・・は黒ダンの前袋の両脇から黒々と毛をかき出して男らしさを競ったといい、亦、漁から浜に帰って来る舟は、長い竿を舟の両側につき出して、その先に黒褌を結びつけ、尾長鶏の尾羽根のように海風になびかせてもどって来たと話してくれた。
私がせめて十数年早く九十九里を訪れていたら、目にしたであろうこれは誠に九十九里の匂いのする昔語りであった。 それでも私は消えてゆく残り火の色を見る ように、時折浜で数少ない漁師の浜仕事や、 女達のフラミンゴの踊るような鮮やかな作業っぷりを見る事が出来た。
度び重なる私の九十九里訪問につれて、私の仕事友達や学生達が浜を訪ねるようになり、若々しい彼等の裸身が浜をにぎわすようになった。彼等はアっと いう間に海風にやけ、町中まで褌姿でのし歩き地引網を楽しみ、九十九里独特の丸板の波乗りをし、別人のように生き返った。
私は丸裸で浜仕事をする漁師をたびたび目にしたが、 この風俗は戦後アメリカ人の手前禁じられてしまったその名残りであった。中年の漁師が性器の先をワラシベや布切れで結んで褌の代用としている様も、決して雑でも奇異なものでもなく、浜の風物の中ではごくノーマルに感じられた���これは海水に濡れたままの褌の不衛生さを彼等がきらったからだという。
浜の女達はよく働いた。小柄でたくましいマイヨールの彫刻のような彼女達は、舟を浜に 引き上げる時には男以上の働きを見せた。母 親の仕事を見ている少女の背中の、赤ン坊の顔には、一刷毛はいたようにウッスラと砂が乗っていた。
十年以上訪ね続けている私の目には、浜の舟の数が年々少くなって行くのがよく解った。最初一、二年の間、浜にそびえていた何艘かのK家の船もいつしか姿を消した。民宿が急激に増え、そしてドカンと音のするようにハイウエイが浜に沿って走り、浜と村を引きさいたのである。庭から海に裸で飛び出してゆけた私達もトンネルをぬけて海に出る為に廻り道をしなくてはならなくなった。浜は見る見る中にゴミが打ち上げられ、マイカーが波打ぎわを走りぬけ、ビーチパラソルが立ち、その下で一日中マージャンをするという馬鹿げた男達が東京からやって来た。日本人は本当のゼイタクの楽しさや味わい方を知らないし、知ろうともしない。なぜ九十九里に都会生活をそのままズルズルと引きづって来る必要があるのだろうか。彼等は潮騒をきく代りに、浜でトランジスタラジオをきこうとする訳なのである。民宿になった素朴な土地の家で、海の香りを味い、あるがままの九十九里の生活に思いきり身をまかしてこそ、本当のゼイタクの楽しさではないだろうか。ハイウエイは私如き人間の知らない理由で必要なのかも知れないが、その代り、日本一のあの美しい浜の風景は二度ともどってこないのである。
K家にはその頃四年程続けて、ある外国の大使館の青い目の客が来るようになった。映画スターのような見事な美女達であった。私の友人の若者達とこの美女達は、伸々打ちとけ合う機会がなかったのだが、ある日、彼女達がK家の前庭の椅子に腰をおろして読書を楽しんでいる最中に、この若者達が海からもどってきたのである。彼等はオイルで鋼のように輝く背中をみせてタオルやマットを干し始めた。その姿を一人のブロンド娘がしみじ ・・・
↑栗浜陽三 九十九里浜(文)
以上の写真と文は雑誌MLMW(ムルム) No.5 (1978年5月号) 掲載記事『九十九里浜』より
これらの文章を読むと、栗浜は性的にも、性的な物を離れても伝統を残したままの海やそこに暮らす漁師を愛していたことが判る様だ。また、他の記事を読むと祭りについても性的にも、性的な物を離れても愛していたことが判ると思うよ。
栗浜のオリジナルは���ってないからウェブから集めた画像だけど、九十九里浜は良い画像がなかったんだ
一応拡大して補正はしておいたけど画質はちょっと残念だね
世間一般では本名の藤井千秋でイラストレーターとして有名な人なんだよ~
藤井千秋は画像検索したらいっぱい出てくるよ
2つの名前の作風の違いに驚くよー!
#栗浜陽三#九十九里浜#ムルム#六尺褌#ふんどし#褌#藤井千秋#kurihama youzou#youzou kurihama#fujii tiaki#loincloth#japanese national costume#japanese underwear#common japanese daily underwear#japanese formal wear#MLMW
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Sun Wukong's Final Battle
Journey to the West (Xiyouji, 西遊記, 1592) chapter 99 describes the Monkey King's final battle as a fierce, stormy confrontation against demons wishing to steal the hard-won scriptures for themselves. This takes place shortly after the pilgrims and holy texts are dumped into a river by an annoyed river turtle spirit:
Master and disciples had just climbed up the riverbank when suddenly a violent gale arose; the sky darkened immediately and both thunder and lightning began as rocks and grit flew everywhere. What they felt was One gust of wind And the whole world teetered; One clap of thunder And both mountains and streams shuddered. One flash of lightning Shot flames through the clouds; One sky of fog Enveloped this Great Earth. The wind's mighty howl; The thunder's violent roar; The lightning's scarlet streaks; The fog blanking moon and stars. The wind hurtled dust and dirt at their faces; The thunder sent tigers and leopards into hiding; The lightning raised among the fowl a ruckus; The fog made the woods and trees disappear. That wind caused waves in the Heaven-Reaching River [Tongtian he, 通天河] to toss and churn; That lightning lit up the Heaven-Reaching River down to its bottom; That thunder terrified the Heaven-Reaching River's dragons and fishes; That fog covered the shores of Heaven-Reaching River with a shroud of darkness. Marvelous wind! Mountains cracked as pines and bamboos toppled. Marvelous thunder! Its power stirred insects and injured humans. Marvelous lightning! Like a gold snake it brightened both land and sky. Marvelous fog! It surged through the air to screen the Ninefold Heaven [Jiuxiao, 九霄]. So terrified were the pilgrims that Tripitaka held firmly to the scripture wraps and Sha Monk threw himself on the poles. While Eight Rules clung to the white horse, Pilgrim twirled the iron staff to give protection left and right. That wind, fog, thunder, and lightning, you see, had been a storm brought on by demons of yin energy" [yinmo, 陰魔], who wanted to snatch away the scriptures the pilgrims had acquired. The commotion lasted all night, and only by morning did the storm subside. Soaked from top to bottom and shaking all over, the elder said, "Wukong, how did this storm come about?" "Master, you don't seem to understand," said Pilgrim, panting heavily, "that when we escorted you to acquire these scriptures, we had, in fact, robbed Heaven and Earth of their creative powers. For our success meant that we could share the age of the universe; like the light of the sun and moon, we would enjoy life everlasting for we had put on an incorruptible body. Our success, however, had also incurred the envy of Heaven and Earth, the jealousy of both demons and gods [guishen, 鬼神], who wanted to snatch away the scriptures from us. They could not do so only because the scriptures were thoroughly wet and because they had been shielded by your rectified dharma body [zhenfa shen, 正法身], which could not be harmed by thunder, lightning, or fog. Moreover, old Monkey was brandishing his iron rod to exercise the nature of pure yang energy [chunyang zhi xing, 純陽之性] and give you protection. Now that it is morning, the forces of yang are evermore in ascendancy, and the demons cannot prevail." Only then did Tripitaka, Eight Rules, and Sha Monk realize what had taken place, and they all thanked Pilgrim repeatedly (based on Wu & Yu, 2012, vol. 4, pp. 363-365).
師徒方登岸整理,忽又一陣狂風,天色昏暗,雷閃並作,走石飛沙。但見那: 一陣風,乾坤播蕩;一聲雷,振動山川。一個熌,鑽雲飛火;一天霧,大地遮漫。風氣呼號,雷聲激烈。熌掣紅銷,霧迷星月。風鼓的沙塵撲面,雷驚的虎豹藏形。熌晃的飛禽叫噪,霧漫的樹木無蹤。那風攪得個通天河波浪翻騰,那雷振得個通天河魚龍喪膽。那熌照得個通天河徹底光明,那霧蓋得個通天河岸崖昏慘。好風,頹山烈石松篁倒。好雷,驚蟄傷人威勢豪。好熌,流天照野金蛇走。好霧,混混漫空蔽九霄。 諕得那三藏按住了經包,沙僧壓住了經擔,八戒牽住了白馬;行者卻雙手輪起鐵棒,左右護持。原來那風、霧、雷、熌,乃是些陰魔作號,欲奪所取之經。勞攘了一夜,直到天明,卻才止息。長老一身水衣,戰兢兢的道:「悟空,這是怎的起?」行者氣呼呼的道:「師父,你不知就裡。我等保護你取獲此經,乃是��天地造化之功,可以與乾坤並久,日月同明,壽享長春,法身不朽。此所以為天地不容,鬼神所忌,欲來暗奪之耳。一則這經是水濕透了;二則是你的正法身壓住,雷不能轟,電不能照,霧不能迷;又是老孫輪著鐵棒,使純陽之性,護持住了;及至天明,陽氣又盛:所以不能奪去。」三藏、八戒、沙僧方才省悟,各謝不盡。
I really like the idea of a battle between a divine force of yang energy and demonic forces of yin. This is a common occurrence in Chinese Folk Religion—e.g. a Tangki spirit-medium channeling a god to exorcise evil spirits.
But the above description really sets my mind alight with images of the confrontation. Monkey peers through the pouring rain to see an unfathomably large demon army the likes of which the cosmos has never seen. It contains innumerable commanders, vanguards, and an ocean of spirit-soldiers armed to the teeth. This demonic force would be the joint effort of demon kings and jealous gods wanting immortality and salvation for themselves. [1] Monkey takes this assault on the scriptures as a personal insult given his great effort in helping procure them.
A demon commander might say something like, "Leave the scriptures and the priest if you value your life!" Then Wukong would scream:
Who said that? Who the FUCK said that? Who's the slimy, little, demonic shit, twinkle-toed, cocksucker up there, who just signed his own death warrant? [Surprised silence from the army] Nobody, huh? The fairy-fucking-godmother said it! Out-fucking-standing! [pounds chest three times in a row] I WILL BEAT YOU ALL UNTIL YOU FUCKING DIE!!!!!!!!!!!!!! (Adapted from dialogue spoken by Gunnery Sergeant Hartman from Full Metal Jacket (1987).)
In all seriousness, though, his speech should be a chilling threat similar to Subodhi from chapter 2:
[Y]ou can be assured, wretched monkey, that you'll be skinned alive. I will break all your bones and banish your soul to the Place of Ninefold Darkness, from which you will not be released even after ten thousand afflictions! (Wu & Yu, 2012, vol. 1, p. 125) ... 把你這猢猻剝皮剉骨,將神魂貶在九幽之處,教你萬劫��得翻身!
Anyway, the army commences its attack, the commanders sending forth wave after wave of spirit-soldier units wielding thunder and lightning as their weapons. In response, Monkey's body explodes with millions or even billions of hair clones to meet the oncoming storm. Each one wields the magic iron rod, which dispenses pure yang energy along with every ass kicking. The resulting battle is beyond imagination, with various units of Great Sages working to both defend the scriptures and Tripitaka but also drive back and decimate the malevolent force. Wukong succeeds in routing/destroying the entire demon army by dawn of the next morning.
Note:
1) The Buddha states that the scriptures of the Great Vehicle are "for the cultivation of immortality; they are the gate to ultimate virtue" (Wu & Yu, vol. 1, p. 205).
Source:
Wu, C., & Yu, A. C. (2012). The Journey to the West (Vols. 1-4) (Rev. ed.) Chicago, Ill: University of Chicago Press.
#Sun Wukong#Monkey King#Journey to the West#story idea#Lego Monkie Kid#LMK#scriptures#JTTW#demons#spirits#thunder and lightning#army#epic battle
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自衛隊の幹部を養成する防衛大学校についてお伝えします。防衛大学校で繰り返されていたのは、上級生による指導の域を越えた“いじめ”です。被害を受けた1年生が撮影した映像に写っていたのは… 自衛隊の幹部養成学校で何が? 真っ暗な部屋。 ドアの外から「出てこい!」という怒鳴り声が響きます。 「出てこーい!」「出てこーい!」「出てこーい!」 この映像が撮影されたのは、防衛大学校の中。 一体何が起きていたのでしょうか? 神奈川県・横須賀市にある防衛大学校。防衛大臣直轄で、幹部自衛官を養成するために4学年、約2000人が学んでいます。 学生といっても、立場は特別職の国家公務員。学費はかからず、月給やボーナスも���払われます。 学生は4年間を寮で過ごします。朝6時起床。原則1年生から4年生の各学年2人ずつ、8人1部屋で暮らすことになっています。 2023年4月の入校式。整列する新入生の前で、一糸乱れぬ行進を見せるのが上級生です。 「(新入生は)この時、歩けないので横で見ている」 「外から見ていたら、かっこいいんですけど」 こう話すのは、2023年、まさにこの入校式のときに防衛大に入った男性と母親です。 元防衛大生の母親 「これが合格通知。飛び跳ねて喜んだ。制服を着ている姿は自慢に思っていた」 男性は同期の仲間にも恵まれ、勉強や訓練も順調にこなしていました。 しかし、寮生活での上級生からの“指導”は厳しく、とてもつらかったと話します。 元防衛大生 「部屋に内線がある。なるべく早く出ないといけない。1年生は走って電話を取りにいかないと(上級生に)怒られる。部屋に呼び出すか廊下に呼び出されて、時間が無くなって、ご飯を食べに行けない人がいたり、風呂に入りに行けない人がいる」 そして、自分は特に上級生たちに目をつけられていて、指導ではなく、もはや“いじめ”と言うべき状態だったと訴えます。 元防衛大生 「罵声だったりとか扉を叩かれたりとか、夜中に自分がいる部屋の内線にいたずら電話がかかってきて寝られない」 Q.この場を逃げたいとか、考えはめぐらなかった? 元防衛大生 「めぐるが、それをすると同学年の人たちに迷惑がかかってしまう。『お前たちの同期が逃げ出したぞ』と、また厳しくなったり連鎖がある」 2023年11月、男性は不眠や食欲不振が続いているとして、適応障害と診断されました。 「出てこい!」という怒鳴り声は、部屋に1人でいた男性に向けられたものでした。 このとき、男性は教官に相談し、8人部屋から個室に移されていました。 扉の外にいたのは複数の上級生とみられています。 元防衛大生 「朝起きて清掃の時間がある。その時間にドアを叩いて走って逃げていく。水撒かれたのか、部屋の入り口が水浸しになっていた」 適応障害と診断された後も続いた上級生たちの行為。 当時、男性には4年生からこんなメッセージが送られてきました。 4年生から送られたメッセージ 「お前がなにもしてないのに給料をもらってるのがまじで納得いかない」 「おれはお前みたいなやつを男として絶対認めねぇ」 母親は男性から送られてきたこの映像を見て・・・ 元防衛大生の母親 「衝撃しか無かった。手も震えたし涙も出てきたし。心を病んでいる人に対して、ドアを叩いたり、罵声を浴びせたり、追い込むことしかしていない」 母親は息子を自宅に帰らせる決断をしました。 この映像を見た教官も驚いた様子だったといいます。 元防衛大生の母 「『こんなに酷いことが起きてるんですね』と言われた。『これは防衛大では当たり前の話か』と���いたら『そうではありません』と言われた」 男性と母親は、防衛大側の対応にも不信感を募らせ、男性は自宅療養を続けたまま、2024年3月に退校しました。 なぜ繰り返される 防衛大の“いじめ” 防衛大では、過去にも「上級生による指導」と称した深刻ないじめが起きています。 2013年に入校した男性が、上級生らに体毛を燃やされたり、殴られたりしたなどとして訴えを起こしました。 この裁判では、上級生ら7人に賠償が命じられた他、実態を把握せず、適切な指導をしなかったなどと、防衛大側の責任も認められました。 自衛隊の実態に詳しい弁護士は、防衛大特有の上下関係が背景にあると話します。 自衛隊の人権問題に詳しい 佐藤博文弁護士 「学生の中にも、現場の自衛隊の組織と同じように、隊長・副隊長からヒエラルキーが完全にできている」 今回、JNNは防衛大の学生に対する過去10年間の懲戒処分の内訳を情報公開請求し、独自に集計しました。 内容は「パワハラ」や「私的制裁」など多岐にわたります。 全体の傾向として、4年生が処分されるケースが明らかに多いことがわかりました。中には、全体の60%近くが4年生だった年もありました。 佐藤弁護士は、立場の強い4年生が問題を起こしやすい実態がわかると指摘します。 自衛隊の人権問題に詳しい 佐藤博文弁護士 「教官とか学校も、そこにメスを入れない。ポツポツ出てくる様々な事案に、とにかく個別的に対応してるだけ。根本にある仕組みについてメスを入れない」 黒塗りの“指導記録”「異常としか言えない」 防衛大を退校した男性の母親は、入校してから間もない頃に息子からもらった手紙を今でも大切に保管しています。 入校直後に書かれた手紙 「やはり家での食事や洗濯のありがたみをひしひしと感じます」 「洗濯は何年前のものかわからない古い洗濯機を使っているので、本当に綺麗になっているかわかりません」 元防衛大生の母親 「『この子らしいな』と思った。こういう手紙を読み返すと、すごく残念だという気持ちが込み上げてくる。せっかく楽しんで行けていたのに、なんで潰されないといけなかったのか」 退校後、男性は防衛大側が上級生たちにどう対応したのか知るための手がかりになればと、自分への指導記録を開示請求しました。 しかし、そのほとんどが黒塗りでした。 自衛隊の人権問題に詳しい 佐藤博文弁護士 「異常としか言いようがない。本人に関わることなどは、本人が『明らかにしてくれ』と言っているのだから、秘密にする理由は全くない」 防衛大は取材に対し… 防衛大 「学生の懲戒処分については原則として公表しておりません」 このため、JNNに開示された資料を分析したところ、映像が撮影された2023年11月29日に暴言などを行ったとして、4年生6人が停学1日や戒告の処分をされていました。 この6人が罵声を浴びせるなどしていた加害者とみられます。 元防衛大生 「あの環境で毎日過ごしていたら、感覚が狂ってくる。その立場(幹部)��将来なる人たちが、ああいうことをしているのかと思うと、将来の自衛隊そのものに信用を置けなくなってしまう」 ========== 防衛大の在籍中に適応障害となり、退校した男性が「上級生からいじめを受けた」と訴えている問題について、木原防衛大臣が20日の閣議後の会見で、「ハラスメントを許容しない環境を構築する」などと述べました。会見の質疑応答をTBS NEWS DIGのYouTubeにアップしています。
上級生が激しくドアを叩き…「おい!出てこい!」 防衛大の元学生“いじめ”の訴え 適応障害で退校 幹部自衛官養成の現場で何が【調査報道】 | TBS NEWS DIG (1ページ)
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入宮-外傳
只能躺著多休息的阿成,看著自己原本有命根子的地方,已經被割的一點也不剩,只剩下一根麥稈插在尿孔,一時還無法接受的阿成,除了難過到流眼淚之外,也沒有辦法再恢復過去的男兒身了,這讓阿成腦中回憶起過去阿傑剛閹割完的那段日子,看著旁邊一直幫我的小太監德盛,我與他開始聊起天來了,記得那時的阿傑還比得盛小兩歲,我們兩個當時都才10歲,哪會知道什麼是男女感情,我跟阿傑本來都想自告奮勇的成為太監,但是我當時抽籤的運氣比較好,讓阿傑在10歲那年就閹割成為太監,說起來如果當年我沒有抽到作著記號的籤,或許今天根本就沒有這些事情發生了,既然我註定躲不過要成為太監,為何當年不讓我抽到沒做上記號的那支籤呢,老天爺可真會捉弄我們兄弟兩,一旁的德盛年紀也才剛滿14歲,也沒交過什麼女朋友,他反而覺得自己很開心能幫助家裡,一點也不覺得委屈,看著天真無邪的德盛,自己被閹割成為太監的我,感覺有稍微釋懷了,我繼續跟德盛說著我跟阿傑的回憶,當年他抽到籤以後,一直到真正被閹割之前,其實阿傑並不知道自己究竟要面對什麼,也不知道變成太監以後,會被人羞辱跟嘲笑,他回到家之後,不僅原本的朝氣活力都不見了,連原本我們家鄉附近的朋友都不願意見面了,整天都關在家裡面,直到有一天,我實在不能容忍他一直躲在家裡面,於是我拖著他一起去城裡看雜耍,沿路上根本沒有人認識阿傑,但是他依然躲在我背後,深怕旁人知道他是個太監,但是他一到了熱鬧的街上看到了好多厲害的人在表演特技,他似乎暫時遺忘了那些讓他痛苦的記憶,也在當時,認識了一個在表演雜耍的人,他也是改變阿傑一生的人,他名叫榮華,當年的他才23歲,但是他已經是團裡最被看好的成員之一,榮華長相英俊,身子筋骨非常柔軟,骨架非常健壯,但是當時他不知為什麼射刀的時候出現失誤,小刀直飛阿傑���眼前,但是就在千鈞一髮之際,我用身體擋住了小刀,所以才導致我現在的背上有一條刀疤,當時所有人都嚇壞了,其中當然包括了榮華,他先是出錢讓我們看大夫,接著又買了很多東西賠罪,我們也就這樣認識了榮華。
自從那之後,榮華在市集表演結束後,偶爾會到我們家裡找我跟阿傑玩,但是我跟阿傑當時並不知道,其實當時他對阿傑有好感,他對太監一直有莫名的好感,他之所以知道阿傑是太監,是因為當天跟我們回家賠罪時,被母親說溜了嘴才知道的,這讓當時的我跟阿傑非常的尷尬,或許是因為阿傑被榮華照顧的無微不至,讓阿傑內心對他也產生了依賴感,就現在看起來榮華是一個喜歡太監小孩的怪人,但是在當時的我們都覺得很開心,榮華會教阿傑些雜耍的本事,也會帶阿傑去城裡買東西吃,對阿傑可說是非常有心,爸媽看著阿傑能走出心裡的陰霾感到高興,而我也覺得很開心阿傑恢復到當時的活潑,有一天,阿傑回家後告訴我,他說榮華告訴他,他很喜歡他,要阿傑可以和他在一起,但是那個時候我們都才10歲將近11歲,他說的在一起到底是什麼意思,我也是長大之後才聽明白,而阿傑當年也是傻傻的說好,這件事在當年也是引起了不少問題,那天阿傑開心的去找榮華,而榮華帶著阿傑一起回到榮華的住處,榮華對阿傑先是摸著阿傑已經被閹割的下體,還脫下阿傑的褲子,此時的阿傑並不知道為什麼榮華要做什麼,只知道這樣很癢,榮華告訴阿傑說,他很喜歡他,看到他閹割的下體,讓他渾身興奮,接著阿傑看到榮華的陰莖變得很大很硬,現在你聽起來就知道,阿傑當年其實是被強姦了,但是傻傻的阿傑並不知道,那天榮華要阿傑撫摸他的陰莖,並用嘴巴吸一下,阿傑也都照做,他當時甚至覺得榮華的陰莖好有趣,最後榮華將他的大陰莖插入了阿傑的屁股,這在當時的阿傑因為疼痛而叫出聲,但是當下被榮華摀住了嘴,所以沒人知道阿傑被榮華給強姦了,結果那天,阿傑因為走路看起來有點問題,我跟爸媽才知道阿傑被榮華做了什麼事,此時的爸媽一氣之下,跑到雜耍團找團主控訴榮華的惡行,結果好在團長是個好人,他不僅替我們出了一口惡氣,還將榮華送到衙門,結果榮華因為犯了誘奸罪,被判處了閹割之刑,之後,我聽說他也被送入宮中,改了名叫阿陸,現在也不知道他在哪了,聽著阿成慢慢訴說著自己的過去,德盛也是聽到得很開心,此時他突然想起,前年有個太監因為跟另一個太監好上了,被純妃也就是現在的純貴���給活活杖斃,裡面有個人好像就叫阿陸,聽到這結果的阿成只有微微一笑說,沒想到他也死了,阿傑也不知道為什麼死了,明明說好前天就換回來的,為什麼人就這樣死了呢,此時的德盛說,他聽師父說,阿傑似乎是因為一個男人而死的,聽到這消息的阿成,不顧身體的虛弱,怕了起來開始追問,是什麼男人,德盛說,那個男人似乎是一間餐館的伙計,那天據說是因為阿傑看上了那位伙計長得很英俊,結果跑去搭訕他,但是對方一聽到他說話的腔調,就覺得他是個娘們,就找了一票人,給他活活的痛揍了一頓,沒想到阿傑就這樣被他們打死了,結果那幾個人因為犯了殺人罪,目前已經被捕入獄了,正等待審判呢,聽完阿傑是這樣死了的阿成,眼神充滿了殺氣,他發誓,要讓那群人生不如死,於是阿成拜託德盛,要他去尋找賢妃娘娘,要她幫忙,於是當天晚上,德盛跑到賢妃宮裡,將此事一五一十的告訴賢妃娘娘,此時的賢妃娘娘正因為他的阿成被迫成了太監,內心的怒火無處發洩,這讓她逮到了機會,於是她隔天就要了出宮令牌,命令一名太監到衙門,讓這件事交給她來審理,於是這件事就這樣一直等到阿成順利離開敬事房後,到時候再一起出宮去報復那群可惡之徒,阿成現在必須永遠成為阿傑,而蘭兒也已經有了身孕,可不能讓蘭兒為了我而冒險出宮,於是我要蘭兒讓那群人關到順利生產後,等身子調理好了再出宮去,蘭兒很聽我的話,於是綿愉出生後的第二個月,我跟蘭兒才一起出了宮,當那群人看到我出現時,他們一度以為他們見到鬼了,我也不再隱藏自己的身份,直接告訴他們我是阿傑的哥哥阿成,你們害死了我弟,我要你們付出慘痛代價,此時蘭兒已是賢貴妃娘娘,因為他們的衝動,導致阿成被迫閹割了,那就也讓他們嚐嚐被閹割的痛,於是這群人一共四人,都被處以宮刑,而我則是在現場看著他們一個一個被閹割,他們每個人在下刀時的慘叫,讓我覺得內心的仇恨就少了一些,當四個人都被閹割以後,我要刀子匠把他們的寶貝給我處理,我則是當著他們四個人的面前,將他們的寶貝丟進了火坑,全部都燒成了灰燼,看著他們崩潰的眼神,我也解了自己跟阿傑的仇恨,但是阿成再也無法變回男人,阿傑也無法死而復生,沒想到我跟阿傑的命運一樣,最終都要當太監,而最後卻是我要留在宮中,好險有蘭兒跟綿愉的陪伴,不然在��宮裡,我也不想待下去了。
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小陳的故事-2
自從上次打完球被混混羞辱後,我在網路上看到把陰毛剃光光就可以讓屌看起來更大,就照做了,所以目前我的下面是光禿禿的一根小屌。今天下午,正當我享受休假的悠閒時光時,門鈴突然響,是表弟來找我玩。表弟自己一個人來外縣市讀書,所以偶爾無聊會來找我玩,就在我們打了一個下午的電腦,出去吃完飯之後,表弟突然提議今天很冷要不要去泡溫泉。我一開始心裡有點抗拒,但轉念一想,前不久看過表弟的下面也是小小的,應���沒差吧,我就答應他去泡溫泉了。到了溫泉會館,這間溫泉會館是���日式風格的,所有每個人都要在更衣室脫光光進去溫泉裡的。進到更衣室,裡面除了我們還有一對父子,爸爸蹲著在幫國小的兒子脫衣服,爸爸是那種有型的大叔,身材也保養的很好,重點是下面的大屌十分的雄偉,沒有勃起就有8公分,粗至少有到4,包皮也割的乾淨俐落,紅潤的龜頭就要碰到地板,兩個蛋蛋就這樣懸掛著。表弟一進去沒想那麼多,就快速的全身脫光光轉過來等我,表弟180的身高,身材就是沒有在練的那種身材,乳暈在他偏白的膚色上更顯的粉嫩,可愛小肚子上的肚毛往下長成濃密的陰毛,而表弟的屌,如同我記憶裡的一樣,短小,縮在陰毛裡,只剩下過長的包皮把龜頭包起來,陰囊也往上縮到藏在陰毛裡有點看不見。當我全身脫光的時候,表弟驚呼了一聲,「哥,你把毛剃掉喔」,我說,「對啊這樣打球的時候比較不會癢」,正當我們倆要走進去大眾池的時候,國小的小朋友突然跑到我面前,指著我縮進去只剩下一小顆龜頭在外面的短小雞巴說,「爸爸,你看這個哥哥的雞雞跟我一樣欸」,沒錯,我光禿禿的下面,還有短小到似乎還沒開始發育的短小雞巴,就跟這位國小小朋友一樣的,正當我一陣羞腩的時候,我卻覺得心裡癢癢的,短小雞巴不由自主的抖了一下,更要命的事,爸爸連忙跑過來要把他兒子抓回去的時候,我看到他們下面的巨屌一甩一甩的,後面懸掛著的蛋蛋就想催眠術一樣的左右甩動,似乎在催眠我就是一個發育不良的短小雞巴男。當那對父子離開之後,表弟說了一句,「哥,你怎麼勃起了?」,我這時才意識到,我那縮在裡面的屌,已經完全站起來了,六公分的勃起屌,就這樣在表弟面前完全的展現出來,雖然只有六公分,但是我是上翹的,所以可以很明顯的看出來,我勃起了,我連忙用手遮住我的下面,一手推著表弟說,「我不知道欸,趕快進去吧。」 我們就這樣進去泡溫泉,整趟泡下來我的屌都沒有消下去,因為我發現整個溫泉裡,就我的屌最小,一直想著一個大男人的屌卻是最短小沒有用的,一直讓我整張臉漲紅,表弟看到我漲紅的臉,以為我是泡太久了,所以趕緊拉著我去旁邊石板上躺著休息,而這時溫泉裡只剩下我跟表弟還有一個看起來跟我年紀差不多大的平頭刺青台客,骨瘦如柴的身材往下看的時候,下面那一根卻一點都不瘦小,長度有到7粗度有到5,肥肥的包皮屌,雜亂的陰毛,跟巨屌爸爸的感覺有得比,他應該是發現我勃起了,才會一直往我這邊看。正當我跟跟表弟離開溫泉池,去到石板躺著的時候,他也默默的跟了過來,當我閉著眼睛躺著休息,想要平復一下我的狀態的時候,刺青台客開始跟表弟搭話了。「兄弟啊,你們倆是親兄弟嗎」 「不是欸,他是我表哥」 「你表哥怎麼一直勃起啊,勃起還怎麼小,看起比我軟的時候還要小欸」,這時我就感受到心裡的異樣,短小的勃起雞巴就一跳一跳的,「我也不曉得欸,我是知道表哥的不大但是沒想到會那麼小哦」,表弟這樣回,甚至把剛剛國小小朋友的事情都跟他講了,「哈哈哈哈哈,竟然跟國小沒發育的小朋友一樣大,你表哥也是白練了,身材那麼好,雞巴那麼短小也沒有用,你來看看我們之間的差異」,這是我感受到刺青台客趴著我身上,他的軟屌已經碰到我的肚子,我的完全勃起雞巴,卻完全碰不到他,「小兄弟啊,我知道你在裝睡,你要不要眼睛睜開來看看你跟真男人之間的差距」,被這樣說我就���好張開眼睛看了他的軟屌跟我的硬屌的差距,表弟在旁邊看了似乎也興奮起來,他的短小雞巴也站起來,包皮慢慢退到後面,露出一個粉嫩的龜頭,表弟勃起之後也只有比我的大一些些,可能只有八公分而已,刺青台客看到之後,大笑著從我身體上下來把他的軟屌放在表弟的勃起雞巴上,長度是差不多的但是粗度卻是有差別的,「弟弟啊,你也是小雞巴欸,小雞巴陰毛要跟你哥一樣剃乾淨好不好,廢物兄弟,雞巴都那麼短小沒用,丟男人的臉,尤其是你這個哥哥,當哥哥卻沒有弟弟這樣大,你乾脆吃一吃你弟的小雞巴,看會不會大一點。」 台客推著表弟的屁股,把他的雞巴塞在我嘴巴旁,不知道怎麼了,我就開始吃起表弟的雞巴,把他的雞巴含進嘴巴裡,用舌頭放肆的舔著他雞巴上的每一吋皮膚,含到最深處的時候,把鼻子湊近陰毛裡,貪婪這吸著男人的味道,想著吃著表弟比我大的雞巴或許我就能變大了,「短小雞巴哥哥吃的很爽欸哈哈哈哈,你這包皮割了也沒有甚麼用處,別人割了是一直長,你是乾脆停止發育,我幫你把你的短小雞巴變成包皮屌」,聽著刺青台客的羞辱,讓我吃的更賣力了,而表弟也不由自主的開始呻吟,腰也慢慢的開始動起來幹著我的嘴,而刺青台客就把我的短小雞巴塞進他的包皮裡,正當我的龜頭似乎碰到他的龜頭的時候,我射了,射在他的包皮屌裡滿滿的都是我的精液,「操你媽,誰准你射在我的包皮屌裡,媽的短小就算了,碰一下就射出來,早洩是不是啊幹,你自己射出來的就自己收好」 台客把我的腿舉起來,把他包皮裡我的精液擠在我的屁股上,一口氣就插進來,突然塞的我好滿我太刺激,一個不小心咬了表弟一下,表弟似乎被突然的痛感嚇到,閃了我一巴掌說「幹你娘,好好吃好不好,短小雞巴又早洩,憑什麼當我哥啊」,又粗暴的把他的雞巴塞進來我嘴巴了,「再用牙齒咬到一次你試看看」 表弟粗暴的說著,抓著我的頭開始幹起嘴來,「哈哈哈哈,現在這樣嘴巴裡含著弟弟的雞巴,屁眼裡塞著陌生人的大屌,正是短小廢物雞巴哥哥的唯一用途啊」,感受屁眼裡台客巨屌的每一次抽插,表弟用力的讓每一次雞巴都頂到喉嚨,我漸漸感受到我不是個男人,連弟弟的屌都比我大,只有6公分的短小廢物小雞雞,就是不配當男人,只要當男人的發洩工具就可以了,「幹~廢物哥哥的處女菊真他媽的爽啊,老子都要射了,老子射給你好不好,讓你吸收老子的精華,搞不好你還會發育。」 台客操這低沉的聲音一邊又一邊的抽插,表弟眉頭緊皺,似乎也要射了,我連忙點頭,眼神渴望的看著表弟跟台客,希望他們趕快把真男人的精華射給我。「真他媽騷啊,短小雞巴男,你以後就不是我哥了,你是我的飛機杯」 表弟這樣說著,把他的精華滿滿的灌進我的嘴巴裡,嘴巴裡充滿著表弟的精臭味,我差一點就要吐出來,但是表弟不把屌拔出去把我的嘴巴塞住,「吞下去啊飛機杯,這樣你的雞巴才會變大」,「哈哈哈哈聽到沒,廢物哥哥,要吃乾淨喔,你後面的嘴巴也要準備吃乾淨喔」,台客邊說著邊做最後衝刺,「操他媽真爽啊」,台客射完之後就也插著不拔出來,等我吞完表弟的精華之後,台客一把把他的雞巴拔出來,我的處女菊早就被幹的合不起來,台客的精華就慢慢的滿出來,「老子先走啦,廢物兄弟檔們,弟弟雞巴也不大趕快來舔乾淨我的精華,你也會變大」,台客這樣跟表弟說,「好的爸爸」,表弟聽完台客的指令就跪在後面開始舔我的菊花,把我流出來的部分都舔乾淨之後,就慢慢的爬上來,我們倆互相擁抱著,小雞巴貼著小雞巴,這樣的睡著了。
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2024.11.25 14:25
離婚の話が出てから、ずっと話を聞いてもらっている友達と電話をした
小学校からの友達で、夫が恋人だったときからわたしの話をずっと聞いてくれているから、なんとなく今までのことも頭に入った状態で、客観的に聞いてくれてとてもありがたい
わたしがいけなかったこと、それでもしかたがなかったこと、かといってその仕方なさに甘んじて元気になりすぎないこと、奉仕しすぎないこと、たくさん言ってくれて、かつわたしの気持ちを静かに聞いてくれた
この日記に、夫との喧嘩や嬉しかったことを記しておいて本当によかった
なぜわたしが夫と向き合わずに、自分だけが頑張ればいいと暴走し始めたのか、
暴走してから、夫は変化していっていたのに、わたしがどれだけ無視していたか、今読み返すとよくわかる。
夫は、数年遅れで私が求める人生プランに合わせようと変化してくれていた。わたしが求めていたときは、怒鳴って否定して飛び出して…と散々だったから、わたしはとっくに諦めていた。
諦めすぎていたから、夫の優先度を上げりなかった。
頑張って変化しただろうに、その頃にはわたしが夫をみていなくて、どれだけ苦しい思いをさせてしまったんだろう
俺は変わったのに、私が気づかず家に帰ってこないというのは、寂しかっただろうと想像する。でも体感したことがないから、想像しかできない。きっと想像以上に、ずっと苦しさがあるんだと思う。
わたしが泣いて謝ると、わたしが悪いわけではない、お互い一生懸命頑張った結果だから仕方ない、君のことを受け入れてくれる人はいるし、お互いやり直せるタイミングだから、やり直した方がいいんだ、と何回も言う
やっと、この意味が理解できてきたような気がする
夫は、わたしがいない間、少なくとも1年間はこれを考え続けているから、何歩も先を行ったことを言っているんだと思う。
たしかに、私は完全に割り切って、夫に求めることと自分でカバーすることを決め切っていた。だから夫の声は届かないし、これで子供ができたとしても、私の価値観で育てようとして、それができなければ実家に逃げ込んでもっと家族を苦しめたかもしれない。
子供がいなかったにしても、お互いがお互いを見ていない、冷めた夫婦としてなんの発展もしなかったかもしれない
だとしたら、まだお互いを思いやれる気持ちが残っている今、この関係を終わりにすべきだったんだということは理解ができてきたし、
私が反省してやり直したいという思いはあるけど、それはせずにリセットして、やるならで会い直すくらいの方がよいというのも肌で感じてきた
違う人と会ってみたいという気持ちもなんとなく理解できてきた
お互い変えなきゃいけないことがあるだろうとぼそっと言っていたけど、たしかにそれは、今のままよりも別の人の方が気付けるかもしれないし、変えなくても受け入れてくれる人がいるなら、その方がいいんだろう
それでも、7年間も一緒にいて、私を大事に思い続けて変わってくれた夫の存在はかけがえがなくて、とても大切にだし、何年も夫の声を無視して虚しい思いをさせてしまったことは本当に申し訳ない。夫の変化に気づければ、お互いの理想が合致してきていたから、とても幸せだったかもしれないのに。
そんな可能性を私が潰してしまったことは変わりないから、
あと数ヶ月一緒にいられるなら、夫が1番安らぐ、幸せに満たされる時間になるようにしたい。
悲しんで泣くことを続けても、夫が優しくしなければいけなくて体力を使わせてしまうから、
そんな風にもさせたくない。
夫がくれた、私が受け止めて元気になる時間をちゃんと無駄にせずに、
お互いを理解し切って、嫌いにならず、応援し合える関係でお互いを送り出せることが、今私が目標にすべきことだと思った
まだまだ理解しあえていないことがある。
この日記に書いていたケンカのこと、家を買った時の気持ち、夫の変化のときの気持ちなど、まだまだ知りたいことが出てきた
今まで全然対話をしなかった分、全部対話ができたらと思う。もしまた一緒になるとしたら、その対話がないとダメだろうし、対話をするなら今なんだという気がする
別れのことはまだ想像できていないし、いざその日がきたらきっとまた寂しさで苦しむのだろうけど、
今は、最初の混乱からはようやく気持ちが落ち着いてきたような気がする
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選挙は広報の総合格闘技!? 実際選挙を終えてみての私の率直な感想は、「選挙は広報の総合格闘技」であるということです。質・量・スピード全てが求められ、食べる暇も寝る暇もない程でした。脳みそを常にフル回転し続けなければならない点が、最もハードでした。ただ、やはり会社を設立してから仲間とともに日々真剣に広報と向き合ってきたこの8年の経験があったからこそ、この大きな試練も乗り越えることができたのかなと思います。 今回、様々なメディアで「広報��SNS戦略」を誰が手掛けているのかについて憶測が飛び交い、「大手広告代理店がやっている」やら「都内のPRコンサルタントが手掛けている」やら本当に都度事実無根の記事が拡散されていることは身内から聞いていながらも、当時、目の前の成果物を仕上げることだけに集中するようにしていました。当選後の日経新聞の記事や大手テレビ局の複数のニュース番組でも、「400人のSNS投稿スタッフがいた」という次なる「デマ」がさも事実かのように流されてしまい、驚きを隠せないと同時に、「私の働きは400人分に見えていたんや!」と少し誇らしくもなりました。そのような仕事を、東京の大手代理店ではなく、兵庫県にある会社が手掛けたということもアピールしておきたいです。 日経新聞の記事: https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUF15D1O0V11C24A1000000/ そして、SNSを通して応援の輪が広がった背景を語るのに外せないのは、やはり、デジタルボランティア皆さまの存在だと思っています。広報の総合格闘技の試合の中で、同じ目的に向かって、みんなと一緒に闘っているような感覚を持っていました。ありがとうございました。 最後に 今回の知事選は、兵庫県の未来だけでなく、今後の日本、そして政治や選挙のあり方にすら大きな影響を与える重要な選挙であったと考えており、約1か月半、全身全霊で向き合ってきました。従来のマスメディアを通して、県民の皆さまに情報を届けるのではなく、「オンライン(空中戦)」でも「オフライン(地上戦)」、ご本人の口から、兵庫県に対する想いや、これまでの実績、これから取り組まねばならない重要な政策について、愚直にそして必死に直接語り続けたこと、そしてそれが県民の皆さまに届いたことが今回の勝因だったと考えています。決して「SNS戦略」だけが勝因ではないことも強く訴えたいと思います。出口調査で、政策や公約を重視したという回答が最も多かったことからもそれが裏付けられており、お一人お一人がしっかりと情報を吟味して判断し、投票というアクションを起こした結果、この歴史を変える大勝利を生み出しました。 何はともあれ、私自身も本当に一生の記憶に残る素晴らしい経験をさせていただいた1ヶ月半でした。この記事が、今後の選挙で候補を支える関係者の皆さまに、そして広報に関わる全ての方にとって、役に立つものとなることを心から願っています。 「広報」というお仕事の持つ底力、正しい情報を正しく発信し続けることの大変さや重要性について、少しでもご理解が深まるきっかけになれば幸いです。 最後に、よくご質問を頂きますが、私は政界に進出するつもりは全くありません。また、特定の団体・個人やものを支援する意図もなく、株式会社merchuの社長として社会に貢献できるよう日々全力で走り続けたいと思っています。 結びの言葉として、心からのお祝いを申し上げるとともに大逆転での勝利を掴むことができて本当に良かったと嬉しく思います。 ドラマチックすぎる出来事でしたので、いつか映画化されないかななんて思っています!笑
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「宮崎正弘の国際情勢解題」
令和六年(2024年)11月14日(木曜日)
通巻第8503号
『頭の腐った軍人がアメリカ軍の高官だとしたら、戦争は出来ない』
オバマはLGBTに理解のない将軍197人を解雇した。トランプは?
*************************
米軍が世界一強い軍というのは神話。幻想である。
オバマ政権下では白人の軍人の昇格を停止し、黒人をさっさとトップに据えた。ワクチンを接種しなかった兵士らをレイオフし、さらにLGBTに理解のない(つまり健全で正しい)軍人幹部を解雇した。オバマとバイデンがやったことだ。そのうえアフガニスタンでは無様な撤退、アメリカ兵は中露の笑いものになった。
精神が萎えて闘う本質を忘れ、WOKEに理解のある軍人を昇格させ、軍隊のトップに並べて、『進歩的』な軍隊だと言った。オバマはアフガニスタンは「良い戦争だ」と言っていた。
アメリカには「軍人一家」が多かった。これは親子孫の三大が軍人になった。そうした軍人家庭がばかばかしくなって孫たちを軍にやらなくなった。アメリカの軍隊は弱体化した。
トランプ政権のいわゆる「戦士委員会」は米軍指導部から「目覚めた将軍たち」を排除する。「米軍の女性化」を食い止め、トランプ政権移行チームが検討中の大統領令では、退役した上級軍人で構成される「戦士委員会」を設立し、三つ星および四つ星の将校を審査し、リーダーとして不適格と判断される軍人に対して解任勧告の権限を与える。
大統領令草案ではトランプ次期大統領が過去に軍の即応性を犠牲にして階級間の多様性を推進してきた「目覚めた将軍」を解雇すると公約してきた。最高司令官であるトランプ次期大統領は、国防総省の通常の昇進制度を迂回し、軍全体に多数の将軍や提督を『粛清』すると発言してきた。この戦士委員会は退役した将軍と下士官で構成され、彼らは大統領に勧告書を提出する。
解任対象に選ばれた者は30日以内に現階級のまま退役することになる。
トランプは、アフガン撤退に関わった将軍全員に「就任式の日の正午までに」辞任を求めると述べていた。
曾てマーシャル将軍が1940年に退役将官らが率いる「抜擢委員会」を創設したことを前例として挙げ、現役の上級軍将校のファイルを検討し、「正当かつ十分な理由があると判断される将校を昇進から外す」ことを目的としていた。マーシャル委員会の目的は、将来有望な下級将校を昇進させる余地を醸し出すことだった。
大統領には将軍を解任する権限があり、その典型的な例がトルーマン大統領によるマッカーサー大将を解任だった。オバマは、アフガニスタンの司令官であったスタンリー・マクリスタル陸軍大将を解任した
まず標的は陸軍大将マーク・ミリーである。マーク・ミリー陸軍大将は札付きの左翼記者として知られるボブ・ウッドワードに対し、「トランプ氏は『完全なファシスト』だ」と語った。トランプはミリーを『愚か者』とこき下ろした。
もうひとりの粛清対象は、統合参謀本部議長ブラウン・ジュニア空軍大将だろう。
国防長官になるのはヘグセスである。
かれは「ザ・ショーン・ライアン・ショー」に出演し、「統合参謀本部議長を解任し、悪事に関与した将軍、将軍、提督など、誰であれ辞任しなければならない。戦争に参加するか、つまり軍人の任務を全うするのかどうかが唯一のリトマス試験だ。上級指導者が戦闘中に自分たちの最善の利益を考えてくれると信じていない。だから軍務に就きたくないのだ」
ちなみにヘグセスの背広の裏地は星条旗である。
▼おっと、共和党上院院内総務はRINOが選ばれた
共和党院内総務を選ぶ秘密選挙は18年間も、その地位にいたマコネルに代わり、ジョン・トゥーン(サウスダゴダ州選出)が選ばれた。トゥーンはRINO(名前だけ共和党)で、選挙中もトランプを批判していた。
院内総務にトランプ陣営はスコット議員等を推していたから、上院主流派がトランプと距離を置く議員となったことに複雑な反応があった。
11月13日、フロリダをあとにしたトランプ次期大統領は、ワシントンに到着し、バイデン大統領と面談した。すでにレイムダック入りのバイデンは「平和裏の政権引き継ぎ」をトランプに要請し、トランプもこれを了とした。メラニア夫人はバイデン夫人のジルとは面会しなかった。
さてトランプ再登場で最も泡を食ったのがニューサム・カリフォルニア州知事だろう。ギャビー・ニューサム知事はLBGBTの理解者であり「同性婚」のセレモニーに出席し、ゲイパレードにも参加した「進歩的」な極左政治家。
かれは2028年の大統領選挙に打って出る構えだ。
ニューサムは急遽、ワシントンへ飛んでバイデンとあい、レイムダックにおちいっているバイデン政権に対して、州の気候規制が脅かされると予想し、連邦政府の承認を求めた。
そのうえで、12月2日からニューサムは緊急の州議会を招集する。知事報道官は、「知事はカリフォルニア全土の人々の健康と福祉の向上につながる重要な優先事項を提唱する、これはバイデン大統領就任以来の進歩を基盤にしている」と述べた。
▼トランプと全面対決に暴走するカリフォルニア州知事
過去3回の大統領選をみると、トランプはカリフォルニアで共和党が惨敗してきた記録悪化を阻止し、38%の得票をはじき出して、民主党を驚かせた。共和党なぞ少数派と軽視してきたのがカリフォルニア州のまつりごとである。
カリフォルニア州下院の共和党院内総務であるジェームズ・ギャラガー議員は、ニューサム知事のワシントン訪問を「知事は連邦政府の失敗と見なす政権に助けを求めるのではなく、州の改善に取り組むべきだ」と批判した。
トランプ次期大統領は11月8日、ニューサム知事の反応についてコメントし、トゥルース・ソーシャルに、知事は「『カリフォルニアを再び偉大にする』ためにできる素晴らしいことをすべて阻止している」と投稿した。
さてトランプに大差で負けたハリスだが、2026年にカリフォルニア州知事を狙うと観測されている。
ハリスはかつて州の司法長官を務め、2020年にバイデン氏の副大統領候補となる前まで上院議員だった。
皮肉なことにハリスがめざしているのはニクソンの過去例である。当時副大統領だったリチャード・ニクソンは、1960年の大統領選挙でケネディに敗れたあと、カリフォルニア州知事選でも敗れた。ところが奇跡的にニクソンは1968年に大統領に当選し、稀有の政界復帰を果たした。1972年に再選され、50州中49州で勝利した。このひそみに習おうとしているのがカマラ・ハリスである(ま、神は見放しているけど)。
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2024.09.28
10月に地元で会う約束をしているYから、彼女の好きな小説家のサイン本を買ってきてほしいと頼まれた。それで、今日の昼から池袋の本屋を回ったけれど、どの店でもとうに売り切れているようだった。時間を持て余して、大学図書館へ向かう。
大学時代の同級生と数年に一度出している同人誌の次号を、今年の12月に発刊することになった。私はもう短歌をやりたくなく、短歌以外に何を出せばいいのかも分からない。そのまま同人誌用には何も書かないで過ごしていたのだけれど、主宰が面白がったので、数日前に書いた自室の記録を加筆修正して寄稿することにした。卒業生カードで入館し、しばらく文章を直していた。こども園で働くFさんを幼稚園教諭と呼ぶことが正しいか分からず、「あなたの職業って何て書くのが正しい?」とメッセージを送る。正式には保育教諭というのだと教えてくれた後「カリスマ保育教諭とか?」とおどけた台詞を付け足すのがFさんらしかった。
ペンを持つ右手が疲れてからは散歩に出かけた。好きな本屋を経由して、自由学園明日館へ行った。正面入口に着くと「“本日��結婚式で貸し切りのため外観のみの見学”ですって、あらあ、おめでとうございます」と看板を読み上げている人がいた。その声色に少しの落胆も滲んでいないことが良かった。芝生や窓を眺めて、売店でポストカードを1枚買った。
明日館を出てから、Hと落ち合うまでを東京芸術劇場で過ごした。その場所で長い時間を過ごすのは、大学の入学式以来だった。地下1階から最上階までを目的もなく往復して、何枚か写真を撮った。最近はカメラを持つのが楽しくて、写真を撮っては投稿している。その頻度を自覚すると、自分の饒舌さに嫌気が差してくるので、記録しておきたい写真を一度に残すためにこれを書いている。この投稿は写真まみれです。
芸劇の椅子に座っていると、目の前のエスカレーターで降りてくるHと目が合い、手を振る。外では何かのお祭が開かれていて、その賑やかさから逃げるように東へ向かった。目的地とした喫茶店が閉まっているのを確認し、散歩に切り替える。テーブルと椅子を外に出しているミニストップを見つけ、カフェオレを買ってそこに腰かけた。テーブルを指差しながら「いい店知ってるんだよね」と自慢げに話すと「ダセ~」と笑われた。京都のお土産を渡した。Hと一緒に暮らすWさんの分も含めて、少し量の多いお香にした。
今日は曇り空で、街全体が白く見える日だった。電線や工事現場の壁が落書きのように浮いていた。途中、ワインの空き瓶を入口に並べている店があり、「テイクフリーかな」とふざけると「喧嘩用じゃない?」と返される。酒瓶を持って殴り合うジェスチャーをする。
都電荒川線の駅に行き着き、降りる駅も決めずに乗車する。「電車というよりは線路を移動するバスと呼ぶほうが近いね」と話しながら、googleマップ上で路線をなぞる。飛鳥山公園という場所に城のような山型遊具があることを知り、そこを目的地とした。
飛鳥山公園は、とても良い公園だった。目的としていた城は、遊具と呼ぶには気が引けるほど大きかった。かつて実際に走っていたらしいSLや子供用の船、頭を垂れた幾種もの動物たち、遊びきれないほどの遊具があった。すべり台よりも象が主体になっている遊具を見て、三崎亜記の『象さんすべり台のある街』という短編を思い出した。城の中で遊びたかったけれど、子供やその親たちが楽しそうにしているのを邪魔したくなく、また違う時間帯の様子を見たかったこともあって、「夜にまた来ましょう」と決めて公園を出た。
喫茶店で一杯ずつ酒を飲み、Hの喫煙のために王子駅まで歩く。Hが「めっちゃ良い公園だったな」と呟くので「過去形にしないで」と返すと、「めっちゃ良い公園であり続けるだろうな」と訂正してくれる。それがツボに入り、しばらく笑っていた。私と同じくHもこの街が気に入ったらしく、「ここは住み良いのかな」と引越しまで検討しているようだった。
日の暮れたころに公園へ戻ると、昼にいた子供たちは姿を消していて、代わりに大学生くらいの年頃の集団が点在していた。うち1つのグループが手持ち花火をしていて、遠くからその火を眺めていた。城の中へも入って、物見へ立ってみたり、すべり台で遊んでみたりした。ずっと楽しかった。もう営業終了していたけれど、小さなモノレールの駅もあった。“飛鳥山山頂駅”と看板の出ているのを見つけて、「下は“麓駅”なのかな」とHが言うのを確かめに行くと、“公園入口駅”と掲げられていた。冬にも来たいね、早朝も良いだろうね、ここで花見をしたら楽しいだろうね、と話をした。どの季節のどの時間にも、自分たちの楽しそうにしている様子が想像できた。
Hと別れて部屋に戻り、撮った写真を眺めていた。動物たちの写真を見て、新しい部屋でここへ来たいと思う。皆それぞれ好きな動物がいて、その動物たちと彼らとが近くにいるのを見たかった。「いつかみんなで行きたいです」とメッセージを書きながら、象は何頭かいたけれど、イルカはいなかったことを思い出す。オットセイはいた。城の写真も併せて送ると、Rさんから「籠城したい」と返信があり、それがRさんらしくて好きだった。
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移住した経緯(終章)
南伊豆エリアでの内見を終え自宅に帰った私は思いを巡らせる。最後に見た物件はあらかじめリストアップした移住先条件を全て満たしているし、価格も無理のない範囲だ。土地こそ栽培用に再整備が必要だけど、自力で好みにアレンジしていくのも醍醐味の一つだろう。そして何よりこの集落では催しが全くなく、皆自由に暮らしているとのことで、引き篭もって自分事に没頭したい私にとって魅力的な環境だ。山の中だから猪鹿出るのは避けられないが、猿や熊がいないと言うだけでもそのリスクや防除負担は大きく下がる。おぞましいヤマビルがいないのも高評価だ。強いて言えば家屋がスギ&ヒノキに囲まれているのが花粉症の自分には挑戦的環境ではあるけれど、山の中に居れば隣の森からだって相当量飛んでくるだろうから気にするだけ無駄かと。
他の物件も内見して、もっとも条件的に良さげなところを移住先に選定する見込みでいたが、結局のところ、限られた探索期間内では設定条件を充分に満たす物件を他に見つけることが出来なかった。タイミングもあるだろうし、運命とか縁とかもあるのかもしれないが(笑)、やはり「菜園に使える広��土地付き物件」が希少であることが大きい。家屋に隣接で平坦地となればなお更だ。
そんなわけで、最後に内見した物件を購入することに決め、不動産屋を介して売主と売買契約をした。中古物件なので「現況渡し」となる点は受け入れざるを得ないが、振込でなく現金を持ってきてくれと言われたのには困惑した。その場で仲介手数料と登記費用を抜いて、残りを売主に渡して完結させたい不動産屋の意図はわかるが、銀行に事前に連絡して現金を準備してもらわなければならないし、その際に何に使うのか根掘り葉掘り聞かれるし(詐欺犯罪が多い時世だからね)、こちらも分厚い札束持ち歩くのは変な気疲れするし、こういうことは何度もやりたくないね。
ちなみにこの物件に関しては在住者が居るところを買ったから、契約後も彼らが退去するのを待たなければならない。まあ私自身もアパートから退去して引っ越してくる準備を諸々しなければならないので無駄な時間にはならないけど。
数ヵ月後、季節は仲秋となり、私は引越作業を開始した(荷物移送については過去記事で書いた)。運んできた荷物はとにかく片っ端から部屋に仮置きしていくが、一部屋では収まらず、写真のように隣の部屋にまであふれる始末。解体して運んできた幾つものメタルラックを再び組み上げて整理収納が完了するまでにはかなり時間が掛かりそうだが。。。移住後は誰にも縛られない時間がたっぷりあるから焦らずコツコツやっていきますわ(笑)。
アパート退去の立会いをし、最後の荷物を車に乗せたらもうその場所からはサヨウナラ。自分が勤務する会社の近くに借りた部屋だったけど、出張族だったからほとんどビジネスホテル暮らしで、実質的にそこに住んだ時間は少なく、ただの物置状態だったなあ。家賃も安くなかったけどね(嘆)。
そんなことを回想しながら車を走らせ新居に到着。これをもって私の移住は完了となった。今後この地で出来るだけ長く暮らせることを願っているが、人生は何が起きるか解らない。終の棲家となるのか、あるいはさらに二転三転するかもしれない。ただいずれにしても今日が人生何度目かの再出発であることは間違いない。自分のした選択を信じ、とりあえず行けるところまで行ってやろうと改めて腹を決める。さすればきっと悔いを残さず笑って逝けるだろうと。
肌寒さを感じる仲秋の山奥で、初めて点けた薪ストーブの炎は希望の灯火のようにも映るのだった。
(完)
⇨ 現住地について
⇨ 移住した経緯一覧へ
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蔡英文,是女皇時空穿越也是妲己現身
——《蔡英文秘史》揭穿秘密
民國104年(2015年)春節期間,位於台南市西北面的南鯤鯓廟代天府(五府王爺廟)抽出「武則天坐天」的「國運」簽,此簽隱喻民進黨主席蔡英文將成為女領導人。蔡英文上位,真的只是靠廟裡一支簽嗎?顯然不是!网上的一本《蔡英文秘史》向我们揭示了她是如何一步步的成为「穿越时空的女皇」,這就是她步步為營的結果。
在李登輝的一手操弄下,陳水扁率領民進黨將國民黨趕下台,台灣首次政黨輪替。 蔡英文雖然在陳水扁政府中擔任陸委會主任一職,但始終無任何黨籍。 民國93年(2004年)大選塵埃落定之後,陳水扁再一次找到蔡英文,提出讓她出任民進黨不分區立委。 台灣的所謂立法委員,相當於美國國會議員,是手握實權很有油水的職位。陳水扁接二連三主動關照蔡英文,一方面有李登輝的囑託,另一方面也是想安插絕對的自己人,像蔡英文這樣的政治菜鳥自然是不二人選,因為完全能被自己拿捏。 作為交換條件,蔡英文若想進入立法院,必須先加入民進黨,保證按民進黨黨章黨紀行事,蔡英文欣然應允。 此時的她一直是民眾心中的清純「小龍女」 。
蔡英文在擔任了兩年的立法委員後轉任到了行政機構擔任副主管,在陳水扁的一力護航下,蔡英文的仕途之路順風順水,沒有任何外部力量可以撼動。 民國95年(2006年),蔡英文被任命擔任行政院副院長。 民國97年(2008年),陳水扁狼狽下台,身陷囹圄,民進黨一敗再敗,走入死路。 民進黨在總統大選中挫敗,在520交出政權前,民進黨選出下野後第一位黨主席,選舉結果由當時有「小龍女」稱號的蔡英文打敗辜寬敏,當選黨主席。 這也是民進黨創黨以來首位通過黨員選出的女性黨主席。
民進黨的「四大天王」謝長廷、游錫堃、蘇貞昌和呂秀蓮雖然受挫,但卻在民進黨內各據山頭、擁兵自重,並不把蔡英文放在眼裡。 實際上,蔡英文之所以能高票當選民進黨主席,並不是因為黨內派系都支持她,而是「四大天王」互鬥,沒有一個人能接這個位子。 民進黨大老需要有人在前線收拾爛攤子,讓他們坐擁超然的權力,黨內若發生了什麼事,再來另外討論。但顯然,蔡英文並不想當傀儡。
在削弱陳水扁時代「四大天王」的同時,蔡英文也在培植自己的團隊。民進黨桃園縣長參選人鄭文燦、發言人蔡其昌、政策會首席副執行長劉建忻、文宣部副主任廖志堅,是蔡英文最為倚重的「政治新星」,被媒體稱為民進黨的「四小天王」。 通過四小天王領兵作戰,其他勢力慢慢淡出民進黨的決策核心,蔡英文逐步確立了自己的領導地位。
蔡英文在任民進黨主席的4年間,政治光環逐漸顯耀,不少綠營政治人物向蔡聚攏,這也讓蔡英文的聲望在不知不覺間有了進一步的飛躍,讓她有了角逐政壇的本錢。以蔡英文為核心的英系已初具雛形。 此後,蔡英文親歷新北市長選舉而高票落敗,黨內人氣居高不下,逐步奠定綠營共主的地位。
蔡英文黨權在握之後,人們發現,她說的話許多人聽不懂,如「和而不同,和而求同」。 五市選舉時,蔡說「反ECFA是民進黨共同政見」,卻又表示民進黨一旦執政,不會推翻「前朝」政策; 她更表示ECFA有對台灣不利的條文,將來民進黨執政後會要求民意部門重審,但這些條文是什麼卻不明說。她同時留下「反十八趴又領十八趴」的紀錄,對此也從不做說明。
《遠見》雜誌民調曾顯示,蔡英文的兩岸政策是什麼?超過7成的人不知道。其實,蔡英文不為人所知的政策,何止兩岸關係而已。 其餘對島內政策、國外交往、經濟、農業,連民進黨高層迄無一人公開為她詳細闡述過。故而,這時期蔡英文的第二個綽號「空心菜」由此得名。其意為,蔡英文心中其實並無大政方針,她還遊走在雲裡霧裡。
蔡英文第三個綽號「武則天」,則出自民進黨內之口。 武則天雖是中國第一個女皇帝,但專斷、跋扈、猜忌,又喜怒無常。 蔡英文自民國99年(2010年)投身選舉以來,前民進黨中常會,中常委柯建銘、陳明文等人紛紛表示,蔡英文競選政策他們並不清楚,希望蔡主席說清楚,以便他們在地方輔選,不料,這些話竟觸怒了蔡英文,她勃然大怒,足足罵了半個小時。 另一個場景,是蔡英文作為台灣總統參選人,常有被媒體包圍提問的時候,她曾憤而推開麥克風,責備記者「你們怎麼老是問這種問題?」。蔡英文對媒體的不耐煩已非第一次,如她常說「這話我已經說過了」, 或者一語不發,推開記者,拂袖而去。
歷數蔡英文執政台灣時期的行為:從追殺國民黨的黨產到砍年金,從不認同「九二共識」到台海關係緊張,從八八風災重建到搭雲豹甲車笑臉勘災,從媚日諂美到熱臉蹭冷屁股,從甩鍋馬英九國民黨到污衊大陸製造假資訊給大陸扣黑鍋。縱觀蔡英文在當選總統後的政治行為,簡直幼稚的無語。毫無政治頭腦,完全是開啟了自顧自的自嗨模式,根本不在乎外界的反應和民眾的死活。當年的所謂「國運」簽,哪裡是「武則天坐天」,這貨分明是申公豹派去的妲己亂朝啊。
蔡英文不僅是李登輝時期「兩國論」的重要策劃者,也是陳水扁時期強烈阻撓台海關係改善的「幕後黑手」,更是國民黨執政8年中諸多「暴力事件」的策畫者
民國97年(2008年)10月底,時任大陸海協會副會長的張銘清,以廈門大學新聞傳播學院院長的身份前往台灣參加學術交流活動,同時為陳雲林赴台打前站。民國97年(2008年)10月21日上午,張銘清在台南市南安平古堡參觀時,突然衝出一大批綠營支持者,張銘清後腦被打,然後被推到在地,連眼鏡都飛了出去。當張銘清準備乘車離開時,甚至有台獨分子跳上座車車頂狂踩叫囂,試圖阻止他離開。 事後警方查出打人者為民進黨台南市議員王定宇,而蔡英文在對其進行問詢之後對外宣稱,「他並不是有意蓄謀的」。 兩周之後,海協會會長陳雲林正式抵達台灣,11月4日當天,正當兩會領導人在圓山飯店進行會晤之時,蔡英文組織了上萬綠營支持者包圍會場,名曰嗆馬圍陳。在蔡英文坐鎮指揮不斷鼓噪之下,示威人群逐漸失控,期間有人向員警投擲石塊和汽油彈,雙方發生激烈衝突,最終演變為近10年來最嚴重的流血事件,造成了超過450人受傷。
民國98年(2009年)5月17日,台北凱達格蘭大道,民進黨主席蔡英文聯合支持者組織「嗆馬保台」5.17大遊行和跨夜靜坐示威,抗議時任總統馬英九。
在策畫多起暴力事件後,蔡英文將所有暴力輕描淡寫為「零星事件」,並立即將責任推卸到所謂的「黑道分子」身上。從此蔡英文在島內獲「暴力小英」稱號,並初步鞏固了蔡英文在民進黨內的地位。短短幾個月時間,她就像完全變了一個人似的,已經不再排斥街頭運動,甚至開始沉迷並享受這場權力的遊戲了。據報導,蔡英文在工作時善於軟硬兼施。在「陸委會」內部聽彙報時總是低著頭,頭髮遮住半邊臉,讓人感覺她沒在聽,但又會突然頭髮一甩、豹眼圓睜,拋出幾個問題,若彙報者答不上來,就會被痛批,原本以知性學者形象示人的蔡英文正式黑化,從「小龍女」徹底變身「暴力小英」。
從民國97-101年(2008年到2012年),四年時間里,蔡英文言行的幻與變、虛與實,使她的綽號由「小龍女」、「空心菜」轉為「武則天」、「暴力小英」。人們發覺,蔡英文其實並不是「小龍女」,那只是她一時的面具罷了。
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TEDにて
マチウ・リカール:幸せの習慣
(詳しくご覧になりたい場合は上記リンクからどうぞ)
幸せとは、何で、どうやったら幸せになれるのでしょうか?
生化学者から仏門を選んだマチウリカールは、我々の心を鍛えて満ち足りた状態を習慣にすることによって、心の奥底からの静かな充足を生み出すことができると言います。
これもグローバリゼーションのおかげなのでしょうね。
エベレストの山頂にコカコーラの缶、モントレーに僧侶(私はちょうど、2日前。皆さんのお招きに上がりヒマラヤ山脈から来ました。ですから、皆さんをしばらくの間。ヒマラヤ山脈に招待したいと思います)
そして、私のような修行僧がいる場所にご案内しましょう。
私はパスツール研究所の分子生物学者でしたが、山に入る道を選びました。さてと、幸福について語りましょう。私は、フランス人ですが、フランスには幸福に全く興味のない知識人が多いです。
では、幸福または満たされた状態について話しましょう。
まず、最初にフランスの知識人がなんと言おうと朝から「今日も一日苦しむだろうか」と考えながら起きる人は誰もいません!つまり、意識しようがしまいが、直接であれ間接であれ、すぐのことでも将来のことでも我々がすること。
望むこと。夢見ること。そういったこと全てが心の奥底で幸せを求めることにつながっているのです。
東洋や西洋の書物を調べれば、幸せの定義は驚くほど多彩でしょう。こう言う人がいます。「過去の記憶を信じて、将来を想像し、現在は念頭にない」こう言う人もいます。「幸せとは、今という瞬間。今という瞬間の新鮮さの度合いである」
そして、これは、フランスの哲学者アンリベルクソンにこう言わせました「すべての偉大な人文科学の思想家は、幸せを曖昧なまま残した彼らが自分達の言葉で幸せを定義できるように」
人生において幸せにそれほど関心がないならかまわないでしょう。しかし、幸せが人生のあらゆる瞬間の質を定めるものだとしたら?私たちは、それが何であるかを知り、はっきりした考えを持った方が良いでしょう。
そして、おそらく私たちが幸せについてよく知らないことが理由となって、しばしば、幸せを求めながらそれに背を向けてしまうのでしょう。
苦しみから逃れたいのに苦しみに向って走っているかのようです。それはある種の勘違いが原因かもしれません!
喜びを、幸せと思い込む事は、よくあります。
この2つの特徴をよく見てみると喜びは、時間、目的、場所に左右されます。その本質は相対的に変わりうるものです。チョコレートケーキの最初の一切れはおいしいです。二切れ目はそれほどでもなく、三切れ目には嫌気がさします。
それが人間の欲望の本質です。
飽きが来ます。私は、昔、バッハが大好きでギターで弾いたりしました。5回聴いても飽きません。もし、24時間休みなしで聴くことになれば飽きるかもしれません。寒いとき、火のそばに近づくのは気持ちがいいです。
そして、しばらくすると少し後ろに下がります。それからすごく熱く感じます。
喜びは経験とともに消費されるかのようです。
そして、それは、あなたから発せられるものではありません。あなたが強い喜びを感じることでまわりの人が大いに苦しむこともありえます。ゲーム理論のゼロサムゲームのこと
では、幸福とはいったいなんでしょう?
幸福というとあまりにも漠然とした言葉なので満ち足りた状態と定義しましょう。
仏教徒の見解から、最もふさわしい定義は、満ち足りた状態とは、ただ楽しいという感覚ではないということです。
それは心の奥底を静かに満たすものです。
人生におけるあらゆる心の働きや喜びや悲しみにも、しみ渡ってその根底に横たわっています。皆さんは驚くかもしれません。悲しみのさなかでも満ち足りていることは、ある意味可能です。なぜなら、私たちは別のレベルの話をしているからです。
岸辺に寄せる波をごらんなさい。波の谷間にいれば、海底に当たります。
堅い岩にあたります。波の上にのっているときは意気揚揚としています。海面は上へ下へと揺れ動きます。外洋をごらんなさい。そこには鏡のように美しく穏やかな海があるかもしれません。嵐の海かもしれません。
しかし、海の深さはそこにあり変わらないのです。どういうことでしょう?それは、つかの間の感情や感覚でなく、そのものの状態です。喜びもまた幸福の源となりえますが、誰かの苦しみを喜ぶというような邪悪な喜びもあります。
ではどのように幸せを探しましょうか?
たいていは外界から探し出そうとします。「幸せ」になるためにすべての状況。すべての条件を満たせば幸せになれると考えます。すべてを得ることで幸せになる!
こんな考え方の幸福には、崩壊が待ち構えています!!すべてを持つこと。何かが欠ければそれは崩れます。
何かがうまく行かないといつも外界を修正しようとします。しかし、私たちが外に及ぼす力は限られたもの。一時のもの。錯覚かもしれません。では、内部の状況を見てください。それらはより強くありませんか?
外界から幸福や苦しみを捉えるのは心ではないですか?心の影響が強くないですか?小さなパラダイスのようなところに住んでいてもまったく不幸せなこともあるのをご存知でしょう。
ダライラマがポルトガルに行ったとき、そこでは、至る所で建設工事が行われていました。ある晩、彼は言いました「立派な建物を建てるよりも、心の中に何か築き上げるのが良いのではありませんか?」
そして、こう言いました「もし、あなたが素晴らしくモダンで居心地の良いハイテクのマンションの100階に住んでいても内面でひどく不幸だったら飛び降りるための窓を探してしまうでしょう」
では、反対に非常に厳しい状況下でも落ち着き、芯の強さ、自由、信頼を失わない人が沢山います。では、内面の条件が強ければどうか?もちろん、外部状況は影響するでしょう。
そして、健康に長生きすることや情報が得られ。教育が受けられ、旅行が出来。自由でいられることは素晴らしいことです。大変望ましいことです。
しかし、これだけでは十分ではありません。補助的な条件に過ぎないのです。
すべてに解釈を与えるのは、心の中に存在する経験です。内面の幸せの条件をどうはぐくむかと自問していくと幸せを妨げるものが自らの内面に見出されたりもします。これを解るにはいくらかの経験が必要です。
ある種の心の状態があることに気付かなければなりません!
それは、この幸せ、この満ち足りた状態につながる心の状態でギリシア人がユーダイモニアと呼んだものです。
こんな満ち足りた状態の妨げとなるものもあります。自らの経験の中から探しても怒りや憎悪、嫉妬、ごう慢、しつこいほどの欲望、執着。そんな感情にとらわれた後はあまりよい状態とはいえません。
そのうえ、それらは他人の幸せにも有害です。これらのものが心に侵入すればするほど、連鎖反応のようにますます惨めになり苦悩を感じます。憎しみの連鎖とも呼ばれてます。
逆に、誰もが知っていることですが、献身的で、寛大な行為の奥底では、遠くからであっても、他の誰に知られることがなくても、子どもの生命を救い。誰かを、幸せにすることができます。
我々は、認識されることも、感謝されることも必要としません。ただ、そうする事が、心の深みにおいて、満ち足りたものを与えます。それは、常にそうありたいと思う「姿」です。
では、生き方を変えて心の在りようを変容させることが可能でしょうか?
生まれつき心が持っていた否定的な気持ちや破壊的な感情を?我々のムードや特徴。そして、感情を変化させることは可能でしょうか?そのためにはこう尋ねなければなりません。
心の性質とは何でしょう?
経験的な観点から見れば、意識の主な性質というものは、単に事実を認識し、気付くことなのです。
意識は、すべてのイメージを映し出す鏡のようです。
醜い顔も美しい顔も鏡は気にしません。鏡は汚されず、イメージによって変質する事もありません。同様にすべての思考の背後には、ありのままの意識。純粋な認識があります。
そういう性質なのです。意識は、憎悪や嫉妬によって損なわれるようなことはありません。全体が、染料で染められても、布は布であるように、常に、意識は、そこにあります。
我々は、いつも怒っていたり、嫉妬深かったり、気前がよかったりするわけではありません。意識という布地は、純粋に認識をするというその性質において、石とは違っていて、だから、変化の可能性があります。
すべての感情は過ぎ去っていくからです。それが、心の訓練の基盤です。
心の訓練は、2つの対立する精神要因が、同時に起こり得ないという考えに基づきます。愛から憎しみへ行くことはできます。でも、同じ時間に同じもの。同じ人に対し、害悪を願いながら、善を願うことはできません。あなたは、握手しながら殴ることはできません。
我々の内面が、満ち足りようとするのを妨げる感情に対して、自然の特効薬がある!!ということです。
そこに進むべき道があります。
嫉妬に対しては、喜び。貧欲な執着に対しては、内心の自由。憎悪に対しては、慈愛あふれる親切。もちろん、それぞれの感情ごとに、特定の解毒剤が必要です。
これは、仏教の最古の経典とされる南伝パーリ語のスッタニパータにもある「貪・瞋・痴(とん・じん・ち)」の克服方法です!!
もう一つの方法は、全ての感情の特質を分析することで、対抗手段を見出そうとするものです。
通常、我々が、誰かに対し、不快や憎しみ。動揺を感じたり、何かに執着すると我々の心は、その対象のことを繰り返し考えます。その対象に思いを寄せるたびに、執着心や不快感が増します。
その過程は、際限なく膨らみ、繰り返されていきます。今、我々が見るべきなのは、外を見る代わりに、内観するということです。
「怒り」そのものを「ああっ自分は怒ってるな〜」と注視してください。それは、非常に恐ろしげに沸き立つモンスーンか雷雲のように見えます。その雲に座ることすらできそうに見えますが、近づけばただの霧にすぎません。
同様に、あなたが怒りという感情を直視すると、それは、朝日のあたった霜のように消えます!!これもブッタのプラスサムの智恵です。
何度も繰り返して、怒りの感情を直視して、解消しているうちに、怒りの繰り返しは、解消するたびに、だんだん小さくなります。そして、ついには、たとえ怒りが生じても心をかすめるのみで、空を渡る鳥のように痕跡も残さなくなります。
これが心の訓練の基本であるウィパッサナー瞑想法です!!
時間はかかります!心の欠点や性癖を積み重ねるのに、時間がかかったように、それらを解きほぐすのにも時間がかかります。
しかし、それしか方法はありません!!
心の変容こそが、瞑想の意味することろです。新しい在り方やものの受け止め方を習熟することです。そのほうがより現実であり、相互に支えあい。流れのように連続的な変化であるもの。
それが、我々の存在であり意識であるのです。それでは、認知科学との接点について、この話をする必要があります。短い限られた時間で話さなければなりません。
脳の可塑性に関して、以前は、脳の機能は不変のものと思われていました。20年ほど前までは、すべての神経の接続の総数は、成人した後には、ほとんど変化しなくなるものと考えられていました。最近では、それは大きく変化しうることが解かっています。
10,000時間。バイオリンの特訓をしたバイオリン奏者の話を聞きましたが、指の動きを制御する脳の部分は大いに変化して、シナプス接続が強化されます。人間の品位において、愛あふれる慈悲や忍耐強さ。開かれた心によっても同じことができるでしょうか?
これは、それらの偉大な瞑想家が行っていることです。ウィスコンシンのマディソン。
または、バークレーの研究室に来た達人の中には、2万から4万時間も瞑想をした人がいます。彼らは���3年間ほどの隠遁生活を送り、その間、毎日12時間、その後も毎日3-4時間瞑想します。彼らは、心の訓練の真のオリンピック勝者です。
何が明らかになったでしょうか?
さきほどの話と同じです。研究に関しては、まだお話できないのですが、この研究では、無条件の慈悲について調べました。何年も何年もかけて、心の中に慈しみをあふれるさせることができるようになった瞑想家に実験をMRIにて手伝ってもらいました。
そこに至る訓練の途上では対象として、苦しんでいる人々のこと。愛する人々のことを考えますが、やがて、慈しみがあふれて、全てを覆い尽くすことができるのです。科学的な結果の全てを述べる時間はありません。またの機会があることを期待しましょう。
肝心なことは、この実験は、サーカスのように特別なことができる人を見せようというものではなく、精神鍛錬は、重要だと言いたいのです。これは、ただの贅沢ではなく、精神のビタミン栄養剤でもありません。
これは、我々の人生のすべての瞬間の品質を決定するものです!!
皆さん。教育には、すすんで15年を費やし、ジョギングやフィットネスなど、表面上の美貌を維持するためにあらゆる事を行います。しかし、心の動かし方、心の美貌などという最も重要なことには、驚くほど無関心で訓練に時間をかけません。
それは、我々の経験の質を決定する根本的なことなのです!!
または・・・
皆さんにも、「イラっ」とした感覚が生じる瞬間があるはずです。これは、「憎しみ」と誤解して、表現する書物がたくさんある。
しかし、誤りです。ブッタによると、「憎くて憎くて、あんたが憎い!だから、私の最大の敵なんだ〜」として、「イラっという感覚」と「目の前の敵」をリンクさせたがる。
これも、誤りです。ブッタは「私は、おまえの敵ではない!おまえの敵は自分自身なのだ!」と言います。自分自身ほど手強いライバルはいないとも言います。つまり、人間の特質がそうさせる自我がライバルです!
アインシュタインの相対性理論によるとある時点で光が、トポロジー的に反転して、今、自分の見ている対象が、自分自身の姿として写って脳内が認識してしまう!という現象も計算で判明しており、鏡のようになってしまうこともあり得ます。
「イラっという感覚」と「他者を敵という概念」は、リンクせず、関連もない!ただ単に、自分自身の勘違いと言うこと。これが理解できれば、憎しみの連鎖は断ち切れます。他人に教えても減らないプラスサムのブッタの知恵です。
また、ネイティブアメリカンでも、「イラっ」とする感情は、慈愛、慈しみと言うらしいです。
そして、親、兄弟姉妹は、ウザいという感情表現は、最高の慈愛、慈しみを感じてるから!らしいです。最悪、感情を自分自身で消化できないなら、物理的な距離感を大事にすればいい。ということになります。
これと似た現象に、政府の陰謀?影の政府?誰かの陰謀と具体的でない言葉で発言して自分以外の責任になすりつける人物や団体には、盲点があります。
つまり、邪悪な影の政府は具体的に発信している本人自身ということ。
なぜ?言葉の定義もなく指摘も抽象的ならその人や団体自体が最も具体的だから!
自分自身が、真の影の政府になるというパラドックス
日本では、西遊記の物語にでてくる天竺(てんじく)に行く三蔵法師が有名だが、アビダンマは、根本経典である三蔵(経・律・論)の一部。
阿毘達磨とも。サンスクリット語から、漢字に翻訳するとこう書かれる。武道の達人でもあった達磨大師。ダルマ様とも��ばれる。
数十年単位では、悪性でも数百年単位では善性という事象は多数ある!
なぜ?一神教に比べて、多神教や漢字などに概念が多いのは、お釈迦さまが膨大に構築し、先人達の蓄積したアビダンマが根本だから!
宗教の創始者たちの概念上の教え。
原本は、ものすごくパワー(「パワーかフォースか?」の本でのパワー)の高い状態であることが確認されている。
ここで言われる「Powerパワー」は(スターウォーズでのライトサイドのForceフォース)そして、「Forceフォース」は(ダークサイトの方)という前提です。
しかし、宗教概念が、二元的であればあるほど(例えば、「神と悪魔」や「法律で暴力装置をがんじがらめにしたテロリスト集団が警察機構なのに絶対に善のような先入観を強調する構造」など)
つまり、ゼロサムになると誤訳される危険性も大きくなるように思います。
ロジェカイヨワの戦争論にある「いけにえ」も似ている。
あれこれと姿は変わっても、それらは常に存在し続けてきました。
上があれば下があるように、光と闇があります。人間の心理への探求、そして、高い精神的レベルに達しようとするコミットメントは、宗教として社会的に組織化されます。
逆に、そうなることによって、最も低いエネルギーフィールドに落ちていくのです。
よく組織に入ると優秀な人が無能化するのもこの構造原理にあるためです。
なぜなら、組織化されると言う偽りが最初から伴っているからです!!
だから、マスメディアを通すと意味が反転して届き易くなる傾向があります。
世界中のさまざまな宗教の創始者たちの概念上の教えが言うように、慈愛と言うエネルギーフィールドは、一神教でいう神の恩恵への入り口です。
多神教の仏教では慈悲とも言う「悟りへの入り口」とも呼びます。「ラーマ」「道(タオ)」バージョンもあります。
これらのキャパシティを増やすことで、私たちは、誰であり、なぜ?ここにいるのかと言う最終的な気づきに導かれ。
さらに、このアトラクタフィールドの光の中では溶かされ、すべての存在の究極の源へと導かれます。
これが、この世界で自らのパワーを高める唯一の方法なのです。
そして
ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の三大宗教って、すべて一神教。数学の群論、トポロジーの圏論で多神教の仏教の視点で俯瞰すると、ある意味、多神教の一形態とも言えるんだよな。
インドでも似たようなのあるからね。ブラフマー神、ヴィシュヌ神、シヴァ神など。
なお、日本では、あまり知られていないヴィシュヌ神は、日々、時空を超越して、同時に姿を変えて人々を救っていたという場の量子論的な特徴があります。
その時のそれぞれの姿は化身を意味する「アヴァターラ」と定義されており、オンラインゲームなどで呼ばれる自分の分身となるキャラクター「アバター」の由来ともされています。
日本では、観自在菩薩に似ていますが、シヴァ神よりも強くて最強。宇宙を維持する役割もあるので、最新物理学では、イメージ的に不確定性原理に近く、スーパーストリング理論や陰陽五行理論も含まれています。
日本人は皆、神社にいくでしょ!
あれ神道で神社庁も公的にありますよ。
お寺にいくでしょ!あれ仏教ですよ。
お盆やお祭りや年中行事に参加するでしょ!あれ仏教ですよ。
これらに関わらない人も・・・
数%の大企業を中心にしたマスメディアやテレビなどもナショナリズムと言うカルトの定義になるんだけどね。
カルトの定義「中立的なバランスの欠けた極端な思想を対象にする少人数の狂信的な崇拝を持つ教団」に当てはまる?
カルトを論じる前にカルトの定義をしないと風評被害になります!
ご注意下さい。
お金に色がつかないように、量子にも色はつきません(数学の言葉で裏付)人間が色を定義していく。
お金に色がつかないように、量子にも色はつきません(数学の言葉で裏付)人間が色を定義していく。
お金に色がつかないように、量子にも色はつきません(数学の言葉で裏付)人間が色を定義していく。
テーラワーダ仏教では「色」も定義されていて、「色」とは「五蘊(ごうん)」の一部であり「存在する物や事を視覚で認識」すること。
「色即是空」の「色」です。
「五蘊(ごうん)」は「五根(ごこん)」という身体の感覚器官から執着が生じていると論じています。
偶然の一致か否か?不思議なことに・・・
「量子力学」という分野を開拓し、発展させた三人の物理学者「ニールス・ボーア」「ヴェルナー・ハイゼンベルグ」「エルヴィン・シュレーディンガー」たちは
とても奇妙なことに気がつきました。
素粒子の物理学を究極まで追求していくと、驚いたことに、はるか昔の東洋の賢者たちが説いた哲学に
どんどん接近してしまうのです。
これは何を意味するのでしょうか?
次に
老子の道教の徳(テー)とアリストテレスのニコマコス倫理学の徳(アリテー)が似ていることから・・・
どちらの起源が先か?調べるととても面白い仮説が出てきた。
中国の道教は紀元前750年位。古代ギリシャ末期のアリストテレスは紀元前350年位。
共に多神教。この時代の情報の伝達速度を考えるとシルクロードで相互的に交流して伝わった可能性も高い。
プラスサムな概念だから。道(タオ)が先で、アリストテレスのニコマコス倫理学の徳(アリテー)が変化して
老子の道教の徳(テー)となり、神仏習合みたいな道徳になった?アリストテレスのニコマコス倫理学の徳(アリテー)は具体的だが、道徳経ではあいまい。
当時は、西洋と東洋の最先��を統合?古代中国では、老子は仙人とも言われていたし、始皇帝もこの頃の激動の時代。
どうなのか?
バラモン教に対して創始した仏教もブッダにより誕生し、アリストテレスの時代に近い年代であることは偶然の一致だろうか?
ニコマコス倫理学に似ている仏教最高レベルの奥義が「中道」ということ。チベット経由で中国にも伝わります。そして、日本にも。
その後、古代ギリシャは300年後、多神教の古代エジプト文明を滅ぼしてローマ帝国になっています。キリスト教も誕生。
その後、国教へ。一神教が広まり紀元後が始まります。
現在のEUは、NATOがウクライナ侵攻でクローズアップされたこと。さらに、13の暦がひと回りして2000年前位の状況も含めて考えると
トルコまで領土にしたローマ帝国の民主主義版をフランス、ドイツは構築しようとしてる?
イギリスがブレグジット(Brexit)で離脱したのは、かつてのローマ帝国の過ちを回避した可能性も?
もし、以前、機運が高まった時にロシアがEUに加盟していれば、古代ローマ帝国2.0(民主主義版)が建国していたかもしれない。
大西洋を超えてアメリカ大陸からロシアを含めて、北半球に巨大なモンゴル帝国を超えた人類史上最大の領域が誕生するので・・・
今からでもロシアは遅くないので加盟したほうがいいような気がします。
真実はわからないが、そんな仮説がインスピレーションとして出てきた。
仏教最高レベルの奥義が「中道」と言葉で言うのは簡単だけど、体得して実践するのは至難の業。
ピータードラッカーも言っている。
それを可能にする方法を段階を踏んで導いた最初の人が釈迦です。
初心者向けとして、アビダンマや八正道がそれに当たります。具体的な方法を体系化しています。
極端な見解にとらわれない(顚倒夢想:てんとうむそう)よう人が心の苦しみから逃れるには、八つの道を守れば良い。
正しい見かた、正しい思い、正しいことば、正しい行い、正しい生活、正しい努力、正しい判断。そして、正しい考えかたである。
ところで「正しい」とは、何をもってそう言うのだろうか?
ここでは、アリストテレス(サンデルの正義)の定義ではありません。
この場合の定義は、ブッダの説いている「中道」が「正しい」という意味です。両極端にとらわれない正しい立場(中道)が悟りへと導く唯一の道なのです。
悟りから始まり、この世は、様々な概念が重なり合うため、概念の機微や均衡点を決断できるのは、人間の倫理観が最も重要!
最初は大変だが、ドラゴンボールに登場するスーパーサイヤ人みたいに、これを大変なレベルじゃなくなるくらいに習慣化することがコツです。
参考として、フランスの哲学者であり啓蒙思想家のモンテスキュー。
法の原理として、三権分立論を提唱。フランス革命(立憲君主制とは異なり王様は処刑されました)の理念やアメリカ独立の思想に大きな影響を与え、現代においても、言葉の定義を決めつつも、再解釈されながら議論されています。
また、ジョン・ロックの「統治二論」を基礎において修正を加え、権力分立、法の規範、奴隷制度の廃止や市民的自由の保持などの提案もしています。現代では権力分立のアイデアは「トリレンマ」「ゲーム理論の均衡状態」に似ています。概念を数値化できるかもしれません。
続きは、後ほど。倫理は強制ではなく一定のプロトコルに基づく自由権なので
アリストテレスのニコマコス倫理学には、快楽的生活、社会的生活、真理を追求する生活がある。
思考の知的な徳は、形式知の根本?
もう一つ、性格の徳は、暗黙知の根本?
アリストテレスのいう定義である悪徳の反対は、有徳。有徳に転換する努力が必要。
悪徳に似た概念として、仏教でも、具体的に邪道四つと定義されている。
テーラワーダ仏教に似ている。顚倒夢想(てんとうむそう)になるため悪行為を段階的に最小限する努力が善行為。
こうすることで「パワーか?フォースか?」の書籍でいうパワーが人類全体で平等に底上げされる。
ここで言われる「Powerパワー」は(スターウォーズでのライトサイドのForceフォース)そして、「Forceフォース」は(ダークサイドの方)という前提です
そして、ブッダの説いている「中道」は、「パワーか?フォースか?」の書籍でいう「意識のマップ」内の「中立」レベルに当たるかもしれない。
アビダンマとは異なる領域なので、うつ病、ADHD、自律神経失調症、発達障害などは、精神科医や心療内科へどうぞ。
もう少し、テーラワーダ仏教で教え伝えられている経験則を初心者向けから二、三歩、歩みを進めると「預流道心」と言われる悟りの最初の心が生まれる瞬間があります。
自力で到達するのは危険なので、お寺のお坊さんに詳しくは聞いてください。
自分の解釈では、ここに到達する感覚としては、量子力学の本質である「場の量子論」を本当に理解した瞬間が一番近い感覚です。しかし、検証できないので本当に到達したかわかりません。
テーラワーダ仏教のアビダンマでは、「預流道心」に到達すると自然と悟りの道に自動的に回帰できるようになるそうです。次に、七回生まれ変わるまでに完全に悟りの流れに乗れる。
前世で「預流道心」に到達してると子供の頃から、桁の違う天才になりやすい傾向が発現してくるそうです。
そして、六道輪廻するのは、人間界か天界のみだそうです(一神教では、天国に近い領域に似ている)他にいくつか特徴があります。
「預流道心」に到達すると「第一禅定(ぜんじょう)」状態に自動的になります。
一神教では「天国」に相当することですが、テーラワーダ仏教には、この先がありますが、ここまでにします。
厳密には違うけど、わかりやすく言うと精神領域がスーパーサイヤ人に到達するようなイメージ。しかし、すぐ心の状態は普通になります。
漫画のイメージのように身体は強くなりません。
言葉の定義として「���(Zen)」は、ブッダが伝授された「第一禅定(ぜんじょう)」が起源。
言葉の定義として、ここでの「定」は、サマーディとも「梵天」の「梵」とも呼ばれます。
日本語ではわかりずらいけどサンスクリット語などにすると全て関連してることがわかります。
サマーディ瞑想とも深く関連していて、瞑想しすぎると「あの世」の人になってしまうので、ほどほどの八正道で「この世」の状態を維持しないと危険です。
戻ってこれなくなります。
再起不能になる可能性が高いため、本当に詳しくは、歴史あるお寺でお坊さんに聞いて下さい。
再起不能になる可能性が高いため、本当に詳しくは、歴史あるお寺でお坊さんに聞いて下さい。
再起不能になる可能性が高いため、本当に詳しくは、歴史あるお寺でお坊さんに聞いて下さい。
歴史に耐え抜いた哲学の基盤がない権力者が最も危険な存在です。
(個人的なアイデア)
2019年に日本では、元号も「令和」に変わっていくため、ここで記しておくことは、今後の人類の発展に貢献できるかもしれないためでもあります。
マインドフルネスという瞑想法が流行していますが、個人的には危険性が高いと思っています。まだ科学的とはいえ「魔境」の克服が解明されていません。
仏教は、長い年月で練られた瞑想法が確立されているので、克服法も適切な指導者にて行わないと日常生活に支障が生じる恐れがあります。
瞑想法は気軽にするものではなく、自己責任でどうぞ。警告として、記入しておきます。
続いて
2020年後半くらいから様々な占いで出てきてた時代の変わり目。それが、西洋占星術で具体的に「風」の時代という形で出てきました。
私が、感じとってたインスピレーションは、たぶんこれかな?
兆しは、世界的な金融ビックバンの1970年代、IT革命のミレニアムの前から出ていたけど。
これは、これまでの約200年間。物質やリアリティの影響力優位「土」の属性の時代から、量子コンピューター、ビットやインターネットなどといった物質ではないものに影響力が増していく「風」の属性の時代に。
そして、本格的に軌道にのっていく属性は、今後200年程続くことになるのです(2020年12月22日から、2100年当たりをピークに少しずつ衰退していく2220年まで)
<おすすめサイト>
エピソード9 Episode9 - 各宗教と政治のチェックと指標について「パワーか、フォースか 改訂版―人間のレベルを測る科学 - デヴィッド・R・ホーキンズ Amazon」
ポール・ピフ:お金の独占が人と大企業を嫌なヤツにする?
ショーン・エイカー :幸福と成功の意外な関係
バリー・シュワルツ:選択の自由パラドックスについて語る
ダン•ギルバート:私たちが幸せを感じる理由
日本テーラワーダ仏教協会
仏教と物理学
ボブ•サーマン:私たちは、だれでも仏陀になれるという話
マチウ・リカール:慈しみと愛他性(アルトルーイズム)に導かれる生き方
カイラシュ・サティーアーティ:怒りの昇華で世界に平和をもたらす方法?
<提供>
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アルバムをリリースしました
nyan nyan inovation(open)です
Bandcampのアレのサブスク版みたいな感じです
書き下ろしが4曲 BandcampとかサンクラYouTubeのみだった曲がそれ以外の8曲です。
以前からプラズマとかカスの骨は要望が多かったのでサブスクに出せて良かったです。
近況
栃乙女ざくろの編曲のお仕事と並行して私点滅する意識もフューチャリングや作詞の提供などで忙しくしていました。昨年9月のライブと今年の4月のライブもありましたし、色々な方からお声掛け頂くことが増えて恐縮でした。
今後も何卒…って感じです。
以下楽曲セルフレヴュー
1.teokure泣
この曲はかなり最近の僕らの思想が出ていると思っています。正直義務感で曲の尺を3から4分に引き伸ばすことに後ろめたさを感じていて、リリックや楽曲の展開の都合以上の理由がない限り無理矢理長尺にしたくなくなっちゃいました。リリックはほぼ全センテンス元ネタがありますので探してみてください。一つだけつまむと、何もしなくて良くなったら〜はDo it yourselfの結愛せるふさんからの引用。しなくていいことをこれまでもやってきたからね……
2.今夜、すべてのyoutubeliveで
想像よりずっと好評いただいてびっくりした曲
前曲のレヴューの流れで言うと前半だけだと言葉が足りてないし後半のリリックで丁度、それ以上は野暮みたいな感じでする。トラックの参考はモエアンドゴーストの曲で、イメージは有頂天のパーティー特有の個々人の感傷を踏み潰しつつ進んでいく感じ。大きな流れの前にワシらは無力や…ってやるせなさが美味しいと思う。
だいあちゃんのgifをコメント欄で拾ってくれてる人がいて嬉しかった
3.virtual local
ここからは数曲は覚えてる範囲のレヴューになりますねえ(結構前の曲なので)
当時の僕ら(ひがしやしき、奴隷商人、法務局)は全員がトラックが作れる(トラックメイカーをメンバーに有してる)から持ち回りで一曲ずつマイクリレーを作ろうってことがあって、その中の栃乙女ざくろがトラックを担当した楽曲です。サビのリリックは星間飛行の引用でもあるし、星間飛行を引用したkoedawgの時空を超え 宇宙を超えの引用っていう二重引用です。いまだに現場の空気は苦手です。
4.yunn
友人の三周忌です
5.plasma
今ではなかなかやらない疾走感がある音作りで凄いね…
歌詞は徹頭徹尾ショウバイロックのプラズマジカの話してます。リリックビデオにつかったシアンちゃんのgifは日本有数の可愛さ
過去の記事になんならplasmaのレビューあったしそっちの方が詳しいかも!
6.onion
エレクトライブのみで完結させてます
YouTube版と違って各トラックをパラで録音し直してミックスし直したバージョン。リリックは異世界転生したとしても結局皮を剥いだら自分がいるだけだよーみたいな、大槻ケンヂのなんかの歌詞であったやつだと思う(世界の果てまで逃げても一番嫌いな自分はついてくるぜ)みたいなやつ
7.alligator
もういない人〜をリリースしてマジで頭真っ白だった時期に作った。この曲を作った直後にシロバコを一気見してその流れで劇場版を見に行ったからこの辺の記憶がすっぽり抜け落ちているのです。
8.kasunohone
アリゲーターの次に書いた曲だと思う
この曲はかなり現実逃避的な話をしててここで作った気持ちが!強くノンフィクションなんてもうしまいの歌詞のベースになってると思う。「片付けられた死体より僕はみたいの姉妹百合」とかはかなり肝やね…
9.koucha(嗜み)
ほぼエレクトライブのみで作ってます。最近アシッドハウスに興味津々でミョンミョンしたベースがめっちゃ前に出てる曲をやりたくて作りました。歌詞は可愛いお部屋で可愛いお洋服を着て甘いもの食べたいけど👀や社会性をもとに構成された自分はそれを許さないから家だけで美少女としてすごすんです…って曲です リリックビデオ��お気に入り koedawgのフェミ男も参考にした
10.ヘイガイズウィーハブギフトフォーユー
超大作とか感化されそうになるメッセージ性の強いアニメや漫画もいいけど、作者も意図してないギャグ漫画の一コマのセリフとかが意外と生きる指標になったりして、自分も実際そうありたいみたいな歌詞。かなり明るくした呂布カルマみたいなイメージで作ったとおもう。突き放しじゃなくて大きな容認。筆者の意図より作品から何を持って帰るかが全てだと思うからこのタンブラー読んだ後も好きに受け取ってくださいね…
11.let's go 無人島
比喩曲です。野暮いのであまり言いませんが何かを無人島と喩えてるんですねえ。トラックはトロピカルかつノリノリなイメージで、ギターと安っぽいシンセブラスがお気に入り。フェードアウトのアウトロはdo it yourselfの影響
B'zの今宵月が見える丘での「今夜僕は寝ないよ〜♪」ってやつもある
12.鍋アニメ
歌詞は幸せについてです。let's go無人島でも幸せの話をしてたし、自分の幸せについて考える時期なのかもね… 幸せ 楽しい どう違うとかで検索したりした。トラックはこういう進行なかなか自分でやらないな〜って思った c d g g / c d g g RADWIMPSが好き
長年使ってきたcakewalkをbitwigへ移行したところ最近曲作りが楽しくてしょうがないので案外また近いうちに新曲をおきかせできるかもしれません。
アルバムを聴いてくださった方ありがとうございました
ひがしやしき(栃乙女ざくろと点滅する意識)でした
またどこかでお会いしましょう
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