#音楽スタジオ
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machi-iro · 2 years ago
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ゲストハウス・トレーニングジム「やちゃ坊」
小団体での宿泊に最適な一棟貸しの素泊まりゲストハウスです。
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shota-asai · 2 years ago
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#Repost @jzstudio2007 with @use.repost ・・・ . 今日は、ドラム浅井先生の特別講座「はじめてのジャズドラム」開催しました! 最初はジャズを実演している映像を見ながら、ジャズに取り組むためのルールや流れを解説していただきました。 次に、ジャズでよく使われる右手のパターンを実践!リズムのニュアンスを口ずさみながら取り組みました♪ 最後は、先生の用意したジャズ用のシンバルとロック用のシンバルの叩き比べもでき、参加者のみなさんは音や響きの違いに驚いていました。 ジャズを演奏する人の気持ちや、ジャズのおもしろさを感じれた講座でした😊 浅井先生、ご来場のみなさま、ありがとうございました! ジェイズ音楽教室次回の特別講座も検討中です、お楽しみに! #音楽スタジオ #音楽教室 #日進市 #ドラム (J'z Studio) https://www.instagram.com/p/Cp5jkk9PfI4/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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hinge · 8 days ago
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Not-So FAQ for LGBTQIA+ daters
A growing resource addressing LGBTQIA+ daters' most pressing questions
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Hear more about #HingeNFAQ from Tom and Shugs at https://hinge.nfaq.co
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mi-soni · 11 months ago
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音楽的同位体 musical-isotope
Acrylic stand & Acrylic Keychain✨
We are accepting reservations on BOOTH!
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lvdbbooks · 2 years ago
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2023年1月13日
【新入荷・古本】
武満徹『音、沈黙と測りあえるほどに』(新潮社、1971年)
松村正人編『別冊ele-king ジム・オルーク完全読本』(Pヴァイン、2015年)
マイケル・ナイマン『実験音楽 ケージとその後』(水声社、1992年)
菊地成孔+大谷能生『M/D マイルス・デューイ・デイヴィスIII世研究』(エスクアイア マガジン ジャパン、2008年)
平沢剛編『若松孝二全発言』(河出書房新社、2010年)
大友良英『大友良英のJAMJAM日記』(河出書房新社、2008年)
リンディホップ・スタジオ編『間章クロニクル』(愛育社、2006年)
舞城王太郎『畏れ入谷の彼女の柘榴』(講談社、2021年)
『前略 小沢健二様』(太田出版、1996年)
森敦『意味の変容』(ちくま文庫、1991年)
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locationhunting · 2 months ago
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🎯ロケーションハンティング™️
【河口湖駅 /総面積3,000㎡/ ¥66,000/3h / iD : 17196】
◆西湖/ 山梨県◆ 
富士山の麓のアーティスト・イン・レジデンス。
山梨県は西湖(さいこ)。富士五湖の一つであり、富士山域の一部として2013年に世界文化遺産に登録された湖のほとりにある会場のご案内です。
様々なクリエイターための研究、創作、交流の場として設立されたこちらのロケーション。
合計3000平方メートルの広大な敷地に、スタジオ/キャンプサイト/トレーラーハウス/舞台などが点在するという富士山の麓の大自然を満喫できる施設です。
写真撮影、動画撮影、イベントのでご利用が可能な会場となっておりますが、詳しいご利用方法はお問い合わせください。
 
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会場利用費以外にご��金はかかりません。
豊富な知識と経験を持つ担当が ( 展示会 / ポップアップ / イベント / ギャラリー / 撮影 / 動画配信) など、会場のご希望をお伺いし即日提案を行っております。
(用途・エリア・広さ・ご予算・他ご要望 )を記載いただき、
下記お問合せ先で承っております。
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上質な会場を取り扱うレンタル予約案内サービスです。
タイプを問わず、質の高い会場を募集しております。
弊社の顧客を御社会場にご案内し、御社の会場運営に貢献できればと考えております。お気軽にお声がけくださいませ。
(会場のウェブサイトまたはお写真、住所)を記載いただき、下記お問合せ先までお声がけくださいませ。
🚩問い合わせ先
*公式ウェブサイト
🖥 https://locationhunting.jp
*ロケーションハンティング™️ 製作委員会
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listentothevoiceofwind · 3 months ago
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2024年7月7日放送分 満点DAMミュージックレジェンズ 文字起こし(前半)
Opening theme♪ワタユタケ「惑星」
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MC 横田岳史(ヨコタタカシ)さん 
満点DAMミュージックレジェンズ、この番組はカラオケDAMでおなじみの第一興商の提供で札幌FMしろいし��制作し、ただいま和歌山県エフエムマザーシップ、山形県酒田ハーバーラジオ、新潟県エフエムピッカラ、秋田県ACB秋田コミュニティ放送の5局ネットでお送りしております。
てことでお聴きの皆さん、お元気ですか?番組MCエフエムしろいし“何にもせんむ(専務)”こと横田岳史です。この番組は安全地帯ギタリスト武沢侑昂レジェンドとともに心揺さぶる音楽を求めてタイムトリップしちゃう、そんな番組なんですが武沢さん元気ですかッ⁉︎
安全地帯ギタリスト 武沢侑昂さん
♪「Rockin’ Down the Highway」(The doobie brothers )のフレーズをギターで演奏
【ふっぢーさん他皆さん、曲名探しにご協力有難うございました!】
おはようございます!
横田さん
おはようございます、かっこいいギターですね、またコレ。
武沢さん
これ、知らないですか?
横田さん
この曲はあ、あの、既存の曲ですね、安全地帯のじゃなくて。
武沢さん
そうです。僕がよく、その頃聴いてた曲です。
横田さん
あー、その頃…、その頃というのはいつ頃のことで…しょうか。
武沢さん
前回と同じ、
横田さん
ああ前回と。
武沢さん
前回と同じ、ブラック・サバスとかやってた頃に。
横田さん
はい。
武沢さん
あの、玉置がブラック・サバスで、安全地帯になった時にブラック・サバスのボーカルをやってくれて、あの曲のね。
横田さん
うんうん。
武沢さん
それで僕がギターを弾いて、玉置のアニキがドラム叩いてたのか?
武沢俊也(兄)さん
そうだよ。
横田さん
はい。
武沢さん
そうだよね、で、お兄ちゃんはやることがないんで、
武沢(兄)さん
そう。ステージの真ん中で。じっとして(笑)
横田さん
てかあの、当たり前のように紹介もなくあの〜…ワッハッハ(笑)
武沢(兄)さん
クックックック(笑)ごめん(笑)
横田さん
いや、いいんですよいいんですよ。というわけでなんか先週に引き続き今週も来て頂きました。あの安全地帯のなんていうかね、事始めというか。
武沢さん
そうですね。
横田さん
その頃の話をたっぷり聴かせて。頂きたいなと。
武沢さん
順繰り順繰り思いつつ、ちょっとやってみましょうかと。
横田さん
ま、先週どこまで何を話したかっていうのもあまり、記憶が(笑)覚えてないですけども。
武沢さん
たしか、安全地帯の名前になって玉置の兄貴が参加して、で、ポプコンに、あ、ポプコンをやってたんだけど、
横田さん
うん。
武沢さん
何回もやってるうちに、マチイ楽器の酒井さんが一人づつ出たらどうかと。いう話までしたんでしたよね、たしか。
横田さん
そうですね。それで、一人づつ挑戦したら玉置さんの「昔にみたもの」��…
武沢さん
が、通って。当たり前ですけど。
横田さん
あのお兄さんがね、先週、まぁ当然だよねみたいなことを、やっぱ当時から玉置さんはすごかったという話を…
武沢さん
そうですね、そうです、そこを…だいたいその辺まで話してその曲、「昔にみたもの」ですね、それを聴いて、た、ところぐらいまでの話でしたけど。で今日は、その後僕たちは、たぶん、これも酒井さんの提案だったと思うんだけど、六土開正グループってのがいて、これマチイ派のミュージシャンですね。クニハラ楽器じゃなくてね。
横田さん
あー!楽器、楽器屋さんで色々あるんだ?
武沢(兄)さん
フッフッフッフ(笑)
武沢さん
楽器屋で完全にあの、二手に分かれてたんですよ、当時。
横田さん
あー、そうなんだ。国盗り合戦みたいな事を旭川でやってたんだ?
武沢さん
そうなの。で、前も言ったんですけど、マチイ楽器系は僕らとその主に六土開正になったその、カキ君と六ちゃんと、その他何人か居たんだよね、たしか。その、よく楽器買いに来たりとか、あのずっとマチイ楽器に居たりしてね。アルバイトやってたのかな?!ちょっと忘れたけど。それを、あ、そういうそのミュージシャン、マチイ楽器に、多分ね5〜6人とか7〜8人とか分かんないすけど、居たと思うんですよ。
武沢(兄)さん
いつもたむろしてる連中が居たよね。
武沢さん
そうそうそう。で、そこにあるギターをずっと弾いてる人とか…、そういう人もいて。
武沢(兄)さん
そういう人もいたね。
武沢さん
同じく、マチイ楽器よりおっきい、もうちょっとおっきい楽器屋だと思うんですけどクニハラ楽器ってのが多分、旭川で一番おっきくて、そこは、そこには行かないんです、僕たち。あの同じ楽器屋なのに。それは何故かっていうと、クニハラ楽器派のミュージシャンって全然違ってて。ほら、ギター弾いてる感じでどういう人達なんだろうって分かるじゃないですか?
横田さん
そうですね。うん。
武沢さん
んね。何が好きなのかなぁとか。全然僕たちと違うロック系じゃない人達が多くて…、
横田さん
ああ〜。そうなんですね。
武沢さん
そういう人も居るのかもしれないけど、なんかあっちにはあっちでバンドとかやってる人たちが居て、そういう人たちもやってたんですけど、僕たちはマチイ楽器派、に居たと。で、そのマチイ楽器派の六土開正(バンド)になる3人ね、と、今の安全地帯と合併したらどうかと言ったんだっけな。
横田さん
あー、そうかそうか。
武沢(兄)さん
その話になるのはね、あれだよね、玉置の兄貴が辞めてからの話だよ。
武沢さん
あ、それをね、聞きたいんだよね。ちょっと僕その辺のね、よく覚えてない。
横田さん
玉置さんのお兄さんが何故抜けられたんですか?
武沢(兄)さん
それはね、練習中に、まぁあの俺とあのまぁ喧嘩しちゃって(笑)
武沢さん
ああ、そうだっけ。
武沢(兄)さん
ッハッハッハッハ!
武沢さん
なんで喧嘩したの?
武沢(兄)さん
そりゃ、玉置の兄貴が途中で、まぁムラッ気だったから途中で練習しなくなっちゃうんだよな。で、全然練習できないから、「じゃ、帰ったら?」って言ったんだ俺が。ックックックック(笑)…うん、で帰れば?って
武沢さん
練習場でね?
武沢(兄)さん
練習しないんだったら帰ればいい(笑)
武沢さん
マチイ楽器の練習場で、
武沢(兄)さん
スタジオで。そうそうそう。
武沢さん
あの頃はマチイ楽器のスタジオって確かなんかあの建物の上��方にあったよね。
武沢(兄)さん
そうだね、上か、地下にあったこともあるんだけどね。まぁその頃は上だったね。
武沢さん
上で、
武沢(兄)さん
あの国劇ビルの屋上にあった、そうそうそう。映画館あったね、映画館とか飲み屋街が入ったあの、なんていうんだろ、そういう雑居ビルの。ま、旭川で結構有名なビルなんだけど、国劇ビルって、映画館もあったし。
武沢さん
うん、ああ。
武沢(兄)さん
でなんか旭川興行だかなんかそういう芸能事務所みたいなのも入ってたし。
武沢さん
うん。
武沢(兄)さん
そこの屋上のあの、いつも家具とか放り込んである倉庫みたいな所、
武沢さん
そこ、で…、
武沢(兄)さん
マチイ楽器で、練習させてくれてたんだよね。
武沢さん
練習、タダでね。
横田さん
ふううん。
武沢(兄)さん
当然俺ら金なんてなかったから(笑)
武沢さん
うん、使わせてくれて。それは酒井さんだよね多分。
武沢(兄)さん
そうだね。酒井さんが店長の頃かな?
武沢さん
うん。
武沢(兄)さん
それでそこで練習してて、
武沢さん
そういうことがあって。玉置の兄貴とちょっとトラブって。うん。で、玉置の兄貴が練習に来なくなったと。いう事もあって、まあ、抜けた、という事で、ま、メンバーどうしようか。これからどうしていこうか、ってその酒井さんが結構やっぱり相談役になってくれてたと思うんですけどね。たしか。
武沢(兄)さん
うん
横田さん
うん
武沢さん
でそん中でそういう話を、してくれて、カキくんとか六ちゃんとかはどうなんだろう?って事をちょっと話をまとめてくれたんですよね確かね。
武沢(兄)さん
でもその前にあれだよね、その前に大平が、ほら、
武沢さん
あ、大平くんは
武沢(兄)さん
去年亡くなった大平、いっちゃん。大平市治くんが。ドラムの。
武沢さん
ドラムの。やってもらって。
武沢(兄)さん
うん、
武沢さん
とりあえずね。
横田さん
あ!大平さんはじゃあ、玉置さんのお兄さんが抜けた…後入ってきたの、
武沢(兄)さん
玉置の兄貴が辞めた後に、そう。
武沢さん
大平くんも多分ドラムやってなかったんだよ。
武沢(兄)さん
そうそう、ベースやってたんだよ。
武沢さん
そうだよね。
横田さん
ふううん。
武沢(兄)さん
でまぁ、玉置と大平と、ま、ユタカとかその辺が話し合って、探したんだけど居なくって。俺がやりたいと名乗りを挙げたのがいっちゃんだったんだよね。
横田さん
はー、そうなんだ…。
武沢(兄)さん
でまぁ、猛烈に練習し出したよね、大平くんはね。
武沢さん
そうだね。
武沢(兄)さん
でまぁ、とりあえずまがりなりにそれなりに叩けるようになって、それこそ、あのこないだやった、札幌のヤマハの楽器スタジオに…
横田さん
ああ。
武沢(兄)さん
何曲か録音したことあるよ。大平入ってから。
武沢さん
ああ、ああああ。はいはいはい。
武沢(兄)さん
3曲ぐらい録音してるわ。その頃の音源は無いかもしれないけど。
武沢さん
うん…
横田さん
ふーん…
武沢(兄)さん
だからそれなりに、まぁ叩けるようにはなったんだけどー。だけど、ちょうどその頃、大平が入って、ま、一年もしないうちに、六ちゃん達との合併話が、出てきたよね。
武沢さん
うんうん。
武沢(兄)さん
で一生懸命練習するんだけど、やっぱりその、ね、当然、要求されるレベルまでにはなかなかならないし。
武沢さん
うん。
武沢(兄)さん
うん。まぁ限界あるだろうなっていうね。うん。
武沢さん
そうだね。だから多分、色々面倒見てくれた酒井さんがその、どうせだったらま、プロを目指してやるんだったら、こういうね、玉置みたいなボーカルがいるチームと、六土開正みたいなロック系で、すご��上手いバンドが合体、一回してみたらどうかっていうことだったと思うね、多分ね。
横田さん
うん。
武沢さん
うん、その、ま、強力なバンドにしようと。という事になっていって、それからその後に、この…は止めて、もうあの、自分達でデモテープを作るの。要するに、楽曲を自分達で作って、そのポプコンに出すんじゃなくて、とにかくコンサートと、まぁデモテープを作っていこうと。いう作戦…
武沢(兄)さん
そこからね、誰かが観に来てくれるような、うんまぁ、そういうバンドになれるぐらいのものを地元で作っていこうや、出来るはずだよ、っていうコンセプトだった。
武沢さん
うんうん、そうだね。
武沢(兄)さん
それでMFPっていう名前も作ったの。ミュージカルファーマーズプロって。その頃、うん。ま音楽的にそこに旭川に根差してやっていこうって話だったから。簡単に東京に出てってダメになっていく人達たくさん居たし。っていうのが、酒井さんのコンセプトで。そういう人達何十人も見てきただろうから。才能ある一人二人で出てっても、だいたいダメになって戻ってきちゃうから。
武沢さん
うん、ああ。あ、そうそうそう。思い出した、そだ、東京に行って、そうなんだよね。東京に行く人が結構居たんだよね。
武沢(兄)さん
うん、居たんだよ、旭川でも若い人達、居たんだよ。
武沢さん
プロ目指してね。でも、行っても、そうなんだよ。行ってもなかなかその東京でプロになって、そのままヒット曲出せるかっていったら全然そんなうまく行かなくて。
横田さん
うん。
武沢さん
ていう事があって、まず、自分達でちゃんとその、コンサートやってもお客様を集めれる、ね、その状況をまず作って、で、段々そっから広げていって、で、作品もどんどん増える良い作品を増やしていこうと、いう事で。じゃ、どこでどうやってそれを、そういうスタジオを作った方がいいんじゃないかって話もこの頃出てきた。
武沢(兄)さん
そうだ、その頃だな。うん。
武沢さん
だよね、うん。
武沢(兄)さん
合併の話と一緒になり出した頃にスタジオの話も具体化していった。
武沢さん
そうそう。そして、それが現実になって、農家を、永山っていう町…、ナガヤマチョウっつーの、あれ?
武沢(兄)さん
そうだね。永山な、旭川の郊外。田んぼしか無いような所だった。
武沢さん
そうそうそう。田んぼが、ま、割とそこの…なんかあれ、元々あった家なんだよね、あれたしか。
武沢(兄)さん
元々あった家なんだよ、農家。
武沢さん
農家、
武沢(兄)さん
ベースの宮下くんの、お父さんの、お知り合いの家。
武沢さん
ああ、ああ、なるほどね。
武沢(兄)さん
うん、廃屋じゃないけど、もう誰も使ってない家だったんだよね。
武沢さん
うんうんうん。
武沢(兄)さん
うん。
武沢さん
じゃ、そこをまぁ使わしてもらって、
武沢(兄)さん
そうそうそう。
武沢さん
で、一応そこを全然田んぼの中の一軒家みたいな所だったから音だって別に…あの、防音しなくても、
武沢(兄)さん
迷惑にならないだろう…、
武沢さん
ならないけど、でもちゃんと、一応工事して、楽器とかもちゃんと買わないとPAとかね。
武沢(兄)さん
うん。自前でコンサート出来るようにね。
武沢さん
そうそうそう。
武沢(兄)さん
いつも借りてたから。
武沢さん
という事もあって、酒井さんのおかげもあって、その、木内さん、
横田さん
うん、
武沢(兄)さん
優佳良織工芸館(ゆうからおりこうげい��ん)の館長だった木内さん。社長だった人。
武沢さん
社長だった人ね。の、その協力もあって、その。で、お金をその頃貸して頂いて。
武沢(兄)さん
銀行から借りて。保証人は木内さんでな。
武沢さん
そうだよね、たしか。それで。で、そのスタジオを作って、そこから始めた頃から、デモテープを作り出したんですよ。やっとその出来上がったものね。
横田さん
ふうううん〜。
武沢さん
という、事で、その頃はあのちょうどメンバーが、六ちゃんと、カキくんと、大平くん。
武沢(兄)さん
むこうのメンバーは4人さ。
武沢さん
むこうのメンバー4人居たんだっけ。
武沢(兄)さん
そうだよ。カキくんでしょ、宮下くんでしょ、六土でしょ、田中くんでしょ。
武沢さん
あ、田中ちゃん居たんだね。
武沢(兄)さん
田中は居たから!田中のドラムが凄かったんだから!(笑)
武沢さん
そうそうそう。
武沢(兄)さん
田中のドラムがめちゃ凄いから、くっ付くっちゅー話になったのよ。リズムがこう、めっちゃ凄くて、オリジナルが作れないけども、リズムはプロだろうって話になって。
武沢さん
ああ。
武沢(兄)さん
そのままアメリカ行っても通用しそうなリズムだったから。
武沢さん
そうだね、確かにその通り。
武沢(兄)さん
うん。もう全然レベル違い。
武沢さん
そだ、ちょっと勘違いしてたんだ。その後田中ちゃん一旦離れたんじゃ、なくて、最初居たんだよね。
武沢(兄)さん
最初居たよ。最初むこう4人だからねだって。
武沢さん
うん。
武沢(兄)さん
でもそのままくっ付くとダブルドラムスの、
武沢さん
ダブルドラムスの、ダブルベースの、ね。
武沢(兄)さん
ダブルベースの、うん、そうそうそう、なんかとんでも無い、どうやってやっていいか分かんない様なバンドになりそうだった。
武沢さん
8人編成とかそんな。
武沢(兄)さん
8人編成。訳分からんもん。とりあえずくっ付いて、みたいな(笑)
武沢さん
でもとりあえずくっ付いてやっていこうと。
武沢(兄)さん
そうそうそう。
武沢さん
と、いう事で、まぁアルバイトしながら。まぁそれだいぶ後になってからなんだけど、定期的にアルバイトして、で、できる時は、そのスタジオにこもってずっと練習したりデモテープ作ったりとか、玉置も曲作って。ていう風にやり出した頃の曲をまず、今日聴いてもらおうかなと。
横田さん
というわけでこれもなかなか貴重な音源ですよね?
武沢さん
そうすね、まぁ音は悪いんですけど。うん。
横田さん
うん、とはいえ皆さんやっぱり楽しみにして頂いてるんじゃ無いかと思います。
武沢さん
はい。
横田さん
というわけで、一曲目は、こちらです。
【ネット上には音源見当たらず。FMしろいしさん、貴重な音源の放送有難うございました!】
「♪この星に生まれて」
作詞 武沢俊也
作曲 玉置浩二
何が出来るか 考えたことはあるかい
みんなのために 泣いたことはあるかい
人は夢を一つ持って この星に生まれてくる
遥かな宇宙の彼方から 時間の羽根拾ってくる
疑惑に埋もれた 耳慣れぬ囁きに
人が気づく時は 長い旅路の果て
人は夢を一つ持って この星に生まれてくる
俺たち花を咲かせよう いつかこの星の上に
人は夢を一つ持って この星に生まれてくる
俺たち花を咲かせよう いつかこの星の上に
俺たち花を咲かせよう いつかこの星の上に
俺たち花を咲かせよう いつかこの星の上に
俺たち花を咲かせよう いつかこの星の上に
横田さん
はい、というわけで。ええ、「この星に生まれて」という��イトルだと、おそらく思われる、みたいな(笑)感じなんですけども。
武沢さん
たぶん。たぶんそうですけども。
横田さん
お!これは、俊也さんが書かれてるという事でいいですか?
武沢(兄)さん
そうですね、この詞はね、書いてましたね。
武沢さん
うん。
横田さん
はぁあ。
武沢(兄)さん
この時のねこの時のドラムはもう大平になってるね。この時はもう5人、あ、6人か。6人になったところだね。あの、スタジオ作ったのが、この年の春っていうか、冬なんだよね。この年の1月か2月くらいにスタジオ作ってて、で3月にスタジオが完成して、8人で入って、スタジオが出来た日に8人で入ってあの、スタジオにこもったんだけど、その最初の日の夜に宮下くんと玉置が大喧嘩しちゃって…、そそそ。
横田さん
え!?ほんっとですか?!
武沢(兄)さん
もう合宿の初日からもうそんな状況だったんだよ。それで玉置、1ヶ月くらいあの、全然合宿に入れなくて。で、合宿の頭は、玉置抜きで、楽曲作ってて。して、玉置が復帰して、そして夏。夏で第1回目のコンサートかなんかやったんだよね。
横田さん
うんー
武沢(兄)さん
だけどその前に、今度は、俺が、なんか、ま色々あって辞めちゃうことになって。ま、辞めさせられちゃう事になって。その年の夏にね。
武沢さん
ああ、ああ。
武沢(兄)さん
8月ぐらいに。
横田さん
ふーん、そうなんですね。
武沢(兄)さん
で俺は、一回辞めちゃうんですよ。そうそうそう。
武沢さん
うーん。
武沢(兄)さん
そしてー。俺が辞めた後に今度は7人になって、その、くっ付いた当時はドラムが2人いて、えっとキーボード…、ベースが2人ってわけにいかないので、六ちゃんは、あの、キーボードやってたんだよね。
武沢さん
うんそうだ。
武沢(兄)さん
俺が弾いたりして。して、俺とダブルキーボードのダブルドラムスの、っていう感じの8人だったんだけど、で、俺が辞めて、で俺が辞めた後になんか知らないけど俺が辞めた後だったんで俺はもうあんまりよく覚えてないんだけど、俺が辞めて、俺アルバイトしてたんだよね、2〜3ヶ月。
武沢さん
おうおう。
武沢(兄)さん
そしたらなんか、秋、もう冬になる頃かな。8月に辞めて、ちゅーか辞めさせられて、3ヶ月間くらいまあ働いてたんだけどそしたら11月ぐらいに玉置と矢萩が俺を迎えに来たんだよ。
武沢さん
ふーん。
武沢(兄)さん
また戻ってくれって言われて(笑)ッハッハッハッハ!で、何故か聞いたら、あの、田中と宮下くんが突然辞めたって(笑)
武沢さん
あー。
武沢(兄)さん
居なくなっちゃったって。
武沢さん
あー、そこで田中ちゃん居なくなっちゃうのね、最初は居たんだけど。
武沢(兄)さん
そうそう。うん、秋口に辞めたらしいんだよ。そして、それからなんだよ、実は。あのそれから…、
武沢さん
それから作品をたくさん作り、
武沢(兄)さん
作品書けるように、うん、どうにか落ち着いて、うん、その後大平と六ちゃんのリズムセクションと、ユタカと矢萩のダブルギターと、俺のキーボードと玉置のボーカルっていうスタイルになってからようやっと、あの本当に、んーまぁ充実した曲ができる様になってた、な。だからやっと落ち着いたっていうか。うん。
横田さん
ふうううん。
武沢(兄)さん
田中くんと宮下くんが何故辞めたかってのは僕は彼らじゃないのでよくわからないんだけど、まぁとにかくそういう状況の時期に作った曲が、さっき掛かった曲だよね。その時期から次の年のユタカは事故でー、次の年の秋に?次の年の1月ぐらいにもうユタカ事故っちゃってま��居なくなっちゃうんだけど。
武沢さん
居なくなっちゃうから、
武沢(兄)さん
その3ヶ月ぐらいの間に7〜8曲出来たんだよね。
武沢さん
そうだよね。ああ、そう、3ヶ月か。
武沢(兄)さん
そう、3ヶ月ぐらいの間なんだよ。だけど、あの後の、東京のデモテープ、東京で認められるデモテープの元になった曲はその時代、その頃にバババババッと出来たんだよ。
武沢さん
だから、そうだよね。
武沢(兄)さん
「一度だけ」とか。
武沢さん
僕が入院する前の、に、結構だから、その、落ち着いてガーッとやり出したのがだからもう秋ぐらいって事だよね?
武沢(兄)さん
そう、秋ぐらい。秋から冬にかけて。で、冬の間に作ってたの。
武沢さん
冬の間に作って。
武沢(兄)さん
年明けの、その年の年越しも、正月皆んなだいたいスタジオにこもってたし。
武沢さん
そうだよね。
武沢(兄)さん
良い曲いっぱい書いてたあの頃。
武沢さん
で、その年、その冬、に僕は事故ったの?
武沢(兄)さん
その冬、そう、その年、年が明けて正月が明けて、そう合宿解散して家に戻ったその日に。
武沢さん
そうか。
武沢(兄)さん
うん、その日におまえが事故に遭ったんだよ。
武沢さん
もうちょっと後かと思った。そこなんだ?
武沢(兄)さん
そうなんだよ、目まぐるしいんだよあの年。
武沢さん
早いんだね。
武沢(兄)さん
うん、色々あった一年満たない間に(笑)
武沢さん
うん。
横田さん
おー、そうですか…、
武沢(兄)さん
そうなんです。
武沢さん
で、だけどこの時にその集中して作ってたその、6人でやってたのかなじゃあ。
武沢(兄)さん
6人でやってた。うん。
武沢さん
そうだよね。
武沢(兄)さん
うん。
武沢さん
で、やってた曲が、今の曲とか、これから掛けるあの、安全地帯がデビューしてからちゃんとレコードにした曲も、作ってたって事に、
武沢(兄)さん
なるね。
武沢さん
ね。その短い間に。
武沢(兄)さん
そうだね。
武沢さん
なんですよ。
横田さん
そうなんですね。いやあ、有難うございます。武沢さんの確か事故った日っていうのは、あの記録が残ってるんですよね。
武沢さん
ああ。ウィキペディアに書いてありますからね。
横田さん
ええ、そして…
武沢さん
たしか冬だよ、
横田さん
これ、冬は冬なんだけど11月くらいじゃなかったっけかなぁ?…
武沢さん
…。
横田さん
まあまあ、いいんですよ。
武沢(兄)さん
よく分かんない。
横田さん
まぁいいんですわ。
武沢さん
僕もね〜、さすがにあの辺の記憶ってもう一年やってからなんか作った…、
横田さん
【 11月26日、武沢豊が飲酒運転の車に衝突され、肋骨全部の骨折 】っていう、11月26日って書いてある。
武沢さん
11月だっけ?
武沢(兄)さん
え〜?そうだっけ。
武沢さん
違う、その、本当に…
武沢(兄)さん
俺の記憶違い?
武沢さん
ひょっとしてその一年後じゃ、
横田さん
いやでもね、ちなみに記憶違いじゃ無いかも知れませんよ。このウィキペディア自体が信頼出来なくて、あの、前回も、あの俊也さんが、入った頃はまだインベーダーって名前だったみたいな、風にこれには書いてあるんですけども、この前のお話だと、インベーダー、あの、とは武沢さんと玉置さんとがやってて、そいで俊也さんが入ってきて安全地帯の名前に変わったってこの前言っておられたので、ウィキペディアに書いてあることはもうこれは間違いです。
武沢さん
間違いで。僕もウィキペディアに騙されて、そう思い込んでたんで。
横田さん
うん。うん、だ��ら、その武沢さんの11月26日ってこう書いてあるけど、ま、この情報が正しいかどうかはちょっと微妙です。
武沢さん
まぁ、微妙ですが、要はここででも、良い作品を作り出したっていうことで、でも色んな事があって僕がその後一年間以上入院してしまいまして。
横田さん
そうですねぇ。うん。
(後半へ続く)
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roughmusicsqueezer · 1 year ago
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2023年 年末ライブ
初の試みとしてスタジオ246十三店にて年末ライブを開催しました!
この日限りの「単発バンド」ばかりを集めて、 打ち上げ兼忘年会も同時に開催してきました。
楽しかった〜🎉
2024年も年末ライブ開催予定ですので、 ぜひ楽しみにしていてくださいね😃
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piano-lemontree · 1 year ago
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7/23 お試しリトミックイベント開催のお知らせ
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音楽教室「スタジオれもんの木」よりお知らせ!
今月7/23(日)、リトミック体験教室に占いセッションも加わった、”親子で楽しめる”特別イベントを開催します! 今回のイベントテーマは「宇宙と音楽」「親子で楽しむ」 宇宙や星を題材とした音楽を、歌や楽器で奏でましょう♪
また、お子様のためだけの時間ではなく、ママさんだけの特別な時間を… そういった思いより、今回は占いカウンセラーのkannaさんをお呼びし、コスミックタロットによる占いセッションを、リトミック受講者向けに実施いただけけます◎
リトミック体験にプラスして、落ち着いた空間で”あなた”だけの特別なセッションを受けてみませんか? 限られた時間ではありますが、リトミックと占いをお試し価格で同時に受けられる機会ですので、ぜひチェックしていただけたらと思います♪
日時:7/23(日)10:00〜13:00のうち、1時間のプログラム   (リトミック25分+占い25分) 受付:完全予約制 先着6組 対象:お子様連れのお客様 0歳〜未就学児、小学生低学年まで 金額:500円 場所:スタジオ檸檬の木(東京都杉並区方南・方南町駅 徒歩3分)
お申し込み方法:下記お問い合わせフォームよりお申し込みください。 追って担当者よりご連絡いたします。
https://forms.gle/HBmLeGb3uBuifgZv9
「スタジオれもんの木」初めての体験教室大型イベントとなります! お子様、保護者様に楽しんでいただけるようなプログラムを作って 鋭意準備中! 体験のみの参加ももちろん歓迎ですので、お気軽にスタジオに遊びに来ていただけたらと思います(^o^)
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natsu-no-kamisama · 10 months ago
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イラスト担当させていただきました
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yu-en · 3 months ago
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uihy
自室の記録
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5年前からルームシェアをしているSと一緒に引越しをしてから、3年が経った。寝室をSが、リビングを私が自室としている。私の部屋の正面には大きな窓があり、左右にもそれぞれ小窓がある。
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小窓1
装身具類の置き場所。ピアスを置いている鳥のレモン絞り器は、Fさんから貰ったもの。Fさんはよく動物のものをくれる。犬の形をした栓抜きや、野営をするくまの置物も彼からのプレゼントだった。
カートリッジインクの空き容器には、ヘアピンやネックレスを入れている。私の父��吸引式の万年筆を好んでいて、父から贈られたペン��インク瓶とセットのものが多かった。実家を出て外にいる時間が増えてからは、インクを切らすことが怖く、自然と替えのインクを持ち運べるカートリッジ式の万年筆を使うようになった。それからしばらく経ち、1年前にプログラマを辞めたことを手紙で報告すると、その数日後に「励まし」とボールペンが送られてきた。以降ずっとそのペンを使っているから、手持ちの万年筆はどれもインクを抜いてある。
よく付けるピアスは窓の縁に置いていて、どこかの喫茶店で使われていたらしい伝票入れには、硝子のオーナメントやトライアングルのビーターを差している。
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Hのくれたトライアングル本体は、腕時計とブレスレットを失くさないための場所として機能している。良くない使い方だと罪悪感を覚えてはクロスで磨いている。
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小窓2
『陶の家』を見かけたらひとつ買うというのを続けていて、現時点で3軒が建っている。少しずつ街になっていく。家の奥には、ミナペルホネンの好きなQさんにプレゼントしたものと色違いのタイルを置いている。
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小窓3
すぐぼろぼろにしてしまう指先のケア用品を置いている。H先輩に貰ったネイルオイルの磨硝子が好きだった。Fさんが動物をくれるように、この人は硝子をよくプレゼントしてくれる。硝子のオーナメントも、ステンドグラスのくまもH先輩から貰っている。
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窓を開閉するハンドル(オペレーターハンドルというらしい)に紐をかけて、ケーブルや電源類をまとめている。先日Eから貰った白いカールコードのシールドもここに下げている。黒い服ばかり着ているのに、Eには乳白色のイメージがある。“誤って人間として産まれてしまった天使”だと感じさせる人と知り合うことが何度かあり、Eもその中のひとりだった。
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向かって左には仕事用のシャツ、右には外套を何着か掛けている。秋冬用の服ばかりある。
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ここに越すことが決まってから最初に選んだ家具。プログラマになったばかりの頃、メモリの重要さを机の広さに喩えて教えられた。それで机は広いほど良いものだと認識したのか、気付けば横幅のある机ばかり探していた。天板の色を緑に決めて、部屋の軸に据えた。
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職場で割ってしまったマグカップに無線イヤホンや保湿クリームを入れている。シャツを濡らしたまま破片を持つ私を見て、笑ってくれる会社の人たち。これ以上は無いとよく思う。
ヘアクリップ入れにしている、ままごと用のような小さな花瓶も気に入っている。渋谷の蚤の市で友人へのプレゼントを選んでから、度々その人の店でものを買うようになった。銀色のトレイやハート型の赤い缶もその人から買った。
銀色の電源タップは前の部屋から持ってきたもの。あらゆる電子機器の電力をここから供給している。
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ギターをくれた友人たちが別の年の誕生日に合同出資してくれたオーディオインターフェースがモニターの下にある。未だに1-2と3-4の入力を同時にする方法が分からず、2つずつ付け替えながら使っている。これを貰ってからAudacityで曲を作り始めて、今もそのやり方をしている。会社の先輩には「システムを0と1だけで作ろうとしているみたいなものだよ」と言われたけれど、その頓馬さを含めて自分に馴染むので、Audacityをずっと使っている。キーボードがちょうど上に乗る。
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モニターの横にはmicroKORGを置いている。普段は誕生日に贈り物をしないと取り決めているSだけれど、数年前に何かで手を貸した際「この恩は倍にして返します」と言い、その年の誕生日にmicroKORGをプレゼントしてくれた。このシンセサイザが部屋に来てから、自分の生活が向かうことのできる方角が増えたように感じている。大切な楽器。
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microKORGには、新しい部屋で出した『野良の花壇』のマグネットを付けている。本来は冷蔵庫のために作られたマグネットだけれど、皆とスタジオにいる時にあって欲しく、ここに付けている。プリクラで来られなかった友達の似顔絵を描くような感覚。私の黒い冷蔵庫には、ピーター・ドイグの青鬼の絵と油絵の花のマグネットだけがある。
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机の下に、PC・トランクケース・スーツケースを置いている。PCはSのお下がりで、MacBookしか使ったことのなかった当時の私は、こんなに大きな箱がPCだなんて、と思っていた。PCの上に付けたアンテナは狐の顔のような形をしている。
トランクケースは大学2年のころ大枚をはたいて手に入れたもの。どこか遠出をする時はこれに荷物を詰めている。畳み終えた洗濯物をSの部屋へ運ぶ時のかごや、ギターを弾く時の足置きとしても使用。頑丈さに安心する。
スーツケースはついこの間、京都に長く滞在するために買った。銀色の次に、灰がかった青が好きだと思う。
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ギター・くま・本棚
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ギターは高校時代の友人たちが誕生日にくれたもの。19歳になったばかりの頃、当時の交際相手と出掛けた帰り、気が付いたら楽器屋にいた。ギターを2本持ったその人に「どっちがいい」と訊かれ、指差した方を買ってくれた。私にギターを与え、弾き方を教えてくれたことにずっと感謝している。その人と別れてしばらく経ち、誕生祝いに何が欲しいかを訊かれ、ギターを頼んだのだった。友人たちは「あえて白にしてみた」と笑っていた。今思えば、このギターを貰ってから白を自分のものにすることへの抵抗が弱くなった。ギターの届いた日、触っているのが楽しくて大学を休んだのを覚えている。
YAMAHAのアンプは義兄が使っているのを見て購入した。私が真似をしていると知って嬉しそうだった、と姉から教えてもらった。
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左端のくまは、元は白だったのだけれど、深い青のシーツで眠るのに付き合わせたせいで黝くなってしまった。Kの小説に「ヤニや涎で汚れてしまったのかしら」と書かれてからは、布で包んでいる。いつかぬいぐるみ病院に連れて行きたい。隣は一度も会ったことのない人が贈ってくれた黒いくまと、高校時代の交際相手が留学先のお土産として連れてきてくれた焦げ茶のくま。誰かとビデオ通話をする時にはよくパペットのくまに代理出席してもらっている。右は、地元や旅先の雑貨屋で見つけて連れてきてしまった(“しまった”という意識がずっとある)小麦と白のくま。グレーのワゴンに小さなギャッペを��いて、くまたちの場所としている。
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低い本棚の上
蓋のない宝箱。小物たちというより、質量のある記憶群という方が実感に近い。
西荻窪にあった喫茶店の閉業を知って沈んでいると、H先輩が「お店で使っていた品物を販売しているみたいです」と教えてくれた。黒い花瓶のあるおかげで、ずっとその店を忘れずにいられる。今はEのくれた竹とんぼや、Aさんのくれた花を入れている。ポストカードをしまっておける箱のついた額縁には、Aの写真を入れている。過去、「__の写真を写真展に出してもいいですか?」と、もう搬入の終わった状態で確認の連絡が来たことがあった。Aがごく稀に見せる、こういった強引さが大好きだった。展示を了承する代わりに譲ってもらったその時の写真たちは、勾配天井の部屋に暮らしていた時に飾っていた。上京してから借りたどの部屋にもAの写真を飾っている。そのほか、江の島で拾った石や、Tさんがライブ終わりに嵌めてくれた指環、Uさんと行った犬吠埼のイルカの置物、書ききれないほどの誰かと紐付いた宝物がある。
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声の依頼を受けた際、お礼にといただいた絵。額装までしてくれていた。元々この人の絵が好きだったので大喜びした。一度この絵を裏返さなければいけない時期があったので、また飾ることができて嬉しかった。
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高い本棚の上
小さなギターは、Kさんと一緒にRさんの部屋でパーティをした日、中古のおもちゃ屋で買ったもの。Rさんの部屋に戻った後もご機嫌に鳴らしていて、そのあと火事が起きた。カセットコンロの火がテーブルクロスに引火して、火が早送りのように広がっていくのを見た。三人で死ぬ映像がちらついた、次の瞬間には火が消えていて、振り向くと花瓶を持って息を切らしたRさんが立っていた。チューリップを活けていた水での消火。このおもちゃが生き延びた証明になっている。このあいだのアルバムに入れたフィールドレコーディング曲にはその日の日付が付けられていて、火のはじける音やこのおもちゃギターの音が入っていた。volca keysは初めて触ったシンセサイザ。自分ひとりである程度のことができるようになりたくて、リズムマシンとマルチエフェクターを買った。
銀色のバットはひとつ前に住んでいた部屋の近くにあった台所道具の店で買ったもので、前日と翌日のあいだの時間に携帯品を置いておく場所として使っている。
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Artekのスツール60を、椅子やベッドサイドテーブルとして使っている。パーティめいたことをする時には、3脚くっつけて大きなテーブルとして使う。雑貨屋でまとめて購入したので、その日で店のポイントカードが1枚分溜まった。そのカードをイッタラのキャンドルホルダーと交換してもらった。
銀色のトレイは、先述の蚤の市で知った店で買ったもの。部屋のポケットとして使っている。
“拯”の字は、精神がどうしようもなく落ちていた今年の始めに、Uさんが「書初めをしよう」と言って筆を持たせてくれたもの。翌月にまた京都を訪れた際に、国際会館のカフェスペースで焼き上がったものを渡してくれた。頭でばかり考えてはすぐに身体と疎通できなくなる私に、四肢のあることを思い出させてくれる友人。
本の上には気休めの紙魚対策として除湿剤と防虫剤を置いている。
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小窓4
Fさんからの犬の栓抜きと、Hに貰ったコンクリートの置物、H先輩が分けてくれた犬の箸置き。母の好きなミニチュアを贈る際、色違いのチューリップを自分にもひとつ購入して、端に置いている。自分のために生きた花を買えない反動か、花のモチーフのものを見かけると嬉しくてつい手が伸びる。
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キッチン
私の洗面台を兼ねている。私もSも、料理と呼べるような自炊は殆どしないので、調味料や調理器具が少なく、キッチンの収納部にはそれぞれの私物が仕舞われている。
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Mさんが引越し祝いに買ってくれたカセットコンロ。パンを焼く時やカフェオレを淹れる時に使う。組み立てる際の動作がロボットアニメのワンシーンを思い出させるので、人前で使う時には「変身!」と言うようにしている。
隣の空き瓶は元々ジンの入っていたもので、誰かに花をいただいた時には一旦ここに活けている。
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この部屋に越した時にIがプレゼントしてくれたローズマリーの石鹸の匂いが好きで、貰った分を使い切ってからも自分で買い直している。歯磨き粉はGUM以外だと落ち着かないので旅行先にも持っていく。歯ブラシはKENTのもので、最初に使ったあとの歯の滑らかさに感動して、誰かに共感してほしいあまりSに押し売りをした。それからSも同じものを使っているので、それぞれのストックも合わせると10本近くこの歯ブラシがある。右端はリングホルダー。左手の薬指に環を嵌めるようになってから、指環が好きになった。今は5本の指環を付けている。
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食器棚
H先輩のくれたくまを吊るしている。緑の石鹸はMさんのスペイン土産。ここに写っている鉄鍋も鉄フライパンも、写っていない3本の包丁も2枚のお盆も貰いもの。
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ソファ
机の天板に合わせて布を選んだ、三人掛けのソファ。毎日ここで眠っている。Sの部屋にある質の良いベッドよりも、薄いマットレスを敷いたソファの方がよく眠れる。枕に近い小窓のハンドルにエジソンランプを括りつけて、普段はその光で睡眠薬が効くまでを過ごしている。
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部屋のすぐ向かいには線路があり、3面の窓から電車の通る音や光が流れる。最終電車の後は、スケートボードの走る音や、酔った誰かの歌が聞こえる。この部屋で生活をしている。
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moment-japan · 6 months ago
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Shirley Bassey(CTS Studio,1964)
ノイマンのコンデンサーマイクU87に向かって007ゴールドフィンガーのオープニングテーマをレコーディングする英国人歌手のシャーリー・バッシー。
歌唱はシャーリー・バッシー、作・編曲はジョン・バリー、作詞はレスリー・ブリッカス女史とシンガーソングライターのアンソニー・ニューリーのふたりの共作により、ゴールドフィンガーのオープニングテーマはリリースされました。
音楽プロデューサー兼レコーディング・エンジニアは、無名のビートルズをEMIに採用したジョージ・マーティンが担当。
最初のデモテープの録音はアンソニー・ニューリーがボーカルを担当。
ほとんど知られていませんが、レコーディング本番直前にシャーリー・バッシーの歌唱で作られたデモ録音時のオーケストラメンバーの中に、セッション・ギタリストとして招集された若きジミー・ペイジの姿がありました。
後にGQ誌の取材に対しジミー・ペイジは「フルオーケストラでの演奏はミュージシャンになりたての自分にとって衝撃的で感動の連続でした。彼女は何のミスもなく、1テイクで収録が終わる完璧な歌唱で、最後のロングトーンの部分を歌い終わると彼女は床に倒れ込みました。オーケストラの最前列で私は彼女の一部始終を見ていたので、それはとてもドラマチックな光景で今も良く覚えています」と語っています。
本番のレコーディングは1964年の夏、ロンドンのCTSスタジオで、ギタリストにヴィック・フリックを迎え、こちらもバリー専属フルオーケストラでの録音でした。
この曲で一躍人気シンガーになったシャーリー・バッシーは、「20世紀後半の英国でもっとも人気のある女性歌手の一人」と呼ばれ、名実共、史上最も売れた女性アーティストの一人となり、後に女王エリザベス2世より大英帝国勲章デイム・コマンダー(司令官騎士)の称号を授けられました。
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hinge · 8 days ago
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Not-So FAQ for LGBTQIA+ daters
A growing resource addressing LGBTQIA+ daters' most pressing questions
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Hear more about #HingeNFAQ from Ash and Ang at https://hinge.nfaq.co
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hiromusicarts-blog · 1 year ago
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スマホの画面風で、こんばんは^^
スタジオのエアコンが故障中で、しばらく使えないのですが、扇風機だけで乗り切ります。
オヤスミナサイ Good night
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タイトル「crossroads」2023年9月27日発売 アーティスト:ヒロオガワ レーベル:サウンドデザインワークス 品番:HMA-9851 取り扱い 全国のCDショップ (お取り寄せ、新星堂を除く)   Amazon、タワレコ、HMV、楽天ブックス,CD Japan 等オンラインショップ 音楽配信:iTunes(Apple Music)、レコチョク、d-ミュージック、my sound、mora、spotify、Deezer等 定価 ¥2.200-(税抜き¥2.000)
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alien-melissa · 22 days ago
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★Jimrat
⋱ ★⭐︎𝐌𝐲 𝐅𝐚𝐯𝐨𝐫𝐢𝐭𝐞 𝐀𝐫𝐭𝐢𝐬𝐭 𝐨𝐟 𝟐𝟎𝟐𝟒⭐︎★ ⋰
ボストンを拠点とする実験的なロックバンド。私が彼らを見つけたのはyoutubeだったと思う、「I hate shoegaze 」という曲のMusicVideoが突然流れてきて街を駆け抜け、小さなスタジオで演奏する1分半もない映像が私に刺さった..................
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インタビューを探してみるとZINEの中でJimratは約10人で構成されたバンド兼アートコレクティブだと書かれている。
“The collective of Jimrat consists of vocalist and songwriter Sam, drummer Tim, bassist E guitarist/vocalist/synthesist Emma, guitarist/vocalist Josie, guitarist Jacob, electronic music producer Fern, artist and performed Lauren, photographer/performer/painter Stephen, and graphic designer/creative director Hector.”
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バンドメンバーの他にフォトグラファーやグラフィックデザイナーやクリエイティブデザイナー、パフォーマー、なども含まれている。
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彼らのスタイルは、ノイズロック、シューゲイズ、インディーロック、エレクトロニックな要素を融合していて、DIY精神に溢れたジャンルの境界を越えるアプローチ。アンビエント的なものも取り込まれていて10月のリリースされたシングルのカップリング曲「Again」「Give in」 は10分以上にも及ぶアンビエント楽曲となっている。
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本当にこれがかっこよくて好き。
バンドはWHO IS RECORDSというレーベルに所属し、これまでに複数のアルバムやシングルをリリース、彼らの作品には、ノスタルジックなインターネット美学が取り入れられていて、彼らのウェブサイトが特にそれを感じる。
instagram@whoisjimrat ←
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深い感情表現と実験的な音作り、シューゲイズ的な要素と大胆な電子音楽の組み合わせがかっこいい。ビジュアルやアートの面でも作り込まれた世界観が本当にかっこいい、、どんなプロジェクトでどんなことを表現しているかはYouTubeや彼らのウェブサイトをチェックするのが1番理解できると思う。
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インタビューの中で「全てのメンバーがプロジェクトに積極的に参加し、グループの決定に平等に発言権がある。」と書いてあったのも印象的だった。
遠く離れた行ったこともない知らない場所でこんなかっこいいことをしている人たちがいることになんか勝手に救われた。
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elle-p · 8 days ago
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The worst scans you've ever seen and transcription of the Persona 3 part of Cut April 2015
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2006年にPlayStation2用のゲームソフトとして発売された『ペルソナ3』。20万本以上のセールスを記録したRPGにして、小脱・コミック・ドラマCD・TVアニメなどさまざまなメディアに拡大してきた人気タイトルである。そして2013年より劇場版アニメとして公開されている本作は、原作ゲームの発表から10年近くを経てなお拡大を続けている稀有な作品でもある。斬新なビジュアルや深い感情移入を促すストーリー、中毒性をもたらすゲームシステムなど、本作の面白さを象徴するトピックは数多い。その中でも特に強調したい『P3』の魅力-それは、発売当時ユーザーに衝撃を与えた革新的な音楽と、受け手の想像力をかき立てるパーソナリティを持った主人公の存在だ。今回は劇場版の第3章公開を機に、『P3』の音楽を一手に担うコンポーザーの目黒将司と、主人公を演じる声優・石田彰に登場願った。『P3』が広く深く愛される理由を、彼らの言葉から読み解いてみよう。
『PERSONA3 THE MOVIE』
目黒将司
『ペルソナ3』を特別たらしめた音楽の「革命」とは何か
テキスト=清水大輔 text by Daisuke Shimizu
『PERSONA3 THE MOVIE #3 Falling Down』4月4日公開、アニプレックス配給 ©ATLUS ©SEGA/劇場版「ペルソナ3」製作委員会
SHOJI MEGURO
1本のRPGとして2006年に登場した『ペルソナ3』 (以下『P3』) がさまざまなメディアに選出しながら現在まで愛され続け、劇場版アニメが公開されるほどの支持を獲得できた理由。それを考える上で、同作品の音楽の斬新さは絶対に外せない要素のひとつだ。では、『P3』の音楽とは何だったのか-それは、本文中で何度か述べさせてもらっているとおり、一言で表すならば「革命」である。最も象徴的なのはフィールドやバトルのBGMにボーカル曲が採用されていることだが、それぞれの楽曲がユーザーの潜在的な欲求に応え、『P3』の世界観を押し広げる大きなうねりとなったことで、本作へのユーザーの熱量が持続してきた側面もあると思う。実際、『P3』やシリーズの他作品の楽曲を演奏する「PERSONA MUSIC LIVE BAND」のライブが日本武道館で開催されていることからも、その支持の深度が窺えるのではないか。そんな『P3』の音楽を手掛けているのが、アトラスのチーフコンポーザーである目黒将司。同社のあらゆるゲーム作品に寄り添う名曲を送り出してきた作曲家・目黒による『P3』の楽曲は、単に「ゲームのBGM」の枠にとどまらない「ポップ・ミュージック」としての力を内包している。 劇場版第3章の公開を機に、革命的な音楽が生まれた背景を聞いた。
目黒さん自身も関わられた劇場版の第1章、第2章ですが、ご覧になってどんなことを感じましたか?
「ウチが作ったゲームを、監督さんからスタッフの皆さんまで全員が理解して、すごく的確なアレンジをしてくれた作品だなあ、と思いました。ファンの目線で見たらすごく喜んでもらえるような映画だと思うし、このスタッフさんたちにやってもらえてほんとによかったなっていう」
目黒さんが『P3』の音楽を最初に作られたのはそれこそ10年くらい前になりますけど、劇場にかかること自体はやはりすごく特別なことだったんじゃないですか。
「そうですね。劇場版の音楽をやらせていただけるのはすごく光栄なことで、もちろんふたつ返事でやらせていただいたんですけども。曲作り自体は特別ガラッと変えることはなかったんですが、ゲームでは表現しきれなかったところを、秒単位で細かく表現できたのは嬉しかったです。それから『ペルソナ』のファンに恩返しができるような感じもあって、そういう感情は大きかったかもしれないですね。技術的には、作った当時よりきれいにできたけど、『P3』とあまり変わってないのかなっていう気はします。結局、僕が『P3』の音楽だと思って作る以上は違ったものはできないし、ファンの方々が求めているであろう『P3』から逸敗しないものを作るのは大前提にあって、それは特に意識しないでもできるというか」
無意識のところに『P3』の音楽はかくあるべし、というものがあるということでしょうか。
「そうですね。当時『P3』を作る段階で、僕の中の造語なんですけど、『フューチャーポップ』を作ろうと思ったんです。後日検索したらフューチャーポップってジャンルがあって、『どうしよう、かぶっちゃった』っていうのはあったんですけど(笑)。なので、基軸となっているのは僕の中で考えるフューチャーポップっていうジャンルで、それを作れば『P3』の音楽になるという感覚です」
作品がたまたま歌を呼んでいた。ゲームに呼ばれて歌を入れた、っていう感じです
いちユーザーとして当時『P3』をプレイして、ほんとに革命的なゲーム音楽だなあと思ったんです。ゲームのBGMでありつつ、単に作品に添えられたBGMというだけではなくて、音楽として本当に素晴らしいものだと感じたんですけども。
「革命という意味では、たぶん『P3』自体がウチの会社の中で革命的だったのかなとは思います。もちろん、当時から革命を起こそうぜっていうノリではなかったですけど、結果的に『1』『2』の流れから見たら革命的なゲームになったので、その作品についた曲だったから革命に見えたのかもしれない(笑)。ただ、音楽の面でファンに驚きを与えたい、楽しませたいっていうのは常に考えているので、その驚きの部分でそれまでとは違った感覚で受け入れられたのかなあ、とは思うんですけど。『P3』は、基本的には『ペルソナ』のゲーム音楽の中でも斬新なところをやってるっていう考え方はあって、やっぱりBGMに歌が入ってるのは大きいと思います。このゲームはわりとインターフェースも変わっていて、初期の段階にいろんなサンプルを見て、サウンド面でも新しいことをやってやろうと思ってました。で、ボイスが入っていたら、たぶんみんなビックリするだろうなあ、と」
おっしゃるとおり、たとえば戦闘シーンのBGMがボーカル曲だったのは当時衝撃的でした。「この音楽でイケる!」って確信を持てたのはどんな瞬間でしたか?
「それはもう、作ってる段階ですね。画面なりシナリオなりを見ていて、もちろんこの『P3』の世界観が一番大きかったんですけども、『これは歌入れるよなあ』っていう感覚は普通にありましたね。それよりも、歌を録音して、何曲もBGMとして入れることのコストやノウハウが当時のウチにはなかったので、『歌入れなきゃなんないけど、どうしよう?』っていうのが一番大きかったかもしれないです。ボーカルのツテもないし、どうスタジオをブッキングしたらいいかもわからない。何もわかんないけど、俺しかやる人いないから、しょうがないなあ、頑張るかあって思ったところが、当時の自分に対して一番褒めてやりたいところですね(笑)。ただ、その部分は『P3』が特別なわけではなくて、他の『女神転生 (真・女神転生Ⅲ・NOCTURNE)』だったり、いろんな作品でも『あっ、これ歌入れなきゃ』ってことになったらやるし、『尺八の音必要だよな』ってなったら尺八を演奏できる誰かを探して、スタジオをどうやって取ったらいいかとか知らなくても飛び込んだと思うし。なので『P3』がたまたま『あっ、歌入れなきゃいけない』と思う作品だった、というところで勇気をもたらされた感じですかね」
でも、『P3』の音楽を作ったことで、目黒さん自身の作曲家としての幅は広がったわけですよね。
「そこは転機になりましたね 。いつもどおり、他の作品と分け隔てなく音楽を作ってましたけども、結果的にはすごくいろんな面で転機にはなってます。今は40を過ぎたので、作っていると初期の段階から『こういうふうに受け入れられるだろうなあ』というのは経験則で見えてくるし、大体の予想をしているんです。他の作品なら、たとえば『ペルソナ4』(以下『P4』) のときも『あっ、歌をやっていいんだ。じゃあ次も歌ものをやろう』っていう感じではなくて、作品がたまたま歌を呼んでいたと。もう、ゲームに呼ばれて歌を入れた、っていう感じですね」
『P3』の音楽を作ったときも、想像していた反応と実際の反応が重なった体験をされたんですか?
「そうですね、サントラを出したときは正直売れると思ってました」
(笑)それはすごい!
「(笑)なぜかというと、僕の白がい いから、とかではなくて、ちょうどその頃バスタソースの《♪うた~らこ~》が毎日のようにCMで流れていて、CD化されたらバーンと何万枚も売れたんですよ。それと同じことで、ゲームでずうっと同じボーカル曲を聴かされたら、『なんだろう?ちょっと買っちゃおうかな』ってなるだろうなとは予想してました」
それはすごく面白いお話で、その時点でゲームBGMの枠を飛び越えてますよね。というのも、メロディであったり楽曲自体が、ゲームで流れてる音楽っていう意味を超えて届いていってるということでもあると思うんですよ。たらこは世の中のそこら中に流れてたかもしれないですけど、『P3』の音楽は『P3』をプレイしている人にしか届かない。でも売れたというのは、それだけ深くささったということですよね。
「かもしれない。たらこのCMを聴いて届いちゃってボーンと売れたのと、ウチのゲームが20万本以上売れて、ボーカル曲が響いちゃって『なんだこれ?』と思って買っちゃった方の割合はそんなに変わらないかもしれないですね。『P3』の音楽を作ってる段階では、『なんだこりゃ?』って思う人もたくさんいるだろう、でも作品内のBGMとしては合ってるという評価は得られるだろうなあ、っていう感覚はあって。で、サントラを出すときは、あれだけ何回も聴いて刷り込まれているから、きっと今までになく売れるだろうなあ、とは当時思ってました。ただ、『P3』で特別みんなに突き刺さるカッコいいボッブスを作ってやろうという気はなく-いや、もちろんカッコいいボップスを作りたいとは思っているんですが、それは『P3』に限ったことではなくて」
ただ、結果としてこの音楽を好きになって買った人がたくさんいるわけで、もはやそれはポップミュージックであると言えますよね。
「ああ、なるほど」
物語に添えられることで、すごく意味がある。そして、物語が一緒になっていなくても聴き手にとって意味がある。『P3』の音楽ってそういうものだったと思うんですけども。
「それは『P3』がそういう範囲の曲まで許されるゲームだった、ということでもあるんじゃないんですかね。許容範囲が広かった。『真・女神転生』や『デビルサマナー』にしても、こういう世界観でこういうお話だからこんな音楽、っていう、どこの部分をやるとプレイヤーを驚かせられるか、楽しませられるか、作品に呼ばれてる中でどこを狙うか、の範囲が、『P3』は広かったんじゃないかと思います。結局、『ゲームにつける音楽はこうだよね』というのは、シナリオなり設定なりを見ていって、それに合わせるという感じなので」
なるほど。
「ちょっと象徴的なお話になるんですけど、『ペルソナ』は『3』も『4』もいくつかスピンオフの作品が出ているんですね。そこでは僕じゃなくて部下の小塚 (良太) や喜多條 (敦志) が担当しているんですけど、特に喜多條は “『ペルソナ』らしさとは何か” とか、過去の作品にとらわれすぎていて、いかに目黒が作った曲を真似するか、から入っていったので、まあ最初はクソみたいな曲しかできなかったんですよ(笑)。で、『それは劣化目黒の曲になっちゃうからダメだ、喜多修くんが思う “ペルソナ” の音楽はこうあるべきだっていうのを自分で考えてやらないと』っていうことをずっと言っていて。それで彼は目覚めていい曲が書けるようになって、作品にもなってるんです。なんか、そういうことなんじゃないかなあと思いますね。作品の担当者、作曲家が思う “『ペルソナ』の曲ってこういうことだ” っていうことをしっかり表現すればいいだけなのかな、という。『ペルソナ』という作品からどういう曲が呼ばれているか、それに対して自分なりのアウトプットをすることが重要なのかなあと思いますね。話を戻すと、『P3』の場合はみんなが音楽としても普通に聴けるような曲がBGMとして合ってる、と作品が言ってたから作れた音楽なんじゃないかと思います」
こういう音楽が合ってる、と言ってきた作品は『P3』が最初ですか。
「最初ですね、ええ」
それって革命ですよね(笑)。
「(笑)だからやっぱり『P3』のゲームが革命なんですよ。僕はあくまで革命に乗っかったんです」
ライブでは、予想しなかった部分で「こういうふうに愛していただいてるんだ」っていう発見がある
『P3』の音楽が届く範囲はどんどん広がっていて、もとはゲームのBGMとして作られた楽曲をいろんな方が歌って、武道館でバンドが演奏していますよね。それってほんとにすごいことだと思うんですけど、実際お客さんの目の前で演乗したときはどんなことを感じますか?
「僕自身はライブは買っていただいたファンの方々とのコミュニケーションの場なのかなと思ってます。予想しなかった部分で、『ああ、こういうふうに愛していただいてるんだ』っていう発見がいろいろありますね。ライブに関しては、『P3』のサントラが出るときに、足立 (和紀/アニプレックスブロデューサー)さんと、『これはライブをやったらソニーミュージックのオフィスのカフェテラスくらいは埋まるよね、ウケるよね、やりましょうよ』っていう話を実はしていて(笑)」
そして気づいたら武道館まで行ってしまった、と(笑)。
「あそこまでデカくなるとは思ってなかったですけど(笑)、どうファンに恩返しができるかなっていうのはずっと考えていて。そこでみんなに楽しんでいただけたらいいし、逆に僕も皆さんのペルソナ愛ってこういうものなんだっていうことを、すごく勉強させてもらってます」
わかりました。ではシンプルにお聞きしますが、目黒さんにとって『ペルソナ3』とは何ですか?
「『ペルソナ3』は担当したゲームのうちのひとつですが、僕自身のいろんなキャリアも含めて、転機になった作品だとは思います。一番は、目黒将司っていう名前を世の中に少しだけ広める転機になったのかな、ということですね。それってけっこう大きくて、いろんなお仕事もいただけるようになるし、すごく大事なところだなあと思いますね。僕自身の作曲のスキルは、『P3』だけじゃなく、いろんな作品をやりながら徐々に上がっていってると思います」
『P3』だけでなくさまざまな作品を手がけてきた経験を、次回作 の『ペルソナ5』にどう反映していきたいと考えていますか?
「常に思ってることなんですけど、僕はまだまだ全然だなと。自分を卑下してるわけじゃなくて、僕自身、作曲家としてもっとよくなれるっていう感覚でいます。なので、『P3』『P4』でゲーム音楽業界の確固たる地位を得た、みたいな感覚はまったくないです。『ペルソナ5』も、今までに得たノウハウを導入して、よりよいゲームになるように音楽を作っていくだけですね」
めぐろしょうじ
1971年生まれ。1996年株式会社アトラス入社、現在同社クリエイティブ部サウンドチーム ディレクター/チーフコンポーザー。『女神異聞録ペルソナ』(96年) で一部楽曲を担当、以降『ペルソナ』『真・女神転生』シリーズなど数多くの作品で音楽制作を担当。
石田彰
「ゼロの存在」を肉体化させた10年間。その道のりで得たものとは
テキスト=清水大輔 text by Daisuke Shimizu
AKIRA ISHIDA
『PERSONA3 THE MOVIE』の原作『ペルソナ3』は、いちユーザーとして見ると特殊なゲームであるように思う。基本的に、劇中の主人公にほぼセリフはなく、何事にも一歩引いたパーソナリティの持ち主である彼が、さまざまな出会いを通して変化と成長を遂げ、やがて大きな運命を背負っていく-この構造に感情移入し、作品にのめりこんだユーザーがものすごく多いということは、発売から10年近くを経た今劇場版としてアニメ化されたという事実が証明している。受け手の想像力をかき立てる存在としてのこの主人公には、『ペルソナ3』という作品だからこその魅力があるのだ。劇場版では結城 理という名前を与えられた主人公を演じてきたのが、『新世紀エヴァンゲリオン』の渚カヲル役や『機動戦士ガンダムSEED』のアスラン・ザラ役で知られる声優・石田彰。現在の日本のアニメ界には欠かせない名優のひとりだが、彼はこの「主人公」から何を感じ、受け取り、どのような過程を経て「ゼロの存在」だったキャラクターを肉体化させていったのか。原作ゲームとの出会いから劇場版に臨んだ際の心情まで、幅広く語ってもらった。
最初は、「とにかく邪魔にならないようにしよう」という発想だった
まずは、彼に出会ったときにどんな印象を受けましたか?というところからお話を聞かせてください。
「原作ゲームでは “主人公のセリフ。” というのはないんですね。なので、プレイヤーの人が気持ちよくゲームをできるような声を求められてるんだなと、一番最初はそういうふうにとらえていたので、『とにかく邪魔にならないようにしよう』っていう発想でしたね。その後、ドラマCDをやらせていただくことになって、そのときに初めて『ああ、こういうことを言う人なんだ』『なるほど、こういうタイプの人間なのね』っていうことがわかってきて。“主人公” というキャラクターが自分の中でどんどん厚みが出て固まってきて、あとからイメージが大きく育っていったところがありますね」
なるほど。
「彼は、普段こう、自分から進んで何かしようというキャラクターではないので、そこはメリハリというよりも、むしろ何かあったときに頼りがいがあることに違和感が出るくらい、普段はさめている感じをちゃんと持っておかないと、成り立たなくなるんです。まずそこが、“主人公” としての意識を持つときの一番のポイントですね。で、それをやっているとだんだん面白くなってくるんです。ある意味変な人なので(笑)。『なんかひとりだけ消費カロリーが少ないなあ』っていうところがあるんですけれども、そこに面白さを感じてたりしましたね」
変ではあるけれど、同時にすごく受け入れられて、愛されているキャラクターでもありますよね。
「静の部分での特徴はすごく大きい人ですが、決して『こういうキャラです!』っていう動的な特徴の出し方ではありません。だから皆さんに受け入れてもらえているのはなぜかと考えると、最初に立ち戻って、“主人公” としてあまり色を出さなかったのがよかったんだと思います。このキャラクターをどう作った、ということではなくて、削いでいって、要素をなくしていった結果、ゲームの楽しさに引っ張られて皆さんが彼を受け入れてくれたのかな?という気がします」
今こうして劇場版で絵がついて、ご自身でセリフを入れた「主人公」が結城 理という名前を与えられて動いてしゃべっている。その姿というのは、10年近く彼と向き合ってきた石田さんにとっても感慨深いものがあったんじゃないですか?
「何より名前がついたのが嬉しかったですね。それこそドラマCDでも “主人公” っていうクレジットでしたから、やっと名前がついたことがとてもとても嬉しかったです。それだけで、映画になってよかったなって思うくらい(笑)。『ペルソナ3』は長年続いてきて、自分の中でもそうそう終わらないものという意識があったし、本当にこう、想像以上にいい子に育ってくれた気がします(笑)」
(笑)劇場版の主人公である結城 理は、原作ゲームやドラマCD以上に、特に物語の序盤では厭世感が強い人物として描かれている印象を受けました。今までの “主人公”と理を演じ分ける上で、意謡の違いはありましたか?
「いや、僕の感覚ではそんなに違いをつけるつもりはなんです。むしろ第1章を録り終えたときに、ずいぶんとフレンドリーになったなっていう感覚があったくらいで」
なるほど。特に第1章は距離があるというか、何か1枚挟んだ向こう側からしゃべっている感じがあると思いまして。だからこそ、第2章、第3章で仲間を思う気持ちが強くなっていく描写が効くというか。
「正直、第1章と第2章、3章との違いで言えば、第1章は劇場版ということで気負っていた部分はありますね。最初、けっこう気負ってガチガチになって球を投げていたところがあるんだと思います。でも、得体の知れないものとガチで戦わなきゃいけなくなりました、さあどうします?っていう物語の導入部である第1章が終わって、第2章では高校生の楽しい日常みたいなやわらかい話も入ってきて。なおかつ第3章では理と対比されるキャラクターも出てきて、こっちはこうだけど、そっちはそうだよねっていう見せ方ができてきたんですね。だから第2章、第3章になって変化球も使えるようになったというか、自分の武器が増えたのに比べて、第1章ではストレートでいくしかない、打たれないためにはとにかくスピードを出さなきゃっていう、そういうところにしかすがれないと思っていたわけです。なので、自分自身の緊張感という部分での差は、第1章と他の豊とを比べるとあると思いますね」
第3章では理に加えてファルロスと綾時を含めた3役を演じられたわけですけど、ファルロスと綾時がいることによって、石田さんの中で理の人物像がよりハッキリしていったところもあるのでしょうか。
「理と綾時は、お互いに持ってない部分を表しているキャラクターだと思うんですね。大きくとらえてしまえばファルロスもその一部なんですけど、理というのは、自分が関わってることはすべて自分でコントロールしてなんとかするべき、という部分を表す人だと思っていて。で、綾時は人と接しやすいように壁を薄く薄くして、その壁はフィルム状にしてすごく薄く見せることで人とベタッとくっつける、相手と距離を縮められるっていう、そういうやり方ができるキャラクターで。その両方を演じるというのは、自分の中でもバランスが取りやすいんです。2役やる、3役やるというのはフィジカル的には大変で、ちょっと負担になったりもするんですが、物語の中で理と綾時は対をなすキャラクターと言われたときに、それを自分の手の中でやれるのは、自分にとってすごくわかりやすいですね。逆にひとりでやっている分、その両方のキャラクターが自分の範疇を超えていかないので、思ってもみなかったものが生まれない部分もありますけど、なんとか納得のいくものにさせていただけたなと思います」
第3章を拝見して印象的だったのが、理が心の底から笑うシーンで。原作のゲームからこのキャラクターを知ってる身からするとすごくグッとくるシーンなんですが、石田さんにとってもすごく大事なシーンだったんじゃないですか?
「そうですね。理が『どこまでみんなに溶け込んでいくのか?』っていうところが物語のポイントになるので、確かにすごく大事だと思います。大事だし、第2章の屋久島に行くシーンあたりから、『壁取り払い始めてるよね、君』みたいなことは理に対して思ったりもしてました。ずっと仲間と一緒に行動をしているし、徐々に徐々に距離は詰めていってるんだけど、理なりのみんなへの近づき方として、僕にとって一番わかりやすい近づき方をしたのが今おっしゃったシーンだと思います。いろいろ迷って、迷って迷って、最終的に『自分はこうするんだ!』って決めて行動に出たのがそこなのかなっていう気もちょっとしていて。でもそれは、映画を観てくださる皆さんがそれぞれの理像を受け取ってもらって、理の理らしいところってここだよねっていうポイントを持っていただけたらいいと思いますね」
薄い色を何回も何回も、何十回も重ねていきながら濃くしていった。そういう作業です
今後、物語は佳境に入っていくわけですが、どのようなイメージを持って臨みたいと考えていますか?
「そうですね、話の流れを意識して、観てるお客さんを泣かせてやろうとそういうスケベ心を出さないようにしようかなと」
(笑)。
「そういうことを考えると、よく失敗するので(笑)。そうしたいっていう感覚は湧いてくると思うんですよ。思うんですいく、そこは抑えてやらなきゃいけないんじゃないかな」
わかりました。では最後に、「声優・石田彰にとって『ペルソナ3』とは何か?」というお話を伺いたいと思います。10年間演じる中で主人公の彼がどんどん肉付けされていって、石田さんにとっても、観ている人にとっても人物像が見えてきましたよね。そういうキャラクターを演じる経験というのは、やはりすごく大きいことなのでは、と思うんですけども。
「ひとつのキャラクターを、その成長も含めて長ーいスパンでやらせていただくというのは、限られた運のいいキャラクターでしか経験できないんですよね。これだけいろいろとこの主人公について考える、特に劇場版になってそういう機会を与えてもらえたなと。すごくこう、ひとつのキャラクターを深く掘り下げることができた作品だし、そういう作業を強いられたキャラクターでもあって(笑)、いい修行をさせてもらったと思います。感覚としては、薄い色何回も何回も、何十回も重ねていきながら濃くしていったっていう、そういう作業ですかね。最初の頃は、ここにも塗り残しがある、こんなところにも範囲があったっていう発見がいっぱいあって、それが出揃って見渡せてからも作品が続いているので、そこにどんどん色を塗り重ねていってる感覚ですね。そこに面白さを感じながらやっています」
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locationhunting · 1 year ago
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tomorrowxtogether · 1 year ago
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