#雨天備案
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サイドシートの君
ゆかは旅先で呼んだコールガール。
地元が近いのと趣味が合った事がきっかけで連絡先を交換した。
そしてお盆の帰省のタイミングで会う約束を決めた。
ゆかのいる町まで車で一時間ほど。
来るか来ないかは半信半疑だった。
約束を破るような子では無いと思ってはいたけれど、連絡の返信の遅さがちょっと気になっていて、来なければ来ないでいいやと思っていた。
約束の時間の十分前に待ち合わせ場所に着いて車を停めた。
ゆかに着いた事と車の特徴を書いたメッセージを送る。
来ても遅れるだろうと思い、二十分後に発走する競馬を予想して買った。
既読が着いたのは約束の時間を二分過ぎたあたり。
あと五分くらいで着くらしい。
少し安心した。
それから十分後にメッセージ。
車のナンバーはこれですか?と来て、車の後ろを振り向くと、こちらを見ているゆかと目が合った。
���招きをして助手席に呼ぶ。
ゆかが席に乗り込んでくる。
「すみません」
「久しぶり」
「お久しぶりです」
「元気だった?」
「はい」
「ありがとね、来てくれて」
「いえいえ」
「じゃあ行こうか」
プランを二つ提案した結果、神社に行って近くにある貝出汁のラーメンを食べることにした。
近くのコンビニでコーヒーを買う。
「そうだ、さっき競馬買ってたんだよね」
「そうなんですか」
「一緒に見る?」
「見ましょう!」
一緒に見たレースは見事に的中だった。
ゆかも喜んでいた。
車を走らせる。
車内ではゆかが同棲中の彼氏に薦められて見た頭文字Dの話を熱く語っていた。
今度聖地巡礼に行くらしい。いろは坂はあのまんまだよと言っておいた。
ゆかが今日着ている服はライトなロリータ風のワンピースで、童顔の彼女にはそれがとても似合っていたので伝えた。
嬉しそうに笑うゆか。ロジータというブランドらしい。
田舎道を走っているとひまわり畑を見つけた。
下りてみると一面ひまわりが咲き誇っていて、その後方にある風力発電のプロペラがまたいい味を出していた。
夢中で写真を撮るゆかは無邪気な少女のようで、転んてしまわないか心配になるくらいだった。
車を再び走らせて神社へ向かう。
険しい階段を上って本殿でお参りをする。
「五円あった」ゆかが財布から硬貨を取り出す。
「俺は欲張りだから五円が十倍あるように五十円にするよ」
「なるほど!」
神様に祈ったことは今日が楽しく終わりますように。きつねの神様は俺を助けてくれるだろうか。
反対側に下りて行くと無数の赤い鳥居が並んでいる。何度来ても圧倒されるが、ゆかも同じだったようだ。
ここで少し雨が落ちてくるが気にせずに歩いていく。鳥居の中を歩いていくと横に水場がある。そこに咲く蓮の花を見つけたのでゆかに教えると鳥居から蓮にスマホを向けて撮影した。
白い花びらが水から顔を出して咲く姿は可愛らしさだけではなく強さも感じた。何となくそれはゆかの姿にも重なった。
高台から鳥居が並ぶのを眺める。
雨が本降りになってきたので木の下で雨宿り。
ゆかの持っている赤いバッグには傘が入っていないらしい。
「折りたたみもってくればよかった」
「雨降るなんて考えてなかったよ」
「県の真ん中の方は降るって聞いてたんだけどなぁ」
「しゃあないよ、ここ真ん中じゃないし」
しばらく経ってもやま���い雨。結局少し濡れながら歩くことにした。
雨降りにも関わらず別な色の蓮の花を見つけて二人で写真を撮った。
階段を上って下り、おみくじをひいた。
天然石が入ってるおみくじで、パワーストーンが好きなゆかにはぴったりだった。
昼食の時間になったので店へ向かうが、時期や時間もあって行列ができていたので、同じく貝出汁のラーメンを出している別な店で食べることにした。
運良くすぐに座れ、ゆかとあれこれ話した。
ゆかは小学校から高校まで卓球をしていたらしい。
大学ではクラゲの研究をしていて、クラゲの生態にも詳しかった。
「一応理系なんで」
確かに同人小説を書き方を聞いたら実に論理的に話を作っているなと感じていた。
そんな話をしているとラーメンが出来上がって食べた。貝の出汁とバターの風味がうまくマッチしていて絶品だった。ゆかも気に入ってくれたようだ。
店の外に出るとまたもや雨。
近くの公園にあった遊具も濡れていた。
「晴れてたらやりたかったのになぁ」
「これじゃ濡れちゃうね」
残念そうにするゆか。
ここの段階で時間は十三時をまわっていた。ゆかは十六時くらいまでならと言っていたので、次の場所を迷ったが、思い切って賭けに出ることにした。
市街地へ車を走らせる。
「あのさ」
「ん、なに?」
「夜の仕事、まだやってるの?」
「いや、しばらくやってない。昼の仕事で稼げるようになったから。このままやめようと思ってる」
「そっか、昼の仕事が順調ならいいね」
「うん、もう知らない人に会わなくてもいい」
「お疲れ様。よう頑張ったと思うよ」
「彼には絶対言えないけどね」
「体調もよさそうだね」
「うん、抗うつ剤は飲んでないし、元気になったよ」
「よかったよ」
ゆかの手に触れて握ると、握り返してくれた。
川沿いの堤防を走る。
カーステレオからは真夏の果実。
市街地にあるホテルへ入り車を停めた。
ゆかの表情は暗くて見えなかった。
「いい?」
「タダじゃ嫌」
「そっか」
その返答は予測していた。元々は金で繋がった関係だ。
「いくらくれる?」
価格交渉が始まるが、割とすぐにまとまった。
タッチパネルで安い部屋を選んで入る。横にあるシャンプーバーの香りが鼻についた。
部屋に入ってソファに座る。
唇を重ね、ゆかの胸に顔をうずめた。
その後の事は何となくしか覚えていない。何度もキスをして、何度も愛を囁いた。
そして二人並んで眠った。
ゆかの寝息を聞きながら時間を気にしていた。
リミットの時間はとうに過ぎている。
目を覚ましたゆかに聞いた。
「時間大丈夫なの?」
「ああ、うん。別に花火があるからそれまでに帰れれば。そんな花火見たいわけじゃないんだけど」
その日はゆかの住む町で祭りがあって二十時から花火が上がる日だった。
「そっかそっか。一緒に見る?」
「うーん、誰かに見られると嫌だから」
「だよな」
その後はゆかの書いた小説を読んだ。そしたら俺もゆかに自分の書いた物を見せたくなった。
「ゆかの事書いた作品があるんだけど見る?」
「えー!恥ずかしいからやだ」
「まあまあ、自分だと思って見なきゃいいからさ」
「うーん、ちょっと興味はあるんだけどね」
そしてTumblrに投稿してたコールガールを見せた。
時に笑いながら、時に考えながら読んでいた。
「この表現好き」
ゆかを花に例えた部分が気に入ったらしい。
「人の書いたもの見ると勉強になる。すごく読みやすかった」
「ありがとう」
「今日の事も書くの?」
「そうだなぁ、たぶん書く」
「めっちゃ恥ずかしい」
そんな事を話しながら、不思議な関係だなと思った。
現実で会った人にTumblrを見せたのは初めてだった。
彼女でもなければセフレでも無い。そもそも会って二回目の関係なんだから名前をつけようにもまだ難しいだろう。
それでもこの関係は何だろうと思いながら気づけば温くなった風呂に二人で入ってい��。
洗面台で歯を磨くゆかに後ろから抱きついたり、服を着るのを邪魔してみたりした。
帰路につく。
夕焼けの時間だった。
この様子だとゆかの町に着くのは十九時くらいになりそうだ。
「今日さ」
「うん」
「何で来てくれたの?」
「えっ、うーん…誘われたし暇だったから」
「そっか。お金もらえるって思ってた?」
「いや、それはない。ただ会ったらするかもなとは思ってた」
「そうなんだ」
「うん」
途中の海辺で夕焼けの写真を撮った。
「すごくいいね!あとで送って」
「いいよ、今送るよ」
すぐゆかに送った。
「ありがとう」
そっとゆかの手に触れた。自然と繋ぐ。
車は海沿いの道を駆け抜けていく。
町に着くと大勢の人で賑わっていた。
「どこで下ろせばいい?」
「真ん中は嫌だから…朝会ったとこ」
そこへ向かって車を進めると、警備の人が立っていて入れなかった。
「ちょっと入れないな…」
「うーん、どうしよう」
ぐるぐると町中を周る。
「やっぱ入れないよ」
「離れたとこなら一緒に見てもいい」
「えっ、あっ、そっか。じゃあそうしよか」
「うん」
「食べ物買いに行こか」
「屋台はダメだよ。知ってる人いるかもしれないから」
「そうだな。コンビニでいいか」
その町にある唯一のコンビニで食事を買った。
その隣りにある駐車場から花火が見えそうだったので、そこに停めて見ることに決めた。
花火が始まる。
ここでもゆかは写真を撮るのに夢中。
俺も撮ってみたけれど、信号が邪魔して上手く撮れなかった。
合間に見せてくれるゆかの写真は上手に撮れていた。
プログラムの間、ひたすらゆかはスマホをいじっている。その動きが止まると俺のスマホに通知が来た。
「アルバム作った」
開いてみるとトーク画面に日付が入ったアルバムが出来ていた。花火や蓮、ひまわりの写真がたくさんおさまっていた。
「おー、いいね。ありがとう!」
「ふふっ」
ゆかはまた外にスマホを向けた。
「あの色はリンで…」
花火の色を見ながらそんな事を言っていた。
「覚えたことって言いたくなるよね」
ゆかが笑う。そうだなと俺も笑う。
あっという間に花火大会は終わった。
「帰ろっか」
「うん…」
帰りに降ろす場所を探しながら車を進めた。
「あっちに行くと公園がある」
「そこで降ろす?」
「いや、遠いからいい」
「行ってみようか?」
「うん」
公園に行くと暗くてよくわからなかったが、日中は眺めがいいだろうなと思った。
「あっちには小学校がある」
「行ってみよか」
何となくゆかの気持ちがわかった。
「あれだろ」
「なに」
「別れが惜しくなったんだろ?」
笑いながら言った。
「でも明日は友達と遊ぶから泊まれない」
「もうちょっとドライブするか」
「うん」
小学校へ入った。ゆかが通っていた小学校はかなりきつい坂の上だった。
「こんなのだからめっちゃ足腰鍛えられた」
「これは中々スパルタだな」
「でしょ」
小学校を後にして車を俺の地元方向へ走らせた。
「あれだよね」
「なに?」
「泊まっても寝ればいいじゃん」
「うーん」
「俺いびきかかないし」
「そうなんだ」
ゆかの右手に左手を重ねた。
「朝、めっちゃ早起きだよ?」
「いいよ。またここまで送るからさ」
「わかった」
「じゃあ、泊まろっか」
「親に連絡しとく」
コンビニでコンタクトの保存液とビールとほろ酔いを買った。
ホテルへ入る。今日二度目だ。
カラオケがついていたので酒を飲みながら二人で歌った。
夜は深くなっていく。
シャワーを浴びる。マシェリでゆかの髪を洗った。
洗面台でそれを乾かしてベッドへ入る。
互いに欲望のまま相手を求めあう。
眠っては起きて、キスをして、何度も何度も。
「俺に好きって言ってみてよ」
「言わない」
「いいじゃん、嘘でも言ってみなよ」
「嫌だ言わない」
「そっか」
力一杯抱きしめて、それをゆかも返した。
俺は六月にあったこと���話した。
自殺未遂のことも。
「ガチで死のうとしたんだね」
「うん、そうだよ」
「生きててよかったね」
「ほんとそう思う」
「今も彼女のこと好き?」
「いーや、全然」
「そっか」
「新しい好きな人いるらしいし」
「いなきゃ好きなの?」
「いや、そういうわけでもない。俺にはあわなかった」
「切り替え早いね」
ゆかの首筋にキスをして眠りについた。
結局は予定の時間にゆかは起きれなかった。
俺も軽くは起こしたけれど、別れを早くしたくないなんてエゴが出た。
「私ほんと時間にルーズなんだよね」
と言いながら、そんなに慌てないゆかが滑稽だった。
「私と付き合わない方いいよ」
「どうして?」
「時間守れないし、好きなこと話すと止まらないし」
「時間を守れないのはよくないな。でもそれはパートナーがちゃんとしてれば支え合っていけるんちゃうか?」
「うん…」
ワンピースを着ながらゆかは俺を見た。
「うしろのチャック閉める?」
「閉めよっか」
「自分でも出来るけど」
「いいよ、閉めるよ」
背中を向けたゆかの背中のファスナーを閉めた。
「上のボタンもかけて」
「はいはい」
ボタンを掛けて後ろから抱き締める。
「かわいいよ」
「ふふっ」
ゆかにかわいいと言うといつも笑う。
そんなとこはあざといのかもしれない。
「友達との待ち合わせ場所まで送ってくれるんでしょ?」
「うん、送るよ」
「やったー」
「そのかわり」
「なに?」
「お金は無しな」
「えー、少しも?」
「当たり前だろ。泊まったし送るんだし」
「ふふっ、そうだよね。わかった」
「交渉成立な」
「電車代浮いたからいいや」
「なんだよそれ」
ゆかが笑った。
ホテルを出てコンビニでコーヒーと朝食を買った。
予定時刻までに着かないのはわかっていた。
友達やら予約しているカラオケに電話をしながら、車の中でアイラインを引き、ルージュを塗った。
「ちょっとはおしゃれしないと」
「昨日と同じ服だけどね」
「それはしょうがない」
「そうだな」
「そうだ、スッピンどうだった?」
「あー、うん。可愛かったよ」
「ふふっ」
相変わらず笑う。
海辺を見ながらゆかは言った。
「普段海見ないけど、やっぱりこっちの海のが好き。向こうはなんか深くて怖いから」
戻ってこいよ。なんて言おうと思ったけど、別に俺がそれを言える立場じゃ無い。
「やっぱさ、十八年見た海は特別なんだね」
「確かにそうかもな」
「今回帰ったら、次見るのは冬か」
「その時も一緒に見たい」
「うん、いいよ。あっ、あとは会いに来てくれれば会えるよ」
「行きたいなとは思ってるよ」
海辺を過ぎて内陸へ入る。
あと五分で目的地。
信号で止まった時にゆかの唇を奪った。
信号の色が変わるのを感じで離れる。
ゆかの表情はどこか寂しげだった。いや、そう思いたいからそう見えたのかもしれない。
カラオケの前で降りる間際にもキスをした。
去り際にゆかは俺を見てこう言った。
「死なないでね」
短いけど重い言葉だった。
「そっちもな」
車を大通りへと向かわせる。
何度もゆかの耳元で囁いた言葉を思い出す。
車線を変えながら車を一台二台と抜いた。
「俺って本当に」
アクセルを踏んで帰路につく。
サイドシートにマシェリの香り。
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2024年9月6日金曜日
病院の待合室にて26
九月の水
朝/晴れ/パン/トラ/ミケ/CIAOちゅ〜る/身支度/ストレッチ/日焼け止め/お母さん/ミケ/お見送り/ちょっとひとりぼっち/軽自動車/高松空港/売店/山田屋のうどん/喫茶店/鶏のみぞれ唐揚げ定食/保安���査場/飛行機/飛行機から空港へのバス/羽田空港/東京モノレール/浜松町駅/大門駅/大江戸線/麻布十番駅/警察/迷子/護送車/ビジネスホテル/チェックイン/ズボンに汚れ/着替える/麻布十番駅/南北線/四ツ谷駅/中央線/よかったら座りますか?/大丈夫です/三鷹駅/折りたたみ傘/ビル/スペース/新千円札/友達/エル・デスペラードのTシャツ/烏龍茶/歌/ギター/ジャガー/コントラバス/ドラム/12弦ギター/鍵盤/本気/unrest/歌/ジャズマスター/フルート/EB/クラリネット/バスーン/ドラム/ソプラノサックス/鍵盤/二十年/DNA/アンサンブル/成立/ちょっとひとりぼっち/雨/三鷹駅/中央線/NHK-FM/アーマッド・ジャマル/四ツ谷駅/南北線/麻布十番駅/雷雨/消防車/ゴッサム・シティ/ローソン/ビジネスホテル/ネバネバそば/サラダ/シャワー/YouTuber/LGBTQ+/寛容/不寛容/差別/チャット欄/睡眠導入剤/ベッド/川岸が語る/九月の水/人生の約束/心の喜び/
朝/晴れ/納豆巻/サラダ/ストレッチ/身支度/麻布十番駅/南北線/四ツ谷駅/中央線/吉祥寺駅/友達/中華料理屋/味付き卵/春巻/豆苗炒め/青島ビール/ジャスミンティーみたいな味の烏龍茶/夏になると茄子を読む/吉祥寺って自転車乗ってると/パンケーキ/コーヒー/禁物/外/クィアたち/ボーイズ・テクスチャー/完成するまでの過程/短歌/フェスセット/Arcaかわいい/高速移動/免許/北海道とかにある標識とか何もない真っ直ぐな道/事故った時にヘラヘラしないこと/Aka/透明ドロップ/be master of life/300部/版元の人/権利関係をややこしくする人/探偵/トぶ人/仕事中に飲酒する人/仕事中に大麻吸う人(CBD的な合法的なやつかも)/吉祥寺駅/井の頭線/ミーのカー/どんなものでも君にかないやしない/渋谷駅/工事/利権/消費者に皺寄せ/日本すぎる/ログアウト・ボーナス/仕事辞めたひと前来て?/失恋したひと前来て?/プライベート・スーパースター/曲先?詞先?/浮いてる/代引/慣れろ、おちょくれ、踏み外せ/本屋/バッジ/生きる演技/ノット・ライク・ディス/翻訳/あなたがたに話す私はモンスター/講演/抗議/連帯/波打ちぎわのものを探しに/鍵/商品と私物のあわい/細かく話を聞いたら全然私物/アイスコーヒー/オレンジジュース/親切人間論/これってデザイン誰/祖父江慎/クッ…/元ネタ?/アイドルの部屋/アイドルヲタの部屋/天才/ヴァレリー 芸術と身体の哲学/引用/装置/どもる体/本屋の人しか開けられない下の棚/いいんですか?/……/本に写真がない/なくてもみんな分かるから/じゃがたらも?/ジョン・ケージ 著作選/ケージ - 通路 - デュシャン/誰もわかってくれない/でしょうね/ケージとキノコの写真/ケージかわいい/面白い人の誤解は面白い/つまんない人の誤解はつまんない/ナボコフ読んで蝶大丈夫になった/チェス・プロブレムはわからない/詰将棋も/どうぶつの森/気のせい/料理本を戦わせる/これがフリー素材の/鳴き声以外食べれる/ベケットは読まれていない(ゴドー以外)/お会計/ポッドキャスト/配送できますけど?/絶対お願いしたいんですけど/これも買っていいですか?/生きる演技/お支払い方法とか聞いた?/ベトナム料理屋/フォー/生春巻き/ロータスティー/今日はパクチーありません/どうして?/台風で/ショック療法/Over Drive/YUMEGIWA LAST BOY/ラズベリーB面説/後輩を集めて読書会/カラオケとか行かないと思った/どうして?/私が行かないから/犬いっぱい/月曜日お店休みかと思ったー/最近は開けてるんですよ/月曜日お店休みかと思ったー/あー最近は開けてるんですよ/谷/ビル/しゃぶったチンポの長さの合計フィート数vsエンパイア・ステート・ビル/警察近くて便利だったのに移転した/店が?/警察が/喫煙所/男根ロゴス中心主義/六本木駅/ちょっとひとりぼっち/六本木一丁目駅/南北線/麻布十番駅/ローソン/ビジネスホテル/シャワー/一番搾りロング缶/一番搾りロング缶/一番搾りロング缶/スーパーサンクス11800円/思いの丈をぶつける/ベッド/四時頃/睡眠導入剤/川岸が語る/九月の水/人生の約束/心の喜び/
(2日目の写真これだけ…)
朝/曇り/身支度/納豆巻/サラダ/チェックアウト/麻布十番駅/大江戸線/大門駅/浜松町駅/東京モノレール/各停/羽田空港/かけそば/ミニ天丼/東京ばな奈/ANA BAGGAGE DROP/あらゆる場所にアルコールが……/アカシアあるんや/展望デッキ/コーヒー/読書/保安検査場/空港から飛行機までのバス/三十分以上の待機/書類の不備により飛行機にご案内できません/飛行機から空港までのバス/ご案内の準備が整いました!/空港から飛行機までのバス/飛行機/予定より一時間ほど遅れての出発となりまして誠に…/高松空港/予定より二十分くらい早く着いたので結果四十分の遅延/荷物受け取りレーン/軽自動車/家/トラ/CIAOちゅ〜る/お茶漬/真鰯の焼いたん/揚げ出し豆腐/シャワー/睡眠導入剤/ベッド/川岸が語る/九月の水/人生の約束/心の喜び/
何もかも/記憶しておくことは/不可能だけれど/歌にしておけば/歌うたびに/思い出せるのかも/しれない/最後に一曲/作詞作曲/アントニオ・カルロス・ジョビン/歌/エリス・へジーナ/三月の水/
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意外となんとかなって驚いたもんだが、体力の大事さを思い知った日
今日は待ちに待った同期とコラボカフェの日。台風10号も日本各地を隅々まで見たいのか、西から日本列島横断のコース取りをしたので新幹線動くやったー!と今朝自宅を出発、新幹線のホームに上がった瞬間に「雨で運転見合わせてます」アナウンス。諦めきれないので運転再開を待つことにし、丁度ホームに来ていた新幹線の自由席車両の通路で運転再開待ちすること約50分、嬉しい運転再開。コラボカフェのランチの予約に間に合うか微妙なラインだったものの、なんとか予約時間10分遅れで滑り込みに成功しました!!よかったー!!!お店の方申し訳ありません…。キャンセルにならなくてよかった…。
元々乗り換えミスしなければランチの予約時間より50分程早く最寄り駅に着く予定の新幹線の切符買っていたし、そのスケジュールで動いていたのが功を奏しました。なんでそんな早く着くようにしてたかって?不慣れな関東の公共交通機関で迷う事を想定して余裕を持ったスケジュール組みをして成功したコラボカフェ1回目のスケジュールをそのまま使ってたからです(笑)
ランチの後は渋谷でゲームメーカーのショップへ足を運んで同期が散財するのを見守ったり、買うか迷う背中を押してました。任天堂東京の会計時、画像の青いエコバックを腕に下げていたらレジのお姉さんに「どうぶつの森のバックですね!こちらで購入されたんですか?」って話しかけられてビックリしちゃって「あ、えっと、銀のコインで、通��で…」と挙動不審になった上に「ピクミンのも通販で購入しました…」といらん事言ったかなと思ったら「そうなんですね!ありがとうございます!!」と笑顔で対応して下さって嬉しくなったよね。コントローラーガチャガチャ楽しかった。
ユニコーンオーバーロード コラボカフェは、今回もランチとディナーでお邪魔してきました。ランチョンマットがランチ:コルニアとエルヘイム、ディナーも同様だったのでスタッフさんが気にかけてくださり交換して頂いてしまいました。どうも予約フォームにある自由記入欄(好きなキャラクターを教えて下さい)に書いた好きキャラをちゃんと反映して用意してくださってたみたいで…申し訳なくなりました(汗) 優しすぎる気遣いを「はいはいっ!わたしこの二人好きですっ!!」と推しの名前を並べ続けてました。加えて着ている柄シャツ以外1回目も今回の2回目も同じ装備ででランチとディナーを予約しているためスタッフさんに顔を覚えられてました(笑)
三軒茶屋まで行く用事は難しいけれど、BIG BEARさんは、また行きたいし人にも勧めたいと思う位とても良いお店です。
今回コースターはグループ3と5、追加のドリンクで4を。前回と合わせて全グループ引きました!1回目でスカーレットのコースターを入手していたので、ワンチャン グループ5でノルベール引けないかな…と思ってたらお迎えできました!!並べて保管するね!…いや、スカーレットからしたら全然うれしくないだろうけれども!ごめんね!帰宅して気づいたけど、クライブ氏とモニカさんも並べられるね!!
クリアステッカーはグループ1が品切れだったのですが、他グループをしっかり買って散財してきました。ふふふ、もう思い残すことは無いよ。ダブりが結構増えたから、少し交換やろうかな。
ちなみに帰りも新幹線が1時間遅れてて、ホームにたまたま来ていた新幹線の自由席に飛び乗って帰ってきました。台風というか天候に旅行の交通手段が大きく影響を受けるのは初めての筈なので、ある意味実績解除ですね!嬉しくないよっ!? まあ自然の事なのでどう仕様もないよねって気持ちと、翌日休みだし帰りの新幹線もなんとか座れたしこの後タイムリミットが有る様なヤバい案件もないから心に余裕ができた為でしょう、行きは出発予定より75分遅れの新幹線に乗って移動したり帰りは1時間遅れの新幹線に乗ったりと初めてだらけの今日の経験を面白いこともあるもんだと感じてました。 行きも帰りも静岡に雨雲が集中していて、ずっと降ってるみたいだから土砂災害が心配…。
今回は初手の行きの新幹線が立ち乗車移動でかなり体力削られてたとはいえ、同行者と体力差が有ると歩行速度の配分や普段階段��所をエスカレーター移動等、なかなか気遣いできなかったりで反省点も有る旅路となりました。この経験から「やっぱお出掛けはひとりのが楽!」にならない様にはしたいが、多分其処に行くのが2回目とか自分の関心が程々の行き先、又は一緒に行くことそのものが目的の半分を占めるとか位じゃないと同行者有りの旅路は避けた方が自分にとって負担がない所感。
自分の熱意が強い時は往々にして詰め込み旅行になるので、流石にひとりでしなきゃとは思う。ご飯抜いたり結構無理するからね。自由に気持ちの赴くままに見て聴いて感じたいならひとりしかないか。そりゃそうだ。そしてそれを選んで良いんだ。自分は自由だって気づいてからはフッ軽よ。 そうそう、いつか寝台列車に乗りたい目標ができました。
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◆報道後も3億円かけ100トン除去 都は、2019年以降も2度にわたって、さらに計17トンのカキを除去。2021年夏の東京五輪は乗り切った。 ただ、カキ問題はこれで終わりではない。 都は、五輪後も4回にわたって計83トンのカキの除去を余儀なくされた。4年前に東京新聞がカキの大量発生を報じた後も、カキの除去に計3億円の経費がかかっていた。 このままだと、またカキが付着してしまう。 海の森水上競技場は、五輪のレガシー(遺産)として、五輪閉幕後も解体せず活用。一般に開放するほか、国際大会や全国大会の誘致を目指していた。 五輪会場の後利用のために、カキ対策は避けては通れなかった。 ◆「カバーに効果」でも20年間で14億円 都は2021年7月から専門家を招き、抜本的な対策を検討し始めた。 候補に挙がったのは、 ①海水を電気分解して貝の付着を抑える次亜塩素酸を発生させる ②装置にカバーを取り付ける ③定期的に装置をワイヤーで吊り上げる ④消波装置を石積みで下から支える の4つの案。 5回にわたる検討会議の結果、消波装置にカバーをかけてカキの付着を防ぐのが最も費用対効果が高いと結論付けた。装置の編み目をビニール製のカバーで覆うことで、稚貝をくっつきにくくする狙いだ。 専門家が「最も経済的な案」と判定したカバー案。それでも消波装置のうち316基に付けるとなると、その費用だけで1億5000万円がかかった。 これでカキ対策も万全と思いきや、「カキの発生を完全には防げない」(施設の運営を担当する東京都スポーツ施設部)というのだ。 カキの幼生は肉眼では見られないほど小さく、カバーの隙間から消波装置に付着する可能性が高い。東京都スポーツ施設部の浅田宗(そう)・前施設整備担当課長(3月当時)は「今後も年に1回は装置を陸に引き揚げて清掃する必要がある」と話す。 すでにカキ対策に6億円を投じている都だが、カバーを設置して���2042年までの20年間で計14億円かかるというのだ。 試算額に、浅田課長は「正直、決して小さな額ではない」と認める。「当初想定しなかったカキの大量発生があった中で、健全な競技環境を整えなければならない。必要最低限の費用で、効果的な対策をとるよう知恵を出して努力している」と理解を求める。 ◆「負の遺産」強化合宿は今も戸田で 「すごい、そんなにお金がかかるとは…」 カキ除去に14年間で20億円かかるとの都の試算に、埼玉県ボート協会の和田卓理事長は一瞬、言葉を詰まらせた。 和田氏は、海の森水上競技場の建設前から「風や波が強く、競技に不向きだ」と疑問を投げかけてきた��� 和田氏の指摘に、「波や風の対策を講じるので問題ない」と言い張ってきたのが東京都だった。その結果、五輪が終わっても莫大な維持コストが都民にのしかかることになった。 和田氏は「当時、懸念していたことが、そっくりそのまま現実になった。競技に適さない場所なのに無理やり作ったツケだ」と憤る。 和田氏によると、海の森水上競技場ができた今も、1964年東京五輪のボート会場だった「戸田漕艇場」(埼玉県戸田市)で強化選手の合宿が行われているという。 都は、海の森水上競技場を戸田漕艇場に代わる新たな「ボートの聖地」にしたい考えだ。しかし、五輪後、海の森が一般開放されても、首都圏の大学や社会人の練習拠点は戸田漕艇場に残ったまま。 和田氏は「海の森水上競技場は、海水なので舟が傷みやすいし、消波装置があっても波が高い。使えない上に、たくさんの税金を垂れ流すだけの負の遺産でしかない」と言い切る。 波を防ぐ装置に発生した大量のカキを除去するため、今後も20年間で14億円かかることが判明した海の森水上競技場。一方、波とともに懸念されていた強風対策でも毎年、費用がかかることに。そのコストたるや…。 ◆100年前は東京産が全国トップ カキの産地といえば、広島県や宮城県が有名だが、東京にそのイメージはない。農林水産省の統計では、東京都の養殖カキの収穫量はここ20年ほどゼロが続く。 なぜ大量発生したのか。明確な原因は、都も分からないという。 文献を調べてみると、意外な事実が分かった。 実は古くから、東京湾の台場や葛西、大森周辺には多くの天然ガキがいた。明治期には養殖も盛んになり、昭和初期にかけて、東京都がカキの生産量や金額で全国トップだった時期もあった。 「東京都内湾漁業興亡史」にまとめられた東京都のカキの生産高。明治~昭和初期には全国トップだった時期もあった 「東京都内湾漁業興亡史」にまとめられた東京都のカキの生産高。明治~昭和初期には全国トップだった時期もあった 東京都漁連内の団体が1971年に発行した「東京都内湾漁業興亡史」によると、東京都は1905(明治38)年に養殖カキの生産量が全国1位。1926(昭和元)年と1931(昭和6)年には、天然カキの販売金額も、それぞれ全国1位だった。 東京都水産課の担当者は、「隅田川や荒川、江戸川、多摩川をはじめ多くの河川から水が流れ込む東京湾は栄養が豊富で、本来は漁場としての生産性が非常に高い。 高度経済成長期に海面を埋め立て、都市開発を優先して漁業権を廃止するまで、東京都はアサリやハマグリ、ノリなども含めて漁業が盛んでした」と説明する。 漁獲されていなかっただけで、これまでずっと東京湾の至る所にカキは存在していた。 海の人工構造物にすみ付きやすいカキにとって、突如出現した海の森の消波装置は表面の編み目がくっつくのにぴったりだった。 陸揚げされた消波装置の編み目に付着したカキ殻=東京都江東区で 陸揚げされた消波装置の編み目に付着したカキ殻=東京都江東区で ◆新しいご当地グルメに? 今回大量発生したのは、カキの中でもマガキと呼ばれる種類。国内で一般的に流通し、生食やフライ、鍋物などでよく食べられている。 予期せぬ事態を逆手にとって、ご当地グルメとして売り出すことはできないのか。 カキの衛生基準に詳しい、日本牡蠣協会オイスターズジャパンの三村大輔代表(41)は、「健康上の懸念から、難しいでしょう」ときっぱり言う。 「東京湾には水質がきれいで現在も漁業が行われているところもある。あくまでも競技場周辺の��リアの話だが、埋め立てで水質が悪化したことに加え、大雨などでオーバーフローした下水が河川を通じて流れ込むことがあります。病原性大腸菌の数が多く、食用には適しません」 味に関しても、評価は厳しい。 「そもそも国内で流通するマガキはほぼ100パーセント養殖物で、味や形を整えるために生産工程が管理されたもの。カキは海中の浮遊物を取り込むので、そのエリアの海のにおいがそのまま食べたときの香りやにおいになる。佃煮にしたらまだごまかせるかもしれませんが…たぶん、おいしくないですよ」
まだ続いていた東京五輪の戦い…相手は「カキ」 東京都が億単位のカネを投じて延命する「負の遺産」:東京新聞 TOKYO Web
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Aoi Soken|3 checks to prevent leaks in preparation for the coming season!
Prepare for the coming season!
Here are 3 checks to prevent rain leaks!
The rainy season is coming.
We always receive a few inquiries about leaks every year.
The important thing is to prevent leaks before they happen.
We have compiled a list of things you can check before the season arrives.
We have compiled a list of things you can check in advance before the season arrives. Please take a look at it for your reference!
Check the following three points!
(1) Condition of the roof
Roofing
Rust, lifting, gaps at joints
Roof tiles
(i) Roof tiles: Shifting or lifting of tiles, cracks in tiles, gaps in joints.
It is dangerous to go up on the roof, so visually check from a position where you can see
It is dangerous to go up on the roof, so check visually from where you can see.
(2) Condition of exterior walls
Check for peeling and cracks on the exterior walls.
Check the deterioration of caulking at joints.
(3) Ceiling and wall stains
In the case of rain stains, the leak is already leaking.
Consult the nearest contractor before it gets worse.
Supplemental information
Check the gutters as well.
Debris in gutters and downspouts
Rainwater overflows due to poor flow.
Disconnected gutters
If the water collector and gutter are disconnected from each other, rainwater may run down the wall,
If the water collectors and gutters are disconnected from each other, rainwater may run down the wall.
Slope of gutter
The slope of the water catch basin is sloped toward the water collector.
Be careful if rainwater is leaking from the gutter.
The water will get wet in places that do not need to get wet,
This can cause premature deterioration of the building.
Supplemental information (2)
When the roof is rusted
Even a roof that looks fine may have holes due to rust.
Rust can cause holes to open up in a roof.
For custom-built housing, remodeling, and renovation in Miyagi Prefecture, contact Aoi Soken!
あおい創建|これからの季節に備えて雨漏りを未然に防ぐ確認3選
これからの時期に備えて!
雨漏りを未然に防ぐ確認3選をご紹介します!
これから雨が多く降る季節が到来します。
私たちも毎年必ず数件の雨漏り相談があります。
大事なのは雨漏りを未然に防ぐこと。
そんな季節を���える前に事前に確認できる内容を
まとめてみました。ぜひ参考にしてみてください!
次の3点を確認しましょう!
①屋根の状態
【金属系】
さび・浮き上がり・ジョイントの隙間
【瓦】
瓦のずれや浮き上がり、瓦の割れ、接合部の隙間
屋根に上がるのは危険なので、見れる位置から目視で
確認してみましょう。
②外壁の状態
外壁の剥がれ、クラックの有無を確認
ジョイント部分のコーキングの劣化具合を確認
③天井・壁のシミ
雨染みの場合は、すでに雨漏りしているので
ひどくなる前に最寄りの業者に相談しましょう。
補足①
【雨どいも確認】
・とい内のゴミ
流れが悪くなり雨水があふれ出てしまう。
・といの外れ
集水器やとい同士が外れている場合は、
雨水が壁を伝う場合がある。
・といの勾配
集水器に向かって勾配がついています。
といから雨水が漏れている場合は注意。
※本来、濡れなくていい場所が濡れてしまい、
劣化を早める原因になります。
補足②
【屋根がさびているとき】
大丈夫そうにみえる屋根でも、「さび」で穴が開いて
しまう場合があります。
宮城県の注文住宅・リフォーム・リノベーションはあおい創建へ!
#home improvement#home design#home renovation#construction company#home architecture#my home#屋根#雨漏り対策#梅雨時期
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WPT東京メインイベント
2023年11月23日から4日間開催されたWPT東京のイベントに参加してきた。
YOUTUBERやXからの事前告知を見て大いに期待して沖縄から東京に遠征してみた。
モノレール「東京物流センター駅」改札
東京物流センターの展示会会場に準備されたポーカートーナメントでは、YouTubeの配信を目的に2台の豪華なテーブルと巨大なモニターが配置され、サイドトーナメント用に100テーブルくらいが会場内にぎっしりと並べられ、4日間の開催がどの様に楽しめるのか ?
結論から述べると〝WPT東京〟のイベントは全体的に『素人が開催したお粗末なイベント』だった。
とにかく〝WPT東京〟のイベントは、質もレベルも高校生の文化祭以下の最低最悪の大会だった。
今後の課題として問題点を先にまとめると以下の通り。
①参加者の受付動線
イベントマニュアルを作成すろ際に極めて重要になる項目のひとつだが、WPT東京の運営は無能だったか素人が短絡的に考えてスタートしてしまったか?
特に、野外に並ばせる場合には対応と対策が必須。
②事前予測と準備の怠った素人主催者の甘さ。
事前にタイムテーブルがWEBで公開されていたので、その時間に合わせてプレーヤー達は集合する。
メインに出場しない参加者には開催期間中の情報がWEBに掲載されているスケジュールのみで全く会場の状況が伝えられていない。
一般の客はWPT東京主催者には〝参加させてやってる〟という雰囲気を与えている。
メインのシー権を持つ参加者受付が終わらないから一般サイドの人は何時から受付できるか解らないと答えるスタッフの無能さには本当にガッカリだ。
メインに参加するシート権を持ったプレーヤーは事前に人数を把握できてあるはずだ。
当��、受付に並ばせるので有れば、メインとサイドとその他、3または4箇所の受付を用意する事が必要になる事は日が昇る事の用にハッキリしている。高校生のイベントでもこれくらいの対応はできて当然なのに・・・
③WPT東京運営スタッフの対応と躾の悪さ
4日間の開催中に様々なトラブルがあったのだが、WPT東京運営スタッフから「すみません」などの謝罪の言葉を聞く事は1度も無かった。
受付が混乱してモタついた対応はWPT東京運営スタッフの責任だが、忙しくて他の対応出来ないから数時間したらまた来てください。と、ハッキリ口に出して自分達を正当化する態度はあり得ない。
④強制的に売り付けるチケット制の悪行。
サイドイベントに参加するには「参加費」を支払わなければならない。
このシステムには違法性の臭いがする。
参加費は様々な金額設定が用意されているのだが、問題は「ドリンクチケット千円」である。
強制的に売りつけられる。
拒否する事は許されないといい、この1000円のチケットを買わないならイベントにも参加できないというのだ。
チケットはドリンク2杯分でアルコールも含まれる。
また、ドリンクの代わりにお弁当のこ購入にも使用できると説明された。
140円から350円くらいのドリンク2本の引き換え券を1000円という高額料金で強制的に売り付けるのだ。
お弁当は400円以下の陳腐なもので.これを何と1000円というボッタクリ。
⑤金は取り放題の〝WPT東京の運営〟はヤクザの仕業。
ドリンクとお弁当との交換を約束されたチケットを強制的に売り付けた後、ドリンクのコーナーでビールと交換しようとすると『もう無い』『コーヒーか紅茶しかない。どうします ? 』と。まるで他人言の対応。
どうしますじゃねーよ。ビール無いならコンビニで買って来てでも用意すべきではないのか?お前ら昭和のヤクザか!と、ツッコミたくなる。
ヤクザや今時のテキ屋でもこんなイカつい商売はしない。
そして、ここでもスタッフは誰も謝罪しない。
まるで、サービスで配ってるんだから残ったもので我慢しな!と、言わんばかり。
じゃあお弁当でいいよ。というと、お弁当はもうとっくにないよ。と、悪びれた様子もなく平然と言い退けた。。
コイツらはドリンクとお弁当のどちらかを選ぶ権利として契約したチケットを購入していることを知らないのか?
食べ放題のレストランで、料金を払って入場したら『今日は大食いの人が沢山来たから余りのこないよ。仕方ないよ。余り物で我慢して』と言われたのと同じだ。
一方的な契約不履行にもかかわら、返金もしない。謝る事すらしない。
がっかりだ。
⑥WPT東京 運営スタッフの人間としての最低限のマナー
WPT東京の運営側の失態は全て『仕方ない』で済ませて、自ら謝罪はしないという高飛車な対応とスタッフ全員の生意気な態度は、今後のポーカートーナメントによる啓蒙活動に悪影響を与え、レベルので低い人種がギャンブルをビジネスにしようとしてると言われる様になる。
事実、初日から徐々に参加者減り続け、最終日は最も降り上がるはずが、優勝者が決定したころには会場内はガラガラという状況。
間違いなく、イベントとしては失敗だ。
⑦Bad Taste & Cheesy
WPT東京の「���億円のイベント」として宣伝していた割に実際の設営はハリボテのセット以下で華やかさもない。
〝華やかさ〟と〝豪華さ〟は、賞金の金額よりも重要な要素であることを理解できない〝WPT東京〟の運営側はイベントの主催者として素人以下ということになる。
⑧参加者に対する感謝の意
初日の失態を反省しないWPT東京の運営スタッフに幻滅した参加者は決して少なくないと思われる。
その事を表す様に、最終日はメインの優勝者が決定する最も盛り上げるべき場面の対策も講じてない無能な運営によって最終日参加者は日に日に激減して、初日の盛り上がりは無くなっていた。
他にも色々細かな事はあるものの、キリが無いので開催期間の様子を記載しておこう。
WPT東京 会場
WPT東京は『1億円』をぶら下げた告知のインパクトは大きく、初日に集まった参加者は受付の為に会場があるビルに入る迄2時間も外で待たされるいう状況からスタートした。
盛況風に捉えた人もいたかも知れないが、実際にはスタッフが全員ポンコツで要領が悪かっただけで最悪な初日のスタートになってしまっていた。
初日は運良く天気に恵まれたが、もし大雨だったら更に悲惨な事になっていただろう。
そんな��粗末な開催とは思っていないので、単純に会場が開く時間が遅れていて並んでいるのかなぁ?と思いながら何の行列に並ばされているのか全く分からず並んでいると、スタッフらしき人物が4〜5人集まって雑談していたので、行列を眺めているスタッフに状況を聞いてみると「中の事は分からないので取り敢えず並ん待って下さい」との回答。
ビル内の2階会場入口付近まで進むと、広い会場はガラガラで全く人が居ない。
受付迄辿り着くと「チケットお願いします」
と言われた。
「チケット ? 持ってないよ」と答えると
「チケットが無いと入れない」と言う。
「嘘でしょ!聞いてないよ。どこで配布してるチケット」と聞くと
「オンラインのQRコードからダウロードするのかなぁ ? 」と、他人事の様な対応。
その様子に別のスタッフが数人集まってきて「何、何、どうしました」と。
何の列に並ばされているのか全く説明も案内されないまま1時間も立って受付まで辿り着いたら入れないとはどうゆう事 ?
ここから更に30分くらいスタッフ同士の話し合いがあって、結果的には、並んでいた行列にはメインイベントに出場するシート権を持ってる人を対象に受付していると言う事で、サイドイベントの受付はその後行うので、数時間したらまた並べと言う事だった。
それなら、ビルの外で雑談しているスタッフが説明するなりカンペ出せよ!
あまりにもお粗末で無能なスタッフの対応に呆れた。
更に驚いたのは、まるで並んでいたコチラが悪いかの様に、2時間くらいしたらまた来て。と、自分達に落ち度はないからまた来い。嫌なら帰りな!と言われている様な気分になった。
並んでた意味は全くなく無意味な時間だった。
4日間参加したがスタッフ全員が最悪だった。
効率の悪いスタッフ配置と意識の低さがだだ漏れしていた。
態度も話し方も横柄で感じ悪い人間をどうしたらこれだけ集められたのか逆に不思議なくらいだ。
実際、プレーヤーとスタッフが揉めてる場面が何度もあった。
「てめぇ、舐めてんのかクソガキが!誰に口聞いてんかだコラぁ」というセリフが聞こえたので振り返ると、殴り合いが起きそうな距離感で揉めている2人がいた。
周りを見ると、5〜6m離れた位置から4人の別のスタッフが眺めている。全く止めようともしない。
スタッフを教育するマニュアルもないのだろう。運営の責任者も無能なんだなぁと残念な思いがした。
これだけの人数をポンコツばかりで集めた運営の人事もすごいなぁーと思いながらも沖縄から遠征してきていんだから参加してみた。
今度はディーラーの質と技術レベルの低さにも驚かされる。
ほとんどのディーラーが底レベルだったが、若干1人だけ際立って技術レベルの優れたディーラーも居た。聞いてみると「韓国から応援に来た」と日本語で答えてくれた。
『日本人!もっと頑張れ!』と、心で叫んだ。
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1967年臺灣
H:「 棄我 去者,昨日之日不可留。」昨日不曾紀錄則只能拼凑,1967年是怎樣的日子,查查。國小之開始,識字之旅的開始。20240125W4
網路資料:
[出典] 李白 《 宣州謝脁樓餞別校書叔云》
注:
1、 宣州謝朓樓餞別校書叔云 李白
棄我 去者,昨日之日不可留;
亂我心者,今日之日多煩憂。
長風萬里送秋雁,對此可以酣高樓。
蓬萊文章建安骨,中間小謝又清發。
俱懷逸興壯思飛,欲上青天攬明月。
抽刀斷水水更流,舉杯銷愁愁更愁。
人生在世不稱意,明朝散發弄扁舟。
1967年12月,蔣決定實施九年國民義務教育,所需經費極為龐大,為籌措財源,乃實施加稅計畫,以達成預算平衡。自1968年台灣開始實施九年國民義務教育,為學制之重大改革。[14]:187高等教育以研究高深學術,培養專門人材為宗旨。[14]:187提倡建教合作及技藝訓練。[14]:187
維基百科介紹:
政府
國家正副元首
總統:蔣中正
副總統:嚴家淦
五院首長
行政院院長:嚴家淦(副總統兼任)
立法院院長:黃國書
司法院院長:謝冠生
考試院院長:孫科
監察院院長:李嗣璁
省政府主席
臺灣省政府主席:黃杰
福建省政府主席:戴仲玉
大事記
胡金銓執導之《龍門客棧》及張徹執導之《獨臂刀》,開啟武俠電影熱潮[2]:744。
1月
1月12日——丘念台病逝東京(廣東鎮平縣人,為臺灣先賢丘逢甲之子,曾任臺灣省民政廳長、中國國民黨臺灣省黨部主任委員,為臺灣耆宿。)[2]:734。
1月13日——金門東北激烈空戰,空軍擊落中共米格十九型機2架[2]:734。
1月15日——南��縣第五屆縣長補選由林洋港當選[2]:734。
1月17日——越南共和國國防部長阮友固訪臺(1967年4月2日,商業部長阮景天恩訪臺;4月29日,外交部長陳文杜訪臺;6月20日,教育部長阮文詩訪臺;7月31日,農業部長林文智訪臺。)[2]:734。
1月27日——臺灣省政府主席黃杰簽訂興建曾文水庫工程顧問合約(10月31日,曾文水庫動工興建;12月7日,行政院核准臺灣省發行糧食債券,作興建水庫經費。1969年4月14日,決定降低水庫大壩10公尺,發電量由10萬瓩減為5萬瓩。)[2]:734。
1月30日——國防部長蔣經國著《風雨中的寧靜》一書出版[2]:734。
1月31日——經濟部長李國鼎率團參加在西貢開幕之「中、越經濟合作會議」[2]:735。
2月
美國駐聯合國首席代表高德柏謁見蔣中正,討論當前世界局勢[3]:116。
2月1日——公布設置動員戡亂時期國家安全會議,以黃少谷為秘書長,原國防會議撤銷[2]:735。
2月3日——臺、日簽訂食米外銷協定,日本購臺米5萬公斤[2]:735。
2月6日——發布周至柔、蔣經國、袁守謙分別為國家安全會議建設、動員、戰地政務三委員會主任委員[2]:735。
2月13日——特任唐縱、劉增華、陳嘉尚、孫秉乾分為駐韓國、賽浦路斯、約旦、多明尼加等國大使(3月1日,唐縱呈遞到任國書;5月17日,孫秉乾呈遞到任國書。)[2]:735。
2月18日——行政院決定成立人事、事務、法制、研究等四機構,訂定中央與地方權責劃分方案[2]:735。
2月19日——韓國國防部長金聖恩(韓語:김성은 (군인))訪問臺灣[2]:735。
2月21日——特任保君建、王世明、劉藎章等分別為駐土耳其、科威特、伊朗等國大使(5月17日、5月20日、5月22日,劉藎章、王世明、保君建分別呈遞到任國書。)[2]:735。
2月22日——韓國國會議長李孝祥(韓語:이효상)抵台訪問[4]。
2月27日——臺灣省政府通過桃園中壢鎮升為縣轄市[2]:735。
3月
蔣經國巡視馬祖列島及金門縣[5]:83。
3月1日——中華航空公司與香港當局商定開闢臺北-香港航線;國家建設計畫委員會成立;特任薛毓麟為駐加拿大大使[2]:735。
3月4日——外交部聲明反對任何國家承認外蒙,外蒙是領土[2]:735。
3月11日——土地改革紀念館在臺北市落成[2]:735。
3月16日——陸軍總司令部宣布:陸軍軍歌已由蔣中正核定,今起啟用;任命關鏞為駐賴索托王國大使[2]:735。
3月18日——特任劉宗翰為駐秘魯大使[2]:736。
3月20日——日本經濟調查團訪臺,與財經部門交換意見[2]:736。
3月22日——國防部與美軍協防臺灣灣司令部宣布,特種部隊自4月1日開始舉行為期一月之同舟演習[2]:736。
3月27日——國家安全會議科學發展指導委員會(簡稱科指會)成立,吳大猷為主任委員[2]:736;泰國國務院長他儂·吉滴卡宗訪問臺灣[6](4月1日,蔣中正三度接見,發表聯合聲明,強調清除共產威脅,確保亞洲安全。)[2]:736。
3月30日——經濟部長李國鼎訪問日本(3月31日,拜會日本首相佐藤榮作及外相三木武夫,商建鋼廠計畫並討論造船問題;4月19日,返抵臺北。)[2]:736。
4月
4月1日——中華航空公司港臺航線正式開航[2]:736。
4月4日——澳大利亞總理荷特(Harold E. Holt)訪問臺灣3天(4月6日,與蔣中正兩度會談,發表聯合公報。)[2]:736。
4月9日——前美國副總統尼克森訪問臺灣(4月11日,結束訪問臺灣。)[2]:736。
4月12日——美國宣布:中共國立音樂學院院長馬思聰投奔自由(1968年3月31日,來到臺灣。)[2]:736。
4月17日——千里達及托巴哥總督何才夫婦乘國泰航空飛機經東京抵達臺北展開為期兩星期的訪問,時任考試院院長孫科、時任外交部部長魏道明夫婦和時任僑務委員會委員長高信等人皆在機場歡迎[7];訪臺期間,何才夫婦除了勘查了臺灣中、南部各處的經濟、軍事和教育等設施以外,並特地於4月20日前往參觀國立故宮博物院,隨後與時任副總統嚴家淦夫婦、前行政院院長何應欽一級上將夫婦、魏道明夫婦、時任司法行政部(今法務部)部長鄭彥棻夫婦、時任中國國民黨中央委員會秘書長張寶樹夫婦和時任外交部次長楊西崑夫婦及夏功權夫婦等人共同在圓山大飯店慶祝何才的62歲壽辰[7][8]。何才夫婦臨走時,魏道明、何應欽、時任僑務委員會副委員長何宜武和時任外交部次長桂宗堯等人皆前往機場送行[8]。
4月21日——漁業考察團訪問菲律賓,為中、 菲漁業合作奠定基礎[2]:737。
5月
5月1日——經濟部核准設立「中、日合資」臺灣畜產公司[2]:737。
5月4日——美國國務卿魯斯克及助理國務卿彭岱在美國眾議院作證,盛讚臺灣經濟繁榮與農技援外成就[2]:737。
5月6日——副總統兼行政院長嚴家淦啟程經日本赴美訪問21天(5月7日,與日本首相佐藤榮作就中國大陸動亂及越南問題會談;5月9日,與美國總統詹森兩度會談;5月11日,發表聯合聲明,同意互相諮商應付中國大陸情勢發展;5月26日,返回臺灣。)[2]:737。隨行人員包括:經濟部部長李國鼎、外交部政務次長沈錡暨夫人、行政院國際經濟合作發展委員會祕書長陶聲洋等。並前往阿靈頓國家公墓獻花致意、謁甘迺迪之墓。之後亦參訪派屈克空軍基地、甘迺迪太空中心、紐約聯合國大廈等地。訪問期間爭取到美援停止之後,各項經濟合作計畫,使美方同意加強科技交流,在駐華大使館中,設立科技參事,中華民國政府則在行政院之下,成立國家科學委員會,以促進產業升級[9][10]。
5月11日——行政院通過臺北市自7月1日改制為院轄市,並將景美、木柵、內湖、南港、士林、北投6鄉鎮併入[2]:737。
5月20日——中國農民銀行在臺灣復業[2]:737。
5月23日——美國助理國務卿斯柯(Joseph J. Sisco)訪問臺灣3天[2]:738。
5月29日——反共救國軍部隊登陸山東支援敵後游擊作戰,與解放軍發生戰鬥[2]:738。
6月
蔣經國再度巡視馬祖列島及金門縣[5]:83。
6月2日——美國驅逐艦「金伯利號」正式移交臺灣海軍[2]:738。
6月7日——「中、日貿易經濟會議」在臺北揭幕,商討農產品進出口及機械人纖維原料價格,並研討保護工業所有權問題(6月14日,閉幕。1968年7月23日,第二屆會議在東京揭幕。);臺灣與聯合國共同合作發展食品加工計畫實施方案簽字生效[2]:738。
6月11日——臺灣省政府發布「優待僑商來臺投資辦法」[2]:738。
6月14日——蔣中正主持首次國家安全會議,指示建設要有遠大目標和計畫,須以具現代知識科學人才為基礎;美國將新型U-17A輕航空飛機一批移交陸軍使用[2]:738。
6月16日——經濟部長李國鼎代表與聯合簽訂「社區發展公共衛生設施改善計畫」[2]:738。
6月19日——臺灣經濟發展會議在臺北揭幕,為臺灣經濟發展提出建言[2]:738。
6月20日——戚烈拉(Richard G. Ciccolella)任美軍援華顧問團團長[2]:738。
6月28日——蔣中正調動高級軍事首長:黎玉璽、高魁元分任參軍長與參謀總長,陳大慶、賴名湯、劉廣凱、劉玉章分任陸軍、空軍、聯勤、警備總司令[2]:739。
6月29日——協助港澳僑胞到臺灣投資聯絡小組成立,並制定實施「港澳僑胞來臺投資事項」,僑商到臺灣投資達到高峰(9月13日,政府組成協助港澳僑胞回國投資工作小組。)[2]:739。
6月30日——嚴家淦祝��韓國大統領朴正熙就職,呈遞國書(7月2日,與美國副總統韓福瑞、日本首相佐藤榮作、韓國總統朴正熙等領袖在漢城舉行非正式高峰會議,談論中共核爆、越戰及經濟合作等問題;7月3日,返國。)[2]:739。
7月
7月1日——臺北市改制為院轄市,市長高玉樹、議長張祥傳同時就職;省立臺灣師範大學改制為國立臺灣師範大學;停刊19年之《東方雜誌》復刊;三軍總醫院在臺北成立;吳修齊、高清愿合組統一企業[2]:739。
7月4日——外交部長魏道明抵達曼谷出席亞太理事會第二屆部長級會議;美國海軍軍令部長穆勒(Thomas H. Moorer)訪問臺灣3天[2]:739。
7月5日——臺灣省政府通令各縣市應即恢復設置國語推行委員會[2]:739。
7月7日——教育部長閻振興表示,明年秋天延長國民義務教育至9年(8月3日,行政院通過「九年國教實施綱要」。)[2]:739。
7月8日——體育界耆宿江良規(1914-1967)病逝(浙江奉化人,為馳譽國際之體育家,著有《體育學原理》等書。)[2]:739。
7月9日——外交部次長楊西崑第19次訪問非洲[2]:739。
7月17日——邱約翰(John L. Chew)接任美軍協防臺灣司令[2]:740。
7月22日——臺灣拆解廢船工業超過日本,躍居世界第一[2]:740。
7月24日——樞機主教田耕莘(1890-1967)病逝(山東陽谷人,曾任輔仁大學復校後第一任董事長,為遠東區第一位樞機主教。);美國運通銀行臺北分行開業[2]:740。
7月28日——中華文化復興運動推行委員會成立,蔣中正擔任會長(11月2日,委員會擬定「中華文化復興運動推行計畫」;11月3日,臺灣省政府訂定「推行中華文化復興運動實施要點」;3月29日,《中華文化復興月刊》創刊。)[2]:740。8月,聘孫科、王雲五、陳立夫為文化復興委員會副會長[3]:116。
8月
8月4日——任命丁懋時、沈祖潯、李興南與黃正分別為駐剛果、盧安達、尼日及加彭等國大使[2]:740。
8月6日——副總統嚴家淦向梁實秋致賀其翻譯《莎士比亞戲劇全集》功成[2]:740。
8月7日——行政院發布「國家科學委員會組織規程」,由吳大猷任主任委員(8月14日,由長科會改組之國家科學委員會成立;10月13日,改組完成,設自然及數學、人文及社會、生物及醫農、工程及應用、科學及教育等五委員會。)[2]:740。
8月12日——蔣中正主持國家安全會議,通過由總統依照臨時條款,以命令規定延長九年國民教育年限(8月26日,行政院頒令自1968年起實施九年國教;12月3日,國際經濟合作發展委員會撥款新臺幣7億餘元,補臺灣省及臺北市推展九年國教;12月13日,行政院決定中美基金撥6億8千餘萬元,作為建國中教室之用。1968年1月2日,由中央指��公地建校;1月4日,成立延長國民教育工作小組;1月9日,決定統一編印國中教科書;1月26日,78所國中破土興建。);監察院投票同意15位大法官,張金蘭成為第一位女性大法官[2]:740-741。
8月15日——總統府資政孔祥熙病逝紐約(山西太谷人,曾任行政院長、財政部長,長期主持國民政府之財政。)[2]:741。蔣中正馳電弔唁,並手撰「孔庸之先生事略」[3]:116。
8月29日——教育部在美國教育文化事業顧問委員會主任委員郭秉文逝世(江蘇青浦人,曾任東南大學校長、財政部次長兼中英貿易協會主任等職,為中國現代高等教育事業之先驅。)[2]:741。
9月
世盟第一屆會議在台北舉行,共有64個國家與地區、以及12個國際反共組織參加,谷正綱當選第一屆理事會主席。大會通過了世界反共宣言與世界反共聯盟共同綱領[11][12][13]。
9月7日——日本內閣總理大臣佐藤榮作訪臺(9月8日,兩度與蔣中正會談;9月9日,發表聯合公報,強調加強團結,實現亞太區域和平與繁榮。)[2]:741。佐藤榮作兩度晉見蔣商討臺日共同問題,並就當時世局及中國大陸中共情勢交換意見[3]:116-117。
9月12日——蔣接見日本記者發表談話,指出中共內部必陷長期混亂,盼日本人尊重東方傳統,不使共產主義有滲透之機會,唯有臺日加強合作,始能達到此一目的[3]:117。
9月16��——人事行政局成立(7月27日,蔣中正明令設置;8月4日,任命王正誼出任人事行政局長。)[2]:741。
9月17日——美國總統科學顧問賀尼克(Donald F. Hornic)率專家到臺灣,協助臺灣發展科學(9月23日,離臺,建議增加科技經費及培植人才;11月16日,訪臺後建議政府應以土地改革精神,全力加速科學與技術發展。)[2]:741。
9月19日——駐越大使館遭越共爆炸,房屋三分之一被毀(9月26日,暴徒供稱係越共主謀,企圖殺害大使胡璉。)[2]:741。上午10時30分,有兩匪徒混入大使館,將爆炸物安放於胡璉二樓辦公室下面引爆,一時轟然巨響,大使館樓板全部震塌[14]:250。大使館建築物一樓全毀,大使胡璉倖免於難[15]。
9月25日——世界反共聯盟第一屆大會在臺北舉行,67國及13個國際反共組織代表與會(9月29日,通過「世盟共同綱領」與「世盟宣言」後閉幕。)[2]:742。
9月28日——史學家錢穆夫婦自香港飛到臺北定居[2]:742。
9月30日——經濟部長李國鼎與世界糧食組織簽訂「臺灣東部農地開發計畫」實施方案[2]:742。
10月
10月5日——中華航空公司增闢至新加坡、曼谷、馬尼拉及漢城4條國際航線[2]:742。
10月6日——行政院副院長黃少谷代表蔣中正赴加拿大訪問(10月9日,與加國總理皮爾遜(Lester Bowles Pearson)會商兩國加強合作問題;10月17日,返回臺灣。)[2]:742。
10月13日——臺灣與美國簽訂紡織品兩項新協定[2]:742。
10月20日——「中、日貿易協進會」第一次會議在東京舉行(1969年11月17日,舉行第三次會議,臺方代表促成日方採有效措施,縮小貿易差距。)[2]:742。
10月21日——日本外相三木武夫表示對臺政策保持「吉田書簡」精神[2]:742。
10月30日——慶賀越南共和國阮文紹就職,參謀總長高魁元率特使團呈遞國書[2]:743。
11月
11月2日——美援贈臺灣海軍之驅逐艦安陽號抵達臺灣[2]:743。
11月12日——中國國民黨第九屆五中全會揭幕(11月23日,閉幕,選出嚴家淦等19位中央委員。)[2]:743。
11月19日——反共游擊隊突擊廣東惠陽縣平潭機埸,毀中共米格十九型機八架[2]:743。
11月23日——蔣經國再度連任中央常務委員會委員[16]:521。
11月27日——國防部長蔣經國訪問日本(12月2日,返回臺灣。)[2]:743。日本天皇裕仁接見蔣經國時表示永不忘懷蔣中正寬大德意;日本國民1萬5千餘名在東京舉行感謝蔣大會[3]:117。
11月28日——聯合國大會表決「中國代表權問題」,以58對45票,17票棄權,擊退共黨及不結盟國家欲使中共進入聯合國之企圖[2]:743。
11月29日——蔣中正發布行政院長局部改組:俞國華任財政部長,查良鑑任司法行政部長,孫運璿任交通部長,蔣彥士為行政院秘書長;考試院副院長程天放逝世(江西新建人,曾任安徽省教育廳長、浙江大學校長、駐德國大使;政府遷臺後,先後任教部長、考試院副院長等職。)[2]:743-744。
7月30日——行政院通過「中、美資源交換計畫」[2]:744。
12月
12月5日——副總統兼行政院長嚴家淦指示各機關,提高改進行政效率,推行分層負責制度,政府並頒實施準則[2]:744。
12月8日——前日本首相岸信介訪問臺灣;陸軍總司令陳大慶代表政府接受美國贈送之最新型戰車一批[2]:744。岸信介率團謁見蔣中正[3]:118。
12月12日——「中、美農產品協定」在臺北簽字,美國繼續提供臺灣農產品兩年3,750萬美元,半數為協助友好國家之用[2]:744。
12月13日——歷史學家湯恩比訪問臺灣[2]:744。
12月16日——臺、日簽訂5項貸款協定,計979萬1,000美元,購置設備用於建設[2]:744。
12月22日——駐賴比瑞亞大使楊繼曾代表與賴國簽訂「中、賴農技合作新協定」[2]:744。張群任慶賀賴比瑞亞總統、副總統就職典禮特使,順道訪問象牙海岸,歸途訪問美國[17]。
出生
參見: 1967年出生
1月8日——
陳明真,女歌手。
劉醇逸:政治人物,是移居美國的台灣人。
1月10日——林靖傑:導演。
1月13日——徐薇,英文補教名師。
1月15日——羅明才:政治人物,是羅福助之子。
1月17日——玉尚:演員,是呂盈瑩前夫。
1月21日——安幼琪:新聞主播、主持人。
1月22日——蔡淑惠:政治人物。
1月25日——吳蒙恩:導演。
1月30日——黃榮山:力學家。
1月31日——王祖賢,演員、歌手。
2月1日——
賴有賢,漫畫家。作品有《真命天子》、《小和尚》。
秦偉:主持人、通告藝人。
2月2日——
劉櫂豪,法官、政治人物。現任立法委員。
林有志:政治人物,曾任花蓮市市民代表、花蓮縣議員、行政院客家委員會諮詢委員。
2月5日——
拾方方:登山家,是首位在聖母峰遇難的台灣人。
簡余晏:政治人物。
2月6日——陳孫華:造型設計師。
2月8日——
牛爾:化妝師。
張正憲:棒球捕手,現被終身禁賽。
2月11日——陳政賢:棒球選手。
2月16日——顧玉玲:作家、社會運動人士。
2月22日——溫士凱:作家、講師、廣播主持人。
3月1日——蕭淑麗:政治人物。
3月2日——詹雅雯,知名臺語歌手。
3月3日——沈慧虹:政治人物、鐵道站務員,曾任奮起湖車站站長、新竹市交通處處長、新竹市副市長。
3月7日——歐崇敬:教授。
3月11日——
方季惟:歌手、演員。
郭國文:政治人物。
侯駿逸:角力運動員。
3月12日——尹乃菁:主持人。
3月21日——車宜靜:文化工作者,現任世界至孝親篤舜裔總會秘書長。
3月26日——張信哲,歌手。
4月2日——宋明宗:政治人物。
4月11日——王自強:演員。
4月15日——陳宗彥:政治人物,曾任行政院發言人、內政部政務次長、中央流行疫情指揮中心副指揮官。
4月21日——
蔡秋鳳:歌手。
劉志昇:棒球領隊。
4月24日——賴義鍠:政治人物。
4月26日——九孔,本名呂孔維,藝人、諧星。
4月28日——
包小松:歌手、主持人、音樂製作人,是張雅婷之夫、包小柏之兄。
包小柏:歌手、演員、主持人、音樂製作人,是包小松之弟。
4月29日——平凡:漫畫家。
4月30日——
張宇,男歌手。
田麗:演員、主持人、果農。
5月13日——徐超斌:醫師。
5月16日——楊朝偉:政治人物。
5月18日——李慶鋒:政治人物。
5月19日——趙詠華:歌手。
5月25日——
辜仲立,企業家,出身鹿港辜家。辜濂松三子。其兄辜仲諒、辜仲瑩。
吳鈞堯:作家。
5月28日——康康,本名康晉榮。綜藝節目主持人和歌手。
5月30日——丁國琳,女演員。
6月6日——
林美秀:演員、主持人。
楊靚姝:編劇。
6月7日——謝榮雅:工業設計師。
6月13日——陳文治:政治人物,曾任新北市議會副議長。
6月19日——陳震:歌手。
6月21日——馬維欣:演員、主持人、通告藝人,是馮光榮前妻。
6月24日——劉志宏:音樂製作人。
6月30日——王中平:歌手、演員,是余皓然之夫。
7月1日——
簡郁珊:音樂家。
單承矩:演員、導演、編劇、製作人。
7月3日——游梓翔:教授。
7月6日——
鄭文燦,政治人物。曾參與野百合學運,2014年當選桃園市長。
萬芳:歌手、演員、廣播主持人。
高景炎:籃球運動員。
7月18日——林錦昌,小說家、政治人物。曾任台北市政府新聞處處長。
7月19日——
李興文,男演員。曾參與電影《報告班長》、電視劇《流氓教授》、《意難忘》演出。
周可平:圍棋棋士。
7月21日——黃奕睿:會計師。
7月23日——楊潔玫:演員。
7月24日——宋少卿:相聲、演員、主持人。
7月31日——蔡海如:藝術策展人。
8月1日——
陳建年:歌手、警務人員,曾任蘭嶼分駐所副所長。
曾貴章:棒球選手,現被終身禁賽。
8月2日——王光熙:棒球選手,是王光輝之弟,現被終身禁賽。
8月5日——顧婕:演員。
8月10日——曲全立:導演。
8月11日——鄒兆龍:演員,是翁慧德之夫,曾在好萊塢參與電影《駭客任務》第二、三集演出。
8月12日——
黃俊傑,棒球選手,曾經效力於中華職棒時報鷹隊。
傅家森:消防員。
8月14日——曾淑勤,女歌手。
8月17日——
王耿豪:演員。
孟廣美:演員、主持人、模特兒,是台灣首位登上好萊塢的女藝人,現移居北京。
8月19日——胡一虎:新聞主播,原是華視主播,後轉赴香港鳳凰衛視。
8月23日——陳耀川:音樂製作人。
8月26日——蘇昭旭:鐵道研究家。
8月29日——邵昕:演員。
9月4日——四方:演員。
9月7日——吳小莉:新聞主播,原在華視擔任主播,1993年後轉赴香港鳳凰��視。
9月8日——張萬康:小說家。
9月16日——
趙豐邦,花式撞球運動選手,有「冷臉殺手」之稱。
屈中恆:演員、主持人、配音員。
9月17日——楊秀玉:政治人物,現任基隆市議會副議長。
9月18日——
徐輔軍:導演,以2004年電影《夢遊夏威夷》獲得杜維爾影展最佳影片獎。
陳明義:政治人物,是陳世軒之父。
9月19日——
許淑蘋:演員,是張傑勛之妻。
盧秀芳:新聞主播,是盧秀燕之妹。
9月22日——張傑勛:演員,是許淑蘋之夫。
9月26日——林玉珍:新聞主播。
9月28日——朱國珍:作家、主持人、新聞主播。
10月1日——簡文彬:指揮家。
10月6日——汪用和:新聞主播,是周守訓之妻。
10月7日——林俊泓:導演。
10月8日——吳建樟:翻譯家。
10月11日——劉小芸:配音員。
10月12日——黃忠義,棒球選手。
10月16日——韓羅賢:音樂製作人、經紀人。
10月17日——
林小樓:演員。
黃國華:小說家。
10月19日——賴芳玉:律師。
10月22日——徐佳青:政治人物。
10月24日——劉增鍇:相聲。
10月25日——姚可傑:歌手,是東方快車主唱。
10月29日——徐承義:演員、企業家,是瓦城泰統集團創辦人。
10月31日——
黃柏霖,政治人物。現任高雄市議員,叔叔黃啟川曾任議長。
何淑峯:政治人物。
劉海若:新聞主播,原是TVBS晚間主播,2000年後轉赴香港鳳凰衛視。
11月1日——
洪敬堯:歌手,是洪一峰之子、洪榮宏之弟。
汪平雲:律師、政治人物,曾任蒙藏委員會委員。
11月4日——柯淑勤,女演員。代表���《孽子》。
11月6日——
宋達民:歌手、演員、牧師,是宋逸民之弟。
宋逸民:歌手、演員、牧師,是宋達民之兄。
11月7日——焦恩俊,藝人演員。
11月9日——江國賓,男演員。代表作《台灣霹靂火》、《台灣龍捲風》、《金色摩天輪》,早年以飾演反派角色較具代表性。
11月10日——沈懷一:歌手、社會運動人士。
11月17日——王美雪:演員。
11月18日——劉亮佐,藝人,曾主持三立電視台節目『在台灣的故事』。
11月19日——
侯志堅:鍵盤手、音樂製作人,是東方快車成員之一。
游素蘭:小說家、漫畫家,是喬英之姊。
桑茂森:籃球教練。
11月20日——周奕成:政治運動人士,曾任中華民國總統府諮議、行政院政務顧問。
11月21日——陳思安:歌手。
11月25日——謝采妘:歌手,現移居馬來西亞。
11月27日——陳湘琪:演員、教授,現任教於國立臺北藝術大學電影創作、劇場設計二系。
12月14日——卓天麟:棒球選手。
12月15日——陳進益:配音員。
12月16日——周玲妏:政治人物,曾任高雄市政府觀光局局長。
12月17日——王文華:作家。
12月20日——
陳文山:演員。
蕭雅全:導演。
12月21日——李哲華:幕僚,曾任台北市民政局機要秘書、葉金川副秘書長辦公室主任、林益世立委辦公室主任。
12月23日——陳淑芬:漫畫家。
12月24日——沈玉琳,藝人、電視節目製作人及主持人。
逝世
1月12日——丘念台,政治人物,丘逢甲之子。(1894年出生)。
3月11日——楊仲鯨,政治人物,首屆民選花蓮縣長。(1898年出生)。
3月27日——吳新榮,醫師、作家及政治人物(1907年出生)。
吳燕生 詩人 °吳鸞旂孫女、吳子瑜女兒°大正三年出生於北平,得年 62歲°
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約伯記04
第十一章 11:1 拿瑪人瑣法回答說、 11:2 你說這樣的話語、難道不應被回應嗎?一個說話不經過大腦、滔滔不絕的人、豈可稱為義嗎? 11:3 你誇張的言辭、豈能讓人不作聲嗎?當你不敬的時候,豈沒有人讓你感到羞恥嗎? 11:4 你說:「我的信念是純凈的、我是潔凈的」。 11:5-6 惟願 神說話、願他開口訓斥你。給你顯示智慧的奧秘.他有無窮的智識。你當知道 神追討你的、比你的罪孽該得的還少。 11:7-12 自恃過高的人類或許自認為很聰明,但在神的眼裏,人生下來就像野驢的駒子。神知道人類總是自以為是.他看透人的不善,那時難道他不會考慮采取行動嗎?神的智慧豈是你能探求和測透的? 11:13-17 你若虔誠地舉起你的手與神鏈接.向神虔誠的禱告和懺悔,你的內心將充滿光明和安寧,你的反省讓你安息,
這個朋友瑣法和前面兩位朋友一樣,講了一番大道理,贊頌了神的大能和公義,神必將懲惡揚善,敬畏神,相信神的人必得安寧和福分。 但是他們都不理解約伯的痛苦和迷茫,約伯不知道自己的罪在哪裏,所以,祈求神給與明示, 所以,第三位朋友的勸導,同樣沒有說到要點,由於約伯肉體的過於痛苦,而內心及其軟弱,這位朋友的勸告不僅沒有起到作用,反而讓約伯更加迷茫,更加消沈。
第十二章 12:1 約伯回答說、 12:2-3 你們真是聰明的人。但我也不愚蠢、並非不及你們.你們所說的、誰不知道呢。 約伯說:「你們講的大道理我都知道」 12:4 正直誠實的人、竟要受人的蔑視。我向神求告的言辭,竟成了朋友所譏笑的事. 12:5 安逸的人心裏想不到災禍.這災禍常常等待那些內心軟弱而犯錯的人。 12:9 看這大自然所發生的一切、誰不知道是耶和華的手作成的呢?所有生物的生命、和人類的氣息、都在他手中。 12:13-16 全能者有智慧和能力.他通達人性,也預知未來。被誘惑的、與誘惑人的、都在他的掌控之下。 神拆毀的、就不能再建造.他捆綁的人、便不得開釋。他不降雨水,就可使大地枯幹.他降下大雨,就可使洪水泛濫。 那些被誘惑的人,和誘惑他人的人,無論他們是強大的,還是老弱的,在世間,都有各種各樣的呈現 12:17 有的律師失去了理智,有些法官失去了公正。 12:18 有些君王爭王爭霸,擴充領土,任意妄為,但是他們的結果又出人意料。令人嘆息。 12:19 那些皇親國戚、權貴們,倚仗權勢,貪圖享樂,但是他們最終也會敗落, 12:20 講忠信的人沒人理睬,有學問的老人,變得糊塗。 12:21 有些君王受到其他強國的侵略和欺辱,強大的人實力突然衰敗。 12:22 神將深奧的道理從事物的表面中彰顯、在死亡的陰影中顯現光明。 12:23 邦國興旺而又毀滅.邦國拓展而又變窄。 12:24 百姓的首領,在統治中漸漸失去靈氣,再也做不出正確的判斷,昏庸而又獨裁, 12:25 世間的人,愚昧而缺乏良知,為了生存,在無奈中,患得患失,得過且過。
第十三章 13:1 這一切,我都親眼所見、看得清清楚楚,我都親耳所聞、聽得明明白白, 13:2 你們所知道的、我也知道.並非不及你們。 13:3 我真的想要與全能者對話、我願向 神請教。 13:4 你們編織的安慰之詞就像無用的醫生開的藥方一樣。 13:7 你們的言談是何居心呢?難道你們因為信神,就要說違心的話嗎? 13:8 你們要盲目地接受神嗎?你們要為神發聲就可以不講道理嗎? 13:9 神審查你們這樣的言論,難道會認為你們是正確的嗎?一個人受到其他人的輕視和嘲笑,難道你們也不分青紅皂白,一樣輕視和嘲笑他嗎? 13:10 如果你們內心偏袒,感情用事,神必要責備你們。 13:11 神的尊榮和威嚴、你們難道不懼怕嗎? 13:12 你們所銘記的箴言,其中蘊涵的真意,你們並不明白,你們的思想僵化而又膚淺,你們的心腸剛硬而又冷漠。 13:13-14 請你們任憑我訴說吧、無論怎樣我都願意承擔後果。我已經將生命交到神的手中。 13:15 盡管神要讓我去死,但我還是相信神,但我還是想要在他面前申訴我的情況。 約伯的意思是不再懼怕,不再自保,豁出去了。 他相信神,並不是不服,只是想當面向神請教自己的錯在哪裏,罪在哪裏,希望自己得到神的啟示。 13:16 神將成為我的救恩、因為不虔誠的人不可能來到他面前。 約伯很自信,他認為自己是夠虔誠的。 13:17 你們要認真聽我的心裏話,思考我的表白。 13:18 我已誠實的陳明我的想法、我知道,我將被證明是正直的。 13:23 你們知道我的過犯與罪愆都有哪些呢?我的罪孽和罪過有多少呢? 13:24 你們掩蓋面孔、厭棄我像怨敵一般。 13:26-27 在你們的眼裏,我是一個自作自受的罪人,你們寫下我的苦難來宣傳、數落我早年的那些罪孽.
13:28 我已經像一個腐爛的物體、像一件蟲蛀的衣裳。 村民們嫌棄他,害怕約伯的病有傳染,所以也限製他的自由,他們到處去議論約伯的災難,甚至還挖出約伯小時候的事情,約伯覺得自己像一個腐朽的物體,只能等待死亡。
第十四章 14:1 人類為婦人所生、生命短暫,卻充滿了患難. 14:2 生下來的時候像朵花、但又很快雕零.死的時候像個影子一樣飛走了、什麽也沒留下。 14:3 神就是這樣看盡人生,又來審判人生。 14:4 世間的人內心有許多不潔的妄念和妄想。 約伯代表人類向神訴說:人間的自私和罪惡、無常和短暫,苦難和無奈,人類在有限的時空內茍活著,求神寬容。少一些試煉。
14:16-17 如今你數點著我的腳步、審察著我的罪過。我的過犯和罪孽就像縫在囊中一樣、被你塵封。 約伯知道人類的罪惡點點滴滴都是被記錄在案的,但是人類的罪惡並不會立即得到報應, 14:18-19 山崩變為平地,.磐石挪開原處。水流消磨石頭.你更新地上生長的一切萬物.你也毀滅人間的一切榮華富貴。 約伯體悟到了世間的無常變換。 14:20-22 人的生命擺脫不了死亡天使的掌控,必將死去;人的容貌抵抗不了歲月的摧殘,漸漸老去。 在將死的時候,他們的子孫尊貴卑賤跟他毫不相關。 只有肉體的痛苦、內心的悲哀。 約伯明白,人生無常,子孫的尊貴卑賤跟他一毛錢關系都沒有,
14:7-9 樹若被砍下、還可指望發芽、嫩枝生長不息、其根雖然衰老在地裏、樹幹也死在土中. 及至得了水氣、還要發芽、又長枝條、像新栽的樹一樣。 14:10 但人的肉體死亡、而又回歸塵土.人的靈魂被放逐、他去往何方? 14:14 人死了、將來還能再生嗎?神吶,我是你親手所造的作品,我願在我那有限的生命中努力,直到我改變的日子來到。 14:15 到那日子,你呼叫、我便會答應,你對我的期許,必將實現。 約伯在想死樹可以重新發芽,人死有可能再次出生嗎? 雖然他不知道人死後是否能夠再生,但他還是期盼著自己靈魂得救的那一天。
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第一,不管是哪個宗教,哪個派別,只要信主,信上帝; 第二,相信輪迴,去惡行善,懺罪悔改; 這樣的人都是我們的弟兄姊妹,這樣的教派都是和我們志同道合的教派。我們要聯合起來,團結起來,傳播真理。
Kristen,來自東方的牧師,對東西方宗教、文化都有非常深刻的研究。 在其牧師生涯中,尤其註重考證,澄清歷史事實,探尋聖經深意,兼收博採,不分門戶派別。 延續耶穌精神,不與世俗妥協,引領基督徒回歸真理、造福社會。
查經學習小組Whatsapp: https://chat.whatsapp.com/HElK31FQalL6lMScjY9MM9 郵箱:[email protected] 網站:www.wiselight.org
#聖經故事#聖經學習#因信稱義#基督徒信心#原罪怎麼來的#基督教教義#三世因果#因果報應#智慧之光教會#智慧之光#道路真理生命#被提到神面前#耶穌再來#末日拯救#被提#最後的審判#駕雲降臨#隱秘降臨#主再來是網絡降臨#輪回轉世#靈魂轉世#屬靈的生活#耶穌基督#預備主的道路#迎接主#聖經輪回#末世預言#靈性提升#如何被提#雲端降臨
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『🥣🛌📝』
2023.10.21の日記とする。
朝、走っていた。5:32だった。目が覚めて雨が降っていた。なぜか興奮して走る準備をした。靴がぐちょぐちょになることも憚らず。前日の筋トレの『おかげ』で、胸が痛かった。走るたびに揺れる胸。俺、今何してんだー。走ってる時も思考をしてた。
「〇〇は、バカじゃないし、アホじゃないよ」
パートナーに言われた言葉。そういえば、木曜日に会ったなー。聞き返すことはしなかったし、顔も緊張して上手く見ることができなかったけど、彼女が僕の方を見ていたのは感じ取れた。
その言葉の『せいか』、最後の500mぐらいは歩いていた。
シャワーを浴びて、洗濯をした。雨だなー。
作業をした。50分くらい。終わることもなく、洗濯機がピーってなった。「スピーディーモードにするの忘れてた。」この言葉を発したのを明確に覚えている。
雨だった。だけど、外に干す。10:47
おそらく同じアパートに住んでる人からは、変な目で見られてるかもしれない。
寝て、起きた。15:41
あー寝てしまった。3時間ほど。ご飯食べてないなー。プロテインを飲む。ここ数年、お金に興味がない僕が、唯一贅沢と感じるものを買った。『エナジードリンク』を買う。僕は、『〇ンスター』の味が大好きだ。例えば、他の人がそこらへんの黒い色の水(コーヒー)や清涼飲料水や、お酒を好んで飲むように、僕は、前記した飲み物が好きだ。ただ、高い。だから、贅沢だ。
夜暇だなー。
とりあえず、ジムに行った。なぜだか歩いて。17:31
脚の日で吐きそうになりながらトレーニングをしてた。18:50
腹減ったなー。固形物食べてないなー。シャワーをしながら、そう思った。あー、飲みに行くか。アパートにあった、パスタ2人前に、一人前のパスタ用ツナマヨを混ぜながら、そう思った。準備をした。(本と鍵を入れた財布と懐中時計を持って)20:01
なぜだか、ワクワクしていた。一人で飲みに行くの久しぶりだなー。3ヶ月ぶりくらいかなー。そう思いながら、歩いていた。雨も上がって、ひんやりしてるなー。良い天気だなー。口元が緩んだ。『ー』☜口調も穏やかになる。やっぱり独りも良いな、向いてるなぁ。だけど、独りでいる時も必ず、僕の中にはパートナーがどこかにいて、彼女の基準と僕の基準と二人の基準で物事と接してしまうと気付かされる。
一軒目、本当にたまにしか行かないバーに行った。一年に2回とか。人がいないし、マスターも僕らみたいに人見知りだから気に入っている。1杯目にホットミルク、2杯目にジントニック、3杯目にネグローニを飲んだ。1,800円だった。美味しかった。22:12
二軒目に、よく行くオーセンティックバーに行った。必ず僕の話のネタになる事が発生する。マスターに挨拶をしたら、「今日は一人?」って言われた。「はい」と答えたら、「そういう日もあるがー」って言われた。カウンター席に案内された。マティーニを頼んだ。
「バーで本読むってマナー違反ですかね?」
「わからんけど、暗いけん読みづらいでしょ。」
たしかに、一軒目でも、二軒目でも読みづらかった。今日の収穫はそれだなぁと思った。22:41
土曜日ということもあって、それなりに人がいた。ソファ席が2セット(4〜5人用)とカウンターが6席ぐらいの店だ。
カウンター 女 男 男 女 〇 僕
↑
こういう並びでカウンター席が埋まっていた。ソファ席は、大学生くらいの人たちのグループとスポーツ少年団の保護者会だった。
(なぜ、二軒目のことを詳しく書いているかというと変なことが起きたから)
マスターも一人でやっているし、本を持っていってたので、読書をしていた。マティーニがきた。相変わらず紳士の味だった。まだ美味しいとは、思えなかったので僕は紳士ではない。
2杯目に、チャイナブルーかソルティドックどっちにするか迷っていたら、女性に話しかけられた。カウンターの一番奥の席にいる女性に。
「お兄さん、体大きいね、鍛えてるの?」
「鍛えてませんよ。酔っ払ってますか?笑」
「少しね。ほぉーら、腕の筋肉凄いね。」
「ここのお店、お触り禁止らしいですよ。僕は有料制にしてるので、お酒ご馳走してもらいますから次からは気をつけてくださいね。」
タンブラーのネタができたなーと思ってると、
「絡んですみません」と男性が言ってきた。「良い夜ですね」と言っておいた。
2杯目にチャイナブルーを飲むことにした。23:15
内容が頭が痛くなるようなものだったので、読書をやめて、ぼーっと飲んでると、次は、隣の席の人たちに声をかけられた。
「面白いですね、お兄さん��笑」
「季節の変わり目ですからね。」
「彼女とかいるんですか?」
「俗にいう彼女はいます。お二人はカップルですか?」
「会社の同僚です」
「良い夜にしてくださいね。烏滸がましいけど。」
二組とも男性の目が怖かった。僕に向ける目が。
最後にギムレットを飲んで店を後にした。23:45
家に着いた。24:00
学んだことは、二つ。
一つ目は、バーで読書はしたらダメ。
二つ目は、バーでは、自分に酔ったらダメ。
タンブラーの書き方真似してごめん、誰かへ。
おやすみ。
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10/8(日) 吉塚にある西林寺というお寺で開催された【 CANDLE NIGHT LIVE 2023 】でLITTLE TEMPOのライブを体験してきました。
これがあまりにもすばらしかったので書きたい。
LITTLE TEMPO の福岡市内での単独ライブは15年ぶりとのこと。おかやん @ogen3 のストーリーズで開催を知って(ありがとう!)、即チケットを取り当日を心待ちにしていたわたくし。
とにもかくにもLITTLE TEMPOのライブが目的だったので、この催しの趣旨がチャリティーであることはなんとなくしか意識できていなかった。
この日はあいにくの雨で肌寒く、すっかり日も暮れて濡れそぼった夜道をひとり会場へと向かったわけですが。
初めて訪ねる場所だしお寺だしすこし緊張しながら到着したものの、そんな気後れなど一瞬で吹き飛ぶほどの温かでホスピタリティあふれる雰囲気。その空気を生み出しているのはそれぞれの持ち場で生き生きてきぱきと楽しそうに働くスタッフさんたち、総勢50人くらいはいらっしゃっただろうか?若い方や外国人の方もたくさんいて、正門でのチケット受付から、傘にはひとりひとり名札をつけて安心して預けることができ、脱いだ靴を入れるビニール袋はちゃんと広げた状態で手渡してくれて、会場の本堂まで驚くべきスムーズな誘導、大勢の来場者でごった返す中、ほぼ満席の場内でひとり用の空席をすばやく案内してくださり、開演間近の到着にもかかわらず居心地の良い場所に腰を落ち着けることができた。
これってすごいこと。一朝一夕では到底できない連携プレー。しかも皆さんあんなに楽しそう!
あらかじめ付いていたワンドリンクだけでなく、空腹で到着した人のために手作りのおつまみやお弁当が販売されていたが(これらの収益もすべてチャリティー)、会場内のゴミの回収も常にスタッフさんが巡回してくださってなんて行き届いているんだろうと感動。
それもそのはず、わたしが知らなかっただけでこの【 CANDLE NIGHT LIVE 】というイベントはもう今年で11周年目になるとのこと。
その趣旨であるカンボジアへの支援活動自体は2001年から行われ、もう20年以上も継続されているそう。
ライブの前にカンボジアの学校とzoom中継がスクリーンに映されて、日本語を上手に話す子どもたちが歌を歌ってくれたり、メッセージをくれたり。支援活動によって学ぶ機会だけでなく井戸ができたりと意義を目の当たりにしてシンプルに喜びを感じた。
楽しいことや嬉しいことと誰かの助けになることは無理なく融合させられるのかもと希望を抱いた。
そんな成り立ちの場で行われたライブだからこそ巻き起こるバイブスがあるわけで。
LITTLE TEMPOというバンドが持っているオープンマインドが共鳴して増幅して、ものすごいポジティブな波がたちまち全体を包み込んだ。
それにしても生で聴くスティールパンの音はなんであんなにきらきらしているんだろう?音色だけで泣けてくる。あれは音というより声よね。光の生きものが歌ってる。
音響のすばらしさにもびっくりした。お寺の構造ってライブハウスなの?もちろんウッチーさん @uthcidub の手腕の賜物だろうけど、お寺という建築にもともと備わっているものでもあるんだろうか。お経をあげるし。美しい木造の天井を音が駆け巡って、極上の立体的な像を結んでいた。
うねるグルーヴに皆じっとしていられなくなってお寺の本堂はフロアと化し。
熱い熱い終演となりました。
今回【 CANDLE NIGHT LIVE 】史上初のドラムを入れての演奏だったそうで、そんな意味でも画期的な回だったようです。
この日この場所でLITTLE TEMPOのライブが体験できて本当にしあわせでした。
メンバーの皆さんも演奏しながら嬉しい楽しいを連発していたのも良き思い出。
すばらしい時間をありがとう。
@littletempo_official
#LITTLETEMPO
#リトルテンポ
@candlenightlive
#candlenightlive2023
#キャンドルナイトライブ
#CNL23
#西林寺
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Sunday August , 6
台風の中、きょう外出したツケがまわって中耳炎気味。
いたい(´;ω;`)
ずーーーっとぜんぶ上手くいってない。
仕事に?恋愛に?人間関係に?自分自身に。
変えたいときはとりあえず手っ取り早く髪を切る、明るく染める。深夜にインスタ漁って美容院を決めた。那覇ボブ。カラーが上手なひとがいい。
昨日よりは落ち着いた天候、それでも大荒れ。はじめていく美容院は幾つになってもドキドキする。ダブルカラーのつもりが、怖気付いて一回。暖色系はしたことなかったから自分的には冒険。
オレンジ🍊
気に入った〜。
濃いめにフルメイクした自分の顔は結構すき。
最近それさえも忘れてた。
「責任を持つということは問題が起きても何事もないようにカバーするということ」
いまの上司に言われて印象に残っている言葉のひとつ。
先々週からの激務と悪天候で買えていなかった備品を購入しに、美容院から徒歩圏内のスーパーへ買い物に行った。
休みの日に仕事のことを考えること自体がストレスではあるけど、残したままなことの方がわたしにとってはストレス。完璧主義やめたい。
購入後、店の外でタクシー拾うタイミングを待っていたら、おばあさんが話しかけてきた。
「近くの業務用スーパーに行きたいんだけど、わたしは此処のスーパーがそうだと思って来ちゃって。どうやら此処では無いの。あなた地元のひと?わかる?」
那覇市内ぜんぜん分からんと思いつつ、お困りのようなので一緒にGoogleマップをみて考えた。
マップをみてても埒が開かないので「嫌じゃなければ道案内するので乗せてもらえますか?」と提案して、乗り込んだ。
家に帰るだけの暇人だし、ここら辺はどこからタクシー乗ったとしても料金は変わらなさそうだし。
助手席にシスター姿のお友達の方がいて、背筋がのびる。
今から落ち合う方も含めて三人は中学時代のご学友で、50年振りの再会だそう。
豪雨の中、業務スーパー前で待ってらした女性が隣に乗り込んできて、ようやく会えた模様。
感動の再会に、無関係のわたしが同乗しててまじすみません状態😂
結局おうちの近くまで送ってもらって、その上エンダーのアップルパイもらっちゃった🍎
ひさしぶりに心の動くままに生きれた日。
予定をたてずその場のひらめいたノリで行動するのがわたしの自然体で、自分自身それが気持ちいい。
帰宅後、頭と気をつかうメッセージをおくるためにLINEを開いて現実に戻った。
性格も生活も変える。変えよう。
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20230708 六角堂
蒸し暑い日々がつづく。晴れて37℃ちかくまで気温があがったかと思うと、翌日はどんよりと曇って、雨がふって、そしてまた晴れて、京都盆地に熱と水蒸気をためたまま、風の通らない夜をむかえる。エアコンなしで眠るのはかなりむずかしい。 用事があって烏丸三条あたりにゆく。前日には雨の天気予報だったので地下鉄でゆくつもりだったが、大丈夫そうだったので自転車で出かける。少しだけ時間に余裕があったので六角堂によってみた。京都らしく、さまざまものがごった煮で備わっているので、おもしろいお寺である。本堂自体は、明治10年に再建されたものなので、150年程度の歴史しかない。前にも書いたが、京都は案外、ふるい建物が残っていない。街なかはほとんど、ご維新の騒動で焼けたのである。
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2023年6月24日(土)
三重県紀北町・奥川ファームから隔週に届く定期便、今回は玄米はお休み、その分手作りパンがどっさり入っている。平飼い有精卵は60個、地鶏は2羽分、そこへなんとトウモロコシが初登場、気分が一挙に盛り上がる。当分梅雨空は続くだろうが、その先の入道雲の登場を予感することができる。奥川さん、いつもありがとうございます。
5時45分起床。
今朝も朝食は煮麺。
洗濯1回。
毎月第4土曜日は<使用済み天ぷら油回収>の日、7時30分に幟とタンクをセットする。
昨日届いた梅の一部を醤油につける、残りはツレアイが梅干しにするようだ。
タマネギをスライスし、酢に漬ける。
半熟酢卵を仕込む。
10時に業者が油の回収に来る、今回は7Lとのことだ。
今日は文楽若手会、開場10分前に文楽劇場へ到着する。入場してからロビーの端でランチ、今朝届いたばかりの奥川ファームのパンを頂く。
今回は<すしや>の芳穂太夫が圧巻の語り、<釣女>の小住大夫・碩太夫の掛け合いも見事だ。
帰路の阪急桂駅で定番の<唐揚げ・竜田揚げ>を購入して帰宅、私は夕飯を準備し、ツレアイがココを迎えに行く。
息子たちが食事を始めた頃にツレアイから連絡、玄関先まで迎えに行くと、玄関ドアの前で籠の中から元気な声が聞こえた。リビングで籠を空けると勢いよく飛び出したのにはビックリ。
この画像では詳細は確認できないが、3泊4日の入院でじっくりと点滴を受けたおかげで腎臓の数値はかなり改善、当面は週1回通院することになった。
録画番組視聴。
▽桂米紫 落語「お花半七」
初回放送日: 2023年6月24日
関西の笑いをたっぷりと!今回は桂米紫さんの落語『お花半七』をお送りします。▽ご案内はタレントの河島あみるさんと落語家の桂あおばさんです。
(22)「銀星号事件」
ジェレミー・ブレットが演じた<世界一有名な探偵>シャーロック・ホームズのドラマシリーズ。消えた競走馬と調教師の殺人事件。事件前夜に現れた怪しい男の正体とは?
ウェセックス・カップの本命馬である銀星号がこつ然と消え、調教師が殺される事件が起きる。銀星号のきゅう舎は人里離れた荒野にあり、他にはライバルのきゅう舎が1軒あるだけだった。事件前夜、怪しい男が馬の情報を集めにやって来たという。状況証拠からその男が犯人と思われたが、ホームズは独自の捜査を開始。証人の話や残された品から推理する。イギリス1988年制作。
片付けをして風呂の順番を待つ間にダウン、布団に吸い込まれる。
今日はムーブが届かず、水分は1,460ml。
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【遭難した話】 3/31(金)始発のバスを下りて私は1時間ぐらい歩いたつもりだったが、警察の方は30〜40分ぐらいの距離だと言っていた。 まずここから滑落まではただただ情報収集不足だったし、装備不足、判断能力不足。 落ちるべくして落ちました。 山屋だから当然、YAMAP、ヤマレコ、ココヘリも所有済。 なのに一切準備してなかったんです。 登山じゃないからって、渓流釣りを舐めてました。 知らない土地なのに、とにかく行ってみよう!と甘く見ていた。 地図読みなんかも一応出来るのに、ちゃんと見ていなかった。 そんなアホが大勢の人達を巻き込んでこの大事故を起こしたことを、まずお叱り下さい。 橋の近くまで来て川を覗き込んだ。 岩肌を見てここから下りれそうだなと、登山の経験を過信して行けると判断した。 その判断は大間違いだった。 土が柔らかく思ったより足場が悪かった。 捕まる木々も根っこが不安定だった。 案の定、早速落ちた。 10〜20mあったんじゃないか? 一回転したと思う。 そう、私はこの日釣りに来て早々に滑落したんです。 救助に来た警察官にも言われました。 えーじゃあ全然釣り出来てないじゃん!って😂 その後正しい入渓点を教えてくれました。 リベンジしに来なきゃねって。 優しい世界です。 私の返事はもちろん! 妹は余計なこと言いやがってと言っていましたが…w 落ちた先は川の端っこでした。 記憶が定かではないけど、多分お尻から落ちたんでしょう。 横に転がり両手を川の中に付いてました。 直後はパニックになったけど、落ち着いて落ち着いてって自分をなだめながら、まずスマホを落としたのを確認。 手足がどれだけ動くか確認。 生きてる?動ける?歩ける? スマホの電波はここまで来る途中からなかった。 だからスマホがあってもどうせ救助要請はできなかった。 頭は打ってない、首も胸も大丈夫、手も動く。 呼吸を整えて!ふうふう。 うん、立てない… あぁ右脚がダメだ。 左はなんとか付ける。 お尻も痛い。 あぁ、骨盤やったな、こりゃ… 右脚を引きずりながら腕の力で上流に少し移動したけど、ハングした岩があってそれ以上行けない。 まず落ちた場所が道路側で上から覗き込んでも見えない位置だったから、川を渡って対岸に移動する���とを決めた。 約2mの川幅で水流も弱め。下手したら水に流される可能性もあったけど、そこは意地と根性… 水に入れば浮力で足は楽になるから、後は腕力だけで移動。 顔に水が付くぐらい深い所もあり這って進んで流されそうにもなったが、女の根性火事場の馬鹿力。 無事対岸に到着。 上半身まで濡れて低体温症も恐れたが、その日暖かくなることを知っていたし、向こうに行かないと発見されないと思った。 そこから登り返すことは不可能だったし、右脚の大腿部頸部と骨盤をやったかもしれないと思っていた。 骨盤骨折が如何に危険なことかは知っていた。 内臓や血管を傷付けたら出血死すると分かっていたから、これ以上動かない、もうここで救助を待つことを決めた。 ある程度平らな場所で力尽きて寝転がった。 案の定寒くなって来て、まずリュックに入ってる物を出した。 若干濡れたULダウンと、レインウェアを急いで着る。 でも足が動かなくてズボンを履くのに苦労した。 痛過ぎてお尻が上がらない… そもそも体を起こすのも辛い。 痛みを我慢してやっと履いた。 靴もびしょ濡れで一旦脱ぎたかったけど、脱いだら履き直せなくなりそうだったし、それ以上手を伸ばすのはもう痛すぎて紐を緩めるまでに留めた。 着ていたフリースはしっかり水を吸ってしまったため、絞れるだけ絞って、足の上に広げてかけた。 このお天気で少しでも乾いてくれたらと願って。 食料は多めに持っていて、おにぎり、サンドイッチ、パンを各1個。 しかし水を入れてたボトルも紛失したことに気づいた。 沢の水を飲めば良いんだけど、動けない。 どうしたものか… 釣り竿にコンビニ袋を付けて、袋で汲み上げる作戦! 持ち上げると竿が折れるから、ズルズル引きずり上げて、大成功。 ただ袋の水を手で掬って飲むことが出来なかった。 何故なら痛過ぎて手を付いていないと上半身を起こしていられなかったから。 朝食べたおにぎりの空を使って、それで掬って飲むことにした。 大した量は入らないが、いっぱい飲む訳ではないから、充分のぐい呑みだった。 いつ発見されるかわからなかったから、脱水、低血糖、低体温症にならないようにと考えた。 動かないからお腹も空かないけど、食べないと低血糖を起こすし、エネルギーも必要だと思って、ちびちび囓った。 もしかして一週間も見つからない可能性もあるかもしれない… 食料は残さなければと思った。 ここまでまだ朝の話だ。 一日長かった。 平日で釣り人や沢登りの人は皆無だろうと思った。 天気も良い。 だが定期的に寒気がやって来た。 悪寒と言うべきか、全身の震え。 いちいち筋肉が強張って患部が痛んだ。 これは外傷による身体反応なのか、外気に対しての寒さなのか、最後まで分からなかった。 長靴もあった。 靴を履き替えることも考えたし(無理だった)、最初は手を突っ込んで腕を温めるもしたが、体幹を温めることが大事だと思って、上着の中、胸に入れた。 小さい保冷バックもあったからそれも胸に。 他にもジップロックやコンビニ袋があったから、背中に入れた。 替えの靴下は手袋になった。 周りには落ち葉がたくさん積もっていた。 少しでも身体を温めるように、枯れ葉を掻き集めてこんもり足に乗せた。 どうやって集めるかって? タモ(釣り用の網)を使って、見えない頭の方も目一杯手を伸ばして回収。 時間はたっぷりあるから、普段のサバイバル精神をフルに使って色々工夫した。 流石に夜は寒かった。 リュックを肩に乗せて寝ていたら、自分の近くに石が落ちた音が聞こえた。 上の山で鹿が歩いてるんだと思った。 あいつらが歩く度に落石があると思うといつ頭に直撃するか怖かった。 リュックに両腕を入れ頭を保護。 追っ払うために声を出したら、そのうち落石はなくなった。 ちなみに翌日も同じことが起きた。 熊もいるかもしれないけど、岸壁に囲まれた深い谷の渓流だから、餌場もないし動物はあまり入らないだろうと予想していた。 熊だけは来ないことを祈るしかなかった。 ロキソニンとエペリゾン(鎮痙剤)とデパス(抗不安薬)、眠剤各種を持っていた。 夜をメインにちょっとずつ時間を見ながら内服していた。 夜がとにかく長いから、眠りたかった。 時計はあまり見ないようにした。 見てもあまり時間が経ってないから。 2日目も良い天気だった。 今いる場所がどうも斜めになっており、真っ平だったため体を起こすのが辛かった。 頭側を高くしたかったから、数m、ほんの少しずつ腕の力で移動し、具合の良いところで収まった。 万能道具達も同時に移動させ、また枯れ葉を掻き集めた。 土曜日だから釣り人に期待した。 時々見上げた先の道路に車が通るのが見えた。 声を上げてみたが当然気付かれることはなかった。 よっぽど車から降りて見下ろさない限りは見えない深い谷だった。 天気が良いのに相変わらず定期的な悪寒と、とても眠かった。 窮地に立って仮死状態になるのか? ウトウトすることが多かった。 寝てると悪寒が来て寒さに震えてたまに痛みを堪えてなんとか起き上がって水を飲んで食料齧って… そんなことを繰り返してると、夕方になった。 この日出勤予定だったから、職場に来ない連絡も取れないとなれば確実に捜索願が出るだろうと思った。 ここから捜索か… 夜は動かないから明日の朝からだな… どこかで明日には見つけて貰えるだろうと期待していた。 Suicaの履歴を調べりゃ直ぐわかると思っていた。(実際はそうじゃなかった) もう一晩我慢しなきゃ。 いよいよ体力?筋力?が落ちて来て自力で首が上げられなくなった。 手で頭を持ってなんとか半身を起こして水を飲んだ。 2つ目の食料残り僅か。 3日目に入った夜、小雨が降った。 眠ってて気付いたら足の上に乗せていたフリースが濡れてしまって凹んだ。 まぁ下半身はすでに濡れてたし、落ち葉をたくさん乗せて葉っぱに埋もれるようにしていたからそのままにした。 足が寒いのは仕方ないから上半身だけを守った。 幸い雨はすぐ止んだ。 夜が明けて青空が見えたのは奇跡だ。 今日は日曜日、人が来ないか期待した。 ふと横を見ると釣り人が見えた。 と思って大声で叫んだけど、向こうに行ってしまった。 とうとう幻覚が見えるようになったか? 低体温症で幻覚が見える症状があるが、そこまで重症になっている印象はなかった。 そもそもそうなれば自覚もないんだろうけど… 脱水も低血糖もなさそう。 貧血でもないと思う。 それを心配する余裕もまだあった。 冷静を保っているつもり。 沢の音で声はかき消されるし、横たわってたので見えなかったのかもしれない。 ただ、前日より更に眠気が強く、夢だと思うしかなかった。 首が上がらないし、疲労もあって起きるのは精一杯だった。 もう半身の半身で、ほぼ横向きで水をやっと飲んでいた。 眠気が酷い。 この日も時々車が通り過ぎるが、声を出して無駄な体力を使うより、大人しく見つけて貰うのを待とうと、辞めたというか諦めた。 どこかで今日見つけてくれると信じていた。 上のガードレールとは別方向の道路に、白い車が停まってるのが見えた。 いつから停まってるか気付かなかったが、何度も見てあれは車だよな?と目を凝らした。 きっと釣り人が来てるんだろう。 車にはいないだろうから、車に帰って来たところがチャンスだと思って、その時に声を出そうと決めていた。 眠気に負けてよく寝ていた。 悪寒で起きて、水を飲んで、食料を齧って、また寝て… 時計は見たくなかった。 空の色や影を見て、なんとなくの時間を予想していた。 時間が経つに連れ、もし今日来なかったら…また夜かぁ… そろそろ雨が降るんじゃないか。 体力…持つかなぁ… なんて不安もよぎった。 陽が傾いて来た頃、ふと見ると白い車が消えていた。 しまった!いなくなってしまった。 まぁ声を出したところで無駄だっただろう。 諦めるしかなかったが、一つのチャンスだと思っていたから多少凹んだ… 時計を見たのは15時半頃だと思う。 捜索時間はもってあと1時間半だな… 陽が暮れたら明日だ。 間もなくして、ふと見るとガードレールから人が覗いているように見えた。 声を出したらどこかへ行ってしまった! 待って!行かないで!ここだよー! やっぱり幻かと思った… そしたら、いなくなった人が戻って来た。 …手を振ってる。 そして続々と人が集まって来た。 あぁ…救助が来たんだ。 両手を振り返した。 第一声、「大丈夫ですかー」と聞かれた。 腹から声を出した。 それからもその距離で大声で叫びながら会話した。 名前を言えるか、動けるか、どこが痛いか、等々。 到底3日遭難して弱っている声ではなかった。 なんだ、自分結構元気じゃん、と思った。 そこからまず一人の警察の方がロープで下りて来たが、私が下から見て下りるルートを指示するほど、急な崖だったことを再認識した。 もし両腕、両脚を付いていたら開放骨折、出血死だっただろうし、頭や首だったら即死。 肺を傷付けていたら3日は持たなかっただろう。 出血がないことは本当に奇跡。 消防の救助隊をもう一人要請している間、警察の方と和やかに会話した。 温かいお茶を保温ボトルに入れて来てくれて、ありがたいと受け取ったが熱過ぎて火傷するわい!と心の中で突っ込む余裕もあった。(最後熱過ぎると正直に言った←この期に及んでワガママ言うな!) 骨盤と、当時は右大腿骨頸部もやったと思っていたからそれを報告して、簡易的に固定してくれた。(激痛) もう一人も下りて来て、後は救助用の担架のボードに折り畳められた。(激痛) 下半身は川に沈みながらも対岸へ移動。(激痛) 上の道路から崖を吊り上げる形で無事、地上に戻った。(激痛) もうそこからはたくさんの人間に取り囲まれ、外すもの付けるものガチャガチャやいのやいの。 皆さんのプロの手際でストレッチャー に移動し、救急車に乗った。(激痛) 本当に情けないことに、毎度断末魔の叫び声を上げ、涙が出るほど痛かった。 テメェが悪いんだから痛いのぐらい我慢せいと言われるだろうが、こんなことになるとこんなに痛いんだよというのを伝えたいから敢えて言う。 今も痛いけど、生きているんだから感じる痛み。 もし死んでたら、痛いなんてワガママも言えず、今ここにいないんだ。 私の不徳の致すところで、最初は誰一人行き先を知らなかった。 そんな中での救助に至るまでの経緯は、また改めてツイートすることにします。 怪我はもちろん、見つかったのも奇跡があった。 全ては妹と友達、たくさんのいいねと拡散で心配してくれた皆様、警察及び捜索隊の方々のお陰です。 遭難の間の話は一旦これで終わりますが、感謝してもし切れず、伝えたいこともいっぱいです。 アホの遭難話をどうか笑い事にしながら、山や渓流、自然を楽しむ皆様がどうか安全に楽しんでくれることを願って、このお話を締めたいと思います。 まずはここまで本当にありがとうございました。
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三輪秀次の小説(二次創作)
【4】
四 七月 古寺章平
E per me nuovo Capir nol so.
(初めてのことで、僕にもよくわからないのだ)
ウォルフガング・アマデウス・モーツァルト『フィガロの結婚「恋とはどんなものかしら」』
スマホの音楽アプリに、有名なアリアをダウンロードするくらいには古寺の頭はおかしくなっていた。
三門市も梅雨が明ける。もう夏が始まる。中三の彼にとっては受験生の夏である。しかし、塾の夏期講習はキャンセルした。
ボーダーに入隊したのは二ヶ月前、ポジションは最初から狙撃手を選んだ。自分に合っていると思ったからだ。昔から、何事も遠くから俯瞰して眺めるくせを持っている。
近界民侵攻から三年、仮設住宅にもようやく慣れてきた。壁は薄い、部屋は狭い。寒いと暖房が、暑くなるとクーラーの効きが悪いと母親はいつもぼやいている。男子三人を抱える家庭にとって、特に夏休みは母さん発狂案件だった。長期休みが来るたびにそろそろ新しい家をという話になる。
それは、三門を離れるか残るかという話でもあった。司法書士である父ならば他の土地でも仕事はできる。それでも、故郷の街を離れるのはかなりの勇気がいるらしい。しかし、この土地に住み続けるにはある一定の覚悟が必要だった。街が近界との境目に位置しているからだ。国と三門市からは住宅斡旋の補助が出ているが、再び住居を手に入れるにはまだ覚悟が足りない。そんな人たちが仮設住宅にはたくさん住んでいる。
古寺はこの歴史のある街に愛着があったので、ボーダーに入隊することで、家族の気持ちを後押ししたい気持ちがあった。
愛着があるだけではない。古寺には三門市を離れたくない理由が他にもあった。
古寺には近くにいたい人がいるのだ。いま、離れたくない人が。この気持ちがどういうものなのか、彼は知りたい。
E per me nuovo Capir nol so.
初めての気持ちで、古寺にもよくわからないのだ。
だから、彼自身にもそれが恋だとか何だとかはまだ言えない。恋とはどんなものなのだろうか。
作戦室目的で奈良坂を入れたと豪語するわりには、米屋は部屋に居つかなかった。相変わらず個人ランク戦に忙しい。
作戦室はまだ備え付けのロッカーとテーブル、オペレーター用のデスクがあるだけの部屋だ。三輪はA級の部屋よりは狭いなと感じる。
…やはり、狙撃手二人体制がいい。
奈良坂は自分のノートを見ながら、そう主張した。やりたいことがいろいろあるらしい。
三輪は奈良坂の意欲が嬉しい。一緒にあーだこーだ言っていると、大抵、米屋はもう個人ランク戦行ってきていい?と言い出す。聞いてないわけでない。理解したし了承したから、もういいだろうというサインだ。了承しなければ、要所要所で口を挟む。わかってきた三輪はあとで俺たちも行くからなと送り出す。それがここしばらくパターンとなっていた。
「で、目星はついているのか?」
「候補がいる」
優しげな風貌だが、見た目に反して俺様であるスナイパーは胸をはった。
「それなら、まかせる」
狙撃手のことは狙撃手に任せたほうがいい。それよりも、戦闘員四人体制のチームについて、考えることはたくさんあった。楽しい。楽しいだけではなく、問題もある。四人体制のチームは少ない。オペレーターに負担がかかるのだ。月見との細かい打ち合わせも必要だった。
「えー、俺はこれから辻ちゃんと戦うんだけど」
対戦ブースである。
辻新之助は二宮隊の一員である。その縁で、三輪もここ最近で知り合った人物だ。さすが二宮が選んだだけあり、かなり優秀なアタッカーである。控えめな印象を受けるが話せば明るくて人当たりもいい。コミュニケーション能力が高い人間であると思うが、何故か女性に対してはそうもいかないらしい。
「秀次と奈良坂にまかせるよ」
奈良坂の推す狙撃手に会って来るのだが、と誘ったところ、案の定、米屋は個人戦を優先したいようだ。
「秀次だって、奈良坂に任せてるんだろ」
「俺はいいよ、米屋くん行ってきなって」
遠慮する辻に申し訳ないが、三輪と奈良坂では進む話も進まない可能性がなきにしもあらずだ。奈良坂には言えないが、三輪は奈良坂が自分と同類ではないかと思っている。つまり、コミュニケーション能力が低い側だ。
辻には詫び、三人で待ち合わせをしているというロビーに向かう。
何、このキラキラ感。
顔面偏差値の高い集団に囲まれて、古寺は赤面している。彼は年頃ではあるが、容貌についてはそれほど頓着しない。ましてや、ここは実力主義のボーダーである。これは、あれだ、あれ。教室で女子が読んでる漫���。アレのキラキラ感。読んだことはないのだが。
高いのはそれだけではない。戦闘力である。古寺の家にも積まれている小学生男子のバイブル的漫画(侵攻で一度焼失したが下の弟のためにサンタが去年持ってきてくれたものだ)で登場するアイテム、スカウターで測れば戦闘力は五十三万までは行かなくとも結構な値が出るのではと思わせた。
新人王である奈良坂は言わずもがな、A級隊員だった三輪、個人ランク戦強者の米屋、この三人が隊を結成したその日にはC級隊員に激震が走った。
B級ランク戦に再び波乱の予感だ。ランク戦を見たくて、ボーダー入りしたC級隊員は意外と多い。
その三人がなぜ自分に。
「話はわかりました。でも、なんで俺なんですか?」
「奈良坂が決めたから」
「奈良坂が推すから」
アタッカー二人は、奈良坂を見る。古寺も当然向いた。
「奈良坂先輩?」
奈良坂は表情を変えずに、首を少しかしげた。
「マップ」
「え」
「…合同訓練のときにマップを読むのが俺よりうまいと思った」
狙撃手は正隊員との合同訓練で三週連続で上位十五%以内に入ることにより、B級に昇格し、正隊員となる。夏期講習をキャンセルした罪悪感を消化するため、ひたすら訓練に励んだ結果、結構な速度で古寺はB級へと進んだ。しかし、特に目立つことはなかった。いまや狙撃手は人気ポジションであって次々と話題のスナイパーが登場するし、転向してくる隊員も多い。さらに不動の上位陣は常識外れなほどに技量が高かった。
奈良坂は上位陣の中でもトップに君臨する一人である。
光栄な話だ。二つ返事でひきうけたい。
でもでもでも。
古寺は未練があるのだ。
宇佐美栞は、古寺より一つ年上の風間隊のオペレーターである。今シーズンで風間隊はA級へ駆け上がった。正確に言えば、まだ、A級への挑戦権を行使していないが、おそらく、駆け上がるであろう台風の目である。
その立役者と言われるのが、高校一年生になったばかりのオペレーターだった。宇佐美だ。風間隊のコンセプトを立案し、その戦略に沿った人間をスカウトして実現した。もちろん、隊長である風間が主体だろうが、それを差し引いてもおよそ、高校生のできることとは思えない。
しかし、古寺は宇佐美らしいと思った。彼女ならば、お手のものだろう。得意分野だ。
宇佐美とは同じ中学で生徒会に在籍していた。彼女は改革者だった。彼女の手腕により、学校があっという間に新しい姿に変わっていく様子は恐ろしいほどだった。苛烈ではない。現状を肯定しながらも、いつの間にか現状自体が変わっている。
彼女が三年生の途中で、ボーダー入隊のために辞めてしまったのは、おそらく彼女の理想の形に変革し終わったからだろう。
「章平くんとは眼鏡仲間だね」
彼女と話していると、頭の中がきれいに整理されていくようだった。頭の良い人と話すとはこういうことかと、感心したものだ。
彼女と話すのは好きだった。彼女のことを天然と揶揄するものもいたが、理路整然としているのに、型にはまらない喋り方が心地よかった。
ボーダーに入隊した彼女を追うようにボーダーに入ったのは、思い詰めてではない。あの声をまた聞きたいとなんとなく、そう、なんとなく思ったのだ。なんとなく離れがたくて。
「章平くん、ボーダーに入ったんだ」
もちろん、宇佐美は古寺を覚えていてくれた。また、声が聞けて嬉しかったけれど。
それから先の感情は古寺はまだ知らない。意図的だろうか、おそらくそうに違いない。頭の良い人だ。現状を把握するのも上手い。そして、現状を肯定しながら操るのは彼女の得意分野だ。
やんわりとそこから先にすすむことは拒否された。何か態度に出たわけでもない。言葉はない。けれども、この初めての感情がそこでストップされてしまったのだ。
もちろん、今更、風間隊に入れるわけもない。
古寺は今、ただ途方にくれている。
古寺の葛藤は表面には出なかったようだ。
「マップ?」
「マップ?」
奈良坂の意見にアタッカー二人は、意外そうな表情をしている。
「マップは月見さんが担当だろう」
「それがいけないと思う。三輪も米屋も、マップが読めていないだろう」
「読める」
「戦術の問題だ」
「わかっている」
地図の読めない男だと言われた三輪は反論する。東にも、月見にも散々叩き込まれているのだ。急に喧嘩腰で喋り始めた奈良坂と三輪を目の前にして、古寺はこの人たち、仲いいなあと思うだけだ。
「古寺がビビってんじゃん」
地図の読めない男そのニがフォローに入る。
「いえ、そんな。皆さん、仲がいいんですね」
ありがたい話というのは別として、この仲良し三人のなかに自分が入ってやっていけるのか。
「大丈夫だ。別に仲がいいわけじゃない」
古寺の不安を見透かして、奈良坂が言った。
「こいつら、相性とか気にしないらしいから」
奈良坂の顔は端整すぎて表情が読めない。
「どうする?」
終わり
五に続く
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五 七月 三輪隊
三輪隊への入隊届を出した、その足で作戦室に向かった。初めて足を踏み入れた作戦室は殺風景だった。
案内するほどもない狭い作戦室の壁際に小さな机が置いてある。
「古寺くん、受験生でしょう。ここで勉強したらと思って」
月見は古寺に遠慮するすきを与えず、テキパキと椅子に座らせた。
「広さはどうかしら?」
「ありがとうございます」
「奈良坂から聞いた。六穎館だろ」
「はい、一応」
「スゲエ」
米屋が腕を後ろにまわしたまま、大げさに感嘆の声をあげる。奈良坂が気遣わしげに見てくる。彼は中学受験組だったそうだ。
地域一番校である六穎館高等学校の今年の入学審査が今までにない激戦であるのは周知の事実だ。
今年度の受験生が小学六年生のときに近界民侵攻は起きた。このため当時、中学受験を断念した者が多く、彼らのうち、県外に出なかった者は高校からの入学を目指す。さらにボーダー提携校になったことも非常に大きい。同レベルの高校を目指していたものが、六穎館に志望校を変更する者も多い。内申点四五/四五を誇る古寺であっても、本来ならば気を抜いていいものではない。皆の心遣いが嬉しかった。
自然と笑みが浮かぶ。途方にくれた、寄る辺のなさはまだあるけれど、それはそれで悪くないと思えた。
「がんばります」
「明日はここに学校が終わったら集合、打ち合わせをしながら昼。明日は、みんな、午前で学校終わりだろ」
「そうだっけ?」
「終業式よ」
「通知表、みんな持ってこい」
「なんで」
「確認するわ、成績は任務遂行の上でも大事よ」
「誰が決めたんですか」
「城戸司令」
「ホントですか?」
「夏休みかぁ、プール行きたい。今年オープンした市営プール、超いいらしいぜ。栞が風間隊で行ったらしい」
「風間隊!? 栞って、宇佐美先輩のことですか?」
「ああ」
米屋はこの展開に相当馴れているらしく、すぐに、ニヤリと笑った。
「宇佐美栞は俺のいとこ」
「マジですか〜?」
「俺はプールは行かない」
「泳げないんだろう」
「そんなことない」
「海もよくね?」
夏が来たのだ。
次のシーズンが始まる。
終わり
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轉述北斗故事,可信度?
(一)《心有定數,便不再迷路》
1983年,大韓航空007號航班,從紐約起飛後,離奇迷航至蘇聯上空。 天色昏暗,蘇軍射擊警告,客機並未察覺,在即將飛離蘇聯領空時,被導彈擊落。 消息傳出,舉世震驚,冷戰陰雲正濃,美蘇強壓怒火,等待黑匣子調查結果。 結果顯示,客機闖入領空是因地磁導航故障。同年,美國總統里根決定將建設中的GPS系統,開放全球民用。 普通民眾第一次可清晰知道,自己身在星球何處。
兩年後,中方負責人卜慶君參加美國GPS研討會,歸國後卻另有憂慮。 研討會上,美方明言,特殊情況下將採取三重措施:降低精度、關閉區域甚至更換通信編碼。 因不可受制於人,卜慶君拜訪中科院院士陳芳允,商討中國的衛星定位系統。 陳芳允畢業於清華,抗戰時執教西南聯大,留洋時設計過世界第一部海用雷達,歸國後研發過第一顆衛星,七十年代曾提出衛星定位「燈塔」計劃,但無奈擱淺。 美國GPS定位用四星測距,為節約,陳芳允設計出「兩星定位」方案,然而受限於八十年代國力,計劃再度塵封。老人無奈寫詩,「人生路必曲,仍須立我志」。 衛星定位再成焦點,已是九十年代初。 1990年夏天,美國GPS系統第8顆衛星發射當日,海灣戰爭打響。 多國部隊穿越茫茫沙海,伊軍茫然無措,伊拉克戰俘稱,「我們從來不敢進沙漠,在那會把自己丟掉」。 因為天空上的星辰凝視,海灣戰爭中,伊軍傷亡超10萬,而美軍陣亡僅146人。精確制導的導彈,可以準確鑽入前一枚炸出的缺口。 尚未成熟的定位系統,主宰了戰爭,也搖動著世界的天平。
1993年,中國貨輪銀河號,遭美方質疑運有違禁化學品。美方關閉了所在海域GPS信號,貨輪無奈在印度洋上漂流了33天。
第二年,中國啓動北斗一號系統建設。 九年前的「兩星定位」,成為北斗一號主方案。最開始沒衛星,項目組從其他兩個衛星計劃中,騰挪出兩顆備用衛星。
1995年,卜慶軍去哈工大招人,博士生應聘時都問了兩個問題:待遇多少?能解決住房嗎? 當時,廣州一企業正在校招,月薪五千,提供住房。最終,卜慶君連一名博士生都沒招到,只有四、五名本科生願意前往北京。 幾經周折後,團隊終有雛形。
科學家們為北斗設計了兩個新功能,一個是讓迷途中人可以發120字短訊求助,一個是讓用戶5秒之內獲得導航反饋。 2000年10月,北斗首星發射,一個多月後,第二顆北斗衛星也被送入太空,中國成為美俄後,第三個建成衛星導航的國家。 2002年,歐盟發起「伽利略」衛星計劃,彼時,中方遇技術瓶頸,歐盟缺研發基金,雙方決定聯手開發。 然而,蜜月苦短,2006年,中國突然被排除在項目之外,決議不讓表態,資料不讓瀏覽,技術不被告知,歐洲媒體稱「中國人感到被嚴重利用甚至是羞辱了」。
中國開始獨立研發北斗。 此時星空之上,衛星導航黃金頻段已被美俄佔去,只余一小段頻率資源,國際電聯約定:衛星先到者先得,且過期作廢。 過期期限設在2007年4月17日。 2007年4月11日,北斗二號首顆衛星,隨火箭進入發射架。然而發射前忽出故障,團隊緊急搶修3天3夜。 4月14日凌晨4時11分,火箭終於升空,衛星開始變軌調整。 4月16日晚8時,衛星信號從兩萬公裡外的太空傳回,此時距頻率失效僅剩4小時。 現場一片歡騰,那些常年沈默的人,放聲哭笑。 人群中沒有陳芳允,老人早在2000年北斗一號首星發射前數月,因病辭世。 晚年,他一直住在黃寺大街大院宿舍內,家中只有簡樸傢具和一台不大電視,見客所言,皆是衛星,有時談至深夜,水泥小樓外滿天星辰。 他年輕歲月,在西南聯大執教時,那一代人,都愛唱那首《畢業歌》:巨浪,巨浪,不斷地增長!快拿出力量,擔負起天下的興亡!
(二)
與歐盟轉為競爭對手後,北斗遭遇的第一重考驗,就是原子鐘。 衛星在太空定位,主要用時間計算空間,衛星里的原子鐘,決定著測距精度。
此前,瑞士一家公司承諾出口原子鐘,但被要求必須比伽利略所用的,低一個數量級精度。 北斗轉為獨立研發後,瑞士公司忽然終止合作,原子鐘只能自造。 北斗團隊中那群沈默的科學家,開始了無數日與夜。 最終,中國自研原子鐘成功,300萬年僅誤差1秒,部分指標已超越GPS和伽利略系統。
北斗遭遇的第二重考驗,是建設海外地面站。 因地緣政治,中國很難仿效美國GPS,在全球建立地面站。 北斗團隊為此發明瞭星間鏈路,讓衛星互聯,只要有一顆衛星在中國領空,所有衛星便能通過它,聯繫到國內地面站。 星間鏈路一個關鍵技術方案,提出者康成斌,當年只有29歲。 北斗科學家將這項技術形容為「讓宇宙中的兩顆塵埃私聊」。
無窮的挑戰貫穿漫長的歲月,而作為人造星辰,北斗還需應對蒼穹一怒。 北斗系統中,每一顆衛星都有既定位置,也因此有指定發射窗口。有時遭遇雷雨,亦要冒險發射。 2011年7月,北斗第9顆衛星發射,發射前半小時,西昌電閃雷鳴,時間在驚雷中流逝。 發射窗口關閉前5分鐘,雷電短暫間歇,火箭趁機升空,升空數十秒後,雷擊再現。
比驚雷更難捱的還有時間的風浪。北斗一支合作團隊,曾連續十年,出海蒐集數據。風浪無止無歇,大洋無邊無界。 漫長的時間,總能識別人心。
2007年,北斗二號衛星發射後,從清華前往斯坦福留學的博士生高杏欣,破解了北斗衛星上的民碼編碼。 2009年,有論壇發佈消息稱「清華女生破解北斗送給美國」,一時輿論嘩然。
幾年後,流言不歇,北斗團隊中的80後女生,年輕的博導徐穎,參加一科普演講時,談起此事。 她說,實際上清華女生只破譯了沒有加密的民碼信號,並無難度,而且2012年中國已公開了民碼格式。 而除了民碼之外,北斗還有軍碼,徐穎說: 如果想破解軍碼系統,我們建議更簡單的方式。那就是造時空穿越機,穿越回北斗軍碼設計的時候,在旁邊偷聽好了。
演講視頻當年播放量超兩千萬,徐穎被網友稱為北斗女神。 她渾不在意,她說她只是北斗普通一員,茶杯里泡著枸杞,壓力大也會買買買,偶爾也有中年危機。 她和他們,只是心有定數,便不再迷路。
(三)
2008年,汶���地震,震中映秀一度音信斷絕。 地震20余小時後,第一支部隊突破死亡線,進入映秀,借助北斗,發出百字短訊,這是震中傳出的第一條消息。 此後,指揮部緊急調配了1000多台北斗終端,救援部隊借此發送了74萬條短訊,字字千金。 這是北斗首次登上公眾舞台,此後數年,北斗巡視山河,悄然改變著我們的生活。
在上海,它記錄所有公交車軌跡,提供實時到站預報;在伊犁,它精確引導拖拉機,每千米播種作業偏差不超2.5釐米。 在青海,它守護著藏羚羊遷徙路線,看著藏羚羊穿越長夜昏曉,穿越無人之地。 在東南沿海,當地漁民已有歌謠:出海一拜媽祖,二拜北斗。 漁民們放棄了傳統的GPS,大海上只知經緯意義不大,而用北斗,遭遇危險時,可互相預警。 這只是開始,最近數月,北斗定位標繪了武漢火神山,遙感重測了珠穆朗瑪峰,並幫監管部門找回了屢屢消失的獐子島扇貝。 徐穎說,北斗如水、電、公路一樣,是國家基礎,「北斗應用只受想象力的限制」。
巡天的北斗已完成了最初的夢。 它已有7億終端,成為130個國家默認導航系統。在泰國,超2000萬輛摩托車管理,依靠北斗定位。
今年6月23日,北斗系統最後一顆組網衛星發射,最後這顆衛星被暱稱「吉星」。 至此,中國耗時26年,投入超120億美元,總計將59顆人造衛星送入蒼穹。
蒼穹之下,那群造星星的人,參與人數超30萬,目前隊伍以80後,90後為主,平均年齡31歲。 他們沈默少言,穿越了三個時代,世事百幻,心志如一。 北斗發射完成後,媒體採訪團隊工程師,他冷靜陳述,但說著說著,無聲流淚: 有些事情,總要有人做,就是沈默地做,哪怕看不到盡頭,也要堅持做下去。
這個時代,變化的故事已經太多,但令人尊敬的,終究是不變的故事。 …… 無數個仲夏夜,一代代幼童仰望星空,第一次分辨銀河,第一次看到北斗。 星星的故事詭秘神奇,唯有北斗,關乎的是實用的生存。 他們的人生前路,迷宮連環無盡,而走出迷宮,終須不變的方向。
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