#鏡像崇拝
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鏡像崇拝のイメージネイル今回は自分でやってみよう!と思ってやってみました。左は青と鏡モチーフ 右は白とビッグ蝶パーツでまったく違う感じでやってみた。
現地でフォヨワーにネイルで声かけてもらってすごく嬉しかった〜・・・ビッグラブ・・・・
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Mirroring Mirage / 藍月なくる [Fan Translation]
Mirroring Mirage / Aitsuki Nakuru
[Lyrics / Furigana / EN Translation] [歌詞 ・ふりがな・英語の翻訳]
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孤独から産み落とされし 純真な神の子 こどくからうみおとされし じゅんしんなかみのこ Born from solitude, a pure and innocent child of God
壊れないように大切に育てましょう こわれないようにたいせつにそだてましょう Raise them well as to ensure they do not break
私はいつだって此処で歌っているわ わたしはいつだってここでうたっているわ While as for me, I will always be here singing away
あなたが笑いかければ 笑うでしょう きっと あなたがわらいかければわらうでしょう きっと And as for you, if you smile towards me, I’ll be smiling back surely
オ食ベナサイ モット おたべなさいもっと Oh, please feast on it some more
甘美ナ青リンゴ かんびなあおりんご This lusciously blue apple
臓物ト結バレ ぞうもつとむすばれ Bound to my entrails
イツマデモ いつまでも For eternity
オ食ベナサイ モット おたべなさいもっと Oh, please ravish yourself some more
コノ歌声ヲ このうたごえを On these melodious vocals
知ラヌガ仏トハ しらぬがほとけとは Ignorance is bliss
トッテモ素敵ナ言葉ダコト! とってもすてきなことばだこと! What a truly delightful phrase to live by, that is!
愛して穢して満たしなさい あいしてけがしてみたしなさい Love me, defile me, fill me
自由に好きなように じゆうにすきなように In whatever way you desire
ワタシが何度も何度でも わたしがなんどもなんどでも As many times over and over again
許してあげるわ ゆるしてあげるわ Forgiveness you are to receive
あなたは何も悪くない あなたはなんもわるくない You are not the one in the wrong to be blamed
そうでしょう? そうでしょう? Isn’t that so? Isn’t that so?
罪とは知らず 重ね重ね つみとしらずかさねかさね Never knowing it was a sin, time and time again
素晴らしいわ! 愚かで! すばらしいわ!おろかで! Such a splendid thing! Yet so foolish!
切り取って 貼り付けては きりとってはりつけては To be cut up and pasted around
【都合良く塗りたくって】 【つごうよくぬりたくって】 [And then besmeared so conveniently]
終わりなき渇きに おわりなきかわきに To quench an insatiable thirst
【踊らされ 夜は更けて】 【おどらされよるはふけて】 [Forced to dance as the night advances onwards]
愛と憎しみは紙一重 あいとにくしみはかみひとえ Love and hatred are only paper thin apart
理想郷からはみ出すなら りそうきょうからはみだすなら So should you happen to stray from this utopia
裏切り者と罵るだけ うらぎりものとののしるだけ You only need to be cursed as a traitor
指先で一網打尽 ゆびさきでいちもうだじん And with the flick of the finger, you’ll be captured
狂イナサイ ��ット くるいなさい もっと Please lose your mind on it some more
夢カ現カ ゆめかうつつか In dreams or realities
曖昧ニナッテハ あいまいになっては Shroud it in ambiguity
朽チテク くちてく ‘til it decays
狂イナサイ モット くるいなさい もっと Please lose your mind on it some more
妄想ニ耽ッテ もうそうにふけって And indulge in these delusions
片手間ノ呪文デ かたてまのじゅもんで With a quick and simple spell done
��日ハ誰ヲ屠ルノカシラ? きょうはだれをほふるのかしら? I wonder who shall be vanquished by my hand on this day?
さようなら 永遠に さようなら えいえんに A farewell for eternity
気ヅカナイフリ きづかないふり While feigning ignorance
奪われたものは うばわれたものは That of which was stolen away
どれほど? どれほど? Was how many?
さようなら 永遠に さようなら えいえんに A farewell for eternity
言イ訳ハ得意 いいわけはとくい With masterful excuses
嗚呼、なんて嘆かわしい… ああ、なんてなげかわしい… Ah, what a deplorable thing…
ソンナアナタガ大好キナノ! そんなあなたがだいすきなの! Yet that is what I love about you the most!
愛して穢して満たしなさい あいしてけがしてみたしなさい Love me, defile me, fill me
自由に好きなように じゆうにすきなように In whatever way you desire
だってワタシはもうとっくに だってわたしはもうとっくに Because “I” am already no longer
私ではないのだから! わたしではないのだから! “Me” and have been so for quite some time!
鏡をよく見てご覧なさい かがみをよくみてごらんなさい I beg of you, take a good look into the mirror
あなたは今まで あなたはいままで As up until now,
誰を見て 誰を愛してた? だれをみてだれをあいしてた? Who have you been seeing, and loving all this while?
愚かな その姿で おろかな そのすがたで Appearing in such a foolish state
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I kept 「愛して穢して満たしなさい」 as is, the same as the official concert's slogan in English which is printed on merch as "Love me, defile me, fill me."
青リンゴ can also be "green apple" but it's blue in the MV so I used "blue apple" (it's poisoned anyway)
With many of my TLs, I try to keep the lyrics "singable" so this is the outcome! But obviously, if anyone comes up with better phrasing I will replace it if necessary~
This was a real challenge to get done! I hope I could convey the emotions and meaning from the lyrics, please let me know of any corrections needed!
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TEDにて
ギャヴィン・プレイター = ピニー: 曇りの日こそ楽しもう!
(詳しくご覧になりたい場合は上記リンクからどうぞ)
創造的な刺激を得るために、旅を計画する必要はありません。ただ、上を見て下さい。
「雲を愛でる会」の設立者であるギャヴィン・プレイター = ピニーは、そう語ります。
自然が作り出した、大気の素晴らしい構造物の魅力的な写真を紹介したプレイター = ピニーは終わることのないデジタルな仕事の手を止めて、寝転がって頭上の空にある美を堪能しようと呼び掛けます。
古代ギリシャの劇作家・アリストファネスは、怠け者たちを守る女神として雲を描きました。
2500年前のことです。意味は分かりますね。最近の大人たちは、想像力をそよ風に委ね、漂うに任せるという気ままなひとときに消極的になっているようで残念なことです。
そういうことをもう少しやるべきだと思います。少し積極的に取り組んでもいいのではないでしょうか?
地上から見ると、この大気を動かしている自然の力強いエネルギーも見られます。そこにいたら、土砂降りの雨や雹とのつながりや大気とのつながりさえ体感できることでしょう。
私たちが空気という海に暮らす生物なんだと気付くはずです。
空の下で生きているのではなく、空(=大気)の中で生きているのです。そんな直観的に感じる大気とのつながりは、私にとっては解毒剤のように感じます。
ある広まりつつある流れに対する解毒剤です。無線をつないでコンピューターの画面を見るだけで人生をリアルに受け止められていると思ってしまう傾向のことです。
大切なことは、今、この瞬間をこの場で楽しみ、未来にやるべきことや過去にやるべきだったことなどは一瞬だけ忘れてみましょう。
または・・・
皆さんにも、「イラっ」とした感覚が生じる瞬間があるはずです。これは、「憎しみ」と誤解して、表現する書物がたくさんある。
しかし、誤りです。ブッタによると、「憎くて憎くて、あんたが憎い!だから、私の最大の敵なんだ〜」として、「イラっという感覚」と「目の前の敵」をリンクさせたがる。
これも、誤りです。ブッタは「私は、おまえの敵ではない!おまえの敵は自分自身なのだ!」と言います。自分自身ほど手強いライバルはいないとも言います。つまり、人間の特質がそうさせる自我がライバルです!
アインシュタインの相対性理論によるとある時点で光が、トポロジー的に反転して、今、自分の見ている��象が、自分自身の姿として写って脳内が認識してしまう!という現象も計算で判明しており、鏡のようになってしまうこともあり得ます。
「イラっという感覚」と「他者を敵という概念」は、リンクせず、関連もない!ただ単に、自分自身の勘違いと言うこと。これが理解できれば、憎しみの連鎖は断ち切れます。他人に教えても減らないプラスサムのブッタの知恵です。
また、ネイティブアメリカンでも、「イラっ」とする感情は、慈愛、慈しみと言うらしいです。
そして、親、兄弟姉妹は、ウザいという感情表現は、最高の慈愛、慈しみを感じてるから!らしいです。最悪、感情を自分自身で消化できないなら、物理的な距離感を大事にすればいい。ということになります。
日本では、西遊記の物語にでてくる天竺(てんじく)に行く三蔵法師が有名だが、アビダンマは、根本経典である三蔵(経・律・論)の一部。
阿毘達磨とも。サンスクリット語から、漢字に翻訳するとこう書かれる。武道の達人でもあった達磨大師。ダルマ様とも呼ばれる。
数十年単位では、悪性でも数百年単位では善性という事象は多数ある!
なぜ?一神教に比べて、多神教や漢字などに概念が多いのは、お釈迦さまが膨大に構築し、先人達の蓄積したアビダンマが根本だから!
宗教の創始者たちの概念上の教え。
原本は、ものすごくパワー(「パワーかフォースか?」の本でのパワー)の高い状態であることが確認されている。
ここで言われる「Powerパワー」は(スターウォーズでのライトサイドのForceフォース)そして、「Forceフォース」は(ダークサイトの方)という前提です。
しかし、宗教概念が、二元的であればあるほど(例えば、「神と悪魔」や「法律で暴力装置をがんじがらめにしたテロリスト集団が警察機構なのに絶対に善のような先入観を強調する構造」など)
つまり、ゼロサムになると誤訳される危険性も大きくなるように思います。
ロジェカイヨワの戦争論にある「いけにえ」も似ている。
あれこれと姿は変わっても、それらは常に存在し続けてきました。
上があれば下があるように、光と闇があります。人間の心理への探求、そして、高い精神的レベルに達しようとするコミットメントは、宗教として社会的に組織化されます。
逆に、そうなることによって、最も低いエネルギーフィールドに落ちていくのです。
よく組織に入ると優秀な人が無能化するのもこの構造原理にあるためです。
なぜなら、��織化されると言う偽りが最初から伴っているからです!!
だから、マスメディアを通すと意味が反転して届き易くなる傾向があります。
世界中のさまざまな宗教の創始者たちの概念上の教えが言うように、慈愛と言うエネルギーフィールドは、一神教でいう神の恩恵への入り口です。
多神教の仏教では慈悲とも言う「悟りへの入り口」とも呼びます。「ラーマ」「道(タオ)」バージョンもあります。
これらのキャパシティを増やすことで、私たちは、誰であり、なぜ?ここにいるのかと言う最終的な気づきに導かれ。
さらに、このアトラクタフィールドの光の中では溶かされ、すべての存在の究極の源へと導かれます。
これが、この世界で自らのパワーを高める唯一の方法なのです。
そして
ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の三大宗教って、すべて一神教。数学の群論、トポロジーの圏論で多神教の仏教の視点で俯瞰すると、ある意味、多神教の一形態とも言えるんだよな。
インドでも似たようなのあるからね。ブラフマー神、ヴィシュヌ神、シヴァ神など。
なお、日本では、あまり知られていないヴィシュヌ神は、日々、時空を超越して、同時に姿を変えて人々を救っていたという場の量子論的な特徴があります。
その時のそれぞれの姿は化身を意味する「アヴァターラ」と定義されて��り、オンラインゲームなどで呼ばれる自分の分身となるキャラクター「アバター」の由来ともされています。
日本では、観自在菩薩に似ていますが、シヴァ神よりも強くて最強。宇宙を維持する役割もあるので、最新物理学では、イメージ的に不確定性原理に近く、スーパーストリング理論や陰陽五行理論も含まれています。
日本人は皆、神社にいくでしょ!
あれ神道で神社庁も公的にありますよ。
お寺にいくでしょ!あれ仏教ですよ。
お盆やお祭りや年中行事に参加するでしょ!あれ仏教ですよ。
これらに関わらない人も・・・
数%の大企業を中心にしたマスメディアやテレビなどもナショナリズムと言うカルトの定義になるんだけどね。
カルトの定義「中立的なバランスの欠けた極端な思想を対象にする少人数の狂信的な崇拝を持つ教団」に当てはまる?
カルトを論じる前にカルトの定義をしないと風評被害になります!
ご注意下さい。
お金に色がつかないように、量子にも色はつきません(数学の言葉で裏付)人間が色を定義していく。
お金に色がつかないように、量子にも色はつきません(数学の言葉で裏付)人間が色を定義していく。
お金に色がつかないように、量子にも色はつきません(数学の言葉で裏付)人間が色を定義していく。
テーラワーダ仏教では「色」も定義されていて、「色」とは「五蘊(ごうん)」の一部であり「存在する物や事を視覚で認識」すること。
「色即是空」の「色」です。
「五蘊(ごうん)」は「五根(ごこん)」という身体の感覚器官から執着が生じていると論じています。
偶然の一致か否か?不思議なことに・・・
「量子力学」という分野を開拓し、発展させた三人の物理学者「ニールス・ボーア」「ヴェルナー・ハイゼンベルグ」「エルヴィン・シュレーディンガー」たちは
とても奇妙なことに気がつきました。
素粒子の物理学を究極まで追求していくと、驚いたことに、はるか昔の東洋の賢者たちが説いた哲学に
どんどん接近してしまうのです。
これは何を意味するのでしょうか?
次に
老子の道教の徳(テー)とアリストテレスのニコマコス倫理学の徳(アリテー)が似ていることから・・・
どちらの起源が先か?調べるととても面白い仮説が出てきた。
中国の道教は紀元前750年位。古代ギリシャ末期のアリストテレスは紀元前350年位。
共に多神教。この時代の情報の伝達速度を考えるとシルクロードで相互的に交流して伝わった可能性も高い。
プラスサムな概念だから。道(タオ)が先で、アリストテレスのニコマコス倫理学の徳(アリテー)が変化して
老子の道教の徳(テー)となり、神仏習合みたいな道徳になった?アリストテレスのニコマコス倫理学の徳(アリテー)は具体的だが、道徳経ではあいまい。
当時は、西洋と東洋の最先端を統合?古代中国では、老子は仙人とも言われていたし、始皇帝もこの頃の激動の時代。
どうなのか?
バラモン教に対して創始した仏教もブッダにより誕生し、アリストテレスの時代に近い年代であることは偶然の一致だろうか?
ニコマコス倫理学に似ている仏教最高レベルの奥義が「中道」ということ。チベット経由で中国にも伝わります。そして、日本にも。
その後、古代ギリシャは300年後、多神教の古代エジプト文明を滅ぼしてローマ帝国になっています。キリスト教も誕生。
その後、国教へ。一神教が広まり紀元後が始まります。
現在のEUは、NATOがウクライナ侵攻でクローズアップされたこと。さらに、13の暦がひと回りして2000年前位の状況も含めて考えると
トルコまで領土にしたローマ帝国の民主主義版をフランス、ドイツは構築しようとしてる?
イギリスがブレグジット(Brexit)で離脱したのは、かつてのローマ帝国の過ちを回避した可能性も?
もし、以前、機運が高まった時にロシアがEUに加盟していれば、古代ローマ帝国2.0(民主主義版)が建国していたかもしれない。
大西洋を超えてアメリカ大陸からロシアを含めて、北半球に巨大なモンゴル帝国を超えた人類史上最大の領域が誕生するので・・・
今からでもロシアは遅くないので加盟したほうがいいような気がします。
真実はわからないが、そんな仮説がインスピレーションとして出てきた。
仏教最高レベルの奥義が「中道」と言葉で言うのは簡単だけど、体得して実践するのは至難の業。
��ータードラッカーも言っている。
それを可能にする方法を段階を踏んで導いた最初の人が釈迦です。
初心者向けとして、アビダンマや八正道がそれに当たります。具体的な方法を体系化しています。
極端な見解にとらわれない(顚倒夢想:てんとうむそう)よう人が心の苦しみから逃れるには、八つの道を守れば良い。
正しい見かた、正しい思い、正しいことば、正しい行い、正しい生活、正しい努力、正しい判断。そして、正しい考えかたである。
ところで「正しい」とは、何をもってそう言うのだろうか?
ここでは、アリストテレス(サンデルの正義)の定義ではありません。
この場合の定義は、ブッダの説いている「中道」が「正しい」という意味です。両極端にとらわれない正しい立場(中道)が悟りへと導く唯一の道なのです。
悟りから始まり、この世は、様々な概念が重なり合うため、概念の機微や均衡点を決断できるのは、人間の倫理観が最も重要!
最初は大変だが、ドラゴンボールに登場するスーパーサイヤ人みたいに、これを大変なレベルじゃなくなるくらいに習慣化することがコツです。
参考として、フランスの哲学者であり啓蒙思想家のモンテスキュー。
法の原理として、三権分立論を提唱。フランス革命(立憲君主制とは異なり王様は処刑されました)の理念やアメリカ独立の思想に大きな影響を与え、現代においても、言葉の定義を決めつつも、再解釈されながら議論されています。
また、ジョン・ロックの「統治二論」を基礎において修正を加え、権力分立、法の規範、奴隷制度の廃止や市民的自由の保持などの提案もしています。現代では権力分立のアイデアは「トリレンマ」「ゲーム理論の均衡状態」に似ています。概念を数値化できるかもしれません。
続きは、後ほど。倫理は強制ではなく一定のプロトコルに基づく自由権なので
アリストテレスのニコマコス倫理学には、快楽的生活、社会的生活、真理を追求する生活がある。
思考の知的な徳は、形式知の根本?
もう一つ、性格の徳は、暗黙知の根本?
アリストテレスのいう定義である悪徳の反対は、有徳。有徳に転換する努力が必要。
悪徳に似た概念として、仏教でも、具体的に邪道四つと定義されている。
テーラワーダ仏教に似ている。顚倒夢想(てんとうむそう)になるため悪行為を段階的に最小限する努力が善行為。
こうすることで「パワーか?フォースか?」の書籍でいうパワーが人類全体で平等に底上げされる。
ここで言われる「Powerパワー」は(スターウォーズでのライトサイドのForceフォース)そして、「Forceフォース」は(ダークサイドの方)という前提です
そして、ブッダの説いている「中道」は、「パワーか?フォースか?」の書籍でいう「意識のマップ」内の「中立」レベルに当たるかもしれない。
アビダンマとは異なる領域なので、うつ病、ADHD、自律神経失調症、発達障害などは、精神科医や心療内科へどうぞ。
もう少し、テーラワーダ仏教で教え伝えられている経験則を初心者向けから二、三歩、歩みを進めると「預流道心」と言われる悟りの最初の心が生まれる瞬間があります。
自力で到達するのは危険なので、お寺のお坊さんに詳しくは聞いてください。
自分の解釈では、ここに到達する感覚としては、量子力学の本質である「場の量子論」を本当に理解した瞬間が一番近い感覚です。しかし、検証できないので本当に到達したかわかりません。
テーラワーダ仏教のアビダンマでは、「預流道心」に到達すると自然と悟りの道に自動的に回帰できるようになるそうです。次に、七回生まれ変わるまでに完全に悟りの流れに乗れる。
前世で「預流道心」に到達してると子供の頃から、桁の違う天才になりやすい傾向が発現してくるそうです。
そして、六道輪廻するのは、人間界か天界のみだそうです(一神教では、天国に近い領域に似ている)他にいくつか特徴があります。
「預流道心」に到達すると「第一禅定(ぜんじょう)」状態に自動的になります。
一神教では「天国」に相当することですが、テーラワーダ仏教には、この先がありますが、ここまでにします。
厳密には違うけど、わかりやすく言うと精神領域がスーパーサイヤ人に到達するようなイメージ。しかし、すぐ心の状態は普通になります。
漫画のイメージのように身体は強くなりません。
言葉の定義として「禅(Zen)」は、ブッダが伝授された「第一禅定(ぜんじょう)」が起源。
言葉の定義として、ここでの「定」は、サマーディとも「梵天」の「梵」とも呼ばれます。
日本語ではわかりずらいけどサンスクリット語などにすると全て関連してることがわかります。
サマーディ瞑想とも深く関連していて、瞑想しすぎると「あの世」の人になってしまうので、ほどほどの八正道で「この世」の状態を維持しないと危険です。
戻ってこれなくなります。
再起不能になる可能性が高いため、本当に詳しくは、歴史あるお寺でお坊さんに聞いて下さい。
再起不能になる可能性が高いため、本当に詳しくは、歴史あるお寺でお坊さんに聞いて下さい。
再起不能になる可能性が高いため、本当に詳しくは、歴史あるお寺でお坊さんに聞いて下さい。
歴史に耐え抜いた哲学の基盤がない権力者が最も危険な存在です。
最後に、マクロ経済学の大目標には、「長期的に生活水準を高め、今日のこども達がおじいさん達よりも良い暮らしを送れるようにする!!」という目標があります。
経済成長を「パーセント」という指数関数的な指標で数値化します。経験則的に毎年、経済成長2%くらいで巡航速度にて上昇すれば良いことがわかっています。
たった、経済成長2%のように見えますが、毎年、積み重ねるとムーアの法則みたいに膨大な量になって行きます。
また、経済学は、大前提としてある個人、法人モデルを扱う。それは、身勝手で自己中心的な欲望を満たしていく人間の部類としては最低クズというハードルの高い個人、法人。
たとえば、生産性、利益という欲だけを追求する人間。地球を救うという欲だけを追求する人間。利益と真逆なぐうたらしたい時間を最大化したいという欲を追求する人間。などの���低生活を保護、向上しつつお金の循環を通じて個人同士の相互作用も考えていく(また、憎しみの連鎖も解消する)
多様性はあるが、欲という側面では皆平等。つまり、利益以外からも解決策を見出しお金儲けだけの話だけではないのが経済学(カントの「永遠平和のために」思想も含めて個人のプライバシーも考慮)
<おすすめサイト>
エピソード6Episode6 - アトラクタフィールドと人類の歴史について(パワーか、フォースか 改訂版―人間のレベルを測る科学 - デヴィッド・R・ホーキンズ Amazon)
ルーシー・ホーン:レジリエンス(心の回復力)を高めるための3つの秘訣
ティム・フェリス : 目標でなく、あえて心の状態の恐怖認識を明確にすべき理由?
日本テーラワーダ仏教協会
仏教と物理学
ボブ•サーマン:私たちは、だれでも仏陀になれるという話
マチウ・リカール:慈しみと愛他性(アルトルーイズム)に導かれる生き方
マチウ・リカール:幸せの習慣
<提供>
東京都北区神谷の高橋クリーニングプレゼント
独自サー��ス展開中!服の高橋クリーニング店は職人による手仕上げ。お手頃50ですよ。往復送料、曲Song購入可。詳細は、今すぐ電話。東京都内限定。北部、東部、渋谷区周囲。地元周辺区もOKです
東京都北区神谷高橋クリーニング店Facebook版
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繋がれた部屋 1 /
その物語で思い出すのは落ち葉だった。黄の色をした落ち葉だ。落ち葉は木々を裾野に持っている。また、木々は落ち葉を取り巻くように存在している。木々は地表を覆い森を形成した。森はその地になくてはならないものだ。例えば、円を描いたとして、外側と内側を望むことが円であるように。外側が森で、内側は黄の色をした落ち葉なのだ。落ち葉は、恐ろしく広大で、その範囲を俯瞰するのは難しい。取り囲む森の木々をよじ登ってみても意味をなさない。しかし、よほどの欠けを持たない限りは、円形であると考えて良さそうだ。
落ち葉はいつしか消えてしまった巨木の跡である。消えてしまった巨木が散らした葉が、黄の色をとどめてその跡を示している。消えてしまった巨木は森のどの位置からでも、見上げればその姿を拝むことができた。しかし、その姿を探し求めれば、そこには黄の色をした落ち葉が忍び寄るのだった。見上げていたその姿が、いつしか消えてしまった巨木の残像だと悟るのに、そう時間はかからない。程なくして崇拝の対象となるが、時を経て数派に別れた宗派も、落ち葉を取り巻く木々のように、ただ平坦な森の様相となった。
各々宗派が抱える教えは、森の様相を織りなすように世界をかたどった。それらを繋ぎ合わせれば、黄の色をした落ち葉は蓋だった。蓋は世界の中心で、世界の蓋だと言う。しかし、元来森を成し得ている外側と内側という平たい言説のもとに、それらは破壌する。そもそも世界という概念が、落ち葉を有する森では失われているのだ。世界という概念が失われてなお、黄の色をした落ち葉の教えは蓋として残った。蓋は閉じることと開くことをかたどり、巨木を表裏するものとして、内側と外側が示す言説をそのまま補完した。そのような四方向を経て落ち葉は存在する。それならば、巨木を残像にしているのは森の木々かもしれないと気づく。それが内側と外側であるのだと。
落ち葉が地表を覆い尽くし、森の木々が一本たりとも消えてなくなると、巨木が現れる。確かそう聞いたと思ったが、もしかしたらそんなふうに想像しただけかもしれない。しかし、表側と同じく裏側には巨木があった。物語に先んじて、落ち葉は裏側からやってくるのではないかと考えたが、蓋は事実上閉じているので、落ち葉が通り抜けるのは不可能だ。落ち葉は残像となった巨木から今も散り続けている。それは表側のものであり、裏側のものではない。裏側も然りだ。巨木崇拝が盛んなころには、開いてはならない蓋としての位置付けを、蓋の裏側の巨木は担っていた。それは、畏敬ではあったが、同時に開閉への言及を阻んだ都合だった。蓋が開かれるとあっては宗派としての根幹が揺らぐ。また、閉じたままであっても理由は必要だった。
森の住人の中には、裏側を旅した者が少なからずあった。そのような者たちによれば、開かずとも蓋は自ずと開いたと言う。そして、それは開くことのできない蓋という印象を与えた。転じて、時すれば蓋は開くと思わせたのだった。かくして、挑戦者が現れた。落ち葉の淵を見定め、瞑想に耽る者たちだ。瞑想の果てに、裏側を旅したという者もあった。しかし、巨木への言及がない。それはいささか不自然に思えた。まるで、裏側の巨木だけをつまんでどこかへ隠したみたいに。その不自然な印象は、そのまま物語の構成なのだろう。表裏する巨木の一方をつまんで、物語を渦のようにぐるぐる回転させるための。
落ち葉の次に思い出すのは、物語の半ばを過ぎて現れる花だ。花は、蓮だったと思う。物語を聞きながら思い浮かべたのは、水辺に浮かぶ濃いピンク色をした花だった。花が咲くとき、ポンっと音がしていたから、まず間違いない。森の住人は、日々の生活の中で実によく蓮の花に出くわす。物語の後半に明かされることによれば、住人は各々蓮の花を抱えているのだ。そして、事あるごとに自分自身を蓮の花に置き換える。花の中は、覗くと過去もしくは未来がそこに見える。水鏡のように揺らぐ過去や未来は、置き換えの不完全性を意味した。しかし、完全である��とを物語は求めていない。巨木の残像のように、不確かさは確かさを支え、同時に振り幅となる。その揺らぎの中で森の住人は健やかなのだ。
その場面で面白かったのは、調律師のくだりだ。蓮の花は調律が可能である。それをするのが調律師だ。蓮の花の揺らぎを調律して、揺らぎのない過去または未来を見るのだ。一種のトランスだろうと解釈して聞いていたが、そうは書かれていない。森の住人は揺らがない過去や未来を象形的に見る。もともと揺らぎが少ない調律であればしばしば具体的な画を纏い象形し、もともとの揺らぎが大きければ具体性から程遠い象形として見ることになる。自分の過去や未来は自分自身であると当たり前のように感じていたので、過去や未来に直面するとは自分自身に直面するものと思った。しかし、そのようには書かれておらず、まるで自分が象形にでもなるようで興味深い。誰もに一つ蓮の花があり調律師がいるなら、是非に調律してもらい、過去や未来がどのように呈するか見たいものだ。具体的と束ねていた主体である自分自身が、時系列をはばかり象形しバラバラに存在する様を。
あと思い出されるのは森の図書館だ。平たい森にあってそこだけおうとつした場所に図書館という役割を持たせていた。それは物語の結びであるにも関わらず、物語のおまけのようだった。それで、この物語自体が物語としての入れ子なのだと気づいた。物語が図書館の本の一冊のように振る舞うのだ。それなら、蓋の裏側の巨木がつまみ取られていたのもわかる気がした。この物語で印象に残ったのはその三つで、その三つは物語を構成する箇所だった。黄の色をした落ち葉に四方向を持たせたのは物語を支えるためで、四方行を持たせた蓋の裏側の巨木をつまんで循環を与えた。蓮の花は森の住人の対抗軸として時間を刷新している。そうすることで物語自体を図書館の本の一冊と位置づけた。古い本には時折、そのような構成的技巧を目にすることがある。読者の目をかいくぐり、生き延びた物語に望みを委ね、行間を閉じたものだ。しかし、この本には隠そうという��図はなかった。りんごの芯を抜くように、蓋の裏側の巨木をつまみ取ることで隠したように見せかけたというほうが、物語の評にあたいする。
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古代メキシコ展
東京国立博物館で「古代メキシコ マヤ、アステカ、テオティワカン」展を見る。紀元前15世紀〜紀元後16世紀までの3000年余りの間にメキシコに存在した文明のうち、代表的な「マヤ」「アステカ」「テオティワカン」を取り上げた特別展である。展示品の数々は、メキシコ国内の主要博物館から厳選されたものの由。
最初の展示室は前述の3文明にこだわらず古代メキシコの遺物を紹介する流れ。
下はアステカ文明の「夜空の石板」。中央にワシと兵士、両脇に金星と星が表現されているそう。
マヤ文明のジャガーの土器。ジャガーは王や戦士の権威の象徴で、神秘的な力を持つものとして崇拝されたとのこと。(歯医者で治療中に痛いのや怖いのを我慢しているような表情に見えてしまうが…)
アステカ文明、チコメコアトル神の火鉢(複製)。チコメコアトルは熟したトウモロコシの女神で、手に持っているのはトウモロコシモチーフの笏。
左のゴムボールは現代のマヨ族の民族資料。右はベラクルス州出土の球技用の防具。
ここからテオティワカン文明。
ヒスイ輝石岩の首飾りとペンダント。緑色岩の小座像、鼻飾り2点。
シパクトリ神の頭飾り石彫、羽毛の蛇神石彫。ピラミッドの写真とともに置かれているので、実際の様子を想像できる。
上のピラミッドから出土した土器。
嵐の神の壁画。右手にトウモロコシ。
鏡の裏。
ここからはマヤ文明。
貝と緑色岩の首飾り。
「赤の女王」の腕飾り。
カエル形装身具。素材は金銅合金。車などに轢かれて地面でつぶれているカエルのようでかわいい。
モザイク円盤。戦士が腰の後ろに着けた鏡の飾りとのこと。ゴージャスである。
トゥーラのアトランティス像。バンザイしているのは、王座の支えだった(と考えられている)ため。これもどことなくトウモロコシモチーフぽいと思ったが、防具を着けた戦士だそう。
チャクモール像。妙なポージングに見えるのは、供物台であるため。
ここからはアステカ文明。
鷲の戦士像。脚までちゃんと鷲。
かわいらしい笛。笛はメソアメリカを代表する管楽器の由。
トラロク神の壺。トラロク神は雨の神で、太陽神ウィツィロポチトリと共に大神殿に祀られていたとのこと。
ところで、この壺に限らず、この展覧会に出品されている装飾付きの壺や香炉のような器物は、表と裏がとてもはっきりしている。表側は華やかに装われ、裏側はごくあっさりしていて、落差が激しい。見えるところ必要なところだけ装飾するという合理精神なのか何なのか、個人的にとても気になった。
最後にアステカの最新発掘事情の紹介。金の出土品が注目されているとのこと。メソアメリカでは金製品はめずらしいそうである。
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youtube
原子 元素 アルケー
ビット 鏡像 絵画
暦 月齢 ホロスコープ アスペクト
ピタゴラス音律
ひまわり
ゴッホ あるいは 色彩の魔術師
ヒマワリモドキ ヘリオプシスHeliopsis
「細やかな気配り」「憧れ」「崇拝」
右向きの肖像
サンドロ・ボッティチェッリ
シモネッタ・ヴェスプッチ
ヴェスプッチ家 蜂 六角形
紋章学 ライオン
Châteauneuf-sur-Charente
demi lion counter rampant argent
もしくは
issuant counter rampant argent
Ag age 時代
色収差 chromatic aberration
スチグマート(独:Stigmat )
聖痕(ラテン語: stigmata)
柱頭(英: stigma)
スギナ 断面 ルオーテ(車輪)型
タロット 大アルカナ Ⅹ.『運命の輪』
🌈🍂
土筆 if and only if 🇩🇪 『♯ 』クロイツ
(重嬰記号)𝄪 ミドリ
(重変記号)𝄫 カワリ
『生まれ変わり』
死没
1月29日
聖ペトロ(後代の伝承による)
聖パウロ(後代の伝承による)
嘘つきのパラドックス
二元論 マニ教
アスペクト
135度と135度と90度
⚡️
トールハンマー
死に枯れなければいけない土壌に咲く
『風』のような最期の花。
可憐で邪惡な
此の花は
一体何の花?
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「宮崎正弘の国際情勢解題」
令和四年(2022)7月26日(火曜日)
通巻第7414号
カリスマ性ゼロ、教養の浅薄さ。嘘の情報しか入らない孤独
習近平はいずれ中国現代化の成果をすべて破壊するだろう
************************
重慶にはよく行った。山あり谷あり。奇岩、高い崖の間に深い谷間、天然の要害都市だ。古代の「巴」という王朝は、この谷間のような空間に成立した。
現代では、孫悟空が空を飛ぶように崖と台地を高い鉄塔を組んだ道路が立体的につなぎ、未来都市のような空中回廊のごとき建築構造物の塊となった。メトロよりモノレールが発達し、橋が交通渋滞の原因。高速道路が無数に交錯する。
四川省の名物は麻婆豆腐。猛暑で湿気が強く、食べ物は��りやすいから猛烈に辛い香辛料を使用し、味をごまかす。重慶人は火鍋が得意。何回か食べたが、なじめない。胃袋がよじれる。
巴という古代王国は太陽信仰、成都の北で発掘された三星堆遺跡は古代史常識をがらりと変えた。中華四千年の歴史というのは黄河文明史であり、黄河より遠大な長江には、もっと古い文明があった。河母都遺跡などが戦後しられるようになった。
地形的には嘉稜江に幾本もの河が合流し、三峡ダムが近いため長江の運搬ターミナルとしても重要な戦略拠点である。駐在員こそすくないが重慶には日本領事館も置かれている。
蒋介石はこの重慶に臨時首都をおいて、終戦後は共産党と延々と「国共合作」の交渉を行った。会談の場所は重慶に残っているが、蒋介石は最後に毛沢東に巧妙に欺された。重慶は喜びが重なるという意味で政治都市としての機能を果たした。
1997年、この重慶市が四川省から分離独立し「特別市」扱いを受ける。人口が3100万、北京、上海、天津とならぶ四大重要拠点、したがって重慶市党委員会書記は、共産党に序列でも高位、現在は習近平の茶坊主、陳敏爾がトップに居座っている。そのまえは共青団のホープといわれた孫政才が赴任したが、醜聞に巻き込まれ、失脚した。
前置きがながくなった。
重慶市書記として薄煕来が大連市長から商務部長をへて赴任したのは2007年だった。筆者はたまたま、重慶を二回ほど連続して取材したタイミングと重なり「唱紅打黒」の現場を何回も見たのだ。
公園に市民が集まってジャズや社交ダンスにふけるのではなく革命歌を唱う。ぎこちない合唱団の時代錯誤、薄気味が悪いが、共産党員は競って歌声大会に邁進した。というのも、薄煕来が奨励し、これが「共同富裕」の合い言葉となって、個人的野心を実現し、政治局常務委員を狙っていた。当時のチャイナウォッチャーの間では、長身でハンサムでカリスマ性に富んでいた指導者として薄の政治局常務委員入りは確実と読んでいた。
▲クーデタ未遂、公安vsマフィア
当時の政治情勢をいえば、習近平なぞ、「どこぞの馬の骨」でしかなく、対比的に同じ太子党でも、薄煕来には、明らかなカリスマ性があった。薄は薄一波の息子、かたや習は習仲勲の息子で、ともに親の七光りで異例の出世街道にあった。薄が先輩格であり、習は兄貴分として仰ぎ見ていた。
薄は大連市長から遼寧省省長、2004年に商務部長。そして07年に重慶特別市書記に栄転し、マフィアを相手に綱紀粛正、反腐敗キャンペーンで地元やくざをかたっぱしから逮捕し、重慶市民の喝采をあびた。大連からひきつれてきた公安局長の王立軍が大活躍し、実際にマフィア十数名を処刑した。
この王立軍が、土壇場で薄煕来を裏切り、成都の米国領事館に機密書類とともに駆け込んだ。亡命を希望したが、オバマ大統領は決断が出来ず、多くの権力闘争の機密が漏れて、薄は立場を失った。
2011年に薄煕来は夫人の谷開来が英国人を毒殺したことがばれ、突然、失脚した。カリスマに飛んだ指導者が消え、木偶の坊のように体格だけは良い男が、院政を敷いていた江沢民の眼鏡にかなった。この間に北京ではクーデタ未遂事件が起きたというが、戦車が動いたのは事実で、それがクーデタだったのか、どうかは謎である。
しかし習近平は僥倖に恵まれた。最大のライバルだった薄が不在となって、権力基盤を固めるには、反腐敗キャンペーンという武器を浸かって政敵を潰していく。最大最強の協力者が王岐山だった。
しかし軍と公安をてなづけたとはいえ、習近平に何かがかけている。
それは、カリスマ性だ。薄煕来にはあった。安倍元首相には強いオーラがあったという人が多い。トランプにもカリスマ性があり、オーラを感じた人は多いだろう。いまのバイデンにはない。
過去十年の習近平のパフォーマンスを映像で追う限り、まるでオーロがないことに気がつくだろう、また教養のかけらを感じさせない。
偉そうに思想をかたるときなど、薄気味が悪く鳥肌がたつ。個人崇拝だけを求め、中国の夢をたたえるとき、ぞっとするものを感じないか。
江沢民の三個代表論も、胡錦濤の科学的発展観も、何が何だか正確には分からないが、市場経済を発展させ、中国人の生活水準を豊かにしようとしていることだけはわかった。
習近平は、「中国的社会主義市場経済」をぶちこわし、トウ小平路線を基本から否定した。この暴走を誰も阻止できない。諫言できないとう皇帝支配のぬきがた��体制は、間違いなく中国経済を根底的に破壊する。
その兆候が銀行の取り付け騒ぎ、不動産ローン支払いボイコット、若者たちの何もしないいう無言の抵抗。解答がすでに出始めている。
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【S/D】サムと忘却の呪い(仮)1~4
ツイッターに画像で投稿しているS/D小説です。一万文字超くらい。まだ続きます。
もし魔女のロウィーナが、将来自分を殺す男になると知って攫い、殺してしまうつもりだった幼少のサムに情がわいて、自分の子として育てることにしたら? そしてハンターが”魔女狩り”に特化した集団だったら? という妄想から生まれた小話です。シーズン12の11話「忘却の呪い」をオマージュしています。アリシアやマックスという12から登場する魔女キャラにも出てもらってます(彼らはハンターだけどここでは魔女として)。
連載中の小説を書きたいとは思うんだけど宿便状態なので、ガス抜きに小話を書いてる現状です。なのでお気楽な感じで読んでもらえると。。
1
サムの養い親である魔女いわく、日のあるうちの森は獣の領域。だから理性ある魔女や魔法使いは夜に活動し、昼間のうざったい太陽が地上を照らしている間は絹のシーツに包まって体力の回復に努めるのだという。サムにいわせれば怠惰の言い訳にすぎないが、夜更かしな魔女たちの生態がいとおしくもあった。何より夜の彼女らはサムなど足元にも及ばぬほど鋭い英知と魔力の使い手だ。ならば彼女たちと少しばかり生態の異なる自分が、早起きして夜の”活動”の手助けをするのは義務であるし喜びでもある。獣の領域というなら早朝の森は狩りをするのに恵まれた環境だ。彼女たちはウサギのシチューが大好きだけど、そのウサギがどこで泥の毛皮を脱いできて鍋に飛び込んでくれたのかは考えたがらない。
自分が何者であっても、森を歩くのが好きな男に変わりはなかっただろうかとサムは想像する。下草を踏むたび立ち上る濡れて青い土のにおい。罠にかけた小さな獣をくびくときすら、森はサムと獣のどちらをも憐れんで祝福してくれる。森はサムのびっくり箱だ。彼は自分の生まれた場所を知らない。だけど彼の親がこの森の入口に彼を捨てたとき、赤ん坊と森のあいだに絆が生まれ、その瞬間から森がサムの故郷になったのだ。※
そうだ。森はいつもサムを驚かせてくれる。かくれんぼで遊んでいた七歳の彼を、その懐の深さで半月のあいだかくまってくれ、養い親をすっかりやつれさせてしまった時のように。
その日、狩りを終えたサムの目の前を、遅寝のウサギが飛び跳ねていった。茂みの奥に逃げ込んだウサギを彼は追いかけた。腰には今日のぶんの収穫が下げられていたけれど、もう一匹恵まれたって困ることはない。
茂みの中から黒い毛皮が現われた。サムは手を伸ばそうとしてひっこめた。黒くもなかったし、毛皮でもなかった。朝露で濡れた短いブロンドがゆっくりとサムのほうを向いて、彼はアッと息をの���だ。魔女がウサギを化かして僕をからかおうとしているのか。そうでなければなぜこんな場所に、サムの知らない男がいる?
ところがブロンドの男の懐からさっきのウサギがぴょんと飛び出して、サムの脇を通ってどこかへ行ってしまった。「バイ、うさちゃん」と男はいった。寝ぼけたように、低くかすれた、それなのに、ぞっとするくらい、やわらかな声だった。
「僕はサム」と、サムはいった。まぬけ、と森がささやくのが聞こえた。もしくは自分自身の心の声だったかもしれない。
男は重たげなまぶたを持ち上げて、サムを見上げた。
「やあ、サム」
新緑、深い湖、砂金の流れる小川。男の瞳は輝いていた。
森はまたもサムに驚きを与えてくれた。彼は恋多き魔女たちに囲まれながら、自分が恋することが出来るとは思っていなかった。
この時までは。
2
昼過ぎから始まるブランチの席で、気もそぞろなサムに、養い親のロウィーナはけげんな視線を送る。
「今朝のウサギ、ちょっと血抜きが甘いじゃない? 生臭いのは嫌よ、われわれは吸血鬼ではないのだから」
「そう?」 サムはぼんやりと答える。「そうかな? それ、缶詰の肉だけど」
「サミュエール」 ロウィーナの視線がますます冷たくなる。
「今朝の狩りは空振りだった?」 行儀よくパンをちぎってアリシアがたずねる。彼女は見た目だけではなく、実年齢もサムとさほど離れていない若い魔女だ。母親のターシャ、双子のマックスとともに、ここロウィーナの屋敷に下宿している。
「今朝の狩り……」 思いもかけぬ収穫があったことを姉弟子にどうやって伝えればいいだろう。いや、とサムは意識の中で首を振る。
魔女のなわばり意識の強さといったら、狼人間が可愛く思えるほどだ。人間が――しかもどうやら”記憶があやふや”な、身元の怪しい――神聖な魔女の森に入り込んだと知れたら、ロウィーナははっきりと戦化粧をして森へ勇み、彼を排除しかかるだろう。双子のアリシアとマックスも、彼らは敵とみなした人間に容赦はしない。つまり、明日のシチューの中身が決まるってことだ。
サムはぶるっと震えた。靴の底から顎の奥まで震えは伝わってきた。春の始まりに色づく枝先のように初々しく、美しい彼の瞳が、よく炒めて���ら煮込んだ紫玉ねぎの横に浮かんでいるさまを思い浮かべて。彼の肉つきのよい白い二の腕を調理するときの甘い香りを想像して。彼の肉を食べる――残酷なはずの行為が甘美な誘惑に感じる自分にうろたえて。
だめだ、だめ。そんなことにはさせない。彼のことは秘密にする。
「今日は、思ったより暖かくて」 サムは本当のことだけを口にする。「血を抜くのが遅すぎて、ダメにしちゃった。毛皮だけはいで、肉は捨てたよ」
「また寄り道をしたんでしょう。狩りのあとはすぐに帰ってこなきゃだめよ。獲物を持ったままウロウロしないの」 ロウィーナは血のような葡萄ジュースで唇を湿らせる。
「でないとあなたが獲物にされるわ」
サムはこっそりと屋敷を抜け出し、森の男を見つけた場所まで急ぐ。
彼はそこにいなかった。けれどたどり着いた茂みの変わりようを見て、逃げたわけじゃなさそうだと安堵する。ただの茂みだったそこは、下草が踏みならされて空き地に変わり、中心の地面は掘られていて、男が簡易なかまどを作ろうとしていたことが見て取れた。
がさがさ音がして、薪になりそうな枝を腕に抱えた男が戻ってきた。サムの顔を見ると一瞬で表情が明るくなる。「サム!」 男は枝を足元に落としてサムに近づいた。その両手がわずかに広げられているので、サムは自分がハグされるんだと気づいた。
サムが躊躇いながら上げた腕の下に、男の腕が入り込んできた。肩甲骨の下に巻き付いた腕がぎゅっと彼の胴体を締める。”抱きしめられた”んだ。魔女たちはサムによく触れたがるけど、頬にキスしたり腕を組んだりするだけだ。
こうして誰かに真正面から抱きしめられるなんて、初めての経験だ。他人の体温を腹で感じるのも。
なんて心地がいいんだ。
「また来てくれたんだな」 男はそのまま顔だけを上げて、同じくらいの高さにあるサムの目を見てにっこり笑った。
サムはまぶしくてクラクラした。まるで、ああ、彼は太陽みたいだ――魔女や魔法使いが忌み嫌う太陽――けれど彼らが崇める月を輝かせる光の源。
「来るっていったじゃないか」 サムはゆっくりと、舌が絡まないようにいった。ハグに動揺したなんて、彼の笑顔にクラクラしたなんて、知られたら、あまり恰好がつかない気がした。恋に長けた魔力使いの男女のスマートな駆け引きを思い返し、取り澄ました顔を作る。「ほら、パンとジュースを持ってきた。昨日から何も食べてないって、ほんとう?」
「ありがとう!」 男はサムのぺたぺたと頬を叩いて感謝を表した。――状況を考えれば、それは感謝のしぐさで間違いないはずだ。サムにとってはあまりに親密すぎたので、すぐには思い当たらなかった。だけど、男は四六時中、出会った人間の頬をぺちぺちしてますとでもいうように平然として、その場に屈むとリュックの中を探りだす。
サムは早まる動悸を抑えるため、こっそり深呼吸を繰り返した。
「どうかな、憶えてないんだ。何も憶えてない」 男は瓶の蓋を捻って開け、すぐに半分を飲み干した。よほど喉が渇いていたんだろう。きれいに反った喉のラインを必要以上に凝視し��いようにサムは気をつけた。「ほんとに、参ったよ。腹が減って、おまえの捨てていったウサギを焼こうと思ったんだ。でも火を熾す道具が見つからなくて」
「何も憶えてないって、どうしたの? どうしてこの森に入ったんだ? 町からそんなに遠くはないけど、ここが魔女の森だってわかってるだろう? それとも、よそから来たの?」
「それが、わかんねんだ」
「何も憶えてないの? 自分の名前も?」
彼は、驚いたように目をしばたかせた。まるで自分に名前あることすら、失念していたように。
その様子に異様さを感じて、サムはまさか、と思った。記憶喪失の人間が、”自分の名前を思い出せない”と悩むことはあっても、”自分に名前があること”を忘れて明るく振る舞うなんてことがあるだろうか。この異様さは、まじないの気配に通じる。彼の様子は、身体的、精神的な後遺症による記憶喪失であるというよりも、呪いによるダメージを受けている状態だと思ったほうがしっくりくる。
でも、まさか。だれが彼を呪うっていうんだ? 中世ならともかく、このセンシティブな時代に魔女が人間を呪うなんてありえない。
「うーん、たぶん、Dがつく気がする」 男が考え込むと眉間にしわができた。「D、D……ダリール、ディビット、違う……。デ……デレック? パッとしねえなあ……」
「ダンカン? ダドリー?」
「うーん?」
「ドミニク? ドウェイン?」
「ドウェイン? いいかもな。おれをそう呼ぶか?」
「それがきみの名前なの? 思い出した?」
「うーん? 多分違う気がする。でもいかしてるよな」
サムは首を振った。彼の愛嬌に惑わされてはいけない。「もう少し、思い出してみようよ。デイモン、ディーン、ダライアス、デイル……」
「それだ!」
「デイル?」
「いや、もう一つ前の」
「ダライアス? ディーン?」
「ディーンだ!」 男はうれしそうに歯をむき出して笑った。「おれの名前はディーンだ。それに、思い出したぞ。おれには弟がいる」
「いいぞ。どこに住んでいたかは?」
男はさらにしわを深くして考え込んだが、しばらくしても唸り声しか出てこない。
サムはちらばった薪を集めて、かまどの枠を組み立てた。気づくとディーンがじっと見つめていた。
「何も思い出せない」 あっけらかんとしていた少し前と違って、悲しみに満ちた声だった。「どうしちまったんだろう。おれ。ウサギを抱いて、おまえを見つけた。それ以前のことが、何も思い出せないんだ」
「たぶん……たぶんだけど、きみは呪われたんだ」 サムは慎重に言葉を選んでいった。「魔女のことは、憶えてる……というか、知ってるだろ? 今ではそんな悪さをする魔女は少ないけど、トラブルになる自覚もないまま、彼女ら――彼かもしれないけど――を怒らせて、呪われるってことも、ないわけじゃないんだ」
「呪われた?」 ディーンは大きな目を限界まで開いた。「おれが? どうして?」
「わからない。もしかしたら違うかも。でもきみ、どこにも怪我はないようだし、記憶がないっていうのに、やたら気楽だったろ。それにここは魔女の森だよ。人間は入っ��こない。基本的にはね。なのにきみがここにいるっていうのが、魔女が関わっているっていう証拠にならない?」
「おまえはずいぶん賢そうに話すんだな」 ディーンは鼻をすすった。水っぽい音がした。「何が証拠になるっていうんだ。おれはどうすればいい? どこに行けばいい」
「ここにいればいい」 サムは火種のないかまどを見つめて、それから首を振った。「ここじゃだめだ。ここは屋敷から近すぎるし。僕の家族に見つかったらディーンが危ない」
「何をいってるんだ? 怖いぞ」
「大丈夫。もっと奥に、今は使ってないあばら家があるんだ。たぶん僕しか知らない。そこにディーンをかくまってあげる。僕は魔法使いなんだ――まだ一人前じゃないけど。いろんな本を読める。それに、僕の親はすごい魔女なんだ、ディーンにかけられた呪いを解く方法をきっと知ってる」
「まて、待てよ。おまえが魔法使い? おまえの親が魔女? おれに呪いをかけたのはその魔女じゃないのか? ここはその魔女の森なんだろ?」
「ロウィーナは人に呪いなんてかけないよ。そんなにヒマじゃないんだ」
「わかんないだろ」 ディーンの声に水っぽさが増した。と思ったら、彼はぽろりと涙をこぼしている。サムは頬を叩かれた時以上に衝撃を受けた。こんなに静かに泣く人は見たことはなかった。
「ディーン、ごめん。泣かないで」 折れた薪の上に尻を乗せて、膝を折りたたんで小さくなっているディーンの横にしゃがみ込む。「大丈夫だよ。僕が守ってあげる。記憶を取り戻してあげるから」
ディーンはサムを見つめて、まばたきもせずまた二粒涙を落した。サムを奇跡を見守っているみたいにじっと彼を待った。やがて彼は赤いまぶたで瞳を覆って、小さくうなずいた。
「わかった。おまえを信じるよ」
3
あずまやに移動して寝床を整えた頃にはもう日が暮れかけていたので、サムは急ぎ屋敷に戻らないといけなかった。夕食にはコックを雇っているとはいえ、実際に食卓を作るのは女主人であるロウィーナの指示をうけたサムだ。
「また何か食べ物を持ってくるよ。遅くなるかもしれないけど、夜中までには必ず」
「サム、おれの記憶、戻るよな?」
小屋の質素な木戸を開けたサムは振り返る。戸の影で彼の不安そうな顔の半分が隠れてしまっている。サムより年上に見えるのに、心内を素直に伝えてくる瞳だけをみるとディーンは幼い子供のようだ。このまま留まりたい思いでいっぱいになる。
彼が人間ではなかったら。彼が記憶ではなく、過去を持たない精霊だとしたら、それは森がサムに与えた贈り物なのではないか。
彼を森の精霊だといって屋敷に連れ帰り、ターシャやマックスが連れているような使い魔として側に置く。何も知らず、誰と繋がりもない彼の唯一の主人となる。彼の食べるもの、着るもの、行動の範囲の一切をサムが指図し、彼のすべてを支配する。それがサムに、許されているとしたら?
あるいは彼をこのままここに留め置いて、二人で秘密の生活を続ける。ディーンには記憶を取り戻す方法がなかなか見つからないといっておけばいい。小屋を出ればいかに危険かを言い聞かせれば、逃げられることはないだろう。
違う。僕は彼を支配したいんじゃない。ただ彼に――
「キスしたいな……」
「えっ」
「えっ、あっ、いや」 妄想が強すぎて声に出ていたと知ってサムは慌てた。
「き、君の記憶は戻るよ、僕にまかせて。でも、いったん戻らなきゃ。ロウィーナは僕が家にいると思ってる。彼女は僕の部屋に勝手に入ったりしないけど、ディナーの準備に遅れたら魔法の鏡で覗かれるかも。僕がいないことがばれたら大騒ぎになる、森に捜索隊が出されたら大変だ。僕が行方不明になったのはもうずっと前のことなのに……」
「サム、おれにキスしたいのか」
「えっ」 サムは片手で戸にすがりつきながら唇をこすった。「なんで?」
「なんでって、そういっただろ? おれは、憶えてる」
そういって、自分の唇の感触を確かめるように、ディーンは舌をそろりと出して下唇を噛む。赤い舌と、暗がりでもきらりと輝く白い歯が、熟れたベリーのような唇から覗いた。サムは狩人の本能で手を伸ばした。指先が唇に触れ、湿った感覚がした。頬を滑った指が、耳たぶに触れると、そこは唇よりも熱かった。ディーンはため息を吐いた。
「サムの手、でっかいな」
ディーンは少し俯いて、サムの手が自分の項を包み込めるようにした。サムは夢心地で一歩近づき、両手でディーンの頭を抱く。後ろで木戸が閉まる音がする。ガラスの嵌っていない窓が一つあるだけの小屋の中は真っ暗になった。
ディーンは目を閉じたままゆっくりを顔を上げた。親指の付け根に彼の穏やかな脈動を聞く。野性の鹿に接近を許されたときのように誇らしく、謙虚な気持ちになった。サムは初めてキスをした。
4
何をいわれるかとひやひやしながら屋敷に戻ったが、ロウィーナは不在だった。かわりにアリシアがキッチンを取り仕切っていた。気が緩んだサムは今度はアリシアににやけ顔が見られないかと心配するはめになった。味見をして、雇いのコックにしょっぱいわね、でもこれでいいわ等と指示を出しながら、アリシアはサムを観察している。魔女というのはみんなそうだ。気安いふりをして他人の心を探るのに余念がない。
食卓が完成するころにロウィーナとターシャが帰ってきた。二人が揃って出かけていたことにサムは驚いた。何か大きな事件があったのかと思い、それからあずまやのディーンのことがばれたのではないかと怖くなる。
ロウィーナは冷静を装っていたけどイライラしているのは明らかだったし、ふだん泰然としているターシャもどこか落ち着きがない。
「二人でどこに行ってたんだ?」
食事が始まってしばらくして、マックスが尋ねた。サムは二人の魔女の答えを待つ間、ろくに呼吸もできなかった。ロウィーナがグラスを煽ったので、ターシャが話し出した。
「ロックリン家よ。招待状を出しに行ったの。とんでもないことを聞かされたわ。大事が控えているから心配ね。おかしなことにならなければいいけど。ロウィーナ……」
「ギデオンが死んだこと?」 ロウィーナはその話題を口にするのも腹立たしいとばかりにターシャをにらんだ。「大したことじゃないわ、あの腐った三つ子が今までそろっていたことが不吉だった。わざわざ私たちに話したのはサムの儀式にケチをつけるためよ。なめられたもんだわ、たかが数十年ばかりアメリカに入植したのが早いからって」
「ロックリン家? 私もあいつらは嫌い。でもしょうがないわ、あっちは由緒正しいドルイドのスペルを持ってる」 アリシアがみんなの顔を見回す。「私たちにあるのは……実地で身に着けた薬草学に、星占術、たくさんの水晶。あちこちの流派を回って極めた最先端の魔法術。あれ……全然悪くないかも?」
「さしずめ野草派ってとこだな」 マックスが調子を合わせる。「雑草と自称するのはやめておこう。でも、サムの儀式は予定どおりやるんだろ?」
「もちろんそのつもりよ」
「僕の儀式って?」 みんなが当然のようにいうから、サムは何か重要な予定を自分だけ聞き逃していたのかと焦った。ロウィーナとターシャ親子はともに定期的に魔法の儀式を行う。サタンへの忠誠を示し、魔力を高めるためだ。子どもにはまだ早いといって、いつものけ者にされていたから、どうせ自分には関係ないと思ってよく聞いていなかったのかも。
「僕も儀式に参加できるの?」
それを熱望していたのは覚えているが、ディーンを匿ってる今は避けたい。
「いいえ、そうじゃない。サム。”あなたの”儀式よ」 サムが言い訳を探す間もなくロウィーナはいった。
彼女は背筋をピンと伸ばしてサムを見た。「あなたはもう十六歳。サタンに忠誠を誓って一人前の魔法使いになる時が来たの。小さいころに教えたでしょ、森のストーンサークルで儀式を行う。この土地に住まう全ての魔女と魔法使いの立ち合いのもと、新しい魔法使いの誕生を祝うのよ」
サムはあっけにとられた。「そんな――大事なことを、なんで――もっと前に、言ってくれなかったんだ」
「逃げちゃうと困るでしょ」 アリシアがあっさりといってのける。「多感な思春期の子どもに”おまえは十六歳になったら”死の書”にサインしてサタン様の下僕になるんだ、それまで純潔を守れ”なんていったら大変なことになる。私もマックスも、知らされたのはその日の夕方。まあそれまでも、男の子と仲が良くなりすぎないように見張られていたけどね」
「その反動が今きてる」 マックスが気だるそうに顔を向けて、双子はほほ笑んだ。
「その日の夕方だって?」 サムは仰天した。「まさか、今夜?」
「まさか。今日は招待状を出しただけ。儀式は明日の夜」 ロウィーナはため息を吐いて再びカトラリーを持つ手を上げる。「まあ、だから、明日の昼間の勉強はお休み。あなたは寝ていなさい。真夜中に始め、明けの明星が昇るまで行うのが通例なの。初めての儀式だから特に長く感じるものよ。主役が居眠りなんて許されませんからね、しっかり寝ておくことね」
「私たちもその助言がほしかったわ」 双子が嘆くと、ターシャが「私の若いころなんてもっとひどかった。真夜中に叩き起こされて……」と話を始める。サムはそれを耳の端で聞きながら、味のしない肉を噛み締めた。大変なことになった。
ストーンサークルはディーンをかくまっているあずまやのすぐ近くにある。ただの天然のアスレチックジムだと思っていた古ぼけた巨石にそんな使い道があったなんて知らなかった。
ディーンを別の場所へ移す? いや、他に森に彼を隠せるような場所なんて思い当たらない。もしも永久に彼を森に閉じ込めておくっていうなら別だ――大木のうろ、崖下の洞窟、そういった場所を幾つか知っている――そこを拠点に家を作ることができる。何週間、何か月、何年もかけていいなら、サムは彼のために新しい屋敷だって建てられる――だけどそうじゃない。そうはならない。ディーンの記憶を取り戻して、彼の帰る場所を思い出せてあげるんだ。
「ロウィーナ……聞いていい?」 サムは何でもないふうに装って質問した。「人の……記憶を消す魔法ってあるだろ? 難しいのかな?」
当然ながら、何でもないふうに答えてくれる魔女はいなかった。みんながサムの顔を見るので、サムは急いで唐突に変な質問をした正当な理由を披露しなければならなかった。
「思春期に……」 喉にパンが詰まったふりをして咳をする。「その、儀式のことを聞かされたって、ああそう、って受け入れる子もいるかもしれないだろ。まずは話してみないと。隠すのはあんまりだ。それで、すごくその子が嫌がったり、自暴自棄になるようなら、その時は記憶を消す魔法を使えばいいんじゃないかと、そう思ったんだ。ただ思いついたんだよ」
一瞬、間があいて、マックスが「ひゅー」と口笛を吹くまねをする。「その考え方、俺は好きだな。冷酷で、合理的で。さすが、ロウィーナの一番弟子」
ロウィーナは口元でだけ微笑み、ゆっくりと首を振った。「そうね、でも少し、短絡的よ。一時的に記憶を奪うことは、ハーブの知識があれば簡単にできる。だけど人の記憶を完全に消し去るのはとても難しい魔法なの。呪いというべきね。そんなものは仲間に使うべきじゃない」
「一時的なものだったら、ハーブを使えば治る?」
「ええ。ジュニパーベリー、それとほんの少しのベラドンナ……」 ロウィーナはスープをすすりながらすらすらと必要なハーブの種類を挙げていく。サムは記憶しながら、どれも屋敷の薬草庫や温室から拝借できるものだと思って安心した。「……マンドレークの頭をすり鉢にしてそれらを混ぜ合わせ、魔力を溜めた水に浸す。それを飲むのよ。簡単でしょ」
「それは記憶を失わせるほうのレシピじゃない?」 薬草学に長けたターシャが口を出す。ロウィーナはそうだったわと頷いた。「記憶を戻すほうなら、ベラドンナを入れちゃだめだった。だけどそういったハーブの魔法は時間とともに解けるから、ふつうはわざわざ作らないのよ」
「記憶をあれこれする魔法はドルイドが得意だったわね。ロックリン家にも伝わってるはずよ、あの書……」 ターシャは訳ありげな微笑みをロウィーナに向ける。「”黒の魔導書”。あれのせいで多くの魔女が高いプライドを圧し折ることになったわ。まあ、でも、今ではちょっと時代遅れね」
「あいつらの頭は中世で止まっているのよ」 ロウィーナは憎々し気につぶやいて、ツンと顎を上げた。
その夜中、各々が部屋に戻ってそれぞれの研究や遊びに没頭している時間、サムが眠っていることを期待されている時間に、彼はこっそりとベッドを抜け出してキッチンに忍び込んだ。用意したリュックサックにパンと果物を詰め込む。早くディーンのところに戻りたかった。空腹で不安な思いをさせたくないし、新しいランプを灯して暗闇を払ってやりたい。それになにより、彼と話がしたかった。記憶がなくてもかまわない。彼の声を聞いていたい。彼にどうして僕とキスをしたのと尋ねたいし、どうして僕がキスをしたのかを話して聞かせたい。もう一度キスをさせてほしいといったら彼は頷いてくれるだろうか。サムは期待でうずく胸を押さえた。断られないだろうという確信がそのうずきを甘いものにした。
「サム?」 暗がりからロウィーナが現われてサムの心臓は押さえたまま止まりかけた。冷蔵庫のドアを開けてうずくまる養い子をしばし見下ろして、ナイトドレスにローブを羽織った彼女はふと目元をやわらげた。
「眠れないのね。儀式の話をしたから」
「う、うん。そうなんだ。喉が渇いて……」 サムは冷蔵庫のドアを閉めて立ち上がり、足元のリュックを蹴って遠ざけた。暗いから見えないはずだ。
「心配することはないわ。あなたはただそこにいて、”死の書”にサインをすればいいだけ。あとは私たちの長い祝福を聞いていればいいのよ。夜が明けるまでね」
「勉強はたくさんさせられてるけど、夜更かしの授業はなかったな」
「何をいってるの。あなたが毎日遅くまで本を読んでいること、呪文や魔法陣の勉強をしてることは知ってるわ」 ロウィーナはそういってサムを驚かせた。彼女は手を伸ばしてサムの伸びた前髪を撫でつけてやった。
「情熱のある、熱心な生徒を持って光栄だわ。あなたはきっと、偉大な魔法使いになる。私にはわかる。あなたがほんの赤ん坊のころからわかってたわ」
「森で僕を拾った時から?」
んー、とロウィーナは目を細めて考えるふりをした。「やっぱり、あなたが自分の足でトイレまで歩いていけるようになった頃かしらね」
サムは笑って、自分を育てた魔女を見つめた。彼女の背丈を追い越してもうずいぶん経つ。彼女がサムの身体的な成長について何かいったことはなかった。けれど時々、彼女が自分を見上げる目が、誇らしく輝いているように思える瞬間があって、サムはその瞬間をとても愛していた。
「ロウィーナ」
「なあに」
「僕、成人するんだね」
「魔女のね。法律的にはまだ子ども」
「ロウィーナのおかげだ。僕、あなたの子どもであることが誇らしいよ」
ロウィーナの目が輝いた。
「まだまだ独り立ちはさせないわ。もう少し私のしごきに耐えることね」
「覚悟しとくよ」
ロウィーナは冷蔵庫を開けて水のデカンタを取り出した。キッチンを出ていこうとする彼女の柳のような後ろ姿に息を吐いて、踏みつけていたリュックを引き寄せる。何か思い出したようにロウィーナが振り向いて、サムは慌ててまたリュックを後ろ脚で蹴った。
「いくらでも夜更かししていいけど、明日の朝は狩りに行っちゃだめよ。食事の支度は双子に任せるから」
「なんで?」
ロウィーナは肩をすくめた。「ロックリン家のギデオン。彼が死んだのは夕食の時にいったわね。死体が森で見つかったのよ。彼らの領地は森の東側だけど、ハンターはそんなこと気にしないわ」
サムはギクリとした。「ギデオンはウィッチハンターに殺されたの?」
「魔女を殺せるのはウィッチハンターだけよ」
「だけど、そんなのニュースになるだろ」
「正当な捕り物ならハンターは死体を残さないし、カトリーナの様子じゃ何かトラブルを隠してる。だけど巻き込まれるいわれはないわね。しきたりだから、明日の儀式には彼ら――生き残った二人の嫌味なロックリン家――も呼ぶけれどね。森にはハンターがひそんでいるかもしれない。目撃者がない状況でハンターと遭遇したら、やつらがいうところの違法行為がなくても逮捕されるわよ。だから、サミュエル、明日の儀式にみんなで行くまでは、森に入っちゃだめ」
「わ、わかった」
ロウィーナが行ってしまうと、サムは念のために一度部屋に戻って、ベッドサイドのランプを付けた。それから温室に忍び込み、ハンガーに吊るされているマンドレークを一根、それと必要なハーブを掴んでリュックに詰める。温室の裏口からこっそりと抜け出したサムは、二階で休むロウィーナに心の中で詫びながら、パーカーのフードを深くかぶって、まっすぐ森へ向かった。
◇ ◇ ◇
ツイッターにも書いたけど設定だけは壮大。このあと・というかいま書いてるのは三部作のうちの一部でディーンとは別れて終わる。そしてサムは魔女の権利向上のために戦う革命戦士もどきになり、ハンターのディーンとは敵対関係に。。というロミジ���リな。でも大ボスはUKの賢人か悪魔かチャックにでもして魔女もハンターも同じ側で戦うんだな。(そのあたりはボヤボヤ)最終的な問題は二人が兄弟だってどうやってばらすか、ばらした時の反応はどうするかだけど、その時にはもうやることやっちゃって覚悟できてるサミさまになってるだろうからきっとなんとかなる。
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なくらげ5日間かけてライブ会場に行くの…段!
4日のウミカが随分人気だったと・・・やっぱなくらげかわいそうかわいいのが似合っちゃうんだよな〜〜〜わかるよなくちゃ
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アンディ・ウォーホルと資本主義
アンディ・ウォーホルの作品は、「物」を対象化する。
この括弧付きの「物」は、普段わたしたちがそれとして扱っている物と同じではない。ウォーホルが描き出すのは、被造物における物神性が排除された、21世紀の現在まで続く、20世紀的消費社会における「物」である。そこにおいて、あらゆる物に取り憑くはずの八百万の神は、背景に遠のいている。
彼の作品が意味しているものは、複製技術時代の芸術作品として、アウラを失っていることの自嘲的揶揄とも受け取れるし、象徴性、意味性を失ったハイパーリアルにおける、改めて焼き増しされた60年代のダダ的表現の再確認と受け取ることも出来るだろう。
彼自身の言葉で語るならば
「僕を知りたければ作品の表面だけを見てください。裏側には何もありません」
ということになる。すなわち、意味などないのだ、と。
しかし、それとは裏腹に、我々は彼の作品を見るとき、そこに神秘性を見出しているように思える。
個体性の零度に達したかのようにして並ぶキャンベル缶や、極彩色に着色されたマリリン・モンローの微笑み、シルクスクリーンの裏に彼のサインと制作ナンバーを見つけることは、かつての宗教者が神の痕跡を見つけることとどこか似ている。
わたしたちのこういった心理は、どのように説明されるだろうか。
これの解釈を試みるために、キーワードを二つ挙げようと思う。それは、「主体化としての近代」と、「脱主体化としての現代」である。
今日わたしたちがその中で暮らす文明が(資本主義社会が、と言い換えても良い)、どのようにして生成/構成されたのかについては、マックス・ヴェーバーの有名な著書『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神(Die protestantische Ethik und der 'Geist' des Kapitalismus)』が、一つの解答を与えている。ヴェーバーは、16世紀の西洋社会において、ルター、カルヴァンなどによって主導された宗教改革の影響が、キリスト教教義による厳格な禁欲主義へと帰結したことが、資本主義社会の誕生のきっかけとなったことを指摘している。
「生産の〝規格化〟という資本主義の要求に形影相伴っている、あの生活様式の画一化という強力な傾向は、もともと〝被造物神化〟の拒否をその観念的基礎としていたのだ」
すなわち、わたしたちの文明が、物から神性、象徴性、意味性を排除し、消費社会における「物」を作り出すのは、我々の深部にある、他ならぬ超越論的神秘性がその下部構造として"ア・プリオリ"に働いているからだ、とヴェーバーは言うのである。プロテスタントは偶像崇拝を禁じている。これは、たとえ神の姿を表現したものであるとはいえ、人間の作ったものが神の代用として神秘性を持つことを、悪しきことと考えたからだ。良き信者とは、純粋に神と自己との関係においてのみ、神の姿を見るのである。
したがって、ヴェーバーの指摘にしたがうならば、物が記号化された「物」となるのには、一種の宗教的な強制力が働いている、ということになる。それは流通の利便性や氾濫する広告の効果などでは決してない。物が画一化され、平面化されるのは、人々が合理的精神を愛する神の意志に沿うためなのだ、と言える。
ルターもまたその一部に与するドイツ観念論の伝統は、そもそも「神がなければ知性なし」のテーゼを掲げている。神は、人間の「理・知」を愛するのである。
わたしたちは、科学の時代を自称する現代に生きながら、その一方で、依然として神に似た「何か」が放つ神秘性とのパースペクティブを基準にして日々の生活を営んでいるように思える。
ここで、先に挙げた「主体化としての近代」と「脱主体化としての現代」について考えてみよう。
近代における主体化の運動は、垂直的な権力社会ー君主制、封建制などを基礎とする社会ーの崩壊とともになされた。垂直的な社会は、上から順に権力を下ろしていく。そのとき、最上位にあるものとして要請されたのが神であった。主体化の運動は、君主制の崩壊に伴う神の死とともに、その存在を内面化することによってなされた。すなわち、神の死は社会的な必然だったが、実際にはそれは存続し、個体的な人々の主体性の中にその住処を見出したのだ。これによって、少なくとも形式的には、社会の枠内にいるすべての人の内面に、抽象的な神が移植された。これが、「主体化としての近代」である。
しかし、神は、人が自分と同じ顔をすることを嫌うのである。「“被造物神化”の拒否」は、すべての対象、すなわち、対象化された自意識に対してすら向けられる。内奥の「神」と、外面の「人」。この関係はしばしば逆転される。要するに、人間が神のような顔をすること。しかし、これは決して許されないのである。すなわち、内面化された神は決して人間化されたわけではなく、あくまでも神のままで、人に対する支配を続けなければならない。人と神のパースペクティブは、決して止揚され��はならないのだ。神に対し、人はあくまでも客体的な存在に止まる。これが「脱主体化としての現代」である。すなわち、統一的な主体の客体として、自己を有限的に分裂させること。この傾向は、全体化、画一化を嫌うように見えたポスト構造主義の面々においても例外ではなく、むしろ彼らによって強化すらされたのである。
ウォーホルが、「(作品の)裏側には何もありません」と語るのは、己の主体性の存在を覆い隠し、あくまでも客体的な態度を保とうとしたためであるとも取れる。
近代以後を生きるわたしたちは、密かな信仰を内面化し、その垂直的な力学を利用して、自らの主体的な同一性を構築する。しかし、その一方で、それを脱主体化しようとする水平的な力にも晒されている。
ベンヤミンが『複製技術時代の芸術』で提唱した芸術作品が持つアウラの「いま」「ここ」性は、カントの超越論における感性の形式としての「時間」「空間」に対応するものとして考えることができる。超越論によれば、この「時間」と「空間」は、感性と現象の接点を段取りするのであり、この感性は、理性から悟性の段階を経て、垂直的に統一される自意識の素材を提供する。
この超越論を前提するならば、アウラの喪失が示すものとは、すなわち統一的な理性主体としての自意識の解体である。それは、内奥の神と人間の自意識の、不当な同一性の摘発である。
わたしたちは、自らのアイデンティティさえも、共時的な記号として機能する「物」と同じように扱わなければならない。神によって構築され、守られていたはずの個体的な自意識を、今度は神の命によって廃棄するというわけだ。
この一見矛盾した相反する二つの傾向こそが、近現代/資本主義社会の動力であり、このズレによって消費社会の歯車は回転している。
「物」が、徹底的に無味乾燥であればあるほど、それを見るものに神秘的存在を強く意識させるのは、そういった事情が「裏側」で働いているからだ。宗教的に純粋である白と、無印良品としての白がここで重なる。
わたしたちは、神の存在を信じない。かつて偶像崇拝を禁じた厳格な社会は、今や神そのものに対する信仰すらも不純として廃棄したのだ。しかし、わたしたちはすでに、新たな偶像を手に入れている。それは、偶像としての神秘性を、超越性を、個体性を徹底的に廃棄された「物」である。
アンディ・ウォーホルが描き出すのは、そういった「物」なのだ。偶像なき偶像崇拝。そこに神がいないことによって描き出される神の威光。今や、「物」は、わたしたち自身の鏡像である。わたしたち、すなわち抽象的な意味における「わたし」たちは、今やそういった対象なしには存続できない。神秘的でないこと、主体的でないこと、唯物的かつ即物的であること。唯物論は、「神の否定」として客体的に存在するわたしたちに許された、唯一の積極性として提示されている。
不在であるがゆえに感じられる神の威光。それは、ウォーホルが勧めるように、作品の「表面だけ」を見つめることによって炙り出される。作品の「裏側」は存在しない。なぜなら、神の住処は、作品ではなく鑑賞者自身の視点の裏側なのだから。鑑賞者は、自らの内奥に棲む神によって、ウォーホルの作品の空白を埋めるのである。
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3年
カリスマの噺が問題の大体を占めるところ、本質、天秤、調和、自分の身を置く場というのが全ての自分を作り得るものでありそれらは目指し選び辿り着いた先であっても、それを享受し使いこなせるほどの理知を備えていたかというと別の話。
[note:2年]
外枠や人形を崇めるだけの肩書経歴実績があろうがなかろうが虚像であろうがなかろうが、もうそれ、解釈をやるしかなく最早モノマネとも呼べるそれをする事によってようやく保っている程度の小心者でありつつ
己の解釈への理解はあるからこそ細心の注意を以って人との関わりを決めていくというのは私にもやりがちではありがちかと。
例えば、もう私が出場したところで友人が増えることはなく遠巻きにみていた向こう側の人というジャンルでの見られ方はレッテルと同じくそれを解釈と受け取りその様に振る舞うしかなくなる状況をうまく享受も利用もできていないなというのを改めて方程式で見えたのだった。彼の言葉で。
崇拝者のサドというのは本当にまさしくそれであり、御神体をやるというのはマゾでもあるがその程度は比例するとは限らない。
過度に優しくあることが正しく自傷行為で大好きでよくやるんだけど同時に私は
無償の愛という自己満足(これが無いと人間は心理学的に必要なもの見返りを望めない即ち鏡であるその何かを通して自身を愛したいのだ)でもあるし思想性による愛とも近い最早そのへん辿れば己が行く哲学みたいなものになるんだろけども、
そもそもその思想性を辿らないと(その思想性を外的要因とするならば)その結論(過度な優しさを振る舞うという自傷行為を他人にする)に至らなかったかというと
そんなことはなくて、なんも考えずとも根で対応した結果に過ぎないし、
それではなぜその根拠とやらを当て嵌めるのかというと考察ができてしまうからであって辻褄合わせに過ぎない。
なぜ優しくあるのか、なにも理由はない、ただそうすることが自然であるだけ。
君のそばに置いてもらえる僕は君にとってのどんな存在でありたいか、だ。欲を言えば自身の自信のためであるがそれをなんら与えているとも思わない。見返りのようなものも求めるどころか期待すらせず。違う、それらも全て嘘だな。ただただそばにいるとき君にしたいことを僕はしてきた。その時その時の在り方をそう選んできた。いや、本当はそんなことすら考えていなくてただただ次に見れるかもしれない君の次の表情を待ちわびているそれだけで僕が笑ったり怒ったり訪ねたりするのだ。ただ、知りたいなと本に書いてあるような物語なんて既知の様なものでただ、知り得ないものは明日の君の表情だけでそれを見て知りたいとただ想う。それがなんと呼ばれる好意なのか興味なのか好奇心なのかなんてことも今更考え振り分けようとも思わないただいつも側に置いてもらえればと願うばかりで何かを求められるならば自分の持ちうる最大限のなにかを渡したい。必要はないかもしれなくとも、常に側で少し足りない君の、ありあまったそれを、行き先を見失う君の、+α嗜好品程度でもいい。あわよくば君が素直に念うままに生きてぶつけて溢れてあぶれて何かが割れたならその欠片を拾うのは私がいい。
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人間の思い込みで美化される。そして、その美化された渦に取り込まれながら、己専用の色眼鏡を編み出す。【白】という【文字】を認識して白を妄信するが、実体は、【白そのものは黒】である事を認める勇気も自覚もないから、腹黒い人間(偽善者)になるのかもしれない。 腹に黒いヘドロが溜まれば溜まるほど【美と誠】を喪失して、その実体の醜さを偽れば偽るほど化粧(嘘の上塗り)も厚くなるのだろう。 そして、その醜さを人仏神という偶像崇拝な宗教で封印して、誠の神に対しての絶望からの脅威と、希望の愛の魂に対する憧れを常に抱いて、その葛藤の苦しみの中で生きているのが人間の心というものだろう。 しかしながら、その人間の心さえもなくなってしまったコピー人間というのは、アニメーションでいう怪物って奴になるのかな!? https://www.instagram.com/p/CK9bpkUrdqM/?igshid=10grtx7flq2go
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2021
滋賀県大津市の天台宗総本山・比叡山延暦寺です。 標高およそ800メートル。冷たく澄んだ空気が辺りを包んでいます。 毎年、大みそかに行われる鬼追い式です。怒り、ねたみ、むさぼり。 人間の煩悩を鬼に見立て邪気を払う行事。 新型コロナウイルス感染防止のため 参拝者は例年より間隔を空けて、見守ります。 4月、緊急事態宣言を受け 比叡山では1か月にわたって拝観を停止しました。 最澄が山を開いた 1200年前も疫病や災害が多い時代でした。 人々の苦しみを取り除こうと彫られた薬師如来。 織田信長による焼き打ちなど 幾多の苦難を乗り越え現代に祈りをつないでいます。 ことしも除夜の鐘が打たれます。 (鐘の音) (鐘の音)
香川県高松市。 街を見守る弘法大師、空海です。 四国八十八ヶ所霊場の一つ八栗寺(やくりじ)。 ことしは新型コロナウイルスの影響で お遍路に来る人が8割減りました。 久々のにぎわいを見せた大みそか。人が密集しないよう スタッフを増員するなど感染対策を講じています。 (お経) お遍路をもてなしてきた地元の人々。 ことしは、そのにぎわいが失われました。 人々が感染の終息への願いを託したものがあります。100巻の写経です。 かつて空海が写経で疫病を治めたという逸話にならいました。 外出自粛が呼びかけられる中多くの人が自宅で書き写しました。 逆境の日々をみんなで乗り越える。 離れていても同じ思いが込められています。 (お経) 街に、にぎわいが戻りますように。 (鐘の音) (鐘の音) 2人≫こんばんは。 高瀬≫2020年は感染の拡大によって日常が大きく変わりました。 石橋≫東京では、きょう新たに1300を超える人の感染が確認されています。 帰省や初詣を控えているという方も多いのではないでしょうか。 高瀬≫そういうときだからこそ全国各地の様子をお届けしながら一緒に新しい年を迎えたいと思います。 石橋≫ここは、東京・調布市の深大寺(じんだいじ)です。 奈良時代に開かれ、厄よけや疫病(えきびょう)退散の御利益があるとして 信仰を集めてきました。 高瀬≫ことしは列に並ぶ人が密集しないようさい銭箱を2倍以上の大きさにしました。 石橋≫さらに一度に300人が集まっていた護摩祈祷(ごまきとう)も一組ずつ祈祷を受け速やかに離れるようにしています。 (お経) 高瀬≫信仰の中心になっているのは実在した僧侶元三大師(がんざんだいし)です。平安時代疫病に苦しむ人々を救うため鬼に姿を変え疫病神(やくびょうがみ)を追い払ったと伝えられています。 石橋≫その元三大師は秘仏としてこの鏡の奥に祭られています。 今回、特別に撮影が許可されました。 高さは、およそ2m。 鎌倉時代に作られた鎌倉時代に作られた日本最大の僧侶の像とされています。
来年、感染拡大の終息を願って205年ぶりに寺の外で開帳が行われる予定です。
高瀬≫誰も想像しえなかった一年の終わりに穏やかな日々への思いをはせます。
石橋≫それでは年越しを迎える各地の様子を見ていきます。
華やかな夜景が広がる横浜です。クルーズ船ダイヤモンド・プリンセスでの集団感染から大きく揺れた一年になりました。 600ほどの店が軒を連ねる中華街。
ことし初め中国で感染が広がると街から感染者が出ていないにもかかわらず差別や風評被害にさらされました。
対策を徹底してきた中華街では密を避けるために年越しの神事も見物客を8分の1に制限しました。
「苦しいときこそ皆で華やかに年を越したい」。
思いを込めて舞います。
舞がささげられるのは媽祖廟(まそびょう)です。媽祖は災害や疫病などから人々を守るとされる女神。世界各地に建てられ華僑の心のよりどころになってきました。
感染拡大の終息。そして、商売繁盛への願い。苦難を経て年越しを迎えることができたことに感謝する中華街です。
原田≫雪の降りしきる大みそかとなりました鳥取市の白兎(はくと)神社です。因幡の白うさぎのけがを大国主命(おおくにぬしのみこと)がこの地で治したという神話から病気平癒の御利益があるといわれています。初詣を待つ人々の中にはこんな方もいます。こんばんは。
≫こんばんは。
原田≫なんとロボットです。
手を振っていますね。これ、実は離れた場所にいる人が操作をしているんです。
鳥取市の中山美智子さんです。中山さんは、全身の筋肉が徐々に動かなくなる難病で入院しています。
目の動きでパソコンを操作することでロボットを自分の分身のように動かします。
この1年、新型コロナの影響で家族との面会が難しくなりましたがこのロボットによってようやく、それがかないました。
実はもう一台ロボットがあります。これは夫・和夫さんが操作しているんです。和夫さんも難病を患っていて外出が難しい状態です。
ロボットを通して、2人は久々に再会することができました。 ロボットのレンタルを行う代理店の協力で念願だった、お二人で��外出が実現したんです。
では美智子さんにお話を聞きます。 声を出すのが難しいので合成音声でお答えいただきます。
美智子さん久しぶりの2人での外出ですけれどもどんなお気持ちですか?
ロボット(美智子)≫夫と離れていて体調が気がかりでしたから久しぶりに話ができてうれしいです。来年は夫の体調がよくなりコロナも落ち着いて家で一緒に生活できるよう願っています。
原田≫和夫さん何を祈られますか?
ロボット(和夫)≫一日も早くよくなって皆さんに助けられてまた2人で暮らせますようにとお祈りしたいと思います。
原田≫お二人ありがとうございました。
離れていても同じ景色を見ていたい。2人の思いが詰まった初詣です。
7月記録的な豪雨が襲った熊本県。65人が犠牲となり今も2人が行方不明です。特に大きな被害を受けた人吉(ひとよし)市にある青井阿蘇神社は「青井さん」と呼ばれ親しまれてきました。国宝のかやぶき屋根の楼門(ろうもん)など5つの建造物が被害を受けました。
球磨(くま)川が氾濫し境内には1mを超える高さまで水が押し寄せました。復旧作業を行ったのは地域の人々でした。地域のよりどころがよみがえりたみ、むさぼり。人間の煩悩を鬼に見立て邪気を払う行事。
新型コロナウイルス感染防止のため参拝者は例年より間隔を空けて、見守ります。
4月、緊急事態宣言を受け比叡山では1か月にわたって拝観を停止しました。最澄が山を開いた1200年前も疫病や災害が多い時代でした。人々の苦しみを取り除こうと彫られた薬師如来。織田信長による焼き打ちなど幾多の苦難を乗り越え現代に祈りをつないでいます。
ことしも除夜の鐘が打たれます。
(鐘の音)
(鐘の音)
香川県高松市。街を見守る弘法大師、空海です。四国八十八ヶ所霊場の一つ八栗寺(やくりじ)。ことしは新型コロナウイルスの影響でお遍路に来る人が8割減りました。
久々のにぎわいを見せた大みそか。人が密集しないようスタッフを増員するなど感染対策を講じています。
(お経)
お遍路をもてなしてきた地元の人々。ことしは、そのにぎわいが失われました。人々が感染の終息への願いを託したものがあります。100巻の写経です。
かつて空海が写経で疫病を治めたという逸話にならいました。外出自粛が呼びかけられる中多くの人が自宅で書き写しました。 逆境の日々をみんなで乗り越える。離れていても同じ思いが込められています。
(お経)
街に、にぎわいが戻りますように。
(鐘の音)
2人≫こんばんは。
高瀬≫2020年は感染の拡大によって日常が大きく変わりました。
石橋≫東京では、きょう新たに1300を超える人の感染が確認されています。帰省や初詣を控えているという方も多いのではないでしょうか。
高瀬≫そういうときだからこそ全国各地の様子をお届けしながら
一緒に新しい年を迎えたいと思います。
石橋≫ここは、東京・調布市の深大寺(じんだいじ)です。奈良時代に開かれ、厄よけや疫病(えきびょう)退散の御利益があるとして信仰を集めてきました。
高瀬≫ことしは列に並ぶ人が密集しないようさい銭箱を2倍以上の大きさにしました。
石橋≫さらに一度に300人が集まっていた護摩祈祷(ごまきとう)も一組ずつ祈祷を受け速やかに離れるようにしています。
(お経)
高瀬≫信仰の中心になっているのは実在した僧侶元三大師(がんざんだいし)です。平安時代疫病に苦しむ人々を救うため鬼に姿を変え疫病神(やくびょうがみ)を追い払ったと伝えられています。
石橋≫その元三大師は秘仏としてこの鏡の奥に祭られています。今回、特別に撮影が許可されました。高さは、およそ2m。
ことしも「青井さん」で年を越すことができます。拝殿には全国から大量の支援物資が届きました。新型コロナの影響でボランティア活動が制限される中寄せられた復興へのエールです。
「がんばれ熊本」。
熊本では今も4000人以上が避難所や仮設住宅などで暮らしています。
「青井さん」とともに復興の道を歩みます。
石橋≫再び、東京・深大寺です。
高瀬≫各地の様子を見ていますと離れていても心はつながっていたい一つでありたいという気持ちが伝わってきます。
皆さんにとって、2020年はどんな年だったでしょうか。
石橋≫さあ、新しい年を知らせる除夜の鐘です。
(鐘の音)
(花火の音)
(汽笛)
(爆竹の音)
横浜港の汽笛と魔よけの意味が込められた爆竹。新年を迎えた中華街です。ステージには色鮮やかな獅子が現れました。
(獅子舞の音)
頭を噛(か)んでもらうと厄(やく)を祓(はら)い福が来るといわれる獅子。中華街の祝い事に欠かせない人気者です。
2人≫明けましておめでとうございます。
高瀬≫2021年令和3年の幕開けです。
石橋≫新年を迎えここ深大寺でも人々が初詣に訪れていますが例年より、その数は少ないようです。
高瀬≫ことしは混雑を避けるため旧正月に当たる2月中旬までを参拝期間として分散初詣を呼びかけていくということです。
石橋≫皆さんはそれぞれの場所でどんな思いを抱きながら新年を迎えているのでしょうか。全国各地の様子を見ていきましょう。
ことしは、うし年。4時間ほど前に生まれたばかりの子牛も新年を迎えました。こちらの子牛が着ているのはちゃんちゃんこ。体温調節が難しい子牛を元気に育てるための習慣です。北海道・足寄(あしょろ)町の牧場です。
現在の気温はマイナス17度。北海道でも、とりわけ寒さが厳しい、この町では寒さに強い乳牛が人々の暮らしを支えてきました。今夜も数頭の牛が出産を予定しています。牛たちを見守るのは牧場主の山下和洋さんです。
牛を育てて40年。僅か2頭から始め今では830頭になりました。
山下≫おいで、おいで。
新型コロナウイルスの影響で牛乳や乳製品の消費は大きく落ち込みました。「どんな困難に直面しても牛の歩みのように一歩ずつ進んでいく」。 新年を迎え決意を新たにしています。
再び、比叡山延暦寺です。最澄が亡くなって1200年という節目の年を迎えました。国宝根本中堂(こんぽんちゅうどう)
では今、10年がかりの大規模な改修が行われています。屋根を覆っていた銅の板はすべて剥がされました。横40m、高さ25mの屋根は新たに葺(ふ)き直されます。貴重な木造建築の今しか見られない姿です。
建物の彩色はいったん、落として創建当時の姿に塗り直されます。山が開かれて以来守り伝えられているものがあります。最澄がともしたと伝わる不滅の法灯(ほうとう)です。
「一隅を照らす心」、つまり「一人一人が今いる場所で最善を尽くす心」を持てばよりよい世界につながると説きました。
ともし火とともに最澄の思いは受け継がれてきました。ことし、不滅の法灯から分けられた、ともし火が全国を巡ります。
不安な時代を照らす光が各地に広がります。
静岡県熱海市です。毎年およそ300万人の宿泊客が訪れる観光の町です。古くから旅人を守る神社として知られる來宮(きのみや)神社です。新年を迎え静かに参拝が始まりました。
(祝詞)
本殿では祝詞が読み上げられています。参拝者たちの願いを届ける神事です。氏子の多くが携わる観光業は大きな打撃を受けました。温泉旅館を経営する藤間崇史さんです。従業員とともに熱海の魅力を紹介する動画を配信するなど模索を続けてきました。
町に活気を取り戻すためできることはすべてやる覚悟です。境内の奥にあるのは国の天然記念物のクスノキ。樹齢は推定2000年です。高さは20m以上。長年、風雪に耐え今も成長を続けています。その生命力にあやかろうと人々は周りを一周します。
新たな年もこのクスノキが見守っています。
原口≫群馬県前橋市のアパートです。こちらの部屋にはことしこそはという思いで新しい年を迎えられた方々がいらっしゃいます。
皆さん明けましておめでとうございます。 選手たち≫おめでとうございます。
原口≫東京オリンピック・パラリンピックに出場するアフリカ・南スーダン共和国の陸上選手団の皆さんです。事前合宿のために1年あまり前に来日されたんですが去年、大会は延期。さらに新型コロナウイルスの影響で帰国が困難になったこともあってここで共同生活を送っています。こちらはふだんの練習の様子です。ホストタウンの前橋市では近くの運動場を無償で貸し出すなどして練習に集中できる環境を整えてきました。
多くの選手が日本に来てから自己ベストを更新しているそうです。選手たちは地元の人たちとも交流を重ねてきました。市内の幼稚園や小・中学校へは10回以上、訪問しました。そして、こちらは地域のお祭りに参加したときの写真です。
皆さん、今では前橋を第2のふるさとのように感じているそうです。 この一年間、皆さんは日本語の勉強もされました。書き初めをしていただきました。 「金」「メダル」そして「平和」。 母国、南スーダンでは長く紛争が続いてきました。
スポーツを通して平和をもたらしたい。そんな気持ちを込めたそうです。
男子1500mに出場するアブラハム選手です。ことしこそ晴れの舞台に立って家族に活躍する姿を見せたいそうですね。
アブラハム≫メダルを取って南スーダンと前橋の皆さんを喜ばせたいです。 原口≫ありがとうございます。
遠く離されたふるさとそして前橋のために選手たちは新たな一年のスタートを切ります。
高瀬≫ことし、大きな節目を迎える場所があります。復興への道を歩み続ける東日本大震災の被災地です。
真っ暗な海に沿って再建した町の明かりがともります。東日本大震災の発生から10年を迎える宮城県石巻市洞源院(どうげんいん)です。
(太鼓の音)
被災地を望む本堂では新年の祈祷が始まっています。あの日から5か月の間ここにはおよそ400人が避難し共同生活を送っていました。壁には今も当時の約束事が貼られています。
「元気よく挨拶をしましょう」。
(太鼓の音)
人々は支え合いながら復興への険しい道を歩んできました。亡くなった人々の魂を鎮めるお焚(た)き上げです。全国から送られてきた千羽鶴も節目のことし 火にくべることにしました。避難所、仮設住宅そして、暮らしの再建。
いつもそばにあった千羽鶴を感謝を込めて焚き上げます。被災地の将来を担う子どもたち。人々に見守られ元気に育っています。
東日本大震災からまもなく10年。未来への希望の鐘です。
(鐘の音)
石橋≫ごく普通の日常のありがたさそして人々のつながりの大切さ改めて感じますね。
高瀬≫私たちも皆さんとつながっています。変わってしまった日常。だからこそ
新しい年を、このことばとともにスタートさせようと思います。2021年が皆さんにとって…。
2人≫すばらしい年になりますように。
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2020.8.7fri_tokyo
いまはAirbnbで借りた井荻の部屋。 部屋はきれいだけどベッドが固くて寝苦しく…。2日くらい試行錯誤してベッドからマットレスだけをとって床に敷くと案外落ち着くことを発見したので床で寝ている。
東京にでてきて、5年目。27歳になる。鏡を見て全然シティーボーイ(死語?)になれてない自分にため息もでるし、老を瞼に感じたり、今まで��かなかった場所に肉がのっているのを見ると平等に歳をとってるな、と焦ったり、安心したり気持ちが忙しい日々。
今日は大学で彫塑の授業を受けた Hans Arp, Constantin Brancusi, Anthony Caro 3名の彫刻家の技法を使って抽象彫刻をつくる授業。
石膏で”意味のない形をつくる”っていう課題 意味のない形をつくるって簡単なようですごくむずい。 かっこつけの人はかっこよく造形するし、かわいいのが好きな人はかわいく造形する。
自分もどうしても形をつくってしまうので「自分のしたくないことをすること」と「偶然に任せる」というルールを設けて、自分がこうしたい!って思ったことをことごとく無視するというふうにして制作してみた。そしたら絶対自分ではつくれない愛着のある立体になって、本当に驚いた。自分の心のカタチってこういうのかもって思うくらいに。いままで彫刻って全然触れてこなかったけどおもしろいことに気づく。
彫刻の目指すところは”世界にない形をつくる”ということらしい
たぶん27歳って将来が不安になる年頃な気がする。”仕事”や”結婚”の偶像崇拝的な良い暮らしが漠然と周囲から固められてくる感じ。コントロールを手放すって勇気が本当にいるけど、自分がなりたい自分になることもないって思う。いまあるものをもっかいちゃんと見てあげることで稜線がうきあがってくるのかも。
シティーボーイになれなかったあなたも、誰かの一番になれなかったあなたも まだ世界にない形になれますように。
what you see is what you see
-プロフィール- 西村 陸 (26) 東京都 学生・編集者
@simone_rnm
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半年間の留学を振り返って
大学院入学から新型ウイルス感染拡大の影響を受けて帰国するまでの半年を振り返りたいと思います。(このブログ記事は留学を支援いただいている財団へ提出した文章を転載したものです)
大学院入学式で印象として残ったのは、1600年前の『桃花源記(*)』という詩を引用した邱勇総長からのお話です。この詩は桃林に迷いこんだ漁師が、好奇心から林の中を進んでいくうちに急に視界が開ける情景を描写したものです。これを博士課程の学生生活になぞらえ、興味のあるサイエンスに時間をかけて取り組むことを繰り返し推奨されました。中国史の豊かさだけではなく、これからの科学研究へ熱意を感じさせるお話でした。
大学院の研究活動は、まず磁気間力顕微鏡(MFM)という微細磁気構造を観察する精密装置の立ち上げを手伝い、予備データを取ることから始まりました。留学前に想像していないテーマでしたが、高専と理研での研究経験を実験条件の洗い出しとシミュレーションに活用でき、ポスドクの方とは異なったアプローチで評価できたと自己評価しています。またビザが不要である事情から、アメリカと日本の放射光実験施設への派遣も任命されました。もともとSpring-8秋の学校に参加するなど関心があった観測実験ですので、先生に打診されたときには興奮を覚えました。
今期のコースワークは負担が大きくなりすぎないよう、中級中国語と高等量子力学を受講しました。中国語では作文の宿題が特に勉強になりました。今後の課題は相対的に弱い聞き取り能力を高めることです。量子力学の教科書はJ. J. サクライの標準的なものでしたが、巻末の豊富な演習問題を宿題として解くことで、計算力が強化され理解の穴が埋められたと感じました。
そのほか学科のカリキュラムには、博士課程後期に進む学生の基礎知識を担保するため博士資格試験が設けられています。幸先よく1回目の受験で合格できました。欧米でPhDをとられた先生などはこの試験を少し簡単すぎるのではないかと考えているそうですが、学生の僕から見ると範囲が広く、問題を解くための誘導がほとんどないので、覚えることが多いようにも感じました。
さて、北京での生活は学業面以外でも新鮮さにあふれたものでした。まず近頃日本でも有名なe‐コマース(スマホ決済)に関してお話しします。現金支払いの方がむしろ不便な中国では、QRコードを読み込むことで銀行のデビットカード残高からお金が引き出され、生活上必要なほぼすべての決済取引がスマホで完結します。中国製のスマホはカメラとバッテリー、演算能力に優れたものがかなり安価に手に入るので、スマホ決済を僕は合理的に感じ、気に入っています。
次に留学前から楽しみにしていた中華料理に関してですが、これは期待を上回るものでした。特に清華大学は広大なキャンパス内に数万人が居住しており食堂が充実しているため、各地の中華料理を安くおいしく食べることができます。日本であまり見かけない料理のなかには、技術や味付けなど洗練されたものも多く、滞在中は食文化の奥深さに何度も感動しました。ただし食の衛生に関して思い返すと、多くの人が机の上に食べ残しを置いてゆく文化やそもそも手洗いがない食堂があることなど、抜本的な改善の余地も一部には残っていると考えます。
最後に、中国の古都西安を友達と旅行した際の経験に関してお話します。西安(かつての長安)は秦、漢、隋、唐などの王朝が2000年間に渡って栄えた場所で、西安で学部教育を受けた研究室の同期はこの地を遺跡の街と呼びます。
圧巻の一言だったのは、20世紀最大の発見と言われることもある兵馬俑でした。58年前まで土の下に埋まっていた約8000体の人形は、2200年前に始めて中国全土を統一した秦王朝の始皇帝が、死者を弔うため作ったとされます。洛陽の龍門大仏も、約1万5000体の仏像が川沿いの岩に掘られており見ごたえがありました。偶像崇拝を禁じるイスラム教圏やユダヤ教圏ではめったにみられない貴重な光景だったのではないかと考えています。
西安は、古くはシルクロード以前から中国に張り巡らされた陸路の中継点としての役割を果たしてきたそうで、今日では快適な高速鉄道が多数発着しています。高速鉄道の思い出には、隣にたまたま乗り合わせた学部生が英語を休まず4時間集中して勉強し続けている姿や、車内で小学生の子供に英会話のオンラインレッスンを受けさせる姿を目の当たりにして、中国人の英語熱と勤勉さに感心したことなどがあります。
西安旅行では久しぶりに綺麗な空気を吸うことも楽しみにしていたのですが、その時期の内陸の汚染は北京よりひどく期待を裏切られる形となりました。ひどい日は20m先が霞むほどで、焦げたにおいも感じました。ただ観測データを信じるなら有毒ガスの量は少なく、近くの砂漠から飛ぶ黄砂の影響も考えられます。実際、北京でスモッグがかかる時と違い空は少し黄色っぽかったように見えました。ただいずれにしても、毎年数百万人の死因になっているとされる大気汚染の問題を政府は真剣に捉えており、多くの人々の想像を超えた数の対策を打ち出している、と清華大理学部長が留学生向けのガイダンスで言っていたのは事実だと思います。例えば北京では電気スクーターとその充電ステーションなど先進的な取り組みが普及していると言えます。
半年間の中国滞在を振り返ると、知識と語学力だけではなく、むしろ人間的な魅力と倫理、目的意識などの資質が試され続ける生活だったと感じます。励まして続けてくれた家族と友人に感謝するとともに、財団の皆様からのご支援に深く御礼申し上げます。
(*)『桃花源記』林尽水源,便得一山,山有小口,仿佛若有光。便舍船,从口入。初极狭,才通人。复行数十步,豁然开朗。(抜粋)
(**) 余談ですが、カナダで学位を取りカリフォルニアの名門大学で教授を歴任した清華大理学部長は、環境問題の専門家です。彼はガイダンスで、「一路一帯に関して中国政府は多くの誤りを犯した」とも言っていました。公然とした政府への批判とそれに対する留学生からの拍手が印象的でした。
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