#軒天板貼り
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コの字型の中庭に深い軒が続く家 中庭を内外一体的に使えたり、視覚的にも つながって広がりを感じられる計画 内外で手入れ等、違ってくるので 素材や色に注意してください◯ 他にも色々な事例を紹介しているので @kazuya_ikezoi から見てみてください #コの字型の家 #中庭のある家 #軒天板貼り #深い軒 #内外続く #黒サッシ #ハウスメーカー #注文住宅 #新築間取り #ハイサッシ #設計士とつくる家 #コラボハウス https://www.instagram.com/p/Cp-Af6mrPb6/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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各地句会報
花鳥誌 令和6年6月号
坊城俊樹選
栗林圭魚選 岡田順子選
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令和6年3月2日 零の会 坊城俊樹選 特選句
撞かるるを待つ梵鐘にある余寒 美紀 春灯や蔦の絡まる家傾ぐ 和子 料峭やいつか御籤でありし紙 緋路 自転車の主婦涅槃寺も突つ切つて 瑠璃 春塵は仁王の筋肉のかたち 緋路 冴返る仁王は金の歯で怒る 慶月 鳥帰る空はとほくて累塚 小鳥 春北風や大釣鐘に隠れたし 風頭 春陰の暖簾に純白の屋号 緋路 貴婦人の大車輪のみ春光に 慶月
岡田順子選 特選句
料峭やいつか御籤でありし紙 緋路 下萌る輪廻途中に道草を きみよ 中華屋の春塵赤き椅子逆さ 小鳥 喪の列の消ゆ式台の春障子 昌文 窓飾る家族の数の紙雛 はるか 白杖のリュックに揺るる桃の花 眞理子 学僧は霞に昼の鐘をつく きみよ 春禽のつがひ卵塔あたたむる 千種 上人の絵のその上の春の雲 俊樹 父性めく陽春の木の温もりは きみよ
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年3月2日 色鳥句会 坊城俊樹選 特選句
中空を塞ぐ余寒の廃高炉 かおり 曲水の刻安寧の風美し 朝子 曲水宴美しきあぎとの並びたる たかし 春の闇400Hzの着信音 修二 曲水や配流の無念流れをり 同 バッカスの壁画翳ればアネモネも かおり 中也掌に詩片ふりくる春の雪 睦子 野火走る倭建命の影走る 美穂 北窓を開く復興兆す音 朝子 曲水や女人の盃のちと遅れ 久美子 朧の夜幻想��つ二つ三つ 光子 涅槃図の中へ入りたく近道す 美穂 紅をひき三寒四温横切りて かおり
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年3月7日 うづら三日の月花鳥句会 坊城俊樹選 特選句
春日射し昼寝の猫にやはらかに 喜代子 地の息吹すべての芽より放たれん さとみ 卒業生てかる制服光差す 同 雛見れば乙女心もらんまんに 同 啓蟄や老眼鏡に虫眼鏡 都 マネキンに呼び止められし春の窓 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年3月8日 鳥取花鳥会 岡田順子選 特選句
弁財天の目力強きご開帳 宇太郎 介護士の赤鬼追うて追儺かな すみ子 春動く大鍋洗ひ伏せてより 都 咲く椿落ちし椿も「太郎冠者」 美智子 無縁塚天の供へし犬ふぐり 都 閏日や何して遊ぶ春寒し 佐代子 観音の視線の先に吾と梅と 宇太郎 春氷曳く吾を映すのみ 悦子 風海へ菜花すみずみ靡かせて 都 薄氷や踏めばナイフの光持つ 佐代子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年3月9日 枡形句会
語り継ぐ作詞の謂れ春の野辺 百合子 陽子師の墓前満開蕗の薹 教 子 雛祭り白寿の母も祝はれて 百合子 一輪の菫映して句碑閑か 三 無 きめこみ雛偲ばる友を飾りけり 文 英 廃屋に繁るミモザの花明り 多美女 揚げ雲雀寺領に紛れ猫眠る 亜栄子 のんびりと牛横たはる春の野辺 幸風 年尾碑に晴れてまた降る淡き雪 美枝子 雲雀生む高原行けば雲の人 白陶 やはらかな春の野の音辿りゆく 秋尚
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年3月11日 なかみち句会
消えさうな跡をつなぎて蜷の道 秋尚 磴百段尾道水道朝かすみ あき子 閉院の看板掠れ三味線草 美貴 日溜まりの数多の道も蜷のもの ます江 夜霞の一隅までも大灯台 聰 魚屋の釣銭濡れて春の雪 美貴 目をつむりぺんぺん草の音を聞く 廸子 極楽は泥の中なり蜷の道 あき子 蜷の道水面流るる光の輪 三無 崖下の流れやさしくになの道 和魚 鐘声のこころ震はす夕霞 史空
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年3月11日 武生花鳥俳句会 坊城俊樹選 特選句
老犬の矍鑠と追ふ寒鴉 清女 造花にも枯れは来たりぬ春愁ひ 昭子 お水送り達陀炎豪快に みす枝 春一番大手拡げて女子高生 昭子 全身を耳に涅槃の法話聞く みす枝 知らずともよき事知りぬ蜆汁 昭子 春眠の夢逝きし子の影おぼろ 時江 生死未だ仏に供へる桜餅 ただし 亀鳴くや遠くて近き爆撃音 みす枝 肩書を減らし北国の雪に住む 世詩明 鄙の里水滔滔と芋水車 時江 つまづいて梅の香りを逃しけり みす枝 浮御堂にそして巨松に春の雪 昭子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年3月12日 萩花鳥会
鼓草摩文仁の丘の兄の墓 祐子 風神は火の神鳥に野火揚る 健雄 春の空ここは宇宙のど真ん中 俊文 忘れ雪抗ふ漁師海胆を取る ゆかり 忘れ物鞄の中に山笑ふ 吉之 制服の丈短きや卒業生 明子 沈丁花色付く前より香り立つ 美恵子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年3月14日 さくら花鳥会 岡田順子選 特選句
合格の電話の声は春光に みえこ 彼岸会へ母一張羅出してをり あけみ 手作りの雛微笑んで雛祭 実加 啓蟄や亡き友ふえて吾は生きて 令子 うららかや押絵の猫に会釈して 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年3月15日 さきたま花鳥句会
銀翼のきらめく空や木の芽風 月惑 昴座の星を砕きていぬふぐり 八草 古雛の神輿に残る能登の技 裕章 料峭や客船の無き海広し 紀花 杉玉も軒端に馴染む春日影 孝江 亀鳴くや飛鳥の山はみな蕾 ふゆ子 今晩も味噌田楽とまぜご飯 としゑ 雛客の手みやげ酒や国訛 康子 春しぐれ天皇参賀長き列 彩香 春愁や予期せぬ病電子辞書 恵美子 草の芽の小石動かす力あり みのり 浮世絵を抜け出す遊女万愚節 良江
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年3月17日 伊藤柏翠記念館句会 坊城俊樹選 特選句
不器用は不器用なりに針供養 雪 我が町を春一番の素通りす 同 ぬるむてふ色を湛へて水温む 同 言の葉を育み春をふくらます 眞喜栄 雛飾り声なき顔に語りかけ 同 子供らの古墳探訪山笑ふ 同 道祖神肩を寄せ合ふ春の雪 同 雛見つめゐれば脳裏に母の顔 同 潮の香と水仙の香の一漁村 同 友の葬蝋燭揺らす涅槃西風 嘉和 風に棘あれど春日の燦々と みす枝 遠浅の水美しく蜆舟 ただし 雄叫びを似て左義長の始まれり 世詩明
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年3月17日 風月句会 坊城俊樹選 特選句
城山をもみくだくかに春疾風 眞理子 春野歩すダルメシアンの脚線美 亜栄子 蒲公��の丘膨よかに母の塔 斉 石鹸玉母の塔まで追ひかけて 亜栄子 涅槃会や外から一人手を合はせ れい 蓬生の城址や鬨の声遥か 炳子 洗堰磧にとよむ雉の声 幸風 機関車に用心深く初蝶来 幸風 ぽつとりと落ちて華やぐ花椿 れい 春塵を淡く置きたる母の塔 芙佐子 啓蟄の句碑のひらがな揺らめける 要
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年3月18日 花鳥さざれ会 坊城俊樹選 特選句
胸を張り農を継ぐぞと卒業す かづを 四脚門氷雨の中に凜と建つ 和子 僧逝くや枝垂れ桜を待たずして 千加江 畦の径青きまたたき犬ふぐり 啓子 雛の間をちらと横切る男の子かな 笑子 九頭竜に朱を透かせゆく桜鱒 同 鰤大根男料理の後始末 清女 古里に古里の香の土筆摘む 泰俊 上を向き涙湛へて卒業歌 同 陽炎や人の集まる船溜り 同 春塵の経蔵深く舞ふ飛天 同 水ぬるむ色ある如く無き如く 雪
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年3月20日 福井花鳥会 坊城俊樹選 特選句
雛納め飲まず喰はずの官女かな 世詩明 啓蟄や始発電車の一人旅 笑子 花ミモザ抱へふくらむ恋衣 同 けたたまし派手な身振りの春の鳥 同 啓蟄の土嗅ぐ犬の背の丸さ 希子 つくしんぼどこに隠れてゐるのやら 和子 麗しき新幹線で春来る 隆司 陽炎へる無人駅舎の降車客 泰俊 陽炎の中より来たる笑顔かな 同 啓蟄の啓蟄の顔穴を出づ 雪 懐かしやぬるみ初めたる水の色 同 蟲はただ蟲とし穴を出づるのみ 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年3月22日 鯖江花鳥句会 坊城俊樹選 特選句
凍つるべき所に凍つる蝶一つ 雪 着膨れて弟母似吾は父似 同 ぬるみ来し水に映れる何やかや 同 都恋ふ紫式部像に東風 同 幽霊の飴買ふ話木兎の夜 同 春灯下術後の傷を見る夜中 洋子 婚約のナースの話院の春 同 春ショール黄色く巻いて退院す 同 花柊恋に桎梏あればこそ 昭子 春雪や深田久弥の百名山 ただし 春彼岸死んで句友に逢へるなら やす香 親の恩山より高し卒業す みす枝 拙を守り愚直に生きて目貼剥ぐ 一涓 児を一人傘に拾ひし春時雨 世詩明
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この組み合わせが最強説
喜びと幸せで人生が満ちる毎日をお過ごしのあなたへ
ゆっぴーのブログに訪問頂きありがとうございます💖
お久しぶりのブログは料理レシピというほどのものではないくらい簡単なのですが、我が家でそばの食べ方といえばコレ!と定番化している内容をシェアしようと思います♪
1年の中で最も寒い2月でも、すっかり日中は春めいてきて、あっさりとお蕎麦が食べたいなと思うくらい外の氣温もあたたかく感じる日が少しずつ増えてきましたね🌸
※こちらはインスタストーリーズで以前シェアしたモノです
では早速シェアしていきます。
《材料》 約3人前
・アボカド 1個
・舞茸 2〜3パック
・十割そば 1袋 (二八そばでもお好みで)
・オリーブオイル 大さじ3
・天然塩 2つまみ
・お好みのめんつゆ 適宜
①オーブンを180度に予熱します
②めんつゆを作ります
(時間ない方は市販でOK)
③オーブンの天板にクッキングシートを敷き、舞茸を食べやすい大きさにして重ならないように広げ、オリーブオイルを全体に回しかけ天然塩をパラパラと振りかける
→予熱が終わったオーブンへ入れ30分焼く
④そばを袋に書いてあ��表示時間どおりに茹でて、水でよく洗いザルで水を切っておく
⑤アボカドを食べやすい大きさにスライスする
⑥器に④そばを入れて、オーブンから取り出し焼き上がった③舞茸をたっぷり乗せて、②温かいめんつゆを上からかけ、空いてるスペースに⑤アボカドを盛り付けて完成
※お好みで本わさびを添えても美味しいです
このそばの調理方法だと調理が楽なのもあってパッと作れるし、オーブンの予熱段階から、めんつゆをつくり始めて、蕎麦を茹でて一氣に完成させて同時に終わるのが個人的に作っていてキモチイイです😁
※②めんつゆ作りについて※補足
めんつゆは���が家は昆布と干し椎茸を水につけて一晩寝かせたものを使用することが多いです。たまに煮干しだしを使用して作ることもあります。(その際は頭と腹わたを取って1度鍋で乾煎りしてから水を加えてだしを取っています)
あとは3人前のつゆなので、使う器に水を入れ3回分を鍋に移し、鍋のこのくらいの量でできる目安を作っておくと非常に楽でめんつゆの味も安定します。
出汁が沸騰したら、味の母をお玉2杯くらい、有機白しょうゆはお玉に適量(4杯から5杯くらい)入れて、味見していい塩梅に調整して完成です。お玉で計ってるので完全に目分量ですが、各ご家庭の鍋のサイズもあると思うので味を見ながら調整なさってください。
※※補足以上※※
そばの風味と舞茸グリルの香りと絶妙な塩加減が、アボカドのクリーミーな食感も加わり、味のハーモニーがたまらない一品です✨
よく混ぜ合わせていただきま〜す😋
我が家の定番でもあり、特に疲労回復したいなという時や1時間以内に調理を終わらせたいなぁという時にもよく作ります。家の中に舞茸グリルの香りが漂うと、カリカリ舞茸そばの日だと娘も分かるので、出来上がりを楽しみにしてくれています♪
アボカド選びは、できればすぐに使えそうな柔らかさがいいですね🥑PLUコードが貼られている果物や野菜は"9'から始まる5桁のものはオーガニックのものですので、よく見てみましょう。最近はスーパーでも手に入りやすくなりました。
調味料選びについても、こだわりポイントをいくつかシェア💡
◯オリーブオイル
エキストラヴァージンオリーブオイルやオーガニックのもので、遮光瓶や缶に入ってるものがベスト。
酸化してしまうので日に当たらないように保管することも大切です。(体内になるべく酸化したものを入れないことが若々しさを保つ秘訣)プラスチック製のものはできるだけ買わないようにしています。
◯天然塩
海水から汲み上げ、天日干しして採取したシンプルな工程で作られたものや岩塩など、舞茸に合いそうな少し粗めのお塩だと、そばの風味も引き立てるアクセントになるしオススメです。ミネラル豊富な塩選びも他のお料理に使う際もとっても大切です💡
◯市販のめんつゆ
原材料ラベルのチェックは基本です。できれば遺伝子組み換えでなく、化学調味料不使用で保存料なども無添加のものを選びたいですね。
◯有機白しょうゆ
そして、我が家に欠かせない調味料が七福醸造さんの有機白しょうゆ!!普通のお醤油よりも和食や洋食問わず頻繁に使ってます!
愛知県碧南市にある日本で唯一の白しょうゆJAS有機認定工場低温でゆっくり熟成されて作られている有機白しょうゆ。原料や製法にもこだわって作られていて、長期熟成だからこそ出せる「甘さ」と「旨み」がたっぷり凝縮されています。
楽天で購入してるのですが、いつも名入りで御礼が一筆ついてくる真心に感動🥺有機白しょうゆを使ってできる料理レシピもついてくるので、調理の際に試せる情報も沢山あります👍
ネット注文だと、おそらく膨大な注文量であるはずなのに、一軒一軒お客様を大切にされて、名前を覚えて下さっているショップの氣遣いも温かくてリピートして買わせてもらってます✨
https://a.r10.to/hkQ7H8
↑七福醸造通販サイト 味とこころさん
我が家は、塩味の野菜炒めやパスタソースの決め手に、またホワイトシチューの味を締める役割だったり、お菓子作りにも使ったりと出番が沢山あるので、ストックも欠かせません。素材の味を引き立ててくれる調味料なので、とにかく色んな場面で使えるのでオススメです!
つくってみた感想も知りたいので、よかったら是非お試しくださいね😊
御縁がつながることに感謝して🙏💞
あなたが嬉しいと
わたしも嬉しい
最後まで読んで頂きありがとうございます✨
Yuppiii(ゆっぴー)
ピンタレストにピンを投稿中です📍
クリエイター近づけるようにコツコツ発信していきます👣他の暮らしに役立つかもしれない、今よりちょっと生活の質が上がるような情報もあるので、どうぞご覧くださいね♪
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今年ももう師走。
ラスト1か月となりました。
貝塚市塗装工事
貝塚市三ツ松屋根葺き替え工事
貝塚市水間町 新築 リフォーム坂口建設
先日白味噌作って、正月のお酒も予約して、あとは年末に餅ついてサバ焼くくらいか。
サバの予約もし��おかないとね(^_^;)
そして今年の残り少ない現場というと、
3軒��塗装工事が完了いたしまして、
大きな現場は残すところ屋根の葺き替え工事となりました。
古い垂木を解体して新しい垂木に交換する。
垂木とは屋根の下地で野地板を固定して瓦の重量を支えるもの
この建物は前にも説明したのですが、築90年以上。
なので今では機械で製材された四角い木材も、
この当時はというと、丸太を半分にカットしたもの
しかも 材料は大事だったのか、それはそれは グニャグニャにカーブしたのや
株の部分は太いが、末の部分はと言うと
踏んでしまうと折れてしまいそうなくらい細い部材が。
そしてこの垂木を支えてるのが垂木の下に直行した丸太、母屋と棟木というのですが、これまたスネークでしょ(-_-;)
これ同じような形状で位置が変わるだけで名前が違うんですね。、
棟というのは屋根の一番高い位置に入る部材!
ややこしいね(^_^;)
わかりやすく図解にすると
一番高いとこが 「棟木(ムナギ)」!
棟上げ式とはこの棟木をはめ込むと完了ってこと。
一番下の壁になる部分は部材は
「桁(ケタ)」
そして棟木と桁の間の部材は
「母屋(モヤ)」と呼ばれるからこれまたややこしいですね(^_^;)
このスネークの丸太の水平を糸を張って調整していきます。
端から橋までが15メートル。
そして垂木の数は全部で150本!
これを一本ずつミリ単位で高さ調整して固定していきます。
そしてその上に合板を貼っていきます。
合板が貼られると足場もよく歩きやすくなるのでひと安心。
合板が貼り終わったら、雨が降っても大丈夫のように、城戸商店の跡継ぎの城戸Jrがルーフィングを貼りに来てくれます。
これが敷かれると雨漏りがなくなって、ふた安心。
あと半分屋根工事頑張りましょう。
今日は日曜日やし、買いもんでもいってゆっくりしようかな(^_^;)
今週もよろしくお願いいたします。
貝塚市 岸和田市 泉佐野市 泉大津市 和泉市 泉南市 阪南市 熊取町 忠岡町 田尻町
天然素材スイス漆喰カルクオウォール
リボス自然塗料取扱店
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2023.6.15thu_saitama
習い事の一日=休日
<朝の部>
7時。リビングにおりていくと、夫が開口一番友人の名前を口にする。 友人からお子の写真が届いていた!赤子はなんでこんなに真顔で素敵なポーズをとれるのかよ。かわいい
蕪木の珈琲がきれているので、ドリップバッグの珈琲を淹れる。 夫を見送り、積読コーナーからヴィスワヴァ・シンボルスカの「終わりと始まり」を手にとる。<題はなくてもいい>の一編が、ひとり庭を眺めている時のそれのようで小さく救われる。SNSは適当に、読書は真剣に、のターンが戻ってきた。
掃除、洗濯。除湿機がはりきる季節。夕方には3リットルくらいの水となっていて毎回排水するたびに驚愕している。空気中にこれほど重い水となる物質が漂っている。我々は水中に生き、水でできている—。うっかり35億年前まで遡りそうになったので、掃除のつづき。 今日の一日は日記となるので、これみよがしに階段拭きにも励む。年季のはいった一軒家の埃の溜まり具合というのは尋常でない。2,3日さぼっていたので、あからさまに溜まっている。こんなにもあからさまに…
<午前の部>
お楽しみの表装教室に向かうべく駅に向かう。掛け軸を仕立てています。
途中、駅前の老舗のパン屋に移転の貼り紙。 途中、教室��先輩が前を歩��ていたので一緒に向かう。
本日は総裏打ち二本立て!表装を仕立てる過程でのピークと言ってもよいでしょう。緊張の大一番です。 先生と入念に下準備。先生は、気品とユーモアを兼ね備えている人で、大げさでなく先生に出会えた我が人生でよかったと思う。
紙幣は古紙や和紙や本となり、家と私の生活を圧迫している。 紙から紙に変換しているばかりでどうしようもない。 そのようなわけで変換された魅惑の紙布と、前回先生からいただいた古い宇田紙で制作を進める。 和紙の繊維一本一本が、よりよい掛け軸をつくる。ああ、高まる!
〜集中の2時間〜
<午後の部>
帰りはクールダウンがてら徒歩20分を歩く。教室の間、思い返せば心のBGMに『古畑任三郎のオープニング曲』がうっすらと流れていたことに気づく。なぜ
昼は富士そばで簡単に済ます。冷やしきつねそばを食べる。(国立南口店の富士そば、<冷やし>がやたらと美味しい)ネギがいつもの20倍増しくらいで「ジャキジャキ」と言いながら脳内をめぐり胃袋へ。(端的にうるさい) 先週から補聴器をかりていて、あらゆる音に慣れない日常が続いている。 ここ3年で口元をみながらの会話の頻度が激減し、篭って作業することが多いのも影響しているのか歳なのか、勘も鈍り聞き間違いが増えた気がしている。
書店に立ち寄り外に出ると、いつの間にか雲が厚くなっており時間の感覚を一瞬失う。帰りの電車で、隣の人がおもむろに電話に出た挙句大声で怒鳴る��どのアクシデント(端的にうるさいパート2)を乗り越え帰宅。蕪木の珈琲がちょうど届いていて歓喜。
母と少し電話。叔母とも話す。レターパックライトおよびプラス、スマートレター、クリックポストの違いを説明する。 雨なので電車でジムへ。ストレッチと筋トレ。いつものルーティンを無心でこなす。帰りがけ、受付におもむろにしゃくしな漬けが販売されていたので、買う。なぜなら我が家に定期的に「しゃくしな」「しゃくしな」と言うひとがいるからです。
<夜の部>
電車を待つ間、インスタをみる。ピピネラのタケイさんのマレーシア旅を熱心に追う。クアラルンプールの場所ってどのあたりだっけとgoogleで調べたら、「クアラ・ルンプル」と出てきて初耳だ、となった。 これまで、一呼吸も置かずに「クアラルンプール」か、もしくはどこかで区切るとしても「クアラルン・プール」だと思って生きてきました。 南国のプール付きの宮殿のようなイメージが広がる。
一つ学びを得た満足感に浸りながら電車にのり改札を出ると、南国から一転、駅前にポツンと破天荒な店名の歯医者の看板が掲げられていて立ち尽くす。「こんな店名だったら絶対に入らない大喜利」があったなら披露してしまいそう。後ろの二人が「〇〇〇〇〇〇歯科だって…〇〇〇〇〇〇…」と反復しがら通り過ぎていった。目線を変えると、少し手前で同じく立ち尽くしている女性がいた。一瞬でこんな���も人を惑わすネーミングが存在する。
今日は飲酒の日なので、ビールと歌舞伎揚を買って帰宅。蕪木から珈琲が届いたことの喜びが、ここまで引っ張られているように感じています。 夕飯作りの前に、誤って歌舞伎揚を一袋完食してしまう。
開花丼にしようと調理をはじめたはずが、生姜焼きとオムレツが完成。 途中、歌舞伎揚が私の満腹中枢を満たしてきたので丼を回避しました。 ほか、茄子と九条ネギの味噌汁、トマト、しゃくしな漬け、ビール。
この長すぎる日記を書いて就寝。 サッシを閉めようとしたら、はまぐり柄の地域猫(はまぼう)が縁側にいた。雨が止んだのだな。 人の世は日に日に世知辛くなっていくけれど、明日もどうか健やかでいてほしい。
-プロフィール- 佐藤洋美 Hiromi Sato 埼玉 余地|yoti デザイナー/コラージュ作家 最近は紙漉きと表装に夢中。 https://yoti.jp https://www.instagram.com/yoti__jp/
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9月18日(日)|生身の音
ついに! 京セラドーム大阪へ! 足を踏み入れ! た! ぞ!
と、いう昨日。野球観戦経験は、小さい頃にナゴヤドームで中日戦を観たきりで、親によるとその際も飽きて背中を向けながら過ごしていたという、そんなたいして興味をもたないまま生きてきたのが、まさかみずから率先して球場に足を運ぼうとする日がくるとは思いもよらず。ただなにか粗相がないようにしなければとか応援のマナーはどうとか暗黙のルールはどうなのかとかそもそもちゃんと球場に辿り着けるのかゲートはわかるのか席はわかるのかと、あらゆる不安が湧くばかりで早い時間に家を出た。しかし最寄り駅まで向かう大阪メトロに乗ってみると既に明らかに野球ファンといったひとびとが大量にいたので、私は後方にぴったりとついていくだけで良かった。改札を出るとそこにはオリックスの選手達の巨大な広告が出ていたりして、高揚感が高まりスキップでもしたいような気分を抑え込んで、始まったばかりの検温会場へと向かった。検温というからには店の入り口で見かけるような一人一人おでこなど近付けて計るセンサーを想像していたのだが、一列で並んでいるところをおそらくはサーモグラフィーでざっくりと検温していくだけだったので、なにも止まることなく川の流れのごとくするりと検温は終わり、紫色の検温証明書をもらった、それが場内へ入る時にチケットと共に必要になるらしい。検温所を抜けると一塁側は左で三塁側は右だと看板が出ていて左へと曲がっていき階段を上がっていけばそれが当然京セラドームだった。
既に外野自由席なのか内野席なのか、随分と人が並んでいて圧倒されつつ、指定席だったので特に慌てる必要もないのでグッズ売り場に行って諸々応援によさげなものを見繕おうショップを探すのだがどこにあるのかいまいちわからず、うろうろとしている間に去年のパ・リーグ優勝記念のシンボルがでかでかと貼り付けられたりもして忙しなくスマホで写真を撮っているうちにすっかり迷子になりそうだったので、スマホで地図を確か��てまっすぐにショップへ向かう。着いてしまえばなにも難しい場所ではなかった。三連休に、天王山の三連戦とだけあってどこもかしこも人は多く、更にこの三連休に乗りかかって夏の商品などは割引されていたりもして大盛況だった。野球のグッズが恐ろしいほど頻繁に新商品が出るのはこの一年横目で眺めているだけでもよくわかったのだけれども、売る方も必死なのだとしみじみ。この売り上げがチームの多大なる運営費やら選手の年棒やらに繋がっていく。慣れぬ人間にはユニフォームも一着一万円、高っ、と驚いてしまう。しかしそれでも買う人は多くいる。事実、どんどん手に取られていった。先日引退表明をした能見投手は、ユニフォームもタオルも軒並み売り切れており、みんな考えることは同じだった。価値があると思えば、手を出すのだ。私も、高っ、と思いつつも、今日の目的でもある山本投手のユニフォームを買って、大好きなスヌーピーとのコラボグッズのハンカチにも手を出し、応援用にとタオルを買って、ひとまずにわかであっても観戦者としての擬態は果たせそうな装備を整え、なんだか完全に掌の上で転がされながらご満悦でもあり、同時にまた一段賃労働への意欲が増した。
模倣ユニフォームに袖を通しながら、そんな時間のすべてが不思議でしょうがなかった。なにもかもが新鮮で、浮ついた空気がそこら中に漂っていて、それぞれ気に入った選手のユニフォームを着て、帽子を被り、あちらこちらで選手の名前や野球の話題が飛び交っていて、その中に飛び込んでうろうろとしていて、なんだかちぐはぐみたいですべてが面白かった。
来たばかりの時はまだ入場が始まっておらず遊園地の人気アトラクションを彷彿させる長蛇の列となっていたけれども、買い物を終えて外に出た頃にはそうした行列も幾分消えており、中で売られている球場グルメも見たかったので受付をすませようとしたら検温証明書の行方がわからなくなっていた。というのももらったそばからひとまずポケットに入れたのがまずく、おそらくは同じポケットでスマホを出し入れしたりしている間に恐らく落ちてしまったのだろう。しょんぼりとしながら検温所へと戻り、いや、今来ましたけど、と、誰もそんなことを気にしているはずがないのに素知らぬ顔でガバガバ検温所を通り抜けてまた同じ証明書をもらった。そのまま再び一塁側へと向かって3番ゲートから受付を終え、通り抜けたら、席へと向かう入り口からグラウンドの緑が視界に入り、そこからずっと視線が通り抜けていって球場の広さに改めて驚愕し、またどんどん楽しくなってくる。急ぐ必要もないけれども席が列の中ほど��ので、早めに行った方がなにかと良さそうだったので、グルメを少し見て歩いたら焼きそばと生ビールを買った。持参の水があったので正直なところビールは頼まなくたって良かったのだが、野球とビールはセットという完全なイメージに脳内は支配されており、飲まずにいるという選択は、たとえ一杯750円まあまあ高いな~という気はしてももう少し安い酎ハイにするとかソフトドリンクにしたところで後悔しそうな気がしたので、生ビールにした。
生ビールを片手に席へと向かうといよいよグラウンドが広がっていて、なんだか立ち尽くしそうになりながら、テレビやネットでしか見たことがなかった選手たちの位置をまだからっぽのグラウンドに想像した。広いな、という印象と、思っていたよりも小さいかも、という感想が同時に飛来した。狭くはないけれども、完全に屋根がついているドームならではの閉塞感のせいかもしれない。多くの人間が身を寄せる観客席と、たった一人ずつで位置について守備をする野球選手とでは、この広さに対する印象もまったく違うだろう。たえかねてビールを一口のむと冷たい苦味が喉を通り抜けていき、なんだか随分久しぶりにビールを飲んだと気がついた。美味しくて震えた。
薄く吹く風があっても、熱気のせいなのか、湿度のせいなのか、けっこう暑くて、時間が経つにつれて人が増えていくほどにますます暑くなって、入場者プレゼントでもらった応援ハリセン用の厚紙で、団扇代わりにあおいでいるうちに、選手が出てきた。山本投手がまず出てきて、キャッチャーの若月選手が出てきて、二人で遠投のキャッチボールをする。その、ボールを受けた音が球場内に響いて、ボール自体は小さく、ミット自体も手元のものでしかないのに、音の拡がりが投球の鋭さをものがたっていて、距離が離れていても生身の音に強く引き寄せられて、肌が緊張した。この音を聞きたくて、ここにきたのだった。
その後、次々とベンチ入りメンバーが出てきてウォーミングアップを開始し、いつの間にか覚えてしまった選手たちの名前と背番号と顔とを遠目で確認した。なんだかこれは、ものすごい場所にいる。
ソフトバンクとの試合は、投手戦となった。ソフトバンク表の攻撃から始まり、マウンドに立った山本投手は一人目こそ四球で歩かせてしまったが、ほぼ危なげなく抑えていく。初回裏、ファウルになるかと思った中川選手の打球は微妙に軌道を曲げてぎりぎりファウルのポールの内側に飛び込んでいき、ええっ入った!? というどよめきと拍手が一挙に広がった、ホームランだった。全体にどちらの投手も調子が良く、じりじりとした展開が続いた。しかし、山本投手の投球は圧巻で、途中からは一塁も踏ませず、淡々と投げていった。
緊迫と躍動の表れ、叫ぶ声。バットとボール、ミットとボールが重なる、音。大勢の観客の、手拍子の中で、繰り返されていく。
山本投手は近いうちにメジャーリーグに行くだろう。アメリカに渡ってしまえば、生で投球を見ることは、現実的にとても難しい。だからもしも一度だけ球場に行くのならば、彼の投球を見たかった。けれど、他の選手も、来年にはいるのかわからない。オリックスだけでいっても、シーズン中に後藤選手はトレードで中日に移籍したし、能見投手は引退を決め、来年もコーチをするかどうかはわからない。外国人選手は帰国するかもしれないし、他の選手もどうなるかわからない。怪我をしたり、コロナにかかったり、思わぬ病気にかかったり、誰もと同様に、いつその身になにが起こるかは予想できない。彼等の仕事は、身体が最大限のパフォーマンスをしていかなければ生き残っていけないシビアな業種なので、体調管理をしっかりとしているだろうけれども、そうはいっても人間なので、わからない。わからない、だらけだ。そんなことも考えていると、健康体でのびのびとプレーをしている姿に感慨があった。そもそも、彼等はほんとうに実在していたんだなと、月並みな点ではあるが、そんなところから感慨深かった。
試合は2-0でオリックスが勝ち、山本投手が最後まで投げきって完封とした。試合終了するとキャッチャーの若月選手と抱き合う姿は、涙がこみあげてきそうになるたまらない瞬間だった。山本投手くらいになってくるともはや完封も不思議ではない贅沢さ、ぽっとでのミーハーが味わうにはあまりにももったいないくらいだったけれども、ミーハーであれ古参であれ、すべては楽しんだもの勝ちだなあと確信した夜。まあせっかく奮発してユニフォームまで買ったのだし、一度と言わず、また行きたい。
しかし席がまんなかの方だとビールのおかわりで売り子さんを呼ぼうにも人が密集していてどうにもならず、ああいうときはみなさんどうしているんだろう。なんだかやたら美味しかったので、もう一杯くらいならいいかと気が大きくなったものの諦めてしまい、それが若干の心残り。
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2020東京オリパラ大会の野宿者排除概要
私たちの知り得た範囲において、2020東京オリパラで排除された野宿者は145名、間接的な影響で排除された野宿者は41名、計186名になる。
交渉によって撤回させたりイベントが中止になったりして、排除が未遂に終わり、数字に含めていないケースも含めて概要を記す。
1、招致期間
2013年3月4日~7日、IOC評価委員会の東京視察が行われた。その際、国立競技場周辺の都道に置かれていた約10人分の荷物、代々木競技場周辺のテント10張と約20人分の荷物に、以下の警告書が貼られた。
「2月27日までに撤去しない場合は不要な物として処分する。その後、3月8日までの間、この付近に放置された荷物・テントはすべて即刻撤去する。 東京都建設局第二建設事務所 代々木警察」
警告に従い、代々木公園内に移動させた荷物に対しては、公園のサービスセンターが追い出しをかけた。また、移動した路上で荷物に放火され、焼失された方もいた(この時期、渋谷近辺では野宿者の荷物への放火が頻発していた)。これらの人たちは、10日近く、寝場所や荷物の置き場所に困ることとなった。
また、同様の期間、国立競技場に隣接する、明治公園「四季の庭」で、テント・小屋に暮らしていた約10名の野宿者は、園内の一隅に集められ、周囲から見えないように白いシートで囲われた。
2、開催決定後
①明治公園
2013年10月下旬、東京都東部公園緑地事務所が明治公園の小屋に暮らす野宿者に「11月か12月に工事に入るので立ち退いてください」と勧告した。国立競技場建て替えのための関連工事ということだった。
以後、野宿者と支援者(応援する有志)は、国立競技場を管轄運営するJSC(日本スポーツ振興センター)と7回の団体交渉を行った。また、野宿者は、都の要請により2度の園内移転を行った。しかし、2年半の間には、絶え間ない圧力により、半数以上の方が公園から出て行かざるをえなかった。
また、明治公園霞岳広場・国立競技場の軒下・近場のトンネルなどで、夜だけ就寝する人も追い出された。
2016年1月27日、四季の庭を含む明治公園の大部分は東京都からJSCへ無償で貸与された。同日、JSCは、職員・警備員・警官、併せて約200名を動員して、強引に、テントのフェンス封鎖、水道やトイレなどのライフラインの停止を行おうとした。
2016年3月18日、JSCは、野宿者3名に対し、土地明け渡しの仮処分命令を東京地裁に申し立てた。申立書には、仮処分の必要性として「平成28年3月下旬までに本件土地を工事可能な状態にして施工業者に引き渡さなければ2020年東京オリ・パラ大会の開催自体が危ぶまれる状況にあること」と書かれてあった。
4月16日早朝に強制執行が着手され、明治公園の野宿者4名と支援者数名が排除された。野宿者の生活用品などの荷物は東京湾岸部にある倉庫までトラックで持ち去られた。
身一つで追い出されることとなった野宿者たちは、明治公園として唯一開園していた、飛び地に移動した。しかし、その場所も、日本体育協会とJOCの新ビル(ジャパンスポーツオリンピックスクエア)をつくるために、2016年10月に廃園になり、東京都が追い出しをかけてきた。
工事資材の搬入が始まる中での抗議・抵抗、議員による五輪相への追及などにより、土壇場で東京都は方針を覆した。都の提案と斡旋のもとに、野宿者たちは他の公園へ移転することになった。
明治公園内にある東京体育館において、2018年7月からオリパラ(卓球会場)のための改修工事がはじまり、同年10月、建物周囲のひさしで就寝していた約12名が締め出された。
工事自体は2020年1月末に終わったはずだったが鋼板で囲ったままで五輪会場として使用した。
現在、就寝していた所にはロープが張られている。
②有明
東京湾岸の有明で、オリパラのシンボル的施設の工事によって、2名の野宿者が生活拠点へ通行できなりそうだった。2019年11月、組織委員会が通行止めを記した工事看板を説明もなく設置した。
野宿者と支援者は交渉を重ねたが、「港湾局から完全閉鎖するように言われている」(組織委)、「閉鎖とは言っていない」(港湾局)と見解が食い違った。組織委は交渉の人数を制限し、ついには逃げ回る状態になった。
2020年3月、生活場所へ通行できるように変更した工事看板が設置された。その後、五輪延期に伴って、その看板も撤去された。2021年5月、工事が開始されたが大きな影響はなく、オリパラ期間中も同じ場所で生活をつづけた。
③潮風公園
2019年12月、私たちが潮風公園に行ったのは、ビーチバレー場の工事開始後で、すでにフェンスなどで囲われ、公園の大部分には入ることができなかった。
潮風公園には、荷物を常在させ就寝している方が5、6名いたということだった。施工業者によると、12月1日(着工日)早朝に、園内にいた2名ほどの野宿者が出て行ったという。
組織委に対して話し合いを持ったが、組織委は、野宿者が寝泊まりをしていることは認識していなかった、着工以前については関知しない、行政上必要な手続きは行った、と責任逃れを繰り返した。
品川区生活福祉課は、12月の定期巡回時に公園閉鎖に気づき、野宿者に会う術もなかったという。ホームレス自立支援法11条「適正な利用の確保」における「支援等に関する施策との連携」すらなされないままに野宿者排除が起きていた。
炊き出しも含め支援活動や野宿者の強いネットワークは、東京においては新宿・渋谷・池袋・上野・山谷など野宿者の集住地域に限られている。東京五輪の競技場がたくさん作られた湾岸エリアは、そのような網の目から漏れており、他にも排除された可能性がある。
3、開催直前
ライブサイト・聖火リレーの中止・無観客試合というオリパラの縮小に連動して、野宿者に対しての排除も抑制されたのは不幸中の幸いだった。
一方で、聖火セレモニー、そして競技会場近辺の交通規制・立入禁止による排除は行われた。
①代々木公園
代々木競技場に隣接する、公園内の広大な���地が、大会駐車場にするために、7月16日から9月5日まで立入禁止となった。それに伴い、少なくて���4名の野宿者が追い出された。
立入禁止の一部は、雨を避けられ常住できる場所だった。また、ベンチでは不特定の野宿者が就寝していた(なお、公園内のベンチは、2018年及び2021年2月、手すりで中央を仕切られた、横になりにくいものになった)。東京都は常住している方に対して「公園のほかの場所に移動してください」と言っていたが、公園内で、屋根がある場所は限られており、新たにテントを張ることも認めていない。移転した場所でも、会場周辺警備の警察官によって、テロ対策を名目に執拗に声をかけられ追い出された人もいた。ちなみに、駐車場は10台以下の利用しか見たことがなくガラガラだった。代々木競技場には自前の駐車場があり、隣接する旧・岸記念体育会館(JOC・日体協ビル)跡地もオリパラ用の臨時駐車場だったのだから必要性が乏しいものだった。
②国立競技場周辺
オリパラ期間中、国立競技場周辺は戒厳令下のようだった。6月8日から順次、立入禁止と交通規制を拡がり、7月3日から9月16日までは幹線道路(外苑西通り)を封鎖し、地域住民を度外視してオリパラを優先する区域になった。
競技場の近くの緑地帯に住む野宿者に対しては、4月末に、5月6月には出て行くように、都の第二建設事務所が通告。5月末、生活拠点を鋼板で完全に囲うことになると組織委が明言した。
6月18日、組織委(大会運営、警備)と都の建設局道路課、第二建設事務所と現地で話し合った。野宿者のことで組織委が現地に来たのは、はじめてだった。
組織委は、関係車両の円滑な走行とセキュリティのために7月5日には立入禁止にする必要があると言うばかりで、野宿者の人権や生活については何も答えなかった。また、代替の寝場所も提示しなかった。
7月3日の深夜、一帯は封鎖され、雨天時に野宿者が利用していた橋の下も閉鎖された(次の日まで当事者のみ出入りはできた)。主な生活拠点であった緑地帯も、組織委の説明より前倒しで封鎖された。
そのため、野宿者2名が長期にわたり追い出されることになった。
③渋谷地区
6月16日、聖火リレーコースの都道に置かれている、テント小屋や荷物に、東京都第二建設事務所が警告文を貼付した。
「この物件は、東京オリンピック聖火リレー(7月22日)、パラリンピック聖火リレー(8月24日)の支障となるため、至急撤去してください。撤去されない物は、支障物として移動・撤去します。」(一部区域は東京オリンピック聖火リレーのみ記載)
情報公開で得た資料によると、渋谷地区で49カ所、東京都は警告文を貼付している。自転車1台をのぞけば野宿者の物資であり、少なくても40人くらいは影響をうけるものだった。
現地の野宿者の交渉時、建設事務所は、警備上の支障になるから遠くに移動してくれ、テロリストに物を置かれてはこまる、と発言。
その後、建設事務所は、荷物置き場を渋谷区内につくるのでリレーの2、3日前までに移動してくれ(寝場所については示さなかった)と言っていたが、都内での聖火リレー中止によって、移動・撤去の話は立ち消えた。
④東京都庁舎周辺
7月23日、新宿西口にある都庁都民広場で聖火セレモニーが行われた。周辺に暮らす野宿者のうち15名ほどが、東京都第三建設事務所と警察によって、寝場所と荷物に警告文を貼付され、7月22日朝から23日夕方まで移動しなければならなかった。
また、8月20日、パラリンピックでも聖火セレモニー(集火式)が都民広場で行われた。5名ほどの野宿者のテント・荷物に対して、警告が貼付され前日から撤去を余儀なくされた。
なお、第三建設事務所は、東京マラソンで野宿者の荷物を移動させた時に、路上に残された必要とする荷物を即時廃棄して問題になったことがある。
⑤横浜スタジアム
横浜スタジアム周辺(横浜公園を含む)では約40名が夜間に就寝していた。7月24日から開始されるソフトボールや野球競技の会場準備によって、6月8日に一部が立入禁止になり、7月23日昼からは全面的に入れなくなった。
支援団体の交渉によって、横浜市が借り上げた簡易宿泊所(ドヤ)40床が、8月23日まで食事を含め無料になり36名が利用した。しかし、10名弱は利用せずに寝場所から出て行った。
4、間接的な影響
渋谷区立宮下公園は、「2020年東京オリンピック・パラリンピックを迎えるにふさわしい公園」を改修整備の目的の1つとして2014年7月、公募を開始した。オリンピック観客の宿泊場所が不足していることを理由として、ホテルをつくる三井不動産の案が採択された。2017年3月27日、渋谷区と三井不動産は抜き打ちで公園を封鎖し、夜間就寝していた野宿者約10名を追い出した。公園を屋上につくった商業施設、ミヤシタパークは2020年7月末に開業した。宮下公園は夜間施錠し、野宿者が泊まることは出来なくなった。
都庁の膝元にある新宿区立中央公園では、2013年から2年間で、テントなどの野宿者67人が追い出された。その後、オリパラを視野に入れた公園整備が進められ、2020年7月16日、公園内にスターバックスやレストランなどが開業した。野宿者の追い出しは、オリンピックと一体となった公園の商業化への露払いであっただろう。しかし、詳しい事情が分からないため、今回はカウントしなかった。
5、総計
①直接的影響による排除
・国立競技場 4名
・東京体育館 12名
・IOC評価委員視察 テント20名 荷物30名
・潮風公園 6名
・聖火セレモニー 新宿 20名
・交通規制、立ち入り禁止
国立競技場周辺 3名 荷物1名
代々木公園 4名
横浜スタジアム周辺 45名
計145名
②間接的影響による排除
・国立競技場
明治公園 6名(強制排除をのぞき)
競技場周辺 10名
道路などの荷物 10名
・宮下公園 10名
・ジャパンスポーツオリンピックスクエア 5名
計41名
③総計
延べ186名
※同一の人が異なる時期や場所で受けた排除もカウントしている。また、追い出しへの強い圧力があったケースでも未遂の場合は含んでいない。
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居酒屋海猫
夜おそく城崎温泉駅に着いた私たちは、鳥取砂丘の風砂にまみれた体を引きずりながら赤提灯を探していた。八月の曇った日曜日だった。色浴衣の観光客はもはや見えず、ただでさえ重いリュックとキャリーバッグに覆い被さったいやらしい笑みのような真夏の夜のどろりとした湿気、その中を歩くことは、かつて小学校のプール授業で体験した着衣水泳を思い起こさせた。前日は京都から岡山、津山及び奈義へ、今日は鳥取から移動して疲労が溜まっており、暗がりのなか私たちの口数は少なかった。
「海猫」は温泉街のはずれにあった。大規模な旅館をいくつか通り過ぎ、「おでん(安心して飲める店)一品料理」と書かれた横に細長い電飾看板が目に入った時、私たちは同時にふうと息をついた。長旅の疲れを温泉で癒そうと今回最後にこの地に赴いたのだが、海と山のあわいに数々の文学作品をあたためた香り高い風土をゆっくり味わうため、地元民の集いそうな小さな飲み屋をあえて——とはいえ偶然地図で見つけたに過ぎないが——選択したのだった。
短いのれんをくぐって引き戸を開けると、主人と思しきおやじさんが「電話くれた人かい? 駅から歩いてよく来たね」とくしゃくしゃの笑顔で迎えてくれ、私たちはL字型のカウンターの端に席を占めた。先客はよく日に焼けた青年三人ともの静かな老夫婦の二組のみで、どちらも近くに住む者らしく、おかみさんが酒を注ぎながら会話に相槌を打っていた。ビニールカーテン越しにビールと梅酒のソーダ割りを頼む。後で聞けば、うちは北の端っこだから他所から人が来るのは珍しい、とのことで、私たちの来訪を不思議に思ったそうだ。調理場の奥の天井近くに据えられたテレビにはオリンピックのバレーボールの予選が映し出されており、おかみさんが点数を気にして時おり手を止め見入っている。壁の一部はマジックで描かれた落書き、いな多くの寄せ書きで埋められており、その上に常連客の写真が貼られている。目の前の曇った冷蔵ガラスケースにはサザエやサーモン、イカ、うなぎなどの食材が陳列されており、見ているだけで楽しい。青春18きっぷでの旅、それも目的地をこれでもかと詰め込んだ強行軍ゆえ、ようやく落ち着いて座れたところで尻が痛いままだったが、年季が入った店内の飾らない雰囲気に私は早くも安らぎを感じ始めていた。
壁面のメニューを見渡すと、百円から一番高いものでも七百円と、かなり良心的な値段である。青とうがらし、せせりポン酢、ホルモン、チヂミとお願いすると、覚えられなかったようで、ひとつずつ二度繰り返す。料理は夫婦分担で手際が良い。テンポよく出されたつまみに口を付けると、どれも家庭的な味がしてほっこりした。小腹が満たされたのでタバコに火を点ける。いい感じに酔いが回り体の力が抜けていく。追加で大根とすじのおでんも注文する。出汁がめっぽう旨い。老夫婦は相変わらず話しているのかいないのかわからない。青年らは二軒目にスナックを欲していたが、おかみさん曰くどこも休業中だそう。荒くれ者らしい無遠慮な言葉遣いで礼を言って彼らが出て行った後、一転して静まった店内に日本対イランの点差が僅かであることを実況アナウンサーが告げた。
少し前からおやじさんの姿が見えないと思ったら、ラーメンの出前に行ったという。「宅杯ラーメン」なる行灯を引っさげて宿の前まで車で出向き、屋台さながらその場で作って手渡すそうだ。そういえば店の前にもラーメンと書かれた看板があったし、事前検索でそれについてのレビューも目にしていた。ハイボールと梅酒ソーダをおかわりしてから、締めに頼むことにしたが、塩バターか油そばで私たちは大揉めに揉め、あっち向いてホイでなおも決着がつかず、とうとう譲らなかった私に彼女が根負けする形で、地方にしてはあまりお目にかからないであろう油そばに決まった。おやじさんが帰ってきたのでお願いすると、なぜかおかみさんが作り始めた。そういえば、後から入ってきた小田和正似のスーツの男性は醤油ラーメンだけ食べていたし、おやじさんはしばらくして二度目の出前にいそいそと出かけて行った。どうやら城崎に数少ないラーメン屋として重宝されているようだ。
「こげーなとこまで来て、どこに泊まるの?」
手の空いたおやじさんが私たちに尋ねる。水郷です、と答えると、「そりゃまた遠いとこ、南の端だね。帰りは送って行きますから��との温かい言葉。すでに足が棒のようだったので、感謝しつつ甘えることにした。遠慮はいらん、とおやじさんが笑う。はいよ、とその奥から皿に盛られた油そばが出てきた。チャーシュー、もやし、ねぎ、紅生姜がトッピングされており、底に醤油ダレが沈んでいる。甘えついでに卵も乗せて欲しいとせがむと、「ちょっと産んでくるわ」とおかみさんが笑いを誘う。黄身を落としてかき混ぜれば醤油の香ばしい匂いが漂ってくる。争うように箸を伸ばしてズズズとすすると、これが大正解、パツパツの細麺に濃厚なタレが絡んでめちゃくちゃに美味しいのだった。思わず、最高や、と呟くと彼女は無言で大きく頷いた。夏バテとは縁遠い私たちの、最後まで勢いの変わらない動物めいた食欲を前にして、麺はあっという間になくなった。残り少ないグラスを傾け、改めてテレビを見やると日本がマッチポイントにさしかかっていた。が、幾度となく相手側の好プレーに阻まれている。
「ジュース(デュース)ばっかじゃダメやねぇ、ビール飲まんと」
爽やかな顔立ちだが勝利への確信と喜びを、ネットを見据えて緊張した表情の下にかたく閉ざす選手たち、そのサーブ、トス、アタックごとに体全体で反応し一喜一憂するおかみさんはとても可愛らしい。プレーの合間を縫って会計を頼むとふたりで四千円強と驚くほど安かった。おやじさんが出て行ってまだ帰ってこないのでしばし歓談に興じる。この季節、平日はまいにち沿岸で花火が上がるという。「水郷さんのすぐそばなんやけどね」とのことだったが、私たちにとってはどんなスペクタクルに出会うよりも、この場所で何にも変えがたい時間を過ごせたことの方が幸福だった。
赤いユニフォームがブロックしたものの、ボールがコートの外へ大きく��ね出る。ああもう、とおかみさんが嘆息した直後、「お待たせしました!」と戸が開く。名残惜しいが私たちは先にゲームセットだ。感謝を伝えて外に出る。ボロ車で悪いけどねぇ、と言うおやじさんに、彼女が旅の思い出に一緒に写真を撮りたいと伝えると、店内のおかみさんを呼び出してくれた。ひょうたんの形をした看板の下、皆でピースしたその写真を見返すと今でも涙が出そうになる。車が走り出してからも手を振ってくれたおかみさんは日本が準々決勝に進出する瞬間を見ただろうか。
「さっきはマスクしたままでごめんねぇ、癖になっちゃって」
銀の軽バンのハンドルを握ってそう言うおやじさんはどこまでも優しかった。端っこから端っこだけど、車ならすぐだったでしょう、と手を振って宿の前から去るその後ろ姿に、ふたりで頭を下げて���れを告げた。宝石のような一日が終わる寂しさは、そばを通過する豊岡行きの列車がたちまち轟音で吹き飛ばしてくれ、それと引き換えにかどうか、空を仰ぐと星々が満天にきらめいていた。
明日の湯巡りを前にして真心の温泉に浸った湯上がりの気分に満たされた私たちは、海猫という店名の由来をついぞ聞きそびれたが、またこの巣に飛んで戻ってこよう。
本当に、いい夜だった。
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コの字型の中庭に深い軒が続く家 中庭を内外一体的に使えたり、視覚的にも つながって広がりを感じられる計画 内外で手入れ等、違ってくるので 素材や色に注意してください◯ 他にも色々な事例を紹介しているので @kazuya_ikezoi から見てみてください #コの字型の家 #中庭のある家 #軒天板貼り #深い軒 #内外続く #黒サッシ #ハウスメーカー #注文住宅 #新築間取り #ハイサッシ #設計士とつくる家 #コラボハウス https://www.instagram.com/p/Cp-AZSjLwdj/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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なかなか春は安定しませんね~!
でも これが終わると また あの夏が来るんでしょうね。
泉州地方は雨から アラレ(^_^;)
室堂町リフォーム工事
貝塚市 水間 新築 リフォーム 坂口建設
土曜日は良く降りましたね(^_^;)
岸和田市のリフォームは雨で解体工事を中止して
和泉市室堂町の 柴犬翔ちゃん宅に 加勢!
雨やけど 外部の 焼き板の張り替え工事を!
田舎の建物は 軒が長いので なんとか雨もかかずに 作業ができます。
それにしても ちょっと 寒いな( ;∀;)
なんとか 昼までに 貼り終わって
部屋の中に入れる (´∀`)
あんまり 寒いと ギックリ腰が( ;∀;)
職人さんに
ちょっと夕方 早く帰らしてください(^_^;)
行きつけの
針の先生 ニモ先生とこいってくる
と言うことで、全身針を打たれまくること 2時間!
お陰さまで ちょっと楽やけど
本日日曜日は またもや 1日
夕方 起きて 重ちゃんと 滝之湯に
プチ湯治!
一応 ここは ラジウムですからね。
循環やけど(^_^;)
今度は ラジウム世界一と言われる、三朝温泉いってみたいなー!
熱いお湯が苦手な私には この 露天風呂の
ぬる湯 というのが嬉しいのだ。
温度は 36度で いつも 1時間くらいは はいってかえると
夕方から 寝るまで 体は ポカポカ。
これで ビールを プッシュ!
クゥーーーっと いきたいところを
ぐーーーーーーっと 我慢して
ツライ( ;∀;)
横で 重ちゃん ロング缶のんでんやーん
( ;∀;)
クソー!
治ったら ピッチャーのみほしてやるーー! o(*`ω´*)o
みなさん 日々のからだのケアーは、ちゃんと しましょうね。
(^_^;)
さぁ、のんびりしてたら
すぐに ゴールデンウィークも来ますからね。
それでは みなさんコロナと五月病に気をつけて、
今週も頑張っていきましょう。
貝塚市 岸和田市 熊取町 泉佐野市 泉大津市 和泉市 泉南市 阪南市
天然素材スイス漆喰 カルクウォールリボス
���然健康塗料自然健康塗料取扱店
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2021
滋賀県大津市の天台宗総本山・比叡山延暦寺です。 標高およそ800メートル。冷たく澄んだ空気が辺りを包んでいます。 毎年、大みそかに行われる鬼追い式です。怒り、ねたみ、むさぼり。 人間の煩悩を鬼に見立て邪気を払う行事。 新型コロナウイルス感染防止のため 参拝者は例年より間隔を空けて、見守ります。 4月、緊急事態宣言を受け 比叡山では1か月にわたって拝観を停止しました。 最澄が山を開いた 1200年前も疫病や災害が多い時代でした。 人々の苦しみを取り除こうと彫られた薬師如来。 織田信長による焼き打ちなど 幾多の苦難を乗り越え現代に祈りをつないでいます。 ことしも除夜の鐘が打たれます。 (鐘の音) (鐘の音)
香川県高松市。 街を見守る弘法大師、空海です。 四国八十八ヶ所霊場の一つ八栗寺(やくりじ)。 ことしは新型コロナウイルスの影響で お遍路に来る人が8割減りました。 久々のにぎわいを見せた大みそか。人が密集しないよう スタッフを増員するなど感染対策を講じています。 (お経) お遍路をもてなしてきた地元の人々。 ことしは、そのにぎわいが失われました。 人々が感染の終息への願いを託したものがあります。100巻の写経です。 かつて空海が写経で疫病を治めたという逸話にならいました。 外出自粛が呼びかけられる中多くの人が自宅で書き写しました。 逆境の日々をみんなで乗り越える。 離れていても同じ思いが込められています。 (お経) 街に、にぎわいが戻りますように。 (鐘の音) (鐘の音) 2人≫こんばんは。 高瀬≫2020年は感染の拡大によって日常が大きく変わりました。 石橋≫東京では、きょう新たに1300を超える人の感染が確認されています。 帰省や初詣を控えているという方も多いのではないでしょうか。 高瀬≫そういうときだからこそ全国各地の様子をお届けしながら一緒に新しい年を迎えたいと思います。 石橋≫ここは、東京・調布市の深大寺(じんだいじ)です。 奈良時代に開かれ、厄よけや疫病(えきびょう)退散の御利益があるとして 信仰を集めてきました。 高瀬≫ことしは列に並ぶ人が密集しないようさい銭箱を2倍以上の大きさにしました。 石橋≫さらに一度に300人が集まっていた護摩祈祷(ごまきとう)も一組ずつ祈祷を受け速やかに離れるようにしています。 (お経) 高瀬≫信仰の中心になっているのは実在した僧侶元三大師(がんざんだいし)です。平安時代疫病に苦しむ人々を救うため鬼に姿を変え疫病神(やくびょうがみ)を追い払ったと伝えられています。 石橋≫その元三大師は秘仏としてこの鏡の奥に祭られています。 今回、特別に撮影が許可されました。 高さは、およそ2m。 鎌倉時代に作られた鎌倉時代に作られた日本最大の僧侶の像とされています。
来年、感染拡大の終息を願って205年ぶりに寺の外で開帳が行われる予定です。
高瀬≫誰も想像しえなかった一年の終わりに穏やかな日々への思いをはせます。
石橋≫それでは年越しを迎える各地の様子を見ていきます。
華やかな夜景が広がる横浜です。クルーズ船ダイヤモンド・プリンセスでの集団感染から大きく揺れた一年になりました。 600ほどの店が軒を連ねる中華街。
ことし初め中国で感染が広がると街から感染者が出ていないにもかかわらず差別や風評被害にさらされました。
対策を徹底してきた中華街では密を避けるために年越しの神事も見物客を8分の1に制限しました。
「苦しいときこそ皆で華やかに年を越したい」。
思いを込めて舞います。
舞がささげられるのは媽祖廟(まそびょう)です。媽祖は災害や疫病などから人々を守るとされる女神。世界各地に建てられ華僑の心のよりどころになってきました。
感染拡大の終息。そして、商売繁盛への願い。苦難を経て年越しを迎えることができたことに感謝する中華街です。
原田≫雪の降りしきる大みそかとなりました鳥取市の白兎(はくと)神社です。因幡の白うさぎのけがを大国主命(おおくにぬしのみこと)がこの地で治したという神話から病気平癒の御利益があるといわれています。初詣を待つ人々の中にはこんな方もいます。こんばんは。
≫こんばんは。
原田≫なんとロボットです。
手を振っていますね。これ、実は離れた場所にいる人が操作をしているんです。
鳥取市の中山美智子さんです。中山さんは、全身の筋肉が徐々に動かなくなる難病で入院しています。
目の動きでパソコンを操作することでロボットを自分の分身のように動かします。
この1年、新型コロナの影響で家族との面会が難しくなりましたがこのロボットによってようやく、それがかないました。
実はもう一台ロボットがあります。これは夫・和夫さんが操作しているんです。和夫さんも難病を患っていて外出が難しい状態です。
ロボットを通して、2人は久々に再会することができました。 ロボットのレンタルを行う代理店の協力で念願だった、お二人での外出が実現したんです。
では美智子さんにお話を聞きます。 声を出すのが難しいので合成音声でお答えいただきます。
美智子さん久しぶりの2人での外出ですけれどもどんなお気持ちですか?
ロボット(美智子)≫夫と離れていて体調が気がかりでしたから久しぶりに話ができてうれしいです。来年は夫の体調がよくなりコロナも落ち着いて家で一緒に生活できるよう願っています。
原田≫和夫さん何を祈られますか?
ロボット(和夫)≫一日も早くよくなって皆さんに助けられてまた2人で暮らせますようにとお祈りしたいと思います。
原田≫お二人ありがとうございました。
離れていても同じ景色を見ていたい。2人の思いが詰まった初詣です。
7月記録的な豪雨が襲った熊本県。65人が犠牲となり今も2人が行方不明です。特に大きな被害を受けた人吉(ひとよし)市にある青井阿蘇神社は「青井さん」と呼ばれ親しまれてきました。国宝のかやぶき屋根の楼門(ろうもん)など5つの建造物が被害を受けました。
球磨(くま)川が氾濫し境内には1mを超える高さまで水が押し寄せました。復旧作業を行ったのは地域の人々でした。地域のよりどころがよみがえりたみ、むさぼり。人間の煩悩を鬼に見立て邪気を払う行事。
新型コロナウイルス感染防止のため参拝者は例年より間隔を空けて、見守ります。
4月、緊急事態宣言を受け比叡山では1か月にわたって拝観を停止しました。最澄が山を開いた1200年前も疫病や災害が多い時代でした。人々の苦しみを取り除こうと彫られた薬師如来。織田信長による焼き打ちなど幾多の苦難を乗り越え現代に祈りをつないでいます。
ことしも除夜の鐘が打たれます。
(鐘の音)
(鐘の音)
香川県高松市。街を見守る弘法大師、空海です。四国八十八ヶ所霊場の一つ八栗寺(やくりじ)。ことしは新型コロナウイルスの影響でお遍路に来る人が8割減りました。
久々のにぎわいを見せた大みそか。人が密集しないようスタッフを増員するなど感染対策を講じています。
(お経)
お遍路をもてなしてきた地元の人々。ことしは、そのにぎわいが失われました。人々が感染の終息への願いを託したものがあります。100巻の写経です。
かつて空海が写経で疫病を治めたという逸話にならいました。外出自粛が呼びかけられる中多くの人が自宅で書き写しました。 逆境の日々をみんなで乗り越える。離れていても同じ思いが込められています。
(お経)
街に、にぎわいが戻りますように。
(鐘の音)
2人≫こんばんは。
高瀬≫2020年は感染の拡大によって日常が大きく変わりました。
石橋≫東京では、きょう新たに1300を超える人の感染が確認されています。帰省や初詣を控えているという方も多いのではないでしょうか。
高瀬≫そういうときだからこそ全国各地の様子をお届けしながら
一緒に新しい年を迎えたいと思います。
石橋≫ここは、東京・調布市の深大寺(じんだいじ)です。奈良時代に開かれ、厄よけや疫病(えきびょう)退散の御利益があるとして信仰を集めてきました。
高瀬≫ことしは列に並ぶ人が密集しないようさい銭箱を2倍以上の大きさにしました。
石橋≫さらに一度に300人が集まっていた護摩祈祷(ごまきとう)も一組ずつ祈祷を受け速やかに離れるようにしています。
(お経)
高瀬≫信仰の中心になっているのは実在した僧侶元三大師(がんざんだいし)です。平安時代疫病に苦しむ人々を救うため鬼に姿を変え疫病神(やくびょうがみ)を追い払ったと伝えられています。
石橋≫その元三大師は秘仏としてこの鏡の奥に祭られています。今回、特別に撮影が許可されました。高さは、およそ2m。
ことしも「青井さん」で年を越すことができます。拝殿には全国から大量の支援物資が届きました。新型コロナの影響でボランティア活動が制限される中寄せられた復興へのエールです。
「がんばれ熊本」。
熊本では今も4000人以上が避難所や仮設住宅などで暮らしています。
「青井さん」とともに復興の道を歩みます。
石橋≫再び、東京・深大寺です。
高瀬≫各地の様子を見ていますと離れていても心はつながっていたい一つでありたいという気持ちが伝わってきます。
皆さんにとって、2020年はどんな年だったでしょうか。
石橋≫さあ、新しい年を知らせる除夜の鐘です。
(鐘の音)
(花火の音)
(汽笛)
(爆竹の音)
横浜港の汽笛と魔よけの意味が込められた爆竹。新年を迎えた中華街です。ステージには色鮮やかな獅子が現れました。
(獅子舞の音)
頭を噛(か)んでもらうと厄(やく)を祓(はら)い福が来るといわれる獅子。中華街の祝い事に欠かせない人気者です。
2人≫明けましておめでとうございます。
高瀬≫2021年令和3年の幕開けです。
石橋≫新年を迎えここ深大寺でも人々が初詣に訪れていますが例年より、その数は少ないようです。
高瀬≫ことしは混雑を避けるため旧正月に当たる2月中旬までを参拝期間として分散初詣を呼びかけていくということです。
石橋≫皆さんはそれぞれの場所でどんな思いを抱きながら新年を迎えているのでしょうか。全国各地の様子を見ていきましょう。
ことしは、うし年。4時間ほど前に生まれたばかりの子牛も新年を迎えました。こちらの子牛が着ているのはちゃんちゃんこ。体温調節が難しい子牛を元気に育てるための習慣です。北海道・足寄(あしょろ)町の牧場です。
現在の気温はマイナス17度。北海道でも、とりわけ寒さが厳しい、この町では寒さに強い乳牛が人々の暮らしを支えてきました。今夜も数頭の牛が出産を予定しています。牛たちを見守るのは牧場主の山下和洋さんです。
牛を育てて40年。僅か2頭から始め今では830頭になりました。
山下≫おいで、おいで。
新型コロナウイルスの影響で牛乳や乳製品の消費は大きく落ち込みました。「どんな困難に直面しても牛の歩みのように一歩ずつ進んでいく」。 新年を迎え決意を新たにしています。
再び、比叡山延暦寺です。最澄が亡くなって1200年という節目の年を迎えました。国宝根本中堂(こんぽんちゅうどう)
では今、10年がかりの大規模な改修が行われています。屋根を覆っていた銅の板はすべて剥がされました。横40m、高さ25mの屋根は新たに葺(ふ)き直されます。貴重な木造建築の今しか見られない姿です。
建物の彩色はいったん、落として創建当時の姿に塗り直されます。山が開かれて以来守り伝えられているものがあります。最澄がともしたと伝わる不滅の法灯(ほうとう)です。
「一隅を照らす心」、つまり「一人一人が今いる場所で最善を尽くす心」を持てばよりよい世界につながると説きました。
ともし火とともに最澄の思いは受け継がれてきました。ことし、不滅の法灯から分けられた、ともし火が全国を巡ります。
不安な時代を照らす光が各地に広がります。
静岡県熱海市です。毎年およそ300万人の宿泊客が訪れる観光の町です。古くから旅人を守る神社として知られる來宮(きのみや)神社です。新年を迎え静かに参拝が始まりました。
(祝詞)
本殿では祝詞が読み上げられています。参拝者たちの願いを届ける神事です。氏子の多くが携わる観光業は大きな打撃を受けました。温泉旅館を経営する藤間崇史さんです。従業員とともに熱海の魅力を紹介する動画を配信するなど模索を続けてきました。
町に活気を取り戻すためできることはすべてやる覚悟です。境内の奥にあるのは国の天然記念物のクスノキ。樹齢は推定2000年です。高さは20m以上。長年、風雪に耐え今も成長を続けています。その���命力にあやかろうと人々は周りを一周します。
新たな年もこのクスノキが見守っています。
原口≫群馬県前橋市のアパートです。こちらの部屋にはことしこそはという思いで新しい年を迎えられた方々がいらっしゃいます。
皆さん明けましておめでとうございます。 選手たち≫おめでとうございます。
原口≫東京オリンピック・パラリンピックに出場するアフリカ・南スーダン共和国の陸上選手団の皆さんです。事前合宿のために1年あまり前に来日されたんですが去年、大会は延期。さらに新型コロナウイルスの影響で帰国が困難になったこともあってここで共同生活を送っています。こちらはふだんの練習の様子です。ホストタウンの前橋市では近くの運動場を無償で貸し出すなどして練習に集中できる環境を整えてきました。
多くの選手が日本に来てから自己ベストを更新しているそうです。選手たちは地元の人たちとも交流を重ねてきました。市内の幼稚園や小・中学校へは10回以上、訪問しました。そして、こちらは地域のお祭りに参加したときの写真です。
皆さん、今では前橋を第2のふるさとのように感じているそうです。 この一年間、皆さんは日本語の勉強もされました。書き初めをしていただきました。 「金」「メダル」そして「平和」。 母国、南スーダンでは長く紛争が続いてきました。
スポーツを通して平和をもたらしたい。そんな気持ちを込めたそうです。
男子1500mに出場するアブラハム選手です。ことしこそ晴れの舞台に立って家族に活躍する姿を見せたいそうですね。
アブラハム≫メダルを取って南スーダンと前橋の皆さんを喜ばせたいです。 原口≫ありがとうございます。
遠く離されたふるさとそして前橋のために選手たちは新たな一年のスタートを切ります。
高瀬≫ことし、大きな節目を迎える場所があります。復興への道を歩み続ける東日本大震災の被災地です。
真っ暗な海に沿って再建した町の明かりがともります。東日本大震災の発生から10年を迎える宮城県石巻市洞源院(どうげんいん)です。
(太鼓の音)
被災地を望む本堂では新年の祈祷が始まっています。あの日から5か月の間ここにはおよそ400人が避難し共同生活を送っていました。壁には今も当時の約束事が貼られています。
「元気よく挨拶をしましょう」。
(太鼓の音)
人々は支え合いながら復興への険しい道を歩んで��ました。亡くなった人々の魂を鎮めるお焚(た)き上げです。全国から送られてきた千羽鶴も節目のことし 火にくべることにしました。避難所、仮設住宅そして、暮らしの再建。
いつもそばにあった千羽鶴を感謝を込めて焚き上げます。被災地の将来を担う子どもたち。人々に見守られ元気に育っています。
東日本大震災からまもなく10年。未来への希望の鐘です。
(鐘の音)
石橋≫ごく普通の日常のありがたさそして人々のつながりの大切さ改めて感じますね。
高瀬≫私たちも皆さんとつながっています。変わってしまった日常。だからこそ
新しい年を、このことばとともにスタートさせようと思います。2021年が皆さんにとって…。
2人≫すばらしい年になりますように。
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各地句会報
花鳥誌 令和2年12月号
坊城俊樹選
栗林圭魚選 岡田順子選
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令和2年9月2日 立待花鳥俳句会 坊城俊樹選 特選句
朝風に愛子の萩の零れつぐ 世詩明 露の墓夫の名を読む未亡人 同 新聞の漫画切りとる夜の秋 清女 灯籠も飛び石も灼け苔の庭 同 古城跡花野を統べる碑ひとつ 輝一 良夜なり逢ひたき人は皆遠し すみ子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和2年9月3日 うづら三日の月句会 坊城俊樹選 特選句
闇夜にも音さはさはと落し水 喜代子 九頭竜の大河の上に月明り 英子 供へたや母の好物かき氷 由季子 文机の真向ひ仰ぐ月の窓 都 川底に物の気配や秋の水 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和2年9月5日 零の会 坊城俊樹選 特選句
路地に住み簾名残の駄菓子屋へ はるか 秋簾巻いて佃の女房かな 和子 秋暑し渡船跡には鉄の錠 炳子 古井戸のある軒先の青蜜柑 梓渕 朽ち舟の底の錆色水の秋 炳子 右耳に地虫鳴きけり廓跡 和子 月島の恋は昔や秋簾 いづみ 昼の虫三尺路地の行き止まり あおい 鯊釣りも佃の生まれ同士かな いづみ 佃煮を売りて咲かせて鶏頭花 順子 いつも濡れて佃の路地や草の花 和子
岡田順子選 特選句
秋簾巻いて佃の女房かな 和子 月参りして色草の道帰る 小鳥 秋旱洲浜あらはに匂ひけり 要 爽やかや老女商ふ佃煮屋 慶月 秋の昼ブリキの如雨露持つ子供 あおい 隠れめくもんじやは秋の灯をともす 俊樹 喪の家の鶏頭花の炎えてをり いづみ 四畳半ほどの舟とて秋潮へ 俊樹 いつも濡れて佃の路地や草の花 和子 聖路加の鐘の音響く野分前 あおい
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和2年9月8日 萩花鳥句会
仲秋や浮世絵寄贈され逝かる 祐子 窓開けて夕蟬を聴く湯殿かな 美恵子 歌枕ちあきなおみは夜長向き 健雄 秋風にふと振り返る道のあり 陽子 もろこしを食す姿に迷ひなし 吉之 夜夜の月思ひ出ばかり重なりて ゆかり 柏翠師句碑に山萩こぼれけり 克弘
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令和2年9月9日 さくら花鳥会 岡田順子選 特選句
空澄んで百日祝や萩の道 実加 梁眺め燕帰ると母の言ふ あけみ 夕陽の透き通りくる九月かな 紀子 エプロンの紐をほどけば秋高し 実加 コロッケを頰張る君と秋の街 登美子 トリミング猫に急かれつ障子貼る 令子 星月夜弘田三枝子の歌を聞き 光子 もう乗れぬ自転車に謝す月の下 令子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和2年9月11日 鳥取花鳥会 岡田順子選 特選句
銀板の傾き直す秋彼岸 宇太郎 弟や石狩に住み秋耕す 幸子 風舞つて丸見えとなる葛の花 史子 カンコ船役終へ洗ふ秋の浜 すみ子 連結の列車が行くか秋の雷 佐代子 白露かなただ黙々と庭を掃く 益恵 鶏頭花地軸にマグマねまりつつ 都 窓はたく蚊取とんぼの湯殿かな 宇太郎 赤とんぼ若き日の空父と居る 悦子 乾らぶ枝に秋蝶の息やはくあり 都
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和2年9月12日 札幌花鳥会 坊城俊樹選 特選句
林檎園名残りのりんごいびつなる 清 寝つかれぬままに何時しか虫の闇 和加 束の間を光りて露の消え去りし 寛子 コスモスや母校の横の文具店 晶子 秋の日の砂丘の砂のこぼれをり 豊作 慣れて来し介護のリズムほしづくよ 慧子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和2年9月12日 枡形句会 栗林圭魚選 特選句
丈高き草と小さき桔梗活け 白陶 水神を奉る小流れ蜻蛉過ぐ 亜栄子 鰐口の一打の余韻昼の虫 百合子 畳屋の白萩へりで括られて 教子 水門の濁り渦巻く秋出水 白陶 ひと気なき苑の桔梗は濡れてをり ゆう子 杭の上時は止まりて赤とんぼ 節子 桔梗の雨に姿勢を崩すなく 秋尚 年尾句碑撫して温みの昼の虫 文英 日の光零さず受けし桔梗かな 白陶
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和2年9月14日 武生花鳥俳句会 坊城俊樹選 特選句
鋭角の頭並べて秋刀魚焼く 信子 此の下駄で踊りし吾娘の七回忌 清女 法師蟬旧家にのこる撥釣瓶 昭 上嶋 子 文殊山奥の院より稲光 ただし 鱗にも羊にもなる秋の雲 信子 極くまれに腑抜けの花火ありにけり 上嶋昭子 針持てば針の耳ほど日短か 清女 父母と語り尽きせぬ秋彼岸 時江
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和2年9月16日 伊藤柏翠俳句記念館 坊城俊樹選 特選句
向日葵の花に呑まれてゐる心 雪 静けさにつゆけさに南無観世音 同 秋の蚊と云はれさうかと気付く耳 清女 毬栗や坊主頭の如くなり 富子 結界のなき碧空にとんぼ舞ふ 和子 生涯を飾らず生きる吾亦紅 みす枝
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和2年9月16日 福井花鳥句会 坊城俊樹選 特選句
口紅を汚さぬ色の葡萄かな 世詩明 葡萄刈り空に汚れのなかりけり 同 左内の像隠してをりぬさるすべり 令子 秋の蝶番で舞うてすぐ消えて 同 先生は天にゐますと柏翠忌 雪子 月窓寺あか��の扉深む秋 同 樹木希林展を見てきて鰻屋へ 清女 アイスキャンデー昭和の雫したたらせ 雪 やゝ褪せし藍の日傘も柏翠忌 同 越前に生まれて老いて柏翠忌 同 美しく空蟬となりおほせたる 同 替へる気もなき裏窓の古簾 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和2年9月16日 なかみち句会 栗林圭魚選 特選句
手水舎の所作美しきひと生姜市 美貴 秋繭や白く輝く空の月 史 空 秋草の花は色濃くこまごまと 怜 靡き癖そのまま活ける秋の草 秋尚 幾つもの声潜ませて秋の草 同 秋繭の淡き煌めきうすみどり 三無 秋草を供へる少し寂しかり ことこ しばらくは参る人なく生姜市 秋尚 吽像の角に継ぎ痕生姜市 美貴 ビルに日の傾ぎだらだら祭かな 秋尚
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和2年9月20日 風月句会 坊城俊樹選 特選句
菊月や昔薬舗の箱階段 亜栄子 約束のごとく咲かせて彼岸花 貴薫 白亜紀の化石を濡らす秋の雨 眞理子 なまはげの案山子のでんと田を睨む 芙佐子 防人の歌碑にはらりと一葉降る 同 古民家の箱階段に隠す秋 久 防人の妻なる人の句碑に秋 同 姥ゆゑに萩のトンネル華やぎて 慶月
栗林圭魚選 特選句
騎馬像の分倍河原に荻のこゑ 幸風 美しきとは群を離れて曼珠沙華 久 風の音高く欅の薄紅葉 秋尚 光る野やしづかに狂ふ秋の蝶 千種 庚申の猿の見てゐる彼岸花 慶月 案山子みな彼方を見つむ寂しさよ 炳子 曼珠沙華咲き揃ひたる色昏き 秋尚 秋蟬や森のしじまのうす濁り 千種 こぼれ萩巌に刻む万葉歌 炳子 淡々と十月桜に雨雫 亜栄子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和2年9月24日 鯖江花鳥俳句会 坊城俊樹選 特選句
突と咲き忽として消ゆ曼珠沙華 上嶋昭子 村里の沈むばかりに豊の秋 一涓 一村を一枚にして虫時雨 みす枝 碧天の色降りて来し露草に 中山昭子 束ね髪解きて夜毎に髪洗ふ 世詩明 鰯雲広ごる空へ観覧車 同 秋灯に喪の髪低く結ひにけり 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和2年9月24日 九州花鳥会 坊城俊樹選 特選句
青墨のたつぷり残暑見舞かな 孝子 鰯雲都会は尖るものばかり 寿美香 その奥に御仏ゐます秋簾 地人 艶聞は見ざる聞かざる秋簾 かおり 百獣の吼ゆる思ひや夜の野分 豊子 新涼や身籠りのまだ薄き腹 睦子 野分より戻りし夜半のショーロホフ 寿美香 石を放れば豊年の水の音 美穂 古りし碑の詩(うた)のぞきゐる秋日傘 睦子 十六夜や鏡の奥の扉の開き かおり 些かの心隔てて秋簾 さえこ 檸檬噛む狂(たぶ)れるほどに詩に溺れ 伸子 新盆の母に故郷の口説唄 由紀子 曼珠沙華ほろりとくづれ魔力消ゆ 光子 東に太白星や花木槿 さえこ
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和2年8月5日 立待花鳥俳句会 坊城俊樹選 特選句
木々の間を蟬は尿りて逃げにけり 世詩明 捨てるのをためらはれたる籠枕 同 ペタル踏む少年の背や夾竹桃 秋子 父の日やせめて遺影に酒供養 同 子等が耒るただそれだけの盆休 すみ子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
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茨城国体反対行動に参加しました!2019.9.28
2019年9月28日、東京から130キロ、電車で3時間弱、茨城県東海村を訪れた。 この日から開幕する国民体育大会「いきいき茨城ゆめ国体」に反対するデモに参加するためだ。 国民体育大会は毎年各都道府県の持ち回りで開催されている。競技は都道府県対抗で行われ、なぜか毎年開催地が優勝するという茶番。そして優勝した都道府県には「天皇杯」「皇后杯」が与えられる。人々の身体を、国の役に立つものとそうでないものに選別し、支配し、その頂点に天皇が君臨するというナショナリズム丸出しのイベントだ。
駅を降りるとさっそくPR看板やガイドボランティアがお出迎え。ブースでもらった豪華な案内パンフレットを見ると、保育園児から高校生まで、たくさんの子どもたちが開会式などに駆り出されているのがわかる。膨大な量の観光パンフ。開催地住民の地域振興への希望と、それをいいように利用しながら天皇の権威を高め、利権を享受しようという勢力。
街全体は閑散としているが、駅前の広場だけ国体に関連したイベントでにわかに賑わいを演出しているようだった。 2020応援ソング「パプリカ」の生歌をBGMに、地元の名産や競技体験のコーナーが軒を連ね、そこそこ人は集まっているようだが、街全体の寂しさは隠せない。駅前には国体の「文化プログラム」のポスターが貼られていたが、国体成功のために「文化」を担ぎ出すところも、五輪と全く同じだ。
デモ出発地点では「反天皇杯」と「反オリンピックトーチ」のそろい踏みに拍手が湧く。反オリンピックトーチが東京を離れ他の地域を訪れるのは今年3月12日の福島以来だ。 100均商品を使った手作りの「反天皇杯」は、各地の国体反対運動の現場を回っている。デモ出発前、2013年東京国体の反対運動を担ってきたグループから、茨城の仲間に手渡された。 国体・五輪の廃止を実現させ、「反天皇杯」にも「反オリンピックトーチ」にも長い旅を終えてもらいたいところだ。
デモ開始早々、頭上に轟音が鳴り響く。戦闘機ブルーインパルスが国体開会式に合わせて曲芸飛行を行ったのだ。やめろ!戦闘機を飛ばすな!
国体やめろ!天皇いらない!子どもたちを動員するな!無駄な施設を作るな!国体に100億も使うな!
街中では原発反対の大看板を見かけた。 東海村と言えば、1999年JCO臨界事故を忘れることは出来ない。作業員3人が大量被ばくし2人が亡くなり、地域住民も670人が被ばくした重大事故だ。JCOや社員6人が刑事裁判で有罪となった。奇しくも、9月30日でこの事故から20年を迎える。 そしてまた東海村には98年に廃炉となるも未だ廃炉作業中の東海原発と、東日本大震災以降休止している東海第二原発がある。 東海第二原発も、東日本大震災で津波の影響を受けた。あと70センチ津波が高かったら福島第一原発と同じ事態が起こっていたという。 この静かな村に、いかに危険な状態が押しつけられていることか。
デモが進む道は人も車も少なく本当に静かだった。しかし、住宅のベランダなどからデモを眺めカメラを向ける人々の姿がかなり多く、むしろ東京の繁華街より見られている印象を受けた。
それでも途中、人だかりができている場所が。なんだろう?と思ったら、開会式に参加する天皇夫妻を乗せた「お召し列車」や車列を一目見ようと集まった人々だった。中には日の丸の小旗��携えた人も。国民体育大会開会式出席のための「お召列車」運行は、アキヒト即位20周年の2009年、東日本大震災翌年の2012年、そして今回「代替わり」の2019年など「節目」の年に運行され、開催地の人々に、天皇の「ありがたみ」を否が応でも刷り込んでいく。 我々は天皇の茨城訪問を歓迎しないぞ!天皇制は差別の象徴だ!天皇制はヘイトスピーチの源だ!
茨城県警はやたら張り切っていた。オレンジのベルトでグイグイ押してくる。なぜかバックパッカーみたいな重装備のやつもいる。デモが終了しても直立不動で動かない。
デモ参加者は約30名。地元の茨城県だけでなく、関東各県はもとより、遠くは静岡県から様々な顔ぶれが参加した。国体もオリンピック同様、ナショナリズムや能力主義、優生思想をまき散らし、財政圧迫や人々の動員など、私たち暮らしを巻き込み犠牲にしながら行われる。交流会では参加者の多くからオリンピック反対の声が聞かれた。
オリンピック開催まで1年を切った。私たちはこれからも反オリンピックトーチを携え、日本各地の闘う人々とつながっていく。
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北上川カヌー単独行② 盛岡~花巻
1997年9月23日~26日 4日間 3日・4日目
■3日目
7時起床。寒い、快晴、息が白い。 昨日までの寂しい風景が一変して輝いている。 作業服を着た土建屋のオジチャンが出勤前に釣りをしている。寒いですね、と言うと、今朝は10℃切ったからなぁ、と言った。 ラーメンを食い、テントを撤収、カヌーに荷物を詰め込む。困ったことに昨日、雨が降ったのに一昨日より水量が減っていて、カヌーをエントリーする場所の斜度がきつく、滑って川に落ちそうになる。すったもんだの末、ようやく川に漕ぎだすと、一部始終を橋の上から見ていたオバチャンが笑いながら「頑張れや~~」と見送ってくれた。今日は4名から「気ぃ~付けて~」「ご苦労さんやの~」と声援を送られたが、みな、ジイサン、バアサンだった。北上の川沿いに住むうら若き女性たちよ、今度赤いカヌーを見かけたら黄色い声で声援をよろしく。ビールなんか差し入れてくれたら更に嬉しい。 川の流れは穏やかだった。僕はなるべく漕がずに周りの木や田んぼ、泥岩の崖を眺めながら下った。 上半身を後ろにそらせば秋晴れの空が目に沁みる。カルガモの群れが突然現れたカヌーに驚いて、フガフガ鳴きながら飛んでゆく。
↑泥岩の崖
川幅広くなり大河の様相を呈してくる。時速5キロぐらいだろうか、クルクルと回るカヌーの上で、僕はユラユラと流されてゆく。ひたすらいい気分だ。
後ろ向きに流されてゆくとゴツンと何かにぶつかったので焦った。水面ギリギリにある隠れ岩だ。パドルでバランス取り問題なし、再び流されてゆく。 東北新幹線の鉄橋の下をくぐり、右手に花巻空港に向け着陸態勢に入ったJASの機体を眺めながら行くと大正橋。 橋脚の向こうにしぶきを上げる瀬が見える。右を行けばたいしたことなさそうだが、久々の轟音に血が騒ぎ左を攻めた。しかし恐ろしいことにそこは50cmぐらいの落ち込みで、沈はしなかったが船底を思い切りこすってしまった。おまけに顔面に冷たいしぶきがドヒャッとかかった。
次の井戸向橋で上陸、船底は補強に貼ってあったガムテープが裂け、本体の布も少し擦り切れていた。セメダインとガムテープで応急措置をし、乾くまで昼メシ(菓子パン)とする。
再び出発。 川の両岸はジャングルのように鬱蒼としたり、突然、ヨーロッパの田園風景のようになったりと、様々な表情を見せてくれる。スメタナのモルダウなど口ずさみながらユックリ流されてゆく。 平和だ、そしてシアワセだ。思わず僕は天を仰いだ。
そんな風景の中をしばらく行くと、川面から飛び出た岩の上で何かが光った。何だろうと思ってカヌーを近づけると、それは60cmはあるスッポンだった。スッポンは岩の上で気分よく昼寝をしていたのだ。光って見えたのはその立派な甲羅だった。野生のスッポンを見るのは初めてなので僕は独りで静かに興奮した。当のスッポンは昼寝を邪魔され、うざったそうな顔で僕に一瞥してスルスルチャポンと水の中に消えていった。 僕は急に腹が減った。スッポンを見てスッポン鍋を思い出してしまったのである。こう書くと、何て卑しい、あさましいと思うPTAのようなつまらない方もいらっしゃるだろうが、僕の育ちはそんなモンだから仕方がない。
↑大河の雰囲気
次第に雲が多くなり川の上を行く風も冷たさを増してきた。 少し力を入れて漕ぐ。大きく右へカーブしたところへ差し掛かると、そこには地層が幾つも重なった泥岩が連続していて、不思議な眺めだった。これを過ぎると花巻大橋、更にその向こうにはJR釜石線の鉄橋も見える。あの2つを越えれば今日の目的地、花巻ももう少しだ。怪しくなってきた空を眺めながら僕は漕ぎ続けた。
花巻大橋を越え、釜石線の鉄橋が近づいてくるとゴーゴーと激しい瀬の音が聞こえてきた。カヌーの両脇に腕を立てて自分の体を持ち上げ、少しでも先が見えるようにする。 ”う~~、すごい瀬だ。2級と3級の中間ぐらいだなぁ、やだなぁ~。そう言えば何年か前、あそこで地元の漁師が死んだって本に書いてあったなぁ”と狼狽しつつも素早くコースを選ばなくてはいけない。 ゴ~~~という音が段々と大きくなり僕をビビらせる。エライコッチャ、エライコッチャと焦りながらカヌーを瀬に対し真正面に向け、下っ腹に力を入れ〝行くぜ”と呟き選んだコースに突っ込む。 その刹那、滅多に通りそうにない2両編成の釜石線が頭上を走って行く。チラッと見上げると小学生らしき男の子が、僕を見てアッというような顔をした。僕も目が合い、アッというような顔をしたが、目の前には荒れ狂うような瀬がオイデオイデしている。 次の瞬間、体が大きく跳ね上がったかと思うとすぐに叩きつけられ、顔面に冷たい水がぶち当たる。「ウヒョ~~~~~!!!」僕は我武者羅にパドルを漕いでバランスを取った。気が付くと無事に瀬を脱出していた。 それは一瞬だったが、日頃緊張感のない生活をしている僕にとってなかなかのスリルだった。 空はいつしか曇天となり、僕は宮沢賢治が名付けた花巻のイギリス海岸の端っこへ上陸した。盛岡から約45キロだ。 イギリス海岸とは渇水した時のここの河原の風景が、イギリスのそれと似た泥岩の奇観を呈していることに由来するそうだ。ただ、この日は水かさはあったため、その姿を見ることはできなかった。
コスモスの咲く芝の上にテントを張っていると、観光客らしきカップルが写真を撮りながら冷たい視線を僕に投げかける。キキーッとタクシーが停まり、出てきた運ちゃんが、熟年フルムーン夫婦にガイドしながらこちらをチラチラと見ている。イギリス海岸はもっと向こうのはずなのに、何でみんなここへ来るんだろうと不思議に思っていると、近くの看板に「ここがイギリス海岸」と書いてあった。 端っこだと思っていたのはこちらの勘違いで、僕は宮沢賢治ゆかりのイギリス海岸のど真ん中にテントを張っていたのだ。 しかし、その芝と言い、コスモスと言い、眼下を流れる北上川と言い、そのロケーションは野宿者憧れの、と言った感じなので僕は死んだふりをしてテントを張った。見方を変えれば観光客ご一行も、「おお、さすがイギリス海岸、カヌーにテント、実にブリティッシュ、絵になりますなぁ」等と言いながら、パシャパシャ写真を撮れば良いのである。 まぁ、でも、そこに佇むのは、ど~見ても薄汚い三十路ジャパニーズの僕なので、実にブリティッシュ、とはいかないか。。。 街に出る。 見知らぬ街をウロウロするのは好きだ。何となくその土地の雰囲気が路地裏から伝わってくる。30分も歩けば、そこが自分の肌に合うところかどうか何となく分かってしまう。不思議なものでアチコチ旅してきたせいか、そんな風になってしまった。 そして花巻は良いところだった。何となく懐かしい気持ちにさせてくれるからだ。 公衆電話で明日の天気予報を聞く。70%雨。土地の人に尋ねても雨。 僕はあっさりこのカヌー旅の打ち止めを宣言した(誰も聞いてないが)。 もうすっかり「雨ニモ負ケテ、風ニモ負ケテ・・・ソンナ人ニワタシハナッテル」という気分だ。 ついでに明日は温泉!ということも、これまた別に誰も聞いていないけど宣言してしまった。花巻には幾つもの秘湯があるのだ。やっぱり旅の終わりは温泉に限る。 こうなったら後は酔っぱらうだけである。北上の流れを見ながら、戻りガツオのタタキとツブ貝の刺身を肴に、一番搾りをグビグビ飲む。ウマイ!シアワセ。 川の近くで生まれ育ったせいか、川を見ていると落ち着く、ビールがあると更に落ち着く、カネが無くても腹が減ってても落ち着く。 日が暮れてテントに入り、ヘッドランプの光を頼りに本を読み、ウイスキーを舐める。シアワセ。 いつの間にか眠ってしまったが、途中、雨音で目が覚める。ポタポタというテントに当たる雨音が気持ちいい。そして雨音は僕を再び眠らせた。
■4日目
雨の中、テントとカヌーを撤収。昨日頼んでおいた宅急便のトラックが取りに来てくれる。 電話で「イギリス海岸にいる服部です」と言うと、応対してくれた女の子が真面目に「では、明日午前中にイギリス海岸に伺います」と言ったのが可笑しかった。それに宅急便の運ちゃんも何故か、「どうぞ」と言って三色パンをくれたのも可笑しかった。 温泉は数ある秘湯の中から、案内所のオバサンが勧めてくれた大沢温泉にした。花巻駅からバスで1時間、山合いの渓流、豊沢川に面した一軒宿の露天風呂だ。 建物は宿のオヤジも知らないと言うほど古く、休憩室には、ここへ遊びに来た少年時代の宮沢賢治の写真もあった。湯治客が多いため障子で仕切られた和室がたくさんあり、その間の細い廊下を縫うように行くと渓流を臨む混浴の露天風呂。ここでも圧倒的にジイサン、バアサンだが、雨中の風呂は最高である。 この宿は素泊まり2,000円、夕食1,500円から、布団300円、毛布100円、ストーブ700円、枕10円など、細かく料金表に書いてあった。 花巻駅に戻り、〆として立ち食いそば屋で450円のじゃじゃ麺を食う。みそダレが美味い。 高校生の集団と一緒に鈍行列車に乗り東京を目指す。 またいつか、続きを下りたい。 終
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ダークグレーなコの字キッチンの家 あと一息で完成になります キッチンはグラフテクトのベトングレー 床材はオーク材を採用 色選びの参考までに◯ 他にも事例を紹介しているので @kazuya_ikezoi からとんで見てください #コの字型キッチン #グラフテクト #ベトングレー #ノッティブラウン #外観デザイン #外観 #黒い家 #黒ガルバ #板貼り #レッドシダー #米杉 #軒天板貼り #ハウスメーカー #マイホーム #住宅 #新築 #注文住宅 #家づくりのアイデア #間取り #設計士とつくる家 #コラボハウス https://www.instagram.com/p/CozXYgWvVpg/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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