#軌道敷緑化
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tomoyamashita · 1 year ago
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水成川Ⅱ(水成川駅)
指宿枕崎線の水成川駅に2020年と2022年に訪ねた記録になります。
指宿枕崎線の末端区間、西頴娃駅の枕崎駅を除くと最後に紹介する駅となります。 BEFORE(2020年夏) まずは2020年夏に撮った駅の全景から。 2020年の水成川駅。 線路の表面を見ると錆びていないので列車が通過していることがわかりますが、 軌道敷や駅のホームを見て見ると、びっしりと緑に覆われていました。 軌道敷緑化といったところでしょうか(笑) AFTER(2022年秋) 2022年秋の水成川駅。 なんということでしょう。 すっかり綺麗になっていました。 軌道の枕木はコンクリート製に変えられ、草も無くなりたのをはじめとして、 駅のホームもアスファルトや点字ブロックも綺麗になっていました。 改めて、水成川駅の構造を見ていきましょう。 駅の全景は先ほど述べた通りなのですが、当駅の構造について少々。 先ほどの写真を再掲。 指宿枕崎線末端区間の各駅にある通り…
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crystallizedheaven · 2 years ago
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現代日本クトゥルフもの更新しました。
探索者たちとテケリ・リことショゴスとの戦闘。
あの暗黒遺物は、ショゴスを呼ぶ効果があったのか!?
探索者たちそれぞれの戦闘方法をお楽しみください。
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cosmicc-blues · 3 years ago
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2021/7/24
朝、目覚ましより先に目を覚ます。相変わらず遠足が楽しみで早起きしてしまう子どもです。すると雨が降りはじめ、なぬ! と思っていると、すぐに雨は止んで、むしろ陽射しが窓から注いでくる。浮きうきで支度をしていると、Nから連絡が来ている。Tが美容室に行くから午後からにしてほしいと。それならカリー食べられるじゃん、となり、予定通りに家を出る。今日も積雲の多い晴れ。上昇する夏のイマージュ。熱気球や光のきらめきを感化しながら、ふたりに会えるのが楽しみで仕方ない。
オープンと同時にOさんのお店に入る。今日は早いですねって驚かれる。この時間はいつもお客さんが少ないらしく、ほんとうにひとりもお客さんがやってこない。久しぶりに音楽談義に華を咲かせる。一昨日ひさしぶりに聴いたAC/DCが凄いかっこよかったってはなしから、Oさんは意外にもAC/DCの大ファンだと知れる。こう言っちゃあれですけど、AC/DCってバカのひとつ憶えっていうか、そんな感じだからバカにされがちだと思うんですけど、あの潔いギターがかっこいいですよねって。すると、Oさんも同じ意見で、そうなんですよ、アンガス・ヤングって腹くくってギター弾いてるんですよね、そういう姿勢に惹かれるんですよ、どの曲も同じような感じなんですけど、ある意味でミニマルミュージックなんですって、かなり良いことを言う。ものすごく共感する。アンガス・ヤングのように腹をくくっているギタリストをもうひとり思い付き、キース・リチャーズもそんな感じですよねって。すると、Oさんも同じ意見で、そうなんですよ、僕のなかではアンガスとキースは同類ですね、キースのギターもミニマルミュージック、ひとつのことをどこまでも突き詰めた職人芸ですよねって。お客さん、ほんとうに一人もやってこず、音楽談義が白熱する。
湘南新宿ラインで待ち合わせ。毎度のこと待ち合わせがめちゃくちゃ下手くそなわれわれ。時間を過ぎても誰とも会うことができず、平行世界(パラレルワールド)のことを考える、じぶんだけがいま待ち合わせの存在していない世界線にいるのではないか、と。偶然会うことは得意なのになぁ。そしたらNから連絡が来ていて、Nの居るらしいプラットホームの場所に向かう。Tにも連絡をする。遠足スタイルのNにようやく会うことができる。TからはOKサインがきている。ところが待てども待てどもTの姿が見えない。乗るつもりだった電車が行ってしまったそのあとすぐにTがひらひらとやってくる。バッド・タイミングすぎて、ある意味でグッド・タイミング。そんなのも関係なくTが久しぶりのNをわぁーーっと抱きすくめる。こんな光景を見られただけで大いに大満足で、わざわざこれから海に行かなくてもいいくらいに今日という一日を達成してしまう。これは勝手な偏見かもしれないけれど、ふたりはいい意味に左右対称というか左右非対称で、たぶん、おたがいに自覚していない長所をそれぞれに強く持ち合っている(コントラの感想もきれいさっぱり真逆だったし)。だから、ふたりが一緒にいると最強(最狂?)という感じがするし、ふたりはほんとうにいい友であると思う。
湘南新宿ラインのボックス席、昨日セブンでNに教えてもらったアンダー・ザ・シーをTも知っているかどうか5月8日のピアノの録音をTにも聴いてもらう。録音の日付を見ながら2カ月以上も気になり続けていたんだなぁと思う。電車で音が聴こえ辛いこともあってか、Tはまったくわからない模様。Nにも聴いてもらうと、すぐに昨日のあれねっとなる。Nとふたりでメロディを口ずさんでTに聴かせる。そんなこんなでディズニーやジブリのはなしになる。すでに何回も観ている映画にコメントを付けたり、ツッコミを入れながら観るやつやりたいなぁと思う。窓の外は積乱雲がものすごい。移動の時間が大好きだなぁとあらためて思う。どこかに行くっていう目的も目的でいいけれど、それに伴う移動の時間は目的に付随する二義的なものではなくて、むしろ、移動の時間のなかにこそ目的の限定的な立場からはみ出してそれを包摂するような自由な豊かさがあるような気がする。究極的には行って帰ってくるだけで充分なのかもしれない。
京急線に乗り換える。新幹線スタイルの座席、しかも、先頭車両の一番前の座席がロマンスカーのような展望座席になっている。生憎、展望座席は埋まっていて、後方の席に三人横並びで座る。トンネルの多い路線、トンネルの影のアーチが見えてきて、列車がトンネルの外に走り出て車内がそぞろ明るくなるたびに『恋恋風塵』の冒頭のショットを思い出す。Nは席を離れて、展望座席の後ろから展望窓の風景を覗いている。Tが今日のNちゃんの後ろ姿って小学生の遠足みたいだよね~って。前々からNが何かに似ていると思い続けてきて、ついにこの謎が解けた、トトロだってことを打ち明ける。展望座席が空いたから、そっちに移動する。窓の外は積乱雲がものすごい。線路の周りは緑にあふれ、山間の町並みは茶畑のように段々に家々が連なっている。遠くのほうに海が見えてきそうで、なかなか見えない。停車駅のひとつで、Tがその町並みを眺めながら、すごーい外国に来たみたいって。それは言い過ぎかってすぐに撤回する。大笑いしながら、まあ、イオンあるからねって。ついに車窓から海の濃いブルーが見えて三人とも大はしゃぎ。
三崎口駅に到着。電車から降りると、線路の途切れる終着地がある。バスで水族館に行く。終着点の水族館の名前のバス停で下車すると、空き地みたいなところにマリモをでかくしたみたいな変な植物たちが疎らに群れをなしている。なにこれかわいいと三人とも大興奮。植物が生えているというより、植物のような動物がジッと立ち止まって群れをなしているというほうがピンとくる。もののけ姫のこだまみたいな感じでジッとこちらの様子を窺っている。基本的には疎らに群れをなしていながら、三体がぴったりくっついて仲良し三人組みたいになっているのもいる。マリモのなかからエノコログサが飛び出ている。Tが夜になったらきっとここには誰もいないよ、みんな森に帰っちゃうんだ、みたいのことを言う。大笑いしながら、ほんとうにそんなふうに思われる。水族館のバス停のはずなのに、水族館はまだ先にあって、しかも、けっこうな距離がある。なんで水族館の前まで行ってくれない��って何度もブーたれる。入園してすぐ、でっかいアシカが眠っている。アシカってこんなにでかいんだってびっくりする。Nはアシカにも似ているような気がする。なんだろう、ヒゲの雰囲気がそう感じさせるのかな。まずは、当水族館の押しであるらしいカワウソの森に行く。想像とだいぶ違っていて、カワウソも一匹しか見られず、ちょっとショックを受ける。自然公園みたいなところに野生のヘビに注意の看板が出ていて、さっそくハンターことTの心が燃え上がっている。ヘビ捕まえていいの?! って言うから、野生のヘビならいいんじゃないって。水族館の屋内に入る。入口のところにサメの口の骨のとげとげしい模型があって、すぐ近くまできて、その大きさにびっくりして思わず仰け反るような姿勢になると、Nになんで~って突っ込まれる、ずっと見えてたのにって。いや、近くまできたら思ったよりでかいのにびっくりしてって弁明する。館内に入るなり、いきなりでっかいチョウザメがいて目が点になる。数体の古代魚が水槽のなかでゆらゆらと身を踊らせている。それから個々の小さな水槽を順番に見てまわる。大勢の魚がスクランブル交差点のように錯綜と泳ぎまわっている水槽で、TかNのどっちだったかが全ての魚たちが誰ひとりとしてぶつかることなく泳ぎまわっていることに感心している。チンアナゴがエイリアンみたいな動きでおもしろい。二階に上る。二階は円形の壁沿いにぐるっと大きな水槽が張り巡らされていて、魚たちが回遊できるようになっている。水槽の上からは太陽の光が注いでいて、フロアのあっちこちに光や虹のきらめきが踊っている。サメが特に目を引く。凶悪そうなギザギザの口に、何よりも眼球がひっくり返ったような冷徹な目。鼻に瘤のようなものを付けているサメがいて、あれは何だろうとしばらく後を追ってみるも、よくわからない。ノコギリザメがいて、ふたりにも声をかける。ノコギリザメはけっこうかわいい感じ。見にいくとノコギリザメは泳ぐのやめて、ジッとこちらの様子を眺めている。その瞳の動きで三人を順番に見渡しているのがわかる。ノコギリザメから離れると、ノコギリザメのほうも泳ぐのを再開させる。一階に戻ると、シマ吉くんの催しが行なわれている。魚も芸を覚えることにびっくり仰天。シマ吉くんかわいい。館内を出て、キムタクみたいなペンギンを見に行く。からだを唐突にブルブルッと震わせたり、羽を暢気にひよひよさせたり、ペンギンの動きには変なメリハリがあって見応えがある。そしたら、一羽だけ気ちがいのようにからだを意味不明にくねらせながら泳いでいるペンギンがいる。意味不明に水飛沫を立てるその一羽に三人とも釘付けになる。Nが私もこんなふうに動いてみたいけど人間だからなぁ、みたいなことを残念そうに口にする。でも、Nはたまにいきなり唐突に、衝動的に常軌を逸したような動きを見せるよなぁと思う。件のことで警察署に行くまえ、小川のところで連絡待ちしているときに、いきなりNがわあああっと手に持っていた葉っぱを小川に投げつけたのはほんとうに美しかった。いったん駅に戻って、三戸浜を目指すことにする。なんでバスは水族館の前まで来てくれないんだって相変わらずブーたれながら歩いていると、車がきて道を開ける。車が過ぎて、遠いバス停に向けて再発進しようとすると、Nがいきなり手に持っていたエノコログサをわああっと振り乱しながら急接近してきて、うわわわっと腰を抜かしそうになる。なんで、なんで、いきなりそんなことするの?! Nは悪い笑みを浮かべ、だってKさん、とここでいったん絶妙な間を置き、素直にそのことを言うべきか言わないべきか迷っているような、あえて間を置くことでそのことを強調するような感じで、ビビりなんだも~ん! って。この野郎、ひとをバカにしやがって、いつかぜったい仕返ししてやるからなって心に強く思いつつ、ほんとうに最高だなって思う。ビビりなんだも~ん! いままでNからもらった言葉でいちばん嬉しいかもしれない。
バスで駅に戻り、三戸浜を目指す。収穫が済んで畑にきれいに整列しつつも朽ち果てている植物たちの残骸をTが戦時中の死体のようだと形容する。あるいは向日葵の蛍光色の質感、夜になったら光り出しそう。子猫の亡骸。急に夏の終わりが顕在化する。いまが夏でよかったと思う、すぐに骨に還ってしまうから。Nが持ち歩いていたエノコログサを子猫に捧げる。持ち歩いていて、よかったなぁと心の底から思う。ねこじゃらしはそこらへんにも普通に生えていて、すぐにでも摘んでこられるけども、これは人間側のエゴかもしれないけれど、大事に持っていたそれを捧げるというのはせめてもの救いになる。意気消沈しながらも海への歩みは止まらない。海への入口の畦道を通り抜けると、大きな海が広がっている。夕陽を受けた波のまにまが橙色の光のすじを浮かべている。三人とも大はしゃぎで海のほうに駆けてゆく。サンダルのNが早速パンツの裾をたくし上げて海のなかに入っていく。勢いのある波を受けたNがこっちへ振り返って驚きと喜びの入り混じったようなとってもいい笑顔をみせる。さらにずいずい海のほうに身を入れてゆく。Nのからだが踊っている。このあいだと同じくらいの時間なのに波の寄せ方がぜんぜん違っている、浜のかなり深いところまで波が来ていて、くつで歩ける場所がほとんどない。そればかりではなく、このあいだは空の高いところにずっと見えていた月がどこにも見当たらない、昨日の感じからして今日はおそらく満月だろうと思われるけれど。じぶんもスニーカーと靴下を脱いで波打ち際を歩く。波はけっこうな勢いで、裸足だからと油断していると下半身がびしょ濡れになってしまう。びしょ濡れになって色々諦めたらしいTがサンダルを脱いで裸足になる。Nも裸足のほうが気持ち良さそうとサンダルを脱ぐ。まずは廃墟を目指す。でっかい丸太が波打ち際に落ちている。海のほうに蹴ってみるものの、��すぎてぜんぜん動いてくれない。それだというのに、ひとたび波が丸太に届くと、波はいとも簡単に丸太をさらって、さらに次の波が丸太を波打ち際に叩きつける。あっぶな! と三人で丸太をよける。Tが海の殺意を感じるよーとはしゃいでいる。波打ち際をずいずい歩いていると、後ろのふたりから何これすごーい! 魔法使いみたいって歓喜の声があがる。何かと思えば、じぶんの足が濡れた砂浜に触れるたびに、フワッと空気の膨らみのようなのがあたりに拡がっている。まさに魔法使いが歩いているかのよう、もののけ姫のシシ神様の歩き方みたいってはなしにもなる。波の勢いにかなり苦戦しながらも廃墟が近づいてくる。廃墟の辺りを境に砂浜が岩場に変わっていて、岩にぶつかった波が壮絶な潮砕けとなって舞い上がっている、絶句して、ゴクンと唾を飲み込む。廃墟に到達。Tからもらったウエットティッシュで足の砂を落として靴下とスニーカーを履き直す。いざ、廃墟に潜入! 底の抜けた階段の脇をロッククライミングのように慎重によじ登る。続いてTも。続くNが半ばの空中で動けなくなってしまい、あわわ、あわわ、この次どこに足をもっていったらいいのー?! って。どうにかこうにか登りきる。廃墟にもかかわらず落書きなんかがいっさいない、純然たる野生の廃墟。下から見る限り、底が抜けそうな感じがしたけれど、踏んでみるかぎり最初のフロアは問題なさそう。ところが、その先に伸びている廊下は底抜けしそうというより、すでに床の木肌がひび割れて底が見えている。あっぶな! と咄嗟に引き下がって、そばに来ていたTにも注意を促す。ここで行きにも少し話題になった(そんなことはすっかり忘れていた)Nの「ばけたん」なるお化け探知機がついに初お目見えになる。「ばけたん」が赤く光れば悪霊がいる、青く光れば天使がいる、緑に光れば平常でとくに何もない。どう考えても赤く光りそうなシチュエーションでありながら、どういうわけか青く光る。底抜けの大丈夫そうな場所をひと通り探索して外にもどる。出るときもNは半ばの空中で動けなくなってしまい、あわわ、あわわ、どうにかこうにか地面に帰ってくることができる。続いて洞窟。入り口の岩場にはでっかいフナムシが無数に蠢いている。ふたりから虫がだめなのに、なんでフナムシは平気なのって不思議がられる。セミが夏の天使なように、フナムシは海の天使だからって思っていることを素直に応えながら、でも、だとしても何で平気なんだろうって不思議に思う。ひとりでは怖すぎて一歩しか中に入れなかった洞窟も三人いれば心強い。スマホのライトで先を照らしながら、ちょっとずつ、ちょっとずつ、中のほうに入ってゆく。洞窟の側面にも天井にも隙間なく無数のフナムシが蠢いている。Nがここでも「ばけたん」を発動させてみる、結果は緑の光。洞窟は大広間の先に細い小路が続いている。その入口まで行って引き返そうとすると、Tがこの先まで行って��ようよって。もう無理、もう無理、これ以上は無理って断ると、さすが度胸のあるTはひとりで小路に入ってゆく。小路の突き当たりまで行ってもどってくる。小路の突き当たりはさらに左右に枝分かれしているらしい。
夕陽は海上の雲にのまれ、空は暗くなりつつある。岩場をさらに進んでゆくと、一人キャンパーが三組だったか四組、おたがいに微妙に距離を取りながら座っている。焚火のいい匂いがする。岩場にはフナムシなかにカニもたくさんいる。そんな岩場の一角にどんなカニとも比べものにならないでっかいカニをTが発見、すぐさまハンターの心が燃え上がり、捕獲に向かう。カニの捕まえ方なんて知らないよ~(だったらヘビの捕まえ方は知っていたのか……)と弱音を吐きながらも果敢にカニに立ち向かってゆく。数分の格闘のすえ、見事にカニを捕獲、持っていたビニール袋に入れる。Nはその場に腰掛け、じぶんは岩場の先端のほうまで行き、Tはその中間くらいから三者三様に暮れてゆく空と海を眺める。岩にぶつかる波の潮砕けがもの凄い。しばらく経って、Nのいる地点まで戻ろうとすると、Nが大きく手を振る、大きく手を振り返す。ふたたび三人が集まると、Nが家が恋しくなっちゃうって泣きそうな声で言う。たしかにそうなのだ。こんな最果ての辺境で、しかも、もうすぐ夜が来ようとしている。どうして、じぶんはいつもこんなところにわざわざひとりで赴いているのかってことをこのとき初めて考える。それからNがいい写真撮れたよって、ふたりがそれぞれに海を眺めている写真を見せてくれる。そろそろ帰ろうか、来た道を引き返すことにする。廃墟の辺りで海を離れて、上の道路を歩くことにする。Nだけ足の砂を落としていなくてどこかで洗いたい、いちどは海に下りていこうとするけれど、あいだには砂浜があるから海で洗ってもまた砂だらけになってしまう。きっと、そこらへんに水道があるでしょってことになり、そのまま上の道路を歩いてゆく。しばらくすると、マリンスポーツの拠点みたいな施設がある。水道はありそうでなくて、人間はじぶんたちを除いて人っ子ひとりいない。そんな施設のさなかに芝生のお庭がある。芝生のお庭になら水道あるでしょって探すけど、水道はどこにもない代わりに芝生の隣に敷居に囲われたプールがある。その敷居は簡単に跨いでいける感じで、だあれもいないし、あのプールで洗っちゃえば。Tが敷居を跨ぐまでもなく普通に入口を発見して、勝手に入口の鍵みたいのを開けて中に入っている。足を洗ったNがプールの水すごいきれいだったって戻ってくる。ふふ。とうに日は暮れて、暗い夜の山道を駅に向かって引き返す。Nが暗いよぉ、怖いよぉと頻りに泣きそうな声で連呼する。そんなつもりじゃなかったけども、仕返しを無事に達成。Nのスマホのライトでできるでっかい影。とりわけ樹々の左右から覆い被さる真っ暗な坂道、ここで「ばけたん」をやってみようになるけれど、Nのかばんから「ばけたん」が消失してしまう。どこかに���としてきちゃったかなぁ。自動車のヘッドライトからほとばしる影に驚いたりしながら、街灯のある明るいところに移動して「ばけたん」の捜索。かばんを隈なくひっくり返しても見つからず、「ばけたん」の性能には半信半疑ながら三千えんのお買い物がたったの二日で消失してしまうのにはさすがに気の毒な感じがして、色んな可能性を示唆していると、かばんのポケットのひとつから「ばけたん」が発見される。よかったぁ。その場で「ばけたん」を発動させると緑色に光る。山道を経て、畑道のところまで来ると、びっくりするぐらい赤い光線を発する怪しい満月が空のかなり低いところにのぼっている。Tがどこかのタイミングで(たぶん廃墟だったかな)口走った『夕闇通り探検隊』の一言が胸に突き刺さる。月のなかを鉄塔の陰翳が横切る。
帰りの電車でも頻りに「ばけたん」のはなしになる。乗換駅でも発動させてみる。緑色。廃墟でいちどだけ出た青以外はぜんぶが平常の緑色を示す。Nから、こんな胡散臭い商品なのに何故か高評価のアマゾンのレビューを見せてもらう。それでもまだ胡散臭さは拭えなくて、いっぽうで廃墟のときだけ色が変わったことがどうも引っかかっている。帰り際になってNがぽろっと口にした「乱数の偏り」という言葉にアンテナがビビッと反応して、これはきっと何があるぞと思う。帰ったらじっくり調べてみようと心に決める。
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toubi-zekkai · 4 years ago
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厚着紳士
 夜明けと共に吹き始めた強い風が乱暴に街の中を掻き回していた。猛烈な嵐到来の予感に包まれた私の心は落ち着く場所を失い、未だ薄暗い部屋の中を一人右往左往していた。  昼どきになると空の面は不気味な黒雲に覆われ、強面の風が不気味な金切り声を上げながら羊雲の群れを四方八方に追い散らしていた。今にも荒れた空が真っ二つに裂けて豪雨が降り注ぎ蒼白い雷の閃光とともに耳をつんざく雷鳴が辺りに轟きそうな気配だったが、一向に空は割れずに雨も雷も落ちて来はしなかった。半ば待ち草臥れて半ば裏切られたような心持ちとなって家を飛び出した私はあり合わせの目的地を決めると道端を歩き始めた。
 家の中に居た時分、壁の隙間から止め処なく吹き込んで来る冷たい風にやや肌寒さを身に感じていた私は念には念を押して冬の格好をして居た。私は不意に遭遇する寒さと雷鳴と人間というものが大嫌いな人間だった。しかし家の玄関を出てしばらく歩いてみると暑さを感じた。季節は四月の半ばだから当然である。だが暑さよりもなおのこと強く肌身に染みているのは季節外れの格好をして外を歩いている事への羞恥心だった。家に戻って着替えて来ようかとも考えたが、引き返すには惜しいくらいに遠くまで歩いて来てしまったし、つまらない羞恥心に左右される事も馬鹿馬鹿しく思えた。しかしやはり恥ずかしさはしつこく消えなかった。ダウンジャケットの前ボタンを外して身体の表面を涼風に晒す事も考えたが、そんな事をするのは自らの過ちを強調する様なものでなおのこと恥ずかしさが増すばかりだと考え直した。  みるみると赤い悪魔の虜にされていった私の視線は自然と自分の同族を探し始めていた。この羞恥心を少しでも和らげようと躍起になっていたのだった。併せて薄着の蛮族達に心中で盛大な罵詈雑言を浴びせ掛けることも忘れなかった。風に短いスカートの裾を靡かせている女を見れば「けしからん破廉恥だ」と心中で眉をしかめ、ポロシャツの胸襟を開いてがに股で歩いている男を見れば「軟派な山羊男め」と心中で毒づき、ランニングシャツと短パンで道をひた向きに走る男を見れば「全く君は野蛮人なのか」と心中で断罪した。蛮族達は吐いて捨てる程居るようであり、片時も絶える事無く非情の裁きを司る私の目の前に現れた。しかし一方肝心の同志眷属とは中々出逢う事が叶わなかった。私は軽薄な薄着蛮族達と擦れ違うばかりの状況に段々と言い知れぬ寂寥の感を覚え始めた。今日の空が浮かべている雲の表情と同じように目まぐるしく移り変わって行く街色の片隅にぽつ念と取り残されている季節外れの男の顔に吹き付けられる風は全く容赦がなかった。  すると暫くして遠く前方に黒っぽい影が現れた。最初はそれが何であるか判然としなかったが、姿が近付いて来るにつれて紺のロングコートを着た中年の紳士だという事が判明した。厚着紳士の顔にはその服装とは対照的に冷ややかで侮蔑的な瞳と余情を許さない厳粛な皺が幾重も刻まれていて、風に靡く薄く毛の細い頭髪がなおのこと厳しく薄ら寒い印象に氷の華を添えていた。瞬く間に私の身内を冷ややかな緊張が走り抜けていった。強張った背筋は一直線に伸びていた。私の立場は裁く側から裁かれる側へと速やかに移行していた。しかし同時にそんな私の顔にも彼と同じ冷たい眼差しと威厳ある皺がおそらくは刻まれて居たのに違いない。私の面持ちと服装に疾風の如く視線を走らせた厚着紳士の瞳に刹那ではあるが同類を見つけた時に浮かぶあの親愛の情が浮かんでいた。  かくして二人の孤独な紳士はようやく相まみえたのだった。しかし紳士たる者その感情を面に出すことをしてはいけない。笑顔を見せたり握手をする等は全くの論外だった。寂しく風音が響くだけの沈黙の内に二人は互いのぶれない矜持を盛大に讃え合い、今後ともその厚着ダンディズムが街中に蔓延る悪しき蛮習に負けずに成就する事を祈りつつ、何事も無かったかの様に颯然と擦れ違うと、そのまま振り返りもせずに各々の目指すべき場所へと歩いて行った。  名乗りもせずに風と共に去って行った厚着紳士を私は密かな心中でプルースト君と呼ぶ事にした。プルースト君と出逢い、列風に掻き消されそうだった私の矜持は不思議なくらい息を吹き返した。羞恥心の赤い炎は青く清浄な冷や水によって打ち消されたのだった。先程まで脱ぎたくて仕方のなかった恥ずかしいダウンジャケットは紳士の礼服の風格を帯び、私は風荒れる街の道を威風堂々と闊歩し始めた。  しかし道を一歩一歩進む毎に紳士の誇りやプルースト君の面影は嘘のように薄らいでいった。再び羞恥心が生い茂る雑草の如く私の清らかな魂の庭園を脅かし始めるのに大して時間は必要無かった。気が付かないうちに恥ずかしい事だが私はこの不自然な恰好が何とか自然に見える方法を思案し始めていた。  例えば私が熱帯や南国から日本に遣って来て間もない異国人だという設定はどうだろうか?温かい国から訪れた彼らにとっては日本の春の気候ですら寒く感じるはずだろう。当然彼らは冬の格好をして外を出歩き、彼らを見る人々も「ああ彼らは暑い国の人々だからまだ寒く感じるのだな」と自然に思うに違いない。しかし私の風貌はどう見ても平たい顔の日本人であり、彼らの顔に深々と刻まれて居る野蛮な太陽の燃える面影は何処にも見出す事が出来無かった。それよりも風邪を引いて高熱を出して震えている病人を装った方が良いだろう。悪寒に襲われながらも近くはない病院へと歩いて行かねばならぬ、重苦を肩に背負った病の人を演じれば、見る人は冬の格好を嘲笑うどころか同情と憐憫の眼差しで私を見つめる事に違いない。こんな事ならばマスクを持ってくれば良かったが、マスク一つを取りに帰るには果てしなく遠い場所まで歩いて来てしまった。マスクに意識が囚われると、マスクをしている街の人間の多さに気付かされた。しかし彼らは半袖のシャツにマスクをしていたりスカートを履きながらマスクをしている。一体彼らは何の為にマスクをしているのか理解に苦しんだ。  暫くすると、私は重篤な病の暗い影が差した紳士見習いの面持ちをして難渋そうに道を歩いていた。それは紳士である事と羞恥心を軽減する事の折衷策、悪く言うならば私は自分を誤魔化し始めたのだった。しかしその効果は大きいらしく、擦れ違う人々は皆同情と憐憫の眼差しで私の顔を伺っているのが何となく察せられた。しかしかの人々は安易な慰めを拒絶する紳士の矜持をも察したらしく私に声を掛けて来る野暮な人間は誰一人として居なかった。ただ、紐に繋がれて散歩をしている小さな犬がやたらと私に向かって吠えて来たが、所詮は犬や猫、獣の類にこの病の暗い影が差した厚着紳士の美学が理解出来るはずも無かった。私は子犬に吠えられ背中や腋に大量の汗を掻きながらも未だ誇りを失わずに道を歩いていた。  しかし度々通行人達の服装を目にするにつれて、段々と私は自分自身が自分で予想していたよりは少数部族では無いという事に気が付き始めていた。歴然とした厚着紳士は皆無だったが、私のようにダウンを着た厚着紳士見習い程度であったら見つける事もそう難しくはなかった。恥ずかしさが少しずつ消えて無くなると抑え込んでいた暑さが急激に肌を熱し始めた。視線が四方に落ち着かなくなった私は頻りと人の視線を遮る物陰を探し始めた。  泳ぐ視線がようやく道の傍らに置かれた自動販売機を捉えると、駆けるように近付いて行ってその狭い陰に身を隠した。恐る恐る背後を振り返り誰か人が歩いて来ないかを確認すると運悪く背後から腰の曲がった老婆が強風の中難渋そうに手押し車を押して歩いて来るのが見えた。私は老婆の間の悪さに苛立ちを隠せなかったが、幸いな事に老婆の背後には人影が見られなかった。あの老婆さえ遣り過ごしてしまえばここは人々の視線から完全な死角となる事が予測出来たのだった。しかしこのまま微動だにせず自動販売機の陰に長い間身を隠しているのは怪し過ぎるという思いに駆られて、渋々と歩み出て自動販売機の目の前に仁王立ちになると私は腕を組んで眉間に深い皺を作った。買うべきジュースを真剣に吟味選抜している紳士の厳粛な態度を装ったのだった。  しかし風はなお強く老婆の手押し車は遅々として進まなかった。自動販売機と私の間の空間はそこだけ時間が止まっているかのようだった。私は緊張に強いられる沈黙の重さに耐えきれず、渋々ポケットから財布を取り出し、小銭を掴んで自動販売機の硬貨投入口に滑り込ませた。買いたくもない飲み物を選ばさられている不条理や屈辱感に最初は腹立たしかった私もケース内に陳列された色取り取りのジュース缶を目の前にしているうちに段々と本当にジュースを飲みたくなって来てその行き場の無い怒りは早くボタンを押してジュースを手に入れたいというもどかしさへと移り変わっていった。しかし強風に負けじとか細い腕二つで精一杯手押し車を押して何とか歩いている老婆を責める事は器量甚大懐深き紳士が為す所業では無い。そもそも恨むべきはこの強烈な風を吹かせている天だと考えた私は空を見上げると恨めしい視線を天に投げ掛けた。  ようやく老婆の足音とともに手押し車が地面を擦る音が背中に迫った時、私は満を持して自動販売機のボタンを押した。ジュースの落下する音と共に私はペットボトルに入ったメロンソーダを手に入れた。ダウンの中で汗を掻き火照った身体にメロンソーダの冷たさが手の平を通して心地よく伝わった。暫くの間余韻に浸っていると老婆の手押し車が私の横に現れ、みるみると通り過ぎて行った。遂に機は熟したのだった。私は再び自動販売機の物陰に身を隠すと念のため背後を振り返り人の姿が見えない事を確認した。誰も居ないことが解ると急ぐ指先でダウンジャケットのボタンを一つまた一つと外していった。最後に上から下へとファスナーが降ろされると、うっとりとする様な涼しい風が開けた中のシャツを通して素肌へと心地良く伝わって来た。涼しさと開放感に浸りながら手にしたメロンソーダを飲んで喉の渇きを潤した私は何事も無かったかのように再び道を歩き始めた。  坂口安吾はかの著名な堕落論の中で昨日の英雄も今日では闇屋になり貞淑な未亡人も娼婦になるというような意味の事を言っていたが、先程まで厚着紳士見習いだった私は破廉恥な軟派山羊男に成り下がってしまった。こんな格好をプルースト君が見たらさぞかし軽蔑の眼差しで私を見詰める事に違いない。たどり着いた駅のホームの長椅子に腰をかけて、何だか自身がどうしようもなく汚れてしまったような心持ちになった私は暗く深く沈み込んでいた。膝の上に置かれた飲みかけのメロンソーダも言い知れぬ哀愁を帯びているようだった。胸を内を駆け巡り始めた耐えられぬ想いの脱出口を求めるように視線を駅の窓硝子越しに垣間見える空に送ると遠方に高く聳え立つ白い煙突塔が見えた。煙突の先端から濛々と吐き出される排煙が恐ろしい程の速さで荒れた空の彼岸へと流されている。  耐えられぬ思いが胸の内を駆け駅の窓硝子越しに見える空に視線を遣ると遠方に聳える白い煙突塔から濛々と吐き出されている排煙が恐ろしい速度で空の彼岸へと流されている様子が見えた。目には見えない風に流されて行く灰色に汚れた煙に対して、黒い雲に覆われた空の中に浮かぶ白い煙突塔は普段青い空の中で見ている雄姿よりもなおのこと白く純潔に光り輝いて見えた。何とも言えぬ気持の昂ぶりを覚えた私は思わずメロンソーダを傍らに除けた。ダウンジャケットの前ボタンに右手を掛けた。しかしすぐにまた思い直すと右手の位置を元の場所に戻した。そうして幾度となく決意と逡巡の間を行き来している間に段々と駅のホーム内には人間が溢れ始めた。強風の影響なのか電車は暫く駅に来ないようだった。  すると駅の階段を昇って来る黒い影があった。その物々しく重厚な風貌は軽薄に薄着を纏った人間の群れの中でひと際異彩を放っている。プルースト君だった。依然として彼は分厚いロングコートに厳しく身を包み込み、冷ややかな面持ちで堂々と駅のホームを歩いていたが、薄い頭髪と額には薄っすらと汗が浮かび、幅広い額を包むその辛苦の結晶は天井の蛍光灯に照らされて燦燦と四方八方に輝きを放っていた。私にはそれが不撓不屈の王者だけが戴く栄光の冠に見えた。未だ変わらずプルースト君は厚着紳士で在り続けていた。  私は彼の胸中に宿る鋼鉄の信念に感激を覚えると共に、それとは対照的に驚く程簡単に退転してしまった自分自身の脆弱な信念を恥じた。俯いて視線をホームの床に敷き詰められた正方形タイルの繋ぎ目の暗い溝へと落とした。この惨めな敗残の姿が彼の冷たい視線に晒される事を恐れ心臓から足の指の先までが慄き震えていた。しかしそんな事は露とも知らぬプルースト君はゆっくりとこちらへ歩いて来る。迫り来る脅威に戦慄した私は慌ててダウンのファスナーを下から上へと引き上げた。紳士の体裁を整えようと手先を闇雲に動かした。途中ダウンの布地が間に挟まって中々ファスナーが上がらない問題が浮上したものの、結局は何とかファスナーを上まで閉め切った。続けてボタンを嵌め終えると辛うじて私は張りぼてだがあの厚着紳士見習いの姿��と復活する事に成功した。  膝の上に置いてあった哀愁のメロンソーダも何となく恥ずかしく邪魔に思えて、隠してしまおうとダウンのポケットの中へとペットボトルを仕舞い込んでいた時、華麗颯爽とロングコートの紺色の裾端が視界の真横に映り込んだ。思わず私は顔を見上げた。顔を上方に上げ過ぎた私は天井の蛍光灯の光を直接見てしまった。眩んだ目を閉じて直ぐにまた開くとプルースト君が真横に厳然と仁王立ちしていた。汗ばんだ蒼白い顔は白い光に包まれてなおのこと白く、紺のコートに包まれた首から上は先程窓から垣間見えた純潔の白い塔そのものだった。神々しくさえあるその立ち姿に畏敬の念を覚え始めた私の横で微塵も表情を崩さないプルースト君は優雅な動作で座席に腰を降ろすとロダンの考える人の様に拳を作った左手に顎を乗せて対岸のホームに、いやおそらくはその先の彼方にある白い塔にじっと厳しい視線を注ぎ始めた。私は期待を裏切らない彼の態度及び所作に感服感激していたが、一方でいつ自分の棄教退転が彼に見破られるかと気が気ではなくダウンジャケットの中は冷や汗で夥しく濡れ湿っていた。  プルースト君が真実の威厳に輝けば輝く程に、その冷たい眼差しの一撃が私を跡形もなく打ち砕くであろう事は否応無しに予想出来る事だった。一刻も早く電車が来て欲しかったが、依然として電車は暫くこの駅にはやって来そうになかった。緊張と沈黙を強いられる時間が二人の座る長椅子周辺を包み込み、その異様な空気を察してか今ではホーム中に人が溢れ返っているのにも関わらず私とプルースト君の周りには誰一人近寄っては来なかった。群衆の騒めきでホーム内は煩いはずなのに不思議と彼らの出す雑音は聞こえなかった。蟻のように蠢く彼らの姿も全く目に入らず、沈黙の静寂の中で私はただプルースト君の一挙手に全神経を注いでいた。  すると不意にプルースト君が私の座る右斜め前に視線を落とした。突然の動きに驚いて気が動転しつつも私も追ってその視線の先に目を遣った。プルースト君は私のダウンジャケットのポケットからはみ出しているメロンソーダの頭部を見ていた。私は愕然たる思いに駆られた。しかし今やどうする事も出来ない。怜悧な思考力と電光石火の直観力を併せ持つ彼ならばすぐにそれが棄教退転の証拠だという事に気が付くだろう。私は半ば観念して恐る恐るプルースト君の横顔を伺った。悪い予感は良く当たると云う。案の定プルースト君の蒼白い顔の口元には哀れみにも似た冷笑が至極鮮明に浮かんでいた。  私はというとそれからもう身を固く縮めて頑なに瞼を閉じる事しか出来なかった。遂に私が厚着紳士道から転がり落ちて軟派な薄着蛮族の一員と成り下がった事を見破られてしまった。卑怯千万な棄教退転者という消す事の出来ない烙印を隣に座る厳然たる厚着紳士に押されてしまった。  白い煙突塔から吐き出された排煙は永久に恥辱の空を漂い続けるのだ。あの笑みはかつて一心同体であった純白の塔から汚れてしまった灰色の煙へと送られた悲しみを押し隠した訣別の笑みだったのだろう。私は彼の隣でこのまま電車が来るのを待ち続ける事が耐えられなくなって来た。私にはプルースト君と同じ電車に乗る資格はもう既に失われているのだった。今すぐにでも立ち上がってそのまま逃げるように駅を出て、家に帰ってポップコーンでも焼け食いしよう、そうして全てを忘却の風に流してしまおう。そう思っていた矢先、隣のプルースト君が何やら慌ただしく動いている気配が伝わってきた。私は薄目を開いた。プルースト君はロングコートのポケットの中から何かを取り出そうとしていた。メロンソーダだった。驚きを隠せない私を尻目にプルースト君は渇き飢えた飼い豚のようにその薄緑色の炭酸ジュースを勢い良く飲み始めた。みるみるとペットボトルの中のメロンソーダが半分以上が無くなった。するとプルースト君は下品極まりないげっぷを数回したかと思うと「暑い、いや暑いなあ」と一人小さく呟いてコートのボタンをそそくさと外し始めた。瞬く間にコートの前門は解放された。中から汚い染みの沢山付着した白いシャツとその白布に包まれただらしのない太鼓腹が堂々と姿を現した。  私は暫くの間呆気に取られていた。しかしすぐに憤然と立ち上がった。長椅子に座ってメロンソーダを飲むかつてプルースト君と言われた汚物を背にしてホームの反対方向へ歩き始めた。出来る限りあの醜悪な棄教退転者から遠く離れたかった。暫く歩いていると、擦れ違う人々の怪訝そうな視線を感じた。自分の顔に哀れな裏切り者に対する軽侮の冷笑が浮かんでいる事に私は気が付いた。  ホームの端に辿り着くと私は視線をホームの対岸にその先の彼方にある白い塔へと注いた。黒雲に覆われた白い塔の陰には在りし日のプルースト君の面影がぼんやりとちらついた。しかしすぐにまた消えて無くなった。暫くすると白い塔さえも風に流れて来た黒雲に掻き消されてしまった。四角い窓枠からは何も見え無くなり、軽薄な人間達の姿と騒めきが壁に包まれたホーム中に充満していった。  言い知れぬ虚無と寂寥が肌身に沁みて私は静かに両の瞳を閉じた。周囲の雑音と共に色々な想念が目まぐるしく心中を通り過ぎて行った。プルースト君の事、厚着紳士で在り続けるという事、メロンソーダ、白い塔…、プルースト君の事。凡そ全てが雲や煙となって無辺の彼方へと押し流されて行った。真夜中と見紛う暗黒に私の全視界は覆われた。  間もなくすると闇の天頂に薄っすらと白い点が浮かんだ。最初は小さく朧げに白く映るだけだった点は徐々に膨張し始めた。同時に目も眩む程に光り輝き始めた。終いには白銀の光を溢れんばかりに湛えた満月並みの大円となった。実際に光は丸い稜線から溢れ始めて、激しい滝のように闇の下へと流れ落ち始めた。天頂から底辺へと一直線に落下する直瀑の白銀滝は段々と野太くなった。反対に大円は徐々に縮小していって再び小さな点へと戻っていった。更にはその点すらも闇に消えて、視界から見え無くなった直後、不意に全ての動きが止まった。  流れ落ちていた白銀滝の軌跡はそのままの光と形に凝固して、寂滅の真空に荘厳な光の��塔が顕現した。その美々しく神々しい立ち姿に私は息をする事さえも忘れて見入った。最初は塔全体が一つの光源体の様に見えたが、よく目を凝らすと恐ろしく小さい光の結晶が高速で点滅していて、そうした極小微細の光片が寄り集まって一本の巨塔を形成しているのだという事が解った。その光の源が何なのかは判別出来なかったが、それよりも光に隙間無く埋められている塔の外壁の内で唯一不自然に切り取られている黒い正方形の個所がある事が気になった。塔の頂付近にその不可解な切り取り口はあった。怪しみながら私はその内側にじっと視線を集中させた。  徐々に瞳が慣れて来ると暗闇の中に茫漠とした人影の様なものが見え始めた。どうやら黒い正方形は窓枠である事が解った。しかしそれ以上は如何程目を凝らしても人影の相貌は明確にならなかった。ただ私の方を見ているらしい彼が恐ろしい程までに厚着している事だけは解った。あれは幻の厚着紳士なのか。思わず私は手を振ろうとした。しかし紳士という言葉の響きが振りかけた手を虚しく元の位置へと返した。  すると間も無く塔の根本周辺が波を打って揺らぎ始めた。下方からから少しずつ光の塔は崩れて霧散しだした。朦朧と四方へ流れ出した光群は丸く可愛い尻を光らせて夜の河を渡っていく銀蛍のように闇の彼方此方へと思い思いに飛んで行った。瞬く間に百千幾万の光片が暗闇一面を覆い尽くした。  冬の夜空に散りばめられた銀星のように暗闇の満天に煌く光の屑は各々少しずつその輝きと大きさを拡大させていった。間もなく見つめて居られ無い程に白く眩しくなった。耐えられ無くなった私は思わず目を見開いた。するとまた今度は天井の白い蛍光灯の眩しさが瞳を焼いた。いつの間にか自分の顔が斜め上を向いていた事に気が付いた。顔を元の位置に戻すと、焼き付いた白光が徐々に色褪せていった。依然として変わらぬホームの光景と。周囲の雑多なざわめきが目と耳に戻ると、依然として黒雲に覆い隠されている窓枠が目に付いた。すぐにまた私は目を閉じた。暗闇の中をを凝視してつい先程まで輝いていた光の面影を探してみたが、瞼の裏にはただ沈黙が広がるばかりだった。  しかし光り輝く巨塔の幻影は孤高の紳士たる決意を新たに芽生えさせた。私の心中は言い知れない高揚に包まれ始めた。是が非でも守らなければならない厚着矜持信念の実像をこの両の瞳で見た気がした。すると周囲の雑音も不思議と耳に心地よく聞こえ始めた。  『この者達があの神聖な光を見る事は決して無い事だろう。あの光は選ばれた孤高の厚着紳士だけが垣間見る事の出来る祝福の光なのだ。光の巨塔の窓に微かに垣間見えたあの人影はおそらく未来の自分だったのだろう。完全に厚着紳士と化した私が現在の中途半端な私に道を反れることの無いように暗示訓戒していたに違いない。しかしもはや誰に言われなくても私が道を踏み外す事は無い。私の上着のボタンが開かれる事はもう決して無い。あの白い光は私の脳裏に深く焼き付いた』  高揚感は体中の血を上気させて段々と私は喉の渇きを感じ始めた。するとポケットから頭を出したメロンソーダが目に付いた。再び私の心は激しく揺れ動き始めた。  一度は目を逸らし二度目も逸らした。三度目になると私はメロンソーダを凝視していた。しかし迷いを振り払うかの様に視線を逸らすとまたすぐに前を向いた。四度目、私はメロンソーダを手に持っていた。三分の二以上減っていて非常に軽い。しかしまだ三分の一弱は残っている。ペットボトルの底の方で妖しく光る液体の薄緑色は喉の渇き切った私の瞳に避け難く魅惑的に映った。  まあ、喉を潤すぐらいは良いだろう、ダウンの前を開かない限りは。私はそう自分に言い聞かせるとペットボトルの口を開けた。間を置かないで一息にメロンソーダを飲み干した。  飲みかけのメロンソーダは炭酸が抜けきってしつこい程に甘く、更には生ぬるかった。それは紛れも無く堕落の味だった。腐った果実の味だった。私は何とも言えない苦い気持ちと後悔、更には自己嫌悪の念を覚えて早くこの嫌な味を忘れようと盛んに努めた。しかし舌の粘膜に絡み付いた甘さはなかなか消える事が無かった。私はどうしようも無く苛立った。すると突然隣に黒く長い影が映った。プルースト君だった。不意の再再会に思考が停止した私は手に持った空のメロンソーダを隠す事も出来ず、ただ茫然と突っ立っていたが、すぐに自分が手に握るそれがとても恥ずかしい物のように思えて来てメロンソーダを慌ててポケットの中に隠した。しかしプルースト君は私の隠蔽工作を見逃しては居ないようだった。すぐに自分のポケットから飲みかけのメロンソーダを取り出すとプルースト君は旨そうに大きな音を立ててソーダを飲み干した。乾いたゲップの音の響きが消える間もなく、透明になったペットボトルの蓋を華麗優雅な手捌きで閉めるとプルースト君はゆっくりとこちらに視線を向けた。その瞳に浮かんでいたのは紛れもなく同類を見つけた時に浮かぶあの親愛の情だった。  間もなくしてようやく電車が駅にやって来た。プルースト君と私は仲良く同じ車両に乗った。駅に溢れていた乗客達が逃げ場無く鮨詰めにされて居る狭い車内は冷房もまだ付いておらず蒸し暑かった。夥しい汗で額や脇を濡らしたプルースト君の隣で私はゆっくりとダウンのボタンに手を掛けた。視界の端に白い塔の残映が素早く流れ去っていった。
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2ttf · 13 years ago
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kentarouchikoshi · 3 years ago
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 これは面白い実験ですね。是非有益な結果を出してほしいものです。  最近各地で整備が進められている「BRT(バス・ラピッド・トランジット)」というものがあります。これは国土交通省の定義に従えば「連節バス、公共車両優先システム(PTPS)、バス専用道、バスレーンなどを組み合わせることで、速達性・定時性の確保や輸送能力の増大が可能となる高次の機能を備えたバスシステム」のことで,非常に簡単に言えば「バスによって鉄軌道のような高速大量輸送を行う仕組」と言えるでしょう。もともとは都市交通の手段として考えだされたもので,1974(昭和49)年にブラジル・クリチバ市で世界で最初に導入されました。日本においても1982(昭和57)年には「基幹バス」という名前で名古屋市に導入され,現在では岐阜・新潟・福岡などの各都市でも採用が進んでいます。東京でも「東京BRT」という名前で導入が進められ,それ用の車両が既に営業運転を開始しています。  一方,我が国では都市交通ではなく郊外部の交通機関としてBRTが採用されている例も珍しくありません。鉄道の廃線跡を利用したバス専用道路は以前から存在しましたが,本格的なBRTとして導入されたのは茨城県石岡市・小美玉市で鹿島鉄道線の廃線跡をバス専用道として活用した2010(平成22)年の「かしてつバス」が初の導入事例です。その後,災害で不通となった鉄道線をBRTとして復旧する事例も現れるようになりました。2011(平成23)年の東日本大震災で甚大な被害を受けたJR東日本の気仙沼線・大船渡線も前者が2012(平成24)年に,後者も2013(平成25)年にBRT化しています。そして現在,2017(平成29)年に水害で不通となったJR九州の日田彦山線についてもBRT化が進められているところです。  鉄道を単純にバス転換してしまうと高速性・定時性を大きく損なうことが多いのですが,このようなBRTは通常のバスと異なり専用走行区間を持っていて赤信号や渋滞に巻き込まれずに済むので,少なくとも定時性に欠けるということはありません。但し現在では大型の連接バスを使っている例は少なく「輸送能力の増大」にはなっていません。また高速性についてはバス専用道においても最高速度は60km/hとされており,地方のローカル線でも高速で走っていることを考えるとスピードという点では大きく劣っています。更には専用道が地平を走っている際には,他の道路との交差部では鉄道と異なりバスも一旦停止を行っています。これらの点については今後改善の余地があるというべきでしょう。  さて,そのBRTのうち鉄道同様の専用走行区間を持つものについては,他の自動車や自転車・歩行者との事故を起こすリスクはきわめて低いと言えるでしょう。「最近話題になっている自動運転や無人運転について実験し,或いは導入するのに最適ではないか」というのは誰しもが考えることだと思います。この記事にも「将来の人手不足対応が目標」とあるとおり,無人運転が実現すればバス会社は人手不足に悩む必要は無くなりますし,運転手の人件費を要しないとなれば増発も容易に可能となるでしょう。利便性の大幅な向上にも繋がる話です。  実は「専用道路での自動運転」自体は特に実験を行わなくても現在の技術だけで可能です。名古屋市には上述の基幹バスの他に「ガイドウェイバス志段味線(ゆとりーとライン)」という路線があり,このうち高架を走る大曽根~小幡緑地間は「案内軌条(ガイドウェイ)が敷設され,車輪の他に用意された小さな案内輪がその案内軌条に従う」という仕組で走るようにになっています。これは東京の「ゆりかもめ」などのAGT(新交通システム)と全く同じ方法であり,現在の「ゆとりーとライン」では運転士が乗務してアクセルとブレーキの操作を行っていますが,AGT「ゆりかもめ」で無人の自動運転が行われているのですから,BRTでも専用走行区間に案内軌条を設置すれば自動運転どころか無人運転まで即座に実現させることが可能です。  とはいえ,それはBRTにとってあまり有効な方法ではありません。地平の専用道路についても「一般道との交差部をどうする」という問題がありますが,そもそもBRTは専用走行区間ばかりを走るわけではありません。「かしてつバス」などは起終点の石岡駅から途中の四箇村駅まで一貫して専用道を走りますから「その区間だけ無人の自動運転」というのも無意味ではありませんが,気仙沼線や大船渡線ではそうではありません。元々の鉄道線が市街地から遠い場所を走っていた区間では一般道に迂回して市街地に寄るルートも走りますし,逆にそういう「小回りを利かせられる」のがバスを使用するBRTの強みでもあります。しかしそういうルートを走る以上は「ガイドウェイを使って自動運転」を採用したにしても,それの無い一般道区間に備えるために結局運転手を乗務させる必要からは逃れられません。「一般道��も自動運転の可能な技術」の開発が必要だということです。  この記事によると,JR東日本は様々な会社の技術を採用してバス自動運転の実験を進めています。その中には「自動運転制御」などという専用走行区間のみで使用可能なものもありますが,それ以外にも「不慮の障害物を検知して、自動運転車両を停止」させる技術や「車両単体で支障物を認識」する技術など,一般道でも利用可能なものも含まれていますね。中には運転そのものとは直接の関係は無いながら旅客営業するのに不可欠な「車両内での異常を検知する」仕組みなども投入されており,同社の本気度が伺われます。  こうした技術を発展させ問題点を一つ一つ潰していけば,いずれは一般道を含めた無人運転が可能になるでしょうか。そうなって欲しいものです。そもそも公共交通離れの一因は「使いたいときに使えない」ことです。もし無人でバスを走らせられれば,それだけでも増発は非常に容易になりますね。そしてこの技術を磨き上げれば,それらの技術はそのまま鉄道にも応用することも可能です。一般道を走るわけではなく「専用走行区間」のみを走る鉄道は専用道路を走るBRTに近い存在であり,むしろ自動運転や無人運転は自動車よりも容易とすら考えられます。実は先述の「ゆりかもめ」等々,鉄道においては既に一部で全くの無人運転が実現しています。但しそれらは極めて小さな車両を使う特殊な規格のものであり,一般鉄道でも同じことをやろうと思えば事前の検証や技術改良も不可欠でしょう。この記事でも少し触れられていますが,鉄道会社であるJR東日本がバス自動運転の技術確立に熱心なのは将来的に鉄道への応用を視野に入れているからに違いありません。先述の「無人運転が実現すれば増発も可能。いつでも使えるようになる」というのは鉄道でも全く同じです。それが実現するとなると,これは大いに胸躍る話ですね。  JR東日本の取組,今後とも目が離せないと感じているところです。
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h-adongo · 3 years ago
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エンパシーと民主主義について考える
ブレイディみかこ著『他者の靴を履く アナ―キック・エンパシーのすすめ』を読んだ。
1か月くらい前にNHKラジオ「高橋源一郎の飛ぶ教室」にブレイディみかこがゲスト出演した回で、村山由佳著『風よあらしよ』の紹介とともにアナキズムとエンパシーの話をしている中で、この本のことを知った(2021.6.25に出たばかりの新刊)。最近自分の中でエンパシーがキーワードになっていて(仕事場面での示唆や、職場の人との会話のテーマなどで。)タイムリーに気になっていることだったので、発売を楽しみにして、飛びついて読んだ。
この本では、エンパシーについてとことん検証している。エンパシーは手放しで称賛されるだけのものではなく、注意しなければならないダークサイドをも持ち合わせていることなどがクリティカルな視点で論じられている。しかし、やっぱり行きつく先はエンパシーの重要性であり、エンパシーは(その性質をよく理解したうえで)人々が身に着けるべき能力であると主張される。
そのなかで、“エンパシーを育てる授業”について紹介されている。エンパシーは頭脳で理解する知識として身に着けても意味がなく、「身体性」をもって日常生活の中で使えるようになることが大切であることが分かる。具体的な”エンパシーを育てる授業”として挙げられているのが、カナダの教育者で社会起業家のメアリー・ゴードンが1996年に創始して以来世界中に広��ったという「ルーツ・オブ・エンパシー」というプログラムである。これは「赤ん坊からエンパシーを教わるプログラム」なのだそうだ。このプログラムでは、教室の真ん中に緑色のブランケットを敷き、その上に赤ん坊を乗せ、子どもたちはブランケットの周囲に座る。そしてインストラクターが赤ん坊に玩具を与えて遊ばせたりしながら、子どもたちに赤ん坊を観察させ、そのときの表情から感情を読み取ったり、むずかっているときにはなぜ機嫌が悪いのかを想像させたりして、それを言葉で議論し合うのだという。これがパースペクティブ・テイキング(他者視点取得)のトレーニングとして有効に働いており、実践的にそのスキルを学ぶことができる、というわけである。
著者は、創始者のゴードンの言葉を引用して、“ある意味では、ルーツ・オブ・エンパシーは、子どもたちが教室で囲んでいる緑色のブランケットの上で参加型民主主義を築こうとしているのです”。と説明する。 
さらに、グレーバー(『民主主義の非西洋起源について』)の言葉を以下のように引用する。“重要なのは、普通の人々が討論の場に集って座り込み、自分たちの課題に自分たちで―武力によって決定を支えられつつ課題に対処するエリートたちに劣らず―対処できるということを、さらにまた、無理だったということになるとしても、彼らには試してみる権利があるのだということを、私たちが心から信じることだ。”
そして著者は続ける。
“ルーツ・オブ・エンパシーでは緑色のブランケットの周囲に子供たちが集って座り、エンパシーという人間の大きな課題の一つを話し合い、自分たちの頭で考えようとしている。子供たちには試してみる権利があるのだということを、大人たちは心から信じなければならない。”
これまでの自分の仕事の現場を思い返すと、胸にぐさぐさ刺さる言葉たちだ。私たちは目の前の子どもたちを無力化して、自分たちの意のままにしているだけだったのではないかと感じてしまう。では、いろいろな難しさを抱える目の前の子どもたちに対して、民主主義の場を提供できるだろうか?彼らは、「ただ自分だけのために」ではなく、「最大多数の最大幸福のために」意思決定できるだろうか?やっぱり実際のところ不安は残る。理想を語っても、やはりそうはいかないのが現場の大変なところなのだ。
でも。やっぱり私たちは、それを提供するために彼らを「信じる」ことから始めないといけないのだと思う。始めないといけないし、少なくとも「私は」、彼らのその可能性を信じていたいと思う。まず彼らを信じて民主主義の場を提供してみて、うまくいかないときに大人が軌道修正していけばいい。そのためには大人が自分の靴を脱ぎ、子どもの靴を履いてその会議に参加しなければいけない。子どもの民主主義を保障するためのオブザーバーとなるには、エンパシーに長けた人材であるべきなのだと気づかされる。
組織の中で、それが当たり前という暗黙の正義の中でも、「私は、こう思う」という一人称を持ち続けないといけないのだということを、この1・2か月ずっと考えてきたのだった。できうるならば、「私は、こう思う」を心の中に秘めるだけでなく、少しずつ、手の届く範囲から伝えること。一人、また一人と仲間を増やすこと。たとえ意見が違っても、心で思っていることを相手にまず伝えてみること。そんな小さな勇気の積み重ねを実行することが大切だと分かってきた。「思う」のと「口に出して伝えてみる」のでは、大きな差があって、はじめは怖い。それでも、その一歩を実際に踏み出さないと始まらないと思うのだ。
著者は、クライマックスからラストにかけて、以下のようにまとめる。
“子どもたちが自分でものを考えなくなったとか、自分の意見を言えなくなったとかいう前に、我々大人たちは、彼らが進んで何かを言う気になるアナーキーでエンパシーある空間を提供しているかどうかを考えてみなければならない。”(中略)
“「そうなんだよね」「国の教育はダメ」とため息をつく前に、わたしたち大人が始めなければならないのは、おそらくまず自分の足元に緑色のブランケットを敷いて民主主義を立ち上げることだ。”
こうした著者の言葉を読んで、上述したような最近の自分の考えてきたことの答えを受け取ったような気になり、嬉しかったし勇気が出たのだった。「まず、自分の手の届く範囲から」「一人称で」「自分の言葉で」話し始めること。これが民主主義の基礎だと思った。誠心誠意自分の言葉を伝えたら、次は相手の言葉を聞く番。プリズンサークルの受刑者たちのように。 組織や社会の中で何が起きているかわからなくなったら、「緑のブランケットを敷く」、そのプログラムを頭の中で再現すればいいのだと学んだ。⑴まず仲間たちや身近な人たちと集い、腰を下ろす⑵目の前の赤ちゃんの気持ちを想像する(=何が起きているか、問題点の背景は何か、考える)⑶その想像した内容を、仲間たちと互いにシェアして伝え合う。そのとき、すぐに「だからあいつはダメなんだ」「あの人はこうだから言っても仕方ない」などと言わないこと。いろんな視点から赤ちゃんの表情を読まなければいけない。時には育児書を開いて、基本の知識に戻ることも大事かもしれないけれど。自戒を込めて。
最後に、アナーキーとエンパシーが溶け合った末に導き出される民主主義について、著者の答えを引用する。
“「アナーキー」は暴力や無法状態と結びつけて考えられやすい。しかし、その本来の定義は、自由な個人たちが自由に協働し、常に現状を疑い、より良い状況に変える道を共に探していくことだ。どのような規模であれ、その構成員たちのために機能しなくなった組織を、下側から自由に人々が問い、自由に取り壊して、作り変えることができるマインドセットが「アナーキー」なのである。そう思えば、機能しなくなった場所、楽しさも元気もない組織、衰退している国などにこそ「アナーキー」のマインドセットは求められている。そしてそのマインドセットをもって人々が緑色のブランケットの周りに集まって話し合い、「いまとは違う状況」を考察するときに必要不可欠なスキルこそ、「エンパシー」という想像力に他ならないのである。”
私は私の人生を生きながら、時には他者の靴を履いて歩き、広い世界を見て回れるような人間になりたい。
17 July 2021
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takahashicleaning · 4 years ago
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TEDにて
ジェームス・ハンセン:なぜ気候変動について叫ばなければならなかったか!
(詳しくご覧になりたい場合は上記リンクからどうぞ)
気候科学の第一人者のジェームス・ハンセンが、彼自身がどのように地球温暖化の科学や議論に関わってきた話をします。
この話のなかで、温暖化が起こっている膨大な証拠を見せ、なぜ?この証拠から彼が将来を非常に危惧しているのかを示します。
地球全体のエネルギーの不均衡の問題。地球にふりそそぐ太陽光エネルギーと地球から放出されるエネルギーの量の差です。
ジェームズ・ヴァン・アレンは、アメリカ合衆国の物理学者。地球高層の放射線帯であるヴァン・アレン帯の発見で知られる。この人が、師匠だそうです。
そして、気候変動の原因として、地球の公転運動の何万年もの誤差の蓄積で、氷河への太陽光の照らす面積が増えて氷解しているため、二酸化炭素などが放出されてしまうということを、くり抜いた氷河を調べた結果から発見したそうです。
増幅していくメカニズムの他に、人間の放出する二酸化炭素も加わり、さらに悪い循環が始まってしまいます。
だからこそ、世界で二酸化炭素を抑制した方が良いという理由のひとつになっている。詳しくはご覧ください。
温室効果は、1世紀以上にもわたり十分に理解されています。1850年代に英国の物理学者ジョン・チンダルは、研究室内で赤外線放射を測定する方法を確立しました。
赤外線放射は熱を意味します。彼は二酸化炭素のような気体が熱を吸収することを示し、この吸収が地球の表面を温める布団のように作用していると示しました。
私は他の科学者とも共同研究して、地球気候変動の観察結果を分析しました。そして、1981年にはサイエンス誌に研究論文を発表しました。
その結論は、過去1世紀で気温が摂氏0.4 度上昇した!という現象が増加した二酸化炭素量が起こすと想定される温室効果の 計算値と一致するという結論でした。
結論では、地球は1980年代に恐らく気温上昇を迎えて、20世紀末にはこの気温上昇が 天気の変動が確率的誤差を超えるだろうとしていました。
この不均衡を総計すると、1平米あたり10分の6ワットになります。それほど多く聞こえないかもしれませんが、全世界分となるとおびただしい電力量になります。
これは、全人類が利用している電力量よりも20倍も大きいものなのです。これは1日あたり40万個の広島型原子爆弾を爆発させたエネルギー量に相当します。
1年では365日分になります。これだけのエネルギー量を地球は毎日蓄積しているのです。
もし、気候を安定させるとしたら現在の不均衡の状態は二酸化炭素濃度が、391ppmから350ppmへと減らされなければならないことを意味しています。これはエネルギーの均衡を取り戻し、将来の気温上昇を防ぐために必要な変化です。
地球の気候変動の歴史を考えてみましょう。
解決策は、何千億単位の規模で大量に植樹をするだけ!!
解決策は、何千億単位の規模で大量に植樹をするだけ!!
解決策は、何千億単位の規模で大量に植樹をするだけ!!
この表は、地球全体の温度曲線と大気中二酸化炭素濃度曲線と海面曲線で、海や南極圏の氷のボーリングサンプルと海の堆積物や雪片から割り出しました。
これらは、これまで80万年かけて序々に積み重なって2マイルの厚さの氷床を地球に形成しました。
見て分かるように、温度と二酸化炭素と海面に高い相関性があります。詳しく見ると、温度の変動が起こった時は必ず数世紀遅れで二酸化炭素の変動が起こっています。
気候変動否定派は、この事実を使って大衆を混乱させ誤って導こうとします「見てください。温度変動が二酸化炭素変動を起こしました。逆ではありません」と言うでしょう。
しかし、この遅れは私たちが予測している結果と完全に一致するものです。
地球公転軌道の小さな変化が100万年もの年月の間に起こり、地球上に降り注ぐ。太陽光の当たる面積を変えたのです。ここで重要な点は、この拡大して再度取り込む増幅作用は、現代でも発生するのです。
物理法則は変わりませんから、地球の温度上昇が起こると私たちが大気に放出する過剰部分の二酸化炭素が原因となって、永久凍土や海を温めることで、氷が解けて二酸化炭素やメタンが放出されるのです。
この取り込んで増幅される状況が、どれほど早く起こり始めるのか?私たちは正確には分からないですが、温暖化を止めない限り、確実にこの増幅される状況が起こります。
マイケルサンデルは、メリトクラシー(能力主義)の陳腐さを警告し、諌め(いさめ)ています!
SDGsや気候変動対策は、再生可能エネルギーのことではありません。パンデミック対策の一環です!それ以外の活動は派生物。権力濫用の口実に注意!
SDGsや気候変動対策は、再生可能エネルギーのことではありません。パンデミック対策の一環です!それ以外の活動は派生物。権力濫用の口実に注意!
SDGsや気候変動対策は、再生可能エネルギーのことではありません。パンデミック対策の一環です!それ以外の活動は派生物。権力濫用の口実に注意!
技術が、すべてのことを解決できると言いますが、我々が、100倍エネルギー効率のいい乗り物を作ることができるとすれば、大枠��してこれは正しい意見です。
しかし、エネルギー効率ではなく、生産性を高めた結果、イギリスは見事に産業が空洞化してしまいました。
参考として・・・
月面は、太陽風によりもたらされたヘリウム3が、鉱物資源として豊富に存在していることが確認されています。原子力発電や核融合に最適です。
注意事項として、基礎技術にリープフロッグは存在しません。応用分野のみです!
最後に、マクロ経済学の大目標には、「長期的に生活水準を高め、今日のこども達がおじいさん達よりも良い暮らしを送れるようにする!!」という目標があります。
経済成長を「パーセント」という指数関数的な指標で数値化します。経験則的に毎年、経済成長2%くらいで巡航速度にて上昇すれば良いことがわかっています。
たった、経済成長2%のように見えますが、毎年、積み重ねるとムーアの法則みたいに膨大な量になって行きます。
また、経済学は、大前提としてある個人、法人モデルを扱う。それは、身勝手で自己中心的な欲望を満たしていく人間の部類としては最低クズというハードルの高い個人、法人。
たとえば、生産性、利益という欲だけを追求する人間。地球を救うという欲だけを追求する人間。利益と真逆なぐうたらしたい時間を最大化したいという欲を追求する人間。などの最低生活を保護、向上しつつお金の循環を通じて個人同士の相互作用も考えていく(また、憎しみの連鎖も解消する)
多様性はあるが、欲という側面では皆平等。つまり、利益以外からも解決策を見出しお金儲けだけの話だけではないのが経済学(カントの「永遠平和のために」思想も含めて個人のプライバシーも考慮)
<おすすめサイト>
リサ・ジャクソン:2030年までにカーボンニュートラル(気候中立)達成を目指すAppleの誓い
グウィン・ショットウェル: 30分で地球を半周するSpaceXの旅行プラン
アラン・セイボリー:砂漠を緑地化させ気候変動を逆転させる方法
(原子力)
スチュワート・ブランドとマーク・Z・ヤコブソンが討論:原子力発電は必要か?
ジョー・ラシター:気候変動の解消に向けた原子力発電の必要性?
「フロート式原子力発電所」について
テイラー•ウィルソン:僕のラジカルな計画 ― 小型核分裂炉で世界を変える!
劣化ウランゼロへのイノベーション:ビル=ゲイツ、エネルギーについて語る
(再生可能エネルギー)
レイ・カーツワイル:今後現れるシンギュラリティ(技術的特異点)を学ぶ大学
Solar Roadways(道路としても敷き詰めて活用できる太陽光発電パネル)
「考えるクルマ」が世界を変える―アーバン・モビリティの革命
Powerwall 2 & Solar Roof Launch - Teala Motors
デイビッド・マッケイ: 再生可能エネルギーの現実
ベティーナ・ウォーバーグ: ブロックチェーンが経済にもたらす劇的な変化
量子コンピューターの基本素子である超電導磁束量子ビットについて2019
(合成の誤謬について)
合成の誤謬とは、ミクロの視点では正しいことでも、それが、合成されたマクロ(集計量)の世界では、必ずしも意図しない結果が生じること。物理学では、相転移みたいな現象です。性質が変わってしまうということ。
ミクロのメカニズムが個人同士の経済における仕組みであるのに対して、マクロのメカニズムは、国家間や経済全体の循環における仕組みだからである。
例えば、家計の貯蓄などがよく登場するが悪い例えです。前提条件が、所得が一定の場合!!所得が一定じゃない増加する場合は?これは、論じていませんので参考になりません!!(法人が提供する製品やサービスの価格も一定の場合も前提条件です)
1930年代のアメリカ経済が金融危機2008と似たような状態に陥った時、ケインズは、「倹約のパラドックス」というケインズ経済学の法則を発見しています。
それは、ポール・A・サミュエルソン(1915-2009)が、近代経済学の教科書「経済学」の冒頭で「個人を富裕にする貯金は、経済全体を貧困にする!(所得が一定の場合)」というわかりやすい言葉で表現しました。しかし、庶民の所得が増加し、貯蓄が投資、消費に回る場合には、「倹約のパラドックス」は生じません。
その後、この「倹約のパラドックス」は、アメリカの経済学者・ケネス・J・アロー(1921- )が「合成の誤謬」を数学的論理に基づいて「個人個人がそれぞれ合理的選択をしても、社会システム全体は合理的選択をするとは限らない」を検証してみせた。 要するに、部分最適ではなく、全体最適させていくということ。
つまり、新産業でイノベーションが起きるとゲーム理論でいうところのプラスサムになるから既存の産業との 戦争に発展しないため共存関係を構築できるメリットがあります。デフレスパイラルも予防できる?人間の限界を超えてることが前提だけど
しかし、独占禁止法を軽視してるわけではありませんので、既存産業の戦争を避けるため新産業だけの限定で限界を超えてください!ということに集約していきます。
なお、金融危機2008では、マイケル・メトカルフェも言うように、「特別資金引出権(SDR)」は、2008年に行われた緊急対策で、一国だけで行われたのではなく、驚くほど足並みの揃った協調の下に国際通貨基金(IMF)を構成する188ヶ国が各国通貨で総額2500億ドル相当を「特別資金引出権(SDR)」を用いて世界中の準備通貨を潤沢にする目的で増刷してます。
このアイデアの根本は、元FRB議長であったベンバーナンキの書籍「大恐慌論」です。この研究がなければ、誰一人として、変動相場制での当時の状況を改善し解決できなかったと言われています。
それ以前では、固定相場制でのマーシャルプランが有名です。
<個人的なアイデア>
電気を作る熱力学のサイクルで熱効率は、ほぼ50%、45%~50%の効率まで高めることは可能ですが・・・
高温の物体から熱を受け取り、電気という「使えるエネルギー」に変換できる機械を一般的に「熱エンジン」と呼んでいる。
高温の物体から受け取った熱エネルギーのうち、どれだけ活用できたかという比率を「効率」と物理学では定義している。
この効率は、原理的に超えられない「カルノー効率」という上限があることが知られている。
カルノー効率が達成されると、効率は上がるが、同時に仕事率がゼロになる現象。
つまり、熱エンジンの効率を最大限に上げると出力がほぼゼロになることを意味しています。そして、効率100%は物理的に不可能ということです。
中世で試行錯誤が行われたことに終止符が示され、機械での永久機関は作れないことが、この現象から理解できます。エネルギー保存の法則からも理解できます。
他には、燃料の持つエネルギーをどれだけ動力として取り出すことができるか?これをエンジンの熱効率と定義しています。
2020年の段階で、ガソリンエンジンの熱効率は最高で40%前後あり、10年くらい前までは30%程度。低燃費の技術競争もあるけどカルノー効率から限界も見え始めています。
だから、ガソリン自動車から電気自動車へ世界中の法人が開発を加速して切り替えている潮流があります。
さらに
経済学者で、ケンブリッジ大学名誉教授のパーサ•ダスグプタが、イギリス政府に提出した報告書の中に登場。
経済学を学ぶと、登場する資本や労働などの生産要素の投入量と算出量の関係を示す生産関数があります。
こうした関数は、様々な前提条件に基づきますが、経済学者は、収穫逓減の法則と言うものをよく知っています。
このような人工的な生産関数とは、他に天然由来の生産関数。
つまり、自然から収穫できる生産関数を導き出し、地球全体の生産関数というエコシステムを数値化することでバランスをコントロールできるかもしれないというアイデア。
ここでは、自然資本と呼びます。
自然資本を加味すれば現在の経済成長ペースがどこまで持続可能かを分析することもできます。
人間は、国内総生産GDPを生み出すため、自然から資源を取り出して使い、不要になったものを廃棄物として自然に戻す。
もし、自然が自律回復できなくなるほど、資源が使われて、廃棄されれば、自然資本の蓄積は減少し、それに伴い貴重な生態系サービスの流れも減っていくことになります。
さらに、教授は、経済学者も経済成長には限界があることを認識すべきだと説いています。地球の限りある恵みを効率的に活用しても、それには上限があります。
したがって、持続可能な最高レベルの国内総生産GDPと言う臨界点の水準も存在するということが視野に入るようにもなります。これは、まだ現時点では誰にもわかりませんので解明が必要です。
なお、地球1個分は、ずいぶん昔に超えています。
<提供>
東京都北区神谷の高橋クリーニングプレゼント
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tsuntsun1221ts · 4 years ago
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2020.11 宮之浦岳(2日目)
1日目の続き
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宮之浦岳山頂より全周、訳あって2日連続で登った
まわりは4時くらいから起きて出発の準備をしており、そのときに目が覚めてしまったがシェラフの中でゴロゴロしていた。5時に起き上がったときには、小屋の半分くらいの人たちはすでに出発していた。たぶん荒川登山口へ向かうんだろうけど、バスが10時の次は15時?と、すごい間が空いてしまうから早く出ないといけないんだろう(この日に飛行機や船で帰るのかもしれない)。けどこの時間はまだ真っ暗で、1時間くらい歩いた先にある縄文杉も全然見えないんじゃないかな。
自分は荒川登山口ではなく白谷雲水峡へ抜けるので7時くらいに出発すれば問題ないし、みんな出てしまった小屋の中で一人だけゆっくりしている。
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7時になり小屋を出発したところ、とんでもない晴天・・・え、このまま下山しちやっていいのか!?屋久島に来てこれだけの天気は滅多にないんじゃないかな、少なくとも自分が今後訪れるかもしれない中でこんな快晴は無いと思ったほうがいい・・・ということで、昨日は若干消化不良であった宮之浦岳からの最高の景色を求め、予定を変更してもう一度登ることを決心!!昨日ガスった山頂で、これが屋久島らしいじゃないかと自分自身を説得させたのだが、5年くらい前学生の時に来た時にもまさしくこれくらいの晴天の日を逃しており、再びそのチャンスが来たわけだ、なんという島の神のお取り計らい。
昨日は山頂から山小屋まで下るのに1時間くらいだったので、登り2時間と想定、下山も併せて本来の予定+3時間の追加となる。北アルプスで鍛えられた体を今使わないでどうする。必要ない装備は小屋内にデポし、飲み物と上着と行動食をザックに残して出発、かなり身軽さを感じる。
荷物を全て背負ったまま昨日入山した淀川登山口へ下山することも考えたが、あちらの最寄バス停は1日2便しかバスが来ず到着してもかなり待たされることと、やっぱ屋久島に来て縄文杉を見ないのはモグリですよ!
【コースタイム】 新高塚小屋(0720)→第2展望台(0745)→平石岩屋(0805)→平石(0815)→宮之浦岳(0840-0900)→焼野三叉路(0910)→平石(0920)→平石岩屋(0925)→第1展望台(0955)→新高塚小屋(1010)→縄文杉(1100-1120)→大王杉(1140)→ウィルソン株(1200)→大株歩道入口(1215)→楠川分れ(1255)→太鼓岩(1345-1355)→白谷雲水峡(1500)
約8時間とかなりハードに見えるが、大部分はハイキング的な要素で占められている。
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昨日はガスって山頂ほとんど見えなかったのに今日は凄いな、期待できる!
昨日はこの道を通過したのがお昼近かったので溶けてしまっていたんだろうが、さすがに九州とはいえ標高が1500m以上では夜から朝にかけて氷点下となり、道がツルツルに凍っていて凄く滑るところが何ヶ所かあった。何度も転びそうになり危うく怪我をするところだった。
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途中の道は昨日の分の方に書いてあるので省く。新高塚小屋から山頂までは予想よりも早い1時間半くらいで到着。山頂には自分を含めて3人。
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いや、これはもうヤバい。屋久島は洋上のアルプスと言われているが、360°海で囲まれており、見えるべくものは全て見える、100パーセント。5年の歳月を経て屋久島の神々に受け入れられたかのよう。
写真中央には富士山に似た鹿児島県の百名山 開聞岳と、その少し右には桜島(写真では見えづらい)。そのまた右には横に幅広く大隅半島。
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手前は永田岳と、その奥にはお隣 口永良部島。
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眼下には先程歩いてきた道と平石岩屋の巨岩群がみえる(中央左)。写真中央から右にかけては屋久島原始林。右上の海には細長く種子島が見える。
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左上には3つほど島が見えているが、奄美諸島の口之島、中之島、諏訪之瀬島だろうか?
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鬼界カルデラは大昔、九州南部の縄文人を絶滅させたことで有名な火山の跡で今は海底に沈んでいるが、それの外輪山である硫黄島(写真中央)と竹島(右、見えづらい)。
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淀川登山口方面。
どの方向を見渡しても町が見えず、逆にいうと屋久島のどの町からも宮之浦岳を臨むことはできない。このような山は奥岳と呼ばれている。
山頂ではちょっと早めの昼食をとり20分滞在。この後は白谷雲水峡まで長時間の歩行(白谷雲水峡まで14km)が待っているので、快晴の下でとても惜しいのだが下山する。本当に、登り返してきてよかった、この選択は間違っていなかった。計画に3時間の工程が急遽加わるというのは流石に躊躇したが��自分の体力・実力を熟知し実行可能であると判断した上であり、登山歴5年目くらいにしていろんな意味で成長したと言えるだろう。
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昨日は山頂がずっと雲で覆われていた永田岳がばっちし、どこを見てもすばらしい景色。けどね、なにか物足りなさを感じるんだよね。そう不思議なことに、ガスがかかっていたほうが屋久島らしいという感じがするのであった。(贅沢な要望だな!)もちろん年間降水量が非常に多い屋久島で、これだけの晴天の下で山頂を踏めたことは大変感謝している。
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昨日も(今朝も)通った下山ルート。中央手前の白い空間が平石、左奥の巨岩群が平石岩屋、海には大隅半島(左)と種子島(右)。贅沢ー!
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第1展望台より。昨日はここを通過した際は天気が悪くなりつつあったので景色が見えず、一体何が見える展望台なのか全くわからなかったが、なるほど、宮之浦岳が見えるわけですな。ここまで山頂から約1時間。あとは森に突入するので道中の説明は省く。
山頂から新高塚小屋までは約1時間。荷物が軽かったので昨日より少し早い到着。デポっていた荷物を回収し、3時間遅れで本日の予定に戻る。
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新高塚小屋から縄文杉までは森の中を約1時間歩くが、その前に縄文杉のすぐ近くにある高塚小屋の見学。自分が泊まった小屋は「新高塚小屋」で、こちらは名前に「新」と付いていない方の小屋なのだが、こちらのほうが多分新しい。しかもなんとこの小屋、個人の方の寄贈である。
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3階構造となっており、定員は20名くらいと新高塚小屋の半分くらいか。テン場が無さそうなのと、トイレが1つしか無い(?)という違いがある。
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高塚小屋から10分で縄文杉に到着。これ以上近づけないのでその大きさがいまいち実感がわかないのだが。
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こちらの看板に大きさの比較がわかりやすく描かれている。
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幹の直径はこの展望デッキとほぼ同じくらいという巨大なもの。ちなみに2017年にデッキが新調されたらしい。たしかにきれいかも。仙人のような奇抜な格好のガイドさんが周りにいる人たち10人くらいで手繋いで輪になろうということで(縄文杉の幹周り16mは大人10人が手をつないだくらいの太さ)、たまたまその場にいた自分も人数に入っていたらしく、全く知らない人と手をつないで輪になった。縄文杉の巨大さが大変よく実感できるのと、その様子を写真で是非撮りたかったが両手がふさがっていたから残念。
縄文杉について少しうんちくを。
ガイドの話を盗み聞きしていたが、遺伝子検査の結果3000年以上であることは確かであるが、7300年前に鬼界カルデラが噴火したときは火砕流でここも焼け野原となっていたので、それ以降に生まれただろうと、すなわち3000~7300歳。なお、落ちた枝を調べてみたら1000歳だったとのこと。樹齢1000年以上の杉を屋久杉と呼ぶが、枝だけで屋久杉級って・・・。
別の杉の切り株が縄文杉の近くで発見され、江戸時代に伐られた株であることがわかったらしい。けれどその近くにある巨大な縄文杉の存在に当時の人も気づかないわけがなく、江戸時代から地元の木こりたちには縄文杉の存在が知られていたと思われる。しかしなぜ縄文杉は木材として伐られることなく残っていたのか、一説によると、形が歪なので木材として売り物にならないとされていたかららしいが、ガイドさんの個人的な想像というか願望としては、やはり島の御神木として残されたのではないか、とのことである。自分もこっちの説がいいなー。
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新しい展望デッキも建てられており、縄文杉とほぼ同じ高さで横から見ることができる。
20分くらい休憩し縄文杉を後にする。今日は宮之浦岳に登り直したことで3時間も工程が追加されているから、帰りの最終バスには間に合わせないと。
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ここから先は学生時代も通ったことがある懐かしの道。相変わらず道が整備されていてハイキング気分。歩きやすく、帰りのバスまでに余裕をもって到着しておきたいので自然と速歩きになる。自分が縄文杉に到着した時刻は、ちょうど荒川登山口から登ってきた第一陣の人たちが到着した時刻と重なっていたらしく、自分は早々に下山したため、これから登ってくる人たちとのすれ違いが多かった。といっても、全部で100人くらいか?道が狭いのですれ違う度に下山者である自分が登山者を通すために一時停止(登り優先がマナー)。この回数がかなり多かった。
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とはいえ縄文杉から40分でウィルソン株に到着。高校生くらいの女の子3人組と少しお話して心がさらに癒やされました(グヘヘ)。
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ウィルソン株の中からハートに見える位置がよくわからなかったので、女の子たちに教えてもらった(本当は知っていた)。てか、冷静に考えてみればこの株の太さもすごいよな。屋久杉の大きさを一番実感できる場所ではないかと思う。
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縄文杉から約1時間で登山道入り口である大株歩道入り口に到着。荒川登山口へ下山する人はここから延々とトロッコ軌道となる。
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前後には誰一人として歩いていない。みんなまだ縄文杉の方向にいるだろうし、この時間から入山する人もまずいない。聞こえるのは軌道の上に敷かれた木道を歩く自分の足音だけ。とても気持ちがいい。ただ、退屈といえば退屈なのである。せめて動物が出てくれれば気が紛れるのだが、今日は遭遇しなかった。
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40分ほどトロッコ軌道を歩くと楠川分れに到着。白谷雲水峡へ向かう場合はこの分岐点で再び山道に入る。
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楠川分れから太鼓岩までは延々と上り坂、傾斜は普通だがこの荷物ですでに何時間も歩いてきた身としては辛い。標高が低いせいか気温が高い15℃くらい?今回初めて汗が出てきた。
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途中ですごい岩があった。登山道の真上を屋根のような岩が7mくらい張り出している。しかもその岩の上には普通サイズの杉が生えている。撮影スポットらしく、登山客が岩を持ち上げているポーズで写真を撮られていた。太鼓岩のすぐ近くにあったのだが、前回来たときはここまで足を伸ばさなかったので初めてこの岩の存在を知った。
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楠川分れから約1時間登り続け、最後のピークである太鼓岩に到着。とりあえす無心で登っていたらあっという間だった、トロッコ軌道から来るとこんなに近いのか(前来たときは白谷雲水峡から)。ご覧の通り柵などは設置されておらず、他人にザックを当てて転落するなんてことがないようデポったほうがよい(昔ガイドが客のザックに押されて転落して大怪我したことがあるんだと)。
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相変わらず素晴らしい天気で、むしろちょっと逆光気味。写真奥の方から安房川?に沿って歩き、写真中央辺りで右手前に向かって登ってきた。縄文杉は写真右の山の中にあるらしい。
写真最右上端に朝登ってきた宮之浦岳山頂が写っている。左上端にピッと立っているのが天柱石で、あとでネットで調べてみると凄い形をしている。
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天柱石は大忠岳の山頂に立っているらしく、ヤクスギランドから片道2時間くらいで登れるらしい。種子島から発射されるロケットをあそこから見ることができるらしい。
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宮之浦岳。その左にこれまた大きそうな岩が立っているのが翁岳かな。
太鼓岩では10分くらい休憩、本日初めて座った。岩の上で昼寝したいくらい景色も天気も素晴らしい。
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白谷雲水峡へ向けて下山する。基本的に足元に水が流れているか湿っている。縄文杉同様に、こちらもガイドを連れている登山者が結構いる。途中に奉公杉コースという、プラス2kmくらい追加していろんな杉が見れるルートがあるのだが、さすがに疲れたので今回は直帰。
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くぐり杉
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白谷雲水峡は屋久島で1番好きな場所かもしれない。足元に水が流れる音が優しい、しっとり湿った空気、深い森、苔・・・とても心が落ち着く。
対して縄文杉へのコースはなんか殺伐としている感じ。早朝の登山バスで一斉に登山開始する登山客の殺気立つ空気、荒々しい川、太古の杉達。同じ島の同じ森の中なのに、だいぶ異なる自然の側面である。
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水・緑・太陽の日差し。ほんと自然に癒やされるー。
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白谷雲水峡に到着、活動開始から7時間半かかった。全体的に道が整備されていたとはいえ、テント泊装備を背負っての山行お疲れ様でした。屋久島の神々よ感謝申し上げます。おかげさまで最終のバスの1時間以上前に到着した。
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白谷雲水峡から宮之浦の町まではバス。途中の道からは宮之浦の町を見下ろすことができる。
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本日は「やくすぎ荘」に宿泊。1万円(Go To割引で6500円+2000円の商品券付)で夕食と翌日の朝食が出てくる。
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夕食に出てきたのは・・・でた~!屋久島名物トビウオの姿揚げ。頭からシッポまで全部かじれる。外食するよりも、ちゃんとした宿で朝も夜も出してもらった方が全体のコスパいいな。
宿の目の前に地元のスーパーがあり、お疲れ会の夜食を購入。酒はもちろん屋久島で有名な三岳(焼酎)、屋久島産のタルメ。魚コーナーの店員さんにタルメって何ですか?て聞いたら …わからないですって言われて、まあこっちの人はタルメはタルメでしかないのね、目鯛のことらしい。
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翌日はお土産を買って帰るだけ。朝から風がかなり強く雨がパラついており、台風の接近を思わせるかのよう。案の定海はかなり荒れており、沖に出たらなんと3mの波。帰りも鹿児島までは高速船なわけだが、とにかくすごい動揺で前後左右全てに大きく揺れる。そこまで大きい船ではないのでかなり煽られている。エチケット袋もってトイレに向かう人が5人くらいいたし、さすがに自分も気持ち悪かったな。まぁ帰りの羽田行きの飛行機のこともあるし、出航してくれただけマシだが。鹿児島に近づくと波は穏やかになり安定してきた。
13時くらいに鹿児島港に到着。昼食は「ラーメン小金太」の 豚骨入りラーメン(豚骨ラーメンではない)。 名前のとおり骨付きの大きなチャーシューが入っており、その骨が軟骨よりも柔らかくて全部かじることができる。・・・煮込んだだけでこんなに柔らかくなるの?薬品に漬けてるわけじゃないよね笑
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鹿児島空港では滑走路の先に韓国岳やら高千穂峰やら新燃岳がそびえ立っているのが見える。もちろん上空からも見ることができた。あちらも百名山なのでいつか登ることになるだろう。
近年まれに見る、素晴らしい旅だった。文句の一つもつけようがない。今回ほどまでを望まなくとも、やはり数年に一度は訪れたい場所である。いくら本州の山々を登っても、(北アルプスの山々でさえも)屋久島の自然の威厳を超えるところはなかった。コロナ禍ということもあり比較的人が空いていたのかもしれない、こんな屋久島は二度とないのだろう。おそらく何度かこの記事を見返す度に、屋久島の自然から���気と元気をもらうことだろう。 屋久島は今回で2回めだけど、また着たいなと毎回思わせてくる。ここまで自然からエネルギーを貰える場所は無い。飛行機は2ヶ月くらい前までに予約すればかなり安くとれるし、鹿児島~屋久島間も船で乗り継ぐよりはラクだからやっぱ飛行機がいいな(酔わないし)。
屋久島のいろいろ
下山して宿へ向かって道を歩いているとき、地元の小学生や中学生とすれ違ったんだけど、みんな「こんにちは」と挨拶してくる。すごい文化だ。
宮之浦岳山頂には登山には明らかに場違いの服装の人が一人いた。舐めているならまだしも、登山とはどういうものなのか何も知らないんだろうから注意のしようも無い。宮之浦岳をあの格好で登れたのは幸運にも天気が良かったからで、とにかく雨が多いこの山では低体温症になっても不思議ではなく、いかに危険な行為なのかわかってほしいんだけど。多分、縄文杉とセットで軽い気持ちで来てしまうんだろう。そんな軽い気持ちで登ってしまう人ほど、ちゃんと装備を整えて本格的に登山始めてしまえばもっと楽しめるのに、と毎回思うのである。
タクシーのうんちゃんの話によると、屋久島のガイドは島民よりも、むしろどこからか来た外部の人間が多く、シーズンを終えて仕事が少なくなってくなると自分たちの故郷へ帰っていくから、稼いだお金が島に落ちていかないのだとか。実は縄文杉のデッキでガイドの人たちが「今年はいつ戻るのか」みたいな話をしているのが聞こえ、あぁこのことかと。法律に違反しているわけではないし特に悪いことはしていないんだけど、考えさせられる。
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tomoyamashita · 2 years ago
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石垣Ⅰ(石垣駅・戸柱公園)
石垣駅 2020年夏、私は石垣駅をはじめ指宿枕崎線の沿線各駅を訪れていたのですが、 残念ながら石垣駅(いしかき)に関しては下の画像1枚しか撮っていませんでした。 2020年の石垣駅。西頴娃駅方面を見る。 今回、記事にすることができたのはその後当駅の画像がそれなりに収穫できたので、 まとめていきたいなあと思い立ったところです。 まずは駅の構造から 先ほどの画像の通り、当駅は他の指宿枕崎線末端区間の駅と同様に1面1線の棒線駅です。 ホーム中程には古レールを使った上屋とベンチ、駅名標と名所案内があり、 特に変わったところはないようでした。(2020年時点までは) 御陵駅(指宿枕崎線) 特に、隣の御陵駅や少し西寄りにある頴娃大川駅と雰囲気は似たり寄ったりだったと思います。 石垣駅のホームから、西頴娃駅方面を見る。 緑に線路が覆われないように、線路の左側に金網が建てられて…
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takahashistudio · 5 years ago
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07.12.18坂本一成講演会 in ZAIM JIA神奈川主催 2007年12月18日に横浜情報文化センターにおいて、「コンパクト・ユニット」と「アイランド・プラン」による都市居住と都市環境という表題で坂本一成さんの講演会が開かれた。最初に、住宅作品を初期からひとつひとつたどりながら、坂本さんの建築の考え方が語られた。素材や形に付きまとう意味を消し建築が持つ意味を零度に近付けることに主題をおいていたこと、イメージ調査を行い「家型」という統合形式を強く意識したこと、その「家型」を壊し住宅を自由にしていこうとすること。それは「閉じた箱を開く」過程であり、一貫するのは、制度的な形式に対する批判的なスタンスである。1988,「HOUSE F」では、家型というイコンの閉鎖性から離れ、架構のシステムによって閉じた箱を壊していこうとする姿勢を示された。床があり、必要な部分に覆いがあるだけの住宅を提示しようと考えたという。この時から、都市との関係性が変���し、内側あるいは自分だけでは制御出来ない外的な事象を積極的に巻き込んでいく方向が示される。1999,「HOUSE SA」では、空間の作り方を外的な要因で成立させたいという考えにシフトしていった。敷地の輪郭や土地の傾斜に対応した外周壁、階段状に螺旋を描く床、南向きのソーラーパネルが設置された屋根。ひとつの形式から建築を構成するのではなく、外的要因を建築に含合させることで内在する秩序が相対化される試みがなされている。 2001,「HUT T」でさらなる壁の解放を経て、2005,「QUICO 神宮前」が続く。ショップ・事務所と住宅のコンプレックスであるこの作品は、斜線制限によって欠き取られる建物の輪郭操作から決まった外形と、都市の拡がりを内部まで引きこむ「空所」と名付けた風景・空間によって、内部完結しない都市住居が目指されている。ここから、「コンパクト・ユニット」と「アイランド・プラン」による都市居住と都市環境へと話が展開されていった。都市の中でどのような環境で住みたいか、と自問した坂本さんは、「独立しているが、街と連続したい」と語った。集合住宅の設計ではコモンスペースに力点を置く考え方も一般にある。しかし坂本さんは、住戸一つ一つを直接外と連続させたい、4方向全てが外気と接する戸建住宅のような在り方を集合住宅でも実現させたいと考え、外から直接アクセス出来る長屋形式を立体化させ、それをコンパクトなボリュームにまとめる手法をとる。集合住宅はボリュームコントロールが都市環境を作るうえで重要で、数百個がひとまとまりといった大きなスケールは、都市の中で非常に暴力的な空間操作になってしまう。熱負荷や表面積のデメリットはあっても、小住棟を島状に配置することで、大地の広がりと人間的な密度感を獲得するのが「コンパクト・ユニット」と「アイランド・プラン」という形式だ。上記の思考の軌跡がより具体的に、集合住宅作品をめぐって語られた。1980,「散田の共同住宅」を集合住宅の出発点とし、ひな壇のない住宅地の1990,「コモンシティ星田」、緑道が建物の中を貫く1994,「熊本市営託麻団地」、中庭に外周道路が入り込む     1995,「幕張ベイタウン・パティオス4番地」と、規模の大きな集合住宅の設計が続く。一貫して、コモンスペースを外してプライベートとパブリックを如何に直結させるかが主題とされ、自由に開いた大地と連続する集合住宅が目指されている。2002年のコンペティションで実施案に選ばれた「江古田の集合住宅」は、約1000m2の敷地に4つの分棟を何期かに分けて建てるプロジェクトで、現在は1棟が竣工している。このプロジェクトを機に「コンパクト・ユニット」「アイランド・プラン」という考え方が設計手法として明確になったのではないだろうか。コンペ案は4戸1棟のまとまりで交差メゾネットによる立体長屋とし、4方向に視線を確保した個別のエントリーを持つ構成だったが、実現案は5戸1棟で一部3方向の視線の確保になっている。交差メゾネットは変わらず、一部地面を掘り下げながら高さ制限に対応している。最後は2004年のコンペティション実施案「工作連盟ジートルンク・ヴィーセンフェルト・ミュンヘン」で締めくくられた。ミュンヘンは5層程度の街並が揃った都市である。それに合せ5層程度とした他の案と異なり、坂本案は400戸/4haを2・4・8・12と階数の異なる41棟に振り分け敷地内に散りばめていった。階の変化は、地上の階・緑の階・アルプスの階と高層化していくように設定された。計画を進めるにあたり、コストの問題などから4・8・11という3つの階、25棟に減らしたマスタープランに変更、8組の設計者がそれに沿いながら設計する計画だそうだ-。障害を乗り越え是非実現してほしい。坂本さんは講演中に何度も「形式と現実との葛藤」という言葉を使われた。「形式主義は最も嫌うが形式がなければ建築はできない」。戸建住宅に近づけて集合住宅を考えたときに生まれた積層長屋や、ミュンヘンでの高さの異なる棟の分散配置は、「HOUSE F」での架構と同様に外部との柔軟な関係性構築が可能なシステムであり、現実と葛藤しながら内部の秩序を解放するリアリティを試みる坂本さんならではの手法と感じる。また、坂本さんにとって窓の存在が非常に強いと個人的に思った。大きく開けられた開口、4方向へ視界を確保すること、窓を通して獲得する空所と住人が向き合うこと。自分達を取り巻く状況と向き合い生活していく場としての建築が目指されているのではないだろうか Written by Sakurako Kojima
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hochagera · 5 years ago
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帰り道総括
いつも公演から数カ月がたつと、前回の公演を自然と振り返りたくなる。今回もそんな欲求に駆られて、前作『帰り道』の総括をいたします。
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—————————— 野外人形劇団のらぼう 夜の短い物語「帰り道」
2019年10月1日(火)- 14日(日) 毎晩20時開演(内容30分程) あがたの森公園 投げ銭制
出演 前田斜め/成田明加/白鳥達也 表題曲 水野安実と5レモネーズ「帰り道」 ――――――――――
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まずは曲の紹介  本作品は、”水野安実と5レモネーズ”の「帰り道」という曲を表題曲として起用し制作されました。この楽曲は現在、7インチレコードとなって発売中(MARKING RECORDS|〒390-0811 長野県松本市中央3-12-8|にて取り扱い)(https://www.instagram.com/p/B9--CK5hOmj/?igshid=dgisahyzi2r9)。さらにはbandcampにてネット販売もしているようです。(https://mizunoami.bandcamp.com/album/-)  ご興味ある方、また『帰り道』の公演にお越し下さった方は是非お楽しみください。聞くと確かによみがえるあの時の情景が愉しく、心地が良いです。
では総括、
曲から始まったプロジェクト  今回の作品作りの発端は、のらぼうとしてはそろそろ人形を使って作品を、ひいては巨大人形を使っての作品を作りたいと考えていたところ、別のアプローチから既存の曲を使って芝居が作れないかという提案があった。それが”水野安実と5レモネーズ”の「帰り道」。劇団としてはそろそろ本格的に人形に手を染めていかないと名前だけで体裁を取り繕っていてはかたじけない、と考えていただけでそれ以外に制約はほとんど無かったため、ちょうどいいというかタイミング的にも問題なかったため作品作りに”曲”の命題がつき進行していくことになった。
 そして更にもうひとつ重要だったことは、今回、この「帰り道」という曲のMVをものらぼうの創作でもって制作することになったのだ。この曲はもともと7インチレコードとしてリリース、そして配信が予定されていたためその機会に合わせて今回制作する芝居を映像化したものなどをベースにMVを制作することが目論まれた。つまり曲、そこからの芝居、そしてMVというつながりで付随した作品作りが行われることになったのである。今回はその芝居作りの総括。
���なお、MVに関しては残念ながら制作が滞っている。どうしても芝居の後にMVを仕上げようとすると、芝居の存在に引っ張られてしまいのらぼうのMVになってしまいかねない。それでいてもともとそのつもりで創作してきていたので題材を軌道変更するのは難しい。また、芝居の旨味と映像の旨味は別種であるという基本を改めて目の当たりにし、思考を凝らしたものの満足のいく結果には至らず、大変申し訳ないながらも当初の予定には間に合わずMVの公開は見送られた。
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あがたの森公園にて公演  今回の芝居のスタイルは、お馴染みの野外演劇スタイルである。松本に来てからわたくし前田斜めはこのスタイルでしか創作していないし、基本的に何かやるときはいつも野外がセットで考えるようにもう思考回路がそういうふうにできている。『野外演劇』とか『大道芸』だとか当てはめる枠はいくらかあるのだろうけれど野外演劇というほど大それたものじゃないし、大道芸というほど芸に長けたものでもない。もっと野生的な衝動で外に駆り出されているといった方が近い。単に、光が好きで風が好きで雨も好きでそれを感じていたいから、ただそれだけ。最近は「ストリート」や「路上」といってまとめられた方がしっくり来ている。なんにせよ、野外はのらぼうにとっても一番最初の衝動なのでありどんな作品ももれなく野外での公演をベースに検討される。  そんな中、今回は松本市のみぞおち(?)辺りに位置するあがたの森公園を公演地に選んだ。これまで自主公演は行ったことのない場所だったが、過去十数年前には全国各地のテント芝居など、野外演劇隆盛期ともいえる時代のその先鋭的集団がいくつも訪れ公演を行っていたと伝え聞いている。ここでの市の公園緑地課との交渉は難航することが予想されたが、今回のような持ち運びスタイルでの小規模開催の場合は苦慮することなく借りられた。まさに夜の短い物語スタイルともいうべき30分程の短い演劇を、客席なし、照明なし、舞台なしで行うということが体現できただけでも功績は大きい。大変に自由度は高いし、これくらいの時間なら立ちっぱなしでもお客さんに苦痛を強いらせない。だいいち座りたくなったら各々見繕って座ることができるし、今回は後述する”移動”が劇中に挟まっていたこともあって立ちっぱなしで30分という印象は薄かったのではないかと勝手に想像している。さらにはこれも後述するように、台詞が一切ない芝居だったことも効果は大きい。台詞がないために聞き取ろうとする必要がない。だから各々眺めたい距離で好き好きに観劇することができる。よく観たければ近くに場所を移せばいいし、なんとなく遠くからぼんやり眺めるということも今回の芝居では相性が良かったように思う。そんな情景をお客さんが個々に選択できるというのは有意義な体験であったのではないか。そんな要因がバランス良く取れた芝居だったように思う。
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 さらにこのあがたの森公園というのがまた良くできた公園である。実は次回作(2020.4月現在)もあがたの森公園にて公演しようと考えているのだが下見に行くたびに発見が絶えない。松本市市街地に位置する公園で規模としては一般的な都市にひとつはある中央公園と言うべく大きさの公園であるが、印象としては井之頭公園を彷彿とさせる鬱蒼と覆いかぶさる広大な敷地を想起する。そこは踏み入れると樹木の歴史にタイムスリップし迷い込めば1時間は優に抜け出すことができない錯覚を起こさせるが実際はそんなことはない。意識して歩いてしまえばなんのこともない規模の公園なのだが、どうしたわけか毎回誘われてしまうのだ。さらに敷地内の区分けでもデザインが行き届いておりそれも素晴らしい。令和ではおおよそ体感できない古を醸し出すヒマラヤスギの大木並木や旧制高校校舎の大正ロマンを思わせる木造建築、中世ヨーロッパを知りもしないのに感じさせる中庭、どこまでも続くはずがないのに続いているように見える芝生の広場、かと思ったら日本庭園風の池や松、そして現代アートと化した水のないプール、丘より小高い小さい丘、など。まだまだ余すことなくこの公園を使用したくなる魅力の詰まった小宇宙、それがあがたの森公園なのである。距離も抜群にいい。今後ものらぼうとしては親身にこの公園と付き合っていきたいと考えている。  なお、上演時間が20時と設定されたのは、平日休日問わずお客さんが来やすい時間でもあり、なにしろ出演者が各々の仕事を終えて集まれる時間、そして公園内にまばらに散歩する人や帰宅する人がいる時間として設定された。これは概ね想定通りであった。
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人形先行で作った内容  まさにこの芝居の主役であり名実ともにデカい存在に間違いなかったのが人形ーサミュエルである。身長3m50cm程ある72歳のおじいさんで、ひとり佇み、ステッキ片手に公園を散歩している。  今回の芝居はこの巨大人形を使う、ということがもっとも大きく掲げられた命題であった。しかし、その時はまだ巨大人形は存在していない。当たり前のことだが、作らなきゃいけない。そして作ってみてみなければその人形を使った芝居についてなんて考えられない。だからカレンダーを眺めて、ある時から人形の制作のみに舵を切ることにした。それまでは曲を聴きながら、芝居の内容を考えつつ、人形のディティールなども考えていたのだが、そんな悠長なことしてる暇などない、拉致あかない。脚本の完成を待っていては人形の完成が危ぶまれる。脚本などあとだ!というひとり強制連行で次の日から人形制作に取り掛かった。この決断があとあと功をそうした。やはり人形制作というものは時間がかかるし、ましてや初めて、更には規格外の巨大人形ともなると単純に足の長さ、手の長さ、首、頭などわからないこと、やってみて初めて気がつくことのオンパレードで予想よりもはるかに難航し時間がかかり、また、予算も大きく跳ね上がった。結果として人形の大まかな部分はわたし斜めが制作し、衣装や色塗りといったところを女性チームが制作した。真夏の倉庫でラジオから流れる甲子園を聴きながら、次第に形作られる骨格に衣装や帽子などの装飾品も加わり、えてして愛おしい風合いのサミュエル人形は完成した。芝居の内容はこの完成した人形を元に作られていくことになる。
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 この人形は、立てる、歩ける、座れる、見れる(首が動かせる)、触れる(手を動かせる)、握れる、などなど、できることを列挙していった。当たり前にできそうなことでも操作性からやり辛いこともある。だからできないことは無理してやらない。もしも先に脚本を仕上げていたら無理が生じて苦悩していたかもしれないけれど、この人形でできることのみを構成していったことにより、そういった不具合は発生しなかった。そうして列挙されたサミュエルの動きから抜粋してそれぞれをつなぎ合わせてゆきひとつの流れの作品になった。だから特別な物語はなかった、と考えている。何か物語の進展や変化を提示することなく佇むということを肯定した芝居になったのではないか。  ひとつだけ、この人形は巨大ではあるものの『歩ける』ということだけは最初から大前提に掲げて制作していた。世の中には色々な手法で作られ操作される人形があるわけだけれども、実際は浮いていたり、歩いているように見えて水平移動しているだけだったりと様々だが、サミュエルは補助や土台となる台座は必要だったものの『歩ける』ということだけは最初から念頭に置いき、実際1人が人形の足元に搭乗する形で両足を操作し、しっかりと地に足をつけ、足音も鳴らせて歩くことのできる人形に仕上がった。 ※ここではロワイヤルドリュクスの巨大人形の影響を大きく受けている。その作品もさることながら作品の展開の仕方や町との関係性が大変興味深い。造船が盛んな港町でその溶接技術を活かし、職人や町そのものを巻き込んだ作品を仕上げようと始まったプロジェクトだとか。5年に1度くらいのペースで作品が発表されその規格外の大きさ、規模、技巧、人員を有した作品は完全に唯一無二。 https://www.youtube.com/watch?v=qtXyXVVssQ4 (久シブリニ映像見マシタケド比較対象ニナリマセンネ。。。コンナスバラシイセカイヲアリガトウ。。。)
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芝居中に人形とともに歩いて移動  これはもともと構想に入れてた部分ではあるが、個人的に観劇中に移動を要するとか、何かしら強制的にお客さんに強いるということには良い印象を持っていなかったので、作品の構想が固まってくるうちに後回しにされ、結果的には本番前に公園内を練り歩く通称パレードと称されて準備されていた。なんとなく30分ばかし練り歩いて所定の場所までやってきてそこで公演をやればいいのではないか?というような魂胆。しかしそれが本番の前日か前々日?のゲネで大きく変更してしまった。作品の途中で、突如として人形が立ち上がってお客さんを引き連れて歩くことができるのではないか?というイメージが湧いたのであるが、これその時とっても重要なことと思われた。
 芝居でもなんでも、何か物事を始める時の発端はいつでも入射角というのを重要に考える。地平線上に沿うように物事を出現させるのか、それとも逆行させたりせき止めたりするように物事を出現させるのか。今回の芝居ではこの入射角は非常に滑らかである必要があった。つまり、日常のあがたの森公園のその先の延長線上に劇世界がある必要があった。その”いざない”として今回の芝居では”歩く”ということが効果を発揮したと思っている。”歩く”ことが公演の前の時間に別物としてなんとなく行われるよりも、劇中にお客さんとともに確実に行われることで日常の上を歩いているはずが、いつの間にか劇世界にのめり込んで行く、さっきまでの”眺める”、”観る”という行為よりもはっきりと一緒に劇世界を体験することができたのではないか。そのことが今回の芝居の中で邪魔にならなかった要因は、まずあがたの森公園のロケーションが素晴らしかったこと。そしてその規模とサミュエル人形の大きさがマッチしたこと、さらにサミュエル人形の歩くという行為のみにおいても足音や見上げる表情など愉しむに足る時間を演出できたこと、などがあるのではないか。これなかなか人間だけの芝居ではやるのに勇気がでない。できる、のだろうとは思うけれども本作品においては巨大人形であるサミュエルの魅力が十分に発揮されてこそ成り立ったシーンであった。演っている方としてもただ歩いているだけなのに、今まで体験したことのない印象深いシーンであった。  実際に本番で歩いたのと同じ距離を歩いてみると途方もなく短く感じる。1分もあれば十分に歩いて来れる距離を、作品では10分間かけて人形とともに歩いた。 ※ここでは「老いと演劇」Oibokkeshiの”徘徊演劇”を参照した。もともとメンバーの成田明加発案で”歩く”というものがあり、紹介されたのが徘徊演劇であった。この公演自体に立ち会ったことはないけれど、そのスタイルに大きく惹かれる。しかしこの作品の場合は台詞がある。一体どうやってまともているのだろうか。しかしこんな形式でも作品が作れるとするならば、と想像するとまだまだやれる面白そうなことはごまんとあり、まさしく宝庫である。これだから路上はやめられない。 https://youtu.be/GbseDpRNza4
台詞がなかった  今回の芝居は台詞なしで約30分間が構成された。それによってももたらされた効果や語ることができたことがあるということを、忘れたくない。  音楽家やダンサー、舞踏家の先輩方諸氏の作品に触れる度自分としてはどうであろうかと考えることがしばしばあり、芝居では台詞語りを多く用いることにやるせなさを感じたりもしていた。同じ時間芸術であるとして、どうして彼らは言葉がなくても表現が成立するのかということを頭でっかちに考えてみたりした。
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 いつだって衝動とそのカウンターの繰り返しで創作活動は行われるけれど、言葉ではない表現は常に憧れている部分でもあるし、それでいて、”言葉で語る”ということは僕たちが持っている身体や表情、その他の技術や小道具や音響、照明、美術といった芝居をする上で舞台上に当たり前に持っている術の一つに過ぎないのだと理解すべきだ。だからつまり、語る時は大抵の場合言葉に頼ってしまうけれど、必ずしも言葉を使って語る必要に迫られなくていい。その他の要素と鑑みて、動くか道具を使うか音楽を使うか、それとも言葉を使うのか、舞台であるがゆえに選択は様々ある。そのことが少しだけ垣間見えた公演であった。  かつてアウトサイダーアートを目の当たりにして感銘を受けた少年であった私であったが、その時も似たような感慨があった。いわゆるアウトサイダーと呼ばれる人たちがいて、その人たちはよき事業所や介助者、そして自分にあった手法に巡り合った場合、怒涛の勢いで嬉々として数々の作品を世に送り出している。彼らは、日々創作活動に打ち込んでいる、というわけではなくもっともっと初期衝動的なエネルギーを保ち続けて結晶化し、それが結果として作品に結びつき世に送り出されている。だからつまりアウトサイダーというものは、初期衝動という点では誰しもがそうなりうる可能性を平等に秘めているわけであり、しかしそのことを知ってしまってはいけないし、そこに甲乙がついたり、その存在を世の中が発見してしまってはアウトサイダーとしての定義を失ってしまうのでややこしいのだけれど、ここではそのことは一旦置いておいて、そのアウトサイダーと呼ばれる人たちの言ってしまえば『無駄』とも捉えうるような、あくなきまでの探究心とその行動に自分の『持っているものと持っていないもの』というものに関して考える機会があった。
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 どうして彼らはここまで闇雲に夢中になってとある行動(例えばひたすらに布を縫ったり、木を掘ったり、鉛筆がなくなるまで紙に擦り付けて絵を描いたり)を続けることができるのか。僕は芝居なんてものをしているものだから、それは少なくともひとつの衝動では成り立たないし、どんなに小規模でやろうとしても自分以外の要素の力が必要だし、なおかつ複数人でやる場合は他者への理解や信頼がなければ成り立たない。そんなどうにもこうにも初期衝動とは遠いところで戦っているのに、果たしてどうしてその衝動を保っていられようか。で、今回は台詞があるのか、ないのか、なんてことに命題を置いたりしてあーでもないこーでもないと頭を悩ませており、そのこと自身が煩わしくてしょうがないのだが、この生きてく上での性ともいうべきしょうもない秩序に自分で自分を苦しめて、アウトサイダーのことを羨ましく思ったりした時期もあった。しかしそこで例えば自分で自分の持っている技をひとつ置いて、つまり自分自身を拘束してやれることを削り舞台上に上がろうとすると、それはそれであざとく白々しく映る。潔くない。健康的でない。だってアウトサーダーになろうとしてやることを削ったって(つまり『言葉を使わない』とか)、そんなアプローチをしようとした時点で残念ながらアウトライダーにはなれないのだから。アウトサイダーそんなこと考えていない。だから違うのだ。セリフがあるなしとかではないのだ。五体満足に、そして言語を有して生まれたこの存在と環境を存分に発揮して余すことなく全てをぶつけてもってして、やっと表現というものは成り立つのである。結果としてそれがある分野においてはアウトサイダーたるかもしれず、行き過ぎて専門になったり時代次第では大衆になったりする。しかしそんなこと発端のプレイヤーが考えるには及ばないのであり周りが判断��ればいい。ただひたすらに闇雲に邁進する姿に憧れたのではなかったか。だから金輪際、今回の作品で僕たちは言葉を使わなかったというのではなく、無言を使った、という風に理解したい。そう考えると、台詞を有さなかったことの意義が見えてくる。無言を貫いたことで作品としては眺める人それぞれの捉え方の幅が広がり、見続けても見飽きない、また何度見ても耐えうる、そんな作品になったのではないかと思い返す。実際何度も足を運んでくれる人は多かったし、会期中必ず訪れる仕事帰りのサラリーマン風のおじさまも印象的な存在だった。もちろん子どもや外国人にも受け入れられた。この無言であるがゆえに伝えられることがあるということは今後忘れてしまいがちなことでもあるので肝に銘じたい。言葉は常に持っている。でもその効果に適切に照らし合わせて使ってもいいし使わなくてもいい。
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 そして最後に、この芝居は終始言葉がない言葉がないと言っておきながら、よく考えたらあるではないか。最後に流れる表題曲にだけは言葉があるではないかと気が付いた。これは明らかにそこにいた全員が耳にする作品中唯一こちらから提示する言葉であって、曲がここで浮き彫りになって立ち現れる。はっと聞き入る、そんなこともできるのかと改めて言葉を発露するということの意義深さを感じられた瞬間であった。
※写真は全てdig-earth yohei ito撮影
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tak4hir0 · 5 years ago
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DXとかDevOpsとかのなんかいい感じのやつ 富士通TechLive 1. DXとかDevOpsとかの なんかいい感じのやつ 2020/03/03 富士通 Tech Live 中山ところてん 1 2. 自己紹介 • ところてん • @tokoroten • 株式会社NextInt 代表 • 怪文章職人・インターネット芸人 • 最近のお仕事とか • 謎の講演とかワークショップ業 • 機械学習顧問(2社) • モバイルミドルウェア企業 • データ分析企業 • 新規事業コンサルティング(1社) • 業務改善コンサルティング(1社) • ゲームディレクター(1社) ↓共著 ↓寄稿↓共著 2 3. 今日の経緯 • だいたい、緑の恐竜が悪い 3 4. 注意 • このスライドは緑の恐竜がだいたい悪い • 自分が勉強したことや見聞きしたことが適当にまとまってます • ポエムであり怪文章です • 本ポエムは「闇のDevOps」というブログ記事を下敷きにして います • https://medium.com/@tokoroten/5aff8b60f589 • だいたい緑の恐竜が悪い、いいね? 4 5. 目次 • ソフトウェアが世界を食らう • DevOpsとは何か? • 日本の労働法とDX/DevOps • DevOpsとメンタル 5 6. Why Software Is Eating The World http://sora.rainbowapps.com/software https://www.wsj.com/articles/SB100014240531119034809045765122509156294606 7. ソフトウェアが全てを飲み込む • ソフトウェアによって置き換わったもの • 電話 → スマートフォン • カメラ → デジカメ → スマホ • レンタルビデオ → Youtube、NetFlix • 映画 → Pixer • 書店 → Kindle • タクシー → Uber • 地図 → Google Map • 小売店 → Amazon • 財布 → 電子決済アプリ • 全ての 8. President Obama asks America to learn computer science https://www.youtube.com/watch?v=6XvmhE1J9PY 8 9. • コンピュ��タ・サイエンスのスキルを身につけることは、皆さん自 身の未来のみならず、私達の国の未来にとっても、大事なことです。 • アメリカという国が最先端であり続けるためには、皆さんのような 若いアメリカ国民に、今後の世界のあり方を変えるようなツールや 技術について学んでもらわねばならないのです。 • 初めからコンピュータ・サイエンスの専門家の人なんていません。 しかし、少しの努力と数学と科学の知識で、誰でもコンピュータ・ サイエンティストになることができます。 • コンピュータは皆さんの未来の大部分を占めることになります。 President Obama asks America to learn computer science 9 10. 余談:オバマ前大統領のスピーチの背景 • 2013年12月に行われた、コンピュータ科学教育週間の応援 • コンピュータ科学教育週間の主催はCode.orgというNPO • https://hourofcode.com/jp • Hour of Codeというイベントを実施 • 1時間のプログラミングでコンピュータサイエンスに対する理解、興味 を持ってもらうのが目的 • 2013年はアメリカのみならず、170の国や地域から約1500万人が参加、 累計で5億行のプログラムが書かれた • コンピュータサイエンスを通じて「問題解決能力」「論理的思考」 「創造性」をはぐくむことで、21世紀のキャリアパスにおいて成功す る基盤を身につける 10 11. What Most Schools Don't Teach https://www.youtube.com/watch?v=nKIu9yen5nc 11 12. 全てはコンピュータに 12 13. 全ての職業にプログラマーが必要 • ポール・グレアム、Yahooに起きてしまったこと http://blog.livedoor.jp/lionfan/archives/52682119.html 13 14. 100の職業でどんな数学が使われるか • When Are We Ever Gonna Have to Use This? (1996) https://readingmonkey.blog.fc2.com/blog-entry-625.html 14 15. 100の職業でどんな数学が使われるか • コンピュータの利用は82/100の職業で必要 • プログラミングは13/100の職業で必要 • ただしこれは1996年の書籍 • 現在はもっと比率が上がっている と思われる https://readingmonkey.blog.fc2.com/blog-entry-625.html 15 16. 全ての産業でコンピュータが使われている • コンピュータ無しでの現代の産業は成り立たない • 1996年の書籍でも82/100の職業でコンピュータを使う • 日本の場合 • 工場の情報化は80年代から • 一般オフィスへの浸透は2000年ごろ • 1990年前後と現在を、フィクションの中で比較してみる • 1988 美味しんぼ • 1989 機動警察パトレイバー • 2015 SHIROBAKO • 2016 シン・ゴジラ • 2018 アグレッシブ烈子 16 17. 1988 美味しんぼ • 新聞社のオフィス • ワープロもなければパソコンもない 17 公開版は画像省略 18. 1989 機動警察パトレイバー ON TELEVISION • 当時はコンピュータは「電算室」にあるものだった 18 公開版は画像省略 19. 2015 SHIROBAKO • アニメの制作デスクはPC上で仕事をする 19 公開版は画像省略 20. 2016 シン・ゴジラ • 職員(国家公務員)はすべてPCを活用して仕事を行う 20 公開版は画像省略 21. 2018 アグレッシブ烈子 • 経理は全員PCを利用して仕事をしている 21 公開版は画像省略 22. 世界経済の変化(時価総額トップ10) https://finance-gfp.com/?p=2042 https://finance-gfp.com/?p=6595 石油、小売り、電気、通信、タバコ、銀行、薬品 ソフトウェア、ソフトウェア、銀行、医薬品 22 23. 日本経済の変化 https://finance-gfp.com/?p=2042 https://finance-gfp.com/?p=6595 23 24. 余談)石油王には勝てなかったよ…… • 2019年12月、サウジアラムコ(サウジ国営石油)がIPO • 時価総額200兆円超、世界一の時価総額に https://www.180.co.jp/world_etf_adr/adr/ranking.htm 24 25. 世界ではなにが起こっていたのか? • DX、DevOps、toCのソフトウェア会社が躍進 • ソフトウェアを全世界に輸出できている • 日本企業はうーん… • ソフトウェアの輸出ができていない? • じゃあ、DX、DevOpsって何よ?なんでDevOpsが必要なの? 25 26. 目次 • ソフトウェアが世界を食らう • DevOpsとは何か? • 日本の労働法とDX/DevOps • DevOpsとメンタル 26 27. DevOpsの初出 • 2009年、Velocity2009 • Flickrの事例 • 「DevとOpsが協力することで、1 日に10回のデプロイが可能にな る」 • やっていること • インフラの自動化 • バージョンコントロール • ビルドとデプロイが1ステップ • 監視の自動化、IRCにログ • etc https://www.slideshare.net/jallspaw/10-deploys-per-day-dev-and-ops-cooperation-at-flickr 27 28. 28 https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Devops.svg 29. CPAである限り無限スケール • マーケットの変化速度の上昇 29 30. 収益の主体がOpsに • ビジネスがサブスクリプション化 • Netflix、YouTube Premium • Amazon Prime、Kindle Unlimited • 各種SaaSアプリケーション • コマツ、KOMTRAX • GE、航空機のエンジンのサブスクリプション • Opsがよければユーザは契約を続ける • =品質が高ければLTVは上昇する • 満足度が高い顧客は、新規顧客を連れてくる • 口コミで評判を広めてくれるので、広告が効きやすくなる • =品質が高ければCPAが大幅に下がる 30 31. CPAの世界 • 利益=LTV-CPA • これが実現できていると、広告を打てば打つだけ利益が出る状態 • クラウドのスケールアウトと組み合わせて、急激な顧客拡大が可能になる • Opsが人手で事業拡大に時間とコストがかかるとこうはいかない 31 32. CPAの戦い方 • 例)IPO直前のGunosyは調達した資金をほぼ広告に投入 32 https://jp.techcrunch.com/2014/06/23/j p20140623gunosy/ https://jp.techcrunch.com/2014/0 3/14/jp140314gunosy-kddi/ 33. マーケットの変化速度の上昇 • 5000万ユーザ獲得までの時間 33 https://steemit.com/steemit/@johnnywingston/how-long-does-it-take-steemit-to-hit- 50-000-000-users--1502430927-1670258 34. 変化に対応するには細かい軌道修正が必要 • 従来の中央研究所方式の製品リリースでは世界と戦えない • 研究所で数年 • 事業会社でさらに1年開発 • 運用移管して数年の運用 • より短い期間で軌道修正を行える者が勝つ • リーン開発、スクラム、DevOps、DX 34 35. 生き残る種とは、最も強いものではない。 最も知的なものでもない。 それは、変化に最もよく適応したものである。 チャールズ・ダーウィン35 36. わが社でも DevOpsをやってみたいので、 どのツールを使えばいいのか 教えてほしい 36 37. 違う、そうじゃない 画像省略37 38. なぜDevOpsという言葉が出てきたのか? • DevとOpsは組織が分かれており、対立していることが一般的 だった コードのせいじゃないよ マシンのせいでしょ?マシンのせーじゃねーよ コードのせいだろ!! 38 39. なぜDevとOpsは対立していたのか? • 部署が分かれている • 評価基準が違う • 採用が違っていた 39 40. 直交する評価基準 安定性 新機能 新しい機能を追加すると、 バグは必ず出る 40 41. 直交する評価基準:Dev目線 安定性 新機能 現実 新機能追加しました!! これで儲かります!! 41 42. 直交する評価基準:Ops目線 安定性 新機能 現実 新機能で儲かるわけねぇよ どうせまたバグが出るだけだろ 42 43. ベクトルで分かる、部門対立 • 評価軸が部門ごとに独立 • Devは新機能軸を評価する(評価される) • Opsは安定性軸を評価する(評価される) • どうしてこうなった? • ハードウェアの時代の歴史的経緯による分業 • 現代では、分業による効率化、餅は餅屋 43 44. ハードウェアの時代の歴史的経緯 • 研究・開発・運用サポートの分離 • 少数精鋭・高学歴の研究開発 • 基礎技術の研究開発 • 製品の開発のための図面起こし • 高等教育を受けた製造オペレータ • 工場労働、製品の品質管理 • 大量の運用人員、労働集約産業 • 設備の設置、修理サポート、販売支援 • コールセンターサポート • 製品に何かあったら運用でカバーはこの時代から • ハードウェアはなかなか直せない 44 45. ソフトウェアの時代へ • ソフトウェアはハードウェアの従属物の時代 • ハードウェア時代のウォーターフォール開発が そのままソフトウェアに適用される • ハードウェア時代の組織構造がそのままソフトウェアに適用 • 設計:コードの設計をする人 • 製造:コードを書く人 • 保守:コードの運用+マシンのメンテをする人、サポセン • ソフトウェアのリリースも一年に一回、半年に一回程度 • 運用でカバーで何とかなっていた 45 46. 企業のネットが星を被い 電子や光が駆け巡っても 国家や民族が消えてなくなるほど 情報化されていない近未来 攻殻機動隊 GHOST IN THE SHELL(1991)46 47. 時代はインターネットへ • 毎日が機能追加、毎日がデプロイ、毎日がバグ • 開発部門は機能開発・売上が業績評価指標 • 運用部門は稼働率、SLAが業績評価指標 • 開発と運用では必要なスキルセットが異なるので、分業する • 開発部門と運用部門の業績評価指標が直交 • DevとOpsが対立する • じゃあ、これを何とかしようぜ、というのがDevOps • そして、そのキッカケはクラウドの登場(だと思っている) 47 48. 余談)少しずつ壊れていく分業 • 最初はうまくいく • なぜ部門が分割されたか皆が知っている • 隣の部門をカバーするように動く • 評価制度が狂いはじめる • 問題を分割したことによって、 評価が分かりやすい数字に置き換えられる • 部門の数値目標が一人歩きを始める • 個人の評価も同様の数値目標で行われるようになる • 考える人が居なくなる • 与えられた評価基準を満たすように皆が動くようになる • 隣の部門の問題は誰も知らない • 部署の間に落ちたボールは誰も拾わなくなる 48 49. クラウドの登場 • 1999年 VMWare • x86の完全仮想化 • 2000年 FreeBSD jail • 1台のPC内のユーザを仮想的にアイソレーションする • 2003年 Xen • 2005年 OpenVZ • 2006年 AWS EC2 • APIでキックしてインスタンスを立ち上げる • 2009年 FlickrがDevOpsの講演 詳しい話は緑の恐竜に聞いてください49 50. 余談:クラウドと仮想化って何が違うの? • 仮想化:基礎技術、1960年代からあった • 分散処理:基礎技術、1960年代からあった • クラウド:提供形態、2006年ごろから • クラウドは仮想化されたコンピューティング資源が、APIを経由してプログ ラマブルになったサービス • コンピュータを制御するのに、人の手を介さないでもよくなった • 人間が直接管理できるコンピュータはせいぜい10台程度 • コンピュータをコンピュータで制御することで限界突破 • より優れたプログラマは、より多くのコンピュータを扱える時代 • クラウドは人間の能力の限界を突破させた 50 詳しい話は緑の恐竜に聞いてください 51. 余談:Иττのクラウドに絶望した話 51 52. 余談:Иττのクラウドに絶望した話 • 入社式で分散処理の専門家のS先生がゲスト公演 • クラウドは人間をエンパワーする • より優れたプログラマが、 より多くのコンピュータを扱える時代が来る • クラウド��は人間の能力を100倍、1000倍に引き上げる仕組み • 社長の講演は全く覚えてなかったけど、 S先生の話は自分に深く刻まれていた • Иττのクラウドは人間をエンパワーしているか? • していない → 退職へ 52 53. クラウドの登場で何が変わったのか? • クラウドにより「計算機資源そのものが仮想化され、計算機資 源がプログラマブルになった」 • Ops業務のメインは「サーバ管理」=「計算機資源のマネジメント」 がであったが、これの大部分がプログラマブルになった • 仮想化や自動化に対して様々なツール・サービスが登場 53 54. Opsの手作業業務の大部分が自動化 • サーバラックに機材を積み込んで、 電源入れてOSインストールして、 必要なパッチを当てて、 ネットワーク回りの設定を書き換え、 サービスをデプロイして、 ログを画面に表示して目視確認して…… • 開発初期におけるOpsの手作業業務の大半がプログラマブルに • Infrastructure as a Code、 Immutable Infrastructure、に繋がる • DevがOpsの業務を取り扱えるようになった • Opsがプログラミングによって自らの仕事を減らすのもアリだが、 日本ではプログラミングのできるOpsが少ないため、 結果的にこうなることが多い 54 55. CPA時の急拡大対応 • DevとOpsの業務をプログラミングにより垂直統合 • 「手を取り合えば効率的になる」というわけではない • Opsの仕事をDevがプログラミングで奪い取る • 業績評価指標の見直し • 分業から垂直統合仕様に • 垂直統合前提で業績評価指標を見直す 55 56. DevOpsとはツールではない • 業務プロセスの垂直統合 • プログラマーの活動範囲の拡大 • オペレーションまで加味した全体最適化 • 全体最適化なので、業績評価指標を「全体最適」にする必要 • 個別最適の業績評価指標のままではDevOpsはできない 56 57. 業績評価指標をDevOps仕様にする • 一番簡単なのは生株付与やSO • 会社の評価額の上昇が、自らの利益になる • サービスの価値が上がる、会社の評価額が上がることなら何でもやる • 次に簡単なのはサービスの利益連動ボーナス • とはいえ、サービスの利益を計算するのはとても大変 • 人数が多くなると、その人の貢献を計測するのは超大変 • 配属ガチャで給与が決定されるという問題が生まれる • GoogleではSREとプロダクト開発チームはError Budgetを共 通の指標にする 57 58. Error Budget • SLO(Service Level objectives)に基づくError Budgetを設定 • DevとSREは Error Budget を共通の評価指標に • Devも稼働率を改善するのに協力する • サービスがダウンすると、その分 Error Budget が削られる • Error Budget が尽きるとデプロイできなくなる • Error Budget が尽きそうになったら、デプロイの間隔を下げる • その分、コードレビューやテストを厚くする • サービスの種類によって、設定されるBudgetの 大きさは異なる • 安定性が重要なtoBサービスは小さく • 改善速度が重要なtoCサービスは大きく • プロダクト性質に応じて柔軟に変更する 58 59. 目次 • ソフトウェアが世界を食らう • DevOpsとは何か? • 日本の労働法とDX/DevOps • DevOpsとメンタル 59 60. 日本の労働法の歴史的経緯1 • 明治時代 • 工場労働者は低賃金 • 給与を上げるには、スキル身に着けて転職 • 大正から太平洋戦争 • 熟練工の長期雇用をしたい • 社内で職工を育成、長期雇用が前提に • 年功賃金制、年功序列制の発生 • 生活給思想が広まる • 若年層に過度な高給を与えても飲食で浪費してしまう • 壮年層には、家族を扶養するために多くの給与を与えるべきだ • 賃金統制令、年功序列が法律で規定される 60 61. 日本の労働法の歴史的経緯2 • 戦後、電産型賃金体系 • 本人の年齢+扶養家族数をベースに生活給を決定 • これに職能給や勤続給を加えた年功賃金制度 • 占領軍、政府、経営はこれに反対 • 1950年代、職能給の確立 • 技術革新により新規工場が設立、大規模な配置転換が必要に なり、労働者は給与が維持されること条件にこれを労使合意 • 給与の維持=職能の維持、仕事が代わっても「職能」は変化しない • これにより、労働市場からの人材調達ではなく、 社内の配置転換による雇用調整がメインになる • 「勤続年数が長くなれば潜在能力が伸び、潜在能力があるか ら配置転換しても大丈夫」というのが建前 61 62. 日本の労働法の歴史的経緯3 • 1960~1970年代 • 配置展開が子会社、グループ会社間に拡大 • 転籍という形で企業の枠を超えた異動 • 人事権法理の確立 • 労働者の同意を得ない配置転換を正当とする • 配置転換に本人の同意が必要だとすると、同意を得られな かった場合、労働者を解雇することになる • 一方で解雇権は制限されている • 配置転換と解雇で、配置転換が優先される • ジョブ保障とメンバーシップ保障で後者が優先された 62 63. 日本の労働法の歴史的経緯4 • 1985年 男女雇用機会均等法 • 男性採用・女性採用のラベルを張替えて対応 • 男性採用→総合職 • (家族を養うので)職能給、年功序列で昇給 • コア業務、配置転換あり • 女性採用→一般職 • (結婚までの腰掛なので)昇給しない • 事務業務、配置転換なし • 日本企業は総合職の配置転換によりアジリティを 確保していた 63 64. 日本の労働法と事業会社 • 事業会社は配置転換を前提に従業員を雇用する • 配置転換できそうか?どこに配属しても大丈夫か? • そしてコミュ力採用に…… • そして産業の高度化について行けず…… • IT人材は社内での配置転換先がないので、雇いづらい • ITシステム開発には稼働の波があるが、事業会社一社ではこれを吸収できない • IT人材を配置転換したいが、配置転換先がない、なので雇えない • IT業務については社外に発注する → SIerへの依存 • 社内にITの専門家がいなくなる • 要件定義、発注、ベンダーコントロールができない • 日本的DX問題に発展、みずほ4500億円… … … 64 65. 余談:追い出し部屋は何故できるのか? • 日本の給与制度と、労働法の判例が合わさった結果の闇 • 解雇、不当な減給は禁止、でも配置転換はOK • 配置転換をして、自主的に進退を考えるように促すことはOK • 職能が上がってしまって、給与が上がり過ぎてしまった人が生まれる • 職能は「潜在能力(笑)」なので、計測が難しく、年功で上がってしまうことが多い • 職能は「潜在能力(笑)」なので、下げることが難しい • 職能は実際に仕事ができるかどうかは別 • 職能と役職はリンクすることが多いが基本的には独立 • 職能は高いが役職がない、という人が生まれる • リンクさせる必要がある場合、解雇か降格をする必要があるが、これは難しい • 「異動してきたばかりだから、出来なくても仕方ない、そのうち出来るようになるよ…」 65 66. 国内であれば乱暴に出来る 66 http://web.archive.org/web/20180223103231/http://tech.nikkeibp.co.jp/it/atcl /ncd/14/457163/111501934/ https://twitter.com/kumagi/status/966708024491442176 どうして記事が消えてるんですかね? 67. SI企業の配置転換の事例 67 https://www.nikkei.com/article/DGXMZO37008040W8A021C1TJC000/ 68. 保険事業者が介護事業を買収、配置転換 68 https://www.jiji.com/jc/article?k=2019062401063https://medfit-gl.jp/cw_job/column/1114.php 69. ローテーション人事とプログラミング 69 https://twitter.com/tokoroten/status/617923913964654592 70. 余談:本当にあった怖い話(n=1) • 優秀な新人はプロフィットセンターの生産部門へ • アレな新人はコストセンターのIT管理部門へ • IT管理部門が人材の吹き溜まりに…… • 現場とは話が通じるが、IT部門が30年遅れ…… • 何も考えずに安全側に倒しまくる • データは工場の外に出してはいけない、クラウドなんてもってのほか • ある種のイノベータのジレンマ • 稼いでいる部門に優先的にモノヒトカネを投入 • IT部門に投資して全体の効率を改善するという意思決定ができない 70 71. 分社化される大企業 • 労働者は「同一職能・同一賃金」を期待する • 経営者は「同一労働・同一賃金」にしたい • これを両立させるために、事業・職種ごとに分社化される • グループ会社間で異動させることで、給与を調整できる • 大きく給与を下げるのは判例的にはNG • どこの会社で最初に雇用されたかで給与差が生まれる • 親会社から送り込まれた天下りおじさんが自分の倍の給与をもらっておりモチベダウン • 大企業、本社指向で、そこに人が集まる • あと、ポストを用意したい • 人件費圧縮として行ってきた子会社戦略がDevOps、DXの足枷に • 部署の壁よりも厚い、会社間の壁が 71 72. そして火を噴く日本的労働 • 仕事が高度化、配置転換では対応できなくなってきてる • 配置転換先のない窓際おじさん、パソナルーム、追い出し部屋 • 配置転換をすることで「自発的に退職していただく」 • 先端業務で使える専門性が磨けないローテーション人事 • DXの要請、 2025年の崖 • 仕事の高度化=コンピュータ時代、全てがコンピュータの時代 • コンピュータが使えないやつに仕事がない時代 • ルールを作って人を管理する時代から、 コードを作ってコンピュータで世界を管理する時代へ • 機能別子会社による給与抑制は、DXの足枷になる • DXは業務をデジタルによって垂直統合をする • 部署の壁だけ��なく、会社の壁にぶち当たる 72 73. CPAの数式でビジネスが語れる世界 • toB、toGov • ビジネスのスケールが限定的、まだ変化速度は遅い • なので、全部が全部、DevOpsにならなくてはいけないわけ ではない 73 74. とはいえ、toB、toGovも変わっていく • 政府のソフトウェアのOSS化 • クラウドの採用、API化 • 入札からコンペ型・直接雇用の契約へ • Industory4.0やConnected Factoryによる事業のAPI化 • 少量多品種生産の増加、全自動フルカスタマイズ生産 • 変化速度が速まっていくことは間違いない • 遅かれ早かれ、WFタイプは減っていくんじゃないかなー 74 75. 例)東京都 新型コロナウィルス対策サイト • Github上でOSSで運営 • https://github.com/tokyo- metropolitan-gov/covid19 • Vue+Nuxt.js+Netlify • SSR かつ SPA • 一般からのPullRequestの 受付 • SIerはこの速度感でサービ ス提供できるか? 75 https://stopcovid19.metro.tokyo.lg.jp/ 76. 目次 • ソフトウェアが世界を食らう • DevOpsとは何か? • 日本の労働法とDX/DevOps • DevOpsとメンタル 76 77. 大本営発表マネジメント • 日本的な職能による昇進は、その職位に付く能力があるかない かとは関係なく行われる • マネジメント能力がない人がトップに就くと、大本営発表マネジメン トがよく行われる • 「俺たちは勝っている」というメッセージを発し続ける • 大本営発表マネジメントは、視野の狭い人には強烈に効く • 大半の人は「お気持ち」で働いており、「お気持ち」=生産性 • 視野の広い人には、強烈なマイナスに作用する 77 大本営発表マネジメントは私の造語なので、ググっても出てきません 78. めんどくさい人々 78 https://twitter.com/tokoroten/status/1235268249723359233 79. 失敗を語れるか? 79 https://twitter.com/tokoroten/status/1141273917308334080 80. How Not to Land an Orbital Rocket Booster 80 https://www.youtube.com/watch?v=bvim4rsNHkQ 81. ポストモーテム、検死 • 大本営マネジメントは、失敗から学ばない組織を作り上げる • 失敗したプロジェクトを社内でちゃんと話せるか? • 失敗のコストとは教育である 81 https://landing.google.com/sre/sre-book/chapters/postmortem-culture/ 82. Error Budgetは失敗を許容する • Error Budgetは開発者とSREの間でのインセンティブに使われる • 信頼性100%はあり得ない、誰でも、どんなシステムでも失敗する • Budgetが尽きない限り失敗してもよい • Budgetを設定することで、信頼性を上げすぎて、過剰コストになることを防止する • 失敗が起こることを前提に組織を回すことができる • 失敗をゼロイチで捉えない • SLAの場合、SLAを割ったかどうかでしか評価されない • SLAを下回ったから、謝罪、返金、社長が謝る、終わりの組織は多い • Budgetにして監視をすることで、連続値になり、 意思決定を柔軟に変えることができる 82 83. 学習姿勢と心理的安全性 • How Google Works ラーニングアニマルを採用す る • 自分の能力は変わらないと考えていると、その自己イメー ジを維持するために「到達目標」を設定する。一方、しな やかマインドセットの持ち主は「学習目標」を設定する。 • 学ぶこと自体が目標になると、くだらない質問をしたり、 答えを間違えたりしたら自分がバカに見えるのではないか などと悩んだりせず、リスクをとるようになる。 • ラーニング・アニマルが目先の失敗にこだわらないのは、 長い目でみればそのほうが多くを学び、さらなる高みに上 れることを知っているからだ。 84. プロジェクトアリストテレス • 心理的安全性はGoogleの調査からIT業界に広まった • Project Aristotle チームの生産性に何が寄与するかを調査するプロジェクト https://rework.withgoogle.com/jp/guides/understanding-team- effectiveness/ https://rework.withgoogle.com/print/guides/5721312655835136/ 85. 生産性には5つの要素が必要 • 次の5つが上から順に重要 • 心理的安全性(Psychological Safety) • 相互信頼(Dependability) • 構造と明確さ(Structure & Clarity) • 仕事の意味(Meaning) • 影響(Impact) • 真に重要なのは「誰がチームのメン バーであるか」よりも「チームがどの ように協力しているか」であった※ ※「Googleに採用されている人」という観測バイアスがかかっているので注意 https://rework.withgoogle.com/jp/guides/understanding-team-effectiveness/ 86. 心理的安全性の計測指標 • チームの中でミスをすると、たいてい非難される。 • チームのメンバーは、課題や難しい問題を指摘し合える。 • チームのメンバーは、自分と異なるということを理由に他者を拒絶す ることがある。 • チームに対してリスクのある行動をしても安全である。 • チームの他のメンバーに助けを求めることは難しい。 • チームメンバーは誰も、自分の仕事を意図的におとしめるような行動 をしない。 • チームメンバーと仕事をするとき、自分のスキルと才能が尊重され、 活かされていると感じる。 https://rework.withgoogle.com/print/guides/5721312655835136/ https://rework.withgoogle.com/jp/guides/understanding-team-effectiveness/steps/foster-psychological-safety/ 87. 心理的安全性とは何か? • 意訳: 心理的安全性とは、提案をしたり、質問をしたり、懸念してい たり、失敗したことによって、罰せられたり、恥をかかされた りすることが無いことだと信じている状態 https://www.youtube.com/watch?v=LhoLuui9gX8 88. 心理的安全性は何のために必要か? • ひとことで言うと、心理的安全があれば、厳しいフィード バックを与えたり、真実を避けずに難しい話し合いをしたり できるようになる。 • 心理的に安全な環境では、何かミスをしても、そのためにほ かの人から罰せられたり評価を下げられたりすることはない と思える。 • 手助けや情報を求めても、不快に思われたり恥をかかされた りすることはない、とも思える。 • そうした信念は、人々が互いに信頼し、尊敬し合っていると きに生まれ、それによって、このチームでははっきり意見を 言ってもばつの悪い思いをさせられたり拒否されたり罰せら れたりすることはないという確信が生まれる。 チームが機能するとはどういうことか 4章 心理的に安全な場を作る より引用 89. 心理的安全性の勘違い • 「うちの会社は心理的安全性があります!」に意味はない • セクハラだと当人が感じたらセクハラ • 心理的に安全だと当人が感じたら心理的安全 • 心理的安全性は、空間ではなく個人の体感 • 心理的に安全だと感じるラインは個々人で異なる • リーダーは「ここまでやっても安全だ」と見せる必要がある • 自社の失敗をモンティパイソンのBGMで紹介できるか? • 周りはなかなか変えられない、自分は変えられる • 心理的安全性のラインが高い人を雇用することも大事 90. 個人が心理的に安全になるには? • なぜ人は発言しなくなるのか? • 会社や組織と対立することによって、自分の仕事が危うくなると思っている • 日本的な雇用は対立を極端に恐れる • いつ配置転換で地方に飛ばされるか分からないし…… • 会社や組織に対して強くなることでも心理的安全性は改善する • 会社や組織が間違っているのであれば、いつでも出ていける • クビを切られたとしても明日からでも行ける会社がある • 対立したとしてもそれは学習だと認識する • 能力・人脈・転職活動・学習姿勢がある人は、 対立を恐れずにGive firstができる 91. DevOpsが出来る人材を雇用する • そもそもプログラミングが���来ることが必須 • 失敗を学びだと認識できる人 • 目の前の不確かな事象を理解できる言語能力の高さ • 人と対立してもそれを感情ではなく、ロジックで解釈する • 全体最適を意識した動きをするための視野の広さ • HRT、謙虚・尊敬・信頼を持った人 • コミュ力と言語能力は違う • 相手に共感することと、論理的に情報をやり取りする能力は違う • 言語能力が高い人を正しく採用する • これを間違えると、言葉狩り、ポリコレ、コンプラ地獄に陥る • 配置転換を前提とした企業は、コミュ力に寄りがち 91 92. HRT(謙虚・尊敬・信頼) • 優れた開発チームでは、HRTの価値が大切にされている • 謙虚 Humility • 世界の中心は君ではない。 君は全知全能ではないし、絶対に正しいわけでもない。 常に自分を改善していこう。 • 尊敬 Respect, • 一緒に働く人のことを心から思いやろう。 相手を一人の人間として扱い、その能力や功績を高く評価しよう。 • 信頼 Trust • 自分以外の人は有能であり、正しいことをすると信じよう。 そうすれば、仕事を任せることができる。 • HRTは学び続け、成長し続けるための姿勢 • HRTの逆を考えてみればよい、人から学ぶことが出来なくなる • HRTを持つことで同僚の行動に対して正しく振る舞える • 同僚は安心して自己を開示し、良い議論が行えるようになる 93. NETFLIXの事例 • 一時ネットフリックスはバッファリング時間(ビデオをクリックして からスタートするまでの時間)の短縮に大苦戦していた。エンジニア にしか完全には理解できない、厄介きわまりない問題だ。 • 私たちはセールスとマーケティングの担当者に要請した。「あのくそ いまいましいバッファリング問題をなんとかしてくれ!」とエンジニ アにぶちまける代わりに、「なぜバッファリングにこんなに時間がか かるのか、わかるように説明してくれ」と聞いてほしい、そしてその 質問は本心からぶつけてほしいと。 • 相手がとりくんでいる課題に心から関心をもってする質問は、理解の 架け橋になる。技術系でない従業員は、この質問への答えを通して、 エンジニアが��んなに手ごわい課題にとりくんでいたかを初めて知り、 視野を大きく広げた。 • こうした質問を投げかけるうちに、やがて社内に好奇心と敬意が育ま れ、チームや部門の内外で有益な学習が行われるようになった。いい 加減な噂や陰口のたぐいも減った。 NETFLIXの最強人事戦略4章より引用 94. 余談)IPOでレガシー化するベンチャー企業 • 売り上げを増やすために商品を増やす • 商品を増やすために人を一気に増やす • 人材レベルが低下して、大本営マネジメントが始まる • 市場に対して弱気を見せると株価が落ちる • 市場への強気のアピールは社員の自己洗脳につながる • 対外的なポストモーテムは株価に影響が出ると思い込んでしまう • 社内で失敗の分析や、ネガティブな発言は禁忌となる • 失敗から学ばなくなる • 監査対応でレガシーなシステムが必要になってしまう • 会計監査、内部統制 • 外部の会計会社が慣れ親しんだワークフローを要請される • チェックリスト地獄、監査がレガシー • それをビジネスに組み込んでしまうとシステムが複雑化、レガシー化 94 95. 余談)クソスクラム野郎問題 • 「俺たちはスクラムをしているから勝っている!」と思い込む • 大本営発表マネジメントの亜種 • プロセスを信奉して思考停止する • プロセスは改善するものであり、信奉するものではない • スクラムは「まずは型をコピーするところから始め、自らのビジネス に合わせてカスタマイズしていく」という守破離を説いているが、 そのせいで、守で満足して思考停止してしまう人が多い • 新しいことをするのは怖い、勝ってることにするのは楽 • 「俺はスクラムが嫌いだ」と言うスクラムマスターが何人も… 95 96. SIerはどうなるのか? • 企業・公共のアジリティを上げる流れ • 公共のOSS化、公共のクラウド化 • 世界は「WFよりも、DevOpsのほうがコストが下がる」ということを 知ってしまった • 柔軟な予算体制を組める組織はそちらに移行していく • 準委任契約の請負とか • ITシステム入札の闇にそろそろ気づき始めている • 結論 • 知らんがな、うちは単なる中小企業だ、俺に聞くな • 緑の恐竜がだいたい悪い 96 97. 大企業はどうしているのか? • 既存ビジネスを変更するコストは激烈にヤバイ • 新しい子会社を作るのは簡単 • 新しい人事評価制度、採用ラインで運用 • 最近できたRidgelinez社とか、傍からはそう見える • 既存ビジネスはキャッシュマシンとして現状維持、 新規子会社でチャレンジをする • 現状に危機感を覚えたら、こういうチャレンジをして いる子会社への転職・転属・出向を考えるのもアリ • 富士通クラウドテクノロジーの人にこの辺の話を聞 いてみたい • 富士通標準の業務プロセスをどうやって潰して、 DevOps体制を構築した? • どのように人材を雇用した? 評価した? • 次回の富士通 Tech Liveとかで話してもらったら面白 いんじゃない? 知らんけど 97 https://pr.fujitsu.com/jp/news/2020/01/30.html 98. 余談:DXできてない企業だと思う事例 • 激ヤバドメイン • なんで富士通が2回? 階層おかしくない? • fujitsu.com/jp/ の下にあるべきなのでは? • コンウェイの法則 • システム設計は組織構造を反映したものになる • 社内政治の壁がドメイン名から透けて見える • 公式ウェブサイトを改修する権限をもらうよりも、 サブドメインを切るほうが楽というのは異常 • 心理的安全性 • 激ヤバドメインにたいしてストップをかけられる 人がいなかったという機能不全感 https://twitter.com/tokoroten/status/1228559664163385346 98 99. 参考資料 • 闇のDevOps DevOpsと業績評価 • https://medium.com/@tokoroten/5aff8b60f589 • xOps: エンジニアがスタートアップの成長の原動力となる日 • https://www.slideshare.net/takaumada/xops • 技術の創造と設計 • https://amzn.to/2VPFaYX • 日本の雇用と労働法 • https://amzn.to/2vxJPDY • How Google Works • https://amzn.to/2TB1J0s • SRE サイトリライアビリティエンジニアリング • https://amzn.to/3cmkvkS 99
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arara1212 · 5 years ago
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須坂市「Kitchen&bar SABO」ジェノヴェーゼ 場所 長野県須坂市南横町1637 ツインエースビル 1F 電話 026-246-6650 駐車場 あり  わずかな邂逅でありながら、強烈な印象を受けることがある。たとえば「天井桟敷の人々(1945)」でのピエール・ルノアール。あの大画家の長男のダミ声と大げさでクサすぎる芝居が忘れられない。「旅路の果て(1939)」のルイ・ジューヴェも凄かった。かつてのプレイボーイが自らの老醜に気づき静かに狂っていく。あのギラついた瞳が凄かった。  相変わらず映画のことばかりで恐縮だがもう一人。シャルル・ヴァネルというフランスの俳優がいる。1989年に97歳で亡くなっているから、よほど昔に活躍した方だ。主役よりも脇を固めるのを得意とする俳優で、「恐怖の報酬(1953)」では最初は主役(イブ・モンタン)を軽々といなすダンディな旦那衆が、恐怖で常軌を逸していく熱演が凄まじかった。その他「悪魔のような女(1955)」を観ているはずだがよく覚えていない。  もうひとつ彼のごく晩年の出演作に「道づれ(1979)」がある。テレビムービーとして制作されたものだ。ひとり暮らしのおじいちゃんが息子を訪ねるべく旅��するのだが、途中さまざまな人々を道づれにしていく。というストーリーだが、すでに90を越えていたはずのシャルル・ヴァネルの飄々とした演技が絶妙だった。  彼の演技ともう一つ忘れられないものがあった。作中に登場する、緑色のスパゲティが分からなかった。70年代後半とはいえ、ジェノベーゼソースなるものを知っている一般家庭などあったろうか。   「Kitchen&bar SABO」 須坂のほぼ中心市街地、道沿いにあるピンクの外装がおしゃれな店だ。こちらはランチはサラダバーとドリンクバーがついてくる。食べ放題好きとしてはたまらない。  「サラダバー」 山盛りレタスと玉子サラダ、ポテトサラダ、マカロニサラダ、カボチャサラダ、春雨サラダ、金時豆、ドレッシングも6種用意されている。欲張りオヤジはこれでもかと盛りつけてしまう。  「自家製!春菊のジェノヴェーゼ」1350円 通常、ジェノベーゼといえばバジリコを用いるのだが、それを春菊に替えたというのがミソである。といってあまり苦味はなくブロッコリーとキュウリが味わいと歯ごたえに変化を与えてくれた、小気味よいパスタであった。  「5種類のデザート盛り合わせ」480円 5種の日替わりデザートが楽しめる一品だ。チョコとフランボワーズのアイス、抹茶のババロア、紅茶シフォンケーキ、ティラミスと個性的なデザートが並ぶ。こういうものが目の前にあると、じつにご機嫌な気分となる。   シャルル・ヴァネルとは上記2本のおつきあいでしかない。しかし、こういう存在はたまらない。私もこのようなものになってみたいが、修行が足らなさすぎるだろうなぁ。   #長野  #須坂市  #ランチ  #パスタ  #ジェノベーゼ  #春菊  #ブロッコリー  #きゅうり  #ベーコン  #スパゲティ  #デザート  #スイーツ  #sweets  #アイスクリーム  #シフォンケーキ  #ティラミス  #抹茶  #抹茶スイーツ  #ババロア  #サラダバー  #レタス  #ポテトサラダ  #マカロニサラダ  #玉子サラダ  #カボチャサラダ  #春雨サラダ  #金時豆  #インスタグルメアワード2019  #좋아요_한국 #좋아요_일본 http://araralunch.work (Kitchen&bar SABO) https://www.instagram.com/p/B5n8kYHAt21/?igshid=1q5x1h5qhkfoz
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kkagtate2 · 5 years ago
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お地蔵様
里帰りした男の話。
これは実に二十年ぶりに里帰りした時の話である。思ひ立つたのは週末の金曜日、決行したのは明くる日の土曜日であつたが、何も突然と云ふことではなく、もう何年も昔から、今は無き実家の跡地を訪れなければならないと、漠然と思つてゐ、きつかけさへあればすぐに飛び立てるやう、心の準備だけはしておいてゐたのである。で、その肝心のきつかけが何なのかと云へば、私が小学生の時分によく帰り道を共にした女の子が手招きをするだけといふ、たわいもない夢だつたのだが、私にとつてはそれだけで十分であつた。一泊二日を目安に着替へを用意し、妻へは今日こそ地元の地を踏んでくると、子供へはいゝ子にしてゐるんだよと云ひ残し、一人新幹線に乗り込んだ私は、きつかけとなつた夢を思ひ出しながら、生まれ育つた故郷へ真直ぐ下つて行つた。
実のことを云ふと、この時にはすでに旅の目的は変はつてゐたやうに思へる。私の故郷といふのは、周りを見渡せば山と川と田んぼしかないやうな田舎で、目を閉じてゆつたりと昔を懐かしんでゐると、トラクターに乗つてゆつくりとあぜ道を走るお爺さんだつたり、麦わら帽子を目深に被つてのんびり畑を耕すお婆さんだつたりと、そんなのどかな光景が頭に描かれるのであるが、新幹線のアナウンスを聞きながら何にも増してはつきりと思ひ出されたのは、一尊のお地蔵様であつた。大きさはおよそ二尺程度、もはや道とは呼べない山道の辻にぽつんと立つその地蔵様には、出会つた時から見守つていただいてきたので、私たちにとつてはもはや守り神と云へやう。私たちはお互ひ回り道になると云ふのに、道端で出会ふと毎日のやうにそのお地蔵様を目指し、ひとしきり遊んだ後、手を合はせてから袂を分かつてゐた。さう云へば最後に彼女の姿を見たのもそのお地蔵様の前であつたし、夢の中でも彼女はそのお地蔵様の傍にちよこんと座つて、リンと云ふ澄んだ鈴の音を鳴らしながら、昔と同じ人懐つこさうな目をこちらに向けてゐた。ちなみにこゝで一つお伝へしておくと、彼女の夢を見た日、それは私が故郷を離れ、大阪の街へと引つ越した日と同じなのである。そしてその時に、私は何か大切なものをそこへ埋めたやうな気がするのである。――と、こゝまで考へれば運命的な何かを感じずには居られまいか。彼女が今何処で何をしてゐるのかは分からない。が、夢を通じて何かを訴へかけてきてゐるやうな気がしてならないのである。私の旅の目的は、今は無き実家を訪れるといふのではなく、彼女との思ひ出が詰まつたその地蔵を訪れること、いや、正確には、小学校からの帰り道をもう一度この足で歩くことにあつた。
とは云つても、地元へは大阪からだと片道三四時間はかゝるので、昼過ぎに自宅を出発した私が久しぶりに地に足をつけた時にはすつかり辺りは暗くなりつゝあつた。故郷を離れた二十年のうちに帰らなかつたことはないけれど、地方都市とは云つても数年と見ないあひだに地味に発展してゐたらしく、駅周辺はこれまで見なかつた建物やオブジェがいくつか立ち並んでゐて、心なしか昔よりも賑やかな雰囲気がする。駅構内もいくつか変はつてゐるやうであつたが、いまいち昔にどんな姿をしてゐたのか記憶がはつきりしないため、案内に従つてゐたらいつの間にか外へ出てしまつてゐた程度の印象しか残つてゐない。私は泊めてくれると云ふ従妹の歓迎を受けながら車に乗り込んで、この日はその家族と賑やかな夜を飲み明かして床についた。
  明くる日、従妹の家族と共に朝食をしたゝめた私は、また機会があればぜひいらつしやい、まだ歓迎したり無いから今度は家族で来て頂戴、今度もまたけんちやんを用意して待つてゐるからと、惜しまれながら昨晩の駅で一家と別れ、いよ〳〵ふるさとへ向かふ電車へと乗つた。天気予報の通りこの日は晴れ間が続くらしく、快晴とはいかないまでも空には透き通るやうに薄い雲がいくつか浮いてゐるだけである。こんな穏やかな日曜日にわざ〳〵出かける者��居ないと見えて、二両しかない電車の中は数へられるくらゐしか乗客はをらず、思ひ〳〵の席に座ることが出来、快適と云へば快適で、私は座席の端つこに陣取つて向かひ側の窓に映る景色をぼんやりと眺めてゐたのであるが、電車が進むに連れてやはり地方の寂しさと云ふものを感じずにはゐられなかつた。実は昨晩、駅に降り立つた私が思つたのは、地方もなか〳〵やるぢやないかと云ふことであつたのだが、都会から離れゝば離れるほど、指数関数的に活気と云ふものが減衰して行くのである。たつた一駅か二駅で、寂れた町並みが現れ始め、道からは人が居なくなり、駅もどん〳〵みすぼらしくなつて行く。普段大阪で生活をしてゐる私には、電車に乗つてゐるとそのことが気になつて仕方がなかつた。さうかと云つて、今更故郷に戻る気もないところに、私は私の浅ましさを痛感せざるを得なかつたのであるが、かつての最寄り駅が近づくに従つて、かう云ふ衰退して行く街の光景も悪くは無いやうに感じられた。それは一つにはnostalgia な気持ちに駆られたのであらう、しかしそれよりも、変はり映えしないどころか何もなかつた時代に戻りつゝある街に、一種の美しさを感じたのだらうと思ふ。何にせよ電車から降り立つた時、私は懐かしさから胸いつぱいにふるさとの空気を吸つた。大きいビルも家も周りにはなく、辺り一面に田んぼの広がるこの辺の空気は、たゞ呼吸するだけでも大変に清々しい。私はバス停までのほんの少しのあひだ、久しく感じられなかつたふるさとの空気に舌鼓を打ち続けた。
バス停、……と云つてもバスらしいバスは来ないのであるが、兎に角私はバスに乗つて、ちやつとした商店に囲まれた故郷の町役場まで行くことにした。実のこと、さつきまで故郷だとかふるさとだとか云つてゐたものゝ、まだ町(ちやう)すらも違つてをり、私のほんたうの故郷へは駅からさらに十分ほどバスに揺られ無ければ辿り着けず、実家へはその町役場から歩いて二十分ほどかゝるのであるが、残念なことにそのあひだには公共交通機関の類は一切無い。しかしかう云ふ交通の便の悪さは、田舎には普通なことであらう。何をするにしても車が必須で、自転車で移動をしやうものなら急な坂道を駆け上らねばならず、歩かうものならそれ相応の覚悟が要る。私は自他ともに認める怠け者なので、タクシーを拾はうかと一瞬間悩んだけれども、結局町役場から先は歩くことした。母校の小学校までは途中まで県道となつてをり、道は広く平坦であるから、多少距離があつても、元気があるうちはそんなに苦にならないであらう、それに何にも増して道のすぐ傍を流れる川が美しいのである。歩いてゐるうちにそれは美化された思ひ出であることに気がついたけれども、周りにはほんたうに田んぼしか無く、ガードレールから下をぐつと覗き込むと、まだゴツゴツとした岩に水のぶつかつてゐるのが見え、顔を上げてずつと遠くを見渡すと、ぽつぽつと並ぶ家々の向かうに輪郭のぼやけた山々の連なる様が見え、私はついうつかり感嘆の声を漏らしてしまつた。ほんたうにのどかなものである。かうしてみると、時とは人間が勝手に意識をしてゐるだけの概念なやうにも思へる。実際、相対性理論では時間も空間的な長さもローレンツ変換によつて同列に扱はれると云ふ。汗を拭いながら足取りを進めてゐると、その昔、学校帰りに小遣ひを持ち寄り、しば〳〵友達と訪れた駄菓子屋が目に入つて来た。私が少年時代の頃にはすでに、店主は歩くのもまゝならないお婆さんであつたせいか、ガラス張りの引き戸から微かに見える店内は嫌にガランとしてゐる。昔はこゝでよく風船ガムであつたり、ドーナツであつたり、はたまた文房具を買つたりしたものであつたが、もう営んではゐないのであらう。その駄菓子屋の辺りがちやうど田んぼと人の住処の境で、県道から外れた一車線の道先に、床屋や電気屋と云つた商店や、古びたしまうたやが立ち並んでゐるのが見えるのだが、どうもゝうあまり人は居ないらしく、その多くはピシャリと門を締め切つてゐる。中には荒れ屋敷化してしまつた家もあつた。
と、そこでやうやく母校の校庭が見えて来た。町役場からゆつくり歩いて二十五分と云つたところであらうか、時刻を確認してみるとちやうど午前十一時である。徐々に気温が上がつて来てゐたので、熱中症を心配した私は、適当な自販機を見つけるとそこで水を一本買つた。小学校では何やら催し物が開催されてゐるらしく、駐車場には何台もの車が停まつてをり、拡声器を通した賑やかな声が金網越しにぼや〳〵と聞こえてきたのであるが、何をやつてゐるのかまでは確認はしてゐない。おそらく子供会のイベントでもやつてゐたのであらう。さう云へば私も昔、めんだうくさい行事に参加させられた憶えがある。この学校は作りとしてはかなり平凡であるのだが、さすがに田舎の学校ともあつて緑が豊富であり、裏には先程沿ひながら歩いて来た川が通つてゐる。久しぶりにその川にまで下つてみると、記憶とは違つてカラリ��乾いた岩がゴロゴロと転がつてをり、梅雨時のじめ〳〵とする季節でも涼を取るには適してゐるやうに感じられた。一体、こゝは台風がやつて来ると自動的に被害を受ける地域で、毎年子どもたちが夏休みに入る頃には茶色く濁つた濁流が溢れるのであるが、今年はまだ台風が来てをらず、降水量も少なかつたこともあつて、さら〳〵と小川のやうな水の流れが出来てゐる。昔、一度だけ訪れたことのあるこの川の源流部でも、このやうな流れが出来てゐたやうな憶えがある。が、源流のやうに水が綺麗かと問はれゝば、決して肯定は出来ない。手で掬つてみると、太陽の光でキラキラと輝いて一瞬綺麗に見えるけれども、じつと眺めてゐると苔のやうな藻がちらほら浮いてゐるのが分かり、鼻にまで漂つて来る匂ひもなんだか生臭い。それにしても、この手の中で漂つてゐる藻を藻と呼んでいゝのかどうかは、昔から疑問である。苔のやうな、とは形容したけれども、その色は生気を感じられない黒みがかつた赤色で、実はかう云ふ細長い虫が私の手の上で蠢いてゐて、今も皮膚を食ひ破つて体の中に入らうとしてゐるのだ、と、云はれても何ら不思議ではない。さう考へると、岩に引つ付いてうよ〳〵と尻尾を漂はせてゐる様子には怖気が走る。兎に角、話が逸れてしまつたが、小学生の時分に中に入つて遊んだこの川はそんなに綺麗では無いのである。むしろ、影になつてゐるところに蜘蛛の巣がたくさん巣食つてゐたり、どす黒く腐つた木が倒れてゐたりして、汚いのである。
再び母校へと登つて、先程通つて来た道に戻り、私は歩みを進め初めた。学校から出るとすぐに曲がり角があつて、そこを曲がると、右手には小高い山、左手にはやはり先程の川があり、その川の向こう側に延々と田んぼの並んでゐるのが見える。この辺りの光景は今も昔も変はらないやうである。道の先に見える小さな小屋だつたり、ガードレールだつたり、頼りない街灯も変はつてをらず、辛うじて残つた当時の記憶と綺麗に合致してゐる。私は変はらない光景に胸を打たせつゝ、右手にある山の影の下を歩いていつた。そして、いよ〳〵突如として現れた橋の前に辿り着くや、ふと歩みを止めた。彼女と学校帰りに会ふのはいつもこゝであつた。彼女は毎回リンリンと軽快な鈴の音を辺りに響かせながら、どこからともなく現れる。それは橋の向かふ側からゆつくりと歩いて来たこともあれば、横からすり寄つて来たこともあつたし、いきなり背後を取られたこともあつた。私はゆつくりと目を閉じて、ゆつたりと深呼吸をして、そつと耳を澄ませた。――木々のざわめきの中にかすかな鈴の音が、確かに聞こえたやうな気がした。が、目を開けてみても彼女はどこにも居ない。今もどこかから出てきてくれることを期待した訳ではないが、やはり一人ぽつんと立つてゐるのは寂しく感じられる。
橋の方へ体を向けると、ちやうど真ん中あたりから強い日差しが照りつけてをり、反射した光が目に入つて大変にまばゆいので、私はもう少し影の下で居たかつたのであるが、彼女がいつも自分を待たずに先々行つてしまふことを思ひ出すと、早く歩き始めなければ置いていかれてしまふやうな気がして歩き始めた。橋を渡り終へてすぐに目に飛び込んで来たのは、川沿ひにある大きなガレージであつた。時代に取り残されたそれは、今も昔も所々に廃材が積み上げられてゐ、風が吹けば倒れてしまいさうなシャッターの中から、車だつたり、トラックの荷台だつたりがはみ出してゐるのであるが、機材や道具などが放りつぱなしになつてゐることから、未だに営んではゐるらしい。何をしてゐるのかはよく知らない。が、聞くところによると、こゝは昔からトラックなどの修理を行つてゐるところださうで、なるほど確かにたまに危なつかしくトラックが通つて行つてゐたのはそのためであつたか。しかし、今見ると、とてもではないが生計が成り立つてゐるやうには思へず、侘しさだけが私の胸に吹き込んで来た。二十年前にはまだ塗料の輝きが到るところに見えるほど真新しかつた建物は、今では積み上げられたガラクタに埋もれたやうに古く、痛み、壁なぞは爪で引つ掻いたやうな傷跡がいくつも付けられてゐる。ガレージの奥にある小屋のやうな家で家族が暮らしてゐるやうであるのだが、その家もゝはや立つてゐるのが限界なやうである。さて、私がそんなボロボロのガレージの前で感傷に浸つてゐたのは他でもなく、彼女がこゝで遊ぶのが好きだつたからである。する〳〵と積まれたガラクタの上を登り、危ないよと云ふこちらの声を無視して、ひよい〳〵とあつちこつちに突き出た角材に乗り移つて行き、最後には体を蜘蛛の巣だらけにして降りてくる。体を払つてやらうと駆け寄つても、高貴な彼女はいつもさつと逃げてしまふので、仕方なしにそのへんに生えてゐる狗尾草(エノコログサ)を手にして待つてゐると、今度はそれで遊べと云はんばかりに近寄つて来ておねだりをする。その時の、手にグイグイグイグイ鼻を押し付けてくる仕草が殊に可愛いのであるが、だいたいすぐに飽きてしまつて、気がついた時には喉をゴロゴロと云はしながら体を擦り寄せて来る。これは愛情表現と云ふよりは、早く歩けと云ふ彼女なりの命令で、無視をしてゐるとこちらの膝に乗つてふてくされてしまふので、帰りが遅くならないようにするためには渋々立ち上がらなければならない。
さう云へばその時に何かを食べてゐたやうな気がするがと思ひ、私は彼女との思ひ出を振り返りつゝ辺りを見渡してゐた。するとガレージの横に鬱蒼と生い茂る草木の中に、柿の木と桃の木の生えてゐるのが見つかつた。だが、ほんたうに一歩も入りたくないほどに、大葉子やら犬麦やら髢草が生えてをり、当時の私が桃やら柿やらを毟り取つて食べてゐたのかは分からない。しかしさらに見渡しても、辺りは田んぼだらけで実のなる木は無いことから、もしかしたら先程の橋を渡る前に取つて来て、彼女の相手をしてゐるあひだに食べてゐたのかもしれない。先程道を歩いてゐる時にいくつかすもゝの木を見かけたから恐らくそれであらう。なるほど、すもゝと云ふ名前にはかなり聞き覚えがあるし、それになんだか懐かしい響きもする。それにしてもよく考へれば、そのあたりに生えてゐる木の実なぞ、いつどこでナメクジやら毛虫やらが通つてゐるのか分からないし、中に虫が巣食つてゐたのかもしれないのに、当時の私はよく洗いもせず口にしてゐたものである。今思ふとものすごく怖いことをしてゐたやうに感じられる。何にせよ、彼女はいつももぐ〳〵と口を動かす私を不思議さうに見てきては、差し出された木の実を匂ふだけして興味のなさゝうな顔をしてゐた。なんや食べんのか、お前いつたい、いつも何食べよんな。と、問うても我関せずと云ふ風に眼の前で伸びをするのみで、彼女は彼女でしたゝかに生きてゐるやうであつた。
気がつけば私は座り込んでゐた。眼の前では彼女が昔と同じやうに、なんちやら云ふ花の前に行つては気持ちよさゝうに匂いを嗅いで、恍惚とした表情を浮かべてゐる様子が繰り広げられてゐた。少しすると彼女の幻想は私の傍に寄つて来て、早く行きませう、けふはもう飽きてきちやいました、と云ふ。そして、リンと鈴の音を立たせながらさつと身を翻して、私の後ろ側に消えて行く。全く、相変はらず人を全く待たない子である。いや〳〵、それよりも彼女の亡霊を見るなんて、私は相当暑さにやられてゐるやうであつた。すつかりぬるくなつた水を口に含むと、再び立ち上がつて、田植えが行われたばかりの田んぼを眺めながら、彼女を追ひかけ初めた。
ところで、もうすでに読者は、延々と続く田んぼの風景に飽きてきた頃合ひであらうかと思ふ。が、そのくらゐしか私のふるさとには無いのである。私ですらこの時、懐かしみよりも飽き〳〵としてきた感情しか沸かなかつたので、もう今後田んぼが出てきたとしても記さないと約束しよう。だが歩いてゐると、いくつか昔とは違つてゐることに気がついたので、それは今こゝで記しておくことにする。まず、田んぼのあぜ道と云ふものがアスファルトで鋪装されてゐた。それも最近鋪装されたばかりであるらしく、未だにぬら〳〵と黒く輝いてをり、全くもつて傍に生えてゐる草花の色と不釣合ひであつた。かう云ふのはもはや都会人である私の嘆きでしか無いが、こんな不自然な黒さの無い時代を知つてゐるだけに残念である。二つ目は、新たに発見した田舎の美しさである。これはガレージの道のりからしばらくして空を仰いだ時に気がついたのだが、まあ、順を追つて説明していかう。断末魔のやうなツクツクホーシの鳴き声を聞くために足を止めた私は、ぼんやりと眼の前にある虎杖(いたどり)を眺めてゐた。ゆつくりと目を動かすと、崖のような勾配の向こう側に田んぼがだん〳〵になっているのが見える。決して棚田と云へるほど段と段が詰まつてゐる訳ではないが、その棚田のやうな田んぼのさらに向かふ側に、楠やら竹やら何やらが青々と茂つてゐるのが見え、そして、もう少し見渡してみると空の上に送電鉄塔がそびえているのが見えた。この鉄塔が殊に美しかつたのである。濃い緑色をした木に支へられて、淡い色の空をキャンバスに、しつかりとした質感を持つて描かれるそれは、赤と白のしま〳〵模様をしてをり、おそらく私は周りの自然とのコントラストに惹かれたのだらうと思ふ。この旅で最も美しかつたものは何ですかと聞かれたならば、空にそびえ、山と山を繋ぐ鉄塔ですと答へやう、それほどまでに私はたゞの鉄塔に感銘を受けてしまひ、また来ることがあるならば、ぜひ一枚の作品として写真を撮りたいと思ふのであつた。
ところで読者はその鉄塔の下がどのやうになつてゐるのかご存知であらうか。私は彼女と一緒に足元まで行つた事がある。行き方としてはまず田舎の道を歩くこと、山の中へ通ずる道なき小さな道を見つけること、そして藪だらけのその道に実際に飛び込んでみることである。もしかすると誰かのお墓に辿り着くかも知れないが、見上げて鉄塔がそびえてゐるならば、五分〳〵の割合でその足元まで行きつけるであらう。お地蔵様へ向かふために山道(やまみち)に入つた私は、その小さな道のある辻に来た時、つい鉄塔の方へ足を向けさうになつた。が、もうお昼時であるせいかグングン気温が上がり始め、路端(みちばた)の草いきれが目に見えるやうになつてゐたので、鉄塔の下で足を休めるのは次の機会にと思ひ、山道を登り始めた。別に恐ろしいと云ふほどではないけれども、車の音がずつと遠くに聞こえるせいか現世から隔離されたやうで、足取りはもうずいぶん歩いて来たにも関はらずかなり軽快である。私は今頃妻が子供と何をしてゐるのかぼんやりと想像しつゝ、蔓のやうな植物が、にゆる〳〵と茎を伸ばしてゐる柔らかい落ち葉の上を、一歩〳〵よく踏みしめて行つた。日曜の夕食時、もしかするとそれよりも遅くなるかもしれないが早めに帰ると云ふ約束の元、送り出してくれた妻は、今日はあなたが行きたがつてた王子動物園に行つてくるからいゝもん、と仰つていらつしやつたから、思ふに今頃は、子供を引き連れて遊びに行つてゐるのであらう。それも惜しいが、ペットたちとのんびりと過ごせなかつたのはもつと惜しい。特に、未だに懐いてくれない猫と共に週末を過ごせなかつたのは、もうかれこれ何年ぶりかしらん? あの猫を飼ひ始めてからだから、恐らく六年ぶりであらう。それにしてもどうして猫だけは私を好いてくれないのだらうか、家で飼つてゐる猫たちは、もう何年も同じ時を過ごしてゐるのに、私をひと目見るや尻尾を何倍にも膨らませて威嚇をしてくる。そんなに私が怖いのか。――などと黙々と考へてゐたのであるが、隧道のやうな木の生い茂りが開けた頃合ひであつたか、急に辺りが暗くなつて来たので空を仰いで見ると、雨の気配のする黒い雲が太陽を覆ひ隠してゐた。私は出掛けに妻に、どうせあなたのことだから雨が降ると思ふ、これを持つていけと折り畳み傘を一つ手渡されてゐたものゝ、これまで快晴だつたからやーいと思つてゐたのであるが、次第に埃つぽい匂いが立ち込めて来たので急いで傘を取り出して、じつと雨の降るのを待つた。――さう云へば、昔も雨が振りさうになつた時には彼女も傘に入れて、かうしてじつと佇んでゐたな。たゞ、そのまゝじつとしてゐてはくれず、雨に濡れると云ふのに、彼女はリンリンと軽やかな鈴の音を云はせながら傘の外に飛び出してしまふ。そして早く行かうと云はんばかりに、山道の少し上の方からこちらを見下ろして来くる。――懐かしい。今でもこの赤茶けた落ち葉と木の根の上に、彼女の通る時に出来る、狼煙のやうな白い軌跡が浮かび上がつてくるやうである。と、また昔を懐かしんでゐると、先程の陰りはお天道様のはつたりであつたらしく、木の葉の隙間から再び太陽が顔を覗かせるやうになつてゐた。私は傘を仕舞ひ込むと、再び山道を練り歩いて行つた。
だが、雨が降らなかつたゞけで、それからの道のりにはかなり恐ろしいものがあつた。陽が辺りに照つてゐるとは云へ、風が出てきて木の影がゆら〳〵とゆらめいてゐたり、ふつと後ろでざあつと音がしたかと思ひきや、落ち葉が何枚も〳〵巻き上げられてゐたり、時おり太陽が雲に隠れた時なぞは、あまりの心細さに引き返さうかとも思つた。そも〳〵藪がひどくて木の棒で掻き分けなければまともに進めやしない。やい〳〵と云ひながら山道をさらに進んで行くと、沼のやうにどんよりと暗い池が道の側にあるのだが、物音一つ、さゞなみ一つ立てずに、山の陰に佇んでゐるものだから、見てゐないうちに手が生えて来さうで、とてもではないが目を離せなかつた。そんな中で希望に持つてゐたのは、別の山道を登つても来ることの出来るとある一軒家だつたのだが、訪れてみると嫌にひつそりとしてゐる。おや、こゝはどこそこの誰かの父親か親戚かゞ住んでいたは���だがと思ひつゝ窓を覗いても誰もをらぬ。誰もをらぬし、ガランとした室内には酷く傷んだ畳や障子、それに砕けた天井が埃と共にバラバラと降り積もつてゐる。家具も何もなく、コンロの上にぽつんと放置されたヤカンだけが、寂しくこの家の行末を見守つてゐる。――もうとつくの昔にこの家は家主を失つて、自然に還らうとしてゐるのか。私は急に物悲しくなつてきて手の甲で目元を拭ふと、蓋の閉じられた井戸には近づかずにその家を後にした。行けば必ずジュースをご馳走してくれる気のいゝお爺さんであつた。
私の憶えでは、この家を通り過ぎるとすぐに目的のお地蔵様へと辿り着けたやうな気がするのであるが、道はどん〳〵険しくなつて行くし、全く記憶にない鉄製の階段を下らなければいけないし、どうやらまだ藪と戦はねばならないやうであつた。もうかうなつてくると、何か妖怪的なものにお地蔵様に行くのを拒まれてゐるやうな気さへした。だが、引き返す気は無かつた。記憶はほとんど残らなかったけれども、体は道順を憶えてゐるのか、足が勝手に動いてしまふ。恐怖はもはや旅の友である。先の一軒家を超えてからと云ふもの、その恐怖は猟奇性を増しつゝあり、路端(みちばた)にはモグラの死骸やネズミの死骸が、何者かに噛み殺されたのかひどい状態となつて散乱してゐたのであるが、私の歩みを止められるほど怖くは無かつた。途中、蛇の死体にも出くわしたけれども、どれも色鮮やかなアオダイショウであつたから、全く怖くは無い。そんなものよりよつぽど怖かつたのは虫の死骸である。私の行く手には所々水たまりが出来てゐたのであるが、その中ではおびただしいほどのカブトムシやカマキリが、蠢いているかのやうに浮いてゐて、ひやあ! と絶叫しながら飛び上がつてしまつた。別にカブトムシの死骸くらゐ、夜に電気をつけてゐると勝手に飛んでくるやうな地域で幼少期を過ごしたから、たいしたことではない。問題は数である。茶色に濁つた地面に、ぼつ〳〵と無数の穴が開いて、そこから黒い小さな虫が目のない顔を覗かせてゐるやうな感じがして、背中がゾク〳〵と殺気立つて仕方がなかつた。かういふ折には、ぼた〳〵と雨のやうに蛭が落ちてくるのが御約束であるのに、まつたく気持ち悪いものを見せてくるものである。
と、怒つたやうに足を進めてゐると、いつしか私は恐怖を乗り越えてゐたらしく、勇ましい足取りで山道を進んでゐた。するとゞうであらう、心なしか道も歩きやすくなり、轍が見え始め、藪もほとんど邪魔にならない程度しか前には無い。モグラの死骸もネズミの死骸も蛇の死骸も、蓮の花のやうな虫の死骸も、気がつけば道からは消えてゐた。そして一軒家を後にしてから実に二十分後、最後の藪を掻き分けると、そこには確かに記憶の通りのお地蔵様が、手をお合はせになつて私をお待ちしていらつしやつた。私は地蔵様の前まで来ると、まずは跪いてこゝまで無事に辿り着けたことに、感謝の念を唱へた。そして次々と思ひだされる彼女の姿に涙をひとしきり流し、お地蔵様にお断りを申し上げてから、その足元の土を手で掘つて行つた。冒頭で述べた、かの地蔵の傍に埋めたなにか大切な物とはこのことである。二十年のうちに土がすつかり積み重なつてしまつてゐたらしく、手で掘るのは大変だつたし、蚯蚓やら蟻やらよく分からない幼虫やらが出てきてゾツとしたけれども、しばらくするとペットボトルの蓋が見えてきた。半分ほど姿を見せたところで、渾身の力を込めて引き抜き、私は中にあつた〝それ〟を震へる手で握りこんでから、今度は傍にあつた漬物石のやうな大きな石の前に跪いた。手を合はせるときに鳴つた、リン、……と云ふ可愛らしい鈴の音は、蝉の鳴き声の中に溶け込みながら山の中へ響いて行き、恰も木霊となつて、再び私の手の中へ戻つてくるのであつた。
  帰りの道のりは行きのそれとは違つて、かなり楽であつた。恐らく道を間違へてゐたのであらうと思ふ。何せ、先程見たばかりの死骸も無ければ、足をガクガクさせながら下つた階段も無かつたし、何と云つても二三分としないうちに例の一軒家へとたどり着いたのである。私は空腹から元の道へは戻らずに一軒家の近くにある道を下つて県道へ出、一瞬間今はなき実家の跡地を眺めてから帰路についた。いやはや、なんとも不思議な体験であつた、よく考へれば蝮に噛まれてもおかしくないのによく生きて帰れたものだ、とホツとすると同時に、なんとなく肩が軽くなつたやうな心地がした。――あゝ、お前でも放つたらかしにされるのは嫌なんだな。――と、私はもう一度顔が見たいからと云つて、わざ〳〵迎へをよこしてくれることになつた従妹を小学校で待ちながら、そんなことを思つた。
結局あのペットボトルは再びお地蔵様の足元に埋めた。中に入つてゐたものは私のものではなく、彼女のものであるから、あそこに埋めておくのが一番であらう。元はと云へば、私のなけなしの小遣ひで買つたものであるから、持つて帰つても良かつた気がしないでもないが、まあ、別に心残りはない。
さて、ふるさとに帰るとやはり思ふものがありすぎて、予定してゐたよりも大変長くなってしまつたけれども、これで終はりである。ちなみに、こゝにひつそりと記した里帰りの話は、今の今まで誰一人として信じてくれてはゐないので、もしどなたか一人でも興味を引き立てられた者がいらつしやれば本望である。
 (をはり)
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kentarouchikoshi · 4 years ago
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 BRTが全国的に注目されています。このBRTとは「バス・ラピッド・トランジット」の略で,国土交通省の広報資料「『BRTの導入促進等に関する検討会』(第1回)の開催について」には「連節バス、PTPS(公共交通優先システム)、バス専用道、バスレーン等を組み合わせることで、速達性・定時性の確保や輸送能力の増大が可能となる高次の機能を備えたバスシステム」とあります。鉄軌道はバスに比べて大きな輸送力を持ち定時制・高速性にも長けていますが,BRTとはバスを活用してその鉄軌道に近い輸送サービスを提供するシステムです。  そのBRTは,世界的には都市交通の手段として採用されることが多いようです。日本にも同様の例は勿論あり,名古屋市や新潟市には導入されてい���し,つい先日は東京でも虎の門ヒルズ駅と臨海副都心とを結ぶ「東京BRT」が走り出していますね。一方で日本ではそれ以外に「廃止された鉄道の軌道敷を活用してBRTを走らせる」という独特の活用も行われていて,当初は茨城県の石岡市や日立市で行われ,その後は東日本大震災の被災地などにおいても積極的に導入が図られているところです。  この「鉄道代替のBRT」については鉄道の廃線敷を走るという性質上,当然ながら路線の大部分がバス専用の道路になります。現在,運転手による運転操作を必要とすること無く自動車を走らせる「自動運転」や,そもそも運転士の搭乗しない「無人運転」の研究が進められていますが,現状では一般道を無人で安全に運転するというのはやはり困難なようです。しかしBRTのうち専用道路を走る区間については対向車や自転車や歩行者等の安全を確保するという難問に対処する必要が無く,自動運転や無人運転を実際に導入するには最適の形をしているといえるでしょう。特に無人運転が実用化すれば人件費というコストを大幅に縮減することが可能になり,それは増発や運賃の引き下げというサービス向上にも有益です。BRTを無人運転化した後は,運転士の皆さんには一般道を走行するバス路線の運転に従事して頂けばそちらの増発も可能になります。現在,バス運転士の人手不足ということが問題になっており,京都市や福岡市では需要の多い黒字路線まで減便せざるを得ないという状況に陥っていますから,この無人運転化には非常に大きなメリットがあると言えるでしょう。  今回紹介した記事に無人運転について「5年以内の段階的な導入を目指す」とあるとおり,現時点で実用化出来る段階に達しているわけではありません。しかし実は日本においては,バスを安全に無人運転化するノウハウが既に確立してします。愛知県には名古屋市中心部の大曾根駅から隣接する春日井市の高蔵寺駅までを結ぶ「ガイドウェイバス志段味線」という路線がありますが,この路線のうち同線の大曾根駅~小幡緑地駅間には案内軌条が設けられていて車体に付属する案内輪に誘導されて走行します。これは既に無人運転の行われている東京の「ゆりかもめ」・大阪の「ニュートラム」・神戸の「ポートライナー」等と同じ仕組みであり,ガイドウェイバスもそれらの路線と同様に無人運転を行うことが可能です。  無論,だからと「ではBRTの専用道路区間をガイドウェイバスにして無人運転を実施する」というのは簡単な話ではありません。たとえば東日本大震災後に運行開始した気仙沼線・大船渡線の代替BRTについては概ね鉄道廃線敷を走行しますが,一般道を走行する区間も存在します。それが「出発地付近だけ」「目的地付近だけ」というのであれば「その区間だけ運転士が乗務し有人運転をする」という形で対応出来ますが,必ずしもそうではありません。むしろ「既存鉄道駅が市街地から遠い場合,BRTが一般道に乗り入れて市街地に直通する」という工夫が至る所で為されていて,それ自体はBRTの利便性を向上させる良案ですが,そういう「ガイドウェイから外れて通常運転す���」という区間が五月雨式に存在するのではBRTにも運転士を乗務させざるを得ません。先に「BRTを無人運転化して増発,手の空いた運転士を別路線乗務に移して増発」という夢を語りましたが,その夢を諦めるか,或いは逆に「BRTの一般道乗入を廃止して鉄道廃線敷のみを走行する」という形を取らざるを得なくなります。またガイドウェイバスというのは法的には鉄軌道ですからBRTと一般道との交差部を本格的な踏切にせざるを得ず,現在のように「道路同士の交差」という簡便でファジーな形での処理も難しくなります。  とはいえ「そういう区間については現在開発中の手法を採用するとして,ガイドウェイバス化が問題無く可能な区間ではガイドウェイバス化を図る」というのは,無人運転化を実現するための一つの大きなアイデアであることは間違い無いでしょう。因みに「他の道路と交差する部分を踏切にせざるを得ない」という点についても,実は解決策は考えられないでもありません。具体的にはBRT専用道路を高架か地下にして立体交差にするという方法ですが,鉄レールの鉄軌道車両に比べてゴムタイヤの自動車は非常に勾配に強いので,鉄レールの鉄道だった時代には有り得ないような急勾配の立体交差を採用することで用地を節約した立体交差化を行うことも可能です。無論,場合によっては「交差する一般道のほうを高架か地下にする」ということもあり得るでしょう。  無人運転を実現すれば人件費という固定費を大幅に節約出来,それによってバスを大幅に増便することも可能です。それで手の空いた運転士氏にはを市街地の別路線,或いは都市間を結ぶ高速バスに乗務して頂くことでそちらを増便したり維持したりすることも可能になります。無人運転の手法の開発が待たれることは当然として,既存のガイドウェイバスの技術を活用することも検討すべきではないでしょうか。
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