#緊縛体験
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緊縛撮影見学・懇談会
今日は自分が主催する緊縛撮影見学・懇談会開催日 雨とのことで撮影機材運搬が大変そうですけど楽しみつつがんばります
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本日は振替休日でしたので、こちらを拝聴しに新宿まで。
J7の席。スペシャル席が真ん中に一列だけあり、それ以外はA席と呼ばれた。とはいえ、4500円かかっているので、今日は映画を観に来たのではなく、ライブコンサートに来たという心持ちである。スペシャル席には、髪の灰色の服がシャンとした老人男性がずらりと並んだ。大学時代の講評の風景を思い出した。
私は音楽に疎い。「音楽に救われた」という友人の話を聞き、心底羨ましいと思ったことがある。私にとって音楽は、そこまで思い入れのあるものじゃない気がしたので。(酔う時のお供、ツール…のような軽薄さを持ってしまっている感じがしていやだ)
映画中、ポップコーンの咀嚼音が許されない空間。極上ソファの軋みすら、という緊張状態で、モノクロ映像の中に白髪煌く坂本龍一が現れた。まざまざと顔を見るのはこらが初めてだった。白髪の刈り上げがなんともかっこよかった。
曲がはじまると、感動して鳥肌が立ち、涙が出るものかと、食い入るように画面に見入るものかと思った、しかし、割と距離感が詰まらず、私自身は映画を観ているという事実が、それ以上でも以下でもなかったでしかなった。ただ、1音1音を重ねるタイミングや、その音の置き方からなるバリエーションの豊富さ、この世界で坂本龍一は突き詰めて、世界はそれを認めたのだな〜と、自分のわかる範囲内で納得をした。
音を奏でる際の彼の表情が非常に印象的だった。寂しい曲調の中でも、パートによっては嬉しい顔(キトキトした表情)を浮かべたり、逆もそうだった。鼻を伸ばして、口を窄める時の表情は印象的だった。きっとあれは、集中のための表情だったのだろう。おそらく45分ほどが経過したあたりで、一度眠った。起きた時の心地よさを覚えている。思い出のような、曇りの日の朝のような映像が目の前にあって、テクスチャとコントラストの美しい彼の指は、滑るように鍵盤を伝った。
素晴らしい映像作品もおそらくもう折り返し、さて集中し直そうと思ってじっくり見入った。そして再び眠った。この時は夢を見て、金縛りにあった(霊的なものではなく、意識は起きているのに体が言うことを聞かない寝ぼけ状態を指す)夢の中ではすでにエンドロールが流れており、これまた白地に文字の鱗が美しい幾何学的な映像となっていた。期待通りだった。館内員が私に近寄ってくる、もう出ないといけないのか?と思ったところで、これが夢だと気づく。起きようとする体とは裏腹に、なんか口からはシューと変な音が止まらない(実際鳴ってるのか幻想かはわからない)身体にへばりついた邪気を振り回して払うようにし、ようやく身体が思い通りに動いた。
心と体を落ち着けて、再びスクリーンと対峙する。この時、印象的な音楽が流れていた。ここから、最終曲までは流れるように時間が過ぎた。序盤では何も感じなかったのに、画面��奥の坂本龍一が今はもうこの世にいないことが、とんでもなく寂しく感じられる。2時間弱の時を共にし、彼の音楽を聴き、彼の表情に向き合い続けたからだろうか、自分ごと化された瞬間だった。
映画の途中、キャラメルポップコーンを思うように食べられなかった私は、今ラウンジで軽快な音を思う存分に鳴らしながら噛み砕いている。本当は、もっとこの映画に心酔して、坂本龍一からの影響を存分に浴びるというカルチャー見本のような体験としてこの映画を受け取りたかった。しかし、私自身がもう少しチープなので、そういった理想体験には至れなかった。ただ、なんとも言えないこの不思議な体験を、きちんと残しておこうかなと思った。歌舞伎町の高層階で、気兼ねなくポップコーンをつまみながら感想を書く。坂本龍一とお近づきになれた印に。
カルチャーな人間になりたいがなれない、そもそもカルチャーな人は意識したりしないのだから。ただ、私が定義するカルチャーな人間には共通点がある。おそらく、自分の中の興味のピンをいくつか持っていて、そこ中心に細々と知識を深化させて広げているのだ。プールした情報が、どこかのタイミングで接続したり結びついたりする。私もそうしていきたいと思っている。さて、推敲しないタンブラールールに則り、このままアップロードしますと。
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私は外科医です。 私は医学部と厳しい外科訓練を経たので、回復力があり、うまく適応していると思いたいです。 私は医師になって13年になりますが、その期間の多くは、可能な限り優れた外科医になるための訓練に費やされてきました。 私には素晴らしい家族のサポートがあり、私の仕事を理解してくれる医師の妻がいます。そして私は精神疾患と診断されたことはありません。 ブリスベンの胃腸科医アンドリュー・ブライアント医師が先週自殺したことは、生々しい神経を直撃した。 彼の妻はこの正直で勇気ある手紙を書きました。 抱いたことはありませんが 私は深刻な自殺願望を 、他の多くの医師と同様に、暗い時期を何度も経験してきました。 うつ病、不安、燃え尽き症候群、自殺願望、絶望、無気力、無快感、気分の落ち込み、心配などはすべて、同じ現象、つまり内的または外的ストレス要因に対する人間の否定的な反応の異なる性質です。 もちろん、原因は常に複合的です。 家族歴、遺伝、行動の欠陥、劣悪な環境、不十分な社会的サポートなどに単純化しすぎてはいけませんし、そうすべきでもありません。 を注意深く分析すると 自分の暗い季節 、いくつかの共通のテーマが浮かび上がってくることがよくあります。 このような暗い時代においては、仕事が状況を悪化させ、永続させる重要な要因となることがよくあります。 外科医として、私は生涯の大部分を仕事に費やしているため、そこで何が起こるかは、結婚、家族、社会生活を含む私の人生の他のすべての側面に影響を与えます。 私を絶望の暗い穴に放り込んだ共通の事柄が 3 つあります。 1. コントロールの喪失 私は日々のコントロールを失ってしまいました。 私は病院で働いていましたが、14 日中 12 日は 24 時間年中無休でオンコールがあり、隔週の週末が休み���した。 外科試験の準備をしていたとき、私は毎日午前6時半から午後10時まで仕事と勉強をし、家族に会えるのは週末の昼食時だけでした。 私は 4 つのキャンパスをカバーする病院ネットワークで働いており、これらの現場を取材する際には週に 500 キロメートルを運転していました。 私は病院で働いていましたが、何日も家に帰れず、病棟や外来診療所のベンチ、車の中で一晩寝ていました。 、洗面用具、着替えを車のトランクに入れていました 私は寝袋 夜も家に帰れるかどうか分からなかったので、 。 緊急事態のため、職場では毎日計画が変更されます。 オンコール中は次の 1 時間がどうなるかさえわかりません。 なぜ仕事を減らすことができないのかと疑問に思うかもしれません。 そんなに簡単なことではありません。 私が仕事を減らすことにした場合、病院の費用は誰が負担するのでしょうか? 病院が他の医師を雇用していないのであれば、患者を野放しにするわけにはいきません。 私は待機する注意義務があるという事実を受け入れます。 このようなオンコール期間の激しさと人的被害は忘れられがちです。 それだけではなく、私たちは医療全般のコントロールを失いつつあります。 毎日、新しいフォーム、新しいガイドライン、新しいプロトコル、新しい医療ソフトウェア、新しいポリシーが登場し、すべて臨床医の活動を指示、制限、変更します。 これらのポリシーの中には、患者を診察していない人々によって書かれたものもあります。 コストを削減し、生産量を増やすために、医師や看護師の業務を再構築することに専念している有給業界全体が存在します。 2. サポートの喪失。 ただ想像します。 私の一日は朝6時に始まります。 朝起きると、完了していない退院サマリーの数と、完了しなければならないさまざまなコンピューターベースのモジュール (手洗い、プライバシー、患者の昇降など) を知らせる電子メールが届いていました。 ラウンドは午前7時に始まります。 記入が必要なさまざまな旅行書類、証明書、台本を持った 15 ~ 20 人の患者を診ています。 すべて電子医療システム経由で行う必要があり、使いにくく、ユーザーフレンドリーではなく、ログインに時間がかかります。その後、午前 8 時にオーバーブッキングされた手術リストを開始します。 7件の予約が入っています。 誰が手術リストに載るか、患者の順番については私には何も言えません。 最初の患者はまだ診察を受けていない。糖尿病患者は低血糖症だ。 幼児は機嫌が悪い。 自閉症の子供が逃げています。 通訳はまだ来��いません。 コンピュータはまだログインしていません。パスワードの有効期限が切れています。 一部の操作は他の操作よりも時間がかかることがわかっていたので、以前は操作リストを整理することができました。 しかし現在、予約オフィスは私の扁桃摘出手術にはすべて 14 分かかると判断しています。これはコンピューターに記録されている平均時間だからです。 スクラブした瞬間にタイマーがスタートします。 スクラブを外した瞬間にタイマーが停止します。 クリック。 クリック。 クリック。 劇場の予約には通訳の時間、治療前の期間、ICUへの転送が考慮されていないため、リストは遅れています。 担当の看護師は時間通りに終わるように私の首に息を吹きかけてくれています。 私は依然として各症例に約 14 分かかりましたが、チームは外部の臨床的理由により遅れています。 演劇チームは終わらせることに熱心で、すべてが急いでおり、間違いは必ず起こります。 その間、私は救急病院、一般医、その他の部隊からの 12 件の電話に対応しています。 現在までに 3 人の患者が救急病院で私を待っており、1 人は別の病院から飛行機で運ばれてきました。 運行リストの完成が遅れています。 私は急いでEDに行き、 インスタントコーヒーを 飲み干した。 それから午後の診療所に遅く到着しましたが、ここも予約がいっぱいでした。 クリニックの看護師たちは満足していません。 さらに多くの電話を受けながら、8〜10人の患者を診察しています。 私は複雑な手術について患者と話し合おうとしていますが、電話や事務手続きによって中断されてしまいます。 それから緊急事態に備えて劇場に戻ります。 この時点で私は失敗する準備ができています。 私は疲れていて、機嫌が悪くなり、頭はやるべき仕事でいっぱいです。 私は午後の回診をし、より多くの診察を受け、より多くの患者を受け入れ、手紙の口述筆記をします。 24 時間の通話期間中に最大 70 件の電話を受けました。 午後6時までに完全に疲れ果てました。 私はポテトチップスのパケットとジンジャービールを手に取り、書くはずだった書類に取り組み始めました。 今後数日間、事件のメモを見直します。 午後7時から8時の間に帰宅します。 夕食を食べて、子供たちを寝かしつけます。 再び呼び出され、緊急処置のため��患者を劇場に連れて行きます。 夜中過ぎに帰ってきて寝ます。 深夜0時から朝6時までの間にさらに4回電話がかかってきます。 午前6時。 繰り返す。 私は日々のコントロールを失い、サポートも失いました。 実際にいつサポートを見つけることができますか? 同僚と人生について話す時間がありません。 家族と過ごす時間がありません。 友達と連絡を取る時間がありません。 医学部に足を踏み入れると、社会的なつながりは失われます。 人生の重要な出来事(誕生日、記念日、同窓会、学校の発表会、初めての散歩など)を逃した回数は数え切れません。 産科医が��滞に巻き込まれたため、私は3人目を自分の手で出産しました。 翌朝、私は仕事に行きました。そうしなければ、12人の患者が手術を逃すことになり、2人の麻酔科医と約8人の看護師がその日の収入を失うことになるからです。 さらに重要なのは、手術リストのキャンセルは病院にとって多大な経済的損失となるため、管理者は満足しないでしょう。 どこでサポートを受けられるかはわかっていますが、実際には、いつ、どのようにサポートを受けられるのでしょうか? さらに、助けを求めて叫ぶ医師は正式に報告される可能性があり、そのため診療が制限され、場合によっては高額な医療費が支払われることになります。 助けを求めた研修生は成績不振のレッテルを貼られ、試用期間または是正措置を受けなければならない場合があります。 頻繁に宣伝されているサポートを実際に利用できない場合があります。 3. 意味の喪失 興味深いことに、上記の身体的および感情的ストレス要因は、私にとってはかなり対処可能です。 私は自分自身の身体的、精神的な限界を理解しています。 これらのストレス要因は疲労を引き起こしますが、仕事の興奮と知的挑戦は個人的に大きな満足感をもたらします。 瀕死のガン患者、緊急気道事故、複雑な病気の子供たちを相手にしているため、時々感情的に動揺することもありますが、なんとかやっています。 私に最大の苦痛をもたらしているのは、患者との有意義な臨床活動を奪う執拗な管理上の圧力であることをますます認識しています。 そして、これは多くの若い医師も同様に経験していることなのではないでしょうか。 かつて医学は有意義な追求でした。 今では面倒な業界になってしまいました。 医療の喜び、目的、意味は成文化され、無菌化され、プロトコル化され、工業化され、体系化されてきました。 医師はビジネスの網の中に囚われており、もはや崇高な職業ではありません。 若い医師の利他主義は、効率、生産性、主要業績評価指標という束縛に取って代わられています。 私自身の手術リストや診療所の整理についてはほとんど発言力がありません。 手術リストを再注文する権限さえも外科医から奪われている。 私が好きなこと(手術と患者の診察)は、測定され、記録され、ベンチマークされることです。 クリニックは予約が殺到しており、番号を確保するのが困難です。 患者と接するたびに必要な事務手続きは年々増加しています。 私が何をすべきか、そしてそれを行う最善の方法を指示するのは、臨床以外の部門が他にもたくさんあります。 合言葉は「費用対効果と生産性の向上」です。 に進み��した ことを承知して医学の道 私は患者のために多くの犠牲を払わなければならない 。 私が実感しているのは、今日の現代医学において、医師はこの複雑な業界の数多くの商品の 1 つにすぎないということです。 それはもはや患者の問題ではありません。 病院の業務についてです。 患者満足度担当者、劇場利用担当者、患者フロー コーディネーター。 これらはすべてビジネス上の役割です。 外科医として、私は病院で 1 年間を過ごし、通勤中に笑顔で仕事に就くことができたことにとても感謝しています。 自分がやっていることが重要だとわかっていたので、長い日々を楽しみにしていました。 さらに一年、別の病院に入院したとき、私は仕事に行くのが怖かった。 電話に出るのが嫌いでした。 私は燃え尽き症候群になり、仕事でも家庭でも感情をコントロールできなくなりました。 私は本質的に攻撃的で無礼な人間��はありません。ただ限界に追い込まれ、仕事を取り巻く状況のせいで失敗しそうな人間です。 同じ外科医でも仕事は違う。 私を感情のコントロールを失うように押し込んだ力は、おそらく私たちの一部を自殺に追い込むかもしれない力と同じです。 一部の病院とそのビジネスにとって、私は外科医ではありません。 私はただの従業員です。 過労、焼損、交換可能。 医学への崇高な呼びかけは、医療業界としての官僚的な力によって窒息させられてきました。 私の考えに同意しますか、それとも反対しますか? 他にどのような「医師の闇」の問題が考えられますか?
医師であることの暗い側面 - DrEricLevi のサブスタック
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深夜のカウントダウンイベント後、終夜運転で電車を乗り継ぎ吉祥寺の懇意にしているバーへ出向く。0時丁度にこそ居なくとも、かれこれ5年は元旦の夜をこの店で過ごしていることになる。懐かしい常連の面々と一年の中で最も多く再会でき喜びを分かち合う反面、今年は自分がこの店に訪れる頻度が落ちたのも相俟って見ない顔の方が圧倒的に多く、加えて店長からはこの子は19の頃から通ってる古参だからと自分より若い客に紹介され、時間の流れをほのかに寂しく感じる瞬間でもあった。
あの頃は本当に「地に足がつかない」という言葉がお似合いのフラフラ放浪娘だった。両親の期待から背いて専門学校を辞め、中野のシェアハウスで家賃を折半しながら夜から朝まで近所のバーで働く。たまに高田馬場にあるスナックへも出勤していた。飲食業に就きたいと思いながら、気弱でマルチタスクが苦手な自分には性に合わず、他の場所ならとバイト先を転々として環境を変えては粉砕した。今より金がない癖に酒の飲み方だけは一丁前だった。それは当時から自分を見ていてくれた年配の常連にも伝わっていたようで、当時もその危うさが魅力の一つだったけれど今の君は自信に満ちていてこちらが安心するよ、と伝えられた。確かに、当時の覚束ない足取りでなんとか前に進もうとする危なっかしさはあの頃境地に立たされていた(実際には自分で選んだのだけど)からこそ醸していたオーラだった。守られないと死んじゃう兎みたいな。多分今の仕事に就いたことが繭を突き破らせてくれた確たる証拠なんだと思う。それが他人の口から伝えられることは素直に喜ばしいことだと思う。
長年好意を寄せていた人と一年以上振りに会話をした。5年前のインスタグラムの投稿には「きっと付き合うことはないけどたくさん話せて幸せだった」と書いていて幼かったなと思う。いつもどんな顔で会話したらいいのか分からないが故に変に緊張して吃る癖があるけど、昨夜は至って平常心、むしろいつもは会話の主導権を彼に握らせられるけれど、昨夜に限っては自分がリードしていてどこか勝ち誇った気になった。
周囲の客の会話のレベルと年下のスタッフが店のBGMの代わりに流す適当なヒップホップのプレイリストが唯一気に食わなかった。本人は面白い返し、だと思っているのかもしれないけど多分いや確実に自分の方がベストアンサーとしてのレスポンスができると思うし、ありふれたリリックを垂れ流すイケイケラッパーよりも(いくら専門外とはいえ)さすがにもっと良いヒップホップのナンバーを知ってる。自分と彼は6個違いだけど、敬語は遣わない上にお互いのパーソナルな部分を理解しているからこそ痛いところをわざと突いたり逆に受け身になったりしている。拾ったゴミ1つで三分間笑える、そんなところが彼を好きだった部分であり、今も恋愛感情を抜きにして居心地の良い人だと感じる所以だと思う。
店を閉めて朝の7時前に毎年恒例の初詣へ行く。初参加のメンバーも多く、繰り返しになるけれど自分がこの店の中だけで見ても大人になっていることを感じて少し歯痒い。当時は可愛がられていたけど可愛がる側。20の頃に散々奢られたウイスキーやビールの数々は「俺の年齢になったら下の子へ奢るように」と言われて貰ったもの。バーで過ごす作法以外にも、世間知らずな当時の自分には教えられたことが非常に多い、だからどこへ引っ越してもせめてイベントの時だけはと予定をこじあけて足を運んでいる。
初詣で引いた御籤は中吉。可も不可もなく縛らずに鳥居の外へ。右手を見ると目に眩しいぐらいの初日の出が燦々と光を放っていて元旦の朝を感じた。コロナ前はこのまま八幡近くのカラオケ屋へ雪崩込んでいたけど、今回を含めここ数年は解散して各々帰路へ。10人ぐらいは同行していたはずなのに、井の頭線に��って帰る組は自分と彼のたった2人だった。あーそうか、皆近いんだねと言って乗車し隣同士に座る。社会人どう?と唐突に聞かれたので、迷いなく今が一番楽しいよと答えた。今年の抱負を語り合って先に明大前で降車。よいお年を、えっ今?よいお年を、と交わしたところでドアが閉まる。おそらく今後も進展はないままで、お互いにお互いの選んだ人と結ばれるんだと思う。それでもこの距離感がどうにも愛おしくなるし、この瞬間のために小さな成功体験を日々重ねていられるように努力しているのかもしれない。ちなみに自分が伝えた今年の抱負は「ジョジョを全部観終える」だった。良いお年を。
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美術モデル
1. 貸しスタジオの扉に『三田美術教室』の張り紙がありました。 美術モデルのお仕事は初めてです。 扉を開けて大きな声で挨拶。 「こんにちわっ。『アルパカ』から来ました!」 中には女の人が二人、床に座ってお弁当を食べていました。 二人とも食べかけのサンドイッチを口に頬張ったまま、驚いた顔でこちらを向いています。 女の人のうち、一人は年のいった感じ。 明るい色のチュニックにスキニーなジーンズ姿。この人が三田先生ですね。 もう一人はずっと若い女の子。 白いブラウスとグレーのプリーツミニスカート。ブラウスの胸には校章っぽい刺繍。高校の制服? 「あ、モデルさんですか!? 三田静子です。こっちはお手伝いのれいらちゃん」 「玻名城(はなしろ)れいらです。今日はどうもありがとうございますっ」 二人は立ち上がって挨拶してくました。 「『アルパカ』の谷村彩智です! ・・お食事中みたいですけど、もしかして私、時間間違いました?」 「そうですね、まだ1時間くらいありますね」 ありゃ、やっちゃったみたい。 「そうだ、谷村さん。よかったら一緒に食べません?」 「いいんですか?」 「どーぞどーぞ。作り過ぎて余りそうだったんです」 れいらさんが勧めてくれたランチボックスには美味しそうなサンドイッチが。 今日はバイトのシフトが忙しくてお昼ご飯を食べていませんでした。 ぐーっ。 大きな音でお腹が鳴って、お二人がくすりと笑いました。 ・・ 「美味しいです! これ、れいらさんが作ったんですか!?」 「はい。あたしの手作りですっ」 「れいらさんの名字、えーっと」 「玻名城です」 「そうそう、ハナシロさん。珍しい名字ですよね。沖縄みたいな感じで」 「おじいちゃんが沖縄なんです。変わってるけど、すぐに覚えてもらえるから得ですよ」 「ほんとだ。私もう覚えちゃいました。玻名城れいらさん」 「れいらさん、じゃなくて、れいらちゃんって呼んでくれたら嬉しいです」 「だったら私のことも彩智って呼んでください」 「はい、サチさん!」 れいらちゃん、元気で礼儀正しい子。 制服のミニスカートから伸びる太ももが眩しく見えます。 うちのチームに誘いたいくらい。 「れいらちゃん、やっぱり高校生ですか?」 「高校2年生17歳です。 ・・彩智さん、どうして高校生がこんなところにいるのって思ってるでしょ」 「はい。大人向けの教室だと思ってました」 「美術教室は15歳から参加できるんですよ」 三田先生がおっしゃいました。 「そうなんですか」 「美大の進学希望者には普通にヌードデッサンだってやらせてますし」 「え」 2. 急に黙り込んだ彩智さんが可愛いかった。 高校生でもヌードを描くって知らなかったんだろうね。 あたしも1度だけ参加させてもらったことがある。 同じ女とはいえ全裸のモデルさんを��近で見るのはけっこう刺激的だったな。 「今日は着衣のクロッキーですから、ヌードはお願いしませんよ」 三田先生が言った。 「そうですか。よかったぁー」 「谷村さん。美術モデルのご経験は?」 「いいえ、ありません」 「普段は何をなさってるんですか?」 「『アルパカ』はチアダンスのチームなんで本業はダンスです。お仕事はイベントのアシスタントやらポスターモデルやら節操なくやってますけど」 「じゃあ驚いたでしょう。こんな依頼で」 「はい。チアリーダーのクロッキー、はまだ分かりますけど・・」 緊縛、だものね。 「うちのメンバーは全員成人してますがR18の仕事はしません。でも美術教室のモデルなら挑戦しようってことになりまして」 「嬉しいわ、偏見なく受けてくださって」 「これでもドキドキしてるんですよ」 「あの、」 あたしも質問した。 「そのチームって何人もいるんですよね? そこから彩智さんが来たのは理由があるんですか?」 「ああ、それは私が一番年上の古株だから。まだ24ですけど。・・それと、」 彩智さんは少し恥ずかしそうに答えた。 「一番適性があるのは私だと、私以外の全員一致で決まりまして」 「まあ、適性ですか? 緊縛の?」 「はい。どういうことかさっぱり分からないんですけど」 「うふふ」 先生が笑った。 「おかしいですか?」 「いえ、ごめんなさいね」 どうして先生が笑ったのか、あたしにも何となく分かった。 彩智さんって、あたしより7つも年上だけどかなり奥手な人じゃないかな。 3. 「そろそろ設営しましょう」 三田先生とれいらちゃんが準備を始めました。 スタジオの中央にシートを敷き、その周りに椅子を並べるのです。 その間に私は着替えです。 用意してきた衣装はセパレートの赤いチア服。そこへ同じ色のヘアバンドを着け、シューズを履いて準備完了。 「彩智さん足長いですねー。身長いくつですか?」 「170です」 「うわーっ、羨ましいなー!」 会場のセッティングが済むと、三田先生が段取りを説明してくださいました。 「前半はフリーでポーズをとってください。3分ごとに5ポーズ。それを2セット」 「えっと、ポーズの間は動かないようにするんですよね」 「ええ。ムービングといってゆっくり動くクロッキーもありますが、この教室ではやりません。不慣れでしょうけど静止ポーズでお願いしますね」 「了解です」 フリーポーズの撮影は今まで何度も経験しています。 でもずっと動かないのは初めてでした。 チアの格好いいアクションを見せてあげたいけど、ジャンプやタンブリングは無理みたいですね。 「細かい指図はしませんので自由にお願いします。ただ、」 「?」 「最初は無理のないポーズがいいかもしれませんね」 そうか。3分って案外長いかも。 私、ずっと静止していられるかしら? でも何事も挑戦だよね。 「はい。やってみます。・・それから後半は、」 「緊縛です。ワンポーズ約30分。これは生徒さんの出来具合で少し長くなるかもしれません」 れいらちゃんが横から答えてくれました。 「ポーズはこっちで決めますからご心配なく」 「分かりました。頑張ります」 「彩智さん、緊縛も初めてですか?」 「初めて、です」 「怖いですか?」 どきっとしました。 私をまっすぐ見るれいらちゃんは笑っていませんでした。 彼女が急に大人びて見えました。 「怖いです。・・いいえ、怖くないです。うん多分、怖くない。大丈夫・・です!」 「彩智さんって面白いですね」 4. スタジオに美術教室の生徒さんが集まった。 退職して趣味で絵を描いているおじさん。仲良し主婦の二人組。勤め帰りのお兄さんと大学生のお姉さん。そして高校生で美術系志望の女の子が二人。 全部で7人。 皆さんクロッキー会は慣れているので、静かに椅子に座りスケッチブックを開いて待っている。 三田先生は後ろの壁際。 そしてあたしはストップウォッチを持ってタイムキーパー。 チアのコスチュームに赤いポンポンを持った彩智さんが出てきた。 真中のシート���上に立つと、正面を向いて片足を一歩前に出し、胸を張って両手を腰に当てた。 何だか凛々しい。さっきまでのほんわかした雰囲気はすっかり消えていた。 「では1セット目、始め」 全員が一斉に鉛筆を走らせる。 「3分過ぎました。ポーズを変えてください」 彩智さんの身体がすっと沈んだ。 長い足が前後に伸びて完璧な180度開脚。柔らかい~! そのまま前屈して両手を左右に広げる。 「はい、次のポーズをお願いします」 今度は立ち上がって右腕を真上に突き上げた。 反対側の膝を胸まで引き上げて静止する。 彩智さんは3分ごとにポーズを変えた。 とてもしなやかで、それでいて全然ぶれない。 体幹っていうのかな、すごく鍛えているのが分かった。 最後のポーズでは、右足一本で立ったまま、左足を後方に曲げた。 高く反り上がった爪先を肩の後ろで掴み、そのまま頭の上まで引き上げる。 「うわ~」生徒さんたちの間から声が出た。 床についてぴんと伸びた右足と、美しく反り返った上半身と左足。 片足立ちで逆海老のポーズ。 それでぴたりと静止してマネキンみたいに動かない。 あとで聞いたら、スコーピオンとかビールマンとか呼ぶポーズなんだって。 5. 「びっくりしましたー!! すごく綺麗で柔らかくて」 れいらちゃんが褒めてくれて、私はにやっと笑います。 人前でモーション(ポーズ)を披露するのはやっぱり楽しいですね。 「さすがプロですねー」 「ありがとー。でもチアダンスでご飯は食べれないから、もっぱらアルバイトで生きてるんだけどねー」 「えーっ、信じられない」 5ポーズ×2セットのクロッキーが済んで今は休憩時間です。 私は後半に備えてストレッチ。 スタジオでは皆さん総出でシートと椅子を片付けています。 どうやら後半は各自が椅子ではなく床に座って描くようでです。 次のポーズはいよいよ緊縛。 そういえば、私を縛る人はどこにいるんだろう? 「あの、緊縛をする方は来られないんですか?」 「縄師さんのこ��ですか? ・・この教室、縄師を呼ぶほどの余裕はないんですよね」 「じゃあ、三田先生が縛るんですか?」 「あたしが縛ります」 え、れいらちゃんが!? 「結構上手ですよ。任せてください」 れいらちゃんは手に持った紙袋の中を見せてくれました。 綺麗に束ねた薄緑色のロープがたくさん入っているのが見えました。 6. あたしは小学校の頃から三田先生の造形美術教室に通っていた。 去年から大きな人向けの美術教室が始まって、そちらのお手伝いもするようになった。 美大に行けるほどの実力はないけど、絵を描くのは好きだった。 女の人を縛る緊縛は、造形美術教室のOBのお兄さんが教えくれた。 そのきっかけは3年前の事件だった。 たまたま一人で三田先生のところへ行ったら、先生の前でお兄さんがお兄さんの彼女さんを緊縛していた。 そのときあたしは中学2年だったけど、ぎちぎちに縛られた彼女さんを見ても全然引かなかった。 それどころか、うわーキレイって思っちゃったんだよね。 三田先生は緊縛とかセックスとか、そういう事柄を全然タブーと思わない人で、あたしが緊縛を教わることも公認してくれた。 「御両親がOKしてくださるなら構わないわ。ただし、れいらちゃんが大人になるまで他所では絶対に縛らないこと」 あたしはお兄さんの弟子になって、彼女さんを縛らせてもらったり、あたし自身が縛られたりして勉強した。 (ちなみにこの彼女さん、美人で素敵なお姉さんで、あたしも大好きな人なんだ) 今では一人で縛って大丈夫と太鼓判を押される腕前にはなっている。 クロッキー会の緊縛は今日が初めてだった。 三田先生にダメ元で提案したら、縄を掛けた人体はいいモチーフね、是非やりましょう!と言ってモデルまで探してくれた。 7. 「彩智さん、さっきみたいにキリっとした顔してください」 「無理ですぅ」 皆さん、思い思いの場所でスケッチブックを開いています。 何人かはもう描き始めているようです。 れいらちゃんに縛られるところまでクロッキーされるだなんて、聞いてないよぉ~。 「両手を前で揃えてくれますか?」 「はい・・」 れいらちゃんは私の手首にロープを巻くと、あっという間に縛ってしまいました。 しっかり締まっていて、ぜんぜん緩みません。 「動きますか?」 「動きません」 「じゃここにお尻をついて座ってください。あ、もう少し右に寄って」 「?」 「先生、巻き上げお願いします」 低い音がして、縛られた手首が上に引かれました。 !! 天井に小さなウインチ(巻き上げ機)があってロープを引いているのでした。 あ、あ、あ。 手首が頭の上まで上がって止まりました。 「もう少し上げてください」 手首がさらに上がりました。 吊り上げられる感覚。 ああ、いったい何なの、この気持ちは? 「彩智さん、もう逃げられないって思いますか?」 「・・思います」 「そう思ってもらえると嬉しいです。次は足、縛りますね」 足も縛られるんですか。 右の足首にロープが縛りつけられました。 そっちにもウインチの音。 右足が前方に引き上げられます。 「すみません、少しだけお尻を前に滑らせてください」 え? れいらちゃんに言われる前に、右足と一緒にお尻が引かれて私は前にずりりと滑るのでした。 これで両手と右足を吊られた状態。 「無理に踏ん張らないでロープに身を任せてください」 「は、はい・・」 踏ん張ってるつもりなんかないんですけど。 「あとは左足」 ひえぇ。 左の膝を折って縛られ、さらに同じロープの続き��左の足首と右の膝を合わせて縛られました。 右足に連結された左足。 もう手も足も動かせません。自由を奪われたことを実感します。 私、制服の女子高生に縛られた。
「完成です。これだけで4分もかかっちゃった。手際が悪くてすみません」 「いえ、そんな」 「でもあたし、彩智さんのこと理解しました」 「?」 「彩智さんって、確かに適性がありますよね」 「適性、ですか?」 「ええっと、つまり、こんな風に縛られて感じてしまうマゾな人だってことです」 「!!!」 顔面がぼわっと熱くなりました。 私、わたし、制服の女子高生にマゾって言われた。 8. あたしが彩智さんの側から離れると、三田先生が立ってコメントした。 「緊縛ポーズは滅多に描けない貴重なモチーフです。時間は長めに取りますから、モデルさんの雰囲気を掴んでたくさん描いてください」 あたしはストップウォッチをスタートさせる。 時間は30分。 彩智さんにはちょっと長い時間かもしれないな。 「・・れいらちゃん、あなた最後に何をささやいたの?」 先生に聞かれた。 「いえ、特に何も」 「谷村さん、始まったばかりなのに耳まで真っ赤にして、最後まで耐えられるかしら」 「大丈夫です。被虐性が高すぎて混乱してるけど、体力のある人だから壊れてしまうことはないはずです」 「その話し方、イッくんに似てきたわねぇ」 「そうですか?」 イッくんってのはOBのお兄さんのことだ。 「そのセリフだけ聞いたら、れいらちゃんが高校2年生とは誰も思わないでしょうね」 「お褒めいただいて光栄です」 ぷっ。 先生が吹き出した。 「本当に、イッくんそのものだわ!」 「えへへへ」 「れいらちゃんが大丈夫というなら放置しましょう。それに多少は苦しんでくれた方が生徒さんも描き易いだろうし」 「先生、ドS」 「あら、そうかしら?」 7. スタジオの中は静かです。 聞こえるのは皆が鉛筆を動かす音と、ときおり誰かが立ち上がって場所を移動する音だけ。 ああ、���いらちゃんも描いている。 れいらちゃんは床に膝と手をついて猫みたいな恰好で私を描いていました。 少しお尻が痛いかな。でも大丈夫。 手首と足首のロープに身を任せるよう意識したら楽になりました。 れいらちゃんの言った通り。 それよりも私の気持ちの方が大丈夫じゃない感じがします。 縛られて、見られている。 縛られて、絵に描かれてる。 そう思うと、たまらなくなります。 もどかしくて、切なくて、胸が張り裂けそうになります。 「マゾな人」れいらちゃんに言われました。 認めたくないけど、マゾだ私。 縛られて、見られて、こんな気持ちになって、確かにマゾなんだと実感しました。 「あと10分です」 三田先生の声が聞こえました。 「モデルさんの表情が変わってきたのは分かりますか? ・・よーく見て、彼女がどんな気持ちでいるのか想像しながら描くように」 ああ、先生。 そんな解説されたら、私、もう。 8. 「お疲れ様でしたー!」 「いやぁ、面白かったです」「今日は本当に勉強になりました」「描いててドキドキしました~」 生徒さんたちが挨拶して帰って行く。 「大成功でしたねー」 「ええ、れいらちゃんがここまでできる子になってくれて嬉しいわ」 「私、先生の教室にもう10年いるんですよー。できないと思われたら困ります」 「そうだったわねぇ」 「あとは彩智さんですね」 「そうね」 三田先生と一緒に更衣室へ行くと、彩智さんがチア衣装のまま座っていた。 どこか陶然とした表情で自分の膝と手首を撫でている。 彩智さんの膝と手首には縛られた痕がくっきり刻まれていた。 「彩智さん、もう大丈夫ですか?」 「あ、れいらちゃん・・」 「それ、条痕っていうんですよ。人を縛ると肌に残る痕です。愛しいでしょ?」 「え、じょうこん?」 彩智さんは条痕に乗せていた手を慌てて振り払った。 「そんなことありませんっ」 「素直になってください。彩智さんが支配された痕跡なんですよ?」 彩智さんの顔がまたまたぶわっと赤くなった。 「・・はい。愛おしいです」 「それを触るとどんな気持ちになりますか?」 「・・胸がいっぱいになります」 「谷村さんっ、ホントいい子ねぇ~! 嬉しくなっちゃうわ!!」 三田先生が彩智さんを正面から抱きしめた。 そのまま熱烈にキスをする。彩智さんは逃げられない。 「んっ、ん~!!」 彩智さんの二番目の「ん」は裏声になっていた。 「それ先生の癖なんです。気にしないでくださいね」 9. 女の人からキスされたのは初めてでした。 男性とキスの経験もないので、これは正真正銘私のファーストキスになります。 まあファーストかどうかはともかくとして、三田先生のキスはとても甘くて鮮烈で、私は再びぽよよんと脱力してしまったのでした。 ・・ ようやく元気になるとれいらちゃんが言いました。 「今日は初めての緊縛クロッキーなので簡単な縛り方でした」 「あれで簡単だったんですか?」 「はい。次は高手小手とかホッグタイとか、もっと本格的な緊縛で行きたいと思っています」 縛り方の名前は分からないけど、今日よりもずっと厳しい緊縛だとは想像できました。 「そのときは彩智さん、また来てくれますか?」 「いいんですか? 私なんかで」 「彩智さんにお願いしたいんです。あたし、彩智さんのこと大好きになりましたから」 れいらちゃんはそう言ってにっこり笑いました。 三田先生も微笑んでいます。 「こちらこそお願いします。喜んで縛られに来ます」 「よかった! ・・そうだ、これを」 れいらちゃんはスケッチブックにはさんでいた鉛筆画を取り���しました。 あのとき彼女が描いた私でした。 「これを彩智さんに」 手足を縛られたチア服の女性。私、こんなに綺麗だったのか。
涙がこぼれそうになりました。 「れいらちゃん、ありがとう!!」 「ええっと、この絵は彼氏には見せない方がいいと思います。男性ってつまらないところで疑り深いでしょ?」 「はい?」 いえ、残念ながら彼氏はいないんです。 「お付き合いしている人がいないのなら、彩智さんが一人えっちするときのおかずに使ってください」 !!! 「実は、彩智さん独り身じゃないかってうすうす思ってまして、そのつもりで描いたんです」 三田先生がけらけら笑い出しました。 ひ、ひとりえっち。 たまにします。 この絵見て、いろいろ蘇って、ムラムラして、一人えっち。 ・・しない自信、ありません。 「か、活用させていただきます」 「大切に使ってくださいね!」 ああ、私、最後まで制服の女子高生に翻弄されるようです。 れいらちゃんは誇らしげに胸を張っていて、三田先生は笑い続けていました。 二人を前にどう反応したらよいのか分からず、ただ私はもじもじするだけでした。
~登場人物紹介~ 谷村彩智(たにむらさち):24歳。チアダンスチーム『アルパカ』のメンバー。美術モデル初体験。 玻名城れいら(はなしろれいら):17歳、高校2年生。美術教室の生徒兼お手伝い。 三田静子:59歳。元中学美術教師。三田美術教室を運営。 赤いチアリーダーの緊縛と緊縛デッサン会。 どちらも以前書いたことがありますが再び登場です。 実はAIに描かせた緊縛絵の中に赤いチア服があって、昔の嗜好が再燃したのでした。 本話では語り手が二人いるので、本文の文字色を分けています。 赤が彩智さん。青がれいらちゃんです。分かりますよね? 主人公の彩智さんはチアダンスのプロです。でも24歳にして男性経験皆無。 チアのポーズを格好良く決める姿と、れいらちゃんに縛られるときの天然M女っぷりを私好みに描きました。 彼女はこの仕事で初めて自分の性癖を自覚しました。 きっとこれからは、ぐっと色っぽくなってすぐに彼氏もできるのではないでしょうか。 れいらちゃんは『多華乃の彼氏』で小学4年生だった女の子です。 7年経って高校2年生になりました。 本話では緊縛の縛り手ですが、縛られる方もきっと拒まないはず。作者的には使い勝手のいいキャラです^^。 また別のお話で活躍させたいです���。 そして、OBのお兄さんとその彼女さんはもちろんあのカップル。 今では25~6歳くらいになっているはずです。 本話に登場させることも考えましたが、当たり前にサラリーマンをしてそうでプロットが浮かびませんでした。 れいらちゃんの再登場があれば改めて検討することにします。 上記のように挿絵は今回もAI生成です。 思い通りの緊縛はなかなか描いてくれないので、一部を自分で描いて mask 機能で取り込みました。 それでも腕と手指は変な造形だし、生成を繰り返すうちに縄の色は薄緑にww。 挿絵としてなら満足ですが、単品の作品で通用する品質ではありませんね。 変化の激しいAIイラスト生成の世界。今や時代は LoRA らしいです。 自分の環境では使えませんし、そもそも出生の怪しい LoRA を使うのは道義的に躊躇します。 私自身は当分、旧式の方法で細々とやっていくつもりです。 2枚目の鉛筆画は無料の変換サービスで生成したものです。 さて、AIで生成した挿絵からお話を作るシリーズ(シリーズにしたつもりはありませんが結果的に^^)。 次はイリュージョンを描かせてみたいものですね。 どうやったら描いてくれるのか、まだ全然分かりませんが。 それではまた。 ありがとうございました。 [2023.8.10 追記] こちら(Pixiv の小説ページ)に本話の掲載案内を載せました。 Twitter 以外にここからもコメント入力できますのでご利用ください。(ただしR18閲覧可能な Pixiv アカウント必要)
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CD応用演習 第15回(1/16)
座談会の議事録ですー!
ゆ:本間志奈
し:安藤駿佑
よ:金子嘉光
あ:島田彩羽
ざ:大澤愛
ゆ「まず自分はどう変わったかっていうのは、まず前よりグループワークが上手になったっていうのと、自分がなにが得意なのかを知ることができた。私喋るのが大好きなので、割と司会得意だっていうのを、自覚し始めています。はいいー笑」
皆「 笑 」
ゆ「あとは、その他者とのコミュニケーションにどのような変化があったかっていうと、なんか、私は喋るのが好きすぎて突っ走っちゃうから、なんか前よりはこう聴く努力というか、こう、遮らないようにしようというそういう意識が前より高まった。のと、やっぱりそのみんなの会話量をちょっと計っている節はある。ちょっと、だけど喋っちゃうっていうごめんねー笑」
皆「 笑 」
ゆ「ちょっとそういうね、みんながどうしたら喋りやすいかっていうのを考えたりとか、そういうのを頭の中でグルグル考えながら喋るのができるようになった。っていうのでちょっと変わったかなっていう。で、実際に自分たちの成果を振り返って目標を達成できたかと言われると、ちょっとわからない。正直、なんだろう、想定していた目標かっていうと、なんか条件が条件だったから、思ってたよりお客さんが来なかったっていうのもあるけど、まだまだ正直改善の余地はあると思うんだけど、まず過程的には成長できたし、その、皆すごい頑張った、自分も含めて頑張ったって思うから、その過程を私はすごく褒めたいというか、大事にしたいっていうか。まあ良かったんじゃないかなって、それ自体やったことには意味があると思います。で、まあ改善できるとしたらどのような点かというと、まあ先生が言ってたのもあると思うけど、んーなんだろうな、もうちょっとね、最後の方になるともう皆必死だったけど、もう1回なんか、こう、どうですかみたいな、聞くチャンスがあったら、そのなんかデカいやつやるっていうのド忘れしてたんだけど。」
し「うん笑」
ゆ「あれー言われたじゃん笑、あ!忘れてた!ってアレ出してたらもっと、評価上がったのかなっていうのでは、その最後の時にね、もう1回確認をするか、第三者に確認をするっていう段階をもう1回踏んでおけばっていう、今ので思った。うん、他なんかあったっけ?まだ3分経ってない、?あー余裕じゃん」(2分10秒ほど)
し「ああ、まだ3分は経ってー、その5分だから」
ゆ「その5分喋るのか、私」
よ「1人あたり」
あ「ひとりあたり5,6分」
ゆ「あー」
し「なんか、(シャッフルディスカッションとは)時間変わるっぽい。」
ゆ「じゃあなんだろう、一応不安だから3分くらいの気持ちで話すね。えー、なんだろう、でも私的にお互いをリスペクトするのはマジ大事だなって思ってて、わりとーさ、みんな結構、お互いを、、どう?どうでしょう?わかんないですけど、」
皆「 笑 」
し「今こうだからね笑」
ゆ「だけどなんか割と、こうお互いのことを尊重してたんじゃないかなーって勝手に思ってます!はい、でなんかさ、お菓子とかさ、ちょくちょく渡してたけどああいうのとか、息抜きとか大事だなって思ったし、なんだろう、結構やることちゃんとやってたから、ふざけつつもバランス、塩梅とってたよねうちらって思うし、結果的にあたしこのメンバーでマジ良かったって思うしー。泣かないでね?笑」
皆「 笑 」
し「それで泣くはない!笑」
よ「ハンカチ用意しとこうかな笑」
ゆ「ふざけに入っちゃった笑」
ゆ「なんかそれでさ、例えばさ、エヤバイってしょっちゅう遅れてるんですけど、なんかみんな何かちょっとヤベエって、なんか体調悪いってなった時にさお互いフォローしあえるじゃん。フォローしあえるぐらいのじょう、、(駿ちゃんを見て)たまにできてなくてごめんね本当。」
し「なにが?🤔」
ゆ「休んだ時に私送るのド忘れしちゃって」
し「あーなんかちょっと~(??)」
ゆ「割とね、ちょっと足りないなって思った時はあるけど、情報共有割と出来てたから、フォローしあえた節はあったかな。まあ今後のプロジェクトでも、そういう情報共有は大事にしたい。どう?5分経った?」
し「まだ4分くらいなんだけど、5分無理に喋ろうとすると、なんか訳わかんないこと言っちゃうと思うから。いや、感想とかでも黙っても良いけどね。まあそれは任せるよ。なんか言いたいことあったら、なかったら全然いいよ。」
ゆ「じゃあ、ありがとうございました!笑」
皆「パチパチパチ👏」
し「じゃあ終了で!」
ゆ「終了で!」
し「ういー」
ゆ「ウチらの班5人いるから、余裕を持って」
し「ああじゃあ5分はやめた方がいいかな、4分半でいいかな。」
ゆ「次私、みんなの話聞いてる感じかな?」
あ「フィードバックを返す、、」
し「まあ全部聞いてからでもいいんじゃないかな」
ゆ「そうしよう」
し「じゃあ話します!」
し「えっと、個人のあれとしては最初にあの、おもちゃ作り始める前ね、あのチーム始まって5人なのめっちゃデカイなって思ってね、だけど全員初めましてだったから、それが個人的には不安で、どうしようかなったいうところもあったんだけど、実際一緒に作業というか授業やって、おもちゃ作りやってみたら意外と、意外とっていうかまあ、上手く行ったからそれはすごい個人的にはよかったなと思います。本当にすごい感謝しています。僕は逆に、いっぱい喋りすぎちゃうからいつも、それをあんまりできないような練習をしようと思って。一人であんまり喋らないで、他の人の意見とかをちゃんと聞けるようにしようと思って。今回はそんなに、喋んないようにしようかなと思ったけど、そしたら逆に多分、意見出すのは少なくなっちゃったかなっていうのはあるから、一個反省点としてあって。で、それでなんか言おうと思っても、なんか、逆に振り切っちゃうところはあったから、それはちょっと個人的な目標として治していきたいところだな。でもなんか、みんな積極的に仕事とかもやってくれたからまあ自分もやろうかなっていうのはあったし、そういうところがあったから多分おもちゃも形に、まあ最初の方は結構よく詰まってたからさ。最終的にまあ形になってよかったねって感じで終われたのかなと思います。でまあ、僕も遅刻は割とあったんで、欠席は体調不良で一回したくらいだから、いいかなって思うけど、まあ遅刻はあった気がするし、おもちゃ作りもなんかさ結局夜の7,8ぐらいからはじめて。」
ゆ「うん」
し「土曜日の夜の7,8時くらいから始めて、朝のまあダラダラやってて、朝の5時くらいまでやってて、本番は寝れてないみたいな笑」
し「だからいつもギリギリとかだったんだけど、でも多分、俺が5人だったら仕事絶対上手くいかない。そう言うのじゃなかったから本当にそれは救われました。色々、進捗とかも結構確認してたから他の班をみてた訳じゃないけど。周りの話とかを聞いた感じだと、directとか結構活用できてたのかなっていうふうに思ってるかな。でまあ、これで全部終わったからよかったねって感じで。最初の方は、あのおもちゃ作るの決まる前辺りはマジで、どうしようかなって笑」
皆「 うんうん笑 」
し「俺0,1が苦手だからさ、すごい自分自身0から1を考えるのがすごい苦手だったから。あまりそこでもどうしようって言うのはあったけど、どうしようもなくて申し訳ないなっていう気持ちもあったけど、誰か出して欲しいなって言う良くない気持ちもあったし、でもそんな中で形になったのは、最後はまあ子どもが遊べるようなおもちゃにね。本当に良かったかなって思います。まあ長かったんで、、。4,5限だったしね、ちょっと残ったりもしたjしね、最終的に無事に終わって良かったなって。」
し「あと30秒なんで終わりにします。」
皆「パチパチ」
し「じゃあ次行くよ?」
よ「ちょっと待ってください笑、ああああなんか妙に緊張しちゃうわ。」
ざ「 笑 」
し「別に先生とかに話すわけじゃないんだしー笑」
よ「じゃあいきます」
よ「演習を通して変わったことは、なんか元々協調性が無い人間なんですけど自分は、まあでもなんか、あとは自分の意見言うのもあんま得意じゃなくて、思ったことをどのタイミングで言えばいいんだろうなとか、そんな感じの人間だったんですけど。まあ少しは自分の意見を言えるのようになったかなって言うのと、あとは、なんかこう言うこれこそなんか時間に、どういう、んんんまあいっか。」
し「まあまあ。」
よ「どう変わったか。。。」
し「俺全然これに沿って話さなかったよ笑」
皆「 笑 」
よ「なんかこう言う風に縛られて話すのめっちゃ苦手なんだよね。」
し「あー。逆にいんじゃないかな?俺はそれを忘れてたからさ。」
ざ「大丈夫だよ」
よ「そしたらいっか!」
し「多分自分で言ってればある程度は、」
ざ「さっきもなんかそれっぽくなったし笑」
皆「笑」
し「大丈夫だよ」
よ「あとはなんか、準備とか色々、ちゃぶ台返しとか色々大変だったけど、今思えばいい経験にだったなって。なんだろう、そういうピンチ、勝手に思ってるだけかもしれないんですけど、ピンチな時に先輩とか先生とか自分たちももちろんそうだけど、助け合いというか色んな意見、出し合って色んな意見を取り入れることで視野が広がったなって、そう思います。あとは、まあ準備、指人形どっかにおいてきちゃってみたいな、、」
ゆ「ああ〜」
よ「自分が作った訳じゃないけど、そんな風に大切にしてくれるんだっていうのはすごい嬉しくて、自分人間の心あるんだって思って。それもなんかすごい嬉しかった笑」
ざ「 笑 」
し「違う問題みたいになってる笑」
よ「あとは、そうだな、結構みんな自分がやることをこれやるあれちゃるみたいな」
し「役割分担?」
よ「そう役割分担できてる、できてるっていうと上から目線で気持ち悪いんですけど、できてたからこそ、割と決まったらスルスルと決まっていって、ちゃぶ台返しもそれがなかったら本番前にせかせかして準備進めてたのかなって思うから、それこそさっき言った共有じゃ無いけど、すごい大切だなって。終わります。ああ、ありがとうございました!ありがとうございました」
皆「パチパチ」
し「準備できた?」
あ「はい」
あ「えっと、どう変わったかっていうのは人々とコミュニケーションが取れるようになったっていう笑。これは2番で言うのでちょっと飛ばします。」
し「そんな笑」
皆「笑」
あ「他のことはデータ収集はしっかり重要かなて思って。」
よ「あー確かに」
あ「既存コンテンツとか調べてる時に別にこんなんやらなくてええやんって笑」
皆「笑」
よ「確かに」
あ「思ってて、なんか元々あるものに対してなんで調べる必要があるのかっていう。おもちゃの方はおもってて、化学の方はまあそれがテーマだから調べることは重要だよねって」
ゆ「まあね」
あ「既存のおもちゃを調べることはなんでやらなきゃいけないんだろうって。思って渋々調べてたんですけど、。」
あ「でも作ってみるとあのおもちゃはこう言う視点とか使い方があるから面白いんだなっていう。そう言う面で、知るって言うことについておもちゃを調べるとかデータ収集が大事なんだなって思いました。元から結構集めたりしてたんですけど、色々もっと重要性があるんだなってことに気付けまた。あとはなんか、次行くと人々とコミュニケーションを取れる件についてなんですけど笑」
ゆ よ「 笑 」
あ「本当にコミュニケーション取るのはなんか、苦手でめちゃめちゃ他人の目が気になるタイプなので、なんか自分が言ったことに対してこう思ってるんじゃ無いかって。予測をすごいしてしまうので、なかなか自分のことを言い出せなかったりとか、ちょっと違うんじゃ無いかって思っても言い出せなかったんですけど、でもまあ一つの目標としてより良いおもちゃを作るにはどうしたらいいかって自分なりに考えて意見を出したりガサガサの案も一応自分が出した案なので、うまく説明できたなって言う、良かったです。そして、コミュニケーションが取れるようになりました。人間になりました笑」
よ ざ「笑」
あ「3番は成果を振り返って目標達成。目標がそもそもあんまなんだったか覚えてないんですけど、なんだったか、、。」
し「インタラクションメインだったんだよね、親子どっちも楽しめるみたいな、持ち替えった後も学びが。。」
あ「良く覚えてるね笑」
あ「まあ楽しめる分には達成できたかなと思ってるけど、親子で楽しるっていう部分は抜けてたかな。なんか当日の朝に親と一緒にやるかどうか話してたと思うんだけど、結局親は補助に回るからやらないんじゃ無いかなってなったから、もうちょっと親と一緒にパペットで遊べるようにしたら、あとはちっちゃい子だと無理だから一緒に遊んでもらうとかそう言う臨機応変に対応する形を取れたら良かったのかなとこれがまあ改善点かな。」
あ「これ全部言っちゃったから何もテーマがない笑」
あ「そうだな、」
し「まあ、30秒くらい感想でもあれば。。」
あ「なんか適材適所で各々輝けえる仕事ができてたのかなって思います。私は結構この人こう言うふうにみてるなと結構思って、いい意味ですよ笑」
皆「 笑 」
あ「今行ってもいいけどちょっと、あんま録音されたくない笑」
し「そう言うことか笑、まあフィードバックでもいいかな」
よ「フィードバックも録音するんじゃないかな?」
ざ「え笑」
あ「別に行ってもいいんだけど、ゆきなはリーダーシップがあるからみんな結構頼ってきてるなって私は思ってたし頼ってた。なんかこう言う風にしたらいいんじゃないとかさ、いつ集まるとか言ってくれるから、意見が言えやすかったかなと。自分の反省でも言っていたけど。ちゃんとコミュニケーションを取れる場にしてくれてありがとう!」
ゆ「涙腺崩壊しそう笑」
あ「それで、あいちゃんは鋭い一言、こうした方がいいんじゃ無いって言うのがその一言で良くなるアイデアを生み出てる感じがしたから。だからなんかそういう、物事を結構深く考えて言える人なんだなと思いました。」
ざ「ありがとう笑」
あ「で、しゅんちゃんは結構周りからの視点で物事を見ていると思ってって���私がこれどう?って言った時に一瞬、ん?ってなっていたと思うんだけど、」
し「昨日やったやつ?」
あ「昨日のあの、ガサガサってするのどう?って聞いた時に、ん?ってなっていたけどそう言う批判的な意見というか、親とか色んな視点から見てそういう風になったんだと思ってて私は。だから視野が広いと思う。色んな人とコミュニケーションをとってそういう視野がある人なんだなと思いました。」
し「ありがとう笑」
あ「で最後に、もう手先がめちゃめちゃ器用だよね笑」
よ「いや笑、あのー、俺人外だから笑」
皆「笑」
あ「手先がすごく器用だなって私は思って笑、メダルシール貼って他じゃん、あれ全部同じ位置に、、」
よ「いや、あれは彼女です笑(ざわちゃんを指差して)」
皆「笑」
あ「なんかすごい、一個も崩れてるものがなくて綺麗に作れていて、几帳面な人なんだなと思った笑」
あ「多分ゆきなの次にリーダーシップを発揮していたのだと思う、全然コミュ障とかじゃないし、人間だと思っていただいて笑」
よ「いやいや笑」
し「前提がおかしいのよ笑」
皆「笑」
あ「そんな感じでした私は、長々とすみません、、」
皆「パチパチ」
し「おけい!」
し「フィードバック込みだから」
ゆ「うちらあとでやんなきゃいけないからさ」
ざ「ちょっとテーマ見してもらってもいい?」
ゆ「いいよ〜」
ざ「ありがとう」
し「大丈夫?」
ざ「はい!演習を通して自分はどう変わったかというと、私は割と思ってることあっても結構、仲良くなったりとかコミュニケーションを通して、ちゃんと言い合えるようになるまであんま言えなかったんだけど、そのみんなが喋ってくれるから喋ってもいいんだなって思えて、逆になんかアイデアが出なさすぎて言わなきゃだめだ!っていう気持ちになって笑」
ざ「そっから結構なんだろう、授業外でも結構話す機会があったと思うんだけど、そういう時でも自分が違うと思った時にちゃんと言おうって思えるようになったかなっていうのはあって、それが他の人の意見とかアイデアとかに連鎖していったこともあったし、別に無駄なことでもなかったなって思った。全部ちゃんと言ったほうがよかったなって思った。あと、これは他者とのインタラクションとか、コミュニケーションの変化とも繋がるんだけど、役割分担をみんなでちゃんとしようって思える意識がちゃんとできたかなっていう。割と完璧主義なところがあって、全部自分でやっちゃおうって気持ちになることがあったんだけど、グループワークってなんかそうじゃなくて、みんなで協力してやった方が最終的な成果物に意味が生まれると思うし、自分一人じゃないからからこそ、今回いいものができたなって。なんだろうな、誰かを頼るっていうことが結構できたからよかったなって。成果を振り返って、なんだろうな、私たちの班はどの班よりも何回も繰り返して、全部アイデア無くしてっていうことがなん度もあったからそこがやっぱり強みだったと思うし、切り替えがすごい早くて、そこはすごい私的にはいいところだなって思ってて、順調に行くのが正解っていう訳ではなかったと思うから。順調にいけばそれはそれで楽だけど、なんか苦労したからこそ学びがすごいあったと思うし、授業外の話し合いとかもすごいなんかいっぱいやって、それがあったからこそ、気づきみたいなものもいっぱい生まれて、その成長できた、、?多分私は今まで自分一人でやるときにちゃぶ台返しすごい頻繁にやってたんだよね。なんだろう、ちょっと進んでこれだめそうだなって思ったらすぐやめるっていう、だからそれを結構短期間でいっぱいやるからすぐ終わるみたいなところがあったんだけど、今回グループワークってなったらさ、ちゃぶ台返しするにもすごいもったいないかなっていう気持ちもすごいあって。それが最初はすごい長かったんだけど、後半になるにつれてちゃぶ台返しを早めることができたのはすごいよかったんじゃないかなと思った。私的に一番学べたのはそこかな。グループワークを通して、ああこういう風にやっていけばいいんだなってアイデアを、やっていけばいんだなと思ったので、それが学びでした。」
ゆ「じゃあその流れでそのままフィードバック行こう笑」
よ「ごめん、めっちゃ関係ないんだけどさ、理系?」
ざ「理系?どっちだろうわかんない笑」
よ「なんかあんま話さないんだけど、話したらすごい話の組み合わせがスムーズだからさ、この人理系なのかなって」
し「それ理系の問題なのかな?」
よ「勝手なイメージだけど、」
よ「俺個人の体験というか、、」
ざ「理系が多かった笑」
よ「そう。理系が多かった笑」
よ「なんか文系の人は倒置法使うイメージなんだけど(偏見すみません本当に)、俺も使っちゃうんだけど、、」
し「それは聞き手の問題だと思うわ」
よ「そうなん?」
し「左だと言語の認識がかわるから、右脳左脳が違うから言葉がかwるんだと思う。」
皆「笑」
し「文系の方が文章はやたら遠回しに言うかもしれない、抱負だからね」
よ「表現がね、豊富ね」
あ「めっちゃ分析するじゃん笑」
し「理系は淡々とシャベル人のほうが多いかもしれない、だから明確でわかりやすい人が多いのかもしれない」
ゆ「フィードバック行こうか」
ざ「えーっとゆきなはさっきも言ってたけど、名前のない仕事をすごいやってくれたなって思ってて、ダイレクトで声かけてくれたり、ちょっとわかんないことがあったりしたら、みんなで共有できてないことがあったときに今どんな感じだっけみたいな。声がけをすごいやってくれたなって、あとさっき喋りすぎてるwpって自分のこと言ってたけど、すごい喋りかけてくれたから逆に自分も声かけられたなって思います笑」
よ「笑」
あ「フィードバックってこんな感じなのかな笑」
し「多分一人一人言わなくていいんじゃないかな笑」
あ「私がみんな各々言っちゃったから笑、ごめんなさい笑、私は個人的にそう思っているよ〜っていう笑」
し「フィードバックはお互い思っているこというかんじだよね笑」
ざ「じゃあわたしいい?笑」
ゆ「私言う!みんなの分笑」
し「おけい笑」
ゆ「まずしゅんちゃん、私結構デーやあああああって言っちゃう人だからさ、シュンちゃんに後ろの方からめっちゃズレてるよって、道曲がっているよ〜って言ってくれる人、だから軌道修正できるからすごい助かりました。ありがとうございました笑」
ゆ「ちゃんやまはーーー笑」
よ「しっかり偽名なんだよな笑」
ゆ「なんかみんなのことすごい考えてるなって。たまに電車一緒なんだけどさ、なんかすごい考えている人だなって思ったし」
よ「あー」
ゆ「全然自分なんてって言ってるけど、みんながやりたがらない仕事とかをじゃあ俺やりますって言ってくれる、そういうのがすごい強い、なんかみんなシーンてなった時にじゃあ俺やりますって、すごい強みだからもっと自信持って。」
よ「笑、ありがとうございます笑」
よ「人間として胸を張ろうと思います笑」
皆「笑」
ゆ「で。あやはは、調査力すごいよね!なんかこういうのあった、こういうのあったってすごい言ってたじゃん。あれすごい調べる力強いと思って、しかもためになるものを持ってきてくれる!」
みんな「笑」
ゆ「調査力、調査員すごいあたし欲しいと思った。あと、ショートコントディズニーキャ���トとかね、あれすごい面白い」
よ「笑」
ゆ「台本とかね、すごいよく作ってくれました。で、愛は鋭いよねほんと的確だよね。こここうじゃない?みたいな。だから、どんどん発言して欲しいなって思いました」
ざ「笑」
よ「確かに。なんか鋭すぎて切られたことに気づかない」
ざ「え笑」
皆「笑」
し「それはまずいんじゃない笑」
ゆ「サムライ?笑」
ゆ「ありがとうございます、ちょうどジャストです!」
拍手!!!!!!!!!!!!!!!!!
今までお世話になりました!本当に皆ありがとうございました!
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米ピッツバーグ大学医学部の神経外科医たちが、このビンタ大会(スラップファイティング)の参加者が被る神経損傷を分析した。 その結果はかなりヤバいものだった。 78回の試合における333回の平手打ちの映像を調査し、脳震盪の目に見える兆候を探した。 脳震盪の兆候は、無表情、虚ろな視線、なかなか立ち上がれない、運動協調性の喪失、嘔吐、記憶障害、衝撃による発作などがあり、どれかひとつでも認められれば脳しんとうが起こっていると判断される。 調査では、出場したファイターの78%が少なくとも1回は脳震盪の兆候をはっきり示していたことがわかった。 このことは、こうしたビンタ大会が出場者に外傷性脳損傷を引き起こし、長期的な悪影響を及ぼす可能性があるという結果を物語っている。 この画像を大きなサイズで見る image credit:Pixabay ADVERTISING スラップファイティングは無防備でビンタされる過酷な競技 このファイトには、つねに直立の姿勢を保たなければならないルールがあるが、その姿勢が脳損傷のリスクをより高めるのだという。 本研究の主筆者である脳神経外科准教授のニティン・アガルワル博士は、非常に憂慮すべきことだと懸念を露わにする。 軽度の脳しんとうであっても、繰り返すことによって徐々に損傷が蓄積され、接触スポーツ選手によく見られる慢性外傷性脳症(CTE)につながる可能性があって非常に危険だという。 実際にどんな競技なのかはYoutubeなどで見ることができる。男性のみならず、女性の競技者もいて、そのチャンピオンシップともなると、あまりにも痛そうなので自���責任で閲覧して欲しい。 この画像を大きなサイズで見る SlapFIGHT: REDEMPTION – BRUTAL 8 Man Slap Fighting Tournament image credit:Youtube スラップファイティングの今後はどうなる? ほとんどアンダーグラウンドで行われているこのビンタ大会は人気があり、オンラインでも視聴され、有名人が観戦に来ることもある。 専門家から危険性への警告は高まっていても無視され、その人気は衰えることがないのが実情だ。 スラップファイトが問題になるのは今回が初めてではない。 2021年、ポーランドの大会でファイターのアルトゥール・��ルチャックがノックアウトされ、致命的な脳損傷を負った。 2023年には、女性ファイターのコートニー・オルソンが激しい平手打ちを受けた後の記憶障害と混乱の壮絶な体験を引退後に語った。 本研究は、縛りが緩いこのアングラスポーツをなんらかの形で規制することについて、緊急に議論を進めることを促している。 プロフットボール選手が使っているマウスピースのようなものを使用して、平手打ちの物理的影響を測定する研究を行い、安全規制に役立つデータを提供する予定だ。 しかし、研究者の中には、そもそも平手打ちをスポーツとみなすのかどうか疑問視する声もある。 アガルワル博士も、これをスポーツとして喧伝すべきではないとする。「人々が進んでこのようなファイトに参加するのは非常に危険です。この危険性はしっかり認識されるべきです」 この画像を大きなサイズで見る Photo by:iStock 脳損傷に対する意識の高まり サッカー、ホッケー、ラグビーなど、どうしても接触過多になるスポーツ界では、やはり脳への影響が大きな懸念になっていて、脳しんとう症状への認識やアスリートを守るためのより安全な対策措置を促進する活動も始まっている
平手打ちだけで勝敗を競うビンタ大会は脳損傷のリスクがあると脳神経外科医が警告|カラパイア
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バーチャルオフィスの電話対応・電話代行サービス完全ガイド
ビジネスの世界では、顧客対応や問い合わせ対応の重要性がますます高まっています。特に、中小企業やスタートアップにとって、プロフェッショナルな電話対応が企業のイメージを大きく左右します。しかし、専任のスタッフを配置することはコストや時間の面で大きな負担になることがあります。そんな時に役立つのが、バーチャルオフィスの電話対応・電話代行サービスです。バーチャルオフィスは、物理的なオフィススペースを持たなくてもビジネス用の住所を提供するサービスですが、その中でも、電話対応・電話代行サービスは企業にとって非常に重要な要素です。顧客からの問い合わせに迅速かつ適切に対応することで、信頼を獲得し、ビジネスの成長に寄与します。本記事では、バーチャルオフィスの電話対応・電話代行サービスについて、そのメリットや具体的な活用方法を詳しく解説します。これからバーチャルオフィスの導入を検討している企業やフリーランスの方々にとって、役立つ情報を提供します。
バーチャルオフィスとは?
バーチャルオフィスとは、物理的なオフィススペースを持たずに、ビジネス用の住所や電話対応などのサービスを利用できるオフィスサービスの一つです。特に、法人登記に必要な住所を提供するため、多くの企業やフリーランスが利用しています。バーチャルオフィスの魅力は、低コストでプロフェッショナルなビジネス環境を整えることができる点です。また、実際のオフィスを持たないため、家賃や設備費用を大幅に削減することができ、場所に縛られずにビジネスを展開できます。さらに、バーチャルオフィスでは郵便物の受け取りや転送、会議室の利用など、ビジネスに必要な基本的な機能が揃っているため、柔軟な働き方��可能です。このように、バーチャルオフィスは特にスタートアップ企業や個人事業主にとって、効率的で経済的な選択肢となっています。バーチャルオフィスを活用することで、場所を問わずにプロフェッショナルなビジネスを展開できる環境が整います。
バーチャルオフィスの定義と特徴
バーチャルオフィスの定義は、物理的なオフィススペースを持たないビジネス運営の形態であり、ビジネスに必要な住所、電話対応、郵便物の管理などを外部サービスとして利用できる点にあります。バーチャルオフィスは、通常のオフィススペースを持つことが難しい企業やフリーランスに最適です。また、コストを抑えながらも、顧客に対してプロフェッショナルなイメージを提供できるため、スタートアップ企業や中小企業にも広く利用されています。特徴としては、法人登記の住所提供、郵便物の管理・転送、電話代行サービス、会議室の貸出など、ビジネスに必要な基本的な機能が揃っていることが挙げられます。これにより、企業は実際にオフィスを構えなくても、オフィスを持っているかのようにビジネスを展開できます。特に、リモートワークの普及により、物理的な場所に縛られずに働けるバーチャルオフィスの需要は高まっています。
バーチャルオフィスの主な機能
バーチャルオフィスの主な機能には、ビジネス用住所の提供、電話対応、郵便物の受け取り・転送、会議室の利用などがあります。これらの機能を利用することで、物理的なオフィスを持たない企業でも、顧客や取引先に対してしっかりとしたビジネス体制を示すことができます。特に、ビジネス用住所は法人登記にも使用できるため、信頼性の高いビジネス運営が可能です。また、電話対応サービスを利用すれば、顧客からの問い合わせに迅速に対応でき、ビジネスの機会を逃すことがありません。さらに、郵便物の受け取りや転送サービスにより、重要な書類や通知を確実に受け取ることができます。これにより、実際のオフィスを構えるコストを削減しながら、ビジネスの基本機能を維持することができるのがバーチャルオフィスの強みです。特に、フリーランスやスタートアップ企業にとって、必要な機能を柔軟に活用できる点が大きな魅力となっています。
電話対応・電話代行サービスの概要
電話代行サービスとは?
電話代行サービスとは、企業や個人事業主が顧客からの電話対応を外部の専門スタッフに任せるサービスです。企業が電話代行サービスを利用することで、自分たちが直接電話を受ける必要がなくなり、重要な業務に集中できる環境が整います。特に、中小企業やスタートアップにおいては、専任の電話対応スタッフを配置することはコストがかかりますが、電話代行サービスを利用すれば、その負担を軽減できます。電話代行サービスの最大のメリットは、プロフェッショナルな対応が期待できる点です。専門のオペレーターが企業名を名乗り、丁寧に対応することで、顧客からの信頼を得ることができます。また、営業時間外や不在時でも電話対応が可能なため、重要なビジネスチャンスを逃す心配がありません。ビジネスにおいて顧客対応は非常に重要な役割を果たしますが、電話代行サービスを利用することで、効率的かつ効果的な顧客対応が実現できます。
電話対応の重要性
電話対応は、ビジネスにおいて顧客や取引先とのコミュニケーションを円滑に進めるために不可欠です。特に、新規の顧客に対しては、最初の電話対応が企業の印象を決定づけることがあります。適切な電話対応ができれば、顧客の信頼を得ることができ、ビジネスチャンスが広がります。一方で、電話対応が不適切であれば、顧客は他の会社に移ってしまう可能性があります。特に日本のビジネス文化では、電話でのやりとりが重要視されるため、企業の信頼性を高めるためにも、電話対応には十分な注意が必要です。また、電話対応は顧客満足度にも直結します。迅速で丁寧な対応は、顧客に対して企業が誠実であるという印象を与えるため、ビジネスを成功させるための重要な要素です。企業が成長するためには、顧客との信頼関係を築くことが不可欠であり、電話対応の品質はその基盤となります。
バーチャルオフィスにおける電話対応のメリット
プロフェッショナルなイメージの向上
バーチャルオフィスにおける電話対応の最大のメリットは、企業のプロフェッショナルなイメージを強化できる点です。特に、電話対応を外部のプロフェッショナル��委託することで、顧客からの問い合わせやビジネスパートナーとのやり取りに対して、一貫して高品質な対応を提供できます。専任のオペレーターが企業名を名乗り、丁寧かつ迅速に対応することで、企業の信頼性が高まり、顧客からの評価が向上します。また、初めて連絡を受ける顧客に対しても、適切な対応を行うことで、企業の第一印象を良好に保つことができます。バーチャルオフィスを利用している企業やフリーランスにとって、電話対応の質はビジネス成功のカギとなります。顧客は電話対応から企業の姿勢や価値観を判断するため、電話対応の質を向上させることは、ビジネスの成長に直結します。電話対応がスムーズであれば、企業のプロフェッショナルなイメージはさらに強化され、競争力が向上します。
時間とコストの削減
バーチャルオフィスの電話対応サービスを利用することで、企業は時間とコストの大幅な削減が可能です。自社で専任の電話対応スタッフを雇う必要がなくなり、その分の人件費や設備費用を節約できます。また、社員が電話対応に追われることなく、コア業務に集中できるため、業務効率も向上します。特に、電話対応が頻繁に発生する企業にとっては、外部サービスを活用することで、業務の負担を軽減しつつ、コストを抑えることが可能です。さらに、電話対応サービスは24時間対応や営業時間外の対応も可能なため、ビジネスチャンスを逃すことなく、効率的に顧客対応を行うことができます。このように、電話対応の外部委託は、企業の成長に貢献する重要な戦略となります。時間とコストを削減しながらも、顧客に対して高品質な対応を提供できる点が、バーチャルオフィスの電話対応サービスの大きな魅力です。
業務効率の向上
バーチャルオフィスの電話対応サービスを活用することで、企業の業務効率が大幅に向上します。社員が日々の電話対応に時間を取られることなく、コア業務に集中できるため、全体的な生産性が向上します。特に、頻繁に電話がかかってくる業種では、外部の専門スタッフによる電話対応が大きな助けとなります。また、電話対応のプロフェッショナルによるサービスは、顧客対応の品質を一定水準に保つことができるため、顧客満足度も向上します。これにより、ビジネスの成長を加速させるための効率的な体制が整います。バーチャルオフィスの電話対応サービスを活用すれば、企業は重要な業務に集中でき、無駄な時間を削減できます。業務の効率化は、企業が競争力を高め、ビジネスを拡大するための重要な要素となります。電話対応の外部委託を通じて、業務のスムーズな運営が実現します。
電話代行サービスの選び方
サービス内容の比較
電話代行サービスを選ぶ際には、まず提供されるサービス内容を比較することが重要です。各サービス提供会社がどのような対応をしているのか、具体的な機能や対応可能な範囲を確認する必要があります。例えば、24時間対応が可能なサービス、緊急対応や特定のビジネスニーズに応じたカスタマイズ対応を提供する会社など、さまざまなオプションがあります。また、対応するオペレーターの質や経験も選定の際に考慮するべきポイントです。電話代行サービスは、単に電話を受けるだけでなく、企業の顔として顧客対応を行うため、品質の高いサービスを選ぶことが企業の成長に直結します。企業のニーズに最も適したサービスを選ぶことで、顧客満足度を向上させ、ビジネスの機会を逃すことなく対応できるようになります。
料金プランの確認
電話代行サービスの料金プランは、企業によって大きく異なります。固定料金制、従量課金制、カスタマイズ可能なプランなど、さまざまな選択肢があります。自社の利用頻度やニーズに合った料金プランを選ぶことが重要です。また、サービス内容に応じて追加料金が発生する場合があるため、契約前に詳細な料金体系を確認することが必要です。特に、スタートアップや中小企業では、コスト管理が重要となるため、無駄な支出を避けるためにも、料金プランを慎重に選定することが大切です。料金だけでなく、提供されるサービスの質や対応内容も合わせて比較することで、最もコストパフォーマンスの高いサービスを選ぶことができます。
サポート体制の評価
電話代行サービスを選ぶ際に、サポート体制の充実度も重要なポイントです。特に、トラブル��発生した場合や、緊急対応が必要な際に迅速に対応できる体制が整っているかを確認することが重要です。定期的なレポートの提供や、オペレーターとのコミュニケーションがスムーズに行えるかどうかも評価基準の一つです。信頼できるサポート体制が整っている会社を選ぶことで、長期的に安心してサービスを利用することができます。また、サポート体制が充実している会社は、顧客対応にも力を入れていることが多いため、企業としての信頼性も高まります。万が一のトラブル時にも適切なサポートを受けられる体制を重視することが、長期的なビジネス成功につながります。
バーチャルオフィスのメリット・デメリット
メリット
法人登記の住所に利用できる
バーチャルオフィスの大きなメリットの一つは、法人登記の住所として利用できる点です。特に、オフィススペースを持たない企業や個人事業主にとって、バーチャルオフィスの住所を利用することで、会社設立や法人登記がスムーズに行えます。また、自宅住所をビジネス用に公開する必要がないため、プライバシーを守りつつ、ビジネスを展開できる利便性も魅力です。特に都市部の住所を利用することで、企業の信頼性やイメージが向上し、ビジネスチャンスの拡大につながることが期待されます。法人登記のためにわざわざ高額なオフィスを借りる必要がなく、コストを大幅に削減できる点も、バーチャルオフィスを選ぶ大きな理由の一つです。
プライバシーを守れる
バーチャルオフィスを利用するもう一つの大きなメリットは、プライバシーの保護です。自宅住所をビジネスに使用すると、顧客や取引先に対して個人情報が漏洩するリスクが高まりますが、バーチャルオフィスを利用することで、そのリスクを回避できます。特に、フリーランスや個人事業主にとって、プライバシーを守りながらビジネスを展開できることは重要です。バーチャルオフィスの住所を使用することで、顧客にはプロフェッショナルなイメージを保ちつつ、自分の個人情報を守ることができます。また、都市部の住所を利用することで、ビジネスの信頼性も向上し、取引先との関係がよりスムーズに進むことが期待されます。
デメリット
住所が他人との共有になる
バーチャルオフィスのデメリットとして挙げられるのは、住所が他の企業や個人と共有されることです。バーチャルオフィスの住所は、多くの企業や個人が利用しているため、住所が重複することがあります。これにより、特定の住所に対して複数の企業が存在することになり、顧客や取引先に混乱を招く可能性があります。また、バーチャルオフィスを利用している他の企業が問題を起こした場合、その影響を受けるリスクもあります。このため、住所の共有に対するリスクを考慮し、利用する際には信頼性の高いバーチャルオフィスを選ぶことが重要です。
郵便物の受取が遅れる
バーチャルオフィスを利用する際に考慮すべきデメリットの一つは、郵便物の受け取りが遅れることがある点です。郵便物の転送サービスを利用している場合、転送に時間がかかることがあり、重要な書類や通知を迅速に受け取ることが難しいことがあります。特に、緊急の郵便物や取引先からの重要な書類が遅れて届くと、ビジネスに影響を与える可能性があります。このため、バーチャルオフィスを利用する際には、郵便物の受け取りや転送にかかる時間を事前に確認し、必要に応じて迅速な対応を依頼できるサービスを選ぶことが大切です。
バーチャルオフィスの活用事例
利用者の声
バーチャルオフィスの利用者からは、多くのポジティブなフィードバックが寄せられています。特に、スタートアップ企業やフリーランスにとって、バーチャルオフィスはコストを抑えながらもビジネスを拡大するための有効なツールとなっています。例えば、法人登記の住所提供サービスを利用して会社を設立し、その後も顧客対応や電話代行サービスを活用して、スムーズなビジネス運営を実現している事例があります。また、自宅住所を公開せずにビジネスを展開できるため、プライバシーを守りながら安心して業務に集中できる点も、多くの利用者から高く評価されています。実際の利用者の声を通じて、バーチャルオフィスのメリットを具体的に理解することができます。
業種別の活用方法
バーチャルオフィスは、さまざまな業種で活用されています。例えば、IT企業やクリエイティブ業界では、リモートワークを前提とした業務形態が増加しており、バーチャルオフィスを活用することで、物理的なオフィスを持たずにビジネスを運営することが可能です。また、コンサルティング業や士業では、プロフェッショナルなビジネスイメージを保ちながら、コストを抑えてビジネスを展開できる点が評価されています。さらに、地方から都市部に進出する際にも、バーチャルオフィスを利用することで、信頼性の高い都市部の住所をビジネスに活用することができ、ビジネスチャンスを拡大することができます。業種ごとに異なるニーズに応じたバーチャルオフィスの活用方法を知ることで、自社に最適な利用方法を見つけることができます。
バーチャルオフィスの信頼性と信用
信頼性向上のポイント
バーチャルオフィスの信頼性を高めるためには、サービス提供会社の実績や評判を確認することが重要です。特に、信頼性の高いバーチャルオフィスを選ぶことで、顧客や取引先に対してプロフェッショナルなイメージを与えることができます。また、信頼性のあるオフィスサービスを利用することで、トラブルのリスクを最小限に抑え、ビジネスの円滑な運営をサポートします。さらに、バーチャルオフィスの住所を利用している他の企業の評判や信頼性も考慮することが重要です。信頼性の高いバーチャルオフィスを選ぶことで、企業の信用を高め、ビジネスチャンスを広げることができます。
銀行口座開設への影響
バーチャルオフィスの住所を利用して銀行口座を開設する際には、いくつかの注意点があります。銀行によっては、バーチャルオフィスの住所での口座開設に対して慎重な姿勢を取る場合があるため、事前に必要な書類や手続きを確認しておくことが重要です。特に、信頼性の高いバーチャルオフィスを利用することで、銀行側の審査をスムーズに進めることができるケースがあります。また、法人登記を行っている場合、バーチャルオフィスの住所での口座開設が認められることが多いため、事前に法人登記を完了させておくことも有効です。適切な準備と対応を行うことで、バーチャルオフィスを利用した銀行口座開設も問題なく進めることができます。
最後に
バーチャルオフィスの電話対応・電話代行サービスは、企業の信頼性を高め、業務効率を向上させるための有力なツールです。自社のニーズに合ったサービスを選び、効果的に活用することで、ビジネスの成長をサポートします。電話対応の品質を向上させ、コストを削減しながら、顧客対応におけるプロフェッショナルなイメージを保つことができます。これからバーチャルオフィスの導入を検討している企業やフリーランスにとって、電話対応・電話代行サービスの活用は、ビジネスの成功に欠かせない要素となるでしょう。
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初雪の頃【2】
面接まで
福岡で生まれた私が、言葉も感覚も違う大阪に来たのは、十歳のときだ。 父の転勤だった。初めからなじめない感じはしていた。別にイジメられたわけじゃない。ただなじめなくて、楽しくなくて、全部嘘咲いで、教室が苦痛になっていた。高学年になると、もえとの出逢いもあったけど、担任との関係が最悪で、福岡にいた頃には信じられなかった“登校拒否”をやるようになっていた。 もえは本名“萌野さやか”といって、五年生のクラスで二回続けて席が隣になって仲良くなった。全体的に色素が薄くてかわいいのだけど、二次元にしか興味がない、ちょっと変わった子だ。 担任と、そしてクラス一の秀才と関係がこじれて、私と仲良くしていたって何の得もないのに、もえは親しくしてくれた。学校に行かなくなってからは、彼女が毎週土曜日にまとめてプリントなどを持ってきてくれた。 小学校のあいだはもえ以外の友達とも浅いつながりがあったけど、中学生になって、いったん登校復帰したもののまた行かなくなってからは、友達と言えるのはもえひとりになった。 中学はちゃんと行くつもりだった。そのために、勉強だってしていた。でも、一度身についた拒絶反応を治すのは、むずかしかった。 毎朝七時に起きること。つくえに縛られて勉強すること。重い教科書をかかえて帰宅したと思ったら、大量の宿題が待っていること。 いろんな習慣がつらくて、いつのまにか遅刻や早退が増えて、クラスメイトの反感を買って、別室登校も試したけど、結局は部屋に引きこもるようになった。 高校なんて行く気はなかった。でも親が手続きした通信制高校に受験もすっぽかしたのに受かって、入学式に連れていかれた。途中からはよく憶えていない。ただこのときの狂態で、心療内科に通うことになり、面倒が増えた。 三年間、完全に光を遮絶した部屋をほぼ出ずに過ごした。外界を知覚したくなくて、常に洋楽の激しいロックで耳をふさいでいた。進学校に進んだもえも、頻繁に私の家に来れなくなった。生まれたときから一緒の、スヌーピーの毛布とふとんを抱きしめて、ベッドに横たわっていた。 人として一番新鮮な時期を、浪費するでもなく、貯金するでもなく、何にも残さずに垂れ流した。そうして、家庭も学校も壊れた十八歳の夏、私はやっと動き出して、イルミネーションのきらめく夜の街にいる。 大阪の歓楽街は、キタとミナミに別れている。 ミナミの難波から心斎橋につながる歩行者天国には、あらゆる店があふれていて、層も若者が多い。逆に、オフィス街である淀屋橋に面したキタは、高級クラブからラウンジ、バーにキャバクラといった店が密集し、客層も圧倒的に会社帰りのおじさまたちが多い。
「ここか……」
昔からある歓楽街は北新地で、そこで働く人たちは、けっこうプライドが高い。けれど、素人の私はそんなことなど何も知らず、一階から最上階までの店名が並ぶ看板を見上げて、そうつぶやいていた。 住所だけで場所を探り当てなくてはならず、似たようなけばけばしい景色をぐるぐるしてきた。パレットのように、ネオンはさまざまな色を飛びちらせている。背広、キャミソール、着物、笑い声や叫び声、煙草や香水の匂い──いろんなものが、残暑の熱気と混ざりあっている。 普段の引��こもり生活との落差にめまいがして、泣きそうになっていたところで、紫色に黒の毛筆体で『ラウンジ 綾子』という看板のあるビルを発見した。 ここの五階だっけ、と求人誌の切り抜きを確認し、看板にも確かに『F5』とあるのを認める。 おにいちゃんのおさがりのような、ボーイッシュな服装しかしない私だけど、今日はさすがに化粧をして、スカートを穿いてきた。トップスは、手首の傷を隠すために、白と黒の細いボーダーの長袖だ。服装自由とあったけど、長袖はいいのだろうか。そんなことを考えながら、ビルに踏みこんだ。 エレベーターホールに行き着くと、それらしい女の人が、エレベーターを待っていた。綺麗に巻き髪をして、水色のキャミソールに共切れのマーメイドスカート、シースルーのストールをまとっている。 やっぱ長袖はダメかも、と思っていたら、エレベーターがやってきて、その人に続いてエレベーターに乗りこむ。 その人は三階で降りていった。五階にひとりでたどりつくと、いよいよ心臓が緊張でこわばってきた。 怖い。私���たいな子供が場違いなのは、分かりきっている。でも、お金欲しいでしょ? 家を出たいでしょ? そのためには── 大きく息を吐くと、顔を上げた。行こう。面接に落ちるのは承知の上だ。動かないと始まらない。勇気を振り絞って歩き出し、エレベーターのすぐ隣にあった『ラウンジ 綾子』の扉を押した。 低くジャズがかかっていた。クーラーのきいた絨毯に踏みこむと、右手にカウンターがあって、左手に店内が広がっていた。狭くはないけど、そう広くもない。 全部で、六席だ。中央にある棚の上の花瓶に、大きなブーケがささっている。 カウンターを見た。同じように、こちらに注目している人が数人いた。 男の人がふたり、女の人がひとりだ。女の人はカウンターに一番近い席に座り、スパンコールのついたミニワンピースを着ていて、ケータイを開いている。男の人ふたりは黒服で、ひとりはカウンター内に立ち、ひとりはカウンターの席に腰かけている。
「……えー、と。おはようございます」
カウンターに腰かける男の人に言われて、きょとんとしかけたものの、慌てて「おはようございます」と消え入りそうに返す。 どうしよう。ぜんぜん知らない雰囲気だ。
「あの、面接に来たんですけど……」 「面接? ああ、今日やったっけ。──ジュン、茶淹れて」 「はい」
カウンター内の男の人が動いて、腰かけている人は立ち上がって手招きしてくる。
「こっちおいでや。ママはまだ来てへんから」 「あ、は、はい」
オフにしたケータイとかが入っているリュックを抱きしめて、そろそろとカウンターに近寄る。花の香りがただよった。 女の人はケータイに向き直り、腰かけていた男の人は自分が座っていた椅子をしまい、その隣の椅子を引く。私は、緊張で誰の顔も直視できないまま、その椅子に腰かけた。
「今日、ママ同伴やったっけ」 「ちゃうと思うけど」
ケータイをいじりながら訊いてきた女の人に、椅子を引いてくれた男の人は返す。 カウンター内の、ジュンと呼ばれた男の人は、私の前にすっとコースターを引いて、その上にお茶と氷がそそがれたグラスを置いてくれた。喉がからからで、できれば飛びつきたかったけど、そんな度胸もなく、恐る恐るグラスを手に取ってひと口舐めた。きんと冷えていて、苦味も少ない、おいしい烏龍茶だった。
「何歳?」
椅子を引いた男の人がいきなり振ってきて、「えっ」とまごつきながらも、「十八です」とどうにか答える。
「十八⁉ うわー」 「智月、もう二十四やわー」 「おばはんやな」 「うっさいわ。ショウくんに言われたくないねんけど」
何か、めちゃくちゃ大阪弁だ。大阪に来て引きこもりになった私は、この地に来て五年も経つのに、標準語だ。会話そのものをしなくて、博多弁は忘れてしまった。
「ママ、もうすぐ来ると思うから」
カウンターの中にまわる、ショウくんと呼ばれた男の人に言われ、電話の人か、と思いつつ、こくんとしておく。膝の上のリュックを置きなおし、もう一度、店内を見まわす。 左側がフロアになって四席あり、右側に二席ある。その境に花瓶の乗っ��棚があり、何か収納できるようだ。カウンターは四席で、奥にはボトルが無数に並んでいる。カウンターの右隣にドアがあって、『化粧室』と書いてあった。そして、化粧室の向かいにクローゼットがある。 ママかあ、と小さく肩をすくめた。どんな人だろう。雑誌には『気さくで明るい』と書いてあったものの──。 烏龍茶をちろちろと飲んでいると、女の人たちが出勤してきた。ワインレッドのドレスを着ていたり、クリームイエローのスーツを着ていたり、みんな“夜の女”という感じで格好いい。 あんなふうになれるのかな、と不安になっていると、「おはよう!」と鮮やかなピンクのスーツを着た女の人が、颯爽と入ってきた。
「おはようございます」
ショウさんとジュンさんが声を揃えて返し、女の人たちも同様に返した。砕けた感じがない。もしや、と思っていると、女の人も私を見た。
「今日、面接の子?」 「あ、は、はい」 「あはは、そんな緊張せんでええから。あたしがママの綾子な」 「あ、えと、佐々木ゆりです。よろしくお願いします」 「うん。ちょっと待ってな。ショウ、そこのメモ帳取って」
ママはカウンターの中を指さし、ショウさんはしめされたメモ帳とボールペンをママに渡した。受け取ったママは、テーブルにそれを置く。
「ここに、名前と住所と電話番号書いて。電話番号はケータイのな」 「あ、は、はい」 「書けたら言ってな」
ママはテーブルにマスコットのついたケータイも置くと、私の後ろを通りすぎ、カウンターの奥に行ってしまった。 私はボールペンを取ると、震えないよう気をつけながら、言われた通りの事項を記していく。書き終わると顔を上げた。正面にいるのは、ショウさんとジュンさんだけだ。
「書けた?」
ショウさんに言われてうなずくと、「ママ」とショウさんはカーテンをめくって奥に呼びかける。何やら声が返ってきて、すぐママはこちらに戻ってきた。 脚長いな、なんて思っていると、ママは私の隣の席に腰かけてメモ帳に目を通す。いくつか質問され、たどたどしく答えていると、「いつから出れる?」と問われて、ぽかんとする。
「あ、いつからでも。明日でも大丈夫です」 「明日から。ほな、さっそく入ってもらおか」 「あ、あの、いいんですか」 「ん、何が」 「雇ってもらえるんですか」 「うん。当たり前やん」
唐突すぎて、まばたきをしてしまう。受かった、のか。こんなに簡単に、受かるものなのか。何しろ、面接というものをしたのが生まれて初めてなので、比較できないけれど。
「あ、そうや。名前、何にする?」 「名前、ですか」 「源氏名。うちにゆりちゃんいう子はおらんけど」 「あ──……、えと、考えてきます」 「そう。じゃあ、あとの細かいことは、彼に訊けばいいから」
ママはそう言って、ショウさんをしめす。
「この子、ここのチーフやから。──ほら、名刺出して」 「あ、はい」
ショウさんはカウンターを探り、私に名刺をさしだしてくる。 藤林章悟。 私は名刺を受け取り、その名前を眺めた。顔を上げると、ショウさんと目が合ったので、引き攣らないように笑みをしておいた。「よろしく」と言われて、同様に返す。 ショウさんとジュンさんを見較べる。ショウさんは人懐っこい感じで、ジュンさんはクールな感じだ。どっちかというとショウさんのほうが好きかなと思った。ふたりとも、二十台半ばといったところだろうか。
「じゃああたし、用事あるから」
そう言ったママは、さっさと店をあとにしてしまった。えっ、ととまどってしまう。帰っていいのだろうか。まだいたほうがいいのだろうか。 おろおろしていると、「まあ」と声がかかる。
「まだ、客おらんし。茶飲んでから帰りや」
私はショウさんを見て、そうするほかなく、こくんとしてグラスを手に取った。
【前話へ/次話へ】
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【杉山 威吹さん編】ぼくポケとくダネ!ぼくらの甲子園!ポケット10周年!!歴代プロデューサーインタビュー!~ぼくポケへ熱い血を注いだ歴代プロデューサー達の想い~
こんにちは!「ぼくらの甲子園!ポケット」専属記者の河原番太郎と申します!河原番太郎の「ぼくポケ!とくダネ!」第27回、このシリーズラストは、ぼくポケ現役プロデューサーでございます!!「ぼくらの甲子園!ポケット10周年!!歴代プロデューサーインタビュー!~ぼくポケへ熱い血を注いだ歴代プロデューサー達の想い~
【杉山 威吹さん編】でございます!
——————
この度は、歴代プロデューサー全員インタビューにご参加くださり誠にありがとうございます!!それでは早速でございますが、自己紹介をお願いします!
杉山威吹と申します! 2018年にチームにJOINしてからイベントの企画から始まり、主にアップデートをたかDと共に担当させていただきました!
去年末からはプロデューサーを務めさせていただいています!
プロデューサーに就任した時の想い・感想など教えてください!
自分がプロデューサーを務めることをユーザーに皆さんに受け入れていただけるかがとにかく心配でした。
また、PDレターでも少し書かせていただいたのですが、ぼくポケの未来を決めなくてはならないときでもあったので、そのことで頭がいっぱいでした。
自分はどんなプロデューサーだと思いますか?
ゲームは運営とユーザーが共に作ってよくしていくものだと思っているので「どうしてこういう判断をしたのか、なぜこの仕様なのか」などとにかく理由をできるだけ皆さんに説明して、納得していただける��とに重きを置くプレデューサーだったと思います。
開発するうえで難しかったところを教えてください!
1つ目は、ラブバルーンとトレジャーパンチの開発です。
特にトレジャーパンチでは 「簡単な操作」 「何度も飽きずにできて」 「目新しい体験ができる」 ようなゲームを作るために、何度もプロトタイプを作ってもらっては指摘をたくさんいただき、こんなにも0からゲームを作るのは難しいのかと、心が折れかけた記憶があります。
どちらも新しい挑戦だったと思うので、好き嫌いが分かれるイベントになってしまったと思いますが、「ラブバルーンだけでもアプリ化してほしい!」などの声をいただくこともあり、嬉しい気持ちです。
ぼくポケの開発で楽しかった、特にやりがいのあったところはどこでしょうか?
アップデート全般です! ゲームをプレイして感じた不便さや、ユーザーの皆さんからいただいた意見を見てアップデートを行い、「よくなった!」や「ありがとう!」の声をいただくことが何よりのやりがいでした。
不満を口にされる方々も「このゲームが好きであるが故に言ってくださるんだ」と考えると、辛いと感じたことはなかったです。
忘れられない想い出はありますか?
初回生放送登場時と、サービ終了告知時の緊張 どちらも、もう2度と体験することのない出来事かもしれないですし そのどちらも、ユーザーの方々の温かい反応で助けられました。
ぼくポケのここが最高!というところを教えてください!
1日4回同じ時間に集まらなければいけない、というゲーム性は縛りが強くもう作れないゲーム性だと思いますが、このゲーム性こそがユーザー同士の絆を作る最高の要素だったと思います!
選手の皆様へのメッセージをお願いします!
ここまでぼくポケを支えてくださりありがとうございます。
サービスを終了することは悲しい出来事になりがちですが、皆さんがぼくポケを好きなままエンディングを迎えることで、皆さんの中でぼくポケが思い出として生き続けられるようにしたいと考えています!
そのために全力を尽くして参りますので、ぜひ一緒に盛り上げていただけると嬉しいです!
~編集後記~
私のいぶPの印象は「言葉じゃなく、行動で示す!」という感じで、いろいろな開発の中で「えっ?!これやってくれてたんだ…!!」と感動することが多かったです!
口数が多い~とか特別なおしゃべり上手~な人ではない(ような…)ので、生放送登場時から数回は放送を見直してハラハラしましたが(何様や私は!!)見た目とはうらはらの朴訥青年でした。
生放送の回数が増すごとに、それが選手の皆様にも伝わっているようで嬉しかったし頼もしかったです。
あとは、開発メンバーのことを信頼している気持ちもすごく感じられて、私もSNS企画をやるにあたってやりやすかったです…😿
決断からサービス終了までとても大変な道のりであったと思いますが、最後!いぶPであって良かった!!と思います!涙!
残り少ない期間ですが、最後までよろしくお願いいたしますっ!
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2024年6月30日
「近年、身近な人や、ネットを通じて知っている人の訃報を目にする事が増えてきたので、「しばらくあいつに会ってないな」と思ったら、会えるうちに会っておこうと思った今日この頃。
会った所で特別な何かがあるわけではないが、人生には特別ではない何かもあっていいのだ。」
「修理で一番高いのは人件費で、『どこが壊れてるのか特定すること』なのである。 これをパーツ代としか考えてない人が多すぎる。」
「この花壇みたいのに腰掛けて缶コーヒー飲みながら買ってきた品を改めて買い逃しがないか確かめる 時々ふとバスケボールの音やスケボーの音が耳に聞こえてくる 隣に座って満足そうな顔の友人を今も思い出す
その友人とは今もつきあいある?いい思い出やね 去年亡くなった でも彼とはこれからも友人だ」
「草の根BBSは現在5局ありまして、そのうちダイヤルアップ接続対応の局が2つ(「西和ネット」と「BBSパセリ(一部掲示板が不具合により利用不可)」)あります。 西和ネットの管理人さん曰く「自己満足で草の根BBSのホストをやってる」との事です」
「帰ってきたウルトラマンは善人の登場人物がすごく悩んだ末,結果的に間違う話が多いのが面白いんすよ。悪い奴を落として溜飲を下げるような話じゃなく,判断が難しい状況��しかも間違う。しかもそれを劇中で失敗したと描いてないようななんとも収まりの悪い演出がシリーズ唯一の味で。あれ一作だけだよな」
「若い頃、経費精算を出し忘れて「自分が損被って、会社に損させるわけじゃないし」と思ってたら上司にマジギレされたことあって。 「自分と他人の財布の区別がつかない奴は横領するぞ」「この前損したし、ちょっと経費盛って申請しようとかやり出すんだ」って。 良い不正?も悪い不正への入口なんだよ。」
「胸のあいた服を着用してみて分かったんだけど、日頃苦痛に思ってる「鳩尾、下乳、胸の正中線のところにとにかく熱と汗がこもって苦痛」という排熱の脆弱性が相当マシになったわけ パフォーマンス向上 アニメの痴女の皆さんは単純に暑いんだとおもう しんどいよね わかるよ」
「『ガイナックス』が破産したことに「あのガイナックスと言う会社がなくなってしまった」からくる寂しさ以外に、惜しいものがない。今感じているのは失う寂しさではない、別の悲しみなんだろうな……。」
「前々職の上司が言ってたんやけどマネージャーの仕事って"情報が揃いきれない中で決断すること、揃ってたら判断の余地なんてほぼないでしょ"って言うてたなぁ」
「トラペジウム、東ゆうの性格悪い論があんまりピンと来てなかったけど、どうやら自分にアイドルものの消化酵素がない結果、起業ものの文脈で消化していて、人格面の比較対象がジョブズになっていたためだと解った」
「今日また一つ思い出が汚れた」
「ゲーム会社時代に京都市中心部での待ち合わせに遅刻してきた方向音痴の後輩とのやり取りを思い出すよ。 「場所が分からんくなったんで……どっちを向いても四条、どこまで行っても四条だったんですわ」 「南北方向に移動しないからだろ」」
「ここで笑って許せば俺も幸せになれるのはわかる。でも、俺の中の孤独な怒りはどうなるのか、怒りを殺して生きるより、怒りと一緒に死んでやるのが人情じゃないか、とか思ってしまうことはある。」
「性欲が���ること自体が気持ち悪いんじゃなく、「性欲を制御する気がない」のが"気持ち悪い"であり、「存在する欲の総量」でなく「総量に対し相応のメタを用意できているか」が評価になる。もとが少なければ煙は立たない、もとが多くても飼い慣らすだけの理性があれば"気持ち悪い"から��遠ざかっていく。」
「ランブルフィッシュってラノベで「男の理想とする女は男の中にしか存在しない」って台詞が合ったがまさにこれなんだよな」
「ガルクラの仁菜さんの服装を見て妻が「東京に出てきたばかりでお金も無いからまだファストファッションも買ってなくて、実家から持ってきた地元のスーパーの四階でお母さんが買ってきてくれたものを着ている女の子」と評していて女性にはそういう解像度があるんだなと思って感心している。」
「人間って攻撃的すぎるよね。だから処世術として不変なのは「相手を攻撃しない」だよ。そんなふうに他人に接して、うまくいくはずないもん。」
「>緊縛動画みてると緊縛師の手の動きの速さに驚く
工程の多さにもっと驚く 昔ストリップで緊縛ショー見たときエロさよりも何と言うか芸術性というか頑張れと応援したくなってしまった」
「ヤツらはラーメンを食ってるんじゃない。情報を食ってるんだ」という言葉が印象に残りすぎていて、ワインの説明を聞くときには「よし情報を飲むか」と思うし、「スケールメリットでも食べるか」と思いながら牛丼屋に行く
「剣道って個人的には「隙」を探り当てるのが本質だと思ってるけどその辺指導された記憶が一切無いんだよな 面の真っ直ぐさなどの技の善し悪しは丁寧に教えられるけど「どこで打てば良いのか?」はかなり曖昧 だから「上手いのに弱い」という人間が割といる ぶっちゃけて言うと人間の警戒心って呼吸と連動してるから息の吸い始めにブチ込めば気持ち良いぐらい入るのに誰も教えてくれなかった」
「(機動戦士ガンダム) 何度か言ってるけど「第一作オンエア時の高校生」と「劇場三部作~狂四郎世代の小学生」では10歳前後も年齢差があり、見てきた風景も全然違うのに、今からだと「昔からのファン」に括られてしまうという問題。」
「「とうとう『ガンダム』の続編をやらざるを得なくなったのか。『ヤマト』の道を辿るのか」 vs 「やっと僕たちの『ガンダム』が始まる。新しいMSも出る!」
善悪ではない。世代の違いによる温度差。後者は『ヤマト』を体験してない。」
「『#ルックバック』若い観客がほとんどで、終了後に女の子2人が、「本棚の漫画雑誌が最初"りぼん"とか"なかよし"とかの少女漫画だったじゃん?そこから少年漫画に変わって、また少女漫画の並びに戻るじゃん?あれがわかりすぎるんよ?!」って言ってて、その話もうちょっと聞きたかった。」
以上。
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ある画家の手記if2 - 1 雪村泉視点
なぜ私を助けてくださったのでしょう。あんなにも親切にしていただいたことは、今までの平穏な人生においてさえ一度もございません。 あの方は私の見ている幻覚なのかもしれません。
いくら世界が冷酷でなかったとしても、さすがに行き倒れの汚らしい人間をそんなに都合よく、助けてくださる方など、いらっしゃらないはずですから。犬や猫を拾う方がまだ実現せ得るでしょうか。 日本の外界が私の知りうるほどに冷酷ではないと知ってからは、外に出ることが叶うなら、香澄のことを誰かに話すつもりでいました。助けを求めるためでした。その頃の私は、自分でどうにもできないふがいなさにも、都合よく助けてくれる他者に出会えると盲信していた傲慢にも、思い至らなかったのです。ただ香澄のことを何とかしなくてはと、そればかりでした。恐ろしいと、出てはいけないという教えを破り、助けを求められるかもしれないと知った途端にそうなるのだから、極端なことです、加減というものはどうにも難しい。 そのうちに香澄は香澄自身の力で得た外の繋がりによって、あの楽園のような地獄の部屋から出て行き、そのついでのように私も久方ぶりの外の世界へ出ました。 香澄が自由を得られた以上、私が外へ助けを求める意味も無く、私が外に出る必要など無いのに。出てきてしまった私は、浜辺で立ち尽くしていました。だってもうあの部屋に香澄は居ないのだから、帰る理由もない。千風のことは、香澄が生まれてからはいつしか、愛しているのかなどもうわからなくなってしまっていました。 しばらく波打ち際をずっと歩き続けていたはずでしたが、行き止まりを避けて、そこからいつの間にか気付くと水の中に倒れていました。 海の波が打ち付ける境目の非常に浅いところでしたが、段々と潮が満ちて、口の中がしょっぱくなってきます。渚、というのでしたか、今私が触れているここは、陸と水と空中がすべて混じり合う交差地点なのですね。沢山の刺激に目が回って、身体がおののくような、変な具合がします。一体外に出てからどれほどの時間が経過したのか、見たことのある空の色が目の前に広がっていましたので、少なくとも二日以上は経ったと推測できる。 ああまさかこうして空を眺めているだなんて、ほんの数日前?までは、思いもよらなかったというのに。 世界の一部になっていくような身体感覚に身を委ねていたその時、急に私の身体は重力に逆らって持ち上がりました。 驚いて空から視界の端へ入り込んだ影へと目線を移すと、…それが、初めて見たあの方の姿でした。 どこか景色が透けて彼の身体越しに見えているような、色素の薄い身体をしていて、陰影でようやく顔立ちが象られて見える、その場所に抱き上げられてようやく私は波から切り離されました。だから彼は、そう、私の居た世界の一部ではなく、きっとこれ以上どこにもいけなくなった私が見出した都合のいい幻覚かと、いえ、けれども私などに自分を救いあげるような幻覚を生み出す力など、あるとは思えないのですが。
その方の、住居でしょうか、歩みを止めてお休みになられた場所は、幼い頃両親に連れられて出掛けた先の海外の建物に似た空間でした。 身体が動かせないままの私を柔らかい、ベッドに横たえてくださり、服を取り払って身体に触れ、どうやら診察をしてくださっ��いる。その間ずっと、抱きかかえられても触れられても感触はどこか淡く、経験したことのないゆらぎを伴いました。千風に触れられる時のような、確かさが無い、とでも言うのでしょうか。やはりどこかおぼろで、夢幻の中のよう。 しかしあの方は私の見ている幻覚なのかもしれない、と考えていましたが、ここにきて地縛霊という可能性も浮上してきました。けれどもっと世界から乖離したものだと思っていただけに、土地という生々しいものと癒着している存在として認めるのは難しい。それともそうしなくてはひとところに存在できない方なのかもしれません だとしたら私を迎えに来てくださった死神、という解釈も一興ですね。 「警察、救急、家族、恋人、タクシー、大使館、どこでもいいが電話をかけたいならこれを使え」 ああ、けれどやはり違うようです。酷く現実的な言葉が告げられて、私はなんだかとても、悲しい気持ちになりました。本当はとても、とても泣きたかったのですが、困ってしまったのですが、困ってしまったので私は何と答えることもできずにただその方を見詰め返しました。私が何も言わないので彼はそれ以上警察や家族と言いつのることはなさいませんでしたが、呆れられてしまった気がして、それも酷く悲しくなりました。
私は調和のとれた安寧な箱庭で生きてきすぎて感覚が麻痺しているのでしょう。生きるか死ぬかの前線に在る兵士のほうが、命の危機には敏感なものです。 その日の夜はずっと、苦しくて痛くて眠れませんでした。脱力することも叶わない苦痛に苛まれ呼吸もままならない私を、彼は一晩、おそらくずっと、看ていてくださった。 汚れた服をとり替え、水を飲ませてくださいました。 なぜ そんなにも親切に、助けてくださるのですか もしあなたが亡霊で無いならは、私など薄汚れた浮浪者に相違ないでしょうに、口付けて水を含ませるのがお嫌では無いのですか 訊ねたらあなたは消えてしまいそうで恐ろしいです、だんだんと 身体の感覚も、熱も まるで現実のようになって 私がこの不思議な夢幻の中から抜けたら、あなたはそこに居ないのでは?
意識が途切れて、次に目が覚めたとき、身体は動かせるようになっていました。そしてあの方はほんとうに、そこからいなくなってしまいました。 清潔なシーツのベッドと、懐かしさを覚える調度の室内だけが、残っていました。 床に降りて、立ち上がり外に出ると、足の裏に地面の温度と感触とが伝わる。寂しい、いえ、高揚しているのでしょうか、わからないどういうことなのか、走り出したいような、すぐそこの崖から飛び降りたいような心地で一度飛び跳ねましたが、何も起こりませんでした。座り込みたい、逃げ出したい、いいえ、わからない もう渚の際から外れてしまって、ここは天国みたいです 私が、そんなはずはないのに、でも地獄にだって招かれなくては入れないのでは 先程までせっかく招き入れられた場所があったというのに、あの方が消えたあの場所で私はとても、いけない、入ってはいけない、ところに、踏み込んでしまったような、急かされるような思いがしたのです。違う、懐かしいほどだった。悲しかった。 どこへ行っても人が居ないまま、また家に辿り着いてしまいました。そこは窓のガラスが全て砕け散り床板が一枚ずつ別の波長でたわんでいて、ほんの少し歩いただけのはずが、すっかり朽ちた様子の空き家に様変わりしていました。屋内へ入ると、私にはこちらの方が似つかわしいように思われました。ようやく誰も居ない、私だけの空間になった。 ふらついた脚をそれ以上扱えず床に座り込み がらんどうの場所へやってきて、私以外の人間が居ない空間で一人。 ようやくはっきりと意識されたのは、千風が世界の全てでは無かったということです。そう、ここは ここは部屋の中だけれど、千風の作り上げた空間ではない 千風が居なくても私は 一人、ここに居ます プラスチックのむき出した椅子とベッド 壁紙の剥がれ落ちた壁 抜けて破れた床と動かなくなったドア 本当は私は …… それとも 何もなくなったから、私は一人なのでしょうか あの方はやっぱり幻で、外の世界なんてものは 無くて 千風がくれたあの部屋が、やはり世界の全てで 全部全部私の妄想で、私は あの部屋から出たまぼろしを、ずっと見ているのでしょうか ……その時、何かが崩れるような大きな破壊音が響きました。 遠かったために幻聴かと、ぼんやりその音の方を見遣ると、…ああ 彼が、立っていました。
「差し障りがあるなら無視していい。君の名前は?」 海辺を抱きかかえられたまま行きながら、名前を尋ねられ、それまでじっと彼の顔を見詰めていたことに気付きました。 幻では無いのだ、と思いたく、無意識にそうしていたのか、急に目が合ったことで緊張してしまいすぐに返事ができません。 「…いずみと申します」 なんとかそう答える間も、目は合ったままでした。なぜかそうしていると、彼が幻ではないと感じられる気がしました。 「稔だ」と、彼が言いました。……え、と お名前でしょう。名前がある。到底私が思いつく幻覚とは思えません。 ミノルさん。 名はその概念を示します、個としての。この方は、ミノルさん。 「笑わずにいられるんだな」 不意にそう言われて私は、はっとしました。 「笑えと言われるものですから」 幻でないなら、見えているのだ、一瞬焦りましたが私は笑っていたようです。ちゃんと。 けれどミノルさんは続けて仰いました、 「ここでは無用な時はなるべく控えてくれ。うっかり笑ってしまう分には――」 ――――無用な。控える? 「あっ、はい、」咄嗟にはいと言ってしまってから困ってしまいました。私は長い間、自分の表情を意識したことが無かったので、ずっと鏡を見てでも居ない限り自律することができない 何か有用で笑っているわけではないのに、私はもしかしたら、ミノルさんにご不快な思いをさせる顔をしていたかもしれません、助けていただいたというのに、なんと失礼な。 「ちがうんです、そうすると私、どうしましょう、ごめんなさい、ごめんなさ」 「落ち着け。一度喋るのをやめて呼吸を整えろ」 ああ、困らせてしまう 目を見せない方が、見ない方がよいと判断して咄嗟に顔を隠すように俯きましたが、額をけっこうな勢いでミノルさんの鎖骨にぶつけてしまった。 涙ぐむ目元と裏腹に口元がつり上がって、今の私はさも不気味な表情をしているだろうと、やめようとすればするほど、ますます表情が歪んでいく。 「すみません、気付かずにご迷惑を、見ないで」 ……ミノルさんは何も仰らず、私に顔を見せろとも命じないのはお優しいからなのか、それが心苦しい気もして、身を固めていると 突然私の身体を抱えた腕が更に強く胴を支えて、かと思うと直後には内蔵が放り出されたような浮遊感を覚えた 「…!!」 盛大な音を立てて、一拍遅れで頭から水を被る 思わず顔を上げた私の身体の下に、ミノルさんが居て、二人ともが波の中で揺蕩うように海水に浸かっていた。 「…………?」 伝い落ちてくる水を瞬きで弾いて目の前のミノルさんの顔を見たら、彼は私の顔に掛かった髪をその手でよけてくれたあと、咽を鳴らしながら静かに笑い始めました。ぴったり合わさった身体からその揺れが伝わって、彼は、笑顔で、まだ、こちらを見ています。 まぼろしじゃ無い。 「……」 急に、首や頬がかあっと熱くなった感覚がして、手足が重くなりました。身体が振動するほどに心臓が脈打ち、苦しいほどです、私の頭を抱えるようにしてミノルさんは何かおっしゃったようですが、鼓動に妨げられて聞き取れませんでした。 このままここで死んでしまうのかも、 はじめお会いした時に一人で倒れていた時には何も思わなかったというのに、今こうしていると身体が苦しくて痛くて、しんでしまうのだ、という高揚がどうしようもありません。二人で浜辺に横たわって、ああそうしたら私の亡骸をこの方が抱いていてくださることになるのですね。 それは存外、悪くないことのように思われました。あれだけ恐怖するように教えられたはずの死への感覚を、私は狂わせてしまったようです。とても自由で、後腐れのないことのように感じたのでした。
死んでしまうというのはどうやら杞憂で、ただ単純に驚きすぎたため動悸がしたということだったようです。ミノルさんは私を抱きかかえたまま身体を起こすと再びあの海外の建築に似た建物へ、私を連れて入りました。 ミノルさんにとって私は、犬や猫のようなものなのかもしれません。そう考えれば、拾って世話をされることも不可解ではないかと… そういえば日本ではいつからか、男と女では人の扱いが異なるのだったか、だとしたら私は女のはずですから、人と思われていないのは仕方の無いことなのでしょうか、よくわかりません。犬猫として拾っていただき、ここまでよくしていただいたのだから、それを喜んで享受するべきなのか、それとも人として死ぬべきだったのでしょうか。私が人の言葉を使えば使うほどに、ご迷惑をおかけしているのかもしれない。微笑まないようにというのは、笑顔が人間のようだからなのかもしれません。元から飼い殺されているようなものでしたが、外に出てもこうなってしまうのはやはり千風や父母がそうというのではなく私の気質なのでしょうか。 海水に倒れた身体を洗い、着せられた服は見覚えのあるワンピースでした。それからお食事まで食べさせていただいて、何から何まで。 彼にとってそれらはあまり負担にもなっていない様子でした。 けれど 早く出て行かなくてはならないのでしょう、こんなにもご迷惑をおかけしているんですから
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2024.4.21sun_tokyo
月に5日のフリースタイル陶芸教室の日。
今日はフリスタ発足以来、9人目のアルバイトの子の初出勤日。(よく聞かれるので追記すると、現在は講師3名、事務2名、受注制作担当1名が主なメンバーで私は代表兼講師兼事務担当として様々な仕事を行っている・間にメンバー交代が何度かあり今に至る)
今月でフリースタイル陶芸は7周年を迎えた。 私が1人で運営していた期間がそのうち3年半なので1人でやっていた期間と他のメンバーが入り、チームのように仕事を行うようになった年月の割合が同じになった。 あっという間だったな。特に他のメンバーが入ってからのフリスタはどんどん拡大していって矢のように時が過ぎていったな〜と思う。
フリースタイル陶芸を名前だけでも聞いたことがある人はおそらく可愛くてほっこりしていて、好きなものが自由に作れる楽しげな陶芸教室というイメージを持たれていると思う。 その通りなのだけれど、一緒に働く人からしたら恐らく結構忙しく中々大変な職場だろうなと思う。
フリースタイルと銘打っている性質上、日によっては体験時間中お客さんからずっと(それぞれ個別の)細かい説明やアドバイスを求められるし、そのあらゆるパターンの質問に対して即最適解を提案出来なくてはならない。 講師・事務、どちらのポジションの仕事であっても何か1つの仕事をやっていれば良いという訳ではなく、講師も事務も常に複数の仕事を抱え、Aの仕事をやりながらBの仕事を並行して行ったり、Cを中断してDとEに対応したり、その間にFとGの件も忘れずにやらなければいけない…とざっくり言うとマルチタスクにある程度対応出来る能力が必要なので毎回新メンバーは混乱するだろうし、緊張したり疲れるだろうな…と新しいメンバーが入る度にハッと思い出す(慣れて覚えてしまえばとても平和で働きやすい職場であるとは思うけどそれまで��キツい)
そもそも私自身が本当は人に指示を出したり、お願いしたりするのがかなり苦手なタイプだし、マルチタスクもとても苦手だった。 自分1人で誰かに縛られず自由なペースで黙々と働きたいタイプだったけれど、紆余曲折あってフリスタが今の状況になり………といった感じで事前に予行練習も出来ないままぶっつけ本番状態で今の状況が始まってしまったので、人に仕事を教える、上手く進めてもらえるように頼むってこんなに難しい事なんだな…と今でもよく思うし1人反省大会を開催したりしている。 でもメンバーが入ってくれた事で仕事の終わるスピードが体感2倍どころか2.5〜3倍になったり、自分が働けない期間も他のメンバーに任せた仕事が終わっているという状況に、お…終わってる…魔法じゃん…!と初期の頃は新鮮に大感動していた。
仕事に限らず、年をとる度に新しい体験や初めての出来事ってどんどん減っていくけれど、私は新しいことを始めた時の気持ちをなるべく忘れないでいたいし、内心では怖かったり上手くいく確証が無くても挑戦してみるというチャレンジ精神を何歳になっても持ち続けていられる人でありたいなと思う。
そして一緒に働いてくれる周りの皆の優しさや、1人1人が長い年月をかけて身につけた技術を駆使して働いてくれているという今の状況を当たり前だと思わず、とてもありがたい事だよと噛み締めながら色んな仕事をこの先も皆となるべく楽しくやっていけたらいいなと思う。
なんか真面目な感じになってしまった(!)けど、やっぱり私の性根は自由人でもあるので思いつきで行動もしていて先日たまたま入ったユニクロでガーベラが売られていたのでひょいと買って、早速教室に飾ってみた。
ガーベラの花言葉は「希望」「前向き」「常に前進」だそう。
今の自分にぴったりの花言葉に気持ちが明るくなった。 こういう気持ちも大切にしたいし何度も思い出したいから季節の花も積極的に買っていこう。
-プロフィール- 近藤南 33歳 東京 彫刻家・フリースタイル陶芸教室代表 インスタ https://www.instagram.com/emusaaaaan/ ツイッター https://twitter.com/minami_kon
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V最お疲れ様でした!
エビオさんとシスコさんとチーム組めて本当に良かった!人見知りで慣れないと声が出せなくてなんも出来ない奴で、二人との顔合わせが腕試しカスタム、正直なんも出来なかった、不甲斐ない、申し訳ないっていう気持ちでいっぱいでした。でも「俺たちはのびしろしかない!」って言われた時にこの人達のために頑張りたい、努力したいって思って、他の人とAPEXで遊ぶ時も「今チーデスやってるから行かない?」って声を掛けて密かに練習してました。ボルト以外の武器だとオルタとヘムロックが好きな俺なんですけど、両方ともクラフトで遠距離出来ないな…見えないな…って少しマイナスなことを思っていたけど、逆に二人が遠距離見てる時は俺が二人が見ていない近くを見ればいいんだ!俺の役割はそれだ!って思って練習もやってました。二人とは本当に初めましてで、最初どういう立ち回りをする人達なのか、どういう雰囲気なのか、それが分からない状態で腕試しカスタムだったので、めちゃくちゃ緊張して吐きそうでした。でも回数を重ねていくうちに二人のことが分かって、自分はこういう立ち回りをしようって思ってしてたんですけど、多分二人には言えてなかったな、とか相談出来てなかったな、っていう気持ちです。合ってたかな…この選択…。新シーズンで色々と変わって、頭ぐるぐるしながら考えることがもっと増えて、うわあー!って叫びたくなる時も二人に励まされて、俺は俺が出来ることを全力でやる、それで二人を輝かせてうちのチームが最強なんだって、知ってもらいたい。そんな気持ちで定期カスタムもスクリムも本番もやってきました。
それが実ったのが本番二戦目。本当に嬉しかった。片手程度しかカスタムは出ていないし、2位だったことが2回あってチャンピオンなんて取れなかった。毎回悔しくて、悔しすぎて泣いてたことはめちゃくちゃあって、でも今回の涙は嬉しくて止まらなくて、やっとこのチームでチャンピオン取れた!やっと二人を輝かせることが出来た!俺らのチーム実は強いんです!そんな気持ちでいっぱいで、今も思い出すと涙が出るくらい嬉しかったです。新シーズンになってからカタリストの環境は本当に頑張らないと無理だ、って実は絶望していて。弱体化されて、思うように立ち回れるか、欲しい時に壁は炊けるか、正直不安でした。だからこそ、カタリストでチャンピオンを取りたかったし、少しでも長くあの円に居座っていたかった。その願いも叶うことが出来て、初めてカスタムでチャンピオンを取ったチームメイトが二人で良かった!2ヶ月間頑張って良かった!スクリムでチャンピオン取れなかったから本番では取りたい、みんなでお揃いにしたバナーもタグもチャンピオンになって見せたい!その願いがやっと叶った!もう色んな気持ちで大泣きして、自分を信じて良かった、三人で生きてる状態でチャンピオン取れて本当に良かった!多分これは語ると色々と出てきてしまうのでこの辺で…!
その他の戦いもキル出来たり、俺の中では本番が一番調子が良くて、でも時間が過ぎれば過ぎるほど寂しくなって、2ヶ月振り返ったらもっと寂しくなって。2人から「またリベンジしよう!」って言われた時も地味に泣いてて返事出来なくて。また一緒にチームを組みたいし、今後も話したり遊んだりしたい!そんな気持ちでカスタムが終わりました。
しすこさんはめちゃくちゃアッシュうまっ!縛るのうまっ!フェーズティア出すタイミング本当に完璧!って口には出てなかったけど、仲良い人に話す時そう言ってました(笑)自分はほぼカタリストしか使わない人間だけど、一緒にやる人によっては俺がアッシュ使うって感じで縛るのは出来ても完璧なフェーズティアが出せなくて、無駄してるな…ってことが多くて、しすこさんのアッシュかっこいい!いつかこう使えたらいいな!って憧れの目を向けながら後ろからついて行くことが多かったです。でも新シーズンになってからそれが見れなくなったのが地味に寂しかったり。レイスのしすこさんもかっこよくて、やっぱり憧れの目は変わらずにありました。頭をフル回転させて色々とチームの為に考えてくれ��、本当にありがとうございます!しすこさんとやっていくうちに「ここまで来れるよ」って味方に教えられるようになって、言うだけじゃなくてピンを刺して分かりやすくして、そういうことも学んで、少しづつ盗めるものは盗もうと思って背中を見てきました。だから、大感謝マッチの時にアッシュが見れて、本当に嬉しかったです!心の中で大騒ぎしてました。初めてのIGLとは思えないくらい的確で、それでいてしすこさんはすごく強くて、その強さのサポートをしたい!そう思ってました。なんでもない時でも話したりして、それが楽しくてもっとチーム練したい、みんなで話したいって気持ちになりました。本番にチャンピオン取れたのも二戦目始まる前に話していた話題(?)で俺の緊張が解けて、リラックス出来たことにも救われました!
リーダーのエビオさんはスナイパーうまっ!なんでそんなに当たる!?ってこれも仲良い人に話してました(笑)俺が遠距離が苦手で全く当たらないし、ひゃー!ってなっちゃうんで、俺に無いものを持っている、自慢のリーダーって感じでした。ヴァンテージをまだ開けてなくて、エビオさんのヴァンテージを見てから開けて少し使ってみようかな…と思って開けて、戦場に出た時にエビオさんはこの時にこういう感じで見えていたのか!とか勝手に思ってました。新シーズンになってヴァンテージが見れなくなっちゃうのか…って寂しい気持ちと、コンジットでのサポートで少しでも生きることが出来て本当にありがたい!って気持ちになりました。本番まで一週間でキャラを変えるって大変だと思うし、ウルトも完璧に置けるかとか練習が必要だと思うけど、エビオさんのウルト全部完璧でした!エビオさんのウルトと俺のウルトが重なったら俺たち最強になれる…!って勝手に舞い上がってたのは内緒で。俺がしっかり来れているか、後ろから敵が来ていないか、確認をしていたのも分かったし、本当に安心しました。一週間でキャラを変えたとは思えないくらい完璧なウルトに助けられました!こんな俺を選んでくれたエビオさんに本当に感謝してます!リーダーがエビオさんで良かった!自慢のリーダーです!
そしてコーチのなるせさん!自分はカスタム経験が少ないのですが、仲のいい友人に「ぼんじりなるせはめちゃくちゃ強いぞ!」って言われてそんな人に見てもらって教えて貰える俺って最強じゃない?なんてことを思ってました。カタリストの壁の出し方も自分は毎回不安なことが多かったんですけど、なるせさんに壁の出し方褒められる度にニコニコして、これで間違ってなかった、良かった!って心の中で大騒ぎしてました。過去のカスタムで完璧に壁を出さないと、こうならないとって想いを背負いすぎて、カスタム数週間前にカタリストで出ることを諦めた時があって、今回もカタリストでいいのかな…出来るかな…と挫けそうになる度に「あさひさんのこの試合の時、壁めちゃくちゃナイスだった!」って言われる度毎回泣きそうで、コーチが褒めてくれた嬉しい…!って言いながらも対面を強くなりたい、もっと二人の為にも戦闘面でもカバーをしっかりしたい!そう思うようになりました。個人的に新シーズンになってからのカタリストのアップグレードをどっちにしたらいいかの相談をした時も、自分は間違えてないかな…って不安になって、多分普段だったら自分から相談も出来なかったけど、二人の為にも完璧な壁を出したい、戦闘をしたい、って気持ちが勝って気づいたら長文の相談をしてました…(笑)でも、その選択も間違えてなくて、良かった、これでいいんだ、頑張ろうっていう勇気に変わりました。ありがとうございました!本番当日に言われた「あさひさんのカタリストは強い!」にめちゃくちゃ泣いて、それを他の人にも見て欲しい、頑張りたい、チャンピオン取りたい。そんな気持ちと共に当日頑張りました!コーチから見てまだまだ下手なところがある俺だったと思うんですけど、2ヶ月間の成果をすべて本番に出し切ることが出来ました!これもコーチがなるせさんだったから出し切れたことです!本当にありがとうございました!
APEXを始めて1年。こんなに素敵なチームの二人と色々と教えてくれたコーチに本当に感謝してます!瀬戸あさひって誰だ…って思われることは重々承知でしたが、最初から呼び方が「あさひさん」だったことが地味に嬉しくて、腕試しカスタム終わり、反省点の中にその呼び方で嬉しい気持ちで実はルンルンでした。元気ない時にエビオさんとしすこさんとなるせさんの動画を見て元気を出してたくらい3人のことが大好きです!共通点も見つけてカスタム以外のことも話すことが出来て本当に嬉しかったです!真面目なAPEXを普段することがなく、急に歌ったり、1人でカバンと話したり、実はそんなやつだったんですけど、その変な奴練習の時に居ませんでしたか…?(笑)それだけが本当に心配!変な奴って思われたくないって思いながら練習もしてたんで…。二人の力に俺はなれてたかな。なれてたらいいな。戦闘が上手く出来なくてもカバーやサポートだけでも二人の力になれていたらいいな。コーチ、俺は2ヶ月前よりも強くなってましたかね?コーチに教わったことを今後のカスタムでも活かして頑張りたいな。
またコーチも一緒に遊べたらいいなぁ、2月になってから終わるのが寂しくて寂しくて仕方なかったんで、3月も4月も月一ペースくらいで遊べたら本当に嬉しい!何度でも言うけど、二人とチームになれて、最強の人達に出会えて、大好きな三人に出会えて、本当に良かった!本番チャンピオン取れて良かった!みんなで見たチャンピオンという景色は本当に最高だった!!だいすきだ!!愛っ!!!!!!
バナー、スキン、タグお揃い&チャンピオン記念📸
たった1回だけでもこの景色を見れたことに感謝。
# EMTBwin
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Rockin′On(1993.9 Vol.22) Simon Gilbert & Mat Osman
Simon Gilbert & Mat Osman
解放区(スウェード)を手に入れ、性の束縛からも悲惨な過去からも遠く離れた2人が回想するポップ·スター予備軍の頃
インタヴュー=田中宗一郎 通訳=伊佐山健
●それではいきなりですが、イギリスの「セレクト]誌のセックス特集に耽っていたサイモンのコメントの真偽のほどを訊きたいんですが。
S(サイモン·ギルバート)「ふふ、あれは全部事実だよ。ライドのマークが理想の男性像だってこと以外はね(笑)」
●じゃあ、一番有名なセックスの相手は自分だとか、ダブルデッカーの屋根の上でセックスしたことがあるって話も本当なんですね。でも、そんなに自分自身の性生活を公開しちやって怖くなったりしたりはしないんですか?
S「(笑)。まぁ、いいんじゃないのかな。僕はとにかく誠実でいたいし、自分のセクシュアリティにっいて訊かれても正直に答えたいとも思うんだ。僕達って全員誠実な人間なんだよ。ブレットが書いていること��したって、適当に作りあげてるわけじゃない。実際に自分で体験したことや、自分の周りにいる人たちについて書いているわけだからね」
M(マット·オスマン)「自分である程度経験できなくては洞察もきかないはずだからね」
●じゃあ、「これは僕をモデルにしてるな」と思えるような白ってあったりします?
S「その辺はブレットに直接訊いたことはないから何ともいえないね(笑) 」
M「身近にサイモンがいたということで影響はあったかもしれないけど、ゲイ·セクシュアリティに関してはどのみち扱っていたはずの題材だと思うな。『ゲイってどんな風にするわけ?』って取材したわけじゃないんだよ(笑) 」
●では、ブレットとデヴィッド·ボウイがアブノーマル·セックスについて歌うことに実体験が必要かどうかという話をしてたんですが、あなただったらどんな風に答えたと思います?
S「うーん、それは、きわどい質問だよね」
●そういう体験がないのにもかかわらず、アプーマルなセックスについて歌ってしまっているブレットについてはどう思います?
S「うん、何も問題はないと思う。僕の実体験を作品にしてたとしてもね。結構いい線いってると思う(笑)。それにゲイ·セックスの経験がないからといって、そのことを話してはいけないというのは違うと思うんだ。いろんなセクシュアリティーや体験についてはもっとオープンであるべきだと思う。僕は人種、性別などといった差異から生じる悲しい目にはホント誰にもあってほしくないんだよ」
●じゃあ、「大衆を堕落させたい」っていうブレットの発言には賛同できますか?
S「大家を堕落させたい?一体、何が言いたいのやら(笑)。うーん、堕落というのはちょっとねぇ。まあ、大多数の人にしてみれば、ゲイであることが既に堕落してるってことなんだよね。汚らしい!おぞましい!っていうね」
●いやいや、そんなことないと思いますよ。
S「そう?(笑)」
●では、マットに訊きたいんですが、あなたとブレットは幼い頃から友達同士なんですよね?
M「知り合いになったのは同じ大学に入ってからなんだよ。とはいっても、僕はブレットを15~16歳の頃から知ってるんだ。町で奴はちょっとした有名人だったからね。7時45分のロンドン行きの電車が出てしまうと、人が町から消えてしまうような町だったせいもあるかもしれないけど。皆、どこか冷たくて常識的で、ちっともハメをはずすところがなくて、あんなに退屈なところって他にはないぐらいのね」
●では、ポップ·スターになろうと思い立ったのは、やっぱりその頃なんですか?
M「妙なもので、七つか八つの頃からそういうことは考えていたんだな。でも、僕の育った環境というのは、クリエイティヴなことが全く無視されるようなところだったんだ。だから、本当にそういう機会が自分にめぐってくるかどうかについては確信がなかったんだよ」
S「僕は四歳の頃からかな。いつも僕はビートルズになりたかったし、ストーンズになりたかった。だから、糞みたいな仕事も我慢してやって来たんだよね。便所掃除とか。マットは飛行機の便所掃除だったかな。これがポップ·スターへの修行制度だって思ってたってわけ(笑)」
M「だから、バーナードが入ってからじゃないかな。すべてが現実味を帯びてきて、真剣に考えられるようになったのは。奴は最初から本当に特別なミュージシャンだったからね。そこで初めて自分たちのことを“スウェード"というバンドとして考えるようにもなったんだ」
●では、そこで“スウェード"としてどんなことをやりたいと考えていたんでしょうか?
M「とにかく意味のある音楽を作りたかった。優れたアーティストっていうのは特殊なメガネを持っていて、それを通して世界を見せてくれるんだよね。実際、世の中は何も変わっていないかもしれないけど、それをかければ違う世の中が見られる。僕たちはそれをやりたい。それこそがバンドの中核になっていることなんだ」
●で、最後にサイモンが加入したんですよね。
S「うん。当時、スウェードのマネージャーをやっていた奴の店で僕はチケット売りをしていたんだよ。で、そいつが店でドラム·マシーンを使っていた時代のスウェードのテープをかけてね。で、僕はドラマーを入れるべきだと思って、オーディションを受けさせろと言ったんだよね。でも、絶対に無理だど言われてね。それから半年たってバンドがドラマーを公募した時に、遂に75人を蹴落として僕が受かったんだよ」
●そこで一気に人生が開けたというわけですね。
S「うん、とても嬉しかった。それまで幾つものパンドをやってきたけど、結局、どのバンドでも僕個人がどんな人間であるかってことはどうでもいいことだったみたいだから。でも、スウェードでは、まず最初に自分はゲイでこういう人間なんだという話をしたってところもあるし。今じゃ本当に四人で一つだと思えるんだ」
M「そもそも僕がブレットと二人で始めた時は、二人ともまだまだ演奏面では全くろくなもんじゃなかったせいで、かなり理詰めで考えていたんだな。例えば、今度はこういう曲を書いてみようとあらかじめ打ち合わせたりして���でもその頃から、自分遣がやっていることを意識的に考えるのをバタッとやめるようになったんだよ。ブレットの歌詞も小難しいものではなくなって、もっと流れるままのものになったんだよね」
S「それで、それまでの作品もすべてチャラにしてまっさらからやり直したんだ。当時のブレットの歌詞については三曲くらいしか知らないんだけど、断片的で、ちょっと雰囲気に流されているように思ったな。今のようなガンつけてくるような腰の座り方はなかったよ」
●では、もう少しバンド·メンバー間の関係について訊きたいんですけども。
M「皆、僕の助手だよ」
●(笑)。例えばアメリカでは何度かブレットの身代わりとして、マットが取材をずいぶんこなしたって聞いたんですけど。
M「いやー、あれねぇ」
●そんな時「損な役回りだなぁ、やってらんないぜ」とか思ったりしないんですか?(笑)。
M「だって、その間、プレットとバーナードは作品を書いているんだからさ(笑)」
●じゃあ、「創造的である為には緊張していないとだめだ」といった風にブレットは言っていますけれども、彼と一緒にいて、そのテンションが伝わってくる時とかって……。
S「あぁ、あぁ、あるある。あるねぇ」
●そんな時、息苦しくなっちゃうとか、かわいそうに思ったりすることなんてありません?
S「かわいそうに?そんなこと思ってたまるかよぉ(笑)。うそうそ。ちょっと思う時はあるよ。いつも注目がブレットだけに集まるのは大変だと思うし。そのおかげで、僕違はリラックスする機会を与えられているわけだからね」
●なるほど。では、今後のパンドの方向性がある程度固まっているなら教えて下さい。
S「次のアルバムは、もっと弦楽器とかホーンなんかも導入したものにしたい。フレンチ·ホルンとか。だから、これまでとは比べものにならないほど時間がかかるかも知れないね。イギリスに戻ってからエイズ·チャリティに出たら、また九月にアメリカに戻るんだけど、そっちは六週間ぐらいの規模のツアーになる予定なんだ。それからアルバムだね。願わくばー月頃から。その前にシングルは出すけれどもね」
●では、最後にスウェードが次に世に問うテーマとは何になると思いますか?
S「いやぁ、わかんないな。日本かな」
●はぁ?
S「みんな優しいんだ!って歌うのさ(笑)」
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TEDにて
ターニャ・シモンチェリ:遺伝子特許業界と争い、勝利を収めるまで?
(詳しくご覧になりたい場合は上記リンクからどうぞ)
ヒト遺伝子の特許は取れるでしょうか?
2005年にターニャ・シモンチェリは初めてこの複雑な問題を検討し始めましたが、その頃はアメリカ特許法で可能とされていました。
そのせいで特許権者には、特許を取得した遺伝子を解読したり、検査したり、調べることを止めさせる権利が与えられていたのです。
この法律は患者に害を及ぼす上に、生体医療のイノベーションに対する障壁になることを憂慮して、アメリカ自由人権協会のシモンチェリと同僚たちはこれに立ち向かいました。
誰もが負けると考えた訴訟をあえて起こし、最高裁判所にたどり着くまでの緊張感あふれる話をお聞きください。
調べてわかったのですが、最高裁判所は多くの訴訟を通じて特許適格性のない物が存在することを明確にしてます。
特許が取れないのは、天然物。すなわち、空気や水、鉱物、元素周期表に載っている物質などです。
また、自然法則について特許は取れません。万有引力の法則やE=mc2乗はだめです。
こういった極めて根本的な自然界の存在は誰でも自由に使えるべきであり、誰かに独占されてはいけません。
そして、生命の基本構造であるDNAは、私たちを形作るすべてのたんぱく質をコードしているので、私たちは、それを天然物であり自然法則だと考えたのです。それが、私たちの体内にあろうが、試験管の中にあろうが関係ありません。
この問題を徹底的に掘り下げるため、私たちはアメリカ中を飛び回っていろいろな専門家と話しました。科学者や医療の専門家 法律家や特許法の専門家たちです。
ほとんどの人が政策面でも理論上、法律面でも私たちが正しいという判断でした。でも、専門家は、全員、遺伝子特許を相手に訴えて勝つ見込みは、ほぼゼロと考えていました。
倫理面は正しくありませんが・・・善玉でもありません。
一方、判決の影響はミリアド社問題に留まらず、ヒト遺伝子に特許を認めるというアメリカで25年間続いた慣例に終止符を打ち、また、生物医学上の発見や発明における大きな障壁を取り払っています。
かなり限定的ですが・・・さらに、アビゲイルやキャスリーンやアイリーンのような患者たちが、必要な検査を受けられるようになりました。
法律全般についてですが、このように具体的な例が一定のレベルにまで蓄積されないと法律としてはいけないようです。
古代中国でも、どんなツールにしても効果が十倍以上無ければ、庶民は変えないもの。
まして、法律ともなれば、功利主義での裕福層以外の庶民に何万倍もの有益で予測可能な効果がないと変えても効果がないし意味もない。
と警告しています。
具体的に何かあるの?無いなら現状維持が良い!
なお、ビックデータは教育や医療に限定してなら、多少は有効かもしれません。それ以外は、日本の場合、プライバシーの侵害です。
通信の秘匿性とプライバシーの侵害対策として、匿名化処理の強化と強力な暗号化は絶対必要です!
さらに、オープンデータは、特定のデータが、一切の著作権、特許などの制御メカニズムの制限なしで、全ての人が
望むように再利用・再配布できるような形で、商用・非商用問わず、二次利用の形で入手できるべきであるというもの。
主な種類では、地図、遺伝子、さまざまな化合物、数学の数式や自然科学の数式、医療のデータやバイオテクノロジー
サイエンスや生物などのテキスト以外の素材が考えられます。
情報技術の発展とインターネットで大企業の何十万、何百万単位から、facebook、Apple、Amazom、Google、Microsoftなどで数億単位で共同作業ができるようになりました。
現在、プラットフォーマー企業と呼ばれる法人は先進国の国家単位レベルに近づき欧米、日本、アジア、インドが協調すれば、中国の人口をも超越するかもしれません。
法人は潰れることを前提にした有限責任! 慈愛や基本的人権を根本とした社会システムの中の保護されなければならない小企業や個人レベルでは、違いますが・・・
最後に、マクロ経済学の大目標には、「長期的に生活水準を高め、今日のこども達がおじいさん達よりも良い暮らしを送れるようにする!!」という目標があります。
経済成長を「パーセント」という指数関数的な指標で数値化します。経験則的に毎年、経済成長2%くらいで巡航速度にて上昇すれば良いことがわかっています。
たった、経済成長2%のように見えますが、毎年、積み重ねるとムーアの法則みたいに膨大な量になって行きます。
また、経済学は、大前提としてある個人、法人モデルを扱う。それは、身勝手で自己中心的な欲望を満たしていく人間の部類としては最低クズというハードルの高い個人、法人。
たとえば、生産性、利益という欲だけを追求する人間。地球を救うという欲だけを追求する人間。利益と真逆なぐうたらしたい時間を最大化したいという欲を追求する人間。などの最低生活を保護、向上しつつお金の循環を通じて個人同士の相互作用も考えていく(また、憎しみの連鎖も解消する)
多様性はあるが、欲という側面では皆平等。つまり、利益以外からも解決策を見出しお金儲けだけの話だけではないのが経済学(カントの「永遠平和のために」思想も含めて国家や権力者は透明性を究極にして個人のプライバシーも考慮)
(個人的なアイデア)
前提として、公人、有名人、俳優、著名人は知名度と言う概念での優越的地位の乱用を防止するため徹底追跡可能にしておくこと。
ロビンハンソンの言うように、現実の脳自体をデジタルデータにして、人間のシナプスやニューロンの動きを数値化していくことで、現在では、数値化できない概念をコンピューター上で数値化していくということかもしれない。
ヘンリーマークラムが、人間のシナプスやニューロンの動きを数値化しようとしているが、より大きく人間の限界を遥かに超えるような発想で。
しかし、人間自体を、追跡すると基本的人権からプライバシーの侵害やセキュリティ上の問題から絶対に不可能です!!
これは、基本的人権がないと権力者が悪逆非道の限りを尽くしてしまうことは、先の第二次大戦で白日の元にさらされたのは、記憶に新しいことです。
マンハッタン計画、ヒットラーのテクノロジー、拷問、奴隷や人体実験など、権力者の思うままに任せるとこうなるという真の男女平等弱肉強食の究極が白日の元にさらされ、戦争の負の遺産に。
基本的人権がないがしろにされたことを教訓に、人権に対して厳しく権力者を監視したり、カントの思想などを源流にした国際連合を創設します。他にもあります。
参考として、フランスの哲学者であり啓蒙思想家のモンテスキュー。
法の原理として、三権分立論を提唱。フランス革命(立憲君主制とは異なり王様は処刑されました)の理念やアメリカ独立の思想に大きな影響を与え、現代においても、言葉の定義を決めつつも、再解釈されながら議論されています。
また、ジョン・ロックの「統治二論」を基礎において修正を加え、権力分立、法の規範、奴隷制度の廃止や市民的自由の保持などの提案もしています。現代では権力分立のアイデアは「トリレンマ」「ゲーム理論の均衡状態」に似ています。概念を数値化できるかもしれません。
権限が分離されていても、各権力を実行する人間が、同一人物であれば権力分立は意味をなさない。
そのため、権力の分離の一つの要素として兼職の禁止が挙げられるが、その他、法律上、日本ではどうなのか?権力者を縛るための日本国憲法側には書いてない。
モンテスキューの「法の精神」からのバランス上、法律側なのか不明。
立法と行政の関係においては、アメリカ型の限定的な独裁である大統領制において、相互の抑制均衡を重視し、厳格な分立をとるのに対し、イギリス、日本などの議院内閣制は、相互の協働関係を重んじるため、ゆるい権力分立にとどまる。
アメリカ型の限定的な独裁である大統領制は、立法権と行政権を厳格に独立させるもので、行政権をつかさどる大統領選挙と立法権をつかさどる議員選挙を、別々に選出する政治制度となっている。
通常の「プロトコル」の定義は、独占禁止法の優越的地位の乱用、基本的人権の尊重に深く関わってきます。
通信に特化した通信プロトコルとは違います。言葉に特化した言葉プロトコル。またの名を、言論の自由ともいわれますがこれとも異なります。
基本的人権がないと科学者やエンジニア(ここでは、サイエンスプロトコルと定義します)はどうなるかは、歴史が証明している!独占独裁君主に口封じに形を変えつつ処刑される!確実に!これでも人権に無関係といえますか?だから、マスメディアも含めた権力者を厳しくファクトチェックし説明責任、透明性を高めて監視しないといけな���。
今回、未知のウイルス。新型コロナウイルス2020では、様々な概念が重なり合うため、均衡点を決断できるのは、人間の倫理観が最も重要!人間の概念を数値化できないストーカー人工知能では、不可能!と判明した。
複数概念をざっくりと瞬時に数値化できるのは、人間の倫理観だ。
そして、サンデルやマルクスガブリエルも言うように、哲学の善悪を判別し、格差原理、功利主義も考慮した善性側に相対的にでかい影響力を持たせるため、弱者側の視点で、XAI(説明可能なAI)、インターネット、マスメディアができるだけ透明な議論をしてコンピューターのアルゴリズムをファクトチェックする必要があります。
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