#糸満市役所
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事件現場にかけつけたり、たまたま居合わせたりして事件を解決するのではなく、市民探偵の多くはインターネットで公開された情報を集め、フォーラムで議論をしながら事件解決への糸口を探す。やっていることは地味な行為の積み重ねだが、解決にあたって重要な役割を果たすことも多い。確かに彼らも市民探偵なのだ。その執念の凄まじさは、おそらく多くの読者の想像を超えたものだ。たとえばテネシー州の元工場労働者トッド・マシューズは、両目を失い腐敗した状態で大きなバッグに入れて放置されていたことから「テント・ガール」と呼ばれていた身元不明の女性を、11年にもわたって調査して、最終的にはついに彼女の身元を発見してみせた。連続殺人鬼の正体を暴き出すことに熱中するあまり郡保安官事務所に侵入し書類を盗み見した二人組もいれば、何千時間もかけて身元不明の犠牲者の顔と行方不明者リストを突き合わせる人もいる。掲示板での議論が白熱し関係ない人間を犯人と名指ししてしまい、その家族も含めて追い詰めてしまったひどいケースも存在する。というわけで本書『未解決殺人クラブ』は、そうした市民探偵たちの活躍(光もあれば、闇もある)を描き出した一冊だ。市民探偵をやるにあたっての注意点に触れている箇所もあるので、本書を読むと自分でもトライしてみたくなるだろう。 サイバー探偵のパイオニア 様々な市民探偵の姿が紹介されていくが、(本書の中で)代表的な例といえるのは、身元不明の犠牲者の身元を明らかにする作業だ。先に挙げた「テント・ガール」を追うトッドも、そうした作業を行う一人。テンド・ガールが発見されたのは1968年のことだ。トッドはその事件を20年近く後の1987年になってから死体の目撃者であった彼女の父親から聞いて、彼女の身元を判明させる作業にのめりこむことになる。しかし先に11年かかったと書��たように、その道のりは簡単なものではない。検視報���書など、手に入るデータはすべて精査した。何度も何度も現場に足を運び、警察署や新聞社に行き、住民、記者、警察官に取材を重ね、時には葬儀社にまで行くこともあったという。結婚に暗雲がたちこめるほどそうした執念の調査を何年も続けた後、1997年にはダイアルアップ接続のインターネット回線をしいて、Yahoo検索で行方不明者の情報を何十時間も検索し続けた。最終的にインターネットの検索作業が実るのは1998年のこと。テントガールの特徴と一致する女性の行方不明情報を入手し、その情報の発信者とコンタクトをとって警察を動かし、DNA鑑定にまでこぎつけたのだ。彼の11年にもおよぶ執念の調査はついに答えにたどりつき、彼はサイバー探偵のパイオニアとして一躍有名人となる。物語はそこで終わらず、アメリカ政府は彼を全米行方不明者・身元不明者システム(略してネイムアス)の設立者兼共同運営者として2007年に雇用し、その後も多くの身元確認に関わってきた。 Web探偵 トッドは特異点のような個人だったが、インターネット時代がくるに従ってWebの集合知を使ったWeb探偵たちも現れることになる。たとえば、犯罪関連フォーラム『Websleuths.com』では、20万人もの登録会員がオンライン上で未解決事件や行方不明事件の解決に取り組んでいる。人数が人数なのでおそらくほとんどの職業がここでは網羅されているはずだが、具体的には看護師、医師、外科医、定年退職した警察官、心理学者、インクの専門家など、専門的知識を持った人たちが揃っている。世の中には多くの未解決事件があるので、こうした犯罪関連フォーラムでは事件ごとにスレッドが立って議論が起こる。たとえばある少女が自宅の地下室で死体で発見された事件(ジョンベネ事件)では、死体の発見前に両親にたいして身代金を要求する長い手紙が届いていた。死んでるのに身代金要求の手紙が届く? それも死体が地下室に? かなり不思議な事件だが、Websleuthsでは、筆跡鑑定のエキスパートにしてサイトのメンバーであるティナ・ウォンに身代金要求の手紙の筆跡鑑定を依頼し、その筆跡が死んだ娘の母親の筆跡と一致(280箇所も)することを突き止めている。ようするに、母親が娘を誤って殺してしまって、それを隠すために他殺を装った、と推測されている。とはいえ、現在のWebsleuthsの所有者兼管理者は、犯罪を解決するのは法執行機関の役割であり、Websleuthsでやるのは、各メンバーがその専門性を使って証拠をまとめて、捜査官や未解決事件の解決に役に立つ情報を警察に提供するまでだと語る。噂話は禁止、名前は書き込まない、侮辱行為なし、事実を追い求めるというルールを徹底し、新しい管理者(現在10人しかいない)メンバーを入れるにあたっては徹底的な確認作業を行って、書き込みをモデレートしているという。 市民探偵の負の側面 「徹底的な確認作業を行って、書き込みをモデレートする」ということは、それをしないと市民探偵の集まりは時にマズい事態を引き起こすことを意味している。たとえば容易に想像できるだろうが、誰が容疑者なのかを議論するスレッドで、「◯◯が怪しい」と誰かが書き込んで、大勢が同調したとする。正義に乗っかった人々はその◯◯が犯人だと決めつけ、ネットで突撃し、場合によっては住居にまで押し寄せるだろう。実際、そうした市民探偵の暴走といえる事例もいくつも起こってきた。その好例が、2013年のボストンマラソンのテロ事件で起こった魔女狩りだ。事件直後に犯人を見つけようとインターネットの市民探偵たちが動き始めたが、特に人が集まったのがソーシャルニュースサイトのRedditだった。「ボストン爆弾犯を探せ」のスレッドには数千人が参加し、現地の大量の写真が投稿された。素人の分析屋がそうした写真を漁りながら、レースに集中していないかのように見える人物をマークし、彼らが何か別のものに気を引かれていたのではないかと邪推した。中でも、重い物がはいっていそうなショルダーバッグを持った男、黒いバックパックを背負っていた男の二人が怪しいとされ、それがニューヨーク・ポスト紙にまで掲載されてしまった。この二人は何の関係もない無実の人間だったが、インターネット上では彼らが犯人だと決めつけた人々による悪意に満ちた脅迫が撒き散らされ続けた。そのすぐ後、ボストン爆弾犯の容疑者として強く疑われる二人の画像がFBIによって公開されたが、今度はその片方と似ているとしてスニール・トリパティという人物の名前が挙げられ、これまたまったく無関係だったが次なる標的として血祭りにあげられてしまった。本人だけでなく家族への誹謗中傷も次々と行われそれに踊らされたテレビクルーも自宅に押しかけた。結局それが致命的な大誤報であることはすぐに明らかとなるのだが、これは多数の経験不足で慎重さもないインターネット探偵らがもたらす負の側面をよく現している。結局スニール・トリパティはもともとうつ病を患い1ヶ月前から行方不明になっていた人物で、最終的には川で死体で発見されている(おそらく自殺。ただし、時間的にネットの狂騒を苦にしての自殺ではなさそうであった)。
何千時間も使って未解決事件を解決しようと奮闘する人々──『未解決殺人クラブ~市民探偵たちの執念と正義の実録集』 - 基本読書
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2023.4.27 ~ 糸島方面へ
ぼちぼち連休に近づく世間。お天気が気になる所です。
腹ごしらえ ~ てっちゃんのオムレツ定食
ひき肉たっぷりでデミグラスソースも美味い。
お昼頃に一時薄雲がかかりましたが、
時間とともに晴れてきて快晴となりました。(スマホじゃ役不足)
宇美神社
満開のレンゲ畑ではミツバチがせわしく飛び回ってました。
宇美神社前の藤棚
糸島市西堂から
須賀神社の藤棚
昨日は糸島市内でご老人がイノシシに襲われてニュースになってました。デイサービスの送迎バスを��ってる所に突っ込まれてきてた洋服がぼろぼろに。
古墳探索で竹林に入るとタケノコ掘って食い散らかしてる跡がちらほら。
糸島市高祖 ~ 高祖神社
高祖神社の藤棚
夕方になりました ~ 怡土城跡から(東・高須神社方向)
西の空
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コロナ前にMOROHAと仕込んだ『日程未定ツアー』
紆余曲折あって、4年の歳月を経て ついに4/7(日)に開催
世間、アーティスト、G-shelterの状況など目まぐるしく変わっていく中で、沖縄ライブが実現できる事が本当に嬉しい。
コロナ禍が始まったばかりの頃
���コロナが明けたら全国ツアーするから、会場代先に払っとくわ。」 というMOROHAらしい心意気に、当時とても勇気づけられたし、こうして4年越しの約束が果たされることが、とても嬉しい。
しかしこの企画の話を受けた4年前は、国際通りで営んでいたライブハウスを畳む事を決めた時だった。それをMOROHAに説明すると「その時G-shelterがどんな形になっていたとしても大丈夫」という返事で、そして現在もライブハウスとしてのG-shelterは存在していない。
DIYな試みにチャレンジしたい気持ちがあり、「G-shelterの機材を使って屋外でMOROHAのライブをさせてもらえないか?」と提案したところ、MOROHAは快く受け入れてくれた。様々な導きもあり、会場は糸満の「食工房まほろば」に決定。
アフロは漁港が似合う、と思って決めた場所だが、まさか漁師の息子として映画出演していたのは笑った。
会場はめちゃ協力的で、音楽と一緒に美味しい海鮮料理なども味わえるよう、ライブに向けて準備している。
サメ肉のハンバーガー、金目鯛やイカ墨のおにぎりなど、一味違うメニューをご用意。
ライブハウスでの公演とはひと味違うMOROHAの漁師町ライブをお楽しみ下さい。
2024.04.07 (日)
G-shelter presents 「日程確定、開催確定TOUR×MOROHA V RELEASE TOUR」振替公演(沖縄)
会場:食工房まほろば (糸満市)
(沖縄県糸満市糸満2228)
時間:開場 17:15 / 開演 18:00
出演:MOROHA
前売:4500円+1D注文
⬇︎チケット⬇︎
<アクセスと駐車場>
◆お車でのご来場
・糸満市商工会駐車場 (会場隣り/30台) ・糸満漁港駐車場 (会場徒歩5分/80台)
が無料にてご利用になれます。
◆バスでのご来場 バス停『糸満市役所入口』の目の前 ※ややこしいですが、昔は市役所が近くにあった名残りのバス停名のようで、現市役所は離れた場所にあります。 ↓ 停車するバス路線 34/35/36/200/235/334/335/いとちゃんmini
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
<イベントフードのご案内>
今回は、会場の『食工房まほろば』に、イベント用フードメニューをご用意していただきます!!!
フードトラック『マットーフードトラック』も出店決定!!!
ぜひフードもお楽しみください◆食工房まほろば ・シャークバーガーハーフ/¥500 ・焼きイカ /¥500
・鯛飯/¥300 ・イカすみじゅ〜しぃ〜/¥300 ・ウィンナー焼きそば/¥500
◆マットーフードトラック
・グリルドチーズサンド
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不器用な大人の恋模様――佐野妙『理想のおとなりさん』
今回取り上げるのは佐野妙さんの『理想のおとなりさん』です。なんと男女の恋愛作品なのです。佐野妙作品では女性キャラの関係性をメインにしていることが多いので、男キャラがメインになることはまれなのです。今作はがっつり男女の恋愛を描いています。
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佐野妙(著) ぶんか社 (2023-09-14)
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最初に登場するのが若者というにはくたびれた感のある男性キャラ。彼はこの作品の主人公の一人・古橋湊大(ふるはしこうた)。
少し自虐的な物言いをしていますが、「鏡サイド」というPNで執筆する現役のラノベ作家です。ラノベ一本で食べていくのが難しいので、市の文化講��で文章の書き方講座の講師を兼業しています。壁の薄い年季の入ったアパートに住んでいて、食べ終わった豆苗を水耕栽培で再収穫をする。紅茶のティーパックは干して3回は使う。一見、赤貧洗うがごとしを地で行く生活をしているのですが、これは彼の経済感覚が鋭いが故の生活なのです。
テンプレートでよくある売れない作家で生活能力が低く貧乏生活している。湊大は表面的にはそう見えるけど、市民講座の講師、過去作品の印税などの収入、投資信託などの財形と税制優遇を網羅する等このテンプレートを外しています。この設定が絶妙なのは本業が上手くいってない35歳男性が恋愛するに当たって、ヒモになる要素を排除していることです。たとえ鳴かず飛ばずのラノベ作家でも、経済面で恋愛対象に依存する必要がない。経済的に対等の関係であるというのはこの作品にとって肝なのです。
もう一人の主人公にしてヒロインは音成奏(おとなりかな)。
彼女は市役所に務める社会福祉士、ソーシャルワーカーです。湊大は大学時代に半年ほど中学生だった奏の家庭教師をしていました。天真爛漫で美人ですが、そそっかしくズボラでがさつな面のあるキャラクターです。明るさが前面に出ているキャラクターですが、彼女の人生には暗さがあります。湊大がラノベ作家としてデビューした直後、奏のお父さんが亡くなりお母さんも体調を崩して入院してしまったのです。奏は作中で語っていませんが、彼女が社会福祉士という職業を選んだのはこのことが理由であることは想像できます。20代前半ですがかなり苦労をしたことがうかがえるのです。
このあたりの奏が語る現実のシビアさはリアリティがあります。介護と金というのは人から余裕をなくしてしまうのです。
そんな奏は家庭教師をしてもらっていた中学時代から、湊大に好意を持っていましたが、社会人となり大人の女性として恋愛感情を抱くようになります。ただ恋愛スキルは低めです。社交的でコミュニケーション能力が高いがゆえに、湊大との関係が他者からは兄妹のように見られてしまいます。キャラクターの魅力として描かれている面が同時に枷にもなっているわけです。この奏のキャラクターはラブコメストーリーに抜群の面白さを出しています。このあたりの佐野妙さんのキャラクターの作り方は本当に見事です。
奏が湊大の住んでいるアパートの隣に引っ越してきたことで、10年ぶりに二人の関係が動き出します。
ラノベ作家・鏡サイドこと古橋湊大のデビュー作にして最大のヒット作「太陽の女神が俺だけにデレてくる」通称「俺デレ」。ヒロインのヒナが湊大の理想の嫁。湊大のインナースペースに存在するイマジナリー彼女を体現��せたキャラクターなのです。さらにこのヒナというキャラクターを創造するにあたって、大きな影響を与えた存在がいます。教え子当時の奏なのです。ラノベ作家として生きていくことを決定づけた存在が10年の時を経て隣に引っ越してくる。しかも少女から大人の女性へと変貌して。中学生との恋愛はアウトですが、成人した女性との恋愛に障害はありません。燃え上がる恋物語が始まる…かと思いきやそうはなりませんでした。理由は「俺デレ」なのです。
湊大いわくこじらせた情熱で作り上げた理想の嫁・ヒナのモデルにしたことを奏に知られないように、さらに彼女の理想の先生像を壊さないようにと自分の中にストッパーをかけます。とは言え、奏のそそっかしさと湊大の保護者気質のせいで二人の距離は急速に縮まるのですが、湊大が自分の中にかけたストッパーは恋愛感情を発露することに、後々まで影響を与えることになります。さらに「俺デレ」は新作よりも重版の印税の方が入ってくるという作品です。現役ラノベ作家として切ない状況を作るギミックにもなっています。
読者の視点から見ると、自分をモデルにして理想の嫁を創り上げたと言われたら、ドン引きされる可能性が高いことは想像がつくので、この湊大の気持ちは理解できます。しかしメタな視点を持つ読者だから、「告白しても奏は受け入れてくれる」というのも想像できます。この悶々としたもどかしさが作品を読むにあたっての快感になっているのです。
奏の方も湊大に対して恋心を抱いていますが、告白して恋人関係になることには踏み出せません。告白が上手くいかずに現在の楽しい関係を壊したくないという、現状維持の思いに囚われているのです。
自分の心を抑えつけている状態は些細なきっかけでバランスを崩しますが、それを解決することで恋愛関係を進展するエピソードにしているのです。
湊大の担当編集・美咲と一緒にいるところに鉢合わせした奏はショックを受けます。美咲は湊大の大学の同級生で「俺デレ」のファン第一号。好きすぎて大手商社の内定を蹴り、出版社に就職して湊大の担当になりました。それゆえに湊大とはざっくばらんになんでも言い合える関係を今でも続けているのです。
奏は距離のない二人の関係を恋愛状態にあると思い込んでしまったのです。その日から奏の態度はよそよそしくなります。
恋愛ストーリーで大きなドラマを見せる「すれ違い」展開です。奏の勘違いがきっかけですが、湊大の方も恋愛スキルの低さが露呈して、彼女がなぜよそよそしい態度を取るのかがわかりません。美咲という自分を外から評価してくれる人を通してようやく関係改善の糸口を見つけます。
しかし行動に移そうとしたところで、奏がアパートに帰宅しないのです。そしてやきもきした湊大がようやく帰宅した奏を迎えに出ます。
こうして勘違いから始まった誤解が解けることにより、カタルシスが生まれます。『理想のおとなりさん』のエピソードは1話完結で描かれる中でこのエピソードは3話使って展開されているのです。二人を昔馴染みの知り合いから一歩踏み込んだ関係にするだけでなく、湊大と奏のキャラクターと現状の深掘り、美咲という湊大を後押しするだけでなく、ドラマを動かすトリックスターにもなりうるキャラクターの登場。このエピソードは6話目から8話目になります。5話までを序章とするとこの6話目からが本編といったところでしょうか。まだまだ恋愛関係未満ですが、二人の関係が変わる大きな一歩なのです。
大人の恋愛は好きという感情を、恋心を常に最優先にはできません。仕事、人間関係、経済面、家族関係、人生を重ねるほどこのしがらみは多くなります。湊大も奏もこのしがらみが絡みついているのですが、二人の距離が縮んでいけば解決への糸口が見えてくるという、希望と期待が感じられる描き方がされています。佐野妙さんのストーリーテラーの妙技を堪能できる作品となっています。
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画像出典 ぶんか社 「理想のおとなりさん」1巻 P3,P48,P11,P20,P14,P70,P41,P49,P54 掲載順
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私達の本業を最大限活用した、新しい働き方の創出、女性活躍支援、地域活性化の取り組み状況のご報告と、更なる推進についてディスカッションさせて頂きました! 當銘 真栄市長、糸満市役所の皆さま、ありがとうございました! 引き続き、どうぞよろしくお願いします!! #糸満市 #糸満市役所 #SAP女子プロジェクト #でしたる女子プロジェクト #女性活躍推進 #新しい働き方創出 #ABeam #MAIA #SAP (糸満市役所) https://www.instagram.com/p/CeAht6zLCzZ/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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第33話 『旧き世に禍いあれ(1) - "菌の森"』 Catastrophe in the past chapter 1 - “Fungus forest”
森、と呼ぶべきだろうか。
遠くから見れば、その青さは豊かな植生を想像させ、様々な生命をはぐくむ豊かな森に見えるが、その実、その森は『森』以外の命を拒絶している。
木々の代わりに、複雑に組み合って伸びた菌糸が、樹木のように空に向かう。梢である部分も、まるで寄せ木細工よろしく噛み合い、その様から想像するよりも酷く凍てついている。
光の射さない森を、人は畏れ、近づく者はない。
かつて、近づいたふたり組がモンスターに襲われた。からがら逃げた片割れが言うには、馬ほどの大きさのカマキリに襲われて、仲間は頭から食べられたという。その男自身も背中に大きく斬りかかられた痕があり、傷こそ浅かったがその日のうちに死んでしまった。近づけは呪われる、魅入られる、毒にやられる、���々な噂が立った。
近隣に住む人々に場所を尋ねても、露骨に嫌がられる。森への案内人は見つかることない。
菌類は、世界で一番初めに繁殖し、世界を覆い尽くした生命であるとされる。その生命力の強さは人間の想像をはるかに上回る。彼らは何らかに寄生し、共存すること、または乗っ取って成長することで繁殖を遂げた。「菌類が森を形成している」と聞いた時、フィリップは当然のように、実際の木に寄生した菌が、木の表面を覆い尽くしているのだろうとだけ考えていた。
しかし、実際には、木々などを必要とせず、菌だけが独立し、成長しているという異常な環境だった。
足元も完全に苔むし、通常の森の数倍の高さまで伸びた梢までを見上げる。
完全に光を遮った空間には、ところどころに白いふわふわとした胞子が舞っていた。
胞子を防ぐためにつけた顔を覆むマスクを通した、不気味で低く掠れた呼吸音は、そして規則正しく響く。菌糸が絡まり一本の巨木となる、それが真っ直ぐと空へ伸びる柱の間を、ゆっくりとふたつの影が歩いていく。彷徨っているわけではない。その歩みからは向かうべき先へと向かう意思が見受けられるが、広大な森と道を遮るほどの菌の巨木に翻弄され、緩やかに歩く軌道は大きく蛇行していた。
この森の来歴は、古い神代にまで遡るとされていた。
「……仮説通り、本当に神が眠っていると考えてよさそうですね」
「ああ、そうだろうな」
自死を選びこの森に入る者もいるという。それほどに深く、広大だった。
屍術師のフィリップとグレーテルは、無表情で淡々と歩き続けていた。
グレーテルが時折、歩みを止めては自身の側頭部に手をやり、目を細めて集中した後、遠くを指差す。精霊の濃い方角を探って向かうべき先を先導し、フィリップがそれに続く。
「何百年、いいや、何千年の時がここの中では流れたんだろう」
数十メートルもの高さまで伸びた菌で出来た木をグローブ越しに触れてみたが、しっかりと堅い。強く押してもしなることもなく、力強く根付いた感触が返ってくる。
フィリップは傍らのグレーテルを見た。彼女も顔を覆うゴーグルと、分厚い防護服や手袋、安全靴など、肌を一切露出せず、まるで奇妙な人形のように立っている。ゴーグルの奥にある瞳だけは、以前と何ら変わらず、知的な光を宿してこちらを見つめ返してくる。
着ぶくれして奇妙な人形のような��をしているのは、フィリップ自身も同じだ。
何も身に着けずにここで呼吸をすれば、1分と待たずに肺から蝕まれて死ぬだろう。装備を揃えるために訪れた集落の古道具屋で出会った古老は、皺がれた声でそう告げた。そして、全ての装備を見繕い直す2人を尻目に、白く濁り始めた目で「あの森は捨てておくしかない」とはき捨てるように言って、店を去った。
どれだけ歩いただろう。古老がいた集落から二日歩いて、菌の森の入り口にたどり着いた。森の入り口には当然、柵も、看板も、遊歩道のようなものさえない。獣道と思しき菌木と菌木の間隙を縫うように進み、ようやく分け入った。
不意に、菌糸の枝と枝が擦れるような不自然な音が聞こえた。
フィリップが斜め後ろを振り向くと、グレーテルの背後に、蔓が垂れ落ちている。粘膜で奇妙にてらてらと光る蔓が、ゆっくりと猫の尻尾のように先を揺らす。
フィリップの背中が一瞬で粟立つ。
「グレーテル!」
フィリップの叫びに、グレーテルも弾かれたように振り向き、その手を翳した。一瞬の間の後に青い炎が見え、フィリップは舌打ちをした。
「駄目だ!」
叫びながら、フィリップは手を横に一閃した。
蔓を焼き尽くさんとグレーテルの手から放たれた炎と、その先でグレーテルを襲おうと先端を食虫花の花弁のように広げた蔓が、澄んだ音を立てて凍り付く。
――これが、噂に聞いていた菌の森の怪物か……。
見上げて注視すれば、そこここに蔓が伸びている。全ての蔓が同個体なのか、異なる個体同士が無力化された仲間の様を感じ取ったのか、するすると蜘蛛の子を散らし、逃げていくように去って行った。
あれらは強酸性の粘液を持ち、骨をも溶かすと言われている。
「ここでは炎は使うな。分かるだろう」
フィリップの声に、グレーテルは少しの間立ち尽くしていたが、ふいと顔を背けると、露骨に不機嫌そうな足取りで、フィリップを置いて歩き始めた。
その背中を追いながら、フィリップは深い溜め息をついた。
ここは『森』だ。ましてや梢に当たる部分は組み合わさっている。一旦火が付けば、どこまで延焼するかも分からない。
この先に待ち受けるものが、その炎に焼かれてしまうようなことがあっては、元も子もない。
しばらく進むと、菌糸の種類が増えてきた。相変わらず空を覆う巨木たちは変わらないものの、下から葦のように生えた背の高い草状のものも増え始めた。
はじめは魔物かと警戒していたが、ただの草に似た形状に進化した菌の一種のようだった。
フィリップが大人になってすぐ、世界は一日にして全てを失い、崩壊した。屍者が溢れ、瓦礫に満ちた街を必死で逃げ回るしかなかった。グレーテルと再会したのはそのさなかだった。混乱の中、ふたりでどうにか郊外へと落ち延びた。
覇王の侵攻によって、人々は絶望に追いやられ、細々と終焉に向かって隠れるように生きていた。社会や国など、あってないようなものだ。今までは動いていた陸路や海路も断たれ、物資の運搬もままならなず、世界的であらゆる資源の流通が絶えた。手元にあるもの、そこで作れ��ものだけが全てとなり、手近に残されたものを奪い合った。人の行き来が絶えた街道で誰かと会うことがあれば、例外なく襲い掛かってきた。
そうして、社会が荒廃していくさまを、指をくわえて見ていることがふたりには出来なかった。
屍術に手を染めたのも、仕様のないことだ。生き延びるため、何よりすべてを取り戻すため、戦うにはそれしか術がなかった。
元々、フィリップとグレーテルは同じような境遇で育っていた。家庭の経済環境も近く、受けた教育もほぼ同じだ。ふたりは幼年から時間を共にし、大学で同期だった。専攻こそ、フィリップは時空間魔術、グレーテルは精霊術と異なったものの、在学中はお互い知己の仲であった。
それでもただお互いに見知っていたというだけで、卒業後は疎遠だった。たまたま、覇王侵攻を契機に2人は再び引き合わせられた。それ以降、ふたりで屍者を用い、戦い抜いてきた。
けれども、それももはや限界を迎えようとしていた。
使役するための屍体が明らかに不足し始めた。これまで騙し騙し活動を続けてきてはいたが、そう長くは保たないだろう。
フィリップの専攻は時間遡行――過去へ戻る術だった。彼の前の代にはその基礎理論はすでに出来上がっていた。ただ、そのために必要な魔力は想像を絶するものだった。そして、その消費量は遡行する時間が遠ければ遠いほど���つまり過去を目指すほどに指数関数的に増えると知られていた。
覇王侵攻後、フィリップはずっと考えていた。今まで研究してきた延長線上で過去に干渉して現在の問題が解決する方法があるのではないか、と。数秒程度の過去遡行は実例が既にあった。ただそれも、必要魔力が少ないから出来た最小規模の実験だった。
グレーテルと落ち合ってすぐに、彼女はフィリップの専攻を覚えていたため、「過去に戻って世界を変えることは可能だろうか」と真剣な表情で尋ねたことがあった。
――どうしてそんなことを?
――過去を変えるためです。現状を打破するには、今の努力でカバーできる領域を超えている。
――そうか。……現実的には無理だろうな。魔力が圧倒的に足りない。
フィリップの返答に、グレーテルは怯まず詰める。
――魔石を集めたら? 大量の魔石があれば可能ではありませんか?
――街作りになるぞ。単に魔石を集めるだけでは意味がない、石から魔力を引き出し、一点に集中する構造にすることを考えたら、ふたりじゃ一生かかりでも無理だ。とても現実味がない。
グレーテルは少しだけ、考え込む様子を見せた。
――神の力を借りるのは? それならば可能では?
――そんな量を借りた前例はない、全部寄越せなんて聞き入れられるものか。
――なら、死んだ神から奪うのは?
――死んだ神の力は死んだその場で霧散する。受肉して顕現した個体なら可能かもしれんが、そんな都合のいいものどこにも残っていないぞ。
――でも、仮に受肉して死んだ神の遺骸が現存すれば、できるという事ですか?
――まぁ、そうなるが……
グレーテルと親しい関係であったわけではない。顔見知り程度だ。そんな彼女がはっきりとものを言い、貪欲に食らいついてくる姿は新鮮だったが、同時に恐ろしくもあった。
――あなたの言う受肉した神の遺骸は、歴史上、様々な伝承が残っていますよね。
――それでも、伝承だろう?
――ええ……。ですが、英雄が屠った神を食べ、国を築いた神話もありますし……時間がある時に調べてみます。
この会話で終わったのだとフィリップは思い込んでいたが、グレーテルはそうではなかった。
ある日、彼女はいつもは首から下げている眼鏡をかけ、古びて朽ちかけた郊外の図書館で、一冊の本を読んでいた。よもや殺されたのではないかと探し回っていたフィリップは、安心したと同時に隠しようもない苛立ちに襲われた。
それでも、大きな張り出し窓に腰かけて本を読む姿は、痩せこけた頬さえ見なければ、まるで平和な時代の学生時代のように穏やかだった。
――屍者になっていたらと思ったら、読書か。
――なんのことですか?
よっぽど夢中になって読んでいたのか、彼女は驚いたように顔を上げた。
――いや、僕が屍者を操っている間に、まさかいなくなっているとは思わなかった。僕の体��戻ってみたら、君がいなかった。どこか行くなら、一言くれないと困る。
――ああ、そうですね……すみません。突然思いついて……、あなたの様子も安定していたので、つい抜け出してしまいました。
――何を思い出したのかな?
グレーテルは力強く頷いた。
――菌の森を。
――菌の森……? って、あの谷間にあるって言う?
フィリップの問いに、彼女は大きく頷いた。
――あの森は古代の神の眠る場所。まさかこんなところに、こんな貴書が紛れていたなんて……結末知れずの闘争記録が数多く残されていました。記されているものも古語です。
フィリップも書架をあるけば、複数の関連した図書が見つかった。
――古語で書かれている歴史書でした。ここにあるものは恐らく本当でしょう。
――古き神が眠る……か。
――魔力が残されている前提となる、肉の体に宿した後倒された神が幾つか……けれど、あくまで少数でした。
――ああ、そうだろうな。古い記録の中でも、特に古いものにしか出てこないヤツだ。
――神の顕現には本来肉体は不要で、なにか特別な理由がなければそうされる事もなかった。肉体を持たずに討たれた神は、その内に秘めた魔力ごと消散し何も残らない。仮説ですが、最も古い時代には、神々も顕現する姿を試行錯誤した時期があったのかもしれません。肉体を持って顕現し、そして討たれた後捨て置かれた神など、そのものの記録はなかったのですが……
これを見て下さい、とグレーテルは古地図を示した。
――神を鎮めに旅立った英雄の行方を知る者はいない……、こういう地に、恐らく討たれて倒れた神の遺骸が現存する可能性があります……その場所さえ分かれば……
――ん、これは……
フィリップはすぐさま、いつも持ち歩いている汚れた地図を広げた。古地図を交互に指さす。
――ここが、同じく城塞……高地……少し違いがあるが、同じところじゃないか……?
――そうです。そして、ここに菌の森。神の遺骸が、ここに……?
グレーテルの声は興奮して上ずっていた。まだ確定していないものの、どうしても期待が膨らむ。フィリップは大きく頷いた。
――行こう。試す価値はある。
決意は固まった。装備を整えて、ふたりは早速菌の森を目指した。
ふたつのガスマスクを通した呼吸音。梢から垂れた菌糸は、まるですだれのように行く手を次々と塞いでいた。それを押しのけた途端、突然視界が開ける。
フィリップは、はっと息を飲んで足を止めた。
「――……ここだ」
ふたりで作った地図とほとんど同じ場所に、それはあった。
死した神の寝床。
何千年も前に英雄と戦い没したとされる神が横たわっている。
鯨に似ている。がらんとした空間の中に大きな赤黒い鯨の遺骸が打ち捨てられているように見えた。
遺骸の周囲にはまるで丁寧に森をえぐったかのように円形の湿った地面が都市の広場ほどの範囲で広がっており、草一本、菌木一本も生えていない。まるでその遺骸が、あらゆるものが近づくことを拒んでいるかのように。
「……うっ……」
グレーテルは口を抑えてうずくまった。
「大丈夫か?」
「……精霊の気配が……こ、濃すぎる……すみません、少し時間をください……」
弱々しい声で告げたグレーテルが、額につけていたサークレットを外して、座り込んでしまう。
やむをえず、フィリップは少し時間を置くことにした。すぐそばに腰かけて、フィリップも死骸を見つめた。生身で、感覚を増強する道具も身につけていないフィリップは、その遺骸から放たれる魔力の迸りを直に感じずに済んだ。
「あれが神の遺骸か? 鯨のように見えるんだが……」
フィリップは神の遺骸を見ながら首を捻った。
グレーテルはまだ肩で生きをしていたが、答える余裕は出てきていた。
「あなたは鯨を見たことが?」
「祖父は漁師で、幼い頃に鯨を見たことがある」
グレーテルは雑談には反応せず、死した神の遺骸に歩み寄っていった。
肉の大部分が朽ち落ち、元の形は分からない。骨の先から先までの距離から、巨鯨ほどの大きさの存在だったと察することが出来るだけだ。
フィリップも近づいて見れば、それは明らかに鯨とは異なる特徴を有していた。抱え込まれた両の腕と太ももと思しき4本の節が見て取れる。
「……人か?」
「当然人ではありません。ただ、極めて人に近い形をした、大型の何か……でしょうね。人を象って顕現したのでしょうか」
グレーテルは微かに首を傾げていた。
よくよく見ると、手足や頭部の形は残っている。ひとつひとつの大きさが人間と比べ物にならないくらい巨大だ。横向きに膝を抱えるような形で倒れていたため、残った部分がひとかたまりにまとまって丸々とした肉塊に見え、遠目から横たわった鯨に見えたのだ。
グレーテルは躊躇いなく、その肉片に触れた。
「お、おい! 触れて大丈夫なのか?」
「触れないと確認できないでしょう。いまさら躊躇しても仕方ないじゃないですか。」
「それは、そうだが……」
彼女は表情を変えることなく、手袋をしたまま肉片をつまみ上げ、背負った鞄から留め金を外して手にとったモノクルを通してまじまじと観察した。流石にフィリップはまねる気にはなれず、顔を背け代わりに周囲の森を見渡していた。
屍術師として屍体を扱うことには慣れたが、それを当然望んでいるわけもない。ましてや、死した神の肉片なぞ、触れて何が起きるとも知れぬものを、掴む気も起きなかった。
「……やはり。山羊と、おそらくは牛の混合……生贄を触媒に受肉されたものですね」
「数千年も前のものが?それだけ経っててわかるものなのか?」
「受肉した神の記録は数は少ないですが、それを食し��ものが不滅を得たという伝説は幾つか聞きます。残された肉そのものが不滅だとしても、不思議はないでしょうね」
「まぁ、山羊と牛のミンチなら、味は良さそうだな」
「その冗談は面白くありません」
「はは、誰が食べるものか。触るのもお断りだ」
フィリップは肩を竦める。
ガスマスクをしているから、臭いは分からない。
蠅もたかりもせず、数千年を経ても微生物に分解されている様子もなかった。
「ここで朽ちていっていたということは、この神はひとりで死んだのか?」
「いえ、この辺りの骨が折れています。きっと英雄と戦い、敗れたのでしょう」
グレーテルが示すあたりをしかめ面しながら片目で見やる。左脛と思しき位置の骨が、粉々に粉砕していた。これほどの打撃を神に与える英雄とは…。想像が出来ない。あるいは、Buriedbornesの術を介するならば、可能だろうか。ふと、古の時代からBuriedbornesの術は扱われていたのではないか、という妄想にも似た想像が浮かんだ。
「英雄や魔物は神から力を奪う……けれど、この肉体だけが残ったということは、この谷間には元々、遺骸を喰らえるような肉食の魔物や獣がいなかったのでしょう。当の英雄は、恐らく相討ちに」
「その英雄はどこだ?」
グレーテルが指をさす。その先を見れば、遺骸を中心とした空間の縁に、ボロボロに朽ちた剣の柄らしきものだけが落ちていた。刃は完全に失われて、金の装飾部分だけが、堆積物をかぶりながらも劣化せず残っているようだ。
受肉した神の肉体が持つ不滅性が証明されたと言える。あまりにも長い時間を経て、相対した英雄の遺体がほとんど朽ちて消え去った後も、まだこうして肉体を残していたことになる。
木々や草花は育たず、陽の当たらない崖の下で、菌糸類だけがその溢れ出す力の恩恵を受けて菌だけの森を成した。もとより人が住めるような場所ではなかったのだから、手を付けられることもなく歳月が過ぎた事に、疑問の余地はない。
「ここに人間が来たのは、どれくらいぶりなのか」
「……はじめてかもしれませんね。このふたりの他では、はじめての訪問者なのでは? 英雄自身も、はたして人間だったかどうか……」
「好都合だな。予定通りいけそうだ」
「ええ、準備は大丈夫ですか?」
「ああ」
「魔力の計測もそろそろ終わりそうです。正式な数値はまだですが、現時点で必要な魔力を越えています」
グレーテルは研究者らしく、目を輝かせて頷いた。フィリップも頷き返す。
「ここまで近づけば、肌で分かるレベルだな。この魔力量なら、想定通り飛べそうだ」
「ええ、そうですね」
人生でも目にしたことがないほどの、内包された計り知れないほどの魔力量。これほどの力を使うことができれば、確実に過去へ戻ることが可能だろう。
「あーあ。どうせなら、覇王が生まれた頃まで戻って子供のうちに縊り殺せたら、もっと楽なんじゃないかな?」
「…この遺骸と同じものを数万体ご用意する気力がおありなら、どうぞ。一緒に試算したでしょうに…」
時間は巻き戻せる。
有限でも確実でもないが、方法論は確立している。フィリップはそれを扱える。ただ、この世には魔力が絶対的に足りない。
「この遺骸があってこそ、可能になった、それでも、たったの50年か……。だが、その時期であれば屍体も多く集まるだろう。今ではもうお目にかかれないような、名だたる英雄の屍体も手に入るかもしれない。その力で覇王を討ち、人間が人間として生きる時間が取り戻せるはずだ」
「ええ。失敗は許されません」
「もし失敗したら、どうする?」
「……そうですね、残された戦力で、覇王相手にはもう勝ち目はないでしょう。手詰まりです。未来に可能性を残すために、あなたと子でも為しましょうか」
「その冗談は面白いよ」
フィリップが笑うと、グレーテルは不満そうに眉を寄せた。
「人間らしい生活を、社会を……取り戻さねば。国や都市が機能し、人々は安全に暮らす、学府にも人がいて、積み重ねられたものが未来に残されていくような……そういったものが、この世界には必要です」
「ああ、その通りだ」
「もし私達に覇王を打破できなければ、より可能性の乏しい後世にすべてを託すしかない。可能性は狭まるばかり。それだけは避けなければ」
「そうならないように、今、やれるだけの事はやろう」
フィリップは杖を荷物から引き抜いた。
「さ、そろそろ行こうか」
戻る場所はたった50年。それでも十分だ。
人類の未来のため、有意義に使わなければ。
フィリップは杖を握る手に力を込めた。思い切り、遺骸に杖の先を突き立てた。肉を貫く感触は、遺骸というのに生々しくぶにぶにと柔らかかった。
杖を差した部分から、光がふわりと零れたと思えば、光の筋が一気に杖を通過し、瞬く間に杖全体が発光する。両手で握っているのに、杖のもたらす衝撃に体が吹き飛ばされそうになる。
杖を中心に、魔力の奔流が竜巻のように徐々に渦を巻き、菌の梢も揺れ、森を包んでいたすべての音が遠ざかって行く。凄まじい轟音が響き、杖自身が悲鳴を上げる。悪路の馬車に乗��たように大きく揺れ振動し、弾け飛ぼうとする。必死でフィリップは縋りついた。
グレーテルは風の中、近くの木にしがみついてフィリップを見守っていた。その表情は落ち着いている。彼女ならば、過去から送り込まれた屍体もきちんと回収し管理してくれるだろう。彼女のような人間に背中を任せられる自分は、こんな時代において、幸せ者ではなかろうかと時々思うが、今はその気持ちが特に強い。
「世界を、救わなくては……!」
遂に杖は、内側からの力に負けるようにたわんだ。咄嗟に手で押さえたが、その瞬間、ガラスのように砕けて、真っ二つに折れた。
そして、世界が揺らいだ。
「フィリップ、お気をつけて」
何も見えない光の中で、グレーテルの最後の言葉は、しっかりと聞こえていた。
~つづく~
原作: ohNussy
著作: 森きいこ
※今回のショートストーリーはohNussyが作成したプロットを元に代筆していただく形を取っております。ご了承ください。
旧き世に禍いあれ(2) - "ブラストフォート城塞"
「ショートストーリー」は、Buriedbornesの本編で語られる事のない物語を補完するためのゲーム外コンテンツです。「ショートストーリー」で、よりBuriedbornesの世界を楽しんでいただけましたら幸いです。
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5/26やがて君になる~生徒総会~夜の部
はじめに
アニメやが君はおわったけど、原作は8巻で完結が発表された。舞台やラノベといった多メディア展開もあった。そして、ついにアニメのイヴェント。その当日の夜の部に参加してきました。昼も行きたかったなあ、と終わってからも思う。あの場所にいて楽しむという体験価値には、映像化とかでは及ばない。でも、映像化されたら買うだろう。
暑い日・熱い日
5月なのに、無茶苦茶な暑い日だった。何の対策もしなかった日焼けが痛い。
ただ、それ以上に。夜の部だけに参加した��はいえ熱く盛り上がる良イヴェントだった。
キャストの皆さんの作品愛が随所にあふれていた。
まず、「きりーつ、れい!」で始まるいかにも学校行事風。
雰囲気のいいシーンを出し合っていくコーナー。生徒会風に議題として、会場の拍手で一番のシーンを決めることに。
沙弥香役の茅野さんが8話の紫陽花問答(燈→沙→侑→燈)シーンを、燈子役の寿さんが8話の「その嬉しいってどういう意味」を、堂島役の野上さんは11話の花火のシーン、槙役の市川さんは12話の水族館デートのイルカショーの場面の燈侑を挙げて、そして、侑役の高田さんは9話の体育倉庫のご褒美チューシーンを。
世田谷区民ホールの大画面大音量で視聴。演技の裏話や背景風景の美しさなどの話もあって、放送時の時とはまた違った感動がありました。こんなにやが君好きの人たちの歓声や拍手を聞きながら、やが君に浸れる時間…もう最高じゃないですか!
会場の投票の結果は高田さんが選んだ9話の体育倉庫ご褒美チューでした。私は、寿さんが選んだ「その嬉しいって~」をいい雰囲気からのこのすごい雰囲気という寿さんのこだわりにじんわりと納得したので、そちらに。エロ峠には勝てないか。
ラジオでおなじみだったやがて○○になる話では、キャラそのものになりきってしまった高田さん寿さんにたいして、茅野さんから発せられた「こんなの特別だよー」に感動です。特別かそうでないかで揺れてきた侑の物語を思い出し目頭が熱くなります。このように言及できる、キーワードを即座に出すことができる作品愛が、キャストさんたちのこだわりが熱い。高田さんの我田引水を地で行くさまは、見ていて爽快でしたね。
そして、生徒会朗読劇。なんと今回のために仲谷先生書き下ろしのオリジナル。なんて贅沢なんだ。さらに生で声の演技を見れるなんて。場面は11話の合宿。
カレーを生徒会のみんなで作る話でした。アニメ本編ではただ静止画場面でしたが、ここをこのように膨らませてくるとは。
堂島が料理得意とか沙弥香は福神漬けにうるさいなど明かされるキャラ設定。ラジオのやが○コーナーも巧妙に入れ込まれて、会場の笑いを誘う巧みな構成。そして、侑と燈子のイチャイチャシーンもありでもう満腹です。侑が槙が堂島が沙弥香が、そして燈子が目の前に本当に存在しているかのような、そんな気すらしてくる素晴らしい時間でした。
お馴染みの大島ミチルさんのBGMも、ロビーでやが君の雰囲気を醸し出していた。私は、やがて君になるの音楽がとっても大好きで、聞かない日はないくらいなんです。好きな人みんなで共有できて幸せでした。
期待していた生歌も披露されました。
安月名莉子さんによるアニメOP曲「君にふれて」や9話の挿入歌「RISE」の演奏も歌もかっこよすぎた。どうやったらあんなに力強い声を出せるのか。ちょっと天然な安月名さんもかわいらしい。こういうギャップには惹かれるものがあります。
そして、寿さん高田さんによるアニメED曲「hectopascal」。安月名さんから引き継ぐ形だったんですけど、次の2人が何を歌うかバラしてしまった安月名さんかわいい。高田さんも間違いとか言い忘れとかあって、同質的な人がそろってるんだなあと少し感心してました。
かわいらしい衣装で、作品世界を再現したかのような振り付けでした。惜しむらくは、席が後ろでなかなか見えなかった。映像化には本当に心底期待してます。最初は背中合わせなのが向き合ったり、距離が近く遠く動いたり、扉をノックするかのように手を振る2人が最高に尊かった。最後の2人の抱擁も。互いを思い慕い合う優しい空気感を永遠に感じていたかった。
永遠はないですが、続くものはあるかもしれない。歌の披露のあとはすぐに終わりなのでした。このイヴェントが終わるだけで、作品世界は今後も続いてほしい。
キャストさんそれぞれから続編の希望が語られました。男性陣にも活躍の機会がまだまだあるわけで。5巻の堂島や7巻の槙は映像で見たい。そうしたところに触れつつ、女性陣からも続きがあってほしい旨のご挨拶があり、二期の発表はなくとも多くの人が望んでいればいつか……実現してほしい。
茅野さんの「佐伯沙弥香役の茅野愛衣です」をこれからも大事にしたいというコメントは、ささつ(佐伯沙弥香について)の第二巻を読んだばかりの私には響くもので、本当にそうであってほしい。次や今後があってほしいと願うばかりです。
寿さんの「ありがとう侑」という言葉も会場の反応に対する共感もこれからを感じて、やが君の愛をみんなで大切にしていこうと思えるものでした。
小糸侑役の高田さんからは、先行で最新話を読んだこと、買ってねと感極まりながら言っていてついつい私も電子版を買ってしまったけど。とにかく「言いたいセリフや伝えたい思いがまだまだある」ともう泣き声のようにおっしゃって、その上で「これからもやが君応援してくれますか」と問いかけ、それに歓声でこたえる会場のみんなが一体感ありの嬉しい時間をつくってくれました。
最後は生徒会長の燈子役の寿さんから、締めのあいさつと「きをつけ!礼」の号令がされるはずが、途中で高田さんが言い忘れに気づいて遮られました。
高田さんが何かしでかす感じなの最高においしい。なかなか強引なのも胆力あっていいですね。高田さんのラジオでの笑い声が豪快で好きでした。振り付けの説明忘れでしたが、会場の雰囲気が良くて、生徒総会いい雰囲気シーンを選べと言われたら私だったらこの場面でしょうか。最初から最後まで気の抜けない、楽しい時間が流れていた幸せなイヴェントでした。
あふれる思いや語りきれないものがこのイヴェントを彩って最高の時間にしてくれたようです。会場に居合わせた応援する皆さんやアニメスタッフや電撃大王など関係者の皆さん、そしてやがて君になる原作者の仲谷先生には感謝しかないです。
すばらしかった本当に。
物販もあっさりと順番が来て、私は多少並んだけど並ばない時間帯もあったようでした。右のクリアファイルはこちらが招かれた側なので、この3人はこっちを見ているわけですね。やが君では珍しい絵柄。
ガチャガチャは2回とも水族館の侑でした。山行きたいのあとの「侑が好き」の場面ですね。
メンダコ、これ可愛すぎる。やが君グッズとしても、そうでなくとも通用するかも。
本棚横に吊るしてみましたが、デフォルメされてない目がかわいい。これからもやがて君になるを応援しつつ、注目していきたいです。
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糸満市
市役所職員並びに市議会議員の勉強会
【実施セミナー名】改正入管法・日本語教育の推進に関する法律説明会
【テーマ】外国人材と地域共生
【実施プログラム】
①糸満市市役所職員(参加者 : 41名)9時~10時(1時間)
②糸満市市議会議員(参加者 : 13名)11時~12時(1時間)
【会場】糸満市役所3階C会議室
【コーディネイト】
①糸満市役所企画開発部行政経営課「上原亘」係長
②糸満市役所総務部総務課行政係「伊敷茂雄」係長
【講師】学校法人岩谷学園テクノビジネス横浜保育専門学校「佐藤嘉記」校長
入管法と日本語教育のこれから
糸満市役所企画開発部行政経営課の上原係長が司会進行で佐藤校長の紹介から第一部を開始。
授業の前に岩谷学園についてビデオで紹介した後、入国管理法の改正についてテキストとスライドを使用した説明を行った上で、日本語教育の必要性と外国人労働者を受け入れるために市役所の取り組みについて説明しました。
沖縄県内で自治体を対象に入管法改正と日本語教育の必要性についてのセミナーは初めてになります。
参加者からの質問から、糸満市ではこれまで外国人労働者への対応について関心を持つ職員や議員はいないようでしたが、少子高齢化と直結する大きな課題であり、観光立県を目指す沖縄県及び観光誘致に力を入れようとしている糸満市にとって労働力の確保は直近の最優先課題であることを説明しました。
初開催となる今回、54名の参加があり「外国人材の確保」と「日本語教育の重要性」について説明できたことは開催意義のあるセミナーになったと思います。
次の機会では、商工会議所や工業団地協同組合に向けて同様の説明会開催を予定しています。
https://youtu.be/oNTvcouDBpc
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月に向かって手を伸ばせ。たとえ届かなかったとしても。
──ジョー・ストラマー(ザ・クラッシュ)
1.話されたこと、話されなかったこと
若林恵『さよなら未来 エディターズクロニクル2010-2017』。唐突ながら、この本について、誰が読んでも最善と思われる書評を書くこと──書かれたことに徹底的に寄り添い、厳密に内容を抽出し、その魅力を損なわず、気の利いた言葉とともに紹介すること──は、おそらく不可能である。少なくとも私には。それは私の能力不足にもよるが、一方で、この書物自体がそうした性格を持っているのだとも考える。書評というのは、多かれ少なかれ書物の情報を縮減化する営みで、内容を要約し細部の豊かさを捨象し平板な語りの中に押し込める営みである。「それってどういうこと?」というシンプルな問いに対し、「それってこういうことだよ」とシンプルに答えるもの──書評というのは基本的にそうした性質を持つ営みである。しかし、書物の中にはそうした「それってこういうことだよ」という平板化を、原理的に拒否する構造を持つものがある。そして、本書はそうした構造を持っている。
「アーカイブというものは、説明や分類できないものがあるからこそ存在する。アーカイブ化された情報と情報の隙間に、おそらくなにかが語られている」。長い時間をかけて書かれ、時代の変化と書き手の変化をそのまま反映した本書は、その変化の間隙にこぼれ落ちた〈書かれなかった事物〉の存在さえもを示唆する、無限の拡張の可能性を湛えた構築物で、それは無数の鏡でできた巨大なコラージュのようで、どこをどう読んでみても、読みの数だけのいろんな形の自分の顔が映り込んでくる。私が私である限り、私の読む全ての文は私によって読まれるのだが、本書はつねに、その事実を読み手に対してつきつけてくる。 私は私から逃れられない。 私は、つねに私の読解を通して全ての文章を読むのであり、書かれた文章を、そこに書かれたままに、単に読むことはできない。決して。絶対に。
本書を読むといろんなことを思い出す。書かれたことを読みながら、その実私は私自身の顔を眺め、思い出と思い出が入り混じり、書かれたことをそのまま読むのは難しい。この書評を書き終えてなお、その感覚を拭い去ることはできず、今もまだ、私は本書の中で迷い続け、かつて自分だった自分の顔を眺め続け、私だった彼の担った思い出を思い出し続けている。
2.僕、パンクロックが好きだ
たとえば私は彼は子どものころ、パンクロックが好きだった。パンクロックが好きだ、とブルーハーツは歌ったが、それを聴くたびに、俺のほうが好きだよと、もう存在しないブルーハーツと無駄に張り合い悪態をついていた。 夕食の時間、テレビを点けるとテレビの中で、「そんなの関係ねぇ」と小島よしおが言っていた。「何これ」と母は言った。「変なの」。母はテレビを消した。それから母はパートに行っている工場でのできごとについて話した。工場主の息子が大学に受かり、実家を出て東京に行くのだと言った。「実は僕も、東京の大学に行こうかと思っとるんや」と言うと、母は不思議そうな顔をしていた。それからは何も言わなかった。 夕食を終えると風呂に入った。風呂の中で小島よしおのことを思い出した。風呂から出てベッドの中に潜り込むと、ヘッドホンをして、音量を上げて、パンクロックを聴いた。古いものも新しいものも聴いていた。パンクロックと呼ばれていないものも、かっこよければ勝手にパンクロックと呼んでいた。パンクロックが好きだった。17歳だった。
唐突ながら、小島よしおはパンクである。当時の私はそう信じていたし、今振り返ってもそう思える。パンクをパンクならしめるイデア論的本質というものがあるならば、パンクロックにそれが内在するのと同様に、小島よしおにもまたそうしたイデア論的パンクの本質が内在するのだろう、と。私はそのように考えている。繰り返すが、小島よしおはまぎれもなくパンクである。 そんなの関係ねぇ──開き直り他者を突き放しわが道を歩むことへのその宣言が、ほとんど暴力的とも言えるほどの声量と時間と回数をかけて反復的に叫ばれるのは、21世紀初頭の日本。ブーメランパンツを穿いた以外には何も着ない、筋肉質な肉体を曝け出した男がお茶の間に現れたのは2007年のことであり、彼──小島よしお──の代表作である「そんなの関係ねぇ/OPP(Ocean pacific peace)」は、低迷する日本経済と閉塞する労働市場への、ロストジェネレーションからの叫びであり、それはまさしく1970年代後半、新自由主義へノーを突きつけ世界中を席巻した若者たちの叫び──パンク・ムーブメント──の反復であった。たとえば1976年、イギリスはロンドンで結成されたロンドン・パンクを代表するバンド ‘The Boys’ の1stアルバム ‘The Boys’に収録された楽曲 “I don’t care(そんなの関係ねぇ)” は、次のような歌詞である。
ロックがどうとかロールがどうとか、俺にはそんなの関係ねぇ。 ビートがどうとかソウルがどうとか、俺にはそんなの関係ねぇ。 希望はねぇ。チャンスはねぇ。何もわからねぇ。 何をわかればいいかなんて、誰も何も教えてくれなかった。 希望はねぇ。チャンスはねぇ。でも別にそれでいい。俺にはそんなの関係ねぇ。
──The Boys “I don’t care”
1970年代のイギリスの若者たちには未来はなかった。市場原理と能力主義の断行によって激化した競争社会の中で、若者たちに仕事はなく、金はなく、怒りと不満だけがあり、それらをぶつける音楽だけがあった。パンクスたちには音楽だけが唯一の希望だった。多くの若者たちはそれに賭け、多くの若者たちはその賭けに負けた。 2000年代の日本の若者たちにもまた未来はなかった。正規雇用の仕事はなく、年金制度は破綻し、老いた両親の介護が待っていた。30年前のイギリス人たちと同じように、仕事はなく、金はなく、怒りと不満だけがあった。言葉は無力で、放たれた言葉のうちのいくつかは、閉塞感の中で飛散し分解され消失した。 そして、そこに現れたのが小島よしおだった。彼の登場は──少なくともそのころの私にとっては──衝撃的で、「そんなの関係ねぇ」と高らかに宣言する彼のネタを初めて見たとき、私は彼は、自分にとって叫ばれるべき叫びを、笑いという、ある種の市民権を得たパフォーマンスのありかたで公に表明するためのツールを手に入れたような心地がした。怒りと不満、やるせなさや切なさを笑いに変えること。笑いとして対象化し、切り離して共有し合うこと。笑うこと。それは人類が誇るべき、きわめて優れたコミュニケーションの形式である。 笑いについて、多言語翻訳作家として知られるエメーリャエンコ・モロゾフは、代表作『O-NSC』の中で次のように書いている。 「蔑みや怒りにはいくらかの情報があれば足りる。ただし笑いには知性を要する。理解できないものに出会ったとき、わからない自分へのストレスを抑圧すると対象への軽蔑を覚え、抑圧の露見しかかる痛みに人は憤怒する。しかし笑いとは、そのわからなさの意識化によって生まれるものだ。[…]意識化、それを行うのが知性���。わからなさから目をそらさずに様々な観点へと移動し、明らかだったはずの自我を形成する要素や要素どうしの関係性を絶えず再検討し、ときには意図的にでも倒錯を引き起こすことで何がどうわからないのかを明確にする。意識化されるそのわからなさに、笑いが生じる。[…]人は他者を笑うことはできない。知性を持つ者は理解できないものの前で瞬時に別人となり、その際に置き去りとした、かつて自分だったものを笑っているのだ。学び問うのを止め変化を嫌うようになった者が怒りっぽくなるのは道理にかなっている」
3.昔話、音楽よりも前に届く音楽
ところで、昔は音楽を聴くとき、音よりも先に言葉があった。思い出をたぐりよせると、私はそのような記憶にたどり着く。 昔は、インターネットはなく、音楽を聴くにはCDを買うか、友達から借りるか、ラジオやテレビ番組をチェックするか、そのくらいの選択肢しかなかった。そして現実は、知られていない新しい音楽がラジオやテレビで流れることは少なかったし、友達が買う保証もなかったし、CDは値段が高く、子どものころには買えないことも多かった。 そこで、私ら彼らは雑誌を読んで、雑誌に載っている言葉から音を想像した。ドール、ロッキング・オン、クロスビート、バズ、スヌーザー。本屋の棚には今よりももっとたくさんの雑誌が置いてあり、いろんな雑誌のいろんな音楽に触れることができた。 雑誌は安く、そのうえCDよりも先に発売された。雑誌にはレビューやインタビュー、ライブレポートが載っていた。子どものころはそうした文章群から音を想像し、想像した音を、頭の中で何度も聴いた。一冊の雑誌を何度も読み返し、表紙は破れてボロボロになった。表紙がちぎれ落ちてしまうと、お気に入りの記事が載ったページをハサミで切り取り、バインダーに綴じて閉まった。バインダーの表紙には好きなバンドのステッカーを貼ったり、雑誌から切り抜いた綺麗な写真や絵をマスキングテープで貼って、即席のコラージュ作品を作った。どこへ行くにもそのバインダーを持ち歩き、ことあるごとに開いて読んだ。休み時間にこっそ��読んだり、気の置けない友人たちに読み聞かせたりした。そのころの子どもたちは、聴いたこともない音楽についてみんなで話したし、みんなで話すことができた。それは楽しいことだったし、自由を感じられることだった。 経済的に豊かではない田舎の子どもにとって、音楽体験とは紛れもなくそれら一連の行為を指した。1989年生まれの私にとっては、つまるところ、雑誌を読むことこそが、音楽を聴く以上に音楽を聴くことだったのだ。
4.無題、あるいは雑談について
どうでもいい話ばかりをしてしまった。 私はどうでもいい話をするのが好きだ。いつもどうでもいい話ばかりして、人を飽きさせてしまう。人に飽きられてしまう。──これまでに、たくさんの人が目の前をとおり過ぎていった。 けれど、これは書評だ。飽きられてはならない。たとえ私が飽きられたとしても、本について飽きられるのは本意ではない。書評は本のために書かれる。だから、本当は、こんな私のどうでもいい話などではなく、本の紹介をしなければならない。 人は私の人生などには興味はない。人はその人固有の時間を生き、その人固有の人生を生きている。好きなものに触れたり、好きな人と話したり、おいしいものを食べたり、仕事をしたり、そんな風に生きている。結婚をし、育児をし、介護をし、そうしているうちに人生は過ぎていく。時間は限られている。雑談はやめて、早く本題に入らなければ。
5.さよなら未来のこと、便宜的な要約
『さよなら未来 エディターズクロニクル2010-2017』。それが本書のタイトルである。 本書は、2010年から2017年の間に書かれた、題材も切り口もバラバラな81の断片的なエッセイから成る。 サブタイトルにあるとおり、本書は、技術思想誌/社会思想誌『WIRED』日本版の編集長として、テクノロジーと社会の関係、人類文明の今やこれからについて考え続けた、若林恵という一個の編集者による年代記である。7年間、それは人類の歴史にとってはわずかな時間だが、それは無意味であることを意味しない。当然ながら時間は流れ、時間の中で事件は起きる。事件は、個人の私的なものから、複数の人々にまたがる社会的なものまで、規模やありかたは様々ある。7年間、そのわずかな時間の中で、東日本大震災が起きて福島第一原発で事故が起きた。都市から光が消えた。誰もが言葉を求めたが、テレビは何も言わなかった。 そのとき人々はつながりを求めた。顔の見えない誰かであってもかまわない、自分の声を聞いてくれる誰かを求めた。SNSが爆発的に普及し、インターネット・カルチャーが新たなフェーズに移行した。インターネット上で、誰もが誰かに何かを言うようになった。何かを作って人に見せることができるようになり、何かを作って人に見せたい人々は実際にそうした。一億総クリエイターという言葉がささやかれるようになった。それまでは一人で音楽を作り絵を描き小説を書いて、それでおしまいだったが、今ではインターネット上でブログを書き音楽を作り絵を描き小説を書き、そしてそれを誰かを見せることができる。
そうして芸術は無料化し、アーティストは生活していくことができなくなった。音楽の分野では、売るための音楽の代わりに作りたい音楽が多く生まれた。自由で多様な音楽が、楽曲配信サービス上で大量に作られ聴かれるようになった。 「ニーズなんてクソ食らえだ。そんなの関係ねぇ。僕らは僕らの作りたいものを作る」。彼らはそんな風に考えていた。「そんなの関係ねぇ」のだと。
同じ頃、ビジネスの分野でも新たな潮流が生まれていた。確度よりも速度が、製品よりも体験が、論理よりも物語が、そこでは求められ始めていた。古い考えを持った人々と新しい考えを持った人々の考えが、無数の断片となって──フェイクニュースや炎上ニュースと一緒になって──タイムラインの上を流れていった。 同じ時間を共有しながら混ざり合うことのない断片。 同一の根幹を持ちながら、分岐の果てで自らの起源を見失ったいくつかの事象。 それらの断片を観察し、言語化し、可視化し、分類し、整理し、一つの架け橋とすること──本書において511ページにわたりまとめられたそれらの断片は、一人の人間の眼差しの痕跡であると同時に、一つの歴史の証言となっている。
6.全ては同じ形をしている
もう少しだけ音楽の話をしたい。 それは私にとって、本書について考える唯一の方法だからだ。
私はずっと音楽をやりたいと思っていたし、実際に音楽をやっていたこともあった。そのときは、生半可な気持ちなどではなく、本当に真剣にやっていた。金も、時間も、体力も、精神力も、知識も、技術も、自分が使える範囲で使えるものは全て使った。人生の全てを総動員させていたと言ってもいい。 そのころはずっと音楽のことを考えていたし、あるいは何も考えず、ただ音楽の中に身を投じていた。映画を観たり、小説を読んだり、詩を書いたりすることもあったが、それはそれ自体が目的なのではなく、頭の片隅にはつねに音楽があった。自分の音楽を追求するためにそれらが必要だと思ったから、そうしたのだ。
私は2012年に大学を卒業し、会社員になった。テクノロジーのことやシステムのことを考えるのが好きだったから、テクノロジーに関わるコンサルティング会社に就職した。 最初は仕事を覚えるのに必死で、毎日終電で帰ってきては、わけもわからずビジネス書や技術書、IT資格の参考書なんかをむさぼり読んだ。仕事と仕事のための勉強をしていると、私的に自由に使える時間はほとんどなくなった。そのころ、私だった彼は、寝ても覚めてもずっと仕事のことを考えていた。Excelの表に打ち込まれた、消えることのないいくつもの課題をながめ、解決の糸口を探し続けた。平日にはクライアントと議論をし、休日には調べ物をし、上司や同僚に電話をかけて質問をし、Excelを開いて情報を整理し、PowerPointで資料を作った。本棚を見ると、いつのまにか、学生時代に読んだ小説や批評や論文集よりも、仕事で読んだ参考書の冊数のほうが多くなっていた。けれどもそれでいいと思った。仕事とプライベートの境界はなくなり、生活の中のあらゆることがらを仕事に結びつけて考えるようになり、私だった彼はいつでもどんな場所でもビジネスの話をし、横文字を並べたてて話をしたが、それは満ち足りた感覚でもあった。それは幸せなことなのだと思ったし、自分はそれを幸せと感じる人間なのだと思った。生きている限り人生は続いてゆき、その中で人は、かつて知らなかったできごとに接し、それまでは知らなかった自分と出会う。当たり前のことだ。人は変わる。社会は変わる。歴史は動いている。そうしているうちに、私は彼は新しい生活にも少しずつ慣れていき、できることは着実に増えていった。自分が持っているものを誰かに分け与えたり、自分ができることをすることで、困っている誰かの役に立つと感じられることが増えていった。それは、純粋に楽しい経験だった。本当に。 もちろん、そのあいだに音楽はできなかったし、映画を観ることも小説を読むことも詩を書くこともなかったけれど、そんなことは些細な問題だった。これはこれで充実した生活なのだと思った。自分の人生はここにあるのだと思った。そのときは。
仕事ばかりの日々が3年ほど続いた。一つ目のプロジェクトが終わり二つ目のプロジェクトが終わった。 会社で新人と呼ばれなくなってきたころ、少しずつ自分で自分の時間をコントロールすることができるようになって、空いた時間でまた音楽をやるようになっていた。理由やきっかけはわからない。今ではもう思い出すことはできない。おそらく衝動的なものだったのだと思う。私は彼は平日の、仕事が終わったあとの夜に曲を作り、休日にライブをするようになった。音源や動画をインターネットにアップロードし、知り合いが増えていった。人からライブに誘われたり、人をライブに誘ったりするようになった。知らなかった文化に触れた。ヴェイパーウェイヴ、ウィッチハウス、ハーシュノイズ・ウォール。いろんな人から、いろんな音楽を教えてもらった。楽しかった。楽しかった、とても。 25歳の春に結婚をした。私は彼は曲を作り続け、ライブを続けていたが、結婚をしてからは自分一人で使える金額に限りができて、音楽にそれほど割けなくなっていた。そこには独身のころとはまた異なる限界があった。彼は、音楽のことよりも、夫婦の生活のことを考え、家族としての将来のこと──端的に言えば、子どものこと──を考えるようになっていた。
音楽はずっと聴いていた。そのあいだも、いろんな音楽を聴いていた。 パンクは自己否定と自己破壊、自己再定義の音楽だ。だからパンクを聴き続けるということは、ジャンル音楽として規定されたカテゴリの外へと出ていくことを意味する。パンクを聴くということは当然ながら、パンクを思いつつメタルと呼ばれるものを聴き、シューゲイザーやオルタナティブ・ロックを聴き、エレクトロニカやテクノ、ノイズやアンビエントやドローンを聴いていくということだ。 時代は2010年代も半ばにさしかかっていて、私は、カート・コバーンが自死した年齢にさしかかっていた。私は相変わらず音楽を聴いていたが、もうほとんどCDを買うことはなくなっていた。私はインターネットで音楽を聴いていた。YouTubeで、AppleMusicで、soundcloudで、bandcampで、いつも新しい音楽を探していた。
そうした中で聴いたOneohtrix Point Neverことダニエル・ロパティンが2015年に発表したアルバム『Garden of Delete』は、個人的な心情としても、単なる事実としても、私の人生を変えることになった。それはすごいアルバムだった。正直に言えば初めて聴いたときは作家が意図するところはほとんど理解できなかったが、それでもそれがすごいアルバムだということはわかったし、そこで鳴っている音楽が、新しくてかっこよくてマジで���ばいということだけはわかった。理解を超えているということは、自分の理解力では追いつかないほどにその作品世界が巨大で複雑であるということを意味し、わからないことも含めて──というか、わからないということは、私にとって、素晴らしいと思うことの一つの条件なのだが──それは素晴らしい音楽だった。それは新しい音楽だった。未来の音楽だと思った。私はその音楽を聴いたとき、「こういう音楽がやりたかった」と思ったが、自分には絶対にできないだろう、とも思った。自分の能力の限界をまざまざと見せつけれられ、「もうあきらめろ」と言われている気がした。自分がこれからどれだけの音楽を作っても、それは誰かの何番煎じであり、あるいは、何番煎じにもなれない劣化コピーにすぎないのだと、自分がこれから辿��運命を示されているように感じた。そして私は音楽をやめた。自分の身の丈に合った、自分にできることをしようと思った。けれど、私は音楽を続けたいと思っていた。
そして私は小説を書いた。それはSF小説だった。Oneohtrix Point Neverの音楽を、自分なりに小説に置き換えてみたらどうだろうか、と私は思い、そして実際にそうしてみたのだ。それはまだ誰にもやられていないことのように思ったし、幸い自分には文章が書けた。当時はそれが小説になるかはわからなかったし、試みが成功するあてはどこにもなかったけれど、少なくとも何かしら、たとえわずかであっても意味のある、ひとまとまりの小さな文章なら書けると思った。そのころの私は音楽活動はもうやめていて、音楽以外の何かが書けるだけの時間があった。こうして私は小説を書き始めた。小説は音楽に似ていた。音楽を聴いたり、音楽を作ることに似ていた。一つひとつの文にはリズムがあり、メロディのようなものがあったし、段落ごとにコードやハーモニーのようなものが流れていた。最初は気づかなかったけれど、私は、書きながら少しずつそのことに気づいていった。私は文章を書いていた。小説を書いていた。私は音楽を聴いていた。音楽のことを考えていた。小説を書いているとき、私はずっと、音楽を作ることについて考え続けていた。Oneohtrix Point Neverのことを思った。ダニエル・ロパティンの音楽はSF小説のような形をしていた。それはおそらく、ダニエル・ロパティンの作る音楽が時代性というものを反映していて、現代という時代がSF小説のような形をしていたからだった。それならば、そうしたSF小説のような形をした音楽を聴きながら、SF小説のような形をした小説が書けないわけはないと私は思った。全ては同じ形をしていた。少なくとも私にはそう見えていた。私はその風景を書き留めていくだけでよかった。そうやって小説を書いていくと、私はようやく、自分が自分自身の音楽を作れているような心地がした。
年が明けて、小説が書き上がった。それが賞をとった。SFの賞だった。去年のちょうど今ごろ、2017年の8月のことだ。
「あなたにとってSFとは?」と、今でも時々訊ねられることがあるが、私にとってSFとは──ダニエル・ロパティンの作る音楽と同様に──端的に言って、よくわからないものである。よくわからないものとは、部分的には把握可能だが、その全貌は誰にもとらえられない──そう、それは若林恵の書いた『さよなら未来』という書物のような――多様な解釈を許し、全ての読みが誤読になるような、認識の限界を超越した、巨大で複雑な構造物のことである。そして私はここに至り、ここにいる私はSF作家を名乗っている。だから今では、私もこうして、書評のような小説のような、何かよくわからない文章を書いている。私はSF的であるもの/よくわからないものを目指して、よくわからない文章を書いている。
そのとき、私の頭の中には音楽が流れている。かつての私が音楽雑誌の言葉の中で聴いたように、今の私は、私の言葉で書かれた音楽を聴いている。私はそれを聴き、その音楽で小説を書いている。 音楽に心を動かされ、音楽について考え、音楽を聴いて、音楽を演奏してきたことが、今の私を作っている。私にはそういう感覚がある。 無関係だったはずのいくつかのできごとが、一つの現象に収斂していく様子を見ることがある。そのとき人は「バラバラに見えたあれらは全て、実はこの瞬間のための伏線だったのだ」と思う。現在という現象は遡行的に語られる。現在は、意味のあるものごとが一つひとつ丁寧に順番に積み上げられて生成されるのではなく、雑多に捨て置かれた無意味な断片が、現在という時間から編集され整理され意味のある体系として認識されることで初めて生成されるのである。では、未来についてはどうだろう。
7.未来はつねにすでにここに、とウィリアム・ギブスンは言った
人が未来と言うとき、それがイメージするものはなんだろうか。ポスト・インターネットの文化や社会、ビッグデータやIoT、AIによる自動化や効率化、ARとVR、量子コンピュータによる演算能力の向上、ロボットやアンドロイドとの共生、仮想通貨とブロックチェーン。あるいはシンギュラリティ。ブレイン・マシン・インターフェースによる義体化と電脳化。サイバースペースへのジャックイン。 多くの場合、おそらくそうした言葉が挙げられるのではないかと思う。そしてそれは先端的な技術のリストとしては正しいものである。それらは未来的な技術である。しかし、それらが未来そのものであることは決してない。それらは未来のビジネスや文化や社会に影響を与える技術だが、未来そのものではない。未来とは技術のことではない。未来とは、認識の変革に与えられたその名のことである。 たとえばインターネットは情報革命だったのだろうか、それは15世紀の活版印刷術とは何が違うのだろうか。 SNSでのコミュニケーションは、16世紀のコーヒーハウスでの議論から何かが進んでいるのだろうか。 あるいは、10万年前に言語が生まれて以降、人はそれを超える技術を作ったことはあっただろうか。 そもそも、人は言語を用いて何かを作っているのではなく、言語が人を用いて人に何かを作らせているのではないだろうか──本書は読者にそう問いかける。人が生み出す情報や技術、テクノロジーやビジネス。それは端的に、技術であり技術の組み合わせであり、それ以上でもそれ以下でもない。未来そのものである未来はそんなところにはなく、そんなものであるはずがない。未来とは、新たな視点で眺め直された今のことであり、自己否定と自己破壊、自己再定義が行われる営みのことである。 ビジネスやテクノロジーの世界には、破壊的イノベーションという言葉があり、市場構造を抜本的に変えうるテクノロジーやビジネスモデルを指す言葉だが、私から言わせれば、それは既存のテクノロジーや既存のビジネスの延長上で生まれるものでもなく、否定と破壊、再定義を試み続けるパンク・スピリットによって成される物事にほかならない。服を脱ぎ捨て裸になって「そんなの関係ねぇ」と叫ぶということ。過去に別れを告げること。今に別れを告げること。わかることでわかろうとしないこと。何もわからないということ。何もわからないことを引き受けるということ。 さよなら未来、と本書は言う。本書は未来に別れを告げるための本である。
「未来はつねにすでにここに」とSF作家ウィリアム・ギブスンは言った。 「自分がもらったものを分け合うドラマ。未来は俺らの手の中」とブルーハーブは歌った。 そして、「人を動かす新しい体験をつくろうとするとき、人は「動かされた自分」の体験を基準にしてしか、それをつくることはできない」と若林恵は書いた。「未来を切り開くことと「自分が心動かされたなにか」を継承し伝えることは同義だろう」 あるいは本書は次のように問う。「テクノロジーが変わることで、人間や社会が変わるのか。あるいは人間や社会が変わることで、テクノロジーのありようが変わるのか。音楽好きならば、エレキギターがロックの世界を変えたのか、それともジミヘンが変えたのか、と問うてみてもいいだろう」。以上の問いに対し、本書は次のように続けている。「一番慎重な答えをとるならば、「両方」ということになるのだろうが、それでもぼくはどちらかといえば「ジミヘンが変えた」というほうに幾分か傾斜しておきたいと思っている」 私もまた、こうした立場をとる。エレキギターが誕生し、多くの若者がその新しい楽器を手にとったが、誰もジミヘンのように弾こうとはしなかった。知っていることを反復し、知らないことを知ろうとはしなかった。見たことのないようなやりかたでギターを弾き、聴いたこともないようなノイズを面白いと思おうとはしなかった。 それは私にとっても同様で、私はパーソナル・コンピュータを持っていたし、ソフトウェアのシンセサイザーを持っていた。簡単なプログラムを書いて、電子音のシーケンスを組むことができた。サンプラーを持っていてエフェクターを持っていた。それだけの機材を使って、私が作る以前には存在しない音楽を作ることだってできたはずだった。けれど、私は根本的にはそうすることはできなかった。Oneohtrix Point Never/ダニエル・ロパティンの音楽を聴いたときに、私はそれを確信した。 OPN。ダニエル・ロパティン。彼の音楽は、既成の音楽ジャンルや既存の価値観の延長上に立とうとするのではなく、既存の音楽や音楽にまつわる価値観を成立させている原理を問い、原理的なレベルから、自分自身の音楽を作り出そうとしていた。それは50年前のジミヘンと同じ営みで、エレキギターを手にした多くの若者がジミヘンになれなかったのと同様に、私はダニエル・ロパティンにはなれず、未来を作ることはできなかった。 アーカイブとアーカイブの隙間で消えていった多くの若者たちと同じテクノロジーを用いながら、ジミ・ヘンドリクスはジミ・ヘンドリクスになり、ダニエル・ロパティンはダニエル・ロパティンになった。結局のところそこにあるのは未来を作るテクノロジーなのではなく、未来を作ろうとする意志であり勇気であり、それらを持って行動を起こした個人なのだ。 「歪みを是正し克服していくのは、あくまでも生きた人間にほかならない」と本書は書いている。「結局のところ、音楽で言うならば、デバイスやサービスの進化は、音楽の進化とは関係がないのだ。それを商品化し換金するためのシステムが変わっても、アーティストがやるべきことは変わらない。聴いたことのない、フレッシュな音楽をつくること。ピリオド」
パーソナル・コンピュータの父、アラン・ケイは「未来を予測する最善の方法は、自らそれを創りだすことだ」と言った。 そうだとすれば、やることはシンプルだ。エコノミストや評論家が予想する未来に別れを告げること、自分で手を動かして何かを作ること、自分がもらったものを誰かと分け合うこと、自らの手でドラマを動かすこと──そうしないうちは、世界はいつまでも変わらない。 良くも悪くも、未来はすでに与えられており、今なおこうして与えられつつあるのだから。
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Perfume Is the Global Future of J-Pop
Paper Magazine 2019年1月14日掲載
Erica Russell 執筆
訳出元: http://www.papermag.com/perfume-j-pop-2625743387.html
それは暖かな10月の夜、わたしは東京都心部から新幹線で1時間半ほどの、比較的閑静な沿岸に位置する都市・静岡にある屋内スポーツスタジアムのプレスボックスで、暗闇のなか座っていた。満員のアリーナとスタンドが眼下に広がり、20代のおしゃ��な若い女の子たち、パリッとしたスーツとアーティストグッズを身に付けた40過ぎのサラリーマンなどが、おとなしくスマートフォンをしまい込み -このコンサートの決まりごとのようだ- めいめいにうちわやお手製のポスターを掲げている。わたしを含めた観衆は、日本で最も有名なアーティストグループの一つがステージ上に登場するのを忍耐強く待っている。時おり、会場の片隅から誰からともなく掛け声が響く。「のっちー!」女性が絶叫し、その背後から男性が「あ~ちゃーん!」と叫ぶ。「かしゆかー!」別の声が鳴り響く。この痺れるような開演前のコール&レスポンスは、我々が今からここで観ることになる女性グループの一人一人にファンから向けられたもの。:Perfumeである。
数分が経ち、場内が暗転すると、レーザーがネオンの流れ星のように縦横にスタジアムを切り刻む。音楽がスピーカー・アレイから弾け出す -まるでエイリアンの宇宙船が屋上に着陸しようとしているかのように聴こえる、未来的なビートのモンスターが- そしてステージ背後の巨大なLEDスクリーンには、踊る3人のシルエットが投影され、パネルが一枚ずつステージ上で開いてゆくと、あ~ちゃん、のっち、かしゆかがアリーナの下から迫り上がり、金属製の高いリフターの上でアンドロイドのようなポーズをとる。爽快なEDMの花火とキラキラのダンスポップシングルからなる脈打つセットリスト、その最中(さなか)で彼女たちが魅せた革新的なビジュアル・パフォーマンスがわたしの度肝を抜いた。: 踊るホログラムとイメージ・マッピング!シンクロする影のプロジェクション!振り付けそのものが彼女たちの背後にある画面とシームレスに相互作用するなんて!レーザーについては言及したっけ?わたしは虜になってしまった。これってマジでポップの未来だ。
3月30日、グループは静岡とまるで異なる場所でライブを行う -具体的には6,812マイル離れた、マンハッタンのミッドタウン地区、ハマーシュタイン・ボールルームで。ニューヨークからその後のワールドツアーを開幕すると、春に向けて5つの都市(シカゴ、ダラス、シアトル、サンノゼ、そしてロサンゼルス)を巡り、そしてカリフォルニア州インディオで開催されるコーチェラ・フェスティバルに出演した初の女性J-Popグループとしての地位を確立するはずだ。待望されたこのフェス・セットは、欧米におけるJ-Popの転換点になるだけでなく、アジア圏においては既に現象になっているほどの高い評価を、国際的にグループにもたらすだろう。これはPerfumeにとっても大きな契機になるが、それ以上にアメリカの音楽産業におけるアジア系の顕在化をもたらすだろう:Perfumeと同年に出演予定のBLACKPINKは、韓国で最も急成長しているアーティストの一つだが、彼女たちもまた、このフェスで最初の女性K-Popグループとしてラインナップを飾る。
Perfumeのきらめく「フューチャー・ポップ」という称号- それは同時に昨年8月にリリースされた最新アルバムのタイトルでもあり- 表面的には前向きだが、核となる部分には、彼女たちが過去の負け犬時代に培った強烈な同志の絆が鼓動として息づき、それは間違いなく彼女たちの未来への勝利宣言だろう。2000年代初頭、広島のタレント養成スクールに通っていた西脇綾香(あ~ちゃん)樫野有香(かしゆか)大本彩乃(のっち)の3人が結成したグループは、2002年、ぱふゅ~むとしてカワイイ系で賑やかなシングル曲「OMAJINAI⭐︎ペロリ」でインディーズデビューを果たす。翌年、東京へと移ると、Capsuleのメンバーとしても著名な音楽プロデューサー、中田ヤスタカと出会った。続く数年、彼女たちはポスト渋谷系サウンド -渋谷系はキッチュなサブジャンルで、90年代後期、主に東京の渋谷界隈で人気を博したレトロ趣味なポップサウンドだ-を志向し、弾むようなビットサウンドに着想した「Sweet Donuts」「Monochrome Effect」などのシングルを発表、若く早耳なインディーズファンの一定の支持を集めるが、一連の音楽的イメージにそぐわず、不定期なリリースでは、商業的な成功を収めるには至らなかった。2008年に至るまでの数年間、インディーシーンの外へと一瞬の躍進を求めて奮闘を続けたのち、彼女たちのスタイルはより洗練され、エレクトロニックかつ紛れもない未来的なものに進化した。中田ヤスタカに導かれ、Pefumeを象徴するサウンドやスタイルを見つけ出した結果、商業的なブレイクを迎える。
ほぼ同じころ、グループは7枚目のシングル「ポリリズム」をリリース。この爆音にきらめくシンセポップが、日本のメジャー放送局NHKのキャンペーンソングとして採用されたおかげで、J-Pop地図の一隅にその名を記すこととなった。オリコンチャート(米国におけるビルボードチャートに相当)でトップ10入りを果たすこと数ヶ月ののち、デビュースタジオアルバム『GAME』を発表。これが彼女たちの最初のNo.1アルバムとなる。5枚のチャートトップアルバム、多くのワールドツアー、3つのファッションコレクション、そしてOK Goのミュージックビデオへのカメオ出演(もちろん、事実だ)などなど、輝くメロディアスなテクノポップ、スペーシーなAuto-Tuneやヴォコーダーへの傾倒よりも、このトリオにはるかに多くのことをもたらした。
Perfumeは過去10年間に渡り、そのきらびやかなビジュアルやハイテク演出(日本のビジュアル・���ートとメディアのフルスタック集団ライゾマティクスが専属でプロデュースする)、シャープに仕上がったスタイル、実に印象的な振り付け(長年の指導者であるMIKIKOによる)を世界に知らしめてきた。今日(こんにち)の日本においては、Perfumeは現代のスーパースターであり、彼女たちの顔はトレンドの町・原宿のビルのいたるところに掲げられ、六本木の豪奢なデパートでは音楽が溢れだしている。ひょっとすると彼女たちの成功において最も重要だったのは、個性を重視したアイコン化だったかも知れない。それがメンバー交代を避けられない日本のアイドルグループからは一線を画す事になったのだろう。
謹んでご紹介しましょう。彼女たちがPetfumeです。:グループの実質上のリーダーであり、天真爛漫なあ~ちゃんは、その賑やかな性格にトレードマークのポニーテールがよく似合う。優雅なかしゆかはロングのストレートヘアで、日本の伝統工芸を愛している。そしてピリッと静かなのっちは、自然体なクールガールで、東京のどの美容室でもいい、フラッと立ち寄ったあなたが「のっちで」と言えばボブカット、というぐらい有名だ。わたしはソールドアウトとなったライブの終了後、楽屋で彼女たちと出会ったのだが、そのエネルギッシュさに驚いてしまった。ハイヒールで一糸乱れずノンストップで踊り続けた後だというのに。鑑賞したその振り付けの多くが、ごく最近になって習得したものばかりだということを知ったわたしは、畏敬の念を覚えた。
「最初にフューチャー・ベース(「Future Pop」のような)に取り組んだときは、どうやってテンポを合わせるかすら分からなくて。それはMIKIKO先生が振りを付けた後も同じだったんです。それまで踊ったどんなダンスとも違うリズムだったので」あ~ちゃんは通訳のアヤを通じてそう認めた。かしゆかが付け加えて「FUTURE POPツアーの振り付けがどうなるかほんとうに楽しみにしていたので。アルバムを受け取ったあと、MIKIKO先生がどんな振り付けを思いつくのか想像したんですよ」
わたしが気付いたのは「If You Wanna」でボーカルパートがお互いにステージ上で補完し合う様(さま)であったり、新曲「FUSION」で一種の完璧な状態を作ろうとする様(さま)だったのだが、かしゆかは驚いた様子で「私たちのダンスのシンクロがどうやってうまくいくのかご存知みたいですよね?それって興味深いです。(アクターズ)スクールに通っていた頃からなんですけど、一緒に歌おうとすればするほど、お互いの個性が発揮される感じだったので」
どんなに良い香水(”good perfume”)でも、多種多様な成分の化学反応に依存するものだが、このJ-Popグループは、その個々においても全体を超えるような素晴らしい香りを放つ。のっち、かしゆか、あ~ちゃんがトップノートとすれば、バックステージのスタッフやマネージャーはボトムノート、共にプロジェクトをまとめ上げ、ビートに精通し、20年に及ぶ広い賞賛を浴びるプロダクションの天才、プロデューサーの中田ヤスタカはPerfumeにおけるミドルノートに相当するだろう。
「私たち、基本的には中田さんの意思を汲み取ろうとするんです」のっちがビート職人との仕事の様子を語る。「とってもシンプルなデモ音源を(どんなアルバムを制作するときでも)まず頂くんですけど、ものすごくシンプルな感じの。私たちの歌を録音すると、中田さんが他の音と一緒に最終的な形にまとめ上げて完成させるんです。たぶん中田さんにとって歌声って、最終的に仕上がる音楽の要素の一つにすぎないんだと思いますよ。とにかく中田さんのファンなので、彼とはあえて良い距離を保つようにしていますね。その距離感が音楽をとても新鮮にするのかも」
高度に調和した楽曲、アートワーク、パフォーマンス、プロモーションなど、全てを含んだこの完璧な完成品が、国内はもとより海外でのPerfumeの存在感を確立した。海外ツアー当時、彼女たちは熱狂的な反応を熱心なファン、特にアメリカのファン達から率先して受け取っている。「海外のファンの皆さんは大声で自己主張しますよね」あ~ちゃんが教えてくれ「日本だと、一種のチームワーク的な礼儀正しさがあるというか。周りを見渡して、友達が楽しんでいるのか確かめて、誰にでも礼儀正しくしようとするんです。でも海外のファンの皆さんは、自分の「好き」を直接ステージにぶつけてくる感じ。あと、とっても正直ですよね。もしある曲を知らんかったら、ほんとうに知らんから。もし知ってたら一緒に歌ってくれるし」
もちろんテクノロジーも、この日本のポップグループが持つ底知れぬ神秘性に欠くことのできない役割を果たしている。ドローンからAIまで最先端のテクノロジーに手を染め(一度観たら)忘れられないような、パフォーマンスと呼応するオーディオビジュアル演出を発信しているのだ。(昨年)11月には、力強いステップとともに度肝を抜くような「FUSION」をパフォーマンスした。日本の先端企業(NTT)Docomoと組んだ「FUTURE EXPERIMENT VOL.01 距離をなくせ」では、あ~ちゃんは東京、のっちはニューヨーク、かしゆかはロンドン、3人が世界の異なる3都市で同時にダンスを踊り、全くの同時刻になめらかにつなぎ合わされたそのパフォーマンスが、サイバーテックなライブストリーム・ショーとなった。
3人にとってテクノロジーは個人的にも、毎日の生活にも深く浸透しているようで、それはオフのときでも変わらない。「スマホなしでは生きていけないですよ」笑いながらかしゆかが言う。「自分が何時に起きて、何時に寝たか把握してますから。この新しいアプリは先週スマホを何時間使ったか教えてくれるんですけど、私の場合だとSNSに24時間、ゲームアプリに22時間も使ってるんです」(彼女はARゲームアプリ『妖怪ウォッチランド』を見せてそう言った。同名のアニメが元になったゲームで、目下のお気に入りだ)
「技術によるディストピアの未来」の可能性を恐れ、うんざりしている人たちもいるいっぽうで、PerfumeはARナイトクラブ、自己増殖するクリーンな都市、VRショッピング、『宇宙家族ジェットソン』風の家電製品、便利な自動運転カーなど、希望に満ちたユートピアを「Future Pop」MVの中で表現している。アルバム『Future Pop』において、Perfumeは「TOKYO GIRL」「無限未来」のような紛れもない傑作で未来の理想と隠しようもない楽観主義を高らかに歌い上げているが、本人たちにとっての未来とは、果たして正確にはどんなものなのだろう?結局、彼女たちが想像する未来は、テクノロジーよりもはるかに人間的なものだった。
「メールやスカイプ、SNSを使って、みんなが実際に合わなくても、対面しなくてもコミュニケーションできるようになりましたよね。でもちょうど今みたいに、同じ場所で直接会話するのも時には重要なんじゃないかなって思います。あなたがはるばる静岡まで、私たちに会いに来てくれたみたいに!それってすごいことですから」のっちがそう伝えてくれた。
「世界はどんどん便利になっていって、私が思い描いていたものはぜんぶ現実になりましたけど、それでもオーガニックなものや人間性って、将来的にますます特別になると思うんです」かしゆかが続けて「例えばハイテクなセットもプログラムするのは人間だから。それに私はスタッフのみんなが後ろで支えてくれる、ハイテクじゃないパートも大好きなんです。今日だったら200~300人のスタッフさんがライブに参加してくれてるんですよ」
「誰でも自分の意見をはっきり言えて、個性に自信を持ちながらもお互いを気遣うことができれば、それって理想的ですよね。」あーちゃんが微笑み、うなずきながら答える。「年齢も性別も、肩書も関係ないような、それが私が望む世界かな��
Perfumeはほぼ20年に渡り、日本で最もエキサイティングで予想もつかない、洗練された音楽と映像を絶え間なく発信し続けてきたが、たった一つだけ変わらない真実がある。:それは、あ~ちゃん、のっち、かしゆかのシンクロしたその手の中に、未来がしっかりと握られているということ。
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また、山口組と旧後藤組の関与か。
しかも、フリーメイソン森喜郎の少女買春
他に覚醒剤利用してませんかね?
MDMAとかね。
押尾学冤罪事件のアレなw
以下引用
プチエンジェル事件は、今から16年前に東京で起きた児童監禁売春強要事件だが、「自殺?」したとされる容疑者の単独犯行とされ、2000名もの政財界の大物が羅列された名簿を警察が押収したにもかかわらず、犯行経過と名簿の具体的内を示す、ほぼすべてが警察によって隠蔽され、マスコミもこれを報じずに、見事にうやむやにされた、戦後最悪の権力による極悪犯罪隠蔽事件である。
このとき、日本社会が腐敗した「法治国家」である現実が、世界に明らかになったといってよい。権力と金さえあれば、小学生少女を監禁、強姦しても、事件は隠蔽され、罪にも問われないと警視庁=警察権力が示したのである。
現在、安倍政権によって、法治主義を無視、破壊する権力濫用が続いているが、こうした自民党政権による国家ぐるみのマフィア的犯罪は、すでに、このとき完成していたと考えるべきである。
名簿を一部の記者が見ていて、そのなかに、自民党の現役政治家や元大臣、元警察官僚などが含まれていたと証言している。
中には、森喜朗元総理の息子が含まれていたとの週刊誌の報道もあった。
名簿の捜査は、警察上層部からの命令で停止させられ、その理由は「偽名が多い」というものだったが、捜査現場からのリーク情報では、携帯電話番号まで記載され、番号と公表された氏名が一致していることも多かったといわれる。
この事件には、関わった少女や、事件を調査していたフリーランス記者などに数名の不審死者が出ているが、これらも、すべてうやむやに処理され、徹底した隠蔽が行われた。
私は、この事件の真相について、いつか、まとめて報告したいと思っていたが、情報が少なすぎるため果たせず、今回、YouTubeに現場を取材した記者の証言がアップされて、はじめて詳細を知ることができた。
https://www.youtube.com/watch?v=z7NpsAmX48g
https://kirari-media.net/posts/454
事件の経過
① 2003年7月上旬、稲城市に住む小学生少女が、渋谷周辺で女子高生スカウトから「アルバイトしないか」と誘われ、主犯とされる無店舗型少女売春クラブ経営者の吉里弘太郎(29)と接触、マンションの部屋を1時間くらい掃除して1万円を渡され「友達も連れておいで」と誘った。
このとき、友達を連れてくれば、一人について3万円を渡すと約束していたようだ。
② 誘いに応じて、少女は友人3名を加えて、7月13日、再び吉里の元を訪れた。
彼女らには二台のタクシーが用意され、7月11日に吉里が契約したばかりの赤坂のウイークリーマンションに連れて行かれた。(インターナショナルプラザ赤坂No.1最上階の11階1101号室)
すると、吉里は態度を豹変させ、「ここに来たのは、どういう意味か分かってるな?」と、スタンガンを手に四人の少女を恫喝した。
怯える少女たちに、手錠と目隠しをして、重しのポリタンクにつないで監禁が始まった。少女たちのなかには、逃げだそうとしてスタンガンで負傷させられた者もいた。
吉里がマンションを短期契約した7月11日、彼は保有していた二代のフェラーリを売り払っていて、7月17日には、警察が以前の少女売春事件で、吉里に逮捕状を執行しようとしていた。つまり、死亡した7月17日以前に、吉里は自分が逮捕されることを知っていた。
③ 7月13日、夜になっても帰宅しない少女たちの家族は、不安にかられて、警察に通報、通常、この種の事件では、少女たちの命が危険に晒されるため、ただちに公益報道されるはずなのだが、この事件では、警察は、なぜか7月16日まで、マスコミにも公表せず、秘密裏に、学校教師と家族だけによる捜索が行われた。
④
なぜ、警察が誘拐行方不明事件でありながら、公開捜査を拒否したのかは、まったく理由が分からない。
また、警察上層部から、「少女売春事件であり、本人のプライバシー保護のため、周辺での聞き込み捜査は行うなとの指令が出た」ことで、稲城警察による聞き込み捜査が中断された。
警察は、事件発覚前から、これが少女監禁売春強要事件であることを知っていたようだ。
しかし、事態が進展せず、警察は、これ以上の隠蔽は無理と判断して、16日未明にマスコミに情報公開、やっと報道が始まった。
④ 7月17日、監禁された少女たちは、室内の物音がしなくなったことから、自分で手錠を外して部屋を逃走、裸足で逃げて、インターナショナルプラザ赤坂No.1の隣にあった花屋に駆け込んだ。
通報を受けて1101号室に警察が立ち入ると、そこには、吉里が、椅子に座ってビニールを被って死んでいた。死後、十数時間を経過していたとされる。
⑤ 警察は、吉里の単独犯行で、発覚を恐れて自殺したと「断定」し、捜査を早期に打ち切った。
死因は、ビニールテント内に置かれた七輪の練炭による一酸化炭素中毒という説明だったが、いくつかのメディアが検証したところでは、七輪は高熱を発し、ビニールテントなど、たちまち溶けてしまい、外気が侵入して死には至らないこと。
また、吉里の死体には、ビニールが溶けたり、七輪の熱による火傷があるはずなのに、それらが一切なく、普通のきれいな死体であったこと。
ビニールテントは、外部からテープで目張りされていて、中に入った吉里が外から貼ることは不可能であること、したがって、警察による自殺という結論は、極めて不可解であること、を明らかにした。(『真相報道 バンキシャ!』)
つまり、吉里弘太郎は、事件を起こしてから、外部の人間によって、自殺を装って殺害された可能性が極めて大きい。吉里が逮捕されて、警察にペラペラと自白されては困る人物の指示によって殺害が行われたと考えられる。
つまり、17日に吉里が逮捕されることを知っていた、警察関係の情報を得られる立場の人間によってである。
不可解なことに、警察は、法医学解剖調査など遺体の詳細な調査を行わないまま、慌てて遺体を始末させた。
⑤ 吉里弘太郎は、無店舗型、非合法未成年者デートクラブ「プチエンジェル」を経営。女子高生数人をスカウトとして雇い、渋谷や新宿で「カラオケ5,000円、下着提供10,000円、裸体撮影10,000円」などと書かれたチラシを配ってローティーンの少女を勧誘し、男性客に斡旋、その他わいせつビデオの販売も合わせて多額の利益を得ていた。また本人も過去に買春で逮捕歴があり執行猶予中だった。
吉里は、この種のデートクラブ経営者としては、破格の成功を収めていて、年収は、数億円以上に達していたとみられている。死後発覚した預金は35億円と報道されている。
この金額は、一介のデートクラブ経営で得られるような額ではなく、背後に想像を超える大規模な組織があったことを示すものである。
本人、自ら、小学生少女にしか興奮しないという児童性愛趣味者であり、小学生少女を多数、提供することで莫大な利益を得ていたが、おそらく組織的な活動だっただろう。
その相場は、小学生なら、一回の性行為で、10~20万円というものだったようだ。当時、流行していた「援助交際」で、女子中学高校生との性行為が、一回1万円程度とされていた相場に比べれば、小学生の相場が、どれほど高額なものか分かるが、これに対し、全国の政治家・財界人・医師など社会的地位の高い者たちが、このクラブに殺到していたことが明らかにされている。
この事件が、警察によって完全に隠蔽された理由は、顧客たちの社会的地位を守るためであることは明らかである。
⑥ 吉里弘太郎のプライバシーを調べると、とんでもない事実がたくさん出てきた。
吉里弘太郎容疑者の父親は元警視庁幹部であり、朝日新聞に転職して幹部社員から西部本社社会部長に転属した。
吉里は東京芸術大学出身でデザイナーをしていたが、大学時代から複数の女性と交際しヒモ生活を送っていた。住所は「横浜市港北区篠原東1-2」や「埼玉県久喜市」だと言われている。
吉里は、大学在学中の頃あたりから立て続けに肉親が自殺している。父親は1993年に難病指定されている頭頸部ジストニアを発症し、病苦によるものなのか、朝日新聞社西部本社に異動になったためか1996年に自殺している。
その後、兄が1999年に自殺。母親は悲観して2001年に自殺未遂を起こした。
吉里は、多摩地区を中心に主婦売春組織を運営していたことから警視庁にマークされていたという。
⑦「プチエンジェル事件」は、なぜか突然、メディアから消えて収束を迎えた。
吉里弘太郎の単独犯行とされ、捜査も終了させられた。
「プチエンジェル事件」の顧客リストに、日本を代表する、2000名もの政財界、医療界、司法界、政府官僚などの大物が掲載されていたことが暴露されたが、なぜか警察当局は「偽名が多いため、捜査不能」と警察が発表し、警察も報道陣も示し合わせたようにこの事件から手を引いた。
「プチエンジェル事件」の翌日には警察による一斉補導が渋谷で行われ、約1500人もの少年少女が補導された。
吉里が借りていた埼玉にあるアパートからは1,000本以上の小学生少女が主役となった猥褻ビデオテープと2000人以上が記された顧客リストが押収されたが、警察は、一切摘発に動こうとしなかった。
同時にマスコミも警察と���し合わせたように「プチエンジェル事件」について報道をしなくなり、突然のように事件は終幕を迎えた。
被害に遭った少女たちの証言から、客引きの女子高生やマンションへの誘導役の男、部屋を借りた名義人である”ヤマザキ”という男など、確実に3人以上は共犯、関係者がいることが明らかにされていたが、なぜか、すべて吉里の単独犯行とされて、それ以上の捜査は行われなかった。
1101号室に出入りしていたふたりの男女が目撃されており、ある捜査官は後に「男の方は警視庁幹部の息子だった」と暴露しており、「プチエンジェル事件」はその警視庁幹部の働きかけもあって捜査打ち切りになったとも言われている。
⑧ マンション「インターナショナルプラザ赤坂No.1」は小沢一郎の資金管理団体「陸山会」が所有する物件だと言われている。
この事件について小沢一郎は一切触れていない。
⑨ 顧客リストに糸山英太郎も。
「プチエンジェル事件」顧客リストの人物として名前が上がったのが、糸山英太郎だった。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B3%B8%E5%B1%B1%E8%8B%B1%E5%A4%AA%E9%83%8E
糸山英太郎は実業家であり個人投資家で、テレビ東京の大株主である他、過去には日本航空の筆頭株主だったこともある日本屈指の富豪で、2007年のフォーブス発表の「日本の富豪ランキング」では7位にランクインし、総資産額は4500億円だった。
「プチエンジェル事件」の筆頭顧客とも言える糸山英太郎は、事件が発覚する4日前の2003年7月12日に所有する自社ビル「ザ・イトヤマタワー」の18階にある自宅で、16歳の少女に15万円を支払って買春をした。
この少女を斡旋したのは元暴力団組長で、警察の捜査にひっかかり組長ら3人が児童福祉法違反で逮捕されている。
しかし、買春をした本人である糸山英太郎は「相手が18歳未満だとは知らなかった」と容疑を否認し、罪には問われなかった。
当時、援助交際による女子中高生の性交渉の相場が一回1万円程度であることを考えれば、糸山が出した一回16万円が何を意味するか分からない者はいないはずだが、これも警察により無罪放免とされた。現在では、小学生相手の売春は重罪で強姦罪が適用され、最低でも5年程度の実刑判決となる。
この事件は当時の五代目山口組若頭補佐だった後藤組組長の後藤忠政により揉み消されており、糸山は後に慰労金を支払ったといわれる。
⑩ フリージャーナリスト・染谷悟が殺される
権力により封殺されてしまった「プチエンジェル事件」を暴こうとしたフリージャーナリストの染谷悟は、中国マフィアに殺された。
「プチエンジェル事件」から約2ヶ月後となる9月12日に、東京都江東区東雲2丁目の東京湾に男性の死体が浮いているのを通りがかりのトラック運転手が発見し通報した。
被害者は「柏原蔵書」の名前で活動していたアングラ情報専門のフリージャーナリスト染谷悟で、背中8箇所を刃物で刺された痕があった他、頭部に2箇所殴られた痕があった。
発見当時、染谷悟は岸壁から2メートルほどのところに浮いており、服の上から鎖で巻きつけられて縛られ、両手は紐で縛られている状態で、両足も紐の痕が残っていた他、腰には潜水用の重しの入ったベルトが巻かれていた。
「プチエンジェル事件」は中国人身売買に通じていた?
染谷悟は殺される直前に周囲に「中国人マフィアに命を狙われている。殺されるかもしれない」とこぼしていた。
警視庁東京水上署の捜査本部が染谷悟さんの刺殺体が発見された2日後の14日に発表した内容では、染谷悟さんは「プチエンジェル事件」が明るみになる前から身の回りに起こる不可解な出来事に悩まされており、2002年頃から自宅の窓を割られたり、空き巣に入られたりしていた。
染谷悟は組織的な児童買春の実態を暴くために動いていたが、2002年9月には当時住んでいた豊島区のアパートで空き巣被害に遭い、取材で使っていたカメラやパソコンなど計77点が盗まれていた。
染谷悟が殺害されてから2日後に、2ちゃんねるに大手出版社の編集員を名乗る人物が事件の詳細について語った。
染谷悟は「中国マフィアのしっぽを踏んでしまった」と語っていたという。
このことを編集員は「(「プチエンジェル事件」を追う内に)中国マフィアと日本やくざの児童売買ネタに当たってしまった」と解釈した。
「プチエンジェル事件」には中国マフィアと日本のやくざが密接に絡んでおり、児童人身売買も疑われた。
吉里が小学6年生の女児4人を拉致監禁した理由は中国マフィアに売り飛ばすつもりだったのかもしれない。
少女らを監禁した翌日にはすでに警察が吉里弘太郎容疑者が犯人だと目星をつけて捜査を開始したため進展が早く、このままだと捕まるのは時間の問題だと踏んだ中国マフィアが吉里弘太郎容疑者を葬った疑いもある。
⑪ 2ちゃん書き込みログ
赤坂署に配属になったから事件資料を調べようとしたら全て処分されていた」
染谷悟は、プチエンジェル事件発生の2003年7月に「歌舞伎町アンダーグラウンド」という著作を出版したばかりでした。次の題材として、プチエンジェル事件を独自に取材を進めていた。
プチエンジェル事件の取材をしていく中で、周囲に「中国人マフィアに命を狙われている」と漏らし始め、プチエンジェル事件から2ヶ月後の2003年9月、染谷は東京湾に浮かんだ。
プチエンジェル事件は赤坂で発生しているにも関わらず、当初「渋谷で発生した」と報じられた。これは永田町の近くでそういった醜聞が報道されるのをいやがった政治家からの圧力があったからだ、と言われている。
参議院議員であった鴻池祥肇(当時:防災担当大臣)は、2003年7月18日の衆議院予算委員会にて、「少女4人も、加害者か被害者か分からない」という答弁を行った。鴻池は藤井孝男委員長から発言の真意を問いただされ、発言を撤回した。
⑦ 冒頭に紹介したリンク動画では、記者が、数百名といわれるプチエンジェルクラブに関係した少女たちに不審な死者が出ていると述べている。
https://www.youtube.com/watch?v=z7NpsAmX48g
また、関係者の家族全員が、稲城市などから遠方に引っ越してしまったとも言われる。この事件の闇は、とてつもなく深い。
*****************************************************************************
以上が、16年前、2003年に起きた、大規模な児童売春事件の概要であるが、問題の核心は、犯人とされた吉里弘太郎が借りていたアパートから発見された、2000名もの顧客名簿に、日本の上流階級、権力者たちが、ずらりと顔を出していたことである。
警察は「偽名」として捜査を中断したが、これを見た、一部の記者や捜査員は、誰でも知っている日本の顔が、そこにあったと証言している。
つまり、大臣や行政官僚、医師、弁護士、警察関係者、著名人たちである。名簿は、ひどく早い捜査終了後、ただちに廃棄され、現在では行方不明になっている。おそらく証拠保全義務を無視して焼却処分されたのであろう。
「日本を代表する権力者・著名人」の性癖が、このように卑しいものであったことに驚愕させられただけでなく、安倍晋三のお友達、山口敬之による詩織さん強姦事件を権力で揉み潰した、安倍官邸の警察官僚、山口格の行為にも通じるものがある。
というより、戦後、日本の自民党権力は、長い間、自分たちに都合の悪い事実が発覚すると、権力を使って隠蔽し、潰してきたのである。
つまり、日本の戦後権力は、中国共産党の悪辣な司法への介入と、それほど変わらないことを行ってきた。
日本は、決して法治国家や民主主義国家とはいえない、深い闇に閉ざされた社会だったことを示している。
この事件は、たとえ長い年月を経ようと、絶対に闇に葬らせてはならない。
児童売春の顧客名簿に掲載された権力者たちは、たった今も、国家権力の第一線で政治経済に携わっていて、こんな犯罪者たちに日本を委ねることは許されない。
あるいは、安倍政権の人脈、安倍首相自身も、もしかしたら名簿に記載されているかもしれない。
もしも、この名簿が、どこかに保全されていて、それが明るみに出たならば、時効は経過しているが、懲役五年相当の犯罪に関与した者として、すべての信用を失う結果になるだろう。
今の、自民党や経団連の体制は根底から崩壊することが避けられないのである。
私は、それを強く期待したい。また名簿を覗き見た一部の捜査員や記者たちも、すでに引退した者なら、積極的に真実を公開してもらいたい。
http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-700.html
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[友の会メールvol.322]『テーマパーク化する地球』6月11日発売!絶賛予約受付中! (2019年5月21日配信)
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★ゲンロン 大森望 SF創作講座 第3期 終了!★
ゲンロン 大森望 SF創作講座 第3期 は先週5/17(金)に、第3回 ゲンロンSF新人賞選考会(最終講評会)が行われ、これをもってすべての課程が終了いたしました!受講生のみなさま、1年間お疲れさまでした! 第3回 ゲンロンSF新人賞 正賞は、琴柱遥さん「父たちの荒野」に決定いたしました!おめでとうございます! また優秀賞は斧田小夜さん「バックファイア」、東浩紀賞は伊藤元晴さん「猫を読む」、大森望賞は進藤尚典さん「推しの三原則」にそれぞれ決定いたしました!おめでとうございます!
琴柱遥さんの最優秀賞作品は、『ゲンロン11』(2020年刊行予定)に掲載されます。こちらもお楽しみに!
受講生が提出しました最終課題は以下のサイトからご覧になれます。 最終課題:ゲンロンSF新人賞【実作】 https://school.genron.co.jp/works/sf/2018/subjects/11/
当日の講評会の模様は、以下のリンクからご視聴いただけます。 ニコ生: http://live.nicovideo.jp/watch/lv319950244 Youtube: https://www.youtube.com/watch?v=BZi1_HbUdDQ (ニコニコ生放送は5/24(金)まで、Youtubeは無期限で、それぞれ無料でご視聴いただけます。)
第3回 ゲンロンSF新人賞選考会(最終講評会) https://genron-cafe.jp/event/20190517/
ゲンロンスクールは今年もたくさんの受講生、聴講生のご応募をいただきました。ありがとうございます。 マンガ教室、SF創作講座ともにただいま開講準備中です。開講までいましばらくお待ちください。
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それでは以下、今週のカフェ&編集部からのお知らせです。
◆◇ ゲンロンカフェからのお知らせ ◇ーー◆ーー◇ーー◆ーー◇ーー◆
◇◇ 発売中の会場チケット ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
◆5/22(水)19:00- 堀内進之介×塚越健司×柳亨英 「どのヒーローが称賛に値するのか? ――『アメコミヒーローの倫理学』刊行記念イベント」 https://peatix.com/event/653185
◆5/23(木)19:00- 大山顕×石川初×速水健朗×東浩紀 「大山顕のすべて ――『立体交差』刊行記念&『スマホの写真論』単行本化カウントダウンイベント」 https://peatix.com/event/639485 こちらのイベントの生放送は以下のページからご視聴いただけます。 https://live.nicovideo.jp/watch/lv319709160
◆5/29(水)19:00- 菊地成孔×高見一樹×松村正人 「『前衛音楽入門』刊行記念イベント」 【ゲンロンカフェ at VOLVO STUDIO AOYAMA #18】 https://peatix.com/event/651395
★New!★ ◆6/4(火)19:00- 五十嵐太郎×加藤耕一 「ノートルダム大聖堂をいかに再建するか ――リノベーションの創造性を考える」 https://peatix.com/event/669684
★満員御礼!★ ◆6/14(金)19:00- 東浩紀 「東浩紀がいま考えていること ――『テーマパーク化する地球』刊行記念」 https://peatix.com/event/679300 こちらのイベントの生放送は以下のページからご視聴いただけます。 https://live.nicovideo.jp/watch/lv320111785
★New!★ ◆6/19(水)19:00- 平倉圭×大谷能生×山縣太一(オフィスマウンテン) 「俳優の身体には何が宿るのか? ――『身体と言葉:舞台に立つために 山縣太一の「演劇」メソッド』刊行記念イベント」 https://peatix.com/event/666370
◇◇ 今週・来週の放送情報 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
◆5/22(水)19:00- 【生放送】堀内進之介×塚越健司×柳亨英 「どのヒーローが称賛に値するのか? ――『アメコミヒーローの倫理学』刊行イベント」 https://live.nicovideo.jp/watch/lv319820527
◆5/23(木)13:00- 【再放送】大山顕×本田晃子×上田洋子 「ユートピアと日常の共産主義建築 ――地下鉄、団地、チェルノブイリ」 (2017/2/15収録) https://live.nicovideo.jp/watch/lv320163057
◆5/23(木)19:00- 【生放送】大山顕×石川初×速水健朗×東浩紀 「大山顕のすべて ――『立体交差』刊行記念&『スマホの写真論』単行本化カウントダウン」 https://live.nicovideo.jp/watch/lv319709160
◆5/24(金)13:00- 【再放送】川島素晴×木石岳×藤倉大 「現代音楽のポピュラリティ」 【現音カフェ #2】 (2018/10/30収録) https://live.nicovideo.jp/watch/lv320163143
◆5/24(金)18:00- 【再放送】菊地成孔×佐々木敦 【ゲンロンカフェ at VOLVO STUDIO AOYAMA #10】 「音楽/時/空間」 (2018/8/30収録) https://live.nicovideo.jp/watch/lv320163203
◆5/28(火)18:00- 【再放送】平沢進×斎藤環 「平沢進・徹底解剖!」 【ゲンロンカフェ@VOLVO STUDIO AOYAMA #16】 (2019/2/13収録) https://live.nicovideo.jp/watch/lv320163726
◆5/29(水)19:00- 【生放送】菊地成孔×高見一樹×松村正人 「『前衛音楽入門』刊行記念イベント」 【ゲンロンカフェ at VOLVO STUDIO AOYAMA #18】 https://live.nicovideo.jp/watch/lv319822665
◆5/30(木)13:00- 【再放送】津田大介×東浩紀 「あいちトリエンナーレと芸術の現在」 【ゲンロンカフェ@VOLVO STUDIO AOYAMA#3】 (2018/1/28収録) https://live.nicovideo.jp/watch/lv320163320
◆5/30(木)18:00- 【再放送】勝川俊雄×鈴木智彦「ゆれ動く日本の水産業と食文化を考える ――豊洲市場移転、漁業法改正…そして、サカナとヤクザ」 (2019/1/29収録) https://live.nicovideo.jp/watch/lv320163436
◆5/31(金)13:00- 【再放送】五十嵐太郎×海野聡「建築にとって日本とはなにか ――海野聡『建物が語る日本の歴史』(吉川弘文館)刊行記念イベント」 (2018/8/3収録) https://live.nicovideo.jp/watch/lv320163488
◆5/31(金)18:00- 【再放送】五十嵐太郎×さやわか×大澤聡+東浩紀 「メディア/都市/コンテンツ ――『1990年代論』から考える」 (2017/10/6収録) https://live.nicovideo.jp/watch/lv320163545
◇◇ 現在視聴可能なタイムシフト ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
◆5/21(火)23:59まで 【生放送】片山杜秀×岡田暁生 司会=山本貴光 「クラシック音楽から考える日本近現代史 ――『鬼子の歌』刊行記念イベント」 https://live.nicovideo.jp/watch/lv319568843
◆5/22(水)23:59まで 【再放送】糸谷哲郎×佐藤天彦×戸谷洋志 「将棋、哲学、人間(あるいは人工知能) ――『僕らの哲学的対話 棋士と哲学者』刊行記念」 (2019/2/25収録) https://live.nicovideo.jp/watch/lv319951556
◆5/23(木)23:59まで 【再放送】大山顕×東浩紀 「都市と道の写真論」 【ゲンロンカフェ at VOLVO STUDIO AOYAMA #6】 (2018/4/22収録) https://live.nicovideo.jp/watch/lv319952192
◆5/23(木)23:59まで 【3刷決定!緊急再放送!】石田英敬×津田大介×東浩紀 「脳とメディアが広告と出会うとき ――『新記号論』刊行記念イベント第2弾」 (2019/4/20収録) https://live.nicovideo.jp/watch/lv319951916
◆5/24(金)23:59まで 【再放送】小川哲×飛浩隆×東浩紀×大森望 「日本SFの新たな地平」 【大森望のSF喫茶 #26】 (2018/7/6収録) https://live.nicovideo.jp/watch/lv319952849
◆5/26(日)23:59まで 【チャンネル会員限定・生放送】堀浩哉×黒瀬陽平 「作品を作る1 ――展���指導4」 【ゲンロン カオス*ラウンジ 新芸術校 第5期 #5】 https://live.nicovideo.jp/watch/lv319698470
◆5/28(火)23:59まで 【再放送】井上智洋×楠正憲 司会=塚越健司 「仮想通貨と人工知能 ――技術は経済を変えるのか?」 https://live.nicovideo.jp/watch/lv320162983
※ご視聴は23:59まで可能ですが、ご購入いただけるのは視聴終了日の18:00までです。ご注意ください。
◇◇ 今週のおすすめアーカイブ動画 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
◆【vimeo】さやわか×黒瀬陽平×東浩紀 「ゲームとアートは出会うのか ――『ゲンロン8 ゲームの時代』刊行記念イベント #3」 【ゲンロンカフェ at VOLVO STUDIO AOYAMA #11】 https://vimeo.com/ondemand/genron20180913 (2018/9/13収録)
◆【vimeo】佐々木敦×綾門優季×小田尚稔×額田大志 「現代日本演劇の新潮流 ――テクストと、その上演」 【ニッポンの演劇 #11】 https://vimeo.com/ondemand/genron20180402 (2018/4/2収録)
◆【vimeo】大澤真幸×吉川浩満×東浩紀 「いま、人間とはなにか? ――『人間の解剖はサルの解剖のための鍵である』刊行記念イベント」 https://vimeo.com/ondemand/genron20181009 (2018/10/9収録)
★ゲンロンカフェ Vimeo On Demand 公開動画一覧 https://bit.ly/2sybMGS
◆◇ 五反田アトリエからのお知らせ ◆ーー◇ーー◆ーー◇ーー◆ーー◇
ゲンロン カオス*ラウンジ 五反田アトリエでは、次回展示企画の準備中です。 五反田アトリエの最新の展覧会情報やアーカイブは、カオス*ラウンジの公式webサイトをご確認ください。 http://chaosxlounge.com/
(藤城嘘/カオス*ラウンジ)
◆◇ 編集部からのお知らせ ◆ーー◇ーー◆ーー◇ーー◆ーー◇
★東浩紀『テーマパーク化する地球』予約受付中! 「平成に併走した批評家が投げかける、令和時代の新しい航海図。」 Amazon: https://t.co/ruJvGJE0HT ゲンロンショップ: https://genron.co.jp/shop/products/detail/224 ゲンロンショップでは、送料無料キャンペーンを実施しています! 6/10(月)24時までのご予約で国内送料無料です!
◆『ゲンロンβ37』配信日変更のお知らせ 毎月第3木曜日にお届けしている『ゲンロンβ』ですが、2019年5月配信の『ゲンロンβ37』を5月30日配信に変更いたします。 これからも毎号充実の内容をお届けいたしますので、ご理解のほどをよろしくお願いいたします。
◆ウェブ批評誌『ゲンロンβ』配信日変更のお知らせ 毎月第3金曜日にお届けしている『ゲンロンβ』ですが、2019年4月から、配信日を第3木曜日に変更いたします。 これからも毎号充実の内容をお届けいたしますので、ご理解のほどをよろしくお願いいたします。 →最新号『ゲンロンβ36』はこちら! https://genron.co.jp/shop/products/detail/223
★『新記号論 脳とメディアが出会うとき』3刷決定!&電子書籍版も販売中! 「脳とメディアが出会うとき――記号論は新たに生まれ変わる!」 [物理書籍版] https://genron.co.jp/shop/products/detail/215 [電子書籍版] https://genron.co.jp/shop/products/detail/220 →試し読みページはこちら! https://genron-tomonokai.com/shinkigouron/no1/
★『マンガ家になる!――ゲンロン ひらめき☆マンガ教室 第1期講義録』絶賛販売中! 絵がうまいだけじゃダメ、マンガが描けるだけでもダメ。業界騒然のマンガ家育成講義録! https://genron.co.jp/shop/products/detail/193 →試し読みページはこちら! https://issuu.com/genroninfo/docs/20181125/16
★『ゲンロン9 第I期終刊号』絶賛販売中! 『ゲンロン』創刊から3年。第I期のあらゆる伏線を回収し、第II期の飛躍を準備する、第I期終刊号。 https://genron.co.jp/shop/products/detail/188 →試し読みページはこちら! https://issuu.com/genroninfo/docs/genron9issuu/36
★小松理虔『新復興論』絶賛販売中! 第18回大佛次郎論壇賞受賞! 「課題先進地区・浜通り」から全国に問う、新たな復興のビジョン! https://genron.co.jp/shop/products/detail/178 →『新復興論』特設ページはこちら! https://genron.co.jp/books/shinfukkou/
★毎日出版文化賞受賞&朝日新聞社「平成の30冊」第4位!『ゲンロン0 観光客の哲学』絶賛販売中! https://genron.co.jp/shop/products/detail/103 →『ゲンロン0』特設ページはこちら! https://genron-tomonokai.com/genron0/
★友の会第9期への新規入会を受付中! https://genron.co.jp/shop/products/detail/183
◆「ゲンロン友の声」サイト、質問募集中です! 知られざるTumblrサイト「ゲンロン友の声」では、友の会会員のみなさまからお寄せいただいたご意見・ご質問に対して、 東浩紀をはじめとするスタッフがお返事を差し上げております。 最新の回答は、「『より良い憲法』を作るために必要なものとは?」です! https://tmblr.co/Zv9iRg2heIWYK ご要望などもお気軽に! http://genron-voices.tumblr.com/
◆◇ 東浩紀 執筆・出演情報 ◆ーー◇ーー◆ーー◇ーー◆ーー◇ーー◆
◆『AERA』の巻頭エッセイコーナー「eyes」に、東浩紀が連載中! 最新の記事は、東浩紀「令和は平成だけでなく昭和の負債も返さなければならない」です。 https://dot.asahi.com/aera/2019051500016.html
これまでの記事は朝日新聞のウェブサイト「.dot」で全文をお読みいただけます。 https://dot.asahi.com/keyword/%E6%9D%B1%E6%B5%A9%E7%B4%80/
◆KAI-YOU Premiumに東浩紀インタビュー「なぜ今、批評なのか 連載全5回」が掲載されています!最新の記事はこちらです。 Vol.5 次の時代を虚しくしないために https://premium.kai-you.net/article/21
これまでの記事はKAI-YOU Premiumからお読みいただけます。 https://premium.kai-you.net/series/azumahiroki
◆FINDERSに東浩紀インタビュー「東浩紀が振り返る『ゲンロン』の3年間 前後編」が掲載されています! 思想・哲学をビジネスにするにあたって「ゲンロンがしないこと」は何だったか。東浩紀が振り返る『ゲンロン』の3年間【前編】 https://finders.me/articles.php?id=858 なぜ組織をゼロから再構築しなければならなかったのか。東浩紀が振り返る『ゲンロン』の3年間【後編】 https://finders.me/articles.php?id=859
◆河出書房新社より東浩紀『ゆるく考える』発売中! いつの間にか中小企業ゲンロンのオヤジ経営者になっていた。 人生の選択肢は無限だ。ゆるく、ラジカルにゆるく。東浩紀のエッセイ集! http://www.kawade.co.jp/np/isbn/9784309027449/
◆◇ その他のお知らせ ーー◆ーー◇ーー◆ーー◇ーー◆ーー◇ーー◆
◆友の会会員のみなさまへ
<クラス30以上の座席確保サービスについて> ご好評いただいております座席確保サービスですが、 お席の希望のご連絡を、当日16:00までに いただけますよう、よろしくお願いいたします。
<登録情報の変更について> お引越しなどの理由で、ご登録いただいている住所や電話番号、 メールアドレスなどに変更があった方は、 友の会サイトのフォームから申請をお願いいたします。
会員サービスページ https://genron-tomonokai.com/service/
※株式会社ゲンロンは、土曜、日曜は休業日となっております。 営業時間は、11時-20時です。 営業時間外のお問い合わせは、お返事が遅くなる場合がございます。 ご了承くださいます様、お願いいたします。
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株式会社ゲンロン 〒141-0031 東京都品川区西五反田1-16-6 イルモンドビル2F tel.03-6417-9230 / fax.03-6417-9231 http://genron.co.jp Twitter:@genroninfo
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遠近法の次は魚眼レンズ
24 年前に書いた文。じつは、北朝鮮から帰国当初に勢いで書いた文章。いま読むとこっぱずかしいが、記録なのでここに。 ------------------------------------------- 遠近法の次は魚眼レンズ ベルリンの壁も見た。すでにソ連ではゴルバチョフがグラスノスチを進めていたとはいえ、共産体制は崩壊せずそのままに軟着陸するかに思えた。よもや壁が崩壊するどころか、私の目の黒いうちは絶対に崩れまいと思った。ナチスという求心力を失い、豊かさの中に我を見失った西側。我を見失うまいと、強大なイデオロギーの壁の向こう側に自らを封じ込めた東側。壁をめぐらせるだけで、周囲との差異が際立って見える。壁を用いるのは、自我を保つ古典的な手段。ヒステリックに自由を叫ぶ壁の落書きは、だが壁の向こうがわで展開する狂信的な体制礼讃と、奇妙なシンメトリーを成していた。 むしろ、なじみある土地から浮遊させられ、自己を相対化されたおびただしい数の難民こそが、二十世紀の真の主役ではないか。 それは両ドイツを訪れた時に私を圧倒した膨大な心象の、小さな結晶のひとつだった。私がそれを見たのは、十代最後のまぶしい夏のことであった。 帰国した日本も、そうとう不自然に歪んでいた。 樹木が巨木に育つには、何百年とかかる。どうやら、自分が植えた樹が大きくなるのを、己の目で見たい、と思ってはいけないものらしい。それは自分の死後、成し遂げられる。同様に、私たちの世代では完了し得ないことでも、5世代後に日の目を見るのかもしれない。未来を事前に知ることがかなわぬ以上、展開も見通しもないまま、じっと耐えるのも必要なキャリアであろう。 だが、日本では誰もが性急に答に、すぐ飛びつこうとしていた。 ワールドニュースが簡単に手に入り、すぐにも世界を知ったつもりになってしまう国。受け売りは受け売りを超えることが出来ないと言うのに、やたらと評論ばかりが多い国。言葉も所詮は道具にすぎないというのに、かっこいい言葉に捕われている国。 「自分の言葉で喋れ」 と言われてみたところで、今度は自分の言葉で喋ると称して、自分になじみある言葉でばかり解釈してしまい、本質を見失う。しかも、言葉さえ知っていれば他を批判するのは簡単だというのに、人は他を批判したがるばかりか、批判の対象も玉虫色の言葉の影に隠れ、自在に趣旨を変化させて逃げ切ろうとする。 それもビジネスの一つの手段だというならよいが、それはビジネスマンの口から聞ける言葉であって、評論家の賢い口から出てきても不毛なだけ。 しかし、地球はまだまだ広い。 就職してから3年ないし4年毎に、精神的危機が訪れるという。それは、それまでの教育制度のおかげで、入学と卒業という、天から与えられる転機のサイクルに慣らされてしまっているからではないか。結局、自分の問題意識すら、自力でつかめない私たち。私たちの行動が、所詮、この国独特の教育体制によって刻印された様式美でしかないなら、個性を尊重した教育なんて存在するわけがない。せいぜい、自分で新しい様式美を構築するぐらいか。 「次の問いに答えなさい」 という質問ばかり与えられて��るうちに、いつのまにか我々は、宇宙のすべてに答があると思い込むようになり、性急に答に飛びつくようになった。答が不明瞭に思える時は、いらいらするようになった。こうして、全てを形に起こさないと満足しない現代人ばかりが、社会を動かすようになった。 無形の、あいまいなものを嫌がるようにしつけられ、気づかぬうちに己の思考自身が既に様式美となったのが、私たち共通一次世代。選択肢が無ければ答えすら思いつかない。形が無くては満足に思考することすら不可能。形無くして生きて行けないのなら、せめて自分を規定している形がどんなかたちをしているのか把握しておきたい。 何故なら、自分が自分である必然性は、どこにもないから。 無論、自分に生まれてしまった以上、自分を生きるしかないのも事実。だが、その真の意味を解している人間が、どれほどいることだろう。 様式美の中では視界も限られてしまう。曖昧模糊に見える大衆の中、紛れ込んでしまった自己の小ささ。でも消費に励めば、高嶺の自己実現も手に届きそう。流行という多数派閥にうずもれる安心と、複製がたくさん出回るというのに商品化された自己実現による差異化への試み。この二律背反を無批判で享受する私たち。 自己実現にはげむのは、決して悪いことではない。いや、むしろぐうたらな私より数倍も崇高な行動だ。 しかし、曖昧模糊とした大衆の中では、確固たる尺度がないから、己の分を知ることが出来ない。しかも近代科学のおかげで、答えを性急に求めたがるようしつけられ、確固たる尺度もないままでいることに神経が耐えられない。尺度がないと不安に駆り立てられ、尺度がないのを良い事に、ある者は言葉をたくさん仕入れ、検証される心配のない仮想領域ばかり語る評論家になることで、台頭しようとする。ある者は真面目に人生と期待に真っ正面から取り組み、取り組んだものの、自分の達成を測ることが出来ないが故に際限もない自己実現を迫られ、疲れ果ててしまう。 きっと相手は疲れ果てているだろうと察するからこそ、私は黙してしまう。 達成への強迫にまで肥大化してしまった自己実現至上主義。これを打破するには、どうしたらよいのか。自己実現の自己表現への転化も、一つの方法には違いない。オタクどもが、まさにそうだ。 私にあるのは、インプリンティングされた枠組みであり文脈であり、それをどこまで異化して眺めることができるかという分析力であり、自己を相対化してでもその分析をいとわない意志であり、ためらっている場合ではないという状況認識であり、自己を束縛する枠組みと付き合うことを考えることである。 さらに私には理解の種を蒔く努力と、発芽するまで待つ忍耐が加わる。そして時として全てを、めんどうだ、と言って放り投げてしまう。ついつい答を求めてしまうからいけないのだ。 だが世界には答が立派に用意されている国家が、今もなお存在する。 世界には奇跡のような版図が、今もなお、たくさん存在している。 そして私には、イデオロギーが生んだ分断国家を、もうひとつ、見る機会に恵まれた。 15万人が入るというスタジアムに案内された。 東京ドームもはだしで逃げ出すスタジアムの一角には、これまた十メートル四方以上もある巨大な故金日成主席の肖像画が掲げられていた。その真下で、やっと見分けられるくらい小さく見える一人の男性が、一生懸命に両手で旗を振っていた。彼の旗の一振りが合図となり、5万人の学生が繰り広げるマスゲームが、そのパターンが、一斉に変化する。場内には金日成の息子、金正日将軍を高らかにたたえる歌が、巨大なスピーカー群も割れんばかりの大音量となって轟き、響き渡っていた。 初日に見たマスゲームには、子供のように目がくらんだ。15万人のどよめきは、関西大震災の地鳴りと、そっくりだった。それにもまして15万人の完璧な静寂は、身震いが止まらない無気味さだった。まさしく天変地異に等しいスペクタクル。壮大な無形文化財。 だが、三日目ともなると、人間を愚弄した演出の数々に、私達は憤りのあまり言葉もなかった。ただ、軍隊のようにデジタルな割り切りのはっきりした直線的で明解な動きだけでなく、波動を多用したアナログなたおやかな曲線美も演出するあたり、共産主義も90年代に入ったということなのだろうか、などと、かろうじて理性で考えることができた。それほどまでに、マスゲームは衝撃的で異質な演出であった。寒気がするほどすばらしい完成度だったが、一人でできる踊りは、一つもなかった。 演じるの中には幼い小学生の姿もあった。1万人の小学生たちが、一糸乱れぬ国家的シュプレヒコールを展開する。 あなたがいなければ私たちもなく あなたがいなければ古里もない 金・正・日! 金・正・日! 金・正・日! 万歳! 万歳! 万歳! そして死せる前主席、金日成を懐かしむ一万人の小学生たちが右手を挙げて敬礼し、一斉に、無気味なほどそろったタイミングで、一斉に号泣する。その声が、ただ、霞のように、飛蚊の雲の音のように、スタジアムを満たすばかり。しかも、泣きじゃくりながらも、彼らの手足はきっちりそろって行進しているのだ。 むごたらしいまでの完成度の高さ。 虚飾を排したデザイン。しかも巨大な建築ばかり。どれもこれも刑務所のような外観をした、偉大な建築の数々。鮮烈な配色を嫌うのはまだしも、そこは全てが統制された殺風景。センスもダサい。広告は一切なく、その代わりこうこうと夜も電飾で輝く政治的プロパガンダの数々。半島は一つ。偉大なる指導者・金正日将軍、万歳! 偉大なる首領金日成主席、万歳! 栄光の朝鮮労働党、万歳! 我々は絶世の偉人、金日成主席の革命戦士だ! 我々は金日成主席の人間爆弾になろう! 金日成が死去してまだ一年たらず、その巨大な肖像画は国のあちこちで共和国人民たちを見まもる。 色あせた北朝鮮では、どんなラフな格好をしていても日本人は派手。そして人民たちは、根深いひとみしりによって、絶対に目をあわせようとは、しない。 だが、住んでみたいとは絶対に思わないにしろ、言われているほど、北朝鮮は異国でもなかった。 たとえ黙り込むにしても素朴な人々の反応。裏を読むことを全くしない、すなおな田舎の心理。恐らく最近まで、東京でもこうだったはずだ。私たちが子供のころの東京や京都。今の日本でも、外国人に対して慣れていなくて構えてしまう人々はたくさんいるだろう。意外にも両国は共通項が多い。 かつてタイでみかけたのは、はにかむ上目遣いの視線だった。水気を含んでしっとりとした空気もあいまって、それはとても東洋的なセクシーさをたたえていた。北朝鮮は少し違い、乾き切った大陸の荒野そのままに、表情も荒涼としていた。それは紛れも無く偏狭で過敏な郷土愛に満ちた、ひとみしりの視線。彼らは無口でぶっきらぼうだが、物心つく前に離ればなれになって忘れ去られたままの兄弟に出会った気になったのも事実。それは帰国子女の私が、それだけ、ひとみしりする日本人に肉迫して来たと言う、個人的に感慨深い事実でもあったのだが。 しかし偏狭で繊細な郷土愛は、時に凶暴な警戒心にも転化しうる。監視され尾行され警告まで受けるのは、何度経験しても、みぞおちが堅くしめつけられる。旅を終え帰国してきた直後、我々は自由世界に帰還できたという気のゆるみから、名古屋市内の道端にへたばってしまった。ツアー・バッジを外した時の解放感は、仕事から帰宅してネクタイをはずしスーツから私服に着替えたときの気分にもまさるというのが、自分でも笑えた。 今回は、たまたま無事に帰ってこれた。だが次回、同じことをしたら、果たして帰って来れるかは未知数。最後には帰ってこれても、彼らが我々を交流することなく観光旅行を続けさせてくれるかは、未知数。生命の危険と言うだけでなく、たとえ彼らが言うところの「帝国主義陣営」の抗議により釈放してくれたとしても、そもそも釈放されなければならない事態に陥ること自体、一観光客にとってどれほどシビアな状況か。シンガポールでは、フィリピン人のメイドが故国とは違う法律によって処刑された。北朝鮮刑法でのスパイ罪は、最低7年の強制労働と修正教化である。修正教化! 皇民化教育の再来、いや仕返しか、パロディか。あとで無事帰国できたとしても、あまりに大きな代償。今を思えば朝8時にホテルを出発し、夜10時以降にホテルに帰ると言うハード・スケジュールも、早朝から夜間に至るまで我々を管理しておきたいという意図があってのことではないか。単独行動を起こす時間を、極限まで無くしてしまいたいという狙いではないのか。郷土愛は、時に凶暴な警戒心に転化する。 それにしても彼らがお膳立てしてくれたコースは、往々にして哀しくさせた。古都、開城(ケソン)の遺跡展示がつまらなかったのは、単に展示が貧相であったというだけではない。安らかに眠るはずの遺跡をたたき起こし、今なお血気盛んな共産主義の偉大な歴史背景として演出する意図に満ちているからだ。封建支配に叛旗をひるがえす農民一揆の展示に力を注ぐあたり、どこまで思想は皮肉なものなのか。抗日英雄たちの霊廟も同様、抗日戦争は素直に受け止めるにせよ、それが個人崇拝に至るなら、興ざめである。 忘れた兄弟にめぐりあえた気分にしてくれる、偏狭で繊細な郷土愛のまなざし。だがそれは、時に相手が自分よりすぐれているか劣っているかでしか判断しない。 ただ、帰国したその時、かすかだが確固たる疎外感を感じたのも事実。何を体験したか、そのシビアさは実際に行った人間でないと分からない、というだけではない。 警告するにしても目をそらすにしても、彼らは我々が眼前にいることを、はっきり認めていた。帰国直後、名古屋の道端でへたばっていた我々を見ようともしない日本人の群れの中、我々は背景の景色の一部品でしかなかった。せいぜい、その他大勢。曖昧模糊とした大衆。 私たちは、監視され VIP 待遇まがいの特別警戒を食らうことに、あまりにも慣れてしまって、人から視線を浴びない事には自我を保てなくなってしまったのだろうか。寂しいような、しかしこれが、あるべき姿でもあるという実感なのか。 そして全体主義が海をはさんで隣接しているのも意識せず、眼前に我々が存在している実感も認めさせてくれぬまま、日本はどこへ行こうとしているのか? 尾行される緊張にみなぎった行動と、背後に広がるプロパガンダ。 出発前の私は正直言って興味本位だった。地球最後のワンダーランド。目の前に、現実に展開するスペクタクル。国家権力の壮大なパロディ。北朝鮮が半世紀も続いたのは驚異だが、大日本帝国とて四分の三世紀も続いたことを考えると、それは歴史の隙間としてあり得る数字なのかも知れない。哀しいのは、それがちょうど1世代まるごと飲み込む時間であること、その中で生まれ死する世代がいるということ、他を知らずに。 しかし大日本帝国には、大正デモクラシーというリベラルな一コマもあった。極端な管理社会は極端な自由放任同様、絶対に長続きし得ない。それは判断を放棄した社会であり、そもそも純粋な体制などあり得ない。北朝鮮は国家のパロディとしか思えなかった。 だが、それは北朝鮮を理解する入口でしかなかった。決して悪くない入口ではあったが、いつまでもそこにとどまることは、できなかった。 めくるめく圧政の中、極めてまじめに生きる素朴な人たちがいたからである。 姿勢正しい人々の、礼儀正しく、まっすぐな視線。なにごともけじめを大切にする礼節厚い人々。「一人の一生で終わる生物学的生命より、世代を越えて伝わる政治的生命に自己を捧げる」などと心底ほこらしげに語って聞かせる人々。暖衣飽食の人生よりも、歴史に名を残すことを重んじる気高い人々。曇りなき自己の純粋さを尊ぶ人々。管理することで初めて得られる安心。 恐らくは儒教精神に根ざしているであろう、それら感覚や価値観���、だが日本人にとっても少なからず馴染みあるはずであり、時に基本的なしつけだったりもする。欧米にもマスゲームはあり、軍隊式マーチングバンドが盛んであり、何よりも軍では自己犠牲が叩き込まれる。集合美、組織美は、東洋の特権ではない。そして管理は生活の保障を生む手段であり、それ自体は善し悪しではない。手段の一つに過ぎないはずの管理という言葉が日本では嫌がられるのは、非本質的な管理が多いからだ。 根底の発想はまるで異質に思えても、その上に立脚し構築し見せてくれる演出は、実に念入り。一挙手一投足にいたるまでが、彼らの高い理想と純粋な使命感に裏打ちされている。そして機械に頼らず生身の人間を大量に現場へ投入する人海戦術。この彼らの誇る究極のテクノロジーを駆使することで、むごたらしいまでに高い完成度をめざす。しかし、身の毛もよだつほどむごい向上心と全体主義が、じつは日本の高度成長期の滅私奉公会社人間と比べ、いかほどの違いがあるのだろう。街中をひるがえるイデオロギッシュなプロパガンダと、日本の吊り広告の中で物質文明の享楽に溺れる決まり文句の洪水と、いかほどの違いがあるのだろう。北朝鮮と日本とは、同じものの両極にいるに過ぎない。 マスゲームに参加した学生たちが退場するとき軒並み号泣するのは、演出によるものとはいえ、あながちこの社会で育った者なら、涙腺が金日成に感じるようにできているのかもしれない。 小学生たちは罪ない声で指導者たちを賛美しながら、一生懸命に踊りを踊ってくれる。褒めてあげれば、ほんとうに嬉しそうな顔をする。完全無欠の表情をつくってくれる優等生もいれば、本心から恥ずかしそうに嬉しい顔をする正直な子もいる。この年代なら、誰だって認められたいものだ。ネタがネタだっただけで、大人が嬉しがることを素直に実践する彼らに、罪も曇りもなかった。私たち観光客に授業参観させてくれたばかりか、雨をもろともせずに濡れながら純真に手を振って観光バスを追いかけて見送ってくれた小学校の子供たちの笑顔に、なんの罪も曇りもなかった。 その笑顔がこころを刺して痛かった。思わず泣けてきた。 それは私がなし得た、数少ない共感であった。彼らと私との、ダークだがれっきとした他者理解の成功例であった。北朝鮮と日本は、同じものの両極にいるのだ。 だがそれはダークだった。何も外の世界を知らず一生をまっとうできれば幸せという意見もあったが、それは、自分の価値観と使命感とを一点の曇りもなく疑わず猛烈に働きつづけ過労死するサラリーマンの一生を幸せというのと、同じかもしれない。そもそも、人民はそこまで意識できるよう教育されているのか。純粋な気持ちで子供たちが歌うのは、大政翼賛の歌。降りしきる雨に濡れながら私たちの観光バスを追いかけてくれた子供たちの背後には、校長先生だという太った中年女性が、部下に雨傘をささげさせ、かっぷくある手ぶら姿で微笑んでいた。北朝鮮では、すべてがパロディには違いなかった。しかしそれは、私たちの日常を実感として再検討させてくれる、極めてシリアスで重いパロディでもあった。 その明快さから、とかく遠近法こそが真実に忠実な画法とされがちだが、注意深ければ、視野は自分の眼を中心とする球面上に展開していることが分かるはず。だが、球面上に広がる視野を平坦な紙の上に転写すれば、それは見なれない像を結ぶ。 象徴的なまでに、すべてが単一の消失点へ収束する遠近法の技法、一点投射法。極めて単純明快、かつ熟練すれば複雑で柔らかな像を描くこともできる。だが、どこまで卓越しつづけても、遠近法は魚眼レンズのように発想の転換を迫ることはない。この国の数々の偉大なる建築を可能にせしめた一点投射法、その中心には、つねに金さん親子が燦然と輝いていたのだろう。だが、中米の先住民は世界最大のピラミッドを石で建設したが、ついぞ車輪を思いつかなかった。 人が意外な忘れものをしがちな存在なら、私たちもまた。 理解は、だがそこまでだった。桁外れの人みしりの向こうは熱烈な郷土愛で満ちていて、いったん心が融けると猛烈な勢いでお国自慢が始まる。出生にコンプレックスを持った田舎者が急に自信を持ち出したような、お国自慢。程度の問題かも知れないが、さすがに、かくも自尊心高く排他的な感情の奔流に、私はついていけなかった。吐露させることが理解への遠くて近い道と分かっていても、それは一方的に行われるコミュニケーションにさらされる苦痛であり、さらに偏狭な感覚から解放されたいという欲求との戦い。 アイデンティティーの名の下に、許されてしまっている我がままなヘゲモニー。南朝鮮との違いにヒステリックなまでにこだわる北韓。そんなに声を高くしないでも、北朝鮮は充分にユニークな国。共産主義(彼らは独自性を出そうとし金日成主義と呼ぶが)国家という名の儒教国家なんて、いまどきここにしかない。だのに自他の違いを徹底的に強調した舌の根も乾かぬうちに、今度は同じ民族だ、自主統一に向けて南北は一致団結しようと言い出す矛盾。 自他の差異は、じつはささやかなものでしかなく、ただそのわずかな差異すら人間には満足に乗り越えて相互理解できないばかりか、たとえ相互理解できる状況であっても、わずかな差異がありさえすれば、それは人間にとってこだわりがいのあるある差異なのか。それは、なじみある分析の筈だったか文化相対論を突き詰めたとき、今までに出会ったどの普遍論よりも広大な海原が姿を表わしたという点で、再発見に等しかった。 相対論は小気味良い思考道具であり、普遍論は桁外れに大きい。 彼らに国を���うことが許されているのだろうか? それを私が憂うことは、主体を重んじる人々にとって、おせっかいな内政干渉になるのか? EU のように誰もが国境を自由に横断できるようになれば、なにもいま統一を急ぐこともないのか? だが、日本人である私が、他国の行く末を口にして良いのだろうか? 派遣に留まらない働きを発揮して下さった現地人ガイドさんには、是非とも訪日いただき、きれいなところもきたないところも、ぜんぶ案内してさしあげたい。何のトラブルもなく行き来できる日が、ほんとうに早く来てほしい。 しかし、ひとみしりは危険な警戒意識をも生み出す。たびたび尾行され、一時はフィルムまで没収された前科者の我々は、果たして再入国させてもらえるのだろうか。あるいは無事帰国させてもらえるのだろうか。その答は風の中。 '95年5月
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中国大規模な退役軍人デモ、膨らむ矛盾と不満 進まない社会復帰支援、武力鎮圧事件に発展 福島 香織 中国ではここ数年、元軍人による抗議デモが頻発している(写真:AP/アフロ、2016年10月撮影) 習近平政権の最大の矛盾は軍部周辺で起きているのかもしれない。習近平政権最初の5年の任期で難しい軍制改革に手を付け、大規模リストラと軍部の利権剥奪、汚職摘発を名目にした粛清を続けている。こうした軍制改革が決してうまくいっているわけではない。もちろん、解放軍報を見れば、習近平礼賛記事であふれているが、これらが面従腹背で、解放軍内外の矛盾と不満はかなり膨らんでいるようである。 そういうものが、目に見える形で表れた一つが、昨今頻発している退役軍人デモである。6月下旬にもかなり大規模な退役軍人デモが起き、しかも解放軍下部組織の武装警察や軍が出動して鎮圧するという、軍内身内同士の流血事件に発展した。習近平政権二期目始まって以来の最大規模の退役軍人デモであり、ひょっとすると最大危機への導火線となるやもし���ない。 このデモが起きたのは江蘇省鎮江。6月19日から24日にかけて 、全国22省から微信(中国ネットSNS)で呼び掛けられた退役軍人たちが続々と鎮江市の政府庁舎に集まり続けた。ネットに上げられた映像を見る限り1万人規模にはなっていた。香港紙の中には5~6万人が集結という報道もある。彼らは迷彩服姿で市内を行進するなどした。 当初は抗議活動を容認するかたちで、1万人の武装警察が治安維持のための厳戒警備にあたっていたが、鎮江市政府周辺で、一人の退役軍人と警備の武装警察が衝突、退役軍人側が頭から血を流して倒れ、怒ったデモ隊が非道を訴え、一部で暴徒化したようだ。退役軍人を殴ったのは、武装警察の制服ではなかったという説もれば、私服の武警であったという説もある。 相手は退役しているとはいえ軍人である。農民、市民の抗議活動とは迫力が違う。現地当局は最終的に武装警察および軍の出動を依頼、23日午前3時40分ごろには、2万人の武装警察および解放軍が退役軍人デモ鎮圧のために出動した、という話も出ている。 この結果、かなり暴力的な鎮圧が行われたようで、ネットには漆黒の闇の中で、「殴られた!」と叫び声をあげながら武装警察と群衆が衝突している様子が動画に挙げられている。ネットで散見する動画や写真をみれば、血まみれの退役軍人たちは一人や二人ではなかった。武装警察側の武器は主に盾やこん棒であったようだ。死者が三人以上出ている、という話もあるが、確認は取れていない。また、この鎮圧騒動で負傷した退役軍人が入院した病院では、大勢の退役軍人が“見舞い”に押し寄せ、病院前で退役軍人と7両の軍警車両が一時対峙する場面もあったとか。 また、当局は市庁舎近くの中学校に退役軍⼈を拘束、収容。その数は2000⼈以上とか。⾷事しに外に出ることも禁じられ、トイレに⾏くのすら⼆⼈が監視につくなどの厳しい監視をうけている、という。 当局は一切の報道禁止をメディアに通達し、ネット上でも動画や写真などの投稿削除が行われているが、なぜか微信だけは、完全に封鎖されていない。25日には「装甲車が投入された」という写真付きSNSの投稿や、鎮江市の外で二個師団が待機している、といった噂もながれた。こうした情報の真偽を確かめるすべは今のところないが、事件に関する情報は今なお断続的に発信され続けている。 党内部、軍内部が関与の可能性も 微信では、どこそこから退役軍人グループが応援に向かった、その応援グループが地元警察に連行された、誰それとの連絡がとれない、といった情報が次々と更新されており、今回のデモが、かなり組織的かつ全国的規模で入念に計画されたものではないかという気がしてくる。しかも中央ハイレベルから、このデモを事前に防ごうという動きがない。ご存じのように、中国ではすでに顔認識機能のついたAI監視カメラが駅や高速道路など要所���所に設置されており、大量の退役軍人が一斉に鎮江に向かおうとすれば、事前に察知されて当然なのだ。 微信が遮断されていないこととも考え併せると、党内部や軍内部のハイレベルが一枚かんでいる可能性は否定できない。あるいは治安維持部門があえて上層部に報告しない、といった現場のサボタージュがあったのかもしれない。江蘇省上層部すら、誰も現場に出てきていないので、これが退役軍人有志らの自発的アクションなのか、軍部が関与しているのか、背後に糸を引く大物がいるのかどうかも、目下は判断に悩むのだ。 だが、武器を携帯した武装警官・兵士が武力鎮圧を行ったことは事実らしく、ネット上では「軍人版天安門事件」などという声もある。24日以降は、現場に至る高速道路などは封鎖され、退役軍人に鎮江行きの鉄道切符を売らないなどの対応策に出ているという。また鎮江で拘束された退役軍人には原籍地に戻ることに同意する保証書にサインをさせて帰郷させ始めているようだ。 一般市民は退役軍人側の味方が多く、退役軍人に対してはタクシー運転手がただで現場に運ぶなどの応援も行われたようだ。微信上では、一般庶民からの退役軍人の身の安全を心配したり、がんばれと応援したりする声も多く上がっている。 私は26日に鎮江を訪れた。すでに退役軍人も武装警察の姿はなく、市庁舎も病院も中学校も平穏な様子であったが、複数のタクシー運転手によれば、23日に武装警察、特別警察、軍が出動してデモの鎮圧にあたったことは事実のようだ。あるタクシー運転手によれば「23日の夜は、街頭が消されて真っ暗の中、退役軍人たちが次々と拘束されていた。多くが中越戦争で戦った英雄なのに、ひどい仕打ちだ」と退役軍人側に強い同情を寄せていた。 ところで退役軍人の境遇とは、そんなにひどいのだろうか。ちょうど、この事件を報じた香港蘋果日報が退役軍人の現状についてまとめていたので、引用する。 2011年に施行された退役兵士安置条例によれば、12年以上の兵役者には軍が就職口を手配してくれるが、12年未満の兵役者及び義務兵は自力で就職先を探さねばならず、自主就業手当と呼ばれる一時退役年金が支払われるのみだ。しかし、これは1年の兵役につきわずか4500元が基準で、10年服役してやっと4万5000元が得られるということになる。 兵役経験者はよい就職口が用意される、というのはほんの一部の話であり、ほとんどの兵士は青春期の10年を軍に捧げてのち、退役後に一般社会に適応するのは現代中国ではなかなか簡単ではない。しかも習近平による軍制改革で、この数年は一気に30万人以上の退役兵士が新たに社会にあふれるわけだ。 感動巨編映画の公開が遅れた理由 中国の人気映画監督・馮小剛がメガホンをとった「芳華」(2018年)は、最近の中国映画の中では出色の感動巨編だが、第19回党大会前に当局からの検閲チェックに引っかかり、公開が大幅に遅れることになった。その理由は映画中で表現された中越戦争の描写が、大勝利という中国の公式宣伝と大きく違い、悲惨な泥沼の負け戦である事実を浮き彫りにしていたため、と言われているが、実はこの映画で描かれている退役軍人の境遇の悲惨さが、当時頻発していた退役軍人デモを刺激するからだ、とも言われている。 この映画で人気俳優・黄軒が演じる主人公は、中越戦争で片足を失ったあと退役し、地方都市で違法なコピーDVD露天商で日銭を稼ぐ生活で、城管(町の小役人)に摘発されて、罰金を払えといたぶられるのだ。 あの苛烈な中越戦争経験者の中には、確かに現代社会の底辺で苦しんでいる人たちが今もいる。改めて、この映画を見てみると、目下習近平の軍制改革で縮小されつつある文工団への懐古(馮小剛は文工団出身の監督)や、勝ち目のない戦場に駆り出されて心や体に傷を負った兵士たちが、その後の改革開放の発展の中で取り残されている様子がかなり残酷にリアルに描かれている。 かつての鄧小平がそうしたように、思い切った軍制改革を行い、台湾統一や南シナ海の有事の可能性を盛り上げることで、軍を掌握し、政権への求心力強化を図ろうとする習近平を、そこはかとなく批判しているような、においがしないでもない。 中国には現在5700万人の退役軍人がいる。今年3月の全人代後に習近平主導で行われた国務院機構改革の一環として退役軍人事務部が新設されたのは、こうした退役軍人の社会復帰を援助し、その人権を守り、その不満を解消するのが目的だった。だが退役軍人の登録を開始しただけで、なんら具体的な対策は打ち出されず、今回のデモについても、公式コメントすら出していない。 退役軍人事務部の設置は習近平の肝入りであり、一般の傾向としては、こうした退役軍人問題の責任は習近平の手中にある、という形で、今回の事件の矛先は習近平政権批判に向かいつつある。趙紫陽の元秘書、鮑彤は「警察力によって、(退役軍人の)正当な権利を粉砕すれば、(習近平)新時代の社会矛盾が消滅したり緩和したりするとでもいうのか? これが(習近平のスローガンである)治国理政の新理念新方向なのか?」と習近平政権批判につなげている。 習近平の「宿敵」江沢民が関与の噂も さて、この事件の背景はまだ謎である。だが、香港の民主化雑誌「北京の春」の編集長・陳維健がやはりツイッターで興味深いコメントをしていた。 「今回のデモの現場の鎮江は江沢民の故郷の揚州のすぐ隣の地方都市だ。デモと江沢民が関係あるかはわからないが、鎮江政府は(軍による鎮圧という)軽率な対応をしてはならなかった。…退役軍人問題は習近平自身の手中にあり、官僚たちは自分に責任の火の粉がかかるのを恐れて、行動したがらない。この問題を解決するには必要予算があまりにも大きく、鎮圧するにはリスクが高すぎる」 習近平の宿敵ともいえる江沢民が何らかの形でかかわっているのか? また、一部SNS上では、国家安全部二局(国際情報局)がこの事件の背景を調査するために現地入りしたというまことしやかな噂も流れている。中国当局は海外の情報機関の工作を疑っているのか? すべてがネット上のSNS発情報というもので、何が事実で、何がデマなのかはまだわからない。だが、退役軍人デモが頻発していることは事実である。日本では2016年10月に北京で行われた数千人規模の退役軍人デモが大きく報道されたが、それ以前もあったし、それ以降も増え続けている。2017年も相当規模のものが少なくとも4件はあった。 1989年再来の可能性も否定できない 習近平政権としては退役軍人デモには、他のデモとは違う「話し合い姿勢」を見せており、今回のような武力鎮圧事件に発展したことは意外感がある。習近平の判断というよりは、偶発的な事件をきっかけにした鎮江市の対応の誤りが引き起こした騒動と言えるが、今後の中央の対応次第では、本当に1989年の再来の可能性だって否定できまい。 習近平政権は今世紀半ばまでに、戦争に勝利でき党に従う一流の近代軍隊を作るという強軍化の夢を掲げて軍制改革に踏み出した。だが、退役軍人への権利や尊厳が守れない状況で、誰が命をかけて党に忠誠を尽くそうというのか。このままでは、強軍化の夢どころか、体制の根底を揺るがしかねないのである。
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