#笠間口からすぐ
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「鹿児島県警は芯から腐り切っている」 誤解を恐れずに評すれば、出来の悪い警察小説か警察ドラマの筋立てかと見紛うような、あまりにあからさまであまりに剝き出しの権力犯罪である。 だが、現実にそれは起きた。いや、現在進行形で起きている。そして一連の事態は、この国の警察組織や刑事司法の闇を照射し、同時にメディアやジャーナリズムの真価を根本から問うてもいる。 福岡市の中心部にほど近い一角に佇む築40年を超える古びたマンション。すべての端緒を切り拓き、歪んだ捜査の標的にもされたネットメディアは、この一室に拠点を置いている。ほぼ一人で運営する小メディア『HUNTER(ハンター)』の主宰者は中願寺純則(64)。編集作業に使っているという六畳ほどの狭い部屋で私と向きあった中願寺は、常に背筋を伸ばしたまま淡々と、しかし静かな怒気を端々に滲ませて口を開いた。 「鹿児島県警は完全に腐っているんだと、もはや自浄作用など期待できないから真実を知らせてほしいんだと、私たちへの情報提供者は心底憤っていました。私も同感です。鹿児島県警は芯から腐り切っている」 中願寺が一連の取材に着手する契機となった事件が起きたのは2021年の夏、世界がまだ新型コロナのパンデミックに揺れていた最中のことである。翌22年の2月になって事実関係を最初に報じた鹿児島の地元紙・南日本新聞の記事によれば、概略は���のようなものだった。 〈鹿児島県医師会の男性職員が、新型コロナウイルス感染者が療養するための宿泊施設内で、派遣された女性スタッフに対し、わいせつ行為など不適切な行為をしていたことが14日、南日本新聞の取材で分かった〉〈関係者によると、男性職員は昨年8月下旬~9月末、宿泊療養施設運営のために派遣された女性スタッフに対し、施設内でわいせつな行為などをした。(略)女性は一連の行為に関し「同意はなかった」として、管轄の警察署へ告訴状を提出した〉(2月15日付朝刊) 関係者からの情報提供もあって中願寺は取材を開始し、伝手を辿って被害女性らにも話を訊き、鹿児島県への情報公開請求なども重ね、自らが運営する『ハンター』に次々と記事を掲載した。その記事の矛先は当初、被害女性との間で「合意があった」と事実を矮小化する医師会などに向けられたが、次第に県警へも向けられるようになった。取材の結果、こんな事実が浮かんだからである。今度は中願寺が23年1月20日に『ハンター』で書いた記事の冒頭部分を引用する。 〈昨年1月、鹿児島県警鹿児島中央警察署が、性被害を訴えて助けを求めに来た女性を事実上の「門前払い」にしていたことが分かった。応対した警察官は、被害を訴える女性が持参した告訴状の受理を頑なに拒み、様々な理由を付けて「事件にはならない」と言い張ったあげく女性を追い返していた〉 そして記事はこう続く。 〈背景にあるとみられるのは、身内をかばう「警察一家」の悪しき体質と性被害への無理解。意図的な不作為が、醜悪な人権侵害につながった可能性さえある〉 どういうことか。実は女性が性被害を受けたと訴える「県医師会の男性職員」の実父が県警の警察官であり、だから県警は捜査を忌避し、事案を握りつぶそうとしているのではないか――中願寺はそう睨み、県警を指弾する記事を続々掲載した。 〈県医師会わいせつ元職員の父親は3月まで現職警官〉(23年5月15日掲載)、〈訴えられた男性職員の父親は「警部補」〉(同6月2日掲載)、〈問われる医師会と県警の責任〉(同6月12日掲載)……。 鹿児島で起きた性加害事件をめぐる県警の問題点へと果敢に斬り込む『ハンター』には間もなく、県警の内部から貴重な情報も寄せられるようになっていった。 「小メディア」の果敢な不正追及 1960年に長崎県で生まれた中願寺は、東京の大学を卒業後、政治家の秘書や信用調査会社系のメディア記者といった職を経て、2011年3月に『ハンター』を立ちあげた。��イト開設が東日本大震災の発生前日だったのは偶然だが、以後の約13年のサイト運営は決して楽ではなかった。中願寺もこう言う。 「正直言っていまも楽ではなく、私は無給状態ですが、小さいながらもメディアとしてスタートした当初はさらに厳しく、やめてしまおうと思ったことが何度もありました。ただ、何年か続けていると応援してくれる方々も現れ、だからなんとか歯を食いしばって運営を続けてきたんです」 そうやって小メディアを懸命に維持して記事を日々発信する一方、もともとの経歴もあって中願寺は地元政財界に独自の人脈を持ち、メディア記者らのほか警察当局者ともさまざまな形で接触を重ねてきた。主には刑事部門で事件捜査にあたる警官だったが、公安部門の警官が接触してきたこともある。そんな接触を通じて時には情報を交換し、時には取材中の事件に関する捜査動向の感触を探る――といった営為は、所属メディアの大小等を問わず、事件取材に奔走する記者なら誰にも経験があるだろう。かつて通信社の社会部で事件取材に携わった私も例外ではない。 また、そういった取材活動を通じて特定の事件や事案に関する記事を発信していると、当該の事件や事案の内実を知る関係者から貴重な情報や内部告発が寄せられることもある。これこそ取材という営為の醍醐味であり、鹿児島県警の不正を追及していた中願寺のもとにも幾人か情報提供者が現れた。もともとは県警の公安部門に所属し、その後は曽於署の地域課に在籍した巡査長・藤井光樹(49)はその一人だった。 そんなふうに入手した情報や資料に依拠し、中願寺はさらに追撃記事を執筆した。極北となったのが〈告訴・告発事件処理簿一覧表〉との標題がついた県警の内部文書を入手し、23年10月から展開した記事群だったろう。プライバシー等にも配慮しつつ文書の一部を画像で示し、件の性加害事件をめぐる県警対応の不審点を指摘する一方で中願寺は、こうした内部文書が大量に漏洩しながら事実を公表も謝罪もせず頬被りを決めこむ県警の態度をも厳しく指弾した。 当の県警は――ましてや上層部は、県警の内部文書を掲げて噛みつく『ハンター』に苛立ち、焦燥を深めたに違いない。しかも県警では近年、あろうことか現職警官が逮捕される不祥事が続発していた。20年以降の事案を列挙するだけでも、その惨状は目を覆わんばかりである。 ①20年2月、女子中学生を相手とする児童買春容疑で霧島署の巡査部長を逮捕、②21年7月、いちき串木野署の巡査部長���女性宅に不法侵入したとして逮捕、③22年2月、鹿児島中央署の交番勤務の巡査長が拾得物の現金を横領したとして逮捕、④23年10月、SNSで知り合った少女と性交したとして県警本部の巡査長を逮捕――。 惨憺たる状況下、県警の内部文書まで入手して噛みつく『ハンター』への苛立ちからか、内部告発者らによって他の不祥事案が発覚するのを恐れたのか、県警は信じがたいほど強引な捜査に踏み切る。今年4月8日、県警の内部資料などを『ハンター』に漏洩したとして先述した巡査長・藤井を地方公務員法違反(守秘義務違反)容疑で逮捕し、同時に中願寺が主宰する『ハンター』までをも家宅捜索したのである。 異常かつ論外の家宅捜索 その日の朝、編集作業に使っている六畳ほどの部屋には約10人もの県警捜査員が押しかけた。中願寺によれば、「令状がある」という捜査員は、それをヒラヒラと示すだけで容疑事実も仔細に説明せず、業務用のパソコンはおろか中願寺が使用している新旧のスマートホン、さらには取材用のノートやファイル、名刺類まで押収していった。 言うまでもないことだが、それらにはメディア主宰者の中願寺にとって断固秘匿すべき情報源などが刻まれていたし、なによりも業務用のパソコンを失えばサイトを更新することもできなくなってしまう。だから思わず声を荒らげ、捜査員に激しく迫った。 「おいっ、せめてパソコンはすぐに返さないと、営業妨害で訴えるからなっ!」 その一喝が効いたのか、パソコンは翌日返却された。だが、内部データは間違いなく抽出され、一部の押収物は2カ月以上経った現在も返却されていない。一方、『ハンター』に情報を「漏洩」したとして逮捕された巡査長・藤井は、自らに迫る捜査の気配を察知していたのか、逮捕のしばらく前に電話で中願寺にこう語っていたという。 「私は腹を決めてやっています。ウチの組織は腐っていて、外から刺激を与えないと変わらない。そう考えてやったことですから、もし逮捕されても私に後悔などない。だから中願寺さんが悔やむ必要もありません」 だとすれば藤井は、『ハンター』というメディアにとっては「情報提供者」、あるいは「内部告発者」であり、広く社会にとっても大切な「公益通報者」だったと捉えるべきではないのか。 ならばここで、あらためて記すまでもないことをあらためて記しておく必要がある。たとえ小さくともメディア=報道機関への情報提供者を逮捕すること自体が異例であり、たとえ小さくともメディア=報道機関を強制捜査の対象とするなど極めて異常かつ論外の所業。同じことを新聞やテレビといった大手メディアに行えば、言論や報道の自由を圧殺する暴挙だと大騒ぎになるだろうし、ならなければおかしい。ましてそれが「公益通報」の色彩が濃い事案だったなら、県警の所業は一層悪質な暴走と評するしかない。 だが、県警の信じがたいような暴走はこの程度で止まらなかった。 あるジャーナリストに寄せられた内部告発 鹿児島や福岡からは直線距離で約1500キロメートルも離れた北海道の札幌市。ここを拠点にフリーランスの記者として活動する小笠原淳(55)は4月3日、市中心部にも近い雑居ビルの一階に入居する月刊誌『北方ジャーナル』の編集部にいた。 話は本筋からやや逸れるが、『北方ジャーナル』といえば、かつて北海道知事選の候補者をめぐる「中傷記事」が名誉毀損に問われ、出版物の販売差し止めを容認する最高裁判例の舞台になったことを想起する向きも多いだろう。だが、これは70~80年代の出来事であり、もとより小笠原には何の関係もない。また、現在の『北方ジャーナル』は経営母体なども代わっていて、もともとは地元紙の記者からフリーランスに転じた小笠原は、頻繁に寄稿している同誌の編集部を原稿執筆などの場として活用していただけのことだった。 あれはたしか昼過ぎだったと小笠原は記憶している。編集部に郵便物を届けにきた配達員が、小笠原宛の茶封筒を手に「どうされますか」と尋ねた。封筒の表には一般封書の規定額である84円切手が貼られていたものの、重量がオーバーしているから10円の追加料金が必要だというのだ。支払わなければ持ち帰られていたかもしれないが、小笠原は財布から10円玉を取り出して渡し、封書を受け取った。 消印は〈3月28日 鹿児島中央〉。差出人の名はない。いったいなんだろう――そう思いつつ開封した瞬間、これは内部告発だと小笠原は悟った。計10枚の文書の1枚目には〈闇をあばいてください。〉と太いフォントで印字され、2枚目には〈鹿児島県警の闇〉と題して計4件の事案が列挙され、3枚目以降は県警の内部文書とみられるものを含め、違法性の濃い不祥事の中身などが詳述されていた。一部の概要のみ記せば、次のような事案である。 ①霧島署の巡査長が女性にストーカー行為を繰り返し、しかも職務上知り得た個人情報も悪用して行為に及んだのに、処分も公表もされていない事案、②枕崎署の捜査員が職務時間中、市内の公園の女子トイレで女性を盗撮し、しかも捜査車両を使っていたのに県警が隠している事案、③県警幹部による超過勤務手当の不正請求があったのに、立件も公表もされていない事案――。 小笠原は、すぐに『ハンター』の中願寺に連絡を取った。理由はいくつもあった。なによりも札幌に居を置く小笠原にとって、はるか遠い鹿児島県警の不祥事を取材するのは物理的に難しい。また、北海道警の不祥事やその追及が甘い大手メディアも批判してきた小笠原は、警察の不正や記者クラブ問題を追及��る中願寺と意気投合し、数年前からは『北方ジャーナル』などのほか『ハンター』にも寄稿するようになっていた。もちろん、中願寺と『ハンター』が鹿児島県警の不正を追及中だったことも熟知していた。 だから小笠原はその日のうちに中願寺に電話し、匿名で送られてきた10枚の告発文書もメールで送信し、中願寺と共有した。「裏取り取材に手間と時間はかかりそうだが、相当に貴重な内部告発だから、できる限り取材して記事にしていこう」。中願寺はそう応じ、小笠原も協力は惜しまないつもりだった。 元最高幹部の切実な訴え 『ハンター』が県警による捜索を受けたのは、そのわずか5日後のことだった。当然ながら、押収されたパソコンには小笠原が中願寺と共有した告発文書も保存されていた。 ここからは推測も交えるが、押収パソコンのデータを解析した県警は眼を剝いて驚愕し、焦燥を一層深めたろう。どうやら『ハンター』には、すでに逮捕した巡査長・藤井らのほかにも内部情報の提供者がいるらしい。しかもその人物は、あくまでも匿名のようだが、提供文書や情報の精度からみて現場レベルの警察官ではなく、相当に高位の立場にある県警幹部クラスではないか――と。 県警がその人物をいつ特定したかは定かでない。ただ、さほど時間を要さず特定したとみられ、後述するように相当周到な事前準備を施したうえ、またも信じがたい強硬手段に打って出た。5月31日にその人物を――県警主要署の署長なども歴任し、つい2カ月前までは県警最高幹部の一人である生活安全部長を務めていた本田尚志(60)を逮捕したのである。容疑はやはり国家公務員法違反(守秘義務違反)。職務上知り得た秘密を第三者に――すなわち小笠原に送った告発文書で漏らしたというものだった。 さて、この国の全国津々浦々に25万以上もの人員を配する警察には、ざっくりとわけて二つの〝種族〟がいる。一応は現在も自治体警察の装いをまとった47の都道府県警に採用され、警察官の階級として最下位の巡査からスタートする叩き上げのノンキャリア。他方、かつてなら国家公務員の上級職試験、少し前までなら一種試験、現在の総合職試験をパスし、警察庁に採用されたキャリアの警察官僚。前者は警察官の圧倒的多数を占めて都道府県警の現場を支え、圧倒的少数の後者は警察庁と都道府県警を往来しつつ出世街道をひた走る。そしてどこの都道府県警でも大同小異だが、叩き上げノンキャリアの最高到達点の一つが生活安全部長の職であり、警視正の階級まで昇り詰めて3月に定年退職したばかりの元最高幹部が逮捕される――しかも古巣の県警に逮捕されること自体、前代未聞といっていいほど異例の事態だった。 さらに本田は逮捕から5日後、鹿児島簡裁で行われた勾留理由開示請求手続きの場で、驚愕の訴えを陳述した。手元にある陳述書にはこんな言葉が刻まれている。 〈今回、職務上知り得た情報が書かれた書面を、とある記者の方にお送りしたことは間違いありません。/私がこのような行動をしたのは、鹿児島県警職員が行った犯罪行為を、野川明輝本部長が隠しようとしたことがあり、そのことが、いち警察官としてどうしても許せなかったからです〉〈この時期は、警察の不祥事が相次いでいた時期だったため、本部長としては、新たな不祥事が出ることを恐れたのだと思います〉〈私は、自分が身をささげた組織がそのような状況になっていることが、どうしても許せませんでした〉〈退職後、この不祥事をまとめた文書を、とある記者に送ることにしました〉〈マスコミが記事にしてくれることで、明るみに出なかった不祥事を、明らかにしてもらえると思っていました〉〈私としては、警察官として、信じる道を突き通したかったのです。決して自分の利益のために行ったことではありません〉(抜粋、原文ママ) 県警本部長の不可解な言い分 極めて閉鎖的で上位下達の風潮が強い警察組織において、ノンキャリアの元最高幹部がキャリアの県警トップに公然と反旗を翻すことも異例中の異例であり、と同時にその訴えが事実ならば、本田もまたメディアにとっての「情報提供者」であり、広く社会にとっての「公益通報者」であったのは明らかというべきだろう。しかも県警は、自らの不正を追及するメディアを強制捜査の対象とし、メディアにとって最重要の情報源を特定し、さらには警察が警察であるがゆえに持つ最高度の強権を行使して〝口封じ〟を謀ったことになる。 一方、本田に反旗を翻された本部長の野川は当初、地元メディアの取材にのらりくらりと対応するだけだったが、鹿児島地検が本田を起訴した6月21日にようやく正式な会見を開き、「私が隠蔽を指示した事実も県警として隠した事実もない」と反論した。本田は「公益通報者」ではないのか、という問いにも「県警としては公益通報に当たらないと考えている」と突っぱねている。本田が札幌の小笠原に送付した計10枚の文書には、被害者が公表を望んでいないストーカー事件の被害者名や年齢等が記載されていた――などというのが野川と県警側の言い分だった。 だが、その言い分はあまりに弱く、事実経過からみて素直に頷くことなどできはしない。 前述したように、本田の告発文書には複数の県警不祥事が具体的に列挙され、霧島署の巡査長によるストーカー案件のほか、枕崎署の捜査員による盗撮案件もそのひとつだった。この盗撮案件が発生したのは昨年の12月15日。直後に県警は事実を把握し、犯行時に捜査車両が使われたことも確認していたが、問題の捜査員は逮捕も処分もされないまま放置された。 ところが約5カ月も経った今年の5月13日、当該の捜査員は建造物侵入などの疑いで突如逮捕された。いったいなぜか。県警が『ハンター』を捜索してパソコンを押収したのが4月8日。これを解析して本田の告発を把握し、本田逮捕に踏み切ったのが5月31日。そのわずか半月前に盗撮捜査員を逮捕したのは、時系列的にみて本田が文書で訴えた「隠蔽」を否定し、事前に打ち消すための周到な〝準備〟であり〝工作〟ではなかったか――。 ここまでお読みになった方は、まさに鹿児島県警は「���り切っている」と感じられただろう。私も同感だが、果たしてこれは鹿児島県警だけに特有の腐敗か。いや、そんなことはあるまい。いかに小さくとも、メディアを強制捜査の対象とする判断を県警だけで行うとはにわかに考えにくく、ましてや最高幹部だった前生活安全部長・本田の逮捕は、警察庁の裁可や指示を仰がずに独断で行われたはずがない。畢竟、その過程では本田の告発がどのように行われ、県警がそれをどう特定したかを含め、すべてを把握した上で警察庁がゴーサインを出したのは間違いなく、一連の問題からはこの国の警察組織全体に巣喰った腐臭が漂う。さらにつけ加えるなら、一連の問題からはこの国の刑事司法が抱える根深い悪弊の一端も浮かびあがる。 証拠類を「廃棄」せよとの呼びかけ 話はやや前後するが、県警を追及する過程で中願寺と『ハンター』は、別の重大な文書も入手していた。中願寺は「取材源の秘匿」を理由に入手先を明かさないが、おそらくは『ハンター』に情報を寄せていた巡査長・藤井からもたらされたのだろう。これについては一部メディアでも大きく報じられて波紋を広げているが、文書の標題は〈刑事企画課だより〉。わずか2枚の文書には漫画風のイラストも添えられ、県警捜査部門が作成して内部閲覧に供する、さして秘匿性の高くない文書と思われるが、そこにはやはり眼を剝くようなことが公然と記されていた。 〈最近の再審請求等において、裁判所から警察に対する関係書類の提出命令により、送致していなかった書類等が露呈する事例が発生しています〉〈この場合、「警察にとって都合の悪い書類だったので送致しなかったのではないか」と疑われかねないため、未送致書類であっても、不要な書類は適宜廃棄する必要があります〉〈再審や国賠請求等において、廃棄せずに保管していた捜査書類やその写しが組織的にプラスになることはありません!!〉(原文ママ) 問題点は明白であろう。現在再審公判が行われている袴田事件にせよ、布川事件や松橋事件などにせよ、いまなお数々発覚する冤罪事件の大半は、警察や検察が隠していた証拠類が再審請求の過程などで示され、ようやく罪が立証されている。なかには警察が検察に「送致」すらしていない証拠類もたしかに多く、警視庁公安部の不当捜査を受けた横浜の化学機械メーカー・大川原化工機が起こしている国賠訴訟では、公安部内に残されていたメモ類が公判の大きな焦点にもなっている。 つまり文書は、そのような事態は「組織的にプラスにならない」から、「裁判所の命令」などで「露呈」することがないよう、「不要な書類」等は「廃棄」してしまえ――と県警が内部に堂々そう呼びかけていたことを示す。このようなことを許せば、この国の刑事司法に巣喰う悪弊は一層慢性化してしまいかねず、しかもこの文書の秘匿性がさして高くないとみられることを踏まえれば、県警の勝手な判断に基づく所業だったか、との疑念がここでも湧く。警察庁あたりからそうした指示や示唆���あり、だから深慮なく内部閲覧文書に明示したのではなかったのか、と。 ジャーナリズムの二重の敗北 再び福岡市にあるマンションの一室。鹿児島県警を追及し、数々の不正を明るみに出した中願寺は、「最後にこれだけは強調したい」と言って姿勢を正した。 「私が取材を始める契機となった強制性交事件の被害者は、いまも精神的に不安定なまま必死に真相解明を訴えています。また鹿児島では警官が逮捕される事件が続発し、被害者のほとんどは女性です。たしかに報道への弾圧は大問題ですが、大元にもっと眼を凝らさなくてはいけない。警官や警察一家の人間によって女性が被害を受けた事件こそが原点であり、それをすっ飛ばして報道弾圧だと訴えても、市民の共感は得られないんじゃないでしょうか」 一方、札幌を拠点にフリーランス記者として活動する小笠原は、「すべての元凶は鹿児島県警とはいえ、私に情報を寄せてくれた本田さんを守れなかったことは、いち記者として忸怩たる想いがあります」と唇を嚙みつつ、いまこんなふうに訴えている。 「いくら小さなメディアとはいえ警察がガサ入れし、情報源を暴いて逮捕してしまった。そのことに全メディアがもっと本気で怒るべきです。小さなメディアだから構わない、などという理屈を許せば、雑誌ならいいのか、スポーツ紙なら構わないのか、と対象が広がりかねない。ただでさえメディア不信が根深い昨今、このまま傍観していれば、新聞やテレビにガサが入っても誰も味方してくれなくなりかねません。本来なら新聞協会や民放連といった組織が「このような暴挙は断固許さない」といったメッセージを明確に発するべき局面でしょう」 いずれもその通りだと深く頷く。と同時に、メディア界の片隅で長年禄を食む私を含め、鹿児島県警をめぐる一連の事態からメディアやジャーナリズムに関わる者たちが一層真摯に捉え返さねばならない課題にも、最後に触れざるを得ない。『ハンター』に情報を寄せて逮捕・起訴された巡査長の藤井にせよ、小笠原に文書を送って逮捕・起訴された前生活安全部長の本田にせよ、足下の地元には大手メディアの記者も多数いたのに、なぜ貴重な情報提供先に福岡の小さなネットメディアや札幌のフリーランス記者を選んだのか――。 本田の弁護人を務める鹿児島の弁護士・永里桂太郎によれば、その理由について本田は「県警の問題に関心のある記者なら、積極的に取材してくれると思った」と話しているという。逆にいうなら、大手メディアに情報を提供しても警察の不正に関心を持たず、積極的にも取材してくれない、と告発者側に認識されてしまっていることになる。 だとすれば、大手メディアそのものが貴重な情報提供者や内部告発者からの信頼をすでに失いつつあるという、あまりに惨めな事実がここから垣間見えはしないか。そのうえに今回の事態に心底から憤らず、傍観してやりす��せば、この国の主要メディアとジャーナリズムは二重の敗北を喫することになってしまいかねない。(文中敬称・呼称略)
〈特別公開〉警察腐敗 内部告発者はなぜ逮捕されたのか(青木理) | WEB世界
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2024年11月28日(木)
毎月1回、伊勢木綿の手ぬぐいと足袋下が届くSOU・SOU>の頒布会、師走号が届いた。これで今年も残すところ1ヶ月・・・、そう言えば、この頒布会はいつ頃始めたのだろう? 例によってtumblrを検索してみると、2016年に初めて申し込んだことが判明した。と言うことは今年で丸9年、来年申し込めば(申し込むつもりだが)10周年ということになる。どうやら、区切りをつけるときがやって来たかな?
3時30分起床。
日誌書く。
5時20分、ツレアイ起床。
洗濯開始。
朝食は、蕎麦の解凍を忘れたので煮麺をいただく。
洗濯物を干す。
彼女の弁当を用意する。
時間があるので珈琲を入れる。
プラゴミ、30L*1。
彼女は第4木曜日は夜の太鼓のレッスン、自転車で出勤する。
職場手前の1km地点から渋滞、少し時間がかか��た。
換気、ラジオ体操第一、お茶を��く。
木曜日1限は<共生社会と人権>、今日は10回目、テーマは<ハンセン病を考える>。国立ハンセン病資料館のウェブサイトを使って、ハンセン病とは何か、ハンセン病問題とは何かを解説。最後は<砂の器>を取り上げ、Youtubeで映画の予告編を紹介した。
2限は月曜日と水曜日の入力課題のチェック、来週は入力試験を実施するが、10分間で350字が合格ライン、果たしてどうなるか。
ラジオ体操第二、ゴミを片付けて退出。
名神は京都南IC手前で渋滞、久しぶりに第2出口経由で帰宅した。
テレビをつけると、BSプレミアムシネマが始まっていて、思わず見入ってしまった。
「秋刀魚の味 デジタル修復版」
巨匠小津安二郎監督の最後の作品。会社重役の平山は、妻に先立たれ、一緒に暮らす娘の路子に家事を任せていた。友人たちは路子に結婚をすすめ、当初は気乗りのしない平山だったが、兄夫婦や弟、周囲の人々の気遣いや世話で、嫁ぐ日を迎える…。平山を演じるのは小津作品に欠かせない笠智衆。岩下志麻が路子を演じ、杉村春子をはじめ名優たちが共演。老いと孤独、人生の無常を小津監督ならではの映像美と極上のユーモアで描く傑作。
メンバーが凄い、何度観ても面白い。
コレモ七条店で買物、大根・コンニャク・厚揚げ・天かす、今夜は関東煮だ。
軽く午睡。
煮物を仕込む。
彼女は遅くなるので息子たちに先に夕飯、関東煮・ブロッコリーとトマトの味噌汁・リンゴ。
保健協議会から資料が届いていたので、各組長宅へ回覧依頼に回る。
彼女が帰宅、まずはココに点滴。
21時、私にしては遅い晩酌開始。
彼女がドラマの録画を観ている間に、先に入浴。
体重は、4日で400g減。
日誌書く。
ちょこまか動いて、何とか目標達成。
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ネオ幕府アキノリ党による100の政策
※内はアキノリ将軍未満による脚注。
🌾 文化・日本語
1. 『双京構想』京都を陪都に。
※ 上皇后両陛下に仙洞御所にお戻り頂く案などから上奏。
2. 文章の形式を国粋化。縦書き・漢数字を基礎に、時間や単位や数理や音楽も日本文化圏独特の書式を考案し漸次移行。
※ 漢数字に関しては画数が多く判読もしにくいため,西ローマ・アラビア数字くらい判読しやすく書きやすい数字用の文字を作ってフォントに組み込んだりを検討。
3. 日本語の電子媒体を刷新。
※ イーロン・マスク氏に会いに行ってXの東アジアの言語を全部縦書き漢数字(言語ごと)に直してもらう事を条件に,共栄圏での法人を作ってもいいと約束。ただし,その情報資産は共栄圏のものとし,資本の移動は認めない。 ※ 拡張かなを拡充し電子媒体に組み込む・体制化した際に方言の言語化も視野に。
4. 都内の外国籍労働者・親族等への日本語や法制に係る教育サービスの展開。
※ それぞれの民族に寄り添った親善団体と連携 ※ 裏で世界共栄化に関わる宣伝を行い、本国に情報輸出させる足がかりとする。😈
5. 都内の宗教共同体の実態把握・公的包摂・共生都市社会の推進。
※ 体制化までの中長期的に各宗教の日本化を試みる方針。
🌾 税制・社会保障・経済
6. 税制改革や��債発行を財源に,実質賃金の上昇率の安定向上(最低でも年3%水準)まで一律で都民税半額。
7. 都営ブロックチェーンの創設・ネオ幕府トークンの発行とサーバー維持管理。
※ 全国電子通貨を想定・通貨の名前は「球」読み方は本名が「たま」,「きう」が普及版。NAMが出典。 ※ いずれ日本円にとって代わる。😈 ※ 我々が全国化した折には武蔵国の地域トークンというか藩札を創設を想定。
8. 都債発行・時限的な商品券等の給付による地域経済振興。
9. 都民や都内に通学する学生への一律奨学金免除。
10. インボイス廃止を国政に提言・特に中小零細企業の事務処理負担を軽減。
11. 濫用的な投資や無軌道な開発,オーバーツーリズム等に因る地価や宿泊施設の価格高騰を抑制。
12. 外国企業等による国土の売買規制に係るモデル条例の策定。
13. 都内の特に大企業の法人税の納税率を向上・財源構成の平等化。固定資産税の累進化。
14. 社会保障費用の逆進性緩和・累進課税の推進。
🌾 教育・学術
15. 公営学生寮の確保・増大。
※ 国際法を典拠に一定の自治権を認める
16. 大学院まで教育全面無償化+困窮世帯向けに塾代含め支援検討。
17. 専門学校等の整理統合・総合大学との連携強化・学生や職員の有益な流動化を促進。
18. 図書館民営化の見直し。知識アクセス・公共教育インフラの維持。
19. PTAの有償化や情報共有・可視化の促進。
20. 教育委員会の体質改善・責任体制の明確化。
21. 都立高校の入試改革の見直し・効果的な外国語教育に転換/無益な学習負担の軽減化。
※ どうでもいいけどほんとに外語やるならマッチング実践とかだわ
22. カルト校則の全面廃止・学生の学ぶ権利や表現の自由を守る。
23. 入学しない大学への入学金支払義務の免除・ルール撤廃を東京から実践。
24. 部活動の地域化・民営化等による教員の負担軽減を都から実践。
🌾 交通・公共施設
25. 練馬─中野─杉並─世田谷区や足立─台東─江戸川区を縦断する都営線路の開拓。
26. 東京都-近隣の���湾に集中投資・世界一の港湾大都市圏を構築。
27. 満員電車の終局的な解消・時差通勤の促進(主に企業向け)や代替手段の公的導入検討。
28. 離島との往復費用の低廉化・人材や投資交流の活発化。
※ 将来伊豆諸島は伊豆の国に, 小笠原諸島以南は小笠原国にする。
29. 16歳未満(中学生)に対しての交通インフラ料金を子供料金にする・25歳以下に対してユース料金の公共交通機関・各商業施設での導入。
🌾 防災・戦時体制を想定した防衛
30. 全国のあらゆる自然災害に対し救援・復興の為の物資や人員輸送が可能な体制の整備。
31. 都内のあらゆる公共設備の耐震化推進。
※ 災害をある程度前提とする伝統的な都市デザインの可能性も検討。
32. 核戦争を想定した核シェルター建設・地下経済圏の構築促進。
33. 災害リスクを見据えた都民や隣接県民(都内の勤労者)向けに食料等備蓄・予備的分配。
34. 官公庁・民間企業に対するサイバー攻撃の防衛体制整備。
35. 東京都の空を米軍から取り戻す・首都圏の集団安全保障体制を見直し。
36. 近隣諸国の紛争や破局的災害を想定した都民の命と経済を守る有事法制・モデル条例の策定。
37. 安全保障や軍需産業分野の研究開発支援・学界に蔓延る偏見の改善。
🌾 恋愛・婚姻等の共生生活・性的少数者支援
※ 現在はヘテロが社会の主体である事を公共に認め(右翼を安心させ), その余裕の下に性的少数者への配慮を行う政治指針を宣言化。
38. パートナーシップや相続法制等に係る性的少数者の権利保障モデル条例の策定。
※ パートナーシップに日本語の造語を与えることを目的に研究会を行う、反動保守国学者や左派リベラルの論客もネオ幕府体制の責任もとで幅広く招聘したい。
39. 専門家や当事者の意見を参考に高齢者向けの公的恋愛支援事業を実験的に開設。
40. 既存の公営マッチングアプリ・ブライダル支援等政策の見直しと再構築。
41. ユース(18-25歳を想定)以下に対してのマッチングアプリ補助制度。
🌾 医療・福祉・地域協同・家庭問題
42. 視力矯正器具や歯列矯正等への保険適用・車椅子や補聴器の価格低廉化。ゆくゆくは無償化。
※ 歯を生やせるようになればすぐ保険適用を検討
43. ひきこもり老人を訪問し地域を協同化・社会的包摂を目指す・若年層のアルバイ��で高齢者を訪問しスマホ教室とネット普及・生活状況の実態調査。
44. 民間に甘んじた無料塾・こども食堂等の公営化。
※ 都から職員を派遣して実態調査し一定の基準で認可を行い、その場で謝礼。 ※ その後恒久的に経済支援, 半官半民でネットワークをくみ人的支援を拡大 ※ 定期的に児童虐待や裏社会の斡旋等の有無を潜入調査。😈
45. 実態調査のうえ, 都心や下町に関わらず包括的な訪問診療・介護サービス等を拡充。
46. 学校や社内研修に基礎的な救急救命の教育カリキュラムを導入・相互扶助の日本を再建。
47. 地域交流や文化活動を活性化すべく公立小中学校等の空きスペース活用促進。
48. 既にある公園に遊具を拡充・児童の自由と安全を保障。遊閑地の利活用推進。
※ クレーム処理等は我々ネオ幕府が請け負う。
49. 生活保護の取得要件緩和と生活再建・出口支援。給付付き税額控除の試験的導入。
50. 公共施設から迅速・全面・包括的にバリアフリーデザインを実装。
51. 乞食(路上生活者・野宿者・炎上するだろうがこの言葉を使う,いささかの差別的感情を含まない)の住宅支援事業における不合理待遇(いわゆる「タコ部屋」等)の撤廃。
52. 「禁煙」でなく「分煙」。公共喫煙所の増設と依存症支援拡充。
53. 「帰宅困難家庭」の児童のシェルター確保・拡充。
54. 親の孤立防止。財政的支援やシッター利用・保育所等インフラの拡充。
55. 麻酔科医の待遇改善・拡充による無痛分娩・不妊治療等の普及・無償化を都から実践。
56. ヤングケアラーの実態調査・迅速な支援拡充。
57. 一定期間の債務等支払義務の凍結や世間からの隔絶を許容する「隠遁」制度の試験的導入による自殺予防。
58. 共同親権制度移行後の離婚親や子の権利保証に向けたモデル条例案の策定。
59. 犯罪被害者や遺族の情報秘匿や生活再建支援事業の拡充を都から実践。
🌾 環境・公共衛生・都市デザイン
60. 『江戸東京オシャレ特区』構想・ドレスコードの厳格なサービス業種の方でも自分らしい服装等の表現を保障。
61. 炭素繊維等による東京湾浄化・老若男女が利用可能な東京湾に。
※ 一〇年単位の長期計画で研究会に予算をつけて水質浄化に関わる各方面の専門家と企業に助成を。
62. タクシーや通勤通学バスや訪問介護車両や都内を往来する長距離トラック等に向けた電気自��車等の導入支援。
63. 道路にゴミ箱を増設し収集作業も増員・雇用創出。
※ 『乞食』の方々向けに最低でも3日に1度は湯船に疲れる水準の支援体制を迅速に構築。
64. 都内の樹林伐採ストップ・地域経済や文化に無益な再開発の見直し。国土を守る。
65. 引越しや住宅確保等に係る費用分担による近隣県への移住サポート。
※ 漸次地方都市にも移住サポートしたい・全国化したときに地域を蘇らせる。
66. 主に大企業の都外への本社機能移転・人口とリスク分散を段階的に進める。
67. 排除アート・「座らせないベンチ」の全面撤去。小憩できる都市デザインの再建。
68. ユース(12-25最程度を想定)以下に対して公営美術館・芸術施設の入場料無料化。
69. 路上表現・アーティスト等に向けた道路使用許可申請等手続きの簡素化・拡充
70. 官民連携で路上ライブ・イベント等を充実させ,『解放区』の乱立。
🌾 動植物
71. 動物殺処分0の次は都から始める愛玩動物の生体販売全面禁止。
※ ペットショップの店員かわいそうだから動物病院とか生物学研究所に転職もさせてあげて。そのために予算つけよう。 ※ 日本固有種の生物種は緩和したさがある,というかその系統を維持するための研究会や国家機関創設を提唱したい。
72. 特定外来種や有毒の微生物等の実態調査・飼育手段の包括的なデータベースを策定し公開。
73. 生物学系の人材活用・医療分野との連携を強化。
74. 孤立対策に動植物との共生を促進・AI利活用で安全・安定的な飼育体制を提供。
🌾 宇宙開発
75. 軌道エレベーターや公共/民間通信衛星等を想定した宇宙産業への公共投資。
※ 東京から日本〜東南アジアをまたぐ測天衛星網(GPS)を提唱
76. 核融合発電技術への積極的公共投資。
※ 戦時を想定した燃料備蓄
🌾 食糧自給・安全保障
77. 家庭菜園や地域農産・地産地消の促進。
78. 種苗法改正の見直し・食文化の保全。
※ 戦時を想定した食料備蓄
79. 酒税法の見直し・どぶろく文化を再興。
80. 生レバーやユッケ等の規制緩和。
81. 依存症対策や飲酒強制の予防規制を条件に, 飲酒解禁を18歳に引き下げ。
🌾 労働市場制度
82. 新卒一括採用の見直し・企業や経済団体等への協力要請。
83. 官公庁や民間企業の採用基準にポスドク枠拡充。
84. 生涯学習・リカレント教育普及に向けた労働市場改革。職業訓練給付や実施企業への支援等の拡充。
85. 様々な産業分野の企業に対して有給や育休利用の促進。
🌾 汚職・職権乱用の防止
86. 地方議会における縁故的な役職(選管等)の選定過程・給与等の見直し・再編と代替的職務の用意。
87. 刑事収容施設や入管施設内での侮辱や虐待や差別的待遇の実態調査・迅速な改善。
88. 市民オンブズマン制度の創設・拡充による第三者目線の地方議会の監査強化。
89. NPO法人設立や生活保護申請・政治団体含む会計監査の厳格化・責任体制の明確化。
🌾 表現・報道の自由
90. 小池都知事が実施していた様な一部のマスコミやジャーナリスト等の排除に反対・報道と表現の自由を守る。
91. 『表現の自由』の前提として,エンタメ・出版・コンテンツ業界に投資拡充・且つアーティストの食い扶持と表現の場を守り,層の厚さを維持。
92. NHKの過剰な集金を規制・困窮世帯の債務免除・公共の利益となる基礎的なコンテンツは保障するが国民の無償・平等な『知る権利』に配慮。
🌾 スポーツ
93. 『マイナースポーツに光を』・Eスポーツ含む多様な体育会系コンテンツにも積極的に投資。
94. 身体に障害を有する方々が主役であるパラスポーツ分野に投資拡充・宣伝を強化。
🌾 その他
95. 小池都知事の財政調整基金の使途・費用対効果について徹底的に監査。
96. 小池都知事や森本首相も関わる東京オリンピックに関する利権構造や裏金・役員の不審死・作業員の過労死等の真実究明。
97. コロナ禍におけるエンタメ産業や一部の飲食業界・性産業等への差別的待遇の見直し・適切で平等な補償体制の確約。
98. コロナ禍における緊急事態宣言の手続的正当性・費用対効果を徹底再調査。
99. お気持ちベースの『自粛要請』では無く必要な法整備・責任体制を明確化。
100. 多様な業種の方々に配慮し投票所を26時まで開放・且つ開票日を平日にスライドし行政コストを軽減。
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2024年6月13日木曜日
病院の待合室にて20
くちずさむ歌はなんだい?思い出すことはなんだい?(2)
まだ13時過ぎなんだけど。楽しいのになぜか時間が過ぎないという、最高なような不気味なような現象が起こっていた。でも大丈夫。鳴門といえば渦潮だから。まだ渦潮見てないから。徳島と淡路島を結ぶ大鳴門橋、その橋の中がトンネルのようにくり抜かれており、そこに遊歩道が作られていて、鳴門の渦潮��徒歩で近づく事ができる、その名も『渦の道』。そこに行くことにした。私は多分行くの3回目ぐらい。結構好きな観光スポット。たくさん歩けるし。渦が見えるかもしれないし(満潮とか干潮とかちゃんと渦が出るタイミングを狙わないと見えない事が多い)。
渦の道に車で向かっている道中では、私達はフィッシュマンズの話をしていた。Tくんは中学生の頃からフィッシュマンズを聞いていて、これは私の当時の感覚だと相当早かったように思う。私たちが13歳から15歳というと、1997年から99年に当たる。フィッシュマンズにとっては、『宇宙 日本 世田谷』、『8月の現状』、『ゆらめき IN THE AIR』、男達の別れツアー、佐藤さんの逝去、そしてライブ盤『98. 12. 28 男達の別れ』という激動の3年である。今でもありありと思い出せるTくんの部屋には、フィッシュマンズのCDが何枚か置かれていて、私は『ゆらめき IN THE AIR』や『宇宙 日本 世田谷』のジャケットを見て、かっこよいと思ったりしていた。私はTくんに、最近フィッシュマンズが海外で高く評価されていて、音楽の食べログことRate Your Musicでも『男達の別れ』が金字塔のように扱われていたり、ついこないだもPitchforkのSunday Reviewで『ロングシーズン』が採り上げられていたんだよ、と早口でまくし立てていた。どうして早口になったかというと、こんな話ができる人はあんまりいなくて(でもよく考えると今も私の友達でいてくれてる人は、多分この話みんなできる)嬉しくなっちゃったから。Tくんはそういったことを全然知らなかったが、東京から福岡までの飛行機の中で『ロングシーズン』を聞いていたらしい。無意識で世界とシンクロしていく人間。ホンモノとはこういう人のことを言うのだと思う。
youtube
「そのピッチフォークのレビューでね、「走ってる…」のところが”Driving…”って訳されてたの。あれって車の歌だったの気づいてた?よく考えたら夕暮れ時を二人で走って東京の街のスミからスミまで行かないよね」
「気づいてなかった!そっか」
Tくんに「どうしてフィッシュマンズ聞くようになったの?」と尋ねてみた。きっかけは、彼がかつて好きだった女の子、彼がバンドをやってる時に歌にまでした女の子が、フィッシュマンズを好きだったことだという。Tくんは最初に『Neo Yankees’ Holiday』を買ったらしく、一枚目としてはまあnice choiceだと思うのだが、その女の子は「まあ、あれもいいよねー」ぐらいの感じだったらしい。Tくんがすばらしくnice choiceであるためには、いわゆる世田谷三部作に手を出さなくてはいけなかったのだった。そして私はこの話を聞きながら、こんな素敵な話は、当然むかし一度聞いたことがあったのを思い出していた。でもそんなことは言い出せずにいたし、こんな話は何度聞いたって素敵なのでよかった。
渦巻は巻いてるのか巻いてないのかよく分からなかった。私が行く時はいつも、巻いてるのか巻いてないのかわからない状態である事が多い。時間とか潮の満ち引きとか考えず、適当に行ってるからだと思う。橋をその内側から見るのも、私は楽しいから大丈夫なのだが、相当歩いたので疲れてしまった。もう一箇所、鳴門には霊山寺という四���八十八箇所巡礼の一番札所であるお寺があり、そこも観光名所として有名なのだが、疲れてしまったので、行くかどうかを決める会議が私とTくんとで開かれた。そして、入るかどうかは別として、ドライブがてら行ってみようとなった。なんとなく高速に乗りたかったので、鳴門北ICから板野ICまで乗ろうと思った。せっかくだから音楽をかけようと思い、Apple Musicで、『はじめてのフィッシュマンズ』というプレイリストを掛けた。一曲目は『いかれたBaby』だった。やっぱり初めて買うフィッシュマンズは『Neo Yankees’ Holiday』で全然いいと思った。ほとんど誰も走っていない高速に、少し傾いてきた陽の光が射して、そこに音楽が混ざって気持ちよかった。鳴門の街のスミからスミまで、僕ら半分夢の中…もちろん運転中だから完全覚醒中だったけども。Tくんを無傷で東京に帰す事も運転手としての責務である。
高松道を降りて、霊山寺に着くまでの間に少しだけ、音楽ではなく、Tくんの私生活について話す時間があった。その内容については当然ここに書く事は出来ない。唯一言えることと言えば、Tくんは本当にエンターテイナーだということだけである。
霊山寺に来たのは私個人としては2回目だけれど、記憶よりこじんまりとしていたので、車から降りて参拝することにした。霊山寺は天井から多数の灯籠が吊ってあるのがとにかく綺麗でかっこよいのですが、それをTくんに見てもらえてよかった。ここは八十八箇所巡礼の一番札所なので、RPGの最初の町のように、お遍路さんになるための装備品、白衣や輪袈裟や遍路笠や金剛杖や納経帳などが全て揃えられるお店があり、入って眺めていると、「僕、数珠とか持ってないんだよね」と言って、Tくんが数珠を買おうとしていた。お店の中なのであんまり言えなかったが、数珠はいちばん安価なもので1600円くらいして、上は8000円くらいするものもあり、私は「高くない?」と思っていた。「数珠は高い方がいい。法事の価値観ではそう定義されています」みたいのは聞いたことがないけど、まあ本人が納得してたらいいか。Tくんはいちばん安価ではあるがしっかりしていると思しき数珠(数珠の審美眼など私にあるわけないけど)を購入していた。法事の度に私と四国のことを思い出すか、あっけなく失くすかのどちらかになるだろう。
午後三時を過ぎたので、本日宿泊予定のビジネスホテルにチェックインすることが可能になった。ホテルは徳島市内にあって、ここから三十分くらい。いったん。いったんチェックインしてみようか。しなくてはならないことを早めにやって、気持ちに余裕を蓄えていこうじゃないか。ホテルまでの道中では、Tくんがやっていたバンドについての話をしたと思う。彼らが発表したCDやCD‐Rのうち、私が一番好きなのは最初のミニアルバムである『ワンダフルまたはフレッシュ』、二番目に好きなのはその次のミニアルバムの『ギターでおしゃべり』という作品で、初めてこれらの音源を聞いた私は感動のあまり、この二枚の解説を頼まれもしないのに書き上げ、それがバンドのウェブサイトで公開されるということがあった(追記:改めて思い返すと、一枚目の『ワンダフルまたはフレッシュ』には解説を書いていないような気がしてきた。二枚目の全曲解説は書きました。これは間違いありません)。私はあの解説を書いたことを、どちらかと言えば良かったことだったと思っているが、割と最近になって、解説を書くのではなく、バンドにインタビューをした方が良かったのかもしれないと思ったのだった。なぜなら例えば、私が彼らのレパートリーで一番好きなのは、最初のミニアルバム所収の『湯河原で男女』という曲だが、このマジカルな曲をどうやって書き、どうやってアレンジし、どうやって録音したのか、ということをあいつらは絶対忘れてしまっているからだった。そういうことをつぶさに訊いて、記録に残しておけば良かった。誰のために?もちろん私のためにである。他の人も読みたかったら勝手に読めばいいと思うけど。一応車の中でTくんに『湯河原で男女』を書いた時のことを訊いてみたが、やっぱりあんまり覚えていなかった。しかし、彼自身のこの曲についての解釈と、自分自身の作家性への分析のようなものが聞けたので、それは嬉しかった。それをここで書いてもいいのだが、彼のバンドは一応現在「曲作り中」であるらしいので(12年くらい曲作り中みたいです)、万が一の時のために書かないでおく。なんか種明かしっぽくなりそうだから。他にも『国鉄に乗って』という曲を書いた時の大変面白いエピソードなどを聞けたので、ファンの私は大満足だった。まあ話に夢中になって、途中かなり道を間違えたりしたが、言わなかったので多分ばれてないと思う。土地勘のない人とするドライブにはこういう好都合な面がある。あと売るほど時間があるから大丈夫。時間の叩き売り。持ってけ時間泥棒。
つづく
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ちぐはぐの庭
AP_2022 / 名古屋芸術大学 舞台芸術領域3年 ダンス公演(プロジェクトワーク5)
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違和感っておもしろい!
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開演日時
2024年7月28日(日)11:30、16:00 ※開演30分前より開場 ※上演時間40分
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料金
一般 1,000円 / 学生 500円(学生証提示) / 中学生以下無料 ※一般当日券 +200円 ※未就学児入場可、全席自由席、車椅子スペースあり ※料金は当日精算、現金のみ
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会場
名古屋芸術大学 東キャンパス 8号館スタジオ 愛知県北名古屋市熊之庄古井281
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ご予約(オンライン受付) https://forms.gle/KERVBGhjwv4a2Ut27
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出演
杉浦ゆら、加藤理愛、平田 栞
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演出・振付:浅井信好
2005年〜2011年まで舞踏カンパニー《山海塾》に所属。2011年に文化庁新進芸術家研修制度で《バットシェバ舞踊団》に派遣。2012年よりパリを拠点に《PIERRE MIROIR》を主宰。2016年に日本へ帰国後、《月灯りの移動劇場》を主宰するとともに、コンテンポラリーダンスのプラットフォーム《ダンスハウス黄金4422》の代表を務める。現在、名古屋芸術大学舞台芸術領域専任講師。ARTE ART PRIZE LAGUNA12.13 特別賞、愛知県芸術文化選奨新人賞、グッドデザイン賞などを受賞。
写真:佐藤良祐
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なにものかにならなければいけないのか?
この言葉は弟子が以前、私に言った言葉です。 この言葉から【ちぐはぐの庭】の創作は始まりました。
親・教師・上司など、子どもを教え、育て、導く立場の人間は相手に対して、なにものかになることを求めすぎているのではないでしょうか。もっと子どもたちが、自分にも他人にも無防備な状態でいれたら、どれほど楽なのだろうかと思っています。
子どもたちは常に「多様性が〜、独自性が〜、個性を〜、自由に〜、自然体に〜」などの言葉を日々、学校や社会の中でも耳にしています。これらの言葉によって、あるべき理想の姿を想像し、そうならなければいけないと思い込んでしまうことがあります。
ヴィム・ヴェンダース監督映画『都市のモードのビデオノート』に、このようなナレーションがあります。
「きみは、どこに住もうと、どんな仕事をし何を話そうと、何を食べ、何を着ようと、どんなイメージを見ようと、どう生きようと、どんなきみもきみだ。」
鷲田清一は、著書『ちぐはぐな身体』の中で、ヴェンダースは「もっとじぶんらしくなりたい」という願望からこそ脱落したがっていると述べている。私たちは、もっと無防備な自分と出会うことが現代社会において必要なのです。
本作は、心理学者ジェームズ・ギブソンによって提起されたアフォーダンスの概念をモチーフに、モノ・カラダ・空間を使って『無防備な自分と出会うための庭』をテーマに空間デザインをしています。
私たちは幼少期、自然の中で遊ぶとき、無秩序にも思える自然とかかわることで、さまざまな認知や思考を働かせながら、新たな「遊び」を仲間とともに生み出してきました。「遊び」とは環境が関わり合って生じるものです。子どもたちは、森に落ちている枝や小石、枯葉、水たまり、木漏れ日など、あらゆる自然材と関わり、特性を感じとり、新たな「遊び」を生み出します。
私は名古屋芸術大学舞台芸術領域の学生とともに、そのような創造性が育まれる場を生み出したいと思っています。
浅井信好
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舞台プロデュースコース
海野夏菜、小田原一華、金森万和条、河合恒平、鈴木宏成 竹之下紋菜、田中大翔、中村仁美、山森歩美
舞台美術コース
因幡美沙、元 喜貞、大塚理央、大場有乃、小笠原瑠莉 加納由佳、清水琴音、椿原美優、中山凱斗、花井二葉、牧 栞名
演出空間コース(音響)
植松風香、北川正菜、北川優凪、小林美羽音、佐藤星希 夏目依吹、橋村怜央、藤本実夢、二木陽菜、松木花水実
演出空間コース(照明)
イ・ロイ���今井歩、上本瑞和、酒井 優、鈴木日奈子 関 楓奈、松浦萌衣、三浦琴葉、宮原羽菜
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指導教員
梶田美香、浅井信好、鳴海康平 石黒 諭(舞台美術) 山口 剛(音響) 神谷怜奈(照明)
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フライヤーレイアウト
橋本デザイン室
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名古屋芸術大学 舞台芸術領域について
「あなたが舞台をつくる」をコンセプトに、舞台芸術作品を製作・上演するための知識と技術を専門的に学ぶことのできるカリキュラムで、未来の舞台芸術シーンをけん引する人材の育成をおこなう。
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X / @NUA_AP instagram / nua_ap
/ 主催・お問い合わせ: 名古屋芸術大学 舞台芸術領域 mail / [email protected] tel / 090-6798-8035(平日10:00〜17:00)
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「ちがう」ってなんだろう?
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不思議な村に行った話
執筆者: 河合 曽良
◆
皆さんは田舎とかに行って、怖いと感じたことはありませんか?
怖いまでいかなくとも、「不気味だ」とか「不思議だ」とか。
僕はそういうの、滅多に感じない方なんですが、つい昨日そういう体験をしたんですよ。
別に何の変哲もない村だったんですけどね。
家屋はこまめに整備され���いるのか寂れた印象は全くなくて、緑もあおあおとし、水車の爽やかな音が心を落ち着かせてくれるとても心地が良い場所で
猟師が居て、女子どもが居て、年寄りも流れ商人も居る
普通でしょう?
他所者の僕たちに変な目を向けることもなければ、妙に擦り寄ってくるわけでもありませんでしたし
至って普通の、どこにでもある良い集落、といった感じで。
けど芭蕉さんがね。居なかったんですよ
村にお邪魔して少し歩いてから気がついたんですけど、後ろくっついて歩いてた芭蕉さんがいつの間にか居なくなってて。
まあアレも自由なジジイなんで。
勝手にちゃらちゃら村を歩き回ってるんだろう、バカが、と思ったんですけどね。村を一周しても見つからなくて、村人たちに尋ねて回っても「見てませんね」の繰り返しで(因みに何かを誤魔化したり、一点張りしたりなどという様子は無かった)
仕方なく村周辺の森なんかも見てみたんですが、結局芭蕉さんはどこにも居なかったんです。
で、そんなことをしているものだから日も暮れてきて
西陽も物凄く眩しくて暑くて、
途中 村の女性からいただいた甘栗なんかを食べながら、寝ぐらを探し始めました。集落だし、たまには屋根のある場所で一泊したかったですしね。
そこから半刻ほど経った頃くらいですかね? 痛い斜陽を浴びながら暫く訪ね回って、一軒だけ見つかったんです。
眼鏡をかけた短髪の若い主(装いは男性のそれだが顔つきは女性っぽいものでした)と、おろしたままの黒髪が艶やかな奥さんの、二人組のお家で、戸口にかけられた細い標縄(みたいな飾り)が印象的なお宅でした。
「ありがとうございます。助かりました。これからもう一人増えるかもしれないのですが、よろしいですか? 無理にとは言いません。ダメならダメで、別に構いませんので」
「けっこうですよ。どうぞ遠慮なく、くつろいでいってくださいな」
「それはどうも。恩に着ます」
「いえいえ。ただ、あの…」
僕が笠をとって頭を下げると、奥さんの方が声をひそめたんです。
「客間と寝所は、この家屋ではなく別の場所にあるのですが。よろしいですか?」
「? はあ。はい」
ちょっと首を傾げました。だって別にそんなこと、ひそひそ声で言うような内容じゃないじゃないですか。まるで人目を憚るような、ねえ?
それに村にしては この一帯はそこそこ広かったですし、この家が村長あるいは司祭の家系だとしたら、離れ屋敷があっても変ではないですから。
でもまあ気にせず、承諾したんです。
「では、お連れしますね。」
奥さんがそう言うと、主の方は陣羽織を着て、僕の背後に立ちました。奥さんが前、次に僕、後ろに主といった形で 、縦一列ですね 。
歩き始めてからは集落を抜け、薄暗い小山のけもの道を通って、苔だらけの石段を100段くらい登らされました。
また道中ずっと甘い香りがしていたことを覚えています。羊羹とかしぐれとか、そういうお菓子系の匂いで、森の中でこんな匂いがするものか?と妙な気分にもなりました。村には流れも居ましたから 、その手の職人がこの森を通っているのかとも思いましたけど、近くに人の気配や物音はありませんでしたし。
まあ、そんなふうに若干不思議な心地になりつつも、階段を登り切ったんです。
顔を上げると目線の先に大きな黒い鳥居が立っていて、まるで僕らを待ち構えているようでした。
その奥には苔むした社がありました。とても小さく、見立て六畳一間くらい。人二人がギリギリ横になれる程度でしょうか。
「ここ………ですか?」
奥さんの方に問いかけると、彼女は「ええ」と頷いて社の方に向かって行きました。そして扉の前で何かごそごそして 、間も無く扉が開きました。
するとどこからともなく、声が聞こえてきたんです。
何と言っているのか、この時は分からなかったんですが、主と奥さんに促されて社に入ると その声はより鮮明になりました。
「ねえねえ」
って呼んでるんですよ。
小さな女の子みたいな声です。あどけなさが声音に乗っている、けれど棒読みでどことなく無機質な声なんです。
しかもその声は段々と多くなってきて、
「ねえねえ」
「あのね」
「こっちこっち」
「きて」
など、色んな声が混ざって重なるようになりました。
これだけ聞くと、近くで子どもが遅くまで遊んでいるんだろうと思うでしょう?
けど、そうではないんです。耳のすぐそばから聞こえてくるんです
すぐ背後とか、真隣とか、頭上とか
そんなものですから、
まるでこの社の中に一緒に居る。
そんな想像がふと頭に浮かんで、流石に、まずいかもしれないと感じました。
その時です。
複数の声に混ざって、聞き慣れた声が社を通り抜けました。
「マーフィー君もいない。探さなきゃ」
耳元ではなく、明らかに社の外から聞こえてきました。ハッとして社から飛び出したんですが、周囲に芭蕉さんの姿はなかったんです。
当然心地は良くなく、舌打ちをして社の方へ向き直りました。戻って就寝するためではありません。荷物を取って、立ち去るためです。
お化けや怪異といった類は 怖��はありませんが、こんな不気味な場所で寝泊まりなんて、誰もしたくありませんからね。
けど身支度のために社に戻ると、ふとあるものを見つけたんです。
くたびれた熊のぬいぐるみ。
バカジジイのものです。
それをなんとなく拾って懐に入れて、社を出ると、ふと背後で声がしました。
「曽良君みっけた!」
振り返ると芭蕉さんが立っていました。
普段通りの気の抜けた笑顔で、無駄にバタバタ腕を振りながら「も〜どこに居たんだよ曽良君たら!凄く探したんだからね!!!」って。
僕、思わず言葉を失いまして。
そのまま主と奥さんの方に視線を向けると、主の方が僕の懐を見つめながらうっすら微笑んだんです。
そして平坦な声でこう呟いてました。
「あの人、命拾いしたな」
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08.13.2023の日記
子どもが帰ってきて、一週間ぶりに顔を合わせました。
どこかへ行く?と尋ねましたが、「雨が降るから」と返されて真っ直ぐ家に帰りました。一週間他の家で生活したことで我が家の異様さを客観視したらしく、着いてしばらくは部屋の片付けを始めたので私も付き合いました。
多くの家には食卓の下にR2-D2のクッキージャーなんて存在しないし、それはスターウォーズがすきかどうかなんて関係なく、そもそも食卓の下に何かが鎮座していることなんてないということをいつからか彼はおぼえていたし、おそらく、私が母親としてあらゆる意味で正しくはないことを(正しい母親、というのもまた辟易する言葉ではありますが)察するようになっていました。
私は別に自分が飲み歩いたり仕事をしたりして家を空けていることや、家族の他に親しい人間がいることに後ろめたさを感じることは一切ないのですが、家にいて、彼の話を聞きながらずっと上の空になっていた時や食事の支度も忘れて本のページを捲り続けたり、或いは考え事に意識が割かれて火にかけていた鍋の中身を丸ごと焦がしてしまうような時とても申し訳なくなります。母親というものはこんなに勝手に、子どもの前で一人になるものではないのでは、と思うことが。
『違国日記』で、槙生はちがう国に行ってしまうたびそれを朝に指摘されつつもそれでも"親ではない"槙生が、朝を引き取ったという前提があるのでそういうものですよね、と頷けるけど、私は何せ子どもの許可もなく彼を産み、共に住む他に選択がありようがない環境に置いているのにかなり近しい状態によくよくなるので、読んでいて胸の辺りがすーっ、と、冷たくなるような感覚になることがままあります。
槙生は、朝を引き取る際に
あなたを愛せるかどうかはわからない
でも
わたしは決してあなたを踏みにじらない
と言っていて、それがずっと印象に残っています。本当か?と何度も思いました。
子どもにとって、何度も踏みにじるようなことをしてしまいながら愛してくれる親と愛さずとも尊重してくれる大人のどちらが必要なのかは、客観的には簡単な問題ですが実際にはかなり複雑な話です。朝の母親は回想から読むにきっと"正しい母親"らしい横暴さで朝をあいしていたし育てていて、朝はその下で(だから、でも、なのに、でもなく)素直に育ちその横暴さへの不満や疑問をおぼえながら成長している中である日突然それを失い、代わって朝を人間として尊重しようと努めて、しかし当たり前に自分のことも人間として尊重してもらうことを求める槙生と暮らすことになるわけです。
正しい母親は大体が横暴、とまでいうと乱暴ですね、尊重しながらあいしてくれる人たちもたくさんいるとは思います、が、朝の母親のような人は全然珍しくはないと思う。その横暴さを子に押し付ける人たちの大抵は、それと同じくらい人として尊重されることを求めずに母親としての自分に一番の重きを置いているように感じます。実際それに慣れていた朝は保護者である前に人として振る舞う槙生に何度も戸惑っていて、その戸惑い方が子どもの同級生と私が話す時にされる反応にかなり近いものがあるので、あの本で、槙生に対して、私はずっと難しい気持ちになっていました。
子どもを尊重するということは難しいです。
相手の意思に重きを置きそれを尊ぶということは相手の判断力をこちらも、相手自身も信じているからこそ成立することのように思います。
本当に幼い子どもの意思を尊重した場合虫歯だらけになったり、毎日同じ服を着るようなことになりかねません。
朝はそれほどまでに幼くはなかったけど、おそらくはまだ尊重よりも肯定や指針が必要な年です。尊ばれるよりも頷かれたかったと思う。すきにしたらいい、ではなくて、すごくいいと思う、と、或いは、違う、こっちの方がいい、と断言するような存在が(たとえその判断が必ずしも正しくはなかったとしても)いるべきだった。
私の話ですが、子どもの進学に関わることで話し合っている時に「子どもの気持ちを聞いてから考えます」と答えた時、先生と呼ばれる人に「こういうのはお母さんが決めることですよ」と返されたことがありちょっと、驚きすぎて泣きそうになったことがありますが、それはたぶん、尊重という聞こえのいい言葉よりも専門知として、あらゆる判断を誰かに代わってする立場としての横暴さを自覚的なのか無自覚になのかはともかく、背負うことになった人には当たり前のことだったんだろうと思います。
それでも私はつい、子どもに判断を委ねます。
それは尊重なんてうつくしい態度ですらなく、彼に対して思考することをサボっているだけでは、とよく思います。
『違国日記』最終巻で笠町くんが自身の人との関わり方を衛星に喩える場面、槙生に
軌道を逸れて離れてしまうほうが衝突よりも怖いんじゃないか
と話すのですが 私はおそらく、子どもに対しても衝突よりも衛星の距離を望んでいるような気がします。
そんなことができるわけもないし、子どもの頃の私は周りの大人にそんなことを望んでいなかったのに。
最終巻の一つ前、十巻で朝は高校三年生なって子どもでなくなっていく自分がいつまでも槙生のもとにいられる訳ではないことを考え始めていて、それは私が朝と同じくらいの頃に家族ではない誰かと暮らすようになっていた時に思っていたことと重なりました。
大体の子どもは他の選択肢がない代わりに無条件に保護してくれる家族やそれに類似する大人のそばで暮らすけど、私はわりと早い段階でそうでなくなりました。幸い周り��恵まれていたので安全な環境は常にありましたが、そこには私を尊重してくれる人々はいても私に代わって判断をしてくれる人はいなかった。
それは元いた環境に比べて本当に安全で、恵まれていたしそもそもの環境にはそこにくわえて横暴な愛情さえ存在しなかったので(少なくとも当時はそう感じていたし、私の父にあたる人に「この家にあなたを愛する人はいないから」と言われたこともあり、その言葉にはとても説得力がありました)、しあわせを感じなければと思う反面ずっと不安でした。情緒は一切整わずでもその原因はあまりにもわがままで、言葉にするのが恥ずかしかった。そんな贅沢を口にしていい立場ではなかった。こちらが望めばそれを受け入れてくれる人たちがいる幸福ではなくて、尊重なんかではなくて、他に選択肢なんてないような絶対の場所がほしいのに、それがまるで見つからなかった。
朝のような素直さも持っていなかった私は結果その不安をよくない形でしか表せなくてものすごく多くの人たちに嫌な思いをさせたと思います。振り返ると、本当に、頭を抱えるような幼さでした。いくら子どもでも、するべきではなかったことをたくさんしたしちょっと、もう、あんまり思い出したくもない。
その点、朝は「さみしい」を声に出すことができる人だった。
愛せるかはわからない、愛せはしない、と言い続けていた槙生がそれでも最終巻で大きく変わったのはたぶん朝のその素直さが関係しているように思います。誰であっても、ではないと思う。いつまでも自分と比較しますが、私は実の母親にすらあいされない程の子どもだったので、おそらく槙生にあんなことを言ってもらえることはなかった。
槙生は、最後まで朝を尊重しかしていない。横暴な愛情でその選択を狭めるような言葉はずっと使いませんでした。
それでも、槙生と暮らす部屋が朝が望んではじめていることが許される場所からいつでも帰ることのできる場所に変わったことが最終巻では明確にわかります。
いてもいい、だし、いなくてもいい、のままだし、槙生はいてほしいとも口にしていない。
ただ、大切に思っている。
尊重を保ったままで、どこにいってもいい自由を強調した上で、そして自分が至らないままであることも認めた上で"それでも、それでも、それでも"、大切に思っていること。
それだけで朝にとって槙生が帰る場所になる、ということ。
それでもあなたか幸せでいてくれればいい
って言うと幸せでいなきゃいけないみたいだね
ときどき不幸せでもいいよ
ねー!!!
あなたのしあわせを願っている、ということが子に対する呪いになりはしないかとおそろしく思う私は「健康でいて」も「しあわせになって」もうまく言えません。いつも元気でなくてもいいし生き続けていればしあわせな時ばかりではないので、「どんなことになってもできるだけたのしく生きられるようにあって、長生きをして」というよくわからない声のかけ方をするようになっています。こんな言葉では何も言ったことにならないのでは、と日々思っていたのに、朝は、
なんで一言ただ私をあいしてるって言えないんだよ
と返していて、それは、槙生の相変わらずに慎重な言葉選びに苛立ちを含みながらはじめて、あいされていることを実感した声��、こんなまわりくどい言葉でも、汲み取ってくれていて、
私が子どもにかける言葉で果たして彼が汲み取ってくれるのかはよくわかりませんが、
槙生の言葉に子どもの頃の私が、朝の言葉にいまの私がすくいあげられて、もうなんだか、ずっと泣いてしまった。
ことを、子どもが帰ってきて思い出してまた読みました。『違国日記』
ねー本当にいい漫画ですよね。終わったことがとてもさみしいけど、あまりにもすばらしい終わり方だったのでずっとうれしいです。
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久しぶりにハイキング🥾
椎間板ヘルニアの手術してから初めて山に行った!腰はかなり復調✨
春日山原始林は登りやすくていいなあ。散歩の延長って感じ。
高畑の登山口から入って、若草山の正面から降りようとしたら1月2月はゲートが閉まってるらしい。
裏から降りてきた。山頂の左手にあるベンチがめっちゃ好きや〜
ほんで帰りの登山口の店のソフトクリームがインバウンド価格で800円とかになってるんよ。
ご飯も牛肉まぶし丼的な。2000円ぐらいのやつに行列。
奈良はもうインバウンドの波に飲まれてセレブしか楽しく無い場所になってしまったんやー!😭
と思っていつもの天平庵に値上げ覚悟で入ったら、三笠(どら焼き)ソフトクリーム400円。天平庵は奈良県民のことを見てる😭
食べ歩きしながら歩いてバスターミナルのところに新しくできたゴミ箱にゴミを捨ててきたね。
理想の社会🙏✨奈良は良いわ🙆
有名な桜の木が切られてた!そういえばニュースになってたような気がする。諸行無常。
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The 75 Best City Pop Songs
はっぴいえんど / 12月の雨の日 (1970)
赤い鳥 / 忘れていた朝 (1971)
ガロ / 学生街の喫茶店 (1972)
猫 / 地下鉄にのって (1972)
井上陽水 / 帰れない二人 (1973)
荒井由実 / ルージュの伝言 (1975)
荒井由実 / COBALT HOUR (1975)
かまやつひろし / ゴロワーズを吸ったことがあるかい (1975)
小坂忠 / しらけちまうぜ (1975)
佐井好子 / 冬の地下道 (1975)
SUGAR BABE / 雨は手のひらいっぱい (1975)
杉田二郎 / 男どうし (1975)
ティン・パン・アレー / ソバカスのある少女 (1975)
ハイ・ファイ・セット / 冷たい雨 (1976)
加藤和彦 / シンガプーラ (1976)
Ryo Kawasaki / The Breeze and I (1976)
大貫妙子 / 愛は幻 (1976)
尾崎亜美 / 瞑想 (1976)
下田逸郎 / セクシィ (1976)
伊藤銀次 / こぬか雨 (1977)
笠井紀美子 / バイブレイション (1977)
風 / 海風 (1977)
大橋純子 / シンプル・ラブ (1977)
ラジ&南佳孝 / The Tokyo Taste (1977)
高橋幸宏 / サラヴァ! (1978)
浜田省吾 / 風を感じて (1979)
門あさ美 / ファッシネイション (1979)
松原みき / 真夜中のドア~stay with me (1979)
南佳孝 / モンロー・ウォーク (1979)
しばたはつみ / バイバイ・ジュエル (1979)
高中正義 / BLUE LAGOON (1979)
渡辺香津美 / アイル・ビー・ゼア (1979)
ブレッド&バター / SUMMER BLUE (1980)
南佳孝 / 風にさらわれて (1980)
大貫妙子 / 新しいシャツ (1980)
山根麻衣 / たそがれ (1980)
山下達郎 / RIDE ON TIME (1980)
吉田美奈子 / MIDNIGHT DRIVER (1980)
来生たかお / 夢の途中 (1981)
尾崎亜美 / 純情 (1981)
濱田金吾 / 街のドルフィン (1982)
間宮貴子 / 真夜中のジョーク (1982)
Makoto Matsushita / Love Was Really Gone (1982)
松任谷由実 / 真珠のピアス (1982)
ムーンライダーズ / くれない埠頭 (1982)
中原めいこ / Fantasy (1982)
大貫妙子 / 色彩都市 (1982)
佐藤博 / SAY GOODBYE (1982)
清水靖晃 / 睡蓮 (1982)
亜蘭知子 / Midnight Pretenders (1983)
村田和人 / 一本の音楽 (1983)
八神純子 / 黄昏のBAY CITY (1983)
山下達郎 / スプリンクラー (1983)
大沢誉志幸 / そして僕は途方に暮れる (1984)
竹内まりや / プラスティック・ラブ (1984)
T-SQUARE / OMENS OF LOVE (1985)
スターダスト・レビュー / 今夜だけきっと (1986)
CASIOPEA / MIDNIGHT RENDEZVOUS (1994)
カーネーション / やるせなく果てしなく (2003)
Lamp / 最終列車は25時 (2004)
歌謡曲/アイドルポップ
高田恭子 / みんな夢の中 (1969)
岩崎宏美 / ロマンス (1975)
郷ひろみ / 寒い夜明け (1976)
杏里 / オリビアを聴きながら (1978)
金井夕子 / パステルラヴ (1978)
中原理恵 / 東京ららばい (1978)
野口五郎 / グッド・ラック (1978)
アン・ルイス / 恋のブギ・ウギ・トレイン (1979)
松田聖子 / チェリー・ブラッサム (1981)
寺尾聰 / ルビーの指輪 (1981)
稲垣潤一 / 夏のクラクション (1983)
杉山清貴&オメガトライブ / SUMMER SUSPICION (1983)
中森明菜 / SOLITUDE (1985)
菊池桃子 / 夏色片想い (1986)
中山美穂 / CATCH ME (1987)
シティポップは1970年代半ばに現れ、80年代に全盛を迎えた日本の音楽ジャンルの一つで、音楽的にはファンク、ディスコ、R&B、AOR、ソフトロック、フォークロック、シンセポップなど幅広い要素から成り立っています。当初は単に「都会的な」ポップスとして国内でイメージ広告的に使われた呼称が、2010年代に入ってユーチューブや各種ストリーミングにおいて海外の好事家の注目を浴びることにより大きな再生回数を数えるようになったもので、定義をめぐって専門家の間でも見解が分かれているようです。
作編曲においてアメリカ黒人音楽などからの盗用が散見されることで、ヴェイパーウェイブ、フューチャーファンクといったサンプルベースのマイクロジャンルの先駆者とされているようですが、私が想起するのはミュージックマガジン編集長だった中村とうよう氏が、このジャンルを代表するともいえる大瀧詠一のアルバムを評して語った「アーティフィシャル(人工的)。彼らが模倣するようなアメリカ音楽はスポンティーニアス(自発的)」という言葉です。K-popをはじめまるでAI生成されたような音楽が莫大な再生回数を稼いでいる、ポピュラー音楽やヒットチャートという器が、マーケティングや新自由主義の考え方によってバラバラに分断され空洞化してしまった現状を予見する言葉のように思うのです。
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リクルート社員豊川竣哉、石川三四郎によるデートレイプドラッグ犯罪があった。「日本でそんなのないでしょ」と思ってる人がまだまだ多いと思うので、注意喚起のために記録を残していこうと思う。 他にもこんな事件があったよというのがあれば教えてくれまいか。 2024年 リクルート社員 余談:2024年 大阪地検検事正 余談:酒とデートレイプドラッグ犯罪のポイント 2020年 リクルート関連会社社員 2023年 宿泊施設経営者 2019年 三菱UFJ銀行社員 2019年 野村證券社員 強者男性の犯罪と、「準強制性交」というもの 2024年 リクルート社員 www3.nhk.or.jp ■リクルート 豊川竣哉、石川三四郎 これが最新のやつ。 「リクルート」社員2人を逮捕 女性に睡眠薬飲ませ性的暴行疑い 2024年10月31日 16時16分 10月、東京 港区のマンションでホームパーティーに参加していた女性に、睡眠薬を飲ませたうえ、ホテルで性的暴行をしたとして「リクルート」の20代の社員2人が警視庁に逮捕されました。 逮捕されたのは、いずれも人材大手「リクルート」の社員で、東京 港区に住む豊川竣哉容疑者(26)と、川崎市中原区に住む石川三四郎容疑者(26)です。 警視庁によりますと、2人は10月、東京 港区のマンションで、ホームパーティーに参加していた20代の女性に睡眠薬を飲ませたうえ、東京 品川区内のホテルに連れ込み、性的暴行をした疑いが持たれています。 ホームパーティーには容疑者2人と被害者の女性を含む合わせて5人が参加していましたが、女性が酒を飲んだところ、意識がもうろうとした状態になりました。 石川容疑者が「送っていく」などと言って女性をタクシーに乗せてホテルに連れ込み、豊川容疑者があとから合流したとみられるということです。 相談に訪れた女性の体内から睡眠薬の成分が検出されたことなどから、警視庁が捜査していました。 余罪が出てくるか注目したい。 余談:2024年 大阪地検検事正 ■大阪地検 北川健太郎 b.hatena.ne.jp 本件はデートレイプドラッグ犯罪ではないのだが、「泥酔したところで性加害された」という事件の中に、実は薬盛られていたというパターンもけっこうあるだろうと思う。 大阪地検の事件の加害者である北川健太郎は、被害者に「これでお前も俺の女だ」と言い放っており、この言い草からして他にも何かあるんじゃないかという印象も。 事件当日、被告は検事正の就任祝いに参加していて、泥酔した被害者をタクシーに押し込んで宿舎に連れていき、帰らせてほしいと訴える被害者に性的暴行を加えた。やめるよう伝えたのに、『これでお前も俺の女だ』と言って犯行を繰り返した 余談:酒とデートレイプドラッグ犯罪のポイント 泥酔して記憶が飛んだ経験のある人が何%ぐらいいるかわからんが、俺は人生で酔っ払って記憶を飛ばしたこともあるし、麻酔で記憶を飛ばしたこともある。 いずれの場合も、自宅で意識が戻ってきたあと、「あれ?何してたっけ?どうやって帰ってきたんだ?」とぼんやりパニックになった。その後数日は、意識が朦朧とした状態で普通に仕事をてきぱきこなしたりしながら生活していた。 酒で記憶が飛んだ際、不安になるのは「俺何かやっちゃってないか?」ということ。一緒にいた人の証言を聞くと「普通に喋ってたよ」「三次会までいたし、普通におつかれーとか言って電車で帰ってたよ」などと言われ、身に覚えのなさに慄然とする。帰宅後にシャワー浴びてラーメンつくって食べて洗って片付けた形跡すらある。なお、必ずしも毎回完全に記憶が消えてるわけではなく、断片的に覚えていたり、言われて思い出す記憶などもある。 *1 なので、仮に俺が薬を盛られて何かされたとしても、「また泥酔して記憶が飛んだのかな」と考えてしまうだろう。 俺はここにデートレイプドラッグ犯罪のポイントがあるんじゃないかと考えている。つまり、被害者は、意識が飛んでいた期間の記憶が断片的である。もし性被害についてうっすら記憶があったとしても「泥酔してやっちゃったのかな」と青ざめ、パニックになり、自分を責める方向に考えるだろう。 それに、意識が数日朦朧とした状態で、仕事に行ったり学校に行ったり予定をこなすうちに、薬は抜けてしまう。ようやく意識がしゃっきりしてきて「警察に行った方がいいのかな」と考える頃には、証拠は消えてしまっているだろう。 だいたい数日普通に過ごしてしまった時点で「性被害者ならすぐに警察に行くはずだ。普通に仕事に行ったり友だちと遊んだり家族と食事に行ったりしており、被害者にはあり得ない行動だ」と思うじゃん。被害者も、そう考えるはず。そしてひたすら自分を責めるモードに入る。これがデートレイプドラッグ犯罪がなくならない最大のからくりではないだろうか。 要は犯人が圧倒的有利なんだよ。特に酒に薬入れるパターンは。だからなかなか捕まらない。捕まったやつは余罪が多数あるのに、ほとんどの被害者は泣き寝入りしている。そして加害者はどんどん大胆になる。 b.hatena.ne.jp スーパーフリー事件も、被害者は数百人と言われてたけど起訴されたのは3件だけだったし、知識なしに被害に遭った人の泣き寝入り率は非常に高いと思う。 ja.wikipedia.org 2020年 リクルート関連会社社員 www.fnn.jp bunshun.jp www.bengo4.com ■リクルート関連会社 丸田憲司朗 これもリクルート関連か。で、前に聞いた話だと、デートレイプドラッグ犯罪で一番多いのがこの「就活生狙い」なんだって。頼れる先輩風に振る舞って、就職相談やOB訪問に来た女子大生に薬を盛って犯行に及ぶ。 被告人は2020年11月に逮捕されたのち、再逮捕が続き、最終的には10人の女性に対する準強制性交等、住居侵入、準強姦、準強制性交等未遂、準強制わいせつで起訴されていた。 さらに犯行時の様子を動画撮影しており、このとき被害者らの身分証も記録していた。 就職活動中の女子大学生とは就活マッチングアプリで知り合い「そろそろ本格的な就活対策しようか」「課題手伝おうか?」などと声をかけ、資料作成のアドバイスを行うなど“頼れる先輩”を装いながら犯行を重ねていた。 「服装の乱れがなかったということもあり、性行為があったと思いたくありませんでした。(自分から)性行為をもちかけたことや承諾したことはありません。誤解を与える様な言動もありません。そういった意図もありません。被告人はタイプではありません」(Eさんの証言) それ以降、Eさんは丸田被告と連絡をとることも会うこともなかったが、警察の連絡を受けて事件を思い出したという。 「被告人が別の事件で逮捕されて、余罪を調べていく中で私が被害者と判明したと警察から電話がきました。『あの時、やっぱりそうだったんだな』と思いました。これまでの飲み会で突然記憶がなくなることはなかったので不思議に思っていました」(Eさんの証言) 動画撮影、身分証記録など、手慣れた犯行だ。スマホには40人の被害者の写真があったということだが、警察側で身元を特定できず、被害届を出していない(自分が被害に遭ったと確信できていない)被害者もいるんだろう。 2023年 宿泊施設経営者 www.asahi.com www.asahi.com newsdig.tbs.co.jp bunshun.jp www.jprime.jp ■宿泊施設経営 武内俊晴 かなり特殊なパターンだが、ゲストハウス経営者が女性客に薬を盛って犯行を繰り返していた事件。山姥のおとぎ話のようで恐ろしい。 武内容疑者はこれまで、東京、大阪、広島などから来た女性客8人に対する準強制性交等容疑で逮捕、送検されていた。県警は、いずれも薬物を混ぜた酒などを飲ませて抵抗できない状態にした上で、性的暴行を加えたとみている。 この宿泊施設はインターネット上の口コミで「女性一人でも安心」などとの投稿があり、「笠岡ラーメン」を売りにしてネットニュースで取り上げられたこともあった。 武内容疑者は宿泊客を無断で撮影したとみられるわいせつ画像を多数、所持していたといい、捜査1課などは複数の被害者がいる可能性があるとみて調べている。 他の事件はニュースが消えまくってるのに武内被告だけはめちゃくちゃヒットするのは最近の事件だからだろうか? 2019年 三菱UFJ銀行社員 sexualoffense.seesaa.net ■三菱UFJ銀行 千秋凉祐 これは「婚活アプリ」で犯行を繰り返していたパターン。なお、このニュース検索してももはやほとんどヒットしない。不思議やね。丸田と武内の事件は当時のニュースもヒットするのだが、5年ぐらいたつとだいたい消えてしまうのか? 判決によると、千秋被告は2018年12月~昨年5月、アプリで知り合った20~30歳代の女性計10人と東京都内で食事し、女性が席を離れた隙に睡眠薬を飲み物に混入。その後、ホテルや自宅に連れ込んで乱暴するなどした。 2019年 野村證券社員 friday.gold www.sankei.com sexualoffense.seesaa.net ■野村證券 千葉健太、樋野良輔 これも、検索してももはやほとんど引っかからないので事件の詳細がわからなくなってしまった。よかった、デジタルタトゥーなんてなかったんだ……。 20代女性にスパークリングワインなどの酒を無理やり飲ませ、抵抗できない状態にしたうえ、五反田駅(東京都品川区)近くのホテルにタクシーで連れ込んで性的暴行を加えたというもの。 捜査1課によると、千葉容疑者らは15日午後8時ごろから、飲食店で被害女性を含む男女計8人で合コンをしていた。千葉容疑者らは意識朦朧の状態だった女性と女性の友人をタクシーに乗せてホテルに向かい、友人を路上に放置し女性をホテルに連れ込んだという。 よく読むとこれはドラッグとは明言されてなかったので大阪地検の事件と同じ扱いか。でも今調べたら医学的にはアルコールもドラッグ扱いなんだな。 強者男性の犯罪と、「準強制性交」というもの 皆さん強姦とか強制性交と言ってどんなものが浮かぶだろうか?筋骨隆々とした野盗が女性を襲って服を引き裂いて……みたいな感じ? でも実際の性犯罪は大半がここで挙げてきたような、「酒や薬などで意識を混濁させ、判断能力を奪った上で行う」というもの。罪名でいうと「準強制性交(準強姦)」というやつだ。「準」って付くから、何か普通の強姦より罪が軽そうな印象を受ける人もいると思うが、要するに「相手が抵抗できない状態でのレイプ」のことである。 この手の何が卑劣って、ここで見てきた連中はみんなリクルートだの野村證券だの大阪地検だのに所属するエリートで、強者男性なんだよね。それがどうしたかっていうと、無敵の人とか反社会勢力とかじゃないんですよ。つまり、「守るものがある」「絶対に犯罪者になどなりたくない」連中なんです。 だから、彼らは、見ず知らずの女性を夜道で襲ったり、抵抗するのを力づくで抑え込んでレイプしたりはしないんですよ。それはもうあからさまに犯罪だからね。せっかくのエリート人生を棒に振りたくないんだから、そんなことはしません。 (まあそうでなくても、よほどの体力差がない限り、必死で抵抗する人間とセックスするなんて不可能だと思うけどね) そうではなく彼らは、顔を見知って油断している相手を、酒や薬で朦朧とさせ、抵抗できない状態をつくる。「合意があった」と言い張れる余地をつくろうとする。あるいは自分自身にすら言い訳が必要なのかもしれんよね。自分で薬を盛っておきながら、「相手は拒否しなかった」という言い訳がないとレイプできないんだろうと思う。 よく想像力皆無の保守論客タイプが「本当に嫌なら刺し違えてでも抵抗するはず。抵抗がなかったのは合意があったからだろう」「後から合意がなかったと言い出すのはハニトラではないか」みたいなアホ発言をするが、ああいう人たちにはどう説明すれば伝わるんだろうね。
日本におけるここ数年のデートレイプドラッグ犯罪について - はてブの出来事
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2024年の文化活動(一覧)
全部で130件。2024年も美術館を中心に巡ったのだがその中でも、金にものを言わせて地方の県立・市立美術も範疇としたのが大きな変化だった。取っ掛かりは宇都宮美術館。酷暑の真っただ中に行ったカスヤの森現代美術館、佐倉市美術館。念願だった茨城県近代美術館、ひらめきで思い立った郡山市立美術館。母親と行った東京国立博物館、意外に良かった国際こども図書館なども印象深かった。 一方、美術館巡りのサイクルは飽和状態なので新機軸を作りたいところでもある。その一つはクラシック・コンサートか。少しずつ楽しめる場所を増やしていきたい。
私たちのエコロジー:地球という惑星を生きるために@森美術館
即興 ホンマタカシ@東京都写真美術館
見るまえに跳べ 日本の新進作家 vol.20@東京都写真美術館
プリピクテ Human/人間@東京都写真美術館
テオ・ヤンセン展@千葉県立美術館
千葉ポートタワー
坂本龍一トリビュート展 音楽/アート/メディア@NTTインターコミュニケーション・センター [ICC]
ICC アニュアル 2023 ものごとのかたち@NTTインターコミュニケーション・センター [ICC]
第21回東京音楽コンクール 優勝者コンサート@東京文化会館
キュビズム展 美の革命@国立西洋美術館
もうひとつの19世紀 ―ブーグロー、ミレイとアカデミーの画家たち@国立西洋美術館
マリー・ローランサン ― 時代をうつす眼@アーティゾン美術館
石橋財団コレクション展@アーティゾン美術館
恵比寿映像祭 2024@東京都写真美術館
中平卓馬 火―氾濫@国立近代美術館
古代エジプト美術館
星野概念氏&いとうせいこう「心のことを話してみる場所」
消防博物館
FACE展2024@SOMPO美術館
広がるコラージュ@目黒区美術館
IIDA 101 飯田善國@目黒区美術館
VOCA展2024@上野の森美術館
ガラスの器と静物画 山野アンダーソン陽子と18人の画家@東京オペラシティアートギャラリー
『シュルレアリスム宣言』100年 シュルレアリスムと日本@板橋区立美術館
印象派 モネからアメリカへ@東京都美術館
オラファー・エリアソン展:相互に繋がりあう瞬間が協和する周期@麻布台ヒルズギャラリー
イヴ・ネッツハマー ささめく葉は空気の言問い@宇都宮美術館
マティス 自由なフォルム@国立新美術館
早稲田大学演劇博物館
没後50年 木村伊兵衛 写真に生きる@東京都写真美術館
TOPコレクション 時間旅行@東京都写真美術館
記憶:リメンブランス―現代写真・映像の表現から@東京都写真美術館
ヒロ杉山 個展「Sculpture」@Lurf MUSEUM
ここは未来のアーティストたちが眠る部屋となりえてきたか?――国立西洋美術館65年目の自問|現代美術家たちへの問いかけ@国立西洋美術館
真理はよみがえるだろうか:ゴヤ〈戦争の惨禍〉全場面@国立西洋美術館
ブランクーシ 本質を象(かたど)る@アーティゾン美術館
石橋財団コレクション選 特集コーナー展示 清水多嘉示@アーティゾン美術館
第8回 横浜トリエンナーレ@横浜美術館
パーフェクト・カモフラージュ展@ワタリウム美術館
マイケル・ケンナ写真展@代官山ヒルサイドフォーラム
Playground Becomes Dark Slowly@日比谷公園
昭和を駆け抜けた超特急 ~燕、そして新幹線へ~@昭和館
北欧の神秘―ノルウェー・スウェーデン・フィンランドの絵画@SOMPO美術館
マイ祭2024@自由学園明日館
第75回 東京みなと祭@東京国際クルーズターミナル
デザインフェスタvol.59@東京国際展示場
LOVE LIGHTPIA@お台場シンボルプロムナード公園
SusHi Tech TOKYO 2024@シンボルプロムナード公園
海王祭@東京海洋大学
池口史子展@美術愛住館
特別展「法然と極楽浄土」@東京国立博物館
デ・キリコ展@東京都美術館
都美セレクション グループ展 2024@東京都美術館
上野動物園
三島喜美代―未来への記憶@練馬区立美術館
ホー・ツーニェン エージェントのA@東京都美術館
翻訳できない わたしの言葉@東京都美術館
サエボーグ「I WAS MADE FOR LOVING YOU」/津田道子「Life is Delaying 人生はちょっと遅れてくる」@東京都美術館
MOTコレクション@東京都美術館
日本映画と音楽 1950年代から1960年代の作曲家たち@国立映画アーカイブ
谷川町子のデザイン@長谷川町子記念館
TRIO パリ・東京・大阪 モダンアート・コレクション@国立近代美術館
日本のグラフィックデザイン2024@東京ミッドタウン デザインハブ
徳川美術館展 尾張徳川家の至宝@サントリー美術館
海の日プロジェクト@東京国際クルーズターミナル
ヨーゼフ・ボイス ダイアローグ展@GYRE GALLERY
若江漢字《地中海 ― I・始まり》@カスヤの森現代美術館
三笠公園
2024イタリア・ボローニャ国際絵本原画展@板橋区立美術館
2024 JAGDA 亀倉雄策賞・新人賞展@ギンザグラフィックギャラリー
絵本で知る世界の国々―IFLAからのおくりもの@国際こども図書館
シアスター・ゲイツ展:アフロ民藝@森美術館
フィロス・コレクション ロートレック展 時をつかむ線@SOMPO美術館
111年目の中原淳一@松濤美術館
台湾好包フェス2024@HANEDA INNOVATION CITY
開館30周年記念 生誕100年記念 深沢幸雄展@佐倉市美術館
空想旅行案内人 ジャン=ミッシェル・フォロン@東京ステーションギャラリー
ポール・マッカートニー写真展 Paul McCartney Photographs 1963–64 Eyes of the Storm@東京シティビュー
東京おもちゃショー2024@東京ビッグサイト
作品と空間@アーティゾン美術館
高田賢三 夢をかける@東京オペラシティアートギャラリー
となりの不可思議 収蔵品展080 寺田コレクションより@東京オペラシティアートギャラリー
平田晃久―人間の波打ちぎわ@練馬区美術館
サラダ音楽祭 メインコンサート@東京芸術劇場
TOPコレクション 見ることの重奏@東京都写真美術館
今森光彦 にっぽんの里山@東京都写真美術館
いわいとしお×東京都写真美術館 光と動きの100かいだてのいえ@東京都写真美術館
マインドフルネス(基礎編)
田中一村展 奄美の光 魂の絵画@東京都美術館
大地に耳をすます 気配と手ざわり@東京都美術館
Maker Faire Tokyo@東京ビッグサイト
物、ものを呼ぶ─伴大納言絵巻から若冲へ@出光美術館
日本現代美術私観:高橋龍太郎コレクション@東京都現代美術館
開発好明 ART IS LIVE ―ひとり民主主義へようこそ@東京都現代美術館
MOTコレクション 竹林之七妍 特集展示 野村和弘 Eye to Eye—見ること
ツーリズムEXPO JAPAN@東京ビッグサイ
東京都交響楽団 第1009回定期演奏会Aシリーズ@東京文化会館
レガシー ―美を受け継ぐ モディリアーニ、シャガール、ピカソ、フジタ@松岡美術館
田名網敬一 RETROSPECTIVE@国立新美術館
第70回記念 一陽展@国立新美術館
2024 国際航空宇宙展@東京ビッグサイト
ICC アニュアル 2024 とても近い遠さ@NTTインターコミュニケーション・センター
サイエンスアゴラ2024@テレコムセンタービル
産総研一般公開2024@産総研 臨海副都心センター
国際交流フェスティバル2024@東京国際交流館
「みんなの選んだグッドデザイン」プレゼン大会@東京ミッドタウン デザインハブ
東京都交響楽団 プロムナードコンサート@サントリーホール
コレクション・ストーリー ー諸橋近代美術館のあゆみー@諸橋近代美術館
ART WEEK TOKYOその1:渡辺志桜里 宿/Syuku@資生堂ギャラリー
ART WEEK TOKYOその2:束芋「そのあと」@ギャラリー小柳
ART WEEK TOKYOその3:青山悟展「永遠なんてあるのでしょうか」@ミヅマアートギャラリー
ART WEEK TOKYOその4:オノデラユキ@ウェイティングルーム
ART WEEK TOKYOその5:ヴァジコ・チャッキアーニ@スカイザバスハウス
オルガンコンサート@東京オペラシティ
松谷武判 Takesada Matsutani@東京オペラシティアートギャラリー
北川民次展―メキシコから日本へ@世田谷美術館
ミュージアム コレクションⅡ かわりゆくもの、かわらないもの―TRANSITION@世田谷美術館
デザインフェスタvol.60@東京ビッグサイト
レオ・レオーニと仲間たち@板橋区立美術館
Vintage Market@東京ビッグサイト
没後100年 中村 彝 展―アトリエから世界へ@茨城県近代美術館
SIDE CORE 展|コンクリート・プラネット@ワタリウム美術館
奇想の版画 1500ー1650 帝都プラハを交差するヨーロッパ版画@郡山市立美術館
中村彝アトリエ記念館
佐伯祐三アトリエ記念館
ベル・エポック―美しき時代 パリに集った芸術家たち ワイズマン&マイケル コレクションを中心に@パナソニック汐留美術館
オープニング展@URSHIMA MUSEUM
松本かづち展@江東区森下文化センター
再開館記念「不在」 ―トゥールーズ=ロートレックとソフィ・カル@三菱一号館美術館
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2024-12-30-SeaAir【雑記】
年末なのでときどきやっております一年の振り返りをしようと思います。12/31から小笠原諸島父島へ旅行の予定なので今日のうちに。
■仕事 AR担当からSX担当になって2年、生成AIが蝶よ花よともてはやされるため生成AI担当になりました。研究部門で生成AI担当というよりは、生成AI専門部門がドカンと立ち上がってそこの技術屋部門に割り当てられ、その中でも先端研究のハンドリングを担当することとなってこれはもうたいへん!ではあるんですけどまぁ常に新しい分野をうまいこと会社のみんなに役立てようね、とする動きはいつものことではあるのでした。
残業は増えたけどSXというゆるいテーマよりも格段に、面白いし、難しいし、研究所の人とか関係者もぐっと増えたし、役に立ちそうな感じがするので良かったなと思っています。上司や同僚も過去に関係性のあった方々ばっかりだしね。まぁただ生成AI専門部門が2年間限定らしいので、1年後にまた政治的な���引きにより私の所在が決まるのでしょうがうまいこと立ち回れればいいなと思いました。
■子育て 娘が小学生になりなんと長きにわたった保育園送り迎えがついになくなったのでした。こいつはすごいぜ。しかも私の子供らは私ら朝が弱い親オリエンティッドであり、「朝ご飯は勝手に食べるもの」とルール化、準備してあるので子が食べたいパンかご飯を勝手に食べて、一応家出る前に「お父さんいってきまーす」って言うだけなのでわたし8時前に10分くらい起きて二度寝することがとても多いです。妻は朝起きることなく寝てるから更に上位(リモートワークの日)。
こどもの行事が小学校で揃い、創立記念日とか参観日とかが保育園とちぐはぐにならなくなったのでそのへんも良い感じとなっており、学校都合の平日休み(土曜参観や運動会の振替)なんかで平日にプチ旅行したりできていてこれはこれでよいかなと思うのでした。次に悩むのは塾とかですかね…。
■旅行 子どもが小学生になり頻度は減った、とは言えまだまだよく旅行してると思います。3月広島帰省(5年ぶり)、5月のGWが静岡帰省兼旅行、6月に舞浜に私と子ども3人でプチ旅行して、8月に久々の海外で台湾、10月に香川小豆島、そして12月から片道24時間の旅、日本一遠い島小笠原諸島ですね。
子育てに追われていた時期から考えると子どもたちの統率が取れ、ある程度お金にも余裕があり、体力的にもまだダイビングとかしたいくらいの今こそ今できることにチャンレンジしていくべき、と夫婦で意見が合致しており、また数年後には子どもたちが親と旅行に行きたがらないであろうことを思うと今のうちに子どもと行きたいようなところに行っておくべきなのだろうなと思います。
近いとこだと伊豆大島とか、あとドラマ「海に眠るダイヤモンド」を夫婦で見たので長崎行きたいですね。炭鉱跡の軍艦島には泊まれませんが、似たような池島には泊まれるらしい!
■ボードゲーム 実は2023年はこういう感じでまとめてないっぽいですが、2023年からボードゲーム会が復活しているし2ヶ月おきにやってるからこんなにボードゲーム活動してる同年代いないんじゃね?(たぶんいる)と思っています。
相変わらず会社同期を中心にボードゲームを持ち寄って半日遊んで解散、という相変わらずの日々ですが、友人との縁を保って定期的に人を呼べるというのは貴重なことではないかと思っていますので2025年も継続の見通しです。同期諸兄も結婚や出産などありフェーズが変わったりしていますが、フェーズが変わろうと変わらずこういうの続けている私がいるので事情に合わせて参加いただければと思います。
■ゲーム 個人的2024年のベストゲームは「7 Days End with You」です。めっちゃよかった~~~ので各位におかれましても騙されたと思って遊んでください。その次は「Inverted Angel」でしょうね。天使は足音が鳴らない。推理系ADVではあるんですけどド肝を抜かれること多数、まったく想像のつかない結末に向けて振り回される感じが最高でした。
その他はBalatro、Staffer Case、Stacklands、Clock Rogueなんかを遊んでいて、あと以前から遊んでいたPeglinがβ版から正式版になったのはめでたかったですね。クルーシボール20(縛りプレイ)達成したのでえらい。縛りプレイで思い出したけどスプラトゥーン3も引き続き遊んでおりプレイ時間が1200時間を突破。ややマイナー武器や難しい後衛武器でS+突破を目指すのにハマっているのと、定期的にDiscordのメンツが一緒に遊んでくれるのが大きいですね。スプラのようなコンシューマで言えば、VRのBeatSaborもめっちゃやってます。良し悪しはさておきMOD入れるとすごくすごいの。このへんもおすすめです。VRで思い出したけどそういえば話題になった8番出口のVR版も小一時間でクリアしました。めっちゃゲームやってるな私…。 2025年も引き続きNeedy Girl Overdose、Refind Self、救国のスネジンカ、Hades2などなどやりたいことがたくさんあるのでまだしばらくゲーマーとして生きてゆきそうです。
■総括 ゲームのところめっちゃ早口じゃない?とは思いましたがオタクってそういうものだから。あとは最近はX(Twitter)で男女論界隈を観察しているのですが、そのへんで初めて万バズした(https://x.com/cruelice/status/1846924617191248067)のでこれはこれで面白い経験でしたね。政治の右派vs左派、表現の自由vsツイフェミなどこれまでも対立構造を見てレスバなどを学んでいましたが男女界隈も面白いですね。
総じて言えば仕事も家族も趣味も円滑に進んだ2024年であり、2025年もそのような感じが継続するのではないでしょうか、という印象です。2025年は初手から船上の人(小笠原諸島へ移動中)となり年末年始の挨拶がどうなるかわかりませんが、取り急ぎこのタイミングで一度ご挨拶とさせていただきたいと思います。今年も1年ありがとうございました。2025年もよろしくお願いいたします。
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各地句会報
花鳥誌 令和6年11月号
坊城俊樹選
栗林圭魚選 岡田順子選
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令和6年8月1日 うづら三日の月花鳥句会 坊城俊樹選 特選句
又一人友を連れ去る秋の雲 喜代子 三鍬を秋に備へる農婦なり 由季子 友と居てそれぞれに聞く秋の風 都 終戦日正午の刻の静けさよ 同 送り火ややむなく戻る仏たち 同 落雷や天の怒りが頂点に 同 人影の動かぬ窓や盆の月 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年8月3日 零の会 坊城俊樹選 特選句
青い嘘と黄色い嘘とソーダ水 和子 仏具屋は北向日盛を知らず 季凜 アメ横てふアジア横丁灼ける路地 風頭 西郷どんの足の太さや雲の峰 六甲 唖蟬のすがるかに寄る仏壇屋 毬子 冷し珈琲魔女めく指で渡されて 小鳥 寺町に銭湯を待つあつぱつぱ はるか 昭和より黴はぐくめる喫茶店 光子
岡田順子選 特選句
仏具屋は北向日盛を知らず 季凜 スカジャンが食ふアメ横の氷菓子 俊樹 片陰の禿びて上野の仏具店 光子 掛香の名残りの車両上野へと 昌文 日盛や適時打に沸く子規球場 六甲 蟬しぐれ靴音だけを許しをり 和子 改札口帰省子らしき待ち合はせ 六甲
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年8月3日 色鳥句会 坊城俊樹選 特選句
山笠果てて博多ごりよんさん胡瓜買ふ 修二 夏の朝水平線をひと筆に かおり サイダーと言へば三ツ矢と摺り込まれ 久美子 片陰をたましひ細くなりて歩す 美穂 ガザといふ活字の上に西瓜置く 朝子 金文字の磁針狂へり熱帯夜 かおり 逃避行西瓜を食べてからのこと 美穂 分けやうもなきぐしやぐしやの西瓜割り 久美子 どうしても俳人と名乗りたき西瓜 たかし 死を見つめ明日を見つめて遠花火 朝子 向日葵や画家自画像の暗き顔 たかし 海底に眠る坑道夕焼くる 睦子 涼新たガレのランプに灯の入らば 美穂 陸橋を行く夕焼を渡るため 愛 夏の蝶太郎冠者の手ひいらひら 修二 潮焼の腕を差し出し献血す かおり 夕端居ふと唄ひ出す反戦歌 美穂 蛇を轢く目撃者なき里の道 久美子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年8月5日 花鳥さざれ会 坊城俊樹選 特選句
団扇手に店守る婆の話好き かづを 白扇をパチリと閉じて打つ一手 同 大の里勝つて団扇の一斉に 清女 巫女居ない小さき社秋の蟬 啓子 眠る迄母の団扇の風やさし 同 出番待つ横綱あおぐ大団扇 笑子 ひたすらに団扇あおぎてふと黙す 同 横綱の背ナにゆつたり大団扇 千加江 母の髪斯く長きとは髪洗ふ 匠 此の路地に今も水打つ暮しあり 雪
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年8月7日 さくら花鳥会 岡田順子選 特選句
笑ひつつ花火上手に三姉妹 令子 掃苔やあの石段を坂道を 裕子 鳳仙花濃いも薄いも好きになり 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年8月9日 鳥取花鳥会 岡田順子選 特選句
視線無き会釈してゆくサングラス 宇太郎 庭の穴にしみ入る声や秋の蟬 史子 星流る森に小さないのち生れ 都 東雲のあかり力に蟬の羽化 美智子 カンナの緋一番若い日を生きる 悦子 木型よりできたて掬ふ新豆腐 美紀 手術終へ生涯初のサングラス 悦子 兵帽をまぶたに呼びしぎすの声 宇太郎
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年8月12日 武生花鳥俳句会 坊城俊樹選 特選句
潺潺と里の川音や夏の果 時江 平常心狂ひさうなる猛暑かな みす枝 星月夜夫と仰ぎし夜の事 英美子 裾さばき手捌き揃ひ踊来る みす枝 五十年一つの趣味に生きて盆 清女 湯上がりの裸子を追ふバスタオル みす枝 一球の逸れて球児の夏終わる 昭子 西瓜切る十の眼の集中す みす枝 真昼時迷へる夏の蝶一つ 英美子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年8月12日 なかみち句会 栗林圭魚選 特選句
千年の大樹の影や額の花 廸子 足を止めしばし聞き入る初法師 史空 夏休み博物館に一人入る ことこ 大迦藍寂と光に初法師 史空 多摩川は晩夏静かに水の行く 和魚 節の無き芋殻を選び母憶ふ 貴薫 赤松の肌焼き尽くす残暑かな 三無 団扇風どの国にしよ子守歌 あき子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年8月17日 伊藤柏翠記念館句会 坊城俊樹選 特選句
手花火の彩をこぼして後は闇 雪 亡き僧の手猫きの団扇借り申す 同 死んだ振りしてゐるつもりこがね蟲 同 男下駄揃へ帰省子なりしかな ただし 麻暖かつて機屋の広き土間 同 夏痩せの吾が骨摩る目覚めかな 同 風よりも雲が知らせてをりし秋 かずを 襟首の君の白さや揚花火 嘉和 掃苔や無言の墓に詫を言ひ 英美子 螢火の点めつ吾の鼓動めく 真喜栄 羅や女将の心見え隠れ みす枝 口紅を濃くぬり花火見る人ぞ 世詩明
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年8月18日 風月句会 坊城俊樹選 特選句
枡形の黒門渡る送り南風 幸風 白雲の刷毛遣ひよく秋に入る 軽象 弁慶の骨組みあがる倭武多小屋 経彦 山寺の奥の奥なる桐一葉 秋尚 的れきの花天に向け烏瓜 幸風 隠沼の微かに饐えて秋に入る 軽象 圭���選 人気なくただ秋蟬の鳴ける寺 貴薫 萩の枝大きく撓り年尾句碑 文英 隧道をよき風抜けて赤のまま 久子 暗がりの守れる句碑や秋の声 千種 寄せ墓の一基盆花枯れずあり 久子 墨の香の濃くやはらかく施餓鬼寺 三無
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年8月20日 萩花鳥会
いい奴よ晩も定番冷奴 健雄 炎天下石塔の影涼潜む 俊文 窓越しに咲いて消えゆく遠花火 恒雄 在りし日の村歌熱唱盆の月 吉之 病床へスマホで送る滝しぶき 美恵子
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令和6年8月21日 福井花鳥会 坊城俊樹選 特選句
生身魂昔々を憚らず 雪 火取蟲まみれと云へる灯が一つ 同 団扇風もて看取りたる日ももう遠く 清女 空蟬の小枝にすがり艶めきぬ 笑子 語り部を継ぐ幼子の原爆忌 同 百年史たどる球場雲の峰 同 生身魂団扇で人を指図する 和子 贅沢な時を引寄す揚花火 千加江
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
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大宮「ギャラリーサクラ・モヒラ」代表の平間保枝さんが本を出版!「サクラモヒラの物語 マンゴウの実る時」
美しい天然素材のバングラデシュ特産綿製品を展示販売する「ギャラリー サクラ・モヒラ」へいってきました
ギャラリーでは、手紡ぎ、手織りのカディ綿を使ったバングラデシュの製品等を展示・販売しています。
サクラは日本の「桜」。モヒラはベンガル語で「女性」。バングラデシュの農村の女性と子供を支援するプロジェクト「Sakura Mohila(サクラ・モヒラ)」のギャラリーです。
その活動を平間保枝さんと元駐日バングラデシュ大使のハク氏が30年ほど前にスタート。
村で小学校の設立や、女性の就業支援などに取り組んできました。
美しい布巾やかわいいポーチ、衣類、手頃価格の品もあり贈り物にも喜ばれそうなものがたくさん
鞄作家・光岡奈緒子さんの個展 サクラモヒラ素材とのコラボレーション作品が展示中でした。
素敵な作品がいっぱいでした☆
サクラモヒラ代表の平間保枝(ひらま やすえ)さんの本が今年2月に出来上がりました!
「サクラモヒラの物語 マンゴウの実る時」(1500円)
バングラデシュのナラヤンプール村から始まったサクラモヒラ30年の活動の記録です。
平間さんは、さいたま市在住。
2012年に埼玉県「いちおし『起』業プラン大賞」、2014年にさいたま輝き荻野吟子賞(きらきら輝き部門)を受賞されています。
サクラモヒラのホームぺージから購入することができますよ。
この日は、小笠原弘三氏 お話会「世界80余か国をめぐって ~私はこんな旅をしてきた~」でした。参加費は500円。お茶&スイーツ付☆
サクラモヒラでは、このような文化的なイベントも開催しています。
代表の平間保枝さんと、遊びにきていたバングラデシュの大学生と。学校ではITを学び、絵を描くことが好き。10歳の頃から日本で暮らしていたそう。日本語上手です!
お茶会での手作りスイーツとティー。美味しかった♡
「サクラモヒラの物語 マンゴウの実る時」
かわりゆくバングラデシュや平間さんが活動に奮闘する記録が綴られいます。
ギャラリー&ショップのサクラモヒラにも是非!
Sakura Mohila(サクラモヒラ)
さいたま市大宮区大門町3-205 ABCビル 502号室(大宮駅東口徒歩5分) Tel 080-5008-0562(直通)
現在、アコレおおみやホームぺージ(https://acore-omiya.com/)はリニューアル中です。(2024年5月)
リニューアル完成まで、こちらのblogで発信いたします!
今までの記事は旧アコレおおみやホームぺージへ ↓
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春寒(蛇道初瀬)
※CoCシナリオ「死体は話さない」のネタバレを含みます。
重量のあるドアを少し力を入れて開くと、からんからんとやや大きめのドアベルが鳴った。いらっしゃいませ、何名さまですか。 「一名で、後からもう一人来ます」 どこでも空いている席にどうぞ。返ってくる声に軽く会釈して店内を見回す。二人掛けのテーブルも空いてはいたが、荷物のことを考えると少し狭いだろう。昼間から集まって盛り上がる近所の老人たちの背後、通路を塞ぎ気味な椅子の背にボストンバッグをぶつけないようやや気を張ってすり抜けて、窓際のボックス席に滑り込んだ。 昼下がりの喫茶店アカツキは、満席でこそないもののそこそこに繁盛している。最初に東海林や蓮実と来たときには少し気遅れしたドアベルの音の大きさに驚くこともなくなって、店内BGMの落ち着いたジャズもすっかり耳慣れたものになった。加えて今日はFRIENDSの作業着でもないから、他の客からじろじろと見られることもない。もっとも作業着を着ていたところで、この店の中で因縁をつけられることはもうないだろうと思うけれど。 天井にぶらさがったランプの光が、テーブルの木目を柔らかく照らしている。そういえばこの席に���、最初にあいつらと来店したときにも座った。斜め前に東海林がいて、正面には蓮実がいた。本当はそういえばでなく意識的に選んだのかもしれなかった。 注文を終えて、料理��待つ間、窓の外をぼんやりと眺めていた。
あれほど深く積もっていた雪はこの数週間ですっかり溶けてしまって、俺はこの道路沿いの歩道のタイルが、レンガのような赤茶色をしていたことを初めて知った。数年前に一部だけ舗装し直したらしく、思ったよりもはっきりした色だ。元々はこれが普通だったのだろうが、雪かきをしてもすぐに薄く白がかかる乙保しか知らない俺にとっては、未だに目が慣れない道なりだった。 人が踏みしめて歩く場所はもうすっかり春の様相だから、街路樹の根本に溶け残る雪を見ると少し安心した。上手く説明はつかないが、俺にとってはそのわずかな氷が、記憶にあるとおりの冬の街と今の接点なのだろう。
一昨日、菊池が動かなくなった。 その一週間前には俺や黒鉄のことがよくわからなくなって、自分のこともあまり覚えていないような様子だった。そのあとは段々言葉がうまく出てこなくなって、やがて体が動かなくなった。 菊池を見送ったこの数日のことは。もっと言えば、この街に来てからのすべてのことは、全部鮮明に覚えてはいるけれど未だ整理がついていなくて、というより整理を――理屈をつけて飲み込んで何かしらの教訓にしたり、何もなかったように消化して元に戻らないといけないようなことだとするのも嫌で、どうとも形を変えられないまま、ただ現物そのままが頭の中に横たわっている。 岸さんがまだ復帰できないこともあって、株式会社FRIENDSはしばらく休業に入るらしい。小田原さんは宣言通りに菌を処分し、死者を蘇らせることをやめてしまったから、アルバイトの人員はもう必要ない。別にここを出たところで俺には帰る場所も職も宿もないのだが、この市に留まり続ける理由がなくなってしまったから、俺は明日、黒鉄と同じ便で東京へ戻る。まあ、しばらくは小田原さんから貰った金でどうにか生きていけるはずだ。 最寄りのターミナル駅から出る新幹線の便は明日の朝。午後から小田原さんが留守にするので、長らく職場兼宿として世話になっていた会社には先程挨拶を終えて、今夜は二人とも高速バスの駅に近いホテルに泊まることになっている。実質、今日が乙保市で過ごす最終日だった。 豪雪の解消により運行を再開した市内の路線バス(それでも数時間に一本)を待つついでに、喫茶店で遅めの昼食を取ろうということになっていたが、黒鉄が出かけ間際に忘れものに気付いたため置いて先に出てきた。別に社内で待っていても良かったのだが、散々別れの挨拶をした後では若干手持ち無沙汰だったのだ。 「たらこスパゲッティです、どうぞ」 明るく、少し張りのある声が左上から降った。聞き覚えを感じてそちらを見る。店主の堂本沙紀さんだった。差し出されたスパゲッティの皿に軽く頭を下げると、彼女は俺の視線に気付いたように軽く付け足した。 「今日が最後なんだってね、お疲れさま」 小田原さんから俺達が帰ることを聞いていたのだろう。堂本さんはにこりと微笑んでカウンターへと戻っていく。その笑顔がやややつれて見えたのは、単に俺の穿ちすぎなのかもしれない。俺は堂本さんと深く話したこともないし、彼女のことをよく知らないから、本当の所で彼女が何を考えているのかはわからなかった。けれど俺は最近、彼女がもう一度母親を亡くしたことは知っている。 堂本さんはカウンターの向こうで、同じ色のエプロンをした店員に何事か声をかけている。少し前にこの喫茶店は数週間ほど休業し、その後からは、あのカウンターで堂本さんに似た老年の女性を見ることはなくなった。店の外側から目に見えてわかる変化といえばそのくらいだ。俺達の方もきっと、何も知らない人間から見たらその程度なんだろう。アルバイトに来ていた、騒がしい若者集団の人数がそういえば何人か減ったかもしれない。ただそれだけ。 お母さんのことも、菊池のことも蓮実のことも。堂本さんや俺にはとっては絶対にそんな小さなことではなくとも。 テーブルを見下ろす。出来立てのたらこスパゲッティはまだ軽く湯気を立てている。近くの席で談笑する老人たちの笑い声が遠く聞こえた。腹は減っているはずなのに、食欲よりも思考ばかりがぐるぐると回って頭の中を散らかしていくようだった。 フォークを入れる。家族が亡くなるというのは、どんな風だろう。スパゲッティを巻きとる。その想像は今の自分にはとても身近に感じられて、そう思ったこと自体に胃の辺りが粘つくような焦燥感があった。 『死体は話さないだろ。生きてくれなきゃ、困るんだよ』 少し固めの麺を口に運んで噛みしめながら、いつかの岸さんが嗚咽する声が頭の中でずっと反響する。俺も、俺だってそう思う。 死んだ人間はもう何も話せないなんて、もう何もできもしないだなんてことは、本当に恐ろしいことだ。
食べだすと思ったより腹が空いていなかったとか、明日からの宿はどうしようだとか、目の前のことに振り回されて生活を続ける合間でたまに想像してしまう。 もう半年以上行方のわからない弟は、三笠は今どこにいるんだろう。もし姿をくらましたのがあいつ本人の意思ではなくて、今もどこか冷たい場所に転がされていたら、誰かに殴られていたら。弟が悲鳴を上げたり助けを求める所なんて想像ができないけれど、もし万一そんなことになっていたらと思うと、目の前にあることが急に色褪せて、今すぐにでもどこかに向かわなければならないような気がしてくる。 もしも死んでいたら、どうしよう。何を喋ったかもあまり定かでない、適当に打ち捨ててしまったあの瞬間が人生であいつと話せる最後だったら。
弟と最後に会ったのは、ちょうど一年前くらいだろうか。課題に必要だったとかで、彼が実家まで本を取りに来たときだ。当時の俺は一番酷い時期で、ほとんど毎日自分の部屋に籠りきり、父に怒鳴りつけられた時以外はそこから一歩も出なかった。三笠は多分俺と顔を合わせたくはなかっただろうが、うちの家は子供部屋が共用だから仕方がなかったのだ。 渋々といった様子で部屋をノックしてきた三笠に、あの時の俺はなんと返したんだったか。当時の自分の精神状態からして、絶対にあまり良い言葉ではなかったことは確かだった。情けなくて目は合わせられなかったが、俺に構わずさっさと目当ての本を手にした三笠は多分、呆れ切ったような、冷めた顔をしてこちらを見ていたのだと思う。二言三言だけ何か話して、バタンとドアが閉まった。 じっくり顔を見ることなんてしなかったから、記憶に残っている弟の最後の姿は、振り返らずに部屋を出ていく背中、それからドアノブを握る手だ。 三笠はいつも、ドアをきっちり最後まで手で閉めてから出ていく。 それは昔、俺がたまにドアを半開きにするのを父に叱られていたのを見たからだと聞いたような気がした。 生き物が死んだ後にどこへ行くのか、俺は知らない。この世の誰もきっと知らない。じゃあ蓮実は、菊池は、我先にと井戸に落ちていった動物たちは、どこへ行ってしまったというんだろう。 黒鉄と退散させたあの納骨堂の神様とやらのところなのか、それとも。自分が死んだことも、水槽のなかでぐるぐるとかき回されていたことも、生き返らされたことも、何も覚えていないまま彼らが帰ってきていたのなら、あいつらが一度行って帰ってきてまた向かった先のところには本当は何もなくて、無いんだろうか。『無い』って何だ? もしもそうだとしたら、あいつらはこの先本当に何にもできないってことか。 考えれば考えるほど、取返しのつきそうなことが何もなくて怖かった。でもそれを忘れてしまうのはもっと嫌だった。
「初瀬さん」
左上から、今度はもっと硬質な男の声が降った。黒いバッグを肩に掛けた黒鉄が、長い体を折り畳むようにして向かいの席に腰掛ける。 「あったか? イヤホン」 「まあ」 菊池先輩に貸してたの忘れてて、そっちの荷物に紛れてました。そう返事が来たところで一瞬言葉が途切れ、黒鉄は何やらもの言いたげな顔で俺の顔と、四分の一程進んだスパゲッティの皿とを交互に見た。 「何だよ」 「……、や、別にいいんですけど、普通こういうときって、飲み物だけ頼んで待ったりしません?」 もう食ってるし、と続けざまに突っ込みが入る。特にそこに考えが及んでいなかったけれど、まだ飲み物を別で頼むほどの金の余裕はないし。どうせ食べる速度は俺より黒鉄の方が速いこともこの二か月弱でわかっていた。別に改めて一緒に食事をしようという場でもないし、先に始めておいた方がバスの時間に焦らなくて済むだろうと思う。 「? 分けるわけでもないし、お前はお前で頼むんだからいいだろ」 メニューを渡すと、「そういうことじゃなくて」と「まあいいか」がほぼ同時に発される。言いたいことがあるならはっきり言え。 「すみません、注文いいですか」 多分こいつは肉だろうな。片手を上げて店員を呼ぶ黒鉄の横顔から、もう一度窓の外に視線を移す。予想通り「石焼ハン��ーグで」と頼む声を片耳で聞きながら、俺は東京に戻ってからのことを考えていた。
帰ったらまず、三笠を探そう。警察が調べてわからないものをどうにかできると思っているわけではないが、何か行動を起こさないとどうにも胸の据わりが悪くて仕方がなかった。そうだ、小田原さんとも話していたけど、菊池の両親と連絡も取らないといけない。連絡先を知っていそうな同級生を探すかどうにかして。何の本当と嘘をどう伝えるべきなのかも整理がついていないが、息子の遺品の一つも手に渡らないのはいくらなんでも酷すぎるから。 遺体は小田原さんが丁重に葬ってくれると言っていたけど、その内乙保市に墓でも建てることになるんだろうか。一時アルバイトで留まるだけのつもりだったこの冬の街から、あいつはもう永遠に離れられなくなってしまった。街路の雪に染みた血痕が脳裏に蘇る。一応は見送ったはずなのに、結局はまた置いていくようで息が苦しい。 でももう、ここも随分と暖かくなってしまった。 「あそこ、あんな風になってたんだ」
注文を終え窓の外を眺めた黒鉄が、何かに気付いたようにぼそりと呟く。 視線の先にはあのタイルがあった。 「……明るいよな」 反射的に相槌を打つと、反応されるとは思っていなかったのか、黒鉄は意図を汲みかねたような顔でこちらを見た。 「色。思ったより。もっと地味だと思ってた」 「ああ。そうっすね、確かに」 あそこだけ新しいのかも、と黒鉄は言って、歩道の話題はそこで途切れる。喫茶店周辺の歩道の舗装状況なんかはよそ者の俺達には関係がなく、今の数十秒全部が特に意味のない言葉の往復だった。けれど頭の中のスイッチを切り替える拍子にはなったのか、いつのまにか視覚・聴覚の焦点は賑やかな喫茶店の中へと戻っていく。
隣のテーブルから軽く笑い声が上がる。何をそこまで盛り上がることがあるのか、来店時に見た老人たちは未だ飽きずにお喋りに興じていた。 気が付けばスパゲッティはもう半分冷めていて、俺は同時に、帰ったらまず仕事と部屋も探さなければいけないのだと思い出した。そういえば前に東海林から来た電話で、東京に戻ったときは連絡しろと言われていたような気がする。飲み会だったか、飲み会? 俺と? よくよく考えると社交辞令の可能性も若干あったが、もしもそうだったら東海林なら上手く断るだろう。それだったら蜂須賀にも、菊池の件について何か報告しておくべきだろうか。唐突にそれだけ連絡されても返事に困るか? 別に文字だけであれば既読で放置してくれても構わないのだが、俺は蜂須賀のその辺りの温度感がいまいち掴めていない。 まあいい、その辺の塩梅は黒鉄の方に訊こう。どうせ明日の新幹線までは同じところにいるのだから。 お待たせしました、と運ばれてきた石焼きハンバーグの皿から、じゅうじゅうと焦げた匂いが漂ってくる。 湯気の立つその皿にいただきますと行儀よく手を揃えてから、黒鉄はこちらの皿と俺を同時に見やった。 「あの、冷めますよ」 ていうか多分冷めてます。口を挟むタイミングを伺っていたような台詞に、わかってるとだけ返して食事を再開する。
すっかり硬くなったスパゲッティはそれでも、最初に咀嚼したときより少しだけ味がした。
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六篇 上 その五
伏見の京橋から船に乗った弥次郎兵衛と北八。 急な雨に、船を岸に止めることになった。 弥次郎兵衛と北八は、一旦、岸に上がって戻ってくるのだが、船を間違えてしまう。
さてさて何も知らない二人を乗せた船は、船は右にさおさしひだりに綱引きのぼりはやくも、八幡山の先をすぎ淀川を上って夜明けも近い頃に伏見に着いた。 苫(とま)からさしこむ光は白く、鳥の声が朝を告げている。 船着場に着くと乗り合いは、みなみな目をさまして立騒ぎ出す。
北八と弥次郎兵衛も起き出すと他人の笠と風呂敷包みを手に引きさげて、船頭が船と岸の間にかけてくれたあゆみ板を渡って、岸にのぼり 船宿に入った。 遅れて乗り合いの人々が降りてきて船宿に入ってきたが、見知った顔が一人もない。 弥次郎兵衛は、はてこれは不思議と、そこらをうろうろ見回しながら、 「おい、北八。俺に酒を飲ましてくれたじい様は、どうしたんだろう。」 と北八に聞くと、 「そういえば、あの長崎の者や越後の者もみあたらないようだ。 まあ、おおかたここへよらずに行ったんだろう。 俺らはここで、ゆっくり支度してから出かけようや。」 とのんびりしたもの。 この二人は、まだ、元の伏見に戻ってきたことに気がついていない。 「どなたも、食事あげよかいな。」 と、船宿の女中が人々の間を回っている。
「おい、ここへ二膳たのみます。」 と弥次郎兵衛が女中に言うと、 「はいはい。」 と女中が答え奥に引っ込んでしまう。 女中は、両手に膳を持ってくる。 そこには炊き立ての飯に、豆腐を煮た物を浅く平たい椀に盛ってやってくる。 この料理は伏見では、当たり前の料理なのだが、二人は初めて食べるので当然知らない。 もとより大阪へ着いたとばかり思っていたので、うまい、うまいとぱくついている。
「さて、今日は、これからどうしようか。 まず、長町の分銅河内屋という宿屋へ行って宿を取ってから、すぐに芝居でも見ようじゃあねえか。どうだい。」 と弥次郎兵衛が飯を食べながら、北八に言うと、 「俺は、新町という遊郭を早く見てえな。」 と答える。 「おお、それもいいな。熱っ、ムチャクチャ熱い汁だ。ぺっ。」 と弥次郎兵衛は、ニヤつきながら考えている様子。
さてこの二人のそばに、船から上がってきていた三、四人連れが、同じように支度をしながら、 「太兵衛さん。お前、大阪の虎屋の饅頭はどうしたぞの。」 「まあ、聞いてくれ。けったいなこっちゃ。ほんまに。 昨日、わざわざあそこへ行って買って来て、とんと、大阪の船宿の大佛屋に忘れたわいの。」 太兵衛は頭をかきかき答える。 又、別の一人が、 「つい、ひとっ走り行って取ってごせ。半日もあれば着いてしまう。」 と冗談交じりに言うと、 「ははは、そないな、無理なことを言いなさんな。ははは。」 と苦笑いしている。
この話を聞くとはなしに聞いていた弥次郎兵衛は、不思議そうに、 「もし、あなた方が今言いなさった虎屋というのは、確かに大阪でございやすね。」 と問いかける。 聞かれた男は、 「さよじゃわいの。」 「その虎屋の饅頭を忘れたとおっしゃった大佛屋とやらは、どこにございやすんで。」 とさらに、弥次郎兵衛が聞くと、 「そりゃ、新町橋の西詰めを南へ行くと、四橋付近に出る。」 と男は答える。
「その新町橋を南へ行くとすると、ここからどのくらいでございやすね。」 「ここから、歩いて半日くらいじゃろ。」 それを聞いて弥次郎兵衛は、 「はてなあ、大阪は、思いのほか広い所だのう。北八。」 と北八の方を見る。 「なに、そんなわけがあるはずない。俺らをからかっているんだろう。 ここから、半日もかかってたまるものか。」 と北八は、その男が二人をだましているのだろうと思った。 「いや、お前さんは、ここをどこじゃと思うてじゃ。 ここは、伏見の京橋じゃがな。」 と男が言う。
「なに、伏見だと。こりゃ、北八が言うとおり貴様たちゃ、人をだますもんじゃねえ。 俺らは昨夜、伏見から船に乗って来たんだ。」 と弥次郎兵衛は、北八の言う通りだったかと男に文句をいった。 「何、言わすんなら。桃山の狐にでも、かつがれたんじゃろぞい。 まあいいから、どいときなせえ。」 と饅頭を忘れた太兵衛も加勢する。 「のいてろだあ。それに俺を狐付きとは、どういうこった。 こちとら、江戸っ子だぞ。ばからしい。」 と、北八もまけてない。
このごたごたの最中この大阪者の連れらしき連中が、二、三人駆け寄ってきた。 「なんじゃい、なんじゃい。なに口げんかしてじゃ。 そんなことより、こっちゃ、どえらいめにあおうたわいの。 こいつらが包みを船で無くしたさかい、つい今しがたまで探しとったんじゃが、全然、見つからんわいの。」 と言いながら、ひとりが弥次郎兵衛のかたわらにある包みを見つけ、 「いや、権助さん、あそこにあるわいの。 そやさかいわしが言うたじゃろ。先に上がった者に問うてみやんせと。」 「ほんまじゃ。これじゃ。」 と権助が取り上げようとすると、弥次郎兵衛はさっと後ろに回して、 「こりゃ、何をする。この包みは俺のだ。」 「なにいうてけつかる。おどれら、けしからんこと、はたらきくさるな。 こりゃ見い。風呂敷の端に、わしの名が書いてあるわい。」 と権助に言われて弥次郎兵衛はびっくりしながら、よくよくみれば確かに、自分の包みではない。
これはどうしたことかと、 「ありゃ、こりゃ、間違えた。それ戻しましょう。でも、俺のはどこにある。」 と弥次郎兵衛は辺りをみまわす。 権助は、 「あほんだらじゃ。おどれらの包みを誰がしるもんか。」 と言うのに、 「なるほど。おい、北八。俺らの包みをどうした。」 と弥次郎兵衛は、北八に食って掛かる。 「何いってやがる。 お前、俺の荷物もとって、いっしょにしたじゃねえか。 それを自分のそばに置いといて、どうして俺がそれをしるもんか。」 と北八も、弥次郎兵衛のほうをみる。 「はて、おかしいことだ。」 と弥次郎兵衛は腕組みして、権助らに問いかける。 「もし、本当にここは、伏見にちげいないかね。」 「そうじゃ。」 「ははは、なにをぬかしくさるやら。」 「あの、顔見てやんせ。けったいな奴らじゃ。」 と皆は、口々に言う。
北八はそれでも、さっき馬鹿にされたのが気に食わないので、 「いや、こいつらは信用ならね。」 と小さな声で言っている。 権助が、 「信用するも、しねえもなえ。要するに、おどれらが、あほじゃということじゃ。 こうして包みも戻ってきたことだし、許してやるからさっさと、出ていにくされ。」 と言う。
弥次郎兵衛は、腕組みしたまましきりに首を傾け、 「こりゃとんでもない目にあったが、さっぱりわからねえ。 北八よ。いったいどうなってるんだろう。」 と北八に問いかけると、 「うん。俺にもわからねえ。一体全体、昨夜は、何日だっけ。」 「むむ、昨日か。 昨夜はあの頃に見た月からすると、おおかた、二十四、五日だろう。」 北八が、さらに、 「今月は大の月か、小の月か。で、昨日は、何日だ。」 「それを考えてたところよ。ほれ、どこでかとまった時、甲子だといったじゃあねへか。」 と弥次郎兵衛が思い出しながら答える。
「あの宿屋か。あそこの茶飯はうまかった。」 と北八が、全然関係ないことを言うと、 「そうそう、あん時の牛房の大きさは、今思い出してもよだれがでる。」 と弥次郎兵衛も、関係ないことを思い出す。 周りの連中は、この話を聞きながら、 「わははは、こりゃ、どうでも、あいつらは、気が違ってるようじゃわい。わははは。」 と腹をよじって大笑いしている。
この中でも年上の太兵衛が、しばらく考えて、 「ははあ、わかったぞ。 みるからに、あほそうな二人じゃさかい、人の物を盗むほどの頭は持ち合わせてはおらんじゃろ。」 と二人の方に向き直って、 「こりゃこういうことじゃろ。 お前さんがた、昨夜、伏見から乗らんして途中で、船から用たしでもするつもりで、岸にあがらんしたことがあろがな。」 と、弥次郎兵衛らに話しかける。
つづく。
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