#竹割り
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餅つき→ラーメン+チャーハン(ダイエットメニュー=カロリー0)からの凧揚げ🪁 突風と極寒のため早々に終了しました。 #浜松凧 #作りたい #愛 #赤い凧 #茄子紺の凧 #魔法の言葉 #ありがとう #尾っぽを決めるのは糸先の人 #何事も経験 #川の中 #墜落 #生田真也 #凧 #竹割り #竹割鉈 #ハンマー #真竹 #矢竹 #秋葉山本宮秋葉神社 #乾燥 #山の神様 #ジュート #麻縄 #竹ひご #電工ナイフ #わくわくすること (at 遠州灘海浜公園 風車) https://www.instagram.com/p/CmTeJyov0PQ/?igshid=NGJjMDIxMWI=
#浜松凧#作りたい#愛#赤い凧#魔法の言葉#ありがとう#尾っぽを決めるのは糸先の人#何事も経験#川の中#墜落#生田真也#凧#竹割り#竹割鉈#ハンマー#真竹#矢竹#秋葉山本宮秋葉神社#乾燥#山の神様#ジュート#麻縄#竹ひご#電工ナイフ#わくわく��ること
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御願神事 Gongan Shinji
photo: @EiichiYoshioka
#photography#streetphotography#photographer#original photographers#artists on tumblr#lensblr#lensculture#japan#festival#shinto#ishikawa#kaga#竹割まつり
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#IFTTT#Instagram 日本酒 sake 燗の美穂 谷町六丁目 先週土曜日、夜勤明けの16時から 竹鶴濁りのソーダ割り 天穩土雲 甘酸っぱい系 鶏の醤油粕漬け焼き、味が濃い 春鹿亜紀 櫛羅 隣に座っ
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水と油と私 ・ 職業に貴賎は無いと思っていますが、前の職場で受けた社内研修の中で昔あった事件として「士農工商代理店」という表現が大きな問題となったことを知りました。 ・ 以前エネルギー企業を担当してたことがあって「油を売る」って表現がネガティブな表現だなと思えば髪油を売る人が世間話をしながら販売してたから無駄話を指すみたいです。 ・ 「水商売」というと飲食店や女性が接客してくれてお���が飲めるところをイメージしますが、水道局のことは指さないのですかね? ・ もうそこらへんは、一緒くたにしてウォーター系とか呼んじゃえば幸せになれる気がします。と言うわけで本日のディナーは #魚竹 です。 ・ ランチでは何度もお邪魔していたのですが、夜は初めてです。こちら方面の打ち合わせ後に同僚が「魚を食べたい」と言うことでやって来ました。 ・ まずは #ハートランド で乾杯です。少し甘みのある #ビール で美味しいですね。お通しは #しらす と茹でた野菜が優しい感じです。 ・ そして #たこあら塩あぶり がやって来ました。そのままでも美味しい #たこ ですが、軽く炙ったおかげで、旨味がじんわりと引き出されています。 ・ 続いては #自家製玉子焼とポテトサラダ盛り合せ です。 #玉子焼 は旨味がぎゅっと詰まっていて、これでまたお酒が進みます。そして #ポテトサラダ も丁度良い食感。 ・ 続いて #刺身 の盛り合わせが来ました。新鮮な #まぐろ そして #ぶり の味わいがたまりません。光り物の #さば がいい味を出しています。 ・ #天然ぶりあぶり も絶妙な火入れです。一緒に海苔と食べると美味いですね。 #焼魚 も普段ランチで頂いている #焼鮭 は変わらずジューシーで脂身たっぷり。皮まで美味しい。 ・ そして別の魚はなんだか忘れてしまいましたが、身の感じがふわっとして美味しいです。最後は #おにぎり を頂いて中の #明太子 を味わって大満足になりました。 ・ 鮪のメニューが売り切れてしまっていたので、次回はねぎま煮かねぎま鍋を頂きたいなと思います。 ・ #築地和食 #築地割烹 #築地グルメ #築地海鮮 #築地居酒屋 #築地定食 #とa2cg (魚竹) https://www.instagram.com/p/CmAPP1ty2z7/?igshid=NGJjMDIxMWI=
#魚竹#ハートランド#ビール#しらす#たこあら塩あぶり#たこ#自家製玉子焼とポテトサラダ盛り合せ#玉子焼#ポテトサラダ#刺身#まぐろ#ぶり#さば#天然ぶりあぶり#焼魚#焼鮭#おにぎり#明太子#築地和食#築地割烹#築地グルメ#築地海鮮#築地居酒屋#築地定食#とa2cg
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MINAMOは、日本のモデル、AV女優。ティーパワーズ所属。 ウィキペディア
生年月日: 2000年5月10日 (年齢 23歳)
映画: 花腐し
ジャンル: スチールモデル、アダルトビデオ
スリーサイズ: 88 - 54 - 88 cm
ブラサイズ: F
出身地: 日本・京都府
専属契約: SODクリエイト
趣味は映画鑑賞、レコード鑑賞、家具巡り、読書。好きなアーティストはCHARA、竹内まりや、松任谷由実、ディーン・マーティン。尊敬する人は母。
特技はインタビューにて「フェラです!」と回答している。 好きな体位は正常位。また、2022年のインタビューでは自身のファンの7割がお尻ファンであると答えている。
自身のYouTubeチャンネルにて「宇宙人は存在している」という話をしたところ、スタッフの判断で全てカットされる。イベントでは来訪する約7割が女性ファン。ラランド・サーヤも推しとしており、その��由を「体はもちろん所作がきれい。マジでプライド持ってやってる感じがカッコいい」と語っている。
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2024.10.12(土) 昼に「蕎麦 やすたけ」で天ぷらそばを食す。 こちらのお蕎麦は当日分を店主がすべて手打ちしているという十割蕎麦で、細麺と太麺があり、好きな方を選べる。 写真には���ってないが、お箸は放置竹林の竹を利用しているそうだ。 お蕎麦も天ぷらも、濃厚な蕎麦湯もすべておいしかった。 人気店だけある。
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vocab of the day
nouns:
回収(かいしゅう) = collection, recovery, retrieval
認定(にんてい) = authorization, acknowledgement, certification
刈り上げ(かりあげ) = close-cropped hair, undercut
つきもの = essential part, unavoidable part
怠け者(なまけもの) = lazy person
verbs:
立ち振る舞う(たちふるまう) = to act, behave
惹かれる(ひかれる) = to be charmed by, attracted to
崇める(あがめる) = to revere, worship
うろたえる = to be flustered, lose one's presence of mind
決めつける(きめつける) = to (ignore evidence and) arbitrarily decide something is the case
かっさらう = to carry off, swipe, nab
自惚れ(うぬぼれ) = pretention, conceit, hubris
adjectives:
稀有(けう)な = rare, uncommon
いやらしい = unpleasant, disagreeable; lewd, dirty
レベチな = in another league, on another level
うさん臭い(くさい) = suspicious-looking, shady
いけすかない = nasty, detestable, creepy
adverbs/onomatopoeiae:
ガチで = truly, in earnest
うっかり = carelessly, inadvertently
スバリ = decisively, decidedly, once and for all
危うく(あやうく) = barely, narrowly; nearly, almost
expressions:
竹(たけ)を割った(わった)よう = clear-cut, straightforward; honest, frank (of a person)
案(あん)の定(じょう) = just as one thought, sure enough
一喜一憂(いっきいちゆう) = swinging from joy to sorrow, alternating hope and fear, unable to put one's mind at ease
〜っぷり = manner, style
念(ねん)のため = just in case, for caution's sake
とはいえ = although, be that as it may
なんでもあり = no holds barred, anything goes
オブラートに包む(つつむ) = to say in a round-about way (so as not to upset), cushion the blow
お言葉(ことば)に甘える(あまえる) = to take someone up on their offer, accept a kind offer
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暖かくなってまいりましたので、地震で崩れた土蔵の壁を、縁側の壁崩落箇所の下地に使おうかと分別を開始。
水簸の設備もないのでちまちまとふるって。
出てきた石は庭に撒きましょう。
あ、土蔵の足元ちょっと固めればいいのかな。最終的に。
さて崩落現場。
猫さまが外を眺めている窓の反対側で、織部屋の壁の外側にあたる部分。
ここは木摺下地なのかぁ、と思っていましたら…
今日この溝の部分を剥がしていったら、あらびっくり。
中に壁があるよ?
白いよ?
おまけに割れてるね!?
オマエのせい��ー!?
…割れたからなのか、ここに明かりを引きたかったからか、どうも漆喰壁の上に木摺の枠組みをして再度漆喰が塗ってあった模様。
真ん中も4寸材が立ってるし、織部屋側からも塗り直す予定だからトータル強度はいいのかな(割れてるのが気になる)
割れの奥にほんとの芯材らしき小舞竹っぽいものも見えるので、元の壁のこちら側はそう厚くはなさそうだけど、これはいったいどうしたことか…
とりあえず下塗り開始です。
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2024.07.20 NAO YOSHIOKA New Album "Flow" Release Party @ Blue Noto Tokyo 2nd St
Nao Yoshiokaのニューアルバム『Flow』のリリースパーティーを観にブルーノート東京に行ってきました。
ニューアルバム『Flow』については、クラウドファンディングに参加していたため、アルバムリリース以前にSweetSoul Recordsで行われたリスニングセッションにて楽曲は既に聴いていた。率直な感想は、現在の日本のオルタナティブR&Bを代表するアルバムの1枚だと確信した。
その際、今回のライブのミュージックディレクターでもある宮川純がライブに向けてのアレンジや意気込みを語っていたのだが、その期待をはるかに上回る完璧なアレンジと、あのNewJeans東京ドームコンサートにてバックを勤めたギターの磯貝一樹をはじめ凄腕ミュージシャンたちのサウンドが、まさに『Flow』(好きなことに没頭して心が集中する状態)を体現した最高のライブだった。
instagram
NAO YOSHIOKA New Album "Flow" Release Party 2024 7.20 sat. @bluenotetokyo [1st]Open3:30pm Start4:30pm [2nd]Open6:30pm Start7:30pm
Nao Yoshioka (vo) @nao_yoshioka 宮川純 (p,key) @junkeys 磯貝一樹 (g) @kazuki_isogai 堀井慶一 (b) @keiichihorii 松浦千昇 (ds) @yukinops
林剛氏のライナーノーツから引用する。
デビュー作『The Light』(2013年)では「I'm Not Perfect」で自分が好きじゃないと歌い、『Rising』(2013年)ではどうしたら自分を好きになれるのかを追求。『The Truth』(2016年)で新しい自分の可能性を見つけ、『Undeniable』(2019年)で自分を好きになっていく、といったプロセスを経ての強制的なリセット。だが、一旦動きを止められたことによって、改めて自分がやりたいことを自問し、素の自分と向き合うことになる。そうして好きなことに没頭していくうちに恐怖から解放される状態、心理学で言うところのフロー(flow)状態にあることに気づく。それが今回のアルバムのテーマであり、タイトルになった。
Nao Yoshiokaのこれまでのアルバムは、自身の「セルフラブ」の変遷と言えるのではないかと思う。またコロナ禍以降、日本のZ世代の関心領域として「セルフラブ」が重要な役割を果たしてきていると考える。
「セルフラブ」の詳細についてはZ世代を代表するインフルエンサー、竹田ダニエル氏のこちらの連載記事が参考になる。
さらに、この「セルフラブ」のコンテキストを現在の日本のオルタナティブR&Bに落とし込んでいるのが、R&Bシンガーaimiだ。
ちなみに、こちらのポッドキャスト番組ではaimiとNaoの最初の出会いについても語られている。
ライブの感想に戻ると、ダンスナンバーも多い今回のアルバム。いつになったらスタンディングになるのかなと心配していたのだが、Naoの手招きて観客全員がスタンディング、そしてダンスと、まさに『Flow』状態となった。アンコールは「Note to Self」を観客全員一体となって合唱。素晴らしいステージだった。
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SUZUKI JIMNY XL JB64-3(2023)
貰い物ムーブ、中古アルトときて、3台目のマイカーは新車となりました。前の2台と違って「欲しくて選んだ車」です。 平成30年に走行5,000km弱で購入した���ルトに乗って約4年。2回目の車検を終えた2022年3月、走行距離は7万kmまで伸びていました。 まだまだ乗れそうではありましたが、ちょっとしたトラブルが発生し、次の車検(2024年3月)にはそこそこ費用が掛かりそうな気配。
そもそも2018年の3月にアルトを買って、その数ヶ月後に登場したのがこの車です。当時の投稿にもありますが、僕がその時の車に求めていた条件が『MTで自転車が積める軽四駆』でしたので、この数年間で増えていくJB64を指をくわえて眺めていました。
今は少し落ち着いたようですが、当時JB64/74は納期がかなり長く、乗り換えを決意し、注文したのが2022年の6月で、納車されたのは15ヶ月後の2023年9月でした。その間にマイチェンで2型から3型になり、余計な機能がスズキセーフティサポートやアイドリングストップが標準装備となり値上がりしました。 注文時に宣告された納期ぴったりでしたので、そこまで"長かった"という印象はありませんでした。
JB64には3つのグレードがありますが、今回選んだのは”XL”、松竹梅でいうところの竹です。 ドアバイザー、フロアマット、ETC車載機と最低限の物に加え、奮発してグリルをオプションとして付けました。
その他のパーツは別途購入し、ちまちまと自分で取り付けました。
ペダルはAPIO製に
カーナビは不要なのでディスプレイオーディオを導入しました
ドラレコは気合を入れて配線
ターボ車に乗る機会があれば付けたかったブースト計。OBD2で水温とかも取れるやつ
3型からMTでも標準になったアイドリングストップのキャンセラー
JAOSのマッドフラップやYAKIMAのサイクルラックを取り付けています。
その他にも細々としたものがついていますが割愛。人気車種だけあってアフターパーツが豊富でついつい買ってしまいます。
純正の鉄チンホイールとタイヤは早々に脱ぎ捨て、夏はメーカー不明のメッキびかびかホイールに定番のオープンカントリーR/T、冬はJB23のホイールにTOYOオブザーブW/T-R、どちらも純正の175/85からワンサイズアップの185/85となり、引き締まった見た目です。冬タイヤ以外は中古ですが。
車が必須な地域で暮らしているので、車を趣味にするのは遥か昔に諦めたつもりでいましたが、すでに結構お金かけちゃってますね。
納車から半年ちょっとで10,000km走りましたが、いい車です。 自転車を積んで車中泊も余裕でこなせます。
リジットアクスルなので決して乗り心地が良いとは言えないのでしょうが、今まで乗ってきた車たちに比べればマシです。 他にも不満がないわけではありませんが、そのすべてを打ち消すくらいに見た目が良い。写真映りが抜群に良い。
移動すること自体も目的になる、頼もしい子です。
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竹ひご作り中です🎋 #浜松凧 #作りたい #愛 #赤い凧 #茄子紺の凧 #魔法の言葉 #ありがとう #尾っぽを決めるのは糸先の人 #何事も経験 #川の中 #墜落 #生田真也 #凧 #竹割り #竹割鉈 #ハンマー #真竹 #矢竹 #秋葉山本宮秋葉神社 #乾燥 #山の神様 #ジュート #麻縄 #竹ひ�� #電工ナイフ #わくわくすること (at Hamamatsu-shi, Shizuoka, Japan) https://www.instagram.com/p/CmDHy46JlOh/?igshid=NGJjMDIxMWI=
#浜松凧#作りたい#愛#赤い凧#魔法の言葉#ありがとう#尾っぽを決めるのは糸先の人#何事も経験#川の中#墜落#生田真也#凧#竹割り#竹割鉈#ハンマー#真竹#矢竹#秋葉山本宮秋葉神社#乾燥#山の神様#ジュート#麻縄#竹ひご#電工ナイフ#わくわくすること
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小泉は菅、竹中に操られて、整理解雇の4要件を形骸化をして、大量リストラを簡単に出来るようにする。 雇用形態は完全に崩壊をして、40代、50代、60代の非正規を溢れさせる。 親の小泉政権の派遣法改正同様に、非正規を溢れさせて、非正規の低賃金��働かされて、正規社員の賃金抑制にもなり、若い世代も人生設計を難しくさせ、少子化を拍車を掛けて、不景気を深刻化させる。 年金を80歳開始にして、非正規の年収に関係無く課税も考えている。 親の小泉政権よりも、規制で守られいるのを無秩序にして、自助努力の名の元に日本を壊滅的に壊す。 小泉が総理になると、解散総選挙、来年夏の参議院選挙後は、解雇の緩和の法改正など必ず歴史的悪法を次々にやる。 小泉が総理なら、解散総選挙で自民党を過半数割れ、どころか壊滅的にさせないと、国民は間違いなく地獄に落とされる。
小泉進次郎氏が怒り 説教質問にカチン!語気荒げ反論→橋本五郎氏に「そんなこと分かってますよ」と一蹴され、笑い 石破氏は苦笑 候補討論会(デイリースポーツ)のコメント一覧 - Yahoo!ニュース
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村上春樹さんとか林真理子さんとか、スルスルと読める文章って、パッとその文章を見た瞬間に「読みやすそう!」と思える。それは「文章の中身」というよりも「デザイン」に近い。漢字と平仮名のバランスとか改行の位置とか「」の割合とかを計算し、ビジュアルとして読みやすくデザインしてる気がする。
竹村俊助/編集者さんのツイート
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あめつちさんの、日本らしい松の絵が素敵な作品
色絵松猫図浅鉢と鎮紙、松ちらし湯のみです。
松の木に登り、ひょぅー。とした表情でこちらを見つめる猫ちゃん。 この自然体のタッチがなんとも言えず素敵で、こちらまで身体の余分な力がぬけ、頬が緩みます。
浅鉢は縁の方に絵付けがされているので、お料理を乗せても絵が見えてる状態で素敵かと。 (裏に描かれた猫ちゃんが可愛らしすぎて心にくい!!)
文鎮も、手のひらに乗るキュートなサイズ。 紙を押さえるという役割だけでなく、ぜひぜひインテリアとして飾っていただきたい!
お湯のみも、私としてはすぐに完売になるだろうなぁと思っていた作品なのですが、なんと2点ございますよ!
滋味深く、品があるけれど堅苦しくない 見るものの在りようまでも自然体に整えてくれるあめつちさんの作品。
残り少なくなってきていますが、手にとってゆっくりお楽しみいただけたら嬉しいです。
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【暮らしのカタチ】 - 工房あめつち ・竹下努・平岡正弘 -
9月13日(金) - 9月21日(土) 10:30 - 16:00
◆期間中営業日 9/13(金) 9/14(土) 9/15(日) 9/16(月) 9/19(��) 9/20(金) 9/21(土)
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Kamisuwa Onsen, collected random infos
Back in March, a reader of this blog asked for a blog entry in the vein of previous "the look of..." features, but for Kamisuwa Onsen 上諏訪温泉. Sadly, there isn't much visual material available and the basic look of the 3 or less remaining Geisha boils down to: Yohatsu, Homongi, light-coloured Obiage, Otaiko Musubi, or the formal look: Tsubushi Shimada, Kurotomesode, red Obiage, Otaiko Musubi. So here, I present some collected random infos you might find interesting.
Kamisuwa Geisha, Setsubun 2014
Dances Kappore かっぽれ Takeda bushi 武田節 Kiso bushi 木曽節 Kohan bushi 湖畔節 Ina bushi 伊奈節 Shôchikubai 松竹梅 (performed in the new year season) Tsurukame 鶴亀 (performed at wedding receptions and birthdays) O-Suwa Takashi お諏訪節 Sukêto bushi スケート節 (Ice skating on lake Suwa) Kirigamine kouta 霧ヶ峰小唄 (ice skating) Onhashira kouta 御柱小唄 Suwa ondo 諏訪音頭 (about the beauty of Suwa throughout the seasons) Okaya kouta 岡谷小唄 (about the Okaya silk industry) Numbers 1930's ("early Showa period"): 200 Geisha in Kamisuwa 1958: 80 1960's: 300 2006: 3 History The first Hanamachi on lake Suwa developed in Nawatemachi 縄手町/畷町 in 1903 (renamed to Otemachi 大手町 in 1909). In the following years, a few Ryotei were established. In 1920, the area of Otemachi 1 and 2 chôme was designated as area for Geisha, so Okiya and Ryotei of the neighbouring Izumichô area 和泉町 were moved there. In the early Showa period (1920's/30's), Okiya that were formerly located in Hamamachi also moved to Otemachi. Kamisuwa had two kenban: Ote kenban 大手見番 and Koyanagi kenban 湖柳見番. In Shimosuwa 下諏訪, it seems kenban had no specific names. In Okaya 岡谷, there used to be another Koyanagi kenban 小柳見番 in the Honmachi area. In Chino 茅野, there were Miyagawa kenban 宮川見番 (current Miyagawacho area), and Eimei kenban 永明見番 (current Nakacho area). Before the around 1969/70, Geisha of these respective cities did not work in other cities. But with the decline of Geisha numbers, the Hanamachi in Okaya, Shimosuwa and Chino were no longer able to meet the demands of their customers, so it was allowed for Geisha from Kamisuwa to pad those numbers.
Chiyomaru 千代丸 in "Showa Meigiren", 1988 Daily life Geisha usually practiced their respective arts (such as Narimono, Nagauta, Kouta, dance) until 15:00, afterwards they went to the beauty parlour to get their hair done, put on makeup and change into work clothes. Ozashiki usually lasted for two hours. Style In the year 1935, Geisha still wore their natural hair instead of wigs, and their hairstyle changed, depending on rank and age. Hangyoku wore Momoware 桃割れ and Oshidori おしどり. Geisha under 26 years wore Yuiwata 結い綿 or Taka shimada 高島田, no info on Geisha between 26 and 30, Geisha aged 31 and above wore Geiko yui 芸こ結い, tsubushi (shimada?) つぶし, icho gaeshi 銀杏返, and yokai maki 夜会まき. Around 1955, most Geisha wore short hair or western updos on a daily base and used Nihongami wigs for work. Becoming Geiko Three mediators who acted as go-between of Okiya and families/volunteers worked in Kamisuwa. According to Manchiyo, who worked from 1930 to 44 in Otemachi, the daughters of poor farmers and travelling entertainers were sold to the Okiya for 15 yen. When the parents met with the Okiya, the length of the girl's service was decided. After becoming employed by the Okiya, the girls were doing "odd jobs", while taking lessons in Hanayagi-ryu dance, Shamisen and other arts. It's like Shikomi in Kyoto, although no specific term is named. When a Hangyoku was ready to become a Geisha, she had to prove her skills in dance or shamisen to a council of dance/shamisen teacher, Okiya owner, senior Geisha, head of the Geisha association and a member of the Kenban. The Okiya spent around 30 yen for an Erikae, while the Geisha had to take a loan of 150-200 yen. If her parents were to borrow money during her time before becoming independent, it was added to her loan. If parents continued to ask for money and the Geisha's debt became too large, they often became prostitutes in order to pay off their debts. Around 2 years after becoming Geisha, they became "Goshugi tori" ご祝儀取り - they receive some of the money from the Gyokudai, but tips were entirely for them to keep. The next level was called "share" 分け, when 40% of all earnings were her own. When becoming independent from their Okiya, they paid fees for food and being registered at the place. Most Geisha also had a patron after becoming independent, which also lead to most of them retiring before the age of 30. @gardengeisha yes, this is about Kamisuwa Onsen located in Suwa-gun in Nagano prefecture!
Sources: https://www.saginoyu.com/blog/10090 (2014) 地方花柳界における〈芸〉と〈色〉諏訪湖沿岸 地域の事例 (2015) 花街文化伝える学校が開校/長野・上諏訪温泉 (2008) はなあかり: 昭和名妓連 (1988)
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「宮崎正弘の国際情勢解題」
令和六年(2024)2月5日(月曜日)
通巻第8118号
孫子を読まずして政治を語る勿れ。派閥解体、政治資金浄化????
吉田松陰の代表作は、じつは孫子の研究書(『孫子評註』)だった
*************************
自民党の派閥解消を聞いて、日本の政治家は政治の本質を理解していないことに唖然となった。派閥はまつりごとのダイナミズムを形成する。パワーの源泉である。それを自ら解体するのだから、政治は星雲状態となる。となると欣喜雀躍するのは中国である。国内政治にあっては、その「代理人」たちである。
孫子が言っているではないか。「謀を伐ち、交を伐つ」(=敵の戦略を見抜き、敵戦力を内訌させ、可能なら敵の一部を取り込め、それが戦争の上策である)。そうすれば、闘わずして勝てる、と。
高杉晋作も久坂玄瑞も、松下村塾で吉田松陰の孫子の講議を受けた。松陰亡き後の門下生だった乃木希典は、師の残した『孫子評註』の私家版を自費出版し、脚注もつけて明治天皇に内奏したほど、心酔していた。世にいう松陰の代表作はその辞世とともに有名な『講孟余話』と『留魂録』だが、現代人はすっぽりと『孫子評註』を忘れた。これは江戸時代の孫子研究の集大成である(『吉田松陰全集』第五巻に収録)。
松陰は山鹿素行を師と仰ぐ兵法家から出発している。毛利長州藩の軍事顧問だったのである。
もとより江戸の学問は官学が朱子学とは言え、新井白石も山鹿素行も荻生徂徠も山崎闇斎も、幕末の佐久間象山も西郷隆盛も孫子は読んだ。しかし江戸時代の二百数十年、太平の眠りにあったため、武士には、読んでもその合理的で非情な戦法に馴染めなかった。
その謀(はかりごと)優先という戦闘方式は、日本人の美意識とあまりに乖離が大きく、多くの日本人は楠正成の忠誠、赤穂浪士らの忠義に感動しても、孫子を座右の書とはしなかった。
明治以後、西洋の学問として地政学が日本に這入り込み、クラウゼウィッツは森鴎外が翻訳した。戦後をふくめてマキャベリ、マハンが愛読され、しかし誤読された。吉田松陰の兵法書はいつしか古書店からも消えた。
しかし戦前の指導者にとっては必読文献だった。
吉田松陰が基本テキストとしたのは魏の曹操が編纂した『魏武註孫子』で、考証学の大家といわれた清の孫星衍編集の平津館叢書版を用いた。そのうえで兵学の師、山鹿素行の『孫子諺義』を参考にしている。
もともと孫子は木簡、竹簡に書かれて、原文は散逸し、多くの逸文があるが、魏の曹操がまとめたものが現代までテキストとなってきた。
▼孫子だって倫理を説いているのだが。。。
孫子はモラルを軽視、無視した謀略の指南書かと言えば、そうではない。『天』と『道』を説き、『地』『将』『法』を説く。
孫子には道徳倫理と権謀術策との絶妙な力学関係で成り立っているのである。
戦争にあたり天候、とくに陰陽、寒暖差、時期が重要��するのが『天』である。『地』は遠交近攻の基本、地形の剣呑、道は平坦か崖道か、広いか狭いかという地理的条件の考察である。戦場の選択、相手の軍事拠点の位置、その地勢的な特徴などである。
『将』はいうまでもなく将軍の器量、資質、素養、リーダーシップである。『法』とは軍の編成と将官の職能、そして管理、管轄、運営のノウハウである。『道』はモラル、倫理のことだが、孫子は具体的に「道」を論じなかった。
日本の兵学者は、この「道」に重点を置いた。このポイントが孫子と日本の兵学書との顕著な相違点である。
「兵は詭道なり」と孫子は書いた。
従来の通説は卑怯でも構わないから奇襲、欺し、脅し、攪乱、陽動作戦などで敵を欺き、欺して闘う(不正な)行為だと強調されてきた。ところが、江戸の知性と言われた荻生徂徠は「敵の理解を超える奇抜さ、法則には則らない千変万化の戦い方だ」と解釈した。
吉田松陰は正しき道にこだわり、倫理を重んじたために最終的には武士として正しい遣り方をなすべきとしてはいるが、それでいて「敵に勝って強を増す」とうい孫子の遣り方を兵法の奥義と評価しているのである。
つまり「兵隊の食糧、敵の兵器を奪い、そのうえで敵戦力の兵士を用いれば敵の総合力を減殺させるばかりか、疲弊させ、味方は強さを増せる」。ゆえに最高の戦闘方法だとし、これなら持久戦にも耐えうる、とした。
江戸幕府を倒した戊辰戦争では、まさにそういう展開だった。
「孫子曰く。凡そ兵を用いるの法は、国を全うするを上と為し、国を破るは之れに次ぐ。軍を全うするを上と為し、軍を破るは之れに次ぐ。旅を全うすると上と為し、旅を破るは之れに次ぐ。卒を全うするを上と為し、卒を破るは之に次ぐ。伍を全うするを上と為し、伍を破るは之れに次ぐ」
つまり謀を以て敵を破るのが上策、軍自作戦での価値は中策、直接の軍事戦闘は下策だと言っている。
▼台湾統一を上策、中策、下策のシミュレーションで考えてみる
孫子の末裔たちの国を支配する中国共産党の台湾統一戦略を、上策、中策、下策で推測してみよう。
上策とは武力行使をしないで、台湾を降伏させることであり、なにしろTSMCをそのまま飲みこむのだと豪語しているのだから、威圧、心理的圧力を用いる。
議会は親中派の国民党が多数派となって議長は統一論を説く韓国瑜となった。
宣伝と情報戦で、その手段がSNSに溢れるフェイク情報、また台湾のメディアを駆使した情報操作である。この作戦で台湾には中国共産党の代理人がごろごろ、中国の情報工作員が掃いて捨てるほどうようよしている。軍の中にも中国のスパイが這入り込んで機密を北京へ流している。
軍事占領されるくらいなら降伏しようという政治家はいないが、話し合いによる「平和統一」がよいとする意見が台湾の世論で目立つ。危険な兆候だろう。平和的統一の次に何が起きたか? 南モンゴル、ウイグル、チベットの悲劇をみよ。
中策は武力的威嚇から局地的な武力行使である。
台湾政治を揺さぶり、気がつけば統一派が多いという状態を固定化し、軍を進めても抵抗が少なく、意外と容易に台湾をのみ込める作戦で、その示威行動が台湾海峡への軍艦覇権や海上封鎖の演習、領空の偵察活動などで台湾人の心理を麻痺させること。また台湾産農作物を輸入禁止したりする経済戦争も手段として駆使している。すでに金門では廈門と橋をかけるプロジェクトが本格化して居る。
下策が実際の戦争であり、この場合、アメリカのハイテク武器供与が拡大するるだろうし、国際世論は中国批判。つまりロシアの孤立化のような状況となり、また台湾軍は練度が高く、一方で人民解放軍は士気が低いから、中国は苦戦し、長期戦となる。
中国へのサプライチェーンは、台湾も同様だが、寸断され、また兵站が脆弱であり、じつは長期戦となると、中国軍に勝ち目はない。だからこそ習近平は強がりばかりを放言し、実際には何もしない。軍に進撃を命じたら、司令官が「クーデターのチャンス」とばかり牙をむくかも知れないという不安がある。
下策であること、多大な犠牲を懼れずに戦争に打って出ると孫子を学んだはずの指導者が決断するだろうか?
▼孫子がもっとも重要視したのはスパイの活用だった
『孫子』は以下に陣形、地勢、用兵、戦闘方法などをこまかく述べ、最終章が「用間(スパイ編)」である。敵を知らず己を知らざれば百戦すべて危うし」と孫子は言った。スパイには五種あるとして孫子は言う。
『故に間を用うるに五有り。因間有り。内間有り。反間有り。死間有り。生間有り。五間倶に起こりて、其の道を知ること莫し、是を神紀と謂う。人君の宝なり』
「因間」は敵の民間人を使う。「内間」は敵の官吏。「反間」は二重スパイ。「死間」は本物に見せかけた偽情報で敵を欺し、そのためには死をいとわない「生間」は敵地に潜伏し、その国民になりすまし「草」となって大事な情報をもたらす。
いまの日本の政財官界に中国のスパイがうようよ居る。直截に中国礼賛する手合いは減ったが、間接的に中国の利益に繋がる言動を展開する財界人、言論人、とくに大手メディアの『中国代理人』は逐一、名前をあげる必要もないだろう。
アメリカは孔子学院を閉鎖し『千人計画』に拘わってきたアメリカ人と中国の工作員を割り出した。さらに技術を盗む産業スパイの取り締まりを強化した。スパイ防止法がない「普通の国」でもない日本には何も為す術がない。
(十年前の拙著『悪の孫子学』<ビジネス社>です ↓)
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