#立川談志
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2025年1月8日(水)

今朝もよく冷えた。研究室の室温が8.1℃、すぐに暖房を入れる。案の定、数名の学生からメール、体調不良で休むと。後期授業も来週で終わり、心配なのは欠席数、授業時間の1/3を越えると評価対象外(=失格)となる。1年次必修科目なのでこれを落とすと次年度以降の時間割が、大層窮屈になる。学生の皆さん、手洗いうがい・栄養と睡眠、最後まで頑張ってくださいね。

3時30分起床。
日誌書く。
5時30分、ツレアイの起床を待って洗濯開始。

朝食には煮麺をいただく。
洗濯物を干す。
珈琲を入れる。
弁当*2を用意する。
空き瓶、30L*2&45L*2。
彼女は午後から仕事、一人で出勤する。

冷えた朝、燃費が悪い。
総務課に、二男の障害手帳のコピーを提出する。本来は11月の年末調整時に提出せねばならないが、更新時期を逸しての再発行手続き、やっと月曜日に届いたので今頃になってしまった。

スマートEXからメール、2/8(三田落語会)のチケットが確定した。
水曜日は<情報機器の操作Ⅱ(栄養学科)>の14週目、Wordによる長文作成、見出しの設定と目次作成、置換、自動文章校正など。スタイルの細かな編集など必要ないが、自動文章校正はどんな短いレポートでも必ずやってほしい。

帰路は至って順調。
露の新治師匠から着信、今日が彼の誕生日、それに合わせて届けた<浜峰の干物>のお礼。
佐川急便が、下取りに出す Mac Mini の返送用ケースを届けてくれる。
灯油の移動販売、2本購入。
彼女から仕事終わりの連絡、夕飯準備を始める。

豚バラ肉と白菜と舞茸のクタクタ煮・昨日の特売コロッケ・賞味期限1日切れのソーセージや焼き豆腐、レタスとトマトとキュウリのぬか漬け。

録画番組視聴。
長旅で疲れた江戸っ子二人。腹が減って歩くのがいやになったという相棒の気を紛らわそうとナゾ掛けをしたり、都々逸(どどいつ)を歌ったり、言葉遊びをしながら旅を続ける。やがてひと休みしようと入った茶屋。店番のとぼけたおばあさんが出てきて、酒やつまみを注文するが、なかなか話がかみ合わず…。上方落語では「煮売屋」という演目、ひょうひょうとしてのどかな噺(はなし)、お楽しみください。▽1986年放送
朝が早かったので早々にダウン、とは言え、彼女に起こされて何とか入浴、体重は2日で50g増。

帰宅後に外に出なかったので、エクササイズは届かず。
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立川談志は、ふとした病という表現を気に入っていた。ふわっと静かにこの世から消える。なんだがよくわからないところがよい。談志自身もふと消えたかったのかもしれない。 わたしの父方の伯母はふとした病のように亡くなった。山仕事に出かけたところ、疲れたと言って切り株に座って休んでいた。しばらくして、伯母は切り株に座ったままで亡くなっていたという。むかしはそんな風に死ぬこともあった。
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『江戸の風』 p.33 「落語のリアリズム」(2018年7月18日 第1刷発行、dZERO)
立川談志
極端に言やね、もし俺があなたを一人前の落語家に、というよりも、落語がどうやら舞台でしゃべれるようにするとする。そうね、十日もあればいいよ。俺も十日で教えないと死刑になっちゃうと。意見が合うでしょ。できますよ。 十日もするとここへ出て、“ええー、一席お笑いを”って言うようになるよ。落語を好きでない奴でもできます。 そのぐらい「形式」というものは、演者にとって楽なもんです。形式は楽です。その形式とて下手な奴がいる。その形式が一番上手かったのが、私どもの知る中では三遊亭円生(六代目)です。今バカが二人で(七代目円生襲名に関して)揉めてるでしょう? 俺はどっちかと言えば鳳楽(三遊亭鳳楽)のほうがいい。もっと上手くなると思った。あいつは人間的にカッコいいしね、二枚目だしね、「江戸の風」が吹いてる奴ですよ、鳳楽って奴は。 落語の持つ本性というものを、どの辺へ持ってくるか。 落語の持つリアリズム。志の輔あたりはどう考えてるか。志らくあたりはどうするのか、どう解釈してるのか。そこまでいかないで、田舎っぺだから、ほかのことで忙しいかどうか知らないけど。 落語におけるリアリズム。本当にリアリズムを演っているだけでは落語にならない。そこに入れるセンス。センスの後に、そのセンスにつながるリアリズムを演者本人が持ってるか、それを生かせるか、というところが勝負だと思います。 お客さんはそこまでいかなくていいですよ。聴いて面白けりゃいい、笑ってりゃいいんです。つまらなきゃ、帰っちゃえばいいんです。それだけのものです。 “そこまで考えると、夜も寝られなくなっちゃう”って漫才がいたけど、現にそうなります。
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【似顔絵】立川談志さん。
ブログ記事はこちら:https://wp.me/p72NAa-1TU
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高田文夫、上岡龍太郎の博識っぷりの凄さを明かす「芸能の研究っていうのは凄いんだよ」
高田文夫、上岡龍太郎の博識っぷりの凄さを明かす「芸能の研究っていうのは凄いんだよ」 #高田文夫 #上岡龍太郎 #立川談志 #ビバリー昼ズ
2023年6月5日放送のニッポン放送系のラジオ番組『高田文夫のラジオビバリー昼ズ』(毎週月-金…

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立川談志の [DANSHI TATEKAWA]
"古典落語 [Rakuda Genpei]"
(4x 7"EP flexi. Kyodo Golden Book. ?) [JP]
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スクープ!三浦瑠麗が夫の会社から「385万円の太陽光コンサル料」を受け取っていた「証拠書類」入手
夫・清志氏は業務上横領容疑で勾留中「まったく関与していない」「一切知り得ない」と説明していたが……
「和歌山発電所は今回の事件とは別に、和歌山県日高川町で計画された出力47メガワット(MW)のメガソーラーです。’17年にトライベイと東京のJ社が別会社をつくって開発していた。別会社の登記簿によると代表社員はトライベイ、職務執行者は清志氏です」(全国紙記者)
和歌山発電所をめぐり、トライベイは’20年9月4日付である契約を結んでいる。そのことを示すのが「太陽光発電事業の開発に関するコンサルティング契約」と題された、A4判2枚の書類である(下写真)。その第1条にこうある。
〈TRIBAY CAPITAL(中略)は、株式会社山猫総合研究所(中略)下記に表示する太陽光発電事業(中略)の開発に関連してコンスルティング業務を依頼し、山猫総研をこれを請け負う〉(原文ママ)
株式会社山猫総合研究所は、トライベイと同じオフィスに入居する瑠麗氏が代表のシンクタンクだ(以下「山猫」)。誤字脱字があるが、書類はトライベイと山猫の間で、和歌山発電所に関するコンサル契約が結ばれていたことを示している。契約金額は385万円(税込み)で、そのことを裏づける請求書も入手した。
つまり、瑠麗氏と清志氏は、トライベイの事業を介して利害を共有するビジネスパートナーでもあったのだ。
トライベイとコンサル契約を結んだ直後の’20年10月、瑠麗氏が有識者の立場で臨んだ政府の成長戦略会議がスタート。その第6回会合で瑠麗氏が提出した「配布資料」に注目すべき記述がある。
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立川談志さんが言っていた「品があるとは欲望に対する動きがスローな事だ」という言葉、やっぱり好ですね
ynemnさんのツイート
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安倍晋三「あの件さえなければ、今ごろ昭ちゃん(中川昭一氏)が自民党総裁だった」
12年前、こんな記事を書きました。いま振り返っても、思い出は尽きません。小泉政権ができて間もなくだったか、超党派の保守系議員の非公式会合が憲政記念会館であると聞きつけ、現場で中川さんに「どうも」と挨拶した際���
「なんであんたがいるんだ?…まあ、いいか。あんたは記者じゃないし」
と冗談で答えられたことやあれこれ、これほど印象、心に刻まれる政治家はめったにいません。酒好きなのはつとに知られていますが、禁酒を決めると、2時間半にわたって目の前で私と同僚がビールを飲み続けても、一切飲もうとせず、こちらの言葉からヒントを得ようとメモを続けていました。惜しい人をなくしたという言葉が、これほどぴったりくる人はいません。
中川昭一氏死去 保守伸長、シャイな推進役
【評伝】 シャイな人だった。何より、繊細な人だった。衆院当選8回、農水相、経済産業相、財務相、自民党政調会長…と要職を歴任した大物政治家であるにもかかわらず、はにかんだ笑顔のよく似合う、子供のような純真さを持ち合わせていた。 「おれは子供には『おれがいつか襲われて殺されても驚くな』と言い聞かせてあるんだ」 中川昭一氏は拉致議連会長を務めていた当時、政治家としてのこんな覚悟を語っていた。だが、死はもっと皮肉な回り合わせであっけなく訪れた。56歳という若すぎる最期には、ただ言葉を失うしかない。 「あの件さえなければ、今ごろ昭ちゃん(昭一氏)が自民党総裁だった」 盟友の安倍晋三元首相は故人を悼む。「あの件」とは中川氏が財務・金融相時代の今年2月、先進7カ国財務相・中央銀行総裁会議(G7)後の記者会見で「酩酊(めいてい)」したかのような姿を見せて、引責辞任したことを指す。 この一度の失敗で、中川氏が長年積み上げてきた実績も名声もはかなく吹き飛んでしまった。先の衆院選で落選し、議席も失った。 確かに中川氏は酒席で、ときにはめを外し深酒することもあった。それも、強すぎる感受性をまひさせたかったからだろうと思う。素顔は、少し人見知りのまじめな勉強家だった。 平成9年、中学歴史教科書のすべてに慰安婦記述が載ったのをきっかけに、安倍氏らと自民党「日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会」を結成した。左派イデオロギー色満載だった教科書が是正されていく第一歩だった。 14年には超党派の拉致議連会長に就任したほか、永住外国人への地方参政権付与や民間の言��抑圧につながる人権擁護法案に反対した。一方、靖国神社参拝を推進するなど、常に保守系議員活動の前面に立った。 今や保守系の諸運動は衰退期にあるようなありさまだ。その中で忘れられるか過小評価されているが、10年代の保守勢力の勃興(ぼっこう)と伸長は、中川氏が安倍氏らとともに推進役を担ったのは間違いない。 一方で、現実を見据えたリアリストでもあった。20年6月、日中両国が東シナ海のガス田共同開発で合意した際には、表向き「日本のものを向こうにあげて資本参加するのでは互恵にならない」と厳しいコメントを発表した。だが、その裏では担当外交官らを集め「よくここまでこぎ着けたな」と慰労もしていた。 対中強硬派と目されてきた自分が、仮に交渉結果を評価しても、甘い顔を見せると中国側に「日本側では、あの中川氏まで喜んでいる」というメッセージが伝わる。それは今後の交渉、駆け引きのハードルを上げ、足を引っ張ることと理解していたからだ。 対中姿勢では、こんなことも語っていた。 「中国批判はたやすいが、むしろ『誠意を持って話せば分か���』と言うばかりで行動しない日本側の方が問題だ。私が中国の政治家なら、やはり今の中国のようなやり方をする」 本当に惜しい人が亡くなった。せめて自民党の中では、中川氏の志が受け継がれていくことを願ってやまない。(阿比留瑠比)
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横浜市は、神奈川新聞が報じた横浜国際プールの再整備計画案などの記事に対し、「公平性を担保した記事掲載を求める」と文書で抗議した。神奈川新聞は、いずれも適切な取材で判明した事実に基づく記事であり、「報道の萎縮」を目的とした圧力と判断。市に求められた文書での回答を保留している。山中竹春市長は9日の定例会見で、抗議文の存在を「知らない」と述べ、自らの関与を否定した。 抗議を受けたのは、▽国際プール再整備計画案を巡り、市がプロバスケットボールチームを念頭に構想を進めてきたと報じた記事▽同プール再整備計画案で、市が当初からメインアリーナの「通年体育館化」を検討していたと報じた記事▽山下ふ頭の再開発検討委員会で、市民を含む事業計画検討委の設置案が否決された経緯を報じた記事▽執務室の大半が施錠されている市庁舎を「閉鎖的」と批判した市民有志の会見をまとめた記事―の4本。それぞれ昨年11月20日から12月11日までに掲載・配信した。 記者会見で記者の質問を聞く山中市長=横浜市役所 国際プールを巡っては、市が昨年6月に再整備計画の素案を公表。夏季はプール、冬季は体育館として運用しているメインアリーナの機能を体育館に一本化し、メインプールを廃止する方針を示した。これに水泳団体が反発。中高生や障害者が参加する競技大会の運営に支障を来すなどと訴え、市が最終的に「練習用プール」の新設に動いた。 12月11日付の記事では、市がメインプールの廃止を決めた大きな理由と位置付ける2022年2月の包括外部監査報告書に言及。「年2回の床転換に要するコスト5千万円強と、工事に伴う計2カ月の休館が問題視されたからだ」とした。 その上で、本紙が入手した市の内部文書などに基づき、「監査報告を控えた21年12月の段階で、市がプロバスケットボールBリーグの新たなアリーナ基準を念頭に、庁内で通年体育館化の検討を進めていた流れが判明している」と指摘。一連の経緯を明示しない市の姿勢に疑義を呈した。 この記事に対する抗議文では、「市はこれまで、①『床転換を継続』②『通年プール化』③『通年スポーツフロア化』の3つの手法について比較検討してきている旨の説明を繰り返し行っている」と主張。「こうした点を全く考慮せず、通年体育館化ありきで進めてきたかのような一方的な見解を記載したことは、読者に対して偏った印象を与えるものです」との見解を示した。 また、再整備案の策定過程を報じた11月20日付の記事で「再整備案を巡っては、メインアリーナをホームにしているプロバスケチームを念頭に、市が構想を進めてきたことが判明している」と報じたことに対し、市は市会(議会)をはじめ様々な場面で再三にわたりプロバスケチームのための再整備ではないと否定してきたと説明。「記事ではそのような説明がなく、『判明している』と記載し、読者に対して偏った情報を与えかねない内容となっています」とした。 さらに、記事で「一連の経緯は公表されていないため、市議の一部はプロバスケチームの存在を明示した上で、多額の市費を投じる妥当性を問うべきだと訴えている」と記載したことにも言及。「市議の一部」の主張を記載したとし、「議会におけるその他の意見や、横浜市が行った意見募集において得られた、通年フロア化に理解を示す6割の市民の意見や団体の声には全く触れておらず、この再整備の論点があたかも『市議の一部』の主張のみに集約されているかのような印象を与えかねない内容となっています」と指摘している。 抗議を受けた記事 横浜国際の練習用プール、整備費用を6億円と試算 削減効果は縮小 政治・行政| 神奈川新聞| 2024年12月10日(火) 23:10 横浜国際プール再整備問題 市が補助プール新設検討、主要大会の継続目指す 政治・行政| 神奈川新聞| 2024年11月19日(火) 22:40 横浜市役所入口(資料写真) 一方、山下ふ頭の再開発検討委で、市民参画を強めるべきだとする意見が否決された経緯を報じた記事(12月10日付)に関しては、「山下ふ頭の再開発を『行政主導の開発』と位置づけ、『市民意見を踏まえたまちづくり』とは相反するものという前提に立った論旨となっています」と主張。「一人の委員が『市民を含めた事業計画検討委の開催を答申案に明記するよう求めた』ことに関し、多数決では他の委員全員が反対したにもかかわらず、『賛成少数で否決された』と表現したことは、上記の論旨を助長する意図を感じさせます」との見方を示した。 その上で、「本市は当該委員会の開催に当たって透明性を確保するため、会議をすべて公開し、オンライン中継を行って市民意見を募集しています。これまでに市民から延べ1万件を超す意見が寄せられており、それを分析して提示したことも踏まえ、今回の答申案では、委員長からも同様の趣旨の発言があり、市民に意見を問うプロセスを経ることが望ましいとする要望も盛り込まれたところです」と強調。「加えて、本市としても今後事業計画を策定していくプロセスの中で、意見募集や意見交換会を行っていくことについて繰り返し説明してきたところですが、こうした点に全く触れられておらず、全体として読者に一方的な視点を印象づける記事と言わざるを得ません」としている。 抗議を受けた記事 横浜・山下ふ頭再開発、緑化空間と経済の拠点に 検討委が答申案を公表 政治・行政| 神奈川新聞| 2024年12月9日(月) 23:40 このほか、12月5日にウェブサイト「カナロコ」で配信した執務室の大半が施錠されている市庁舎を「閉鎖的」と批判した市民有志の会見をまとめた記事については、「タイトルに『横浜市庁舎は閉鎖的で市民を排除』との当該グループの主張を引用し、さらに本文においても、当該グループの主張のみを記載した内容となっています」と指摘。 「現在の市庁舎は、業務で取り扱う市民の皆様の個人情報や機密事項について、濶洩のリスクを可能な限り低減することなどを目的として、執務室の施錠などを行っていますが、こうしたセキュリティの向上は、議会でのご議論なども踏まえて導入したものです。一方で、市庁舎に来られる方は、受付で入館手続きを行うことにより、どなたでも入館できる運用としております」と強調。その上で「こうした趣旨や背景について言及することも、所管部署への確認の取材も今回はなく、加えて当該会の主張する『横浜市庁舎の閉鎖性は他自治体と比較して突出している』という内容に対する貴社としての事実確認を行った形跡が読み取れません」と続け、「このような記事を掲載することは、極めて一方的であると受け止めざるを得ず、読者に対して誤解を与えかねないものです」と結んでいる。 抗議を受けた記事 「横浜市庁舎は閉鎖的で市民を排除」…執務室の施錠に市民有志が請願書 政治・行政| 神奈川新聞| 2024年12月5日(木) 22:00 抗議文はいずれも、市の報道担当と所管部署の部長名で出されている。事実関係の誤りを指摘するのではなく、「読者に偏った印象を与える」「一方的な視点を印象づける」などと本紙の論調に懸念を示し、「市民に誤解を与えない公平性を担保した記事掲載」を要請。その上で「本市の見解についての御社の回答を文書で求めます」として、回答期限を設定するなどしていた。 1月9日の会見で山中市長は抗議文を出した経緯や内容��ついて、把握していないと説明。「メディアの質問には答えるべきで、記事に関して私からどうこう申し上げたことは就任以来1回もない」と述べた。一方、「印象論での抗議は報道の萎縮を招く圧力ではないか」との質問に対しては、「一般論として報道の自由は保たれるべき」と述べるにとどめた。 神奈川新聞の見解 神奈川新聞社は市関係者らへの取材を重ねた上で、盛り込むべきだと判断した内容を記事にしました。今後も公権力を監視するというメディアの役割を意識した報道を続けます。 ※12月5日に配信した市庁舎に関する記事に対する市の抗議を踏まえ、同7日付の紙面では「市総務局管理課は『執務室の施錠は個人情報保護や行政情報管理、防犯の観点で、ゲートは防災上の目的で設置している』と説明。来庁者向けには相談スペースなどを用意し、プライバシーにも配慮しているという」と加筆しています。
横浜市、本紙記事に抗議文 山中市長は存在を把握せず | カナロコ by 神奈川新聞
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2024年4月17日(水)

菜の花も水仙も桃・梅・桜も、いずれも春を感じさせてくれはするが、やはり春の味と言えば筍であろう。田舎育ち故、買い求めるという習慣は持たず、誰かにいただいて初めて口に出来るものである。例年通り、南山城村から季節の便りが届いた。社会調査実習つながりのM君、当初は学生として授業に出席したのだが、今となっては愛知県の某大学にポストを得、研究者として着実に業績を積み重ねている。ほんの短い私との縁を大事にしてくれて、今年もご配慮にあずかった。M君、今年も有難う、いただきまーす!

5時15分起床。
日誌書く。
洗濯機回す。

朝食。
珈琲。
ツレアイは休み故、3男の弁当だけを用意する。
空き瓶缶、45L*1。
1人で出勤。

順調に到着する。
昨日の<スタディスキルズ>のワークシートのチェック。
ツレアイは休み、京都シネマで映画鑑賞とのこと。
水曜日は2限・3限<情報機器の操作Ⅰ(栄養学科)>、教科書ベースでコンピュータとインターネットの基礎、Windowsの基本的な使い方、フォルダとファイル、Classroomの使い方、タイピング練習のやり方、入力問題。結構ハードだったが、皆頑張ってくれた。2限はタイピング苦手なものが多かったが、3限はすでに課題(10分間で300文字)クリアのものが結構いたのは嬉しい限り。
第2週���での出欠状況をsampe兄に報告する。特に問題なし。

順調に帰宅する。

保健協議会からの配布物が届いていた、各組長に回覧願い、町内会長宅に掲示物を届ける。生憎不在だったので、息子さん(多分)に預ける。
ツレアイ帰宅、改めて買い物に出る。
夕飯前にココに点滴。

早めに夕飯準備、蒸し鶏とキュウリの和え物/さんだかんのチキンロール/タコキュウ/銀鮭西京漬け+ワイン。
録画番組視聴、
落語「居残り佐平次」立川談志
初回放送日:1979年8月3日 百年に一度の天才とも、落語界の風雲児とも言われた談志。「落語とはイリュージョンである」として、古典落語に新たな命を吹き込んだ。名作演目が高精細画像でよみがえる。
ほとんど地がなくて会話のみの進行、抜群に上手い。
つづいて、落語研究会から柳家権太楼「居残り佐平次」の聴き比べ、もちろんこちらも権太楼テイストで十分に楽しませてくれる。

さて、筍の下処理、年に一度の大鍋の登場、糠と唐辛子を入れて茹でること1時間、火を止めて続きは明日の夜に。
片付け、入浴、体重は200g減・
パジャマに着替えて日誌書く。

無事に3つのリング完成。
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13時00分「豊竹屋」を楽しむ。今日までいい感じのお客様に恵まれているのはトリのたけ平さんのお客様ということかしら?だとすると人柄がそういうお客様を惹き寄せているのだろう。もっと分かりやすく言えば前座でも二ツ目になってからでも談志師匠のお客様はやりにくかった。客席は客の数だけ談志師匠がいるような異様な空間になっていて笑わないどころか怒っていた。
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2025.1.23
中村明珍のイベント会場がオープン!
元銀杏BOYZのギタリストで、現在山口県の周防大島で農家兼僧侶として活動中の中村明珍の企画ユニット「寄り道バザール」が、戦後まもなく建てられた木造の芝居小屋を買い取りました。長年地域の交流、文化発信の場として使われてきた会場が解体回避、存続決定となりました。会場名を新たに『和佐星舎』と名づけ、いよいよ3月から活動をスタートします。
その柿落としとして、落語会と音楽イベントの開催が決定しました!
和佐星舎オープニング記念『Up Around The Sun w/ Bosco Japan Tour 2025』
日時:2025年3月16日(日) 開場 18:00 / 開演 19:00出演:Up Around the Sun w/ Bosco (from Austin, Texas) メンバー:Tim Kerr (Acoustic G) ・ Jerry Hagins (Banjo)・Bosco (Fiddle)
二階堂和美 with 黒瀬みどり、Vanishing Men
チケット 一般 / 前売 3,500 / 当日4,000円(各+ドリンク代) 中学・高校生 / 前売 1,000円 / 当日1,500円(各+ドリンク代) ※要学生証提示 ※未就学児・小学生無料(必ず保護者同伴)
チケット取り扱い:https://yorimichishop.com/ 主催:寄り道バザール 制作協力:ベストフレンド・COFFEE コナ 後援:和佐自治会・周防大島町・周防大島町教育委員会
Up Around The Sun -- パンクとファンクを融合したBig Boys を始め数々のバンドのギタリストでビジュアルアーティストであるTim Kerrと、Banjo奏者Jerry Haginsの2人組ユニット。今回はそこにフィドル(ヴァイオリン)奏者・Bosco氏が加わるスペシャル3人編成。前回来日時にこの3名で録音された最新アルバムとともに、レジェンドの生の演奏をご堪能ください。
そして今回はさらにスペシャル、なんと歌手の二階堂和美さんが出演を快諾してくれました!寄り道バザールの周防大島でのライブ1回目に出演してくれて以来約10年ぶり、待ちに待ったライブです。唯一無二の歌声、バイブレーション。この場所で全身で浴びられる幸せ。
なによりこのライブを作るきっかけとなった大切なバンド、大阪からMasaki Poserと横須賀のNathanによるユニット、Vanishing Menも来島。お二人は2年ぶり2回目の出演。深く揺らぎ、美しい旋律の気持ちよさに浸ってください。
この三組でのライブの場が生まれるなんて。うれしさMAXです。皆さんとともに楽しめるのを心から楽しみにしております。 プロフィール
Up Around The Sun w/ Bosco メンバー:Tim Kerr (Acoustic G) ・ Jerry Hagins (Banjo)・Bosco (Fiddle) オースティンのレジェンド、Tim KerrとJerry Hagins によるアコースティックデュオ。そこに、前回来日ツアー時にレコーディング参加したFiddle奏者・Bosco氏が加わるスペシャル3人編成。大阪で録音されたそのアルバムは2024年7月にセルフタイトル”Up Around The Sun w/ Bosco“として発表。 2025年の日本ツアースケジュールは以下の通り 3/14(fri) Kyoto Gorey Café3/15(sat) Nagoya K.D.Hapon3/16(sun) Suo Oshima 和佐星舎3/18(tue) Osaka Bake Brown3/19(wed) Osaka Namba BEARS3/20(thu) Shizuoka 8th Rest3/22(sat) Tokyo La Cana3/23(sun) Tokyo La Cana"Tim Kerr Exhibition"3/12(thu)-19(wed) Osaka BARRICADE3/17(mon)-23(sun)Tokyo Kit Gallery
Tim Kerr(Up Around The Sun) make art, play music, take photos, breathe1956年3月11日生まれテキサス・オースティン在住。BIG BOYSを始め、POISON 13, BAD MUTTHA GOOSE, MONKEYWRENCH, JACK O’FIRE, LORD HIGH FIXERS, THE NOW TIME DELEGATIONなどのバンドでギタリストを努める。パンクにファンク、ブルース、ガレージなどを融合した音楽の先駆け的存在。また、国内外の数多くのバンドのレコーディング・プロデュースも含め、その影響力は多大で多岐にわたる。絵画と写真のアーティストとしても活躍し、レコードジャケット、ポスター、本、広告、スケートボードデッキなどを手がけるほか、世界中で個展を開いている。
Tim Kerr インスタグラム
二階堂和美 ジャンルにとらわれない音楽性と、類いまれな歌唱・表現力で国内外から幅広く支持されているシンガーソングライター。1999年のデビュー以来多くのミュージシャンと共演し、その変幻自在ぶりを発揮。現在までに約20作を発表。代表作は2011年発表のアルバム『にじみ』。スタジオジブリ映画『かぐや姫の物語』(2013年)で、主題歌「いのちの記憶」を作詞・作曲・歌唱。NHK「おかあさんといっしょ」への楽曲提供曲に「ショキショキチョン」(作詞・作曲)、「ぎゅーっはかせ」(作曲:渋谷毅)。著書に『負うて抱えて』(晶文社) 他。CM歌唱も多数。広島県在住。浄土真宗本願寺派の僧侶でもある。
www.nikaidokazumi.net Vanishing Men Masaki Poser(BRONxxx、LP)とNathan Bennett(Capricorns, Bridge & Tunnel, White Daughter)によるユニット。30年前にサウス・ロンドンで出会い、ハードコア・パンクへの共通の愛で結ばれた。2022年、ふたりは日本に住みながら、なぜ一緒に活動しないのか不思議に思っていた。そして、バンドよりもデュオの方が手間がかからないということを経験から学び、Vanishing Menが誕生した。 中村明珍 農家兼僧侶。1978年東京生まれ。2013年までロックバンド銀杏BOYZのギタリスト・チン中村として活動。2013年3月末に山口県・周防大島に移住後、「中村農園」で農業に取り組みながら、僧侶として暮らす。また、農産物の販売とライブイベントなどの企画を行う「寄り道バザール」を夫婦で運営中。2021年3月に初の単著「ダンス・イン・ザ・ファーム 周防大島で坊主と農家と他いろいろ」(ミシマ社)を刊行、現在続きを連載中。2024年から真言宗善通寺派・「不動院」住職。 和佐星舎開館までの経緯かつては塩づくりを行っていたといわれる地域・和佐。昭和24年に、住民たち自らの手で山から木材を切り出し、船で海の上を運びながら、「青年会館」の名で建立。芝居小屋として、自身たちが舞台に立ったり、歌舞伎座を呼んで興業を行ったりしながら、のちに地域住民の「公民館」として幅広く使用されるようになりました。和佐の出身である作詞家・星野哲郎ゆかりの地であることから、鳥羽一郎や島津亜矢、水前寺清子などの多くの歌手も出演。のちに寄り道バザールではキセル、二階堂和美のライブや立川志らく、立川談笑の落語会、山縣良和によるワークショップなどを開催。ところが2019年、住民の話し合いで「解体」が決定します。修繕が必要な箇所はあるものの木材は丈夫なため、解体を回避する方法を模索していくことに。6年後の2024年10月、町から売却が告示され、2025年1月寄り道バザールが購入。存続が正��に決定しました。新公民館がすでにあることから、名前を「和佐星舎」に改名。前述の作詞家・星野哲郎や和佐の海岸「星のビーチ」、周防大島の正式名称「屋代島」の由緒にちなんで名づけました。今後もこれまでの地域での愛され方を継承しながら、老若男女問わず楽しめる、新しい居場所になるようにいろいろ企画していきます。経緯について、詳しくはweb「みんなのミシマガジン」(ミシマ社)の「ダンス・イン・ザ・ファーム2」にて連載中。

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0401(百合など)
高校生のとき書店で『百合姉妹』を見つけたとき、こういうのがあるんだと驚いた。女の子と女の子の恋愛の漫画があるんだ。ちゃんと雑誌で売ってるんだ。ドキドキしながら立ち読みして、その書店に何度も通った。今日もあるな、まだ売れてないな、じゃあこれはわたしが買っていいってことかな…。コミ��で同人誌を買うよりよほどドキドキした。 百合っていう名前もいいなと思った。ボーイズラブがあるんならガールズラブもあるんだろうけど「ガール」はな〜と思っていた。「ガール」にどうしてもなじめなかったからお花の名前でごまかしてくれるのはいいなと思った。ただまあこれは当時高校生だったわたしの感覚なので、花の名前にされるのをいやがる人の方が多い気はする。あとこれ同世代なら伝わるかもなんだけど、「ガール」はYUKIとかあんじとか市川実和子のための語で、わたしの語ではないな〜みたいな感覚もあった。 百合姉妹の作家陣、ひびき玲音、硝音あや、蔵王大志…。当時のわたしとしては”ワンピースとかナルトの同人誌で見かけた名前”だったので、あっこの人たち女の子の話も描くんだ!とワクワクした。よく同人誌のあとがきとかで作家同士が「◯◯ちゃんもう結婚してくれよ〜」とか馴れ合っていたのを見ていたから、わーーっわーーってなんかこうジタバタしてよろこんだ。CUTiEのモデルより同人誌の作家の方が距離が近い感じ。
ボーイズラブの漫画や小説、二次創作の同人誌は身の回りにたくさんあって、でも女性同士の物語ってあんまりないんだなあと当時ちょっとさみしく思っていた。まあ探し方が悪かったんだけど、まだSNSもpixivもなかった時代の高校生だからそんなもんだったと思う。周囲に読んでる人もいなかったし。マリ見てはなんかしっくりこなかった。あずまんが大王はけっこう好きだった。NANAはナナとハチがカップルになる漫画かも?と思って読み始めた(ちがった)。少年漫画でいえばBLEACHのたつきと織姫の同人誌ないかな〜とか思っていた。ぜんぜんあったんだろうけどうまく探せなかった。BLEACH、クラスメイトでレズビアンのキャラクターがいて、クリトリスが勃起するってせりふがあってちょっとドキドキしたんだけど正直よくわからんと思っていた(自分の性器ってよく見えないから)。 あと当時ヤマシタトモコがワンピースの同人誌を描いていて、らくがき的に女性キャラクターの絵もちょこちょこ描いていたのがスタイリッシュでとても好きだった。秀良子、のばらあいこ、阿弥陀しずく…その後商業BLで活躍している作家たちがワンピースにいて(このいるって感覚面白いよな)、たまに描いてくれる女性キャラクターを大事に大事に噛み締めていた。 ジャンプだとジョジョの6部がやっていたころ。コミケで探せば徐倫とかエルメェスの同人誌があったことはあった。でもカップリング感はあんまなかったかな。ジョジョは当時そんなにスペース数なくてコピー本が多かった。まあでも徐倫とエルメェスとFFの連帯の感じは原作を読んでいるだけでも本当にワクワクして大好きだったので、二次創作でそれ以上の掘り下げは求めていなかったかもしれない。またジョジョの二次創作はおしゃれな絵柄が多くて、作家の絵柄に落とし込んだイラストを眺めているだけでも面白かった。
コミケではモー娘。の同人誌を買ってうれしくなっていた。芸能系二次創作というのはいろいろ危ういものがあり言及が難しいんだけど、女性と女性が恋愛することを喜びたかった。わたしが見た限りだと同人誌でもあまり激しいものは見たことなくて、いわゆる現パロとかおとぎ話パロでちょっといちゃいちゃしながら仲良く暮らすような感じ…いってしまえばガワだけ借りてきて、女性同士の親密さをよろこぶような感じのものをよく見かけた。女性作家が多かった記憶。 現実にいる人間でそういう創作をやるのはあんまり行儀のよくはないことではあり、その感覚は当時だってあったけども、とはいえ、自分の「これ」はうそではないのだと思いたい、そういう素朴な切迫をなぐさめるものとして現実の人間をモデルにした絵柄でやる漫画同人誌というのはありがたい存在だった。すごいおぼえてるのが、モー娘。の風俗嬢パロ。後藤真希の娘。卒業を作中では「嬢の引退」とし、いやーーすごい読み応えあったな…。 モーヲタみたいな呼称もけっこう便利だった。いや自分モーヲタなんで〜〜とか冗談ぽく言って、写真集やグラビア雑誌を買ってみたりして。アイドルだからそんなにきわどい衣装やポージングはなかったのが、わたしにはかえってうれしいものが多く、飯田香織が素敵なワンピース着てメガネかけて図書館に佇んでいるとか、後藤真希と吉澤ひとみがおそろいのパジャマで歯みがいているとか、すごく幸せな気持ちで眺めていた。
その後大学生になり、まあなんかこうそこそこ遊び回るようになって百合の漫画を熱心に読まなくなってしまったので、いわゆる百合ジャンルの盛り上がりみたいなのはあんまりよくわからない。志村貴子の漫画をけっこう買っていたくらい。百合姉妹が百合姫になってからのことや、「尊い」みたいな言い回しも正直馴染みがないし、百合雑誌、百合ジャンルがどっちかというとシスヘテロ男性向けっぽくなってからはよくわからない(『百合姉妹』の想定読者は女性だったと思う)。百合SFで「百合が俺を人間にしてくれた」とかの感じは本当にもうわからん…。ただまあわたしは百合以前のこともあまり掘り下げてないのでわたし自身リスペクトに欠けるといわれればそうではある。ジャンルのファンというわけではなくて自分の時間のなかでそうであったということ。まあ最近はまた百合の作品で好きなものけっこうあるので、マイペースに楽しんでるんだけど(妹サブスクリプションよかったです)。 だから百合について語れることってあんまりないんだけど、それでも自分としては、『百合姉妹』を見つけたときのうれしさをすごく覚えているので、エイプリルフールに百合的な表現と接続したかたちで悪ふざけをやるのは悲し��。同人作家同士の馴れ合い的なやりとりが、じっさいどういう感覚だったのかわからんけども、高校生の自分としては素朴にうれしかったという思い出もあるので、なんというかそういう…中の人のじゃれあい的なのが「営業」みたいになっちゃう、「営業」でしかないみたいなのも苦しい。オタク的な表現にとても救われた子どもはけっこういた・いると思う。 だから百合で活動(とくに商売)している人たちはそういう悪ふざけや迂闊さにNOって言ってほしいし、同性婚にも言及してほしい。ほんとは。べつに創作は創作だとは思うというのはそりゃそうなんだけど、「言及しません」って堂々と言うのはけっこう驚く。驚くというかさみしいし心ぼそいのだと思う。でもぜんぜん黙っててもいいと思います(言えることしか言えないと思うから。これ伝わるかな…)。
ぜんぜん余談だけど、自分が大学生のとき資生堂でブランド整理があり、マキアージュの登場が印象深い。篠原涼子、伊東美咲、蛯原友里、栗山千明。タイプのちがう4人が並んで、「この世のハルがきた」というキャッチコピー。なんとも鮮烈で感激したな。CM内のキャラにちゃんと設定もあって、スペシャルドラマもやって…。レズビアンの物語ってわけではなかったけど、ちょっと百合っぽい親密さがあって大好きだった。あと篠原涼子どタイプなので最高だった。コフレドールがブランド終了ときいて思い出したけど、百合の話題からの連想でもある。
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Thursday,Aug1,2024


かなり早い時間に起きる。福岡に帰ってきてからのここ数日は、日付が変わる前にいつのまにか寝て、かなりの朝の時間に起きることを繰り返している。東京での暮らしに比べたら寝不足だけど(というかいつも寝すぎなんだと思う)、なぜかハキハキしてる。今日は京都に移動する日。姉の家に寄ることになって、母もついてくることになった(ホテルの部屋は別に取ってもらった)。昨日友達にもらった北九州のソウルフードのパン(練乳がやばい)をコーヒーと食べて、すぐに荷物をまとめて実家を出た。駅までは父の車、改札まで見送ってくれる。今回もほとんど腰据えて話してないけど(いつ話す時が来るのだろうか?)、父には優しさを感じる。
母とは新幹線も別々。好きな福山駅(工場街)の景色、いつの間にか通り過ぎてた。寝てたら広島から隣に座ってきたサラリーマンの唐揚げ弁当のにおいで起きた。おなかすいた。京都駅に着いてからホテルで荷物を置き、とりあえずホテルの近くのうどん・蕎麦・丼物屋へ。肉うどんと巻き寿司食べた。ほとんど外国の旅行客だったけど、店主のキュートなおじいちゃんは闊達に接客していた("Most popular!!")。扇風機の風に煽られながらうどん食べる(湯気が飛んでいく)。
電車に乗って姉の住む街へ。京都駅は30番線くらいまであって、でかすぎる。渋谷駅より雑多かもしれない。わたしはハリーポッターのキングス・クロス駅を思い出していた。姉が住む街は京都駅から30分で行ける。途中にはとんでもない渓流があったり、そこで川下りしている様子を眺められたりしてたのしい。この景色を以前見たのは実に六年以上前だ。久しぶりに会った姉とは別に何も話さなかった(というか、もう互いにどう接していいのかわからない感じがする)。姉は、妹としてのわたしのことをもうだいぶ前から諦めている気がするし、悲しいことに、姉のユーモアはわたしのユーモアではない(嫌いではないけど、健康で着実すぎるそれに口の端が痙攣しそう)。建築士の旦那が作った家は本当に立派だった。それしか覚えていない。姉の子どもが作りかけていたレゴを、こっそりすこしだけ壊してから家を出た。次いつ会うのかは、しらない。うまくできなくて後味はよくはなかった。
何をするかは決めてなかったけど、京都の好きなバンド(賢いユリシーズ)の人がSNSで引用していたイベントに行くことにした。たぶん東京の駅に置き換えてもわりと田舎の街。接続がよく��くて、全然知らない地下鉄やワンマン電車を三回乗り継いだ(携帯がある時代で本当によかった)。エスカレーターに並ぶのは右、久しぶりに体験。せっかくだから行ってみたかった四川料理の駱駝に行く。回鍋肉定食たべた。身体が喜んでる感じがした。夕陽がすごいけど薄暗い住宅街を歩いてイベントのあるバーに行く。tenniscoatsの植野さんの弾き語り。久々に感じたアウェーな雰囲気に飲まれかけた、わたしはこの街では完全によそ者だからどきどきする。東京でしばらく暮らして遊んでいたから、こういう感覚忘れてしまっていたな。山椒ウォッカおいしかった。

植野さんの前の武田菜月さんのライブ、よかった。小さいキーボードを二台、裸足でエフェクターを踏む。なんかへんな緊張感があって、気づいたら目を閉じてとんでた。神聖で、気持ちよかった。ライブ始まる直前にキーボードに置いてたパンを恥ずかしそうに退けていたのもよかった。tenniscoats植野さんのライブもよかった。わたしがライブの中で特に覚えていた曲は池間由布子さんの「全部ウソみたい」という曲らしい(帰りの地下鉄で調べた)。「遊んでるぜ全力で/優しさって必要ですか」。サブスクにないから、CD買おうかな。アンコールはaikoのカブトムシをカラオケしてた(京都スタイル?)。カラオケ行きたくなってしまった。
1000円ドネーションしていちばん早く会場を出た。最寄りのワンマン電車(路面電車)の駅まで歩く。行ってよかった。音楽ってどこにでもあるからすごい、と思った。tenniscoatsは今年に入ってから聴き始めたのだけど、今年はなんか原始的なもの(音楽含む)に惹かれている感じがする。壊れたキーボード、壊れたギター、��しくはそんなものが何もなくても、音楽ってどこにでもあってどこでもできて、なんでも音楽になるからすごい。植野さんが「僕はこんなに音楽でたのしくて、ラッキーな方だと思ってます」と言ってたこと思い出す。なにか音楽やりたいような気もした。最近いい音楽を目撃するたびにむずむずする。
23時過ぎの京都ってあまり人がいない。もっと遊ぶべきな気もしたけど疲れてる気もしたから、コンビニでアイス買って帰った。道に迷ってたら京都タワーが現れた。つるっとしている。駅前では若者がラップバトルしてた。お風呂入ってテレビのオリンピック流し見して、友だちと連絡取って寝た。
(後日談)武田菜月さんからInstagramのフォローが返ってきた。うれしい。Twitterで知らない人から「全部ウソみたい」はもともと植野さんの曲で池間さんもよくカバーしてる曲だと教わった。ライブ中に「よく池間さんのカバーって言われるんですけど」と言っていた意味がようやくわかった。

★★★★★★★★★★★★ ★★★★★★
https://music.apple.com/jp/album/%E6%82%AA%E3%81%82%E3%81%8C%E3%81%8D/1076760045?i=1076760276
Friday,Aug2,2024


京都は朝を出遅れるとまずい(と思っている)。モーニング絶対食べたいし、いろんな喫茶店行きたい(京都は喫茶店が本当にたくさんあって天国だ)。寝不足だけど起きるしかないから起きる。旅行の間ずっと晴れている、天気がいい。地下鉄で京都市役所前。地下鉄のオレンジの扉が昔好きだったこと思い出した。まだあんまり人もいないシャッターが閉まった地下街を、メシアと人人聴きながら歩く。イノダコーヒー意外に空いてた(というか、なんか昨日から思ってるけど京都は思ったより人がいない)。しっかりした制服を着込んだウェイターたち、たまごサンドとアイスコーヒーが懐かしい。箱崎で買った旅行記読む、絵が描きたくなる。テラス席の青のギンガムチェックのテーブルクロス素敵だった。友だちへのおみやげでイノダコーヒーのロゴ入りのティースプーンと、自分用のコーヒー粉買う。
商店街歩いて六曜社へ。実ははじめて行った。店員のお姉さんのエプロンかわいかった(きっと自前、うらやましい限り)。ドーナツは正午からの提供だったから、桃のパウンドケーキ食べた。コーヒーおいしかったな。隣の人たちの関西弁にどきどきしながら、昨日のこと思い出して日記書いた。マッチもらった。村上開新堂目指して歩く。あつい。銀行がなくて市役所の中なんかを歩く(本当に立派な建物)。迷って地下鉄に乗る。暑いの苦手(昨日のバーで隣の若者たちが明日は40度らしい・そんなの風呂じゃん、と言っていたな)。
無事に村上開新堂で焼き菓子を買う。近かったから、歩いて微風台南に���行った。座敷のテレビのそばのちゃぶ台に通される。テレビではリアルタイムの台湾のニュース番組が流れていて、漢字だけで内容を想像してた。大腸入りの麺を食べる。やさしい、おいしい。ついでに近くの誠光社にも寄る。いい本屋だった。ずっとほしかった谷川俊太郎の詩集といしいしんじのよさそうだった文庫買った。旅先で本を買うのはたのしい(別に東京でも手に入るものなんだろうけど)。ここらへんで暑さが限界になってきた、京都御苑の日陰のベンチでしばらくぼーっとして鳩を眺める。自転車でやってきた京都に住んでるであろう人たちが輝いている。なんか異常に松ぼっくり落ちてた、砂利をわざと蹴飛ばしながら歩く。近くにお香の松栄堂があったから寄った(以前母が京都のお土産で買ってきてくれてとてもよかった)。そこでも自分用のものと友だち用のもの買う。喜んでもらえたらうれしい。

本当はここから今出川に行って色々するつもりだったけどバテた。ふらふらするのでとりあえず同志社そばの喫茶店に適当に入る。渋すぎる、トイレがほぼ廃墟だった。それなのになぜか結構学生がいる(関西の若者はつよいのかもしれない)。同志社生たちの会話(ぜんぶ大学生特有の恋バナ、しかし関西弁)聞きながらレモンスカッシュ飲む。男の子たちが帰りぎわに「春学期お世話になりました」と言っていて、かなりよかった(「春学期」か....)。もう、一旦ホテルで休むことにする。レジで怖いマスターのおじいさんに重々しい「おおきに」を言われて、頭の中で反芻してしまった。「おおきに」か(おそらく一生言うことがない)...。帰ったらテレビでブザービートの再放送やってた。だらだら日記書く。
ホテルを出て、少し暑さの落ち着いた中、友達に教えてもらったお店「わや」(一乗寺)に行く(京都滞在中に二度も叡山電鉄に乗ることになるとは)。お店のお母さんがかなりパワフルな人だと聞いていたのでどきどき。お店に入るとお母さんは「ひとり?!誰かに紹介されてきた?!」と既に闊達。友だちの名前を出すと話が弾んだ。ひとりでお店でお酒を飲むのは初めてだ、そのデビュー戦が京都の辺鄙な場所になるとは。お母さんは名前を聞いてくれて、すぐに智春ちゃんと呼んでくれた。携帯を持たない主義のお母さんはお店に来た人と電話するのが好きらしく、電話番号を書かされてさっそく着信が来る。登録名は「わやのお母さん」にした。「痩せてるのによく食べる」と言われながらどんどん飲む。ひとりで飲むのって意外とたのしくて楽。隣にいた関西のカップルが帰ってからはずっとわたしの前に座って話す。お母さんの人生や生活のこととかお店のこと、何度も「この仕事が大好きなの」と言っていて美しかった。21時を過ぎると「けったい」で「いけず」なお客さんが来ないためにお店の看板の電気を引っこ抜かされる(「この仕事は普段常連さんにしかやらせないのよ」と言っていたので光栄)。お母さんは「智春ちゃん最初入ってきた時ぎこちなかったもん、どんどん笑顔になって本当その顔見れてよかった〜、智春ちゃん笑ってる方ががかわいいもん」と言ってくれた。最近母親に言われたことと同じだ、びっくりしてしまった。わたしは結構意外に心の城壁が高いひとらしいので、当たっている。顔にぜんぶ出る。本当はいつでもやわやわの心でいたい。帰り際、お母さんが「ふたりで写真撮ろう!マスター!」と奥にいるマスターを呼んでくれて記念撮影会。「本当にあたしいつもは写真とか頼まれても撮らないのよ!智春ちゃんだから!珍しいのよ、本当に!」とよく喋る。マスターも携帯を持たない人らしく、ぎこちなく撮ってくれた写真にはマスターの指が入っていた。「いまから河原町なんて行っちゃダメよ!母心!」と言われながらお見送りまでしていただく(「動画も撮っていいですか?」と聞いたら「恥ずかしいからそれはまた今度来た時!」と言われた)。角を曲がる前に振り返ったらお母さんはずっと手を振ってくれてた。「ばいばーい!」と大きな声でわたしも返す。本当に行ってよかった、京都に母ができた気分。「本当に京都に引っ越してきたらいいじゃん」とお母さんに言われたことを帰りの電車の中で考える。本当、そうなるのかな。そうなったらどうしよう。かなり酔っ払った。

帰りに梅湯に寄った。京都の夜は暗い、川のそばで大量のカエルが鳴いている。暗闇の中で見えないのにたしかにいる何か。暗い道を歩いていくと急にそこだけ明るい梅湯があった。若者もたくさんたむろしてる、夢かと思った。ハキハキしたお姉さんに案内されて脱衣所。若い女の子ばかり、かなりわたしの今住んでる街の銭湯とは違う(わたしの近所の銭湯はみんなおばあちゃんだ)。はじめて行く銭湯は目が悪すぎて何もわからないので手さぐり。お湯が熱かった(サウナも行きたかったけどかなり酔っ払っていたのでやめた、また次回)。まだ冷めないお酒に浸された頭で、ネクターと梅湯のグッズ何個か掴んでレジに行く(ライターは先着一名の誰かにあげるよ)。ネクター飲みながら駅まで歩く、途中のたばこ屋でたばこ吸う。鴨川の橋を渡った時、最近覚えてる中でもいちばん気持ちがよかった。すこし泣きそうなくらい気持ちよかった、ずっとこのままがよかった。電車乗り間違えながらなんとかホテルに辿り着く。長い一日が終わった。眠りについた記憶はない。
★★★★★★★★★★★★ ★★★★★★
https://music.apple.com/jp/album/be-my-baby/341560010?i=341560012
Thursday,Aug3,2024
さすがのわたしも疲労困憊になってきた。隣の部屋に泊まっている母にホテルの朝食を誘われ、母の電話で起きる。顔も洗わずに服だけ着替えて朝ごはん食べる。眠すぎて、ブロッコリーをちゃんと食べなさいと怒られたことしか覚えてない。朝食を食べてから母の部屋に招かれ、奈良のおみやげのひこにゃん(超かわいい)のぬいぐるみをもらう。母の部屋には書きかけの日記帳みたいなのが置いてあって、マメな人だと思った。母とはそこで別れる。東京に暮らし始めてから五年間、こんなに長く一緒にいたのははじめてのことだった。しらない街でも隣の部屋に知っている人が眠っていることは大きかったかもしれない。

自分の部屋に戻って一旦ベッドに横になる。動けない、うっすらと眠いのに眠れない。本当は朝から出町柳に行って出町ふたばの豆大福を買い、糺の森を散歩して行き損ねていた恵文社に行こうと思ってたのに。京都の夏は暑すぎてだめだ。結局一時間くらい眠っていた。やっと起きてパッキング、部屋を出て河原町の方に行く。荒木陽子『愛情生活』の京都旅行記に出ていた築地という喫茶店に行く。河原町の築地、この前行った恵比寿の銀座という喫茶店くらいまぎらわしい。クラシックすぎる店内とメニューにうれしくなる。アイスコーヒーを頼んだらデフォルトで生クリームとガムシロップが入っていた(京都のコーヒーはやっぱり甘いのが多いのかな?)。だらだら昨日の日記書く。この一週間はいつもより早く眠って朝早く起き、午前中のうちに喫茶店で昨日の日記を書くリズムができていた。ずっとこうならいいのに。店員のお兄さんのピンクの網タイツにいいね、と思いながら退店。また行きたい。

すこし歩いただけで何も考えられなくなるくらい暑い。高校の友だち(今は大阪に住んでいる)と食べる昼ごはんのお店を考えながら錦市場を練り歩く。そういえば幼少期の京都のイメージはここらへんの街並みだった。無事によさそうなお店が見つかって、友だちが来るまでどこかに避難したかった。適当に歩いていたら昔泊まったことのある鴨川のそばのホテル、そのそばにある喫茶店(吉田屋)を見つけた。入りづらい外観だけど、そんなこと構ってられないのでとりあえず入る。ピリッとした感じのおばあちゃんが出迎えてくれる。とりあえずすこし休む。途中から来たおじいちゃんとお店のおばあちゃんが「今日は淀川花火大会やな〜」と話していた。うらやましかった。闊達な「おおきに」を言ってもらいながら退店。
友だちと会う。いつぶりだろう?相変わらずあんまり久しぶりに会った感じがしない。路地裏にある小さい定食屋に入って、ふたりとも鱧の天ぷら膳を頼む。天ぷらも、つるむらさきと豆腐の小鉢もおいしかった。小さい店なのにもう話(というかふざけた軽口)が弾みすぎてしまった。ずっと行きたかった八坂神社のそばの喫茶店(ぎおん石喫茶室)に行く。噂どおり、宝石屋を通り抜けて二階へ。店内がすごい!美術館みたい。レモンゼリーとコーヒー頼んだ。ずっと場にふさわしくない感じのアイドルの話してた。なんかこんなに大笑いしたのも久しぶりな感じした、たのしかった。10代の頃の友だちってすごい。
八坂神社もちょっとだけ行ったけど暑すぎてだめだった。移動ができない。わたしの新幹線までの時間を潰すためにまた喫茶店に入る。ここら辺から手の震えが止まらなくなってしまった。わたしはなんかすぐに熱中症になるな、自分の身体に鈍感すぎる。地下鉄を乗り継いで京都駅、友だちが改札までお見送りしてくれた。かわいいおばあちゃんになる!と言っていた友だち、いつだってかわいい。友だちの爪にはキティちゃんがついていた。また会おうね。駅で柿の葉寿司買って新幹線乗った。夜の新幹線は外の景色がなんにも見えないからたのしくない。どんどん京都が遠ざかっていく、できることなら帰りたくなかった(でも帰る場所があるから旅行は輝くことだって知ってる)。柿の葉寿司食べて、tenniscoats聴いていたら爆睡してた。品川で降りる。とりあえずカーネーションのEdo riverを再生。
なんかあっけなく東京に帰ってきてしまった。この一週間は夢みたいにたのしくて、久しぶりに生きてる感じがした(しかも、すごく生きてる感じ)。山手線のモニターに流れる毎日見てたつまらない広告、相変わらずつまらない。渋谷・新宿・原宿を通りすぎる、またゆっくりもとの生活に引き戻される音がする。福岡や京都の暗闇の道を思い出す、さっきまで見ていたあの景色。東京にいながらも西の方で感じたあの気持ちや心地よさをなくさないでいる方法はないのかな?わたしは最近いろんなことに近すぎていて苦しかったんだと思う、ちょうどいい塩梅で暮らすこと、ひとりで考えていくことだね。
あっという間に最寄りの駅に着いた。スーツケースを持ったまま銭湯の前でたばこを吸っていたら、よく見る猫がやってきた。そういえば京都で全然猫見なかった、やっぱり暑すぎるのかな。家の前で鍵を出すのに手こずる、久しぶりに見た自分の部屋はなんかちょっと知らない人の部屋みたいだった(わたしって本当にすぐ色んなことを忘れる)。少し休んで荷ほどきし、みんなに買ってきたおみやげを仕分ける。母にもらったぬいぐるみはカーテンレールの上に落ち着いた。わたしの家の神棚。暮らすように旅行してみたいというテーマ、だいぶできた気がする。本当に楽しかった、色んなことを忘れたくない。東京のみんなに会っておみやげを渡すのもたのしみ、おやすみなさい。
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