#稽古日誌
Explore tagged Tumblr posts
Text
ふぇーい🤟🏻
こんにちは〜。ふぇーい。お久しぶりです。ふぇーい。なぽりです。ふぇーい。
別に当てられた訳でもないんですが、まだ書いてないので、稽古日誌を。ふぇーい。書きたいと。ふぇーい。思いまして。ふぇーい。
なんだか、怒涛の1週間を終えて、ふぇーい、したい気分なので、ふぇーいしてます。ふぇーい。
さて、本日(10/26)の稽古は、ふぇーい
・通し ふぇーい
・返し稽古 ふぇーい
でした。ふぇーい。
まあ、ふぇーい、したくなるくらいには疲れたけれども、ふぇーい、できるくらいには��心したというかなんというか。という感じです。ふぇーい。
まだまだ、ふぇーい、できると思うので、残りの時間も頑張って、ふぇーい、していきたいと思います。ふぇーい。
そういえば、照明卓にオペ補佐としてティラノサウルスを飼い始めました。ふぇーい。照明班の守護神です。ふぇーい。可愛いがってください。ふぇーい。
口内炎が痛すぎるので誰か助けてく、れぇーい🤟🏻
みんな〜。疲れたときは飯を、くぇーい。🤟🏻
あと1週間だ、ぜぇーい🤟🏻
…………うぇ、うぇ、…………うぇーい……🤟🏻
2 notes
·
View notes
Text
よしき日誌#4
最後のよしき日誌。 本番直前だからなのか今朝、稽古はじめの頃のことを振り返ってました。作品への印象、最初とかなり変わったなぁって。 内緒にしたいのであんまり言えないけれど もちろん、かなり、良い方に変わってます。 話変わって。 今回の『ことづけ』の巡査役もそうですが、わたしは去年から不思議と、異性の役を頂く機会に恵まれています。 (今年のうちにもう一度、異性を演じそうな気もしています) うーーーむ。なんなんだろう、このニーズは?? 身長が高いから?なんて理由だけではないような?? とまあ、それでですね。 そんな機会に恵まれた、わたしが思うのは「男の人でも女の人でも、結局人間だ」ってことです。しかし身体の作りは違いますからね、まったく同じってことを言いたいのではないのですが。 しかし役のことを理解する手順は女性でも男性でも変わらないなぁ、と思います。本番直前ですが、性別のことは意識せずにギリギリまで理解を深めたいです。 とは言いつつ、 今日ってバレンタインだったじゃないですか。 だから 「うわぁ、巡査ってモテるのかなぁ?現代だったらチョコ何個もらってたのかなぁ?気になるなぁ」 とめちゃくちゃ性別を意識した想像をして楽しみました。 …最後の最後に照れて変なことを書きました。すみません。笑 よしき日誌、お付き合い頂きまして有難うございました! またどこかでお目にかかれますよう✌︎✌︎✌︎ 2/14 山岡
3 notes
·
View notes
Text
小屋入りを控えて
こんにちは、麗乃です。 いよいよ今週末から小屋入りです。 そんな今日は、公演を行う場「遊空間がざびぃ」へおじゃましてきました。 他団体の上演形態になっていたため、更に、ここでするんだという気持ちになりました。 稽古を重ねると、反射的にセリフが出るようになります。それは、良いことであると同時に、何も考えずにセリフが出てしまうことにも繋がってしまいます。そのため、最近の稽古ではしっかり相手のセリフを聞くことを意識しています。相手のセリフを受けて、自分のセリフを言う。簡単そうで、実は難しかったりします。それを繰り返していくと、新たな発見があったり、演劇って生モノだなと感じます。楽しいです。 残りの稽古時間を大事にし、本番に臨みたいと思います。 11/28 麗乃
0 notes
Text
2024年11月17日(日)
ココ(同居猫)は18歳2ヶ月、人間で言えば立派な後期高齢者だ。近頃はめっきり足腰が弱くなったので、これまで使ってきたトイレが使いづらく、床にシーツを敷いて用を足すようにした。トイレの砂をゴミ袋に入れて本体を水洗い、来週にでも大型ゴミに出すことにしよう。しかし、いつものスーパーで売っているペットシーツは犬のパッケージばかり、愛猫家からクレームはないのだろうか?
5時起床。
日誌書く。
5時30分、シャワー。
ツレアイの起床を待って洗濯開始。
朝食を頂く。
洗濯物を干す。
珈琲を入れる。
ココのトイレを撤去、和室の隅っこを20年以上占領してきた空間が空くと、4畳半がずいぶん広く感じられる。
セブンイレブンで12/21(土)の<月刊笑福亭たま>のチケットを発券する。
セントラルスクエア花屋町店でココの療養食、いつもは<まぐろ>と<かつお>味を買うのだが、<かつお>が品切れ故、<まぐろ>を10食分購入する。
彼女が買い物に出ている間に、昨晩の刑事コロンボ「死者の身代金」を見直す。
ランチ、息子たちには日清ラ王・豚骨しょうゆ味、我々は冷凍のカレーを処理する。
録画番組視聴、土曜は寅さんから
第7作 男はつらいよ 奮闘篇 公開日:昭和46年4月28日 / 上映時間:91分
寅さんの母・お菊(ミヤコ蝶々)が、久しぶりに柴又を訪れる。そこへ寅さんが帰郷し、さくらと共に、お菊の宿泊先の帝国ホテルに向かうが、子供のように愚行を重ねる寅さんに、お菊は愛想を尽かす。旅に出た寅さんは、三島で東北なまりの少女、太田花子(榊原るみ)と出会い、知的障害を持つその身を案じるが・・・ 天使のように純粋は花子と寅さんの楽しい日々。青森県の岩木山の自然に抱かれて育った少女・花子に榊原るみ。これまでの大人の女性や、若い女性のマドンナとは違う少女への、寅さんをはじめとする、柴又の人々の暖かい目線。花子の身元引受人の朴訥な教師を田中邦衛が好演。山田監督が落語を提供したこともある、柳家小さんが、ラーメン屋店主で出演。その話芸が堪能できる。
彼女は買い物へ、私は午睡。
夕飯前、いつも通りココに点滴。
みなで夕飯、豚バラ肉のすき焼き風・蓬莱のジャンボ焼売・キュウリのぬか漬け・トマトとレタス・冷や奴、スパークリングワイン。
録画番組視聴、日本の話芸から
桂米團治 落語「質屋芝居」
初回放送日:2024年11月17日
桂米團治さんの落語「質屋芝居」をお送りします(令和6年10月3日(木)NHK大阪ホールで収録)【あらすじ】大阪・船場の質屋へかみしもを入れた客が、質札を持って受け出しに来た。定吉が蔵へ取りに行くと、隣の稽古屋から三味線の音がする。これを聞いた定吉は「仮名手本忠臣蔵」三段目の芝居のまねを始めてしまう。定吉の帰りが遅いので番頭が呼びに行ったが、定吉に誘われるがまま、二人で芝居のまねをはじめてしまった。
この手の噺はこの人にはよくハマル。
Оh!SAMMY DAY 柚木沙弥郎101年の旅
初回放送日:2024年11月17日
型染に魅せられ工芸の道を歩むこと75年。年を重ねるほどに版画、切り絵、絵本など工芸の枠をこえて自由にその世界を広げていった柚木沙弥郎。「ワクワクする気持ちがずーっと広がっていけばいいと思うんだ」という言葉通りワクワクと手を動かし続け、色とりどりの切り絵をこしらえ天国へと旅立った。100歳をこえて出会ったワクワクの魂でつながる友だちに語りかけたメッセージ。それはいまを生きるすべての人への贈り物だ。
同僚・H姉の先生、番組中の少年との交流は素晴らしい。これは、永久保存版。
片付け、入浴、体重は2日で650g増。
焼酎ロック舐めながら、日誌を書く。
いかん、いかん。
2 notes
·
View notes
Text
【かいわいの時】元禄六年(1693)八月十日:井原西鶴没 (大阪市史編纂所「今日は何の日」)
西鶴は元禄6年(1693)に亡くなったが、その墓は長い間不明であった。明治20年を前後するころ誓願寺境内で発見され再興されたという。発見者についてはいくつか説があり、幸田露伴であるとも、朝日新聞記者の木崎好尚であるともいう。
(1693年)下山鶴平・北條団水、西鶴の墓を建立 墓石は位牌型の砂岩製のもので、「仙皓西鶴 元禄六癸酉年 八月十日 下山鶴平 北條団水 建」と刻まれている。この墓碑を建立した下山鶴平については、西鶴の版元ではないかといわれている。北條団水は京都生まれの文人で、橘堂、滑稽堂と号した。西鶴を慕って来阪し、西鶴の死後7年の間、鑓屋町の庵を守ったことで知られている(大阪市指定文化財)。
(1801年)太田南畝(蜀山人)、書肆山口屋の案内で西鶴の墓に参る 寺町をすぎ 誓願寺に入る、甃庵中井先生の墓あり《略》 此寺に西鶴か墓ありと書肆山口屋かいへるによりて墓はらふ下部にとふに志らず、つらつら墟墓の間を見るに一ツの石あり、仙皓西鶴とゑれり。右のかたに元禄六癸酉年八月十日としるし左の方に下山鶴平北条団水建と有り。也有翁の鶉衣にも、作文に名を得し難波の西鶴は、五十二にして世を去給ひ「秋風を見過ごしにけり末二年」といふ句を残せりとかけり。げに八月に終りぬるには折からの句成へし(太田南畝)。『葦の若葉』四月廿一日条より。句読点後付け。ママ。
(1802年)滝沢馬琴、太田南畝に紹介された田宮盧橘の案内で西鶴の墓に参る 西鶴が墓は、大坂八町目寺町誓願寺本堂西のうら手南向にあり。〈三側目中���〉七月晦日蘆橘と同道にて古墓をたづぬ。はからず西鶴が墓に謁す。寺僧もこれをしらざりし様子なり。花筒に花あり。寺の男に何ものが手向たると問ふに、無縁の墓へは寺より折/\花をたつるといふ。
棹石高サ二尺余ヨコ一尺 台石高七八寸 大字 総高サ二尺八九寸
元禄六 癸酉年八月十日 仙皓西鶴 右ノワキ 下山鶴平 北条団水 建
團水は西鶴が信友なり。西鶴没して後、團水京より來り、七年その舊廬を守れり。そのこと西鶴名殘の友といふ草紙の序に見へたり。追考 難波鶴に云。西鶴は井原氏、庵は鑓屋町にあり(滝沢馬琴)。『羇旅漫録』より。句読点後付け。(写真参照)
(1889年1月)幸田露伴、誓願寺無縁墓にある西鶴の墓を探し当て、卒塔婆を立てる 露伴は住職に供物を出して、 お墓をちゃんとしてほしいと言い、香を焚き、水を手向け、卒塔婆を立てて去るわけです。それが、明治22(1889)年の1月のこと。その卒塔婆には、「元禄の奇才子を弔ふて 九天の霞を洩れてつるの聲」と書いた(肥田晧三)。「上町台地から本をめぐる時空の旅へ」『上町台地フォーラムvol.9』2018より。
(1889年8月)尾崎紅葉、西鶴の墓を訪れ、卒塔婆を残す 紅葉も、同じ明治22年の8月に西鶴の墓を訪れ、「為松寿軒井原西鶴先生追善」と書いた卒塔婆を残した(肥田晧三)。
それではなぜ、この二人は西鶴を知ることになったのか。露伴は帝国図書館、今の国会図書館にあった西鶴の本を随分と勉強したんです。また当時、東京に淡島寒月という人がいましたが、彼は時代に先駆けて西鶴を評価し、自身でも作品を手元に持っておりました。その寒月と仲が良かったのが露伴で、彼の西鶴作品を借りて徹底して読んだわけです。紅葉も、露伴に遅れてですが、やはり淡島寒月から西鶴の作品を教えられたんです(肥田晧三)。
(1889年11月)木﨑好尚、読売新聞に「西鶴の墓」を寄稿 大阪朝日新聞の青年記者だった木﨑好尚は、後に頼山陽や田能村竹田の研究で知られるようになる人です。この人が、明治 22 年にやはり誓願寺に行くわけです。すると新しい卒塔婆が二つ西鶴の墓に立てかけてある。一つは幸田露伴、一つは尾崎紅葉。それで、大阪の青年がびっくりするんです。東京の輝かしい新進の作家二人がここに来ている!大阪の自分たちはちっともお参りせんのに、あの二人が西鶴の墓にお参りしていると。そして 明治22年11月に、東京の読売新聞に「西鶴の墓」という題で書く んです(肥田晧三)。ママ。木崎が朝日新聞に入社したのは明治26年(1893)。
(1889年11月)幸田露伴、「井原西鶴を弔ふ文」を雑誌『小文学』に発表 露伴もまた、「井原西鶴を弔ふ文」という題で、明治22年11月に雑誌『小文学』に発表します。「今や露伴幸に因あり縁ありて、茲に斯に來つて翁を吊へば、墓前の水乾き樒枯れて、鳥雀いたづらに噪ぎ塚後に苔黑み、霜凍りて屐履の跡なく、北風恨を吹て日光寒く、胸噫悲に閉ぢて言語迷ふ。噫世に功ありて世既に顧みず、翁も亦世に求むるなかるべし。翁は安きや、 翁は笑ふや、唯我一炷の香を焚き一盞の水を手向け、我志をいたし、併せて句を誦す、翁若し知るあらば魂尚饗。九天の霞を洩れてつるの聲 露伴」(肥田晧三)。
(1890年5月)尾崎紅葉、「元禄狂」を「国民新聞」に寄稿 西鶴に心酔しているということを書き、その中で、「明治二十二年八月、大阪八丁目寺町誓願寺に、 西鶴翁の墓に詣でゝ」と記し、「ででむしの石に縋りて涙かな」という句も詠んだ(肥田晧三)。
木﨑好尚を除き、全員、江戸っ子です。
(写真)「仙皓西鶴」『壬戌羇旅漫録 2巻 [3]』1802-1812(東京大学学術資産等アーカイブズポータル)より。 注記:写本 注記:目首の書名: 著作堂羇旅漫録 注記:題簽の書名: 羇旅漫録 注記:本文末に「享和二壬戌年八月廾四日筆同十一月朔日挍合畢 曲亭瀧澤觧戯記」とあり 注記:[跋]末に「享和二壬戌年冬十一月二日 著作堂馬琴再識」, 「壬申春日 曲亭主人書」とあり
17 notes
·
View notes
Text
世の中は空前のサウナブームらしい。各種情報メディアを駆使して街の銭湯にたどり着いた全国の猛者たちが昼夜問わず約50 - 120 ℃の高温室内で肌を触れ合わせる姿を想像してゾッとしない訳がない。合言葉は「整いました」とのことで、僕はこれを珍奇サウナ偏愛者による「型に嵌ったフロー」と誤読して勝手に溜飲を下げている。チンコだけに、風呂だけに。これはなにもサウナ好きを揶揄しているのではない。むしろ彼らは街の銭湯の隆盛に大いに貢献している。そんなサウナブームを皮切りにして、いまでは銭湯での音楽ライブやDJイベント、更にレコードや書籍を販売する催事までもが行われて、みな一様にそれなりの賑わいをみせているようだ。この数年で銭湯を舞台にしたMVや楽曲がどれだけ製作されたことだろう。これについても、関わった人たちは広義の意味でのリノベーションに一役買っている。公共性の再編とでも形容しておこうか。因みにカセットテープレーベル”Ital.”を主催するケイタくんはサウナ好きではなく、古参にして無類の(ただの)風呂好きである。とある書籍の記述により誤解を招いている可能性があったので、一応。かくいう僕も幼少期に住んでいた家の並びに銭湯があったので週の半分くらいは利用していた。お尻に石鹸を塗りたくって誰が一番速く床を滑ることができるかを競い合う「尻軽レース」に挑戦したり、友人とタッグを組んで肩車をする、もしくは自力で壁をよじ登って女湯を覗くなどの愚行三昧で、いずれも店主にこっぴどく叱られた。16-18歳の頃にはいまも豊津駅の近くにある福助温泉で深夜の清掃アルバイトもさせてもらっていた。誰もいない時間帯の業務目的とは言え、禁断の女湯に足を踏み入れるのは、性欲みなぎる多感な時期の男子として、当たり前にドギマギした記憶がある。ロッカーの片隅に置き去りにされた下着を見つけたときは興奮を抑えきれなかった。いま思い返せば老婆が使用している類の肌色のそれであったが、当時の自分としては��相な妄想に薪をくべるものであれば、なんでも良かったのだ。バイト終わりにはトイレにこもって自身の陰茎を握り締めた。そんな日の翌朝は決まって寝坊してしまい、定刻の登校に間に合わなかった。そういう小さな欲望の積み重ねが、人を大人にするのだ。僕はいまでも家族で福助温泉に通っている。番台では当時と変わらぬ寡黙な女将さんが節目がちに帳面を捲っている。いまも昔もこの人に向かって性器をさらしているかと思うと、未熟な僕は今更ながらに不思議な感慨に浸ってしまう。女将さん、俺はちゃんとやれただろうか?やるべきこと、果たすべきことを全うできましたか?女将さんは大人になった僕を認識している筈だが、なにも言わない。もともと極端に口数の少ない方だったので、僕の方からも敢えて話題を持ち出すこともない。30年前、父親と一緒に股間を露わにしていた僕がいつしか父親になり、今度は自分の息子たちと共に股間を露わにしている。女将さんはすべてを見て、知っている。心底かなわないと思う。数十年間ずっと変わらぬ姿勢でペンを握る女将さんの手許にある帳面、あそこに世界の秘密、いや、もっと言えば「世紀の発見」がしたためられているのではないかと勘繰らせるほどの圧倒的な寡黙。安易に適温を求めてはならない。静寂の裏側で、湯は激しく沸いている。
もう一件、自分が子どもの頃から足繁く通い、お世話になっていた近所の銭湯、新泉温泉があったのだが、昨年惜しくも閉館してしまった。電気風呂の横に鯉が泳ぐ大きな水槽があって、息子たちも一番のお気に入りだったので、残念で仕方がない。隆盛と没落。この世の均衡が保たれたことなど、かつて一度もなかった筈だ。そもそもフロー(風呂)強者が言うほど簡単に物事が整う訳がない。新泉温泉の最終営業日、もちろん親子で最後の湯に浸かりに行った。しかしそんな日に限って長男がロッカーの鍵を紛失してしまい、浴室や脱衣場を血眼になって探し回るも見つからない。僕ら家族の異変に気がついた店主やその場にいたお客さんも誰が言い出すともなく、一緒になって鍵を探してくれた。床を這いずって探しているうちに銭湯の老朽を伴う歴史が手のひらを通じて伝わってくる。今日限りでもうこの場所には通うことができないことがわかっているので、自ずと込み上げてくるものがあった。鍵は古びた体重計の裏側から発見された。その瞬間、店主以外の全員が全裸のまま快哉を叫びハイタッチした。長男もほっと胸を撫で下ろしていた。これこそが裸の付き合いというものだ。帰り際、息子たちは自分たちで描いた新泉温泉の絵と手紙を店主に手渡した。僕は「実は子どもの頃から通っていたんです」と伝えると店主は「わかってたよ、自転車屋さんのとこの」と言ってくれた。適温を求めてはならない。いつだって現実は血反吐が出るほど残酷だ。それでも僕たちは新泉温泉の湯を忘れない。店主はその日の入浴料を受け取らなかった。
このように僕個人にとっても銭湯には様々な思い入れがあり、いまでも大好きな場所に変わりはないが、それは昨今のサウナブームとはまったく関係がないし、死んでも「整いました」とか言いたくない。そもそもが自分の性器を他者にさらすことも、他者によってさらされた性器を目の当たりにすることも得意ではない。むしろはっきりと苦手だ。世の男性の数だけ多種多様な性器が存在する。サイズ、形状、カラーバリエーション、味、ニオイ等々、どれをとってもふたつとして同じものがない。股の間にぶら下がっているという設置条件がこれまた滑稽で、あのルックスのあの人にあんな性器が、とか、あのガタイのあの人にあんな性器が……みたいな、得たくもない新規情報が視覚を通して脳内に流し込まれるので、煩わしいことこの上ない。挨拶を交わす程度だった近隣の人々とばったり銭湯で遭遇してしまったら、その日を境にして、顔を合わせるたびに性器が脳裏にチラついてしまう。実際に息子の同級生の父親数名と銭湯でチンコの鉢合わせしてしまったのだが、以降、なかなかパパたちのチンコの造形を払拭できなくなる。これはまさに不慮の追突事故、ごっチンコというやつだ。会社員時代、憧れの上司と出張先で入浴を共にする機会があったのだが、どちらかと言えば華奢に分類されるであろう上司の股間には目を覆いたくなるくらいに巨大なふたつのフグリがblah blah blah、いや垂れ下がっていたのだ。洗髪の際にバスチェアに腰掛けておられたが、信じられないことに巨大すぎるフグリはべちゃりと床に接地していた。以来、上司がどれほどの正論を振りかざそうが、客先でのプレゼン時に切れ味鋭くポインターを振り回そうが、どうしたってスラックスの内側で窒息しかけているであろう巨大なフグリを想起してしまう。程なく僕は退職した。とにかく性器というのにはそ��にあるが故に素通り��ることが難しく、極めて厄介なシロモノである。それが「ない」ことで逆に「有して」しまう諸問題と真摯に向き合ったOBATA LEOの最新作『目下茫洋』は、数多あるフェミニズム関連のテキストとは一線を画する。あまりにグロテスクでおぞましい、だからこそ美しいなどという常套句を粉砕する「弱さ」に貫かれた思考の遍歴。貫く我々♂ではなく、貫かれる♀の身体から滴る分泌液で書かれた紋様のようで、誌面に一定の形状で留められている訳ではない。読む者の素養に左右されるようにして、その形状は刻一刻と微細に変化するだろう。こちらは無数に排泄するが、あちらはたったひとつで対峙している。なにも戦地は彼の地だけではない。戦場は僕やあなたのすぐそばで、いまもネバっこく股を開けている。
臍の下に埋め込まれた爆弾を抉りとるための努力を続けながら、同時にあるのかわからない最終地点に向けて爆弾を運ぶ。本当は抉り取ることはできないとわかっていても、背骨を曲げて運び続けることが、すなわち生きることになっている。『目下茫洋』
8 notes
·
View notes
Text
宮城・福島での舞台挨拶決定!さらに、日本独自の美しさが堪能できる冒頭映像も解禁!そして、「ニューヨーク・アジアン映画祭」での上映も決定!
映画『碁盤斬り』が公開し、多くの方にご来場いただき、SNSでも「まさに時代劇エンターテイメント作品!」「草彅剛の役者としての力がすごすぎる!」「白石監督の新境地!」など、絶賛の声が溢れています。そこで、感謝の気持ちを込めて6月9日(日)に宮城と福島にて舞台挨拶の実施が決定��ました。草彅剛さんと白石和彌監督が登壇し、大ヒットの喜びを語ります!さらに、冒頭5分の本編映像が解禁!白石監督初のG指定(鑑賞年齢の制限なし)である本作は、商売で賑わう町並み、道端で遊ぶ子どもたち、吉原の桜など華やかで美しい江戸時代の様子が生き生きと描かれており、誰が観ても楽しめる映像美となっております。ぜひ、劇場の大きなスクリーンで日本独自の美しさを堪能してください!また、「ニューヨーク・アジアン映画祭」(2024年7月12日~2024年7月28日)にてオフィシャルセレクションとして上映が決定しました。監督の渡米も予定しており、まだまだ“BUSHIDO”が世界に広がっていきます!
【地方舞台挨拶 TOHOシネマズ仙台 2回】 日時:2024年6月9日(日) ①10:50の回 本編上映後(本編上映終了後、舞台挨拶開始) ②14:15の回 本編上映前(舞台挨拶終了後、本編上映開始) 会場:TOHOシネマズ仙台 登壇者:草彅剛、白石和彌監督(予定/敬称略) 料金:一律2,200円 ※ムビチケ・各種割引使用不可 ※プレミアシート+600円、ワイドコンフォートシート+300円
【地方舞台挨拶 イオンシネマ福島 2回】 日時:2024年6月9日(日) ①14:45の回 本編上映後(本編上映終了後、舞台挨拶開始) ②18:05の回 本編上映前(舞台挨拶終了後、本編上映開始) 会場:イオンシネマ福島 登壇者:草彅剛、白石和彌監督(予定/敬称略) 料金:一律2,200円 ※ムビチケ・各種割引使用不可
購入方法:こちらの舞台挨拶のチケットはチケットぴあでのお取扱いです。 ※チケットぴあにて残席がある場合に限り、劇場のインターネット及び窓口での販売をいたします。
■先行抽選販売「プレリザーブ」 申込受付期間:6月1日(土)11:00~6月3日(月)23:59 ※抽選結果発表は6月4日(火)18:00頃 ※プレリザーブとは?http://t.pia.jp/guide/prereserve.html
チケットぴあ購入ページ
《先行抽選販売に関する注意事項》 ※チケットのお申込は、お一人様2枚までとさせていただきます。 ※前売券・招待券・株主優待券からのお引換は出来ません。ご注意下さい。 ※チケット当選後の変更・払戻は出来ません。予めご了承下さい。 ※プレリザーブとは、事前のお申し込みの後、チケットを購入できるサービスです。 ※必ずしも優先的に良いお席をご用意するものではありません。 ※お申込多数の場合は抽選にて当選者を決定します。(先着順ではありません) ※お申込は受付期間中ならいつでもOK。(メンテナンス時間をのぞく)
■一般販売 販売期間:6月5日(水)10:00~6月8日(土)16:00(予定枚数になり次��終了) ※チケットの販売はお一人様2枚までとさせていただきます。 ※前売券(ムビチケ)・招待券・株主優待券からのお引換は出来ません。ご注意下さい。 ※プレリザーブで予定枚数に達した場合は一般販売を行わない可能性がございます。
《チケット発売に関する注意事項》 ※本イベントは、天候やその他本イベント事務局の判断により、舞台挨拶の開催中止や、登壇者・スケジュール等の内容が予告なく変更になる場合がございます。その場合も、交通費や宿泊費等の補償はいたしません。また、映画上映が行われる場合はチケットの変更や払い戻しもできませんので、予めご了承下さい。 ※いかなる場合においても舞台挨拶中の途中入場は固くお断りいたします。 ※全席指定席となります。チケットをお持ちでない方はご覧になれません。 ※運営の都合により、会場への入退場、トイレのご利用を制限させていただく場合がございます。 ※場内でのカメラ(携帯電話含む)・ビデオによる撮影、録音等は固くお断りいたします。当日は荷物検査を行わせていただく場合がございます。 ※会場内ではマスコミ各社の取材による撮影、記録撮影が行われ、テレビ・雑誌・ホームページ・公式SNSアカウント等にて、放映・掲載される場合がございます。また、本イベントの模様が後日販売されるDVD商品等に収録される場合がございます。イベント後には、会場周辺にて作品に関する感想を取材・撮影させていただく場合がございます。撮影した写真および映像等の一部は編集され、テレビ・ホームページ・公式SNSアカウント等で放映・掲載される場合がございます。なお、これらのお客様の肖像の使用については、本イベントにご入場されたことにより、ご同意いただけたものとさせていただきます。予めご了承下さい。 ※インターネット・オークションへの出品その他の転売目的での入場券の購入及び転売はお断りいたします。 ※営利を目的として転売された入場券及びインターネットを通じて転売された入場券は無効とし、当該入場券による御入場はお断りいたします。 ※イベントの予定は、急遽変更になる場合がございます。あらかじめご了承下さい。 ※いかなる事情が生じましても、ご購入後・お引き換え後の鑑賞券の変更や払い戻しはできません。 ※ライブビューイング上映やイベント上映のチケットを、プレイガイド(チケットぴあ、ローソンチケットなど)でご購入されたシネマイレージ会員様は、劇場チケットカウンターでご鑑賞当日にシネマイレージの鑑賞履歴をご登録いただけますので、お立ち寄り下さい。 ※車いすをご利用のお客さまは車いすスペースでのご鑑賞となります。車いすスペースには限りがありますので、ご利用人数によっては所定のスペース以外でご鑑賞いただく場合がございます。また、イベントの内容やマスコミ取材により、所定のスペースからご移動いただく場合がございます。予めご了承下さい。 ※チケット購入に関するお問合わせは、http://t.pia.jp/help/までお願いいたします。
【本編冒頭映像】 大きく映し出された囲碁の盤面をバックにタイトルが登場するインパクト溢れる出だしとなっており、白石和彌監督の作品も数多く手掛けている今村力美術監督による美しい江戸の風景の中、近所の住人と言葉を交わしながら軽やかに歩くお絹(清原果耶さん)の���が映し出されます。そして格之進(草彅剛)は、滞納している店賃を支払うため、半蔵松葉の大女将・お庚(小泉今日子さん)に頼まれた篆刻を仕上げ、ついでに囲碁の稽古をつけることに。格之進とお庚とのどこかほのぼのとしたやり取りからも、囲碁が庶民の生活に根付いていたことがうかがい知れる本編映像となっています。
youtube
3 notes
·
View notes
Quote
「新公長(新人公演のトップ)として、上級生から尋常ならぬ怒号を浴びせられていた。“指導”と称した説教は夜中まで続き、亡くなる直前は深夜12時過ぎにまで及んでいました。宙組には新人公演のメンバー以外の上級生が約20人いますが、世話役である組長やトップスターは見て見ぬふりをしていました」 実は、こうした言動は、宝塚の“お家芸”とも言えるものだ。小誌が入手した、宙組に所属する別の期の数十人の生徒が名を連ねるグループLINE。そこには、常軌を逸した“集団リンチ”の様子が克明に刻まれている。ある時は、稽古でミスを連発した下級生が集中砲火を浴び、〈まじでいい加減にしろよ〉〈お前、ぶっとばすぞ〉〈一刻も早く謝れよ〉というメッセージが深夜まで絶え間なく続く。下級生が〈すみません〉と謝罪しても〈許さねえから〉と拒絶。ほとぼりが冷めると、上級生は次の標的に狙いを定め、同じ言葉を投げかける。「目の中に白粉をねじ込まれた下級生も…」「“お叱り”と称して、下級生を寮のロビーに呼び出し、深夜から朝6時まで拘��。一睡もさせてもらえず、6時半に劇場に行くこともあった。一度上級生のターゲットになれば、衣装は破かれ、小道具は隠される。小道具の担当者は、それらが隠されたり捨てられたりすることを想定し、多めに作っているほど。また、上級生に『メイクの仕方を教えてあげる』と言われ、目の中に白粉をねじ込まれた下級生もいます。ストレス性難聴や適応障害になり、通院している子も多い」(前出・宝塚関係者) 冒頭とは別の有愛と同期の元団員の母は、宝塚を「異常な世界」と評する。 「舞台での立ち振る舞いに関する上級生からの罵倒やクレームは日常茶飯事。うちの娘は、人格を否定するような言葉を投げかけられることもありました。上級生からダイレクトに注意をされるのではなく、まるで伝言ゲームのように上級生が下の代に、さらに下の代に伝えていく」 もっとも過酷なのは新人公演に向けた稽古だという。 「稽古は本公演の合間に深夜まで続く。生徒たちはちゃんと本番を迎えることができるのか、プレッシャーに晒されながら過ごしていますが、演出家や上級生に意見を言うことはできない。そんなことをすれば、干されるのがオチ。いくら努力しても演出家などの覚えがめでたくない子は役が与えられないのが宝塚なのです」(前出・舞台関係者) 《全文公開》「前日、母に“精神的に崩壊して…”」宝塚宙組娘役(25)を追いつめた劇団の隠蔽体質「ヘアアイロン事件にも蓋を…」 へ続く
「まじでいい加減にしろよ」「お前、ぶっとばすぞ」宝塚宙組“集団リンチ”グループLINE“驚愕の内容”「彼女を追いつめた魔物の正体は…」《週刊文春全文公開》(文春オンライン) - Yahoo!ニュース
2 notes
·
View notes
Text
ドラマの告知と舞台の告知と雑誌撮影と稽古とアルバム製作とツアー打ち合わせとリハとグループ仕事で日々多忙を極めてる俺です。どうもどうも。宣伝が尽きないのはありがたいことだね、ほんとにさ。身体壊さないように頑張るからみんな応援してくれー。
1 note
·
View note
Text
2024年7月31日
「(ブギーポップ) もうすぐモラトリアム終わっちまうが進路決まってないどうすべぇ みたいな時に読むとめっちゃ刺さるが 大人になってこれから人生跳ねる事もないわってなってからだと あまり感慨は沸かなくなっている」
「思春期の子供たちが大人の欺瞞や汚い部分に反発するのって大人はちゃんとしてるという建前があって初めて旨味があったわけで、建前がなくなって反発するフォーマット自体が瓦解したの子供にとって不幸すぎるな。」
「ヒッチコックによれば映画のサスペンスとは登場人物の気づいていない危険を観客だけが気づいていることを指す」
「>ゴダールの重要性がわからない 映画史的には押井守曰く「映画は他のどんな映画からパクってもいい(オマージュしていい)という文化を作った」のがゴダール 押井守は天才というのはその分野で100年で1、2人しか生まれないけどその天才がゴダールって言ってた」
「ずいぶん昔、流派の高名な師範から、「技が小さい。堂々たる気構えがない。それを悔しいと思うなら、稽古しなさい。稽古をすると、自信というものが付いてくる。それがら君の技を大きくするのです」と言われたことがあるんだけど、あれはまったく金言であったなあと、今なお思う。」
「そもそもフィクションの女性キャラクターの話(さらに言えばフィクション作品の話そのもの)をしていて一番めんどくさいの、好きなキャラのことを性的に好きだと思われることなんだよな。」
「因習村だの悪しき家父長制だの言うてもな何の取り柄もない大半にとっては共同体の養分になってるほうが生き易いのだ。」
「>この頃のフジ深夜アニメはカオス 未放映地域だったけどアニメ会社勤めの友人から「すごいよ!今日ガドガード間に合わないよ!」 って電話がかかってきたのは覚えてる」
「鳥人間コンテスト、記憶力部門なら自信あります」
「この歳になってやっと気付いたけど、大人は子供の頃にときめいたものの延長線上で今もときめいてるから子供の頃に沢山の物事に触れてきた人の方がきっと人生楽しいのではないか
私は子供の頃に感じたときめきの残りかすを味わって生きてる…」
「思わず児童文学者であり翻訳家でもあった渡辺茂男の「非実在の生物を心底信じるという経験が、子供の心に椅子を作る。人が成長し、空想の生物が去ったあともその椅子は残る。そして今度は現実で出会った大切な人を座らせることができる。」って言葉を思い出した。」
「相手のお母さんが色々遊び道具を持ってきてくれてて、これはお絵描きセット!と出されたものがハイテック(0.25、0.3、0.4)とコピックだったときの私の心情を述べよ」
「セックス自体は好きじゃなくても逃がさん…お前だけは…するために最初に一発ヤるパターンもある 2回目以降は関係進展したらね!って言われてペルソナ5のチュートリアルかよってなった」
「就活生の時に役員に「出世する人ってどんな人?」って聞いたら「共感性があって感受性が無い人」って言ってたんだけどすごい納得。」
「自分の間違いを認めることが嫌だからと言って「悪性のナルシシズム」に囚われたらもう軌道修正は出来ない。」
「「これだけやれれば死んでもいい」は滅茶苦茶甘美なのだけれど(そして悪いとも思わないが)問題は大抵そこでは死ねないことだ そのあとの結構な時間を残骸の様な自分を引き摺ってなおも生きざるを得ない」
「読書感想文は「本を読んだ感想を書く」のではなく「本を読んでどう啓発され��のかを書く」作文ジャンルなので『おもしれ~~~~~!』が感想の99%になってしまう超面白い小説を題材にするべきではないよね。」
「夏まで生きてみる度に、○○が発売日を延期せずにいたら、彼や彼女は決断の前にそれをプレイすることで、ひょっと��たら今もまだこの世界にいたのではないかと、せんない思考と、「この物語は、けっして君たちの問題を解決しません。それは物語の役割ではないのです」という声が同時に頭の中で響く。」
「たしかに「お嬢様 ここで残リソースを全ブッパですぞ」とか言ってくれる執事が横にいる状態でTRPGやりたいな」
「「人生なんて死ぬまでの暇つぶしだよ~」って言うけど、こんなに辛くてしんどい暇つぶしがあってたまるか」
「禁煙した同僚が「空を眺める時間がなくなった」と言ってる」
「あんまりピンとはこない。ありのままの俺を好きになる人が現れるのを釣り糸垂らして待ったって現れねえだろ。網持って掬いに行くんだよ適齢期になったら」
「40手前になって二児の父親になっても未だに道端にエロ本が落ちてないか何となく見回す癖が抜けない」
「「イオンが田舎の商店街を破壊した」から、「イオンは福祉」まで変化するのにだいたい30年くらいでしたね。」
「二次創作はさておき最近コミティアがえらい盛況なのはなんでなんだろう?学生と話していると、今Xが地獄すぎて若い絵描きがどんどん離れていってるので、作品発表の場として現場に回帰してるのではないかという気もする。」
「そりゃ確実に効果のある創作論は「いい椅子を買う」「8時間寝る」「適度な運動」「耳鼻科と歯科はすぐ通う」とかなんだろうけどそれはなんか……人生の攻略法じゃん!そうじゃなくてこう……いきなり無から名作が産まれるチートコードが欲しい……」
「オススメ欄、油断すると「今日の怒るためのトピックはこれ」にしてくるのでこまめに動物の写真をいいねしまくるターンがある」
「新海誠作品は、作品に気持ち悪い要素が含まれることをファンもアンチも同意してて、その気持ち悪さ自体が好きか否かの違いになっているのは面白い。発酵食品みたい。」
「ツイッターの喧嘩を見にいくと必ず「頭でっかち vs 心でっかち」である。磁石のN極S極である。両者血の気の多い同じ人である。」
「知性と教養のある人に対してむやみに知識マウントを仕掛ける人があとを絶たないが、返り討ちにされてもどこを斬られたのかまるで認識できておらず、前と同様の振る舞いを繰り返すさまは、何やらものすごくゾンビ映画っぽくて哀しい。」
「自ら進んで傷つく人がいる以上、誰も傷つけずに生きることは無理。無理なことを目指すのは無駄。」
「「事務職で働きたいけど何をしてるんですか?」「何が出来ると良いですか?」って聞かれる度に��同人誌を作って売れ』って回答してるんだけど、企画・制作・材質選定・発注・スケジュール管理・販売促進・販売管理・売上処理・原価計算・委託先管理・商品発送などの全てが経験出来るから同人(文字数」
「(菊地秀行) ヨグ=ソトース戦車隊の
ちっぽけな人間たちの意地と勇気と知恵が、そして、異次元の魔王ヨグ=ソトースの魔力がこれを迎え撃つ。 って煽りに痺れたその相反しそうな二つ並んじゃうんだ……」
以上。
0 notes
Text
言いにくいことってあるよね
舞原です。もう引退ですね。稽古日誌も最後の1回、これっきり。Be age🤟
ちゃうかのホームページを見れば過去の稽古日誌が簡単に見れるということで見返してみたりすると結構面白くて。くだらないことを書いてるように見せかけて言葉の節々に怨念を込めてることもあれば、ただただ簡素に日常を描くような稽古日誌を書いていることもあったりして。稽古日誌を読むとその当時の公演中の心情を思い出せます。
軽い気持ちで書けるのもいいですよね。「ネット上だと相手の顔が見えないから攻撃的になりやすい」のと多分同じ理論で、ここでは相手の顔は見えなくて。だから口が軽くなる。しかも、ここに投稿したものってどう思われてるのかがあまり可視化されないじゃないですか。(たぴおかなど例外はいるけど。) Twitterみたいなノリで書けるし。しかもTwitterとは違っていいね数みたいなのが見えないし。何か言いたいけど…言いにくい…みたいなのをこっそりぶつけることができるこの稽古日誌が私は結構好きでした。
ちなみに稽古日誌にバレないようにこっそり怨念を仕込むのは結構楽しいです。感情のやり場に困ったらみんなもやってみよう。
まあそんなことはさておき。10/4の稽古内容はこちら。
・🚀エチュード
・シーン読み
授業がたくさんあると日常が「大学・ちゃうか・バイト」になってしまいますよね。でもそんな日々ももう終わるとなると少し寂しくなります。
2 notes
·
View notes
Text
最後なのでちょっと長めに(笑)
「お芝居やっててどういう時が1番楽しい?お芝居の何が1番好きなの?」
というような質問を、時々、お芝居経験のない知り合いから聞かれたりする。同じ質問をされたことのある役者さんは多いのでは?
これに対する答えは人(役者)それぞれだと思います。
お客さんや人の前で何かパフォーマンスするのがとにかく好きな人、お客さんに笑ってもらうのが何よりうれしい人、役づくりで色々考えたりするのが好きな人、とにかく自分じゃない人や存在になれるとうことが楽しいという人、相手役と感情や色んなものをやりとりしたりかけ合いしたりするのが楽しい人、コツコツ技術を磨くことが好きな人、単純に大きい声出すのが好き!って人(笑)、物語というものが好きで物語を紡いでいくことが好きな人……本当に役者さんごとに色々な好きポイントがあると思うのですが、私はいつも
「役の見ている景色が見られた時が1番うれしいし楽しいし好き」
と答えます。
もちろん、台本もらったら作品や自分の役について考えたり、自分の登場シーンやセリフがどういう状況なのか考えたり、必要なことがあれば調べ物したり参考になりそな動画をあさってみたり、台本の外側について想像してみたり………その、自分に与えられた役として、舞台の上で生きて存在できるように色々な準備はしていくのですが、それでもやはり、自分以外の人間の生み出した自分以外の人間にならないといけないわけですから、100%の正解や理解を最初から用意するというのはなかなか難しい…というかほぼ無理に等しいのではないかと思います。本番が終わってずいぶん経った後に「あ!あの時のあの役のあのセリフってこういう感じだったのか!!」「あー!あの役を演る前にコレを見たりアレを経験したりしてたらもっと色々できたのになー!」と何かを発見したり理解したりことも今までに何度かあります。
自分じゃない人間を理解し表現することって、難しくも奥深いなぁ…おもしろいなぁ…でもやっぱ難しいなぁ…といつも思���ます。今回も思ってます(笑)
まあ、自分のことだって、ふとした時に「あ、自分ってこういうとこがあるんだな」と数十年生きてきたって新たに発見することがあるんだから、そりゃ難しいですよね。
だから『本当にその役としてそこに生きて存在して動いて話して』ってするのは、どんなに準備して稽古や本番に挑んでも100%の理解度でってのはまあ無理に等しい。だからこそ、最後まで追求し続けるんですけど…。
そんな中で、稽古や本番の中でふと「ああ、このシーン、この役はこの景色を見ていたのか」「相手役のこのセリフがこんなにも心を刺すのか」「数分前のあの役の仕草やセリフがここにきてこんなに脳裏に映るのか」と、思いもよらないタイミングで役の目や耳や心が深い深い実感として感じられることがあります。そんな瞬間や、そうやって役のことがわかっていくことがお芝居をしている中で私はとても好きなんですけど、昨日と今日の稽古でも、「あー、このシーンはこんな気持ちになるんだな!」「この役のこのセリフを聞いた���こういう気持ちが湧いてくるのか」と思う瞬間がいくつかあって、とてもうれしくなりました。
残り日数は少ないですが、こういう実感をたくさん残りの稽古でキャッチして、この作品や俊平さんの魅力をお客様にお伝えできればと思います。
観てくださるお客様も、色々なものを『ことづけ』や『紙風船』からキャッチしてくださいますように…。
2/13 中西
1 note
·
View note
Text
叱咤激励ありの舞台ですね
本番まで近づけばいろいろありますよね。不満がたまったり、厳しい言葉が飛び交ったりと。厳しくも優しく、難しい問題だ、と思いにふける今この頃です。(笑) でもこれは本番への熱量があるからこそです。みんなこの舞台への想いが強いからこそぶつかったりするものです。 そのような熱い想いを持った人達が集まるこの創造集団g-クラウド。とても素晴らしい仲間です。自分ももっと頑張らねば、もっと本気にならねばと身が引き締まる思いです。 お互いもっと切磋琢磨してみんなで激励し合いたいですね。そして素晴らしい作品を創り上げます。 どんな熱い人達がやってるんだと少しでも興味を持たれた方は是非会場へ! 最後に、こんな文章を書いておきながら実際はこんな風に楽しく稽古してるよという写真を貼っておきます。
11/27 鳴海
0 notes
Text
2024年10月7日(月)
私の職場(私立女子大学)では、今日から後期授業が3週目に入る。と言うこととは関係なく、<11月文楽公演>の友の会チケット発売日���のだ。午前10時販売開始だが、例によって最初はなかなか繋がらない。それでも5分もすればログイン、希望はともかく初日(11/2)の最前列、少し<床>からは遠いが何とか席を確保することが出来た。恐らく、文楽劇場での観劇はこれが最後となるだろう、しっかりと目に焼き付けておこう。
4時50分起床。
日誌書く。
洗濯機回す。
朝食を頂く。
洗濯物を干す。
珈琲を淹れる。
弁当*2を用意する。
ひとりで出勤する。
順調に到着する。
換気、ラジオ体操第一、お茶。
10時を待って国立文楽劇場へアクセス、少し時間はかかったが初日第一部の最前列を確保出来た。
今日の授業内容の確認、例題を一通りチェックする。
ラジオ体操第二、お茶。
月曜日3限・4限<情報機器の操作Ⅱ(看護学科)>、今日はPowerPointの3回目、次週は試験だ。4限クラスで3週連続欠席の学生1名、聞いてみると他の授業にも来ていないとのこと。これ以上こちらは立ち入れないので、学科での対応に任せるしかない。
終了後、すぐに退出。
ようやく暑さもおさまってエアコンの負荷も減ったので、燃費が大分良くなってきた。
ツレアイは午後からの訪問2件、ほぼ同じ頃に帰宅した。
ありあわせで夕飯準備、豚バラと大根のうま煮・昨日の安売りコロッケ・関東煮の残り・キュウリのしょうゆ漬け・レタスとトマト。
録画番組町、BS松竹特選落語から
入船亭扇遊「厩火事」 年下の遊び人を亭主に持った髪結が喧嘩が絶えないことを、仲人の旦那に相談する。亭主の本心が知りたいという事で仲人は厩の火事で弟子たちからさらなる信望を集めた孔子の逸話を聞かせ、亭主を試すことをすすめる。 生粋の江戸の落語で、文化4年落語家喜久亭壽曉のネタ帳「滑稽集」に「唐の火事」を元にしたといわれる演目。 (2021年5月18日 国立演芸場) 立川龍志「だくだく」 貧乏人の男は引越しをしたが、家財道具の一切を古道具屋に売ってしまった。男は壁、床、天井一面に白い紙を貼り、近所に住む画家に、豪華な家具や日用品などを細密に描いてもらった所、泥棒が部屋に入ってきて・・・。 上方落語の一席を東京落語に移植した作品。 (2022年12月13日 国立演芸場)
片付け、入浴の段取りだが、例によって睡魔到来、布団の中へ。
月曜日は学内移動が少ないので、帰宅後にウォーキングが必要なのだが・・・。
2 notes
·
View notes
Text
「虚無への供物」中井英夫 1111
第一章
11第一の死者 01
よいよというか、やっと、第一章の始まりです。
喫茶店でしょうか? “泉”で、亜��夫と久生が会話してる場面です。 ここに出てくるので、実際にあった店なのかもしれません。
その前に、事件の概略が差し込まれています。
1954年12月22日水曜日の夜。 目白の氷沼家での出来事です。
それも、亜利夫は事件というより事故だと主張します。 そう、病死以外考えられないと言うのです。 根拠の一つは、完全な密室だからです。 まあ、完全な密室なんてないでしょうから、これからどう暴かれていくのか楽しみですね。
で、その状況というのが、
紅司が風呂に鍵をかけたままで返事がない。 ガラスを破って入ってみるとタイルの上にうつぶせに死んでいた。 主治医の嶺田博士の診断で持病の心臓が急激に悪化したと考えられる。 風呂場は厳重な密室で何者かが忍び込むことはまったく不可能。 26日には“急性冠動脈障害”による心臓衰弱という診断書で埋葬された。
と、こうです。 久生は納得できないみたいですね。 嶺田博士を訴えると息巻いてますね。
密室殺人(ロックドマーダー)と表現していますが、あまり聞いたことない表現ですね。 造語なんでしょうか?
ここで、藤木田の登場です。 新潟からきた氷沼家のお目付け役みたいな人だと表現されています。 で、その藤木田も含めて、 その場にいたのは、亜利夫、藍ちゃん、橙二郎、爺やの五人です。
主要な登場人物である蒼司は、九段の八田皓吉のところに行ってました。 しかも、本来なら亜利夫と新宿駅で待ち合わせて気晴らしをすることになっていたのに、 すれ違いで、九段の八田皓吉のところに行ったのと言うのです。 どうなんでしょうね。このあたり。
ところで、 蒼司がしかたなく一人で、 アメリカ版ゴジラ映画「原子怪獣現る」を見てました。 この映画、この年の10月頃に封切られていました。 特撮の巨匠、レイ・ハリーハウゼン初の長編作で『キング・コング』と並ぶ古典的SFX映画の名作。 原作はレイ・ブラッドベリの短編小説『霧笛』(The Fog Horn)です。
興味が湧いたので見てみました。
むちゃくちゃ面白かったです。 現在のものさしに当てはめれば、滑稽さも目立ちますが、その当時ならワクワクできたでしょうね。 タコとサメが戦うシーンとかいいです。よくできてます。 ただ、思ったほど大きくないかな。 しかも、やっつける方法が“放射性アイソトープ ”とは。 放射能撒き散らすことにならないんだろうかと不安です。
で、蒼司が藤木田をわざわざ新潟から呼び��せてます。 やっぱりこのあたり何かありそうです。
この藤木田誠(ふじきだまこと)について書かれます。 この人も重要人物なんですね。
氷沼家との血縁関係はない。 現在は、引退して郷里の新潟在住。 年齢は60過ぎで銀髪、血色のいい日本人離れのした押し出しの巨漢で、 祖父の光太郎と同業でいつも一緒に世界各国を渡りあるいたというだけに、渋いツイードを着こなしている。
事件が起こる直前、 橙二郎は二階の書斎に 爺やは玄関わきの自室に 茶の間の掘りごたつには、 床屋へ行ったばかりで若々しい顔つきの紅司と藍ちゃんそれから亜利夫、藤木田老人がいた。
そこでの話題として、 松沢病院での事件を上げてますが、 藤木田老人は、そんな事件ではなくて不可能犯罪なら謎を解いてみせるといいます。 どうやら壮大な前フリみたいです。
ところで、 松沢病院という病院が今でも東京にありますね。 まさかと思いますが、 話題にあがっているのは、ここでの事件でしょうか?
今度は、 藍ちゃんもそれに加わって、 “密室の中の他殺”ぐらい無意味なものはないという話になります。 密室殺人を真っ向から否定するとは、この小説は何を書きたいのか? もしかすると、これからとんでもない密室殺人を、 これまで見たこともない前代未聞の小説を書くということなんでしょうか?
で、 紅司がこれから書こうとしている『凶鳥の黒影』はどうなのか訪ねます。 それに答えて、紅司は、
PAeμ(θA-θB)=PB
という平衡式を書いてみせます。 藤木田老人もその数式をみながら、 「何かが何かにイコールというわけだな」 と、いってます。 平衡は、 物体が力学的につり合いの状態にあることですから、たいていイコールでつなげてあれば平衡式ですね。 それを数学の先生に書いてもらったと言うことが、果たしてどういうことなのでしょうか?
発見者がちょっとでも死体を動かしたら最後トリックの痕跡はあとかたもなく消滅するという仕掛けだと、 具体的な内容を紅司は言いだそうとします。
と、いいいタイミングで二階から橙二郎の降りてくる気配がします。 というのも、例の階段が低く鳴ってるからです。 二階にいたのは、橙二郎だけですから、これを皆橙二郎だと思いますね。 はっきり、橙二郎だと書いてないところが怪しい。
そこで、紅司は話を切り上げ、麻雀でもということになります。
その後、橙二郎が皆のもとを訪れます。 やはり二階から降りたのは橙二郎だったのでしょうか。
その橙二郎が皆に風呂に入ったか確認しますが、 誰も入ってないみたいです。 そこを紅司は遮るように「もう十時すぎた」といいますね。 このあたりもわざとらしいのですが。 しかも、紅司は普段、決して自分の部屋に人を入れないのですが、 今日は、どういうわけか、藍司、亜利夫、藤木田の三人を自分の部屋に誘います。
おかしいですね。 まあ、いずれわかるのでしょうが。
二階へ行く途中、亜利夫は蒼司に電話してみます。 九段の八田皓吉のところで、冬至の柚子湯をに入るということです。
その電話を聞きつけた紅司が、 「兄貴たまげるだろうな」とつぶやきます。 これは、かなり意味深です。 でも、他人の家の風呂に入ってくるというのは、どうなんでしょうね。 1954年12月22日は、確かに 冬至ですから、その話自体は自然な流れなのかもしれませんけど。
で、八田皓吉のことが少しだけ書かれます。 外国式のやり方だといって、 彼自身がその売り家に住み込んで注文通りの凝った改装をしてから買い手に引き渡すという家屋ブローカーをしています。
その後、 人を自分の部屋にさそっておいて、紅司は風呂にははいります。 三人は、二階の紅司の部屋に、橙二郎は書斎に向かいます。 途中、不意なった電話を橙二郎が取り上げますが、それは、どうやら間違い電話らしいです。 なんか変な感じですね。
それから三十分階下から物音も聞こえてこなかったし、 二階からも誰も降りたものはいないというのです。 しかも、二階の部屋の窓には鉄格子がついているし、 藍ちゃんの部屋の外の踊り場に非常梯子があるが、それを使うとも思えないと、こうです。
で、 紅司部屋の様子が「赤のシンフォニー」とでもいうような、赤色で調和が取れていると書かれます。
床に厚手な深紅の絨毯、 カーテンはほとんど黒にちかい赤色の古風な天鵞絨(びろうど)、 電気スタンドは眠たいような淡い鮭(しゃけ)色、 ディヴァンには深緋(しんぴ)の繻子(しゅす)とです。 これで、本当に調和が取れているのでしょうか。
天鵞絨(びろうど)はベルベットのことですね。 わざわざ書くということは、この当時は、高価だたのでしょうか? ディヴァンにかかっている光沢が強い織物は紫みの暗い赤色ですね。
で、 紅司部屋の蔵書についても書かれます。 36部限定の局紙本の揃いで日夏耿之介の遊牧記(ゆうぼくき)が五冊と黄眠堂(こうみんどう)主人訳になる「院曲撤羅米(さろめ)」の大型本です。
遊牧記については、詳細が見つかりませんでした。 ただ、 日夏の個人誌としての『游牧記』に石川道雄等が参加したとありますから、 自費出版に近いのでしょうか?
一方、院曲撤羅米(さろめ)は、 日夏耿之介の号のひとつである黄眠堂(こうみんどう)主人の訳で、 昭和三年「近代劇全集」中の一篇として発表され、昭和十三年六月蘭台山房より定本として大型豪華版が刊行されました。 ちなみに、 三島由紀夫は『サロメ』の演出、上演にあたり日夏訳『院曲散羅米』を選んだそうです。
ちらりと、挿入されている挿絵を見ましたが、 これは、問題がありですね。
で、最後にちょっとした驚きがあります。 なんと、藤木田老人がバア“アラビク”に行ってて、 久生のことを知ってたのです。
この藤木田という人物もなんとなく油断ならないですね。
つづく。
0 notes
Text
虚子自選揮毫『虚子百句』を読む Ⅶ
花鳥誌2024年7月号より転載
日本文学研究者
井上 泰至
12 紅梅の莟は固し不言
初出は『玉藻』昭和八年四月号。続いて『ホトトギス』九年年二月号。「」と前書き。『五百句』には、「昭和八年二月二十二日 臨時句会。発行所」と注記。『喜寿艶』には、「紅梅の莟が固い。恰も女の口を開かぬやうに」と自解している。
この句については立子の解説を引こう。
紅梅の赤い莟はまだふくらんでゐるといふほどでなく固く結ばれてをります。その固い紅梅の莟を詠じた句であります。それを美人に譬えて、その美人はにこやかに情がありげに見える、併し固く口をつぐんで一言も云はない。そのさまに似てゐる紅梅の莟であるよ、といったのであります。清楚なそして艶な句であります。
これに対して、本誌令和五年二月号(「恋の季題」)に、この句についての解釈は提出しておいたので、再記しておく。梅に恋の気分を込めたものである。口が堅いだけ、恋の意志は強く、開花を待っている。開いた時の色香は余計に強いのだ。いざとなれば女性の方が強く、果敢なのだと虚子は言いたげである。「不言」という表記は、まずは漢文風の改まった言い方で、品格を保ったと見える。ただし、取り澄ましただけではない。言葉に出されないからこそ、かえって思いは募ることも匂わせているのだ。
立子もこういうことは心得ていて、あえて余計な説明までは加えなかったのかも知れない。なお、『喜寿艶』では、掲句の後にはこの句を配している。
鶯や文字も知らずに歌心 虚子
無学の女だが、かえって上手に言おうとする野心がなく、イノセントな歌声が届く。聞いている男は、その声に歌の心、即ち恋の心を呼び覚ました。梅に鶯の連想もあり、両句並べて、無言の意志から、恋の囁きへの展開を確認できる。��虚子百句』でも次は鶯の句である。
13 鶯や御幸の輿もゆるめけん
『ホトトギス』昭和九年四月号に「懐古」と題して初出。『五百句』に「昭和八年四月十二日 中辺路を経て田辺に至る。中辺路懐古」と注記。
中辺路(なかへち)とは、熊野三山に至る参詣道のうち、田辺から本宮、新宮、那智に至る山岳路のことで、特に平安時代から鎌倉時代に皇族貴族が延べ百回以上も繰り返した「熊野御幸」では、中辺路が公式参詣道、すなわち御幸道となった。
その当時の旅は、人影の少ない長く険しい山道を越えるだけでなく、たとえ寒い早朝であっても水垢離(水浴び)をして心身を浄めながら、ひたすら熊野の神々や仏の救いを心に念じ熊野三山へと向かうもので、山岳修行の色が極めて濃厚だった。
虚子は参詣とは逆コースを、楠目黄橙子・松尾いはほ等とたどったようで、近野村の茶店に休んだ折の句である。 虚子の「中辺路」という文章にはこうある。
中辺路といふ名前がなつかしかつた。―昔後鳥羽上皇などが熊野に御幸になつたのも此中辺路を通られたのであつて、「道成寺」の安珍なども此道を取り、それのみならず蟻の熊野詣りといふ諺があるやうに、此道をぞろぞろと熊野詣の群衆の通つたところでもあつたのであつた。其山路だと思ふと何となくなつかしく――今は淋しい山路で、私達に行違ふ旅人は一人も無い位であつたのである。――私はカラコロカラコロと足駄の音を響かせながら歩いた。
虚子の脳裏には、謡曲「道成寺」で、美形の僧安珍がこの中辺路を経て、清姫に見初められ、恋の激情の蛇体となって襲われる悲劇となったことや、院政期貴賤群衆の信仰を集めた様が去来していた。
なお、年尾が解説しているように、秀衡桜という一本があり、句を得たのは、そのあたりのことという。平安時代後期、奥州の豪族、藤原秀衡が滝尻の岩屋に残したわが子の無事を祈念して、そこにあった桜を手折り、別の木にその桜を継いだという伝承がある。
先にも述べたように、前の句の鶯の連想から、この梅の句を揮毫したことも容易に想像される。となれば前の句は紅梅を美女に比し、恋に文字通り身を焦がした清姫の連想も働いたか。
さて、そろそろ図版の揮毫の見方についてコメントしておこう。図版に挙げた右の「栞して」の句は、「虚子」の落款(署名)が句の左に配置されている。対する左の「紅梅」の句の落款は、句の真下に位置する。
それを確認した上で、一句の字配りを確認すると「栞して」の句は全体に筆が左から右に流れ、それと対置する形で、左に「虚子」の署名が置かれているのである。バランスをとっているわけだ。
対して「紅梅」の句にそれほどの傾きはない。つまり、虚子は「書」の基本である字配りのバランスを常に意識して書いていたことになる。よって、晩年の眼が弱り、力も減じた筆勢とはいえ、中心線はぶれていないことになる。
次の「紅梅」の句の「紅」の字は、一句全体を統御する強い字となっている。次々号にも「紅梅」の句を掲出する予定だが、そちらは優しい書き方である。
また、「栞して」の句の「山」の字は、整った字形で西行へのリスペクトも感じられるが、『虚子百句』に「山」の字を使った句は十指に余る頻出ぶりで、一つとして同じ書き方はない。二月号に挙げた「山寺」の「山」の字など、句の内容の滑稽を反映して字も、剽軽な俳諧味のある「山」になっている。「書」には眼目となる字が必ずあるが、虚子は確実にそのあたりを意識して筆を振るっていたようだ。まず、虚子の揮毫は序文に記すように、手習いをしなかったとはいうものの、いい字を見てそれを覚えていた可能性は高く、あとは修練で、晩年には自在の境地を得たようである。
便利堂がこの企画を持ってきたのも、虚子の字のその辺の高度な在り方を、ある程度意識していたからだと推察できるのである。
『虚子百句』より虚子揮毫
13 鶯や御幸の輿もゆるめけん
14 道のべに阿波の遍路の墓あはれ
国立国会図書館デジタルコレクションより
___________________________
井上 泰至(いのうえ・やすし) 1961年京都市生まれ 日本伝統俳句協会常務理事・防衛大学校教授。 専攻、江戸文学・近代俳句
著書に 『子規の内なる江戸』(角川学芸出版) 『近代俳句の誕生』 (日本伝統俳句協会) 『改訂雨月物語』 (角川ソフィア文庫) 『恋愛小説の誕生』 (笠間書院)など 多数
0 notes