#程偉文先生
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談天說道 之 幫助兒童走出至親離世的陰霾
「萬事都有定期,天下���務都有定時:生有時,死有時;栽種有時,拔出所種的有時;殺害有時,醫治有時;拆毀有時,建造有時;哀哭有時,歡笑有時;悲慟有時,雀躍有時。」(傳道書第三章1至4節《環球聖經譯本》) 文:程偉文先生/贐明會總幹事 「家」應該是一個安全的棲息地,是兒童成長的搖籃。要是事與願遺,怎樣挽救?香港最近發生一宗倫常慘案,家人涉嫌合謀殺害至親,駭人聽聞,轟動國際。案中的受害者還有孩子,他們年紀還小,如何面對這個殘忍的事實?兒童可能有很多疑問:「爸爸殺死媽媽?其他家人是幫凶?」「為甚麼會下殺手?」要留意,當媒體不斷報道,訊息中會有大量直接及間接的傷害性言論,對兒童來說,是二次傷害,能造成深遠及不良影響。 殺害有時,醫治有時 親人突如其來不辭而別,剎那間讓生活起了翻天覆地的變化,有許多未說的話、未做的事,成了終身難以釋懷的心結。父母死亡對兒童是重大的衝擊,除改變了他們原來的家庭結…
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#程偉文先生#重建個人生命意義#關心喪親兒童的「內在小孩」#親人突如其來不辭而別#贐明會總幹事#走過悲傷幽谷#兒童成長的搖籃#哀傷與失落#喪親帶來的複雜情緒#失去親人的痛苦#幫助兒童走出至親離世的陰霾#懷念和逝去父母的種種美好回憶#使他們明白不會被遺棄
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(昔の日記です、お気に入りの文章教えてくれたらモチベになります……)
日記
その日は朝からジョギングをした。いつも昼過ぎぐらいに起きていたから、朝8時の街のざわめきがあんなにも違和感なく受け入れられていることに驚いた。結局少し走っただけでくたくたになってしまった。川を眺めながら、ゆっくり、ゆっくり歩いて帰る。鈍色の川だった。1週間に1回くらい、いままで生きたすべての生きものの屍が、地を踏む私の足裏のずっと奥底にしずんでいることを思い出して、不思議な気持ちになる。恐竜もそう、目に見えない小さな微生物も灰ほどの大きさになって光景の一部にちゃんと溶けている。そのことに深く安心して、わたしは好きな人たちのことをちゃんと思い浮かべられる。調べたら、紀元前5万年前から今までに誕生した人間を合わせると、1082億人もいるらしい。1082億人もの人間たちが流した血を、蓄えた知恵を、つないでいった命のことを考える。丘丘を越える風や、夜と花との匂いに触れると、結局いつもそんな想いに辿り着く。昼からは医療脱毛の予約が入っていた。ほぼ素っ裸になって赤い水性ペンで体のあちこちに線を引かれて、ぱちぱちした熱くて痛い光に耐える。わたしの褐色の身体だっていつかあの、深いところにある脆い、目に見えない、灰になってしまうのになあ。電車に揺られながら、ゴミ溜めに差す光を見つめていた。小説の中の、「眼を傷つけるほど鮮明に」という表現を気に入ったので、メモに残す。細い雲が花嫁の白いヴェールのように空に広がっている。なんだか浮かれていた。アルバイト先で出勤打刻を入力して、都合よくふたりきりになった同期の男の子に思っていることをべらべらしゃべってしまった。なんかもう誰に何を思われるとか誰かと何かをくらべるとかそういう事柄に鈍くなっている。バイト前に控え室に入るといっつもからだをじろじろみてくるあの人、ふと見たら私の足を見つめてて、それ以来マジで無理になっちゃった。なんかたまたま目に入る情報の引きのわるさに自分でもびっくりしちゃうの。街歩いてたら���ょうどだれかが小便してたり、ちょうどネズミが裏路地からでてきたり、恋人と上手くいってない時にインスタを覗けばちょうどだれかの記念日だったり、そういうの。でもこのあいだ西加奈子の白いしるしっていう本を読んだんだけど、富士山に関係している話で、それでたまたまわたしも来月山梨に行くの。こういう「ちょっとラッキー」みたいな軽くてふわふわした柔らかな偶然が、積み上げられたいやーな記憶を許してくれる。こんなことを永遠に喋っていて、性格が悪いと思われるかもと不安だったけど、その人の方がわたしよりも5億倍くらい性格が悪かったので、あとはふたりでお偉い人が休憩から戻ってくるまでげらげら笑った。その夜はなんだかお酒でも飲みたかった。それで全て忘れ去るのは惜しいけれど。読まなきゃいけない本よりも読みたい本を読もう。学ばなきゃいけないことよりも、からっ��にみえる毎日のしずけさに意味を見出したい。恋人に別れを告げたのは自分なのに、会ったら触りたくなっちゃった。そういうこともあるよねー
無題
この人でいい、じゃなくて、「この人がいい」という感覚と大事にしていきたいと思う。4連勤目、ありがとうの一言も言えない禿げたひとたちにへらへら愛想を振りまく。やさしさに見返りを求めてはいけないなんてほんとうに馬鹿げている。わたしは自分に見合う対価をいつだって求めてるし、それを与えることこそが相手への敬意を表明する最適な手段だとずっと信じている。なんかもう無理、みんなキモイ。足裏も首も肩も痛い。インターネットばかり眺めていたら、夕陽の映る海も連なる山々も消費するものの1つに思えてきて、相当心が疲れているんだなあと自負する。色欲も皆無で、今ならどんなイケメンであろうと抱かれない自信があるくらい。言葉にできない日々こそ尊いのか、はたまた言葉に値しないものなんて、記憶されるに値しないものものなんてその程度なのか。通り過ぎた過去と進むべき未来の間で、ただ棒立ちしている。ただ、減っていくフォロワーの数値を眺める。わたしがその人の人生からいなくなる瞬間に、前よりもなんかすこしだけほっとする。
無題
ふと、あーこんな文章書くのやめて男子高校生のフリして架空の日記をつらつら綴っていきたいなーなんてことを思った。好きな女の子が教室に入ってくるあの瞬間に世界の色が変わって、空間がぐわんと無音で一新するかんじとか、廊下にひびきわたる古び��オルガンの重低音。蛇口から溢れる生きものみたいな水に顔をうずめて、あつい夏をのりきる。シャトラルランのアナウンスに合わせて、きゅっきゅと靴が床の光沢を擦る。太陽はギラギラ照って、それと同じ純度でみんなの肌が光る。時間にゴールテープがあったら、あと何回わたしはそれを切っていけるのだろう。いまはもっぱら実家暮らしを卒業したいと思っているけれど、いつか女であることを卒業したいと思う日がくるのかもしれないしそういう不確かなことばかりで全部うごている。ガガーリンの「地球は青かった」という台詞は有名だけれど、あれ、ほんとうは「地球は青いヴェールをまとった花嫁のようだった」と言ったとする説もあるらしい。わたしたちみんな青いヴェールをまとった花嫁のように生きていきたい。不確かで不透明な身体、心、ちいさな葛藤や、変化、醜さを直視する必要なんて全くないんだ。
無題
黒いワンピースを大学に着て行ったら、先輩に黒が似合うと褒められた。わたしが可愛げなく「黒なんて誰でも似合う無難な色じゃないですか」と返すと、黒が似合う人ってほんとうは2割ほどしかいないらしいよと言う。でも先輩、黒いウェディングドレスなんてどこにもないじゃないですか。
とことんついていない日が続いている。空きコマにカラオケに立ち寄ったら、店員の不手際によってひどく待たされた。しかも音質がぼろぼろで、もうなにを歌っても音痴に聞こえてしまって、さいごのほうは泣きながら宇多田ヒカルを歌っていた。やることが多すぎて、依頼書添削の通知が深夜2時にきたりする。ぜんぶやめたい。
大学の学祭実行委員をやっているのだけど、新規統括が決まった。これから新規が入ってくる中で、だれがどういう立ち回りをするか。新規統括の下にチームリーダーも2人いて、みんな多分わたしと同じくらい忙しいのに同じチームの人のタスク管理まで把握しているし、守らないといけない表記基準もちゃんとおぼえている。人の振り見て我が振り直せっていう諺、あったなあ。今は等身大にきこえる。
無題
ぽつぽつとした雨の音が家をまあるく包みこむ。包丁で水気の多い野菜を切る音やテレビの雑音を絡めながら一つの線になってゆく音の波に赤ん坊のように心を揺らされる。ときどき、だれかに肌で肌に触れてほしくなるときもあるけれどなんとか平気。朝起きて、しわしわになった白いベッドシーツになぜだか生きていたことの証を感じとって、朝からふわふわした気持ちだった。成り行きから友人と文通をすることになった。最近は眼鏡がこわれて、イヤ���ンをなくして、ほかにも不運だと思うことが何件かあった。それでもどんどんに綺麗になっていく自分のうつくしさや、河川敷でからだを動かした後の汗ばんだ首元を冷やす風、そういうものにその都度救われていく。文章を書くのだって、すこし書かないだけでとびきり下手になったような感じだけどこうやって振り子のようにあちこちをいったりきたりして自分の居場所を掴んでいくと妥協できるようになった。わたしもほんとうは妥協を信仰とよびたいよ。書くの難しい、日記の練習。
反逆
朝から訳あって母と銀行に行かなくちゃいけなくなった。暑くて全部が嫌だった。道すがら、誤って小銭を何枚か落としてしまって困っていたのだけど、母はそれにすら気付かず歩く足を止めなかった。一度も振りかえらないまま。その瞬間、ああこのひとはこういう人なんだ、と思った。あなたが母親としてすべきことは娘の束縛でもスケジュールの管理でもなくて、隣に立ってあげることなんじゃないの?って、込み上げてくる怒りを必死に押し殺す。もうどうでもいい。わたしは宗教がきらいなわけではなくて、それに付随する人間の因縁がしぬほどきらいなのだと気がついた。
昨晩、大学の唯一の男友達とたらふくごはんをたべた。ありじはやさしいから全人類が惚れる、これまじ、と言われて心がほかほかした。「俺はさー親の束縛とかあんまなくて。朝帰りとかしても、母親、いつもと変わらずに何食べる?って聞いてくれるんよ。あーうどん、あったかいの、っていうと隣でつくってくれてさー」みたいな話を聞いて、母になる日がきてもこなくても何よりも大事にすべきなのってそういうあったかさ、優しさであってほしい。テーブルにあった占いボックスみたいなのに100円いれたら、吉と書かれたうすっぺらい紙がでてきた。ラッキーカラー青。次髪染めるならブルーブラックかな、そう思った。ちなみに男友達は「緑の人」って認識されたいらしくて、いつも緑の服着ててまじでおもしろい。
新宿駅は夜でも、バチバチに光っていた。帰宅して、そのあとは元恋人の友達と夜通し通話した。間にしょうもない下ネタをいいながら、ほぼ恋の話。エロい台詞を言わせたりして、ゲラゲラ笑った。毎日筋トレしてたら、足が細くなって、気持ちも前向きになった。でも、朝起きたら元恋人のインスタに載ってた私の写真が削除されていて、気持ち的には2度目の失恋だった。一度、私にもプライドがあるし元彼に連絡とかしたくない、と言ったとき、じゃあそのプライドを最後まで突き通しなよと言われたのでわたしはほんとうに最後まで突き通した。こんな美人でやさしい女を振るとかまじで勿体ねーっていう強さをおかずに生活を食ってるよ、ほんとうにすきだったんだ。
無題
高校時代、すごく仲のよかった友人にはじめての恋人ができた。このあいだ新歓合宿にいったの、といって見せてくれた写真、ほんとうにどれも眩しかった。わたしは大学に気の置けない友人が数人しかいないし、おまけについこのあいだ振られた身なので正直心の底から同じ目線でよろこぶことができなくてとてもつらい。ほんとうにいちばん救われて、いちばん好きな友達だったからこそなおさら。というか、さいきんずーっと無気力で、与えられる日々を過ごすというか半ば消化するような感覚でうけとめている。こうやってみんなそれぞれ離れていくのだとおもうとすごくさみしい。彼女にとって、わたしにとって一番だった関係性が、いつしかくずれてしまうのではないか、もう崩れてしまっているよでは無いか。そんなことをかんがえる。気休めにカフェでチャイティーラテを頼んだんだけどクソまずい、救われない。じぶん、はじめて付き合ったとき、どういう気持ちだったっけ。わたしの人生だからわたしがきちんとそこに価値や意味を与えないといけないのに、横たわって天井ばかり見て、挙げ句の果てに他人に妬みすら覚えてしまうのってすごく阿呆らしい。うらやましいな〜〜〜結婚するのかな〜握っていた手を手放されてしまったわたしにとっては、彼女が今一番求められているという状況は嬉しくもあり、うらやましくもある。海を背景に男の子と裸足で駆けだしたりするのって幻じゃなく存在するんだ。なんでこうもひとと比べてしまうのかわからない、何でそんなに上手くいくんだろう、なんでわたしだけこんなに不運で、こんなに寂しくて、こんなにつらいんだろう。だれしもが闇を抱えているのにそれを無視して、わたしだけ、わたしだけ、と卑屈に叫んでいるからバチが当たったのかな。去年、彼女とふたりで予備校へむかうとき、「はじめて」って片道切符だよね、なんてことを話した日もあったのに。もうほとんど大学に馴染むとか、ともだちつくるとか、学チカとかぜんぶぜんぶ諦めて、必要だけどこころの栄養にならないものは先送りにして隅に追いやって、ただひたすら本読んだり映画見たり、観葉植物に囲まれた生活をおくりたい。天気がいい日にはフラッと海に行って、そこにひとりでいるひとがいたら話しかけるとか、そういうところから心を元あった場所に置き直す努力をしないとこのままいちばんうつくしいとおもっている10代が終わってしまうなんてあまりに耐えられない。余裕がなさすぎるから5,000円の寿司料理を食べにいきたい。花を生けたい。北海道の僻地へ一人旅したい、新潟の温泉とか和歌山の麦畑とか。ちっちゃなドラゴンをこころに飼いたい、人差し指くらいの蛇のタトゥーを掘りたい。意地悪な天使みたいな女の子になりたい���、やさしい悪魔みたいな男の子に好かれたい。バイトでお客様の身分証をみてそのひとの住所とか名前とか生年月日を手入力するんだけどなんか、その作業をするたびに不思議な気持ちになる。当たり前のようにみんな違う名前で、違う日に生まれて、違う人生をおくっている。世の中わたしがしらないことで成り立っている。わたしは頑張っている、がんばることなどなにもないはずなのに頑張らないといけないことがとてもつらいけど、人生そういうもんですか?
無題
大切な人たちはこれからわたし以外のひとたちにも大切にされてゆく、でも。私はどうだろうか?なんてことを考えながら天井を眺めている。2限が終わってから、駅で待ち合わせて委員会のメンバーとはじめて会って昼食を食べた。そのあと用事があったけれど時間が余っていたので学校へ戻ったら、さっきの授業で同じ教室にいた女の子ふたりが外のベンチでたのしそうに話していた。雨ニモマケズ課題ニモマケズ。積み重なる焦燥感。積み重なると言うより色味が強調されてる感じ、わたしだけモノトーンの世界に取り残されている。木々がわさわさ揺れる。ともだちも好きな男もいなくなったときのために、ずーっと居たくなるサイコーの部屋をつくるぞ!と思って、観葉植物とプロジェクターとイエローのベッドカバーセットをポチる。ありったけのエネルギーをつかって見栄を張っているだけで、けして強くはない。気を緩めば赤ん坊のようになみだがぼろぼろでてくる。努力しているのだ。うつくしい写真を撮ろう。恋人はいるけど上手くいってるのか上手くいってないのかよくわかんない、けれど以前のように自分のことを犠牲にすることは少なくなった。今はわたしの相手をするのを面倒くさいと思う人に割く時間なんて1ミリもないと思っているし、だったら一人でしらないひとと酒を飲む方がまだマシ。外に出ればいくらでも拓けた空が存在していて、孤高になりきっているかのように風が吹く。汗をかけば涙なんて用無しだし、歩いて歩いて歩きまくれば、一瞬くらいは生きててよかったと思えるものが転がっているはずで、じぶんはそれを受け止めるのに値すると思っている。もうすぐ19になる。自分に時間を割くこと、自分への愛を惜しみたくない。だれかに想って貰うこと、だれかを想うことにはいつだって悲しみが伴うから、それをちゃんと受け入れられるくらいに。
無題
なんでわたしはふつーに生きていけないんだろうってずっと思っていた。母も父も日本の恵まれた環境でわたしを育ててくれたは良いものの、父は英語主体の企業に勤めていて、母に関しては日本語は流暢に喋れるものの読み書きは未だに不自由。小さい頃から携帯電話の契約書も学校の書類もすべて弟の分までわたしがこなしていた。想像してみて欲しい、12歳の少女が契約書の堅苦しい日本語を解読している様子。みんなが両親に綺麗な���で書いたもらった保護者会やPTAとかの同意書の中で、ひとり浮かないように1文字書くのに1分かけて、わたしの字とバレないように普段は字の汚い女の子を演出していた。日本人の集団に馴染むのが早かったのは、それくらい妥協や諦めを得るのがひとよりもはやかったということ。まわりの大人はみんな神様について話したがっていた。かみさまってなんだろう?かみさまなのに、自分でなんでもできるのに、なんで人間なんかにこだわるんだろう?さみしいのかな?なんて思っていたけれど、「かみさまは全能なので寂しいなどとは思わないのよ、許しを乞いなさい」そう言われてしまった。わたしのやさしさも、ときにはだれかにとって、間違いとなってしまうことを知った。自分のことを、昔も今もとてもやさしいと思っている。けれどそれは人に優しく接することで自分は善良な人だと信じたいだけなのだと最近思う。自分は世界から優しくされるべきだ、人に愛されるべきだと、自分のことを肯定したかった。インターネットをはじめたばかりの頃、世界には寂しい人間がこんなにたくさんいるんだと知って、それが救いだった。たくさんの言葉を綴ったけど、こわくなって一度ぜんぶ捨てた。だれかたったひとりでいいから、わたしも心底愛されたい。川のせせらぎや木々の息吹、風のあおさ、若い緑の匂い、花々、流れゆく時間のうつくしさ。ぜんぶかみさまの化身だと思っていて、それらに愛されていると感じていた。けれど高校に入ると、みんなひたすら楽しそうだった。好きな男の子に抱きしめられたり、友達と夜遅くまでどんちゃん騒ぎしたり、じぶんの美しいからだを隠さず、美しいということを魅せることによってつたえる。ずーっと日に当てず、布で覆っていた髪の毛は、日焼けすることなく漆黒を纏って光っている。みてほしい、ふれてほしい、わたしを認めて欲しい、そういう思いだけがぐらぐらと心のなかで揺れていた。お父さんお母さんにわかってたまるかとおもう、自分たちは宗教や厳しいしきたりが当たり前で誘惑の少ない世界で育ったからそれを受け入れられるのが自然だっただけで、わたしと同じ目線に立てないくせに、立とうとしないくせに、守るとか成長させるとか文化だからとかいう理由でほんとうの自分を確かめたりそれを探すためにいろいろな経験をする機会をくれなかった。そもそも自分が天国に入りたいからという理由で、ひとの地獄にも気がつけない、もしくは与えているってとてもわたしよりも罪深い、そうおもってしまう。あーなんか愚痴みたいになっちゃった。生まれた瞬間から取り憑かれている呪いに終止符は打てない。もう戻れないと思ってしまった。きのう、大学のゼミの友人と、みんなで花火をして、夜の11時半に帰った。お酒とか飲むとすごく気持ちが楽になってなんでも話せて皆んなでわらって過去の苦悩をともにして、すごく幸せだった。風が髪の毛をおもしろおかしく靡かせて首元をくすぐる。愛してくれる男の子もいる。頼りないし馬鹿だし女心ひとつもわかってないところもあるけど、それでもわたしの置かれていた宗教のこと、いっぱい知ってくれようとして、受け入れてくれて、ふたりのわたしをどちらも同等に扱ってくれる。友達は何も言わなかった。わたしが変わってしまっても、それに負い目を感じていても、ただただそこにいるわたしをみてくれた。みんなに、日々にだきしめられることのあたたかさを前よりもちかくかんじる。すぐそこにあったかい塊がたくさんある、本当はたまにすごくこわくなるけど、一人ぼっちになることとかいつかしんでしまうことは避けられないことかもしれないけど、それでも美しい日々を美しいものだと受け入れて生きていくこと、かみさまを理由にくるしいと喚いていたときよりも、自分はもっとこの世界が好きになった。どうか許してほしい。わたしがほんとうにやさしいの、いちばんしっているでしょう。人のことをすぐに疑うくらいなら心底信じてあげたほうがいい。今の自分を成り立たせるために、自分の一部を犠牲にしているかもしれない人も、それゆえに必死に暴れている感情に戸惑っている人も、みんなほんとうはとても素直で優しくてすてきなのだと思う。わたしは気付く、気づいてあげられる。寂しいときもうれしいときも、誰よりも貴方の元へまっすぐに走っていく。
無題
容赦なくどばどば目の奥に垂れ流れてくるブルーライト、過呼吸気味に泣き続ける夜もあと数年したら体力的に出来無くなりそうだから早く早く歳をとりたい。夜の3時なのに目を閉じても眠れなくて全身の血液が逆流しそうなくらいからだが強張っている。もうここ2週間くらい学校行ってない、なにしてるかというと家のカーペットのど真ん中でプリン食べながらフランス語の授業受けてる。同じ大学の女の子が、大学にはBBQかスノボかフットサルがやりたいようなやつしかいない。わたしは坊主か髪色がショッキングピンクのやつとしかともだちになりたくない、みたいなことを言っていて、そういうのってなんか違うし、かなしいとおもった。でも、こうやってかなしくなったりさみしくなったりするのを全て五月病として片付けてサヨナラできるから5月はわりと気に入っている、どれくらい好きかというと6月と10月の次くらいに好きかもしれない。「五月病」の仮面を被った鬱憤とした鈍色の塊が街中を苛ましているの、なんだかどきどきするから毎日赤い口紅をつけている。いつ悲劇に見舞われても良いように。ピエロみたいな足取りでときどき水たまりをばしゃばしゃしながら走り続けた、足元の花も日付もその日の占い結果も、あなたとのLINEのトーク画面も、日に日にぜんぶ気にかけなくなってゆく。手をつないでいた、自分の中にいた幼い少女が夢の中で喪服を着てた。あなただけは離れないで、と思って、でも、目を覚ましてもあなたに連絡は取らなかった。
無題
今日こそ、と意気込んでキーボードの上で指を交差させながらものがたりを紡ごうとするたび、これまで触れてきたいくつもの眩いことばがぶわっと一気に蘇ってわたしを刺してくる。おまえにはなにも書けないなにも���されていないおまえはなにもかなしんでいない。奥へ奥へとひきずりこまれる。誰も彼もが各々の光を持ち寄って、目の前の道はもう見えないところのほうが少なくなってしまったくらいに隅から隅まであかるい。どんなふうでも在ることのできたそれがほんとうのほんとうに空洞であったと気づいて、でももう泣けない。詩はどのように湧き出てくるんだろうか。音も色も。炭酸がシュワシュワするとか松ぼっくりの形とかどんぐりを拾い集めたりしたときのこと、もうわすれてしまったみたいに、世界がまぶたを1ミリ閉じた、それだけのことかもしれないのにその僅かなエッセンスがこんなにもわたしを主人公たらしめていたのかと途方もない気持ちをおぼえる。サンタクロースがいないとわかった瞬間にクリスマスへのあこがれが半減するのとおんなじようなさみしさをずーっとここさいきん噛み締めている。シシュンキが芸の才能の全盛期だからだろうか、おとなになればいままでずっと見えなかったものがわかって、もっと色鮮やかに日々を過ごせるのかと想像していた。外でガラス瓶ががらがらからからこんこんうるさい。布団の端っこ、握りしめすぎてすごくやわらかくなって、あたらしいパソコンも使いこなせるようになった。かなしいかなしいとおもうけれど、そのこと自体になんの揺らぎも感じなくて、かなしさがより加速するだけ、日々をヒビと書いていた頃があったのをおもいだした。ヒビをいれてゆく、ヒビがふえてゆく、日々。
無題
晴れて大学生になることができて、数日後に入学式を控えている。でもほんとうはもう大学やめたいくらい友達ができるのか不安すぎて、毎晩寝る前に泣いてしまう。このあいだ新入生交流会があったとき、教室に入ったら女の子が皆んな似たような淡いお洋服を着ているし、髪の毛が丁寧に整えられていて、かわいくて、おんなじような雰囲気で、インターネットでつながって和気藹々とはなしているひとたちもいて、自分は見かけが日本人じゃないから声もかけられないし、声をかけようと思っても(わたしこんなに目立つし、びっくりさせちゃうかもしれないし、迷惑かな...)とか考えちゃってすごくこわくて。ツイッターに勇気出して何か投稿しても、だれからも反応が来ないとそれもまた不安になってすぐに削除してしまう。これからずーっとこんなかんじで、高校のときみたいに心から打ち解ける友達なんて一生出逢えないのかもしれないとか思っちゃってさみしくて涙がぼたぼたでてくる。おおきいキャンパスの中を新歓のために端から端までひたすら歩いて、すっごくつかれた。新鮮といえば聞こえはいいけど、わからないことだらけで自分からなにか行動を起こすのをいちいち億劫にかんじてしまう。大学の中でも明るい人が多い、キラキラした男女が多い、と言われているような学部で、自分もそこに馴染めるかな、と思うとつらくなっちゃう。全然おもってたのとちがう、こんなの。これからどうしよう
無題
冗談抜きで毎晩泣いてしまう、ただそれが今はいちばん正しいことのように思えるからそうしている。
通知表をなくしてしまったので家中を捜したけれど見つからなかった。それで明日先生に怒られる予定だから今更のほほんと眠ることもできないでいる。たかがそれだけ、という言葉で収まることではなくて、何度もこうやってモノを無くしておいて一切学ばない自分に腹が立っている。
忙しくて皆んなの文章を読む時間がなかった、そうしたら自分のブログも読んでもらえなくなっちゃった。
今日も頑張ったと自分を愛でてあげることができない。
なにもこんなにかなしいことばかりを書きたいわけじゃなくて、むかしみたいに空が綺麗だったとか友達と一緒にひるやすみにフルーツジュースを飲んだこととか、長らく話してなかった同級生と体育の時間でペアになってキャッチボールができたとか、予備校での先生のプチ話が面白かったとか、そういうちいさな喜びはあるけれど、夜になると感情の波が音を立てて自分の中でせめぎあう。その狭間で、わたしがいちばん好きだったわたしがぎゅうぎゅうに押しつぶされて捻り絞られて塩辛い水で溺れてしまうの。
こんなことを書いておいて浪人でもしたらどうしよう。恋人とでんわしていると本当にくるしくなってしまって、すごく嬉しいはずなのに全然喜べなくなってしまった。逢えないのに、逢えないのにそんなことするの、逢えないんだからこうしてほしい、とかそういう自分の身勝手な思いが本当に申し訳なくてくるしい。好きだからお勉強のことを応援したいのに、すきだから逢いたいし、好きだからそれを同時に我慢しないといけないものとひどく重たく捉えてしまって、すきだから嫌いになりたくないという一心で自分のもやもやした気持ちに無理やり蓋をする。会える距離にいる人たちの並んでいる姿を見て落ち込んでしまうけど、わたしはわたしのすべきことがあるし、それは彼もそうだから割り切るしかないこともあるのだとおもう。
金平糖
わたしがいくら誰かを呪って恨んでも、紙がその言葉で埋まるほどクソクソクソと書き殴っても、結局のところ現実ではその人を愛する人たちが存在していて、そして当人もまた違う誰かを愛しながら日々に幸福を見出すのだから、本当に一番かわいそうなのはわたしだけかもしれないなんて思った。だれかのことを考えて途方もなく苛立つ自分がいちばん自分を不幸たらしめている。駅前にあるでっかい木がゆらゆら揺れる。ゆうがた、眠くなったので勉強道具を片付けて喫茶店をあとにした。暑さで足取りが重くなりつつもすこしずつ歩く、踏んでいるのが蝉の死骸か大きな枯れ葉かの区別もつかない。黒い蝶々をみてから不運続きだ。だれもわたしが泣いてるなんて気づかなくて、錆び付いた車輪を引きずりながらどこにいるかもわからない恋人のことをかんがえる。遠くなった。夕陽を後ろにわたしの影だけが前に長く長く、大きく伸びて、前方を歩く少年が気付かずに頭にあたる部分を何度も踏みつぶす。美しいものにはある種の残虐さがあることを信じて、祈りとかいう逃避を繰り返している。大丈夫?と聞かないで欲しい、大丈夫じゃないから。もう誰にも自分のことを見て欲しくない。ただ自分だけは自分のことを大丈夫だと信じてあげたくて文章を書くという行為をしている。
雨が降っている。雨が降り続けてくれればいいのに、そうしたらわたしもそれを偶然だという言葉でもって割り切ることができるのに。点滅の中に放り出されて、その明暗に目眩を覚えながら自分の行き先もまともにわからずにただただ進んでいるだけのまいにち
不在
かみさまが見つからない。登録していた音楽ストーリーミングサービスが解約されていた。昼から夜まで建物のなかに閉じ込められて、夕焼けをゆっくり眺めることもなくなった。映画館の薄暗い照明と大きな音にこわくなっても、恋人の手を握ることができない。かみさまがいない。なにもかもを投げ捨てた結果、罪悪感から今更おかあさんにありがとうと言うこともできない。ずっと、信仰という名の呪いの渦の中にいる。小さい頃からこの世の中のものはすべて神さまが創ったんだと信じていて、でもさいきんはそのせいで自分の行動が制限されるのがとても憎々しかった。どれもこれも、神さまのせい、親のせい、うまれたせい、というふうにずっと側にあって救われてきたものを突き放すことそれ自体にとても苦痛を覚えるのに、脳味噌が勝手にそういう思考をして勝手にくるしんでいる。挙げ句の果てには同級生に推薦入試のネタに利用される。こんな家でていきたい、と思っても行くアテはひとつもない。お金もない。お金を自力で稼ごうとする活力もない。どんなにわたしがぜんぶ無かったことにしたくて信仰を罪で上書きしようと、依然として実在していようがしてまいが神さまというものはわたしの中にあって、そうか。これはそういう呪いなんだ、と思う。もうだめなんだと。恋も音楽も言葉も、性別も家族も、見た目も才能も過去も、ぜんぶ同じ容量で「呪い」として全人類に等しく降り注いでくれたならいいのに。抜け出せない世界を抱えるもの同士、ふたりでいっそのこと呪いをかけあってしまいたい、それなら呪いだって愛に変わるのかもしれない、とそういう陳腐な妄想でしか漠然とした淋しさを消費できない。さみしい。唯一の居場所を自ら捨てて、こんどはどこにも居場所がないとさみしくて涙を流す。こういう呪いが不思議と人生という物語の大きな軸になっていって、結局さいごにはその「呪い」自体に自らを救われる、なんていちばん美しい結末を享受できる人は一体どれくらいいるのだろう。迷信。もう剥ぎ取ることのできない仮面。うつくしかったわたしの心は嘘を重ねる毎に醜くコーティングされ続けて、今ではもうすべてのものが何かに縛りつけられているみたいに、目の前の光景はわたしになにも応えてくれなくなった。何をどうしたら正解なのか、どうしようどうしようと悩み続けた末にその苦しさを世界のほうが背負ってしまったのかもしれない。うつくしいという言葉に収まりきれずに溢れでて、胸をぎゅうっと締め付けるもの。瞬きを忘れるくらいにずっと見ていたいと思えるもの。一切のものを捨ててでもいいからその気高さに近付いたいと願わずにはいられないもの。そういった、どうしても拭えない不安感をやさしく抱き締めてくれる愛がほんとうは色々なところにあるはずなのに、以前に美しいと思っていたものをもう同じように美しいと思えない。花というのは揺り籠から墓場まで人の生活を彩るものだ、というようなことを太宰治が書いていた。「孤独は花だから。美しいものを寂しくしないように、そのまま纏えるほどの強さを身につけていけますように」 と綺麗な言葉で文章を終わることができない。不完全でも愛してください。底無しの未来に水をあげて。
無題
ここ四日間くらい先週の頑張りが底をついたのかぐったりしてしまって勉強にあまり手がつかない。殺してほしい。まいにち死にたい。がんばっても報われないひとだっているし、大して頑張らなくてもおいしいとこを掻っ攫っていくことができる人もいるんだろうなとおもうと泣いちゃう。東京という概念が巨大化して人を貪っている。東京って、日本ってこんなに高校生いたんだ、と思う。餌にされてしまうことの恐怖を突きつけられている。だれかの優越感を満たすための餌としてその努力を利用されてしまう未来がみえる、こんなこと言ったらまた考えすぎだってみんなに怒られちゃうけど。風が吹かないとその音がわからない風鈴みたいにわたしのなかのいちばん美しいところも、もしかしたら誰かに傷つけられて大きくその心を揺さぶられるまでわからないのかもしれないなんて気休めにぼんやり考える。夏という言葉が都合よくあちらこちらで使われるようになって、ぜんぶみんな夏のせいにするようになったから、たぶんもうほんとうの夏はもうやってこない。夏は遠くて遠くて悲しいくらいに鮮やかで到底手の届かないモノだと信じていたかった、それが今やだれかの快楽の理由付けにされてしまっているのだからもっと惨め。わたしがこうして夏を文章のネタにしているのと同じくらい惨め。おかあさんが泣いている姿とか勉強を理由にインスタグラムを更新しない友人の笑顔とか彼氏がわたしを抱きしめるときのつよさとか、そういうだれも知らないであろうものの美しさを、わたしだけが一瞬ひらりとわかるとき、そういうのがほんもののしあわせなんだろうと思う。もうあと半年とちょっと経ってしまえばわたしのこれからの人生の枠組みはもうほとんど決まった、という体で毎日がすすんでいく。日本は学歴社会だから大学名は重要だよと声を揃えて言われ続けて、今でもまだその現実を黒く塗りつぶして無かったことにしている。はやくぜんぶ死んじゃえばいい。アーメン。
魔法のトンネル
18歳になりました、という投稿をするつもりだったけれど、合間合間に想いの丈を綴っているうちに月を跨いでしまった。この期に及んで未だ梅雨を引きずっているかんじの毎日で、最後に晴れた日がいつだったかも忘れた。君のいない世界なんて夏休みのない8月のようだ、といつか野田洋次郎が歌っていたのを思い出して現実になりつつある言葉の並びに少しどきりとする。大学受験まであと半年くらい。アルコールでささくれが目立つ指。これから1年後、自分の居場所を全く想像できないことに対して残る不安感。この一年の間でとても大切な人ができて、その人が居るから今年はだれかと祝福メッセージやプレゼントの数を比べて露骨に落ち込むこともなかった。こんなままではいけないと思うけれど、これでもかというほど甘えてしまう。彼から電話がかかってこないまま気がついたら零時、開きっぱなしの参考書。ベッドから机の上の山を見あげる。もう流れるような文章も書けなくなった。ただ、机元を照らすためだけに付けた光が部屋中に行き届きすべてのものを露わにするように、自分のために費やした諦めとかいう努力がいつか私の人生全体を明るく縁取りますように。そう期待することしかできない。
朝、きまってこの時期の朝の。とりわけまぶたが重くて視界がぼやけているとき、雨音と扇風機の回転音の違いを聞き分けられないままなんだかもう一度眠ってしまいたくなる感覚になる。自分の憂鬱な気持ちをすべて代弁してくれているかのように完璧な美しさを崩すことなく泣いてくれる空、ずっと梅雨が好きだった。17歳。強いのか弱いのかわからない外圧をずっと肌身に感じながらも良くここまで頑張れてこれたと思う。強まったり弱まったりを繰り返しながら着実にわたしの内側を蝕んでいくもの。どんな記憶であれ時間が経てば薄れていってしまい、曖昧に濁した言葉でしか文章を綴れない。降って、降って、降りつもってゆくのはけして愛や幸せではなかった。幸せが一方で加速させる理想や願望、それによる劣等感、幸せでなくなる恐怖、あるいは幸福それ自体への疑いも、ぜんぶずっと祈っていればいつか大丈夫になるとおもっていた。そうした形での正しさしか知らなかった。
歳を重ねるにつれて特別なものが増えていくけれど、それらはなにもさいしょから特別だったわけじゃなくて、くるしくなったり嬉しくなったりするたびに複雑に絡まっていたものの辻褄があって少しずつ真っ直ぐな一本の線になっていく感覚に近い。最初はちいさな不幸から始まったことが最後にはたくさんの愛に囲まれて光になっていくと半年前ちょうど失恋したあとに書いた。たぶんきっとそういうことだとおもう。そういうことだとおもいたい。消化しきれない劣等感を抱えながら、それでもそれをだれかの優越感の餌にされてしまうのが気持ち悪くていつも満足げに振る舞っていた。小学6年生の頃、布団に包まって壁に手を当てながら(世界のどこにいても良いから今だけ運命の男の子が壁の向こう側で同じように手を合わせてくれていたらいいのにな、)とか祈っていた。アスファルトに浮かぶ白線が血脈のように都市に光を流し込んでいく、わたしはひとりで遠くまでこれるようになった。
誕生日当日、晴れた土曜日��
だれもわたしのことを知らないということがいちばん幸せだった。
となりには愛おしい恋人がいて、いっしょにタピオカを飲んだり服をみたり歌を歌ったりした。街中ですれ違う人はだれもわたしがブログをやってるなんて思わないし、人生で殆どはじめてに近いことをしているとも思わない。そういうのってとても気持ちが楽で良いなと思った。信頼している人たちに過度に期待をされること、責任を半分こするのに疲れてしまった。一緒に悪者になってほしかった。わたしがなにをしても、それがいちばん正しいことかのように大丈夫だよと諭してくれるだけで、それは救いになれるはずだった。おかあさんに喜んで欲しいから、友達に見限られたくないから、だれにも落胆されたくないから、とかいう言い分を勝手に作って勝手にくるしんでいる。ほんとうは静かでいられる関係性が好きだけれど学校の友人はみんなはしゃぐのが好きだから求められているものをそれらしく纏う。両親は善良な人だけれど時折意味不明な束縛をするので面倒くさい、わたしも普通の日本人の女の子みたいに生きてみたかったと思ってしまうことにすら罪悪感を感じる。信仰というのはとても美しい行為だと思うけれど、本来は人を救うはずであるものが「救われる」「罰せられる」という境界線においてときどき人をひどく苦しめてしまうのでとても扱いにくい。救いを見出すはずの宗教によって苦しめられるのはちがうよ、と友達に言われたことがある。大学生になったらぜったい一人暮らしをしたいとおもった。伸ばせと言われ続けてきた髪も思い切り切りたいし、慎ましいふりをするのもやめたい。わたしほんとうは男の子に抱きしめられたこともあるの。けれどそんなことを言えば両親をがっかりさせてしまうから、遠いところで一人で植物とか猫とかに囲まれてひっそりと生きていたい。
かみさまに対する信仰心が薄れても、小さな嘘に罪悪感を覚えなくなっても、男の子と関係性を持ったことがなかった自分自身を忘れても、文章が書けなくなっても、友達と疎遠になってしまっても、病気で人がたくさん死んでも、普通に生活が続いていくことにときおり悲しくなる。それくらいわたしは案外どうでも良いとおもってることが多いんだと感じてもっと悲しくなる。あっちへいったり、こっちへきたり、あるいは戻ったり、そういうのを繰り返していたら、もう戻れないところまできてしまったみたい。あるかどうかも分からない未来のことや、だれかとその過去を背比べしてそれに一喜一憂していたこと、ぜんぶだいじょうぶになればいいなとおもう。ぜんぶ抱きしめてぜんぶ愛してあげられたらどんなにいいだろうとおもう。わたしには愛しているものが沢山あるし、わたしもだれかにきっと愛されている。最近見かけなかったので死んだのかなと思っていた野良猫を今朝ひさしぶりに見かけて胸がきゅうっとなった。汚いものに沢山触れてきたわたしの手はもう美しい手じゃないけどそんな手のひらの中でも心地良さそうに包まれているちいさなその頭が愛おしくてなんども撫でる。純粋でなくなってしまうのがずっとこわかった。ううん。たぶん純粋だと思われなくなってしまうのがこわかった。
続きを書きたいけどあしたも学校があって、さすがにちょっとねむい。悪者になっても大丈夫だから、わたしはわたしのそばにいるし、君のそばにはわたしの愛してるきみがいるからだいじょうぶ。特定の誰かじゃないよ、みんな��幸せになれますように。
n(atsu)
線路が控えめな緑に縁取られていて夏を感じた。でんしゃがいつもより大きく揺れるな、とおもった。ひさしぶりに乗るから余計にそう感じるのか、ほんとうにいつもより大きく揺れているのかは良くわからなかった。塾へ着いたら体温検査をされた。世の中の非現実味は薄れていくけれど、それでもやっぱりまだどこかふわふわしているかんじがする。ふわふわ、という言葉は抽象度が高くて便利だと思う。白黒はっきりつけることで正義を実感している人間って意外と多いのかもしれないし、わたしも気付いていないだけで実際はそういうところがあるのかもしれない。燕が雛に餌をやっている様子と、健気に咲いている向日葵と、それに加えてマスクの内側の皮膚が熱気を帯びていく感覚。去年、男の子と花火を見に行って、わたしの中での鮮度の高い美しい夏はそこでずっと止まっている、あるいはもうほとんど完結されたようなか���じ。塾が終わってから本屋へ寄ると、同い年くらいの背の高い男の子が絵馬の形をした紙に合格祈願を書いてちいさな箱へ投じていた。わたしも流されてペンと紙を持ったけれど、多神教じゃないんだよなあと思ってやめた。わたしはわたしが信じている神様にもまだこわくて合格できますようになんて言えていない。いつだってこわいものから救ってくれるものが神様なのに、自分勝手に生きていながら窮地に追い込まれたときだけ救いを求めるのは割りが合わないと思う。好きな人と一緒に昼間から眠りたい。神聖な場所で祝福された心を持つ人に祈りを唱えてもらいたい。突然変異で雪が降ってほしい。騒音の全てを吸収して、それで全てなかったことかのように水になって溶けていってしまうの。指輪が欲しい。細いやつ、宝石はなくていいし装飾もなくて良いから。涙を拭う手に宿る愛があれば、だれかにゆるされたという証が指にあれば、虚無感を紛らわせるための画面スクロールも、劣等感を埋めるために耳触りの良い言葉を連ねる必要性も、不確かな焦りも薄まるかもしれない。というのも最近また得体の知れないストレスに悩まされていて、今日もすこしだけ泣いてしまった。すべてあなたの心の持ちようで変わるの、薬はなにも解決してくれないよ、と母にはそう言われて、それでもっとかなしくなった。そういうことじゃないの。模試を受けるにしても勉強した量に等しい成績が出なかったら、とか、到達点は同じでもそこまでの努力の過程に差があるだけで劣等感をかんじてしまう。まいにち頑張りたいのに思うように脳みそとからだが動かなくて悶えている。わたしは自分を高めることで自分は大切に扱われるべき美しい人間なのだという確信が欲しいだけで、それほどまでにきっとわたしの内側にある自分への愛や期待値というのは年齢とともに他人任せになっていって、諦めや、未来の自分の幸せに対する責任を負いきれないという言い訳や、ときおり世界から拒絶をされているかのように感じられた幼い頃の傷つ��たこころがぜんぶガチガチに固まったしこりのようなものがずっとあるみたい。もっと自分で自分のことを愛してあげられますように。今、世界ではいろいろなことが起きていて、それに対して声をあげないという選択が道徳的ではないと非難さ��てしまうことがあるらしいけれど、関心を持たないということもひとつの意味のある心の持ちようだし、それをやさしさと捉える人もいるのに、とてもやりきれない。恋人が「みんなつらいけど、ありじはつらいの」と言ってくれたことがとても救いだった。だれかの不幸と自分の不幸を秤にかけるということにやっぱりわたしはある種の違和感を覚えるし、たとえそこに差があっても自分のことを放棄してまでだれかのために立ち上がることは少しちがうと思う。そうして切り捨てたものが何らかの拍子にいつか今度は自分自身を殺すかもしれないし、自分の身近で大切な人を傷つけるかもしれないし。わたしはわたしを取り巻く世界をたいせつにできたらいいなと思う。足取りが軽くなれば、もっと遠くへといけるでしょう。だいすきなひとが苦しんでいたらすぐに駆けつけられるし、わたしはそういう風に愛される女の子になりたいから沢山のことを頑張っている。月が変わったのでカレンダーをめくったら、「涙は人生のお師匠さん」という言葉の周りにたくさんの滴のイラストが描かれていた。扇風機をつけると、紙がパタパタ揺れる。がんばる。わたしの愛する人たちが沢山愛されますように。
どれほど遠いところに行こうと試みても
どこか気持ちがもやもやしてやりきれなかったので少しばかり走りに行こうと洗面所の前に立ってコンタクトレンズをつける。泣くまいとしていたけれど、使用期限切れだとも知らずにレンズを瞳に上にのせた瞬間、意志とは関係なく勝手になみだがぼろぼろでてきて焦る。ずっと我慢していた涙ももしかしたらそのなかに紛れていたのかもしれない、濡れた睫毛やすこし充血した白目を見るといつもどこかほっとした。
世界は絶えず美しくて、じぶんなんかがその大きな器の中で堂々と情けない顔をしているというのがなんだか滑稽に思えてきた、と昨日は日記に書いたけどやっぱりそう思えない。うまれる、しぬ、という表現がコピーペーストされてできた世界線。どうしてもくるしくなってしまう、くるしいものを見ないようにと目に覆いを被せて生きているからたまに世界を直視したときにあまりの眩しさになにもみえなくなってしまう。
結局のところ、きっとわたしはなににでもなれるし、なににでもなれた。わたしはわたしが望みさえすれば、家をでていくことも、うまれながらにして与えられた名前を捨てることも、今つながりを保っている関係性を断つことも、信仰を捨てることも、自分のからだを誰かに売ることも、求められてそれに応えることも、アカウントを削除することも、つらい勉強に身を投じることなく大学に行くことも、自分自身やそれに関係する人々をきずつけることもできてしまう。その可能性についてぼんやりかんがえていた。
考えてみればあまりにも不安定なわたしは、なににでもなってしまいかねない自分というものとずっと一緒にあるいてきたように思う。自分というものの一部をわざと切り離してあえて失うことを選んだり、あるいは舐められないよう努力をして立派なものに築きあげたりする過程でしか自分が自分であることをたしかめられなかった。欲を我慢しなさい、謙虚な姿勢で生きていきなさい、と幼い頃から教えられてきたことの反動がまさに今起きていてつらい。人間は生まれたままの姿こそもっとも美しい、醜い人間というのはひとりもいなくて、そしてだれもが平等に愛されるに値する、といった程度の言葉ではこの漠然とした不安感は解消されなくなってしまった。
あなたがいちばん大切にしていて、且つあなたをあなたらしくさせているものはなに?という質問をともだちがインスタグラムで公開して回答を募集していた。わたしは今までずっと恋愛をすることでしか自分を保てなかったの、という彼女の文句もまた同様に等しくまぶしいものだということに当人は気付いていないかもしれない。膨大な情報のなかで、なにをほんとうに掬いとるべきなのかわからずにいつまで彷徨い続けるのだろうかという不安を抱えている。たすけてほしい。毎晩、たすけて、たすけて、と寝る前に心の中で念じるようにしていて、そうして眠りにつくとなんだかほんとうにたすかったような感じがする。
というのも、なんとなく、という世界線を生きること自体あまりに物事を都合よく解釈していていらいらするので、とうとうまともに祈ることすらできなくなってしまったのだ。はずかしい。わたしは決して善良な人間ではないのに、善良な人間の中で同じ言葉を唱えていることに一種のはずかしさを覚える。
無題
一年前までは、死ね、クソ、うざ、という言葉にほんとうに値する人間や事物などなくて、物事のすべては捉え方なのだと、主観で世界の全てを決めつけてはいけない、美しくいなければいけない、という考えがあったからわたしはほんとうに一度もそういった言葉を使わなかったし使えなかった。それなのに今や抵抗が少なくなってしまって思いたくなくても大事な人たちにいらっとしたときや精神が弱っているときに反射的に汚い言葉が脳裏に浮かんでしまってやりきれない。過去をふり返るとき、その足跡がどれだけ美しくても、長く歩き続けてきたとしても、結局その先にあるのが地獄だったら意味がないでしょう。
外に出ても風は一切吹いていなかった。頬に染み付いたなみだの生温さは消えず、水面の揺れもしずかだったので川が川じゃなくてアスファルトみたいに冷たく感じられて、音もない夜にわたしは勝手にひとりぽつんと取り残されてる感覚だった。
それでも良いこともあった。このあいだ、雨が降った日にふとした好奇心で自分のうまれた日の天候を調べたら、わたしがうまれたその日も東京では雨が降っていたらしいとわかったこと。たくさんの雨粒のなかにも一粒くらい当時のものも紛れているのかなあ、と思った。たとえ同じ形をしたものが数多くあっても、情報量の多さのなかで下敷きになってしまうようなほんの些細なことでも、わたしはわたしのことを愛してくれているものをがんばって見つけ出したい。そしてそう思っているのと同じくらい、同時に心の奥のほうでは常にだれかに見つけて欲しいと思っている。わたしが失ってしまったわたしの美しさを見つけてほしい。もう誰にも傷付けられないように。もう自分のことを傷つけなくて済むように。愛せますように。
無題
あ〜もうわたしなんも勝てないな���って思って泣きそう。勝てないものがおおすぎる。受験生なのに自分の欲に打ち勝って勉強に励むことすら怠ってしまって、他人と比べることでしか自分を測れないからだれかが頑張っているすがたをみても素直に応援できない自分がいてくやしい。みんな守りたいものをちゃんと守って、それをつよみにしているのに、わたしはなにかを失うことでしか自分が満たされていたことを実感できなかった。捨ててしまった欠片をひとつひとつ集めようと、かがんで地面を這っている惨めな姿を誰かに見られたらどうしよう。だれよりもきらきらした世界をしっているつもりで、かみさまからも愛されているつもりで、たくさんの人がずっとそばで応援してくれていることに対してそれ相応の結果や愛を返せているつもりだった。だけどぜんぜんそんなことなかった、そんなことなかったのにそれでも絶えず世界も人も優しくて美しくて眩しくて純度が高いので薄汚れた言葉をもってしまったわたしにはもう直視できないんじゃないかと挑戦することすらこわくてできない。わたしの写真や文章がだれかに良い影響を与えていたらそれはうれしいけど、それでわたしだけのものだったわたしの一部が他の誰かのものになってしまうのは少しだけ悔しい。ブルースクリーン越しに奪うこと、奪われることに慣れてしまった。わたしは結局わたしだけみてほしいと思っていて、それがわたしの幼さで弱さなのだと思う。弱さも強さも武器になるうるけど、ほんとうに強い人はちゃんと矛先を向ける対象を選ぶことができるから目の前の道をどんどん拓いていけるけど、弱いままのわたしはずっと自分の胸に矛先を向けているからだめで、自分を窮地に追い込んではじめて大切なものに気がつくことができる。「わたしが失ってしまったものをありじちゃんは大切にしていてすごいと思うし、これからもそれを守り抜いてほしい」とメッセージをいただいたことがあるけど、わたしが彼女の立場だったら同じようなことは決して言えないだろうと思う。きっと、ずるいなあ、と思ってしまう。ずるい。わたしもあなたみたいになりたかった、と。なりたい自分に到達できずに足掻いている途中であたらしい自分が形成されたとして、それはむしろなりたい自分とは真逆な人間なわけだから、その歪さを美しいと褒められても全くうれしいと思えない。やっぱりでも今日だけ美しいといってほしい。今日だけ慰めてほしい。そろそろぴえんって言葉つかっちゃいそう。
愛?
さいきん日常の何気ない瞬間において、いいなあ、とたくさん感じたけどその都度いちいちメモに起こしていないので内容はほとんどわすれた。なのでブログを更新できないし、あと二ヶ月も経たぬうちに十八になってしまうからせめて可愛げのあることなんかを少しくらい書きたかったのに状況が状況なので仕方ない。毎朝オンラインで出席確認があるんだけど昨日は二度寝して出られなかったし、このあいだ試しに大学の過去問を解いたら点数はだめだめだった。一日だけ夜に恋人に電話で弾き語りをしてあげた。ぜんぶ壊れちゃうならさいしょから手を伸ばさなきゃよかったってことを話したら、あのね、ちがうの、持っていたっていう事実がとてもたいせつなの、さいしょから持ってるのと持ってないのじゃちがうでしょ?わかる?と諭された。そうかもしれない。怠惰に怠惰を上書きするように���きている。こめかみに銃口を押し付けられて脅され怯えるようにして、つきまとってくる色々な事実から目を背けている。こんな具合に漠然とした不安感がうんぬんかんぬんとダラダラ書いているけどほんとうはそれなりに幸せで充実した生活をしているからいつかバチが当たってしまいそう。歳上の彼氏と別れた友達の女の子が、今頃煙草でわたしの肝臓ぼろぼろなんだろうなあ、もっと自分のことを大事にしてあげたかった、と裏垢で溢していたけど、きっと彼女にだって彼の影響で自分のモノが形を変えていく過程に幸福を覚えていた瞬間もそれ自体に救われたこともあったんだと思う。ただ薄暗くふちをなぞっていかないと未来への期待値があまりにも高すぎて落とし穴にハマってしまいそうでこわいからみんな可哀想ぶっている。たぶんどこにも事実なんていうものはほんとは存在などしていなくて、みんなが情報を選んだり捨てたりしているだけで、人間が数値にしたり名前をつけたりしながら記録をしているだけで、何もかもを取っ払ったら、あ、でも、そうなったらわたしはどうなっちゃうんだろう、なんてことをずっとぼんやり考えている。二か月くらい前にだいすきな友達といっしょに塾へと向かう道を歩きながら、わたしたち卒業までにいつか絶対この道で泣くと思うって笑いながら話していた。今ごろ存在していたかもしれない日と流していたかもしれない涙とあったかもしれない出逢い。そういうので世界が動いているのかもしれないと思うと心がふにゃあってなって泣きそうになる。この足を踏んでいるところのずっと奥に埋れてしまったいくつもの歴史に救われている。その後、小さなレストランで二人分のサンドイッチを頼んだ。ずっと憧れていた女の子にはやっぱりなれなかった。一度「憧れの女の子のフリをする」アカウントをつくろうとしたけど苦しくなってやめた。新作の化粧品と知恵袋での大学受験生の相談事と参考書のレビュー調べだけでほとんど埋まっている検索履歴欄の隅っこに追いやられてしまったいちばん綺麗なわたしを誰かに拾って欲しかった。少しくらい未来をあきらめても人生は終了しないけど単純にそこでわたしの自己肯定感は終了するし、わたしがいちばん大事にしたかったわたしも死んじゃうから、ねえ、わたしは大好きなみんなのことも自分のことも美しさを表現することもぜんぶあきらめないからみんなもわたしのことあきらめないでってインスタの裏垢に書いたあと、電気を消して寝た。許されない愛だけが輝いている。ずっと輝いている。いつか校庭を一面石灰の白に染めて北国の雪景色みたいにして、雨で偽物の冬が消えてしまう前にわたしたちは濡れながらキスをするの。安っぽい映画みたいに物語の順番をぐちゃぐちゃにして今よりももっときれいなところに走っていきたい。“なにも決定的なことが起きていないようなのに、いつしか死が準備されてしまっている、日常という戦場” において、好きな人にお願いだから死なないで、一���にしないで、と一方的に伝える行為がとても無責任だということだとはわかっているけど、ただ、それがわたしの知っている方法の中でいちばん確実にあなたの心を殺せる���のだからゆるしてほしいと思った。しんだら身体の隅々まで洗って、痛かったところを撫でて、さいごにわたしの名前の由来になっている花の香りを墓石につけてあげる。あなたの歪みにはじめて触れた日、わたしはあなたのいちばん美しいところをみたようなかんじがして、それがとくべつで嬉しかった。まるかったり、とがっていたり、硬かったり、やわらかかったり、ざらざらしてたり、さらさらしてたりするの。生きているだけで美しいという言葉はみんな戯言だと笑って受け流すのに、しぬことになると急になんか真面目な顔をするからやになっちゃうよね。写真を撮ることを知らなかった頃のわたしはたぶんほんとうの写真家だったし、まだロックミュージックを知らなかった頃、わたしのロックスターはずっとわたしでしかなかったし、文学を知らなかった頃に感じていた世界とおなじ色合いの世界をわたしはもう見れない。そういうものだから、もしかしたら死ぬことなんて知らなかった頃、わたしたちもずっと死んでいたのかもしれない。それでたぶん今でもその頃の残像が残ってるのかもしれない。逃げて逃げて逃げた先で待っているから、そこでまた逢えますように。
無題
あこがれている女の子たちがみんな色白で華奢なことにむかついている。だれかを真似して美味しいところだけを盗むことは誰にでも出来るんだけど、でもそうじゃなくて、彼女たちがもっているものは彼女たちにしかもつことを許されていない域にある圧倒的なものだからくやしくて泣いてる。その子たちがフォローしているアカウントを全部フォローしたら同じ世界を見れるかもと思ったけどやめた。きっとわたしよりもいろんなものを見て感じて聞いて愛してたくさん傷ついてきたんだろうなあ、と思う。自分と向き合うのはとてもくるしくて、美しいものに触れることで浮き彫りになる絶望もまたするどくて、それでも躊躇いなく自分の内側にあるものを外にだして整えてまたぐちゃぐちゃにしていくの。そういう工程を何度もじっくりしずかにしてきたのかもしれない。お世辞にも美しいとは言えないものでも、美しい人がすればそれはたちまちに美しくなってしまう。ずるいなあ、十七年かけて見つけたものが諦めとかいう単なる逃げだとしたらやりきれない。頑張れるかなあ、がんばりたいなあ、って言うのたぶん二千回くらい繰り返しているけれど、こんなわたしもすこしずつちゃんと踏み出していて、前に比べたら痩せてメイクもするようになって結構垢抜けたし、何も書けないと言いながら泣き喚いてブログのアカウントを消すこともなくなった。ワンクリックで消えてしまった昔のわたしの言葉には相応の墓場もないけれど、だれかの支えや救いやたのしみになれたことが嬉しい。文章なんて手軽なもので誰でも書けるものだけど、誰でも、の中で、わたしのを読んでくれている人がいるのだという事実がうれしい。きっとでも綺麗事抜きでほんとうはだれでも特別で、特別じゃない人はいないんだろうけど、すべて目に見える数字として統計されてしまう今だからこそ他人からの評価やさまざまな人たちからの好意や自分は愛されているのだという確信の多さがそのひとの輪郭をなぞって、より濃くして、いわゆる個性と呼ばれる類のものを形成していくのかもしれない。くやしいし皮肉だけどそれを掻き分けていくのが、生きるということかもしれない���、あるいは自傷行為なのかもしれないし、わかんないけどわたしだけは自分の味方であれるように努力していけたらと思う。たとえ負け犬でも遠吠えできる余裕と気力があるうちはまだ勝ってる、たぶん
無題
きのう、河原まで自転車で走った。昼間の明るい時間帯に行くのはとても久しぶりだった。最近はストレスで奇行に走る人がいるらしいから夜に外に出るのはやめて、と母に言われた。テレビをつけてもスマートフォンのスクリーンをいくらスクロールしても、そこに有るのは饒舌に討論を繰り返す人間と、それに対する第三者からの警告、といったような感じだし、鬱々としていたのでちょうど良かったかもしれない。運動用にだぼっとしたパーカーを着て、弟のサドルがすこし硬い自転車を借りた。前方から吹いてくる強い風に服がぴたっと身体に張り付くので、はずかしくなってペダルを踏む力を強くする。桜の木はもうどこにも見当たらず、小さな花びらだけがコンクリート上にまばらに散らばっていた。空は青くて、高くて、鳥が群れてそこを飛んでいて、それをわたしが見ていて、だけどわたしのことは誰も知らないの。そしてわたしだって誰のことも知らない。その事実がいちばんやさしくて、それでいていちばん淋しいから美しいと思う。川の水面が光を受けてきらきらと煌めいているのを眺めるのが好き。光りの粒がたくさんあって、見る場所によってそれが大きくなったり小さくなったり近くなったり遠くなったりしてかわいいの。昼間は白く光るのに、夕方になると今度はピンク色になったり朱色になったりするからもっとかわいい。塔屋看板にペンキを塗装する業者の人。頭上を走るモノレール。走る犬。投げられたフリスビー、野球ボール。ふうっと口をすぼめてたんぽぽの綿毛を飛ばす子どもたち。うっすら川のにおいがして、うれしくなって少しのあいだ草原の上に横になった。草ってこんな柔らかいんだって思った。オレンジ色ってこんなにオレンジ色だったんだ、とか、鳥が一斉に空へ飛び立つときにパタパタと羽根の動く音が聞こえて、しゃぼん玉が弾ける瞬間にせっけんの匂いがして、英単語帳をしばらく眺めていたんだけどすぐに閉じて空のずっと奥の方をみてた。いつもはうざったい太陽の残像でさえ愛おしく思えてしまうなあ、どうなるんだろうなあ、これから、って思った。わたしが掬い取っている現実はきっとほんとうの世界のほんの一部でしかないから、救われますようになんて偉そうなことは言えない。だけど、たかが数日間外に出ていなかっただけなのに一人でこんなにも大袈裟に感動している。すこしくらい見返りを求めてもいい気がしてくる。
頭ぐわんぐわんする
現実に翻弄されている人間を嘲笑うかのようにして桜が我関せずと言わんばかりに堂々と咲き誇っているので、なんだかすこしだけ愉快な気持ちになった。白い四角形を顔の表面に貼り付けながら、それでも歩く足を止めない人間の行く末をかんがえると何もかもがいやになってしまう��れど絶望の輪郭をみんなでかじって食べていけば、なんとも名付けようのない不器用な形をした詩のような世界ができあがるのかもしれない。今日くそみたいなじじいがくそみたいな眼差しでこちらをみてきたので睨み返してやったんだけど、どれだけそうして自分の弱さを繕うように強がっていても彼には変わらずに愛するものがあって彼を救いにしている人もたくさんいて、そのことがなんだか、それだけがなんだかそのときのわたしの苛立ちの唯一の誤魔化しだった。だからわたしは彼を刺殺さないし、彼もわたしを殴り倒さない。そういうのって、大事なんだろうなあと思いながら電車の広告の文字を追っている。ちなみになにも頭には入ってこない。あたたかい毛布にくるまっていると誰かに抱きしめられているかんじがするから心地がよくて、すこしだけ唇を尖らせる真似をする。まぶたをあと何回閉じれば。何回綴じれば。いいんですか。コンクリートジャングルと自転車のサドルとスカイツリーの心臓。あ、と思う頃にはもうすでに全てが遅くなっていて後悔をするけど、あ、と再び思うと今度は以前のそれよりもより大きな幸せに満たされていることに気がつく。竹刀を持った少年たちが夜になると川辺に集まっていつもその刀を縦に振っている。わたしはたいして歌を歌うことも上手ではないし、勉強も大してできないし、顔だって凸凹している。けれどそれでも真っ直ぐに生きていけるかな。生きていきたいね。終末感の漂う世界をみることで、わたしは独りですこしだけ安心できた。終りがあることに赦される。本当は衝動のまま洗面所にあるハサミで髪の毛を思い切り切ってみたいし、派手な髪色にして東京の真ん中を歩きたい。それでも晴れることのない憂鬱を自分の中の非道徳的な理想に想いを馳せることで誤魔化してみたり、寂しいと思わなくても好きな人を自分の家に泊めて隣でぴったりからだを重ねながら長い夜を過ごしたい。そういうのをだらだらとしたいだけなのに、そういうのをするのにも勇気や妥協や諦めが必要らしい。がんばるよ。すこしずつ。
無題
まいにち予備校の自習室にいっていたら、自習室でしか勉強したくないからだになった。いままで宗教上の理由で髪の毛を隠してきたけど、大学生になったらボブにして染めて街を堂々と歩いてみたい、し、そうしてみる。たくさんあそびたい、だれになにをどう言われようと自分のしたかったことを一つずつしていきたい。親といっしょに暮らしていたら、わたしの「非」はぜんぶ彼らの責任になってしまうけど(これもちょっとおかしい話だけどそう考えている人は多いみたい)一人で暮らしだとわたしのしたことは全部わたしの責任になるらしいので、最近は常に逃げ出したい。思春期や若さを理由にしてどこか遠くへ逃げてしまうことは何もわるくない。ぜんぜんわるくない。寧ろそうするべきだとも思っている。一度離れ離れになることで改めて気付かされることや見えてくるものなんてたくさんあるし、それに加えて黒猫を相棒に迎えいれることがきまって、その子といっしょにふたりで(猫だから「人」ではないけど)暮らすことが決まったのでどきどきしている。もう失うものはない気がして、でもそれは自分がなにも持っていないからではなくて、幸せなこと��たくさんのものを持っているからだということに最近気がつきました。毎日走ろうと思ってる、思ってるというか走っている。たくさんがんばって可愛くなるので、そのときがきたら誰かデートしてね
無題
つまらない文章しか書けなくなった。いや、そんなことはないんだけど、もしかしたら面白い文章を書かなくちゃと思うことがなくなっただけなのかもしれないけど、それでも書かずにはいられないほど心を動かされるものとかそれをさせてしまうくらいにわたしの大切なものをかき乱した嵐のような愛とか、水みたいにさらさらしてる美しい光景の数々とか、光とか風とか、なんかそういうの、そういうのに自分のからだとかこころを預けるのがこわくなってしまった。あっちへいったりこっちへいったり、そうしているうちに自分を見失いそうでこわい。だけど反面、もう自分のことで苦しまなくていいようにいっそのこと自分の存在とは程遠いなにかに染まってしまいたい。自分らしい自分なんて本当は存在しないのだとわかっていながらもそういったくだらない不安感をおぼえてしまう。というのも、たくさんの言葉とか音楽に触れているうちに、どんどん自分が感化に感化を重ねて変わっていっているのが自分でもわかっていて、だからもう昔書いていた文章は書けないし、昔捉えていた景色の感触も思い出せない。わたしが考えていることはすでに誰かが思いついていることで、でもだからといってその価値が下がるとかそういうことではないんだけど、時折それがすごくさみしくなる。なにかを表現することで、表現したくないなにかを誤魔化してきた自分が浮き彫りにされているようでとてもくるしくなる。ほんとうのわたしを認めてほしい、などと思うけど、同時にわたしのなにが貴様にわかるんだ、とも思う。自分のほんとうはどうしたいのかという気持ちをうまく掬いとってあげられないのがくやしい。思春期ってそういうものなのかなあ、こうやってぐるぐる変な渦に巻き込まれて、いつも自分だけど自分ではないなにかとすれすれになりながらもがいている。いちばん近いはずなのに、いちばん掴めない。なのに影みたいにしてどこまでもひっついてくるので厄介で。むかしの自分かもしれないし、認めたくない自分かもしれない。いずれにせよ、世界に翻弄されがちな自分の絶望や幸福を言葉や写真などに起こして大袈裟にしてみせる一連の行為に疲れてしまった。わたしはわたしに自分のことを認めてさせてあげたかったのだと思う。あなたの感じていることは言葉にされるに値することだと、慰めてあげたかったのだと。でも今はこうして文章を書くことで、言葉に残さなかったなにかが消えてしまいそうでこわいと思ってる。写真を撮ることで、写真に残さなかったなにかを裏切るような感じがしてこわい。それともそれはただ口実で、ほんとうはほんとうに一切のことに無関心になってしまったのかなあ。全てのことをどうでもいいと投げやりにしてしまうことで、失うものを少なくしたかったのかもしれない。そうすることがずっと強さだと思ってたけど、今もそう思っているところはあるけど、誰かにわたしのぜんぶを決めて欲しいなと思うけど、でも自分でちゃんとえらんでいきたいね。突き抜けたわたしの弱さを、考えすぎたよという言葉で突き放すひとたちはいたけど、それをわたしのいちばんの強さだと肯定してくれたひとは少なかった。考えすぎてしまうこと一般的にみていいことではないかもしれない。たしかにわたしは考えることで現実から目を背けているし、考えることであたかも自分が真っ当に生きていることを正当化しているし、考えることであなたに連絡したい気持ちやあなたに抱いてほしい気持ちを誤魔化しているけどそれがなんかいいなあっておもう。それがなんか、ち���っと可愛いというか、なんか人間味に溢れて嫌いになれない。ぐだぐだ空白を消費しているうちに、どうにもやりきれなくなって深夜にワンピース一枚でそとへ飛びだしたことがあって、そのとき足のくるぶしから太ももの内側へとひっつく夜の風のつめたさに今も慰められている。変わりたくない、と思うけど変わっていく自分を受け止めてあげられるだけの気持ちの余裕やそのかわりになにかを手放す強さとかそういうのを育てていかなくちゃいけないのだと思う。ちょっとだけかなしいけど、もしかしたらそれができた頃には、また遠い昔に出会えていた感動にまたはじめて「あたらしく」出会えるかもしれないと思うとちょっと頑張ってみようという気持ちになる。長々書いたけど自分でも一貫性がないことにくすりとしてしまう。ただの自分語り、あとでたぶん消しちゃうのでこれを読めた人はラッキー。あしたいいことがあるかもしれないね。
無題
ふわふわと遠いどこかを彷徨っているかんじで、それがちょっとだけ気持ち良かったり、気持ち悪かったり、こわかったり、かなしかったりした。一日中そんな調子だったのでひどくつかれた。わけわからないウイルスのせいで色々な部活の大会や練習が取りやめになった。期末試験もなくなって、これから空白の一か月間。放課後あちこちからだれかのすすり泣きとそれを優しく諭す声がきこえてきて、わたしは失うものなどなにもないのに、なにかを失ったような気分で、これを書いている今でさえ少し泣きそうで指が震えている。頑張って頑張ってさいごまで努力を続けてきたのに、こんなにも呆気なく終わってしまったことが悲しい。このままドミノ倒しみたいにたくさんの報道が、たくさんのだれかの涙が、自分の知らないところで募り続けていくことをかんがえただけでなんだか胸が空っぽになる。大した努力をしていないわたしが悲しむようなことでもないのかもしれないけど、それでもわたしは努力をしている友達の姿がだいすきだし、みんなの泣いている姿をみるのがつらかった。反面、涙を流せるほどの熱量をなにかに注いだ覚えもないことが余計にこころを空っぽにさせた。すこしだけ、この、世界がゆるやかにくずれていく様子に好奇心を覚えて胸が高鳴った瞬間もあったけど、やっぱりもっと美しいのがいいね。やさしいほうがいい。さいきん文章書いてなさすぎていかにも日記みたいな日記になりました。ぜんぶ大丈夫になりますように。
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目次
子供たちが怖い、放置され無教育
日本人支援者の迷惑、教育が壊れる
教育で未来を変えようとするクルド人学生
日本人が外国人の犯罪・迷惑行為に声をあげる
子供たちが怖い、放置され無教育
【70代女性、川口市上青木在住、取材】
子供たちが怖いです。昼間からウロウロしています。私の知り合いの70代の男性が10歳前後の男の子がゴミを散らかしていたので注意をすると、ピーと指笛を吹かれて、すると男の子たちが集まってにらまれました。何も言えないでいると、唾を目の前で地面に吐かれて去っていったそうです。
近くのショッピングモールで、小さい5歳ぐらいと少し年下の男の子が、泥靴で走り回っていました。「静かにしなさい」というと、流暢な日本語で「僕たちはかわいそうなクルド人です。弟はまだ小さいので何もわからないから許してください」と言われ、じっと見つめられました。そうすると、何もこちらは言えなくなってしまいました。
(私:同じような話がXで書いてありました。誰かが教えているのかもしれません。)
私はXをやっていませんが、誰かが日本人が黙るように教えているのかもしれませんね。「僕は弱者だ」なんて言われると、日本人は何も言えなくなってしまうのでしょう
この地域は、工場の労働者向けの安いアパートが並んでいました。1970年代に建てられたものです。工場が川口から減って人がいなくなって、そうした古いアパートに中国人、最近はクルド人が入っています。
中国人は日本語��話せるのですが、クルド人は日本語を話せないし、生活で態度が悪いので困っています。日本人は高齢者ばかりで、注意するのが怖いので黙って我慢をしています。
隣のアパートにクルド人が、数ヶ月で入れ替わり住んでいます。入れ替わる理由はよくわかりません。時々騒音が聞こえます。女の人は家にこもって、買い物の時しか出てきません。
あるとき若い20歳ぐらいの母親が、子供が病気になったのか救急車を呼んだようです。しかし住所不定で、そして日本語が全く話せないので、救急車は搬送できなかったのです。すると昼間、救急車の前に座って路上で、子供を抱えて大泣きしました。そんな行為より子供を助けるための行動をしなさいとハラハラしました。救急隊員も困りました。私が話を聞こうとしても、聞かずに泣き続けました。泣けば主張が通ると思っているのでしょうか。
すると工事の泥で汚れた作業服の姿のまま夫がトラックでやってきて、片言の日本語で説明し、病院に行ったようです。迷惑をかけた周囲の日本人に、その後、クルド人夫婦から説明もありませんでした。変わった人たちです。日本語を少しでも学び、最低限のルールを知らないと。
日本人支援者の迷惑、教育が壊れる
【40代女性、川口市在住】
娘が高校生です。クルド人の友達もいます。公立小学校、中学校にクルド人、中国人など外国人の子供がいるのですが、日本語の授業が成り立たなくなっています。私の見たかぎり、日本人の子供たちは差別をしていません。逆に外国人の子供に気を使っている話ばかり聞きます。
クルド人を巡っては困っ���話がありました。あるクルド人の子供(男か女か、小学校か中学校は、私の判断で明示しない。クルド人の児童の特定、学校の特定を避けるためだ)が、クラスで孤立しました。ものを壊してもそのままにする、当番をしないなどの問題行為をしたそうです。同じクラスにいたクルド人の子供も距離を置きました。
すると東京の活動家がそれを聞きつけて、いきなりネットメディアで「クルド人の子供がいじめられている」と報道しました。毎日新聞もいじめと断定して報じました。活動家は学校に怒鳴り込み、卒業式にまで乗り込んできて、カメラマンを連れてきて、パチパチ写真を撮ったのです。公開されないか、父兄も子供も、怖がりました。卒業式はクルド人1人のためのものでも、この人のものでもありません。この活動家は、他の何百人の子供達の卒業式を台無しにしました。
(私:その活動家、イスラム教徒のクルド人の子供たちをクリスマスパーティーに誘って、クルド人に笑われていたらしいです。クルド人のことを知りません。)
変な人なんですね。当事者の生徒の話も聞かず、川口の子供がいじめているという話を日本中に報道するのはおかしいです。日本人の子どもたちは、報道に傷つきました。
クルド人を支援する人は、今は川口市にはほとんどいなくなりました。これだけ迷惑行為をしているから離れて行きました。支援者は「変わった人」扱いです。ただし川口市民の方ではクルド人を差別したり、嫌がらせをする話はありません。逆に外国人に気を使っています。
日本人の子供が今、外国人によって、学校教育で、適切に教育を受けられない状況になっています。外国人が多いと、学校の学習進度がどうしても遅れてしまいます。私の子供は塾でほとんど勉強せざるを得ない状況でした。日本人への逆差別です。ですから、小学校、中学校で私立に行かせようとしている親が多いです。市役所も先生たちも、対応に疲弊しています。国はこうした外国人の教育の現実を知っているのでしょうか。
教育で未来を変えようとするクルド人学生
【70代男性、川口市】
以前は教師でした。定年後に、外国人に日本語を教える川口市の日本語教室の教師ををしています。
(川口市、蕨市ではボランティア、NPO、また私塾の形で日本語が教えられている。身元をぼかすため、詳細は記さない。)
他の外国人は積極的に日本語を学びにきます。クルド人は来る人が少ないです。クルド人は、ささいなこと、例えば授業の遅刻、また態度の改善を注意しただけで、すぐ怒り出します。根気もなく、すぐに教室に来なくなってしまいます。
他の国の人は合法な居住の人が多く、たいてい日本語がある程度話せます。クルド人は、難民と称して滞在しているので、言葉を学習せずに、日本にやってきます。他の民族の人は日本は好きですが、クルド人は大半が日本のことを知りません。加えて、クルド語もトルコ語も上手に読み書きできないようです。彼らは中学校を出ているかも怪しく、勉強の文化がないと、石井さんが記事に書いていました。納得できました。そのために、日本語も上手くなりません。
ただし、悪い人ばかりではありません。一生懸命学習するクルド人の中学生もいます。同胞や親が、「出稼ぎなのに難民と嘘をついて日本に来ている。それは良くない」と、状況を分かっていました。クルド人が同胞の経営者を儲けさせるために安く働かされたり、変な日本人活動家に利用されたり、弁護士や行政書士などにお金を吸い取られていることも、理解していました。石井さんの報道の通りですね。
この子は、そうした境遇を抜け出すため、また自立するために一生懸命勉強をしています。学校��成績も良いです。私は大学まで行って奨学金を取り、滞在の資格を、仮放免の立場から、留学ビザ、正規滞在に変更することを勧めています。その子も、その意欲があります。
石井さんの報道は正しいと思います。ですがクルド人に取材するほど、彼らに冷たく、厳しくなっていますね。脅迫されたためでしょうか。
(私:そうです。)
あなたの感情は理解できますが、真面目に、頑張る子供がいることは、ぜひ知ってほしいと思います。
日本人が外国人の犯罪・迷惑行為に声をあげる
ようやく川口では人々が「おかしい」と声をあげ、ほんの少しだが状況が変わりつつある。行政が動き、不法行為の摘発が少しだけ始まった。
外国人差別は許されない。合法的に、また日本人と協調して暮らそうとするクルド人、その他外国人とは共生しなければならない。しかし違法行為、違法滞在をする外国人には、法適用をし、速やかに帰国をさせなければならない。その方向に、微々たる動きだが変わりつつある。
暗い話ばかりがクルド人問題で聞こえるが、埼玉県民、川口市民が変化の希望を抱いていることも紹介して、この原稿を終えたい。私にいただいた評価も、少し恥ずかしいがそのまま残しておこう。
【川口市民、メール】
クルド人問題については「おかしい」ということに、私はためらいがありました。私の周囲の川口の住人にもあります。私たち日本人は、小さい頃から「外国人と仲良く」と刷り込まれますから。
そして国とメディアと学校が「ヘイトスピーチはダメだ」キャンペーンを続けていますよね。これはこのクルド人問題では悪い方向に働いて、日本人が物を言えない状況を生んでいるように思えます。
【埼玉県民、メール】
石井さん、身の危険を感じることと拝察します。くれぐれもお気をつけて取材を続けてください。あなたのような記者がいらっしゃることで、日本のジャーナリズムもまだ死んでないんだ、と思えました。あなたは正義感から川口市に突っ込んで���なんで自分がこんな目に」とぼやいていますし、気の毒と思いますが、そうした勇気が社会を変えます。
記者会見で権力者を怒鳴りつけたり、偉そうなことを言う記者はたくさんいますが、何の役にも立ちません。社会問題を調査し、客観的にそれを私たち国民に伝えることがメディアの役割と思います。しかし、誰も、クルド人問題でやりませんでした。大手の新聞社やテレビはいったい何をしているのでしょうか。
どうぞご自愛ください。川口市の奥富市議とか、心ある人と連携して頑張ってください。私たちの手で、川口、埼玉、日本を守りましょう!
石井孝明 経済記者 with ENERGY運営 ツイッター:@ishiitakaaki メール:[email protected]
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ゲシュタルト崩壊
(ビアゲのみなさん、最後まで読んでいただけるとラムダくんが報われます。)
��ーも、お米が炊きあがるのをニコニコで待っている、米よりパン、パンより麺派なラムダです。
とりあえず稽古日誌としての役割でもはたさうかな。
・発声
・だるまさんがころんだ(魔改造edition)
・ポーズ引き継ぎエチュード(正式名称なんでしたっけ)
・動き付け、読み、シーン練などなど
あかん楽しいです。毎日稽古って言われても余裕でイケマスネ。今日の発見は、なんかなつめエチュード上手くね?と、ハゼと僕がエチュードで共演しちゃうと漫才になっちゃうことです。ふざけるのも程々にせいーって感じですね、自分。
さ、こっから僕の自由お話タイムですよね?
小噺1
最近脚本を読みながら自分以外の役も自分がやったらどうすっかなーなんて考えてニヤニヤするのが趣味なんですけど。(自分の役に集中しろよとか言わないでおじさん傷ついちゃう)
気づいたことがありまして、僕って僕すぎるんですね。色んな人にも言われるし僕も思います。動きも読み方も。なんかどうしてもコントみたいというか大袈裟になっちゃう。ほんでな!?なんでかなーって考えたんです。
ひとつの仮説が浮上しました。
僕の表現のインプットが昔から漫才だのコントだの新喜劇だのお笑い方向に偏りすぎだからではないかと!これみなさんもないですかね!?映画好きな人とか!
この今の状態は多分演劇から見るとあまりよろしくない、気がする、知らんけど。はーいがんばりまあす。
小噺2
これは秋公の時に稽古日誌回ってきたら書こうおもてあっためててんけどな、まわってこんかってん。だからひえ切る前に世にはなっとこうと思って。
脚本書ける人ってエグいっすね。
もっかい言っとこ。
えぐううううううい(白子さん風)
たった今炊き上がった米よりエグい。僕は秋、ヒーヒーフーフー言いながら漫才書きました。文字数なんと2000文字、!
とっても宿儺(すくな)い。通った通ってないとか、未完がどうだとかまっっったく関係ない。あなたたちみんな大天才だと僕は思います。自分の作った世界を何万文字とかいうレベルまで広げて深みを持たせて。体験げいこみたいな感じで残念ながらできなかった脚本をショートバージョンでやるとかやってみたいですよね。書いた方の気持ちがわからないのでめちゃくちゃムカつく提��してたら本当にごめんなさい。
でもほんとに面白い脚本を、全力を出させてくれる脚本を皆様ありがとうございます。謝謝。コップンカップ。テリマカシ。メルシーボークー。
トンカツショットガン。
もうええわ、どーもあざした。
と、思ってたんですけど。ビアゲの方に色々書くやつやってないわ。明日全休の男を舐めるな。かくでえっ!(ここまで読んでくれてる人なんかいるんやろか)
•東愛莉
しゃうじき、しゃうじきよ!?秋公で1番びっくりさせられました。あずのすごさを見せつけられました。あの元気なあずが1日目2日目とビアゲ後に気が抜けた顔でらいらと話してる姿が印象的でした。ホントにだしきってるんだなと。人間の成長ってこういうことかあってなりました。表情、読み方、脚本解釈力、見習うとこしかないわ。
・大良ルナ
うーんなんか僕の中でずっと天才なんですよね。もちろん沢山努力してるのは百も承知なんですけど。楽ステの優が嘘をついて、「喜ばせようとした!?」的なセリフのシーン、あそこをオペ席で見て、自分なんて足元に及ばねえじゃねえかと笑っちゃったのを覚えてます。声色とかももちろんだしなんかオーラ全体がぎゅるんって変わってた気がします。ほんっとにすごい。
・児
色々持ってる人。世界を持ってる人。ただただかっけえ人。オムニも秋公もそこまでご一緒できた訳では無いんですが、箱でチョロっとお話できたりしたあの時間を僕はずっと宝物として残りのちゃうかライフを生きていきます。
・うみつき
あ、この子ってこんなに優しくて人の事を考えて自分を持ってるんだ!と秋公期間を経て思いました。演技が上手いのも面白いのももちろん知ってました。けどその下にえげつない優しさで人のことをよく見てるスミもいます。暖かい人です。柳もカヲルくんでありブルゾンだったのがあそこまで完成されるとは、流石でございます。
・統括のフォーニャー
楽屋で色んな人と楽しそうに話してらっしゃったのが印象的です。さすが統括。統べるもののコミュ力ですね。ネキと言われてる意味がよくわかった気がします。ほんとにみんなからしたわれるネキって感じでした。看護師は、もう、言うまでもなく。まりおさんが楽屋で「フォニャやっぱうめえ」って呟いてたのをこっそりお伝えしときます。
•緒田舞里
1番34期で関われた人だと思います。でもそれは僕がって言うよりみんな結構そうな気がします。まりおさんの優しい人柄と面倒見の良さを考えたらそりゃそうです。人生で出会った中でも3本の指に入るぐらいにいい先輩。偉大も偉大です。お勤め先のバーに36期20歳勢を引き連れて近々殴り込みに行きます。1杯奢ってくださいお願いします。お母さん役凄かったです。冗談抜きでオペ席で半泣きでした。まりおさんの役の向き合い方のえげつなさをガッツリ感じました。さすがっす、大先輩。
・白
君と箕面にデートに行けたことで僕は森々仙入となり、長いこと離れてしまったちゃうかでもやって行けるかもしれないと思い、ちゃうかパーカーを発注出来ました。あの滝と共に撮ったBeRealはまだお気に入り登録されています。ほんとに才能に溢れていると思います。常人にはできないレベルでの脚本解釈力とそれの言語化の能力。ちょっと分けろや、なあ。またそば食べようね。
•垅麦
栞に書いたから許して。eラやろうか。
•岡崎仁美
ぴーひょろろろろろ、ばっさあああ。いやあんだけ好きって言うからですよ。あのボケ実はまあまあ恥ずかしいプラスウケないと結構メンタルくるのでカヌレさんは絶対笑ってると心に留めて毎回やらせていただいてました。エンドロでカヌレさんにダメを出していただいてる時に1番演劇やってる感じがしたのを覚えてます。すごい的確でクセとかも見抜いてくださって、すーごくたのしかったです。カヌレさん演出の元で稽古してみたかったです。寧々、良かったですねえ。カヌレさんのガッツリ演技が最後に見れて良かったです。
・雨々単元気
てーーにいいいい!君とはもっと仲良くなれそうな匂いがぷんぷんするんだよねえ。とりあえず役の好みは似てそう。パワー役共演を夢見る20歳男性です。コントだっていい。君とぶちかましてえ。オラオラしてえ。劇中劇と劇団員。うんほぼ2役やね。ちゃーんと演じ分けれてたし、まとってる雰囲気まで違ってた。ちゃんと上手い!その上で面白い、スタープラチナかよ。あ、最強ってことです。
・舞原の搾り滓
最後にまほろさんの大隅がみれて良かったです。どこで手に入れるんでしょうあの声の感じは。すごくしっかりしてて、聞き取りやすい。外公に出れなかった身としてはやっぱり真面目な役を丁寧にこなすまほろさんはなんだか新鮮で、でもすごくしっくり来ました。さすがです。
・じゃがりーた3世
あのオトンもう見れないんですか!?僕はもうレプトンさんがカミ段上げであぐらかくのを毎回ワクワクして待ってました。キタキタキタって感じです。あのwiki雑学が聞けないのも残念です。また駅の前でもどこでも1時間ぐらいお話したいですね。
・オーム
ダメ書かなきゃと思ってビアゲ見ながら色々書いて、ふと自分のスマホを見るとオームすごい!ばっかり書いてたのが僕個人的に印象に残っていることです。めちゃくちゃできるやん(なんで上から目線やねん)てにと二人でマイムするとことかほんとに見習わねばって感じでした。こんさんとこりさんと3人で稽古してたのもすごく覚えてます。食らいつく姿勢というか。ほんとに努力の賜物です。スゴすぎる。キミ、しれっと20歳なってる?もしかして。はい、うちの家にご招待です。
・テキストを入力
まずはビアゲ関係ないですが、最強の映像をつくってくださってありがとうございます。お世辞でもなんでもなくカッコよすぎ。まじすげえっす。役者ももう3回目ですか!?僕も役者人生通算3回なので同じですね。エピさんはほんとに色んな人のことをしっかり見てるなって。あとコミュ力普通に高いなって思います。あんなにほそいのにめちゃくちゃ頼りがいがあります。もっとご飯とか食べに行きたいです。甲子園もまた行きたいです。あと過去問残しといてください。
・縦縞コリー
全く同じ日数生きてきたとは思えないぐらいしっかりしてます。34,35期の人達からは色々言われてる時もありますけど、役者としてももちろんですし、会計、衣装色々任されてるのってコリさんがコリさんだからだと思います。あとやっぱり優しい。カラオケでめちゃくちゃにチルってる後輩集団を白子さんと笑わせようとしてくださったのめちゃくちゃ残ってます。優しすぎないか、、!?ってなりました。こりさん、熊吉は阪神ファンです、甲子園、行きましょう。
・アリリ・オルタネイト
イルルさんも栞に思いの丈はぶつけさせて頂きました、とりあえず一言でまとめるなら大・尊・敬
・叶イブ
あなたも僕の精神安定剤でした。ラムダおもろいなあ、すごいなあに実はしっかりとガッツリと救われておりますわたくし。ほんとにありがとう。1ステで漫才で出ていった時も最初にふぃあが客席に座ってるの見えてよし、なんか行ける気がする、と勇気をもらいました。あざます。子供役は、うん、しっくりって感じ。ピタッとハマってる。でもそれはたまたまじゃ絶対ないと思います。努力ゆえかなと。すごい。コント一緒に出たいわね。ワクワク
・エリックさん
正しい芸名を調べるほど僕はできた人間じゃなかったようです。映像オペやって良かったことは?と聞かれたらスチルさんとの純愛だよと、エリックさんとお話できたことかなと思います。ほんとに優しくて4回Enterキーを押すだけなのにめっちゃくちゃに褒めてくれて。マジで僕は単純な人間なので大好きですもう。責任感も強くて演技も上手くてもっともっともっとお話したいです。舞台上でもいつか。がっころでエリックさんの変顔に合わせて音響入れるあの気持ちよさ、まだ忘れられません。
・るいさん
こんにちは、タイミーの人です。るいさんともお話出来て良かった。挟み込みに感謝ですね。なんかおもろい話ない?と振られた時はすごいな!?ってなりましたけどほんとに話してて安心する先輩って感じですーごくおちつきます。またゆっくりお話したいですね、稽古にも来てくださっていいんですよ???笑
・アネモネ
役者やんもう。あなたの窓からの顔まじで怖いんだから。ほんとに面白いですアネモネは。36期の色んな人が天才やんって言ってるのをよく聞きます。もっともーっとアネモネを掘り下げていきたい。君からもまだまだおもしろの匂いがぷんぷんする。新人見とけよ、いっぱい話しちゃうんだからな。
・はぜ
やっぱ最後はあんたでしょーよ。相方であり相棒だと勝手に思ってます。ほんとにさ。エンドロまでは同じラインにいたと思ってたのによ人がタイで熱帯魚と戯れてる間に映像の神になり脚本まで書いちゃって。ホントすごいよ、すごい。色んな人にすごいと思っちゃうし言っちゃうんだけど、僕目線いちばんこの人頑張ってたな、自分には出来ないなって思ったのは間違いなく君です。色々あったし間違いなくしんどいことも多かっただろうに、ご飯も一緒に食べてくれて、漫才の稽古も付き合ってくれて、感謝だらけです。寛大って言葉が似合うね。そして優しいやつです君も。みんなそれを感じてるからこそはぜはぜ言ってよっていくんだと思います。みんなのことをすっごく考えてくれるしそのために自分をなげうてちゃう人。だからこそ色々溜まってくだろうし少しでもその毒抜きが出来たらなとずっと思ってた秋公期間でした。ほんっっっとによく頑張った。やりきったあなたが一番カッコイイわよ。さ、来年も多崎で漫才すっかあ!
あーあ、短く簡潔には僕には無理みたいです。今度こそ、もうええわ、あざしたあ。
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淨土大經解演義 (第一集)
淨土大經解演義 (第一集) 2010/4/5 香港佛陀教育協會 檔名:02-039-0001
諸位法師,諸位大德,諸位同學,請坐。今天是舊曆的清明節,我們選擇在這一天啟講《淨土大經解演義》。這個名稱對一般人來說好像很生疏,佛門的老同修知道,「淨土大經」就是《無量壽經》。《無量壽經》在現在有九種不同的版本,我們所選擇的是夏蓮居老居士會集的本子,依照朝代先後來排列,這是最後,就是第九個本子。「解」是註解,夏老的弟子黃念祖老居士註的。這個緣起也很不可思議,《無量壽經》在大乘教裡面,佛門裡面就感到很稀有。為什麼?因為世尊當年在世講經教學四十九年,四十九年講了許多經論,老人家只講一次,沒有重複的,唯獨《無量壽經》重複講了好幾次。在中國翻譯的,我們在譯經目錄裡面看到有十二種,那是翻的次數最多的,從漢朝到宋朝八百年間十二次的翻譯。當然同一個本子有多種的翻譯,裡面的文字當然不一樣,內容肯定是大同小異。像《金剛經》有六種譯本,這我們在《大藏經》裡面都能看到,那是同一個原本,也就是世尊只講一次。《無量壽經》就奇怪了,它這個譯本裡面差別很大,最明顯的,也是這個經裡最重要的,阿彌陀佛的本願。這十二種本子現在存下來的只有五種,有七種失傳,現在《大藏經》裡面有目錄,沒有經本,這是很遺憾的一樁事情。
流傳下來這五種的原譯本,四十八願的兩個本子,二十四願的也是兩個本子,還有一個本子宋譯本三十六願,這個差別太大。如果說一種原譯本,決定不可能有這種差別,不可能的事情。所以從本願上這三種差別,古大德判斷,那個失傳的七種本子就不知道,不曉得內容,從這五種本子就肯定世尊至少講三次,三次說的阿彌陀佛的本願,世尊講的條目不相同才會有這種差別。這個推測是很合乎邏輯的,我們一般人也都能接受的。多次宣講不容易,要不是非常重要,世尊不可能多次宣講,幾乎多次宣講在《大藏經》裡找不到痕跡。所以這部經是佛當年在世多次宣講,那就是非常重要的一部經典。尤其是我們看到善導大師說了兩句話,善導是唐朝時候人,傳說是阿彌陀佛再來的,善導的話就是阿彌陀佛自己說的。他說「如來所以興出世,唯說彌陀本願海」,這個意思就是講十方諸佛示現在世間,我們在《華嚴經》上看到,「華藏世界品」、「世界成就品」裡面,看到佛家的宇宙觀,現在哲學裡面所說的宇宙觀,太大!我們今天的天文學家沒有達到這個境界,天文學家所觀察的、所了解的,在佛法來講還不能超越娑婆世界。
我們學經教這麼多年,包括前輩這些大德,更早的以為佛經上講的單位世界就是我們地球,太陽繞著須彌山轉,很多人誤會,把喜馬拉雅山認為是須彌山。以後科學證明,我們這個地是個圓形的,叫做地球,跟天上星星沒什麼兩樣,也不算太大的,是繞著太陽轉的,不是太陽繞著地球轉的,知道有太陽系,太陽是繞著銀河系轉的,可是我們的觀念就沒有辦法轉變過來。須彌山在哪裡?須彌山肯定不在地球上。佛法裡面形容須彌山稱之為妙高,高我們能理解,妙很不好懂。我們原來都是以為一尊佛土,就這一尊佛教化地區,好像是現在科學家講的銀河系。我自從一九八六年,跟黃念祖老居士結了這個緣,認識了,在當時我們兩個非常欣慰,因為弘揚夏蓮居老居士的會集本只有我們兩個人,他在國內講這部經,我在海外講這部經。我們見面,黃老就給我提出這問題,告訴我,佛經上所講的單位世界不是太陽系,是銀河系,銀河系的中心是黑洞,須彌山應該就是指這個黑洞。黑洞之高大我們能理解,黑洞到現在也沒有人能夠了解它真正的狀況,只知道它的引力很大,連光線都沒有辦法穿過,都被它吸引。這是銀河系的核心,所有的星球都是圍繞著這個核心來轉,我們中國古人稱之為「黃極」,這才是一個單位世界。一千個單位世界叫一個小千世界,那就是一千個銀河系,一個小千世界;再以小千世界為單位,一千個小千世界叫中千世界;一千個中千世界叫一個大千世界。一個大千世界有多少個銀河系?十億個銀河系,現在天文學家沒觀察到,這是一尊佛的教化區。《華嚴經》上告訴我們,像這樣的世界在這個太空當中無量無邊。講到一個華藏世界,一個華藏世界好像一棟大樓一樣,二十層,我們娑婆世界跟極樂世界都在第十三層,像這樣的華藏世界又不曉得有多少!這是佛法裡面講的世界觀,宏觀世界,確實是不可思議。
佛出現在世間,每一尊佛的教化區就是一個大千世界,這是最小的。有二、三個大千世界,五、六個大千世界,十幾個大千世界都有,佛也有福報大小不一樣。原因在哪裡?因地修行的心量不一樣,所以感的果也不相同,除這個之外,沒有一樣是不同的,這是講度化眾生的緣不相同。所以學佛人要跟一切眾生廣結法緣,將來你成佛度的人就多了,廣結法緣這很重要。佛示現在不同的佛國土都有緣,不能說沒有緣,都有緣,這緣很複雜。用什麼方法幫助他能夠穩當、簡單、容易、快速的回歸自性?回歸自性就是圓滿成佛,還源了,用什麼方法?就是用淨土念佛的方法,所以善導講「唯說彌陀本願海」。這個經是什麼經?這個經就是《無量壽經》,所以《無量壽經》稱之為淨宗第一經。淨土宗真的是簡單,所依據的經典就是五種,世尊當年講的時候就三種,三部經,淨土三經,《無量壽經》、《阿彌陀經》、《觀無量壽佛經》。分量都不大,三經如果是白文,就是經文沒有註解的,合訂起來薄薄的一本,分量很少,簡單、容易而且成就非常殊勝,這是善導大師給我們的信息。
我們要相信,遇到這個法門,這一生就是有機緣,你有遇到這個機會,你能夠回歸自性,你能夠圓成佛道,這個機會多難得。所以「人身難得,佛法難逢」,我們得人身、遇到佛法,又遇到佛法裡頭無比殊勝的法門,我們要珍惜這個機緣。這個法門也稱之為難信之法,因為它的方法太簡單、太容易,所以很多菩薩不相信。從理上講,必須要妄盡你才能還得了源,八萬四千法門都離不開這個原則,妄是煩惱,三大類的煩惱,無明煩惱、見思煩惱、塵沙煩惱這三大類。見思煩惱斷了,六道輪迴就沒有了。所以六道不是真的,像一場夢一樣,你在六道裡沒出去,在作夢,夢中沒醒過來。什麼時候你把見思煩惱放下,見思煩惱就是《華嚴經》講的執著,於世出世間一切法不再執著,見思煩惱放下你就證阿羅漢果。阿羅漢就醒過來,從六道這個大夢醒過來,就是阿羅漢,六道沒有了。六道沒有了,醒過來,還在夢中,為什麼?你還有分別、你還有妄想,這還是煩惱,比見思煩惱輕一點,還是有。如果把分別也放下,不再分別,不但不分別,妄想也放下。妄想是什麼?我常常講叫起心動念,六根在六塵境界裡面不起心、不動念,起心動念都沒有,分別執著當然就沒有,你就真醒過來,這一醒過來,四聖法界沒有了,就十法界沒有了。十法界包括六道,下面是六道,上面是四聖,這四聖就是聲聞、緣覺、菩薩、佛,佛也不是真的,這個要知道,不能執著、不能分別。這個放下之後,四聖法界不見了,夢境你真的醒過來了。這時醒過來還有境界相,還有相,這個相是什麼?我們通常稱它作一真法界,是諸佛如來的實報莊嚴土,我們講極樂世界,《華嚴經》上講的華藏世界,那都是如來的實報土。說如來的實報土,諸位要記住,就是自己的實報土,自他不二,他是諸佛如來,真的是不二。
所以這些年來也是我們極力在提倡的,佛事用淨宗裡面的《三時繫念》,中峰禪師編著的,禪宗的大德,你看看編的這個繫念的儀規完全用淨土,冥陽兩利。他老人家講得很清楚,「自性彌陀,唯心淨土」,彌陀在哪裡?彌陀是自性,淨土也是自性,心跟性是一不是二。你要真的明白了,你就曉得,諸佛如來跟一切眾生,跟我們自己關係是多麼的密切。講關係這就屬於倫理,倫理講關係。大乘經教裡講關係講透了,講到究竟圓滿,遍法界虛空界,上面是諸佛,下面是眾生,跟自己是一體,不是一家,一體,你說講到這種關係。所以那個愛心叫「無緣大慈」,慈是愛心、關愛,無緣是沒條件;「同體大悲」,悲是憐憫,憐憫一切迷失自性的眾生。要知道他跟我們是一體,不是外人,同體、無緣,沒條件的去幫助他。所以人間有真愛,真愛是佛菩薩的愛,就是大慈大悲,真的,覺悟的人有,迷失自性的人不是沒有,他迷了,迷了它變質。所以這個愛,佛在經上講有愛緣慈,像現在這個世間父母對子女的愛叫愛緣,他有慈悲,慈悲是他有血緣、有骨肉關係,從這個關係。有眾生緣慈悲,心量大一點,愛自己也能愛別人,《弟子規》裡頭「凡是人,皆須愛」,那是眾生緣慈悲。菩薩,菩薩有法緣慈悲,又高一層,他了解事實真相。真正到明心見性、大徹大悟,就是佛的慈悲,那沒條件,那才叫真愛,其他的是有條件,這沒有條件。我們明白這個道理,學佛找到佛才找到真正的親人!我們像小孩迷失了方向,我們真正把父母找到,關心我們的、愛我們的人找到了,這個人就是諸佛、法身菩薩,他們真正能夠幫助我們破迷開悟、回歸自性,這就功德圓滿。所以眾生跟佛,所不同的就是迷悟,除迷悟之外沒有一樣不同。這在大乘教裡面,愈讀你就愈清楚、愈明白,念到最後,你就豁然清楚,原來就在當下,就在此時此處。
淨宗真難信,特別是對知識分子。我學佛是方東美先生介紹的,年輕那個時候也是學校念書,受了一些老師的影響,認為佛是宗教、是迷信,而且在宗教裡是多神教、泛神教,在宗教裡面它屬於低級宗教,高級宗教只講一個真神,佛教所表現的確實是迷信,這是我們當時不了解。現在社會不了解的人更多。我跟方老師學哲學,在最後一個單元他跟我講佛經哲學,我說「佛教是宗教、是迷信、是泛神教,它哪來的哲學?」老師告訴我,他說「你不知道,你年輕,釋迦牟尼佛是世界上最偉大的哲學家,佛經哲學是全世界哲學的最高峰」,這是當時他這麼告訴我的,「學佛是人生最高的享受」。這樣我接受佛經哲學這個課��,才把過去錯誤觀念轉過來,重新來認識佛教。我的緣很殊勝,方老師把這介紹給我之後,不到兩個月,我就有個機會認識章嘉大師,是清朝末年蒙古一個親王給我介紹的,認識章嘉大師。那時候剛剛接觸佛法,這也是方老師的慈悲,指出我一條學習的道路,他告訴我,他說佛法不在寺院,在哪裡?在經典,你要真正找到佛教,你要從經典裡面去找。這個引導非常重要,所以我始終感謝老師的恩德。因為沒有這個指點,我們要去請教出家人,許多出家人把經教都丟掉,都不學習,他說不出來,在這種狀況之下我們肯定懷疑,信心就沒有了。所以他知道在經典裡面。他說從前的出家跟在家學佛的,那都是了不起��學問家,真的是大德、大哲,他說現在很少了。
我接觸章嘉大師之後,章嘉大師教我學釋迦牟尼佛,叫我去看兩樣資料。這《大藏經》裡面有的,在那個時候沒有單行本流通,《釋迦譜》、《釋迦方志》。他老人家很慈悲,你要學佛,你先認識釋迦牟尼佛,你就不會走��路。這個資料看完之後,才知道釋迦牟尼佛確實很偉大,用我們現在的話來說,他是個教育家,他跟宗教掛不上鉤。出身於王族,他的父親是國王,那個時候,古印度跟中國春秋戰國時候差不多,都是很多小國家,他是王子,十九歲離開家庭出去參學。所以我們知道青年的釋迦牟尼非常好學,離開家庭出去求學,那個生活很苦,像苦行僧一樣。印度確實是好地方,在當時這個地球上學術,特別是哲學,可以算得上是世界上的頂尖。宗教亦如是,印度是宗教之國,他的學習,所有宗教的這些大德他都見過、都學過,而且學得非常認真,所有的學派他也學過。當時印度他們有個很好的一種風氣,就禪定,無論是宗教、是學術都重視禪定。佛經上講的四禪八定,那不是釋迦牟尼佛所倡導的,不是的,古印度宗教、學術統統都學這些東西,當然年輕的釋迦牟尼也不例外。
禪定能夠突破空間維次,所以就發現六道,六道是真的不是假的。你修定修到一定的程度你都見到,你見到跟他見到,你們談談裡頭完全一樣的,見到的人太多!上面從二十八層天,下面到阿鼻地獄,整個六道裡面的狀況他們一清二楚。可是那要問這六道從哪來的?為什麼會有六道?六道之外還有沒有世界?這個問題,不但在印度所有宗教無法答覆,印度的一些哲學也不能答覆。釋迦牟尼佛修了十二年,三十歲,於是他就把學習放棄,學了十二年算是畢業,放棄了,在恆河邊上畢缽羅樹下打坐,他開悟了,以後那個樹叫菩提樹,菩提是覺悟的意思,他在那個地方大徹大悟。入更深的禪定,什麼禪定?在《楞嚴經》裡面首楞嚴大定,在《華嚴經》上說師子奮迅三昧,這就見性。也就是說真正把起心動念放下,不起心、不動念就恢復了自性,這才把宇宙人生真相真正搞清楚、搞明白,六道輪迴那是一個小點,太渺小了,統統搞清楚了,當然非常高興,把他這個境界詳詳細細的講出來,做了一個報告。給誰講的?給人講,人聽不懂,別說我們世間人聽不懂,二十八層天人也聽不懂,所以他在定中講的。我們看釋迦牟尼佛在菩提樹下打坐,哪裡知道他在那裡講《華嚴經》,《華嚴經》就是世尊開悟的境界。他說得詳細,全說出來了。說了多少天?經上給我們記載的二七日,就是十四天,也有經上講三七日。這個我們可以不必去體會,也用不著去考證,不要去搞這些分別執著,頂多是二十一天,定中講的。
禪定裡面時空沒有了,時間跟空間沒有了,這個我們能夠信得過,為什麼?有科學證明。科學什麼樣證明?催眠是很科學的,催眠裡頭那個時空沒有了,你看催眠兩個小時,他可以能回憶到過去好幾世,催眠時候他能夠到天堂、也能夠到地獄,你看時空都突破。所以我們知道催眠也是要精神一切放鬆,一切放下,心裡沒有雜念,原理是一樣的。禪定那功夫就更深,他時間就更長,七天、二十一天,確確實實能夠把遍法界虛空界都看清楚、都看明白。其實要不要那麼長?不用,一念之間,一念之間就通達明瞭,就看你放下多少,功夫淺深不在別的,在你放下多少。所以諸位要想用功,千萬不能執著,你放得愈多,你的心愈清淨,你就愈接近你的自性。《還源觀》裡面所講的「自性清淨圓明體」,愈放得多就愈接近,愈接近的時候你就愈了解。了解真相之後,他老人家出定,開始教學,為什麼開始教學?慈悲心自然流出來,沒有理由、沒有條件,見到眾生就想幫助他回歸自性。為什麼?他跟我是一不是二,覺悟的人知道,迷的人不知道,一體。這樣一展開就教了四十九年,世尊七十九歲圓寂的,三十歲開始教學到七十九歲。所以講經三百餘會,說法四十九年。
我們從這個地方來看,他是什麼身分?職業教師,一生教學。教什麼?他所講的這一切經,當時在世的時候沒有文字,都是這樣講的。是世尊圓寂以後,學生們把老師過去所教的、所說的,把它記錄下來,這才成為經典。記錄也不是簡單事情,找一個複講的,找到誰?找到阿難,阿難是佛的侍者。釋迦牟尼佛一生講的經,阿難都聽過。阿難是他最小的堂弟,他們堂兄弟八個人,釋迦牟尼佛是老大,阿難是最小,老八,年齡相差二十多歲。所以釋迦牟尼佛當年講經,前面講了二十年,釋迦牟尼佛開始講經的時候阿難出生,講了二十年,阿難二十歲他才出家,前頭二十年阿難沒聽過。所以經上有記載,在有空閒的時候,世尊把過去所講的都給他說,所以他聽得很完整。阿難記憶力特別好,一遍永遠不會忘記,像錄音機一樣,他能原原本本把它說出來,他有這種能力,這稀有,弟子當中只有他記憶力最好。所以佛滅度之後,大家請阿難升座複講,五百阿羅漢,就是佛當年弟子,經常聽經做證明,講的必須五百阿羅漢都同意,阿難沒錯,佛是這麼說的,才記錄下來;有一個人有疑問,這就得刪掉,取信於後人。經藏結集是這麼樣的嚴格,不是容易事情。
當年結集的文字是梵文,古印度文現在已經很少人懂。傳到中國是梵文,中國當時這些留學生到印度去學習也是學梵文,從梵文翻成中文能沒錯誤嗎?我們現在說用一篇英語文章翻成中國文,能不能百分之百的翻出來?不可能,總有差誤。別說是外國語文,我們以中國古文,古人一篇文章,現在找幾個,找十個人,你叫他用白話文翻出來,十個人翻的不一樣,到底用哪個做標準?這很難講,這能叫人相信嗎?我當年就用這個問題向方東美先生請教,怎麼能讓我們生起信心?方老師非常感慨的說,他說古時候的中國人,跟現在中國人不一樣,現在中國人喪失了民族自信心,所以才受這麼大的侮辱、受這麼多的苦難。從前中國人不是,非常自豪,梵文經典翻成中文之後,不但意思完全沒錯誤,文字比原文還要華麗、還要美;換句話說,有了中文本,梵文本可以不必要,這樣的自豪。中國隋唐時候那個中國人真正像個中國人,哪裡像現在?這是方老師告訴我的,化解我這個疑問。
真的嗎?是真的。中國自古以來,確確實實禮義之邦,泱泱大國,一直到清朝,這種自信心都沒有消失過。清朝的末年,晚年才出了問題,出問題因素很多,近代史裡面都記得很清楚,不是中國傳統有問題,是當時國家領導人慈禧太后她出了問題,真的叫一人興邦,一人滅亡一個國家民族,一個人關係太大了。清朝從開國,到她的丈夫是咸豐,慈禧太后是咸豐的妃子,歷代的帝王都是把儒釋道這些高人,現在的名詞叫專家學者,請到皇宮,皇帝帶著嬪妃、文武大臣天天聽課,天天在學習,真幹!這個制度慈禧廢除的,慈禧不再聽這些儒釋道的大德的話,不聽他們的,她迷信,她駕乩扶鸞,她喜歡神仙,國家的事情都在乩壇上去請示,這樣亡了國。這個話是章嘉大師告訴我的,章嘉的前一世都是清朝歷代皇帝的國師,四大喇嘛只有他一個在北京有道場,北京有章嘉大師的住所,經常在北京,這是皇上的顧問。他老人家告訴我的,他說這個事情壞在慈禧,把制度破壞,領導人對於傳統不重視,逐漸影響到群眾。我們要追究,我們傳統文化這麼好,為什麼到今天有這種地步?源頭出在慈禧。我們要知道、要愛護,要怎樣把它恢復起來。
所以我們把這些事情搞清楚、搞明白之後,才知道佛法的殊勝,愈學愈歡喜,這才發現了,真的發現了寶,無比殊勝的珍寶,這是經教。可是大乘教裡面常說,「佛法無人說,雖智莫能解」,今天典籍有,傳人沒有了。民國年間真叫一代不如一代,到了末代,抗戰期間大概還有十幾個人出家、在家,戰後愈來愈少,這些大德凋零了,後繼無人,特別是最近的五十年。這是我們知道,佛教真的面目完全沒有了。我們在台灣,台灣真正講經教學的,只有李老師一個人,他在台中辦了一個蓮社,蓮社開班教學,他開了十幾個班都是傳統文化,像一個社會教育一樣、補習班一樣,不收學費的。李老師本身多才多藝,他懂得東西很多,他有能力教人,在台中教三十八年,這走了,九十七歲走的。在台中三十八年講經沒中斷過,不過他一個星期只講一次,星期三固定的,固定的時間、固定的場所。所以他不需要宣傳,每個星期三到台中慈光圖書館,一定看到他在那邊講經,一星期一次。教我們學生,教我們這一班年輕的學生講經,也是一個星期一次,我們在星期五,教我們講經、教我們古文,像江逸子他們一個小班,跟他學詩詞的。其餘還有許許多多科目,老師自己抽不出時間教,他在外面聘請老師。所以是社會教育,很有一點像釋迦牟尼佛當年在世那個樣子。
所以現在在全世界佛教,我概略的想了一下,至少有六種不同的形式,我們要知道。第一種釋迦牟尼佛的教育,他老人家一生是職業老師,用我們現在的話說,他是一位多元文化社會教育家,他本身的身分,是個多元文化社會教育的義務工作者,他不收學費。他的生活很簡單,日中一食,樹下一宿,一生沒有建學校。在什麼地方教學上課?山林、樹下,人數不少!所以我們現在想想不簡單。常隨眾一千二百五十五人,這是不離開他的,臨時來的,我想至少也有這個數字;換句話說,他講學聽眾應該有二、三千人。那個時候沒有這些擴音設備,在曠野,人要是聽不清楚還能有興趣跟他嗎?晚上在樹底下,風吹日曬雨打他都不怕,這是金剛不壞身。日中一食,人家給什麼吃什麼,沒有一點分別,那是什麼樣的人,什麼樣的身體。我們想想,無法跟人相比,我們到野外住上一個晚上,第二天到加護病房,怎麼能跟人比?這不是一天、兩天,四十九年過這種生活,能叫人不佩服嗎?真有功夫,身心健康。所以這是釋迦牟尼佛原原本本的佛教。老人家一生沒有建道場,有他的道理,因為建道場就有人起歪念頭,怎麼樣來得到這個道場,他沒有,他知道後人會有這些副作用,什麼都沒有,這是我們應當學的。
所以佛教傳到中國來,道場國家建的,大富長者他們建立的,都叫十方道場,不是私人的。道場裡面的管理是自己管理沒錯,一切執事人員是選舉的。所以選舉制度最早是在佛門,住持當家都是選舉的,任期一年。因為什麼?那是服務。服務不能老叫他服務,每個人都要有這個義務,完全是義務,所以每個人至少都要有一年。寺院裡面臘月三十總辭,選舉選上來,第二天新選的人正月初一就職,三十總辭。所以它是這麼好的一個制度,不會有人爭,真的叫選賢與能來住持道場,所以它是一個教學的機構。在中國這就有了制度,正式上軌道,就正式辦學,釋迦牟尼佛那是私人教學,像孔老夫子一樣私人教學,傳到中國之後就有了制度,這個制度叫叢林制度。這是方先生過去跟我講過多次,至少有十幾次,印象很深刻,他說佛教要興旺起來,一定要恢復叢林制度。叢林制度就是學校,正式辦學校,叢林的主席就是校長,首座就是教務長,維那是訓導長,監院是總務長,跟大學職工分配完全相同,名稱雖然不一樣,職責是一樣的,它確確實實是一個學校,這在過去。現在都沒有了,現在佛教變成宗教應該是嘉慶以後,我們在乾隆、嘉慶年間,中國的寺院叢林還是教學,高僧大德代代都有人。現在已經變成宗教,我們也不能不承認它,所以第二種是宗教的佛教。你看以經懺佛事、法會這個為主,講經教學沒有了,這變質了。第三種變成學術,大學裡頭、哲學系裡面有用佛經開課,我也教過幾年,變成學術,這變質了。第四種在國內觀光旅遊,觀光旅遊的佛教。還有一種很新的、很時髦的,企業的佛教,還聽說有上市的,企業的佛教。最後一種是邪教的佛教,那是打著佛教的招牌,其實跟佛教風馬牛不相干的,像所謂法輪功一類的,這完全是錯誤的。所以至少有六種不同的形式,我們學是學哪一種,這得搞清楚。
所以章嘉大師指我這條路,教我學釋迦牟尼佛,我也很聽話,我對老師非常尊敬,我聽老師的指導。老師以後不但教我跟釋迦牟尼佛學,還希望我出家走釋迦牟尼佛這條路。我照做,把方老師所講的學佛是人生最高的享受證實,真的是幸福、美滿、快樂。挫折有沒有?挫折非常多,挫折都是考試。我們學佛,對人、對事、對物永遠要保持感恩,毀謗、障礙、甚至於陷害,你都會遇到,對這些人都要感恩。為什麼?他來考我,我都能通過,沒有怨恨,只有感恩。他為什麼會這樣障礙我?大概總是兩個原因,一個就是過去生中也許我障礙了他,這冤冤相報,我們現在明白、覺悟了,接受這個果報,把這個冤孽化解,我不報復他,我也再不怨恨他。另外一種,那就是古往今來都不能避免的,嫉妒障礙,是我們自己做得不小心,姿態不夠低,引起他的嫉妒心,是我的錯,不是他的錯,我們也要感恩他。佛法哪裡有緣就到哪裡去,緣有叫做時節因緣,中國古人常說「人無千日好,花無百日香」。人與人相處,能相處個三年,你就厭煩了,就會出問題,我們要知道小心、謹慎,起心動念、言語造作,要以佛菩薩、要以聖賢人教導我們標準去做,嚴格遵守決定有好處。對於傷害我們的人,我們用報恩的心情來對待,時間久他知道了,他知道他也悔改,可是怎麼?不好意思說出來,面子問題。這我們知道,內心對我們不再怨恨,就化解了,你說這個多快樂,這多麼好的一樁事情。
所以現在這個世間,冤冤相報太多太多,為什麼?你對待人你不是布施恩德,就免不了跟人結怨。現在為什麼孝子賢孫少,你想想你對待人有沒有布施恩德?布施恩德才有報恩的人來,布施財物才有還債的人來。處處想佔人便宜,那是什麼?你的兒孫就是討債來的;處處是以高姿態去壓人,那就有報怨來的。麻煩在此地,這是我們一定要懂得,都是自作自受。人都是好人,老祖宗教給我們「人性本善」,大乘佛法教給我們「一切眾生本來是佛」,我們怎樣看人?我們要看人,一切眾生都是菩薩、都是佛,是真的不是假的。善財為什麼一生證得究竟圓滿的佛果?我早年講《華嚴經》,講《四十華嚴》,也用了不少時間,可惜那個時候連錄音的設備都沒有。我講一半明白了,知道他成就的祕訣,就是他的心目當中,眾生全是善知識、全是佛菩薩,所以他成就了。我細心去觀察,在經典裡面查這些信息,他的���師是文殊菩薩,在文殊菩薩那裡得根本智,也就是得清淨心,大徹大悟。悟後起修,起修是什麼?起修就是生活。文殊菩薩叫他出去參學,五十三參,參學是什麼?接觸社會各個層面,你從早到晚所接觸的這一切人,全是佛、全是菩薩;凡夫,自己一個是凡夫。他是這樣的心態,把他在老師那裡所學的,全部落實在生活、落實在工作、落實在處事待人接物。
方老師介紹《華嚴經》的時候告訴我,《華嚴經》有圓滿的理論、有善巧的方法,後面還帶表演,五十三參是表演,你看把它的道理、方法,在生活、在工作、在處事待人接物,做出來給你看。他說這種教科書,他把《華嚴經》看作是佛學概論,世界第一,找不到第二種這麼好的教材。所以他老人家晚年在輔仁大學(教會大學)博士班裡面講華嚴哲學,真有受用。我們接受老師指導,才知道佛法無比殊勝,佛法確確實實能解決自己的問題。我自己的問題很多,過去生中沒修福報,所以這個命,命是真的,你讀《了凡四訓》,你看了凡先生被孔先生所算的,二十年絲毫不差。你每年的收入,你每年考試的名次,你每年這地位升的等級,命裡全給你注定。袁了凡先生日常生活當中他什麼都不想,跟雲谷禪師在禪堂坐了三天三夜,不起一個念頭,這種人很少,雲谷禪師很驚訝,三天三夜不起一個念頭,這是相當的功夫。就問他:你怎麼修的?他就說出來,他也很老實,「我沒有功夫,命給人算定,起念頭沒用,不如就算了,不起念頭了。」雲谷禪師笑話他:我以為你是聖人,原來你還是凡夫。他說「怎麼說呢?」這給他解釋。這是一個人真正懂得命運,不打妄想。你相信命運,你看雲谷禪師就教他改造命運的方法,你命運從哪裡來?過去生中造的。
我初學佛的時候,章嘉大師教我,老人,他大我三十九歲,我那年二十六歲,他老人家六十五歲,他看的人多了。我這個人,除了有一點小聰明之外,命裡沒有財富、沒有地位,就是貧賤,叫花子命。還有一點善根,難得這一點,懂得尊師重道、孝順父母,壽命只有四十五歲,我都相信。所以他幫助我,教我修三樣東西,財布施、法布施、無畏布施,教我這個,這是改造命運。財布施沒有錢,每個月自己這一點工資,連生活都相當困難,哪有錢布施?他問我說:���毛錢有沒有?一毛錢還可以。一塊錢可不可以?一塊錢還行。你就從一毛一塊去布施,首先要有布施的意願,有這個念頭。以後常常到寺廟去借經書看,不是搞別的,寺廟有經書,這外頭買不到。看到寺廟裡面印經書,拿個小本子來募捐,我們出五毛、一塊都行,我們從這裡做起。放生,我初學佛的時候就是放生、印經,真的愈施愈多,一點都不假!以後跟李老師學經教,再出來講經,講經是屬於法布施。大概我講了十一、二年,有一次遇到甘珠活佛,這人都不在了,他也是章嘉大師的學生,在藏傳他地位也很高。有一次他告訴我,他說:淨空法師,你過來,我有話告訴你。我說「佛爺,什麼話?」我跟他很熟。他說:我們在背後都在批評你。我說:批評我什麼?他說:你人很聰明,也是個好人,很可惜你的命很苦,短命。我說:這些當面可以說,我知道很清楚,我不會把這個放在心上。他說:你這幾年講經功德很大,你的命運都轉變了。我說:真的嗎?「真的,你壽命很長,福報很大。」我也沒有求福報,我也沒有求壽命,真的。他跟我說這些話第二年他就往生,我沒想到他往生那麼快。
所以遇到佛法,命運才有個很大的轉變,每一次的挫折就是一次大幅度的提升,跟在我身邊的同學都親眼看到。我們學佛只有一個使命,希望釋迦牟尼佛的正法久住,效法釋迦牟尼佛幫助一切眾生破迷開悟,破迷開悟那就是靠教學。個人的苦難、社會的災難,從哪裡來的?都是從眾生迷惑顛倒、造作不善業所感得來的。如何能夠幫助這些眾生、幫助社會化解災難?就是釋迦牟尼佛的老辦法,講經教學。所以講經教學的人愈多,受教的人愈多,覺悟的人愈多,社會上許多問題都解決了,所謂自然災害也逐漸化解,這真的,不是假的。江本博士的水實驗,最近在東京召開一個會議,他邀了我,我寫了一篇講演稿,讓鍾茂森居士代表我參加,在大會上做個報告。科學證明我們的意念不可思議,所以大乘教裡面,宇宙從哪來的?萬法從哪來的?我從哪裡來的?佛說得很清楚,「唯心所現,唯識所變」。所以我們解決自己的問題,解決我們環境的問題,今天環境就是自然災害,佛法裡頭教給我們一個最高的指導原則,就是你要真正懂得「相由心生,境隨心轉」,只要把心轉變過來。佛法的教學沒有別的,教導我們轉惡為善,有標準,《十善業道》是佛家的標準。這個十條你別小看,在小乘教裡面展開是三千威儀,就是這十條展開的;在大乘菩薩法裡面展開是八萬四千威儀,這十條一擴展就是八萬四千條,不可思議。所以十善修圓滿,就是八萬四千條你統統都落實,你就成佛了。
儒家《弟子規》,一百一十三樁事可別看輕!那個一展開也是八萬四千條,是傳統文化全部的落實,就在那裡頭。所以四書五經十三經乃至《四庫全書》,都離不開,每一條都離不開。就像十善業道一樣,這一部《大藏經》裡面,每一部經、每一句、每一個字,都沒有離開十善業道,一即一切,一切即一。我們正好也是遇到現前災難太多,所以我發心把《華嚴經》暫停,停一年到兩年。這一次我講這部經,《無量壽經》過去講過十遍,而這一次,這一次我不講經,我講註解,講誰的註解?講黃念祖老居士的註解。黃老居士跟我是朋友,也是我的老師,他跟我的老師同一輩分,李炳南老居士是梅光羲大士的學生,梅大士跟夏蓮老是師兄弟,非常好的道友。黃念祖是梅光羲的外甥,是夏蓮老的學生,所以沒有見面之前,我曾經聽李老講過他的名字,有這麼一點印象,黃念祖,有這麼一個印象。所以當年,一九八六年,我在美國華盛頓,華府佛教會那個時候我是會長,同修們來告訴我,他們想邀請密宗的一個上師到美國來弘法。當時我聽了很不以為然,我們是淨土宗,不要再涉其他的派門,我說我們一門深入,長時薰修。我問他:這密宗大德是誰?他說:黃念祖。我腦筋有這麼一個印象,黃念祖,我想了半天想到了,我說:他是不是梅光羲的外甥?他說:是的。我說:那請他來。這是李老師給我們講了好幾次,我以為他已經作古了,不在了,他還在人間,那很難得,他的東西是真傳,那個沒有問題。這是梅老、夏老親手調教出來的,我說這個大德難得,你把他請來,就這麼請來。
請來之後才曉得,他在國內弘揚這個會集本,我在海外,他聽到,我們兩個都非常高興。非常難得,他那個時候註解剛剛寫完,用油印印的本子,字都很糢糊不清楚。我們知道油印印的東西,頂多不會超過一百份,超過一百份那蠟紙就不能用了,所以用這樣的本子。當然帶到美國他就這麼一套,一定是選印得比較清楚一點的,送給我,我看了之後非常歡喜。他要我給他寫一篇序文,所以序文是我給他寫的。早年我到北京,去了好幾次,專門去看他,就是為了看他去的。每一次去,我們都有很長時間來討論佛法的問題,他教了我很多,所以我們是好朋友,他也是我的老師,我也感恩他。不容易,夏老會集這一本,這個本子哪裡是凡夫能做得出來的!在過去會集的,王龍舒、魏默深,彭際清的節本,都有問題,都不能算是盡善盡美的本子。看到這個,再你看看梅光羲居士那篇很長的序文,講得非常清楚。所以李老師在台中,傳到台中之後,李老師把這個經講了一遍。經那個時候沒有註解,他自己用眉註,毛筆寫的,工工整整。他講這部經的時候,我還沒有到台中,我沒聽到,但是他把他這個眉註的本子給我,我能看得懂,我拿到這個本子我也就能講,我有這個能力。所以當時我們就想開講這部經,向老師報告,老師說不行,時候沒到,時節因緣沒到。所以台北那邊同修把經都印好了,結果改《楞嚴經》,我在台北,我《楞嚴經》是跟他老人家學的,前後講過七次。
什麼原因?嫉妒障礙,在台灣大家對於夏老有成見,對於李老師也有成見,所以老師叫我迴避。等到他老人家往生,我在美國,想到老師給我這個本子,這個本子很多人沒看見,我就發心把它印一萬本,第二年一九八七年印成功,這就流通出去,在外國,在美國同學們看到這個本子非常歡喜,就請我講。所以我第一次講《無量壽經》,在加拿大溫哥華,第二次在三藩市,先後一共講了十遍,這樣才講開,才流通出去。這原本,我這一次帶來了,我送給胡小林,給他做一個紀念,他也是受持《無量壽經》,讀誦的遍數很多。往後,《無量壽經》我們要永遠把它傳下去,我們感謝夏老會集的恩德,感謝黃念祖居士註解這部經的苦心。所以這一次我發心講他的註解,叫《演義》,你看《華嚴》有演義,《彌陀經》蓮池大師有《疏鈔》,蓮池大師的學生把《疏鈔》再做一個註解叫《演義》。諸位大概對演義概念最深的,可能是小說裡的《三國演義》。我們用這個方法在一起學習,深入透徹來學習,就像胡小林學習《妄盡還源觀》的方法一樣,字字句句我們都把它講清楚。
這也是這些年來,我們看到許多學術界的人,我接觸得很多,特別對於現在大學生的感受,跟從前不一樣。我早年教大學的時候學生還算不錯,上課我們已經不是古時候的授課,是講學,講兩個小時,學生都能夠很安靜的聽下去。現在學校不行,現在學校學生的注意力大概只有十五分鐘,十五分鐘之後他就心不在焉。所以我常常就問這些教授,你在學校授課,你們怎麼教的?他說講課十五分鐘。後面呢?後面聊天,用這個方法去打發時間。這是我們看到非常難過的,也就是學生心浮氣躁;換句話說,他們在人生當中,沒有目標、沒有方向,是盲目的,這很悲哀的現象。因此我就想到孔夫子兩句話,這兩句話在今天要特別把它提出來,就是「述而不作,信而好古」。這兩句話是做學問的態度,了不起!述而不作是什麼?沒有創造、沒有發明。夫子自己講的,他一生所學的、所修的、所教的、所傳的,全是古聖先賢所講的東西,沒有自己的,我們能相信嗎?我學佛學了這麼多年我才相信,特別是《華嚴經》、《還源觀》裡面所說的,為什麼?古聖先賢他們都見性,真的明心見性。我曾經問過李老師,我說:老師,孔子、孟子、老莊是不是佛菩薩再來的?他笑了一笑告訴我,「理上講得通,事上沒證據。」《普門品》講應以什麼身得度就現什麼身,可是他們的身分沒暴露。所以我們在理上真的是能講得通,他們都是大徹大悟、明心見性的人。
見了性就是圓滿的,你在那上不能加一點,也不能減少一點,都是圓滿的。他證的是圓滿的,你明心見性證的也是圓滿的。所以「如來」兩個字裡頭有一個解釋,「如來者,今佛如古佛之再來」,他是一樣的,所以他說「我說的統是古人所說」,行,一點沒講錯,自他不二。所以推諉古人所說的,自己沒有創造發明,是謙虛。無論是世法、是出世法,謙虛是第一。你看六十四��裡面講,「滿招損,謙受益」,六十四卦只有謙卦「六爻皆吉」。現在人心浮氣躁、不謙虛,所以不但聖教他不能接受,世間學術他也不會成就,找一個像唐宋元明那個時代的一些文學家,在今天都找不到。所以,述而不作太重要!信而好古,對於古人東西誠信一點懷疑都沒有。喜歡古人、喜歡古人的教誨,那種東西千錘百鍊,禁得起考驗,時間的考驗、人事的考驗,它還能流傳到今天,可見得它有價值,我們要尊重、我們要認真努力學習。你看佛法講的,從理上講多簡單,眾生跟佛沒有兩樣,不一樣的是什麼?就是迷悟,佛菩薩覺悟了,眾生沒覺悟、迷了。所以佛菩薩幫助眾生,幫助什麼?幫助他破迷開悟,幫助他妄盡還源,這就是教育。幫助他還源,幫助他證得菩薩、證得佛了,有沒有功德?沒功德。為什麼?他本來是佛、他本來是菩薩,那個覺是本覺,本覺本有。
你才曉得這些大聖大賢幫助人,他心地多清淨,真一塵不染,沒有一個妄念。我要怎麼幫助你、對你有恩,這是妄念,沒有!絲毫都沒有,所以他清淨、他自在,這是我們一定要懂得的。現在人對佛教誤會很深,我們講解的時候要特別講清楚。印度人講佛,中國人講聖人,佛是什麼意思?覺悟的意思。聖是什麼?聖是明白的意思,明白不就是覺悟嗎?覺悟不就是明白嗎?所以它是一不是二。我們稱孔子「至聖先師」,我們稱佛也可以這樣說「至聖本師」,用這樣稱呼,大家就不會覺得迷惑,不會再說它是宗教,至聖本師,根本的老師。他們都是教我們述而不作,信而好古,孔子說這兩句話在《論語》裡頭,佛這兩句話在哪裡?在《華嚴經》,《四十華嚴》經題裡面,清涼大師說的,說的比孔子還要說得圓滿。他說世尊曾經講,他老人家四十九年所說的一切經,都是古佛所說的,他沒有在古佛所說經上多加一個字,述而不作,他講到這種程度,是不是真的?真的。為什麼?今佛跟古佛沒有兩樣,今佛所證就是古佛所證,今佛所述就是古佛所述,哪有兩樣!
所以我們把這兩句話如何落實,落實在這一次,這是我第十一次講這部經,用《大經解演義》,完全依靠黃念祖老師的註解。我們報恩,報夏老的恩,為我們會集這樣圓滿的一部典籍,稀有難逢。我相信夏老不是普通人,再來人,我曾經問過黃老,黃老點點頭,他說這個不能為外人道。我們懂得,心裡清楚。黃念祖老居士也不是普通人,不容易,在他那個環境裡面寫成這麼一部註解,太難得!蒐集這麼多資料,我到他家裡去過好幾次,看到他的書房裡堆積的這些資料,確實三寶加持,幾乎他所想的東西都有人送給他,這是普通人能做到嗎?這麼好的經、這麼好的註解,如果我們不認真學習,怎麼對得起夏老?怎麼對得起黃老?怎麼對得起釋迦牟尼佛多次宣講這部經?報佛恩、報老師的恩、報國家的恩、報眾生的恩,我們用《演義》這個方法,也就是認真細心的學習。這是這一次講經的因緣,在我們這個時代,具體報恩的方式,要用這個方法,我們帶頭來做。今天時間到了,我們就學習到此地。明天我們就要開始從「前言」學起。好,謝謝大家。
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1残業代が21.5時間固定だけど、毎日1時間早く出勤させられるのでほぼ確実に固定残業代よりも多く残業させられる 2基本給は最低賃金レベルの給与からスタートしまともに昇給されない 3海上自衛隊の潜水手当だったり航空自衛隊のパイロット手当があればマシになるが、そもそもそれが出来るなら民間ならもっとずっと給料がいい 4月に10~3回程度の当直があるがその分は給与で払われず代休で与えられるが有給を取る時間的余裕はなく(後述)、実質タダ働き 5深夜勤務、曹長勤務、休日出勤に対しての手当という概念がなく、これらも取れもしない代休で誤魔化される 6定期的に訓練のために隊内の学校に入れられるが、この期間中は自習・掃除・トレーニングの時間があり固定の残業時間が3時間(=月60時間)あるような状態になる 7男気ジャンケンという名のカツアゲが横行しており、定期的に先輩から飲食代を徴収される 8隊友会や積立金という形で謎の徴収が行われるが、それらが自分にメリットをもたらすことはほとんどない 9中途半端に上が詰まっているので昇給に透明な天井が現れ年功序列というメリットさえいつかは失われる 10退職が早すぎるので退職金が貰えると言っても結局は退職後に発給で警備員とかすることになり障害収入で割に合わない 労働時間的に割に合わない 1毎朝1時間前出勤は当たり前 2大部分の部隊で充足率が60%ぐらいなので残業しないと仕事が全く終わらない 3飲みニュケーションや接待ゴルフなどの文化が未だに残っており就業後の時間がガンガン馴れ合いに潰される 4休日に儀式やボランティアに駆り出されることが多いが与えられた代休を消化するのが不可能 5有給を消化することに対して極めて消極的な文化が根づいていて取ると周囲に迷惑をかけるという風潮がある 6規則により半ば強制的に育休を取ることになっても、育休中であっても仕事の電話が鳴り止まず、更には呼び出しもしょっちゅう食らう 7当直勤務の割合が高いため曜日感覚が壊れており仕事があれば休日でも出てくるのが常態化している 8緊急の呼び出しに応じることが絶対とされていて深夜や映画を見ている時に電話に気付かないとコッテリ絞られる 9休日であっても電話がいつかかってくるか気が気でないので全然疲れが取れない 職歴として割に合わない 1自衛隊でやっている仕事が世間一般からズレすぎており職歴としてのカウントが引越バイトと同程度 2実際社会人としての一般的感覚が身につかないので長くいるとまともな社会に戻れなくなる 3定年がかなり早く来るがそのあと結局まともに働くことが出来ず警備員として働きながらも職場で浮いている先輩が多数報告されている 4今時メールをまともに使えずFAXと電話中心の業務のため転職してから半年ほど原始人扱い 5パワハラ的な価値観に染まってしまうため転職後に職場の空気を乱す異分子として扱われ排除され続けた先輩の噂が沢山ある 6自衛隊嫌いの会社には入れてもらえず、自衛隊が好きな会社に入るとせっかく転職してもホモソーシャルな空気から逃げられない 7士長のタイミングで退職して満期を貰うのは比較的マシな道だけど職歴の汚れは一生取れないので結局あとで苦労する 犯罪行為に加担させられる 1公文書は偽造するのが当たり前 2誰かのハンコは皆の共有資産であり部内の人間なら勝手に押すことが出来る 3川重事案のような「謎のお金でコッソリ物を買ってもらう」が横行している 4業務の進め方に矛盾があるためどうやっても法令違反となる仕事が存在 5入札は一般的な用品を除けば全く意味をなしておらず、指名競争はほぼ100%談合(だと思う。俺が直接関わってないから詳しくは知らんけど) 6日頃サビ残しまくっている反動により「「上司の気まぐれで勝手にブレイク(休暇申請のない早退)」が横行 7手当を貰うために業務記録を改竄するのは当たり前だし、それに加担しなかった場合は上司の指示で書類を修正される 8ちゃんと仕事をしたかのような書類を残すことが最優先のため、実態と乖離した記録をするのが常態化 9検査記録、整備記録、体力測定の結果、訓練記録、ありとあらゆるものがメイキング(偽造)の対象 空気がイカれているので隊員の頭もおかしくなりやすい 1パワハラやセクハラが本当に当たり前でハラスメント人間の割合が一般社会の3倍ぐらいはいる 2先輩は後輩にどんなに失礼な態度をとってもいいという中学校の部活動みたいなノリの20代~50代 3人間関係に変化が起きにくいため友達付き合いのようなノリが蔓延しており好き嫌いで仕事をしがち 4幹部自衛官は若くしてヨイショされまくったという経験から人格が歪んで他人を下に見がち 5曹士は幹部から抑圧されたフラストレーションから年功序列的な価値観に走りがちで年下に対しての礼儀がない 6男女差別的な発言が未だに多く「女如きにこんな仕事は任せられない」といった言葉が平気出てくる 7例規の中にさえ「~~な場合、女性隊員は帰隊させる~~~」や「ただし女性隊員は免除される~~~」といった言葉が出てきており男女不平等な価値観が強い 8「女は守られる弱いものである」という考えが根強く、「守られている側の女如きが偉そうにするな」という価値観につながっている 9階級社会を勘違いした結果「上の人間が黒といえば白が黒になるのだから、そもそも自分の頭で白黒を考えるだけ無駄」と考え善悪の判断を一切つけなくなる 10まともな奴から辞めていくので残った人間の中で蠱毒の如くイカれた空気が強まっていく 馬鹿が多い 1数が数えられない 2低学歴自慢 3間違った前提から結論を出し前提が間違っていると言われても聞く耳を持たない 4そもそも今時自衛隊に入る自体で馬鹿だがそこからの向上心がない 5頭の悪い発言をすることが面白いというホモソーシャルに染まり反知性的になっていく 4数が数えられない 7同じ話を何度もする 最後に 「魅力的な自衛隊を目指す」という戯言がニュースになっているのを見て、数年前に部隊で同じようなアンケートを答えさせられてことを思い出してしまったのが切っ掛けで書いた。 厳密に言えば、俺がそこで書いた「自衛隊はここがよくないからそこを改善すべきだよね」という回答がぜ~~~~んぶ上司に握りつぶされて、結局うちの部隊の提出した回答は「自衛隊の良さをもっと知ってもらおう!災害派遣!成長!国民の役に立っている素晴らしい組織!自衛隊最高!」みたいな内輪向けのおべっかだらけにされていたことへの怒りが蘇ったから。 もう部内で何言ってもどうせ聞く耳持たないだろうから匿名の場所で書き散らせて貰った。 「知れば魅力を感じてもらえる自衛隊」なんてのは自分たちに都合がいい情報を下から上げさせてホルホルしてるどうしようもない幹部様達の妄想だよ。 実態は「知れば知るほどに魅力がなくなるのが自衛隊」で、子供がなんとなく持ってる「災害派遣とかしてるんでしょ?」っていう全体の3%の善行だけを切り取ったイメージが一番マシなんだよ。 でも子供だって将来を選ぶ18歳ぐらいの頃には「いやいや本当に被災者を助けたいならレスキューに入るべきでしょ。消防士は救助のために訓練してるけど、自衛隊は人殺しや制圧活動の訓練で得た技術を応用してるだけで災害派遣はメインの任務じゃないよ。せめて海上保安庁とか警察だよね」って気づくからさ。 結果として自衛隊に来るのは「ゆーて軍隊とかタダ飯食って無料宿舎入って筋トレしてるだけでええんやろ?俺腕立て100回出来るからヌルゲーやわー」みたいな舐めた脳筋だけ。 そういう人間だって組織の中で犯罪が横行してたら「前科者になってから追い出されたら行く所ないぞ!もうさっさと辞めて転職するのが正解だ!どうせ犯罪するなら本物のヤクザや半グレニでも入ったほうが儲けもいいし、公務員として犯罪に手を染めるメリットなんてないぞ!」ってすぐに気づいて辞めていく。 とにかくまずはそこを改善しろってことなんだけど、「どうやったら嘘がつけるんだろう」とか「どうやったら表向き頑張ってる感が出せるんだろう」とかしか考えてないんだよね。 そもそもの仕事の仕方に歪みが起きまくってるから犯罪行為に手を出すことが薄っすらと強要されていて、それに対して上が「え~~~僕ちゃんは知らないも~~~ん」でシカトこいてなにもしようとせずに「じゃあ監視だけ強化しまーす!悪い事するなよー!」って自分の保身を固める以外何の役にも立たんことしてるのが問題なんだっての。 どうせこれをどこに言っても握りつぶされるのがオチ。 匿名の場所で「愛想つかされるべくして国民から逃げられてんだよ嘘つき馬鹿野郎ども!」って叫ぶぐらいしか出来ることがもう残ってないのよ。 まあつまり、俺がいいたいのは「自衛隊に入っていいことなんてまったくない」ってことね 一歩間違えれば犯罪者一直線なんだから、絶対に入ってくるんじゃないぞ! 戦争が始まって人を殺すとか、モラルが終わってて捕虜をレイプするとかそういう可能性の話じゃない! 訓練でセクハラを強要され、 日常生活でパワハラをやらされ、 公文書をガンガン偽造させられるってことだ! 入って1年もすれば国家権力にバラさないでもらってるだけの犯罪者だ! 自分の職歴、犯罪歴を汚したくないやつは絶対に来るな! いいか、お前の人生をぶっ壊されたくなかったら来るなよ! 倫理観終わりたくなかったら来るなよ! 自分から徴兵されに行くのと同じだ! それも末期の大日本帝國軍に入るようなもんだ! 表向き誤魔化してるけど、根っこじゃ何も成長してない! 間違っても来るな! 忠告はしたぞ! 後悔しないように生きろ!
自衛隊に入ってはいけない理由100
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なんか印象に残っちゃって忘れられなくなった会話ってありませんか?私はよくあるんですが、その1つに前職で飲み会の後に帰りの電車で一緒になった先輩(以下、読書先輩)が何気なく言った
「スマホゲーなんかやってる奴らは負け組だからな。本も読まねーでよ。」
というのがある。
それ自体は読書先輩も帰りの電車でスマホを弄っているオッサンを見て何の気なしに言った事で、然したる興味や関心の上に言った事でも無かったと思う。もしかしたら「俺は本を読んで通勤時間も有効活用してる」アピールだったのかもしれない。私は特に深く考える事も無く「そっすねー」で流してそのまま先輩と解散し、その内そんな会話があったこと自体も記憶の奥底に沈んで行った。
時は流れ、先日取引先との会食の後で、先方の副部長と帰りの電車が同じになってしまった。内心舌打ちしたくなるのを隠しつつ、営業の顔を顔面に張り付かせていると、部長は徐にスマホを取り出し画面を擦り始めた。そう、その時確かに見えてしまった。スマホゲーだ。自分がやってないので何のタイトルかは分からない。でもそれは確かにスマホゲーだった。日本を代表する、例えば巷で言う就職偏差値で言えば60後半の、超一流企業の副部長が目の前でスマホゲーをやっていた。私は思わず目を見開いてしまった。
「スマホゲーやられるんですかっ!?」
が喉元まで出かかったのだが、まさかスマホ覗いちゃいましたとも言えず、結局何のタイトルかは分からないまま、発狂するくらい気になりながら部長は会釈して電車を降りて行った。そして同時に読書先輩の事を鮮烈に思い出してしまった。取引先の副部長と当時のパイセンは例えば年収で言えば少なくとも倍半分は開きがあり、今後の昇進可能性も踏まえるとそれどころではない。肩書で言えば豚と真珠だ。読書先輩、負け組は貴方でした。それから、その事実が何となく気になり、なんで偉い人がスマホゲーしてたのか考えているのだが、以下何となく考えて見た事を書きたいと思う。
2010年代前半、東大生の就職先はスマホゲー開発会社だった。それが社会的に良い事か悪い事かと問われればそれは分からないのだが、とにかく儲かったので皆社会最高の頭脳をスマホゲー作りに捧げに行っていたし、それは一つの大きなトレンドだった。そういう事実は私も知っているけども、私はそれ以上に深く突っ込もうとも、調べてみようとも、ましてスマホゲーを実際にやってみようとはしなかった。
スマホゲー副部長は、先方の社内では結構異例の出世をした方だ。仕事はスマホゲーとは掠る事も無い程遠い分野の企画系。話していてもとてもアンテナが高く(話の長い)方だった。思うに、スマホゲー副部長はそうしたトレンドの中で、実際に自分もやってみようと思ったのではないか。これは半分冗談で半分本気だ。自分が転職して事業会社に来てから好きになった座右の銘が一つある。「神は細部に宿る」という奴だ。
私は今事業を企画したり評価したり、そんな立場で仕事をしているが、以前別の記事でも書いた通り、事業の成否を握るのは専門性、もっと言えば当該事業について、箸の上げ下ろしまでの細部をどれだけ知っているかだ。例えばスマホゲーという領域において、殆どの銀行員の意識は自分が直接担当していない限りは「スマホゲーが流行っていて東大生が行っている」止まりだと思う。良くてどんなプレイヤーがいるかを少し知ってるくらいだ。自分で実際にやってみるか。まで辿り着く人間はほぼいないと思う。
事業会社に来て、特に技術系の人間のヲタク度合いは凄い。何が凄いって、実際に自分がやってみるのだ。書籍を読むのは入り口以前で、論文や最新の見解を調べて、その内に休日を返上して現場に行き始める。多分彼らは分からない事、知らないことが気持ち悪いんだと思う。恐ろしい知識欲だ。それを50とかになってもまだやってる。大きな子供みたいだ。そしてこれが日本を焼け野原から世界に冠たる技術立国に押し上げた恐るべきパワーの源泉だったのではないかと思う。
読書先輩は確かに読書していた。新書とか好きなんだろう。でも彼は浅く広い。そこから先に進めない。だからその程度。スマホゲー副部長は技術系だ。多分、何となく気になってしまったのではないか。滅茶苦茶流行ってる、東大生がこぞって行く、「スマホゲー」、少し前の日本の最先端のトレンドに。そして、自分も実際にやってみようと思ったのではないか。そういう探求心が、彼をそこまで押し上げたパワーの源泉だったのではないか。
ということを色々グルグルと考えているのだが、もしかしたらただCM見て「面白そうだな」と思っただけかもしれない。私の考え過ぎだとは思う。ただ、少なくともこの話で一番の負け組は読書先輩であることだけは間違いないので、とりあえず自分が被弾しない様に特定のカテゴリの人を負け組と呼ぶのは止めておこうと思う。
https://note.com/bank_of_itabashi/n/n6e187a9cc05a
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百老匯的貓
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此刻,我坐在空蕩蕩的台北家中,距離出發只剩下倒數二十八天。
車子收走最後一箱回收,三十坪的的老房,頓時像剪掉多年長髮的少婦,輪廓活靈活現,展露最原始的模樣。回憶如老照片被翻出,熱戀的歡愉,熟稔的默契,爭執的苦語,新生的喜悅,呱呱墜地的女兒溫溫,際遇如候鳥過境,隨著即將而來的遷徙,沾了邊又得離去。
「喵喵,你也要離開我了嗎?」肥肥的肚腩,在我大腿間形成一顆抱枕,接著掙脫,跳了下去。
大概是低估了紐約租房市場的險惡,以及租客間的競爭火熱。這幾個月,每天早上醒來,我就像緊咬股市開盤的投機客,杵在電腦前,看好目標,下好離手。剪下貼上剪下貼上,有時一口氣連發十幾封郵件和私訊,不小心把開頭的房東人名給貼錯,也是常有的事。
例行公事,我打開收件夾,畫面好似當機:
Inquiry about rental in New York
Inquiry about rental in New York
Inquiry about rental in New York
每封信標題內容都大同小異,不外乎身家背景介紹,幾歲哪裡人什麼職業,不煙不酒品行良好,搞得跟相親一樣,最後的最後才會提到我有一個可愛又文靜的一歲半女兒,會跟著我們一起前行。心想說篇幅這麼少,房東應該不會介意吧。事實證明是我想太多。
一個人找房,深諳室友之道,想離曼哈頓近一點不是難事;兩個人找房,下點功夫還是能找到合租公寓,當起二房東的大有人在;三個人找房,已讀不回是常態,歉聲連連說房子太小不適合,建議我們自己租個1B1B好區套房,人生就此飛黃騰達。偏偏,我沒那個錢,也不求飛黃到哪,只想尋個短暫停留的家,得在兩個人找房的預算間,找出三個人的各種可能。
一天一天過去,那些可能,隨著我的Inquiry們,一同消失在茫茫網海裡。
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『沒有室友就是爽!三四月曼哈頓套房短租。』
我被這則發文的豪邁給吸引住。 「······我們找房好一段時間了······衷心希望有機會入住您的套房。」
雖然依舊是剪下貼上,但文字背後的焦慮無助,或多或少成功傳遞到銀幕外的另一個空間去了。同一時間,我正糾結於三四個物件當中,短租的日期該如何兜湊,才能無縫接軌這半年;森林小丘上課要通勤一個小時,曼哈頓一樓要擔心老鼠和醉漢入侵,威廉斯堡房租要六個月全付會不會是詐騙,我像童話故事裡撿石頭不能往回走的女孩,再挑下去可是一顆石頭都沒有了。距離出發還有兩個多禮拜。 「小孩我是沒問題,只是我家在四樓沒有電梯,你們會不會不方便?」 莎拉簡短的答應,讓我想起她發文時的爽朗用字。「住很重要!我會幫你們打點好,請好好享受我的公寓。」這麼一句話,彷彿給我吞了顆定心丸,安撫行前騷動的思緒。搭機前一晚,包袱所剩不多,不安盡拋腦後,心情輕鬆的不可思議。我看著逐漸縮小的地表樓房,龐雜的台北城,我的故鄉,想著哪天我會不會愛上這輕飄飄的感覺。 於是,我們擁有了第一個結尾是New York的地址,位於曼哈頓百老匯區。
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「早知道不要租四樓了!」西恩氣喘吁吁,將最後一個三十公斤重的行李箱拖上樓,一進房門就癱坐在地。「下次搬家可不可以找一樓的。」「我盡量囉。」想到三個禮拜後又要再將所有家當搬下樓,我不禁打了個冷顫。一回生二回熟,我一邊安慰西恩,順手從行李箱拿出一小包烏龍茶,轉頭尋找廚房裡的熱水壺。
十二點十分,東部標準時間。與台北相隔十二個小時的曼哈頓午夜。從甘迺迪機場搭上華人計程車,行駛在平板無憂的快速道路上,兩旁盡是皇后區黝黑大遠景,此時還感覺不到紐約的形貌。空氣粒子旋轉收縮,直到出了中城隧道,我們隨著車流,一舉穿進曼哈頓的心臟。高樓百窗,霓虹街燈鼓譟,打亮了巨大看板上的秀顏,女明星眼眸深邃,企圖引人犯罪。三十七街經過第五大道,塞車的步調,讓我用慢動作欣賞了帝國大廈,那棟建築是你一看到就會認得,不需贅述的經典,這不是夢,卻像夢遊迷幻沈醉,我正在電影場景裡。 夜深,暖氣徐徐放送,驅散我體內的累積疲倦,遠方傳來救護車的高頻呼喊與零星槍響。我閉上雙眼,腦海不由地響起《計程車司機》中憂鬱的薩克斯風,寂寞都顯得立體。喝完母奶的溫溫被西恩抱在懷裡,早在柔軟大床上睡去,只留我與這城,遲遲捨不得入眠。 ♦
初春的光,灑進十坪米的套房,我吸進一口冰涼,清醒地環視四周。對我來說,到一個落腳處,第一件事就是確認廚房。烤箱冰箱洗碗機,醬油麻油中西調味料,麻雀雖小五臟俱全,滿意極了。房子中央擺著一張小巧的鵝黃色木桌,波浪弧形的斑駁桌腳,想必是古董老件吧,突然想起莎拉是學藝術的,牆上掛滿湖水藍綠的動物畫像,獨角獸的尖角孤傲揚起,擠得扁扁的壓克力顏料罐則充滿了生活的氣息。紐約的氣息。
溫溫的雙手扶在起霧的窗上,留下不完整的掌痕,熊熊圖案的米白睡袍還穿在身上,模樣甚是可愛,繼續在窗上拍了幾個小手印,看來她很喜歡這裡,一切如此新鮮有趣。
簡單梳洗,我們輕裝上街。地底白煙卷卷升起,南北向的道,費里尼電影般的靜止車陣,幾何玻璃帷幕,抬頭讚歎資本主義的雄偉;東西往的街,消防梯鏽得煙灰,鷹架層層堆疊,衰敗與生長同時交織成紐約的血肉。小販高聲兜售自由女神,芭蕾女伶頂著包頭,黑衣曲線魚貫沒入窄門,三件式西裝的俊俏男子,用力咬了手上的貝果,一步作兩步橫越馬路。 售票亭外熱熱鬧鬧,我和巷口的《貓》四目交接,黑底黃目如紐約客犀利,這貓名氣響亮,而我竟然一次也沒走進去過;徘徊中城一圈,在Wholefoods超市採購生鮮、酒足飯飽後,金黃燈光齊下,十字路口變成���型伸展台,時髦男女自信耀眼,提著大包小包的我們硬生生穿過《芝加哥》滿溢的開演人潮,美腿包圍爵士樂,上一秒還沈浸在感官享受,下個轉身就被《西方壞女巫》的綠臉紅唇給嚇個正著,衛生紙差點從紙袋裡滾了出來。
♦
開學在即,除了扮演觀光客,還有正事要辦。郵件傳來,通知我去中國城的廚藝用品店,領取已經繡好名字的制服,還得試穿廚師鞋。
「你好了嗎?」西恩熟稔地將溫溫裝在背巾裡,露出兩隻小腿晃呀晃。
「都好了,我查一下。等等可以在附近找個中菜館。」我穿上鞋,低頭盯著手機推開房門。
「打不開!」我大力扭轉把手,門還是一動也不動。
「怎麼可能,你的鑰匙咧?」西恩接手開門,我摸摸外套牛仔褲口袋,脫了鞋在地上裡翻找包包。
「看來我們被反鎖了,你打給房東吧。」西恩將溫溫放下,開冰箱裝了杯柳橙汁。
我打給莎拉求救,太過緊張以致於忘了她在地球的另一端,好在莎拉接了起來,給了我Super的電話號碼,說是管理員會幫忙,要我別擔心。許久沒說英文的我,要打給陌生人,還真有點語言障礙。不管了。電話接通,我的心跳也跟著嘟嘟響。
「我是莎拉的房客,曼哈頓八大道,我們房門被鎖起來,你能來開門嗎?」第一句話順暢說完,我輕鬆許多,等待對方回應。
「我在長島······放假······再見。」這個Super大概是拉丁裔,捲舌音吃掉了話中好多字,我只聽到幾個令人崩潰的重點,接著是一陣沈默。莫名其妙被掛電話後,我也不好再打擾莎拉,決定打給附近的鎖匠碰碰運氣。殊不知,鎖匠在電話那頭嘰哩咕嚕一長串,我一個字也沒聽懂,濃郁口音令人費解。西恩和溫溫坐在餐桌喝果汁吃餅乾,彷彿看我在演哪一齣鬧劇。
我用力敲了房門幾下,宣洩怨氣,金色門把都快被我轉鬆。此時,我聽見開門聲從隔壁傳來,像是轉開保險箱的勝利喀噠聲。
「哈囉,請幫我開門,嘿嘿!」我一邊拍門,試圖將聲音穿透金屬門板傳送到外。所幸,鄰居老先生正要外出,把插在大門上的鑰匙取下,解救了我們。一出家門,熟悉的《貓》埋伏街角,琥珀雙眼大膽直視初來乍到又莽撞的我,這回連貓都在取笑,笑問我準備好了沒有,迎接紐約這場大戲。
走著走著,在百老匯,我們的新家,歌詞的最後一句悠揚地唱著。
A new day has begun. 明天又有什麼等著我呢? 寫在2017年.春
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【常威近代史】(八百三十三回)
儲蓄是個好習慣
時間先去到1940年嘅9月,9月1號,張治中(1890-1969)繼陳誠(1898-1965)任國民黨軍事委員會政治部部長。張治中,字文白,安徽廬州府巢縣人,國民革命軍二級上將,曾任湖南省政府主席、國民政府軍事委員會政治部部長兼三民主義青年團書記長、新疆省政府主席,曾主導參與多次國共和談。1947年在原籍安徽省巢縣當選為第一屆國民大會代表。原為中國國民黨黨員,與政學系關係密切。1949年6月宣佈脫離中國國民黨,後加入中國國民黨革命委員會,任民革中央副主席。中華人民共和國成立後,歷任中央人民政府委員、西北軍政委員會副主席、中華人民共和國國防委員會副主席,於第三屆全國人大��委會副委員長任上病逝。
同日,河南尉氏、太康等縣黃河新道多處缺口,水災嚴重。今日,國民參政會憲政期成會向,正在舉行嘅參政會第五次大會提出《中華民國憲法草案(五五憲章)修正草案》。1939年9月召開嘅國民參政會一屆四次會議中通過咗《召集國民大會實行憲政案》,此後憲政其成會一直致力於推動憲政進程。但《修正草案》遭到國民黨代表嘅反對。今個月18號,國民黨中常會決議,因戰時交通不便,國民大會嘅召集日期應暫時不予決定。
9月3號,中國軍隊剋服廣西龍州北關。9月4號,美國記者太平洋考察團抵達重慶。9月6號,昆明至河內無電話通話。9月6號,由全國節約建國儲蓄運動委員會、全國節約建國儲蓄勸儲委員會,共同發起組織嘅節約建國儲蓄團,今日下午喺重慶成立。節約建國儲蓄團團長孔祥熙(1880-1967)致詞,提出欲完成抗戰建國嘅既定國策,必須動員全國人力、財力、物力,而最有效嘅方法就係厲行節約,廣泛儲蓄。蔣介石並且發表《告全國同胞書》,節約建國儲蓄運動由此發起。時局艱難,籌旗非常重要,唔單止人需要跑山,一個國家亦需要跑山救命。俗語有云,錢唔係萬能,但係冇錢就萬萬不能,尤其是打仗,係一個瘋狂燒錢活動,少個崩都唔得掂。做人冇錢可以破產,從頭嚟過。但係打仗冇錢,就係人頭落地,國破家亡,種族滅絕!
抗日戰爭,抵抗外敵,投入全國人力物力,窮人當兵上戰場掘地雷,富人要保命,則要付出財產支持國家金融穩定,其實無可厚非,一場公平交易。不過,既然有付出,自然想得到理想回報。但當回報不似預期,或覺得付出比回報大得多,就會周身唔聚財,個心唔舒服。戰爭期間,生死存亡之際,當然冇人敢出聲。但戰爭完結後,鬆一口氣後,就希望有回報,至少能夠取回之前壓下去的寶,最低限度收回成本。但高手一個財技乾坤大挪移,將人民血汗淺化為烏有,最慘係有人袋袋平安,中飽私囊,人民難免怒火衝宵,不過那是後話,清明未到,留待拜山先講。
永遠記得睇過本書叫《一個德國人的故事》,講一個德國人點解支持納粹?主人翁本來係一個平平無奇嘅普魯士公務員,工作大半生,儲夠錢退休。但第一次世界大戰後,德國馬克因為華爾街有人玩財技大幅貶值,存摺裏面,本來夠過埋下半世嘅退休金只係夠買半磅麵包,一生勤勞化為烏有。於是乎有個癲佬政客叫希特拉,話佢聽可以復興偉大的日爾曼民族,奪回佢哋失去嘅一切同埋榮耀,同埋向猶太人報仇。於是,嗰位仁兄就成為咗納粹嘅信徒,事情就係咁簡單,唔係好複雜。世界上並冇無緣無故的愛,亦冇無緣無故嘅恨。
9月7號,《新華日報》報導,四川省米價飛漲,6月間為10元1舊斗,去到9月,已經漲到30元1舊斗(一斗米約7公斤kg左右),短短兩三個月,米價上昇三倍,顯然係供不應求,人民生活亦必定水深火熱,因此必須控制。有見及此,兼任四川省主席嘅蔣介石發表《告全國同胞書》,決定實施糧食管理,以解決米荒。四川省自本年2月以來,糧食價格一漲再漲,民眾心理日益恐慌,少數有錢人富豪囤積居奇,有存貨但唔肯出售,一於待價而沽,正是硃門酒肉臭,路有凍死骨,真正仆街冚家鏟,難怪後來要鬥地主,大家心裏都係明白嘅。加上今年四川糧食已經失收,市場米糧短缺,價格自然不斷攀升。四川省政府要求農民出售餘糧,並且警告囤積居奇將會受到懲罰,但措施實施之後,糧荒狀態仍未能根本好轉。
9月11號,中國軍隊炸毀滇越鐵路河海鐵橋,以阻止日軍由越南沿該路入侵雲南省。9月12號,成都、康定無線電話通話。9月16號,日本再次轟炸重慶,中國空軍起飛迎敵,於戰鬥中損失16架飛機。同一日,法國軍警喺上海擊斃孤軍營內軍人50餘名,次日中華民國外交部向法國領事提出嚴重抗議。大家千萬要記得,上海法租界仲有一支中華民國孤軍死守,到咗今日已經進入第三個年頭。
9月17號,朝先獨立黨喺重慶組織光復軍,抵抗日本軍國主義者,除咗有日本人自己,仲有朝鮮人。9月18號,晉綏解放區《抗戰日報》喺興縣創刋。9月20號,郵政總局於抗戰開始後首次調整郵費,國內平郵信件郵費由5分增加至8分,漲價幅度驚人,不過理應體諒,戰爭期間仍然保持郵遞服務,其實難度相當高。9月23號,國民政府外交部抗議日本、法國關於越南事件嘅「法日協定」。
#常威💀 #蔣介石平反系列 #佛經抄寫員 #中日戰爭 #中華民國
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はぎはぎと揺する
トーキョーアートブックフェアへ、東京都現代美術館に。MoT。なんと朝から小雨が降っていて、さすがに真冬用のコートを出したら暑いだろうな…?(人よりも極度に暑がり)と思ったが、それしかコートがなかったので着ていく。なんと、寒かった。全然暑くなかった。なんなら手袋も欲しいくらいに寒い瞬間もあった。45分に着いた時には開場前の列はほぼ無いくらいだったが、同行した友人と合流した11時ちょうどには、列は伸びに伸びていた。それでもすぐ入れたし、混雑は午後のほうが濃���だった。昼時に「2階のサンドイッチ」で席を取れたのは奇跡かもしれない。私たちが座ったあとからどんどん人が来て「席ないね」と言って去っていった。
おいしすぎる美術館ごはん。カマンベールチーズとクルミと鶏肉とマスタードのサンドイッチ。パンが堅くておいし〜い。いつぞや流行ったマリトッツォみたいにクリームたっぷりのなんらかのサンドイッチ(?)も中にさらに固めのクリームチーズが入っており、なにもかもが泣くほどうまかった。こんなに美味しいことがあっていいのか?カフェラテを含め価格は2000円ほど。こんなに美味しいなら2000円は納得であった。外国の味がした。
アートブックフェアはかなり海外のクリエイターや印刷所、プレスの参加が多く、会場も全然日本じゃなくて面白かった。日本語で説明してくれるブース主の方もいたが、英語や、日本語が書かれたボードを使って教えてくれる方もいた。使う言語が限定されていない場というのは、厳密な商業主義の現場でなければ、気楽で愉快でいいなあと思った。私は英語の聞き取りもできないし、文を組み立てて話すこともできないが、読むことはできる。一冊、欲しいと思った英語の本があったが、価格的に断念した。今回は価格でかなり断念した。いい事だと思う。結局買って帰ったのはステッカー3つと、ワークショップで手作りしてもらった缶バッジ1つ。ブックフェアでの買い物というより、ブックフェアに行ったおみやげ、という感じかも。いつか資金をためてきちんと本を買いに行きたい。それでも特殊印刷や特殊紙のブースがかなり楽しく、ステッカー等もそこで買えたので、ブックフェアの本質的な部分もきちんと楽しんだ。ブックには様々な側面がある。コンテンツ(内容)よりも私は外側、装丁やデザインに興味があるので、その部分のアートを求めるのもまたブックフェアの客であるとは、一応言えるだろう。そもそも、私が内容に興味がある本というのはものすごく限られている。新刊の日本語のハードカバーでも買うか買わないかだから(私はかなり日本語を偏愛している)、日本語以外の、テ���マが抽象的であったり思想・哲学の方面からの着想によるアートが内容であれば、あまり意欲がわかない。どちらかといえば、思想・哲学や抽象思考について文字がぎっしりと詰められた学術書のほうが読みたい。もしくはフィクション。日本語の小説は文体の好き嫌いがあるので苦手だが、英語なら文体のこともなにもよくわからないので、好き嫌いがない。その代わり、自分の読みが正しいのかどうかもわからないので、本当に小説を読めているのかはわからない。でもまあ小説とは多少なりともどの言語であれそういう側面があって、母国語だからわかるというものでもないしな、と思うと、言語による文章を自分の中に取り込むことは、言語の種類が変わったところであまり変わらないのかなと思う。もしくは地続きな話なのかなと。そのうち、サリンジャーの小説は、内容を覚えているのだし、英語で誤読せず読めるようになりたいなとは思う。辞書を引いてもいいので、ふつうのものをふつうに読めるようになりたい。解釈や意味付けはその先の話として。
芥川賞を受賞した『ハンチバッグ』、書店で何気なくひらいたら初っ端から面白すぎて即座にレジに向かってしまった。半分くらいまで読んで止まっている(施設の中の食堂の描写あたり)。ほかにも『N/A』とか『##NAME##』とか、気になるものはあるが、どれもだいたいテーマというか行き着く先は同じだろうなという気がする。ハンチバッグも含め。まずたぶん女の話だし、未婚の女の話だし、つまりある程度は少女の傷つきのその後またはそのままの話だし、芥川賞候補がほとんどそんな感じになっているのは、というか純文学のシーンがだいたい「そこ」に焦点をあてているのは、世相を反映しているというか、それこそが世相で面白いなあと思う。いま、新人の男性の純文学の書き手って誰がいて、何を書いているのだろうか、と思うくらいには(想像がつかないくらいには)女性から見た世界のほうが、どうやら面白く感じる人が多いようだ。女には問題がいっぱいある。そもそも自分が女なのか、と疑問に思う人は、そもそも自分は男なのか、と疑問に思う人より相当多いだろうと思う。女のほうが性欲が弱い、または性欲への発達が遅い、または弱い人が多いから。男のほうがどうやらセックスしたいという欲望はかなり抗いがたいものとしてあるようだ、というのを、文化的なものなのか本能的なものなのかはさておいて、現状そうらしいと、どうやら確かに感じてきた。女とセックスしたいという欲望が自分に強く生まれれば、自分は男だという自認を持つのは直接的な理由として有り得るだろうが、女はそこまで「男とセックスしたい」というのは、セックスを知る前にはそれほど(割合的に)多いことではないと思う。男とセックスしないままだと、たぶん元々性欲が強くない女は、男とセックスしようとはそんなに思わないと思う。そうなると、性自認は女性だが、性的指向はアセクシャルだろうか?と思う人がどんどん増えると思う。私自身はセックスを経験するまではまったくセックスに興味が無かったのだが、経験したら、その後確かに性欲というものを、とくに、他人に向かう性欲というものを感じるようになった。これは1回電流を通してみないと、回路が開かないようなことかもしれない。個人差がある話だと思うので自分のこと以外はわからないが、男はそこまで文化的に後押しされなくても性欲の力で「男」に目覚められるのに対し、女は文化的にかなり後押しされないと、男と番うことに対して積極的にはなれないのでは?と感じている。男は基本的に女にとっては「加害者」だし、ふつうに考えてあまり関わりたくない。これはとくに日本だからというのがあるかもしれない。このあたりの事情が最近噴き出していて、女から見た世界のほうが、男から見た世界より、よほど面白いものになっているの��はないだろうか。あくまで純文学新人賞の話であって、現実の男性から見た世界の面白さの話ではありませんが。
絲山秋子『神と黒蟹県』、井戸川射子『共に明るい』、凪良ゆう『汝、星のごとく』と合わせていきなりハードカバーを4冊買った。凪良ゆうの本屋大賞は、わたしが読むものではないだろうなと思っていたが、たまたま久しぶりに通話した友人に「尋常じゃない」という感じの感想を言われて、とにかく読んでほしいとのことだった。私がそういう物語に対してどういう反応を示すのか、私も興味がある。黒蟹県も一編読んで、こういう小説は「いい小説」だなあ、と、エンタメではないのに、物語というよりは語り、ナラティブなのに、「落とし所」があるのって、話として偉いよなあと思った。私はいしいしんじの『四とそれ以上の国』の各編に、とくにこれを感じる。面白い小説は読みたくなくて、「いい小説」が読みたい。いい小説というのは、結局は村上春樹が言うような「いい小説」になるのだろうが(ちなみに村上春樹の小説は、私はあまりいい小説とは思わない。いつもファンタジーで因果関係がよくわからないから)、そうすると『老人と海』とかを読んだほうがいい。『人間の絆』も買ってあるが読んでいない。これは『月と六ペンス』が最高に良かったために買ってある。井戸川射子は、詩が好きなので、芥川賞受賞後第一作の小説を買ってみた。詩は好きだが、小説はあんまり?と思ったので、芥川賞受賞作は読んでいない。でも今回のはなんとなく詩っぽいんじゃないかなと思ったのだった。勘です。とくに中身を立ち読みしたわけでもない。
社会学の教科書が開かれなさすぎてそろそろ埃をかぶっているが、まあ、人生の全てが勉強なのでいいか、と思う。専門用語はいくらかおさらいしてから試験に臨もうと思うし、家族の章だけは読み終わった方がいいと思うが、それ以外はもういいやと思っている。英語は一日さぼるとそれだけ単語が抜けていくが、最近は単語よりも文意そのものを読み間違えていることが多いので、焦らず落ち着いて読む技術に集中したい。まあもうできる���とも限られているので、足掻いても仕方がない。
明日は午前中お金を下ろしてから歯医者に行って、午後はアルバイトの面接で、明後日にはもう荷物を纏めて受験地のホテルにチェックインしている。とにかく受験票と元気な体があれば大丈夫、と言われたので、それだけ忘れずに持っていこうと思う。
2023.11.26
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久しぶりのテキサス。11年振り。まだPjが修士を取り終えたばかりで、PimmyがAustinに住んでいた時に、Austinに行ったのが最後。今回は、Austinより少し南のSan AntonioでAARの年次会議があるので参加。仲間で出す本の会議や、来夏ローマの世界哲学会議の準備会合、自分の発表、研究者仲間内の夕食会などは全て月曜日に上手くスケジュール調整できてしまったので、金曜日から土日は遊ぶ。Dallasから飛んできたPimmyと空港で集合して、早速、テキサスといえばBBQ。巨大ベビーバックリブを食す。
SanAntonioはメキシコとの領土争いの時に、Rooseveltが拠点とした場所。今回宿泊したMengerホテル内には、Rooseveltがメキシコからの独立のために中心的に戦った12名のカウボーイを集めた酒場、Menger Barがある。彼らが戦闘拠点としたAlamoという場所は、元々はスペインからのミッションが立てた修道院。そこに立てこもってアメリカ人が戦ったので、テキサスがアメリカの一部になっている。Texas prideの中心地でもある。
Mengerでは4泊するので、角部屋のAlamoが見える良い部屋をあてがってくれた。土曜日は朝、ダラダラしながらUNESCO遺産になっているカトリック修道院の午後からの半日ツアーに申し込む。BrunchをTexmexで有名なレストランへ歩いて行く。San AntonioはRiverwalkといって川沿いの道が整備されており、川に沿って街が形成されようとしている。ここ二十年位でwalkable cityへ改造していっている。世界遺産は、スペインのミショナリーが建てた教会や共同生活場所。フランシスコ会や、ベネディクト会が主に来ていたらしく、イエズス会の強欲的ながめつさから思うと、フランシスコ会やベネディクト会は少し性格が異なる。アメリカンインディアン達を教化していくと同時に、機織り、鋳造などの技術も伝授したらしい。見物の後はJazzバーへ。満席といって断られたので、適当に夕食を取っていると、受付のボーイがわざわざ探しに来てくれた。ノーショーだから、席を半額で売りたいという。店にしたら二重の商売だが、有り難く、半額なだけにショーの半分だけを聞く。やっぱり、アメリカのJazzは良い。身体に音楽が染み込んでいるのが良く分かる。でも、この日は良く歩いて、Pimmyによると27000歩も歩いたらしい。
日曜は、またダラダラして、Pimmyが行きたかった有名なパン屋カフェに行く。注文が届くのが遅いと文句を言ったら、注文していなかった私の分のホットチョコレートもサービスでくれた。お昼過ぎにはPimmyを見送り、学会発表準備の結論部分を練る暇もなく、Yale時代の教え子、WayneがAustinから車をぶっ飛ばして2時間もかけて会いに来てくれる。
Wayneはずば抜けて優秀だった。お母さんが大好きな甘えん坊の次男坊。お兄ちゃんと一緒に日本を訪ねてくれた時は、二人を山梨ドライブへ連れ出した。暫くお互いに忙しく、全然連絡を取っていなかったのだが、NYにいる時に、そう��えば、WayneってAustinにまだ住んでいるの?とダメモトで聞いてみたら、なに~!!!って感じで会いに来てくれた。金土日は、彼女の誕生日で小旅行中だったのに、彼女をAustinの家に連れて帰ってから、わざわざ来てくれた。ありがたい。
Wayneは、この4年ほどFacebookで働いていたらしいが、12月からはAI関係会社で決算状況をAI判断させるサービスを提供するらしい。Facebookでも、決算関係プログラムを統括していたらしい。コロナ禍で相次いでお父さま、お母さまを心筋梗塞で亡くされたらしい。もう2年前だよマキ。。。ようやく、立ち直ってきたとこなんだよ。。。と。そんなWayneを見ながら、私の方が大泣きする。毎週のようにお母さんやお兄ちゃん、お父さんの話をしては嬉しそうにしていたWayne。無邪気さが無くなり、急に大人っぽくなったと思ったら、苦労していたんだ。お兄ちゃんがいて良かった。。。と。そして、ボストン出身の彼女はお父さんが脳腫瘍宣告を受けて3ヶ月で亡くなるなど、若いカップルは、私の知らない間に、大変なコロナ時代を過ごしていたらしい。人に会わなくて良かったから、本当に助かったねと、段々、昔の無邪気な笑顔に戻る。
今度はいつ会えるのだろう。お兄ちゃんの側に住みたいからと、お兄ちゃんが家を買ったGeorgia、Atlantaに引っ越すらしい。それと同時に転職。彼女は、もうずっとオンラインでの仕事なので、どこに住んでも同じ。彼女ができた時は嬉しく、私にまで報告してくれたっけ。僕は未来に希望を抱いていたいんだよ、マキ。と微笑む。心優しいWayneは、昔のWayneのまま。そして、人生は色々あるね。疲れる。。。と溜息をつく。
Wayneだけでなく、今回はTianyuやYui、Tucker先生と、ほぼ10年程度会っていなかった友人達と再会できた。彼らは、まるで昨日までと変わらない。普通に、つい昨日も会っていたような感覚なのだ。人生の生き方やスタンスが変わらない。結婚やら何やらで人格が変わるように感じる人間は、やっぱり、元々が底浅い人なのかなぁなどと思う。本質は、変わらないでいてほしいが、それが変わったように感じさせる時点で、人間として底浅いっていうことなんだろうな。主体的に人生を生きていないで、周りに流されるバカの証拠でもあるが。。。それに気付かない、気付けないのだとしたら、家族といえど、もうアホすぎて付き合いきれんやろ。。。とも改めて思った。
世界中散らばっている若い友人達。私はなんて幸せ者だろう。Wayneは別れ際に、マキは何も変わっていない。マキはマキのまま。安心した。というかホッとした。Yaleを思い出した。と、ボソボソ恥ずかしそうに言っていた。ちゃんと言語化できているだけ偉い。やっぱり、Wayneはお母さんに可愛がってもらっただけに、性格が可愛いのだ。私はWayneのお姉さんを自負していたが、また、思い出した。お姉さんを自負している分、彼らみたいな良い人間達の精神的拠り所になり続けて上げられるようにと。
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コンサルティング会社「スピーディ」の福田淳社長。2016年4月から俳優・のんさんのエージェントを務めている
ハリウッドの契約を見てきた弁護士も驚愕
―― 福田さんは、もともと映画業界でキャリアを重ねてきました。のんさんに関わるようになったきっかけをお聞かせください。
福田淳社長(以下、敬称略): ソニーグループに20年いました。元々は映画監督になりたかったのですが、最初の10年は「ソニー・ピクチャーズエンタテインメント」のM&A担当で新規事業の責任者をしていました。後半10年が社内起業で立ち上げた「ソニー・デジタルエンタテインメント」です。ハリウッド10年、日本のテック系10年。こういったキャリアを持つ人は多くないと思います。ソニーの先輩が役職定年になる中で、「勢いがあるうちに辞めなきゃ」と17年に立ち上げたのがスピーディです。 のんとの接点ができたのは15年末で、エージェントを始めたのは今から約7年半前の16年4月です。ある出版エージェントの友達から「なかなか日本の芸能で困っているよ」という話があって会ってみたら、本当に信じられないような内容でした。いわゆる奴隷契約と申しましょうか、低賃金で移籍の自由もなく、本名が使えないとか...。うちの弁護士はハリウッドの契約を見てきた弁護士ですが、その内容には驚愕していました。事実として「能年さん、サインしてしまっているので、本名使えないみたいですよ」と伝えたら、本人は次の日に「NON」って書いてきて、「これ、小文字にしたら絵文字の笑顔に見えますから」ということで「私のことは『のん』って呼んでください」。 それから7年が経ちました。そんなひどいことが21世紀に起きるものなのか、今でも信じられません。同じくらいの年の娘がいるんですよ。子どもを持つ父としても、正義感からしても、のんに起きていることは許せないと思いました。
広告クライアントは延べ55社、28社が継続中
―― 最近でも、国民民主党の玉木雄一郎代表が記者会見で言及するなど、ジャニーズ問題と、のんさんをめぐる問題を関連付けて議論されることがあります。
福田: 今回のジャニーズ問題や、「あまちゃん」再放送を機に「そういえば『のん』っていう人もいたね」「まだ俳優してるの、この子」となることがあるようです。中には「あの子何か問題起こして干されてるんだわ」と思っている方もおります。だけど別に何もないんですよ。のんの「劣悪な労働条件なので移籍したい」という訴えが、前事務所の「お前育てたの誰だと思ってんだ!」という反応になった、ということです。 この機会に、僕がエージェントを始めてからの代表的な仕事をまとめたのですが、23年に映画「さかなのこ」で「第46回日本アカデミー賞 優秀主演女優賞」をいただいたほか、アニメ映画「この世界の片隅に」(16年)も好評でした。広告クライアントは延べ55社。うち継続中が28社です。電��・博報堂からはほとんど相手にされていないので、全部直取引です。テレビ局は編成と営業が全く別会社みたいなものなので、(CMの枠を売る)営業サイドとすれば、お金が入る分には誰が出ていようと構わないわけです。ですが、(番組そのものを担当する)編成となると、にらみがきいてしまうので出せない。
―― 19年には、ジャニーズ事務所が元SMAPメンバー3人の出演を妨げようとテレビ局側に圧力をかけた疑いで公正取引委員会が調査を行い、「該当するような行為があった場合は、独占禁止法に抵触する」として「注意」した、という経緯があります。当時、ウェブサイトに「CMの依頼が多くあり広告には出ることができています。でも彼女は女優です。現場からの熱烈なオファーもある、のんが三年間テレビ局で1つのドラマにも出演が叶わないことは、あまりにも異常ではないでしょうか?」と書き込んだことが話題になりました。この4年間で状況は変わりましたか。
福田: 19年当時は色々な(地上波の番組を製作している)プロダクションから「のんさん主演でこんなのやりたいんです」という脚本が来て、検討している間に立ち消えになっていたのですが、今ではゼロになりました。「こんな話ありますよ」もゼロ。ただし、ネットフリックスやアマゾンプライム、U-NEXTといったオンラインメディアとは取引があります。いつも「新しいことやりませんか」とお声がけいただいており、新規案件も多数あります。
―― 地上波ドラマには出られない状況が続く一方で、別のところで道が開けつつあるということですね。
福田: 元々僕はブランディングのプロでもあります。「能年玲奈」という「商品」は、それが自分の本名だったことが悲劇なのですが、「のん」という芸名に変えたことでブランディングは十分できています。本人が地上波ドラマに出られる状態が正常だとは思いますが、それを目的にしていないのと、テレビドラマに出ることが成功だという時代ではなくなっています。「テレビドラマに出られなくてかわいそう」という声がありますが、全然かわいそうじゃないんですよ。たくさん収入はありますし、好きなことをやっていますし。
ずっと売れているので、2年先までほぼ休みなし
のんさん。CMやPRイベントへの出演は多く、「常に2年先ぐらいまでほぼ休みなし」だという
―― てっきり冷や飯を食わされていると思っていたのですが、違うわけですね。
福田: ずっと売れているので、常に2年先ぐらいまでほぼ休みなしで悲しむ余地がない、というのが実情です。
―― ご本人は、自らが置かれている状況をどう受け止めているのですか。
福田: すごく元気です。精神的にめちゃくちゃ強い、自己肯定感が200%ぐらいある人です。
―― のんさんの個人事務所「non」と、スピーディ社がエージェントとしてマネジメント契約を結ぶ、という形をとっています。芸能事務所に所属する、という伝統的なスタイルとは異なります。
福田: 当初は僕の会社に「所属」するというやり方もあったのですが、「もうやめた方がいい。僕だっていつ豹変して、『奴隷契約』にするか分からない。だから大人は信じないで」ということで、エージェント契約になりました。 米国であれば俳優が一番偉いわけです。例えばトム・クルーズが一番お金を持っていて、経理、総務、運転手、ブッキング担当、付き人がいて、いわば「トム・クルーズカンパニー」なわけです。エージェントというのは、俳優を売り込んだり原作権を買ってきたりする役割です。スポーツの分野で活躍している団野村さんが分かりやすいですね。日本ですごい選手がいると、売り込みに行ってくれたりする。 ハリウッドでは一番の主体にある人(俳優)が契約のフレーム(大枠)をつけて、あとは弁護士さんが見る、というのは普通なのですが、日本ではそういうことの訓練ができている人は少ない。タレントがギャラの交渉も知らなければ、契約に噛むこともできないというのは、僕からすれば驚くべき事実でした。年端もいかない人を地方から連れてきて「訓練してあげよう」なんて言っているうちに、奴隷契約に持ち込んでしまう。公正取引上、非常に問題がある、優越的地位の濫用だと思います。
―― 所属ではなくエージェント制にするメリットは、どういったところにありますか。
福田: のんが自分の会社をつくって、そこと僕の会社がある期間、独占的な契約をしましょう、その年数の中で僕の働きが悪かったらクビにすればいい、という考え方です。それがフェアトレード(公正な取引)だと思います。他のタレントと違って、仕事のギャラがいくらで、どんな意味があるのかを完全につかんでいるので、生き生きしていますよね。僕からは、「嫌な仕事はやらなくていいと思うけど、ある程度責任を持ってやった方がいい大きい仕事もあるし、小さくてもSDGs(持続可能な開発目標)啓発の仕事など、社会的に意味があるものは一生懸命やろう」と伝えています。 LINEのCMではLINE幹部の方がすごく応援してくれました。「起用をやめろ」という脅しの電話も各方面にあったようですが、クライアント(LINE)が「正義は勝つと思います」と言ってくれて、あのCMはOKになりました。ユニクロのCMは、ナンバー2に頼んでアジア18か国での展開が実現しました。 このように独自の路線を切り開けていけたから、消されずに何とか生き延びてきました。だからこそ、ジャニーズ問題が出るたびに副次的に、能年玲奈の問題が出てくるという構造になっているのだと思います。
(イン��ビュー後半に続く。10月1日掲載予定です)
福田淳さん プロフィール ふくだ・あつし ブランドコンサルタント、スピーディ社長。1965年、大阪府生まれ。日本大学芸術学部卒。ソニー・ピクチャーズエンタテインメントを経て、2007年にソニー・デジタルエンタテインメントを創業。17年に株式会社スピーディ設立。「のん」をはじめとする俳優・ミュージシャンなどのタレントエージェント、ロサンゼルスでのアート・ギャラリー運営などを行っている。金沢工業大学大学院客員教授や横浜美術大学客員教授も務める。著書、講演多数。
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編集者注:ナショナル・フットボール・リーグのカンザスシティ・チーフスのプレースキッカーであるハリソン・バトカー氏(28歳)は、 2024年5月11日土曜日、カンザス州アチソンのベネディクト大学で卒業式の演説 を行った。彼の発言の転写は以下の通りである。 2024 年卒業生の皆様:まず、皆さんが本日無事にこの成果を達成できたことを祝福したいと思います。 あなたの高校卒業は想像していたものではなかったと思いますし、おそらく大学の最初の数年間も想像していたものではなかったでしょう。 新型コロナウイルスによるあらゆる逆境を乗り越えてこの瞬間に辿り着いたことで、この人生の苦しみは一時的なものに過ぎないという重要な教訓を学んだことを願っています。 あなたはグループとして、自分たちのレーンに留まらない悪いリーダーがいかに社会に悪影響を与えるかを目の当たりにしました。 このレンズを通して、私たちがどのようにして今の場所にたどり着いたのか、そして国民として、そしてカトリック教徒としてどこに行きたいのかを考えてみたいと思います。 始める前に最後に、講演への招待をいただいたミニス会長と理事会に必ず感謝したいと思います。 数か月前、ミニス学長が最初に連絡を取ったとき、私は最初は「ノー」と答えていました。ご存知のように、昨年、私は母校であるジョージア工科大学で卒業式のスピーチをしましたが、特に卒業式のスピーチは 1 回で十分だと感じていました。プロのスピーカーではない人。 しかしもちろん、ミニス大統領は説得力を発揮した。 [ 笑い ] この曲は、新型コロナウイルスの大惨事の中で皆さんが直面した多くの課題と、私たち高齢者が当たり前だと思っていた多くのマイルストーンを皆さんがいかに逃したかを物語っていました。 新型コロナウイルスはあなたの形成期を通じて大きな役割を果たしたかもしれませんが、それは特別なものではありません。 間違った政策と不十分なリーダーシップは、生活の主要な問題に悪影響を及ぼしています。 中絶、体外受精、代理出産、安楽死、そしてメディアにおける退廃的な文化的価値観への支持の高まりなどは、すべて無秩序の蔓延に起因しています。 私たちの国は、カトリック信仰を公に誇らしげに宣言しながらも、同時に中絶推進集会で十字架のサインをするほど妄想的な人物によって指導されています。 彼は罪のない赤ん坊の殺害に対する支持を非常に声高に主張してきたので、多くの人にとって、あなたはカトリック教徒であると同時に選択を支持する人でもあるように見えるはずです。 彼は一人ではありません。 新型コロナウイルスのロックダウンを主導した人物から、アメリカの若者に危険なジェンダーイデオロギーを押し付けている人々まで、彼らには明らかな共通点がある。 彼らはカトリック教徒です。 これは、カトリック教徒であるだけでは役に立たないということを思い出させる重要なものです。 こうしたことは、礼儀正しい社会では持ち出さないようにと言われている類のものです。 わかります、困難なこと、不快なこと。 しかし、私たちが歴史のこの時期に男性と女性でありたいのであれば、「ニース教会」が勝利の提案であるかのように振る舞うのをやめなければなりません。 私たちは常に慈善活動に基づいて話し、行動しなければなりませんが、決して慈善活動を卑劣なものと取り違えてはなりません。 ここ数年で、私は自分の考えを話すことでかなりの評判を得てきたと言っても過言ではありません。 私は自分自身がこのようなプラットフォームを持つことを想像したことも、望んだこともありませんでしたが、神がそれを私に与えてくれたので、私にはそれを受け入れ、自分のレーンを受け入れ、そこにとどまることについてのより厳しい真実を説く以外に選択肢はありません。 イエス・キリストによって設立された教会の会員として、真に、そして悪びれることなくカトリック教徒であることは、私たちの義務であり、最終的には特権です。 誤解しないでください。教会内であっても、礼儀正しいカトリックサークルの人々はあなたに沈黙するよう説得しようとします。 という受賞歴のある映画さえあったが 同じカトリック信者が製作した『沈黙』 、その映画では、主人公の一人であるイエズス会の司祭が教会を捨て、背教者として死んだとき、静かに誰にも知られずに十字架を握っている姿が描かれている。しかし神。 ベネディクト会大学の友人であるロバート・バロン司教閣下がこの映画の批評で述べたように、それはまさに文化的エリートがキリスト教において見たいもの、つまりプライベートで、隠れていて、無害なものだった。 私たちのカトリック信仰は常にカウンターカルチャーでした。 私たちの主と数え切れないほどの信奉者たちは皆、彼女の教えを忠実に守ったために処刑されました。 私たちの周りの世界は、私たちの信念が多様性、公平性、包括性の圧政に反する場合は常に自分の信念を内に秘めておくべきだと主張します。 私たちが真実を話すことを恐れるのは、残念ながら現在では真実は少数派だからです。 議会は、誰がイエスを殺したかという聖書の教えのような基本的なことを述べると、刑務所に入れられる可能性があるという法案を可決したばかりだ。 しかし、誤解しないでください。社会を悩ませている問題を解決しようとする前に、まず自分自身の家庭を整えなければなりません。それはリーダーから始まります。 神によって私たちの霊的父として任命された司教と司祭は、正しく命令されなければなりません。 今日、司祭や司教が群れを誤解させた話をすべて列挙するには時間がありませんが、私たちの誰ももう無知を責めて、ただ盲目的に「お父様がおっしゃったことです」と宣言することはできません。 なぜなら、悲しいことに、私たちがリーダーとして期待している司祭の多くは、自分の趣味を優先したり、教区名簿に掲載する犬との写真やおそろいの服装を優先したりする司祭たちと同じだからです。 私たち信徒も女性も、聖なるためには小教区で積極的に活動し、問題を解決しようと努めなければならないと考えがちです。 はい、私たちは小教区の支援に絶対に関与すべきですが、私たちが小教区の司祭たちが問題を解決するために頼れる拠り所になることはできません。 父親と息子の関係に目を向けるのと同じように、司祭とその民との関係にも目を向けるべきです。 父親として息子を導くのが私の仕事であるにもかかわらず、常に息子に助けを求めるのは適切ではありません。 聖ホセマリア・エスクリバは、司祭は奉仕するように任命されており、信徒を模倣する誘惑に負けず、徹底的に司祭であり続けるべきであると述べています。 悲劇的なことに、非常に多くの司祭は幸福の多くを教区民から受ける賞賛に依存しており、それを求めるうちに警戒を緩め、過剰に馴れ馴れしくなってしまうのです。 私のチームメイトのガールフレンドが言うように、馴れ合いは軽蔑を生むので、この過度の馴れ合いは毎回問題になることがわかります。 [ 笑い ] 聖ホセマリアは、司祭を単なる一人の人間として見たい人もいると続けます。 そうではありません。 彼らは司祭の中に、すべてのキリスト教徒、そして実際すべての名誉ある人にふさわしい美徳、すなわち理解力、正義、仕事生活(この場合は司祭の仕事)、そして良いマナーを見つけたいと思っている。 私たちが信徒として、あれこれの神学の教えを解読できるようにアマチュア神学者になることに身を投じるのは賢明ではありません――もちろん、あなたが神学を専攻している場合は別ですが。 私たちは、人生における自分の状態と自分自身の使命に意図的に焦点を当てなければなりません。 そして私たちのほとんどにとって、それは既婚男性と女性としてのことです。 それでも、私たちはすぐに使える素晴らしいリソースをたくさん持っているので、現代に合わせて曖昧に言い換えられていない、伝統的で時代を超越した教えを見つけるのにそれほど時間はかかりません。 さらに、善良で聖なる司祭はまだたくさんいますので、彼らを探し出すのは私たち次第です。 世界の混乱は残念ながら私たちの小教区の混乱に反映されており、悲しいことに大聖堂にも反映されています。 パンデミック中に見られたように、あまりにも多くの司教がまったくリーダーではありませんでした。 彼らの動機は、恐怖、訴えられることへの恐怖、排除されることへの恐怖、嫌われることへの恐怖でした。 彼らは、意図的か非意図的かにかかわらず、秘跡は実際には重要ではないことを行動によって示しました。 このため、秘跡も受けられずに孤独死した人が数え切れないほどおり、決して忘れてはいけない悲劇です。 カトリック教徒として、私たちは民、そして最終的には教会のために命を捧げた英雄的な羊飼いたちの例を数多く挙げることができます。 コロナ禍で経験したことが適切だったという嘘を信じることはできません。 何世紀にもわたって、大戦争、大飢餓、そしてそうです、大病気さえもあり、それらはすべてある程度の致死性と危険性を伴いました。 しかし、これらの例のいずれにおいても、教会指導者は自らの召命に力を注ぎ、民が秘跡を受けられるようにした。 モロカイ島の聖ダミアンのような偉大な聖人たちは、自らの宣教の危険性を承知しており、精神的指導者としてハワイのハンセン病植民地に11年間滞在しました。 彼の英雄的行為は、理想的にはまったくユニークであるべきではないにもかかわらず、今日では何か特別でユニークなものとして見なされています。 なぜなら、父親が自分の子供を愛するように、羊飼いも自分の霊的な子供たちを愛すべきだからです。 それは、現代の使徒である司教たちにとってはさらに当てはまります。 私たちの司教たちはかつて、指輪にキスをし、彼らの言葉をすべて受け止める崇拝の群衆を持っていましたが、今では取るに足らない存在の地位に追いやられています。 さて、教区の司教や司教協議会全体が、この問題やあれこれに関する重要な文書を発表しても、誰もそれを読むどころか、一刻も読もうともしない。 いいえ、今日、私たちの羊飼いたちは、難しいことを大声で言うことよりも、公会議への扉を常に開いておくことにはるかに関心を持っています。 司教たちから連絡を受けるのは、毎年恒例のアピールの時だけのようですが、私たちは司教たちに、個人的な慰めを脇に置き、十字架を抱きながら教会の教えについて声を上げる必要があります。 私たちの司教たちは政治家ではなく羊飼いなので、仲良くしようとして世界に溶け込むのではなく、彼らも自分たちの道に留まり、先頭に立たなければなりません。 私がこのすべてを怒りから言っているわけではありません。私たちはふさわしい指導者を獲得しているからです。 しかし、これは私が自分の車線にとどまり、自分の使命に集中すること、そしてより良い父親、夫になり、世界で生きながらも世界に属さないようにするにはどうすればよいかを考えさせます。 これらの人々のために祈り、断食しながら自分の召命に集中することは、私が教会の指導者たちに不平を言うよりも、教会のためにもっと役に立ちます。 私たちの指導者たちからは非常に多くの混乱が生じているように見えるため、ミズーリ川の上流の断崖絶壁に建てられたカンザス州の小さな大学ベネディクト校のような場所で人々が参考になる具体例が必要であり、秩序ある政策がどのように世界に示されているかを示している。 , キリストを中心とした存在が成功の秘訣です。 過去 20 年間で入学者数が 2 倍に増加し、建設と活性化が常に生活の一部となっており、人々、学生、教職員が繁栄しています。このキャンパスのいたるところにある例を見る必要はありません。 これは偶然に起こったわけではありません。 伝統的なカトリックの価値観を受け入れる意図的な運動の中で、ベネディクト会は、他と区別するものが何もない単なるリベラルアーツ学校から、繁栄する光の灯台となり、伝統を受け入れると、世俗的な、精神的な成功が得られるということを私たち全員に思い出させてくれます。フォローする。 AP通信の記者たちは、ここベネディクト会のような場所や人々を叱責し当惑させようとする試みが、怒りを持たれず、むしろ興奮と誇りを持って迎えられるとは想像できなかったに違いない。 それは、一か月をそれに費やす大罪のような誇りではなく、聖霊と協力して神の栄光を現わす、神を中心とした真の誇りです。 現在世界中で共有されているその記事を読むと、自己を完全に明け渡し、キリストに向かうことで幸福が得られることがわかります。 ここカンザス州の小さな町で、私たちは自分の才能を活かしてインスピレーションを与える多くの信徒を見つけます。 ミニス学長、[アンドリュー] スワフォード博士、[ジャレッド] ジメラー博士は、まさにこのキャンパスで、キリストの光を今後何世代にもわたって明るく照らし続ける素晴らしい例です。 自分の使命にしっかりと向き合い、自分のレーンにとどまることが、この人生で真の幸福と平安を見つける最も確実な方法となるでしょう。 信徒であれ、司祭であれ、修道者であれ、私たちは人生における自分自身の状態に焦点を当てることが不可欠です。 2024 年卒業生の皆さん、皆さんは残りの人生の瀬戸際に座っています。 皆さん一人ひとりは、自分自身とこの人類存在の時代を超える遺産を残す可能性を持っています。 小さなことではありますが、自分の召命を全うすることで、神の教会が存続し、世界があなたの模範によって啓発されることを保証するでしょう。 本日ご出席の女性の皆様、素晴らしい成果をおめでとうございます。 あなたは、若い人生でこれまでに達成してきたすべてのことを誇りに思うべきです。 私があなたたちに直接話したいのは、最も悪魔的な嘘をついたのはあなたたち女性たちだと思うからです。 今ここに座って、この段階を通過しようとしていて、自分のキャリアで獲得するすべての昇進やタイトルについて考えている人は何人いますか? 皆さんの中には、世界で成功したキャリアを送り続ける人もいるかもしれませんが、あえて推測すると、皆さんの大多数は、自分の結婚と、この世に産む子供たちに最も興奮しているのではないかと思います。 私の美しい妻、イザベルは、妻として、そして母親としての使命を果たし始めたときから彼女の人生が本当に始まったと最初に言うでしょう。 私が今日ステージに立って、今の私でいられるのは、天職に身を寄せる妻がいるからです。 私は神が私に与えてくださった多くの才能に恵まれていますが、私のすべての成功は、中学校時代にバンドのクラスで出会った女の子が信仰に改宗し、私の妻となり、すべての中で最も重要な肩書きの 1 つである主婦を受け入れましょう。 [ 18 秒間の拍手 ] 彼女は私たちの子供たちの主な教育者です。 彼女は、私が夫や父親の仕事からフットボールや私の仕事を決して邪魔にならないようにしてくれた人です。 彼女は私の根幹を最もよく知っている人であり、私たちの結婚を通して、主の御心によって私たちは二人とも救いを得ることができます。 私がこのようなことを皆さんに言うのは、外の騒音を無視して人生において神のご意志にどんどん近づいたときに、人がどれほど幸せになれるかをこの目で見てきたからです。 キャリアを持つというイザベルの夢は叶わなかったかもしれませんが、もし今、彼女に自分の決断に後悔があるかと尋ねたら、ためらうことなく大声で笑って、「いや、違う」と答えるでしょう。 多くの賞賛を受け、今日このような聴衆に向けて話す機会を与えられた男として、私は自分の声を自分のためではなく、常に神のために使うように祈ります。 私が皆さんに話していることはすべて、知恵の場からのものではなく、むしろ経験の場からのものです。 私は、この言葉があなたとそれほど年上ではない、この階級、この世代、そしてこの社会において、私たちの周りに見ているものが本物であるかのように振る舞うことをやめなければならないと感じている男性の言葉として受け取ってもらえることを願っています。普通。 カトリックのサークル内にも異端的な考えが溢れています。 しかし、正直に言うと、子供を産むことで神ごっこをすることは、それが理想的な数であれ、妊娠に最適な時期であれ、何も良いことはありません。 どう解釈しても、カトリックの避妊には自然なことは何もありません。 私がより大胆かつ率直に話すようになったのはここ数年のことです。なぜなら、先に述べたように、私は夫として、父親として、そして男性としての使命に傾倒してきたからです。 今日ここにいる紳士の皆様へ:私たちの社会を悩ませているものの一部は、家庭や地域社会に男性は必要ないという、あなた方に伝えられてきたこの嘘です。 私たちは男性として、文化の雰囲気を決めますが、それが欠けると、無秩序、機能不全、混乱が始まります。この家庭に男性がいないこ���が、全国各地で見られる暴力に大きな役割を果たしています。 他の国では、父親の不在率がここ米国とほぼ同じではなく、暴力率が大幅に低いことにも相関関係がある可能性があります。 男性の文化的骨抜きと闘いながら、自分の男らしさを悪びることなく行動してください。 難しいことをやってください。 決して簡単なことだけに妥協しないでください。 あなたには、必ずしも楽しんでいるとは限らない才能があるかもしれませんが、それが神を讃えるものであれば、自分にもっと適していると思われるものよりも、その才能に頼るべきかもしれません。 私は内向的で、今ではアマチュアの講演者や起業家になっているという経験に基づいて話しますが、産業工学の学位を取得したときには、自分がそうなるとは思っていませんでした。 前途は明るいです。 状況は変わりつつあります。 社会は変化しています。 そして、老若男女が伝統を受け入れています。 私と私に最も近い人々を助けてきたのは私の使命であるだけでなく、伝統的なラテン語のミサを率直に支持することは多くの人にとって驚くべきことではありません。私は TLM への愛と献身を非常に声高に主張してきました。そしてそれは私たちの生活にとって必要なものです。 しかし誤解されていると思うのは、TLM に参加する人はプライドや好みから参加しているということです。 私は自分自身の経験について話すことができますが、これらのコミュニティ内で出会ったほとんどの人にとって、これはまったく真実ではありません。 私が TLM に参加しないのは、自分が他の人よりも優れていると思っているため、または匂いや鐘のため、さらにはラテン語への愛のためでもありません。 私が TLM に参加しているのは、旧約聖書の神がどのように崇拝されることを望んでいたかについて非常にこだわりがあったのと同じように、同じことが今日の私たちにも当てはまると信じているからです。 私が秩序に出会い、自分の人生の中でそれを追求し始めたのは、TLM を通じてでした。 TLM自体は別として、私たちの神聖な伝統の多くは過去のものに追いやられていますが、私の教区では、残り火の日、断食をして召命と司祭のために祈る日などが今も守られています。 TLM は非常に不可欠なので、すぐに利用できる場所に移動する場所を選ぶよう皆さんにお願いしたいと思います。 多くの人が教区や共同体について不満を持っていますが、私たちは共同体のためにミサを犠牲にするべきではありません。 たとえ教区が美しくなくても、司祭が素晴らしくなくても、コミュニティが素晴らしくなくても、私はTLMを優先します。 私が今でもTLMに通っているのは、ミサの聖なる犠牲が何よりも大切だと信じているからです。 私は、あなた方一人一人が教会の偉大な伝統の多くについての知識と遵守を再燃���せたとき、自分の人生がどれほどカラフルで生き生きとしたものになることができるか、そしてそうあるべきであることがわかるだろうということを十分に承知してこのように述べています。 あなたがこの場所から進んで世界に飛び出すとき、多くの課題に直面することを知ってください。 悲しいことに、このコミュニティの善良で活発なメンバーが、卒業してベネディクト会のバブルから離れた後、結婚前にボーイフレンドまたはガールフレンドと同棲することになった無数の話をご存知の方も多いと思います。 教会を離れて神を捨てる人さえいます。 こうした話を聞くのはいつも心が痛むもので、何が起こったのか、何がうまくいかなかったのかを知りたいという欲求があります。 覚えておかなければならないのは、人生とは、小さなことをうまくやり遂げ、成功に向けて準備を整え、最高の自分になるよう絶えずプッシュしてくれる人々に囲まれることだということです。 私はいつも言っていますが、鉄は鉄を研ぎます。 これは、私たちに最も近い人たちが私たちをより良くしてくれるはずだということを思い出させてくれます。 もしあなたが自分の信仰を共有していない人と付き合っているとしたら、その人があなたを聖人になれるようどのように助けてくれると期待しますか? もしあなたの友人グループが、あなたが次の週末に何をするかだけを考えていて、難しい会話をしたくない人たちでいっぱいなら、どうやって彼らがあなたを研ぎ澄ますのに役立つでしょうか? 就職の準備をする際には、転職先について実際に考えることが非常に重要です。 司教は誰ですか? どのような教区がありますか? 彼らはTLMを提供しており、司祭としての使命を受け入れる司祭を抱えていますか? 生活費だけがあなたの選択の決め手であってはなりません。神のいない人生はまったく人生ではなく、救いのコストはどんなキャリアよりも価値があるからです。 私は将来に興奮しています。そして、あなたが人生の次の章に進む際に、私の言ったことが心に響くことを祈っています。 唯一の聖なるカトリック使徒教会を告白することを決して恐れてはなりません。なぜなら、これはイエス・キリストが設立された教会であり、それを通して私たちは聖化の恵みを受けるからです。 今日の私のメッセージは、これらのスピーチで期待されているよりも少し綿毛が少なかったことは承知していますが、この聴衆とこの会場は、私たちが何者であるか、そして私たち全員がどこに行きたいのかについてオープンかつ正直に話すのに最適な場所であると信じています。天国。 ベネディクト会大学と、それが世界に模範を与えてくれたことを神に感謝します。 ミニス大統領のような王国のために自らの役割を果たしている人々のことを神に感謝します。 本格的なカトリック大学 と 盛んなフットボール プログラムがあることを知りに来てください。 [ 笑いと拍手 ] 誤解しないでください。あなたは神の後の世界で宣教領域に入ろうとしていますが、あなたはそのために造られました。 そして、神がそばにいて、自分の使命の中で美徳を求めて絶えず努力していれば、あなたも聖人になれるのです。 キリストは王です。 ハイツへ。
全文: カンザスシティ・チーフス卒業式スピーチのハリソン・バトカー| 全国カトリック登録簿
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去年,海報上這一對來自台灣的兄妹報名參加了波蘭以喬安娜 科瓦爾切夫斯卡(Asia Kowalczewska)為名的第三屆國際兒童繪畫比賽,奪得冠軍和亞軍。他們是第一次參加國際級的繪畫比賽,盡心盡力的父母全程陪伴及參與孩子們畫畫的過程,很令我感動。所以不必害怕英文、波蘭文,這可以為您的孩子建構"國際觀"的機會,我雖只是上一屆的其中一名被選中的全球藝術家評審,今年主辦單位仍希望我繼續幫忙宣導第四屆的繪畫比賽,基於美好的國際友誼,我會盡力幫助大家為你們的孩子、學生們與波蘭國際少兒藝術繪畫比賽交流的一座橋樑。以上。─ Fine Craft on Leather Artist Chu Lan from Taiwan/朱蘭皮藝~* 😃
📌 今年 2023 已經開始接受報名 It's starting for registration The 4th INTERNATIONAL PAINTING COMPETITION FOR CHILDREN (第四屆國際少年兒童繪畫比賽) NAME OF ASIA KOWALCZEWSKA A DOCTOR IN PEDIATRICIAN AND PASSIONATE OF PAINTING (以此"ASIA KOWALCZEWSKA"命名 她是一名兒科醫生,熱愛繪畫;她的丈夫以此協會舉辦的各項活動來紀念他的愛妻。) 主辦單位負責人/聯絡人: Adam Kowalczewski
● 想要參加的兒童和家長們請依序照做 In sequence. 首先,一步一步,該怎麼做: First, step by step, what to do: 您給孩子的作品拍張照片,並通過電子郵件發送給主辦單位; 一個孩子最多可以發送 3 件作品。 You take a picture of your child's work and send it to me by e-mail; one child may send up to 3 works.
您填寫申請表並簽署同意孩子參加比賽並通過電子郵件發送給主辦單位。 You fill in the application and sign the consent to the child's participation in the Competition and send it to me by e-mail.
接著這期間您正在等待陪審團會審最後結果出爐; 如果作品入圍決賽,你必須把它寄到波蘭,因為它會在國際展覽會上展出。 You are waiting for the jury's verdict; if the work is qualified for the final, you have to send it to Poland, because it will be presented at international exhibitions. ● "當競爭精神停止時,真正的學習才會到來。 Real learning comes about when the competitive spirit has ceased." ─ Jiddu Krishnamur 吉杜·克里希那穆提 (1895-1986) /達賴喇嘛稱克里希那穆提為「這個時代最偉大的思想家」 https://www.facebook.com/beyourselfchulan/posts/pfbid02rZd8V1DCtM2GbTHoxd758Jg6Dy2cfDD5sJwpgNbGjbQRQbKWKx4ByNCPjf94EFAel ● 去年第三屆評審團 https://www.facebook.com/beyourselfchulan/posts/pfbid0nf1kdh31x2hMcBKzD76JiLGGjAa9G4666PM3YhwgmjWGLQE3AbVg7zLU1rSxSS58l ● 😍👍「台灣之光」Proud of Taiwan ! 波蘭以喬安娜 科瓦爾切夫斯卡(Asia Kowalczewska)為名的第三屆兒童繪畫比賽,代表台灣參賽的孩子們,兄妹倆分別得到冠軍和亞軍在不同齡的競賽中,結果已出爐。 https://www.facebook.com/beyourselfchulan/posts/pfbid0fsxzV472ud5Q1uhX4wUe3i6EMu8NNwBB6P1Ve8o5fJ7ZKH8iWgx1E7FaiSdMGUs8l
PS. 每年他都會舉辦這個波蘭少兒國際繪畫比賽,以此來紀念她,懷念她 ♥ Every year he holds this drawing competition as a way of remembering her and thinking of her. (ㅠ_ㅠ)
#以喬安娜 科瓦爾切夫斯卡(Asia Kowalczewska)為名的波蘭國際兒童繪畫比賽#adam kowalczewski#asia kowalczewska#international children's painting competition of the name of asia kowalczewska
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我が国の未来を見通す(83)
『強靭な国家』を造る(20)
「強靭な国家」を目指して何をすべきか(その10)
宗像久男(元陸将)
───────────────────────
□はじめに
今回は、「国力」の要素として「政治力」を取り
上げようと思います。私は、依頼された様々な仕事
をこなしながら、原稿をしたため、時に講話資料な
どを作成したりしている自分専用の部屋を持ってい
ます。書斎というほど立派なものでありませんが、
そこには、部屋を囲む壁一面に固定された本棚から
溢れた書籍や資料の数々が“所狭し”と平積みされ
ています。
このたび、改めて気がついたことがあります。これ
ら数千冊の書籍の中で、「政治」と冠する書籍がほ
とんどないのです。振り返れば、著名な有識者の書
や内外の政治家の伝記などを通じて政治や外交を学
ぶとともに、様々な経験を通じて、「政治」につい
ては人並み以上に色々考えてきたと自負しています
が、これまでの人生で、「政治」について特別に学
んでみようと思ったことは一度もなかったのでした。
「政治家はもっと安全保障や防衛について知見を持
つべし」などといつも偉そうに書いたり、話したり
はしています。しかし、大部分の国民もそうであろ
うとは思いますが、国民の1人としてこちら側から、
「政治」とか「政治家」について理解を深め、歩み
寄ろうとする努力をしないままだったのです。これ
は反省すべき点と考えていますが、“時すでに遅
し”です。
このように、「政治」についてはまさに“浅学菲
才”の身で恥ずかしい限りなのですが、逆な言い方
をすれば、“開き直り”というか、あらゆる既存の
先入観とか主義主張のようなものとは“かけ離れ
た”第三者的な立場で、「政治力」について論じて
みようと思います。
さて、前回取り上げた話題を少し補足しておきます。
福島原発の処理水に関して中国から殺到している迷
惑電話に対する新たな対応策として、東京都は「あ
なたはご存じですか、中国の原発の中には、福島原
発の処理水のおよそ10倍のトリチウムを出すもの
があります」との自動音声で対応しているとのこと
です。これはあっぱれです。
しかし、政府や外務省、それに有識者やマスコミも
なぜこのような「事実」を声高に発信しないのか、
本当に不思議です。岸田首相も李強首相に面と向か
ってその「事実」を言えばよいのです。トリチウム
が本当に有害なら、だいぶ前から汚染されて迷惑を
受けているのは日本を含む周辺国なのです。
与野党議員やマスコミの中にも、いわゆる“親中
派”といわれる人たちがたくさんいるようですが、
中国の“いいなり”になっているのが親中派のある
べき姿ではないはずです。今の日本は「外交力」で
すでに負けている証拠なのでしょう。困ったもので
す。
▼「政治力」が「国力」に及ぼす影響
筆を進めましょう。古今東西の歴史をみるに、「政
治力」を発揮する国のリーダー(為政者)の良否が、
「国力」の発揮を左右し、その結果が、良くも悪く
も「歴史」として刻まれた例は枚挙にいとまがない
と考えます。
国民主権である民主主義国家においては、国民の精
神と選挙によって選ばれる政治家は不離一体です。
一方、京都大学名誉教授の中西輝政氏は自書『強い
日本をめざす道』の中で、「『政治は集票マシンで
票を集め、選挙で勝って権力を維持すればよい』と
いうような考えは『破滅の思想』である」旨を主張
し、自民党が民主党と政権交代し、下野した頃の自
民党を厳しく批判していたことを思い出します。
中西氏は、「政治家は自ら国際認識、歴史観、価値
観を保持するばかりでなく、国民の健全な価値観を
育て上げなければならず、戦後、それを怠ってきた」
と痛烈に批判したのでした。
確かに、最近の欧米列国において為政者を選ぶ際の
混乱などをみるにつけても、民主主義国家において
政治家を目指すには、国民の支持を得る必要があり、
国民に健全な価値観が育っていないと、それ相応の
政治家が選出され、その結果、国家が“あらぬ方
向”に向かってしまう可能性があります。
歴史をみれば、自分本位の身勝手な意図を持つ者た
ちが大衆を先導し、ポピュリスムに陥った例は数え
切れません。民主主義とポピュリスムの先にある衆
愚政治(暴民政治)はまさに“紙一重”なのでしょ
う。このような特性に加え、「意思決定に手間と時
間がかかる」とか「政策の継続性が失われる」など
民主主義国家には、大きな“弱点”(“落とし穴”
というべきか)があるのも事実なのです。
2021年7月、中国共産党100年式典において、
習近平総書記は、中国共産党の歴史の中で数千万人
の犠牲者を出したといわれる大躍進や文化大革命な
どの“人命軽視”には全く触れず、上記のような民
主主義の“弱点”を突いて、「社会主義以外の政治
は失敗した」と共産主義の正当性を主張したのは記
憶に新しいところです。
さて、本メルマガでは他の識者に倣って、「国力」
を構成する「ハード・パワー」の一つとして「政治
力」を位置付けていますが、のちに触れる「ソフト
・パワー」としての「国家戦略」や「国家意思」は、
まさに指導者が「政治力」を発揮し、国家や国民の
価値観を集約したものであることなどを考えれば、
「政治力」は、「国力」の「ハード・パワー」の1要
素というよりも、「ソフト・パワー」に分類された
方が適切なのかも知れません。
しかし実際には、対外的な「政治力」(「外交力」)
は、「経済力」や「軍事力」などとともに国家の諸
力を総合した「強さ」として、“国���社会にどの程
度影響を与えるか”の尺度になるものでもあります。
「政治力」単独の国際比較は見当たりませんが、こ
れら国家諸力の比較という点では、すでに紹介しま
したように、米誌「USニューズ&ワールドレポー
ト」が「世界で『強い』国のランキング」を発表し
ており、1位アメリカ、2位ロシア、3位中国、4
位ドイツ、5位イギリス、6位フランスに続き、日
本は7位にランクされています。
アメリカ発のレポートということもあって、少し
“買いかぶっている”という印象を持たざるを得ま
せんが、日本に対する総評は、「世界で最も洗練さ
れ、技術発展の進んだ国の1つ」とありますので、
「政治力」(外交力)よりも「経済力」とか「技術
力」が評価されたものと考える必要があるでしょう。
話題は変わりますが、選挙によって選ばれる政治家
に対して「自分たちの代表である」と考えているの
か否かについて興味深い調査結果があります。特定
非営利活動法人「言論NPO」が2019年に実施
した「日本の政治・民主主義に関する世論調査」で
す。それによると、「政治家を自分たちの代表だと
思わない」との見方が45%となって、「代表だと
思う」(42%)を上回っていました。特に、若い
世代ほど「代表と思わない」との傾向にあるようで
す。
さらに、「政党や政治家に日本が直面する課題の解
決を期待できない」と考えている人は71%を超え
るなど、政治に対する国民の信頼が低下しているこ
とが明らかになっています。これまでの歴史に加え、
毎度の国家の議論などから、そう思いたくなる気持
ちも理解できるような気がします。
実はもっとショッキングなデータもあります。「ベ
ネッセ教育総合研究所」が中学生や高校生に対して
行なった、若者の“政治離れ”の象徴といえるよう
な調査結果です。調査自体はかなり前ですが、「私
個人の力では政府の決定に影響を与えられない」と
いう問いに対して、「全くそう思う」40%、「ま
あそう思う」41%を加えると81%を超える若者
が肯定しているのです。
同じ問いの調査に対して、アメリカは43%、韓国
は55%。中国であっても44%となっており、我
が国の若者たちは、自分自身の力と政府の決定の間
に、選挙によって政治家を選出するシステムのない
中国を上回る「距離感」を感じているのです。
これは由々しき問題であると思いますが、このよう
な「政治に対する国民意識」には、戦後の若者教育
が強く影響を与えていると考えます。中西氏の指摘
のように、国民の健全な価値観を育てる「教育」の
改善を放置してきたことを含め、「政治」の分野に
おいても、戦後70数年の“ツケ”が溜まりに溜ま
っていると考えざるを得ないのです。
▼「政治力」が「国力」に及ぼす影響(続き)
もう少し続けましょう。同じく京都大学名誉教授の
佐伯啓思氏は、自書『反・民主主義論』において、
戦後の我が国の民主主義の論理矛盾について「日本
を滅ぼす『異形の民主主義』である」として鋭く詰
め寄っています。なかでも「デモクラッシーは基本
的には大衆という多数派の支配の政治なのだが、そ
れがうまくゆくためには、少数の賢者がこの多数派
を指導していかねばならない」と述べています。
つまり、「指導者は、社会の日々の変動や情緒が渦
巻くこの時間と空間を相対化し、過去や未来という
長い時間のうちに現在を置き、世界という視野に立
ち、ある程度、状況から身を引き離して眺める時間
と能力をもって、その立場から国民が本当は何を求
めているかを解釈する位置にいなければならない。
そして、新聞調査などによって即興のイエスかノー
かを集計した『世論』ではなく、目には見えない、
統計数字には出てこない経験や思慮を通じた『輿論』
の中にある『民意』を理解し、多数派の精神的な指
導者として『世論』を『輿論』に変えていく役割を
果たすことによって、はじめて『主権は人民(国民)
にあり』が成立する」旨のことを、吉野作造氏の主
張を引用しつつ展開しています。
これらの言葉の一つ一つに全く納得するものがあり
ます。国の指導者たる政治家は、国民から選ばれな
がらも、一般の国民などがはるかに及ばない知恵や
リーダーシップを保持し、官僚や各界の専門家を凌
駕する“ジェネラリスト”として、“国家として何
をすれば良いのか”の視点に立って「国家の舵取り」
を果敢に実施する気概と知恵と実行力が求められて
いるのです。
そのためには、中西氏や佐伯氏が指摘するように、
政治家は、主義主張に多少の違いはあっても、その
根底に国家観や歴史観や愛国心を保持し、過去、現
在、未来という歴史の繋がりの中で、世界的な視野
に立ち、客観的な立場で物事を判断できる「資質」
を保持する必要があると考えるべきでしょう。
実際には、選挙によって当選さえすれば、政治家と
しての「資質」を何ら問われることなく、“だれで
も”政治家になれます。だからこそ、一度も登院す
ることなく外国に所在し続けたような人物でも国会
議員になれたわけだし、収賄事件などに関与する政
治家も後を絶たないのです。
「落選すればただの人」とよく言われますが、私は、
逆に「当選さえすれば誰でも政治家になれる」よう
な“現状”をこのまま放置してよいのかという疑問
を消え去ることができません。
個々の政治家が、政治家の必要条件としての「資質」
を保持しておれば、アプローチが異なる政党が複数
存在し、相互に活発な議論を交わしても、国民の政
治に対する信頼は揺るがないし、我が国の「政治力」
は、世界に伍して評価されるレベルに届くと確信し
ます。
特に、対外的な意味で言えば、細部の紹介は省略し
ますが、戦後政治の中で、安倍元首相のように、日
本の「外交力」を世界に知らしめた政治家が輩出さ
れていますので、要はやはり「資質」なのだろうと
思います。
この「外交力」の行使にあたって最も優先すべきは
「真の国益」であることは論を俟ちません。現下の
情勢において、我が国の「国益」上最優先すべきは、
日米同盟などと連携を図りながら「台湾有事」を何
としても回避することでしょうから、そのためにあ
らゆる国家諸力を総和して対処するとの強い意志を
もって「外交力」を駆使することが求められている
と考えます。
冒頭の福島原発の処理水をめぐる岸田首相の発言な
どについても、“外交上の最優先課題を念頭におき、
「何を発言すべきか」を考えているのか”と言いた
くなるのです。逆に中国側は、発言の一言一言が自
分たちにとって“最も有利な態勢造り”(つまり
「国益」)を考えつくした上での内容であることは
明白です。中国との間では、しばらくこのような
「外交戦」や非軍事面の“戦い”が続くことでしょ
う。ひるんだ方が負けですし、実際に「台湾有事」
が現実になった場合に被る影響は途方もないものが
あります。
ポスト・ウクライナ戦争において、我が国はロシア
とどのように向き合っていくべきかについても外交
上の課題となることでしょう。中国、ロシア、それ
に北朝鮮を相手に、我が国の「政治力」(外交力)
が本当にその力を試されるのはこれからでしょう。
▼「国力」の1要素としての「政治力」総括
様々な危機に直面している今、「国力」の維持に代
表されるような、次の世代に残していかなければな
らない「国家のあり様」に関する根本的改革に向け
た議論が待っていると私は考えます。その牽引車は、
何と言っても政治家の先生方であり、強い「政治力」
をもってはじめて成し遂げられることでしょう。
前にも、「政治家のだれかが『君子豹変』すること
をひたすら祈り続けている」と書きましたが、今を
生きる世代の先頭に立って、我が国の「政治力」、
ひいては「国力」の大幅アップにチャレンジしよう
とする、卑近な言葉を使えば、“真っ当な政治家
(達)”の出現を待望したいものです。
思いの丈をだらだらと書き綴ってしまいました。門
外漢の立場であまり口を出すと、様々な批判の声が
聞こえてきそうなのでこのあたりで止めますが、さ
ほど優先順位が高いとは思わないような案件が政局
となって貴重な時間を費やし、それを年中行事のよ
うに繰り返していることが、結果として国民の政治
不信と政治離れを加速し、「選挙と政局しか関心が
ない政治家」と揶揄されるような“現状”になって
いるのではないでしょうか。
政治家の先生方には、我が国が直面するであろう厳
しい将来環境とともに、このような“現状”の根本
原因の究明と対策について、“自らの身を切る”覚
悟で分析・検討して改善してほしいと願っています。
実際に少子高齢化に向かう我が国にあっては、国政
も地方自治体も現在のような政治家や官僚(地方公
務員)の規模を抱えている余裕はなくなることでし
ょう。そんなに遠くない将来に、政治家の質と量両
面から“大ナタを振って”大改革を断行しなければ
ならない時期が迫っていると考えます。
一方、有権者たる国民の方も、このままでは将来に
禍根を残すことでしょう。前に紹介しましたが、イ
ギリスの歴史家トーマス・カーライルの「この国民
にしてこの政府あり」の言葉のように、選ぶ側のレ
ベル以上の政治家が輩出されることはなく、その延
長で政府もそのレベルに留まるということは、戦後、
我が国が“最適な制度”として選択した(選択させ
られたというのが真実かも知れませんが)民主主義
の本質です。
どちらが鶏か卵か、は難しいですが、政治家として
の「資質」を有する人物を指導者として選ぶのは有
権者たる国民です。そのため、国民のレベルを上げ
ていく必要があることもすでに述べました。しかし、
戦後70数年の間に定着し、「戦後の形」を形成し
ている国民の「行動原理」を“1ミリでも変える”
ことは容易なことではありません。
このあたりの「国民意識」についは最後に取り上げ
ようと思いますが、その第1歩として、次回以降取
り上げる「科学技術」や「教育」にも“メスを入れ
る”必要があるでしょう。私たち・戦後世代の責任
として真剣に取り組まなければならい分野はまだま
だあると思っています。“間に合えば良いが”と、
つい考えてしまいます。
(つづく)
(むなかた・ひさお)
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会社を辞めた理由
2023年7月末、10年以上勤めた会社を退職した。 8月上旬から中旬は、去年の引っ越し後に手つかずになっていた段ボールの開梱と断捨離をしていた。必然的に段ボールの中の本も断捨離することになり、古書店に60冊ぐらい売った。
そして8月下旬から、短期留学でハワイに来ている。 語学学校に通いつつ、空き時間には観光もして、これまでの疲れを癒しつつ今後に向けてエネルギーをチャージしている。 (とは言っても最初の一週間は宿や学校などの不慣れな環境に馴染むことで手一杯だった……今週はもう少し穏やかに過ごさせてくれ……!)
会社には、退職の理由を、健康診断で視力が大幅に低下してしまい、翻訳チェックの仕事をずっとやるビジョンが描けないので……と説明した。視力は本当に下がっていたので、嘘ではない。 でも、実際にはもっと別の理由がある。上司に言って解消されるような内容ではないので、会社の人には言っていない。 ハワイ生活が軌道に乗り始め、ブログを書く余裕が出てきた今のタイミングで、会社を辞めた本当の理由をちゃんと振り返りたい。
本当の退職の理由は、以下の4つだ。
1) 「社員と非正規雇用」という歪な関係に疲れた
2) 自分に合った仕事を探す意欲が高まった
3) 経営陣が価値観をアップデートできていないことが辛くなってきた
4) 「父に認められなければ」というプレッシャーがなくなった
「社員と非正規雇用」という歪な関係に疲れた
3年前、部署異動することになった。配属先は女性だけの部署で、7人のうち社員は私を入れて2人、他5人はすべて非正規雇用(派遣か業務委託)だった。 私に割り振られた仕事は、その職場で2年以上働いているベテランの派遣さんが担当していた。私は社員として入社していたので立場としては派遣の人より上だが、その部署での経験という点では後輩という立ち位置だった。
ベテランの派遣さんは、ものすごく仕事のできる人だった。ミスをなくすという目標への執着が桁違いだった。これまでずっと英語関係の仕事をやってきたが、このレベルでミスを潰せる人に出会うのは7年に1度レベルだった。私たちが担当していた技術系の翻訳チェックをするには最適の人財だったと思う。
最初のうちは、自分だって英語を人一倍学んできたのだから、チェック作業のフローになれればそれなりのレベルでチェックできるようになるだろうと思って頑張った。実際に、チェックの精度は徐々に上がった。でも、ある程度の期間その仕事をする中で、努力ではカバーしきれない適正上の問題に直面せざるを得なくなった。
多分私は、仕事のどこかにクリエイティブな要素がないと楽しめない。正確さを追求するより、面白さとか独自の工夫を考える方が向いている(この部署に来て分かったことではあるけど)。チェックの仕事をしながら、「私よりこの作業に向いてる人がいるんだろうな」という気持ちになることが多々あった。 そして、ベテランの派遣の人は、ミスなく正確にタスクをこなすことを楽しいと思えるタイプなのではないかと思う。逆に面白さや独自性を求められると、この手の人はどうしていいか分からなくなる。
ベテランの派遣さん以外にも、こういう人が職場に数人いた。
でも、立場的には社員である私の方が権限を持っている。そのまま偉くなれば、私は非正規の人たちに指示を出すポジションに就く。私の方が経験も浅く、仕事ができなかったとしても。
そもそも、非正規雇用というシステムが非人道的すぎる。 非正規で働く人には有給が与えられず、給料を減らされたくない人は体調が悪くても無理して出社せざるを得なくなる。いつ契約が切られるか分からないので、ローンを組んで家や土地や車などの大きな買い物をすることも難しい。結婚して子供を持つことを諦める人もいる。正社員と同じくフルタイムで働いても、こういう状況にある人は多い。
仕事のできる派遣の人が隣の席にいる環境でずっと働いていると、この問題について嫌でも考えてしまい、仕事そのものとは別の疲労感に襲われる。 そして、どんな事情があったのか分からないが、そのベテランの派遣さんは月に半日程度しか休みを取らなかった。私は月に1.5~2日ぐらい休みたいと思っていたが、派遣さんより上の立場の人間が派遣さんより休むというのはかなり気が引けるため、気軽に休むこともできない。消化できない(そして今後も消化できる見込みのない)有給が、どんどん溜まってゆく。 このまま偉くなったらもっとしんどくなることが目に見えていたので、メンタルを病んだりする前に退職しようと決めた。
自分に合った仕事を探す意欲が高まった
2021年、私の書いた小説が、三田文學新人賞の佳作を受賞した。 小説は8年ぐらい書いていて、過去に色々な新人賞に3回出したものの結果が出ず、才能ないのかなー時間の無駄なのかなーと思いながらも気が向いた時に書くことを続けていた。 初めて賞を貰い、自分の作品が広く読まれたり、文学を生業にしている人からコメントをいただいたりしたことで、やっぱり私はクリエイティブな活動に向いている!と確信できた。
この経験を経て、文化・芸術方面の業界で英語を使う仕事を探そう、という気持ちが固まった。 私は文学や美術を専攻しておらず(専攻は経営・会計学)、その分野の職歴もないが、履歴書に「三田文學新人賞佳作���と書ければ、その手の求人にも応募しやすくなる。そして、親や周囲の人にも説明しやすい。
経営陣が価値観をアップデートできていないことが辛くなってきた
2017年に、反女性差別のキャンペーン「#MeToo」が世界中にインパクトを与え、フェミニズムやセクシュアリティ研究など旧来の家父長制を問い直す学問への関心が高まった。日本でも、昔は大型書店の奥の棚に数冊あるだけだったフェミニズムやセクシュアリティ関連の本が、#MeToo後には大型・小型書店の平台に並ぶようになり、少なくとも東京では空気が変わったのを感じる。
こうした変化に伴って私の意識も変わり、自分の職場にある理不尽な出来事や慣習が気になり始めた。
私の周りで、育児休暇や子育て目的の時短勤務をしている女性を沢山見た。 でも、勤め先にそういう男性は一人もいない。課長などの役職に就いている人が率先して育休や時短を活用すれば部下たちも同じことをしやすくなるのに、誰もやらない。
また、セクシュアルマイノリティへの想像力を欠いた制度にも違和感を覚えるようになった。 私がいた会社では、社員が結婚すると共済会から祝い金が出る。 でも、ゲイやレズビアンの社��が人生を共にするパートナーを見つけた場合については、何も書かれていない。社員数が1,000人を超えている会社なので、ゲイやレズビアンがいてもおかしくないのに。 最近は、同性カップルが結婚できないことで直面する困りごとについて、様々なメディアで報じられている。自治体によっては、婚姻関係に準ずるものとしてパートナーシップ制度を導入しているし、同性婚を合法化すべきという声も強まっている。 しかし、それでも、共済会のルールは変わっていない。同性パートナーシップの届けを自治体に出したと報告した社員には、結婚した社員と同額の祝い金を渡すなどのルールが加わる気配はなかった。
経営陣は、ドローンやAIなどのビジネスのトレンドについては、プロジェクトチームや勉強会を立ち上げて追いかけようとする。 一応、女性の働きやすさを促進する試みも行われてはいる(男性の育休取得増は達成できていないものの)。 それなのに、セクシュアルマイノリティをめぐる問題については、一切アクションを起こさない。何で?
私が定年まで辞めずに働くとしたら、あと20年この会社にいることになる。 経営陣を信頼できない状態で、20年も働き続けられる気がしなかった。
「父に認められなければ」というプレッシャーがなくなった
2020年下旬、父が亡くなった。 私は一人っ子なので、葬儀の準備や役所での手続き、遺品の整理などを、母と分担して進めた。父が亡くなった時点では私は一人暮らしをしていたが、母が実家の一軒家を売ってマンションに越すと言うので、私も同居することにした。
昨年の4月、一人暮らしのアパートから広いマンションに引っ越した。 荷造りを仕事と並行してやらなければならず、ずっと忙しかった。 転居から3ヶ月ほど経って、ようやく生活が落ち着いてきた。昔より広くなった部屋で、自分にとって父とは何だったのかをゆっくり振り返れるようになった。
父がいなくなって、これまでの私は、「父に否定されたくない」「父にいっぱしの人間として尊重してもらえるような生き方をしなければ」という気持ちで、人生の様々な決断を下してきたことに気付いた。
前の勤め先で、仕事が今一つ楽しめなくても10年以上働けたのは、父に対する意地があったからだ。 「私はそれなりの会社で真面目に働いて、高給とは言えなくてもそれなりの額を稼ぎ、一人暮らしできるぐらいの経済力がある。だから、私の人生に対して口出しはさせない」という意識が、私を支えていた。私の着るものや細かい行動に気が向いたタイミングで難癖をつけ、「俺はお前より優位に立っているんだ」と定期的に示したがる父に対抗するためには、安定した仕事や経済的自立という拠り所がどうしても必要だった。
しかし、父の干渉を阻止して自由に生きるためにとった行動が、新たな不自由を生むことになった。 本当はもっと自分に合った仕事があるような気がしても、やりたいこと基準で転職して今より給料が下がれば、父は必ず文句をつけてくるだろう。そうなるくらいなら現状維持でいいや。そんな思考から、私は違和感を抱えながらも転職を決断できなくなった。 仕事だけではなく、父に何か言われるのが煩わしいという理由で、実家に帰る時に文句をつけられない服装を心掛けたりもした。何故そこまでしてやらなければならなかったのか? 思い返すと悔しい。
父がこの世からいなくなったことで、ずっと私を縛っていたものが失われた。 しがらみから解き放たれて人生を振り返り、私が無意識のうちに自分に課してきたものの大きさを思い知った。 人生の選択を自分の意思で下してきたと思っていたけれど、実際は仕事という人生の大きな要素を自分の純粋な欲求で決めていなかった。こうして言葉にしてみると情けない話だが、事実なので仕方ない。
だから、会社を辞めて短期留学をすることは、自分の人生を取り戻すための儀式でもある。 これからは自分に関する重要なことは自分で決め、それによって生じた失敗も自分で引き受ける。 何かあるたびに他人や環境のせいにして嘆くような、自分の人生を「生きさせられている」みたいな状態を、この辺りで終わらせたい。
今後について
今、この文章をホノルルの家具付きマンションで書いている。 会社や仕事に対する責任から解き放たれ、しがらみのない土地で過ごすという、前例のない体験をしている。 語学学校の授業は難しいところもあるが、落第が危ぶまれるほど深刻ではないので、まあ何とかなるでしょう。
短期留学を終えて帰国したら、1年ほど学生をやる予定だ。 1年間で学芸員過程や諸々の資格を取り、その後に転職活動をする。
ここまで文章を読んで、「こいつ30代後半なのにまだ『自分探し』やってんの?」みたいな感想を抱いた人もいるだろう。 確かに日本社会では、この年代の人間は結婚して家庭を持って子育てをしているのが望ましいとされている。 でも、私としては「たまたまこのタイミングだったので仕方ないんです」としか言えない。傍から見たら不可解かもしれないが、自分の人生を取り戻すためにどうしても必要なことだから、今やらざるを得ない。
そして、パートナーや子供がいないタイミングで人生を見直せてよかったとも思う。例えばローンを組んで家を買った後だったりしたら、その家に住んでいる人全員が私の自分探しに巻き込まれることになって、さらに大変になるだろう。 (もちろん、パートナーや子供ができた後に生き方を変える必要が出てくる人もいるとは思う。そういう人が別の可能性に挑戦するのが悪だとは思わないが、相手のキャリアが変わる前提で一緒になったわけではないパートナーや子供が納得しなかった場合、家庭という一つの拠り所が失われることも覚悟しなければならないわけで、今の私以上にリスクを負うことになる気がする。) あと、私の母が老後の資金を確保できていることにも感謝しかない。私が母を養う必要があったら、1年働かずに勉強することはできなかった。ありがとうございます。
書くべきことを書ききったので、これからの1年を有意義に過ごすという決意とともに、この記事を終わりにしたい。 まずは語学学校を修了すべく、目の前の課題をしっかりこなす。 そして、ホノルルで過ごす人生の夏休みを、全力で楽しむ!
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