#私の針仕事展
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ゴッホ展を観に、友だちと東所沢まで行ったけどチケットが売り切れだった。仕方ないね、といって、でもせっかくきたんだし、と思って、コンビニに寄って買ったパピコを片手に緑の中をすこし歩く。今年の夏、はじめて蝉をみた。繊細な模様の羽根がか細く音を立ててはためいている。「ほぼ水になったアイスがいちばんおいしくね?」 そういう、ぼそっとつぶやいた何気ない言葉は静かにがらんどうの青空の中に溶けていき(あるいは沈んでいき)、わたしたちの夏の匂いの一部となっていく。この広い空に眼があったなら、風にくちびるがあったならどれほどうつくしいのだろうかをずっと考えていた。全ての境界線が暑さでじわじわ入り交じりゆくのを肌で感じながら、たとえばアマゾンの熱帯雨林に想いを馳せること、深海魚の生態について検索すること、もう2度と逢えない人に逢いたいと願ってしまうこと。前に好きだった人に「どうしようもできないものがすき」という言葉で夏が好きなことを伝えたら、「死も?」と返答された。なんでよ、なんで死はいつもそんなに暗くて辛くて悲しくて暴力的で痛くてさみしいんだろう?どうして。わたしはそんなふうに感じる機会が少なかったから、どんな返事をしたらいいのかわからなくて困ってしまった。だって死に近いものこそ、本当はなによりもうつくしいのかもしれないと思うから。蝉と、太陽。海、燃え盛る炎と、富士山。死者の言葉や羨望、未練、その姿かたちは今この瞬間にも車窓から見える光景の隅々にまで溶け込んでいて、わたしたちは明日もまたアスファルト下に沈む沢山の人間の流した血と涙の上を歩いていく。草花の幹に、雨の雫の一滴に、海水の塩になって、失われた生命はその記憶を繋いでいく。そんなことをぐるぐる何度も考えては、ほんとうにこれでいいのか、これが正しいのか、わたしはまた自らの想像力の足りなさでだれか傷つけていないだろうか?と言葉を反芻していた。大学の講義のフィードバックで「だれのことも傷つけずに生きていくことができない世界なら生きていきたくない」という学生のコメントが紹介された。そのときに先生(その人は先生と呼ばれるのを嫌う人だったけれど)が「怒りの気持ちは大切にするべきもの/忘れずに守っていくもの」と言っていた。あなたがそう感じてしまうのはあなた自身の問題ではなく、そう思わせてしまう社会の問題であり、その社会に対する怒りとあなたは向き合わなくてはいけない。そんなようなことを言っていた気がする。親愛なるわたしへ。怒りに含まれる矛盾や素直な疑問は必ず次のより良い環境の土俵になるし、そうして得られた安らぎはだれかの優しくありたいと思う理由としてきっと光っていくから大丈夫。友達と東所沢から今度は渋谷まで移動して、おいしいサンドウィッチを食べた。ドンキホーテでピアッサーを買って、店頭に並ぶサンプル品のアイライナーで耳たぶに印をつける。不安な気持ちよりも、ピアスホールっていう一生残るかもしれないものを親友がわたしに頼んでくれたという事実を愛おしく思う気持ちの方がつよかった。渋谷の騒音の中、針が耳たぶを貫通する音はほんとうに小さかった。わたしの呼吸音はすごく小さかった。わたしたちの微かなときめきすら、その瞬間に街のどこかで繰り広げられているであろう壮絶なドラマと比べれば小さいのだろうなと思った。でも、それでよかった。それがよかったのだ。「ピアス開けたら人生って変わるらしい」と、友達が耳を冷やしながら呟く。わたしは3月にピアスを開けたけど、そこからの人生すごく色鮮やかだったなーと思う。新しく出逢ったひとがたくさんいる。つらいこともあったし、人のことを信じたくないと思うことも多かった。でもわたしは多分どんなことがあろうと人との関係を疑いからはじめない。人のこと信じないことを選択するくらいなら信じて裏切られたほうが美しく傷つけるし、好きな人に期待しないでいるよりも期待してしまう自分の幼さや素直さをいとおしく思えるほうが伸び伸びとやさしい。一昨日、Twitterに写真を撮らせてほしいとのDMをいただいた。レンタカーで三浦までいって、ほとんどはじめてわたしは人が誰もいなくなった海に入った。その日は全てが青くて、露わにした太腿にはオレンジの花の花粉の色が染み付いた。下着にレースのワンピースだけ羽織って、押し寄せてくる波に体重を預ける。髪が濡れて、額に張り付く。海ってこんなに塩っぱいんだ、こんなに力強くて、こわいんだ、たのしい、なんてことを感じながらカメラのレンズをみつめる。まるでその先に昔の自分がいるような気がして、涙がでてしまいそうだった。「知らなかったこと」が一瞬のうちに「知っていること」になっていくこと、その瞬間の微かな光の揺らめきと運命の歯車の軋む音が、夏の全てに意味を与えていく。もっと傷つきたい。駆け出していきたい。わたしも大人になったら、その人が私にしてくれたように、自分よりも幼いエネルギーの塊みたいないのちに素敵な景色を見せてあげたい。そう思える旅路だった。眩しくて鋭く発光する若さをぎゅっと抱きしめる。あなたの瞳をみつめながら、その眼差しに自分の人生の影を溢したこと。そこで交差した運命のような幻のような愛でもない何かについて考える。傷ついた分、その傷口に咲いた花の香りの美しさで感性の彩りが増すように、わたしは言葉を諦めたくない。ねえ、私に逢いたい?未来のわたしは過去のわたしを慈しめているかしら。わたしはずっと昇って登っていく、丘の上で逢いたい。
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「宮崎正弘の国際情勢解題」
令和六年(2024年)11月27日(水曜日)
通巻第8523号
法廷戦、トランプ場外で勝利、検察、訴追取り下げ
DEI を「MEI」(メリット、卓越性、知性)に置き換えも開始
*************************
2020年大統領選で自らの落選を覆すために選挙手続きに違法に干渉した等と言いがかりをつけられ、左翼司法当局から起訴された案件で、捜査を指揮したスミス特別検察官はワシントン連邦地裁に起訴取り下げを申し立て、受理された。
トランプが退任時にホワイトハウスから持ち出した機密文書起訴も取り下げた。
法廷戦によってトランプ陣営の印象を悪化させ、同時に選挙資金枯渇に追い込むなどの巧緻に長けた選挙妨害戦術は、そもそも最初から司法の武器化であり無理筋の裁判、これらを取り下げたことは米司法にも良識、というより法の常識が通用することが分かった。
スミス特別検察官は「犯罪関与の容疑者が大統領に在職中は刑事責任の追及は行わないとする司法省の従来の方針に沿った」とし、「起訴取り下げは「被告人(トランプ氏)への訴えに利益があるかないか、立証の強弱で判断されたものではない。容疑が晴れたわけではない」と強調した。
スミスはトランプから馘首される前、1月の第2次トランプ政権発足前に辞任する見通しである。これでディープステーツの一角が崩れる。
トランプ次期大統領は、自身に「予防的恩赦」を与えると観測されている。
トランプはNY州地裁で「不倫口止め料」に絡む不正会計事件で有罪評決を受けているほか、ジョージア州地裁でも起訴されていた。
機密文書事件ではフロリダ州地裁が既に7月に、「起訴は無効」と判断したもののスミス側はこれを不服として上訴していた。ジョージア州の裁判では検察のスキャンダルが暴かれ、起訴取り下げになった。
残るNY州は検察官の任命、否認は大統領ではなく、州知事に属するため、つぎはホークル知事(民主党、女性)の判断に焦点がうつる。
▼反WOKE運動はDEI否定、MEIに
ロビー・スターバックは、アメリカの企業環境を[狂気と虹]から「正気と中立」へと訴え、広範な対企業運動を展開してきた。「物言うインフルエンサー」のチャンピオン、保守層の支持が厚いポッドキャスターが、ロビー・スターバックだ。
かれのSNS投稿がきっかけで、複数の米企業が環境施策などの方針変更を迫られた。ネット上の影響力を使い、一夜にして大規模な運動を引き起こすインフルエンサーが標的にした企業のWOKEからの離脱が目立つようになった。
一番乗りはホームセンター大手、トラクター・サプライだった。一部の環境保全や社会貢献に向けたプログラムの廃止を決めた。
ついで、スターバックはトラクター・サプライ、ハーレー・ダビッドソン、ポラリス、インディアン・モーターサイクル、フォード、クアーズ、ジャック・ダニエル、キャタピラー、ボーイング、トヨタなどの企業の極左迎合姿勢に圧力をかけ、「DEI(多様性、公平性、包括性)とかの奇妙でキャンセルカルチャー的な慣行から脱却させた」と反WOKE運動の成果を発表した。
就中、ウォルマート経営陣と「解決策��見つけるための建設的な話し合い」を行った結果、ウォルマートはWOKE(目覚めた政策)を終了すると決定した」と、スターバックはXに書いた。「ウォルマートが約束した改革はアメリカ企業全体に衝撃を与えるだろう。左翼活動家が仕掛けた『企業の覚醒』を終わらせたいと願う同社の��部らは称賛に値する」と付け加えた。
ウォルマートが約束した変更点は以下のとおり。
(1)ウォルマートはHRCの企業平等指数に参加しない。
(2) ウォルマートのマーケットプレイスを監視し、子供に販売されている不適切な性的製品やトランスジェンダー製品を特定して削除する。助成金の資金提供を回避する。イベントへのすべての資金提供を見直し、子供を対象とした不適切な性的コンテンツへの資金提供を避ける。
(3)特別取り組みとして設立された人種平等センターを延長しない。サプライヤーの多様性プログラムを評価し、これらに基づいてのサプライヤーに優遇措置や利益が提供されないようにする。融資の適格性については、特定の人口統計データの提供を前提としない。
(4)ウォルマートは今後、公式コミュニケーションでDEI用語を使用しないし、また人種平等研究所を通じた研修を中止する。
(5)ウォルマートは、敬意と協力のある環境を確保しながら、DEI という用語の使用を中止し、従業員と顧客の帰属意識を重視する。
かくしてバドワイザー、ディズニー等で始まったWOKE企業へのボイコット運動は実を結んだといえる。
スターバックは続ける。
「企業の状況は急速に正気と中立へと移行しています。私たちは今や例外ではなくトレンドなのです。アメリカ企業に正気を取り戻していきます」。
ディープステーツノ資金源でもあったDEIが崩壊し始めたが、さて「かれら」は次に何を考案するだろうか?
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58年にわたる闘いがついに決着 袴田巌さん(写真/時事通信社) 9月26日、今から58年も前の昭和41年に起きた袴田事件の再審裁判の判決が静岡地裁で下される。 検察は国家機関の面子のために袴田が真犯人だと主張するだろうが、証拠が警察に捏造されたことが暴露されていることなどから無罪になる公算は大きい。 無罪の場合、戦後の4大冤罪死刑事件と数えられる、免田事件(昭和23年、熊本県、同58年無罪)、財田川事件(昭和25年、香川県、同59年無罪)、島田事件(昭和29年、静岡県、平成元年無罪)、松山事件(昭和30年、宮城県、同59年無罪)に、この袴田事件が加わり、5大冤罪死刑判決となる。 そうなると、冤罪大国・日本の「司法のいい加減さ」がさらけ出され、国民から警察、検察、裁判所は信頼を一層なくすことだろう。 この袴田事件は突如として起きた冤罪と思う人もいるかも知れないが、そうではない。日本の司法には昔から冤罪体質があり、それが起こしたといってもよい。 中でも袴田事件が起きた静岡県内では戦後に次のような冤罪事件が起きていた。 ・幸浦事件(昭和23年、袋井市、死刑、ほか求刑、同38年無罪) ・二俣事件(昭和25年、浜松市、死刑求刑、同32年無罪) ・小島事件(昭和25年、静岡市、無期懲役求刑、同34年無罪) ・島田事件(昭和29年、島田市、死刑求刑、平成元年無罪) 紅林���雄という「負の遺産」 これらの事件の背後には後に「冤罪王」「昭和の拷問王」と呼ばれた紅林麻雄(1908~1963)という静岡県警の刑事がいた。 例えば二俣事件。静岡の片田舎で一家4人が何者かに惨殺された事件だが、地元の二俣署では犯人が中々捕まえられなかった。 そこへ名刑事と呼び声高い紅林が派遣され捜査をした。紅林は証拠もないのに地元の少年を犯人だと決め付け逮捕し、部下に少年がボロ雑巾のようになるまで拷問させ、嘘の自白をさせた。 それを知った二俣署の山崎巡査が少年にはアリバイがあり犯人ではないと批判する。すると、紅林は「少年がアリバイのために時計の針をずらして工作した」と言いがかりをつけて、少年を犯人に仕立て上げた。そればかりか批判した山崎巡査を捜査から除外し、精神異常者であると医師に診断させ、警察も辞めさせた。 紅林は他の島田事件でも知的障害のある青年を証拠もなく捕まえ拷問し、自白させ、証拠を捏造するなど狡猾なことを繰り返し、無実の人を死刑囚にした。そんなことばかりして「手柄」を上げていったのである。 そんな紅林の姦計を知ってか知らでか警察上層部や検察が紅林は優秀な刑事だとし表彰した。それが在職中に351回もあったというから常軌を逸している。 是正されなかった冤罪体質 その後、二俣事件など一連の裁判が行われ、次々と死刑判決が無罪判決に転じると、さすがの警察上層部も不信を抱かざるをえなくなり、紅林を訊問した。それに対し、紅林は「私は間違っていない。国の治安のために家族の幸せも顧みずに働いたこの私のどこが悪いのか」と自己弁護をしたという。 しかし、結局紅林は警察を退職した。その後、家で酒浸りになると体を壊し、昭和38年に55歳の若さで脳出血により死去した。 これを機に静岡県警での冤罪体質は是正されると誰しもが思ったのではないか。 しかし、紅林が死去した3年後の昭和41年に問題の袴田事件が起きた。味噌会社専務の家族4人が殺害された上、放火されるという傷ましい事件である。 警察は事件の捜査をしたが、中々犯人が捕まらない。事件を担当した清水署には市民から警察は何をやっているのだ、と責め立てられる。上司は上司で部下に早く犯人を捕まえろと命令する。 上司は任務する短い期間に大事件が起きると、自分の出世に響くために早く片付けたいのである。雲の上の存在の上司に命令された部下たちはヘビに睨まれた蛙のようになり、何とかしなければならないと焦る。 その時、部下たちの頭に浮かんだのが紅林のやり方である。 日本の司法は発展途上国並み 清水署には紅林の下で働いた部下が何人かいた。結局、誰でもいいから犯人に出来る者を捕まえて無理矢理自白させればいい。証拠が必要ならば捏造すればいい。そうすれば何もかも安泰だ。 実際、稚拙な証拠を捏造し、袴田を死刑囚に仕立て上げた。紅林死すとも冤罪体質は生きていたのである。 だが、これらの警察、検察、裁判所の姦計も担当弁護士らの地道な尽力によって解明され、今、ようやく無罪判決に辿り着こうとしている。弁護士らの努力がなければ、袴田を始めあまたの冤罪被害者が刑場の露と消えていたことだろう。想像するだに日本の司法は恐ろしく発展途上国並みだと思わざるを得なくなる。 もし、袴田事件が無罪になったとしても喜んでばかりいられない。 現在、日本では「北稜クリニック事件」「日野町事件」「大崎事件」などのように牢獄から冤罪を訴えている人たちはまだまだたくさんいる。流れ作業のように判決が済んだからそれで終わりと刑務所、拘置所に放り込んでおくのではなく、無実を訴える者には納得するまで裁判を開き意見を聞いてやるべきだろう。 そうでなければ、無実の人たちを司法殺人で闇に葬ることになる。そうならないためにも警察、検察、裁判所にはより一層の慎重さを望むと共に、市民の我々も司法の動向を見据える必要がある。 具体的には証拠開示の制度化や再審開始に関する検察の抗告禁止などの法改正である。それらが確立しなければいつまた静岡だけでなく、自分の身の回りでも冤罪事件が起きないとも限らないからだ。
静岡県警が生んだ《昭和の拷問王》の呪縛に終止符か…再審判決「袴田事件」が突き付けた冤罪大国・日本の「司法のいい加減さ」(現代ビジネス) - Yahoo!ニュース
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健康の話。
ここ何年か、コロナ禍がはじまるちょっと前からだったので4、5年ぐらいか、ホルモンの出がトチ狂っとって調子悪い、デバフがデフォルトみたいな感じになっていて通院したり薬飲んだり数ヶ月おきに血液検査したりしていた。
��コロナ真っ只中の時期に通院をサボってしばらく経ってしまい、まあその間他の体調不良等で通院したりリハビリしたりで医者にはかかっていたんだけど、いやーさすがにちょっと間もあいちゃったしホルモンがちゃんと出てないとかいうの今どうなってんだ? ちゃんと確認しよと思って先月検査したりしてたんだが、なんか正常値になっていた。
えっ しばらくなんもしてないのに? なんやったんや過去の数年間は……という気持ちでこれを書いている。実際ここしばらく「調子悪くないな」とは思っていた。風邪はひいたがそういうことではなく、全体デバフがないというか。
最初の調子悪の時期はかなり気持ちが死んでる時期でもあったので振り返るとストレスのせいだったりするのか? とも思うが、悪くなったのも良くなったのも具体的な原因はなんだかまるでわからない。生活サイクルもそんな変わってないし。よくわからんけど、特に治療も必要ないし薬飲まなくてもいいことになった。ありがたい。とりあえず定期検診だけになるのは大変助かる。
しかし体調にぶん回されてるなあ肉体からは逃れられないなあとしみじみ思う。
あと、最近の出来事としては、古い知り合いがナチュラル排外主義言動をしていてダメージ食らったりとかしている。これは主にTwitter時代のここ10年以内で形成された実体験はないのにインストールされる価値観問題だと思っているが、染みついた思考手順を他人がどうこう言って覆すのはまあまあ難しい、難しいね。何故なら整合性ある理屈は特にないから。ファンタジー幻想を共有しているがべつに同じ思想(だと思っている者)同士であっても認識が共通しているわけではなく、「身振りが同じ」なのだと思って見ている。ある言葉があると、それに対するレスポンスの言葉・身振りが同じ。意味の問題ではなく(話をすり合わせる気が最初からない場合話が通じてないことは問題にはならないから)、身振りがどの文化に属しているかが問題なのだ。使われる語彙、言動が差別的なのは身近にいる者にとってはかなりきついことだし、自分とは属性が違うとラベルした相手に対して直接加害には発展しないでくれと思う。
こういうことは私の親しい知り合いの中で過去何度かあって、できるだけ関わってひどい一線を超えないようにカバーできないものかとは思っているが、こっちのメンタルと体力も削られるので、身内だろうが親しかろうがもう人間関係自体やりたくないんだよなという気持ちも結構ある。
しんどいね。何とかならないかとは思ってはいるが、ひどく間接的にしか行動を起こせない。話が通じないのはどうしようもなく、意思疎通の方向では解決できないので。
こういうのを何度も経験すると、個性やオリジナリティ(だと共同体の中でみなされたもの)などがもてはやされる一方で、強力に身振りや発話の仕方を統一されたがるというメンタリティが少なくない人にあるなと感じる。そこで語られる「自由」みたいなもの、単に規範なのだと思う。やることを導いてくれる強い力が誰かにあって、それに倣って・身振りを与えられてそれを信じるというような。言葉の意味によって説得されたとか感動しているわけではなくて、共同体が先にあり、そこに属す安心のために信じている状態の維持をしている場合が多いと思う。自分自身がそこで生きづらくても。身振りを同じにする一体感と安心が必要なのは誰にとってもそうではあるが、その身振りが誰かに対する加害になっている場合、「その身振りはよくないよ」と言われることが、共同体・社会の崩壊のように感じられるのだと思う。だから強く反発してしまう。自分の安心が奪われる言葉に聞こえるのだろう。
指針なく生きるのが難しいのはそれはそう。どんな時代だろうとそれはそうなんだろうけども。根底にある不安のようなものをどう解消していくかが必要なんだろうけど、言うても他者の人生なので、なあ、という。うーん。福祉や個人の尊重がもうちょっとうまく機能する社会であれば、と、思う。
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TEDにて
ブルース・ファイラー: 家族のためのアジャイルプログラミング?
(詳しくご覧になりたい場合は上記リンクからどうぞ)
ブルース・ファイラーは、革命的なアイディアを持っています。
近代の家庭生活におけるストレスに対処するには「アジャイル(=機敏さ)」が大切だと。
プログラミングのソフトウェア開発における「アジャイルソフトウェアプロプラミング」に発想を得たファイラーは、フレキシビリティ(柔軟性)、アイデアのボトムアップ
絶え間ないフィードバック責任感を持つことを家庭でチームで実践し、その体験をみなさんにご紹介します。フィットできるか取り入れてみてください。
そして、今までにない、斬新なアイデアをお楽しみください。
アジャイルソフトウェア開発手法とは、ソフトウェア工学において迅速かつ適応的にソフトウェア開発を行うさまざまな人たちが開発したプログラミングのノウハウを集約した軽量な開発手法の総称とされている。
人数的には、10人以下の小規模なチームが、その時の状況に応じて、1か所で作業を行うプロジェクトの場合に使用されることが多い。
特に、予測困難な要件や頻繁に変更される要件に直面する小規模なチームにも、重宝される。似たような開発手法に、リーン生産方式もあります。
「アジャイル開発」は、日本のメーカーからシリコンバレーのベンチャー企業にまで広まったものです。 「アジャイル」では、メンバーを小さなチームに分けて短期間のタスクを進めます。
上層部から指示を発するのではなく、その小チームが各々の判断で動く訳です。常にフィードバックがあり、毎日情報のアップデートが行われます。毎週レビューを行うので常に変化があるのです。
では、この「アジャイル」が、企業とは全く異質の家庭などでどう役立つのでしょう?1983年。ニューイングランドの金融機関の技術者だったジェフ・サザーランドは
ソフトウェアの設計について大きな不満を抱いていました。会社のやり方は ウォーターフォール形式。つまり、滝のように上層部で決めた方針が、順々に下りてきて
そして、一番下がプログラマー。彼らの意見を聞く人など、誰もいない。83%ものプロジェクトが失敗に終わりました。完成時には、肥大しすぎていたり時代遅れだったり
サザーランドが目指した仕組みは、アイデアが上から流れてくるのではなく、下からアイディアを上げていって、リアルタイムに変化させられるものでした。
彼は、30年分のハーバード・ビジネス・レビューを読み、1986年のある論文に出くわします。
「The New New Product Development Game」(新しい新商品開発手法)「ビジネスのペースが速まっている」 と書かれています。1986年当時ですよ。「特に成功している企業はフレキシブルである」と記した上で
その論文に出くわした時。サザーランドは「これだ!」と思ったそうです。サザーランドの方式では、会社は2年もかかるような大規模なプロジェクトは、行いません。より小さな単位で行います。
最長で2週間。つまり、「その穴ぐらに閉じこもって、スマートフォンかSNSを作り上げてこい」と言う代わりに「何か部品を1個見つけて、持ち帰ってきてくれ。それで話し合って 組み込もう」
初期段階で成功か失敗か判断できます。最近では「アジャイル」は、多くの国で取り入れられマネージメント方法として浸透しています。
リーン生産方式はトヨタプロダクションシステムを研究して編み出された手法。
MITのジェームズ・P・ウォマック(James P. Womack)、ダニエル・T・ジョーズ(Daniel T. Jones)たちによって提唱。
サプライチェーンマネジメントにも応用されている。
マックステグマークの言うように・・・
人工知能分野では、準備がないままにつまづきながらアジャイル(=機敏さ)で進んで行くと・・・
おそらく人類史上最大の間違いとなるでしょう。
よく見えるアジャイルにも欠点があります。
アジャイルソフトウェアプロジェクトの欠点の一つは、過度な変更と追加がプロジェクトの進行を複雑化させ、予測困難な状況に陥る可能性があることです。
デマルコは、この問題に対処するために「スラック」の導入を提案しています。
スラックとは、プロジェクトメンバーがタスクの完了に集中するための余裕のある時間やリソースを指します。
デマルコによれば、スラックを設けることで予測困難な変更にも柔軟に対応でき、プロジェクトの品質と進行を改善することができるとされています。
アジャイルソフトウェアプロジェクトのもう一つの欠点は、過度なコミュニ��ーションの不足や不適切なコミュニケーションに起因する混乱です。
交換可能な部品ではなく基本的人権を尊重した人間として扱い
プロジェクトチーム内や関係者間の情報共有が不十分であると、タスクの理解不足や意思疎通の問題が生じる可能性があります。
デマルコは、この問題に対してもスラックの概念を応用します。
スラック���持つことで、チームメンバーはタスクに集中するだけでなく、コミュニケーションや問題解決にも十分な時間を割くことができます。
また、プロジェクト内でのコミュニケーションを活発化させるために、デマルコはフェイス・トゥ・フェイスのコミュニケーションを奨励し、情報の障壁を取り除くことを提案しています。
総じて言えるのは、デマルコのアプローチはスラックを通じて、プロジェクトの柔軟性を高め
コミュニケーションの質を向上させ、プロジェクト全体の健全な進行をサポートすることを重視している点です。
技術が、すべてのことを解決できると言いますが、我々が、100倍エネルギー効率のいい乗り物を作ることができるとすれば、大枠としてこれは正しい意見です。
しかし、エネルギー効率ではなく、生産性を高めた結果、イギリスは見事に産業が空洞化してしまいました。
参考として・・・
月面は、太陽風によりもたらされたヘリウム3が、鉱物資源として豊富に存在していることが確認されています。原子力発電や核融合に最適です。
注意事項として、基礎技術にリープフロッグは存在しません。応用分野のみです!
注意事項として、基礎技術にリープフロッグは存在しません。応用分野のみです!
注意事項として、基礎技術にリープフロッグは存在しません。応用分野のみです!
情報技術の発展とインターネットで大企業の何十万、何百万単位から、facebook、Apple、Amazom、Google、Microsoftなどで数億単位で共同作業ができるようになりました。
現在、プラットフォーマー企業と呼ばれる法人は先進国の国家単位レベルに近づき欧米、日本、アジア、インドが協調すれば、中国の人口をも超越するかもしれません。
法人は潰れることを前提にした有限責任! 慈愛や基本的人権を根本とした社会システムの中の保護されなければならない小企業や個人レベルでは、違いますが・・・
ヨーロッパでの一般データ保護規則(GDPR)でも言うように・・・
年収の低い個人(中央値で600万円以下)から集めたデータほど金銭同様に経済的に高い価値を持ち、独占禁止法の適用対象にしていくことで、高価格にし抑止力を持たせるアイデア。
自分自身のデータを渡す個人も各社の取引先に当たりデータに関しては優越的地位の乱用を年収の低い個人(中央値で600万円以下)に行う場合は厳しく適用していく。
キャシーオニールによると・・・
思考実験をしてみましょう。私は、思考実験が好きなので、人種を完全に隔離した社会システムがあるとします。どの街でも、どの地域でも、人種は隔離され、犯罪を見つけるために警察を送り込むのは、マイノリティーが住む地域だけです。すると、逮捕者のデータは、かなり偏ったものになるでしょう。
さらに、データサイエンティストを探してきて、報酬を払い、次の犯罪が起こる場所を予測させたらどうなるでしょう?
あら不思議。マイノリティーの地域になります。あるいは、次に犯罪を犯しそうな人を予測させたら?あらら不思議ですね。マイノリティーでしょう。データサイエンティストは、モデルの素���らしさと正確さを自慢するでしょうし、確かにその通りでしょう。
さて、現実は、そこまで極端ではありませんが、実際に、多くの市や町で深刻な人種差別があり、警察の活動や司法制度のデータが偏っているという証拠が揃っています。実際に、ホットスポットと呼ばれる犯罪多発地域を予測しています。さらには、個々、人の犯罪傾向を実際に予測しています。
ここでおかしな現象が生じています。どうなっているのでしょう?これは「データ・ロンダリング」です。このプロセスを通して、技術者がブラックボックスのようなアルゴリズムの内部に醜い現実を隠し「客観的」とか「能力主義」と称しているんです。秘密にされている重要で破壊的なアルゴリズムを私はこんな名前で呼んでいます「大量破壊数学」です。
民間企業が、私的なアルゴリズムを私的な目的で作っているんです。そのため、影響力を持つアルゴリズムは私的な権力です。
解決策は、データ完全性チェックです。データ完全性チェックとは、ファクト(事実)を直視するという意味になるでしょう。データのファクトチェックです!
これをアルゴリズム監査と呼んでいます。
最後に、マクロ経済学の大目標には、「長期的に生活水準を高め、今日のこども達がおじいさん達よりも良い暮らしを送れるようにする!!」という目標があります。
経済成長を「パーセント」という指数関数的な指標で数値化します。経験則的に毎年、経済成長2%くらいで巡航速度にて上昇すれば良いことがわかっています。
たった、経済成長2%のように見えますが、毎年、積み重ねるとムーアの法則みたいに膨大な量になって行きます。
また、経済学は、大前提としてある個人、法人モデルを扱う。それは、身勝手で自己中心的な欲望を満たしていく人間の部類としては最低クズというハードルの高い個人、法人。
たとえば、生産性、利益という欲だけを追求する人間。地球を救うという欲だけを追求する人間。利益と真逆なぐうたらしたい時間を最大化したいという欲を追求する人間。などの最低生活を保護、向上しつつお金の循環を通じて個人同士の相互作用も考えていく(また、憎しみの連鎖も解消する)
多様性はあるが、欲という側面では皆平等。つまり、利益以外からも解決策を見出しお金儲けだけの話だけではないのが経済学(カントの「永遠平和のために」思想も含めて国家や権力者は透明性を究極にして個人のプライバシーも考慮)
(個人的なアイデア)
電気を作る熱力学のサイクルで熱効率は、ほぼ50%、45%~50%の効率まで高めることは可能ですが・・・
高温の物体から熱を受け取り、電気という「使えるエネルギー」に変換できる機械を一般的に「熱エンジン」と呼んでいる。
高温の物体から受け取った熱エネルギーのうち、どれだけ活用できたかという比率を「効率」と物理学では定義している。
この効率は、原理的に超えられない「カルノー効率」という上限があることが知られている。
カルノー効率が達成されると、効率は上がるが、同時に仕事率がゼロになる現象。
つまり、熱エンジンの効率を最大限に上げると出力がほぼゼロになることを意味しています。そして、効率100%は物理的に不可能ということです。
中世で試行錯誤が行われたことに終止符が示され、機械での永久機関は作れないことが、この現象から理解できます。エネルギー保存の法則からも理解できます。
他には、燃料の持つエネルギーをどれだけ動力として取り出すことができるか?これをエンジンの熱効率と定義しています。
2020年の段階で、ガソリンエンジンの熱効率は最高で40%前後あり、10年くらい前までは30%程度。低燃費の技術競争もあるけどカルノー効率から限界も見え始めています。
だから、ガソリン自動車から電気自動車へ世界中の法人が開発を加速して切り替えている潮流があります。
しかし、人間自体を、追跡すると基本的人権からプライバシーの侵害やセキュリティ上の問題から絶対に不可能です!!
これは、基本的人権がないと権力者が悪逆非道の限りを尽くしてしまうことは、先の第二次大戦で白日の元にさらされたのは、記憶に新しいことです。
マンハッタン計画、ヒットラーのテクノロジー、拷問、奴隷や人体実験など、権力者の思うままに任せるとこうなるという真の男女平等弱肉強食の究極が白日の元にさらされ、戦争の負の遺産に。
基本的人権がないがしろにされたことを教訓に、人権に対して厳しく権力者を監視したり、カントの思想などを源流にした国際連合を創設します。他にもあります。
参考として、フランスの哲学者であり啓蒙思想家のモンテスキュー。
法の原理として、三権分立論を提唱。フランス革命(立憲君主制とは異なり王様は処刑されました)の理念やアメリカ独立の思想に大きな影響を与え、現代においても、言葉の定義を決めつつも、再解釈されながら議論されています。
また、ジョン・ロックの「統治二論」を基礎において修正を加え、権力分立、法の規範、奴隷制度の廃止や市民的自由の保持などの提案もしています。現代では権力分立のアイデアは「トリレンマ」「ゲーム理論の均衡状態」に似ています。概念を数値化できるかもしれません。
権限が分離されていても、各権力を実行する人間が、同一人物であれば権力分立は意味をなさない。
そのため、権力の分離の一つの要素として兼職の禁止が挙げられるが、その他、法律上、日本ではどうなのか?権力者を縛るための日本国憲法側には書いてない。
モンテスキュー���「法の精神」からのバランス上、法律側なのか不明。
立法と行政の関係においては、アメリカ型の限定的な独裁である大統領制において、相互の抑制均衡を重視し、厳格な分立をとるのに対し、イギリス、日本などの議院内閣制は、相互の協働関係を重んじるため、ゆるい権力分立にとどまる。
アメリカ型の限定的な独裁である大統領制は、立法権と行政権を厳格に独立させるもので、行政権をつかさどる大統領選挙と立法権をつかさどる議員選挙を、別々に選出する政治制度となっている。
通常の「プロトコル」の定義は、独占禁止法の優越的地位の乱用、基本的人権の尊重に深く関わってきます。
通信に特化した通信プロトコルとは違います。言葉に特化した言葉プロトコル。またの名を、言論の自由ともいわれますがこれとも異なります。
基本的人権がないと科学者やエンジニア(ここでは、サイエンスプロトコルと定義します)はどうなるかは、歴史が証明している!独占独裁君主に口封じに形を変えつつ処刑される!確実に!これでも人権に無関係といえますか?だから、マスメディアも含めた権力者を厳しくファクトチェックし説明責任、透明性を高めて監視しないといけない。
今回、未知のウイルス。新型コロナウイルス2020では、様々な概念が重なり合うため、均衡点を決断できるのは、人間の倫理観が最も重要!人間の概念を数値化できないストーカー人工知能では、不可能!と判明した。
複数概念をざっくりと瞬時に数値化できるのは、人間の倫理観だ。
そして、サンデルやマルクスガブリエルも言うように、哲学の善悪を判別し、格差原理、功利主義も考慮した善性側に相対的にでかい影響力を持たせるため、弱者側の視点で、XAI(説明可能なAI)、インターネット、マスメディアができるだけ透明な議論をしてコンピューターのアルゴリズムをファクトチェックする必要があります。
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一択から二択、二択から三択
「ボク達の生存逃走」のイベスト全部見た。すごく良かった。めちゃくちゃグッときた。
まふゆちゃ��の置かれている状況がどんどん悪くなっていく中、瑞希ちゃんが満を持して「明確に」まふゆちゃんに働きかける、言葉を届ける、想いを伝える、というストーリーだったけど、物凄く丁寧な展開で、かつ瑞希ちゃんにとっても大切な意味があるストーリーだったな、と思った。
あと、まふゆちゃんのお母さんの方針というか、手法が見えたのも凄くよかった。なんというか、やっぱり愛なんだなと思った。まふゆちゃんに対する愛ではある。ただ、その愛の手法が物凄く画一的で弾力のないものなんだな、と。幅もなく、狭く、そして潰しの効かない愛。もう少し突っ込んで言うと、赤ん坊や幼児に対する愛の段階で止まっている、硬直した愛だな、と。
赤ん坊や幼児は、社会の仕組みを知らないし、危険も安全もわからない。だから、ある程度成長した子どもなら触らないであろう、沸いたお湯の入ったヤカンに触れてしまったりする。周りを確認もせず、突然道路に駆け出してしまったりする。ヤカンが熱いこと、道路には車が走っていること、そういう危険があることをそもそも知らない。知識として持っていない。だから、大人が見たら無謀なことをする。命知らずなことをする。
だから、大人は赤ん坊や幼児の意志を無視して手を掴んでヤカンに触れないように、道路に飛び出さないように止める。どんなに触りたいと喚いても、走っていきたいと泣いても、大人は絶対に赤ん坊や幼児の手を離さない。自由を許さない。なぜなら、そこで自由を許せば、酷い火傷を負ったり、最悪の場合は命すら失うから。だから、自由を制限する。赤ん坊や幼児が怪我をしたり命を失うことがないように、と。それは愛だろう。その子の身体や命を守ろうという愛。
まふゆちゃんのお母さんは、そこで止まってるんだなと思った。まふゆちゃんを赤ん坊と同じように扱う。まふゆちゃんに選ばせることは危険だと考えているんだろうな、と思う。まふゆちゃんにそういう選択ができるということを信じていないというか、考えてもいない。まふゆちゃんはいつまでも子どもで、赤ん坊で、判断力のない無力な存在だとどこかで思っているんだろうな、と。
だから、選択肢を潰す。本来ならば無限にある可能性をひとつに絞ろうとしている。まふゆちゃんのお母さんが考える「確実に幸せになれる方法」の選択肢以外を全て排除しようとする。選ばせないようにする。そうすれば、まふゆちゃんが苦しむような未来への道を全て潰せると思ってるんだろうな、みたいな。
そして、今まではそれでよかった。少なくとも、小学生くらいまではそれでも良かったんだろうなと思う。私が小学生の時なんて、粘土齧ったり、ガラスで出来たグラスを噛み割ったり、危険な高い場所によじ登って転落したりしてるから、ある程度自由を奪うことは必要だっただろうなと思う。幸いにして私は怪我したり命を失ったりせずにここまで来たけども、運が悪ければ後遺症が残るような怪我や病気をしたり、最悪死んでただろうし( ᐛ ) だから、ある時期まで自由を制限する、奪うことは子どもを守ることにも繋がってた。
ただ、まふゆちゃんはもう高校生なわけで。そして、まふゆちゃんはとても聡く賢い子なわけで。もうそんな「とんでもなくリスクの高いこと」は選ばないくらいの知識や判断力を身につけていると思う。多少痛い思いするような選択肢を選んでしまうことはまだまだあるだろうけど、少なくとも取り返しのつかないデンジャラスな選択肢を選ぶような可能性はすごく低いと思う。粘土齧ったり、グラス噛み割ったり、高いところに登って転落するような事はしないと思う。
それなのに、まふゆちゃんのお母さんはまだ粘土を齧るような幼い子どもを相手にするように接している。自由の制限が赤ん坊や幼児の時のレベルと変わらず、物凄く少ない選択肢にしている。他にも無数にある幸せへ続く道を潰していって、自分がこれと思う選択肢だけを選ぶようにしている。選択肢を次から次へと潰している。それは愛だけど、とても幼い愛だな、と。
子どもがどうして向こう見ずに危険なことをするのかと言えば、知識がないのももちろんだけど、もうひとつの理由として、周りが見えてないからなんだよね。道路の向こう側にある綺麗な花しか見えてない。その道路に走っている車が見えていない。そういう狭い視野で世界を捉えているから、道路に飛び出してしまう。少し離れたところを猛スピードで走ってきている車が見えてないから飛び出す。
まふゆちゃんのお母さんの考える幸せも、それと同じじゃないかな、と思う。たった一つの幸せへの道しか見えてない。他にもたくさん幸せへ至る道があるのに、たったひとつしか見えていない。それ以外が目に入っていない。それならば、子どもが道路の向こう側にある綺麗な花に向かって走っていくのと同じじゃないかな、と思う。とても幼い行動だな、と。
何より、道路の向こう側にある花を走って見に行くというのは、自分の「見たい」という欲求が最優先になった行動なわけで。そこに他者が存在しない欲求でもあるわけで。尖った言い方をすれば、利己的な行為だとも言えるかなと思う。そう考えるならば、まふゆちゃんのお母さんが選択肢を潰して一つだけにする行為も、やはり同じく利己的だとも言えるだろうなと思う。「私の考える幸せ」には、他者が存在しないんだから。まふゆちゃんがそれを幸せと捉えるかという視点がないのだから、まふゆちゃんの存在がそこにほとんど意識されていないのだから、幼くて利己的な幸せ観とも言えるんじゃないかなぁ、と。
それに対して、ニーゴの子達やバーチャルシンガーたちは、ずっとずっと「まふゆちゃんの存在」を念頭に置いて考えたり行動したりしてきている。それぞれがそれぞれに、「私はこういう方法がいいと思う」と提示しながらも、「それを選ぶのはまふゆちゃんである」というところを常に意識している。あまりにも自分の意志を無視され続けてきたせいで、自分が選択肢を掴み取る事を悪い事だと思っているかのように動けないまふゆちゃんに対して「自分から動け」と檄を飛ばすことはあっても、この選択肢を選べと強要してはいない。それは、赤ん坊や幼児に向けられた愛よりももっと段階が上の愛だなぁ、と思った。
その人が「自分の手で幸せを掴むことが出来る」と信じる愛というか。その力を貴方は持っていると信じることが出来るというのは、相手を「無力な子ども」ではなく、「無限の可能性を持った子どもであり、人間である」と認めることでもあるのかなと思う。それはかなり発展した、進化した愛だなぁ、と。
ニーゴの子たちやバーチャルシンガー達は、まふゆちゃんの選択肢を「増やそう」としているんだなと思った。お母さんに潰されて見えなくされていた選択肢を、これだって選んでいい選択肢だよと掘り起こして見せている。んで、絵名ちゃんの家にまふゆちゃんが行ったイベストや、前回の奏ちゃんとまふゆちゃんのお母さんが対面したイベストで、明確に掘り起こされた選択肢が「立ち向かう」という選択肢だったんだな、と思う。お母さんが示した、たったひとつだけにした選択肢を「選ばない」という選択肢。そして、その選ばない方法として「反発する」という方法を提示した。
そして、今回のイベストでは、「選ばない」という選択肢の中にもうひとつの選択肢を掘り起こして見せた。選ばずに反発する、という選択肢だけじゃなくて、選ばずに逃げる、という選択肢を示した。それを示す役割を担ったのが瑞希ちゃんというのがめちゃくちゃに熱いな、と思った。
今までのイベストでは、奏ちゃんや絵名ちゃんが進んでいく様が示されていた。二人がそれぞれの抱えた問題に対して、文字通り向き合っていく姿が描かれていた。
もちろん、その描き方は二人とも違っていて、奏ちゃんはひとつひとつに向き合いながら、自分なりに納得出来る形に取り込んでいく形かなと思う。お父さんを壊した事実を見つめて、その事実に対して自分がどうしたいのか、何を願うのかをひとつひとつ考えて、自分の中に取り入れていくというか。事実を受け入れていくという感じかなと思う。そういう立ち向かい方というか。
絵名ちゃんは、真っ向から向き合って身体全部心全部でぶつかりに行って、そこで見つけた自分の問題点をひとつひとつ見つめて改善していく、みたいな感じかなと思う。ようは、事実と向き合い戦うという手法。戦うために力をつけようとするみたいな、かなりアグレッシブな方法で立ち向かっている。けちょんけちょんにされながら、時にKOされながら、それでも震える足で立ち上がってまたぶつかりに行く形。
形はこうして違えど、二人がしている事は明確に「向き合うこと」で。向き合い、片や受け入れていき、片や戦っていくという手段の違い。向かう先は似ているけど、そこに至る過程が違うのが奏ちゃんと絵名ちゃんなのかな、と思う。
そこに来て、瑞希ちゃんは今までのイベストではひたすらに逃げ続けている描写がされていた。向き合うことをせず、目を逸らしたり耳を塞いだりしながら、苦しい現実から距離を置き続けている。立ち向かう描写はなく、自分が逃げているという事実ばかり浮き彫りになっていくというだいぶつらい描写が目立つなぁと思ってた。
それが、ここで生きてきたなと思う。
瑞希ちゃんは逃げることに関してはほかのメンバーの誰よりも上手だと思う。巧みに煙に巻いて姿をくらませて、苦痛から逃げていく。恐らく、ある意味では他の誰よりも「衝突」の経験がないんじゃないかなと思う。衝突を避けて逃げているのだから当然と言えば当然なんだけども。
じゃあ、衝突を経験してないから苦しんでいないかと言えば、そうではなくて。逃げているというその事実にひたすらに苦しめられている。何も解決していない、臭いものに蓋をしているだけ、見たくないものに目をつぶっているだけ、聞きたくないことに耳を塞いでいるだけということを、瑞希ちゃんは物凄く理解している。蓋をしても、目を閉じても、耳を塞いでも、そこにそれはずっとあって消えないのだと痛いくらいに経験している。何も変わっていないし進んでいないと、苦しいくらいに理解している。それが瑞希ちゃんの聡さであり、悲劇でもあるなと思う。
その場しのぎでしかないわかってしまうから、苦しいんだろうな、と。その場しのぎだということに気が付かなければ、瑞希ちゃんはきっと苦しむことは無い。これが解決策だと心から思えていれば、蓋をして目を閉じて耳を塞げば「なかったことになる」と心から思えていれば、きっと苦しいなんて思わない。自分が知覚しない場所にあるものは「存在しないものとしていい」と本気で思えていれば、瑞希ちゃんは苦痛なんて感じずに楽しく生きていられるのだろうと思う。
でも、瑞希ちゃんは聡いから、そうは思えない。自分が知覚しないようにしているだけで、問題はずっとそこにあるということに気づいてしまう。察してしまう。知っている。だからこそ、自分はその場しのぎで楽な方に流れているだけだ、問題から逃げているだけだということに物凄く自覚的で、だからこそ苦しむ。周りに立ち向かって進んでいく人がいるから、余計に逃げ回っている自分が情けなく見えて、でも逃げることを辞めることが怖くて出来ず、立ち竦んでいる。それが、瑞希ちゃんの現状なのかなと思う。
たぶん、瑞希ちゃんにとって「逃げる」という選択肢はあまりにも情けなく、みっともなく、どうしたって否定的にしか見れない選択肢だったと思う。力強く立ち向かっていく絵名ちゃん、覚悟を携えて進んでいく奏ちゃんの姿は瑞希ちゃんにあまりにも眩しくて、だからこそ自分の「逃げる」という行為が後ろめたく薄暗いものに見えてるんじゃないかな、と。
だからこそ、今の今までまふゆちゃんにも「逃げていい」と言えなかった。逃げ続けた自分がたどり着いたのが「進みたいのに足を踏み出せずに立ち竦んでいる」という現状と苦しみだからこそ、それをまふゆちゃんには渡せなかった。自分が苦しんでいる道にまふゆちゃんを連れていく訳には行かなかっただろうし。
それに対して、ルカさんが別の視点を与えてくれた。確かに瑞希ちゃんは逃げているし立ち向かっていない。それは臆病なことであるともしっかり明言された。でも、ルカさんはそれを否定するでもなく「見方を変えてみたら?」と提案した。逃げて逃げて逃げ続けたのが瑞希ちゃんだけれど、それで手に入れたものは何?と。逃げることで失ってきたものにばかり目を向けていた瑞希ちゃんに対して、逃げることで得たものに視線を向けさせた。
そうして瑞希ちゃんが気づいたのは、逃げたことで得たものが確かにある、という事実で。それが「家」という逃げ場であり、その「家」に隠れて生き延びたことで出会ったニーゴの皆との関係だ、と気づいた。逃げずにいれば、きっと瑞希ちゃんは潰れていたし、そうなっていれば家が安全基地だと気づくことも出来ず、ひいてはニーゴの皆とも出会うことは無かったと気づいた。確かに逃げまくって来たけれど、逃げたからこそ今までどうにか生き延びることが出来て、そして大切なものに出会えた。それに気がつけた。
否定的にしか見れなかった「逃げる」という選択肢に対して、肯定的な面が見えた。だからこそ、瑞希ちゃんはまふゆちゃんに「逃げろ」と言うことができるようになったんだろうな、と思う。選ばずに逃げてしまえ。苦しいなら逃げていい。そうして得たものがある、得られるものがあると、心から思えたからこそ口にできた。
今の弱り果てたまふゆちゃんには、立ち向かう選択肢はかなりハードルが高くて、まふゆちゃんは怖くて選べない。でも、それを選ばないなら、まふゆちゃんの前にはお母さんが用意した選択肢しかない。どちらに行っても辛かったり怖かったりする選択肢しかない中に、瑞希ちゃんが見せてくれたもうひとつの選択肢、逃げる、が追加された。二つだった選択肢が三つになった。それって本当に凄いことだな、と思う。
そして、瑞希ちゃんは逃げる達人だからこそ、警告も���れた。逃げ続けることはオススメしないよ、と。それを選んだ自分は今別の苦しみに囚われているから、と。だから、逃げる選択肢ばかり選ぶのはきっと辛いよとも伝えた。それでも、一時、今にも死んでしまいそうなくらい苦しい時に逃げるのは、ひとつの手段だよ、と。逃げの達人だからこそのアドバイスを贈れた。しかも、逃げる実践付きで。
これは、選択肢の少ないまふゆちゃんにもうひとつの選択肢を用意したことと、もうひとつ大切な意味があるなと思う。それは、瑞希ちゃんが今までの自分を「肯定できた」ことだと思う。つまり、瑞希ちゃんはまふゆちゃんの救いの道をひとつ増やすと同時に、自分の救いの道もひとつ見つけたんだな、と。
今まで瑞希ちゃんは自分を肯定的に見れていなかった。少なくとも、「逃げる自分」に対しては否定的に見ていたし、後ろめたさしか感じていなかった。そこに来て、瑞希ちゃんは初めて「逃げた自分」を肯定することが出来たんだな、と思う。情けなくてみっともなくてどうしようも無いと思ってたけど、無意味で無駄だと思っていたけど、そうじゃない部分もあるということに気づけた。
逃げたことで生き延びることが出来たという成果に気づけたし、その経験がまふゆちゃんの助けになる可能性を見出した。そして、まふゆちゃんがそれを選ぶなら、自分は助けられるという一種の自負も生まれた。それは、立ち竦むことしか出来なかった瑞希ちゃんの新たな道だと思う。瑞希ちゃんの側にも選択肢が生まれてきた。それがすごいな、と思った。
そして、何よりもグッときたのが、瑞希ちゃんが「責任」という言葉を使ったこと。絵名ちゃんにガチンコで向き合ってもらった時ですら「誰かがボクの事全部話してくれたらいいのに」と、自分がやらなきゃいけないことを他者に任せて逃げようとしていた瑞希ちゃんが、ここに来て初めて「まふゆが逃げることを選んだなら、それはボクの責任だ」と明言した。誰のせいにもせず、自分のところに言葉の責任を持ってきた。それってめちゃくちゃ凄いことだと思う。ここに来て初めて、瑞希ちゃんは「逃げ」を選択しなかった。責任という言葉で自分の逃げ道を塞いだ。激アツ過ぎる。
なんてーか、まふゆちゃんを救おうとすることで、それぞれが救われていくというか、自分の問題と向き合って変わろうとしていってるな、みたいな。苦しんでいるまふゆちゃんが拙くも必死に足掻くことで、周りも頑張ろうと思えているように見えて凄く心が震えた。まふゆちゃんの頑張りが、人一倍臆病で立ち竦んでいた瑞希ちゃんに、「責任」という言葉を使えるほどの勇気を与えたんだな、みたいに思って目頭熱くなっちゃった( ᐛ )
一方的に救って、救われての関係じゃない。一方的に助けて、それに助けられるだけの関係じゃない。勇者が無力な人を救うのでなく、か弱い人達が互いに影響し合って影響され合いながら、少しずつ成長していく関係が見えたような気がして、本当に素敵だった。そしてそこには強要はなくて。何を選ぶかはそれぞれに委ねられていて、誰かが何かを選んだなら、他の人はそれを支えようと皆が必死になって考える。誰かの選択を受け入れていく。
それは凄く、こう、多面的でしなやかな弾力があって、強く温かい関係性だなと思った。それを強く感じたイベストだったなと思った。めっちゃ好きです、このイベスト☺️
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こんにちは!ぽてまほです!
今回の新曲は、「Chronosmalt」です!
曲名について
人類最古のコバルト顔料であるスマルトと、クロノスタシスを掛け合わせた名前です。
楽曲のイメージとしては、人類が生まれる前に造られた青色の不思議な(壊れた)懐中時計です!
クロノスタシスという、一瞬だけ時が止まって見える現象をテーマにしています。なので、本楽曲ではリズムを予測すると「あれ?」と違和感を覚えるような、そんな変拍子に仕上げました!
拍子を羅列していきますと……
11/8、7/4、4/4、15/8、4/4、15/8、4/4、15/8、4/4、5/4(サビ)、3/4、11/8です。
はい、意味がわかりません。
できる限り四拍子を装いながら���ちゃくちゃしてます。
人によっては、リズムが歪すぎて拒否反応が出てくるかもしれません。その際は申し訳ありません……
でもでも、新たなことに挑戦できたことは、とっても嬉しく思っていますよ!!
BPMは190。早い部類に入るBPMです。
BPMは最後まで悩みました。変拍子である性質上、ほんの少し早いと曲の展開に追いつけなくなりますし、ほんの少し遅いと変拍子の不思議な拍を感じさせられて、強烈な違和感に襲われます。本楽曲のBPMは1ズレるだけで別曲なのです。
アートワークに関しまして
絵本の中のような世界観を目指しました!どうでしょうか?
「スマルト」を表現した青色、「クロノ」を表現した懐中時計、「クロノスタシス」を表現した時計の針です。
キツネのような生き物は……後述する物語に登場します。
というのも、誤魔化しに誤魔化しを重ねた妥協の1枚なんですけどね……
オーバーレイやガウスぼかしなど、絵心がなくてもそれっぽくなるものを詰めてます。
絵を芯から描ける人はほんと尊敬ですよ……
背景にある物語について
はい、本楽曲にはストーリーがついています。
というか、ストーリーからこの楽曲を制作したのです。
私には短い物語のストックがたくさんありまして……
そのストックの中から選んだ物語をイメージして楽曲を制作。こうするとすごく捗るんですよね!
ちなみに、3081文字あります。完全に暇な人向けなので、お時間に余裕が無い方はここでブラウザバックしてくださいね!
また、よくある恋愛物語です。人を選ぶジャンルなので、不快感を感じる方は絶対見ない方が良いですよ!!拙い作品ですからね!!
幼稚な文章でラブラブしてる様子なんて誰得って感じですよね
ここまで読んでくださった方、ありがとうございました!!
Chronosmalt
━━━━━━━━━━━━━━━
『おはようございます』
「……あんたね」
『なんですか。不満ですか?』
「不満よ。最近居なくなったと思ったら、急にふらっと出て来て」
『……僕達って恋人同士のキツネですよね?嫌いになっちゃいました?』
「好きだから一緒に居て欲しかったのッ!!」
『あはは……すみません。』
「それで?今日はなんで来てくれたの?」
『…… ……』
『あなたに会いたかった。それ以外の理由が必要ですか?』
「っ……!そんなセリフ、柄じゃないでしょうがっ!」
『あははっ。
今日はあなたに、僕の宝物を託しに来たのです。』
「宝物?」
『ええ。と言っても、ただの拾い物ですけどね』
ジャラッ……
「なによ?これ」
『森の鳥さん曰く、懐中時計というものらしいです』
『その中の針は、現在の時刻を示しているそうですが、壊れているようで、正確な時間は指されていません。』
「こんな青色のガラクタ押し付けて、どういうつもり?」
『…… ……』
『これから僕は、少しだけ旅に出ます。その間、この懐中時計を通して、私のことを思い返してくれたらなと。』
「旅っ!?ど、どこへ行くの!?私も一緒に……」
『あなたは、ここにいてください。』
『僕が旅に出る理由は、後にあなたにも分かります。
ただ、僕を信じて、送り出して欲しいのです。』
「……今日のあんた、すごく変だよ。」
『はは……いつも通りですよ。』
「分かった。行ってらっしゃい。
巣や他の動物たちのことは私に任せて。
すぐに帰って来るんでしょ?」
『…… ありがとうございます。』
…… ……
『もう、行きますね』
「うん」
…… …… ……
な、なによあいつ……少し寂しそうな顔をして……
急な話をされたこっちの方が準備できてないのに……!
…… ……
あれから、彼は帰って来ることはなかった。
私より素敵な牝狐(めぎつね)でも見つけたの?
それとも、私のことが、嫌いになったの?
取り残された私は、心にぽっかり穴が空いていた。
なによあいつっ!旅に出た理由は「後にあなたにも分かります」だって!?
残されたものの気持ち、なんにも考えられてないじゃない!
〝き、キツネさん!やっと見つけた!
ちょっとこっちに来て!〟
「え……鳥さん?どうしたの?」
〝来れば分かるからっ!〟
……?
なぜか寒気がした。
鳥さんは木の上まで私を誘導したけれど、
キツネに木登りさせてまで、見せたいものって?
そして、その寒気の正体は、すぐに分かった。
「あ……あんた……!?」
そこに居たのは、寂しそうな表情をした……
変わり果てた彼の姿だった。
〝僕が来た時にはもう……〟
「な、なんで……!?だって……だって……!
旅に出たんじゃなかったのっ!?」
…… …… ……
〝多分……多分だけどね〟
〝僕が彼に懐中時計の説明してた時、とても体調を悪そうにしてたんだ。だから……〟
〝彼は、自身の命が、もう長くないことを既に悟ってたんじゃないかな……?〟
…… ……!
そ、そういえば……彼が旅に出る前までしばらく会いに来てくれなかったのは、病でそれどころじゃなかったから……!?
〝ほら、僕もそうだけどさ。野生の動物は基本、自身が弱っていることを天敵に悟られないように立ち振る舞うでしょ?
それはもちろん、君たちキツネに関しても例外ではないと思うんだ〟
「だ、だからって……!私に死期を悟られないために取り繕ったとでも……!?」
…… ……
なによ……あいつ。旅に出た理由は「後にあなたにも分かります」だって……?
遺されたものの気持ち、なんにも考えられてないじゃない。
しかも、死に様を���したくないからって、こんな辺鄙な木の上まで登って。
本当に……
「本当に……」
そ、そうだ。彼が遺した、懐中時計は……!
パカッ
…… ……
どうやって読むのかは分からないけれど……針はまだ動いてる。
…… ……
せめて……この針が巻き戻ってくれたら……
あいつに……最後の言葉をかけてやれたのかな……
……
戻りたい。
……
「戻りたいよ」
「あいつが旅立つ前にっ……!!!」
ピカッ……!
「きゃあっ!?な、なにっ!?」
懐中時計が、鈍く、青く輝き出した。
「ま、眩しっ……!!」
強烈な光を前に、私は反射的に瞼を閉じた。
そして、しばらくしてから目を開くと……
「あ、あれ……?」
私の巣だ。さっきまで木の上に居たはずじゃ……。
「……あっ!懐中時計は!?」
どこにもない。あれが唯一の形見だったのに……!
……グスッ
なにもかもが、上手く行かない。
どうして……
『おはようございます』
「っ……え……?」
そこに、死んだはずの彼が来た。
……懐中時計を携えて。
『なんですか。その反応は……』
「あ、あんた……死んだはずじゃ……!」
『な、どうして死んだことになってるんですか……?僕達、恋人同士ですよね?嫌いになっちゃいました?』
…… ……
どうやら、時が巻き戻されたらしい。
彼が、旅立つ前まで。
…… ……
ガバッ
『えっ!?ちょっと!?急に抱きついて……
そ、そんなに寂しかったんですか……!?』
「当たり前でしょ……!!」
『な、なんだか、今日のあなたは、おかしいですよ』
…… ……
……
「旅に出るんでしょ?」
『えっ……』
「もうすぐ死ぬかもしれないから……
私の目の届かぬ場所で、死のうとしてたんでしょ……」
『っ!?ど、どうしてそのことをっ……!』
…… ……
「お願い。最後ぐらいは、一緒に過ごさせて」
『…… ……』
その時、彼はなにかを察した様子で、不思議な笑みを浮かべた。
『あなたに隠し事はできないようですね』
『その通りです。痛いなんて言葉で形容できるものじゃないぐらい苦しくて……意識が飛びそうなんです。
今も、無理やり笑顔を作って、会話をするので精一杯なんですよ』
「知ってるよ。抱きついてると……とても震えてるのが、よく伝わってるから」
『ははは……そんな顔をしないでください。僕はずっと、ここにいますから』
「……本当に?」
『ええ。最後のその時まで、こうしていましょう……』
…… …… ……
…… ……
……
彼の身体の震えが静かに止まった。
それは、彼の体内時計が止まった合図だった。
「さよなら……」
彼は、優しい表情で、動かなくなっていた。
そんな彼を、優しく撫でた。
…… …… ……
…… ……
それからしばらく月日は流れた。
私はやっぱり彼の温もりを忘れられなくて……
遺された懐中時計に、また願ってしまう。
時を、戻してくださいと。
きっと彼は、この懐中時計の不思議な力について、知っていたんだと思う。
だから私に託したんだ。
もう、ずっと過去に囚われ続けても良い。
もう、ずっと未来を歩めなくなったとしても良い。
…… ……
また、彼に会えるのなら。
こんな懐中時計を渡してくるなんて、全くもって罪深い……
……おかげで、私は……
この懐中時計に依存してしまった。
残酷にも、涙の色が染み込んだ青い懐中時計は、何度でも応え、何度でも時を巻き戻す。
『おはようございます』
「……あんたね」
『なんですか。不満ですか?』
━━━━━━━━━━━━━━━
いかがでしたでしょうか?
Bingさんには爆褒めされましたが、お世辞説が濃厚ですね。やっぱり拙い……
ですが、この物語のシーンを楽曲にたくさん落とし込んでいるので、それを気にしながら聴いてくださるととっても嬉しいです!!
ここまで長い文章に最後までお付き合いいただき、ありがとうございました!!
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230120
今日のわたしはぬけさくだった。 スキャンを目的にでかけたのに、ボツ作品をもっていき、USBを忘れた。 なんだかずっとぼーっとしていて、現実を生きていなかった。 心ここにあらず。 心という漢字があまり好きではないのは細長い魚みたいだからだ、と思う。なまなましくて、ぬらぬらしている。 (画面上に現れる心は三角で、魚ではない)
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230122
私がすっからかんだ。 昨日、4枚の朝の絵、展示のための絵が手元にあると重しをのせられるような苦しい気持ちがして、追い出すように額装に出してしまった。 今日はまず、部屋の片づけをしよう。 そのうちにわたしがたまっていくといい。
夜になっても、絵は描かなかった。
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230123
休日の間、創作に傾きすぎていて、今日が仕事、と切り替えられない。行きたくない。 帰宅。 ドローイング集をつくるために、綴じ方を考える。 何色の糸がよいか、どう針を進めたらよいか、夢中になってやってしまった。 寒さに気が付かず、気持ち悪くなる。 夜、足の指ってエイリアンみたいだねって話して、寝た。
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230124
いつも活用されている脳みその1/10程度のスペースでしかものを考えられない、みたいな日だった。 仕事から帰宅したら誰もいないのに灯りのついた部屋に迎えられてしまった。 額装してもらっ���絵が、凛ときまって、嬉しい。
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"Kill them with kindness" Wrong. CURSE OF MINATOMO NO YORITOMO
アイウエオカキクケコガギグゲゴサシスセソザジズゼゾタチツテトダ ヂ ヅ デ ドナニヌネノハヒフヘホバ ビ ブ ベ ボパ ピ プ ペ ポマミムメモヤユヨrラリルレロワヰヱヲあいうえおかきくけこさしすせそたちつてとなにぬねのはひふへほまみむめもやゆよらりるれろわゐゑを日一国会人年大十二本中長出三同時政事自行社見月分議後前民生連五発間対上部東者党地��市業内相方四定今回新場金員九入選立開手米力学問高代明実円関決子動京全目表戦経通外最言氏現理調体化田当��六約主題下首意法不来作性的要用制治度務強気小七成期公持野協取都和統以機平総加山思家話世受区領多県続進正安設保改数記院女初北午指権心界支第産結百派点教報済書府活原先共得解名交資予川向際査勝面委告軍文反元重近千考判認画海参売利組知案道信策集在件団別物側任引使求所次水半品昨論計死官増係感特情投示変打男基私各始島直両朝革価式確村提運終挙果西勢減台広容必応演電歳住争談能無再位置企真流格有疑口過局少放税検藤町常校料沢裁状工建語球営空職証土与急止送援供可役構木割聞身費付施切由説転食比難防補車優夫研収断井何南石足違消境神番規術護展態導鮮備宅害配副算視条幹独警宮究育席輸訪楽起万着乗店述残想線率病農州武声質念待試族象銀域助労例衛然早張映限親額監環験追審商葉義伝働形景落欧担好退準賞訴辺造英被株頭技低毎医復仕去姿味負閣韓渡失移差衆個門写評課末守若脳極種美岡影命含福蔵量望松非撃佐核観察整段横融型白深字答夜製票況音申様財港識注呼渉達良響阪帰針専推谷古候史天階程満敗管値歌買突兵接請器士光討路悪科攻崎督授催細効図週積丸他及湾録処省旧室憲太橋歩離岸客風紙激否周師摘材登系批郎母易健黒火戸速存花春飛殺央券赤号単盟座青破編捜竹除完降超責並療従右修捕隊危採織森競拡故館振給屋介読弁根色友苦就迎走販園具左異歴辞将秋因献厳馬愛幅休維富浜父遺彼般未塁貿講邦舞林装諸夏素亡劇河��航抗冷模雄適婦鉄寄益込顔緊類児余禁印逆王返標換久短油妻暴輪占宣背昭廃植熱宿薬伊江清習険頼僚覚吉盛船倍均億途圧芸許皇臨踏駅署抜壊債便伸留罪停興爆陸玉源儀波創障継筋狙帯延羽努固闘精則葬乱避普散司康測豊洋静善逮婚厚喜齢囲卒迫略承浮惑崩順紀聴脱旅絶級幸岩練押軽倒了庁博城患締等救執層版老令角絡損房募曲撤裏払削密庭徒措仏績築貨志混載昇池陣我勤為血遅抑幕居染温雑招奈季困星傷永択秀著徴誌庫弾償刊像功拠香欠更秘拒刑坂刻底賛塚致抱繰服犯尾描布恐寺鈴盤息宇項喪伴遠養懸戻街巨震願絵希越契掲躍棄欲痛触邸依籍汚縮還枚属笑互複慮郵束仲栄札枠似夕恵板列露沖探逃借緩節需骨射傾届曜遊迷夢巻購揮君燃充雨閉緒跡包駐貢鹿弱却端賃折紹獲郡併草徹飲貴埼衝焦奪雇災浦暮替析預焼簡譲称肉納樹挑章臓律誘紛貸至宗促慎控贈智握照宙酒俊銭薄堂渋群銃悲秒操携奥診詰託晴撮誕侵括掛謝双孝刺到駆寝透津壁稲仮暗裂敏鳥純是飯排裕堅訳盗芝綱吸典賀扱顧弘看訟戒祉誉歓勉奏勧騒翌陽閥甲快縄片郷敬揺免既薦隣悩華泉御範隠冬徳皮哲漁杉里釈己荒貯硬妥威豪熊歯滞微隆埋症暫忠倉昼茶彦肝柱喚沿妙唱祭袋阿索誠忘襲雪筆吹訓懇浴俳童宝柄驚麻封胸娘砂李塩浩誤剤瀬趣陥斎貫仙慰賢序弟旬腕兼聖旨即洗柳舎偽較覇兆床畑慣詳毛緑尊抵脅祝礼窓柔茂犠旗距雅飾網竜詩昔繁殿濃翼牛茨潟敵魅嫌魚斉液貧敷擁衣肩圏零酸兄罰怒滅泳礎腐祖幼脚菱荷潮梅泊尽杯僕桜滑孤黄煕炎賠句寿鋼頑甘臣鎖彩摩浅励掃雲掘縦輝蓄軸巡疲稼瞬捨皆砲軟噴沈誇祥牲秩帝宏唆鳴阻泰賄撲凍堀腹菊絞乳煙縁唯膨矢���恋塾漏紅慶猛芳懲郊剣腰炭踊幌彰棋丁冊恒眠揚冒之勇曽械倫陳憶怖犬菜耳潜珍
“kill them with kindness” Wrong. CURSE OF RA 𓀀 𓀁 𓀂 𓀃 𓀄 𓀅 𓀆 𓀇 𓀈 𓀉 𓀊 𓀋 𓀌 𓀍 𓀎 𓀏 𓀐 𓀑 𓀒 𓀓 𓀔 𓀕 𓀖 𓀗 𓀘 𓀙 𓀚 𓀛 𓀜 𓀝 𓀞 𓀟 𓀠 𓀡 𓀢 𓀣 𓀤 𓀥 𓀦 𓀧 𓀨 𓀩 𓀪 𓀫 𓀬 𓀭 𓀮 𓀯 𓀰 𓀱 𓀲 𓀳 𓀴 𓀵 𓀶 𓀷 𓀸 𓀹 𓀺 𓀻 𓀼 𓀽 𓀾 𓀿 𓁀 𓁁 𓁂 𓁃 𓁄 𓁅 𓁆 𓁇 𓁈 𓁉 𓁊 𓁋 𓁌 𓁍 𓁎 𓁏 𓁐 𓁑 𓀄 𓀅 𓀆
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半年ほど前に「10月に参加するか」と思っていたイベントが先週終わっていた。
どうでもよくなっていたのが8割、7月の段階ですでに「予定が立ちそうもないから諦めていた」が2割。
次は3月だからそれで出れたらとの気持ちも今少しはあるものの、おそらくそちらも余裕はないだろうからさらにその次、7月あたりに出られたらいいなとは思う。ただ、イベントのためにした準備自体はあるので本音の上では「どうでもいい」が依然として8割あるものの、熱の残っていたときにした準備の存在感はあるので消化してしまいたい気持ちも同じだけあるというか、それが「どうでもいい」を下支えしている。
昔そのノリで結局出ずに終わった趣味があったので今度も同様な気はする。結局これは「未練」に過ぎず、「行きたい」なる純粋な気持ちではないからだ。
なぜそうなったのか、思い返すと「燃え尽きた」は大きい。そして「その趣味を通して嫌な思いをした」も大きい。
単純な話だが、悪口ばかりを言う人がその趣味の古参のファンに居たからで、自分も含めて複数人がその人を通して嫌な思いをした。
害悪。(以下はそう呼ぶ)
そう言い切れる人はめずらしくもない。その現実は辛いものがあるし、そうした人はいかなる環境にも居ないで欲しいものだが取れる対処は「こちらから去る」が一番なのも不条理だ。良い手段だとも思いたくはないが、趣味であれば一応なりにもそれはできる。接点が無くなればストレスは根から絶たれる。しかし、仕事や家族となると難しい。やはりそうした「懐(生活のために必須な要素)」に入られないことが一番大切である。入られてしまった場合は心中察するにあまりあるが、これはまた別の話。
どこにでもいる。だから許される、黙認される、といった話ではない。やはり抗議か拒絶はハッキリとするべきなのだ。いかなる立場であれ。
悪口の厄介なところは、第三者には「騒ぎ立てれば'この人は針小棒大に語る人'と解釈される」、「言い返せば'喧嘩をしている'あるいは'あの人たち仲が悪いんだ'と雑かつ矮小に解釈される」。ようするに「事情はよくわかんないけどめんどくさい人」と思われ、被害者から行動を起こすのはどうやっても被害者自身の名誉に傷が付く。最初でこそ寄り添った対応はしてくれるかもしれないが、言葉にしないだけで「揉め事めんどくさ」「関わらないでおこう」は持たれてしまうものである。
あまりに不条理だが、悪口を放置して泣き寝入りするしかない。庇ってくれる人がいてもその人までファンネル扱いされるし、とにかく悪口を言う側はことごとく卑怯だ。陰口ならまだしも。同じものが好きなはずなのに、趣味そっちのけで「誰の味方か」で分断されてしまう。で、誰の味方にもなりたくないから我関せずを貫く。もはや何のための趣味かわからない。
まぁ、自分の場合はそこまでエスカレートしたわけではないけど展開は察していたので黙ってその趣味のコミュニティからは去った。しょせんは趣味だからだ。害悪を許容してまで居続けるほどの執着はない。
去ってからほどなく、あの手この手で連絡を取ってくれた人は2人いたし、去る前から進行形で合同企画事務の事後処理のやり取りをしていた人も2人いたので、その人たち合計4人には害悪の名前は語らずに事情を話したけど、そのうちの1人は元々一方的に害悪から嫌われていたのもあって害悪とケンカになったようで。
害悪の方がその人より2倍近く歳行ってるだろうに、おとなげないなとは思いながらその話を知った。
今でも自分は害悪を許していないし、そもそも許す許さないの関係ですらなかった。一言二言話した程度のあいだがら。本当に手当たり次第「気に入らない」で悪口をふりかける人間だったのだから、幼稚としか言いようがない。「気に入らないのは私たち側に起因する問題ではなく、お前の内側の問題だろう」と。それに、悪口は「運わるく事故で」とか「偶然そうなった」とかではなく、「純粋な故意��悪意」であって弁明の余地など1平米も存在しない。
害悪はずいぶん長いこと色々な趣味の場で活動をしてきたようだけどおよそ人望もなく、同じように悪口を言い合うような低俗な連中や無知で従順な人間しか周囲に残らず「自分のファン活動が評価されない」といつも嘆いていた人で、話を知る度にそりゃそうだろうとしか思わなかった。普段の手前の立ち居振る舞いを些かでもかえりみたことがないのかなと。
しょせんは趣味であって、人の悪口を言ってまで続けることではないわけで。趣味のコミュニティを家族や職場やクラスメイトと区別できないのだろう。
おぞましい話だ。
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ついにiPadケース買った。iPad歴4年目にしてやっと。なんとなく3coinsのサイト見てたら見つけて、欲しいなって思ってたからうれしい。Apple pencil も収納できるしめちゃくちゃええわ。なんか調子に乗ってキーボードも買いたいかも。まあでも外で長文書くことはあんまないから別にいらんかなあ…キーボードやとタイピングうるさくなるしな。なんで今まで買わんかったん?と思うくらい便利だわ。
裏にはセーラームーン展のポストカード挟んでる🩷なんかマットですりガラスっぽいから雰囲気に合ってる。気分で色々ステッカー挟もうと思う。
Apple Pencilマジでこれで無くさんわw充電中にキャップもこのペンの部分に挟んでおけばいいし。便利すぎる。これがあればスタンドもいらんしな。
モモンガのネイルオイル買っちゃった。一応実家から持ってきたネイルオイル残ってるけど使い終えたら次にこれ使いたくて。ジェルやりまくりで何気に爪の周り乾燥するから。最近セーラームーンのハンドクリームも買ったけど、やっぱネイルオイルのほうが爪だけにぬれていい。私って手のひらの乾燥は全然しないからね。常に湿ってる手だからか、水仕事しても手荒れをしたことがほぼない。ほんま爪の周りだけw今はジェルネイルお休み中だけど、また気が向いたらやる。ピールオフにしてるから、いざという時はすぐ剥がせるし、まあやっぱ病気の時に爪で酸素濃度測るとか、爪自体に何か異常ができたり、いざという時を考えるとピールオフの方がいいよねって思う。もちろんプロのネイリストにしてもらって綺麗に持つのもいいんだけど、やっぱ爪って伸びるし、長くても二週間ぐらいでオフした方がいいかなっておもってて。
バブル期の装苑かわいい。これを編みたいから棒針編みおぼえたいほど。私結構バブル時代のファッション好きなんだよなーなんか肩ぱっとどーん!はださいけど、それを取り除けば今でもそこまで変じゃない普遍的なデザインだったりする。これは多分肩ぱっとないやつだとおもう。
ていうか地味にビビったのが82年当時のシャネルのアイシャドウ、レキャトルオンブルは今とほぼ同じデザインやねんwチップがちょっと違うだけで。そして値段はなぜか今の方が値下げしてて、税込8800円になってる。82年当時は1万円やったのに。消費税のない時代やから、もちろん税込みもクソもないんだけど。42年経って何故か安くなるシャネル。バッグはちゃんと値上げしてるみたいやけども、コスメは値下げしてるんやね。昔はシャネルもトムフォードと同じ価格帯のアイシャドウやったのかと思うと感慨深い。なんか全体的なコスメの値段、そんなに変わらないというか、バブル期の方がむしろちょっと高め?という感じで驚くね。ちなみに8番はディオールだけど今と全然デザイン違うからなんともいえない。8500円というのは高いか安いか?バクステのお得なアイシャドウと比べると4色でこの値段は高いけど、サンクと比べるとどっこいどっこい。
あと私のエニアグラムはこれだった。7w8。INTPだからほんまは5が一番多いはずなのにwまあ次点にきてるけども。私は時々自分のことENTPっぽいよなあって思う時あるから、それがこのエニアグラムの結果に現れてるのかもしれない。実際わりと外交的なところもあるしね。基本的に私は人見知りだしコミュ障やと思ってるんだけど、ロバートには嘘だ!とか言われる。実際子供時代はかなりシャイで大変だった。多分発達障害なのかもしれない。場面緘黙症だったし。なんかでも、今考えれば親も原因だなと。家で話しても上の空で聞いてもらえなかった。なんか母にはロクに話を聞いてもらったことがない気がする。父にも。なんかずっと無視されてきたし、それでコミュニケーションの取り方が分からず苦労した。ロバートにはめちゃくちゃ色々話してる。ロバートはちゃんと聞いてくれるしな。色々話すのが楽しい。だからそれで最近やっとコミュ力が出てきた気がする。
子供の頃の人生は大変だったな。なんか子供の頃の方が自殺願望が強くて、早く死ねたらな…とか思っていた気がする。それこそ小学生の時から大学時代まで考えてた。でも23歳ごろから死にたくねえなって思いだした。だから私的には自殺願望=お子様の考えっていうのがある。まあもちろん子供時代に自殺なんて考えたことなかったよ!っていう人もいるだろうけど、なんか子供の頃って死に近いというか、産まれて間もないから生についてまだよくわかっていなくて、人生って怖いし面倒だなということがわかって死にたい=産まれる前に戻りたいという発想になりやすい気がする。10歳になった時、我ながら、もう10年も生きたのか、みたいに思ってたし。なんていうか、新卒で会社に入って10年目にもう10年経ったのか…と思うのと似てるかも。入社して1、2年目にしんどくてもう辞めたい…とか思うのと同じように、子供の頃には生きるのしんどいしもう死にたい…とか思ってた気がする。でもなんか健康だと普通に大人になっていくわけなんだよね。よっぽどのことがなければ。実際、小さな子供ってなんか死について話す子が多い。中学時代に職業体験で保育所行ってきたけど、なんか死について話してたりするのを聞いた。なんかゲームやアニメで死んでリセットとかいうのもありがちだし、意外と小さい子の方がやっぱり感覚的には死(産まれる前)に近いのかなって思ったりするんだよなあ。めちゃくちゃ輪廻転生の考え方なんだろうけど。実際、輪廻転生があるかは懐疑的だね。あれば面白いなって思うし、そういう輪廻転生を体験したっぽいエピソードは世界中に色々あるみたいだし。天国とかもなんかあるんかなあ?って薄々感じだり。なんかそういうサイクル?があると思えば、確かに完全な「無」よりは救われる部分もあるかも。
エニアグラムは今の自分の状態でやってるけど、本当は成人する前の気持ちに戻ってやるべきなのかもしれない。あの厭世的な学生時代の気持ちになってやるとまた全然違ったかも。実際学生時代にやった結果があんまり思い出せないんだけども、タイプ7ではなかった気がするんだよなあ。タイプ9の平和主義者とかだったような?意外と芸術家タイプの4とかじゃなかったんだよな。でももっと他のやつとほぼ同数ぐらいだった気がする。だからエニアグラムは面白いけど当てにならないかも…とか思ってた記憶。まあ、mbtiも結構当てにならない気もするんだけどね。実際INTPしか出たことないけど、ほんまはENTPでは?とか思ったりするし、それこそ学生の頃はINFPっぽかったなあって思ったり。性格って割と変わるもんね。まあINTPの中でNは何度やっても9割Nだったから、それ以外のはその時の環境や気分によって、微妙に性格も違ってくるんだろうな。
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我が国の未来を見通す(67)
『強靭な国家』を造る(4)
「世界で最初に飢えるのは日本」なのか(その2)
宗像久男(元陸将)
───────────────────────
□はじめに
米国の雑誌「タイム」が岸田首相のインタビューの
特集記事として、「日本を軍国大国に変える」して
いた見出しを「平和主義だった日本を国際舞台でよ
り積極的な役割をもたせようとしている」と変更し
たが、記事そのものは「軍事大国」としたまま変え
ていないとした記事がニュースになっていました。
当然、アメリカも言論の自由が保障されている国な
ので、だれが何を言ってもよいのですが、「タイム」
誌の記者たる者が、この日本を「軍事大国」と呼称
するぐらいの見識しか持ち合わせていないことに愕
然とします。
GDP比2%の防衛費年額約10兆円はようやくN
ATOに肩を並べる水準ですし、アメリカは約85
80億ドル(約114兆円)〔2023年度〕、中
国の約1兆4505億元(約26兆3000億円)
〔2022年度〕には遠く及びません。その上、未
だ憲法にも明記されておらず、反撃能力を保有する
としても「専守防衛」という不可思議な防衛政策を
堅持している我が国です。
この記者は、日本に対する「ビンの蓋」的な発想と
か、「平和主義」の原点である「日本憲法はアメリ
カがつくった」などの思想を保有しているのでしょ
うか。このような時にだけ、「さすがアメリカ」と、
“それが何を意味するかもロクに考えないまま”国
内の同調者がことさらに騒ぎ立てることも問題なの
です。
本当に困ったものですが、個人的には、様々な話題
を世界に発信したい「タイム」誌なれば、もう少し
“賢い記者”を抱えてほしいと願うばかりです。
▼「食料自給なくして独立なし」
前回の続きです。鈴木宣弘氏も引用している言葉で
すが、食料に関してまさに“身につまされる言葉”
を送りましょう。まず「食料を自給できない人たち
は奴隷���ある」とのキューバの著作家ホセ・マルテ
ィの言葉です。我が国でも、明治時代、高村光太郎
が残した言葉として「食うものだけは自給したい。
個人でも、国家でも、これなくして真の独立はない」
との有名な言葉もあります。
鈴木氏は、「日本に独立を名乗る資格があるのか」
として、現政権などの政策に「食料自給率」の言及
がないことを取り上げ、「日本には『食料安全保障』
が存在しない」とも指摘します。
ゴールデンウイークを利用して、『安倍晋三回想録』
を読破し、改めて諸所に感銘を受けましたが、農業
政策に関する記述はほとんどありませんでした。安
倍元総理は、財務省とはかなり喧々諤々の議論を重
ねたようですが、「経産省政権」と揶揄する向きも
あるように、経産省主導の政策が多かったことは事
実でした。鈴木氏は、「かつては農家が自民党の票
田だったが、農家が減ったことで票田の価値が下が
ってしまったことなどが積み重なって、農政全体に
『ゆがみ』���生じてしまった」と指摘します。調べ
てみると我が国の戦後の農業政策についても意外な
事実があることがわかりました。その概要を紹介し
ておきましょう。
▼我が国の自給率低下と農業離れの要因
私たちは一般に「日本は島国で国土が狭いために農
地面積も限られている。よって、食料の自給率は低
くて当然である」という考えを持っていますが、長
い歴史を振り返ると、我が国は、(現在より人口が
少なかったとは事実ですが)、伝統的に食料自給率
100%を維持してきました。
だからこそ、江戸時代は鎖国政策を採用できました
し、外国から資源の輸出入ができないような情勢下
にあっても、様々な工夫で再生可能な植物資源を活
用する独自の「循環型社会」を築き上げてきたとい
う歴史があります。
戦後の歴史を紐解くと、意外にも我が国の食料自給
率が下がった原因は、「貿易の自由化」と「食生活
改善政策」にあったことがわかります。もっと具体
的にいえば、自動車などの関税撤廃を勝ち取るため
に農産物の関税引き下げと輸入枠の拡大を認めたの
でした。そこに、アメリカやヨーロッパが自国の農
家に補助金をジャブジャブ出してダンピングを仕掛
けてきたため、日本の農家は壊滅的打撃を受けてし
まったのです。
特にアメリカは、当時、小麦の生産過剰が問題にな
っていましたので、日本人の食生活を無理やり変え
させてまで、我が国をアメリカの農産物、特に“小
麦の一大消費地”に仕立て上げようとしました。
様々な宣伝・情報工作の中で、当時、影響が大きか
ったのが1958年に出版された『頭脳─才能を引
き出す処方箋』(慶応大学名誉教授・林たかし著)
でした。本書には「米食国民は一歩遅れる」として
「米を食うとバカになる」「日本人が欧米人に劣っ
ているのは、主食の米が原因である」などの主張が
掲載されていました。本書はまた、発売3年で50
刷を超える大ベストセラーになり、その影響は計り
知れないものがありました(ちなみに、本書は現在、
アマゾンの中古本として、最低価格が4758円、
中には1万円を超える価格で売られているものもあ
ります)。
当然ながら、この主張は科学的根拠が全くない「暴
論」のようですが、慶大名誉教授の肩書も手助け
し、当時は“正しい学説”としてまかり通りました。
これが「洋食推進運動」に発展して、「日本人の食
生活近代化」のスローガンのもと、和食を「排斥」
する運動まで拡大しました。この結果、本来、洋食
に反対するはずの農家の人々まで洗脳され、欧米型
食生活を崇拝するようになりますが、「これほど短
期間で伝統的な食文化を捨てた民族は世界史上もほ
とんど例がない」と鈴木氏は指摘します。
この背景には、「日本農業を米国農業と競争不能に
して余剰農産物を買わせる」というアメリカの「し
たたかな食料戦略」があったことは疑いなく、19
73年、当時のバッツ農務長官が「日本を脅迫する
のなら、食料輸出を止めればよい」と豪語したとの
記録も残っています。
終戦後の占領時代の初期、「日本が二度と武器を持
って米国に立ち向かうことができない国にする」と
のトルーマン大統領の「降伏後における米国の初期
の対日方針」が発出され、マッカーサーの占領政策
の方針になります。1970年代と言えば、日本が
オイルショックから一早く立ち直り、ホンダやトヨ
タがアメリカ進出を果たした頃でしたが、その報復
というべきか、1970代あたりでも、トルーマン
大統領の「対日方針」がくすぶったままとはいえ、
まだ生きていたのでした。冒頭の「タイム」記事を
読むと今でも一部に残っていると感じざるを得ませ
ん。
▼その結果が「減反政策」や「酪農」を危機に
伝統的に、米を主食としてきた日本人にとって米の
安定供給は大きな課題でした。特に、戦後の“食糧
難”を経験した日本は、「米の生産量引き上げが国
全体の問題である」といっても過言でない時代があ
りました。
そして、この問題を解決するため、戦後まもなく過
ぎた頃、肥料や農業用機械の導入が進むなど技術革
新が起こり、米の生産量を大きく引き上げることに
成功し、米が名実ともに家庭の主食になりました。
個人的な体験で言えば、小学校の低学年の頃まで、
近所の農家はみな、農作用の馬を飼育していました。
兄が耕運機を購入して我が家から馬がいなくなった
のは小学校4年生の頃、つまり昭和36年だったと
記憶しています。その後の農作業の風景が様変わり
し、我が家も近くの畑や牧草地などを改良して田ん
ぼの面積を大幅に拡大するとともに、兄は、精米に
加工するためのライスプラントを建設し、近所の米
の精米を支援していました。
そのような折、前述の「洋食推進運動」が広がり、
「主食=米」の常識が徐々に崩れ出し、日本人の食
卓の欧米化が進行し、「米離れ」が加速しました。
この結果、米が生産過剰になり、生産量を調整する
ために、政府は「減反政策」を導入しました(昭和
44〔1969〕年に試験的に開始、1971年本
格導入)。これに対して、農家は当初は激しく反発
しますが、政府は、米農家の転作を支援するために
補助金を支払うことで農家を納得させ、事後「減反
政策」は約50年間続けられ、平成28(2018)
年、ようやく終わりを迎えます。
2018年に終了した理由は、高く販売できるブラ
ンド米を耕作する農家が増えて、業務用の米が不足
するようになったのが原因の一つと言われています。
食料増産を目的として米生産は、終戦時の900万
トンから20年後の1967年に1400万トン超
まで拡大しますが、「減反政策」以降の50年間で
半減し、最近は700万トンを切ってしまいました。
つまり、餓死者が出た終戦時より人口が1.7倍に
増えているのに、米生産は当時よりも少なくなって
しまったのです。
1960年以降、中国もアメリカもインドも、米の
生産を3倍以上に増やしていますし、世界全体では3.
5倍に増加している中で、日本のように、米が主食
にもかかわらず、米の生産を減少させている国は極
めて稀でした。
▼“米離れ”が招いたもの
2011年の総務省「家計調査」の結果、日本の一
般家庭におけるパンの消費額が米を上回ったと話題
になりました。1世帯(2人以上世帯、農林漁家世
帯除く)あたりの米に対する年間支出額2万742
8円に対し、パンは2万8318円と逆転したので
した。これは昭和21年(1948年)に始まる
「家計調査」史上、初めてのことだったようです。
現に、我が国の小麦の2016~20年(5年間)
の平均流通量は、国産82万トン(14%)のみで、
488万トン(86%)が輸入、その内訳は、アメ
リカ(49.8%)、カナダ(33.4%)、オー
ストラリア(16.8%)で、この3カ国でほとんど
を占めています。
ここでとても興味深い事実に気がつき、私自身は唖
然としました。ほとんどのパンやめん類には「小麦
粉(国内製造)」と書いてあります。実は、外国産
小麦を“国内で製粉した小麦粉”だからこのような
表記になっているのだそうです。
小麦の需給と価格の安定を図るために、政府が外国
産小麦の輸入と売り渡しを行なっており、製粉会社
は国が決めた“売り渡し価格”で小麦を購入して小
麦製品を作っています。小麦や小麦加工品(小麦粉
など)を輸入すると最大で1kgあたり158円の
関税がかかりますが、国が輸入する小麦には関税は
かかりません。
小麦粉は食品スーパーなどで、1kg100円ほど
で特売されていることもありますが、わざわざ高い
関税を払って小麦や小麦粉を輸入する人はいないの
で、外国産小麦から製造された小麦粉は“国内製
造”なのだそうです。
さて、米農家が「減反政策」で向かった先は様々で
した。その1つとして、「酪農」について取り上げ
ておきましょう。
我が国が「酪農」に力を入れたのは、我が国がGA
TT(関税及び貿易に関する一般協定)に加盟した
1955年以降でした。つまり、貿易・資本の自由
化が進められて、日本経済の開放体制のなかで、日
本農業の零細性の克服や生産性向上が求められたこ
とが始まりでした。
それを受けて、1961年、政府は「農業基本法」
を制定し、新しい農業と農業政策の方向を示し まし
たが、 経済成長に伴う所得上昇によって牛乳・ 乳
製品の消費量増大が予想されたため,「酪農」は
「農業基本法」の“選択的拡大”部門として位置づ
けられました。
そして、酪農支援策(低利融資、補助金、技術普及
等)の結果、1960年代から70年代、「減反政
策」で米作を諦めた農家が酪農に転向したこともあ
って、酪農農家は飛躍的に増加します。しかし、そ
の形態は、大半が水田の裏作や転作で飼料作物を生
産する 「水田酪農」と呼称される稲作と酪農の複合
経営に留まったという一面もありました。
一方、日本の酪農は、国内の飼料基盤が不十分 なま
ま輸入飼料に依存して急速に発達した ところに大き
な特徴があり、1970年には49.3%であった
飼料自給率は低下の一途をたどり、2007年には
32.8%まで低下します。
時を同じくして、人口増加に伴い、乳製品の消費量
も増加しますが、折からの乳製品 の輸入自由化、関
税率低下、円高もあって乳製品の輸入量も増加しま
す。事実、牛 乳・乳製品の自給率は,1960年で
は89%であ ったものが90年には78%に低下し,
2007年には66%まで低下します。また、飲用
乳の消費量も1994年をピー クに減少に転じます。
その後も、継続的な減少局面に転じ、現在に至って
います。
これらを背景に、酪農農家、特に経営規模が小規模
の「水田酪農」は減少に転じ、1970年代に、3
0.7万戸もあった酪農家は2022には1万33
00戸にまで減少してしまいます。こうして、酪農
と水田農業の結びつきが弱まった とはいうものの、
酪農家の5 割が米を生産しているといわれます。
残った酪農家も最近はコロナ禍やウクライナ戦争の
影響で生産資材価格が上昇し、特に200頭以上の
牛を飼育する大規模経営が赤字に陥っており、この
ままでは赤字がさらに膨らみ、連鎖的に酪農家が倒
産する可能性もあるといわれ、現に北海道ではかな
りのハイペースで倒産が相次いでいるようです。
コロナ禍などの理由以外に、北海道の酪農家は、輸
入している脱脂粉乳を国産に置き換えるための差額
として乳代1キログラムあたり2円以上の負担金が
課せられているようで、酪農家に重くのしかかって
いるのが実態です。
政府が主導した「畜産クラスター事業」(畜産の収
益向上のために、畜産農家を核として地域の関係事
業者が連携・結集していく体制をいい、これによっ
て、補助金として機械や設備導入時に本体価格の2
分の1の国庫補助を受けられる)の結果、全国的に
牛乳余りが生じ、酪農家は経営危機に直面している
一方で、海外からの乳製品輸入は据え置き、酪農家
には「乳製品が過剰だから、生乳をしぼるな、牛を
処分しろ」という矛盾しているではないかと疑問も
沸き上がり、「人災としての危機」と批判されてい
ます。
子牛も値下がりし、生後1カ月の雄子牛がだいたい
1万円ほどでコロナ前の10分の1に下がっている
ようです。餌代にもならない価格に、一斉に酪農家
がいなくなるとの危機感も叫ばれています。
ふたたび、個人的な経験ですが、「減反政策」で米
の生産を諦めた兄は、「水田酪農」に転じますが、
今度は「乳余りのあおり」を受けて、多額の借金を
抱えたまま酪農を諦め、その後、和牛の飼育に転じ
ます。その和牛飼育も12年前の福島原発事故の影
響で再びあきらめざるを得なくなりました。多額な
借金を息子の代(私の甥)になって完全返済したの
はようやく昨年でした。
第2編でも紹介しましたが、「政治家と農林省の官
僚(の愚策)によって、50年前に農業を奪われた」
と今なお、事あるごとに口癖のように語る兄ですが、
実際にこのような被害を受けたのは決して我が家の
みではなさそうです。次回、「日本の農業は過保護
なのか」について、諸外国と比較して“見える化”
してみましょう。意外な事実に気がつくことでしょ
う。
(つづく)
(むなかた・ひさお)
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「機械仕掛けのあなたに」製作後記
出ましたね。製作後記が書きたいのをモチベになんとか���成させたような気もしてくるけどさすがにそんなことはないと思います。製作後記はずっと書きたかったけど。
作品で言いたいことは作品で語れという意見はわかるけど、全部を伝えられるほど有能ならこんなに苦労しないので勝手に語ります。語りたい、語らせてください先生。
展開そのものについては、技能的につたないことこの上ないと思うのですがやろうと思ったとおりにやったのでそこは別になんか言うことはないのですが、作り方に関しては何度も作り始めたことを後悔するくらいには大変だったので大変でした~と言いたい。
BGMについて
何も分からなかったです。雰囲気に合うのか合わないのかをグダグダ考えながら聞いては入れてはああでもないこうでもないと入れ直して、妥協点を見つけたらフェードかけて音量下げまくって何とか展開を邪魔してはいないんじゃないかって程度のBGMになった...なってましたか?という感じ。
やっぱり人を頼るべきだったような気はするけど、これは一人でやりたかったしやるべきだったからこれでいいんですと思うことにする。
音源配布者の方々、素敵な音楽をありがとうございます。
効果音
全然入れてない、そういう音がしそうなところにそういう音を入れた...だけ...
音源配布者の方々には頭が上がりません。ありがとうございます…
編集
編集ってなんですかね...なんか半年たってたけど...
何もわからないまま始まり、何もわからないまま気づいたら終わっていました。
AviUtlの各種プラグインの製作者様方、また動画制作テクニックを共有してくださったニコニコの投稿者様方のお陰でこの動画は完成しました。クレジットにどう入れるか悩んで結局入れられませんでしたが、ニコニコ復活時にツリー登録の形で感謝を伝えられれば幸いです。
キャラについて
ゆかりさんと「上司」と剣崎先生の立ち絵は自作しました。TTちゃんは松尾粥さん(公式)の物です。かわいすぎるため...
「上司」は立ち絵づくりの練習もかねて、一番最初に表情2種の差分のみで製作したものです。
はとのめの製作の方針として、たとえモブでも顔無しやシルエットにするのは嫌だ、というのがありました。その理由は省きますが、とにかくそういう意図のもと「上司」は辛気臭い顔の30後半~40前半(?)の緑髪の男性になりました。髪色はほかの人物のバリエーションと被らないようにしたためこういう色になっています。
彼が辛気臭い顔をしているのは別に生まれつきではなく、状況のせいです。本来は結月ゆかりと付き合えるくらいには魅力ある人だという想定で描いています。多分仕事もかなりできるのだと思います。いやまあ二股はしてたけど...
声はCOEIROINKでカナタくんの声としてよく採用されているおふとんPさんの声を使わせていただいています。スタイルが物凄く多く、結構ドンピシャの声を出してくれたので採用を決めました。すみませんでした。おふとんPさん、ありがとうございます。そしてこんな役柄ですみません...
結月ゆかりさんの立ち絵を自作した理由は動画を見ればわかると思います。端的に言って滅茶苦茶大変でした。
下半身は描いたはいいものの全く使う機会がありませんでしたね。
私服の変な柄などはゆかりさんっぽくて好きですが、反転すると文字が逆になるという最悪な仕様があり、後半平気で反転させまくりながら途中で気づき、そして無視しました。
複数の差分を動画制作中に追加したほか、横顔とか病室のベッド上とかの絵も別で製作しました(実はベッドの構図が最初に描いた絵です)が、全然差分足りね~~と思いながらやってました。顔の差分とか目と口があんまり印象合わなかったりみたいなので制限されたり、レイヤーの上下関係とかにも泣かされたり...立ち絵道は深く暗く厳しく、立ち絵製作者様方への尊敬が増しました。
ゆかりさんと言えばのバスタオルみたいな服はないですが、もしかしたらTTちゃんと会う前は(つまり轢かれる前は)部屋とかでは着ていたかもしれないな...と思います。私服の袖は手首にある機械関節(充電用ケーブルがそこから露出します)を隠すために長めのインナーを使っているという感じです。
正直一般的なゆかりさんらしさがかなり薄い絵になったなとは思いますが、雫からの連続性は少し感じられる造形になっている気がします。公式絵を見ながら描いたつもりでも顔のつくりに割とかれい式の影響がちらちら見えちゃいますね。あまりにも偉大である故...
動画の解釈に大きく影響すると思うので人物像について詳述することは避けますが、年齢は20代中葉から後半程度だという想定で描きました。
調声はどうすればいいんだ...となりながらやっていましたがゆかりさんの千両役者っぷりに助けられてこの動画は成立している側面があり感謝せずにはおれません。ありがとうございます。次出すときはもっと明るい話で...
ナースロボ_タイプTさんは、本作における重要な登場「人物」であり、僕がこの話を考えた起点でした。
ほかの作品においても倉成町私立病院やボイボ寮の設定をほとんど引き継がずにライン生産されたロボットとして描いてばかりなのは、自分のロボット観がどうしても動かせないため、だと思います。ごめんなさい...
絵柄を揃える意味で自作しようかとも一瞬思ったのですが、結局松尾粥さんの劣化コピーにしかならないのは分かり切っていたので公式から立ち絵をお借りしました。
旧立ち絵を使った理由は単純にこの衣装デザインが物凄く好きなため、また展開上そうである必要があったためです。
少なくとも彼女無しではこの動画は存在しえなかったです。ありがとう。次こそはもっと素直にいい話に出したい......
「医者」こと剣崎雌雄先生も本作においては世界観を伝えてくれる重要な人物でした。本来の剣崎先生はこんな滅茶苦茶な医療をやっている世界の人間ではないので作中で人物の名前を明確に出すのは控えました。
採用した理由は「いい立ち絵があるから」でしたが、DLし忘れてたら公開が停止してしまったのでやむなく自作しました。立ち絵を製作したのは色々あって液タブが使えない時期だったので家族のipadにprocreateを入れて製作したのですが、慣れない環境のためかなり粗くなってしまったのは残念なことです。
あと身長設定を生かそうとしたら常に頭頂部が見きれることになりました。すみません...
作中においては20代後半から30代前半程度の年齢だと思います。人工器外科という特殊な部門は設立からあまり時間が経っていないという設定なので、若い医者が多いようです。
淡々と語る演技で作中のテンションを制御してくれました。ありがとうございます。
背景、作中の世界観について
多分一緒に語るのが楽なのでここはまとめてざっと流します。
作中世界はおおよそ50~60年以上先...いやもっと先かな...くらいの近未来という設定です。冒頭の救急ロボットはハッタリというか、これくらいの(考証が)ゆるい世界観だぜ!!!というのを提示する役割を帯びて登場してもらいました。
↑アスクレピオスの杖のマークの入った救急車チックなロボットというコンセプトは自分でも好きです。災害現場の救助にも運用される(というかそのために設計された)ため、かなり大型でパワーがある機体となっています。
もしかしたら地方のインフラや建築は老朽化していて崩落事故なども割と起きており、今回のようなオーバースペックの出しどころがない現場ばかりではない...のかもしれません。
正直パトレイバーのブロッケンみたいなデザインだな...と思いますが水星の魔女とパトレイバーと鉄腕アトムくらいしかロボ作品の経歴がないので許してください...すみません...
↑以上二つは最初のカットの没なのですが、あんまりにも凡すぎるのでやはりハッタリはやってよかった部分だと思います。
残りの雑な未来描写シリーズひとまとめ
...こうしてみると本当にその場のノリって感じですね。最近パオロ・バチガルピの短編集を読んでいるので手前の想像力の貧困に余計涙が出てきます。
作中世界では本物の食肉の値段は高騰していて日常生活においては代替肉が普及しているほか、プラスチック資源の使途が増えたのに増産手段もあんまりうまくいっていないためにペットボトルが無くなり、ビンが復権しているようです。
浮遊画面ホログラムと眼鏡型コンピューターデバイスの使い分けについてですが、ゆかりさんは眼鏡を仕事用に使っているようですね。正直人の好みによるんだと思います。先生は患者に見せる資料をホログラムに表示しているし。
あとはこれくらいですかね。部屋の絵を描くときに作ったゆかりさん宅の概念図です。実際に描く段ではここからさらにいくらか改変していますが。タッチが角度によって違うのは描いた時期の違いです。合わせようとも思ったのですが、絵柄を散らせばTTちゃんが浮かないかなという色気もありました。
1990年くらいの設定かよというようなあんまりにも普通の家です。都市部でも人口は減っているでしょうから、こういう狭小住宅に住む必要はそこまでないのかもしれませんが、単身者にはこういうコンパクトな住宅はまだ人気があるのだと思います。
そういえば、窓はマジックミラーに近い構造になっているので昼間はカーテンをする必要がないっぽいです。じゃあ病院にはなんでカーテンがしてあるんだ。それは多分人工器科の施設が古くて...
作中ですっ飛ばしている部分について
展開上はどうでもいいし尺を削るためにすっ飛ばしている部分が幾つかありますが、その辺を一応言っておく部分です。そうなんだ、くらいのネタですし、別にこれと違う解釈をしてもらっても構いません。僕はそう思っています、というくらいの感じです。
・推察できるとは思いますが、ゆかりさんの怪我が重すぎるのは、轢いたほうに殺意があったからです。おそらく現代であればほぼ即死として処理されるような感じの負傷ですが、かなり発達した救急医療技術によって何とかなりました。
・ゆかりさんを轢いた女の人が出てこないのは物語開始時点以降、ゆかりさんと一切会っていないからです。殺人未遂事件が「事故」とされていることについては彼女の家がまあまあ金を積んで無理くり示談にまとめたのだと思います。作中に出すのは上司だけでいいと判断しました。
製作全体を振り返って
もともとこの動画のシナリオは、デストルドー様( https://www.youtube.com/@destrugrim )主催の「ソフトウェアトークヤンデレ投稿祭」(2023年12月~2024年1月)の動画を見て僕もやりたくなって一晩くらいでひな型を出しました。
しかし、当時の時点から言うほどヤンデレというテイストでもなく、製作ペースは遅々として当然全然間に合うわけもなくだらだらとシナリオの修正を繰り返しながら絵を用意し、重い腰を上げて編集してたらこんな時期になってしまいました。何やってんだ。
その間にニコニコがサイバー攻撃で吹っ飛びました。許せない。
今回の製作に関して反省点は自分の中にたくさんあり、またいくつかは動画を作れる程度のシナリオ案もありますが(いずれももっと穏やかな日常ものです)、ひとまずは次回以降は無駄な動きなどを省力化してスマートな動画製作を目指していきたいところです。
その前に紡乃世詞音の立ち絵を作るかもしれませんが。
では、このような乱文を最後まで読んでくださった皆様に感謝しつつ(最後まででなくてもリンクを開いてくださった皆様にも!)、締めとしたいと思います。
ありがとうございました!
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さて、お昼休みなので、ソウルキャリバー(プロジェクト ソウル)と鉄拳プロジェクトの違いについて少し話をしようと思う。
その話題に入る前に、あなたはゲームのシリーズ存続を論じる上での代表例として「ゲームメカニクス」を挙げている(訳注:この投稿の返信元のことを言っている)が、物事はそんなに単純な話ではない。
格闘ゲームの場合、アーケードゲーム市場が全盛期で「1プレイ1コイン」という収入が重要視されていた時代ならまだそうなのだが、家庭用ゲーム市場では、ゲームメカニクスの評価をすることができるのは、すでにゲームを購入した人だけであり、ゲームのビジネスモデルのパラダイムシフトによって、ゲームのマーケティングそのものが変わってしまったのだ。
ゲームのビジネスモデルのパラダイムシフトは、ゲームにおけるマーケティングそのものを変えた。つまり、ゲームをプレイする前に「買いたい」と思ってもらい、買ってもらえる状況をいかに作るか、発売前の評価と初動販売数をいかに増やすかが問われる世界へとマーケティングの世界が変化したのだ。
歴史的なゲームフランチャイズを語る上で、ビジネスモデルのパラダイムシフトによるマーケティングやブランディングの変化は見逃せない。 業界歴の長い人なら、この簡単な説明で納得してくれる人も多いだろう。
その上で、もちろんゲームメカニクスの評価も重要だ。長く遊べるゲームメカニクスは重要で、それは最初のローンチ後の売り上げの持続に影響する要素であり、長い目で見ればボディーブローのように効いてくる要素だからだ。
しかし、あるゲームのシリーズ存続を語るとき、すべてをゲームの仕組みに委ねるのはあまりにも素朴で無邪気な視点だ。そんなに無邪気に語れるのなら、なぜあんなに楽しかったゲームタイトルたちが消えてしまったのか? 私たちが夢中になったあのアーケードタイトルはどこへ行ってしまったのか?あの素晴らしいメカニクスを持った格闘ゲームシリーズはどこへ行ったのか?あの優れたメカニクスを持つ格闘ゲームはなぜ消えてしまったのか?
消えてしまったタイトル、ゲームメカニクスが高く評価されていたにもかかわらず売れなかったタイトル、文字通り死にかけたタイトルはたくさんある(今の45~55歳くらいの人は思い出してほしい、90年代に格闘ゲームがどれだけあっただろうか?そして、そのどれもがそれなりに評価されたメカニクスを持っていた。もっと言えば、鉄拳よりもはるかに優れたメカニクスを持っていると評価されたタイトルもあったはずだ!)。
そう、優れたゲームメカニクスのないシリーズが姿を消したことは、事実かもしれないが、それだけが理由ではないはずだ。 より優れたメカニクスを持つゲームが愛され、長く生き残るのは事実だが、それを信じるほど純朴ではないし、世の中が単純でないことも理解しているのではないだろうか。 特に、ゲームの選択肢が多い現代では、マーケティングが売上を左右するため、ますます重要になっている。
そして話を戻すが、あなたはこうも言った。(訳注:先ほどと同様元の投稿を指す。) 「ソウルキャリバーIIに、原田さんのような情熱的な(長期的と言った方がいいか)ディレクタがいたら。」
これは仮説で、結果論でもあるため、業界論ではない。 ただ、30年間格闘ゲーム業界を見てきて言えるのは、格闘ゲームの場合、キーパーソンの脱退や失踪によってシリーズが停滞したり、消滅したりするケースが少なくないということだ。また、そのキーパーソンがいなくなった理由は、彼ら自身の問題だけではないことが多い。
そしてソウルキャリバーの場合、間近で見てきた僕が断言できる。これは単にセールスやマーケティングの問題ではなく、バンダイナムコの組織改革や意思決定者が大きく関係している。僕は、ソウルキャリバーの前身であるソウルエッジ(ソウルブレイド)の企画・デバッグをサポートした一人で、その後「ソウルキャリバーIV」の共同ディレクターを務めているが、基本的にはソウルキャリバーというフランチャイズとは一定の距離を置いている立場だ。
かつてのソウルキャリバーシリーズには世取山くんという強力なリーダー(かつて鉄拳のアニメーションチームリーダーでもあった)がいたし、なにより技術者チームが鉄拳以上に格闘ゲームに精通し、優れたプログラミング技術を持っていた。
旧ナムコ時代から 「無法者集団」「タカ派」と呼ばれ、開発部門の中でも異彩を放っていた鉄拳プロジェクトだが、プロジェクトソウルは精鋭集団、洗練された開発チームだった。
ポリゴン時代の黎明期、ナムコとセガがゲーム業界を牽引し、ライバル関係が激化していた。同じように、鉄拳プロジェクトとプロジェクトソウルのライバル関係も激化していた。 僕はプロジェクトソウルの世取山くんと同じゲームデザイナーの部署にいたのだが、毎日のように喧嘩をするほど軋轢があった(それは最初の10年間だけで、その後はとても仲が良かった。ちなみに、彼はバンダイナムコを辞めました)。鉄拳とソウルキャリバーは社内でも常にライバルだった。みんなが想像している以上にね。
この2つのプロジェクトは、ビジョンも開発方針も、ブランドに対する考え方もまったく異なっていた。 憎み合っていたわけではないが、そう思われてもおかしくないほどのライバル同士だった。 しかし、当時はまったく違うものであっても、お互いに明確なビジョンを持っていたのだ。
世取山くんは常々、「ソウルキャリバーに鉄拳のニーズを入れても意味がない。」といっていたが、僕も同感だった。
しかし、例えば、「同じ会社の格闘ゲーム」が「レバー���ード」なのか「ボタンガード」なのか、それがいいことなのかどうかという議論では、お互いのポリシーがぶつかり合った(「同じ会社」の製品でありながら、そこが違うことがいいことなのか・・・という議論)。 あぁ…当時テクモだった板垣伴信氏がDOAにレバーとボタンのハイブリッドガードシステムを採用し、僕をオフィスに呼んで自慢げにプレゼンしてくれた話はまた別の機会に(ちなみに彼と僕は同じ大学に通っていた)。
いずれにせよ、プロジェクト・ソウルには「魂」と「明確なビジョン」を持ったリーダーとスタッフがいたことは確かだ。 現場のゲームデザイナーたちの熱意は、鉄拳チームを凌駕していたかもしれないし、僕たちを焦らせるのに十分だった。 もし、プロジェクトソウルがあの体制を維持できていたら、今とは少し違っていたかもしれないと思うことがある。 アーケード市場からコンソール市場へのパラダイムシフトが起きたとき、北米市場ではソウルキャリバーのコンソール版が鉄拳を凌駕し、技術的な評価も高かった。 一方、鉄拳はアーケードゲーム市場で圧倒的なトップインカムを稼ぐ不動の存在に成長し、家庭用では北米でソウルキャリバーを下回ったが、「どの地域でも多くの国で売れている」という特徴を持つタイトルだった。 ソウルキャリバーは、ナムコ社内でも常に将来性があると見られており、むしろグローバルな視点で格闘ゲームの域を超えた展開が可能だと考えられていた。当時の僕でさえ、その可能性については一定の評価をしていた。
しかし、皆さんもご存じのように、業界が拡大するにつれて、その規模はどんどん大きくなり、企業同士も合併していった。 バンダイナムコも例外ではなく、「良くも悪くも」変わってきた。
ご存知のように、日本のゲーム会社やIT業界には、北米西海岸のような組織体制はない。 エンジニアやゲームデザイナー出身の社長や役員はあまりおらず、「営業・セールス」出身者、管理職出身者、銀行出身者、つまり「組織マネジメント」に優れた人が意思決定者になっているケースがほとんどだ。これは悪口ではなく、事実である。 ひとつだけ確かなことは、「彼らはゲーム開発にも、ゲームブランディングにも、ゲームコミュニティにも疎い」ということだ。
例えば、アメリカ西海岸では役職ごとに取締役会があるが、日本ではそのような慣習はない。 その結果、大手ゲーム会社の場合はどうなるかというと、ゲーム会社の経営・運営は「組織運営」と「人・資本・資源」が中心になる。この枠組みの中で、ゲーム開発者はベストを尽くす。
しかし、ゲーム開発者のキャリアのロードマップはどうなるのだろうか?
「組織マネジメント」と「人的資本、資本力、資源」を重視するゲーム開発者のキャリアパスは、結果として「組織のマネージャーになる」ことになる。
これは、我々鉄拳プロジェクトもプロジェクトソウルも、エースコンバットプロジェクトの各パートのリーダーの多くが実際に聞かれた言葉である。
「いつまで現場にいるの?いつマネージャーになるんだ?」そして、「いつになったら組織のマネージャーになるんだ?いつまでクリエイターなんだ?」(そう、これはエースコンバットのディレクターに向けた言葉だ)
当時の組織では、「君はいつになったら立派なゲーム開発者に成長するんだ?」なんて誰も聞かなかった。文字通り、ゲーム開発者のキャリアパスについて語る人はひとりもいなかった。経営やマネジメントの話ばかりで、ゲームの内容や価値を正しく評価できる組織ではなかったのは事実だ。
そして、「組織のマネージャーになる」とは、いつまでもひとつのことに固執せず、あらゆる部門、事業部、業務に視野を広げることを意味していた。実際、当時はそのような体制でしか出世の道はなかった。
「視野を広げる」といえば聞こえはいいが、ゲーム開発においては「一本道を突き進む」「何かを極める」とは対極にある。
また、当時は「視野を広げ、どの部署、どの事業を率いる管理職としても成長し、会社の拡大に貢献する」という考えのもと、ジョブローテーションという考え方が浸透していた。 本来は若手社員向けのものだったが、結果的に「いつまでも特定のゲームや特定のジャンルの仕事だけをやっていてもキャリアアップにならないし、評価されない」という風潮を生む要因のひとつになったことは間違いない。 そして、様々なタイトルやシリーズから皮が剥けるように人が去っていく現象が起こり始めた。
プロジェクトのキーパーソンがいなくなるたびに、かつてプロジェクトが抱いていた大きな夢やビジョンは弱まっていった。 プロジェクト ソウルは、特に若いメンバーの間で生き残りをかけて奮闘していた(ように私には見えた)。 しかし、かつてのようなゲーム開発中心の世界ではなく、「グループ会社の事業のひとつに過ぎないゲーム開発チーム」となった今、そのビジョンや意志、組織体制を維持するのは難しかったようだ。
同時に、もちろん、これは同じ状況が僕にも起こっていたことだ。
まず、会社が開発会社と制作会社に分割され、私は制作会社のメンバーであると同時に、グローバルビジネス開発というゲーム開発とはまったく関係のない新しい部署の責任者になった(私の部下は誰も開発には携わっておらず、全員マーケティングスタッフだった)。 もちろんこれは僕の考えではなく、先ほどの会社の方針で当時の経営陣が決めたことだ。 そして、これで出世コースに乗れたかもしれないが……僕はまったく別のことを考えていた。
会社、部署、部門が異なり、予算権限もないにもかかわらず、私は鉄拳プロジェクトを率いる決断をした。僕はクリエイティブと予算計画を実質的に運営した。
なぜか? やはり、このような大きな組織の土壌や流れというものは、「集団心理による錯誤から起こっていることであり、そのゲームタイトルへの愛着もなく、長期的なビジョンもない、出世のためだけに任命されたトップが、シリーズの存続やファンコミュニティのために良いわけがない」ということなのだろう。
そして僕たち鉄拳プロジェクトは、「タイトルの権利は会社にあるが、ファンコミュニティはゲームを作る意志のあるチームにしか頼れない」と常々言ってきた。 だから、本当に最初のうちから「会社の暗黙の了解ルール」は完全に破ることに決めた。
そこで僕は、本来の業務とは直接関係のない「鉄拳プロジェクトリーダー」の役割を続けることにし、別会社となったメンバーとともに「会社や組織の枠を超えたチームとしての独立した意思決定」を行いながら開発を進めることにした(この動きは、制作の部長たちからとても嫌われたはずだ。うん��実際すごく嫌われた)。
そう、僕たち鉄拳プロジェクトは、前述の通り「無法者集団」「タカ派」と呼ばれていた。だから、グループ会社という大きな潮流の中で、唯一独立した意思決定を持つ集団として生き残ってこれたのだ(現在は正式な組織として認められている)。
プロジェクトソウルと他社との間の大きな違いがあるとすれば、これしかない。
過去の変遷の中で消えていったタイトルはたくさんある。その歴史に明らかな悪人はいない。それらはすべて、大きな趨勢の中で削ぎ落とされているのだ。
でも、僕は…僕や鉄拳プロジェクトは、グループ会社から見たら悪だったと思う。 鉄拳の中で平八と和也が「ケンカは誰が生き残るかだ。それ以外はない" ……そして、このセリフはかつて私のモットーだった。 ソウルキャリバーとのライバル関係でも、3D対戦格闘ゲームの市場競争が激化しているときでも、「どうやったって、最後に立っている者が勝つんだ」と言い続けたし、グループ会社の大きな流れの中でも、このモットーは変わらなかった(それを快く思わない役員もいたようだし、クレームもかなり受けた)。
だから僕たちは決して従順ではなく、常に強い意志を持った邪悪なグループだった(これらの経験を通して、残念ながら僕は性格が悪いのだと悟った)。 これが鉄拳プロジェクトとプロジェクトソウルの唯一の違いだったと思う。 様々なプレッシャーを跳ね除けてでもタイトルを守り抜くという気概を持ったメンバーが、組織が変わるにつれて減っていったことが、プロジェクトソウルを少しずつ弱体化させていった側面もあると思う。それがすべてとは言わないが、大きな要因だった。 個人の問題ではなく、組織の方針によって起こったことだ。
しかし、僕から見れば、プロジェクトソウルの火が消えたとは思っていない。社内にはまだやる気のある人が何人かいる。今はまだ結束できていないだけだと信じたい
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※ 国民健康保険料が高すぎて病院の窓口で10割払った方がはるかに安い?→気持ちはわかるが保険制度のありがたさを実感する時が来るかも
https://togetter.com/li/2389306
国民健保は、今年また最高額が引き上げられて、納付金の最高額が106万円になりました。うちは組合健保なので、そこまで行かないだろうと思っていたら、女房に聞いたら、家族四人分で100万円は払っているらしい。ちなみに、国保の場合、自治体によって制度が違い、計算方法もバラバラ、自治体ごとにシミュレーション頁が用意されている。
そこで計算したら、私の場合、家族四人で99万円と出てくる。そんなはずはないけれど、川崎市は金満自治体だから、ひょっとしたら組合健保より安くなるのかも知れない。
無茶苦茶だと思いますよorz。いつの間にか気付いたら、住民税に近い額の健保を払わされている。私の糖尿病の治療費と家族は、せいぜい歯医者くらいですが、それをひっくるめても、年間の医療費は100%自腹で払っても30万円行きません。私の手術も、一度として高額療養費制度の恩恵を受けたことは無い。
癌になったらどうするんだ? と聞かれるけれど、それは癌保険が別途掛けてある。
余力がある人間が負担すべきだという理想はもちろんであるし、自分の人生において、払った金額の医療費を一度として使い切ったことがないのは誇りとするけれど、では余力のある人間に課しているのか? といえば、全然そんなことはない。みんなヒーヒー言いながら払っている。
それは、低所得者にしてもそうだし、金持ちから年間1000万払って貰った所で、金持ちは回避方法に長けているし、そもそもが富裕層の数は限られているから、ボリューム的に中間層からごっそりかすめ取るしかない。これがこの30年の日本経済失敗の原因です。取れる所から取ろうと野放図に搾取し続けた結果、中間層はまるでお国のために働かされているような格好になり、消費にお金が使えなくなって日本経済は没落した。世界経済の発展から置き去りにされた。
岸田さんは骨太の方針で、高額療養費制度に手を入れようとしたけれど、公明の反対で潰されたとか。何か一つ手を付けたから劇的に改善されるということはない。しかし、出来ることは少しずつ改善していくしかない。持ち家があり、貯蓄もそれなりにある引退世代が、それで恩恵を受けるのはおかしいでしょう。
そういう所をきっちりと改めるためにも、マイナカードによる所得と資産の完全把握は最優先です。マイナカードに反対するのは、それをされるのが嫌な富裕層(共産党のコア層)であって、限界左翼のパンピーは、富裕層に踊らされる無知な集団だとしか思えない。
保険証も運転免許もどうでも良い。税金を急いで欲しい。
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TEDにて
マーガレット・ワーザイム: 珊瑚礁とかぎ針編み物の中に、ほのかに見えてくる美しき数学の世界観
(詳しくご覧になりたい場合は上記リンクからどうぞ)
マーガレット・ワーザイムは、数学者が発明したかぎ針編みの手法(あの手芸の編み方?)を用いて珊瑚礁を再現するプロジェクトを進めています。
チャールズダーウィンの生誕200年を記念してということです。珊瑚礁の驚くべき側面を紹介し、珊瑚をつくり出す中で見られる双曲幾何学(非ユークリッド幾何学)の世界へと案内します。
これは、アインシュタインの一般相対性理論の基本となる数学でもあります。双曲幾何学(非ユークリッド幾何学)は、不思議でもあり日常に満ちあふれている現象でもあります。
トポロジーにも関連していくような楕円的幾何学および双曲的幾何学は、ユークリッド幾何学の平行線定理に疑問を提案した結果誕生しました。
古代エジプトの土地の測量から始まった幾何学は、ギリシャ時代に発展し、ユークリッドの「������」という書籍にまとめられます。
しかし、「平行線の公理」のみが未解決の問題でした。その二千年来の謎を19世紀になり思いがけない形で解決されたのです。
ハンガリーのボヤイ親子、ロシアのロバチェフスキー、ドイツのガウスにより同時期に独立して「非ユークリッド幾何学」として誕生しました。
カオス理論にも貢献しているポアンカレの他に、ドイツのリーマンもモデルを構築しています。
さらに、コロンブス以前では、地球の表面は、平らであると感じるのは、極く自然であるにもかかわらず、まるいと考えるのもトポロジー的、非ユークリッド幾何学的な発想です。
次元に関してはこの場合、数学的な次元を前提としています。
次元のコンパクト化の説明の前に、数学的な次元の重要性について、さて、一般相対性理論をカルツァは、電磁気力に応用していきます。
当時は、それが重力以外に考えられる唯一の力でした。つまり、電気や、磁石の引き付けなどを引き起こす力のことです。 ここで空間と時間が歪むこと以外に、もしも次元が歪むことで電磁気力が働くかもしれないことに気づきます。
1926年にオスカークラインも、知覚で見えない次元がある可能性を示します。5 次元化して電磁気力も幾何学として表せるようにしたカルツァ・クライン理論というものです。
カルツァが3次元ではなく、4次元の宇宙における歪みと曲がりを説明する方程式を書き出した時、彼はアインシュタインがすでに3次元で導き出していた方程式を見出しました。それらは、重力を説明するための方程式です。
でも、カルツァは次元がひとつ増えたことによるもうひとつの方程式も見つけました。その方程式を見てみるとそれは正に科学者たちが長年の間。電磁力を表すために使ってきた方程式でした。驚くべきことです。それが、こつぜんと計算結果に現れてきたのです。
こうして、数学的な次元は、空間の量子化を数値的に表現できるようになっていくキッカケになりました。
その後のカルツァ・クライン理論は、無限に存在する次元の形状の一部をカラビ・ヤウ多様体として表現できました。
例えば、手を振って大きな弧を描く時、手のひらは3つの広がった次元の中ではなく、巻き上げられた次元の中を突っ切っています。
もちろん、巻き上げられた次元はとても小さいので、体を動かす間に、こうした次元を1サイクルして出発点に戻ることが繰り返され、その回数は、膨大な数にのぼります。このように次元の広がりが小さいと言う事は、手のような大きな物体が動く余地があまりないと言うことです。
それは結局、平均化されてしまい腕を振った時でも、私たちは巻き上げられたこのような次元を横断し膨大に旅したことに全く気づいていません。
これは、結び目の不変量にも関連しています。
まず初めに、円周を3次元ユークリッド空間に埋め込んだものを「結び目」と定義していることから始まります。
結び目理論においては、変形して移り合う「結び目」は、同じ「結び目」とみなして「結び目」を研究する。
「結び目」を研究するひもの結び方はいろいろあるので、様々なタイプの「結び目」がある。では、「結び目」のタイプはどのようにして区別すれば良いのであろうか?
「結び目」に対して定められる値で、「結び目」を変形することに関して不変であるようなものを「不変量」と言う。結び目理論は、トポロジー(位相幾何学)の一分野である。
1980年代に、数理物理的手法が、低次元トポロジーに導入されて、3次元トポロジーにおいては「結び目」と3次元多様体の膨大な数の不変量(量子不変量)が発見された。
これによって、4次元トポロジーには、ゲージ理論がもたらされることになりました。これらからゲージ場の数学的根拠として、活用されることになっていきます。
量子不変量は、数理物理に由来する量子群や共形場理論やチャーンサイモンズ理論を背景として、様々な代数構造を用いて構成される量子不変量やこれに関連するトピックを研究する研究領域を量子トポロジーと呼ばれています。
古典的な結び目理論においては、個々の結び目の特性を個別に研究する研究が中心であったが、量子トポロジーでは多くの「結び目の集合」を研究対象としています。
1980年代に結び目の不変量が大量に発見される発端になったのは、1914年にジョーンズ多項式と言う結び目不変量が発見されたことにあります。
その後、統計物理で知られていたヤンバクスター方程式の多数の解、つまり「R行列」を用いて大量の結び目不変量が発見されました。
さらに、1980年代後半に量子群が、発見されたことにより、それらの大量の不変量は、量子不変量として整理されて理解されるようになりました。
1990年代には、これらの大量の量子不変量を統一的に扱って、研究する2つの手法が開発されました。
これは、次元のコンパクト化への始まりになります。
1つは、コンセビッチ不変量と言う1つの巨大な不変量に、すべての量子不変量を統一する方法。
もう一つは、バシリエフ不変量と言う「共通の性質」で不変量を特徴づける方法があります。
ゲージ対称性、アイソスピン、クォーク理論、ヒッグス粒子など。
さらに、数理物理に由来する量子群や共形場理論、チャーンサイモンズ理論もあります。
そして、スーパーストリング理論や量子化学の「変分法」にも応用されている。
自分の周りのローカルな狭い範囲では平らであるのに、グローバルにはまるくなっていることを見抜いて、その視野は、ユニバーサルであるとさえ言えます。宇宙にもトポロジー的な考えが、宇宙を語るキーワードになります。
しかし、一般生活の範囲ではバランスも大切です。
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