#知多市心理カウンセリング
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休息はさぼりじゃないよ
名古屋市こころのケア 少しづつ、秋の気配を感じられる瞬間が増えてきましたね。 とはいえ、日中はまだ太陽が燦燦としている日もあります。 年々、気温の上昇がみられ秋になる事は、身体は夏を乗り越えた疲れが残っています。 休息について、頑張り屋さんの方は「さぼっている」と感じてしまう事があるようです。 何かに、頑張って取り組み、前向きな気持ちで生活をし、泣き言を話さないことが美しいと感じてしまう事もあります。 ですが、人は感情もあり、心も身体も日々変化が起きるものです。 いつもいつも、元気でいられるわけではありません。 心に溜めている言葉や思いを口にすることで、話したからこそ、翌日すっきりするものです。 自分の耳はしっかりと、自分の辛い気持ち、嬉しい気持ち、悲しい気持ち、不安な気持ちを表した言葉を聞いてくれます。 自分の言葉を聴いて、改めて「自分の気持ち」を認識したりするのですよ。 是非、休息…
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ランチ会【西三河-安城市】に参加してきました
くれたけ心理相談室では、各地でランチ会を開催しています。今回は愛知県安城市での開催でした。今回も、一般の方にご参加いただけ��、貴重な出会いのあった会となりました。 ・カウンセラーと話してみたい・心理のことに興味がある・カウンセリングについて聞いてみたい・その他、気軽におしゃべりをしてみたい など どなた様でもご参加いただける会となっております。 話題はその時により、お話したいことや最近興味を持っていることなど、様々で、少しでも心が緩んだり、新たな発見などお持ち帰りいただける機会になれば幸いでございます。 ※来月2月には、知多市にてランチ会が開催されます。 くれたけの各種イベントのご案内はこちらから
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釧路市愛国東の元介護士、藤山功至(こうじ)被告37歳は、5月3日、かつて交際していた小学校教諭の女性Aさん(当時39歳)の自宅アパートに合鍵で侵入し、Aさんの胸などを包丁2本で何度も刺し、殺害した罪などに問われています。 12日午前から釧路地裁ですすめられている裁判員裁判では、被害者特定事項秘匿制度により、女性教諭は匿名にされています。 これまでに検察は、下記のように経緯などを明らかにした上で、13日午前「犯行は計画的、極めて強固な殺意に基づく危険極まりないもので、殺害される理由がなかった一人娘を失った両親の悲しみ、憔悴感、喪失感は多大」などとして、懲役20年を求刑しました。 また、Aさんの父親の意見陳述として、弁護人が「娘は鼻がつぶれ、頬がえぐれてい��。計画的な犯行で、この裁判が終わっても、苦しい日々は続きま��。重大な事件を起こしても『後悔していない』と取り調べで話す犯人は、人の心を持っていません。絶対に社会に復帰させてはなりません。計画犯罪に対する真に抑止力となる判決を、判例にとらわれずお願いします」と遺族の思いを代読。 これに対し弁護人は、事実関係については争わず「犯行を認めて反省、自ら通報して自首も成立している。今後は心療内科のカウンセリングを受ける意欲がある」などとして、情状酌量を求めました。 藤山被告は12日の被告人質問では「(女性教諭を殺害した)5月3日は語呂合わせで“ごみの日”になるので、Aさんにぴったりの日だと思った。(殺すという選択肢以外は)なかった。(殺害後は)やりきった感と達成感があった」などと身勝手な主張をくり広げていました。 しかし、求刑後は「私が1人を殺した余りにも身勝手な行動で、多くの人に迷惑をかけた。重い刑罰を私からもお願いします。未来を奪ったことを大変申し訳なく思っています」と反省の様子を見せていました。 <検察が冒頭陳述などで指摘した経緯など> ・婚活イベントで知り合い、2021年11月から交際 ・Aさんのクレジットカードで約20万円分、勝手にゲーム課金に使い込むなどして関係解消 ・Aさん、被告、被告の母親の3人で話し合い、月々2万7000円ずつ返済で合意 ・ことし3月~4月、頻繁にAさんに電話、LINEで連絡 ・Aさんから関係を断ちたいので、返済を促す要望 ・母親が残り9万円を返済後、Aさんは「今後一切、関わらないことなどを誓約させる」内容の念書を渡す ・母親から受け取った被告は、破り捨てる ・Aさんを逆恨みした上「他人にとられるくらいなら、殺そう」と決意 ・事前に3回の下見、4回目に留守を知ると、包丁、合鍵、手袋を用意してアパートへ ・合鍵は交際中、無断で複製していたもの ・2本の包丁は、刃渡り14.4センチと16.5センチ ・侵入後、寝室のクローゼットに潜む ・Aさんの帰宅後、飛び出して犯行 ・Aさんの死因は出血死 ・胸や首などの傷は10か所以上 ・一部は骨まで達する ・合鍵をAさん宅の��くの川に捨てて逃走 ・Aさんの携帯電話を持ち帰り、連絡を取り合っていた相手をチェック ・包丁で首を切り、自殺を図るも、痛みに耐えかねて断念 ・自ら「人を刺した」などと通報、逮捕 ・交際解消から犯行までの間、別の女性2人に対するストーカー行為でも警告 公判では12日、藤山被告の母親も証言に立ち、藤山被告の使い込みを返済するため、面識ができたAさんについて「頭も良くて優しい人、自分よりも他人を優先できる人。全額返済後『困ったことがあったら、連絡してくれていい』とも言ってくれた」と悼む一方、藤山被告に対しては「手紙をもらったが、自分のことばかりで反省がなく、失望した。今後は関わりたくない」と述べていました。
小学校の女性教諭殺害、37歳の男に懲役20年を求刑…「殺した5月3日は“ごみの日”で女性にぴったり、達成感があった」などの暴言、男の母親でさえ「自分のことばかりで反省なく、今後は関わりたくない」(HBCニュース北海道) - Yahoo!ニュース
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昨日、東京で桜の開花宣言がありましたね。近所の桜もつぼみが膨らみ、ちらほらと咲き始めています。今日の東京はジャケットやコートなしでも過ごせる暖かいお天気でしたが、まだ気温が安定しない時期ですし、花冷えという言葉もあります。寒の戻りに気をつけながら体調を整えつつ、春を迎えましょう。🌸
明日、3月31日は近代スピリチュアリズム176周年記念日です。私のサイトに歴史やスピリチュアリストの先駆者達を紹介していますので、よかったらご覧になってください。
日本で『スピリチュアル』というと、本来とは少し異なるニュアンスで捉えられていることがあるようです。恋愛や結婚、占いやおまじない、護符やパワーストーン等の各アイテムや迷信などをスピリチュアリズムと関連付けていますし、霊や霊界に関しての認識も恐いもの、悪影響を及ぼすもの、未知なるもの、というところにとどまっているようです。
以下の7つの信条を理解することがスピリチュアリストに求められています。
1 神は親です 2 人類は皆同胞です 3 霊との交わりと指導霊の参与を認めます 4 人の魂は死後も存続します 5 個人に責任があります 6 カルマの掟を認めます 7 永遠に進歩する機会が、すべての人に与えられています
そしてまた、これらの信条に基づくスピリチュアリズムとその哲学を広めることもスピリチュアリストには求められています。
ちなみに、優秀なミディアムやヒーラーを輩出し、スピリチュアリスト教会やアーサー・フィンドレイ・カレッジなどの母体でもあるイギリスのスピリチュアリスト・ナショナル・ユニオン(SNU)では、スピリチュアリストの活動指針やゴールとして、以下のミッションステートメントを掲げています。
・宗教や宗派にとらわれず、人間は皆平等であるという認識を持つこと ・スピリチュアリストとスピリチュアリスト教会の形成を支援すること ・スピリチュアリスト相互の友愛関係を強化すること ・あらゆる階層のスピリチュアリストを増やし、育成すること ・文献の印刷、出版、頒布 ・宣教活動を促進すること ・スピリチュアリズムの発展のために合法的なあらゆることを行うこと
私がこのブログでデモンストレーションやサーモンの様子をお伝えしているのも、クラスやイベント、ワークショップを開催しているのも、全てこのミッションに従った行為です。それは霊界から期待され、推奨されている行為です。スピリチュアリストはミッションに沿った責務を担うなか、時に個人的な見解や独自の趣味嗜好から離れることも求められます。
また、スピリチュアリストは自分の能力だけでそれらのミッションを行なうのではありません。大神霊、類魂霊、指導霊の導きや応援のもと、その多大なアドバイスやインスピレーションという光の源泉があってこそ、スピリチュアリストとしての自分の活動が可能となることを理解する必要があります。
クラスの中で行なっている誘導瞑想も私自身の指導霊に導かれ、ヒントを与えられて作った霊界との共同作品です。春学期のクラスで行った誘導瞑想のいくつかをピックアップしてショップで販売していますので、ご興味があれば春休みにぜひ試してみてくださいね。
誘導瞑想「もののあはれ」 30:41
平安時代の美的理念『もののあはれ』を旅する誘導瞑想です。『もののあはれ』とは日本文化においての美意識、価値観に大きな影響を与えた思想で、四季に移ろいゆく季節の風情やさまざまな人間関係の間に生じるしみじみとした情緒を大切に思う心です。『もののあはれ』を感じるだけでなく、知ることの大切さを平安時代の女流作家や歌人たちと共に探ります。
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誘導瞑想「ライトワーカー」 31:30
この誘導瞑想では地理的な条件とその特有の歴史によって、宗教的な主都となっている国境の街を訪れます。丘陵と川に囲まれた自然の要塞に守られるようにして築かれている、緑豊かな国際都市であるこの場所に世界中からライトワーカー達が集まり、共同生活を送っています。あなたもその仲間に入り、自分に課された使命を確認しましょう。
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誘導瞑想「ジャポニズム」 31:30
第2回パリ万国博覧会に招待されたあなたは、当時の最新技術と芸術、文化教養に触れます。活気のある会場は熱気と娯楽性に溢れ、訪れた人々を魅了しています。その中でも特に異彩を放つ日本趣味『ジャポニズム』の展示会場は、ヨーロッパの芸術家たちの注目の的。あなたもそこで、ご自身の内側にいるアーティストと出会ってください。
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誘導瞑想「聖杯伝説」 33:41
美しい七色の光に誘われながらイタリア・ミラノの教会を訪れます。そこで最後の晩餐に使われたキリスト教の聖遺物とされる4つの聖杯のエネルギーに触れ、修道���の食堂で聖なる響きに出会い、壁画に現れるあなただけに与えられた特別な聖杯を受け取ってください。指導霊からもたらされる慈愛に触れ、聖杯のありかを教えてもらいましょう。
全て動画ではなく音声ファイルです。サイトまたは直接ショップからご購入いただけます。
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今後のイベント・ワークショップ
All About ミディアムシップ
4月21日(日)10:00~17:00(1時間のお昼休憩あり)
4月22日(月)10:00~17:00(1時間のお昼休憩あり)
料金:1回 8,000円(アイイス会員・税込)・10,000円(非会員・税込)
両日共に同じ内容です
どなたでもご参加いただけます
最少催行人数:3名
ミディアムになりたいと思っている人、ミディアムの役割について知りたい人のための6時間ワークショップです。アイイスでの講師歴9年、ミディアム歴8年、イギリスのアーサー・フィンドレイ・カレッジにて数回に渡って講師・プロの為のミディアムシップ、サイキックアート、トランス、シャーマニズム等のワークショップに参加し、海外のミディアムとも交流のある講師による最新の情報を含めたレクチャーとゲーム感覚で楽しめる実習を通じて、あなただけの唯一無二のミディアムシップを作り上げていく過程を経験していただきます。
あなたの中に潜在する本来の能力を知り、それを呼び覚まし、育み、特化した分野をさらに伸ばして磨き上げましょう。そして同時に自分の苦手な分野を知り、それを伸ばす方法も試してみましょう。
ミディアムシップは決して完成することのない、永遠に学び、伸ばし、育むことのできる能力です。その過程を指導霊の応援と��力のもと、楽しみながら一歩一歩���実に進んでゆきましょう。大切なのは、自分に期待しながら挑戦し続けること、自分を信じて諦めないことです。練習すればするほど、そして失敗を重ねるほど感覚が研ぎ澄まされ、あなたは素晴らしいミディアムになれるでしょう。
レクチャー内容
・ミディアム、ミディアムシップとは
・ミディアムシップの種類とその役割
・良いミディアム、ミディアムシップとは
・霊能力はなぜ与えられ、なぜ失効するのか
・ミディアムとサイキック
・想像と霊感の違い
・デモンストレーションとカウンセリング
実習
・シッティング・イン・ザ・パワー
・ミディアムシップクイズ・30問に挑戦!解説付き
・サイキック、ミディアムシップ、トランス各実習
・直感と指導霊により深く繋がるための各実習
このワークショップは以下のような方に向いています
・ミディアムシップついての理解を深めたい
・ミディアムシップの練習、経験をしてみたい
・ミディアムという役割に興味がある
・ミディアムになりたい
・指導霊との繋がりを深めたい
・本当の自分の人生の目的を探りたい
・自分自身の可能性や能力を探りたい
・霊性開花を通して人の役に立ちたい、社会に貢献したい
このワークショップは2019年4月17・21日に開催した同タイトルのワークショップの内容と同様ですが、一部を加えたりアレンジしてアップデートしています
詳細・お申し込みはこちらからどうぞ。
ショップからも直接お申し込みいただけます。
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サンデー・サービス(日曜 12:30〜14:00)詳細はこちらから。
5月19日 担当ミディアム:澤輪・森
6月30日 担当ミディアム:ゲスト・森
ご参加は無料ですが、一口500円からの寄付金をお願いしています。
当日は以下のリンクよりご参加ください。
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ドロップイン・ナイト 木曜日 19:00〜20:00
5月23日(木)指導霊(スピリット・ガイド)のサイキックアート
詳細とお申し込みはこちらからどうぞ。
過去の開催の様子はこちらからご覧ください。
夏学期クラスのスケジュールが決定いたしました。サイトとショップにてお申し込みを受付中です。(アイイスのサイトでも告知されています)
春学期に蒔いた霊性開花という名の種を、眩しい太陽と清らかな水、豊かな土壌、そして爽やかな夏の風のエネルギーを享受しながら、共に大切に育んでゆきませんか?皆さまのご参加をお待ちしています!
アウェアネス・ベーシック前期 Zoomクラス
月曜日:10:00~12:00 日程:5/13、5/27、6/10、6/24、7/8
火曜日:13:00~15:00 日程:5/7、5/21、6/4、6/18、7/2
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アウェアネス・ベーシック後期 Zoomクラス
土曜日:19:00~21:00 日程:5/11、5/25、6/8、6/22、7/6
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アウェアネス・ベーシック通信クラス
開催日程:全6回
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アウェアネス・オールレベルZoomクラス
火曜日:19:00~21:00 日程:5/14、5/28、6/11、6/25、7/9
木曜日:10:00〜12:00 日程:5/9、5/23、6/6、6/20、7/4
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アウェアネス・マスターZoom クラス
火曜日:19:00〜21:00 日程:5/7、5/21、6/4、6/18、7/2
金曜日:19:00〜21:00 日程:5/17、5/31、6/14、6/28、7/12
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サイキックアートZoomクラス
日曜日:17:00~19:00 日程:5/12、5/26、6/9、6/23、7/7 水曜日:16:00~18:00 日程:5/15、5/29、6/12、6/26、7/10
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インナージャーニー 〜瞑想と内観〜 Zoomクラス
月曜日:16:00~17:00 日程:5/20、6/3、6/17、7/1、7/15
土曜日:10:00~11:00 日程:5/11、5/25、6/8、6/22、7/6
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マントラ入門 Zoomクラス
土曜日:13:00~15:00 日程:5/18、6/1、6/15、6/29、7/13
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トランスZoomクラス
土曜日:19:00~21:00 日程:5/18、6/1、6/15、6/29、7/13
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サンスクリット・般若心経 Zoomクラス
月曜日:13:00~15:00 日程:5/20、6/3、6/17、7/1、7/15
水曜日:19:00~21:00 NEW! 日程:5/15、5/29、6/12、6/26、7/10
サイトのクラス紹介ページはこちらです。
継続受講の方は直接ショップからお申し込みください。
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羽毛ほど軽ければもう諦めも飛んで囁くそうはならない
洗い物、洗濯物、資源ごみ(ダンボール、ペットボトル)、ヨシ!今日は朝起きてどうにか朝食らしきものを食べ、風呂に入ることができた。現時点(23:49)での疲労・疲弊度を思うと正直まだ早かったのでは��いかとも思うが、ともかく風呂に入れた。化粧して服を着て歩きロイヤルホストへ行って昼ごはんを食べ、歩き、タリーズで勉強をし、電車に乗ってユニクロに行き、ジムでのトレーニングのためのスポブラのようなものを買った。帰り際に牛乳とバナナとトマトを買い、帰宅してからなすを焼いてトマトを切って食べた。白いご飯も1合炊いて、3食分を作り、残りを食べた。食べるものに激しくお金を使った気がするが、その甲斐あってか、かなり生活とか、体を動かして取り組まねばならなかったことが進んだように思う。ダンボールの中身を適切な場所にしまうこととか。
明日はダイエットのためのパーソナルトレーニングのカウンセリングを受けに行く。とにかく人の目があれば頑張れる気がする。早速今日は野菜を焼いて食べていたし、ご飯も炊いたし、誰かに怒られるのでは?と思うと、結構できるのかもしれない。それにしても夜ずっと(いや昼からずっと)体が重くて難儀した。体力が落ちるところまで落ちているのだろう。毎日寝ていたため。
友人伝いで教えていただいた社会学の学部生用の教科書、アンソニー・ギデンズの『社会学 第五版』の初めをまず読む。目次と全体に目を通し、用語辞典、引用元、訳者略歴を見て、はしがきのあとの第1章をいよいよ読んでみたところ、驚天動地の新展開だった。なんと、私のやりたい勉強の分野のすべてが社会学で扱えることがわかったのである。そんな。まさか。そんなことって。社会学という選択肢、今までの人生に全然なかったけれど、実は私が考えていたことややりたかったことは、社会学の学問領域だったのだ。びっくりした。そんな。たまたま編入学できる学群のなかの学問で自分でもなんとか行けそうと思えるのが社会学だったから社会学に決めただけなのに、実はここが本当に私のいるべき場所だった。そんな。歴史学とかじゃないんだ…そうか、社会なんだ…そうか…。たしかに、大澤真幸も橋爪大三郎も、社会学者なんだよなとは思っていたんですよ。ジェンダーやフェミニズムが社会学ということは、家族を扱ってもいいのでは?と思っていたが、政治や歴史や経済や文化に類することも、「現状」を理解したいのであれば、市井の人々のことを知りたいのであれば、どうやら、社会学で……いいらしい!そんな……まだ出会って2日目なのに、社会学と……。私がやろうとしていたことややってきたことが、だいたいここに、このアンソニー・ギデンズが、書いているんですよ…。マジか……。とにかくすごく面白い本なのでどんどん読めちまうなと思いました。その一方で相変わらず大澤真幸���『資本主義の〈その先〉へ』は1回読んだだけではすんなりとは理解できない。というかこれは集中力の問題かもしれない。とりあえずノートを取りながら行きつ戻りつすれば理解はできる(覚えていられるかというとそうではない)。有斐閣ストゥディアの『社会学入門』があまり面白くないなと思って、というかそもそも字がでかくないか?情報量少なくない?と思って、ストゥディアの『国際政治史』と比べようと思い久しぶりに机の下の勉強用の本たちのスペースをひっくり返したら、『精読 ハンナ・アレント』が出てきて、やばい!『資本論』の理解が進むじゃん!と思ってこのテキストご機嫌でやっていたんだった!ということを思い出し、これも早く続きに手をつけなければと思った。やりたい本が多すぎて分裂したい。ちなみにストゥディアは、国際政治史のほうがかなり字が小さく行間も詰まっていた。並行して英語のリーディングも速読できるようになりたいし、単語も抜けが多い。友人(こうこさん)の誕生日祝いとして英検の1次試験突破という1月に向けても気を引き締めていきたい。
そんな感じで小説は書いていないが、朝方4時に起きた時に久しぶりにあんスタを叩いて、ダブルフェイスの最後のライブを終わらせた。まだこはゆるワンドロさんもまたやるみたいだし、本腰入れてダブルフェイスについて学び、まだこはも書いてみたいと思った。その前に燐一を書きたい。燐一はもうかなり、頭の中では文章化が終盤まで来ているので、早く打ち出さないと忘れる。萌えていた箇所を忘れて萌えなくなってしまいそうなので、本当に今まじで書くことが必要だと思う。ほんとジムとか行ってる場合か?と思うが、あと5kg痩せれば光明が見えるので、精神の健康のためにも今やるしかないと思える。アルバイトは1件落ちたが、1件また学習塾に応募している。こちらは結構受かるといいなあと思っている。今ならぎりぎり半年、3月まで居られるので。(もう4月から大学に通うために引っ越す気でいる。気が早すぎる)2ヶ月で5kg痩せる&筋力をつけることができれば、その後の4ヶ月、塾とは別に短期で働いてお金を作ろうと思っている。そんなに何もかもうまくいくかな。まあいかなくてもとくに損をするわけでもないので、そういうざっくりとした計画でいる。私はこういう人生の計画を立てる時、誰に何を言われてもたいてい変えることはないうえ、誰に何を言われても大抵達成してしまうため、大体色んな人の心配や心配や心配は杞憂に終わる。なぜかいつもそう。大学も、中学までの勉強以外一切分からないのにまぐれで受かってしまい家を出ることができたし、新卒の会社を退職する時にも、あっさり書店のフルタイムで採用された(これは条件の合致と当時の若さゆえ当然かもしれないが)。「今度こそもう駄目なのでは?」という時に限って、なぜかうまくいって「しまう」。そしてそこでの経験がその後の人生に繋がっていく。なぜかそのように、かなり細い橋を全速力で渡ってきた。今回はどうなるかはわからないが、とりあえず気合だと思う。気持ちの面では全然負ける気がしない(?)ので、とにかく気持ちを折らないで、やれることをやっていきたい。こんなところでここまで自分に檄を飛ばす必要はそんなにないのだが、なんだかテンションが上がっていると思う。
友人に共有したいことがあり、メッセージを開いたら、なんと、9月20日つまり2週間近く前に、友人からメッセージが来ていた。なぜ通知が来ていないのかまったくわからないが、とんだ不義理をしてしまった。まあでもこちらは元気ですということと、ウルフくんのグッズ情報と、レノフィの良き小説を共有することくらいしか言うことはなかったので、いいか、と思った。日によって私は元気だったり元気でなかったりするので、風呂に入って外に歩きに行った今日、つまり元気な日に返信ができてよかったと思う。
友人たちがどんどん文芸や文学に向かって突き進んでいるなあということを感じつつ、私はしばらく文芸や文学は二次創作で遊ぶ程度でいいかと考えている。べつに二次創作は遊びではないのだが、自分の小説を書くということと比べると、こちらは完全に「仕事」になるので、二次創作は相対的に遊びというか、「好きでやっていること」になる。私にとっては二次創作ではない自分の小説を書くことは、やらなくてはいけないことであり、遊びではない。ただ、楽しくないのかと言われれば楽しいことであり、やりたいときにしかやら��い(やれない)ので、これは本当に自分にとって生涯の「仕事」だと思う。二次創作の小説を書くことも「仕事」の一部だが、これはあくまで非営利なので、対外的には「仕事」にはならない。ただ、遊びというよりはかなり切実な希いがそこにはある。まあ一足飛びには何もかも難しいだろうから、二次創作の延長でオリジナルのBLを書き、オリジナルBLの延長線上で、いつかなんらかの一般文芸を書けたらいいなと思う。全てはひとあしづつ。詩と短歌は、またちょっと違うところにいる。短歌は二次創作で始めたが、かなりそうではないものも書き溜めていた時期があった。詩は最初から二次創作ではなく、自分のものとして書いていた。このあたりは並行してやっていけばいいかと思う。やりたい時にやるしかない。詩人や歌人ではなく、私は小説を書く人になりたいわけなので、ノルマは小説に課したほうがいい。自分の本質が詩にあるとしても、それを表現するのは小説の上でだと思う。
明日はパーソナルトレーニングの体験コースで、明後日はワクチン接種で、その後は体調を崩す予定で、日曜には人と会う予定があり、おそらく学習塾の選考も進み、ジムも本格的に始まっ��いき、なんだかんだ忙しくなる気がする。そして社会学と英語の勉強をしつつ出願の準備を進める。仕事を辞めて良かったなと思った。というか、どうせ辞めたんだから、それに見合うというか、それ以上のものを掴むことができるに決まっている。
2023.10.2
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田中絵里カウンセラー(くれたけ心理相談室 知多支部 愛知県)ってどんな人?(#208)
田中絵里カウンセラーと(くれたけ心理相談室 名古屋ルームにて) Counselor’s Question:「田中絵里カウンセラーって、どんな感じの方ですか?」 思慮深くてとっても真面目な方です。そして、一緒にいると明るくて楽しい方です。 田中絵里カウンセラー(通称 エリツィン)は、愛知県知多市の新舞子にあるカウンセリングルームを拠点に、名古屋ルームや、長久手作田ルームにて心理カウンセリングの対応をしています。 また、福祉介護系専門学校の教員として、高齢者介護や障害福祉、心理分野、国家資格取得に向けた授業や、学生相談(進路、プライベート)や自己分析、社会交流に関する研修を担当しています。 そして、公認心理師として、医療連携、地域連携、家族支援、発達課題の不安のあるお子様のご相談、発達課題のあるご家族様のご相談などにご協力させていただいております。…
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完璧【最��コロナ対策】換気対策 おはようございます。 ワクチン2回接種済、注射する時はガン見しちゃうiNSYOの黒川です。 コロナ換気対策として ドアを開けたり、窓を開けたりしてるところも多いですよね。 暑いとエアコンの効きも悪いし、 お客様にも不快にもなる。 いや、 電気代も、かさばむ気がするのね。 だがしかし 定休日に2日間かけて工事し iNSYOにはコイツが新しく導入! 『高機能換気設備』 全熱交換器ユニット ベンティエール 業務用エアコンも最新のものに! 漢字ばかり並べて最後に横文字かい!? 分かりやすく見てもらうのはこちらが良いでしょう。 簡単に言うと 【窓を開けなくても換気できます】 美容室で高機能換気設備をしている所も少ないでしょう。花粉もホコリも入らないし、 暑さ寒さに我慢もしなくてよい。さらに 窓開け換気へは省エネでもないしね。 これでお客様もスタッフも安心して過ごせます! 本日もよろしくお願いします。 ************************* ~髪質改善・縮毛矯正と頭皮と髪に優しい白髪染め専門美容室~ iNSYO中山駅本店【インショウ】 神奈川県横浜市緑区中山5-15-3-1F ************************* ≪アクセス≫ ■横浜線 中山駅 南口 徒歩6分 無料駐車場 2台完備 ≪営業時間≫ 9:30~18:00(最終受付カット17:00) ※ご予約優先、予約がない時はコロナ禍のためお店閉めます。HPからLINEにて対応します。 ≪定休日≫ 毎週月曜日、第1・第3日曜日 ■ダメージを出さないことが最大のトリートメント、矯正部分は完全保護でダメージレス ■ナチュラルハーブカラー白髪染め ■3D増毛取扱、ア○ランスに��かなくてもok ■半個室完備 ■ドリンクサービスあり #横浜 #中山駅 にある美容室インショウ 【こんなお悩みをお持ちの方はぜひご連絡ください】 ︎︎◌ ☑︎『髪の毛キレイだね』って周りのお友達に言われたい ︎︎◌ ☑︎髪の毛の手触りがよく、毎日テンションあげたい ︎︎◌ ☑︎美容室でトリートメントをしても、いつもすぐ落ちてしまうのよね ︎︎◌ ☑︎いつもクシでとかす時に毛先が引っかかって痛いの ︎︎◌ ☑︎自宅で市販のトリートメントしてもその日だけしかもたないの ︎︎◌ ☑︎しっかりしたホームケアを知りたい ︎︎◌ ☑︎ものすごくキレイな縮毛矯正をしてみたい ︎︎◌ ︎︎◌ iNSYOの髪質改善や縮毛矯正は 他の美容室のトリートメントとは概念が違います。 ︎︎◌ また髪の毛を極力傷ませないようにしながら あなたの求める理想の髪質に改善していくのが iNSYOオリジナル髪質改善です。 ︎︎◌ お悩みの方はお気軽に お問い合わせ下さい 親身な丁寧なカウンセリング提供】 ︎︎◌ 髪の毛の痛みなどが気になる方はご相談ください ︎︎横浜・中山駅5分 【美容師歴18年】 ︎︎◌ 黒川有亮 ︎︎◌ 【ご新規様】のご予約はネットかLINEで♪ LINE@登録ID:@xcn4646j プロフィール欄のストーリーのハイライトからもご登録できます ・ あなたの髪の毛も必ず綺麗にしていきます! 気になる方はご連絡・ご相談お待ちしております ︎︎◌ ︎︎◌ #縮毛矯正 #鴨居駅 #中山駅 #3D増毛 #社会保険完備 #日曜休み #スタイリスト募集 #美容師 #ママ美容師 #日本美容専門学校 #美容室 #白髪染め #髪質改善 (インショウヘアーラウンジ 中山駅本店) https://www.instagram.com/p/CTOE0ytPazc/?utm_medium=tumblr
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『おいしい話には気を付けろ!!!!!!!!』・・・体験からのメッセージ
このタイトルの言葉は、私が経験した事、習った事、本当の意味で次の世代に伝えるべき事、世の中の事について皆様の心に訴えていきたいと思います。
これは、私が『ガチョーン!!!!!!!!!』と、騙され、一瞬にして血の気が引いて、『絶望感』に浸った時の教訓ですので、今回は申し訳ございませんが精神障害者向けの文章ではございません。一般市民用に向けた文章にしたいと思われます。何故かと申しますと、私がまだ精神科にかかる前の話であり、(勿論ですが『ブチ』と3回切れた経験の後ですが)当時学生相談室(カウンセリング)に通室時代で、大学院を目指してた1987~1988年の自粛ムードで最低ブームの事ですので、精神障害者の方々にとってこの文章を書く事をお許しください。
私が大学3年生の時1987年12月に行われた英語劇祭(大会)で、特別(大道具ーー私の担当ーー)賞が取れて、次の日学校内で各部署課に、受賞報告に行きその年度最後のミーティングを開き、部長兼主幹の座を後輩に譲り引き継いだ後の事です。やっと上役の肩の荷が降りて気分が少し楽になり、学校の単位とアルバイトと大学院受験勉強のみだ、と思ってました。今までその年の後期、授業に出席出来たのは、演習(���究指導・ゼミナール)と英語5の出席必修だけでした。標準として1年に6回(70%)(前期3回・後期3回)だけでしか休めませんでした。又公欠も認められませんでした。私が履修した英語5の先生は、悲惨な先生で1年間いじめられて鍛えられました。この先生は、前期1回、後期1回しか欠席できませんでした。教室では、学生が国会か都道府県か市区町村かわからないが、議員みたいに立て看板毎回毎回必須の先生でした。部活が忙しい時の確か9月ぐらいに先生ともう一人の先生が、食堂の隣の喫茶コーナーにおられたので、直接先生に「先生、部活が忙しいので授業にあまり出られないのですが。⁉」と言いに行くと、先生は『部長を呼んで来い。!!!!!!!」と言われ、私がそのまま立っていると、『お前が部長か???❕」と言われ、「単位(今年のこの科目)は諦めろ!!!」と言われ、粘って立っていると、もう一人の先生が「この部活動って去年優勝したそうですよ!!!!!!!」助言が入り、先生は「何、お前達が優勝した?????」そして「よし1回だけ休ませてやる!!!!!!!それ以外はダメ❕」という事で、その場を去った。私も大道具作りに忙しく授業に出たのは、火曜日の3時限目は仕方なく出席、木曜日の4時限目は時々欠席(1年間に6回まで)、学生相談室(カウンセリング)は、大体覚えている時、ぐらいでアルバイトしてる暇もなかった。私の一日の時間割は、夕方5時から朝の5時まで大道具作り、5時から11時ぐらいまで毛布1枚持参して部室で就寝、11時に目が覚めたら学食で朝昼兼用の食事、12時半から授業等以外は、あるホームセンターまで買い出しに公共交通機関で一人で行く。バスも乗り換えないとホームセンターに着けないし、途中で降車しないと金が下せない。時には紙屋や布屋までに行くのに都心部まで買い出しに行った。お風呂だの歯みがきだの更衣だのしている暇は無い。ひたすら大道具作りに必死だった。フェスティバル(大会)まで間に合わせる事で必死だった。一通り出来上がったのは、約1週間前だった。それまでは、一人の先輩だけ時々手伝って下さったが、出来上がってから、色々な先輩方が修正を手伝って下さった。完全に出来上がったのは、公演前の前日であった。その日は一睡もする余裕がなかった。それでも他人は、私を健常者扱いされた。唯一幸運な事だったのは、天気が殆ど晴れていて尚且つ、1987年は秋から冬にかけて暖冬だった事だけだ。運搬費は全て私持ちで先輩方が運転してくれた。全然段取りもさっぱり解らず、行動が静止したり頭も働かなかったので、事実上先輩達に、おんぶにだっこになってしまった。ある県の僻地の山の上から、都心部の会場まで運���事については、全く想像できなかった。先輩に「ここの扉の鍵締めといてな~。」と言われ、そこだけ施錠し、会場に向かった。3往復するはずのトラックが、2往復目で中々着かなかった。土曜日の夜に劇場搬入の予定だったが、一部しか搬入出来ず、公演出来るかどうか崖っぷちの窮地に追い詰められた。主催者の大道具担当の方が、「やっぱり心配してた通りになった。どうなるのかなあ。」定刻になったので、私達のメンバーは外に追い出された。ひたすらトラックを待っていた。それまでに全員分のほか弁買い出しに行き、30分ぐらい待って、自腹切って買って(去年のフェスティバルの時は先輩方が自腹を切ったので)トラックを待っていた。やっと着いたと思ったら、『ガチョーン!!!!!!!』「バカヤロー」と、大声と名指しで度が過ぎる程怒られた。何故怒られたかというと、『ガチョーン!!!!!!!』大道具作りした場所の、電気の消灯も場所の鍵も施錠も忘れていたのだ。私が悪いとしか言いようがないのだ。『ガチョーン!!!!!!!』としか言いようがないのであった。寺の合宿所に行き、度が過ぎる程コテンパに夜中まで怒られた。次の日、6時頃目が覚めて、後片付けして、寺に宿泊代金を納めて会場に急いだ。会場に着いて、委員会はもう扉を開けてくれないかなと思ったら、9時5分ぐらいに裏の扉を開けてくれたので、大道具を何とか搬入出来た。本番公演までギリギリ設置出来たので、公演そのものは、成立したのだが、出演者とっては、『ガチョーン!!!!!!!!』大変申し訳ない事をしてしまった。大道具入りは、彼らにとってぶっつけ本番をさせてしまった。当部長としては『ガチョーン!!!!!!!!』ごめんなさい。!!!!!!!!公演終わり、搬出し、ロビーに行くと、休部してた部員が来てくれた。合同夏合宿のメンバーの女子から花束をくれた。ただ私は、「有難う。❕だけど今、滅茶苦茶忙しいので、後で頂くよ。今ちょっとごめんね。」と言って、ロビーを後にして、慌ててトラックに乗り込み、大道具を積んで僻地の山の上学校まで戻った。そして出来る限り解体作業をした。解体出来ない壁は、部室近くの廊下に置かさせてもらい、後日、管財課に頼んで、倉庫に保管させてもらうように考えた。そして1日飲まず食わずで、トラックに乗り込み、閉会式の会場に向かった。『ガチョーン!!!!!!!!』トラックの中で思い出した。会計担当から預かったお金入り財布(何万円何千円単位)の入った手提げバッグを舞台の下手に置き忘れたままだ、と気付き先輩に言わずに会場に着いた。着いたら着いたで、また別の事で『ガチョーン!!!!!!!!』先程述べた合同夏合宿のメンバーの部長から「あの子泣いてるよ!!!!!!!!貴方が逃げて別の女の人から花束をもらい会場から逃げたのではないか???」と、言われ私は、「後で行ってちゃんと話す」と、部長同士約束した。これは、『ダブルガチョーン!!!!!!!!』を私は、食らった。でもまず自分の手提げバッグを探しに、舞台の下手に公演の邪魔にならない様にして公演と公演の間を狙って、下手に行った。私の手提げバッグ���、下手の床に放ってあった。私は、それを拾い上手に行き、そして財布があるかどうか確かめた。序に中身も確かめた。結果1円も盗られていなかった。先ずは『ホッ!!!!!!!』。確認出来たらあの子のところまで探して行った。そしてあの子に「今朝はごめんね。!!!!!!!貴女の部長様から聞いたよ。あれから学校に帰って大道具を潰して片付けていたの!!!!!!!別に貴女の気持ちを踏み躙った訳ではないよ。ごめんね。誤解しないで欲しい。」と、言うと「こちらこそごめんね。」と言われたので、「では私は、自分の学���の仲間の戻るよ。本当にごめんね。」と言って、学校の仲間の席に行き着席した。密かに『ホッ!!!!!!!」と、してたらある先輩が、「今年は寂しいな~賞も何も来ないのか~」「おい❕お前の時代だけだぞ~賞も何もないのは~」と、別の先輩は言った。閉会式が、始まる。その前に客席で、連盟長に堂々と睨まれた。無視して客席に行き着席してた。入賞(優勝、準優勝、3位、特別賞、大衆賞、最優秀男優(女優)賞)の受賞の対象で、去年からノミネート制だったが、今年は、特別賞と大衆賞は、ノミネートせずに発表された。その特別賞のうち、審査員の一人の方が、「この賞の理由は壁が良かった学校にこれらの特別賞の一つを与えます。」と英語で言われ、私達の作品名と学校名が英語で告げられた。受賞つまり入賞したのであった。どの学校も入賞したら大きく喜んでいたのだが、私の学校はタイミング的には、絶句状態であった。私も『マジか???疲れた❕』と思い、審査員もびっくりしたが、すぐ演出担当が「やったー!』と叫び、やっと自分も「やった!やった!やったー!」と言えて、「行こ!行こ!行こう!!!!!!!」誘い叫んで、舞台の上で5人ぐらいいて、私が「やった!やった!やったー!」と舞台の上で叫んでいると、舞台下手の委員長と副委員長3人の4人に睨み付けられ、この委員長が「持って行けー!!!!!!!!」と怒鳴っていたのだ。こんな委員長はいらない、と、無視して上手の審査員は、拍手してた。私は、特別賞の小さなトロフィーを受け取り、他のメンバーは、賞状や、副賞を受け取った。嬉しかったけど、疲れの方が大きかった。先輩から「おめでとう❕。お前の賞や~」たり、他校の部長様や部員様からも「おめでとう❕」「おめでとうございます。❕」と言われたりしたけれど、私は、あまりにも疲れてたので、頭は何とか下げたが、「有難う。」の声が出なかった。外に出て打ち上げコンパの企画を、前部長がしてくれたので、彼が「おい、お前明日の夜の定時にどこそこな。報告会しておけよ。」と言われ、私は、「明日の昼の定時に部室集合!!!!!!!!」と言った。次の日昼の定時に部室集合して、大道具作りしたホールを皆で掃除したり、預り金から1年生優先で領収書と現金を引き換えたりしてました。前部長もおられたと思います。「報告会は、お前らでやってこい。夜の定時にどこそこな。」と言って去られ、̰私達のグループは、学長室から学部長室から学生課、教務課、入試課、管財課、図書館、等ありとあらゆる学内組織に報告の挨拶に行き周りました。最後は、部室の中で本年度の終了の言葉を述べて、新部長の指名任命をして、私の部長兼(学内)主幹の任務を終えました。正直『ホッ!!!!!!!!』としていたら、夜の打ち上げコンパに行き帰る時に、『ガチョーン!!!!!!!!』先輩からまたお叱りを、受けました。せっかく終わったと思ったら、説教された。理由は、『席の配置が悪い』と怒られました。この先輩は、一生付きまとうだろう。と思えました。私がこの学校を卒業が1989年3月ですが、30年経った2019年でもK市Y区M駅の3番出口の車の中から、見張ってました。コンビニ横から府道(旧国道1号線)に曲がるとすぐM駅なので、そこに車が止まっていて、運転手と私の目が合ってしまってお互い「あっ❕」とあの先輩に私だ、っと完全に分かってしまいました。「ガチョーン!!!!!!!!」こんな人はほっといて、1987年12月下旬やっと、部長兼主幹職を終え、後期試験やレポート提出に取り組んでいて、又アルバイトも探していく予定ですし、色々忙しい年末でした。K市の実家に帰ったのが、年末30日でした。アルバイトも学校の掲示板を見て、ある会社が時給1000円交通費1日500円までと書いてあったので、試験やレポートが終われば応募しました。それと並行に大学院受験勉強も開始しました。研究指導(ゼミナール)の先生が、何十冊も本を借りて頂き、最低限この本とこの英語本は、読みなさいよ。と、指導を受け、勉学の世界にのめり込みました。又アルバイトの面接も入って来ましたので、行きました。応募理由を聞かれ、はっきりと時給1000円という事が書いてあった、と告げると、はっきり告げられました。うちの仕事は、最初研修から始まって研修中の時給300円です。と、『ガチョーン!!!!!!!!』の気分でした。最後まで話を聞いてました。能力給制で、仕事内容は、主に結婚式のビデオ撮影でした。式と披露宴に分かれて報酬が違い、式は1本20分ぐらいで600円ぐらい、披露宴はランク制で、A、B、C、と基本分かれていて、Cランクから始まるけれど、基本二つのカメラを操作するのが、補助付きだとか不十分判定だとCランク、十分出来て一人で操作出来たらBランク、三つのカメラを一人で出来たらAランク、とのことです。披露宴は、標準2時間20分であり、Aが1本3000円、Bが1本2500円、Cが1本2000円です。結婚式に行った事があるか?と質問されると、無い。と、ゲーム機の経験は?と聞かれると、無い。と、アルバイトニュースは買っているか?と聞かれると、無い。と答えると、「3拍子揃っているね。」と言われ、お互いに『ガチョーン!!!!!!!!』の気分なのに、1か月後アルバイト採用をしてもらえました。私のスケジュールが土、日、祝日が 開いていたからです。その時の面接上司に、言われましたよ。『❕おいしい話には、気を付けろ❕』と、『❕これは、社会の常識だぞ❕』『❕これは、君が生きていくために忠告しとくよ❕』「嫌だったらもういいよ!!!!!!!!」と言われたけれど、私が「よろしくお願いします。」と言いました。1988年2月に仕事を始めて9ヵ月、11月には中断してしまいました。もうカウンセリングの世界を超えてしまっているとカウンセラーが判断し、学生課を通じて親を呼び出し、強制的に実家に返されました。
ここからは精神障害者には面白くない話です。私が言うのも変だけど、O都構想に幻想を持ってませんか???❕おいしい話には気を付けろ❕と、忠告します。経済とは、ご存知の通り経世済民の事です。働ける人が税金を納めなくしてどうやって社会サービス(社会保障)を受け取るつもりでしょうか???O市という政令指定都市を潰して、二重行政解消してO府(法律上)にしてOが良くなるとでも思われるのでしょうか。???余計に低税低福祉になるだけで、社会サービスは悪くなる一方です。社会保障として皆さんに返ってきません。やり手策では良くなるどころか悪くなる一方です。何故なら失業者も増えます。路上生活者が増えるだけではありませんか。格差は拡大され、貧民窟が増える一方だけです。本当にOを良くしたいのなら、地道に生活するしかありません。O府一本化したら、払った税金は府民全体にいきわたらないといけないので、社会保障や社会サービスは悪くなるだけで、府民に返って来ません。❕おいしい話には気を付けろ❕❕社会の常識です。❕❕O市民のために忠告しておきます❕当然多くの公務員が失業します。路上生活者が増えます。元々から、元O市長が公務員が嫌いだったではないですか!!!!!!!!。弁護士と政治家は噓つきでないとやっていけない職業です。彼らは、最初から独裁政権を狙っています。税金だけ取って後返さないのが、彼らの狙いです。O市民の事はO市民で守っていかなければならないのです。彼らに取られては、ならないのです。❕❕おいしい話には気を付けろ❕❕これが私からのメッセージなのです。
久郷克己、拝、
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輝く瞬間はそれぞれ
人が輝く時期は、それぞれちがうはずです。これまでの経験や感じている事、環境、違いがある中で、一斉に同じ瞬間に輝くタイミングは少ないと考えています。 学校や職場の人間関係、友人関係、パートナーとの関係、夫婦関係、親子関係の中で、誰かと比べて同じタイミングで幸せやラッキーを感じられずに、不幸を感じたり、寂しさを感じたりしていませんか。 あなたは、あなたの輝く瞬間があります。 目に映るもの、耳にすることに惑わされず、あなたが輝ける時までゆっくりと歩みを進めますよう願っています。 明日は、晴れるかな。ゆっくり、お休みくださいね。只今9月12日 23時48分 田中絵里プロフィール 近日のブログ紹介 輝く瞬間はそれぞれ そわそわして整理できない気持ちin名古屋こころのケア 奈良県生駒支部カウンセラーの「よしこさん」 9月心理カウンセリング 「くれたけ心理相談室イベント新舞子ランチ会ご参…
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私は宮城県名取市閖上(ゆりあげ)出身です。
今日は2011年から7年。2018年3月11日、午後2時46分から1分間の黙祷を終えたところです。
2011年3月11日
私は中学2年生で、卒業式の予行練習で午前授業だった。お昼過ぎには家に帰って、両親の部屋でテレビを見ていた。高校生だった兄も帰宅していて、家には私と兄と猫の���郎がいた。
こたつに入って横になっていると、突然、「ゴーーーー」というものすごい音がした。長かった。びっくりして固まっていると、次は激しい地震がおこった。体がゆさぶられるような揺れだった。太郎は驚いてこたつの中にとびこんだ。見ていたテレビが倒れ、画面が割れ、ここにいては危ないと思った私は、ベッドの上にあがり、上になにもない部屋のすみに避難した。クローゼットの扉は全開になり、中の荷物が全て床に落ちた。お母さんが使っていた、普段はうごかせないほど重いドレッサーも、揺れに合わせて生き物のようにズ、ズ、と前に動いていた。ガタガタと揺れる音や、ガシャーンと1階の台所からか食器の割れるような音が聞こえ、すごく怖かった。揺れはなかなか収まらず、もしかしてこのままずっと揺れているんじゃないかと怖くなり、耳をふさぎながら「あーあー!」と大きな声で叫んでやりすごした。
しばらくして揺れがおさまったので、自分の部屋に戻ろうとすると、ふた間続きになっている手前の兄の部屋は、タンスの引き出しや勉強机の上にあったものが全て落ち、足の踏み場がなくなっていた。地層みたいだった。物を踏みながら奥の自分の部屋に行くと、そこも同じように物の海になっていた。
兄に「とりあえずお父さんのところに行こう( お父さんは家の近くの公民館職員)。」と言われ、部活で使っていたエナメルバッグに持ち出せそうなものを入れ、ラックの上にひっかかっていた薄手の黒いジャンパーを着た。
もしかしたら役に立つかもしれないとお母さんドレッサーの引き出しに入っていた、カード会社や保険会社からの郵便物もカバンに入れた。無意識だったけど、もう家に戻ってこられないかもしれないと思ったのかもしれない。
兄が「避難所では猫の食べるようなものはもらえないと思う」と言うので太郎のご飯が入ったタッパーも鞄に入れた。太郎が怖がってこたつの中から出てこなかったので、兄に頼んで無理やり引っ張り出してもらった。このとき、兄は膝を悪くしていて、無理をすると膝の皿がずれてしまう状態だった。太郎を無理にだしたので膝が痛んだようで、少し休憩してから家をでた。その間も何回か揺れがきていて、家の壁には亀裂が入っていた。
外にでると、道路はでこぼこになっていて、マンホールからは水が溢れていた。家や電柱は傾いて、いつもの景色がゆがんでいるようだった。私たちと同じように、みんな近くの避難所へ移動しようとしている様子で、公民館に向かった。公民館のグラウンドでは小さい子たちが楽しそうに遊んでいた。状況がよくわかっておらず、興奮しているようだった。
公民館の中で誘導をしていたお父さんに会いに行くと、「津波がくるそうだ。公民館は津波の指定避難所ではないから( 公民館は二階建てで低い建物) 小学校か中学校に誘導するよう連絡がきたから、お前たちもそ��ちに早く避難しろ。」と言われた。
お父さんに話しかけるまで舞台の上で座っているときに、自分の膝から血が出ていたことに初めて気づいた。どこかにこすったようだったけど、不思議と痛くなかったことを覚えている。
お父さんから、津波がくると言われたけど、いつも津波がきても何センチかで結局大したことなかったので、今回もそんなもんだろうと思っていた。いつだったかのチリ地震の際もそうだったからだ。同じようなことを話している人もたくさんいた。私たちは2キロ先の小学校に向かった。
小学校に向かう途中、生協の前でNちゃんに会った。お兄ちゃんとはぐれたらしく、家に一回戻ると言っていた。私は津波が来るらしいから戻らないほうがいいと言ったが、大丈夫だからとNちゃんは戻ってしまった。
Nちゃんは津波にのまれて死んでしまった。
もっと強く引き止めていればよかった。
消防車が走って避難を呼びかけていた。
いつも何かあると鳴る、町のサイレンはこの日、鳴らなかった。
中学校の前で兄の膝が痛み出したので、予定を変更して中学校に避難することにした。中に入ると誰かが「3階か屋上へ!」と叫んでいた。兄と私は上へと向かった。外階段から中へ入られるドアをガンガン叩く音が聞こえ、見ると女の人が必死にドアを叩いていた。ドアの前に机が置いてあり、開かないようだった。でも、みんな自分の避難に必死で誰もどかそうとはしなかった。兄と机をどかし、ドアを開けた。「津波だ!」と、窓の外を見た。黒い水がじわじわと学校の駐車場に流れてくるのが見え、おじいちゃんが一人、まだ外にいるのを見つけた。「逃げて!」と叫んだけど、そのおじいちゃんが助かったかはわからない。
少し遠くを見ると。ず……、と、景色がそのままゆっくりゆっくりと動いた。町の中に船が見えた。船が家にぶつかり、家はぼろぼろになって崩れていった。あちこちに水の上なのに火が見えた。町全体が濃い灰色だった。兄と三階の教室から、水没したグラウンドを見た。水でいっぱいで、まるで映画を見ているようだった。夜になるにつれてどんどん暗くなり、懐中電灯を教室の真ん中あたりに置き、壁や周りにアルミホイルを貼って反射させて明かりを作った。持ってきたラジオからは、「絶対に水辺には近寄らないでください。被害の状況は———」というような声が繰り返し聞こえていた。私は湿った教室の床に横になり、太郎を抱いていた。何も食べていないはずなのにお腹は空いていなかったし、眠気も全く来なかった。気づいたら朝になっていた。
朝になると水は引いていた。町を見たくて屋上にいった。それと、太郎がトイレをするかなと思って。屋上から見た景色に、町はもうなかった。グラウンドには車や船や瓦礫のようなものがぐちゃぐちゃになっていた。目の前にあった生協もなかった。今度は町が茶色だった。
あのときのトイレは今でも思い出すと吐きそうになる。人の用を足したものが積み重なり、ひどい臭いだった。吐きそうになりながら用をたした。学校には知ってる人がたくさんいて、Sちゃん��会った。Sちゃんは学校のジャージで、お腹から下は泥まみれだった。津波に少し飲まれたらしい。Sちゃんはお母さんとまだ合流できてない、小学校の方にいるかなあと言っていた。あとから知ったが、Sちゃんのお母さんは津波で死んでしまっていた。
お昼前ぐらいに兄が自宅の様子を見に行くと言って、少しして戻って来た。うちがあった場所には、うちの二階の屋根があっただけだったようだ。まだ実感がなく、そうなんだうちはもうないのか、と冷静に思った。
そのうちに大人の人たちが崩れてしまったお店から、食べ物や飲み物を持ち出してきた。避難した時に食料を持ち出すことのできた人たちから少しだけお裾分けをもらった。でも全員分はもちろんないので、たしか私はベビーチーズのようなものを一口分食べた。太郎にはお水を少しだけもらえたのでそれをあげた。
安全な内陸の避難所に全員移動することになったが、中学校の出入り口やバスが迎えに来てくれるおおきな道路にでるまでの道には、船や車や瓦礫などがたくさんあって、大勢の人が移動できるような状況ではなかった。なので自衛隊が道を作ってくれるまで待機するように言われた。
暗くなる前に作業は終わり、みんなでバスのところまで歩いた。海水のようなにおいと、ものが燃えたこげたにおいとガソリンのようなにおいがした。いたるところに車や船があって、きっと中には人がいたかもしれない。水は引いていたけど泥がすごくて、靴はすぐにぐしゃぐしゃになった。靴にビニールをかぶせていた人もいたけど、結局みんなどろどろになって歩いていた。
私と兄と太郎は、内陸の小学校の体育館に避難することになった。着くとすでに近隣の地域の人も避難していて、人がいっぱいいた。入り口でおにぎり一つと使い捨ておしぼりを一つずつ配られた。どこか寝る場所を確保しようとしたけど全然場所がなくて、体育館の中のゴミ回収のスペースの前が少し空いていたのでそこに落ち着いた。おにぎりを食べて、おしぼりで足を拭いた。毛布やシートも物資で配られたりしたようだったけどわたしたちがついた頃にはもうなかったので、余っている段ボールをもらって、段ボールを床に敷いて横になった。近くから避難してきた人たちは、自分の家から持ってきた毛布や服などであたたかそうで、わたしたちみたいな海から逃げてきた人たちとはギャップを感じた。目も怖かった。太郎も不安なのか、私のジャンパーの中から出てこようとしなかった。でもそのおかげで、すごく寒かったけど、お腹はあったかかった。中学の先生が状況把握のため点呼をとっていて、太郎をお腹に抱えた様子をちょっと笑われた。
夜、暗い中で何回か余震があって、そのたびに体育館の照明が大きく揺れて、ざわざわした夜だった。
朝になると支援物資が届いた。飲み物はコップがないともらえないと言われて、考えて、ひとり一個もらえるパンの中からサンドイッチ用のパンを選んで、その空き容器で飲み物をもらうことにした。兄はマヨネーズ入りのカロリーの高いロールパンを選んで、とにかく栄養を確保するように2人で食べた。トイレは、プールの水をバケツでくんで流せたので困らなかった。古着も物資で届いたので、パーカーなどの着られそうなものをもらった。わたしたちの隣にいた老夫婦が小さな犬を連れて避難していて、太郎は犬に懐かれていて面白かった。
兄と座っていると、名前を呼ばれた。お母さんとお姉ちゃんが走ってこちらに向かって来ていた。
生きててよかったと抱きしめられた。みんなで号泣した。
お母さんは仕事で内陸にいて、お姉ちゃんもバイトで海からは少し離れたコンビニにいて、津波が来る前に東部道路に避難して助かっていた。2 人は違う小学校で合流できていたようで、わたしたちの地域の人たちが避難している場所を探していてくれたようだった。お母さんが働いていた保育所の休憩室を間借りしていいといわれたらしく、そこに移動することにした。車できたから���れでいこうと外にでると、血の繋がっている方の父がいた( 私の両親は離婚していて、お母さんは再婚して、新しいお父さんがいます)。私は父のことを嫌っていたし、何年も会ってなかったけど、そのときはなぜだかとっても安心して、頭を撫でられて肩を抱かれると泣いてしまった。非常事態だったので、お母さんも連絡をとって食料や布団などをわけてもらったらしい。
車に乗り、保育所に向かう途中、太郎が安心しておしっこをもらした。避難所では粗相をしなかったので、太郎もがんばっていたのだなと思った。
保育所の休憩室は、5畳ないくらいのスペースで小上がりの畳になっていた。畳の上に段ボールを敷いて、布団を敷いて、家族で川の字になって眠った。やっぱり寒くてなかなか寝付けなかったけど、お母さんが抱きしめてくれたおかげで、よく眠れた。
次はお父さんと合流しようと、情報を求めて市役所に向かった。市役所の中に入ると、壁いっぱいに「◯◯に避難しています◯◯みたらここに連絡をください」といったような内容の紙がびっしりと貼られていた。その中には知っている名前も幾つかあって、ああ無事だったのだなと安心したこともあった。お父さんの名前を見つけたけど、けがをしている、というようなことが書いてあったので焦った。とりあえずお父さんがいるという避難所へ向かうと、お父さんは元気そうに出入り口近くの椅子に座っていた。安心したお母さんはへなへなになって笑った。あのときは情報が錯綜していたので、間違ってそう書かれてしまったらしい。すぐに同じ場所にお父さんも移動したかったけど、お父さんは公務員なので被災者の誘導等の仕事があったのですぐには保育所に一緒に戻れなかった。
保育所での生活は体育館にいるときよりずっと過ごしやすかった。狭かったけど、家族がみんないて、人の目を気にしなくていいのはすごく救われた。電気はまだ復旧していなかったけど、水道が使えて嬉しかった。ごはんも、お母さんの仕事仲間の人が炊き出してくれたりして、あたたかいものを食べられた。ずっとお風呂に入れてなかったので気持ち悪くなって一度、水で頭だけ洗ったけど、寒すぎて凍えた。被災してから一週間たたないくらいに、電気が復旧し始めて、近くの家に住んでいたお母さんの職場の人の好意でお風呂に入らせてもらった。久しぶりのお湯はあったかくてきもちよかった。
お店もすこしずつものを売られるようになって、学校もない私と兄と姉はそれぞれ生活に必要なものを行ける範囲で探し回った。持ち出せ��お小遣いをもって、とにかくいろんなお店でなにか買えないか歩き回った。個数制限で、ひとり3個までしかものが買えなかったり、なにも残ってなかったり、3時間以上並んだりした。
あるとき、ひとりでお店の列に並んでいると、知らないおじいちゃんに話しかけられた。どこからきたのかなんでひとりなのか聞かれ、答えると「大変だったね」と自分が買ったバナナを分けてくれた。少し泣いてしまった。いろいろなところで食べ物などを買えてうれしかったけど、そのころは物資不足で窃盗や空き巣が多発していたので、ビクビクしながら保育所に帰る道を早歩きでいつも帰っていた。
銀行でお金をおろせるようになり、保育所も再開するので長くはいられないと、アパートを借りることになった。お父さんががんばって見つけてくれた。引越して、いろんな人の好意で家電や家具をもらって、なんとか避難所生活はひとまず終わった。
アパートで炊飯器をつかって炊いた、炊きたてごはんをたべたときはすごくすごくおいしくて、おかずは缶詰の鯖だったけど、何杯もおかわりをした。あのとき食べたごはん以上に美味しいと感じたものは今もない。
アパートで暮らし始めて少しして、携帯の電話番号を覚えていた友達に電話をかけてみた。その子は飼っていたペットたちは犠牲になってしまったけど無事だった。ただ、その子との電話で「Aちゃん残念だったね。」と言われた。Aちゃんは私のすごく仲良しの女の子で、どういうことなのか理解できなかった。
Aちゃんの妹の名前と避難先の書かれたメモを市役所でみていたので、Aちゃんもきっと無事だろうと思っていた。「新聞の犠牲者の欄に名前が載っていた」そう言われて、後の会話は覚えていない。電話の後に新聞を読み返して犠牲者の欄を探したら、Aちゃんの名前を見つけてしまった。新聞に名前が載っている,という証拠のようなものをつきつけられて、一気に怖くなり、悔しくて信じられなくてまた泣いてしまった。
兄もその欄に仲の良かった友達の名前を見つけてしまったようで、リビングのテーブルに突っ伏して、「なんでだよ」とつぶやきながらテーブルを叩いていた。
4月のある日の夜、また大きな地震が起こった。また津波が来るのではないかと家族全員で車に乗り、指定避難所に急いだ。幸い、なにもなかったが、その日の夜は怖くて車から降りられず、朝まで起きていた。
通っていた中学校から一度学生も職員も集まるよう連絡が来た。当日は市の文化会館に集合し、そこからバスで市内の小学校に移動した。久しぶりに同級生と再会して、今どこに住んでいるのか家族は無事だったのかたくさん喋った。そしてみんなが集まった前で先生が、犠牲になった同級生の名前を読み上げた。Aちゃんの名前も呼ばれた。先生の声は震えていて、最後は泣きながら私たちに向かって話していた。7人の友達が死んでしまった。学校全体では、14人の生徒が犠牲になった。
私はすごく後悔していることがある。遺体安置所に行かなかったことだ。市内のボーリング場が安置所になっていて、そこにAちゃんがいることもわ��っていたが、怖気づいていけなかった。私とAちゃんともう一人とで三人で仲良くしていて、そのもうひとりの子は会いに行っていた。���中があざだらけでむくんでいた、と言っていた。お化粧をしてあげたよと聞いた。私も会いに行けば良かった。
学校は市内の小学校の旧校舎を間借りして再開した。歩いて行ける距離ではなく、駅から毎日臨時のスクールバスが出ていたので、私はそこから毎日学校に通った。文房具や教材は支援物資が届いて、しばらくは制服もなかったので私服登校だった。何週間も字を書いてなかったので、文字が下手くそになっていた。遠くに避難して、転校してしまった子もいたけど毎日家族以外の人とも会えるのは嬉しかった。でも、間借りしていることは肩身が狭かった。間借り先の小学校の子とは話した記憶がない。支援物資や有名人がきた時は「ずるい」、「 そっちばっかり」と言われるようなこともあった。自分は生徒会役員だったため、お礼状や物資管理を手伝っていたけど、千羽鶴や「頑張って!」、「絆」などのメッセージを見るたびに複雑な気持ちになった。無理やり前向きになれと言われているようだった。
学校も落ち着いた頃、同級生の一人のお葬式に参加した。小学校の頃から係活動で仲良くなった子だった。その子はお母さんも亡くなって、その子のお父さんから良かったらきてほしいと連絡があった。とても天気のいい暑い日で、田舎の方の緑がたくさんあるところでお葬式が行われた。久しぶりに会ったKちゃんは小さな箱になっていた。焼かれて骨になって骨壷に入ったKちゃんは、軽くて白かった。お墓にお箸で骨を一つ入れさせてもらった。「ああ、Kちゃんはもういないんだ」と、「こんなに小さくなってるなんて」と、脱力した。
私は夢を見るようになっていた。夢の中で津波から逃げたり、友達と会ったりしていた。その中でも強烈だったのが二つ
ある。一つは、どこかのホテルに友達と泊まりに来ていて、ホテルのベッドで飛び跳ねて遊んでいた。途中までは私も遊んでいたけど、何か変だと感じて、だんだん飛び跳ねている音がうるさくなってきて、「ねえもうやめようよ」と声をかけた。するとその音は「ゴーーーー」という地鳴りの音に変わって、私は耳を塞いでしゃがみこみ、叫んだところで目が覚めた。自分の叫び声で起きた。
もう一つは、なぜか私は小学生で、小学校の帰り道をAちゃんと何人かの友達と歩いていた。夢の中では納得していたけど、不思議なことにみんなでAちゃんのお葬式に行こうとしていた。道の途中で、2本に分かれているけど少し行くとまた繋がる道があり、そこで私はAちゃんをびっくりさせようと「また後でね!」と違う方の道を走って待ち伏せしていた。でも、だんだん不安になって、泣きながらAちゃんを探した。立ち止まっているAちゃんを見つけて、「 行かないで!」と抱きついた、Aちゃんは静かに「なんで私のお葬式があるの?」と、聞いてきた。
そこで目が覚めた。しばらく体は動かず、寝ながら泣いていたようで、頬が涙でカピカピになっていた。
冬になって、12月11日の早朝、お母さんとお姉ちゃんの声で起きた。どうしたのかとリビングに行くと、2人が「お父さん!」と声をかけて、体を揺すっていた。後から聞いた話によると、朝、お姉ちゃんがバイトの支度をしているときに、お父さんから寝息が聞こえ���、お母さんに「変じゃない?」と言って、2 人で起こそうとしたようだった。私も声をかけたが起きず、お母さんは「かなこ!( お姉ちゃんの名前) 救急車!」と叫んで、心臓マッサージを始めた。バキバキと骨の折れる音が聞こえた。お父さんの胸はベコベコにされていたが、起きない。私も交代でマッサージをして、救急車を待った。救急車が到着して運ばれる直前、そっとお父さんの足を触った、氷のように冷たくて硬かった。救急車を後ろからお母さんの車で追いかけ、病院についた。ドラマで見たような部屋に運ばれ、看護師に心臓マッサージをされていた。心電図はまっすぐで、「ピー」という音がなっていた。何分間かどれくらい経ったか、マッサージが止まり、瞳孔を見られていた。「すいません」と看護師の方が言い、「ご臨終です」と、初めて聞く言葉を耳にした。病室には「ピー」という音とが響いていた。
みんな無言で家に戻り、お母さんがリビングに座ったところで、「どうして!」と泣き叫んだ。お母さんがそんなに泣いているところを初めて見た。お父さんのことはまだショックでよくわかっていなかったけど、その姿がどうしようもなく悲しくて、お姉ちゃんと抱き合って泣いた。
中学校には、お母さんが色々な手続きで忙しそうだったので、自分で電話をした。担任の先生に繋がり、ほぼ文章になっていなかったけど泣きながら事情を説明した。先生はゆっくり聞いてくれて、学校のことは心配しなくていいよと言ってくれた。
お葬式までの間、斎場でお父さんと過ごした、ドライアイスで冷やされて、冷たかったけど、箱の中にはずっといて、怖くもなかったし、もしかしたら起きるんじゃないかなんて思ったりもした。まあ、当たり前にそんなことはなく、火葬の日がきた。
お父さんが焼かれる場所へ、親族一同で向かった。炉の中へ入れられるとき、もう体さえもなくなってしまうんだと、お父さんに会えなくなるんだと理解した私は一気に悲しくなり、「お父さん」とつぶやいた。涙が止まらなくなり、「行かないでよ」とつぶやいた。お母さんが私の背中をさすった。兄が私の頭に手を添えた。
お父さんは焼かれた。ちゃんとお骨を拾い、壺の中にお父さんは収まった。
お父さんは公民館職員で、そして糖尿病を患っていた。震災の日、公民館は建物が低いので、違う避難場所に誘導している途中で津波が来た。目の前で他の職員が流されるのを見たそうだ。公民館にいた人はギリギリ二階に登り助かったものの、船が建物にぶつかって半壊し、もう少しでみんな死んでしまうところだった。でも、避難途中で犠牲になった人の遺族からすれば、いたら助かったじゃないか! とひどく責められていたらしい。
避難場所でも、公務員はずるい優遇されていると同じ被災者なのに責められ、ストレスで体がおかしくなっていた。持病の糖尿病が悪化し、20キロ体重が増えていた。お母さんから後から聞いた話によると、毎晩のように公民館のグラウンドいっぱいに遺体が並び、こっちに来いと呼ばれる夢を見ていたそうだ。死因は無呼吸からの心肺停止だった。
お父さんは震災に殺された。
お父さんの死と、自分の受験のシーズンが重なり、私は少しおかしくなっていた。受験している場合なのかと悩んで、身が入らなくなっていた。トイレで隠れて手��を切るようなこともあった。今思えば、なにも考えたくなかったからそういうことをしてしまったのかもしれない。様子がおかしいと思われたのか、スクールカウンセラーの先生に、週1回、カウンセリングを受けることになった。行きたくなくてサボった日もあるけど、先生は怒らなかった。優しくいろんな話をしてくれた。友達にも支えられて、なんとかいつも通りに過ごせるようになった。
高校受験もおわり、���格発表の日、私は1人で受験した高校に結果を見に来ていた。無事番号を見つけてお母さんに連絡すると、すぐにメールで返事が帰ってきた。メールが2通届いて、確認してみると、もう1通はお父さんの携帯からだった。「合格おめでとう!」と、本当にお父さんからきたかと思って嬉しかった。すぐにお母さんがお父さんの携帯で送ってくれたのだろうと気づいたけどとっても嬉しかった。
高校では美術科に在籍していたため、常にコンペに向けて制作をしていた。一度だけ、Aちゃんを描いたことがあったけど、周りには誰ということはなにも言わずにただ描いた。それっきり震災関連で制作をすることはなかった。
高校生活の中で辛かった授業がある。保健体育の授業だ。心肺蘇生の心臓マッサージを学ぶ授業の時は、お父さんの感触を思い出して辛かった。避難について学ぶ授業では、ふざけた男子生徒が、避難のシミュレーションを発表するときに「津波だー!」とヘラヘラしながら津波のモノマネをしていて腹がたった。そういう授業があった日は、その日1日は震災のことなどで頭がいっぱいになり、帰ってからいつもお母さんやお姉ちゃんに慰めてもらった。
そして何度か震災復興のためのアートプロジェクトに参加した。被災者として何かしなければと義務感に駆られて、割と積極的に参加した。でも、いつも心の隅には、こんなことをしてなにになるのだと皮肉な自分もいた。震災の時のことを公演してくれ、文章にしてくれ、という依頼は全て断った。語ったりはしたくなかった。
高校の卒業制作展で、ゲストを迎えたパネルディスカッションを行った。ゲストは有名な大学の先生で、私は卒展の実行委員長としてトークをした。その中で、「地域復興」の話題を担当し、いろいろなことを話したけど、「私もゆくゆくは自分の地域をなにかしら盛り上げたい」と口にした後は「本当にそう思っているのか?」と、苦しい気持ちになった。立派なことを言わなければ、というプレッシャーがあった。
いつも3月11日は家で家族と過ごすようにしていたけど、2015年のその日は、震災以来初めて閖上にいた。
京都に引っ越す前にみんなに挨拶がしたいと思ったからだ。お花を持って友達と待ち合わせをして、久しぶりに来た日和山は、前はみんなで鬼ごっこをして遊んだ場所だったけど、今は慰霊の場所になっていて、上から街を見渡すと、何にもなかった。まっさらでたまに草が伸びている、そんな景色だった。
中学校に移動して、2時46分を待った。鳩の形の風船が配られて、メッセージを書いた。「行って来ます。」と。そして2時46分、みんなで風船を飛ばした。
でもその瞬間はひどいものだった。多くの人がスマホを構��て、風船を飛ばす瞬間を撮っていた。カメラの音がたくさん聞こえて悲しくなった。なんのためにやっていることなのか、気持ち悪かった。一緒に来ていた友達も怒っていた。イベントじゃないんだ、と叫びたかった。
京造に進学してからは、震災の話題に触れることは少なくなった。し、自分でも避けるようになった。
宮城出身です、というと大体「震災大変だったでしょ?」と言われた。「そうですね」と正直に言うと、気まずそうな申し訳なさそうな対応をされた。それが嫌で、出身は言いづらくなって、「震災大変だったでしょ?」と言われても、「大丈夫でしたよ」と言うようにした。一回生の授業である先生が、どんな内容で言ったのかは忘れてしまったけど、「津波はあっけなく人を殺すからね〜。」と、さらっと言ったことがあった。私はショックで涙がとまらなくなった。俯いて、寝てるふりをした。周りの子にはバレていたかもしれない。その日はずっと気分が上がらず、帰ってからお母さんに電話をした。当時一緒に住んでいたルームメイトに抱きしめてもらった。
二回生の時は、授業中に阪神淡路大震災の映像が流されて、震災の時の記憶がフラッシュバックしたこともあった。イヤホンをつけて目をつぶってやり過ごして、大階段を登ってすぐ横の芝生のベンチで家族に片っ端から電話をかけた。午前中でなかなか繋がらず、体育すわりをしながらずっと待っていた。お姉ちゃんとつながって、落ち着かせてもらって、その日は授業があったけど、一度家に帰った。夜は眠れなかった。
7年経った今でも、津波の映像や写真は見ることができない。彷彿とさせるようなものも苦手だ。3月はいつものように睡眠を取ることもできなくなる。11 日は家族と実家で過ごすようにしている。閖上の方向を向いて必ず黙祷をして、黙祷している時は、悲しい、悔しい、いろんな感情が混ざったように涙が出る。
私はずっと震災に潰されている。それが、とても嫌だ。
——
でも、このままでいるのはもっと嫌だ!
だから私は向き合うことにした。
制作をはじめると同時にひまわりの種を植えた。ひまわりは、お父さんの1番好きな花だったから。
だけど、ひまわりは咲かずに途中で枯れてしまった。
私にはもう少し、時間が必要なようだ。
もうすぐ、8年目の3月11日がくる。
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5W1H+Then状況説明 Who(誰が) 劣悪な家庭環境で精神の療養をしていた筆者が、 When(いつ) いちおうアラサーのとき、 Why(なぜ) 実家での療養に行き詰まりを覚え、命の危機すら感じたので、 Where(どこで) 実家から出て生活保護を受給し、一人暮らしをしながら療養することを決めた。 What(何を) その際、転居後、プロフェッショナルをはじめ可能な限り多くの人たちの支援をできるだけたくさん受けられるよう、 How(どのように) また、しんどいメンタルの中でもそれをスムーズに行えるよう、調査・相談・計画し、実行に移していった。 Then(どうなった) 結果、自分を支援してくれる医療福祉リソースの「最強デッキ」を作ることができ、次第に格段に心身の状態が良くなった。 前提条件 父はひどいコミュ障かつ恐らく結構なASD、母は統合失調感情障害かつ恐らくASD+ADHDであった。 筆者は家族とうまくコミュニケーションをとったりすることができず、家庭内別居というか引きこもり状態であった。 なぜやってよかったのか 一人暮らしを改めて始めたことで、自分自身への責任と自由が得られた。何にも遠慮しなくてよくなった。 心身の状態が格段に良くなった。QoLが上がった。未来はまだ見えないが暗いものではなくなった。 多くの専門の医療者福祉者友人たちなどの目があること、相談できること、頼れることで、孤独でなくなったほか、心身の状態を比較的よい状態に維持できるようになった。 やらなかったらどうなっていたか 筆者の心が壊れたり、筆者に何かあったときに親に頼ろうとしても応えてもらえず、同じ家の中なのに野垂れ死にしてしまう可能性があった。実際それを実感する出来事もあった。 転居し生活保護を受けても、「最強デッキ」がなければ、精神をより病んでいた可能性がかなり高い。生活保護での生活が安定するまで、とても心身が辛かったことが証左である。 現在のように、少しずつよくなっていってるし、良くなっていけるだろうから、まずはそれでいい、という発想にも至らなかっただろう。 実際の流れ〜事前の検討 まず情報収集と検討を行った。市役所の福祉課に行き相談して、生活保護の制度について詳細に伺った。優しく丁寧に些細に教えてくれた。シェルターの利用も検討し、福祉課から紹介されたシェルターを運営する(全国的に有名な)NPOに伺い相談した。 また、地域包括支援センター(筆者のいた市の場合。一般的には相談支援事業所)に相談し、担当してくれたスタッフともよく相談し、通っていたカウンセラさんにもよく相談し、引越して生活保護を受給し始めたあと、「どんな医療体制・福祉サービス体制で、どんな生活が出来るだろうか」を幅広く検討・イメージし、洗い出した。 実際の流れ〜転居まで 筆者の場合は、引越し生活保護を受けるまでの資金として、父に「手切金のようなもの」を要求した。父は長い間計画の実現可能性を信じず応じなかったが、カウンセラさんを交えた気の長い説得と、市役所福祉課に一緒に来てもらって実現可能性などを確認したことで応諾した。 手切れ金の額は数ヶ月分の家賃や生活費用、家具などの初期費用、引越しにかかる費用などから算出した。 実際の流れ〜転居後したこと 転居先には、親しい友人がいたり、筆者が昔暮らしていて馴染んでいる土地で、都会を選んだ。 物件は転居する地域の生活保護の基準程度のものを選んだ。手切れ金の額は、選んだ物件の保証会社の保証に必要な金額を上回っており、無事転居できた。 転居して、まず、区役所と警察で住民票の閲覧制限をかけた。 次に区役所の福祉事務所への生活保護の相談をした。快く応じてくれた。何事も事前に相談ができ���ならそれに越したことはないし、相談しておけば差し迫ったときにもスムーズに話が進むものである(実際に生活保護の窓口では事前の相談を推奨している)。 そして、保健相談センター(保健所)の保健師さんと面会・相談し、今後のこと(医療サービス福祉サービスの利用)についてどんなサービスが利用できるか幅広く相談し検討し、利用の作戦を立てた。 各種サービスの利用には申請が必要とか確認が必要とか手続きが必要など色々あって複雑であったが、事情を知った有能な保健師さんが可能な限りの使えるサービスを教えてくれ、さまざまな関係機関との調整もしてくれた。 実際の流れ〜生活保護受給以降 数ヶ月して、資金が切れる見通しとなったので、生活保護の申請をした。書類上の審査のみで、DVがあったことから家族・親族に連絡もいかず、無事2週間程度で保護が決定した。 利用することになったサービスは、通常の精神科受診のほか、精神科看護のプロによる訪問看護、事情をわかってくれるヘルパー(家事(調理や清掃など)援助)であり、のちに入院や、入院した病院で、退院後も継続的に、保護費の医療扶助の範囲内でカウンセリングが受けられることになった。 そしてこれこそが筆者の心身をさまざまに支え、筆者が回復していくための「カード」(デッキ)であり、筆者の知る限りこの組み合わせが「最強」である。 現在 精神科の主治医、週に3回の訪問看護、週に1度のヘルパーさん(調理・清掃)、主治医とは別の精神科病院での保険診療内の心理カウンセリング、親しい友人たち、パートナーさんに支えられ、引き続き療養して���る。 以上のような「最強デッキ」に支えられ、少しずつ心身が回復していっている。転居し生活保護を受けしばらくまでは非常に精神が辛かったが、ここ数年で見違えるほど安定し楽になり、ときに就職に挑戦したりするようになった。今でもひどいうつなどで入退院を繰り返すなどしているが、精神的にはずいぶん楽になったのは間違いない。 今後の人生ももっとよくなっていくという確信が持てている。 備考 飽くまでこれはさまざまな条件に恵まれたケースであることであり、それが特記すべきことであることは否めない。 また、筆者が医療者福祉関係者の利用の仕方がうまいとか、出会った全てのスタッフが素晴らしいスタッフだということも特記すべきであるかもしれない。 しかしながら、制度自体は全国どこでも同じであり、原理的には全国どこでも似たようなデッキを組めるはずである。とはいえそれは理想論で現実にはそこまでうまくいかないことが多いことは容易に予測できるし、色んな人の話を聞いていると実際そうである。そのためにも、大きな都市でこれを試みることが極めて重要なのだと思う。 また、もっと色んな人の力を借りて、こうしていきたいと思ったり、プロフェッショナルに支えてもらいたいと考えることも肝要だと考える。 これはメンタルを病んでいる人がどのように医療資源・福祉資源を利用したらいいか、ということでもある。メンタルを病んでいるからこそ、医療福祉資源カードの最強デッキが必要なのである。 自分の場合はこうだとか、ここをもっと教えて欲しい、ここはどうしてるの、ここはどうしたらいいの、といった事柄があればコメントなどで教えて欲しいです。適宜更新します。 過去のまとめ このお話は、過去にTwitterでもつぶやきTogetterでもまとめています。 一方で、健エミュを知り、この体裁のほうがわかりやすいだろうということで、この投稿を作りました。 Togetterのまとめとこの投稿で重点を変えていますので、ご興味の方はこちらのまとめをご覧ください。 最後に ここまで読んでいただきありがとうございます。長々と難しいことを書きましたが、「できることをできる範囲で、できるかぎりやった」「自分自身のサポート体制を整えようとした」この2点が一番大きいです この記事を書くにあたって、健エミュDiscordサーバの方々から有用なアドバイスを頂きました。感謝します。 最強デッキを授ける前に、猫の日にお空へ旅立ってしまった友人に、この記事を捧げます。
毒親など辛いメンタルから逃げるには、自分自身を支援してくれる人たちの「最強デッキ」を組むとよい - 健常者エミュレータ事例集 カウンセリング
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今日の東京、少し風が強いですが、暖かな1日となりそうです。石鹸でしっかり洗い、さらに熱湯消毒したマスクがベランダで風に揺られている様子を眺めながら、家の中でまったりと過ごしています。
4回の振替ウェブクラスが終わり、やっと少しづつ慣れてきました。カウンセリング実習もZoomを使った方がより集中できることもわかりましたし、いつもやっているお悩み相談も、無事に実現することができてホッとしました。交通機関や天候にも左右されませんし、実感としてZoomの方が優れている部分も色々とあると思います。夏学期は通常のアウェアネスクラスはもちろん、サイキックアートクラスもZoomで開催することが決まりました。うちにあるヴィーナスの石膏像のデッサンをしてもらおうかな、などと、今から実習内容を考えながらワクワクしています。
スカイプや電話のスピリチュアルリーディングを始める時も、遠隔でのミディアムシップは可能なのか、対面より精度が劣るのではないか、と心配しましたが、問題なくスピリットは助けてくれています。ウェブクラスでも、参加した方々には、お互い離れていても感覚的にさほど変わりなく、実習が可能なことが理解していただけたと思っています。実際に素晴らしい成績を残した方も多かったです。
振替クラスに参加していただいた生徒さん達からのアドバイスで、私のクラスの誘導瞑想はYouTubeにアップしたものを当日使う予定です。今回は、ヒンドゥー教の芸術と知識の女神である、サラスヴァティにご登場いただきました。参加できなかった方にもシェアしますので、是非試してみてくださいね。夏学期のクラスからは、クラスに参加してくださった方を対象に、YouTubeにアップロードした誘導瞑想をシェアしていく形となります。
今年に入り、特にここ数ヶ月という短いスパンで、人類全体が一人残らず、国籍も性別も年齢も信条も無関係に、見えない存在から、今まで全く経験してこなかった新たな課題を突きつけられています。
世界的ベストセラー『サピエンス全史 文明の構造と人類の幸福』や『ホモ・デウス テクノロジーとサピエンスの未来』の著者として知られるユヴァル・ノア・ハラリの、新型コロナウィルスによる人類への影響についての英紙『フィナンシャル・タイムズ』への寄稿文の一部を紹介します。(いつものとおり、アバウトな翻訳です)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
私たちの時代が直面する、最大の危機
数週間のうちに、人々や政府の決断が、今後の世界のあり方を方向づける可能性がある
それは医療制度だけでなく、政治や経済、そして文化にも影響を及ぼすだろう 私たちは、迅速かつ勇敢に決断しなければいけない
その後に及ぼされるであろう、長期的な影響もしっかりと考慮しながら
何をどう選択をするにしても、自問しなくてはならないのは、現在直面している危機を乗り越えることだけではなく、この嵐が過ぎ去った後、どのような世界が待ち受けているかということ
そう、嵐は通過し、人類は生き残る 私たちの多くは生き続ける しかし、私たちは、全く違う世界に生きることになるだろう
多くの緊急事態対策がなされ、それが日常となるだろう それが非常事態の本質であり、歴史的なプロセスも早送りとなる
手を拱いていることのリスクの方が大きいため、未完成で危険な技術が実用化される
全ての国が、大規模な社会実験のモルモットとなる
この危機的状況において、私たちは二つの重要な選択に直面している
一つは全体主義的な監視社会を選ぶのか、それとも個々の市民に権限を与えることを選ぶのか
もう一つは、国家主義を貫き孤立を選ぶのか、それともグローバルな連帯を選ぶのか
- ユヴァル・ノア・ハラリ Yuval Noah Harari(フィナンシャル・タイムズ)
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2019年7月26日(金)
研究室のカレ���ダー、今日で前期15週が終わる。来週は「予備期間」として、一部の科目の試験や補講が実施される。わたしはと言えば、今年は幸いにして休講がなかったので、実質的に夏休み突入。もちろん、成績評価や細々とした用事はあるけれど、この解放感は筆舌に尽くしがたい。よし、今夜は(も)呑むぞ!
Tumblr のシステムトラブルで、早朝の日誌のポストが出来ない。出勤後、午前9時半頃にようやく回復、昨日の記事を投稿する。
箕面市教育委員会からメール、生涯学習審議会の日程問い合わせ。可能日をいくつか提示して返信。
金曜日2限・3限は食物栄養学科「スタディスキルズ」、最終週は「ポスター発表」。火曜日同様に、O姉のクラスと交互に発表するが、グループが少ないので余裕を持って実施できた。発表を聴いた班の評価シート、自分たちの班の自己評価シートを記入し、最後に授業アンケートで終了。みなさん、お疲れさまでした。
職場ランチの弁当も前期は今日が最後、ありがたく頂く。
Dropbox からメール、値上げの通知、ま、いいけど。
地球洗い隊からメール、新しく「とれるNo.1」の「石けん」を販売するとのこと。ただし、かなりの費用がかかるのでクラウドファンディングを利用するとか。長年の愛用者としては捨て置けず、早速「パトロン」に応募、私は5人目だった。
3限の授業前に教養教育センターをのぞくと、O姉が学生と何やら話をしている。その Iさんは看護学科の学生で、私が担当する前期唯一の講義科目「現代社会論」の受講生、大変前向き・熱心な学生さん。聞けば、O姉の医療社会学的見地に興味を持って本を紹介してもらい、レポート指導もお願いしているとか。試験も全て終わり、来週からは「早期体験実習」が始まるとのこと。いい夏休みを過ごして欲しい。
3限を終えて、学生が提出した評価シートの整理。自分のクラスと O姉のクラスの分をスキャン、pdfファイルにして Google Drive で共有設定、これを元に評価作業をすることになる。
図書館に出勤、人権コーナーに配架するリーフレットを渡してすぐに退散。
研究室に戻ると、O姉はまた別の学生と立ち話。Mさんは静岡から来ている看護学科の学生、「文学」のレポートに相談に乗ったことからよく話をするらしい。今日は進路についての不安があるそうだが、O姉のカウンセリングで元気になってくれれば良いね。
ドタバタした一日も早仕舞い、O姉と車に同乗し、九条近鉄前まで送る。
息子たちの夕飯、40%引きの豚肉を焼き、さんだかんのガーリック・ソーセージと一緒に。味噌汁は豆腐。
ツレアイも比較的早い帰宅、冷蔵庫・冷凍庫の掃除メニュー。キャベツとトマトを炒め、大阪王将の餃子を焼く。写真を撮ることなどわすれ、乾杯・激食。
録画番組視聴。
100分de名著 小松左京スペシャル最終回 第4回「宇宙にとって知性とは何か」
地球から5.8光年の距離に突如出現した長さ2光年、直径1.2光年という驚異的なスケールの筒状物体「SS」。その謎を解明すべく、科学者・遠藤はAIを超えた「人工実存(AE)」を開発。遠藤の分身たるAEが探査に向かう。そこで、同じくSSの謎にひかれた数多くの異星生命体と遭遇しともに謎に挑んでいく。第4回は「虚無回廊」を読み解き、「宇宙にとって人間存在にどんな意味があるのか」という根源的な問題を考える。 出演者ほか【講師】評論家…宮崎哲弥,【司会】伊集院光,安部みちこ,【朗読】田中哲司,中村優子,【語り】小口貴子
���みながら見ていたので、正直あまり分からなかった。
今日は無理かと思っていたが、気がつけば何とかクリアしていた。
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#くれたけ心理相談室津支部 #三重県 #心理カウンセラー #大野快人 #カウンセリング って何? 真面目過ぎる性格や、物事を深く考え過ぎてしまう性格故に、悩み苦しんでしまう方は多くいるでしょう。 持って生まれた性格は、自分が意識してもなかなか変える事は難しいと思います。性格は変わらないかも知れませんが、プロのカウンセラーと話す事で、「こういう考え方(捉え方)もあるんだ」と思考の幅が広がったり、「自分が望んでいたのはこういう事だったんだ」と新たに気付く事が必ずあると信じています。 また、私は長年の空手道、ヨガの経験から、呼吸法や瞑想によっても、心のリラックスに繋がるものがある事を信じて、日々実践しています。 一人で抱え込んでいても、悩みや焦りから視野が狭くなり、なかなか答えや気付きを得られない事が多いと思います。カウンセラーと一緒に考える事で、あなたの悩める状況を、改善するお手伝いをさせて頂きたいと思っています。 (三重県津市) https://www.instagram.com/p/CoZ6kF3uH1r/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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2月19日、千葉県野田市では、虐待の恐れなどがある子どもについて関係機関が情報を共有する会議を行った。1月に父親から虐待を受けていた小4女児が死亡した事件の対応について初めて検証する場ではあったが、このケースを担当していた柏児童相談所は、事件について話し合う前に退席したという。「この事件について野田市と向き合う担当者が決まっておらず、調整できなかった」というのが理由だそうだ。
1月にこの事件の第1報を聞いたとき、担当したのが柏児童相談所と知り、「さもありなん」と、私は思った。自分自身、柏児童相談所へ通報をした経験から、「あそこは、あてにならない」と思っていたからだ。
そして、このニュースである。調整できなかったという内部事情を理由にすること自体、職員が逃げ腰であることを露呈しているわけで、少なくとも当事者機関の責任として誰かが、誰もいなければ所長が代表として出席するべきだろう。
●学校も児相も効力なし
私が柏児童相談所に通報したのは、近所に住む女性の息子への虐待だった。
2009年、A子一家が引っ越してくると、半年もたたないうちから、息子B男(小2)への虐待が始まった。昼夜を問わず母親A子の怒鳴り声と息子の泣き声が聞こえてきた。
「死ね、おまえ、ドン!(すごい音)、やれよ、ホントにボケ! ドン!」
母親はちょっと感情が高ぶったという範疇を超えて、いつも半狂乱状態になっていた。
「早く! 早く! 早く食え! 早く! 早く! 早くせーよ!」と、延々20分も怒鳴りつけながら食事を急かしていたこともある。しばらくして父親が単身赴任となり、母子2人になると夜もお構いなしに怒鳴り声が聞こえるようになった。
もっとも多いのが23時から��5時の間。とても小学生へのしつけとは思えない時間帯だ。我が家は比較的早く寝るので、こんなときには決まって起こされてしまう。どうも、その頃になると母親の感情の抑制が利かなくなるらしい。
B男がかわいそうでたまらなくなり、まずは、同居する高齢の母への定期訪問に訪れた民生委員に相談した。民生委員が小学校に報告すると、学校がB男の同級生から聞き取りをして虐待が明らかになった。校長と担任による自宅訪問が行われ、児相からの指導もあったと聞く。しかし、学校や児相の指導も効力はなかった。
13年のある日、真夜中にA子の怒鳴り声やB男の泣き声で目が覚めた。ドンドンガタガタガタンとひどい物音もする。もしかしたら、A子は身体的な虐待も始めたのではないかと心配でたまらなくなり、翌日意を決して、「これから、相談に行きたい」と柏児童相談所に電話をした。ところが、切羽詰まった私の思いとは裏腹に、「予約でいっぱいなので、来てもらっても対応できません」と女性職員に断られた。ほかの案件で手がいっぱいなのか、それとも、A子親子のことはある程度把握しているからなのかわからないが、非常に不愛想でそっけなかった。
必死に訴える私に、「それでは、今、電話で説明してください」と渋々といった感じで尋ねてきた。そして、「連絡をするかもしれない」と言って電話を切り、その後の連絡は一切なかった。
●ついに、警察に通報する
その頃、交番の巡回訪問を受けた。「何かお困りのことはありませんか?」と警察官に聞かれたときに、A子のことを相談すると、「いつでも通報してくれれば、現場に駆けつけます。遠慮なく連絡してください」と言ってくれた。
数カ月後、A子の家から激しい物音が続いた。その数日前、B男が泣きながら、「殺せよ!」と発した声が聞こえていたこともあり、意を決して交番に通報すると、すぐさま男性警察官1名と女性警察官2名がA子宅に駆けつけた。
15分ほどA子親子とやり取りした後、我が家にそっとやってきて報告をしてくれた。
「身体を見せてもらったところ、身体的虐待の兆候はありませんでした。おかあさんは、『受験勉強でちょっと親子喧嘩をしただけ』と言っていましたけれども、また何かあったら連絡ください」
警察の出動にはさすがのA子も驚いたのか、かなり効力があった。半年くらい静かになったのだ。
その後、A子のヒステリーは減ったものの、B男が中学生になると、今度はB男が家庭内暴力を振るうようになった。それに対してもさまざまな手段が講じられ、A子宅の問題は通算8年以上の歳月を経て、やっと小康状態になっている。
●遅れている日本の対応
小4女児死亡事件を受け、児相の負担が大きいこと、必ずしも経験豊かな専門家が配置されているわけではないこと、他の機関との連携がなされていないことなど、今、盛んに議論されている。私自身の経験からも、児相や学校レベルではなかなか解決が難しいため、警察との連携は必要だと思う。
児相や教育委員会が父親の恫喝に怯んでしまっては、プロとは言えない。父親の望むとおりにしたら女児がどんな不利益を被るかを考えれば、自分がどんなに恐怖感を覚えても、いや恐怖感を覚えるような父親ならなおのこと、そこのところを死守するのが専門家だと思う。聞けば、児相の職員は2~3年で別の部署に異動になってしまうのだという。専門家といえるようになるには経験も必要である。柏児童相談所の対応のまずさは、数、質両方の力不足から来ているのだろう。
以前、虐待していないのに誤解され親子が引き離されてしまう米国映画を見たことがある。それだけ米国ではずいぶん前から児童虐待が深刻で、そのための対策が徹底しているそうだ。
米国では、裁判所が虐待する親から子どもを保護し、その親へのカウンセリングなどを命じる体制を整えている。一方、日本では経験豊かな児相の相談員が育っていないにもかかわらず、児相が虐待介入も家族の支援も両方の仕事を担っているのが実状だ。
これ以上の犠牲者を出さないためにも、児童虐待に対応する制度や組織を早急に整備することが求められる。 (文=林美保子/フリーライター)
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【【婚活から結婚に至った経験者だからこそ判る秘訣を全てお伝えします】】 ◆私が成婚した結婚相談所に割引付紹介や特典付脱毛サロン、通常より安く式が出来るサービスも紹介可◆私自身ご指導頂いたスタイリストもお伝えします。婚活時代私も受講→【結婚の学校とは?】【http://petersburg.jp】 恋愛・結婚に悩む方の自分磨きの学校。一般社団法人日本婚活教育協会主催で通算6年300名以上指導実績。今回その「体験スクール」を開催。1回だけの参加でも婚活力UP↑ ●こんな男性が参加してます● ✅自分に合った彼女と恋愛したい ✅一生のパートナーと出会いたい ✅人生が幸せになる方法が知りたい 【私紹介】婚活成功者の秘策を伝授!自身が婚活10種、女性20人、恩師30人を通じ、10年間127万婚活で結婚。カウンセラー、婚活教育コーチ、感涙療法士の資格を取り、実体験や400人以上のカウンセリング実績を元に、一人一人に対して『人生に悩む今の貴方』~『結婚できる新しい貴方』へ導く事を使命として活動中。 <自己紹介HP>↓詳細、私の雰囲気が判るイラストもあります。 ☆☆☆【https://peraichi.com/landing_pages/view/hibityu】 ●こんな悩みがあれば参加して下さい● ▶恋愛経験が余りない ▶女性の気持ちが判らない ▶どう話しかけて良いか判らない ▶相談できる人がいない ▶お見合いでマッチングしない ▶デートが3回続かない ▶手を繋ぐタイミングが判らない ※他にも様々な悩みがあると思います。開示したくない内容もあると思いますので、状況に応じて話して下されば結構です。 ●●【カウンセリング実績】●● 10代の高校生・大学生年代、20・30代の現役年代、40・50代の保護者年代、60代の祖父母年代まで、カウンセラーとして幅広い年齢層のカウンセリングを400人以上担当。 対大人数では無く、一人一人の状況に合わせた的確な助言が必要と認識。訪問��理療法士、家族セラピストとしても、自宅を訪問し、家庭状況を鑑みながらヒアリングを実施。直接対面が難しい際は電話カウンセリングを行い、2時間以上の相談事例もある。 IT時代に陥り易いネット疲れにも対応し、ネットいじめ対応アドバイザーとしての助言や感涙療法士としてアドバイスも行う。又、不登校児対応能力検定1級を所持、ひきこもり専門救済士としても活動し、20年間ひきこもっていた男性を自立させた。 バツイチ、LGBT、統合失調症・精神障害、発達障害、適応障害、うつ病の方など、何かしらの障害をお持ちの方、家庭状況が複雑な方との面談経験も数多くありますので、その様な方も御心配なくお申し込み下さい。 ●●●婚活実態を少し書きます●●● 人は日々老化します!婚活の先延ばしは「生涯独身」に近付く事に他なりません!30代後半男性の結婚できる確率は約6.3%。子育て、親の介護、孤独死を考えた際、早く結婚して損する事は何もありません。幸せな家庭生活、充実した人生、生涯の伴侶。未来は今の延長線上にしかなく、「前に進む」か「留まる」かは貴方にしか決められません。 今このページを読んで下さっているのも何かの御縁だと思います。私自身、今まで100人以上の師から教えて頂いてきましたが、やはり人間ですので、合う合わない、話し易い難いはあります。カウンセラーが100人いれば100通りのカウンセリングがあります。今貴方が参加するか迷っていましたら、まずは一歩踏み出してみて下さい。得る物はあっても、失うリスクは何もありません。私の様に『10年間127万円の遠回り』をせずに、少しでも早く幸せを掴んで頂きたいです。本日が貴方にとって『新しい私、ここから始まる』記念日になる事を願っています。 ●●●●●●●● 【場所】 東京都国分寺市 レンタルスペースろおまんか (185-0024東京都国分寺市泉町3-13-8) (JR中央線、西国分寺駅南口徒歩7分。無料駐車場有。希望者は申出下さい)にて 「8月25日の13:30~15:30。13:15開場。参加費3000円」 (→次回開催はお問合せ下さい。日程調整致します) 【申込方法】 受講料3000円(当日お支払い下さい) 本サイト経由での申込み、或いは(ym.konkatsuアットマークgmail.com)まで、件名を『体験スクール申込(ジモ)』で、本文に氏名(フリガナ)を送って下さい。 ※申込締切:1週間前の18:00(定員になり次第、申込を締切ります)。 ※平日や1対1の個別面談を御希望の方はお申し出下さい(同料金です)。 又、ご不明点、ご質問等がありましたらお気軽にお問合せ下さい。 <本イベント提供者> ○主催:一般社団法人 日本婚活教育協会 結婚の学校 国分寺事務局 NHKおはよう日本にて放送 (https://www.youtube.com/watch?v=_U8f90ljS2Q&feature=youtu.be) ○講師:柏木景太郎 (結婚の学校 認定講師、心理カウンセラー、感涙療法士、家族セラピスト、訪問心理療法士) 【婚活体験】合・街コン、パーティー、ネット、お見合い、結婚相談所、等10種、恩師30人。 【カウンセリング実績】20~50代まで400人以上。 【愛妻家宣言証取得】『ヒビチュー(日比谷公園の中心で妻に愛を叫ぶ催し)参加』 【参拝】縁結びの神様『出雲大社』他、パワースポット多数。
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