#白石カーブ
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無題
義兄の命日で、事故現場に同行させてもらった。彼女はあらかじめ1週間の休みを取って、丈母と2人で西日本を漫遊していた。坐禅体験とかしたらしい。俺は当日日帰りで、早朝の新幹線で日本列島を下って合流した。350mlの��ビールを2つだけ空けた。やはり日帰りの岳父もそこへ合流して、4人揃って在来線に乗り換えてさらに小一時間、徐々に口数が減っていく中、緑豊かな山間にある郊外の駅に降りたった。
駅中のファミマでお供物の水や菓子や缶ビールを買い込んで、乗ってきた線路にまっすぐ沿っている坂道を上っていった。ガードレールのない歩道はひび割れて、わずかに陰になっているところに苔類がむしていた。陰湿な6月の陽射しがじりじり蒸し暑かった。あそこだよ、と彼女がいうので目を上げると、すぐ向こうが見通せる短いトンネルがあった。その手前が現場だった。片側二車線の国道で、中央分離帯の縁石にわずかな白い跡が残っている。事故の痕跡だという。
そばの街灯に岳父の設置した花立があって、そこに買ってきた供花を生けるのだが、近づいてみると、配電盤の筐体が大きくひしゃげて、黄色い規制線みたいなテープが何周も巻きつけられていた。新しい事故の跡らしかった。歩道にも削り取られたようなタイヤ痕が残っていた。単車だろうか。義両親は特段そのことには触れず、慣れた手つきで花立を洗浄し、水を入れ替え、供物を並べていく。短い蝋燭と線香を一本焚く。甘い匂いがする。そうしている間にも、すぐそばを猛スピードで車が駆け抜けていく。
道路はトンネル手前の緩やかなカーブを抜けたらほぼまっすぐに伸びて駅の方まで続く急な下り坂で、現場のすぐそばに傾斜8%という標識があった。あとで航空写真を見ると、トンネルの入り口手前からのっぺりした白い文字で速度落せという標示が繰り返されていた。街灯にはスリップ注意という標識があった。去年はなかったよね、と彼女が岳父にいっていた。
義兄の車は何らかのきっかけで短いトンネルの入口でバランスを崩し、最終的に数十メートル先で電柱の支線に後方から乗り上げる形で停止した。致命的だったのは、運転席に横から直撃した街灯だった。午前3時だった。街灯は捥ぎ取られていた。今あるものは事故後に新しく建て直されたもので、その費用は義両親が補償したらしい。
茫然としていると、岳父が淡々と顛末を語って���れた。直前に義兄の追い抜いたバイクが事故を目撃して、通報してくれたのだと。
*
駅でタクシーを拾って、昼食をとるためにもう少し大きな駅まで移動した。ロータリーの横断歩道で若い男が飛び出してきて、運転手が急ブレーキ踏んで悪態をついた。岳父が、自殺行為ですね、といって笑った。土地の名物を食べた。生ビール2杯飲んだ。
*
現地で義両親とは別れた。来てくれてありがとう、と丈母がいうので、来られて良かったです、と俺は素直にいった。新横浜に帰り着いて、ビアホールで彼女と献杯して、色々話した。
あの場所に行っていつも考えるのはね、と彼女がいった。あの場所に行っていつも考えるのはね、兄が最期に見た景色はこれだったのかっていうこと。
*
今もああやって生々しい事故の跡が新しく増えていたわけで、車もビュンビュン飛ばしてた、事故現場そのものというか、標識ばかり増やして何も対策しない行政とかに対する義憤みたいなものはないの? と俺は思ったことを訊いてみた。
道路のせいとは思わない、あくまで兄がばかをやらかした、と私たちは考えている。と彼女は答えた。私たち、と彼女はいった。
*
兄の声が思い出せないのが嫌なんだよね、といって彼女は目を潤ませた。この日初めて見る彼女の涙だった。忘れていることが年々増えている。バイクの人が通報してくれたことも、岳父の話を聞くまで忘れていた、と。
*
忘れることは、悲しみやトラウマから人間が立ち直っていくために必要な機能だから、と俺はありきたりなことをいった。しかしまた、思い出すことが供養になる、ということも話した。祖父の十三回忌の時に、坊さんの説法で聞いた話だった。俺はこの考え方を信仰している。リメンバーミーみたいな話だけど。あの場に行って、俺がここにいる意味は何だろう、とずっと考えていた。丈母が立ち尽くして泣いている横顔を見て、俺にできることはマジで何にもないな、とさえ思った。この考えが既に傲慢なんだけど、けど。
*
義兄に会ったことはない。思い浮かべることしかできない。岳父と、丈母と、彼女と、そこへ俺がもう一人加わった。マイナスではないはずだと思いたい。悼む、偲ぶ、思う、祈る、なんでもいいけれど、そうする人間が一人増えた。それだけで良いことだと思いたかった。
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fluid dynamical components for professional races
ーー以下、前回からの続きです。ーー
この疑問に関して、最初に考え始めた時には、自由度の高いエアロ パーツをプロのロード レースの世界へ導入するのは興行的な理由から難しいんじゃなかろうか…と思っていました。
無制限にエアロ パーツ使用を認めてしまうと、導入初期はパーツ形状の素早い最適化に成功する特定のチームに所属する選手たち、やがて高効率なエアロ パーツがコモディティ化する以降は、おそらく特定の選手しか勝てなくなる可能性が高いのではないかと思っていたのです。
最初はタイム トライアルで速い順、もう少し丁寧に表現すると、スタート直後の序盤から逃げて、そのままゴールまでもたせてしまえる様な選手は特に有利になるのかな…と考えていました。
その様なタイプの選手が現在よりも仮に10%くらい少ないエア ドラグで走って逃げると、今以上に集団に捕まりにくくなり、ステージ勝利数だけでなく、毎日のギャップ積立ても容易になるはずです。
単独、あるいは少数走行でのエア ドラグが小さくなるという事は、後方に流れる空気の乱れを減らせるという事でもあるので、接近して走る後続車のドラグはむしろ増大し、大きな集団になってもそれほどドラグの低減には繋がらなくなる、という事と同じ意味を持ちます。
言い換えると、エアロ パーツによるドラグの低減が進むほど、単独あるいは少数では楽になりますが、そもそも大きな集団になる事自体が既に大規模なエアロ パーツ化なので、単独での効果とは異なり、大集団では殆ど速度に変化が無いはずです。
そうなると、大集団での迫力のあるゴール スプリントだとか、山岳地帯で集団から少しづつ篩い落とされて強いクライマー選び抜かれるだとか、そういった場面になるずっと前、初日から数日の間に何度もスタート直後から長距離少数で逃げられる選手がいれば序盤で既に大量のタイム差を稼いでしまい、以降、逆転困難な状態が早々に作れてしまうのではないか…。
また、山岳ステージでも緩斜面エリアなど、同様にエアロ パーツの恩恵に与れる速度帯で走り続けられれば、クライマーより速い速度で逃げ続ける事ができるTTスペシャリストが目立つ様になり得るかも…。
もちろん、単独で走っても速く強い事が勝つ、あるいは好成績を得る為の条件である事には変わりはないですが、いろんなタイプの選手が活躍する場面を見られる機会は減りそうですし、序盤から総合順位が半ば固定��れてしまう様な状態だと、興行的には商品価値を維持しにくくなるんじゃなかろうか…。
…と思っていたのですが、もう少し考えていて、ふと、タイプ別で分けた時に「平地で長距離を逃げるのが苦手な選手」ほど、エアロ ドラグの低減が有利に働きそうなのかなぁ、と思う様になりました。
重量出力比 w/kg (Power-to-Mass Ratio)という概念がありますが、それとは少し違う考え方で、表現を変えると、出力をサイクリストの体重ではなく、流体力学的な抵抗値で割った値(仮にPower-to-Drag Ratioとでも表現しましょうか)が小さくなる選手ほど、ドラグに出力を取られる事になっているので、そのドラグを減らす事によって得られる速度の上昇率がより大きくなり、"PDR"(抵抗出力比)が大きい選手は比較的速度の上昇率が小さいはずです。
但し、実際にはこの選手ごとの「流体力学的な抵抗値」を得るのが結構大変かもしれません。
具体的には乗車状態で風洞施設のトンネル内に一人づつ色々な姿勢で実際に走らせてリアルな抵抗値を計測する必要があります。
ただ、実際には体重と違って、選手毎に多少体の大きさが違っても、体重ほどの影響はあまり無い筈です。
体重が1.5倍になったとしても、エアロ ドラグまで1.5倍になる為にはとんでもなく体積が増える必要がありますが、実際には体格や車体も含めた前面投影面積、あるいは全体の表面積でも構いませんが、それらが出力や体重ほどには大きく変わらないからです。
粗雑な捉え方ですが、一般的に出力の大きな選手は、単純に言って「筋肉量が多い=体重が重たい」傾向があります。
ですが、実際にロード レースではいつも高出力の選手が有利でもなく、コースの状態によっては、それほど出力が大きくない選手が有利になる事もあります。
そう言った比較的、出力の小さい選手は「筋肉量が少ない=体重が軽い」傾向があります。
仮にFTPのPMRが同じ6w/kgだとして、体重が75kgと50kgの選手がいるとすると、それぞれのFTP値は450wと300wになり、その差は150wに���ります。
平地主体のコースでは体重の重たさがそれ程抵抗にはなりませんが、登坂時には1.5倍、25kgの体重差がそのまま追加の錘となり、仕事量も斜度に応じて増える為、それが150wで賄うことができなくなれば、例え高出力でも体重の重たい選手が不利になる状況もあります。
この斜度や体重を平地でのエアロ ドラグに置き換えた場合、体重と違って1.5倍の差は無く、もっと公平に、ほぼ同等のドラグがかかると、単純に出力の小さい選手は不利で、集団の中などドラグの小さい環境に居なければ、ペースに付いて行くのも難しくなります。
これが現実の世界でクライマーが平地のスピードに付いて行きづらい主な理由で、この場合、300wで出せる速度のドラグにまで到達してしまうと、出力の小さな選手はそこから抜け出る事が困難になりますが、450wの出力があれば、そこから更に150w分の加速が可能���す。
つまり、登坂時と違い、速度が上がれば上がるほど、出力がドラグに喰い潰される為、絶対的な出力の違いが影響してくるようになります。
この状況下で何か劇的にドラグを低減させる装備があれば、登坂時ほどでは無くても、小さな出力の選手にとっては、より有効に作用する可能性があります。
例えば、平地のステージで序盤に逃げを打つ小さなグループにクライマーが交ざり混む、と言うような新鮮な光景が見られたり、山岳でもないのに前走集団にブリッジをかけようとしたりするクライマーが現れるかもしれません。
ただ、そこから更に大集団でのゴール スプリントの中で先頭争いまでできる様になるかと言うと、流石に厳しいとは思います。
現実的にありそうなのは、山岳ステージでの下りの直線や高速区間で、ドラグに負けて失速する事で、上りで稼いだギャップを守って逃げるのが難しかったり、重たい選手に置いて行かれていたのは、いくらか改善できそうです。
特に日本の山間地域の様なカーブの多い峠道であれば、旋回速度自体は軽い方が有利なので、上りの強いクライマーがそのまま下りも逃げ切りやすくなる可能性は大きくなる筈です。
また、上りといってもちょっとした丘程度や、急勾配が始まる前の緩斜面で、ヒルクライムとは言いづらい様な比較的スピードの出る上りに入った時にもエアロ ドラグの低減は助かるかもしれません。
本来であれば、エアロ ドラグに喰われる筈の出力を登坂に振る事ができれば、より早い段階から強みである登坂力を発揮させる事に繋がるからです。
これに似た実際の状況は既に存在していて、メジャー レースなどの山岳ステージには2000mを超える様な標高を走る事がありますが、そういった高地では平野部に比べると、大気圧が低く、空気の密度も小さくなる為、ドラグも同様に小さくなっています。
例えば、平地での速度が48km/h.だとして、上り区間ではそれが32km/h.まで落ちる場合、エアロ ドラグは半分未満になりますが、高地では大気密度の低下から更にそのドラグが減る事になり、平地での48km/h.走行時と、高地での32km/h.走行時を比べると、ドラグは凡そ1/3程度まで減ります。
空気の密度が低いという事は、呼吸気中に含まれる酸素量も少なくなっているので、出力(と体格も)の大きい選手はその出力を出しきるのが難しくなる事もありますが、出力が小さい選手はドラグに喰い潰される出力が減る分、更に登坂に回せる様になり、クライマーとしての特性を発揮しやすくなります。
これに似た状況をエアロ パーツによって緩斜面でも発揮できる様になる可能性があります。
…とは言ったものの、これらは全て妄想であり、現実にはプロのロードレースにどんな変化をもたらすのかは全然分かりません。
実際にどうなるのかは「規制緩和」をして数シーズンの経過を観察する必要があります。
但し、レース中の痛ましい事故への懸念が無くならなければ、こう言った競技速度の向上に直接繋がる様な規制緩和の実現は難しいのかもしれません。
本来の優先順位で考えると、まず先により高い安全性と快適性を両立したプロテクター類や、車体構成部材の衝撃吸収構造の研究などを優先すべきではないか、という気もしています。
アスリート達がプロとして仕事で走る為には命を懸けなくても良い環境を優先して確保する必要があります。
それとは別に、これらのエアロ パーツ類によってホビーサイクリストの多くが「より小さな力」でも効率的に移動出来る様になる可能性もあります。
極限のスピードやタイムの削減を追求するのではなく、より小さな力でも楽しく遠くまでサイクリングが実現できる様になるのであれば、UCIの規定だとか認可だとかとは無関係に開発が進むと面白そうな領域なんじゃなかろうかとも考えています。
一般公道を走って楽しむのに、自動車だってFormula1等の純粋なレーシング カーである必要は無いのと同様に、「普通の人が一般公道でサイクリングを楽しむ」のに「職業競技者用規格のロード レーサー」である必要はあるのでしょうか。
天井知らずの昨今の車体の高価格化の原因もそこが大きな理由になっている可能性が高いです。
そろそろロード バイクの世界にも競技目的ではない楽しみ方や機材の開発に目が向けられてもいいんじゃないかと。(^_-)d
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新規ノート
2024.05.27 月 午後 3:07 ・ 25分 31秒
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こんばんは。豊島美穂です。収録している今日は5月23日木曜日です。
今日はですね、早速なんですけど、お便りを最初に読ませていただきたいと思います。前回読みきれなかったって言ったお便りですね。千葉県40代のスズメタカさんからです。これ、4月5日付けで、結構ね、立ってしまって申し訳ないんですけどとポットキャストを引っ越しだなんだという理由で休んでいた時にいただいたメッセージですね。
読みます。シマさん、こんにちは。お引越しお疲れ様です。そして、ご入学おめでとうございます。聖なる欲望。大場がない日々はなんだか物足りないです。過去、プレッシャーをかける意図ではないのですが、それくらい毎回楽しみにしております。過去と時。ありがとうございます。
更新のない間、以前にご紹介されていた雁須磨子さんのあした死ぬにはを読みました。自分と同世代の女性3人の悩みや葛藤や、体と心の変化が書かれていて、とても良かったです。そうですよね。もう中身をね、きっちり説明してくださってます。スズメダカさんが。
この作品を読み終えて、田島さんに伺えたらと思ったのですが、中年の危機のようなものを感じることってありますでしょうか。私はそのようなものをここ数年感じていて、出口のないモヤモヤに困惑しています。
20代の頃のように、これから仕事やライフステージにおいて全く新しい局面が訪れるとも思えず、けれど、このまま現状維持でなんとなくやり過ごすには、人生はまだまだ長いようにも思います。
自分が時間も心も傾けたいと思える何かを見つけた、いわばそれで社会的なリターンかお金や立場などがあればさらに良い、などと思ったりもしますが、ラセン時間というリソースを家族のために使わなければならない部分も多く、思うに任せず点々々まで、 トシさんの母や妻としてではない、個人の人生における目当てなどがありましたら、ぜひ可能な範囲で伺えたらと思っておりますしな質問で申し訳ありません。過去触れていただかなくても全く問題ありませんとまで書いてくださってます。
そして最後はこれからも番組を楽しみにしておりますという言葉で結ばれていました。スズメダカさん、どうもありがとうございました。すごい色々気遣いながらメッセージ送っていただいたんですけど、全然物と思わないです。私。個人的にはね。むしろなんか話していくテーマをくださってありがとうございます。という感じです。
今日はね、この中年の危機についてちょっと話してみたいんですよね。なんか今更ですけど、今回もガラガラ声ですいません。なんかここに来た急に声がガラガラす。中年の危機についてっていうかね、前回ちょっとこの中年の危機についてのお便りが来てるっていうことに触れたと思うんですけど、なんかそれで私、これを語れる立場にあんのかな。っていう疑問はその時点でお話しましたね。
確かね、私今42歳で、中年の危機。中年の危機か。っていう気持ちもあったり、カリスマコさんの明日死ぬにはっていう漫画に、もうまさにそういう転換点が描かれていて、あれって、あ、ま、言ってしまえば、中年の危機だったのかなっていう、主人公にとってね、
ていう感じもするんですけど、自分自身の経験から、すごい10年の危機の、こんな山があったよっていう話は、私はもう、最初に言っちゃうけど、出てはこないんですよね。
でも、なんか、このモヤモヤがあるっていうことについては、わかんない気もしなくもないので、ちょっとね、あと、結構、こういうことで、なんかこう、モヤっとしてる人っているのかな、多いのかなと思ったので、 ちょっと、今日はね、それを、テーマっていうほどでもないですけど、なんかちゃんと喋る気があんまり��ないんですけど、こう、お喋りのネタにして喋ってみたいと思います。今日で第51回になります。それでは始めましょう。聖なる欲望ラジオ。
また前回の話で申し訳ないんですけど、つ独のさ遠い太鼓っていう村上春樹さんのエッセイがすごい分厚いエッセイの文庫が出てる。40歳ぐらいの転換点について書いてるという話をしたんですけど、残念ながらやっぱり このままでしたね。本当に日々の積み重ねみたいな本だからさ、すごい時間のある時に読まないとゆっくり読めないかな。
代わりと言ってはなんなんですけど、カイハさんの中年危機っていう本を、朝文法からで、でも元がすごい古い本なんですよね。なんか犯行法の本当に最初出たもんでか、カイは先生だし、1993年の本で、ちょっとキドでね、買って、前半3分の1ぐらい読んだ。
それはね、結構小説を題材に中年の危機を読み解いていくみたいな臨床の先生なんで、その臨床例っていうのをすごいたくさんさん、その心療内科で、カウンセリングにおいて、 こう、中年の危機っていう事例をたくさん見てるけど、自分は守秘義務があるんで、なんかね、そういうのちょっと変えたいして喋る人もいますけど、ちょっと話せないから、なんかちょ せっていうのを題材にして、河合は先生はなんかすごいさ、人物語好きじゃないですか。だからちょっと適当に撮ったみたいな感じゃなくても、ガチですみたいな感じで読み解いていくみたいなもんなんですよね。ちょっと読書案内にもなってて、結構
話っていうか、知らない本もいっぱい出てくるけど、あとちょっとね、13年の本だから、昔の作家さんが多いなとは思うけど、でも夏目漱石とか知ってる作家ももちろんいてさ、結構面白げな本ですよ。
何が言いたいかって言うと、そこになんかこう、概要、その中年の機器っていうものについてさくっと触れてるねところがあったんで、ちょっと読んでみますね。
心理学の中で中年を結構ユングが扱ってるそうなんですよね。で、ユングが言うには、中年において人間は大切な人生の転換点を経験すると考えるようになった。
彼は人生を前半と後半に分け、人生の前半が自我を確立し、社会的な地位を得て、結婚して子供を育てるなどの課題を成し遂げるための時期とするならば、今このように、一律じゃないですけど、ま、昔ですかね、ユグの時代だから、 そのような一般的な尺度によって自分を位置付けた後に、自分の本来的なものは何なのか、自分はどこから来てどこに行くのかという根源的な問いに答えを見出そうと努めることによって、来るべき詩をどのように受け入れるのかという課題に取り組むべきであると考えたのである。ちょっとま長い文章ですけど、ちょっとそのまま読みますね。
太陽が上昇から下降に向かうように、中年には展開点があるが、前述したような課題に取り組む姿勢を持つことにより、加工することによって上昇するという逆説を経験できる。
しかし、そのような大きい展開を経験するためには相当な危機を経なければならないという���けである。ま、もうちょっと後でもう1回。これ���らの人生は、一山型のカーブではなく、 双子型の山の軌跡を辿ることになり、1回目の山を止め、2回目の山に取りかかろうとするあたりが中年にあたると考えられる。これは河合先生自身の解釈なんですけど、そういうさ、人生の
山が、山が、昔は超、昔は1個あったけど、今2個あるよねっていう話で、その2個目の山を見るのが、見始めるのが、こう、我々。スズメタカさんも40代って書いてたので、我々ってくっちゃいますけど、我々40歳前後の人間だっていうことになるんでしょうかね。
ちょっとお便りに戻りたいと思うんですけど、トシさんに伺えたらと思ったのですが、中年の危機のようなものを感じることってありますでしょうか。そして、トシさんの母や妻としてではない、個人の人生における目当てなどがありましたら、可能な範囲で伺えたらと思っております。という風に書いてらっしゃるんですけど、
うん、このなんていうの。時間というリソースを家族のために使わなければならない部分も多く、思いに任せるっていうのはすごいわかるんですよね。
私はさ、結構自己中なんですけど、なんか子供産んでから夫になんでそんなに変わんないの。っていう風に何回も言われるんですけど、でも、それでもさ、やっぱ時間は使ってる。子供いない時期と同じようには全然過ごせないですよね。
なんかその中で、母や妻としてではない、個人の人生における目当て、これですね。私、正直焦んないみたいな感じを日々心がけてるんですよね。
なんか目当て。そういうわかりやすい目標とか、私は子育てしながらこれ頑張ってるみたいなことがあったらさ、あるに越したことないなってね、思うんですけど、本当、かっこいいってやつですよ。私はよく言う、そういう方がかっこいいなって思うっていう、そういう憧れの対象にはなってるけど、うん、自分がそれできるかって言ったら、多分、できない。
それは、その、体力的な問題とか、持病があったりとか、そういう話もあるし、あと、私の性格的にさ、すごい怠け者っていうか、本当、隙間を縫ってなんでも努力するみたいなさ、そういう、なんか、大きな志を持った人間
ていうか、大きな志が乗る乗り物になってない感じっていうか、そういうのを、さすがに、うん、悟ってきたと思ってんですよね、自分では。それ、世の中では諦めと言うのかもしんないけど。
だから、なんかこう、何かをしようっていうよりは、何かを、なんか今回は自分の人生ちゃんと立てていかないといけないみたいなことを、なるべく逆に思わないようにしてんですよ。
うん。でも、その考えが固まってきたなって思えば、結構最近なのだろうかっていう気もしますね。
なんか思うところがあって、私、その前やってたyoutube、そもそもこのポッドキャストは何かって言うと、そのyoutubeチャンネルの最初、なんか本を紹介するyoutubeになってって始めて、それが全然回んなくなってポッドキャストに移ってきて、なんか話題をもうちょっとさまにしたっていう経緯があるだけなんですけど、
その、youtube始めた頃って、やっぱそういう気負いがまだあったかなって思うんですよね。それを、なんか、この、なんか、さっきさ、その、youtube、自分の喋りを、なんかyoutuber無理でした、すいませんみたいなタイトルの動画を見るまで忘れてたんですけど、本当、マジで忘れてたんですけど、 それが、動画を2、3個アップした後に、もうすぐさ、体調崩して、めっちゃ色々、連鎖反応的に具合が悪くなって、全部直った、よかったっていうとこで、��後、骨折するっていう、
すごい、なんか、どうしようもないことがあって、カーミだって、うん、思った。あの辺までは、やっぱり、なんか、なんか頑張んなきゃっていう気持ちってあったと思うんです。
あれって2年前だから、子供の連中ですよね。その辺ってすごいさ。
うん、結構、こっからどっかで立て直していかないとっていう気持ちは、確かに思い出せてきたけど、あったような気がしてきましたね。うん。危機みたいな、さしてったものには感じなかったですけど、なんか、
何をやっているんだとまでは思わなかったですけど、自分にはもう、その、お母さんやりながら働くっていうね、今はかなりの人がちゃんと履きこなして、そのあと、私は絶対書けんって思うわって思う決断があって、選挙になってるから、なんかそこからさ、何をやっているんだとまでは思わないわけなんですけど、 でも、なんか副業的なものをやりたいなって思ったりとか。そうそう、本当、この年中組ぐらいのあって子供さん、なんか金が欲しいって思ってましたね。
金なんかの身も蓋もなく言うと、なんかすごい。あの子、お金欲しかったな。なんでだろう。うん、なんか本当、専業主婦の1番面白くないとこ、やっぱ稼げないっていうとこ。だから、
なんか頑張ってもお金が入ってくるわけじゃない。なんか自分で好きなもの買いたい。なんか頑張ったから、ごめん、今日、今日じゃない、今月8万円入ってきたよって、よっしゃ、あれかちょうみたいなさ。
なんかこんだけ頑張ったからこれ買おうっていう計算が何もできなくて、なんかあんまりお金のかからないように生活しようなんとか、でもあんまり我慢したくないから、折り合いつけてこうみたいな、なんかこう、いいところを探っていくみたいな、そういうのも
悪くない。悪くないけど、でもやっぱぱっと使いたい時あるから、なんとかもうちょっと、なんか副業みたいなやつないかなって思ってたんですよね。youtuberで。それまではいけないんじゃないかなってすでに思ってたから、別にそれですぐ投稿しようと思ったわけじゃないですけど。
でもそういう思いが、なんかどっちかっていうと、こう、無理しないようにしようっていう方に向いてきた。
でもそれってあんまり一般的に当てはまんないですよね。なんか無理が利く人の方が、私はもう早々に自分は無理が利かない顔だってわかって、
なんかそっちは胃の継ぎというか、むしろ自分のケアっていうかさ。なんかこれ、夫も聞くから、こんなこと言うの微妙なんですけど、結構自分を甘やかして生きていこうっていう風に決めて、なんかこう、今がグズグズでさ、グズグズでダラダラでもしょうがないっていう風に 思ったけど、なんか逆に、私と違うさ、体力のある人の方が、なんかそんなに簡単に割り切れないって感じがしますよね。なんか、その頑張りが効く人の方が、もうちょっと頑張んなきゃっていう、頑張んなきゃでもないか、そういう、その外側からのとまた違うんだもんね。
もう人一山欲しいなって思うっていうことですかね。うん。
ちょっとすいません。別の角度から喋ってみたいんですけど。私はそうやで。グズグズで過ごしてるけど、一方で、うん、仕事やライフステージにおいて全く新しくなると思えば。っていう。
この文面を読んだ時に、なんかそうかなと。
私はさ、そうやってグズグズに生きてる割に、なんか新しいことって全然あるかもと思ってんですよね。でもこれ反対意見じゃないんで、ちょっと最後まで聞いていただきたいんですけど、なんか40代でみんな結構固まってると思ってんのかなっていう。
私はまだ��だ何があるかわかんないと思って日々過ごしてるんですよね。それはもちろん外部からの何かが急に悪いこと含めてさ、なんかあって、自分の人生が想定外にあるかもしれないっていう、うん、例えばこう、かなりきついですけど、なんか事故とかにあってさ、体の機能を何か損なうようなことがあって、
今の自分と全然違う風にしか思い切れなくなったとかさ、そういうネガティブなことも起こりうるし、逆に、私は何も努力してないから、こう、新しく素敵な局面に、こう、ライフステージが上がっていくっていうことは絶対にないんだけど、それでも、なんかこう、趣味で始めたことがかなり楽しくて、かなりこう、楽しいの階段を上がっていくその ちとか、人の役に立つとかでは、多分上がっていかないかなって、もう思ってんだけど、でも、ちょっとずつさ、何か自分なりの楽しい階段は上がっていくかなって。
なんか、それがさあ、私はすごいスーパーミック坊主みたいな人間、すごい。前回相場の話したけど、もうやってないですからね。そう、あれ、本当に本当に3日ぐらい、相場面白いっつって思いましたね。
そんぐらいさいか坊主なんだけど、でもなんか楽しくて、続くことあるかもって思って、なんかこう、外側から見た自分が塗り替わることはもうないけど、内側から見た自分は塗り変わるかもしれないと思ってんですよ、日々
でも。でもですよ、まだまだ話終わりじゃないんですよ。だからこう、40って、私、全然固まったと思ってなくて、自分的には。なんか一方で、よくこのお便りを、スズメタカさんのお便りを読み返してみるとさ、なんか私も、でも固まってないと思ってる自分も、ある種の方にはまってんなと思ったんですよ。
方が新しいこと始まらないと思ってるっていうお便りに、新しいことはきっといつもあるんじゃない。っていう私が、なんかこう、反対の立場にいるように見えるけども、本当は私はさ、そういう3日坊主を繰り返すっていうサイクルにはまってる。
なんか新しいことをさ、初めてはすぐやめるパターンが身についちゃってんですよ。多分ね、自分。自分が楽しけりゃいいやっていうパターンにはまってんですよ さ、スズメナカさんは、そうやって周りからのその地位とか、お金もついてくるといいなって思ってることは、持ってるってことは、周りに貢献する気持ちがおそらくあるんですよね。直接書いてないですけど、社会の役に立ちたいとか、わざわざ書いてないけど、当然なんか前提として、そういうのに付随してお金はついてくるからさ、そういう風に多分お考えなんだなって私は勝手に思ったんですけど、違ったらすいません。
一方でさ、私は何も積み重ねたり、人のために、人のために続けるっていうのをさ、してないわけですよ。なんかいつもいつも私繰り返してねっていうさ。
ここでポッドキャストでさ、趣味の話よくしてるじゃないですか。今これ楽しい。みたいな。これ楽しいんだよね。今キャハハみたいな感じで喋ってさ、喋ってすぐ忘れてるっていう。また次の楽しいこととかして、きゃははってなってるっていう。なんなんだこれ。と思って、 あれ、私ってなんかもう完全その方にハマってるわって気づいて、ちょっとぞっとしたんですよね。
スズメタカさんみたいな人はこう、ちゃんとライフステージがこの後変わると思えないって言ってるっていうのは、ちゃんと積み重ねてく人の発想なんですよね。それ、多分私は自分の趣味でさ、自分ができる範囲で、自分だけの力で、 もう通りがでかくなったぐらいのこう方みたいなのをさ、そでシュシュシュって編んでさ、そんで新しい海だわ���ってそこに飛び込んで、バシバシャつって、すぐ転覆して、サブって書いて転覆して、あ、無理だったわって帰ってきて、まだ新しい海だって。それずっとやってるだけで、もうなんかスズメタカさんみたいな人は、こう、コツコツと船をさ、ちょっとこの海に出よう。風はどうやって行くんだ。
ちょっとこの調査をして、こういう船が適している、よし、じゃあこの船を1から組み立てていこうじゃないかって。この材料はよそから持ってこなきゃいけないとかさ、そういうことをして、しっかりして船を作って出ていく。だから、そういうことは容易ではないですよ。確かに。だから、なんか簡単に次の場所に行けないって思うのかもしれないなって。
なんかそういうのをすごい読んだ。読んだんじゃない。そ、勝手にこの3つのお便りから色々考えちゃったんですよね。
うん。でもなんかそれに、自分がその型にはまってるっていうことに気づいてなお、なんか私はちょっと1回かってなったけど、でも本当にショックじゃなかったんですよね。そうかっていう。
40ともなれば、やっぱりそういうパターンっていうのは出てきてる。なかなか変わるものでもないっていうか。さっきのカイ先生の話だと、本質本みたいなこと言ってなかったですか。
自分の本来的なものは何なのか、自分はどこから来てどこに行くのかという根源的な問いに答えを見出そうと努めることによって、死をどう受け入れるのかみたいなことは書いてましたけど、うん、そこまで残ってると、だんだん自分の本来的なものっていうのに
近づいてきてるとも言えんのかなと思って、うん、私はこういうさ、なんか 役に立たないっていうか、こう、何もなさない人生においての、うん、意味みたいなのを、若干考える時があるんですよね。うん、なんか、やっぱ、それがダメなことじゃない。そういうの、言い方で、転覆して、 3日歴史に戻ってきてても、自分が楽しければ万々歳だなっていうところと、
なんか、それは、私は、一山目がそういう課題だったんですよね、多分、課題っていうか、自分にとっての一山目での学習が、やっぱりこう、私だって、前は船を立てようとしていたけど、なんか、 当たらないわけじゃないけど、それをやるのに、こう、結構無理していたというか、 うん、なんか、結果を出さなければとか、ちゃんとしなきゃみたいなプレッシャーがすごくて、でも、そっからこう、自由になるっていうか、それはやんなくてよかったなっていうのが、一山目での学習だったから、
山は今んとこないというか、学習の結果によってののんと生きてるっていう感じになってるんですよね。何が言いたいかわかんなくなってきたんですけど、すいません。
私はですけど、多分、ある程度の人生に対する本来的な役割、 自分がこうあればいいっていうのは、もうある程度決めてるっていうことが1つと、もう自分が楽しいのが、
なんかそれ以上求めても無理かなっていうね、そういう諦めなのかな。違うような気もするんだけどな。私はとにかく楽しければいいやっていうことが1個と、20代の若者ももっともっと浅はかだよね。重大レベルのこと言ってると思うんですけど、そういう楽しみが1個の目的だっていう 最終結論と、あともう1個言っても絶対先がわかんないなっていう。その 自分の人生を10パーセント自分で選べるわけじゃない、自分では察することもできない、どうしようもない流れみたいなのがあるから、今どう思ってても、どんだけ固定されてると思っても、まさかではないっていう。
その2つがあるから、あんまり結果として、中年に対する不安感みたいなものは今はあんまりないのかもしんないですね。
それも、でも、あがいてみたかったけどね。そのyoutuberとしてやっていこうみたいなことを、一応、一応あの時ちょっとでもやってみたから思うのかもしんないですね。
なんか本当回答になってない回答ですいません。スズメナカさんのお互い本当に話題のね、なんかこう、きっかけにして色々勝手に喋ってしまったなっていう感じで、あんまり質問にすっきり答えたなと思ってないんですけど。すいません。
うん。なんかもうちょっと喋りたいことあったような気がするんだけどな。今日を改めてまた喋っております。5月25日土曜日になってます。
結構前の話をつぎはぎして編集して、なんとか形にして、何回も聞いたりしたんですけどね。本当に今回はまとまってなくてごめんなさい。
これですね、夫の話とか足して、あとなんか自分が喋ったこととか、本で読んだこと、無理やりこう、きゅきゅっとまとめて、話をまとめようかなって思ってたんですけど、聞き返してるうちに、なんかそういう風に無理まとめない方がいいかなと思い始めて。
私のさっきの話って、結局もう中年の危機の中年をさ、縁をくるくる回っているだけで、あまり入ってってない当事者感がなかったなと思って。でもそこが今の自分の把握してる部分だなっていう風に思ったので、ここまでにしようかなと思います。スズメナカさんは、今はもうモヤモヤしてらっしゃるのかな。
うん。なんか今話してみて、ぼわってだんだん思ってきたのは、やっぱりみんな何かしら納得感が欲しいんじゃないのかなっていう、自分が自分であることを納得感。
なんか、若い時も、そういうのって欲しいような気がしてたけど、それって、もうちょっと手前の、浅いってわけじゃないけど、
それこそ、うん、許容されたいというか、周りからも存在を許されたいし、その、社会的な意味でも、プライベートでもね、 し、なんか、自分、でも、なんか、もっともっと手前の、思春期の時とかって、こう、すごい自分に不満をぽんぽんって爆発させながら生きてるわけだから、その不満がなんとか片付くとこまで行くみたいな、なんか、それが、20代のさ、1つの山かなって私は振り返ると思ってて、この2つ目の山っていうのは、もうちょっと
自分で良かったなっていうとこまで結構行かなきゃいけないのかな、行かなきゃいけないってこともないけど、行きたくてモヤモヤするのかなっていう風に思ったんですよね。だから私もこの先まだあるかもしない42でさ、まだなのかもしれないです ね。今の納得ではやっぱりダメだって、自分が楽しいだけじゃ生きていけないわみたいな感じでやっていくのかもしれないなっていう風にね、もう1回、もう1回じゃない、3回ぐらい聞いて思ったりしましたね。ちょっと中途半端な感じで終わっちゃって申し訳ないんですけど、 そういう、うん、自分であることの納得みたいなことにね。最近近い読書をしたので、その本を紹介して終わりたいと思います。
柴崎智子さんのあらゆることは今起こるっていう、これ新刊ですね、結構出た。ペアやぽや、5月15日間ですね、医学所っていうとこが出てる部屋を開くっていうシリーズがあるんですよ。
部屋を開くがひらがなね。医学書院って、その名の通り医学系の専門出版社なんですけど、 このケアを開くっていうシリーズは単行本でみんな2000円台ぐらいの、結構ね、ソフトカバーだけど、がっしりした作りの厚めの単行本で、いろんな人が書いてるんだけど、
なんていうの。そのシリーズ名の通り、ケアする側の、なんていうのかな、テキストじゃないけど、そういうものも若干あるみたいですけど、近年割と、 うん、ケアが必要な人、必要な人って言��方もあるかな。一般的に誰かの助けをかいた助けを買いたいって言うよりも、その人のために社会が変わった方がいい。
なんか、そのままではフィット感のない人たちの当事者の声みたいなのを届ける本も結構出してて、ご存じの方もいらっしゃると思うんですけど、毎回、多分それなりに売れてるっていうか、話題になっているんですよね。私もね、ここまで3冊、
何十冊も出てるうちのですけど、3冊ほど読んでて、今回シバサキさんがそこからセ出すっていうの、どっかで見て買ったんですよね。その本の端的なことを書いたシバサキさんの文章があるので、ちょっと読みますね。
ここで書くことは、私がadhdと呼ばれる脳の特性があるとの診断を通じて、捉えたり考えたりした、私自身の感覚だったり認識だったり、今までの経験です。本当にこのadhdのものとしての感覚とか認識とか、認識とか経験っていう、 そう割と系統だった話じゃなくて、結構ふわっとした作りのエッセイの本なんですよね。シバサキさんはadhdの特性があって、さらにはaの傾向もあって、両方持ってる、
そういう診断を受けて、服役をしたりして、そういう日々と、なんかそれまでの経験もいろんなこと含めて、1冊分、結構本当ボリュームあるんですけど、このボリュームの中で、こう、ふんわり本当に行ったり来たりしてるみたいなエッセー集だったんですよね。
シバサキさんはその診断を受けたのは2021年の9月って書いてらしたと思うんですけど、私はもうちょっと後の時期に 検査を受けて、asdの傾向がある、なんかそういう、限りなく白に近い売れみたいなふうに先生に言われて、いつも行ってる病院だけとかで、なんかこう、特別にそのために検査の病院に行ったとかじゃないんですけど、そういう風に言われて、
だから、めっちゃ、なんで、なんでその検査を受けることになったかっていうと、あまりにも人と比べて価値ができなさすぎっていう問題が1つと、あとは、友達ができなさすぎるっていう、なかなか、なんていうのかな、なんか自分以外の人はみんなこう、 なんか鈴虫とかさ、蛍みたいに、何かでこう共鳴し合って、ファーファンファンてなって友達になってるのに、自分だけそれついてないんじゃないかなみたいな、違う生き物かな。みたいな風に感じる時があって。うん、 でも同じ特性。なんか本とか読んで、多分私っぽいなって思ったんでしょうね。あんまり覚えてないけど。その流れの順番をさ。
でも何かこう、社会的に確定診断が欲しかったわけじゃなくて、その家事の敵なさについて家族に分かってもらうっていうことが1つと、あと、当事者会みたいのに行きたかったんですよね。
なぜなら、友達が欲しいかとも。なんかそこに行くと、私も今まで周りの人たちがやってると思ってたみたいに、こう、ふわふわんわんってなって、こうさ、なんか信号送るやつ、友達になったらいいのかなと思ってなか、それは極端に、今言いましたけど、そういう共鳴現象みたいなのが起こって、友人ができるかもしれんと思って、
そのためだけに受けた検査だから、あんまり、なんていうのかな、このシマザキさんの体験談を読むと、なんかここまで深いテストじゃなかったなっていうのもね、かなりぼかして書いてますけど、それは思って、 ま、だから、そんなにしっかりした確定診断ではなかったかもしれないですけど、一応、知能検査みたいな、人通り受けて���、すごい人と比べて、その単純作業の能力がめっちゃ劣ってるみたいな結果が出て、そのiqみたいにさ、普通の数値が0のとこ、87みたいな数字で、 iqだったら、85からしたら評価機能って言われるから、もうほぼほぼそういう線の単純作業能力しかないっていうことがわかって。
だからといって、なんか共鳴、共鳴しないみたいな風に。そこでね、言われるわけじゃないけど、テストの結果として、なんかでもその診断を、診断ってほどでもないけど、そういう先生の言葉を受けて、よし、これで当社会に行けるぜ。と思って。でも調べたらコロナ中であんまやってなかったんですよね。
中は全然開かれなかったし。それで、その後、いけねえやってなって、グズグズになって、わたなんか何も生かすところなく終わってしまったんですけどね。友達もさ、やっぱ同じ幼稚園で過ごすうちに、徐々に徐々にこう、
素早い共鳴はしなかったけど、だんだん人のことが分かってきて、みたいな風になって、なんとなく問題が流れてったみたいな感じだけど、なんかやっぱ自分の中で経験をさ、振り返って、ああ、こういう傾向があるからあんなことがあったんだなとか、やっぱりこの共鳴しなさみたいなのも、もうしょうがないんだなっていう風に 思ってたんですよ。最近ね、最近っていうか、その2年前の秋ぐらいから。ちょうどこのポッドキャストのスタートの時ですね。でもそれはなんていうのか、
あくまで自分がその目的を持って受けたもので、別に人に言いたいわけでもないし、なんか親にも言いづらいなって。正直結構言いづらいなと思って言ってなかったし、今初めて多分親聞いてあ、そう、そうなの。ってなってると思うんですけど、なんかそういう興味もあって、このシバサキさんのあらゆることは今こ呼んだんですよね。
それで、やっぱりさ、結構ふわっとした作りの本だから、こういうとこめっちゃ一緒とか、ここ全然違うなとか、いろんなことを思いながらさ、割と普通に淡々と読んでいって、ふってページを閉じたんですけど、
ただのあるもんじゃないですよ、かなり。やっぱり医学書にから出てるだけあって、なんかプラス、やっぱシバサキさんがちゃんとしたご配慮のある人だからさ、なんか本当に書く間、なんていうのかな、決め付けみたいなことしないように、こういうのの特性があって、こういう困り事があるんですっていう断定的な書き方じゃなくて、 その因果関係もふわっとしてるままっていうか、もう本当にいろんなことが人によるんだよっていうことを、なんでも断りながら断りながら、自分でも迷ってるっていう風に、書きながら、語ってってくれるんですけど、
なんか、そういう風に、何かはっきりしたメッセージがこの本にあるわけじゃないにも関わらず、なんか、読んだと3日ぐらいしてからさ、すごい 不安とした気持ちになってきたんだよね。不安とした気持ち、なんていうのかな、その、脳の特性によって、うん、困ること。実際、そういう泊まりができにくいとか、私の場合はね、 なんとなく、あんまり、共鳴してる人と、人間と、共鳴してる感情があんまりないとか、そういうのがあるんだけど、なんかそれだけじゃなくて、本当に、なんか絶対いいこともあるはずっていう、なんていうのかな、本当、シバサキさんも書いてはいたんですけど、この社会の中で
そういう困り事とかは発生してるけど、別にね、なんかそういう、困るためにいるわけじゃないっていうか、なんか絶対いいことあると思うんですよ、 なんかそういうのね、なんか個人的にちょっと思ったりしてたけど、この本読んだことで、余計さ、なんかこう、勝手に確信を深めてるっていうか、勇気、勇気づけられた���て、なんかすごい。なんかベタっとして、言葉であんまり使いたくないんですけど、なんか頼もしい感じがしてきて、
うん、さっきの私の話もね、前半で喋ったのもなん。なんでこの人こんなやる気ないの。とか、なんか私の仕事人生、前半の仕事を見てくれた人もきっとたくさん聞いてると思うから、なんかマジで仕事やる気ないのこの人。みたいなので、ドン引きした人もいるかもしれないんですけど、ちょっとそういうね、人には申し訳ないなっていう感じはするんですけど、 なんかやっぱ、そういう特性のこともあって、一般的な意味での、こう、頑張るとか、仕事を頑張る、なんか使命を持つみたいなの、 こう、みんなと同じになるっていう意味合いではやんなくていいんじゃないかなっていう風にさ、最近は思うようになってたんですよね。何が言いたいんだっけ。
とにかく、このシバサキさんの本読んでより、本当、うん、まだなんかあるはずって、なんか、なんかいいことあるはずっていう風に思ったんですよ。
正直、前半で紹介したカイは先生の本よりこっちおすすめです。なんかもうちょっと読み進めたら、結構退屈になってきちゃってね。前半で面白げな本ですって紹介したけど、なんか中盤割となんか眠いなみたいな感じになっちゃったから、 この進化の方がね、やっぱり興味ある方、ぜひ買ってみてください。別にそういう特性とかない人でも、あの人はへーみたいな、え。まじで。みたいな感じなのかな。
でも、何かしらさ、本当にペタっと平均の人っているわけじゃないからね。なんか私から見ると、こう、すごいどうしても自分と自分じゃないものに分けがちと思う。
何か劣ってる自分と、なんかみんなうまくやれてるみんなっていう風に負けがちだけど、そうじゃないんだもんね。なんか、なんかしら、やっぱみんな困ってることとかちょっとあるよねっていう感じ。だから、気になる人はぜひ読んでくださいと思います。
最後になりましたけども、お便りくださったスズメタカさん、どうもありがとうございました。本当に今までの中で1番ぐらいむにゃむにゃな回答で申し訳ありません。どうかね、なんかあんまり焦らず、いつも私、人に焦らずって言っちゃうんですけど、ゆっくりね、人生の山を登っていっていただければと思います。
ここでね、いつもでしたらお便りコーナー行くんですけど、今週はお便りいただいておりませんので。そして曲紹介コーナーもね。曲が紹介できなくなっちゃったから、ここでお別れみたいな感じにしよっかな と思いつつ。でも本当はね、今週すごいこのテーマでかけたい曲あったんですよ、私。回答はむにゃむにゃだけど、もういっそ曲で締めくくろうかなみたいな曲があって。それはカーネーションっていうバンドのリアルマンなんですよね。99年のシングルで、 ちょっともう曲紹介コーナー入ります。ミュージックプラストーク機能がなくなってるのに曲紹介だけするので、ちょっと雑談。お付き合いいただける方はよろしくお願いします。
これでも私、その、リアルタイムで聞いたわけじゃないんですよ。正直99年にこの曲聞いた覚え全然なくて。どこで出会ったかって言うと、私、中村貴子さんのミュージックスクエアスジだっていう話をこの番組の序盤では結構度々してたかと思うんですけど、2011年にこの番組、リスナーによるリナーのためのdjイベントがその時あったんですよね。
岡山でなんですけど、たかちゃんライト、その名もタカちゃんナイトっていう、たかちゃんがミュージックスケアしてた時の曲を流してもみんなで踊るみたいなさ、��んごい楽しみなイベントがあって。私、明日から春まで行ったんですよね。その時、岡山まで
だからさ、何もしてない時だから。2011年2月。それでその時に懐かしい曲がさ、たくさん流れてさ、めっちゃ楽しかったけど、この曲だけ知らなくって、正直自分の中ではもうほぼ新曲みたいな感じで聞いたんですよ。
でもその時のさ、高揚感とか、今こう何年か、1、2年田舎で何もせず過ごして、でもなんかそろそろ動き出そうかなっていう辺りの高揚感。なんかこう、パッと行くのに、こう、離陸にふさわしい曲だったんですよね。すごく もうそういうのて、でも頭で考えないで、もう、ぱって体に落ちてくるじゃないですか。これだ。っていう、
もう帰ってすぐさ、曲を買って、そのitでさ、ぴぴってすぐ買えるからさ、それがずっと自分の中でお守りみたいにしてる曲なんですよね。これ、あれだわ、今wikipediaをじっと見て気付いたけど、メンバーのナエさんがその作詞、作曲のナオエさんが40歳の時の曲ですね。なんか今ふっとさ、中年関係あるかなこれ。と思って。
そうですね、なんか20代の終わりに聞いてすごい響いたけど、なんか今も響き続けるっていうか。アルマン、リアルマンっていう自分の外側の人間がいて、
外側、今の自分と一体ではないけど、それはリアルマンは自分なんですよね。なんか、なんていうのかな、そうやって今の自分に納得するっていう話と非常に似てるかなって思うんですよ。外側にあるって言っても、なんか違うものになる。返信をするっていうのとはやっぱ別の話だと思うんです。
外にいるけど中にいるみたいなさ。なんかなんかすごい。感覚的にはすごい。言いたいんだけど言葉にできない。言語化ができない。でもこの曲を聞けばきっとみんな納得するだろうっていうぐらい、なんかすごい曲なんですよね。
うん。リアルマンがまだ一体化してないけど、自分と。でも欠乏感のない曲なんですよ。何かが今の自分から欠けているっていうとこなしに、 なんていうのかな、むしろこう、ピーンとさ、繋がってるっていうかさ、そうと感覚的な言葉しか出てこない。本当にね、充足感に溢れてんですよ。なんかまだ目覚めてない何かだけど、でも絶対いるなっていう確信。より良き自分みたいなものがね。
そういう歌なんですよ。ちょっとぜひspotifyとかで聞いてみていただければと思います。spotify初めね、いろんなとこでね、皆さん自分の耳にしやすい配信ツールで聞いてもらったら、
結構気に入る人もいるんじゃないかなと勝手に思っております。本当に人聞き惚れだったからさ。そういうことってそんなにはないですよね。そのさあ、元々すごい親しみのあるバンドで、なんか今回の曲すげえいいじゃん。みたいなのも違う話なので。本当 ね、別にカーネーションのこと知らなかったわけじゃないけど、すごい1曲をパシッと意識するてこと、それまで正直なかったのにも関わらず、これはパンって来たから、本当に名曲だと思っております。
なんかあれ作りたいな。spotifyのリスト作りたいですね。今までもさ、実は密かに欲望ラジオ紹介曲っていうタイトルで紹介した曲をね、1か所にまとめてるんですよ。それ私の実は便宜的な理由でまとめてんですけど、そこに勝手に足していこうかな。なんか50回かも。その、作っちゃおうかな。そんな風に考えております。
じゃあ今回はこの辺にしま���ょうか。皆さん、長い間お付き合いくださりありがとうございました。いや、なんか何もさ、自分がこれからやんなきゃいけないことはないみたいで。さっき喋っゃったかもしれないけど、このポッドキャストは割とその、楽しいもの、だんだん楽しい階段を上がっていくつもりで続いているものではあるので、今後もお付き合いいただけましたら幸いです。
じゃあ、今回も最後まで聞いてくださり本当にありがとうございました。じゃあね、だんだん暑くなってきますし、あれが出てきたかが最近出てますので、皆さん外出の際は無視よけおやれなく。
じゃあ、どうもお付き合いありがとうございました。じゃあまたお耳にかかりましょう。もしくはおやすみなさい。トシまミほでした。
clovanote.line.me
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2024.4.28
削りあがり
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木へら 右利き、左利き
クリ
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ぱっと見た感じオーソドックスな木のへらなんだと思います。直線的なかたちの中に、細やかにカーブやたくさんの面取りを施しています。使う時、そのかたちの意味をじんわり感じつつ、スイスイお料理してもらえたら嬉しいなと思います。
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経年も使う人それぞれの動作の癖や使い方が木の表情に表れます。これがまた面白い。道具差しからスっと抜き取った時、育ったな〜と眺めるのも愉快。
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使い始めはちょっと染みみたいなのが付いただけでもドキドキするかとしれないけど、それでいいんです。臆せずどんどん使って、かっこよい相棒にしてもらえたらいいなと思います。
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そんな木のへら。
使うの愉しいよ。
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#削っているときはいつも昔何回も課題でデッサンした石膏像を思い出す #水村真由子 #木のへら #木へら #左利き #木の調理道具 #暮らし #食べる #炒める #混ぜる #掬う #台所 #台所道具 #sloyd #slöjd #woodenspatura
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BLACK POST JUNK / 2024.01.01 Part 1
こんばんは。
大晦日です。
今年の年末はアレやコレやでバタバタしっぱなし。
12月は買い付けに行くべきではないと心底思いました。
さて、そんなこんなで今年も何とか皆様のお陰でPOST JUNKを続けることができました。
来年も頑張りますので、どうぞ宜しくお願いいたします。
それでは明日の新着入荷商品のご紹介。
2年振りのBLACK POST JUNKという事で、気に入っている黒い古着達をリリースします。
2024年1月1日 21:00から、POST JUNKオンラインストアにて販売開始です。
※商品の発送は1月3日から順次開始となります。
断腸の思いで販売する物もあるので、是非楽しんでいただければ幸いです。
ではどうぞ。
(画像が載り切らないので2部制です)
00’s INTERMEZZO FUTURO My Best Jacket Made In Italy [L]
少し変化球だけど、どう考えても2023年のベストはこれだな、という事で。
単純に格好良いと思った古着を選んだ結果です。
しかし、服って楽しいですね。
と実感すると同時に、自分は逆立ちしてもデザイナーにはなれないな。
そんな事を思いながら数日間、夜な夜なこの服を観察していました。
簡単に言えば、フードのテッペンから後ろ裾まで左右グルっとジップが走り、二枚のジャケットがドッキングされているデザイン。
それ自体はちょっと面白いデザイン���しかないんですが、そこに付随する全ての ”こなし” が本当に優れています。
生地に関してもAB両面にウレタンコーティングが施され、和紙のようなシャリ感と微かなヌメりが共存する怪しい手触り。
ジップは全てriri、製造はイタリア。
古着と言うよりも作品として、海外勢のアーカイブにも全く引けを取らないと感じる素晴らしい服です。
90’s MASSIVE ATTACK x LEVI’S Mezzanine Tour Crew Jacket [XL]
再登場のスペシャルピース。
グレートなサイズとコンディション。
ガッカリさせるのが申し訳ないので先にお伝えしますが、値段は高いです。
すまん、マッシブアタッカーの皆。
UNKNOWN Punk Leather Jacket [44]
買い付けてから現在まで、お店のディスプレイとして活躍中のこちら。
残念ながら安く買えていないので、これからも当店の看板として鎮座し続けるでしょう。
たまに着たりして楽しみます。
でも一応は販売していますという事で今回アップします。
ちなみにコレを一���最初に試着したのは私の親父でした。
流石ロッカー。
UNKNOWN Punk Leather Shirt [About M]
パンクカスタムレザーシャツ。
これシャツってのがさ、最高じゃないですか。
着心地は軽いけど重いアイコン背負っててな。
横向きだけど。笑
そこ含めパンクって事で受け止めましょう。
フロントもステンシル、ワッペン、ピンズやらでセンス良くカスタムされています。
素晴らしいので是非明日ご確認下さい。
50’s BEL-MAR SPORTSWEAR “13 REBELS M.C.” Embroidered Black Satin Jacket [About M]
スペシャルが続きます。
13 REBELS M.C.のクラブジャケット。
これこそアメリカへ買い付けに行く意味です。
ボディもデザインもカラーも全て申し分無し。
しかし、よく出てきたなぁと思います。
80’s L.L.BEAN “BLACK” Pocket Cable Knit Sweater [L]
コレのブラック。
ほんと出ないです。
あとグッドコンディション。
スペシャルです。
00’s MOUNTAIN HARDWEAR Black Nylon Conduit Lined Over Pants [M]
個人的なツボ押しまくりのMOUNTAIN HARDWEAR。
オーバーパンツなのに細身のテーパード。
まずそこにクラクラきて、お尻にはポケット付き。
私の様なズボラなオーバーパンツ好きは、このポケットのポイントの高さを分かっていただけるはずです。
ウエストはドローコード、裾はベルクロ留め。
伸縮性のあるニットライニング。
オールブラック。
今年買い付けたマイベストパンツ、総合的に考えるとコレです。
00’s~ MOCEAN DuPont Active Layer Nylon Patrol Jacket Special Edition Made In U.S.A. [NOS] [L]
スペシャルモー��ャン。
ベースはメトロジャケットですが、両胸・両腕にベルクロパッチとフードが付属する実務的なエディション。
この仕様の出回りは極めて少ないはずです。
加えてリフレクターの付かないオールブラック、札付きのNOS。
胸中の言葉をそのまま書くと、手放したくねぇ~
00’s~ NTWRK / CHAMPION “mid90s” Embroidered Hoodie [XL]
先のMASSIVE ATTACKジャケットといいコレといい、だいぶ温めました。
どうしても手放せなくて、同じXLを見つけるまで必死こいて探しました。
で、やっと両方見つけたのでこの機会に放出。
これも安くないです。
90’s LEVI’S SILVER TAB Thunder & Lightning Painted Black Denim Pants Made In U.S.A. [W33]
え凄くないこのペインティング。
これ発見時の感想。
しかしまぁセンスが良いですね。
ボディはSILVER TABだし裾カットオフだし。
でもウエストがガッツリ細くカスタムされてたんですよ。
28インチくらいに。
だから私が愛を持って元のウエスト寸にお直ししました。
上手いこと仕上がってますので、そこも味としてお楽しみ下さい。
70’s MONTGOMERY WARD Black Nylon Insulated Jump Suit [About XL]
古着のジャンプスーツで初めて着たいと思ったのがこちら。
正確に言うとスキースーツかな?
とにかく、コレならば着たいぞとグサッと来た訳です。
オールブラックナイロンだし、ブランドも良いし。
これをお洒落に着こなす人、私は滅茶苦茶好きになると思います。
90’s DKNY M69 Body Armor Style Black Nylon Padded Vest [L]
M69のサンプリング。
やっぱ素晴らしいよDKNY。
ヘルムートラングにも負けてないよ!
00’s NIKE Good Stitched Down Jacket [XL]
NIKEのスペシャルダウン。
独自のステッチワークと、そのステッチラインを利用したチェスト&ハンドポケット。
微起毛感のあるしっとりとしたシェル。
豊富なダウン量で保温性も非常に高いです。
まさに冬の一張羅ですな。
ちなみに21AWのSUPREMEパフィーJKTの元ネタはコレでしょう。
まぁそらパクるわ、超格好良いもん。
00’s~ NIKE ACG “TRIPLE BLACK” Responder Backpack
名作バックパックのトリプルブラック、見つけてきました。
このバックパックを初めて見た時はまぁシビれた。
エロルソンヒューってやっぱしゅごいんだなぁって。
モダンなバックパックとしてはトップレベルで好きなデザインです。
全開放した時のビジュアルはエイリアンの卵でしかないもん。
こちら状態も良いので、探してた方はお見逃しなく。
00’s GAP Curved Panel Thermolite Insulated Nylon Jacket [XXL]
パッと見だと魅力が伝わらないかもしれない��GAPの黒いジャケット。
襟下から脇腹にかけてカーブする特徴的なパネルライン。
そこにコンシールファスナーのスラッシュポケット。
背中の腰にも同様にコンシールポケットが配置されています。
中綿はデュポンのサーモライトでちょっとパフィー感がある。
これ、実物は写真より100倍格好良いです。
すん���いおすすめ。
70’s QUALITY SPORTSWEAR Black Nylon Padded Jacket [XL]
70sのブラックナイロンパデッドジャケット。
芋っぽくないこの年代のこういう服。
地味に無いよなって思いましたよ私は。
サイドやポケットのジップ使いも今っぽいですし、着丈長めのボックスシルエットもまた最高にお洒落。
非常に気に入っている一枚です。
80’s~ UNKNOWN My Favorite Sweatshirt Made In Turkey [L]
今年一番グッときたスウェットシャツはこれ。
ボクシーで開放的なシルエット、腕ポケのデザイン、差し赤の配色、もちっとした生地感。
もう全てがツボ。
過去に何度か、別商品の着用写真撮影の為にこのスウェットを使ったんですけど、着る度に良さを実感していました。
有象無象の古着の中で、���っちゃ光る魅力を感じる一枚です。
90’s LEVI’S SILVER TAB Black Fleece Skirt [S]
これは大変珍しい。
ボディはオールブラックのフリース。
腹にイエローメッシュ袋布のジップポケット。
ウエストはスポーティーなドローコード。
このデザイン自体が非常にユニークなのはご覧の通りでも、ブランドがSILVER TABときた。
刺さるよそれは。
80’s~ UNKNOWN Baggy Knit Pants Made In U.S.A. [8]
写真の引き、激よわのニットパンツ。
私の中では非常に強いけども。
一年くらい前でしょうか、高円寺の古着屋さんで大変お洒落なニットパンツを見つけたんです。
でもそれは少しフレアが掛かっていて、ちょっとキザだなと。
バギーかストレートなら良かったなと、迷った挙句スルーして。
でそのあと買い付けで見つけた、この理想の一本。
遠目から見るとスラックス的だし、ニットでも厚手だからフェミニンな生地の揺れ方はしない。
で、穿くの超ラクで真っ黒。
大丈夫、強いよ君。
UNKNOWN My Favorite Beanie Made In U.S.A.
マイフェイバリットなビーニー。
マスク部分を内側に仕舞うと完全に普通のビーニーになる。
目から鱗が落ちました。
なんで今まで見た事も考えた事も無かったんだろうって位、自然で素晴らしいデザイン。
似たような物は数あれど。
バラクラバを横目にインナーパンクの精神でこちら。
最高です。
90’s INTERNATIONAL MALE Slant Zip Pullover Shirt [XL]
あ~これは素晴らしい…。
どの時代でも良質なデザインとして認められるんじゃないか。
襟元斜めジップのツートン切替で、このジップを開くとライダース的なダブルの打合せに。
50s頃のスカシャツのようなニュアンスだけど、この物自体は古くない。
生地はコットンツイルで、開放的なサイズとシルエット。
感動ですな。
90’s~ UNKNOWN Black Satin Pajama Shirt [About L]
これは、恐らくですがホームメイド。
裏面の生地の始末を見ると既製品ではなさそうだなと。
ただし、着地がスバラシイ!
今年見たスリーピングシャツの中では、これが断トツで好き。
カートの馬パジャマなんて三段下ですよ。
いや言い過ぎた。
あれも良い。
00’s~ MUNI Patched Soft Shell Jacket [About XL]
背中に大パッチ、右胸に小パッチ。
ボディはFLYING CROSS社の4ポケソフトシェル。
やられたねこりゃ。
2024年も良いMUNI探すぞ~。
UNKNOWN Marilyn Monroe Allover Printed Pants [About L]
なにこの気持ちの悪いズボン。
いや待て、よく見たらこれマリリンモンローじゃない?
そう問うたら売主も気付いてなかったというオトボケ具合。
Oh YEAH!って言ってたもん。
現地人でも20歳そこらの子はマリリンモンロー知らんのかな…?
そんな訳は無いと思うので、細かい事は気にもしないアメリカンなエピソードでした。
もっと面白いのは、その子の部屋の壁にウォーホルのマリリンモンローのポスターが貼ってあった事。
ちなみに誰がいつどんな背景で作ったとか全く分かりませんので、問うてこないで下さい。笑
良し悪しは物を見て判断願います。
50’s ALLEN-A “BLACK” Open Collar Print Flannel Shirt [16 ½]
ヴィンテージのブラックプリネル。
16ハーフ。
スペシャルだけど、当店にこの辺は求められてないんだよな…。
まぁそれは承知の上で。
実際うちでは当分出せないと思う品です。
70’s NEW YORK MAGAZINE Logo Printed T-Shirt Made In U.S.A. [M]
過去の初売りでもラインナップ入りさせたNEW YORK MAGAZINEロゴTEE。
70sボディの当時物を再度発見。
これはやっぱり今でもスペシャル扱いしてしまいます。
エレガントでクールでお洒落。
最高の一枚。
90’s PERRY ELLIS Celtic Knot Patterned Open Collar Shirt [L]
さて、皆さんの大好きなケルティックパターン。
だって好きでしょ、アースビートが。
PERRY ELLISでこんなの見つけたらそら燃えますよ。
テンション爆上がりしたオープンカラーシャツです。
90’s ALIEN “IN SPACE NO ONE CAN HEAR YOU SCREAM” T-Shirt Made In U.S.A. [L]
最高にカッコいいエイリアンTEE見つけた。
初見だしコピーライトも無いしで、発見した時はちょっと挙動不���になりました。
シュバババってやつ。
あまり売り手に見られたくない、あの動き。
まぁとにかく、素晴らしいデザインですよこれは。
久しぶりに良いムービーTEE見つけた感があります。
ではPart 2に続きます。
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山梨県甲府市相生2-4-24 モナークアイオイ1F
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アステロイド・シティ
面白かった。以下台詞はうろ覚えのネタバレがある。
1955年、「温かくも冷たくもない、しかし容赦のない」照明を当てるよう指示書きされた舞台で上演される架空のドラマ『アステロイド・シティ』とその制作裏を交互に描く構成。冒頭で読み上げられる舞台装置の指示書きと制作中の背景や効果音が、いざ本編が始まるとなるほどこうなるのか!と腑に落ちるコンパクトでカラフルで戯画的な街並みが印象的でそこからずっと楽しい映画だった。カーブの角度間違えたから途中で終わってる空中道路とかなに?って感じだし(わざわざ看板に小難しい言葉で説明書いてるのも笑う)隕石の落下跡の隣でぐるんぐるん回ってるアンテナは無駄にデカくてふざけてるし街の標識にちっさく書かれた「人口87名」の表記がエンドクレジットで制作チームの名前になってるのに気付いて笑った。ダイナー��看板が「朝食」「昼食」「温かい夕食」になってたけど温かい夕食がふるまわれるシーンはなかったので実際どうなのか気になる。あとレモンの皮をその場で削いでくれるお酒の自動販売機めっちゃよくない?あんな美味しそうなお酒から歯磨き用品と土地の権利証書まで売ってる自動販売機とか近所に欲しすぎる。
ドラマ『アステロイド・シティ』のパートは全編がカラーで全3幕とエピローグと2回のインターバル(うち1回は任意の休憩)があり、制作裏のパートは基本モノクロで『シティ』の人物が滲み出るときだけカラーが入る演出になってた(気がする)。それぞれアスペクト比も違っていて、『シティ』本編はスクリーンの幅いっぱいに映し出された横長のスコープサイズだけど、モノクロの制作裏はテレビとおなじスタンダードサイズになってた。ちなみに場面ごとに挿入されるクレジットは色こそドラマと同じカラーだけどアスペクト比はスタンダードで、それが架空と現実をシームレスに繋いでる感じがした。 『グランド・ブタペスト・ホテル』も時代の違う3つの物語に合わせてアスペクト比を使い分けてたし、なんなら『ブタペスト』も『フレンチ・ディスパッチ』も書かれた物語と書いた人間の物語をひとつの映画で描く構成になってたから既視感を覚えて当然なのに、どれを観ても新鮮な刺激と面白さと寂しさでいっぱいになるから不思議だ。登場人物やたら多くて最後まで名前を覚えられない人もいるくらいなのに、劇中で幾重にも重なっていく小さなエピソードを観るうちに登場人物それぞれに二つとない『人生』が在ると分かるから誰ひとり忘れることができない。ウェス・アンダーソン作品を観るたび映画を観ることの喜びで満たされてしまうのはそのせいだと思う。もちろん映像も素晴らしかった。色彩だけじゃなくて画角もいちいち良いからずーっと楽しくて好きだ。
冒頭に登場する司会者が、『アステロイド・シティ』は架空のドラマです、しかし現実を反映しているのですと語っているとおり、脚本を書き演出をつけ役柄を演じた人たちの現実が架空の町の七日間にたしかに反映されていると気付かされるのが楽しかった。 たとえば自分も子供たちもあなたを愛しているけど離婚するという演出家の妻ポリーが、「第三幕の最後。ミッジの台詞はドアを閉めてからにして」と言うシーン。「破滅だな」とつぶやく脚本家の前でドアを閉めたポリーはドアの向こうから夫に「さよなら」を告げる。でも実際の第三幕にはミッジがさよならを告げるシーンはない。第二幕で窓越しに「私たちは進展しないわ」と言うミッジにオーギーは「そうかな」と返す。「進展する?」「いや」、ミッジは頷きながら「破滅ね」と答える。でも窓は開いてるしドアは閉めないしやっぱ���「さよなら」は言わない。演出家がそういう演出をしたんだと想像できて滋味深い。 エピローグでオーギーが目覚めるとすでにチェックアウトした11棟のなかにミッジたちもいて、だからミッジとはこれきり、と思いきやダイナーのおばあちゃんが「ミッジから住所を預かってるわ 家じゃなくて私書箱よ」とメモを渡してくるあたりは脚本家の脚本どおりな気がする。この作品の眠りは目覚めるためにあるので。ただそのメモを大事にポケットにしまいこむのは演出家の選択な気もする。 演出家は脚本家と役者の関係をどこまで知っていたんだろう。ドラマの終盤、オーギーを演じている役者が「芝居が分からない」と舞台を抜け出して演出家に会いに行ったのに「よくできている 君という人物がオーギーに映りつつある 分からなくていい そのままでいい (新鮮な空気を吸っても)分からないままだよ」と言われてしまうのは、役者と恋仲だった『アステロイド・シティ』の脚本家が交通事故で亡くなってしまっていることが原因なのではと思った。演出家が二人の関係を知っていたとしたら、妻を亡くしたオーギーと脚本家を失った役者は状況と心情が重なっているはずで、だから「そのままでいい」と言う。 でも役者にはオーギーがなぜこんな言動をするのか分からない。そして廊下を突っ切って外壁の階段の踊り場に出てパイプを吸おうとしたら、向かい側のビルの踊り場にいたオーギーの妻役の女優さんと鉢合わせる。 オーギーとその妻が隣り合ったビルから言葉を交わすこのシーンは、ドラマのオーギーとミッジがモーテルの窓越しに会話していたシーンと同じ構図、同じ距離感。でもここまでアステロイド・シティの色鮮やかな世界に浸り続けてきてから唐突に白黒で映し出される『現実』の光景は、違う時代の遠い出来事のように見えた。妻役だった役者(マーゴット・ロビー)が新しい作品の撮影中で中世の侍女のドレスをまとっているのも、過ぎ去った過去、終わった人生を彷彿とさせる。実は当初の『アステロイド・シティ』にはオーギーと妻の会話シーンがあったのにここでの会話でそれが全部カットされたと分かるからなおさらだ。しかも人が萎れそうなほど暑い設定のシティに対してここの『現実』では雪が降ってる。全部が対比だ。 うろ覚えなんだけど、ここで女優に「覚えてる?」て問われるままに再演したオーギーと妻の生前のやりとり、映画の冒頭で脚本家を訪ねた役者がその場で演じてみせた一人芝居とほとんど同じ内容だった気がする。この再演は役者にとってオーギーという役柄の背景を確かめるだけでなく、いまは亡き恋人と初めて出会った運命の日を振り返る行為でもあったのではなかろうか。宇宙人との交流について夫と話していた妻は、「(いまあなたが撮って泣いてくれた私の写真、)現像できるかしら?」と最後に問う。夫は「ぼくの写真だからね」と答える。きみを永遠に失うのはつらい。悲しい。耐えられない。それでもこれはぼくが愛したきみの写真だから、フィルムのまま眠らせておきはしない。
オーギーの撮影した写真はすべてモノクロだ。亡くなる前の妻の写真も『現実』とおなじで色がない。だから彼の愛も喪失の痛みもたぶん、まぎれもない『現実』として色褪せることなく彼に留まり続ける。 娘たちがママの遺灰を埋めてお葬式してるところを見守る終盤のオーギー、息子のウッドロウと左手を繋いでるけど、火傷してるからたぶんカメラが持てないんだよね。火傷するまでは虚構の傷を負った自分を被写体にして『負傷した自画像』なんて写真を撮ってたのに、「ほんとうにやけどした」あとは自画像を撮らない、葬式の光景にカメラを向けない、レンズ越しではなく自分の目で見なければならない。火傷の痛みは心の痛みそのものでもある状況に置かれて、ようやくオーギー/役者は愛するひとの喪失を正面から受け止める機会を得た。 オーギ―は「時間が傷を癒すなんてのは嘘だ」と中盤に言っているし、痛みは残り続けるかもしれないけど、ミッジの残したメモを大事そうにたずさえて、妻の葬式を終えた家族みんなで旅立つことができたオーギーの(役者の)行く先には希望があると思った。
以上感想。以下は印象的だったエピソードのメモ。とりとめがなく長いので注意。
🎡 オーギーのちっさい娘三人がかわいすぎる。壊れた車からみんなで荷物を運び出すとき一人だけドアの外でうろうろしてるとこ良かったね……父にドアの隙間を見てって言われたから他の二人が終わるまで待ってたのかな。ダイナーのおばあちゃんに「お姫様たち何が飲みたい?」て聞かれて「私たちお姫様じゃないわ、呪われたミイラよ」「私は妖精」て答えるのもおばあちゃんが「…………苺ミルクはどう?」て聞き直すのも良かったし、エピローグで同じこと聞かれたときは「ください(Yes,please.)」て口々に答えるところお利口さんでキュートだ。 ママが三週間前に亡くなったとオーギーに知らされたとき「いつ帰ってくる?」「私たち孤児なの?」て聞くあたりは切ないけど、モーテル街の道の真ん中にタッパーごと埋めたママの遺灰を掘り起こそうとしたおじいちゃんにくそまじめな声で「私たちを生贄にしたら呪う」て告げるとこで爆笑した。結局おじいちゃんが根負けしてママを回収できずに終わるのも笑ってしまう。でも娘たちは娘たちなりに、知らないうちにいなくなっちゃったママとちゃんとお別れしたかったんだろうな。「半分魔女 半分宇宙人」の自称はママの娘としての矜持でしょきっと。「お祈りしましょ ママは土の中で眠ってるの」て一生懸命祈る孫娘たちをおじいちゃんは泣きそうな顔で見てるし、隣に義理の息子も孫も参列してるしで良さしかなかったな…
🎡 にしてもおじいちゃんがさ、お前のことは嫌いだが娘と四人の孫たちを愛しているからお前も受け入れる、て言った次の瞬間オーギーの胸ぐら掴むふりでイーーーッ!!てやるから不意打ちで噴いてしまった。そこに来て父に「僕たちを捨てるの?」て聞いたウッドロウが、父の「(おじいちゃんの「私は家政婦か?」て台詞を受けて)ハウスキーパーを雇おうと思った ほんのちょっと考えたがすぐ止めた」て答えを聞いて「考えたのを許すよ」て返すとこ、超優秀な長男だから子どもになりきれない寂しさがあって好きだな。 ところで惑星に映像を投射する技術を発明したウッドロウが博士に「可能性を働かせて」て励まされてさ、最終的に投射した絵がダイナと自分のハートマークなの最高じゃなかった!? エピローグで奨学金の使い道を聞かれて「彼女のために使うと思う」と答えるのも可能性に満ちててかわいいよ~! この直前におじいちゃんから「きっと��超優秀″ってやつだ」と言われてウッドロウがニコ…て嬉しそうに笑うとこすごいよかった…ほんのちょっとの微笑みなんだけどお母さんがシャツに刺繍してくれた「超優秀」と同じ言葉だったから嬉しくてついこぼれてしまった感じがしてしみじみとよかった…
🎡 超優秀の子どもたちもみんなクセ強くてよかったな。実在の人物の名前を一人ずつ増やしてたくさん覚えていくゲームでみんな学者の名前ばっかり出すし、「これ終わらないよ 僕ら超優秀だから」て言う子に他の子が「でも楽しい いつもだと出てくる名前が平凡だもの」て返すところ良かったし、第三幕では全部俳優女優の名前になってるところに時の流れを感じた。楽しいって言った女の子が後半ウッドロウとダイナの仲に言及して、友達だよって反応に「超優秀なのにバカね」て返すくらい仲良くなってる。 ところでなんでモーテルの7番棟は火事で焼けてしまったんだろ。焼けてテントになったおかげで博士から盗んできた機材を運び込んで隠れながら宇宙人と交信できたけども。このあたり、モーテルの管理人がテントになった代わりに電気周りは充実させたと説明するくだりが地味に効いてる。 登場時から唐辛子まるまる食べたり押しちゃいけないボタン押したり屋根から飛び降りたりする超優秀な子どもが「もう止めたりしない 好きに挑戦しろ なぜ挑戦する?」て父に聞かれて「わからない きっと怖いんだ 挑戦しないと誰も見ないから 僕みたいな存在を」て答えるシーンがしんどい。その後の第三幕で息子の発明品(すでに終わった挑戦)を使ってみたり没収しようとする兵士と喧嘩したりする父の姿が映ってて安心した。 表彰式の将軍の「平穏に生きたかったなら生まれる時代を間違えた」てスピーチが軍事利用する気満々で怖すぎたので子どもたちには幸せに生きていってほしい。
🎡 そしてかわいさと不気味さのあわいを攻める宇宙人の絶妙なデザインよ……! オーギーの車の故障を点検するために謎の部品を挿入するシーンと、宇宙人が宇宙船から下ろしてきた柱から小さな脚が生えて接地するシーン、構図が似てた気がするけどわざとなのかな。二度目の宇宙人の訪問後に隔離解除の延期が告げられてみんなが大暴れしてるとき壊れた車から転がり出た未知の部品も地面でのたうち回ってたから、車が壊れたのは宇宙人のパワー的な作用でウッドロウが宇宙からの信号を解読できるのも妻が宇宙人と云々て話もその伏線だったのでは!?(たぶん考えすぎ)
🎡 第三幕の眠りの意味を考えるべくゼミのみんなに実際に演じてもらうシーン、教授を演じるウィレム・デフォーがまじで良い。みんな一斉に眠るところすごかったな(一人夢遊病がいて笑った)。眠りと死は違う。眠りから覚めれば脚本家は良い話を思いつくし俳優は新しい演技を生み出す。眠りにつく間どんな時間が流れているかをふまえて眠れって示唆に応える学生たちの眠りもそこからひらめきを得る脚本家もよかった。目覚めたいのなら眠るがいい。目覚めるために眠りがある。
🎡 映画全体の冒頭、真っ暗な画面の下あたりに均一に並んだ白い光の円が映る。なんか両端だけ変に欠けてるなと思ってるとその円は舞台の音を拾う音響室の機器の光で、欠けてるのは手前に座ってるスタッフ二人の頭で隠れてるからと分かる。この時点で映し方が変でもう好き。音響室の窓から見下ろす舞台上に立つひとりの男にカメラが寄り、男がアステロイド・シティは架空のドラマです、しかし現実を反映しているのですと説明を始める。上手下手背景大道具小道具照明の指示書きが読み上げられ、全三幕は7日間の出来事との解説がなされ、本編が始まる。貨物列車に山盛りに積まれたグレープフルーツとアボカドとピーカンに意味はあるのか?分からんけど青い空にオレンジの砂漠を突っ切っていく列車を軽快な音楽に合わせて映していくオープニング良すぎた。 エンディングも鳥がノリノリで踊ってて良かったけどあの鳥なんなんだろね?オーギーが街に着いたシーンであの鳥の標識が映るんだけどそれ以外特に説明ないのよね。アイス食べてる三人娘ちゃんの隣できょときょとしてる鳥の動きがなんか良かった。
良かったところばかりでどこまでも書いてしまうので終わる。人生を感じさせるシーンがいっぱいで楽しい映画だった。
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GTA Onlinのプレイ日記
GTA Onlinのプレイヤーなら持ってて当たり前なクルマ(装甲)をやっと買ったZOY。流石の装甲車って感じ。いままでの苦労は何だったんだ……?ってくらいミッションが簡単になってワロタ。
ただ、バイクみたいに車と車の間を抜けて爆走するのがちょいムズイ。あと、カーブでやたらと横滑りするのはブレーキの入れ方が下手くそなせい……かね?ww
一応、車体のカラーを変える時にホイールとかサスペンションとか色々弄ったけど、なーんかイマイチしっくりこない……。車弄ってるだけでどんどんお金が無くなって行くww
で、そんなこんなやりながら、ちょい新しいミッションを発見したからやってみた。
これオフラインでストーリーやった人は「ULペーパー……お前死んだはずじゃ……」って感じだよな。主人公に殺されてなくても、あの銃撃戦ならメリーウェザー辺りの流れ弾とかで死んでそうなモンだけど。結構、生き残ってる設定のキャラが居るんだな。GTA6とかにも出てくるんだろうか。
いや、しかし、難しいミッションだったww
新しいマップとか敵とか居て、更にホラーっぽい演出まである今までにない感じのミッションだけど、下手な強盗ミッションより難しい気がするww
全部ソロでやったが難易度イージーじゃないと無理だった(笑) 何回死んだか分からんくらい死んだわww
そして貰える報酬もしょっぱい!! 攻略系のサイトで皆「とにかくやらなくて良いミッション」とか言われてて草。(私も二度とやらないと思うミッションだとは思うけどもww)
あとは結晶、白い粉、地下基地、オートショップとかの物件を購入。丁度、週替えのイベントでアップグレードとかが40%OFFになったりしてたから色々買った。
いや、ホント裏ビジネスの種類が多くて何に手を付けて良いのかサッパリ分からんww あんまあっちゃこっちゃ手を付けても中途半端になりそうではあるんだよなぁ。
そんな事を思いつつ、フラフラしてたら自分のナイトクラブのトイレに居ついてるおっさん発見。「チップを渡す」ってなんだ?って思って調べたら、このおっさんに575ドルのチップを渡すと服が貰えるっていう隠し要素らしい。
で、貰った服がコレ↑。……うーん、キフロム!って感じ。
オフラインのストーリーで砂漠を延々走らされた記憶が蘇ってくる洋服だぁ。
あとはフランクリンの会社のミッションをひたすらダラダラとプレイ。
買って2分で盗まれた高級車を取り返してこい、って言われたけど、なんだこのクソダサなフォントが印刷された車は!? 初見時、ホントにこれが高級車なのか……?って思ったがマジでこれが対象の車だったわww
いや、これテクスチャ系のバグじゃないのか……? こんな車に名前をデカデカとプリントする事ってあるか?ww
で、本当にダラダラとプレイを続けて契約完了200回越えを達成。
攻略サイトの情報通り201回クリアした事でゲーム内日時で毎日金庫に2万ドル入って来るようになったZOY。ナイトクラブみたいに人気を維持する必要も無く2万ドル貰えるのはなかなか良いな。(200回も仕事させられるのはきつかったがww)
その後はジェロの新しいミッションにも挑戦。そこそこ苦戦した物もあったが、まぁ何とか全部クリアしたZOY。
ただ、これもULペーパーの物と同じで、あんまりやる価値はないかなぁ……って感じ。ストーリーも左程作り込まれてる感じもしないし、やってて面白味も無かったわ。(おまけに報酬もしょっぱいし)
で、昨日は「今ならレイルガンが10%OFFで買える」と聞いて早速購入。
一撃で乗り物を破壊出来て弾の入手も容易、とかいう壊れ性能の武器なんだがオンラインでは弱体化してるっぽい。それでも車やヘリの破壊が出来るから絶対欲しい武器の1つだったんだよな。いやー、やっと買えたZOY!
ーーーーーーーーーーーーーーー
そんな感じでランクも102まで上がって所持金も1600万ドルまで上昇。
あとはダイヤモンドカジノのペントハウス買ってカジノ関係のミッションやるくらいかなぁ。ハロウィンイベントとかも開催されてるけど、特に欲しい車とかもないし。
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08/10/2019 - #2
日暮れまでに次の目的地に行かなければ。Grand Teton国立公演まで、US-191をひたすら南下する。長くはあるものの爽やかな山と草原、湖畔のドライブ。テキサスの西側なんかとはだいぶ趣が異なる。
ここでは小さなコテージに一泊して、余裕があれば付近を見て回るぐらいの計画。
キャンプサイトでチェックインしたあとに、レストランエリアでピザを調達して夕食とすることにした。同じくキャンプに来ている数組が並んでいる。夏休みの学生たちがバイトに入っていると思われるが、ちょっと暇そうに客対応したり、本格的な店ふうにピザ生地をほうり投げて円状にひろげたりしている。
さっそく持ち帰って食べながら子供を寝せる作業。こんなアメリカの山奥のログハウスで寝かせられる4ヶ月児。大冒険だ。
ピザが意外にも非常においしい。生地はアメリカっぽい厚めでチーズが淡白な感じで…いままで食べたピザのなかでもかなり上位に来る。
翌朝暗いうちに車で外を回ってみる。パーク情報によるとムースや鹿などの野生動物が出るところがあるって話で。真っ暗な中を進む。川沿いに何頭も鹿がいたのを見れただけにとどまる。
陽も登ってからパーク駐車場でレンジャーが催事の用意をしていたので話す。鳥が逃げずに付近におり、頭にとまってきた!
食料やキャンプ道具が売っている売店で記念にグッズ購入。レジのアジア人女子2名が日本語を話していた。これも大学生が夏休みにバイトで入ってるんだろうなと想像する。
そこから爽やかな草原って感じの道をひたすら南下していく。ローカルの人が建てた教会に立ち寄る。素朴なログハウスに丸いステンドグラス。
夏なのに雪を被った山が正面に見える連続カーブのを走り続ける。サイクリングの男性を追い越す。ツールドフランスの山岳ステージかのような壮大な風景。 絶景ポイントで家族写真。
グランドティートン国立公園公園エリアの南端にあるChapel of Transfigurationという教会を訪ねる。1925年にこの辺りで暮らしていた人たちが建てた教会だ。中に入ると正面に小さめの窓が空いていて、十字架の後ろに壮大な山が借景みたいになるよう作られている。
質素なログハウスと十字架そして窓から見える山がすごく研ぎ澄まされた神聖な雰囲気を出している。
説明を読むに、要するに山を御神体的に考える思想が当時この地域にあったことがうかがえる。キリスト教的には異端でしか無い。しかしその気持ちは十分に分かる気がした。
灼熱のなかをLava Hotspringsラヴァホットスプリングスという街まで南下してきた。ソルトレイクシティまでもう少し。今日はこの街のモーテルで一泊する。
名前のとおり温泉がある街で、その昔からネイティブアメリカン、初期の移民により活用されていたらしい。
渓流やちょっとした滝を浮き輪に乗せてくだらせてくれるウォータースライダー屋や、プールみたいに水着を着て入る屋外温泉施設が街の売りだが、それ以外は何にもないと言っていいド田舎のさびれた街だ。
モーテルに入るまえに、街で唯一のアジア料理屋 Riverwalk Thai Foodでパッタイなどをオーダーしておく。確か肉とミントの辛いサラダ(Nam Tok)も頼んだけどあんまり美味しくなかったような。しかしこんなアイダホ州のド田舎の白人しかいない地域でいったんアジア料理食べれるだけでありがたい。タイ人の人頑張ってるなあ。
街のメイン通りをほっつき歩く。さびれた街の商店街って感じですぐ終わってしまう距離感が日本の田舎に近い。何かむかし夏に行った群馬県の伊香保を思い出す。
もう乳児を寝せる時間となる。あたりが暗くなった後にもう一回外に出てみる。通りにあるバーがドアを開けっぱなしにしていて、旅行客なのかおばさんグループが楽しく飲んでいる姿が目に入る。通りに誰もいない。でも1人で歩いていて全然大丈夫な雰囲気。グロッサリーストアまで行きビールを買って、モーテルの外のベンチで飲みながら陽が落ちるのを見た。
翌朝はモーテルの横にある温泉に行ってみた。要するに温泉プールだ。数組が先に入っているお客さんがいた。こんな異国の地で温泉気分。
出発の準備のためほどほどにして戻る。モーテルの駐車場に、昨日の夜となりの部屋にチェックインしていた家族連れのダディがずぶ濡れの海パン姿で立っていた。見ると体じゅうをひどく擦りむいてかなり血も出ている。
どうやら渓流ウォータースライダーで盛り上がりすぎて落車、岩でガリガリに削られたようだ。ダディやっちまったな。
自分がいるこのアイダホ州は、飛行機に乗った時たまに見えるセンターピボット灌漑施設が大量にある地域ということを思い出してGoogleマップを開く。こんなとんでもない地の果てまで来てしまった。アメリカを旅してるといつもそんな感覚になる。
この街を出てソルトレイクシティまでの間にあるSpiral Jettyスパイラルジェッティに行く。Robert Smithonロバートスミッソンという人が作ったランドアートだ。I-15や下道の38号線をひたすら南下。
Golden Spike National Historical Parkという何にもない荒野に入っていく。この先にあるSpiral Jetty Roadと名付けられた荒れた道をさらに突き当たりまで進んでいくと、作品が見わたせて実際に塩湖におりて鑑賞できる場所に辿り着く。
ゴールデンスパイク国立史跡には蒸気機関車がポツンと置いてあるだけで、時間もないので横目に見るだけだが自分にとってはかなり興味をそそられるものだ。
というのも、ゴールドラッシュの夢が去った西部アメリカと東部アメリカを鉄道で連結してもう一度盛り上げるという次の夢のプロジェクトの完成地がこのユタ州なのだ。
大陸間横断鉄道が完成したのは1869年。南北戦争が1861, 奴隷制��完全廃止が1865。戦争中で人材確保できないので、大量の中国人移民が投入された。カリフォルニア州とネバダ州をまたがるシエラネバダ山脈を貫くトンネルの切削というとんでもないプロジェクトもやり切る。
1869といえば、日本はサムライが明治維新やっている頃。だからと言ってどうって話でもないけど、そういう歴史があったんだと思い巡らせるのは楽しい。
その後1900ぐ年ぐらいにかけて日本からの初期の移���もこの国にやってくる。
西のセントラルパシフィック社、東のユニオンパシフィック社の名を拝したディーゼル機関車は今でも各所で見かける。セントラルパシフィック社の創業者はスタンフォードという人で、後にCA州オークランドにあのスタンフォード大学を設立する。
スパイラルジェッティに着く。遮るものが何もなくて眩しい。炎天下だけど乾燥してるので大丈夫。植生が高地であることを示す。
塩湖が乾いていて作品がしっかり見える。水没してる時もあるらしい。子どもは外に出しておけない感じなので、記念写真をとる以外は車内で待機。妻と交代で下におりて作品の石にそってグルグルと歩いてみる。
ひと通り見たらもう帰らないと行けない。
市内へと車を走らせる。空港に行く前にPublik Coffee Roastersというコーヒー屋に寄る。ラスベガスもそうだったが毎回旅先で良いコーヒー屋を見つける能力が妻にあるようだ。アメリカの他の良いコーヒー屋と同じくダウンタウンからちょっと外れた、昔は倉庫街だったような場所にあった。広い空間で効きまくった空調がとても良い。厚切りトーストにピーナッツバター、その上に輪切りのバナナが乗りまくったものを注文した。
車を返す前にガソリンスタンドに寄る。モルモン教会の本拠地の教会Salt Lake Templeの近くだったが時間もないので訪問せず。
空港に着いて車をかえして、飛行機に乗り込む。夜にかけての便だったが子どもがけっこう泣いた。まあ、しょうがない。近くにいたアフリカ系のおじさんが耳に空気を吹き入れると落ち着くとか、後ろにいたアジア系のおばさんが子ども何歳なの、飛行機乗ってすごいわ的な事を言ってくれた。ヒューストンにつき なんとか旅を終えれた
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【TOYOTA86】 たまにはスポーツタイプの車に乗りたい‼️ と相方の強い要望で TOYOTA86をレンタルしてみた。 (一つ前の型だが、、、) かつて(若い頃) バリバリのターボ付きの スポーツカー (国産•外車 両方同時) に乗っていた私ですので この乗り心地は、 久しぶりー。 (昔の車の車種は、ここでは書かない。知りたい人は直に私に聞いてください。 私の人生初購入の車ですが、ちょっとここでは書けないぐらいの車、爆。 一体何に使うのか?全然わからんが、フロントエンブレムを盗まれたことは数知れない。笑笑) 先日、新型プリウスの試乗 をしたばっかりだったので、 この乗り心地の違いは とても面白かった。 特にスポーツモードでの加速は、 かつての直線番長の私でも 十分楽しめるぐらい‼️ (トルクパワーは全然違うが、、、笑) 高速での燃費は 15.2km/ℓでなかなか。 でもFR (フロントエンジン・リアドライブ)の 1番の楽しみは、カーブ。 ということで箱根越えを スポーツmodeで体験。 元々遊びが少ないステアリング。 厳しいカーブでも ちょっとの動きでコース取りできる。 しかも硬めのサス(サスペンション)なので 普通だったら横滑りしそうな厳しいカーブでも ガッチリ曲がれて、 丁度道路に吸い付くような安定感。 このサスの硬さが とても丁度良く心地よい(笑笑) 流石の安定感‼️ 帰りの夜は アネスト岩田 ターンパイク箱根を通ってみた。 夜にもかかわらず 急カーブが 急に感じられない!(笑笑) あっという間に(感覚的な問題ね。) 走破してしまった。(爆) これがスポーツカーの醍醐味。 トラックmodeは、 本当にやばい。 この車でケツフリ走行を 目指そうものなら 相当な度胸が必要かも(爆) しないけど、、、。 又車の所々に86のロゴパッチがとってもおしゃれ! 足元だったり ライトだったり なんか隠れミッキー 探すみたい(爆) 面白いところでは スポーツmodeとかでは エンジン音が 自分の前のスピーカーから聞こえてくるんだけど 最初はどうかと思ったが、 カーブを走り込んでくると この音が更にテンションを上げてくるのがわかる(笑笑) 走り屋の気持ちを大切にしてくれてるエンジン音に 思わず頷く。 既に生産は終了しているので 今後は新古車か中古車で 購入するしかないけど、 気分よく乗るにはもってこいの車です。 セカンドカーに欲しいなぁ。 #スポーツカー #スポーツモード #はこねターンパイク #TOYOTA86 (箱根(Hakone)) https://www.instagram.com/p/Cp1EO2yywU2/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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2019/02/03 静かな光景 . . . 午前中の業務お疲れ様ですm(__)m こんな穏やかな一日を過ごしたいのですが荒れ模様の札幌Ψ( ̄∇ ̄)Ψ 大通りの雪祭りも始まったの言うのにΨ( ̄∇ ̄)Ψ . . . 撮影地 北海道札幌市 . . #白石カーブ #JR貨物札幌ターミナル #japan_photogroup #ap_japan_ #love_bestjapan #LBJ_1周年 #globewonders #UnknownJapan #icu_japan #railways_of_our_world #bestphoto_globe #train_nerds #total_rail #trb_express #ig_cameras_united #wp_japan #bestjapanpics #pocket_rail #trainphotographics #kf_gallery #eisenbahnfotografie #team_jp_ #japan_daytime_view #igmw_transport #ig_fotografdiyari #art_of_japan_ #lovers_amazing_group #i_c_part #daily_crossing #daily_photo_jpn (Shiroishi Station) https://www.instagram.com/p/BtcdLo7F-0N/?utm_source=ig_tumblr_share&igshid=powsab6nb6td
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白石にある秀岳荘でエレベーターを待っていたら「バイクのおじさん」と呼びかけられて振り返ると目線の下に3歳くらいの男の子がいた。「バイクの、、おねえさん♡」と返すと顔をじっとみられる間があった。子どもって目が大きいよな、と思っていたら「バイクのおねえさん、どこいくの?」とその目がキラキラし始めた。
もっと粋な返しをして、その子が将来バイク乗りとなるように仕向ければ良かったとバイクで帰る途中に思ったけれど、わたしのヘルメットを持つ後ろ姿でバイク乗りだとわかった男の子だ。きっと、その子の近くに“バイクのおじさん”がいて、楽しくてワクワクする記憶があるのだろう。わたしが仕向けなくとも、15年もすればバイク乗りになっていると夢見しながら待っていようと思う。
バイク乗りの中で女性は1割程度だという。男の趣味かもしれないが、“カッコいい”に性別は関係ない。しかも、一般人がイメージする何倍もバイクには楽しみ方がある。膝が擦れるんじゃないかと思うくらい(実際のところレーサーは膝を擦る)峠道を攻める人たちもいれば、わたしのようにトコトコ走る人たちもいる。バイクをいじるのが好きか、乗るのが好きか、みるのが好きか、バイク乗りである自分が好きかでも、バイクとの付き合い方は変わってくる。
世の中に楽しくて面白くて愛おしいことは五万とあるから、バイクを乗らないなんて後悔するなんて一切思わない。けれど、バイクに乗って後悔はないとも思っている。少しでも興味があるなら尚更のめり込める趣味だと思う。けどわたしは興味なかったけれど、「元彼がバイク乗りたいって言ってたからわたしが先に免許取る!」と中指立てながらバイクに乗っていたらハマってしまったたちだ。バイクに乗ってふと見上げた時の木漏��日や季節の匂い、突然見える川や湖に心踊る。アクセル捻ればバイクはちゃんと応じてくれて、わたしを風に乗せてくれる。ハンドルじゃない、体の傾きと目線でカーブするのなんて踊っているみたいで楽しくなってくる。生憎そんなきっかけをくれたその元彼はバイクには乗らずにパパになっている。その子どもの成長を見守る愛しさはわからないけれど、そっちの人生も豊かだろう。スマホの待受画面がバイクだろうが子どもだろうがかけがえないことには変わりない。その上でバイクを嗜む人生に出会えてわたしは本当に良かったと声にする。
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ベルヌーイカーブ鋏の研ぎ
ベルヌーイカーブとかフィットカーブなどと呼ばれる変わった形状の鋏を研ぐ時は、刃の湾曲をイメージして通常以上に注意して角度を保ったまま砥石に当たる様にする。都度手首を対応させてカーブに沿わせていかないと角度がおかしくなり易い。
また鋏の特色の影響なのか刃の根元の部分まで使われた時くわえ込む様に切断され、根元部分が刃こぼれしている事が有る。通常の鋏では余り痛まない場所だけに根元に近い部分の刃こぼれ直しは難しい。というより、そもそも刃こぼれを直す程の研削を行うとせっかくのベルヌーイカーブが破綻を懸念する。
余程酷くない限り研ぎは最小限にして切れればそれで良い、という方針で良いと思った。ただし刃こぼれ部分の裏が変形していたのでその刃だけは裏を仕上砥で支障の無い程度に修正した。いずれにせよ研ぎの方針は研がない様に研ぐに尽きる。
使用した砥石は、備水砥→対馬砥→丸尾山白巣板。個人的には慣れているのでベルヌーイカーブの鋏より、昔ながらの鋏を使いたい。
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萌芽
何かが、私を内側から食い荒らしていく。 小さな生き物だ。蛍のように、私の中で柔らかく明滅を繰り返している。その生き物が、私の肺や、肝臓や、胃や脾臓を齧り、啜り、骨すら削り落としていく。 そうして空っぽになった私の体の中は、その明滅する光に満たされている。彼らは私自身であり、私は、彼らそのものになる。 そういう夢を見る。 あの島から帰ってからというもの、毎晩のように。
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私がその島を訪れたのは、夏の終わりのことだった。まだ熱を残した風が、遠い海から嵐を運んでくる頃だ。私は生物調査のために貝楼諸島の島をいくつか訪れ、革トランクひとつぶんの標本と、ひと抱えあるノートの束を携えて帰路についていた。 船は、百人ほどが乗れる連絡船だった。貝楼諸島の比較的大きな島々と、本土の港を結ぶものだ。乗り合わせたのは、家族連れが数組と、老夫婦が数組。島の美しい砂浜で、夏を過ごした帰りだろう。 「おひとりですか」 声をかけてきたのは、客室係の船員だった。私は、そうです、と短く答えた。ひとりで乗船しているのは、私だけだった。 「見たところ、学者さんでしょう。何となく分かるんですよ。でも、珍しいですね。大��は助手のような方とか、学生さんとか連れて、旅行みたいに賑やかなご一行が多いものですから」 「ひとりの方が、性に合っているもので」 天候が変わったのは、昼過ぎだった。 デッキで風に当た���ていると、にわかに空が暗くなった。それからいくらも経たないうちに、激しい雨が降り出した。私は慌てて船室に駆け込んだ。船は激しく揺れ、小さな子どもがはしゃいだり泣いたりしていてた。やがて、聞き取りづらい船内放送が、航行の継続が難しくなったことを私たちに告げた。予定していなかった小さな島に、船を寄せるという。 「あの島ですよ、先生」 船員が指さす。窓には雨が叩きつけられ、景色はほとんど見えない。かろうじて、小さな黒い塊が近づいてきているのが分かった。これから上陸する島だという。近づくと、細部が見えてきた。黒く見えていたのは、島に生えている木々だった。その中にぽつりと白く、コンクリート造りの小さな建物が見えた。 「何という島ですか」 私が問うと、船員はありふれた名前を口にした。 「人は」 「今は、誰も。昔のある一時期、研究のために観測所が置かれたそうですが、それだけです。海が荒れるとこうして船を寄せるので、その建物は今も重宝しているんですよ」 どうやら、今夜はそこに泊まるということらしい。 やがて、簡素なコンクリートの埠頭に船が着いた。私たちは必要なものだけを持ち、ずぶ濡れになりながら建物まで移動した。海岸線に沿って、自動車が一台ようやく走れるほどの道が通っていた。海は時化ていた。それとは対照的に、島の内陸部は黒��と木が茂り、静かだった。その中に不意に、小さな光が見えたような気がした。けれどもそれは、すぐに消えてしまった。人は住んでいないというから、何か反射して光ったのか、そうでなければ見間違いだろう。そう思った。 観測所だったという船員の言葉どおり、その建物の屋上には、観測装置のようなものが今も残っていた。鉄製のアンテナもある。いずれも専門外で、私には何をするものなのか分からない。入り口には木製の大きな札が出ていたけれど、風雨にさらされて、何と書かれているのか読み取ることはできなくなっていた。 夕食には、硬いパンと缶詰が配られた。船に、非常用に積んでいるものだという。子どもが騒いで走り回り、親はそのあとを追いかけながら周囲に謝って回るのが見えた。私のところにも来た。うるさくて申し訳ない、すぐに寝かしつけるから、と。別に構わないと答えた。本心だ。近くで他人が何をしていようと、もともと気にならない。夕飯後、しばらくは持ってきた本などに目を落としていたけれども、やがて子どもが寝つき、その親たちも寝るというので、明かりを消されてしまった。 私は、仕方なく外に出た。 寝るには早く、手持無沙汰だったのだ。それに、島の様子が気になった。昔からの性分で、新しい場所に来ると、その土地の植物や、虫や、貝殻を観察し、できれば手に取りたいと思ってしまう。船員の様子から、地元の人たちには知られた島なのだろう。けれども、私はこれまで聞いたことがなかった。定期航路もなく、人も住んでいないから、話題にのぼることもなかったのかもしれない。 雨はいくらか弱まっていたけれども、風は強かった。黒々と海がうねっているのが見えた。これでは、私たちが乗ってきたような小さな船では、どこに流されてしまうか分からないと思った。 海沿いの道を歩いた。外灯はない。持ってきた小さな懐中電灯だけが頼りだ。やがてカーブに差し掛かり、先ほどまでいた建物は、振り返っても見えなくなった。この道はどこまで続いているのだろう。島をぐるりと一周しているなら面白い。時間が許すならば、ゆっくり見て回りたかった。 真っ暗な道をしばらく歩くと、ぽつりと明かりが見えた。はっきりとした、人の灯す明かりだった。民家はないと聞いていた。だから、観測所の関連施設だろうと思った。無人のはずではあるが、それだっていつの情報とも知れない。もしかしたら、今は何かの研究のために、観測員などが滞在しているのかもしれない。それならば、この島のことも詳しく聞けるかもしれない。私はその明かりに吸い寄せられるように近付いていった。 古い木造の建物だった。この風雨のなかで、かろうじて無事でいるという風だった。施設とか、家とかいうよりは、納屋といった印象だ。 「すみません」 戸を叩き、声をかけた。 すると、意外にもすぐに向こうから声が聞こえた。 「はい。どうかされましたか」 戸が開き、背の高い男が現れた。まだ若く、一瞬はっとするような整った顔立ちをしていた。けれどもよく見れば、痩せて頬骨が目立ち、どことなく病人のようにも見えた。 私はこの島を訪れた経緯を簡潔に説明した。男はやや同情的な表情で、私の旅を労った。 「中へどうぞ。この先は何もありませんし、雨ですから。少し休んでいかれたらいい」 中には長机とパイプ椅子が四脚。壁には、古い柱時計があった。長机の上にはマグカップがあり、飲みさしのコーヒーが入っていた。男は、私にもコーヒーを淹れてくれた。温かいものを口にしたのは、久しぶりだった。 「この島の由来はご存じですか」 男は問うた。 「由来」 私は、このような島があることすら知らなかったと答えた。 「そうですか」 男は、それは仕方がないというように、どこか憐れみを含んだ笑みを浮かべた。 「かつて大きな星が落ち、この島になったのだそうです。この辺りのほかの島とは違って」 「星」 私は天を指差し、思わずそう聞き返した。 「そうです。流星が降り、海底の岩を砕き、波を押しのけ、高温でこの星の岩石と混ざり合って陸地が生まれたといいます」 私はその光景を想像してみた。どこか幻想的で、にわかには信じられないものだった。 「もしそれが本当なら、この島には宇宙からやって来た物質が多量に含まれているのではないですか。とうに、地質学者や天文学者の研究対象になっていてもおかしくないのでは」 「そのとおりです。実際、何度かそういった人々がこの島に上陸しました。ぽつぽつと、何年か、あるいは何十年かに一度というくらいですが」 男は、まるでその全てを迎え入れてきたかのように言う。 「その人たちは」 「さあ。でも、同じ方が二度訪れることは、ありませんでしたね」 やがて、柱時計が十二時を指した。私は、コーヒーの礼を言った。 「気を付けてお戻りください」 男は言った。 「道中、小さな光が見えても、追いかけてはなりませんよ」 その言葉に、上陸してすぐに目にしたものを思い出した。 「光、というのは」 私は問う。 「よく分かりません。昔ここに来た研究者によれば、この星のものではないそうです」 「この星のものでは、ない」 「かつてここに落ちた流星とともに、遠い宇宙からやって来たのだとか。普段は岩の中にじっとしていますが、その間、無機物を餌に少しずつ成長しているんです。そして、あるとき、萌芽するのです」 萌芽。 「夜の中へ旅立つのです。微かな光を放ちながら空をさ迷い、根を張る場所を探すのだといいます」 「その光に触れれば、どうなりますか」 私は問うた。 「光はあなたに根を張り、あなたもまた、その光となるのです。遥かな遠い星を思い、その距離に絶望し、孤独のうちに生きることになる」 男は、そう答えた。低く静かな、暗い声だった。 私は彼の小屋をあとにし、雨の道を戻り始めた。 小屋の明かりは振り返るごとに小さく、やがて道がカーブにさしかかると見えなくなった。雨は、少し強くなっていた。 ふと、内陸の方に目をやった。 ぽつりと、小さな光が見えた。それは、この島に来てすぐに目にしたものと同じものに思われた。そしてまた恐らくは、男が先刻言っていた光も同じなのだろう。やがて光はひとつ、またひとつと増えていった。遠くに見えていたと思っていたのに、気が付けばすぐそばにも湧き上がるように増えていた。 そうして、しまいに私は、溢れ出る光の中にいた。 雨に濡れた空に、その光は飛び立っていく。 私はただ、その光に見入っていた。 ――追いかけてはなりませんよ。 男の言葉が、静かに頭の中に響いた。けれどもすぐに、雨音に掻き消されてしまった。
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翌朝には雨は去り、風は穏やかだった。 私は、もといた建物で目を覚ました。与えられた毛布にくるまり、荷物を枕にして眠っていた。どうやって戻ったのか、途中からよく覚えていない。 「船は無事ですよ、先生」 船員たちはすでに起き出して、出航の準備を始めているらしい。昨日声をかけてきた船員は、私が起きているのを見つけると、陽気な声で言った。 「せっかちで申し訳ないですが、朝食の前に出航することになりまして。そろそろ皆さんにも起きてもらわないと」 やがてほかの乗客たちも起き出し、おのおの荷物を持って船に乗り込んだ。そして、船員が全員乗っているのを確認すると、早々に船は島を離れた。 船から見える島は、あっという間に小さくなり、見えなくなった。 そして、私はその島のことを忘れた。
けれどもしばらくして、夢を見るようになった。 あの、光に蝕まれていく夢だ。 あれは無機物を餌に成長するのだという。私の骨や血も、あれのものになったのかもしれない。 時々星を見上げては、懐かしいような気持になることすらある。腹の中は彼らに食い荒らされ、空洞になっている。その空虚さを、私は孤独と感じた。この孤独を抱え、遥かな距離を思い、静かに生きるしかない。あの小屋の男のように。 しかしもとより私は、そういう人間ではなかったか。あるとき不意にそう思った。 いつも��とり何か見えないものを求めていたような気がした。ただそのことに気付かなかっただけだ。 夢ではなくほんとうに、私は彼らで、彼らは私なのかもしれない。 遠い旅の果てに私の中へ辿り着いた光が、今は私の孤独であり、記憶であり、私が求めたすべてでもあった。
(了)
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第2金辺川橋梁 ~ 日田彦山線
日田彦山線の香春と採銅所の間に架かる石積み橋脚を持つ結構大きな橋梁です。川面からの高さが60尺(18メートル)あるので60尺鉄橋とも呼ばれているそうです。国道322号線を越えながら大きくカーブする場所です。
列車の通過が面白そう。
↓ 上流側から
写真左が小倉に続く国道322号線(旧線)
↓ 下流側から
香春 ← → 採銅所
国道を跨ぐ鉄橋
川沿いの道から一段上が国道、そのまた上が日田彦山線。(写真左)
> YouTube(1分52秒)
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旧東海道
先日観た映画『幕末太陽傳』は古典落語を下敷きにした 喜劇でありながらも史実に基づいた作品で大変面白かった。 冒頭シーンは昭和32年の第一京浜八ッ山陸橋から 赤線廃止直前の品川遊郭「さがみホテル」が映り、 その前身である品川宿の高級妓楼「相模屋」を舞台にした物語が始まる。。。 そんなわけで興味が湧いて、御殿山に来たついでに旧東海道を散策した。
東海道の入り口は京浜急行北品川駅手前の踏切付近から。 この辺りは道路と鉄道が複雑に交差しており、方向感覚が失われそうになる。 八ッ山通りを横切る京急は高架工事が始まるそうで 東海道線を跨ぐ深草色のトラス橋もそろそろ見納めになるかもしれない。
踏切を渡り150m位歩くと左手にコンビニの入ったマンションがある。 ここが高級妓楼「相模屋」の跡地であり、その前に説明看板が立っていた。 土蔵相模の俗称は奥座敷が土蔵造りになっていたからだそうだ。 映画にも出てくる話だが、高杉晋作ら長州藩の志士はこの相模屋���逗留して 英国公使館の焼き討ちを画策し、事件を起こしたのである。 事件に参加した伊藤博文が維新後、八ッ山に居を構えたのも なにやら因縁めいているし、その土地を岩崎家が購入し ジョサイア・コンドル設計の洋館を建て、 それが三菱グループの迎賓館・開東閣になった経緯も面白い。 因みに御殿山に建設中だった英国公使館がもし完成していれば、 江戸最初の洋館建築になっていたという。
閑話休題。旧東海道に戦前の建物は点在しているが、 宿場町や赤線地帯の面影は少ない。あるのは跡地の看板や石碑ばかりで 他には古い寺院があるくらい。 通りは綺麗に舗装されており、レトロな商店街という印象を受けた。 それでもところどころで緩やかにカーブした一本道には趣を感じるし、 狭い路地が幾つも通っているのでつい足を踏み入れたくなる。 どの路地も八ッ山通りの方に向かって傾斜していて 昔の海はすぐそこまで来ていたのだなと思った。
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『1泊2日房総半島旅行』
2020年9月22日
こんばんは、僕です
世間が浮かれた4連休も今日が最終日ですね
夏休み中の僕にとっては何も特別では無かったけど、20-21日と房総半島を旅行してきました🚙
今回の旅行のプランはざっくりと
20日10時集合→12時現地着→ランチ→マザー牧場→木更津アウトレット→飲み
21日10時チェックアウト→海ほたるでランチ→鴨川シーワールド→カフェ→20時帰宅
だったんだけど、全然計画通りに行かなかった、、
まず、ニュースとかでも見たかもしれないけど道がめちゃくちゃ混んでて(高速ばかりニュースになるけど下道も当たり前に混んでた)、お昼ご飯を食べる予定だった港に着いた頃には13時を過ぎていて、お店はさらに1〜2時間待ち、、
これは流石に待てない、、マザー牧場にも行けない、、と思い、別のお店を目指して来た道を15分戻ったけどそのお店も1時間待ち、恐るべし4連休、、
他に良さそうなところもなくて、アウトレットの隣にあるお店だったのでそこに決めて、アウトレットをぶらぶらしながら待ちました
「木更津KISARA」という海鮮のお店で盛り合わせ丼みたいないろんなネタが乗った丼を食べた🍣
当たり前だけどこれがめちゃくちゃ美味しかった〜!
ネタは確か大トロ、マグロ赤身、びんとろ、イカ、エビ、カツオ、鯛、しめ鯖だったかな
あとアサリの味噌汁と日替わりでお代わりし放題の小鉢が2つ(この日はネギトロのなめろうとタコの塩辛)で2500+税
ちょっと贅沢だけどこの丼、お米がお茶碗2杯分くらいあって、ネタもかなりボリュームがあったから普通にフードファイトになった(お腹いっぱいで小鉢もおかわりできず、、)
本当に美味しかったし店員さんの対応も良かったんだけど、半額で半分のサイズの丼があれば良かったな��
そしてここまでで16時を過ぎていたので、この日のマザー牧場は諦め、、
この後も少しアウトレットを見てから宿にチェックイン♨︎
予約する時から分かってはいたけど、面白いくらいのボロ旅館でした(綺麗で良いところが無かったからあえてボロい方に振り切った)
部屋で少しゆっくりして、19時にご飯を食べようと外に出たけど近くに居酒屋が思ったよりもなくて大変だった、、けど、1駅隣に行くといい感じの個人経営のお店を発見🍶
日本酒を飲んでほろ酔いの僕です
宿に戻ってお風呂に入って、部屋でまた少し飲んで就寝🌙
2日目は大幅に予定を変更して、朝は「クロワッサン木更津ワシントンホテル店」で美味しいパンを食べた🥐
正直1日目のフードファイトで「海鮮はもういいや、、」という気分になってた、美味しかったけどね
それから1日目に行けなかったマザー牧場へ
入場制限をしていなくて人がヤバかった、、
そんな中でも主に羊と戯れました(他にも牛、馬、豚、ヤギとかいた)
そして羊と触れ合ってたら靴底が羊の💩まみれになってた^_^
最後の写真からいかに人が多かったかがわかるね
マザー牧場の次は鴨川シーワールドへ!
こっちは人数制限のために前売り券だけの販売になってて、人が少なくてかなり見やすかったな〜
動画や写真は一切撮ってないけどシャチのショーがすごかった、シャチかっこいい
閉館まで楽しんで帰りの時間になったけど、ここからが大変だった、、
ナビで調べたら高速を使わなくても帰れるじゃん!ってなって下道で帰ることにしたんだけど、ナビに従って進むとどんどん山をのぼらされ、地上付近まで下ったと思ったらまた山を4回くらい繰り返して、道細いしカーブ多いし暗いしでかなり神経を使う運転、、2〜3時間かけてやっと平坦な道に辿り着いても、そこからは渋滞に巻き込まれ、、家に着くまで約5時間、ほぼぶっ通しで運転してバカ疲れた😅まあでも高速乗ってたとしても渋滞にハマってたんだろうな〜
なかなかスムーズには行かなかったけど、『非日常』って感じで楽しい2日間でした✌️
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