#金辺川橋梁
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今回の報告書で「消滅可能性自治体」とされた自治体は、以下の通り。 【北海道】 函館市、小樽市、釧路市、夕張市、岩見沢市、網走市、留萌市、稚内市、美唄市、芦別市、赤平市、紋別市、士別市、三笠市、根室市、砂川市、歌志内市、深川市、富良野市、登別市、伊達市、北斗市、当別町、新篠津村、松前町、福島町、知内町、木古内町、鹿部町、森町、八雲町、長万部町、江差町、上ノ国町、厚沢部町、乙部町、奥尻町、今金町、せたな町、島牧村、寿都町、黒松内町、京極町、共和町、岩内町、泊村、神恵内村、、積丹町、古平町、余市町、赤井川村、南幌町、奈井江町、上砂川町、由仁町、長沼町、栗山町、月形町、妹背牛町、雨竜町、北竜町、沼田町、当麻町、比布町、愛別町、上川町、上富良野町、和寒町、剣淵町、美深町、音威子府村、幌加内町、増毛町、小平町、苫前町、羽幌町、遠別町、浜頓別町、中頓別町、枝幸町、豊富町、利尻町、美幌町、津別町、清里町、小清水町、訓子府町、佐呂間町、遠軽町、湧別町、滝上町、西興部村、雄武町、大空町、豊浦町、白老町、洞爺湖町、むかわ町、日高町、平取町、浦河町、様似町、えりも町、新ひだか町、士幌町、広尾町、池田町、豊頃町、本別町、浦幌町、釧路町、厚岸町、浜中町、標茶町、弟子屈町、白糠町、羅臼町 【青森県】 青森市、弘前市、八戸市、黒石市、五所川原市、十和田市、むつ市、つがる市、平川市、平内町、今別町、蓬田村、外ヶ浜町、鰺ヶ沢町、深浦町、藤崎町、大鰐町、板柳町、鶴田町、中泊町、野辺地町、七戸町、横浜町、東北町、六ヶ所村、大間町、東通村、風間浦村、佐井村、三戸町、五戸町、田子町、南部町、階上町、新郷村 【岩手県】 宮古市、大船渡市、久慈市、遠野市、一関市、陸前高田市、釜石市、二戸市、八幡平市、奥州市、雫石町、葛巻町、岩手町、西和賀町、平泉町、住田町、大槌町、山田町、岩泉町、田野畑村、普代村、軽米町、野田村、九戸村、洋野町、一戸町 【宮城県】 石巻市、気仙沼市、白石市、角田市、登米市、栗原市、蔵王町、七ヶ宿町、村田町、川崎町、丸森町、松島町、七ヶ浜町、大郷町、色麻町、加美町、涌谷町、女川町、南三陸町 【秋田県】 能代市、���手市、大館市、男鹿市、湯沢市、鹿角市、由利本荘市、潟上市、大仙市、北秋田市、にかほ市、仙北市、小坂町、上小阿仁村、藤里町、三種町、八峰町、五城目町、八郎潟町、井川町、大潟村、美郷町、羽後町、東成瀬村 【山形県】 鶴岡市、酒田市、新庄市、上山市、村山市、長井市、尾花沢市、山辺町、中山町、河北町、西川町、朝日町、大江町、大石田町、金山町、最上町、舟形町、真室川町、大蔵村、鮭川村、戸沢村、高畠町、川西町、小国町、白鷹町、飯豊町、庄内町、遊佐町 【福島県】 会津若松市、白河市、喜多方市、二本松市、田村市、伊達市、桑折町、国見町、川俣町、天栄村、下郷町、檜枝岐村、只見町、南会津町、北塩原村、西会津町、猪苗代町、会津坂下町、三島町、金山町、会津美里町、泉崎村、棚倉町、矢祭町、塙町、鮫川村、石川町、玉川村、平田村、浅川町、古殿町、三春町、小野町 【茨城県】 日立市、常陸太田市、高萩市、北茨城市、潮来市、常陸大宮市、稲敷市、桜川市、行方市、鉾田市、城里町、大子町、美浦村、河内町、八千代町、五霞町、利根町 【栃木県】 日光市、矢板市、那須烏山市、益子町、茂木町、市貝町、塩谷町、那珂川町、 【群馬県】 桐生市、沼田市、渋川市、藤岡市、富岡市、安中市、上野村、神流町、下仁田町、南牧村、甘楽町、中之条町、長野原町、嬬恋村、草津町、東吾妻町、片品村、みなかみ町、玉村町、板倉町 【埼玉県】 行田市、秩父市、越生町、小川町、川島町、吉見町、鳩山町、ときがわ町、横瀬町、皆野町、長瀞町、小鹿野町、東秩父村、神川町、寄居町、松伏町 【千葉県】 銚子市、勝浦市、富津市、八街市、南房総市、匝瑳市、香取市、山武市、いすみ市、栄町、神崎町、多古町、東庄町、九十九里町、芝山町、横芝光町、白子町、長柄町、長南町、大多喜町、御宿町、鋸南町 【東京都】 檜原村、奥多摩町 【神奈川県】 三浦市、中井町、山北町、箱根町、真鶴町、湯河原町 【新潟県】 小千谷市、加茂市、十日町市、村上市、糸魚川市、妙高市、五泉市、阿賀野市、佐渡市、魚沼市、胎内市、田上町、阿賀町、出雲崎町、湯沢町、津南町、関川村、粟島浦村 【富山県】 氷見市、南砺市、上市町、入善町、朝日町 【石川県】 七尾市、輪島市、珠洲市、加賀市、羽咋市、志賀町、宝達志水町、穴水町、能登町、 【福井県】 大野市、勝山市、あわら市、池田町、南越前町、越前町、高浜町、若狭町 【山梨県】 都留市、大月市、韮崎市、上野原市、甲州市、早川町、身延町、南部町、富士川町、道志村、西桂町 【長野県】 大町市、飯山市、小海町、佐久穂町、立科町、長和町、阿南町、阿智村、平谷村、天龍村、上松町、南木曽町、王滝村、大桑村、木曽町、生坂村、筑北村、小谷村、坂城町、高山村、山ノ内町、木島平村、信濃町、小川村、飯綱町、栄村 【岐阜県】 美濃市、瑞浪市、恵那市、山県市、飛騨市、郡上市、下呂市、海津市、養老町、関ケ原町、揖斐川町、池田町、七宗町、八百津町、白川町、東白川村 【静岡県】 熱海市、下田市、伊豆市、御前崎市、牧之原市、東伊豆町、松崎町、西伊豆町、川根本町 【愛知県】 津島市、新城市、南知多町、美浜町、設楽町、東栄町、豊根村 【三重県】 尾鷲市、鳥羽市、熊野市、志摩市、木曽岬町、大台町、度会町、大紀町、南伊勢町、紀北町、御浜町、紀宝町 【滋賀県】 高島市、甲良町 【京都府】 宮津市、京丹後市、井手町、宇治田原町、笠置町、和束町、南山城村、京丹波町、与謝野町 【大阪府】 富田林市、河内長野市、柏原市、門真市、泉南市、阪南市、豊能町、能勢町、岬町、太子町、河南町、千早赤阪村 【兵庫県】 洲本市、西脇市、加西市、養父市、朝来市、宍粟市、多可町、市川町、神河町、上郡町、佐用町、香美町、新温泉町 【奈良県】 大和高田市、五條市、御所市、宇陀市、山添村、安堵町、三宅町、曽爾村、御杖村、高取町、上牧町、河合町、吉野町、大淀町、下市町、黒滝村、野迫川村、十津川村、下北山村、上北山村、川上村、東吉野村 【和歌山県】 海南市、橋本市、有田市、御坊市、田辺市、新宮市、紀の川市、紀美野町、かつらぎ町、九度山町、高野町、湯浅町、広川町、美浜町、由良町、みなべ町、日高川町、白浜町、すさみ町、那智勝浦町、太地町、古座川町、串本町 【鳥取県】 岩美町、若桜町、智頭町、八頭町、大山町、日南町、日野町、江府町 【島根県】 雲南市、奥出雲町、津和野町、隠岐の島町 【岡山県】 玉野市、笠岡市、井原市、高梁市、新見市、備前市、真庭市、美作市、久米南町、吉備中央町 【広島県】 竹原市、府中市、安芸高田市、江田島市、安芸太田町、神石高原町 【山口県】 萩市、長門市、美祢市、周防大島町、上関町、田布施町、平生町、阿武町 【徳島県】 鳴門市、小松島市、吉野川市、阿波市、美馬市、三好市、勝浦町、佐那河内村、神山町、那賀町、牟岐町、美波町、海陽町、上板町、つるぎ町、東みよし町 【香川県】 さぬき市、東かがわ市、土庄町、琴平町 【愛媛県】 宇和島市、八幡浜市、大洲市、四国中央市、西予市、上島町、久万高原町、内子町、伊方町、松野町、鬼北町、愛南町 【高知県】 室戸市、安芸市、須崎市、宿毛市、土佐清水市、四万十市、東洋町、奈半利町、田野町、安田町、北川村、本山町、大豊町、いの町、仁淀川町、中土佐町、佐川町、越知町、檮原町、日高村、津野町、四万十町、大月町、三原村、黒潮町 【福岡県】 嘉麻市、小竹町、鞍手町、東峰村、添田町、川崎町、みやこ町、築上町 【佐賀県】 多久市、玄海町、大町町、白石町、太良町 【長崎県】 平戸市、松浦市、対馬市、壱岐市、五島市、西海市、雲仙市、南島原市、東彼杵町、小値賀町、新上五島町 【熊本県】 水俣市、上天草市、天草市、美里町、和水町、小国町、産山村、高森町、山都町、氷川町、芦北町、津奈木町、多良木町、湯前町、相良村、山江村、球磨村、苓北町 【大分県】 佐伯市、臼杵市、津久見市、竹田市、杵築市、豊後大野市、国東市、姫島村、九重町、玖珠町 【宮崎県】 串間市、えびの市、高原町、国富町、諸塚村、椎葉村、美郷町、高千穂町、日之影町 【鹿児島県】 枕崎市、阿久根市、西之表市、垂水市、曽於市、南九州市、三島村、さつま町、湧水町、錦江町、南大隅町、肝付町、大和村、喜界町、天城町
【全744自治体リスト】「消滅可能性自治体」を一挙公開…北海道から鹿児島まで 出産年代の女性人口が半数以下に 日光市や草津町も |FNNプライムオンライン
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無題
早帰りして、家人が帰ってくる前に、まだ明るいうちに外へ走りに出た。病み上がりの体は不自然なほど軽く、却って膝が抜けるようで力のうまく入らない。いつも走る河川敷は日の翳りも早く、特にこの時期のこの時間は蚊柱がおびただしく立つので、近くの大きな橋梁の方へ行った。虫の発生する水辺からも遠く、落日の見晴らしも良い。最果てで東京湾に結ぶ一級河川が、夕日に照らされて黄金色にキラキラ輝いておった。そろそろ家人の乗った電車が向こうの高架を通るという頃、こっちを見ていてくれ、と連絡をした。現れた電車と同じ方向に駆けてみたけれどとても敵うものではなくて、家人からも、まったく見えなかった! と返事が来て笑った。日が沈んだら、あっという間に肌寒くなった。
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関東大震災時の朝鮮人犯罪の報道禁止(事態の鎮静化の為)から45日後に精査検証を経て発表された、朝鮮人の多数の凶悪犯罪とテロ活動について、今朝の小坂の書き込みの資料です。
記事の一部になりますが、是非、じっくりとお読み下さい。
こうした事実が現場に有ったことを我々は忘れてはなりません。
(以下、画像とテキストは神戸大学新聞記事文庫から引用です。東京時事新報大正12年10月22日の記事です)
関東一帯を騒がした鮮人暴動の正体はこれ : 放火殺人暴行掠奪につぎ橋梁破壊も企てた不逞団 : (記事差止め昨日解除)
翻刻九月一日の震災後東京始め関東一帯の人を騒がせた流言蜚語の為めに遂に内鮮人にして殺害されるもの算無く、是が流言の出所に就いては尚お闡明されて居ないが、一部の不逞鮮人が混乱裏に左の如く有ゆる犯行を逞うした事で、司法当局は爾来極力是が犯罪検挙に努めた結果昨二十日一先ず取調べを終り、同時に記事差止めを解除した既に起訴されたもの十数件、此外治安警察法違犯、窃盗、横領等により起訴した鮮人二十三名、放火、毒薬投入、爆弾携帯、掠奪、婦人に対する暴行その他の事件につき、東京横浜に於て捜査中のもの亦少くない
掠奪
九月二日午後六時頃本所区中の郷附近 鄭 塋 住所氏名不詳の罹災者より数回に衣類諸道具類を掠奪し吾嬬町清地方面へ運搬の途中押えられた
放火
九月一日午後八時過日本橋北鞘町にて 氏名不詳鮮人一石橋際大谷倉庫に放火した
婦人に暴行
九月二日午後十一時過ぎ本所柳島元町金孫順 避難中の氏名不詳の一内地婦人に暴行を加えんとして遂げず、衣類高十点を強奪し亀戸署に拘禁されたが、同署類焼に瀕しななめ二日解放され行方不明
三十名の一団 柳島の呉服屋で掠奪
九月一日午後十一時過本所区柳島姜金山外三十名位の一団 柳島元町一六九呉服商中里奥三方に乱入し、店員に暴行を加え各一抱の呉服類を強奪した、犯人中姜金山は亀戸署に拘禁されたが、類焼に瀕して解放され行方不明
掠奪
九月一日午後六時より十一時本所区押上町一六五呉服商牧野弥八方、柳島元町洋品店鹿取孝次郎方同洋食店安田組二方、同一六九村上与三方��氏名不詳鮮人、十六六名金品を掠奪し酒食を貪る日本刀、棍棒等を以て襲撃し内四名取押えられ、一名は東森下町に放火し金某は日島渡辺倉庫に爆発物を以て放火した
放火爆弾
九月一日夜より三日月島二号地、月島渡辺倉庫の号、深川区東森下町附近汁粉屋自称金某外氏名不詳鮮人四名 兇器をたずさえて五名本所区菊川町方面より月島に入込み短銃を発射し或は放火、掠奪、爆弾放擲
強奪
九月二日午後二時過深川区富川町三五高橋勝治方前道路氏名不詳鮮人三名 高橋勝治を兇器を以て負傷せしめ金銭を強奪せんとして果さず逃走
少女を殺す
九月二日夜南葛飾郡木田町四つ木荒川放水路堤上氏名不詳鮮人四名 避難中の十六七歳の少女に暴行を加え後殺害して死体を荒川放水路に放棄した
棍棒
九月二日午後十時頃南葛飾郡小松川町字新町三九六二四軒長屋裏手氏名不詳鮮人一名 榎本豊吉に棍棒を以て負傷せしめ逃走した
荒川区議 小坂英二 / X
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第2金辺川橋梁 ~ 日田彦山線
日田彦山線の香春と採銅所の間に架かる石積み橋脚を持つ結構大きな橋梁です。川面からの高さが60尺(18メートル)あるので60尺鉄橋とも呼ばれているそうです。国道322号線を越えながら大きくカーブする場所です。
列車の通過が面白そう。
↓ 上流側から
写真左が小倉に続く国道322号線(旧線)
↓ 下流側から
香春 ← → 採銅所
国道を跨ぐ鉄橋
川沿いの道から一段上が国道、そのまた上が日田彦山線。(写真左)
> YouTube(1分52秒)
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品川心中 2/3
金蔵のほうは、かねての約束通り、日の暮れがたになると、品川へやってまいりました。女のほうも、もうくるかと、首を長くして待っているところへ金蔵がきましたから、たいへんな喜びようで…… 「まあ、金ちゃん、よくきてくれたね。さあ金ちゃん、こっちへはいっておくれよ。金ちゃん、まあ、坐っておくれよ。金ちゃん、うれしいねえ。金ちゃん……」 てんで、金ちゃんの国から金ちゃんをひろめにきたようなさわぎで…… 「うれしいよ。あたしはね、おまえさんがきてくれなかったら、どうしようとおもってたんだから……もう今夜は、この世のおわかれだから、うんと飲んでさわごうよ」 「ああ、どうせ死んじまうんだ。勘定の心配はいりゃあしねえや」 ひどいやつがあったもんで、ふだんはしみったれなくせに、今夜にかぎって飲むわ、食うわ…… 「さあ、なんでも持ってこい。勘定がほしけりゃあ、三途《さんず》の川までとりにこい。地獄へいっしょにつれてってやるから……」 「なにをいうんだよ」 「なんでもかまわねえ。どうせいきがけの駄賃《だちん》だ」 おそめは気をもみました。もし、こいつの口からあらわれてはたいへんだとおもいますから、 「さあ、金さん、いいかげんにお酒をよして、寝ておしまいよ」 と、へべれけに酔っぱらっている金蔵を寝かしてしまいました。とたんに、二、三の客があがってきましたので、そのまわしをすまして、真夜なかごろにきてみると、金蔵は高いびきで鼻からちょうちんをだして寝ております。 「まあ、なんて寝ざまだろう。あきれたもんだねえ。いま死のうてえのに、よくこんなにグーグー寝られたもんだ。この人のは度胸があるんじゃあない。のんきで、からばかなんだよ……あらあら、鼻からまたちょうちんがでてきたよ。あれっ、ひっこんだ。またでてきた。こりゃあ、きっとお祭りで夕立に逢った夢かなんかみているんだね……あれっ、ちょうちんがつぶれたよ。きたないねえ……あーあ、こんなやつといっしょに死ぬのかとおもうとつくづく情けないねえ……いつまでこうしちゃあいられない。ちょいと金ちゃんお起きよ。ちょいと金ちゃん、金ちゃん……」 「あーあ、もう食えねえよ」 「まだ食べる気でいるんだよ。なんて人だろう。ねえ、起きとくれよ」 「もう夜があけたのか?」 「夜があけてどうするんだい?」 「夜があけてどうする? ふざけるなよ。夜なかに追いだされてたまるもんか。高輪《たかなわ》のところにわるい犬がいて、このあいだ、朝早く帰ったら、犬にとりまかれてひどい目に会っちまった。おらあ、もう、犬は大《でえ》きれえなんだから……」 「なにをいうんだね。しっかりしておくれ。おまえ、わすれたのかい?」 「なにを?」 「今夜死ぬんじゃあないか」 「なるほど、ちげえねえ……そうそう、すっかりわすれてた。ひと寝入りして起きたら、すこしめんどうくさくなっちまった。どうだい、二、三日死ぬのを延《の》ばすわけにはいかねえか?」 「おふざけでないよ。心中の日延べなんてあるもんかねえ。さあ、早くしたくにかかるんだよ」 「よしきた。そのつつみの中をみねえ」 「おや、りっぱな白無垢《しろむく》があるね」 「これがおめえので、こっちがおれのだ」 「金さん、おまえのは、腰から下がないじゃあないか」 「ああ、倹約につきお取り払いだ……このほうがさばさばしてていいやな」 「なにか、死ぬ道具を持ってきたかい?」 「そのふろしきのなかに短刀《あいくち》がへえってるだろう?」 「短刀が? ……なにもありゃあしないよ」 「そんなはずはねえんだが……よくふるってみなよ……え? ねえかい? おかしいなあ……あっ、たいへんだ。たしかに短刀を買ってきたんだが、昼間、親分のうちへ暇乞《いとまご》いにいって、水がめの上へのせたままわすれてきちまった」 「まあ、そそっかしいねえ、この人は……あたしも、こういうことがあるかと虫が知らしたか、昼間のうちに、かみそりを研《と》がしておいたから……金さん、死ぬのはかみそりにかぎるよ」 「おい、待ちなよ……かみそりはいけねえ。刃のうすいので切ったやつは、療治がしにくいというから……」 「なにいってるんだよ……ああ、そうかい、おまえ、死ぬつもりがないんだね。あたしをだましたんだね……いいよ、おぼえておいでよ。あたしはこれでのどをかき切って死んだら、三日たたないうちにおまえさんをとり殺してやるから……」 「おい、待ちなよ。おいおい、あぶねえからはなしなよ……おいっ、あぶねえじゃあねえか。こんなものをふりまわして……」 「なにするのさ? 人のかみそりをとっちまって……」 「だからよ、なにも荒っぽいことをしなくったって、死ねりゃあいいんだろ?」 「どうするのさ?」 「もめん針を二十本ばかり持ってきねえ」 「もめん針を? ……どうするのさ?」 「ふたりの脈どこを、つっつきあっていたら、夜のあけるまでにはかたがつくだろう」 「おふざけでないよ。しもやけの血をとるんじゃああるまいし……じゃあ、裏へいっしょにおいでよ」 「なに? 裏へ? そりゃあだめだ、だめだ……松の木かなんかへぶらさがろうってんだろ? はなを二本たらして……ありゃあ、あんまり気のきいたもんじゃあねえ……」 「なにをぐずぐずいってるんだよ。なんでもいいからいっしょにおいで!」 「とほほ……いくよ、いきますよ……」 金蔵のやつ、すっかりべそをかいております。おそめにせきたてられて、うらばしごをおりてきました。庭にでまして、飛び石をつたわってくると、垣根があって、木戸には錠《じよう》がおりておりますが、これへ手ぬぐいを巻いてぐっとねじると、潮風のためにくさっていたものか、ぽきりととれましたので、これさいわいと、木戸をあけてでると、前はもう海でございます。折りしも空は雨模様で、ときどき大粒のやつがぽつりぽつりおちてくるというありさま……あげ潮どきとみえて、ドブーン、ドブーンと打ちよせる波は、岸を洗ってものすごうございます。 「さあさあ、金さん、なにしてるんだよ。ずんずん前へいくんだよ。桟橋《さんばし》は長いよ」 「とほほほ、桟橋は長くったって寿命はみじけえや……おいおい、あぶないよ。押しちゃあいけねえよ」 「なにいってるんだい、早くとびこむんだよ」 「そりゃあいけねえ。おらあ、風邪ひいてるから……えっ、だめかい? おどろいたなあ。このあいだ、占《うらな》い者がそういったよ……おまえさんは水難の相があるって……」 「いまさら、そんなことをいったって、しようがないよ」 「じゃあ、水へへえる前によくかきまわして……」 「お風呂へはいるんじゃあないよ。いせいよくとびこむんだよ」 「いせいよくったって、茶わんのかけらでもおちてたら、足を切っちまわあ」 「潮干狩じゃあないよ。じれったいねえ」 「どうもつめたそうだなあ」 度胸のないやつですから、泣き声をだしております。とたんに座敷のほうで、 「おそめさんえ、おそめさんえ」 二声、三声呼ぶ声が聞こえましたので、みつけられちゃあたいへんだと、金蔵のうしろにまわって、すかしてみると、がたがたと爪さきがふるえておりますから、腰のところに手をかけておいて、 「金さん、おまえばかり殺しゃあしない……かんべんしておくれ」 ドーンと、もろにつかれたから、金蔵のやつ、もんどりうって、ドボーンととびこみました。おそめもつづいてとびこもうとすると、店《みせ》の若い衆が、 「おっ、待った、待った。おそめさん、お待ちなさい」 「どうか、恥をかかしておくれでない。みのがしておくんなさい……どうぞ殺して!」 「まあまあ、お待ちなさい。つまらねえことをするじゃあありませんか。おまえさん、紋日《もの》前に金ができねえで、こんな無分別なことをするんでしょう? 金ならできた。できたんだから、死ぬのはおよしなさい」 「えっ、ほんとうに?」 「だれがうそなんぞつくもんですか。番町の旦那が持ってきました。『どうか当人に手わたしして、よろこぶ顔がみたい』って……おまえさん、四十両無心してやったそうだが、十両よけいで五十両、旦那がふところへいれて、さっきから待っていますよ」 「おや、そう、できたの? お金が! ……しかし、とんでもないことをしてしまったよ。もうひと足早��れば、こんなことをするんじゃあなかったのに……」 「どうしたんで?」 「ひとりとびこんじゃったんだよ」 「だれが?」 「金さん」 「金さんてえと、あの貸本屋の金公? あのばか金ですかい? あんなものようがすよ。流されて、鮫《さめ》かなんかに食われちゃうから……あいつは鮫好きのする顔だ」 「だって、おまえさん……」 「なあに、よござんすよ。知っているのは、おまえさんとあっしばかりだ。だまっていれば知れる気づかいはありません」 「それでもね、長年の馴染《なじみ》だもの……」 「勘定ができないで、居残りをしていたが、とうとうとびこんで死んだといえば、なんてえこたあありゃあしません」 「でもねえ、あたしがつきとばしたんだからねえ、その辺にいるもんなら、ひきあげてやりたいから、ちょいと待っとくれよ……ねえ、金ちゃん、もう死ななくてもいいようになったから、もう一ぺんあがっておくれな。ねえ、金ちゃん、あがって頂戴よ。おあがんなさいよ。ちょいと、ちょいと、ねえ、金ちゃん、世話を焼かせないでおあがりよ」 「店さきで客をよんでるわけじゃあねえから、そんなこといったってあがるもんですか。もうどっかへ流れちまったんだから……」 「そうかねえ。じゃあ、しかたがないねえ……じつはねえ、金ちゃん、あたしも死ぬつもりだったけど、お金ができてみると、死ぬのはむだだわ。あたしだっていつかは死ぬから、そうしたら、あの世でお目にかかりましょう。ただいままではながながと失礼……」 世の中にこんな失礼なはなしはありません。 金蔵は、アワをくらい……潮をくらい、面くらい、四苦八苦の苦しみをいたしましたが、ご案内の通り、品川は遠浅《とおあさ》でございますから、水は腰までしかございません。 「なーんだ。浅《あせ》え��だよ。こりゃあ、横になって水飲んだんだ。どうもあきれけえったもんだ……ハー、ハックション! ちくしょうめ、やっぱり風邪ひいちまった。あーあ、鼻がむずむずしゃがる。あれっ、鼻からダボハゼがでてきやがった……ちくしょうめ、人をつきとばしておいて、てめえは金ができたから死なねえとは……よくも人をだましゃがったな。どうするかみやがれ、おぼえてろ!」 金蔵は、元結《もつとい》が切れてざんばら髪、額《ひたい》のところをなにかで切ったとみえて、白い着物には泥と血がついてものすごいありさま……くやしいけれど、おそめのところへこのままあばれこめば恥の上塗りですから、やむをえず、海の中をガバガバと歩いて高輪の崖《がけ》へはいあがりました。すると、駕籠屋が、ちょうちんを前にして、ふたりでいねむりの競争をしておりますから、 「もし、駕籠屋さん」 と、呼んだんですが、駕籠屋がねぼけまなこをあいてみると、腰から下はまっ黒で、上のほうが白い。まして、さんばら髪で、額のところへ血が流れておりますから、駕籠屋はおどろいて、 「わっ」というと逃げてしまいました。金蔵は、駕籠がそこにあっても、かつぎ手がないので、駕籠のまわりをぐるぐるまわっているうちに、 「ワンワンワンワンワン!」 犬もあやしい姿をみてほえかかりますから、金蔵がむやみに逃げだしますと、犬もつづいて追いかけてまいります。芝まで��ると、犬のほうも係《かか》り��ちがってまいります。ここからまた、ほかの犬にとり巻かれ、とうとう犬の町内送りになるようなしまつですが、自分のうちは空き家同様ですから帰るわけにはまいりません。しかたがないから親分のうちへまいりました。 こっちは、若い者をあつめて、さいころでがらっぽんと勝負ごとの最中でございます。とたんに、「ワンワンワンワン……」とほえる犬の声で、 「おい、みんなしずかにしなよ。ひどく犬がほえるから……」 というときに、表の戸をわれるように、ドンドンドンドンとたたきましたから、あわてたやつが、 「手がへえった!」 と、どなったからたまりません。ろうそくをひっくりかえす、行燈をけとばす、これをさいわいに場銭《ばせん》をさらうやつなぞがあって、もうたいへんなさわぎ。 「しずかにしねえかよ。大家《おおや》さんにちげえねえ……へえ、ただいまあけます。ひどくたたいちゃあいけません。大家さんがだしぬけにたたいたので、うちのやつらがねぼけやがって、あのさわぎでございます……おい、しずかにしねえ。だれだい? 金だらいをはいてかけだすのは……なにしろ、まっくらじゃあしょうがねえ……あっ、いてえ! だれか、おれのあたまをふみつけやがったな。人のあたまをふみ台にするやつもねえもんだ……とにかくあかりをつけなくっちゃあしかたがねえ。あの……ちょいと、なにを貸しねえ」 「え?」 「なにを貸せよ」 「なんです?」 「さっきから手まねをしてるじゃあねえか」 「くらやみで手まねをしたってわからねえ」 「ああ、あったよ。火打ち箱はここにあった……あれっ、しょうがねえな、なぜまたこう火打ち石が欠《か》けるんだろう? こんなに欠けるということはねえんだが……おや、ばかにしやがって、こんな中へ餅なんぞいれときゃあがって……だれだい? こんな中へ餅なんぞほうりこんどくのは……おい、ろうそくをだしねえ。しょうがねえなあ。夜がふけたから大きな声をだすなといったのに、ちっともかんげえなしでいやあがるから、こんなことができるんだ……へえ、大家さん、ただいまあけますから……」 ろうそくをつけて、がらりと戸をあけてみると、金蔵が、たいへんな姿で立っておりますから、親分は肝《きも》をつぶして、 「だれかきてくれ。ここに、へ、へ、変なやつが立ってらあ」 「へえ、親分、こんばんは……」 「あっ、びっくりした。てめえ、金蔵じゃあねえか。なんだって、そんなざまをしていやがるんだ?」 「へえ、品川で心中のしそこないで……」 「それみやがれ! だからいわねえこっちゃあねえ。あれほど意見したのを聞かずにでていきゃあがって……女を殺して、てめえばかり助かってきてどうするんだ?」 「いえ、あっしだけが死にそこなって、女はまるっきりとびこまねえんで……」 「ばかだな、こんちきしょうは……どこまでまぬけにできてるんだか……こっちへへえれよ。へえったら、あとをしめろ。ほんとうにしょうがねえ野郎だなあ。待てよ、待ちなよ。そのまま上へあがられてたまるもんか。いま水をとってやるから、よく洗ってからあがるんだ。おーい、だれか水を持ってこい。金蔵がまちげえをしてきやがったんだ。ちょいと、たらいに水をくんで……あれっ、たいそうすすがおちてくるが……だれだい、梁《はり》にあがってるのは?」 「あっしです」 「虎公だな。ははあ、てめえか、さっき、おれのあたまをふみ台にしてそこへあがったのは?」 「へえ、いっしょうけんめいあがりはあがりましたが、安心したらおりられねえ」 「しょうがねえ野郎だな。きたねえ尻《けつ》だなあ。もう��こしふんどしをかたくしめろよ。だらしのねえざまをして……だれか、はしごを持ってきてやれ……あれっ、だれだい、ねずみいらずへ首をつっこんでるのは? 民の野郎じゃあねえか。なにしてるんだ? あれっ、てめえ、つくだ煮をみんな食っちまったな」 「逃げるんで腹ごしらえをしようとおもって……」 「あきれた野郎だ」 「ついでに、酒を飲もうとおもったが、ばかに塩っかれえんで……」 「それは酒じゃあねえ。醤油《したじ》だ」 「そうか。しょうゆうこととは気がつかなかった」 「ふざけるな、この野郎……この最中《さなか》にしゃれをいってやがらあ……おい、だれだ? へっついの中へ首をつっこんでるのは? あっ、でこ亀か……うーん、こりゃあ、わりいやつがへえっちまったなあ……ああ、だめだ、だめだ。ひっぱったってぬけないよ。あたまの鉢がひらいてるんだから……茶釜をとってだしてやれ。いいか、無理しちゃあいけねえよ。あたまがこわれるのはかまわねえが、へっついがこわれちゃあこまるからな……だれだ? いま時分ぬかみそをかきまわしてるのは? なんだ、留《とめ》じゃあねえか」 「へえ、親分、もうあっしは助かりません。親不孝をしたバチです。おふくろを呼んできてください」 「どうしたんだ?」 「縁の下へ逃げるつもりで、ぬかみそ桶の中へとびこんじまったんですが……」 「大丈夫か? あがれるか?」 「それがあがれねえんで……おっこったとたんに、きんたまをぶつけてとびだしちゃったんです。とても助かりません」 「しょうがねえなあ。おい、だれか医者をよんできてやれ。医者を……すぐにだぞ……どうした? で、きんの在所《ありか》はわかったか?」 「しっかり持ってます」 「そうかい。そいつあ気丈《きじよう》(気がつよい)だ。どんなものかみせてみろ」 「ばかっ、こりゃあ、なすの古漬けだ」 「なんだい、なすかい……あはははは、なるほどちげえねえ。きんはここにくっついていました」 「あれっ、いやにくせえな。こりゃあ、ぬかみそのにおいじゃあねえぞ。え? どうした? なに? 与太が便所《ちようずば》へおっこった? さあ、こりゃあたいへんだ。待ちねえ、いまあげてやるから……」 「へっへっへ、親分、もうあがってきた」 「ばかっ、あがってきちゃあいけねえ。さあ、洗ってこい! ……しょうがねえやつらじゃあねえか。どいつもこいつも意気地がねえ……みんな、伝兵衛さんをみろよ。さすがはもとはお武家さまだ。このさわぎにびくともせず、ちゃんと坐っておいでなさるぜ」 「いや、おほめくださるな。とうに腰がぬけております」
「おい、金蔵、まあ、こっちへきて坐れ」 「へえ、へえ」 「どうしたんだ?」 聞かれて金蔵が、「じつは、これこれ、こういうしだいで……」と事情を説明しますと、 「……うーん、じつにどうもまぬけなはなしじゃあねえか。しかし、その女もひでえやつだなあ。てめえ、くやしいだろう?」 「ええ、そりゃあもう……女は、たぶん、あっしが死んだとおもってますよ」 「うーん、どうもいめえましいはなしだなあ。こいつあ、ひとつ狂言を書いて仕返しをしてみねえか?」 「え? 狂言を書いて仕返しを?」 「そうよ。そのおそめてえ女を坊主にしてやろうじゃあねえか。あんまりしゃくにさわるから……」 「へえ、どうするんで?」 「うん……てめえ、大食いだったな?」 「へえ、おまんまと借金の多いことじゃあだれにもひけはとりません」 「つまらねえじまんをするなよ……じゃあ、てめえ、一ぺんめしをぬいたらすぐに顔にでるな」 「ええ、そりゃあもう……あっしゃあ一ぺんでもめしを食わねえと、すぐにやせて、眼なんぞくぼんじまいます」 「だらしのねえ野郎だなあ……しかし、まあ、それがこの狂言にはもってこいだ。一日ばかり食わずにがまんしろ」 「そんなことをしたら、ひょろひょろになっちまいます」 「だからいいんだよ。まっ青で、眼をくぼませて、ひょろひょろになったてめえが、大引け(午前二時)ちょいと前に白木屋へいって、すーっと登楼《あが》るんだ。むこうでも死んだとおもってるところだから、びっくりして、『どうした?』と聞かあ。そしたら、てめえいってやれ。『死んで十万億土という暗いところをすたすたいくと、金蔵、金蔵とよばれるんで、ひょいとふりかえるとたんに生きかえった。まだ生きかえりのほやほやだ』とかなんとか、縁起のわりいことをいろいろいうんだ。ものをあんまりむしゃむしゃ食うんじゃあねえぞ。わずかのあいだだからがまんするんだ」 「へえ、なるほど……」 「たいがいのところで、おめえが『心持ちがわりいから、寝てしまおう』といって寝るんだ。それがおめえの役だ。いいか。そうして戒名《かいみよう》を一枚書いてふところへいれとくんだ。そこでだ……おい、民公、ちょいとこっちへきねえ。おめえ、ご苦労だが、さっきから聞いててようすは飲みこんだろう? おめえは、金公の弟てえ役どころだ。そのおそめてえ女に会って、兄貴が死んだとこういうんだ」 「へえ?」 「おめえは、女の顔をみたら、ただめそめそ泣いてりゃあいい。それから、おれが、『金公がこの人ととりかわした起請《きしよう》(客と遊女ととりかわした愛情の誓いの文書)をだしねえ』というから、ふところからそいつをだすんだ。こんどは『戒名をだしねえ』っていうから、おめえがわざとふところをさがしてみて、『あっ、いけねえ。戒名をなくしちまった。おとしたのかな?』とまごまごするんだ。いいなあ、民公、これが、おめえの役だ。そこで、なあ、金公、おれが女に会って、『金公は死んだぜ』というと、女が、『死にゃあしないよ。金さんは今夜きているもの……死んだ者がくるわけがない』『なあに、死んだにちげえねえ』『そんなら証拠をみせてあげよう』ってんで、きっとおめえの寝てるところへつれていくだろう。そのごたごたしてるひまに、おめえはふとんからぬけだして、戒名だけそこへおいて、どっかへかくれるんだ。女はおめえが寝ているとおもうから、おれたちにみせようとおもって、部屋へつれてって、屏風《びようぶ》をあけてみると、寝ていたおめえがいなくなって、戒名だけがある。こいつあきっとおどろくぜ」 「うん、そりゃあおどろかあ」 「そいつをまたおどかすのが、民公、おめえの役だ」 「いない、いない、バーってやるか?」 「ばかっ、赤ん坊あやしてるんじゃあねえや……女だって身におぼえがあるから、『どうしたらよかろう?』というやつをつかめえて、『てめえは兄貴をだまして、惚れたふりをして心中をしかけて、てめえは死なねえで兄貴だけを殺して、こうしてすまして商売している。兄貴はくやしくって、いくとこへいかれねえで、おめえのところへ化けてきたにちげえねえ。いまにとり殺されるぜ。兄貴はあれでなかなか執念深えんだから……』とかなんとか、かまわねえからうんとおどかしてやるんだ。こういやあ、女もびっくりして、『どうしたらよかろう?』というにちげえねえから、『それじゃあ、まあしょうがねえから、髪の毛を切って、そ��を寺におさめたら、兄貴も浮かばれるだろうよ』と、そういやあ、きっと女が髪を切る。切ったら、おれがポンポンと手を打つから、金公、おめえがそれへでるんだ」 「ははあ、こいつあおもしれえ趣向ですねえ……じゃあ、親分、よろしくおねげえ申します」 てんで、それからしたくをして、金公は夜食をぬきにして腹ぺこで、頃合いをはかって、ぼんやりと白木屋の店さきまでまいりますと、ちょうど清どんという若い衆が、二階からトントンとおりてきて、下駄をはいて外へでようというところへ金公がぬーっと顔をだしましたから、 「ああびっくりした……あれっ、おまえは金蔵さん?」 「清どん、しばらく……」 「あなた……どうなさいました? ずいぶんおやつれになりましたが、よくまあご無事で……」 「ええ、まあ、無事っていえば無事で……おそめはいますか?」 「ええ、おります」 「会って、はなしがしてえんだが、今夜は、ひとつ、ご厄介になりますよ」 「へえ、ありがとう存じます。どうぞおあがんなすって、さあどうぞ……おそめさん、おそめさーん、ちょいと、お顔を……」 「はい、なに?」 「あの��……きましたよ、青い顔をして……」 「だれがさ?」 「だれがって……貸本屋の金蔵が……」 「なにいってるんだよ。人をかつぐんじゃあないよ」 「いえ、べつにかついでるわけじゃあねえんですよ」 「だって、あの人は死んだんじゃあないか」 「それがきたんですよ」 「ほんとう?」 「うそなんぞつくもんですか。いまたばこを買おうとおもって、店をでようとしたとたんに、ぬーっ……」 「あら、いやだよ。幽霊かい?」 「そうですねえ。それがはっきりわからねえんで……なんだかまっ青な顔をして、『おそめはいますか?』というから、『ええ、おります』というと、『いるなら会ってはなしがしてえんだが、今夜は、ひとつ、ご厄介になりますよ』って、いまおあがりになりました」 「いやだよ、いやだよ。足があったかえ?」 「それがつい気がつきませんで……」 「いやだねえ。後生だから、おまえ、ついてきておくれ」 「ええ、ついてまいりましょう。さあ、おいでなさい」 「いくから、そうお押しでないよ」 「押しゃあしません。おまえさんがあとへさがるんで……」 「清どん、うしろを押さえながらおふるえでないよ」 「わたしゃあふるえやあしません」 「しっかりと、いいかい……あら、まあ、金さん? たしかに金さんだねえ……ほんとうにまあかんべんしとくれ。それでもまあよく無事でいてくれたねえ。あたしゃあ、ほんとうにおまえさんが、あれっきりになって、もう死んじまったとおもうから、朝晩|香花《こうはな》を手《た》むけてお題目《だいもく》をとなえていたよ。生きてるなら、早くきてくれればいいのにさあ……」 「まあ、こっちへおはいりよ」 「はい……」 「おそめさん、あたしはいっぺん死んだんだよ」 「ええっ、死んだ?」 「うん、十万億土という暗いところをすたすたいくと、金蔵、金蔵とよばれるんで、ひょいとふりかえるとたんに生きかえった。まだ生きかえりのほやほやだ」 「まあ、よかったねえ。じゃあ、こうしよう。今夜はいろいろはなすことや聞くこともあるから、あたしが台のものをとってあげよう」 「それが、もう、一たん死ぬと、人間は意気地のねえもんだから、なまぐさものはちっとも食べられない」 「あらそう……じゃあ、精進《しようじん》ものならいいだろう?」 「うん、そんならまことにすまないけれども、おだんごをすこし……」 「いやだよ。で、おだんごは、餡《あん》かい? それとも焼いたのかい?」 「白だんごがいい」 「いやなことをおいいでないよ」 「ここにある花なんぞよしちまって、樒《しきみ》(別名仏前草)を一本……」 「おふざけでないよ。縁起でもない���なにか甘いものをとろう。きんとんでも食べないかい?」 「もう、なにも食べたくないよ。なんだか心持ちがわるいから、寝かしておくれ」 「ああ、そう。それじゃあ、おやすみなさい」 金蔵を寝かしてしまうと、いれかわってきたのは、親分と民公という男でございます。 「おう民公、白木屋はここだな」 「若え衆に聞いてみましょう……おう、若え衆さん、白木屋というなあどこだい?」 「へえ、てまえどもで……」 「ここにおそめさんという女郎衆はいるかい?」 「へえ、おります」 「そうかい。じつは、その人にすこうしはなしがあるんだが、逢わしてもらいてえ」 「へえ……ええ、おそめさーん」 「はーい」 「ええ、ちょいと……」 「なんだい?」 「ええ、なんですか、初会《しよかい》のお客さまがおふたりで、あなたにちょっと逢いたいってんですが……」 「ああそう……おや、いらっしゃいまし。あたしがおそめですが……」 「そうかい。まあ、こっちへへえっとくれ」 「はい……」 「いいから、こっちへおはいり。すこうしばかりはなしがあるんだ。あとをしめてくんねえ」 「なんでございます?」 「まあ、はじめて逢ってこんなことをいうのもいやだが……おう、民公、縁あって、おめえの兄貴のかみさんになったのは、この人だよ」 「そうでございますか。はじめてお目にかかります。このたびは、兄貴がとんだことになりまして……」 「おいおい、泣きなさんな。みっともねえ。泣いたところで、死んだ者が生きかえるわけでもねえ……ねえ、おそめさん、この男がおまえさんの顔をみて、めそめそ泣いてるから、ばかか、気ちげえかとおもうか知らねえが、じつはなあ、こういうわけだ……あっしが、夜釣りに品川へきた。あいにくと雑魚《ざこ》一ぴきかからねえから、こんな夜は早くきりあげて帰ろうとおもって網を打つと、ずっしりと手ごたえがある。あげてみると、仏《ほとけ》さまよ。びっくりするじゃあねえか。それが金蔵の野郎だ。それからね、死骸をひきあげてみると、ふしぎなことに、からだについてるものはのこらず流れてしまった中に、おまえさんが書いた起請だけが、ぴったりと肌についているんだ」 「へえー」 「どうもおどろいたね。みんなふしぎがっているんだが、こりゃあきっと死ぬときに、野郎がおまえさんのことをおもって死んだんだろう。そんなこたあ、おまえさんも知るまいから、その起請と戒名をおまえさんのところへ持ってきてはなしをしたら、おまえさんもかわいそうだとおもって、題目なり念仏なりとなえてくれるだろう。そうすりゃあ、金蔵もきっと浮かぶだろうとおもって、今夜やってきたんだ……おう、民公、あの……なにをだしねえ、起請を……おそめさん、この起請は、おまえさんが書いて金蔵にやったもんだな?」 「ああ、そう……」 「うん、民公、こんどは、戒名をだしねえ」 「へえ……おや? ありませんぜ」 「おいおい、なにをいってるんだ。ありませんというなあおかしいじゃあねえか。戒名と起請をこの人のところへ持っていこうと、おめえはたしかにふところへいれたじゃあねえか……途中ではなでもかんじまやあしねえか?」 「とんでもねえ。ほかのものとちがって戒名ではなをかむなんて……」 「だって、起請があって、戒名がねえというなあおかしいじゃあねえか。早くさがせ!」 「ふふふふふ、およしなさいよ。おまえさんたちはなにをくだらないことをいってるんですよ。ばかばかしいじゃあありませんか」 「ばかばかしい? ばかばかしいたあなんだ?」 「つまらないいたずらをするもんじゃありませんよ」 「なんだ? いたずらというなあ?」 「なんだもないもんですよ。そんなことは、金さんがこない晩にきていえば、あたしだってすこしはおばえがあるからおどろきますが、お気の毒さま、今夜は金さんがひさしぶりできていますよ」 「えっ、金公がきた? だって、おそめさん、死んだ者がおめえさんのところへくるわけがねえ」 「わけがあってもなくっても、ちゃんともう寝てますよ」 「ほんとうかい?」 「ほんとうかいって、いやですよ。いつまでもくだらないしゃれをしていちゃあ……」 「しゃれであるもんか……ほんとうに金公がきてるのかい?」 「ええ」 「じゃあ、いってみよう」 「さあ、きてごらんなさい……ここですよ。ちょっと金さんあけますよ……あらっ、金さん、金さん……」 「どうした? いるかい?」 「おかしいねえ。たしかにいたんだけど……あらっ!」 「どうした? おやっ……おい、民公、おめえがおとしたてえのは、この戒名じゃあねえか?」 「えっ……養空食傷信士《ようくうしよくしようしんじ》……うん、こりゃあ、兄貴の戒名だ」 「あら、まあ、どうしたんでしょう?」 「じゃあ、戒名が途中でなくなったのは、おめえのところへ幽霊になって迷ってきたんだ」 「まあ、気味がわるいねえ……そのせいかしら? 白だんごが食べたいとか、樒を一本とか、縁起のわるいことばかりいってたのは……」 「おいおい、おそめさん、なにもふるえて泣くこたあねえ。はじめっから、おめえが、金公のために泣くような了見《りようけん》なら、こんなことになりゃしねえ。おめえが借金のために金公と心中しようといって、そうしてあいつをさきへ殺して、金ができたからといって死ぬのをよしてよ、おまけにずうずうしくここで商売をしている。これじゃあ、金公もいくところへいくこともできめえ。どんなばか野郎だって、こりゃあくやしいにちげえねえ。この調子じゃあ、これから幽霊が毎晩でて、おめえをじりじり責め殺すぜ」 「あら、たいへんなことになっちまった。どうしたらよかろうね?」 「じゃあ、こうしねえ。金蔵へのわびのしるしに、髪の毛を切って、回向料《えこうりよう》のいくらかでもつけて、寺へおさめて経をあげてもらいねえ。それよりほかにしょうがねえ」 「そうすりゃあ、あの人が浮かんでくれますかねえ?」 「ああ、きっと浮かぶにちげえねえ」 「そんなら、すこし待っておくんなさい」 と、かみそりを持ってきて、髪の毛をプツリ! 「さあ、これでよろしゅうございますか?」 「うん、大丈夫だ」 「浮かんでくれますかねえ?」 「ああ、いますぐ浮かばせるから……おい、金公、もういいから、でてこい!」 「おう」 「あら、いやだよ、いやだよ。じょうだんじゃあない。金さんは生きてるじゃあないか。ちくしょうめ!」 「ざまあみやがれ! てめえがな、あんまりあこぎなことをしゃあがるから、みんなでこうやって仕返しをしてやったんだ」 「ほんとうにまあ……みんなでよってたかって人を坊主にして、どうするんだい?」 「どうするって、おめえがあんまり客を釣るから、比丘《びく》(魚籃《びく》)にしたんだ」
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平成24年3月21日(水)岐阜に行ってみることにした。
岐阜への行路は、最も早いのが新幹線で名古屋まで、そして、東海道線に乗り換えて岐阜駅へとなる。 青春18きっぷの時期だから、早朝に自宅を出て、東海道線を西へと各駅停車の旅をすれば、余裕で岐阜に向かうことができる。
しかし、東海道線各駅停車の旅は、たびたび行っていて、さらに青春18きっぷの時期はとても混雑する。特に、熱海~豊橋の間は、列車の編成が短いものがあり、沼津の乗り換えや、浜松の乗り換えはラッシュ並みとは言わないが、地下道やホームはとても混雑した記憶がある。
さらに、熱海~豊橋の区間は、沼津~浜松は完全にロングシート車。空いていればまだしも、先のように青春18きっぷを使って、のんびり?長距離旅行をする人、グループがたくさんいると、3両編成の列車はかなりの立席客が出る状態で、とてもゆっくり外の景色を見るような状況では無い。
従って、東海道線の利用は、時期によっては基本的には避たいと考えている。
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そんなこともあって・・・というか、以前、青春18きっぷで、十日市場~東神奈川~横浜~沼津~静岡~浜松~豊橋~名古屋~中津川~塩尻~甲府~八王子~十日市場という、各駅停車(甲府~八王子を除く)の旅を考えた。 ところが、東海道線が先に記したように、長距離利用客で混雑。浜松からの列車が運良く豊橋以西直通列車で、編成が長かったにもかかわらず立ち客が出るほどの混雑。 グループ客の中には京都まで行くと見られる人たちも・・・お仲間と大きな声で会話されるので、行き先がなんとなくわかった・・・そんなこんなで、名古屋に着いたら疲れ果てて、昼食を食べて人心地ついたところでギブアップ。 まだ、ぷらっとこだまが当日購入が可能だったので、新横浜まで新幹線で戻ることに・・・これがひとり旅の良さかもしれません。
こだまに乗るまで時間があったので、時刻表と首っ引きになって、弥富まで往復する時間があることを確認。 快速・みえを往復利用して、弥富に行ってみることにしました。
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昔の話はともかく、今回の岐阜行きは、その時のリベンジともなる中央西線完乗を目指し、それも青春18きっぷを使ってということを目論んでのプランニング。
十日市場からだと横浜線で八王子が、中央線への最短ルートだが、ト��トクきっぷは新宿からになっているので、新宿へ向かって乗車することにした。
十日市場▶【横浜線】▶東神奈川▶【京浜東北線】▶横浜▶【湘南新宿ライン】▶新宿▶【スーパーあずさ】▶上諏訪▶【中央東線】▶塩尻▶【中央西線】▶中津川▶【セントラルライナー】▶名古屋▶【東海道線】▶岐阜(泊)新岐阜▶名鉄▶新名古屋・・・名古屋▶【こだま】▶新横浜▶【横浜線】▶十日市場
1泊2日の行路。
古い歌ではあるが「あずさ2号」の8時ちょうどというのは魅力的ではあるが、ラッシュ時間帯であり新宿までで疲れてしまいそう。 それだけでなく、新宿の時間は自由に決められない。何故ならば、中央西線・塩尻~中津川の各駅停車が、日中時間帯も含めて非常に本数が少ない。この区間の列車に合わせて、新宿を発車するあずさを予約しないと、この行路はうまく岐阜までたどり着けない。
そういうわけで、塩尻~中津川の各駅停車の時間に合わせて、新宿発のあずさの時間が決まり、遡って十日市場発の時間を決めることにした。
最初は、新宿への最短ルート、横浜線・町田・小田急線もしくは田園都市線・渋谷・山手線という手も考えた。せっかくの青春18きっぷなので、時間はたくさんあるし、予定のある旅でもないので、18きっぷを有効?に使うことにして、横浜経由にすることに決定!!!
横浜線・十日市場駅までバスで10分。東急田園都市線・青葉台駅までバスで20分。徒歩圏内ではないけれど、バスの便が良いところに住んでいるので、街の雰囲気もグリーンタウンと名付けられてたとおりの環境の良い場所ではあった。
十日市場駅までバスに乗り、横浜線に乗り換えて東神奈川へ、ラッシュ時間帯をはずれていたので、電車もそれほど混んでいることも無かった。 桜木町行きの直通が日中はほとんどだが、この日は記録によると東神奈川で乗り換えていた。 横浜からは湘南新宿ライン、なぜかこの路線に乗るときは、グリーン車に乗ることにしている。2階席からの眺めが楽しいので、必ず乗るようにしている。 他の路線でも2階建てG車が連結されていると、思わず乗ってしまうのが習慣化している。
新宿までなのにと、自分でも思いながらも、2階席からの景色は、いつ乗車しても視点が異なるからか新しい発見をすることがある。そして、それを期待して乗車することが多い。
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列車は新宿始発なのだが、以前、新宿から特急列車を利用したときに、まだ改良工事終了前のことだったためか、中央線特急列車の発着ホームが、とんでもない場所にあって、あやうく乗り遅れるかと思ったことがあった。 そんなこともあって、少し余裕を持って出かけることにしたので、思ったより早く新宿に着いてしまった。 乗車列車の発車番線は9番線で、乗換に不便を強いられることはなく、時間を持て余すことになってしまったので、あれこれ気ままに写真を撮ることに・・・。
いつもは通り過ぎるばかりの新宿駅、のんびりと人や電車の往来を眺めるというのも、昭和55年3月の大改正直前に、同級生といっしょに新宿駅、東京駅を巡った時以来かも?!
お先にトクだ値きっぷは、とてもお得なきっぷで、自由席より安いかもしれない。ネットで座席まで指定できるので、自分の好みの席を選べるのもうれしい。
この日は、進行方向右側窓席を予約した。隣席は空いているはずなのだが、席に着いたら隣に座る人が?! 列車は停車駅ごとに乗降客があるので、発車時間前までなら予約は可能なので、ネットで確かめてもその時にならないと実際はわからない。 ところが、隣席の乗客?お弁当を食べたら席を立ち、そのままずっと戻ってこなかった???
なんだか不思議なというか、不審な隣席者が戻ってこないままスーパーあずさは定時に新宿駅を発車。
中央快速線を一路松本へと向かって走りはじめた。
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発車すればスピードをグイグイ上げて、特急らしい走りを見せるかというと、ここは東京、中央快速線、三鷹までは路線別複々線で、その先は高尾まで通勤電車が走っている。 通勤時間帯では無いとはいえ、快速、特快がかなりの本数走っている。なので、八王子まで無停車の特急とは言え、前に走っている列車を追い越せる駅が限られているため、快走とはちょっと言えない走り出しとなってしまっている。
武蔵小金井、立川、豊田と段落ちするので、八王子に近づくに従って、少しずつではあるがスピードが上がっている感じはする; 元々は、立川あたりまで高架複々線化の計画があったが、諸般の事情で高架化のみで終わってしまった。
立川を過ぎて多摩川橋梁を渡っている時に、車窓から富士山を見ることが出来て、なんとか1枚だけ写真に収めることが出来た。実に���央線の東京都内では、初めて見る車窓からの富士山だった。
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八王子を過ぎれば、高尾までは通勤路線になっているが、日中の通勤電車の本数は少なくなっているので、最初の山登りもあることから、グイグイとスピードを上げて次の停車駅甲府へと加速して行く。
強制振り子の車両なので、カーブの手前で車体を強制的に傾斜させて、カーブが終わった先で戻すという動作のくり返し。最低限の改良で、最高速度を上げて、乗り心地を良くして、そんな結果がこの車両となった。 カーブにもよるが、車体の傾斜がすごい!と思うくらいに傾くこともある。それも、スピードを落とす事も無く・・・。
スーパーあずさに乗るたびに思うのだが、駅通過も減速することなく過ぎてしまうので、甲府までの主要駅、大月駅通過をいつも見逃してしまう。 大体、笹子トンネルを通って、甲府盆地が見えると・・・あれれ・・・いつ大月駅通過したんだろうというのが定番になっている。 この日も確認しようと思ったが、いつの間にか通過して、いつもどおり長い笹子トンネルを通ってしまっていた。
進行方向右側なので、大月駅の目印となる富士急線を見ることが出来ないので、確認するのは難しいと思っていたのが、その通りになってしまった。
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中央東線での車窓風景、笹子峠を越えてからの甲府盆地の眺め、これは東線のいくつかの絶景のひとつと言えよう。 しかし、この日は右側だったので、その景色は見る事無く、甲府盆地へと高度をグイグイと下げて、気がつけば甲府停車。
甲府から先は、塩嶺越えまでは山岳路線とはいっても、どちらかというと、南アルプスと奥秩父・八ヶ岳にはさまれた山の姿が美しい車窓となる。
甲府を出て直ぐ、竜王駅を通過したら奥秩父の山々が、雪を冠して美しい姿を見せた。 山越えという感じでは無いが、高速で高度を上げて行くという感覚が得られる。 小海線の分岐駅・小淵沢を高速で通過・・・小海線の築堤が、グイグイと高度を上げながら野辺山方面へと別れていった。 車窓は、奥秩父の山々から八ヶ岳へ、沿線は平地は残雪は見られず、天気にも恵まれていたので、高原にも春が来ているという雰囲気いっぱいという感じであった。
中央東線は、山岳路線ということもあって、スイッチバックの停車場が数多くあった。客車列車、貨物列車が走っていた時代は、各駅停車なら必ずスイッチバックしながら駅へと向かってい���。今は数少ない貨物列車も直行タイプ。各駅停車も電車になってしまったので、勾配上でも停車可能になったので、スイッチバック旅客駅として残っている駅は皆無になってしまった。
春の息吹を感じながら、さすがにスーパーの名を冠するだけある特急列車。気がつけば上諏訪着のアナウンス。
あっという間の中央東線、特急列車の旅でした。
なんで上諏訪下車なのか・・・塩尻からの各駅停車に都合の良いのがこの列車。塩尻に停車してくれないので、うまい具合に各駅停車に乗り継げて、塩尻からも待ち合わせ時間���なく乗り換えられるということでありました。
上諏訪到着。
スーパーあずさは、終着松本に向かいササッと走り去って行きました。さて、次に乗る列車は・・・はるか後方に停車中。
その前に、とは言っても楽しむわけで無く、未だあるかなくらいの気持ちで1番線の方を見たら。あるにはありましたが、足湯になっていました。 その昔、上諏訪に来たときには、足湯では無く入浴できるようになっていました。駅構内、駅ナカにある温泉というので有名でしたが、やはり入浴するのはちょっとという感じだったのでしょうね。
さて、駅弁でも買ってから接続列車に乗って、のんびり塩尻までの車窓を楽しんで・・・とんでもありませんでした。はるか後方に停車している理由は、当然ですがローカルの各駅停車ですから3両編成で短いのです!
スーパーあずさが発車した余韻?を楽しむのもそこそこに、電車に向かってダッシュはせずに早足で向かいました。
さて、乗車しようと思ったらドアが閉まっています。まぁ、これは地方の寒冷地なら良くある半自動ドアですから、停車中は自分でドアを開閉しなくてはなりません。 線区によっては、車内外に開閉ボタンがある車両がありますが、なんと車両は古い古い115系。改造もされていないので、ドアの小さなへこみに手を入れて、グイッと橫へ滑らせる・・・なんだかとても重い・・・なんとか開いて車内に入ることが出来ましたが、改造もせずにずっと走らせていたものだと、正直あきれました。
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車内に入ると、なんだか混雑していて、空席どころか立客でいっぱい。なんとか荷物を荷棚に置いてホッとする始末。駅弁を買っていたらと思うと、すぐに列車に向かって正解だったと感じました。
ここから塩尻までは各駅停車の旅。十日市場から青春18きっぷを使ったので、改札口に行かずにそのまま乗車を続けられて良かったと思いました。
各駅停車は満員の乗客を乗せて、諏訪湖湖畔をグルッと走り、岡谷を通り塩嶺越えに向かいます。昔は大八回りと呼ばれた辰野を通っていましたが、今は普通列車も塩嶺越え経由ばかりになり、大八回りは単行の電車が行ったり来たりしています。
新線なので峠も一気にトンネルで越えて、さほど時間もかからずに塩尻に到着。途中駅でも若干の乗客を拾って、列車はそのまま松本に向かって行きました。
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さて、次の電車には少し時間があるので、駅弁を手に入れて・・・跨線橋から眺めると、なんと乗ると思われる電車が止まっています。 これは大変と、駅弁よりも座席をキープしないと・・・松本行の電車が混んでいたので、次の電車も混んでる・・・勝手な妄想が浮かんでかなり焦ってしまいました。
そんな訳で、階段を降りて少し離れた所に、停車している電車に向かってみるとガラガラでした。 まだまだ出発時間には余裕がありますので、進行方向右側窓席をキープして、肝腎の昼食・駅弁を確保・・・と思ったらホームには売店が無い?!
塩尻駅は島式ホームが3本。新宿・名古屋方から見ると、左のホームが中央西線。右のホームが中央東線。中のホームが両線ローカルとなっているみたいで、中央西線ホームに売店が見えたので、そこへ行ってみることにしました。
なんとか幕の内弁当を確保。電車に戻れば発車を待つばかりなのですが、まだ出発時間には余裕があります。 特にすることも無いので、昼食を食べることにして・・・食べ終わっても発車する気配無し・・・それでも、少しずつ席が埋まって来たところで発車。
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北アルプスを望む松本平の南端を走り、木曽路へと向かって列車(これまで電車と記してきましたが、列車の方が旅している感じがするので変えることにします)は走って行きます。
『木曽路はすべて山の中』と島崎藤村の本にあるように、確かに松本平が終わると、山を分け入るように線路は進んで行きます。 浅学な自分は、てっきり木曽路と呼ばれるのは、鳥居峠を越えてからのことだと思っていました。後に旅行記事を書く機会があり、調べたところ松本平を離れたところから、木曽路は始まっていることがわかりました。
この時は知りませんでしたが、贄川、奈良井と松本側の二駅は木曽路の宿場の一つでもありました。
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列車はひと駅、ひと駅と停車しながら、行楽客を少しずつ乗せたり降ろしたりして、路を進めて行きます。
中央東線もそうですが、中央西線も全線複線化されていません。両線合わせて中央本線。東線、西線というのは通称ですが、運行形態がかなり昔から完全に分離しているだけでなく、西線部分はJR東海エリアになっているので、車両は乗り入れ列車以外はほぼ別運用の状況になっています。
普通列車よりも特急列車の多い中央西線。単線区間が点在するために、複線区間の終端で思わぬ交換待ちを強いられます。各駅停車の宿命と言ってしまえばそれまでですが、特急列車の通過待ちを何度か���り返したり、下りの普通列車との交換待ちもあります。 複線化というのは、全線を複線化しないで単線区間を残しておくと、一時的には���いのですが、その後ダイヤ改正が行われて運用が変われば、その効果が失われてしまうことがある訳です。 普段は特急列車を利用していると、一応特急列車は最優先されますので、そのような事を余り感じることはありません。 急がない旅なので、待ち合わせもノンビリ駅周辺や遠望を楽しめるので、これも旅の楽しみと感じることができます。
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先の『木曽路はすべて山の中』のとおり、両側に山が迫って、空は真上だけという感じがするのが木曽路です。
かつては鳥居峠越えのD51が多数いた木曽福島を過ぎて、木曽谷奥深くまで入り込んでいた森林鉄道の起点の一つ上松を過ぎると、特急列車なら案内があるかも知れない寝覚めの床もいつの間にか過ぎて、列車は木曽路を少しずつ下って行きます。
この山にはさまれた狭い谷、厳しい自然の中を、昔の人たちは生活し、旅していったと思うと大変だったろうと思うばかり。
そんなことを思いながらも列車は、終点中津川へと歩みを進めて行きます。
落合川駅、駅の脇はダム湖になっていて、なんだかこれまでの雰囲気と違った感じがしました。木曽路と呼ばれているのは落合川駅の近くにある落合宿までを指しているので、なんとなく行く先の雰囲気が違うように感じたのも納得?!
定刻通りに終着中津川に到着した2両編成の各駅停車から、思った以上の乗客が下車して名古屋方面への接続列車を待ちます。 自分は接続の快速ではなく、1本あとになるセントラルライナーに乗車するつもりでした。
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改札口からセントラルライナーの指定席券を手に入れるために出て、次の列車の指定席を無事に購入。しかし、なんだか時間が一杯あり過ぎる。暇つぶしのために町に出るには時間が少ない。
ちょっと迷ったものの、まだ快速電車の発車時刻にはなっていないので、セントラルライナーの車両には興味があったものの、先を急ぐことにして快速への乗車を決意。
2両編成から今度は8両だったと思うが、とにかく編成が長くなったので、遅く乗車してもまだ十分に空席があった。
中津川を過ぎれば木曽路とは完全にお別れ、車窓の雰囲気もどちらかというと山勝ちではあるものの、地方の農村地帯という感じになった。
快速列車とは言え多治見駅までは各駅停車。さすがに、車窓を眺めるのも飽き始めたところで、多治見到着のアナウンスと乗換案内。 太多線経由岐阜行普通列車という案内を聞いた瞬間、名古屋からの東海道線は混むだろうし・・・でも、中央西線完乗が出来なくなる・・・太多線ってどんな路線だろうか?それに、美濃太田~岐阜は高山本線の未乗区間だからと、いろいろな考えが浮かんで来たが、迷っているほどに時間は無いので、乗り換えて岐阜へ直行することに決定!!
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太多線経由、岐阜行のDC列車に乗り込むと、ちょうど下校時刻だったようでちょっと混んでる感じだったが、それでもなんとか空席があった。 さて、太多線というのはどんな車窓が見られるか、そして、美濃太田~岐阜は・・・。
太多線は美濃太田と多治見を結ぶローカル支線。駅間距離は思ったより短く小まめに停車して行く感じ。車窓は取り立てて特徴のあるもの��は無かった。
そして、美濃太田からは高山本線。本線とは言っても実際は非電化単線のローカル線で駅間距離も長く、途中の鵜沼からは名鉄各務原線が平行しているので、昔ながらの姿をしているのも当然と言えば当然。
太多線よりも駅間距離が長くなり、途中の交換待ちも長めになり、いくら三角形の一辺を走って、ショートカットしたとは言え、長閑すぎる岐阜行DCの光景でありました。
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長閑な走りをしながら、無事に岐阜駅に到着。長いホームにそぐわない短い2両編成の気動車は、本線とはいえローカル線なんだなぁと思いました。
岐阜駅を通ることは、新幹線開業後は2・3回はあったかも知れませんが、その時の印象は地平時代のものだったと思われます。
立派な高架駅となっていますが、なんだか殺風景だなという感じがしました。ターミナル駅らしい賑やかさ、人通りが見られません。
とにかく翌日のぷらっとこだまのチケットを確保しないと、平成第一阿房列車の行路を無事終えることが出来ません。 JR東海ツアーズの窓口に向かってチケットを購入しようと席に座っていたら、いつまで経っても声を掛けて貰えません。どうも反対側の入口にある整理券を取らないと行けなかったようです。 疲れていたこともあり、注意力が欠けていたのか、自分が入ったところには整理券についての案内が無かったような??? 係員の対応に苛っとしながらも、チケットが目的ですので、手早く手続きをして無事に購入。そして、スマホの地図を道案内にして、この日の宿泊先、ダイワロイネットホテル岐阜へと向かいました。
ダイワロイネットホテル岐阜にチェックイン。
言わずと知れた宿泊特化型のチェーンホテル(ビジネスホテル)。 なんと言ってもホテルで宿泊というのは、この時までは両手で数えられるほどだったので、ホテルに関連する知識は皆無に近い状態だった。 たまたま、前泊で新横浜のダイワロイネットホテルを利用したと��ろコスパがとっても良くて、ビジネスホテルも良いものだと感心したことから、今回の旅先でも利用することにした。
内田百間先生は、名士であらせられるので、若干の例外がいくつかあるものの、阿房列車の旅先ではそれ相応の旅館に宿泊されていた。
自分はそんなお偉い方では勿論無いので、身分相応、それでも少しでも快適な宿泊先を選びたいと思うのは無理もない話。 ダイワロイネットホテルは、基本的にはシングルルームでも18㎡以上。ベッドもセミダブルはあるのでゆったり。アメニティもそれ相応、レベルは並以上。さらに浴室、浴槽もゆったりしているので、旅の疲れを休めるには打ってつけと言って良いと思う。
ダイワロイネットホテルの会員には、既に新横浜で利用した時に登録済み。そうすればチェックイン、精算も簡単にできるし、会員証がカードキーになるので、これもまた便利。
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荷物を置いてひと心地ついて、さて、今夜のプランは・・・呑んべも歩けば旨い酒に当たる・・・ではないが、この旅の楽しみは、行き先までの行路だけでなく、その県の銘酒にお気に入りがあれば、そのお酒を適正価格で提供してくれるお店を探して、さらに新しいお酒を知ることと美味しい肴を楽しむこと。
旅館での宿泊だと、今では素泊まりというもかなり多くなっているが、どうしても2食付きや2人以上というのが原則のようで、独り旅には使いにくい。 その点、宿泊特化型ホテルは素泊まり基本なので、街に出かけて美味しいお酒と肴を探す楽しみもある。
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さて、岐阜と言えば小左衛門がお気に入り。そこで、ネットでこのお酒を提供しているお店を検索。いくつかヒットするが、自分が適正価格(売価×2~3以内)とするお店が見つかった。
マルコさんというお店。所在地は長良川の向こう側にあるので、市内中心部からは離れている。取り敢えず予約の電話を入れてから出かけることにする。
地理不案内なので、タクシーをつかって出向くことにした。
夕暮れ時の岐阜市内中心部を通り抜け、鍵型に大通が曲がっていて???と思いながら、この辺に岐阜城があるんだろうと・・・長良川を渡るとなんだか住宅街のような雰囲気になり、表通りから1本入った所に目指すお店があった。
まだ早い時間帯だったので先客はなし。
旅先だということを話して、メニューを見てみると、ちょっと量が多めと、お値段が・・・独り客より、2人で来てくつろぐ隠れ家的なお店の感じ。
お店の方はとても感じの良い方で、独りなので半分量でも出せるということだったので、それでお願いすることにした。もちろんお酒は小左衛門。
少しずつお客さんが増えてきて、やはり常連さんで2人という方達が多い。場所的にも感じた通りのお店。ちょっと自分が場違いな感じがしてきたので、ひと区切りしたところでお店を後にする。
ちょっと物足りなさを感じたけれども、小左衛門と美味しい料理を楽しめたので、それなりの満足感を感じながらお店を出てさてどうしよう・・・ホテルに帰るのに、どうやって帰るか・・・まだ時間が早いのでバスで帰るかと考えた。
またまたマップの登場。今でもそうだが、基本的にはGoogleMapを利用している。表示が柔らくて見やすいので愛用している。
調べれば表通りの近くにバス停マーク。これなら直ぐに行けると歩いて向かう。バス停の時刻表を眺めると、思った以上にバスの本数が多く、差ほど待つこともなくバスがやって来た。
行きのタクシーが2000円弱だったので、帰りはいくらかかるか、地方の場合は均一性で無く、区間制を取っているところが多いので・・・ちょっと不安・・・ところが、最寄りバス停で下車時に払った運賃は、180円?! うぅ~む。10分の一とは、いくら何でも金額が違い過ぎる。これからは、しっかり公共交通機関を調べるか、徒歩で行けるならそうしようと固く決意?をしました。
往路があれば復路が必ずある。一泊二日の旅は、ある意味あっけないもので、目が醒めたら帰ることしか考えない。とても味気ない感じがする。 *************** さて、翌日になれば当然、帰りの行路となる訳で、ぷらっとこだまの時間に合わせて、名古屋に着いていないといけない。 時間を逆算して、ホテルのチェックアウト時間を確かめて、そう言えばダイワロイネットホテルはチェックアウト時間が11時と、一般的な宿泊特化型ホテルよりゆったりしている。1時間の違いは、朝の時間の使い方にけっこう影響するものだ。 *************** チェックアウトして名鉄の名鉄岐阜に向かう。この駅は、元々別の鉄道だった会社が、合併して名鉄になったという歴史がある。そのためだろうか、名鉄本線と各務原線のホームが直角に近い角度になっているので、別の駅だった名残がハッキリわかる。 東急蒲田駅も目蒲線(多摩川線)��池上線が並んで発着しているが、その昔はライバル会社だったこともあり、直角で各線のホームが配置されていた歴史がある。 荷物があるので特急列車のミューチケットを購入。一般車と併結されているが、客室のレベルは料金以上に差があると思う。 発車までかなり時間があるが、ホームに出てみれば列車は入線していた。荷物を荷棚にあげて、ポカポカ天気ということもあるので、ホームで時間つぶしをすることに・・・。 *************** 駅の雰囲気はなんだか長閑なのだが、さすがに名鉄名古屋本線の終着駅。思ったより列車の出入りが多く、特急以外の列車がそこそこ発着している。 列車がやって来るのをなんとなく見ていたら、どうもJRの高架橋前後が単線になっているみたい?! 出発列車待ちで停車している姿が見えるので、これは確かに単線になって、駅場内に入る所で再び4本に分岐している。 うぅ~む・・・確かに、配線としては合理的?かも知れないが、発着に支障が起きることも間違いない。定時に走っていれば問題無いが、遅れが生じれば運転整理が大変だと思う。 どうしてJR高架化の時に複線にしなかったのか、短区間だしそれほどの発着頻度では無いという判断か??? しかし、岐阜駅、名鉄岐阜駅周辺は、県庁所在地の玄関とは思えないほどに長閑。街の中心はもっと北になるのだが・・・かつて路面電車が走っていた頃に、日中は駅までの区間が運休となっていたのもわかる感じがする。 *************** 名鉄特急の特別車両で名鉄名古屋に向かう。名鉄は犬山線に乗車したくらいで、この区間は当然はじめての乗車になる。 そうは言っても、広い濃尾平野を快走するのだから、思ったより変化に乏しい。名鉄一宮(尾張一宮と併設)付近でJRに寄り添うと、また離れて走り続ける。 ほぼJR東海道線との並行路線だが、微妙に距離を保っているので、並走という感じは余りない。 駅間距離が短いので、どんどん駅を通過し、JRをアンダークロスするとまもなく新名古屋のアナウンス。 定時で新名古屋到着。 *************** さて、次はこだまで新幹線各駅停車の旅。名古屋~新横浜は2時間20分ちょっと。のぞみが1時間30分なので、遅いのは確かだが、急がない旅でG車なのだから、ゆったりのんびり、退避時間も楽しんで行くのがモットー。 名古屋も大ターミナルだから、おみやげはもちろん駅弁も豊富。新大阪だと八角弁当、御堂筋弁当が昔からのお気に入り。 名古屋のお気に入りは三段弁当の「なごや三昧」。おかずが2段に、鶏そぼろご飯が1段という名古屋ならではの豪華?弁当。 名古屋が食事時ならまずこれを食べる。 ぷらっとこだまは、個人旅行クーポン形式のチケットで、飲み物のチケットも着いているので、お茶はこれを使えば良い。 2時間20分の長くも短い旅。最大3本の速達列車に抜かれる鈍行新幹線。しかし、設定は3本だが季���によっては、空退避もけっこうある。 さっそく三河安城でちょっと長めの停車。さらに豊橋では長い停車・・・ちょっと駅探策・・・時間があるので調子に乗って改札口脇の売店まで遠征。豊橋名物のちくわがあったかどうか記憶にございませんが、次の機会に見つけたら買って帰ろうか・・・どうしようか?? 長い停車時間は、ホーム散策が出来るので、それほど退屈しない。 浜松、掛川、静岡と過ぎて、新富士でまた長い停車。1時間のダイヤパターンが最大10-2-2となっていて、鈍行のこだまがのんびりではなく必死に走っているのだから、駅についたら息切れが・・・ほぼ所要時間が1時間余分なので12本に抜かれることになる。 あとから画像を見て気がついたのだが、富士山を眺めるためのお立ち台?があるのを後で気がついた。 三島でも退避して、熱海はさっさと出発。小田原でも退避すれば次は下車駅新横浜。昔の新横浜を知っている者にとっては、時代の移り変わりの凄さが良くわかる。 昭和50年代になるまでは、見事な都会の中の田舎駅。新幹線の駅なのでみどりの窓口があるものの、利用者が少ないので繁忙期の予約の穴場。 今はのぞみが全列車停車するようになったし、ビジネス街になったので、新幹線の駅と表側は、当時の面影が全く無い。でも、横浜線側の雰囲気はそれほど変わっていない感じがする。 のんびりゆったりぷらっとこだまの旅を終えて、乗換改札を通って横浜線ホームへと・・・やっぱり落差を感じてしまう。 それでも、無事に平成第一阿房列車は終着駅十日市場に到着・・・\(^O^)/
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州防衛軍 - Wikipedia
竹橋事件(たけばしじけん)は、1878年(明治11年)8月23日に、竹橋付近に駐屯していた大日本帝国陸軍の近衛兵部隊が起こした武装反乱事件である。竹橋騒動、竹橋の暴動ともいわれる
背景
動機は、西南戦争における財政の削減、行賞についての不平であった。大隈邸が攻撃目標とされたのは、彼が行賞削減を企図したと言われていたためである。加えて兵役制度による壮兵制時代の兵卒への退職金の廃止、家督相続者の徴兵の免除なども不満として挙げられていた[1][2]。
7月上旬、かねてより士官に比べ兵卒の恩賞が極めて少ない事に不満を抱いていた近衛砲兵大隊第2小隊馭卒の長島竹四郎は、同馭卒小島萬助と増給を強請せんと論じた。 続いて彼らは8月上旬、近衛歩兵第2連隊第2大隊第2中隊兵卒の三添卯之助と接触し[3]、近衛砲兵大隊第1小隊馭卒高橋小三郎、小川���蔵、東京鎮台予備砲兵第1大隊の兵卒らとも接触した。反乱の機運は同予備砲兵第1大隊附内山定吾少尉、下副官梁田正直曹長、第1中隊平山荊火工下長(一等軍曹相当官)ら将校下士官も巻き込み、決起の計画が練られた。
近衛鎮台では将校や下士官への不信感から兵卒だけで決起せんとしていたが、東京鎮台予備砲隊では「近頃兵卒は何かと将校を軽蔑する節がある、理非の分別もなく百姓一揆の様な事を起こしては不都合である」との平山火工下長から内山少尉への提案により全隊が決起する予定となり[4]、大隊長の岡本柳之助少佐も決起には絶対反対と言う立場ではなかった[5]。このほか、近衛工兵中隊の第2小隊にも接触が行われているが、彼らは呼応には至らなかった。
旗を用いて合図を送ったり、「龍興」「龍野」等の暗号、「龍」→「龍起」[6]、「偶日」→「奇日」等の合言葉を作成する等、計画的なものであった。
内務省の判任官十等属・西村織兵衛は事件の起こる直前の夕方、神田橋の公衆便所で3人の近衛兵が便所の外で叛乱計画の謀議を行っている事を知り、内務省に立ち戻り大書記官武井守正に急を知らせた。この通報により蹶起計画は事前に漏れていたのだが、阻止することはできなかった[7]。
事件経過
午後11時、橋西詰にあった近衛砲兵大隊竹橋部隊を中心とした反乱兵計259名が山砲2門を引き出して蜂起し、騒ぎを聞いて駆けつけた大隊長・宇都宮茂敏少佐、続いて週番士官・深沢巳吉大尉を殺害した。
一方の東京鎮台予備砲隊は、岡本少佐が突如内山少尉の提案を退け静観の姿勢へと転換、午後10時飛鳥山への行軍を開始した。暴動発生後も参加を勧める部下を抑え、そのまま飛鳥山で宿泊した[5]。
砲兵隊の門前を出ると、既に近衛歩兵第1、第2連隊が出動しており、これと銃撃戦になった。戦闘に紛れて反乱軍は大蔵卿大隈重信公邸に銃撃を加え、営内の厩や周辺住居数軒に放火。この一時間にわたる戦闘で鎮圧軍側では坂元彪少尉ら2名が死亡し、4名が負傷。対する反乱軍側も6人が死亡し、70名以上が捕縛された。
この戦闘で小銃弾を大幅に消耗してしまった反乱軍は午後12時、やむをえず天皇のいる赤坂仮皇居へと向かい、集まる参議を虜らえようとした。この���中で、さらに20余名が馬で駆け付けた近衛局の週番士官の説得に応じて投降、営舍へ戻った。残る94名は仮皇居である赤坂離宮に到着すると、騒ぎを諌めようとした近衛局当直士官・磯林真三中尉に誘導され、正門へ到着し、「嘆願の趣きあり」 と叫んだ。
正門を警備している西寛二郎少佐率いる近衛歩兵隊が一行を阻止し、武器を渡せと叫ぶと、反乱側代表として前へ出た兵士は一瞬斬り掛る風を見せたが、士官の背後に近衛歩兵一個中隊が銃を構えているのを見て、士気を喪失し、刀を差し出した。続いて絶望したリーダー格の一兵士大久保忠八が銃口を腹に当てて自決した。これをしおに、残り全員が午前1時半をもって武装解除し投降。蜂起してからわずか2時間半後のことであった。
一方、東京鎮台予備砲隊では内山少尉が数名の部下を連れ赤羽火薬庫まで弾薬を取りに行くが、時既に暴動は鎮圧されていた[5]。
同日午前8時、早くも陸軍裁判所で逮捕者への尋問が始められた。裁判長は黒川通軌、評事山川浩中佐、権評事・伏谷惇および阪元純煕少佐、参座国司順正中佐、西寛二郎少佐、鑑岡信綱少佐、大島久直少佐がつとめ[8]、10月15日に判決が下された。 騒乱に加わった者のうち、三添ら55名は同日銃殺刑(うち2名は翌年4月10日処刑)、内山定吾少尉ら118名が准流刑(内山はのちに大赦)、懲役刑15名、鞭打ち及び禁固刑1名、4名が禁固刑に処せられている。士官でも岡本少佐のほか、近衛砲兵大隊第2小隊長[9]の津田震一郎大尉、松尾三代太郎騎兵大尉らが官職剥奪で除隊、甲斐宗義大尉が降官、川上親枝中尉、池田綱平少尉、松村恒久大尉らが停職となった[10]。事件に直接参加していない兵士、民間人1名を含め、全体で処罰を受けたものは394名だった。
影響
のちに日本軍の思想統一を図る軍人勅諭発案や、軍内部の秩序を維持する憲兵創設のきっかけとなり、また近衛兵以外の皇居警備組織として門部(後の皇宮警察)を設置するきっかけとなった。事件の内容は明治11年の各新聞に時系列を含めて詳細な行動が広く伝えられ、新聞社は号外も出したほどだった。陸軍省も竹橋事件についての発表を行い、各府県に通達し、それを新聞も報道している。近年では、行動の背景に自由民権思想の影響があったとも考えられている[11]。
伝習隊(でんしゅうたい)とは、江戸幕府が陸軍(幕府歩兵)の精鋭部隊として編成し、フランス軍事顧問団の直接指導を受けた西洋式軍隊のこと。戊辰戦争では旧幕府軍の主力となり、隊長の大鳥圭介は箱館政権において陸軍最高位の陸軍奉行となった。
幕府陸軍(ばくふりくぐん)は、幕末に江戸幕府が整備した陸上戦闘を任務とした西洋式軍備の陸軍である。文久2年(1862年)、幕府の軍制改革で対外防衛と国内体制維持を目的として創設された。長州征討や天狗党の乱などで実戦を経験し、大政奉還により幕府が消滅した後も所属部隊の多くが戊辰戦争で戦闘を続けた。幕府陸軍に対して海上任務を想定した幕府海軍も存在しており、これらをまとめて幕府軍と呼称する場合が多い。
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【告】
11月24日(土)
SELECTED by LVDB BOOKS
開場 15:00 開演 15:30
予約 2,500円 当日 3,000円 ※学生証提示で予約・当日ともに2,000円
会場:外 soto(京都市左京区鹿ケ谷法然院西町18)
※店舗も休まず営業いたします。
出演:
ジョンのサン
梁崑玖 Yan Conk / ニュースミス (岡村基紀、大橋満之)+船川翔司
小川さくら
ジョンのサンはいつもクール ジョンのサンは工夫がクール 2011年『No,Sir.』というCDを買った 22曲入っていて、気がついたらいつも16曲目くらいだった 山道でJAFの世話になったときも聴いていた 初めてジョンのサンのライブを見たあと 黙って焼肉を食べながら見逃してきたジョンのサンについて考えた パーカーの紐、味噌、デイヴィッド・ホックニー、車、風呂椅子、ペンギンのハンカチ などを経て今があり、これからがある ジョンのサンを見ているとき インターネットの存在が頭の中から完全に消えている 南米、中東の人たちはどうやってジョンのサンを見つけるのだろう 東欧、アフリカの、ジョンのサンと偶然にも一致するクールさを備えたバンドを 僕はどうやって見つければいいのだろう とにかくあなたはジョンのサンを見つけた
chuck sue 福西悟一
ジョンのサン 「月」と「太陽」が同時に昇るめでたい夢を見た朝に、ある母がオウオウえずいて生まれた子供たち、日進市東側の中学校から、西側の高校に出した驚くべき筆圧の願書も無事受理、butthole surfersを見てバンドを始め、2005年は8月3日水曜日、数にして100以上のタニシをことごとく踏みつけ、それからというもの鳴りやまない電話にすっかり受話器を浮かせてしまった、 いまやママンによるあの金色の空想も無事カムトゥルー、つまりは、説明するのもまた野暮ですが、音楽への溜まったツケを、月掛け日掛け心掛けのなしくずしで返しているという意味でです、オウオウ!まず最初の括弧が一番野暮~~ 血のにじむようなスタジオ練習をしますのでよろしくお願いしますiPhoneから送信
岡村基紀 odd eyesとYan Conkにギターで参加。 兵庫県生まれ。エレキギターとアコースティックギターを演奏。
船川翔司 1987年生まれ。鹿児島県生まれ大阪府在住。 『辺境』となるシュチュエーションを展開することを目的として、パフォーマンスや展示などを行う。Yakata(さや+船川翔司)、アキビンオオケストラなど。
小川さくら フォークシンガー。1992年、大分県別府市生まれ。学生時より女友達とロックバンドを組む。解散後、ひとり歌い続け京都へ移住。身近な生活に基づいた2枚の自主音源を制作し、現在フルアルバムを高円寺・円盤と制作中。
http://soto-kyoto.jp/
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吾国山後方に巨大な積乱雲 Yahoo天気予報で雷雲を調べると、福島市に上空周辺に発生した積乱雲の高さは8,000m以上で、成層圏に達しており、福島市まで100km程の距離があっても、エベレストの高さに匹敵するので、遠くからでもよく見える⛈️⚡ 夕方の6時でも、32℃近くの外気温が暑いので、こたろうと散歩しながら9月に開通予定の橋梁の下で、水遊び🐕💧💦 田んぼからの足尾山 恋瀬川にハグロトンボ(胴体が金緑色なのでオス) #iPhone日記 #積乱雲 #恋瀬川 #夕暮れ #吾国山 #足尾山 #ハグロトンボ #こたろう🐶❤︎ https://www.instagram.com/p/CSJkJT0pVwL/?utm_medium=tumblr
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そのセレモニーは、新国立競技場に1台のバイクが颯爽と走ってくるシーンから幕を開けるはずだった。大友克洋氏の漫画『AKIRA』の主人公の愛車、赤いバイクだ。会場に映し出されるカウントダウンの数字。ゼロになると、中央のドームが開き、ステージに3人の女性が姿を見せる。Perfumeだ。会場には、彼女たちをプロデュースする中田ヤスタカ氏の書き下ろし楽曲が流れている。 Perfumeの出演は幻に終わった 全ての画像を見る(23枚) 精魂込めて作り上げた210分間のステージが、全世界の人々を虜にし、アスリートたちの背中を押していく。演出振付家・MIKIKO氏と彼女が率いてきたチームにとって、東京五輪の開会式はそんな晴れ舞台となるに違いなかった。 演出責任者だったMIKIKO氏 ところが、7月23日の夜8時に始まった実際の開会式は、MIKIKO氏が思い描いてきたものとは、全く別物になっていた。 彼女たちの演出案を間近で見てきた五輪組織委員会中枢の一人は、小誌の取材にこう漏らすのだった。 「どうして、こんなことになってしまったのか……」 ◇ 演出責任者が次々に交代するなど、異例の経緯を辿った五輪開会式。その混乱は直前まで続いていた。 「本番4日前の7月19日に、作曲担当だった小山田圭吾氏が過去に“障がい者イジメ”を自慢するような発言をしていたとして辞任に追い込まれた。さらに7月22日には、ショーディレクターとして演出を統括していた小林賢太郎氏も、過去にコントでホロコーストを揶揄していたことが発覚し、解任されてしまったのです」(五輪担当記者) “障がい者イジメ”が発覚した小山田氏 東京五輪が掲げるメッセージを世界に打ち出し、アスリートが一堂に会する舞台だったはずの開会式。最高の演出を実現するために、多額の税金も投じられてきた。開閉会式などの予算は招致段階では91億円だったが、19年時点で130億円に増大。延期に伴って予算は増額され、165億円まで膨らんでいる。 「組織委の橋本聖子会長らは開会式が終わったことに安堵していますが、一件落着でいいはずがありません。実際には演出は迷走に迷走を重ね、予算も時間も浪費され、多くの人が傷ついた末に本番を迎えてしまったのです」(政府関係者) 組織委の橋本会長 MIKIKO案での森山未來 問題の根底には一体、何があるのか。小誌は今回、多くの関係者を通じ、昨年4月から今年7月にかけて作成された開会式の台本11冊を入手した。計1199頁に上る膨大な資料。そこから浮き彫りになったのは、開会式が“崩壊”していく一部始終だった――。 「本来なら、この台本で本番を迎える予定でした」 そう嘆くのは、MIKIKOチームの関係者。19年6月3日、能楽師の野村萬斎に代わり、演出責任者に起用されたのが、MIKIKO氏だった。 「この時点で、中身は全くの白紙状態。しかし、チームの総力を結集し、演出内容やキャスティング、衣装プランなどを固めていったのです」(同前) それらをまとめたものが、IOCにもプレゼンした昨年4月6日付の台本だ。タレントの渡辺直美が「かっこよすぎ」と絶賛し、IOCのセレモニー担当者も「よくここまで作り上げた」と評価した“幻の開会式”。小誌4月8日号でも一部を報じたが、その完全版を改めて紹介しよう。 NY在住の渡辺直美 冒頭で触れたように、会場に赤いバイクが颯爽と走ってくるところで幕を開ける。Perfumeがステージ上でパフォーマンス。プロジェクションマッピングを駆使し、東京の街や張り巡らされた地下鉄の路線が次々浮かび上がる。 舞台上でダンスを披露する3人組。東京五輪開会式では決して見られなかったシーンだが…… ワイヤーフレームで作られた車で登場するのは、ダンサー兼歌手の三浦大知。映し出された三浦の顔が徐々に木の根へと変貌し、会場中に広がった根は巨木となって空へ向かっていく。 樹木の生命力そのままに女優・土屋太鳳と、世界的ダンサーの辻本知彦が舞う。茶室の形をした光るフレームにあわせて踊るのは、こちらも世界的ダンサー・菅原小春だ。 世界的ダンサーの辻本知彦氏や、朝ドラ女優の土屋太鳳も開会式に登場する予定だった 会場に現れた「ネオ東京」で跳躍するのは、ダンスユニット・東京ゲゲゲイ。フィールドには、大友氏が新たに描き下ろした「ネオ東京」も映し出されていく。 鈴の音とともに、会場の中央をスポットライトが照らす。光を浴びるのは俳優・森山未來。森山が舞うと、その動きにあわせて、周囲の空間に映し出された幾何学模様が波を打つ。 MIKIKO時代には、光っている杖を使ったパフォーマンスが予定されていた森山未來 64年大会の競技映像を振り返り、渡辺直美が「READY?」と合図を送る。女性ダンサーたちが、ひとりでに走る光る球と呼吸をあわせて舞う。 世界大陸を模したステージの合間を各国のアスリートが行進。天皇の挨拶が終わると、ステージが世界大陸から鳩のフォルムに。空からは、鳩を象った無数の紙飛行機が降ってくる。 競技紹介は任天堂の宮本茂代表取締役が監修し、スーパーマリオやインベーダーゲームのキャラクターのCGが盛り上げていく。 ピクトグラムだった競技紹介は、最先端のコンピューターグラフィックスも駆使した演出に ステージは巨大な聖火ランナーの形へと三たび変化し、その周りをランナーが走る。最終ランナーがステージの心臓部に火を点けると、ステージを縁取るように花火が上がり、そびえ立つ聖火台が燃え盛る――。 「この企画案の特徴は、最新のテクノロジーと人間の身体表現とを絶妙に融合させていること。『コロナ前に作ったものだから派手にできた』と言われるかもしれませんが、そういう次元のものではありません。シーンの1つ1つが丁寧に作り込まれ、生命が吹き込まれている。一度で良いからホンモノを見て頂きたかった……」(IOC関係者) 表紙に〈Confidential〉の文字 ところがこの僅か1カ月後の昨年5月11日、MIKIKO氏は、電通代表取締役で「五輪事業を仕切ってきた」(電通関係者)髙田佳夫氏らによって“排除”されてしまう。代わりに責任者に就いたのが、髙田氏と電通同期のCMクリエイター・佐々木宏氏だ。 「衣装や舞台装置の準備を進めていたMIKIKOチーム案を再び白紙に戻したことで、億単位の費用が無駄になりました」(同前) そしてこの後の台本では完成していた企画案が無残に切り刻まれ、MIKIKO氏は絶望してしまう。 「昨年8月18日、佐々木氏はMIKIKO氏を呼び出し、現状の案を説明しました。が、それは彼女の案を切り貼りしたものだったのです」(同前) 実際は、どういう内容だったのか。昨年10月4日付の構成案を見てみよう。表紙には、佐々木氏の名前や古巣である電通のクレジットが掲載されている。 〈点→線→面→立体→空間→時間〉と、ザックリとした構成が冒頭に記されている企画案。そこには『AKIRA』の演出も描かれていた。MIKIKOチームはオープニングで使用していたが、佐々木氏のプランでは後半へと移行。主人公役に想定されているのは、俳優の菅田将暉だ。 前出のMIKIKOチーム関係者が憤る。 「確かに、主人公を菅田君に、という案はMIKIKO時代にも上がっていました。しかし主人公が乗るバイクは特殊な改造がされ、会場を実際に走るのは危ない。運転に長けた専門のキャストに任せようという結論になりました。ところが佐々木氏は一度やった議論を蒸し返した上に、開会式のストーリーを全く無視した形で企画を切り貼りしています」 さらにレディー・ガガが赤い帽子をかぶってマリオの土管に入ると、同じ格好の渡辺直美に入れ替わるというサプライズ演出も描かれていた。ただ、佐々木氏の思い付きに留まっているのか、レディー・ガガの箇所には〈やってくれたらの話です〉と断り書きが記されていた。他方で、任天堂が監修していた競技紹介はこの頃から、ピクトグラム隊による〈コメディパフォーマンス〉に変わっている。 昨年10月時点の佐々木氏案にはレディー・ガガと渡辺直美が それだけではない。〈その他の案。〉として記されているのが、木材を使った五輪マークの周囲を火消しの男性たちが取り囲むイラスト。さらにフィナーレを飾るのは、歌舞伎俳優・市川海老蔵と野村萬斎だ。 森氏が強く推した市川海老蔵 「いずれも“政治案件”です。江戸文化である火消しは、小池百合子都知事がMIKIKO時代から、演出チーム側に『演出に入れて。絶対よ』と求めていました。都知事選で、火消し団体の支援を受けた“恩返し”の意味もあるのでしょう。一方、海老蔵は、組織委の森喜朗会長(当時)が『マストで』と押し込んできた案件。本番でも披露された『暫(しばらく)』の演目と衣装は、当時から指定されていたものです」(組織委関係者) ただ、あくまで中身を優先しようと考えていたMIKIKO氏は、火消しと海老蔵という“政治案件”は、思い描く演出内容に合わないと頭を抱えていた。実際、昨年4月6日付の台本からは、両者が外れている。 「ところが、佐々木氏はそれらをあっさり復活させました。“政治案件”も巧みに捌き、利���を最大化する電通出身者らしいやり方です。アイデアの盗用をはじめ、佐々木氏や電通の不誠実な対応を許せなかったMIKIKO氏は昨年11月9日、組織委に辞任届を提出しました」(同前) それから約1カ月後の昨年12月8日版の台本。ここから紹介する台本には全て表紙に〈Confidential〉の文字が刻まれている。 「竹中も許されないと考えて」 有観客開催なら“前座”として行われるはずだったプレショーのMCには、芸人の山口智充とタレントのSHELLY。オープニングでエアロバイクを漕ぐ女性には、元AKB48の秋元才加の名前が記されている。12月21日版では大工の棟梁役で、俳優・松重豊の名前も新たに登場した。 ところが、キャスティングは難航したようだ。年明けの今年1月19日版の台本になると、エアロバイクを漕ぐ女性から秋元の名前が消え、代わりに、 〈稲村亜美が良さそう(イモトもいいが)→スケジュール軽アタリ〉 と、軽い調子のメモが付記されている。稲村は「野球女子」で知られるタレント、イモトは芸人のイモトアヤコだろうか。 だが、キャスティング調整をしていた最中の3月18日、佐々木氏が侮辱演出案を巡る問題で責任者を辞任。ここが“MIKIKO氏排除”に続く2つ目のターニングポイントだった。 組織委幹部が指摘する。 「組織委から開会式の業務委託を受けていたのは、電通でした。予算や進行などの実権は電通が握っていた。ところが、髙田氏や佐々木氏がMIKIKO氏を外していく過程が明るみに出たことで、電通が一歩引く態勢とならざるを得なくなりました。代わりに寄り合い所帯の組織委が仕切ることになったのですが、人選など全て演出チームに丸投げで、今度はガバナンスが効かなくなったのです」 佐々木氏に代わって責任者に任じられたのが、後にホロコーストを揶揄した問題で解任される小林氏だ。 「サブカル界では有名だった小林氏は昨年8月、佐々木氏から『開会式を手伝ってほしい』と持ちかけられ、承諾しています。昨年12月23日にMIKIKO氏らが中心だった演出チームは正式に解散しましたが、佐々木氏や小林氏は新しい演出チームに残った。そうした流れもあり、小林氏が演出を統括することになりました。こうしたサブカル人脈の中で“渋谷系”の代表格、小山田氏の作曲担当での起用も決まっていきます。ただ、小林氏はダンスパフォーマンスの経験に乏しい。なかなか演出ビジョンが定まらず、精神的にもかなり追い詰められていました」(演出関係者) 解任された小林氏(左)は、佐々木氏が引っ張ってきた 残り1カ月を切った6月27日付の台本。この段階では『AKIRA』の演出は無くなり、プレショーのMCも山口とSHELLYから、フリーアナウンサーの平井理央へ変更。が、無観客開催が決まり、翌月にはプレショーの企画は消滅する。一方で〈森山未來さんによる追悼パフォーマンス〉は〈構成調整中〉と注意書きがあり、ギリギリまで調整が行われていた。 そして本番5日前、7月18日付の台本。表紙には〈IMAGINE尺確定〉〈栄誉賞VTR 尺確定〉〈国歌斉唱 TC微修正〉など前台本からの変更点が記され、完成形へと近づいていく。だが、この翌19日に小山田氏が辞任、さらに3日後の22日に小林氏が解任されてしまうのだ。 さらに――。 「公表されていませんが、本番直前に『第二の小山田』とも言える著名人が出演を辞退しているのです」 そう明かすのは、開会式関係者の一人だ。 「本番では大工の棟梁役を元宝塚女優の真矢ミキが演じましたが、21日に行われた通しリハーサルでは、棟梁役は真矢と、俳優の竹中直人の2人でした。もともと松重の起用が検討されていた役どころです。竹中はノリノリで大工たちを盛り上げ、図面を見ながら指示を出す演技をしていた。ところが小林氏が解任された22日、竹中も辞任を申し出たのです」(同前) 大工の棟梁役で登場した真矢ミキ(NHKより) 彼に何があったのか。別の組織委関係者が続ける。 「小山田氏の問題が発覚してから、組織委は慌てて開会式スタッフの“身体検査”を行いました。それに引っかかったのではないか、と。実際、竹中は85年に『竹中直人の放送禁止テレビ』というオリジナルビデオを発表していますが、障がい者を揶揄するようなコントを演じているのです」 ビデオは内容が過激だったために、版元が自主回収したとされているが、小誌は独自に内容の一部を確認した。映像には、信号機のメロディを頼りに横断歩道を渡る視覚障がい者のモノマネか、竹中をはじめとした一行がリズミカルに白杖を振り回し、笑いを取る場面が収められている。屍姦四十八手として、竹中が死体を模したセーラー服姿のマネキンに様々な性的いたずらをするコントもあった。 小誌は7月25日、竹中に声を掛けたが、 「事務所を通して下さい」 と語るのみ。事務所に事実確認を求めると、マネージャーが取材に応じた。 竹中直人も本番2日前までは…… 「『放送禁止テレビ』が原因で辞任したのは事実です。小山田さんの問題が浮上した時、竹中本人から『36年前にこういう作品に出演している』と連絡があり、辞退したいと申し出てきた。ただ、この作品では竹中は演者。企画者でもプロデューサーでもないので、私は『予定通りお願いします』と。しかし小林さんが解任された際、コントでの言動が問題になった。これでは竹中も許されないと考えて、竹中から組織委に申し入れ、承認されました」 この作品を巡っては、過去にも抗議を受け、竹中が障がい者団体に謝罪に行ったこともあったという。 森氏が強く主張した松井秀喜 「契約上はリハーサルに出た日数の日当はもらえると思いますが、こちらとしては、リハの報酬は受け取らない意向です」(同前) 混迷を極めた末に迎えた7月23日の本番。小山田氏が担当していた冒頭の4分間は、別の曲に置き換えられたが、小林氏のカラーは随所に残っていた。 「劇団ひとりのコントやなだぎ武によるテレビクルーの寸劇がありましたが、いずれも小林氏テイスト。なだぎは、小林氏が作・演出を手掛けるコント公演にも出演している。劇団ひとりについても、発売中止になった開会式のパンフレットで、小林氏が『懐かしい友人』などと紹介しています」(前出・演出関係者) かたや花形の一つ、入場行進では「ドラゴンクエスト」など、世界的に有名なゲームの楽曲が19曲流れた。だが、6月16日付の〈MUSIC LIST〉の選手入場の項目を見ると、本番で流れなかった5曲の曲名が記されている。「ゼルダの伝説」のメインテーマや「スーパーマリオブラザーズ」のスーパーマリオ組曲、「ポケットモンスター」のオープニング……共通点はただ1つ、「任天堂ソング」ということだ。 マリオやゼルダなど任天堂ソングも 「MIKIKOチームでは競技紹介を任天堂に監修してもらいましたが、代表取締役の宮本氏は自ら本社のある京都から毎週のように上京し、会議を重ねていました。しかし佐々木氏に実権が移った後、彼は競技紹介をあっさりピクトグラムに変えた。そのことには、任天堂側も複雑な思いがあるのでしょう。結局、本番直前で任天堂の曲は全て外されました」(別の電通関係者。任天堂は「当社は回答する立場にございません」) そんな中で、多くの国民が驚いたのが、ドローンによる演出だろう。 「夜空に浮かぶ1824機のドローンが、一糸乱れぬ隊列で五輪のエンブレムから地球に変化するパフォーマンスを見せた。全体的に評判が芳しくない開会式で『地球ドローンだけは良かった』という声も出ています」(前出・記者) 本番で披露された地球ドローン ところが――。 MIKIKO時代の演出を知るスタッフが訴える。 「あれはMIKIKO体制の時に、テクニカルチームが苦労して作り上げた演出の“パクリ”。それを、今の演出チームは断りも無く流用しているのです」 MIKIKOチームの地球ドローン ドローンのパフォーマンスは、五輪のスポンサーでもある米インテル社が全面的に技術協力している。 「MIKIKO時代のテクニカルチームは、インテルのドローンチームと打ち合わせをするため、彼らの拠点であるドイツに渡航したりもしました。今の技術力でできることは何か、試行を繰り返して演出プランを完成させた。単にドローンのパフォーマンスだけでは、インテルの技術発表会になってしまう。そこで、MIKIKOチームでは会場でのプロジェクションやAR(拡張現実)と連動させる演出を考えていました。それを、本番ではドローン演出だけ“つまみ食い”しているのです」(同前) 様々な案が浮かんでは消え、アイデアがつまみ食いされ、クリエイターたちが傷ついていく中で、最後まで残ったのは、小池氏の火消しと森氏の海老蔵。2つの“政治案件”だった。 「開会式のクライマックスである最終聖火ランナーは、プロテニス選手の大坂なおみでした。ただ、彼女が選出された過程にも、政治やIOCの影が色濃く出ています」(別の組織委幹部) 大坂なおみ 実は、今年2月までは別の人物が最終聖火ランナーの予定だった。 「本番でも走った王貞治氏、長嶋茂雄氏、松井秀喜氏の3名です。長嶋氏については演出チーム側も推薦していましたが、松井氏の場合は、地元・石川県で彼の後援会の名誉会長を務めた森氏が強く主張し、候補者リストに入りました。ところが、森氏が“女性蔑視”発言で組織委の会長を辞任したことで状況は一変。今度は、IOCが掲げる『多様性と調和』を体現する存在として、大坂に白羽の矢が立ちました。本人に打診したのは、森氏の辞任から間もない3月です」(同前) 聖火ランナーを務めた王、長嶋、松井の3氏 大坂の直前には、被災地の子どもたち6人が走ったが、「復興五輪」の象徴として彼らを最終ランナーにする案はなかったのか。 IOCが拒否した「復興五輪」 「IOCは以前から演出側に『世界で困っているのは、東北だけではない。特定の震災を限定的に取り上げるのはダメ』と伝えていました。MIKIKOチームの演出には当初、黙祷シーンも入っ��いましたが、これもIOCから『外せ』と指示を受けた。それほど、IOCは復興五輪には否定的だったのです」(同前) 一方で、IOCが挿入を強く求めてきた点もあった。 「本番でも、開会式のストーリー展開を寸断するように流れた『Imagine』はIOCの強いリクエスト。18年の平昌五輪の時にIOC側が『今後はImagineを必ず開会式で流したい』と言い出し、今回の演出チームはこの要望を受け入れました。結果、演出としての作品性や復興五輪などの理念よりも、IOCや政治家など発言権が大きい人たちの意向に沿った開会式となったのです」(同前) ◇ 開会式から3日後の7月26日。ドローン演出の“パクリ”や竹中の辞任など一連の問題について、組織委に確認を求めたが、期日までに返事はなかった。 MIKIKO氏の排除に関与し、小林氏らを演出陣に加えた佐々木氏に開会式の感想を尋ねたところ、 「はい、見ました。あとは、お答えできません」 では、本来、開会式を万感の思いで見つめていたはずの人物――MIKIKO氏は今、何を思うのか。彼女の携帯を鳴らすと、言葉少なにこう語るのだった。 「お話しできることは何もありません。今は直近のライブに向けて、全力で取り組んでいます」 東京のため、アスリートのため、最高の演出を目指したはずのクリエイターたちが蔑ろにされ、最後までIOCや政治家、電通の要望ばかりが優先された開会式。MIKIKO氏は昨年10月16日、電通幹部らにこんなメールを送っていた。 〈このやり方を繰り返していることの怖さを私は訴えていかないと本当に日本は終わってしまう〉 アスリートが敗北から立ち直るように、この失敗から我々も学ばなければ、彼女の言葉は現実のものになりかねない。 source : 週刊文春 2021年8月5日号
台本11冊を入手 五輪開会式“崩壊” 全内幕 計1199ページにすべての変遷が | 週刊文春 電子版
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「消滅可能性」744自治体 人口戦略会議 239自治体が脱却 / 日本農業新聞
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北海道「100年続く路線廃線」で考える街の再生
10/23(金)
東洋経済オンライン
北海道「100年続く路線廃線」で考える街の再生
JR北海道の厳しい経営状況を伝える報道が相次いでいる。その象徴が廃線。2015年の高波やその後の台風による土砂流出などの被害の影響で運休し、バス代行運転が行われている日高本線の鵡川ー様似間(116㌔)が来年4月に廃線になる。JR北海道と沿線7町が合意した。10月23日に覚書を締結する。
日高本線(苫小牧ー様似)のルーツは、1927年(昭和2年)に国に買収された苫小牧軽便鉄道・日高拓殖鉄道(苫小牧ー静内)だ。その後の延伸工事で1937年に様似(様似町)まで開通した。
日高本線は太平洋沿岸の美しい海の光景とサラブレッドが放牧されているのどかな牧場風景を眺めながら旅ができる素晴らしい路線だった。そして、地元の高校生の通学の足でもあった。だが、2015年に鵡川ー様似間が運休になって以来、ついに復活の日は訪れなかった。
■廃線にするのは惜しい日高本線
日高本線は、2016年にJR北海道が発表した単独維持困難路線の1つで、1日あたりの平均輸送量を示す輸送密度(1日1キ��当たりの平均人数)は年々減少の一途をたどっていた。
鵡川ー様似間の輸送密度は、1975年(昭和50年)には1740��だったのが、1989年(平成元年)には538人に減少。高波被害直前の2014年(平成26年)には186人と、1975年の10.7%の水準にまで落ち込んでいた。
2014年の乗車実績を駅ごとに見ると、鵡川ー様似間全25駅のうち乗車人員が1日100人を超えていたのは静内(新ひだか町)219人、鵡川(むかわ町)130人、富川(日高町)109人の3駅のみ。13駅は1桁で、「1人以下」が2駅ある。これでは高波被害がなくても存続は厳しかったかもしれない。
しかし、廃線にしてしまうには何とも惜しい路線である。筆者は10年以上前の初秋、襟裳岬を訪れるために苫小牧ー様似間を往復したことがある。当時の車両は「昭和55年新潟鉄工所製作」のディーゼルカーだった。そのときの様子をつづった文章があったので、一部を引用したい。
〈鵡川を過ぎたあたりから車窓の景色を楽しむ気分になってくる。ちらほらと牧場があらわれ、馬がのんびりと草を食んでいる様子を眺める。汐見という小さな駅(小屋みたいな建物がポツンとあるだけ)を過ぎると、右側に太平洋の大海原が近づいてくる。波に日差しがきらきらと反射し、きれいだ〉
〈厚賀を過ぎると右手に海がどんどん迫ってくる。まさに波打ち際を走り続けるのである。波しぶきがかかりそうなほど近い。高波の時は大変だろうな。大狩部(おおかりべ)はホームの真ん前が海。塀があるだけだ。90年代のテレビドラマの撮影地の看板がうら寂しい〉
〈静内では上り列車とのすれ違いのためか20分以上も停車時間がある。乗客の多くは列車を降りて駅舎で一休み。苫小牧から1時間半以上が経っていた。売店で手作りのほかほかのおにぎりを買い求める。素朴な味がいい〉
〈静内を過ぎ、春立のあたり、原野の中の林を抜けると車窓全体に牧場の光景が広がってくる。ヒマワリを小さくしたような黄色の花が咲き乱れ鮮やかだ。サラブレッドたちがくつろぐ牧歌的な景色が浦河まで続く。苫小牧を出て3時間以上、11時過ぎに終点の様似に到着。146㌔を平均時速50キロぐらいでのんびり走ってきたことになる〉
〈帰路。駅の前が牧場になっている絵笛駅に着く直前、突然、警笛が鳴り、列車は急停車した。何が起きたんだろう。窓から身を乗り出して前方を見ると、鹿の親子がゆっくりと線路を横切っている。その姿を追うように牧場から3頭の鹿がやって来て、これまた線路を横断。のどかな光景である〉
〈静内で下校中の女子高生の集団が乗り込んできて、一気ににぎやかになった。彼女たちは席が空いているのに座ろうともせず、おしゃべりに夢中だ。そのうち彼女たちは携帯を取り出し、一心不乱に見入っている。都会の電車内と変わらない光景だ〉
細かな記憶違いはあるかもしれないが、輸送密度が250人ほどあったころの日高本線の様子である。振り返れば「旅情あふれる絵になる路線」だった。
■土砂流出で線路が浮き、橋梁は崩れ落ちたまま
運休になってからの日高本線がどうなっているのか、被災後、2017年、2019年と現地を二度訪れた。
昨年5月に現地を訪れると、鵡川駅に苫小牧からの2両編成の列車が到着し、20人ほどの乗客が降りてきた。列車を撮影している人もいる。駅前に待機していた代行バスに乗り込んだのは数人だった。
車で被害の大きかった豊郷と清畠の間にある慶能舞川(けのまいがわ)橋梁に向かう。橋げたを残して橋梁は途中からなぎ倒され、枕木を下にした、ひっくり返った形で放置されている。晴れた穏やかな日だが、このあたり一帯は物凄い強風だ。被災時はもっとすごいことになっていたのだろう。
次に向かったのは波打ち際にある大狩部駅。列車代行バスの停留所から短いトンネルをくぐって駅に向かう。コンクリートで覆われた小屋が待合室。中には代行バスの時刻表と運賃表が貼られている。
ここは本当に海が近い。海岸から線路まで10メートルほどしかないのではないだろうか。路盤が流出し、線路が湾曲し、一部が宙に浮いた形になっている。高波被害のすさまじさを実感する光景だ。
災害から5年以上が経ったが、被災現場は風に吹かれ、波に打ち付けられるまま。総額で86億円にも達する復旧費用を負担する財政的な余裕はJR北海道にも沿線自治体にもなく、もはや復旧の見込みはない。来年4月1日、日高本線の鵡川ー様似間はついに廃線となる運命だ。
■過酷な経営実態、営業距離は半減
JR北海道管内では、今年5月に札沼線(1935年開業)の北海道医療大学ー新十津川間が廃線となった。昨年3月末には石勝線夕張支線(新夕張ー夕張間 ルーツは1892年開業の北海道炭礦鉄道夕張線)が運行を終え、2016年には留萌本線(1910年開業)の留萌ー増毛間が廃止された。
NHKの朝の連続テレビ小説『すずらん』(1999年放映)のロケ地になった恵比島駅がある留萌本線は全線廃線がささやかれている。
さらに映画『鉄道員(ぽっぽや)』の舞台になった幾寅駅がある根室本線(1921年開業)は、幾寅駅がある新得ー東鹿越間が、2016年の台風被害による影響でバス代行運転中だ。今後も、単独維持困難線区や被災線区では廃線の可能性がちらつく。※開業年は旧国鉄以前を含む。
利用客が少ない北海道の鉄路は大半が老朽化し、インフラの維持や工事に多額の費用がかかるうえ、冬季の保守管理が大変だ。分割民営化後もJR四国と並んで経営難が続いている。そこへコロナ禍が襲った。
2020年度の収入はガタ減りだ。JR北海道の島田修社長は10月14日の会見で、2020年度の事業による減収が400億円に上るとの見通しを明らかにした。
これを踏まえ、人件費などの削減のほか、2021年3月期ダイヤ改正で「減便減車」を検討するという。JR北海道の2019年度連結決算は営業利益が426億円の赤字、経常利益は過去最大の135億円の赤字となった。鉄道事業では23線区すべての収支が赤字だった。
第4四半期のコロナ禍の影響による減収が響いた。2020年度は、それに輪をかけた影響を受けることになる。経営環境はますます厳しさを増しているのが実情だ。道内の鉄路すべてを維持していくのは容易ではない。
一方で高速道路をはじめとする高規格幹線道路の建設は拡大の一途。JR北海道発足当時の1987年(昭和62年)にわずか167㌔だったのが、2016年(平成28年)には1093㌔に延びている。
その結果、旧国鉄時代に4000キロあった北海道内の鉄道営業距離は、2020年5月現在、2488㌔にまで減少した。約4割の大幅減である。今後も、輸送密度の低い路線はバスに転換されていく可能性が高い。
JR北海道の経営実態や体力を考えれば、すべての路線を維持していくのは困難だろう。しかし、明治以来100年以上も続いた鉄路をいったん廃線にしたら、もはや元には戻らない。
厳しい冬を乗り切るために生み出されてきた耐寒、耐雪をはじめとする北の鉄道ならではの技術改革や保守点検・整備技術の蓄積は貴重な財産だ。廃線で現場から技術者が離れていくデメリットは大きいだろう。農産物や海産物、酪農品の主要輸送手段だった歴史、地域の中核的な公共交通機関だった歴史も過去のものとなってしまう。
■活用の可能性は本当にないのか
本当に活用の可能性はないのか。北海道は日本を代表する観光資源の宝庫であり、広大な土地がある。こうした資源と鉄道を組み合わせた、鉄路再生計画は考えられないものか。今年8月には、JR北海道が東急の車両を使った豪華周遊列車「ザ・ロイヤルエクスプレス」(2人1室利用で1人68万円から)の運行を実施した。
富裕層相手の超豪華版だけでなく、一般観光客が利用できるようなプランがあってもいいし、輸送密度の低い線区を中心に走るコースがあってもいいのではないだろうか。
さらに言えば、廃線は鉄道事業者だけの問題だけではない。北海道や地域の自治体の問題も大きい。かつては駅が街の中心だったが、現在は駅前は廃れ、ショッピングモールや飲食店などが集まる郊外の幹線道路沿いが賑やかになっている地域が多い。
これは全国的な傾向であり、駅周辺に魅力が乏しいために人が利用しないのだろう。鉄路を残すためには街づくりを根本的に考え直さなくてはならない。
1つのヒントになる事例がある。2022年に、JR北海道で20年ぶりに新駅が誕生��るというのである。
新駅建設が計画されている場所は、JR札沼線の「あいの里公園ー石狩太美」間で、当別町にある菓子メーカー、ロイズコンフェクト(ロイズ)のふと美工場から300メートルほど南側に位置しているという。
ロイズと当別町がJRに請願し、建設費を負担する「請願駅」の形式だ。札幌市内から約30分という近郊で、ロイズは工場の見学施設などを充実させて観光客を呼び込む計画で、当別町も自動運転バスの運行や周辺開発を進める、と伝えられている。
■企業や大学との連携も
つまり、駅に人が集まる仕掛けづくりを道や地域自治体が、企業や大学などと組んで行うのだ。馬などの動物と触れ合えるノーザンホースパークのようなテーマパーク、温泉を活用したドイツのバーデンバーデンのような長期滞在型タウン、特産品を活用した新工場建設など豊かな観光資源と土地資源、特産物などを活用したアイデアを自治体サイドでも考えていく必要があるのではないだろうか。
東京一極集中解消策のひとつの柱である移住や、企業移転の動きも大きなチャンスだ。コロナ禍が続く今はインバウンドも来ず厳しい局面だが、10年後、20年後を見据えた「再生物語」が生まれることを期待したい。
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陣原駅まで歩いた 第2弾 ~ 九州電気軌道跡
> YouTube(15分31秒)
北九州市八幡西区、瀬坂貯水池放水路のガード潜った所から国道3号線を進み、右手にビッグモーターが見える3号線が右カーブするあたりから住宅街へ入りました。九州電気軌道(現・西鉄)北九州本線の跡地が続きます。
陣原5丁目付近 ~ 金山川橋梁からこの辺りまでは空き地が残る。
その先、陣の原方向は建物が建ち始めてました。
さらに進むと遊歩道に出ます。九軌の跡地です。
↑ 陣原方向 ↓ 折尾方向
遊歩道の先、陣原方向は住宅が並び立ってます。県道のガード付近に一部跡地が残ります。
↑ 陣原方向 ↓ 折尾方向
ガードの先、陣原方向 ~ 両側に道で挟まれた住宅が続きます。
陣原駅が近づいたと��ろで左に曲がって駅前に出ました。
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ウーマンラッシュアワー村本大輔氏の“妄言”から沖縄と中国の関係について議論が盛んだが。こんなことが起こるのも日本の教育のなかで国の歴史をきちんと教えていないからだ。もう日本史は社会科から外して公民教育の一環にでもしてもらわないとどしようもない。 日本人は弥生人と縄文人という先祖をもっているが、本土では中国人や韓国人��共通性が高い弥生人が優勢だ。しかし、弥生人がやってくる前から日本列島に住んでいた縄文人らしい特質をもつ人たちは、北海道や東北と南九州や南西諸島に多い。そういう意味では、沖縄の人は日本人のなかでもっとも中国人と縁遠い存在だ。 沖縄は日本列島でもっとも早く人が住み始めたのだが、現在の住人の主流は平安時代以降に鹿児島など南九州から移ってきたのでないかという説が有力だ。 沖縄で農業が盛んになりクニが生まれ始めたのは、鎌倉時代から室町時代になってだが、彼らと日本のつながりは盛んだったが非公式のものにとどまり、明帝国から使いがやってきて朝貢を勧め、冊封国としての琉球王国が成立した。 二千円札の図柄になっている「守礼門」は、中国からの使節を迎えて琉球国王となるべき世子が三跪九叩頭して迎える施設であり、「守礼之邦」という扁額にある銘は、中国の皇帝に忠実であることを意味するもので、「礼節が重んじられる国」などいう意味はまったくない。 とはいっても、近隣の日本との人的な行き来が圧倒的に多かったわけだし、江戸時代のはじめからは薩摩の島津氏の支配下に置かれたのだが、中国との冊封関係は維持された。しかし、欧米諸国がやってくると、中途半端な形式は植民地化の危険を生じさえることとなったので、明治12年(1879)の琉球処分で日本が完全併合し、いろいろ問題はあったが、日清戦争の結果、追認された。 沖縄の人たちが話してきた琉球言葉は、日本語と同系統の言葉である。言語学者は、祖日本語というべき同じ言葉から、弥生時代から平安時代のあいだのどこかで分かれたといっている。方言なのか別の言語なのかといえば、独立した言語として成立するためには、文法がしっかり整備されたり、辞書が編纂されたりすることが決め手だが、そこまでに至らないまま、明治時代に完全に日本に併合され、本土の言葉が普及した。 書き言葉としては、鎌倉時代に日本の仮名を使っての表記が始まり文学作品も生まれた。また、室町時代には、日本の諸勢力との間では仮名書きの文書のやりとりが、明帝国とは中国語での文書がやりとりされていた。 沖縄の人と稲作はどこから来たか 沖縄では旧石器時代にすでに人が住んでおり、1967年に発見された港川原人は我が国で最初に完全な形で確認された旧石器人の遺骨で、一万八千年ほど前の人類だ。 沖縄では本土の縄文時代から平安時代までをまとめて貝塚時代という。縄文時代的な狩猟採集文化が長く続き、早期(紀元前4600~紀元前2000年)、前期(紀元前2000~紀元前800年)、中期(紀元前800~紀元前200年)、後期(紀元前200~1100年)に分ける。 早期には海辺で漁業をしていていただけで、前期には小高い琉球石灰岩の崖下の洞窟に住んで漁業や狩猟をし、中期には台地に上がって土器に採集した木の実を蓄えたり初歩的な農業をして暮らし、後期には海岸の砂丘で網を使ったりする高度な漁業をしていた。 稲作については、11世紀ごろ以前には発見されません。柳田国男は、「中国で貨幣とされた宝貝を中国南部から宮古に求めにきた人々が伝え、稲作栽培が島伝いに日本列島を北上し伝えられた」といいましたが虚説だ。沖縄は珊瑚礁の島なので水の確保が難しく、台風も来るので、稲作が伝わっても定着しなかったと思われる。だいたい、平安時代の後期である10世紀から12世紀に南九州から伝わった稲作が盛んになるなど、農業社会へ変貌し始め、弥生時代が到来し、古墳時代から平安時代までは飛ばして、中世でもある「グスク(城)時代」に入った。 また、貝塚時代の沖縄がどのくら日本国家に服属していたのか、詳しいことは分からない。「続日本紀」には、714年に、種子島、屋久島、奄美大島、久米島、石垣島とおぼしき島から入貢してきたとある。鑑真和上は日本にくるときに阿児奈波島に漂着してから日本にやってきたが、これが沖縄である可能性が高い。 このころ奄美まではそれなりに日本の支配が及んでいたようだが、沖縄本島は必要に応じて影響力を及ぼせるといった程度だったと思われる。というよりは、このころは、人口もごくわずかだったので、それで十分で、律令制のコストもかかる地方組織は、それだけの経済価値がある地域にしか置かれなかったのである。 源為朝の子といわれる舜天王 琉球王国の正史の「中山世鑑」は、ヤマトにおける「日本書紀」のようなものだが、源頼朝の叔父で保元の乱で敗れて伊豆大島に流された源為朝が、本島北部の運天港に漂着し、大里按司という沖縄の有力者の娘と結婚して生まれた子が、琉球王家の始祖である舜天王(在位:1187~1237年)になったとしている。 源為朝かどうかは別として、南九州たりから、農業についての知識を持ったり、武芸に優れた個人や集団がやってきて支配者となったことが多かったという歴史的な事実を示唆している。 また、「中山世鑑」では、舜天王以前に、阿摩美久という神が天帝の指示に従って、南九州からやってきて建国したと言うことになっている。その系統が25代の間、続いたという神話的時代のあとに、源為朝の子である舜天王が王国を建てたとされている。 しかし、舜天王統は三世代で終わり(1187~1259年)、英祖王統の時代となる(1260~1359年)。このころ、仏教がヤマトの禅鑑という僧によって伝わり、仮名も使い始められた。 そして、察度王(在位:1350~1395年)という人物が現れ、これが、中山王国を建国し、1368年に中国で成立した明帝国の勧めに応じて朝貢し冊封されることになる(1372年)。このころ、南部や北部でも有力な王国が現れ、糸満市の大里にあった南山王国は1380年、今帰仁の北山王国は1383年にそれぞれ明から冊封された。 世界遺産になったグスクの時代 三国鼎立時代を終わらせたのは、南山王国の有力者だった佐敷按司の尚巴志である。尚巴志は鉄を本土から仕入れ、鉄の農具を分け与えることで信望を得たという。もともとは、本島の北西にある伊平屋島の出身で、ルーツは熊本県八代ともいわれる。 尚巴志は1406年に中山王武寧を滅ぼして父の尚思紹を王とし、1416年には北山王国を、自分が王となったあと1429年には南山王国を滅ぼして統一王国を実現した。これを第一尚氏の王統と言う。 しかし、内訌が絶えず、七代目の尚徳王を最後に金丸(尚円王)の第二尚氏王統にとってかわられた(1462年)。金丸は伊平屋島と同じく本島北西に浮かぶ伊是名島の出身である。 沖縄の歴史では、農耕社会が確立した12世紀ごろから島津に制圧された17世紀初めまでを古琉球時代、あるいはグスク時代という。グスクとは軍事的な城でもありますが、宗教的な御嶽(うたき=聖地、拝所)であり、人も住んでいた。 中国が船まで用意して琉球に朝貢させる 明帝国はその初期に積極的な海洋政策をとって、その一環として、中山、南山、北山の三国鼎立時代の沖縄にも入貢を進める使いがやってきた。船もすべて用意してくれるという結構な話だったのでこれに乗り、明帝国からの冊封と琉球王国からの朝貢という関係が始まった。 琉球側からも贈り物をもっていくが、その何倍もの価値の物をくれた。さらに、外交や行政の専門家がいないだろうと福建省人を350家族下賜した。彼らの子弟が北京に留学して官僚を独占していたのだが、のちには、不満が高まって土着の上流階級にも門戸が開かれた。いずれにせよ、明は官僚機構を福建人や留学組を通じてコントロールしていた。 琉球王国は、明帝国から厚遇され、非常にたくさんの朝貢船の派遣を特権的に許され、日本や東南アジア各地と中継貿易をして莫大な利益を上げた。 「万国津梁(世界の架け橋)」の時代といわれる琉球王国の全盛期だが、倭寇の跋扈で朝貢貿易の枠外の自由貿易が盛んとなり、また、倭寇をビジネスパートナーとする南蛮船が到来してより本格的な中継貿易を始めるに至って下火になっていった。 なお、中国人の地理観として琉球は福建省の先にあった。浙江省や江蘇省から東シナ海を横切る航海は常に危険が高いものだったからで、福建省からが安全だった。 古琉球時代のヤマトとの交流 ヤマトと琉球王国との関係は、室町幕府とも島津氏などとも書状や使節のやりとりはあったものの、インフォーマルなものだった。幕府では使節は朝貢使節として扱っていました。書状は仮名で書かれていたので、中国系の官僚たちは外交文書として扱わず��琉球側できちんと保存されることもなかった。 室町時代から戦国時代におけ��中国の影響と日本の影響はまったく違う形で及ぼされたので、比較しようがない。 しかし、民衆レベルでの交流は圧倒的に日本、とくに南九州との方が分厚く、人の行き来も中国などとは比較にならないほど頻繁で、言葉もなんとか通じるわけであった。そもそも、日本の室町時代というのは、ヨーロッパの中世などと同じで、権力機構が多元的な時代だった。 この時期、薩摩の島津氏は徐々に日本と沖縄との交易権の独占を図った。 そして、1471年になると、幕府は島津氏の許可なく琉球と交易することを禁じている。幕府としても琉球は島津の勢力圏といった認識はあった。 また、貿易についても、琉球と中国の貿易といっても、琉球は仲介するだけで、日本の日本刀、漆、扇、漆器、屏風、銅などを中国に渡し、中国産の生糸、絹織物、薬などを日本側に輸出した。
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2017年の出来事と読んだ本と観た映画と年末と
2017年もいよいよ終わる。今年は5月25日に母が63で亡くなるなどしたが、それ以前になにが起こったかまったく記憶にない。8時半(たまに11時)から21時やら23時やらまで働いたりしているせいだろうか。どうやら『ベルリン・アレクサンダー広場』のDVDboxや『サイタマノラッパー』ドラマ版のDVDboxを買ったまま一度も観ていないのは憶えている。 『文藝』のアンケート企画に「来たるべき作家」の一人として前の筆名で載っていたことも、春ぐらいのことかと思ったら7月だった。時期の記憶がだんだんいい加減になってくるのであった。 広島旅行やら島根旅行やら、あと『白鴉』30号を出して「アゴアク」という作品を載せ、先日ようやく同人誌評に取り上げられたが、褒められていない、というかそれ以前の問題。まあ、『白鴉』に載せた私の作品がこれまで全作品どこかしらで取り上げられつづけているという記録をまた更新できたのでこれでいいとする。そんなことよりもいま書いている作品が無事に仕上がることを祈る。 「アゴアク」についていただいた感想に、相変わらず主人公はどこまでも僻みっぽい、でもどことなく品位がある、というのがあったのを昨日思い出して、それはたぶん、私の描き出す主人公の、まわりの世界や世間に対するプロテストなのだろうなあ、などと考えたり。 あと、2017年の文学フリマ大阪に参加した『白鴉』では来年1月21日の文学フリマ京都と5月6日の文学フリマ東京へ参加することがすでに決定しております。両方とも言い出したのは私であり、私がいるのは確実です。
読書関係だと内藤千珠子氏の著書がとても面白かったことや、長年の課題であったベケットがようやく読めるようになってきたこと、詩を読みはじめたことが大きい。ドゥルーズ=ガタリ『千のプラトー』もようやく読みはじめ、なんとか人間へ近づいていっている。来年早々に読んでしまって、長年の課題であるドゥルーズ『意味の論理学』に挑みたい。詩集であるていど稼いだ割に読了冊数73冊というのはどうかと思うが。冊数など関係ないと言われるだろうが、読みの浅い人間がせめて冊数がなければどうすればいいというのか。どうやら一般的に本をよく読むと言われている人物は年間300とか400とか読んでおられるらしいので、100にも満たない人間のベストなど不要だろう。 映画は毎年のことながら前半期になにを観ていたかすっかり忘れる。『アトミック・ブロンド』をもう一回ぐらいは観ておきたかった。これも映画好きを自称している人は年間平均500本は観ているようなので、本数ではなく回数にすることによって数字を稼ぐなどといういじましいことをしてもなお141などという、てんでお話にならない数字を出してしまう私などのベストになんの価値があるだろうか、ということでやらない。
といったところで、来年もよろしくお願いします。
最近読み終えた本 ジル・ドゥルーズ/フェリックス・ガタリ『千のプラトー──資本主義と分裂症(中)』(河出文庫) 平田俊子編『詩、ってなに?』(小学館SJムック) 勝嶋啓太『今夜はいつもより星が多いみたいだ』(コールサック社) 岡田育=金田淳子=二村ヒトシ『オトコのカラダはキモチいい』(角川文庫) 平田俊子『アトランティスは水くさい!』(書肆山田)
最近観た映画 『すばらしき映画音楽たち』(マット・シュレーダー) 『KUBO──二本の弦の秘密』(トラヴィス・ナイト) 『シンクロナイズドモンスター』(ナチョ・ビガロンド) 『サウルの息子』(ネメシュ・ラースロー)
2017年の本と映画の記録。2016年はこちら。
読了本73冊
松浦寿輝『BB/PP』(講談社) 二村ヒトシ/岡田育/金田淳子『オトコのカラダはキモチいい』(KADOKAWAメディアファクトリー) パスカル・キニャール『アマリアの別荘』(青土社) 赤木昭夫『漱石のこころ──その哲学と文学』(岩波新書) 町山智浩��映画と本の意外な関係!』(集英社インターナショナル新書) 津島佑子『半減期を祝って』(講談社) トーマス・ベルンハルト『ある子供』(松籟社) 三宅隆太『スクリプトドクターの脚本教室・中級篇』(新書館) トーマス・ベルンハルト『石灰工場』(早川書房)通算4回。 内藤千珠子『愛国的無関心──「見えない他者」と物語の暴力』(新曜社)
ウィリアム・シェイクスピア『シンベリン』(ちくま文庫) 山本貴光『文体の科学』(新潮社) 『北の文学2016──北海道新聞文学賞、短歌賞、俳句賞』(北海道新聞社) 『シリーズ言語態(4)記憶と記録』(東京大学出版会) 小平麻衣子=内藤千珠子『21世紀日本文学ガイドブック(7)田村俊子』(ひつじ書房) 杉田敦『リヒター、グールド、ベルンハルト』(みすず書房) 内藤千珠子『小説の恋愛感触』(みすず書房) 内藤千珠子『帝国と暗殺──ジェンダーからみる近代日本のメディア編成』(新曜社) アルフレート・デーブリーン『ベルリン・アレクサンダー広場』(河出書房新社) アルフレート・デブリーン『ベルリン・アレクサンダー広場──フランツ・ビーバーコプフの物語』(ぷねうま舎)
ガブリエル・ガルシア=マルケス『予告された殺人の記録』(新潮文庫)2回。通算3回。 橋本陽介『物語論 基礎と応用』(講談社選書メチエ) アルフレート・デーブリーン『たんぽぽ殺し』(河出書房新社) ジャネット・ウィンターソン『オレンジだけが果物じゃない』(白水uブックス) カルロ・エミーリオ・ガッダ『メルラーナ街の混沌たる殺人事件』(水声社) チママンダ・ンゴズィ・アディーチェ『男も女もみんなフェミニストでなきゃ』(河出書房新社) トーマス・ベルンハルト『消去──ある崩壊 新装版』(みすず書房)通算5回。 ロクサーヌ・ゲイ『バッド・フェミニスト』(亜紀書房) エルフリーデ・イェリネク『汝、気にすることなかれ』(論創社) 通算2回。 李珍景『不穏なるものたちの存在論──人間ですらないもの、卑しいもの、取るに足らないものたちの価値と意味』(インパクト出版会)
アーサー・ミラー『セールスマンの死』(ハヤカワ演劇文庫) 梁英聖『日本型ヘイトスピーチとは何か』(影書房) 山代巴 編『この世界の片隅で』(岩波新書) 岡本雅享『民族の創出──まつろわぬ人々、隠された多様性』(岩波書店) 岡本雅享 監修・編著『日本の民族差別──人種差別撤廃条約からみた課題』(明石書店) サミュエル・ベケット『ゴドーを待ちながら』(白水uブックス) 疋田龍乃介『歯車VS丙午』(思潮社) 稲川方人『形式は反動の階級に属している』(書肆子午線) サミュエル・ベケット『モロイ』(白水社) 辺見庸=目取真俊『沖縄と国家』(角川新書)
尹東柱『空と風と星と詩』(岩波文庫) サミュエル・ベケット『マロウンは死ぬ』(白水社) 稲川方人『封印』(思潮社) サミュエル・ベケット『名づけえぬもの』(白水社) サミュエル・ベケット『伴侶』(書肆山田 りぶるどるしおる) サミュエル・ベケット『見ちがい言いちがい』(書肆山田 りぶるどるしおる) サミュエル・ベケット『また終わるために』(書肆山田 りぶるどるしおる) サミュエル・ベケット『いざ最悪の方へ』(書肆山田 りぶるどるしおる) 『白鴉』30号 『星座盤』11号
『babel』創刊号 松浦寿輝『鳥の計画』(思潮社) 『時刻表』創刊号 田原『石の記憶』(思潮社) 田原『夢の蛇』(思潮社) 田原『そうして岸が誕生した』(思潮社) サミュエル・ベケット『蹴り損の棘もうけ』(白水社) 平田俊子『手紙、 のち雨』(思潮社) 高橋康也『サミュエル・ベケット』(白水uブックス) 平田俊子『戯れ言の自由』(思潮社)
ジル・ドゥルーズ/フェリックス・ガタリ『新訳 カフカ──マイナー文学のために』(法政大学出版局) 小野十三郎『冥王星で』(エンプティ) 稲川方人『2000光年のコノテーション』(思潮社) 川田絢音『白夜』(書肆子午線) 平田俊子『詩七日』(思潮社) ジル・ドゥルーズ/フェリックス・ガタリ『千のプラトー──資本主義と分裂症(上)』(河出文庫) 丁章『在日詩集 詩碑』(新幹社) トーマス・ベルンハルト『原因 一つの示唆』(松籟社) ジル・ドゥルーズ/フェリックス・ガタリ『千のプラトー──資本主義と分裂症(中)』(河出文庫) 平田俊子編『詩、ってなに?』(小学館SJムック)
勝嶋啓太『今夜はいつもより星が多いみたいだ』(コールサック社) 岡田育/金田淳子/二村ヒトシ『オトコのカラダはキモチいい』(角川文庫) 平田俊子『アトランティスは水くさい!』(書肆山田) 映画観賞回数141回
『この世界の片隅に』(片渕須直)3回。通算5回。 『バック・トゥ・ザ・フューチャー PART3』(ロバート・ゼメキス) 『ベストセラー──編集者パーキンズに捧ぐ』(マイケル・グランデージ) 『湯を沸かすほどの熱い愛』(中野量太) 『死闘の伝説』(木下恵介) 『マイマイ新子と千年の魔法』(片渕須直) 『ザ・コンサルタント』(ギャビン・オコナー) 『手紙は憶えている』(アトム・エゴヤン) 『マダム・フローレンス!──夢見るふたり』(スティーブン・フリアーズ) 『戦火の馬』(マリアンヌ・エリオット、トム・モリス)
『破門──ふたりのヤクビョーガミ』(小林聖太郎) 『ドント・ブリーズ』(フェデ・アルバレス) 『ドラゴン×マッハ!』(ソイ・チェン) 『ミス・シェパードをお手本に』(ニコラス・ハイトナー) 『92歳のパリジェンヌ』(パスカル・プザドゥー) 『マイ・ファーザー 死の天使──アウシュヴィッツ収容所人体実験医師』(エジディオ・エローニコ) 『MILES AHEAD──マイルス・デイヴィス 空白の5年間』(ドン・チードル) 『ニコラス・ウィントンと669人の子どもたち』(マテイ・ミナーチュ) 『こころに剣士を』(クラウス・ハロ) 『ブルーに生まれついて』(ロバート・バドロー)
『ヒトラーの忘れもの』(マーチン・ピータ・サンフリト) 『MERU メルー』(ジミー・チン、 エリザベス・チャイ・バサヒリイー) 『沈黙 サイレンス』(マーティン・スコセッシ)2回。 『アイ・イン・ザ・スカイ──世界一安全な戦場』(ギャヴィン・フッド) 『クラッシャージョウ』(安彦良和) 『オアシス:スーパーソニック』(マット・ホワイトクロス) 『その街のこども』(井上剛) 『疾風スプリンター』(ダンテ・ラム) 『アリーテ姫』(片渕須直) 『アイヒマンを追え!──ナチスがもっとも畏れた男』(ラース・クラウメ)
『モアナと伝説の海』(ロン・クレメンツ、ジョン・マスカー) 『AKIRA』(大友克洋) 『SING』(ガース・ジェニングス)2回。 『GHOST IN THE SHELL 攻殻機動隊』(押井守)2回。 『キングコング──髑髏島の巨神』(ジョーダン・ヴォート=ロバーツ) 『ショコラ──君がいて、僕がいる』(ロシュディ・ゼム) 『ドライヴ』(ニコラス・ウィンディング・レフン) 『殺しの烙印』(鈴木清順) 『ゴースト・イン・ザ・シェル』(ルパート・サンダース) 『東京流れ者』(鈴木清順)
『ラ・ラ・ランド』(デミアン・チャゼル) 『未来を花束にして』(サラ・ガブロン) 『牯嶺街少年殺人事件』(エドワード・ヤン) 『マグニフィセント・セブン』(アントワーン・フーク) 『美女と野獣』(ビル・コンドン) 『ナイスガイズ!』(シェーン・ブラック) 『ラビング──愛という名前のふたり』(ジェフ・ニコルズ) 『乱』(黒澤明) 『雨の日は会えない、晴れた日は君を想う』(ジャン=マルク・ヴァレ) 『お嬢さん』(パク・チャヌク)
『たかが世界の終わり』(グザヴィエ・ドラン) 『世界でいちばんのイチゴミルクのつくり方』(ファイト・ヘルマー) 『哭声』(ナ・ホンジン) 『わたしは、ダニエル・ブレイク』(ケン・ローチ) 『ライオン──25年目のただいま』(ガース・デイヴィス) 『彼らが本気で編むときは、』(荻上直子) 『アシュラ』(キム・ソンス) 『ゆれる』(西川美和) 『花戦さ』(篠原哲雄) 『ディア・ドクター』(西川美和)
『ジャッキー──ファーストレディ最後の使命』(パブロ・ラライン) 『エンディングノート』(砂田麻美) 『ムーンライト』(バリー・ジェンキンス)2回。 『百万円と苦虫女』 (タナダユキ) 『溺れるナイフ』(山戸結希) 『ウルトラミラクルラブストーリー』(横浜聡子) 『はらはらなのか。』(酒井麻衣) 『美しい星』(吉田大八) 『T2 トレインスポッティング』(ダニー・ボイル) 『未来よ、こんにちは』(ミア・ハンセン=ラブ)
『カフェ・ソサエティ』(ウディ・アレン) 『マンチェスター・バイ・ザ・シー』(ケネス・ロナーガン) 『光』(河瀬直美) 『武国』(熊切和嘉) 『皆はこう呼んだ、鋼鉄ジーグ』(ガブリエーレ・マイネッティ) 『ハクソー・リッジ』(メル・ギブソン) 『セールスマン』(アスガル・ファルハーディー) 『海辺のリア』(小林政広) 『おとなの恋の測り方』(ローラン・ティラール) 『海辺の生と死』(越川道夫)
『ヒトラーへの285枚の葉書』(ヴァンサン・ペレーズ) 『ダンケルク』(クリストファー・ノーラン) 『ジョン・ウィック:チャプター2』(チャド・スタエルスキー) 『ベイビー・ドライバー』(エドガー・ライト) 『ザ・ドライバー』(ウォルター・ヒル) 『彼女の人生は間違いじゃない』(廣木隆一) 『ファウンダー──ハンバーガー帝国のヒミツ』(ジョン・リー・ハンコック) 『ボブという名の猫──幸せのハイタッチ』(ロジャー・スポティスウッド) 『ライフ』(ダニエル・エスピノーサ) 『ありがとう、トニ・エルドマン』(マーレン・アデ)
『20センチュリーウーマン』(マイク・ミルズ) 『ロックンロール・ハイスクール』(アラン・アーカッシュ) 『少女ファニーと運命の旅』(ローラ・ドワイヨン) 『新感染』(ヨン・サンホ) 『ローマの休日』(ウィリアム・ワイラー) 『あしたは最高のはじまり』(ユーゴ・ジェラン) 『ザ・ウォール』(ダグ・リーマン) 『スペース・レイダース』(ハワード・R・コーエン) 『麗しのサブリナ』(ビリー・ワイルダー) 『アンタッチャブル』(ブライアン・デ・パルマ)
『おしゃれ泥棒』(ウィリアム・ワイラー) 『メッセージ』 (ドゥニ・ヴィルヌーヴ) 『デス・レース2000年』(ポール・バーテル) 『夜明けの祈り』(アンヌ・フォンテーヌ) 『幼な子われらに生まれ』(三島有紀子) 『RE:BORN』(下村勇二) 『エタニティ──永遠の花たち』(トラン・アン・ユン) 『50年後のボクたちは』(ファティ・アキン) 『パターソン』(ジム・ジャームッシュ)3回。 『コーヒー&シガレッツ』(ジム・ジャームッシュ)
『ドリーム』(セオドア・メルフィ) 『ハイドリヒを撃て!──「ナチの野獣」暗殺作戦』(ショーン・エリス) 『ブルーム・オブ・イエスタデイ』(クリス・クラウス) 『スイス・アーミー・マン』(ダニエル・シュナイナート/ダニエル・クワン) 『ロスト・イン・パリ』(ドミニク・アベル/フィオナ・ゴードン) 『リングサイド・ストーリー』(武正晴) 『はじまりのうた』(ジョン・カーニー) 『ELLE』(ポール・バーホーベン) 『散歩する侵略者』(黒沢清) 『アトミック・ブロンド』(デヴィッド・リーチ)
『審判』(オーソン・ウェルズ)通算2回。 『バリー・シール──アメリカをはめた男』(ダグ・リーマン) 『三度目の殺人』(是枝裕和) 『セザンヌと過ごした時間』(ダニエル・トンプソン) 『スモーク』(ウェイン・ワン) 『ゲット・アウト』(ジョーダン・ピール) 『鉱 ARAGANE』(小田香)2回。 『すばらしき映画音楽たち』(マット・シュレーダー) 『KUBO──二本の弦の秘密』(トラヴィス・ナイト) 『シンクロナイズドモンスター』(ナチョ・ビガロンド)
『サウルの息子』(ネメシュ・ラースロー)
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2.禿山
問い6:李氏朝鮮末期の状況について>2.禿山
目次は こちら
2.禿山
ここで山と植生に注目したのは、樹木の無い禿山であれば雨が降った時、その雨水を山の斜面に保てず、降った雨水は土砂流となって流れ下り、大雨の時は洪水を引き起こし、下流の村や田畑を襲い大きな災害となる危険性が高いからです。その上、木材は家や家具や各種の建築物・構造物および鉄道の枕木などの材料として、朝鮮の産業の発展と近代化、すなわち朝鮮人の生活レベルの向上には必要な資源であるからです。
『朝鮮紀行』には、朝鮮の山と植生について記した部分があります。次にこれらを断片的に引用します。禿山に関する記述は断片的なので、引用の後に『朝鮮紀行』で記述のあるページを示します。
[ソウル、海岸、条約港、幹線道路の周辺の禿山は非常に目につき、国土に関しても幸先の良くない予想を抱かせる。朝鮮南部の大部分において、木立と云う名に値するものが残っているとすれば、それは唯一、墓地のあるおかげである。(27~28ページ)
釜山の茶色い地肌を露出した山々は、夏ならまだしも日のささない二月では、荒涼とした近寄りがたい印象がことさら強かった。(36ページ)
釜山周辺の山々は禿げているものの、鉱物資源には富んでいるようである。(38ページ)
町のむこうの低い山はくすんだ茶色だし、霧雨は降るし、ではあってもわたしは済物浦のただずまいが……(45ページ)。
そこから緑にとぼしい丘へと散在している。数本の木立があっていちばん高い建物はわびしくてさえないイギリス副領事館(45ページ)。
緑にとぼしく人を拒むような印象のこういった山々は、ときとして尾根が割れて黒い岩山と切り立った高峰に姿を変えたり、(57ページ)。
南山の美しい丘と《孤樹の丘》、そして《桑の宮殿》のそばの丘からはソウルの全景が眺められる。周辺の山々は松の木立が点在しているものの、大部分には緑が無く、黒い不毛地のうねりとなってそびえている。(66ページ)
灌木すらすっかり無くなった山々は低くなって漢江から遠ざかる。黒い岩がぎざぎざした尾根を成し、深い筋が入ってうねった赤い山腹は、春とはいえ緑の萌え出た気配がほとんどなく、どこもかしこも険しく厳めしい。(116ページ)
松都から平壌へは味気ない景色が続き、樹木の無い長い谷をしばらくかけ抜たり(中略)山の周辺のこういった草は枯草も含めてすべて刈り取られ燃料にされる。低木の茂みさえ無くなっている。(391ページ)]
上に記したように、���鮮南部では、山々に木々が無く、禿げていることが記されてします。そして、朝鮮の歴史書などにはこれらの山々に木々を植えたとの記述を見つかっていません。
『韓国の歴史教科書』の182ページには、「列強、経済侵略に乗り出す」として次の記述があります。
【1896年の俄館播遷をきっかけに、ロシアをはじめ列強は先を争って経済的利権を奪っていった。
ロシアは鉱山採掘権や森林伐採権を独占し、アメリカも雲山金鉱の開発権を独占した。他の列強も機会均等を掲げてさまざまな利権を略奪した。
日本は京仁線の鉄道敷設権をアメリカ人から買い入れて完成させたのち、京釜線・京義線を順に開通させて南北を貫く主要幹線鉄道を掌握した。】
<なお、俄館播遷とは、高宗がロシア公使館��逃げ込んで政治をしたことをいいます。>
ロシアが独占的に獲得した森林伐採権が、伐採だけなのかあるいは植林も含む内容だったのか分かりません。しかし、1896年に朝鮮の森林伐採権を独占したロシアは、8年後には日露戦争の結果、朝鮮から撤退したので、実質的には大きな影響を朝鮮の森林に及ぼさなかったと推測されます。
『韓国の歴史教科書』では「ロシアをはじめ列強は先を争って経済的利権を奪っていった」と朝鮮が一方的に利権を奪われたかの表現になっています。しかし、実際は高宗や閔妃が贅沢な生活をするために森林伐採権をロシアに売ったのです。朝鮮の統治者たちが自ら国を売っていることに教科書は言及していません。誰が利権を売り、誰がその金を如何に使ったのか、国として何が問題だったのか記されていないのです。
また、『THE NEW KOREA』の「第十二章 経済発展」「林業」の489ページには朝鮮の林業に関して詳細に記述されています。その要点を次に引用します。
[朝鮮の山林面積はおよそ3900万エーカー(約15万7800平方キロメートル)であり、朝鮮半島全体の71%を占める。しかし、これらの山林は長い間、荒れるがまま放置されてきたため、成林地面積は1350万エーカー(約5万4630平方キロ)に過ぎないと見積もられ、多くは都市部から遠く離れた北部や東部の高地帯に残存するのみである。それ以外の地域のうち、およそ1800万エーカーは若木ばかりで、約750万エーカーは完全な禿山である。樹木で覆われた山林であっても、保護や管理がされておらず、将来的に上質な山林に育つ見込みはない。しかしながら、年々、建設資材や燃料の需要は増加する一方であり、さらに、鉄道の枕木、電柱、橋の梁、採鉱用の杭、木材パルプなどの需要も増加しているため、政府は乱伐防止に最善を尽くすと同時に、森林の保護を確実にする対策や伐採された木の代わりとなる苗木の植林をすすめている。
朝鮮半島の北と南では気候が大きく異なるため、多様な種類の樹木が分布している。北部の鴨緑江や豆満江の流域や高地帯では、ハリモミ、カラマツ、朝鮮松、カバなどが見られ、中部や南部の高地などではアカマツ、クロマツ、ナラ、クヌギ、ハンノキ、などが見られる。そして最南部の低地ではカシ、シイ、竹などを目にすることができる。朝鮮には、700種もの有用な樹木があり、大規模な造林業に適した地であることが分かるだろう。]
禿山を緑の山にする植栽事業は、50年、100年の長期的な取り組みが求められる事業です。それにも拘らず、李氏朝鮮では都市近辺の山からは木々の姿が亡くなり禿山と成り、都市から遠く離れて人が入りにくい山岳地帯では森林が誰の手入れもなくそのまま放置されていました。時の為政者たちは山林の育成と管理にまったく思いが及ばなかったのです。大規模な森林資源が気付かれずに眠っていたのです。このことは、李氏朝鮮の統治者と官吏たちは、庶民からの搾取しか頭に無く、自ら国の富を増やす意識も智慧もなかったことを示していると言えます。
朝鮮の為政者が森林の重要性に注意が向かなかったのは、科挙に受かるための儒教に特化した朝鮮の教育制度に原因があると思われます。儒教では森林育成や保全などの知識や経験を含む実学は雑学として見下げられ、森林に関する教育制度さえなかったようです。
山々に樹木がないと、資源として使えないだけでなく、旱魃や洪水が頻発しやすくなります。山間の谷から流れ出る川に、雨がないのに水が流れているのは、樹木の落ち葉が重なって雨水を保って、これが地下に沁み込んで、後に少しずつ染み出させているからです。一方、樹木がないと、降った雨水は山の表土と共に直ちに流れ下り、それが谷川に集まって洪水となりやすいのです。このようにして山々に於ける樹木は洪水や旱魃を防ぐのです。しかし、李氏朝鮮政府では、この大事な山の樹木に何ら対策が講じられていませんでした。
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