【旨味たっぷりパスタ】 井上尚弥の試合なのか、元々集客力がないのか分かりませんが…今日は暇なのでこんな時間の投稿です。 イカ墨パスタにボッタルガとイクラで旨味アップ。 白ワインなんかと合わせて頂きたいパスタです。 数量限定ですが、暫くあると思うので興味ありましたら是非♪ #渋谷#bar#aquavit#イカ墨パスタ#旨味たっぷりパスタ#カラスミ#ボッタルガ#いくら#白ワインなどがよく合いますよ! (Aquavit) https://www.instagram.com/p/CmHJAeySkrE/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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昨日の出逢い。
大学時代に出逢った、サークル?で一緒だった
素敵すぎる友とお出かけ。
いつどんな時でもポジティブで、元気で、
しょーもないボケでも最高の笑顔で笑ってくれる
素敵な子。沢山笑ったなー、人と笑い合える時間
好きだなーって。
夜は父とワインで乾杯。
本日は空間デザイン専門学校のセミナー受けてき
た。講師の話しは面白かったし、初めて知ったこ
とばかりで新鮮でした。
渋谷→原宿→表参道→外苑前→青山一丁目と
歩き、今は乃木坂あたりかなー。
青山一丁目から乃木坂、六本木ヒルズへと
続く道は、高校の友でありバイトの同志とよく
夜散歩して��った道。思い出すなーあの時期楽し
んでたなー日々を。深いようで浅い話しを語り
ながら友を駅まで送ったなーとか思いながら
今歩いてます。
社会人になり気づいたこと。
平日は仕事で忙しく、誰かに会えても金夜ぐら
い、、土日は恋人がいる人は恋人と過ごすのだ
と。そりゃー恋人がいれば恋人優先だよねーとか
散歩しながら考えてます。
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バニラヨーグルト
ルルルンハイドラVマスク28枚入り、オバジC酵素洗顔パウダー、ミノン薬用アクネケアミルク、VC3エッセンス、イチゴ柄の傘、落書きみたいな花柄の折り畳み傘、リボンタイのシャツ、ドット柄のシャツ、アイスブルーのデニムスカート。以上が私のGWの買い物である。たぶん。あとは食費やらネイル代なんかも乗っかってくるけれど。
GWどこに行ったかと聞かれたら、ドラッグストアに行った、としか答えようがないぐらい常にドラッグストアにいた。迷惑極まりなく蛍の光が流れるまでドラッグストアに居た。ウエルシアもツルハもマツキヨもサンドラッグもB&Dにも行った。ついでにロフトと東急ハンズのコスメフロアにも行った。買い物に狂う時というのがたまにある。これが欲しいと思ったら手に入れるまで発作が起こるのだ。朝でも夜でも車に飛び乗ってドラッグストアを梯子した。それはそれは幸福だった。
あとは1人でサイゼに行ってたらふくワインを飲み、酔いの回った頭のまま美味しいパン屋さんでパンを選んだのも楽しかった。酔っていて何を選んだのが覚えておらず、翌朝袋を開けたらほとんどハード系でウケた。顎が痛い。家に籠る日もなんか楽しいことがしたくて、水着を着て過ごしたりもした。私は自分を喜ばせる才能があると思ってる。
思い立ったら即行動しないと気持ち悪いので、5/6の夜22時から本棚の整理を始めたりもした。整理というか片付け。実家からダンボールに詰めてもってきた本がずっとそのままになっていたから。気の向くままぽんぽん並べたので、料理本の横に湊かなえの母性があって、その隣に伊豆のことりっぷが並んでいるようなめちゃくちゃさ。A型が見たら卒倒するかもしれない。まあ私もA型なんだけど。本屋さんは出版社別じゃなくて作家別に並べて欲しい派だといつも文句を言ってるくせに、自分の家の本棚はこの有様。一人暮らしを始めてから買い足した本ももちろんあるけど、実家から持ってきた本は選りすぐりなので本棚を見るだけでうっとりしてしまう。自分の好きな本だけ並ぶ本棚って最高じゃない?
抱擁、あるいはライスには塩をダンボールの中から見つけてふうんと思ったりもした。意外。別に嫌いじゃないけど、3年に1度ぐらい読みたくなる本だと思っている。この時の自分は3年に1度のタイミングだったんだなと思う。
私は本を読み終えたら本棚にしまう前に本屋さんのカバーを外している。そのルールもしばらく無視していたので1ページ目を開きながらこれは読んだ、これは読んでないと分別した。積読というのがむかしはあまり理解できなかったけれど、いつからか本を読むことより本屋で面白そうな本を見つけて買うことがゴールになってしまった。本を分別したおかげで、本屋にふらふら吸い寄せられてもこの前買った本まだよんでないしなとはたと我に帰れるようになった。
本の整理を進めたらずっと前に父と母からそれぞれ借りた本が出てきて青ざめた。早く読んで返そう。
連休明けは気合い入れようと早く起きて、新品の服をおろして、ばっちりメイクして、髪の毛も可愛くしたらいつもより遅い時間に家を出る羽目になったあげく、雨のせいで道も混んでて仕方なし朝ごはんをパスする。ちなみに夜も22時を過ぎての帰宅でお腹も別に空いてなかったけど1日一食だと肌も髪もぱっさぱさになってしまうので、とりあえず冷蔵庫にあったバニラヨーグルトを食べた。22時過ぎの晩ごはんの正解を誰か教えてくれ。作る元気も食べる元気もないから適当に栄養取れるやつ。
バニラヨーグルトはむかしの上司が好きだったもので、食べるたびに思い出す。なぜなら上司からこのヨーグルトをもらわなければ私は一生自分で選ばなかった気がするから。教えてくれてありがとうの気持ち。
上司のことは時たま思い出す。顔に扇風機をあてていたら、肌が乾燥するから足元にあてなさいと言われたこと。どれだけ暑くても集中すれば顔に汗をかかずにいられるものよと言われたこと(いまだに習得できない)。私の生い立ちを憐れむのではなく、本気で一緒に悲しんで泣いてくれたこと。若いうちにこんな辛い思いをしたのだから、これから先は楽しいことばっかりだよと綺麗事も慰めも混じっていない力強い言葉で励ましてくれたこと。薄情な上司がきっと忘れてしまったようなことを、はたと思い出す。
同じように、誰かが何かを見た時私を思い出してくれたりするのだろうか。友人ではなく、袖を振り合ったぐらいの人で。
バニラヨーグルトは今日も美味しい。
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Valentine Dinner Show in Kure - Sarah Àlainn Quartet
Valentine Dinner Show - Sarah Àlainn Quartet
2024.2.5 Kure・Hiroshima
丁度呉でのバレンタインディナーショーから一週間が経ちました。
バレンタインにセトリとサラッと舞台裏をご紹介!
Sarah
1. As Time Goes By
2. A Time For Us~永遠の愛
3. Nuovo Cinema Paradiso
Jazz Ballads
4. My Funny Valentine
5. Misty
6. Up-tempo Love Medley
Love to Love You Baby
Lovefool
Can’t Take My Eyes Off You
呉・日本
7. Eidelweiss
8. 無限に広がる大宇宙「宇宙戦艦ヤマト」
9. 糸
Idol/Self-love
10. アイドル
11. Laisse Tomber Les Filles
Europe
12. Tout, tout pour ma chérie
13. Spain
Encore
14. I Wish
15. Can’t Help Falling In Love
16. Lovin’ You
今回は日本の最強ジャズメンとのサラカルという豪華編成。選曲をギリギリまで悩みました。
私にとって初となるバレンタイン・コンサート。
そもそも、私はほとんど恋愛の歌がない。カバーしたレコーディングにも限りあり。
広い意味での愛の歌に拘って来た自分に、バレンタインという課題で悩む悩む。
サラジオでも極力バレンタインの時はラブソングを避けて来た私。
そう、どちらかというと、苦手派。
バレンタインやクリスマスは何かとプレッシャーに感じる。もっと素直に愛を表現したい。愛の記念日なら、先ず自分を大切にしてるか確かめたい。毎日ボロボロ傷だらけにしている我が身。精神的な傷の話ですが、今回のサライブは距離が近く、アッパーな選曲に合わせた足を出すサラスタイルにすると、早速怪我をされてないかと心配されたお便りがラジオ局に。あれは去年フランスの石畳で転んだ時の傷。当初は50倍酷かった。表面でも傷は中々すぐ綺麗に治らないものですね!(写真はメイクと光のせいでほぼ見えない)
さあ、どうするよ選曲。
毎回来られるサポーターさんに新しい作品を見せたいという思いで極力選曲を変えて来ましたが、アルバムの曲を楽しみにしてる方の為に、今までの録音に目を通す。
本当にラブソングが少ない。
しかし、私はシネフィル。映画音楽ならお任せを。
丁度イタリアでピアニストのクリヤ・マコトさんと共演した2曲があるではないですか。オリビア・ハッセーに恋した(私が)、Zeferelli監督の「ロミオとジュリエット」より『A Time For Us~永遠の愛』。ヴァイオリンソロでは狂ったジュリエットを表現してます。
A Time For Us 〜永遠の愛 / Romeo and Juliet
イタリアのドラマー🥁さんも今でも聴いて下さってるという「Nuovo Cinema Paradiso」から愛のテーマ。
作曲家のAndrea Moricconeの前で生で歌った経験は宝物です^_^
しかし、ロミジュリはアカペラからスタート。せっかくのディナショーなので、客席を通りたい。そうして、せっかくのジャズカルなので、jazzyな一曲から。
Time・永遠の愛繋がりで『As Time Goes By』をチョイス。クリヤさんとの配信ライブで演奏した以来。モノクロ名画で「Casablanca」で流れる愛の歌。
片手にワインらしき🍷ものを、もう方にはマイク。客席を回りつつ、サラッと英語質問。 “Here’s looking at you kid”. この表現を知ってる方は?
近くにいらっしゃった男性は気持ちよく拍手。残りの皆さんシーン。ディナショーでクイズからスタートするこの人の性格って?と思われたのだろうか。
これは名台詞「君の瞳に乾杯」。日本語訳がまた素敵ですね。呉に来てKureた皆様に乾杯🥂
サラの定番曲から次はジャズバラードへ。
『Misty』は近年レパートリーに入れてる曲で、『My Funny Valentine』はお初。どちらも低音でスモーキーなサウンドが醍醐味。ウィスキーに例えるとLagavulinと言うところでしょうか(好きです🥃)。
こう言う気怠く歌う曲は凛と立つよりハイチェアに座って歌うとより雰囲気が出やすい。しかし丁度いい椅子がない。
大好きな舞監さんに、ピアノに寄ってみたら?との一言で、人生初めてのポジションからの歌唱。立ち方、動き方、寄り方、慣れないなりに雰囲気を味わう。
クリヤさんのピアノソロをこんなにじっくり観れる特等席ではないですか。ライブ後クリヤさんから、あんなに近く演奏を見られたことがなく、緊張したとのこと🤣
ビルボードの時もスペースがあればまたピアノと一体になってみたいものだ。
ここからも新曲!MC不要なメドレーですね。
この編成だからオシャレに盛り上げていけたラブメドレー。
最初はDonna Summerの大人の愛の歌から。
オリジナルでは彼女は自分の声を重ねていくので、ルーパーの出番だ!ライブでループした音源とバンド演奏を交互して行くうちに、ループがずれてくるというリスクは毎回ありますが(あまりライブでイヤモニをしないのでクリックが基本ない)、今回は本番で見事にずれてしまいました。く〜〜。おそらくペダルを踏むタイミングが甘かった。またこれはいつかライブでリベンジしたい。
メドレーで一番聞きなれないものがあれば、こちらかな?私はドンピシャ世代。日本では分かりませんが、オーストラリアやヨーロッパではずっとラジオで流れてたヒット。これは現代のロミジュリ「Romeo + Juliet」で大ヒットした『Lovefool』。監督はオーストラリア出身のBaz Luhrmann。歌はスエーデンのバンドCardigans。英語で歌うヨーロッパのアーティストが多くて当時は全て勝手にアメリカかイギリスのバンドだと思い込んでいました。嫌というほどラジオで流れてたので歌う日が来るとは思っていませんでしたが、改めて聞いて楽譜を見ると、面白い転調やふわりがあるシャレオツなポップスだなと。
そしてラストは、自然と手拍子したくなるあの曲。君の瞳に乾杯してからの、『君の瞳に恋してる』。
サビはもちろん、バースもブリッジも全てキャッチー。これも改めて、なんとよく書かれてる一曲!インストのジャージャッジャージャッの部分は腰を振りながらヴァイオリン演奏。意外と筋肉を使う。
元気なラブソングも、悪くない。ライブでは曲の成り立ちや自分の思いを語れる唯一の場でもあるのでMCは欠かせないですが、このような説明不要で体と耳で楽しめる曲がいかに快感か。おそらくお客様にもその楽しさが伝わったかと。ますます、みんなと歌える、動けるオリジナル曲を作りたいと思えてきました。
MCといえば、今回は広島弁や呉独特の言葉もチラホラ。ブログだとイントネーションが伝わらないので、東京以外でのライブに是非!
必ずその土地の言葉で話すようにしてます。
そんな呉と言えば、色々ありますが、私にとっては一目惚れした、こちら。
本番、カリンバを弾きながら、エーデルワイス愛を語った独り言。*呉弁でご想像下さい。
「私は一度呉で野外ライブをしたことがあって。
そこで、一目惚れしました。
その日から、私にとって、呉といえば、たちまち、Edelweiss。生物だから、広島にいても、食べれない
月日を経て、遂にEdelweiss 発祥の地で、ソロコンサートが実現しました!
本日、月曜日…休日!
明日、火曜…休み!
もう、わやじゃ!
幻のEdelweissに、手がたわん。叶わぬ恋のようだ。
ほいでな、ご存知かもしれませんが、Edelweissという歌があります。
オーストリアを象徴する花 Edelweiss 。
Sound of Musicに出てくるこの歌の歌詞。
『小さくて、白くて、私に会えて嬉しそう』
そう、あの時のEdelweissのクリームパイは、まるで私を見上げて、こう言った:
『たべんさい』
ほいでな、そんな、私の片思いが、なんと、呉阪急ホテルまで響いたらしく、奇跡が起こりました。。。*パク*」
サラジオへのお便りでも、何人かがこの場面が1番涙した、良かった、と綴られていました。
私は甘党ではありません。なのにこのパイの味が何年経っても忘れられない。呉阪急の皆様に感謝しきれません。
ステージでは一口パクリ。片手でカリンバが弾きづらいは、右利きでないので、本当に一口しかフォークで取れないは。
そして、クリームは歌う前は避けたいもの。しかも次の曲はアカペラで始まるから逃げ場がない。
このタイミングで何かを飲むと間が悪いし、エーデルワイスへの注目が薄れる。舞台では伝わらない、裏サラの以外と大変だった一面。
次の選曲に?されてた方。
呉と言えば大和。「宇宙戦艦ヤマト」もインスパイアされてたと言うことで『無限に広がる大宇宙』。松本零士氏の記念日も近かったですね。
SAYONARA “Adieu Galaxy Express 999” 「さよなら銀河鉄道999 アンドロメダ終着駅」The Infinite Universe “Space Battleship Yamato” 無限に広がる大宇宙「宇宙戦艦ヤマト」| Sarah Àlainnサラ・オレイン
ラストは定番の『系』弾き語り。
そうだ、こちらも本来ラブソングでしたね。
自分にとっては日本で出逢った方とのご縁を意味する一曲です。呉・広島・日本に関連するメドレーの最後ということもあり、いつもとちょっぴりアレンジを変えました。
【糸】《LIVE》Orchestral Vers.|サラ ・オレイン|カバー|Sarah Àlainn
エーデルワイスを始め、自分にとってはこの三曲は故郷への愛を意味しています。戦争なんかなくなればいい。こんなに世の中に素晴らしい縁と愛に溢れている。
さぁて、ここから最後、アンコールまでどれもアッパーな曲!生涯で最もエネルギーがあるサライブになりました。
ヒールで自分なりに踊り、筋肉痛の日々が続きました。
沢山涙を流して来たから、こう言う賑やかで笑顔になる曲はスッキリ。クリヤさんも今まで1番楽しくバランスが良いセトリと言われてぶち嬉しい。
日本のメドレーに引き続き、まずは日本の『アイドル』ソングへ。星野アイちゃんの愛の歌!
この曲はテレビを始め、ファンクラブでリクエストされたとんでもない曲。日本語だから尚更難易度がお客様に伝わる=盛り上がる。やります🤣
何とも癖になる。複雑な愛の歌ですね。アニメ「推しの子」お勧めします。ドロドロとした芸能界が垣間見える。今回もJazzyなアイドルをお届け。クリヤさんとはお初で不思議な転調に笑ってました。
続いて丁度50年前のフランスのアイドルの一曲。フランス・ガルが歌う『Laisse Tomber Les Filles』。
いつもとは違う人格になり、気怠くコケティシュな表現に。演じられるからとても好き。
セクシーでキュートなサウンドですが、これはセルフラブソングと言っても良いでしょう。訳すと「女子をなめんな!」。
服装、喋り方、仕草。見た目によらず、中身が強いものをなめてはあかん。ヒールを履かない男性嫌いのフェミニストのイメージ、なくしましょう〜
アイドルといえば。。もう少ししたら一つシェアできることが。。!お楽しみ!!
そして、フランス繋がりで去年生で見に行けたポルナレフ!Tout Tout ! 楽譜は母が70年代の時に買ったもの。
なぜか日本で大ブームだったMichel Polnareff。FFの作曲家の植松伸夫さんも母世代で、ポルナレフを絶賛。きっとリバイバルが来る!と。ライブの時の動画を見せたら一ファンとして「生ポルだ〜」と仰られたのがなんともスイートでした。まだまだ現役で活躍されてます!日本でツアーがあればぜひ行かれて下さい!最高に盛り上がり、声も演奏も美しい。
『シェリーに口付け』して、次で最後じゃけぃ!
FranceからラストはSpainへ!サッカーではありません。
サントリーホールでフルオケとのJazz!LIVE音源があります。Jazzやアッパーな曲は殆どライブでしかやってないため、配信だけでもサラなる進化を共有できたら嬉しい。
Spain <LIVE>
さて、アンコールへ。さっとバービーサラスタイルに早着替え。因みに本編の赤ドレスはマレーシアで一目惚れした一着。
盛り上げて終わるパターン!去年のビルボードでこのメンバーと初めて歌って演奏したStevie Wonderの『I Wish』。
以来ハマりすぎて、ソロの時その時のライブのテーマに合わせた選曲を入れて行く。
I Wishのウォーキングベースの上からどうやって上手く別の曲をはめていくか。元々短調の音楽の方が乗りやすいので、『また君に恋してる』は意外と入りやすい!
地元ネタの時にたまに演歌を歌いますが、これまた気持ちい。ジャンルが掛け離れていればいるほど、面白いフュージョンが生まれる。
その前には短いリフで、Dreams Come Trueの名曲から「Love, love, love」、Beatlesから「She love’s you yeah yeah yeah」、「All you need is love」。
ラストは会場全員とのコール&レスポンス!舞台上からもしっかり皆さんのお声届いていました。5月のビルボードでもこんな風にまた一体になりたい!!
そう、丁度今年の日本での活動のスケジュールが全て出ました。是非とも盛り上げて最高な思い出を皆さんと作りたい!
また会える日までオリジナルで一体になれる曲を作ってみますね。
サラバンドと楽しく、激しく、ラストを迎えた後、アンコールのアンコールで、サラッとワンウーマンショーへ。
以前ヴァイオリンと歌で動画を撮ったプレスリーの『Can’t Help Falling In Love』。生でも聴きたい!とのことで、初めて披露。
伴奏にはヴァイオリンのPizz。事前に録音したハモリをルーパーから流しつつ歌唱。
Can't Help Falling In Love’
ディナーショーなので、最後は客席へ。盛り上がる曲はたくさんあったので、最後は一人一人に囁くMinnie Ripertonの『Lovin’ You』。
歌いながら退場。待っててね、エーデルワイスよ。
呉・広島の皆様、遠くからいらした皆様、雪の!東京からいらした皆様、
「Happy」なValentineになりました。
バレンタイン・ヴィーガン・クッキーも無事皆さんの元に届いたみたいで何より!動画もサラッと見れたかな?バレンタインライブで歌ったあの曲もサラッと歌ってます。
私はバレンタインの手作りサラメシとワインのコンビの後気づいたら寝てしまっていて、ブログが今日になってしまいました><
今夜の手作りサラメシ
❤︎白茄子(野菜あまり食べなかった時代から茄子好き)
❤︎ブルスケッタ
❤︎キッシュとクリームシチューの合体?
見た目は崩れてアレだけど、愛いっぱい
❤︎ヴィーガン・クッキー🍪
さて、次のサライブは恒例の八ヶ岳へ。いよいよプロデュースさせて頂いたカリンバを皆さんと演奏できる!
サラ・オレイン天上の音楽
2024年3月16日(土)
14:30開場 / 15:00開演
八ヶ岳高原音楽堂
SARAH ÀLAINN オリジナルカリンバ
台数:限定150台(予定)
受渡:2024年3月17日(日)9:30~ 八ヶ岳高原音楽堂にて
※当日シリアルナンバーNo.1~50迄(予定)の抽選会を行います
木材:八ヶ岳産天然カラマツ
アンバサダー:サラ・オレイン
大自然がお好きな方、落ち着いた、アコースティックスタイルがお好きな方は八ヶ岳がおすすめです。
アッパーで盛り上がるスタイルが好みの方は、Billboardと名古屋で。
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仕事終わりの彼と大通駅で待ち合わせる。すすきのを歩くと“ワインしか置いてありません”と書いてある看板を見つけ、ふたりで立ち止まる。あとで寄ろうと約束をして、ひとまずお腹を満たすためにふじとりへ行く。いつも混んでいるけれど、運良く座れた。いくつか串を選ぶ。ふたりで聞き合わなくとも、彼が「レバーはたれで」と注文してくれたことに仄かに嬉しくなる。「ジョッキってどんどん重くなってくる」と言うと笑われた。ストローでビール飲めたら楽なのに。「ライン来てたよ」と唐突に言われ、液晶画面を開くと【隣どんな関係?】【マチアプ?】【会話やばい】と彼から送信されていた。そっと横の男女の会話に聞き耳を立てる。初対面らしいふたりの会話は明らかに弾んでなかった。その奥にあるテレビでは、日ハム側がホームランを打っていた。
彼が先導してくれるなか、先ほど見つけた店に行く。ガタイの良い店主が迎えてくれ、「白、ロゼ、赤。どんなのがいいですか」と聞かれる。彼は濁り系の白を、私は軽めの白を頼む。「フードは単品とぐちゃぐちゃ色々のったやつありますけど」と言われ、そしたらぐちゃぐちゃので、と頼んだ。ライ麦パンの上にサラミやらポテトサラダ、生ハム、レバーのパテ、チーズが乗ったタパス。ワインと共に談笑。その後も、赤を2杯飲んだ。地下鉄に乗っておうちに帰る。
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#たべもの #ランチ #CROCE season2
若葉の季節と紅葉の季節はとにかく山に向かってドライブしたくなります。というわけで、前の職場の同僚と、東白川のクローチェさんに再訪。今回はランチ時間を目指して向かいました。
紅葉の時期だからか、平日の昼間でも待ちが何組か出ていました。驚いたのが、結構な広さのある待合室ができていて、順番が来るまではその部屋で待つことができます。なんかバーの作りかけみたいな部屋だったので、今後何かに使われる部屋なんでしょうか……?
あと、外のテラス席は追加料金が要るようでした。まあ、都会から来た人には山の木々を見ながらランチで気分転換になるのでしょうが、田舎の民は今更山を見ても特に何も(以下略)なので、テラス席はスルーで追加料金なしの店内の席を選びました。針葉樹林の山なので、紅葉の時期でも特に色は変わらないんですよね……。
ぱっと見ワインですが、運転手なのでぶどうジュースです。ワイングラスで来るとは思っていませんでした。
窓際のカウンター席だったので、色づいた木々を眺めながらまったり。
お店の前のモミジがちょうど見頃でした。
ところでお店の前にどこでもドアが置いてあったんですが、どう遊んでどう撮ったら良いか分からず微妙な写真に……。どう撮っても駐車場の車が映り込んでしまう……。平日昼間のカフェの駐車場は、ほぼ軽orミニバンという二択になっていて面白かったです。
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百条委による職員アンケに記載
兵庫県の斎藤元彦知事が内部告発された問題を受け、県議会の百条委員会が実施した職員アンケートの中間報告に、斎藤知事がカニやカキなど、複数の贈答品を受領したとの新たな疑惑が記載されていることがわかった。一方、社会通念上理解される範囲内として擁護する意見もあった。
アンケートは7月31日~8月14日、職員約9700人を対象に実施した。中間報告では、5日午前9時までの回答(4568人分)を集計。斎藤知事が贈答品を受け取っているとの疑惑について、見聞きした人の合計が20・7%(946人)だった。
アンケートの自由記述欄では、前県西播磨県民局長の男性職員(7月に死亡)が3月中旬に報道機関などへ送付した告発文書で示された以外の、新たな疑惑が記載されていた。
多かったのが、県北部の但馬地方で、カニを受領したとの内容だ。「出張した際、手土産として用意されたカニを随行職員が断ったにもかかわらず、斎藤知事が他の職員の分も含めて持ち帰ったと聞いた」などの記述が複数あった。このうち1人は「現場にいた人から聞いた。人の分まで持ち帰るのはいかがなものか」と疑問を呈した。
県北部への出張については昨年、知事が希望しているとして、旅費の規定を超える城崎温泉の高級旅館が手配され、実際に知事が宿泊したとの記載があった。
他にも、▽養殖業者からカキをもらった際、独り占めして全部自宅に運ばせると聞いた▽スポーツメーカーと面談した際、メーカーが新たに開発したシューズについて、「その靴欲しいです。白い靴が欲しいです」などと発言した面談記録を読んだことがある▽皮革工場を視察した際に、高級な革ジャンを所望したが断られたと聞いた――などの情報が寄せられた。
知事の贈答品の受領については、「社交儀礼レベルを超えていたのでは」など、厳しい意見が相次いだ。
「社会通念上の範囲なら」擁護の意見も
一方で、「地元産品をPRすることは他自治体でもある」「高価ではない特産品、手土産であれば、知事以外も含め、社会通念上の範囲で受け取っている事例は多くあると思われる」など、斎藤知事を擁護する意見も複数あった。
斎藤知事はこれまで、男性職員が告発文書で指摘した贈答品の疑惑について、「個人的な受領はない」と否定している。
今年7月には、県西部の上郡町の職員から2022年11月に特産のワイン2本が届けられたことが判明。斎藤知事は記者団に受領を認めた上で、「私が飲ませていただき、素晴らしさをPRするのは県の産業政策としてやるべきだ」と述べ、問題ないとの認識を示した。
兵庫県知事、「カニを職員の分も持ち帰り」「カキ独り占め」か…職員アンケートに複数の記述(読売新聞オンライン) - Yahoo!ニュース
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0721
昨日は財布とスマホを忘れて労働に出かけてしまった。気づいたのは電車の中で、あちゃーとは思ったけどまあでもパスモ(クレカと一体型のやつ)があるからべつに平気だなと思ってすぐあきらめた。待ち合わせの予定とかもなかったし。こういうときに限って何か緊急の連絡が…とはちょっと思ったけど、一月に義父が亡くなったばかりだからしばらくそういうことはあるまいと思った。またそういうことがあるかもとはあんまり考えない。こういうのって性格なのかな。誰からも何も来ないに千円と頭の中で賭けた。
つまりわたしは労働に遅刻しないよう、わざわざ引き返さなくたって平気だと自分に言い聞かせているのだろうかとちょっと思った。そんなに遅刻をおそれているのか。ちょっとくらい遅刻したって気にしない感じの方がいいのになと思う。自分も周囲も。わたしは電車とか待ち合わせとか映画の上映開始時間とか、��つもいろんなことがギリギリで、ギリギリまで仕度ができないタイプなんだから大手を振って遅刻しちゃえばいいのに毎度バタバタ走って大汗をかいている。悪あがき。一生こうやって走っているんだろうかとときどき恥ずかしくなる。
さっき電車に乗り込むとき、ホームと電車のすきまに靴を落としてしまった人がいた。すきまにかかとを引っかけて転んでしまったようで、一瞬迷ったけどわたしも電車を降り、大丈夫ですかと声をかけた。このときはまだ自分が財布とスマホを忘れてきたことに気づいていないのが、なんか昔話の正直者っぽいムーブだな……。人助けってほどのことでもないけど、うっかり者で正直者のなんとか太郎的な。
でもそんなんではないな、昔話の無償の正直さではないな。自分も乗りたい電車に遅れそうでしょっちゅう走っているタイプだから味方したくなったってだけかもしれない。自分ももうずっと前、学生時代、靴をホームのすきまに落としたことがあって、東中野の駅で足を踏み外して体ごと落っこちかけたのを近くにいた人がすぐ引っ張り上げてくれた。そのときは演劇のフライヤーを業者に届けに行く用事でかなり重たい紙袋を持っていた。よく引っ張ってもらえたなと思った。そういう善意の循環……みたいなことを考えるとなんかちょっと気味が悪いような気もする。これはわたしがひねくれているだけかも。
転んだ人は声をかけられてかえって恥ずかしいかもしれないと思って、駅員さんが来るまでなんとなく近くで見守り、駅員さんはすぐ来たので車輌ひとつぶんくらい離れたところに移動した。そして、電車一本くらい見送ったっていいや、多少遅刻してもいいやという判断をした自分に酔っていないか?みたいなことも思った。多少の遅刻は気にならない自分をやりたかったんではないか。なんだか心臓がばくばくし、さっきその人が転んで尻もちをついたとき、プリキュアみたいな絵面と一瞬重なった。スカートが広がった感じと手に握ったままのハンディ扇風機がなんか魔法少女みたいだなと思った。それがうしろめたくて声をかけたのかもしれない……とかも考えた。
なので財布もスマホも忘れてきたと気づいたときちょっとほっとした気持ちもあった。慣れない善意のようなことをしたからそれと釣り合いがとれているような気がした。バチが当たるの逆みたいな。
そういうことを考えていたら電車はすぐ着いて、財布もスマホも持っていないのに水筒と読みかけの本は持って会社に出かけるのなんか優雅だな…と思った。あとタオルと日傘と飴。リュックの中で水筒の氷がカラカラ鳴って、このごろ水筒には冷たいお茶を入れているから、歩くたび遠足の子どもみたいな音がする。
読みかけの本はレアード・ハント『インディアナ、インディアナ』。柴田元幸訳。柴田元幸だから読んでみるというのは武豊が乗るから買っておくみたいな感じ? わかんない。インディアナ〜は難解な小説ではないと思うんだけど、ゆっくり読まないとすぐなんだかよくわからなくなる小説。もうあと少しで読み終わるんだけど、読み落としているところがたくさんある気がして行きつ戻りつ読んでいて、今はもっかい最初からゆっくり読み直している。
「ヴァージルの死ぬ間際にノアはもう緑の印は見つかったかとヴァージルに訊いて見つかったならどこにあるのか教えてくれと頼んだがヴァージルは長いあいだノアの顔を見てそれから眠りに落ちそれから目ざめてノアの顔を見てそれからまた眠りに落ちた。」だいたいこういう感じ。辛抱強く話を聞くみたいな小説で、いつかこういうの書きたいな、書けたらなあと思う。このそれからが3回続くの、自分だと書くのに勇気がいると思うし、書いたとしても書いたぞってあざとさが出てしまう気がする。
お昼は会社の横に来ていたフードトラックでタコスを食べた。パスモで支払えた。白いタコスには鶏肉、ピンクの生地には牛肉の赤ワイン煮込み、黒っぽい生地にはサボテン?を何か和えたやつ。三個入り。キウイのサルサが辛くて美味しかった。スマホを持っていたらぜったい写真を撮っていたなと思った。
並んでいるとき、トラックに据えた鉄板の火が消えてしまったようで店の人が五分くらい格闘していた。しばらくチャッカマンをカチカチやっていたけどたぶんチャッカマンも燃料切れのようで、ぜんぜん火がつかない。ライターでやろうとしてなかなかうまくいかず、昼休みの五分くらいってけっこう長く感じるしかなり人も並んでいたんだけど、その人はまるで焦らず黙々とやっていたのですごいなーと思った。焦りが顔に出ないタイプなだけかもしれないけど。べつに誰にも謝らず、普通に注文を受け普通にタコスを包んでとやっていて、そうだよなあと思った。
労働を終えまっすぐ帰宅したらスマホにはやはり誰からも連絡は来ていなくて、千円勝ったと思った。千円くらい何か食べようと思った。わざわざ夜出かけるのめんどくさいなとは思ったけど、金曜の夜でほんとは寄り道したかったのだから出かけたい気持ちが勝った。
ぶらっと出てみたらいつもより涼しくて、どこまでも散歩できそうな気持ちのいい晩だった。ぶらぶら歩き、なんとなく電車に乗っていた。夜だから上り電車は空いていて、定期圏内の、でもあまり降りる用事がない駅のちょっと歩いたところにある中華料理屋というか定食屋というか、カツカレーが美味しいらしいので前から行ってみたかった。ふだんぜんぜん用事のない、買い物に行くような街でもない、誰も知り合いもいない駅。ここでわたしが何か交通事故とかにあって死んじゃったりしたら、なんであんなところにいたんだろうと家族は不思議に思うんだろうな……とあまり行かない場所に出かけるたび思う。
駅を降りたら書店があったので覗いてみた。雑誌と漫画と学参の棚が大きい、ちょっと広めの店舗の懐かしい感じの書店。気になっている本のリストを頭に浮かべながら物色し、目当てのいくつかは置いていないようだったけど、そういえばしゃしゃさんの本が今日発売日じゃなかったっけと思って探した。『蒼き太陽の詩』。1,2巻は棚に差してあったけど今日発売の3巻はなかった。レジに持って行って、これの3巻もありますかと尋ねたら奥から出してきてくれた。ラスト一冊でしたと教えてくれた。あっ善意と思った。カツカレーを食べながら読んだ。
『蒼き太陽の詩』は、アラビアンファンタジーというのかな、双子の王子が国王の座をめぐって殺し合う……というワクワクハラハラする物語。砂漠の王国が舞台の大長編で、読みやすくてぐいぐい進んだ。『インディアナ、インディアナ』を読んでいたから余計にそう思うのかも。壮麗な織物みたいな物語で、読んでいるとキャラクターたちの声が聞こえてくるし人や周りの風景が目に浮かぶ。生き生きとしている。これアニメになったらいいなーと思った。赤将軍のユングヴィはファイルーズあいさんがいいな……。
カツカレーの店は、客はわたしだけで、店のおじいさんは座敷でテレビを見ていた。テーブルにハイボールのコップとつまみがいくつか並んでいて、わたしが来たのでおじいさんはちょっと慌てたようすで、でもにこやかに注文をとってくれた。すっかりすり減った畳が赤くなっていて、ちょっと緊張した。あまりきれいでない状態に緊張するのもあるし、よそものが入ってきてすみませんみたいな緊張感もある。テーブルはきれいに拭かれていた。揚げたてのカツが大きくて、油と肉汁がジュワッと溢れてきてすごく美味しかった。カレーは濃くて、柔らかくほぐれた牛肉もけっこう大きいしたくさん入っていた。たしかにうまい。がつがつ食べるうちにだんだん体のこわばりがほどけた。
テレビの音がものすごく大きくて閉口したけど、カツを揚げ終えたおじいさんが汗をぬぐいながら夢中で見ているのがなんかよかった。『チコちゃんに叱られる』というやつ?初めて見た。音が大きいから見てしまう。ボーッと生きてるんじゃねえよってこれかと思った。Vtuberっぽい。おじいさんが何度もはははと笑った。どうしてゴルフボールの表面にでこぼこがあるのかというのをとても真剣に見ているので、ひととおり解説が終わるのを待って会計を頼んだ。
家に帰ったら板垣さんがツイッターでスペースをやっていたので、洗い物や洗濯物などを片付けながら聞いた。どうやら同じ大学出身だったことがわかって思わず話しかけてしまった。一日いろいろカラフルでなんか気持ちが興奮していたのか、やけにたくさんしゃべってしまって、恥ずかしくなって寝た。文フリの話とか小説の話。
千葉雅也『エレクトリック』、わたしは父親がエロいのがいいと思った。と言ったんだけど、なんていうの、エロいって言い方はちょっとちがう気もするんだけどエロく書くことのすごさがあってそれをそう受け取りたいというか……。これは『サバービアの憂鬱』で読んだんだったかな、「男性は会社(仕事)に嫁ぐ」というのを思い出したの。大場正明『サバービアの憂鬱 「郊外」の誕生とその爆発的発展の過程』。うろおぼえだからちょっとちがうかもだけど、男性が会社(仕事)に対して「嫁」になってしまう、みたいな。父親の人妻的な感じ。そういうエロさ。舞台の宇都宮も郊外(サバービア)だなと思った。そしてそういう小説の、文章自体がヘテロでない感じがあって、すごくよかった。多くの小説の文章が意識的にも無意識的にも備えている、当然の「調べ」みたいなものがあんまりない文章だと思った。
『エレクトリック』の前後で読んでいた、数年前の文藝賞の作品が、なんかこうすごくどヘテロだったのもあってそう思ったんだと思う。ヘテロが悪いわけではもちろんないけどよくもわるくもどヘテロ、ザ・調べという感じで、この作品のどこらへんがわたしは苦手だったのかを語ろうとすると、そこに糸口があるみたいな話。
なんていうの、村上春樹に文句言ってる場合じゃないくらい若い作家の新しい作品がめちゃめちゃ古いジェンダー観で、読んでいて作品の面白さとかすごさはわかるような気はしたんだけど、でもこれをよしとするんだなあ、帯に誰々氏が激賞と書いてあるけどそうなんだ?!みたいな驚きは、やはりあった。ジェンダー観もそうだし、地方や精神障害者への偏見を強化するような感じもあって気になった。「壮大な作品」「圧倒的な熱量」「知識と想像力を駆使し」と帯に書かれていたけど、わたしは読んでいて小ささや狭さの方が目についた。
いやわざとそう書いている、いかにもなステレオタイプをやることに意味がある作品なんだろうとは思った。仕掛けというか。でも意味があるんですよと書くずるさというか……。ステレオタイプをなぞり続けたい、そのようにして書けるものに作家は意味を見出したいし、どうしても興味がある。それってフェチではあるよなあと思うんだけど、ステレオタイプをフェチと指摘されることってあんまりない気がする。
偏見の強化によって生まれる痛み、それを感じない場所に作家は立っていて、痛みを感じる人のこともあまり見えない。いや見えてはいるかもしんないけど、自分の書くこの作品とはさほど関係ないと思っている? それは別の作家、何かそれにふさわしい属性を持った作家がやることであって自分の作品では関係ない。おそらくは無自覚な特権があり、特権って言うと反発したくなると思うけど……みたいなことを思って、うーーんとなった。やつあたりかもしんないけど。作品名出さずに書いてるからなんのこっちゃって感じだと思うけど。
まあ小説ってそんなに読まれないんだろうなと思った。読む人そんなにいないから、これのここってどうなのみたいな話題にのぼることってあんまりない。漫画とはそこがちがう。あとまあわたしが純文学、文芸誌とその賞にそれなりに夢をもっている(もっちゃっている)ふしはあるな…。
そしてこの作品の直後にC・パム・ジャン『その丘が黄金ならば』を読んであーーーこういうのが好きだ〜〜と思って、なんかそういう不満のようなものはふっとんだ。大きい。大きい小説。こういうのがいい。小さい小説がだめなわけではぜんぜんないけど、大きい話を書こうとしたものが狭苦しく感じられるのはやはりつらい。あと長さもよかった。四六版で384ページ。父親が亡くなり子どもたちが埋葬の旅に出る…という筋書きで、本のけっこう前半で埋葬は済んじゃう。その後が長いのがよかった。純文学系の賞はちょっと短いのかもしれない。「自分の書くこの作品とはさほど関係ない」と書いたけど、まあだって短いもんなー。読む人にも書く人にも。この長さの話はもうちょっと掘り下げたい。日記に書きたいことっていろいろあるな。長くなったのでまた今度。
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夜飯と野良猫 モリオカにて
仕事の進捗が芳しくないので、気晴らしに夜ごはんを食べにモリオカへ。モリオカは定食とパスタ、ハウスワインがあるわたしのお気に入りのお店。パスタを頼むとおまけにサラダが付き、しかもこれが上等なサラダで日によって鶏肉や厚切りのハムが入っていたり具材は異なるが、これがしっかりとしたボリュームのサラダである。またビールを頼むとこれにもおまけがつく、ソーセージやサラミのミニ盛り合わせ。極め付けは食後にプリンをついてくる、美味い。しかもこれらはメニューには記載が全くないため、はじめて訪れた時は、このおまけの充実さにうれしい驚きがある。
今日もパスタ(とサラダとプリン),ハウスワインの白をいただこうと思い店のドアを開けると店主の他に1匹の子猫がケージの中にいた。今まで猫を飼っているような様子もなかったので、メニューのオーダー以外に話したことのなかった店主、「猫飼われてたんですか?」 と尋ねたところどうやら、今朝カラスに虐められていたところを助けて拾ってきたそうであった。先ほど体を洗ってあげたばかりらしくちょうど店主の方が子猫の体を拭いてあげていたところだった。メニューをもらい考えていると、「おおまかに拭き終えてからオーダーをとるでもいいでしょうか?」 と聞かれたので 「全然いいです。」 と答えた。今日はブルーチーズと胡桃のパスタを注文する。メニューを取ると店主はケージを閉めて風呂敷を覆い被せて厨房に入っていく。店主がいなくなると子猫はミー、ミーと鳴いていた。わたしもメニューが来るまで本を読んで待つつもりだったが、ひっきりなしに鳴く子猫の様子が気になり、風呂敷を被ったケージをチラチラ見た。またしばらくしておまけのサラダが運ばれてきた。店主に 「子猫をなでてもいいですか」 と聞くとまだ少し濡れているから拭いてやってほしいと言われてタオルを渡される。運ばれてきたサラダを放ったまま濡れた毛並みにタオルで包むようにして抱き上げて体を拭いてやった。15分ほど拭いていただろうか、すっかり体は乾いてだいぶ子猫の緊張も解けてきたところ、パスタが来たので店主に子猫を引き継ぎ、わたしはサラダとパスタをいただき、ワインを呑んだ。そろそろ食べ終わるかなというころに、店主が席の方にケージを持ってきてくれて、子猫の横で残りを食べた。食後にプリンが運ばれてくると、一緒にブラシを渡され、「これで毛繕いしてください」 と言って、店主は厨房へ。わたしはそのままプリンを放置ししばらく毛繕いをしてやっていたがあまりに店主が戻ってこないので、子猫の隙を見てプリンを食べた。この頃にはさきほどまで小刻みに震え濡れていた子猫もすっかり元気になり目を離すとすぐケージが出ようとしたのでその都度抱きかかえて何度かなでてからケージに戻してやった。
あまりに長居しすぎるのも悪くなってきたので、ごちそうさまですと見えないところにいる店主に向けて言うとすぐこちらに来てお会計をしてくれた。「料理中面倒をずっと見てもらったから」 といい���インはサービスにしてくれた。面倒を見ているときの子猫の体温はワインを呑んだわたしの手よりも熱く、わたしは生命の尊さを感じた。
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A'ddict - Eat The Peach
樽感強めの白ワインで食べる、熟れた桃の匂い
深い甘さの中に潜む上品さが堪らない、かぶりつきたい肌の匂い
シャワーを浴び、フルメイクをして、黒いミニスカにジャケットを羽織った19時半、夜の街に繰り出すときの胸の高鳴り、ほんのり石鹸が香る肌にのせた甘いパフュームの匂い
なおエタノールフリーなので髪や服につけられるところが良いです
なんか髪からふわっと香るのが好きだよね。みんな
真面目な顔してモテたい日に戦略的につけたい
Sillage: ★★★☆☆
Longevity: ★★★★☆
A'ddict、まだあまり知名度高くないですがブランドコンセプトとクリエイティブが秀逸。
ラベルに記載されている謎の数字の羅列。
これには意味があって、上段・中段・下段のそれぞれに書かれた3桁の数字が、それぞれトップノート、ミドルノート、ベースノートを指しているとのこと。
例えばEat The Peachの数字は
701:Apple
703:Peach
201:Sandalwood
を意味しているようです。
ん~~これはシンプルだけど、コンセプトデザインとパッケージデザインが綺麗に融合していて非常に心をくすぐられるね。。。
パッケージデザイン自体はシンプルなボトルで、ラベルも先ほどの9つの数字のみですが、ボトルの中でオイルと水が分離するので中がバイカラーに。
エタノールフリーの香水ならではの強みを視覚的にも活用してます。
さてEat The Peachですが、安っぽくなりがちな桃の香りを、甘さとフルーティーさをしっかり残しつつ、極限までウッディノートで深みを出している、結構ありそうで実はそんなにない香りです。
おトムの「Bitter Peach」が似たコンセプトでありますが、これはウッディが大匙1、ピーチが小匙1/2、その上にスモーキーなバイブスをひとつまみ、といったところですかね。フルーティーな香水として纏うにはやや渋すぎ。
甘めな香水をお求めの方、値段もお手頃なのでおすすめ。
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どん曇りである。
なんか先週こそ違ったが、毎週月曜日は雨とか曇りばかりだ。
基本在宅なので関係ないといえば関係ないが、まあ「地獄」だ。
我が家は中央線沿線なのだが、東京の方はよくご存知だと思うが、この中央線は「よく止まる」
「よく止まる」というのは事故が多いのだ。
一度事故が起きると1時間半ほど不通になる。
ぼくの場合まだ最寄駅は逃げ道があるからいいが、中央線しかない駅の利用者は阿鼻叫喚である。
これが月曜日に多い。
理由は簡単だ。
地獄なのだ。
止めた方も地獄なら止められた方も地獄。
明日は止まらないことを祈るのみ。
朝飯は「ハムサンド」である。
辛子マヨで、レタスとハム。
ちょっとブロッコリースプラウト。
昨日から家人と、今日は文京区の白山神社にアジサイを見に行く約束をしていたので、昼前に車で出かける。
行って見てびっくり。
ものすごい人である。
アジサイはキレイだが、まあゆっくり見てる暇もない。
お詣りして、そそくさとメシに。
白山駅の近くにある満壽美屋で、もりそばとミニカツ丼のセット。
そば屋に行くと、どうしてもカツ丼が食いたくなる病なのである。
実はこのあとちょっとトラブルに見舞われたのだけど、またそれは別の機会に。
今日は娘が来るらしいので、晩飯は「ハンバーグオムライス」を作った。
デミグラスは赤ワインを使ったのである。
いやはや、よく歩いた。
へとへとである。
ごちそうさん。
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キニピと4回目の逢瀬
飲み慣れないワインを煽られ、計4杯を飲み、頭に襲われる今。シャワーもやめ、さっさと寝たい気持ちを片隅に置いて、服も脱ぎ捨てず、今、このブログを書いている。
3回目は仕事終わりだった、今回は私が休みだったから、あわよくば告白を受けるために、最高のコンディションで挑んだ。外出前にシャワーを浴びて、髪を巻いて、化粧もキニピのタイプに合わせて少し変えて、2軒梯子して、終電前に解散。前回とは違って特に引き止められることもなく、あっさり解散。手も繋いでいるし、ボディタッチもあるし、仕事の話とか真剣な話もするのにそこから先がない。もしかして抱かないとそれ以上先には進めないタイプの男?なんだそれ、どんな男でも超本命には胡座なんてかいてられず、急いで捕まえようとするもんだって頭じゃわかってても、心が受け止めてくれない。もしかしたら…いや、でも…を繰り返している。現実逃避のために土曜日また街コンでも行こうかな。キニピと出会ったあの街コンへ。
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『ガラスの街』
五月は読書の月だ。僕は本を読んだ。数多の本を。
最初、それは次の小説のアイデアを得るためだった。頭上の樹々からワインのための葡萄をもぎ取るような、循環を続けるにあたっての摂取だった。いきおい堕落しつつある現実から少しでも意識を逸らすためでもあった。
普段の僕は、本を読んで時間を過ごすことは少ない。長い時間ひとつの文章に集中することができないのだ。
それに読むことよりは書くことのほうがずっと大切だと僕は思っている。読む行為は、現実という制限された枠組みのなかではせいぜい膝丈ほどの優先度しかなかった。
しかし五月ではあらゆるものが落下した。熟れ過ぎた果実が枝との繋がり終え、足元に開いた坩堝に呑み込まれていった。読む行為もそうだ。落ち、煮え滾る器の中で混合した。
いまでは僕の「読む」は混沌としている。それはいまでは長身の僕、その僕以上にのっそりとそびえる一本の巨大な柱となっている。物言わぬ花崗岩の柱。五月、僕はそんな柱を中心にぐるぐると回り続けている。手は文庫本に添えられ、目は9.25ポイントの文字に注がれている。足は僕の意識から離れて交互に動いている。ひたすら歩き、ひたすら読んでいる。柱から少し離れた誰彼にどう見られているかどう言われているかなんてことお構いなしに。
いや。そんな話自体がどうでもいい。関係ない。
きょう、僕は自分自身が”うすのろ”だということを語りにきたのだ。
***
五月。
僕はどんなものを読んだのだろうか。
金ができて僕がまずやったことは大学生協の本屋に行くことだった。カウンターで二枚つづりの注文用紙を手に取り、もう何年も使い続けている青のボールペンで書いた。
"9784002012759"
週明け、僕は地下の生協で注文の品を受け取った。『失われた時を求めて』全十四冊。いまは第一巻を読んでいる。僕がふと目をあげると、あの遠い窓の奥で、大叔母が目を爛々と輝かせているというイメージが浮かぶ。泳ぐような精神の移ろいもまた。
シェイクスピアの『夏の夜の夢』も読んだ。
『MONKEY』のvol.31の三篇、ケン・リュウ「夏の読書」、イーディス・ウォートン「ジングー」、ボルヘス「バベルの図書館」も読んだ。
仕方なく後回しにされていた本を買って読んだのだ。
金銭の自由は、精神という鈍い壁に茂っていた蔓植物のような不足を一太刀で解決した。
『春の庭』も読んだ。『九年前の祈り』も。
ウルフの『波』も読み始めている。
僕の貪欲は、過去に読んだことがあるかどうかなんてものでは選ばなかった。カーヴァーの『象』、春樹の「タイ・ランド」、マンローの「イラクサ」、ヴォネガットの『スローターハウス5』。マラマッドの「悼む人」も読んだ。
一度の時に、僕はこれらの本を読んだのだった。
こんなに大量のフィクションを仕入れて、いったい何をしようとしているのか?
紛争でも起こそうとしているのか?
何のためか。それは僕自身にもわからなかった。
僕は特定の目的をもって読んだわけではなかったようだった。五月の読書は「文章の上達」や、「ストーリーテリングの技法」といったそれまでの興味とは別物だった。振り返ればそうだとわかる。
五月の読書は、それまでの自分を抑制しようとする、極めて機械的な態度とは違っていたのだ。
言えば、それは無垢に機械的な読書だった。
これまでの僕は断じて読書好きではなかった。どんな傑作でも一時間もしないうちに音を上げて投げ出した。ドストエフスキーやメルヴィルと出会ったときでさえ、メインストリームは”書くこと”、そして”生きること”で変わらなかった。この五月に僕は初めてむさぼるように読んだのだ。頭を空っぽにして。堆い小説の亡骸の山に坐すかのようにして。
それで、僕は何かしら成長したか。
いや。成長なんて一つもなかった。
そこには変化さえなかった。二週間前と、すべては同じだった。僕が着るのは依然深いグレーのブルゾンだった。コミュニケーションもぎこちないままだった。
だからそこで起きたことはシンプルだ。つまり、僕はポール・オースターの『ガラスの街』を読み、ある一つの事実に行き当たった。
「僕はなんという低能なのだ」という事実に。
***
一昨日から僕はポール・オースターの『ガラスの街』を読み始める。
『MONKEY』でオースターのエッセイを読んで彼のことを思い出し、その夜に丸善に立ち寄った僕は彼の本を久々に手に取った。
三日で読んだ。
「三日で読む」というのは僕にとってほとんどあり得ないことだった。僕のリュックサックには必ず四、五冊の本があった。読むときにはまずそのとき一番惹かれる本を手に取った。そして十数ページが過ぎ、抱いていた軽度の好奇心が満たされてしまうと、浮気性の蜜蜂のようにまた別の小説の甘いのを求めるのだった。
だから、一日目、二日目と時を経るごとに加速度的にその好奇心が勢いを増し、三日目には150ページを一つの瞬間に通貫して読んでしまったのだ。僕の読書体験において、異例中の異例だった。
『ガラスの街』を読んで、僕はうちのめされた。徹底的に。
”面白さ”、そして”新鮮さ”の二つが、やはり事の中心だった。読書においておきまりのその二つが今回も僕を虐め抜いたというわけだ。
『ガラスの街』を読み終えた瞬間、僕の生きる世界のどこかが確実に変化した。
「祈っている。」
僕がこの最後の一文を読んだとき、曇り空の下にいた。その一節がこちらに流れ込んできたあと、僕は立ち上がった。テーブルがごとりと揺れるほどぶっきらぼうに立った。取り乱していたのだった。僕はそのままであてもなく歩き始めた。
「これ以上座っていることはできない」
「このまま座っていると、僕は頭の先から崩れ落ちてしまう不可逆的に」
そうした、僕という精神を一切合切覆してしまうほどの強烈な予感のために。
僕は予感に乗っ取られないよう、何も考えないと努めていた。何も感じまい、何も見まい、と。
リラックスを意識し、肩から力を抜く。腕をぐんと伸ばし、指をぽきぽきと鳴らした。イヤホンを耳にした。『ベリーエイク』を再生する。いつか足元をくすぐった波のように心地よい、ビリーアイリッシュの声に心をしっとり傾けた。
もちろん、そんなことは無駄だった。とりあえずの形など、何の助けにもならなかった。以前との比較から始まる違和感たちは強権的に僕の感情の戸をこじ開けた。
歩く中、透明の空気が奇妙に凪いでいた。風景からは特定の色が抜け落ちていた。向こうで笑う声、衣擦れの音、靴底の摩擦。音という音がワンテンポずれて聞こえた。
変化は女王だった。彼女は支配的だった。
僕は小説による変化を受け入れ、恭順のように認めたわけではなかった。むしろ、変化は僕にどうしようもなく訪れていた。言わば、言い渡しのようにして。
女王を僕は素晴らしい小説を読んだ後の”ゆらぎ”の中に閉じ込めたのだった。何もかもが、僕に合わない形に作り替えられていた。建物を構成する直線はいまやでたらめで恐怖がつのった。頭上の青はこのように汚い灰色では絶対なかった。
――そして、当然、この点についての文章はかたちだけに過ぎない。これらは省略した文章。書く必要がないということ。
なぜなら、あなたたちもかつて同じ経験を経ているからだ。小説を読み終えたあとに来る世界の変質を。
加えて、忘れるなんてことを女王が許すわけもない。これについても言わずもがなだろう。
そして、重要なのは変化のよろめきではない。
そうなんだ。きょうしたいのは女王の話とは実は違うのだ。ここであなたに伝える言葉は破壊だ。
破壊。
それは”面白さ”と”新鮮さ”のコンビがやったわけではなかった。変化の体験に曝されたゆえのサイコ・ショックでもない。
木々を打ち砕く手斧となり、人体を壊す剣となり、バベルの塔をゼロにする雷となったのは、オースターの書きっぷりだった。
オースターは、考え抜いていた。
そこで”感じ”は排除されていた。
感覚による言い表しがまるで無かったのだ。僅かにイメージに依拠するものがあっても、それは必ず共感の姿勢だった。テーブルに身を乗り出し、相手の声に耳を澄ませる態度。
『ガラスの街』では、本当に一切妥協はなかった。僕はとても信じられず、街を隅から隅までしつこく歩き回った。しかし、本当に妥協はどこにも無かった。
オースターは僕とコミュニケートすることを選んでいた。そのへんの宙に感覚という水彩画を描いて「ほらご覧」とする、ごく個人的で他者には見せつけるだけという表現は徹底的にしなかった。チャンドラーを始め、私立探偵ものに由来する例の論理的な高慢さはあった。しかし、確実にオースターは読者と対峙していた。彼は殴る、殴られる痛みを完全に了解した上でリングに立っていた。
彼の据わった眼が僕を揺るがしたのだった。彼は完全の脆弱性を知りながら、完全に書いていた。
それだから、彼を読んだとき、僕は……
向こうから厚底ブーツの女が歩いてくる。
女は痩せている。薄い、流線形の黒一枚に身を包んでいる。背が高く、ありったけに若い。二十歳前後に見える。二つの瞳はキャップに隠れている。すれ違いざまに見える耳にさえ、カナル型のイヤホンで黒が差されている。マニキュアはあまりにも美しい銀色に染まっており、高まりを誘う。
センスがいい。綺麗だ。
彼女はなんて豊かなんだ。
僕はそう思う。
ほとんど同時に、ガラス一枚を隔てた向こうで本を読む人を見つける。
また女だったが、今回性別は重要ではなかった。その読む人は区切られたブースで、文庫に目を落としていた。化粧や唯一のファッションなどもなく、やはり装飾は重要でなかった。というのも、いまにも涎が垂れてきそうなほどに口をあんぐりと開けて読んでいた間抜けなその放心が、僕の記憶に楔として打ち込まれていたからだ。
これらのスケッチが、何かを直截に意味することはない。二つの風景は隠喩ではない。
正直に、上記は僕が受けた印象の再放送だ。
この日記は『不思議の国のアリス』ではない。二つは作為的な意味を持たない。
書いたのは「意味を持たない」ということを明らかにするためだ。
その内容でなく、外側、僕のスタイルという基本的な骨組みを露わにするためだ。
そう。だから、つまり……僕は痛みから逃げている。オースターとは違って。
きょう、読んで、事実は突きつけられる。
***
”言葉”はもう一度響く。
「大西さんの小説は、けっきょく古典から表現を引用しているだけ」
「僕は彼にもう興味がないんだ。かつて、彼は賢い人だと思っていた。書くものに何かしらの意味があると思っていた。でも、そうじゃないと知った」
「あなたの課題は、独自の世界観を提示できるかということです。海外の小説、そして村上春樹でなく」
***
そして、このように敗北してもなお、僕は決定的な何かについて述べることはなかった。張りつめた表情で、ま��かし、それ自体に必死に祈る。もうそのような生き方しかできないと信じ込んでいるのだ。
「この大地にあるものはすべて、消え去るのだ。そして、今の実体のない見世物が消えたように、あとには雲ひとつ残らない。私たちは、夢を織り成す糸のようなものだ。そのささやかな人生は、眠りによって締めくくられる」
祈りの文句を何度も何度も口にした。
僕の声はいつも通りにすごく軽くで響いた。
そして一度響いてしまったものは泡沫のようにたちまち消え去った。
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身の程知らず
朝の5時にベッドに横になり、8時にアラームをセットする。目は爛々と冴えていて、喉の奥が白ワインの重みで痺れていた。
風花さんと仕事終わりにお酒を飲んだあと、彼と合流しても良いかと聞かれた。風花さんの彼、田中さんとは面識があって、何度か一緒にお酒を飲んだこともあるし、なんとなくこうなることを予想してたので曖昧に頷く。彼と電話をする風花さんの声がはちみつのように甘くて、好きな男と電話する女の声は誰しも甘いのだなと思った。鉄の女と怖がられる彼女であっても。
田中さんが今どこで飲んでいるのか聞いて後悔した。一見様お断りのワインバーということだった。ああ、一体いくらするのだろう。ATMで残高に怯えながら何枚かお札を引き出す。ビル風がより一層冷たく感じた。田中さんの事はまったく嫌いではないけれど、風花さんに彼と合流しても良いかと聞かれるといつも身構えてしまうのはこれがあるからだ。田中さんは経営者で食通なので、私の収入では縁のないようなお店で飲んでおり気後れしてしまう。合流した先のお店の人達と田中さんはもちろん風花さんも仲良しで、知らない話で盛り上がっている時は居心地が悪く適当に笑って誤魔化している。
2人の時間をお邪魔したら悪いからと、風花さんから件の提案をされる度何度か断ったこともあるけれど、風花さんは純粋に彼氏と私を会わせることが好きらしく、ならばといつものこのこついていってしまう自分をほんとに殴ってやりたい。
メニューもなく、恐々とお酒や食事をすすめられるまま口にしていたらすっかり終電のない時間になっていた。田中さんにお会計をまたしていただいたのが申し訳なくて、無理やり1000円札を押し付けタクシーに乗り込む。値段が分からないお店で田中さんに奢っていただいのは3回目だ。どっと疲れが出た。高い食事を人に奢ってもらうということに慣れてなさすぎるし、やはり私は奢られるより奢るほうがずっと気が楽だなと思った。タダで高級店へ連れて行ってもらうより、自分で高級店へ行けるようになりたい。あがり続けるタクシーのメーターにハラハラしながら、明日からどうやって生きよう、となる。
私はワインで一番酔うはずなのに、10杯近く飲んでも全くふらついたり眠くなったりしなかった。何がそうさせていたのか、ぜんぶがそうさせたのか分からない。分からないけれど次は田中さんの行きつけのお店へついて行くのはやめようと思ったし、取り急ぎ奢っていただいたお返しを何か探そうとGoogleを開いたらぱたぱたと涙が溢れた。これは一体、何の涙なのだろうか。
高級店でのびのびとお酒を飲む同僚の風花さんの横で、縮こまるしかない自分に対してとか、風花さんに礼さんは可哀想なんだよと田中さんに紹介された事とか、彼氏と次いつ会えるのか見当もつかない自分に対して同棲している2人が同じ家に帰る事が羨ましいとか、いろんな感情がマーブル模様になって落ち込む。
こんな日に彼氏を抱きしめられたらどれほど。でも彼氏に全部どうにかしてもらおうというのも違う。違うけれど今は何も考えずただ甘えたい。
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片付いてる部屋になんか興味ない
私が今みたいのは本!本!本!本の中身!誰が何を書いているか!何が書かれているか!もうそれだけ!という気持ちになったので本棚とその前に積み上げられたものたちをドガシャアとひっくりかえして、それなりに片付いていた部屋をどんがらがっしゃんした。まあ1箇所に寄せて固めていただけのものだし、これを機に一度広げた本や同人誌やグッズを整理したほうがいい。
12時半に家を出て21時半に帰宅。もうほとんど電車に乗っているような一日だった。疲れた。前半は気圧の下降がきつく、今日絶対家で寝ておいた方がよかったなと思ったが、なんとか1時間半かけてほぼ多摩まで行き(間違えて各停に乗りまくった)用事を済ませて次は埼玉の大宮にある病院へ。待合室に人がどわっといて、酸素が薄い…?と思いながら、流れているジブリのオルゴールを聞いて脳内でタイトル当てをしているうちに座ったまま寝ていた。15時半からの予約で、はっと目を覚ましたら17時をすぎていたが、まだ呼ばれていなかった。眠れてよかったと思う。気圧も上昇に転じたのか、体が結構軽くなっていた。診察では先生に冬季うつのようなものがあったのかも?先週から徐々に家事ができるようになり、無気力感が抜けました〜って報告したら、躁転(軽躁)かもしれないから気をつけてね、いきなりいろいろしちゃダメだよ、と釘を刺され、バイトもまだ増やさないように。と言われ、人足りないと聞いて、元々の希望である週4にしてもらったところだったので、ヤベッと思った。「はい!」と元気よく返事をしたが、時すでに遅し、バイトは増やしてしまいました。4月はかなり慎重に生きねばならないなと感じた。ジャズの教室が始まるのはいいとして、ジム通いは尚早かもしれない。3月はなんだかんだで人と会う機会が多かったので、4月はこれ以上予定を入れないように注意する。4月の予定は、ミュージカル「VIOLET」鑑賞、ハリーポッタースタジオツアーfeat.水中めがね∞、そして何より4/15からの、あんスタの大型合同イベントとやら……である……。どのくらいの何が来るんだ。俺はどうすればいいんだ。どれだけの金と時間を使えばいいんだ?何も分からない。4月のイベントが来るまでに、今抱えている燐一のネタは小説にしてしまおうと思ったが、全然間に合わない気がする。とにかく毎日をできるだけ健康に過ごして無理はせず、おとなしく小説を書いていこうと思う。書きたいいちばんデカいネタは、去年の3/21にノートにまとめてあって、そこからまったくぶれていないので、一年以上同じネタで脳内で萌えている自分すごいなと思った。今書こうとしているのはもっとサクッとするっと読めるR18です。何のひねりもない気がする。もう少しなにか特色のあるエピソードを入れたい。こんな直球でいいのか?という気がする。でもまあ、二次創作なんか何回同じこと書いてもいいし、テーマ性なんかなくてもいいし、とにかく好きなシーン書けばいいと私は思っているので、当たり前のことをていねいに。みたいに書く練習をしてもいいのかもしれない。いやでも、流石にもう一捻り欲しいか。(ループ)
先日、友人の卒業を社会人達で祝った。私の他ふたりは歴戦の企業戦士というか個人事業主というかとにかく強い働きマンたちである。私は全然働いてないマンなので、そんなことがあるんだな〜と2人の話をおもしろく聞いた。東京ステーションホテルのハイティーを予約して、面白いほどに全てが美味だった。ハイティーの前に、私の希望で、東京都美術館の印象派展(モネからアメリカへ)へ。期待値が高すぎたため、そこまで満足度がハイパー高いという訳ではなかったが、じゅうぶん楽しかった。印象派について、戸外制作ということを初めて知った。なるほど。アメリカではやはりニューイングランドの風景というのは、なにかアメリカ人たちに郷愁となるものを含むことがあるようだと感じた。自分が幼少期の舗装されていない土の道を見ている時のような感覚が絵にあった。印象派の明るい色彩はやはり好みだと思った。光というものがみんな好きだし、私もその例に漏れず。夜、ワインをみんなで飲んでいる時(私はパイナップルジュース)、なんと友人から快方の連絡が。その友人が繋いだ4人と言っても過言ではないメンバーで集まっていたので、やはり彼女には何かが見えているのか、とざわついた。「写真を送ってあげよう」ということでホテルの方に撮ってもらった記念写真を送ったら、メッセージを送る度に人間の顔面が帰ってきてびっくりする、心臓に悪い、というようなことを言われた。まったくもう。別にいいじゃないですか。全員の了承は取れているのだし。私が友人に対していつも反抗的だということが話題に上がったが、まあそう、本当に反抗的で可愛くない幼稚な友人で悪かったね!とよく思う。私は友人のことを嫌いになることはないので、結局のところ、快方の連絡を受けて、涙ぐんでしまった。ひとまず、数年にわたる生���の危機は脱したのではないかと思われた。
今日は病院の後、スタバに寄って本を次々開いていたら二時間たっていてびっくりした。高橋哲哉『デリダ』、フロム『愛するということ』、水沢なお『うみみたい』をそれぞれ読んで、なんだかそれぞれの内容が呼応しているような気がした。私はいつも乱読だが、だいたい中身は同じようなものを読んでいるので、3冊合わせて1冊を読んでいるようなものだな、と感じた。最果タヒ『落雷はすべてキス』は、今日はひらけなかった。井戸川射子『共に明るい』の続きも読みたいなと思った。それから本棚をひっくり返して、年末から2月にかけて買った本がざんざか出てきて、やべ、この辺も読まなきゃな〜というのと、3年くらい積読している本もいくつか読みたいなと思い、新しく積み直した(?)。頭の中に文字や概念や情景を入れるのは楽しい。しかしかなりぐったりしてしまう。『侍女の物語』もかなり真面目に読んでいたのに途中で止めてしまっている。そんなことを言ったら、全ての本を途中で止めているのだが。毎日10分でも読んで、それを10年続けて、とにかく続けることだな、と誰かのツイートを見て深く頷いた。
2024.3.23
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2024年2月26日(月)
教員生活も35年、この間普段の原稿執筆はもとより、私信でさえも悪筆を理由にキーボードを叩いてきた。その結果、たまに書類に手書きで記入するときなど、本当に漢字が書けなくなってしまった。デザインはわかってもディテールがわからないのだ。一念発起、今日から手書き手帳生活を始めることにする。TNP(トラベラーズノート・パスポート)は持ち歩いてのメモ帳に、TNR(トラベラーズノート・レギュラー)は出張や旅行時などに使用する。このtumblrもTNPのメモをもとにして書くことになる。悪筆は仕方ないが、丁寧に書けば何とか他人様に読んでいただける、そんな文字を書くために今日から精進するのだ。
5時45分起床。
昨晩の点滴効果で、ココが💩をしていた。喜んでトイレを掃除する。
朝食。
洗濯。
珈琲。
8時40分、ツレアイ(訪問看護師)が自転車で出勤、訪問2件。
録画番組をディスクに書き出す、ポワロ・コロンボ・ホームズ。
西七条郵便局へ、葉書5枚&スマートレター5通(¥1,215)。
東京の落友・Nさんに、関西ローカルの落語を録画したディスク(No.69)をスマートレターで送る。
岩波新書編集部に、昨日発信出来なかった読書ノート申込を葉書に書いて投函する。
西大路七条・笹寿し伍十で雛祭りの寿し予約、手まり寿しのセットを注文する。クーポン券(500円)があったので、¥5,100。
イオンモール五条の無印良品へ、パスポートメモ3種類を試しに購入する(¥360)。
NURO光から着信、10Gコース変更のための日程調整のための打合せ、明日の午後に電話するよう申し込む。
帰宅すると、東京かわら版(3月号)が届いていた。落語協会の真打披露目は3/23(土)のチケットを準備済みだ。
ツレアイ帰宅。
ランチ、彼女にはサッポロ一番塩ラーメン、私は日清の冷凍お好み焼き、三男はサッポロ一番味噌ラーメン。
彼女は<ひとまち交流館京都>で、月例のテディベア作り、M姉・O姉も一緒に。
私はAppleに電話、iMacの下取りに出したMacBookAirのギフトカードが届かないので調査を依頼、返答は<ギフトカードではなくアカウントに返金済みです>とのこと。うっかりしていたが、支払形態に合わせた返金となるので当然のこと、ちと恥ずかしいがホッとする、何しろ¥55,000は大金だ。
軽く午睡。
夕飯は買い物せず在庫で調製、冷凍庫から干物を出す。
息子たちの夕飯、浜峰商店の鯵の干物、具沢山味噌汁、白ワイン。
ツレアイにはカマスの干物を焼く。
録画番組視聴。舟を編む第2回。
名探偵ポワロ
第2話「ミューズ街の殺人」/ Murder in the Mewsシーズン 1, エピソード 2
300年続いている花火大会の夜、事件は起こる。その夜、ジャップ警部、ヘイスティングス、ポワロは夜空に上がる花火を見上げながら、こんな夜は殺人が起 きても銃声がかき消してしまうだろう、と話していた。翌朝、ポワロはジャップ警部からの電話で現場へ呼び出される。そこには、拳銃で頭を撃ちぬかれた女性 の遺体が!彼女は自殺か?他殺か?
片付け、入浴、体重は300g増。
パジャマに着替えて日誌書く。
今日は細々とよく動いた。手書き手帳生活も順調なスタートだ。
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