『龍馬が通る!』
~明治維新と欧米化~
■2012年6月9日 - 高知にて撮影
■坂本龍馬 - Wikipedia
1836年に坂本龍馬は、土佐藩下級武士の次男(末っ子)として生まれた。子供の頃の龍馬は泣き虫で、周りの友達によくからかわれていたそうな。
12歳の頃、龍馬は塾に通い始めたが、上士の同級生と喧嘩をして喧嘩両成敗という名目で父に塾をやめさせられた。その年に母が亡くなり龍馬は継母の伊与(いよ)に教育を受けた。
家族の中で龍馬と最も仲の良かった三歳年上の姉・乙女(とめ)と、よく二人で「ヨーロッパ」というあだ名を持つ“川島猪三郎”(いさぶろう)の家に遊びに行き、欧州の話を聞かされていたのだとか。
龍馬が姉の勧めで剣術を習い始めると、その天賦を早くも発揮し始めた。
1853(嘉永6)年に、龍馬は18歳より剣術を学ぶ為に江戸に留学。その時、偶然にもアメリカ合衆国より艦隊を率いたマシュー・ペリー提督の黒船が来航し、藩の命令で品川の警備を命じられた龍馬もそれを間近に見る機会があったのだ。
黒船のあまりの大きさに龍馬は慄きながら、同時に「日本の剣術では海外とは渡り合えない」と即座に覚り、龍馬は西洋式の技術を学ぶことを決意した。
江戸時代の町人は「江戸が最も文明の発達した国」と考えていた。しかし、この黒船来航により、西洋の文明が予想以上に進んでいると流石に気付くことになった。
ペリー提督が提出した開国の要求書は「漢文」「オランダ語」「英語」の三種類で書かれたもので、貿易で馴染みのある漢文とオランダ語に関しては解読できたが、当時の日本人にとって英語だけは見慣れない文字だったようだ。
ちなみに「オルゴール」はオランダ語(英語ではミュージック・ボックス)だが、これは鎖国時代もオランダから来る商船は受け入れていたため、江戸にオルゴールが持ち込まれた際そのままオランダ語で定着したもの。
また、鎖国の背景にはオランダが日本貿易を独占するため、スペインやポルトガル等の《カトリック教》の国が日本植民地化の意図を持っており、危険であることを徳川幕府に助言していた事情もあるようだ。
▲「キリスト教を信仰しない異教徒は野蛮」として先住民を大量虐殺するスペイン軍
戦国時代の時点で日本はヨーロッパ全土の火縄銃を上回る数の銃を保持する残虐非道な戦闘部族という評判もあり、当時は「太陽の沈まない国」と呼ばれ、世界全土を次々に植民地支配して君臨したスペインさえも警戒して日本侵攻に至らなかったのだろう。
そうして、今の幕府では日本を護れないと考えた龍馬は「打倒、江戸幕府」を掲げ奔走することになる。
安政元年(1854年)6月23日、龍馬は15か月の江戸修行を終えて土佐へ帰国。在郷中、日根野道場の師範代を務めながらも、絵師“河田小龍”宅を訪れて国際情勢について学び、海運の重要性について説かれて大いに感銘し、後の同志となる“近藤長次郎”や“長岡謙吉”らを紹介されている。
27歳で脱藩した後に幕臣・勝海舟を訪ね、海軍を作ってアジア諸国と連帯するという話を聞いた龍馬は、そのスケールの大きさに感激し、海舟の弟子となって神戸海軍操練所の創設の為に行動を起こした。
その後、1864年以降に何度か長崎を訪れ、慶応元年(1865年)に幕府機関である神戸海軍操練所の解散に伴い、薩摩藩や商人(長崎商人小曽根家など)の援助を得て、長崎の亀山に日本初の会社となる「亀山社中」が結成された。
ちなみに"西郷隆盛"の勧めにより日本で初めて新婚旅行をしたのは坂本龍馬だが、その時の出来事をイラストも交えて手紙に書いて姉の乙女に送り続けたらしく、連絡がマメな龍馬の手紙は実に130通以上も残っているという。いやはや、驚愕である……。
ところで1841年にアメリカ合衆国を目指して航海中だった"ジョン万次郎"は、生まれて初めて世界地図を見た時に、世界における日本の小ささに驚いたという。
このように大きく広い世界の中の「小さな自分」に気付くことは、客観的に自己認識することに直結する。世界地図による世界認識の拡大=地理教育は、人々の視野を広げ、人を積極的な思考に変える力を持つのだろう。
ちなみに坂本龍馬の逸話として、初めて世界地図を見せられた時に「日本はどれだと思う?」と問われ「これが日本じゃろう!」とアメリカ大陸を指さしたという話がある。
黒船来航の前にペリーは琉球王国と交流し、江戸幕府の情報を収集しており、それにより江戸との開国交渉に至った。当時は鎖国していた江戸と異なり、琉球王国は長崎や神戸と同様に欧米・日本・中国・韓国・東南アジア等を相手に貿易を行う東洋経済の中枢だったのだとか。
ある日、坂本龍馬は「土佐の海が世界に通じていると思うと愉���ぜよ」と語ったという。
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欧米化について
日本の近代化、つまり西洋化は「明治維新」より本格的に始まりました。
西洋化の手始めに、まずはヨーロッパ(特にドイツとイギリス)の言語、及び学問が片っ端から翻訳されましたが、現代の日本において馴染みのある「技術水準(technical level)」「概念(concept)」「哲学(philosophy)」「芸術(art)」「愛(love)」「変態(abnormal)」等の単語は、当時の日本語に該当する語彙がなく、この翻訳過程で新たに作られた語句でありました。
夏目漱石は英語、森鴎外はドイツ語の翻訳に貢献しました。
当初の日本では病院のカルテはドイツ医学に則り、ドイツ語で書かれていたのは有名でしょう。
たとえば「技芸」や「恋」等の単語は江戸時代の日本にもあったようですが、「芸術(art)」や「愛(love)」は本来の日本語にはなかった語彙なので、上辺だけは理解したふりをできたとしても、これらの概念や価値観が日本男児にとって根深く馴染まない根本的な理由が、遺伝子と文化的な要因にあると解釈できるのではないでしょうか。
明治維新以降、日本政府は先進国(白人の国々)の技術水準に比肩したいがために西洋化を推し進めてきましたが、「アキレスと亀」という詭弁があるように、追い続けるだけではどこまで行っても追い抜くことはできないと慮る次第であります。
medicine (西洋)医学
physics 物理学
philosophy 哲学
geography 地理学
psychology 心理学
economics 経済学
politics 政治学
mathematics 数学
chemistry 化学
biology 生物学
astronomy 天文学
ethics 倫理学
archeology 考古学
linguistics 言語学
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森鴎外
"森鴎外"は、夏目漱石と並び「明治の二大文豪」と称される作家です。ドイツ語の翻訳家としても活躍し、西洋文化を感じられる作品を手掛けました。
当時の日本社会や思想を客観的に描写した物語も多くあり、見識の広い森鷗外ならではといえます。
森鴎外がドイツ留学の実体験をもとに書いた日本人留学生とドイツ人女性の非恋『舞姫』は森鷗外の代表作です。
森鷗外の作品は古文で書かれたものが多く、さらに文中にフランス語やドイツ語が織り交ぜられるなど、格調高い文体が特徴。
西洋文化を取り入れた言葉や文体は、後の多くの作家に影響を与えました。
夏目漱石『吾輩は猫である』
日本の教員・小説家・英文学者"夏目漱石"の著書「吾輩は猫である」読了後、どうしても腑に落ちなかった点があります。
それは主人公の吾輩君が最後は酩酊して水瓶に落ちて溺死することに他なりません。
『吾輩は猫である』は、明治維新以降の急速に西洋化する日本を猫の視点から描いた風刺・滑稽噺ですが、それにしてもこの終わり方は死を美化する日本文化の象徴とも言えなくもありません。
また、私が二十代の頃に読んだドストエフスキーと比較して、日本文学はロシア文学より劣っているのではないかと落胆したこともありました。
しかしながら夏目漱石が三十代の頃に国費で英国留学したものの人種差別に遭い、己の醜さから鬱になり自室に引きこもっていたら、「外に出て自転車にでも乗ったらどうだ」と勧められて自転車に乗る猛特訓をしたのに、結局は乗れなかったという訳の分からない滑稽なエピソードを読んで、どうしても夏目漱石を嫌いになれず、吾輩君の死も無駄には思えなくなりました。
きっと吾輩君は読者諸君の心の中で生き続けているのである。
それはさておき、推奨されるがままに始めた自転車の猛特訓中に"英国紳士"から「チン・チン・チャイナマン!」と侮辱された夏目漱石も、日本に居た頃は自他共に認めるほど容姿がいい部類だとされながらも英国の街を歩いた際に「背の低くて醜い奴が歩いていると思ったら、硝子窓に映った自分の姿で落胆した」とのこと。
それでも"英国淑女"からは「ハンサム・ジャップ。ご一緒にサイクリングでもいかがかしら?」と誘われたので、「怒るべきか喜ぶべきか悩んだ」と悲痛な葛藤を手記に残していたそうな。
日本の英文学者で初めて英国に渡航した上で、有色人種に対する人種差別を体験した夏目漱石ですが、江戸時代末期に生まれた上役達には、このような人権にかかわる諸問題についての理解は当然ながら及ばなかったのだと慮る次第であります。
ちなみにスマホや腕時計もない明治以前の日本人にとって、例えば「2時集合」とは「大体2時~3時までの間に集合しよう」というウチナーのような寛容なニュアンスでしたが、鉄道の運用が開始されてから新聞などで大々的に「文明社会にとって時間の厳守は重要」と宣伝され、そうして現代の「5分前集合」が浸透したようです。
「おはよう」と「さようなら」の語源
「おはよう」の語源は、「今日もお早うございます」の略なのは有名です。
海外で最も有名な日本語の「さようなら」の語源は、「左様ならば、これにて御免」というお侍さまの別れの挨拶の略です。
今もなお、お侍さまの語感が残されるとは、まさに《武士道》の本場だからだといえるでしょう。
ちなみに"I Love You"を中国語で言うと、英文法と品詞の並びが一致する"我爱你"(ウォー・アイ・ニー)になるようですが、日本語だと“私はあなたを愛してる”と非常に多くの文字数を消耗するので140文字以内に収めるのも困難かと慮る次第です。
いずれにしても、中国の"爱"には心がありませんが、日本の"愛"には友がおりません。
ステレオタイプの欧米のように、"愛と友"に恵まれないものでしょうか……?
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「です」の変遷
◆江戸時代からあった助動詞「-でござる」「-でござります」は次第に「-でございます」に変化し、さらに明治時代に「-であります」から「-である」に縮まり、そうして現代の「-です」に落ち着きました。
一人称の「吾輩」は「私」のへりくだった言い方。
明治時代から活用され始めた「-である」は「-であります」の略。
つまり「吾輩は猫である」を現代風に書くと「わたくしめは猫であります」というへりくだった言葉使いになります。
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芥川龍之介『あばばばば』
大正時代の文豪"芥川龍之介"著『あばばばば』という短編があります。この小説を読んで、情緒を感じて芥川龍之介を見直した思い出があります。
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ある日のこと、学生の保吉は行きつけの煙草屋に足を運びました。ところがいつもの店主の親父の姿はなく、代わりに若い女が店番をしていました。
不慣れなのか彼女は恥ずかし気な初々しい接客で、注文とは違う煙草を取り出して赤面してしまうほどでした。
その後いつ行っても彼女が店番でしたが、応対はつかえ、品物は間違え、時々赤い顔をされました。し���し、保吉はだんだん彼女に好意を感じたようです。といっても恋愛感情ではなく、いかにも人なれないところに気軽いなつかしみを感じたとのこと。
ところがある日から突然、彼女が姿をくらまします。わざわざ不愛想な店主の親父に行方を尋ねるわけにもいかず、その後は何事もなく過ごしました。
それからさらに歳月の流れた後、大学の授業(英語講演会)のあと煙草屋の前を通ると、両手に赤子を抱えた若い母親がいました。
「あばばばばばば、ばあ!」
現代でいうところの「いない、いない、ばあ!」の意です。
女は店の前を歩き、面白そうに赤子をあやしています。そうして保吉と目が合いました。保吉は赤面する彼女を想像しましたが、しかし彼女は澄ましたままでした。のみならず、揺り上げた赤子に目を移すと、人前も恥じずに繰り返し「あばばばば」とあやしたのです。
「女はもう『あの女』ではない。度胸の好い母の一人である。一たび子の為になつたが最後、恐ろしい『母』の一人である」
そういえば、子供の頃に常連だった個人サイトのチャットでよく「あばばばばば!」と書くお調子者がいましたが、元ネタが芥川龍之介だと気付くのに十数年ほどかかりました。
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作家を大きく分けると、毎回異なる性質の登場人物が多種多様な物語を繰り広げるシェイク・スピアタイプと、毎回同じような登場人物が同じような問題に直面して一つの題材を深く掘り下げて行くドストエフスキータイプに大別できるようです。
ドストエフスキー著
『カラマーゾフの兄弟』
『カラマーゾフの兄弟』◆あらすじ
ある日の朝、修道院の見習い僧侶"アリョーシャ"(アレクセイのあだ名)のもとに、14歳の"リーズ"(リーザ)という車椅子の少女が訪れました。リーズはここ最近に病を患い車椅子に乗っていますが、修道院の長老から治療を受けて順調に快復に向かっていました。
アリョーシャは子守りとして、二年前にリーズと接したので久しぶりの再会でもありました。
再会
リーズは事実、ずっと悪戯に夢中だった。彼女はアリョーシャと顔を合わせた時から、彼が自分を見るとひどくどぎまぎし、なるべく目を合わせないようにしているのに気付いた。彼女はそれが面白くて、相手の視線をとらえようとじっと身構えていた。
するとアリョーシャは、自分にそそがれる視線に堪えきれなくなり、自分からふいにリーズにちらりと目をやると、彼女は勝ち誇ったような笑みを浮かべ、彼の方をまっすぐ視線を向けてくるのだった。
アリョーシャは、またどぎまぎして、ついにリーズからすっかり顔をそむけて修道院の長老のうしろに隠れた。しばらくして自分を見ているのか確かめると、彼女は車椅子から身を乗り出すようにして、こちらを振り返るのを一心に待ち受けているのがわかった。そうしてアリョーシャの視線をとらえるとまた大声で笑った。
それを見た長老がリーズを注意すると、彼女は顔を赤らめ、きらりと目を輝かせ、真面目な顔つきになった。そして今度は熱っぽい訴えをこめて、早口で話し始めた。
「どうしてアリョーシャはぜんぶ忘れちゃったの? 前は小さなあたしを抱っこしてくれたり、一緒に遊んでくれたりしたのに。だって、あたしに読み書きを教えてくれたのはアリョーシャよ。二年前にさようならをした時に、アリョーシャは『ぼくたちは永遠の友だちだよ。永遠の友だちだからね。ぜったいに忘れないから』って言ってくれたわ。なのにあの人、今になって急にあたしのこと怖がり出して。あたしがあなたのこと、取って食べちゃうとでも思ってるのかしら? どうしてそばに寄ってくれないの、どうしてお話してくれないの? どうしてうちに来たがらないのかしら」
リーズはこらえきれなくなって顔を手で覆うと、急にはげしく笑い出した。長老が話を聞き終えると優しさをこめて十字を切った。
すると今度は彼女がいきなり泣き崩れたのだった。
リーズの手紙
その日の夜に、アリョーシャが道中でリーズの母の使者から手渡された封筒を開くと、そこには「リーズ」と署名のある手紙が入っていた。
「アレクセイさま。誰にも内緒でこの手紙を書いています。ママにも、わたしの心に生まれたこの気持ちを告げずに、わたしもわかっているつもりです。でも、わたしの心に生まれたこの気持ちを告げずに、わたしはもう生きられないんです。このことはわたしたち二人以外は、その時期が来るまで誰にも知られてはいけません。でもわたしの気持ち、どうやってあなたにお伝えしたらいいでしょう? 便箋は赤くならないって言いますよね。でも本当を言うと、それって嘘なんです。便箋だって、わたしと本当に同じように赤くなるんです。
大好きなアリョーシャ、あなたを愛しています。小さい時から、ずっと好きでした。あなたが今とはまるで違っていたモスクワ時代から、ずっと好きでした。わたし、あなたを心の友って決めたんです。あなたと一緒になって、年を取って、一生を伴に終えると。もちろん、修道院から出ていただくことが条件ですわ。年齢のことを言うと、わたしたち、法律で許される時まで待ちましょう。それまでにわたしも必ずよくなって、ちゃんと歩けるようになるし、ダンスもできるようになります。そんなこと当然ですよね。これでわたしがずっと何を考えていたかおわかりになったでしょう。ただ一つだけ、わからないことがあります。この手紙を読んだら、あなたはわたしのことをどう思うのかしら。わたしはいつも笑ったり、ふざけてばかりいるんですもの。今朝もあなたを怒らせたでしょう。でも本当を言うと、こうしてペンを執る前に、わたし聖母さまの像にお祈りしたんです。そして今もお祈りをしながら、ほとんど泣き出しそうなんです。
わたしの秘密はもうあなたの手に握られてしまいました。明日おいでになった時、どんなふうにあなたにお目にかかったらよいか、わたしにはわかりません。アレクセイさま、わたしまた馬鹿みたいに自分が抑えられなくなって、今朝みたいにあなたを見つめるうちに、吹き出したりしたらどうしよう。だってあなたはわたしのことを、いやらしい冷やかし屋って思うでしょうし、この手紙だってまともには受け取ってくださらないでしょうから。ですからお願いがあるんです。もしこのわたしをかわいそうって思ってくださるなら、明日わたしの家にいらっしゃった時、どうかわたしの目をあまり見つめないでください。だってわたし、あなたと目が合ったらぜったいに笑い出してしまうし、おまけにあなたはあんなに長い服を着ているし……今でもそのことを考えると、体が冷たくなってしまうくらいなの。ですから家に入ってくる時は、わたしのことはしばらく見ないでくださいね。ママか窓の方を見てくださいね。
わたしとうとうラブレターを書いてしまいました。ああ、なんてことをしてしまったのかしら! アリョーシャ、どうか軽蔑しないでくださいね。何かひどく馬鹿なことをしてあなたを怒らせても、どうか許してくださいね。こうしてわたしの秘密はあなたに握られてしまったのです。わたしの評判は、もしかしたら永久に地に落ちてしまったのかもしれません。わたし、今日はずっと泣いてしまうでしょう。さようなら、次のおそろしい出会いまで。
P.S. アレクセイ、ぜったいに、ぜったいに、ぜったいに来てくださいね! リーズより」
あとがき
その後、アリョーシャとリーズがどうなったのかは、各自でドストエフスキー著『カラマーゾフの兄弟』を読むか、グーグル検索をしてご確認くださいませ。
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自己実現や己の幸の為もあれば、自己犠牲を冒してまで目的を成す為に時間・労力・生命を捧げる者も居ます。人は生まれた瞬間から死を迎えることが確定しています。どれほどの富や名声を得ても最期を迎えれば遺産相続者が居なければ「財産はすべて銀行の資産」となります。
誰もが"エジソン"並みの発明王である必要はないし、"レオナル・ド・ダヴ��ンチ"ほどの叡智が必要な訳でもありません。誰か一人が発見して突破口を拓けば後続が可能なのだと思います。
どこかには人々を導く為に生まれた者も居るのでしょう。
■2012年6月9日 - 高知にて撮影
《和》の中に《個》はあるから、どちらか一方を尊重するべきか独断は出来ません。
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The Epic of Zektbach Website - Nyoah Notes - Note 97
冒険者諸君、ごきげんよう。私の名前はニョアである。
実に久しぶりとなってしまったが、私は元気である!
Greetings, adventurers. My name is Nyoah.
It's been a long time since I've been here, but I'm fine!
ニッポンも色々な大変な事に見舞われて、冒険者諸君の中にも元気を失っている人も多いと思う。
しかし、最も大事なのは今。今現在の瞬間を自分に悔いなく生きる事である。
それは人間をはじめ生物の個体の未来は常に不確定であるからである。
不確定な要素に巻き込まれた後、後悔しない為には常に現在を自分なりに大切に生きるという意識が大切である。
過去や未来で無く、今にゃ。今現在を大事にして欲しいにゃ!
I know that many of you adventurers have lost your energy due to the many difficulties in Japan.
However, the most important thing is now. The most important thing is to live in the present moment without regret.
This is because the future of each individual creature, including human beings, is always uncertain.
In order not to have regrets after being caught up in uncertain factors, it is important to always be aware of living in the present in your own way.
Not in the past or the future, but in the present. I want you to cherish the present moment!
さて、『The Epic of Zektbach -Masinowa-』が君達の手に届いてから月日が経ったが
沢山の感想を頂いて、私は大満足だにゃ!
繰り返しになるが、マシノワの話はゼクトバッハ叙事詩でも重要な部分であるので
諸君も考察を巡らし、アリア・テ・ラリアの謎を解き明かして欲しい。
マシノワには非常に重要な鍵が2つ存在しているが
まだまだアリア・テ・ラリアには驚くべき謎がある。今後に注目にゃ。
Well, it's been a while since "The Epic of Zektbach -Masinowa-" reached your hands.
I've gotten a lot of feedback, and I'm very happy with it!
Again, the story of Masinowa is an important part of the Epic of Zektbach.
I hope you will consider it and solve the mystery of Aria Te'Laria.
There are two very important keys in Masinowé.
There are still more mysteries to be discovered in Aria Te'Laria. Stay tuned.
ところで、先日ある冒険者よりこんな書簡を頂いた。
By the way, I received this letter from an adventurer the other day.
こんにちわ
インターネットという不思議な世界で「ツイッター」なる
ものがはやっているそうですが、zektbach殿はやっていらっしゃるのでしょうか?
公開しているのならばぜひ教えていただきたいです。
(冒険者kirikoより)
Hello there.
In the mysterious world of the Internet
I've heard that "Twitter" is becoming popular in the mysterious world of the Internet, and I'd like to know if you are using it, Zektbach.
If you do, I'd love to know about it.
(From Kiriko, an adventurer)
私もその不思議な世界を知っている。
実は私もこの場所が不安定で非常に更新するのが難しいので
ついったーにアリア・テ・ラリアから扉を開こうかと考えた事もあったが、
冒険者諸君はどう思うかにゃ?
その不思議な世界であれば、私はアリア・テ・ラリアの情報を君達にどんどん伝える事ができるかもしれない。
諸君の意見を聞いて決めようと思っているにゃ!
I know that strange world too.
As a matter of fact, I find this place unstable and very difficult to update.
I've been thinking about opening the door from Aria Te'Laria on Twitter.
What do you think, adventurers? In this mysterious world, I might be able to share more information about Aria Te'Laria with you.
I'm going to listen to your opinions and decide!
さて、今日は久しぶりに君達の便りに答えていくにゃ!
Well, today is the first time in a long time that I'm answering your letters!
我輩は猫なのにゃ!
ニョアとやら、我輩はいつも不思議に思っているのにゃ。
地図にはガルキア大陸とエジ―ク大陸があるにゃが、ガルキア大陸の南は何なのにゃ?
ファラリエンより南のあの、島というにはやや大きい島のことにゃ!
ニョア殿の手記には他の大陸や島のことは書かれているにゃがあの島の事はまだ何も書かれていないのにゃ……!
我輩が考えたところによると、あそこにはきっと素晴らしいカルカンがあるのもへ!!
たとえば……我輩の大好きな、ハトの丸焼き味とかにゃ……(ごくり
というのは可愛いおふざけにゃ。
あの島にはきっと我輩どころか世界中の学者も知らぬようなヒミツがあるに違いないのにゃ。
知っているなら教えてほしいにゃ、お礼に我輩秘蔵のカルカンを幾つか進呈しようにゃ!
味はそちらのご自由に、にゃ!
教えてくれなかったら最高級カルカンをニョア殿の前で食い散らしてやるにゃ。
(猫の吾輩より)
I am a cat!
Nyoa, I've always wondered about you.
The map shows the continents of Galukia and Eijeek, but what is south of Galukia?
I'm talking about that rather large island south of Fallarian!
Lord Nyoah's journal mentions other continents and islands, but nothing about that island yet. ......!
I'm sure there are some great whiskas there, too!
For example, ...... my favorite, roasted pigeon flavor. ...... (gulp)
This is just a cute joke.
I'm sure there are secrets on that island that I, as well as other scholars around the world, don't know about.
If you know of any, please let me know, and I'll give you some of my treasured whiskas in return!
You can taste them all you want.
If you don't tell me, I'll eat up your finest whiskas in front of Nyoah.
(From me, the cat)
まず第一に、アリア・テ・ラリアの中でハトの丸焼き味などと軽率に発言するのは控えた方が良いにゃ。
アリア・テ・ラリアにはおそろしい地獄耳を持つおそろしい鳩が存在する事を忘れずに…。
と、時すでに遅く君はもうアリア・テ・ラリアに存在しないかもしれないが…。
質問の島の事だが、それはル・アビデの事かにゃ?
ル・アビデにはこういう古の神話がある。
種族を越えて仲むつまじかった2人の男女にある時妖精がささやき、
2人は今までの仲の良さが嘘であったかのように豹変し、険悪な間柄になり
それによって多くの悲劇が生まれた、と。
神話であるので、どこかのロマンチストが謎多きこの島に想いを馳せて創作した可能性が強いが
確かに以前私がこの島をベルナデットと訪れた時、争いに使われたと思わせる謎めいた建造物が数多くあった。
この神話の作者は恐らく、かつてこの島で2つの集団の対立があったことは確信していたのだろう。
その争いを叙情的に神話として表現したのではないだろうか。
しかし、残念ながらその争いが具体的にどういうものであったかは
今や誰も知らないし、私も本格的にル・アビデを調査してみないと分からないにゃ。
First of all, it's best to refrain from making rash comments about the taste of roasted pigeons in Aria Te'Laria.
Remember that there are horrible pigeons with horrible hell ears in Aria Te'Laria....
And it may be too late for you to exist in Aria Te'Laria...
As for the island in question, is it L''Avide?
There is an ancient myth about L'Avide.
A fairy whispered to two men and two women who were on good terms with each other.
But one day, a fairy whispered to them, and they turned into bitter enemies, as if their friendship had never existed.
This led to a lot of tragedies.
Since it is a myth, there is a strong possibility that some romantics have created this story with their thoughts on this mysterious island.
It is true that when I visited this island with Bernadette, there were many mysterious structures that seemed to have been used for fighting.
The author of this myth was probably convinced that there had once been a conflict between two groups on the island, and expressed that conflict lyrically in his myth.
But unfortunately, no one knows what exactly the conflict was, and I won't know until I do some serious research on L'Avide.
こんにちは、ニョアさん。
わたし、新たな世界を開拓したくて詩人になりましたの!ニョアさんにわたしの詩をきいてほしいの!
あなたの瞳は~ らら~
まるで石のように~ かったいわ~
それはとってもね~ らら~ かったいの~
あなたの唇は~ らら~
まるでヘドグロピンのように~ あっかいわ~
それはとってもね~ らら~ あっかいわ~
あなたの肌は~ らら~
まるで白樺の木の~ 皮膚みたいね~
それはとってもね~ らら~ 皮膚みたいね~
……ふふ、どう?
婚約者には『鳥が空からぼろぼろと気絶して落ちてくるような歌だね』って誉めてくれたの。
もう、とっても優しい人なのよ。 鳥も私の歌に聴き惚れ
て空から落ちてくるようだなんて……嬉しいわ。
さ、本題なのよ。
婚約者はそれと同時に『もっと勉強したら良くなるよ』って言ってくれたの。
熱を出しながら言ってたのよ……心配だからたくさん歌ってきたわ!
今度ニョアさんにも聞かせてあげるわね、遠慮しなくていいのよ。
たっぷり歌ってあげるから。
それでね、私、たくさん歌の勉強がしたいから、まずこの国で流行りの歌劇や音楽を教えてほしいの。
(詩人リーゼロッテより)
Hello, Nyoah.
I became a poet to explore a new world! I want you to listen to my poems!
I want you to listen to my poems!
Your eyes are as tough as stone!
They're very, very tough.
Your lips are like...
They're as warm as hedgropin
It's very, very warm.
Your skin~ la la
It's like the skin of a birch tree
Your skin is like the skin of a birch tree.
...... What do you think?
My fiancé complimented me on the song, saying, "It's like a bird falling from the sky in a faint.
He's such a sweet guy. He is a very kind man.
I'm so happy to hear that the birds are listening to my song and falling from the sky.
Now let's get down to business.
At the same time, my fiancé said to me, "You'll get better if you study harder.
He said it while running a fever. ...... I've been singing a lot because I'm worried about you!
I'll play it for you next time, Nyoah, don't be shy.
Don't be shy, I'll sing a lot.
And I want to learn a lot of singing, so I want you to teach me about the popular operas and music in this country.
(From the poet Lieselotte)
君からは個性的なオーラというかなかなか独特の感性を感じるにゃ。
もしかしたら将来アリア・テ・ラリアいちの詩人リーゼロッテと言われる日が来るかもしれない。
さて、歌はアリア・テ・ラリアでも人々の生活と密接である。
ノイグラード王国の多くの聖歌や労働から生まれる炭鉱歌や農業歌、酪農歌、町の人の生活の上で生まれた町人歌など
地域と密接な歌が多い。多くの流行り歌は生活を楽しくしたり物事を効率よりおぼえる為に生まれた事が多い。
それとは別に芸術都市のローゼンハイムでは若い音楽家が神話や伝説を題材とした叙情的な歌を数多く生み出している。
有能な若い音楽家は王宮で演奏を披露したり、国から多くの援助を受けたりもしている。
しかし、歌を人の心を扇動するという理由から国を乱すような曲を作る芸術家は厳しい処罰を受けているという暗部もある。
流行り歌というのと意味が違うが、誰もが知っている歌といえばやはり『浄化の祈り』だにゃ。
You have a unique aura, or rather a unique sensibility.
Perhaps one day in the future you will be called the best poet of Aria Te'Laria, Lieselotte.
Now, songs are closely related to people's lives in Aria Te'Laria as well.
There are many songs that are close to the local community, such as the chants of the Kingdom of Noigllado, mining songs, agricultural songs, dairy songs, and the songs of the townspeople, which are born from their labor.
There are many songs that are close to the local community. Many of the popular songs were created to make life more enjoyable and to learn things more efficiently.
On the other hand, in Rosenheim, the city of art, young musicians have created many lyrical songs based on myths and legends.
The most talented young musicians perform at the royal court and receive a lot of support from the government.
However, there is a dark side to this, as artists who compose songs that disturb the country are severely punished for using them to incite people's hearts.
Although the meaning of a popular song is different from that of a popular song, the song that everyone knows is "Purification Prayer".
俺はス……デイビット。 普通の人間だ。
猫にしては博識と名高いニョアに聞きたい事がある。
どうやらそちらには、俺と同じく「蛇」を彷彿させる人物および組織があるようだな。
俺の居た場所にも同じ「蛇」を名乗る者��俺を含め複数人居た。
俺達の関係は……語ると長いが、要約して簡単に言ってしまえば親戚関係にある。
そちらの「蛇」達は関係性があるのだろうか?
ついでにこれは未確認だが俺とよく似た声の者が居るという話を聞いたが……これは事実なのか。
……ところで、そちらに段ボールはあるのだろうか?
(忍者デイビットより)
I'm Su ...... David. I'm a normal human being.
I have a question for Nyoah, who is famously knowledgeable for a cat.
It seems that there is a person or organization out there who, like me, is reminiscent of the Snake.
There were several people who called themselves "snakes" where I was, including myself.
Our relationship is a long story ......, but in a nutshell, we are related.
I wonder if the "snakes" over there are related?
In addition, I have heard that there is a person with a voice similar to mine, although this is unconfirmed. ...... Is this true?
...... By the way, do you have any cardboard over there?
(From Ninja David)
蛇は一匹でいい、ビックボスは一人で十分だ!
…とは言っても、蛇を彷彿させる者が多くいるのも事実にゃ。
蛇神人のギジリ、サザラギ団、アギオナ機関もそうだ。
空舟の遺跡にも蛇を彷彿させる紋章が存在するといわれる。
話が少しそれるが、人は何故昔から蛇を崇拝もしくは、邪悪の象徴とするのか。
蛇は西洋では主に諸悪の根源とされ、ニホンでは古代の女性蛇巫の存在が示すようにあらゆる祭事の根源となっている。
他の動物と明らかに違う形状を持つという事もあるが、面白い解釈を1つ紹介する。
One snake is enough, one big boss is enough!
...However, it is true that many people are reminiscent of snakes.
...But it is true that there are many people who remind me of snakes, such as the snake goddesses Gijiri, Sazaragi, and the Agiona Agency.
It is said that there are also emblems reminiscent of snakes in the ruins of the sky ship.
This is a bit of a digression, but why do people worship snakes or consider them to be a symbol of evil?
In the West, snakes are mainly regarded as the root of all evil, while in Japan, they are the source of all rituals, as shown by the existence of ancient female snake handlers.
The snake's shape is clearly different from that of other animals, but here is one interesting interpretation.
カール・セーガンという人物が著書の中で
『人類は生物進化の最終段階にいるが、そうした人間の脳の中には当然その進化途上の各段階の生物であった時の部分もくみ込まれている。
つまりR複合体とよばれる脳の一番奥の部分は恐竜の脳の働きをしている。
つまりそれは人間の脳の中には明らかに恐竜という古代生物が生きているという事である。』
と言っている。
もしかすると蛇その他の爬虫類に対して人類が懐き続けていた崇拝と嫌悪、あるいは畏怖は、
我々の脳の最奥部に潜む恐竜に由来するのだろうか。
それは人類の遠祖であると同時にもっとも恐ろしい敵でもあった。
蛇に対する感情は、一種の先天的反応とも考えられるかもしれない。
In his book, Carl Sagan writes, "Humans are in the final stage of biological evolution, but our brains naturally contain parts of the organisms that were present at each stage of evolution.
In other words, the deepest part of the brain, called the R-complex, functions like the brain of a dinosaur, which means that an ancient creature called a dinosaur is clearly alive in the human brain."
Perhaps the adoration, disgust, or awe that we have always felt for snakes and other reptiles may have been born in the deepest part of our brains.
They were not only our distant ancestors, but also our most fearsome enemies.
Our feelings toward snakes could be considered a kind of inborn reaction.
君がよく好んで使う段ボールは、アリア・テ・ラリアには存在しないが
何故かZektbachが数多く所有していたと思うにゃ。
以前、何に使うか問うたところ、一言
『ん、これか?見ての通り寝床じゃよ。』
と言っていたにゃ。
The cardboard you are so fond of using does not exist in Aria Te'Laria, though.
For some reason, I think Zektbach had a lot of it.
When I asked him once what he used it for, he said
"Hmm, this? As you can see, it's a bed.
As you can see, it's a bed.
ヨア・・・最近見かけませんね・・・。
この人は重要人物ですか?
資料集にも載ってないものでよくわかりません・・・。
(詩人ぽっぽちゃんより)
Joah... I haven't seen him lately...
Is he an important person?
I don't know... I can't find him in any reference books.
(From Poet Poppo-chan)
重要人物であるがゆえ、なかなか姿を出さないのだ。
姿をあらわさないから、色々臆測によりいじられるのだ。
君達が思っているヨア像、きっとそれは間違っている。
Because he is an important person, he does not show himself easily.
Because he doesn't show himself, he is tormented by many speculations.
The image of Joah that you have in your mind is probably wrong.
ニョア殿!
「オリエンタル樽味噌ロジー」とは一体何なのでしょう。
トンカツにかけると美味しいアレのことですか?気になって昼しか眠れません。
(猫のみっきぃより)
Mister Nyoah!
What exactly is "Oriental Barrel Miso Logistics"?
Is it the stuff that tastes good on pork cutlets? I'm so curious, I can only sleep in the afternoon.
(From Mikki the cat)
そんな味噌知らないし、いらないにゃ。
昼寝してないでちゃんと勉強するにゃ。
I don't know anything about miso, and I don't need it.
Don't take a nap, study properly.
自分は様々な世界を旅している者である。
アポカリプスと蛇神について質問したい。
上記の2つを直訳するとアポカリプスは「黙示録」蛇神は「ゾンビ」
・・・・となるのだが
Zektbach殿、このまま理解して良いのか?
(魔道士ゆさより)
I am a traveler of many worlds.
I have a question about Apocalypse and Snake God.
Apocalypse is "apocalypse" and snake god is "zombie".
It would be ・・・・.
Lord Zektbach, am I understanding you correctly?
(From Yusa the Mage)
だめにゃ。
No, no, no.
ニョアさんの尻尾を上、上、下、下、左、右、左、右の順で引っ張ったあと、 耳、ヒゲの順に引っ張ると、何か起きますか? (元老院ゴランノス・ポンサーより)
If I pull Nyoa's tail in the following order: up, up, down, down, left, right, left, right, then ears, then whiskers, will anything happen? (From Senate Goranos Ponsor)
ああ、起きるとも!!
私の華麗なる剣舞により、君に身に大いなる危険がにゃッ!!!
Yes, you will!
You are in grave danger from my magnificent sword dance!
こんにちはゼクトバッハさんニョアさん。
ゼクトバッハさんの作り上げるこの幻想的で魅力的な世界にどっぷり嵌まり結構経ちました。
当初数学が大嫌いだった私ですが、2章の影響で数学を頑張って理解してみようと思い、
とりあえず数に心を開いてみたらとてつもなく面白い事に気づき、今では数学がすっかり大好きになりました。
他にも哲学や語学に歴史、神話などを勉強する度アリア・テ・ラリアとの共通点などを見出し、よりその世界に興味
がわき、考察に使うためにも知識が深まっていきました。
支離滅裂でまどろっこしい文になってしまいましたが、簡潔に言えば「知識を広めるきっかけを下さってありがとう
ございました」です。これからも自由にちまちま勉強しながらも考察を続けていきたいと思います。
(冒険者いかより)
Hello Mr. Zektbach, Mr. Nyoah.
It's been quite a while since I was immersed in this fantastic and fascinating world that Mr. Zektbach has created.
At first, I hated mathematics, but under the influence of chapter 2, I decided to try my best to understand mathematics.
When I opened my mind to numbers, I realized that it was incredibly interesting, and now I love mathematics.
The more I studied philosophy, languages, history, mythology, etc., the more I found similarities with Aria Te Raria, and the more interested I became in the world.
This is an incoherent and muddled sentence, but to put it simply,
Thank you for the opportunity to expand my knowledge. I'd like to continue studying and thinking freely.
(From Ika the Adventurer)
非常に嬉しい言葉である。ありがたいにゃ。
Zektbachが何故吟遊しているか、それは君のように様々な物事に興味を持つきっかけでありたいと考えている事が大きいのである。
一見とっつきにくい難しい学問であっても、幻想的で魅力的に表現すれば興味を持てると私とZektbachは確信している。
だから、君が書いてくれたような書簡が届く事はとても嬉しい事にゃ!
I'm very happy to hear that. Thank you very much.
The reason why Zektbach is a bard is that he wants to be a catalyst for people like you to become interested in various things.
Zektbach and I are convinced that even seemingly difficult disciplines can be interesting if they are presented in a fantastic and appealing way.
So it is a great pleasure to receive a letter like the one you wrote!
はじめまして。踊り子のたけのです。以後、お見お知り
を。単刀直入に聞きます。星の民は男ですか?女ですか?
それとも、男をも女をも超えた存在ですか?
(踊り子たけのより)
Nice to meet you. I'm Takeno, a dancer.
I'm going to ask you a straightforward question. Are the Star People male or female?
Or are they more than just men and women?
(From the dancer, Takeno)
意味合いが異なるが、チキュウの遺伝生物学の書物でこんな事が書かれている。
The meaning is different, but this is what is written in Chikyu's book on genetic biology.
ニゴロブナという魚はメスの個体しかおらず、オスの精子無しに卵がかえる。
生まれた幼魚はすべてメスとなり、世代が未来へ引き継がれてゆく事が確認されている。
哺乳類でさえ本当は性がなくても子孫が残せる。
The fish called Nigorobuna is only female, and its eggs are born without male sperm.
It has been confirmed that all larvae born are female, and the generation is passed on to the future.
Even mammals don't really need to have sex to have offspring.
さて、これは研究者つまり人類からの視点の文章である。
これは外側からの視点、メタ視点なわけである。
メスの個体しかいないニゴロブナの立場で考えると、
ニゴロブナは『我々に性別があるブナ!』と言うだろうか?
つまりそういうことにゃ。
Now, this is a text from the point of view of a researcher, or a human being.
This is a meta-perspective, a perspective from the outside.
If you think about it from the point of view of a nigorobuna, which only has female individuals.
Would they say, "We have sex, beech! Would they say, "We are genderless beech!"
That's what I'm talking about.
では、今回はこの辺でさらばにゃ!
Well, that's it for this time, goodbye!
ニョアの手記 97 - Nyoah's Notes 97
2011.06.17
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【劇評】【レポート】どこにもない演劇のまち、西和賀:東北の湖畔の町で見た演劇の風景
第26回 銀河ホール地域演劇祭(2018/09/01-09/02)
片山 幹生
〔西和賀町文化創造館銀河ホールの空撮。手前は錦秋湖〕
岩手県と秋田県の県境、奥羽山脈のただ中にある西和賀町は人口5000人ほどの小さな町だ。この町には客席300ほどの公営の劇場、西和賀町文化創造館 銀河ホールがある。この劇場では1993年の開館以来、毎年地域演劇祭が開催されている。第26回銀河ホール地域演劇祭は2018年9月1日(土)と2日(日)に開催され、4団体4作品が上演された。今回上演された4作品はすべて宮沢賢治の作品だった。本稿ではこの4作品の舞台評のほか、銀河ホールというユニークな地方公共劇場の活動と地域演劇祭の様子について紹介していきたい。
劇団あしぶえ『セロ弾きのゴーシュ』
〔劇団あしぶえ『セロ弾きのゴーシュ』〕
銀河ホール地域演劇祭の最初の演目は、島根県松江市の公設民営劇場〈しいの実シアター〉を拠点する劇団あしぶえの『セロ弾きのゴーシュ』だった。あしぶえは2016年に創設50年を迎えた長い活動歴を持つ劇団だ。『セロ弾きのゴーシュ』はあしぶえが28年にわたって上演し続けている劇団の最重要レパートリーであり、アメリカ、カナダの演劇祭でいくつかの賞を受賞している。
『セロ弾きのゴーシュ』の筋立てはごくシンプルなものだ。しかしあしぶえの公演ではそのシンプルな物語が、ミニマルな舞台美術とストイックな演出によって、さらに研ぎ澄まされたものになっていた。徹底的に磨き抜かれた鉱物の結晶のような美しさを持つ舞台だった。張り詰めた緊張感が最初から最後まで維持され、冗長さはまったく感じられない。
自尊心を徹底的に打ち砕かれ、絶望で自暴自棄の状態に陥りそうになりながら、ぎりぎりのところでゴーシュは破滅への転落をまぬがれた。夜中にゴーシュの家にやってきた何匹かの動物の前で演奏することで、ゴーシュのセロは上達し、自尊心を回復する。次の演奏会でゴーシュはそれまで自分を罵倒していた指揮者から賞賛を受ける。彼はそれまで自分がどれほど傷ついていたことさえ気がついていなかった。演奏会が終了し、帰宅して一人になったときになってはじめて、ゴーシュは自分を絶望の淵から救い出してくれた動物たちの無償の優しさに気づく。
劇の最後で彼の口から漏れる感謝の言葉の真実に、私は強く心打たれた。
俳優の表現のあらゆるディテールにまで注意が払われていることが感じとることができた舞台だった。きびしくコントールされた俳優の演技は、ゴーシュの情念の動きを精密に、ダイナミックに描き出している。ゴーシュの絶望ともがき、いらだちが、舞台から豊かなニュアンスとともにまっすぐ観客席に伝わってくる。ゴーシュ役の俳優の演技にひきこまれ、観客の多くはゴーシュの重苦しさを共有していたに違いない。
なぜゴーシュが動物たちの出会いによって停滞から抜け出せすことができたのか、動物たちはなぜゴーシュの家にやってきたのか、そしてゴーシュが最初にやってきた猫に対して謝罪しなかったのはなぜなのか。いくつもの「なぜ?」に対する回答はあしぶえの舞台でも宙ぶらりんのまま提示されない。『セロ弾きのゴーシュ』はハッピーエンドの物語だろうか。ゴーシュに感情移入していた観客は、ゴーシュの演奏の成功にカタルシスは感じた者もいるだろう。終幕のゴーシュは確かに絶望からの解放を味わっていた。しかしその解放感は愚かで未熟な自分へのいくばくかの悔恨を伴っている。彼は喜びよりは、深い虚脱感をあのとき味わっていたのではないだろうか。そんなことを感じさせる演出だった。
物語を舞台化するにあたって、雑多な情報を持つ俳優の身体や舞台空間が、作品を過剰に説明的なものにし、そのノイズによって語りの持っていた本質的な魅力を損なってしまうことがままある。あしぶえの『セロ弾きのゴーシュ』は、これとは逆だ。俳優の存在と舞台空間の抽象性が、物語の純度をさらに高め、作品に内在する象徴性を際立たせることに成功している。ほぼ唯一の具象的美術であるチェロの存在が、この舞台ではなんと雄弁なことか。28年に渡る上演のなかでテクストと真摯に向かい合ってきたからこそ、到達することができた表現の逆説だろう。強くて美しい舞台だった。(9月1日14時開演@銀河ホ���ル)
劇団田中直樹と仲間たち『水仙月の四日』
〔劇団田中直樹と仲間たち『水仙月の四月』〕
地域演劇祭、二本目は西和賀在住の〈田中直樹と仲間たち〉による『水仙月の四日』を見た。この公演は田中ひとりよって語り、演じられる人形芝居だった。
田中直樹はもともとは地元の劇団ぶどう座に所属していたが、考え方の違いからぶどう座を離れ、ソロで公演を行っていると聞いた。会場は銀河ホールに隣接するUホール。Uホールの建物は円錐形のとんがり屋根と赤い壁の可愛らしい建物で一階は図書館になっている。二階のUホールは円形平面で、リハーサル室・会議室として利用されている場所とのこと。観客は床に座って見るが、今回の公演では後ろの壁際に何脚かパイプ椅子が用意されていた。
『水仙月の四日』は吹雪の一夜を雪原でやり過ごす少年の話だ。舞台が始まる前に田中から、タイトルの「水仙月」と作品冒頭で出てくる「カリメラ」という語についての説明がある。これらの語はいずれもは宮沢賢治の造語で、水仙月は2月から3月の雪深く寒い時期、「カリメラ」は「赤砂糖を一つまみ入れて、それからザラメを一つまみ入れる。水をたして、あとはくつくつくつと煮る」とテクストにあるので、おそらく「キャラメル」を指す。
『水仙月の四日』は日本有数の豪雪地帯であるこの付近の人々にとっては、とりわけその情景がはっきりと思い浮かぶ作品に違いない。田中直樹は赤いケット(毛布)をかぶった少年とその少年を見��る雪童子を15センチほどの小さな人形に演じさせた。これに対して吹雪のアレゴリーである雪狼は人間の顔と同じくらいの大きさの仮面、そして大吹雪のアレゴリーの雪婆は人間をすっぽり覆い尽くす大きさの紙製の面で表現していた。雪婆が登場する場面では照明が暗くなり、蛍光ライトで雪婆の巨大な顔が白く照らし出される。小さい子供たちは狭い舞台を走り回る雪狼と雪婆を怖がっていた。
少年と雪童子を小型の人形にしたことで、白くて厳しい大自然に翻弄される人間の様子が強調された。また白い美術のなかでの少年の着た鮮やかな赤のケットの色彩の対比も印象的だった。小品だが配慮のいきとどいた工夫の数々によって、大人の観客も子供の観客も異世界に誘う、優れた演出の公演だった。人形と紙製の大きなオブジェ、紙吹雪といった材料はこの作品の上演を考えると定番的な素材だが、そのスペクタクルが作り出す幻想は、宮沢賢治の物語を冗語的に説明するのではなく、その語りの美しさをより印象的に引き立てるものになっていた。(9月1日15時半開演@Uホール)
栗田桃子(文学座)ソロ朗読劇『銀河鉄道の夜』
〔栗田桃子(文学座)ソロ朗読劇『銀河鉄道の夜』〕
銀河ホール地域演劇祭の二日目(9/2)の最初の演目は、文学座の栗田桃子によるソロ朗読劇『銀河鉄道の夜』だった。
会場は銀河ホール。舞台にはいくつものキャンドルが並べられ、中央に椅子が一脚置かれている。背景には静止画の映像が映し出される。栗田はときおり、椅子を立ったり、座ったり、あるいは歩き回ったりしながら、声色で人物を演じ分けて朗読する。
動きもスマートだし、朗読も達者ではあるが、その動作や声色の変化がことごとく定型的で、テクストに書いてあることをそのまま冗語的、説明的になぞっているに過ぎない。テクストの記述に反射的に反応するような中途半端な工夫は、かえってテクストの世界を矮小化し、観客が世界に入り込むことを妨げてしまう。あれなら座ったまま普通に読んだほうがまだ聞き手の想像力を刺激することができるだろう。広い間口の舞台で栗田の芝居が空回りしていた。栗田桃子という魅力的な女優を使った朗読劇がこんなありさまなのはいかにももったいない。演出家あるいは演者の作品に対する思い入れや独自の解釈などを感じとることができない退屈な朗読劇だった。「朗読劇ってこんなものだろう」という演出家の作品に対する取り組みの甘さを感じてしまう。
演出の単調さと照明の暗さで、五分もすると猛烈な眠気の波が襲いかかってくた。私の周囲の観客にも観客も落ちていた人がかなりいた。公演後のアフタートークで宮沢賢治記念館の学芸員と演出の西本由香の話があったが、このアフタトークでも西本の話ははなはだ曖昧模糊としていて、学芸員の語る興味深いエピソードとの対比で、演出家の作品への関心の薄さが露わになっていた。(9月2日14時開演@銀河ホール)
劇団ぶどう座『植物医師』@ぶどう座稽古場
〔劇団ぶどう座『植物医師』〕
銀河ホール地域演劇祭で最後に見た演目は、この地を拠点に1950年以降活動を続けているぶどう座の『植物医師』だった。これは他の上演作品のような翻案ではなく、宮沢賢治の書いた短編戯曲の上演だ。私はこの戯曲を読んだことがなかったし、上演を見たことがなかった。ぶどう座は、近年は主宰の川村光夫が高齢(現在96歳)のため実質的に引退状態で、かつてと比べると活動力が大幅に衰えているという話を聞いていたのが、この『植物医師』の公演はその衰退ぶりを感じさせない充実した内容の公演だった。
〔ぶどう座稽古場〕
公演会場は1960年代に建てられたというぶどう座の稽古場である。まさに芝居小屋といった風情の公演会場に、芝居が始まる前から心が浮き立つ。稽古場は北上線の踏切のすぐそばに、踏切の番小屋のように建っている。舞台の間口は6メートルくらいか。舞台奥の壁はさまざまな色の大きな布で覆われている。客席は板間平面と三、四段の段状、詰めれば40人ぐらいは座れると思う。
芝居の始まる前に、劇のオープニングで歌われる宮沢賢治作詞の《花巻農学校精神歌》の練習があった。観客もこの歌を一緒に歌うようにうながされる。これは楽しい趣向だった。
『植物医師』は上演時間30分ほどの小篇だ。岩手のとある村に《植物医師》を名乗る人物が引っ越してきて、植物病院を開業する。しかしこの植物医師の専門家としての知識はどうもいい加減なもののようで、いかにもうさんくさい人物だ。開業した植物病院に村人たちが次々とやってきて、枯れてしまった稲の治療法を訪ねる。植物医師はでまかせのいい加減な対処法を村人たちに伝え、お金を取る。いんちき治療法で易々とお金を稼いだ植物医師だが、彼の処方では稲の被害は収まるどころか、ますます拡大していく。村人たちが医院に戻ってきて植物医師を詰問する。植物医師は口舌でなんとかそれらの非難を丸め込もうとするが、最後には言い返す言葉もなくなり、村人たちの怒りの言葉にうなだれてしまう。善良でお人好しの村人たちはうなだれた植物医師を見て、彼に同情しはじめる。そして先ほどまでの怒りを収め、植物医師を許すのだ。その許しの言葉は、植物医師にとっては怒りにまかせた批判の言葉よりもはるかに重く感じられた。植物医師はますます打ちひしがれてしまう。
〔ぶどう座稽古場内部〕
村人たちが入れ替わり立ち替わり植物医師のもとを訪れ、アドバイスを求める場面では、民話によく見られる同種のやりとりの反復とそのエスカレートが、笑いの効果を作り出している。岩手弁のユーモラスな響きがさらに場面の喜劇性を高めていた。不正に対する怒りと非難よりも、不正に行った人間への大らかな優しさと許しこそが力を持つという宮沢賢治らしい倫理が結末で提示されるが、最後の場面の急転が作り出すドラマの力強さと素朴さに心打たれた。村人たちの許しのことばが発せられるたびに、かがんだ体がどんどん下がり、苦悶と戸惑いの表情が深くなっていく演出と演技は見事だった。
芝居小屋の雰囲気もこの作品の上演にいかにもふさわしいものだった。まさに岩手で岩手の人たちによって演じられることによって、この『植物医師』はいっそう味わい深い作品となっていた。この地でのぶどう座の活動の歴史が染みついた稽古場で、この作品を見られて本当によかった。
終演後には稽古場内で打ち上げがあり、私も短い時間ではあったが、出演メンバーとぶどう座の旧メンバーの方々と座を囲んだ。『植物医師』は主宰の川村光夫演出でもかつて公演をおこなったが、それは27年前のことだと言う。今回の公演の演出を担当した菊池啓二さんに「今回の上演は川村さんの演出を蹈襲したものなのですか?」と聞くと「いや、前の上演はもうだいぶ昔の話で、私も見ていないし。まあ川村風にはやりました(笑)」と仰っていた。
今回のキャストには二十歳台の青年も二名参加していた。彼らは昨年から活動を始めた銀河ホール演劇部の部員だと言う。銀河ホール演劇部は、アートコーディネイターの小堀陽平氏の主導で昨年から活動を始めたサークルだ。小堀さんは「ぶどう座の表現は、この地域の人たちの身体と言葉、感覚に根ざしたものなので、銀河ホールで演劇部を作って活動をはじめましたが、外からやってきた僕たちが作る演劇が、ぶどう座を引き継ぐものにはなり得ないように思うのです。やはりぶどう座は土地の人が継承していくものだと考えています」というようなことを言っていたが、実際に公演を見るとそれが実感できる。
地域演劇祭の締めくくりでこの公演を見、そして短い時間ながらぶどう座の人たちと交流の時間を得ることがでいたのは私にとってはとても有意義なことだった。(9月2日17時開演@ぶどう座稽古場)
地域演劇祭と西和賀町文化創造館 銀河ホールの活動
〔銀河ホール(後側)とUホール(手前側)〕
西和賀町文化創造館 銀河ホールのことを私が知ったのは二年ほど前のことだ。この劇場が、年に一度の地域演劇祭のみならず、地域に根ざした様々な演劇活動を積極的に行っていること、この地を本拠とする60年以上の伝統を持つぶどう座という劇団があること、劇場の活動の軸となっているのが東京出身で日芸OBのまだ若い青年であることなどを知ったことで好奇心をかき立てられ、いつか訪ねてみたいと思っていた劇場だった。演劇は都市のものという固定観念があった私にとって、東北の山間にある小さな劇場で多彩な演劇活動が行われていることが驚くべきことのように思えたのだ。
銀河ホールはJR北上線ほっとゆだ駅から歩いて数分のところにある。ほっとゆだ駅は北上駅から50分ほど。東京駅から北上駅までは東北新幹線で2時間半から3時間かかるので、東京からだと4時間ぐらいで銀河ホールに行くことができる。地図からの印象より案外近く感じられる。
〔北上線ほっとゆだ駅。駅舎に公衆温泉が附属している〕
西和賀町文化創造館は、銀河ホールのある本館とUホールの別館からなっている。約三百席の銀河ホールの客席はゆったりとしていて、舞台までの距離も遠くない。暖かみのある落ち着いた木製の内装で、芝居を楽しむには理想的な空間だ。劇場の背景に広がるダム湖、錦秋湖の風景が美しい。錦秋湖の湖畔には、野外ステージもあった。
〔銀河ホールの裏手にある野外湖畔ステージ。後ろは錦秋湖〕
人口5000人程度の自治体でこんな立派な公共劇場を持っているところはそんなにないのではないだろうか。西和賀町で演劇が特権的な文化活動になっているのは、この町で60年以上活動を続ける劇団ぶどう座の存在に負うところが大きい。ぶどう座は川村光夫という優れた演劇人のもと、地域演劇の担い手として充実した活動を行い、戦後日本演劇史に重要な足跡を残した。このぶどう座の活動実績があったからこそ、銀河ホールという公共劇場の建設が可能になったのだ。
西和賀町文化創造館(当時はゆだ文化創造館)は1993年に開催された〈第8回国民文化祭いわて’93 〉の会場として建設された。この国民文化祭を兼ねたかたちで〈第1回銀河ホール地域演劇祭〉が行われ、以後、地域文化祭は毎年秋に開催されている。当時、湯田町(2005年に沢内村と合併して西和賀町となる)の役場の職員で、この劇場運営の中核だった新田満氏に話をうかがったのだが、開館から2000年代半ばまでの銀河ホールの活動は目覚ましいものがある。毎年の地域演劇祭の開催のほか、町民を対象とした演劇学校、小中学校での音楽劇制作、行政的区画を超えた高齢者による演劇公演、そしてロシアとアメリカの演劇人を招聘し三週間にわたって行われた大規模な国際的演劇交流事業など、地方の小さな町の公共劇場としては驚異的な活動を展開していく。
しかしこの初期の黄金時代は、こうした活動に熱意をもって取り組んできたキーパーソンの退職とともに終焉を迎える。地域劇団として銀河ホールの活動に大きな影響を持っていたと思われるぶどう座も、主宰の川村光夫の高齢化とともに、活動力が低下していった。おそらく湯田町が沢内村との合併で西和賀町となり、役所内の組織にも大きな改編があった2005年以降、銀河ホールの活動は停滞期に入ったように思われる。
〔銀河ホール内部〕
西和賀が演劇のまちとして再活性化しはじめるのは2011年以降のことだ。きっかけは2012年以降現在まで継続的に行われている《ギンガク》という学生演劇合宿事業だ。この事業の立ち上げで中心的な役割を果たしたのが、当時、日芸の大学院生だった小堀陽平さんだ。今回の滞在では小堀さんからも彼と西和賀町との関わり、銀河ホールの活動について話を聞いた。
彼は2014年以降、地域おこし協力隊の一員として西和賀町に移住し、《ギンガク》の活動のみならず、銀河ホールを核としたさまざまな演劇事業を企画・遂行していく。地域おこし協力隊の3年の任期が終了した2017年度以降、西和賀町は「銀河ホール アートコーディネーター」という職を小堀さんに用意し、彼は西和賀の嘱託職員として採用された。町の彼に対する信頼と期待の大きさがうかがわれる。
アートコーディネイターとして彼が担当する業務は文化事業全般に関わるものだが、演劇に関わる事業としては、地域演劇祭のほか、学生演劇の合宿《ギンガク》、小中学校での公演・ワークショップ、高校演劇アワード、地域中学への演劇指導、銀河ホール「演劇部」の活動、そして貸し館業務など多岐にわたっている。今後やりたい事業としては、シニア演劇、温泉・観光と組み合わせたイベント、アーティスト・イン・レジデンスなどを挙げていた。
ほっとゆだ駅から銀河ホールにかけての道に「どこにもない演劇のまちをつくろう」と書かれたのぼりが立ち並んでいるが、町外からこの町にやってきた地域おこし協力隊の青年たちがもたらす刺激によって、西和賀は演劇のまちとして新たな一歩を踏み出そうとしている。
第26回銀河ホール地域演劇祭
2018年9月1日(土)- 9月2日(日)
会場:西和賀町文化創造館(銀河ホール・Uホール)/劇団ぶどう座稽古���
主催:銀河ホール地域演劇祭実行委員会
後援:西和賀町観光協会・西和賀町芸術文化協会・西和賀町教育委員会
総合舞台監督:内山勉
テクニカルスタッフ:アクト・ディヴァイス
宣伝美術:髙野由茉 小堀陽平
特別協力(記録撮影):森山紗莉
劇団あしぶえ/島根『セロ弾きのゴーシュ』
9月1日(土) 14:00~@銀河ホール
出演:松浦 優海、門脇 礼子、上田 郁子、有田 美由樹、伊達 生、有田 美由樹、門脇 礼子、原田 雅史、上田 郁子、川村 真美、牛尾 光希、岩田 和大
演出:園山 土筆
舞台/照明:稲田 道則、岡本 敦、門脇 礼子、長見 好高、原田 雅史
音響:福井 健吾 前村 晴奈
小道具:上田 郁子
衣装:有田 美由樹 川村 真美
制作:前村 晴奈
劇団田中直樹と仲間たち/西和賀『水仙月の四日』
9月1日(土) 15:30~ 総入替え2回上演@Uホール
出演:田中 直樹、田中 宏樹
演出/美術:田中 直樹
照明:小堀 陽平(銀河ホール)
雪布操作:田中 真理子
協力:湯田ドライブイン
栗田桃子(文学座)ソロ朗読劇/東京『銀河鉄道の夜』
9月2日(日)14:00〜@銀河ホール
出演:栗田 桃子(文学座)
演出:西本 由香(文学座)
照明:賀澤 礼子(文学座)
映像・音響:西本 由香(文学座)
美術:米澤 純(Jun's Light Candles)
劇団ぶどう座/西和賀『植物医師』
出演:真嶋 実、池田 慣作、菊池 啓二、高橋 節子、高橋 守、三浦 勇太
演出:菊池 啓二
舞台美術:内山 勉、新井 真紀
音響/照明:真嶋 陽
小道具:髙野 由茉
●片山 幹生(かたやま・みきお)1967年生まれ。兵庫県神戸市出身、東京都練馬区在住。WLスタッフ。フランス語教員、中世フランス文学、フランス演劇研究者。古典戯曲を読む会@東京の世話人。
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