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ミルクマン斉藤さん、いや斉藤師匠が亡くなりました。僕が勝手に師匠と言っているだけで映画講座のようなイベントで色んな事を教えてもらっただけなので、弟子でも何でもないんですがw。
映画だけで無く、ポップカルチャーの伝道師と言ってもいい川勝正幸さんの事を知ったのもミルクマンさんからでした。僕にとって川勝さんには世代的に少し乗り遅れてしまったけれど、代わりにミルクマンさんが川勝さんの代わりのような���在でした。川勝さんは「頼まれていないけれど、対象が好きだからやっちゃう。で、結果それが仕事になっている」ところがあったようだけど、そのイズムはミルクマンさんにもあったんじゃないかなぁ…。
間違いなく映画以外にも、カルチャー・音楽にも精通していたはずで、そういう話も聞きたかったです。合掌、そして感謝。
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駒田蒸留所へようこそ(ネタバレあり)
2023年/日本/カラー/91分
日本のウィスキー蒸留所を舞台にしたアニメ映画、「駒田蒸留所へようこそ」を劇場で見てきました。
元バンドマンでネットニュースサイト「ニュースバリュー」の新人記者、高橋光太郎(声:小野賢章)は編集長の安元(声:細谷佳正)からクラフトウィスキー蒸留所の取材を命じられる。ウィスキー知識の乏しい高橋のサポート役として、そして取材の本命として長野県の駒田蒸留所の新社長、駒田琉生(声:早見沙織)と広報の河端朋子(声:内田真礼)が付けられる事になる。この二人は安元編集長が過去取材した事があって旧知の仲だった。やがて河端の提案で高橋は駒田蒸留所で仕事体験をすることになり、現場の人達と直接触れあうことになる。
駒田蒸留所は流生の祖父が作ったウィスキー「独楽KOMA(こま)」が評判だったが、父の代で起きた大地震で蒸留器と貯蔵していた樽が崩壊し、ウィスキー事業から撤退していた。焼酎といった事業に絞って経営をしていたが、仕事の無理がたたって父親が亡くなってしまう。母親が継承したが経営の見通しも良くなかったので廃業を考えていたところ、美大生だった流生が帰ってきて残ったウィスキー原酒を使って事業を始めたいと言い出す。作ってみたウィスキー「わかば」は評判を呼び事業も持ち直したところで銀行からの借り入れとクラウドファンディングで蒸留器を再び導入する事が出来ていた。
高橋が蒸留所にいると琉生と険悪な仲の男性を何度か見かける事になる。高橋は別れた男性かと思ったが、琉生の兄、駒田圭(声:中村悠一)ということが解ってくる。圭はウィスキー事業から撤退する父親に反発し、家を飛び出していた。大手の大森酒造に入社し、上司にかけあい駒田蒸留所を買収しようとしていた。その事から兄弟の仲は悪くなっていたのだが…というお話でした。
ありそうであまり無いウィスキーの映画になります。ウィスキーを扱った作品だと難破船に積んでいたウィスキーを巡るコメディ「ウィスキー・ガロア(1942年)」とこの作品のリメイクになる「ウィスキーと2人の花嫁(2018年)」になりますし、ケン・ローチ監督の「天使の分け前(2012年)」はウィスキーの貯蔵庫になるので、ウィスキーの製造現場を描いた映画としてはもしかしたら初めてになるかも。
【ここからネタバレを含みます】
ただ、作品としてはいまいちな感じがしました。前半の主人公は記者の高橋で、ウィスキーに無知な高橋に蒸留現場の説明をさせて舞台が整った上で、後半の主人公は駒田琉生に切り替わっていくのは上手いと思ったのですが、高橋の記者としての成長に比べると駒田琉生とその家族の成長が負けている感じがしました。確かにウィスキー「独楽KOMA」の復刻まで行き着いているのですがジャンプというより一周回って元に戻っただけ、という感じが成長感に欠けるのかもしれません。あと両者の成長のバランスを考えるともっと高橋をコメディキャラにしても良かったかもしれません(91分作品という短めの作品だったので見続けることが出来たのですが、妙にシリアス過ぎて笑うポイントが無しというのは正直つらかったです。笑えるのは琉生が描いたBL作品風テイスティングノートくらいか?そのBL風ノートも実は笑えない事情と展開になるのですが…)。
高橋の成長と琉生の成長のバランスが悪く見えたのは、高橋の成長が観客と共有出来る話である一方で、琉生の場合「架空のウィスキー商品の復刻」になっちゃうのでどんなに前振りを踏んでいたとしても気持ちの共��という点でハードルが高いんです。さらに兄の圭がウィスキー調合の手伝いをするために帰ってきた事は家族の復縁という観客の共有がしやすい大きなゴールがウィスキーの完成というゴールの前に来ちゃっているのも疑問があります。かなり脚本に手を入れる事になるけれどウィスキー「独楽KOMA」の完成をきっかけに兄が帰ってくる、というストーリーの方がしっくり来たかもなぁ。ウィスキー好きだけに向けるのであれば今作のような持っていき方でも良かったと思うのですが、これでは飲まない層には響かないと思います。
もうひとつ残念と思ったのが琉生と圭がウィスキー原酒を調合して「独楽KOMA」再現まで近づけたものの、最後のひとピースが足りなく、父親が残した調合ノートを読んでも悪筆(消えかけていた?)で解らないところは、蒸留所で働いていた人に聴けばわかったんじゃない?という点です。最後のひとピースは調合し終わったウィスキーを最後の味付け・香り付けするために自社の焼酎樽で追加熟成する、というものだったのですが、当時の従業員が残っている設定だったので、当然の用に「これ、使いますよね?」と準備していてもおかしくないのです。ウィスキーのブレンド比率はオープンにしちゃっている所もありますが、基本ブレンダーのみぞ知る秘密です。しかし最後の追加熟成は蒸留所の全員が知っていないと出来ない作業になりますし、なんなら商品として売り文句にしているので(ラム酒樽・ワイン樽などなど)秘密でもなんでもない。なんなら琉生や圭も入社前に蒸留所に出入りしている話もあったので「独楽KOMA」の焼酎樽を見ていてもおかしくないのです。
高橋の物語を見せかけて実は琉生の物語、ウィスキーの話を見せかけた駒田家の物語というアイデアはとても良かったと思うんですが、脚本・設定を詰め切れないまま作品にしちゃった感じが勿体なかったと思います。
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セイント・オブ・セカンドチャンス:ベック家の流儀
2023年/アメリカ/カラー/93分
Netfilixで9月から公開されたドキュメンタリー映画「セイント・オブ・セカンドチャンス:ベック家の流儀」をTBSラジオ「こねくと」で紹介されていたので、再加入して視聴しました。
マイク・ベックへのインタビューから始まる。彼の父、ビル・ベックは第二次世界大戦で片足を失いつつも情熱的な経営者でマイ��ーリーグの経営を踏み台にして数々のメジャーリーグのオーナーになっていく。そしてシカゴ・ホワイトソックスのオーナーになった時に、息子のマイクを経営に誘う事になる。ビルは早くからアフリカ系選手を起用したり、ホームランが出た時に電飾や花火といった演出を考えたりとアイデアマンでもあった。1970年台はディスコブームだったこともあってマイクの発案で1977年に球場でディスコイベントを行うと好評だった。だったら逆にディスコ嫌いの人向けのイベントをやってみようと思ったところ、ラジオDJのスティーブ・ダールの発案で1979年7月12日のダブルヘッダーとなっていた第1試合と第2試合の間にお客さんにディスコ音楽のレコードを持ってきて貰い、持ってきた人には98セントで入場でき、集めたレコードをフィールド上で破壊するイベントを開催する。
マイクは軽い気持ちで始めていたが、DJのスティーブ・ダールは今で言うところの迷惑系youtuber的存在で自己顕示欲が強く、所属していたラジオ局がディスコよりになるために解雇された経験から過激な発言をしていた。また観客にもディスコによって台頭してきたアフリカ系ミュージシャンや同性愛者への反発を持つ白人がおり、ダールによる煽りによって球場側の想定を超える盛り上がりになってしまう。事実球場側の想定は20000人~35000人だったのに対し(警備員は35000人想定で用意されていた)、球場のキャパを超える50000人以上が集まってしまった。入れなかった観客が違法に入場したり、第1試合中なのに「DISCO SUCKS」の大コールでおかしなテンションになった後でのレコード破壊イベントが行われてしまい、興奮した観客がフィールドに降りてしまったことで第2試合どころではなくなる。観客にも逮捕者やけが人が出てしまい、第2試合は没収試合とされてしまう。この事件は「ディスコ・デモリッション・ナイト」と呼ばれる事になり文化や人種の排斥運動として記憶されることになってしまう。そしてこの事をきっかけに父ビル・ベックは球団を手放すことになり(事件だけではなく選手の年俸がどんどん上がってきていたのも理由のひとつなのだが)、マイクはメジャーリーグのブラックリストに登録され球団から離れ、アルコール中毒の生活を続ける事になる。
「ディスコ・デモリッション・ナイト」の英語版のウィキペディア
https://en.wikipedia.org/wiki/Disco_Demolition_Night
しかしマイクが再婚したことをきっかけに良い流れが戻ってきていた。1993年に投資家からミネソタ州のセントポールにセインツという独立リーグのチームを作るので参加しないかというオファーを受け、受諾する。父親譲りのアイデアマンを生かして様々なイベントを仕掛けていき、小さいながらも地元に愛される球団にしていく。スタッフも少ないためにマイクも現場で働き、前妻との間に出来た男の子ナイト・トレインや今の妻との娘レベッカも働くようにした。やがてセインツでの成功が認められ、メジャーリーグに新規参入するタンパベイ・デビルレイズ(現レイズ)に誘われ、マイクは復帰するのだが…という話でした。
いやー、めちゃくちゃ面白かったです!ドキュメンタリー作品でありながら、エンタメ的な作りで楽しくみられます。それはマイク・ベックさんの生い立ちが起伏が激しいので映画向きだったのもありますし、語り手であるマイクさんが凄く陽気で話し上手なのも見ていて楽しくなってしまうのもあります。さらにこのマイクさん、芸達者なのを生かして再現VTRのパートで父親のビル・ベックさんを演じているのには驚きました。
また一見野球がテーマの映画のように見えますが、どちらかというと球団ビジネスに関わるファミリーヒストリーという感じなので野球に詳しくなくても大丈夫な作りになっています。アメリカ・アジア以外の野球に詳しくないNetfilix視聴者にも解るのでは。映画での事件になる「ディスコ・デモリッション・ナイト」も音楽面での事件ですし。
「ディスコ・デモリッション・ナイト」については近代音楽史まで見ている音楽ファンにはお馴染みの話なのですが、この事件の前後関係についてはまったく知りませんでしたし、知っている人も少ないと思うのでこの映画の資料としての価値も高いと思います。この事件は表現の弾圧だったり、焚書というナチズム的な行為がアメリカで起きてしまったので野球という範囲を超えた大きな問題だったわりには、その後の総括がベックファミリーの退任で終わらせてしまったふしがあるので今作にも関わっているメジャリーグとしてもきちんと後世に残すためにも総括面もやっておきたかった思惑もあったかもしれません。
映画を見ていくと「セイント・セカンドチャンス」というタイトルになった理由がよくわかると思います。色んな意味で二度目の再起となるチャンスが素敵な話でした。
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君たちはどう生きるか
2023年/日本/カラー/124分
スタジオジブリの最新作で宮崎駿監督の復帰作品ともなる「君たちはどう生きるか」を劇場で見てきました。
まずどんな感じで見ていたかを振り返ると、「噂通りでわからない(笑)!」の連続でした。エンドロール見ても誰がどの役やったかもわからなかったので最後の最後まで「?」でしたね。耳の良い人は誰がどの役なのかは解ったみたいですが(18日に公式にキャストと役名が発表されました)。
ただ、それでも宮崎駿監督とスタジオジブリは凄いな、と思ったのは「?」を抱えつつも2時間4分の長時間を飽きずに見続けることが出来た事。それはおそらく物語の基本は外していない事からだと思います。
まず話の導入部があって、
転換点があって、
そして主人公への壁あって、
でもそれを乗り越えて、
そろそろ終わりに近づきますよというのを匂わせて、
というのがあるから観客も見続けられると思うのです。仮にこれらを外していたら駄作とか金返せとかの評判になっていたはずで、賛否両論と言われますが、そこまでの酷い評価を聞かないのはやっぱり基本は外していない証拠だと思います。ただ各層(映画を見た人は各層というのは解ると思います)においての話のつながりがほぼ無いからわからない、ということになっちゃうのかな。
過去のジブリ作品に対するセルフ・オマージュと思わせるシーンもあって楽しいのですが、正直何処にどういう作品を入れ込んだかは宮崎監督しかわからない気がします。友達同士で語り合う分には楽しくていいんですが、動画サイトとかブログで解説しちゃうのは後で「違うよ」と言われそうでちょっと危ない気がするので、あんまりやらない方がいい気がするんですよね(苦笑)。それこそ宮崎監督のスタジオジブリ以前の作品も考えないといけないし、宮崎監督が影響を受けた作品も入っていました、という事になっているかもしれませんから。わからないならわからないで良いと思うんですよ。それにこれから過去のジブリ作品に触れる若いファンのためにもファスト的なネタ解説は彼らにとってかえって損させる事になる気がします。これからのファンが数十年かけて新しい発見が出来る作品になっているはずなのに、その邪魔をするのはどうなのかなぁ?と思うんですよ。
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ジェーンとシャルロット
2023年(カンヌ映画祭上映は2021年・フランス上映は2022年)/フランス/カラー/86分
故ジェーン・バーキン(1946-2023)の娘、シャルロット・ゲンズブールによる初監督作品でバーキンとの対話で構成されたドキュメンタリー作品「ジェーンとシャルロット」を劇場で見てきました。
映画の始まりはジェーン・バーキンの2018年の東京(注)でのコンサート。隠し撮りのように舞台裏を見せていく。小津安二郎監督も使った鎌倉の茅ヶ崎館で対話が始まる。シャルロットが早くして��優として自立していたせいか��や妹に比べて子供時代に母バーキンと接点を持てなかった感触を持っていたために、この撮影を利用してお互い言えなかったことを出していこうという目的があった。
(注:フライヤーには京都とありますが、おそらく誤植だと思われます)
対談する場所をニューヨーク、バーキンの自宅、シャルロットが相続したセルジュ・ゲンズブールの自宅と変えていき、やがて長女ケイト・バリーが若くして亡くなったことがバーキンにとって精神的につらい事が浮かび上がってくる…という話でした。
結果的にジェーン・バーキンの晩年を記録することになった作品で面白かったです。順風満帆と思えたバーキンも幼い頃から不眠症で悩まされ、娘の死に苦悩するスターでは無く人間としてのバーキンを見ることが出来、また撮影のタイミングがコロナウィルスの最中だったためにバーキンの自宅でおこもり状態になったと思われ、その代わりにシャルロットや孫に対応する家庭人の一面も見ることが出来ます。
ちょっとわかりにくいかなぁ?と思ったのはバーキンには三人の事実上の夫がおり、それぞれに子供がいたために、家系図を事前に頭に入れていないとちょっと話について行けないかもしれません。ちなみに説明すると…
○最初の夫、ジョン・バリー(作曲家。007などのスコアを手がける)との子供はケイト・バリー(写真家)。
○二番目の夫、セルジュ・ゲンズブール(歌手・俳優・映画監督)との子供はシャルロット・ゲンズブール(今作の監督。俳優・歌手)。
○三番目の夫ジャック・ドワイヨン(映画監督)との子供はルー・ドワイヨン(歌手・女優・デザイナー)。
フランスの有名人を題材にしたフランス人を相手にした作品という前提もあって、フランス人にはここら辺の家系図はもう解っているでしょ?というのがあったと思うのですが日本向けにもう少し字幕で工夫して説明しても良かったかな、と思います。
あと見終わって舞台裏を色々調べてみると日本での撮影開始の後、バーキンが撮影とシャルロットに対してやる気が後ろ向きになってしまい、かなり時間を置いてから撮影再開となったそうなのです。映画では撮影日時は明確にしていませんが、明らかにコロナ前の日本からコロナの最中のフランスに時間が飛んでいるのはそういった理由があったそうです。こういう話を知るとなんで「お互いに距離があった」エピソードを生かさなかったんだろう?という勿体なさを感じましたし、バーキンの内面を掘りおこす一方でシャルロットの内面はそんなにさらけ出していなかったのも気になりました。スキャンダラスになる必要はないけれど、見る側にはもう少しパーツがあった方がもっとバーキンの事を考えられたと思うんです。シャルロットからすると監督、しかも初監督作品であるし、こんなに早く亡くなると思わなくても次第に弱くなっている母親を見ていると生活に追われて自分を使うと言う事まで考えられ��かったのかもしれませんが。
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ザ・スーパーマリオブラザーズ・ムービー(吹替版)
2023年/アメリカ・日本/カラー/93分
現在上映中でロングラン状態の「ザ・スーパーマリオブラザーズ・ムービー」を映画館で観てきました。
舞台はニューヨークのブルックリン。水道修理業者スパイク(注1)の会社から独立したマリオとルイージは全財産を使ってTVCMを流したが、大きな成果をあげられず家族にも馬鹿にされる始末であった。ニュースで水道管のトラブルが起きてブルックリンが水浸しになっているのを見て自主的に修理に参加する。原因があると見た地下に向かうと、かなり古くしばらく誰も足を踏み入れていない水道施設を見つける。そこにある緑色の配管にまずはルイージが吸い込まれ、続いてマリオが吸い込まれてしまう。
注1:「レッキングクルー」の敵キャラ。日本ではブラッキー、海外ではスパイクと呼ばれていたが今作から日本でもスパイクで統一。
緑色の配管からルイージはクッパが治めるダークランド、マリオはピーチ姫が治めるキノコ王国に飛ばされてしまう。ちょうどクッパはペンギン国を侵略し無敵の「スター」を手に入れた時期で、やがてキノコ王国といった周辺諸国を手に入れようというのは周知の事実であった。マリオはルイージを助けるためにピーチ姫の協力を得ようとするが、そのピーチ姫もクッパの事もあって協力することになる。しかし強力な軍隊を持たないキノコ王国では勝負にならないのでクランキー・コングが治めるジャングル王国との同盟に向けて、キノピオを加えた三人での旅が始まる…というお話でした。
なかなか良く出来た作品に仕上がったなー、というのがすぐに浮かんだ感想でした。マリオ達が元々イタリア系アメリカ人で異世界転生的にピーチ姫達のゲームの世界に飛び込む訳なのですが、ここにリアルの世界を作ることで観客との接点を作り上げています。
イタリア系はアメリカでは移民としては後発組になるので職業選択で苦労しがちでさらにマリオ達は水道修理業者ということでブルーカラー。なのでマリオ達のスタート地点が想像以上に「低い」事がわかると思います(家族から「ルイージまで巻き込んで!」と叱られているのはそういう理由もあると思います)。そこからピーチ姫達の世界で活躍して、さらに現実世界でも活躍��場があるという「高さ」があるので、成り上がっていく事での感動の幅は結構大きく取っているのですが、ここら辺アメリカ人であったり、アメリカの移民の歴史を知っている人とそうじゃない人では感動の幅の差が出そうなのは気になる所ではあります。
ゲームのスーパーマリオではピーチ姫を救出する物語だったのが、映画ではルイージを救出するに変更され、ピーチ姫も救出する側に居るのもジェンダーバランスを考えた面もあるでしょうが、シンプルに新鮮味を出して良かったと思います。
少し気になったのはアメリカの声優陣を「あてがき」(演じる役者さんを想定して脚本を書き上げること)している節があるので、吹き替え版よりも字幕版を見た方が、特に大人は面白かったかも、と思ったところがあります。今作はクッパが歌うシーンがあるのですが、これが担当したジャック・ブラックじゃないと出来ない役になっていましたし、ラストシーンにELOのMr.blue Skyを使ったのもマリオ役のクリス・プラットが出演していた「ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー:リミックス(vol.2)」でMr.Blue Skyが主題歌のような存在だった事も関係あると思います。他にもピーチ姫を今一番売れっ子女優であるアニャ・テイラー=ジョイだし、ドンキーコングはセス・ローゲンと映画ファンには嬉しい凄いメンツを揃えているので子供は吹き替え、大人は字幕版をオススメしたいです。
ちょっと気になったのはゲームの音楽を映画に使う事はきっちり考えている一方、前述のMr.Blue Skyといった洋楽を使うときにこだわりをそこまで感じなかった事でしょうか。「他作品と比べることの無意味」「格好良いと思ったら勢いで使うのも大事」というのも解っているのですが、A-haのTake On Meだと先に「デッドプール2」でストーリーとPVがリンクしていたり、 「ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー:リミックス」でもオープニングでのMr.Blue Skyがその後の示唆する内容だったりするのを見ているとどうしても弱く感じてしまいます。ここは別の洋楽をチョイスしても良かったんじゃないかなぁ…。マリオのトレーニングシーンで使われるボニー・タイラーのHolding Out For a Hero(スクールウォーズでヒーローとしてカバー)はスポ根的で良かったんですが…。
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劇団O.Z.E「72′ライダー」
2023年/日本/カラー/95分
沖縄の劇団O.Z.Eの「72'ライダー」というお芝居の評判の良さは聞くんだけど、なかなか沖縄まで行くのも大変だし、DVDとか��見られないものかな?と思っていたところ、東京のUPLINK吉祥寺で一回限りの上映会があるというので遠征して見に行ってきました。
沖縄本土復帰の翌年、1973年5月20日に国会議事堂の鉄柵に激突して無くなった実在の上原安隆さんがもし今も生きていたら?というifに基づいて描かれています。
復帰50年の式典を迎えようとしている2022年。「復帰っ子」と呼ばれる安隆の同級生達が同窓会を開いていた。しかし寡黙で人付き合いも上手くない安隆は同窓会に参加せず、自ら経営するバイクショップで古いカワサキの大型バイクを黙々と修理している。やがてバイクショップに二次会をパスした男友達がやってくる。県庁勤務の哲也と米軍基地勤務の長一だ。やがて妙子・みえ・明日香も加わり二次会が行われる。しかし皆がビールを飲むなか、安隆は参加するような、しないような感じでノンアルコールビールを飲んでバイクを修理し続けるのであった。
やがて安隆の過去がインサートされる。米軍基地を残したまま日本に返還されることに不完全な返還だと憤る姿。コザ騒動(暴動)で逮捕される姿。そして神奈川県川崎市でトラック運転手として働くが本土の沖縄に対する無理解に孤立する姿。
やがてバイクの修理が終わり乗り込む安隆。その向かう先は…というお話でした。
いやー、面白かったです!95分、エンドロールがあるから実質94分くらいかな?お芝居としては短めなんだけど2時間分あるくらいの物語の重厚感を感じました。といっても重たい話ばかりでもなく、前半の哲也と長一の漫才のようなやりとりはかなり面白く、面白い中でも「復帰っ子」世代の沖縄史の「あるある」を語っていき、無口な安隆の代わりに彼と「復帰っ子」達の背景をさりげなく説明していく構成は流石の作りでした。
主人公の安隆は無口の上にずっと同じポジションに居続けるため実は物語への盛り上がりには大きくは関与しないんです。哲也と長一、女性陣達のやりとりで場を持たせつつ後半から安隆のキャラや背景がしっかりしてきたところで勝負、という感じかな。こうやって振り返って見ると「RRR(2022年)」の進め方に似ているし、「RRR」が影響を受けたというチェ・ゲバラの青年期を描いた「モーターサイクル・ダイアリーズ(2004年)」にも通じるものがあると思います。まぁ、安隆は「RRR」みたいに踊らないし、肩車ガンアクションもしませんけどね(笑)。でもそれに相当するのが修理が終わったカワサキのバイクのリアルな爆音なのかも。
このお芝居の事を知ったのは沖縄のRBCiラジオで出演者の誰かがゲストで来ていて、この公演の2022年の時の告知をしていたからだと記憶しているのですが、それだけ評判だったのに東京や大阪公演が出来ないのはなんでだろう?と思っていたんですが、見て納得。実際に動くスクーター一台に、カワサキのバイク一台、そしてバイクショップという設定のため他のバイクがおそらく3台(多分これらは動かない)あったのでバイクを含めたセットを県外に持っていくのにお金がかかるし、さらにエンジンを吹かすために使える劇場(換気・奥行き等々)が限られると思うので県外公演をするのにはかなりハードルは高いと感じました。ただ、作・演出の真栄平仁さんによるこの上映会後のアフタートークによると「何時か県外公演をやりたい。」と言っていたので期待して待ちましょう。
今作品はうちなーぐち(沖縄方言)で演じられる作品の為、今回の東京上映は標準語の字幕付きでした。おかげでうちなーぐちを解らない僕でもすべての台詞を追いかける事が出来ました。と言っても標準語も混ぜつつなので舞台で見たとしてもストーリー全体はなんとなく追えたと思います。
余談ですが、作演出の真栄平仁さんはラジオ沖縄で「ティーサージ・パラダイス」という番組を平日昼間にやっており、今回の上映会は東京リスナー達が集まる会という側面もあったようでアフタートークでの熱気は凄いモノがありました。ラジオ聞いていなくて、お芝居の評判だけでふらっと行った僕が一番薄いお客さんだったかも(苦笑)。
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エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス(字幕版)
2022年(日本公開は2023年)/アメリカ/139分/カラー
今年のアカデミー賞を席巻した「エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス」を劇場に見に行ってきました。日本サイドは「エブエブ」と略しようとしていますが、確かにタイトルが長い(苦笑)。なので以下からは「エブエブ」で通して行きます。
エヴリン・ワン・クワン(ミシェル・ヨー)とウェイモンド・ワン(キー・ホイ・クワン)はアメリカでコインランドリー店を経営する中国系の夫婦。香港(注1)で出会いエヴリンの父親の反対を押し切って駆け落ちでアメリカにやってきた。娘が一人生まれたが、しかし夫婦仲は上手く行っているとは言えず離婚届の準備はされている状態だった。エヴリンは多くのことを抱えており、離婚の問題にIRS(アメリカの国税庁)に提出する領収書の準備、香港からやってきた車椅子で広東語しか話せない父親のゴンゴン(ジェームズ・ホン 注��)の世話、さらに娘のジョイ(ステファニー・スー)はレズビアンでガールフレンドのベッキー(タリー・メデル)を連れてきているがゴンゴンにどう説明しようか迷っている。さらにコインランドリー店の旧正月イベントも企画していて大変な事になっていた。
(注1:香港と明言はされていませんが主人公達が使っている中国語が広東語だったために香港にしました)
(注2:ゴンゴンは広東語でおじいちゃんの意味)
IRSの審査を受けるために家族で役所に向かう。そこでディアドラ(ジェレミー・リー・カーティス)による厳しい査定を受けるが、そんな中ウェイモンドから唐突に「この世界はいくつもの平行世界があり『アルファ・バース』という世界での君が開発した『バース・ジャンプ』をすることで別の世界に飛べる。今すべての世界はジョブ・トゥパギという存在によって脅かされている。」と告げられる。普段やるはずの無いおバカな行為をすることで別の世界にワープ出来るようになっていて、その世界の自分の能力を得ることが出来る。そうやって色んなバースに移動していくのだが、次第にジョブ・トゥパギと対峙せざるを得なくなる、というお話でした。
製作陣の誰かが話していたのかな?「おばさんのマトリックス」という表現をしていたのですが、それがピッタリくる映画でした。もしそれに少し修正を加えるなら「母と娘のマトリックス」かな?
出だしから驚いたのはアメリカ映画を見に来たはずなのに冒頭は広東語による会話劇が繰り広げられること。字幕を避けがちと言われているアメリカ人がよくこれを見に行って、さらにアカデミー賞取れたな、と思いました。ただそれが言語を超えたもの、香港仕込みのアクションであり、先の「母と娘のマトリックス」がどの人種でも共有出来ることが上手く働いたのかな、と思います。 それとミシェル・ヨー自身がマルチバースを生きてきたようなキャリアを積んでおり、マレーシア出身で香港映画デビュー、ボンドガールからハリウッドへ、その後ジャン・トッドと結婚しフェラーリCEO&FIA会長夫人、トッドが第一線を引いてから再び俳優活動を再開している姿はそれこそ今作のような色んな可能性を肯定させる効果を生み出しているんじゃないかな。
元々、主演にはジャッキー・チェンを想定していたそうなのですが、ジャッキーうんぬんではなく、父親が主人公だったらここまで上手く行かなかった気がします。おそらく「マトリックス」のパクリだ!と言われていたでしょうし、男性主人公では新鮮味に欠けたと思います。
ネタバレになっちゃいますが「母親と娘の親子げんかというワンポイントを描くために壮大なバトルを繰り広げる」という映画だったんですが、僕の好きな映画評論にホイチョイプロダクションズによる黒澤明作品の「何か見せてやろう」系と「何か言ってやろう」系に別けるのがあるんですが、前者がエンタメとして優れていて、後者が芸術系もしくはエンタメとのバランス取りに失敗して説教臭くなってしまった作品とな��ます。エブエブは間違いなく「何かを見せてやろう」というのを最優先に考えていたと思います。でも「何かを言ってやろう」もキチンと用意されていて、でも説教臭くない作りになっていた事に好感。考えてみれば「マトリックス」の第一作はエブエブに近いバランスを取れていたのに、期待が大きすぎたのか、風呂敷を広げすぎたのか第二作・第三作は「何かを言ってやろう」の方が目に付くようになってしまい、面���く無くなったような気がします。この「何かを見せてやろう」が無ければ上映時間139分はそこそこキツいと思うんですよね。
あと面白かったのが肩車アクションがあったこと。インド映画の「RRR」でも見られた肩車アクションがほぼ同じタイミングで上映され、同じアカデミー賞の舞台に立つというのは興味深かったです。「RRR」は撮影に時間を掛け、コロナによる中断もあったそうなのでこのシーンの撮影はこっちの方が早そうですが。
あと字幕版で見たのですが、英語、広東語、中国に行った人によると北京語も入り交じった作品が評価された事を体感するためにも字幕版がオススメしたいと思います。吹き替え版でも面白さは減らないと思いますが、大切な物は少し抜け落ちると思うんですよ。
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RRR
2022年/インド/182分/カラー
3時間という超尺作品でありながら大ヒット中のインド映画「RRR」をシネリーブル神戸で見てきました。
インド独立運動の英雄、コムラム・ビームとアッルーリ・シータラーマ・ラージュの二人がもし同時期・同場所に巡り会っていたら、というSF的要素を入れた歴史物となっています。
1920年、インド。インド総督スコット・バクストン(架空の人物。レイ・スティーブンソン)と妻のキャサリン(アリソン・ドゥーディ)はゴーンド族の集落を訪れ、そこの娘マッリの歌・アートの才能を気に入り強引にデリーに連れて行ってしまう。村の守護役であるビーム(N・T・ラーマ・ラオ・ジュニア)はマッリを取り戻すために仲間三人とイスラム教徒のふりをしてアスラムと偽名を使いデリーに潜入する。
一方ラージュ(ラーム・チャラン)はイギリスによって組織された警察官をつとめている。独立運動家が逮捕された事で警察所が多数のインド人デモ隊に取り囲まれ、助けも遅れ絶体絶命の中、ラージュが一人でデモ隊を鎮圧してしまう。大きな功績をあげたものの、あまりの鬼神ぶりに恐れをなしたイギリス人上司によって階級が上がることは無かった。
やがてビーム達の事が警察にも伝わり、その捜査をラージュに託される事になる。ラージュはビームの弟分の事が解ったためその似顔絵を制作し、デリー中を探す事になった。そんな中で橋を通っていた貨物列車の燃料が爆発し、魚取りの少年が窮地に陥る。それを見ていたビームとラージュはアイコンタクトでそれぞれ馬とバイクに乗り少年を救助することに成功する。
このことで友情を深めた二人だが、追う者・追われる者と知らずに交流するのだが…というのが第一部の冒頭の話になります。
いやー、本当に面白かった!面白かったんだけど、困ったのは今まで映画の感想を書く時には過去見た映画や芝居、脚本の解説本からの経験値に基づいて書いてきたんですが、これが何処にも当てはまらない(苦笑)。もう見たこと無い世界の映画という感じです。過去インド映画は数少ないながら見てはいるんですが、それでも当てはまらない作品でした。映画見終わった後は「大体こんな感じで書こうかな」というビジョンが見えてくるものなのですが、全く見えないので手探りの状態で書こうとしています。
強いて言うと超人バトルという点でドラゴンボールの世界に似ているのかなぁ?ただ完全架空のアニメの世界と、実写で脚色があるとはいえ現実を舞台にした世界では超人を描こうとするとどうしても「そんなアホな!」と思ってしまうのですが、観客にそれを考える隙を本当に与えない手腕はお見事でした。本筋がどうかしていても脇道の方を観客が気になるように仕掛けておいて(「RRR」の場合コメディ的展開、ダンス、BL的要素など)、徐々に世界観を観客に教育していき、少しネタバレですが終盤主人公二人がもうインドの神のようになっていた時点では完全に受け入れている状態になっているのです。
では力業ばかりのお話かというとそうでもなくて、伏線とまでは行かないかもしれませんがネタ振りはキチンと事前に置いてあるんですよね。確かに勢いの方が真っ先に目が行くのでB級作品とかカルト作品と思ってしまう気持ちも解らない事も無いけれど、お金も、才能も、時間もかけて丁寧に作り上げた作品である以上、これはちゃんとした作品として扱わないといけないと失礼に当たるんじゃないかと思います。ただカルト映画の「デタラメなところが面白くなっている」のを上手く引用しているのはあるかな?ビームとラージュのファーストコンタクトで少年を助けるために腕でクロスしたり色んなポーズを決めるだけで伝わるなんてどうかしていますし、その後もそんな話ばっかりだし(苦笑)。
当初ビームは革命という事までは考えていなく少女マッリを取り戻す事しか考えていなかったわけですが、それが家族を取り戻すというシンプルな導入部にすることで世界中でも、世代を超えて受け入れられる様にして、でも一方でインド総督がマッリを連れ去るというのが当時のイギリスがインドを搾取していた事の縮図であるという事を密かにではあるけれど明確に示しています。そして第一章のビームの話からの第二章の革命家ラージュの話にシフトアップの仕方が上手い。イギリス側から見れば��人公達はテロリストな訳なので敵役がいかに倒すべき相手なのかの説明や描き方が中途半端になってしまうと主人公側への感情移入までも中途半端になってしまった可能性もあったと思います。更に言えばこうして描かないとビームとラージュについての事前知識が無いインド以外ではヒットには結びつかず、主人公達を説明しなくても知っているインドのローカルヒットで終わっていたかもしれません。
あと主人公達の最終形態としてインドの神のようになっていたのがインドの長い歴史までも象徴した存在になった事で文句なしの存在になったと思います。一般人から革命家、そして神とジョブチェンジしたことでRPGゲームのような盛り上がりに観客が熱狂しやすくなったのはあるんじゃないかな?
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ロッキーvsドラゴ:ROCKY IV
2021年(日本公開は2022年)/アメリカ/93分/カラー
シネルーブル神戸で今公開中の「ロッキーvsドラゴ:ROCKY IV」を見てきました。再編集版としての今作が作られた経緯を説明すると、オリジナル版の公開から35周年を記念してスタローンが再編集版を作ると発表したのが2020年8月。2021年1月に編集が完了しアメリカでは11月11日に一日だけの劇場公開されました。そして日本では2022年8月19日から劇場公開されています(以下、1985年公開の方をオリジナル版、2021年の方を再編集版という表記で進めていきます)。
【公開35年以上経っているので今更ネタバレもないと思うのですが、以下からネタバレがありますので注意でお願いします】
事前に噂となっていた義兄ポーリーへの誕生日プレゼントのロボットはカットされていました。さらに映画終盤、試合のTV中継を見ているロッキーとエイドリアンの子供たちのシーンもロボットが後ろに映り込んでいるのでカットでした。
大きな変更点はオープニングでした。オリジナル版ではロッキーとアポロの二人きりの試合(「クリード2」でも触れられたところ)だったのが、再編集版ではロッキー3でのクラバー・ラング(ミスター・T)との敗戦から、アポロとのトレーニング、リマッチでの勝利までのダイジェストに差し替えられていました。ここで「ロッキーの戦う目としての虎の目」とそれを表現した楽曲「Eye Of The Tiger」がこの後に続くロッキー4本編においてネタ振りまでは行かないけれど、ロッキーの心理を表現するちょっとしたキーになっていたと思います。
オリジナル版ではドラゴ(ドルフ・ラングレン)は終始ロボットのような機械的な存在だったのが、再編集版ではロッキーと触れあう事で徐々に個を取り戻している行間が生まれたと思います。実際オリジナル版でも試合でトレーナー達に「なにやっているんだ!」と詰め寄られたドラゴが「自分のために戦うんだ!」とキレたりしているので、スタローン監督はドラゴの微妙な変化も狙って撮影していたとは思うのですが、当時は編集は人任せ(元々スタローンは編集までは直接手を出さない様子)でやっていたためかロボットのようなドラゴのシーンばかりを選ばれてしまったのかもしれません。結果、オリジナル版でのドラゴのこの反発は唐突感があったのですが、再編集版は変化のネタ振りがあってドラゴの人間味が増してとても良かったと思います。またドラゴの人間味が増した事で試合後のロッキーのインタビューもソビエト人民に向けての発信だったのが、「ドラゴも変わった」という行間が生まれたと思います。
もしかしたらオリジナル版でのドラゴの「人間だけどロボットのようなキャラクター」は義兄ポーリーの「妙に人間くさいロボット」とセットだったために、再編集版でドラゴの人間性を増す以上、ポーリーのロボットは不要になった、という可能性もあるかもしれません。
そして感想としては「ロッキー4、元々好きだったけれど、もっと良くなった!」というものになります。オリジナル版だと機械vs人間という感じだったのが、繰り返しになりますが再編集版ではドラゴの人間味が増していますし、一方アポロの復帰するきっかけとなった孤独面が上乗せされて、さらにアポロの孤独をロッキーも抱え込む事になっているので人間ドラマ面がかなり強化されているのも良くなった理由です。
ただ、再編集版が初見の人だと比較の対象がないからどうしてもプロパガンダかつナショナリズムのところが目に付きすぎて良さが解りにくいのはあるかもしれません。当時から批判の多かったこれらはロッキー4の根底の部分ですからどうしても手を加えようが無い訳ですし、再編集版で変わったとはいえ嫌いな人をひっくり返すほどの大変化ではない訳ですから。
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トップガン マーベリック
2022年/アメリカ/131分/カラー
現在公開中の「トップガン マーベリック」を映画館で鑑賞してきました。元々2019年には完成していたようで、同年の年末に公開予定だったのですが、新型コロナウィルスで公開延期を繰り返し、2022年5月末にようやく公開された経緯があります。
まだ公開して間もないのであらすじは無しにしておきますが、いやー最高でしたね。上映時間を確認せずに見に行ったのですがあっという間の131分でした。
まず映画が始まる製作会社のところで「ドン・シンプソン/ジェリー・ブラッカイマー・フィルムズ」というところだけで涙。第一作でプロデューサーを務めたドン・シンプソンが1996年に亡くなっているので本来であればその後から現在まで続く「ジェリー・ブラッカイマー・フィルムズ」を使うのが筋なのですが、わざわざ第一作の物を引っ張り出してきた心意気にまず心を打ち抜かれるわけですよ。そしてオープニングのケニー・ロギンスのデンジャーゾーンでその心は完全に持って行かれます。
ここは友人の受け売りなのですが、映画序盤で戦闘機のテストパイロットをしていたピート・”マーベリック”・ミッチェル(トム・クルーズ)はチェスター海軍少将(エド・ハリス)から「これからは無人戦闘機の時代になるのだからパイロットは無用の長物になる。」と言われたのに対して「それは今じゃない。」と返すところが、今のCGで何でも出来る映画に対してのトム・クルーズからの宣戦布告であり、「今から本当のアクション映画をお見せしましょう。」という開会宣言とも受け取ることが出来ます(実際役者達は戦闘機に乗り込んでGに耐えながら演技をしています)。
また新しい面も取り入れつつ第一作の80年代のにおいを再現しようとした保守的と言ってもいい作りが評価されている要因と思います。役者達は第一作に比べるとかなり女性・アジア系・アフリカ系・中南米系と多様にはなっているんですが、物語の主軸となるのは白人系ですし、80年代映画では良くあったアフリカ系は白人の相棒ポジションで固定されているとか、白人の上司は間違えた選択をしアフリカ系の上司は正しい選択を示すといったステレオタイプ的な描き方をしています。また音楽も妙に古いのばかりチョイスしていますし、レディ・ガガによる書き下ろし曲も80年代の映画の主題歌ぽい雰囲気があります。マーベリックの彼女役ジェニファー・コネリーの起用も彼女に80年代の雰囲気が残っているからかもしれませんし、”ボブ”(ルイス・プルマン)の眼鏡がわざわざダサイのを選んでいるのも80年代を狙っている可能性もあります。
面白いのは戦闘機や継続して出て加齢している役者達は2020年代なのに、その他は第一作が作られた1980年代から動いていない世界観になっているんです。それこそ「ソビエトが崩壊しないまま冷戦が継続している」というオリジナルの時間軸で脚本を書いた可能性もあるんじゃないかなぁ。となると敵対国に関してはファンタジーを重ねた上での存在になるので今作での「ならずもの国家」はどこか?という推測をするのは、僕としてはやってもあまり意味がない気がします(とはいえ映画の楽しみとしてこういう事を考えるのは面白いので、否定はしませんが)。
少しだけ懸念があるとしたら先のステレオタイプの扱いで、今見ている僕らは第一作を見ているので楽しく受け入れていますが、少し時間がたった後で第一作を知らない世代の人が見るとどう思うのかな?という不安もあり、別の評価を見られる楽しみもあったりします。
トム・”アイスマン”・カザンスキー海軍少将を演じるヴァル・キルマーが喉頭ガンを煩い、のどにバイブレーターを当てないと声を出せない状態だったのを映画を見終わってから知ったのですが、それでも出演させたトム・クルーズの��な計らいと、この事を上手くドラマに生かせるように脚本に入れた事に拍手です。ヴァル・キルマーの声は過去の肉声を元にAI技術を使って作製されたそうで、今後もこの声を使って口パクにはなるけれどヴァルや同じような病気を抱えている役者さんに演技が続けられる可能性を示すことが出来たのは素晴らしいと思います。
出演時間は短いもののヴァル・キルマーが居てくれたことでマーベリックの現役復帰から始まり、ポイントポイントで物語の波になる色んなきっかけを与えてくれているんですよねぇ。正直リアルスーパーマンのトム・クルーズと言えども60歳手前(!)のパイロットが(ネタバレになるので細かく言えませんが)ほにゃほにゃする事になるにはヴァル・キルマーの悲劇「も」抱えこむ事で説得力を持つ事に成功したと思います。これ、もしヴァル・キルマーが出演を断っていたらここまで成功したんでしょうかね…(汗)?
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アニタ・ムイの洋楽邦楽カバー楽曲リスト
「アニタ ディレクターズカット」を見て俳優だけで無くて、アニタ・ムイの歌手としてのキャリアも気になったのでちょっと紹介したいと思います。
現在、日本で彼女のCDを買うのは少しハードル高いのですが、幸い日本のamazonからでもダウンロード販売(mp3形式)しているので、相当なレア盤で無い限り購入できると思います。ただ、やっかいなのがamazonで表記されているのが漢字では無く、それの発音を英語にした物なので、彼女のアルバム楽曲リストを中国語版ウィキペディアに頼る以上、どれがどの曲なのかさっぱりなので探すだけでも一苦労になってしまいます。むしろ漢字表記でやってくれた方が探しやすかった…。なので同じような苦労をしないように「amazonで表記されている英語/香港でのタイトル/原曲となった曲のタイトル」も書いておきます。
ちなみにアニタが契約した香港のレコード会社の作品のみがamazonに登録されているので、日本や中国本土で契約した作品は聞くことが出来ません。なので北京語で再レコーディングしている楽曲も紹介していますが、今のところ聞くとしたらYoutubeでアップロードしているのを聞くしか無いようです。
○Xi Yang Zhi Ge/夕陽之歌/夕焼けの歌
映画のラストかつ、実際の彼女のラストコンサートのラストナンバーとなった「夕焼けの歌」です。元々は近藤真彦さんの楽曲なので別れたとは言えアニタの彼への思いを想像してしまうのですが、この曲は中国語圏で人気があって結構な数のアーティストにカバーされているので、映画���には「マッチさんへの思い」の方が物語的に面白いのですが、リアルのコンサートで採用されたのは人気があった曲だから、という理由の方が強いのかなぁ?
(夕焼けの歌のカバーリスト)
https://zh.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%95%E9%99%BD%E4%B9%8B%E6%AD%8C_(%E8%BF%91%E8%97%A4%E7%9C%9F%E5%BD%A5%E5%96%AE%E6%9B%B2)
(実際のコンサートでの夕焼けの歌)
https://youtu.be/wiQJ2gYGLk4
○Zhuang Shi De Yan Lei/裝飾的眼淚/駅
こちらも劇中で使用されたアニタの楽曲。まさか中森明菜さん・竹内まりやさんの「駅」をカバーしているとは。ここが「アニタ ディレクターズカット」を見ての一番の驚きだったかも!しかも近藤真彦さんが二股していた相手がアニタと明菜さんじゃないか、と言われているのでこの曲をカバーの理由が明菜さんへの対抗意識があったんじゃないかと深読みしたくなります(こ、こえぇ~w)。ただ調査不足で時系列的な事が解らなかったので二股が発覚する前かもしれないんですけどね。
ちなみに北京語で再レコーディングした「冬眠的愛情」というバージョンもあるそうです。
○Xin Ai/尋愛/Plastic Love
シティポップとして海外から再評価を受け、今現在も牽引役を担っている竹内まりやさんの「Plastic Love」。実はアニタが世界で一番早くカバーしています(注)。オリジナルの竹内まりやさんが1984年でアニタが1987年なのでかなり早い。しかも今では評価されているけれど、当時としては日本でもそれほどシングルが売れたわけじゃ無い曲をアニタがチェックしてカバーしたという先見の明に驚かされます。
これも北京語で再レコーディングして「找愛的人(Zao Ai De Ren)」というタイトルで発売されています。考えてみるとアニタを通して香港と中国大陸の人達はPlastic Loveの良さを早くに知っていた事になります。
(注:山下達郎さんが1986年頃からライブでカバーしているので、ライブも含めると達郎さんが一番早くカバーしたことになります。このライブバージョンを収めたアルバム「JOY」が89年発売なので商品化という点ではアニタが一番早いです)
○Oh No Oh Yes!
こちらも中森明菜さん、竹内まりやさんのカバー。この曲だけ何故か原題と同じままでした。
○Mo Ren Yuan Ai Wo/無人願愛我/難破船
中森明菜さんの難破船もカバー。
○Meng Huan De Yong Bao/夢幻的擁抱/Careless Whisper
ワム!の「ケアレス・ウィスパー」のカバー、なんですがアニタが西城秀樹さんのファンクラブ副会長をやっていた事を考えると彼の「抱きしめてジルバ」のカバーとも言えなくも無い作品。「抱きしめてジルバ」を日本で発売した1984年10月で、同じ頃にアニタは録音を始めているので(アニタバージョンは発売は85年1月)秀樹さんの影響を取り入れた可能性はありえない話では無いと思います。
しかしアニタの西城秀樹さん好きを考えるともっともっと彼の楽曲をカバーしていてもおかしくないと思うのですが、調べてみた限り西城秀樹さんのカバーはしていなさそう。彼女の立場に立って考えると憧れが大きすぎて安易にカバーしたくないとかあったのかな…。ただ「アニタ ディレクターズカット」の感想を書くときに参考にした香港の大学論文によるとアニタのダンスには秀樹さんの影響があるそうなので気づきにくいところで(衣装とか)こっそり取り入れているのかもしれません。
○Bu Ru Bu Jian/不如不見/Desperado
イーグルスのデスペラード(邦題:ならず者)のカバー。中国語ウィキペディアを見ると香港で放映された日本の「華麗なる一族」の主題歌とあるのでおそらくTBS・木村拓哉版で使われたイーグルスの楽曲をアニタの物に差し替えたんだと思います。
○Bing Shan Da Huo /冰山大火/ロックンロール・ウィドウ
アニタのカバーの流れを見ていると初期は山口百恵さん。中期は近藤真彦さん・中森明菜さんが多く、晩期になると香港の音楽シーンが成熟した結果なのかカバーそのものが無くなっていくのですが、初期のアニタの代表曲となるのが山口百恵さんの「ロックンロール・ウィドウ」になると思います。この曲、盟友のレスリー・チャンもカバーしていたのでyoutubeでデュエットする様子も見られます。
https://www.youtube.com/watch?v=nJd9boOGk9Q
アニタのラストコンサートのウェディングドレスも山口百恵さんからの影響だとすると彼女のアイドルとしての秀樹さんと百恵さんという事になるんでしょうねぇ。
○IQ Bo Shi/ワイワイワールド(Dr.スランプアラレちゃん)
これは番外編的扱いかな?香港ではDr.スランプアラレちゃんはIQ博士というタイトルで放送されていて、そのオーピニングテーマのワイワイワールドをアニタが歌っていたのです。この曲を聴くと子供の頃の声に聞こえるので本格デビュー前にアルバイト的にやったのかな?と思ったらDr.スランプの放送時期から考えてもアニタがデビューした後の作品のはず。ライブのオマケコーナー的にワイワイワールド歌っている動画を見るとアラレちゃんをイメージして子供の声真似をして歌っているのがわかります。
https://www.youtube.com/watch?v=sESRziRI9uU
調べていくうちに香港のアニメソングコンピアルバムを見つけたんですが、これの中にはレスリー・チャンやアグネス・チャンもアニメソング歌っているので皆さん、色んな仕事をしているなぁ。ただ、アニタのワイワイワールドを歌っている動画を色々見ていると香港の歌手がアニソンを歌うことがそんなにネガティブな感じがしないので、一昔前の日本人のアニソンが少し格が下がる意識にはここでは距離を置いた方がいいのかもしれません。
https://www.amazon.co.jp/dp/B00OMLJA3Q/ref=dm_rwp_pur_lnd_albm_fr
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アニタ ディレクターズカット
2022年/香港/5エピソード・各45分前後/カラー
(元となった映画 2021年/香港/140分/カラー)
ディズニー+で公開中の香港の歌手・俳優のアニタ・ムイ(1963-2004)の伝記作品となる「アニタ ディレクターズカット」を鑑賞しました。
この作品、元々2021年に香港で大ヒットし、日本でも3月の大阪アジアン映画祭で上映されたんですが、改めて全五話のテレビシリーズとして再編集された物が「アニタ ディレクターズカット」になります。日本においては映画のロードショウが決まるよりもテレビシリーズの方が先に決まる不思議な経緯の作品になりました。
エピソード1は姉アン(フィッシュ・リュー)と妹アニタ(ルイーズ・ウォン)が子供の頃から歌手として働き、次第にプロのステージを駆け上がっていくストーリー。しかし姉妹の内アニタだけが選ばれ、アンは外されてしまう (注1) 。その一方でレスリー・チャン(テレンス・ラウ)という弟分との出会いもあった。二人は新しく出来る大型スタジアム「香港コロシアム」で共演することを誓う。
(注1:実際はアンは歌手・俳優デビューすることになる)
エピソード2は1985年にアニタが日本の歌手後藤夕輝(中島歩。注2)と出会い交際することになるストーリー。後藤に会うために度々日本を訪れるが次第にお互いの芸能事務所からの介入が入り…。
(注2:モデルは当時交際していた近藤真彦)
エピソード3は後藤と別れたアニタが打ち上げ会場にいると香港マフィアの親分に一緒に酒を呑めと強要される。その事から喧嘩沙汰になりこの親分から恨みを買ったことからほとぼりが冷めるまで新しいボーイフレンド、ベン・ラム(トニー・ヤン)とタイに滞在することになる。
エピソード4は香港返還の1997年前後からSARSウィルスが蔓延した2003年までの話。1年近い休業を終えて復帰したアニタは次第にチャリティー活動にも力を入れ出す。しかし別れも多く姉アンとレスリー・チャンを見送る事になる。そしてアニタにも子宮頸がんの診断が出て…。
エピソード5ではSARSウィルスによって疲弊した香港人民にエンタメを提供することと、このウィルスによって影響を受けた子供達へのチャリティとして1:99コンサート(注3)がアニタ達を中心に動き出し、成功させる。やがて後藤と再会するために日本へ。そして最後のコンサートに挑む。
(注3:1:99は当時の香港保健当局が推奨した対SARS洗浄液を作るための漂白剤と水の比率から)
かなり楽しく見させて貰いました!アニタ・ムイと聞くと当時を知る日本人の彼女のイメージとしてはジャッキー・チェンと共演したりと映画俳優のイメージが強く、彼女が元々歌手であることを知っている人はそんなにいなかったレベルだったんじゃないかと思います(この点ではレスリー・チャンも同様でした)。香港+中華圏の人には誰もが知っている彼女のストーリーを、日本の人には知られざる一面を知ることが出来るストーリーとして楽しめる作品に仕上がっていると思います。
80年代の日本の楽曲やそれの香港アーティストによるカバーもあって舞台が香港とはいえ結構馴染みのある世界として見ることが出来たんじゃないかなぁ?ただ当時の香港事情を知らないと何故ここまで日本を持ち上げているのか解りにくいと思います。たまたまTwitterでアニタが西城秀樹さんのファンクラブ副会長をやっていた事を書き込んだところ、秀樹さんファンの方から香港のエンタメ史において日本が重要な役割をしていた事を英語で書いた大学論文の日本語翻訳を紹介して貰っていたのである程度事情は知っているんですが、ちょうどアニタがデビューしようとした頃は香港のショウビジネスが成長していくタイミングで、まだキャバレーの延長的なショウスタイルから日本式のコンサートのスタイル(豪華セットやお客さんに対する姿勢、コンサート時間等々)を真似ていこうという機運が高かったそうなのです。主に山口百恵さん、西城秀樹さん、吉川晃司さん、沢田研二さん、安全地帯さん、そして近藤真彦さん等が参考としての対象として見られていたそうです。ちょうどアニタがキャバレーの歌手から香港コロシアムで歌う所まで上り詰めるところと重なるところもあるので、香港の80年代エンタメの象徴としてアニタ��描こうとしたんでしょうし、その為には日本の楽曲は絶対必要だったんだと思います。
あともう一つはアニタと後藤夕輝という恋愛ドラマを物語の主軸かつ終着点に持っていく以上、盛り上げとネタ振りとして日本の楽曲を多く使うのは当然の流れになるし、その使い方は上手いなと思いました。アニタのラストコンサートのラストソングは近藤真彦さんがオリジナルの「夕焼けの歌」なんですが、オープニングで少女時代のアン・アニタ姉妹の先輩歌手による坂本九さんの「上を向いて歩こう」のカバーから始めるのは「夕焼けの歌」まで続く数多くの邦楽カバーに対するネタ振りの面もあったと思います。そういえば「夕輝」という名前も「夕焼けの歌」のネタ振りになっていますね。
SARSウィルスによる混乱は今のCOVID-19の状態にもリンクしますし、中国政府による香港への締め付け強化を考えると「香港の良い時代」を想い出させるアニタがまた改めて香港市民を勇気づけているように思えますし、製作サイドもそれを狙ったんじゃ無いかなぁ?その点でアニタの私的なストーリーを、言葉は悪いけれど「利用して」香港の歴史を語ろうとしている点は好き嫌いが分かれるところかしれません。
当時の香港エンタメに詳しい人になればなるほど「あれ?」と気が付くところが多いと思います。まぁ、ここは「事実を元にしたフィクション作品」として楽しんだらいいと思います。ちなみにアニタと後藤夕輝の破局は事務所の事情として描かれていますが、実際はアニタの証言による���近藤真彦さんの二股によるものだったそうです。ただこれでは悲恋物として使えなくなり物語の盛り上げにはならないのでこの脚色は正解でしょうね(苦笑)。あと前に書いたとおりアニタは西城秀樹さんのファンクラブ副会長(注4)をやっていたために簡単な日本語は出来ていたようなので、後藤夕輝と出会った時に会話が出来ないのは無いですね。ここはお互いの言葉がわからないからこそ、当時のやりとりを録音した物を後で翻訳させたことでラストコンサート前の面会が生きてくる演出だと思います。あと劇中でアニタのコンサートに日本人ファンがいる描写もありますが、アニタファンのブログを見させて貰うと「(日本人の歌手アニタとしての認知度が低くて)そんな人居なかった!」だそうです。やっぱり当時のイメージとしてはジャッキーの相手役としての役者なんですよねぇ。
(注4:アニタがレコードデビューする82年頃まで実際に活動していた模様。ファンクラブに入っていた女性によると応援の指導や、日本での西城秀樹コンサートのツアーコンダクター的な事もしていたようです。エピソード1で83年の東京音楽祭に招待されたときの「西城秀樹に会える!」という発言は実際に言ったかどうかは不明ですが、アニタの、そして香港人のあこがれの人として解るシーンになっていると思います)
さてここから素材を厳選された映画版がどうなるのか期待して待ちたいと思います。もしかしたらビデオ発売のみかなぁ?
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ペルセポネーの泪
2022年/日本/102分/カラー
長野県の放送局、信越放送の70周年企画として製作された「ペルセポネーの泪」を名古屋のミッドランドスクエア2で鑑賞してきました。長野県の映画館での上映が中心なのですが、徐々に東京、名古屋とフィルムが回ってきているようです。
舞台は長野県千曲(ちくま)市。風太(渡部秀)は実(剛力彩芽)と内縁の夫婦として二人暮らしをしている。風太は東京からの移住でここに住み始めたが購入した一軒家に付いてきた畑を一人でやろうとし過ぎた結果、上手く行かず実のガラス工芸店での稼ぎをあわせてやっとの状態だった。やがて風太に家と畑を売った貸金業者(ヤクザもどきの活動もしている)の大蔵(岩永洋昭)達から滞っている代金の返済を求められ、彼らが実の身体を売り飛ばしかねない状態になったことから、風太は実に状況の説明と相談をする。実は返済の足��になるように持っていた指輪の風太に託す。
風太が喫茶店でこの指��をどう売却しようか思案していると怪しげな男性に指輪を見せてくれ、と声をかけられる。話によると亡くなった妻の指輪の指輪が千曲市で無くしたので探し回っていると言うが、明らかにウソなのが解る話し方だった。その男性の粘着質な対応に風太は逃げ出すが、しつこく追いかけられ根負けした結果、男性のコレクションのオルゴールと引き替える事になる。古物商で鑑定して貰うと200円程度の値打ちしかない事が解り、オルゴールの音を気に入った赤ちゃんの母親にオルゴールをあげると果物を貰う。その果物はスナックのホステスをやっている洋子(橋本マナミ)からスカーフに変わり、そのスカーフを身につけていると町で複数の温泉宿を経営している若旦那と呼ばれている槇(勇翔)が乗るトヨタセンチュリーに乗るように促される。元々槇の元に実が居て、そこから逃げ出して風太の元に転がり込んだ事は町の人間の周知の事であったが槇は二人を助けたいということでコインロッカーの鍵を渡す。ただしそれを使うのは風太次第と言い残して去って行く。
一方指輪を手に入れた怪しげな男性は老紳士(渡辺裕之)にうやうやしく指輪を差し出すのだが…というお話でした。
あらすじを読むと「わらしべ長者」的な感じがしますが、ここはまだ物語の起点と人物紹介でしかないです。その後の展開としては人類が絶滅しない少し明るめの「12モンキーズ(1995年)」という感じかな。
見る前は信越放送という地方放送局がやる以上、長野県という舞台を縛られて小さい話に終わってしまうのでは無いか?と心配していたのですがそんな事は全くなく、千曲市の美しい風景にフィルターを重ねて「もう一つ世界」を描く事で物語的にも世界観的にも厚みを持たせることに成功していますし、かつおそらく信越放送から課せられた「千曲市のいい所を紹介する事」というノルマもクリアしているので見事なお仕事としか良いようがないです(多分一カ所だけ東京ロケがあって、他はすべて千曲市でのロケじゃないかな?)。終始飽きることの無い作品で面白かったです!
見る人によって好き嫌いが分かれるかも?と思ったポイントとしては少し小劇場的な持っていき方があるので、映画しか見ない、舞台慣れしていない人にはちょっと拒否感出るかもしれないです。寺山修司さんが撮った映画の手法とか、舞台では無いけれど大林宣彦監督のインディー色の強い作品に通じるところがあります。完全なメタフィクションでは無いけれど、メタぽさを上手く使った感じ。僕はこういうの好きですけどね。
意外な収穫だったのが剛力彩芽さんと橋本マナミさんの良さ。彼女たちの「この世のものじゃないような美しさ」が「もうひとつの世界」の説得力を持たせています。僕が普段TVドラマ見ないので剛力さんはCMの人のイメージしかなかったのですが(申し訳ない)、芝居が上手い事に驚きました。製作陣��まだまだ知名度がある訳じゃ無いようなので、この映画がもっと口コミで評判が広がって色んな所で見られるようになって、役者さん、製作陣の皆さんの評価が上って次の仕事に繋がるといいなぁ。
あとカメラの動きの良さも褒めたいです。悪い日本映画にありがちなのが例えば左右に振る場合一定のスピードでなかったりとか結構雑だったりします。こういうのも映画の情報の一部と言って良いのに演技の妨げになるだけの動きをしてしまったりするのですが、今作は本当に綺麗な動きを見せています。ちゃんと考えて絵を作っている事ありきではあるんですが、ドローン撮影が出来るようになった事で低予算でも格好良い映像が作れるようになった事にも時代が変わっているんだな、と思いました。屋外ロケで真上から撮る絵があったのですが、昔であればクレーンが必要だった訳でこれだけで幾らお金が必要になったのやら…。
インディーズで低予算映画、というカテゴリーに入れられる作品になるんでしょうが、ひとつもダサい絵が無かった!というのを一番褒めたいです。
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ザ・ビートルズ:Get Back
2021年/イギリス・ニュージーランド・アメリカ/カラー
Part1:第1~7日目 157分
Part2:第8~16日目 174分
Part3:第17日~22日目 139分
ディズニー+で公開されている「ザ・ビートルズ:Get Back」を年末年始にかけて視聴しました。
元々ポール・マッカートニーの提案で結束が弱ってきてソロ色が強くなっていたビートルズをもう一度バンドとしてやり直そう、そして最終的に観客の前でテレビ特番としてライブをしようと提案。そのテレビ特番で使う為にリハーサルの様子を収録することになりマイケル・リンゼイ=ホッグ監督によって撮影され、その素材が結果的に映画「レット・イット・ビー(1970年)」として公開。しかしこの時に撮影された全フィルムを改めて検証し、ビートルズファンでもあるピーター・ジャクソン監督に託しフィルムの修復と編集した結果の作品になります。
本来は劇場公開される予定だったのですが、コロナが長引いたために劇場用作品としては中止し、予定を変更して長尺作品にしてディズニー+で公開することになりました。
見終えてパッと思いつく感想としては「な、長かったなぁ(笑)!」でした。ビートルズのリハーサル映像集という見方も出来る作品でもあるのでどうしても単調に感じることもあって映画と同じ感覚で通しで見ることはしんどいかな、と思う所がありました。個人的には日にち単位で区切ってくれている(時系列的に行ったり来たりすることはない)ので見る日の気分で「今日は○○日目までにしよう」と決めて見ることをオススメしたいかな?
こういう書き方をすると面白く無いような感じがしますがピーター・ジャクソン監督の意図として「変に監督の主張や誘導を入れずに長尺になったとしてもありのままのビートルズを観客に見せて、考えて貰おう」というのがあったと思うのです。ファンの中ではここで行われた通称「ゲット・バック・セッション」をきっかけにバンドの仲が悪くなったというのが定説(これは映画「レット・イット・ビー」で楽しそうに演奏していない映像ばかりを使ったせいでもある)だったのですが、実は全然そうではなかった発見が沢山見つかる面白さがあるのです。
実際残り数週間しかないのにポールが提案したライブ会場を何処にするかも初日の段階から決めてもいないまま見切り発車でリハーサルを進めていますし、撮影されながらアップルコアや撮影クルーといった外部からの「ねえ?どうするの?」というプレッシャーにまだまだ20代のビートルズのメンバーの未熟な対応で答えているので彼らの中にイライラが全く無い訳ではないです。しかしそれは外部の人間がいる事と見られている事で起きている訳であって、一旦リハーサルを始めるとバンドだけの世界になり「やっぱりこいつらと一緒にやると楽しいな!」という感じで楽しく演奏していますし、中には他のアーティストのカバーや過去のビートルズ楽曲も演奏したりと相当遊んでいたりもしています。過去の定説では「ゲット・バック・セッション」でバラバラになったバンドをアフリカ系アメリカ人のビリー・プレストンを参加させた事で一体感を取り戻したと言われていますが、実際はジョージ・ハリスンの一次離脱はあったもののバンドの一体感は保っているので彼が参加したことで劇的にオセロのようにマイナスをプラスにひっくり返ったというよりは、元々プラスだったのがプラスアルファになった感じじゃないかと思います。
あとオノ・ヨーコさんの再評価という面も見せようとしているところもあります。再評価と言っても「実は何もしていなかった」という事の証明と言った方が適切なんでしょうが。映画「レット・イット・ビー」ではオノ・ヨーコさんがビートルズ解散のきっかけのように描かれているそうなのですが(映画は初期にソフト化されたものを最後に廃盤されたままなのでまだ見ていません)、こうして長尺でじっくりオノさんを見るとジョンの精神的サポートに徹するためにそばに居るだけでほとんど言葉を発していない事に驚きました。ジョンの結婚はまだ20代ということでまだまだアイドル視されていた事でファン、特に女性ファンからの反発は大きかったと聞きますし、それは「ゲット・バック・セッション」の後に結婚するポールとリンダの結婚においても同じ事があった事を考えると余計な先入観を観客も製作陣もオノさんに対して持ち過ぎてしまっていたんじゃないなぁ?
となるとマイケル・リンゼイ=ホッグ監督が「レット・イット・ビー」で偽のビートルズ史を作ってしまったのでないかと思ってしまうのですが、 その責任はある一方で「ザ・ビートルズ:Get Back」を通して彼の雇われ監督としての立場や仕事ぶりを見ると責められないところがあるんですよねぇ。前述の通り見切り発車かつ二転三転していく企画に翻弄されていますし、下手すると映画としてラストのクライマックスとなるべきライブすら実行されない可能性のある中で我慢してカメラを回し続けていますし、「ルーフトップコンサート」は実行されたもののジョージの離脱くらいしか劇的な展開がない素材を元になんとか映画を完成させたのは頑張ったと言っていいのではないかと。
ただ 「レット・イット・ビー」と「ザ・ビートルズ:Get Back」と比較できるようになった状態でわかるのは「ドキュメンタリーは作り手によってなんとでも言える」という事。ドキュメンタリーでこれですから「史実を元にしたフィクション作品」となると使いたいエピソードをえり好みしたり、時系列を組み替えたりすることでヒーローをよりヒーローらしく、悪役はより悪役らしく描ける訳なので、映画を見る上での教訓としてエンタメとしては大いに楽しみつつ、一方で盲信的に真実と思い込まない、話半分までいかなくても話75%くらいで受け取る事が大事なのかな?と思いました。その点で元々劇場用作品と考えられていた 「ザ・ビートルズ:Get Back」がコロナでサブスク配信の長尺作品になったことで誤解される余地もないくらいほぼ全てを見せることが出来る機会を得たのは怪我の功名だったのかもしれません。
ただ唯一、ピーター・ジャクソン監督の誘導があるんじゃないかと思ったのはこの「ゲット・バック・セッション」の終盤にやってきた後のマネージャー、アラン・クレインの存在のことです。ビートルズの解散の原因として「ゲット・バック・セッション」と、このアラン・クレインのマネージャー就任に対してポールと他の三人が対立した(ポールはクレインの悪評をミック・ジャガーから聞いていたので代わりに妻リンダの父を押そうとしたが主導権がポールに集中すると警戒されてしまった)事の二つが大きな原因だと言われていたんですが、ジャクソン監督は「ゲット・バック~」に関しては否定し、アラン・クラインが解散の最大の要因だ!と言いたい感じがしました。ただ面白い描き方をしているな、と思ったのは「アラン・クレインが来たよ。」とビートルズ達の会話の中でしか出てこない扱いという事(プラスアーカイブからの写真)。収録されたフィルムの中に彼の映像があったのか無かったのかは不明ですが、それにしてもこの会話の中しか出てこないというのが、このセッションの後に起きる不気味な闇としてのフリとして扱っている感じがするのです。ただ「ゲット・バック~」にも解散の火種が全くない訳では無いと思いました。それはポールの頑張りすぎで、バンドのリーダーやマネージャー役、「ゲット・バック~」の企画責任者、もしかしたらアップルコアの経営も考えないといけない状態だったかもしれない事を考えるとかなりの活躍だったことは認めるところなんですが、他のメンバー、特にジョージがついていけない状態を作ってしまったところはあったと思います。解散の原因としては「ゲット・バック~」10%くらいのアラン・クレイン90%という感じだと思いました。さらにさかのぼればマネージャーだったブライアン・エプスタインが生きていれば…という事に行き着くのかなぁ…。
一ヶ月もないスケジュールの中で次々と曲を完成させていく見事さは、ポールが度々口にする「僕たちは切羽詰まった時が強いんだ」をまさに実行していて驚きました。ある程度形が出来ている曲を持ち寄っていますし、後で足りない部分はフィル・スペ���ターによって補完されているとはいえ、どんどん仕上がっていくのも見ていて楽しかったです。
あと小ネタとしてビートルズのレコーディングスタッフに後にアランパーソンズプロジェクトを率いるアラン・パーソンがいたり、日本のサディスティック・ミカ・バンドのプロデュースも担当するクリス・トーマスの姿も発見できます。あと小ネタと言うと失礼だけどリンゴ・スターのドラムをじっくり見ることが出来たことで改めてこの人上手かっただな、と思いました。
了
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レッド・ブロンクス(香港ヴァージョン・USバージョン)
1995年/香港/カラー/106分(USバージョンは90分)
ジャン=クロード・バンダムの「ノック・オフ」を見て、同時期のジャッキー・チェン作品も見たくなったので「レッド・ブロンクス」をレンタルDVDで見てみました。
香港の刑事クーン(ジャッキー・チェン)は休暇を取りニューヨークを訪れる。ブロンクスでスーパーマーケットを経営している叔父ビル(トン・ピョウ)に会うためである。ビルはアフリカ系女性との結婚を機に中国系の女性経営者エレイン(アニタ・ムイ)にスーパーを売却しようとしていたが元々ここはクーンの亡くなった父と叔父が立ち上げた物だったのでクーンに半分経営権があったためにニューヨークに呼ばれたのだ。
ビル夫妻の新婚旅行が終わるまでクーンはエレインの手伝いをするためビルのアパートに住むことになる。部屋の隣はダニー(モーガン・ラム)という車椅子の中国系少年が住んでいて姉との二人暮らしをしているらしい。やがてスーパーにはトニー(マーク・エイカーストリーム)率いる暴走族の一味がみかじめ料を要求したり万引きを始める。エレインはそれを止めようとするが、一悶着起きてしまいクーンのカンフーで撃退することになる。ビルはエレインに高く売るためにみかじめ料などの事はクーンにも伏せていたのだ。
これでクーンに目を付けた暴走族はチームのメンバーでトニーのガールフレンド、ナンシー(フランソワーズ・イップ)を使い彼女��襲われているフリをしてクーンをおびき出し、行き止まりの所に追い込む。沢山のガラス瓶をバットで打ち込むリンチを受けたクーンは重傷を負いダニーの介抱を受ける。ここにナンシーが帰ってくる。実はナンシーはダニーの姉だったのだ。しかしこの事でやんちゃだったナンシーの心境に変化が起きる。
クーンの傷が癒えた頃、アフリカ系のギャングと通称「ホワイトタイガー」(クリス・ロード)が率いる闇業者とのダイヤモンドの取引が行われていた。交渉は決裂しクーンとダニーのアパートまでカーチェイスが行われていた。偶然暴走族のメンバーのアンジェロ(ガービン・クロス)がそこに居合わせ、運良くダイヤモンドを手に入れる。しかしクーン達のアパートで追い詰められた彼はクーンとダニーが急いで部屋に待避したために玄関で放置していたダニーの車椅子の座布団にダイヤモンドを隠して逃げようとするが、ちょうど警察が入って来てアンジェロも「ホワイトタイガー」の手下達も拘束されるが、お互い証拠不十分で釈放される。しかしこの事で暴走族と「ホワイトタイガー」との争いが起きてしまい、さらにクーンとナンシーとダニー、そしてエレインも巻き込まれる事になる…というお話でした。
いやー、これは面白かったです!香港製作の映画(ゴールデンハーベスト!)ではあるんですが、カナダロケを行い、大部分を英語で演じるなどかなりジャッキーのハリウッド再挑戦を狙った感が伝わってきますし、実際全米興行収入第一位という結果を出した事も解る出来。ちなみにこの成果を持ってジャッキーは次の「ラッシュアワー(1998年)」でハリウッドに迎えられる事になります。
北米の観客に対する話の作り方も上手くて前半はかなりジャッキーが暴走族に悲惨な面に会うことでアウェイのはずのアジア系のジャッキーに上手く同情を持っていき、積もり積もった同情をラストのホバークラフトでの逆襲にぶつけて爽快感に持っていくのがお見事。しかも暴走族や「ホワイトタイガー」が行う暴力が陰惨なのに対してジャッキーサイドが行う暴力がコミカル系なのも痛快さを生んで上手かった。またバスター・キートンのようなドタバタ喜劇系であるのも観客には何処か懐かしく感じられたと思います。
見所はジャッキーとアニタ・ムイがいるお店がまるでドリフのコントのように徹底的に壊されるところと、ラストのホバークラフトアクションかな。どちらも終盤のところになります。
アメリカにいる華僑たち、という設定があるために中国語と英語のチャンポンになり言語の統一感に欠けるので日本語吹き替えで見るのがおすすめかな?ちなみに香港バージョン(106分)とUSバージョン(90分)の二種類あるのですが、日本で上映・テレビ放送されたのは香港バージョンのためにUSバージョンでは日本語吹き替えが無いので注意です。購入するときは上映時間を目安に購入して下さい。
と、ここまで書いた時点でUSバージョンも見ないと色々言えないな、と思ったの��アマゾンプライムビデオで購入してみてみました(アマゾンプライムではUSバージョンだけのようです)。
USバージョンの特徴としては
○オープニングの映画製作会社の表示が香港バージョンではゴールンデンハーベストなのに対して、USバージョンはニューラインシネマ。
○香港バージョンのオープニングはクーンと叔父との車中とニューヨークの風景なのに対してUSバージョンはその前に飛行機の姿とジョン・F・ケネディ空港の映像を差し込む事でクーンがアメリカに向かった事がより明確な形で表されている。
○クーンがUSバージョンではキヨンに、エレインがエレイナになっている(エレインはテレビ東京での吹き替えバージョンではエレーナになっていて統一出来ていないです)。
○ジャッキーがアメリカの空港に付いてすぐの叔父との会話だけ中国語で、その後のシーンは中国人通しの会話でもほぼすべて英語に吹き替えられている。
○香港バージョンもUSバージョンもエンディングは恒例のNGシーンだが、香港はジャッキーによる歌だったのが、USでは別のアーティストに差し替えられている。
○エレインが購入したのにトラブル続きの店を再転売しようとしている下りはUSバージョンではカット。
○これは見る人によって受け取り方の差がありそうですが、香港バージョンではクーンとエレインとの関係が深まりそうな見せ方をするのでナンシーとの三角関係になるのではないかと心配になるのですが(余計な伏線が出来ている)、USバージョンではエレインは新オーナーでクーンはお手伝いというさっぱりした関係に見えるので三角関係の心配は薄い。
アマゾンでUSバージョンの評価を見ていると石丸博也さんの吹き替えがないとか、香港でのジャッキー映画のお約束から外れている事の嫌悪感からかあまり良くない感想が多い感じだったのですが、実際見てみるとかなりテンポが良くなっており、僕は「やっぱりアメリカの編集は上手いなぁ。」と思ったのでUSバージョンの方を推したいです。実際香港バージョンは終盤のホーバークラフトに入る前で話が停滞してダラダラしている印象があっただけに。出来る事ならこのUSバージョンで日本語吹き替えが見たい!
了
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