#片目界隈の人と繋がりたい
Explore tagged Tumblr posts
102ka0fficial · 2 years ago
Photo
Tumblr media
またサブかい‼️ってツッコミはいるがー やはり通信障害が起きた事を考えるとサブを置こうと確定! iPhone13は普段部屋に置いてこやつの着信をiPhoneXsにて転送電話にして使用率を高めた‼️ がしかし バッテリーは死んでいるので、急遽バッテリーは交換してもらってこの表示も確認のうえ!やりやしたー まあとりあえず先を見る事! 先手必勝 #転勤 #大阪 #iphone13 #iphonexs #iphoneバッテリー交換 #iphoneバッテリー #通信障害対策 #通信障害 #備え #先手必勝 #大正区 #やる時はやる #片目界隈 #片目界隈の人と繋がりたい #片目男子 #いいね https://www.instagram.com/p/ClwL-pwS9I0/?igshid=NGJjMDIxMWI=
0 notes
ztan999 · 1 year ago
Text
2023/10/8、岐阜県山県市での「秋の踊り会&2023年下駄供養」で踊ってきた。
Tumblr media
2023/10/8、岐阜県山県市での「秋の踊り会&2023年下駄供養」で踊ってきた。
この踊り会は、郡上おどり・白鳥おどりを歌とお囃子にあわせて踊り、また白鳥等の拝殿での踊りを、参加者同士が歌を掛け合いながら踊るのをメインとした踊り会だ。とは言えそれのみならず、合間合間では録音音源でも踊る。
岐阜や愛知の盆踊り愛好者界隈は、郡上おどり・白鳥おどり、拝殿踊り等が好きだという人と、録音の盆踊りが好きという人とそれぞれいるが、この回は前者を中心としながらも、どんな盆踊りも大好きな踊り助平、踊り猛者が集っていた。
私は踊り仲間のMさんに岐阜駅で車に同乗させてもらい、そこから一時間かからないくらいで会場の「伊自良ふれあいさわやかドーム」に着いた。雨模様であったが会場は屋根付きの広々としたところで、少し肌寒い程度で踊るのには最適な気候だった。13時過ぎに踊りがスタートした。
この踊り会は、歌好きで踊り好きのHさんが主催する踊り会だ。
Hさんは岐阜西濃の揖斐地方のご出身で、毎年10月頃に揖斐の区域の半屋外のステージ型施設にてこの踊り会を催している。例年使っていた施設が工事に入るとのことで、今年は場所の異なる山県市の施設にて催されることとなった。
郡上八幡や白鳥おどり、また白鳥の拝殿踊りなどに足繁く通われているHさんは、愛知一宮などの踊り会にも参加されて名古屋などでの現代曲の盆踊りにも大変親しまれている。まだ30代前半と若い方だが経験値は高い。
特筆すべきは踊ることより歌うことがとても大好きな方というところで、郡上八幡や白鳥おどり、また岐阜県各所の拝殿踊りでの即興の掛け合い歌の遊びを大変好まれている。様々に歌の文句も通じており、口説きや祭文、経文などへの造詣も深い。
かけあい歌の踊り文化は今日の岐阜県には比較的多く残っている。郡上地域の寒水や大和、特に白鳥各地の拝殿踊りは今も盛んである。西濃の根尾や徳山の踊りなど含め、東京にはいくつかの愛好家グループがあり彼らが盛んに岐阜の現地に出向いたりしていて、東京での有志の歌と踊りの会がいくつも開かれている。
私自身は拝殿踊りに行ったことはなく、というのも自家用車を持たない私は名古屋から通うことがままならない。この日の山県市での踊り会も自動車でしか向かえない場所で、私は行けないことを残念と思っていた。しかし渡りに船というべきか、前日の名古屋での盆踊りで会った踊り仲間のMさんのご好意で、車に乗せてもらえる運びとなり急遽行けることとなった。Mさんに感謝してもし尽くせない。
さて、ではなぜ行ったことのない拝殿踊りの文化に私が多少なりとも触れられるかと言えばこれもHさんのおかげだ。Hさんが音頭を取り、名古屋近郊の歌い好き踊り好きが集って月に一度、名古屋市内の公園でとても小さな踊り遊びが催されている。たまたまその公園が私の住まいのすぐ近くであることで、自転車で向って混じらせてもらって私も踊っている。
さて「秋の踊り会&2023年下駄供養」でのお囃子担当は、岐阜県飛騨金山を拠点に活動される「小夜会」の皆さんだ。
「小夜会」はご家族を中心に編成されるお囃子会のようで、小学生と中学生くらいの二人の子供さんも、大変伸びやかな声で歌われる。男性二人が三味線と歌を担い、子供さんも三味線や太鼓も演奏する。ちなみに小夜会の皆さんが白鳥や根尾などの各所の拝殿踊りで歌われているのを、私はこれまでSNS上でいくらかお見かけしていたのだが、このときはじめて皆さんの歌を生でお聞きすることが出来た。時間が足らず今回はあまり披露されなかったが、郡上八幡や白鳥などとはまた異なる区域である飛騨金山の祖師野において、かつて盛んだった拝殿踊りを小夜会の皆様が中心となって今年に復活させ催された模様も、私はSNS上で拝見していた。
更にこの日は岐阜各所の踊りのみならず、滋賀県高島市から高島おどりの方々が来られ、高島の踊りを踊った。踊り指南を勤められた江頭ゆかり先生のレクチャーとともに三曲を踊った。私は今年の7月に初めて近江今津へ「高島おどり」を踊りに行き、高島の各集落の踊りの面白さや、江頭先生の講習術に圧倒され、大変な��力を覚えた。
それらの各郷土の踊りが踊られる合間合間に、Hさん盟友であり、踊り、太鼓、歌、司会、PA、各種方面とのコネクション、その他裏方雑務諸々含めて盆踊りにまつわる何もかもをこなす東海圏盆踊り会の若きオールマイティであるNさんの仕切りによって、録音盆踊りタイムが差し込まれた。
日永つんつく踊、江州音頭、河内音頭、ダンシングヒーロー、恋のダンスサイト、平和音頭、磐城やっちき、伊勢じゃこっぺ踊り、岡崎えびすくい音頭などなど、スタンダードからマニア向けまで、この時間帯で私は体を絞り倒してしまった。
終盤は拝殿踊りでのかけあい歌をたのしみ、17時頃に一旦お開きとはなるも、会場が19時まで使用が可能ということで、片付けを挟みつつ踊りたい人は残って踊り続く。
そこからはまたNさん仕切りによる録音盆タイムの2ターム目がスタート。
高輪ゲートウェイ、にんじゃりばんばん、アンコールでまたまたえびすくい音頭も踊るし、声出して叫ぶ。
Nさんの機材の片付け作業も挟まるが、片づけがひと段落着いたところでスマホと中型スピーカーだけをBluetoothで繋いで音出せば、みんなは踊り出す。
走り回る鹿島一声浮立、叫び散らかす桐生八木節、飛んで喜ぶマイムマイム。
走らなくてもいい踊りを走り回ってスタミナを使い果たし、そしてまたすぐ踊るという、踊り助平にしかわからない自助会めいた様相を呈した。
さてHさんは本職が僧侶であり、経典や仏事のみならず民俗習俗にも造詣深い。そうした趣向からこの踊り会の名称は「下駄供養」というお題となっていて、実際に儀礼に則って下駄が供養される。下駄にまで魂が宿り、下駄もが成仏する(集まった下駄は供養ののち、年の瀬の12月30日にHさんの所属寺にて餅つきのカマドの薪となり、一切無駄になさらないとの事)。
読経であったり唱和であったりまた念仏踊りなど、踊り歌や踊り行事と仏教行事とのかかわりは深い。しかし難しい理解でなく、夏の期間に踊りで履き潰した下駄を慰労して供養するのは、それだけ踊った自分自身や踊り仲間の労いや、楽しみを分かち合う気持ちであろう。
白山麓一帯の踊り行事は白山信仰との繋がりで論じられることも多いが、信仰という広範で抽象的な概念を用いずとも、歌や掛け声と踊りで生じる心理的な一体感、その一方で立ち上がる極めて個人的なトランス状態の心的作用が重なり合う。もしかすれば五蘊、三昧などの心身を分析する仏教概念についても、踊ることが理解の深まりに効果的かもしれない。
(文責:田中瑞穂)
Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media
0 notes
haru-yonige · 1 year ago
Text
他人の過去ツイ数年分ダウンロードしたことある?
わたしはある。
ツイッターのゴミ改悪により他人の過去ツイを遡れなくなってしまった時期に、既にジャンルを去ってしまった追っかけ相手の過去ツイを月2ペースで数年分漁るというネットストーカールーティンの妨害を受け、やり方を調べて個人用に他人のツイートデータを取得しオフラインで過去ツイを閲覧していた。
6年前、わたしは二次字書きの狂信者だった。
以下、当時のわたしのその他ネトスト行動一覧である。
相手の表現および解釈をきちんと理解できるようになりたいという動機だけで現ジャンルの二次創作を始めた
一人で過去作の閲覧数を毎日のように増やすのはキモいという理由から、作品全部コピペ保存して朝起きた瞬間から読めるようにしてあった
頒布前の、文字媒体にして画像4ページほどのそれだけでは本編の内容が全く推察できないような新作画像サンプルを全部保存し、その程度の供給で夜も眠れなくなった
読書は嫌いだったが、相手が読んだ本(論文系や入手困難なアングラ図書を含む)を片っ端から特定して読んだ
とりあえず音楽だけは詳しくなろうと音楽を漁り始める
大学とか特定してた
その人と繋がってる相手が明らかに劣悪な二次創作をRTした(=その人のTLに流した)場合、自分のFFでも即スパブロしてた
イベントその人の本買うためだけに行ってあとはフォロワー誰にも会わず直帰してた
既にジャンルを去っていた、追っかけ相手がジャンルの二次創作を始めたきっかけになった相手のリア垢を特定したところ、友達とバ先が同じという驚愕の事実が発覚したので、会いに行って仲良くなった
不純な動機で二次創作を始めていたため「〇〇さんのパクリですよね?〇〇さんの好きなので不愉快です」というような匿名意見が来ることもわりとあったが、自作を侮辱されたことではなく「ライト層が〇〇さんが『好き』だと軽々しく言及すること」に強い怒りを抱いていた
そんな感じで、一介の二次字書きである一般人の追っかけをしていた。
だけど、その当時出会った人間(まともに知り合う未満の人間を含め)は全て最悪だった。
イベントで声をかけられたので一応挨拶した相手には、「Aさんと〇〇して〜Bさんと△△して〜」というような、誇張ではなく、ほぼ字面通りの言葉で、出会い頭に他人との繋がり(しかもAさんもBさんもわたしは知らない人)を誇示してくるという端的にいってヤバめの人が、普通に市民権を得ていた。
誰かを死ぬ気で追いかけるという経験をしてしまったせいで、ありとあらゆる認知厨や交流厨にアレルギー反応、と呼ぶしかないような反射的な拒絶反応を起こすようになった。
一切創作も考察もしてないのになぜか色んな人と繋がってる謎な人、に知人経由でオフ会に誘われたので普通に断り、その後交流厨についての悪口を自分のツイッターで呟いたら、その後垢を移動した後も4、5年間、かなり最近まで、凸予告やら匿名箱荒らしやら真昼間のツイート数秒後の鍵RT及び数分後の解除やらの他人には見えにくい粘着行為が続いた。
本人の人となりや推測できる動機もそうだけど、本人のツイッターから判断できる特殊な活動時間や、職業や、文体の癖、言語能力及び思考能力の程度を加味しても、犯人は確定していた。
自分の生き方を誰かに否定されたのも恐らく初めての経験で、余程屈辱的だったんだと思うけど。面識もなければ応答もない相手にここまで根気よく数秒後のRTとかの粘着行為を続けるなんて、流石に統合が失調してるんじゃないか?と1年を過ぎたあたりで怒りよりも心配の念が優ってしまった。そういう人間でも表向きでは耳触りの良い言葉だけを発しているので、今もなお善人として扱われ続けている。
今まで自分が書いてきた理由の1/3は、誰も好きじゃなくなっても好きな人がいた場所だから、という理由だった。
他の1/3くらいが「人脈・所属・集団 殺す」をスローガンとし、自分自身や自分自身で見出したものではなく自分の繋がった人間のステータス、「誰に認められたか」でしか力を誇示できない人間、自分以外の誰かをマウントの材料として扱う人間���、自分自身の力だけで全否定するためであったと思う。
これがわたしの6年間。
くだらなすぎる。
で、最近ツイッターを消して、サイトをリニューアルしたんだけど。
粘着されていた身だから一応悪質コメント対策で、訪問者のIPアドレスと閲覧ページ、閲覧時間等を観測できるプラグインを入れてある。だから、誰がこの時間にメルフォ使ったかとかの情報がアドレスで分かる。いつもの悪質コメントが来たらどれくらいの抑止力になるかわからないけど、IPアドレスを丸ごと晒すつもりでいた。
それで誰(どのアドレス)が何時に来たかとか、どのページにくらい滞在したかとかが分かるようになっているんだけど。管理者の自分がサイトを弄っていない間にも、ずっと数分おきくらいにリロードしながらトップページに張り付いてる人がいた。1日2、3時間、朝も昼も夜も、多分暇さえあればずっと。
最初はサイト引っ越し、というかLocal環境で作ったテーマをサイトに移したせいで生じたバグか、メリーさん系の心霊系の現象を結構マジで疑ってたんだけど。その人が作品ページにも飛んでるのを見て、ああこれは普通に人間だなってわかった。自分にも身に覚えがある行動なんだけど、これは多分更新履歴をひたすらリロードしてる行動だなと推測できた。
わたしはこういう時、本当にどういう受け止め方をしていいのかわからない。迷惑だと思ってるわけじゃなくて、むしろ嬉しくはあるんだけど。
今の目的で二次創作を始めた後にも、読み専の人で、ジャンルやカップリングのファンというよりはわたし個人のオタクみたいな人がいた。会ったこともないわたしを「世界一好きな女の子」と言っていたその人は新幹線に乗って日帰りで東京のイベントにまで来てくれて、わたしに会うためだけに来たみたいなことを言っていた。それで、手紙と、全部わたしのことを考えて選んでくれたんだなあっていう、雑貨とか、わたしの好きなブランドのお守りとか、色んなものをくれた。
すごく嬉しかったしDMでお礼は言ったんだけど、繋がったりはしなかった。優しくしてくれるから、好きでいてくれるから、だけを理由に他人を受容し特別扱いすることは、わたしの軽蔑する相手とやっていることが同じになると思った。わたしに粘着行為を続けていた人間のような、「特に何も能力がないのに媚びるだけで簡単に繋がり、他人を利用する人間」の生き方を批判し否定するからには、自分は死んでもそこに迎合するべきではないという意志があった。他人を自分を賞賛させる目的で利用するくらいなら、触らない方がまだ相手に対して誠実でいられると思い、またそれが赤の他人を批判する立場として通すべき最低限の筋であると思っていた。
かつてわたしの追いかけた人も、ジャンル初期時にとりあえず繋がったような人々はともかくとして、自分から積極的に話しかけたり好きを伝える��は傍目にもそうとわかるような人だけ��ったし、その辺に関する分別の付け方は完璧だった。彼女のそういうところが好きだったというのもある。
そうやって、昔の自分とまではいかなくても、それに通ずるもののある熱量で誰かに好かれたり追いかけられていることを知ってしまったとき、本当にどうして良いのかわからなくなる。DDのくせに一番好きです!とかと軽々しく口にする人間とか、ろくに読んでもいないことが透けて見えるのにFF外から全て間違っている挿絵を押し付けてるようなあたおかとかなら心底どうでも良いと思えるんだけど。
はるばる会いに来てくれた人に対しても、わたしはあの時どうすれば良かったんだろうとか、これで良かったのかとか、本当はもうちょっとだけ話してみたかったなとか、でも相手は一方的に追いかけたいだけだったみたいだし、何か返されてしまったらその時点で好きじゃなくなってしまうかもなとか。
色々と考えてはみたけど、結局答えは出ない。
どうするべきかって、多分永遠にサイトに張り付いてる人に関していえばわたしの人となりには興味ないだろうし、特に何もせず作品を更新するのが一番なんだろうけど。
だけどわたしの本質は、表現者ではなくただのネットストーカー狂信者です。自分の頭で物事を考えることが億劫でしかたなくて、洗脳でも何でもいいから自分の上位存在に縋り付いて思考を放棄して誰かの言うことだけを鵜呑みにして無条件で信じ込みたいだけの下位存在。それがわたしの本質だと常々思っている。
本当は、わたしの好きだった人は昨年末のアンソロジーに数年ぶりの新作で参加していた。界隈を悉くミューブロしていたせいでそれを知らなかったわたしは、かつてのネトストルーティンの名残で過去作目当てにたまたま本人のプライベッターを覗いていた時に、主催に提出する用の新作原稿を見つけてしまった。パス付きだったが調べたらすぐに解除できるようなものだったので、本当はまずいんだろうけど条件反射で侵入し読んでしまった。
結論として、あれだけ死に物狂いで追いかけていた人間の5年ぶりくらいの新作に、わたしは「普通に好き」以上の感想を抱くことができなかった。
作品ひとつで判断しても、あの頃のわたしなら比喩でもなく夜も眠れないくらいに興奮していたと言い切れるものだったと思う。その人が劣化したとかそういう話でもない。それなのに、わたしの心臓は動かなかった。その瞬間、あの人に始まったわたしの6年間の執着と信仰のか細い糸が、ぷつりと切れてしまったことを実感した。
変わってしまったのはきっとわたしの方だ。
いよいよ全てがどうでもよくなり、元々煩わしいだけだったツイッターを続ける意味もなくなったので、今年になってアカウントを消した。現在、というか今に始まったことではないが、わたしの状態としては、他者全般への信頼及び愛着の喪失やあらゆる相互��係への興味の喪失とか諸々失くしたものが多過ぎて、縋り付くほかなくなっているだけのような気がする。
ただ、良かった点として、一つはわたしには見る目があったことだった。
わたしの追いかけた人間は素晴らしい文化的基盤を持っていた。わたしの現在の文化的基盤は全てその人に与えられたものが軸にあると言っても過言ではない。当時18歳だったわたしに凄まじい衝撃を与えた作品はすべて、それらの文化に基づいていたものだと追いかけるうちに知ることができた。18歳でジャンルにハマったが、他の有象無象には目もくれずあの人だけを一心に追いかけたわたしの見る目は大したもんだと思う。あと、向こう4、5年間嫌がらせしてくることになるような相手を初手で拒絶したのもそうだな。色々失くしたけれど後悔はない。
あと、もう一つはわたしには絶望的に文才がなかったということだった。今もない。才能は途中から生まれない。文才がないから、初期はとにかく自傷行為を重ねて自分を痛めつけることで何とかそれっぽいものを生成していた。傷ついてくる時ほど言葉が尖ってくる性質なので、自分を痛めつけてあらゆる感覚を尖らせる必要があった。そうやって書いていると、何をどうするべきか、までは才がないのでわからないけど、何もしなくても自分の創作物にたいする言語化しがたい小さな違和感くらいは察知できるようにはなった。
自分に文才がなかったおかげで、文章構成はドブに捨て、感性・思想100%で文章を書くという自分に合った手法で創作ができるようになった。どんなに技術がなかろうと、そこに主義主張や明確な意図さえあればひとまずは読めるものに仕上がるということを知った。才能がない側の持たざる人間が、持つ人間と(たとえ相手や世界に競っているという認識がなかったとしても)どうやって自分の中で折り合いをつけていくかということについて、わたしは答えを見つけることができた。
そういうことで、わたしは今後も一生地縛霊のように書き続けるしかないんだろうと、最早諦めの念を抱いている。わたしは要らないものの燃やし方は知っているけど、不要でも好きなものの手放し方は知らない。誰に嫌われても、誰もいなくなっても、一人で書き続けるしかないと思うので、そうします。
書きかけの長編4つ放置したままでいるのももったいないしな。
1 note · View note
cool-noodlegm · 1 year ago
Text
下手なブログよりは手軽そうではあったんで取り敢えずこっちもアカウント作ってみた。世間的には落ち目のサービス扱いっぽいけどこっちの方がひっそりやる分には気が楽なのかもしれない。
まああの世紀末臭漂うTwitterにいつまでも入り浸り続けるのも釈然としないし、あのくっそたれにも劣るトップがいるサービス使い続けたくないって反発心が根底にあるのは否定出来ないが。
ただ本命のBlueskyを仮に今始めたとしても現状Twitter界隈内での繋がりがそのまま作れるわけでもないし、そもそも要る……?みたいな疑問もあったりする。
この辺をざっくり書き出すにあたり、少し前にTwitterの方でツイートだったかリツイートした堀氏のこの記事2ページ目記載されている内容を引用したい。
>君たちはどうSNSを使うか
>SNSの使い方は人によってさまざまであるものの、1)コミュニティのなかで会話を楽しむ、2)情報を誰かから手に入れる、3)自分の伝えたい情報を誰かに拡散する、が基本だとみて差し支えないだろう。
なんだかんだで私はTwitterのアカウントを片手位作ったり爆破したり、更には休眠期間が数年あったとは言え自分も10年以上Twitterと言うSNSを使ってきてはいる。
そんな中で休眠前の自分のアカウントを覚えてる人はまずいないとは勝手に思ってるけど、休眠前は上記で言う1)の利用目的がほとんどだったと思う。
当時は(それ以前から兆しはあったが)震災中疎遠になってしまったSTEAM界隈との繋がりを色々とあって絶つ意味もそれなりにあり、更には他の交友関係を広める意味合いも込めてFF内でのうざ絡みをしたりされたり等々色々とやり取りさせてもらって楽しかった。
そこへ次第に上記の2)や3)も少しずつ増えていった。特に艦これを本格的に始めてから(艦これ以外のを含め)情報を入手する方向により利用用途が広がっていった。
艦これ関係を書き出し始めたらえらい事になったのでいつか書くとして、しかしながらその辺りから自分にとって好ましくない情報の流入量も一気に増えることになってしまった。
“当  時  は“艦これに対する(事実であれどうであれ)バッシングをみるのが本当に辛かった。特にやってもいない連中が大挙して苦言を呈したりそんなツイートみるのが嫌になっていった。(今となっては当時RT非表示機能があればな、と。)
そんな良し悪し両面の情報流入に頭を悩ませていたが、次第にFF内での共通の話題や情報のやり取りをする内容(フォロワー)も減ってしまい、ツイートする意味も見出せなくなっていき、適当な鍵アカウントを作って休眠することにした、というのが休眠の真相であ���たりもする。
その後なんだかんだで手術や転職(失敗)を経てあのアカウントを復帰させたものの、正直今の今でも上記の3つどれも本格的に利用したい気力が戻っていないのも事実なのだ。
無論、休眠明けしたようにバッサリと今ある繋がりを切って捨てる気にもなれないが、誰かと親しげに交流するわけでもない、情報を積極的に仕入れるわけでもない、更には何かを主張または公表するわけでもない、そんな自分はSNSで何がしたいのだろう、と自問する日々である。
1 note · View note
deisticpaper · 2 years ago
Text
Tumblr media
蜃気楼の境界 編(五六七)
蜃気楼の境界 編(一二三四)から
「渦とチェリー新聞」寄稿小説
Tumblr media
蜃気楼の境界 編(五)
界縫
 正嘉元年紅葉舞い、青い炎地割れから立ち昇る。音大きく山崩れ水湧き出し、神社仏閣ことごとく倒壊す。鎌倉は中下馬橋の燃える家屋と黒い煙かき分けて家族の手を引きなんとか生き延びた六角義綱という男、後日殺生も構わぬ暮露と成り果て武士を襲えば刀を得、民を襲えば銭を得て、やがて辿り着いた河川で暮露同士語らうわけでもなく集まり暮らす。或る夜、幾度目のことか絶食にふらつき目を血走らせ六角義綱��血に汚れた刀片手に道行く一人の者を殺めようとするが、嗚咽を漏らし立ち竦みそのまま胸からあの日の紅葉のごとき血を流し膝から崩れ落ちる。道行くその者、男に扮した歩き巫女だが手には妖しげな小刀、その去る様を地べたから見届けんとした六角義綱のすぐ背後、甚目寺南大門に後ろを向けて立つ闇霙(あんえい)と名乗る男あり。みぞれ降りだして、人とも呼び難いなりの六角義綱を一瞥し、闇霙、口開かず問いかける、そなたの闇は斯様な俗識さえ飼えぬのか。六角義綱、正嘉地震から甚目寺までの道中で妻を殺され、涙つたい、儂には女は切れん、と息絶える。その一通りを見ていた青年、六角源内、父を殺した女を浅井千代能と突き止めて敵討ちを企てるが、知られていたか検非違使に捕らえられ夷島に流され、以後誰とも交流を持たずに僻地の小屋で巻物を記したという。それから七五九年の時が経ち、二〇一六年、仟燕色馨を内に潜める二重人格の高校生市川忍とその同級生渡邉咲が、慧探偵事務所を相手に朔密教門前また内部にて些細な一悶着あった、その同日晩、奇妙な殺人事件が起こる。場所は百人町四丁目の平素な住宅区域、被害者女性、五藤珊瑚(三〇)の遺言は、残酷な苦を前に千年二千年なんて。戸塚警察署に直ちに捜査本部が設置され、その捜査とは別に警部補の高橋定蔵、市川忍の前に立つ。何故おれなんかに事情徴収を、と忍。事件当日、校門の監視カメラに映っていたきみが何か普段と違うものを見てなかったかと思ってね、若き警部補が爽やかに答え、それで市川忍、脳裏の人格に声を送る、一顛末あった日だ厄介だね。対し仟燕色馨、おそらくこの警部補、謎多き朔密教を疑っている、ならばこの事件あの探偵にも捜査の手が伸びる、ところで気づいているか探偵事務所の探偵に見張られている。
 小料理屋点々とある裏通りの角に螺旋階段へ繋がるアーチ状の古い門を持つ築古スナックビルの入り口で刈り上げマッシュショートにゆるめパーマの少年のような青年がただ立っていると突然背後から強面の男がどこに突っ立っとんじゃと怒鳴ってきたので青年は冴え冴えとした眼差しで振り返り、幻を見てたんじゃないですか、��はずっとこの位置でスマホを見てました、俺の輪郭と色、背後の風景と俺のいる光景をもっと目に焼きつけてください。男は動転し不愉快な目の前にいる青年を忘れないようじっと食い入って見る。だが、その光景はすでに幻で、スマホを見ていた青年はもういない。走り去っていたのだ。朝のホームルーム直前にその青年、六角凍夏(むすみとうか)が現れ席につく。振り返り、後ろの席の渡邉咲に聞く、きみ、部活入ってるの。隣席美術部員中河原津久見が聞き耳を立てている。渡邉咲は初めて話しかけてきた六角凍夏が先々で勧誘しているのを知っていて、文芸部でしょ、と冷えた目を送ると、文化琳三部だよ、と。咲が琳三って何という顔で惑うと、清山琳三ね、俺らの界隈で知らぬ者はいないよ、とくるが、咲はどこの界隈の話なのと内心いよいよ戸惑う。だが、聞き耳を立てていた中河原津久見はピクシブなどで目にする虚無僧キャラねと気づくが話に加わらない。きみ、机の上の本、和楽器好きでしょ、清山琳三は気鋭の尺八奏者。私、渡邉咲、と口にしながら、尺八ね。放課後、六角凍夏は一人、文芸部部室の小さな教室に入って電気をつけるとドアを閉め、密室と成る。中央辺りの机に、鞄から取り出した古びた筒を置く。目を閉じる。刹那、周囲にぼろぼろの布団が幾枚とどさっと落ちてき動きだす。それは天明四年鳥山石燕刊行妖怪画集「百器徒然袋」に見られる暮露暮露団(ぼろぼろとん)だが現実に現れたわけではなく、六角凍夏の想像力は小さな空間で全能となり百器徒然袋の界隈と接続し、今回ならばそこに記された妖怪があたかも姿を見せたかのような気分になったのだ。密室に、江戸の布団の香りが充満する。ときに、異界からの香りが漂ってくることもある。翌、静かな夜、百人町四丁目にて更なる殺人事件が起こる。被害者は志那成斗美(四〇)遺言は、潔く煮ろうか。魔の香りも、又、此処に。
蜃気楼の境界 編(六)
五鬼
 出入りする者らの残り香も錯綜の果てに幻影さえ浮かべる夜の街。串揚げ並ぶコの字カウンター中程で束感ショートの若い警部補が驚きのあと声を潜め通話を切ると手話で勘定を頼み、さっぱりとした面立ちの探偵仲本慧に目をやり、五鬼事件だがまだ続いていたと輝きの瞳隠せないながらも声を落とし去っていく。百人町四丁目連続殺人事件の犯人佐々木幻弐が第二被害者志那成斗美の最期の正当防衛で刺され意識不明のまま病院で死亡したという話、監視カメラから��行も明確、第一被害者五藤珊瑚への犯行とも繋がり既に報道もされた直後の第三事件発覚。カウンターに残された探偵仲本慧、ビールを追加し面白い事件だが依頼がきてないから何もできないね、と奥に座る長髪黒はオールバックの男に突然話しかける。その男、串揚げを齧りながらチラと目線を合わせる。慧、ビールを飲み干し、隣に座っていいかなと距離を詰め、そっと名刺を置き、歓楽街案内人の市川敬済だね仕事柄我々は抜け目ない、聞き耳を立ててたね、という。黙す市川敬済に、優秀な探偵の知り合いは二人と必要ないかなと強い声で独り言のように笑みを送る。店内、音楽なく、静かに食す客、座敷からの賑わい。この辺りで、青島ビールが飲める良いバーを探してる客がいたなそういえば、と市川敬済、懐から名刺を取りだし横に並べる。直後、和柄のマフラーをしたギャル僡逢里が現れた為、仲本慧、名刺を拾い、勘定を済まし去っていく。お知り合いさんなの、と尋ねつつ座る僡逢里に、池袋の二青龍で今は探偵の男だ知ってるか、と尋ね返す。誰よ、テリトリー渋谷だったし、今日はいないの。暗に警部補のことを口にする。僡逢里の耳元で、まだ続いてるらしい千代女のママ心配だな。食事の注文をしながら僡逢里、出勤前に縛られたい、と呟く。夜十一時、一人になった市川敬済の前を男女が横切る。片方の男が枯淡の趣ある着物姿でありながら凍風をただ浴びるがごとく静かであったため変に気にかかるが、気にするのをやめて電話をかける。あら敬済さん、と通話先、青藍に杉の木が描かれた着物の女、さっきまで警部補さんがいらしてたのよ、お店は営業してません、今朝三人目の不幸がありまして五鬼も残すところ二人なの。語るは浅井千代女である。
 遥か彼方より朗々と木曽節が諏訪太鼓と絡まり聞こえる、それは五年前の、冬の宵、一人の女、吉祥寺の麻雀ラウンジ千代女の開店準備中、六人の女達を前に、肩に雪積もり震えている。浅井千代女が側に近づき、貴女の血に刻まれし鬼の禍、憎しと思うなら、受け継がれし技術でお金に変えて楽園を造るのよ、弐宮苺(にきゅういちご)の源氏名を授けるわ、そちらの西クロシヤ(五〇)引退で貴女の席があるの。語りかけてきた浅井千代女を取り囲む五人の女達、五鬼を見る。はい、と涙流し、生まれて初めての愉しい月日流れ、今、浅井千代女の周りに残る五鬼はその弐宮苺(三〇)と柵虹那奈(さくにじなな、四〇)だけだ。今朝殺害された紫矢弥衣潞(しや��いろ、五〇)の遺言は、一路ゆくは三人迄。殺害現場で弐宮苺は両拳固く握りしめて言う。千代女さまを死なせはいたしません、次はこの私が千代女さまの匂いを身につけ犯人を誘いだし返り討ちにしてやります、これまで通り千代女さまは、五鬼にはできない私達鬼の禍の力を強める祈祷にどうか専念してください。浅井千代女の頬に涙が伝う。紫矢弥衣潞の形見の側に六歳の娘が一人。この災い突如訪れ、犯人の心当たりなく、志那成斗美が相打ちにし病院で死亡したという佐々木幻弐が何者なのかも分からない。不気味であったが浅井千代女は思う、そもそも私達がこの現世において得体知られていない存在なの、それに。相手は私達より強い、と震える。市川敬済に連絡を入れる。丑三つ時に市川敬済が女と帰宅、玄関騒がしく、津軽塗の黒地に白い桜が控えめに描かれた高さ一尺程のテーブルに女が横たわる音がする。自室でスマホを触っていた高校一年生の市川忍、悠里と帰ってきたのかあの女嫌いだな、と不機嫌になる。脳裏から仟燕色馨の声、きみの父だが今着信があり通話している。女といるのに別の女と喋ってるのそりゃあ母も出ていくよ。連続殺人の件だ探偵仲本慧の名前も出ている。いつも大人達は都合で何か企んでいて不快だよ。翌日、暑し。ホームルームの前に近寄ってきた同級生渡邉咲が、低血圧以外の何物でもないローテンションでいつもより元気な声で市川忍に話しかける。事件は解決してなかったのよ、貴方のお知り合いの探偵、仟燕色馨の出番じゃない?
蜃気楼の境界 編(七)
境迷
 昼か、はた、ゆめの夜半にか、北原白秋「邪宗門」の一節に紛れ込んでいた六角凍夏は国語教師茨城潔に当てられて、地獄変の屏風の由来を申し上げましたから、芥川龍之介「邪宗門」冒頭付近をちらと見、朗読し始めるが、正義なく勝つ者の、勝利を無意味にする方法は、いまはただ一つ、直ちに教師が、むすみその「邪宗門」は高橋和巳だ、遮ってクラス騒然となる。六角、先生、界をまたぐは文学の真髄ですと逸らす。教室の窓から体育館でのバスケの授業を眺めていた市川忍に、脳裏から仟燕色馨の声、百人町四丁目連続殺人事件、慧探偵事務所の手にかかれば一日で解決する探偵はあの少女が呟く数字で結論を読みとるからだ朔密教での一件はそういう話だっただろう。それじゃあカジョウシキカ勝ち目が。否あの少女がいかなる原理で数字を読むか今わかった。その時、教室の背後から長い竹がぐんと伸び先端に括られた裂け目が口のごとき大きな提灯、生徒らの頭上でゆらゆら揺れる。「百器徒然袋」にある不落不落(ぶらぶら)を空想した六角凍夏の机の��に古びた筒。不落不落を唯一感じとった仟燕色馨、市川忍の瞳を借り生徒らを見回す。何者だ。その脳裏の声へ、何故だろう急に寒気がする。界か少女は先の「邪宗門」のごとく数多の界から特定している市川忍クンきみはこの連続殺人事件どう思う。昨夜の父の通話を聞くに麻雀ラウンジ千代女のスタッフが四度狙われるから張り込めばだけど犯人佐々木幻弐死んでも事件は続いたし組織か警察もそう考えるだろうから現場に近づけるかどうか。吊り下がる口のごとく裂けた提灯に教師も生徒も誰も気づかず授業続く。休み時間スマホで調べた麻雀ラウンジに通話。まだ朝だ、出ないよ、休業中だった筈だし。仟燕色馨は通話先を黙し耳に入れ続ける。浅井千代女らは、魔かそれに接する例えば鬼か、ならば逞しき彼女らが手を焼く犯人も、人ではないと推理できよう恐らく一人の犯行による。驚き市川忍、犯人が死んだというのに犯行は一人だって。きみは我が師仟燕白霞のサロンで幼少時千代女と会っていたことを忘れたか父と古く親しい女性は皆その筋だろう。側に、一人の同級生が近づいていたことに突然気づき、晴れてゆく霞、市川忍は動揺する。渡邉咲が、不思議そうに見ている。
 柵虹那奈、と雀牌散らばりし休業続く麻雀ラウンジで浅井千代女が呼びかける。はい千代女さま。志那成斗美あの人の槍槓はいつだって可憐で美しかったわ、五藤珊瑚あの子の国士ができそうな配牌から清一色に染める気概にはいつも胸を打たれていたわ、紫矢弥衣潞あの方の徹底して振り込まない鬼の打ち筋には幾度も助けられたわ、三人とも亡くしてしまった、弐宮苺は私達を守ると意気込んでいるけどあの子を死なせたくないの。ラウンジを出て一人、浅井千代女は市川敬済から聞いた池袋北口の慧探偵事務所へ出向く。雑居ビル、銀行かと見紛うばかりの清潔な窓口が四つあり小柄の女性職員田中真凪にチェックシート渡され番号札を機械から取り座る。呼ばれると先の職員の姉、同じく小柄な三番窓口女性職員田中凪月が青森訛りで対応するがシート見てすぐ内線で通話し真凪を呼び千代女を奥へ案内させる。無人の応接間は中国人趣味濃厚で六堡茶を口にしながら十分程待つと仲本慧現れ、異様な話は耳にしている我が慧探偵事務所に未解決なしさ安心して、笑顔に厭らしさはない、依頼費は高くつくけどね。千代女は私達に似てるわと思う、職員は皆日本人名だが大陸の血を感じる、理由あってここに集い共同体と成っている、市川敬済とは昔SMサロン燕(えん)で業深き運営者は仟燕白霞に紹介された、世俗の裏側で通信し合うルートで辿り着いた此処は信用できる。受け応えを記録する仲本慧に着信が入り中国語で喋りだす。六堡茶を喉へ。探偵職員二名曰く、監視対象の市川忍が早退し校門前で謎の探偵仟燕色馨と通話していたという。仟燕色馨が仲本慧に仕掛けた誤情報だが、千代女を上海汽車メーカーの黒い車に乗せ吉祥寺の麻雀ラウンジへ。市川敬済はその謎の探偵にも件の連続殺人事件を探らせているのかなぜ子の市川忍が連絡を、空は雲一つない、SMサロン燕は五年前の二〇一一年に閉鎖し今は仟燕家のみその調査は容易ではないが必要かすぐ崔凪邸へ行くべきか。麻雀ラウンジのドア、鍵開き、僅かな灯火の雀卓で盲牌していた柵虹那奈、差し込む外光より、冷気識る。現れるは、病室で死に顔さえも確認した、佐々木幻弐である。上海汽車メーカーの黒い車は崔凪邸に着く。少女崔凪は、使用人二人と土笛づくりをして遊んでいる。
by _underline
----------------------------------------------------
「渦とチェリー」チャンネル
【音版 渦とチェリー新聞】第27号 へ続く
----------------------------------------------------
Tumblr media
----------------------------------------------------
仟燕色馨シリーズ 全人物名リスト
----------------------------------------------------
0 notes
tanuyamafia · 4 years ago
Text
 
 五十代後半を迎えた僕の父は、稀代の酒狂いだ。誉高き現代の医学的見地からは、アルコール依存症患者との称号と診断書、反知性主義にも傾きかねないカウンセリングを授かっている。それなりに歴も長く、僕が中学生二年生の頃から──かれこれ十年目を迎えようとしているのだから、まあ大したものだろう。ベテランと言っていいくらいかもしれない。僕としては、何とか上手いこと距離を取って彼と付き合っているつもりだ。もちろん、背中に手が回るようなエピソードはひとつやふたつじゃ済まない。ティーンネイジャー当時には特有の父親との衝突や、流血沙汰もあった。でもまあ、家族ってそういうもんだろう。
 ブルース・スプリングスティーンというシンガー・ソングライターがいる。" The Boss"の愛称で慕われる彼は1973年のデビュー以来、現在に至るまで精力的に活動を続けていて、71歳を迎える今年2020年には通算20枚目となるアルバム『letter to you』を発表した。代表曲である"Born in the U.S.A"、またはUSA for Africaのメンバーとして参加した"We Are The World"などで彼の声を耳にした人も多いかもしれない。日本国内で例えるならば、矢沢永吉や佐野元春の立ち位置に近いのだろうか?よくありがちな一言で彼を定義するならば、「大御所ロックミュージシャン」だといって間違いないはずだ。どう頑張っても僕個人の趣向や音楽遍歴とは繋がりようもないものだから正直何とも言えないけれど、彼のシャウトやハスキーなその歌声から、何か心動かされるようなものはなくもない。少なくとも、彼が熱烈な支持を受け続けている所以の片鱗のようなものは伝わる。
youtube
話を父に戻そう。
父は稀代の酒狂いという側面を抜きにしても、エピソードに事欠かない人物だ。2007年頃、父親が一週間ほど姿を消したことがあった。平然としている母親に事情を聞くと、「イギリスに行った」と一言だけ吐き捨てた。どうも怒り心頭なようで(子供の頃の僕は親の機嫌を察知することに長けていた)、それ以上のことは聞けなかった。後日、帰国した父親に話を聞くと、「ブルース・スプリングスティーンのライブを観に行っていた」と得意気に教えてくれた。御土産としてユニオンジャックの上に"The Boss"の顔が模されたキーホルダーを貰ったことを覚えている。
 また、父は日本のブルース・スプリングスティーンのファンの間ではよく知られた存在だったそうだ。現在は削除されているようだが、その界隈のプラットフォームとなるホームページを運営していた。熱心にブートレグを集めてはキーボードの前に座り、サイトの更新に勤しんでいた姿をよく覚えている。僕にとって、「父親の背中」とはそんな光景だった。家族でドライブに出掛けるときにも、車内のBGMは決まってブルース・スプリングスティーンだった。助手席の母は毎度のことながら、演技らしい溜息を吐いていた。
 ブルース・スプリングスティーンは、アメリカでの認知度に比べると日本での人気はかなり低いらしい。当然、来日公演はほとんどなく、最後に日本でコンサートを行ったのは1997年(奇遇にも僕の生まれ年だ)。父にとって、その目と耳でブルース・スプリングスティーンを観たイギリスのライブとは感慨深いものだっ��だろう。馬鹿にならない旅費を根拠に猛反対したであろう母を振り切り、子供に告げることも忘れて飛行機に乗り込んだ父の心境に、十年以上経った今になってなんとなく思いを馳せている。
 父がアルコール依存症と診断されて以降、母と弟は父の元を去った。家族でのドライブや、父の流すブルース・スプリングスティーンとそれに頭を抱える母の姿も、もう見ることはないだろう。母と弟は現在、父の住まいと同じ市内にある祖母の家で暮らしている。僕はというと大学進学を機に上京していて、父と顔を合わせるのも年に数回程度だ。父は現在、一人暮らしをしているということになる。大部分においては父の自業自得であり、病気ということを加味しても同情の余地は特にない。母と弟が疲れ果てていたことはよく知っているし、僕も父との苦い思い出は数え切れない。今となってはドライに俯瞰できる僕を、ティーンネイジャーの頃の僕が見たら気絶するかもしれない。
 一方で、父に対して何の感情も芽生えないという訳でもない。言語化が難しいけれど、過去の出来事と現在の距離、その狭間で起きた出来事が、三角錐のような構造を持って僕の心のい��ばん柔らかい部分にそっと居座っている。アンニュイで脆く、掴み所のない関係性と感情に解答を見出せていないのだ──あるいはブルースなら、何か歌ってくれるかもしれない。「でもまあ、家族ってそういうもんだろう」とか嘯いて、" The Boss"一流の振る舞いで僕の肩を叩いてくれるのかもしれない。
ここまで書き殴って、子供の頃に散々聞かされたブルース・スプリングスティーンの諸作の中で、唯一好きだった曲を思い出したので、出来の悪いオチに添えて引用しておく。いい歌詞書くじゃん、ボス。
I want a thousand guitars.
俺が欲しいのは、数千のギター
I want pounding drums.
俺が欲しいのは、轟くドラム
I want a million different voices speaking in tongues.
百万の声で語ってくれ
This is radio nowhere.
どこにもないラジオからどうぞ
Is there anybody alive out there?
この音は聴こえているか?
Bruce Springsteen"radio nowhere"(2007)
youtube
3 notes · View notes
nehan69r · 5 years ago
Text
涅槃の2019年を振り返る
こんにちは涅槃です。
年の瀬ということで振り返ってみることにしました。なんだか今年は怒涛だったので去年の1月とじゃ全然環境が違かったりして、面白くなるかなぁと思ったので。
月ごとにさくっと振り返ってみます
1月
1月のスケジュール見たら人とよく出かけてたみたいです。新年会ってことですね。今はなかなか会わない人とかもいました!また遊びたいな
1月は自分のバースデーがあって意味分からなくなっちゃったのですが楽しかったしみんなに感謝でした。来年は大人しく過ごして、家族旅行とか行こうと思っているんですけどね笑
2月
2回目のBalloon Club開催が今年なんですよね。
もうずっと昔のことのようですが、やってる側もお客さんも楽しめているほんとに続けていきたいと思えるようなイベントでした。ちょっと次いつできるかわかりませんがもし何かやるときは是非よろしくお願いいたします。
あと初めてHUBでもDJして楽しかった思い出。
木曜日って社会人になってからなかなかああいう場に行けなくなったけど、機会あれば行きたいな
3月
なんかすっごいたくさん予定があったみたい。
Courtney Barnettのライブとか。すごいかっこよかったな〜〜。サイン会も友人の計らいで行くことができたので幸せでした。
そしてこの月にX-farmに遊びに行ったのです。
どのバンドもカッコ良くて面白い空間作ってていいなあと思ったので、参加させてもらうことになりました。ここら辺からかなり環境が変わった気がします。
あとO-nestでゆかさんとB2Bしたの楽しかったからまたしたいなあ。
4月
ここから自分の仕事が本格的に営業部配属になったり、X-farmに加入したり。めちゃくちゃ変わったなと今になると思います。
いろんな友達と、イベント以外でも遊んだりするようになったのもここら辺からな気がします。
あとこのときSUPERFUZZというかっこいいイベントに初めて行って、めちゃくちゃ楽しかったし今オルタナ色の強いかっこいいイベントやってるっていうのがほんとにDOPEでわたしもああいうイベントとかできたら最高だなと思って行けるときは遊びに行っています。
5月
JAMCの来日を見に行って、やっと見れたというのとライブ普通に良くて最高だった記憶。
5月はなぜかそんなに遊んでいないですが、
定期開催(最近ちょっとしてない気がするけど)イベント界隈の女DJ4人で日本酒会なるものをしてて、美味しい日本酒片手に音楽談義をしたり、4月もそうでしたが、イベントで会う人と普通に遊ぶようになったのが大きいなあと思います。
6月
スケジュール帳見てもあんまり思い出せないところも多いのですが笑
ノイバウテンという新しいイベントをやりました。ダークでノイジーな音楽をかけるイベントなのですが、また来年やろうという企てをしておりますので、是非よろしくお願いいたします。
あとLUMENの前に前飲みして結構酔ったままコンタクト行って平日なのにみんなベロ酔になってたの楽しかったな。またしたい。
7月
7月はもちろんFuji Rock Festivalですよね!
3日間初めて行ってきました。Twitterで知り合った友人と行ってめちゃくちゃ楽しかった思い出。。。音楽好きっていうところで繋がれてめちゃくちゃよかったし、雨辛かったけど友達がいたからなんとか乗り切れたみたいなところある。また来年も行けたらいいな。
8月
NFとBBQといったような8月。
NFは知り合いのおかげで行けることになり、行ってきたのだけど会場ついた瞬間知り合いと会えたりして、サカナクションの時には大勢で踊れて楽しかったな〜〜
The fin.もよかったしfloating pointsはちょっとファンキーなディスコ感あふれる選曲だったけど楽しくてずっと踊ってたな〜〜
うれしいことにBBQに2つもよんでもらってとても楽しかったです。私基本的になにもしない人間なのでみんながお肉焼いてくれて幸せでした。また来年も是非やりたい。。。読んでもらったら泣いて喜びます。
9月
Oasis Nightデイタイム編に出ました。
自分の中では反省点しかなかったけれども、大舞台でできたことは自信にもつながりました。
自分がこういうイベント行くようになったのがオアナイきっかけでしたので、運営側にまさか回る時が来るなんて数年前じゃ全く想像もできなかったし人生色々あるものだなぁと思いました。
あとはClub FAN!に出たときは知らないお客さんにも選曲お褒めいただいたりして嬉しかったです。ここら辺からちょっと自分の中の選曲方向とか色々変わってきた気がします。
10月
じゃあくねこのくつろぎに出させてもらいました。前回去年出た時より格段にいいDJできたかなぁと思います。じゃあくねこさんのファンの皆様ともこういうイベントであって仲良くできたりして、素敵な夜でした。
FAN!の打ち上げもとても楽しかった。出演陣での打ち上げだったのですが、お料理のうまい上野さんを筆頭に美味しいご飯を振る舞っていただいて最高でした。
学大の茶割に友人4人で行って久しぶりに美味しくてめちゃくちゃ酔ったのも記憶に新しいな。また行きたい��店。
11月
WARPのイベントでOneohtrix Point Neverと!!!のDJでめちゃくちゃ思って楽しみました。
WARP系最近本当に好きなのです。
Aphex Twinとかもフェスじゃなくて箱で来てくれたら楽しいのになぁと思います。
Kooks Nightを開催しましたが、Kooksキャンセルになっちゃったのは本当に残念でした。また来日してほしいのと、チケットの払い戻しとかって皆さんしましたか?
あとは、仕事で北海道に出張に行っていて、忙しかったけどご飯美味しかったです。次こそジンギスカンが食べたい。
あとここら辺からちょっと転職を本腰入れようとし始めるのですが、なんせ私が忙しくて進んでいないのです。
12月
12月忙しすぎて本当にあっという間だったんです。一年もあっという間だったんですけどね。なんと、12月はDJをしに名古屋へ行きました。
新しい土地での挑戦とても楽しかったです。
あとお寿司やさん呼んで薬酒での忘年会は楽しかったです。
あとは年末の怒涛の人との約束&忘年会で
ほんとにいろんな人と会えて、会いたかった人たちとも、今まで会ったことなかった人も、まさか会えるとは思ってなかった人もみんな会えてよかったです。
今年はこんな感じでした。
毎月なにかしらイベント呼んでいただいて
そこで遊んでいる感じでした。
X-farmというイベントのクルーになったのも大きな変化でした。
DJとして���全然まだまだなのですが、
楽しいので呼ばれる限り頑張ろうと思っています。もっと来年は技術向上等々目指して頑張ります。
今年も遊んでいただきましてありがとうございました。
また来年も是非遊んでください。
何卒よろしくお願いいたします。
涅槃
3 notes · View notes
usamin0325 · 5 years ago
Text
音楽
私は人をまとめたり動かしたりするのが極端に苦手な性分で、今でも人と仕事をするのが苦痛で仕方なく、例えば、ある作品の評論を書いてくれと依頼があっても、依頼主の意向を無視したものを書き上げてしまい、折角の仕事の話を頓挫させてしまったことが幾度となくある。
「井原西鶴はスタンダールやバルザックと同じリアリズム文学の創始者であり、当時、大阪はパリに匹敵する文化的都市だった、だからこそ、大阪維新の会のような文化破壊をあたかも道徳のように行う政党は許してはならない」と書いて、失笑されること数回。十三の風俗嬢とその馴染み客の恋愛を書けば、織田作の模倣に過ぎないと馬鹿にされ、踏んだり蹴ったりの私。それでも井原西鶴や織田作、宇野浩二、武田麟太郎、林芙美子を見習い、軽佻浮薄にケラケラ笑いながら私は生きている。
そんな私だから、音楽なんてとうの昔に辞めて正解であった。もともと不器用なんだから音楽なんてそれはそれはとても私の技量にかなうものではなかった。
しかし、音楽について語れとなると話は別だ。私の音楽の趣向は以前よりも幅広くなり、軽音楽の域を出てしまっている。
Miles Davis、Sun Raなどのジャズから、The ClashやSex Pistolsなどのパンク、LoveやThe Byrds、Jimi Hendrixなどのサイケ、Derrick MayやDinosaur L、Larry Heardなどのハウス、Biggie SmallsやPharcyde、Wu-Tang Clanなどのラップ、Burning SpearやSizzlaなどのレゲエ、New Age SteppersやScientistなどのダブに至って、我ながら多岐にわたり、結果、私は何が一番好きなのか、分からなくなるありさまだ。おかげで私のiPhone容量256GBはパンパンになる寸前だ。
だからとて、それを自慢したいわけではない。音楽のことをこれだけ知っとるぜなんてやるのは、幼稚なリスナーのすることで、私の趣味ではない。これだけの趣向を凝らして発展的なものを創り出すことが重要であると私は考える。しかし、残念ながら、私の興味は音楽よりも文学に大きく傾いており、それゆえ、残念ながら具体的な方針がないのが現状だ。
しかし、何としても音楽から透けて見えるものについて思索をめぐらしたい。それは、イギリスの保守言論人のダグラスマレーが、著書「西洋の自死」のなかで、ヨーロッパの文化的衰退とその自滅について書いた視点をこの日本でも応用できるのではないかという思いだ。
つまり、日本も西洋と軌を一にして自滅する運命にあるということを、彼の著書を読み、私は直感した。それは政策や経済だけの話にとどまらない。これは、歴史という大きな大河のような流れをも含む話である。日本は歴史的に作られた国家という点でヨーロッパと共通する部分も多く、況してや、移民流入を許す出入国管理法改正案が昨年末国会を通過したからには、決して移民で苦しむヨーロッパの自死は他人事ではない。
著書の中で、彼は第二次世界大戦以後の哲学者は、ポストモダンの流れの中で、脱構築ゲームに嵌り、徐々に社会的基盤や常識を見失ったとし、その観点から、芸術を論じている。それに倣おうというのが、私の試みである。
これに成功するならば、微弱ながらも、私と同じように、この日本も自滅すると自覚する人間が生まれるのではないか、そんな淡い期待をして、私は筆を走らせたい。
先日、諸用で大垣行き東海道本線の電車に乗ると、10年ほど前に関西0世代として持て囃されていたバンドの女とたまたま乗り合わせた。相変わらず、リストカットの跡が生々しく、プリキュアか何だか分からぬが、女児用のアニメキャラが描かれたTシャツ、下には寝間着の様なものを履き、ボロボロのスーツケースを枕にうつらうつらしていた。社会不適合の私も人のことは言えないけれど、この女もそろそろ40に差しかかろうとしているのに、年齢を経ることを放棄した哀れさがその姿、風貌から強く感じられてかなわなかった。まだ救いがあるとしたら、童顔であることくらいだろう。しかし、いつか人は老いて、その醜悪さから逃れられない。
少しばかりインディーズバンドにかぶれていた若い頃、私もいろんな媒体から情報を取ったり、デモテープ等を聴いたりしてみたが、彼らの作品に一貫しているのは、自己完結する歌詞のなかからもわかるように甚だしいほどの自閉的な兆候であり、パンクやフォークのようにわや、人と人を有機的に繋ぐ役割がないといえるものであった。共感もできず、ただこれらの事情に通じていたいという邪な感情でライブハウスに足を運ぶ、それが当時、恐らく多くの人が持っていた思いではなかろうか。本音を言えば、私は彼らの音楽に本当は興味などなかったのだ。それに彼らの個々の作品には個々の価値基準というものがあってそこを理解してくれと彼らは歌詞からも音楽からも暗示しているように、私には思われ、参加している読書会や文学同好会で、趣味の悪い私小説を読まされている、そんな気まずい気分で、彼らの演奏を聞いていた。
ギターのハウリング、歪んだベースの振動、スネアドラムの破裂音、雄叫びのようなボーカル、聴いているだけで耳が痛くなり、はよここから出たいと、何かと理由をつけ、ライブに同行していた友人をちょろまかし、自室で好きな音楽を聴きながら、タバコを吸うか、大学の社会学部の落し物箱から拾った古典の本を読むかして、売春街や西成のドヤ街を散策する、それが私の青春の大部分を占めていた。永井荷風のように一冊の本を片手に市バスか阪急電車に乗って街をぶらつく、音楽よりもそちらの方が私の気性にはあっていたようだ。
当時、本ばかりを読み焦る耳年増な私であったから、早熟ながらも、小林秀雄や福田恆存等の評論の論旨に敷衍して物事を考える癖がついており、やはり自室で一人、彼らインディーズの演奏に思い返すと、個性と特殊性を履き違えたものだと結論せざるを得なかった。
画家のゴッホが偉人であったのは、彼の持病であると考えられた精神疾患を絵画の中で普遍性に耐えるものへと昇華したことによるもので、ゴッホ自身、自分の気狂いという特殊性を忌み嫌っていたことは彼の書簡や弟に宛てた手紙からも明らかである。葛飾北斎も同様で絵の世界の中で自身の狂気を封じ込めること、それに成功したからこそ、彼の作品は偉大であったのであり、なにも北斎の放埓な生活習慣が偉大であったわけではないのだ。
このあたりを勘違いして、形から入り、気狂いのように振る舞う馬鹿が大勢いるのはどうしてだろう。その多くは、自分がまともではない、まともな社会生活を送れないなどの言い訳をそこに見つけたいという思いがあってのことだろう。それか、世間に受け入れられるべき人間であるのに
どうして弱者でいつだって辛酸を舐めなくてならないのかという苛立ちからか。
いずれにしても過去に名を馳せたミュージシャンとは違い、個性を自身で発掘する野心は、彼らからは感じられない。だって自分の作品に自分たちだけの価値基準を設けている限り、普遍性を持ったものを作り得ないのだ。
現在、日本の国会等でまともに��論が行われていないのもこれと似たような現象ではなかろうか。つまり価値基準を共有していないがため、我々はその時その場面その場所に合わせて常に考え方の軸の変更を強いられている。
互いの主張が、「自分の現実はこうだ」と、価値基準がバラバラの主張を繰り返し、互いに反目するか、若しくは、意思決定が、ある特定の人たちに有利な形で進められているかしている。
民主主義とは価値基準の共有が危うくなればなるほど、専制政治へと傾きやすい。したがって経済格差や世代間の思考の隔たり等を政治がなるべく是正する必要は、民主主義の場合だと、尚のこと重要になる。
普遍性、政治の場合だと、時間の経過に耐え得る政治決定が、現在、ほぼ不可能となった。ー「今だけ、金だけ、自分だけ」ー 米英と中共の代理戦争の体を成している香港でのデモを見て、未だに、日系企業は呑気に中国への投資を続けている。ーこれだけ見ても、今の日本人の意思決定が価値基準が曖昧なまま行われていることは明らかである。このような事態を放置していると、恐らく50年後くらいには日本は中国の勢力圏に入っていくと思われる。ー
例えば、経済政策が典型的だが、小泉純一郎氏が、特定郵便局等の、かつての共同体や組合や派閥をぶっ壊したばっかりに、政治的な意見を各々の共同体で集約することが不可能となった今、個々の政策が、力のある者(今だと経団連を始めとする財界)の意図が大きく、国会や内閣、省庁で反映される有様で、弱者や利害関係者の本音を汲み取れていない。また、価値基準が曖昧なままとなり、後々、問題をより悪化させている事態を引き起こしている。
たしかに世間を疎ましく思う気持ちは良くわかるものの、理解されない、受け入れられない苦しみの原因は、こうした政治的社会的な要素に見出すべきで、芸術とは無関係であると私は思う。
この長期デフレ、財界と大手マスコミに乗っ取られた政治と文化、理不尽な自己責任論を吹聴し押し付け、分断されゆく社会ー彼らインディーズはもっとこれらに着目すべきだった。そしたら、きっと特殊性と個性を履き違えた馬鹿げたパフォーマンスなんてする必要はなかった。しかし、彼らインディーズは、社会的政治的要因に自身の不条理な現実を見出すことは決してなく、どころか、個性を磨く野心さえも捨て、奇抜なパフォーマンスに終始して自閉的な世界に留まっている。これこそ日本文明の自滅の現れではないか。そう、起きている現実の問題から目を背け、ひたすらに、有機的なつながりを捨てて、自己完結する世界にどっぷり浸かる、その果てにあるのは、ミシェルウェルベックやボーヴォワールが書いた世界、つまり虚無しかない。
文化���そ虚無の防波堤だと私はそう信じているが、その文化の一部を形成するインディーズ界隈が、個性を見つける野心を捨て、特殊性ばかり強調して虚無しか生み出さないのは、それこそ自滅行為に近い。それに彼らの作品が時代の経過に耐え得るとはとても想像し難い。
かつて小林秀雄がどこかの大学の講演で言っていたように、実際は、自身の特殊性をどのような場合にあっても克服することでしか、普遍的な個性を勝ち得ないのだ。
従って、音楽で大成するには、いつの時代も自身の特殊性を乗り越えて、普遍性に堪え得る個性を如何にして手に入れるべきか考え実践することが大きな課題であると徐々に分かってきた私は、自身の無能さと自閉性に呆れ返り、そそくさと自分の持っていたギターを質屋に入れたのだった。
正直に言えば、音楽に夢中になっている人々、とりわけ自身の特殊性を躍起になって誇示する人々との関わり合いこそ、私には無益であり有害と考えたのだ。
それから10年ばかりの時を経て、東海道本線大垣行きの電車でそのインディーズバンドの女と隣り合わせたのだった。
名古屋駅から尾張一宮駅までの間、彼女は、ひたすらiPhoneを握りしめ、通知が鳴る度に、眠気を堪えて、操作をし続けていた。人のことなど興味がないように思われた。
彼女の動かす右腕のリストカットの跡、それらは大きく膨れ上がっており、とても正視できるものではなく、私はそれを見て、毎日ライブだの何だのをやり通しで如何にも充実しているように見えたこの女の哀れさは相当なものだと思うた。必ずしも得られやしない麗しい青春めいた喜びを絶えず求め、年をとることを拒否する虚しさ、切なさ…、思いを巡らすとキリがない。
私がふと、視線を落として、プリントされたキャラクターが薄汚く擦り切れた彼女のTシャツを見たとき、全てを悟った。
ーこの女の行き着く先には、虚無以外何もないー
もう駄目だった。
尾張一宮駅で私が降りようとしたとき、彼女はこう口を開いた。
「見たことあると思えば、10年前、難波かどっかで、あっしと呑んで、言い争いした事、あるよな」
「うん、でももうそれはいいじゃない。過ぎたことやよ。」
あまりに単調で退屈な会話だった。
「名古屋でライブするんよ。だから…」
彼女がそう私を誘いかけた時の目は、灰色に曇って、その視線はどこか虚しく漂い、悲しそうだった。
音楽は、彼女にとって虚勢をはる道具に過ぎず、ただそれはこの女を焦燥に駆り立てる、そう思い、ただ、私にはこの女を安心させるだけの抱擁を誰かがしてくれることを祈るしかできなかった。
私はきっと彼女が行う名古屋でのライブには行かないだろう、それが賢明だ。
3 notes · View notes
cvhafepenguin · 6 years ago
Text
ミコとマチ
 リビングで目が醒めた瞬間あわてて手元のスマホで時間を見た。5時31分、やばい、40分には家を出ないとバイトに遅刻する。渾身のスピードで歯を磨いて顔を洗い自室に駆け込みばたばたとスウェットを脱ぎ床に脱ぎっぱなしの縒れたデニムを穿きYシャツを全力で着て一張羅の苔色のカーディガンを羽織ってほとんど空っぽのリュックを背負う。化粧は諦めて大きめの風邪マスクでごまかすことにした。幸い原稿を作成してるうちに座椅子に座ったまま寝落ちしていたので髪は乱れていなかった。平日な���マチが起こしてくれるのに、今日は土曜日だから私の部屋の向かいの彼女の部屋で、マチは一週間分の疲れを取るべく昼までおねんねだ。私は「いってきます」とぼそっと呟いて全力でドアから飛び出しオレンジのチャリに跨がり立ち漕ぎで駆けた。早朝の澄んだ空気を抜ける冷たい風が私の全開のおでこに当たる。三月の霞がかった曖昧な風景を私は右、左、右、とぐっとペダルを踏んで追い越して行く。それにつれ眼がだんだんと冴えて来た。息を切らしぐんぐんと駅までの道を走りながら私は書きかけの原稿の続きのことを考え出していた。どきどきと小さな心臓が高鳴り血が巡り、私の身体に熱が漲ってくるのを感じる。まだ人がまばらな駅前のロータリーを抜け、高架を潜り、なんとか出勤時間ぎりぎりに店に着いた。ドアを開くとコーヒーの温かくて甘い香りがふわっと鼻を突く。これを嗅ぐと私の頭はたちまちだらしがなくてうだつの上がらないワナビー女から「「鯤」のウエイトレスモード」にかちっと切り替わる。「おはようございますっ」私は店に入るなり弾丸のように一直線にバックヤードに突っ込みエプロンを着る。「おー、毎度のことながら作家さんは朝に弱いねえ」店長の蓮さんが茶化す。「朝まだなんだろ?これ食っちまえ」蓮さんは厨房からカウンター越しに私にロールパンを投げ渡した。「いただきます」私は風邪マスクをぐいとずらし、拳大のそれを口に詰め込んだ。それから蓮さんに渡された水をぐっと飲み干す。「鯤」は駅前の喫茶店なので、平日は開店するなりモーニングをしにくるサラリーマンなんかがぞくぞくと来て大童なのだが、今日みたいな休日は最初の30分なんかはかなり暇だ。コーヒーにつけて出すゆで卵もいつもならあらかじめいくつか小皿に分けて置くのだけど、今日はカウンターのバスケットにまだこんもりと盛ってある。その光景はまるで平和の象徴のような安心感を私に与える。しばらく待っても客が1人も来ないので、私はトイレで簡単な化粧を済ませ、カウンターにかけて蓮さんが淹れてくれたアメリカンをゆっくりと飲んだ。「原稿はどんな感じ?」「うん、方向性はだいぶ定まってきたからあとはそれを形にしていくだけかな」「なるほど、ついに俺の息子がミコが手がけたゲームをやる日がくるんだなあ、あっ今のうちサイン貰っとこうかな、店に飾るわ」「蓮さんってば気が早すぎ」蓮さんはことあるごとに茶化すけど、芯のところでは私のことをそのつど気にかけてくれているのが私にはありありとわかった。嬉しいことだ。
 そうしていると、程なくして客がちらほらと入り出した。休日の朝は老人ばっかりだ。常連のみんなはお話し好きで、四方山話や身の上話を滔々と聞かせてくださる。いつものように私は給仕や食器洗いをこなしながらそれにふんふんと頷いた。でも頭の中は原稿の続きのことでいっぱいだった。先週、駆け出しライターの私に初めてクライアントからSNSのダイレクトメッセージで、ソシャゲのシナリオの執筆依頼が来たのだ。それは聞いたことないような小さな会社で、その依頼されたゲームも予算的にみてメインストリームに敵うポテンシャルがあるとはとうてい思えなかったが、なにせ執筆の依頼が来ることなんて初めてだったので、私は半端ない緊張ととめどなく沸いてくる意気込みでここ一週間ギンギンだった。原稿のことを考えると下腹のあたりがヒュンとする。これは誰もが知っているRPGのシナリオを手がけるという私の夢への第一歩だし、なにより、就職せずに創作活動に専心することにした私の決意が報われた心持ちだった。それはどう考えてもぜんぜん早計なのだけれど。とにかく、私は今とても浮かれていた。
 正午前あたりから客足が徐々に増しなかなか忙しなり、あっという間に15時になった。退勤まであと1時間だ。
「いらっしゃい。おっ荘くん」だしぬけに蓮さんの朗らかな声が厨房から客席に向け広がる。荘くんが来ると、蓮さんは私を茶化す意味でわざと私に呼びかけるような声音で叫ぶのだった。これもいつものことだ。
 私はお気に入りの窓際の2人がけのテーブルにギターケースをすとん立てかけて座る荘くんのところへ注文をとりにいった。心臓の音が高鳴るのが荘くんにばれている気がした。
「いらっしゃい、今日はスタジオ?いよいよ来週だね。」
「そうだな、あっ、チケット忘れんうちに今渡しとく」
荘くんにひょいと渡された黄色いチケットにでかでかと、
「jurar 初ワンマン!」と書いてあった。その楠んだチケットのデザインは全体的に少し古くさい気がした。
「ついにだね」
「うん、絶対に成功させるよ、やっとここまでこれたんだ。そろそろ俺たちもプロへの切符を勝ち取りたいな」
「うん、私応援してるから」荘くんの襟足から煙草とシャンプーの混じったえも言われぬ匂いがかすかに漂う。それは、ほんとうのほんとうに良い匂いだ。
「サンキュな、ミコちゃんも頑張ってるもんな、俺も負けてらんないよ。あっ、そうそう、そういえば…明後日柴さんにアクアマターのライブ来ないかって誘われたんだけど、ミコちゃんあのバンド好きだったよね、もし暇だったら一緒に来る?蕗川ビンテージだよ。柴さんももう一人くらいだったらチケット用意で���るから連れて来ていいって」
「いいの?行きたい!」
「よっしゃ、じゃあまたラインするわ」
「まじか…」私は心中でひとりごちた。まさかのまさか、こんな地味な女が荘くんにデートに誘われたのだ。注文伝票をレジに持って行き蓮さんのほうをちらと見てみた。すると蓮さんははにかみながらしゅっと素早く腰のところでガッツポーズを出した。私は心中でもう一度、「ま、じ、か…」と丁寧にひとりごちてみた。
 荘くんはブレンドを急いで飲み干して会計をし、「じゃあ」と去って行った。そうこうしているうちにやがて退勤時間となり、出勤してきた蓮さんの奥さんに引き継ぎをして、私はタイムカードを切った。「お疲れさまです」挨拶をして表口から店を出ると、スプリングコートのポケットに両手を突っ込んで含み笑いしているマチが立っていた。目が合った私たちはそのまま見つめ合った。一瞬、時間が止まったようだった。ピィ、ピィ、とけたたましい鳥の声が、狭い路地裏にこだました。
「オハヨ」マチは宣誓のように右手をしゅっと突き出してそう言った。
 マチの手は真っ白で、春のひかりをぼんやりと帯びていた。ぼんやりとその手を見ていると、なんだか眠くなった。
「マチ、何してたの?」
「さんぽ」
「起きたばっかり?」
「寝すぎちった」
 私は自転車を押してマチととぼとぼと散歩した。外は朝は肌寒かったけれど、今は歩いていると少し汗ばむほどの気温まで上がっていた。電線と雑居ビルたちに乱雑に切り取られた街の高い空を、鳴き交わしつつひっきりなしに飛び交う春の鳥たち、私たちはゆっくりと歩きながらそんな風景を見るともなく見ていた。
 私たちはそれぞれあたたかい缶コーヒーを自販機で買い、駅から少し離れたところにあるたこ(多幸)公園へたどり着いた。私とマチは予定のない天気のいい日にはよくここで何となく過ごす。
「そういえばさ」
「ん?」
「さっき店に荘くんが来てね」
「なになに?」ブランコに座っているマチは両足をばたばたとせわしなく蹴っている。
「「明後日アクアマターのライブに誘われたんだけど一緒にこないか」って」
「デートか!」
「そういうこと」
「やったー!」マチはブランコからたんっと飛び降りて両腕を上にぐんと伸ばして叫んだ。
「いや、誘われたの私だし」
「わがことのようにうれしいっ」
「よーし今日はなべだー」マチは私に背を向けて起き上がった猫のように盛大なのびをした。
「なべ、若干季節外れじゃない?」
「めでたい日は鍋パって相場がきまってるのよっ。ミコの恋愛成就を祝って今日は私のおごりで鍋だー」
「マチってば気が早すぎ」
私たちはスーパーでたくさん鍋の具材と酒とつまみを買って、大きなレジ袋を2人で片側ずつ持って帰った。2人でわいわい作った鍋は多すぎて全然食べきれ��かった。飲みまくって酔いつぶれた私たちはリビングでそのまま気を失い、翌朝私は風邪を引いていた。私がなにも纏わず床で寝ていたのに対して、マチが抜け目無く毛布を被ってソファーを独占していたのが恨めしかった。
 荘くんは待ち合わせの駅前のマクドナルドへ15分遅刻してきた。10分でも20分でもなく15分遅れるというのがなんだか荘くんらしいなと私は妙に感心した。「蕗川ビンテージ」は私の家の隣町の、駅のロータリーから伸びる商店街の丁度真ん中のあたりにある。私はこの街に来たことがなかったのでライブハウスまで荘くんが先導してくれた。風は強く、空は重く曇っている。商店街や幾本かの路線でごちゃごちゃしたこの街は、私とマチが住んでいるところに比べてなんだか窮屈な感じだった。前を歩くやや猫背の荘くんに付いて駅からしばらく歩くとやがて「蕗川ビンテージ」に辿り着いた。荘くんが「あそこ」と指を指してくれなかったら私はそれがそうだと気付かなかっただろう。「蕗川ビンテージ」はどう見てもただの寂れた雑居ビルだった。よく見ると、ぽっかりと空いたビルの地下へと続く入り口の前に「アクアマター」のワンマンの掲示があった。その入り口の前に、いかにもバンドマンといった出で立ちの5人の男女が談笑していた。若いのか、それとも私たちよりずっと歳上なのか、いまいち判然としない風貌の人たちだった。その5人はやって来た荘くんを認めると手を振り、荘くんはそれに応えて私をほったらかしてポケットに手を突っ込んだまま5人に駆け寄った。荘くんが1人の男の横腹を肘で小突く、するとその男は笑いながら荘くんにヘッドロックを決め、ほかの人たちもげらげらと盛り上がった。どうやら荘くんととても親しい人たちらしい。少し話すと荘くんは突っ立っている私のほうに戻って来た。それから私の手を引いて、地下への階段を降りて行く。荘くんが近い、かつてないほどに近い荘くんのうなじから、シャンプーと煙草が良い塩梅に混じった私の好きな匂いが漂ってくる。匂いはたしかに近いけれど、暗すぎて当の荘くんの姿がよく見えない。なにかがずれている気がした。私たちは、どこか歪な気がした。私たちが、というか私だけが明らかに場違いだった。「マチは今どうしているだろう、そろそろ帰ってる頃かな、晩ご飯は私がいないから今日は外食なんだろうな」好きな男に手を引かれているというのに私の頭に浮かんで来るのはマチのことだった。やれやれ。
 2人分のチケットを荘くんが受付の初老の男に手渡す、そして荘くんはまたその男としばらく談笑し始めた。「ちょっとお手洗い行ってくるね」と私はその間に用を足した。戻ってくると受付の前に荘くんを中心に人だかりが出来ていた。荘くんの周りにおそらく10人以上はいたが、その中の誰1人として私の知っている顔はなかったし、荘くんを含め、そこに誰1人として私のことを気にする人はいなかった。私はまるで透明人間にでもなったかのような心持ちだった。あそこで人の輪に囲まれ楽しそうに話しているあの人はいったい誰��んだろう。いつも「鯤」に来て親しく話してくれるあの人。私がいつか「アクアマター」が好きだとこぼしたことを覚えてくれていて、デートに誘ってくれたあの人。でも冷静に考えると当たり前のことだったのだ。界隈で突出した人気を誇る若手バンドのフロントマンの荘くんと、街の隅でこそこそと暮らしている私みたいな誰も知らない地味な女なんて、そもそもステージが違うのだ。私は知らないライブハウスの柔らかくて厚い防音材の壁にもたれながら、誰にも知られず夜空でひっそりと翳りゆく月のように、緩やかに卑屈になっていった。誰かここから連れ出してくれないかな、これがまさしく「壁の花」ってやつね。卑屈の次にやってくる自嘲。思えば幾度も覚えたことのある感覚だ。いままでに縁のあった男はみんな、折々こんな風に私のことをないがしろにした。
 ほどなくしてライブが始まった。ライブは、よかった。横にいた荘くんは頻繁に何処かへ消えた。たぶん、知り合いの誰かと話しに行っているのだろう。そう、ここでは私以外のみんなが知り合いなのだ。ライブの終盤、ストロボが瞬くクライマックスの轟音の中荘くんは強く私の手を握ってきた。私はそれを知らんぷりした。スモークの甘ったるい匂いがやけに鼻についた。ライブ自体は、本当によかった。
 外に出ると小雨が降っていた。荘くんはライブの終わりからずっと私の手を握ったままで、駅の方へ私を引いて歩いていく。私はなにも考えずにそれに従う。疲れて、頭がぼーっとしていた。商店街の出入り口のアーチの辺りで、荘くんは「じゃあいまからウチで飲もっか」と切り出した。私はまっぴらごめんだと思い「えーと今日はもう帰ろうかな、明日も朝早いし…」と丁重にお断りした。
「別にいいじゃん、ご近所さんなんだしバイトは朝、俺の部屋から出勤すれば」荘くんはしつこかった。
「いやーやっぱ何だか悪いしルームメイトもいるんで今日は家に帰ります。今日はほんとにありがとう」
 私は返答に窮して言い訳にならない言い訳を口走っていた。そのとき私ははっと息をのんだ。荘くんは怒っていた。彼の表情こそ変わらないが、私なんかにプライドを傷つけられたこの男が激怒しているのがわかった。
 それから突如荘くんは声を荒げ
「んだよ、俺とヤりたいんじゃなかったのか?」
 と今まで私が聞いたことのない荒荒しい声音で言い放った。そのとき私は頭が真っ白になった。私はこの人が何を言ってるのかわからなかった。信じられなかった。この人も自分が何を言っているのかきっとわからないに違いない。そうであってほしい、と私は願った。
 私はいつの間にか私の肘を強く掴んでいた彼の手をばっと振り切り、夢中で駅まで走った。後ろであの人がこっちに向かってなにか喚いている気がした。私はそれから逃げるために全力で走る。とつぜん視界��ぐにゃあと歪んだ。音のない雨は、いつのまにか本降りになっていた。頬を伝って落ちる生温いものが春の雨なのかそれとも涙なのか、わからなかった。
 マチは私に何も訊ねなかった。あの夜ずぶ濡れで帰ったきた私の
様子を見て何となく察したのだろう。お風呂から上がってきた私に何も言わずに中華粥を作ってくれた。荘くんはあの日以来鯤に来ることはなくなった。蓮さんは
「まあ今回は縁がなかったってだけさ。月並みな言葉だが男なんて星の数ほどいるんだぜ」と慰めてくれた。
 でもそれを言うならば女だってそうだ。それこそ私は荘くんにとって星の数ほどいる「都合のいい女候補A」にすぎなかったんだ。私はまた卑屈になっていた。このことをマチに話すと「処置無しね」の表情をされた。マチの「処置なしね」の表情。白いつるつるの眉間に少し皺が走りいたましげに私の顎辺りに視線を落とすこの仕草が私は密かに好きだ。ソシャゲの依頼はなんとか納期に間に合ったが、私は次の賞に挑む気力が沸かなかった。スランプに陥ってしまったのだ。なんだかどうしても力が入らなくて、私は湯葉のようにふやけてしまっていた。このままなんの意思も目的も持たず、たゆたうクラゲのように何処かへ攫われてしまいたかった。あの失恋で、まるで私とこの世界とを繋いで私を立たせているピンと張った一本の糸が、ぷつりと切れてしまったようだ。私は休みの日のほとんどを寝て過ごすようになった。
 私が一ヶ月以上もそんな状態だったので、放任主義のマチもさすがに見かねたらしく、「ミコ、餃子をやろう」と私に切り出した。パジャマの私はソファでクッションを抱いて寝転びながら「うぇえい」と曖昧に返事した、ミコが「マチはかわいいなあ」と言って後ろから抱きつこうとしてきたが私はそれをひょいと躱し、勢い余ったマチはフローリングでおでこを打ち「ぎゃっ」と叫んだ。そのとき私に被さったミコの身体はとてもひんやりとしていた。
 餃子の買い出しから仕度まで殆どミコがやってくれた。私はソファに寝転んで夕方のニュースを見ながらミコが手際よく餃子を包んで行くのを背中で感じていた。辛い時は甘えられるだけ相手に甘えるのが私たちの生活の掟なのだ。私とマチは、いまままでずっとそうやってきた。
「いざ!」待ちくたびれて私がうつらうつらし出した時にマチは意気込んで餃子を焼き出した。しゅわあと蒸気が立つ音とともに、むわっとした空気がリビングに立ち込めた。私は薄目でせかせかと餃子を焼くマチの背中を見ていた。「このまま帰りたくないな」そんな素朴な気持ちが不意に、去来する。私たちには他にいるべき場所があって、いつまでもこの生活が続くわけないのはお互い、何処かで理解していた。けれど私たちはそれに気付かないフリをしている。
 マチの背中って小さいんだなあ。そんなことを考えると何だか目頭が熱くなってきたので、私は寝返りをうち、狸寝入りを決め込んだ。クッションに顔を埋めてきゅっと眼を瞑っていると、まるで幽霊になって、空中を漂いながらミコのことを見守っているような、ふわふわと暖かくて寂しい気持ちになった。
「ほらほら引きこもりさん、餃子が仕上がって来たわよ。テーブルにお皿とビール出しといて」
「あいさー」
テーブルの皿に綺麗に連なって円になっているマチの餃子はつやつやでぱつぱつだった。マチは餃子の達人だ。マチよりおいしい餃子を作る女を私は知らない。
「じゃあ、餃子にかんぱーい」
「かんぱーい」
最初の一皿を私たちはあっという間に平らげた。
「じゃあ第2波いきまーす」
「いえーい」
マチは餃子をじゃんじゃん焼いた。私がもう食べられないよと喘いでも取り合わず焼きまくった。マチは何かに取り憑かれたようにワインを呷りつつ、一心不乱に餃子を焼き続けた。「餃子の鬼や…」私がそう呟くとマチはこっちを振り向いてにいっ、と歯を出して笑った。
 餃子パーティも無事に終わり、私たちはソファで映画を見ながらワインをちびちびと飲んでいた。
「ミコ、この映画つまらないね」
 マチがずっと見たいと言っていたから私がバイト終わりに借りてきてあげた映画だった。
「たしかに、脚本は悪くないけど演出が単調だね」
 マチは冷蔵庫から新しい缶チューハイを持って来てぐびと勢い良く飲んだ。それから酒の勢いを借りたようにこう言った。
「ミコ、屋上に行こうか」
 私は缶ビール、マチは缶チューハイを片手に最上階の廊下のフェンスを跨いだ。マチは私の手を引いて真っ暗で何も見えない中、屋上へと続く鉄骨階段を上がっていく。あれだけ餃子を焼いたにも関わらずマチの手は冷たかった。たん、たん、と微妙にずれたふたつのゆっくり階段を踏む冷たい音が闇の中密やかに響く。酒気を帯びたマチのにおいがする。なんだか懐かしいにおいだ。毎日のように嗅いでいるはずなのに。私はマチをぎゅっと抱きしめたかった。
屋上は無風だった。しんとしていて、まるで世界が止まったみたいだった。私たちの住むマンションは台地のてっぺんに建っているので、屋上からは街が良く見渡せる。酒の缶を持った私たちは並んで囲いの柵に凭れて、街の灯をぼんやりと眺めていた。不意にささやかな音で聞き覚えのあるイントロが流れ出した。最初はか細い月明かりのような調子のその曲は、やがて雲の隙間から抜け出して鮮烈な満月となる。
「Tomorrow never knows」
 私はこの曲を聴いた時にいつもこんな印象を受ける。いつかマチはこの曲のことを夜の森の奥で誰にも知られずに燃える焚き火みたいと言っていた。思えば、性格がまるで違う私たちを繋ぐきっかけとなったのはこの曲だった。
 
 あれは私がまだ大学一年生のときの冬だった。私はサークルの先輩に合コンに来てくれと頼まれて不承不承承知した。相手は同じ大学の違うサークルの連中だった。明らかに人数合わせで参加した合コンだ、面白いはずもなく、私はうんざりした。いつ「じゃあ私はこの辺で…」と切り出そうかずっと迷っていたが、二次会のカラオケにも流れで行くことになってしまった。そしてそのカラオケに遅れてやって来たのがマチだった。先輩の説明によると、マチは男側の知り合いだそうだ、それで先輩とも面識があったので呼ぶ運びとなったのらし���。部屋に入って来たマチを見て私は「きれいな女の子だなー」とうっとりとした。マチは空いていた私の横にすとんと座った。思わず頬が緩むようないいにおいがした。スキニーを穿いた華奢な脚のラインが綺麗で、横に座っていると、私の若干むくんだそれと比べずにはいられなかった。マチは終止にこにこしていた。男たちは明らかにみんなこの場で一番綺麗なマチを狙っていた。私は半ばいやいや参加したとはいえ、やはりみじめな気持ちだった。下を向いて鬱々としていると私にマイクが回って来た。あまり歌は得意ではないのだが…と思いつつ私は渡されたマイクを掴み、ええいままよとミスチルの「Tomorrow never knows」を歌った。歌っている時にマチがじっとこっちを見ていたのを不審に感じたが私は気付かないふりをして歌いきった。合コンはつつがなく終わった。解散してターミナル駅のコンコースを歩く私たちの集団は1人ずつ空中分解していき、やがて私とこの初対面で良く知らないマチという女の子だけが残った。私たちは無言で微妙な距離を保ちながら並んでしばらく歩いた。
「私って合コンとか苦手なんだ~」やにはにマチが間延びした調子で呟いた。それからふわあと大きなあくびをした。私はその様子を見てなんて美しいひとなんだろうとうっとりした。合コンのさなか、表面上は取繕っていたが、明らかに退屈そうにしていたのも見て取れたので、私はマチに好感を抱き始めていた。
「なんか私同世代の男の子って苦手だな、何話したら良いかよくわからないし」
「私もああいう場は少し、苦手」
「ねえ、お腹空かない?」
「ちょっぴり」
「ラーメンでも食べにいこっか」
「うん、いいよ。この辺?」
「うん、北口からちょっと歩いたところにおいしいラーメン屋があるんだ。塩ラーメンなんだけど、大丈夫?」
「大丈夫、塩ラーメン好きだから」
「それではお嬢さま、エスコートいたします。」
 とマチは腰を落として片足を後ろに引く紳士の挨拶のポーズをした。
「で、では、よろしく」
 私もコートの腰のところを両手でつまんで膝を曲げ淑女の挨拶でぎこちなく応じる。
 私たちは改札の前で踵を返し、ラーメン屋へと向かった。
「ミスチル、好きなんだね」
「うん、親の影響なんだけど」
「私も好きなんだ。だから、君がさっき歌ってたとき嬉しかった。周りに音楽の趣味が合う人がいなくってさ、ミスチルとか今の若い人もうあんまり聴かないもんね」
「うん、カラオケとか行くとみんな今時の曲ばっかり歌うもんね。特に合コンなんかだと顕著」
「男も女もなんだかんだ言っても最終的に画一性を自分に強いたほうが楽なのだということなのかも知れんね。ところで君、名前は?」
「私はフジサワミコ。あなたは?」
「私も名前二文字なんだ。湊マチ」
「みなとまち」
「マチでいいよ」
「わかった、私のこともミコって呼んでよ」
「そうだ、ハタチになったら一緒に飲みにいこうよ。ライン交換しよ」
 
 それがきっかけで私たちはことあるごとに2人でつるむようになった。私がこっぴどく振られた時も、マチの就活が難航を極めていたときも、いつも酒なんかを飲みながら互いに慰め合った。ルームシェアをしようと言い出したのはマチのほうからだった。それは私が就職を諦め夢を追うことにするとマチに打ち明けた次の日だった。
「私はミコがどんなでもそばにいてあげるよ」
 マチはことあるごとにこんなことを言うのだった。
「どんなのでもって、もし私がアメーバみたいな真核生物でも?」
「アメーバでも好きだよ」
「私も、マチがアメーバでも好き」
 赤ら顔の私たちは屋上で「Tomorrow never knows」を歌った。
「はーてしなーいやみのむーこうへーおっおー てをのばそー」
呂律の回らない舌で私たちは叫びながら柵の向こうへ両手をぴんと伸ばした。伸ばした指の先に、滲んでぼやけた街の灯りたちが、きらきらと輝いていた。
 
 私はそのプロポーズを受けることにした。相手は麗さんという人で、マチの紹介で知り合った10歳上の高校の生物の教師だった。マチはあの失恋以来落胆している私を励ますために、荘くんとは真逆のタイプの男を紹介してくれたのだった。交際は、以前の私ではとても考えられないくらいにうまくいった。私は素敵な男をあてがってくれたマチに心の底から感謝した。彼はとても良く尽くしてくれたし、私も彼のことがとても好きだった。彼と付き合い出してから、彼の家に泊まって部屋に帰らないこともしばしばあった。そして私と対照的にマチはその頃からだんだんと不安定になっていった。なにかといらいらしてたまに私にあたるようになったのだ。私は何故そうなったかマチに聞くこともなかった、何となく察しがつくだけに余計聞く気がしなかった。喧嘩も私が帰らなくなった日のぶんだけ増えていった。
 ある日3日間麗さんの家に泊まってから帰ると、私の部屋のものが全部廊下に放り出されていた。
「なにこれ」私はこっちを振り向きもしないリビングでソファにかけてテレビを見ているマチに問いかけた。
「もう出て行くのかと思って部屋を片付けといてあげたよ」
「ばかじゃないの?ほんとガキだね」
 なんてみっともないんだ。私にいつまでもこだわって、ばかばかしい。
 ずかずかと歩いてリビングに入ると不意にマチが振り向いてこっちをきっと睨みつけたので私は立ち竦んでしまった。
「ミコ、ミコの夢は、努力は何だったの?なんで…そんなに簡単に諦めるの?」
 マチの声は掠れていた
「前にも言ったけど私には才能がないんだしもう筆を折ったんだよ」
「なんでも手に入れることのできるマチには私のことはわからないよ。知ったような口を聞かないで」
 私はいつしか心の何処かで自分の夢と、マチから解放されたいと思い始めていた。
「そういえば言ってなかったんだけど私あの人にプロポーズされたんだ」
マチはまたテレビの方を向いて石像のように固まって何も言わなかった。
「おめでとうとか、ないの?」
マチは依然としてだんまりだった。
 そのとき、私の頭のなかでぐわん、という音がした。誰かに後頭部を殴られたような衝撃だった。それから涙が、とめどなく溢れてきた。私は泣きながら廊下に放り出された荷物を出来る限りまとめた。それから麗さんに電話をしてワゴンを出してもらい部屋の私の家具や持ち物を全て、3往復して麗さんの家に運んだ。それっきり、あの部屋には二度と戻らなかった。それはあまりにもあっけない幕切れだった。麗さんは「人のつながりなんて、そんなもんさ」とやけに達観した口ぶりで私を慰めてくれた。3ヶ月後に披露宴の招待をマチにラインしてみたが既読すら付かなかった。
 
 「もう、終わりにしよう」
 別れを切り出したのは英治のほうからだった。英治はセックスが終わってしばらくして呟くようにそう言った。実のところ私は、英治のほうからそう言ってくれるのをずっと待っていた。いかにも安ラブホテルの調度品といった感じのチープなガラスのテーブルの上の、パフェ皿の底に残って溶けたソフトクリームがピンクの照明を反射しててらてら光るのを、私は裸でシーツも被らずに茫然と眺めている。英治がシャワーを浴びる音が聞こえる。英治が上がったら私もシャワーしなくちゃ。…どうしてこうなっちゃったんだろう…どうして。やにわにテーブルに起きっぱなしのスマホが震え出した。ガラスの上でがちゃがちゃ騒ぎ立てるそれに私はいらっとして。ぱっと手に取った。その画面には「麗さん」と表示があった。
「来月の裕太の体育祭どうする」
 メッセージの内容はこれだけだった。私はスマホの画面を暗転させて枕元にぽんと投げ捨てベッドに潜り込んだ。麗さんと英太にはもう一年以上会っていなかった。毎日仕事漬けで夫と子供を捨てて出て行き、愛人と日中に安ラブホにしけこんでいる私のような女が今更どの面下げて元伴侶と息子に会いに行けばいいんだ。いやだ、このままなにもしていたくない。この地の底のような穴ぐらで、誰にも干渉されずにずっと踞っていたい。
「ミコ、ミコ、ミーティングに遅れちゃうよ。起きて」
そうだ、私は次の作品の企画ミーティングに行かなければならない。何せビッグタイトルのナンバリングだ。集中しなければ。
ミーティングはかなり難航したもののなんとかまとまった。私も英治も、いつものようにメンバーに振る舞った。私たちの関係に気付いている人は、どうやら1人もいないようだった。帰りがけに私と英治は小さな居酒屋に寄った。ここは私たちが関係を持ちだしたころ英治が教えてくれた店だ。
「今度のプロジェクト、うまく行くといいな」英治は燗を呷って少し上機嫌になっていた。昼間のラブホテルでの言葉を取繕うためなのかもしれない。
「なんたってミコには実績があるもんな。大丈夫、ミコならこの先一人でもうまくやっていけるさ」
「聞きたくない…」
「え?」
「「聞きたくない、そんな言葉」」
 私は思わずそんなことを口走りそうになったが、かろうじてそれを飲み込んだ。
「英治はどうなの」
「どうって?」
「この前も辞めたがってたじゃん。この仕事、自分に向いてると思う?」
 そうだ、私が英治の仕事や家庭の愚痴を聞いてあげるようになったのがこの関係の始まりだった。
「うーん…向いていようが向いてまいが、俺にはやるしかないな。やっぱり何度も言ってるけど、自分の夢のために邁進してきたミコと俺はスタンスが違うよね、それに俺…」
「俺?」促しても英治は先を言うのを躊躇うので私はいらいらした。握りしめた水割りを私はぐいっと飲んだ。
「俺…2人目ができたんだ…」
「ふうん、��めでとう、ね」
「そうなんだ、だから、この関係もそろそろ潮時なのかなって。」
 私はカウンターに万札を叩き付けて店をあとにした。なにも英治に腹が立った訳ではない。私は全てがいやになってしまったのだ。夢も、仕事も、家族も。
「違う…私は…私は…」
 私は無意識にそう呟きながら明後日の方向へ駆け出していた。後ろで英治が私を呼びかけながら付いてきていたが私はその声がしなくなるまで走り続けた。走って走って、私は知らないバーに駆け込んだ。それからジャックダニエルのロックを注文した。なにも考えたくなかった。ぼうとそれをちびちびなめていると、やにはにスマホがポケットのなかで震えた。英治がなにか取繕うためのメッセージを送ってきたのかと思い私はうんざりしながら画面を見た。しかしそこに表示されていた名前は「英治」ではなく「マチ」だった。
私は反射的にスマホをカウンターに伏せて置いた。そしてウイスキーを飲み干しておそるおそる画面をタップして内容を確認すると。
「久しぶり、突然ですみません。今度会えませんか。」とあった。
私は胸がざわざわした、けれどもう何も考えないことにした。すぐにマチに「いいですよ」と返信した。
 待ち合わせは2人が分かりやすい場所が良いとのことで「鯤」にした。私は待ち合わせの時間より少し早くに鯤に来た。
「いらっしゃい。おお、ミコ」
 蓮さんは最近白髪が増えたものの相変わらず元気だった。私は鯤には昔のなじみで今でもたまに来るのだ。
「ごぶさたじゃないか。仕事忙しいのか。なんか、顔が疲れてるぞ」
「うん、ちょっと最近いろいろあって、でも大丈夫だよ、ありがとう」
 蓮さんはいつでもぶれずに蓮さんなので話していると私は安心する。蓮さんって私にとってオアシスのような人だ。
「今日ね、マチと会うんだ。ここで待ち合わせしてるの」
「マジで!すごいな、何年振りだ?��
「10年振り…」
「そうか、あれから10年も経つのか…なんかあっというまだな」
「うん、いろいろあったね」
本当にいろいろあった。でも、私とマチの時間はあの時のまま止まっている。私が部屋を飛び出したあの日のまま…マチはいったいどうしていたのだろう。
 私は緊張してテーブルにかけて俯いていた、しばらくしてドアに取り付けたベルがからん、と鳴った。顔を上げると、入り口��スプリングコートを着たマチが立っていた。そのシルエットは背後から射す春の陽射しに象られていた。
「おおお、マチちゃん!久しぶりー!」
「マスター、お久しぶりです。」
「相変わらずべっぴんさんだね。ここに2人がいるとなんだかあの頃に戻ったようだな。ゆっくりしていってな」
「マスターも相変わらずみたいで。ありがとうございます」
マチははにかんだように微笑みながら、私の向かいに掛けた。私は気恥ずかしかった。何を話したらいいのか全くわからない。マチもそうなのだろう。ずっとそわそわして後ろを振り向いたりしていた。私はマチが少しだけふくよかになっていることに気が付いた。
しばらくしてマチが話し始めた。
「最近いろいろあって考えたの…私どうしてもあのときのこと謝っておきたくて…寂しくてミコを傷つけることしかできなかった。ミコがいないとだめなのは自分のほうなのに、そして、そう思えば思うほど心細かった。こんな風にミコを呼び出して謝るのも独りよがりだけど。どうしてもそれだけは伝えたくて、ほんとにごめんね、ミコ」
そう言ったマチの眼から涙がひとすじ流れ落ちた。
 そうか、みんな寂しかったんだ。私とマチだけじゃない。麗も、英治も、それから荘くんだって。ミコの涙を見て私のなかで何かがはらりと落ちていった。それはたぶん、いつの間にか私の心に巣食っていた「あきらめ」のようなものだった。
「いいんだよ、マチ、もういい」
「あ、あり、ありがとう、ミコ、うわーん」
 マチはぐしょぐしょに泣いてバッグから出したハンカチで顔を抑えていた。ほかの客もびっくりして、カウンターに掛けているおばあちゃんも「あれあれ」と茶化してきた。私もつられて泣きそうになったがこらえてマチの手をとって店の外へ出た。
 私は泣き止んできたマチの手を引いてしばらく歩いた。
「見てマチ、ここのスーパーでよく買い物したよね」
「あっこの公園覚えてる?よくブランコ漕ぎながら酒飲んだよね」
 マチは鼻をすすりながら「うん、うん」と相槌をうつ。
春の気持ちのいい暖かい風が、懐かしい気持ちを呼び起こす。マチの手は、あの頃と同じで冷たい。
 私はマチの手を引きながらマチとの部屋を後にしてからのことを吶吶と話した。結婚して間もなく、昔穫ったグランプリの作品を目にしたディレクターに大手ゲーム会社のシナリオライターとして抜擢されたこと…麗さんとの子供が産まれたこと…仕事が多忙なのが原因で離婚したこと…仕事が忙しすぎて疲れていること…同僚の不倫相手との関係が終わったこと…
 マチは私のところどころくすりと笑いながらただ聞いてくれていた。
「ぜんぶミコだね」
「え?」
「恋愛でポカするのも、仕事や夢に疲れて参っちゃうのもぜんぶあの頃と同じミコだ。ミコは私が知らない間もミコをやってたんだね」
「たしかに、全部わたしだ。わたしらしい…わたし」
 そしてマチもずっとマチだ。あの頃と同じ、強い肯定も否定もせずただ私に寄り添ってくれる。そんなマチを見ていると今日の朝までずっと私を苛んでいた罪の意識や漠然とした憎悪が緩やかに解れていった。
「ねえマチ」
「ん?」
「屋上に行かない?」
私たちの住んでいたマンションはまるでタイムスリップしたかのようにあの頃と同じで、どこも全く変わっていなかった。
 いけないことと知りつつ、私はマチの手を引きそうっと忍び足で、屋上への階段を昇る。
 私たちは昔のように並んで囲い柵によりかかり街を見渡した。
「どこもかしこもなーんにも変わっていないね」
「そだね、あ、でも私は少し変わったかも」
「どんなところが?」
「私、結婚するんだ。式は挙げないことにしたんだけど。それでね、今お腹に赤ちゃんがいるの」
「え?」
私は不意をつかれて唖然とした。
「何ヶ月?」
「3ヶ月」
「えーっと…夫さんはどんな人?」
「優しい人だよ、今の職場で知り合ったの」
「おめでとう、マチ」
「ありがとう、ミコ」
私たちは手を繋いだまま顔を見合ってくしゃっと笑った。
「これ、覚えてる?」
 私はスマホのプレーヤーを開いて再生をタップした。
「うわ、懐かしい、私今でも聴いてるよ」
「私も聴いてる」
 あの夜この屋上でマチと一緒に歌った…そしてマチと私を繋ぐきっかけになったこの曲。
「Tomorrow never knows」
 私たちはあの頃を思い出しながら小さな声で一緒に歌った。これまでと、これからの全てが、発酵するパン生地みたいに私のなかでふわり広がって行った。
 心のまま僕は行くのさ、誰も知ることのない明日へ
 そうだ、私とマチは私とマチのままで、あの頃のような万能感はなくともしっかりと歩いて行くんだ。癒えない傷を抱えながら。あらゆる柵に絶えながら。
 私たちの目の前には、霞がかってぼやけたなんでもない街が広がっていた。
4 notes · View notes
crydayz · 6 years ago
Text
190503 EXTRA
インスタ界隈の脳内お花畑低リテラシーっぷりはTwitterの比じゃないと聞く。見栄えの為だけに食べ物撮影して食べずに捨てるうんぬんから始まり、フォロワー買いうんぬん…
数年前は写真を載せるのが基本だと思っていたけど、��やグラフィックデザインだけでも全然いい風潮になってるみたいなので、少しやってみようかな、という気分。
WEBでのヒエラルキーにおいてはTwitterよりも上位に位置するものだろう? インスタは。数字のデカさを見ていれば分かるし、なによりビジュアル主体だから国籍無関係に繋がっていく感が、いいのかな。
全然いいとか思ってないやテキトー。でもけっきょくTwitterでも喋らない方向、FANBOXですらライト層に対しては本音見せない方向になってきたので、これ、インスタとスタンス変わらんな、と。
コミュ障っぷりを逆手にとってスカした態度で絵だけ上げてた方が、とにかくいいんだ。虚しいが。
虚しさを埋める為の足掻きって、兎にも角にもダサい。人間臭っ!!て感じ。匂いがキツすぎる。
まあ、その臭みが好きだが… 大好物、だが!
あー臭い、あークラクラする、好き。そのスメル。そのような悪趣味さの片鱗を大昔から石野卓球には感じていたが、瀧逮捕後の彼の振る舞いは正に人間。
半分どころじゃない、200%人間だもの、だよ。臭いッ!臭すぎるッ!
い~いスメルだ。
でもほとんどのヒトからしたら「嫌」でしょ。僕からしてみたら凄く正直で潔い態度だけど、クラブカルチャーをクールなものと認識していたい人々からしたら、嫌な振る舞いでしょ。僕の中でも「あーあ」感というのは当然あり。
しかし、卓球が(まあ、もう50過ぎだし何やったっていいっていう開き直りも多分にあるだろうけど)ああいう態度を取っている事に自分の中の悪辣さへの負い目が少し減っているという事実もあり。救われているのは間違いない。
僕も確実に誰かを救っているだろう(反面教師的な意味で)。
嘘をつくのが下手というか「そこまで正直にならんでも…」という身も蓋もない事を堂々と言ってのける人々に僕は今まで何度も救われてきた。
滅茶苦茶な時は誰もフォローできないくらいに滅茶苦茶、締めるところは生半可なカッコつけ野郎の2倍はクール。
もちろん、イアン(DR)だって未だにそのスタンスではあるだろう(SNSではかなり気を抜いてるみたいだけど)。出力物や個展(あくまで展示写真を観ただけだが…)のクオリティには文句をつけようがない。
そーゆーバランスがいいや。楽だしな。憧れの先人のだらしなさに、習おう。 って事で嘘つきカッコつけインスタ始めます
CLAP
2 notes · View notes
takeru822 · 6 years ago
Text
3/9(土)MOURN 大阪公演 開催実現の舞台裏
■はじめに このブログを書き起こすに当たって私はいささかとまどいを覚えている。ほかでもない。 私は如何にいやらしい印象を読者に与えずに本ブログの主人公”MOURN”の大阪公演のチケットを買ってもらう気にさせるか、いささかビジネスライクな気持ちがあるからだ。 ”アート”と”ビジネス”。個別でみればそこには相反する部分もあるが、両立をしないと継続していけないものでもある。その意味では、いっこうにはっきりせぬ、つかみどころのないものである。もっとも現代のような時代に、こうした事象に明快さを求める方がおかしいのかもしれぬ。ただ一つ、まあ、かなり確実な点といえば、MOURNが正しくカルチャーの継承者として勝者であることだ。しかし、そうした勝者は世の注目を引くよりもむしろ損なうこともある。特に、だれもが個々の現象を総合して、全体の混乱の中にせめて何らかの普遍的な意味を見出そうと志しているような時代にはなおさらのことだ。そしてその最大の犠牲者となっているのは日本の若者たちかもしれない。 困った。本題に移るタイミングが分からない。 この問題の解決に窮したので、私はいっそ何の解決も出さずにこのまま続けることに決めた。もちろん明敏な読者(リスナー)は私がそもそもの最初からそういう肚でいたことを、もうとうに見ぬいて、なぜ私が意味もなく空疎な言葉や貴重な時間を費やしているのかと、腹を立てておられるに違いない。それに対してなら、私はもう、きちんと答えられる。私が空疎な言葉や貴重な時間を費やしたのは、第一に、礼儀の念からであり、第二には、やはりあらかじめ何かしら先手を打っておこう、という老獪さからである。このブログを読もうが読ままいが、MOURNの来日公演に行く価値があるかどうか、読者(リスナー)が決めてくれるだろう。もちろん、だれ一人、何の義理もないのだから、ここでブラウザを閉じて、ノスタルジイに還ってくれても結構だ。 お気づきであろうか。このブログのまさにこの導入部分。ドストエフスキーのカラマーゾフの兄弟のそれをもろパクリしている。私には文才が無い。それも予め承知して欲しい。そしてタチの悪いことに、自分で書いていて何を書いたのか自分でもほとんど理解できていない。 これで前置きは全てだ。こんなのものは余計だという意見に、私は全く同意だが、すでに書いてしまった以上、このまま残しておくことにしよう。 それでは本題に移ろう。
youtube
MOURN - Irrational Friend
■2019/3/9(土)MOURN OSAKA GIG @CIRCUS OSAKA 先日お知らせをした通りで4月半ばに関西を離れ東京へ戻る。 関西で過ごした2年半の間に、尖っていることが“美学”として許された(?)20代はとうに終え、現在31歳の適齢期。30代のリアルは老後の生活への不安だ。 2019年1月。 飛び込んだのはスペインのMOURN来日のニュース。 MOURNといえば2014年にアルバム”MOURN”でデビュー。DIIV���Mac DeMarcoを輩出したUS名門インディレーベルのCaptured Tracksとも早々に契約を掴み、同レーベルから同作を2015年2月にリリースした。
youtube
MOURN - Otitis 当時10代のメンバーで構成されたとは思えないクオリティの高さがあり、インディロック界隈からは瞬時に評価された記憶がある。売り切れる前にBIG LOVEへレコードを買いに行くのに必死だったあの時を思い出す。
その後2枚目のフルアルバム”HA, HA, HE.”を出したり精力的に活動をしていたものの、知名度という面では伸び悩んだ感も否めない。同じスペインから同時期にデビューしたHindsと比べると尚更そう感じる。 しかし、昨年リリースされた3枚目のフルアルバム”SORPRESA FAMILIA”。その完璧な内容から個人としては2018年ベストアルバムにも選出。昨年10月にたまたまイギリス旅行をする機会があり、その日程にMOURNのUKツアーがあることを知り歓喜の涙を流したのである。
Tumblr media
2018.10.22 @The Green Door Store (Brighton, UK)
youtube
MOURN - Barcelona City Tour 話を戻そう。 2019年1月。飛び込んだのはMOURN来日のニュース。 ここで公演情報としてあったのは“東京ONLY”という事実。 分かっている。自分が過ごした関西での2年半。もはや幾度となく喰らったフレーズだ。 各音源の売れ行きやストリーミング配信での再生回数等がアーティストやイベンターへの収支見通しの指標。 そこでの判断かは分からないが、海外アーティストが来日となっても、東京公演のみの開催が多くなっていることの背景はそうした事情を察するのが自然だ。 大阪公演が無いことは本当に残念だった。 気持ちを供養させたかったのか、自分はこのようなツイートをした。
Tumblr media
数時間後、一本のLINEが入る。BYE CHOOSEのかたしょからだ。 「おつかれさまです!Mournの件ですが、僕もほんの少し関わってまして、話してみることはできますよー!」 これが全ての始まり。 かたしょ経由で招聘元のDUM DUM LLPに話を聞いてもらうことにした。 簡潔に言う。 3/9(土)にライブハウスと諸々の条件を準備できたら可能性はある。とのことだった。 世のイベンターにとっては承知の事実であるが、土曜日のライブハウスは半年前ぐらいには既に埋まっていることも多いほど予約が難しい。2ヶ月後のライブハウスが空いていることは殆ど奇跡的な状況に近い。自分に繋がりがあるライブハウスは片っ端から問い合わせたが、難しい状況が続く。自分だけの力では期限内にライブハウスを探し出すのは絶望的だ。
Tumblr media
このツイートを拡散してくれた人に本当に感謝。DMやLINEをくれて一��に探してくれた人もいる。カルチャーの渦を今まさに自分たちが動かしていることを強く感じさせてくれる。青春ドラマのワンシーンのようだった。 奇跡は続く。ライブハウスは見つかった。 早い時間帯になってしまったことは事情が事情なだけにご容赦。 あとは諸々の条件。これは自分次第だ。 話を少し脱線させる。2018年12月。
~~~~~~回想シーン~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 昨年末に新店舗でリニューアルされたAlffo Recordsのカウンターでおれは酒を飲んでいた。 店主ナカシマセイジさんは気さくだが毒舌で、最終的には人格者だ。良いレコード屋のオーナーとは大抵みんなそんな感じだ。 「School In Londonで海外アーティストを招聘するなら誰がいい?」 どういう話の流れでこうした会話になったか覚えていない。 しかし、自分は「MOURNっす!」 と即答したことは覚えている。(ナカシマさんもこのことを覚えていた。) ~~~~~~回想シーン終わり~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
あの時の会話がふと過ぎる。 奇跡であり運命であるのか。
Tumblr media
先日終えた2/10(日・祝前)のSchool In Londonのタイムテーブル画像。これは昨年リリースしたMOURNの”SORPRESA FAMILIA”のカラーヴァイナルから着想を得て作ったものだった。 30を過ぎて始めたのは老後への備え。NISAによる非課税積立投資。 ロックスターは27歳で死ぬ。自分も疑いなくそう思う時期もあったが今は違う。 自分はどこにでもいる普通の人間だ。 もっと言えばもともと数学と物理が好きだったガリ勉タイプの人間だ。 いつからこうなってしまったのか。世間一般的な幸せよりも、掴みたい何かがある。 そう。安心な老後の生活よりも。 「どーせいつかは死ぬおもてみ。となるとやったもん勝ちやで(と、俺も気持ちを奮い立たせる)みたいしモーン」 最終的にはAlffo RecordsのナカシマさんからのこのLINEで背中を押してもらった。 おれは老後のための貯蓄を取り崩す。 想いは募る。もう迷いは無い。 最後にOPENING ACT。 BROTHER SUN SISTER MOONとMississippi Khaki Hair。 この関西にいた2年間半の間に出会ったバンド。これからのシーンを一緒に作っていけるポテンシャルしか感じていない。音楽に対する愚直な姿勢も最高。 彼らこそ、自分のような海外のインディを追いかけてる人に見てもらい、価値を評価して欲しいバンド。 この2年間半の間に出会えて本当に良かった。MOURNのOAに抜擢することに何の躊躇も無かったし、すぐに出演を了承してくれたことに本当に感謝しかない。
youtube
BROTHER SUN SISTER MOON - Numb 
youtube
Mississippi Khaki Hair - Phone Call
暑さを嫌う若者たちは冷えきった場所へ逃げてゆく。 3/9(土)Circus Osakaで会いましょう。
Tumblr media
Alffo Records & School In London Presents 「MOURN Live in Japan 2019」 OSAKA GIG. (招聘: DUM-DUM LLP)
2019/3/9(SAT) OPEN 16:30 / START 17:00 @ CIRCUS OSAKA 【 http://circus-osaka.com/ 】
ACT: MOURN OPENING ACT: BROTHER SUN SISTER MOON / MISSISSIPPI KHAKI HAIR PRICE: ¥4000(Drink is not included)
Tickets are available at…
Alffo Records(http://www.alfforecords.net/) FLAKE RECORDS(http://www.flakerecords.com/) e+(https://eplus.jp/sf/detail/2862160001-P0030001P021001?P1=0175)
PS. 前述の通り、チケットが売れるほど私の老後への不安が和らぐシステムです。是非お早目にお買い上げもらえると嬉しいです。本ブログとは別にMOURNのバンド紹介の記事を別媒体で書く予定です。お楽しみに。
3 notes · View notes
mobsprooftheweb · 2 years ago
Text
『チャーリーとPUNK ROCK工場』ライブレポート
お互いのリスペクトが込められたパンクパーティー
燻銀のUKハードパンクバンド・UK SUBSのヴォーカリスト、チャーリー・ハーパーと日本のパンクスによるスペシャルバンド・Charlie Harper & Ceramictionsと、問答無用の永遠の悪ガキパンクバンド・CRACK The MARIANによるツアーライブ『チャーリーとPUNK ROCK工場』が、渋谷のチェルシーホテルで大盛況のうちに終了。 暑過ぎた夏を締めくくるに相応しい、熱過ぎるパーティーとなった。
Tumblr media
パンクシーンを語る上で最重要バンドのひとつといえる、イギリスのUK SUBS。そのヴォーカリスト、チャーリー・ハーパーを迎え、TORIYA(Vibrate Two Fingers)、TORIYA.J(CUT)、TOSSA(ex JUNIOR)、BEER(ex the swankys)という豪華すぎる日本のパンクスとガッツリ組み合ったバンド、Charlie Harper & Ceramictionsが2年ぶりに復活! さらに、オリジナルメンバーによるCRACK THE MARIANが共演。最終日となる9月11日の渋谷チェルシーホテルではDJとして、TSUDA(Kemuri / THE REDEMPTION)、松田"CHABE"岳ニ、鮎川陽子も参加。 この2バンドによるトータル・パンクパーティーは、『チャーリーとPUNK ROCK工場』と題し、名古屋、浜松、東京で開催された(Charlie Harper & Ceramictionsと恥骨、Sによるライブも福岡で開催された)。
Tumblr media
名古屋、浜松を経て、渋谷でのライブ前にCharlie Harper & Ceramictionsのメンバーに今回のツアーの感触と最終日について尋ねると期待が高まるコメントが返ってきた。 「全てがうまくいって、日本の素晴らしいバンドとライブができています! 刺激的な経験ができると思いますよ」(チャーリー) 「自分は、博多のライブの日、前日まで、コロナ陽性でホテル療養でした、7日間の監禁生活、イメージトレーニングは、やってましたよ!」「名古屋は何十年ぶりだろか? スワンキーズの時以来、芸音?と言う所でライブしたな? 手荒い感じのライブやった、タバコの火が飛んで来たな! でも、名古屋は、キライじゃなかった、今回は、受け入れてくれて、感謝します、ありがとうございました!」(BEER) 「今度の東京ラストライヴ! VERY BEST OF Charlie Harper & Ceramictions。これまでのライブの集大成となることでしょう! Punk Rockでカンパイ!」(TOSSA) 「全会場良い雰囲気やった。チャーリーがメンバーを盛り上げてくれたんでめちゃくちゃ楽しくやれたよ!」(TORIYA.J) 「Charlieとのご縁あって、自ら企画した今回のツアー、名古屋浜松を終えて、英国~日本に渡り繋げて来た事が大きな意味を持つのを既に実感してる…あとは歴代SUBSにリスペクトを込めて挑戦するだけ! ぶちかますバイ!!」(TORIYA)
さらにCRACK THE MARIANのメンバーからも最終日に向けてのコメントもいただいた。 「バンド始めるきっかけになったUK SUBS・チャーリーさんと共作した曲を日本で一緒にプレイ出来るって!嘘みたいやね。78歳のパワフルなチャーリーさん! 世界最年長パンク歌手! 世界最弱小パンク歌手! がんばれ!」(KAZUKI) 「高校時代からの憧れのチャーリーさんと一緒に回るツアー、この企画をどれだけ楽しみにしてたか。名古屋、浜松もサイコー。78歳と思えぬ位のチャーリーさんのパワー。こんな素敵で貴重な時間を共に過ごせてサイコーです。後は東京「まってろよー」。みんなバカ騒ぎしようゼッ!」(TAICHIRO) 「15歳の鼻垂れ小僧が初めて楽器を手にカズキとバンドを組んだ。2人でパンクロックのレコードを貪った! 遠いロンドンから佐賀の片田舎、UK SUBSの「CID」が33回転の地響きでやってきやがった! 脳天ぶち抜かれた俺たちは真っ先にそのCIDをコピーした! 40年の時を経てカズキとロンドンへ飛んだ。まさかのチャーリーの後ろでその「CID」を演奏した! チャーリーはパンクロックで今でもギンギンだぜ! そして今度はチャーリーが日本へ来てくれた! 名古屋、浜松! チャーリーとの夢の時間。トドメは9月11日。みんな渋谷で待ってろ! チャーリーと、パンクロック、大好きな仲間達に乾杯!」(YOJIRO) 「憧れのチャーリーとの対バン、同じステージでの���ッション最高やった! その瞬間に立ち会えたファンの皆さん、関係者の皆さん、ホント最高の夜やった、ありがとう! 名古屋、浜松、最高のライブが出来たと思ってます。東京もこれ以上ないぐらい最高のライブをやりたか〜。ぶちかまそうぜ〜!」(TERU)
DJを代表してTSUDAさん(Kemuri / THE REDEMPTION)からも! 「慣れないDJですが、チャーリー・ハーパー来日、クラックザマリアン先輩、九州パンクレジェンドの方々のツアーファイナルにお声掛け頂きました事、光栄です! 九州パンク界隈ならではのイベントなので、こんなご時世ですが、7inchレコードのみで挑みたいと思います!」
Charlie Harper & Ceramictions登場!
Tumblr media Tumblr media Tumblr media
UK SUBSのフラッグ2枚が貼り出されたステージにに登場するCharlie Harper & Ceramictions。「C.I.D.」「KEEP ON RUNNING(TILL YOU BURN)」「TOMORROW'S GIRLS」など、矢継ぎ早に連射されるUK SUBSの珠玉のナンバー。見所は「チャーリーさん次第!」(BEER)とのことだったが、UK SUBSのナンバーをCeramictions自身のものとしていて、最早、UK SUBS JAPANと言っても過言ではない最高のステージが繰り広げられた。 所狭しと動き煽りまくるギターとベース、しかもシャープで切れ味の鋭いチェーンソーのようなギターサウンド、そしてビシビシとヘヴィなドラム。その全てが、渋すぎる声でハードなパンクナンバーを長年最前線で歌い続けてきたチャーリーへのリスペクトに溢れていて、非常に熱いものを感じた。 「78歳現役英国パンクロッカー! リスペクトしかない! まだまだこれからも日本に来て欲しい! チャーリーハーパーがこの世に存在しているだけで、元気を貰える! まだまだ俺は青いね。頑張ろう!」とTSUDAからコメントをもらったが、同じような気持ちになった人も多いのではないだろうか。 後半に演奏された「WARHEAD」には「待ってました!」とばかりにシンガロングしている人も多数。時間にして1時間弱だったが、非常に見応えのあるステージであった。
CRACK THE MARIANの長編ライブセット!
Tumblr media
Charlie Harper & Ceramictionsが終わるとステージにはCRACK THE MARIANの電飾がキラキラと煌く。オリジナルメンバーでのCRACK THE MARIANの登場だ。 約2時間のワンマンなみのロングセットで、1曲目から「18」でラストは「ROCK'N'ROLL PEAL HARBOR」という感涙必死なベスト・オブ・ベストな選曲。途中、TAICHIRO、YOJIROそれぞれがヴォーカルを取る曲を挟み、ゲストにJUNIORのGO!もサックスで参加。しかも11月から公開予定のドキュメンタリー映画『RIGHT! パンクに愛された男』の監督である小島淳二が登壇し、映画告知を行った(この映画に関する小島監督とヴォーカル・KAZUKIのインタビューは、『MOBSPROOF web magazine』で近日公開)。さらにアンコールで披露された、チャーリーとの合作「チャーリーとPUNK ROCK工場」ではチャーリーがハーモニカ、TORIYAがギターで参加。 「永遠の九州パンクアイドル。色褪せないメンバー。カッコ良くてお洒落でやんちゃで優しい永遠のEIGHTEENの兄貴達。愛してます❤︎」(TSUDA)のコメントの通り、ポップでキラキラした多幸感溢れるパーティーの大円団に相応しく賑やかなステージを繰り広げた。
Tumblr media Tumblr media Tumblr media
ライブもDJもそれぞれが心ゆくまで楽しめる長尺で、会場中が��幸感に溢れたパーティとなった『チャーリーとPUNK ROCK工場』。 主催者も演者がお互いにリスペクトし、率先して楽しんでいることが感じられた。極上のPUNK ROCKパーティーを作り上げた「PUNK ROCK工場」の再稼働が楽しみである。
Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media
*本文敬称略
back to HOME back to MOBSPROOF back to MOBSPROOF web magazine
0 notes
keijukita2018 · 6 years ago
Text
戦略会議 #08 作家研究 トーマス・ルフ/  ベルント・ベッヒャー(Bernd Becher)がっつりメモ。
現在絶賛勉強中の大学院では、入学前はすっかり奨学生になるつもりぐらいでいたがいかんせんそれほどには成績は良くないし、課題も一番進んでいない。 思った以上に大学院での「学び」が面白いので、毎度深入りしすぎて時間がかかってしまうのはしかたないのかと諦めている。 何よりも収穫なのはかなり高いレベルでアートについてそれぞれの意見を持った仲間が出来たことだ。制作中心であったらこうはならなかったとも思える。 最近になって…まあ40過ぎてなんなんだが、ああこうなりたかったんだと思う人間像が出て来た。研究を続けていくともしかするとその理想に少し近づけるのではないか?とも思える。撮影だけではなく、研究と調査とで「作品」を育てる人間(アーティストに限定はしない)になりたいのだ。 そういう意味で日々の研究という名の学びは相当に刺激的だ。 自分自身が作家として、トーマス・ルフ氏に正しく作品を観る目ができるまではファンとしては会ってはいけないと考えている。それをしてしまうとトーマス・ルフ作品と自分の作品に対して正しく折り合いがつかなくなってしまう。 作家の差がそのまま作品の差になってはならないのだ。 それもあって葛藤はあったが、やはり大学院の卒論はトーマス・ルフの作家研究を進めようと思っている。 トーマス・ルフ氏について書くとして、タイポロジーの更新、デジタル加工といった制作の方法論的な方向性からその研究をやっても片手落ちなものとなってしまいそうだという懸念もあるため、当然に近代ドイツの歴史、近代ドイツ哲学、ドイツの芸術の歴史、デュッセルドルフ芸術アカデミー、ベッヒャー夫妻、Bernd Becherが何を受け渡しルフは何を受け取ったのか?と進んで、トーマス・ルフ研究、ルフ作品の示した先で現代に僕らが何を受け取って写真の世界で作品を作るべきなのか?と進めて行きたいと思っている。 ドイツ哲学はドイツ観念論をザクっと学びはじめた(参照「戦略会議 #17 芸術と哲学/ ドイツ観念論」)。 近代ドイツの歴史は資料の本の到着待ちなので、先に英訳を必要とする書籍からのデュッセルドルフ芸術アカデミーに関して進める。 >> ■デュッセルドルフ芸術アカデミー (Düsseldorf Art Academy)とその歴史 デュッセルドルフ芸術アカデミー (Düsseldorf Art Academy) は、画家のラムベルト・クラーエ(Lambert Krahe: 1712-1790)が1762年ころに設立した絵画学校が1773年に「プファルツ選帝侯領絵画、彫刻、建築アカデミー」(Kurfürstlich-Pfälzische Academie der Maler, Bildhauer- und Baukunst)を前身とし、1800年ごろにデュッセルドルフ美術アカデミー(Akademie der schönen Künste zu Düsseldorf)と改名されはじまった。1810年代にナポレオン戦争を経験し、デュッセルドルフ地域は荒廃し、美術院も一時閉鎖状態にあったが、ペーター・フォン・コルネリアスとその後継者であるフリードリッヒ・ヴィルヘルム・フォン・シャドーによって1819年から1859年の間に立て直し現在へ繋がる体制を整えた。宗教画、ロマン派絵画にはじまり、1850年代以降、風景画や風俗画がアメリカなど海外で高い評価を受け、重要な輸出品となった。1820年代から第一次世界大戦前まで、デュッセルドルフで訓練を受けた画家は「デュッセルドルフ派」と呼ばれるまでなった。 1950年代から60年代にかけて、デュッセルドルフ芸術アカデミーは国際的に評価をされ、尊敬をあつめる芸術教育の中心地としての地位を回復する。 それ以来、カール・オットー・ゲッツ、ヨーゼフ・ボイス、ゲルハルト・リヒター、ベルント・ベッヒャーなどが講師として教鞭をとり、多くの著名な芸術家を輩出する教育機関となった。それは芸術の世界において「デュッセルドルフ・アート・ミラクル」と呼ばれるブームであった。 また、デュッセルドルフはフクルサスの活動が盛んに行われるなど、芸術において芸術教育だけでなく重要な都市として定着していく。 (※ドイツ近代史との関連、写真以外の芸術教育に関しては今後調べて追記を検討) 1976年よりデュッセルドルフ芸術アカデミー (Düsseldorf Art Academy) にて開設された写真コースにて教鞭をとったベルント・ベッヒャー(Bernd Becher)は大判カメラで丁寧にフラットに撮影し、額装された作品を格子状に展示することで1枚の写真、単体での給水塔からでは知り得ないそれぞれの機微な特徴をフレームをまたぎ、比較をする中でその特徴をあぶり出すという類型学的な手法「タイポロジー」を用いてヨーロッパ各地に残された近代産業遺産である給水塔をモチーフに作品を妻であるヒラ(Hilla)とともに制作したことでしられるドイツ写真の巨匠。 デュッセルドルフ芸術アカデミー (Düsseldorf Art Academy) にてベルント・ベッヒャーに師事を受けた写真家たちは「ベッヒャー派」と呼ばれ、現代の写真・芸術のマーケットに置いて1990年代以降、世界各地の美術館やアートマーケットにおいて存在感を示す。 >>
ざっとデュッセルドルフ芸術アカデミー の歴史のメモはこのくらい。 「ベッヒャー派」といえば「タイポロジー」に話が終始してしまうのが、まず答えを知りたがる写真界隈での話。少し引いて芸術として彼らが成し得た功績がなんであったのか?そのあたりを今後僕としては深掘りしていきたいと考えている。 僕自身は正直、現代においては「タイポロジー」そのもので作品づくりをするという方法はすでにその効力を失効していると思っている。 そのことは《Máni》の制作を進めているときに痛いほど痛感した。 タイポロジーとは単なる表現技法(手段)であってタイポロジーにすることが目的であってはならないのだ。 だからこそ、《Máni》ポートレートという道に活路を見出したのだった。 《Máni》を制作している時になぜポートレートはタイポロジーと言われないのか?ということを研究し、その上で作品を仕上げていった。偶然ではあるが、おそらく同じことをトーマス・ルフは逆の側面からアプローチしてきて現在の作品づくりの基礎を築いたのだと僕は考える。ある程度の恩恵は預かったが、タイポロジーの更新が自分たちの急務であったとインタビューで答えていたのを聞いたことがある。 このあたりを踏まえ、ベルント・ベッヒャーと彼の教え子である「ベッヒャー派」はそれぞれにそのことをどう考え、芸術写真の世界と作品を接続していったのか?ということを考えたい。 今回読解を進めている書籍から学んだ点をいくつか。
Tumblr media
ヨーロッパ、特にドイツの芸術界から見たベルント・ベッヒャーはタイポロジストというかコンテンポラリー写真やいわゆる芸術写真家といった類の写真家ではない。かれはドキュメンタリー写真家の巨匠として見られている。
彼の写真作品における功績はインスタント写真(おそらくスナップやその他の写真表現のこと)とタシズム(ヨーロッパ絵画の抽象表現主義)との間平行線を続け、1950年代に終わりを告げていた、写真表現の絵画への挑戦をタイポロジーという手法を用い、ドキュメンタリー写真復活という方法で写真表現を前へ進めたことであったと考える。 給水塔にはじまる一連の作品の本質は「タイポロジーである」ということではなく、「近代ドイツ産業遺産のドキュメンタリー作品である」ということだ。 タイポロジーという手法を用いたことはそのモチーフとなった個々のオブジェクトの個性を際立たせた。1990年にはその功績を讃えられ、ベネチアビエンナーレの彫刻部門において金獅子賞を与えられることとなる。これは、彼らの作品のモチーフとなった近代遺産を「写真という方法によってオブジェとして彫り出した」と芸術の世界は見たわけである。 書籍内で紹介されている奥さんのヒラ・ベッヒャーの印象的な言葉はこうだ。 ー 'People say that a documentary approach is not artistic. But who decides? Ultimately it has to be posterity. There is no way to pinpoint the criteria. Everything connected with making pictures can be artistic'. Hilla Becher -STEFAN GRONERT 『THE DÜSSELDORF SCHOOL OF PHOTOGRAPHY』p13 「ドキュメンタリーアプローチは芸術的ではないと人々は言う。 しかし、誰が決める? 最終的にそれを決めるのは後世でなければなりません。 基準を特定する方法はありません。 写真を作ることと関連したものは全て芸術的なものです」 ヒラ・ベッヒャー ー ベネチアビエンナーレにおける芸術からの最大限の評価は、つまり、この言葉どおりになったというわけだ。 教鞭をとったベルント・ベッヒャーと奥さんであるヒラの中にこういった信念があったということは、その信念は当然教え子である「ベッヒャー派」へと間違いなく受け継がれているものであると考える。 では、何が受け継がれたのだろうか? おそらくそのことではないか?と思う部分がある。 The Bechers' deliberate deceleration of the medium goes back to the aesthetic ideas prevalent at the time of its invention. Many of the photographs collected in this volume could be seen as the realization of 19th -century concepts using modern tech­nical means and a contemporary spirit. -STEFAN GRONERT 『THE DÜSSELDORF SCHOOL OF PHOTOGRAPHY』p8 ベッヒャーの意図的な減速は、発明の時点で一般的な審美的な考えに戻る。 この本で集められた写真の多くは、現代の技術的手段と現代的な精神を用いた19世紀の概念の実現と見ることができます。 「現代の技術的手段と現代的な精神を用いた19世紀の概念の実現」 おそらくこの点が「ベッヒャー派」の写真作品を芸術写真たらしめている根元ではないか?と考える。 引き続き精読を進め、もう少しここあたりを深掘りをしていきたいと思う。
2 notes · View notes
8ppa · 3 years ago
Text
「サマーゴースト」 感想
サマーゴーストを見てきた感想です。例によってネタバレが、あります。致命的なのはないけど(そもそもネタバレが重要な映画ではない)。
『君の名は。』の登場により世間に敷衍した青春(SF)映画ブームは『君は彼方』をもって一旦幕を下ろした、かのように見えた(諸説あり)。が、実際はその後も青春SF映画と呼ばれるものは数多く作られてきた。本作もそのような文脈で捉えることのできる作品だが、青春系の作品の中でもとりわけ「夏」に焦点を当てた作品だ。
主人公たち3人組(友也くん、あおいちゃん、涼くん)は都市伝説として囁かれてきた幽霊「サマーゴースト」を見つけようとしていた。サマーゴーストは花火をしていると現れる若い女性の幽霊のようで……?というのが本作の導入。40分程度の短編映画というのもあり、ストーリーがコンパクトにまとまっていた。例えば、3人がネットを通じて知り合ったというのは示唆されるが、どのようにして知り合ったかは描かれていない。公式サイトでは「現代青春群像劇」と記されているが、群像劇を描き出すには40分という時間はいささか短い気がする。実際友也くんのウェイトが重かった気がするけどどうなんだろう。ともあれ、この尺でしか描けない世界というのは確かに存在する。
君の名は。でも言われていたように、本作もゼロ年代から永久に擦られ続けてきた「架空の青春観」がある。いわゆる「エロゲっぽい」というやつだ。(エロゲっぽいというよりkeyっぽいというか。。体を探すシーンで自然にえっちシーンに以降してもあまり違和感がない)このような作品が十数年に渡って流行っている原因としては、カタルシスを得たいという根源的欲望があるからだろう。青春作品におけるカタルシスというのはある種様式美のようなものが成立している。まだしっかり考察したわけではないが、大体の場合「出会い→親密化→別れの告白&主人公の苦悩→前者2つを同時に解消→希望」という流れになっている気がする。この一連の流れを踏まえつつカタルシスを最大化するには、やはり作品のボリュームを大きくする必要があり、これがエロゲの長編化へと繋がっていく。しかしサマーゴーストは様式美の全ての段階において最小限かつ効率的な演出と脚本を設定することにより、青春映画カタルシスの濃密なエキスを摂取できる作品となっている。言ってしまえばそこまで目新しくない設定の割に、誰もが���に響くような作品に仕上がっているのは上記のような理由があるのだろう。(個人的には話のまとまり方にplanetarianみを感じた)
また本作の魅力は脚本の精密さの他にも「音」の使い方の巧みさが挙げられる。新海誠作品の登場により、ヴィジュアル面の表現は相当洗練されてきた。もちろん本作も言及すべき視覚表現の素晴らしさーー特に、より原始的なアニメーションとしての美しさがあるーーはあるのだが、身もふたもない言い方をしてしまうと「画風」で片付けられてしまう。しかし聴覚表現は界隈全体でまだ表現研究の余地があるように思われる。再び新海誠作品を持ち出すと、『君の名は。』以降劇中歌を用いる作品が急増した。劇伴ではなく歌モノを作中に用いると、歌に作品が乗っ取られる危険性がある反面、ミュージカル的な効果が期待できる。作中世界へのシンクロ感を高めるため歌を利用するのだ。しかし本作は劇中歌は存在しない(なんならスタッフロールもインストだ)。代わりに環境音を多用することで現実感を表現していた。環境音による空気感の表現はしつこく研究されてきた分野ではあるが、本作はシーン転換、カット間に環境音を置くことでテンポ感を演出する場面が多く見られた。作品世界は虚構であり現実ではない。現実感を演出するためには現実以上のシンクロ感を表現する必要があり、それが劇中歌だったり、環境音によるテンポの演出だったりする。本作は後者の表現を用いることで、短編映画でありながら即座に作品世界に没入することができた(並の作品では作中世界に没入させるのに時間がかかる。これは長編映画の良い点でもあり悪い点でもある)。話の順番が前後するが、歌モノが登場しないおかげで、観賞後の感覚が歌に乗っ取られず、作品が克明に脳裏に刻み込まれた。
まとめ方が思いつかない!青春映画とは何であるかを捉え直すことのできる良い作品だった。というわけで今から「アイの歌声を聞かせて」を見に行ってきます。
0 notes
sato3tosio9g · 4 years ago
Text
主不在につきましては。
俺は山姥切国広。この本丸に所属する刀剣男士だ。 極になったが鍛錬は怠る事無く続けている。 だが、今日は日曜日なので鍛錬は控えめにして 休息を多く取っている。
仕事も日曜日はしないと主によって決められた。 そうしないと日曜日でも働く連中がいる。 休める時に休んだ方がいい。これは主の言葉だ。 確かにそうだ。肝心な時に動けないのでは 働き詰めも良くないと思う。
あくまで俺の意見だ。
そのまま歩いて行くと主の部屋だ。今は主は自分の世界に戻っていて 部屋には誰もいない…筈だった。主の部屋に近づくにつれ、 知っている気配があるのに気が付いた。
この気配は…
「あーっ山姥切じゃん!」
主の部屋の真ん中で大になって寝転んでいるのは、この本丸の初期刀の加州清光だ。 部屋は綺麗に片付けられており、生活感が無い。加州はここで何をしているのだろうか…
「この部屋綺麗だと思わない?」
「ああ綺麗だな、主がいない間も皆で掃除してるからな」
「だよねー綺麗だよねー猫の毛1つ落ちてない!」
「そうだな、しらたまさんがいる時はコロコロ使わないと毛が取れん時があるな」
「そうそう、はあ…やる気出ない…」
そこまで言って加州は起き上がった。俺はそんな加州の傍に座る。 俺たちの主の世界は俺たちが生きる世界よりも遥か未来の世界。 その世界はお世辞にも平和な世界とは言えず。 一度だけ主の世界へ行ったのは、主の世界が危機に瀕していたその時だけだ。
『皆は平和な世界、未来の為に戦っているのに、未来の俺たちの世界が争いまみれで何だか申し訳ないよ』
と言われた事がある。争いのある世界だと聞かされていたが、此処までとは正直思っていなかった。
「何で俺たちは主の住む世界に行く事を禁止されてるのかなあ」
「…加州、それは」
「分かってるさ、言ってみただけ!」
他の本丸の刀剣男士は自分の主の世界へ行く事が可能だ。それは主の世界が平和だから出来る事で。 俺たちの主の世界は、審神者達の住む世界で刀剣破壊の恐れが一番高い。 そんな世界においそれと男士たちを行かせる訳にはいかないのだろう。 主の世界に行ったのは6年間でたった一度だけで、しかもその時の主の世界は非常事態。 政府の言い分も分からない訳でも無い。
「何をしているんだい…」
「あ、長義さんじゃん」
「見て分かんない?」
「すまない、全く分からない」
「やる気が出ないから主の部屋でチャージしてんの!」
「?主は今不在だが…?」
「本歌、それは」
「長義、の坊主の気持ちも察してやれ」
「一文字則宗」
本歌の後ろから現れたのは一文字則宗だった。加州は一文字宗則を見て あからさまに嫌そうな顔をした。そんな顔をしてもいいのか、加州。
「主がいない間も本丸を守り、歴史を守るのが我々の務めだ」
「確かにそうだがな長義。今の坊主にはこの時間が必要なんだよ」
「これだから優等生は~長義さんの優等生~」
「それは悪口なのか?」
元監査官2人も主のいない部屋に入り、適当な場所に座る。 彼ら2人の共通点は何だろうか。余りにも対照的で思い浮かばない。 刀派も違えば性格も全く違う。監査官に選ばれるのだから2人とも優秀ではあるだろう。
「主がいないのは何度も経験してるけど、いないと何かやる気出ないんだよね~」
「うはは、僕がやる気出させてやろうか!」
「ジジイは受け付けていない、お断りです!」
「あっはっはっ!ふられたな!」
「そういえば今回はいつこっちに戻って来るんだ?」
「分からないな。主の世界の情勢は政府でも掴むのに時間がかかるようだし」
「何かがあったのか?」
「あったようだ、としか言えないな」
「未来の出来事は過去では言う事は出来ない決まりがある」
「何故そうなのかは…偽物くんでも分かるだろう」
物事は何らかの形で繋がっている。 関係がなさそうな事でも意外な形で関係があったりする。 俺たちの戦いも主たちの未来の世界と繋がっている。 全く無関係という訳では無い。 それなら主たちの世界が良い方向となるように戦うだけだ。
「あー主早く帰って来ないかなあ、長義さん政府の人でしょ、何とかならない?」
「無茶を言うね、何とかなったら何とかしていると思うが」
「冷たいな!もう」
「そうだ、長義さん冷たいぞー」
「…自分の事を棚に上げないでくれるかな?」
本歌に睨まれても一文字則宗はどこ吹く風だ。 ずっと笑っている。余裕があるというのだろうか。 そういうところは平安刀たちに通ずるものがある。
「ニャー」
「ちょっと偽物くん、しらたまさんの真似をするのは止めてくれないかな?」
「いや?俺は何も言っていないが、空耳じゃないか?」
「え?おかしいな、確かに聞こえたんだが…」
「ニャー」
「ほらまただ!って…!!!」
本歌の視線を辿れば、真っ白で真ん丸な猫が畳の上にいた。 それを見て俺の心臓が一気に早くなる。幻では無く本当にいる。 という事は…
「おお、しらたまさん久し振りだな!元気そうだ!」
しらたまさんに一文字則宗が近づいていって背中を撫でる。 すると嬉しそうな声でしらたまさんは鳴いた。
「ごめん、遅くなって!」
「俺たちの世界、いい形でひと段落着いたよって…あれ?」
「おお!主!戻ったか!お疲れ様だ!」
「主、無事で何よりだ」
「宗則さん、長義さんありがとう」
俺たちの中で加州が一番驚いているようだった。 主が声をかけようとすると、加州は部屋から飛び出して行ってしまった。
「うわああ、ちょっと!帰って来るなら帰って来るって言ってよ!今、綺麗にしていないんだからさ~!」
俺が止める間も無かった。それを見て気を悪くするでも無く主が声をかけて来た。
「山姥切も元気そうだ」
「ああ、俺はいつも元気だ、主」
「そうだな、いつも元気に満ち溢れているな!」
「ありがとう一文字則宗」
「いやいや!」
「いない間変わった事とかあった?」
「いや何も変わりなく。出陣も遠征も内番も滞りない」
「そうか~それならいいよ。長義さんはちゃんと休んでね」
「うっ!了解…」
主の気配を察してか部屋の周囲が賑やかになっていくのが分かる。 主がいなくても本丸は回るが、その中心に主がいるのといないのとでは やっぱり違う。何となく加州や一文字則宗の言った事が分かる気がする。
「ニャー」
「今日からまた宜しくだな、しらたまさん」
「何故バレたんだろうか」
「お前さんは気が付いていないが目の下に少し隈があるぞ」
「くそっ!ぬかった!」
「ほどほどにな?」
色んな声が聞こえて来る。その声たちはどれも嬉しそうな声ばかりだ。 主が戻って来て俺も嬉しい。今日からまた賑やかな日々が始まる。
0 notes
toubi-zekkai · 4 years ago
Text
ルドンの気球
 昼の盛りを少し過ぎていた。朝早くからの仕事を終えた私は午後から始まる別の仕事場へと移動していたのだが、時間に少し余裕があったので道の途中にある喫煙所に寄り道をして、休憩も兼ねがね空に煙草の煙を吐いていた。
 その喫煙所は市街中央から少し離れた場所にあるホームセンターの入り口脇に設置してあるもので、近頃閉鎖が相次いで喫煙所が皆無であるこの界隈においては屋外で煙草が吸うことの出来る数少ないスペースだった。必然として近隣のあぶれた喫煙者たちは飢えた蠅が残飯にたかるようにこの喫煙所一か所に集まり、連日どの時間帯も紫煙と煙草の香りが賑やかに空へと立ち昇っているのだが、今日は自分以外に人は一人も居なかった。だからといって寂しさが募るわけでもなく、むしろ人の居ない気楽さを煙草と一緒に味わいながら目の前に広がる景色を漫然と眺めていた。  私が履いている二足のスニーカーの先にはテニスコートのような樹脂製の赤茶色をした地面があって、その少し先にはいつもそれ程人が通っていない歩道があった。歩道の先には木蓮の街路樹とつつじの植え込み、白いガードレールを挟んで幅の広い車道が横たわっている。その車道では種々雑多な自動車が途切れることなく右や左に行き交っていて、行き交う度に車が空気を切り裂く乾いた音がここまで響き、時折排気ガスの臭いが微かに漂って来ることもあった。そんな車道の向こう岸にはこちら側と同じように白いガードレール、木蓮の街路樹とつつじの植え込みを挟んで人通りの少ない歩道があり、その先には白塗りの壁に包囲されている広大な空き地があった。  今年になってから巨大商業施設の建設工事が行われているその空き地からは螺旋状のドリルで地面を掘り返している掘削機の重低音や作業員たちの掛け声や怒声が断続的に聞こえてきた。工事の様子そのものは白塗りの壁に遮られてここからは殆ど見ることが出来なかったが、壁の上から空に伸びているクレーン車の長い首の姿だけは幾本か見ることが出来た。空はというと白い雲に一面を覆われているように見えたが、しかし良く見ると、白、灰白色、灰色、と所々に微妙な濃淡の差異が見えて、薄い墨を使って描かれた淡い禅画のようだった。殆ど動きを見せないクレーン車の直線的で無機質な梯子は真冬の空に聳え立っている黒い巨木のように背景の虚ろな空に良く馴染んでいた。  寡黙で怠慢なクレーン車の長い首だったが、時折思い出したようにゆっくりと空の只中を旋回した。先端の小さな頭の下からは細長いワイヤーが垂直に下へと伸びていて、その先のフックに四角い鉄骨の束をぶらさげているのだが、巨大で重量もかなりありそうなその鉄骨の束に比べてワイヤーの方は随分と細過ぎるような気がした。おそらくそれは恐ろしく硬く丈夫な材質で出来ているのだろうが、遠く離れたこの喫煙所から見てもそれは白い空に引かれている縦の棒線にしか見えず、その頼りない細さは空中に鉄骨が浮いているという不自然な状況を更に不自然に不安定に非現実的に見せていた。  束の間、白い空の中を回遊した鉄骨は段々と降下していって、最後には白塗りの壁の下に見えなくなった。暫くするとまた新たな鉄骨が白塗りの壁の上から姿を現し、白い空の中を漂い始める。どこかそれは酷く陰惨な拷問の現場を見ているかのようだった。  飛翔する開放感はなく、上昇する高揚感もなく、ただ白い空の只中に宙ずりにされている存在。色もなく音もない虚空の中で何一つと触れることが出来ない彼の存在を唯一世界の内側に繋ぎ止めているものは自らの身体に巻き付いているワイヤーであって、しかしそれは同時に自らの全体重が喰らい込んでいる耐え難き苦痛の繋ぎ目でもある。その線は言い換えるならば存在と現実を繋ぎ止めている最後の絆であり、ワイヤーが断ち切られた瞬間に彼の身体は地上へと落下して瞬く間に大地と一体化し、切り離された彼の魂は白い空の上へと無限に上昇していく。  言葉に変換されたイメージは少しずつまた言葉からイメージに変換された。しかし、そのイメージはもはや既にクレーン車に吊るされている鉄骨の姿ではなく、白い空の中に突き出している黒い十字架だった。それからイメージは、吊るし首の樹海、冷凍室に吊るされている豚の肉塊、廃墟に浮かぶ風船の群れ、と変転していき、やがて一枚の絵と結び付いた。それはオディロン・ルドンの眼=気球だった。  いつどこでその絵を最初に見たのかは定かでない。ユイスマンスのさかしまの挿絵だったような気がするが、もっとずっと以前からその絵を知っていたような気もする。とにかく長い間、そのルドンの絵が私の意識下無意識下に棲み続けていた。  絵の下方には先細った生気のない数束の草の葉以外に何も見えない荒涼とした平地が広がっている。殆どが黒く塗りつぶされているのでそれが土の地面なのか或いは草原なのか判然としない。ただ生命の息吹を感じさせるような大地でないことは確かで、見方によっては海、それも暗い夜を髣髴とさせるような海にも見える。その上方には私が今目の前にしているのと同じように白や灰白色の混在した虚ろで観念的な空が覆い被さり、その中に黒く巨大な気球が浮かんでいる。その黒さは観念的で非現実的な空の色とは対照的に暴力的で生々しい夜そのものの黒さで、常に破裂の緊張感が付き纏う気球の丸い輪郭線も危険な印象に油を注いでいる。  しかし最も不気味なのは黒い気球の上半円に見開かれている一つの大きな瞳だろう。眼窪のように抉られている気球の上半分に細い睫毛を生やして埋まっているその眼球は黒目が著しく上方に偏り、残された広大な白目には若干血管が浮いている。それは正常な状態における人間の瞳ではなかった。私がごく初期に連想したのは首を締め上げられて死んでいく人間の瞳だった。次には白昼夢を見ている人間の瞳となり、性交の際絶頂を迎えている女の瞳となり、賭博で一文無しになったときのギャンブラーの瞳となり、法悦に浸っている聖人の瞳となり…と気球の瞳は様々な人間の瞳の中に顕現した。そのどれもが快楽の絶頂か苦痛の限界に接している人間の瞳で、つまりは自己を喪失しかけている人間の瞳だった。  黒い気球に見開かれた瞳の下睫毛には黒い円盤のような物が吊るされている。円盤はかなりの重量があるようで、その重みによって細い睫毛はの一本一本が張り詰め、下瞼に至っては一部が捲れ上がってしまっている。つまりはこの円盤の重みが下瞼を開かせているのだった。その力は同時に黒い気球全体をこの虚ろで観念的な空の只中に繋ぎ止めているのであり、もし仮に睫毛が切れた場合、円盤は地上に落下して黒い地面と一体化し、下瞼を閉じてほぼ完全に黒い球体と化した気球はどこまでも空を上昇していき、遠くはその故郷である夜そのものに溶けていくであろうことを予感させる。  というのがルドンの気球=眼に対する私の凡そな見解であったが、今こうして白い空とクレーン車のを見ているうちにまた新たな側面に気が付き始めた。それは至極単純な答えで、あの絵は白い空を見詰めるルドンの自画像だということだった。  ルドンにとって白い画用紙は白い空そのものであり、その白い空を見詰め続けるということは虚無を見詰め続けることと同じ意味を持ち、更にそれは自分自身の虚無を見詰めるということだった。しかしそれは非常に恐ろしいことで、なぜならそれは自分自身が存在しないのだと自分自身が強烈に自覚していく行為であり、刻々と死んでいく自分自身を自分自身が見詰めるということだからである。その死は肉体的な死というよりもより完全に純粋な自分自身の死であり、実際に人間が本当に恐れているのはこの自分自身の死であって肉体の死ではない。肉体の死が必然的に自分の死を引き起こすと仮定するために人間は肉体の死を恐れているのに過ぎない。しかし実はそうした恐怖、虚無に対する恐怖という感情そのものが虚無に接している人間にとって最後に残された虚無的でないもの、つまりは自分自身そのものなのであって、だからルドンの虚無に対する恐怖苦痛絶望といった人間的感情は全てあの黒い円盤の方に詰まっているのである。その円盤を吊るしている睫毛が切れた瞬間、つまりは虚無に対する恐怖苦痛絶望といった人間的な感情の全てが消えた瞬間彼は虚無そのものになり、本当の夜がそこに訪れるのである。  しかし一方で見開いた目玉の黒い気球もルドン自身であることは間違いない。虚無に対して見開かれていているその瞳は自己の存在を否定する虚無の方へと自分自身全体を引っ張っていく、言うなれば自分の中にある他人の瞳である。その他人である彼の瞳にとって虚無は恐ろしい無の世界ではなく、魅惑的な無限の世界=パラダイスとして映っているのだということは、そのどこか夢を見ているような瞳の表面に薄っすらと光が反映していることからも伺える。謂わばそれは太陽の光に魅せられたイカロスの瞳であるのだが、太陽へと真っ直ぐに飛んで行ったイカロスの雄姿はもうそこになく、天上と地上に、神々と人間の間にそれぞれ強く引っ張られ、上下真っ二つに引き裂かれようとしながらも何とか一つの均衡を保って地上すれすれにやっと浮かんでいる有り様である。なぜ、そうなってしまったのか?時は十九世紀であり、神の死とそれに伴う虚無がひたひたと人々の目の前に近付いてきた時代である。もはや人々は空の上に輝く絶対無比の太陽を信じることが出来なくなり、代わりとして空の上に現れたあらゆるものを相対化してしまう絶対的な虚無に不安を感じるとともに怯え始めていた。それは同時に近代自我の目覚めであり、精神と肉体の分離現象であって、タナトスとエロスが袂を分かち始めたときでもあった。死と自らの内に潜む死の欲動に不安と怯えを抱いた人々は硬く小さな円盤に閉じ籠り始め、その重力で黒い死の気球を安全な地上に縛り付けようと画策し始めた。
 しかし、今後この黒い気球は果たして空に上昇していくのだろうか?それとも地上に堕ちるのだろうか?或いは二つに分離してそれぞれ帰るべき場所に帰るのだろうか?ルドン自身がどうなったかは知らないが、その後の人類の歴史を顧みると果たして人類全体は夢見る瞳を空の中に捨て去って地上に堕ちていったようである。
 突然耳に聞こえたライターの点火音が延々と紡がれていくかに思われた思索の糸を断ち切った。現実に引き戻された意識は音が聞こえた方へと向きかけたが、自分の鼻の先でその殆どが白い灰と化している煙草の姿が目に映り、注意はそこに逸れた。いつの間にか意識の完全な枠外で造成されたその灰の塊は無造作でありながら絶妙な均衡を保って自分の左手人差し指と中指の間から空中へと細長く伸びていたが、根元の付近は未だに仄かな煙を流し燻っていて今にも自らの重みによって崩れ落ちそうだった。それが崩壊していく様子を目にするのが何となく嫌な気がして直ぐに私はその灰の塊を自分の手で払い落そうと傍らにある灰皿の方へ振り向いた。するとその灰皿の向こうに女が立っていることに気が付いた。と同時に均衡を失った灰の塊が崩れ、何枚かが空中にひらひらと舞って、残りが灰皿の暗い穴の中へと落ちていった。  その女は短い髪に黒縁の眼鏡を掛け、小柄で線の細い体型に枯葉色の地味なチェック柄のベストと長袖の白いワイシャツを着ていた。蒼白い左手の人差し指と中指の間には細長い煙草が挟まれ、既に火の付けられているその煙草の丸い切れ口からは白い煙が気怠そうに流れていた。右手の中には黒いライターが握られていて、直ぐにそれは先刻耳にしたばかりの点火音と結びついたが、その認識が一致するよりも早く、女は歩き始めた。真っ直ぐに女は歩道の方へ、つまりは喫煙所の前に広がる白い景色の方へと歩いていった。ゆっくりと遠ざ���っていく女の背中は痩せているせいか酷く平板でタイル張りの壁のように見え、下半身に穿いている黒いスーツのズボンも黒い板のように直線的で女性らしい曲線は何処にも見当たらなかった。そのスーツの脚と合わせて規則的に動く左右の黒靴は鋭利なヒールの先端を地面へと交互に突き立てていたが、地面が柔らかい樹脂製のために靴音がまるで聞こえず、それが何とも言えない不安な気持ちを興させた。女は歩道の少し手前まで歩いていくと、地面の上に棒立ちになってそのまま殆ど動かなくなった。  地面の上に茫然と佇む女の先程よりも少し遠くなったその後ろ姿は白い景色を前にして朧な木柱の黒い影のように映った。だらりと力なく垂れ下がった両腕の左手指先から流れる煙草の煙だけが有機的な動きを見せていて、まるで女の暗い輪郭そのものが周囲の空気に溶けて蒸発しているように見えた。その前方に広がる白い空は相変わらず白い空のままだったが、クレーン車の方は小休止していて虚空に吊るされていた鉄骨も今は見当たらなかった。休憩に入ったらしく作業員たちの掛け声や怒声も止んでいて、車道を流れる自動車の音だけが寂しい波音のように響いていた。段々と私は前方に実際に生きた女が存在しているという現実が曖昧になり始めていた。同時に自分が今目の前にしている光景の全てが一体何なのか理解することに時間が掛かり始めて、少しずつその所要時間は長くなっていった。しかしながら、ようやく理解出来てもそれは現実の実感と呼ぶのが躊躇われる曖昧な感覚だった。  意識の表面に白い靄がかかっているような現実の曖昧さ、しかしそれは私の生活の隅から隅に至るまで深く浸透していた。  朝、仕事へと赴くとき、外に出て道を歩きながらふと洗面所の蛇口をちゃんと閉めたか不安になる。可能な限り記憶を振り絞ってその場面を思い出そうとするのだがどうしても思い出せない。思い出せないというよりは思い出したその場面が今朝なのか昨日なのか或いは夢の中なのか判然としない状態で、結局いつも駆け足で家へと戻り、靴のまま家の中に上がって洗面所の蛇口が閉められているか確認をする。蛇口はいつも当然のように固く閉められていた。水の一滴さえも零れ落ちてはいない。私は胸を撫で下ろし、自分の心配性を嘲笑う余裕すら出来上てまた玄関へと戻っていく。しかし、背後の洗面所から遠ざかっていくにつれてたった今確認したことが酷く曖昧になり始める。「本当に蛇口から水は流れていなかっただろうか?」自分でも馬鹿らしいとは解りつつも顔から若干血の気が引いている私は再度洗面所に戻って蛇口を確認してしまう。やはり蛇口はちゃんと閉まっている。幾度となくそんなことを繰り返しているうちに時間は恐ろしく浪費され、仕事場へと到着するのはいつも勤務開始時刻寸前だった。  しかし、ここ数か月間というもの症状は尚の事重く悪化していた。私は実際に蛇口を目の前にしながら「これは本当に水が出ていないのだろうか?本当は出ているのに目に見えていないのではないだろうか?」と疑っていた。すると手を伸ばして水が出ていないことを確認しなければならなくなり、終いにはその手の触感に対しても懐疑を抱く始末だった。  そうした現実に対する終わりの無い懐疑の症状は殊に蛇口の確認だけに限ったことではなく、生活のあらゆることに付き纏っていた。次第に私は疲れ切ってしまった。何をするのも憂鬱で億劫になっていった。自然と身体を動かさずにぼんやりすることが多くなり、妄想に費やす時間が増え始めた。すると妄想は生々しく現実味を帯びていき、反対に現実は獏として現実感を失っていった。そうして妄想と現実の境い目は酷く曖昧になり、現実はまた更に曖昧になっていった。  そんな出口の見えない沈鬱とした状況から半ば避難するように私は一日の内三回も四回も浴室へと赴いた。風呂湯の疑いようのない熱さ温もりは私に失われている現実感の手軽な代替品だった。浴室の白い壁や天井はまるで現実を感じさせるものではなかったが、首から下が湯船に優しく現実を保証されているので、私は安心してその白い虚空に想念の気球を飛ばすことが出来た。それは私にとって数少ない安らぎの時間であり、結局はそれがまた更に現実感を失わせる結果に繋がると理解していてもやめることは出来なかった。  掃除も稀にしか為されず、私の生まれるずっと以前からそこに存在している浴室の白い壁は、白い壁とは言ったものの半ば黄ばんでいて、至る所で亀裂が走っていたり表面が剥がれ落ちていたりしていた。黒かびの星座も彼方此方に点々と煌いていた。そんな古い浴室の壁の上を梅雨の時期から夏にかけてはよく蛞蝓が這い回っていた。蛞蝓は梅雨の初めの頃は注意して見ないと壁の黴やしみと見間違える程小さかったが、夏の終わる頃には皆でっぷりと太って禍々しいまでの存在感を発揮していた。蛞蝓を見つける度に私は素手で捕まえて窓から逃がした。突然、壁から引き剥がされた蛞蝓は最初手の平の中で小さく委縮しているのだが、少しずつ顔の上から細い棒状の突起眼が二本伸びてきて、やがてそれは触覚のように左右ばらばら動きながら頻りに周囲を確認し始める。それが落ち着くと今度は手の平を我が物顔で這い回り、蛞蝓はその柔らかい口で一心不乱に手の皮膚の表面を齧り始める。私の手の平を白い壁の続きだと勘違いして食べている、その滑稽で間が抜けた様子と無邪気な食欲の感触は意外にも不快ではなかった。ただそんな蛞蝓を手放した後に残る粘液の感触は堪らなく不快だった。お湯と石鹸でいくら洗ってもそのぬるぬるとした粘液はしつこく手の表面に残り続けた。それが嫌で私は次第に蛞蝓を壁の上に見付けても放って置くようになった。壁の管理人が消えて蛞蝓たちは縦横無尽に壁の上を這い回るようになり、私は温かい湯船に浸かりながらぼんやりとそんな彼らの様子を眺めるようになった。蛞蝓はいつも酷くのんびりと移動してたが、床付近の壁に居たはずの蛞蝓がふとすると天井付近に張り付いていることがあった。その意外な速さに驚いて私は蛞蝓の動きを目で追い始めるのだが、いつも途中でその姿は意識から消えて、蛞蝓は壁の思いもしない位置からふと突然に現れた。その度に今目の前にいるこの蛞蝓が白い壁の亀裂を通って無意識の世界から湧き出して来たかのような不思議な感覚を私は覚えた。  ふと気が付くと、女はこちらの方に振り返っていた。女はそのまま真っ直ぐにこちらへと歩いて来ているようであったが黒いズボンも黒い靴も殆ど動いておらず実際にその姿が近付いているという実感は少しも持つことが出来なかった。まるで女そのものは少しも動いていなくて周囲の風景がその背後へと退いているような、丁度それは海岸の浅瀬に沈んでいる貝殻や流木の朧な姿形が沖合いへと潮が引いていくのに従って段々と明らかになっていくという感じだったが、やがてはっきりと鮮明になったのは先程見掛けた枯葉色の地味なチェック柄のベストや皺一つない白のワイシャツ、黒いスーツのズボンといった身に付けている服装ばかりであって、女そのものの身体は一向にはっきりとせず、その顔に関しても黒縁の眼鏡ばかりが目立つばかりで顔の造りや表情は曖昧で判然としなかった。まるでそれは服や眼鏡だけが絶妙な均衡を保って虚空に浮いているかのようで、そよ風か何かの些細な振動によって今にもばらばらと崩れ去りそうであった。  それから間もなくして透明なその幽霊は私の傍らにある灰皿の向こう側へと戻って来た。灰皿の上に白い手がぼんやりと浮かぶ。その指と指の間からは白い灰の塊が絶妙な均衡を保って虚空へと細長く伸びていた。その灰の塊を見た瞬間、私の中で不安な気持ちが大きく揺れて、現実そのものを確かめるように私は女の顔を凝視せずにはいられなくなった。私からは横を向いているその女の顔は恐ろしく白い色をしていた。しかし、それは人間の肌の自然な白さではなく人工の観念的な白さであった。更に良く見るとその白い仮面は所々深い皺によって裂けその周辺から���が吹いていて、それが造られた仮面であることを自ら強調していた。その裂け目や空いた穴から覗く生の地肌を見たとき私の心はようやく落ち着きかけた。しかし、ふと女がこちらを向いて俯き、今まで眼鏡の陰に隠れていたその瞳が露わになった瞬間、私の心は再び大きく揺れた。その透明な眼鏡の双眼レンズの奥には血管の赤い亀裂が幾筋も走っている異様に白く生々しい眼球とその眼球の上辺から今にも飛び出しそうに偏っている黒い瞳が二つぼんやりと浮かんでいた。それがルドンの気球と結び付くよりも早く、女の手が白い残像を描いて素早く動き、その指と指の間から灰の塊が崩れ落ちた。私は雪片のように舞い散る灰の幾枚かを視線で追いながら、自分自身がばらばらに崩れていく音を聞いていた。
0 notes