#おでかけ #桂昌寺
今回の行程は全て叔父任せで、私は後部座席で揺られるだけだったのですが、山県の三光寺から次にやってきたのは美並の桂昌寺。もう一箇所行くと聞いていたから山県から近場のお寺かと思いきや、結構距離があるとこ来たな……。ドライブ好きの叔父なので、距離は苦ではなさそうですが。
このお寺はアジサイもですが、牡丹の名所のようです。三光寺の方は結構な人出だったのとは対照的に、こちらは私たちの他には誰もおらず。貸し切り状態で観て回れました。
立派な日本庭園です。何をするでもなく、座ってぼんやり眺めたい風景。
こちらの池にも鯉がたくさんいました。鯉の餌が置いてあったので、他にあまり人も来ていなさそうだったし、おやつも貰えてないかな?と思い一袋購入してあげてみると……。
ア゛ア゛ア゛ア゛めっちゃ荒ぶってるーーー!!!!
おやつを求める口がゴプゴプいってます。指でつついてみると当然指まで食われましたよね。鯉の口、意外と硬い……(感想)
縁取りが鮮やかなあじさいを発見。花というより、きれいな衣装みたいに見える。
八重のドクダミも発見。いや、ドクダミではなく別の植物なんだろうか?でも姿かたちはドクダミだよな……?
調べてみたところ、八重のドクダミは存在するようです。普通のドクダミよりも華やかだけど、やっぱり八重ドクダミも、無限増殖して庭の厄介者になるんだろうか……?
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Shimouma, Setagaya, Tokyo / Oct. 2023
ドリブンスプロケを37Tから36Tへ交換しようかと後輪を外すも異なるPCDのスプロケを買ってしまったようで無駄に終わる。ハブダンパーとブレーキパッドの消耗度を確認出来たのでまったくの無駄ではないか。とりあえずドライブ側を16Tから15Tへ純正のギア比へ戻してドリブンは再発注。多分新車から一回も交換されていないだろうと思われるハブダンパーとブレーキパッドも同時に替えた方が良いだろう。あと後タイヤもサイドにひび割れが見られるので交換したいところだ。外したついでにリム、スポークも磨きたいし、そのうちスプロケカバーやチェーンカバーも再塗装したい。その他ベアリングやブッシュも交換したいけど全てを一度には無理だしなぁ。まぁコツコツ少しづつやるのが楽しいのかな。仕事の方はエクセルでの作業に少々煮詰まっている。VBAがイマイチわからんので関数の組み合わせでまとめるしかないのだけど結構なデータ量を収集及び抽出していかなければならないため動作が重くなるし限界あるなぁ。
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「ダークウェブ レポート」は、Googleのサービス「Google One」に新たに追加されたサービスです。Google Oneは、GoogleドライブやGoogleフォト、Gmailに追加容量を提供するサービスで、名前は知らなくとも、すでに契約して使っている人も少なくないはずです(今回の「ダークウェブ レポート」は機能制限はありますが、「Google One」未契約のユーザも利用できます)。今回はスマホ版で試してみましょう。
具体的な使い方は以下のスクリーンショットのとおりで、まずはGoogleアカウントにログインした状態で 「ダークウェブ レポート」 のページを開きます。表示されている項目をモニタリング対象に追加すると、ダークウェブのスキャンが実行され、流出の事実が確認できれば、その結果を教えてくれます。
指定できるのは最大10件までのメールアドレスと、それらにひもづいた名前や生年月日、電話番号などが対象となります(Google One未契約の場合は1件のメールアドレスのみ)。
今回、筆者がプライベートで利用しているメールアドレスを使って検索したところ、6件のデータ侵害と、それらの流出元とみられるウェブサービスが検出されました。これらを参考にすれば、各サービスに登録しているパスワードを変更したり、あるいは削除したりといった対策を取ることが可能になります。
メールアドレスだけなら危険はそれほどないが…
気をつけたいのは、メールアドレスが単体で流出していても、それだけではせいぜいスパムメールが届く程度でしかなく、本当に危険なのは、これらとパスワードがセットで流出している場合だということです。サービスに不正ログインされてクレジットカードを勝手に利用されるといった直接的な被害に繋がるのはもちろん、パスワードをほかのサービスでも使い回していれば、被害は何倍にも膨れ上がります。
こうした個人情報の流出をチェックしてくれるサービスは多数ありますが、調査のためにメールアドレスを入力すること自体、抵抗のある人もいるでしょう。たとえ運営元が信頼の置けるセキュリティ事業者でも、それ自体がフィッシングサイトである可能性はゼロではありません。Googleであれば、すでにログインした状態で、登録済みの情報を使うため、そうした危険性は低く、また継続的なチェックも行えるのが利点です。
【KADOKAWA問題で話題】Googleの無料新サービス「ダークウェブレポート」を試したら想像以上の情報流出が判明…操作はカンタン、危険性の見極め方は?(文春オンライン) - Yahoo!ニュース
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2024620 空は白
雨は降っておらず少し涼しい。忙しいと思っていた6月ももう半ばを過ぎた。確かに慌ただしい。月末に向けて休みの数も限られてきて、定期通院と歯医者が同じ日になってしまった。残りの休みがあと4日あるのにフリーの休みが1日しかない。そう思うと息が詰まりそうになる。お楽しみの予定だってあるのに贅沢だね。
来月の休みは進んで予定を入れないでおこう。休みの希望を出したのは1日だけ。大好きだった友達の命日。お墓参りに行く。あれからもう5年。
いつも思う。どんな気持ちだったのかな。どうやって自分に折り合いをつけていたんだろう。どうやって自分と話していたんだろう。どこかで諦めのような気持ちになるのか、受け入れて前向きになれるのか。それは彼女にしか分からない。
きっと見たかったものもたくさんある。知りたかったことも。やりたかったことも。それでも彼女は少しも、これっぽっちも怖がらず私の前ではいつも笑顔だった。本当はそんなことなかったよね。いつか教えてもらえるだろうか。私が一生懸命生きたらその答えを教えてくれるだろうか。
先日土砂降りの中遠くの小さな水族館まで行った。1時間半ほど一人でドライブがてらだったけれど、途中気になる大きめの産直みたいな所があった。通り過ぎてしまったのに気になってまた戻って、すごい雨の中トイレ休憩と称して中をささーっと見て回る。そこで出会ったハイドランジア。季節も過ぎる頃なので割引されてて、ついつい手に取ってしまった。
地植えにするとこの何とも言えない色合いが無くなっちゃうんだよね。去年の青緑色のハイドランジアも単色になっちゃったから今回は鉢植えのままがんばろうかな。
夜勤行ってこよ。朝まで頑張る。
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クロンズEUツアーまとめ
5/1 バルセロナ
空港でライアンと合流し、プロモーターの友人宅にお世話になる。バルセロナの街を��能。サクラダファミリアの禍々しさは我々の精神を蝕んだ。私は初っ端から換金に失敗し、詰む。唯一のオフ日である。この日はひたすら観光に勤しんだため、特筆すべきこと無し。また、バンド内でダントツの英語力の乏しさを誇る私は、奇声や奇行によってその存在感をアピールすることを決意。
5/2 トゥルーズ
初日からカマすも宿に入れず路頭に迷い全員死亡
5/3 パリ
全員モデル並みにイケまくったパリのパンクス、そして狂気に満ちたオーディエンス…我々は仕上がりまくった演奏でパリのベニューに伝説を刻むも、私は宿でお化けと遭遇し眠れず、詰む
5/4 ロンドン
遂に憧れの倫敦…友人たちとの再会、カッコ良すぎるベニューと対バン、全てが輝いて見えた…のだが自分たちのライブ中に(詳細省く)し、落ち込む。しかし人情溢るロンドンっ子たちの優しさに包まれ、泣く
5/5 アントワープ
最高のベニュー、最高のホスピタリティー、最高の飯、ヨーロッパの厳かな街並みと鳥たちのさえずりにブチ上がるも観客10人
5/6 グロニンゲン
数々のアーティストが訪れた伝説のベニューにて新たな歴史を刻む。月曜なのに満員のオーディエンス、あまりに美しい街並みと沈む夕日、カッコ良くも優しくポムポムした若者たち…恐らく本ツアーのベスト。ここにきてヨーロッパの哀愁が本気を見せてきた。
5/7 ライプツィヒ
スクワット会場にて演奏…だけどこれどう見ても普通のライブハウスじゃないの?でも違法らしくて撮影絶対禁止らしい。この日は真夜中の廃墟にてドイツ人のネッ友とビジュアル系とゴスに関するオフ会をして楽しかった
5/8 プラハ
何故かチェコで大人気なクロンズ。ステージに上がった瞬間に大歓声、美味過ぎるビール、宿泊先のホテルでロックスター気分を味わうもドライバーのライアンに悲劇が訪れる。ちなみにプラハは本ツアーで一番楽しみにしていたが街並みがディズニーシーすぎて全然好きになれず終わる。観光客多すぎ
5/9 ミュンヘン
ゲルマンの深緑に隠されたお婆ちゃんの別荘みたいなベニューと素晴らしいスタッフ達、健康的な食事、お洒落でカッコイイ人々…言葉で言い表せないほど美しい日。生涯忘れないだろう。個人的に本ツアーのベスト。そして対バンのTRAPISONDAは今回のツアーでダントツに凄かった。全員必聴 https://trapisonda.bandcamp.com/album/demo
5/10 サンテティエンヌ
地獄の10時間ドライブを経て辿り着いたのは、恥辱と糞尿に満ちた悪意の街だった…
最悪の対バン、テキトーなプロモーター、殴り合いの喧嘩、そして便座のないトイレ…我々の精神は限界に達した
5/11 バルセロナ
最高が約束された1日のはずが、全てのボタンを掛け違えたような意味不明な1日に。溢れる老害、相次ぐ機材トラブル、虚無をブーストする日本食、そして炎上するベースアンプ…個人的には本ツアーダントツのワースト。でもハコのスタッフたちのユルいノリは面白かった(ちゃんと話したかったが私の英語力の無さ&向こうもあんま英語喋れずで終了)終演後、オカモトさんが機材車にシンバルを忘れ、詰む
初日 泊まるはずの宿には何故か先客がいた
宿の番犬 レミーくんと私 巴里にて
憧れのロンドンにてはしゃぐ我々 この後まさかあんな事が起こるなんて誰が予想出来たろうか?
アントワープのカフェイでポジパンについて語らう異邦人たち
オランダはグロニンゲンの図書館にて調子に乗る私
ライプツィヒの廃墟にて ドイツのネッ友とオフ会の図
チェコでは王族のような歓待を受けた
本ツアー最強の対バン TRIPISONDAの皆さんと我々 ミュンヘンにて
「お前らの為にケーキを作った!食え!」サンテティエンヌではプロモーターのエゴが炸裂した
バルセロナの写真は一枚も撮っていないので、代わりにライアンの可愛い写真を見てください
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古いノート PC の SSD 交換と Windows11 アップデート(2)
Windows10 → 11 の作業に先だって、空き容量が少なくなったCドライブ(SSD)の交換作業を始めました。… 前回の投稿
SSD は mSATA 規格で選択肢が限られており、その中で無料クローンソフトがあるメーカーの Transcend 一択になりました。
インストールして開くと、
(USB に挿してますが)見えてません。
「初期化が必要なのね」とディスクの管理で初期化しましが、やはり見えません。
差込口を変えて見たりやってみましたがダメでした。専用ソフトの対応製品ではあるのですが、USBアダプターが良くなかったのでしょうか。やむなく今でも無料で使えるらしいソフトを見つけてダウンロードして試してみることにしました。
インストールして開いたところで、何気に右下の通知を開いてみると … 「ああ~、原因はこれだったかも~」
Windows セキュリティが何か実行ファイルをブロックしてました。そう言えば "CrystalDiskInfo" を最初に起動したときも同じだったのを思い出しました。
恐らくこれが原因です。ほっとすると同時に「まあ、こんなもんよなぁ(パソコンいじってたら往々にしてあることよなぁ)」「しかし無駄に時間を費やした」です。
ちなみに、Crucial の専用ソフトは必ずディスクの初期化をしないといけませんでしたが、Trannscend の場合は初期化しなくても使えるらしいです。試しにコマンドからディスクのクリーンを実行してもそのまま使えました。
ディスクのクリーンアップをやってクローン作業に。
2024.5.2 ~ つづく
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モンゴル遠征2023
1年ぶりの投稿になります、5年の石原です。 夏休みということで田舎のおばあちゃん宅に来ていますがのんびり過ごせると思ったらなんのその、やれ倉庫の解体に墓掃除と体力仕事を任されぐっすりと眠れる日々が続いています。
今回は4年ぶりとなる海外活動について報告します。 お話ししたいことが沢山あって何を書くべきか混乱していますが特に印象に残っていることを厳選します。
今回の目的は海外登山。 モンゴルは東南アジアの国々とは違いヒルがおらず(以前のボルネオ島遠征で寝袋にヒルが侵入し血だらけになったという話を聞いていた)、大抵の山が登れば日本人初登頂という話を聞いて決めました。ありがたいことに小林、近藤、廣瀬、田宮、岡本と5人の後輩たちが志願してくれました。私を含め男子2人女子4人。上智らしい男女比で企画がスタートしました。
9/3 3隊に分かれて成田を出発しました。全員が無事に合流できるのか内心ひやひや。
初飛行機・発海外の田宮。荷物にナイフを隠し持ちしっかりと検査官に見つかっていました。
乗り換えの待ち時間が20時間近くあったため、韓国で出国し明洞の街でサムギョプサルを食べました。お店のお母さん、プルコギって言い張ってたけどあれやっぱり注文ミスだよな、、、
9/4 1時間近く遅延が発生し韓国・仁川空港から飛行機に乗ること約4時間。モンゴルの首都ウランバートルに到着しました。街では排気ガスをまき散らしながら大量の自動車が渋滞が起こしていました。信号も秩序もない道路を慣れた手つきで運転しているのかと思いきや現地人もまあまあな頻度で接触事故を起こしているようでした。
大通りはそれなりに整備されていますが裏道に入った途端未舗装の道路と怪しげな雰囲気が漂います。
今回の活動では日本で予めアポを取っていたモンゴル人ドライバー、セーギーに車を運転してもらい目的地の山を目指しました。英語は全く通じませんがドライブ技術はピカイチで、道路もネットもない地の果てで山脈と長年の勘を頼りにおおよその方角を導き出していました。
目指す山は首都から約600㎞離れたIkh Bogd。標高は3957mで山の南側から2600m地点のベースキャンプまで車で向かいます。翌日アタックザックでピストン。山頂はとても広く平らになっていて僅かに残雪があり後半は急峻な岩山のように見えました。
下の写真正面に見えているのがIkh Bogd。もう少し近づくとなかなかにかっこいい山でした。
しかし、思い通りにはいかないのが海外というやつですね。なんとこの山、東西に400㎞以上に渡り裾野が広がっていることが判明しました。(確かに写真にも収まっていない…)北側から南側に抜けるのに2日かかると分かり、当初の予定を変更し北側からアタックするという苦渋の決断に至りました。南側からのアクセスでは頂上まで1300mの高低差でしたが北側からだと2000mを一日でのピストンしなければなりません。北側からの登山を想定していなかったため地図はなく、スマホは圏外。登頂の可否以前に登山自体に不安を感じました。Ikh Bogdを選択した時点である意味敗北だったのではないか…切ない考えがよぎりました。
その後、思いがけず麓の別荘ゲルに遊びに来ていた子供たちと仲良くなり鬼ごっこに熱中したことで悲しい感情は吹っ飛びました。
この後とんでもない裏切りが待っているんですけどね
翌朝4時起床で山頂まで半分弱の所にあるgreen lakeとBlue lakeを目指すことにしました。湖には古代生物のようなビラビラのひれをしたエビみたいなやつが泳いでいたり崖をヤギの群れがめえめえ鳴きながら渡り歩いていて可愛かったです。見慣れない地形や植物が散見され海外登山の醍醐味を味わうことが出来ました。出発前から楽しみにしていたモンゴルハムスターも遠目に見ることができました。
湖から先も時間が許す限り進もうとしましたが、いくら探してもその先の道を見つけることができませんでした。当時は悔しくて南側北側…と夢に出るほどでしたが、今となってはそもそも北側から登頂する人間なんていないのだろうと開き直っています。砂とガレ場の急斜面で人が通った形跡なんてなかったんですもん。
飲めると書いてあった沢 ヤギと共有だったけど気持ちよかったあ
登山の後はメンバーたちがモンゴルでやりたいことを実行しました。
美しい草原
放し飼いされた馬が草をむさぼっていました。近くまで来ても絶対に触らせてくれないんですよねえ…
憧れのゲル
宿泊した時うっすらと雨が降っていましたがしみこむ気配もなく、想���以上に快適で安心感のある居住空間でした。
ゴビ砂漠
夜には延々と続く草原の上に信じられないほど綺麗な星空が広がっていました。言葉にするとありきたりな表現にしかならないことが残念です。
電気が走るシャワー、モンゴルウオッカを飲み干すゆうか、鍵を投げる田宮、、、思い出があふれてきますが長くなってしまうのでこの辺にしておこうと思います。
モンゴル遠征悔しさ半分、達成感半分というところでしょうか。
後輩たちにいつかリベンジしてほしいです。
5人に沢山助けられました。ありがとう。
色々トラブルあったけどモンゴルめちゃくちゃ楽しかったわ!
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VSEか…
まあ個人的にいろいろ思うところはあるけど、できるだけ前向きな書き方をしよう。以下はあらかじめ吐き出しておく毒
電車の本質は軽量化なんですよ。軽量化は列車性能の向上にとても効果的だし、軽量化を極めれば浮いた分をほかの性能に廻すことができる。だから軽量化を怠ってはいけないんです
ロマンスカー・VSE(50000形)はこれまでの11両連接から長さそのままで10両連接にした。本来そんなことすると軸重が重くなるので「よほどのことがない限り」11両連接で行くべきなんですよ
それをロマンスカー・VSE(50000形)では10両連接にした。なぜだ
「10両にすれば左右対称になって美しいから」
馬鹿じゃねーの? ホントこの一点で駿馬が駄馬になったといっても過言じゃないんだけど、増えた軸重はどうにかして軽量化で何とかするしかない。車体をアルミにするのはいい方法だ。これで鋼体質量が3割くらい軽くなる。窓を小さくするのはどうだ。剛性を確保できるからさらなる軽量化が期待できるから考慮すべきデザインだ。何よりも剛性が小さなアルミボディなら衝突時の変形を考慮してある程度ののりしろを確保しておくのが鉄道事業者としての誠意だろう
しかしロマンスカー・VSEは「幅4mの窓」を採用した
呆れてものが言えない。安全よりも展望が大事か? 正面からぶつかったらやわなアルミボディでは開口部からグシャっと行くぞ?
そうでなくてもこんなバカでかい開口部をつくったらやわなアルミボディでどうやって剛性を稼ぐんだ。しかも軽量化のためにVSEの展望席はアルミのシングルスキン構造だ。きしむボディに防音の難しいシングルスキン。カーブのたびにたわむボディ。これでフラッグシップトレインをつくれと言われた日本車両製造の心境やいかばかりか。日車はキレていい
とはいえそこはさすが日車というか、この無理難題をちゃんとまとめてきた。N700Sなんかでも使われているアルミ削り出しの技法でムクのフレームを作って剛性を確保。連接車の構造上ストレスが最もかかるのは車端部なので、ここを強くすればあとは中央に梁を一本入れておけば「なんとかなる」。当初デザイナーは「8m幅の1枚窓」を要求したそうだが、これを蹴っ飛ばした日車の見識は素晴らしい
車体に関しては日車の技術力以外褒めるところが何一つないんだけど、足回りは小田急の意地が感じられる一級品で俺大好きなんよ。何といってもMB-5110モータをギアリング4.16で回す。もう最高にしびれるじゃないですか。「小田急は速くなくてはいけない」というロマンスカー・SE(3000形)からの信念がビンビン伝わってくるじゃないですか
もちろんこんな浅いギアリングだといかにトルクのある三菱モータでも出足がきつくなる。そこで11台車中8台車にモータを吊っちゃうあたり小田急のファナティックさが伝わってくるというものです。こんだけモータがあればコントは1C4M×4基で問題ない
それにしても、だ。こんだけモータを吊ってさらに駆動方式はWNドライブ。特急車としての静粛性はどうなんだと思ってしまうんだけど、ここでギアリング4.16が生きてくる。これだけギアリングが浅ければモータはそんな高回転で回らない。モータの騒音は回転数に比例するから多数のモータを低回転で回せば問題ないだろというこの深い見識にしびれなければいけない
WNドライブも現代では相応に進化していて、バックラッシの適正な管理でかなり騒音を抑え込めているからまあ、小田急的には自信があったんだろうね。それにシングルスキンで騒音のウイークポイントとなりそうな先頭部の台車にはモータを吊ってないし連接車なら台車は客室にかからないからこれも問題ない。しかもロマンスカー・VSE(50000形)は車体傾斜装置の関係で連結面が800mmも空いてるから騒音源から客室がさらに遠くなる。素晴らしいデザインだ
いやー、ほんと「ただただ早く走るためのセッティング」。さすが小田急と言わざるを得ない。こんなファナティックなセッティング決めてるのと言ったら、ほかには東武100系スペーシアくらいじゃないかな
それゆえに思うんですよ
ロマンスカー・VSE(50000形)が、これまで通り11連接だったらどんなに速く、静かで、エレガントだったんだろうなと。小田急はね、ロマンスカー・LSE(7000形)でt1.6の鋼板をボディに使うような、走りに命かけてる会社なんですよ。関東民鉄で小田急ほど「スピード命」のセッティングを組んでる会社は皆無と言っていい。車両の軽量化と足回りのセッティングに命かけてる会社なんですよ。ロマンスカー・GSE(70000形)のT台車ってM台車より車輪径が50mm小さいんですよ? 今時こんなことやる会社小田急以外にありますか?
だから、ちゃんと剛性を保った適正な大きさの窓を配置した、アルミダブルスキンの12.5m連接車……乗ってみたかったなあ。きっとレールの上をすべるように、タンタンタンと連接車独特の小気味よいリズムを奏でながら複々線を走り抜け��んだろうな
返す返すも、残念だ
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街とその不確かな壁/君たちはどう生きるか/ジブリ・春樹・1984
最初のジブリの記憶は『魔女の宅急便』(1989年)だ。母がカセットテープにダビングした『魔女の宅急便』のサントラを幼稚園の先生に貸していたから、幼稚園の頃に見たのだ。
まだ座席指定の無い映画館に家族で並び、私は映画館の座席で親に渡されたベーコン入りのパンを食べていた。4・5歳の頃の記憶だ。
その夜、私は夢の中で魔女の宅急便をもう一度見た。私は親に、夢でもう一度映画を見たと伝えた。
『おもひでぽろぽろ』(1991年)も映画館で見たが、あまりよく分からなかった。『紅の豚』(1992年)も映画館で見た。帰りにポルコ・ロッソのぬいぐるみを買ってもらい、縫い付けられたプラスチックのサングラスの後ろにビーズで縫い付けられた黒い目があることを確認した。
『平成狸合戦ぽんぽこ』(1994年)『耳をすませば』(1995年)までは両親と一緒に見たと思う。
父はアニメに近い業界にいたため、エンドロール内に何人かの知人がいたようだった。アニメーターの試験を一度受けたそうだが、他人の絵を描き続けることは気が進まなかったらしい。
家のブラウン管の大きなテレビの台の中にはテレビ放送を録画したVHSテープが並び、ジジやトトロの絵とタイトルを父が書いていた。テレビ放送用にカットされたラピュタやナウシカを私は見ていて、大人になってから初めて見たシーンがいくつかあった。
“家族で映画を見る”という行事はジブリと共にあった。ジブリ映画の評価は今から見て賛否両論いくらでもあればいいと思うが、批評も何も無い子ども時代に、母がとても好きだった魔女の宅急便や、戦争は嫌いだが戦闘機が好きな父と紅の豚を見られたことは幸福な年代だったのだと思う。
評価が何も確定していない映画をぽんと見て、よく分からなかったり面白かったりする。
親は『おもひでぽろぽろ』を気に入り、子どもにはよく分からない。父からは昔の友だちが熱に浮かされたように「パクさんは本当に凄いんだよ」と言い続けていたと聞かされた。
※
大人になった私は『ゲド戦記』(2006年)を見て「面白い映画に必要なものが欠けているこの作品を見ることにより今までに見たジブリ映画のありがたみが分かった」とぐったりし、『崖の上のポニョ』(2008年)を新宿バルト9で見て、全然楽しめず、新宿三丁目のフレッシュネスバーガーで「神は死せり!」と叫んでビールを飲んだ。
2020年には『アーヤと魔女』の予告編に驚愕し、『モンスターズ・インク』(初代、2001
年)からずっと寝てたのか!?と罵倒した(見ていない)。
私が持っていたジブリという会社への尊敬は過去のものになり、多彩な才能を抱えていたにもかかわらず明らかにつまらないものばかり作る血縁にしか後任を託せない状況にも嫌悪感を抱いた。
期待値は限りなく低く、『君たちはどう生きるか』を見ようかどうか迷っている、とこぼしたら「見て文句も言えるからじゃあまあ一緒に行く?」という流れになり、見た。
あまりにも期待値が低かったため、文句を言いたくなるような作品ではなかった。私は2023年、もっともっとつまらない映画を何本も劇場で見ている。つまらない映画を劇場で見ると、もう2度と見なくて良いという利点がある。
『君たちはどう生きるか』の序盤、空襲・火災・戦火で街が焼ける場面、画面が歪で、不安で、安定感がなく、私はホッとしていた。綺麗に取り繕う気のない、表現としての画面だった。
複数の場面に対してセルフ・パロディーであるというテキストを読んでいたが、私にはあれらはオブセッションに見えた。小説家でも芸術家でも脚本家でも、何を見ても何度も同じことを書いているな、という作家に私は好感を持っている。少なくとも、いつも結局テーマが同じであることは減点の理由にはならない。
『君たちはどう生きるか』になっても高畑勲の作品に比べればどうにも女性の人格が表面的で、天才はこんなにもご自身の性別をも超えて何もかもわかり物語に落とし込めるのかと感激した『かぐや姫の物語』(2013年)に比べてしまうと胸の打たれかたが違うのだけれども、でも私は取り憑かれたテーマがある作家のことが、いつも好きだ。
スティーブン・スピルバーグは『フェイブルマンズ』(2022年)でもう大人として若い頃の母親を見つめ直せていたように思うが(フェイブルマンズで取り憑かれていたのは別のものだ)、
宮崎駿は小さい頃に一方的に見つめていた母に取り憑かれ、母の内面には踏み込めないまま、少年・子どものまま母を見つめ続け、自分が老年の大人として若い母親を見つめ直す気は無い。
そして、母親の方を少女にして映画の中に登場させる。しかも「産んでよかった」という台詞を創作する。
貴方は大人なのにずっと子どものままで母親に相対したいのですか、と思いはするものの、子どものままの視線で母を見つめ続けたいのなら、それがあのように強烈ならば、それがオブセッションなら全くかまわないことだと思う。
最初に屋敷に出てきた7人のおばあちゃんがあまりにも妖怪じみているので驚いたが、あれは向こうの世界とこっちの世界の境界にいるかた達という理解で置いておいてあげよう。
それにしてもアオサギが全く可愛くもかっこよくも無いことに最後まで驚いていた。頭から流れる血液も、赤いジャムも気持ちが悪い。途中途中、激烈に気色が悪い。世界や生き物は気持ちが悪く、性能の良い飛行機みたいに美しくは無い。カエル、内臓、粘膜、血液、食物もグロテスクだ。嫌悪ではない、全部生々しい。生々しく、激烈だ。その生々しさを必要としたことに胸をうたれた。
塔の中のインコについて、愚かな大衆だとかジブリはもう人が多すぎてしまったんだとか商業主義的な人間の表現だというテキストも読んだのだけど、私はあのインコたちがとても好きだった。
インコたちは自分達で料理をして、野蛮で、楽しそうだった。終盤、緑豊かな場所にワッセワッセと歩いていくインコさんが、「楽園ですかねぇ」「ご先祖さまがいますねぇ」と言ったようなことを言うシーンが面白く、可愛らしく、インコたちの賑やかな生活(時に他者に攻撃的であっても)を想像した。
私は水辺の近くをよく散歩していて、大きな渡り鳥が飛来してまた消えていくのをじっと見つめている。鳥たちがある日増えて、いなくなる。国を越えて飛んで行き、地球のどこかには居続けているのがいつも不思議だ。
映画の中で、鳥やカエルはあのように生々しく、実体をつかんでアニメーションに残すことができるのに、全てを生々しく捉える気が無い対象が残っている。どうしてもそれを残すことが寄す処なら、それはそのままでかまわない。
※
小説では、村上春樹の『街とその不確かな壁』を読んだ。
私の父は村上春樹と同い年で高校卒業後に東京へ出てきたので、『ノルウェイの森』で書かれている、まだ西新宿が原っぱだった頃を知っている。その話を友人にしたところ、『西新宿が原っぱだったというのは春樹のマジックリアリズムかと思っていた』と言っていた。
私が村上春樹を読み始めたのは及川光博が「僕はダンス・ダンス・ダンスの五反田君を演じられると思うんだけど」と書いていたの読んだのがきっかけだ(曖昧だけれども、1999年くらいか?)。
『風の歌を聴け』は家にあったので、そのまま『1973年のピンボール』『羊をめぐる冒険』『ダンス・ダンス・ダンス』を読み、その後短編集をあるだけと、『ノルウェイの森』『世界の終わりとハートボイルドワンダーランド』を読み、『ねじまき鳥クロニクル』は途中途中覚えていないが一応読み、『スプートニクの恋人』(1999年)を高校の図書館で読んだがあまり面白くないと感じた。
最近ではイ・チャンドン監督の映画『バーニング』(2018年)が素晴らしかったし、濱口竜介監督の『ドライブ・マイ・カー』(2021年)も面白かった。
『ドライブ・マイ・カー』の原作(短編集『女のいない男たち』収録)は映画を見た後に読んだが、反吐が出るほどつまらなく、気持ちが悪い短編だった。
イ・チャンドン監督も、濱口竜介監督も、「今見たらその女性の描写、気持ち悪いよ」を意識的に使っていたのだろう。『バーニング』は『蛍・納屋を焼く・その他の短編』時期の初期春樹、『ドライブ・マイ・カー』はタイトルこそドライブ・マイ・カーだけれども、ホテルの前の高槻の佇み方はダンス・ダンス・ダンスの五反田君であろう(港区に住む役者である)。
村上春樹のことは定期的にニュースになるのでその度に考えているのだけど、2023年に、フェミニズムのことをある程度分かった上で過去作を読むのはかなり厳しい気もしている。
次から次にセックスをしているし、主人公はガツガツしていない風なのに何故かモテているし、コール・ガールを呼びまくっている。
『ダンス・ダンス・ダンス』に出てくるユキは13歳の女の子で、ユキの外見・体型に関する記述はそこまで気持ち悪くはないのだが、『騎士団長殺し』に出てきた未成年の女性に対する描写はとても気持ちが悪かった(はず。売ってしまったので正確ではないのだが、あまりに気持ちが悪くて両書を比較をした)。
いくら今「この人は世界的巨匠」と扱われていても、作品を読んで気持ち悪いと思えばもう読む価値のない作家であるので、まだ読んだことがない人に読むべきとは全く思わない。
けれども、20年前に読んだ村上春樹は面白かったし、『ダンス・ダンス・ダンス』に書かれる母娘の話に私は救われたのだと思う。
最近友人に会い、「村上春樹は読んだことないんだけど、どうなの?」と聞かれたので、「春樹の物語は色々な本で同じモチーフが多い。主人公がいて、どこかへ行って、帰ってくる。戻ってきた世界は同じようでいて少し変わっている。私たちが現実だと思っている世界は世界の一部分に過ぎず、どこかでみみずくんが暴れているかもしれないし、やみくろが狙っているかもしれないし、誰かが井戸の底に落ちたかもしれない。だけど主人公は行って、戻ってくる。どこかで何かが起こっていても、行って戻ってくる。一部の人は行ったっきり、帰ってこられない。」
「この世では 何でも起こりうる 何でも起こりうるんだわ きっと どんな ひどいことも どんな うつくしいことも」は岡崎京子の『pink』(1989年)のモノローグだけれども、何でも起こりうる、現実はこのまま永遠に続きそうだけれども、ある日小さなズレが生じ、この世では何でも起こりうるんだわ、という小説を次々に読みながら大人になったことを、私は愛している。日常を暮らしていると現実の全てに理由があるかのように錯覚してしまうけれども、「何でも起こりうる」世界には、本当はあまり理由がない。何か理由があると錯覚し過ぎてしまうと、公正世界仮説に囚われて、善悪の判断を間違ってしまう。
「主人公が、行って、帰ってくる」形は数えきれないほどの小説・映画の構造なので特徴とも呼べないところだけれども、『君たちはどう生きるか』もそうだし、『ダンス・ダンス・ダンス』も、『世界の終わりとハードボイルドワンダーランド』も、昔読んだ『はてしない物語』だって勿論そうだし、『オズの魔法使い』もそうで、『君の名は。』もそうだったような気がする。
『はてしない物語』の書き方はわかりやすい。
「絶対にファンタージエンにいけない人間もいる。」コレアンダー氏はいった。「いけるけれども、そのまま向こうにいきっきりになってしまう人間もいる。それから、ファンタージエンにいって、またもどってくるものもいくらかいるんだな、きみのようにね。そして、そういう人たちが、両方の世界を健やかにするんだ。」
※
『街とその不確かな壁』は春樹の長編も最後かもしれないしな、と思って読み始めたが、半分を超えるまで全然面白くなく、半分を超えてもちょっと面白いけどどう終わるんだろうこれ、の気持ちだけで何とか読み終わった。
17歳の少年のファーストキスの相手の音信が突然途絶えようと、『世界の終わりとハードボイルドワンダーランド』の世界の終わり側の話をもう一度読まされようと、どうしてそれを45歳までひっぱり続けるのか、読んでいて全然情熱を感じなかった。
イエロー・サブマリンのパーカを着た少年が何のメタファーなのかは勿論書かれていないが、春樹は昔に還りたいんだろうか?何故か「あちらの世界」から物語がこちらに、鳥に運ばれてきたみたいにするすると現れ世界を覗けたあの頃に?活発な兎が息を吹き返すように?
※
宮崎駿のオブセッションや視線は今も跳ね回っており、村上春樹の滾りは、もう私にはよくわからないものになった。
私は昔『ダンス・ダンス・ダンス』を何ヶ月もずっと読み続け、どのシーンにどんな形の雲がぽつんと浮かんでいるかも記憶していた。欲しいものだけ欲しがればいいし、くだらないものに対してどんなことを友だちと言い合いビールを飲めば良いかを知った。
岡崎京子に「幸福を恐れないこと」を教えてもらったみたいに。
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日曜日午後2時、電波越しの達郎
山下達郎がずっと嫌いで、好きだった。山下達郎(以下、達郎)は両親が好きな歌手で、わたしの理解では、あまり好みがオーバーラップしない両親ふたりにとっては珍しく共通の趣味のひとつとして楽しめるのが達郎の歌だった。それでも片方が好きで片方が嫌いな歌も存在するので、家族でのドライブのときにかけられるナンバーはかなり限られる。ゆえにわたしは「達郎のいろいろな曲を知っている」というよりは、「いくつかの限られた曲を聴き込んでいる」という嗜み方だ。でもそうしたわけで、幼い頃から達郎の歌声には親しんでいた、もうそれは否応なく。
嫌いだった理由はふたつある。ひとつに、その継ぎ目のないシームレスな声が、幼いわたしにはサイレンを彷彿とさせて怖かったのだ。そもそも町の防災サイレンが苦手な子どもで、火災予防週間になると余分に多く鳴るサイレンに耳を塞いで布団に潜り込んでいたくらい、わたしは「ぬるっと迫り来る音」が怖かった。すなわち達郎の歌声の繋ぎ目のなさは、わたしにとって人間離れしているもののように感じられた。それはすごい声を持っているからだということはのちに理解した。
もうひとつの理由は、両親が好きなものだから、同じものを好きになるまいとするある種の生存本能だと思う。エビデンスなしに書くけれど、ほら、自分と遠いDNAの人を人間は嗅ぎ分けられる、なんて言うじゃない。あれみたいなことだと思うのだが、子供の頃のわたしには両親が好きなものをたまにあえて避けたくなる機能が働くことがあった。
でも大人になってみると、達郎の歌はあまりにもわたしの耳にこびりついていることに気づく。何より、達郎の音楽をかけたり、達郎の日曜のラジオを聞きながら家族でドライブに行く図は、のちのち楽しい思い出として脳裏で再生された。一方で、自分の周りでは達郎を同じ濃度で聞いている友人がいなかった。高校、大学、または大学院での友人の中には自分たちの親世代に人気の歌手を好んで聞く人が何人かいて、それぞれの人が別の歌手のコアなファンだった。それにやや憧れて、わたしは達郎の曲が好きで聞くよ、なんてアイデンティティのように言うこともあった。
実際アイデンティティのひとつではある。両親はわたしの名前のインスピレーションを達郎の曲から得たらしい。国際ヨットレースのために書かれた曲を聞いて、帆を張ってさわやかな風を受けて海を進むヨットの図を思い浮かべたところから真帆という単語(何を隠そうこれは名前以前に船のとある状態を示す名詞なのである)に行き着いたと聞いている。
そう知って実際の曲『Blow』をCDプレイヤーでかけてひとりで視聴したときに、わたしは曲の渋さにびっくりしてしまった。それまでも耳にしていたがタイトルと中身が一致していなかった。この曲のことだったのか。『ドーナツ・ソング』のようなポップなほうをイメージしていたら、どちらかというと湿度が高いほうの曲。メジャーではなくマイナー。クラシックで言うところのレチタティーヴォのような感じ、というのは、まるで言葉を話すように歌われる曲で、文章にちょっと抑揚を強めに付けたら結果的に音程がついた旋律に聞こえる、そういう作りの曲だ。達郎の声のシームレスっぷりが遺憾無く発揮される。
そのときすでにヴァイオリンを弾いていたわたし、すなわち器楽奏者のわたしにとっては、レチは掴みづらくて苦手だった。もっとリズムがはっきりしていてほしかった。聴音能力もまだ未熟で、あまりに言葉然としている旋律は、絶対音感がありながら音高がわからなくなるくらいだった。器楽の人間ゆえに、今もそうだが、歌詞を聞き取る能力が弱い。言葉を単語としてではなく音として捉えてしまうので、言葉の存在感が強いと、わたしの耳はバグを起こしてしまうのだ。その曲はそれ以前から何度も聞いていたにも関わらず、わたしは達郎が何を言っているのかひとつもわからないでいた。
実際には普通に4拍子だし音高も楽譜にきっちり起こせるほうの曲だが、当時のわたしは、自分の知っている拍子と音高に明瞭に当てはまらない旋律にいらいらした。でも、両親はこの曲に良い印象を抱いたからこそ、大切な曲として聞き続けているのだと思うと、その愛を受け止めたかった。そしてわたしはヴァイオリンのお稽古の中で経験していた ― 第一印象で好きになれない曲も、根気強く付き合うと好きになれることがある、という現象を。きっとこの曲の良さがわからないのはわたしがまだ幼いからだろう、この良さがわかるまで何度も咀嚼していこう、とわたしは思ったのだった。
しかし達郎の歌の歌詞が聞き取りにくいというのは、一種の共通認識らしい。達郎のラジオ『サンデーソングブック』の中で忘れ難いエピソードがある。ある日のリスナーからのお便りで、「『LOVE GOES ON(その瞳は女神)』の歌詞の一部が空耳でどうしても『あけみ』に聞こえるけれど、それだと脈絡がないので絶対に違うはず、なんと言っているのですか」というものがあった。結局本来の歌詞は「アルケミー」のはずなのに「あけみ」という名前のように聞こえて仕方ないというオチだったはずだ。ちょうど、ひとりの女性への想いを歌い上げる曲なので、その女性が「あけみ」だという想像まで伴うところに可笑しさがあった。
このお便りを読み上げた達郎は、おもしろがっている様子だったが、答えを絶対に言わなかった。しつこくらい何度も「正解は歌詞カードを見てください」を繰り返して、答えを言わない達郎を、小学生のわたしは「意地悪な人だなあ」と思った。確かに、当時は音楽を聴くと言ったら必ずCDを買っていたはずだから、歌詞カードはそこにある。よほどお便りを出すより簡単に歌詞はわかっただろう。リスナーの人はそれでもお便りを出す手間をかけたのは、達郎との交流がほしかったわけで。ただ達郎のラジオを聞いてお便りするような人なら、そうした「意地悪さ」も嬉しがったかもしれない。そもそも、お便りが取り上げられただけでクジを当てたようなものだもんな。
でもわたしは、答えをその場で発表したほうがみんな楽しめるのに、と思った。わたしはそのあと曲がかかるまで該当箇所が思い浮かばなかったので、お便りへのコメントを聞いている間、すごくフラストレーションが溜まった。でも達郎流に言うなら、それで思い浮かばない人にまで親切にする義理はないのだろう。そういう人に“僕の音楽は必要ない”のかもしれない。
ちなみにその後しばらく空耳に関するお便りがいくつか続いた記憶がある。リスナーたちは「実は聞き取れない歌詞あるよね」と共感したのだろう。達郎はやっぱり、歌詞カードを見ろとしか言わなかった。ちなみにわたしは「高気圧ガール」をいつも「高気圧ケロロン」と空耳する。
嫌いだったはずなのに、すでにここまでで2500字以上も達郎の思い出を語っている。掘ればまだ出てくる。『新・東京ラプソディー』に準えて、母からはわたしに対して、自転車は国道246号線でしか乗らないでほしい、しかもおしゃれな緑色の自転車で、というかなり限定的なリクエストがあった話とか、中学時代の担任の先生が『クリスマス・イブ』を授業中に歌い出した時に、わたしはその曲の先の展開を知っているがゆえに「oh~yeah」という素人が真似をすると事故になりそうな部分で先生がどうするのか先回りして心配になってしまう話とか(先生は達郎風をやりきって教室は静まり返った)。それだけ達郎の歌はわたしに染み付いている。
そうして音楽が染み付いていることで、音楽を作った人の思想も無意識のうちにインストールしているのではないかという気がしてきて、恐ろしくなってしまったのが、先日のあの『サンデーソングブック』の発言だった。名前にもまとった達郎の影に、わたしは恐れ慄いた。もし両親が達郎のことを擁護したら、わたしは両親に絶望してしまうとも思ったし、もし両親が達郎の発言を知らないとしたら、知らないままでいるほうが家族の幸せかもしれないとも考えた。でも ― その数日後に両親と顔を合わせたときに、両親のほうから言及があった。達郎の件の発言にものすごくがっかりして、冷めてしまったこと。これまで何十年も楽しんできた時間を、台無しにされた気分になったこと。実際のラジオを聞いて、その語り口にもがっかりさせられたこと。
わたしは考えた。確かに真帆という名前のインスピレーションは達郎の歌から得たものだった。でもその歌の歌詞には全く出てこない言葉で、それは両親が見つけてあつらえてくれたものだ。こうして一緒に達郎にがっかりしたと言える両親が選んでくれたものであり、何より、ここまでおおよそ30年は、わたし自身がこの名前に自分の生き様を刻みつけてきた。この名前が司る人格は、誰のものでもない、わたしが形作ったものだ。むしろ達郎なんかに影響されて、この大好きな名前に残念なイメージを持たせられて堪るか、とも思った。
思い出は色褪せた。そこに流れる達郎の曲を、わたしたちは今は楽しめない。でもそこにあった家族の団らんまで色褪せさせて堪るもんか。わたしはこれからも思い出を大事に抱えていく。でも、そこにあった音楽を愛せなくなる出来事があったことも、忘れない。
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ドライブが好きだ。
数年前に通勤用に軽自動車を購入して以来、休日になるとふらりと何処かに行きたくなるわけですよ。
それまでは駅前に住んでいたことを理由に「別に車を持ってなくても生きていける」と強がって生活をしており、普段の食料品の買い物もママチャリの前後にカゴをつけて、それだけでは飽き足らずトートバッグをハンドルにまで掛けて、必死こいて移動していて、「苦しきは旅路」ならぬ「苦しきは買い出し」な生活でした。
元々夫婦してインドア派の出不精なこともあって、週末は買い物以外はきっちり引きこもって生きていましたから、何処かに遊びに行くこともほぼほぼ無く、出かける時は月に一度あるかないかの頻度で公共交通機関もしくは徒歩で行ける場所に限られてましたが、通勤の都合で安い中古の軽自動車が我が家に来たのをきっかけに、外へ行く機会が増えてきました。
最初は買い出しの荷物が重かったので、「なら自動車で行けばいいや」とスーパーまで行った際に、帰り際にふと「ついでに別のスーパーへ」と足を伸ばした暗いから始まって、「ちょっと暇だから別の街へ」「天気がいいからドライブに」と、手段が目的になってきた。
本来それは無駄なことだけど、それがまた面白い。
そしてその暇つぶし的なドライブが、やがて本気出してきて、当時住んでいた愛知の西の端っこから和歌山の端っこまで行ったり、千葉の端っこまで行ったり、しまいには青森の端っこまでドライブしたことにつながったりするわけで、そして、いつか日本一周したいと想いを馳せるまでに至るわけで……。
日本一周まで行くと、完全にただの夢でしかないのだろうけど、それでもいつかは行ってみたいと強く願うわけだ。
まあ無理だろうけど、それでも想うのは自由だから、行ける機会と資金があったら、そんな旅に是非出かけたいと、どこに立ち寄るかのリストを今日もセコセコとメモる日々を過ごしている。
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https://anond.hatelabo.jp/20230912211531こんな増田が話題になっていますね!この増田に向けてと言う訳ではありあせんが、日常的に山道を生活道路として走っているので、アドバイスしておきます。結論から言わせていただくと 車間距離短すぎです。一般道路の2倍から3倍はとりましょう。山道の運転で車間距離は正義です。相手が譲らないと言う事に腹を立てても仕方がありません。自分が時間を譲って、どこかで10分ぐらい休んでから、その後行きましょう。趣味のドライブで深夜の山道を走るのは、できたら避けてください。それらの道は、周辺の住民にとって命をつなぐ道です。山道の制限速度は上限速度です。本当に守らないと命に関わります。捕まらないと言う基準ではなく命を守るために守りましょう。以下解説しましょう。 車間距離短すぎだろ下手糞が増田はこのように書いていますね。こういうドライバーは後ろから追いつかれても絶対に譲らない。チンタラ走り続ける。制限速度で走る場合その速度をキープしてくれればまだマシなのだが、上り坂でアクセルを踏まず大減速して渋滞を作るし、下りではローギアに落とさずブレーキをパカパカ踏んで減速するため傍から見ていても危なっかしい。カーブのライン取りも甘く、インから入って外に膨らみ、曲がりきれずカーブ後半で急旋回する。同乗者はたまったもんじゃないだろう。車内はきっとゲロまみれだ。こういった運転の細かい所まで観察でき、その影響をダイレクトに受けるようなレベルでは車間距離が短すぎます。一般の平地に比べて、2倍から3倍くらい、車種がわかるかな?ぐらいの長い車間距離をとりましょう。そうする事によって、上り坂に入った直後の急減速や、下り坂でのカーブごとの減速などに追従出来るため、ストレスなく走る事ができます。山道はカーブやアップダウンが激しいことがありますし、カーブの先が全く見通しがないこともよくあります。そしてそれぞれの車や荷物をの状況などによっても挙動が変わってきます。その差を吸収するのが車間距離です。先に進んでいる車が自分の車と同じ挙動をすることはありません。とにかく車間距離をとりましょう。仮に増田の妄想が正しいとしても、事故に巻き込まれる可能性を減らす事ができます。もっと言うと、ライン取りの評論が出来るくらい近い車間距離は、山道でなくとも近すぎます。場合によってはあおり運転と解釈される場合もありますから、いつも車間距離を長くとりましょう。すぐに追いついてしまう? それは単にスピードの出し過ぎです。流れに乗ってください(笑)他人に譲れという前に貴様がまず時間を譲れ。周りはお前のママじゃねえんだよとにかく時間に余裕を持って行動することが大切です。そして増田は相手が自分に会わせて譲らないことが大切だとおっしゃっていますが、なかなか分かってもらうことは難しいです。ドライバー感の譲り合いの精神、大事ですね。身振り手振りやアイコンタクトなどによる非言語コミュニケーションかなり大事だと言うことが言われており、自動運転で難しいのがこの辺りだという研究結果も存在しています。ですから、その総論には賛成できます。ですが、それを相手に求めたからといって、貴方自身になにかよいことがあるのでしょうか?私は無いと思います。また、相手は、山道に不慣れだけれど、何か特別な用事があってやむを得ず運転している場合があるかもしれません。と言いますか、山道を深夜走るのは、日常的にその時間に通勤などで使う人でなけえば、大抵はそう言う人々です。コミュニケーションとは、相手の事を察することも含まれるわけですから、まずはそこから心がけてみてはいかがでしょうか。それでもどうしてもイライラしてしまう、そんな増田にお勧めなのが「自分の時間を譲る」という方法です。路肩の安全なところに車を止めて、10分ほど時間をおいてから出発する「時間を譲る」考え方です。なあに、10分なんて、Youtubeで大好きなDQN動画でもみればあっという間です。貴方はスピードを出しているつもりかもしれませんが、実際には到着時間にしてみると、5分も差が無いことが殆どです。ですから、それだけズレていれば、貴方が一方的に恨みを募らせている被害者に追いついてしまうことは無いと思います。まずは隗より始めよ!ですね。これは運転に限らずです。どうしてもリズムがあわないと感じたら、相手に向かって呪詛を吐くよりも、自分がうまく譲る事を覚えましょう。次の低速車が来てしまうかも? それは…そんなに低速車に当たるようなら、お祓いなどを検討された方がいいですね! もちろん冗談です。まずは、低速車認定する閾値が低すぎるのではないか?と言う所を考えてみた方がいいかもしれません。常に心と時間と車間距離には余裕を持ちましょう。山道は生活道路。ここはテメエの遊び場じゃねえんだよ。大人しくスマホでポチポチゲーでもやってろや趣味がドライブ!いいですねえ。昼間のドライブで、道の駅などを巡って美味しいものを食べて、温泉入って、地元にお金をとしていただくことは大変うれしいです。助かります。でも、深夜の山道、ですか……?都会の人が地方に来て「こんな立派な道が何故山奥に?」と驚かれることがあるのですが、こういった道は、昔からの街道筋にあることがほとんどです。そして、かつての産業を支えた道でもあるんですね。そして現在は、都市間をつなぐ役割は高速道路に譲ったものの、その街道を支えた集落と集落の間をつなぐ道として存在しているわけですね。そして、地方部の場合は、その道一本しか無い場合もあります。この道が潰れたらもう出勤もできないし、救急車も通れないわけです。ですから、人々の生活を守るための道として存在しています。趣味が車、ドライブであるというのは否定しません。否定はしませんが、深夜の山道を珍走する行為は、そういったライフラインを無闇に危険にさらしている用に思います。またただでさえ過疎化で維持コストが高まっているところで、生産性もなく走るだけと行ったフリーライダー行為は控えてほしいと考えています。少なくとも、そう言った存在に、地元の人たちは迷惑している、と言う事は表明しておきたいです。スピード超過で事故るならテメエひとりで事故れ、他人に強要すんなよカス皆さんは、道路の制限速度はどういった形で決まっているかご存じですか?近年作られた道ですと、設備(歩道が別けられて中央分離帯があるか、など)やカーブの有無などによって、設計速度というものがあり、そこから一定の係数をかけて最高速度が決まっています。例えば、新東名高速道Rは140km/h と言う設計速度で作らていますが、ついこの間まで100km/h でした。そう考えると、速度を超過しても安全である、それよりも流れが大事だ、と言う考え方は一理あるように思います。もしかしたら一部の状況ではそれが正しいと言える事があるかもしれません。しかし、山道など昔からある道はどうでしょうか? 実は、こういった道は「過去の経緯」で、現在の規制基準に比べると、高い制限速度になっているケースが多いのです。現在の基準で当てはめると40km/h や30km/h になるべき所が、50とか60とかになったままになっていることがあります。例えば、トラックなどはその速度でカーブに突入すると、横転まであり得ると言うような急カーブが存在していることがありますが、制限速度はそのままです。これは、高速道路が整備されるまでは、そこを基幹輸送を担うトラックなどが走っていたことのなごりかもしれません。そして、そんな山道でも、突然制限速度が厳しくなっている箇所がありますよね。あれは、そこで以前、重大な事故があった証拠です。山道はあまりお金をかけられません。道路を改良するより、速度規制を厳しくすることで対応しているのです。そういった状況で、15km/h の超過ならつかまらない、といった「捕まらなければその速度で走って良い」と解釈するような動きをするとどうなるでしょうか?もしかしたら、増田はスーパーカーを持っていて、走れるかもしれません。しかしトラックや、軽のハイトワゴンなどはどうでしょうか?制限速度は守りましょう。どうしても自分は超過して良いと考えるようでも、他人にそれを強要するのはやめてください。それぞれ事情があるのです。少なくとも言える事は、早い速度で走って問題ない車を遅く走らせる事はできますが、逆はできないと言う事です。 まとめ:お前運転向いてねえわあおり運転で捕まった人間のうち、ほとんど「煽ったつもりはなかった」というそうです。もちろんしらばっくれている人もいるでしょうが、実際には本当に本人は煽っているつもりはないと思っているかもしれません。また、そういう方ほど、ご自身の運転に自信があり、車間距離などを短くとる傾向があるそうですから、それが端から見るとあおりに見えている、ということがあるでしょう。山道では、特にそう言う事が起きやすい傾向がありますので、皆さんも注意してみてください。さあ本日もご安全に!
山道を日々走る俺が山道走行のコツについて述べる
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本来なら即交換すべきだが
今日発生した新たな問題は、突然PCのドライブが認識しなくなった事だ。認識しなくなったのはm.2接続のintel製ssdで、流石に補償期限は過ぎているが使い込んでいる程でも無い。有名メーカー製だからと思って油断していたが、やはり壊れる時は壊れるものだ。
とりあえず再起動等ソフトウェア的な解決を試みるが効果無し。PCを分解して該当ドライブを外し、接点付近の清掃を試みて再度接続、半分解状態のままPCを起動して動作確認するとなぜか今度は認識している。
原因はいまいち分からないが、ドライブ系のこの手のトラブルは経験上再発率が高い。動いた時は機会を逃さずドライブ内の全データをバックアップしておくべきだ。幸いデータ量はそう多くなかったので手持ちの外付けドライブに1時間程でバックアップ出来た。
バックアップ後も一応問題のドライブは動作している。逐次差分バックアップしつつこのまま運用する選択も一つの案だが、優先すべきは記憶装置よりもデータであるのだから個人的には懸案の芽は早めに摘み取っておくべきだと考えている。
しかし、そうなるとまた出費が痛い。来年前半は財政事情の厳しさが予想される中、ここで浪費して良いものかが悩み所だ。
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目を逸らさずに、立ち向かえ
L'événement @ Rectangle Productions 他
Directed by Audrey Diwan
執拗に観客を主人公と同化させようと試みる作品というものがある。やり方を間違えると白けるだけだが、本作は難なく成功している。スタンダードサイズの画面、彼女を追って周りがボケているピントの合わせ方。これら技術的な面も手伝っていることも確かだが、何よりとある「病気」が自分の身に降りかかるという状況が有無を言わせず全ての人間に当事者意識を植え付ける。彼女のバックグラウンドや、選択、考え方、仕草を気に入る気に入らないといった、通常主人公を批判的に見る隙を観客に与えることはない。観客は始めから彼女の肉体に囚われ、逃げることができない。
病気と書いたが、それは主人公が言うところの「女だけがかかる病気」「主婦になるという病」、すなわち妊娠である。大学生の主人公 Anamaria Vartolomei は予期せぬ妊娠に直面し、これでは文学あるいは国語の教師になりたいという夢を諦めなければならなず、自分の人生を捨てなければならない危機に見舞われる。しかし 1963年当時フランスでは中絶は違法であり、彼女を助けることができる真っ当な方法は存在しない。彼女は、アンダーグラウンドの中絶手術を求めることとなる。
冒頭の授業で詩の授業が行われている。読まれているのは戦争を描いた Louis Aragon の詩 « Elsa au miroir » である。
教授が Vartolomei に質問する。「この手法をなんと言いますか?」 « Une Anaphore » 「首句反復」と答える彼女。単語の響き、アンシェヌマン(フランス語の発音ルール)が起きてこう聞こえる。 « Une Nana Forte » 「強い女」。戦争に巻き込まれる強い女とは何者か?
それは、一つに原作者の Annie Ernaux のことである。彼女の実体験を映画化した本作は、壮絶で孤独な戦いに身を投じる若い女性を描く。私はカメラワークが László Nemes の 「サウルの息子」や「サンセット」といった作品のようだと感じたが、戦禍の中、主人公がどこにピントを合わせて世の中を見ているかという点さえも観客に主人公との同化を強いる意味では当然の選択だったのだろう。観客は、彼女が見ていないものは知るよしもないが、逆に彼女が見ているものは全てくっきり見せつけられる。さらに、サスペンス的要素もこの作品の危機感をドライブする。3週、7週などとカウントアップされていくクレジットは焦燥感を煽り、観ている側もパニックに襲われそうになるのだ。戦争、病気といった非日常に突入したことによって、もはや自分にとって時間の数え方が変わってしまう。しかしこれはある意味、妊娠という状況でなくとも男女の大きな違いかもしれない。28という数字を聞いて、男はなんのことだろうと首を傾げるなどよくある話だ。
さて、妊娠が分かったヒロインだが60年代フランスにおいて人工妊娠中絶はいかにタブーであったかを思い知らされる場面が次々と出現する。まず、医者が「生理が来るように」無言で処方した薬は精力剤で胎児を元気付けるものだったという騙し討ち。あるいは、女友達は雑談の中で子供を堕すことを「冗談でも言わないで」と真顔で言う。当然の成り行きで、打ち明けた途端に巻き込まないでほしいと友人関係も疎遠になる。時間が経ってから、仲良し三人組の一人だった Luàna Bajrami が私は欲望のままに男と遊んだけれど、妊娠しなかったのは運が良かっただけど心の中を Vartolomei に打ち明けて歩み寄るシーンがあるが、 « Portrait de la Jeune Fille en Feu » で彼女は周りの登場人物にあんなに堕胎に協力してもらってたのに、本作での主人公への仕打ちはあまりじゃないか!と突っ込んだ。笑
追い詰められた彼女に手を貸したのは、悪い遊びを知っている男友達 Kacey Mottet Klein 。「経験がある」という学生 Alice de Lencquesaing にアンダーグラウンドで手術を請け負う Sandrine Bonnaire を紹介される。 Alice は告げる。手術のあと医者が「流産」と書くか「中絶」と書くかは運次第。後者ならみんな-妊婦、手術した人、協力者-刑務所行きだと。手術費用は400フラン。Vartolomei は大事な蔵書を売って金を工面する。そこで売られているのは Simone de Beauvoir や 冒頭の Aragon の著作。自由やそれを奪う戦争について彼女がいかに考えを巡らせているかを垣間見せる一場面だ。ちなみに、フランスは1789年の革命の頃まで中絶は合法だった。それが禁止されたのは1810年から。理由は、 Napoléon Bonaparte による戦争。国民全員が何らかの形で戦争に関わることになる近代国家にとって、人口の量と質の管理は至上命題であり、子供を勝手に堕ろされては政府にとって不都合だったのである。
クライマックスとなる堕胎の場面は、 Bonnaire の自宅へ足を踏み入れてから手術完了まで長尺のワンショットで見せる。ショットを映画における瞬きとするならば、ここは瞬きなしの一呼吸だ。一度目の手術では胎児は持ち堪えて失敗。もういちどと Bonnaire を説得し行った2回目では成功。彼女は大学の寮に戻ってから激痛に耐えた末、トイレで亡骸を産み落とす。この場面では便座に座る彼女を正面からカメラが捉えているのだが、ほんの少し下へ向けられる瞬間がある。そこには血だらけの肉塊が臍の緒一本で Vartolomei と繋がっている姿が映される。女性は血と肉、すなわち命をかけて妊娠をするものなのだという事実を観客に見せる姿勢に容赦はない。それが本作の映画化にあたり、考えられうる限り最大の誠実さを証明していることは言うまでもない。
最後には世間が行う時間の捉え方7月5日の文学の試験で幕を閉じる。試験前に教授が引用するのは Victor Hugo の言葉だ。その内容も顔を上げて、旗を掲げて歩めという戦争もの。若者たちよ、強い女性たちよ、歩き闘い続けよというメッセージが込められていた。
なお、この闘いは現在も進行中である。法律は変えられる恐れがあるからとフランスでは先月24日、憲法に中絶へのアクセス権を明記する憲法改正案が国民議会で可決されたばかりだ。右派が過半数を取る上院での可決は難しいらしいが、 US の動向に対する反動としても議論は続いていくだろう。最後に余談だが、成績が下がってきたヒロインに対し教授が冷たい態度をとったせいで Vartolomei ならぬ Ernaux は教師になんかならず作家になりたいと思ったのではないだろうか。であるならば、 Nobel 賞作家の第一歩を歩ませたという意味で彼はグッジョブだ。笑
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