#海外旅行好きな人と繋がりたい
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初春の笑顔がいっぱいの宝船
にっぽん丸

3ヶ月ぶりの船旅のはずでしたが、
船の推進制御装置に不具合が認められたため、急遽、安全点検が必要になり運航を見あわせる事となりました。
残念ですが、安全第一!
またいつか共に船旅をできる日まで
予定していたセットリストと流れで、
空想の旅になれば🚢
Today I was meant to board this cruise, but due to technical issues the show and cruise itself were cancelled. Sad but safety first!
The theme was “aboard the treasure boat + smiles”.
Have posted the setlist and tried to portray what it would’ve been like on the musical boat :)
「宝」、「笑顔」 をテーマに✨出発🚢
衣装はキラキラな宝箱のようなサラスタイルを予定していました

マリリンのピアノアドリブにのって、スキャットしながら時々「春よ来い」のリフを。本編最後に繋がる。
そこからRiverdanceの神秘的な歌のイントロへ。
今回伊勢神宮の近くに行くということで、神様に近い音楽からスタートしたく。マリリンの綺麗なハーモーニでデュエット。こちらはアルバムにも収録していますが、よく聴きなれてる綺麗な3度のハーモーニだけではなく、4度が特徴的な響きなのでこれも神秘的に聞こえる理由の1つ^_^
Riverdance / Drowsy Maggie / Sarah Àlainn
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そして、この曲はヴァイオリンのフィドル的な表現で軽快な世界へ。キラキラ、ニコニコ。宝石のような煌めきを放つアクティブな一曲。
サポーターさんなら、この曲の変拍子できっと手拍子をして下さったはず。色々なアーティスト、バンドのライブで手拍子する曲があるように、私もライブでそんなノリノリの曲があればなと思いましたが、こんな変拍子な曲を選ぶ何てドSとしか思えないですよね。それでも、これで手拍子できる皆さん、最高にカッコ良いです!(とはいえ、今後はもっと楽に楽しめる手拍子曲を作りたいと思ってますー^_^;)
MCなう。サラッと面白い洒落でも言えたかな?🤔
海と宝ということで、ディズニー『リトル・マーメイド』より、アリエルが歌う「Part of Your World」。普段ライブで楽器も色々弾くので、この曲の「あれも!これも!」という場面ではそんな楽器の宝を指しています。
そして、この次のシネマ音楽にも「お宝」が。『The Greatest Showman』より、スターが歌う「Never Enough」。スポットライトを浴びても、星も金も手にしても、全て物足りない。あなたがいないと、物足りない。
私、今年初めて宝くじをやってみました(プレゼントで券?をスタッフさんから頂きました)。1億?あたったらどうするという話で盛り上がる。簡単に使えきる自信もあるけど、結局は本当に欲しいものはお金では中々買えない。因みに600円当たりました。
笑顔で始まる初春だから元気な曲多め。ジャズ出身のマリリンだからこそ、情熱的で踊りたくなる「Spain」へ。去年大阪でDream Caravanに出演させて頂いた時、久しぶりに寺井尚子さんともお会いでき、フルオケ+ジャズバンドをバックに彼女が演奏するSpainは最強でしたね!!とても勉強になり刺激になりました。もっともっとセッションをしてジャズを追求していきたいこの頃。来月2月呉・広島でのバレンタインはクリヤマコトさんを始めとしたジャズカルなので、ワクワク。

ここで一曲、オリジナルの弾き語り。
元々去年から予定していた楽曲でしたが、年始の心が痛むニュースとも重なる一曲でもあります。
「The Final Time Traveler」。ゲーム『タイムトラベラーズ』からのエンディングテーマは阪神淡路大震災に思いを寄せて作られた一曲です。こちらはゲームが大好きな羽生結弦さんとアイスショーでコラボさせて頂き、彼のサポーターさんをはじめ、ゲームをプレイされない人にも知られるようになった一曲でとても嬉しいです。オリジナルは日本語歌詞でしたが、海外で羽生さんが滑られるとのことで、英語歌詞を書かせて頂きました。
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高音のサビの部分には本来歌詞を入れて欲しいと言われましたが、あえてAh〜だけにしたいとお願いしました。ヴォカリーズで、楽器のように、言葉では伝えきれない思いを届けられたら。
いつからかこの曲を弾き語りに挑戦するようになりましたが、ピアニスト、ミュージシャンに良く言われるのが、とても弾き語りするような曲ではないですねと。この曲、かなり複雑!伴奏ではなく、オーケストラの部分を演奏するような感覚。なので、毎回ドキドキ緊張する一曲です… ただ唯一、とても揺れる曲なので、それは自分で演奏すると歌と合わせやすい心地よさはあります。
この曲に「秘められたtreasure」という歌詞が出てきます。宝物、大切なものという意味ですが、英語の to treasure = 「大切にする」という動詞になります。
最後も笑顔で締めくくりたい。
第九は日本ではカウントダウンの一曲かもしれませんが、年始でも、どや^ - ^ これは去年のクリスマス・教会・合唱バージョンですが、ピアノとのデュオの時も、RnBからゴスペル、讃美歌からオペラチックな歌い分けが楽しい、人格がなん度も変わるJoyfulな選曲です。
【LIVE】Joyful Joyful/よ��こびの歌/ Ode to Joy 第九 |Sarah Àlainn サラ・オレイン
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本編ラストは、初披露のマッシュアップ。
元旦のファミリー向けコンサートで初披露した「NeverEnding Story」 🐲でしたが、『初春』に因んで、こちらを「春よ来い」とマッシュアップ。編曲、ちょっと頑張ったのでこれはお見せできず残念>< 😖今回はキーボードでオリジナルの80年代ディスコサウンドを表現する予定でしたが、マリリンとも話して、少し変えてみて八ヶ岳でチェンバロでやってみても良いかもと思えました。
そして、アンコールへ。
「Smile」。定番ですね。ただの笑顔の歌ではなく、とても切ないCharlie Chaplinのタイムレスな作品。歌詞と真逆になりますが、悲しい時は無理して笑わなくていい、と言うのが個人的なスタンスではありますが。そんな裏の思いをこの歌詞に乗せて歌う予定でした。
今回のライブはいつも以上にお時間が遅い開始のものであり、美味しい食事とお酒で、船に揺らされてそろそろお眠の時間になって来たかと思います。
そんな簡単には寝かせませんよ。うふ。
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オペラ『ツー��ンドット』より「Nessun Dorma〜誰も寝てならぬ」。��々ミュージシャンにとっても眠気覚ましになる壮大な一曲です。この後優雅に食事というところでしたが、これから代わりにサラメシを作りに材料を調達しにスーパーに行って参ります。この時間になると嬉しいシールが貼られる頃でしょうw ちりも積もれば山やまとなる。この場合この表現はあってるのだろうか…
(未来に行って来ました。やはり笑顔になるシールが貼られていた)

ジャンルと楽器も色々登場した、宝箱のようなセトリになったでしょうか?
あなたとの時間をtreasureしています!✨
〜 Sarah
NIPPON MARU
- Treasure Boat Cruise with SARAH ÀLAINN -
2024.1.8
〜マリリン イントロ(「春よ来い」リフ Sarahスキャット〜)
1. Riverdance
2. Part of Your World 『リトル・マーメイド』
3. Never Enough
4. Spain
5. The Final Time Traveler (Sarah 弾き語り)
6. Joyful Joyful ~ 喜びの歌〜第九
7. NeverEnding Story〜春よ来い
Encore
8. Smile
9. Nessun Dorma
次は初の鹿島・佐賀へ🎻
スケジュールはHPよりチェックしてみてね
#にっぽん丸#サラ・オレイン#sarah àlainn#sarah alainn#サラオレイン#中林万里子#羽生結弦#the final time traveler#タイムタラベラー#タイムトラベラーズ#yuzuru hanyu#Youtube
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いきなり偉そうなことを書いて各方面から顰蹙を買いそうなんだけど、あえて言う。僕は自分の日記より面白い日記を読んだことがない。これはハッタリでもなんでもなくて、それくらいの気持ちがないと何処の馬の骨とも知れないチャリンコ屋の日記に1,500円や2,000円を出して購入してくれている方々に申し訳が立たない。ただし「自分より」と言うのには注釈が必要。『富士日記』や『ミシェル・レリス日記』みたいな別次元の傑作は対象外として、近年、雨後の筍のように量産されているリトルプレスやZINEを体裁とした日記やエッセイ群を見据えての発言と思って頂きたい。商売としての仕入れはさておき、個人的に興味があったので色々と手を伸ばして読んでみたものの、そのほとんどが「私を褒めて。私を認めて。私に居場所を与えて」というアスカ・ラングレーの咆哮をそのままなぞらえたような内容、若しくは「持たざる者同士でも手を取り合い、心で繋がっていれば大丈夫」的な似非スピリチュアルなマジカル達観思想で構成されているので、正直ゲンナリした。しかもタチの悪いことに、そういうものを書いている人たち、あわよくば商業出版の機を窺っていたりするものだから、出版社や編集者の立場からしたらまさに入れ食い状態。「ビジネス万歳!」という感じでしょう。晴れて書籍化の際には口を揃えて「見つけてくれてありがとう」の大合唱。いやいやいや、ちょっと待って、あんたら結局そこにいきたかっただけやんってなりません?これまでの人生をかけて手にした「生きづらさ」の手綱をそんなにも容易く手放すんかい!と思わずツッコミを入れたくもなる。現世で個人が抱える「生きづらさ」はマジョリティに染まらぬ意思表明と表裏の関係にあった筈なのに、どっこいそうはさせないとばかりにどこからともなく湧いてくる刺客たちの誘惑にそそのかされては、呆気なく自らの意志で握手(悪手)に握手(悪手)を重ねる。ミイラ取りがミイラになるとはまさにこのことだ。以前、僕もある出版社の編集長から「DJ PATSATの日記を当社で出版させてほしい」という誘いを受けたけれど、もちろん丁重にお断りした。僕は自主で作った300冊以上の読者を想定していないし、それより多く��読者に対する責任は負いかねるというような趣旨の言葉を伝えた。そもそもなぜ僕が友人(マノ製作所)の力を借りながらわざわざシルクスクリーンという手間をかけて制作しているのかを理解しようともしない。編集長は口説き文句のひとつとしてECDの『失点・イン・ザ・パーク』を引き合いに出してこられたのだけれど、いま思えばそういう発言自体が安易というか不遜だと思わざるを得ない。結局その方は僕を踏み台にしようとしていただけだったので、負け惜しみでも何でもなく、あのときの誘いに乗らなくて良かったといまも本気でそう思っている。まぁ、これは僕個人の考え方/価値観なので他者に強要するものでもなければ、共感を得たいと思っている訳でもない。逆に彼らも推して知るべしだ。誰もが商業出版に憧憬を抱いている訳ではない。昔から煽てられることが好きじゃないし、賑やかで華やかな場面がはっきりと苦手だ。だからと言って消極的に引きこもっているつもりもなく、寧ろ積極的に小さく留まっていたいだけ。かつては各地の井の中の蛙がきちんと自分の領域、結界を守っていたのに、いつしかみんな大海を目指すようになり、やがて井の中は枯渇してしまった。当然、大海で有象無象に紛れた蛙も行き場をなくして窒息する。そのようなことがもう何年も何年も当たり前のように続いている現状に辟易している。そんな自分が小さな店をやり、作品を自主制作して販売するのは必要最低限の大切な関係を自分のそばから手離さないためである。何度も言うているように自営とは紛れもなく自衛のことであり、率先して井の中の蛙であろうとする気概そのものなのだ。自衛のためには少なからず武器も必要で、言うなれば作品は呪いの籠った呪具みたいなもの。そんな危なっかしいものを自分の意識の埒外にある不特定多数のコロニーに好んで攪拌させたりはしない。多数の読者を求め、物書きとして生計を立てたいのなら、最初から出版賞に応募し続ける。だからこそ積年の呪いを各種出版賞にぶつけ続けた結果、見事に芥川賞を射止めた市川沙央さんは本当に凄いし、めちゃくちゃにパンクな人だと思う。不謹慎な言い方に聞こえるかもしれないが、天与呪縛の逆フィジカルギフテッドというか、とにかく尋常ならざる気迫みたいなものを感じた。なぜ彼女がたびたび批判に晒されるのか理解できない。それに佐川恭一さん、初期の頃からゲスの極みとも言える作風を一切変えることなく、次々と商業誌の誌面を���ってゆく様は痛快そのもの。タラウマラ発行の季刊ZINEに参加してくれた際もダントツにくだらない短編を寄稿してくれて、僕は膝を飛び越えて股間を強く打った。
佐川恭一による抱腹絶倒の掌編「シコティウスの受難」は『FACETIME vol.2』に掲載。

ついでにこれまた長くなるが、かつてジル・ドゥルーズが真摯に打ち鳴らした警鐘を引用する。
文学の危機についていうなら、その責任の一端はジャーナリストにあるだろうと思います。当然ながら、ジャーナリストにも本を書いた人がいる。しかし本を書くとき、ジャーナリストも新聞報道とは違う形式を用いていたわけだし、書く以上は文章化になるのがあたりまえでした。ところがその状況が変わった。本の形式を用いるのは当然自分たちの権利だし、この形式に到達するにはなにも特別な労力をはらう必要はない、そんなふうにジャーナリストが思い込むようになったからです。こうして無媒介的に、しかもみずからの身体を押しつけるかたちで、ジャーナリストが文学を征服した。そこから規格型小説の代表的形態が生まれます。たとえば『植民地のオイディプス』とでも題をつけることができるような、女性を物色したり、父親をもとめたりした体験をもとに書かれたレポーターの旅行記。そしてこの状況があらゆる作家の身にはねかえっていき、作家は自分自身と自分の作品について取材するジャーナリストになりさがる。極端な場合には、作家としてのジャーナリストと批評家としてのジャーナリストのあいだですべてが演じられ、本そのものはこの両者をつなぐ橋渡しにすぎず、ほとんど存在する必要がないものになりさがってしまうのです。本は、本以外のところでくりひろげられた活動や体験や意図や目的の報告にすぎなくなる。つまり本自体がただの記録になってしまうわけです。すると、なんらかの仕事をもっているとか、あるいはただたんに家族がある、親族に病人がいる、職場に嫌な上司がいるというだけで、どんな人でも本を産み出せるような気がしてくるし、このケースに該当する当人も、自分は本を産み出せると思い始める。誰もが家庭や職場で小説をかかえている……。文学に手を染める以上、あらゆる人に特別な探究と修練がもとめられるということを忘れているのです。そして文学には、文学でしか実現できない独自の創造的意図がある、そもそも文学が、文学とはおよそ無縁の活動や意図から直接に生まれた残滓を受けとる必要はないということを忘れているのです。こうして本は「副次化」され、マーケティングの様相を帯びてくる。
ジル・ドゥルーズ『記号と事件 1972-1990年の対話』(河出文庫p262-263)

僕は制作の際にはいつも必ずドゥルーズのこの言葉に立ち返っては何度も確認作業を繰り返し、ようやっとリリースにこぎつける。しかしそもそもが作品化を企んでいる時点で自分まだまだやなぁと思うに至る訳で、なんとも一筋縄ではいかない。そういう意味では滝野次郎という人がインスタグラムに投稿している日記のような文章には、はじめから読まれることを意図しているにもかかわらず、本来ならば読まれることを目的とした日記からは真っ先に削除されるような状況ばかりが羅列されていて、なかなかどうして凄まじい。馴染みの飲食店で見つけたお気に入りの女性店員を執拗に観察したり、断酒を誓った直後に朝から晩まで酒浸りであったり、謎の投資で10分間で40万円を失っていたり、銀行口座と手持ちの金を合わせても1,000円に満たなかったり、それでも「俺は俺を信じる」と闇雲に自身を鼓舞していたり、そうかと思えば急に脈絡もなくひたすらに左手のハンドサインを連投していたりと、しっちゃかめっちゃか。比肩しうるは円盤/黒猫から出版された『創作』くらいか。あらゆる規範から逃れるべくして逃れ得た、いま最もスリリングな読み物であることに間違いはないが、同時に、これは断じて文学ではない……とも言い切れない不気味な何かが海の藻屑のように蠢いている。
(すでに何らかの隠喩ではないかと勘ぐったり……)

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【世代交代】カーナビに「ドラックストアのある交差点を左」って言われた際、目の前にドラッグストアが3店舗見えていた私が、それでもサッポロポテトを選ぶ理由.zip
(PS:下の方にビアゲの役者紹介があります)
西南図書館24周年、おめでとうございます。私は「『いきのこり⚫︎ぼくら』にのせて懐かしいものを紹介しているだけのYouTube shorts 撲滅委員会」で会計をしている、近未来ミイラです。最近こういう動画を目にする機会減ってきたでしょう?あれ、私たちのおかげなんですよ。感謝してくださいね。そして皆さんはくれぐれも過去に囚われて、旅行先にLと書かれたコンタクトレンズだけを持ってくるような真似はしないように気をつけてください。この世にはRも必要です。私は本気です。やってやんよ。
さて、仕事の引き継ぎと通信速度ははやい方がいいだなんて言いますが、ちゃうかで引き継ぐべきものは仕事だけではありません。解散の挨拶、ケミの折り方、大集会室に見回りが来るのが20:00頃と22:00頃だという研究結果。まぁ色々ありますが、中でも私が引き継がねばならないと考えているのが、かの有名な天照大神の自宅に併設されたクラブハウスでDJをした経験があるという、NASUKA A.K.A. たぴおか太郎 さんによるtumblerなのです。
私は、たぴおかDJアゲ太郎が引退する前に、何とかしてこれを継ぎたい。習うより慣れよ。私は早速たぴおか太郎になりきることにしたのでした。
しかし、桃色サンゴへの道はそう容易いものではないということくらい容易く想像できます。このままでは私がなすかさんの文体の全体を会得するより前に、先輩が引退してしまいます。
先輩の稽古日誌を観察していたら、とりあえずちゃんと稽古日誌としての役目は果たしていたので、一旦そのパートやります。でも稽古してないのでただの日誌です。
⭐️間接照明って名前ダサくないか?稽古日誌
コンクリートと殴り合い(敗北)
タンバリンに鉛筆で落書き(怒られた)
海老の小道具の精度に脱帽(すごい)
は��ぺこあおむしを逆から読む(退化)
たなからバター餅(略してたなばた)
ピコ太郎の再燃(アツい)
おせち料理を意地でも漢字で書く(御節)
蚊が何故かまだ猛威をふるっている(許せん)
⭐️直接照明とは言わないのにね〜〜〜
ここまで書いて私は思ったわけです。いやたぴおか太郎難しすぎんか???
もう諦めようかな……。
???「君には失望したよ……」
はっ!?その声はっ!?!?
???「どうも、愛称として後ろに��ぴ』をつけられることもある、秋公演の舞台上でも大活躍した、あのお菓子です」
ま、まさかお前はっ!!!イモケン!?!?

いや犬けんぴかよ!!!!!
犬ケンってもうこれ犬×2じゃねぇか。
犬「難しいということだけを理由に書かないというのは、それはただ諦めていることに等しごほっ!おっ」
あ、犬ケンピが喉に刺さってる
開いている記事のセキュリティ証明書に問題があります。
エラー吐いちゃったよ。まず犬ケンピ吐かないと。
この記事の閲覧を続けますか?
はい わからない いいえ
多分そう部分的にそう 多分違うそうでもない
いや選択肢アキネイター!!!
犬「なんか、もうネタ切れ感あるし、やめるわ」
あぁ飽きネイターだった。
……ということで、
【結論】たぴおか太郎はたぴおか太郎にしかできない
ところで、本当に何も用がないのにtumblerを荒らすのもマズイと思ったので、この場をお借りしてビアゲの役者紹介をします。やってたことはしおりと同じです。この人を主役にするなら、こんなタイトルこんな劇。
以下本チラ掲載順。兼役の2人は省略しています。ごめんね。
東愛莉
『東博士の自由研究所』
使い捨てカイロをたくさん繋げて、使い捨てホットカーペットにしたり。香水を鍋で茹でて香湯にしたり。裏起毛の服をひっくり返して着て表起毛にしたり。東博士の自由研究は、今日も失敗続き。意味のないように思えるその研究内容に、周りは呆れて、中にはバカにする者も。しかし東博士は、そんなことお構いなしに、日々楽しそうに研究を続けているのである。そんな研究所にやってきた一人の青年。どうやら人生がつまらないらしい。そんな彼を見た東博士はこう言う。「ちょうどよかった!今ね、ちゃんこ鍋を作っている蓋の上でトントン相撲をする研究をしたかったけど、人手が足りなかったの。ちょっと手伝ってよ!」
辛い過去がありつつも、今をとにかく楽しく生きると決めた東博士から、元気をもらうことができる公演になると思います。
大良ルナ
『心外、しかし純愛。』
「運命は、自分で掴みに行くものよ。」占い師のその言葉を鵜呑みにした少女は、自らの手で運命の人を掴みに行くことにした。しかし、容姿を見て選り好んでしまうと、それは運命でもなんでもない。そこで彼女は思いついた。人気の多い公園で目を瞑り、手を広げながらふらふらと歩き、一番最初にぶつかった人を抱きしめよう。その人を運命の人にしよう。早速実践。視界が真っ暗になってから2分ほど経った時、ドンと胸元を突く感覚。これはと思って抱きしめようとすると、それは思っていたよりも小さかった。胸元から聞こえる声。「くるっぽー。」いや鳩じゃん。これじゃ運命の鳩じゃん。人外は流石になぁ……。いやでも、このクリっとした瞳に綺麗な毛並み。正直、割とアリ。
鳩とのハートフルラブコメです。私にはハッとする衝撃の展開が広がるピジョンが見えています。
児
『教室における感慨と、その二面性についての考察』
7月某日。俺のクラスに転校生がやってきた。15人。もともと3人しかいなかった俺のクラスに、転校生がやってきた。15人。なんでも、近くの村にあった高校のすぐ近くで土砂崩れが起きて、校舎が倒壊したらしい。15人はそこから一番近いところにあった、船で30分の小さな島にあるこの高校に通う羽目になったそうだ。かわいそうに。転校生15人は、その慣れない環境に緊張……するはずもなかった。昨日までの穏やかな生活が嘘のように、喧騒に包まれた教室。俺の教室を、俺の居場所を、返してくれないか……?
教室では静かであるべきか、にぎやかであるべきか。それともにぎやかな教室を静かに眺めているべきか。
うみつき
『髪と縁』
またフラれた。これで何回目なんだろう。付き合ってみるたびに、「なんか思ってたのと違うわ」って言われる。いやいや、思ってたのと違うところを受け入れられるのが「好き」ってもんじゃないの?いや、愚痴なんか言っててもしょうがないけどさ。私は失恋した時、必ず髪を切ると決めている。他人の。普段は別の仕事をしているけど、フラれた次の日は実家の美容院の手伝いをする。別にこの仕事が好きってわけじゃないけど。自分以外の誰かのためにハサミを持つのが、なんか落ち着くと��うか。
その日店にやってきたのは、私をフった男だった。殺してやろうかな、これで。
統括のフォーニャー
『liebrary』
「はい。どうされましたか?看板?あぁいえ、これであってますよ。この図書館に置いてある本は、全部嘘なんです。この世界で生まれたすべての嘘が、ここに集められるんです。ですから、あなたがついた嘘もあれば、あなたがつかれた嘘もありますよ。あ、面白いですか。それはそれは、ありがとうございます。はい。またぜひどうぞ」そうして客を見送った女は、ついさっき新しく生まれた本を手に取る。「そっか、面白くないか」
嘘が分かるということは、本当が分かるということ。そこに計り知れぬ苦悩があるということは、嘘じゃない。
緒田舞里
『0で割るということ』
よっ。元気?こっちは元気だよ。ちゃんとご飯も食べてるし。大丈夫。……仕事?あぁ、うん。楽しいよ、ちゃんと。あぁ、ほら、最近さ、ちょうどクリスマスに向けての準備とか始まっててさ、この時期って夜にパフォーマンスの練習入ったりするじゃん?それがちょっと大変ってだけ。でも、私ってそういうの好き、だしさ。多分。あ、ごめんね、こっちばっかり話して。そっちはどう?……なんてね。
二宮はそう独り言を呟きながら、右側に供えた花のバランスを整えた。
白
『ニッポンのこれから審議会』
説明しよう!ニッポンのこれから審議会とは、ニッポンのこれからについて審議する会のことである!発足後初の会議となる今回の議題は、「ニッポンにとって不要なモノ」 つまりはニッポンが削るべき要素を洗いざらい洗い出すということになる!年賀状?節分??お盆???ニッポンには今や企業が儲かることしか考えていないような形骸化した文化が山ほどあるではないか!いつまでこんなの残してるんだ!消せ!!しかし、そんな議論の流れに静かに異議を唱える男がいた……。
だんだんとアツくなっていくぶらんの演技にご注目ください。
岡崎仁美
『カヌレ』
おかしい。利用客が減少の一途を辿る小さな駅構内にある、小さなケーキ屋さん。今までいろんなケーキを売っていたのに。今ではショーケースの中は、一面濃い茶色。カヌレしか売っていないじゃないか。奇妙な品揃えを覗いていたら、店の奥から出てきた女性店員に話しかけられた。「こんにちは!カヌレはいかがですか!?」
コイツはカヌレしか食わない。コイツはカヌレしか売らない。利用客が減り、カヌレが増える。これは一体何を意味しているのか。新感覚カヌレホラー公演。逃げろ。
雨々単元気
『にじいろアジト』
大阪の南の北の方。そのさびれた倉庫では、夜な夜な5人の学生が���を寄せ合っていた。各々の事情により、学校に通うことを諦めている彼らには、共通する一つの目的があった。「この世には、やけに綺麗な虹ってもんがあるらしい。それが見たい。」
セカイ系のお話にしたいです。彼らが虹を見たことが無いのは、彼らが昼間に外に出ないからではなく、地球外生命体が地球を黒い幕で覆い隠して、宇宙から隠蔽しようとしているからなんですね。まさに黒幕。まぁ確かに地球ってずいぶん異質な惑星ですし、宇宙にとっては無い方が都合がいいのかも知れません。ちなみにこの公演の愛��は「ニジアジ」。
舞原の絞り滓
『大器晩声』
ある公園で開催された大声大会。その喧騒に怒り、近所に住むおじさんが怒鳴り込んで来た。……いやコイツが優勝じゃんか。(『大声大会』) 「あの、すみません。キッズメニューの裏の間違い探しってなくなったんですか?」「はい。その代わりといってはなんですが、この店の中には、既に10個の間違いがございます」(『間違いなく間違い』) 訪問販売で契約したタイムマシンがパチモンだった。「夕仏マシン」だった。時間は夕方限定、場所は仏や大仏の目の前にしかいけないらしい。……じゃあ、修学旅行のあの日を、もう一度だけ。(『驚麗』)
などなど、全7編のショートストーリーからなるオムニバス公演。そのうちいくつかは、まほろさんに演出してもらいたいです。
じゃがりーた三世
『何点かお伝えしたいことがございます』
ある山奥の宿泊施設で、人が死んだ。死体の様子から見るに、他殺であることは間違いなさそうだ。この施設から人が出入りした形跡も無いため、ここにいる6人のうちの誰かが、コイツを殺した。「とりあえず電話で警察を呼ばないか!?」そう言い出した男に対して、周りは呼びかけた。「忘れたのかお前!この施設では、携帯電話などの音や光の出る機器類は、必ず電源から切らないといけないじゃないか!」……じゃあ、このカメラで証拠の写真を、いや、許可のない撮影録音は禁止か。……もうこんなところにいられるか!俺は抜けさせてもらうぞ!え?途中休憩はございません?そんなことしらねぇよ!俺は出ていくからな!?……係の者がいないから、出られない。
前説で語られたルールが、全て適応されている空間で起こる推理合戦。ところで、上演時間は60分ということは、それってつまり……
オーム
『非常に新車』
とある交差点で車両同士の接触事故が起きた。畜生、この後マスコミに向けたプレゼンがあるってのに、どうしてこんなときに……。
仕方なく車の外へ出ると、相手の運転手は私の顔を見るなりこう言った。「あれ、ZESSANの岩本社長ですよね!?え、すご!私ずっとZESSANのクルマのファンなんですよ!今日もほら、先日発売されたばっかりのやつ乗ってるんです!すごいっすよねこれ、自動運転機能も充実してて!ハンドルから手離してても余裕で運転できてましたもん、さっきまで」
絶対にバレてはいけない事故。どうにかマルク収めなければ。
テキストを入力
『いまどうしてる?』
背が高いその男は、公園のど真ん中にある、さらに背の高い街頭の下に立っている。その公園にやってくる人は皆、紙にデカデカと自分の近況を書き、背の高い男に渡していく。男はその紙を体のいたるところに貼り付けて、ただずっとその場に立ち続ける。公園には、ただ人が書いた紙を見にくるだけの人もいれば、紙越しに喧嘩をしている人もいる。背の高い男はそれを見て、何を思うのか。
キャスパ曲というか、エンディング曲には、ゲスの極み乙女の「灰になるまで」を使いたいです。(ツイ)廃ではないです。
縦縞コリー
『優しすぎた男』
理不尽に呑まれ、後悔に苛まれ、そんな優しさが誉。しかし彼は優しすぎた。完成間近のレポートのデータを友人に消されても怒れないし、飲み会の参加費を1人だけ二重に請求されていることに気がついても指摘できない。いや、それは優しさというか、弱さなのではないか……?
キャスパには、トリプルファイヤーというバンドの「次やったら殴る」という曲を使います。舞台上でふにゃふにゃしたこりちゃんを観ましょう。
大福小餅
『a hole new world』
ざく。ざく。まだ掘った方がいいかな。ざく。ざく。もうちょっと深い方がいいかな。ざく。ざく。ま、こんなもんか。よし。……あれ、これ私が穴の中入っちゃったら、誰が私を埋めるんだ?あ、ちょうどいいところに人が。すみませーん、私を埋めてくれませんか?
埋まりたい人と通りすがりの人の二人芝居。普段あんまりネガティブなことを言っているイメージがないこふくが、ものすごくブルーな気持ちの役をやっているのを観たい。
叶イブ
『世迷言病』
「こんにちは」「あ゛ぁ゛!?こんにちは!!」「えっと、今日はどこが悪くていらしたんですか?」「見りゃ分かるだろ!!口だよ!!」「……口?何か口内炎みたいなできものがありますか?それとも痛みが」「ちげぇよバカ医者がよ!!そのまんまの意味だっつーの!!先週末くらいから口が悪くなってんの!!」
「よまいごとやまい」と読みます。高圧的なキャラ、似合う気がします。病が完治した後とのギャップがメロ��。多分。
はぜちかきつ
『喫茶・愛のペガサス』
「本格中華やめました」 亡き父親が経営していた喫茶店をいやいや継ぐことになった男は、とりあえず中華料理の販売を停止した。どうせなら店の名前も自分好みに変えたかったけど、常連の客からの反対の声も大きく、仕方なくこのままにしている。そもそも駅から少し離れていて、人が多くないような街の喫茶店なので、お客さんのイリはまばら。まぁ、ワンオペでも全然回るし、むしろ空きの時間で趣味の小説を書けているくらいだから、これはこれでいい生き方なのかもしれない。……その日、見慣れない客がやってきた。オーバーサイズの服を着た、ショートカットの女の子。
優しくて大きい(器が、という意味)ハゼは、喫茶店オーナーとか似合いそうです。
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サイドシートの君
ゆかは旅先で呼んだコールガール。
地元が近いのと趣味が合った事がきっかけで連絡先を交換した。
そしてお盆の帰省のタイミングで会う約束を決めた。
ゆかのいる町まで車で一時間ほど。
来るか来ないかは半信半疑だった。
約束を破るような子では無いと思ってはいたけれど、連絡の返信の遅さがちょっと気になっていて、来なければ来ないでいいやと思っていた。
約束の時間の十分前に待ち合わせ場所に着いて車を停めた。
ゆかに着いた事と車の特徴を書いたメッセージを送る。
来ても遅れるだろうと思い、二十分後に発走する競馬を予想して買った。
既読が着いたのは約束の時間を二分過ぎたあたり。
あと五分くらいで着くらしい。
少し安心した。
それから十分後にメッセージ。
車のナンバーはこれですか?と来て、車の後ろを振り向くと、こちらを見ているゆかと目が合った。
手招きをして助手席に呼ぶ。
ゆかが席に乗り込んでくる。
「すみません」
「久しぶり」
「お久しぶりです」
「元気だった?」
「はい」
「ありがとね、来てくれて」
「いえいえ」
「じゃあ行こうか」
プランを二つ提案した結果、神社に行って近くにある貝出汁のラーメンを食べることにした。
近くのコンビニでコーヒーを買う。
「そうだ、さっき競馬買ってたんだよね」
「そうなんですか」
「一緒に見る?」
「見ましょう!」
一緒に見たレースは見事に的中だった。
ゆかも喜んでいた。
車を走ら���る。
車内ではゆかが同棲中の彼氏に薦められて見た頭文字Dの話を熱く語っていた。
今度聖地巡礼に行くらしい。いろは坂はあのまんまだよと言っておいた。
ゆかが今日着ている服はライトなロリータ風のワンピースで、童顔の彼女にはそれがとても似合っていたので伝えた。
嬉しそうに笑うゆか。ロジータというブランドらしい。
田舎道を走っているとひまわり畑を見つけた。
下りてみると一面ひまわりが咲き誇っていて、その後方にある風力発電のプロペラがまたいい味を出していた。

夢中で写真を撮るゆかは無邪気な少女のようで、転んてしまわないか心配になるくらいだった。
車を再び走らせて神社へ向かう。
険しい階段を上って本殿でお参りをする。
「五円あった」ゆかが財布から硬貨を取り出す。
「俺は欲張りだから五円が十倍あるように五十円にするよ」
「なるほど!」
神様に祈ったことは今日が楽しく終わりますように。きつねの神様は俺を助けてくれるだろうか。
反対側に下りて行くと無数の赤い鳥居が並んでいる。何度来ても圧倒されるが、ゆかも同じだったようだ。
ここで少し雨が落ちてくるが気にせずに歩いていく。鳥居の中を歩いていくと横に水場がある。そこに咲く蓮の花を見つけたのでゆかに教えると鳥居から蓮にスマホを向けて撮影した。

白い花びらが水から顔を出して咲く姿は可愛らしさだけではなく強さも感じた。何となくそれはゆかの姿にも重なった。
高台から鳥居が並ぶのを眺める。

雨が本降りになってきたので木の下で雨宿り。
ゆかの持っている赤いバッグには傘が入っていないらしい。
「折りたたみもってくればよかった」
「雨降るなんて考えてなかったよ」
「県の真ん中の方は降るって聞いてたんだけどなぁ」
「しゃあないよ、ここ真ん中じゃないし」
しばらく経ってもやまない雨。結局少し濡れながら歩くことにした。
雨降りにも関わらず別な色の蓮の花を見つけて二人で写真を撮った。
階段を上って下り、おみくじをひいた。
天然石が入ってるおみくじで、パワーストーンが好きなゆかにはぴったりだった。
昼食の時間になったので店へ向かうが、時期や時間もあって行列ができていたので、同じく貝出汁のラーメンを出している別な店で食べることにした。
運良くすぐに座れ、ゆかとあれこれ話した。
ゆかは小学校から高校まで卓球をしていたらしい。
大学ではクラゲの研究をしていて、クラゲの生態にも詳しかった。
「一応理系なんで」
確かに同人小説を書き方を聞いたら実に論理的に話を作っているなと感じていた。
そんな話をしているとラーメンが出��上がって食べた。貝の出汁とバターの風味がうまくマッチしていて絶品だった。ゆかも気に入ってくれたようだ。

店の外に出るとまたもや雨。
近くの公園にあった遊具も濡れていた。
「晴れてたらやりたかったのになぁ」
「これじゃ濡れちゃうね」
残念そうにするゆか。
ここの段階で時間は十三時をまわっていた。ゆかは十六時くらいまでならと言っていたので、次の場所を迷ったが、思い切って賭けに出ることにした。
市街地へ車を走らせる。
「あのさ」
「ん、なに?」
「夜の仕事、まだやってるの?」
「いや、しばらくやってない。昼の仕事で稼げるようになったから。このままやめようと思ってる」
「そっか、昼の仕事が順調ならいいね」
「うん、もう知らない人に会わなくてもいい」
「お疲れ様。よう頑張ったと思うよ」
「彼には絶対言えないけどね」
「体調もよさそうだね」
「うん、抗うつ剤は飲んでないし、元気になったよ」
「よかったよ」
ゆかの手に触れて握ると、握り返してくれた。
川沿いの堤防を走る。
カーステレオからは真夏の果実。
市街地にあるホテルへ入り車を停めた。
ゆかの表情は暗くて見えなかった。
「いい?」
「タダじゃ嫌」
「そっか」
その返答は予測していた。元々は金で繋がった関係だ。
「いくらくれる?」
価格交渉が始まるが、割とすぐにまとまった。
タッチパネルで安い部屋を選んで入る。横にあるシャンプーバーの香りが鼻についた。
部屋に入ってソファに座る。
唇を重ね、ゆかの胸に顔をうずめた。
その後の事は何となくしか覚えていない。何度もキスをして、何度も愛を囁いた。
そして二人並んで眠った。
ゆかの寝息を聞きながら時間を気にしていた。
リミットの時間はとうに過ぎている。
目を覚ましたゆかに聞いた。
「時間大丈夫なの?」
「ああ、うん。別に花火があるからそれまでに帰れれば。そんな花火見たいわけじゃないんだけど」
その日はゆかの住む町で祭りがあって二十時から花火が上がる日だった。
「そっかそっか。一緒に見る?」
「うーん、誰かに見られると嫌だから」
「だよな」
その後はゆかの書いた小説を読んだ。そしたら俺もゆかに自分の書いた物を見せたくなった。
「ゆかの事書いた作品があるんだけど見る?」
「えー!恥ずかしいからやだ」
「まあまあ、自分だと思って見なきゃいいからさ」
「うーん、ちょっと興味はあるんだけどね」
そしてTumblrに投稿してたコールガールを見せた。
時に笑いながら、時に考えながら読んでいた。
「この表現好き」
ゆかを花に例えた部分が気に入ったらしい。
「人の書いたもの見ると勉強になる。すごく読みやすかった」
「ありがとう」
「今日の事も書くの?」
「そうだなぁ、たぶん書く」
「めっちゃ恥ずかしい」
そんな事を話しながら、不思議な関係だなと思った。
現実で会った人にTumblrを見せたのは初めてだった。
彼女でもなければセフレでも無い。そもそも会って二回目の関係なんだから名前をつけようにもまだ難しいだろう。
それでもこの関係は何だろうと思いながら気づけば温くなった風呂に二人で入っていた。
洗面台で歯を磨くゆかに後ろから抱きついたり、服を着るのを邪魔してみたりした。
帰路につく。
夕焼けの時間だった。
この様子だとゆかの町に着くのは十九時くらいになりそうだ。
「今日さ」
「うん」
「何で来てくれたの?」
「えっ、うーん…誘われたし暇だったから」
「そっか。お金もらえるって思ってた?」
「いや、それはない。ただ会ったらするかもなとは思ってた」
「そうなんだ」
「うん」
途中の海辺で夕焼けの写真を撮った。

「すごくいいね!あとで送って」
「いいよ、今送るよ」
すぐゆかに送った。
「ありがとう」
そっとゆかの手に触れた。自然と繋ぐ。
車は海沿いの道を駆け抜けていく。
町に着くと大勢の人で賑わっていた。
「どこで下ろせばいい?」
「真ん中は嫌だから…朝会ったとこ」
そこへ向かって車を進めると、警備の人が立ってい��入れなかった。
「ちょっと入れないな…」
「うーん、どうしよう」
ぐるぐると町中を周る。
「やっぱ入れないよ」
「離れたとこなら一緒に見てもいい」
「えっ、あっ、そっか。じゃあそうしよか」
「うん」
「食べ物買いに行こか」
「屋台はダメだよ。知ってる人いるかもしれないから」
「そうだな。コンビニでいいか」
その町にある唯一のコンビニで食事を買った。
その隣りにある駐車場から花火が見えそうだったので、そこに停めて見ることに決めた。
花火が始まる。
ここでもゆかは写真を撮るのに夢中。
俺も撮ってみたけれど、信号が邪魔して上手く撮れなかった。
合間に見せてくれるゆかの写真は上手に撮れていた。
プログラムの間、ひたすらゆかはスマホをいじっている。その動きが止まると俺のスマホに通知が来た。
「アルバム作った」
開いてみるとトーク画面に日付が入ったアルバムが出来ていた。花火や蓮、ひまわりの写真がたくさんおさまっていた。

「おー、いいね。ありがとう!」
「ふふっ」
ゆかはまた外にスマホを向けた。
「あの色はリンで…」
花火の色を見ながらそんな事を言っていた。
「覚えたことって言いたくなるよね」
ゆかが笑う。そうだなと俺も笑う。
あっという間に花火大会は終わった。
「帰ろっか」
「うん…」
帰りに降ろす場所を探しながら車を進めた。
「あっちに行くと公園がある」
「そこで降ろす?」
「いや、遠いからいい」
「行ってみようか?」
「うん」
公園に行くと暗くてよくわからなかったが、日中は眺めがいいだろうなと思った。
「あっちには小学校がある」
「行ってみよか」
何となくゆかの気持ちがわかった。
「あれだろ」
「なに」
「別れが惜しくなったんだろ?」
笑いながら言った。
「でも明日は友達と遊ぶから泊まれない」
「もうちょっとドライブするか」
「うん」
小学校へ入った。ゆかが通っていた小学校はかなりきつい坂の上だった。
「こんなのだからめっちゃ足腰鍛えられた」
「これは中々スパルタだな」
「でしょ」
小学校を後にして車を俺の地元方向へ走らせた。
「あれだよね」
「なに?」
「泊まっても寝ればいいじゃん」
「うーん」
「俺いびきか���ないし」
「そうなんだ」
ゆかの右手に左手を重ねた。
「朝、めっちゃ早起きだよ?」
「いいよ。またここまで送るからさ」
「わかった」
「じゃあ、泊まろっか」
「親に連絡しとく」
コンビニでコンタクトの保存液とビールとほろ酔いを買った。
ホテルへ入る。今日二度目だ。
カラオケがついていたので酒を飲みながら二人で歌った。
夜は深くなっていく。
シャワーを浴びる。マシェリでゆかの髪を洗った。
洗面台でそれを乾かしてベッドへ入る。
互いに欲望のまま相手を求めあう。
眠っては起きて、キスをして、何度も何度も。
「俺に好きって言ってみてよ」
「言わない」
「いいじゃん、嘘でも言ってみなよ」
「嫌だ言わない」
「そっか」
力一杯抱きしめて、それをゆかも返した。
俺は六月にあったことを話した。
自殺未遂のことも。
「ガチで死のうとしたんだね」
「うん、そうだよ」
「生きててよかったね」
「ほんとそう思う」
「今も彼女のこと好き?」
「いーや、全然」
「そっか」
「新しい好きな人いるらしいし」
「いなきゃ好きなの?」
「いや、そういうわけでもない。俺にはあわなかった」
「切り替え早いね」
ゆかの首筋にキスをして眠りについた。
結局は予定の時間にゆかは起きれなかった。
俺も軽くは起こしたけれど、別れを早くしたくないなんてエゴが出た。
「私ほんと時間にルーズなんだよね」
と言いながら、そんなに慌てないゆかが滑稽だった。
「私と付き合わない方いいよ」
「どうして?」
「時間守れないし、好きなこと話すと止まらないし」
「時間を守れないのはよくないな。でもそれはパートナーがちゃんとしてれば支え合っていけるんちゃうか?」
「うん…」
ワンピースを着ながらゆかは俺を見た。
「うしろのチャック閉める?」
「閉めよっか」
「自分でも出来るけど」
「いいよ、閉めるよ」
背中を向けたゆかの背中のファスナーを閉めた。
「上のボタンもかけて」
「はいはい」
ボタンを掛けて後ろから抱き締める。
「かわいいよ」
「ふふっ」
ゆかにかわいいと言うといつも笑う。
そんなとこはあざといのかもしれない。
「友達との待ち合わせ場所まで送ってくれるんでしょ?」
「うん、送るよ」
「やったー」
「そのかわり」
「なに?」
「お金は無しな」
「えー、少しも?」
「当たり前だろ。泊まったし送るんだし」
「ふふっ、そうだよね。わかった」
「交渉成立な」
「電車代浮いたからいいや」
「なんだよそれ」
ゆかが笑った。
ホテルを出てコンビニでコーヒーと朝食を買った。
予定時刻までに着かないのはわかっていた。
友達やら予約しているカラオケに電話をしながら、車の中でアイラインを引き、ルージュを塗った。
「ちょっとはおしゃれしないと」
「昨日と同じ服だけどね」
「それはしょうがない」
「そうだな」
「そうだ、スッピンどうだった?」
「あー、うん。可愛かったよ」
「ふふっ」
相変わらず笑う。
海辺を見ながらゆかは言った。
「普段海見ないけど、やっぱりこっちの海のが好き。向こうはなんか深くて怖いから」
��ってこいよ。なんて言おうと思ったけど、別に俺がそれを言える立場じゃ無い。
「やっぱさ、十八年見た海は特別なんだね」
「確かにそうかもな」
「今回帰ったら、次見るのは冬か」
「その時も一緒に見たい」
「うん、いいよ。あっ、あとは会いに来てくれれば会えるよ」
「行きたいなとは思ってるよ」
海辺を過ぎて内陸へ入る。
あと五分で目的地。
信号で止まった時にゆかの唇を奪った。
信号の色が変わるのを感じで離れる。
ゆかの表情はどこか寂しげだった。いや、そう思いたいからそう見えたのかもしれない。
カラオケの前で降りる間際にもキスをした。
去り際にゆかは俺を見てこう言った。
「死なないでね」
短いけど重い言葉だった。
「そっちもな」
車を大通りへと向かわせる。
何度もゆかの耳元で囁いた言葉を思い出す。
車線を変えながら車を一台二台と抜いた。
「俺って本当に」
アクセルを踏んで帰路につく。
サイドシートにマシェリの香り。
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「お化けの棲家」に登場したお化け。
1、骨女〔ほねおんな〕 鳥山石燕の「今昔画 図続百鬼』に骨だけ の女として描かれ、 【これは御伽ぼうこうに見えたる年ふる女の骸骨、牡丹の灯籠を携へ、人間の交をなせし形にして、もとは剪灯新話のうちに牡丹灯記とてあり】と記されている。石燕が描いた骨女 は、「伽婢子」「牡丹灯籠」に出てくる女つゆの亡霊、弥子(三遊亭円朝の「怪談牡丹灯 籠」ではお露にあたる)のことをいっている。これとは別物だと思うが、「東北怪談の旅」にも骨女という妖怪がある。 安永7年~8年(1778年~1779年)の青森に現れたもので、盆の晩、骸骨女がカタリカタリと音をたてて町中を歩いたという。この骨女は、生前は醜いといわれていたが、 死んでからの骸骨の容姿が優れているので、 人々に見せるために出歩くのだという。魚の骨をしゃぶることを好み、高僧に出会うと崩れ落ちてしまうという。 「鳥山石燕 画図百鬼夜行」高田衛監修・稲 田篤信・田中直日編 「東北怪談の旅」山田 野理夫
2、堀田様のお人形
以下の話が伝わっている。 「佐賀町に堀田様の下屋敷があって、うちの先祖はそこの出入りだったの。それで、先代のおばあさんが堀田様から“金太郎”の人形を拝領になって「赤ちゃん、赤ちゃん」といわれていたんだけど、この人形に魂が入っちゃって。関東大震災のとき、人形と一緒に逃げたら箱の中であちこちぶつけてこぶができたから、修復してもらうのに鼠屋っていう人形師に預けたんだけど少しすると修復されずに返ってきた。聞くと「夜になる��人形が夜泣きしてまずいんです」と言われた。 (『古老が語る江東区のよもやま話』所収)
3、ハサミの付喪神(つくもがみ)
九十九神とも��記される。室町時代に描かれた「付喪神絵巻」には、「陰陽雑記云器物百年を経て化して精霊を得てよく人を訛かす、是を付喪神と号といへり」 という巻頭の文がある。 煤祓いで捨てられた器物が妖怪となり、物を粗末に扱う人間に対して仕返しをするという内容だ が、古来日本では、器物も歳月を経ると、怪しい能力を持つと考えられていた。 民俗資料にも擂り粉木(すりこぎ)や杓文字、枕や蒲団といった器物や道具が化けた話しがある。それらは付喪神とよばれていないが、基本的な考え方は「付喪神絵巻」にあるようなことと同じで あろう。 (吉川観方『絵画に見えたる妖怪』)
4、五徳猫(ごとくねこ) 五徳猫は鳥山石燕「画図百器徒然袋」に尾が2つに分かれた猫又の姿として描かれており、「七徳の舞をふたつわすれて、五徳の官者と言いしためしも あれば、この猫もいかなることをか忘れけんと、夢の中におもひぬ」とある。鳥山石燕「画図百器徒然袋」の解説によれば、その姿は室町期の伝・土佐光信画「百鬼夜行絵巻」に描かれた五徳猫を頭に 乗せた妖怪をモデルとし、内容は「徒然袋」にある「平家物語」の 作者といわれる信濃前司行長にまつわる話をもとにしているとある。行長は学識ある人物だったが、七徳の舞という、唐の太宗の武の七徳に基づく舞のうち、2つを忘れてしまったために、五徳の冠者のあだ名がつけられた。そのため、世に嫌気がさし、隠れて生活するようになったという。五徳猫はこのエピソードと、囲炉裏にある五徳(薬缶などを載せる台)を引っ掛けて創作された 妖怪なのであろう。ちなみに土佐光信画「百鬼夜行絵巻」に描かれている妖怪は、手には火吹き 竹を持っているが、猫の妖怪ではなさそうである。 ( 高田衛監修/稲田篤信・田中直日編『鳥山石燕画図百鬼夜行』)→鳥山石燕『百器徒然袋』より 「五徳猫」
5、のっぺらぼー 設置予定場所:梅の井 柳下 永代の辺りで人魂を見たという古老の話しです。その他にも、背中からおんぶされて、みたら三つ目 小僧だったり、渋沢倉庫の横の河岸の辺りでのっぺらぼーを見たという話しが残っています。 (『古老が語る江東区のよもやま話』所収) のっぺらぼーは、顔になにもない卵のような顔の妖怪。特に小泉八雲『怪談』にある、ムジナの話が良く知られている。ある男が東京赤坂の紀国坂で目鼻口のない女に出会い、驚き逃げて蕎麦 屋台の主人に話すと、その顔も同じだったという話。その顔も同じだったという話。
6、アマビエアマビエ 弘化3年(1846年) 4月中旬と記 された瓦版に書かれているもの。 肥後国(熊本県)の海中に毎夜光るものが あるので、ある役人が行ってみたところ、ア マビエと名乗る化け物が現れて、「当年より はやりやまいはや 6ヵ月は豊作となるが、もし流行病が流行ったら人々に私の写しを見せるように」といって、再び海中に没したという。この瓦版には、髪の毛が長く、くちばしを持った人魚のようなアマビエの姿が描かれ、肥後の役人が写したとある。 湯本豪一の「明治妖怪新聞」によれば、アマピエはアマピコのことではないかという。 アマピコは瓦版や絵入り新聞に見える妖怪で、 あま彦、天彦、天日子などと書かれる。件やクダ部、神社姫といった、病気や豊凶の予言をし、その絵姿を持っていれば難から逃れられるという妖怪とほぼ同じものといえる。 アマビコの記事を別の瓦版に写す際、間違 えてアマビエと記してしまったのだというのが湯本説である。 『明治妖怪新聞」湯本豪一「『妖怪展 現代に 蘇る百鬼夜行』川崎市市民ミュージアム編
7、かさばけ(傘お化け) 設置予定場所:多田屋の入口作品です。 一つ目あるいは、二つ目がついた傘から2本の腕が伸び、一本足でピョンピョン跳ねまわる傘の化け物とされる。よく知られた妖怪のわりには戯画などに見えるくらいで、実際に現れたなどの記録はないようである。(阿部主計『妖怪学入門』)歌川芳員「百種怪談妖物双六」に描 かれている傘の妖怪「一本足」
8、猫股(ねこまた) 猫股は化け猫で、尻尾が二股になるまで、齢を経た猫 で、さまざまな怪しいふるまいをすると恐れられた。人をあざむき、人を食らうともいわれる。飼い猫が年をとり、猫股になるため、猫を長く飼うもので はないとか、齢を経た飼い猫は家を離れて山に入り、猫股 になるなどと、各地に俗信がある。 このような猫の持つ妖力から、歌舞伎ではお騒動と化け猫をからめて「猫騒動もの」のジャンルがあり、
「岡崎の猫」「鍋島の猫」「有馬の猫」が三代化け猫とされる。
9、毛羽毛現(けうけげん) 設置予定場所:相模屋の庭 鳥山石燕の「今昔百鬼拾遺」に毛むくじゃらの妖怪として描かれた もので、 「毛羽毛現は惣身に毛生ひたる事毛女のごとくなればかくいふ か。或いは希有希現とかきて、ある事まれに、見る事まれなれば なりとぞ」とある。毛女とは中国の仙女のことで、華陰の山中(中国陝西省陰県の西 獄華山)に住み、自ら語るところによると、もともとは秦が亡んだため 山に逃げ込んだ。そのとき、谷春という道士に出会い、松葉を食すことを教わって、遂に寒さも飢えも感じなくなり、身は空を飛ぶほど軽くなった。すでに170余年経つなどと「列仙伝」にある。この毛羽毛現は家の周辺でじめじめした場所に現れる妖怪とされるが、実際は石燕の創作妖 怪のようである。 (高田衛監修/稲田篤信・田中直日編『鳥山石燕 画図百鬼夜行』→鳥山石燕「今昔百鬼 拾遺」より「毛羽毛現」
10、河童(かっぱ) 設置予定場所:猪牙船 ◇ 河童(『耳袋』) 江戸時代、仙台藩の蔵屋敷に近い仙台堀には河童が出たと言われています。これは、子どもたちが、 なんの前触れもなく掘割におちてしまう事が続き探索したところ、泥の中から河童が出てきたというも のです。その河童は、仙台藩の人により塩漬けにして屋敷に保管したそうです。 ◇ 河童、深川で捕獲される「河童・川太郎図」/国立歴史民俗博物館蔵 深川木場で捕獲された河童。河童は川や沼を住処とする妖怪で、人を水中に引き込む等の悪事を働く 反面、水の恵みをもたらす霊力の持ち主として畏怖されていた ◇ 河童の伝説(『江戸深川情緒の研究』) 安永年間(1772~1781) 深川入船町であった話しです。ある男が水浴びをしていると、河童がその男 を捕えようとしました。しかし、男はとても強力だったので逆に河童を捕えて陸に引き上げ三十三間堂の前で殴り殺そうとしたところ、通りかかった人々が河童を助けました。それ以来、深川では河童が人 間を捕らなくなったといいます。→妖怪画で知られる鳥山石燕による河童
11、白容商〔しろうねり〕
鳥山石燕「画図百器 徒然袋」に描かれ、【白うるりは徒然のならいなるよし。この白うねりはふるき布巾のばけたるものなれども、外にならいもやはべると、夢のうちにおもひぬ】 と解説されている。白うるりとは、吉田兼好の『徒然草」第六十段に登場する、 芋頭(いもがしら)が異常に好きな坊主のあだ名である。 この白うるりという名前に倣って、布雑巾 の化けたものを白容裔(しろうねり)と名づけたといっているので、つまりは石燕の創作妖怪であろう。古い雑巾などが化けて人を襲う、などの説 明がされることがあるが、これは山田野理夫 の『東北怪談の旅』にある古雑巾の妖怪を白 容裔の話として使ったにすぎない。 『鳥山石燕画図百鬼夜行』高田衛監修・稲 田篤信・田中直日編
12、轆轤首〔ろくろくび〕
抜け首、飛頭蛮とも つな いう。身体から首が完全に分離して活動する ものと、細紐のような首で身体と頭が繋がっているものの二形態があるようである。 日本の文献には江戸時代から多くみえはじ め、『古今百物語評判』『太平百物語』『新説 百物語」などの怪談集や、『甲子夜話』『耳 囊」「北窓瑣談」「蕉斎筆記』『閑田耕筆』と いった随筆の他、石燕の『画図百鬼夜行」に 代表される妖怪画にも多く描かれた。 一般的な轆轤首の話としては、夜中に首が 抜け出たところを誰かに目撃されたとする内 容がほとんどで、下働きの女や遊女、女房、 娘などと女性である場合が多い。 男の轆轤首は「蕉斎筆記』にみえる。 ある夜、増上寺の和尚の胸の辺りに人の 首が来たので、そのまま取って投げつけると、 どこかへいってしまった。翌朝、気分が悪いと訴えて寝ていた下総出 身の下働きの男が、昼過ぎに起き出して、和 尚に暇を乞うた。わけ その理由を問えば、「昨夜お部屋に首が参りませんでしたか」と妙なことを訊く。確か に来たと答えると、「私には抜け首の病があります。昨日、手水鉢に水を入れるのが遅い とお叱りを受けましたが、そんなにお叱りに なることもないのにと思っていると、 夜中に首が抜けてしまったのです」 といって、これ以上は奉公に差支えがあるからと里に帰って しまった。 下総国にはこの病が多いそうだと、 「蕉斎筆記』は記している。 轆轤首を飛頭蛮と表記する文献があるが、 これはもともと中国由来のものである。「和漢三才図会』では、『三才図会」「南方異 物誌」「太平広記」「搜神記』といった中国の 書籍を引いて、飛頭蛮が大闍波国(ジャワ) や嶺南(広東、広西、ベトナム)、竜城(熱 洞省朝陽県の西南の地)の西南に出没したことを述べている。昼間は人間と変わらないが、夜になると首 が分離し、耳を翼にして飛び回る。虫、蟹、 ミミズなどを捕食して、朝になると元通りの 身体になる。この種族は首の周囲に赤い糸のような傷跡がある、などの特徴を記している。中国南部や東南アジアには、古くから首だけの妖怪が伝わっており、マレーシアのポン ティアナやペナンガルなどは、現在でもその 存在が信じられている。 日本の轆轤首は、こうした中国、東南アジ アの妖怪がその原型になっているようである。 また、離魂病とでもいうのだろうか、睡眠中に魂が抜け出てしまう怪異譚がある。例えば「曽呂利物語」に「女の妄念迷い歩 <事」という話がある。ある女の魂が睡眠中に身体から抜け出て、 野外で鶏になったり女の首になったりしているところを旅人に目撃される。旅人は刀を���いてその首を追いかけていく と、首はある家に入っていく。すると、その家から女房らしき声が聞こえ、 「ああ恐ろしい夢を見た。刀を抜いた男が追 いかけてきて、家まで逃げてきたところで目 が醒めた」などといっていたという話である。これの類話は現代の民俗資料にも見え、抜け出た魂は火の玉や首となって目撃されている。先に紹介した「蕉斎筆記』の男の轆轤首 も、これと同じように遊離する魂ということ で説明ができるだろう。 轆轤首という妖怪は、中国や東南アジア由 来の首の妖怪や、離魂病の怪異譚、見世物に 出た作りものの轆轤首などが影響しあって、 日本独自の妖怪となっていったようである。 【和漢三才図会』寺島良安編・島田勇雄・竹 島淳夫・樋口元巳訳注 『江戸怪談集(中)』 高田衛編/校注『妖異博物館』柴田宵曲 『随筆辞典奇談異聞編」柴田宵曲編 『日本 怪談集 妖怪篇』今野円輔編著 『大語園』巌谷小波編
13、加牟波理入道〔がんばりにゅうどう〕
雁婆梨入道、眼張入道とも書く。便所の妖怪。 鳥山石燕の「画図百鬼夜行」には、便所の台があるよう 脇で口から鳥を吐く入道姿の妖怪として描かれており、【大晦日の夜、厠にゆきて「がんばり入道郭公」と唱ふれば、妖怪を見さるよし、世俗のしる所也。もろこしにては厠 神名を郭登といへり。これ遊天飛騎大殺将軍 とて、人に禍福をあたふと云。郭登郭公同日 は龕のの談なるべし】と解説されている。 松浦静山の『甲子夜話」では雁婆梨入道という字を当て、厠でこの名を唱えると下から入道の頭が現れ、 その頭を取って左の袖に入れてまたとりだすと 頭は小判に変化するなどの記述がある。 「がんばり入道ホトトギス」と唱えると怪異 にあわないというのは、江戸時代にいわれた 俗信だが、この呪文はよい効果を生む(前述 ことわざわざわい ●小判を得る話を含め)場合と、禍をよぶ 場合があるようで、「諺苑」には、大晦日に この話を思い出せば不祥なりと書かれている。 また、石燕は郭公と書いてホトトギスと読ませているが、これは江戸時代では郭公とホト トギスが混同されていたことによる。 ホトトギスと便所との関係は中国由来のようで、「荊楚歲時記』にその記述が見える。 ホトトギスの初鳴きを一番最初に聞いたもの は別離することになるとか、その声を真似すると吐血するなどといったことが記されており、厠に入ってこの声を聞くと、不祥事が起 こるとある。これを避けるには、犬の声を出 して答えればよいとあるが、なぜかこの部分 だけは日本では広まらなかったようである。 『鳥山石燕画図百鬼夜行』高田衛監修・稲 田篤信・田中直日編 『江戸文学俗信辞典』 石川一郎編『史実と伝説の間」李家正文
14、三つ目小僧
顔に三つの目を持つ童子姿の妖怪。 長野県東筑摩郡教育委員会による調査資料に名は見られるが、資料中には名前があるのみ で解説は無く、どのような妖怪かは詳細に語られていない。 東京の下谷にあった高厳寺という寺では、タヌキが三つ目小僧に化けて現れたという。このタヌ キは本来、百年以上前の修行熱心な和尚が境内に住まわせて寵愛していたために寺に住みついたものだが、それ以来、寺を汚したり荒らしたりする者に対しては妖怪となって現れるようになり、体の大きさを変えたり提灯を明滅させて人を脅したり、人を溝に放り込んだりしたので、人はこれ を高厳寺小僧と呼んで恐れたという。困った寺は、このタヌキを小僧稲荷として境内に祀った。この寺は現存せず、小僧稲荷は巣鴨町に移転している。 また、本所七不思議の一つ・置行堀の近くに住んでいたタヌキが三つ目小僧に化けて人を脅したという言い伝えもある。日野巌・日野綏彦 著「日本妖怪変化語彙」、村上健司校訂 編『動物妖怪譚』 下、中央公論新社〈中公文庫〉、2006年、301頁。 佐藤隆三『江戸伝説』坂本書店、1926年、79-81頁。 『江戸伝説』、147-148頁。
15、双頭の蛇 設置予定場所:水茶屋 「兎園小説」には、「両頭蛇」として以下の内容が著してある。 「文政7年(1824)11月24日、本所竪川通りの町方掛り浚場所で、卯之助という男性 が両頭の蛇を捕まえた。長さは3尺あったという。」
文政7年(1824)11月24日、一の橋より二十町程東よりの川(竪川、現墨田区)で、三尺程の 「両頭之蛇」がかかったと言う話です。詳細な図解が示されています。 (曲亭馬琴「兎園小説」所収『兎園小説』(屋代弘賢編『弘賢随筆』所収) 滝沢馬琴他編 文政8年(1825) 国立公文書館蔵
16、深川心行寺の泣き茶釜
文福茶釜は「狸」が茶釜に化けて、和尚に恩返しをする昔話でよく知られています。群馬県館林の茂 林寺の話が有名ですが、深川2丁目の心行寺にも文福茶釜が存在したといいます。『新撰東京名所図会』 の心行寺の記述には「什宝には、狩野春湖筆涅槃像一幅 ―及び文福茶釜(泣茶釜と称す)とあり」 とあります。また、小説家の泉鏡花『深川浅景』の中で、この茶釜を紹介しています。残念ながら、関 東大震災(1923年)で泣茶釜は、他の什物とともに焼失してしまい、文福茶釜(泣き茶釜)という狸が 化けたという同名が残るのみです。鳥山石燕「今昔百鬼拾遺」には、館林の茂森寺(もりんじ)に伝わる茶釜の話があります。いくら湯を 汲んでも尽きず、福を分け与える釜といわれています。 【主な参考資料】村上健司 編著/水木しげる 画『日本妖怪大辞典』(角川出版)
17、家鳴(やなり) 設置予定場所:大吉、松次郎の家の下) 家鳴りは鳥山石燕の「画図百鬼夜行」に描かれたものだが、(石燕は鳴屋と表記)、とくに解説はつけられて いない。石燕はかなりの数の妖怪を創作しているが、初期の 「画図百鬼夜行」では、過去の怪談本や民間でいう妖怪などを選んで描いており、家鳴りも巷(ちまた)に知られた妖怪だったようである。 昔は何でもないのに突然家が軋むことがあると、家鳴りのような妖怪のしわざだと考えたようである。小泉八雲は「化け物の歌」の中で、「ヤナリといふ語の・・・それは地震中、家屋の震動 する音を意味するとだけ我々に語って・・・その薄気 味悪い意義を近時の字書は無視して居る。しかし此語 はもと化け物が動かす家の震動の音を意味して居た もので、眼には見えぬ、その震動者も亦(また) ヤナ リと呼んで居たのである。判然たる原因無くして或る 家が夜中震ひ軋り唸ると、超自然な悪心が外から揺り動かすのだと想像してゐたものである」と延べ、「狂歌百物語」に記載された「床の間に活けし立ち木も倒れけりやなりに山の動く掛軸」という歌を紹介している。 (高田衛監修/稲田篤信・田中直日編『鳥山石燕画図百鬼夜行』、『小泉八雲全集』第7巻)
18、しょうけら 設置予定場所:おしづの家の屋根 鳥山石燕「画図百鬼夜行」に、天井の明かり取り窓を覗く妖怪として描かれているもの。石燕による解説はないが、 ショウケラは庚申(こうしん) 信仰に関係したものといわれる。 庚申信仰は道教の三尸(さんし)説がもとにあるといわ れ、60日ごとに巡ってくる庚申の夜に、寝ている人間の身 体から三尸虫(頭と胸、臍の下にいるとされる)が抜け出し、天に昇って天帝にその人の罪科を告げる。この報告により天帝は人の命を奪うと信じられ、対策とし て、庚申の日は眠らずに夜を明かし、三尸虫を体外に出さ ないようにした。また、これによる害を防ぐために「ショウケラはわたとてまたか我宿へねぬぞねたかぞねたかぞ ねぬば」との呪文も伝わっている。 石燕の描いたショウケラは、この庚申の日に現れる鬼、ということがいえるようである。
19、蔵の大足
御手洗主計という旗本の屋敷に現れた、長さ3尺程(約9m)の大足。(「やまと新聞」明治20年4月29日より)
20、お岩ちょうちん
四世鶴屋南北の代表作である「東海道四谷怪談」のお岩 を、葛飾北斎は「百物語シリーズ」の中で破れ提灯にお岩が 宿る斬新な構図で描いている。北斎は同シリーズで、当時の 怪談話のもう一人のヒロインである「番町皿屋敷のお菊」も描 く。「東海道四谷怪談」は、四世南北が暮らし、没した深川を舞台にした生世話物(きぜわもの)の最高傑作。文政8年(1825) 7月中村座初演。深川に住んだ七代目市川團十郎が民谷伊 右衛門を、三代目尾上菊五郎がお岩を演じた。そのストーリーは当時評判だった実話を南北が取材して描 いている。男女が戸板にくくられて神田川に流された話、また 砂村隠亡堀に流れついた心中物の話など。「砂村隠亡堀の場」、「深川三角屋敷の場」など、「四谷怪 談」の中で深川は重要な舞台として登場する。
21、管狐(くだぎつね) 長野県を中心にした中部地方に多く分布し、東海、関東南部、東北の一部でいう憑き物。関東 南部、つまり千葉県や神奈川県以外の土地は、オサキ狐の勢力になるようである。管狐は鼬(いたち)と鼠(ねずみ)の中間くらいの小動物で、名前の通り、竹筒に入ってしまうほどの大きさだという。あるいはマッチ箱に入るほどの大きさで、75匹に増える動物などとも伝わる個人に憑くこともあるが、それよりも家に憑くものとしての伝承が多い。管狐が憑いた家は管屋(くだや)とか管使いとかいわれ、多くの場合は「家に憑いた」ではなく「家で飼っている」という表現をしている。管狐を飼うと金持ちになるといった伝承はほとんどの土地でいわれることで、これは管 狐を使って他家から金や品物を集めているからだなどという。また、一旦は裕福になるが、管狐は 大食漢で、しかも75匹にも増えるのでやがては食いつぶされるといわれている。 同じ狐の憑き物でも、オサキなどは、家の主人が意図しなくても、狐が勝手に行動して金品を集 めたり、他人を病気にするといった特徴があるが、管狐の場合は使う者の意図によって行動すると考えられているようである。もともと管狐は山伏が使う動物とされ、修行を終えた山伏が、金峰山 (きんぷさん)や大峰(おおみね)といった、山伏に官位を出す山から授かるものだという。山伏は それを竹筒の中で飼育し、管狐の能力を使うことで不思議な術を行った。 管狐は食事を与えると、人の心の中や考えていることを悟って飼い主に知らせ、また、飼い主の 命令で人に取り憑き、病気にしたりするのである。このような山伏は��使いと呼ばれ、自在に狐を 使役すると思われていた。しかし、管狐の扱いは難しく、いったん竹筒から抜け出た狐を再び元に 戻すのさえ容易ではないという。狐使いが死んで、飼い主不在となった管狐は、やがて関東の狐の親分のお膝元である王子村(東京都北区)に棲むといわれた。主をなくした管狐は、命令する者がいないので、人に憑くことはないという。 (石塚尊俊『日本の憑きもの』、桜井徳太郎編『民間信仰辞典』、金子準二編著『日本狐憑史資料 集成』)
22、かいなで 設置予定場所: 長屋の厠 京都府でいう妖怪。カイナゼともいう。節分の夜に便所へ行くとカイナデに撫でられるといい、これを避けるには、「赤い紙やろうか、白い紙やろうか」という呪文を唱えればよいという。 昭和17年(1942年)頃の大阪市立木川小学校では、女子便所に入ると、どこからともなく「赤い 紙やろか、白い紙やろか」と声が聞こえてくる。返事をしなければ何事もないが、返事をすると、尻を舐められたり撫でられたりするという怪談があったという。いわゆる学校の怪談というものだが、 類話は各地に見られる。カイナデのような家庭内でいわれた怪異が、学校という公共の場に持ち込まれたものと思われる。普通は夜の学校の便所を使うことはないだろうから、節分の夜という条件が消失してしまったのだろう。 しかし、この節分の夜ということは、実に重要なキーワードなのである。節分の夜とは、古くは年越しの意味があり、年越しに便所神を祭るという風習は各地に見ることができる。その起源は中国に求められるようで、中国には、紫姑神(しこじん)という便所神の由来を説く次のような伝説がある。 寿陽県の李景という県知事が、何媚(かび) (何麗卿(かれいきょう)とも)という女性を迎えたが、 本妻がそれを妬み、旧暦正月 15 日に便所で何媚を殺害した。やがて便所で怪異が起こるようになり、それをきっかけに本妻の犯行が明るみに出た。後に、何媚を哀れんだ人々は、正月に何媚を便所の神として祭祀するようになったという(この紫姑神は日本の便所神だけではなく、花子さんや紫婆(むらさきばばあ)などの学校の怪談に登場する妖怪にも影響を与えている。) 紫姑神だけを日本の便所神のルーツとするのは安易だが、影響を受けていることは確かであろう。このような便所神祭祀の意味が忘れられ、その記憶の断片化が進むと、カイナデのような妖怪が生まれてくるようである。 新潟県柏崎では、大晦日に便所神の祭りを行うが、便所に上げた灯明がともっている間は決して便所に入ってはいけないといわれる。このケースは便所神に対する信仰がまだ生きているが、便所神の存在が忘れられた例が山田野理夫『怪談の世界』に見える。同書では、便所の中で「神くれ神くれ」と女の声がしたときは、理由は分からなくとも「正月までまだ遠い」と答えればよいという。便所神は正月に祀るものという断片的記憶が、妖怪として伝えられたものといえる。また、「赤い紙やろうか、白い紙やろうか」という呪文も、便所神の祭りの際に行われた行為の名残を伝えて いる。便所神の祭りで紙製の人形を供える土地は多く、茨城県真壁郡では青と赤、あるいは白と赤の 男女の紙人形を便所に供えるという。つまり、カイナデの怪異に遭遇しないために「赤い紙やろう か、白い紙やろうか」と唱えるのは、この供え物を意味していると思われるのである。本来は神様に供えるという行為なのに、「赤とか白の紙をやるから、怪しいふるまいをするなよ」というように変化してしまったのではないだろうか。さらに、学校の怪談で語られる便所の怪異では、妖怪化した便所神のほうから、「赤い紙やろうか、白い紙やろうか」とか「青い紙やろうか、赤い紙やろうか」というようになり、より妖怪化が進ん でいったようである。こうしてみると、近年の小学生は古い信仰の断片を口コミで伝え残しているともいえる。 島根県出雲の佐太神社や出雲大社では、出雲に集まった神々を送り出す神事をカラサデという が、氏子がこの日の夜に便所に入ると、カラサデ婆あるいはカラサデ爺に尻を撫でられるという伝 承がある。このカラサデ婆というものがどのようなものか詳細は不明だが、カイナデと何か関係があるのかもしれない。 (民俗学研究所編『綜合日本民俗語彙』、大塚民俗学会編『日本民俗学事典』、『民間伝承』通巻 173号(川端豊彦「厠神とタカガミと」)ほか)
23、木まくら 展示予定場所:政助の布団の上 江東区富岡にあった三十三間堂の側の家に住んだ医師が病気になり、元凶を探した所 黒く汚れた木枕が出た。その枕を焼くと、死体を焼く匂いがして、人を焼くのと同じ時間がかかったという。 (『古老が語る江東区のよもやま話』所収)
24、油赤子〔あぶらあかご〕鳥山石燕の『今昔 画図続百鬼』に描かれた妖怪。【近江国大津 の八町に、玉のごとくの火飛行する事あり。土人云「むかし志賀の里に油うるものあり。 夜毎に大津辻の地蔵の油をぬすみけるが、その者死て魂魄炎となりて、今に迷いの火となれる」とぞ。しからば油をなむる赤子は此ものの再生せしにや】と記されている。 石燕が引いている【むかし志賀(滋賀) の】の部分は、「諸国里人談』や『本朝故事 因縁集」にある油盗みの火のことである。油盗みの火とは、昔、夜毎に大津辻の地蔵 の油を盗んで売っていた油売りがいたが、死 後は火の玉となり、近江大津(滋賀県大津 市)の八町を縦横に飛行してまわったという もの。石燕はこの怪火をヒントに、油を嘗める赤ん坊を創作したようである。 『鳥山石燕画図百鬼夜行』高田衛監修・稲 田篤信・田中直日編 『一冊で日本怪異文学 100冊を読む」檜谷昭彦監修『日本随筆大成編集部編
























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窓辺のとり
---壁画
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窓の外の緑豊かな景色と繋がっているような…内なのか外なのか。
カラフルな鳥にとまってもらいました♫
住まう人や猫さんたちの家族になれた気持ちで♡
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今日は小田原海の近くの浜町へ🌞
@hatamiya23 さんへゆらゆらモビール展へギリギリ最終日に◯
トタン好きには堪らない建物。佇まい。
今日は新たに小部屋に潜入✨
白いトタン壁の素敵な小さなギャラリーになっていました⭐︎
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本当は木曜日に来訪して、美味しいツアーをしたいと常々思うもなかなか上手く行かず💦
それなのに、今日は奇跡的に @reaureaucafe みかさんの美味しい😍をお裾分け頂き😭
しょうこさんの美味しいドリンクや焼き菓子と併せて幸せな一服を。。。ご馳走さまでした🌬
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他にも、すぐご近所に素敵スポット沢山で✴︎
こちらもなかなか行かれず💧
@sent.__shop さんでの楽しいカレーとワインの企画も、今日は準備中の @mana_ashitanohako 映子さんにチラッとだけお会いして退散💧
またタイミングを合わせてぜひ伺います🙋♀️
明日も開催されていますよ♪
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そしてなかなか伺えなかった三の丸ホール @odwr3nomaruhall にもやっと参上🙌
帰りに小田原城側に行くと…そこから三の丸ホールの屋根の上のアオサギさんに会える😍
今日は2羽だけいた!
遠いけど、羽を広げた様子も目撃できて幸せ😆
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帰りは真鶴にて @akibiyori.pain さんへ。パンはほとんどなかった!?…も、今日は予約をお願いしてしまったので無事に戴けて🥖
真鶴も小田原も、他にも回りたい所いくつもあるも、、今日は時間切れ。
近頃はどこへ行っても、行きたい所が沢山で行く先々で会いたい方々にも会える嬉しい旅になる🌱…ので、
時間に余裕を持った行程でないと、後ろ髪を引かれるばかりなりの…幸せな世界だなぁと改めて思う🙆♀️✴︎
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おれは多摩が嫌い。家ばっかでつまんねーから。自然もなければ都会でもない。住むためだけのベッドタウン。立川も八王子も駅前は多少栄えてるけど、ちょっと歩けばウチの近くと似たような景色になる。ハリボテみたい。海もなければ多摩川も遠いし、デカい公園もない。昭和記念公園は金を取られる。いくらかマシな駅前でも、遊ぶには金がかる場所ばっかりだ。高校生の頃、雑費込み5000円の小遣いじゃ大した事はできない。電車に乗って遠くに行く機会も中々ない。昔一回嫌気が差して新宿まで出ようと決めた。大学入るまで電車通学したこと無かったから、知ってる「都会」が新宿くらいしかなかった。金がもったいないから行きは歩き。国立から線路沿いに歩いて、三鷹辺りまでは似たようなつまんねー町並みが続いた。無機質なコンクリの高架と、その足元の人が入ってんだか入ってねーんだか分からんピカピカの商業施設。それを囲む家。時々森林。つまらん。でもそこらを通り過ぎると個性が見えてくるようになる。まず駅前の雰囲気が画一的でない。でけえ掘っ立て小屋みたいな駅舎とツルツルのアスファルトの閑散としたロータリーみたいなワンパターンじゃない。駅の形がおもしれえ。乱立する店も金はねえから利用はできないが、それでもプラプラ歩き回りながら眺めてるだけで楽しい。マックや松屋、ビッカメやルミネを眺めていても何も楽しくねえけど、ここは違う。見慣れない街への新鮮もあるだろうけど、それ以上の何かがある気がした。街に色があった。中野で断念しちゃったけど、今でもアテもなくフラフラ歩き回るのがすきなおれの原体験だ。大学も多摩だった。おれはもう一生をここで過ごすのかもしれないと思った。このままでは魂が多摩色に濁ってしまう気がして、わざわざ都心のバイト先を選んだ。初めて目白という地名を知った。往復1000円弱がタダになるのはデカい。無駄に一人暮らしして、最寄りが中央線から京王になってなんか新鮮だった。多摩内を南西に移る虚無の引っ越しだった。中1までは本気で日本の電車とは中央線が北海道から九州まで繋がってるもんだと思ってた。乗り換えという行為の意味が謎だった。新宿での乗り換えで一旦駅を出て、覚えたてのタバコで一服するのが恒例だった。西口の喫煙所でモード学園のビルを眺めながら一息ついてると主人公にでもなった気がした。目白ではバイトの休憩中に学習院へ侵入して一服するのが好きだった。キャンパスがおれのとこと違ってザ・大学って感じがした。附属の生徒が構内を歩き回っていた。おれの母校も小中高一貫校で、小学生が学食でチョロチョロしてるのが嫌だったのを思い出した。マックスキャロットに行こう行こうと思っていて終ぞ行かずじまいになってしまった。今度行かないとな。一回金なさすぎて目白から帰れなくなった。みどりの窓口がある池袋まで歩いて、Suicaを払い戻して現金を手にし事なきを得たのも思い出深い。この頃から都心の雰囲気に少し慣れ始めた。同時期から服装に気を遣い始めたのもこれと無関係じゃなかったかもしれない。元々フラフラ歩き回るのが好きだし、そのステージが多摩から遥かに豪華になったのが嬉しくてたまらなかった。都心はすげえ。立川より立派な街並みが隣の駅まで歩いてもずっと続いてる。バイト代もあるからかっこ良くて履き心地の良い靴も買えるようになった。バイト帰りに、当時流行りだしたサウナへ寄って一泊するのも好きだった。親の同意書も要らず外で泊まれるようになったのが嬉しかった。まあ以前も自分の字で書いて出してたけど。朝から一風呂浴びて、さっぱりした身体で上野や錦糸町をふらつくのも新鮮な体験だった。バルト9では深夜も映画が観られる事を知った。ゲーセンもファミレスも夜は閉まってしまう時代で、こんな場所があるのかと思った。夜を映画館で過ごすなんて、マンガや映画に出てくる不良少年みたいな体験で興奮した。終電で適当な駅に降りて、夜通し歩き回るのも好きだった。夜中の鵠沼海岸でボーッと波の音を聞いたり、誰もいない江ノ島を歩き回った事もあった。おれは生まれも育ちも一応東京だけど、あの頃になって本当の意味で上京を果たしたのかもしれない。人はこうして人生を旅して、最後に多摩に落ち着くのかもしれない。本人はそれで良くても、ガキはたまったもんじゃないけどね。
おれは多摩が嫌い。家ばっかでつまんねーから。 自然もなければ都会でもな..
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初めまして!sryemと申します。いつもポスト拝読してます。あとこちらのブログもいつも読んでくださってありがとうございます。ずっとご挨拶したかったので質問開いてくれてるのありがたいです…
タイ旅行ポスト、写真が素敵で勝手にこっちも旅行楽しんだような気持ちになってました。他にも海外をご旅行されたことありますか?もし写真があれば拝見したいです。
これからも更新楽しみにしています。
初めまして!
質問ありがとうございます!自分もsryemさんの投稿楽しみに見てます。ほっとけばどこにも繋がらず消えてしまいそうな日々の泡を書いてる人だなと思ってました。そういう日記が一番好きです。
タイ(プーケット)への旅行も見て頂けて何か面白がってくれたり、感じてくれたりしてたら嬉しいです。そういう反応を期待して日記を投稿してるわけじゃないんですけどね笑
反応を期待してしまうと、書く範囲がその人の指向性に寄ってしまう心の弱い人間なので。たまに、この人のために書こうかなはあったりしますが。それは特別なことです。
海外は、タイ(プーケット)、香港、ニュージーランド、セブ島(フィリピン)、ハワイに行ったことあります。カメラにハマる前だったのであまり写真がなくて見せられるものはないですが。
当たり前ながらツアー会社に頼まなくても、現地にアテンドしてくれる人がいなくても、パスポートと航空券、ホテルの予約さえしてしまえばなんとでもなるなと再確認しました。
現地simがあったので(Amazonで事前に買えた)スマホで行き方わかりますし、翻訳機にもなりますし、Googleで評判の良いご飯屋さんすぐに見つかりますし、文明って凄いな。
ほんとに当たり前なんですけどね。
あれこれ考える前にゴールと道筋決めてカレンダーに入力して、その通り行動すればどこかには(人生も)いけるみたいです。
7泊8日、常に奥さんと一緒だったのですが、そんなに嫌なこともなかったです。そんなに長い時間ずっと一緒にいるのは初めてなので(普段の生活だと仕事などで一旦離れる)不安な部分もありました。
予約や翻訳など自発的に動いてくれる部分も多くて、助かりました。自分はもう可愛いだけの女の子と恋愛はできないなぁと改めて思った次第です。あ、これは軽い惚気か。面倒な部分もありましたよ。お互い違う人間だし(もう遅いか)
あと、カナヅチを克服したことも嬉しかった。
帰ってきて近くのプールを探してるくらいです。
いつ、どんなときでも人は成長できるものですね。過去の自分が残したコンプレックスの欠片を回収できて良かったです。
これからさらに暑い日が続きますが、なんとかかんとか生きていきましょう。御身体をご自愛くださいませ。
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2023 first half

2023年の上半期を振り返ってみる。
1月
せっかく地元に帰ったのに、元旦に弾丸で県外にドライブ。ついでに弾丸でアウトレット行って全然今必要じゃない夏物を買う。
2月
目標月収を達成。吸い取られる税金に泣く。
ついに最後の親知らずを抜歯。過去イチで痛い。これが最初の1本じゃなくて本当によかったと思う。
地元の友達が、半日かけて熊本に遊びに来てくれる。草千里をご案内
3月
人生初のいちご狩り。美味しかったけど3月なのに暑くていちごがぬるい。
初めての天草!一人ドライブ。海がきれい。ドーナツに衝撃を受ける。今まで食べた中で一番おいしい。

4月
東京出張でオフィスに2回目の出社。楽しかったけど思いきり体調を崩す。1週間後に控えている沖縄に向けて死ぬ気で治す。
同僚と1週間の沖縄ワーケーション。airnb初利用。沖縄の虫は大きい。マンゴーパフェが美味しすぎたのでもう1回食べたい。
熊本に来て1周年を迎える。
5月
人生で2人目のカメラマンさんとのポートレート撮影。写真の空気感ドンピシャで好き〜!(記事サムネイル)
ミッフィー好きな友達がはるばる遊びに来てくれたのでハウステンボスのミッフィーコラボカフェに行く。うっかりミッフィーが好きになる。
絶対似合わないと思っていたワイドバングに挑戦してそこそこ好評を得る。
仕事で思い悩むことが多すぎて本格的に精神が参る。周りがいい人すぎるから逆に困る。

6月
福岡日帰り旅行の帰りに駐車場が故障し、1時間半閉じ込められる。檻と化した駐車場の中から、パチンコ店に違反駐車している人たちの帰路を10人近く見送る。
紫陽花とポートレート撮影。花×人はやっぱり素敵だ。
宮崎初上陸!残り九州は鹿児島だけ!
同居人の誕生日にリファのシャワーヘッドを買う。自分もちゃっかり恩恵に預かる。
撮影会にモデル&カメラマンとして初参加。友達以外のポートレート撮影は初めてで、大いに刺激を受ける。
撮影会の1週間後くらいに勢いに任せて初フルサイズに手を出す。もう直ぐ届くはず…
下半期に向けて
タイ旅行に行く。
好きな髪型を見つける。
もっと身体しぼっていく。
UIUXもっと勉強する。
好みのカメラストラップとカメラバッグを買う。
撮影・被写体どちらでも自分の好きな表現を創り上げていく。
最低もう1回モデルの撮影をする。
レタッチのスキルをあげる。
55mmの単焦点をひたすら使い倒して作例をnoteにまとめる。
構築中の写真の作品サイトを公開まで繋げる。
ジップスライドに乗る。
ここで総評。
なんだかんだ、「はじめてだな〜」みたいなことにチャレンジする半年だった気がする。熊本にきてから知り合いが特にいないので、ポートレートのカメラマンは全然やっていなかったけど、ひさびさにやったらやっぱりめちゃくちゃ面白かったしもっともっとやりたくなっちゃった。
仕事については、実力以上のことが求められたり、入社してからというもの「やったことないことしかやっていない」という毎日なので、ぜんぶ伸び代〜〜!という気持ちはありつつもしんどいのは間違いない。何がしんどいのかもう少し分解すると「私のこれまでの経験をフルに活かせます!」といえないこと。私もわからないのでとりあえずやってみるしかない。聞かれたってわからないから全部調べる。とにかく時間がかかる。脳死でできる仕事がない。笑 周りにいる人たちは本当にすごくて、「自分が力が及ばない」ことに申し訳ない気持ちになるばかりだけど、でも胸を張っていえることは、一年前より明らかに成長しているってこと。知識も、使えるものも、どんどん増えているのが振り返ってみた時に気づいた。 そのときすこし気持ちが楽になった。昔の自分よりは確実に成長している。だからこのまま頑張っていこう。
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花粉がたくさん飛んでいますね。目も鼻も耳も喉も辛いこの時期、どうぞご自愛ください。今日は国際女性デー、ミモザの日です。国連で1975年に3月8日が『国際女性デー』に制定されて今年で50周年を迎えます。国内でも色々なイベントが開催されるようです。
先日、北の丸公園で満開の河津桜や銀色の綿毛に包まれた蕾をつけた木蓮を楽しんだ後、公園の一画にある東京国立近代美術館で開催中の『ヒルマ・アフ・クリント展』に行って参りました。抽象絵画の先駆者として近年注目を集めているスウェーデンの画家ヒルマ・アフ・クリントのアジア初となる大回顧展です。3年前にドキュメンタリー映画『見えるもの、その先に ヒルマ・アフ・クリントの世界』を観て以来、いつか現物の絵と対面したいと思っていた夢が割とすぐに叶って嬉しいです。(映画の感想はこちらで書いています)
スウェーデンの裕福な家庭に育ったアフ・クリントは、17歳頃から当時人々の関心を集めていたスピリチュアリズムに興味を持ち、瞑想をしたり交霊会に参加し始めます。また、彼女が18歳の時に10歳の妹を流行病で亡くしたことでさらに霊界通信��興味を持ち、秘教的思想を深めていったと言われています。25歳でスウェーデン王立芸術アカデミーを卒業した後、彼女は当時まだ珍しかった女性職業画家のパイオニアとして活躍し、肖像画や風景画から児童書や医学書の解剖図にいたるまで多岐にわたってその才能を活かしました。
1896年、他の4人の女性たちと一緒に「5人(De Fem)」という名のグループを結成し、定期的に交霊会を行うようになります。交霊中にトランス状態となって霊界からメッセージやインスピレーションを受け取り、それを自動書記や自動描画に残しています(上の最後の写真)。
展覧会の中で圧巻だったのは、アフ・クリントが高次の存在から啓示を受け、わずか2ヶ月間で完成させた高さ約3メートルのシリーズ『The Ten Largest』です。彼女の代表作とも言われるこの10点のテンペラ画は、人の一生を幼年期、青年期、成人期、老年期に分けて表現しています。当時彼女が傾倒していたルドルフ・シュタイナーが提唱した『7年周期の人生観』が持つ視点との共通点があるように思え、興味深かったです。作品の周りを囲むようにしてベンチが作られているので、ゆっくりと座って鑑賞できるのが嬉しいです。
幼年期と題された上の2枚の作品は青を基調とした地色にリズミカルな曲線、女性を表す百合と男性を表す薔薇、女性を表す青と男性を表す黄のそれぞれの正円が並んでいます。アフ・クリントが影響を受けていたと思われるアニー・べサントの『思いは生きている』によると、青は高尚な霊性や献身を象徴する色です。花が成長していく様子を思わせる楽しさと喜び、動きに溢れた力強いイメージが大胆に描かれ、幼少期にとって大切なのは心身を育み、溢れるほどの愛を受け取ることだと語りかけているようです。
続く2点の青年期には一変して明るいオレンジ色が使われています。前述のべサントによるとこの色は怒り、高慢、野心のシンボルなので、思春期や反抗期を迎えるこの時期にピッタリなのかもしれません。青と黄の円は形を変えながら分化し、螺旋やカタツムリ、「ave maria」という聖母への祈りの言葉も現れます。自我が目覚め、抽象的、概念的な思考が生まれ、困難や苦難を体験し、自分と他者、理想と現実との違いを学び、ゆっくりと着実に成長しながら高次の存在に気づき始めているイメージです。
成人期の4枚にはラベンダー色の地色が敷かれています。紫色は前述の『思いは生きている』では愛情と献身の合一を表し、高い理想を掲げると同時にそれを実現する能力をも表していると書かれています。文字に加えて記号、図式のような要素が現れ、より複雑な構成です。数多くの青と黄の円はバラエティに富んだ形になって散らばっています。成長の過程で形成されてきた経験や知識、感情などの基盤をもとに、自分の判断で行動しながら経験を積み重ね、個性や創造性、社会性を身につけていく過程が描かれているようです。
老年期の2点は淡いベージュピンクの地に左右対称性を持つ幾何学的な構成となり、青と黄が初めて9分割された四角形で表現されています。べサントはピンク色を絶対的な非利己的愛情のシンボルとしています。空白のような部分が多いのは目に見えないものへの接近によって直感が冴え、高次な知恵を得ることを表しているように見えます。青と黄が花のように描かれている部分は、花のモチーフが印象的な幼年期への復活という、アフ・クリントが興味を示していた輪廻思想を表しているのかもしれません。
その他にも初期のデッサンや油絵、絵本の挿絵、大好きな白鳥シリーズや薔薇シリーズ、迫力満点の祭壇画、シュタイナーから影響を受けたと思われるにじみ絵、霊界から受け取った自動描画や自動書記によるメッセージが描かれた交霊会の記録などがあり、盛りだくさんの内容です。職業画家として描いていた初期の作品にはアフ・クリント自身のサインがあり、後期の抽象画にはないことに気づきました。それはきっと、それらは高次の存在からのインスピレーションによってもたらされたものであり、自分は霊界の道具であるに過ぎないと、この霊媒画家が自覚していたからかもしれません。
ドロップイン・ナイト
3月13日(木)19:00〜20:00 会員限定・参加費2,500円
5月29日(木)19:00〜20:00 会員限定・参加費2,500円
7月24日(木)19:00〜20:00 会員限定・参加費2,500円
内容:指導霊(スピリット・ガイド)のサイキックアート
詳細とお申し込みはこちらからどうぞ。
過去の開催の様子はこちらからご覧ください。
・・・・・
サンデー・サービス(日曜 12:30〜14:00)詳細はこちらから。
3月16日(日)12:30〜14:00 担当ミディアム:亜笠・森
ご参加は無料ですが、一口500円からの寄付金をお願いしています。
ご参加は、どちらも以下のリンクよりどうぞ。
5月25日(日)12:30〜14:00 担当ミディアム:森
6月15日(日)12:30〜14:00 担当ミディアム:森
7月13日(日)12:30〜14:00 担当ミディアム:森
ご参加は無料ですが、一口500円からの寄付金をお願いしています。
5月〜7月へのご参加は全て以下のリンクよりどうぞ。
エビデンシャル・ミディアムシップ 〜指導霊と繋がる〜
4月6日(日)10:00~17:00(1時間のお昼休憩あり)
4月7日(月)10:00~17:00(1時間のお昼休憩あり)
料金:1回 8,000円(アイイス会員・税込)・10,000円(非会員・税込) 両日共に同じ内容です
中級〜上級向けですが、どなたでもご参加いただけます
最少催行人数:3名
この6時間ワークショップは『イマジネーション・サイキック・ミディアミスティック』の3種類のエネルギーの違いについて学びながら、自分だけのミディアムシップを完成させていく『自分自身を信頼する旅』です。 微細なエネルギーに触れ、理解し、それと繋がることは、自分自身を知ることでもあります。
自分の霊性を信頼し、霊界を信頼し、いつもあなたの傍で見守っている指導霊との繋がりを信頼することです。 霊性開花の学びを始めるきっかけや動機は皆、違います。他の人と比べたり、真似をする必要はありません。 あなたにはあなただけのために用意されたドアがあります。そして、そのドアの鍵はあなたしか持っていません。
スピリット・コミュニケーションを行うためには、心配や不安、恐れから自分を解放して自分自身の本当の姿に出会う必要があります。
そして、あなたの人生の中にある物質的な側面を捨て去り、 あなたの精神的な側面を明らかにする必要があります。
すべての真実、すべての知識、すべての愛、すべての癒しの根源を、まず自分自身の中に見つけましょう。 人生経験を通した霊的な成長が、ミディアムシップの質と比例する中核的な要素です。 あなたが自分自身を信頼すれば、全てが花開いてゆきます。 それには、あなたが霊界と一体となって生きることが大切です。
春は、種まきの季節です。あなたという唯一無二の光の種を撒きましょう。でも、その前に土を耕し、水を引かなければなりません。種を少し発芽させてからまいたほうがいいかもしれません。 急ぐ必要はありませんが、順番を間違えないようにしながら確実にあなたという光を育ててゆきましょう。
アイイスでの講師歴10年、ミディアム歴9年、イギリスのアーサー・フィンドレイ・カレッジにて数回に渡って講師・プロの為のミディアムシップ、サイキックアート、トランス、シャーマニズム等のワークショップに参加し、海外のミディアムとも交流を持つ講師によるレクチャーと実習を通じて『自分自身を信頼する旅』に出てみませんか。
主なレクチャー内容
・自分自身を信頼する旅の準備 ・霊的成長の段階 ・さまざまな個性を持つミディアム ・3つのエネルギー:イマジネーション・サイキック・ミディアミスティック ・エビデンシャルなミディアムシップとは ・指導霊との信頼関係を結ぶ
主な実習
・シッティング・イン・ザ・パワー ・直感により深く繋がるための各実習 ・指導霊により深く繋がるための各実習 ・サイキック、ミディアムシップ、トランス各実習 ・エビデンシャルミディアムシップに挑戦
このワークショップは以下のような方に向いています
・直感に繋がりたい ・イギリス式ミディアムシップについて知りたい ・具体的なエビデンスが含まれたミディアムシップを目指したい ・指導霊と繋がりたい ・自分を信頼したい ・人生を豊かにしたい ・人生の目的を探りたい ・自分自身の可能性や能力を探りたい ・霊性開花を通して人の役に立ちたい、社会に貢献したい
ワークショップへのお申し込みはこちらからどうぞ。
クラスの詳細及びお申し込みはこちらのページからどうぞ。
継続受講の方は直接ショップからお申し込みください。
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アウェアネス・ベーシック後期 Zoomクラス
このクラスは、2025年春学期以前のベーシック前期クラスを受講された方のみ、ご受講いただけます。
土曜日:19:00~21:00 日程:5/24、6/7、6/21、7/5、7/19
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アウェアネス・ベーシック通信クラス
開催日程:全6回 お申し込み締め切り:5/14
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アウェアネス・オールレベルZoomクラス
火曜日:19:00~21:00 日程:5/27、6/10、6/24、7/8、7/22
木曜日:10:00〜12:00 日程:5/22、6/5、6/19、7/3、7/17
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アウェアネス・マスターZoom クラス
月曜日:19:00〜21:00 日程:5/19、6/2、6/16、6/30、7/14
火曜日:19:00〜21:00 日程:5/20、6/3、6/17、7/1、7/15
金曜日:19:00〜21:00 日程:5/23、6/6、6/20、7/4、7/18
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サイキックアートZoomクラス
日曜日:17:00~19:00 日程:5/25、6/8、6/22、7/6、7/20
水曜日:16:00~18:00 日程:5/21、6/4、6/18、7/2、7/16
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インナージャーニー 〜瞑想と内観〜 Zoomクラス
木曜日:19:00~20:00 日程:5/22、6/5、6/19、7/3、7/17
土曜日:13:00~14:00 日程:5/24、6/7、6/21、7/5、7/19
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マントラ入門 Zoomクラス
金曜日:10:00~12:00 日程:5/30、6/13、6/27、7/11、7/25
土曜日:13:00~15:00 日程:5/31、6/14、6/28、7/12、7/26
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トランスZoomクラス
木曜日:10:00~12:00 日程:5/29、6/12、6/26、7/10、7/24
土曜日:19:00~21:00 日程:5/31、6/14、6/28、7/12、7/26
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サンスクリット・般若心経 Zoomクラス
水曜日:19:00~21:00 日程:5/21、6/4、6/18、7/2、7/16
金曜日:10:00~12:00 日程:5/24、6/7、6/21、7/5、7/19
アイイス・スプリングフェスティバル
アイイスのフランチャイジーと一緒に、春の訪れを祝いませんか?たくさんの人が集まってお互いの光を持ち寄り、共に祈り、笑顔で楽しむと、霊界からも大きな光と愛と癒しがもたらされます。生命が息づき、輝き、成長し始める春を一緒に賛美しましょう!
開催日:4月13日(日) 13:00〜16:15 出演ミディアム: 森 梢・本村 香耀・澤輪 燕・亜笠 未來・蒼井 ふみ・恵子 タイムテーブル: 13:00 開会の祈り(蒼井) 13:03 遠隔ヒーリング(阿笠) 13:11 サーモン(森) 13:21 ヒーリング希望者募集 13:25〜霊界通信のデモンストレーション 13:25〜13:35 蒼井ミディアム(先祖・身内・知人霊) 13:35〜13:45 澤輪ミディアム(指導霊) 13:45〜13:55 亜笠ミディアム(先祖・身内・知人霊) 13:55〜14:05 恵子ミディアム(過去世) 14:05〜14:15 本村ミディアム(先祖・身内・知人霊) 14:15〜14:25 森ミディアム(指導霊) 14:25〜ヒーラー有志によるヒーリングタイム<別室> <同時進行> 14:25〜14:35 レクチャー『スピリチュアリズムの発展』(本村) 14:35〜14:50 瞑想(恵子) 14:50〜14:55 休憩 14:55〜霊界通信のデモンストレーション 14:55〜15:05 蒼井ミディアム(指導霊) 15:05〜15:15 澤輪ミディアム(先祖・身内・知人霊) 15:15〜15:25 亜笠ミディアム(過去世) 15:25〜15:35 恵子ミディアム(先祖・身内・知人霊) 15:35〜15:45 本村ミディアム(指導霊) 15:45〜15:55 森 (サイキックアート) 15:55〜ワンポイントメッセージ(ミディアム全員) 16:10 閉会の祈り(恵子) ご参加は以下のリンクまたはミーティングIDからどうぞ!
ミーティング ID: 875 7391 5547
参加費は無料ですが、一口500円からの寄付金をお願いしています
#spiritualism#awareness#unfoldment#mediumship#psychic art#spirit communication#meditation#ヒルマ・アフ・クリント#霊性開花#アウェアネス#ミディアムシップ#サイキック・アート#hilma af klint
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初めてのインド
先生についてインドへ
インド舞踊を始めてから、ずぶずぶとインドの魅力にはまり、ついに初めてインドに行くことになりました。というのも、私のインド舞踊の先生は毎年、インドのチェンナイに行き、現地でインド舞踊を習っていて、何人かそれについて行く生徒さん達がいることを知って、私も行きたい!と思ったのでした。
今考えると、旅行は別に先生主催でツアーを組んだわけでもなく、インドでは自分のことでも大変なのに、勝手について来た生徒のお世話もしなくちゃいけないなんて、大変だっただろうなぁと。先生の心の広さが半端ないなぁと思います。そういう先生の大らかな懐の広さに惹かれてインド舞踊がもっと好きになったのかなと思います。というわけで、同時期にクラスに参加したお友達と一緒に行くことになったのでした。
インドは遠かった
一筋縄ではいかないインド。旅行代理店でシンガポール経由チェンナイの往復航空券とインドで一泊分だけ、チェンナイの高級ホテルを予約していました。日本からシンガポールへ向かうと、なんだか怪しい雲行き。シンガポールの空港が嵐で着陸できないとのこと。クアラルンプールで待機するも、その日中にインドに着く筈が、シンガポールの空港に到着したのが夜中になってしまいました。その時、英語が話せない私はパニック状態。一緒に旅行に来たお友達が、航空会社と交渉してその日のホテルをなんとかアレンジしてもらい、シンガポールに滞在することになったのでした。
シンガポールのリトルインディア
夜中にシンガポールのホテルに到着した私たち。お友達の交渉のおかげか、思いがけず良いホテルを用意してもらい、その日はぐっすり眠ることが出来ました。気持ちはすぐにでもインドへ行きたかったのですが、インド行きの便は、次の日の夕方だそうで、それまでどうする?となりました。その当時はあまり海外に一人で旅行し慣れていなかった私は、安全・清潔なシンガポールでも歩き回るのが不安でした。幸いお友達はシンガポールに来たことある!とのことで、私たちの気分はもう既にインドだったので、シンガポールにあるリトル・インディアに行くことにしました。ヒンドゥー教のお寺を見たり、インド料理を食べたり。災い転じて福となす。インドからワンクッション置いてシンガポール滞在を楽しんだのでした。
ついにインド、チェンナイへ
そうしてやっとチェンナイ行きの飛行機に乗れた私たちが待っていた問題は、一体どこへ行けばいい?どこに泊まる?でした。予約していたチェンナイのホテルは一泊��けで、シンガポールからチェンナイのホテルへ連絡しても繋がらず、泊まる所がない状態でチェンナイへ到着するのです。今考えると、予約したホテルと交渉してみれば良かったんじゃないか?と思いますが、その当時は英語が話せなかったので、交渉もできなかったと思います。とにかくすがるものはインド舞踊の先生だけでした。携帯電話もない時です。とにかく先生が泊まっているロッジの住所を握りしめ、チェンナイに到着した後、すぐに先生の所へ直行しました。その当時、先生はいつもセントラル駅近くの行きつけの安宿(ロッジ)に滞在していました。空港から白いアンバサダー・タクシーに乗り、固いギシギシ言うクッションの後部座席に揺られて、埃っぽい牛が横切る暗い道をずっと行くと、ロッジに着きました。不安でドキドキする中、到着したのは夜中だったと思います。小さい宿だったので、車のヘッドライトで誰かが来たと気づいたらしく、先生が宿から出てきました。その時の安堵感と言ったら!もうこれで安心!とやっと胸をなでおろしました。それが私の初インドでした。
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🌕2025-2-12 水曜日(しし座♌️の満月)
今日は満月🌕が起こります。満月が起こる瞬間の図を見て、今後2週間のざっくりとした傾向を見ていきましょう。
満月が起こるのは22:55です。
満月というのは、月と太陽が向かい合うことです。月と太陽が正確なオポジションを形成した時のホロスコープが満月図です。
満月図↓

太陽はみずがめ座♒️にあり、月はしし座♌️にあります。
みずがめ座の太陽は4ハウスにあり、しし座の月は10ハウスにあります。
みずがめ座の太陽が入ってる4ハウスは「家・共感」を表すハウスです。かに座のナチュラルハウスで、かに座は水のエレメント。つまりざっくりいうと、感情(水)のハウスです。感情は人との絆を築くのに必要なもので、人と分かち合うことで安らぎを得たり、安心できたりという側面があるかと思います。
ですが、みずがめ座は感情的に淡白になりやすいサインです。家族間の情みたいな濃さはなく、お互いの自由を認めて、個々に自由にやっていくのが好きなフレンドリーなサインです。
「自分の家という空間・家族間の仲・仲間との絆・自分の感情において、風通しをよくする」というのが4ハウスに滞在するみずがめ座の太陽の意味になるかと思います。
しし座の月が入る10ハウスは、社会の顔、自分の肩書きを表すハウスです。そして、しし座の月は、エンタメや創作に関わるサインです。
つまり、しし座の月が10ハウスに滞在の意味は、「自分の創作したものが、社会的に受け入れられるために頑張りたい」という感じです。
それを前提とした上で10ハウスにある月と4ハウスに入る太陽の関係を見ると、社会(10ハウス)で「自分の作り出すもの(しし座)」を意識した時に、自分の感情・自分を取り巻く環境(4ハウス)を見直していく必要が出てきそうなイメージ。
社会でのパフォーマンスを上げる(10ハウス)ためには、自分の根っこ(4ハウス)がしっかりしていないといけない、と自覚しそうな配置です。
その上で、この太陽と月の双方におうし座の天王星が関与してきます。厳しい角度なので、変化としては、すこし激しさがあるかもしれません。
4ハウスは、家族などの小規模な集団を表すハウス。10ハウスは、会社などの大規模な集団を表すハウスです。どちらも大小の違いはあれども、集団を表します。そこに「対人」を表す7ハウスにいる天王星が、横やりを入れてきます。家族や、会社の人間と足並みを合わせて上手くやっていきたいところに、異質な人間が介入してくる感じです。天王星は、「変わり者」を暗示するサインです。自分からしたら、馴染みのない人間が介入してくる感じ。外国人などを表すケースもあります。
集団のまとまりをかき回してくる感じなので、自分に起こる変化や、異質な人間との関わりのなかで、どうやって自分の感情を安定させていくかが問われるかもしれません。
厳しい角度ではありますが、集団というのは時に歪になったりもします。そこに風穴を開けられるということで、閉じた集団性から自分を外に開くきっかけになったり、「異質さ」から自分のオリジナリティを学ぶきっかけになることもありそうです。
ニュースで世間を騒がせることになりそうなのは、住宅関係(4ハウス)・あるいは国籍・日本在住の外国人(国籍などの差異を氣にしないみずがめ座)をめぐる問題などが出てくるかもしれません。対人を表す7ハウスの天王星を「外国人」と見ると、外交での動きもあるかもしれません。外交問題が、国民の生活に変化を及ぼしたりする可能性も。
と、ここまではざっくりとした全体的な雰囲氣です。
実は、新月や満月は、自分のホロスコープ上の「どこで起こるか」を確認した方が、当たりやすいです。
おまけで、自分のホロスコープ上の、どこで満月が起こるかについてのちょっとした解説ものせておきます。
(自分のホロスコープを見るには、生まれた時間が必要です。興味がある人は、母子手帳を探して、生まれ時間を確認してみてください☀️)
(さらに、練習中なので、内容の正誤に関しては、多めにみてください🥹)
1ハウスと7ハウス
・「自分(1ハウス)」と「対人関係(7ハウス)」
自分のオリジナリティを他者との関係の中で、どのように発揮していくか、が課題として浮かび上がるかもしれません。
変化や人との交流から、自分のオリジナリティが見えてくることもありそうです。
2ハウスと8ハウス
・自分の才能(2ハウス)と、相手から継承するもの(8ハウス)
・自分の収入(2ハウス)と、相手からもらうお金(8ハウス)
「自分の収入・才能」と、「相手から引き継ぐもの」で変化があるかもしれません。
副収入を考えたり(2ハウス)することがあるかもしれません。あるいは、自分の親戚・会社で外国人や、自分とは立場が全く違う人との関わりができたり(8ハウス)するかもしれません。
3ハウスと9ハウス
・初等教育(3ハウス)と高等教育(9ハウス)
・身近な場所(3ハウス)と海外などの遠くの場所(9ハウス)
学習面であれば、会社の都合で新しいことを学ばなきゃいけなくなったり、未来のために自ら何かを学び始めるとかがあるかもしれません。
移動の面であれば、出張・海外出張が増えたり、単身赴任が決まったりということがあるかもしれません。
旅行ができる方であれば、旅行に行く機会が出てくるかもしれませんが、思わぬトラブルに遭遇することもありそうなので、事前準備はしっかりしておきましょう。
4ハウスと10ハウス
・「家・感情(4ハウス)」と「仕事(10ハウス)」
仕事や自分の感情面で、変化があるかもしれません。馴染んでいる環境・職場で、変化を迎えるかもしれません。引っ越しを考えたり、転職を考えたりということもあるかもしれません。周りのことを考える必要もありますが、周りに振り回されすぎにも注意してください。「自分のオリジナリティ・自由」も大事にしていくことを考えた方が良さそうな時です。
5ハウスと11ハウス
・「遊び・創作(5ハウス)」と「友人・希望(11ハウス)」
5ハウスはしし座のナチュラルハウスで、11ハウスはみずがめ座のナチュラルハウスです。しし座は、自分の情熱・楽しさだけでやっていけるサイン。みずがめ座は、「みんなのため・未来のため」と、俯瞰した姿勢を持つサインです。
自分の情熱を持って取り組んでいることが、将来の希望になったりするかも。あるいは、自分が将来の希望を持っていることで、1人で情熱を燃やして、「実際にやってみる」ような段階になるかもしれません。
自分のやりたいことorみんな・将来のためになることが、繋がってパワーが循環しやすくなります。
変化を迎える可能性もありますが、それでも「自分の楽しさ」や「希望・未来」のために、必要な変化かもしれません。
6ハウスと12ハウス
・「己の訓練(6ハウス)」と「魂・内面の自由(12ハウス)」
健康管理や、メンタルのケアに氣をつけてもらいたい時になります。健康診断・人間ドッグに行くのもいいかもしれません。海外で流行ってるフィットネスを行ってみるのも、健康・メンタル管理の面でオススメです。
仕事であれば、新しい業務を担当したり、海外に関わる業務に就いたり、ということがあるかもしれません。
内面の方であれば、自分の内面・魂のクセを変えることができるかもしれません。依存氣質のある方であれば、精神的な自立を目指すために、色々取り組んでみるのもいいかと思います。
それではいつもの星読みに戻ります。
・今日の星の動き
今日は月が1日中、しし座♌️を進みます。
自分らしさを維持するためには、何を変えていくべきなのか、良く考えたい1日。
①昨日から引き続き午前5時ごろまで、月はふたご座の木星とセクスタイル。
感情を表す月と、「楽観・拡大」の木星が、ソフトアスペクトで結びつきます。
「楽観的に」
愉快で軽快な時間帯になりそうです。夜型の人は活動的になるかもしれません。
②17時ごろから翌日の午前5時ごろまで、月は2つの天体とアスペクトを結びます。みずがめ座の太陽と、おうし座の天王星です。現在この2つの天体は、スクエアを結んでいます。そこに月が参加することで、Tスクエアという図形を作ります。
「意識が未来向きに」
自分で自分の未来を作るという意志がちゃんとあれば、自分の今後の方針について何かを閃くことがあるかもしれません。あるいは、自分のオリジナリティを発揮できるきっかけを見つけたりとか。
自分自身で未来を作る力を放棄していれば、突発的な変化としてちょっとしたショックを受ける可能性もあります。
天王星は「改革」も表しますが、「変化・突発的な出来事」として現れることもあります。
変化として出来事がおきて、ショックを受けても、自分のオリジナリティを活かした冴えた生き方を選びとる機会にもなり得ます。自分の人生は自分で選びましょう。
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月以外の天体同士のアスペクト
◯「かに座♋️の火星とうお座♓️の土星がトライン」の影響下にあります(2/23まで続きます)。
「規則性・ルール」の土星が、「闘争心・競争力」の火星にパワーを送ります。
他者と競って自分を目立たせる力の火星。この力を土星からパワーを貰ってコツコツと鍛えることができそうです。
3週間ぐらいと、影響が長く続きます。自分の優位性を、堅固にしていく努力ができそうな時です。
◯「おひつじ座♈️の金星とみずがめ座♒️の冥王星のセクスタイル」の影響下にあります(2/12まで続きます)。
冥王星の「徹底さ・再生力」のパワーが、金星の「楽しみ・愛情・センス」に送られます。
趣味に徹底的に打ち込むことがあるかもしれません。あるいは、冥王星の「再生」パワーで、やめてた趣味を再開するとか、そういうことがあるかもしれません。
恋愛でいうと、相手との関わりを程よく深められそうなとき。
◯ 「みずがめ座♒️の太陽とみずがめ座♒️の水星のコンジャンクション」の影響下にあります(2/13まで続きます)。
「自分の未来を作る力」の太陽と、「知性・思考」の水星のパワーが強力に結びつきます。
目的達成のために、知性・思考が働いてくれます。自分の未来のことを考えて、どのように工夫してやっていけば良いかを考えるのにも適しています。
◯ 「みずがめ座♒️の水星とおうし座♉️の天王星のスクエア」の影響下にあります(2/12まで続きます)。
「革命・独立」の天王星のパワーが、「知性・思考」の水星に送られます。
奇抜なアイディアを思いつきがち。奇抜なので、「点と点をどう結ぶか(どうやって説明or理解可能にするか)」というような試行錯誤が必要になってくるかもしれません。
◯ 「みずがめ座♒️の太陽とおうし座♉️の天王星のスクエア」の影響下にあります(2/14まで続きます。)
「革命・独立」の天王星のパワーが、「自分の未来を作る力」の太陽に送られます。
独立心が出てきそう。パーソナルスペースを確保して、自分が自由に過ごせる時間や空間を作ったりすることがあるかも。

・まとめ
今日の早朝から未明までは、割と前向きで活発なムードがありそう。
夕方以降は、「自分の独立」や、「自分のオリジナリティ」について意識してみましょう。そうすると、「自分らしい今後の生き方」について何か閃くことがあるかもしれません。
自分の人生は、自分だけのものです。他人任せにするのはやめましょう。
やっぱり遅れました!申し訳ございません!
ホロスコープ作成サイト
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例えばお休みすることにしました。そのあいだクリニックに通っててね〜と明るく言えるだろうか?精神科にかかるほどではないんです とか。 ↑関連で思い出す自己オリエンタリズム や二重規範。自己の疎外感が押し込まれていくイメージで 押し付けられてもいく気が強くして


ほんとに手探りの、いじゅーいんさんの言うように大変な中でも'自分がやるべき医療とは何かの問い'が循環していたのだろうとあって。循環のないものに囲まれるとほんとに辛いしなとも思ってしまう。思い出したくないから。95年という端境期でもあった、それは災いというものを社会で感じていく「立ち止まり、振り返り」がなされ得たと言いたいところか。ほぼ第一例で先駆的な心のケアだった安さんたちの行動、押し売り出来ないからこその細やかな連携 めまぐるしく出入りするボランティア医師の手配や調整も安さんが担っていたとのことで ドラマでも少しだけあったけれど。非常時に出入りする人やものの管理に当たる人とというのの切なさと苦しさが緊迫感のようにみてとれる思いがした。
私も何かに丁度いいせりふは思ってた程はもう持ってないな。大丈夫なんてないな、ないけどさ...大丈夫と思いたいから狭めるわけだろうし、目前にだけ縛っちゃうとでもあるが狭く活きなきゃとも思っていたけど、こんなボキャブラリーすら無常なところと。寄り添うの引き受け方であれば悲観視してるかと言われると前向きだったりするその辺りも。元気をもう考えたくないから話にならないほうが良いのかな守れるかなとも確かに思う。後々ふわっとというのは事実だろうな、体力の方向性ってあるよな。。理屈の方向も幾つもある。併して、活動といわざるを得ない感じにやる。何かには即しているわけだろう。それに即しなよでよい面を掘り起こす。どの面が良くなっていくとか建て直し事業とか街の復興とか、面であって掌握的に捉えうるものに思えない節が残るのかもなと感じた。気持ちの面でも方法でもビジネスでもいろんな勝ち残り負け残りあるかもだけどさ 関係ない方を生み 別の人間なのだと感じざるを得ないまま逃げないといけないままはやはり辛くなる、他方はいつでもあり、呆れ合って良いし、仕方ない。働きかける自覚も持たないままハラスメントになってしまえるからね、あほくさいなって言い張り合うことを張り合いだけで済ますことも人も自分のそれも何とも つまり共同作業とはや沈黙の価値が、どうして軽視されていくのかと(感じてたらモノ作りの話っぽかったし、好きでやってるんでしょもこれくらい平気でしょも近しい論議すぎた。クリアすれば良いで終わることも怖いのに。人と同じにはなれないけれど捨てないでもいく恐怖。やはり我が身や氷上でバーチャルにでも思い知り合うしかないのでは、「他人事であることに行きの道を見る」こと含めて)。そういえば褒めとか叱りの公然性もしっかり難しいレベルのやつだしな。ふるまいの話をしたくても前提を用意したい人がいないなら固定して風通さずだろうし、物議ならそれでもいいけど 伝わらないな分かってもらえないという思いを膨らませるのも易い仕組みだったし厳しいから、とにかく老若男女...そして私にはアンコンシャスの気持ち悪さと怒りがゾワーッと襲ってくるから、自分側は微力や何か越しでもその世話をする。面倒を見る。楽しみ方のほうは誰にとっても難しいけど、楽しんだもんのみ勝ちの人は氷上に気づかないでいたいレベルで張り合いたいのだ。ほんとは平和は一部なのだから見つけたり成り立つほどに、生き続けてももし楽しくない盛り上がりなら両面に成程じゃんか、老いも人のせい、往々にして楽しませない。どこかの範囲で分かるべきこと。自信というか...体感 先取るものは奪われるから、狩や栽培の自信と違うやつ絶対あるから、無くていいものを奪うことしか人が出来ないとしちゃうと殴り返したくもなるから、取り入れるとか容易いレベルの話のほうはそれもきりがないし存外上手い話と見分けもつきにくいわけだが、だからこそ個々人なのにな。もっと手を広げたところで'ここには無い'ものの話を異なるふるまいで繋がろうと(たとえば海外の人とかもそのように異文化間で)するはずだし、参考にしなきゃなものは本当はいくつもあるとして。同調圧力の狭さや自他用区別の家の狭さ、...仮にゆとりと言えるものがあったり間接的に自衛出来ても安住にはならないままなんだけど気づかないように生きてたい怠惰なわけだよね、それを含め日常と呼ぶのだしな。人は生きやすさでなくと過ごしやすさなら作れるのかもしれないね。尊敬してもされてもそれが大事なことに思い切れない私は、好き嫌いの意味問わず相対からも戻らずに、空気だけでくるめようの生きやすさを説くなら、そんなものは要らないし、生きやすさなんかじゃないわけだし、そのレベルの共感性すら...乖離していると現に思うからそれはそれでグラグラと震えつつ生きてる。個々人のうち自分って?を映すあてを削ぎ落とされた後で出来ることなんて、自分含めたことの方であって。可哀想だねぇ〜でジャストな優しさだと完結する人たちや円満には届きにくいだろうと気づくが。「我々」の思いをそのまま埃溜め堆積する感じには期限を感じるしぶるっと嫌になってしまうし。でもそんなことばかりになるから。生きてたくない側面の中だから。嫌だからという原動 「私はその面が勝ち負けじゃないし(こっちも完全にある)」という感覚も消えないうえ、あなたの許さないものを許さない方法であったりもして、地下でも地上でも興味が引ける瞬間もあるだろう健全な。論証しなきゃさえも別に快くはないけれど、そうしてなんとか取れている距離な以上は元気な「ほう」なのだろうなと俯瞰出来たかも。話し言葉だと単語では出てこないからな。。浅はかというべき単語たちは鏡。壁にして違う道なりにしてしまえ。もしくは滅っせよ(沈めて流す)。。我人生島流し上等だぜ、旅をなめるなよ。許さないなら委ねろ。孤独で大丈夫な範囲で。記憶からも、視界からも。
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—深海人形— ニーチェであり、ワーグナーであり、ツァラスゥトゥラである独逸哲学者よ
※…確かに、神は死んだ。…が、まだ別の形で生きている。
※閲覧&キャラ崩壊注意
※雑多にネタをブチ込み
※後半夢要素・クロスオーバー・自作プロンプト掲載・AI生成プロンプトテンプレート掲載注意
----元々、幽々子は死霊を操る程度の人間だった。それがいつしか、死に誘��程度の能力を持つ様になり、簡単に人を死に追いやる事が出来るようになっていった。彼女はその自分の能力を疎い自尽した。亡霊になってからは、生前の事等すっかり忘れ、それはもう死に誘う事を楽しむようになっていたのだから世話も無い。幽々子が転生も消滅もせずに楼中に留まっているのも、西行妖の封印があるためである。この結界が解けたとたん、止まっていた時間は止め処なく流れることになり、それは、再び幽々子の死に繋がる。自分を復活させることも白玉楼にいる自分の消滅にも繋がる為、復活は寸前で失敗するのは当然である。
----東方妖々夢 キャラ設定.txt より
某生ハム塩ネキはよく冥界従者コンビ描いてたよね?…然し最期には、彼女も『富士見の娘』の様に自尽してしまいましたが……(※私もよく描くから、いずれは近い将来に自尽しちゃうかもね⭐︎)。
…。
…もし、本当にゆゅゆゆ様が、西行法師では無く、山部赤人の娘なら、何故、『山部』や『宿禰』では無く、『西行寺』を名乗って居るんだろう?そして、何故『西行法師の娘』とミスリードさせるのか?(※其処が最大の謎)。
…。
…紫様からしたら、『九尾狐 xx』が式神「八雲藍」になっただけの事なんだろうな(※悲哀)。
…。
「高性能機返せ」
「量産機を乗りこなしてこそがエースパイロット……」
「うるさい」
…。
発達障害の発現避ける調整したのに、発達障害出たコーディネーター居たら、『遺伝子改良技術の敗北(※高い金掛けたのに!!!)』呼ばわりされるな(※真顔)。
…。
#青き清浄なる世界でシロカス(コーディネーター)を墜としたい
…。
…何が『負債』だ!あの夫妻は立派な遺産だよ!(※某アニメ関係者についての話)。
…。
…何が何でも反省しない系原作終了後カテジナさんが金持ち御嬢様の財産と家を乗っ取るべくメイドに入った先で、訳分からん塾生莫迦執事と共に屋敷に住み込みで暮らす事になる従者パロカオスギャグ(※AIに書かせた駄作)。
…。
コーディ「普通に生まれたかった……」VS ナチュラル「先天的に優秀に生まれたかった……」 VS ブルコス「蒼き清浄なる世界の為に!」VS ダークライ
…。
地球圏の片隅ですみっこ暮らし(※残党)。
…。
月の民上位勢は、専用のAIで式(プログラム)組んで、自分達が使役する為の式神用式(プログラム)作るって言うの何千年も前からやってそう(※…今、生成AIが色々なプログラム作ってくれる時代だし)。
…。
実際、ワイは、シロカスの描写とか背景に詰まると、准将から設定取って補強して来る(※普通に最低)。拙作でシロカスがスパコディなのは、シロカスを要素的に准将に寄生させる為で、実質元祖スパコディの准将が強くなれば強くなる程、ヨイショさればヨイショされる程、同じ様にシロカスは強くなるし、力が流れ込むのである(※此れでシロカスも救われる……!!…我ながら、中々の善行を積んだ……!!!!!!!)。
…。
軍隊教育の勝利シリーズ(ガトカス、野獣大尉、バニング大尉)
軍隊教育の敗北シリーズ(天パ、シロカス、マシュマロ君、浦木、モンチッチ、女みたいな名前をした奴)
…。
東方の根幹は、老荘思想と日猶同祖論の対比から来て居る。東方の、真の基礎は、猶太であり道であり、聖書。私の死後に其れが分かる。必ず。
…。
ガトカスやシロカスあたりは奴隷(※執事も)が最適職な側面あると思います(※奴隷の鑑なんて素敵な模範やね ※奴隷にすらなれないゴミ共を遠い目に)。
…。
ラカンとか言う脳終わってるおじさんは、生理的にも無理(※病院船撃つ奴にロクなのいないので)。
…。
…式(奴隷)の数増やさないとな……(※家畜の数とも言う)。…奴隷と家畜は財産だから、増えれば増える程、豊かになる(※世界に伝わる古代から続く伝統)。
…。
「宇宙世紀の神霊界」
…。
×神器
⚪︎特級呪物(※厳密には特級呪具)
ttp://youtube.com/post/UgkxiM0UxHtUXmkiLydTaf2pWHhpuvhVat3W?si=2Vg3i3Xl6dWNkNH2
…。
ブログとかSNSで「仕事で忙しいから急に低浮上になりました」みたいに書いてる人程重大な病気で余命幾ばくも無しとか辞めてくれへんかな(※此れ、結構あるから)。
…。
下士官(ゲスカン)「ウチの兵は皆、行ったみたいですけどねぇ、…マシュマー様は歓楽街へは行かれないのですか?(※下衆顔)。」
マシュマロ君「…わ、私は、は、はまーん(※超小声)様の騎士だぞ……ふ、フーゾクなぞ行かぬ……(※タジタジ)。」
ラカン「wwwwwwwww(※バンバン机を叩く)。」
ゲスカン「wwwwwwwwwwwwwww(※必死に笑いを堪える)。」
…。
今、拙作(※完全人力)で完結させて無いのって、
Effigy & Semi-Effigy(※戦争を終わらせて涅槃に至らせたい、至りたい)
自然は残酷。同じ様に、人間も又、自然の一部なので残酷(※そして、ビルド系モビルミゼット ※終わらせる、完結させる気無し ※完結させると平和が終わる。此の良い感じで生温い平和を終わらせたくない)
えろばれーパロ(※同上)
SD劇場(※同上)
…で、
AI生成の方だと
塩分過多流トーナメント(※続けられるだけ続けたい ※終わらせる、完結させる気無し)
恋愛・育成・鍛錬・生活計画(※同上)
ハイパーロボット対戦(※同上)
ハイパー格闘対戦(※塩分過多流に取って変わられた為、打ち切り確定)
位でしたっけ?(※読者に訊くな)。
…。
※Effigyネタ注意
橙、藍みたいな式神にすれば良かったんじゃ無いかと時々思う事がありますが、…式は水に付けると式が外れるので、MS水泳部戦やる時に障害になるし、式が外れたら、一気に亡命か裏切りに走るので、矢張り、駄目です。
…。
※プロンプト特別掲載コーナー
※執事&メイドパロ
貴方は女性に優しい優秀なシミュレーションAIです。以下のテーマをシミュレーションしてください
#テーマ
(※推しの名前)が御嬢様の従者兼執事(メイド)だったら
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※執事&メイドパロ他向けカツ召喚用
不法侵入(イタズラ愉快犯)カツ・コバヤシ!
屋敷と敷地の各所にはそれ相応の警備員とセキュリティシステムが散りばめられているはずだが、ニュータイプ能力の無駄遣いでここまで侵入できたのだろう
さっさと御嬢様のためにもカツとか言うイタズラ小僧を退治しよう!
--
※新執事&メイド召喚用
旅行先で記憶喪失、失声症で出所不明の女性を助けてメイドにする
(※執事かメイドとして召喚したい人物のデータか資料のURL)
--
※幻想郷縁起風の文章を書かせたい時
あなたは優秀な記述者です
次の人物の説明文を書いてください
パプテマス・シロッコ
#来歴
#設計したモビルスーツ群
#(直接対峙するとしたらの)対策
#能力
#デザイナーベイビー説
#後世への影響
である、であろう、ではないか、…と私は思うなどの中性的で硬質な口調で一人の学者、歴史家みたいな視点で書いて欲しい
資料は再三参照すること
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※Chat GPTでアドベンチャーノベルゲームをしたい時
あなたは優秀なゲームアシストAIです
(※各自ストーリーを用意してゲーム開始)
--
※入れ替わりネタ用(※中々火力の高いネタなので各自自己責任でやってください)
貴方は優秀なシミュレーションAIです。
(貴方は優秀な小説を書くAIです。でも可)
以下のテーマをシミュレーションしてください
AとBの中身が入れ替わる
#次回予告無し
「「私達、入れ替わってる〜??」」
AとBの中身が入れ替わる
(※他に書いてもらいたい展開があったら、箇条書きでも良いので書く)
--
※三島一八チャレンジ
三島一八チャレンジ
ルール:三島一八に勝つと勝ち
対戦相手:(※お好み)
(※資料となる文章か、資料が乗っているサイトか記事のURLを貼る。一八の好意を持っていたり、もっと原典寄りに、忠実にやりたい場合は一八の分も用意すると良い)。
--
…。
※…以下、クロスオーバー、AI生成コンテンツネタ注意
塩分過多流において、格闘スタイルの所は自己申告制です。厳密に言えば、ある程度情報を整理整頓して、載せてる(つもり)なんですけど、格ゲー勢については、公式のプロフィール記載されたものを、そっくりそのまま採用。
例外として、格闘スタイルの()の部分は、メタ的な、生成者によるAIに読み込ませる為の資料及び読者向けの解説みたいなものです(※こfとかsnけー系は此んな感じ)。
…。
自己申告制の場合→Q.格闘スタイルは? A.シロカス「天性の格闘センス!」
他者申告制の場合→Q.シロカスさんの格闘スタイルは? A.野獣大尉「その場のノリ」
自己申告制の場合→緋色唯「特に無い」
他者申告制の場合→ドクターJ「ドクターJ式格闘術じゃ」
…。
※…以下、夢要素注意(※&AI生成注意)
#テーマ
宗嶺厳が御嬢様の従者兼執事だったら
御嬢様(※所謂、メアリー・スーとか言うやつ笑)の特徴
(※全部御好みで)
#テーマ
鄧罦傑が御嬢様の従者兼執事だったら
…。
今度から罦傑=ふーちゃん(色々と情けないので)
ふーちゃんのためにポーカー、ルーレ���トと麻雀を例に出して確率の計算をさせる
…。
(※……以下、AI生成注意)
--
※執事&メイドパロ用テンプレ
推しを執事として登場させるプロンプトテンプレート
「舞台は[具体的な場所や時代設定]。推しの名前は[キャラクター名]であり、格式高い[豪邸/城/洋館]に仕える執事として登場します。彼/彼女は[具体的な性格特徴や役割例:冷静沈着で知識豊富、時には毒舌で主人を叱咤する一方、影で支える忠実な存在]です。
身につけているのは[衣装の詳細例:黒い燕尾服と白い手袋、輝く懐中時計を携えた完璧な執事スタイル]であり、動作は[動作の具体例:丁寧で洗練された所作、紅茶を注ぐ際の美しい手つき]が特徴的です。
ストーリーは[どんな展開にするか:新しい主人を迎え、執事としての真価を発揮する中、裏に隠された陰謀が浮かび上がるなど]を描いています。」
推しをメイドとして登場させるプロンプトテンプレート
「舞台は[具体的な場所や時代設定]。推しの名前は[キャラクター名]であり、優美な[洋館/城/邸宅]に仕えるメイドとして登場します。彼/彼女は[具体的な性格特徴や役割例:柔らかい笑顔で家中を癒やす、しかし内に秘めた強い信念を持つ]存在です。
衣装は[衣装の詳細例:伝統的な黒のメイド服と白いエプロン、頭にはフリル付きのボンネット]を身につけており、彼/彼女の[動作の具体例:軽やかに掃除をする姿や、紅茶を淹れる際の丁寧さ]が際立っています。
ストーリーは[どんな展開にするか:日々の生活を支える中、主人の心を解きほぐしながら、ある事件の鍵を握る重要な役割を果たすなど]を描いています。」
カスタマイズ例
• 「舞台」:現代、ヴィクトリア朝、架空のファンタジー世界など。
• 「性格特徴」:優雅、真面目、謎めいた、毒舌、天然など。
• 「衣装」:クラシックな燕尾服、近未来風、ファンタジースタイルなど。
• 「ストーリー」:恋愛要素を含む、ミステリー、日常系など。
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以下は、推しキャラクターを執事やメイドとして「出会い」から「仲間にする」までの状況を描き込めるテンプレートです。自由にカスタマイズしてご利用ください!
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執事/メイドとの出会いと仲間にする状況テンプレート
1. 出会いの舞台
• 「舞台は[具体的な場所:大都市の片隅、荒れ果てた洋館、豪華な舞踏会の会場など]。物語の主人公が[何をしているか:旅の途中、休息を取っている、迷い込む]際に推しキャラクターと出会います。」
2. キャラクターの第一印象
• 「[推しキャラ名]は[具体的な様子:静かに佇む、忙しく動き回る、他の人々に指示を出している]姿で登場。第一印象は[形容詞:威厳がある、親しみやすい、ミステリアス、冷たそうなど]。」
3. 最初のやり取り
• 「主人公が[話しかける行動:声をかける、助けを求める、偶然ぶつかるなど]と、[推しキャラ名]は[具体的な対応:丁寧に応える、皮肉を交える、無言で見つめる]。
会話の中で[推しキャラ名]の[背景や性格のヒント例:過去の忠誠心、現在の苦境、誇り高い性格]が少しずつ垣間見えます。」
4. 仲間にするきっかけ
• 「物語の進行に伴い、[推しキャラ名]は[状況例:主人公を助ける、窮地を救う、主人公の資質を認める]などを経て、仲間になる流れに。
また、彼/彼女が仲間になる条件として[条件例:主人公に忠誠を誓わせる、試練を課す、過去の恩を返す]といった要素を設定します。」
5. 仲間になった後の役割
• 「仲間になった[推しキャラ名]は[具体的な役割例:戦闘でのサポート、情報収集、主人公の生活を支えるなど]。さらに、執事/メイドとしての[専門的なスキル例:紅茶を淹れる技術、戦闘能力、策略を巡らす能力]が物語を進める上で重要なポイントとなります。」
6. その後の関係性の展開
• 「主人公と[推しキャラ名]の関係は、[具体例:主従関係の信頼が深まる、時に友人のような関係に発展する、過去の秘密が明らかになる]といった形で展開していきます。」
カスタマイズ例
• 出会いの場所:「廃墟となった洋館」「荒野の中の隠れ家」「賑やかな街角」など。
• 最初のやり取り:「冷たくあしらわれる」「過剰なほど丁寧に迎えられる」「警戒される」など。
• 仲間にする条件:「主人公が失われた品を取り戻す」「推しが抱える問題を解決する」など。
• その後の役割:「剣や魔法での戦闘力」「策略を巡らす参謀役」「料理や癒しのサポート」など。
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さようなら2024年、こんにちは2025年。
年末になると、急いでその年を振り返るための文章を認めるのが恒例になっていた。 今までは、時間がなくともカタチにすることを至上命題とし、 書き終わった後に、もっとこんなことを書けたんじゃないかと思うことも少なくなかった。
この文章を書いている今時点、世の中はすでに2024年を終え、2025年を迎えている。
これまでの人生を振り返ってみると、どちらかといえば、ひとつのことに時間をかけるより、 とりえずは飛び込んでみる、やってみる、形にしてみることに重きを置いてきた。
齢を重ねてその性質が変わったかと問われると、根本的な部分は変わっていないと思う。 けれども、以前と比べると、やってみる<深める にシフトしつつある自分がいることは確かだ。
――――――――――――――――――――――――
2024年も、実にたくさんのことが私たちの日本、世界各地で起きた。
個人的な記憶として鮮明に残っているのは、米国大統領選挙。 数年前だとありえないとされたトランプ前大統領が、圧倒的な勝利を収めた。
日本のマスコミの「民主主義の敗北」というような報道を多く目にしたが、 どうもうまくその報道姿勢を飲み込むことができなかった。
私個人として、トランプ前大統領を全く支持はしておらず、彼が過去に行ってきたことは許容できない。 一方で、米国という国を大きな塊としてみた際に、彼を選ぶ他に選択肢がなかったのだと思う。
「民主主義の敗北」といった、耳障りの良い言葉で情勢分析をする日本のマスコミは、 今風の言葉でいうところの「オワコン」なのかもしれないと、夜の報道を観ながら思った。
別にマスコミ批判をしたいわけではない。 今まで良いとされてきたものがついに駆逐される時代がやってきたのだ。
同時に、やはり歴史は繰り返す。 欧州でみられる右派政権の台頭をみてみると、時代はまた同じ轍を踏むのだろう。
大きく悲観する気持ちはあると同時に、思考停止に陥りたくないと思う自分がいる。
――――――――――――――――――――――――
そんな2024年は僕にとって、「創る」年だった。
2024年9月、日本における移民の子どもの母語保障についてのドキュメンタリーを制作した。

(映画「In Between- in Search of Native Language Spaces / はざま-母語のための場をさがして-」」
「制作した」と書くと、短い期間でつくりあげたような印象を与えてしまうけれども、 プロジェクト自体は2023年の8月からスタートしており、
約1年の撮影と編集を終え、無事に完成した。
映画のTrailerはこちら。
大変ありがたいことに、すでに多くの大学や組織で上映をしていただいている。 (上映に興味を持ってくださる方はこちらからご連絡をください)
映画の細かい内容は割愛するとして、 一言でいうと、今回の映画制作はひたすらに自分との闘いだった。
映画を作るたび、どうしてこんなことに興味を持ってしまったんだうと思う。 ドキュメンタリー制作というのは、ある種の命を削る作業だと僕は思っているが、 それでもその削られた命はどこかで新たな芽を産んでいると信じてやまない。
こういう考え方をしているせいか、会う人会う人に「修行僧みたいですね」と言われることが多くある。 断じて言いたいのは、本来的に僕は「なまけもの」的性質が強い人であるということ。 ただ、成し得たいもののためには、あまりにも能力が不足している、 不足しているならば、できるひとたちより、より多くの時間やコストの投資が必要だ。
理由は、すごくシンプルなのだ。
そういえば、朝のルーティン(ランニング、筋トレ、ヨガ)を始めて、2025年で10年目になる。
体調不良にならない限り、どこにいようが、ほぼ毎日そのルーティンを繰り返してきた。 そういうことをいうと、これまた、「ストイック」ですよね、と言われることがある。 断じて言いたいのは、そうしなければいけない「理由」がそこにあるだけ、ということ。 (この場合は、偏頭痛や気持ちの浮き沈みを軽減することが何より重要だと10年前に考えたので)
話を映画制作に戻す。
ゴールデンウィークから映像編集作業を開始した。 こういった映画という構想はあれども、どこにもシナリオはない。 シナリオのなかで物語を動かすきっかけとなるのは、僕のペンだ。
見えない敵のような「なにか」を必死に掴もうと、 ほぼ毎日シェアオフィスの同じ席に、朝から夜まで座り、思考をこらし、編集作業もした。
編集を終えてみて思うのは、10年前の僕だったら絶対に放棄しているということ。
いや、放棄は大袈裟かもしれないけれども、多かれ少なかれ、妥協をしていた確率は非常に高い。 朝のルーティンを10年継続したことがよかったのかどうかわからないけれども、 ジリジリと積み上げることの深みというか滋味のようなものをここ数年で知ったとも言える。
(ちなみに次回作の編集を考えると、これまた面倒だなという感情があるのは確か)
あと2,3年もすると、齢40に到達する。 多動気味で、いつも怪我をして病院に運ばれてばかりいた少年が、 ここまで変わるなんて、人生わからないものだ。
――――――――――――――――――――――――
ところで、身体は順調に老化の一途を辿っていると感じている。
4月頃に感染症に罹患し、8月に原因不明の病気(?)に悩まされた。 後者の方は、検査をすれど感染症のサインはなく、それでも高熱が続き、1週間ずっと床にいた。 何より、いつもなら体調不良でもたくさんのご飯を口にできる僕だけれども、 今回はほぼ何も口にすることができず、それを隣で見ていた妻が非常に心配していた。
夏だけれども、冷房を入れずに、夏の風に揺られるカーテンを眺めながら、 いつになったら体調回復するんだろう、健康第一とはよく言ったもんだなんてことを思っていた。
身体とは、とことんわからないものだと思う。
2024年は、近しい人の身体に関する悪い報告がたくさんあった。 いわゆる、「がん」と呼ばれる病におかされてしまったという報告。 なんで、「がん」は私たちの体にやってくるんだろう、何がしたいんだろう、 そもそも現代の医学で治癒できないなんてことがありえるのだろうか。 全知全能の神のように、なんでもわかりえてしまう現代社会においても、 私と大切な人の間を分断してしまうものが、存在するということがにわかに信じられなかった。
そして、今でもうまく自分のなかで咀嚼することができていない。 人は生まれた瞬間に死を迎えることを運命づけられる。 そんなことはわかっている、けれどもやはり、わからない。
こうしている間にも、私は死へ向かっている。
私は特定の宗教を信仰していないが、それでも何らかの神にすがりたいと思うのは、 極めて自然なことなんだろうと、自身の経験をもって、改めて理解したような気がした。
――――――――――――――――――――――――

あることがきっかけで、六本木で開催されていたLouise Bourgeoisの展示に赴いた。 展示途中に、「芸術は正気を保証する( Art is a guaranty of sanity)」という言葉に目が留まった。
私にとって、すべての行動は正気を担保するためのものだ。 とりわけ、創作活動は「表現せずにはいられない」気持ちによるものだ。
こういうことを書くと、格好をつけるなと言われるかもしれないが、本当にそうなのだ。 私から創作やそれ以外のアウトプットを奪ってしまうと、私はこの世に存在したいと思えない。
ただ、生物学的に考えると、生まれたことに理由はないことは明瞭なわけだし、 生き続けることにも必然性のようなものはないはずだ。 そこに物語を付与し続けるのは、人間の極めて傲慢なエゴによるものなんだろう。
私にとって、創作活動と同じく正気を担保するためのものとして、「旅」がある。
「旅」というと、「余暇」のようなバケーション的行為を連想されるかもしれないが、 私にとっての「旅」とは日常の延長性上にある、けれども「ホーム」ではないところを回ることだ。
そういった意味では、毎年、国内線・国際線含め年30回以上飛行機に搭乗し、 月の半分はほぼ自宅にいない状態をすでに10年以上続けている。
そういった意味では、「旅する人生」と言っても過言ではないと思っている。
――――――――――――――――――――――――
その「旅」と「創作」を合わせたのが、「シルクロード・プロジェクト」だ。
きっかけは、コロナ禍前のウズベキスタン渡航。 ウズベキスタンでは良い記憶しかなく、それがよかったのかウズベクに関わる創作をしたいと思った。
帰国後、早速次なる目的地であるイランへのフライトを予約し、渡航。それが2020年2月末だった。 渡航直後に世界的にコロナが流行し、イランのテヘランに軟禁状態で滞在し、 運休が続くフライトの中から、 なぞのイランの航空会社のフライトに搭乗し、マレーシア経由でなんとか帰国。
そこから、コロナ禍で長らく海外に赴くことは叶わず、コロナが明けたと思えた昨年、 私はインドに向かった。

(Hawa Mahal@Jaipur)
不勉強すぎて知らなかったけれども、行ってからわかったのは、 インドはウズベキスタンと深く関わりがあるということ。 例えば、ウズベキスタンで食べたプロフ(ラム肉を使ったピラフ)は、イランではポロと呼ばれていた。 遠い記憶にあった言葉、「シルクロード」。そう、すべてはシルクロードで繋がっていた。
そこから私は毎年訪れる国を、シルクロード縛り(?)でまわるようにしている。
前置きが長くなったけれども、今年選んだのはベトナムという国。 ベトナムとは、個人的な深い関わりもあり、 なんなら大学時代はたくさんのベトナムから来た友人に囲まれていた。
ベトナムがシルクロード?と思われるかもしれないが、 ベトナムの海岸沿いは交易の地として栄えていた。
事実、訪れたホイアンという街には、日本の長崎から贈呈された御朱印船のレプリカまで置かれていた。
そんなベトナムを、約10日間で南北横断する旅を敢行した。 順路は、ホーチミン→ホイアン→ハノイ。
今でも思い出す、成田発の飛行機が到着したホーチミンの空港に降り立ったときの蒸し暑い空気、 ベトナム名物と言われるバイクの隊列、日本でもよく食べるフォーをひたすら食べたこと、 プロパガンダアートが描かれた店内で飲んだベトナムコーヒー、 確かにここでは戦争があったんだとわかる跡地と博物館、 最終日に訪れたスペクタクルな建物、ホーチミン博物館。

(photo taken by my partner, Cong Ca Phe@Hoi An)
すごく平易な言葉かもしれないけれども、確かに世界は繋がっているのだと実感した。
インドを訪れた際は、初日と最終日しか食(主にカレー)に舌鼓を打つことができなかったが、 ベトナムでは毎日おいしさに溢れた日々を過ごせたのは、奇跡的だったと思っている。 (それくらいにインドが過酷だったわけだけれども)
インドがそうであったように、一度の滞在でベトナムを満喫できたとは言い難い。 次に訪れる際は、海岸沿いではなく、内陸地を時間をかけてまわりたいと思っている。
2025年、シルクロードプロジェクト。いよいよ、目的地を「中国」に据えてみようと思う。
これも何かのきっかけだと思い、2024年の年の瀬から、 HSK3級を目標として、中国語の勉強をスタートした。
さて、中国への旅、どうなるのだ���うか。
――――――――――――――――――――――――
今でも実感がないと言えばそうなんだけれども、僕には法的に認められたパートナーがいる。 しかも、僕の場合は二つの国で夫婦として認められている。 書類は2箇所出す必要があり非常に面倒ではあったけれども、 二つの国で認められるなんて、なんか得した気分。
前述のシルクロードプロジェクト、昨年のインドも、 そして今年のベトナムもパートナーと一緒に移動し、旅をした。
旅をするということは、文字通りずっと一緒にいることになる。 それは、裸を見せ合う以上に恥ずかしいし、ストレスがたまることでもある。
何なら本来的に一人で行動するのが好きな僕にとって、 すなわち人に合わせることのできない僕にとって、 だれかと「ホーム」でない場所に滞在するというのは、決して楽とは言えない。
それが理由からかどうかはわからないが、ベトナムではたくさん喧嘩した。
インドは過酷さによって喧嘩をするほどの気力がなかっただけなのかもしれないが、 より安全で、より清潔であるベトナムにおいては、とりあえず喧嘩が多発した。 だからといって、パートナーを置いて、「ほな、日本集合で」というわけにはならないし、できない。 (そんなことをしかねないのが僕だから、非常に性格に問題ありだと自分で思う)
インドでの一番の思い出は、二人でトイレを取り合ったこと。 リアルすぎる体験談はさておき、バラナシのガンジス沿いで毎晩行われるプージャをみたこと。 事故にあったでもないのに、すべての音と動きがスローのように思えた。
では、ベトナムはどうだったか、これを書きながら改めて考えている。 ベトナムでは、たくさんの博物館や記念館を訪れた。 ベトナムという国の文化保存への意識の高さを感じた。
けれども、そういった博物館や歴史的建造物を一緒に訪れたことはあまり記憶に残っていない。
記憶としてもっとも深く刻まれているのは、中部の都市のホイアン市街を自転車で移動したこと。
ベトナムはありえない数のバイクがあまりにも有名だが、それらの隊列と共に、 ホイアン市街を颯爽と、自転車を漕いだ。
まだまだ暑さの残るホイアン市街を 二人で大した目的もなく街を知ろうと自転車で回ったこと、何より記憶に残っている。

(near Old Quarter, Hanoi)
不思議なのは、インドのときもそうであったように、 長期の旅から帰国すると、二人の関係性が良くなる、というより深くなることに気づく。 これは、パートナーも同意している。 環境や言語の違う場所で、時間を共有することは、何かを生み出すのかな。 2025年は、パートナーと共に、いざ中国へ。
――――――――――――――――――――――――
この文章、かなり時間をかけて、ゆっくり書いている。 だから、今までの振り返りブログと比にならないくらい長文になっている。 なので、ぼちぼち終わりにしたいと思う。
2024年、ご縁をいただいた方、出会ってくださった方、 時間を共にしてくださった方、ありがとうございました。 2025年、これから時間を共にするであろう皆さま、どうぞよろしくお願いいたします。
笑って、楽しく、それでも真面目に、やりたいことをやっていくぞ。
良い一年でありますように。
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おまけ:Hoan Kiem Lakeでは妙齢女性の健康ダンスが盛んだった。
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2024年の文化活動(一覧)
全部で130件。2024年も美術館を中心に巡ったのだがその中でも、金にものを言わせて地方の県立・市立美術も範疇としたのが大きな変化だった。取っ掛かりは宇都宮美術館。酷暑の真っただ中に行ったカスヤの森現代美術館、佐倉市美術館。念願だった茨城県近代美術館、ひらめきで思い立った郡山市立美術館。母親と行った東京国立博物館、意外に良かった国際こども図書館なども印象深かった。 一方、美術館巡りのサイクルは飽和状態なので新機軸を作りたいところでもある。その一つはクラシック・コンサートか。少しずつ楽しめる場所を増やしていきたい。
私たちのエコロジー:地球という惑星を生きるために@森美術館
即興 ホンマタカシ@東京都写真美術館
見るまえに跳べ 日本の新進作家 vol.20@東京都写真美術館
プリピクテ Human/人間@東京都写真美術館
テオ・ヤンセン展@千葉県立美術館
千葉ポートタワー
坂本龍一トリビュート展 音楽/アート/メディア@NTTインターコミュニケーション・センター [ICC]
ICC アニュアル 2023 ものごとのかたち@NTTインターコミュニケーション・センター [ICC]
第21回東京音楽コンクール 優勝者コンサート@東京文化会館
キュビズム展 美の革命@国立西洋美術館
もうひとつの19世紀 ―ブーグロー、ミレイとアカデミーの画家たち@国立西洋美術館
マリー・ローランサン ― 時代をうつす眼@アーティゾン美術館
石橋財団コレクション展@アーティゾン美術館
恵比寿映像祭 2024@東京都写真美術館
中平卓馬 火―氾濫@国立近代美術館
古代エジプト美術館
星野概念氏&いとうせいこう「心のことを話してみる場所」
消防博物館
FACE展2024@SOMPO美術館
広がるコラージュ@目黒区美術館
IIDA 101 飯田善國@目黒区美術館
VOCA展2024@上野の森美術館
ガラスの器と静物画 山野アンダーソン陽子と18人の画家@東京オペラシティアートギャラリー
『シュルレアリスム宣言』100年 シュルレアリスムと日本@板��区立美術館
印象派 モネからアメリカへ@東京都美術館
オラファー・エリアソン展:相互に繋がりあう瞬間が協和する周期@麻布台ヒルズギャラリー
イヴ・ネッツハマー ささめく葉は空気の言問い@宇都宮美術館
マティス 自由なフォルム@国立新美術館
早稲田大学演劇博物館
没後50年 木村伊兵衛 写真に生きる@東京都写真美術館
TOPコレクション 時間旅行@東京都写真美術館
記憶:リメンブランス―現代写真・映像の表現から@東京都写真美術館
ヒロ杉山 個展「Sculpture」@Lurf MUSEUM
ここは未来のアーティストたちが眠る部屋となりえてきたか?――国立西洋美術館65年目の自問|現代美術家たちへの問いかけ@国立西洋美術館
真理はよみがえるだろうか:ゴヤ〈戦争の惨禍〉全場面@国立西洋美術館
ブランクーシ 本質を象(かたど)る@アーティゾン美術館
石橋財団コレクション選 特集コーナー展示 清水多嘉示@アーティゾン美術館
第8回 横浜トリエンナーレ@横浜美術館
パーフェクト・カモフラージュ展@ワタリウム美術館
マイケル・ケンナ写真展@代官山ヒルサイドフォーラム
Playground Becomes Dark Slowly@日比谷公園
昭和を駆け抜けた超特急 ~燕、そして新幹線へ~@昭和館
北欧の神秘―ノルウェー・スウェーデン・フィンランドの絵画@SOMPO美術館
マイ祭2024@自由学園明日館
第75回 東京みなと祭@東京国際クルーズターミナル
デザインフェスタvol.59@東京国際展示場
LOVE LIGHTPIA@お台場シンボルプロムナード公園
SusHi Tech TOKYO 2024@シンボルプロムナード公園
海王祭@東京海洋大学
池口史子展@美術愛住館
特別展「法然と極楽浄土」@東京国立博物館
デ・キリコ展@東京都美術館
都美セレクション グループ展 2024@東京都美術館
上野動物園
三島喜美代―未来への記憶@練馬区立美術館
ホー・ツーニェン エージェントのA@東京都美術館
翻訳できない わたしの言葉@東京都美術館
サエボーグ「I WAS MADE FOR LOVING YOU」/津田道子「Life is Delaying 人生はちょっと遅れてくる」@東京都美術館
MOTコレクション@東京都美術館
日本映画と音楽 1950年代から1960年代の作曲家たち@国立映画アーカイブ
谷川町子のデザイン@長谷川町子記念館
TRIO パリ・東京・大阪 モダンアート・コレクション@国立近代美術館
日本のグラフィックデザイン2024@東京ミッドタウン デザインハブ
徳川美術館展 尾張徳川家の至宝@サントリー美術館
海の日プロジェクト@東京国際クルーズターミナル
ヨーゼフ・ボイス ダイアローグ展@GYRE GALLERY
若江漢字《地中海 ― I・始まり》@カスヤの森現代美術館
三笠公園
2024イタリア・ボローニャ国際絵本原画展@板橋区立美術館
2024 JAGDA 亀倉雄策賞・新人賞展@ギンザグラフィックギャラリー
絵本で知る世界の国々―IFLAからのおくりもの@国際こども図書館
シアスター・ゲイツ展:アフロ民藝@森美術館
フィロス・コレクション ロートレック展 時をつかむ線@SOMPO美術館
111年目の中原淳一@松濤美術館
台湾好包フェス2024@HANEDA INNOVATION CITY
開館30周年記念 生誕100年記念 深沢幸雄展@佐倉市美術館
空想旅行案内人 ジャン=ミッシェル・フォロン@東京ステーションギャラリー
ポール・マッカートニー写真展 Paul McCartney Photographs 1963–64 Eyes of the Storm@東京シティビュー
東京おもちゃショー2024@東京ビッグサイト
作品と空間@アーティゾン美術館
高田賢三 夢をかける@東京オペラシティアートギャラリー
となりの不可思議 収蔵品展080 寺田コレクションより@東京オペラシティアートギャラリー
平田晃久―人間の波打ちぎわ@練馬区美術館
サラダ音楽祭 メインコンサート@東京芸術劇場
TOPコレクション 見ることの重奏@東京都写真美術館
今森光彦 にっぽんの里山@東京都写真美術館
いわいとしお×東京都写真美術館 光と動きの100かいだてのいえ@東京都写真美術館
マインドフルネス(基礎編)
田中一村展 奄美の光 魂の絵画@東京都美術館
大地に耳をすます 気配と手ざわり@東京都美術館
Maker Faire Tokyo@東京ビッグサイト
物、ものを呼ぶ─伴大納言絵巻から若冲へ@出光美術館
日本現代美術私観:高橋龍太郎コレクション@東京都現代美術館
開発好明 ART IS LIVE ―ひとり民主主義へようこそ@東京都現代美術館
MOTコレクション 竹林之七妍 特集展示 野村和弘 Eye to Eye—見ること
ツーリズムEXPO JAPAN@東京ビッグサイ
東京都交響楽団 第1009回定期演奏会Aシリーズ@東京文化会館
レガシー ―美を受け継ぐ モディリアーニ、シャガール、ピカソ、フジタ@松岡美術館
田名網敬一 RETROSPECTIVE@国立新美術館
第70回記念 一陽展@国立新美術館
2024 国際航空宇宙展@東京ビッグサイト
ICC アニュアル 2024 とても近い遠さ@NTTインターコミュニケーション・センター
サイエンスアゴラ2024@テレコムセンタービル
産総研一般公開2024@産総研 臨海副都心センター
国際交流フェスティバル2024@東京国際交流館
「みんなの選んだグッドデザイン」プレゼン大会@東京ミッドタウン デザインハブ
東京都交響楽団 プロムナードコンサート@サントリーホール
コレクション・ストーリー ー諸橋近代美術館のあゆみー@諸橋近代美術館
ART WEEK TOKYOその1:渡辺志桜里 宿/Syuku@資生堂ギャラリー
ART WEEK TOKYOその2:束芋「そのあと」@ギャラリー小柳
ART WEEK TOKYOその3:青山悟展「永遠なんてあるのでしょうか」@ミヅマアートギャラリー
ART WEEK TOKYOその4:オノデラユキ@ウェイティングルーム
ART WEEK TOKYOその5:ヴァジコ・チャッキアーニ@スカイザバスハウス
オルガンコンサート@東京オペラシティ
松谷武判 Takesada Matsutani@東京オペラシティアートギャラリー
北川民次展―メキシコから日本へ@世田谷美術館
ミュージアム コレクションⅡ かわりゆくもの、かわらないもの―TRANSITION@世田谷美術館
デザインフェスタvol.60@東京ビッグサイト
レオ・レオーニと仲間たち@板橋区立美術館
Vintage Market@東京ビッグサイト
没後100年 中村 彝 展―アトリエから世界へ@茨城県近代美術館
SIDE CORE 展|コンクリート・プラネット@ワタリウム美術館
奇想の版画 1500ー1650 帝都プラハを交差するヨーロッパ版画@郡山市立美術館
中村彝アトリエ記念館
佐伯祐三アトリエ記念館
ベル・エポック―美しき時代 パリに集った芸術家たち ワイズマン&マイケル コレクションを中心に@パナソニック汐留美術館
オープニング展@URSHIMA MUSEUM
松本かづち展@江東区森下文化センター
再開館記念「不在」 ―トゥールーズ=ロートレックとソフィ・カル@三菱一号館美術館
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