#森の扉のむこう側
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2023.10.5thu_kyoto
曇天。雨が降るかどうかをチェックしなくちゃと思い、7時に起床。今日は遠出なので、荷造りと身支度に1時間かかる。そこから美味しいお米と梅干しをいただく。今日も楽しむぞと気合いを入れながらも東京から来た現在居候中の牡蠣居酒屋経営のヨッシー(マルショウアリク:現在京都で出店中)が昨晩は帰ってこれなかったので、今日いつ帰宅するのかと気になっている。そうこうしているうちに出発時間。空を見つめながら雨が降りそうだと感じつつも、調べる時間を見失った。ヨッシーが帰ってきた。よかった。忘れ物チェックをしたようなしてないような気持ちで8時44分の電車に乗る。 天気予報は電車の中で調べることはできるが傘を持ってこなかったので、調べるのに心が手間取る。もし雨なら残念だし、雨だと思って傘を買っても降らなかったら意味ないし、どうかこのまま天気が守ってくれることを祈る。東福寺でJRへ乗り換え。京都駅に着いたなら新幹線だ。
そんなこんなで、姫路へ。今日は初めて会う方々と作品撮影。どんな作品になるのかなとワクワクドキドキ。新幹線が直前で急停止ボタンのため運転再開に時間がかかったが、無事姫路駅到着。 今日お尋ねするスタジオに車でお迎えしてくれたカメラマンの奥様。なんとも素敵な雰囲気のお方。車に乗りながら雨が降る。あ、ギリギリ助かった。やっぱり今日は雨だったの…? そう思ったのも束の間、雨は止んだ。 いろいろお話ししながらスタジオに到着するとここは森???と思うような素敵な入口が迎えてくれた。
とっても素敵なこの扉。家を作る、または住むならこんな扉がある家がいい。私の大好きな秘密の隠れ家への入り口みたい。
中に入ると、とんでもなくセンス溢れる空間が存在してた。 和気藹々とした声が聞こえて、会ってみると皆様初めてとは思えないくらいアットホームな雰囲気。 もう1人被写体の方がおられたのだが、なんと東京の時に知り合った方で、それも驚き! その方の撮影は終わったとのことで、私の順番に。あれ、とてもいい日��しが入ってきた。白いリネンのカーテンの木漏れ日、玄関にある石たちの佇まい、椅子の影が美しい。
3人の写真家が居たのでどのように作品を作って行くのかなと思いきや、本当に三者三様。仕上がりが楽しみ。見たこともないレンズで撮っている。
写真から学ぶこと��多いけど、自分と向き合うことを実感する。逃げたくなる側面もあるけど、撮られることで、表面ではなく内面と向き合わざるを得ない瞬間がある。いつも思うけど写真家の方達は光を操り、映し出すことがとてつもなく上手いし、世界を作る面白さが映画とはまた違っていて面白い。天気や空間、人と人とのセッションでもあるし、そこにある物全てを味方にして臨機応変に撮影していく。こんなふうに映画を撮ってみたいと思ってしまう。 ある写真家の方は動画も撮っていたのだけど、それはもう短編映画のよう。
私の好きなデヴィッド・リンチ作品のイレイザーヘッドを思い出した。
私も趣味で人を撮ることはあるけど、人を撮るって思っているより奥深く、信頼関係があってこそのもの。それに撮影者によって演出も違えば撮り方も違い、私自身が私じゃ無くなる時があって、それは私の中に撮影者が乗り映るような感じでなんだかとっても面白かった。
こうやって初めての人と作品を作り、演出を受ける立場になること、一緒に考えることはすごく刺激になる。今後も映画を切り取ったかのようなシーンを写真で作ってみたいし、まだ現実化していない執筆した短編映画の作品を写真でも表現してみたい。 撮影後みんなに劇場公開が控えている製作、監督作「ロマンチック金銭感覚」の宣伝をし、その場を後に。最高の時間を共有。
撮影終了し、姫路駅まで送ってもらう。何度も手を振って、送ってくださったお二人を見届ける。 空を見るとすがすがしい空が私を見ていた。
次はいつ姫路に来るだろうとぼんやり、駅に立ち尽くして今日の思い出に浸る。
飲みたくなって三宮駅にて1人で飲みに。奇跡が起こる。 カウンターでごはん��食べていたら、隣のサラリーマン風の2人が話しかけてくれ、一杯ご馳走に。話の流れで映画の話をすると、観に行くよと。お金の本質や価値の話をしていたら、盛り上がる。お会計の時に払おうとしたら、なんとその方々が払ってくれるという。私は払うつもりだったんだけど、それも映画の投資だと。何かの形で返したい旨を伝えると、誰かに同じように優しくしてくれとのこと。まさにロマンチック!これも映画「ロマンチック金銭感覚」のテーマの一つじゃないか!ありがとうございます。勘を働かせてたまたま入ったお店、ありがとう。 その後、友人の紹介のお店で飲む。するとそこは昔から知っているかのような場所。みんな映画の話で盛り上がる。映画を作ってよかった。みんなに見てもらえる可能性があってよかった。このお店に行ってよかったと思えた。ありがとう。もう、すぐにでも会いに行きたい気分だ。帰宅するとヨッシーも含め、東京からの友人、りゅうじゅくんも来ていた。その日���みんなでお酒を飲みながらお金って何だろう?価値って何だろう?生きていくために必要な本質について眠くなるまで語り合った。その日は夢の中でもそんな話をしていたように思う。
ープロフィールー 緑茶麻悠 京都 俳優、画家、映画監督 Instagram/ https://www.instagram.com/ryokumayu/ X/ https://twitter.com/ryokumayu WEB/ https://www.steam-of-greentea.com/
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4月変な夢多かったからまとめた
4/15 微妙に怖い感じのシーンばかりな夢 電車の座席下の暖房の金具の上部にこっそり金具足す執着心にギューとなってると場面変わる、デカめの修学旅行バスの前の座席で突然車内が騒がしくなる、進行方向で蹲っていた人?が急に向かってきて運転手が運転手を引いた?右腕がないとか聞こえる(なぜか悲鳴とかでない)、怖いので隣の子と話す かわいい動物の小さい本、ページに注目してると観光地に飛ぶ、人はちらほらいる山奥で彷徨う、小さい廃工場?廃材置き場?物音がして警戒すると子熊、気付かれないよう隠れつつ大きい道の方行きたいがどいてくれない、子熊増える、様子見てると親熊いて怖い、そうしてると他に同じ状況の女性、 一緒に見計らってトンネルまで行こうってなる、連れ達もトンネルでヒヤヒヤ待ってる、静かでカラフルな工場のほうに熊たち行って頑張って走る、なんとか助かったが工場が気になる 4人くらいで廃墟探索、奇妙な痕跡ばかり、最後の部屋で怪現象?ホラーのクライマックスみたいな情報提示、狂った人物が首吊りとか飛び降りっぽい、外に出ると広いベランダ?屋上?観光地と繋がってた、桜と賑わい、あの建物がここだったのとか廃墟でかすぎるとか
4/16 なんかでかい和風屋敷と呪いっぽい夢、海に入っちゃいけない猫(よく飛び込む)と散歩、儚げ少女に変更、人目につく所行けないけどどこか色々遊びに連れて行こうとする、山の滝行く、楽しく話しながら隠し通路的な滝に登ろうとしてるとニヤついた男子中学生?3人に絡まれる、 ウチら行くから来ないでと断ろうとしたがじゃあ平日に来るからどうぞと譲る、3人白けた様子で帰る、普通っぽい子と怪しい子と追従系の子、こっちも滝行く感じじゃなくなり警戒しながら道から景色見たり、やっぱりバラけて襲ってくる、別方向の道の天井低いショッピングモール的場所、薄暗くカビ臭そう 少女守りつつ躱したり攻撃を防いだり通報などしながら人家が見える景色見てた場所で助け呼ぼうとしたり、119掛けてしまうが少年が別の物になりヤバく助けをよんでと頼む、追ってくるので山側へ、病院の2重の扉スペース的な、デカいおじさんが迫る、扉に入るがなぜか内側鍵穴で閉められずすぐ逃げて中へ 陽の入る真っ直ぐな通路、先に天井低い病院、少女と逸れている?あわあわする看護師たちと奥に警備員たちが見える、助けてもらえると思ったのに警備員全然こっち来ようとしない、腹が立って���峙していたおじさんの足を掴み壁や床に叩きつけてから病院の従業員室に放り込む、悲鳴が上がる 死角に投げてしまったのでその後のこと思考しながら起きた
4/20 能力バトルもので森から狂った狼に追われ荒れた大きい土手で仲間と戦う、威厳ある敵ポジにレミリア、一人で心霊スポット(廃校?j、友達と気持ちよく空飛ぶ、設定にエアロック(エフェクト)、廃校再再訪してマジこわ離れる、ストーリー進み蘭たんが実況してる、 家で起きると朝日眩しく差し込み誰も起きてなく変な静かさ、カーテン開ける、仏間にベッド、外に雪積もり白熊がウロウロ、ビックリして布団戻るが入ってきたらどうしよう(雪なのに家内の戸が開いてる)、居間から隠れて白熊観察、家の前来たり行ったり、熊の背中になんかついてる、柿の木狙ってる?隣家の声 危険で怖くて避けるもののシンボルとして熊出てくること多いけど白熊パターン珍しい けどでかいし腕長いしなんか考えて唸りながらうろついてるし興味深さもあったがだいぶ怖かった
4/22 ブチギレ夢2回
4/26 変なマップ生成の世界でずっと迷子夢 森の道、入りたくない神社っぽいやたら暗い建物の影が視界に入り込み続けて嫌で避けているとどんどん深度深くなっていく、ついに敷地入ってしまう、見つけた無反応の人に引っ付きついていくがもう1マスごとにマップ変だしすごく暗い、滅茶苦茶に歩いている
4/28 迷子前に真っ暗なコンビニ駐車場だった 車と自転車で迷子夢 時間までに山菜採り(取り中の記憶ないが袋パンパンで常に場所取る)とiPad買える店、ある程度までは行けたが全然わからなくなる、橋と水面がスレスレの広い川の反射がすごくきれい、川周辺だけ明るい、平たくごちゃついた住宅地、信号の認識が曖昧、少し古い感じの住宅地で店発見 道の角のちっちゃい四角い家電屋みたいな個人商店 20マンのiPad目的で店の人呼ぶが結局買わないで出てきた店の婆さんに道聞く、道突き当たりにでかい神社あり祭り?やってて休憩所とか辿るらしい、いきなり聞いたのと地形合わないがなんとなく行くと知ってるような景色?壁のような木立にグニャグニャの細い道と畑、山みたいな古い住宅地ぎっしり(木立側から見渡す)、 薄暗い、通夜中の家の中が遠目いくつか見えてしまう、また勘で進んで同じところぐるぐる、時間過ぎていく、自転車閉まって車乗ろう、車いままでどこに?、取り出して乗る、自転車感覚でふんでしまう、車内もギュウギュウ、木立に沿って下る?神社のほう行って景色の一致図る、ハッとして起きる
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大学の鉄研仲間に全盲者がいて、彼が(山間部で行われる)撮影会に同行したいという。当時の私は不躾にも「ついて来てどうするのか」と尋ねてしまったが、彼は涼しい顔して「見えるものだけが全てだと思っちゃ困る、山独特の風のそよぎや鳥の声の中を駆けてくる列車の響きだけで飯三杯はいけるぜ」と。 実際、行った先の山の中で彼は実に楽しそうにしていたが、それだけではなかった。 山間の曲がりくねった線路を俯瞰する撮影地では列車の接近を察知しにくく、時刻表にない列車の撮り損ねも多かったが、彼がいる場合に限ってそれはまずなかった。 彼が1km以上先の列車を察知して知らせてくれるからだ。 左に見えるトンネルの反対側から迫ってくる列車。右に見える尾根の向こうをこちらへ向かって走ってくる列車。我々晴眼者には見えるどころか、警笛でも鳴らない限り来てることすら分からないその列車を、彼だけが察知できるのだ。これには驚いた。 元ツイを見て、そんなことを思い出した。 そんな彼にも、どうにも太刀打ちできない大敵があった。雪だ。積もった雪は音を吸収するうえ、滑って転びでもすればたちどころに方向を失ってしまう。 大阪・青森間を結んでいた特急「白鳥」が廃止になる直前の冬、彼が言った。 「なあ、一緒に「白鳥」に乗ってくれないか。」 「白鳥」には私も乗りたかったが、そんな予算は捻出できそうにもない。その旨を告げると、「運賃が半額ならどうだ。介割が使える」と。 「それなら何とかなるが...だが真冬の青森、それも深夜の到着では、宿まで歩くだけでも君の安全を保証できない。介助者としては俺では不適格だろう。」 「分かってる。だがそれで構わない。自分一人で行くよりずっとマシだし、鉄仲間の中ではRyotoがいちばん先導がうまいんだ。」 「...わかった。一緒に行こう。俺も君も、あれに乗るにはそれしか方法がないようだしな。」 こうして、若さゆえの無鉄砲で二人で真冬の青森へ出かけた。 念願の「白鳥」車内での楽しい12時間はあっという間に過ぎたが、やはり深夜の青森駅に着いてからが問題だった。予約した宿は駅から400mほどだが、路面は圧雪が固く凍ったアイスバーン��� 私の肘を掴む彼の手が珍しく震えている。自分も彼も転ばぬよう、一歩一歩慎重に足の踏み場を選んで進んだ。 宿までのわずか400mを進むのに、15分ほどかかっただろうか。 暖房の利いた部屋に通され、無事にたどり着いた安堵感で放心する私に、彼は加熱機能付きのカップ酒を2つ取り出して言った。 「こんなお礼しかできなくて申し訳ないけど...連れてきてくれてありがとう。一緒に飲もう。」と。 「なあに、俺の方こそ...」と言いかけたが、彼の心遣いに胸が詰まってそれ以上は言葉にならなかった。 その後社会人になって、幸いにもそこそこ良い酒を嗜めるようにはなったが、何よりも鮮烈に記憶に残っているのは、あの晩二人で飲んだカップ酒をおいて他にはない。 そんな、若かりし頃の思い出。 思わぬ大反響をいただいているので、毛色の違うエピソードも追加してみる。 それは、「今からうちで飲まないか」と誘われて、私が初めて夕刻に彼の部屋を訪ねた日のこと。 自宅近くの造り酒屋で酒を仕入れ、約束の時間にアパートに着いてみたが、前面道路から見上げる彼の部屋には灯りが灯っていない。 「あれ?まだ帰ってないのかな。」 仕方なく私は、アパートの前で彼の帰りを待つことにした。 10分ほどして、彼から電話がかかってきた。 「遅いけどどうした、道にでも迷ったか?」 「え!?お前部屋にいるの?電気ついてないからまだ帰ってないのかと思ってアパートの前で待ってたよ。」 困惑の数秒間が流れたあと、二人同時に「あ、そういうことか。」と声が漏れた。 全盲の人は部屋に灯りを灯す必要はない。そのことを私は忘れていた。一方彼も、晴眼者は部屋の灯りが灯っているか否かで在室/不在を判断する場合がある、ということを忘れていた。お互いに知識としては知っているのに。 階段をのぼって部屋の前に行くと、彼が鍵を開けて出迎えてくれた。笑いをこらえている顔だ。私の方も、もう可笑しくてしかたがない。 私が部屋に入って彼が扉を閉めた瞬間、双方こらえきれなくなって笑い転げた。 互いの笑う顔が、声が、互いの笑いをさらに止まらなくさせる。5分ほども笑い続けた。 「なるほどねwwwそらそうだわwwwなんで気づかなかったんだろうね二人そろってwww」 基本的な生活習慣がちょっとだけ違う二人の、一種の「異文化コミュニケーション」に起因する小さな失敗は、その夜の酒に格好の肴をもたらした。飲みつ語りつするうち二人とも寝落ちてしまい、気がつけばもう朝だった。
Ryoto Railway@㊗️🗾🎌鉄道開業150周年🎉🎊🎂さんはTwitterを使っています
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夏至の��� 6.6.21
心底という薄暗さ発、明るい話出来なくてごめんな!!だがしかし!というテンションで作っていたけれど。。それはこうして肯定したらいいとか、個人と象徴とのあいだをもっと丁寧に行き来したいとか、言い換えたかったものが広がりでなく(よく言えるもっと広いとこから見るのタームが他の人にとっても夢であれの着地で)狭さの中にも両方に向けて抽出したがれたことそのものを安心できた 共感の扉も、無関心の扉も、同じように扉だけは見えるのだろう(...ここに時間差でそれらが現れるとしたら、応えられないものだろう、か) 私だけに分かればいい分の、それでも境界に割り切れない嫌悪とどうしようもなさとは強まったのかもしれないが...揺れる橋ならば夢作業でも渡っていくものだと分かる いつの間にかいつも もっと細かいところに気づけたらなぁとしか活路も自滅もなくて やはり次の言葉の結びがありゃせん。
ガルス、鳥の名前をとった森の番人が鳥の姿をとるイメージはずっとあった(でも調べ直したらヤケイ)もののやっと彼にも必要性として話してもらえた。テイト邸を集合場所に集まった彼らが作り変える必要に気づいてそれを受けてのことだ。あの時きっと新しい鍵になったカサタテを、あの少年たちに任せた分を、自分もまた潜る時なのだ。家は森や自然にとって不自然な文化だから。新しくなる時の生活だった。 今までエスレイがもっと快活な動きが出来たらどれだけいいのかと思いながらエスレイに対して申し訳なく、光りなのか闇なのか絵に現れること出来ないようなスポットライト当てていたし、やはり絵にはならないけど。やっと背中に触って見送ったりもしたし、闇の中にひとりきりしかないかもだし、この離れなさが、(夕焼けを見るたびにウノフアをそこに思えるようになった自分が)。食う寝る遊ぶをするエスレイを描けないまま、、あの家にもまた決して留まらないだろう、しかしあの家も望むほどにあらかじめのアドレスや広さやリビングではないのだろう。と思う。眺める側や取り込みたい側から少しバリエーション増えて、虫や風や天使や日夜からそれぞれ見てもきっと、エスレイなるものの姿にもなれるかなと思える期だった。地下や冥界の掟もきっとあるし、自在もどこかにある。南無。(てきとうになれるものごとを思い出したいし、マシになりたいから南無。) 何気ない出来事が何気なくないまま残ってしまう時には繰り返し繰り返しそこにあって考えていけるし何か夢を狙い続ける。言葉を増やし続ける。エスレイもきっと何か、武装せざるを得ないような個人から 闘いの個性のアドレスも探し続ける防衛軍のなかに混じったりひとりになったりの運動を今もしているだろうなと思う。 彼は読まれるものでしかなかったが、見出され続ける。
そして違う少し不思議な漫画や絵を、作っていくよ〜〜
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20240502
釣りを始めた。
正確には再開した。
子供の頃はバス釣りブーム世代で最後に釣りをしたのは多分大学生ぐらいだったと思う。もう二十年も前の話だ。
夏に帰省したはいいが暇過ぎて物置から道具を引っ張り出して夜中に釣りをした。湖面に反射する橋の街灯の明かりを狙うとブラックバスが釣れた(つか夜釣り禁止)。思えばインターネットの全面的な普及前夜、ましてiphoneもYouTubeもSNSもない世界。田舎の夜の闇には茫漠として底知れない暗さがあった。
その後実家の車に竿を入れておいたらお袋が窓に挟んでへし折り、いつしか釣りもやらなくなった。
東京時代は下宿のまん前に多摩川がありスモールマウスバスやサクラマスまで釣れるポイントだったという。ただ哀しい哉、我が身の振り方でそれどころではなかった。
その後帰郷してからこれまで10年以上、目の前に富士五湖があるにも関わらず釣りをしようという気は起こらなかったが、これはどっかで釣りをタブー視していたからだと思う。
私はギャンブルを覚えたらやばい自覚があり若い時分から一切手を出さなかった。(年末の宝くじ以外。)
なんというか釣りもそれと同じ匂いがする。あとサッカー観るのもそう。
私にとっては(強調)釣りもサッカーも技術、釣法、戦術云々よりあくまで偶然や運、カイヨワの分類でいうアレア(サイコロ遊び)の領域や属性であって退屈と興奮のフォーミュラ、その妙が重要なのだ。
それが去年ぐらいからYouTube上にある山奥の源流部まで遡上して野営しながらテンカラやルアーで岩魚を釣る動画を見ていたらだんだんと釣りが気になり始めた。
つり人社のチャンネルの動画
☞ https://www.youtube.com/watch?v=Ctgz92afs_I&t=2358s
今年になり雪山登山を解禁した流れで釣りもやってみようと思った。
いざ何を釣るかとなると加齢に伴う趣向の変化もありバス釣りってのもしっくりこない気がする。もうちょっと燻製臭さというか少し枯れた感じが欲しい。渓流釣りが理想だが実釣するまでに踏む過程が多く敷居が高い。海釣りも然り。
試しに本栖湖に行ってみてこれだと思った。
スプーン(金属製の疑似餌)の鱒釣り。
その足で湖仙荘に行って遊漁券の年券を買った。
水が栄養化した河口湖や他の湖と違って本栖湖は藻類が乾いた生臭さが一切ない。静けさの中青く透��通った水と富士山や周辺の山々を見ながら水面に糸を垂らしていると釣れなくてもそれはそれでいいという気になってくる。
聞けばデスレイク呼ばわりされるほど釣れないがそれでもハマって通う釣り人が多いのだという。
少し飽きたらお湯を沸かしてコーヒーをたてて、鳥の声や水の音を聴きながら星野道夫のエッセイ集や最近買った西川美和の短編小説を読んだ。雪化粧した山並みをぼーっと眺めている時ふいに、田舎に帰っても何もないぞと嘲りを含んだ知人の言葉を思い出す。
確かに何もなかった。
だがこれ以上の何があるというのだろう。
小学生以来に買った釣り竿とリール。
リールはバス用、竿は万が一の大物も対応できるネイティブトラウト用。共にシマノ製。下手の横好きは自認しているのでそれなりの道具で満足。いわゆるハイエンドの機種ではないが釣りに興味がない人からすれば安くもない。
兎にも角��もいっちょ前の太公望である。
本栖湖はその透明度の高さから水が青く虹鱒の背が保護色で青くなるという。誰が呼んだかブルーバック・レインボー、幸せの青い鳥ならぬ青い鱒を追うのだ。
休みの日の夕方か明け方に数時間、何日か通ってみるも噂通り、全然釣れない。何もかも手探り状態でこの釣りの最適解がわからない。
まじで釣れねえ。
釣れない釣りはどこか宗教的行為に近い。何かの到来を期して待つという部分では、リールのハンドルを回すのもチベット仏教の仏具、マニ車を回すのも特段の違いはない。
奇しくも釣れないことを俗に「ボウズ(坊主)」という。
連続ボウズ記録更新中の三月のある日の明け方、突き出た岬の中腹の辺り。日の出に合わせてティムコの赤金の10gのスプーンを投げる。ティムコってちんこみたいだなと思いながら表層を早巻きしているとゴツ…ゴツ…とアタリ。
目をこらすと黒い影がスプーンの周りをビュンビュン動いている。
ぐっと堪えて食った瞬間合わせた。
しかし久しぶりすぎて合わせが甘く何回か跳ねた後足元に手繰り寄せたとこでバラしてしまった。30cmぐらいの何らかの鱒。銀色の残像だけで噂の青い背中はわからなかった。
それから全く釣れなくなり、取り逃した魚の感触ばかりを思い返す日々。
Life is like fishing、初恋は祟る。
それからさらに経ち四月の上旬。
3時に起き毎度の国道139号線。
青木ヶ原樹海の脇を抜け明け方4時前にいつものポイントに着くと裏手の山の森でトラツグミが幽霊みたいに恨めしく鳴き、時折鹿が奇声をあげて合いの手を入れる。
空を見上げれば人工衛星かはたまたUFOか。謎の発光体が明滅もせず南東の方角へゆっくり移動していく。あれは一体何なのだろう。
遠くの浜の方から波の音が微かに聞こえてくる。
湖は風もないのに音を立てて荒れていた。
ライトで照らすと黄泉の国の入り口が浮かび上がる。
まるでタルコフスキーのソラリス。水深120mという深さと日本屈指の透明度もあり波が立つと湖全体がうねり一つの生命体に見えてきてすごく不気味だ。
東の空が白み始めるのを待って釣行を開始。まだ一投目だというのに私は一体何をしているのだろうという気持ちがすでに頭をもたげている。
今日も釣れない気がする。
あまりに釣れないことが続くとその行為の目的を問う意識が海嘯の如く内面に向かい始める。
同年代の人々は疾うに人の���になったというのに、とか。どうやら私の両親は私の子供を抱くことはない、だとか。そんな世間から押し付けられたのか、はたまた自身の先への不安や負い目なのか最早わからなくなった色んなアレコレ。それをぶん投げてとりあえずしまっといた暗い部屋。その扉の隙間からドロドロの中身が泡を立てて上がってくる。
酷かった子供時代のこと。誰かを傷つけたこと。誰かを憎んでいること。これまで飲み込んだ人の悪意、ありとあらゆる負の記憶たち。それが湖の波の形になってグニャグニャと湖面を揺らしている。
何の本で読んだか、文化人類学者の中沢新一が原始的な仏教の形が色濃く残るバリ島で呪術師に悟りについて尋ねると毎晩夜釣りに連れて行かれたという。釣りそのものに意味があるのではなく、暗闇の中の気配に意識を集中することで心の深淵に下りていくのだと。
眼前に広がるのは湖へ投射され顕現した潜在意識だ。
ヘドロの塊のようでいてどこまでも透き通っている。
思えば昔からよく水辺に行って水を眺めてきた。
釣りをやめてからは眺めるだけ。村上春樹のいうところのデタッチメント。一定の距離を保つ。
子供時代に海に連れて行ってもらったことはない。
多摩川も川岸に座ってただ眺めるだけだった。川面は光を反射し時に透過させその内側の世界を私に見せる。
釣りはその細い糸一本を通して水の中の世界との交感を試みる行為である。
気づけば再び水との境界線を越えていた。
たかだかおっさんが趣味で釣りを始めただけのくだらない話だが私にとっては何か象徴的な儀式みたいに思えた。
天子山地の向こうから山肌を舐めるようにドロドロと下りてきた雲が湖を渡り東側の富士の樹海上空にどんよりと溜まっていたが、その雲を��き分けて陽が昇り的礫と水面を照らす。
水面は朝日を反射し偏頭痛かLSDの見せるサイケデリックなビジョンみたいに幾何学的に像を結び、解ける。つか酔いそう。黒曜石の破断面のようにも見える。
前に釣りかけた時のティムコのスプーンに執着していたがパターンを捨てた。
所詮過去だ。
過去の魚は釣れない。
当たり前だが。
アワビの貝殻のキラキラが貼ってある赤金の少し小さいスプーンを直感で選ぶ。予感…、シンクロニシティが起きる直前と同じ気配がする。
朝日が照り返す辺りへ向けて50m近く遠投する。重い金属製のスプーンの釣りは根掛かりこそ多いが、かっ飛ぶので爽快だ。
着水し巻き始めた直後にゴン!とアタリ。距離かナイロンラインの特性か少し伸びる感じ。今度は確実に合わせた。
魚は針を外そうと二度水面を飛び跳ねる。慌てて竿先を水中に入れた。鱒は口が弱いらしく合わせてから取り込むまでの距離が長くてヒヤヒヤした。
手掴みで取り込む。
青い。
ランディングネットは一匹釣れるまではと用意していなかった。
弱らせないように針を外し写真を撮ってすぐ逃した。
そういえば大きさを計り忘れた。35cmぐらい。
ほんとに釣れた。
最初に釣った魚は逃がそうと何となく決めていた。
一瞬だけ交わりもう会うことはない。
私の釣ったあの鱒は今も深い湖のどこかを泳いでいる。
それを想像するとなんだか不思議な感じがする。
心の奥の森にいつしか魚のいなくなった湖がある。
そこに青い背をした魚を放した。
そんな感じ。
静かな気持ちだ。
さて。
次は食う。
多分。
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マインドフルネスアートセミナー 「魅力あふれる自分を発見す���」講師/森夕花(2024年1月27日)in 渋谷
マインドフルネスアートセミナー 「魅力あふれる自分を発見する」講師/森夕花(2024年1月27日)in 渋谷 チケット:https://peatix.com/event/3794943/view https://www.facebook.com/events/382454744444767
マインドフルネス(mindfulness)は、「今」という瞬間につねに意識を向け、自分が感じている感覚や感情、思考を冷静に観察している心の状態のことです。今、この瞬間に、評価や判断を手放して、注意を払うことから、わき上がる気づきの状態(アウェアネス)という語義で説明がされています。
1979年にジョン・カバット・ジンが、臨床的な技法としてMBSR(マインドフルネスストレス緩和プログラム)をマサチューセッツ大学の医療センターで開発しました。 8週間のマインドフルネス瞑想法では、扁桃体の反応が緩やかになり海馬と前頭前野(学習、思いやり、内省など)が活性化し、ストレス軽減・能力アップしたという科学的裏付けがあります。
(Sara Lazar, Ph.D.他 2010University of Massachusetts Medical School)
最近ではマインドフルネスを取り入れたアートセラピーが欧米でポピュラーになってきています。アートセラピーは、アート表現を通して自己認識を高め、ストレスや精神的な疾患などの症状を緩和するセラピーのひとつで、自分の感情と向き合いアート表現を行うアートセラピーは、マインドフルネス瞑想と共に行うことで相乗効果をもたらすと言われています。
「マインドフルネスアートセミナー」では、マインドフルネスによって、休眠状態のいろいろな感覚が目覚めさせ、身体のセンサーを使って、自由に描きアート表現を行います。表現をはじめると、私たちの「内側の存在」が手や身体、ひらめきを通して、何を表現したいか、伝えたいかを教えてくれます。
さらに私たちはこの宇宙を創生した存在(ソース)ともつながっていて、マインドフルネスな状態になると、ソースとつながる扉が開き、創造性が高まるとも言われています。何にもとらわれることのない「純粋な意識」は、高次の存在とつながるための大切な条件となります。 アート表現のプロセスは、まさに「純粋意識(無心)」の状態を経験できる貴重な機会です。
このセミナーは、23年間に渡り、ヒーリングやカウンセリング、ライフコーチングなどの「心と身体の癒し」に携わってきた森夕花がガイドを務めます。マインドフルネスアートを通して、「本来の自分」と出会い、豊かなクリエーションとイマジネーションの世界を体験していただけたらうれしいです。
☆♡☆♡☆♡☆♡☆♡☆♡☆♡☆♡☆♡☆♡☆
■内��� (状況により変更する場合があります)
☆リラックスブリージング&イメージブリージング(誘導瞑想) ☆心を満たすハートフルネス(誘導瞑想アートワーク) ☆マンダラート(アートワーク) ☆過去を旅する(誘導瞑想アートワーク) ☆2024年のカギ(象徴)を受け取る(誘導瞑想)
★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆
■日 程:1月27日(土) ■時 間:13:30ー16:30 ■定 員:8人限定 ■場 所:渋谷区勤労福祉会館 和室(1・2) ※入口の表記は「サステナ塾」となっています。
■持ち物:筆記用具 ■受講費:通常8,800円のところを 特別期間価格 5,500円 消費税・材料費が含まれます。
※チケットのお申込みとお支払いは「peatix」よりお願いします。 https://peatix.com/event/3794943/view
※正式申込後のキャンセルはご遠慮いただいております ※やむを得ずキャンセルされる場合は、必ずご一報ください
☆セミナー終了後、近くのカフェで懇親会をおこないます。 ぜひ、交流を深めていただけたら嬉しいです!
■講師:森夕花 カングロ株式会社 取締役執行役員/ライフコーチ/マインドフルネスアート研究家
神奈川県横浜生まれ。尚美高等音楽学院卒業。京都芸術大学芸術学部卒業。1993年、ドイツの環境先進都市フライブルクに留学。自然と調和したライフスタイルを学ぶ。2002年より心と身体を癒すヒーリング・カウンセラーとして活動。2015年から企業のライフコーチとして、個人セッション、研修等を行っている。現在、ライフコーチの他、「大人のためのアート思考講座」「Philoarts研究会」「マインドフルネスアートワークショップ」「サステナ塾」「目覚めの瞑想会」など講座、ワークショップを中心に活動を行っている。 趣味は、声楽、読書、人間観察、そば栽培、瞑想。特技、人・動物の心を読む、直観力、探求。好きな言葉は、「自由」「日日是好日」「悠悠閑閑」
■【ダイジェスト版サービス動画】 ★既存の枠の限界ぎりぎりへ一歩踏みだす~アートシンキング スプリングセミナー20230316 https://youtu.be/u-8BgGK5Wpo
★なぜビジネスにアート思考が必要なのか?世界の見方を変えるアート思考���第16回Shock Coherent Innovation Club��SCIC)オープンダイアログ20221209 https://youtu.be/vFnykrdzwt4
★「センスオブワンダーとアート思考/真のウェルビーングを探究する」第5期ショック・コヒーレント基礎講座⑦(2022年12月6日) https://youtu.be/hMHQi2c87eM
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#アート思考 #アートシンキング #デザイン思考 #カングロ #森夕花
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七夕の奇跡、まさに俺らは現代の織姫と彦星。1年に1度の御本家と較べてもまあ、2ヶ月から3ヶ月に1度のペースでの逢瀬ってのは傍から言わせるとロマンに欠けるかもしれない。それでも俺たちにとっては実に耐え難い日々なんだ。最後の逢瀬からまた次の日までカウントを始めて、近くなれば電話越しでも興奮が伝わるほどに御前は指折り数えて今日を待ち侘びていた。
おもてなしをしてもらった4月、次は俺がおもてなしをする7月。4月よりも前の逢瀬から俺も実はずっと北斗へのおもてなしのプランを練っていて、4月のおもてなしを迎えてから一層あいつを喜ばせたい気持ちは高まった。ダチすら泊めたことのない自宅に初めて泊める相手は恋人だった、なんて誇らしい初めてなんだろう。でも自宅なんて質素なプランじゃなくて本当なら大きなテーマパークやら綺麗なホテルやらに泊めてやりたかったけど俺の私生活ががらりと変わって途方に暮れてた頃、自分がおもてなしをされる側だってのに逢いに来てくれるその強かさに俺は凄く救われたんだ。ありがとう。
お願いされていた通り、手料理を振る舞うための仕込みを済ませ言われた通りの待ち合わせ時間まで余裕をもって過ごそうと思っていたのに、破天荒な御前と来たら言った時間よりも2時間近く早く待ち合わせ場所に着いたとか言って俺も慌てて家を出た。迷うことないからすぐ迎えるよって何度も教えたのにほんとに、よっぽど俺に逢いたくて急いだんだろうなって思うことにしたよ。俺も早く逢いたかった、見慣れた街並みが御前で彩られる事が楽しみで仕方なかった。20数年見てきた街を愛おしい人と歩けた景色は生涯脳裏に焼き付いて消えないだろう。とは言えすっかり見慣れたその立ち姿に俺は迷うことなく突撃した、途端に目尻を細めて笑うその顔がずっと見たかった。いらっしゃい、俺の街へ。
慣れてる土地を優雅に案内しようにも相変わらず何も無い場所だからちょっとかっこつかずにウロウロ歩いてたけど、クソ暑いこの土地でも��前は相変わらず笑顔で暑さで不機嫌になる素振りもなく一緒に歩いてくれたね。仕事場に連れていけて、いつもの仕事を身を持って体験してくれ��緊張もあったけど俺はこの瞬間を糧にこの先もこの仕事場で頑張れる気がした。世界一可愛くしてしまったよ、今回ばかりは。
今夜振る舞う料理の為の皿を選んで自宅に帰る。「ちょっと家の中綺麗かチェックしてから入ってもらうから待ってて」なんて適当に嘘をついて部屋の電気を付けて部屋をよく見えるようにしてから俺の自室に荷物を置いてきて、と扉を開けさせた。初めて見るであろう部屋に普段からあるわけではなさそうなその飾り付けを見て北斗は一瞬フリーズした。レールに引っ掛けたハッピーバースデーの幕、そしてソファに飾られた大振りの数字風船、散らばるシルバーの風船に黒薔薇で作られたクマの飾り物。それが自分に向けての飾りだと気付いた御前はやっぱり想像以上のリアクションをしてくれて、興奮気味にプレゼントに気付いて開けてくれたね。中身はまあ、恥ずかしながら低予算のおふざけアイテムだったけど。
俺の愛犬と戯れて、一緒にYouTubeを観て少しのんびり過ごしたら腹が減ってきたから飯を作った。朝仕込んだハンバーグに、夜のうちに揉みこんだ唐揚げ、どっちも御前のリクエスト。そこまで作り慣れない俺は美味しいかな?と不安になりながらも作り上げた。思ったよりもボリューミーになった夜ご飯にも関わらず北斗は満腹の仕草を見せることなくぺろりと完食してしまった。
この家は居心地が良いと言ってソファでだらけながら手を繋いだ、当たり前に過ごしてる自宅での時間はなんかむず痒かった。風呂を済ませて宿泊用に広げたソファベッドでうたた寝する北斗がちゃんと俺の部屋で寛げているんだと感じて安心した。デザートのワインゼリーを食してからアルコールを嗜んで配信をしていたけど2人して眠たさと闘ってたね、そして暑いけどくっついてたい御前は俺にじわじわとくっついて来ては逃げられてたね。
辛うじて眠気に打ち勝って迎えた0時の瞬間、おめでとうに溢れる中俺はトイレに行くと飛んで部屋を出て行った。0時まで我慢していたのだろうと見せかけてちゃっかりトイレをしてから紙袋を持って戻る。ハッピーバースデーの歌を歌いながら戻ってくれば御前は目を丸くさせながら「え!まだあるの?!」と声を弾ませた。
そう、あのふざけた1個目のプレゼントはダミーに過ぎなかった。とんでもなくちゃっちいものを渡して幻滅されるかどうかのすれすれながらもこの瞬間を迎えられて心底安心した。プレゼントはもう3ヶ月も前から用意してた北斗に似合いそうな洋服。服を広げた御前はどの瞬間よりもテンションが高く、めちゃくちゃ好みに刺さったらしく目の前でなんの惜しげも無く寝間着を脱いで試着したね。見立て通り北斗のために作られたのかと思うほどよく似合う服を纏った御前は嬉しそうに明日はこれを着る!と張り切ってたね。すかさず送った動画を残して席を外したら、戻ってきて泣いてる御前を見て思わず笑った。動画を見て泣いたと話し、幸せな誕生日だと語る御前は二度も涙がぶり返してたね。誰よりも感性が豊かですぐ顔に出る、俺の本当に大好きな御前の一面。あのふざけたプレゼントにさえも貰えるだけで嬉しいと混じりっけない本音で笑える北斗が、幸せ過ぎて泣いてしまうほど純粋な北斗が大好きで仕方ない。おめでとうと3ヶ月分の逢いたいが溶け合って弾けた夜。
7時30分のアラームで目を覚ます、隣でまだぐっすり眠る姿を確認してから静かに台所へ向かう。2人分の朝食を用意して自室に戻ればまだすやすや眠る無邪気な寝顔、白いシーツに包まれた御前は本当にお姫様みたいでずっと眺めたかった。寝ぼけ眼で見つめる北斗に口付けを落とせばふにゃりと笑う、甘酸っぱく愛おしい朝。
早めに済ませた朝支度、ごっこ遊びを混じえてはしゃぎながら髪を整える。2人で過ごした初めての時間もまた、自宅でぼんやりと過ごす瞬間でさえも俺を幸せな思い出で満たすだろう。愛犬にまたねと別れを告げて自宅を後にした。今日のスケジュールはつめつめだ。プレゼントした洋服に合う靴やらインナーを探し求めて街へ繰り出す、トータルコーデをして大満足な俺は世界一可愛い北斗と盛れるプリクラを撮った。予約したランチのお店は俺も初めてながらにめちゃくちゃ好みの内装で、飯も美味くて終始感動してた。腹も満たされた頃、急に店内の灯りが消されてハッピーバースデーの曲が流れる。俺も思わず御前とキョロキョロしながらも、ちゃんと予定してたサプライズだと確信した俺は北斗にウン度目のおめでとうを伝えた。周りの客にも祝われて感動でまた泣きそうなのを堪える御前を見て北斗を超えるサプライズのしがいがある人間は居ないなと更に確信したよ。お揃いで北斗が選んだブレスを買い与えると大はしゃぎで腕を見せびらかして写真を撮って、今日生まれてきたのかなってくらい何でも喜ぶ天使みたいな御前に俺も夢中だった。スタバを嗜みながら次の目的地のために俺らは電車に乗った。座れぬ満員電車の中、御前はよろよろしながらも外の景色に子どもみたいに目を輝かせながらはしゃいでた。俺はすっかり見慣れてるものだけど初めて見る人間からすると凄いのかな?それでも御前は世界一リアクションの良い人間だと思うよ、ほんとに。
少し長めに電車に揺られて着いた場所は内風呂温泉のついた旅館。一緒に風呂に入ることもお願い事の一つでもあり念願でもあったらしい、人と風呂に入るのが苦手な俺はどのホテルでも断ってたけど今回ばかりはせっかく温泉に来たんだしの気持ちで入ることにした。遅めにした夕飯は想像以上��ボリュームがあって、2人で気まずそうに目を合わせながら食ってたね。連日食いまくりで空腹ってどんな感覚だっけ?ってくらい常に腹は満たされてたからあれは本当に申し訳ないことをしたなと思った。それでもめちゃくちゃ美味しかったよね、何でも美味しいと言って笑う御前を見てるだけで俺も幸せだった。
部屋に戻って一休みしてからじんわりと暑い外で2人で花火をした。花火がしけっていたのか俺らが下手くそなのか分からないけど上手く火は付かないしロウソクの火さえ消えるしで花火を静かに楽しむことなく爆笑して終わったね、思えばほぼ座ってたけど。
先に温泉に入って窓越しにベッドから話しかける御前に来ないの?と言えば食い気味に「良いの?」と返してくる、物凄いスピードで服を脱いで洗って湯船に入ってくる御前を見て本当に一緒に入りたかったんだなと嬉しさが滲み出ている顔を見て思わず笑った。1度入ればちょっと慣れも出て朝も一緒に入ったね。
また眠気に負けてソッコーで寝る、寝心地の良いベッドで朝までぐっすり寝てたけど安定にアラーム前に目を覚ます。起きた、と言葉の代わりにスマホを弄るその腕に触れれば俺の腕に潜り込んできて静かに泣き出す。まだ朝だって言うのに北斗ときたら帰ることを考えて泣けて来たらしい、本当に泣き虫な奴。すんすんと泣き続ける御前の頭やら頬やら撫でて、泣き止む頃に朝食の前に温泉に入ろうと誘って入る。朝焼けに照らされた朝風呂はめちゃくちゃ気持ちよかったね。
ちょっと元気になった北斗を連れて朝食会場へ行く。用意された郷土料理を教えてあげて一緒に食べて、俺のコップにだけ虫が入る不憫を安定に発動させて満腹になったら部屋に戻る。照りつける太陽の下を歩きたくて一緒に散歩に出た、なんにも無い森と田んぼだらけの土地を歩くのが珍しい御前は夢中でカメラを向けてたね。そんな人が珍しくて俺も思わず動画を撮ったけど、俺が居るからって理由だけでこんなところにまで足を運んでくれる北斗をこの先もずっと大事にしていたいなって強く感じたんだ。
限界まで2人きりの時間を楽しんで、空港に降り立つ。荷物を預けてから暑さの中無言になりながらもコンビニでアイスを買い求めた。秒で溶ける炎天下に似合わぬリッチなアイスを食べて、隣の小洒落たカフェで軽食にする。もう長いこと空腹の感覚に陥ってない、それでも何かしら時間になれば食べ続けてるもんだからしばらくはお互い胃の時間感覚もバグりそうだよね。なんて思いながら頼んだパフェは馬鹿みたいにデカかった。なのにぺろっと食った。人間の神秘、田中の神秘。
空港までの帰り道は次の逢瀬の話をしながら、行きはあんなにしんどかったのに楽しい話をしていたら一瞬なのはまじなんだね。行ったことのない土地、行き慣れた土地、どこにせよ御前に逢うという事が最大の目的だからこそどこで逢おうか悩む、何をしようか悩む。だけど逢う度に飽きるどころか次が待ち遠しくなって、落ち着いた関係になるどころかどんどん好きになる。こういうところが好きなんだよな、と目で見て肌で感じて愛を実感するからこそなんだろうね。
自由な俺とすぐ迷子の子どもみたいにキョロキョロする御前、お土産を買った時だって割と近くに居るのにすぐ俺を探してキョロキョロする、泣くほどではないけど泣き出しそうな不安顔で俺を探すとこを見て実は愛おしさを覚えてたよ。ほんとに何をしても可愛い北斗、今までほっといてきた色んな人間にありがとなって言いたいくらい俺の隣に居てくれることに感動と感謝を抱いてる。何よりも俺を選んでくれてありがとう、北斗。
朝あんだけ泣いてもやっぱり涙が溢れてくる、3秒で泣ける俳優なのかってくらい次見た時には瞳いっぱいに涙を滲ませて眉を顰めてる。おかしくて笑いながらも涙が止まらない御前の頭を撫でる。
「またすぐ逢えるもんね、行くだけだもんね。また帰れるもんね。」色んな言葉で自分を奮い立たせて搭乗ゲートへ向かう御前、そうだよまたすぐ逢えるよ。すぐ帰っておいでね。俺はいつでも御前の帰る場所だからね。たくさんの言葉を込めて手を振る、何度も振り向いて手を振り返す御前が見えなくなるまで。
北斗と出逢えた去年の七夕、こだまする哀しみの声を断ち切って掴めた幸せ。去年の今頃は誕生日だったなんて知りもせずに話してた、初めて迎える誕生日を同じ空間で過ごせて俺も最高に幸せだったよ。人生で1番幸せな誕生日だったと語る御前を見てこの先ももっと、その1番を更新してやりたいって思ったんだ。もう来月は付き合って1年が経つのかと驚きが隠せない、こんなに好きに溢れて迎える1年なんてあっても良いのかってくらい北斗のことが好きだから。
次はどこへ行こうか、何をしようか。予定なんてみっちり立てなくたってただ同じ空間で北斗と過ごせるだけで俺は幸せなんだ。多分御前も同じなんだろうけど。
誕生日おめでとう、生まれて来てくれてありがとう。
たくさんの喜びと幸せと初めてを俺に味あわせてくれてありがとう。これからも一緒に歳を重ねていこうね。
大好きだよ北斗。
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Enveloped with Darkness
黒の森と呼ばれ 近づく人もなく 霧の中そびえる 影に染まる城に 囚われたままの 罪深き魂
夢 堕ちてゆく 遠く声が誘う 自由を願う衝動が 強く刻まれてく
鏡よ 世界の扉をひらいて 鏡よ わたしを連れ出して どうか 向こう側で笑う 別のわたしは 何を���知っているの
二十年に一度の儀式に現れる 翼のない悪魔 進むべき未来を まだ見ぬ夜明けを 指し示す
もし叶うなら この長い夢に別れを告げて 目覚めたい 希望 抱きしめたい
鏡よ 世界の扉の向こうに 鏡よ わたしの祈りを届けて この命さえも 失っていいと 今は 思ってるの
鏡よ 世界の扉をひらいて 鏡よ わたしを連れ出して どうか たとえその先に 闇より深い 絶望 待っていても
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有志による『天地を喰らうII』のクローンゲーム版初見プレイ。 FC版の諸葛孔明伝は実機でプレイ&クリア済み。 配信時の冒頭無音箇所削除済。 洛陽の北の関所へ ↓ 3つ目の関所 - 沂水関 - ・関所に入ると卞喜がこの先の鎮国寺で一献さしあげたいというので招かれるまま鎮国寺に ・一杯どうぞと勧められてここで選択肢 『いいえ』ならそのまま戦闘に 『はい』を3回選択すると・・・ 沂水関之戦・・・【卞喜 兵士 兵士 兵士】 ・戦闘終了後、入り口にいるお坊さんに話しかけると宿泊させてもらえる(罠じゃないですよ) 外に出たら北へ(そばにある庵は特に何も起きません) ↓ 4つ目の関所 - 滎陽 - ・関所に入ると話しかけてくる人物が 滎陽の太守『王植』は関羽に害意を持ってないらしい ・それならと宿を貸してもらことになり屋敷の前に連れていかれます 話しかけてきた人物は屋敷の警備をしている『胡班』という者 この名前に見覚えがある人は道具欄をのぞいてみよう 預かった物がありますよね? ・屋敷で一泊できるけど、沂水関の卞喜の件もあるし・・・ 隠しアイテム ・入り口近くの建物内のツボ/銅仙丹(※関所を破った後は入手できなくなるので注意) 滎陽之関戦・・・【王植 兵士 兵士】 関所を抜けて北へ ↓ 5つ目の関所 滑州之関戦・・・【秦琪 兵士 兵士】 関所の向こうに見える船に乗る前に、洛陽まで戻ってセーブしておくといいでしょう ↓ 船は河北へ到着 北へ進むと『夏侯惇』が現れます 冀州夏侯惇戦・・・【夏侯惇】 ※数回攻撃を与えると終了します とにかく冀州城に急ぎましょう(手間を減らすなら先に北の山賊退治をするといいでしょう) ↓ 冀州城に入城しようとするとある人物が道を塞いでいます いつぞやの酒場で出会った『趙雲』です 話してみると、わけあって袁紹の元で働いているらしく追い返されてしまいます このままでは入城できないので、とりあえずすぐそばの庵に入ってみましょう ↓ - 関定の庵 - ・1階にいる右の人物『関定』によると村の者が山賊に困っているようで山賊退治を頼まれます お供に息子さんをつけてくれるそうです ・左の人物に話しかけると、関定の次男『関平』が仲間になります それでは船着き場の近くにある村へ行ってみましょう ↓ - 山賊に困っている村 - ・山賊が北の山と東の山に住みついて困っている ・北の山には元黄巾賊の『周倉』が、東の山にはとんでもなく強い武将が住みついている ・東の赤水城という古城に住みついた武将の名前は、チョッ、チョ、チョウ…… まずは北の山賊から退治を 村から西側の北方向に進みましょう ↓ - 臥牛山 - 臥牛山之戦・・・【周倉 山賊 山賊 山賊】 ある程度ダメージを与えると、『周倉』が関羽の配下にしてほしいと頼んできます 『はい』を選択するとその場で仲間に 『いいえ』を選択すると戦闘が終了しますが砦の中に入ると周倉がいて再び仲間にするか選択できます 北の山賊を退治したら次は東の山賊退治に ↓ - 赤水城 - ・城に入ろうとすると見覚えのある武将が襲ってきます チョッ、チョ、張飛です 関羽が曹操軍に寝返ったと思っているようで怒っています ・誤解をとくために山影に見え隠れしている曹操軍の将の首を持ってくるよう言われます すぐそばに現れた武将に話しかけ戦闘です 冀州蔡陽戦・・・【蔡陽 兵士 兵士 兵士】 倒したら赤水城へ ・張飛に話しかけると無事誤解がとけて軍に合流します 張飛から最近袁紹軍の兵が南の森に出入りしているとの情報が 隠しアイテム ・宮殿の入り口から左に6歩、下に2歩/銅の盾 関係なさそうな情報ですがやっぱり気になるので南の森へ行ってみましょう ↓ 南に進むと森の一部が1マス平地になっている部分があるのでそこに進むと敵と遭遇します 冀州森之砦・・・【許攸 逢紀 兵士】 倒したらもう一度平地部分に乗ってみると砦の中に - 森の砦 - ・若い娘が牢に入れられています 助けてあげましょう ・娘さんが言うには牢の扉は『銀の鍵』がないと開かないそうです 洛陽で買った鍵が役に立ちそうです ・娘さんを助けると『趙雲への手紙』を預かります 冀州城の手前にいる趙雲へ届けましょう 冀州城の前に関定の庵に寄ってみましょう ↓ - 関定の庵 - ・山賊退治のお礼に劉備と合流するまでこの家を自由に使っていいそうです ↓ 冀州城の手前にいる趙雲へ娘さんから���かった手紙を渡しましょう 助けた娘さんは趙雲の妹だったようです 『趙雲』が仲間に加わります また一人 優れた人物が加わった 関羽は袁紹軍に顔を知られているので、趙雲が劉備の元へ ↓ - 冀州城 - ・劉備の元に趙雲が合流 関羽たちと合流する前に袁紹と話をしておこう ・城を出る前に武器屋で趙雲の装備を整え、役所でセーブをしておきましょう(※軍師任命も忘れずに) 城を出ると袁紹軍に襲われます 冀州城之戦・・・【郭図 田豊 蔣義渠 袁術or兵士 兵士】 ※3章で袁術を見逃した場合は再登場しますが大して強くないので問題ないでしょう 倒したら関定の庵へ ↓ - 関定の庵 - ・2階に関羽と張飛がいます 義兄弟の再会です(※関平と周倉は編成所に送られます) ・庵を出る前に、関定に挨拶をしておきましょう 劉備の提案で関平を関羽の養子にするか聞かれます 『はい』を選択すると関平の武力と知力が10増えます 損はないのでぜひ養子に 一泊して庵を出るとイベント戦闘が始まります 官渡決戦 袁紹の貴重な戦闘姿です 袁紹のステータスも気になるところです 時は流れ 大陸の勢力地図は 大きく変わった 5章 三顧の礼 - 荊州城 - ・江夏の地で反乱が発生 病身の『劉表』に代わりに劉備が鎮圧の役を引き受けることに ・医者の話では劉表の病は日に日に悪くなっているらしい ・劉表には『劉琦』と『劉琮』の二人の息子がいるが、劉琦は病弱、劉琮はまだ幼いので世継ぎ問題で揉めている ・荊州は人材の宝庫 そろそろ劉備軍にも軍師が欲しいところ この章から『編成所』が利用できます(※編成を組んだら装備と軍師任命を忘れずに) 隠しアイテム ・宮殿から右上隅/鉄の剣 準備を整えたら東の村へ ↓ - 荊州の村1 - 村に入ると反乱軍が襲いかかってきます 荊州黄巾戦・・・【黄邵 管亥 黄巾賊 黄巾賊】 ・陣形には有利な点だけでなく不利な点もあるので注意を ・この付近には龍が住んでいるらしい ここから東の村も盗賊に襲われているので向かいましょう ↓ - 荊州の村2 - ここも村に入ると反乱軍が襲いかかってきます 荊州黄巾戦・・・【何儀 何曼 黄巾賊 黄巾賊 黄巾賊】 ・村の娘はみな盗賊にさらわれてしまった模様 中にはさらわれなかった人もいるようですが… 次はここから南の村に ↓ - 荊州の村3 - ここも襲いかかってきます 荊州黄巾戦・・・【劉辟 龔都 黄巾賊 黄巾賊】 ・荊州城の西に『水鏡先生』と呼ばれる賢者の庵がある 一度、荊州城の劉表の元へ戻りましょう ↓ - 荊州城 - ・劉表に報告すると反乱軍鎮圧のお礼に、ここから北にある小城『新野城』をくれます さっそく北にある新野城に行ってみましょう ↓ - 新野城 - 新野城に入ると関羽が、誰か武将を新野城開発の指揮にあたらせてはと提案してきます 選択肢は、『糜竺』、『糜芳』、『陳登』の3名です 誰を選ぶかによって開発後のお店の商品の品揃えが変わります 選び方はお好みですが、防具派なら糜竺 武器派なら糜芳 原作派なら陳登 が��ろしいかと 商品の品揃えの情報は、天地を喰らう2完全版/店・施設一覧の8章を参考に 尚、開発にあたる武将はこの先パーティーに復帰することはないのでご注意を ・眠れる龍を起こしてはいけません じっと待つのです ・街の開発に燃える人々 「ラクヨウのように なれば らくよう!……」 隠しアイテム ・宮殿の上の左の木の左側から左に1マスから鉄の鎧 一周りして城を出ると『劉琦』が駆け寄ってきます 劉表が危篤状態におちいったそうで 大至急、荊州城まで来てほしいとのことですが、ちょっと寄り道を(ゴメンね劉表さん) 新野城から北西の1マス分の森になっている場所に行ってみましょう ↓ - コウメイの庵 - ・入り口にいる人によると、コウメイは留守のようです 隠しアイテム ・建物の入り口から下に5歩、左に10歩、下に1歩/知復丹 それでは大至急、荊州城に向かいましょう ↓ - 荊州城 - ・宮殿に入ると入り口に『蔡瑁』がいて舌打ちをしています ・玉座から左の部屋に劉表が横になっています 命が長くないので蔡瑁と協力して後継者を盛り立ててくれとのこと 宮殿から出ようとすると『伊籍』が駆け寄ってきます 蔡瑁が劉備と劉琦を亡き者にしようと企んでいるので、左の部屋の非常用の出口から逃げるよう言われます 左の部屋の壁から非常用の出口へ ↓ - 荊州城非常用出口 - お宝 B1 赤心丹/金230/赤心丹/銅の槍/銅の剣/銅の斧/金206/鉄の鎧 B2 金234/金248/銅の刀/銅の盾/招魂丹/金494/銅仙丹 非常用出口を抜けると荊州城の西側に出ます が、劉備が関羽たちとはぐれてしまいます 近くに見える庵で宿を乞うことに(※橋から先には行けません) ↓ - 司馬徽の庵 - 庵に住んでいたのは水鏡先生こと『司馬徽』でした 劉備軍には当千の武将はいるが、この乱世に立ち向かえる軍師がいないと図星を指されます 『伏龍』『鳳雛』の二人を仲間にすることを薦められてこの日は一泊 その夜 何者かが この庵を訪れたようだ 昨晩の来客が誰かと尋ねると一番東の村へ行ってみるとよいとのこと 庵を出ると関羽たちが合流するので東の村へ(軍師の任命を忘れずに) ↓ - 荊州の村3 - ・村人に話を聞いてみると、東の洞窟に物知りな浪人『単福』が住みついているらしい 単福に会いに東の洞窟へ by noinoinoiz
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2022年に見た映画(上半期)
勢いに任せて(?)今年見た映画も上げておきます。
と言ってもDVDやAmazon Primeで見たものばかり……実際に映画館に言ったのは数えるほどしかありません。
便利な世の中になりましたが、本当にそれでいいのかという気もしてしまいます。
1月(3) ・『ゴーストランドの惨劇』(パスカル・ロジェ監督の作品。) ・『検察側の罪人』(論外。) ・『BURN/バーン』(キモチワルイ系の作品。)
2月(8) ・『六月の蛇』(塚本晋也監督・出演の作品。) ・『マーターズ』(パスカル・ロジェ監督の作品。) ・『パーフェクトプラン/人生逆転のパリ大作戦』(フィリップ・ラショーの仲間タレク・ブダリが監督したコメディ。でもこれはちょっと……) ・『ドライブ・マイ・カー』(これは映画館に観に行きました。でも、これ……そんなに名作ですか。) ・『シティー・コップ、余命30日のヒーロー』(これまたタレク・ブダリ監督・主演のコメディ。でもこれはちょっと……) ・『KOTOKO』(これまた塚本晋也監督の作品。) ・『ロブスター』、『聖なる鹿殺し、キリング・オブ・ア・セイクリッド・ディア』(どちらもヨルゴス・ランティモスの映画。不条理系というのかな?)
3月(13) ・『ローラとふたりの兄』(私が愛してやまない『愛しき人生の作り方』の監督ジャン=ポール・ルーヴの新作。これは映画館に観に行きました。やっぱりいいなあ、ジャン=ポール・ルーヴ。) ・『罪の声』(論外。) ・『事故物件、怖い間取り』(論外。どうした、中田秀夫!) ・『ザ・スウィッチ』(『ハッピーデスデー』、『ハッピーデスデー2 U』の監督クリストファー・B・ランドンの新作。) ・『地獄の警備員』(松重豊が人を殺しまくる伝説の映画。) ・『明日に向かって撃て』(ポール・ニューマン、ロバート・レッドフォード主演の伝説の映画。恥ずかしながら、初めて観ました。) ・『宇宙人ポール』(『ショーン・オブ・ザ・デット』、『ホット・ファズ』のトリオが作ったコメディSF。) ・『ブリット』(スティーヴ・マックイーン主演の刑事映画。NHK. BSでやってたから見ましたが、まあ見なくてもよかったと思います。) ・『奥様は取り扱い注意』(テレビドラマの映画版だそうですが……論外。) ・『夏への扉』(ハインラインの原作は名作なんですが……) ・『燃ゆる女の肖像』、『水の中のつぼみ』(レズビアン映画という分類でいいんでしょうか。) ・『パラサイト』(「今頃?」と言われそうですが、今頃見ました。)
4月(19) ・『我らの生涯の最高の年』(これも伝説の映画ですね。初めて見ました。) ・『鳩の撃退法』(期待して見たんですが、イマイチ。) ・『総理の夫』(論外。) ・『グランド・イリュージョン』(まあ、こんなもんかな。) ・『コンフィデンスマンJP、プリンセス編』(いいと思います。私は好きですね。) ・『十二人の死にたい子ども館』(期待して見たんですが、イマイチ。設定はいいのになあ。) ・『自殺サークル』、『紀子の食卓』、『気球クラブ、その後』(園子温がマイブームだったので。『紀子の食卓』は名作だと思います。) ・『オールド』(ナイト・シャマラン監督の作品。) ・『新宿スワン』、『新宿スワンⅡ』(これも園子温ですが、駄作ですね。) ・『アルベール・カミュ』(こんな映画があったんだ。知りませんでした。) ・『007カジノロワイヤル』(おバカコメディ映画。時々見たくなる映画です。) ・『羊の木』(うーん、これはどうかなあ……) ・『外事警察ーーその男に騙されるな』(いいと思います。私は好きですね。) ・『すべてが狂っている』(鈴木清順監督の映画。そんなには狂っていません。) ・『フリークス』(伝説のカルト映画。初めて見ました。) ・『オンリー・ゴッド』(ニコラス・ウィンディング・レヴン監督の映画。) 5月(21) ・『ネオン・デーモン』、『ドライブ』(ニコラス・ウィンディング・レヴン監督の映画。) ・『プラン9・フロム・アウタースペース』(史上最悪の監督として名高いエド・ウッドの伝説の映画。ついに見ることができました。) ・『来る』、『渇き』(中島哲也監督の映画。どちらも私は大好きです。) ・『ココディ・ココダ』(キモチワルイ系のタイムループ映画。) ・『空に住む』、『東京公園』(青山真治監督の映画。追悼を兼ねて見ました。) ・『キングコング(1933)』(これまた伝説の映画。初めて見ました。) ・『さらば箱舟』、『書を捨てよ町に出よう』、『草迷宮』、『田園に死す』(寺山修司の映画。6月に青森に行くので、その予習ということで、寺山がマイブームだったのです。でも私は好きですよ、寺山。) ・『赤い航路』(ロマン・ポランスキーの映画。) ・『カムバック・トゥ・ハリウッド』(おふざけ映画ですが、私は好きです。) ・『秘密と嘘』(マイク・リー監督の映画。カンヌでパルムドールを取りました。地味な映画ですが、私は好きです。) ・『天国に違いない』(エリア・スレイマン監督の映画。カンヌで審査員特別賞と国際映画批評家連盟書を受賞した映画だそうですが、何が何だか……) ・『父はフロリダを夢見て』(老人介護映画……ではないはずですが) ・『シン・ゴジラ』(なぜこれが受ける? 私にはわかりません。) ・『コンフィデンスマンJP、運勢編』(だからワタシ、これが好きなんです。) ・『アンチ・クライスト』(ここからラース・フォン・トリアーがマイブームになります。)
6月(8) ・『ライト・ハウス』(一部で熱狂的な支持を得ている映画ですが……) ・『シエラ・デ・コブレの幽霊』(やっと見つけました。幻の映画です。まさかAmazon Primeにあったとは。) ・『ザ・バンド、かつて僕らは兄弟だった』(昔ザ・バンドのファンだったもので。) ・『メランコリア』、『イディオッツ』(はい、ラース・フォン・トリアー監督の映画です。) ・『狂った一頁』(無声映画。日本初の前衛映画だそうです。そうなんだ……確かに訳がわかりません。) ・『ヨーロッパ横断特急』(アラン・ロブ=グリエの映画。こんなのもAmazon Primeにあるのですね。) ・『華氏119度』(マイケル・ムーア監督の映画。『華氏911』ではありません。新作です。) 上半期だけで72本ですか。結構見てますね。
特に5月の21本は多いなあ。
下半期は項を改めて書きます。
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本編 作業所患者自治会の ススメ 【はじめに 嬉しいオドロきと希望を】
本編 作業所患者自治会のススメ
【はじめに 嬉しいオドロきと希望を】
そう、もっと積極的に考えたらよかったのです。そうなのです、患者自治会には可能性があるのです。コレからの【精神病者ウンドー】のムゲンの可能性がアルんです。と云うのも、えばっちとしては、「ごかい」は解散してしまうし、病者集団は分裂しトンデもナいノリの無仁義極まりない乗っ取りと、掠め取り盗み捕りを見たからです。しかも、「天上天下病者反撃」のあの本の患者会が、もはやほとんど活動されていないからです。ナントか精神病患者会のタネを、より遠くに、より広く、より深く、撒いて蒔いておきたかったのです。 ところが、今年2019年4月15日に、東京江戸川の地で、悠遊舎のみなさんと、青森サンネットのみなさんと、八王子ホットのみなさんと、我が前進友の会やすらぎの里とで、交流と、会議を持ったのでした。真っ先に、会議の途中でしんどくなってきて、音を上げて途中退席をしていたのはエバッチだったのですが、兎にも角にも、『四者の共同作業所で、通所者側とスタッフ側からそれぞれ1名ずつ出して、みんなで公開交流会的なシンポジウムをやろう』と云うことが決まったのでした。そんな中で、そうやと、こりゃあ、ぎりぎり追い詰められたからの展開じゃなくて、作業所内に自治会を作ろう、デイケアに自治会を作ろう、という呼びかけはひょっとするとこりゃナカナカのものなのではないかと、ジブンから提起しておいてなんですが、これはなかなかの可能性を秘めているのではないかと、今の世の中でコレを言っていくことには、凄い意味があるかもシレナいと、想ったわけなんです。そうそれは、ありがたいことに、『希望』が、少しだけ見えた瞬間なのでした。 だから、『交流会 仮』をやりませんかだけではなくて、まずは、この四か所の共同作業所内に、実質自治会を起ち上げていきませんかと云う、具体的な呼び掛けを、また具体的に患者自治会を作り上げていく過程での、シンパイ事もちゃんと書いておかなあかんな、と想ったわけなのでした。そして、書き上げたものを持って、10月の『交流会 仮』までにもう一度みなさんのところにお邪魔したいなぁぁぁと想ったわけなんです。行けるかな、、、体力的にムリかな、、、行きたいなぁぁぁーー
【A】おもたい、しんどい、くちもおもい病者のみなさんへ すいません、大病者の大先輩の、みなさんに、えばっちごときが、ナニを言えましょう。悩みました。でも、これだけは、みなさんにお願いしたいのです。BグループCグループのなかまたちが、わさわさと為り出したら、、少し、は、少しダケは温かく見守ってはもらえないでしょうか。もちろん、わさわさし過ぎたら叱ってやってください。そしてもちろん、Dグループの若者たちには、パスンと、エラそうにするんじゃないと、叱るダケではなく、叩き出して性根を叩き直してやってください。よろしくお願いいたします。AグループBグループCグループDグループ、みなさんがまず先頭に来るのです。まずみなさんが、ホッとできる場でないといけないのです。くちもおもく、病気もシンドいみなさんの意見が最大限尊重されなければならないのです。精神病者として最大限の尊敬されなければ、ならないのです。すくなくとも、みなさんの最低限の暗黙の了解と云うか、その範囲内でしかBグループもCグループも動けないのです。 みなさんには、絶対的拒否権があります 宜しくお願い致します
【B】若い、中年の、やる気のある、病者のみなさんへ みなさん、みなさんこそが、原動力になるでしょう。おそらく、みなさんがやってみようじゃないかと言い出すと想うのです。おそらくみなさんが、最初の一歩を踏み出すことによって、動き出すはずです。タイヘンだと想います。おそらく、みなさんのノリが自治会を決定づけるのだと想います。おそらく、みなさんの負担は大きいのです。しかも、みなさんは、自治会を作り、運営していく過程で、気をつけなあかんことがいっぱいあるのです。ツラくてシンドいことが、いっぱいあるのです。タイヘンなことも一杯あるのです。そして、それは、もしかしたら病者内に序列を階層を生み出すかもしれないのです。それはもしかしたら障害者内にエリートを生み出してしまうかもしれないのです。活動家を生み出してしまうかもしれないのです。そしてそれは、その作業所がそれなりに上手く行っていたことや関係性や動きやいろんなことを、一旦は少しは、もしかすると大分と崩してしまうかもしれないのです。 でも一方で、病者同志が支え合って生きていくセーカツそのものがゲンジツ化し、、そしてそのコトがスタッフの医療行為や福祉行為の正当性を担保することに繋がっていくのです。だからこそ、だからこそ、最大のやりがいや生きがいや感動が、もたらされるのです。それは、おそらく、学者たちが色々な外国の横文字のSSTだのRehabだのACTだのオープンダイアローグだのヒヤリングボイセスだのクラブハウスだのマインドだのセルフヘルプグループだのマインドフルネスだのオルタナティブだのピアカウンセリングだのピア何とかだのを持ち出すナニカよりも、具体的な作業所内の患者自治会なのです。通所患者自治会のセーカツとウンドーなのです。本当に自らが自主自立・自尊自衛・自炊自レク・自治独立を目指した時に、横文字ものとは比較にならないような、リクツだけではない、ホンモノのセーカツからの感動が生まれるのです。だってだって、ピア何とかとか言いながらも、結局は、病者自身が自主的に自立的に自分たちのことを決めていくことができなかったじゃないですか。学者は横文字のキレイごとバカリ言うじゃありませんか。イタリアがトリエステがマインドがナンだと云うのですか、あの厚い鉄の扉の向こうの入院も、退院も、薬を飲むのも、薬を減らすのも、閉鎖病棟も、保護室も、電気ショックも、自分たちでは決められなかった。自分たちでは決められなかったのです。作業所に行くのだって自分たちでは決められなかったのではないですか、、、親と、スタッフと医者と、行政のケースワーカーが「あなたの為ですよ」と言いながら、勝手に決めてきたのではなかったですか、、、だからこそだからこそ、これほど、セーカツを密着してやってきた関係性の深い、そして老いも若きも重たい病者も少し軽めの病者も、そしてやる気のあるスタッフもいる作業所やデイケアやサロンで自治会を起ち上げて、自分たちのことを自分達で決めてやってみませんか。レクの行き先からです。食事会のメニューからです。ソコから始めてみませんか。タイヘンなことも多いですが、生きている実感と、支え合って生きていく感動が、てんこ盛りにあるのです。 もち���ん、気をつけなあかんことのほうが一杯あるし、ツラクてしんどくてタイヘンなことも多くなるし、階層が、序列ができるかもしれないし、上手く行っていた関係性を壊してしまうかもしれないですし、自分自身の病気もワルクなる��も知れないし、活動家、病者運動ボスになってしまうかもしれない。そう病気だってワルクなるかもしれないんですよ。でも、でも、ジブンの身を守るだけで精一杯だからこそ、みんなで守りあい支えあう、てまひまかけてやったら、やったからこそ、みえてくるものがある、やったからこそ、知り得ることがある、手ごたえが、感動があるんです。強制医療や強制福祉から世の中からジブンの身を守るだけで精一杯な時に、そう、なかまとともに、守り合うんです。スタッフだけでは、足りない部分があるのです。それをみなさんが原動力になりながら、やるのです。作業所のジッサイのセーカツからくる通所者患者自治会なのです。一緒にやってみませんか、宜しくお願い致します。
【C】若い、自治会の必要性に疑問を感じているかもしれないスタッフのみなさんへ みなさん、タイヘン厄介なことが始まります。皆さんにとっては、何でこんなことを支援するのが作業所の職員としての仕事なのかと思われることでしょう。 本音で行きましょう。皆さんの大学や専門学校で習ってきた医療系や福祉系の授業の中に、ピア何とかとか当事者主体とかオープンダイアローグとかSSTとかサルーテメンターレイタリア万歳とか、さぞかしの綺麗ごとが並んでいたことと思います。しかし、本当に精神病者が作業所の通所者が自主的に自立した意見を積極的に個人ではなく自治会として主張し始めた時、みなさんは本当のトコロ、厄介なことだと思われるでしょう。さらに言えば、シゴトが余計に増える上に、一人ひとりの対応に時間がかかる、その上にスタッフとしてパッパッパと物事を決めていくことができなくなった時、自立した意見を言う患者さんが出てきたとき、ドウ対応するかであなた達精神医療や作業所スタッフと云う精神福祉従事者の質が問われるんです���。これは、大学の社会福祉科や専門学校のキレイごとで習えることではないのです。みなさんは、みなさんが務めている作業所の通所者のなかま達とともに、勿論、病状の違いも多々あります。そして、作業所のスタッフのなかま達、これまた、精神病者への想い入れの違いや、福祉全般に対するスタンスの違いや、行政に対するスタンスの違い、倫理観の違い、など、多々あるはずです。その中で、通所者自治会と一緒にやっていく中で、これまで以上に、時間と手間暇がかかることをやっていくことになります。大変です。おそらく、必要性は分からない、自治会の必要性なるものが分からない、十分良心的に精一杯通所者の皆さんのためにやっているのだから、こんなことはいらない、と云う反感すら出てくることもあるだろうと、えばっちは想っています。 と云うのも、実は、『良心的ウンドー的改革派的医療従事者や福祉従業員』たちが、自立的自発的に己が意見を言い始めた通所患者、入院患者、通院患者さんたちに向かって、『手のひらを返した』かのようにイジワルを始めるのを嫌と云うほど見てきたからです。イジワルなんてものじゃない、そんな事態をたくさんたくさん、想い知ってきたからなのです。 では何故、必要なのか。何故、精神福祉の中でこの自治会が必要なのか。それは端的に言って、上記のようダカラこそなのです。『良心派改革派』の嘘と綺麗ごとを、『手のひら返し』を指摘し批判し、ホンマものにするためなのです。つまるところ、ソレは、我々通所者の側が精神病者の側が、自分たちのことを自分たちで決められなかったからです。入院も、自分たちでは決められない。親とクリニックの医者と作業所の良心的なスタッフの間で決められて、半分だまし討ちの様に入院させられてきたからです。徹頭徹尾騙し討ちの上で、保護室にぶち込まれ、電気ショックをかけられ、薬をぶち込まれてきたからです。どんなに嫌だと言っても、許されなかった。許してくれなかった。しんどいと言っても、無理やり就労に駆り立てられた。デイケアで、仲間内で仲良くなっていくことを、スタッフに止められた。どんなに友達が欲しくとも、デイケア内の管理のために、お互いに友人になってはならないと云う規則まで、ルール付けされてきたからです。終い口には、精神病でいいんですと言っているにもかかわらず、嫌だと言っているにもかかわらず、「お前はハッタツのアスペルや」と言われてきたからです。どんなに嫌だと言っても、どんなに違うと言っても、「精神分裂病」だと言われ続けてきたからです。食事会でせっかくだからこういうものが食べたいと想っても、メニューが1か月分ビッチリ決められていたのです。兎にも角にも、薬を飲むのにも、薬を減らすのにも、入院するにも、退院するにも、自分たちの意見が聞かれることはない。聞かれたとしても、実は、おざなりで、実際は医者と所長が、スタッフとPSWが、学校の先生とカウンセラーが、良いように言うて、決めてきたからです。 だからせめて、自分たちがやっと納得している、ココが良いなーと思っている作業所でこそ、せめて、食事会のメニューやレクの行き先や自分自身の出勤時間や退勤時間を、自分たちで決めさせてください。せめて、ここでなら自分たちのことを、仲間同士の中で決めさせてください。さらにいえば、ピアなんてきれいごとではなくて、同じ病のなかま同志が、支え合って生きていくと云うことを、やらさしてください。その中で、老いも若きも重たい病者も少し軽めの病者も、「自尊自衛」「自主独立」「自存自営」「自問自答」「自炊会食」「自由自レク」「自陣自闘」「怨念執念爆発」「狂気炸裂」「自尊自衛」「仁義通信」をやらして下さい。そして、一度でいいから、「居直り居座り」「我意自意貫徹」を本当に出来るのだと云うことを、やらせてください。それがあまりに「我意自意」が酷過ぎた場合、それを止めるのは、作業所スタッフや医者や看護婦看護士ではなく、なかまたちが止めるのです。だから、自治会なのです。いっぺん自分らで決めさせてくれと云うことです。それが、あまりにひどかったら、「センセー」が止めさせるのではなく、なかまたちがなかまとして止めさせる、そんな自治をやらさせてくれ、と言っているのです。 それが、あなたたち皆さんのやっている福祉のシゴトとやらの、正当性を担保してくれるのです。専門職能性や第三者機関や学会が担保するのではないのです。通所者自治会こそが、いいとこも悪いとこも含めて、あなたたちのやっていることの正当性を担保することになるでしょう。だからこそ、職能団体の協会や、職能団体の学会や、行政の第三者委員会や、適正化委員会が、あるいは、ついにはどっかの裁判所が、あなたたちの仕事ぶりをあげつらう時、そのあなたたちの最大の味方は、あなたたちの仕事ぶりの最大の監査役は、通所者患者自治会になるのです。だから、行政や第三者機関アタリが変なことを仕出かし仕掛けてきても、通所患者自治会があなたたちと一緒に闘ってくれるでしょう。 しかも、あなたたちが良心的にやっていく中で、他団体や他の職能団体などの、例えばまるで儲け主義の起業家や企業家がやっているような作業所や貧困ビジネスのような作業所のようなところを、専門職能性の良心にかけて批判しなければならない時、その最大の味方も通所者患者自治会になるのです。もし、その批判が状況的にはスタッフとしては出来得ない時、その闘いの矢面に立てるのは、もしかすると、通所患者自治会なのです。しかも、繰り返しになりますが、自分たちの専門職能牲や支援の内容や仕事ぶり、さらには人権と云うものに対する真の意味での配慮の中身を担保してくれるのです。自分たちのやっていることの正当性を担保してくれるのです。自分たちの『支援』が『支援』の中味を本当にチェックできるのは、通所者の側なんですよ。でも、個人だと、言いにくいんですよ。だからなかまとともに言う、つまり、通所者自治会と云う『会』として言うのです。われわれは、自分たちのことを決められなかったのです。自主独立、本音の意見を言い始めたとき手のひら返しで酷い目にあってきたのです。だから、せめて、作業所での食事会やレクのことなどは決めたいのです。 自分たちで、入院も退院も、閉鎖も決められなかった。 行政との闘いに、スタッフだけで闘うものではない。 だから、一緒にやりませんか。 宜しくお願い致します。
【まとめとして最後に 目指すべきもの】 実を言えば、ここで、作業所患者自治会や、サロン利用者自治会や、デイケア利用者自治会、あるいは、コトの最初に戻って、入院患者自治会が出来るところは良いのです。問題は、自治会が出来得ないような作業所にこそ必要なのです。悪辣極まりない儲け主義の、トンデモナい企業家がやるような作業所にこそ、必要なのです。でもそんなところには、実際に作りえない。 だから、まずは、つくり得るトコロで作って、悪辣極まりない『YYY仮称』のようなところへと影響を及ぼしていくのです。コトの最初から言えば、入院患者自治会が精神病院の『開放化』に影響を与えました。そのことが全体の精神病院の開放化に影響を与えました。それは、とてもとても地味でその場その時その人自身の入院セーカツを懸けたものでした。それを、今度は作業所でやるのです。たくさんあった患者会の経験を受け継ぎながら、今度は、みなさんが作業所やサロンやデイケアやグループホームでやるのです。まずは、自分たちの作業所を『開放化』し、『解放化』するのです。そしてそれは、なかまたちをトンデモナい酷い精神病院に入院させたり、『YYY仮称』のような作業所に行政からふっと送り込まれた時に、救い出してくる、あるいは、そういう所にはなかまを行かさせない、行かさせても持って行かれても、最終的には自分たちの自治会のある作業所に取り戻してくる、そういう取り組みになるのです。そして、ロクデモナい「貧困ビジネス」のような作業所をまずは、少しでも、『開放化』しましょう。 世の中や、マスコミや、学会や学者やケーサツが、家族が、みなさんを閉じ込めようとしてきたとき、まずなかま同志で守りあうのです、スタッフも守ってくれるでしよう、でもそのスタッフが諦めても、なかま同志はあきらめない。キレイ事はよしましょう、もしなかま同志が諦めてもスタッフが諦めないカモシレナイ、更にでもそのスタッフがまた諦めても、なかま同志はまたあきらめないカモシレナイ、だから、ジブンの身を世間様から守るのに精一杯の時、患者自治会で、スタッフとともに、その守るチカラが二重三重に、為るのだと云うコトなのです。希望はあります。たくさんの患者会の経験が、みなさんに受け継がれるでしょう。希望があります。宜しくお願い致します。
みんなで、作業所でココで、ココの場で 患者自治会をこしらえて キーサントモダチに為って お互いに支え合って生きていきましょう 「他人を殺してしまわないように」 「ジブンを殺してしまわないように」 「世間様や親や医者から殺されてしまわないように」 希望は、あります、とてもあるのです だから、だからこそ 作業所通所者自治会 デェイケア通院者自治会 グループホーム入居者自治会 を目指してみませんか 拡く更に拡く、遠くへ更に遠くへ、深く更に深く 出来るだけ遠く、患者会のタネを撒きたいのです 出来るだけ拡く、患者会のタネを撒きたいのです 出来るだけ深く、患者会のタネを撒いておきたいのです キーサントモダチに為ってキーサン人生を生き抜きましょう 宜しくお願いします 2019年4月15日起稿 6月27日一旦完成稿として 精神病患者会前進友の会やすらぎの里作業所 あくまでキーサン革命の鬼えばっち 江端一起
前進友の会やすらぎの里のホームページ http://yuinoumi.web.fc2.com/zenshin-index.html えばっちのはてなブログ https://ebacciblog.hatenablog.com/ えばっちのホームページ 乾坤一擲 http://ebacchihomepage.dousetsu.com/index.html えばっちのタンブラー https://kisanebacci.tumblr.com/ 【追記】 できますれば、「作業所患者自治会を目指しませんか」と「患者会とはナンなのだ」を読んで頂ければと想います。長い文章ですが、宜しくお願い致します。えばっちのホームページ「乾坤一擲」よりPDFとしてダウンロードできるようになっておりますので、宜しくお願い致します。特に「患者会とはナンなのだ」の「❷患者会の構成A>B>C|D」を読んで頂ければありがたいです。宜しくお願いいたします。
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湿った幾何学 / 大村高広
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見事に咲き誇っている八重桜の向こう側に、おなじような色をした、薄紅色の外観が見える。敷地のまんなかに多角形のボリュームが置かれ、余裕ができた南北にはささやかな庭がつくられている。塀やフェンスを取り囲むように植物が生えているし、プランターもたくさん置かれているけれど、植物も塀も、一見すると、誰のものかわからない。実際には既存の境界要素、つまりは隣家のものだと思われるが、「武蔵野の戸建」に所属する要素のようにも見える。まだ小さな木を見ながら、両方から水をかけてもらえるといいねと思う。
東側の前面道路には外壁がせまり、庇が道へと差し出され、ボリュームに切れ目を入れている。南東の敷地端部には袖壁が伸びている。たんに伸びているというよりも、敷地のかどに「食いついている」と表現するほうが適切かもしれない(軒先を延長すると、既存のフェンスの上端にぴったりと接続するように見える)。隣家の既存フェンスと共同してつくられる1,000mmという幾分控えめな幅の隙間は、門扉の慣習的なサイズを想起させ、公私の境界をゆるやかに提示する。通り抜けて敷地のなかに入ると、奥にいくほど幅が広がる空隙のかたちと6尺(=1,820mm)以下に抑えられた軒先の高さが庭に寸法以上の広がりを与えつつ、西側隣家群の緑地帯へと視線を誘導する。
色彩が統一されていることもあり、ほどほどの距離で眺めるとき、この住宅はひとまとまりの連続した単体に見えてくる。が、近づいてみるとむしろ「面」の個性が強く、文字通り面食らってしまう。八重桜とセットで眺めるときと、北側のアイアン・フェンスの背景になっているときと、前面道路との関わりで対面するときと、南側の隣家越しに見るときとで、「武蔵野の戸建」の印象はびゅんびゅん変わってしまう。周囲に点在する複数の個別性への応答が建物の各部分に組み込まれ、相互に自律したさまざまな場面が具体的な環境要素とセットで搭載されているからだろうか。いずれにせよ、距離や位置によって外観のまとまりがほどけていくのは確かだ。
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内部に関しても同様の指摘ができる。一階南側の室は庭のコンクリート平板がそのまま内部に引き込まれた土間になっている。敷地の奥行きいっぱいに展開するサッシュに余分なディテールが一切見えないことや、敷地南西部に設けられた庭のふくらみとシンクが向かい合っていることなどが相まって、地面と連続した場であることを強く感じさせる。軒の低さと深さのおかげだろう、明るすぎない。平板に当たった光が低く抑えられた天井へとはねかえり、内部をぼんやり照明している。道や庭といった、外のもっと明るい場所を眺めるのに適した、木陰のような場所だ。
一段上がった北東部の室もまた、吹き抜けとルーバー状の床を介して間接光で満たされている。南側の部屋と北側の部屋で、光量の違いを強く感じない。一部が艶のあるグレーで塗装されたラワン合板を主調とした未仕上げ的なインテリアも、方位によるギャップのキャンセルに貢献している。局所的な合理性に基づいて、素材と寸法は相互にばらばらに設定されているようにも見える。とはいえ用いられている素材の数は限定されているから、全体としてはやはり一体感がある。テーブル・棚・ソファ・階段といった設えが──間柱や合板といった架構の構成要素と連続するような──共通の言語で設計されていることも大きい。差異はそこら中にひしめいているが、首尾一貫もしている、という独特な状況は、外観と内観でまったく共通している。
この傾向は二階に上がるとより明確になる。南側は地面から解放された明るく大きな空間で、半外部空間にいるような浮遊感と開放感をもった場所だ。対して北側では、部屋よりは小さく家具よりは大きなひろがり(の限定)が隙間だらけのひしめきあいをみせ、四方八方から飛び込んでくる眺めや音が空間を満たしている。各々にふさわしい居場所を与えられた種々雑多な物品らが、建築を構成する材料と優劣なく目に飛び込んでくる。微妙な角度の違いと傾斜をともなった軸組、ブレース、合板の無塗装の面とグレーに塗装された面、現しになった根太と合板の断面、テーブルと同じようなつくりの階段、太めの手すり、天井と壁を一定のリズムで分割する間柱と垂木、小ぶりの障子、たまたまそこに止まったかのような照明……。建築の構成材は、生活を支える器や家電、梱包箱、衣服といった物品らと同等のレベルまで存在感が分解・調整されているように見える。そして、そうして生まれる空間のニュートラルさ(架構と事物の優劣のなさ)こそが、内部の各領域に固有の性格をもたらす決定的な要因としての、窓の外の風景の個別性を際立てている。
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プラトンの『メノン』のなかで、いつものように問答を繰り返すソクラテスが、召使の少年を呼び出して、この正方形の倍の正方形を描いてごらん、と問いかける有名な一節があるが、このとき彼が地面にせっせと図形を描いていたこと──線を描くという行為が実演されていたこと──はあまり注目されない。この幾何学の例題は、簡単なようで実は難しい。ある正方形の一辺の長さと、その倍のおおきさの正方形の一辺の長さは、整数比をもたない。つまりこの例題は、通約不可能な(共通の自然数によって測ることのできない)ふたつの長さを正確に描画せよ、と言い換えることができる。ソクラテスは再び地面をひっかいて少年にヒントをだす。田の字型に分割されたおおきな正方形の辺の中心同士を結ぶと、45度回転した新たな正方形が現れる。
少年は地面に残されたかたちを観察し、回転した正方形の面積が、ちいさな正方形のちょうど倍になることを発見する。彼は基礎的な数学の知識すら持ち合わせていないのだが、最終的には消されてしまう2×2のマトリクスの跡を通して、1:√2という(自然数では表現不可能な)比例関係を直感的に理解し、実際にそれを描画できるようになる。ここでの知識の獲得や形態やサイズの発展は、少年が創造したものでもなければ、ソクラテスが一方的に教授したものでもない。むしろ、仮設された幾何学図形の物性によって“引き出された”ものだ。後に壊されることが宿命づけられた「仮止めの秩序」の力能である。
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幾何学を用いた形態の構想とそこでの寸法の調整は、言うまでもなく、建築の設計において重要な課題だ。建築物は柱や梁といった架構部材を組み合わせて構築された立体物であり、要求される様々な機能に対応するため、内部では異なる用途とサイズをもった室が組織化される。建築の設計においては、機能的・構造的にバランスのとれた形態を計画・実体化するため、幾何学的な図形や比例が抽象的な道具として用いられ、計画の対象となる諸現象を整理し、それらを秩序立てる構成形式として役割を果たす。でも、「武蔵野の戸建」の設計の過程で運用され、のみならず、実際に現実的な空間が現象していく過程に一定の枠組みを与えている幾何学は、そうした伝統的な形式=幾何学のありようとは異っているように思う。
ばらばらかと思いきや、ばらばらではない。場当たり的だが、一貫している。「武蔵野の戸建」の形容しがたい建ち方を理解する鍵は、過程においてのみ現れる幾何学にあると思われる(『メノン』で登場する仮設のマトリクスはそのもっとも古い記録だ)。手がかりは平面に残された3×3の痕跡にある。ナイン・スクエア・グリッドとも呼ばれる分割パタンをもつ三間四方の正方形平面(いわゆる九間)は、日本の民家の最も基本的な構成形式のひとつであり、構造的にも、心地よい寸法という意味でも、木造住宅の持っている自然な存在様態といえるものだ。おそらくだが、検討の初期段階においてはひとまず歪みのない九間が敷地に設置されたのではないか、と想像される(もちろんこれは筆者の仮説なので留保が必要だが、とはいえ、初期段階からこの複雑な立体構成が構想されていたとも考えにくい)。暫定的な形態として敷地に投げこまれたこの幾何学は、周囲の環境と局所的な関係を取り結びながら、ほぐれ、もつれ、ゴムのように伸縮する。「武蔵野の戸建」におけるナイン・スクエア・グリッドは、もはや内側からの発展がない──それゆえに構築物の丈夫さと安定性を求める建築家からすると最良な──不活性な幾何学ではなく、あくまで仮止めの秩序であり、この建築が構想される段階において終始一貫活動的なものであった、と予想される。人間的な情緒や観念に由来する曖昧な部分など持ちあわせていない乾いた幾何学は、個別的な状況との部分的な必然性によって、事後的に湿り気を帯びる。
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湿った幾何学は、際限のない断片化に抵抗する拠点として、多数の人間的/非人間的作用が絡まり合う結び目となり、周囲の環境と建築との局所的な関係性を探索・検討・制作するための足場として、その役割を果たす。
たとえばある形式を、風景のなかにそっと置いてみる。構成形式としての幾何学と、周囲の環境に布置された複数の個別性。両者が衝突し、徐々に安定的な状態をつくっていく持続のなかで、素材としての形式=幾何学は本来の姿とはかけ離れたものへと生成変化していく。 建築は、というか生命一般は、そういう仕方で暫定的に安定的な状態をつくりだすことでこの世界で成立しているのではないか。であれば建築家はただ、形式のほぐれ・もつれ・ほつれを肯定し、その変化の過程に最後まで随伴すればいい。
こうした形式および風景への態度なしに、「武蔵野の戸建」は成立しなかったのではないだろうか。規模は違えど、小坂と森中が乾久美子建築設計事務所時代に担当した「唐丹小学校/唐丹中学校/唐丹児童館」(2018)でも同様の指摘ができるはずだ。どちらのプロジェクトにおいても、初期段階で仮設されたであろう形式=幾何学は恣意的なものではなく、むしろ徹底して受動的な仕方で、現実の諸条件に応答した結果として浮上したものだろう。形式の選択は無数にありえるが、偶有的なものではない。それは、建築家が自身の生を賭けて引き受け、覚悟をもって対峙すべき現実そのものだ。
最後に、なぜこの住宅はこの色でなければならなかったのか、ということについて。
まず端的に、この外壁の薄紅色は、八重桜の色彩にたんに「合わせる」ためだけのものではないと思われる。一年のうち、桜が咲くのはほんの僅かな季節なのだから。この色彩の外壁への全面的な採用が意味しているのは、だから、「桜は咲くかもしれないし、咲かないかもしれない」という曖昧な身振りではけっしてない。そうではなく、「桜は絶対に咲く」。来年も、再来年も、10年後も、あるいは100年後も、桜が咲くということを信じる、という宣言なのだ。この色彩は、桜が咲いているときに桜が散る可能性を、桜が咲いていないときに桜が咲く可能性を示すためにこそある。形式=幾何学の風景との対峙が「ここ」を遠くはなれたところへと開くための技術だとすれば、この色彩に関する決断は、「いま」に潜在している未来への可能性(への信)を世界に残そうとする態度にほかならない。現在という瞬間を超えた場所・時間を掴みとることを目指した葛藤の痕跡と、この場所で生きていくことの希望=可能性が、この建築には刻まれている。
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大村高広さんによる「武蔵野の戸建」についてのテキストと写真。
山岸剛さんの撮影と同じタイミングで実際に住宅を見て頂いて、書いて頂いたものです。
山岸さんの写真と同様に、この住宅での経験をとても丁寧に言語化して頂くとともに、自分たちにとっての「設計」というものを思いもよらない拡がりに向けて読み解いてくださいました。
ぜひ多くの方に読んで頂けたら嬉しいです。
all text / photo / image ©Takahiro Ohmura
全てのテキスト/写真/イメージは大村高広さんの著作物です。無断転載等はご遠慮ください。
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大村高広さんCV
https://www.ohmura-takahiro.com/CV_Japanese
前職で担当した学校や書籍についての大村さんのテキストを読んで、いつかぜひ自分たちの建築も批評して頂けたら...と思っており、今回初対面でしたがご快諾してくださいました。ぜひこちらのテキストも合わせてご覧ください。
前職で担当した唐丹小中学校についてのテキストと写真
https://www.ohmura-takahiro.com/entry/20181206/1544087937
前職で担当した『Inui Architects ─乾久美子建築設計事務所の仕事』の書評
「なぜそこにプーさんがいるのか」
https://www.10plus1.jp/monthly/2019/08/issue-03.php
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マインドフルネスアートセミナー Lesson3「世界の見方を変える」講師/森夕花(2023年9月30日)in 渋谷
マインドフルネスアートセミナー Lesson3「世界の見方を変える」講師/森夕花(2023年9月30日)in 渋谷 チケット:https://peatix.com/event/3668867/view https://www.facebook.com/events/1494951444610990
マインドフルネス(mindfulness)は、「今」という瞬間につねに意識を向け、自分が感じている感覚や感情、思考を冷静に観察している心の状態のことです。今、この瞬間に、評価や判断を手放して、注意を払うことから、わき上がる気づきの状態(アウェアネス)という語義で説明がされています。
1979年にジョン・カバット・ジンが、臨床的な技法としてMBSR(マインドフルネスストレス緩和プログラム)をマサチューセッツ大学の医療センターで開発しました。 8週間のマインドフルネス瞑想法では、扁桃体の反応が緩やかになり海馬と前頭前野(学習、思いやり、内省など)が活性化し、ストレス軽減・能力アップしたという科学的裏付けがあります。
(Sara Lazar, Ph.D.他 2010University of Massachusetts Medical School)
最近ではマインドフルネスを取り入れたアートセラピーが欧米でポピュラーになってきています。アートセラピーは、アート表現を通して自己認識を高め、ストレスや精神的な疾患などの症状を緩和するセラピーのひとつで、自分の感情と向き合いアート表現を行うアートセラピーは、マインドフルネス瞑想と共に行うことで相乗効果をもたらすと言われています。
「マインドフルネスアートセミナー」では、マインドフルネスによって、休眠状態のいろいろな感覚が目覚めさせ、身体のセンサーを使って、自由に描きアート表現を行います。表現をはじめると、私たちの「内側の存在」が手や身体、ひらめきを通して、何を表現したいか、伝えたいかを教えてくれます。
さらに私たちはこの宇宙を創生した存在(ソース)ともつながっていて、マインドフルネスな状態になると、ソースとつながる扉が開き、創造性が高まるとも言われています。何にもとらわれることのない「純粋な意識」は、高次の存在とつながるための大切な条件となります。 アート表現のプロセスは、まさに「純粋意識(無心)」の状態を経験できる貴重な機会です。
このセミナーは、23年間に渡り、ヒーリングやカウンセリング、ライフコーチングなどの「心と身体の癒し」に携わってきた森夕花がガイドを務めます。マインドフルネスアートを通して、「本来の自分」と出会い、豊かなクリエーションとイマジネーションの世界を体験していただけたらうれしいです。
☆♡☆♡☆♡☆♡☆♡☆♡☆♡☆♡☆♡☆♡☆
■内容 (状況により変更する場合があります)
☆リラックスブリージング&イメージブリージング(誘導瞑想) ☆マインドフルネスイーティング(アートワーク) ☆内なるメッセージを受け取る(アートワーク) ☆過去を旅する(誘導瞑想)
★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆
■日 程:9月30日(土) ■時 間:13:30ー16:30 ■定 員:8人限定 ■場 所:渋谷区勤労福祉会館 和室(1・2) ※入口の表記は「サステナ塾」となっています。
■持ち物:筆記用具 ■受講費:通常8,800円のところを 特別期間価格 5,500円 消費税・材料費が含まれます。
※チケットのお申込みとお支払いは「peatix」よりお願いします。 https://peatix.com/event/3668867/view
☆セミナー終了後、近くのカフェで懇親会をおこないます。 ぜひ、交流を深めていただけたら嬉しいです! ※正式申込後のキャンセルはご遠慮いただいております ※やむを得ずキャンセルされる場合は、必ずご一報ください
■講師:森夕花 カングロ株式会社 取締役執行役員/ライフコーチ/マインドフルネスアート研究家
神奈川県横浜生まれ。尚美高等音楽学院卒業。京都芸術大学芸術学部卒業。1993年、ドイツの環境先進都市フライブルクに留学。自然と調和したライフスタイルを学ぶ。2002年より心と身体を癒すヒーリング・カウンセラーとして活動。2015年から企業のライフコーチとして、個人セッション、研修等を行っている。現在、ライフコーチの他、「大人のためのアート思考講座」「Philoarts研究会」「マインドフルネスアートワークショップ」「サステナ塾」「目覚めの瞑想会」など講座、ワークショップを中心に活動を行っている。 趣味は、声楽、読書、人間観察、そば栽培、瞑想。特技、人・動物の心を読む、直観力、探求。好きな言葉は、「自由」「日日是好日」「悠悠閑閑」
■【ダイジェスト版サービス動画】 ★既存の枠の限界ぎりぎりへ一歩踏みだす~アートシンキング スプリングセミナー20230316 https://youtu.be/u-8BgGK5Wpo
★なぜビジネスにアート思考が必要なのか?世界の見方を変えるアート思考/第16回Shock Coherent Innovation Club(SCIC)オープンダイアログ20221209 https://youtu.be/vFnykrdzwt4
★「センスオブワンダーとアート思考/真のウェルビーングを探究する」第5期ショック・コヒーレント基礎講座⑦(2022年12月6日) https://youtu.be/hMHQi2c87eM
■プライバシー保護方針: https://www.kanglo.co.jp/privacy.html
■主催:フィロアーツ研究会/カングロ株式会社 https://www.kanglo.co.jp 協力:SDGs超実践者委員会/イノベーションサロンZ/システムD研究会/ショックコヒーレント・イノベーションクラブ/セブラルメディテーションの会/HOOPS!/ザッポス研究会/サステナ塾
#アート思考 #アートシンキング #デザイン思考 #カングロ #森夕花
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影の大王が侵略をする理由
デルトラ王国、ドーン島など、物語の舞台となる土地の歴史については、作中においても、いくつかの情報が明かされてきました。 しかし、それらの地域の歴史には、侵略を企む影の大王の思惑や影響が深く関わっており、その統治者、住民の動きを見るだけでは語りきることができません。 そこで、今回は「勇者ライ」シリーズで明かされた影の大王の生い立ちや、影の王国の新しい情報をふまえつつ、過去から現在に渡るまで、そもそも影の大王はなぜ、そしてどのように侵略を行っているのかを考察します。 「デルトラ・クエスト」&「勇者ライと3つの扉」シリーズのネタバレを含みます。
影の大王の人間性
長い年月を経て、影の大王の人格は変化しており、また影の大王はもう人間じゃないんですが、まず本来どういう考えや個性の持ち主だったかということを簡単に振り返ります。 【影の王国建国前】 影の王国建国前の影の大王については、「デルトラの伝説」や「勇者ライ」シリーズに書かれているように、ドーン島のヴァレーンが後継者争いに敗れて追放され、領地を求めて海をさまよったあと竜の地へと流れ着きます。 この頃はまだ人間でしたが、兄弟の戦いに敗れて故郷から追放され、四人の歌姫の島では怪物を起こしてしまい、挙句トーラの魔法で竜の地の北方まで追いやられ、竜にも失せろ!と言われてしまうなど散々で、もともとねじれていた性格がますます歪んでしまいました……。 竜の地で受けた魔法での追放や、問答無用で竜に追い払われるといった仕打ちは、衰弱していたヴァレーンにとっては泣きっ面にハチ。さらに、ヴァレーンが山脈に引っ込んでも竜からの妨害は続いたため、竜の地への執着と逆恨みを募らせる結果となってしまいました。 【影の王国の誕生】 影の大王と名乗りはじめたヴァレーンは、おそらく竜トカゲの卵と竜の卵を勘違いするといった凡ミスをやったりもしてしまいますが(竜に詳しいドランにとっては、よっぽどマヌケでないと間違わないようなものらしい)、ただでは起きません。北の山脈で力を蓄え、ピラ人をまんまと追い出すことに成功します。 ドーン島に帰ることもできないので、それまで竜の地とピラ、ふたつの土地のすきまで暮らしていた影の大王ですが、ようやくまとまった領地を手にして、思うままに邪悪な発想を開花させていきます。 影の大王は何がすごいって、アイデアマンなんですよね。特に生命科学方面に強い関心を持っており、領地を手に入れるとすぐ、人造人間や動物の改造に取り組みはじめます。 影の大王は、元ピラの地だけじゃ飽き足らず、竜の地侵略にも再び取り組みはじめます。 影の大王が竜の地を狙う理由は、個人的な復讐心がもとでもありますが、デルトラの豊かな鉱物資源、大きな船が出入りしやすい南の湾に大きな魅力を感じるといった戦略的な理由もあったようです(『竜の巣』p.62)。
侵略したい理由
「勇者ライ」では、3度目のデルトラ侵略の打開策を探していたことが判明した影の大王ですが、彼がなぜそこまで領土の拡大にこだわるのか考えてみます。
影の王国は寒すぎ?
全貌が謎に包まれている影の王国ですが、影の大王自身によるデルトラについての考えをふまえると、影の王国側の海域は何らかの理由で船の出入りがしづらいか、影の大王にとっては魅力を感じない地域なのでしょうか。
地続きのデルトラも、ヒラ平原より北は冬になると寒さが厳しいです。アディン軍が影の大王軍を打ち破れたのも豪雪のおかげで、例年はあそこまで降らないにしても、北部は冬のあいだ雪が降る程度に寒いと思われます。ですから、それより北にある影の王国はもっと寒いはずで、下手したら冬季は港が凍るか、年中それなりに寒いのかもしれません。
またピラの地は、ピラ人の魔法で美しく保たれていましたが、魔力が薄れると、影の大王の力のせいか緑も枯れ果ててしまっています。リーフたちが潜入した国境付近も、草木の生えない荒地や無機質な工場が立ち並ぶ土地になっていました。
影の大王は、良い評判を立ててヒトを入植させようとか、捕虜を取るにしてもうまいこと定着させようといった考えははじめから持っていません。人造人間を作れる力を持っているから小うるさい人間などいらない、といった彼の性格ゆえの理由が一番大きいのでしょうが、もしかしたらピラの魔力がない素の国土の大半は、寒すぎる上に肥えた土地もなく、人も生き物もろくに住めそうにない環境なのかもしれません。
また、ロッダバース世界で現在明らかになっているのは、デルトラを中心とした南側ですが、もし影の王国より北側に陸地があっても、寒すぎて南側ほど暮らしやすいところではないのかも。
近所は侵略しつくしてしまった?
影の大王の悪名は、直接侵略したデルトラだけでなく、出身地とはいえ南方のドーン島まで轟くほどのもの。影の大王の全所業は謎ですが、おそらく、デルトラだけでなく各地を脅かしていそうな感じです。
デルトラが二度か三度か影の大王を追放できたことは快挙らしく、生半可な守りではピラの地のようにあえなく攻め落とされてしまうはず。
不憫なことに影の王国に面してしまった北の島々があるのかわかりませんが、そこがどうなっているのかはあまり想像したくないことです。
住民を労働力として扱おうという考えは一応あるみたいなので、侵略したからといってすぐさま滅ぼすわけでもないのでしょうが、いい感じの島を長々放っておくようなのんびり屋ではないし、逆らう者がいれば全滅させるのもなんとも思わないでしょう。
デルトラには、影の王国本土の情報しか伝わってきていないみたいでしたが、影の王国岸の島々があるとすれば、まともに独立を保てている島が一体いくつあるのか……。
航海技術の問題
そういうわけで影の大王は、デルトラか、デルトラを踏み台にして行ける南部の島々くらいしか侵略したいところがもうないのかも���れません。
影の大王は、ドーン島にも並々ならぬ怨念を抱いていましたが、フェルの民の守りが効いていたため上陸することができず……。その間、ピラの地を征服し、デルトラの侵略を行いました。
その後フェルの民が絶滅したことから影の大王はドーン島へ上陸することができるようになり、デルトラ再々侵略のためにもドーン島占領を本格化させましたが、本当のところはデルトラを中継地点にして南部の島々へ行けるようにしてからの方が、より効率よく侵略できる(嫌な表現)のではないかと思われます。
叶いはしませんでしたが、16年半かけて占領下のデルトラを安定させた影の大王の次なる野望は、南の海の向こうの征服でした(『沈黙の森』p.118)。
影の大王の力も有限
強大な力を持つ影の大王。影の大王の力があれば、どんなに遠くても安定して航海できる乗り物を作ったり、果ては空まで飛んだりできそうなものですが……。
先述したように、影の大王の思いつきは、生き物の身体に手を加えたり、生物兵器を作ったりなど、生命科学方面で突出しています。自然にあるものに手を加え、おぞましくして利用するのが影の大王流です。
裏を返せば、無から有を作り出したり、自然のものを魔法で増やしたりすることはどうもできないみたいで、影の大王が生み出すものにはいつも相応の原料が必要です。
侵略を望むこと自体は、影の大王自身の膨れ上がった支配欲と自己顕示欲ゆえでしょうが、それを実現しようにも、デルトラなどの土地を手に収め、資源を増やさない限り、これ以上勢力をつけようがないという切実な事情(?)があるのかもしれません。
まとめ
影の大王が侵略をする理由については、彼ならではの嫉妬深さ、執念深さ、物事を思い通りにしないと気が済まない性格などの事情も大きいと思われますが、『竜の巣』でも言っているように、影の大王なりに正当な事情もあるみたいなので今回はそちらを考えてみました。
次回は、影の大王が主体的に影響を与えようとしている、デルトラ王国の歴史と影の大王の関係について考えられたらと思います。
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【出典】
エミリー・ロッダ著、岡田好惠訳、「デルトラ・クエスト 1 沈黙の森」、岩崎書店、2002年
エミリー・ロッダ著、岡田好惠訳、「デルトラ・クエストⅡ 3 影の王国」、岩崎書店、2003年
エミリー・ロッダ著、上原梓訳、「デルトラ・クエストⅢ 1 竜の巣」、岩崎書店、2004年
エミリー・ロッダ著、神戸万知、「デルトラの伝説」、岩崎書店、2006年
エミリー・ロッダ著、神戸万知、「デルトラ王国探検記」、岩崎書店、2009年
エミリー・ロッダ著、岡田好惠訳、「勇者ライと3つの扉 ② 銀の扉」、KADOKAWAメディアファクトリー、2014年
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ネット制限かかったので半月くらいポケモンをしていた ブラックn周目、プラチナ初クリア、今ウルトラムーン
ブラックはなんかすっげえ皆がみんな多様性を尊重していて現代っぽいと思った
トレーナー立ち絵がいい 女主人公のSiri、ボール投げモーション、白衣キャラの白衣の裾 城への階段でのみ流れるBGMがやたら良すぎる
困った時はエルフーンちゃんのメロメロどくどくやどりぎ大作戦に頼る2xさいになっちゃった 最後のジムをこれで2タテしてすいません(最後の1匹のドラゴンテールでぶっ飛ばされた)
白と黒っていいよなって思うし、やっぱ白と黒っていいなって思うが、何となくゼスティリアの主題歌も聞いたりして白と黒をテーマにすると大体こうなっちゃうのかなと思った でも白と黒っていいよね レシラムは真っ白で素晴らしい ブラックシティ怖いのでホワイトもやりたいなと思った
一通りやってトルネロスも捕まえたしブラック2やるかと開いたら思い出がたくさん詰まってて2周目むりでした セッカシティの楽しく踊ってる4人の真ん中からスタートして雪にはしゃぎながら右に進むとダークトリニティがいた ショッピングモールとかメダルとか友達と遊んだりやり込み実績要素など盛りだくさんだった 再びそっと仕舞い込みました
・・・ じゃあプラチナやるかと始めたらめっちゃ途中でエイチ湖に行くためのロッククライムを探しながら止めてた あちこち行ったのちググって入手して旅を再開した 2年前ぐらいに始めたんだけど何故か集中力続かなくてちょっとやってはやめを繰り返してた気がする
���ナリオ中最後のギンガ団イベントの途中だったと思う 湖行って、トバ��のアジト行って、テンガン山行ったと思う 迷いながら山抜けて、破れた世界でやっとこさギラティナ捕まえた 大変だった アカギはどっか行ってしまい、自分たちは帰還 ナギサジム突破、リーグ挑戦(シンオウポケモンリーグのBGMまじで良すぎてヨスギシティ)何度か負けたりもしたけど最終的には回復アイテム使いまくってチャンピオンになれました
個人的な旅の思い出は別によくて…
トバリアジトのサターンの話、火山での他の幹部たちの話、ナギサの老夫婦の話、リゾートエリア郊外の本に囲まれ住む紳士の話、などです このせいでプラチナにドのめり込みしてしまい、ダイパリメセウスにかなりワクワクしています
~~~以下数日間の妄言~~~
ギンガ団の天才カリスマボスについて -これは発作だけどマヂ無茶苦茶合理的で頭よくてバトルも強いバリカリスマボスが最もセンチメンタルな理由で1人でどっか行っちゃうの本当に良いな (上のことを3日ぐらいうわ言のように何度も呟いてた)
-情報を集めていくうちにロトムの部屋って何!?になってこの時代に3DSのWi-Fi設定してみんなハッピーWi-Fiつうしんしてふしぎなおくりもの貰おうとしたけどDSのWi-Fiは終了していた
-ロトムと友達の話もそうとも取れる(男の子死んでる説も納得できてウオオー!となった)し、後作で匂わせしてるらしかったりポケマスが匂わせ暖かエピ出してるらしかったりあるらしいが、プラチナではどっか行ってそこで途絶えているわけでよってことを…
-マヂどこでどんな暖かエピを出してもどっか行った事実だけがここにあるの本当に美味美味(デリシャスデリシャス)だなと思うわけなの
-本当に、もしもどこかでわかりあえてたら…とか、慕う者が見つけてたりしたらいいナ…とかって無くて(ごめんなさい…)、起きたことと後に残ったことを咀嚼し続ける
-女幹部にはクソモテてて男幹部は一歩引いた感じなのクソおもろまで書いて親の期待の話というのもこんな漢字だったらどうしようと怖なってワロタ
-女幹部はアカギ様追いかけて破れた世界まで行っちまおうとしたり、男幹部は残った団の面倒を見ようとしたり金儲けを企んだりするの本当に良いよ
-あまり明確ではないが確かに形のある情報がそれとなくそれっぽく散りばめられてるのメチャメチャ良くて、各々が個人的に採用してる説を真実として話すのでマジで何もわからない
-リメイチュで触れられたり総括した何か出たりなのかもしれんけど、マジで皆々が見てるもの信じてるものバラバラで素晴らしい世界だなあと思いました
自分を含めた人々に何らかの印象を残して消えた人の痕跡を探すことが大好きなのかも
-森の洋館も他の色々も想像の余地が最も大事な気がするんでそんな感じに思うな 全てを知りたいけど全てを語られると納得できないかも…であり、心の荒んだ老害の犬なので新エピソードを語られても現在の制作陣のさ…みたいになっちゃうんだどうせ… (ナイーブタイム)
-ナタネ犯人説が真実になるのかもしれん…😨
-フロンティアを勝ち進むと出てきて、そのバトル漬けの毎日が「お前はいつか心のない世界で生きている」になるやつだたらどうしよう
-でもダイパであまり見えてなかったのをプラチナで目的や過去(やロトム関連?)をしっかりめにしたってことはその方向で行きますよで受け取っちゃっていいのか
-これを10年かかえてきた者たちがそこらじゅうにいたのかもしれんことが怖いよ
朝までウルムーンしちゃったときの寝言
-ほんまにロトムを見つけた少年が僕(だれ?)なら本当にそんなそんなひどいことがあるかよなんだが…、てことなのかもしんないできれば違ってほしい心理って…わからんが眠いから…
-だが、ずっと一緒なんだ!から数年たち、…、ということなら殴り書きのメモにも繋がるのか?… それもひどいが、それはきっとリメイク追加エピなどでロボットが出て来るじゃねえか
-ギンガ団支部がハクタイシティにあることもロトムが白帯の森の洋館にいることも謎のメモがあることも、なんもわからんし、なんもわからんな…
-ビルのロトム部屋に子供の日記と大人の欲が見える説明書が同時に置かれてる意味もわからんし、本物の人間の血の通った日記ならクソ怖いし販促用の絵本的に見るのが自然と思いたいんだよな
-唯一の暖かな拠り所が得体のしれないやつに奪われるとはになり苦しみ憎しみを感じる心の無い世界を作る目的のためその手腕弁舌で人を集めて最終的に1人でどっか行っちゃう話が完成してしまうのかもしれないが本当にいいのか?本当に?
夕方の考え事
-実際に動いていたボスがどっか行ったので団の頭に取って代わろうとした爺さんがその場の悪事で連行されたのおもろけどロト僕モーターが絡んでおるのだったらマジクソオモロイということになってしまうんだよな
-欲深おとぼけじーさんがつれてかれちゃった!みたいに流れていたが、場合によってはささやかな因果の応報になったり、そのおとぼけと欲とで、そのおとぼけと欲とでよオ!!みたいにもなるんだよな 多分…
-ポケマスではプルートとザオボーが仲良くしてたりするんか?
-金を稼ぐぞい!で、拠り所を奪われた少年がいたことになるかもしれないそんな不安定な世界で生きているのか 俺たちは
-そうして懸念や不安を広げて遊んでると自分の参照してる脳内の情報って現実のものだったっけ…てなってくる 私には何が見えてるんだ?
名前など
-普通に立ち位置的に考えタラ太陽だけどまあトウダイグサなのでそれかあと置いといたら海外名普通に太陽なのか〜い ぎ、銀河の赤?、…?
-幹部の名前のエッセンスを集めようとしたが現実の神話とか花言葉とか深入り過ぎちゃうと外の理屈になっちゃうので… モチーフなどからそれらしい要素を見つけられると楽しくなるけどキャラクターその人そのものの印象を一番大事にした方がいいのかもと思うようになってきた 他でも調べすぎて同じところに行き着くことが多いので…
シンオウ神話
-ギラティナってなんなんだろうな 暴れ者ゆえ追い出されたがって神話ポケからて認識普通にしてたが神話民話の残り具合のこと思うとなんかそんな想像も出来るのか
-創世神話に欠片も存在見えないの謎で、そも混沌から卵で分身でというのが人の神話なのでそこまで事実として信用はできなく(ゲムーなので素直に事実とも受けれるが)心が時空を内包したり物作ると心が云々もあり実は三角囲う3匹が一番スゲんじゃねえの説をもってる 夢のエネルギー!
-人間編纂歴史抹消説的には怒るな??が来るぞにギラティナ当てはめることできなくもない マア怖い側面あるやつ全部入れれるし祝福のほうにもありがたそうなやつ全部入れれるし、…、例えばミオシティはシンジ湖に近いので感情ポケモンに絡めた戒めごとなのかもしれん 民話ってそんなもん
-創世神話が真として、送りの泉の儀式やってるうち現実の怖い話みたいに人々の畏怖や信仰からギラティナが生まれてても、アツい!
-追記 ディアルガパルキアと同時に生み出されたらしいとシロナさんが言ってました
-マジで自分の想像力に自信ニキすぎて冥王イメージであり追加されたプルートが示唆補強にしか見えないな 赤と黒と灰色がカッコよく、更に金色もあしらわれカッコいい
-アルセウスは宇宙とか銀河そのものってことなのか?
などのこと10年前からの常識だったのなら恥ずかしいけど当時マジでなんだこれ!?6本足!?何!???しかなかった子供がギラティナについて自分なりの見解を自分なりに発見したんです…
夜中こっそり布団でゲームしてて何も知らず洞窟さまよってこれが出てきた時の当時の子供の気持ちになって恐れ慄いてる
これは泣いちゃうだろ
俺の連想力はすごい2021
シンオウ研究家になりたい
他シンオウ雑記
ダイパの殿堂入り後チャンピョンロード横道路ってマヂベリーグッドロケーションだなと思うな
ヨスガの素晴らしさ 子供から老人までの人やポケモンに優しく、街全面が美しく舗装され、ポケモンとのびのび触れ合える自然公園があり、各々の思想を持った人たちの集う静かな建物があり、大好きクラブがあり、コンテストがあり、ジムがあり、なんだか素敵な音楽が聴こえてくる街
街や道路の音楽ってその場所の雰囲気とか空気じゃんとたしか以前ヨスガ歩いてる時BGMに感動してから思うようになり(多分そうだった気がするけどわからない、全部夢かも…) そんな他のどこかの空気や色が介在しない無音の建物
シンオウ地方どこ歩いても素晴らし素晴らしミュージックが流れるので本当に素晴らしい場所だなと思う
ド僻地に人付き合いが面倒になってロッククライムないと来れない場所に住んでる人がいて俺か?ってなった
俺です
俺!?
!?
ギラティナ捕まえたら無邪気なせいかくでかわいかった
日に日にかわいさに磨きがかかっていくギラティナ
-ダイヤ/パールの補完しあう隔たりとかプラチナの包括的隔たり
-ハクタイの森と森の洋館のそれぞれや音楽が扉一枚で隔てられてるのもなんかすごい気してきた -どちらとも象徴的で、どこで流れてもチカラが強く、そのゲム内初聞きになるであろう場所両方、神性とホラーは紙一重的に受け取ろうかな まんげつじまに訪れて胸がキュ〜…っとなった
-ハンサムに謎に感ずる異物感最後まであったけど出てき方が猫騙し感?あるからなんかな こっちで話をしてるのぶった切って容疑者を連れて行ってしまう bwでも 動き方?が世界にいる他のキャラと違う感じがする 別の地方の人だからってだけかもしれない
hgssだけどシント遺跡のムービー好き���カッコいいので…
…以上シンオウについてのことでした
ほか他作品のことなど雑記 ほかほか
XYもやりたいが手元になく(思い出と愛着のせいでデータ消せなくなったのでいっそ手放した気がする…)エックスやってたんで今度やるならワイやりたい 多分1周しかしてないのでストーリはよく覚えてないけどクノエとかヒャッコクとかエイセツとか結構好きな地方だったんだと思う ミアレシティに100時間くらいいたような気がする…
ウルトラムン わかりやすく歴代ボス大集合編目当てで始めたけどリフレや各地にいる触れ合えるポケモンかわいすぎてでれでれになってしまう ロックルやゴッドハンド萌えすぎる サニーゴむっちゃかわいいよね、歩き方とか…
なんというか苦手なノリはちょっと所々あるんだがそれはそれとして島の陽気さとそれに隠れた暗いところ良かったよなとか思い出しながら 信仰とか空気(人間の集まりが発生させるものとしての)とか地域に根ざしたものっていいよね…
グズマ戦が楽しい がくしゅうそうちつけっぱなのでパーティ育ちすぎちゃう節があるがそんな中で毎回かなりの歯応えがある
サンムンはむっちゃストーリーゲームって感じがする
ロトムが飛び起きて変なおじさんに改造されかける夢見たロト〜みたいなこというの超怖かった 最初の鳴き声がケテ…なのも怖かった 怖い!!怖いよ~!!
ダイパリメイクとかアルセウスの予想とか考察しても楽しそうだけど発売待つ方がはやそうだし他のことしながら楽しみに待つことにした
ゲオでご自由にのパンフ貰ったけど連れ歩き出来るんならそれだけでオッケーだなと思った もしカメラ操作とかできるならテンガン山からシンオウ地方見渡せたら素敵だよね… 森の洋館やポケモン屋敷の像の造形がより詳細になってたら怖いね…
これアプロードしたら公式サイトとかPV見るぞう
-今この項を書いてるのはウルトラメガロポリスから帰って最後の試練途中の私なのですが、サンムンをあまり覚えてないので自信はないが確かに感じる強烈な違和感に具合を悪くする、時差ボケのようなものか?、異世界ならまあそうなのか…などがすごかったです 妄言が溜まったり気が乗ればウルトラもまとめるのかも ネット制限明けたんで色々見たりやったりします おわり
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unforgettable memories
最近読んだ「私」を生きるための言葉―日本語と個人主義の中で、 「体験」と「経験」の違いについて触れられていて、 ふと一人でサンフランシスコに遊びに行ったことを思い出した。 それまでにも何度か一人で海外出張をしたり、上司に同行した出張の滞在先でも一人でふらっと街をぶらついたり、海外に限らず国内でも車を走らせていろんな場所に一人で訪ねたりしてた。 見知らぬ土地で誰も頼る人がいない状況で自分の足で歩き、考え、行動することで得られる学びは本当に大きい。 誰かと行動を共にするとそれはただどこそこの国に行った。という体験で終わるけど、一人で行くとありとあらゆることから学びが得られてそれが全て経験になる。
そうそう。サンフランシスコに行った時は人生初めてのアメリカでした。 しかも憧れの西海岸。2018年の年末の冬休みで、海外出張行きまくってたまったマイルを全部はたいて、航空券かなり安く買うことができて本当にラッキーだった。 そう考えると年越しを海外で過ごすのも初めてのことだったな。 往復の移動も含めて大体1週間くらいの旅だったけど、 本当に色々なことが起こって毎日刺激的だったし、あの旅での出来事は一生忘れることないと思う。体感では1ヶ月滞在したくらい濃かった。 一人で旅してるといろんな人が話しかけてくるのも驚きだった。 アメリカだからなのかもしれないけど、みんな親切で一人で居ても全然寂しくないし、あんたの好きなように生きてOKなんだよっていうのが、街ゆく人とか街全体の雰囲気から伝わってきてハッパは吸ってないけど毎日ハイだったな。。あの時の私は人生怖いもの無しだった。
これはPebble Beach 17 Mile Driveで撮った写真。 サンフランシスコからモントレーに向かう途中、安いモーテルで一泊したんだけど、その宿から車を30分くらい走らせた場所にあったドライブコース(有料) このエリアにはゴルフ場とか別荘?もあってとても綺麗に整備された区域だった。 朝早い時間に行ったら、ゴルフ場の芝生から立ち上がる水蒸気で周囲にまだうっすらと霧が立ち込めてて、遠くには白くて可愛らしい丸みを帯びた石がゴロゴロしてる浜が見えて、海が穏やかに波うっている。 鳥も餌をもとめて集まってきたりして、なんて平和な風景なんだと車を停めてしばし黄昏モードに入ってたな。 その後ドライブコースを走るんだけど、これがまたどの道のどの風景を切り取っても絵になる素晴らしい景色ばかりで2周はしたよね。 ドライブ好き+自然好きには本当に堪らない場所です。 その後は水族館に行ったり、水族館の前で通りすがりのおじいちゃんが写真撮ろうか?って声をかけてくれたり、家族連れで来てたであろうお父さんが駐車場のチケットまだ使えるから。って無料で譲ってくれたり。 サンフランシスコ大好きだー!って叫びたかった。
さらにモントレーから南下してBig Surへ。 これはBig Surにあったベーカリー屋の庭ですね。 ただのアロエですらこんなにオシャレに見えるのはなんなんだ!と思って撮った一枚。 ここのベーカリーもスタッフがみんなヒッピーみたいなオーラを放っていて、 正直ここにいる時が一番疎外感を感じたかもしれない。 ローカル臭が強すぎて、完全に私よそ者ってのがバレバレで。(隠してるわけではないけど) ここで買ったベーコンが挟まった甘いクロワッサンが衝撃を受けるほどのうまさでこれはもう一度食べたい。 Big Surは地元の人からも人気の観光エリアなんだけど、次いくときにはもっと堪能できるようにリサーチして行きたい。 森の中でキャンプとかできたら最高だな。 Big Surを楽しんだ後は西海岸線をずっと通っている101号線を北に、サンフランシスコのダウンタウンへ戻り、アメリカいく前に東京で知り合ったJoshに会いに。 彼はサンフランシスコの高層ビルが立ち並ぶ通称FiDi(Financial District)にある仮想通貨を取り扱うスタートアップでエンジニアとして働いていて、 日本の大学にも留学したことがあっていつかはまた日本に戻りたいって言ってたな。今頃元気にやってるかな。 サンフランシスコのど真ん中で働いていても、今の職に就くまでは経済的に本当にきつかったみたいで、エンジニアのかたわらUberのドライバーとして生計を立ててたらしい。 その車もまたオンボロで助手席の扉は外側からは開かないので、運転席からドアを開けないといけない。 彼が住むアパートは郊外にあるけど、部屋はルームシェアで6畳くらいのベッドルームに住んでたな。 いつの間にかJoshの話になってしまったけど、とにかく彼はナイスなので、滞在中何度か会って遊ぶ時は本当にいろんな話をしたな。世代もちょうど同じくらいだった。
これは12月31日の最後の夕日だったと思う。 太平洋に沈んでいく大きな太陽。 空がオレンジ、ピンク、パープルの混ざり合ったなんとも言えない色に染まって こんな夕日見たことねぇぇぇってずっと感動してた。 1月1日はどこもお店が閉まってて、Joshと二人でIn-n-Outでハンバーガーを食べたんだけど、道中もオンボロ車のステレオでレッチリとかブリンク流して最高に青春だった。 あんな青春は二度と戻ってこないんだろうなと思う一方、作ろうと思えばいつでも作れるなとも思う。いくつになってもね。 けどその時間を共有したい、一緒に作りたいと思える相手がいるかどうかは別の話だけど。 振り返ってみると一人で旅をしたからこそ出会える人がいて、共有できる時間があった。 この時は「私」を生きるための言葉―日本語と個人主義に書かれている、 「世間」とか一切感じることなく、出会う人全てと一対一の個人としての関係を築けたと思う。 写真撮るときに声を掛けてくれたおじいさんも、駐車券くれたお父さんも、 レンタカー返す時ガソリンなくて焦ってた時に助けてくれた女の子も、 パン屋の横で話しかけてくれたおばあちゃんも、本屋で話しかけてきたおじさんも、ラーメン一緒に食べに行ったカイルも、バーに連れて行ってくれた男の子も(名前忘れた) そこで話したこと、見たこと、聞いたこと、感じたものは全部誰のフィルターも通っていないリアルなもので、こうやって経験したことは何年経っても色褪せないし、しっかり記憶に刻まれる。 誰かと一緒に行動を共にすれば、少なからずその人の影響を受けるから、 本当に私個人として感じたことや経験したものとは少し離れてしまうように感じる。
今後こういう瞬間がどれくらいあるかはわからないけど、 自分の生きたい道を歩んでいれば自ずとその瞬間に出会えると思う。 「私」を生きるための言葉―日本語と個人主義ここに書かれていることは、 私が日々感じていることに本当に近くて、少しでもこういう意見を持つ人が増えたら世の中もっと楽しくなりそう。
#san francisco#california#big sur#monterey#westcoast#memories#well-being#meaningful life#tbt#pebble beach
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