#日本の食文化を一同に取り揃えています
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【効果が示されている民間療法】
●ハチミツ
1歳から18歳の小児を対象とし、ハチミツの咳に対する効果を調べた6つの無作為化比較試験(RCT)を解析したシステマティックレビューが紹介されています。
それによると、ハチミツを1回につき2.5-10ml(2-5歳は2.5ml、6-11歳は5ml、12-18歳は10ml)を寝る前に摂取すると、咳の軽減と睡眠の改善に効果を示し、その効果は鎮咳薬であるデキストロメトルファンと同等であったと報告されています。
そのメカニズムですが、粘膜の保護作用、保湿作用、鎮静作用によるもの、という論調が一般的ですが、はっきりとしていない点も多いようです。
ハチミツは、ほとんど副作用がないことが大きなメリットですが、腸管免疫が十分に発達していない1歳未満の乳児に対しては、ボツリヌス感染症のリスクがあるので勧められません。
●亜鉛
17のRCTを解析したメタアナリシスが紹介されています。
それによると、成人の風邪の患者が、発症から24時間以内に、酢酸亜鉛またはグルコン酸亜鉛のトローチを1回4.5㎎から23.7㎎を2時間おきに服用すると、風邪症状を平均1.65日短縮することが示されていますが、小児に対してははっきりとした効果は示されていません。ただ、トローチ製剤は、錠剤やシロップ製剤に比べて味覚の異常や嘔気などの副作用が多いと報告されています。
亜鉛には、免疫細胞の活性化したり、炎症を抑制する働きがあることが報告されていますが、日本人のほとんどは、潜在的に亜鉛欠乏と言われています。日本では、亜鉛サプリが複数販売されていますので、場合によっては、サプリを日頃から有効的に活用してもよいでし���う。しかし、論文にあるように、1回23.7㎎を2時間おきに服用すると、1日の摂取量の上限(40~45mg)をはるかに超えてしまうので、注意が必要です。
【まだ効果がはっきりしない民間療法】
●ヴェポラッブ
日本では、ヴィックスヴェポラップとして販売されています。カンフル、メントール、ユーカリ油が配合されており、首や胸に塗って使用し、その成分を吸入すると、咳や鼻閉を緩和するとされています。
2歳から11歳の小児を対象とした1つのRCTでは、1回につき5-10ml(2-5歳は5ml、6-11歳は10ml)を首や胸に塗ると、何もしない群に比べて、鼻閉(鼻汁を除く)、咳の頻度や強さ、睡眠障害を有意に緩和し、このうち、咳の強さと睡眠障害に対しても、プラセボ(偽薬)群に比べても有意に症状が緩和(睡眠障害は子供だけでなく親も)することが示されていますが、まだ、多くの研究結果を解析するために必要な十分なデータが揃っていません。また、目、鼻、皮膚に対する刺激感が強く、その忍容性には個人差があるようです。
●鼻洗浄
上気道炎の6歳から10歳の小児に対して、生理食塩水(3ml-9ml)を点鼻して症状の変化を調べたRCTでは、鼻汁、鼻閉、咽頭痛などの症状の緩和、鼻炎薬の減量効果が示されていますが、まだ、多くの研究結果を解析するために必要な十分なデータが揃っていません。
●ビタミンC
7つの臨床試験を分析したメタアナリシスでは、ビタミンCの風邪症状に対する有意な治療効果は示されていません。
●加湿器
6つのRCTを分析したメタアナリシスでは、加湿器の風邪症状に対する有意な治療効果は示されていません。
●中医学(中国)の薬草治療
17のRCTを分析したシステマティックレビューでは、中医学の薬草治療の風邪症状に対する有意な治療効果は示されていません。
第167話 新型コロナウイルスに備えるために-風邪に対する民間療法-やまと在宅診療所あゆみ仙台
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2024年7月13日(土)
![Tumblr media](https://64.media.tumblr.com/0faa5016179962fa3eca9543d1ad21f4/5c042acec4cfe2e6-cd/s540x810/3504cefb7a8645f71bcfba889f19e1a06a326237.jpg)
三重県紀北町・奥川ファームから隔週に届く定期便、今日も無事にやって来た。いかにも夏らしいメンバーだが、珍しいのは<茎漬け>、八頭の茎を塩漬けして紫蘇で色づけたものだ。これは紀北地方の郷土料理、夏の暑いときにこれと鰹の生節を一緒に頂くとご飯がすすむのだ。おまけで私の好きな<伊勢うどん>も同梱されている。奥川さん、いつもありがとうございます!
![Tumblr media](https://64.media.tumblr.com/9ed3b47955b959e47e54110bccdca9aa/5c042acec4cfe2e6-03/s540x810/2c2c914cee266a991384729f99307cdc1024173f.jpg)
3時45分起床。
日誌書く。
二度寝。
5時起床。
体重、600g増。
週末なので、CleanMyMacX で Mac Mini をスキャンする。
![Tumblr media](https://64.media.tumblr.com/cbeb6bc9b4c0b701b09885ddcb64dcf3/5c042acec4cfe2e6-82/s540x810/55d362a8397b941edef9b65c77b996d56c8eea55.jpg)
お蕎麦がなくなったので、朝食にはうどんを頂く。
珈琲。
洗濯。
奥川ファームの定期便、初物の小さな西瓜が入っている。
きゅうりのしょうゆ漬け仕込む。
酢卵仕込む。
唐辛子酢仕込む。
枝豆ゆがく。
![Tumblr media](https://64.media.tumblr.com/8e972074955051da769d01540d768d2c/5c042acec4cfe2e6-0e/s1280x1920/fbaf7b60a7457c6f825783e42cebfe956219ffa0.jpg)
<天満大阪昆布>から、夏の味!ボリュームセットが届く。毎年のことだが、いろいろ入っていて楽しい。
クロネコが集荷に来てくれる、<もったいない本舗>への段ボール5箱を渡す。
<ゆうちょ銀行>からMQJへの問合せ、<人格なき社団>を証明しなければ口座を解約するとのこと。会則や会計報告、議事録などを揃えて返送する。締切は先週末だが、何とかなるだろう。
![Tumblr media](https://64.media.tumblr.com/812561d86468dd57576e3aef1c0c16f2/5c042acec4cfe2e6-69/s540x810/736190d7dc1c4e8bc4485dfd07430bc1f33a890b.jpg)
ランチ、息子たちには素麺、私たちはツレアイが冷蔵庫の残りものをシチュー仕立て、届いたばかりの奥川ファームのパン+🍷。
録画番組視聴、刑事コロンボ。
第17話「二つの顔」/ Double Shock 富豪クリフォード・パリスは、トレーニングと健康管理に熱心で、孫のように若い女性と婚約していた。ある晩、彼の甥で料理研究家のデクスターが結婚祝いを言うためにクリフォードを訪ねた後、再び現れた。入浴中のクリフォードに対し、突然ハンドミキサーを取り出し浴槽に投げ込んだ。
ツレアイはあちこち買物へ、私は午睡。
![Tumblr media](https://64.media.tumblr.com/a6fe0df7d4a1cfc567fd62f37a2f0ac0/5c042acec4cfe2e6-97/s540x810/1259b13774fa2ed72107b95c54e9ef1f5ea0861f.jpg)
セントラルスクエア花屋町店で猫砂・介護食、コレモ七条店で鶏もも肉・うどん。
クロネコが先日地球洗い隊に注文した<夏の福袋>を届けてくれる。
ゆうパックが、びーんず亭の珈琲を届けてくれる。やたら配達の多い日だ。
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夕飯、豚バラ肉と残り野菜の蒸し煮・鶏もも肉とピーマンの甘辛煮・レタスとトマト・きゅうりのぬか漬け。
録画番組視聴、刑事コロンボ。
第18話「毒のある花」/ Lovely But Lethal ビベカ・スコットが社長を務めるビューティマーク化粧品は、「ミラクル」という皺取りクリームの開発に成功した。これでライバル会社のラング社を出し抜けると喜ぶビベカだったが、「ミラクル」のサンプルをラング社に持ち込まれた、という情報が飛び込んでくる。
残っていた日本酒を片付けたので、あっという間に睡魔到来。
![Tumblr media](https://64.media.tumblr.com/00276ea5dd99499dd64ecbd46ad8cca7/5c042acec4cfe2e6-8d/s540x810/ba3b201dbff323aaa049ceb9ebe1586b01d50f5c.jpg)
歩数は届かないが、辛うじて3つのリング完成。
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★2024年読書感想まとめ
2024年に読んでおもしろかった本の感想集です。寝て起きると昨日のすべてを忘れてる……っつう繰り返しで日々一切が過ぎていくので、一年の記録をひとつにまとめとくのもいいかなと。以下ざっくばらんに順不同で。ちなみにNot 新刊、ほんとにただ読んだもの��感想です。
◆◆小説◆◆
●アンナ・カヴァン『氷』(山田和子訳・ちくま文庫) 巨大な”氷”の進行によって全世界が滅亡の危機にさらされるなか、男はヒロインたる”少女”をどこまでも追い求める……。もっとゴリッゴリにスタイルに凝った幻想文学かと思って足踏みしてたのですが、こんなに動き動きの小説とは。意外なほど読みやすかったです。唐突に主人公の夢想(?)が挿入される語り口も最初は面食らったけどすぐに慣れたし。内容はウーン、暴力まみれの病みに病んだ恋愛小説という感じ? 構成の一貫性とかは疑問だったりしたんだけどそのへんはどうでもよく。後半尻上がりに面白くなっていくし色々吹っ飛ばす魅力があってかなり好きでした。 それと解説に書いてあった「スリップストリーム文学」というのがすなわち自分の読みたい小説群だなーという嬉しい発見もあり。つってもジャンル横断的な定義だから、該当するものを自分で探すのはムズいけどね。
●スタニスワフ・レム『惑星ソラリス』(沼野充義訳・ハヤカワ文庫) 何年も謎に包まれたままの海洋惑星に降り立った主人公が遭遇する怪現象の正体とは?……っていう超有名なSF。「実はこの海は生き物なんじゃね?」がオチだったらどうしよう……と思ってたけど杞憂、それは出発点に過ぎませんでした。途中に挟まる惑星ソラリスの(仮想)探険史の部分がすごく面白い。あとはこの小説のまとめ方はちょっと神がかってると思う……。自分はSFは全然明るくなく、ちょっと異様な感触みたいなものを求めてたまーに手に取るぐらいなのですが、その点この本はほんとにセンス・オブ・ワンダーを味わわせてくれて良かった……。SFオールタイムベスト1とかになるのもむべなるかなぁと。
●庄司薫『赤頭巾ちゃん気をつけて』(新潮文庫) 東大紛争終息直後の1969年を舞台に、あれこれ思い悩む男子高校生の一日を描いた中編。自意識過剰気味の饒舌な一人称文体が特徴で、すごくユーモラスだけど主人公がかなりナヨナヨした人物にも見える……。でもその中から、外界の強烈な変化に対してありのままで居られない精神の揺れみたいなものが浮かび上がってくるところがおもしろくて、確かに青春小説の名作かも……と思いました。 リアルタイムにはどうだったか知らんけど、今の眼で見るといわゆる”1968年”以降の状況とか、70年代カウンターカルチャー的な空気の”乱暴さ”に対する、一見弱々しいけど切実な返歌って感じもしました。 もっとも読み終えてから、この小説をあえて政治的な色で塗るならいわゆる”保守反動”的な感性に分類されるのかなぁとかはちょっと思ったけど。しかし、リベラルにあらざれば人にあらずみたいな価値観こそ断然間違ってるしなぁなどと、ひとりで勝手に問答したりもしました(笑)。それに現実的にはそんな二分法で単純に分けられるもんでもないだろうし。なんとなく「その時代の作品」という感じなのかと思ってたけど、今読んでも全然おもしろかったです。
●フランツ・カフカ『審判』(池内紀訳・白水uブックス) 理由も分からないまま突然逮捕された主人公が、裁判の被告の立場にずーーーっと留め置かれるっていうお話。何ひとつ確かでないものに延々振り回され続ける理不尽が、ときに笑っちゃうほど面白く、逆に陰惨すぎるくだりもあったりして、総じて非常に好みでした。バカバカしいけどブラックな不条理ユーモア小説? カフカって自分が漠然と抱いてたイメージよりもずっと大胆で、わりとアホなことをあっけらかんと書いたりもするのねーという発見がありました。このお話には裁判的なものの外枠と手続きのみがあって、そこに「法」はないのでは? というふうに読んでたのですが……。終盤の「大聖堂にて」っていう章が凄かったです。
●スコット・フィツジェラルド『グレート・ギャツビー』(野崎孝訳・新潮文庫) ニューヨーク郊外に暮らすギャツビーという名の大富豪の生き方を、たまたま隣に住んだ青年が垣間見る、みたいなお話。ストーリーそのものはわりとベタだと思うんですけど、それを語る会話パートの書き方の巧さと、ドラマの合間の地の文が醸し出すほどよい叙情性がすばらしい。純粋ゆえの虚飾、虚飾ゆえの純粋さみたいな、テーマの核心部分にもちょっと飛躍があって面白いなーと。この短さの中に、アメリカっていう国の一断面をパチリと切り取ってる感じがするのもまた。ひとことで言うと絶品でした。英語圏小説のランキング上位に入ってるのもむべなるかなぁと。
●三島由紀夫『仮面の告白』(新潮文庫) この人の長編はあんま肌に合わないかも……と思って敬遠してたのですが、初めて好きなものに出会えました。言わずと知れた一発目の代表作。同性にしか欲望を抱けない青年の葛藤を、韜晦まみれの絢爛たる文章で綴った青春小説。個人的には、いわゆる”ふつう”でない自分を露悪的に飾り立てるような自己陶酔を振りまきながら、でもそれは”ふつう”でない自分を守るための防御姿勢にすぎなくて、結局は苦々しい現実と向き合わざるを得ない……みたいな話として受け取りました。読み方合ってるのか分からんけど。前半が下地で、後半がその実践編(あるべきとされる自分との葛藤編)なのかな。特に後半のなんとも言えないみずみずしさとその帰結がよかったです。
●横溝正史『獄門島』(角川文庫) 初・横溝。瀬戸内海の小島で巻き起こる猟奇連続殺人事件に金田一耕介が挑む。事件の過程はわりとふつう……と思いながら読んでいきましたが結局かなりおもしろかったです。振り返ると1から10まで本格ミステリじゃなきゃ成立しないような物語だったなと思って。国内ミステリーベスト1になるのもむべなるかなぁと。
●筒井康隆『敵』(新潮文庫) 折り目正しく”余生”を送っている渡辺儀助の生活風景を描いた老境小説。章題が「朝食」「友人」「物置」などとなっていて、各章ではそのカテゴリーごとに儀助の暮らしが掘り下げられていき、その積み重なりから彼の老境が浮かび上がってくる、みたいな趣向。特に食生活に関する記述が多いのですが、自分がほとんど興味ないのもあって前半は正直重く……。しかし地盤が固まり「役者」が揃ってからの中盤以降がけっこう楽しく、終盤は圧巻! けっきょく御大はすごかった……。 的を射てるかは分からないけど、小説の語り口的にもかなりおもしろいことをやってるような。老主人公の生活が章ごとにあらゆる角度から掘り下げられていきますが、そこで語られてるのは「ここ数年の彼の生活のディティール」っていうフワッとした塊としての時間であって、実は小説内では「敵」関連以外ではほぼ全く時間が流れてないように思います。A→B→……→Zみたいに、出来事同士を順番につないでいくことでドラマを進行させていくのとは全然違う手法で物語を語っていて、しかもそれにかなーり成功しているような。もちろん類例はあるんでしょうけど、個人的にはとても新鮮な小説でした。
★★★総合しますと、いわゆる名作と言われてるものって確かによく出来たものが多い……っつうめっちゃくちゃふつうのことを思わされた年でした。というか単純に数を読めてないのよなぁ。
◆◆その他の本◆◆
●『石垣りん詩集』(ハルキ文庫) 石垣りんのテーマは、貧しさ、労働、生活の苦しみ、”女性”性、戦争、戦後の日本、生きること、殺すこと、食べること、それらもろもろに否応なく内在する「ここにあることの残酷さ」みたいなものかなと思いました。そうした感情を、ゴロッとした異物感のある黒いユーモアで表現している詩が自分は好き。婉曲的に表現された切実な慟哭という感じもします。特に「その夜」っていう、入院中の書き手が人生の孤独と疲労を歌う作品が凄かった……。こんなん泣いちゃうよ。 「詩」というジャンルに依然として親しめてないので、定期的に読んでいきたい。
●柳下毅一郎『興行師たちの映画史-エクスプロイテーション・フィルム全史-新装版』(青土社) エクスプロイテーション=「搾取」。リュミエールやメリエスといった黎明期の作り手にとって、映画は緻密に作り込む「作品」ではなく興行のための「見せ物」に過ぎなかった――というところから説き起こして、観客の下世話な関心を狙って作られた早撮り・低予算・儲け第一主義映画の歴史をたどった本です。 取り上げられてるのはエキゾチズム(物珍しい異国の風景)、フェイク・ドキュメンタリー、魔術&奇術、畸形、セックス、特定人種向け映画、画面外ギミック映画などなど。現代の一般的な価値観や、映画=「それ単体で完結した(芸術)作品」みたいに捉えるとどうなのよ? ってものばかりなのですが、あの手この手でお客の関心をかき立て、乏しい小遣いを搾り取ろうとする映像作家たちの商魂たくましい姿が垣間見られる楽しい本でした。 見せ物小屋的映画論というのはある意味もっとも俗悪でいかがわしい映画論だと思うんだけど、確かにそれって実写映画のもっとも本質的な部分ではあるかも、という気がしてしまう……。個人的には、画面外のギミックで客を呼び込んだウィリアム・キャッスルの非・純粋なる邪道映画のパートが特に楽しかったです。一点だけ、エクスプロイテーションという概念設定はちょっと範囲が広すぎるような気はしないでもなかったかなぁ。でもこれを元に、観られるものをちょこちょこ観ていきたい所存。
●氷室冴子『新版 いっぱしの女』(ちくま文庫) 『海がきこえる』などの少女小説で有名な作者が、ふだん思ったことを自由に書き綴ったエッセイ集という感じでしょうか。一見柔らかいけどその実めっちゃ鋭い切り口と、それを表現するしなやか~な筆運びに痺れました。1992年に出た本だけど、新版が出てる通り読み物として全然古びてないと思う。おすすめです。
●『精選女性随筆集 倉橋由美子』(小池真理子選・文春文庫) この方のシニカルさと毒気がもともと好き、というのはあったのですが、とても良かったです。それでも最初のほうはあまりに歯に衣着せぬ攻撃性がなかなか……と思ったりもしたけど、中盤の文学論、特に大江健三郎、坂口安吾、三島由紀夫に触れたエッセイがなんともよくて。”内容はともかく独自の語り口を練り上げた文体作家として大江を読んでる”みたいなことを確か書いてたりして、言ってることが面白い。積んでる小説作品も読も~という気になりました。
●吉田裕『バタイユ 聖なるものから現在へ』(名古屋大学出版会) すんごい時間かかったけどなんとか読めた本。フランスの怪しく魅力的な思想家、ジョルジュ・バタイユの思想を、彼自身の記述を中心に先行テキストや時代背景なども織り交ぜて分析し、一本の流れにまとめた総論本。〈禁止と違反〉とか〈聖なるもの〉とか、彼の提出したテーマが結局面白いというのがひとつと、それらを論じていく手つきの周到さ・丹念さがすごい。特に日記や著書のはしばしの記述から、バタイユが影響を受けた先人の哲学(へーゲル、ニーチェ、マルクスとか)や同時代の思想潮流(シュルレアリスム、コミュニズム、実存主義とか)の痕跡を読み取り、そこから彼自身のテーマの形成過程を立体化していくあたりは本当に息詰まるおもしろさ。重量級の本でしたがめっちゃよかったです。もっとも自分は肝心のバタイユ自身の本を『眼球譚』しか読んでないので、現状この本のイメージしか持ててないというのはあるんだけど。とりあえず『内的体験』と『エロティシズム』だけはどうにか読んでみるつもり。
◆◆マンガ◆◆
●ジョージ秋山『捨てがたき人々』(上下、幻冬舎文庫) いろんな意味で深ーい鬱屈を抱えた狸穴勇介(まみあなーゆうすけ)という青年が、新興宗教の信者である岡辺京子という若い女性と出会ったことで始まる物語。性欲と金銭欲を筆頭に、あらゆる現世の欲望にまみれた救われぬ衆生たちの下世話で深刻な人間絵巻、といった感じでしょうか。ふつうに考えるとまぁそこまではいかんやろ……という境界を軽々と乗り越えてくる常軌を逸し��展開がすごい。それと人間っつうのはホントにどうしようもない生き物だね~という気持ちにもさせられます。学生のときに買ったんだけど当時はつまらなくて挫折、自分にとってはあまりに読むのに早すぎたんだな……と今にして思いました。最序盤の伏線とかをきれいに回収し切ってはいないんだけど、この際そのへんはどうでもいいかなと。ここまで徹底的な方向へ流れていくならもう何も言えねえわ……って感じの終盤もすばらしい。 これが2024年に読んだものの中で一番面白かったです。
●小骨トモ『神様お願い』(webアクション)、『それでも天使のままで』(アクションコミックス) 両方とも短編集。子供のころや学生時代のイヤ~~~~~~~な記憶、それもおもに自分の弱さや性欲といった、一番目を向けたくない部分がどんどん脳裏によみがえってくる、えげつないけど得難いマンガでした。10代なんてまだまだ若いし人生これから! っていうのも本当だけど、それと同時に人生自体はとっくの昔に始まってて、けっこう多くのことは取り返しがつかないし人間の根っこの部分は歳食ってもそうそう変わりはしないっていう、しんどすぎるけど(自分にとっては)大切なことを思い出させてくれたところが何ともありがたかった……。お話の展開も総じてすんごいテクニカルな気がします。 それでも新刊の『天使』のほうが、『神様』よりほんのちょっとだけ優しさを感じる部分は多いかしら。
●吉田秋生『カリフォルニア物語』(全4巻、小学館文庫) 自分はおそらく作り手への愛とか感謝の念にはめっぽう乏しいほうで、何でも作品単体で眺めて、あーでもないこーでもない、ワンワンギャンギャン吠え猛ってしまう人間なのですが、吉田秋生だけは例外。何でも好き。丸ごと好き。読めるだけで幸せ。どのへんが琴線に触れてるのか正直自分でも分からないのですが、気になる部分があっても好きがそれを上回ってしまう気持ちというのは幸せだなーと思ったりします。 これは最初の代表作に当たるのかな。ニューヨークを舞台に行き場のない若者たちを描いた群像劇。彼女の描く、イタミやすい少年少女が自分は好き……。舞台はニューヨークなのに題名がこれなのもスマートでイカしてる。 もっともファンみたいに書いたけど、実は『BANANA FISH』と『海街diary』っつう一番大きいふたつをまだ読んでません。買ってはあるんだけどなんかもったいなくて……。でも2025年中には読もうかな。
●高橋しん『最終兵器彼女』(全9巻、ビッグコミックス) 部屋の片隅に長ら~く積んである『セカイ系とは何か』をいよいよ読むべく、『イリヤ』ともども手元に揃えてやっと読了。結���、あらゆる方向に尖りまくった傑作じゃん! と思いました。世界の崩壊に対して主人公2人の恋愛という、圧倒的に超無力なモノを対峙させ、理屈ではなくエモーショナルの奔流として無理矢理! 成立させた名作という感じ。まぁこの2人にほとんど感情移入できないほど自分が歳取っちまってることは悲しみでしたが、いい意味でのぶっ壊れっぷりが面白く。 それと自分はこれを読みながら、たまたま以前読んでいた米澤穂信の某初期長編を思い出したり。世界は刻々と変化しているのに自分たちは無力な青春の中で何もできないでいる、みたいなこの感じって90年代から00年代の日本独自の感覚なんでしょうかね……。ちなみに『イリヤ』はまだ1巻しか倒してませんが読みます。今年中にはきっと読みます。読み切ることになっています。
●梶本レイカ『悪魔を憐れむ歌⑤』 4巻までで連載が打ち切りになってしまったマンガを、作者ご自身が5巻を自費出版して完結させた作品、だと思います。 舞台はさまざまな腐敗に揺れる北海道警察管区。人間の四肢を逆向きに曲げて殺害する、「箱折犯」と呼ばれる過去の猟奇殺人が突如再開され、そこからふたりの男のウロボロスめいた運命の輪がまわり始める……。 出版形態のためかは分からないですけど、最終5巻はこれまで以上に描写のタガが外れてる感じで、それがすごい楽しかったです。1巻の出だしからはこんなとこまでフッ飛んでくる話だとは思わなかった……。それでいて猟奇殺人ミステリーとしてもなるほどーと思うところもあって。この方はすごい前に『コオリオニ』っていうマンガも読んだのですが、主要キャラクターをとつぜん突っ放す感じがこわい。けど面白い。お疲れさまでした。
◆◆補足◆◆
・安部公房もちょろちょろ読んだり。今のところは、異常どころかめっちゃ理知的なアイデア作家という印象なんだけどこれが覆ることがあるやいなや。 ・『めくらやなぎと眠る女』というアニメ映画の予習をするついでに村上春樹の短編もちょこっと。ファンには超怒られそうですが、彼の小説ってパスタ茹でたりジャズを聴いたり昔の恋愛とか人間関係の失敗を感傷的に懐かしんだりといった、ザ・村上春樹なことをやってるときは…………なんだけど、その先で訳分からんことになる話がたまにあってそれがめっちゃ面白かったです。現状読んだものだと「ねじまき鳥と火曜日の女たち」、「UFOが釧路に降りる」、「納屋を焼く」が最高でした。できれば全作読んでみたい。 ・フランク・ハーバートの『デューン』シリーズも2個目まで。SFファン��ジーの大家というイメージで読んだらメインで使う語り口(作劇法?)が超・会話劇なのが意外でした。
★★★これを書いている2025年1月現在はドスト先生の『悪霊』を読んでいます。が、全体の十分の一すぎてもまだ若者世代の話に入らないので投げ出しそう……。シニカル成分100%の語り口はけっこう好みなのですが。前に読んだ『罪と罰』と比べても視点が格段にいじわるな気がして、これを書いてたときの作者の精神状態やいかに? 2025年はもうちょい数をこなせたらいいなと思っています。ではー。
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【世代交代】カーナビに「ドラックストアのある交差点を左」って言われた際、目の前にドラッグストアが3店舗見えていた私が、それでもサッポロポテトを選ぶ理由.zip
(PS:下の方にビアゲの役者紹介があります)
西南図書館24周年、おめでとうございます。私は「『いきのこり⚫︎ぼくら』にのせて懐かしいものを紹介しているだけのYouTube shorts 撲滅委員会」で会計をしている、近未来ミイラです。最近こういう動画を目にする機会減ってきたでしょう?あれ、私たちのおかげなんですよ。感謝してくださいね。そして皆さんはくれぐれも過去に囚われて、旅行先にLと書かれたコンタクトレンズだけを持ってくるような真似はしないように気をつけてください。この世にはRも必要です。私は本気です。やってやんよ。
さて、仕事の引き継ぎと通信速度ははやい方がいいだなんて言いますが、ちゃうかで引き継ぐべきものは仕事だけではありません。解散の挨拶、ケミの折り方、大集会室に見回りが来るのが20:00頃と22:00頃だという研究結果。まぁ色々ありますが、中でも私が引き継がねばならないと考えているのが、かの有名な天照大神の自宅に併設されたクラブハウスでDJをした経験があるという、NASUKA A.K.A. たぴおか太郎 さんによるtumblerなのです。
私は、たぴおかDJアゲ太郎が引退する前に、何とかしてこれを継ぎたい。習うより慣れよ。私は早速たぴおか太郎になりきることにしたのでした。
しかし、桃色サンゴへの道はそう容易いものではないということくらい容易く想像できます。このままでは私がなすかさんの文体の全体を会得するより前に、先輩が引退してしまいます。
先輩の稽古日誌を観察していたら、とりあえずちゃんと稽古日誌としての役目は果たしていたので、一旦そのパートやります。でも稽古してないのでただの日誌です。
⭐️間接照明って名前ダサくないか?稽古日誌
コンクリートと殴り合い(敗北)
タンバリンに鉛筆で落書き(怒られた)
海老の小道具の精度に脱帽(すごい)
はらぺこあおむしを逆から読む(退化)
たなからバター餅(略してたなばた)
ピコ太郎の再燃(アツい)
おせち料理を意地でも漢字で書く(御節)
蚊が何故かまだ猛威をふるっている(許せん)
⭐️直接照明とは言わないのにね〜〜〜
ここまで書いて私は思ったわけです。いやたぴおか太郎難しすぎんか???
もう諦めようかな……。
???「君には失望したよ……」
はっ!?その声はっ!?!?
???「どうも、愛称として後ろに『ぴ』をつけられることもある、秋公演の舞台上でも大活躍した、あのお菓子です」
ま、まさかお前はっ!!!イモケン!?!?
![Tumblr media](https://64.media.tumblr.com/a43412949c5c92b57bdeaf22660b7cf5/78de765d9681b308-66/s540x810/7fc996ab1d1f357ca82a2b57833bd6be92503265.jpg)
いや犬けんぴかよ!!!!!
犬ケンってもうこれ犬×2じゃねぇか。
犬「難しいということだけを理由に書かないというのは、それはただ諦めていることに等しごほっ!おっ」
あ、犬ケンピが喉に刺さってる
開いている記事のセキュリティ証明書に問題があります。
エラー吐いちゃったよ。まず犬ケンピ吐かないと。
この記事の閲覧を続けますか?
はい わからない いいえ
多分そう部分的にそう 多分違うそうでもない
いや選択肢アキネイター!!!
犬「なんか、もうネタ切れ感あるし、やめるわ」
あぁ飽きネイターだった。
……ということで、
【結論】たぴおか太郎はたぴおか太郎にしかできない
ところで、本当に何も用がないのにtumblerを荒らすのもマズイと思ったので、この場をお借りしてビアゲの役者紹介をします。やってたことはしおりと同じです。この人を主役にするなら、こんなタイトルこんな劇。
以下本チラ掲載順。兼役の2人は省略しています。ごめんね。
東愛莉
『東博士の自由研究所』
使い捨てカイロをたくさん繋げて、使い捨てホットカーペットにしたり。香水を鍋で茹でて香湯にしたり。裏起毛の服をひっくり返して着て表起毛にしたり。東博士の自由研究は、今日も失敗続き。意味のないように思えるその研究内容に、周りは呆れて、中にはバカにする者も。しかし東博士は、そんなことお構いなしに、日々楽しそうに研究を続けているのである。そんな研究所にやってきた一人の青年。どうやら人生がつまらないらしい。そんな彼を見た東博士はこう言う。「ちょうどよかった!今ね、ちゃんこ鍋を作っている蓋の上でトントン相撲をする研究をしたかったけど、人手が足りなかったの。ちょっと手伝ってよ!」
辛い過去がありつつも、今をとにかく楽しく生きると決めた東博士���ら、元気をもらうことができる公演になると思います。
大良ルナ
『心外、しかし純愛。』
「運命は、自分で掴みに行くものよ。」占い師のその言葉を鵜呑みにした少女は、自らの手で運命の人を掴みに行くことにした。しかし、容姿を見て選り好んでしまうと、それは運命でもなんでもない。そこで彼女は思いついた。人気の多い公���で目を瞑り、手を広げながらふらふらと歩き、一番最初にぶつかった人を抱きしめよう。その人を運命の人にしよう。早速実践。視界が真っ暗になってから2分ほど経った時、ドンと胸元を突く感覚。これはと思って抱きしめようとすると、それは思っていたよりも小さかった。胸元から聞こえる声。「くるっぽー。」いや鳩じゃん。これじゃ運命の鳩じゃん。人外は流石になぁ……。いやでも、このクリっとした瞳に綺麗な毛並み。正直、割とアリ。
鳩とのハートフルラブコメです。私にはハッとする衝撃の展開が広がるピジョンが見えています。
児
『教室における感慨と、その二面性についての考察』
7月某日。俺のクラスに転校生がやってきた。15人。もともと3人しかいなかった俺のクラスに、転校生がやってきた。15人。なんでも、近くの村にあった高校のすぐ近くで土砂崩れが起きて、校舎が倒壊したらしい。15人はそこから一番近いところにあった、船で30分の小さな島にあるこの高校に通う羽目になったそうだ。かわいそうに。転校生15人は、その慣れない環境に緊張……するはずもなかった。昨日までの穏やかな生活が嘘のように、喧騒に包まれた教室。俺の教室を、俺の居場所を、返してくれないか……?
教室では静かであるべきか、にぎやかであるべきか。それともにぎやかな教室を静かに眺めているべきか。
うみつき
『髪と縁』
またフラれた。これで何回目なんだろう。付き合ってみるたびに、「なんか思ってたのと違うわ」って言われる。いやいや、思ってたのと違うところを受け入れられるのが「好き」ってもんじゃないの?いや、愚痴なんか言っててもしょうがないけどさ。私は失恋した時、必ず髪を切ると決めている。他人の。普段は別の仕事をしているけど、フラれた次の日は実家の美容院の手伝いをする。別にこの仕事が好きってわけじゃないけど。自分以外の誰かのためにハサミを持つのが、なんか落ち着くというか。
その日店にやってきたのは、私をフった男だった。殺してやろうかな、これで。
統括のフォーニャー
『liebrary』
「はい。どうされましたか?看板?あぁいえ、これであってますよ。この図書館に置いてある本は、全部嘘なんです。この世界で生まれたすべての嘘が、ここに集められるんです。ですから、あなたがついた嘘もあれば、あなたがつかれた嘘もありますよ。あ、面白いですか。それはそれは、ありがとうございます。はい。またぜひどうぞ」そうして客を見送った女は、ついさっき新しく生まれた本を手に取る。「そっか、面白くないか」
嘘が分かるということは、本当が分かるということ。そこに計り知れぬ苦悩があるということは、嘘じゃない。
緒田舞里
『0で��るということ』
よっ。元気?こっちは元気だよ。ちゃんとご飯も食べてるし。大丈夫。……仕事?あぁ、うん。楽しいよ、ちゃんと。あぁ、ほら、最近さ、ちょうどクリスマスに向けての準備とか始まっててさ、この時期って夜にパフォーマンスの練習入ったりするじゃん?それがちょっと大変ってだけ。でも、私ってそういうの好き、だしさ。多分。あ、ごめんね、こっちばっかり話して。そっちはどう?……なんてね。
二宮はそう独り言を呟きながら、右側に供えた花のバランスを整えた。
白
『ニッポンのこれから審議会』
説明しよう!ニッポンのこれから審議会とは、ニッポンのこれからについて審議する会のことである!発足後初の会議となる今回の議題は、「ニッポンにとって不要なモノ」 つまりはニッポンが削るべき要素を洗いざらい洗い出すということになる!年賀状?節分??お盆???ニッポンには今や企業が儲かることしか考えていないような形骸化した文化が山ほどあるではないか!いつまでこんなの残してるんだ!消せ!!しかし、そんな議論の流れに静かに異議を唱える男がいた……。
だんだんとアツくなっていくぶらんの演技にご注目ください。
岡崎仁美
『カヌレ』
おかしい。利用客が減少の一途を辿る小さな駅構内にある、小さなケーキ屋さん。今までいろんなケーキを売っていたのに。今ではショーケースの中は、一面濃い茶色。カヌレしか売っていないじゃないか。奇妙な品揃えを覗いていたら、店の奥から出てきた女性店員に話しかけられた。「こんにちは!カヌレはいかがですか!?」
コイツはカヌレしか食わない。コイツはカヌレしか売らない。利用客が減り、カヌレが増える。これは一体何を意味しているのか。新感覚カヌレホラー公演。逃げろ。
雨々単元気
『にじいろアジト』
大阪の南の北の方。そのさびれた倉庫では、夜な夜な5人の学生が身を寄せ合っていた。各々の事情により、学校に通うことを諦めている彼らには、共通する一つの目的があった。「この世には、やけに綺麗な虹ってもんがあるらしい。それが見たい。」
セカイ系のお話にしたいです。彼らが虹を見たことが無いのは、彼らが昼間に外に出ないからではなく、地球外生命体が地球を黒い幕で覆い隠して、宇宙から隠蔽しようとしているからなんですね。まさに黒幕。まぁ確かに地球ってずいぶん異質な惑星ですし、宇宙にとっては無い方が都合がいいのかも知れません。ちなみにこの公演の愛称は「ニジアジ」。
舞原の絞り滓
『大器���声』
ある公園で開催された大声大会。その喧騒に怒り、近所に住むおじさんが怒鳴り込んで来た。……いやコイツが優勝じゃんか。(『大声大会』) 「あの、すみません。キッズメニューの裏の間違い探しってなくなったんですか?」「はい。その代わりといってはなんですが、この店の中には、既に10個の間違いがございます」(『間違いなく間違い』) 訪問販売で契約したタイムマシンがパチモンだった。「夕仏マシン」だった。時間は夕方限定、場所は仏や大仏の目の前にしかいけないらしい。……じゃあ、修学旅行のあの日を、もう一度だけ。(『驚麗』)
などなど、全7編のショートストーリーからなるオムニバス公演。そのうちいくつかは、まほろさんに演出してもらいたいです。
じゃがりーた三世
『何点かお伝えしたいことがございます』
ある山奥の宿泊施設で、人が死んだ。死体の様子から見るに、他殺であることは間違いなさそうだ。この施設から人が出入りした形跡も無いため、ここにいる6人のうちの誰かが、コイツを殺した。「とりあえず電話で警察を呼ばないか!?」そう言い出した男に対して、周りは呼びかけた。「忘れたのかお前!この施設では、携帯電話などの音や光の出る機器類は、必ず電源から切らないといけないじゃないか!」……じゃあ、このカメラで証拠の写真を、いや、許可のない撮影録音は禁止か。……もうこんなところにいられるか!俺は抜けさせてもらうぞ!え?途中休憩はございません?そんなことしらねぇよ!俺は出ていくからな!?……係の者がいないから、出られない。
前説で語られたルールが、全て適応されている空間で起こる推理合戦。ところで、上演時間は60分ということは、それってつまり……
オーム
『非常に新車』
とある交差点で車両同士の接触事故が起きた。畜生、この後マスコミに向けたプレゼンがあるってのに、どうしてこんなときに……。
仕方なく車の外へ出ると、相手の運転手は私の顔を見るなりこう言った。「あれ、ZESSANの岩本社長ですよね!?え、すご!私ずっとZESSANのクルマのファンなんですよ!今日もほら、先日発売されたばっかりのやつ乗ってるんです!すごいっすよねこれ、自動運転機能も充実してて!ハンドルから手離してても余裕で運転できてましたもん、さっきまで」
絶対にバレてはいけない事故。どうにかマルク収めなければ。
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『いまどうしてる?』
背が高いその男は、公園のど真ん中にある、さらに背の高い街頭の下に立っ��いる。その公園にやってくる人は皆、紙にデカデカと自分の近況を書き、背の高い男に渡していく。男はその紙を体のいたるところに貼り付けて、ただずっとその場に立ち続ける。公園には、ただ人が書いた紙を見にくるだけの人もいれば、紙越しに喧嘩をしている人もいる。背の高い男はそれを見て、何を思うのか。
キャスパ曲というか、エンディング曲には、ゲスの極み乙女の「灰になるまで」を使いたいです。(ツイ)廃ではないです。
縦縞コリー
『優しすぎた男』
理不尽に呑まれ、後悔に苛まれ、そんな優しさが誉。しかし彼は優しすぎた。完成間近のレポートのデータを友人に消されても怒れないし、飲み会の参加費を1人だけ二重に請求されていることに気がついても指摘できない。いや、それは優しさというか、弱さなのではないか……?
キャスパには、トリプルファイヤーというバンドの「次やったら殴る」という曲を使います。舞台上でふにゃふにゃしたこりちゃんを観ましょう。
大福小餅
『a hole new world』
ざく。ざく。まだ掘った方がいいかな。ざく。ざく。もうちょっと深い方がいいかな。ざく。ざく。ま、こんなもんか。よし。……あれ、これ私が穴の中入っちゃったら、誰が私を埋めるんだ?あ、ちょうどいいところに人が。すみませーん、私を埋めてくれませんか?
埋まりたい人と通りすがりの人の二人芝居。普段あんまりネガティブなことを言っているイメージがないこふくが、ものすごくブルーな気持ちの役をやっているのを観たい。
叶イブ
『世迷言病』
「こんにちは」「あ゛ぁ゛!?こんにちは!!」「えっと、今日はどこが悪くていらしたんですか?」「見りゃ分かるだろ!!口だよ!!」「……口?何か口内炎みたいなできものがありますか?それとも痛みが」「ちげぇよバカ医者がよ!!そのまんまの意味だっつーの!!先週末くらいから口が悪くなってんの!!」
「よまいごとやまい」と読みます。高圧的なキャラ、似合う気がします。病が完治した後とのギャップがメロい。多分。
はぜちかきつ
『喫茶・愛のペガサス』
「本格中華やめました」 亡き父親が経営していた喫茶店をいやいや継ぐことになった男は、とりあえず中華料理の販売を停止した。どうせなら店の名前も自分好みに変えたかったけど、常連の客からの反対の声も大きく、仕方なくこのままにしている。そもそも駅から少し離れていて、人が多くないような街の喫茶店なので、お客さんのイリはまばら。まぁ、ワンオペでも全然回るし、むしろ空きの時間で趣味の小説を書けているくらいだから、これはこれでいい生き方なのかもしれない。……その日、見慣れない客がやってきた。オーバーサイズの服を着た、ショートカットの女の子。
優しくて大きい(器が、という意味)ハゼは、喫茶店オーナーとか似合いそうです。
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いきなり偉そうなことを書いて各方面から顰蹙を買いそうなんだけど、あえて言う。僕は自分の日記より面白い日記を読んだことがない。これはハッタリでもなんでもなくて、それくらいの気持ちがないと何処の馬の骨とも知れないチャリンコ屋の日記に1,500円や2,000円を出して購入してくれている方々に申し訳が立たない。ただし「自分より」と言うのには注釈が必要。『富士日記』や『ミシェル・レリス日記』みたいな別次元の傑作は対象外として、近年、雨後の筍のように量産されているリトルプレスやZINEを体裁とした日記やエッセイ群を見据えての発言と思って頂きたい。商売としての仕入れはさておき、個人的に興味があったので色々と手を伸ばして読んでみたものの、そのほとんどが「私を褒めて。私を認めて。私に居場所を与えて」というアスカ・ラングレーの咆哮をそのままなぞらえたような内容、若しくは「持たざる者同士でも手を取り合い、心で繋がっていれば大丈夫」的な似非スピリチュアルなマジカル達観思想で構成されているので、正直ゲンナリした。しかもタチの悪いことに、そういうものを書いている人たち、あわよくば商業出版の機を窺っていたりするものだから、出版社や編集者の立場からしたらまさに入れ食い状態。「ビジネス万歳!」という感じでしょう。晴れて書籍化の際には口を揃えて「見つけてくれてありがとう」の大合唱。いやいやいや、ちょっと待って、あんたら結局そこにいきたかっただけやんってなりません?これまでの人生をかけて手にした「生きづらさ」の手綱をそんなにも容易く手放すんかい!と思わずツッコミを入れたくもなる。現世で個人が抱える「生きづらさ」はマジョリティに染まらぬ意思表明と表裏の関係にあった筈なのに、どっこいそうはさせないとばかりにどこからともなく湧いてくる刺客たちの誘惑にそそのかされては、呆気なく自らの意志で握手(悪手)に握手(悪手)を重ねる。ミイラ取りがミイラになるとはまさにこのことだ。以前、僕もある出版社の編集長から「DJ PATSATの日記を当社で出版させてほしい」という誘いを受けたけれど、もちろん丁重にお断りした。僕は自主で作った300冊以上の読者を想定していないし、それより多くの読者に対する責任は負いかねるというような���旨の言葉を伝えた。そもそもなぜ僕が友人(マノ製作所)の力を借りながらわざわざシルクスクリーンという手間をかけて制作しているのかを理解しようともしない。編集長は口説き文句のひとつとしてECDの『失点・イン・ザ・パーク』を引き合いに出してこられたのだけれど、いま思えばそういう発言自体が安易というか不遜だと思わざるを得ない。結局その方は僕を踏み台にしようとしていただけだったので、負け惜しみでも何でもなく、あのときの誘いに乗らなくて良かったといまも本気でそう思っている。まぁ、これは僕個人の考え方/価値観なので他者に強要するものでもなければ、共感を得たいと思っている訳でもない。逆に彼らも推して知るべしだ。誰もが商業出版に憧憬を抱いている訳ではない。昔から煽てられることが好きじゃないし、賑やかで華やかな場面がはっきりと苦手だ。だからと言って消極的に引きこもっているつもりもなく、寧ろ積極的に小さく留まっていたいだけ。かつては各地の井の中の蛙がきちんと自分の領域、結界を守っていたのに、いつしかみんな大海を目指すようになり、やがて井の中は枯渇してしまった。当然、大海で有象無象に紛れた蛙も行き場をなくして窒息する。そのようなことがもう何年も何年も当たり前のように続いている現状に辟易している。そんな自分が小さな店をやり、作品を自主制作して販売するのは必要最低限の大切な関係を自分のそばから手離さないためである。何度も言うているように自営とは紛れもなく自衛のことであり、率先して井の中の蛙であろうとする気概そのものなのだ。自衛のためには少なからず武器も必要で、言うなれば作品は呪いの籠った呪具みたいなもの。そんな危なっかしいものを自分の意識の埒外にある不特定多数のコロニーに好んで攪拌させたりはしない。多数の読者を求め、物書きとして生計を立てたいのなら、最初から出版賞に応募し続ける。だからこそ積年の呪いを各種出版賞にぶつけ続けた結果、見事に芥川賞を射止めた市川沙央さんは本当に凄いし、めちゃくちゃにパンクな人だと思う。不謹慎な言い方に聞こえるかもしれないが、天与呪縛の逆フィジカルギフテッドというか、とにかく尋常ならざる気迫みたいなものを感じた。なぜ彼女がたびたび批判に晒されるのか理解できない。それに佐川恭一さん、初期の頃からゲスの極みとも言える作風を一切変えることなく、次々と商業誌の誌面を飾ってゆく様は痛快そのもの。タラウマラ発行の季刊ZINEに参加してくれた際もダントツにくだらない短編を寄稿してくれて、僕は膝を飛び越えて股間を強く打った。
佐川恭一による抱腹絶倒の掌編「シコティウスの受難」は『FACETIME vol.2』に掲載。
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ついでにこれまた長くなるが、かつてジル・ドゥルーズが真摯に打ち鳴らした警鐘を引用する。
文学の危機についていうなら、その責任の一端はジャーナリストにあるだろうと思います。当然ながら、ジャーナリストにも本を書いた人がいる。しかし本を書くとき、ジャーナリストも新聞報道とは違う形式を用いていたわけだし、書く以上は文章化になるのがあたりまえでした。ところがその状況が変わった。本の形式を用いるのは当然自分たちの権利だし、この形式に到達するにはなにも特別な労力をはらう必要はない、そんなふうにジャーナリストが思い込むようになったからです。こうして無媒介的に、しかもみずからの身体を押しつけるかたちで、ジャーナリストが文学を征服した。そこから規格型小説の代表的形態が生まれます。たとえば『植民地のオイディプス』とでも題をつけることができるような、女性を物色したり、父親をもとめたりした体験をもとに書かれたレポーターの旅行記。そしてこの状況があらゆる作家の身にはねかえっていき、作家は自分自身と自分の作品について取材するジャーナリストになりさがる。極端な場合には、作家としてのジャーナリストと批評家としてのジャーナリストのあいだですべてが演じられ、本そのものはこの両者をつなぐ橋渡しにすぎず、ほとんど存在する必要がないものになりさがってしまうのです。本は、本以外のところでくりひろげられた活動や体験や意図や目的の報告にすぎなくなる。つまり本自体がただの記録になってしまうわけです。すると、なんらかの仕事をもっているとか、あるいはただたんに家族がある��親族に病人がいる、職場に嫌な上司がいるというだけで、どんな人でも本を産み出せるような気がしてくるし、このケースに該当する当人も、自分は本を産み出せると思い始める。誰もが家庭や職場で小説をかかえている……。文学に手を染める以上、あらゆる人に特別な探究と修練がもとめられるということを忘れているのです。そして文学には、文学でしか実現できない独自の創造的意図がある、そもそも文学が、文学とはおよそ無縁の活動や意図から直接に生まれた残滓を受けとる必要はないということを忘れているのです。こうして本は「副次化」され、マーケティングの様相を帯びてくる。
ジル・ドゥルーズ『記号と事件 1972-1990年の対話』(河出文庫p262-263)
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僕は制作の際にはいつも必ずドゥルーズのこの言葉に立ち返っては何度も確認作業を繰り返し、ようやっとリリースにこぎつける。しかしそもそもが作品化を企んでいる時点で自分まだまだやなぁと思うに至る訳で、なんとも一筋縄ではいかない。そういう意味では滝野次郎という人がインスタグラムに投稿している日記のような文章には、はじめから読まれることを意図しているにもかかわらず、本来ならば読まれることを目的とした日記からは真っ先に削除されるような状況ばかりが羅列されていて、なかなかどうして凄まじい。馴染みの飲食店で見つけたお気に入りの女性店員を執拗に観察したり、断酒を誓った直後に朝から晩まで酒浸りであったり、謎の投資で10分間で40万円を失っていたり、銀行口座と手持ちの金を合わせても1,000円に満たなかったり、それでも「俺は俺を信じる」と闇雲に自身を鼓舞していたり、そうかと思えば急に脈絡もなくひたすらに左手のハンドサインを連投していたりと、しっちゃかめっちゃか。比肩しうるは円盤/黒猫から出版された『創作』くらいか。あらゆる規範から逃れるべくして逃れ得た、いま最もスリリングな読み物であることに間違いはないが、同時に、これは断じて文学ではない……とも言い切れない不気味な何かが海の藻屑のように蠢いている。
(すでに何らかの隠喩ではないかと勘ぐったり……)
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旅日記⑤ in South Korea🇰🇷
Busan編
釜山に旅行してか3ヶ月経ってしまいましたが、旅日記は残すべく、今更ながら思い出語り。
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何日に何したか、どこのお店行ったかの記憶が朧げなので釜山の魅力を書きます😭次の旅行はその日に書こう。反省。
釜山とソウルどちらも行った身としては、韓国に旅行してみたいけどどこ行こう?という人に、断然釜山をおすすめしたい。(美容にさほど興味のない男性は尚のこと)
釜山の魅力
①ソウルで味わえるようなご飯屋さんは網羅されてる上に、釜山ならではの新鮮な海鮮のお店が多い(し、ちゃんと美味しい)。カンジャンケジャン(写真5枚目)の艶ヤバくないですか?生臭さなんてものは一切なくて、とても美味しかった。
②都会と自然が両方ある。
釜山でいちばん思い出に残っているのは海(海雲台海水浴場:写真1,2枚目)。2枚目の電車はガイドブックに載っているので、多くの観光客が訪れるスポットだけど、予約した乗車時間までの暇つぶしで近辺を散歩していたらたまたま海辺まで辿り着けた。海青くてちゃんと綺麗だな?!!?!?!と興奮した。
Sydneyでもそうだったのだけど、高層ビルと綺麗な海が隣接している絵面が個人的にたまらなく好きで、地震大国の日本では見られない光景なのが少し残念。
③ローカルな朝ごはん屋さんが多い。
これもまた日本にはあまり馴染みのない文化だけど、海外では朝ごはんを外で食べる習慣が根付いている気がする。
美味しかった朝ごはん3選
(1)カルグクス(写真下)
カルグクス(「カル」=包丁,「グクス」=麺)は「韓国風うどん」とも呼ばれていて、味のバリエーションがとても豊富(訪れたお店はいりこの出し汁を売りにしていた)。先輩たちはソンカルグクス(温)、私はネンカルグクス(冷)を注文。優しい味のスープで目が覚めました。
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(2)ソコギクッパ(写真下)
ソコギクッパ(「ソコギ」=牛🐄)は、もやしや大根などの野菜を大釜にたっぷり入れ、牛肉と一緒に煮込んだスープ。韓国では二日酔いの日は朝に食べるのが定番らしい。個人的にはデジクッパより好みだった。
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(3)デジクッパ(写真下)
デジクッパ(「デジ」=豚🐖)は、豚骨を丸1日かけてじっくりと煮込んで出汁を取ったスープに、茹でた豚肉とねぎとご飯を加えて、たくさんの種類の薬味の中から好みの味付けをして食べる料理。���面にはデジクッパ通りというのがあるくらい人気の料理で、とても美味しかった。
![Tumblr media](https://64.media.tumblr.com/a70bee325655df855f6a0d2bdc597b2c/e84569744d12daee-9f/s540x810/867bd8f477e10d3a880ac4fe36381d0cbe27ea66.jpg)
※ 「クッパ」はスープと米を混ぜた料理。お米も入ってるのでお腹も溜まる。
④観光地らしい観光地が結構豊富。↓
甘川洞文化村(山の斜面に建物が連なってて「韓国のマチュ・ピチュ」といわれている美しい村。星の王子さまのオブジェが有名)
海東龍宮寺(韓国でいちばん美しいと有名な寺。寺に向かう108段の階段を降りる(登るんじゃなくて?!)と願いが叶うらしい)
国際市場(なんか栄えてる市場。)
五六島スカイウォーク(崖の上から海上に突き出したガラス張りの展望台で、高所恐怖症の人は多分無理。)
釜山ダイヤモンドタワー(夜景スポット、たぶん日本でいう東京タワーみたいなやつ)
海雲台(釜山でいちばん有名なリゾートビーチ。海めっちゃ綺麗。今回の旅でいちばん良かったスポット)
海雲台ブルーラインパーク(4人乗りのノロノロ列車なので1人で乗ったら多分暇だけど、カラフルで可愛いし綺麗な海をずっと一望できるからおすすめ)
南浦洞(釜山のキラキラ繁華街。渋谷っぽかったです)
とかとか、他にも韓流の『サムマイウェイ』のロケ地もあって3泊4日では全然制覇できなかったくらいに観光地多い。ソウルは観光地らしい観光地が少ないイメージだからそこに関しては釜山の方が充実してた。
⑤百貨店やブランド通りもあるので、ほぼ有名なブランドやスポーツ用品店は揃っていて(調べたら多少はソウルにしかないものもあるんだろうけど)、ソウルと同じくらい買い物も楽し���る。
釜山にしかないOPTATUMのハンドクリーム、ぜひお土産に購入してください。
North faceのホワイトレーベル(韓国限定ブランド)のトップスを罪滅ぼしで兄にお土産で購入した😅(正月の航空事故の影響で福岡からギリギリ東京に到着した際、タクシー待ちの列が5時間で、韓国行きの成田便に間に合わない〜と詰んでいた妹を、国試1ヶ月切っていたのにレンタカーで千葉から迎えに来てくれました、、神)
ちなみに屋台もソウルと同じくらい栄えてて楽しかった。屋台のホットク、毎日食べたい。
⑥街の散策が苦じゃない。
個人的な印象だけど、ソウルよりも一駅間を歩くのが苦じゃなかったような気がする。たくさんご飯を食べた後、次の目的地まで二駅だから歩いちゃおう!みたいなことができて良かった。
韓国旅行はグルメメインになるので、胃もたれでしんどくなるイメージが強かったけど、歩きやすい街並みと胃に優しい朝ごはんのおかげで、たくさん食べてたくさん歩いて健康な旅!という感じでした。
⑥ソウルと比べてローカルな都市なだけあって、人との距離が近め(な気がした)。
電車にて3人で日本語で喋っていたら隣に座っていたおじさんたちから話しかけられたり、お店で鍋を突いていたら隣のお姉さんたから声をかけられたり。みんな親切であったかくてなんて素敵な街なんだ〜!と思った。
余談)
新世界百貨店の新世界スパランドもおすすめ(10種類以上のチムジルバンがあって、一番高い温度のチムジルバンは79度)。温泉のあとのご飯が美味しいっていう文化は世界共通なのか。
写真7枚目のフレーク入りヨーグルトは韓国の定番の朝ごはんで、美味しすぎるので日本でも売ってほしい。欲張ってたくさんスーツケースに詰めたら、飛行機の気圧で潰れてスーツケースがヨーグルトまみれになりました。ビニール袋に入れておくべきだった。
タラタラ感想を述べたらえげつない長文日記になってしまいましたが、大好きな先輩2人と楽しい3泊4日を過ごせて幸せな渡韓だった。
またどこか旅行しましょうね🙈
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お葬式
祖父が全うした。91歳だった。5/27の6:27に息を引き取った。自分の誕生日は10/27で、紫の手帳を受け取ったのが12/27。おいおい、おじいちゃん。あなたの才能は十分に承知していた。けど、そこまでされると怖いぜ。
ここから長すぎる。一時間足らずで狂い書きな感じ。読みたきゃありがとうございますね。
黙して語らず、ニコニコ優しく、しかし熟慮している人だった。従兄弟曰く、「大学に行くときに、ニーチェの詩?に注釈つけて渡された。おじいちゃん心配してたんだなあ」おそらくそれはツァラトゥストラだ。おじいちゃん、同じ道を辿ってるね。「毎年おじいちゃんは宝くじ買ってたやろ?あれをどう使うか聞いてみたら、『あの道を直して、ここの堤防を強くして』って言ってて、本当にすごかった」そう、だからあの葬儀の当日、近隣は大雨で避難警報が出されたんだが、不思議とおじいちゃんが道を作り治水した地域にはほとんど被害がなかった。すげえぜ。かっこいい。
自宅から出棺。近所の人たちがお見送りに来てくれた。しかしまあ、その出棺作業は自らと親戚で急ピッチで段取りしました。すごくね?あなたは本当に、素晴らしい人だったのだ。みんなが知っていた。それだけは確かだ。私もその一人だ、と述べてもいいですか?おじいちゃん。あなたと将棋をしても、絶対に勝てなかった。正月に家の玄関の上がりで、自らのプライドである刀を手入れしていた姿を、鮮明に覚えています。祈るように、あなたは梵天に手入れの粉をつけていた。
通夜から葬儀まではパニック。全ての段取りを把握している父が、その段取りを内々の親族に明かさない。いや、普通さ、もういくばくもない命を目前にすれば、あらゆる段取りを把握して、誰がどこにどう動けばいいのかを伝える。あなたの生業はそういうものでしょう?『随時更新の身内スケジュール』が必要でしょう?そうやって自分が全部しなきゃ、という使命感の反対には、人に任せられないという不信感があるのでしょう?だから仕事以外に友人がいないんです。普通に休日に飲みに行くこともないと。「お前が友達と馬鹿話するような友達はいない」と断言しましたね。違うんです。馬鹿話じゃないんです。お茶会や飲み会は、深刻で暗い話を笑い飛ばす場所なんです。
なんでわかんねぇかな。わかんねえからあなたと飲んでも面白くない。というか、「こういう馬鹿がいた」みたいな仕事上の話を家に帰って母に申しつける時点で、非常に卑怯な落語なんですが、おめえさんよ、案外馬鹿を馬鹿にしちゃいけねえよ、馬鹿も馬鹿なりに考えてる。その考えてることを否定しては悦に入る。『酢豆腐』の旦那じゃねえか。大いなる阿呆。ダサ坊。シャばい。自分専用のポルノを自分で拵える野郎。水商売を貶しながら、お姉ちゃん遊びには大いなる興味があるどすけべ。小学生女児がなんぞの事件にあった、と聞けば、「この子はなんかとっぽいからそうなるよね」口が裂けても言うなよ。ジャニーズの会見、「この男は、男なのに化粧なんかして目も落ち窪んで、気色悪い」何様だよ。てめえが利用するだけ利用したゾーンに対してそういう言葉を吐くんだ、へえ〜。高校ぐらいまで父と祖母の着せ替え人形として彼らの与えられる服を着た。気色悪いんだよ、友達の言うには、その服装は、「なんか、おじいちゃんみたい」だとよ。っざけてんじゃねえよ!お人形遊びは楽しいか?てめえら俺が幼い頃に女装させたりとかしたよな。こちらはグチャグチャ���す。「お前が寝てても呼びかけたら応えてくれるから、つい」とか抜かしてるけどさあ、起きてるよ。その気色悪いボディタッチも。でも寝てて可愛いふりしてた方があなた気持ちがいいでしょう?てめえが俺を撫でるたびに、吐きそうになって仕方がないんだ。You Know? Yeah, you Just say "I Don't Know". ****
最後の念仏が唱えられる。輪廻転生は仏教で三回とされる。誰も見たことのない祈り方。三回同じ言葉を唱えた後に、なんとなく解脱のような文言があった。「見たことがない葬儀だった」と口を揃えて申し述べる親族。火葬場へ。これが悪夢のようだった。
とても現代的でシステマチックな火葬場。荼毘に伏すとして、その間はみんなでなんとなく空を見たり、煙突からの煙を見たり、そんな時間だと記憶していた。しかし実際は、棺を運ぶのは手動で操作できるフォークリフト。最後に顔を見て、そこからは全員が揃って荼毘の場所へ。もうその時点で、呼吸が苦しい。自分が過呼吸になっているのではなく、そこに漂う人間のタンパク質を燃やした独特の空気が、襲いかかってくる。少しは泣いたけれど、本気では泣かなかった。
喫茶室があります。親族の待機室はここです。全員が喫茶に向かう。一悶着あったらしいが、それは全てを握っているはずの父が何も手立てを打っていなかったことによるらしい。つまり、「あの家に帰る手立てがない」とのこと。大揉め。しれっと、親戚のおっちゃんが「また始まった」と呆れたように言うので、彼について行って喫煙所へ。「おじいちゃんの棺に、ショートホープ入れてあげたらよかったなあ、と今更後悔してるんですよ。植木職人の人曰く、『耳から煙出るぐらい吸う』ぐらいの人だったんで。まあなんかあるときに胸ポケットに入れたままやめたらしいですけど」「俺もおっちゃんのイメージそれよ。でもそんなんクラクラするやろうな。でもやっぱり、紙巻きじゃないと俺は満足できん。何回か試すけど、口の中がなんか変になる」「あれって、水蒸気にニコチン入って香料入って、ってことなので、口の中に残るの当たり前ですよ。で、定期的に掃除しなきゃなんですけど、してないように思います」「なるほどなあ」「紙巻きは手の中に隠せないじゃないですか、でもよく見ますけど、子供の散歩に付き合いながら、あのデバイスは手の中に収まるので、隠れて吸ってる人とか、あと軽自動車の中とかでずっと吸ってる若い女性」「あ〜!よく見るわ!」「なんか卑怯ですよね」「堂々と吸えばいいのに」
骨上げ。向こうから機会が運ぶ音がする。耐えられない。目を背けて壁に引き下がった。説明がある。その人の話を聞こうと思って顔を見ると、祖父のお骨が目に入った。無理。逃げ出して外で存分泣いた��、これはやらねばならん。おじいちゃんも本望ではないだろう。ある程度落ち着いた。元に戻った。骨箱を抱えたさっきのおじちゃん、「ほれ」完全に試されている。立ち向かおうと思った。おじいちゃんの顎の骨の右側をなんとか取り、入れた。壁に向かって泣いていると、おっちゃんが背中を叩いてくれた。優しいボディコンタクト。あれがなかったら、自分はもう立ち直れなかっただろう。
親族の直来。席順がアウトだった。向かいに祖母。斜め向かいに弟、隣に叔母の配偶者。彼や弟と話しているときは、苦しくなかった。弟は後ろから声が聞こえたらしく、ギャルソンとして働き出したので、真似てとりあえず。未来に向ける光を見たように思う。挟まれる祖母の無駄口、思い出話、さっきも言うたやん、で最終的に、「あんた食べんのな?あんた食べんのな?」この役割は弟が担ってくれた。途中で異常を察した母が「持って帰るので」と包んでくれた。そこで祖母が、「物足りんな!うどんでも食べたくなるわ!」糸が切れる。立ち上がって親族の控室に足取りもおぼつかず帰り、水を飲んで倒れそうなところを背中で柱に寄りかかったのは記憶している。そのあとは完全にギャルソンに徹した。席に戻れば……と感じた。
見送り、なぜか親族はパニック。というか、祖母の血をダイレクトに引いている人たちが大揉め。関わったら壊れる。だから、早く帰りたいだろう人たちのドアマン、ポーターとして立ち働いた。その場所が貸し出す傘の場所を把握しているのは俺だけで、木偶の坊なので雨風を防ぐにはもってこいだ。帰るまでが遠足。帰るまでが葬儀。見送ったあと、祖母に話をされた時点で、おそらく人生で一番危険な焦点発作があった。見える聞こえる把握はできるが、動かない。少しだけプルプルしている。話の隙間で深呼吸して、離脱。その後、なぜか父が、「この鍵が潜戸の鍵。行けるか?」と。拒否したところでまたパニックだろう。叔母方の年嵩とおばあちゃんが同情する車で帰ることになった。話の流れで、「えっ、だって私ら帰っても鍵はにいちゃんしか持ってないやろ?潜だって鍵かかっとるし」「これ受け取ってまーす」と鍵束を見せる。永遠のような10秒間の沈黙が、どうしても笑ってしまいそうになって良くなかった。
で、まあ帰宅したものの、真っ暗で鍵の種類がわかるのは父のみ。明かりをつけても何が何やら。普通に礼服で鍵を探しながら試して回る、という、夜盗みたいな働きをして、必要な鍵は開けた。自分はともかく着替えと服薬をしなければ無理。処方薬を飲んでいるところを見られようものなら、またおばあちゃんの詰問に合う。口に含んだまま、水道水の出る蛇口に向かう。「あんたな。夜に明かりつけて網戸にしたらいかんのよ」知るか!緊急事態だ���黙ったまま食器棚からコップを出して水で飲み下す。危なかった。あの場で自分が倒れたらマジでやばかった。ちょっと効いてきたのでせにゃいかんことをしようとしたんだが、お呼び出ないらしい。仏間のパニックを感じながら、叔母方のおっちゃんが絶対にまだ上がらない、との意思表示をしたので、ここは、と思い、靴を脱いで上がる。「これはここ!これはこれでいい!これは日にちが明けてから!とりあえず帰らせ!」と仕切って、「仏間できました。どうぞ」でおっちゃんおばちゃんもう帰らなやってられん状態。見送ろうと玄関について行った。母の「あれはどこ?」攻撃。「ありました!ご安心しておかえりください!」見送りで礼をしたが、90度だった。無意識なのにね。気持ちが出るね。
そこから自分たちのサルベージ。呑気に「あんたら泊まっていかんのな?」「ばあちゃんな、うちはうちでやることがあるんや」と挨拶もせずに帰る。あとから聞けば、母に「大丈夫な?」と聞いてたらしい。大丈夫なわけあるか!お前の不可知領域かつ被差別領域に踏み込んでるんだからほんとのことなんて言えるか!ババアに申し伝えたら、きっと座敷牢の世界なので、両親のそこの理性には感謝したい。
帰りながらうだうだ。珍しく母が飲まないとやってらんないね、状態だったので、缶ビールを美味しく注ぐ方法を実践して、本当の直来。
ここからは結構スピリチュアルなのに事実として観測されている事象を改めて結び直した話になるので、またの機会に。
Adeu!
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読書の記録
(日本人)かっこにっぽんじん 橘玲
想像していたよりも壮大なテーマ。
データ等を駆使し、世界情勢や歴史、宗教等様々角度から語っています。
私の頭では、ちょっと入り込めない部分もあり、中盤からダルダルな感じでなんとか読了。
そのまま記録に残すかしばらくダルダルしていたけど、見返すと興味深い内容もあったので、メモを残すことに。
新型コロナ騒動よりずっと前に書かれた本ではありますが、ウイルスのことについても触れていまいた。
【メモ】
✏日本人は戦争が起きても国のためにたたかう気もないし、自分の国に誇りも持っていないのだ。
✏貨幣空間の拡大(市場原理主義)というのは、世界の歪みを平準化する運動のことだ。 経済のグローバル化は北と南の経済格差を解消させる巨大な圧力だ。しかしこの無慈悲な市場メカニズムは、経済的な弱者を振り落とすことで先進国のなかの格差を拡大させていく。 たとえ世界全体が幸福になったとしても、ひとは自分が(相対的に)貧しくなることに耐えられない。その意味でグローバル化は、私たちの生活を破壊する侵略者なのだ。
✏貨幣空間が拡張するのは、私たちがそれを望むからだ。ほとんどのサービスが貨幣で購入できる社会では、親戚づきあいは不要になり、友だちとの関係もドライになっていく。ようするに、ベタな人間関係は面倒くさいのだ。 だがそれと同時に、私たちはこのような”無縁社会”に根源的な不安を感じてもいる。ヒトは長い進化の歴史を通じて、ずっと集団(共同体)のなかで生きてきた。群れからの追放は、ただちに死を意味した。ヒトは一人で生きていけるようにはできていないのだ。
✏ヒトは確率的な出来事をうまく理解できない
✏ウイルスが宿主を病気にさせるのは、咳やくしゃみ、下痢といった防御機構を作動させるためだ。宿主が体内からウイルスを排除しようとすることで、手足のないウイルスは遺伝子を他の宿主に移植させることができる。 このことから、ウイルスや病原菌など「寄生者」の目的が、宿主を殺すことではないことがわかる。
✏しかし感染症とのこのたたかいに、人類が最終的な勝利を収めることはけっしてない。それは、寄生者の生き残りの戦略のほうがはるかに巧妙で強力だからだ。 寄生者の武器は、数が膨大なことと寿命はきわめて短いことだ。頻繁に世代交代を繰り返すことで進化の速度は上がり、新種の抗生物質に対しても、たちまちのうちに抵抗力を持つ細菌やウイルスが現れる。
✏狩猟採集生活では、穀類や果実、動物の肉などから炭水化物やビタミン類、たんぱく質を摂取したが、脂肪や砂糖などはきわめて稀少だった。そこで私たちの脳は、このような得がたい機会に遭遇したときは、可能なかぎり多く食べるよう命令を下す。「甘いものを食べると幸福な気持ちになる」のは、大量摂取を促すプログラムなのだ。
✏白人とニューギニア人のあいだに人種的な優劣があるのではなく、歴史や文明は地理的な初期条件のちがいから生まれた
✏だがこれは、彼女たちにとってはファッションの問題ではなかった。みんながルーズソックスのときに、一人だけストレートソックスをはくのは危険なのだ。本人たちが意識しているかどうかは別として、彼女たちは”生き残る”ために同じ髪型、同じヘアメイク、同じソックスに揃えようとしたのだ。
✏ニスベットは、その他の実験においても、西洋人がこのような「分類学的規則」を素早く見つける傾向があることを明らかにした。それに対して東洋人は、規則を適用してものごとをカテゴリーに分類することが苦手で、そのかわり部分と全体の関係や意味の共通性に関心を持った。 (中略) 西洋人は世界を「名詞」で考え、東洋人は「動詞」で把握しようとしているともいえる。
✏西洋人の認知構造が世界をもの(個)へと分類していくのに対し、東洋人は世界をさまざまな出来事の関係として把握する。この世界認識のちがいが、西洋人が「個人」や「論理」を重視し、東洋人が「集団」や「人間関係」を気にする理由になっている。
✏インドで興った仏教は、中国で漢訳される際に変容し、日本に伝来したときにもういちど変容した。これは、もともとその国のひとたちが持っていた認識構造に合った思想しか受容されなかったからだ。
✏風光明媚な自然を愛でる日本人には、この世界を穢土とする思想はまったく理解不能��った。そこで日本の仏教者は、仏へと至るステップをひとつ飛ばし、現世をいわば極楽浄土に格上げすることで、死ねばすぐに(修行抜きで)仏になれるようにしたばかりか、生身の肉体のままで究極の悟りを得る「即身成仏」の思想まで”創造”した。
✏私たちは快適な家に住み、季節に合わせた服を着て、山海の珍味を楽しんでいるが、そのなかで独力で獲得できるものは数えるほどしかない。高度な文明社会では、ひとびとは”無力”になることでゆたかになっていく。 狩猟採集の民が現代人と遭遇したら、彼らは私たちがなにひとつできない(火を起こす方法すら知らない)ことを笑うだろう。
✏真の意味でのグローバルな宗教は、キリスト教と、ムハンマドが新たな預言を得て聖書を再解釈したイスラム教のふたつしかない。仏教は「法治」によって、儒教は「人治」によって身分や民族の壁を越えようとしたが、そこでは「神」が世界を支配しているわけではない。
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月丘さん、井上さんは夫婦ともども、ジャニーズ事務所創業者の故・ジャニー喜多川氏と姉の故・メリー喜多川氏と親しい関係にあったのは、関係者の間ではよく知られている。 「月丘さんが代表を務めていたクンクンの業務内容は、所属タレントに関わる雑誌、カレンダー等の企画制作における各出版社との契約折衝代行や化粧品の販売でした」と話すベテラン芸能ライターはこう続ける。 「メリーさんは実弟のジャニーさんの性加害を記事にさせないよう各出版社に働きかけていましたが、クンクンの業務内容から一連の性加害問題の責任の一端は月丘さんにもあったのではと言われています。さらに、月丘さんが当時出演していたCMは『一和高麗人参茶』という旧統一教会系企業の商品だったことから、月丘さんに“信者疑惑”が持ち上がっていました。高麗人参茶は医薬部外の化粧品扱いだったため、当時、クンクンでも取り扱われていたのではと囁かれていました」 ■夫も旧統一教会系政治団体の後押しで映画製作 月丘さんがCMに出演していた高麗人参茶の製造販売元の「一和(イルファ)」は、食品・高齢人参、製薬を生産するヘルスケア企業。旧統一教会による霊感商法が問題視される1970年代の終わりから1980年にかけて、「世界のしあわせ(現・ハッピーワールド)」という商社が同社製品を日本で販売して、積極的なプロモーションを展開していた。 「月丘さんが旧統一教会創設者の文鮮明氏に寵愛されていたため、このCMに抜擢されたと言われています。夫の井上さんも旧統一教会系の政治団体『国際勝共連合』の後押しで製作された映画『絶唱母を呼ぶ歌 鳥よ翼をかして』(1985年)と『暗号名 黒猫を追え!』(87年の)の2本の監督と脚本を担当しています。夫婦揃って旧統一教会とは関係が深かったんです」(宗教ジャーナリスト) 03年にジャニーズ事務所と関連会社3社と取引先に、東京国税局の査察が入っているが、その中には、月丘さんが代表を務めていたクンクンの名前もあったのだ。 「当初、国税の狙いはジャニー喜多川さんの個人所得に関する調査でしたが、関連会社数社に合計約20億円の申告漏れが見つかったため、査察に代わりました。査察後、関連会社の社長が法人税法違反で起訴されましたが、ジャニーズ事務所は『事務所本体とは無関係』と逃げ切ったんです」(元大手紙社会部記者) 月丘さんはジャニーズの関連会社の代表を務めただけでなく、近藤真彦の記念公演に出演したり、ジャニーズタレントとドラマでも共演。事務所ぐるみで関係が深かったという。
(3ページ目)「美 少年」不祥事で繋がったジャニーズと旧統一教会の接点…亡き“高麗人参”女優との蜜月関係|日刊ゲンダイDIGITAL
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2023/3/13〜
![Tumblr media](https://64.media.tumblr.com/2098525044493b7ccdb57e35c0f7b7d2/83f7e0bf77ec6204-e4/s540x810/fd8d74bf978b8ed4e1adb06ec2754599359222ec.jpg)
3月13日 いつものお昼休みのお散歩ルートは、梅の花びらが散ってしまい、大きな柑橘系の果実がたくさん落ちていた。
昨日、交通会館の下で開かれていたマルシェの店舗で、職場の方が使っているフクロウのマグカップが並んでいたので、写真を見てもらいながら報告をする。栃木の民芸品のお店で買ったとのこと。 唯一無二感あるけれど意外と量産されているふくろうちゃん。
自撮りの本は増田さんでなく馬場さんでした。
痛み止めと花粉症の薬を併用して良いのかわからず、今日はロキソニンを優先させた日だった。
そろそろ色々余裕を持って、たとえば日記をノートに書いても良いかも知れない。
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3月14日 最果タヒのはてなブログを見つけて嬉しくなったり、昔TSUTAYAで CDレンタルをしてせっせとiTunesに音楽データを入れていた頃の曲がプレイリストから不意に流れてきて嬉しくなった朝。 やってきました今日は、あなたと私のスペシャルデイ!そんな感じで出勤したら、上司からお家の近くにできた良いパティシエさんの焼き菓子をいただく。先日もらったけれど私は食べられない可愛いお菓子を渡したところだった。そのお返しとのこと。 やっぱり嬉しくなってその場は大喜びで受け取ってしまった。 それで、後になって、ふと今日がホワイトデーでそうゆう意味を持ったやりとりになっている気がして、あれ?となった。 お菓子をいただいた流れで、上司から幡ヶ谷と二子玉と学芸大前と国立の可愛いお菓子屋さんを教えてもらう。本当にかわいいので、プレゼントを渡す時の候補にしよう。 スパイスの効いたお菓子やチョコが好きだという上司にチリムーロをお勧めしてみた。 今の職種のとある現場で、研修会場に女性アイドルが来て研修をするイベントがあってそれが大人気らしい、という話を聞いた。 お昼休みに産業医との面談の中で、どうやって出張先で昼食を食べずに誤魔化してきたか、を訊かれたので「ガタイの良い男性が多く、みんなでランチする時もがっつり系のお店に入って5分くらいで済ませるので、その所要時間に足並みを揃えるようにほとんど残しています。」と答える。 保健師さんは「うまくやってますね」と笑っていた。 明らかに舐められていて人として傷つけてくる相手と連絡を取らなくてはいけなくなった。そのことを上司に伝えると、他の女性の上司を指して「◯◯さんもあんな感じだけれど、女だからって舐めやがって!とよく言っている」と教えてくれる。 人間、外側の取り巻くものが違うだけでこうも求められるものや対応を変えてしまうのね、とやっぱり外見って大切だと思ってしまう。 私はこの外見や外側の取り巻き(サイズや声や喋り方や歩き方)のままで、傷付かずに生きていけるようになりたい。 白いお花が綺麗に咲いていたので、明日はカメラを持っていけるといいな。
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3月15日 朝、ズドンと縦に響くような自信があって、とっても嫌な感じがした。 お昼休みに聞き続けている文月さんと平野さんのB&Bのトークでも、今日は2011年の3月11日のことを話していたところを聴いた。 今地震が起きて、その揺れで死ななくとも、その後の混乱を生き延びる自信がない。 予定通りカメラと三脚を持って出勤できた! 白いお花が咲き誇る木でたくさん写真を撮って出勤して、やっぱり写真を撮ることができた日は、まだ生きていてましな気持ちになれる。 でもせっかくスカート出勤したのにそれにそぐわない業務が発生して悲しかった。 昨日、そういえば、プリンターに出力されっぱなしだった退職願は誰のだったのだろう。A4の紙に20ptくらいの文字の大きさだったので、ぱっと目に入ってきてしまった。 池のほとりに自転車が一台倒れるように置かれていて不吉で嫌だった。 頭が赤い鳥が歩いていた。キジかしら。 3月15日は大学院の卒業式だった気がする。6年経っている。 あっという間ではない。全くちゃんと6年間を過ごしている。
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3月16日 明日、なぜそんな時間から?!という打ち合わせ予定が入る。 明後日、10℃に達しない天気予報を見てしまい心が塞いでいる。 異動の話がいろいろフライング気味でささやかれていてそわそわ。 少し遠くへ行ってしまう方へみんなで贈り物をすることになり「個人的に何かを…」と考えていたので、あれ〜〜…と空回りの残念な気持ちになった。6,000円するハサミと4,000円する穴開けパンチをあげるらしい。 文月さんのB&Bのトークを聴き終えてしまう。 ミスiDのことや震災のことを思い出して、だれかとそのことについて話したくなった。 昨日はNHKのクローズアップ現代で若い人の間で短��が流行っている、と特集していた番組を見逃し配信で鑑賞した。 スパイカレーの話をしたので、立ち寄ったコンビニの値引きコーナーにあった阿佐ヶ谷の有名店(?)のレトルトカレーを買ってしまった。 気になっていて乗り換えに余裕がある時にしようと思っていた、昨日入ったばかりのちいかわのガチャガチャが今日はもう売り切れていた。
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3月17日 人事異動の発表で1日そわそわした日。 昨日、赤い椿が咲き誇る木の下で、椿と同じ赤いカーディガンを着た女の子(たぶん留学生)がスマートフォンのセルフタイマー機能を使って自撮りをしていたことや、昼休みにフクロウとロボットを掛け合わせたマスコットに出会ったことを、彼らがもういない現場を見て思い出しながら出勤した。 青柳さんの“そだつのをやめる”を読む。 今の職場の外の環境にとてもあっている気がした。 自撮りについて書かれた本を返却し、ぎこちない会話への対応策の展覧会図録を借りる。 花椿アワーを聴きながら、tofubeatsのおすすめ音楽をなんとなく知る。 身体と頭が痛くて、不安だけど、不安だからアレグラとイヴを併用してしまう。 自分のまわりの小さな社会の人間事情が、機械的にぐちゃっとさせられて、仕切り直しが図られる季節。今回はちょっとショックをいくつか受けていて、泣きそうになりながら誰に何を餞別で送ろうか考える。 レンジでスパイスカレーを作ってみたかったけれど、今日はこぼれ落ちる元気を落としたっきりなのでよく眠ろうと思う。 帰り道、桜が咲いていた。
![Tumblr media](https://64.media.tumblr.com/be6cd0039b02a89a8d83659cb19d413f/83f7e0bf77ec6204-13/s540x810/769256d8aeb2253c34e3fb09750a56fe4cdf92d4.jpg)
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ビアンカがホットハニーレモンジンジャーを用意してくれている。ポッドでお湯が沸いている音がする。ジャケットのフードを被ったまま熱心に本を読んでいるナオヤがいる。私はそれらから1~1.5mくらいのところで膝にパソコンを開いている。左膝にはラーメン(小さな柴犬)の熱を少しだけ感じる。時刻は16:56、12月28日、RV(キャンピングカー)トリップの3日目。RVに乗ってから、丸48時間が経ったのかな。時間のことはよく判からない、不思議な心地だ。
他の3人はRVの外のテーブルに居て何やら話し込んでいる。きっと明日のプランだろう。
6人もいると、行動は大変かと思いきや、全然。ノーストレス。
旅は、その序章が12月21日に始まった。崇とカレンとヌヌ(おでぶな柴犬)と出発した際の事はもはや鮮明には思い出せない。自分の記憶倉庫の小ささに本当に驚く。
ビアンカは音楽が好きだ。いや、みんなそれぞれに好きだけど、誰よりもすぐに音楽をかけて、誰よりもみんなが納得をするDJをするので、もうすっかりDJの座はビアンカのものになった。ホットレモンをみんなに配った後、本を開いてすかさず、音楽かけて良い?と断ってから、静かなジャズが始まった。
ビアンカとは12月21日に初めてサンフランシスコで落ち合った。ビアンカはニューヨーカーなのだけれど、今は仕事でLAに住んでいて、休暇はサンフランシスコにいるという。公開は禁じられている途方もないセレブの家を建てる仕事に就ているところとのこと。この部屋の外では話しちゃダメよ、と言いながらセレブの名前を教えてくれた次の日には、この車の外では話しちゃダメよ、と車内で話して、ここ以外では話しちゃダメよって言ってみんなに言いふらしている、と笑っていた。ビアンカは崇のコロンビアの同級生で、そのままアメリカで建築家になった。崇は建築でコロンビアに入ったのに、卒業する時にはメジャー変更をしてすっかりテックの人間になった。
台湾人達は皆洋名を持っていて、「ビアンカ」と言われてもどんな人間を想像していいのか今一つわからなかった。
初めて彼女を目にした瞬間のことはとても鮮明に憶えている。
私は車の後部座席に座っていて、眠くて、降りなかった、ビアンカの家に着いた時。崇とカレンが降りて、お団子を高い位置に作った背の高い女性が現れた。手の振り方とか、ヌヌを可愛がる「オーマイガッ」の発音などから、とてつもなくアメリカンな雰囲気を感じ取った。それがほんの5秒くらいの間に捉えた第一印象。
聞いていた話は、すごく料理をする人、ワイナリー巡りには熱心だと思うということ、くらいかな。買い物リストをカレンとビアンカが作ってくれていて、もう本当に凄まじい量の食材が並んでいて、私と崇はどうやって二人の暴走を止めようか、と目論んでいた。そんな感じで初めましてをした。サングラスを額に乗せたアメリカンな彼女が隣に、小さくてシャイな芝犬を膝に乗せて乗り込んできて、ようやく2024EOY tripの始まり。
まずはサンフランシスコの日本食スーパーに行って買い出し。特に恐れていたような暴走はしなかったし、レトルト食材を平気で買う感じから、聞いていた「ビアンカ」象は早くも改まる。
最初のAirbnbに向けて車旅が始まった。その柔らかな口調が、第一印象のイケイケ系アメリカ��な印象を改めていく。気遣いの細やかさも「良い人」感が強まる一方。
1件目のAirbnbはものすごく大きかった。元々6人+2匹というプランで予約して、直前で来れなくなった人がいて4人プラス2匹になったので一人一部屋あるやらもうとにもかくにも広い。アメリカンピーポーと旅をするととんでもない贅沢をする事になるんだなぁ、という感覚。難しいことは考えず、ここまで来たんだから楽しみ切れれば良いなという思いでスタートした。
一通り贅沢すぎる家の、扉という扉を開いてキャーキャー言った後、ビアンカはすぐさま犬の散歩に出た。(という記憶があるやらちょっと自信がないやら)。タカシとカレンの犬の飼い方にかなりカルチャーショックを受けていた(散歩に出ない。基本寝てる。贅沢なご飯。プリンセスプリンセス)ところなので、ビアンカの犬ファーストな様子にはちょっと安心した。稼いでるんだろうなぁ、というオシャレな革リードに、こだわったドッグフードに、すごいわ。インディペンデントウーマンね、と私のことをおちょくったその言葉、そっくりそのまま本気でお返しするわ。
最初の晩は鍋をした。私は何かと洋食ばかり自炊するので、みんなのアジア食好きが面白い。長いこと自国を離れると、できるだけふるさとのものが食べたくなるものなのだろうか。私は昔から、どこに行っても、日本にいても、主食はパスタだし、米はリゾにしがちだ。みんなでつつく鍋はもちろん美味しいし、一向に不満はない。
==============
今は12月29日(日)の23時47分。私は早くも3泊目となる(実際の感覚はもっとたくさん泊まった気がする)ロフトでの寝床(キャンプ用のマットレスに寝袋)を用意して上記までの記述を読み直しながら再び少しだけ書いてみようかと思う。既にカレンの寝息が聞こえて、ナオヤが扉を開いてキャンピングカーを出ていった、おそらくトイレかシャワーだろう。
私の寝床の真横に寝ているビアンカにはタイピングしていても平気?と聞いたら「I can sleep in any condition」と3回目くらいの同じセリフを聞いた。
カレンのベットには犬が2匹寝ていて、奥のキングベッドにはタクオミとタカシが居る。タクオミはDUNEを英語で読んでいる。タカシ(=崇)はスマホをみていて、私の真下のベッドのナオヤもスマホを見ている。なんだかすっかり日常を感じる、キャンピングカーに。素敵な感覚だ。
キャンピングカーの第一印象は、思っていたより広い!だ。とても広い。
とはいえ6人(+2匹)で生活するので、言うても割と一杯一杯。
今日は雪山ハイキングをした。ビアンカと二人で朝の5時に起きてみんなのランチボックスを拵えた。カレンもすぐに起きてきてたくさんのベーグルにひたすらクリームチーズを塗ってくれた。雪山はとても本格的で大変だったけれど、下山後のロッジがとても素敵だった。
帰宅後のシャワー、そして魚介のリゾットはもうこの上なく最高だった。美味しかったなぁ。毎食とてつもなく贅沢に食べることにみんなで一心になっている。
一つのキャンピングカーの中で、毎晩異なる展開が、計画外で形成されていく感じがものすごく面白い。たとえば今、3泊目の夜は、上述のように、寝る人は寝たけれど、書いている私を含めて起きている人は起きている。このケースは初めてだ。
昨夜はみんな焚き火の煙臭が凄まじくて、シャワー浴びた人からどんどん寝ていった、翌朝が早いので。その前は、、、と考えてみて、今晩は既に4泊目なのでは!?となった。出発日は26日なので、29の晩というのは4日目?
毎日楽しいことがあって、もうよくわかりません~。
旅の始まり、Airbnbパートの12月21日に話を戻そう。
最初の晩は鍋をして、うわー!たくさんDVDがある、とかジブリ映画の話とか、スターウォーズ観ていないなんて、というお決まりの話とか。
ともかく家が贅沢すぎて、もうここに一週間は泊まりたい、そう思っていた。旅好きが伺えるインテリア(いろんな旅行先が収められたたくさんの額縁がいろんなところに散りばめられていたり)に、全てが使い居心地の良いグッズ、空間。(使えるリキュールを揃えなかったけれどシェイカーがあった。今度からアメリカのサマーハウスに行く時はカクテルセットを持っていきましょう)
ポーカーを一通り楽しんだ後に、おやすみと解散して、私はリビングで本を読んでいた。しばし集中していたら、突然にビアンカの部屋の扉が開いて、「気づいちゃった!」というので、何かの大事だと覚悟の気持ちで続きのセリフを待った。スターウォーズを半強制的に観させられていたAVスペースのタカシも、どうした!?という感じで固唾を飲む。
「餅を食べ忘れちゃった!」とビアンカ。
タンユェン、と言って、中国では冬至の日に欠かさずに食べる団子があるのだそうだ。カレンとビアンカはいずれも台湾人である。
眠って目を閉じていたのに、急に思い出しちゃった!という。
私とタカシは冬至のこだわりは無いものの、私はありがたく楽しく、その文化を味わった。
団子を拵えて、楽しんだ後に、健やかにおやすみ~!と部屋に引き上げたビアンカ。
翌朝は少し散歩をした。ネイバーを味わうのはとても楽しかった。別荘街を丹念に歩いて、建築物などを楽しんだ。もののけもののけ言い合っていた雨林帯に、木の家はカビそうだなと思ったり、深い緑の中に一台の真っ赤なジープが良く映えたり。
はて、22日は午前中から本当によく飲んだ。ワイナリー巡りある。
1件目には11時にJoseph Phillips。晴れではなかったけれど、ワイン畑のドライブは最高だった。10年も経つけれど、南仏巡りが鮮明に思い出されてノスタルジックなドライブ風景。
JPは身の丈に合わない気がするくらいゴージャスがすぎる空間。ぶどう畑が広がる展望を存分に活かした建物、玄関。駐車場からわざわざルートが定められて入り口まで誘導されるのだけれど、通る時には“なんで?”となる。どこを歩いても玄関に行けるのに、なぜわざわざここを通るようにと定められているのか、と。
リッチな空間に入った後、ウェルカムシャンパンを片手に席まで案内される。座席は背の高いテーブルに座高の高い椅子。溢れんばかりの輝くグラスたち。全員の氏名が印字されたワインリストも重厚なバインダーに挟まっている。あまりの裕福な環境に馴染みきれていない間に、スーザンが登場。恰幅が良くて背は低め。セーターにはコルクが縫い付けられていて、ツリーになっていた。ライトがキラキラとコルクと一緒に縫い付けられていて、ゆかいこの上無い。重厚なメガネに、クリスマスなイヤリング。誰しもが楽しくなる人がスーザンだ。
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今は1月3日の15:42。San Joseのダウンタウンにあるカフェに、タカシとナオヤといる。日本ではカフェでMacBookを開くのにほんのちょっとだけ抵抗を感じる。なんかそれっぽくなるのがすごく嫌で。笑 アメリカではMacBookがiPhone人口くらいの勢いなのでなんとも感じない。私たち日本人3人はややBGMの音の大きすぎるカフェの大きなテーブルでそれぞれのMacを開いてそれぞれなんかやっている。私は29日の夜中にキャンピングカーのロフトで少し書き進めたその日からさらに1週間前くらいの日記を読み直したところ。
旅が終わった。
旅が終わるのはいつも寂しい。でも今回はそれなりに肉体的な疲れもあるし、NYCが好きすぎるので帰ることが楽しみでもある。でもNYCに戻ったら残り後ほんの20日間ほどで、本当の帰国になるので、そのことを想像するともっと寂しくなので先のことに思いは馳せないようにしている、そんな1月3日。正月感は全くない。元日の朝にキャンピングカーのキッチンでビアンカとお雑煮を作った時間が正月感のピークである。
昨夜はMBAの試合を観に行った。とてつもなく楽しかった。クラブにいるみたいな騒ぎだった。アメリカってこんな感じなんだなぁ、と改めて体感もして楽しかった。朝は仕事に行ったカレン以外のみんなで素敵なカフェで朝ごはんを食べた。都市に戻るこれ以上なく最高のやり方なんじゃない?と好きな時間だった。テラスで朝食食べる冬の西海岸最高。朝ごはん食べた後はビアンカのオフィスで少し仕事をしてからSF散歩をした。
その前の晩、すなわちRVを降りてカレンの家に戻ってきた最初の晩はみんなで『あいの里』に(布教を受けて)没頭して��不足になった。
今日の午前は写真のアップロードに費やした。初めて見る動画が沢山。見直し出してみて、もうRV Tripが手の届かないところに去ってしまった感覚と直面した。旅の全部が、あまりにも最高だった。RVを降りてからも結局みんなで一緒にいるから、旅が終わってしまった感覚が急激ではない。普段の旅行や登山では、山を降りたり、駅についたりすると友達と解散をするから、その瞬間からどっと襲ってくる、旅の終わりの感覚が。でも今回は、終わった後もみんなでご飯食べて、シャワー譲り合って、買い出しの話をしていて、なんだか新しいカタチだ。
ビアンカ(私の1月の大屋さんになった)は昨日LAに戻った。
ナオヤは明日日本に帰る。
私は明後日の早朝にNYに立ち、タカシとタクオミは明後日の夜NYに立つ。
SJに残るカレンの寂しさを想像すると他人のことながら胸が潰れそうになる!友達と一週間くらい過ごした後にみんなが帰って行った時のあの感情の、今回はどれほど膨大なものになるのだろう。ボーイフレンドまでもみんなと同時に去っていくのだから。
崇が昨日仕事のmtg中に、once in a lifetime levelの旅だった、と同僚に向かって言っていて、アメリカっぽい大仰な表現だなぁ、と隣でMR作りながら片耳で聞いていた。でも今こうしてpagesを前に書きたい気持ちと何を書けば良いのか、という気持ちと、どこからどうやって記録すれば良いのか途方に暮れる現実を前に、確かにこの旅は、どこから手をつけたら良いのか自分でも手に負えないくらいの大きな大きな旅だったんだなぁ、と実感している。スパイシーなチャイラテが切れたのでpagesも新しくして何かを書いてみたい。そういえばチャイラテを作ってくれたお姉さんに「by the way あなたの名前とても素敵ね」と言われて嬉しかった。アメリカでそんなこと言われたの初めて。
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241222 日
中国の怪しい通販サイトでいろいろと小物を買ってしまう...
FPVドローンやってた時に散々この手のサイトは利用した
当時30万円分くらい買ったが、もし日本で同じスペックの装備揃えようとしたら80万はくだらなかっただろう
向こうの価格はとにかく国内の2/3以下なのだ
ラジコンに使うリポ(リチウムポリマー)バッテリーに関してはあまりにも中国にシェアを奪われすぎて皆それを買うから「リポは爆発するもの」という認識がラジコン界隈に浸透してしまったほど
なぜ爆発するかは「過充電と過放電」によるもので、それが発生する理由は「複数バッテリーをビニールコーティングしたパッケージを一本のバッテリーとして取り扱っている」ため
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【リポバッテリー爆発うんちくコーナー】
リポバッテリーパックには2CELL 4CELLなどの表記があるが、これが中に入っているバッテリーの「本数」である。中型ドローンを飛ばすには1CELLでは到底パワー不足の為、当然4CELL、6CELL以上のバッテリーを使うこととなる
中国製バッテリーは個体差が激しいため、複数本をまとめたバッテリーパック内では充電状態にバラつきが起きる。これを抑制する為に端子部分にICを内蔵し内部のバッテリーの放電状態を常に監視し続けている。つまり「一番性能の悪いバッテリー」に合わせて他のバッテリーのスペックに制限をかけているのだ
だが、中にはその落差があまりにも激しいパッケージも存在するし、経年劣化でその差はより一層顕著になる
するとICのリミッターでも充電量の差を制御しきれなくなり、過充電 / 過放電が発生しバッテリー内部が変質、爆発に至るのである
これを防ぐには「バッテリーの個体差を限界まで無くす」必要があり、日本は90年代までその技術を有していたのだが中華製バッテリーの台頭によってシェアを奪われその技術は衰退した
ユーザーサイドも消耗品であるバッテリーにそこまでコストをかけたくないというのが本音だ
その結果リポバッテリー=爆発するバッテリーという認識になってしまった
ちなみに中華製リチウムイオンも爆発はするが、基本的に「1CELL」なので過充電 / 過放電が発生しづらい
かつ、リポは内部が「ゲル状」、リチウムイオンは内部が「固体」という点も変性のしやすさに影響を与えている模様
--- 私は今も複数のリポバッテリーを所有しており、常に発火リスクを抱えている為「防爆バッグ」に入れて保管している。もう使うことも無さそうなので処理しなければ、と思いつつ数年経ってしまっている(大掃除兼ねて、塩水につけるか...)
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バッテリーに限らず中華製品には「初手の手抜きを高度な小細工でフォローするもあとでボロが出て大変な事になる」という構図が多すぎて、私はその「粉飾文化」を苦笑いしながら愉しんでいる
食料と衣類に関しては体内に直接毒が入る可能性があるからやめときなと注意された事があるが、まあ、同意だ
著作権無視と毒アンド爆発フラグに満ちた製品群...
ちなみにというか当然エ●●●ルのコピー品も売ってる。サンプルで使われている写真がファン投稿サイトのものだったりとメチャクチャだ。アングラサブカル好きとしては手を出してみたい欲求はあるが...
コンプラ的なアレを鑑みてやめておこう
かつてたくさん買ったドローン群。どれ一つとして「技適」マークついてないので仮に無線免許取って飛行許可申請したとしても飛ばせないんだよな...
首相官邸にドローン落としたバカの所為で日本のドローン規制は5年早まった。とはいえその後世界的にドローン飛行は規制されたので遠からず...というアレではあった(自動操縦 / セミオート操縦時の事故の責任の所在が曖昧で裁判ができない、ってのが問題だったんだよな。今は目視外で操縦した時点で「罪」というシンプルな法律になっている)
テクノロジーの利便性とそれが作る未来の可能性は横において「問題起きた際の裁判の難易度」をいたずらに上げない為に、新しい技術には一旦「使用申請」と「免許」を必須にする処置が取られる
【✓】
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2023年8月4日(金)
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早めにランチを済ませ、今日も<京都みなみ会館>へとやってきた。今日のターゲットは<銀河鉄道の父>、“無名だった宮沢賢治を支えた、父と家族の絶対的な愛に涙する。日本中に届けたい感動の物語”とのことだが、もちろん何の予備知識も持っていない。酷暑の中のこの3日、暗い劇場で怒って笑って泣いて・・・、感情を解放して大きな感動を得ることができた。暫くは原稿執筆のため来られないが、9月になればまた来よう。
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4時起床。
日誌書く。
5時30分を待ってシャワーを浴びる。
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朝食、洗濯、弁当*2。
可燃ゴミ、30L*2&45L*1。
ツレアイを職場まで送る。
ホンダファイナンスから銀行振替依頼用紙の押印が不鮮明とのこと、書類を書き直して投函する。
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9時を待って七条大宮の<笹屋伊織>まで、明日の熊野行に持参する土産を購入する。用意していただいている間のお茶が美味しい、もっとも、隣の席には宇治金時を頬張る若い女性がいたが、この時間になぁと、少しビックリ。
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<よこはま落語会>から8/12(土)のチケットが届く、いよいよ来週だ。
早めにランチを済ませ、208系統のバスに乗って近鉄東寺前へ。
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2023年/128分/日本 原作:門井慶喜「銀河鉄道の父」(講談社文庫) 脚本:坂口理子 音楽:海田庄吾 製作:木下グループ 制作プロダクション:キノフィルムズ / ツインズジャパン 配給:キノフィルムズ 助成:文化庁文化芸術振興費補助金(映画創造活動支援事業)独立行政法人日本芸術文化振興会 出演:役所広司 / 菅田将暉��森七菜 豊田裕大 / 坂井真紀 / 田中泯
質屋を営む裕福な政次郎の長男に生まれた賢治は、跡取りとして大事に育てられるが、家業を「弱い者いじめ」だと断固として拒み、農業や人造宝石に夢中になって、父・政次郎と母・イチを振り回す。さらに、宗教に身を捧げると東京へ家出してしまう。 そんな中、賢治の一番の理解者である妹のトシが、当時は不治の病だった結核に倒れる。賢治はトシを励ますために、一心不乱に物語を書き続け読み聞かせる。だが、願いは叶わず、みぞれの降る日にトシは旅立ってしまう。「トシがいなければ何も書けない」と慟哭する賢治に、「私が宮沢賢治の一番の読者になる!」と、再び筆を執らせたのは政次郎だった。「物語は自分の子供だ」と打ち明ける賢治に、「それなら、お父さんの孫だ。大好きで当たり前だ」と励ます政次郎。だが、ようやく道を見つけた賢治にトシと同じ運命が降りかかる──。
中学生の時に<雨ニモマケズ>のパロディーを作ってテレビ番組に投稿し、紹介されたことを思いだした。まったく知らない賢治像の造形、見終わってからすぐに原作を注文した。
帰宅して明日の荷物準備、まずはモバイルバッテリーを充電し、ケーブル類を揃える。他のものは明日の朝で十分間に合う。
発注した<瑞冠>が届く、お盆に少しずついただくのだ。
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夕飯は蒸し鶏、さんだかん燻製工房の骨付きハム、レタスとトマト、これで冷蔵庫の食材はほぼ空になった。息子たちの夕飯が終わる頃にツレアイ帰宅、先にココの点滴を始める。いつもなら3男がサポートするのだが、今日は私の役目、気配を察したココは2男の部屋のベランダに隠れている。移動用籠の中で私が頭部をおさえ、彼女が針を刺すと観念したのか意外に大人しい。10分程度で終了、お疲れさま、これで元気になるよ。
残り物を肴に、冷酒+🍷、そこそこで切り上げる。
久しぶりに散髪をしてもらい、入浴後の体重は3日前から550g減。
彼女が入浴している間に食器の片付け、とは言え既に睡魔到来、布団の中へ滑り込んだ。
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今日も3つのリングは未完成、水分は1,690ml。
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11月29日、チェルシーのダイナーで買いています。テレビでは大学生のバスケの試合が流れ、ラジオからはガンズアンドローゼズが流れ、天井のファンはゆっくりと回る。なるべく個人的なことを忘れないうちに。
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10/28(日本)「行ってみないとわからない」渡航前に俊平さんとミーティングをして出た結論がこれだった。ビザも飛行機も住む場所も整った。でもそれ以外はほぼ白紙。いくつか送ったメールはほぼ返ってこず。申請書にあんなに大きなことを書いたのに、実際にそんな立派なリサーチが自分にできるのか。いくつか送ったメールはほぼ返ってこず。成果を求めないとACCの方は言って下さったけど、自由に貼りついた責任の二文字を撫でながら、自分がとんでもないほら吹きになったような気分で渡航の日を迎えてしまった。
数日前に偶然出会ったカメラマンTommyに言われた言葉’Stay active, talk to people’ をノートに書いて家を出た。期待と不安と興奮ともう一つ何かが体の中を泳いでいる。
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10/28(NY) JFK空港に到着したのは夕方4時頃。約12時間のフライトはほぼ寝られなかった。いくつか映画を見たけど、E.T.で号泣して着陸。シンプルでエバーグリーンな物語にもだけど、その中にある大胆な省略にめちゃくちゃ感動した。見終わった後、遠くの空に思いを馳せるような作品に携わりたい。シリアスな現実も大事、だけど圧倒的な夢の一部になりたい。子供の中に大人はあって、大人はどこか子供である。
遅々として進まない税関を抜けて滞在先のBrownsvilleにたどり着いたのは6時頃。電車の中、揺れるスーツケースを抑えながら、夕日に染まる街並み眺めた。どこかに似ていてどこにも似ていない景色。その景色の一部になっていく。その後何度となく思うことになる「来てよかった」はこの時が最初。
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10/29 目が覚めたのはおそらく8時とか9時だったと思う。とても深く眠った。やっと深く眠れた。起きてすぐ家の周りを散歩。ダンキンでシナモンとチョコレートのドーナッツ、そしてホットチョコレイトを注文。食べながらまた歩いた。家の目の前には学校と公園。ちょっと歩けばランドリーやデリがあり、小さな教会がいくつもある。
この日は生活に必要なものを揃え、昼過ぎからBushwickの辺りをぐるぐる歩いた。いくつかの古着屋とレコード屋を巡っていたらもう日が暮れていた。下北とか高円寺でもできることをここでもやる。というかどこの土地に行ってもやっている。レコ屋や古着屋、コーヒー飲みつつ本を読んだり作業ができる場所(遅くまでやっていたら更によし!)、を探して自分なりの地図を作る。
家に帰って俊平さんと乾杯をし、この2ヶ月でどんなことしたいかを話した。言葉にすると叶いそうな気がする。
眠くなるまで明日以降で受けたいワークショップやスタジオを探した。自分が勘違いしていたこともあり、ドロップインで受けられる演劇のクラスがなかなか見つからない。少し焦る。
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10/30 8時頃起床。10時からTrisha Brown Dance Companyのクラスを受けにマンハッタンへ。 会場のEden’s Expresswayはソーホーに立ち並ぶある巨大なビルの一つにの中にあった。チェックインを済ませ、今にも崩れ落ちそうな階段を上って4階へ。辿り着いたのは陽の当たる美しいスタジオだった。明るい色の木の床と白い壁、そして大きな窓が三つ。その前に並ぶ植物たちを邪魔しないように参加者はそれぞれの荷物を置いていた。
Mariah Maloneyは自分の体の重さを感じるようにを指示を出す。体の心地よさ、衝動に従って体を動かしながら床との関係をとりながら自由に動く。ペアになってマニュピレーション、そこから即興的な動きに展開し、次第に皆でインプロ。そしてしれっと振付。出てくる動きがユーチューブで見たいくつかの動画を連想させるもので「トリシャブラウンっぽい!」っとなんだかグッと来た。振付をもとに改めてペアワーク。更にスローモーションで沈んでいくタスクと新しい振付を手渡して三つを自由に行き来しながらセッション。2時間はあっという間に過ぎた。Mariahはワークの度に自分がカンパニーにいた時のことや、Trisha Brownに言われた言葉をシェアしていく。会場��カンパニーが使用していた稽古場だということが彼女の描写を細かくしていく。単にテクニックを紹介するだけじゃなく、人間性やそこにあったやりとりや景色すら手渡していく。ニューヨークに来てはじめてのワークショップがこのクラスでよかった。 クラスが終わってからMariahやワークショップを主催しているmovement researchのインターンの方に話をきく。会場のことやおすすめのクラスなどを教えてもらう。 その後Alexander Techniqueを受けにGibney at 280 Broadwayへ。このスタジオは今回の滞在でとても重要な場所かも。大小いくつもの部屋があり、大きなスタジオには照明を吊るためのバトンとロールバックの客席も用意されていた。天井の一部はガラス張りになっていて、見上げると空が臨める。この日は青空。世田谷パブリックシアターの天井のことを思い出す。
アレクサンダーテクニックのクラスは小さな部屋で自分含めて4人。正直英語は6割ぐらいしか分からなかった。ペアになり身体を解いて行く。Sarah White-Ayónの声がけに従いながら身体はあるべきところに戻っていく。驚いた。終わってすぐにメモをとってみるけど、体へのアプローチを文字にするのはとても難しい。
クラスが終わって同じペアだったJと改めて自己紹介。「コンタクトインプロビゼーションのすごいジャム」を紹介してもらう。
俊平さんとセントラルパークを少し歩いて帰宅。9時頃にはもう眠かった。
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10/31 この日も深く眠って1時からWe Speak English。会場のWebster Libraryはマンハッタンの右上にあった。英語が第一言語じゃない人のために行われる無料の英会話教室。参加者はフランス、中国、韓国、ベネズエラ、日本、チリと様々なところから来ていて、自分のように用があってしばらく滞在している人もいれば住んでいる人もいるようだった。
主なワークは以下の通り。①自己紹介→他己紹介(名前、出身、NYの最高だと思うところと最悪だと思うところをペアになって話し、その後皆にペアの相手を紹介。)②そこから「自分がここに何年も住んだとして、ニューヨーカーになったと感じたとする。それはどんな瞬間か。その時に自分に��きている変化は何か」というお題でディスカッション。自分は「今の自分のよりタフになったとき、そう感じるのかもしれない」と答えた。参加者の年配の方にものすごく同意された。先生の「自分は小さい時にドミニカからニューヨークに来て今に至るまでずっとニューヨークにいる。ニューヨーカーだけどドミニク人だと思っている」という言葉が印象的だった。「それぞれの文化や習慣をもったままここにきた時、どこまでこの土地の、この国の文化を許容し、合わせるのか」というお題も出た。英語で答えるのが難しいし、なかなかに深い問いかけ。しばらく皆黙ってしまった。口火を切ったおじさんの英語はなまりが強くほぼ分からなかった。自分もあれこれ話したかったけど「いろいろ手にとってみたいタイプっす」としか答えられなかった。そこから今日はハロウィンだよーという流れになりお菓子が振る舞われ、③最後はビデオを見ながらなぞなぞとディスカッション。ビデオは非英語圏の方が病院に行く時の困難が描かれていた。
曖昧なリアクションはしないで、分からない時は分からないと伝え、聞き取れない場合は「もう少しゆっくり話してください」と言えばいい。大切なのはちゃんとやりとりがしたいという意思を伝えること。平易な言葉でものすごく重要なメッセージのこめられたビデオだ。これからの日々を過ごす上でとても大切なものを与えてもらった気がする。
イーストリバーをぼんやり眺めてからセントラルパークを横断し、Museum of Natural Historyへ。度肝を抜かれる物量。地球上のあらゆる生物、地球そのもの、宇宙までもがミクロにマクロにシームレスに語られている。超面白かった。インターンの青年がバイソンやエルクについて熱く語ってくれたのもよかった。この博物館にあるもの全てが区分けされているようで全て繋がっている。そして連綿と続いていたものを人間が壊しまくってきた歴史を見るようでもあった。ニューヨークの歴史の語り方を批評し直す展示もあった。膨大すぎて見切れず。また行こう。
夜はブルックリンに移動してTouche Amore。完璧。完璧すぎるハロウィンの夜。この瞬間に次はない。だからこれは自分の歌だと言わんばかりキッズたち。一人の歌が一人一人の歌になる時、音楽にしか起こせない革命は起きる。
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11/1 朝10時からGagaを受けにGibneyへ。じっくり展開していき、言われるがまま踊りに踊った。充実感とともに寝そべる。天井の窓は曇っていた。お昼もGIBNEYでMELT。あらゆる方法でずっと筋膜をリリースする2時間。英語、全く聞き取れずとても落ち込んだ。夜は俊平さんと在外研修制度で来ている友野翔太と合流してMOMAへ。ユニクロナイト、超すごかった。ヘトヘト。やはり見切れず途中で断念。展示の内容もさることながら時代やジャンルをシームレスに繋がっていく空間のあり方、偉大な作品群の中で突然現れるお絵かきワークショップ、子供に向けて書かれた注釈なども興味深かった。ロビーではlot radioとMOMAのがコラボレーションでDJが曲をかけている。来た時にはハウスがかかっていて、帰る時には優しいフォークっぽいのがながれていた。広い空間があっていい音楽がなっていたらひとは踊る。踊るひとを眺めながらおしゃべりしたりお酒を飲んだりする人もいる。いい時間だった。とってもよかった。美術館でDJしたいっす。翔太と俊平さんと屋台のハラルフードを食べつつ、作品の感想やベンチの重要性なんかについて話した。
![Tumblr media](https://64.media.tumblr.com/666e9206bd82c5accf80bdd51bd23b66/85f8ffc368a63c8f-96/s640x960/e38e0ced2ffe9c1908c785294cb63ca49ac77e39.jpg)
11/2 朝、Yoshi Amaoさんが主催されているSamurai Sword Soulのオープンクラス。 会場はブルックリンのChez Bushwick Studio。このクラスはMasaya Okuboさんに誘っていただいて知った。Masayaさんは弟の紹介。人のつながり。まさか初めての殺陣のクラスがニューヨークだとは思わなかった。恥ずかしいほど何もできず。この滞在、できることを確かめるより、できないことを集めていく60日なのかもしれない。悔しいと思うものがあれば何かしら動いていく。殺陣、日本戻ったら始めます。
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11/3 コインランドリーに挑戦したのがこの日だったと思う。感想も含めて6ドル弱。靴下が若干縮んでしまった。その後、スタージナタリーの記事を書き、4時にはOpen movementというイベントに参加すべくPerformance Space new yorkへ。全く何が行われるか分からなかったけど、インスタの写真を見ていくと決めた。あまり詳しく調べない。調べたら怖気ずく。
会場はイーストビレッジのビルの4階、お茶が飲めるスペースの奥に巨大なクラブのような空間があって、既に50人ぐらいの人が静かにストレッチなどしていた。この時点ではまだ何のイベントなのかはまだ分からず。 謎の人が現れ、一人一人に耳打ちして指示を出していく。自分は「誰か一人の動きのコピーをして。ただしバレてはダメ。そして2メートル以上近づかないで」という指示だった。50人が黙々と指示通りに動いていく。集団になって動いたり、動物の鳴き声を模倣したり、寝転がったり、時間をかけてゆっくりと歩いたり、自分と同じように誰かをコピーしたり。ひたすら静かにカオスな時間が流れて謎の司会者が少しお喋り。「じゃあしばらくみんなで即興!」と言って爆音で音楽がかかる。絞られたピンクの照明の中、爆音でかかるハウスミュージック。せっかくの広い空間、自分は思いっきり走り回った。 数曲かけたところで再び司会者登場。どうやらここまでがウォームアップだったようで、言われるがまま空間の東��南北に分かれて「儀式」を作るワークショップ。チーム名を考え、大切なものを一つ用意する。それの崇め方をみんなで考え披露する。その後空間の位置も工夫して、他のチームを巻き込んだ儀式をシェアしていく。実に3年ぶりの英語でのグループワーク。相変わらず付いていくので必死だった。頭の中にアイディアはいくつもあったけど、なんて言おうか考えているうちに話はコロコロ変わっていってしまう。自分たちのチームは一冊の本を神と崇め、その本を経典とし、ランダムで選んだ文章を読み上げ、他のチームに復唱してもらうというパフォーマンスを行った。復唱しながら次第に動きが生まれ、移動式の聖歌隊(だいぶよく言っています)のようになっていくというものを披露。
思ったより上手くいったこともあり、パフォーマンスが終わった途端に喉が渇き、会場を出てロビーで一息ついていると、同じグループの女性もやってきた。引っ張っていってくれてありがとうと伝えると、適当に言ったことをみんなが喜んでくれたから上手くいったね、と言う。自分が日本から来たこと、滞在の目的、英語に難儀したことなど伝えると、彼女は最近まで高円寺に滞在していたと教えてくれた。CAVEのことも知っていた。狭いぞ、世界。話が盛り上がっているうちにワークショップは終わっていた。 アートやダンスが好きな人が昼から集まり、自由に過ごすことができる。そしてある時間になるとゲストがやってきてワークショップが行われるというのがこの日の趣旨だったらしい。
この日もやはりヘトヘトになって帰宅。明日以降の予定を考えて寝たと思う。
やるべき事、行くべき場所、会うべき人は増えていくばかり。そりゃそうだ。ニューヨークなのだから。瞬きするスピードで1週目を終えた。初日の不安が嘘のよう。
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波打ち際柄うちわ、かぜ
あてててて。腰が痛い。そりゃもう37なんだから腰も痛くなるわ。というのはあまりしっくりこない。明らかに体重増加後に、中腰の姿勢で長時間過ごす業務を経てから腰痛を感じるようになったのであって、あの業務がなければ、またこのように過重していなければ、37の私でも腰は痛くなかったはずである。ただ、その業務はひじょうに楽しかったので、憎むらくは体重増加。みしみし。あの頃、60kgの巨体が…と自分の体について思っていたが、なんといま、75kgの化け物になってしまった。なんというか体型が妖怪である。自分の足腰で自分の体重を支えられず。それでも、11月から実家と自宅を行き来しつつ療養し、なんとか、「5分以上歩くともう腰が痛い」の状況は脱したようだと今日分かり、とても嬉しかった。なぜこのような妖怪体型の化け物になってしまったのか、その理由はさまざまあるのだが、まあ、うつ状態の予防と回復のための過食・暴食が一番の要因であろう。本当に、うつがなければさ。もしくは、うつ状態になっても、食べられないくらいの重症度だったら…と書いたところで気づいたが、以前はそうだったのである。つまり、うつ状態の重症度がやや下がったことにより、自分でうつ状態の予防のために食べたり、うつ状態を終わらせるために食べたり、ということが、できるようになった。そのために食べるなよ、という感じではあるが、とにかく私の小さい頃からの「体を動かす方法」が「まず食べる」だったため、このような残念なことになった気もする。不規則な生活、不眠、暴食、運動量の低下。もうヒャッハーという感じだ。私は「規則的な生活」に懐疑的な人間ではあるのだが(不眠により規則的な生活を送れたことが人生で1度もないため)、それでも決まった時間に食べることは間食の抑制や、食事量の抑制に効果的だと思う。そして少なくとも実家にいる間は、少しの過食はしたが、お腹が痛くなるほどの暴食はしていない。まずは病的な過食行動を取らないこと。そのために3食食べること。糖分よりもお米で糖質を摂ること(糖分で摂ると結局脂質も摂ってしまうことが多いため)。糖質と脂質を減らし、タンパク質を摂る。軽い運動をできるだけ毎日続ける。私はまだまだ諦めないし、これからどんどん良くなっていくと思う。9000歩あるいただけでもう脚の神経が痛く、明日うつ状態や無気力状態にならないという保証があるわけではないが、私はいつも通りごく楽観的である。
『謎ときサリンジャー』を読んでいる。なぜもっと早く読まなかったんだという感じだが、今がベストなタイミングである気もする。ハプワースも金原瑞人さんの訳の文庫版が出ているし(ハードカバーが自宅にあるのだが、結局文庫版を今日買ってしまった)。シーモアとバディ、ふたりのうちのどちらかが、というのが、サリンジャーのいる、生と死まで意味をなくす、あるいは極限まで持つ地平まで導いてくれてとてもスリリングでおもしろい。というか、これはほとんど自明のことだったように思える。バディがサリンジャーであるという視点は私にはすっぽ抜けていたが、シーモアとバディはひとりのようなふたりだというのは。緻密に小説を読み込み、この結論を補強していく手腕が鮮やかすぎる。見事。今日は2章までやっと読んだ。本の1/3以上は進んだと思うのだが、まだ2章か?本当か?まあいいか。弓道の阿波達人と、ドイツ人学者の師弟関係における「音」、そして的と自分が一体になり、自分が射るとき、同時に的として射られているということ、それがシーモアの(書かれていない)銃声の音と重なる、そしてビー玉遊びでの「カチッ」という音、禅問答のエピグラフ、全てがひとつなぎに繋がっていく様子は、爽快だった。
「テディ」の冒頭一文を確かめたくて新潮文庫版のナイン・ストーリーズをまた買ってしまった。しかも、その1行目の仕掛けは、野崎孝の訳からでは感じ取ることはできず(注もない)、ここは柴田元幸が新訳でどう書いているのかが気になるところ。さすがにこのヴィレッジブックス版まで2冊持つのは…と思い通販やメルカリなどを思いとどまった。しかし、講談社英語文庫で原文にあたることは思いとどまれず、こちらも2冊目の購入(注文中)。ブラックフライデーの混んでいる時に注文してしまった。すまない。でもこちらも喫緊なんだ(好奇心が)。野崎訳のナイン・ストーリーズは所持しているがなかなか読む気が起きず、結局あまり開いていなかったのでこれを好機として読む。「テディ」を半分ほど読んで、誰が訳してもサリンジャーはサリンジャーだ、というおもしろい感覚に陥る。『大工よ、〜』は野崎訳しかないのでこの文体にも親しんでいるのだから当たり前かもしれないが、昭和49年に出版された文庫とは思えないほど面白く読める。言葉遣いは当時の話し言葉の史料にもなっていいんじゃないかとさえ思う。昭和49年といえば、私の父母は19歳。高校を卒業し青春を謳歌していた頃だろう。そして、彼らがナイン・ストーリーズを読むことは絶対にない。そういう「階層」ではなかったのだ、という言い方が適当かはわからないが、ともかくこんな難解なアメリカ文学と彼らの青春は何がどうあっても交わらない。そのことが少しおかしく感じる。文学や学問にたいして興味をいだくたちではない人と人との間に生まれた私という存在が、なぜ『謎ときサリンジャー』という新潮選書を37で読むに至っているのか。自分の好奇心に愕然とする。
私は、いわゆるライフイベントと金融業界で呼ばれている、結婚出産育児昇進きょうだいの結婚親の病気や死などなどをまったく経験していない。それに加え、15〜25歳の記憶が曖昧で、うつ状態ではない正常な状態で世界を認識したのは、25歳の夏が10年振りであった。世の37歳よりはだいぶ「幼い」のではないか、と思うのだが、それは別に悪いことではないと思う。仕方のないことだし、人様に多大なる迷惑をかけるわけでもないし、しかし、それを馬鹿にしてくる人はいるのかもしれないなあとぼんやり考えた。実年齢に対して精神の成熟が伴っていないと、それだけで「お前は一体何をして生きてきたんだーーっ!」と怒りたくなってしまう人がいるようだ。私自身は年齢性別はどうでもいいではないか、その人が誠実にそこに存在していることが大事ではないか、と思うが、自分が負ってきたストレスを相手が負っていないと分かるやいなやプピーーッとなって我慢できずに攻撃してしまう人がいる。私はあの時もあの時もあの時も周囲の圧力に負けて(周囲に言われるがまま、周囲のために)みんなと足並み揃えてやってきたのに、お前はそれらの圧をくぐりぬけて「さぼって」きたんかーーーっ!となってしまうのであろう。いや、周囲と足並みを合わせたのはあなたの勝手だし、それで負ったストレスも業績もあなたのものだし、なぜわざわざ周囲から遅れていてさらに何も持たない私を攻撃までするのか、という感じだが、こういう人間がのうのうと生きていると、馬鹿にして、攻撃しなくては己を保っていられない、そういう厳しいところに立っている人というのが、まあ、いるものだな、と思う。私のように図太ければ「うるせーなー」ですむが、そういう人に攻撃されて、大抵の精神疾患者はさらに追い詰められ辛い思いをするのでは無いだろうか。みんなスタートが同じな訳では無いし、配られたカードも違うし、あなたのように生きられたのは私たちから見れば幸福そのものですよ、と思うが、そう思ってくれない人はいる。でもそういう方々は、基本的に想像力に乏しく、他者に寛容でもないので、あきらかに私より楽しくない生を送っている。かわいそうすぎる。でも、そういうふうにしてしか、生きられない人もいる。子供を産んで、子供を虐待して、そういうふうにしか生きられない人もいる。まあ子供の方は大きな大きな災難(被害)になってしまうわけだが、虐待者のほうも、かなり貧しい生を送っている。だから引き分けにせよ、とは私は絶対言わない、虐待者は加害者で、子供たちは被害者で、支援されるべきは子供である。加害者は塀の中で大人しくしていて欲しい。自分の生をどれだけ豊かにできるかは、先天的なものもあれば生育環境やどれだけ愛情を受け取れたかもある、色々な要因があるとはいえども、責任を取るのは自分である。自分で責任を取って苦しむしかない。だから、自分の生を諦めずに、常に豊かにしていけるように戦わなくてはならない。自分を害そうとする者共から自分を守り、戦う。これが出来ずに変に周囲に迎合したり、抑圧を是として変な役割を長年演じたりすると、もう意味がわからなくなって、最終的には人を殺したり、まあなにか攻撃的な人間になると思う。戦う、ということが小さな頃から本当に必要なんだと感じる。否定する力、抵抗する力、それらは幼児に多く見られるが、本当に大切なものだと思う。ライフイベントを何一つ経ていない、およそ37歳らしくない私を馬鹿にし攻撃する人がいるとしたら、その人は、その人の戦いを都度放棄してきてしまったんだなと感じる。
思いついたことを書いていたら結構長くなってしまった。高瀬隼子『いい子のあくび』を読みさしている。主人公はおそらくバリバリの機能不全家庭で育っているのだが、そこには言及せず、ただ目の前の虚無だけをたんたんと描いていくのがいい。とくに人間関係における主人公の内声が���それもこれもわかってる、わかってるんだけど、まあ。という感じで、素直でよい。基本的に恋人に対する恋愛感情がないように感じるし、友人に対する友情がないように感じるし、しかし「嫌われたくない」という感覚ははっきりと伝わってきて、お前からの好意は結局ないんかい、という悲しい気持ちになる笑。高瀬隼子というひと、他の作品は未読でわからないが、人間に徹底的に興味のない人間をえがくのが上手いんだなと思う。全てが機械的で、自己愛は強いけど、他人はつねに代替可能な程度の交わりで済ませている。こういう人は自分とは対極なので、「陰気かよ!!」となってしまうが(サンバの血が騒ぐ)、この主人公が人間どもとどう絡み合ってラストに向けて混乱していくのか、と思うと楽しみである。破綻するしかないように思えるのだが、特に何も起こらなかったら、それはそれですごい。
『グラン・ヴァカンス』を探し出そうとして(ないのでたぶん自宅)、岩井克人の『貨幣論』や、菊地成孔の『服は何故音楽を必要とするのか』とか、東京大学のアルバート・アイラーとかが出てきて、懐かしいなあ面白いなあと思いながらやや捲っている。全て途中までしか読んでいないので、こういう、続き読みたかったんだよね!という本を掘り出せるとわくわくする。自分の家の中につねに宝物(本)が埋まっている。なぜならほとんど全ての本を、読み終わっていないから。読みおわれるのは1年に4冊くらいです。
2024.11.29
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帰ってきて、3時間くらい昼寝をした。いつぶりだろう。
01.今年の夏以降、なんだか忙しくて気持ちが休まらなかった。 春は少しの間休職していたので、時間の進みが比較的ゆっくりだった。 学生の頃のように短髪を10回も脱色して、賑やかな色の服を着て、肌の一部が見える格好で外に出て、友達と遊んだ。 その写真を、普段は通知に反応することさえしないのだが、家族のライングループに一枚投稿した。飼い猫が亡くなって以来、二度目の帰省の時に父から「大阪のおばちゃんみたい」と言われた。 わざわざ言わなくてもいいのに伝えてくるのは、多少なり自分たちの望んだ娘の姿ではないと思ったこととか、20代も終わるという年の女が何をしているのかと感じたこととか、 そういうのを匂わせた軽めの侮蔑、軽口に見せかけた非難、雑談の中で不意にダメージを与えることで、言われた側に爪痕を残し、言う側の意図を暗黙のうちに汲み取らせようという魂胆が垣間見える…ような気がした。 ここでふと我に帰る。そこまで考えてしまうのは少し極端だ、と自分で気がつけるようになった。
初手でここまでマイナスに受け取ってしまうのは、私の問題もあるのだろう。私は私の自我が非常に不安定な存在であることは知っている。
02.年末になると、会社からビジネス手帳が配られるのだが、これまで活用法が見出せずにほぼ白紙で毎年捨てていた。 もったいないと思いつつも、書くことが特にないし、日々の予定は私の場合は流動的なものが多いので、iPhoneのカレンダーで管理する方がよかった。今年の手帳もその例に漏れない。
ただ、来年からは自炊の献立を決めておいたり、毎月末に書く振り返りカード(100均のカードカレンダーの裏面に殴り書きしている)を貼付したり、好きなyoutubeチャンネルやドラマ、漫画をメモしたりするのに使う予定だ。 あわよくば資格や趣味の勉強もこの手帳で管理したい。自分なりにフォーマットを整えて(ボールペンの手書きで殴り書きだが)今月半ばから試験運用している。
私は非常に気分屋なので、少しでも手間に感じたらいくらでも途中で放棄してしまう。 しばらく経って再開することがあったとしても、来年末にまたほぼ白紙の手帳を捨てている可能性は高い。 なので、今年末から慣らしておこうという計画だ。うまく行くかは神のみぞ知る。
03.インターネットとの付き合い方をこれまでも何度か考えるタイミングがあり、snsもアカウントやコンテンツ(文章など)を作ってみてはしばらくして消すことを繰り返してきた。 先日、その中でも比較的長く残していたtwitterのアカウントを完全に削除した。とはいえ、データがweb上に現れなくなるのは30日後らしい。
Xになってからほぼ更新していなかったのでtwitterと書かせてもらうが、景色や特定のオブジェクトの写真を加工して載せたり、よく閲覧していたサブカル文系根暗ツイッタラーに影響を受けたツイートを投稿していた。
割とtwitterの中だけで育った交流もあったので、以前消そうとした時は後ろ髪を引かれる気持ちがあり、結局消せなかった。 ここ一年ほどは、たまにログインはするが投稿は更新しないという中途半端な形に落ち着いていた。当時から、仲良くなった人とは実際に会ってお茶をしたり、 ブラウザに依存しない他のアプリケーションで繋がったりしていたし、リア友にはtwitterがなくても繋がれるし、という状況は変わっていない。 決め手になったのは広告やおすすめ機能、全く自分と関連のないインフルエンサーの引用リツイートに埋め尽くされたタイムラインの不愉快さだった。 ネットで拡張された現実の先に、ただ誇張されただけの歪んだ現実があるという地獄のループをひたすら体感させられるような。
他の人たちと同じように、10年前に存在したような静かなインターネット(それでいて物理的距離を跳び越えた、新しい刺激をもらえる場所)を探し、行き着いた場所でアカウントを作成すると、前述した旧サブカル文系根暗ツイッタラーたちが軒並み同じ場所に鞍替えしていて、少し可笑しかった。 ネット越しの文章でも、やはり長く接しているとアンテナの張り方が似るものだと思った。
04.長いこと疑問だったが、自炊の面倒臭さと外食の手軽さを天秤にかけた時に、自炊の方が節約になるという人は少なくとも食費についてきちんと記録し、管理しているのだろう。 高校受験で燃え尽きて、その時鍛えた義務教育的教養の貯金の切り崩しで大学に来てしまった私は、すっかり負の意味でキャンパスデビューしてしまっていた。
活字があればとりあえず最後まで読んでしまうような子供だったのが、長い文章が読めない。 短文もインクの染みを追うだけのような感じで、意味が把握できない。数字はもともと苦手意識があったので尚更。 地図も、観察も、実験も、買い物も、人との会話でさえも、とにかく全ての情報を遮断したかった。事実拒否するような言動をしていたと思う。(当時周囲にいた人については申し訳なかった)
何度も書いてきたきたことだが、私は学校に行かなかった。 昼間はバイトの時間まで、布団を敷いて寝巻きのまま、自室の天井を見つめ続けた。 幼い頃、博物館や図鑑や論文のようなアカデミックな要素に憧れていたのをふと思い出しては、泣いた。 燃え尽きで志望校などなかったとはいえ、実際に今大学という場に所属できているのに、目の前に大規模な図書館やいつでもアクセスできる論文の山があるのに、私はそれらに近づくこともせず、8年もの間天井を眺め続けた。
その間に、字を読み書きするのが嫌ではなくなるとかのレベルで状況の改善もあった。 ただ、私にとって自分が本来の興味関心に沿った行動をとることができるまでに、8年以上の歳月がかかることは完全に予想外だった。 数年耐えれば治ると信じていたから。
社会に出て数年が過ぎ、自分の環境を自分の働いた給与によってコントロールできるようになってから、突然蓋が開いたかのような変化が見られて驚いた。 一人暮らしは9年目を迎えた。 社会人で食費を何も考えずに出せるようになると、準備の時間や水道代、ガス代、材料費、設備の初期投資がかかる自炊について、本当にこれは節約になるのか疑問が湧いた。(我ながら平和ボケしていたと思う)
特に一軒家を借りて住んでいるので、マンションの一室と違い、自炊ができる環境は最初から整っていない。 そこからお金をかけて揃えるとなると、考えることも多い。 まぁ数年経てばそこそこ設備も揃っているのだが、これは一旦確かめてみようということで、一週間の献立を立てて、実際に作った分で食費を計算してみることにした。
案の定一週間で二千円以下という結果だった。 外食であれば私は喫煙できるカフェとかに行くので、ランチだけで1,000円近くすることもある。そう考えると、当然自炊の環境は整えて正解だったということになる。 生活にかかるお金を管理することを、燃え尽き症の名残もあって長年避けてきたが、ちょっと来年からはがんばってみることにする。
05.海が近い町は良い。平野の緩急のない、ただ茫と広がる風景よりも好きだ。 埋立地なので風が強く吹き、冬は寒い。日差しは均等にならされたアスファルトに照り付けて眩しい。 空はどこから見ても開けていて、月がよく見える。大人になってからの記憶では、色や感触が鮮やかだ。 幼い頃の記憶は、まるで字幕すらない白黒映画のようで、情緒はあるのだが、断片的ゆえに淡白で、内容がよくわからない。
これまでの時間、自我の在り方と、これからの時間、自我の在り方を同居させることは非常に難しくて、たまに悩む。 同じ人間が体験しているとしても、これまでとこれからをいつまでも延長線上のように考えておくことはできない。あまりにも違い過ぎて。
なので、新しく生まれていく自我と生きていくことを選択することにした。 そうしてゆくと自分で決定した。そう自覚することが、いまだに残る自死に頼る癖(頭の中のイメージとして、自分自身を殺害すること。またそのイメージを何度も繰り返し思い描くことで、心の古傷を掻きむしらずに済ませようとする癖)を、きっと遠ざけてくれる。あらかじめ生活を喜劇と設定しなくても、自然体で続けていくことに繋がっていくと信じている。
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