#斜め懸垂
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2024.12.26-28 鋸岳
メンバー:わたるん、kwt(記)
1日目 (前夜発)伊那市駅〜(タクシー)〜9:20戸台ゲート〜17:30角兵衛沢2500m地点
2日目 7:00角兵衛沢2500m地点〜8:10角兵衛沢のコル〜9:05鋸岳(第一高点)〜11:00鹿窓〜12:50大ギャップ〜15:00中ノ川乗越〜熊穴沢下降〜20:30角兵衛沢出会い
3日目 9:00角兵衛沢出会い〜12:30戸台ゲート〜(タクシー)〜伊那市駅
計画では鋸岳から甲斐駒ヶ岳に縦走して黒戸尾根を下山だったが、雪・風厳しく予備日も取っていないので甲斐駒は諦めて戸台に下山した。 1日目 戸台川を上流に向かって歩き角兵衛沢出合いを目指す。出合いには大きなケルンが積まれていたが、何故か「角兵衛沢はここではない」と素通りして熊穴沢出合いまで行ってしまう。引き返して先ほどのケルンの周辺を観察すると「角兵衛沢」の看板があった。
5.10aくらいの渡渉。オンサイト!
角兵衛沢出合。立派な看板があるよ
大岩でテントを張ろうと考えていたが、これまたどこが大岩かわからず通り過ぎてしまい、標高2500mくらいのなんとかテントが張れるところで行動を終えた。この数年、年末の南アルプスに入っているが、だいたい1700mくらいから雪が出てくるのだが今回は2000mを越えてもほとんど雪がなかった。それでも2500m地点では薄っすら積もっていて水が作れるので一安心。
角兵衛沢の標高2500mくらい。1日目終了 2日目 4時起床。辛ラーメンで朝食。コルを目指してアイゼンとピッケルで歩きはじめる。予報通り天気が悪い。出発時点で甲斐駒は諦めて今日中に戸台の河原まで降りようということで出発した。コルにはすぐに着くだろうと思っていたが思いのほか遠い。
1日目のテン場。ここにストックを忘れてきてしまった
コルまでが遠い
第一高点(鋸岳)に着くも相変わらず天気は良くない。晴れていれば甲斐駒、北岳まで見通せるようだが、ガスで見通しはなし。
もう少しで第一高点
第一高点に到着。ガスで見通しは無し
鎖の垂れた小ギャップを懸垂1回で下降。そこから鎖の垂れた岩場を1ピッチ登り返す。2ピッチ目をトラバースすると不意に鹿窓が現れた。懸垂以外でロープを出したのはこの2ピッチのみ。鹿窓をくぐるか上を越えるか。わたるんが上を偵察に行くが「悪そう」と言って戻ってきた。鹿窓は雪で埋まっていないのでくぐれる状態だったので懸垂で降りた。そこから登り返すのだが、これがワンポイント微妙な難しさの岩場。いま思うとロープを出すべきだったが、灌木がない岩場だったのでカムがないとビレイ点も作れないしプロテクションも取れない。今回はカムは持っていかなかったので、ここを登るのは避けた方が良かったのかもしれない。そもそも岩を観察するとプロテクションが取れそうなクラックは見当たらなかったし。このワンポイントを除けば困難なところはなかったが、雪が降り続き風も強まって��た。
小ギャップの懸垂下降。ぶっとい鎖が垂れ下がっている
小ギャップの登り返し。ロープを出した
鹿穴。懸垂で降りた
第三高点への登り返し。どこが第三高点かわからなかったが…
わたるさんがうろうろ探し回って大ギャップへ下降する懸垂支点を見つけた。ギャップ下から風が強烈に吹き上げてくる。懸垂のロープが舞い上がるほど。わたるんが苦労して大ギャップの底に降り立つ。わたるんはこのあたりから新調したアイゼンが外れて大変そうだった。大ギャップの底から雪の詰まったルンゼを少し降る。第二高点への登り返しは、一見登りやすそうな岩場があり惑わされるが冷静に見るとそこそこ傾斜があるうえ、カムを持っていないのでプロテクションが取れないので却下。少しトラバースすると樹林帯が現れたのでそこを登りかえした。ところどころ腰くらいのラッセル。
大ギャップの底からルンゼをさらに降る
雪がついて微妙な悪さのトラバース
第二高点へ樹林帯を登り返す。膝、ところにより腰のラッセル
稜線に出るも第二高点がどこかわからないまま「中の川越へ」の看板が現れた。てっきりここが「中ノ川乗越」だと思い込みここから下降したが、実はしばらく下ったところが本当の「中ノ川乗越」だった。稜線に出たところから中ノ川乗越あたりは現在位置が特定できずスマホGPSを使って確認した。ここから熊穴沢を河原まで一気に降るのだが、ガラガラガレガレの岩に雪が乗っていて超絶歩きずらい。ハイキングマップのコースタイムで3時間のところ6時間もかかってしまった。ようやく河原に降り立ってテントを張った。
どこが第二高点かわからぬまま「中の川越へ」の看板が現れた
ヘッデン下山。河原までここからさらに2時間かかった
3日目 今日は河原を歩いて帰るだけ。途中、入山してくるパーティーとたくさんすれ違った。渡渉ポイントを見逃しあわや靴を脱いで渡渉か、といった状況に追い込まれたが、わたるんが枯れ木を探してきてそれを足掛かりに渡渉した。
河原に張ったテント。今日は河原を歩いて帰るだけ
河原にはうっすら雪が積もっている。初日は雪はなかった。奥に見えるのは甲斐駒ヶ岳(たぶん)
最後の渡渉。自然物を利用したクリエイティブな渡渉
甲斐駒ヶ岳には届かなかったが、コンディションが悪いなか二人で力を合わせて登山ができたので充実した山行だった。
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ボクシング&スポーツジムBMC https://bmc2007.com #斜め懸垂 #karate #kickkid #空手 #武庫之荘空手 #武庫町空手 #志道会 #志道会ジュニア空手 #伊丹空手 #尼崎空手 #西宮空手 (ボクシング&スポーツジムBMC) https://www.instagram.com/p/CBhMqyeAMQR/?igshid=bdsdg8n52r8g
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8時30分〜、パーソナルトレーニング初め。 心身のアップデートで2020年を戦い抜くぞ。 #中目黒 #東京 #caladalab #パーソナルトレーニング #winter #2020 #斜め懸垂 (中目黒駅 Nakameguro Station) https://www.instagram.com/p/B64hHIagyNS/?igshid=169yghtroayvh
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良い子は真似しちゃいけません、part2 #台湾生活 #斜め懸垂 #使い方が違う RepostBy @caliworkoutcom: "Today’s One More Workout. Australian Pull Up and Mountain Climbers using play facility in the park. If you find the same facility, try to do mountain climbers! Not so bad! 💪🔥👊💥💪 - 💪💯💪 - #australianpullups #mountainclimbers #newpost #ageisjustanumber #calisthenics #workout #middleage #fit_over_40 #fit_over_50 #街頭健身 #徒手健身 #單槓 #引體向上 #bodytransformation #onlinetraining #onlinecoaching #exercisevideos #weightloss #fatloss #fitness #health #fitnessgoals (中平公園)
#fit_over_40#單槓#fit_over_50#newpost#斜め懸垂#onlinetraining#fitness#徒手健身#fitnessgoals#ageisjustanumber#引體向上#middleage#australianpullups#台湾生活#calisthenics#使い方が違う#workout#fatloss#health#weightloss#mountainclimbers#bodytransformation#exercisevideos#街頭健身#onlinecoaching
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東北見聞録〜陸奥編〜
さて、東北ツアーの報告、第二段です。今回、コーセイ君も平日予定開けててくれてたので、ほんじゃちょいとロードトリップでも行きましょうかって事になりました。実はちょうど同じタイミングで白馬のガイドのみんなもこっちに遊びに来てて今日は八甲田にいるというので、じゃあ合流しましょうかって事で、コーセイ君の車でぶっ飛ばしました。初八甲田。楽しみ〜。
朝は霧がかってて幻想的でした。
あの座敷童子が出るつって有名になった温泉だそうです。俺の家もよくガサゴソと音がなるけどもしかして…いや、ありゃネズミか。
三時間近く車をぶっ飛ばすと八甲田が近づいてきました。橅林ですね。
はいこち��も橅。
橅!
橅!!
ブーーーナーーーー!!
危うくブナ酔いするとこでした。暫く走ると八甲田山系が見えてきました。
なかなか全貌が見えませんね〜。
本日はロープウェイ運休だそうです。ふっ予想通りだぜ。
そして遂に白馬組と合流!いや〜楽しんでますかー?ますよね〜。完全におっさんの修学旅行です。
仕事ではないこの開放感!サイコーーーー!!
くわぁいい〜!ジョニー君くわぁいいぃ〜!
しかし、いい林だな〜。斜度もメロウで初心者も連れて行きやすそう〜。もうすでにみんな八甲田の事が好きになり始めてます。
登っていくと、スノーモンスターのなりかけみたいのが増えてきました。
うわーすげー!でけー!子供みたいにみんなキャッキャしてます。
おおー、これなんて上に乗ったらやばいね。なんて誰かが言ったら、
はい、ジョニー君登っちゃいました〜。発想は子供でも肉体的には充実してるので、こういうこ事も出来ちゃうので手に負えねえっす。
帰りはロープで懸垂下降。なんだこのスキルの無駄使いは。
森林限界に近づくと風も強く視界も悪いので、
さっさと降りるべ〜。
ヒャッホーin 陸奥、いたただきました。
いや〜気持ちよかった〜。
まだまだいっぱいラインあるじゃん。
サクッと終わらして、彼らは早々に弘前へラーメンを求めて旅立ちました。アディオス!この後もおっさん達の修学旅行は盛り上がったみたいですね。
我々はと言いますと、酸ヶ湯温泉。やっぱりこっちにきたら行っときたいね〜。
噂の千人風呂、やってきました。ババ…いや淑女の方が何も隠さず豪快にドーンと登場してくるので、目のやり場に困ります。
風呂の後はやっぱり俺らもラーメン。やっちゃいますね〜。煮干し出汁です。
俺はつけ麺トライしました。うーんボリューミー。
明日の行き先を岩木さんに尋ねにやってまいりました。
あ!茅葺だ!こっちのジャンルも気になっちゃうんですよ〜。東北結構多いすから。
小平側が入母屋造りになってますねえ。へえ〜。
こんな狛犬も初めて見ました。な、なんかこええ〜。
本堂も立派です。
岩木山も姿見せてくれないし、今回じゃないのかなって事で明日は南下することにしました。旅はまだ続く。
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2024.5.3-5 僧ケ岳・サンナビキ山・毛勝山 縦走
メンバー:HSG、kwt(記)
1日目(5/3) 7:00片貝第二発電所〜7:40別又右尾根〜16:00僧ケ岳手前(泊)
2日目(5/4) 4:40僧ケ岳手前〜6:30駒ヶ岳〜滝ケ倉山〜サンナビキ山〜18:00ウドノ頭(泊)
3日目(5/5) 5:00ウドノ頭〜7:00平杭乗越〜10:30毛勝山〜11:10毛勝山谷から下降〜片貝山荘〜13:40片貝第四発電所〜14:00片貝第二発電所
1日目(5/3) 車道のち薮、一瞬車道ののちまた薮、のち雪渓
前夜、調布駅21:00集合。運転を交代しながら片貝第二発電所に着いたのは午前3時頃。車はこの先まで入れるようだが、別又尾根から取り付くのでここで車を駐車する。 しばらくの車道を歩くと発電所の導水管が見えてきた。脇には階段があり、この階段を使えばかなりのショートカットが見込めそうだが、発電施設に無断で立ち入ることに後ろめたさがあり薮尾根に取り付く。 見たところ杉の植林なのでそれほど薮は濃くないと思ったが、薮初心者の我々にはかなりの薮だった。やっとのことで薮が途切れたと思ったら真新しい車道が現れた…。いままでの藪漕ぎはなんだったのか…。一瞬の車道歩きを経て、気を取り直してまた薮尾根に取り付く。たまにオレンジテープが現れるがほとんど人は入っていないようだ。 3時間ほど薮尾根を突き進むとようやく雪渓が現れた。沢の流れる音が聞こえ、駆け寄って水をガブ飲みした。 雪渓を詰め稜線に出る。毛勝山とそれに続く複雑な稜線が見渡せる。ここまでの慣れない藪漕ぎで疲労困憊。毛勝山は絶望的に遠く、とてもたどり着けるとは思えずどのようにエスケープするかを考えは始めた。 1日目は僧ケ岳まで行きたかったが、見えてはいるがなかなか近づかない。適当なところで切り上げてテントを張った。 テントを張った場所は富山湾のオーシャンビューと、毛勝山はもちろん遠く鹿島槍ヶ岳や五竜岳など後立山の山々が見渡せるマウンテンビューの最高のテン場だった。HSGが担ぎ上げたコーラで乾杯。シェフHSGによる肉、ソーセージ、野菜がたっぷり入ったキムチ鍋を食べ終わる頃に夕陽が富山湾に沈んだ。
2日目(5/4) 雪稜ところにより薮、そして薮、薮、薮
たくさん食べてよく寝たからか、昨日は絶望的に感じた毛勝山までの稜線もなんだか行けそうな気がしてきた。辛ラーメンで朝食をとって、陽がのぼる頃出発。ほどなくして僧ケ岳に到着。山頂には標識もなにもない。 駒ヶ岳までの稜線は雪が付いているところは雪の上を、切れているところは藪のなかを行く。アイゼンでの藪漕ぎもかなり慣れてきた。駒ヶ岳からは剱岳とそれに続く北方稜線が見渡せる。この北方稜線を厳冬期に踏破した記録があるが、凄すぎてまったく想像できない。また、真夏に踏破した記録もあるが、雪がなく永遠と続く藪を��岳まで歩き通すのは気が狂いそうだ。どちらも常人とは思えない。 駒ヶ岳から先も雪と薮をつなぐ。滝ケ倉山もサンナビキ山もどこがピークかよくわからなかった。ウドノ頭の手前で1パーティーを追い越した。我々だけの貸し切だと思っていたので意外だったが、聞くと片貝山荘からの登山道で僧ケ岳へ登ったそうで、我々と同じく毛勝山までとのこと。 ガイドブックによるとウドノ頭はこのルート一番の核心らしい。急な雪壁部分を藪に逃げ高度を稼ぐ。遠くから見ただけではわからなかったが小刻みにギャップがあり、2箇所の懸垂下降が必要だった。できればウドノ頭を越えて平杭乗越まで行ってテントを張りたかったが一向にウドノ頭のピークにたどり着かない。時刻はそろそろ18時になる。平杭乗越は諦めて適当なところでテントを張ろうとウロウロしていたらHSGがナイスなテン場を発見。そこがウドノ頭のピークだった。 夕陽が沈む頃にテントを張り終え、テントの中で夕食をとった。この日もシェフHSGが300gのパスタを作ってくれた。ペーコン、ソーセージ、ピーマン入り。アルファ米やフリーズドライに頼らず、食材を担ぎ上げるガッツが素晴らしい。夕食を食べ終わると21時。明日はいよいよ毛勝山だ。
3日目(5/5) 薮のち雪壁
3時に起床。昨日の晩御飯が遅い時間だったので二人ともまったくお腹が空いていない。あと30分寝ることにした。3時30分に再度起床。お茶とコーンスープだけ腹に入れて出発。ウドノ頭の下降にかかる。毛勝山はつねにデッかく見えているが、下降先の平杭乗越が薮に隠れて微妙に見通せない。なんとなく方向は掴めているので適当に薮を下降していくと、どうも様子がおかしい。平杭乗越が遠のいていく。どうやら間違った尾根を降りているようだ。薮をトラバースしたり登り返したり雪渓を繋いだりしながら、平杭乗越へ降り立った。 ここから見る毛勝山は遠くから見るより傾斜がなさそうだ。しかしこれは目の錯覚で、いざ雪壁に取り付いてみるとアイゼンを蹴り込む登りが永遠と続いた。雪はいい具合に緩んでいて怖さはないが、ただただ息があがる。この雪壁は通称「天国への階段」と呼ばれているらしい。ところどころ傾斜が緩むところがあって、そんなところは、雪が切れていたり雪の状態が悪かったりで慎重に進んだ。最後の100mくらいは傾斜が緩んでようやく毛勝山の山頂へ到着した。1日目の稜線から見た毛勝山は絶望的に遠くて絶対無理と思ったが、たどり着くことができてとても嬉しい。三日間を通じて雪壁部分のほとんどをトップで進んだHSGに感謝。 下降は毛勝谷にとった。結構��人が入っているらしくトレースバッチリ、一気に標高を下げた。片貝山荘から車を停めた片貝第二発電所までは約7kmの林道歩き。ここで奇跡が。毛勝山山頂で一緒になった岐阜からの登山者が片貝第四発電所から車に乗せてくれて約5kmをワープできた。
三日間とも天気最高でルートファインディングが容易だったこと、HSGという強力なパートナーと一緒だったこと、最後の最後に車に乗せてもらったことなど、すべてがツイていた。この山行で薮初心者から薮初段くらいにレベルアップできたのではないか。先々週の白馬主稜がハイキングに思えるほど内容が濃くて良い山行だった。
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旅をつづけることについて
ある時Aという体験をして感動したとする。次にBという体験をして感動があった。そして少し時間が経って冷静になってみるとAが思い出された。AとBでは異なる点があることに気づく。AとBとを比較をしてみるとそれぞれの特徴がより明瞭にみえてきた。それはAだけを見ていた時点では決して気づかなかったことだ。Bという新たな経験を通して、はじめて自分自身の中にあったAという経験に対して新しい気づきを得ることができたのだ。
ここでのAに対する気づきを〈発見〉と呼ぶ。発見とは決して全くの未知に遭遇することではない。自らの経験の中にこそ発見はある。また新たにCを見たときにAやBに対して差異を見つけることができればさらなる発見ができる。旅をすることはこれまでの経験との差異を見つけに行くのである。旅を続けていき〈発見〉を繰り返していけばこれまでの経験さえもアップデートされていく。
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三仏寺奥院投入堂と龍岩寺奥院礼堂。いずれも平安後期から鎌倉期にかけて建てられ*、岩の壁のくぼみの中に建築する懸造りの作であるが、両者を見比べてみるとその印象は大きく異なる。その違いは何か。
まずは岩壁への張り付き方。龍岩寺はまず岩のくぼみに桁を架け渡すところからはじめる。両端が岩壁によりつく橋のような構造である。そうして並べた桁の上に垂直に交差して梁を渡していって、さらに床板を貼れば床面ができあがる。柱はこの水平の面を下から支えるつっかえ棒としての役割にすぎない。だから柱と桁とはT字に状に接合されるだけである。** 一方の投入堂はどうか。まず岩の壁のわずかな水平面を見つけてそこに柱を建ててゆく。そして柱どうしを桁や梁、さらには斜材でつなぎ合わせていって骨組みをつくる。龍岩寺では床下の桁で柱がT字状に止まっているのとは対照的で、柱は軒まで通っている。 桁という水平の架構からはじまる龍岩寺、柱という垂直材からはじまる投入堂。水平的な安定感と、垂直に伸びる迫力。この違いはこの点にある。
つづいて骨組みができたら次は空間のつくり方。投入堂は連立する柱の間に壁を嵌めて身舎の空間をつくる。前面の縁の部分にも柱が通っていて***、さらには軒が大きく張り出すので、縁は半外部的な空間となり、身舎はさらに奥まったところにある印象となる。 一方で龍岩寺の空間のつくり方はこれと全く異なる。先ほどできた床面の上に新たに小屋を建てて空間つくる。上部構造の柱は下部構造の柱からは通っていないのである。床から下の橋の部分と、床から上の小屋の部分では別の構造となっているのである。投入堂のように縁の軒先を支える柱も現れない。また正面の三間分の柱間は蔀戸が嵌められ、それらを開け放てば身舎も縁も外部空間とひと連なりになり開放的である。
そしてもうひとつ重要な違いは床の構造の表現について。投入堂は床下に渡る梁の小口が見えないように板を釘で打ち付けて覆っている。さらにもうひと工夫。その水平の板の上に乗る床板を少し張り出すことで、床板の影が梁を隠す水平板に落ちて、厚み(成)のある板も薄く見せているのである。とにかく投入堂は柱による垂直性がデイザンの要なので水平的な力の表現は極力現したくないのである。 一方の龍岩寺は床下の処理はどうなっているか。橋桁の上に垂直に交差して乗せられた梁の小口はなんと大胆にもそのまま現されているのである。しかしただ梁を並べて見せているだけではない。龍岩寺でも床のレベルをどう外観に演出するかはデザイン的な勝負所である。床に乗る高欄の縦の材(束)と床下の梁の小口のピッチが合わされており、成も同じくらいに揃えられている。これによって水平の床板はリズミカルな軽快さ演出されるのである。****
三仏寺投入堂は垂直的な構成を主として繊細で洗練された美しさを持ち、龍岩寺礼堂は水平的な大胆な構成で迫力をもちながらも開放的で軽快さを持つ。いずれも言うまでもなく至高の名作であるが比較をしてみると更なる味わいがある。
*三仏寺奥院(投入堂)は1086-1184年、龍岩寺奥院礼堂は1286年の建造とされる。
**床下を通常の柱梁によるラーメン構造とするためには、柱と桁との接合部に肘木や方杖などの補強材によって剛性を確保することや、柱同士を貫でつないだり(例えばこの方法は同じく懸造りの例である不動院岩屋堂(鳥取県)でみられる)、もしくは三仏寺投入堂のように斜材を打ち付けて水平力を補強する必要がある。
***投入堂の外周の柱は大きく面取りがなされ八角形に近い断面となっており、細く伸びる様子は洗練された印象を与える。一方の龍岩寺の床下の柱は面取りはされるが太く無骨な印象を与える。
****上部の小屋の柱に対応する箇所の梁がはさみ梁のようになっていることも水平的なリズムを演出する。
(写真の左側が龍岩寺礼堂(2021年12月撮影)、右側が三仏寺投入堂(2017年9月撮影))
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mag.22.2022 水晶へ
ddとの初めての山歩きは水晶谷。
彼は奥武蔵ロングトレイル105kmを34時間で完走している体力と精神力の強者。アメリカ国籍。前日、駅で待ち合わせてバスで自宅へ。
翌朝は03:30起床、04:20出発。出会いの丘には7時前に到着したけど小雨が降っていたから出発は8時。それでも降っていた。9時過ぎにあせみ峠に到着する頃には雨は止んで曇り空。
下降地点から先は葉についた雫でだいぶ濡れた。早めにヘルメットを着用。ddは普通の靴だったから、急斜面で滑りまくっていた。
急斜面でコケて仰向けになってしまったり、トラロープに全体重がかかるようなコケ方したりだったから、危なそうなところ、最後の最後で一回だけ、drewのために懸垂下降した。無事に谷底に降りた。
僕が持ってきたビールで乾杯してから昼食をとり、沢装備に換装し竿を出す。
ゴルジュの下流へddと降っていたら、下降地点直下の淵でテンカラのkさんがやってきて釣れたとのこと。見に行くとなんと尺イワナだった。秩父イワナは美しい。
その後ddがkさんと同じポイントで8寸を釣り上げた。
僕はゴルジュを悪場まで釣り上がったけど釣れず。悪場を空荷でなんとかクリアしたけれどかなりツルツルだった。昨年付けたトラロープは末端がよじれて大きな塊になって短くなっていた。荷物を背負ってクリアできるかかなり不安になった。恐る恐る2人が待つ下降地点に戻り、テン場に向かうことにした。
トップで悪場に挑戦し、滑り落ちた。滑り落ちてわかったのは、大した悪場ではなかったということ。股まで水に浸かればなんのことはない水深だった。
その後大きな淵で僕だけ竿を出す。
一投目で29.5cmがつれた。わずかに尺に届かず。立派な秩父イワナだった。それでもkさんの尺イワナと比較すると長さは0.5mmの違いだけど、あからさまに小さいと感じる。僕は食べるのには大きすぎるからリリースした。大きすぎて火が通らないんだよね。。。
テン場に着いて焚き火の跡を確認すると草が生え始めていた。今年も一番乗りらしい。
全員で燃やすものを集めた。ここは燃やすものが少ない。集め終わってからddに昨年尺イワナを釣った古礼側を案内して僕は水晶に向かった。7寸半くらいしか釣れず。全部リリース。8寸ちょいくらいが一番好きなサイズ。とにかく無線でddが大きいのを釣ったと連絡があり、テン場に戻った。9寸半だった。ここで釣りを終わりにして、ナイフで串を作った。魚を捌き、焚き火に火をつける。湿っていてもよく燃えた。
翌日の昼食用の米を火にかけフライパンでソーセージが焼けるころ火が安定してきた。イワナを焚き火にかざす。
最高のひと時が始まった。
ddは終始落ち着いていて、素敵に微笑んでいた。ソーセージや、サラミ、チーズをツマミにまずは僕が持ってきたビールで乾杯。その後、ddの故郷、ミシガンのクラフトビールでまたまた乾杯。焼酎も飲んでご機嫌になる頃、イワナが焼けた。
ddは、ノコギリを使うのも、自分で釣った魚を食べるのも初めてだと言っていた。
イワナの後、kさん特製の野菜たっぷりニンニク生姜入りマルタイラーメンを3人で平らげとっととシュラフに潜り込んだ。ポリタープ越しに空が光っているのがわかった。日付けが変わる頃、雷鳴と雨がポリタープを叩く音で目が覚めた。シュラフの中は暖かく乾いていて快適だった。
07:58 出会いの丘 1人抜かれる、1人下りとすれ違う
09:15 あせみ峠
nerd オタク
10:15 袋窪
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180923 私と数字群7年間の歩み
自分の作ったものについて延々と語るというのは気が向かないことに思っていた。特に、細かいこと、ディティールに関することについては。人から見たらどうということもないことにこだわり、後生大事にそれを語っているというのはあまりクールに見えない。
しかし一方、いざという時自作について人に説明できないということがどれだけバカに見えるか…という懸念もある。それで、自分のウェブサイトを作るときに、必ず一定量のテキストを載せないといけない形式にしてもらったのだった。ボケ防止でもある。そしてさらに最近思ったが、ものを作ったら置きっ放しにしておくのではなく、いろいろ最新の自作と関係付けて言及し、盛り立てていかないと、時間が経ったとき、それが作られた事実が、自分の頭の中からさえ薄らいでいくのだ。自分が忘れっぽいというのもあるが、これは誰にとってもある程度そうだと思う。
というわけで、来月発売の私の最新の売り物、カレンダー19についてである。カレンダーについてはこちらをご覧いただきたい。
http://tezzosuzuki.com/calendar17/
https://www.pscp.tv/TezzoSUZUKI/1YpJkLdAgpdxj
ここでは毎年のカレンダーの見どころなどを説明して自分のレタリングの変遷を見返しつつ、購買意欲を煽るようなテキストを書こうと思う。
1 - 数字の入れ替えについて
2012年からこれを作り始めていたということになるが、それは大学4年生のときだった。4年生の時といったら、大学の産学連携企画の広報物を作ったり、陸の仕事の手伝いをしたり、卒制をしたり、本を作ったりとやることがたくさんあったはずだが、いつこの数字をやっていたか記憶が定かではない。ツイッターを見ると、2012年2月の段階から準備をしていることがわかる。
https://twitter.com/TezzoSUZUKI/status/170281688541315072
5月にもまだ作業をしているようだが、月ごとのテイストをどうするかを考えているので、おそらくもう数字は出揃っているようだ。
https://twitter.com/TezzoSUZUKI/status/206268965658443776
そして11月3日には完成し、売り出し始めている。この年は366個数字をやったので、時間がかかったのだと思う。
翌年から2018年までは、全日数分を描くのはやめ、時間の許す限りある程度の個数を描いたら、前年の気に入らない数字をそれらで置き換える方式にした。
この図をご覧になると分かるだろうが、年によって新しく描かれた数の増減がある。14年は68字、15年は154字、16年は161、17年は200字、18年は170字が、それぞれ前年の数字と入れ替わっている。その数は、その年が忙しいか忙しくないか、というより、その年の前半までにカレンダーを作ることを思い出すか思い出さないかに左右されていると思う。
ところが今年2018年明けてすぐ、毎年お歳暮でお送りしているシシヤマザキさんから、「今年は去年と同じ数字があったけど…」とのお言葉をいただいたのだった。「毎年そうだよ、一部入れ替え制だよ」とお答えしたが、なんとなくそれがはがゆく、では今年は総入れ替えにしてやろうか、と思ったのだった。ということで19年度に向けては2月ぐらいから早々に数字をやり始め、途中忙しい時期は放置していたが、夏頃再開し、無事今月完成と相成ったのである。
2 - 月のイメージについて
ツイッターを遡ると、月ごとに数字の印象を偏らせることについて、つぶやいているのが見つかった。
https://twitter.com/TezzoSUZUKI/status/206268965658443776
https://twitter.com/TezzoSUZUKI/status/206271434853588992
このようなことを考えていたことは覚えているが、それが初年度からのこととは思っていなかった。こうやって比較してみると、2013年のカレンダーではいうほど差がつけられているようには見えないからだ。
今現在のイメージとしては以下の通り。
1月は改まったもの、あまり描き込んでいないもの、堂々としてめでたいものがよい。
2月はささやかでかわいいが諧謔味のあるもの。
3月は今年になって雰囲気ができてきたもので、1月、4月、年末のように踏ん張りが効いた形でなくやや動きのある、流動的な印象のものが合っているのではないかと思う。
4月、爽やかなもの、安定感のある形、水平垂直のあるもの。
5月も4月に準じるが、爽やかさよりマチュアな印象重視。
6月と7月はあまり意図はないが、梅雨時なので平板な印象が続かないよう、味の濃いものが混ざった炒め物のようにカリッとさせたいという思いがある。
8月、線の細い余白の多いもの。
9月、やや工芸的でまとまりのよいもの。
10月から12月にかけては手数が多いものを増やして密度のある感じにしたく、10月は重く黒いもの、11月は必ずしも重さはないがより濃厚なもの、12月は華やかで祝祭性のあるもの。
それぞれ、その月に向けて数字をやるのではなく、必要な分の数字ができたらそれを並べて、各月に合うものを選んでいく方式で並べている。
3 - 見栄えの変遷
何年か続けていれば、当然ながら、作る形が少しずつ変わっていく。同じフォーマットでものを続けると、そういうことが分かるのでためになる。
13-1 例えば13年(初年度)のカレンダーでは、すべてスタイルの異なる数字と言いつつ、似たスタイルのものが散発している。この曲線の食い違いのシリーズはそのころ気に入っていたものなのか、これを描く手を止められなかった…という感じがする。
13-2 今との一番大きな違いは、13年では正方形のわくに数字を入れるということをほとんど想定しないで描いていたということだと思う。これらはそれぞれ、数字の形そのものから外形のプロポーションが決まっているので、より横長の比率になっている。特に20番台は横長になりがちなのだ。他の数字と並んだ時にはどうしても小さく見えるが、横幅はマックスなのでこれ以上大きくできない。そうすると並べた時に大きさを調整するのが難しくなる。
13-3 同じように、比率そのものを意匠の目玉として操作している群もある。おそらく13年は、何かオーナメントのようなものを数字の上に装飾的に付加して意匠とする、ということより、数字の形そのもののバリエーションを考えようという意図が強かった。だからこういう群もあったのである。今後こういうものが復活してもいいように思う。
14 翌14年度からは、ざらざらが導入されている。この年では、よく見るとざらざらはカーボンのざらざらとペンの点描のザラザラと乾いた筆でのザラザラがあり、カーボンの中でも鉛筆とダーマトの2種類がある。この後、キメの細かすぎるザラザラは意匠のなかで規模感がちぐはぐにみえることから衰退し、点描と筆のみが生き残ってゆく。
16-1 16年度になると、初年度と比べ、より正方形に収まったときに安定するような、どっしりした形になっていった。細かい意匠の部分も大きく、わかりやすく、粒度を揃えていく方向で、タイプフェイスで言えば小ポイント用フォント的な方向へ進んでいった。
16-2 一方で、ベースラインが斜めのもの、オールドスタイルのプロポーションのもの、平筆の書き文字のようなもの、等々、動きのあるもの、余白の形の非対称なものも挟み込みたい意図があったように思える。この年はタイプメディアを修了し��いろいろなインプットがあった年でもあった。こういうインフォーマルな形でも、造形上のバランスを取れるような描き方を学んだのかもしれない。
翌17年から18年にかけては、他人ができず、自分ができることはなにか、ということを思い浮かべつつ描いた年だったと思う。そしてそれは「ベタなデコレーション」ではないか、という仮説があった。つまり装飾の素材を集める能力や、レファレンスの能力でなく、飾りを(見よう見まねでもそれなりに)自分で一から描ける能力というのが、自分に特別なものではないか、ということ。そこで、一部の数字はデコラティブな方向へ邁進した結果が現れている。
そして本年度19年の数字を眺めていると、数字の上に装飾を乗せるのではなく、装飾の上に数字をからませるシリーズを試みているのがわかる。つまりヴィネットのように、数字が意匠の一部になっているもの。ケバさ新時代へ…。
4 - 今後
これを作り続けるにあたって微困り案件として思っているのは、以下の問題である。
A 流通を委託したい
特に海外の買い手に向けては、ネットショップなどに丸ごと委託したい。今年、イギリスの一社にご相談申し上げたが、諸事情により今回はお取り扱いいただけないこととなった。
年末毎日のように宛名を書き、郵便局へ発送しにいくのは大変だし、発送のミスを心配する心からも解放されたい。国内でもお取り扱いいただいているお店があるが、今後もご提案があればお受けしたい。ご連絡はこちらまで [email protected]
B ぱっと見が違う商品に変えていくべきか
先日インスタグラムを眺めていたら、(デザインの学生とおぼしき)年若い者たちもまた、マス目を埋めるように数字をいろいろと描いてみる試みをされている例を複数見つけ、思わず知人にスクショを送った。わしのやっていることとぱっと見は大差ない、とのお返事だった。
よく考えると「いろんなものがマス目状に並んでいる商品」という印象から、さらにその一つ一つの数字を見てもらうまでの、行動のギャップを越えさせるのは容易ではないのかもしれない。だから基本的に中身を誰がやろうと、そして中身が毎年変わろうと、「いろんなものがマス目状に並んでいる商品」という印象は7年間変わっていないことになる。
その大きい印象レベルで、何か目先を変えていく工夫を今後していくべきか、それともそこは据え置いてこのまま続けていくのがいいのか、考えものだな、と思った。
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電車の中に周りを見回すおばあちゃんが入ってきて、優先席にきました。 私はそれを反対のドアから見ていた。おばあちゃんは優先席で周りを一通り見回したあと、五十代くらいのおばさんに声をかけ、しばらくして席を変わりました。断片的にあなたいくつ?とか、私は76歳だから、とか聞こえてきました。私はドキドキして罰の悪そうなおばさんの様子を見てました。 おばあさんの方は座ってからも言い訳のようなことを、奥さんがここで一番若く見えましたから、とか言っています。 それで、私は心底ドキドキ、ふつふつしながら私のいるドアの近くの優先席に座っている強面のむきむきの一番若いお兄さんを見てしまいました。
遠足の帰り道にいつものメンバーで帰っています。さんごちゃんはいつも可愛い服を着ていて、わたしはあんまり自分に自信がないのでそんな服を着たら嫌な顔されるのが怖くて毎日同じような目だたない格好しています。電車の中は暑くってリュックと背中の間にすごく汗をかいていて、みゆちゃんに見つかったらまた何か恥ずかしいこと言われるのが怖いから、暑くても重くてもドキドキしてリュックは背負ったままで隠しています。
駅のホームぎりぎりで目の前に背中があるとふっと押してしまいたい気持ちになります。頭の中で私がこれを押すこと、そんな簡単なことで人生がからりと変わってしまうかもしれないということだけでものすごく高揚します。私は自分が犯罪思考を持っているのか、変態なんだろうかと心配になりますが、これはわたしの最高の娯楽なのです。心臓が耳にあるように鼓動が聞こえて周りは無音になります。頭の中で押せ!押せ!と心臓が言います。目の前の背中を凝視して自分の手が今どこにあるのかどんな形をしているのか分からないです。この簡単に殺してしまう可能性ぎりぎりの危うさが私は好きでこの行為にとにかく夢中になります。でも結局、私が押すことも前の人がホームが落ちることもなく、ゴオオオオオオオオオオと電車がやっときます。そこで私は我に帰って手汗びしょびしょなことと目が乾いたことに気づきます。私はこの時もしかして鼻息も荒いのかもしれません。そうだとしたら嫌だなあと思いました。
ばしゃっ 水筒から水がこぼれてきました。 「すみません!ごめんなさい!」 30代くらい夫婦の女の人が焦って私の濡れたジーンズにティッシュを渡します。わたしは外をぼーっと眺めていたので突然のことに頭が反応しませんでした。お茶の匂いがしました。そんなに汚れてもなかったので、大丈夫と伝えて軽く拭きました。水筒を手から滑らしてしまった女性は隣の男性にたしなめられ、申しわけない顔をしていました。わたしは全く気にしていなかったのですが降り際まで謝られてしまい、こちらも罰が悪い気分でした。今日はついていないなと思いました。
つり革が汚れてないかを確認してつり革を握ります。すごい前につり革を握った時鼻水のようなものがついていたことをまた思い出してしまい背中がキュッとします。そのことについては深く考えれば考えるほど嫌な想像をしてしまいます。思わずつり革を離して、イスについている棒柱のようなものをつかみました。金属のような銀色の棒は心地いいほど冷たくてほっとしました。
彼とこっそり手を繋ぎました。電車だから恥ずかしいなとかちょっと思ったけど、何となくつないでたかったからです。緊張してまた手汗をかいてしまいました。彼は困ったように笑って恥ずかしいと言いました。わたしはやってしまったと申しわけなくなって手を離しました。そしたら、彼は驚いて、「ちがう嬉しかったから、」と手を繋いでくれました。私は嬉しくて恥ずかしくて顔が熱くて熱くて誰にも見られていないといいなと思いました。
私の座っている2つ隣の席のサラリーマンが鼻をほじっています。こんなに堂々とほじっていることに驚いて少し見すぎました。前を見るとその向かいがわにいる高校生がそのサラリーマンをすごい顔で凝視していて思わずにやっと笑ってしまいました。
あともうすぐで品川駅なのに咳が止まらなくなりました。この前に風邪なのかよく分からないものを軽く引いてからのどにきてしまって、ここ2、3日咳が止まりません。かすれるような音がする咳をするたびにのどの奥から小さく息がもれてひゅっひゅっと音がします。咳を我慢できなくて、タオルを口にあてて小さく続けてします。一気にのどをすっきりしようと、咳を思いっきりすると自分の吐いた息を巻き込んで咳をするので息ができなくなります。まずいな、次で降りようと思った時に「だいじょうぶですか?すわってください」と前に座っているおばあさんが声をかけてくれました。私は恥ずかしさより生命の危機を感じたのでありがたく座らせて頂きました。座らせてもらうと少し気持ちが安心したのか咳が少し収まりはじめました。なんて優しいおばあさんなんだろうと思いました。明日には絶対病院に行こうと思いました。
目の前に妊婦さんがいます。席を譲りましょうか?という言葉が恥ずかしく言いづらくて、こんな思いするなら座らなきゃよかった…と後悔しました。ちらっと表情を盗み見て目が合ったら言おうと思いましたが、どういう感情の顔なのか分からなくて席譲った方がいいのかどうしようか悩みました。でも、キーホルダーつけてるから譲った方がいいよなと思い、また顔を見て座りたそうかどうか考えました、席を譲っても座らない人いるからなとか呑気に考えてみましたが、言いだせないことの言い訳なんじゃないかと自己嫌悪になり、次の駅が着いたら言おうと、もうすぐ言おう、もうすぐ言おうと誓いました。
昨日のプレゼンの話を思い出します。あんなに考えた、あんなに時間を使ったのに何一つ伝えられませんでした。仲のいい同僚には「全くだめだった」と半笑いで言われました。私は目の前がぐるぐるして吐き気がしました。何でそんなことを言ってしまうんだろうと、あの顔が目を閉じると追いかけてきて心がぐちゃぐちゃになりました。恥ずかしさと惨めさで涙がにじんできて、泣いていることがさらに悔しくてさらに涙が溢れてきました。前には携帯をいじっている女の人がいて、この人に涙が見えなければいいなと思いました。ドアのガラスに映る自分の眉毛が垂れて情けないことでまた涙が溢れてきました。
嫌な夢を見ました。妹が暴漢にさらわれて私がその彼を殺す夢です。私は一生懸命彼を殺します。二度と起き上がってこないように何度も何度も手に持った鈍器で執拗に殴ります。それは妹の為か、私の為か正義なのか興奮なのか快感なのか分からないです。私は無我夢中で殺します。血が出て跳ね返ってきても、私が殴り始めてから一度も反撃できないように少しも間を与えないように力いっぱい殴ります。ただ頭には「私がやらなきゃ」と息が辛くて、ずっと心臓がドキドキします。だいたいそこで目が覚めて異様に興奮した息と自分の心に恐ろしさを覚えます。本当に殺してしまったような気分に寝汗が気持ちわるくて無駄に心臓の音がうるさいです。電車は今原宿でで若者たちがたくさん降りていきます。浜松町はあと何駅だろう。
家族と一緒に電車に乗ったのは何年ぶりだったんでしょうか。 今日は家族でカラオケに行きます。家族6人で横に並んでいるのはまわりからみたらとても奇妙な気がします。顔が似ている6人が真横に一直線になっている。私たちは家族ですが、わざわざ喋ったりせずに無言で外を眺めます。妹が隣でスマホをしていて、爪がコツコツ弾く音がします。私は今日カラオケで何を歌おうかな~…とか決めるつもりのないことを考えました。電車は着いたり、出発したりして、人がコロコロ変わる中私たち家族は6人で一列に同じ顔でずっと待っています。私たちは外から見るとさやえんどうみたいかもしれないです。
友達と電車に乗りました。彼女はまだあんまり仲良くなくて、間が怖いように話が途切れるとそわそわ周りを見渡します。私はわりと仲のいい友達とも沈黙でも平気なんですが、その子は気になるようでしかもあまり活発に喋るタイプでもないかもしれなく、私はできるだけ彼女に気をつかわせないようにすごい速さで喋りました。彼女が気を使っていることによって作られる空間がすごく嫌だったからです。話を振りまくって、矢継ぎ早に質問する。気を使う彼女にとても気を使いました。こうなれば気を使い合戦です。早く新宿よ来い!!と私は願いました。
電車を待つ途中に前で並んでいる男の人のリュックのチャックが空いてました。正直、声をかけようかとても悩みました。ですが、もしも私がチャックが空いていたら嫌だなと思い勇気を出して声をかけました。トントンと背中を叩いてみたらお兄さんはいきなり嫌な顔をして、振り返りました。不審者のような顔をされて思わずひるんだのですが、このままじゃ本当に不審者なので「チャック空いてますよ」と勇気を出して声をかけました。お兄さんは聞き取れなかったようで、私が同じことを2回言ったあとで警戒するようにああと短く言ってチャックをしめました。私はなんだか悪いことをしたような気分になって、こんなはずじゃなかったと気まずいまま電車に乗りました。電車に乗ったあとでお兄さんは右斜め前の方に座りました。私はお兄さんに顔をじろじろ見られる予感がして、とっさに車掌さんのうなじを見ました。
鍵を閉めたかどうかが、急に気になってきました。考え始めたら最後、不安で不安でしょうがありません。今日はドアから出た後、靴を履く、履きづらくてつま先をとんとんする。ここで靴を履くのに夢中で鍵を閉めたのかどうだったのか、履き終えて閉めたか、閉めてから履きづらいことに気づいたか…。持っていたはずの鍵はいつしまったのかいつ出したのか必死に思い出します。毎日毎日自然にやってしまっているので、閉めている記憶はないですが確かに閉めたような…それともこれは昨日の記憶か…ものすごいスピードで頭が回転します。といってもこれから戻ることはできなく、弟が帰ってくるのは��時だろう…お風呂に知らないおじさんが入っていたらどうしようと想像も猛スピードでふくらみます。かと言っても戻れない訳ですが。こんなことなら気づかない方が良かったなと思いました。
で、ん、し、ゃ
文字は連続することで意味が生まれます。言葉は繫がることでお話ができます。文章には物語があります。
電車は物語の箱です。 たくさんの物語を持った人たちがある時間にある目的地に着くために同席します。
タイトルは山の手線浜松町駅行きです。
個人、友達、家族、突然カップルが横になって座る。首をかく、手を組む、目を閉じる、眠る、イヤホン、ケータイ、ケータイ、ケータイ、文字を見る、地図を出す、あっ貧乏ゆすり、喋る、耳にかける、あくび、外を眺める。目は全く合いません。本を読んでいる、ケータイ、ニトリ、パスドラ、無表情で打つLINEの画面、テンションの高い絵文字と真顔。 色んな音が聞こえます、咳、ページを繰る音、鈴、ガラガラ、画面に爪が当たる音、足のキュッ!、クリック、きしむ音、扉が開いた瞬間に爆音。 日本語か中国語か、もしかして英語かもしれません。記号のように跳ねて聞こえる、あっ、しっ、す、ろ、んゆ、たな。 「次は恵比寿~、恵比寿~ドアが閉まりますのでご注意ください」
電車はどんな話でも均等に入れられて、たどりつきます。
左前の席で男女が向かい合わせになって席に座って大きな声で話しています。たぶん高校生くらいの年齢だと思います。男の方は作業着を着ていて事情を聞いているともう働いているらしく、女の方は少しギャルっぽい舌足らずな喋りかたで夜の仕事をしているようでした。二人は別れていてその間にこどもがいて、子どもを施設に入れている、という聞いてけば聞いていくほどなかなかな事情でした。なにより二人とも顔や仕草が私より幼かったことが内容と不釣合いでした。彼らは品川駅まで大きな声のまま降りていきました。
前では、小学生位の女の子たちがリュックをしょって騒いでいます。少し日焼けしていて、汗の匂いがするので遠足がえりなのかもしれないです。電車が揺れるたびに歓声があがって不快と懐かしさの間の感情になりました。
向かい側の老夫婦は手を繋いでお互い寄り添って寝ています。髪が白くおちついた雰囲気の老人でした。
大きな荷物をもった女の人がイライラしながら、自分の荷物に当たった人をにらみます。
目の前の席の男の子がじっとまっすぐこっちを見ています。それがとても不快で、目をそらしました。干渉されているようで、気まずくなりました。 ここは色んな人がいても、気にしないふりができる、いないことができる場所です。 電車に乗っているとたまに大声で暴れてやりたくなります。みんなイヤホンをしているのできっと聞こえないです。
電車は人と人がこんなに近いのに、お互いに干渉せずに、自分の世界だけを見ることができます。そして突然、想像以外の物語に出会うことも影響も与えることもできます。
ふと、一つ隣の人がどこの誰で何を考えているのか分からないことが私には恐ろしく、奇妙です。誰が決めた訳ではないのに、人が降りるときは道を空けます。よろけたり、踏ん張ったり電車の揺れにみんなが当たり前のように近くの人との距離を一定に保って耐えます。席にはおとなしくちゃんと座ります。そのくせに誰かがいつもと違うことをしただけであっという間に電車の物語は一つになってしまいます。でも、本当はその時間にその場所に居合わせるだけで本当は物語があるのかもしれません。それでも大抵の時は隣に座った人が殺人鬼でも聖母でも私にはどうでもいいのです。
電車は今日も目的地に着きます。私は隣の人を知りません。
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二〇一八年七月兼題「海」 牟礼鯨
海の日や斜め懸垂粛々と
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あれから朝晩ゴロゴロやっています。 初めは触れるだけで痛いし、身体中アザになってるんじゃないか(なってないw)くらい痛かったんですけど、今はそれなりになりました。笑 痛いところは痛いけど。 なんとなく使い方分かってきたかも。 運動神経ゼロなので、体の使い方が分からないのです。中学の時、斜め懸垂ゼロ。ボール投げ1メートル台、他にも、、だったから。笑 多分、、多少運動出来る人には、理解出来ないと思います。。ふざけてる?ってよく言われるから。 そんな私でもYouTubeの筋膜リリース動画観ながらやってます。終わった後は汗が! 汗が出るって事は使い方分かってきたって事です。笑 続けるとどうなるか、実験。運動嫌いだけど実験好きだからね。 https://www.instagram.com/p/CRxQKuhsTJV/?utm_medium=tumblr
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若倭部身麻呂と万葉の森公園
七月十六日、Sを自動車学校へ送り、天竜区へ向かった。そして浜北区で北上をやめ、句碑や歌碑やアトラクションの多い不動寺の裏、麁玉河の河岸段丘にある万葉の森公園を訪れた。そこらへんは昔「伎倍」(きべ)という地名だったらしい。〈伎倍人の斑衾に綿さはだ入りなましもの妹が小床に〉〈あらたまの伎倍の林に汝を立てて行きかつましじ寝を先立てね〉。また防人の若倭部身麻呂の歌から「恋ひらし」(恋ふらし)や「かご」(影かげ)など当時の遠州弁を読むことができる。万葉山の上には曲水庭園が作られ、万葉集に登場する植物、菱や檜扇や紫や女郎花や滑歯莧や岩煙草が育てられ、密度が濃くなるよう工夫されていた。万葉資料館の受付の老爺は無愛想で私を訝しんで睨んだが、そこが更に旅情をかきたてた。羽黒蜻蛉が三、四匹飛んでいた。Sが洗濯機をかけながら干し忘れたと連絡が来たので慌てて帰宅した。
わが妻はいたく恋ひらし飲む水に影さへ見えて世に忘られず 若倭部身麻呂
海の日や斜め懸垂粛々と 鯨
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SAPPORO WILDENESS ADVENTURE VOL3
みなさん、こんにちは。
前回ブログ、SAPPORO WILDENESS ADVENTURE VOL2の続編です。
1日目、沢登りしてハンモックで宿泊した翌日の朝から始まります。
4時30分、起床。
4時過ぎには、外は薄明るくなってきます。
朝食はBIVOUAC RATION 海苔茶漬け味。
約200ccの湯を入れ2分で完成します。
NEMOのハンモックは実に良くできています。
フライを外してみました。
手前が頭側です。
荷物置き場スペースがあるのが判ると思います。
ピンと張れば、沈み込みも少なく快適な睡眠を得られます。
6時30分、スタートします。沢沿いを歩いていくとヒグマの食痕がありました。
エゾタヌキかなにか中型の動物のようです。
降雪前、秋頃の時期だと思います。
近くには同じこの画像の毛がでいっぱいの糞も転がっていました。
改めて、ヒグマが近くに潜んでいるのが感じられました。
沢も様相が大分変わってきました。
水量もこんな感じで、進行スピードは順調です。
左岸側に小さな水流が見えます。
奥には991m峰も確認できましたので、
この水流を辿って登ることにします。
いよいよ、藪漕ぎセクションに突入です。
途切れ途切れに残雪が残っています。
予想どおり、標高を上げるにつれ残雪が現れます。
夏場なら踏み込めないでしょうけど、この時期ならではのルートでしょう。
やがて水流はなくなります。
振り返ると迷い沢山方面の斜面が現れてきます。
向こう側は北斜面なので残雪はより多い感じです。
藪の中に、岩が混じるようになりました。
こうした岩や倒木は近寄る前に、必ず観察するようにします。
何が潜んでいるのか周囲の状況も含め、よく観察します。
スズメバチのスが在る場合、
ヒグマの巣である場合など、
危険が潜んでいることが多いのです。
標高も上がってきました。
9時、991m峰の下部に到着しました。
ここで、手稲山の山頂が見えてきます。
通過ついでに991m峰も登頂してみましたが、
崖に生える灌木に手間取ってしまい2時間かかりました。
無雪期にこちら側から手稲山の景色は中々見られないでしょう。
だんだん、近づいてきます。
濃そうな藪も見えますので時間はかかりそうです。
藪漕ぎの最中。
稜線上に出ると、北斜面にはまだ残雪が豊富に残っていました。
眼下には銭函方面の海が見えます。
藪は濃いです。
今、やることは確実にやること。
疲れたとか、
痛いとか、
苦しいとか、
精神的なことで行動不能になることは許されない場所。
そこで行動不能となることは、
すなわち遭難ですから。
ただし、バイタルサインの危険信号を無視することは危険です。
youtube
藪漕ぎの様子です。
もう一息!
正面にクラックが見えます。
下見では、この裏側の壁にある崖を登って登頂するつもりでしたが、
なんとかやれそうだと考えました。
時刻は12時。
振り返ると、991m峰の全貌が良く判ります。
左側の基部から右側の頂上まで2時間。
そこから1時間かかったことになります。
さらに手稲山山頂まで5時間かかるとは、、、。
2mほど上の落石が溜まっているテラスまで上がります。
ぱっと見では簡単そうに見えますが、、、、。
斜度は思っていたよりあります。
昔のぼられたクラッシックルートです。
当時は登山靴で登られていました。
私も、今回はトレッキングシューズでクライミングします。
ビレイヤーが居ないので、
登り方は自然物を利用した支点工作をしながら
セルフビレイで確保して登ります。
スリングは内径が固定されたテープスリングよりも、
解いて工作ができるロープスリングを多様します。
装備も予め、そんな登攀を想定した装備なのです。
この画像、よく見ると基部には束ねられた紫色の
ロープスリングが落ちているのが判ります。
バックパックは残置しています。
バックパックは引き上げます。
この2ピッチで2時間かかってます。
しっかりとした支点を確保して、
一旦懸垂下降で降りてから再度登ることを繰り返します。
トータルで2回登ることになります。
始めのセクションでは高さ3〜4mほどでしょうか。
よく美流渡、古いリング支点があるのが判ると思います。
この支点も使いました。
支点を2つのスリングで架け替えながら落下防止をしているのです。
残置支点や、自然物の工作をしながらね。
ロープは1ピッチ分の長さしか出しません。
一番危ないのは、登りだしなのです。
グランドフォールし易いからです。
ある程度高度を稼ぐほうが精神的にも楽です。
一度登ったところをロワーダウン(懸垂下降)します。
プルージックで確保しながら再登します。
一箇所、クラッシックルートらしく、
人工登攀でアブミをかけるようなセクションもありました。
私もロープスリングでアブミを作って登りました。
最後のピッチです。
この上に出れば、灌木帯を経て登頂成功です。
12時から登り始めて時刻は17時。
夕陽となる頃。
5時間もかかってしまいました。
無事、手稲山登頂!
ルート的には、これからが下山なので
まだ半分ですが、、、。(^_^;)9
下山途中、夕陽が沈みます。
沢まで降りて水分補給します。
ベンチでパッキングをやり直します。
夜間行動となりますから。
急いでも変わらないのです。
無事下山し、20時40分ころのバスに乗車。
帰宅は10時に近かったです。
長い1日でした。
行動の終了は道具のメンテナンスを完了してからです。
クライミングロープは使ったら、必ず洗浄しましょう。
ロープの中に花崗岩の砂礫が入り込んでいるからです。
この微小な砂が、ヤスリとなってロープ内部を損傷させてゆくのです。
今回、使っただけでこれだけ汚れているのです。
外見では判りませんが、微小な砂礫が沈殿しているのが判りますね。
フリークライミングであっても同じことです。
ヘルメットも洗浄します。
ずっと被りっぱなしでしたからね。
トレッキングシューズも洗浄します。
シュラフも洗浄します。
シュラフも使った���必ず洗ってください。
夜間にかく汗は400ccともいわれます。
メンテナンスが楽なのも、化繊中綿のシュラフの利点です。
バックパックも綺麗にしましょう。
ARC’TERYXのAC2生地は、さっと洗えてメンテナンスも楽にできます。
ナイフも使ったら必ず研ぎましょう。
ナイフは力で切ってはなりません。
藪漕ぎでは、竹や灌木などは振り下ろすだけで切れないと疲労します。
竹や灌木はしなりますから。
最後に自分の身体もメンテナンスしましょう。
これだけ長時間行動をしましたが
翌日の疲労感は一切ありません。
もっと厳しい行動は数え切れないほどこなしてきましたので、
今回は軽めでした。(*^^*)V
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