#斜め懸垂
Explore tagged Tumblr posts
Text
2024.5.3-5 僧ケ岳・サンナビキ山・毛勝山 縦走
メンバー:HSG、kwt(記)
1日目(5/3) 7:00片貝第二発電所〜7:40別又右尾根〜16:00僧ケ岳手前(泊)
2日目(5/4) 4:40僧ケ岳手前〜6:30駒ヶ岳〜滝ケ倉山〜サンナビキ山〜18:00ウドノ頭(泊)
3日目(5/5) 5:00ウドノ頭〜7:00平杭乗越〜10:30毛勝山〜11:10毛勝山谷から下降〜片貝山荘〜13:40片貝第四発電所〜14:00片貝第二発電所
1日目(5/3) 車道のち薮、一瞬車道ののちまた薮、のち雪渓
前夜、調布駅21:00集合。運転を交代しながら片貝第二発電所に着いたのは午前3時頃。車はこの先まで入れるようだが、別又尾根から取り付くのでここで車を駐車する。 しばらくの車道を歩くと発電所の導水管が見えてきた。脇には階段があり、この階段を使えばか���りのショートカットが見込めそうだが、発電施設に無断で立ち入ることに後ろめたさがあり薮尾根に取り付く。 見たところ杉の植林なのでそれほど薮は濃くないと思ったが、薮初心者の我々にはかなりの薮だった。やっとのことで薮が途切れたと思ったら真新しい車道が現れた…。いままでの藪漕ぎはなんだったのか…。一瞬の車道歩きを経て、気を取り直してまた薮尾根に取り付く。たまにオレンジテープが現れるがほとんど人は入っていないようだ。 3時間ほど薮尾根を突き進むとようやく雪渓が現れた。沢の流れる音が聞こえ、駆け寄って水をガブ飲みした。 雪渓を詰め稜線に出る。毛勝山とそれに続く複雑な稜線が見渡せる。ここまでの慣れない藪漕ぎで疲労困憊。毛勝山は絶望的に遠く、とてもたどり着けるとは思えずどのようにエスケープするかを考えは始めた。 1日目は僧ケ岳まで行きたかったが、見えてはいるがなかなか近づかない。適当なところで切り上げてテントを張った。 テントを張った場所は富山湾のオーシャンビューと、毛勝山はもちろん遠く鹿島槍ヶ岳や五竜岳など後立山の山々が見渡せるマウンテンビューの最高のテン場だった。HSGが担ぎ上げたコーラで乾杯。シェフHSGによる肉、ソーセージ、野菜がたっぷり入ったキムチ鍋を食べ終わる頃に夕陽が富山湾に沈んだ。
2日目(5/4) 雪稜ところにより薮、そして薮、薮、薮
たくさん食べてよく寝たからか、昨日は絶望的に感じた毛勝山までの稜線もなんだか行けそうな気がしてきた。辛ラーメンで朝食をとって、陽がのぼる頃出発。ほどなくして僧ケ岳に到着。山頂には標識もなにもない。 駒ヶ岳までの稜線は雪が付いているところは雪の上を、切れているところは藪のなかを行く。アイゼンでの藪漕ぎもかなり慣れてきた。駒ヶ岳からは剱岳とそれに続く北方稜線が見渡せる。この北方稜線を厳冬期に踏破した記録があるが、凄すぎてまったく想像できない。また、真夏に踏破した記録もあるが、雪がなく永遠と続く藪を剱岳まで歩き通すのは気が狂いそうだ。どちらも常人とは思えない。 駒ヶ岳から先も雪と薮をつなぐ。滝ケ倉山もサンナビキ山もどこがピークかよくわからなかった。ウドノ頭の手前で1パーティーを追い越した。我々だけの貸し切だと思っていたので意外だったが、聞くと片貝山荘からの登山道で僧ケ岳へ登ったそうで、我々と同じく毛勝山までとのこと。 ガイドブックによるとウドノ頭はこのルート一番の核心らしい。急な雪壁部分を藪に逃げ高度を稼ぐ。遠くから見ただけではわからなかったが小刻みにギャップがあり、2箇所の懸垂下降が必要だった。できればウドノ頭を越えて平杭乗越まで行ってテントを張りたかったが一向にウドノ頭のピークにたどり着かない。時刻はそろそろ18時になる。平杭乗越は諦めて適当なところでテントを張ろうとウロウロしていたらHSGがナイスなテン場を発見。そこがウドノ頭のピークだった。 夕陽が沈む頃にテントを張り終え、テントの中で夕食をとった。この日もシェフHSGが300gのパスタを作ってくれた。ペーコン、ソーセージ、ピーマン入り。アルファ米やフリーズドライに頼らず、食材を担ぎ上げるガッツが素晴らしい。夕食を食べ終わると21時。明日はいよいよ毛勝山だ。
3日目(5/5) 薮のち雪壁
3時に起床。昨日の晩御飯が遅い時間だったので二人ともまったくお腹が空いていない。あと30分寝ることにした。3時30分に再度起床。お茶とコーンスープだけ腹に入れて出発。ウドノ頭の下降にかかる。毛勝山はつねにデッかく見えているが、下降先の平杭乗越が薮に隠れて微妙に見通せない。なんとなく方向は掴めているので適当に薮を下降していくと、どうも様子がおかしい。平杭乗越が遠のいていく。どうやら間違った尾根を降りているようだ。薮をトラバースしたり登り返したり雪渓を繋いだりしながら、平杭乗越へ降り立った。 ここから見る毛勝山は遠くから見るより傾斜がなさそうだ。しかしこれは目の錯覚で、いざ雪壁に取り付いてみるとアイゼンを蹴り込む登りが永遠と続いた。雪はいい具合に緩んでいて怖さはないが、ただただ息があがる。この雪壁は通称「天国への階段」と呼ばれているらしい。ところどころ傾斜が緩むところがあって、そんなところは、雪が切れていたり雪の状態が悪かったりで慎重に進んだ。最後の100mくらいは傾斜が緩んでようやく毛勝山の山頂へ到着した。1日目の稜線から見た毛勝山は絶望的に遠くて絶対無理と思ったが、たどり着くことができてとても嬉しい。三日間を通じて雪壁部分のほとんどをトップで進んだHSGに感謝。 下降は毛勝谷にとった。結構な人が入っているらしくトレースバッチリ、一気に標高を下げた。片貝山荘から車を停めた片貝第二発電所までは約7kmの林道歩き。ここで奇跡が。毛勝山山頂で一緒になった岐阜からの登山者が片貝第四発電所から車に乗せてくれて約5kmをワープできた。
三日間とも天���最高でルートファインディングが容易だったこと、HSGという強力なパートナーと一緒だったこと、最後の最後に車に乗せてもらったことなど、すべてがツイていた。この山行で薮初心者から薮初段くらいにレベルアップできたのではないか。先々週の白馬主稜がハイキングに思えるほど内容が濃くて良い山行だった。
0 notes
Text
遺失 的 台北地景
古大砲
台北圓山飯店 正面的下方,曾經有一座古大炮;這裡這麼說當然
不期待有人相信。這座古大砲之古,應該是在 鄭成功,甚至更早
一些的清末。其巨大約略如同圖示:
砲的口徑約 1' 左右,底座呈 立體長方型。全身佈滿機關,顏色土黃,
應該是生鏽的結果。小學生的我,如同站在斜槓的公車。地形地物
已經改變,大砲也已經失蹤,可能進了 北新鐵,南唐榮 那一家的
大熔爐,已經成為歷史懸案。
其外型相近於這部影片中的 潛水艇。外型迥然不同,卻是相類似的
製造工藝。
【圓山大飯店(Grand Hotel)是台北市的地標性建築,位於基隆河畔,背倚陽明山,俯瞰松山區,並面向淡水河。自民國41年(西元1952年)起,這座巍峨高聳的宮殿式建築以其紅柱金瓦、富麗堂��的古典氛圍,成為旅人不可錯過的中國文化精粹之地1。此外,圓山飯店曾經因一場大火而被燒毀,但在後來的整修中重新焕发出它的光彩。您知道嗎,圓山飯店曾經擁有七門大炮,其中兩門與甲午戰爭有關,至今仍是台灣現存少數和甲午戰爭相關的文物之一】- copilot
NAUTILUS RC Submarine Captain NEMO Jules Verne's "20,000 LEAGUES UNDER THE SEA" (youtube.com)
(148) Kirk Douglas in 20.000 Leagues Under The Sea | Adventure, Family, Fantasy, Full Movie HD - YouTube
----
颱風
有一年來了颱風 貝絲 or 葛樂禮;大水氾濫,從 第九水門 淹了
進來,淹過了 西寧北路,淹進了家裡,拿門板划船;大水可能上
至延平北路。
《大水下的澡盆與門板》葛樂禮颱風的台北盆地 (youtube.com)
風速 4、50 米的 貝絲 or 葛樂禮颱風狂風陣陣呼嘯,電線斷了,
招牌掉了,街景蕭條而七零八落。颱風一過,整個就漸漸的
平靜了下來。於是有的就登上高約 15尺,寬約 4尺 的堤防,觀看
依舊滿注的淡水河,滾滾而來,夾雜著樹木、桌椅、死豬等等而
去,狂風暴雨,滿目滄夷;老實說:興奮不已。
( 轉自 12/20 第九水門 )
----
大帆船
應該是 葛樂禮颱風 之後,登上高約 15' 的 堤防(Teibo)走出水門,
天啊!眼前竟然出現了一艘大木船擱淺在沙洲岸上。船身龐大,由
小孩看來,尾舵就有一樓高。聽說是從第一水門漂流過來,並且就地
安置了下來。
就是如此架式:藍色陞旗飄揚者。
船家在河邊作弓形土堆圍半圓,面向河面,置放雙人躺椅,以此做為
營生 - 夜晚的情人雅座。
Chinese junk 中式帆船 (youtube.com)
台灣遊蜓出口,曾經超過 2000艘/年。
World's Highest Trampoline Jump by ACON® | us.acon24.com (youtube.com)
junk - YouTube
----
大漁網
淡水河 的岸邊,曾經有數座 大漁網。岸邊是附有 轆臚 的木座,
約15' 大小的漁網,垂掛於竹竿交叉成的十字架下方,伸向河面
每日有人將大漁網放入河中,“守株待兔” ;漁獲不清楚。
----
劍潭
台灣北部有大鵬,遮天蔽日,鄭成功 將其配劍飆向大鵬,劍支掉落
現今已經成了陸地,圓山飯店左前方的水潭,此日後人稱「劍潭」
之由來。
大鵬 之 首級 不知去向,身體則掉落因以名之,製造陶瓷聞明的
鶯歌,成了 鶯歌石;之後 頭部 長了一棵樹以代之。
小學生時代遠足,搭火車經過,到了某個角度,實在非常像:
鶯歌的由來-新北市鶯歌區公所 (ntpc.gov.tw)
鶯歌石 - 搜尋 圖片 (bing.com)
|台北景點|CP值爆表美景爆推的👉劍潭山親山步道,除了交通便利、無敵景觀之外,還有觀機坪看飛機起降,傍晚更有觀音山夕陽相伴喔~ - 進入泰瑞莎異想世界一起趴趴走-泰泰 (taitai.com.tw)
台北|台北大縱走第五段:劍潭站至碧山巖,公認最輕鬆路線!遠眺機場、拍七美觀音夕照 - 輕旅行 (yam.com)劍
----
人生百年
人生百年は人に選擇を教えるため丈,人生は道を步ゆむ旅の樣な
ものだ,私も步行者の醉た目で世界を見ると皆んな優しい。 -
人生百年教人選擇,就如同在人生行旅道上一般,我也用步行者
的醉眼惺忪看著世界,每個人都很親切。
0 notes
Photo
ボクシング&スポーツジムBMC https://bmc2007.com #斜め懸垂 #karate #kickkid #空手 #武庫之荘空手 #武庫町空手 #志道会 #志道会ジュニア空手 #伊丹空手 #尼崎空手 #西宮空手 (ボクシング&スポーツジムBMC) https://www.instagram.com/p/CBhMqyeAMQR/?igshid=bdsdg8n52r8g
0 notes
Photo
8時30分〜、パーソナルトレーニング初め。 心身のアップデートで2020年を戦い抜くぞ。 #中目黒 #東京 #caladalab #パーソナルトレーニング #winter #2020 #斜め懸垂 (中目黒駅 Nakameguro Station) https://www.instagram.com/p/B64hHIagyNS/?igshid=169yghtroayvh
0 notes
Video
instagram
良い子は真似しちゃいけません、part2 #台湾生活 #斜め懸垂 #使い方が違う RepostBy @caliworkoutcom: "Today’s One More Workout. Australian Pull Up and Mountain Climbers using play facility in the park. If you find the same facility, try to do mountain climbers! Not so bad! 💪🔥👊💥💪 - 💪💯💪 - #australianpullups #mountainclimbers #newpost #ageisjustanumber #calisthenics #workout #middleage #fit_over_40 #fit_over_50 #街頭健身 #徒手健身 #單槓 #引體向上 #bodytransformation #onlinetraining #onlinecoaching #exercisevideos #weightloss #fatloss #fitness #health #fitnessgoals (中平公園)
#fit_over_40#單槓#fit_over_50#newpost#斜め懸垂#onlinetraining#fitness#徒手健身#fitnessgoals#ageisjustanumber#引體向上#middleage#australianpullups#台湾生活#calisthenics#使い方が違う#workout#fatloss#health#weightloss#mountainclimbers#bodytransformation#exercisevideos#街頭健身#onlinecoaching
0 notes
Text
iFontMaker - Supported Glyphs
Latin//Alphabet// ABCDEFGHIJKLMNOPQRSTUVWXYZabcdefghijklmnopqrstuvwxyz0123456789 !"“”#$%&'‘’()*+,-./:;<=>?@[\]^_`{|}~ Latin//Accent// ¡¢£€¤¥¦§¨©ª«¬®¯°±²³´µ¶·¸¹º»¼½¾¿ÀÁÂÃÄÅÆÇÈÉÊËÌÍÎÏÐÑÒÓÔÕÖ×ØÙÚÛÜÝÞßàáâãäåæçèéêëìíîïðñòóôõö÷øùúûüýþÿ Latin//Extension 1// ĀāĂ㥹ĆćĈĉĊċČčĎďĐđĒēĔĕĖėĘęĚěĜĝĞğĠġĢģĤĥĦħĨĩĪīĬĭĮįİıIJijĴĵĶķĸĹĺĻļĽľĿŀŁłŃńŅņŇňʼnŊŋŌōŎŏŐőŒœŔŕŖŗŘřŚśŜŝŞşŠšŢţŤťŦŧŨũŪūŬŭŮůŰűŲųŴŵŶŷŸŹźŻżŽžſfffiflffifflſtst Latin//Extension 2// ƀƁƂƃƄƅƆƇƈƉƊƋƌƍƎƏƐƑƒƓƔƕƖƗƘƙƚƛƜƝƞƟƠơƢƣƤƥƦƧƨƩƪƫƬƭƮƯưƱƲƳƴƵƶƷƸƹƺƻƼƽƾƿǀǁǂǃDŽDždžLJLjljNJNjnjǍǎǏǐǑǒǓǔǕǖǗǘǙǚǛǜǝǞǟǠǡǢǣǤǥǦǧǨǩǪǫǬǭǮǯǰDZDzdzǴǵǶǷǸǹǺǻǼǽǾǿ Symbols//Web// –—‚„†‡‰‹›•…′″‾⁄℘ℑℜ™ℵ←↑→↓↔↵⇐⇑⇒⇓⇔∀∂∃∅∇∈∉∋∏∑−∗√∝∞∠∧∨∩∪∫∴∼≅≈≠≡≤≥⊂⊃⊄⊆⊇⊕⊗⊥⋅⌈⌉⌊⌋〈〉◊♠♣♥♦ Symbols//Dingbat// ✁✂✃✄✆✇✈✉✌✍✎✏✐✑✒✓✔✕✖✗✘✙✚✛✜✝✞✟✠✡✢✣✤✥✦✧✩✪✫✬✭✮✯✰✱✲✳✴✵✶✷✸✹✺✻✼✽✾✿❀❁❂❃❄❅❆❇❈❉❊❋❍❏❐❑❒❖❘❙❚❛❜❝❞❡❢❣❤❥❦❧❨❩❪❫❬❭❮❯❰❱❲❳❴❵❶❷❸❹❺❻❼❽❾❿➀➁➂➃➄➅➆➇➈➉➊➋➌➍➎➏➐➑➒➓➔➘➙➚➛➜➝➞➟➠➡➢➣➤➥➦➧➨➩➪➫➬➭➮➯➱➲➳➴➵➶➷➸➹➺➻➼➽➾ Japanese//かな// あいうえおかがきぎくぐけげこごさざしじすずせぜそぞただちぢつづてでとどなにぬねのはばぱひびぴふぶぷへべぺほぼぽまみむめもやゆよらりるれろわゐゑをんぁぃぅぇぉっゃゅょゎゔ゛゜ゝゞアイウエオカガキギクグケゲコゴサザシジスズセゼソゾタダチヂツヅテデトドナニヌネノハバパヒビピフブプヘベペホボポマミムメモヤユヨラリルレロワヰヱヲンァィゥェォッャュョヮヴヵヶヷヸヹヺヽヾ Japanese//小学一年// 一右雨円王音下火花貝学気九休玉金空月犬見五口校左三山子四糸字耳七車手十出女小上森人水正生青夕石赤千川先早草足村大男竹中虫町天田土二日入年白八百文木本名目立力林六 Japanese//小学二年// 引羽雲園遠何科夏家歌画回会海絵外角楽活間丸岩顔汽記帰弓牛魚京強教近兄形計元言原戸古午後語工公広交光考行高黄合谷国黒今才細作算止市矢姉思紙寺自時室社弱首秋週春書少場色食心新親図数西声星晴切雪船線前組走多太体台地池知茶昼長鳥朝直通弟店点電刀冬当東答頭同道読内南肉馬売買麦半番父風分聞米歩母方北毎妹万明鳴毛門夜野友用曜来里理話 Japanese//小学三年// 悪安暗医委意育員院飲運泳駅央横屋温化荷開界階寒感漢館岸起期客究急級宮球去橋業曲局銀区苦具君係軽血決研県庫湖向幸港号根祭皿仕死使始指歯詩次事持式実写者主守取酒受州拾終習集住重宿所暑助昭消商章勝乗植申身神真深進世整昔全相送想息速族他打対待代第題炭短談着注柱丁帳調追定庭笛鉄転都度投豆島湯登等動童農波配倍箱畑発反坂板皮悲美鼻筆氷表秒病品負部服福物平返勉放味命面問役薬由油有遊予羊洋葉陽様落流旅両緑礼列練路和 Japanese//小学四年// 愛案以衣位囲胃印英栄塩億加果貨課芽改械害街各覚完官管関観願希季紀喜旗器機議求泣救給挙漁共協鏡競極訓軍郡径型景芸欠結建健験固功好候航康告差菜最材昨札刷殺察参産散残士氏史司試児治辞失借種周祝順初松笑唱焼象照賞臣信成省清静席積折節説浅戦選然争倉巣束側続卒孫帯隊達単置仲貯兆腸低底停的典伝徒努灯堂働特得毒熱念敗梅博飯飛費必票標不夫付府副粉兵別辺変便包法望牧末満未脈民無約勇要養浴利陸良料量輪類令冷例歴連老労録 Japanese//小学五〜六年// 圧移因永営衛易益液演応往桜恩可仮価河過賀快解格確額刊幹慣眼基寄規技義逆久旧居許境均禁句群経潔件券険検限現減故個護効厚耕鉱構興講混査再災妻採際在財罪雑酸賛支志枝師資飼示似識質舎謝授修述術準序招承証条状常情織職制性政勢精製税責績接設舌絶銭祖素総造像増則測属率損退貸態団断築張提程適敵統銅導徳独任燃能破犯判版比肥非備俵評貧布婦富武復複仏編弁���墓報豊防貿暴務夢迷綿輸余預容略留���異遺域宇映延沿我灰拡革閣割株干巻看簡危机貴揮疑吸供胸郷勤筋系敬警劇激穴絹権憲源厳己呼誤后孝皇紅降鋼刻穀骨困砂座済裁策冊蚕至私姿視詞誌磁射捨尺若樹収宗就衆従縦縮熟純処署諸除将傷障城蒸針仁垂推寸盛聖誠宣専泉洗染善奏窓創装層操蔵臓存尊宅担探誕段暖値宙忠著庁頂潮賃痛展討党糖届難乳認納脳派拝背肺俳班晩否批秘腹奮並陛閉片補暮宝訪亡忘棒枚幕密盟模訳郵優幼欲翌乱卵覧裏律臨朗論 Japanese//中学// 亜哀挨曖扱宛嵐依威為畏尉萎偉椅彙違維慰緯壱逸芋咽姻淫陰隠韻唄鬱畝浦詠影鋭疫悦越謁閲炎怨宴援煙猿鉛縁艶汚凹押旺欧殴翁奥憶臆虞乙俺卸穏佳苛架華菓渦嫁暇禍靴寡箇稼蚊牙瓦雅餓介戒怪拐悔皆塊楷潰壊懐諧劾崖涯慨蓋該概骸垣柿核殻郭較隔獲嚇穫岳顎掛括喝渇葛滑褐轄且釜鎌刈甘汗缶肝冠陥乾勘患貫喚堪換敢棺款閑勧寛歓監緩憾還環韓艦鑑含玩頑企伎忌奇祈軌既飢鬼亀幾棋棄毀畿輝騎宜偽欺儀戯擬犠菊吉喫詰却脚虐及丘朽臼糾嗅窮巨拒拠虚距御凶叫狂享況峡挟狭恐恭脅矯響驚仰暁凝巾斤菌琴僅緊錦謹襟吟駆惧愚偶遇隅串屈掘窟繰勲薫刑茎契恵啓掲渓蛍傾携継詣慶憬稽憩鶏迎鯨隙撃桁傑肩倹兼剣拳軒圏堅嫌献遣賢謙鍵繭顕懸幻玄弦舷股虎孤弧枯雇誇鼓錮顧互呉娯悟碁勾孔巧甲江坑抗攻更拘肯侯恒洪荒郊貢控梗喉慌硬絞項溝綱酵稿衡購乞拷剛傲豪克酷獄駒込頃昆恨婚痕紺魂墾懇沙唆詐鎖挫采砕宰栽彩斎債催塞歳載剤削柵索酢搾錯咲刹拶撮擦桟惨傘斬暫旨伺刺祉肢施恣脂紫嗣雌摯賜諮侍慈餌璽軸叱疾執湿嫉漆芝赦斜煮遮邪蛇酌釈爵寂朱狩殊珠腫趣寿呪需儒囚舟秀臭袖羞愁酬醜蹴襲汁充柔渋銃���叔淑粛塾俊瞬旬巡盾准殉循潤遵庶緒如叙徐升召匠床抄肖尚昇沼宵症祥称渉紹訟掌晶焦硝粧詔奨詳彰憧衝償礁鐘丈冗浄剰畳壌嬢錠譲醸拭殖飾触嘱辱尻伸芯辛侵津唇娠振浸紳診寝慎審震薪刃尽迅甚陣尋腎須吹炊帥粋衰酔遂睡穂随髄枢崇据杉裾瀬是姓征斉牲凄逝婿誓請醒斥析脊隻惜戚跡籍拙窃摂仙占扇栓旋煎羨腺詮践箋潜遷薦繊鮮禅漸膳繕狙阻租措粗疎訴塑遡礎双壮荘捜挿桑掃曹曽爽喪痩葬僧遭槽踪燥霜騒藻憎贈即促捉俗賊遜汰妥唾堕惰駄耐怠胎泰堆袋逮替滞戴滝択沢卓拓託濯諾濁但脱奪棚誰丹旦胆淡嘆端綻鍛弾壇恥致遅痴稚緻畜逐蓄秩窒嫡抽衷酎鋳駐弔挑彫眺釣貼超跳徴嘲澄聴懲勅捗沈珍朕陳鎮椎墜塚漬坪爪鶴呈廷抵邸亭貞帝訂逓偵堤艇締諦泥摘滴溺迭哲徹撤添塡殿斗吐妬途渡塗賭奴怒到逃倒凍唐桃透悼盗陶塔搭棟痘筒稲踏謄藤闘騰洞胴瞳峠匿督篤凸突屯豚頓貪鈍曇丼那謎鍋軟尼弐匂虹尿妊忍寧捻粘悩濃把覇婆罵杯排廃輩培陪媒賠伯拍泊迫剝舶薄漠縛爆箸肌鉢髪伐抜罰閥氾帆汎伴畔般販斑搬煩頒範繁藩蛮盤妃彼披卑疲被扉碑罷避尾眉微膝肘匹泌姫漂苗描猫浜賓頻敏瓶扶怖附訃赴浮符普腐敷膚賦譜侮舞封伏幅覆払沸紛雰噴墳憤丙併柄塀幣弊蔽餅壁璧癖蔑偏遍哺捕舗募慕簿芳邦奉抱泡胞俸倣峰砲崩蜂飽褒縫乏忙坊妨房肪某冒剖紡傍帽貌膨謀頰朴睦僕墨撲没勃堀奔翻凡盆麻摩磨魔昧埋膜枕又抹慢漫魅岬蜜妙眠矛霧娘冥銘滅免麺茂妄盲耗猛網黙紋冶弥厄躍闇喩愉諭癒唯幽悠湧猶裕雄誘憂融与誉妖庸揚揺溶腰瘍踊窯擁謡抑沃翼拉裸羅雷頼絡酪辣濫藍欄吏痢履璃離慄柳竜粒隆硫侶���慮了涼猟陵僚寮療瞭糧厘倫隣瑠涙累塁励戻鈴零霊隷齢麗暦劣烈裂恋廉錬呂炉賂露弄郎浪廊楼漏籠麓賄脇惑枠湾腕 Japanese//記号// ・ー~、。〃〄々〆〇〈〉《》「」『』【】〒〓〔〕〖〗〘〙〜〝〞〟〠〡〢〣〤〥〦〧〨〩〰〳〴〵〶 Greek & Coptic//Standard// ʹ͵ͺͻͼͽ;΄΅Ά·ΈΉΊΌΎΏΐΑΒΓΔΕΖΗΘΙΚΛΜΝΞΟΠΡΣΤΥΦΧΨΩΪΫάέήίΰαβγδεζηθικλμνξοπρςστυφχψωϊϋόύώϐϑϒϓϔϕϖϚϜϞϠϢϣϤϥϦϧϨϩϪϫϬϭϮϯϰϱϲϳϴϵ϶ϷϸϹϺϻϼϽϾϿ Cyrillic//Standard// ЀЁЂЃЄЅІЇЈЉЊЋЌЍЎЏАБВГДЕЖЗИЙКЛМНОПРСТУФХЦЧШЩЪЫЬЭЮЯабвгдежзийклмнопрстуфхцчшщъыьэюяѐёђѓєѕіїјљњћќѝўџѢѣѤѥѦѧѨѩѪѫѬѭѰѱѲѳѴѵѶѷѸѹҌҍҐґҒғҖҗҘҙҚқҜҝҠҡҢңҤҥҪҫҬҭҮүҰұҲҳҴҵҶҷҸҹҺһҼҽҾҿӀӁӂӇӈӏӐӑӒӓӔӕӖӗӘәӚӛӜӝӞӟӠӡӢӣӤӥӦӧӨөӪӫӬӭӮӯӰӱӲӳӴӵӶӷӸӹӾӿ Thai//Standard// กขฃคฅฆงจฉชซฌญฎฏฐฑฒณดตถทธนบปผฝพฟภมยรฤลฦวศษสหฬอฮฯะัาำิีึืฺุู฿เแโใไๅๆ็่้๊๋์ํ๎๏๐๑๒๓๔๕๖๗๘๙๚๛
see also How to Edit a Glyph that is not listed on iFontMaker
#FAQ#ifontmaker2#Symbols#Dingbat#Cyrillic#Greek#Coptic#thai#character set#character sets#list#language
6 notes
·
View notes
Text
東北見聞録〜陸奥編〜
さて、東北ツアーの報告、第二段です。今回、コーセイ君も平日予定開けててくれてたので、ほんじゃちょいとロードトリップでも行きましょうかって事になりました。実はちょうど同じタイミングで白馬のガイドのみんなもこっちに遊びに来てて今日は八甲田にいるというので、じゃあ合流し��しょうかって事で、コーセイ君の車でぶっ飛ばしました。初八甲田。楽しみ〜。
朝は霧がかってて幻想的でした。
あの座敷童子が出るつって有名になった温泉だそうです。俺の家もよくガサゴソと音がなるけどもしかして…いや、ありゃネズミか。
三時間近く車をぶっ飛ばすと八甲田が近づいてきました。橅林ですね。
はいこちらも橅。
橅!
橅!!
ブーーーナーーーー!!
危うくブナ酔いするとこでした。暫く走ると八甲田山系が見えてきました。
なかなか全貌が見えませんね〜。
本日はロープウェイ運休だそうです。ふっ予想通りだぜ。
そして遂に白馬組と合流!いや〜楽しんでますかー?ますよね〜。完全におっさんの修学旅行です。
仕事ではないこの開放感!サイコーーーー!!
くわぁいい〜!ジョニー君くわぁいいぃ〜!
しかし、いい林だな〜。斜度もメロウで初心者も連れて行きやすそう〜。もうすでにみんな八甲田の事が好きになり始めてます。
登っていくと、スノーモンスターのなりかけみたいのが増えてきました。
うわーすげー!でけー!子供みたいにみんなキャッキャしてます。
おおー、これなんて上に乗ったらやばいね。なんて誰かが言ったら、
はい、ジョニー君登っちゃいました〜。発想は子供でも肉体的には充実してるので、こういうこ事も出来ちゃうので手に負えねえっす。
帰りはロープで懸垂下降。なんだこのスキルの無駄使いは。
森林限界に近づくと風も強く視界も悪いので、
さっさと降りるべ〜。
ヒャッホーin 陸奥、いたただきました。
いや〜気持ちよかった���。
まだまだいっぱいラインあるじゃん。
サクッと終わらして、彼らは早々に弘前へラーメンを求めて旅立ちました。アディオス!この後もおっさん達の修学旅行は盛り上がったみたいですね。
我々はと言いますと、酸ヶ湯温泉。やっぱりこっちにきたら行っときたいね〜。
噂の千人風呂、やってきました。ババ…いや淑女の方が何も隠さず豪快にドーンと登場してくるので、目のやり場に困ります。
風呂の後はやっぱり俺らもラーメン。やっちゃいますね〜。煮干し出汁です。
俺はつけ麺トライしました。うーんボリューミー。
明日の行き先を岩木さんに尋ねにやってまいりました。
あ!茅葺だ!こっちのジャンルも気になっちゃうんですよ〜。東北結構多いすから。
小平側が入母屋造りになってますねえ。へえ〜。
こんな狛犬も初めて見ました。な、なんかこええ〜。
本堂も立派です。
岩木山も姿見せてくれないし、今回じゃないのかなって事で明日は南下することにしました。���はまだ続く。
1 note
·
View note
Text
2023.5.11-12 穂高岳・コブ尾根
メンバー:kwt、わたるん 詳しくはわたるんブログで! その前にkwtレポートを下記よりご覧ください。
残雪期の登山は最高だ。寒くないのに雪がある。岩登りも雪壁登りも両方楽しめる。普段やっているフリークライミングや雪山歩きの技術がベースにあれば軽い荷物でスピーディーに動ける。そんな年に一度のお楽しみにわたるんと行ってきた。場所は穂高岳・岳沢のコブ尾根。天気予報は二日間の晴天を約束してくれた。
1日目(5/11) 東京発〜バス〜12:30上高地〜14:30岳沢小屋
新宿からバスで上高地まで移動。車内は満席。海外からの旅行者が多いようだ。この日は岳沢小屋までの歩きだけ。岳沢小屋に着いたらテントを張って取り付きの偵察に出かける。晩御飯は生米を炊いて肉を焼いた。我々の他にはテントを張っている人はおらず快適なテン場だった。それにしても、水はタンクから汲めるし、荷物は適当にそこら辺に置いておけるし、残雪期の管理されたテン場泊まりはお気楽で快適だ。
上高地。雪は少なそう。
岳沢小屋。やっぱり雪少ない。
偵察。写真真ん中のボコっとした岩のかたまりがコブ。
晩飯。米、肉、トマト。
2日目(5/12) 3:30岳沢小屋〜5:30マイナーピーク〜8:00コブ頂上〜10:30コブの頭〜12:30天狗のコル〜13:20岳沢小屋〜15:30上高地
2時半起床、3時半出発。朝食は各自適当に済ませる。我々が出発する頃にはすでに岳沢にヘッドライトの灯りが見える。昨日、岳沢小屋で見かけたガイドパーティーだろう。小屋から少し歩いて岳沢に入ったところでアイゼンをつけて沢を詰める。気温はそれほど低くはないが雪は締まっていて歩きやすい。二股を右に入るあたりでガイドパーティーに追いつく。岩場と雪壁に入ればガイドパーテイーの方が圧倒的に早いので(ほとんどタイトロープで進むので)、追い越して後ろからプレッシャーをかけられるよりは、最初から後ろにつく作戦にした(冒険的要素は少し薄れるけど)。 コブ沢を詰めて尾根に乗る頃には空が明るくなってきた。マイナーピークに雪はなく、懸垂支点が出ていたのでありがたく使わせてもらった。ここからコブまでは雪壁が続く。
コブ沢を詰める。
マイナーピーク手前。後ろに明神岳。
マイナーピークからコブを見る。小さくガイドパーティーが見える。
コブの基部でロープを結びクライミング開始。ジャンケンで勝ったkwtから取り付く。1P目は階段上の岩場。30mくらいロープを伸ばして少し傾斜が強い壁が出てきたところでピッチを切る。2P目はわたるんリード。このピッチが唯一登り応えのあるピッチだった。最後、ワイドっぽいところを越えたところでピッチを切る。3P目は易しい岩稜といった感じでコブの頂上で終了。このピッチでkwtがセットしたカムがスタックして残置してきてしまった。
コブの基部から振り返る。陽が当たってきた。
コブの登り。最初は階段状。
2ピッチ目。唯一クライミングっぽいピッチ。
3ピッチ目は岩稜っぽい感じ。
コブの頂上から稜線を見る。写真の下のほうにガイドパーティーが見える。
コブ頂上の懸垂支点も出ていたのでありがたく使わせてもらった。懸垂後、いったんロープをしまって雪壁を詰める。岩場が出てきたところで再度ロープを結んでスタカットで岩場と雪壁が交互に出てくるパートを進む。傾斜が緩くなってきたところでロープを解いてひと登りするとコブの頭に出た。ジャンダルムがすぐそばにある(例の天使が見えるくらい)。
コブの頂上からの懸垂下降。
コブ頂上から稜線までは雪壁と岩が交互に出てくる。スタカットで進む。
コブの頭に出た。右に奥穂、左にジャンダルム。
槍ヶ岳方面。右はジャンダルム。
笠ヶ岳方面。2019年に登った抜戸岳東尾根が見える。東尾根下部は雪が少ない。
ここから一般登山道の稜線を天狗のコルまでアイゼンをはずして歩く。思いのほか距離があり、途中雪が残っているところが出てきて、そのたびにアイゼンをつけたりはずしたり。ようやく天狗のコルについて、ひと休みしてあとは天狗沢を下るだけ。最初は傾斜が強いので横向きになって、傾斜が緩んでくると(意図的に)足を滑らせながら一気に下降した。岳沢小屋には13時半頃到着。
天狗のコルまでの縦走路。アイゼンをはずして歩いた。
時折雪が出てくる。そのたびにアイゼンをつけたりはずしたり。
ようやく天狗のコルが見えた。
あとは天狗沢を下降するだけ。
岳沢小屋手前から天狗沢を見る。お疲れさまでした。
テントを撤収して上高地へ下山する。途中、結構な人数の外国人とすれ違った。登山者ではなく、皆んな、ほとんど手ぶらで登ってくるので心配になってしまう。上高地は日本語より外国語の方が多く聞こえるくらいの賑わいだった。
天候バッチリ、ルートのコンディション良好、自分たちの技量とルートの難易度も合致している、適度な疲労感、控えめに言っても最高な山行だった。
0 notes
Text
旅をつづけることについて
ある時Aという体験をして感動したとする。次にBという体験をして感動があった。そして少し時間が経って冷静になってみるとAが思い出された。AとBでは異なる点があることに気づく。AとBとを比較をしてみるとそれぞれの特徴がより明瞭にみえてきた。それはAだけを見ていた時点では決して気づかなかったことだ。Bという新たな経験を通して、はじめて自分自身の中にあったAという経験に対して新しい気づきを得ることができたのだ。
ここでのAに対する気づきを〈発見〉と呼ぶ。発見とは決して全くの未知に遭遇することではない。自らの経験の中にこそ発見はある。また新たにCを見たときにAやBに対して差異を見つけることができればさらなる発見ができる。旅をすることはこれまでの経験との差異を見つけに行くのである。旅を続けていき〈発見〉を繰り返していけばこれまでの経験さえもアップデートされていく。
・
三仏寺奥院投入堂と龍岩寺奥院礼堂。いずれも平安後期から鎌倉期にかけて建てられ*、岩の壁のくぼみの中に建築する懸造りの作であるが、両者を見比べてみるとその印象は大きく異なる。その違いは何か。
まずは岩壁への張り付き方。龍岩寺はまず岩のくぼみに桁を架け渡すところからはじめる。両端が岩壁によりつく橋のような構造である。そうして並べた桁の上に垂直に交差して梁を渡していって、さらに床板を貼れば床面ができあがる。柱はこの水平の面を下から支えるつっかえ棒として��役割にすぎない。だから柱と桁とはT字に状に接合されるだけである。** 一方の投入堂はどうか。まず岩の壁のわずかな水平面を見つけてそこに柱を建ててゆく。そして柱どうしを桁や梁、さらには斜材でつなぎ合わせていって骨組みをつくる。龍岩寺では床下の桁で柱がT字状に止まっているのとは対照的で、柱は軒まで通っている。 桁という水平の架構からはじまる龍岩寺、柱という垂直材からはじまる投入堂。水平的な安定感と、垂直に伸びる迫力。この違いはこの点にある。
つづいて骨組みができたら次は空間のつくり方。投入堂は連立する柱の間に壁を嵌めて身舎の空間をつくる。前面の縁の部分にも柱が通っていて***、さらには軒が大きく張り出すので、縁は半外部的な空間となり、身舎はさらに奥まったところにある印象となる。 一方で龍岩寺の空間のつくり方はこれと全く異なる。先ほどできた床面の上に新たに小屋を建てて空間つくる。上部構造の柱は下部構造の柱からは通っていないのである。床から下の橋の部分と、床から上の小屋の部分では別の構造となっているのである。投入堂のように縁の軒先を支える柱も現れない。また正面の三間分の柱間は蔀戸が嵌められ、それらを開け放てば身舎も縁も外部空間とひと連なりになり開放的である。
そしてもうひとつ重要な違いは床の構造の表現について。投入堂は床下に渡る梁の小口が見えないように板を釘で打ち付けて覆っている。さらにもうひと工夫。その水平の板の上に乗る床板を少し張り出すことで、床板の影が梁を隠す水平板に落ちて、厚み(成)のある板も薄く見せているのである。とにかく投入堂は柱による垂直性がデイザンの要なので水平的な力の表現は極力現したくないのである。 一方の龍岩寺は床下の処理はどうなっているか。橋桁の上に垂直に交差して乗せられた梁の小口はなんと大胆にもそのまま現されているのである。しかしただ梁を並べて見せているだけではない。龍岩寺でも床のレベルをどう外観に演出するかはデザイン的な勝負所である。床に乗る高欄の縦の材(束)と床下の梁の小口のピッチが合わされており、成も同じくらいに揃えられている。これによって水平の床板はリズミカルな軽快さ演出されるのである。****
三仏寺投入堂は垂直的な構成を主として繊細で洗練された美しさを持ち、龍岩寺礼堂は水平的な大胆な構成で迫力をもちながらも開放的で軽快さを持つ。いずれも言うまでもなく至高の名作であるが比較をしてみると更なる味わいがある。
*三仏寺奥院(投入堂)は1086-1184年、龍岩寺奥院礼堂は1286年の建造とされる。
**床下を通常の柱梁によるラーメン構造とするためには、柱と桁との接合部に肘木や方杖などの補強材によって剛性を確保することや、柱同士を貫でつないだり(例えばこの方法は同じく懸造りの例である不動院岩屋堂(鳥取県)でみられる)、もしくは三仏寺投入堂のように斜材を打ち付けて水平力を補強する必要がある。
***投入堂の外周の柱は大きく面取りがなされ八角形に近い断面となっており、細く伸びる様子は洗練された印象を与える。一方の龍岩寺の床下の柱は面取りはされるが太く無骨な印象を与える。
****上部の小屋の柱に対応する箇所の梁がはさみ梁のようになっていることも水平的なリズムを演出する。
(写真の左側が龍岩寺礼堂(2021年12月撮影)、右側が三仏寺投入堂(2017年9月撮影))
0 notes
Text
mag.22.2022 水晶へ
ddとの初めての山歩きは水晶谷。
彼は奥武蔵ロングトレイル105kmを34時間で完走している体力と精神力の強者。アメリカ国籍。前日、駅で待ち合わせてバスで自宅へ。
翌朝は03:30起床、04:20出発。出会いの丘には7時前に到着したけど小雨が降っていたから出発は8時。それでも降っていた。9時過ぎにあせみ峠に到着する頃には雨は止んで曇り空。
下降地点から先は葉についた雫でだいぶ濡れた。早めにヘルメットを着用。ddは普通の靴だったから、急斜面で滑りまくっていた。
急斜面でコケて仰向けになってしまったり、トラロープに全体重がかかるようなコケ方したりだったから、危なそうなところ、最後の最後で一回だけ、drewのために懸垂下降した。無事に谷底に降りた。
僕が持ってきたビールで乾杯してから昼食をとり、沢装備に換装し竿を出す。
ゴルジュの下流へddと降っていたら、下降地点直下の淵でテンカラのkさんがやってきて釣れたとのこと。見に行くとなんと尺イワナだった。秩父イワナは美しい。
その後ddがkさんと同じポイントで8寸を釣り上げた。
僕はゴルジュを悪場まで釣り上がったけど釣れず。悪場を空荷でなんとかクリアしたけれどかなりツルツルだった。昨年付けたトラロープは末端がよじれて大きな塊になって短くなっていた。荷物を背負ってクリアできるかかなり不安になった。恐る恐る2人が待つ下降地点に戻り、テン場に向かうことにした。
トップで悪場に挑戦し、滑り落ちた。滑り落ちてわかったのは、大した悪場ではなかったということ。股まで水に浸かればなんのことはない水深だった。
その後大きな淵で僕だけ竿を出す。
一投目で29.5cmがつれた。わずかに尺に届かず。立派な秩父イワナだった。それでもkさんの尺イワナと比較すると長さは0.5mmの違いだけど、あからさまに小さいと感じる。僕は食べるのには大きすぎるからリリースした。大きすぎて火が通らないんだよね。。。
テン場に着いて焚き火の跡を確認すると草が生え始めていた。今年も一番乗りらしい。
全員で燃やすものを集めた。ここは燃やすものが少ない。集め終わってからddに昨年尺イワナを釣った古礼側を案内して僕は水晶に向かった。7寸半くらいしか釣れず。全部リリース。8寸ちょいくらいが一番好きなサイズ。とにかく無線でddが大きいのを釣ったと連絡があり、テン場に戻った。9寸半だった。ここで釣りを終わりにして、ナイフで串を作った。魚を捌き、焚き火に火をつける。湿っていてもよく燃えた。
翌日の昼食用の米を火にかけフライパンでソーセージが焼けるころ火が安定してきた。イワナを焚き火にかざす。
最高のひと時が始まった。
ddは終始落ち着いていて、素敵に微笑んでいた。ソーセージや、サラミ、チーズをツマミにまずは僕が持ってきたビールで乾杯。その後、ddの故郷、ミシガンのクラフトビールでまたまた乾杯。焼酎も飲んでご機嫌になる頃、イワナが焼けた。
ddは、ノコギリを使うのも、自分で釣った魚を食べるのも初めてだと言っていた。
イワナ��後、kさん特製の野菜たっぷりニンニク生姜入りマルタイラーメンを3人で平らげとっととシュラフに潜り込んだ。ポリタープ越しに空が光っているのがわかった。日付けが変わる頃、雷鳴と雨がポリタープを叩く音で目が覚めた。シュラフの中は暖かく乾いていて快適だった。
07:58 出会いの丘 1人抜かれる、1人下りとすれ違う
09:15 あせみ峠
nerd オタク
10:15 袋窪
0 notes
Video
instagram
ボクシング&スポーツジムBMC https://bmc2007.com #斜め懸垂 #karate #kickkid #空手 #武庫之荘空手 #武庫町空手 #志道会 #志道会ジュニア空手 #伊丹空手 #尼崎空手 #西宮空手 (ボクシング&スポーツジムBMC) https://www.instagram.com/p/CBXavGpgkCk/?igshid=1ou2n7csr4mqg
0 notes
Text
180923 私と数字群7年間の歩み
自分の作ったものについて延々と語るというのは気が向かないことに思っていた。特に、細かいこと、ディティールに関することについては。人から見たらどうということもないことにこだわり、後生大事にそれを語っているというのはあまりクールに見えない。
しかし一方、いざという時自作について人に説明できないということがどれだけバカに見えるか…という懸念もある。それで、自分のウェブサイトを作るときに、必ず一定量のテキストを載せないといけない形式にしてもらったのだった。ボケ防止でもある。そしてさらに最近思ったが、ものを作ったら置きっ放しにしておくのではなく、いろいろ最新の自作と関係付けて言及し、盛り立てていかないと、時間が経ったとき、それが作られた事実が、自分の頭の中からさえ薄らいでいくのだ。自分が忘れっぽいというのもあるが、これは誰にとってもある程度そうだと思う。
というわけで、来月発売の私の最新の売り物、カレンダー19についてである。カレンダーについてはこちらをご覧いただきたい。
http://tezzosuzuki.com/calendar17/
https://www.pscp.tv/TezzoSUZUKI/1YpJkLdAgpdxj
ここでは毎年のカレンダーの見どころなどを説明して自分のレタリングの変遷を見返しつつ、購買意欲を煽るようなテキストを書こうと思う。
1 - 数字の入れ替えについて
2012年からこれを作り始めていたということになるが、それは大学4年生のときだった。4年生の時といったら、大学の産学連携企画の広報物を作ったり、陸の仕事の手伝いをしたり、卒制をしたり、本を作ったりとやることがたくさんあったはずだが、いつこの数字をやっていたか記憶が定かではない。ツイッターを見ると、2012年2月の段階から準備をしていることがわかる。
https://twitter.com/TezzoSUZUKI/status/170281688541315072
5月にもまだ作業をしているようだが、月ごとのテイストをどうするかを考えているので、おそらくもう数字は出揃っているようだ。
https://twitter.com/TezzoSUZUKI/status/206268965658443776
そして11月3日には完成し、売り出し始めている。この年は366個数字をやったので、時間がかかったのだと思う。
翌年から2018年までは、全日数分を描くのはやめ、時間の許す限りある程度の個数を描いたら、前年の気に入らない数字をそれらで置き換える方式にした。
この図をご覧になると分かるだろうが、年によって新しく描かれた数の増減がある。14年は68字、15年は154字、16年は161、17年は200字、18年は170字が、それぞれ前年の数字と入れ替わっている。その数は、その年が忙しいか忙しくないか、というより、その年の前半までにカレンダーを作ることを思い出すか思い出さないかに左右されていると思う。
ところが今年2018年明けてすぐ、毎年お歳暮でお送りしているシシヤマザキさんから、「今年は去年と同じ数字があったけど…」とのお言葉をいただいたのだった。「毎年そうだよ、一部入れ替え制だよ」とお答えしたが、なんとなくそれがはがゆく、では今年は総入れ替えにしてやろうか、と思ったのだった。ということで19年度に向けては2月ぐらいから早々に数字をやり始め、途中忙しい時期は放置していたが、夏頃再開し、無事今月完成と相成ったのである。
2 - 月のイメージについて
ツイッターを遡ると、月ごとに数字の印象を偏らせることについて、つぶやいているのが見つかった。
https://twitter.com/TezzoSUZUKI/status/206268965658443776
https://twitter.com/TezzoSUZUKI/status/206271434853588992
このようなことを考えていたことは覚えているが、それが初年度からのこととは思っていなかった。こうやって比較してみると、2013年のカレンダーではいうほど差がつけられているようには見えないからだ。
今現在のイメージとしては以下の通り。
1月は改まったもの、あまり描き込んでいないもの、堂々としてめでたいものがよい。
2月はささやかでかわいいが諧謔味のあるもの。
3月は今年になって雰囲気ができてきたもので、1月、4月、年末のように踏ん張りが効いた形でなくやや動きのある、流動的な印象のものが合っているのではないかと思う。
4月、爽やかなもの、安定感のある形、水平垂直のあるもの。
5月も4月に準じるが、爽やかさよりマチュアな印象重視。
6月と7月はあまり意図はないが、梅雨時なので平板な印象が続かないよう、味の濃いものが混ざった炒め物のようにカリッとさせたいという思いがある。
8月、線の細い余白の多いもの。
9月、やや工芸的でまとまりのよいもの。
10月から12月にかけては手数が多いものを増やして密度のある感じにしたく、10月は重く黒いもの、11月は必ずしも重さはないがより濃厚なもの、12月は華やかで祝祭性のあるもの。
それぞれ、その月に向けて数字をやるのではなく、必要な分の数字ができたらそれを並べて、各月に合うものを選んでいく方式で並べている。
3 - 見栄えの変遷
何年か続けていれば、当然ながら、作る形が少しずつ変わっていく。同じフォーマットでものを続けると、そういうことが分かるのでためになる。
13-1 例えば13年(初年度)のカレンダーでは、すべてスタイルの異なる数字と言いつつ、似たスタイルのものが散発している。この曲線の食い違いのシリーズはそのころ気に入っていたものなのか、これを描く手を止められなかった…という感じがする。
13-2 今との一番大きな違いは、13年では正方形のわくに数字を入れるということをほとんど想定しないで描いていたということだと思う。これらはそれぞれ、数字の形そのものから外形のプロポーションが決まっているので、より横長の比率になっている。特に20番台は横長になりがちなのだ。他の数字と並んだ時にはどうしても小さく見えるが、横幅はマックスなのでこれ以上大きくできない。そうすると並べた時に大きさを調整するのが難しくなる。
13-3 同じように、比率そのものを意匠の目玉として操作している群もある。おそらく13年は、何かオーナメントのようなものを数字の上に装飾的に付加して意匠とする、ということより、数字の形そのもののバリエーションを考えようという意図が強かった。だからこういう群もあったのである。今後こういうものが復活してもいいように思う。
14 翌14年度からは、ざらざらが導入されている。この年では、よく見るとざらざらはカーボンのざらざらとペンの点描のザラザラと乾いた筆でのザラザラがあり、カーボンの中でも鉛筆とダーマトの2種類がある。この後、キメの細かすぎるザラザラは意匠のなかで規模感がちぐはぐにみえることから衰退し、点描と筆のみが生き残ってゆく。
16-1 16年度になると、初年度と比べ、より正方形に収まったときに安定するような、どっしりした形になっていった。細かい意匠の部分も大きく、わかりやすく、粒度を揃えていく方向で、タイプフェイスで言えば小ポイント用フォント的な方向へ進んでいった。
16-2 一方で、ベースラインが斜めのもの、オールドスタイルのプロポーションのも���、平筆の書き文字のようなもの、等々、動きのあるもの、余白の形の非対称なものも挟み込みたい意図があったように思える。この年はタイプメディアを修了し、いろいろなインプットがあった年でもあった。こういうインフォーマルな形でも、造形上のバランスを取れるような描き方を学んだのかもしれない。
翌17年から18年にかけては、他人ができず、自分ができることはなにか、ということを思い浮かべつつ描いた年だったと思う。そしてそれは「ベタなデコレーション」ではないか、という仮説があった。つまり装飾の素材を集める能力や、レファレンスの能力でなく、飾りを(見よう見まねでもそれなりに)自分で一から描ける能力というのが、自分に特別なものではないか、ということ。そこで、一部の数字はデコラティブな方向へ邁進した結果が現れている。
そして本年度19年の数字を眺めていると、数字の上に装飾を乗せるのではなく、装飾の上に数字をからませるシリーズを試みているのがわかる。つまりヴィネットのように、数字が意匠の一部になっているもの。ケバさ新時代へ…。
4 - 今後
これを作り続けるにあたって微困り案件として思っているのは、以下の問題である。
A 流通を委託したい
特に海外の買い手に向けては、ネットショップなどに丸ごと委託したい。今年、イギリスの一社にご相談申し上げたが、諸事情により今回はお取り扱いいただけないこととなった。
年末毎日のように宛名を書き、郵便局へ発送しにいくのは大変だし、発送のミスを心配する心からも解放されたい。国内でもお取り扱いいただいているお店があるが、今後もご提案があればお受けしたい。ご連絡はこちらまで [email protected]
B ぱっと見が違う商品に変えていくべきか
先日インスタグラムを眺めていたら、(デザインの学生とおぼしき)年若い者たちもまた、マス目を埋めるように数字をいろいろと描いてみる試みをされている例を複数見つけ、思わず知人にスクショを送った。わしのやっていることとぱっと見は大差ない、とのお返事だった。
よく考えると「いろんなものがマス目状に並んでいる商品」という印象から、さらにその一つ一つの数字を見てもらうまでの、行動のギャップを越えさせるのは容易ではないのかもしれない。だから基本的に中身を誰がやろうと、そして中身が毎年変わろうと、「いろんなものがマス目状に並んでいる商品」という印象は7年間変わっていないことになる。
その大きい印象レベルで、何か目先を変えていく工夫を今後していくべきか、それともそこは据え置いてこのまま続けていくのがいいのか、考えものだな、と思った。
3 notes
·
View notes
Photo
電車の中に周りを見回すおばあちゃんが入ってきて、優先席にきました。 私はそれを反対のドアから見ていた。おばあちゃんは優先席で周りを一通り見回したあと、五十代くらいのおばさんに声をかけ、しばらくして席を変わりました。断片的にあなたいくつ?とか、私は76歳だから、とか聞こえてきました。私はドキドキして罰の悪そうなおばさんの様子を見てました。 おばあさんの方は座ってからも言い訳のようなことを、奥さんがここで一番若く見えましたから、とか言っています。 それで、私は心底ドキドキ、ふつふつしながら私のいるドアの近くの優先席に座っている強面のむきむきの一番若いお兄さんを見てしまいました。
遠足の帰り道にいつものメンバーで帰っています。さんごちゃんはいつも可愛い服を着ていて、わたしはあんまり自分に自信がないのでそんな服を着たら嫌な顔されるのが怖くて毎日同じような目だたない格好しています。電車の中は暑くってリュックと背中の間にすごく汗をかいていて、みゆちゃんに見つかったらまた何か恥ずかしいこと言われるのが怖いから、暑くても重くてもドキドキしてリュックは背負ったままで隠しています。
駅のホームぎりぎりで目の前に背中があるとふっと押してしまいたい気持ちになります。頭の中で私がこれを押すこと、そんな簡単なことで人生がからりと変わってしまうかもしれないということだけでものすごく高揚します。私は自分が犯罪思考を持っているのか、変態なんだろうかと心配になりますが、これはわたしの最高の娯楽なのです。心臓が耳にあるように鼓動が聞こえて周りは無音になります。頭の中で押せ!押せ!と心臓が言います。目の前の背中を凝視して自分の手が今どこにあるのかどんな形をしているのか分からないです。この簡単に殺してしまう可能性ぎりぎりの危うさが私は好きでこの行為にとにかく夢中になります。でも結局、私が押すことも前の人がホームが落ちることもなく、ゴオオオオオオオオオオと電車がやっときます。そこで私は我に帰って手汗びしょびしょなことと目が乾いたことに気づきます。私はこの時もしかして鼻息も荒いのかもしれません。そうだとしたら嫌だなあと思いました。
ばしゃっ 水筒から水がこぼれてきました。 「すみません!ごめんなさい!」 30代くらい夫婦の女の人が焦って私の濡れたジーンズにティッシュを渡します。わたしは外をぼーっと眺めていたので突然のことに頭が反応しませんでした。お茶の匂いがしました。そんなに汚れてもなかったので、大丈夫と伝えて軽く拭きました。水筒を手から滑らしてしまった女性は隣の男性にたしなめられ、申しわけない顔をしていました。わたしは全く気にしていなかったのですが降り際まで謝られてしまい、こちらも罰が悪い気分でした。今日はついていないなと思いました。
つり革が汚れてないかを確認してつり革を握ります。すごい前につり革を握った時鼻水のようなものがついていたことをまた思い出してしまい背中がキュッとします。そのことについては深く考えれば考えるほど嫌な想像をしてしまいます。思わずつり革を離して、イスについている棒柱のようなものをつかみました。金属のような銀色の棒は心地いいほど冷たくてほっとしました。
彼とこっそり手を繋ぎました。電車だから恥ずかしいなとかちょっと思ったけど、何となくつないでたかったからです。緊張してまた手汗をかいてしまいました。彼は困ったように笑って恥ずかしいと言いました。わたしはやってしまったと申しわけなくなって手を離しました。そしたら、彼は驚いて、「ちがう嬉しかったから、」と手を繋いでくれました。私は嬉しくて恥ずかしくて顔が熱くて熱くて誰にも見られていないといいなと思いました。
私の座っている2つ隣の席のサラリーマンが鼻をほじっています。こんなに堂々とほじっていることに驚いて少し見すぎました。前を見るとその向かいがわにいる高校生がそのサラリーマンをすごい顔で凝視していて思わずにやっと笑ってしまいました。
あともうすぐで品川駅なのに咳が止まらなくなりました。この前に風邪なのかよく分からないものを軽く引いてからのどにきてしまって、ここ2、3日咳が止まりません。かすれるような音がする咳をするたびにのどの奥から小さく息がもれてひゅっひゅっと音がします。咳を我慢できなくて、タオルを口にあてて小さく続けてします。一気にのどをすっきりしようと、咳を思いっきりすると自分の吐いた息を巻き込んで咳をするので息ができなくなります。まずいな、次で降りようと思った時に「だいじょうぶですか?すわってください」と前に座っているおばあさんが声をかけてくれました。私は恥ずかしさより生命の危機を感じたのでありがたく座らせて頂きました。座らせてもらうと少し気持ちが安心したのか咳が少し収まりはじめました。なんて優しいおばあさんなんだろうと思いました。明日には絶対病院に行こうと思いました。
目の前に妊婦さんがいます。席を譲りましょうか?という言葉が恥ずかしく言いづらくて、こんな思いするなら座らなきゃよかった…と後悔しました。ちらっと表情を盗み見て目が合ったら言おうと思いましたが、どういう感情の顔なのか分からなくて席譲った方がいいのかどうしようか悩みました。でも、キーホルダーつけてるから譲った方がいいよなと思い、また顔を見て座りたそうかどうか考えました、席を譲っても座らない人いるからなとか呑気に考えてみましたが、言いだせないことの言い訳なんじゃないかと自己嫌悪になり、次の駅が着いたら言おうと、もうすぐ言おう、もうすぐ言おうと誓いました。
昨日のプレゼンの話を思い出します。あんなに考えた、あんなに時間を使ったのに何一つ伝えられませんでした。仲のいい同僚には「全くだめだった」と半笑いで言われました。私は目の前がぐるぐるして吐き気がしました。何でそんなことを言ってしまうんだろうと、あの顔が目を閉じると追いかけてきて心がぐちゃぐちゃになりました。恥ずかしさと惨めさで涙がにじんできて、泣いていることがさらに悔しくてさらに涙が溢れてきました。前には携帯をいじっている女の人がいて、この人に涙が見えなければいいなと思いました。ドアのガラスに映る自分の眉毛が垂れて情けないことでまた涙が溢れてきました。
嫌な夢を見ました。妹が暴漢にさらわれて私がその彼を殺す夢です。私は一生懸命彼を殺します。二度と起き上がってこないように何度も何度も手に持った鈍器で執拗に殴ります。それは妹の為か、私の為か正義なのか興奮なのか快感なのか分からないです。私は無我夢中で殺します。血が出て��ね返ってきても、私が殴り始めてから一度も反撃できないように少しも間を与えないように力いっぱい殴ります。ただ頭には「私がやらなきゃ」と息が辛くて、ずっと心臓がドキドキします。だいたいそこで目が覚めて異様に興奮した息と自分の心に恐ろしさを覚えます。本当に殺してしまったような気分に寝汗が気持ちわるくて無駄に心臓の音がうるさいです。電車は今原宿でで若者たちがたくさん降りていきます。浜松町はあと何駅だろう。
家族と一緒に電車に乗ったのは何年ぶりだったんでしょうか。 今日は家族でカラオケに行きます。家族6人で横に並んでいるのはまわりからみたらとても奇妙な気がします。顔が似ている6人が真横に一直線になっている。私たちは家族ですが、わざわざ喋ったりせずに無言で外を眺めます。妹が隣でスマホをしていて、爪がコツコツ弾く音がします。私は今日カラオケで何を歌おうかな~…とか決めるつもりのないことを考えました。電車は着いたり、出発したりして、人がコロコロ変わる中私たち家族は6人で一列に同じ顔でずっと待っています。私たちは外から見るとさやえんどうみたいかもしれないです。
友達と電車に乗りました。彼女はまだあんまり仲良くなくて、間が怖いように話が途切れるとそわそわ周りを見渡します。私はわりと仲のいい友達とも沈黙でも平気なんですが、その子は気になるようでしかもあまり活発に喋るタイプでもないかもしれなく、私はできるだけ彼女に気をつかわせないようにすごい速さで喋りました。彼女が気を使っていることによって作られる空間がすごく嫌だったからです。話を振りまくって、矢継ぎ早に質問する。気を使う彼女にとても気を使いました。こうなれば気を使い合戦です。早く新宿よ来い!!と私は願いました。
電車を待つ途中に前で並んでいる男の人のリュックのチャックが空いてました。正直、声をかけようかとても悩みました。ですが、もしも私がチャックが空いていたら嫌だなと思い勇気を出して声をかけました。トントンと背中を叩いてみたらお兄さんはいきなり嫌な顔をして、振り返りました。不審者のような顔をされて思わずひるんだのですが、このままじゃ本当に不審者なので「チャック空いてますよ」と勇気を出して声をかけました。お兄さんは聞き取れなかったようで、私が同じことを2回言ったあとで警戒するようにああと短く言ってチャックをしめました。私はなんだか悪いことをしたような気分になって、こんなはずじゃなかったと気まずいまま電車に乗りました。電車に乗ったあとでお兄さんは右斜め前の方に座りました。私はお兄さんに顔をじろじろ見られる予感がして、とっさに車掌さんのうなじを見ました。
鍵を閉めたかどうかが、急に気になってきました。考え始めたら最後、不安で不安でしょうがありません。今日はドアから出た後、靴を履く、履きづらくてつま先をとんとんする。ここで靴を履くのに夢中で鍵を閉めたのかどうだったのか、履き終えて閉めたか、閉めてから履きづらいことに気づいたか…。持っていたはずの鍵はいつしまったのかいつ出したのか必死に思い出します。毎日毎日自然にやってしまっているので、閉めている記憶はないですが確かに閉めたような…それともこれは昨日の記憶か…ものすごいスピードで頭が回転します。といってもこれから戻ることはできなく、弟が帰ってくるのは何時だろう…お風呂に知らないおじさんが入っていたらどうしようと想像も猛スピードでふくらみます。かと言っても戻れない訳ですが。こんなことなら気づかない方が良かったなと思いました。
で、ん、し、ゃ
文字は連続することで意味が生まれます。言葉は繫がることでお話ができます。文章には物語があります。
電車は物語の箱です。 たくさんの物語を持った人たちがある時間にある目的地に着くために同席します。
タイトルは山の手線浜松町駅行きです。
個人、友達、家族、突然カップルが横になって座る。首をかく、手を組む、目を閉じる、眠る、イヤホン、ケータイ、ケータイ、ケータイ、文字を見る、地図を出す、あっ貧乏ゆすり、喋る、耳にかける、あくび、外を眺める。目は全く合いません。本を読んでいる、ケータイ、ニトリ、パスドラ、無表情で打つLINEの画面、テンションの高い絵文字と真顔。 色んな音が聞こえます、咳、ページを繰る音、鈴、ガラガラ、画面に爪が当たる音、足のキュッ!、クリック、きしむ音、扉が開いた瞬間に爆音。 日本語か中国語か、もしかして英語かもしれません。記号のよう��跳ねて聞こえる、あっ、しっ、す、ろ、んゆ、たな。 「次は恵比寿~、恵比寿~ドアが閉まりますのでご注意ください」
電車はどんな話でも均等に入れられて、たどりつきます。
左前の席で男女が向かい合わせになって席に座って大きな声で話しています。たぶん高校生くらいの年齢だと思��ます。男の方は作業着を着ていて事情を聞いているともう働いているらしく、女の方は少しギャルっぽい舌足らずな喋りかたで夜の仕事をしているようでした。二人は別れていてその間にこどもがいて、子どもを施設に入れている、という聞いてけば聞いていくほどなかなかな事情でした。なにより二人とも顔や仕草が私より幼かったことが内容と不釣合いでした。彼らは品川駅まで大きな声のまま降りていきました。
前では、小学生位の女の子たちがリュックをしょって騒いでいます。少し日焼けしていて、汗の匂いがするので遠足がえりなのかもしれないです。電車が揺れるたびに歓声があがって不快と懐かしさの間の感情になりました。
向かい側の老夫婦は手を繋いでお互い寄り添って寝ています。髪が白くおちついた雰囲気の老人でした。
大きな荷物をもった女の人がイライラしながら、自分の荷物に当たった人をにらみます。
目の前の席の男の子がじっとまっすぐこっちを見ています。それがとても不快で、目をそらしました。干渉されているようで、気まずくなりました。 ここは色んな人がいても、気にしないふりができる、いないことができる場所です。 電車に乗っているとたまに大声で暴れてやりたくなります。みんなイヤホンをしているのできっと聞こえないです。
電車は人と人がこんなに近いのに、お互いに干渉せずに、自分の世界だけを見ることができます。そして突然、想像以外の物語に出会うことも影響も与えることもできます。
ふと、一つ隣の人がどこの誰で何を考えているのか分からないことが私には恐ろしく、奇妙です。誰が決めた訳ではないのに、人が降りるときは道を空けます。よろけたり、踏ん張ったり電車の揺れにみんなが当たり前のように近くの人との距離を一定に保って耐えます。席にはおとなしくちゃんと座ります。そのくせに誰かがいつもと違うことをしただけであっという間に電車の物語は一つになってしまいます。でも、本当はその時間にその場所に居合わせるだけで本当は物語があるのかもしれません。それでも大抵の時は隣に座った人が殺人鬼でも聖母でも私にはどうでもいいのです。
電車は今日も目的地に着きます。私は隣の人を知りません。
0 notes
Photo
二〇一八年七月兼題「海」 牟礼鯨
海の日や斜め懸垂粛々と
2 notes
·
View notes
Photo
あれから朝晩ゴロゴロやっています。 初めは触れるだけで痛いし、身体中アザになってるんじゃないか(なってないw)くらい痛かったんですけど、今はそれなりになりました。笑 痛いところは痛いけど。 なんとなく使い方分かってきたかも。 運動神経ゼロなので、体の使い方が分からないのです。中学の時、斜め懸垂ゼロ。ボール投げ1メートル台、他にも、、だったから。笑 多分、、多少運動出来る人には、理解出来ないと思います。。ふざけてる?ってよく言われるから。 そんな私でもYouTubeの筋膜リリース動画観ながらやってます。終わった後は汗が! 汗が出るって事は使い方分かってきたって事です。笑 続けるとどうなるか、実験。運動嫌いだけど実験好きだからね。 https://www.instagram.com/p/CRxQKuhsTJV/?utm_medium=tumblr
0 notes
Text
若倭部身麻呂と万葉の森公園
七月十六日、Sを自動車学校へ送り、天竜区へ向かった。そして浜北区で北上をやめ、句碑や歌碑やアトラクションの多い不動寺の裏、麁玉河の河岸段丘にある万葉の森公園を訪れた。そこらへんは昔「伎倍」(きべ)という地名だったらしい。〈伎倍人の斑衾に綿さはだ入りなましもの妹が小床に〉〈あらたまの伎倍の林に汝を立てて行きかつましじ寝を先立てね〉。また防人の若倭部身麻呂の歌から「恋ひらし」(恋ふらし)や「かご」(影かげ)など当時の遠州弁を読むことができる。万葉山の上には曲水庭園が作られ、万葉集に登場する植物、菱や檜扇や紫や女郎花や滑歯莧や岩煙草が育てられ、密度が濃くなるよう工夫されていた。万葉資料館の受付の老爺は無愛想で私を訝しんで睨んだが、そこが更に旅情をかきたてた。羽黒蜻蛉が三、四匹飛んでいた。Sが洗濯機をかけながら干し忘れたと連絡が来たので慌てて帰宅した。
わが妻はいたく恋ひらし飲む水に影さへ見えて世に忘られず 若倭部身麻呂
海の日や斜め懸垂粛々と 鯨
1 note
·
View note