#料亭の川床
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京都市左京区鞍馬貴船町
貴船神社、料亭の川床
京都バス貴船
叡山電鉄(叡電)鞍馬線貴船口駅から京都バスまたは徒歩20分
Rainy Day at Kibune, Kyoto by Masayuki Nakamura
I can feel how therapeutic it is to walk there in the rain.
#京都#京都市#左京区#京都市左京区#貴船町#鞍馬貴船町#叡山電鉄#叡電#京都バス#貴船神社#川床#料亭#料亭の川床#川床のある料亭#涼#納涼#kyoto#sakyuku#kyotosisakyuku#kibune#kuramakibunecho#kibune shrine#eizandentetsu#eiden
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2024年7月13日(土)
三重県紀北町・奥川ファームから隔週に届く定期便、今日も無事にやって来た。いかにも夏らしいメンバーだが、珍しいのは<茎漬け>、八頭の茎を塩漬けして紫蘇で色づけたものだ。これは紀北地方の郷土料理、夏の暑いときにこれと鰹の生節を一緒に頂くとご飯がすすむのだ。おまけで私の好きな<伊勢うどん>も同梱されている。奥川さん、いつもありがとうございます!
3時45分起床。
日誌書く。
二度寝。
5時起床。
体重、600g増。
週末なので、CleanMyMacX で Mac Mini をスキャンする。
お蕎麦がなくなったので、朝食にはうどんを頂く。
珈琲。
洗濯。
奥川ファームの定期便、初物の小さな西瓜が入っている。
きゅうりのしょうゆ漬け仕込む。
酢卵仕込む。
唐辛子酢仕込む。
枝豆ゆがく。
<天満大阪昆布>から、夏の味!ボリュームセットが届く。毎年のことだが、いろいろ入っていて楽しい。
クロネコが集荷に来てくれる、<もったいない本舗>への段ボール5箱を渡す。
<ゆうちょ銀行>からMQJへの問合せ、<人格なき社団>を証明しなければ口座を解約するとのこと。会則や会計報告、議事録などを揃えて返送する。締切は先週末だが、何とかなるだろう。
ランチ、息子たちには素麺、私たちはツレアイが冷蔵庫の残りものをシチュー仕立て、届いたばかりの奥川ファームのパン+🍷。
録画番組視聴、刑事コロンボ。
第17話「二つの顔」/ Double Shock 富豪クリフォード・パリスは、トレーニングと健康管理に熱心で、孫のように若い女性と婚約していた。ある晩、彼の甥で料理研究家のデクスターが結婚祝いを言うためにクリフォードを訪ねた後、再び現れた。入浴中のクリフォードに対し、突然ハンドミキサーを取り出し浴槽に投げ込んだ。
ツレアイはあちこち買物へ、私は午睡。
セントラルスクエア花屋町店で猫砂・介護食、コ��モ七条店で鶏もも肉・うどん。
クロネコが先日地球洗い隊に注文した<夏の福袋>を届けてくれる。
ゆうパックが、びーんず亭の珈琲を届けてくれる。やたら配達の多い日だ。
夕飯、豚バラ肉と残り野菜の蒸し煮・鶏もも肉とピーマンの甘辛煮・レタスとトマト・きゅうりのぬか漬け。
録画番組視聴、刑事コロンボ。
第18話「毒のある花」/ Lovely But Lethal ビベカ・スコットが社長を務めるビューティマーク化粧品は、「ミラクル」という皺取りクリームの開発に成功した。これでライバル会社のラング社を出し抜けると喜ぶビベカだったが、「ミラクル」のサンプルをラング社に持ち込まれた、という情報が飛び込んでくる。
残っていた日本酒を片付けたので、あっという間に睡魔到来。
歩数は届かないが、辛うじて3つのリング完成。
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国が使途を公表していない内閣官房報償費(機密費)を受け取ったと公言している研究者がいる。軍事アナリストで静岡県立大特任教授の小川和久氏(78)=横浜市。小渕内閣で官房長官だった野中広務氏(2018年死去)の下で沖縄の米軍基地対策に当たっていた際に150万円を受領したが、領収書は不要で精算もなく「犯罪や汚職の温床になり得る」と実感したという。運用の見直しが必要としている。 小川氏によると1999年7月に国の沖縄振興開発審議会の専門委員に就任し、当時の野中官房長官から米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の移設問題を解決するように特命を受けた。現地調査に出発する前の同月16日、野中氏の意向を受けた職員が東京都内にあった小川氏の仕事場へ封筒を届けに来た。中には新札の1万円札が100枚入っていた。 小川氏が領収書や精算の処理方法を尋ねると、職員は「受け取りの文書はなく精算も必要ありません。自由にお使いいただけます」と答えた。小川氏は「機密費」と直感するとともに、ずさんな手続きに疑問を感じた。 後日、野中氏に会った時に「精算だけは直ちに領収書付きで行う形にし、厳格に監査しなければならない。犯罪や汚職の温床になりかねない」と進言。30年後や50年後の情報開示を法律で定めることも提言した。野中氏はうなずいていたという。 小川氏は沖縄に数日滞在して基地反対運動のリーダーたちと会うなどし、「100万円は航空運賃や宿泊費に充てた」と話す。その後も調査のため沖縄との往復を重ね、野中氏から追加で50万円を渡されたという。初回の余った分も含め「沖縄での調査の経費に使った」と説明して��る。 また99年8月18日夕、野中氏が沖縄の県議数人を招いて都内の料亭で会食した場に同席した。基地問題の話を聞くのが目的だったが、各県議に用意されたお土産の手提げ袋に野中氏の秘書官が白い封筒を入れていくのを目撃。会合の後に野中氏に尋ねると、各封筒には50万円が入っていたという。小川氏は「情報を得るために機密費をまいている感じがあった」と振り返る。 小川氏は20年に刊行した「フテンマ戦記」に一連の経緯を記している。
機密費「汚職の温床」実感 野中氏から150万円受領の小川氏が証言 領収書不要 運用見直し進言(中国新聞デジタル) - Yahoo!ニュース
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東京滞在日記。
◆Day1
12:45 新横浜到着。寒いと思ってヒートテックやらネックウォーマー、起毛したパジャマを持っていったにも関わらず、気温25度で照り返しがきつく汗ばむ気候。東京に住んでいた頃、関東は体感温度が関西よりも5度くらい低い気がしていたのに。レイジアゲインストザマシーンのウィズアウトアフェイス。かっこええー。96年発売の曲の中で一番好きかもしれないな。いや分かんないけど。終わるのが悲しくてリピートしてしまう。
12:57 京急に乗って雑色へ。「ぞうしき」と読むらしい。聞いたことも見たこともない地名。最近友人が引っ越したというので、おじゃまさせてもらうことになった。ありがとう。大田区。飛行機に乗らない私にとってはあまり縁のない地区。東京タワーからは程遠く、都会とは縁のなさそうな樹々が生えていて、なんだか良さそうな街。昔ながらの商店街もある。バックナンバーからaiko、いきものがかりと平成J-popが次々と流れてくる。結構長そうな商店街。天六ほどではないだろうけど、先が見えないので抜けられるのかドキドキする。突然見覚えのある走り方をする人影が見えてきた。
13:55 友人宅到着。ちょっと駅からは離れているけど、立地は最高。大きな窓からは多摩川が見えていて、開放感でいっぱい。空港が近くにあって、すぐにここを飛び出してアメリカへでもいけそう。
14:30 友人は1日在宅ワーク。ずっとパソコンに向かってタイピング&会議私は後ろでひたすらゴロゴロ。ヒモみたいになってた。
16:00 夕方、仕事終わりの友人と茶をしばくため虎ノ門へ。むっちゃ薄暗い照明のお店。店内はマスターのオキニが詰まった宝庫みたいになっていて、グレングールドがかかっている。ライトな雰囲気のカフェと聞いていたけど、かなり荘厳な感じ。バカ話できるかな?友人登場。私が今ちょうどほしかったcasetifyのiPhoneケースを使っていてテンションが上がる。「ちょうど昨日藤原ヒロシが『便利』って言ってたよ」という話から佐川急便男子の話まで途切れることなく2���間強話しまくる。酸味の効いたコーヒーと濃厚なチョコレートケーキ、淡白なチーズケーキの相性がそれぞれ完璧だった。友人の背後からフライヤーの三島由紀夫が鋭い眼光でこちらを睨んでいた。ずっと怖かった。
19:10 『ざっくりYouTube』で見ていた池尻大橋の「喜楽亭」へ。ジュニアさんが座った席と同じところに座れてテンションが上がった。料理はもちろん極上。こう言っちゃなんだけどまずいハンバーグカレーとかあるのかなぁ。ルーとライスを綺麗に分けずに「親父ガケ」して「親父グイ」(ルーを皿一面にかけぐちゃぐちゃにして食べること)してしまう癖、治したい。というか治す。いやだわー。無意識って怖い、気をつけよう。
22:00 帰宅。友人と話す。思い出話2割、今後の話8割。昔は覚えてもないようなどうでもいい話しかしなかったのに、キャリアとか結婚とか出産とか、切ないね。けど仕方ないね。そうそう、何で雑色に引っ越したのか聞いてみた。いい場所だけど都心からはだいぶ離れているし…。友人曰く、最近の日本にますますいやけが差してきたので、すぐ海外に飛べるように空港付近にしたとのこと。かっこえ。昔から彼女の意思&意志が強くてすぐ行動に移せるところ、尊敬してる。
◆Day2
12:00 13時からの打ち合わせに向けて横浜へ。ほどよい都会感。建物の感じもどこかオシャレに見える。今日は風が強い。ふわっと香るくさいにおい。もう銀杏の季節か。『トークサバイバー2』で(シソンヌ)じろうさんが叫んでた「銀杏〜!くせえからうめえのか、うめえからくせえのか?」っていう素朴な疑問、私も思う。いつか教えてくれ。
15:30 一旦帰宅。友人会議中。多摩川を少し散歩する。『セトウツミ』の舞台ってここかなぁ?とかあらゆる平成ジャパニーズ映画のロケ地に思いを馳せながら歩いてみる。
16:50 半年ぶりに代田橋へ。行く場所は決まっているのに常に緊張する。Fat Boysを聴いて喝を入れる。
17:01 ジャスミンティー購入。手鏡にてデコに大きなおできと小さなニキビを確認。
17:10 緊張で首が左上右下に動いてる感じ。つまり吐きそう。
18:01 代田橋到着。とりあえずトイレに行く。
18:03 緊急事態。一旦酒を入れなければと彷徨う。
18:09 「納戸」は閉まっていた。がっくし。
18:18 「ジュークボックス」へ入る。���スターに挨拶するも覚えていない様子。半年ぶりだし2回目だから仕方ないかと思ったが、zineの話をしたら思い出してくれた。髪型とファッションで人は変わるということが分かる。コーヒー焼酎のロックを2,3杯入れる。美味い。
19:40 マスターに教えてもらった「大天狗」というお店に入る。焼き鳥がぶりぶりで美味しかった。この書き方だと不味そう。身が大きくて味付けも辛すぎず無すぎず、つまりちょうど良くて美味しかった。特にレバー塩。
23:39 終電に乗れた。代田橋に来る時はいつも終電と共にお別れだ。はー。終電といいながら蒲田までしか行かない。代田橋のお兄さんにもらったハイボールを片手に電車に揺られる。
0:16 蒲田駅から多摩川沿いを歩いている。徒歩22分。結構近い。友人に連絡する。川沿いで合流することに。
...
↑記憶なし
◆Day3
12:47 起床。若干頭痛。友人は会議中。
17:18 山手線に乗っている。今日学んだこと。二日酔いでも酒は飲め。但し、酒がないと話せない場合に限る。つまり緊張状態に縛られる状況の場合。
17:46 綺麗な夕焼けを写。肝心な時にカメラを持ってきていない。そして非常に落ち込んでいる。
↑夕焼け
19:15 友人とご飯に行く。カジュアルなフレンチビストロ。ここで「人生の目標」とか「働くこと」とか「死ぬこと」などシリアスな話を熱く語り合う。
20:39 多摩川散歩。酔っ払っていたので写真がすべてぶれている。
↑彗星到来。ネオ東京
◆Day4
8:45 朝から餃子を作る。大学時代から彼女とはずっと餃子パーティーをしていた。餃子で繋がる友情と言っても過言ではない。彼女の家族たちと餃子パーティーをしたこともある。今後誰と会ってもそうマウントをとっていく。味噌ダレで乾杯。パートナーの話で盛り上がる。いくつになっても色恋の話は楽しいな。しかし外食が多くて、胃が悲鳴を上げ始めてる。
10:45 多摩川の写真を撮る。毎日多摩川を見ながら生活できる幸せ。噛み締めた。川のある生活っていいなぁと実感。天気も良くて雲の形もポテトフライみたいでよかった。
↑ マンションの広告にありそうなくらい完璧な景色。うまく言えないけれど。
↑パノラマで撮った
11:00 友人と別れの時。でも12月にまた会える。でも帰り道少しツンときた。それくらい居心地が良くて、一緒にいて落ち着ける存在だったのだと改めて思う。会うのは半年ぶりだったけど、しっかり話すのは2年半ぶりくらい。彼女はすごく…さらにいい方に変われていて、刺激をもらうと同時にすこし、自分に対して不安になったりもした。同じ歩幅で歩いてると思っていたから。全然違ってたんだ!今、小さい頃に遠方の祖父母の家に何泊かして帰らなければならない時の悲しさで涙が止まらなくなるあの感じが襲ってきてる。嬉しいのに少し寂しいな。
12:02 有楽町駅到着。映画館の���を通り、スコセッシの新作今日公開だと思い出す。でも今日は無理。ノーマネーソーリー。
12:06 ある人と待ち合わせ。その後ランチ。
15:33 新幹線到着。いよいよ帰る。おセンチな気持ちなのでブレッドのプレイリストを聴いている。ただ、ウォークマンのプレイリストは厄介。
16:03 『Dumb and Dumber』(ジムキャリーはMr.ダマー)をみる。百面相最高。we love jim carrey!!!
18:40 帰宅
.
おしまい。
東京ってやっぱり刺激のある街。ずっといたら飲み込まれそうで怖いけど。昔からそう思っている。昔東京に数年住んでみたけど、まぁ仕事とか色々なことがあって、いい思い出は全くなかった。でもきっと、その頃の自分は視野が狭くて未熟で卑屈ですごく保守的だったのだと思う。その頃の自分のことを…ようやく客観的にみれるようになった気がした。離れてみるとやっぱ東京って面白い街だと思うし、会いたい人がいれば誰にだって会いに行けるし、刺激の宝庫だなと思う。
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二篇 上 その三
この国沢の法花寺という寺に、足利家の武将の建立した七面堂がある。 弥次郎兵衛はるかにこれを伏し拝んで、一首詠む。
足利の 武将(不精)の建てし 名にめでて 七面堂(しち面倒)と 言うばかりなり
こうして三人は話しながら連れ立って、市の山に着いた。
ここにいが栗頭の子供二、三人、大きなスッポンを捕まえて、持ち歩いているのを北八が見つけて、 「おや、弥次さん、いいものがある。あの泥亀を買い取って、今晩、宿でスッポン料理を食べようじゃないか。」 と、弥次郎兵衛をつつくので、 「そうだな。精がつくってもんだな。 おい、小僧や。そのスッポンを売ってくれんか。」 声をかけらた小僧さんは、びっくりして、 「ああ、いいけど。で、いくらくれんだい。」 と、ささげ持っていたスッポンを顔の前まで持ち上げた。 「やろうやろう。大きな金をやろう���」 と、北八、適当に金をやり、近くの藁をひろうと、それにスッポンを括り付けて、持ち歩きだした。
その様子をおかしく見ていた十吉は、 「こいつは面白い。さあ、日が暮れて来た。先を急ぎましょう。」 と、二人に声をかけ足早に歩き出す。
その日も夕暮れに近づき、夕方に鳴らす鐘の音が、かすかに響き、鳥もねぐらに帰えるのだろう。 なんだか急いでいるように飛んでいる。 宿場に急ぐ馬方の歌声も、なんだか威勢がないのは、おおかた、馬ともども腹が減っているからだろう。
この時、ようやく三人は、三島の宿場に着いた。 両側の旅館からは、威勢のいい呼び声がかかる。 「お泊りなさいませ。お泊りなさいませ。」 「ええい、引っ張るな。ほれ、ここを放したら泊まってやろう。」 弥次郎兵衛は、その客引きの一人に捕まってしまった。 「それなら、さあ、お泊りなさい。」 と、客引きは、つかんでいた弥次郎兵衛の袖を離すと、 「あっ��んべい。」 と、弥次郎兵衛は逃げる。 そのはずみに按摩につきあたった。 「あいたたた。こいつ目が見えないのか。畜生め。あんまでござい。」 と、按摩は、弥次郎兵衛に文句を言った後、また商売を始める。 その横を焼酎売りが通る。 「焼酎はいりませんか、目のまわる焼酎を買いなせえ。」
<仏壇> この間に三人は足を洗い終わってすぐに奥へ通る。 お茶を持ってきた女中が、風呂を勧めるので、弥次郎兵衛は、 「それじゃ、俺が先に入ってこよう。」 と、裸になって駆け出す。 それを見ていた女中は、慌てて、 「もしもし、お客さん、そこは便所です。こっちらへ」 と、よく見ると、 「おっと、いけねえ。」 確かに、そこは便所だ。弥次郎兵衛は、失敗したとこそこそと、風呂へ行く。
座敷では、残った二人が会話している。 「そうそう、あのスッポンは、どうしたね。」 と、十吉が問い掛けると、北八は床の間を指差しながら、 「ほれ、床の間に置きました。後で肴にしてもらいましょう。」 と、舌なめずりする。
この間に弥次郎兵衛が湯から上がると、次に十吉が湯にはいりに立ち上がる。 これと入れ違いに、この旅館の亭主が番頭とやってくる。 手に帳面を持っている。 これは宿帳と言って旅人の生国と住所を記すものである。
「はい、ごめんくださいませ。おや、おひとりはお風呂ですか。 まあいいか。で、宿帳をつけさせていただきたいので。」 と、言う亭主に北八は、鷹揚に頷いて、 「では、まず、あなた様のお国はどこで。」 「はい、私は、泉州。」 「ほほう。で、泉州はどこでございます。」 と、北八は嘘を言い出す。 その横で、弥次郎兵衛は、ニヤニヤ笑っている。 「泉州堺でございます。名は天川屋義平といいます。」 「はいはい。では、こちらのお方は。」 と、今度は、弥次郎兵衛の方に向き直り、問い掛ける。 「わたしか。城州山崎村与市兵衛といいます。」 ここまで聞いて、亭主は驚いた風に、 「おや、与市兵衛さまとはあなたの事でしたか。 ということは、あなたの婿殿の勘平さまはどうなされました。」 「はい、勘平は三十にもならないで、死にました。」 それを聞いて、亭主は暗い顔で、 「それは、それは。さぞお力を落しでしょう。で、お軽さまは。」 「はい、元気にやっております。」 弥次郎兵は答える。 亭主、今度は、明るい顔をして、 「そして、狸の角兵衛さまや、めっぽう弥八さまは、たしかあなたの近所に住まわれていた。」 「おお、そうそう。」 と、弥次郎兵衛。 「あのまた猪どのは、今はどこにおられます。」 「はて、猪は、どこだか。」 と、亭主の口からお囃子がでてくる。 「てんつるてんつる、てんつるてんは、どういたしました。」 弥次郎兵衛や北八が、御芝居の忠臣蔵を真似ていたのだが、ここの亭主の方が上手らしく、だまされていた風を装っていたのだ。 「ハハハ。」 と、ここで皆々、大笑い。 亭主は、宿帳をしまいながら、 「どれ、先ず御膳を差し上げましょう。」 と、女中に言いつけると、あいさつもそこそこに出��行った。
つづく。
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Kanazawa-Kuruwa
郭の中の金沢、辺京の小宇宙
郭_この辺京の遊郭には、金沢の美しさと醜さがくるわれている。
郭は...
北陸の美学の結晶であった。 卯辰山へまっすぐ伸びる石畳、黒光るボッテリとした能登瓦、弁柄色の木虫籠(きむすこ、細い桟の出格子)。九谷の襖の手掛けや輪島塗りの調度品、べっ甲のかんざしや色とりどりの菓子や酒、夜遅くまで鳴り響く唄、笛、鼓の音色。
同時に人身売買の巣窟でもあった。 極めて幼い頃に身売りされた少女は、楼主と養子縁組を結び、自らにかけられた身代金を返すまで拘束を受け、芸妓・娼妓として働いた。町を彩った女のいくらかは楼主となった。
今回は、���沢の光であり影である茶屋街について、制度・人びと・建物・遊び・性の観点から明治・大正の茶屋を前提にご紹介する。
(参照:『金府大絵図』金沢市立玉川図書館所蔵)
明治に生まれた主計町を除けば、ひがし・にし・きた・愛宕の郭は2つの大きな川、犀川と浅野川の金沢城から見て外側に位置している。(これは、江戸の吉原が常に皇居から見て川向いに建てられて、都市の外周部に位置していたこと同様の理由で、穢の場所を都市の外側に配置するためであろう。)
その中でも、金沢人が憧れと嫉妬を込めて名付けた東の廓(言うまでもなく京都の祇園・東山にかけている)であるひがし茶屋街は、北陸の最も代表的な茶屋街であった。
(参照:『金府町絵図』金沢市立玉川図書館近世資料館所蔵)
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A:郭の制度
金沢の花街の仕組みは京都と同様にお茶屋が客の要望に応じて、芸妓を置屋か ら呼ぶ方式である。芸妓は置屋に所属し、お茶屋から依頼があれば、料亭やホテルなど地域外へも出張することが可能なのも、京都と同様の取引制度である。 さらに金沢の三茶屋街の特色として、お茶屋と置屋の兼業が挙げられる。つまり、お茶屋は場所を提供するのだが、同時に芸妓を抱え、他のお茶屋に派遣することもでき、食事は飲食店から取り寄せることとなる。
お茶屋には上茶屋、中茶屋、下茶屋の3つがあり、上茶屋は5等級に格付けされていた芸者の中でも、一等級のものしか置かなかった。上茶屋は農家の出や他国の婦女は抱えたがらない気風があり、それを誇りにしていた。加賀血筋を大事にし、みっちり芸と作法を仕込むとのこと。明治時代には能登半島をはじめ、日本全国から身売りされた少女が芸妓として所属しており、朝鮮出身の芸妓の記録もある。
郭では「旦那」は芸妓の経済的な保護者であり、後援者であった。旦那は月々お手当を置屋の女将に渡すかわりに、贔屓の芸者を自分一人のものにすることができた。女将は抱え芸者の旦那から一ヶ月の手当をもらうこと大きな収入源であった。ある置屋の抱え芸者が、別の置屋の客を旦那としている場合、旦那はその置屋の女将に毎月の斡旋料を支払うこととなっていた。
お茶屋では客は一見の客は挙げない。理由は、遊興費が後でもらえるか不安なことと、もう一つは酒癖が悪い客を案じてであった。たちの悪い客の中��は、火鉢の中に小便をしたり、掛け軸に盆をぶつけたり、美人画を盗む客もいたという。二度目から置屋は電話で芸者の予約を受付け、時間の打ち合わせをする。客は遊興費を何ヶ月に一度、現金で女将に直接手渡しでまとめて払っていた。
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B:郭のひとびと
お茶屋に以下の人々が住み込んでいた。どこの家もかなりの大所帯で、大抵は十数人で寝ていた。
①女将:
多くは元芸者で、お茶屋の経営をするとともに芸妓と養子縁組を組み芸妓を育てるとともに労働者として管理する。
②芸妓、娼妓:
女将と養子縁組を結び、芸者として客に奉仕する。住み込みと通いがあったが、殆どが住み込みで、通いは芸者でも年季明けの終わった歳高の人たちだけだった。年季明けや旦那がお金を支払った場合は妾として茶屋街の周辺に暮らしていた。
③たあぼ:
行儀見習いと諸芸習得の傍ら、日中は走り使いの雑用、夕方からは芸者衆の座敷���めな三味線をもって供をなし、供先きの置き屋とか料亭では家族用玄関の片隅で芸者衆の座敷終わりを待つ。12歳になると振り袖芸者と呼ばれ見習いの芸者とみなされ、さらに15,6歳になると留め袖芸者と呼ばれ水揚げが行われた。このころには体だけではなく、三味線・踊り包などの芸も一人前の扱いを受けた。
④ばんば:
年寄りが多く、飯炊賄いが主な仕事。
⑤べえべ:
10-40代、女中、下働きの女で賄い全般、掃除洗濯、女将の身の回りの世話をした。やりてばばあと呼ばれるべえべは客から以下にして金を使わせるか、寝床での振る舞いを芸妓に教え込んだとのこと。
男衆:
登楼のの客引き、芸者の世話役として付き添い、用心棒兼見張り役をする。
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C:郭の建物
(参照:金沢「東の郭」の復元 平井聖・大林組)
茶屋は2つの大門を持ち、文字通り塀によってくるわれていた。門の外には妾宅が並んでいた。2本の大通りは卯辰山に向かい、卯辰山がアイストップの役割を果たしている。かつては壱番町へは小川を越えてアクセスするようになっていた。
(参照:『浅野川茶屋町創立之図』文政3年(1820年) 石川県立図書館蔵 「旧東のくるわ」伝統的建造物保存地区保存対策事業報告書 1975年 金沢市教育委員会)
建物の外観は、1階は出格子となっており、木虫籠と呼ばれる細い縦格子がはめてある。縦桟は断面が台形になっており、外から中が見えにくい仕掛けとなっている。2階は今では小窓付きの雨戸になっており、全て開け放てる仕組みになっている。祭りの際には大通りにステージが設けられ、開け放した2階の座敷から芸者の踊りを見下ろしていたのだという。現在では失われているが、かつては木部分に紅殻色の塗装が施されており、赤い色彩と卯辰山の緑が生えたことだろう。また、屋根はかつて石置き板葺きであったが、今では釉薬を全面に施した北陸特有の黒く厚い瓦が葺かれている。
平面は時代を経て大幅に変更されており、機能上の要求から下記図面の小さい方の平面図(明治以降)へと変更されていったようだ。
明治以降の平面図を前提に話すと、まず玄関を入ると黒漆塗りの大きな階段があり、ハイサイドライトから薄光が差し込んでいる。階段の横は長火鉢が置かれた茶の間であり、女将が座って一切を指示していた。奥座敷と茶の間は主に女将が使用する部屋で、奥座敷は仏間、寝室として使用していた。
みせの間は支度部屋で、芸妓が詰めていたから、街路には芸妓の声がよく聞こえていたことだろう
2階は大きく表(前2階)・中・奥(広間)の3室に分けられ、表と奥を座敷とし、中はロビーのように使用されていた。間口が大きい場合は表と奥は2室に分けられ、4畳の部屋を芸妓が踊り演奏するステージのように使用していた。2階の更に奥には廊下や小階段���隔てて「離れ」があり、数寄屋風のしつらえとなっている。水揚げや日中の娼妓の使用にはこの部屋は人目につかないので都合が良かった。
3階はどの家にもあるとは限らないが、座敷を1間もつ場合がある。
(参照:金沢「東の郭」の復元 平井聖・大林組)
座敷の土壁は紅殻色が用いられる場合が多く、柱は紅殻と灰をあわせて塗装されている。金沢では紅殻色や群青色が来客の場所に使用されることが多いようである。
(参照:https://www.kanazawa-kankoukyoukai.or.jp/spot/detail_10094.html)
(参照:https://www.pinterest.de/pin/523332419194794021/)
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D:廓遊び
(参照:金沢「東の郭」の復元 平井聖・大林組)
宴会は夜だけではなく、遊びなれた客は深更にきて朝帰りということも珍しくなかったし、庄屋の番頭などが小僧の手前もあって夜抜け出せないために早朝に密かに遊びに来ることもあったし、昼遊びの客もあった。これらの時間の揚げ代は夜よりもむしろ高かったとのことである。
客としては、加賀友禅などの伝統工芸の職人の親方や商人、旅の客などがいた。
廓の花代の1単位は45分だった。1時間を1番木と言って、拍子木が隣の控えの間で打たれた。合図の1番木で、芸者は時間���れを伝えて帰り支度をはじめ、そこから客を送り出すまでを15分と見ていたようだ。これは線香1本が燃えるまでに40分かかったことからきていると聞いた。
婚礼の祝宴が夜通し続いたりすると、芸者たちは三日三晩睡眠を取ることもできないこともあった。
芸妓は昼に芸を磨いた。自由を厳しく制限された分、芸に自らの存在価値をかけたからなのであるが、当時の売れっ子は芸を磨くだけの時間的な余裕がなかった。遊客は気に入った芸妓がいると追い回し、昼夜となく名指しをしたため、彼女らは歌や踊りの稽古などしている暇がない。流行りっ子ほど無芸という結果になったのであった。しかし、芸に精進することは文字通り体をいじめ抜くことになり、体の形を崩してしまったようで、例えば、笛の達人と言われた美津は増えをあてがう下唇がミミズ腫れのように腫れ上がっていたとのことである。
お茶屋遊びは数多くあるが、ここで流行ったものに「かんざしえらび」がある。座敷で客と芸妓は輪になって歌った。
お姫さんと寝るがに かんざし引こう お姫さんを抱くがに かんざし引こう 人のかか抱きゃ せわしない ほれ せっせっせ せっせっせ
黒く塗った丸い盆の縁にかんざしが10〜20本、妓の数だけ放射状に置かれ、客たちはじゃんけんをして勝ったものからかんざしをとり、そのかんざしの持ち主と一晩寝ることとなった。
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E:郭の性
中店以下にいる芸者は、多くは二枚鑑札を持っていた。芸者と娼妓を使い分けなくては前借りを支払うことができなかったからである。上店では芸者と娼妓の区別が一応はひかれていたが、明治から大正にかけてはほとんど建前になっており、体を張ることによって何十円と貰いが増え、前借金を返すことができたから、体を張る者も多かった。
朝から夜まで客が来た。一人は娼妓を置かなくては営業許可が降りなかったため、芸妓は自分の代わりに一日中客の相手をしてくれる娼妓には感謝していたとのことである。
日露戦争の折には、松山、習志野、大阪に加えて金沢もロシア人俘虜の収容地となり、4000人近くの俘虜が寺院などに収容された。彼らは「大切に」扱われたというが、国から通達を受けた市当局が置き屋の女将に協力を要請し、廓の芸者らがロシア人の相手をしたそうだ。廓には梅毒の予防のために「下洗い」する建物が設置され、性的搾取の対象となった。
第二次世界大戦の際には、芸者は三味線を弾くことや太鼓を禁じられ、専ら復員や動員に押しかける兵隊を相手に慰安婦、接待婦として働いた。
15歳ほどになると水揚げがある。水揚げの相手の旦那は、女将同士であらかじめ相談し、決められ多くは老人だったとのことである。若者では手荒く、過ちがあると良くないと考えられたためと、水揚げをするには大金が必要だったからである。相手が年寄りであることは女たちは皆嫌がった。水揚げというものは一回きりで一人前の女になるというわけではなく、二度も三度もしなければならない。水揚げは特別に料金が高いからお茶屋が儲かったとのことである。場所は自分の住むお茶屋とはとは限らず、離れの間が使用される事が多かった。
(旦那衆が人目を避けて利用した梅ノ橋とかつての妾邸)
金沢の芸妓の生涯を描いたノンフィクション小説である『郭の女』(井上雪著)には花街の美しさと醜さがよく描かれている。
読者は気がつく。 あの美しく見えた芸妓は木虫籠という籠に囚われているのだと。
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20220112
気温4℃、粉雪が舞っている。最初ははらはらと、晴れ間が差して、再び好き勝手に踊っている。ぼーっと眺めてしまう。
2021年の年末は26日が最後の日勤、2連続夜勤で年越しだった。なんだかんだ定時で上がって、同じく年越し日当直だった相方と一休みしてから車で大阪の実家に帰省した。滋賀の彦根?米原?あたりまで高速道路脇に雪があって、京滋バイパスから何道だったか、同じ片道250㎞でも高知より福井の方が海を渡らないからか速い気がした。あとインプレッサが快適。よく5年間も軽自動車で片道250㎞帰省してたと思う。今だったら仙骨部に褥瘡出来てる。
例年おせちを手作りする祖母が張り切って購入した、京都の料亭のおせちをつつく。 和洋折衷で美味しかった。 甘えびと数の子のお洒落な和え物(真砂和えというらしい)が特に美味しくて、じわじわ「あれ美味しかったな…」と心の声が口から出ては「よっぼど気に入ったんやねぇ」「残りも全部食べ」と笑ってもらった。美味しいものの共有は愛だと思う。
母が大阪、父が神戸の出身で、お雑煮は毎年母方実家の白みそ+丸餅+水菜や金時人参、大根、お豆腐、鰹節のボリューミーなもの。香川に住んでいた時のあんこ餅や、愛媛に住んでいた時の野菜たっぷりおすましも美味しかった。そういえば高知でお雑煮食べたことなかったな。新潟出身の同級生は「海鮮がどーん!」な感じらしい。年末になると患者さんにお雑煮の具について尋ねては情報収集している。
弟が元旦生まれ、私も1月生まれ、おまけに母も12月生まれなので、お正月3が日はおせち+お雑煮+ケーキが3食続く(しかも私と弟が部活してた時の食欲のままだと思われているので平気でお雑煮にお餅2個とか入る)。バースデークーポンの類も一気に来るので、1年のお祝いがすべてお正月で終わる。一年の計は元旦にありとは言えど、お祝い事はもう少し分散してほしい。
初詣は近所の道明寺天満宮へ。学業の神様、藤原道真を祀っている天満宮で、祖母の情報によるとお嫁さんは大宰府天満宮から嫁いできてくれたらしい。規模もほどよくて、桜や梅や菊など季節のお花も綺麗で、お正月以外は混まない、居心地の好い神社。近鉄の駅が近いので、時々立ち寄って手を合わせてから電車を待ったりする。ここの学業のお守りはいくつ買ってもらったか、人に贈ったかわからない。病床の母方祖父が最後に買ってくれたのはここの学業成就の赤いお守りだった。
北陸へ戻る前にもうひとつ、「寅年やし、せっかくなので信貴山へ行った��」と祖母に勧められ、実家のある柏原市と隣の奈良県の境目にある信貴山寺へ。
https://www.sigisan.or.jp/
大きな張り子の虎が入口にあって、山の上から始まり更に上へ上へと昇り、相当増改築を重ねたと思しき社に次々とお参りした。水子や安産の神様には私も相方も多めにお賽銭を入れて手を合わせる。「私も顕微鏡越しだけど水子と関わってるから」だそう。水子の肌はとても縫いにくいって言ってたな��そういえば。
御朱印集めは二人とも「集めるのが目的になってちゃんとお参り出来なさそう」と手を出していなかったけど、虎の御朱印が可愛くて、紙のを5種類ほどいただいてしまった。御朱印は安井金比羅と道明寺天満宮と永平寺、これで8枚溜まった。毛筆の美しい字を書き順でなぞる。案外、文字フェチかもしれない。
今年は色々環境も変わるので背中を押して欲しくておみくじを引いてみたら中吉と吉だった。今年は雲に隠れていた月があらわれるような年になるらしい。待ち人は時間はかかるが必ず来るとのこと。
願うことは、助産師として生きられますように、成長できますように、そして大切な人たちが心身健康で、今年も繋がっていられますように。
2022年、20代から30代になって、環境も関わる人も自分もきっと変わって、大変でも苦しくても転んでもただでは起きず、地獄を抱えながら明るく笑って、健やかに軽やかに生きていけますように。
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🎼 00855 「The Judge」。
男尊女卑甚だしい終戦後の世の中で、とある女性弁護士と婚約者との日々を 困難な裁判を交えながら描いた 松竹映画 「女性の勝利」 を観ています。溝口健二監督作品。田中絹代さん演ずる 女性弁護士ヒロちゃんは、獄中の婚約者が 5年の刑を終えたものの、立てないほどの身体となって釈放され、とある病院で入院されたことを知りお見舞いに向かうのですけれど、周りからは "清算しなさい" なんて言われてしまって ギャフンな気分です。ある日のこと、ひょんなことで 女学生時代の同級生アサクラさんと出会うのですけれど、ゼツボー的な貧困の渦の中にいる彼女は 病床の亭主に先立たれ、目の前がバッと真っ暗になった途端に精神が弾け飛び、誤って乳飲児な坊やをしなせてしまいます。封建的な司���と民主的な司法が バッチバチと火花を散らすこの映画、ヒロちゃんのお母さん セツを 高橋とよさんが演じています。
つづいて
いつかの暑い季節。とある エレベーターが無さげな (お家賃の安い) 団地で暮らす ある家族のイカサマな日々を描いた 「しとやかな獣」 を久しぶりに観ています。川島雄三監督作品。愉快なマエダ一家は、パパ (元海軍中佐)、大学を中退した息子ミノル (月給三万円) は会社のお金 百万円を横領して失踪、娘のトモちゃんは ヨシザワシュンタロウ (小説家) の妾だのですけれど、ミノルが原稿料を 5, 6件、二十万円ほど横領していたりして ヨシザワから別れを切り出されます。(ちなみに パパは ヨシザワから 百十万円を借りているやうです)。そんなこんなでお金の話ばかりな映画ですけれど、途中、飛行機のけたたましい音が鳴り響く場面で 原爆の訓練をしているとかどうとか言っている わたしのすきな 伊藤雄之助さんが好いです。
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📸八勝館“御幸の間” [ 愛知県名古屋市 ] ② Hasshokan “Miyuki-no-ma”, Nagoya, Aichi 八勝館は大正時代創業の名古屋を代表する料亭🍽 建築家 #堀口捨己 の設計による“御幸の間”は『DOCOMOMO Japan 日本の近代建築100選』の最初の20選に名を連ねた昭和を代表する和風建築です。ということでその②。 . 広い敷地の中に点在する部屋数は12。その中でも目玉の“御幸の間”は1950年(昭和25年)に名古屋で国体🏃♂️が開催された際に、昭和天皇皇后両陛下の御宿泊所として建造(増築)されたもの。 . そのモチーフとなっているのは『桂離宮』。建築的な細かいところはよくわからないけど、座敷奥の三連の丸窓は『笑意軒』の意匠を模したもの。 もちろんそんなオマージュだけではなく、天井に埋め込まれた照明や襖や欄間の模様はあくまで近代建築のそれ。 . そして月見台〜そこから眺められる庭園。桂離宮の月見台🌖と比べると広い軒ですが、庭園に向けてせり出したこの感じは『月波楼』を思わせるし、先に書いた“菊池氏茶室庭園”の写真と比較してもこの池泉庭園も堀口捨巳の意向が汲まれていないとは思えないのだ。 . これ程の、歴史にも残る建築ですが、文化財指定は受けていない。しかも「あらゆる文化財指定のオファーを断っている」とおっしゃっていて驚いた。 . その理由が「来られるお客様のために改築する余地を残しておきたい」という。「“御幸の間”も防音や寒暖のことを考慮して、堀口先生のお弟子さん #早川正夫 先生の監修の下、障子から現在のガラス戸へ変えた」等々、元の建物の哲学は維持した上で、少しずつ変化しているそうです。 . …そしたらとりまそこに影響しない庭園で名勝指定受けません…?(コッソリ . ■残月の間 御幸の間と隣接する(連なっている)この部屋も堀口捨己の作品であり、表千家の茶室「残月亭」の写しになっています🍵 昭和皇后陛下の御寝所となった部屋。床の間に飾られていた掛け軸は昭和の電力王⚡️ #松永安左エ門 によるもの。魯山人と同じく #松永耳庵 も八勝館に見せられた一人でした。 . あと最後の写真は #北大路魯山人 の作品。当時のご主人は魯山人との親交も深く作品も頻繁に購入していたそうで、八勝館には数多く魯山人作品が残っているそう。 . 同じく堀口捨巳の手掛けた“桜の間”と庭園の写真は後編に続きます! ・・・・・・・・ 🔗おにわさん紹介記事: https://oniwa.garden/hasshokan-miyukinoma-%e5%85%ab%e5%8b%9d%e9%a4%a8%e5%be%a1%e5%b9%b8%e3%81%ae%e9%96%93/ ーーーーーーーー #庭園 #日本庭園 #愛知 #名古屋 #japanesegarden #japanesegardens #jardinjaponais #japanischergarten #jardinjapones #jardimjapones #японскийсад #gardendesign #japanarchitecture #japanesearchitecture #nagoya #docomomo #docomomojapan #近代建築 #名建築 #数寄屋建築 #料亭 #桂離宮 #horiguchisutemi #おにわさん #oniwasan (八勝館) https://www.instagram.com/p/CEnnv3lhslA/?igshid=argcpico08jr
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引越しの夢
むかしは、いまでいう職業紹介所を、桂庵《けいあん》、口入屋などと申しました。 そんなうちには、奉公さきを待っている女中たちがたくさんあつまっておりましたもので、そんなところでは、番頭も楽ではありませんでした。 「これ、おまえさんたち、もうちっとおとなしくできないか。やかましくてどうしようもありゃあしない。なに? 成駒屋が死んで惜《お》しい? なにもおまえが惜しがらなくっても、ごひいきすじで惜しがってるわ。だれだ? こんなところに豆の皮をまくのは? ちゃんとすてとかなくてはこまるな、どうも……ところで、そこの娘、あんた、どういううちへいきたいんだね?」 「あたし、月に二、三べん芝居へやってくれて、給金はなるべく高くて、からだの楽なうちへやってくれれば文句はいいません」 「あたりまえだよ。それで文句のいいようがあるもんか。そこの娘、おまえさんは、どういううちがのぞみだい?」 「あのう、番頭さん、旦那とおかみさんとふたりっきりで、おかみさんの病身なうちはありませんか?」 「ははあ、手のたりないうちで、親切に病人の世話をしたい……おまえさん、なにか願掛《がんか》けしたな」 「いいえ、そうじゃなくて……おかみさんが病身だと、どうしても旦那が肌さびしいので、あたしにちょいちょいちょっかいをだす。それをあたしがだまっていて、そのうちに、おかみさんがだんだん悪くなってころっと亡《な》くなる。あたしは、すぐにあとへ直って、亡くなったおかみさんの着物やあたまのものをみんなもらって、女中のふたりもつかって、左うちわで暮らすつもり……」 「まあ、なんて女だい、おまえさんは……お家横領をたくらむとは……これ、そこの娘、おまえさんは、どんな奉公さきをさがしてるんだい?」 「番頭さん、あたしはどんなうちでもかまいません。どうぞ小商《こあきな》いをしているうちへやってく���さいな」 「うん、感心だな。こら、お家横領、ここへきて、この娘のいってることをいっぺん聞いておけ。小《こ》商人《あきんど》のうちへ奉公して、小商いのこつをおぼえたら、世帯を持つときに亭主の手助けができるという。あとあとのことまで手をまわしたかんがえだな」 「いいえ、ちがうわ。小商いするうちへいったら、小づかいに不自由しないからなの」 「あっ、こいつは泥棒か。ひとりもろくなやつはいやあしない」 番頭がぶつぶついってるところへ、十二、三の丁稚《でつち》がはいってまいりました。 「番頭さん、横町の十一屋からきましたが、きれいな女中さんをひとりおねがいします」 「なに? きれいな女中? いつもなるべくきりょうの悪い娘といってくるのに……」 「それが、きょうは、うちの番頭さんに十銭もらって、きれいな女中さんをよんでこいとたのまれたのとちがいます」 「これ、小僧さん、おまえ、番頭さんに十銭もらって、きれいな女中さんをよんでこいとたのまれたな」 「あっ、番頭さん、それ、わかりますか?」 「わかるとも、おまえの顔にちゃんと書いてある」 「えっ、書いてありますか? だれが書いたんだろ? へえ……それでは、きょう、うちの留どんがわかめの味噌汁がきらいだといって、納豆《なつとう》買ってきて、ごはんを食べたことやなんか知ってますか?」 「そんなことくらいすぐにわかるとも、留どんがわかめの味噌汁がきらいで、納豆でごはん食べたんだろ?」 「ああ、番頭さん、なんでも知ってるなあ。手相みてくれますか?」 「もういいかげんにして、そこにいる中でいい娘をつれてお帰り」 「わあー、たくさんいるなあ。けど、みなおもしろい顔ばっかりだ。ああ、この娘は、このあいだうちへきて、つまみ食いして追いだされた娘だ」 「これ、小僧さん、そんなこというもんじゃあないよ」 「へえ……そこにうつむいてる人、ちょっと、そう、あなた、わあー、こりゃあきれいな人だ。あなた、うちへきてください。番頭さん、この人にきてもらいます」 「ああそうかい。あんた、この小僧さんといっしょにいっておくれ。横町の十一屋というお店だから……いずれあとからあたしが判をもらいにいくよ」 「それではいってまいります」 「さあ、どなたもどいておくれ。うちの女中さんのお通りだよ。さあ、どいたどいた。あなた、どうもごくろうさんです。あなた、きれいですね。どうもおどろいた。あなたにおねがいがあるんですけど、聞いてもらえますか?」 「どんなことでしょう?」 「どんなことって……いってしまってからいやだなんていわれたら恥ずかしいな」 「どんなことなんです? いってごらんなさいよ」 「そんならいいますけど、恥ずかしいから、ちょっとこの路地へはいってくださいな。あの……うちではね、おついたちと十五日に焼き魚のおかずがつきます。それが、尾のところは、魚屋が大きく切ってきますから、あなた、わたしにきっと尾のところをつけてくださいよ……ああ恥ずかしい」 「ああびっくりした。なんのことかとおもったら、そんなことなの、おやすいご用ですとも……」 「そりゃあどうもありがとう。女の人といっしょにあるいたら、丁稚なかまをはじかれます。わたしはさきにいきますから、あなた、あとからきてください。この角をまがって三軒目に、十一屋といううちがあります。ではおさきに……へえ、番頭さん、ただいま帰りました」 「ええい、バタバタとそうぞうしい。途中で油売ってて、門口までくるとバタバタ走ったりして……どこへいってた?」 「あれっ、わすれちゃったんですか? 女中さんをよびにいったんじゃありませんか。番頭さん、あなたが、『きれいな女中をつれてこい。そうしたら十銭やる』っておっしゃったでしょ? だから、いちばんきれいな人をつれてきました。さあ、十銭ください」 「そんなにきれいか?」 「そりゃあ、きれいったってすごい。はい、十銭」 「きっときれいか?」 「きれいですとも、まちがいありません。十銭を……」 「それじゃあ、あとでやろう」 「あとでもらえなかったからって、お上《かみ》へねがうわけにはいかず、もうどなたからも、このごろは、いっさい現金でいただいております。さあ十銭」 「うるさいやつだな。さあ、十銭やる。それで女中はいつくるんだ?」 「いま、そこまでいっしょに帰ってきましたけど、一足さきにご注進にきました。もうすぐきますよ」 「なに、もうすぐくるのか? それを早くいわないか。だれだ? いま二階へあがってるのは? 藤どんか? ちょっと羽織を持って降りてきておくれ。いや、それじゃない。このあいだ仕立ててきたやつだ。行李《こうり》のいちばん上にいれてある。ああ、それそれ。ちょっと持ってきておくれ。それから、だれだったかな、このあいだ夜店で鏡を買ってきたのは? ああ、久七どんか? ちょっと貸してくれないか? なんだ? ちょっとぐらいいいじゃないか。けちけちしなさんな。減《へ》るもんじゃなし……しまった。えらく髭《ひげ》がのびてるな。こんなことなら、ゆうべ床屋へいっときゃあよかった……これ、みんなどうしたんだ? そんなところへずらっとならんで……それじゃあ男の張《は》り店《みせ》だよ……おい、小僧、女中さんはまだこないのか?」 「あすこに立ってます。のれんのところに……」 「ああ、あすこに立ってるのがそうか。うーん、いい女だな。いや、どうもごくろうさま。おまえはたいへんにつかいが早くていいぞ」 「ふん、女中さんの顔みたら、急にお世辞《せじ》がよくなった。へへへへへ……」 「なにをいやあがる」 「どうです? 番頭さん、いい女でしょ? 十銭じゃ安い。もう五銭増してください」 「なんだ、すぐにつけこんで……奥へいって、『女中さんをつれてまいりました』と、そういっといで」 「あとで五銭くださいよ」 「やるから、はやくいっておいで……なるほど、これはいい女だ……おまえさん、こちらへおはいんなさい。ちょっと金どん、ごらんよ。すてきなしろものだ」 「なるほど、おいおい、みんなおいで。すてきなしろものがきたから……」 「そう、みんな、そこへならんじまっちゃあ、はじめてきた女の子が、きまりわるがるじゃあないか。なんだ、おまえさんたちは……てんでにトンボみたようにあたまばかり光らして……さあさあ、あなた、こっちへおあがんなさい。はい、はじめまして、わたしが当家の番頭で……こんなに多勢ならんじゃあいますがね、みんな、わら人形同様のもので、あなたとおはなしがあうやつなんかひとりもいやあしません。わたしは、当家の支配人だから、どうかまちがわないようにしてくださいよ。旦那におかみさんは、いつも奥にばかりいて、めったにお店へおいでにならない。奥のことから台所のことは、すべてわたしがとりしきってやっているんだから、どうか辛抱してください。わたしのほうで置きたいといっても、おまえさんのほうでいやといえばしかたないし、おまえさんのほうでいようとおもっても、わたしがいけないといえばそれまでなんだから……つまり、わたしがいいといえば、それでいいんだからね。まあ、こんなうちだけれども、これでなかなか得《とく》のあるうちで……といったところが、料理屋やなんかとちがって、祝儀をもらうなんてことはないが、そこは商売|柄《がら》、質の流れのなかに、ちょいとおつなものがでることがある。この前の女中さんのときも、繻珍《しゆちん》の丸帯がでて、『おいくらでございますか?』と聞くから、『まあ、商売人にだしたら十五円てえところだが、おまえがしめるんなら、十円にしてやろう。払いのほうも一度でなくっていいんだよ。お給金をもらうたんびに、五十銭なり、一円なり、いくらかずつでもいいからお払い。いいかげんのところで、わたしが帳面をゴチャゴチャと筆さきでごまかしてしまうから……』といってね。それは番頭のはたらき。それから、そのあとになって、その女中さんのおとっつあんが病気になって三十円入用になった。そこで、『そんなに心配しなくてもいい。どうせ店にあるお金だから、三十円ぐらい貸してやろう。それも一時にかえさなくてもいい。ちょくちょくかえすようにしていれば、そのうちには、まあ、筆の先でゴチャゴチャと帳面をごまかしてしまう』……そこはなにしろ番頭のはたらきでな。こんなに多勢いたって、おはなしにあうようなものはひとりもいない。なに、すこしくらいのことなら、給金のほかだってどうにでもなる。ただひとつおことわりしておくのは、わたしはもともと寝ぼけるたちでな、便所へいった帰りなどに、おまえのふとんなんかにつまずくことがないともかぎらない。そのときに、『キャー』とか、『スー』とかいわれるとまことにめいわくするから……そこはそれ、三十円のゴチャゴチャだ。魚心あれば……」 「水心ありで……」 「これっ、なんてえ声をだすんだ、前にいる女の子がおどろくじゃあないか」 「女の子は、もうとうに奥へいきました」 「えっ、いっちまった!?」 「あなたが夢中になってしゃべってるので、留どんがかわりにおじぎをしてるんで……」 「なんだい、留どんかい」 「あの、三十円ちょうだいできますれば……」 「なにいってるんだ。ばかっ」 こちらは奥でおかみさんが、 「定吉や、おまえ、桂庵にいくときに、なんといいつけてやりました? 『店に多勢若い人がいるから、なるたけわるい女を……』といってやったじゃあないか。なんだってこんなにいい女をつれてきたんだえ? ……おまえさん、気にかけちゃあいけませんよ。いいえね、あたしゃ店に若い人がいるから、取り越し苦労をするんです……ほんとにしょうがないじゃあないか」 「それでも桂庵へいって、『いい女はいけないから、もっとわるい女をおくれ』とそういったんです。そうしたら、『ことしは女中のできがいいんだ』って、梅雨《つゆ》に降って土用に照り込みましたから……」 「お米じゃあないよ。ばかばかしい……では、おまえさんは、台所ではたらいてもらうのはおかしいから、奥の用をしてもらいましょう。べつにご飯たきはもうひとりやといますから、どうかね、辛抱《しんぼう》してくださいよ……定吉や、定や、おまえ、この人はなれないのだから、よく寝るところやなにか教えておくれ」 お目見えは三日というのが、むかしはたいがいきまりでした。 「おい、定吉や、大戸をいれてしまいな。きょうは早じまいだ」 「なぜ早じまいなんです?」 「女中|目見《めみ》えにつき早じまいだ。早く寝ちまえ、寝ちまえ」 「寝ろったって、まだ四時半で、こんなにあかるいじゃありませんか」 「あかるかったら月夜だとおもえ」 「あんなことをいって……まだ晩のごはんも食べ��ません」 「めしなんかどうでもいいよ。おまえ、生まれてからずっと食べてきたんだろ? 一食ぐらいぬいたって死にゃあしない」 「お腹がすいて寝られるもんですか」 「ぐずぐずいってるんじゃない。みんな早く寝なさい。だれだい? そこで手紙なんか書いてるのは……源どんかい?」 「へえ、さようで……」 「あした書きなさい、あした……さあさあ、みんな寝ないか。眠くなくっても、あたまからふとんをかぶって目をつぶっていびきをかきなさい。いびきをかいていればひとりでに眠っちまうから……さあ、みんな、寝たか? 寝たらいびきをかきなさい」 「ああ、いびきの催促か……グー、グー」 「なんだ、急にいびきをかきだしたな。これ、ほんとうに寝てるのか? たぬきじゃないか? こら……」 「グー」 「こら」 「グー」 「こらこら」 「グーグー」 「あれっ、いびきで返事している。わるいやつらだ。ほんとうに寝ているのかしら? ……久どん」 「グー」 「久どん」 「グー」 「どうやら寝たらしいな。このあいだにちょっと便所へ……あれ、にこにこ笑っていびきかいてやがる。しょうのないやつだな。どいつもこいつも……なあ、そこへいくと子どもは無邪気だ。『番頭さん、いい女をつれてきたから十銭ください』なんていって十銭とったが、枕もとにほうりだして寝ている。いまのうちにとりもどしておいてやろう。あれっ、定吉、おまえ、目をあいて起きあがって、十銭持ったままいびきをかくやつがあるか」 「へい、いびきをかいても十銭はわすれません」 「なにをいってやがる。早く寝なさい。さあ、みんな寝なさい、寝なさい」 「番頭さん、あなたがやかましくて寝られませんよ」 「わたしが寝ないと、みんな寝ないとか? さあ、わたしも寝るから、みんな寝なさい。そうそう、早くしずかに……おい、源どん、多助どん……しめたな、こんどはほんとうに寝たらしい……よしよし、このあいだにあの女中の部屋へ……さあ、女中部屋は……だれだ、あとからついてくるのは?」 「へえ、わたくしでございますが……なにしにいらっしゃいます?」 「ちょっと小便にいくんだ」 「いびきをかきながらはっていくのはおかしゅうござんすね。それに女中部屋がどうしたとか……」 「あれは寝言だ。いったいおまえはなにしにきたんだ?」 「わたしもはばかりまでおつきあいします」 「そんなことはつきあわなくてもいい。早く寝ちまいなさい」 ひとりがでかけようとすると、あとからついてきますからでかけられません。そのうちに、一時、二時と夜がふけるにつれて昼のつかれがでてきますから、みんなぐっすり寝こんでしまいます。いちばんさきに目がさめたのが番頭で…… 「ありがたいな。もうここまでくれば大丈夫だ。台所からこの中二階へあがっていくんだな。さあさあ早く女中部屋へ……なにしろ、どうもまっ暗だなあ……あっ、いてて……なんだい、ねずみいらずが釣ってあるんだな。昼間から釣ってあるんだけれど、さきをいそいでるんで気がつかなかった。しかし、大あたりというんだから辻占《つじうら》がいいぞ。はて? ここにねずみいらずがあるとすると、はしごがなくっちゃあならないのだが……おや、はしごがない。さては、おかみさんがはしごをひいてしまったんだな。ここまできて帰るというのもざんねんだな。宝の山に入りながら、手をむなしくひきとるのもばかばかしい。ああ、わざわいかえってさいわいだ。このぶつかったねずみいらずの引き手へ手をかけて……この棚の釣り手へつかまって……へっついの角へ乗っかって……あれっ、ミリミリミリといったぞ……あれっ、いけねえ、いけねえ。片っぽうの釣り手がとれちまった。こりゃあどうも弱ったな。おや、なにか倒れたぞ。ああ、流れだした、流れだした。うん、こりゃあ醤油だ。ショーユーこととはつゆ知らず、どうもこりゃあこまったな。あれっ、まただれかきたようだな」 「さあ、ここまでくりゃあ大丈夫だ。どうもまっ暗だな。ここではしごをあがれば女中部屋で……ああ、たまらない��あ……うふふふふ……おや、はしごがないぞ。なければないで、こっちは、ちゃんと見当はつけてあるんだ。ここにねずみいらずが釣ってあるから、これへとっつかまって……あっ、こりゃあいけねえ。上からおっこってきやあがった」 「おいおい、押しちゃあいけない、押しちゃあいけないったら……」 「おや、どなたかおいでですか?」 「おれだよ、佐兵衛だ」 「ああ、番頭さんですか。おはようございます。どうもごくろうさまで……」 「ごくろうさまだなんて、のんきなことをいってる場合じゃないよ。どうしよう?」 「どうしようたって……そうだ。あしたの朝、権助が飯たきに起きてきたら、これをまた釣ってもらいましょう」 「それまでかついでるのかい? この底冷えのするなかでおもくてかなやしない」 「なんです、これしきのこと。むかし、石川五右衛門は、油の釜でゆでられながら、わが子を両手にさしあげてこらえたんですよ。なんです、これしきのこと、男はがまんがかんじんです」 「なにくだらないことをいってるんだ。この最中《さなか》に石川五右衛門だなんて……しずかにしないと奥で目をさますといけないよ」
「ほんとうにしかたがないね。さっきから、台所のほうでねずみがガタガタやってるんで眠れやあしない。女中がなれないんだから、店の者が気をつけてやればいいのに……起きて見廻ってこなけりゃあならない……だれだい、この障子をあけっぱなしにしておくのは? はばかりにいって、あとをしめないじゃあしょうがないったらありゃあしない」 「おやおや、おかみさんがあかりを持ってでてきた。弱ったなあ、どうしよう? ……そうだ、いびきをかいて寝たふりをしていよう。グーグーグー」 「おや、まあおどろいた。だれだい、そこにいるのは? まあ、番頭さんに源どんじゃあないか。なんだい、そのかっこうは? 襦袢《じゆばん》一枚でだらしがないねえ。前をかくしたらどうだい? ほんとうにあきれるよ。突っ立ったままいびきなんかかいて……おやおや、どうしたんだい? ふたりでねずみいらずなんかかついでいびきをかいて……ほんとうにばかばかしいったらありゃあしない……いったいどうしたんだよ?」 「へえ、夢をみております」 「夢? なんの夢をみたんだい?」 「へえ、引越しの夢をみました」
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2024年10月1日(火)
今日から10月、朝一番でカレンダーをめくる。近年は<SOU・SOU>のカレンダーを使用しているが、このブランドは私の日常生活に欠かせない。ところが、いつ頃からの付き合いか・・・となるとはっきりしない。そこはさすがに<あやふや亭>、1年365日、どうでも良いことを記録しているだけだがちゃんと見つかった、<2015年12月27日>にツレアイから<風神雷神>の足袋下をいただいたのが嚆矢と判明した。おじさんの備忘録、結構役に立つのだよ(私にだけね)。
3時起床。
日誌書く。
柳家小ゑん師の新作CD、イベント販売は承知していたが、やっと通販でも取扱開始、早速新作3枚を注文した。
今日から郵便料金値上げ、ミスのないように一覧表を用意する。
5時45分、ツレアイ起床。
洗濯開始。
朝食を頂く。
洗濯物を干す。
珈琲を淹れる。
可燃ゴミ、20L*1&30L*1。
ヤクルトさんから野菜ジュースを購入する。
8時20分、ツレアイは自転車で出勤、今日は訪問2件。
夕飯用に、無水ソーセージカレー仕込む。
セントラルスクエア花屋町店で買物、猫砂とカルカン。
コレモ七条店で買物、ランチ用のうどん。
息子たちのランチはきつねうどん、昼過ぎに訪問から戻ったツレアイには焼き鯖アヒージョ入りパスタ。
録画番組視聴。
いやぁ、面白い! といいつつ、🍷が進む。
終了後、彼女は買物に、私は午睡。
コレモ七条店へ再び、明日の次男ランチ用にミニトマトを買い足す。
京都市上下水道局からチラシ、なんとアプリが出来たとのこと。早速インストールしてみると、支払方法でクレジットカードより口座振替の方が少し安くなるとのこと。そんなこと知らんがな、早速口座振替への変更手続きをする。
<地球洗い隊>に出汁パックの定期購入を申し込む。
夕飯はじっくり煮込んだ無水ソーセージカレー、いつもは奥川ファームの地鶏を使うのだが、さんだかん燻製工房のフランクフルトが賞味期限切れだったのを発見、急いで消費したメニュー。
録画番組、昼間の続き。
本当に面白い、これなら原作を読んでみたいと思う。
入浴、体重は750g増。
血圧は126/76といい数字。
焼酎の水割り呑みながら日誌書く。
今日は全体に良い感じ。
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【北海道花遊記】6日5夜夏季賞花自駕行程懶人包(準備篇)
來北海道旅行藉口多的是,春夏天賞花、秋天賞紅葉、冬天賞雪,其實一年365日還可以賞美食。不過如果選擇自駕遊的話,夏季出行會是比較方便安全,所以今趟先來介紹夏季賞花賞美食的行程吧!
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內文提供:wingontravel
【文:美露迪 】
札幌來回機票攻略:
向來北海道直航機票價錢比較貴,無論任何時間最少四千以上,自從香港航空飛新千歲後,似乎給大家多個選擇,有機會低過三千入到手!個人對航空公司沒有太多要求,只要能安全順利帶我到達目的地就可以了。尢其是短途旅程,餐食機艙服務有固然好但都不是重回點。機上沒有個人視頻設備,但有電插頭就足夠了,不想睡覺也可以把玩手機,也不覺得悶。今次購買北海道機票還獲贈免費享用香港航空專屬貴賓室「遨堂」一次!由於香港航空班機都集中在二百多號的閘口,如果使用其他貴賓室會比較遠,但「遨堂」位置就在二百號閘口的最前方,對乘坐香港航空的客人來說特別方便!
>>札幌來回機票
北海道住宿推介:
住宿方面因為預訂有點遲,美瑛一帶的民宿都爆滿了,所以我們主要選市中心的連鎖酒店,配套要比住民宿的方便和完善。就是少了一份親切感吧!
札幌市>>
北海道札幌大通公園拉根特住宿酒店 (La'Gent Stay Sapporo Odori Hokkaido)
*位置超好就離札幌車站只有3分鐘步程,食買玩景點都在附近,房間種類也很多,單人房、雙床房家庭房以至住宅式的房型都有提供,迎合不同旅客需要。
MYSTAYS 札幌站北口酒店 (HOTEL MYSTAYS Sapporo Station)
*離札幌車站也大概只有3分鐘步程,食買玩十分方便,連鎖酒店全國都有分店,服務設備都齊全,符合酒店標準規格,價錢合理,特別適合香港旅客們要求。
旭川市>>
Y's Hotel 旭川駅前店
2018年7月才開業,服務和設備都非常完善,置於旭川車站旁邊,自駕亦有提供泊車位,怕悶的人住旭川市肯定比住美瑛開心,晚上可以逛逛便利便,餓了可以去找拉麵店!
小樽市>>
Life House IPPO公寓
住宅式旅館,包含3個房間多張床,很適合一兩個家庭一齊出遊度假入住,而且離小樽運河只有10分鐘步程,非自駕遊出入也很方便,屋住就是樓下麵店的老闆,非常友善。
北海道花遊記~6日5夜夏季賞花自駕行程懶人包簡介
Day 1 北海道螃蟹吃到飽 + 貍小路購物一條街
Day 2 富良野花田一天玩樂
Day 3 美瑛薰衣草賞花
Day 4 旭川美食 + 追蹤太陽花花海
Day 5 小樽食買玩個夠
Day 6 札幌海繼續食 + 漁市場入貨攻略
北海道美食推介:
北海道無論是海鮮、亦或蔬果都特別美味,有最好的原材料,就能做就出最好的料理。個人認為最少要吃一次螃蟹吃到飽、烤羊肉料理、拉麵、鮮果雪糕冰品、還有非吃不可的海鮮/海膽丼飯……
螃蟹
北海道必吃螃蟹,要盡情就要吃到飽,札幌小樽都有幾家餐廳提供螃蟹吃到飽套餐,不過當中有些人氣的餐廳個人認為是名過其實,部份提供的蟹都是碎上的,或是雪藏得太久,欠缺鮮味。札幌小樽人氣食店包括蝦蟹合戰えびかに合戦、難陀NANDA、札幌櫻料理Sakura buffet 、淺草橋啤酒館…等等。
蝦蟹合戰えびかに合戦
電話:011-210-0411
地址:北海道札幌市中央區南4條西5 F-45 Building 12/F
交通:地下鉄南北線すすきの駅 徒歩3分
營業時間:16:00~24:00
價錢:7,500円/ 90分鐘吃到飽
烤羊肉料理
北海道冬天非常寒冷,牧場又多,不知是否這個原故烤羊肉料理也特別受歡迎。即便是夏天來北海道旅行,烤羊肉也是必吃的。約有人說北海道吃烤羊肉,肯定他就是說這家成吉思汗大黑屋了!
成吉思汗大黑屋
電話:0166-24-2424
地址:北海道旭川市4條通5丁目
網站:http://www.daikoku-jgs.com/
營業時間:17:00~23:30
人均消費:2,500円
拉麵
日本每個縣市都有自家出名的地道拉麵,北海道就以札幌拉麵最有名。札幌拉麵一般用上豬骨湯底的味噌口味,面頭再放上一小片牛油來增加香氣!特別適合在北海道寒冷冬天品嚐!不過今時今日在北海道有名氣的拉麵店也不一定只賣傳統的札幌口味,還有更受歡迎的海鮮味、鮮蝦味等也不能不試!北海道拉麵店有很多,人氣最盛我會選這幾家:麵屋彩未、梅光軒、蝦頭湯拉麵一幻、白樺山莊…等等。
梅光軒
電話:0166-24-4575
地址:北海道旭川市2條通8ピアザビル B1F
網站:http://www.baikohken.com/index.html
營業時間:11:00~21:00
人均消費:1,000円
蜜瓜雪糕
夏季來北海道當然是必吃蜜瓜雪糕,一邊欣賞富良野的美美花田,一邊品嚐清甜味美的蜜瓜雪糕,確實是人生樂事!除了蜜瓜口味,還可以試試薰衣草味軟雪糕,不過個人就不太接受,總覺得在吃潤膚霜一樣~怪怪的…….
Tomita Melon House (富田哈蜜瓜坊)
電話:0167-39-3333
地址:北海道空知郡中富良野町宮町3-32
網站:http://www.tomita-m.co.jp/
海鮮/海膽丼飯
北海道水產豐富來到當然要到漁市場吃海鮮丼飯,最好還要放滿肥美海膽!札幌的場外市場、二條市場、小樽的三角市場都是不錯選擇,邊吃邊買盡情享受!
北之美味亭 (場外市場)
電話:0120-004-070
地址:北海道札幌市中央區北十一条西22-4-1
網站:http://www.kitanogurume.co.jp/ch/index.html
營業時間:07:00~15:00
北海道熱選手信推介:
十年前到北海道旅行,手信幾乎清一色都是白色戀人!今時今日選擇多了,吃的有用的也有!
Calbee薯條三兄弟
六花亭草莓巧克力
北菓樓米菓
夕張蜜瓜純果凍
LeTao朱古力/芝士餅
昭和新山熊牧場 藥用馬油乳液
Royce巧克力
白色戀人
延伸閱讀 ►►周奕瑋遊日本玩樂行程推介
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■きっかけは横綱・日馬富士による殴打事件だった 「貴乃花が安倍首相と極秘に会い、来年夏の参議院選挙に出る」 こんな噂が永田町を駆け巡っているそうだ。にわかには信じられないが、この話に「相撲協会への意趣返し」という意味合いが付け足されると、若干の真実味が加わってくる。 貴乃花と八角理事長が牛耳る日本相撲協会との「遺恨試合」の経緯を少しさかのぼって見てみたい。 きっかけは昨秋に起きた横綱・日馬富士による貴ノ岩殴打事件だった。 現場となったのは鳥取市内にあるラウンジ「ドマーニ」。その場で白鵬が照ノ富士と貴ノ岩に説教している際中、貴ノ岩がスマホをいじっているのを見て日馬富士が激怒、ビール瓶やゲーム機のリモコンなどで殴り、ケガを負わせたのだ。 『週刊新潮』(10月11日号)によると、それに至る伏線があったという。昨年初場所で白鵬は貴ノ岩に金星を献上しているが、その前夜、白鵬のマネージャーが貴ノ岩に何度も「怪しい電話」をかけていた。八百長を頼んできたのだという説がある。 金星を挙げた貴ノ岩は、「俺はガチンコで横綱・白鵬に勝った」と、行きつけの錦糸町のモンゴルバーなどで吹聴し、それが白鵬たちの耳に入ったというのだ。 ■なぜそこまで「告発状の取り消し」にこだわるのか 事件後、なるべく穏便に収めようとする相撲協会と、警察に被害届を提出して事件の徹底解明を求める貴乃花親方との間に、深い亀裂が入った。 貴乃花は、警察の捜査を優先したいと、相撲協会の危機管理委員会による貴ノ岩の事情聴取を拒否した。そうした貴乃花の姿勢が問題になり、協会の理事を解任されてしまう。 貴乃花も反撃に出る。今年の3月9日、事件に対する相撲協会の対応について問題ありと、内閣府に告発状を提出したのである。だが、その後すぐに、弟子の貴公俊の付け人への暴力沙汰が表に出て、貴乃花は告発状を取り下げざるを得なくなってしまう。 相撲協会側はそれでも矛を収めず、告発状の内容が事実無根であったと認めるよう、貴乃花に圧力をかけ続けるのだ。 なぜそこまで告発状にこだわるのだろうか。『アサヒ芸能』(10月11日号)は一つの「仮説」を提示している。「告発状には相撲の根幹を揺るがすタブーについても触れられていた」(スポーツジャーナリスト)というのだ。
■両者が絶対に引けないチキンレースへ 「その中には過去の協会の不祥事として、弟子へのかわいがり、野球賭博、そして最大のタブーたる八百長に関しても記述があったようです。(中略)協会としては税制上の優遇措置が受けられる公益財団法人の立場を取り消されるおそれがあるため、なんとしてでもこの告発状の存在を抹消したかった」(相撲部屋関係者) その八百長の温床になっているのが、モンゴル人力士たちが集まって飲み合う「モンゴル互助会」だと貴乃花は考えているようである。 現役時代、ガチンコ相撲で21回の優勝をした貴乃花としては、絶対見過ごすことのできない「悪習」である。 告発状に書いたことは全部真実だと主張する貴乃花と、何が何でもそれを撤回させたい相撲協会とのガチンコ勝負は、両者が絶対引けないチキンレースの様相を呈していくのである。 ■臨時年寄り総会で2時間ものつるし上げがあった 変化が出たのはこの夏だった。稽古場で貴乃花が倒れ、救急車で病院に運ばれ緊急入院してしまうのだ。幸い、すぐに回復したが、元大横綱も46歳。病院のベッドで来し方行く末を考えたのではないだろうか。 9月に入って「貴乃花が引退する」という情報が流れ始めたという。 日馬富士殴打事件以来、貴乃花側に立っていい分を載せ続けてきた『週刊文春』(10月4日号、以下『文春』)は、この情報をつかんでいたようである。9月25日の引退会見が行われる前日、文春の記者が貴乃花に「相撲協会を辞めるのか」と問いかけていた。 『文春』によると、「平成の大横綱を退職に追い込んだのは、日本相撲協会による“搦め手”の凄まじい圧力だった」。弟子の不始末によって告発状を取り下げた経緯を報告した臨時年寄り総会で、協会を混乱させたとして貴乃花への怒号が飛び交い、2時間ものつるし上げがあった。 だが、貴乃花は不始末を起こした弟子が相撲を続けられるよう、ひたすら頭を下げ続けていたという。
■メディア側の弱腰が、貴乃花を追い詰めていった さらに協会は、あからさまな貴乃花排除工作を仕掛けてくるのだ。6月に貴乃花は自分の部屋を自ら潰して無所属になっていたが、「7月の理事会で、全親方は角内にある5つの一門のうち、いずれかに必ず所属しなければならない」と決め、従わなければ、協会員の資格を失うと、ひそかに決めたのである。 相撲協会側は、「一門の位置付けを明確にし、ガバナンスやコンプライアンスを強化するため」と、取って付けたような説明をしているが、下心は見え見えである。 それも、貴乃花が会見で話さなければ、表面化しなかったという。相撲記者たちは知っていたのだろうが、どこも書かなかったようだ。 『文春』(10月11日号)によれば、大横綱・貴乃花が引退するというのに、テレビ局は貴乃花の過去の映像を使わなかった。理由は「協会の許可が必要だから」だというのだ。 「協会と関係を悪化させてもいいことは何もありませんから」(テレビ局関係者) 今年2月に貴乃花の独占インタビューをやったテレビ朝日に、協会は猛抗議したそうで、今も出入り禁止が続いているという。こうしたメディア側の弱腰が、協会の理不尽なやり方を許し、貴乃花を追い詰めていったことは間違いない。 ■弟子たちまでターゲットにされたら、引退するしかない 貴乃花と弟子を全員受け入れる条件は、「告発状が事実無根だということを認める」ことだと、ある親方からの圧力があったと、会見で貴乃花は語っている。 『文春』の貴乃花インタビューによれば、“圧力”をかけてきたのはかつて盟友だったが、いち早く二所ノ関へ復帰して貴乃花を捨てた阿武松親方のようだ。ただし『文春』の直撃に阿武松は、「それは絶対ない」と否定している。 貴乃花たちを受け入れてくれる一門探しは難渋した。有力視されたのが元日馬富士が在籍した伊勢ヶ濱一門だったが、白鵬を擁する宮城野親方の反対でまとまらなかったという。 9月27日に開かれる理事会までに決まらなければ、廃業に追い込まれるかもしれない。 貴乃花が下した最終決断は、弟子を引き取ってもらって、自分は相撲界から身を引くということだった。『文春』で貴乃花はこう語っている。 「私一人なら、ただ耐え続ければよかったんですけどね。でも、弟子たちまでターゲットにされたわけですから。このままだと今までのように相撲が取れなくなってしまうと。うちの子たちは何としても守らなければいけません。そのためにはもう、自ら身を退くしかありませんでした」 だが、相撲協会・八角理事長に対する批判精神はいささかも鈍ってはいない。
■「どっちみち、私を潰しに来たんです」 「私が身を退く決意を伝えた時、弟子たちは泣いていましたけど、『何が襲ってきたのか、いつか分かる日が来る』、『お前たちは生き残るんだ』と伝えました。振り返れば、これまでも無所属の親方がいた時期もあったのに、私の一門がなくなった途端、どこかに所属しなければならないと、私を標的にした流れが作られました。協会は、元の古い体制に戻った、いや、さらに酷くなったんじゃないでしょうか」 貴乃花の周りには弁護士など、知恵者がいるようだ。たとえば、一門に入りたいために、もし告発状を事実無根だと自分が認めたとしたら、「事実ではないことを根拠に協会を告発したといって、私を解雇する材料にしたでしょう。どっちみち、私を潰しに来たんです」と、深読みまでしている。 貴乃花の引退会見の直前に白鵬の秋場所全勝優勝があり、9月30日には元横綱・日馬富士の「引退断髪披露大相撲」が両国国技館で行われた。 笑福亭鶴瓶や朝青龍らが大銀杏に鋏を入れ、師匠の伊勢ケ濱親方が止め鋏を入れた。日馬富士は土俵に数秒間口づけをして花道を去っていったが、涙はなかった。 『新潮』によれば、日馬富士は傷害容疑で書類送検され、略式起訴で50万円の罰金を払わされたが、その後、貴ノ岩との間で示談交渉が行われていたという。 「貴ノ岩の代理人弁護士が話し合いの席を持ち、そこで、貴ノ岩の代理人弁護士は慰謝料などの名目で3000万円の支払いを求めていました」(相撲協会関係者) ■貴乃花は、日馬富士を引退に追い込むつもりはなかった だが、事件の状況に認識の差があるため、不調に終わったそうだ。鳥取区検察庁で暴行事件の資料の一部を閲覧したジャーナリストの江川紹子氏は、こういっている。 「事件直後の貴ノ岩関の警察官調書には、日馬富士関に“失礼なことをした”という認識があったことが述べられている。殴られても耐えていたが、会話中に携帯を見るという失礼なことをしたので仕方がない、といったニュアンスで事件について語っています」 事件直後のことだから、貴ノ岩が、そういわないと大変なことになると忖度して、このようにいった可能性も否定できないが、貴乃花には違う話をしていたようだ。 貴乃花は、事件をうやむやにしようとした相撲協会のやり方に反旗を翻したのであり、日馬富士を引退にまで追い込むつもりはなかったようだ。 晴れ晴れとした表情の日馬富士を見て、貴乃花は胸中、どう思っていたのであろう。
■「来年の参院選挙の目玉になる」という噂の虚実 そして「日本相撲協会は1日、貴乃花親方(本名・花田光司、元横綱)から出されていた退職届を正式に受理した。同親方は角界から去ることが確定した。この日東京・国技館で開いた臨時理事会では、貴乃花部屋の力士8人、床山1人、世話人1人の千賀ノ浦部屋への移籍も承認し、貴乃花部屋は消滅した」(朝日新聞10月2日付)。 『文春』に、これからどう生きていくのか問われて、こう答えている。 「人生はまだまだ長いですから。先のことは分からないですが、やれることはたくさんあると思います。外から弟子たちの活躍を見守りつつ、子供たちに神事である大相撲の素晴らしさを知ってもらえるよう、昔のように神社や仏閣に土俵を作ったりとか。私の金銭事情や家内のこととか、いろいろとデタラメが報じられていますけど、今に始まったことではないので免疫ができています」 冒頭の話に戻るが、『新潮』によると、安倍首相とひそかに会い、来年の参院選挙の目玉になるという噂があるらしい。 たしかに、立憲民主党の公認候補として弁護士の亀石倫子氏が決まるなど、各党の第一次候補が決まりつつある時期である。苦戦が予想される安倍自民党にとって、確実に得票が期待できる貴乃花は擁立したい候補ナンバー1だろう。 貴乃花にとっても、議員になって、大相撲改革を推し進めることができれば、相撲協会にとっては手ごわい相手になる。 ■貴乃花の性格的な問題を指摘する兄・若乃花 だが、話下手で人前に出るのが嫌いな貴乃花に議員が務まるわけはない。兄の若乃花(現・花田虎上)のようなタレント活動もできないだろうから、選ぶ道は限られている。 相撲協会とは別の組織を作るのではないかという声もあるようだが、資金面も含めてそう簡単な話ではない。 相撲道に邁進する姿は見上げたものだが、彼を支える親しい人間は少ない。母親とも兄の若乃花とも絶縁状態だ。 「デイリースポ��ツonline」(9月30日)は、読売テレビに出演した若乃花の発言として「知り合うと最初は仲良くなったりして、(でも)途中からみんな、話すこともできなくなる。僕も(弟とは)話すことできないので……。嫌な人は向こう(あっちにいけ)、納得いかないと向こう(いけ)、ってなってしまう。何か教えてもらうことも、(耳に)入らなくなる。自分がいいと思った人しか入ってこなくなる」と貴乃花の性格的な問題を指摘する声を記事にしている。 不世出の元横綱が、こういう形で相撲界を去るというのは、栃錦・若乃花や大鵬・柏戸を見てきた世代としては残念としかいいようがない。
■騒動で置き去りにされたのは相撲を愛するファンたち 自分たちの利権を守ることにだけしか関心がなく、相撲改革など頭の隅にもない相撲協会の人間と、頑なに自分の正しいと思う道を突き進み、他人の意見に耳を傾けない意固地な相撲バカとが、敵意をむき出しにして争った結果、置き去りにしたのは相撲を愛するファンたちである。 私はどちらにも非があると思う。お互いが非を認め、譲るところは譲り、少しでもいい方向へ進めていくのが、成熟した組織ではないのか。 このところ次々に出て来るスポーツ界の醜聞は、力のある人間が、長年その世界をわがもの顔に牛耳っていたため、組織が濁り、腐敗が進んだためである。 相撲界を開かれた近代的な組織に生まれ返らせるために必要なのは、健全なスポーツジャーナリズムであるはずだ。相撲界の悪弊を指摘し、横綱とはどうあるべきかを説く、そういう真っ当なジャーナリストが何人かいれば、今回のような事態は起きなかったはずだ。 今のスポーツ界の乱脈さは、健全なジャーナリズムの不在を示している。それこそが一番の問題だと、私は思う。
ジャーナリスト 元木 昌彦 写真=時事通信フォト
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実家、その後
居心地が悪い。側から見ればろくでなしのプー太郎が何を言うかと詰られそうだが、居心地が悪いのだから仕方がない。父親は亭主という仮面を被り、初めから無い威厳を飾ろうとして母親を使う。エラソーに見える人間は馬鹿にも見える。祖父母は2人とも80を超えているが元気に母親の至らぬ点を指摘する。母親は家事の一切をこなし、その上祖父母の老後の趣味である農業まで手伝っている。その労苦は報われるどころかこの家庭の中では感覚されていない。母の寝床は足が曲げられない場所にあった。寝床を移せばと言ってもどういうわけか動こうとしない。ここが自分に相応しいなどとまさか考えるようなことはやめて欲しいと願っている。私は何をしているかといえば、自分が出した洗い物は自分で洗い、気が向けば料理をつくっているくらいのもので、家事に携わることといえばただそれくらいで、その他は自分の部屋に篭りやりたいことをやっている。できるだけ誰とも会話���したくない。やりたいことをやっているためか、全ての身内から白い目で見られているような感覚を覚える。母親だけは少しは話せるのかもしれないが、家父長制や本家のしきたりなどにとらわれていて、枠から出ようとしない。そもそもまともにものを考える余裕がないように見える。ここには味方が誰もいないような気がしてならない。私もまた傲慢な人間だろうか。
唯一の安息の場は図書館である。読めていない本を持ち込んで読んだり、興味のある本やDVDをいくらか借りてきたりしていたが、コロナウイルス拡大防止のため図書館が1ヶ月ほど休館になってしまった。隣の市まで。利用者がいないのならと借りていた図書をここぞとばかりに延滞した。さりとてそれらを読み進めるわけでもなく、何をしているのか、情けない思いもするが、ほかに興味のある本を読んでいるのだから仕方ない。しかし本を一冊読むのに一週間くらいかかっている。集中力が欲しいのでビタミンB群のサプリメントを昨日Amazonで購入した。効果は如何程なりや。
戦中手記-鮎川信夫
ことばと文化-鈴木孝夫
若き詩人たちの肖像-堀田善衛
読んでます。自分と同じくらいの歳にあの人は何をしていたのか、ということに不思議と興味を覚えます。
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井上泰至「俳人の恋」連載 Ⅴ
花鳥誌2020年10月号より転載
日本文学研究者
井上 泰至
正岡子規
結核だった子規の恋は淡い。結核菌が神経の集まる腰を襲った、若い晩年の日々をこう書いている。
をかしければ笑ふ。悲しければ泣く。しかし痛の烈しい時には仕様がないから、うめくか、叫ぶか、泣くか、または黙つてこらへて居るかする。その中で黙つてこらへて居るのが一番苦しい。盛んにうめき、盛んに叫び、盛んに泣くと少しく痛が減ずる。 (『墨汁一滴』明治三十四年四月十九日)
そんな病のつらさを癒すものに、過去の楽しい記憶があった。それら回想録の中で特筆すべきは、芥川竜之介も何度読んでも飽きないと激賞した、「小提灯」の記事(『病牀六尺』五月二十五日)である。新聞『日本』の同僚、古島一雄(古洲)の手紙が発端となった。日清戦争が起こる四カ月前の、明治二十七年三月末の出来事である。 古島に誘われて、大宮公園に出掛けたが、桜はまだ咲かず、引き返して目黒の牡丹亭という店で、筍飯を注文する。給仕してくれたのは、十七、八歳の娘だった。
この女あふるるばかりの愛嬌のある顔に、しかもおぼこな処があつて、かかる料理屋などにすれからしたとも見えぬほどのおとなしさが甚だ人をゆかしがらせて、余は古洲にもいはず独り胸を躍らして居つた。
子規には珍しい恋の記憶である。子規を吉原に連れまわす古島のことなので、一泊を申し出るが、娘はすげなくこれを断る。しばらく雑談にふけっていたが、品川(江戸以来の遊所として知られる)を回って帰ることになり、その娘が、送っていくと言って、小提灯を持って道案内をしてくれる。藪のある寂しいところに差し掛かると、ここから田圃道をまっすぐに行くのだと教えられて、持ってきた小提灯を渡される。その時のことである。
余はそれを受取つて、さうですか有難う、と別れようとすると、ちよつと待つて下さい、といひながら彼女は四、五間後の方へ走り帰つた。何かわからんので躊躇してゐるうちに、女はまた余の処に戻つて来て提灯を覗きながらその中へ小さき石ころを一つ落し込んだ。さうして、さやうなら御機嫌宜しう、といふ一語を残したまま、もと来た路を闇の中へ隠れてしまうた。この時の趣、藪のあるやうな野外れの小路のしかも闇の中に小提灯をさげて居る自分、小提灯の中に小石を入れて居る佳人、余は病床に苦悶して居る今日に至るまで忘れる事の出来ないのはこの時の趣である。
娘が小石を小提灯の中に落としたのは、道中の安全を祈るおまじないの意味ばかりではない。夜道を案内する私の代わりとも受け取れるし、古島よりも子規に好意を寄せていて、できたら私を覚えていてね、という意味を込めたようにも思える。 子規は、この後古島と共に日清戦争に従軍し、結局結核を拗らせて、恋愛や結婚は無理な体になってしまった。従軍の許可が出た時の子規の喜び様は尋常ではない。なお人生の望みと言えば、西洋に行くことと、意中の女性と結婚することであるとこの時、同僚の五百木飄亭宛ての手紙で漏らしている。 さて、「小提灯」の小さな恋の物語に、子規はどうオチを付けたのか。品川は大火事があって、仮設営業、すなわち「仮宅(かりたく)」となっていた。 仮宅といふ名がいたく気に入つて、蓆囲(むしろがこ)ひの小屋の中に膝と膝と推し合ふて坐つて居る浮(うか)れ女(め)どもを竹の窓より覗いてゐる、古洲の尻に附いてうつかりと佇(たたず)んでゐるこの時、我手許よりの立ち上るに驚いてうつむいて見れば、今まで手に持つて居つた提灯はその蝋燭(ろうそく)が尽きたために、火は提灯に移つてぼうぼうと燃え落ちたのであつた。 品川の遊女なんぞをぼうっと眺めていてはいけませんと、目黒の女が嫉妬の炎を燃やしたかのような、滑稽な結末である。 あの女はどうしているだろうか、もし従軍記者などやらなければ、といったくどくどとした述懐などきれいさっぱり捨てる、洒脱なセンスこそ、子規��本領なのだろう。
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井上 泰至(いのうえ・やすし) 1961年京都市生まれ 日本伝統俳句協会常務理事・防衛大学校教授。 専攻、江戸文学・近代俳句
著書に 『子規の内なる江戸』(角川学芸出版) 『近代俳句の誕生』 (日本伝統俳句協会) 『改訂雨月物語』 (角川ソフィア文庫) 『恋愛小説の誕生』 (笠間書院)など 多数
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